2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

GLA【高橋佳子】の死生観

1 :神も仏も名無しさん:2017/12/05(火) 08:45:22.46 ID:pFvMserwe
 このスレッドは、宗教法人GLA(主宰:高橋佳子)の死生観、その他、宗教法人GLAに
関する話題を議論するスレッドです。
 GLAでは、「人間は永遠の生命を抱く魂の存在」と捉え、「死んだら終わり」
ではなく、魂はこの世(現象界)とあの世(実在界)を往還しながら、進化と成長を
果たしてゆく「円環的人生観」が説かれています。さらに、そのような死生観に基づき、
GLAでは独自の葬儀や人生祈念館への人生記録・ご遺骨の奉納、特別供養などの葬送が
行われていること、そのことによって人生がまったく変わり、希望と安らぎを得ている
会員の実践についても日々発表されています。
 しかし、GLAの死生観について、若干の疑問の声があることも事実ですので、ぜひ、
GLA会員の皆様からのご教示をお願いします。
(参考スレ)
GLAの遺骨崇拝 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1415245309/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝2 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1451819519/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝3 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/
【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 "http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/467-n"

2 :神も仏も名無しさん:2017/12/15(金) 15:05:49.43 ID:wZC1FExdL
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512523045/l50
GLA【高橋佳子】の死生観

本家(5ch)にスレが立ちましたので、5chで議論しましょう。

ここは、非常用ということで。

3 :神も仏も名無しさん:2018/10/01(月) 08:51:36.27 ID:RvMSgHq84
hoshu

4 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:56:29.41 ID:Alauurl5F
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/39-880

上のスレッドの続きを、ここに書くことにする。

GLAで様々展開されている神理実践は、「狭域神理実践」と、
「広域神理実践」に分類することができるだろう。

「狭域神理実践」とは、自分自身、自分の家族、自分の職場等に
満ちる困を解決してゆく神理実践であり、
「広域神理実践」とは、社会全体に満ちる困、より多くの人々が
関わっている困、様々な人の利害が対立している困を解決してゆく
神理実践である。

但し、両者を明確に区別することはできず、両者の中間あたりの
神理実践というものもある。一般的には、狭域神理実践よりも
広域神理実践のほうが困難である場合が多い。

また、広域神理実践は動機付けが難しい。狭域神理実践における
「困」は、ある意味で「自分や家族に火の粉が降りかかっている」
状態であり、それが神理実践に取り組む動機になる。

しかし、広域神理実践における「困」は、「自分には関係ない」と思えば、
見過ごしてしまうことができ、そのことが自分自身や自分の家族に
特に害をもたらすということが無い。

5 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:57:31.85 ID:Alauurl5F
佳子先生のご著書には、広域神理実践を果たした会員の実例が
数多く掲載されている。GLAのことをよく知らない人が佳子先生の
ご著書を読むと、「GLAとは、様々な人が、次々と広域神理実践を
果たしてゆく団体である」と認識するかもしれない。

しかし、GLAのことをよく見てみると、全く矛盾する姿を目にする
ことができる。それは、佳子先生から頂いた「千年構想」、
「7つのプログラム」を放置し続けているGLAである。

例えば「通信ネットワーク環境の整備」というテーマについて見てみよう。
高齢者、病人など、自分で簡単に動けない人が集いに参加するためには、
介護者や自動車等を手配しなければならず、手配できなければ集いに
参加できないのだ。

そして、その困に直面している人々は、多くの会員にとって顔も名前も
知っている人々なのだ。そして、「GLAは魂家族」という佳子先生の
お言葉からすると、困に直面している人々は、自分の「家族」ではないか。
ならば、この困を解決することは、広域神理実践というよりは、むしろ
狭域神理実践に近いだろう。

6 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:58:15.31 ID:Alauurl5F
佳子先生は「通信ネットワーク環境の整備」というテーマを明示され、
さらに(本来の用途を伏せた状態で)「インターネットを通じた
画像配信システムを構築して下さる」という形で解りやすいヒントを示して
下さっている。それにもかかわらず、GLAは「何もできないGLA」という
姿を晒し続けている。

佳子先生のご著書等に現れている「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」と、
「千年構想」、「7つのプログラム」に現れている「何もできないGLA」。
2つのGLAの姿のうち、どちらが本当のGLAの姿だろうか?

それは、「何もできないGLA」というのが本当の姿なのだ。

では、ご著書等に現れている「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」
とは一体何なのか?これは、けっして「虚偽」というわけではないが、
「幻」のようなものなのだ。

7 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:58:43.16 ID:Alauurl5F
佳子先生のご著書等に現れている広域神理実践には、ほとんど、
「佳子先生の御助力」が付随している。「御助力」は多岐にわたる
場合もあれば、非常に些細なものに見える場合もある。

例えば、佳子先生が会員に対して、「この問題をあなたと責任として
背負うことはできないだろうか?」と問いかけられ、その会員が、
その問いかけによって目覚め、その後は一切の御助力を頂くことなく
広域神理実践を果たしたとしよう。

一言だけ問いかけられるというご助力は、非常に些細なように見える
かもしれないが、その御助力が無ければ、その広域神理実践は、
絶対に成立しなかったものである。だから、その広域神理実践は
「幻」なのだ。

「幻」が「幻」であるということは、佳子先生の御助力がストップ
した時にはっきりと証明されるだろう。その時は、「佳子先生のご帰天」
によって訪れるかもしれない。あるいは佳子先生の御存命中に
「御助力をストップされる」という形で現れるかもしれない。

そのとき、「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」というものが、
幻の如く消え去るだろう。それは、元々「幻」だったからに他ならない。

8 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:59:41.87 ID:Alauurl5F
そのときのGLAの姿は、法華経の中で「化城宝処の喩」として既に予言
されているように見受けられる。
この喩は、Wikipedia の内容を引用すると、次のようなものである。
-------------------------
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する
多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。
そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を
化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。
人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを
教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。
この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは
仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、
仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、
一乗の境界に至らしめることを説いている。法華経では、遥か昔の
大通智勝如来が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと
思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、
四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、
また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。
-------------------------

「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」とは、佳子先生が出現させた
「化城」、「幻」に過ぎないのだ。

9 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 12:00:39.97 ID:Alauurl5F
「この問題をあなたと責任として背負うことはできないだろうか?」
と佳子先生から問いかけられて広域神理実践を果たせる人は、
自分で「動機付け」ができない人であり、何の御助力も頂かず
広域神理実践を果たせる人は、自分で「動機付け」ができる人である。

両者の間には、見た目以上の大きな差がある。
「動機付け」というのは、それだけ難しいものであり、
広域神理実践を果たしてゆく中核になる要素だからだ。

「何の御助力も頂かず広域神理実践を果たせる人」とは、ある意味では
「自分の内に佳子先生が出現した人」と表現することができるだろう。
その人の内なる佳子先生が「この問題をあなたと責任として背負うこと
はできないだろうか?」と語りかけるため、外なる佳子先生が何も
されなくても動機付けができるのだ。

では、自分自身の中に「内なる佳子先生」を出現させるためには、
どうすれば良いだろうか?佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて
頂く霊操行(http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf)こそが、
その解答である。

10 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 12:01:10.89 ID:Alauurl5F
佳子先生がご助力をストップされ、「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」
が「幻」、「化城」の如く消え去った時、「ふりだしに戻った」と思う人が
いるかもしれない。しかし、それは誤りである。

「化城宝処の喩」では、導師が「化城」を出現させたのは、五百由旬の
道程のうち三百由旬をすぎた処である。すなわち、道程の半分以上は
既に歩んでいるのだ。そこまで既に歩んだからこそ、導師は「化城」を
出現させたのだ。

但し、残りの二百由旬は、既に歩んできた三百由旬とは異なり、霊操行を
基として歩んでゆく道である。

「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」は、一時は幻の如く消えたかも
しれない。しかし、霊操行を基として、さらに二百由旬を歩んだならば、
そこには本物の「宝処」がある。そこでは、霊操行によって内なる
佳子先生を出現させた人々が、「本物の広域神理実践」を果たしてゆくだろう。

その時、GLAは「本物の広域神理実践を果たしてゆくGLA」として、さらに
グレードアップした姿を現すだろう。

11 :神も仏も名無しさん:2018/11/15(木) 11:59:13.92 ID:lAU/vwbik
法華七喩の中の「髻中明珠の喩」について考えてみたい。
Wikipedia には、次のようにある。
---------------------------------------------------
転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、
兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。
しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに
与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。
この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により
与えられた宝とは爾前経(にぜんきょう=法華経以前の様々な教え)、
髻中の明珠とは法華経であることを表している。
より正しくは、転輪聖王と同じように如来も法華教を教えることを
最後まで慎重に控えていたのだ、と説明している。
---------------------------------------------------

「髻の中にある宝珠」というのは、外からは見えない宝を
暗示しているのではないだろうか。「転輪聖王」は佳子先生を
表しており、「髻の中にある宝珠」とは、
「佳子先生に内在された叡智」を表しているように思える。

佳子先生は、「内在された叡智」を容易に他人に与えられる
わけではないし、そもそも与えることは困難である。
しかし、霊操行に親しむ者は、自らの内に
「宝珠=内在された叡智」を育むことができるだろう。

「宝珠=内在された叡智=内なる佳子先生」こそ、決して奪われる
ことのない最高の宝である。

12 :神も仏も名無しさん:2018/11/15(木) 11:59:44.72 ID:lAU/vwbik
次に、「良医病子の喩」について考えてみたい。
Wikipedia には、次のようにある。
---------------------------------------------------
ある所に腕の立つ良医がおり、彼には百人余りの子供がいた。
ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。
そこへ帰った良医は薬を調合して子供たちに与えたが、
半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に
飲んで本心を取り戻した。
しかし残りの子供たちはそれも毒だと思い飲もうとしなかった。
そこで良医は一計を案じ、いったん外出して使いの者を出し、
父親が出先で死んだと告げさせた。父の死を聞いた子供たちは
毒気も忘れ嘆き悲しみ、大いに憂いて、父親が残してくれた良薬を
飲んで病を治すことができた。この物語の良医は仏で、病で苦しむ
子供たちを衆生、良医が帰宅し病の子らを救う姿は仏が一切衆生を
救う姿、良医が死んだというのは方便で涅槃したことを表している。
---------------------------------------------------

この喩の意味について、私は次のように考えた。
『「毒薬を飲んで苦しむ」とは、「快苦に翻弄され悩乱する」ことであり、
 「薬」とは、「千年構想、7つのプログラム」というテーマである。
 「出先で死んだ」という方便は、佳子先生が早逝されることを
 表している。「薬を飲んで病を治す」とは、佳子先生が逝去された後、
 快苦に翻弄されテーマを放置していた人々が、頂いたテーマに真剣に
 向かい合い、覚醒してゆくことを表している。
 「良医が帰宅した」とは、テーマに真剣に向かい合う中で、天上界
 との響働が果たされ、正にそこに佳子先生がおられるかのような
 場が現成することを表している。


13 :神も仏も名無しさん:2018/11/15(木) 12:01:09.85 ID:lAU/vwbik
しかし、よく解らないのは、
「半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に
飲んで本心を取り戻した」という箇所である。

「千年構想、7つのプログラム」というテーマに真剣に対峙している
会員は半数もいないではないか。快苦に翻弄されている状態から脱して、
テーマを推進しようとしている人は非常に少ないだろう。否、「現会員」
に限れば、もしかすると一人もいないのではないだろか?

ならば、この箇所は、「今後、佳子先生が逝去される前に、半数までは
いかなくとも、多くの人がテーマに向かい合って覚醒する」ということ
だろうか?そのあたりは、私にとっても謎のままだ。今後起こる「事実」
によって、それは明らかになってゆくだろう。

何れにせよ、近い将来には、法華七喩の要素が全てGLAに揃うだろう。
その時、GLAこそが法華経を具現する共同体であることを、
何百万もの法華経信者に向かって、宣言する時がくるだろう。

14 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:54:59.32 ID:qpNFggZq6
私はこれまで、
・今後とも「千年構想」、「7つのプログラム」のテーマを放置し続けたなら、
佳子先生の早逝は避けられない
・しかし、まだ時間は残されているので、内界を転換してテーマに対峙すれば、
佳子先生の早逝は避けられる
ということを再三述べてきた。

しかし、後者は違っているかもしれないと思うようになった。
つまり、「佳子先生が早逝されない限り目覚めない人」ばかりが、
GLAに集められているのではないかと思えてきた。

そうであるとすると、「佳子先生の御存命中に内界を転換して
テーマに対峙する」という事は起こり得ないことであり、
佳子先生の早逝は最初から定められていたということになる。

15 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:55:42.62 ID:qpNFggZq6
実際のところ、どうなのだろうか?佳子先生が早逝されたとき、
「本当にこうなる前に、自分が覚醒して、頂いたテーマに向かう
ことはできなかっただろうか?」と、一人一人が自らに問いかけ、
「嘘をつけない心」によって内界を検証することが大切だろう。

内界を検証した結果、あなたの結論が「佳子先生が早逝される前に、
自ら覚醒しテーマを進捗させてゆくことは自分には無理であった」
ということであれば、佳子先生の早逝について、少なくともあなたには、
責任は無いと言えるだろう。

そして、GLA会員の全員が、そのような結論を出したのであれば、
「佳子先生の早逝は最初から定められていた事であって、
誰かが悪かったわけではない」ということになるだろう。

ならば、「自分が悪かった」と自責の念を抱くことは、かえって
「嘘をつけない心」に反することになるだろう。

16 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:56:47.96 ID:qpNFggZq6
自責の念を抱く必要は無いが、佳子先生が一体何を果たして下さったのか、
それは明確に認識しなければならない。

・菩薩になる事を願って転生を繰り返したのに、「快苦の奴隷」となって
その願いを適えることができなかった人々…
・その願いを適えられるように、佳子先生の弟子としての人生を与えられ、
菩薩になるための修行のテーマ(千年構想、7つのプログラム)を
与えられたのに、再び「快苦の奴隷」となってそれを放置し続けた人々…
・テーマが放置されている事に危機感を抱いた者が、自らの退会と
引き換えに警鐘を鳴らしたにもかかわらず、「快苦の奴隷」の暗き
眼差しによって、その事態をただ黙って眺めていた人々…
・それにもかかわらず、口先で佳子先生を賛美している人々…

佳子先生は、そのような人々に対して、限りなき御慈愛を注がれてきたのだ。
そして、佳子先生が早逝されたとすれば、それは、そのような人々の
背中を押し、目覚めさせるために、自らを犠牲にされたということなのだ。

17 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:57:54.75 ID:qpNFggZq6
佳子先生が一体何を果たして下さったのか、それを認識できたならば、
次は、あなたが「佳子先生にお応えする」番である。
それは、「菩薩になる」という佳子先生との約束を成就することである。

菩薩になるための「静中の工夫」となる修行は、佳子先生との一体化を
果たす霊操行である。

菩薩になるための「動中の工夫」となる修行は、頂いたテーマ
(千年構想、7つのプログラム)の実践である。

「静中の工夫」と「動中の工夫」を車の両輪として進むならば、
「快苦の奴隷」がうごめく土くれの中から、菩薩を湧出させることが
できるであろう。

湧出する菩薩こそ、法華経の中で予言された「地涌の菩薩」であろう。

18 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 19:14:31.09 ID:qpNFggZq6
もう一つ、重要なことを述べておこう。
佳子先生が早逝された後、またはその兆候が現れたとき、
その意味についてあれこれ語る者は数多く現れるだろう。

しかし、そのような者が語ることは信用するに値しない。
佳子先生が早逝される真の意味を語れる者であれば、
その兆候が現れる前に、その意味を解説できるはずなのだ。

佳子先生が早逝される理由はただ一つ、それは
「一人の菩薩を生むため」である。

19 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 15:15:41.21 ID:pTZjERIYA
佳子先生が示された悟りの第九段階の表では、第七段階以上が
「菩薩」であるとされている。第七段階の悟りの内容は、
「回心(慙愧と歓喜)が訪れる」「個の目的と全体の目的との合一が起こる」
ということである。

このうち、「個の目的と全体の目的との合一が起こる」について
考えてみたい。「個の目的」とは、一人一人個人の目的であろう。
また、「全体の目的」とは、ただ「全体に関わる目的」ということではなく、
「神意に適う全体の目的」という意味であると考えられる。

「神意に適う全体の目的」とは、具体的に如何なるものであるのか
簡単に解らない場合が多い。しかし、佳子先生が示される「全体の目的」が
「神意に適うもの」であると認めるならば、これは佳子先生のお言葉から
容易に知ることができる。

すなわち、「千年構想」や「7つのプログラム」が
「(神意に適う)全体の目的」に他ならないのだ。

20 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 15:16:03.16 ID:pTZjERIYA
では、「個の目的と全体の目的との合一が起こる」とは如何なること
だろうか?それは、佳子先生が「千年構想」「7つのプログラム」という
形で明確なヴィジョンを示される前に、たとえ曖昧なものであっても
自分自身が似たようなヴィジョンを抱ける、ということだろう。

また、佳子先生が「千年構想」「7つのプログラム」という明確な
ヴィジョンを示されたとき、「そうだ。これこそ自分が果たしたかったことだ」
と思えることではないだろうか。

自分の心をそのように動かすことができない人は、明らかに
「菩薩ではない人」である。では、「菩薩ではない人」が「菩薩」になる
ためには、何を果たせば良いだろうか?

それは、「佳子先生のお言葉を信じてチャレンジしてみる」ことしか無いと
思う。今一つしっくりこない点があったとしても、佳子先生を信じて
チャレンジを続けたならばどうなるだろうか?

21 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 15:18:20.13 ID:pTZjERIYA
それは、苦しく長い道のりかもしれないが、やがて「これは元々自分が
やりたかったことだ」と思えるようになるかもしれない。否、そうなることが
予定されている人々が、今、GLAに集められているのではないだろうか。

たとえ苦しくとも、チャレンジを続けてゆけば、「自分自身の意識の
働かせ方」というものに、ある種の「道」が付いてくると思う。
そうすると、将来(それは来世になるかもしれないが)、別の「全体の目的」
に出会ったとき、今回とは異なる変化が起きるのではないだろうか。

「全体の目的」を語る人は、あなたにとって佳子先生ほど信頼の置ける
人ではないかもしれない。しかし、その人が「全体の目的」を語った時、
「そうだ。これこそ自分が果たしたかったことだ」、「自分も似たような
ことを考えていた」と、思えるようになるのではないだろうか。

もし、それがあなたの身に起こったならば、あなたは
「個の目的と全体の目的との合一」を果たした、ということになるだろう。

22 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:07:36.06 ID:u7TfPjAb5
最近、日本と韓国との関係がおかしくなっているが、
その件について、様々思うことがある。

関係がおかしくなっている原因は韓国側にある。
まず、戦時中の元労働者の未払賃金の問題で、日本と韓国との間に
交わされた日韓基本条約を一方的に反故にしたのは韓国だ。

2015に日韓の合意によって設立された慰安婦合意に反し、
一方的に慰安婦財団を解散させたのも韓国だ。
さらに、最近、自衛隊のP−1哨戒機に対して韓国駆逐艦が
火器管制レーダーを照射した事件があったが、韓国の呆れるばかりだ。

最初、韓国政府は、「漁船探索のために火器管制レーダーを使用した」と
主張したのに、「火器管制レーダーを使用していない」と主張を変え、
「日本が威嚇飛行をし、救助活動を妨害した」などと、幼稚で
見え透いたウソを世界中に発表し続けているのだ。

日本政府は、「事実を認めて再発防止策を講じてくれれば穏便に済ませる」
という態度であったのに、なぜこうなってしまうのだろうか?

23 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:08:01.65 ID:u7TfPjAb5
韓国人の中にも、まともな感性を有し、「恥ずかしいから韓国政府はウソを
言うのはやめろ。日本に謝罪せよ」という主張する人もいる。
しかし、そのような人は「親日派」として糾弾され、時には暴力を受け、
その声は多勢に影響することはない。

なお、日本人の中にも、幼稚で見え透いたウソをつく人間は多数存在する。
しかし、政府首脳や軍首脳の発言が、新聞記事が、国民世論が、
「幼稚で見え透いたウソ」で固まっている現実は、多くの日本人にとって
理解不可能なことだろう。

しかし、神理の眼差しで眺めれば、なぜそうなっているのか理解できる。
韓国が上述のようになっている原因は、「そのようなカルマを持つ多くの魂が、
韓国に生まれることを切望した」「それゆえ、神が、そのようなカルマを
持つ魂ばかり、わざわざ韓国に集められた」からなのだ。

ある傾向のカルマを持った魂が「要素」として集まると、その「要素」
によって「場」が生じ、その傾向が一層強められる。「場」が生じると、
「潮流」が生まれる。すなわち、その傾向が世代を超えて受け継がれるようになる。
この「潮流」は「三つのち」とも呼ばれてきた。

24 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:08:33.02 ID:u7TfPjAb5
韓国の子供たちの事を考えてみよう。韓国の子供たちも、元々大人たちと
同じようなカルマを持つ魂だった。そして、その魂は韓国に生まれて、
大人たちの行動、想念を無自覚のまま、吸い込んでしまうのだ。

そして、子供たちが成長したとき、今の大人たちとそっくり同じ「韓国人」
となって、暗転の現実を生み出し続けるだろう。

では、なぜ、その魂は韓国に生まれることを切望したのだろうか?
それは、「暗転の現実」という果報こそが得難い恩寵だからだ。
「暗転の現実」を直視するならば、それを生み出した自らの
「因=カルマ」を直視せざるを得なくなり、
それによってカルマを克服できる可能性が生まれてくるからだろう。

そして、一人がカルマを克服したなら、魂の大地に
「カルマを克服する道」ができ、その道を辿って、全員にカルマ克服
の可能性が生まれるからだろう。

しかし、「暗転の現実」を直視せず、「見て見ぬふり」、「知らないふり」、
「関心の無いふり」を続けるならば、自らの「因=カルマ」を知る
ことができず、カルマを克服することはできない。生じた「暗転の現実」に対して、
ウソの上にウソを重ね、「日本が悪い」と叫ぶばかりでは、かえって
カルマを強めてしまうことになるだろう。

25 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:08:55.14 ID:u7TfPjAb5
今、なぜ韓国の話をしたかと言うと、実は韓国の現実と、GLAの現実が、
そっくり同じようなものに見えてしまったからだ。

佳子先生は、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を下さった。しかし、
そのご指示は20年に渡って放置され続けている。

放置され続けている原因は何だろうか?それは、多くのGLA会員が快苦に
翻弄される人間であり、ひたすらに快=楽を追及してきたからである。

佳子先生は、千年構想を放置し続ける事の愚かさを知らしめて下さった。
それは、2014年、「佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた」ということだ。
佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた理由と考えられるものは、次のリンクにある。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640

しかし、その理由を想起できた者は、佳子先生のご指示に従って
青写真へのアクセスに挑戦し続けた者だけである。
青写真へのアクセスする事を怠ってきた者にとって、その出来事は
全く理解不能で困惑するしかなかっただろう。
これこそ、「青写真へのアクセスする事を怠ってきた」という想念、
行為に対する何よりの警鐘では、なかっただろうか。

26 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:09:52.63 ID:u7TfPjAb5
その警鐘を頂いてから5年が経過しようとしているが、いまだに
GLAは千年構想を放置し続けている。なぜ、これほどの警鐘を頂きながら
放置し続けることができるのだろうか?

それは、韓国の現実が生じている原因とそっくり同じだと思う。すなわち、
「そのようなカルマを持つ多くの魂が、そのカルマが顕現される場に
生まれることを切望した」
「それゆえ、神が、そのようなカルマを持つ魂ばかり、わざわざGLAに集められた」
からなのだ。

快苦に翻弄されるカルマを持った魂が「要素」として集まると、その「要素」
によって「場」が生じ、その傾向が一層強められる。「場」が生じると、
「潮流」が生まれる。すなわち、その傾向が世代を超えて
受け継がれるようになる。

「快苦に翻弄され、佳子先生のご指示を放置し続ける」という「原則」、
「風土」、「集団想念」というものが、空気のように自然にGLAの中に
蔓延している。そして、その「原則」、「風土」、「集団想念」に反する
言動を行う者は、異端者として排除されるのが、現状のGLAではないのか。

27 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:12:06.88 ID:u7TfPjAb5
それは、火器管制レーダーの照射事件について、「恥ずかしいから
韓国政府はウソを言うのはやめろ。日本に謝罪せよ」という主張する
韓国人が「親日派」として糾弾され、時には暴力を受けている現実と
そっくり同じではないのか?

GLAが「暗転の現実」を直視せず、「見て見ぬふり」、「知らないふり」、
「関心の無いふり」を続ける姿は、韓国人の姿とそっくりではないのか?
これでは、自らの「因=カルマ」を知ることができず、カルマを克服してゆく
折角の機会を無駄にしてしまうのではないだろうか。

神は、韓国の現実を通じてGLAに対して呼びかけを下さっているように
思えるのだ。それは、
 
 「眼を開いて韓国の姿を直視せよ。
 韓国こそが、あなた方の鏡である
 韓国の姿こそが、あなたたちの姿である」
 
という呼びかけた。

28 :神も仏も名無しさん:2019/02/12(火) 08:54:18.98 ID:F5ANPigte
あるカルマを抱いた一群の魂が、一つの場に集まれば、
集団のカルマによって「場」が生じ「潮流」が生まれる。

それは、カルマが強調され、暗転の現実が起きることによって
カルマを知り、カルマを超克してゆく道が開けるからだろう。
その点は韓国もGLAも同様だろう。

しかし、カルマを超克することは、智慧と努力と勇気が必要であり、
多くの人は、カルマを超克することなく人生を終える。

韓国の中で、虚偽と不実がまかり通っていること、
GLAの中で佳子先生を賛美しながら佳子先生が下さったテーマを
放置する態度がまかり通っていること。

それらは、外から眺めている人間の目には実に奇異なものに映るが、
集団のカルマが作り出す「場」と「潮流」に呑み込まれている
人間にとっては脱却することが難しいものなのだろう。

この傾向は、韓国とGLAに限ったものではなく、世界中に満ちている
現実ではないだろうか。世界に満ちる様々な困の現実のほとんど全ては、
集団のカルマが引き起こしていると言ってもいいだろう。

29 :神も仏も名無しさん:2019/02/12(火) 08:54:43.13 ID:F5ANPigte
GLAが今後千年かけて、世界に満ちる困に立ち向かってゆくことを願う
ならば、それは世界に満ちる「集団のカルマ」に立ち向かい、
「集団のカルマ」を超克してゆくことに他ならないだろう。

しかし、世界に満ちる「集団のカルマ」を超克してゆくためには、
その前にGLA自身が「集団のカルマ」を超克してゆく必要があるのでは
ないだろうか。自分達が果たせないことを、他人に向かって「果たせ」
とは言えないだろう。

現在のGLAには、快苦に囚われ、ただ快を求め苦を退ける傾向の
強い人が集められているように見える。それによって、
「佳子先生が下さった千年構想のテーマが20年に渡って放置されている」
という起こり得ないような現実が実際に起こっているのだ。

そのような人々ばかりが集められた理由の一つは、そのような人々の
カルマ超克ということが挙げられるだろう。そして、もう一つの
理由として、「集団のカルマを超克してゆくモデルを世界に示す」、
ということがあるのではないだろうか。

モデルを示せるからこそ、世界に満ちる「集団のカルマ」を
超克してゆく道が整うのではないだろうか。ならば、現在のGLAの
人々には、自分自身のカルマ超克とともに、「モデルを示す」という
重大な使命を背負っている。

ただ己のカルマを超克することに限られず、「一切の人を救済したい」
という願いがあったからこそ、重大な使命を背負ったのではないだろうか。
ぜひ、その事を自覚して頂きたいと思う。

30 :神も仏も名無しさん:2019/02/25(月) 09:00:14.68 ID:DNxjro3e3
>>27 に私は次のように書いた。
> 神は、韓国の現実を通じてGLAに対して呼びかけを下さっているように
> 思えるのだ。それは、
>  「眼を開いて韓国の姿を直視せよ。
>  韓国こそが、あなた方の鏡である
>  韓国の姿こそが、あなたたちの姿である」
> という呼びかけた。

しかし、神は、もう一つ大切な呼びかけを下さっているように思える。
それは、「韓国人の民族業の超克を助けよ」という呼びかけである。

韓国人の民族業を超克してゆくことは、韓国人自身の問題である。ただ、
日本政府が、あるいは一人ひとりの日本人が「韓国人の民族業の超克」
を助力してゆく事は可能であり、GLAが日本社会をリードして、
そのような助力を実現すること、というのが私が感じた呼びかけである。

31 :神も仏も名無しさん:2019/02/25(月) 09:01:00.62 ID:DNxjro3e3
韓国政府が次々に日本政府に対して不実を働いてきた事実に対して、
日本には様々な世論がある。「報復せよ」という声もあれば
「放置しておけばよい」という声もある。しかし、「その願いは何か」
という事を突き詰めて考える人は皆無に等しい。

「日本にとって最大の経済的利益を追求する」ことを「願い」とする
ならば、「韓国以外の諸外国に対しては日本の立場や見解を明確に表明し、
韓国に対しては無視する」というのが正しいのではないかと思う。

しかし、そのような「願い」を抱くことは正しいのだろうか?
「願い」を抱くならば、それは「韓国人の民族業の超克」でなければ
ならないはずだ。ならば、彼らが民族業によって不実な態度を示した
場合には、彼らに対して、例えば「経済的制裁を加える」等の方法で、
明確に「NO」という態度を示さなければならない。

32 :神も仏も名無しさん:2019/02/25(月) 09:01:36.88 ID:DNxjro3e3
日本が韓国に経済的制裁を加えたならば、韓国から経済的な報復が
返ってくる可能性が高い。それは、日本の国益を損なうことになる
かもしれないが、「韓国人の民族業の超克」という事を願いに重きを
置くならば、多少の痛みは甘受することが正しいだろう。

現在、多くの人は、そのような「考え方」、「パラダイム」
というものを知らない。知らないものを選択することは不可能だ。

だからこそ、何よりも「魂の救済」を願いとすること、
その「願い」に基づいて方策を講じること、その事をGLAが社会に
対して提言しなければならないと思う。

33 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:06:27.68 ID:+QGJSilwq
>>12-13 で「良医病子の喩」について述べたが、もう一度
考え直してみた。

この喩における「良医」とは、おそらく大いなる存在、神を表している。
そして、「子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた」というのは、快苦に翻弄
された人々の現状を表している。

良医が調合した「薬」とは、「千年構想」「7つのプログラム」を表している。
「薬が毒だと思って飲まない」とは、正しく快苦に翻弄された人々が、
「千年構想」「7つのプログラム」を放置している事を表している。

「良医が死んだ」という方便は、「佳子先生の逝去」を表していると
思われる。元よりGLAのリーダーは神であり、GLAは神の御意志を
具現してゆく共同体である。佳子先生は神に動かされている存在である。

しかし、多くの人は神の御意志を知ることはできず、「他の誰か」が
神の御意志を語ってくれることによってのみ、神の御意志を知ることができる。


現在のGLAにおいて「他の誰か」というのは「佳子先生のみ」と認識
している人が多いだろう。すると、「佳子先生の逝去」によって
神そのものと断絶したかのように感じる人が多いのではないだろうか。

だからこそ、「良医が死んだ」という方便は、「佳子先生の逝去」を
表していると思える。

34 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:06:49.23 ID:+QGJSilwq
しかし、神の御意志にアクセスできる者は、別に佳子先生に限られる
わけではない。佳子先生よりも20年以上若い世代に、その力を持った
人が、おそらく数多く出生していることと思う。その人々は、佳子先生
の御帰天後、GLAを背負う使命を持った人々である。

しかし、神の御意志にアクセスできる人々は、現状ではGLAの中で力を
発揮することはできない。なぜそうなってしまうのか、それは少し
考えてみれば容易に理解できる。

神の御意志にアクセスできる人々とは、誰よりも神の御意志に共感
できる人である。それゆえ、佳子先生が示された神の御意志である
「千年構想」「7つのプログラム」についても、強く共感できる人々である。

ならば、神の御意志にアクセスできる人々は、GLAの中で放置されて
きた「千年構想」「7つのプログラム」に強く共感し、それを実現
したいと願い、実現に向かって動こうとするだろう。

しかし、その行為は、「快苦に翻弄される人々」にとって、
迷惑千万な行為であると受け止められるだろう。

「快苦に翻弄される人々」とは、口先で佳子先生を賛美しながら、
ただ己の快を求め、苦を退けようと動く人間を指す。その人々は、
無自覚のうちに、快を求め苦を退ける強固な同盟関係を作り上げている。

そして、その同盟関係によって、「千年構想も7つのプログラムも
放置すべき」という不文律、暗黙の了解をGLAの中に作り上げてきたのだ。

35 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:07:53.34 ID:+QGJSilwq
「千年構想」「7つのプログラム」を実現しようと動くことは、
その不文律、暗黙の了解をぶち壊そうとする事に等しい。

「神の御意志にアクセスできる人々」は、「千年構想、7つの
プログラムを実現させようと動く人々」に他ならない。その人々は、
「快苦に翻弄される人々」にとって迷惑千万な人間になるだろう。

「快苦に翻弄される人々」の中には、かつて関芳郎が実行したように、
「千年構想、7つのプログラムを実現させようと動く人々」を退会に
追い込もうとするかもしれない。

そこまでいかなくても、単に「無視する」単に「協力しない」、
「勝手にやれば?」という態度をとる、そのような雰囲気を醸し出す
だけでも充分だと思う。

神の御意志にアクセスできる人々は、比較的若い人々、新参者が
多いと思われる。すると、古参の会員である「快苦に翻弄される人々」
が否定的な雰囲気を出しただけで、どのように推進すれば良いのか
解らず、口を閉ざしてしまうかもしれない。

36 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:09:15.61 ID:+QGJSilwq
あるいは、「快苦に翻弄される人々」を啓蒙しようと動き出す人も
存在するかもしれない。しかし、そのように動く人々を、
「快苦に翻弄される人々」は、異端者、邪魔者と看做すだろう。

そうなると、退会にまで追い込まれなかったとしても「神の御意志に
アクセスできる人々」は力を発揮することができなくなるだろう。

「神の御意志にアクセスできる人々」が力を発揮できなければ、
神の御意志のままにGLAを動かすことは不可能になる。

すると、GLAには、「神不在の暗黒時代」が訪れるだろう。
GLAは糸が切れた凧のような状態になり、様々な痛みや混乱の現実が
次々と引き起こされるだろう。

「快苦に翻弄される人々」は、最初はその原因が解らないかもしれない。
しかし、やがて自分たちの因がその現実を引き起こしていた事に
気づくだろう。

ただ、快を求め苦を退けるために「千年構想も7つのプログラムも放置すべき」
という不文律を作ってきた自分立ち。その自分たちの因こそが、
「神不在の暗黒時代」を作り出してきたことに気づくだろう。

気づいたならば、「快苦に翻弄される人々」は、佳子先生が遺して下さった
「千年構想」「7つのプログラム」に真剣に対峙するようになるだろう。

37 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:10:33.36 ID:+QGJSilwq
ただ、「真剣に対峙する」と言っても、直接的には大した成果は
上げられないだろう。例えば、今までろくに運動をしてこなかった人が、
運動を始めるのは良いことだが、いきなりマラソン大会に出場したところで、
成果を上げることはできないだろう。

それと同じことだ。過去世の智慧の蓄積がなく、今生の智慧の蓄積も無い
人々にとって、智慧を発揮するのは難しく、そこには、かなり低いレベルの
「限界」というものがあるだろう。

しかし、「快苦に翻弄される人々」が「千年構想」「7つのプログラム」
に真剣に対峙することは、決して無意味ではない。否、智慧なき人々が
挑戦することは、極めて重大な意義のある行為である。

なぜなら、その行為によって、「異端者、邪魔者」と看做されてきた
「神の御意志にアクセスできる人々」が「異端者でも邪魔者でもない人々」
に転換するからである。

やがて、「神の御意志にアクセスできる人々」の力は、GLAの中で知られて
ゆくようになるだろう。そして、その人々が響働することで、再び
GLAは神の御意志を具現できる共同体になるだろう。

喩の中にある「半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の
薬を素直に飲んで本心を取り戻した」は、佳子先生の御帰天前に
相当数の人々が覚醒し、「千年構想」「7つのプログラム」に
対峙し始めるという意味だと思われる。

しかし、佳子先生の御帰天が無ければ、それはGLA全体の潮流には
ならないのだろう。「快苦に翻弄される人々」の大部分は、
佳子先生の御帰天が無ければ目覚めることはできない、という
意味であると思われる。

38 :神も仏も名無しさん:2019/04/01(月) 08:50:38.98 ID:jvzND3Zf8
快苦に翻弄され、20年に渡って千年構想を放置してきた人々が、
覚醒し千年構想を推進してゆけるようになる事は可能だろうか?
可能であるとすれば、一体何が必要だろうか?

それは、まず「願いに還る」ことではないだろうか。自らが何を願って
転生してきたのか、それは魂の所以を遡る瞑想等によって示されて
きたことであろう。

そして、その願いが「一切の人を救済すること」であったのなら、
今一度、その願いを呼び起こし、「願いに還る」ことが第一歩であろう。
願いを刻印に、如何なる苦難があろうともそれを実現する志を
確かにすることであろう。

次に、「願いを果たすために何が必要か」を考えることだ。
「一切の人を救済すること」は簡単に適う願いではない。
それには何百年、何千年という時間が必要である。

その願いを果たすことは、巨大なビルを建設することに似ていると思う。
巨大なビルを建設するために、一体何が必要だろうか?
そのためには、まず設計図を描くことから始めなければならない。

39 :神も仏も名無しさん:2019/04/01(月) 08:51:02.66 ID:jvzND3Zf8
設計図を描いたならば、次に強固な基礎を固めなければならない。
そのような手順を踏まなければ、巨大なビルを建設することはできない。

手順を無視して、ただ無手勝流に鉄骨を組み上げたり、コンクリートの
型枠を作れば、どうなるだろうか?それらの作業は、全て無駄になるのだ。

あなたの願いを具現するにあたって「千年構想」とは「ビルの設計図」
である。ビルを建築するための強固な基礎となるものは「菩提心発掘」
である。「7つのプログラム」は、その「菩提心発掘」の第一歩になるだろう。

このように、「千年構想」「7つのプログラム」を推進してゆくことは、
あなたの願いを具現する唯一の道である。この唯一の道を歩まなければ、
あなたは願いを具現することができないのだ。

その自覚を得た人が増えるに従って、GLAの場は転換されてゆくだろう。

40 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:00:40.90 ID:mlHPJ90rz
「魂の所以を遡る瞑想」等によって「一切の人を救済する」という
「願い」を思い出した人の多くは、それと同時に「後悔」の念が湧き
上がってきたのではないだろうか。それは、過去世では願いに
生きられなかった、という後悔だ。

後悔の念が湧いてきても、後悔の具体的な原因を思い出せるだろうか?
自分は、過去世に何をしたのか?何をしなかったのか?
過去世の人生では一体、何が問題だったのか?
具体的に思い出せる人は少ないだろう。

しかし、過去世の後悔の詳細を思い出せなくても、特に問題ない。
過去20年、今生のあなたの人生を思い出してみれば、それで充分では
ないかと思うのだ。過去20年、今生のあなたは、あなたの「願い」
に対してどのように生きてきただろうか?

20年前、佳子先生は、あなたの願いを具現化する「千年構想」に
取り組むよう、呼びかけて下さった。しかし、あなたはその呼びかけを
無視して何も為さなかっただろう。

「組織」としてのGLAが「千年構想」を放置した責任は、直接的には
あなたには無いかもしれない。しかし、「組織」としてのGLAがどうであれ、
「あなた個人」が佳子先生の呼びかけに応えて、「千年構想」を進めること、
千年のヴィジョンを描いて刻印することに、何の障害も無かったはずなのだ。

41 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:01:51.34 ID:mlHPJ90rz
千年後に一体何を果たしたいのか、そのために、今、何を果たさなければ
ならないのか、そのヴィジョンにアクセスし、ヴィジョンを深めてゆくことは、
組織がどうであれ、他人がどうであれ、「あなた個人」が果たせたことである。
しかし、あなたは「あなた個人」が果たせることすら、何も果たさなかったのだ。

10年前、佳子先生は、「7つのプログラムを通じて菩提心を発掘する」
ことを呼びかけて下さった。しかし、あなたはその呼びかけも
無視して何も為さなかっただろう。

この問題も、「千年構想」と類似している。「組織」としてのGLAが
「7つのプログラム」を放置した事の直接的な責任は、あなたには無いかもしれない。
しかし、あなたは「7つのプログラム」のヴィジョンを描くことができただろう。
「7つのプログラム」のヴィジョンを描くこと、これは即ち「7つのプログラム
を通じて菩提心を発掘する」という佳子先生からの呼びかけに応えることである。

ヴィジョンを実現するためには「組織」としてのGLAを動かさなければ
ならないが、ヴィジョンを描き、ヴィジョンを深めてゆくことは、
組織がどうであれ、他人がどうであれ、「あなた個人」が果たせたことである。

しかし、この「7つのプログラム」についても、あなたは「あなた個人」が
果たせることすら、何も果たさなかったのだ。

42 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:02:17.40 ID:mlHPJ90rz
2013年、「千年構想」、「7つのプログラム」が放置されている事に
危機感を抱いた者が、自らの退会と引き換えに警鐘を鳴らした。

しかし、あなたは何も為さなかっただろう。それは、必ずしも
「組織としてのGLAを動かす」ことだけではない。あなたは、
「あなた個人が果たせること」を果たそうとしなかったのだ。

2014年、佳子先生は、「千年構想」を放置し続ける事の愚かさを
あなたに知らしめて下さったであろう。

それは、2014年、「佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた」ということだ。
佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた理由と考えられるものは、次のリンクにある。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640

しかし、その理由を想起できた者は、佳子先生の呼びかけに愚直に
従って「千年構想」の青写真へのアクセスに挑戦し続けた者だけである。

青写真へのアクセスする事を怠ってきた、あなたにとって、
その出来事は全く理解不能で困惑するしかなかっただろう。
これこそ、「青写真へのアクセスする事を怠ってきた」という想念、
行為に対する何よりの警鐘では、なかっただろうか。

43 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:02:55.42 ID:mlHPJ90rz
しかし、それでもあなたは、警鐘を無視して、「あなた個人が果たせること」
すら何も果たそうとしなかったのだ。

勿論、「組織」としてのGLAを変革することは、避けて通れないだろう。

しかし、「組織」とは「個人」の集まりであるから、「個人」を
変革することが先決問題になるだろう。すなわち、「千年構想」、
「7つのプログラム」について、「あなた個人が果たせること」を、
あなたが果たすことだ。

それによって、「組織」としてのGLAを転換してゆく道が整ってくるだろう。

過去世の後悔の話に戻ろう。人間は、転生しても、過去世と
同じようなことをする存在だ。時代を違え、国を違え、状況を違えても、
なぜか過去世とそっくり同じような事をする。

あなたには、過去世のあなたの状況は解らないかもしれない。
しかし、今世のあなた自身の姿を見ていると、大体のことは解るだろう。
過去20年に現れた今世のあなたの姿、それは、過去世のあなたの姿
とそっくりなのだろう。ならば、そのまま人生が終われば、後悔する
しかない一生になるだろう。

今生の人生で、あなたは、その後悔をまた繰り返すのだろうか?
それとも今生の人生で、後悔を生き直すことができるだろうか?

44 :神も仏も名無しさん:2019/04/25(木) 12:21:15.87 ID:h/7nuCf/M
「何かを信じれば、それで菩薩になれるか?」と問われるならば、
「絶対にそのような事は無い」と答えるのが普通だろう。

しかし、誤解を恐れずに言うならば、現在のGLAで、
「魂の所以を遡る瞑想」等によって「一切の人を救済する」という
「願い」を思い出した人、そして、それにもかかわらず「千年構想」、
「7つのプログラム」を放置し続けている人々に限定するならば、
「佳子先生に対する信を確立すれば、菩薩となって願いを生きることができる」
と言い切ることができるのではないだろうか。

あななたが「菩薩になりたい」「一切の人を救済したい」という願いを
持ちながら、過去世ではそれを果たせなかったのだ。だからこそ、
佳子先生は、今生の人生では、あなたを弟子として迎えられ、
「菩薩になれる道を整える」と約束されたのだ。

あなたは、「菩薩になれる道を整える」という佳子先生の約束を信じられるだろうか?

45 :神も仏も名無しさん:2019/04/25(木) 12:21:40.12 ID:h/7nuCf/M
「菩薩になれる道を整える」という佳子先生の約束を信じられるならば、
「菩薩になれる道」とは具体的に何だと思われるだろうか?

それは、「千年構想」であり「7つのプログラム」であろう。
この2つ以外にも、佳子先生は様々なテーマを与えて下さっている。
しかし、今生の人生で「菩薩」になる事を実現してゆけるような
テーマは他に存在するだろうか?少なくとも、私は、そのような
他のテーマが存在することを知らない。

では、「千年構想」「7つのプログラム」について、
「佳子先生は必要充分な事を果たして下さっている」と信じられるだろうか?

今よりも、さらに難しいヒントが与えられたなら、あるいはノーヒント
であったなら、あなたは「千年構想」にも「7つのプログラム」にも取り組む
ことができなかっただろう。

46 :神も仏も名無しさん:2019/04/25(木) 12:23:03.72 ID:h/7nuCf/M
逆に、今よりも易しいヒントが与えられたなら、あるいは、手取り足取り
ご指導を下さり、お膳立てを整えて下さる等、もっと助力を下さったなら、
あなたは「千年構想」も「7つのプログラム」も、ずっと楽に取り組めたはずだ。

もし、そうして下さっていたなら、今日では、目に見える形で、
ある程度の結果が出ているだろう。しかし、それでは、あなたの中から
「一人の菩薩を生む」ことはできなかっただろう。

だからこそ、佳子先生は、現時点の助力を与えて下さっているのだ。
佳子先生は、あなたの中から一人の菩薩を生むために、
「易し過ぎず、難し過ぎない、ぎりぎりの線の助力」を見極められる
事ができる方である。そして、その助力を実践できる方である。

あなたは、その事を信じられるだろうか?

以上のような点で、「ただ佳子先生を信じる」ことができるならば、
あなたは、菩薩となって願いを生きることができるだろう。

47 :神も仏も名無しさん:2019/05/10(金) 08:25:24.19 ID:6kzhdql3J
「佳子先生に対する信を確立する」という点で、もう一つ重要な側面がある
と思う。それは、
「佳子先生は、あなたにとって困難なテーマに対しては、必ず助力を下さる」
ということだ。

過去20年、「千年構想」「7つのプログラム」について、
佳子先生は、あなたに対して何の助力も下さらなかっただろう。
しかし、それは、あなた自身が果たせること(>>40-43) を、
あなたが果たしてこなかったからであろう。

佳子先生が、あなたに対して助力を下さるタイミングは、あなた自身が
智慧の限りを尽くして進める所まで進んだ時である。

そのタイミングで助力を下さるからこそ、助力はあなたの力を引き上げ、
次に同レベルの障害に見舞われたとき、助力なしで対応できるようになるだろう。
その繰り返しこそ、あなたが魂願成就する道であろう。

だからこそ、必ず佳子先生が助力を下さることを信じて、頂いたテーマ
「千年構想」「7つのプログラム」に対峙してゆくべきであろう。

48 :神も仏も名無しさん:2019/05/21(火) 12:08:15.30 ID:eTlEJjzX8
佳子先生が下さる助力とは、具体的に如何なるものだろうか?それは、
「現身を持たれた佳子先生が手口足を使ってご助力下さる」という側面と、
「聖霊としての佳子先生が手口足を使わずにご助力下さる」という側面がある。

ここで特に重要なのは後者である。前者の御助力は、佳子先生が現身を
持たれているごく短い期間内に例外的に生じることであって、来世のあなたが、
そのようなご助力を頂くことは期待できない。

しかし、後者の御助力であれば、今世も、来世も変わることなく
頂くことができる。後者の御助力とは、例えば、「インスピレーション
を送って頂く」、「奇跡を起こして頂く」という形として現れるだろう。

後者の御助力の中で、最も重要と思われるものは、神の御意志に基づいて、
佳子先生と弟子であるあなたとが響働することである。

それは「父と子と聖霊 三位一体の具現」という言葉で表すことができると思う。
「父と子と聖霊」「三位一体」という言葉は、キリスト教にもみられるが、
キリスト教の解釈は、ここでは全く関係ない。

私が言う「父と子と聖霊 三位一体の具現」において、「父」とは、大いなる存在、
神であり、一切の計画者である。「子」とは、地上に現身を持っている人間であり、
神の御意志を知り、手口足を使って神の御意志を具現してゆく存在である。
そして、「聖霊」とは、現身を持たない存在であり、神の御意志に基づいて
奇跡を起こして「子」を助ける存在である。

「父」と「子」と「聖霊」、この三者が響働することによって、
「子」のみでは実現不可能な事が具現されてゆくだろう。

49 :神も仏も名無しさん:2019/05/21(火) 12:08:37.42 ID:eTlEJjzX8
「三位一体の具現」を実現するにあたって、ボトルネックになるものは、
常に「子」である。「子」が神の御意志にアクセスできない限り、
三位一体の具現は起こり得ない。そして、「神の御意志にアクセスする」
というのは、なかなか難しいことである。

しかし、現在のGLAではどうだろうか?
「千年構想」「7つのプログラム」は佳子先生が示されたテーマ
であるから、これが「神の御意志」であることに絶対に間違いは無い。

勿論、細かい点では様々不明な事もあるが、大枠のヴィジョンは
絶対に間違いようが無い。だから、佳子先生がテーマを示して下さった
という事は、大きなご助力を頂いたという事に他ならない。

これによって、「子が神の御意志にアクセスする」という困難さを
相当に克服することができ、現実に三位一体の具現を果たしてゆけるだろう。

ただ、来世のあなたには、現在の佳子先生のように「絶対に間違い無い」
テーマを示して下さる方は現れないだろう。色々なテーマを示してくれる人は
いるだろうが、そのテーマは「絶対に間違い無い」とは言い切れないだろう。

すると、来世のあなたは、神の御意志が一体何であるのか、自分自身で
判断しなければならず、その判断が当たらない限り、三位一体の具現は起こり得ない。
そのために、今生のあなたは「神の御意志」とは如何なるものであるか、
その感性を磨いてゆかなければならない。

50 :神も仏も名無しさん:2019/05/21(火) 12:09:36.41 ID:eTlEJjzX8
では、如何にしてそれを磨いてゆくのか?
それは、神の御意志である「千年構想」「7つのプログラム」を吟味し、
考察し、他の人との間で智慧の交換を果たし、具現してゆくことである。
それによって、間違いなく、「神の御意志」に対する感性が、あなたの
中に育まれてゆくだろう。

また、「父と子と聖霊 三位一体の具現」において、本来、「聖霊」は現身を
持たない存在であり、手口足を使って「子」を助けることはない。しかし、
現在のところ、佳子先生は現身を持たれており、必要に応じて
手口足を使って御助力を下さることも起こり得る。

前述のように、2014年、佳子先生は「信次先生の遺骨を祀られた」という
行為によって、御助力を下さった。これは、「現身を持たれた佳子先生が
手口足を使って御助力を下さった」ということである。

このようなご助力を頂けることも、「三位一体の具現」を果たせる力を
今生の人生で育んでゆける大きな力になるだろう。来世のあなたには、
これほどの恩恵が与えられることはあり得ない。今生の人生で与えられている
恩恵が如何に尊く、如何に稀有なものであるのか、よく認識することである。

その恩恵を認識したなら、今生の人生を賭けて、頂いたテーマである
「千年構想」「7つのプログラム」に対峙してゆくことが、あなたには
呼びかけられているのではないだろうか。

51 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:57:15.98 ID:HmR+DSjXV
1999年、高橋佳子先生が「GLA 魂共同体千年構想」を
呼びかけて下さった後、20年が経過しようとしている。

しかし、20年に渡って、千年構想は、ほとんど何も進捗していない。
それは何故だろうか?それは、私が再三に渡って述べてきたように、
「快苦に翻弄される人間の自我」にある。否、もっとはっきり言えば、
「快苦に翻弄されるあなた自身」に原因がある。

佳子先生が「千年構想」を呼びかけて下さったのに、あなたは、
なぜGLA千年のヴィジョンにアクセスしようとしなかったのか?
なぜ志を立てなかったのか?なぜ先生の御心に己の心を合わせようと
しなかったのか?

それは、何もしない事のほうが快であり、楽だからだろう。

その後、関芳郎が「千年構想」を放置しているのに、あなたは何故、
関芳郎を放置したのだろうか?それは、関芳郎に意見すれば、関芳郎との
間に軋轢が生じる。それは、あなたにとって「苦」だからだろう。
何も言わないことが、あなたに「快」と「楽」をもたらすからだろう。

52 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:57:37.82 ID:HmR+DSjXV
また、関芳郎が「千年構想」を放置している事に対して苦言を述べ、
「千年構想」のヴィジョンを提示した人間(GLAを憂う元会員)がいた。
しかし、関芳郎は己の見栄と体面を守るため、その人間を退会に追い込んだ。

あなたは、その事実を知りながら、全く動かなかっただろう。なぜ、動か
なかったのか?やはり、それはあなたが「苦」を退け「快」を求めたからだろう。

また、佳子先生は地域拠点で止観シート研修を実施され、信次先生の
遺骨を祀られた。これは、GLAを憂う元会員の描いたヴィジョンの正しさを
証明するものである。佳子先生がそこまでして下さったのに、何故あなたは
動かなかったのだろうか?やはり、動かないほうが、あなたにとって
「楽」であり「快」だからだろう。

53 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:58:05.00 ID:HmR+DSjXV
佳子先生は以前、「志の無い人間にとって時間とは快楽の餌である」
と仰ったことがあった。正に、このお言葉の通り、20年という
時間が「快楽の餌」となって消えたのだ。
では、「快楽の餌」となって消えてしまった20年は、「全く無駄な時間」
だったのだろうか?それは、今後のあなた次第だと思う。

あなたがその事実を振り返らなければ、本当に「全く無駄な時間」として
終わるだろう。

しかし、過去20年、あなたが快苦に翻弄されてきた事実を克明に検証し、慚愧し、
それを新生の願いに結ぶことができたなら、「快楽の餌」となって消えた
20年は、あなたにとって有意義なものになるだろう。

また、過去20年にGLAに起こったことは、未来千年のGLAでも充分に
起こり得ることだと思う。まず、快苦に翻弄されやすいという人間の性は、
未来のGLAにおいても変わらないだろう。未来のGLAでも、快苦に翻弄
された人間が為すべき事を知りながら放置することは充分に考えられる。

54 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:58:26.14 ID:HmR+DSjXV
また、未来のGLAにおいても、GLA共同体が困難な解決・創造を果たさ
なければならない時、神は「鍵を持った人間」を出現させるだろう。
しかし、「鍵を持った人間」は、GLAの権力者に「自分の体面を潰す人間」
と看做される危険があり、権力者によって排除される可能性がある。
その際、GLA会員が快苦に翻弄されていれば、権力者の行動を黙認して
しまうだろう。

過去20年、すなわち1999年〜2019年のGLAの歴史を克明に後智慧
するならば、それは未来のGLAにとって貴重な先智慧になる。
未来のGLAの人々が、快苦に足をすくわれそうになったとき、その
先智慧によって混乱を避けられるようになるだろう。

私は、「GLAは千年構想20年の歩みを振り返らなければならない」
という神の御意志を強く感じる。おそらく、近日中に、佳子先生から
「千年構想20年の歩みを振り返るように」との御指示を下さるのでは
ないかと思う。もしかすると、既にその御指示を下さっているかもしれない。
もし、そのような御指示があったとすれば、その御指示の意味は、
上述した通りのことだと思う。

55 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:59:15.22 ID:HmR+DSjXV
すなわち、過去20年の時間を「快楽の餌」にしてしまった事実を
しっかりと刻印に、それを新生の願いに転換することを佳子先生は
求められているのだと思う。

しかし、仮に、佳子先生が関芳郎に対して「千年構想20年の歩みの
振り返りを行うように」と命じられたならば、関芳郎は、上述したような
ことを絶対にやらないと思う。関芳郎ならば、例えば「過去20年に
建設された建物の賛美」のような事を始めるのではないかと予想している。

勿論、GLAにとって建物も大切な要素に違いないが、建物を充実して
こられたのは主として佳子先生であろう。そして、いくら建物の
話をしても、「千年後に何を果たしたいのか」、「千年後のために、
今、何を果たさなければならないのか」、というテーマがさっぱり
見えてこないだろう。

56 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 09:00:30.50 ID:HmR+DSjXV
しかし、関芳郎ならば、それでも「建物の賛美」で「千年構想20年の
歩みの振り返り」を終わらせようとするだろう。

もし、あなたの目前で関芳郎が上述のような行動を取ったとすると、
それは、「あなたが神に試されている」ということだと思う。
神は、その事態を通して、次のようにあなたに呼びかけられているの
ではないだろうか。

「あなたは関芳郎の行為を看過してしまうのか?看過することは、
過去20年を無駄にするということだ。あなたが快苦に囚われた人間の
まま終わるということだ。あなたは快苦の轍から離れなければならない。
今こそ、快苦に翻弄される自我に打ち克ち、GLAの未来を開かなければ
ならない」

その時、あなたは神の呼びかけに応えて、今度こそ立ち上がるべきだろう。
もし、それでもあなたが「快」を求め「楽」を求める方向に進もうとする
ならば、神から厳しい形で「よびかけ」を受けることになるだろう。

57 :神も仏も名無しさん:2019/07/19(金) 12:00:06.72 ID:WhYPhlyZv
先生が「千年構想20年の振り返り」を呼びかけて下さるとすると、
次の伝道者研鑚セミナーの可能性が高いのではないかと思う。
その時、「魂の所以を遡る瞑想」によっても、先生はご助力を下さる
のではないかと予想している。

千年構想が20年に渡って放置され続けてきた原因の一つとして、
「ご指示を放置するような人間」、「黙って眺めているだけの人間」
ばかりを対象として修行の場が設けられてきたことが挙げられるだろう。

すなわち、先生の御旨を我が旨として、先生のご指示に愚直に従って
千年構想を推進しようとする人には、おそらく先生によって
全員にストップがかけられている。

そのため、「黙って眺めているだけの人間」による「放置プレイ」
ばかりが、GLAの中で目立ってしまうのだろう。

なぜ、「黙って眺めているだけの人間」ばかりを対象として、
修行の場が与えられているのだろうか?それは、「本人の切なる願い」
があるからだろう。

「黙って眺めているだけの人間」は、表面意識では、「自分は何も
していない」と認識しているかもしれない。しかし、魂の眼差しで
眺めるならば、大きな役割を果たしているのだ。

「黙って眺めている」という事は、権力者(ここでは関芳郎)の
行動を承認し、権力者を応援し、権力者にエネルギーを与えることに
他ならないのだ。

58 :神も仏も名無しさん:2019/07/19(金) 12:00:52.29 ID:WhYPhlyZv
「千年構想」という言葉は、既にGLAのホームページからは全く削除
されている。これは、「千年構想」を徹底的に放置し、無かったこと
にしたいという関芳郎の意向の現れだろう。これは、先生のご指示を
ないがしろにする行為である。

「黙って眺めているだけの人間」は、そのような「先生のご指示を
ないがしろにする行為」行為を承認し、賛同し、推進してきたのだ。

今生の人生で過去20年間、「黙って眺めているだけの人間」
であった人々は、過去世においても、全く同じような行動を
取ってきたのだろう。

それによって、その時代の権力者を増長させ、共同体を破滅に
追い込んできたのだろう。

「黙って眺めているだけの人間」は、過去世の人生が終わった後、
保身、快苦に捕われた己の人生を振り返り、慙愧したことだろう。
そして、「そのような自分を超えてゆきたい」という
新生の願いを抱いたのではないだろうか。

だからこそ、今生の人生では「黙って眺めているだけの人間」
ばかりが集められ、共にその轍を超えてゆけるように修行の場が
与えられているのだろう。一切は、あなた自身の「願い」に基づく
ものなのだ。「魂の所以を遡る瞑想」によって、そのリアリティを
恢復できるかもしれない。

59 :神も仏も名無しさん:2019/07/19(金) 12:01:50.14 ID:WhYPhlyZv
すなわち、次の伝道者研鑚セミナーでは、「黙って眺めているだけの人間」に
対して、神、先生から二つの御助力が与えられるのではないかと思う。

一つ目の御助力は、「関芳郎が、千年構想20年の振り返りを
建物の賛美等で終わらせてしまう」という事態を起こすことである。

二つ目の御助力は、「黙って眺めているだけの人間」で終わって
しまった過去世の後悔を思い出させて頂くということである。

過去世においても、今生の人生においても、「黙って眺めている
だけの人間」であった人々は、この二つの御助力によって目覚める
ことができるだろうか?

関芳郎に対して、「千年構想20年の振り返り」のやり直しを要求する
ことができるだろうか?それを実現させることができるだろうか?
正直言って、難しいかもしれない。カルマの轍は深く、苦を退け
快と楽を求める自我の傾向は度し難い。

その困難を乗り越える力は、「佳子先生に対する信」から生まれる
のかもしれない。

あなたは、千年構想の大切さを説かれた先生を信じることができるのか?

あなたのために、大切な千年構想の中の20年という時間を犠牲にして、
修行の場を与えて下さった先生を信じることができるのか?

信じることができるのであれば、今度こそ、自らの行動によって
信を示さなければならないのではないか。それとも、今回も
「黙って眺めているだけの人間」のまま終わってしまうのだろうか?

60 :神も仏も名無しさん:2019/07/20(土) 10:55:54.73 ID:/1nYh5lt3
>>59 に書いた「二つの御助力」では足りない人には、
神から「三つめの御助力」を頂けると思う。それは、「厳しい形のよびかけ」
を下さる、という御助力である。

「厳しい形のよびかけ」とは、具体的にどのようなものになるか
人によって違うだろう。それは、「肉体的試練」かもしれないし、
「精神的試練」、「経済的試練」かもしれない。

ただ、「肉体的試練」も、「精神的試練」も、「経済的試練」も、
「原因は必ず、千年構想を放置してきたことにある」とは言い
切れない面はある。

「肉体的試練」、「精神的試練」、「経済的試練」が訪れたとき、
「これは千年構想の放置とは関係ない」と考えて、様々なアプローチを
試してみるのもいいかもしれない。しかし、どのようなアプローチを
試しても、結果が変わらない場合は、腹を据えるべきだろう。

あなたの試練が「千年構想の放置」に対する神からのよびかけである
とするならば、「千年構想を推進すること」以外の道はあり得ないからだ。

61 :神も仏も名無しさん:2019/07/22(月) 12:18:57.38 ID:MibAOSNK6
佳子先生から頂いた「千年構想」のテーマが20年も放置されていること、
それは「黙って眺めているだけの人間」という個人個人が
引き起こしている面があるが、それと同時に「黙って眺めているだけで良い」
という「場の風土」が引き起こしている面もある。

「場の風土」は、個人個人の意識が集まって形成されたものであるが、「場の風土」
が出来上がってしまうと、個人個人の意識に対して強い影響を及ぼすようになる。

例えば、「先生の御旨を我が旨として、先生のお言葉に愚直に従って千年構想を
推進したい」という志があなたに生じたとしても、「黙って眺めているだけで良い」
という「場の風土」に勝利しない限り、あなたは、行動に結ぶことが出来なくなるのだ。

しかし、現在とは真逆の「場の風土」が醸成されていたらどうだろうか?
「先生の御旨を我が旨として、先生のお言葉に愚直に従って千年構想を推進する」
「神の御心を尋ね、神の御心に従って、GLAを運営する」「自分たちがGLAのあり方の
責任を担う」ということが、「場の風土」=「暗黙の了解」あるいは「常識」として
GLAの中に確立していたらどうなるだろうか?

「黙って眺めているだけでいいんじゃないの?」と思っていた人も、「場の風土」
触れて「場の風土」に感化され、「千年構想を推進する人」になれるのではなかろうか。
そして、「千年構想を推進する人」になった人は、その態度によって「場の風土」を
維持し深化させてゆくことができるだろう。

このように、「場の風土」が醸成されていたなら、より多くの人が、もっと容易に、
千年構想に参画できるだろう。ならば、そのような「場の風土」を醸成してゆくことが、
GLAの直面している課題ではないだろうか。

62 :神も仏も名無しさん:2019/07/22(月) 12:19:21.24 ID:MibAOSNK6
これから、「黙って眺めているだけの人間」から脱却しようとする人は、
「個人のカルマを超克する」と同時に、その事を通じて「場の風土を醸成する」
という使命も抱いているように思える。

>>54 で述べたように、未来のGLAにおいても、GLA共同体が困難な解決・創造を
果たさなければならない時、神は「鍵を持った人間」を出現させるだろう。
しかし、「鍵を持った人間」は、GLAの権力者に「自分の体面を潰す人間」と
看做される危険があり、権力者によって排除される可能性がある。

それにストップをかける「場の風土」が醸成されていなければ、権力者の意向
のまま事態が進み、全くストップがかからなくなるかもしれない。ならば、
「場の風土」を醸成しない限り、GLAは立ち行かなくなるだろう。

今、この時代にあなたがGLAの場に集っている理由は、「個人のカルマを超克する」
「場の風土を醸成する」という二つの使命、願いを抱いているからではないだろうか。
「場の風土を醸成する」というのは相当に大変なことであるが、実は、あなたは、
この大変な使命を避けることができたのだ。例えば、50年後、100年後に
GLAに集ってこれるように生まれてくればよかったのだ。

その時には、既に「場の風土」は醸成されているだろう。だから、あなたは
「場の風土」に乗って、もっと容易に、千年構想に参画できただろう。

あなたには、厳しい形で試練が訪れるかもしれない。それは、「個人のカルマを
超克する」「場の風土を醸成する」という二つの使命、願いをあなたが抱いたこと
に起因する。神は、あなたが二つの使命、願いを成就できるよう試練を与えられるのだ。

このように、全体のため、未来千年のGLAのため、避けられたはずの苦労や試練を
自ら引き受けることが、「未来千年の礎になる」ということではないだろうか。

63 :神も仏も名無しさん:2019/07/23(火) 08:17:09.16 ID:H2OsK0Dmk
「未来千年の礎になる」という言葉は、「魂の大地にカルマを克服する道を付ける」
という側面からも捉えることができると思う。

>>22-23 で、私は次のように述べた。

> ある傾向のカルマを持った魂が「要素」として集まると、その「要素」
> によって「場」が生じ、その傾向が一層強められる。「場」が生じると、
> 「潮流」が生まれる。すなわち、その傾向が世代を超えて受け継がれるようになる。
> この「潮流」は「三つのち」とも呼ばれてきた。

> そして、一人がカルマを克服したなら、魂の大地に
> 「カルマを克服する道」ができ、その道を辿って、全員にカルマ克服
> の可能性が生まれる

ここで重要なことは、魂の大地に「カルマを克服する道」を付けられる者とは、
「一度はそのカルマに呑まれた者」である。

元々、そのカルマを持たなかった人間は、魂の大地に「カルマを克服する道」
を付けることはできないのだ。

例えば、人里離れた村があり、その村人が共通のカルマを抱いており、その
カルマが村の「三つのち」として受け継がれてきたとしよう。

ある日、村に旅人が訪れ、その旅人が「この村の人間は全員がおかしい。
考え方が変だ。言っている事も、やっている事も変だ」と言い出したとしよう。

64 :神も仏も名無しさん:2019/07/23(火) 08:17:41.27 ID:H2OsK0Dmk
旅人にそのように言われて、村人たちは、「三つのち」を超克できるだろうか?
外部の人間に「正しい事」を言われたからといって、簡単に超克することは
できないだろう。

しかし、村人のうち、誰か一人が、その「三つのち」を超克したとき、その
「一人の村人」というミクロと、「村全体」というマクロが共振して、村人全員に
「三つのち」を超克できる道が整う。それが「希望の原理」というものであろう。

千年構想に関して言えば、最初から「先生の御旨を我が旨として、先生の
ご指示に愚直に従って千年構想を推進しよう」と考える人は、「カルマを
克服する道」を付けることはできない。

「10年も、20年も、ご指示を放置する人」、
「10年も、20年も、黙って眺めているだけの人」、
「己の保身のため、権力者に媚び権力者の行動を黙認する人」、…
そのような人間こそ、カルマを克服したとき、魂の大地に「カルマを克服する道」
を付けることができる。

やがて、GLAに醸成される「場の風土」には、その「カルマを克服する道」も
伴うだろう。だから、後世の人は、今よりも楽にカルマを克服できるように
なるだろう。しかし、「カルマを克服する道」を付ける人は、道が無い所に
道を切り拓いてゆく人であり、後世の人と比較して何倍もの苦労を背負うだろう。

「未来千年の礎になる」という言葉は、このように、「自ら願って、後世の人の
何倍もの苦労を背負って、魂の大地に道を付ける」という意味
にも捉えることができるだろう。

65 :神も仏も名無しさん:2019/07/26(金) 12:28:12.81 ID:qhZM883Ka
やがて、GLAには、
「先生の御旨を我が旨として、先生のお言葉に愚直に従って
千年構想を推進する」「神の御心を尋ね、神の御心に従って、GLAを運営する」
「自分たちがGLAのあり方の責任を担う」
という「場の風土」が千年構想を介在として、醸成されてゆくだろう。

また、魂の大地には、その風土によって「カルマを克服する道」
が刻まれるだろう。

この「場の風土」と「魂の大地に刻まれる道」は、
「GLAに数多の菩薩を湧出させる母胎」になるのではないだろうか。

以前、佳子先生は「数多の菩薩を湧出させるヴィジョン」について
語られたことがあった。しかし、具体的に如何にしてそのヴィジョンを
実現させるのか、それは、なかなか見えてこなかった。

そのヴィジョンは、これから醸成される「場の風土」と「魂の大地に刻まれる道」
によって実現されてゆくように思えてならない。

66 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:27:31.25 ID:OpHkvq8Jh
「場の風土」と「魂の大地に刻まれる道」を具現してゆくために
試練に遭遇する人々のことについて、触れておこう。

その人々が遭遇する試練とは如何なるものになるだろうか?
それは、その人、個人個人の状況に応じて異なるため、一概に
「このような試練が訪れる」という具合に、言えるものではない。

しかし、「間接的な形で試練が訪れる可能性が高い」ということは
言えると思う。例えば、ある人に「原因不明な疼痛が日夜訪れ、病院に
行っても原因が解らない」、さらに「経済的に行き詰って、火の車になる」
という形で試練が与えられたとしよう。

では、その人は、千年構想を推進するために働けるだろうか?
それは、ほとんど無理になるのではないだろうか。

ならば、神が「試練」を通してあなたに対して「千年構想を推進せよ」
と呼びかけられるなら、その「試練」は、あなたに対して直接与えられる
ものではないかもしれないと思えるのだ。

67 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:27:55.90 ID:OpHkvq8Jh
その「試練」は、例えば、「あなたにとって大切な人に痛みを与える」
という形で現れるかもしれない。その痛みを引き受けて下さる方は、
あなたにとって御縁の深い人なのだろう。その方の魂は、
「あなたの魂の成長」のために、自分自身が犠牲になることを受け入れて
下さったのだ。

さらに、これから千年構想を介在としてGLAに醸成される「場の風土」と
「魂の大地に刻まれる道」は、全人類にとって宝であり、希望の星である。
だから、痛みを引き受けて下さる方の魂は、「あなたの魂の成長」を通して、
「全人類に対して貢献したい」とも願って下さっているのだろう。

もし、そのような方があなたの周囲に出現したならば、あなたには
「自分自身の責任の重さ」というものを、再認識する必要があるだろう。
あなたが魂の成長を果たし、「場の風土」を醸成し、魂の大地に「道」を
刻まない限り、その方が「痛み」から解放される術は無いだろう。

68 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:29:45.68 ID:OpHkvq8Jh
「場の風土」を醸成すること、魂の大地に「道」を刻むこと、
それは次の段階を経て、果たされるのではないかと思う。

【段階1】佳子先生は関芳郎に対して、「千年構想20年の振り返り」
を命じられ、関芳郎は、例えば「建物の賛美」のような事で「振り返り」
を終わらせようとするだろう。それに対して、「振り返り」のやり直し
を要求しなければならない。快苦に翻弄された過去20年を慚愧し、
千年後に何を果たしたいのか、その願い、ヴィジョンを明確に
しなければならないだろう。

【段階2】千年構想の願い、ヴィジョンが明確になったのであれば、
「7つのプログラム」を再スタートし、「菩提心発掘」を果たさなければ
ならないだろう。自分自身に青写真にアクセスする力が足りないと感じる
ならば、霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )によって
その力を育めばいいだろう。

69 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:30:06.64 ID:OpHkvq8Jh
【段階3】「7つのプログラム」によって「菩提心発掘」を果たした
のであれば、次は「高橋信次先生の法の復活」
http://file.copyman.syoyu.net/GJ.pdf
をスタートさせることだ。これによって「神理を学ぶ場」を一つに統合し、
「佳子先生の法」に共感できない人を「佳子先生の法」につないでゆく
智慧の鍛錬を積むことができる。

【段階4】次は「法華経に依拠する伝道」
http://file.copyman.syoyu.net/GF.pdf
をスタートさせることだ。これによって、さらに多くの人々を
神理につないでゆく智慧の鍛錬を積むことができる。

私は、以上の段階1〜段階4によって、「場の風土」を醸成し、魂の
大地に「道」を刻むことができるのではないかと思っている。

仮にそうであるとすると、段階4において、多くの人々が厳しい試練
から解放されるのではないだろうか。

70 :神も仏も名無しさん:2019/08/03(土) 13:39:50.85 ID:40ouZOx6o
これからGLAが千年構想を進めてゆくにあたって、佳子先生は如何なるご助力を
下さるだろうか?「手口足を動かして下さる」という意味では、
「一切ご助力を下さらない」という事を覚悟する必要があるだろう。

それが何故なのか、少し考えてみれば解ることだ。「手口足を動かして下さる」
という形で佳子先生からご助力を頂ける期間は、あと僅かしか残されていない。
ならば、そのようなご助力が無い前提で鍛錬を積まなければ、GLAはすぐに
立ち行かなくなる。

ただ、「手口足を動かして下さる」という形の御助力が「全くない」と
言い切れるわけでもない。2014年、「佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた」
ということも、これから関芳郎に対して「千年構想20年の振り返り」を命じて
下さることも、「手口足を動かして下さる」という形の御助力である。

しかし、それは「ごく僅かな例外」に過ぎないのであって、原則としては、
そのような形のご助力は一切頂けないものと覚悟する必要があるだろう。

71 :神も仏も名無しさん:2019/08/03(土) 13:40:29.59 ID:40ouZOx6o
すなわち、千年構想を進めてゆくにあたって、「人間が手口足を動かす」
必要があるならば、その一切は弟子が担わなければならないということであり、
「現身を持たれた佳子先生」は(ごく僅かな例外を除いて)、一切御助力を
下さらないということだ。

しかし、>>48-49 で述べた「聖霊としての佳子先生」ならば、常にあなたに
御助力を下さるだろう。すなわち、あなたが手口足を使って神の御意志を具現しよう
とするとき、「人間が手口足を使っても具現できないことを具現すること」によって、
あなたに御助力を下さるだろう。

例えば、あなたが行き詰っているとき、「聖霊としての佳子先生」は、「あなたに
インスピレーションを送る」という形で御助力を下さるかもしれない。
また、「ある人に過去世の後悔を思い出させたい」と思っても、それはあなたには
できないだろう。また、「自分さえよければよい」と考える人たちが集まって場を
作っているとき、その場を短時間で「慈愛溢れる場」に転換してしまうことも、
あなたにはできないだろう。

72 :神も仏も名無しさん:2019/08/03(土) 13:41:18.57 ID:40ouZOx6o
そのように、自分がどのように手口足を動かしても実現できない事は、
「聖霊としての佳子先生」にお願いすれば実現して頂けるだろう。勿論、
自分勝手に佳子先生を動かすことはできない。しかし、あなたが神の御意志を
具現しようと動くとき、「聖霊としての佳子先生」は、あなたと一体になって
動かれるのだ。

千年構想は、>>48-49 で述べた「父と子と聖霊 三位一体の具現」を果たして
ゆくことによって具現してゆくであろう。また、それは今生だけの話では終わらない。
あなたが、今生の人生で、「三位一体の具現」の「子」としての役割を果たせる
ようになったなら、あなたには、その役割を再び果たす「来世」が待っている。

来世の人生においても、あなたは、聖霊としての佳子先生と響働して、
共に神の御意志を具現してゆく人、その使命を担える人になるだろう。

これから、あなたに与えられる試練は、辛く、長く、厳しいものになるかもしれない。
しかし、試練からの「よびかけ」に応えてゆくことによって、このような
来世が開かれることも、忘れないでほしい。

73 :神も仏も名無しさん:2019/08/06(火) 12:16:02.35 ID:QAt521oHA
「GLA千年の願い」とは何か?千年後に一体何を実現したいのか?それを突き詰めて
ゆくならば、「一切の人を救済する」という事に集約されてくるだろう。

また、「魂の所以を遡る瞑想」等によって「一切の人を救済する」という「願い」を
思い出した人もいるかもしれない。但し、「一切の人を救済する」という願いを認識
しただけでは、その願いに従って動き続けることは難しいだろう。

>>68-69 には、千年構想において当面必要と思われる4つの段階について
述べたが、ただ、願いを認識しただけでは、おそらく4つの段階を完遂
するまで志を持続させることも難しいのではないだろうか。

佳子先生は「魂の所以を遡る瞑想」によって思い出した境地を「瞬間最大境地」
と表現されたことがあった。「瞬間最大境地」であるがゆえ、瞑想が終わった
後は、段々とリアリティが薄れ、錆びてゆくしことは必然である。

このままでは、煩悩によって、楽な方向へ、楽な方向へと、流されてしまう
可能性が、どうしても高くなると思う。願いを一層確かにし、志を持続させるには、
霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
に取り組み続けることが欠かせないと思う。

霊操行によって、表面意識に強いエネルギーを加えることにより、
煩悩に流されやすい自我を修正してゆけるだろう。

74 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:48:39.01 ID:i6LdD7skl
「青写真へのアクセスの仕方」という事について、述べておいたほうが
良いと思う。「青写真へのアクセス」に関しては、過去に佳子先生が
様々な実例を見せて下さっている。しかし、佳子先生がされた事は、
誤解を恐れずに言うならば、「これから千年構想にチャレンジする人々」
にとって、あまり参考にならないと思う。

佳子先生は、「非常に早い時期に確度の高い青写真にアクセスできる」
という稀有な力を持たれた方だと思う。しかし、佳子先生の具現を間近で
何十年も見せて頂いたとしても、「同じように具現する」というは
なかなか難しい。

だから、「青写真へのアクセス」に関してお手本を探すのであれば、
佳子先生よりもずっとレベルの低い人、つまり菩薩クラスの人の具現
をお手本にするのが最適ではないかと思う。

75 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:49:22.10 ID:i6LdD7skl
では、具体的に何が最適かと考えてみると、「明治維新」は如何だろうか?
「明治維新」に関しては、佳子先生も様々な御著書で取り上げて下
さっているので、その点でも取り組み易い題材ではないかと思う。

ペリー来航を皮切りにして、欧米列強が日本に接近してきた時代、
「このままでは日本が欧米列強の植民地になる」と危惧した人が
何人も現れた。

その中の「一橋派」と呼ばれた人々は、「将軍になる資格がある人間の
中で最も優秀な人間である一橋慶喜(徳川慶喜)を将軍にして、
一橋慶喜を中心として危機を乗り越えよう」というものであった。

西郷隆盛も、主君の島津斉彬も、一橋慶喜を将軍にするために、
様々な画策をして動いていた。やがて、一橋慶喜を将軍にすることは
成功したが、それでは、どうもうまくいかないという事が見えてきた。

つまり、旧来の幕藩体制を維持したままで危機を乗り越えることは
難しいということが、後になって解ったのだ。

76 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:50:20.06 ID:i6LdD7skl
すると、今度は幕府を倒して天皇中心の国家を作り、そのうえで外国を
排除する「尊王攘夷」という思想が主流になってきた。しかし、当時の
欧米諸国と日本の軍事力を冷静に比較したとき、外国を排除する「攘夷」
というのは、そもそも無理・無謀だという事が、解ってきた。

そこで、最後に、外国から様々な知識を学びつつ日本を改革してゆく
「明治維新」というヴィジョンが生まれてきたわけであり、これが青写真に
適うヴィジョンだったのだろう。

島津斉彬は、明治元年(1968年)の十年前(1958年)に亡くなったが、
その時、「勤王の志士」と呼ばれる人々の中で「明治維新」という
ヴィジョンを描けた人間は、誰もいなかっただろう。

「10年後のヴィジョンを正確に描く」ということは、非常に難しい。
やはり、青写真にアクセスするためには、青写真の真実の内容が
解らなくても、その時、その時に「最も正しい」と思えるヴィジョンに
邁進することが大切だと思う。

77 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:50:47.64 ID:i6LdD7skl
邁進するからこそ、世界から「No」の洗礼を受けることができるの
ではないだろうか。そして、「No」の洗礼を受けることができたなら、
そのよびかけをしっかりと聴くことによって、ヴィジョンを修整する
ことができる。これによって青写真に一歩近づくことができるだろう。

この先智慧――実行――後智慧のサイクルを何度も何度も繰り返して、
最後に青写真に到達する、というのが「菩薩による具現」であり、
「菩薩による青写真へのアクセス」ではないだろうか。

これから、GLAで展開される「千年構想」についても、そこに現れる
姿は、「佳子先生による具現」よりも、むしろ「明治維新」にずっと
近い形になるのではないかと思う。

78 :神も仏も名無しさん:2019/08/09(金) 15:02:30.71 ID:6i1AlfRqM
千年構想をスタートするとき、最初、どのようにスタートすべきかを
考えてみたい。まず、最初に取り組むべき事は、多くの会員が議論して
智慧の交換ができるコミュニティを創設することだろう。

2018年には、GLAが「Facebookグループ(会員用)」というものを開設
したようだ。私は、その内容や、規則を全く知らないが、もしその場で
議論することが可能であるなら、その場で議論するということも考えられる。

ただ、以前、「GLA Facebookページ」が開設された際には、GLAの方針に
関する話題は禁止されていたので、「Facebookグループ(会員用)」でも、
そうなっているのかもしれない。

その場合は、自分自身でネットワーク上のコミュニティを立ち上げ、
「Facebookグループ(会員用)」では、その案内とメンバーの募集を行えば
良いだろう。

79 :神も仏も名無しさん:2019/08/09(金) 15:02:54.27 ID:6i1AlfRqM
次に、2番目に何をすれば良いか考えてみたい。コミュニティが創設された
直後では、メンバーがさほど集まっていないだろう。ならば、2番目に取り組む
テーマは「解りやすい、取り組みやすい」ものにし、そのテーマに共に取り組む
ことを呼びかけながら「メンバーを増やしてゆく」ことが大切だと思う。

具体的には、「通信ネットワーク環境の整備」に取り組むことが最適では
ないかと思う。GLAには、既にインターネット経由で会員の自宅に映像配信
できるシステムが整っているが、このシステムは眠ったままで有効利用
されていない。

そこで、様々な事情でGLAの場になかなか集えない方々のために、四聖日の
内容や、佳子先生のご講義の内容等の映像配信を実現することが呼びかけられ
ていると思う。

最後は「映像配信のヴィジョンを具体的に立案し、総合本部を動かす」ことに
よって、このテーマは完結するだろう。この実際に「総合本部を動かす」
という体験を積むことも大切であり、その他のテーマを進めてゆく励みにも
なるだろう。また、2番目のテーマが完結する頃には、コミュニティが充実し、
様々な議論も活発になってくると思うので、「3番目以降、何に取り組むか?」
という問題も、自ずと答えが出てくるだろう。

80 :神も仏も名無しさん:2019/08/12(月) 17:55:19.07 ID:SBDfiXktf
  私は、GLAについて自分の意識に浮かんだヴィジョンなどを様々
投稿してきた。投稿してきた理由は、「投稿せよ」という神の
御意志を感じたことによる。

しかし、投稿しながら、私はいつも不思議に思っていたことがあった。
それは、「GLAの現状に関する情報」が入ってこない立場に私が
置かれていることだ。

GLAの現状がよく解らないのに、GLAのヴィジョンを描いたとしても、
それは青写真から外れてしまう可能性が高くなるはずだ。神が一体、
私に何を望んでおられるのか、今一つ見えてこなかった。

最近、それが、ようやく解ってきたような気がする。神は、私が
「不正確なヴィジョン」、つまり「大筋では正しいものの、修正しない
限り使い物にならないヴィジョン」を描くことを望まれていたのだと思う。

81 :神も仏も名無しさん:2019/08/12(月) 17:55:56.68 ID:SBDfiXktf
それは、これからGLAで「千年構想」にチャレンジする人に対する
神の御慈愛ではないだろうか。1999年以前、GLAが果たす具現に
ついては、佳子先生が常に青写真に適ったヴィジョンを示して下さった
のではなかっただろうか?

すると、弟子は青写真にアクセスせずとも、ただ佳子先生の示された
ヴィジョンの通りに動いていればよかったわけだ。しかし、それだけでは
魂の成長には限界が生じる。

自ら青写真にアクセスする鍛錬を積まない限り、菩薩になることは
無理ではないかと思う。それは、>>75-77に述べたように、
先智慧――実行――後智慧のサイクルを何度も何度も繰り返して、
青写真に到達するということだ。

しかし、過去世にそのような具現を果たした経験のない人にとっては、
その事も困難ではないだろうか。そこで、そのための「たたき台」として
「大筋では正しいものの、修正しない限り使い物にならないヴィジョン」
というものが必要だったのではないだろうか。

82 :神も仏も名無しさん:2019/08/14(水) 08:45:07.78 ID:EhDXjPwtF
コミュニティを立ち上げ、千年構想についてヴィジョンを構築してゆくのは
在家の会員の役割であるが、この在家の会員の働きは「押し上げる力」
であると言える。

これに対して、職員は「引き上げる力」を発揮することが呼びかけられている
のではないだろうか。「押し上げる力」、「引き上げる力」については、
以下のリンク等で考察が重ねられている。

ttp://file.copyman.syoyu.net/GE.pdf
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20130523/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20130614/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20130622/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20131202/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20131216/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20140110/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20140119/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20140125/

要するに、在家の会員のみでは、青写真から外れたヴィジョンを描きやすいため、
職員は、ボーディ・サットヴァ・ウィズダム等に基づいて、在家の会員の視点落ち
を補い、青写真に適ったヴィジョンに誘導してゆく事が呼びかけられている
のではないだろうか。

私が「大筋では正しいものの、修正しない限り使い物にならないヴィジョン」
を描くこと、そして職員が「引き上げる力」を発揮すること、これら二つの
サポートによって、青写真にアクセスする経験をさほど積んでいない人々にも、
「千年構想」にチャレンジしてゆける下地が既に整っているのではないだろうか。

83 :神も仏も名無しさん:2019/08/21(水) 12:28:08.45 ID:rq9suKHb4
千年構想、7つのプログラムについて、今日まで佳子先生がほとんど
ヒントを与えて下さらず、助力も少なかった理由について、これまで
とは別の観点から考えてみたい。過去、佳子先生が目指してこられた
ことは、「会員の一人一人が神とつながる」ことである、と考える
ことができるだろう。

ただ、「神とつながる」には、二種類の方法がある。
一つは「他人を介して神とつながる」ことである。現在のGLAにおいて、
多くの場合、その「他人」とは「佳子先生」になるだろう。

「神とつながる」もう一つの方法は、(他人を介さず)「神と直接
つながる」ことである。菩薩になってゆくには、この「神と直接つながる」
事の鍛錬が欠かせないだろう。

弟子が「神と直接つながる」ことを佳子先生が願われるなら、「手口足を
動かして助力を与える」という意味では、基本的には「何も助力を与えない」
ことが正しいだろう。

なぜなら、ヒントを与えれば与えるほど、また助力を与えれば与えるほど、
弟子が「神と直接つながる」機会を奪ってしまうからだ。ただ、神と直接
つながった体験の乏しい人が、千年構想、7つのプログラムをノーヒントで
推進してゆくことは、相当に厳しい面があるだろう。

それゆえ、佳子先生は必要最小限の御助力しか下さっていないのだろう。
ならば、佳子先生が下さった御助力では足りないのであれば、
「神と直接つながる」ことによって「神から直接御助力を頂く」ことが
弟子として取るべき態度であろう。

84 :神も仏も名無しさん:2019/08/21(水) 12:29:24.45 ID:rq9suKHb4
「神と直接つながる」こと、そして「神から直接御助力を頂く」ことを如何に
果たしてゆくかであるが、それには「如来的方法」と「菩薩的方法」がある
ように思える。

「如来的方法」は、深い次元で「神の御意志」に通じ、先の先を読んで
ヴィジョンを描き、アクションプログラムを立てること、と言えるだろう。
これは、佳子先生が様々な形で具体例を示して下さっている。

「菩薩的方法」はその時、その時に「最も正しい」と思えるヴィジョンに
邁進することである。そして、世界から「NO」のサインが突きつけられる度に
先智慧――実行――後智慧のサイクルを何度も何度も繰り返して、
臨機応変にヴィジョンを組み替えながら、最後の最後に青写真=神の御意志に
到達するということだ。前述した「明治維新」がその具体例になるだろう。

「如来的方法」が実践できるのであれば、それが最もスムーズに神の御意志を
具現できる方法である。しかし、「如来的方法」というものは、幾転生にも
渡って「菩薩的方法」の実践を続け、神意・青写真に対する感性を育んで
徐々に果たせるようになるものである。その過程を経ていない者が
「如来的方法」を実践できるはずはない。

従って、誤解を恐れずに言うならば、千年構想、7つのプログラムを通じて、
これから鍛錬を積もうと志す人々にとって、「如来的方法」すなわち
「佳子先生による具現」というものはお手本にはならないと思う。

例えば、明治維新のような「菩薩的方法」による具現こそ、学ぶべき
対象であり、お手本にすべき対象であると思う。

85 :神も仏も名無しさん:2019/08/22(木) 08:34:46.98 ID:wjsRDhGA8
「菩薩的方法」によって具現を進めるには、
・世界からの「NO」のサインを的確に察知すること、
・それによって臨機応変にヴィジョンを組み替えること
という二つの態度が欠かせないだろう。

いつの時代にも、硬直した考えしか持てない人間は存在する。
おそらく、江戸時代にも、次のように言う人間がいただろう。

「あなたは、一橋慶喜公を中心に改革を進めると言ったではないか。
それなのに、なぜ幕府に盾突くようなことをするのか?」

「あなたは、尊王攘夷の大切さを説いていたではないか。
それなのに、なぜ外国に使節を送ろうとしているのか?」

このように、硬直した考えしか持てない人間は、維新の流れから
取り残されていったことだろう。

86 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 11:55:17.26 ID:3tcp+xNEs
GLAを憂う元会員は、2013年に「歴史の整備」について次のような見解を述べている。
http://copyman.syoyu.net/Date/20131017/
> 歴史の整備:「未来千年の礎」について

>  「GLA随想2 GLAの歴史概観」のレポートにありますように、「歴史の整備」
> について佳子先生が元々下さったヒントは「GLA40年を振り返り、未来千年の
> 礎とする」ではなかったかと推測します。この「未来千年の礎」の意味について
> よく吟味できていなかったと思いますので、もう一度考えてみることにします。

>  GLA40年の歴史というものは、ある側面から眺めますと、「人を排除していった
> 歴史」と呼べるのではないでしょうか。具体的には、これまでのレポートや記事
> にありますように、法の継承時の鍛錬、1981年の予言、「人間のまなざし」
> シリーズの学びなどが該当します。そして、現在も「佳子先生の法に共感できること」
> 「面接にあたっておかしな様子が見られないこと」を入会承認の基準としていることは、
> 「人の排除」が依然として続いているという事ではないでしょうか。

>  これらは全て神の御意志に基づくものであり、止むを得ない事情があったという
> 点では、確かにその通りであると思いますが、それだけでは割り切れない「痛み」
> を感じることも事実ではないでしょうか。そうしますと、その「痛み」を
> 「一人も排除しないGLAを実現する」という「願い」に転換することができるはずですし、
> その「願い」こそを「未来千年の礎」とすべきではないかと思われます。
> 「一人も排除しない」ということは、「一切の人を救済する」と同義であるとも考え
> られますが、「目の前に集ってきた人を一人も排除しない」という意味に考えますと、
> かなり具体的で身口意に結びやすいことではないでしょうか。

87 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 11:56:08.20 ID:3tcp+xNEs
しかし、ここで述べられた見解には、若干、認識不足な面があったと感じる。
それは、上述した引用箇所のうち、“それだけでは割り切れない「痛み」を感じる
ことも事実ではないでしょうか。”の部分である。実は、大部分の人は、(少なく
とも表面意識の上では)「痛み」など、何も感じていないのではないだろうか?

1980年代、「高橋信次の霊言」などと称するものを持ってきて「私には解ります。
これは本物の信次先生です」などと言って、GLAを去って行った人がいただろう。
また、現在でも、救いを求めてGLAに入会希望したとしても、佳子先生の法に
共感できなければ、入会は認められないだろう。

あなたは、そうやって、GLAから排除されていった人々の「痛み」を感じる
ことができるだろうか?その「傷み」を自分自身の「痛み」として引き受けること
はできるだろうか?

それができないのであれば、まずは、「自分自身の心」を「その人々の心」に
合わせることが大切だと思う。佳子先生は、智慧とはただ「なる」ことである、
と示されている。それゆえ、自分自身が、その人々に、ただ「なる」こと
によって「痛み」を引き寄せることができるだろう。

88 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 11:56:39.15 ID:3tcp+xNEs
例えば、「高橋信次先生のご著書を拝読しましたところ、どうも私は悪霊に憑依
されているようです。お助け頂けませんでしょうか?」と言ってきた人に対して、
「佳子先生のご著書は何か読まれましたか?お読みになって共感されたら、
またおいで下さい」という言葉を返すこと。

それが如何に残酷な事であるか、言われた側の人の立場に立てば、容易に
想像できるのではないだろうか。自分自身が、そのような人々の立場に立ったなら、
自分の心に何が訪れるだろうか?また、自分自身の魂の行く末はどうなるだろうか、
と精一杯、想いを寄せることだと思う。それによって「痛み」を感じることが
何よりも大切だと思う。

その「痛み」が「一人も排除しないGLA」、「一切の人を救済する」という
「願い」に転換して、初めて千年構想のスタートが切れるのではないだろうか。

89 :神も仏も名無しさん:2019/08/27(火) 11:53:47.77 ID:xCRreD494
悪霊に憑依されている人々のお世話を如何に果たしてゆくかと考えてみると、
ある意味では信次先生の時代と同様の状況を作ってゆく必要があると思う。
つまり、「悪霊が見える」「悪霊と話せる」「除霊ができる」という条件を
満たす人を数多く輩出してゆく必要があるだろう。

現在でもごく一部の人は、そのような形で霊道を開いているようだが、
それでは全く数が足りなくなるだろう。そのような形で霊道を開くこと自体は、
佳子先生にとっては容易なことだと思う。おそらく、数秒で実現できるだろう。

しかし、霊道を開くと、魔界からの干渉を受けやすくなり、危険を背負う
ことになる。その人々は、自分の内に巣食う闇に対して、いっそう鋭敏に
なり、浄化に励む必要が生じるだろう。実際、信次先生の時代に、霊道を
開いておかしくなった人が何人もいたと聞いている。

危険を伴う以上、例えば佳子先生の側から「このようにしたらどうか?」
という形で提案される事は無いのではないかと思う。

あくまでも、弟子の側から発心して、「私は危険を背負ってでも、悪霊に
憑依されている方々に手を差し伸べてゆきたいと願います。どうか
私の霊道を開いて下さい」と願い出なければならないのではなかろうか。

その人々の願いを聞き入れる形で、佳子先生はその人々の霊道を開かれる
だろう。これにより、GLAでは、悪霊に憑依されている人々のお世話が
再び果たせるようになるだろう。

90 :神も仏も名無しさん:2019/08/29(木) 11:56:12.61 ID:mwEhz18dA
GLAには、各会員の個人宅等に映像配信できるシステムが整っているが、
整えた理由は「新型インフルエンザの感染拡大などの理由により、学びの場
そのものの開催が困難である場合に対処するため」、つまり「非常用」という
ことだ。「非常用」であることは、佳子先生が指示されたことであろう。

しかし、この映像配信システムは、本当に「非常用」として使えるよう
準備が整えられているのだろうか?非常時において、実際に「非常用」として
使うためには、少なくとも次の条件は必要だろう。

(1)各会員は、非常時にアクセスするサイトのurlを知っており、
自分のIDやパスワードも知っている。
(2)各会員は、実際に自分の端末を映像配信サーバーに接続した経験があり、
自分のネット接続環境が映像配信のために充分であることを確認している。

これらの条件は、非常事態が起こって慌てて整えようとしても整えられる
ものではない。従って、これらの条件が満たされていないとすると、
映像配信システムは「非常時に使えない」ものになり、「非常用として
使えるようにせよ」との佳子先生のご指示に反している。

仮に、そのような事態が生じているならば、それは明らかに事務局の怠慢
である。事務局は、映像配信システムが「非常用」として使えるように、
直ちに準備を整えるべきだろう。これは、在家の会員に対して、映像配信
システムの存在意義を再考する契機になるだろう。

そして、この映像配信システムを「非常用」のみならず、平時から役立てる
ことは、在家の会員が主導して実現すべきことである。
すなわち、在家の会員が、自ら、ネットワーク上のコミュニティを立ち上げ、
そのコミュニティで議論を重ねることである。そして、議論に関わった人の
連名で、「願いの書」と「ウィズダム」を事務局に提出することだ。それに
よって、「7つのプログラム」の目的である「菩提心発掘」を果たせるだろう。

91 :神も仏も名無しさん:2019/09/02(月) 12:10:47.42 ID:Srd22MGjD
GLAの映像配信システムが「常用」としても、「非常用」としても役に立って
いないということは、現在のGLAにおいて、映像配信システムは、「何の役
にも立たない粗大ゴミ」になっているという事になる。そうなってしまった
理由は何だろうか?事務局の実情はよく解らないが、私が想像したことを
述べてみよう。

佳子先生は、2009年に映像配信システムを整えられた後、「映像配信シス
テムを運用するウィズダムを作成するように」と職員に命じられたのでは
ないだろうか。そして、職員が何度ウィズダムを作成しても佳子先生に却下
されるため、映像配信システムを全く動かすことができず、粗大ゴミ状態
のまま十年が経ってしまった、ということではないだろうか。

仮に上述の通りであれば、それはウィズダムの「願い」を突き詰めていない
ことが原因ではないかと思う。7つのプログラムの願いが「菩提心発掘」
なのだから、映像配信システムを運用する願いも、当然、「菩提心発掘」
になっているだろう。

しかし、その「願い」をただ紙に書けば良いというわけではなく、自分の
中で「願い」を突き詰めなければならないはずだ。それをやっていなければ、
何度やっても、ウィズダムが却下され続けるだろう。

ウィズダムの「現状」はさておき、「目標」は何だろうか?それは、
「在家の会員が、自ら発心して、映像配信システムを適切に運用する行動を
取ることによって、在家の会員が菩提心を発掘する」ことになるのでは
ないだろうか。では、それを実現してゆく「方策」は何だろうか?主な
方策としては次の二つがあるように思える。

92 :神も仏も名無しさん:2019/09/02(月) 12:11:10.57 ID:Srd22MGjD
(方策1)方策の一つは、「映像配信システムを必要としている方々のことを
在家の会員に意識化させること」ではないだろうか。「必要としている方々」
の一例として、 http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
(GLA 随想8 霊操行のご提案)の7〜9ページでは、GLA誌2006年6月号の
p36〜37の記事を引用して、青木辰男さん(仮名)の実情が紹介されている。

青木さんのような方々は、相当多くおられる筈だ。しかし、一般の在家の
会員にとって普段は会うことが無いため、意識化し辛いと思う。そこで、
そのような方々の記事を、例えばある程度の頻度で「G.誌」に掲載すれば、
多くの在家の会員に「意識化させる」ことができるだろう。

(方策2)もう一つの方策は、「映像配信システムの存在を在家の会員に
意識化させる」という事ではないだろうか。例えば、「映像配信システムを
非常時に非常用として使うためには、普段から練習して、スムーズに使える
ようにしなければならない」として、定期的に接続試験を行い、それに
参加するよう在家の会員に対して呼びかけてゆくことが考えられる。

方策1,2によって、在家の会員は、「映像配信システムを必要として
いる方々」そして「映像配信システムの存在」という二つの事項を意識化
してゆくことができる。

そこで、方策1,2を続けてゆくと、やがて在家の会員が発心して、意識化
した二つの事項を結び合わせることを願い、そのための行動を具体的に
起こせるようになるのではないだろうか。それによって「菩提心発掘」
という「願い」を果たしてゆくことができるだろう。

93 :神も仏も名無しさん:2019/09/04(水) 08:18:29.20 ID:FZA5lXWdo
>>91-92 に書いたことが今一つだったように思えるので、もう一度、
ウィズダム型式で再検討してみた。おそらく、このようなストーリーで、
映像配信システムを「非常用」として運用できるようになるのではないか
と思う。

【願い、目的】
 映像配信システムを介在として、在家の会員の菩提心発掘を果たす。
【現状】
 在家の会員の多くは、菩提心発掘の状態が不十分である。
 そのため、映像配信システムの運用について、自己の責任を自覚して
おらず、「佳子先生または事務局が運用の在り方を決定すればよい」、
「自分は指示があれば動くが、指示が無ければ動く必要はない」という
パラダイムに染まっている。
【目標】
 菩提心を発掘しパラダイムを転換することによって、必要とする人々
のために映像配信システムを活用してゆくことを、在家の会員に発心
して頂く。具体的には、「多くの会員の連名で、事務局に願いの書と
ウィズダムを提出する」という行為に結んで頂く。

94 :神も仏も名無しさん:2019/09/04(水) 08:18:58.36 ID:FZA5lXWdo
【方策】
(1)在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイムを転換する必要性を
認識して頂く。
 具体的には、GLAの様々な研修、セミナー等の場において、当該研修、
セミナー等の目的に合致する範囲で、菩提心を発掘しパラダイムを転換
する必要性に気づける要素を組み込んでゆく。
 例えば、古今東西の神理実践の事例の中から、「(i)古いパラダイム
に染まる、(ii)菩提心を発掘する、(iii)発掘した菩提心によって
パラダイムを転換する」というストーリー性があるものを、カリキュラム
の中に組み込んでゆく。
(2)在家の会員に、映像配信システムを必要としている同志の存在を
認識して頂く。
 具体的には、高齢や病気等の事情によって学びの場に参加困難で
ありながら、高い志を持って学んでおられる方々を「G.」誌等で
紹介する。これにより、その方々にとって映像配信システムの運用が
如何に必要であるかを、在家の会員が思い遣れるようにする。
(3)在家の会員に、映像配信システムの存在を認識して頂く。
 すなわち、「非常用」として映像配信システムの運用を開始する
とともに、「映像配信システムを非常時に非常用として使うためには、
普段から練習して、スムーズに使えるようにしなければならない」
として、定期的に接続試験を行い、それに参加するよう在家の会員に
呼びかけてゆく。

95 :神も仏も名無しさん:2019/09/06(金) 11:55:09.91 ID:ktNSLSZU1
「在家の会員が連名で、事務局に願いの書とウィズダムを提出する」
という目標が達成された後の事も考えておこう。

在家の会員が提出するウィズダムは、水準の低いものになるだろう。
しかし、佳子先生は、ボーディサットヴァ・ウィズダムにおいて、映像配信
システムの詳細な内容を既に明かして下さっているのではないだろうか。

すると、事務局が為すべき事は、ボーディサットヴァ・ウィズダムに基
づいて、在家の会員に対してヒントを与えて、ウィズダムの再作成を促す
事になるだろう。これによって、在家の会員の菩提心発掘がさらに進むだろう。
また、7つのプログラムの他の項目についても、同様に進めることができる
のではないかと思う。

GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、
61ページには、「二十一世紀に向かうGLAのヴィジョン」として、
「A:共同体の変革一 ―― 押し上げる力の結集」とある。

そして、60ページには、「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、
これまで以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のよう
になって響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の両輪が
たくましくなり、押し上げる力と引き上げる力がつながってエネルギーが全開
してゆくように、ぜひお世話をさせて頂きたいと願っております。」とある。

「押し上げる力の結集」、「押し上げる力と引き上げる力がつながって
エネルギーが全開してゆく」の一つの側面として、「7つのプログラムを
介在とした菩提心発掘」が位置づけられているのではないかと思う。

96 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:19:29.31 ID:rmj92Hxp7
映像配信システムの運用が軌道に乗った後に為すべきことについても、
考えを述べておこう。

(1)まず、最初に為すべきことは、「7つのプログラム(歴史の整備
を除く)」のレポート( http://file.copyman.syoyu.net/GD.pdf )の
冒頭にあるように、「佳子先生から頂いたヒントを明確化する」という
ことだろう。

(2)ヒントが明確化されたなら、次に何を果たすべきか?
それは、「明確化されたヒント」に基づいて判断すべきものである。
しかし、現状から推察できる範囲では、「研鑽の充実」と「人生同伴
態勢の充実」が取り組みやすいのではないかと思う。

「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」は、言葉を変えれば、
「今、研鑽は充実していない」、「今、人生同伴態勢は充実していない」
という事である。それによって、様々な「痛み」というものが
現実に生まれているのではないだろうか。

また、現実に「痛み」が現れていなくても、それは「佳子先生に
フォローして頂いたから、痛みの現実が現れずに済んだ」という事は
ないだろうか?

97 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:19:56.38 ID:rmj92Hxp7
このように、「研鑽の充実」と「人生同伴態勢の充実」は、「会員の皆様
の現状」をよく見ることによって、ヴィジョンを描きやすいテーマだと思う。

また、これは重要な事なので繰り返すが、「ヴィジョンを描きやすい」
と言っても、最初から「青写真に即した確度の高いヴィジョン」に到達する
ことは無理だろう。しかし、「現時点で智慧を尽くした限りで、正しいと
思えるヴィジョン」ならば、提示できるはずだ。

だから、それを果たすことが重要であると思う。その描いたヴィジョンを
青写真に近づけてゆくことは、先述のように「押し上げる力と引き上げる
力の響働」によって果たしてゆけるだろう。それは、後述する他のテーマ
についても同様である。

(3)「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」の方向性がある程度見えて
くると、次は、「社会発信力の強化」に挑戦すると如何だろうか。

「社会発信」は、「GLA会員ではない人」「状況を把握することが難しい人」
を対象とするものである。これは、「GLA会員であり、状況を把握しやすい人」
を対象とする「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」によって智慧の
鍛錬を積んだ後に、挑戦することが妥当ではないかと思われる。

98 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:20:25.73 ID:rmj92Hxp7
(4)次に挑戦するテーマは、「拠点の充実」であると思う。
「拠点の充実」は「拠点の機能を充実する」ことであるが、どのような機能を
充実しなければならないのかは、「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」、
「社会発信力の強化」の方向性が見えてくれば、見えやすくなるのではないか
と思われる。

(5)「現在のGLA会員」および「現在の伝道対象になる人々」を対象とする
テーマ(研鑽の充実、人生同伴態勢の充実、拠点の充実、社会発信力の強化)
に挑戦し、志と愛と智慧とを高めていったならば、次に「歴史の整備」
に挑戦できる時期が訪れるだろう。

>>86-88 に述べたように、「歴史の整備」は、「GLAから排除されてきた人々」、
「現在もGLAから排除されている人々」の痛みを自分自身に引き寄せて、
千年構想の「願い」を明確化することであると思う。

その人々の痛みを自分自身に引き寄せるためには、やはりそれ以前に
志と愛と智慧とを高めてゆく必要性があるだろう。

千年構想の「願い」を明確化したなら、「願い」を具体化してゆく
ウィズダムに挑戦することだと思う。すなわち、「目的(大目的、中目的、
小目的)」、「現状」、「目標」、「アクションプログラム」を明確化
してゆく、ということである。

99 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:21:00.65 ID:rmj92Hxp7
(6)7つのプログラムの中で最後に挑戦するテーマは
「GLA千年構想基金の充実」だろう。

千年構想の「アクションプログラム」が明確になってきたならば、
「その実現のためには多額のお金がかかる」という制約も見えてくるだろう。
「それでも、基金の充実させて実現したい」という願いが起こって、初めて
「GLA千年構想基金の充実」に挑戦できる前提が整うと思う。

2019年の現状は、「千年構想とは、具体的に何をするものか解らない」、
「なぜお金が必要なのか解らない」というようなものであるから、
それでは「基金を充実させたい」という願いも、なかなか湧かないだろう。

ところで、「基金を充実させたい」という願いが起こって、基金を集め始めて、
それで間に合うものだろうか?多分、それでは間に合わないだろう。だから、
佳子先生は先に手を打って下さっている。それは、例えば、「GLA創立40周年
記念プロジェクト」の「喜捨行」「書写行」である。

「喜捨行」「書写行」は、とにかくお金がかかったという事を覚えている
人も多いだろう。「GLA千年構想基金の充実」に挑戦できる段階になって、
初めて、佳子先生が「喜捨行」「書写行」を進めて下さった本当の有難さ
を感じられるようになるだろう。

100 :神も仏も名無しさん:2019/09/17(火) 08:30:39.70 ID:gYQBikizj
>>93-94 では、映像配信システムに関して事務局が作成すべきウィズダム
の骨子の案を示したが、その中には、次の3つの方策があった。

(1)在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイムを転換する必要性を
認識して頂く。
(2)在家の会員に、映像配信システムを必要としている同志の存在を
認識して頂く。
(3)在家の会員に、映像配信システムの存在を認識して頂く。

この中で最も重要で、最も智慧が必要で、最も難しいものは、方策(1)
であると思う。しかし、もしかすると、方策(1)は既に佳子先生が
進めて下さっているのではないだろうか?

そうであるとすると、事務局では方策(2)(3)だけ進めればよく、
方策(1)については、特に動く必要は無いのかもしれない。仮にその
通りであるとすると、事務局としては、かなり進めやすくなると思う。

101 :神も仏も名無しさん:2019/09/19(木) 09:10:43.90 ID:XeMPwLsMC
>>100 に書いたことをもう一度考え直してみた。「在家の会員に、菩提心を
発掘しパラダイムを転換する必要性を認識して頂く」という方策(1)は、
確かに難しいことであるが、佳子先生がいくつか「お手本」を示して
下さったなら、事務局でも推進してゆけることではないかと思う。

すると、佳子先生は、部分的な範囲でお手本を示して下さっている
のではないだろうか。それは、例えば、上述したように、古今東西の
神理実践の事例の中から、「(i)古いパラダイムに染まる、(ii)菩提心
を発掘する、(iii)発掘した菩提心によってパラダイムを転換する」
というストーリー性があるものを、カリキュラムの中に組み込んでゆく、
という事である。

ただ、それは範囲的にも、頻度的にも、不十分なものになっていると
思う。「範囲的」というのは、例えば「青年層のみ」あるいは
「伝研生のみ」に限られた場で実行されている、という事である。

私は現在のGLAの実情がさっぱり解らないが、佳子先生の行為として
「部分的な範囲でお手本を示す」という事が最も妥当な行為であると
思う。私が考えていることが真実であると仮定すれば、「事務局が
そのお手本に倣う」ことが方策の中心になるだろう。

あくまでも「私が考えていることが真実であると仮定すれば」という
事であるが、>>93-94 に書いたウィズダム案は、例えば次のように
修正すべきだと思われる。

102 :神も仏も名無しさん:2019/09/19(木) 09:11:12.26 ID:XeMPwLsMC
【願い、目的】
 映像配信システムを介在として、在家の会員の菩提心発掘を果たす。
【現状】
(1)在家の会員の多くは、菩提心発掘の状態が不十分である。
そのため、映像配信システムの運用について、自己の責任を自覚して
おらず、「佳子先生または事務局が運用の在り方を決定すればよい」、
「自分は指示があれば動くが、指示が無ければ動く必要はない」という
パラダイムに染まっている。
(2)佳子先生は、「在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイムを
転換する必要性を認識して頂く」ために、部分的な範囲で「お手本」
を示して下さっている。
【目標】
 菩提心を発掘しパラダイムを転換することによって、必要とする人々
のために映像配信システムを活用してゆくことを、在家の会員に発心
して頂く。具体的には、「多くの会員の連名で、事務局に願いの書と
ウィズダムを提出する」という行為に結んで頂く。
【方策】
(1)「在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイムを転換する
必要性を認識して頂く」ために、佳子先生が何をされてきたのか、
佳子先生が下さったご指導を振り返り、その智慧を学ばせて頂く。

103 :神も仏も名無しさん:2019/09/19(木) 09:11:47.46 ID:XeMPwLsMC
(2)佳子先生に倣い、「在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイム
を転換する必要性を認識して頂く」ための方策を事務局が立案し、
佳子先生の御承認を得て実行に移してゆく。
 具体的には、GLAの様々な研修、セミナー等の場において、当該研修、
セミナー等の目的に合致する範囲で、菩提心を発掘しパラダイムを転換
する必要性に気づける要素を組み込んでゆく。
 例えば、古今東西の神理実践の事例の中から、「(i)古いパラダイム
に染まる、(ii)菩提心を発掘する、(iii)発掘した菩提心によって
パラダイムを転換する」というストーリー性があるものを、カリキュラム
の中に組み込んでゆく。
(3)在家の会員に、映像配信システムを必要としている同志の存在を
認識して頂く。
 具体的には、高齢や病気等の事情によって学びの場に参加困難で
ありながら、高い志を持って学んでおられる方々を「G.」誌等で
紹介する。これにより、その方々にとって映像配信システムの運用が
如何に必要であるかを、在家の会員が思い遣れるようにする。
(4)在家の会員に、映像配信システムの存在を認識して頂く。
 すなわち、「非常用」として映像配信システムの運用を開始する
とともに、「映像配信システムを非常時に非常用として使うためには、
普段から練習して、スムーズに使えるようにしなければならない」
として、定期的に接続試験を行い、それに参加するよう在家の会員に
呼びかけてゆく。
        以上

104 :神も仏も名無しさん:2019/09/20(金) 12:17:43.60 ID:heMzrbs8J
>>102-103 に書いたウィズダムは、大筋では正しいと思われるので、
これに参考にしてウィズダムを作成して佳子先生に提出したならば
(多少の御指摘は受けるかもしれないが)、おそらく承認して
頂けると思う。

但し、ウィズダムに「ウソ」を書いたなら、問答無用で却下される
可能性はあると思う。「ウソ」というのは、例えば、「願い」を突き
詰めていないのに、「願い:在家の会員の菩提心発掘を果たす」
などと書いた場合である。

願いを突き詰めていない人間が、そのような「願い」を書いたなら、
それは「ウソ」である。「ウソ」をウィズダムに書いたところで、
具現を果たしてゆくことは不可能である。

もし、ウィズダムにウソを書く可能性があるのなら、「ウソの願い」
を「真実の願い」に転換することが先決だろう。

では、具体的に何をすれば良いだろうか?「願いを突き詰めること」
とは、換言すれば「愛を深める」ことである。佳子先生の御心を
自らの心に写し取らせて頂く霊操行
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
こそが、その一番の近道であると思う。

105 :神も仏も名無しさん:2019/09/23(月) 11:54:15.98 ID:WezmnEwGC
映像配信システムの担当職員が誰なのか知らないが、その職員は、
おそらく佳子先生から何十年も智慧の鍛錬を受けてきたのだろう。
そして、その鍛錬の成果が見えるように、佳子先生はその職員に対して
映像配信システムの使い方の青写真にアクセスするよう命じられた
のではないだろうか。勿論、それは神の御意志に相違ないものであろう。

その結果は、如何なものだっただろうか。十年経っても何一つ
進めることができなかった、というのがその結果ではないだろうか。

では、なぜそうなってしまったのだろうか?以前、佳子先生は
「愛なくば智慧なし。智慧なくば愛具現せず」と仰ったことがあった。
これは、「愛が希薄な者は、どれほど智慧の鍛錬を頂いたとしても、
智慧を身につけることができない」ということだろう。

では、神は、そのような職員をなぜ担当に指定されたのだろうか?
おそらく、その職員は「霊操行の正しさを証す証し人」になるという
使命を負っているのではないだろうか。

106 :神も仏も名無しさん:2019/09/23(月) 11:57:00.74 ID:WezmnEwGC
 その職員の現状は上述した通りであろう。しかし、その職員が霊操行
を介在として愛を育むことにより、別人のように変わることが予定
されているのではないだろうか。

その職員は、愛を育むことによって乾いたスポンジが水を吸い込む
ように智慧を吸収してゆき、やがて智慧ある人になれるだろう。
それが「霊操行の正しさを証す証し人」になるということである。

その職員は「愛が希薄な者」であるかもしれないが、実は、GLA会員
の大多数が同等以下の状態であろう。しかし、その職員が「証し人」
になることによって、霊操行を基としてGLAの場全体が変貌を遂げて
ゆくことも予定されているのではないかと思う。

これまでに費やされた「十年」という時間は、正にそのために
費やされたのではないだろうか。

107 :神も仏も名無しさん:2019/09/24(火) 09:03:31.14 ID:Aeb7UbzYX
霊操行は、他の行と比較して難しい点があるため、GLAの場全体に
広めてゆくためには、それなりの準備が必要であり、多くの人が理解
でき、実践できるテキストブックを発刊しなければ、それは適わない
のではないだろうか。

テキストブックを発刊するために、何が必要だろうか?
(1)まず、「テキストブックが無い状態」で、できるだけ多くの人に
取り組んで頂き、「行き詰った点」、「戸惑った点」などのデータを
収集し、テキストブックに記載すべき内容を整理しておく必要があるだろう。

(2)また、GLAテキストブックシリーズの編纂を通じて、「テキストブック」
を編纂する智慧を佳子先生から伝授して頂く必要もあるだろう。

「霊操行」は、キリスト教ではロヨラ等が提唱してきたが、キリスト教
で一般的に広まっているわけではない。それは、「霊操行は難しい」から
であろう。

108 :神も仏も名無しさん:2019/09/24(火) 09:03:55.12 ID:Aeb7UbzYX
また、そもそも霊操行の起源はキリスト教にあるのではない。
霊操行は、キリスト教が成立するはるか以前の太古の昔から、伝承されて
きた行である。この霊操行こそ、自らとメシアとの一体化を通じて、自らと
神との一体化を果たしてゆく王道である。

しかし、その事も今日では忘れられている。忘れられてしまったのは、
それだけ難しいからだろう。

ただ、過去世に霊操行に取り組んできた実績がある者は、比較的容易に
それを思い出せ、実践できる。例えば、「霊操行のご提案」のレポート
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )があれば、それで充分
であると思う。

しかし、過去世に霊操行に取り組んできた実績の無い者にとって、それでは
不十分なのだ。では、一体、何が「不十分」であるのか、私にはそれが
解らない。何が「不十分」であるのか明確にするためには、できるだけ多く
の人に取り組んで頂いて、「行き詰った点」、「戸惑った点」などのデータを
収集してゆくしかないだろう。

109 :神も仏も名無しさん:2019/09/30(月) 11:56:30.32 ID:PMBzFmdHs
映像配信システムに関して、佳子先生が解りやすいヒントを下さった後
10年が経過したが、いまだに映像配信システムが放置されている現状
からすると、「GLAに何かが足りない」ことは明らかだろう。

足りない「何か」とは何なのか?それは「霊操行」である。
ここで、疑問に思う人がいるかもしれない。それは、
「GLAにとって霊操行がそれほど必要なら、佳子先生がなぜそうご指導
下さらないのか?」という疑問である。

その解答は、おそらく「佳子先生は、弟子が実現不可能な事を実現される
のであって、弟子が実現可能な事には手出しされない。」という事だと思う。

例えば、「止観シート」について考えてみよう。これまで、過去世において
「内界を観る鍛錬」を積んできた人は数多くいるだろう。しかし、その鍛錬は、
「止観シート」という形を取るものではなかったはずだ。「止観シート」は
佳子先生が初めて示された行であり、過去世にこれに取り組んだ人は
誰もいないはずである。

ならば、佳子先生が止観シートについてご指導を下さっていないのに、自ら
「止観シート」を見い出して行じる事や、ましてや手引書を執筆する事は、
弟子にとって不可能な事である。だから、佳子先生ご自身が「止観シート」
を示され、手引書を執筆されたのだ。

110 :神も仏も名無しさん:2019/09/30(月) 11:58:41.32 ID:PMBzFmdHs
しかし、「霊操行」の状況は「止観シート」とは全く異なるものである。
既に述べたように、「霊操行」は太古の昔から多くの人が実践してきた行
である。そして、他の人に行を指導する指導的立場にあった弟子も存在
するだろう。その事を思い出した弟子にとって、今生の人生でも霊操行
を実践すること、そして他の人にも実践できるように手引書を書くことは、
さほど難しい話ではないのだ。

ただ、手引書に完全を期すことは難しい面がある。それは、これまで霊操行
に取り組み続けた弟子が自分自身の経験に基づいて手引書を執筆したならば、
「今生、初めて霊操行に挑戦する人」がどのような事で行き詰るのか、
よく解らず、その点で視点落ちが生じると思われるからである。

その点は、逆に「あまり取り組んだ経験の無い人」の視点から、手引書を
充実させてゆくことができるだろう。このように、佳子先生のご指導が
全く無かったとしても、霊操行の手引書は、「弟子のみ」によって相当の
レベルのものが出来るはずなのだ。

もし、弟子が智慧を尽くした上で、さらに手引書に不備な点があったと
すれば、その時には佳子先生はご指導を下さると思う。
「その時まで佳子先生は一切ご指導されない」というのは、とても
自然で、当然のことではないかと思うのだ。

111 :神も仏も名無しさん:2019/10/03(木) 09:07:22.27 ID:mPry0++09
>>109 に書いた
> 「GLAにとって霊操行がそれほど必要なら、佳子先生がなぜそうご指導
> 下さらないのか?」
という疑問について、もうひとつの解答がありそうだ。

それは、GLA共同体が「鍵を持つ者から鍵を受け取れる力」を育まなければ
ならない、ということだ。これから未来千年の間、GLAは様々な困難に
見舞われ、解決の糸口が見いだせなくなる場合もあるだろう。

そのような場合、神は「問題を解決する鍵を持った人間」をGLAに遣わす
ことによってGLAを救おうとして下さるだろう。しかし、「鍵を持つ者から
鍵を受け取れる力」を育んでいなければ、神の御助力が無に帰することに
なるだろう。

今のGLAを見てみよう。「7つのプログラムによって菩提心発掘を果たす」
という創立40周年の時のテーマが、創立50周年になったのに、何も進んで
いないではないか。その問題を解決する鍵こそが「霊操行」である。

しかし、「鍵を持つ者から鍵を受け取れる力」を備えていないために、
鍵が目の前に置かれているのに、活かすことができないのが今のGLAである。
「霊操行」を基として、「映像配信システムを有効利用する」という
テーマに挑戦し、「鍵を持つ者から鍵を受け取れる力」を身に着けてゆく
ことこそ、今、呼びかけられている事ではないか。

なお、言うまでも無いことであるが、私が言う「映像配信システム」とは、
「病気、高齢によりGLAの集いの場に赴けない方々が、自宅、病院等に
居ながら集いに参加できるように映像をストリーミング配信できるシステム」
の意味である。それを果たせないものは、私が言う「映像配信システム」とは
関係ないものである。

112 :神も仏も名無しさん:2019/10/07(月) 09:01:16.58 ID:ysZOIy3lI
現在のG.Naviの映像配信機能は、「映像コンテンツを専用サーバーより
ダウンロードし、オフラインで利用できるようにする」というものである。
これは、明らかに「映像反芻」を実現する機能である。

一方、佳子先生が2009年に整えられた映像配信システムは、集いの映像を
リアルタイムにストリーミング配信するものである。これは、「聴講」
を実現するシステムである。

テキストブック「GLA会員の基本ライフスタイル」で解説されているように、
「聴講」には、「佳子先生と会員の響き合い」など、「映像反芻」では
実現できない要素がある。そして、「聴講」は、佳子先生が御在世中の
今生のみ可能なことであり、来世は誰一人としてお享けすることができない。

「聴講」は「学びの場に足を運ぶ」ことが原則であるが、「それが困難な
方々にも聴講を享けて頂きたい」という佳子先生の願いにより、ストリー
ミング配信による映像配信システムが整えられたのだろう。

霊操行を通じて、佳子先生の「願い」が自らの「願い」に転換したとき、
映像配信システムの用途を本来化してゆく行動を起こせるようになるだろう。

113 :神も仏も名無しさん:2019/10/07(月) 09:01:45.33 ID:ysZOIy3lI
>>102-103 に挙げたウィズダム案では、方策(4)として次のような
事を提案した。
> (4)在家の会員に、映像配信システムの存在を認識して頂く。
>  すなわち、「非常用」として映像配信システムの運用を開始する
> とともに、「映像配信システムを非常時に非常用として使うためには、
> 普段から練習して、スムーズに使えるようにしなければならない」
> として、定期的に接続試験を行い、それに参加するよう在家の会員に
> 呼びかけてゆく。

これは、G.Naviのトップメニューに「ストリーミング映像配信(非常用)」
のような項目を追加して、そこで実施すれば如何かと思う。

在家の会員がG.Naviを開く度に「ストリーミング映像配信(非常用)」
の文字が目に飛び込んでくれば、「これがストリーミング映像配信の
本来的な使い方だろうか?」と考える機会になるだろう。

114 :神も仏も名無しさん:2019/10/09(水) 12:43:35.66 ID:ocxhVDgu5
>>102-103 に挙げたウィズダム案のうち、方策(1)、(2)は
やや難しいし、進めるために時間がかかると思う。

従って、この部分は、佳子先生が相当に進めて下さっているのでは
ないだろうか。事務局としては、ほとんど方策(3)、(4)のみ
を進めるだけで構わないのではないかと思う。

但し、方策(1)、(2)を無視して、(3)、(4)のみを実行
して目標が達成できたなら、ウィズダムに基づいて具現を果たす
鍛錬にはならないと思える。すると、方策(1)、(2)についても、
事務局で少しは進める必要があるかもしれない。

何れにしても、方策(1)、(2)については少しだけ進め、あとは
方策(3)、(4)をしっかり進めてゆけば、目標(在家の会員が
菩提心を発掘しパラダイムを転換することによって、必要とする
人々のために映像配信システムを活用してゆくこと)は果たせる
のではないかと思う。

115 :神も仏も名無しさん:2019/10/14(月) 11:18:21.84 ID:iRlQqj6Db
佳子先生が2009年に、「聴講」を実現できる映像配信システムを
整えられた後、それが放置されたまま十年が経過した。

その期間中、「映像配信システムによる聴講」を必要としながら、
その恩恵を受けることなく人生の第四期に旅立たれた方々は、一体何人
おられるのだろうか。その方々は、明らかに犠牲になって下さったのだ。
では、一体、何のために犠牲になって下さったのだろうか?

それは、「押し上げる力の結集」を実現するためではなかっただろうか。
GLA誌2001年6月号の61ページに掲げられている、「二十一世紀に
向かうGLAのヴィジョン」の一つとして、「押し上げる力の結集」
というものがある。

そして、60ページには、久水講師の次のような発言が掲載されている。
「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、これまで
以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のように
なって響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の
両輪がたくましくなり、押し上げる力と引き上げる力がつながって
エネルギーが全開してゆくように、ぜひお世話をさせて頂きたいと
願っております。」

116 :神も仏も名無しさん:2019/10/14(月) 11:18:44.63 ID:iRlQqj6Db
「職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のように
なって響働してゆく」とは、具体的にどのような事だろうか?
その最初の具体例が「映像配信システムによる聴講の実現」では
ないだろうか。

(1)まず、職員が在家の会員の菩提心発掘を促すこと(>>102-103)。
(2)在家の会員が菩提心発掘を果たし、「映像配信システムによる
聴講の実現」を、それを必要とする方々の願い出ること。
(3)職員が、ボーディサットヴァ・ウィズダムに基づいて、在家の
会員が提出したウィズダムの次元を引き上げること。

以上の三点こそが、「押し上げる力の結集」の第一歩ではないだろうか。

「押し上げる力の結集」を果たすこと、それは「GLAにとって必要」
であることに留まらず、全人類にとって必要なことである。犠牲に
なって下さった方々は、全体のために犠牲を引き受けて下さったのだ。

ならば、GLA共同体が「押し上げる力の結集」を実現してゆくことは、
犠牲になって下さった方々、そして今日もなお犠牲を引き受けて
下さっている方々に示せる唯一の「友情の証」ではないだろうか。

117 :神も仏も名無しさん:2019/10/17(木) 11:55:10.92 ID:eXO+xsoRR
>>115 に挙げた久水講師の言葉の末尾にある「ぜひお世話をさせて
頂きたいと願っております」についてもう一度考えてみたい。
この言葉には、どのような意味があるのだろうか?

それは、押し上げる力の結集を実現するためには「お世話をする人」
が必要であり、その人は久水講師である、という意味になるだろう。
これは、2019年の現在であれば、「なるほど、そうかもしれない」と
思えるのだが、2001年の時点で、普通の人間がそのような認識を持てる
はずがない。認識を持てたのは佳子先生のみだろう。

すると、やはり佳子先生が「押し上げる力の結集を果たすために、
久水講師にお世話を担って頂きたい」のような事を仰り、久水講師は
「解りました。ぜひやらせて頂きます」のように約束をされた
のではないだろうか。

ならば、>>116 に述べた事を実現するために、久水講師には、職員と、
在家の会員と、双方のお世話を果たして頂く必要があるだろう。
そのように、佳子先生と約束されたのであれば、ぜひ、その約束を
果たして頂きたいと思う。

久水講師は、かなりの高齢であるが、なぜ引退されないのだろうか?
それは、本人は引退したいと思っておられるのに、佳子先生が
引退を許されないのではないだろうか。そうであるとすると、なぜ引退
が許されないのか?それは、佳子先生との約束を果たされていない
からではないだろうか。

118 :神も仏も名無しさん:2019/10/17(木) 11:56:55.56 ID:eXO+xsoRR
久水講師に限らず、かなりの高齢であるのに引退が許されない人という
のは、やはり、何かしら「やり残していること」があるからだろう。

高橋一栄会長に関しては、「第三代目会長を選任してバトンタッチする」
という重要な仕事が残っており、それを果たされない限り、引退が認め
られるはずはない。なお、第三代目会長へのバトンタッチを如何に進めて
ゆけばよいのか、私の考えは、次のリンク先で述べている。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/876-880

関芳郎に関しては、信次先生との間で「佳子先生を証す」という約束を
交わしたのだから、それを果たさない限り、引退が認められるはずはない。
「佳子先生を証す」とは、「佳子先生が法華経の体現者であることを
世界に発表する」ということであり、それは「法華経に基づく伝道」
http://file.copyman.syoyu.net/GF.pdf)を果たしてゆく、
さきがけになるだろう。

谷口講師に関しては、「ご本人に直結する事」という意味では、思い
当たることが無い。しかし、「法の継承時の鍛錬」の際に事務局に在籍
した人として、高橋一栄会長が「法の継承時の鍛錬」の真相を世間に発信
される際、一栄会長を補佐する役割があるのではないだろうか。

また、もし、谷口講師も「法の継承時の鍛錬」を受けられたのであれば、
第三代目会長へのバトンタッチのために、一栄会長とともに、その内容を
如是我聞して頂く必要があるのではないだろうか。

119 :神も仏も名無しさん:2019/10/21(月) 11:55:03.89 ID:KbrMd7tB0
>>117
> 久水講師には、職員と、在家の会員と、双方のお世話を果たして
> 頂く必要があるだろう。
と書いたが、この「在家の会員」とは、おそらく「経営者の皆様」
ではないかと思う。

「映像配信システムによる聴講を実現する」というテーマは、
佳子先生が具体的に明示されたわけではなく、詳細なウィズダムも
アクションプログラムも決まっているわけではない。

そのような状況で動くというのは、会社組織が新規事業に参入する際の
心の働かせ方と似ている面があると思う。新規事業に参入する際、
詳細まで決まっているわけではなく、「走りながら詳細を決めてゆく」、
「不都合な点が出てくれば、その都度方針を修正してゆく」という
ことに対応できなければ、果たせないだろう。

経営者には、そのような「心の働かせ方」を普段から仕事の中で鍛錬
している人が多いのではないかと思う。

120 :神も仏も名無しさん:2019/10/21(月) 11:56:02.99 ID:KbrMd7tB0
勿論、「経営者ならば、そのような心の働かせ方ができる」、「経営者
でなければ、そのような心の働かせ方ができない」、というように
一概に言えることではない。

しかし、「経営者以外の人々と比較して、経営者の中には、そのような心の
働かせ方ができる人の割合が多い」という事は言えるのではないだろうか。

これまで、GLAの中では、「パラダイムの転換は、開けゆくみちから始まる」
という方針で進めてきた歴史がある。それを果たしてゆくため、開けゆくみち
には、多くの職員が配置されている。

この「パラダイムの転換は、開けゆくみちから始まる」という方針は、
やはり、これから始まる「押し上げる力の結集」にも、同様に当てはまる
のではないだろうか。そして、上述のように、特に「開けゆくみちの中でも、
経営分野から始める」というのが正しいのではないかと思える。

121 :神も仏も名無しさん:2019/10/28(月) 12:31:53.80 ID:PQuX64JRm
>>118
> 久水講師に限らず、かなりの高齢であるのに引退が許されない人という
> のは、やはり、何かしら「やり残していること」があるからだろう。
と書いたが、「やり残していること」と言うよりは、むしろ
「人生の目的を果たす最重要のテーマ」ではないだろうか。

「かなりの高齢であるのに引退が許されない人」には、過去世にどうしても
果たせなかったテーマがあり、今、そのテーマを果たすことに
挑戦しているのではないだろうか。

ならば、一般的には、「現役を引退して余生を過ごす」年齢であっても、
実はこれからが「人生の本番」であり、これまでの人生は「人生の本番」
に向けての助走期間だったのではないだろうか。

関芳郎の過去世の詳細は、聖書に書いてあるので、例えば以下のリンクに
あるように、とても解りやすい。
http://copyman.syoyu.net/Date/20140111/
http://copyman.syoyu.net/Date/20140112/
http://copyman.syoyu.net/Date/20140113/

122 :神も仏も名無しさん:2019/10/28(月) 12:32:25.43 ID:PQuX64JRm
他の理事の方々の過去世は良く解らないのだが、今、与えられているテーマは
「過去世に果たせなかったテーマ」と強く結びついているのではないだろうか。
そして、そのテーマは、本人の人生のみならず、GLA全体にとって、必要と
されていることを感じる。

・押し上げる力の結集を果たすこと…それは、佳子先生の法に共感できない
人々に対してGLAが手を差し伸べてゆく基礎になることだろう。

・「法の継承時の鍛錬」の内容を世間に明かし、歴史の整備を果たすこと…
それは、分派の人々をGLAに呼び戻してゆく第一歩になるだろう。

・法華経とGLAの関係を証すこと…それは、より広い範囲の人々を神理に
導いてゆく第一歩になるだろう。

50年の長きに渡り、信次先生、佳子先生のすぐ傍らで薫陶を受けることを
許された人々は、人類史上例の無い恩恵に預かった人々であると言えよう。

それほどの恩恵を頂いたなら、恩恵にお応えして人生を終わるべきでは
ないだろうか。「お応えして」とは、「自らの超世の願いを成就し、共同体
の未来のために道を拓く形で貢献すること」以外にあるまい。

123 :神も仏も名無しさん:2019/11/06(水) 15:19:09.03 ID:DgLLP6LlO
千年構想、7つのプログラムに対する、佳子先生の御助力は、見かけ上は
非常に小さい。そして、GLAでは、これらについて行き詰まりが生じている。
千年構想、7つのプログラムに限れば、「GLAの現状」は、ある意味で
「佳子先生のご帰天後の状態」に近いと言えるだろう。

この現状を神が作られた理由の一つとして「佳子先生の御帰天後、GLAが
困難に遭遇した時、如何にしてGLAに御助力を与えて下さるのかを示して
下さっている」という事が挙げられるのではないだろうか。

すなわち、千年構想、7つのプログラムについて、神は既に大きな御助力を
下さっているのだ。そして、将来GLAが行き詰ったとき、神は、
「千年構想、7つのプログラムに対して現在与えて下さっている御助力」
と同様の御助力を与えて下さり、それによってGLAを救って下さる
ということである。

神が現在与えて下さる「御助力」とは、具体的に何か?それは、
「解決と創造の鍵を人間に預け、鍵を預かった人間をGLAに遣わす」
という事に他ならない。

124 :神も仏も名無しさん:2019/11/06(水) 15:19:55.95 ID:DgLLP6LlO
では、「鍵を預かった人間」がGLAに赴いて鍵を差し出したとしよう。
それによって、解決と創造が果たされるだろうか?それは、今のGLAを
見ていれば一目瞭然だろう。「鍵を預かった人間」が鍵を差し出した
としても、それだけでは全く何も進まない事が明らかだ。

神が預けて下さった鍵に基づいて、解決と創造を果たしてゆくためには、
「鍵を預かった人間から鍵を受け取る」ことが必須であり、それには
相応の態勢を整え、覚悟を決める必要があるだろう。

例えば、「鍵を預かった人間」が鍵を差し出すという行為は、ある意味
では、「GLAの権力者の体面を潰す」行為になり得る。すると、権力者が
見栄や体面に執着する人間であれば、その権力者は「鍵を預かった人間」
を黙らせ、排除しようと動く可能性がある。

また、権力者以外の人間が、己の保身に執着し「楽」を求めようと
するならば、権力者の愚行に対して、そもまま見て見ぬふりをする
可能性がある。そのような事が起こってしまうと、GLAは、神の御助力を
頂くことができなくなるだろう。

125 :神も仏も名無しさん:2019/11/06(水) 15:21:53.37 ID:DgLLP6LlO
また、鍵を受け取るためには、「鍵を預かった人間から鍵を受け取って
解決と創造を果たすのは、自分たちの使命である」という自覚も育む
必要があるだろう。

「今のGLA」に限った話をすると、佳子先生が一言注意されれば、自らの
愚かさに恥じ入って、動き出せる人間も存在するだろう。「今のGLAで、
千年構想、7つのプログラムをスタートさせればそれでよい」という事
ならば、その方法で解決することも考えられないわけではないだろう。

しかし、GLAが未来千年に渡って神の御意志を具現し続けるためには、
これから幾度も、幾度も困難に見舞われるだろう。それがいつなのか、
如何なる困難に見舞われるのか具体的な事までは解らない。

その時に神が「鍵を預かった人間」をGLAに遣わしたならば、それ以外の
人間は、「鍵を受け取る使命」を自覚して、鍵をしっかりと受け
取らなければならない。それが出来なければ、GLAの崩壊にストップを
かける事が難しくなるだろう。

このように、差し出された鍵を確実に受け取るためには、「鍵を受け
取る側の態勢」というものを整えなければならないだろう。将来のGLAの
ために、今、それを整える事こそ、神から呼びかけられている事
ではないだろうか。

126 :神も仏も名無しさん:2019/11/08(金) 11:56:48.13 ID:bhiRbiltB
これまで述べてきたように、「押し上げる力の結集」、「押し上げる
力と引き上げる力の響働」、「鍵を預かった人間から鍵を受け取る」、
のように、様々なパラダイム転換を果たしてゆかない限り、GLAは
千年構想、7つのプログラムを進めてゆくことができない。

その理由は、千年構想、7つのプログラムに限れば、「GLAの現状」は、
「佳子先生のご帰天後の状態」に近いためであり、少なくとも
「手口足を動かして頂く」という形では佳子先生の御助力が期待
できないためである。

しかし、佳子先生が現実に御帰天される時は必ず訪れる。
その事を否定できる者は誰もいないだろう。

そして、佳子先生が現実に御帰天された、まさにその瞬間、
「GLAにおける、ありとあらゆるテーマ」が、現在の千年構想、
7つのプログラムと同様の状態になる。

果たして、GLAは、その時にパラダイムを転換して、佳子先生の御帰天
に対応できるだろうか?

127 :神も仏も名無しさん:2019/11/08(金) 11:57:17.88 ID:bhiRbiltB
「その時にパラダイムを転換して対応するのは不可能である」
というのがその問いに対する答である。

様々なテーマの中の多くには、「時間的リミット」があり、その
時間的リミットを逃せば手遅れになるものも多い。それに対して、
パラダイムを転換してゆくためには、相当の時間が必要である。

パラダイムを転換しない限り、GLAは神の御意志、神の叡智を
具現してゆくことはできない。ならば、GLAは人間の浅知恵によって
「ただ形だけを整える」、「ただ期限に間に合わす」だけの集団
になり下がってしまい、急速に形骸化してゆくだろう。

千年構想、7つのプログラムは、いつまでも放置し続けてよい
テーマではない。しかし、例えば「来週中には、絶対にここまで
進めなければならない」というような形では、差し迫った
時間的リミットがあるわけではない。

それゆえ、千年構想、7つのプログラムには、パラダイムの転換を
果たしながら具現を進めてゆける時間的余裕がある。

その時間的余裕があるうちにパラダイムの転換を果たさなければ、
佳子先生が御帰天された直後から、GLAは誠に見苦しく、誠に
悲惨な姿を晒しながら形骸化してゆくことは避けられないだろう。

128 :神も仏も名無しさん:2019/11/21(木) 11:55:45.39 ID:p4yskAX0a
GLA創立50周年記念プロジェクトの「9つのプログラム」が始まった。
では、GLA創立40周年記念プロジェクトの「7つのプログラム」とは
一体何だったのだろうか?

やはり「9つのプログラム」こそが本命で、「7つのプログラム」は「参考用」
だったのだと思う。ただ「7つのプログラム」に関する検討は多岐に渡っており、
どの部分を参考にすればよいのか解りにくい点もあるかもしれない。

ならば、「7つのプログラム」に関する検討のうち「最も重要なもの」をまず
参考にすべきだろう。「最も重要なもの」とは「佳子先生がその正しさを
証されたもの」であろう。

佳子先生がその正しさを証されていないものであれば、それが正しいのか
否かは個人個人が検討すべき事であり、検討することが鍛錬になるのだと思う。
しかし、「佳子先生がその正しさを証されたもの」であれば、それが正しい
事には異論の余地が無いだろう。

「佳子先生がその正しさを証されたもの」とは「地域拠点での止観シート研修」
に関するものである。

129 :神も仏も名無しさん:2019/11/21(木) 11:56:10.54 ID:p4yskAX0a
「GLA 随想4 7つのプログラム(歴史の整備を除く)」のレポート
( http://file.copyman.syoyu.net/GD.pdf )のp3〜p5に、「研鑽の充実」
のため「地域拠点で止観シート研修」を開催すべき旨が記されている。

このレポートが公開された後、佳子先生が「地域拠点での止観シート研修」
を開催されたことを覚えている人も多いだろう。

これは、佳子先生が「地域拠点での止観シート研修」の正しさを証された
という以上に、「神意に到達するまでの態度」の正しさを証されたのだと思う。

この「地域拠点での止観シート研修」に関連して、2008年に総合本部から
出された方針案は次のようなものでった。

--------------------------------------------
・会員お一人お一人の条件とライフスタイルに応じ、「魂の学」を体得できる
研鑽システムを整える
・挑戦1.「GLAテキストブックシリーズ」に基づいた短期間で集中
的に学べる研修の地域拠点(ターミナル及び映像反芻会場)での実施
(基本ライフスタイル研修等)
--------------------------------------------

130 :神も仏も名無しさん:2019/11/21(木) 11:56:46.72 ID:p4yskAX0a
この方針案は、今読み返してみても本当に酷いものだった。この方針案に
従うなら、止観シートのテキストブックが発刊されるまで、「地域拠点で
の止観シート研修」を開催する余地がなくなってしまう。

そうなってしまった原因は、佳子先生のお言葉と、それ以外の人間の言葉が
ごっちゃ混ぜにされ、佳子先生が下さったお言葉が汚染されたからである。

しかし、上述のレポートでは、「佳子先生のお言葉が汚染された結果、
全く意味が異なるものになってしまった」ことを喝破し、「地域拠点での
止観シート研修」という神意に到達している。なぜ、それが可能だった
のだろうか?それには、次の二つの態度が関係していると思う。

【態度1】佳子先生のお言葉を大切にして、お言葉の中の一言一句の
意味を慎重に吟味すること。

【態度2】対象となる方々(この例では研修を受ける会員)の実情をよく
観察・吟味し、その方々の痛みを自らの痛みとして引き受けること。

佳子先生は、この「二つの態度」の正しさを証されたのだと思う。
証された理由は、GLAがこれから「9つのプログラム」に挑戦してゆくに
あたって、この「二つの態度」が不可欠だからではないだろうか。

131 :神も仏も名無しさん:2019/11/27(水) 12:09:05.04 ID:CJtuzZKrX
40周年記念プロジェクトの「7つのプログラム」は、佳子先生が
直接的に進められた事を除いて、一切何も進まなかったため、
「大失敗に終わった」と言えるだろう。

GLA創立50周年記念プロジェクトの「9つのプログラム」を成功に
導くためには、なぜ「7つのプログラム」が失敗したのかという事を
「後智慧」し、どうすれば良かったのかという事を「先智慧」する
必要があるだろう。「後智慧」、「先智慧」をなおざりにしたならば、
同じ失敗を繰り返すことになるだろう。

失敗の原因はさまざま挙げられるだろうが、最も大きな失敗は
「元々の願いを忘却した(あるいは無視した)」ことにあるのでは
ないだろうか。「7つのプログラム」の「元々の願い」は「菩提心発掘」
であった。しかし、GLAの事務局が「7つのプログラム」について
為してきた行動のうち、「菩提心発掘」を果たしてゆくための行動
(少なくとも「菩提心発掘」を果たしてゆくことを意図した行動)
が一つでもあっただろうか?

私が記憶している限りでは、ただの一つも見当たらなかった。
在家の会員の「菩提心発掘」が果たせない形で何を為そうとしても、
佳子先生が全てストップされたのではないだろうか。そのため、
「7つのプログラム」は、全く何も進まなかったのではなかろうか。

132 :神も仏も名無しさん:2019/11/27(水) 12:09:37.99 ID:CJtuzZKrX
人間というものは、個々のテーマを深く追及してゆくと、視野狭窄に
陥り「元々の願い」を忘れがちになる。それゆえ、意識的に「元々の願い」
を再確認して刻印してゆく必要があるだろう。在家の会員の「菩提心発掘」
を果たすというのは、例えば、>>102-103 に書いたウィズダム案のように
テーマを進捗させる、ということではないだろうか。

ところで、「7つのプログラム」は終了したが、>>102-103 に書いた
ウィズダム案は、これから進めてゆく必要があると思う。但し、GLAの
実情がよく解らないので、実情に応じてウィズダム案の内容を修正する
必要はあるかもしれない。

「進めてゆく必要がある」と思える理由は、今後GLAが何を果たして
ゆくにせよ、在家の会員の「菩提心発掘」は欠かせないと思うからだ。

「集いの場に足を運ぶ人が難しい人に映像をストリーミング配信する」
というテーマは、多くの会員にとって「顔も名前も知っている同志の
ために動く」ということであり、取り組みやすい面があると思う。
このテーマは、今後GLAが世界に向かって歩みだしてゆく前段階の修行
として、最適ではないかと考えている。

133 :神も仏も名無しさん:2019/12/04(水) 12:22:41.76 ID:XW1JJ+dUR
GLAを憂う元会員が発表した資料の中に、「神理」であると主張する
ものがある。例えば、 http://file.copyman.syoyu.net/GB.pdf
(GLAの歴史概観)にある「煩悩地図の原理」、
http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf (法の継承時の鍛錬)
にある「魂の因果律の全体像」である。

これらは、GLAにおいて内容を吟味検証して、「間違い無い」という
結論が出たならば、神理の体系に組み込んでGLAが対外発表してゆく
必要があると思う。その理由について、以下説明する。

まず、「魂の因果律の全体像」についてその理由は明確だろう。

これまで述べてきたように、高橋一栄会長、他、「法の継承時
の鍛錬」を享けられた方々には、その内容を、「神理実践報告」という
形で社会に発表して頂く必要があると思われる。

「神理実践報告」を行う場合には、まず「神理」の解説があってその後に
「実践報告」が無ければならない。ここで解説すべき「神理」とは、
「魂の因果律の全体像」以外に考えられないのではないだろうか。

134 :神も仏も名無しさん:2019/12/04(水) 12:23:56.70 ID:XW1JJ+dUR
次に、「煩悩地図の原理」について考えてみる。

最近、ネット上で「止観シートは『認知行動療法』のパクリである」
という主張を見かけたので、「認知行動療法」というものを
ネット上で検索してみた。

例えばWikipedia「認知行動療法」の記事によれば、これは人間の心
というものを「感情」「思考」「行動」に分類して解析するようだ。
「行動=意志」と考えると、ここには、表面意識の4つの極である
「感覚」「感情」「思考」「意志」のうち、「感覚」がごっそり
抜けていることが解る。

表面意識に「感覚」という極が存在することは、止観シートで内界を
観察すれば自ずと理解できることである。「止観シートは認知行動療法の
パクリである」との主張は、「主張している人の止観シートに
対する取り組みが甘い」という事に他ならない。

しかし、これまで「認知行動療法」を推進してきた人々については
どうだろうか。「感覚」という極は、「感情」「思考」「意志」と
比較して見えにくい事は事実であると思う。神理を学んでいない人
ならば、「止観シートに取り組む」ということが無いため、「感覚」
を認識できていないとしても、仕方ない面もあるだろう。

135 :神も仏も名無しさん:2019/12/04(水) 12:24:44.05 ID:XW1JJ+dUR
そこで、GLAは「感情」「思考」「行動=意志」に対して「感覚」を
加えた「新しい見地」を提言してゆける立場にあるのではないだろうか。
「新しい見地」と言っても、GLAでは何十年も前から続けてきたことで
あるが、認知行動療法しか知らない人々にとっては、「驚天動地の
新発見」になるのではないだろうか。

このように、GLAが「認知行動療法」に「新しい見地」を提言したならば、
それを契機として新たな伝道の分野を開拓してゆけると思われる。

但し、「感覚」の極は存在が見えにくいため、その重要性も認識しづらい
ものだと思う。例えば、止観シートから「感覚(感じ)」を取り除いた
としても、自然に取り組めてしまうのではないだろうか。

しかし、「感覚」の極は「感情」「思考」と相互作用することによって、
「受発色」に多大な影響を及ぼす。GLAの外部の人にその事実を容易に
理解して頂くためには、「煩悩地図の原理」を提示する事が最適では
ないかと思う。これにより、仮に「感覚」を無視してしまえば、煩悩地図の
「1/3」が抜け落ちることが理解できるだろう。

そして、GLAの外部の人に「煩悩地図の原理」を提示するなら、当然、
それ以前に「煩悩地図の原理」がGLAにおいて承認されたものになって
いる必要があるだろう。

136 :神も仏も名無しさん:2019/12/04(水) 12:27:12.03 ID:XW1JJ+dUR
また、Wikipedia「認知行動療法」によれば、これは精神疾患の患者の
治療に使われているということである。確かに「認知行動療法」によって
精神疾患が治癒した実績はあるのだろうが、「煩悩地図の原理」によって、
さらに治療成績を上げてゆくことができると思う。

信次先生の「悪霊I」の106 ページに次のようにある。
> ノイローゼで自分の心を地獄霊に支配されている者は目を開いたまま、
> 自分の丸い心を想像させ、本来の自分に帰るための方法を個別に指導した。
> ノイローゼで悩む者に反省を求めても普通はできない相談であり、
> 無理にそれをやらせると、地獄霊が表面に浮かび上がり、本人の心はそ
> れに支配され、ノイローゼが一層危険な状態になる。
> ノイローゼ患者と一週間も二週間も起居を共にすることはできないし、
> そうなると本人の心次第で、かえって悪化させることになるからだ。
> この場合には、心が比較的に安定している時に、反省をするようすすめる。

「認知行動療法」も「止観シート」も信次先生が仰った「反省」の一形態
であり、これはノイローゼ等の精神疾患の人にやらせると危険な場合
があるということだ。

そのような場合、「自分の丸い心を想像させ、本来の自分に帰るための
方法を個別に指導した」とあるが、これは、「一人一人の煩悩と受発色に
対応した菩提心発掘を促す」ということで、弟子にも実現できるのでは
ないかと思う。

137 :神も仏も名無しさん:2019/12/06(金) 11:55:37.81 ID:y7FTVSY1/
GLAを憂う元会員が説いた「煩悩地図の原理」、「魂の因果律の
全体像」は神理の中でも「中核」と言えるものだろう。
ではなぜ、「神理の中核」を説くことができたのだろうか?

それは、直接的には、佳子先生が「一番美味しい中核の部分」だけ
を残してその周辺ばかり説かれたからだろう。それは、一重に
「弟子のため」、「未来千年のため」であろう。

これから未来千年に渡って世界伝道を果たしてゆくためには、
「神理を発見すること」、「神理を説くこと」、「神理を実証する
こと」、「神理を弘めること」は欠かせないことであり、佳子先生
がご帰天された後はこれら全てを弟子が果たしてゆかなければならない。

138 :神も仏も名無しさん:2019/12/06(金) 11:56:03.05 ID:y7FTVSY1/
仮にGLAが「信次先生、佳子先生が説かれた事以外は無視する」
という態度を貫くならば、今後GLAは「一番美味しい中核の部分」が
抜けた形で神理を伝承してゆくことになるだろう。

そして、佳子先生がご帰天された後は、「時代の変化や、各国の
実情に応じて、神理の説き方を変える」という事も不可能になり、
やがてGLAが衰退してゆくことは火を見るよりも明らかではない
だろうか。

これから弟子が果たしてゆく世界伝道の第一歩として与えられた
テーマが「煩悩地図の原理」と「魂の因果律の全体像」ではない
だろうか。これらについて「神理を発見すること」と「神理を
説くこと」は既に果たされた。

しかし、「神理を実証すること」と「神理を弘めること」は未だ
果たされていない。だからこそ、これから果たしてゆかなければ
ならないのではないだろうか。

139 :神も仏も名無しさん:2019/12/09(月) 12:02:16.25 ID:oyr/KPent
https://www.gla.or.jp/about/yatsugatake/
> 地階には、「人生記録」とともに、人生を支えた肉体への感謝を込めて、
> ご遺骨をお預かりできる「納骨室」が設けられています。大いなる
> 存在の光が常に注がれ、見守られている中に、安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして数多の求道者たちと共に
> 奉納できることは、道を歩む1人ひとりにとっての歓びであり、
> このうえない誇りにほかなりません。

遺骨の取り扱いによって「歓び」や「誇り」が得られると主張する奇怪な
文章が、またGLAホームページに掲載されている。この文章は、2014年に
GLAホームページに掲載された後、一度削除され、また復活したものだ。

いちいちGLAホームページをチェックしているわけではないから、
この文章がいつ復活したのかは知らない。ただ、「この文章がGLAホーム
ページに掲載されている」という事実は、「この文章を書いてGLAホーム
ページに掲載した人物が存在し、その人物はGLAの中で相当の権限を持った
人物である」ということだ。その人物は、関芳郎に相違ないだろう。

140 :神も仏も名無しさん:2019/12/09(月) 12:02:41.09 ID:oyr/KPent
私は、この奇怪な文章がGLAホームページに掲載され続けている原因
の一つに、「職員の怠慢」があると思っていた。この奇怪な文章が
「GLA」の名で社会発信され続けることで、多くの誤解、多くの痛みが
生じることは少し考えれば解ることである。関芳郎に指示されたから
と言って、指示通りに動くのは「怠慢」としか言いようがないと
思っていたし、そのように述べてきた。

しかし、今、その考えは変わっている。おそらく、職員は佳子先生から
「関芳郎の指示に逆らってはならない」と命令されているのではない
だろうか。

佳子先生が職員にストップをかけられている理由は、GLAの中で
「押し上げる力の結集」を果たしてゆくためではないだろうか。

すなわち、在家の会員が「押し上げる力の結集」を果たして、関芳郎
そして事務局を動かさなければ、この奇怪な文章をGLAホームページ
から削除させることはできないようにされていると思われる。

141 :神も仏も名無しさん:2019/12/09(月) 12:03:12.05 ID:oyr/KPent
具体的には、多くの会員が連名で、事務局に対して要望書を提出する
ことになるだろう。要望書では、「ホームページの奇怪な文章を削除
すること」を当然要望するのだが、それだけでは、関芳郎が再び別の
奇怪な文章をホームページに掲載する可能性がある。

それを防止する方策は「コミュニティ・デザイン2001を遵守する態勢を
事務局に整え、その結果を会員に報告すること」ではないだろうか。
GLA誌1999年11月号75〜76 ページには、「コミュニティ・デザイン2001」
の概要が掲載されている。

ここでは、関芳郎本人が「一言で言えば、共同体内のコーディネーション
の責任を担う部門、そして対社会的発信の責任を担う部門が車の両輪
となって、二十一世紀の新しい共同体の形を形成してゆきます」と述べている。

奇怪な文章が再びホームページに掲載される事を防止するためには、
関芳郎本人が述べた事を関芳郎が実行すればよいのだ。

142 :神も仏も名無しさん:2019/12/09(月) 12:03:36.01 ID:oyr/KPent
要するに、GLAの内部を「コーディネーションの責任を担う部門」と
「社会的発信の責任を担う部門」とに分けたのだから、ホームページ等
の「社会発信」については「社会的発信の責任を担う部門」が
「責任を担う」事を徹底すべきだろう。

但し、関芳郎を「社会発信から完全に外す」ことはできない。その
理由は、関芳郎には「佳子先生を証す」という使命があるため、外部の
人を対象として社会発信するような事が予定されているからである。

このように、関芳郎が社会発信する場合であっても、その内容に
関しては「社会的発信の責任を担う部門」が責任を担わなければ
ならないと思う。それが「コミュニティ・デザイン2001」ということ
ではないかと思う。

在家の会員には、「押し上げる力の結集」を果たして、上述の事
を実現してゆく事が呼びかけられているのではないだろうか。

143 :神も仏も名無しさん:2019/12/12(木) 11:59:47.34 ID:gw6GGXBiH
GLAのホームページに、また愚かなQ&Aが追加されている
https://www.gla.or.jp/faq/ )。まず、その一部を引用しておこう。
-------------------------------------------------------------------
ネットで「GLA」を検索すると、「GLA関西」というホームページがありますが、
そこには、高橋信次氏のことは出ていても、高橋佳子氏のことがまったく出ていません。
同じGLAという名称なのに、なぜなのでしょうか?
  
…その後、ご帰天の時が迫っていた高橋信次先生は、高橋佳子先生に法を
継承されるとき、このように語られました。
「私の説いている神理はまだ途上のものだ。佳子がそれを完成させる」
「私の説いたことを何も気にすることはない。佳子は、新しい時代に向けて
佳子の言葉で説きなさい」信次先生は、佳子先生にすべてを託され、GLA会員が
佳子先生のもとで新しい教えを学ぶことを願われつつ、帰天されたのです。
以来、私たちは、佳子先生が次々に開示される新たな神理=「魂の学」を学び、
実践する道を歩んでいます。
当時、関西本部にいらした方々の大多数は、信次先生の真意を受けとめ、
佳子先生のもとで学ぶことを願って、現在は宗教法人GLA傘下のGLA近畿本部に
所属して学んでいらっしゃいますが、佳子先生のもとで学ぶことを選ばなかった
方々は、今も「GLA関西」に残って独自の活動をされています。
したがって、佳子先生に法を継承され、GLA会員が佳子先生のもとで神理を
学ぶことを願われた信次先生のご遺志を継承しているのは、「GLA関西」
ではなく、「宗教法人GLA」です。…
-------------------------------------------------------------------

144 :神も仏も名無しさん:2019/12/12(木) 12:01:24.15 ID:gw6GGXBiH
なんらかの形で神理に共感する人は、次の3つのグループに大別できる。
A群:信次先生の法と佳子先生の法の双方に共感できる人
B群:信次先生の法には共感できないが佳子先生の法には共感できる人
C群:信次先生の法には共感できるが佳子先生の法には共感できない人

A群、B群の人に対しては、「佳子先生の正統性」や「信次先生の
真意・ご遺志」なるものを、ことさら主張する必要はない。
主張しなくても、自然にGLAに集ってくるだろう。

仮に、「佳子先生の正統性」や「信次先生の真意・ご遺志」なるものを
主張して呼びかけてゆくべき相手が存在するならば、それはC群の人
であろう。では、このQ&Aは、C群の人に対して何を実現するだろうか?

例えば、このQ&Aを読んだC群の人がGLAを訪問して、次のように
言ったとしよう。
「私は、信次先生の法には共感できますが、佳子先生の法には共感
できません。しかし、GLAは、佳子先生こそが法の継承者であり、
“佳子先生のもとで学ぶこと”が“信次先生の真意・ご遺志”
であると発表しています。私は“信次先生の真意・ご遺志”には
忠実に従いたいと思いますので、ぜひ入会させて下さい。」

145 :神も仏も名無しさん:2019/12/12(木) 12:01:57.32 ID:gw6GGXBiH
それに対して、GLAはどのように対応するつもりなのだろうか?
「今は入会承認できません。佳子先生の法に共感できるように
なったら、ぜひまたお越しください」と言って、門前払いするだろう。
C群の人が学んでゆける場が無い以上、それ以外の選択肢は無いはずだ。

すると、このQ&Aの「願い」は、一体何だろうか?それは
「C群の人には、GLAで門前払いされて嫌な気分になって頂きたい」
ということになるだろう。それ以外に考えられない。
だから、このQ&Aは「愚か」としか言いようが無いのだ。

「C群の人もGLAに来て頂きたい」と願うならば、何よりもまず
最初に果たすべき事は、「高橋信次先生の法の復活」
( http://file.copyman.syoyu.net/GJ.pdf )であろう。信次先生の法を
介在として佳子先生の法に繋いでゆく「道筋」を整えることであろう。

ホームページでC群の人に対して呼びかけてゆくのは、その「道筋」
を整えた後にやるべき事であって、今やることではないはずだ。

146 :神も仏も名無しさん:2019/12/16(月) 11:56:43.29 ID:ShI39/SYe
https://www.gla.or.jp/about/yatsugatake/
> 地階には、「人生記録」とともに、人生を支えた肉体への感謝を込めて、
> ご遺骨をお預かりできる「納骨室」が設けられています。大いなる
> 存在の光が常に注がれ、見守られている中に、安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして数多の求道者たちと共に
> 奉納できることは、道を歩む1人ひとりにとっての歓びであり、
> このうえない誇りにほかなりません。

この奇怪な文章について、>>139-142 に考えを述べたが、今一つだった
ように思えるので、もう一度考え直してみた。
この奇怪な文章が掲載された背景には、例えば、

  「GLAが会員の遺骨を預かることに対して、
   会員の皆様が歓びと誇りを持てるようにせよ」

のような佳子先生のご指示があったのではないだろうか。
このご指示に対して、関芳郎が奇怪な想念を抱き、奇怪なウィズダム
を作成して実行に移したため、「奇怪な想念」そのままの
「奇怪な文章」がGLAホームページに掲載されたのではないだろうか。

147 :神も仏も名無しさん:2019/12/16(月) 11:57:19.60 ID:ShI39/SYe
この奇怪な文章が一度削除されたのは、おそらく世間に叩かれたため、
関芳郎自身が、この文章の奇怪さを自覚できたからだろう。
そして、奇怪な文章が復活している理由は、「単に削除する」という
事を佳子先生が許されなかったからではないだろうか。

つまり、この奇怪な文章を削除するなら、佳子先生のご指示にお応え
するための新たなウィズダムを作成して、新たなアクションを起こさ
なければならない、と佳子先生が指示されたのではないだろうか。

しかし、関芳郎は、現状の奇怪な文章以外に、佳子先生のご指示に
お応えする手段を見つけられないため、現状の奇怪な文章がそのまま
晒され続けているのではないだろうか。

上述した事は私の想像に過ぎないが、もし、これが当たっていると
するならば、「佳子先生のご指示にお応えする手段」を見つけられ
ない理由は、過去20年の怠慢にある。

148 :神も仏も名無しさん:2019/12/16(月) 11:57:57.51 ID:ShI39/SYe
佳子先生は、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を下さった。しかし、
そのご指示は20年に渡って放置され続けている。

千年構想の青写真にアクセスするチームが組織されておらず、会員の意見を
募集する手段も整備されていない。そして、何よりも、総合本部長である
関芳郎が全く何も検討してこなかったであろう。そのため、千年先に何を
実現したいのか、あと数年の期間内に何を果たさなければならないのか、
さっぱり見えていないのだろう。

失われた20年という期間は取り返すことはできないが、今からでも1999年に
下さった「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
というご指示を実行に移してゆくことが肝要であろう。

青写真に一丸となってアクセスした結果、仮にGLAを憂う元会員の説を、
そのまま「GLAの方針」として採用するならば、「GLAが会員の遺骨を預かる
ことに対して、会員の皆様が歓びと誇りを持てるようにせよ」との佳子先生
のご指示にお応えすることは、さほど難しいことではない。

例えば、次のように会員に発信すればよいだろう。

149 :神も仏も名無しさん:2019/12/16(月) 11:58:28.06 ID:ShI39/SYe
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私たちは、佳子先生のお誘いに基づいて、千年構想の青写真にアクセス
し続けてきました。その結果、一切の人を救済することが、千年かけて
果たしてゆく願いであることを、全会員の間で共有してきました。

その願いを果たす第一歩として、「法の継承時の鍛錬」の果報を世間に
公表し、「高橋信次先生の法の復活」を果たすことによって分派の方々に
GLAに復帰することを呼びかけることになりました。また、それと並行
して「法華経に依拠する伝道」によって、法華経信仰をされている方々
に呼びかけてゆくことになりました。

ここで、法華経信仰は、一般的に先祖供養と深く結びついており、法華経
信仰されている方々は遺骨を大切にされています。その方々がGLAに
来られた際「遺骨は散骨するものだ」という有言、無言の圧力が
かかってしまいますと、その方々に葛藤が生じてしまいます。

遺骨に対する執着から離れて頂くことは大切ですが、それは神理を
学んでゆく中で自然に果たして頂ければよいことであって、まずは
安心して神理を学んで頂くことが、何よりも大切ではないでしょうか。

GLAが会員の遺骨をお預りすることは、新たな同志の皆様に、安心して
スムーズに学びを進めて頂くことを何よりの願いとしています。
どうか、その願いに対して、歓びと誇りを持って受け止めて頂きたい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

150 :神も仏も名無しさん:2019/12/20(金) 12:26:26.81 ID:xeFAYjPy/
>>149 に書いたことだが、関芳郎を放置したとこで、関芳郎が
このように動くとは考えにくい。誰かが、関芳郎に働きかけて
実現してゆく必要があるのではないだろうか。

「関芳郎に働きかける人間」とは「関芳郎の近くにいる職員」
であると思う。そもそも、関芳郎の近くにいる職員でなければ、
GLAのホームページに奇怪な文章(>>146)が掲載されている
経緯が解らないだろう。

例えば、>>146-149 には、私が想像した経緯を述べたが、実際、
どこまで当たっているのかが解らない。「事実がどうであるのか」
を知らないと、働きかけてゆくことが難しいだろう。

151 :神も仏も名無しさん:2019/12/20(金) 12:26:50.01 ID:xeFAYjPy/
さらに、関芳郎がホームページに奇怪な文章を掲載した事に対して、
「関芳郎の近くにいる職員」にも責任の一端があるのでは
ないだろうか。

すなわち、「関芳郎の近くにいる職員」は、「権力者の尻を舐める」
ようなカルマを抱いており、ホームページの奇怪な文章は、
「そのカルマが形となって現れてしまったもの」という面も
あるのではないだろうか。

従って、「関芳郎の近くにいる職員」は、ホームページから
奇怪な文章を削除できるように、関芳郎に働きかけて、例えば
>>149 にあるような事を実現する事が呼びかけられていると思う。
それにより、関芳郎のカルマと、自分自身のカルマを、共に
超克してゆくことができるだろう。

152 :神も仏も名無しさん:2019/12/23(月) 12:03:48.31 ID:3NiNNxl++
>>149 に書いたことをさらに検討してみたのだが、職員のみならず
「在家の会員が動く」ことも必要であるように思えてきた。
在家の会員の皆様は、GLAのホームページに奇怪な文章が掲載され続
けている事についてどのようにお考えだろうか?

「実に迷惑千万なことであり、これでは伝道などできない」、
「非会員の人からこの文章について質問を受けると、どう回答して
よいのか解らない」のように困惑されているのではないだろうか。

その想いの根底には、「自分は全く悪くないのに、一方的に迷惑を
被っている」という前提は無いだろうか?もし、そのような「前提」
があるならば、その「前提」は誤りであると思う。

GLAホームページに奇怪な文章が掲載された直接的な原因は、
関芳郎が20年に渡って千年構想を放置し続けた結果、佳子先生の
されている事の意味がさっぱり解らなくなったことにある。

153 :神も仏も名無しさん:2019/12/23(月) 12:04:27.29 ID:3NiNNxl++
しかし、関芳郎が20年に渡って千年構想を放置し続けることが
できた理由は何なのか?それは、「あなたが関芳郎を20年に渡って
放置し続けた」からではないだろうか。因縁果報で言えば、「縁」
としての責任があなたにも有ったのではないだろうか。

ならば、事態を自分自身に引き寄せて、あなた自身が過去20年
果たさなかったことに対して、今から再挑戦してゆくことが必要
ではなだろうか。

まず、最初に果たすべき事は、「GLAホームページから奇怪な文章を
削除すること。削除できない場合にはその理由を明確にすること」
という要望を事務局に出すことだろう。具体的な手順としては、
例えば、あなたが地域のお世話人に対してそれを要望し、お世話人が
地域の会員の要望をまとめて響働会議メンバーに要望し、響働会議
メンバーが事務局に要望する、という事が考えられる。

おそらく、その要望に対しては「削除できない」という回答が来る
だろう。そして、削除できない理由として、おそらく >>146-149
に述べたような事を挙げてくるのではないだろうか。

154 :神も仏も名無しさん:2019/12/23(月) 12:05:12.40 ID:3NiNNxl++
仮に、 >>146-149 に述べたことが、全く正しかったとする。
すると、次に、事務局に対して為すべきことは、「会員ならば誰でも
参加でき、千年構想その他GLAの方針に関して議論できるコミュニティ
を構築すること」を要望することだと思う。

コミュニティが構築されたならば、千年先の未来に何を果たしたいのか、
そのために、まず何を始めなければならないのか、あなた自身が、
他の在家の会員とともに智慧を交換して議論してゆくことが大切だろう。

その議論の中で、千年構想のヴィジョンが共有され、心に落ちて
ゆけばどうなるだろうか?あなた自身を含めて、在家の会員は、
「GLAが会員の遺骨を預かる」ことに対して、歓びと誇りを持てる
ようになるのではないだろうか。

仮に、佳子先生が「GLAが会員の遺骨を預かることに対して、会員の
皆様が歓びと誇りを持てるようにせよ」と指示されたのであれば、
これによって佳子先生のご指示は成就する。従って、GLAホームページ
の奇怪な文章は、その存在意義を失い、削除されるのではないかと思う。

155 :神も仏も名無しさん:2019/12/24(火) 12:21:23.74 ID:LTACpAH19
例えば、非会員の人をご講演会に誘って断られたとしよう。
断る理由として、「GLAは、遺骨崇拝と選民意識が鼻につくから嫌だ」
のような事は、まず言わないだろう。例えば、「あまり興味が持てな
かったので遠慮します」のように言ってくるだろう。

それゆえ、GLAホームページに奇怪な文章が掲載され続けている影響は、
客観的には推し量ることができず、実際には認識できている以上に
影響は大きいと思う。

>>146-149 に書いたことが当たっているとすると、奇怪な文章を起案した
者が関芳郎であるとしても、ホームページに奇怪な文章を掲載させ
続けておられるのは、佳子先生であるということになる。

否、佳子先生は神のご意志のままに動いておられるだけであるから、
ホームページに奇怪な文章を掲載させ続けておられるのは、実は
大いなる存在、神ということになるだろう。

つまり、神が、会員の皆様に苦難を与え続けておられるということに
なる。それは、やはり、あなたが20年放置し続けた「千年構想」がGLA
にとって、否、全人類にとって欠かせないものであり、如何なる犠牲
を払ってでも推進しなければならないものだからではないだろうか。

156 :神も仏も名無しさん:2019/12/24(火) 12:22:18.68 ID:LTACpAH19
佳子先生がご在世中の残り短い期間内の伝道のみを考えるならば、
ホームページの奇怪な文章は削除したほうが良いに決まっている。
しかし、それでは、その先がさっぱり見えてこないだろう。

その後のGLAが、佳子先生が説かれた神理を、ただそのままの形で
後世に伝えるだけの団体になるならば、GLAは形骸化し衰退してゆく
以外に道は無いだろう。

神が会員の皆様に困難を与え続けておられるという事実は、
「千年構想が20年に渡って放置され続けたために、そうしなければ
間に合わない段階にきている」という事ではないだろうか。

千年構想が20年に渡って放置され続けた原因の一つに、「あなた
自身の20年の怠惰」があったのではないだろうか。ならば、ホーム
ページの奇怪な文章は、あなた自身が「自らの怠惰」を克服してゆく
介在として与えられた神の恩寵であると考えることができるだろう。

神の恩寵は、あなたが動き出すにあたって、十分なものだろうか?
それとも、この恩寵だけでは少ないだろうか?私の見立てでは、
20年に渡って怠惰を貪ってきた人々を動かすためには、この恩寵だけ
では、ちょっと少ないかもしれないと思っている。

もし、少なすぎると言うならば、神は「痛み、混乱」という形で、
さらなる恩寵を与えて下さるだろう。

157 :神も仏も名無しさん:2020/01/30(木) 19:05:43.23 ID:rwG6jzR/c
千年構想が20年に渡って放置され続けている原因について、別の観点
から考えてみたい。そこには、千年構想を放置に向かわせている、ある種の
エネルギーが存在していると思う。

そのエネルギーは、「場と潮流」とでも呼べるものであると思う。
佳子先生が「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を下さった際、多くの会員は、
例えば次のような想念を持ったのではないだろうか。

・「曖昧なヒントが与えられても何をすればよいか解らない」
・「千年構想が進まなくても、自分は何も困らない」
・「だから、自分に何かせよということなら、どのように手口足を
動かせば良いのか、具体的に、解りやすく指示してほしい」

このような想念を抱いた人は、「もともと、そのような想念を抱きやすい
傾向を抱えた魂であった」ということだろう。そして、現在のGLAには、
そのような傾向を抱えた魂が数多く集められているのだろう。

このような傾向を抱えた魂を数多く集めると、一体何が起こるだろうか。
それは、本然の諸相に示されているように、そのような魂が「要素」
として蓄えられると、「場が生じ、潮流が生まれる」ということになる。

そこに生じる「場」とは、「千年構想は放置するのが当然」という
理解が無言のうちに形成され、共有される「場」ではないだろうか。
そして、そこに生まれる「潮流」とは、千年構想を放置するように、
放置するように、どんどん事態を流してゆく「潮流」ではないだろうか。

158 :神も仏も名無しさん:2020/01/30(木) 19:06:06.26 ID:rwG6jzR/c
このように生じた「場」と「潮流」は、「個人個人の魂の傾向」から生じた
ものでありながら、「個人個人の魂の傾向」の総和よりも、はるかに大きな
力で、GLAの現実を作ってゆくエネルギーになっているように思える。
この「場と潮流」は、そこに呑まれている人々にとって、正に
「グレートカオス」と呼ぶべき存在ではないだろうか。

では、その「グレートカオス」に対峙して、光転の現実を導くためには何が
必要だろうか?「場と潮流」を転換していくためには、何が必要
だろうか?それは、佳子先生が「時の羅針盤・190 」に示されていると思う。
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )

> もし、あなたが「新しい生き方をしたい」と願ったなら、今まで
> 試したことのない生き方で1歩を踏み出すことが必要です。
> 新しい生き方は新しい考えから生まれるとしても、
> それを実現するのは行動なのです。

> どんなに「ウイズダム」 (*2) に懸命に取り組んだとしても、
> アクションプログラムのない「ウイズダム」だとしたら、
> 現実的には何の力も持ち得ないでしょう。つまり、行動することが
> いかに大切かということです。

> 「これまでの受発色 (*3) を繰り返してはいけない」と思ったら、
> 今日からでも、違う受発色を現すことを心がけることです。
> 思ったら、身体を動かしてみる。考えたら、行動を起こしてみるのです。

159 :神も仏も名無しさん:2020/01/30(木) 19:06:31.72 ID:rwG6jzR/c
佳子先生が示された「行動」、「受発色」とは、具体的に何だろうか?
それは、>>153-154に既に示した通りであると思う。

> まず、最初に果たすべき事は、「GLAホームページから奇怪な文章を
> 削除すること。削除できない場合にはその理由を明確にすること」
> という要望を事務局に出すことだろう。具体的な手順としては、
> 例えば、あなたが地域のお世話人に対してそれを要望し、お世話人が
> 地域の会員の要望をまとめて響働会議メンバーに要望し、響働会議
> メンバーが事務局に要望する、という事が考えられる。

> 次に、事務局に対して為すべきことは、「会員ならば誰でも
> 参加でき、千年構想その他GLAの方針に関して議論できるコミュニティ
> を構築すること」を要望することだと思う。

> コミュニティが構築されたならば、千年先の未来に何を果たしたいのか、
> そのために、まず何を始めなければならないのか、あなた自身が、
> 他の在家の会員とともに智慧を交換して議論してゆくことが大切だろう。

繰り返すが、佳子先生が示されたように、>>153-154に示した事に対して、
「行動を起こしてみる」こと、「違う受発色を現す」こと、
「身体を動かしてみる」ことが何よりも重要であると思う。

それにより、現在現れている「グレートカオス」=「場と潮流」に
ストップをかけ、新たな「場と潮流」を起こして光転の現実を
導くことができるだろう。

160 :神も仏も名無しさん:2020/02/27(木) 12:00:19.48 ID:tLoniO2+c
>>57-59 で既に述べたことであるが、千年構想を20年に
渡って放置し続けている人々は、過去世においても同じような
事を繰り返してきた人々であると思われ、過去世でやり残した
修行を成就するために今生の人生が与えられているのであろう。

ここで、誤解してはならないことは、「過去世でやり残した修行を
成就する」というのは、例えば「あなたは過去世で使命を果たせ
なかったからもう一度やり直せ」と神が主体的になって決定された
わけではない、ということである。

あなたが、何度転生しても、同じような試練に遭遇し続けている
とすると、それは遭遇し続けるだけの理由がある。その現象は
「試練の輪廻」と呼ぶことができるだろう。「試練の輪廻」は、
次のような図で表現できると思う。
 
        7.光転の現実(輪廻からの解放)
           ↑
           ↑(菩提心)
           ↑
 1.試練→→→→2.受発色→→→3.暗転の現実
   ↑          (煩悩)   ↓  (現象界)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   ↑                 ↓  (実在界)
 6.青写真←←←5.魂願 ←←←←4.慙愧
 
以下、この図の内容を説明しよう。

161 :神も仏も名無しさん:2020/02/27(木) 12:01:19.59 ID:tLoniO2+c
■1.試練:あなたは実在界から現象界に転生したならば、
試練に遭遇する。ここで、「試練」とは、例えば「その時代の
権力者によって神意が蔑ろにされている」ということである。
そこには、>>157-159 に述べたように、権力者に従い、権力者
に媚びるような場が生じ、潮流が生まれている。

■2.受発色:あなたは「試練」に遭遇したなら、なんらかの「受発色」
を行うことになる。その「受発色」は、「煩悩」または「菩提心」に
大別できる。ここで、「菩提心の受発色」とは、「その場の引力、
潮流に打ち克って、神のご意志を具現してゆく」という事になる。

しかし、あなたがそれを果たせなかったとすれば、あなたの
受発色は「煩悩の受発色」になる。それは、己の保身に縛られ、
場の引力と潮流に流されて、「権力者に媚び、権力者を放置する」
という受発色である。

■3.暗転の現実:あなたが「煩悩の受発色」を繰り返すならば、
それによって「暗転の現実」が生じる。「暗転の現実」とは、例えば
「神のご意志を放置することによって、様々な痛みが現れる」、
「救われるべき人が救われなくなる」ということである。

しかし、あなたの表面意識にとって、「暗転の現実」は、必ずしも
「痛み」として感じられない場合がある。否、「痛み」として感じ
られないから、試練の輪廻を繰り返していると言ってもいいだろう。

162 :神も仏も名無しさん:2020/02/27(木) 12:02:03.62 ID:tLoniO2+c
あなたの表面意識を言葉にすると、例えば「自分は困らないし、自分の
知ったことではない」、「動く必要があると思う人間がいるなら、
その人間が勝手に動けばいい」のようなものになるだろう。

■4.慙愧:上述の1〜3のステップは現象界で起こることであるが、
次の4〜6は、あなた死後、実在界で起こることである。
あなたは、死後、「魂の本来の感覚」を取り戻すことができる。

「魂の本来の感覚」を取り戻して、ステップ1〜3を眺めた時、
あなたは己の「受発色」の醜さ、汚さというものを
見せつけられることになるだろう。

そして、「暗転の現実」によって痛みを背負った人々のこと、神の
ご意志を具現できなかったことに対して、あなたの内に凄まじい
慙愧が起こるだろう。

私は、関芳郎に媚び、関芳郎を放置している人々について「関芳郎の
尻の穴を舐める」と表現してきた。それに対して、「汚い言葉を使う」
と批判した人がいた。しかし、その批判は、「魂の本来の感覚」を
忘れた人間の言葉である。

「関芳郎があなたの目の前で千年構想を放置し続ける」というのは、
「関芳郎があなたの顔の前に尻を突き出す」という事である。
そして、あなたが己の保身に縛られ、潮流に流されて関芳郎を放置する
という行為は、正に「関芳郎の尻の穴を舐める」という行為に他なら
ないのである。それは実におぞましく、醜悪で、吐き気を催すものである。

163 :神も仏も名無しさん:2020/02/27(木) 12:03:07.50 ID:tLoniO2+c
あなたの表面意識が、私の言葉に賛同できなかったとしても、
あなたが「魂の本来の感覚」を取り戻し、あなたの受発色の真実を
自覚したとき、あなたは私の言葉に賛同せざるを得なくなるだろう。
否、私が感じている以上に、あなた自身が、あなた自身の受発色を
おぞましく、醜悪なものに感じるはずだ。

■5.魂願:生前の人生で為した事に、凄まじい慙愧を感じたあなたは、
例えば次のように神に願うことになるだろう。

「神よ、もう一度だけ、もう一度だけ、
私にチャンスを与えて下さい。私は、
今度こそ、場の引力や潮流に流されることなく、
あなたのご意志を具現してゆきます。」

■6.青写真:あなたの魂願を聞かれた神は、次のように仰るだろう。

「解ったよ。解ったよ。
あなたの願いを適えてあげよう。
望み通りの人生をあなたにあげよう。」

そして、神は、あなたの次の人生で、あなたが願った通りの現実を
起こしてゆく青写真を描かれるだろう。神は、これまで、何度も、
何度も、あなたに裏切られ続けてきた。しかし、あなたの事を
愛してやまない神は、裏切られても、裏切られても、あなたの
願いを適えようとして下さるのだ。そして、あなたは、その青写真
に包まれて再び現象界に転生し、「1.試練」に出会うことになる。

164 :神も仏も名無しさん:2020/02/27(木) 12:04:48.69 ID:tLoniO2+c
ここで、あなたが「2.受発色」において「菩提心」を発現したら
どうなるだろうか。「菩提心」によって「7.光転の現実」が起こり、
それによって、「試練の輪廻」は破れ、終焉することになる。
しかし、多くの人は、「2.受発色」において「菩提心」を発現する
ことができず、ステップ1〜6の輪廻を延々と、際限なく繰り返す
ことになる。

ここで「試練の輪廻は終焉する」というのは、けっして、
「試練がなくなる」という意味ではない。信次先生も、佳子先生も
厳しい試練に遭遇されているのだから、試練はなくならない。

しかし、輪廻から解放された後の「試練」は、同じような事を延々と
繰り返すような試練ではなく、悟りの階段を一歩一歩登ってゆくための
試練になるだろう。あなたが「試練の輪廻」に嵌まっているうちは、
あなたはそこから一歩も外に出られないのであり、あなたに
果たせる事は、極めて狭い範囲に限定されてしまう。

例えば、千年構想に関しては、佳子先生は様々なヒントを下さったし、
それに対する仮説、ヴィジョンはインターネット上に公開されている。
しかし、あなたは、一歩も動くことができないだろう。
それが「試練の輪廻」に嵌まっている人間の限界である。

「試練の輪廻」から解放されるためには、あなたは「2.受発色」
において「菩提心」を発現しなければならない。しかし、上述の
ように、それはあなたにとって困難を極めるかもしれない。

165 :神も仏も名無しさん:2020/02/27(木) 12:07:15.05 ID:tLoniO2+c
もし、困難ならば、>>48-50 で述べた 「三位一体」の具現に
よって解決できるのではないだろうか。具体的には、神、佳子先生の
お力をお借りして、あなたの霊道を開いて、「魂の本来の感覚」を
恢復して頂ければ良いだろう。

しかし、ただ「私の霊道を開いて、ご助力を下さい」とお願いした
ところで、それは聞き入れられない。ご助力を頂くためには、
ご著書「グランドチャレンジ」に登場する雨乞師の例にあるように、
「あなた自身がタオに共振する」ことが欠かせないと思う。

「タオに共振する」とは、この場合は霊操行に取り組むことである。
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf)霊操行は佳子先生との
一体化を通して、神との一体化を果たしてゆく行であるが、
「本来のあなた」との一体化を果たし、あなたが「魂の本来の感覚」
を恢復する行でもある。

あなたが霊操行によってタオに共振したならば、そっ啄同時で、
あなたが払った努力以上のご助力を、神、佳子先生から頂くことが
できるだろう。そのご助力によって、あなたの内に「魂の本来の感覚」
が恢復し、その力によって、あなたは輪廻の轍から逃れ、魂願を
果たしてゆけるようになるだろう。

>>70-72 に述べたように、このような「三位一体の具現」で頂く
ご助力は、「佳子先生に手口足を使って頂く」ことはない。
それゆえ、「三位一体の具現」を今生の人生で体得すれば、
来世以降も、あなたはその恩恵に預かれるだろう。

166 :神も仏も名無しさん:2020/03/11(水) 12:37:39.03 ID:z7eIBjD5Z
新型コロナウィルスの蔓延で、集いの開催が危ぶまれている。
特に、直近の「善友の集い」は、どうなるか見えてこない。
もし、人が会場に集うことが難しいのであれば、インターネット
経由で集いを開催することが考えられる。

この点、GLAでは、リアルタイムで映像をストリーミング配信できる
映像配信システムが、2009年の段階で整えられている。映像配信
システムを整えた「表面的な理由」は、「新型インフルエンザの
感染拡大などの理由により、学びの場そのものの開催が困難である
場合に対処するため」という事であったが、正にその通りの状況が
起こる可能性が高まっている。

しかし、会員の端末にインストールされるG.Naviには、映像をストリー
ミング受信する機能が無い。これでは、映像配信システムが使えない
ではないか。これは一体どうした訳だろうか?

その理由は、映像配信システムを整えた「大元の理由」を思い出せば
理解できるのではなかろうか。映像配信システムは、2008年に
スタートした「GLA創立40周年記念プロジェクト」の中の「7つの
プログラム」の一つ「通信ネットワーク環境の整備」の一環として
整えられたものであった。

167 :神も仏も名無しさん:2020/03/11(水) 12:38:02.67 ID:z7eIBjD5Z
そして、「GLA創立40周年記念プロジェクト」のメインテーマは、
「菩提心発掘」であった。すると、「通信ネットワーク環境の整備」
とは、メインテーマに沿って、より正確に表現するならば、
「通信ネットワーク環境の整備を介在とする菩提心発掘」
と言えるのではないだろうか。

ならば、「菩提心発掘」を排除して、ただ単に「通信ネットワーク
環境の整備」のみを完成することは、「ない」とも考えられる。
これにより、現在のG.Naviには、映像をストリーミング受信できる
機能が無いのだろう。

「通信ネットワーク環境の整備を介在とする菩提心発掘」は、
「菩提心発掘」が出来ていない点で未完成であり、「菩提心発掘」
を果たすことによって、直ちに完成するのではないかと思う。

具体的には、おそらく、映像をストリーミング受信できるG.Naviの
新バージョンは、既に完成しており、会員が「菩提心発掘」を果たせば、
すぐにでも配布できる状態になっているのではないかと思う。

逆に言えば、「菩提心発掘」が果たされない限り、新バージョンの
G.Naviは配布されないと思う。なぜそう思うかと言うと、仮に私が
佳子先生の立場なら、必ずそうするだろうと思われるからだ。

だから、今からでも「菩提心発掘」を果たしてゆけば、次の
「善友の集い」には、まだ充分に間に合うと思う。

168 :神も仏も名無しさん:2020/03/11(水) 12:39:53.84 ID:z7eIBjD5Z
「菩提心発掘」とは具体的に何を果たすことだろうか?それが
解らない人は、霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
に取り組むといいだろう。例として挙げられている青木辰男さん(仮名)
の痛みを、自分自身に引き寄せ、何が必要なのか、よく吟味すれば、
それによって見えてくるだろう。

そして、「菩提心発掘」において、最も大切な事は「行動を起こす」
ということではなかろうか。それは、(何度も引用するが)佳子先生
が「時の羅針盤・190 」に示されている通りである。
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )

> もし、あなたが「新しい生き方をしたい」と願ったなら、今まで
> 試したことのない生き方で1歩を踏み出すことが必要です。
> 新しい生き方は新しい考えから生まれるとしても、
> それを実現するのは行動なのです。

> どんなに「ウイズダム」 (*2) に懸命に取り組んだとしても、
> アクションプログラムのない「ウイズダム」だとしたら、
> 現実的には何の力も持ち得ないでしょう。つまり、行動することが
> いかに大切かということです。

次の「善友の集い」には、まだ充分に間に合うと述べたが、
それほど長い時間が残されているわけではない。今すぐ、直ちに、
「菩提心発掘」の「行動」を起こして頂きたいと思う。

それにより、仮に人が会場に集えなくなったとしても、
「善友の集い」は開催できるようになるだろう。

169 :神も仏も名無しさん:2020/03/12(木) 11:55:03.86 ID:klgHTDwqk
ここで、「開けゆく道でも、GGPでも、インターネットライブ
中継をやっている。善友の集いで、同じようにできないはずがない」
と反論する人がいるかもしれないので、この点についても言及
しておこう。

開けゆく道やGGPのインターネットライブ中継は、通常の
ブラウザを使ったものであり、G.Naviを使ったものではないだろう。
もし、「それで良し」ということであれば、最初からブラウザ「のみ」
を使えばよかったのであって、そもそもG.Naviなど全く必要の
無いものだ。

G.Naviは、いわゆる情報弱者の会員のためのものだと考える。G.Naviが
作成された理由は、「(ブラウザで)このサイトにアクセスして、
このIDとパスワードでログインして下さい」と言われて、その通りに
できない会員が相当数存在するからではないだろうか。

ブラウザを使って善友の集いをインターネットライブ中継することは、
「情報弱者の会員を切り捨てる」という選択をすることになると思う。
佳子先生は、おそらくそのような選択はされず、「善友の集いを
中止する」という選択をされると思う。

170 :神も仏も名無しさん:2020/03/19(木) 09:05:43.38 ID:OVpxZFjF4
>>166-169 には見当はずれな事を書いてしまったようだ。
この点はお詫びしたい。

しかし、「GLA創立40周年記念プロジェクト」はまだ終了していない。
佳子先生が常々仰っているように、具現には、「先智慧」、「実行」、
「後智慧」の三つの要素がある。「後智慧」が完了して、初めて、
「GLA創立40周年記念プロジェクトは終了した」と言えるはずだ。

特に、「7つのプログラム」が全く進捗しなかったのは何故なのか、
それを後智慧すべきであろう。まず、過去10年、この
問題に対するあなたの想念を入念に振り返り、明確化すべきだろう。

「誰かがやってくれる」と思ったのか?
「進捗しなくても自分は何も困らない」と思ったのか?
「自分の知ったことではない」と思ったのか?
権力者に睨まれることが怖かったのだろうか?
GLAに形成されている「場と潮流」に逆らうのが怖かったのか?
佳子先生に対して間違った期待を抱いていなかっただろうか?
(既に述べたように、佳子先生には三位一体の「聖霊」としての
働きをお願いすべきであって人間が手口足を動かして実現することは
全て弟子が担うべきである)

171 :神も仏も名無しさん:2020/03/19(木) 09:07:21.73 ID:OVpxZFjF4
過去10年の、あなたの想念を入念に振り返った後、「もし時間を
10年戻すことができれば何を果たしたいのか」を明確にすることだ。

その後智慧が完了することによって、あなたにとっての
「GLA創立40周年記念プロジェクト」は完了する。

言うまでもないことであるが、「後智慧」は、将来の具現における
「先智慧」として結ぶために行うことである。
すなわち、「GLA創立50周年記念プロジェクト」の「先智慧」ために
果たすべきことである。

仮に、「GLA創立40周年記念プロジェクト」の後智慧をなおざりに
したならば、「GLA創立50周年記念プロジェクト」は、「40周年」
の時と同じような結末に終わるだろう。

172 :神も仏も名無しさん:2020/03/27(金) 12:19:26.52 ID:y9U03HG3i
5chで次のような意見があったので、考えてみたい。
> 会員は奴隷ではない
> まずはトップ自身が手本を示すべき

これまで佳子先生は、弟子に対して様々なテーマを与えて下さったが、
GLA創立40周年記念の7つのプログラムに対しては、その中でもかなり
厳しい、不親切な態度を取られてきたように思う。そして、その不親切
な態度は、50周年記念の9つのプログラムにも踏襲されるだろう。

これは、「7つのプログラム」、「9つのプログラム」というものが、
「直接的に、実際に、菩薩を産みだす」ための鍛錬であるからだと思う。

歴史上、菩薩クラスの人が果たしてきた様々な具現(例えば明治維新
もそうであると思うが)を振り返ってみると、誰かが「お手本」を
示してくれたり、手引書を書いてくれたりしたわけではない。

だから、菩薩を目指すのであれば、それと類似した条件下で、実際に
具現を果たしてゆく鍛錬を積まなければならないのではなかろうか。

それゆえ、50周年記念の9つのプログラムについても、「全ての会員が
取り組まなければならない」というものではないと思う。これは、
今生の人生で、「実際に菩薩の境涯を身につける」ことに挑戦できる
人が取り組むテーマであると思う。

173 :神も仏も名無しさん:2020/03/27(金) 12:20:00.09 ID:y9U03HG3i
例えば、悪霊の干渉を受けている人や、自分の煩悩のために職場や家庭
をぶち壊している人は、まずそちらの問題を優先して解決すべきであり、
「9つのプログラム」に挑戦することは時期尚早であると思う。

では、あなた自身が「9つのプログラム」に挑戦すべき人なのかどうか、
どのように見分ければ良いだろうか?それは、40周年記念の
「7つのプログラム」で、あなたが何の鍛錬も果たしてこなかった
という事実に対して、「あなたの魂が葛藤、後悔を抱いているか」
によって見分けることができるだろう。

あなたの魂が葛藤、後悔を抱いているとすると、それは神があなたの
ために整えて下さったチャンスを、あなたが見逃してしまったからだろう。

ぜひ、あなた自身の「魂の声」に耳を傾けてほしい。どうしても
「魂の声」が聞こえてこないのなら、佳子先生に「どうか霊道を開いて
魂の声を聞かせて下さい」とお願いしても良いのではないかと思う。
霊道を開ける場所は「魂の所以に遡る瞑想」の場に限られるわけではない。

それがあなたにとって必要なことならば、あなたの自宅に佳子先生が
(それは光子体としての佳子先生が、ということだが)訪れて下さり、
霊道を開いて下さると思う。それは「一人の菩薩を生み出す」ことが、
世界にとって、それほど重要な事だと思われるからである。

174 :神も仏も名無しさん:2020/04/08(水) 11:55:00.57 ID:SQ1bD8dg/
GLA創立40周年記念の「7つのプログラム」の意味をもう一度
考え直してみたい。

私は以前、このような話を聞いたことがある。

実在界において、信次先生、佳子先生がこの世に転生されることが
決定した時、諸如来、諸菩薩は、こぞって共に転生することを願い出た。
しかし、信次先生、佳子先生は、「お前たちの力は要らぬ。私たちは
有余の菩薩とともに転生しよう」と仰ったということだ。

「有余の菩薩」とは、「菩薩ではない人」であり、「菩薩になるための
修行が余り有る人」という意味ということだ。「有余の菩薩」とはどの
ような人々なのか、さらに具体的に知りたければGLAの現実を見ればよい。

「有余の菩薩」とは、GLA創立40周年記念の「7つのプログラム」に
対して、「十年」という鍛錬期間が与えられながら、その鍛錬期間を
全く無駄にして、全く何の修行も果してこなかった人々である。

ここで、有余の菩薩に「十年」という鍛錬期間を与える事がなぜ
可能だったのだろうか?その間に、如来、菩薩クラスの人々がテーマ
の具現を進めてしまうような事は、なぜ起こらなかったのだろうか?

175 :神も仏も名無しさん:2020/04/08(水) 11:55:30.47 ID:SQ1bD8dg/
その第1の理由は、現在のGLAには、如来、菩薩クラスの人の割合が極端に
少ない、という事が挙げられるだろう。そして、第2の理由として、
現在のGLAに在籍する如来、菩薩クラスの人々の力を佳子先生が抑え
込んでしまった、ということが挙げられるだろう。

仮に、現在のGLAの中に、如来、菩薩クラスの人々ががある程度揃っていて、
その人々が自由に動ければ、一体何が起こっただろうか?その人々が響働
して、佳子先生から頂いたテーマを、どんどん実現してしまったのでは
ないだろうか。

では、その場合、有余の菩薩は何を果たせただろうか?有余の菩薩が如来、
菩薩クラスの人々の場に入っても、「賛同、追従し、お手伝いをすること」
ならば可能だろう。また、細かい点で何かを提案して、それが採用
されることもあるかもしれない。

すると、有余の菩薩も「自分も具現の一角を担っている」という気分には
浸れるだろう。しかし、そのような気分に浸ったとしても、それは錯覚である。
有余の菩薩は、実際は、具現に対して、ほとんど何の貢献も果たせないのだ。

176 :神も仏も名無しさん:2020/04/08(水) 11:56:06.15 ID:SQ1bD8dg/
ただ、その現実は見えにくい。GLA全体として、佳子先生から頂いたテーマ
が次々と具現しており、自分の何かしらお手伝いをしているように見えれば、
特に問題が無いように思えてしまうからだ。

「有余の菩薩は、本当は何ができるのか?」
「有余の菩薩の掛け値なしの実力は如何ほどのものなのか?」

その問に対する解答は、如来、菩薩クラスの人々を除いてしまえば現れる。
すなわち、GLAに属する如来、菩薩クラスの数を最初から可能な限り抑制
しておき、残った僅かの人々を佳子先生が抑え込んでしまえばよいのだ。

それを実現したのがGLA創立40周年記念「7つのプログラム」では
なかっただろうか。そして、その「7つのプログラム」の結果こそが、
「有余の菩薩の掛け値なしの実力」を示すものであろう。

177 :神も仏も名無しさん:2020/04/08(水) 11:57:00.20 ID:SQ1bD8dg/
以上の事に対して、あなたはどのように思うだろうか?

「如来、菩薩クラスの人々を、自由に動ける形で、揃えておいて
頂けたら、自分も具現の一角を担っているような錯覚に浸れたのに」
と思うだろうか?しかし、錯覚に浸っている限り、あなたの魂の成長
は望めない。現実を直視することによって、初めて、現実から一歩でも、
二歩でも、前進してゆける可能性が生じてくるのではないだろうか。

では、あなたは「現実」を直視させて下さった神、佳子先生に感謝
できるだろうか?その事を感謝できるか否かが、GLA創立50周年記念
プロジェクトの趨勢を決定するのではないかと思う。

感謝できなければ、50周年記念プロジェクトは、40周年の二の舞
にしかならないだろう。しかし、感謝とともに挑戦を果たしてゆくこと
により、一歩でも、二歩でも、40周年の結果から進んでゆくことが
できるだろう。

178 :sage:2020/05/04(月) 13:45:30.46 ID:6o2DYHWKX
GLA創立40周年記念プロジェクトの「7つのプログラム」は、ある
意味で「行動を起こす力を育む」ことが求められたプロジェクト
であったと言えるだろう。

このプロジェクトの願いは「菩提心発掘」であったが、「7つの
プログラム」を介在として、如何に「菩提心発掘」を果たすかを
考えてみると、会員であれば誰でも参加できるネットワーク上の
コミュニティで議論を交わすことが欠かせないことが解るだろう。

しかし、そのようなコミュニティは創設されることが無かった。
これは、「コミュニティが必要なら、そのための行動を起こせ。
行動を起こさないなら、コミュニティは必要無いということである」
という意味だったのだろう。

また、「7つのプログラム」に関して与えられたヒントも、相当に
酷いものであった。与えられたヒントは、元々佳子先生が下さった
ヒントを弄り回した結果、訳の分からないものになっていた。

そして、元々佳子先生が下さったヒントが如何なるものであった
のか、それは今日に至っても不明なままである。これも、やはり
同様の意味であり、「元々のヒントが必要なら、そのための行動を
起こせ。行動を起こさないなら、元々のヒントは必要無いという
ことである」という意味だったのだろう。

179 :神も仏も名無しさん:2020/05/04(月) 13:47:25.25 ID:6o2DYHWKX
「行動を起こす力を育む」とは、表面意識の4つの極、すなわち
「感覚」、「感情」、「思考」、「意志」で考えてみると、これは
「意志の力を育む」という事になるだろう。

「意志の力を育む」事がなぜ大切なのか?「感覚」、「感情」、
「思考」の浄化を進めていったとして、「意志」の力を育んで
いなければ何が起こるだろうか。

それは40周年記念プロジェクトの結果を見れば明らかではない
だろうか。「意志」の力が弱ければ、少し障害が現れただけで、
具現を進めることができなくなるのだ。

そして、現実に起こる「解決」や「創造」のテーマにおいて、
「何の障害も無い」というのはあり得ない事であるから、「意志」
の力を育んでいなければ、結局、何も果たせなくなる。

魂の成長は、「先智慧→実行→後智慧」のサイクルを繰り返す
ことによって果たされてゆくが、「意志」の力を育んでゆかなければ、
「実行」が伴わないわけであるから、サイクルを繰り返すことも
できなくなり、そのレベルで魂の成長が止まるだろう。

180 :神も仏も名無しさん:2020/05/04(月) 13:47:48.29 ID:6o2DYHWKX
「意志の力を育む」事がこれほど大切であり、また、これほど
果たせていないという現実からすると、50周年記念プロジェクト
においても、「意志の力を育む」ことが重要な柱になるだろう。

もし、私の言葉に対して「理解できない、納得できない」という
ことであれば、私はただ一言、「佳子先生を信じられるのか?」
とあなたに問いたい。

佳子先生は、あなたに「菩薩になれる道を整える」と約束された
であろう。あなたは、その言葉を信じることができるだろうか?

また、佳子先生は、「行動を起こす力を育む」ための様々な
テーマをあなたに与えておられる。これは、あなたが菩薩になる
ために必要な鍛錬であると信じることができるだろうか?

「佳子先生を信じられるのか?」...この問いは、あなたと佳子先生
の一対一の関係によって決まるものであり、私がそこに立ち入る
余地は無い。しかし、もし、佳子先生を信じられるのであれば、
佳子先生が下さったテーマに対して、仮に意味が判然としなかった
としても、愚直に挑戦し続けることはできないだろうか?もし、
それが可能であるならば、あなたの前に道は開けてゆくだろう。

181 :神も仏も名無しさん:2020/05/20(水) 00:52:31.80 ID:kG2AbEYiE
同級生にバプテスト派の牧師の娘がいてけっこう親しかったの。多感な時期だし家の中の事とか話すわけ
父親の不倫とか、収入のことでの夫婦喧嘩とか。ご先祖庄屋さん?だし地元の名家って言うの2代目で、
ぱっと見ぜんぜんそんな風じゃなくて。ご立派そうのお父さん。良いお母さん。ウソでしょーって感じ。

ここの教役者とか執事見てると。子ども、え、なんで?って思う、この娘そっくりなんだよね。みんな印象同じ。
親御さんすごくいい人達なんだけど、すごく闇抱えてるの分かる。お子さんの顔で、子どもさんの虚ろな感じ見るたびに
子は親の鏡って言葉が思い出てくる、反抗期なくて大人になるタイプ。エホバの連れてくる子もこんな
感じだったよね?最近はないけど
あとあと不安定になるような。彼女どうしてるかなぁって。
あとお説教おわったあと、帰り間際の牧師もゾッとなる感じの冷たい眼してるのね。
あれ嫌だったいろいろと恐い感じがして教会離れました。あでも信徒さんの一部とは今もお友達で居ますよー。
教義とか、その点で別に…不信感もないしね。長老派って、どこもこんなのかな…?

182 :神も仏も名無しさん:2020/05/21(木) 21:39:43.13 ID:1THAncvYs
疳の虫つよいお子さんなんで?なんで?ってお母さんに
「お肉も牛乳も汚染されてるから、胎児はお母さんの影響直に受けるから」もっと早く菜食はじめてればよかったね。
ってすり換え。余裕ないからガンガンキツく叱って
子が泣きわめく。毎週不憫に思って。
問題すり替えと本質の矮小化多過ぎてえっ?ってなる

受洗してン10年菜食主義の教役者が超短絡で超短気はある意味
エビデンスですよね。いえ健康大事、菜食趣味も否定までしなくて
でもそんなに?そこ重要?しかも体現で証できてないじゃん
地の塩も文字通りの解釈で岩塩か博多の塩
えっ?とかそれどうなんかなって

ここにキリストへの祈りも愛もないし。異端かどうかも
問題のすり替え。そこそんなに重要?

183 :神も仏も名無しさん:2020/05/23(土) 01:18:52.83 ID:4qt3v38Lx
ブランチ登録1000人はおいといてアンチ0は無いわ…非表示でよくね?それか視聴禁止令でも出てんのかね?どこアピなんかと

184 :神も仏も名無しさん:2020/05/23(土) 17:25:57.31 ID:sz7Ys3e+5
図説言説を駆使して熱意はわかるけど不幸と苦悩が滲み出てるからコミットできないんだよね。悪い生き方推奨する教えなんてどこにも無い。そこまでは理解した。問題は信者。とウマーしてるトップ

185 :神も仏も名無しさん:2020/06/01(月) 19:25:12.14 ID:Ie2++VjRV
娘は自分以上って言ってたから。って信仰じゃなく?
先代じかに見知ってる人にありがちなんじゃないかと。
乖離的に自分見たってのもじゃ
普通にサッカープレイヤーみんなそれ系の病気なんかって話にならんか?
輪廻が祖霊が言わないと商売にならない辺はわかる。

186 :神も仏も名無しさん:2020/06/07(日) 11:09:08.47 ID:2E9wm74i2
2018年末、>>19-21 では、「千年構想」、「7つのプログラム」は
「個の目的と全体の目的との合一」を実現して、「菩薩ではない人が
菩薩になる」ことを実現してゆくものであると述べ、次のように述べた。

> 自分の心をそのように動かすことができない人は、明らかに
> 「菩薩ではない人」である。では、「菩薩ではない人」が「菩薩」になる
> ためには、何を果たせば良いだろうか?
>
> それは、「佳子先生のお言葉を信じてチャレンジしてみる」ことしか無いと
> 思う。今一つしっくりこない点があったとしても、佳子先生を信じて
> チャレンジを続けたならばどうなるだろうか?
>
> それは、苦しく長い道のりかもしれないが、やがて「これは元々自分が
> やりたかったことだ」と思えるようになるかもしれない。否、そうなることが
> 予定されている人々が、今、GLAに集められているのではないだろうか。
>
> たとえ苦しくとも、チャレンジを続けてゆけば、「自分自身の意識の
> 働かせ方」というものに、ある種の「道」が付いてくると思う。
> そうすると、将来(それは来世になるかもしれないが)、別の「全体の目的」
> に出会ったとき、今回とは異なる変化が起きるのではないだろうか。

187 :神も仏も名無しさん:2020/06/07(日) 11:10:16.98 ID:2E9wm74i2
これは、もちろん、GLA50周年記念の9つのプログラムに対しても、
そのまま当てはまるものだろう。しかし、その前提として、大切な事が
抜けていたと思う。それは、「佳子先生に対する信を確かにする」
ということだ。

今生の人生で、あなたが佳子先生と出会い、その後にどれほどの
恩恵を頂いてきただろうか?あなたに対して、佳子先生はどれほどの
御慈愛を注いてくださったのか、それを一つ、一つ思い出してみる
ことが大切ではないだろうか。

もし、「自分自身はそれほどの恩恵を頂いたという自覚がない」
ということならば、佳子先生が他の人に注がれた恩恵や御慈愛を
よく思い出して、自分自身にも平等に御慈愛を注いで下さっている
ことを心に置くことができるだろう。その上で、「佳子先生という
方は、あなたにとって本当に信頼できる方なのか?」という問題に
対して、自分自身の解答を出すことだ。

もし、その解答が「YES」であるならば、
「今一つしっくりこない点があったとしても、佳子先生を信じて
チャレンジを続ける」「たとえ苦しくとも、チャレンジを続けてゆく」
ということが果たせるのではないだろうか?

また、チャレンジを続ける途中で、心が折れそうになったなら、
「佳子先生という方は、あなたにとって本当に信頼できる方なのか?」
という問いにもう一度向かい合えばいいだろう。

そうやって、自らの信を確かめながらチャレンジを続けてゆく
ことにより、「個の目的」と「全体の目的」が合一する瞬間という
ものが必ず訪れるだろう。

188 :神も仏も名無しさん:2020/06/17(水) 23:32:16.86 ID:/zt93tL/Y
これから、50周年記念の9つのプログラムを介在として、如何にして
菩薩を生み出してゆくか、それは、おそらく次のようなプロセスに
よるものと思われる。

まず、弟子が100%の力を出し切って、与えられたテーマに
チャレンジすることだ。すると、どこかで壁が立ち現れ、行き詰って
しまうだろう。その時、佳子先生は、少しだけご助力を下さるだろう。
そのご助力は、それによって弟子が壁を超えられるか否かの
ギリギリのレベルを見極めたご助力になるだろう。

そのご助力によって壁を超えることができたなら、また100%の
力を出し切って、テーマに再チャレンジすることだ。ただ、その時の
100%は、以前の100%よりも少しだけ成長しているだろう。

そのうち、再び壁が立ち現れて、また行き詰ってしまうだろう。
すると、佳子先生は、また少しだけご助力を下さるだろう。
このようなチャレンジを10年間継続することにより、神界段階の
弟子は菩薩になれるだろう。

すなわち、菩薩になるためには、行き詰るまで、自分の100%の
力でチャレンジを続ける以外にない。100%の力を出し切らない者に
対しては、ご助力が与えられることはなく、その者が菩薩になることも
無いだろう。

189 :神も仏も名無しさん:2020/06/17(水) 23:32:57.11 ID:/zt93tL/Y
与えられるテーマは、けっして易しいものではない。ヒントは解りにくく、
お膳立ても整っていない。あなたがどこかで行き詰ってしまうのは当然
であろう。むしろ、佳子先生は「あなたが行き詰るような状況」を、
わざわざ作っておられるのだ。

その理由は、上述したように、行き詰ったときに、佳子先生が少し
だけ、ギリギリのレベルのご助力を与えて下さるためである。
そのご助力によって前に進めたならば、それによって間違いなく
魂の成長が果たされるだろう。

では、10年もの間、100%の力を出してチャレンジを続ける原動力
になるものは一体何だろうか?それは、再三述べているように、
「佳子先生に対する信を確かにすること」にあるだろう。

佳子先生が下さったテーマは、たとえあなたにとって困難を極める
ように見えてたとしても、それはあなたが菩薩になるために必要不可欠な
テーマである。あなたは、その事を信じることができるだろうか?

また、あなたが行き詰ったとき、佳子先生は、あなたに対してギリギリ
のレベルを見極めたご助力を必ず下さり、それによって、あなたの魂は
成長を遂げるだろう。あなたは、その事を信じることができるだろうか?

佳子先生に対する信を確かにすること。それが果たせるか否かによって、
あなたが菩薩になれるか否かが決まるだろう。

190 :神も仏も名無しさん:2020/06/19(金) 12:27:45.80 ID:38is1f3y0
佳子先生のされている事に対して、「もっとスムーズな方法がある
のではないか」、「もう少し親切にして下さってもよいのではないか」
などの疑問が生じるかもしれない。

疑問は疑問として持っていて差し支えないと思うが、とにかく
佳子先生のことを信じ、与えられたテーマに対して100%の力を
出し切って、チャレンジすることが大切だ。それを果たさなければ、
今生の人生で菩薩になれるはずの人が、なれなくなるだろう。

これほど大切なことであるが、佳子先生ご自身は、その大切さを
説かれることは無いと思う。また、組織としてのGLAが、そのような
発表をすることも無いと思う。少なくとも、大勢の会員の前で
発表することは無いだろう。

それは、一般人から見ると、オウム真理教等、「教祖の命令は絶対」
としているカルト教団と同じようなものに見えてしまうからだ。
GLAのことをよく知らない人に対して、その「違い」というものを
説明するのは不可能に近いと思う。

だからこそ、GLAにおいて何の立場も無い人間が、それを説く必要
があり、それを説く人間として、私が選ばれたのだろう。

191 :神も仏も名無しさん:2020/06/25(木) 23:51:02.30 ID:gWQuT8SNd
あなたが、今生の人生で菩薩になる可能性のある人であれば、
神はあなたに対して、必ず「菩薩になる青写真」を描いて
下さっているはずだ。私自身はその詳細な青写真に到底アクセス
する力は無いが、「青写真が存在する」ことは確かに感じる。

つまり、佳子先生が下さるテーマに対して、あなたが100%の力を
出し切ってチャレンジしたとき、あなたがどこで、どのように
行き詰るのか、その時、どのような助力を与えればどのように
魂が成長するのか、既に詳細な計画、カリキュラムが完成している、
ということだ。

あなた自身は、その青写真、カリキュラムを見ることはできない。
しかし、佳子先生は、既にそのカリキュラムの青写真にアクセス
されているだろう。

そして、佳子先生は、そのカリキュラムの青写真に従ってあなた
に助力を与えてくださるだろう。それにより、あなたは、今生の
人生で、間違いなく菩薩になれるだろう。

192 :神も仏も名無しさん:2020/06/25(木) 23:51:35.51 ID:gWQuT8SNd
しかし、それには、「あなたが100%の力を出し切って
チャレンジを続ける」ことが大前提になっている。その大前提が
崩れたならば、佳子先生といえども、青写真を具現してゆくことは
不可能になる。

あなたは、今生の人生で与えられているチャンスが如何に稀有な
ものであるか、得難いものであるか、自覚する必要があると思う。

来世の人生でも、菩薩になる修行を積むことは可能であるし、
それを手助けしてくださる指導者に出会えるかもしれない。
しかし、佳子先生のように確実に青写真にアクセスして、
カリキュラムを遂行できる指導者には、出会えないだろう。

すると、来世の修行は、なかなか厳しいものにならざるを
得なくなる。以前、佳子先生はトルストイの言葉を引用して
「光あるうちに光の中を歩め」と仰ったことがあった。

「光あるうちに光の中を歩め」…その言葉の重さを、あなたは
感じることができるだろうか。

193 :神も仏も名無しさん:2020/06/27(土) 15:32:35.16 ID:1Jbxp/py+
私は、今月中旬から、「弟子が100%の力を出し切って、与えられた
テーマにチャレンジすること」の大切さを述べてきたが、不思議なことに、
今月の時の羅針盤「器を満たす」は、それに呼応するものになっている。

https://www.gla.or.jp/compass/rashinban196/

> 発展途上の私たちが大切にすべき生き方があります。それは、日々、
> 自らのベストを尽くし、最善の生き方を重ねるということです。
> 言葉を換えるなら、私たちが抱いているそれぞれの器に、光と力を
> いっぱいに満たすことを毎日連ねるのです。

> 私たちが限界を抱えているということ。それは、自らの器の大きさに
> 限りがあるということです。しかし、私たちが自らの器を満たし続ける
> とき、ある日、その器が限界を超えて大きくなっているのです。

> これ以上はできないというほど、頑張ってみる。これ以上はできない
> というほど、青写真を追求してみる。これ以上はできないというほど、
> 事態を心配し、工夫と改善を重ねてみる。これ以上はできないという
> ほど、試行錯誤を繰り返してみる……。

> そんな歩みを積み重ねてゆくとき、ある日、私たちが抱える限界が
> ふっと消えるときが来るのです。器が広がり、より多くの光と力で
> 満たされる──。それが、人間の成長と進化の歩みなのです。

194 :神も仏も名無しさん:2020/06/27(土) 15:33:06.71 ID:1Jbxp/py+
今月の「時の羅針盤」には、具体的に何に対して「自らのベストを尽
くし、最善の生き方を重ねる」べきかは述べられていない。では、一体
「何に対して」ベストを尽くすべきなのか?それは、一人ひとりが現在
直面しているテーマによって違ってくるだろう。それは「学業」かもし
れないし、「就職活動」かもしれないし、「家庭内の問題」かもしれな
いし、「仕事上の問題」かもしれない。

しかし、今生の人生で菩薩になることが予定されている人々は、例えば
「学業」、「就職活動」、「家庭内の問題」、「仕事上の問題」等は、
おそらく、さほど大きな負担にならないように、神がコントロール
されていると思う。

それは、「佳子先生が与えて下さったテーマ」に対して「自らのベスト
を尽くし、最善の生き方を重ねる」ことが呼びかけられているからでは
ないだろうか。

如何だろうか?今のあなたには、「佳子先生が与えて下さったテーマ」
以外に、「自らのベストを尽くし、最善の生き方を重ねるべきテーマ」
があるだろうか?

もし、それがあるなら、あなたは、そのテーマにベストを尽くすべき
だろう。そのテーマこそ、あなたにとって最も必要なテーマであり、
神があなたに与えられたテーマであるからだ。

195 :神も仏も名無しさん:2020/06/27(土) 15:33:40.08 ID:1Jbxp/py+
しかし、そのようなテーマが無いのであれば、「佳子先生が与えて
下さったテーマ」こそ、あなたがベストを尽くすべきテーマではない
だろうか。

「自らのベストを尽くす」とは、私が述べてきた「100%の力を
出し切る」と同じ意味だと思う。それは、90%でも、95%でもない。
「100%」でなければならない。さもなくば、器を広げることが
できず、菩薩としての器を育めなくなるからである。但し、私が
「100%の力を出し切る」と述べたのに対して、佳子先生は
「自らのベストを尽くす」について、次の4つの側面を示されている。

[1]これ以上はできないというほど、頑張ってみる。
[2]これ以上はできないというほど、青写真を追求してみる。
[3]これ以上はできないというほど、事態を心配し、工夫と改善を重ねてみる。
[4]これ以上はできないというほど、試行錯誤を繰り返してみる。

すると、これら4つの側面と自らの行動を一つ一つ照合してゆくこと
により、本当に自分が「自らのベスト」を尽くしているのか、判断
できるのではないだろうか。そして、これら4つの側面を、佳子先生が
与えて下さったテーマに対して実践することこそ、菩薩としての器を
育んでゆく道だと思う。

196 :神も仏も名無しさん:2020/07/01(水) 23:39:05.94 ID:G6T4eyTUp
私は、佳子先生が発信されるお言葉をお享けする際、注意すべき点が
あると思う。それは、佳子先生の弟子、すなわちGLA会員は、声聞、
縁覚、菩薩段階の人が混在しており、佳子先生は、これら全ての弟子に
対して責任を背負っておられる方である、ということである。

特に人数的には声聞段階の人が圧倒的多数であり、その人たちが疎外感を
味わうような発信を、佳子先生は、まずされることはないだろう。

例えば、40周年記念プロジェクトの「7つのプログラム」がそうで
あったと思う。佳子先生が会員全体に向かって「皆さん、7つのプロ
グラムに対してもっと真剣に検討してみればどうでしょうか?」
などと仰ったことは無かった。

それは、「7つのプログラム」は菩薩を目指す縁覚段階の人のための
テーマであって、声聞段階の人が取り組むのは難しいからだと思う。

それでも、四聖日の集いなどでは、7つのプログラムの「進捗状況」が
ロビー等に掲示され、その旨のアナウンスが流れたりしていた。
「進捗状況」と言っても、「何も進捗していない」という「進捗状況」
でしかなかったのだが、これには「本当にこのままで良いのか、よく
考えなさい」という意味が込められていたのだと思う。

197 :神も仏も名無しさん:2020/07/01(水) 23:39:43.71 ID:G6T4eyTUp
ただ、佳子先生が実際に「本当にこのままで良いのか、よく考えなさい」
と仰ったことは無かった。すると、7つのプログラムの「進捗状況」が
ロビー等に掲示されたという事実と、自分自身を切り離して考えることも
できるし、「そもそも何も考えない」という選択も簡単にできる。
それは、圧倒的多数を占める声聞段階の人々に対する配慮からだろう。

これから始まる50周年記念プロジェクトの「9つのプログラム」に
ついても、佳子先生は「7つのプログラム」の時と同様に対応される
のではないかと思う。

先に挙げた6月号の時の羅針盤「器を満たす」の記事にしてもその一環
であったように思う。この記事のことを「9つのプログラムに向かう
ときの大切な心構え」と受け止められる人は、そのように受け止める
ことができる。しかし、「9つのプログラムとは特に関係ない話」
と受け止めようとすると、そのように受け止めることもできる。

このように、佳子先生のお言葉を表面的に受け取ってしまうと、声聞段階
の人に対する発信しか受け取れなくなってしまい、縁覚段階の人で
あっても、声聞段階と同じような修行しかできなくなってしまう。
これでは、魂の成長を果たすことは難しくなるだろう。

それゆえ、佳子先生のお言葉をお享けするときは、上述したことを心に
置いて、佳子先生の表面的なお言葉に拘泥することなく、「声なき声」
を訊ねてゆく姿勢が求められると思う。

198 :神も仏も名無しさん:2020/07/03(金) 15:02:45.27 ID:KDsvlEqPu
千年構想や、これから始まる50周年記念プロジェクトの「9つの
プログラム」にチャレンジすべき人と、まだ時期尚早の人が存在するが、
それはどのように見分ければ良いだろうか?自分は一体どちらに属する
のだろうか?と悩んでいる人もいるかもしれない。

しかし、それを判別するのは、とても簡単だ。それは、「私が説いた
神理を理解できるか否か」、「それを神理であると認めるのか否か」
で判別すればいい。

私が神理を説いた理由は、神からの促しに基づくものである。その
意味は、私自身も全貌が把握できていないのだが、一つの側面として、
「佳子先生またはGLAが発信し難いことを発信する」という面は
あったと思う。

前述のように、佳子先生または組織としてのGLAという立場では、
声聞段階の人が疎外感を味わうような発信をする事が難しい。
GLAにおいて特に立場を持たない誰かが、佳子先生に代わって発信
すべき事を発信しなければならなくなる。

では、佳子先生に代わって、私が単に「頂いたテーマに対して、
100%の力を出し切って、チャレンジすべき」など、「苦」や
「面倒」をもたらす事を発信したとして、それは聞き入れられる
ものだろうか?それだけでは、ただ無視されて終わる可能性が高い。

199 :神も仏も名無しさん:2020/07/03(金) 15:03:17.56 ID:KDsvlEqPu
佳子先生に代わって何かを発信するならば(特に「苦」や「面倒」
をもたらす事を発信するならば)、「佳子先生が説かれていない神理
を自ら発見して説く」などの手段で、その資格があることを証明
しなければ、その発信は無視されてしまうだろう。

但し、その「証明」は、全ての人に対して有効な証明ではない。
「その神理を理解できる人」、「その神理を神理であると認める人」
のみに対して有効な証明になる。

私の説いた神理を理解できた人は、例えば「頂いたテーマに対して、
100%の力を出し切って、チャレンジすべき」と私が提言した
ならば、どうするだろうか?その提言に疑問や反発を感じたとしても、
簡単には否定できないだろう。私の言葉が本当に正しいのかどうか、
葛藤したり、悩んだり、思索を重ねたりするのではないだろうか。

では、私の説いた神理を理解でなかった人々はどうなるだろうか?
その人々にとって、私は、「神理と称して訳の分からないことを
説く人間」でしかない。そのような人間が提言した事など、最初
から検討の対象にはならず、何も悩むことは無いだろう。

それはそれで構わないし、むしろ、そのほうが望ましい。
その種の人々(と言っても大多数の人々ということになってしまうが)
には、千年構想、9つのプログラムにチャレンジするのは時期尚早
であり、それよりも佳子先生が「ぜひ取り組んで下さい」と明言
されている事を優先すべきだろう。

200 :神も仏も名無しさん:2020/07/03(金) 15:03:53.58 ID:KDsvlEqPu
このように、私が佳子先生に代わって発信した事は、「伝わるべき
相手にはしっかり伝わる」し、「伝わるべきでない相手には、さっぱり
伝わらない」ような仕組みができている。最初からそのような仕組みが
出来るように神が計画されたから、そうなっているのだろう。

「頂いたテーマに対して、100%の力を出し切って、チャレンジ
すべき」との私の提言に対して、悩んだり葛藤したりしている人は、
なぜ悩んでいるのだろうか?なぜ葛藤しているのだろうか?

それは、私の説いた神理を理解できてしまったからではないだろうか?
それを神理であると認めてしまったからこそ、悩んでいるのではない
だろうか。

ならば、あなたの手元には、既に、「菩薩になる鍛錬に参入するように」
との神からの招待状が届いているということになる。その招待状は
限られた人だけが受け取ることができ、その資格がない人は、絶対に
受け取れない招待状である。

私の説いた神理を理解してしまったら、もう理解する以前のあなたに
戻ることはできない。意を決して、覚悟を決めて、招待に応じて
鍛錬に邁進するしかないではないか。招待に応じなければ、
招待に応じるまで、ずっと葛藤が続くことになるだろう。

201 :神も仏も名無しさん:2020/07/10(金) 12:12:49.13 ID:STWbt3TQW
>>196 に以下のように書いたが、これには少々語弊があったと思うので、
訂正したい。

> 佳子先生が会員全体に向かって「皆さん、7つのプロ
> グラムに対してもっと真剣に検討してみればどうでしょうか?」
> などと仰ったことは無かった。
>
> それは、「7つのプログラム」は菩薩を目指す縁覚段階の人のための
> テーマであって、声聞段階の人が取り組むのは難しいからだと思う。

「千年構想」も、40周年記念の「7つのプログラム」も、50周年記念の
「9つのプログラム」も、会員であれば、誰でも参画できるものだと思う。
と言うより、青写真にアクセスしてゆくためには、様々な人の
人生経験や知識が必要と思われる。

但し、それには「順番」がある。まず、菩薩を目指す縁覚段階の人が
「全体のヴィジョン」、「全体の枠組み」というものを構築しなけれ
ばならない。それ以外の人は、「全体のヴィジョン」、「全体の枠組み」
が整った後でなければ、参画することは難しい。

202 :神も仏も名無しさん:2020/07/10(金) 12:13:14.97 ID:STWbt3TQW
それから、GLAの「既存の組織」というものに囚われていれば、「千年構想」
も、「9つのプログラム」も、進めてゆくことが難しくなるだろう。
例えば、「伝道研鑽部会が全体のヴィジョン、全体の枠組みを整えればよい」
と考える人もいるのではないだろうか。

しかし、伝研生の人をよく見ていれば解ることだが、声聞段階の人、自分の
内界がよく見えていない人も、かなりの割合で含まれる。もし、組織としての
「伝道研鑽部会」が千年構想等を進めるとすると、疎外感を抱いてしまう
伝研生が必ず出現するだろう。

自ら発心して声を挙げた人々によって、これまでに無かった「新しい枠組み」
を作ってゆくことになるだろう。

>>74-77 で明治維新についての考えを述べたが、結論として、
> これから、GLAで展開される「千年構想」についても、そこに現れる
> 姿は、「佳子先生による具現」よりも、むしろ「明治維新」にずっと
> 近い形になるのではないかと思う。
と述べた。

「明治維新」のときも、既存の幕藩体制とは異なる「新しい枠組み」が形成
され、その「新しい枠組み」によって明治維新のヴィジョンが形成されていった。
今後のGLAにおいても、「新しい枠組みを形成してゆく」ことと、「千年構想等
のヴィジョンを深化させてゆく」ことは、表裏一体の関係になるだろう。
すなわち、一方をないがしろにしながら、他方のみを進めてゆくことはできない
と思う。

203 :神も仏も名無しさん:2020/07/21(火) 00:09:03.92 ID:e983C/Zs1
今後、GLAは「弟子が青写真にアクセスする」ことなくして存続し得なく
なるだろう。「弟子が青写真にアクセスする」にあたっては、「全会員が
青写真のアクセスに参画する」ということが必要であると思う。もちろん、
それは、「未だ青写真にアクセスする鍛錬を積んでいない人も含めて」
という意味である。なぜ、「全会員」の参画が必要であるのか、少し長く
なるが、具体例を挙げて、理由を説明しておきたい。

GLA創立40周年記念プロジェクトがスタートしたのは、2008年4月であったが、
私は、2008年初頭に、「四聖日等の映像を配信する映像配信システムを
GLAが整える」という青写真が存在していることを感じていた。そして、
2008年3月に、関芳郎に対して、「映像配信システムを整えて下さい」
とお願いする手紙を送った。

私が佳子先生に対してではなく、関芳郎に対して手紙を送った理由は、
そのテーマが「弟子の鍛錬のためのテーマ」であると思われたからである。

私が2008年初頭に青写真にアクセスできたということは、それよりもはるか
以前に佳子先生は青写真にアクセスされていたはずである。それなのに、
佳子先生が全くその青写真を明かされていない理由は、「弟子が青写真に
アクセスし、弟子が青写真を具現せよ」という意味であると思えたのだ。

「弟子が青写真にアクセスし、弟子が青写真を具現せよ」という事であれば、
弟子の代表である関芳郎にお願いするしかないと思われた。しかし、私は
当時から、関芳郎の資質に対して、非常に疑問を持っていた。

204 :神も仏も名無しさん:2020/07/21(火) 00:09:32.31 ID:e983C/Zs1
関芳郎は、佳子先生から遂行を命じられたテーマである「千年構想」に
対しても、催促されない限り何年でも放置してきた人間である。では、何の
立場も無い一会員が青写真に適うテーマを関芳郎に示したとして、関芳郎は
それに共感して動くことがあり得るだろうか?そう考えると、
「その可能性は全く無い」としか思えなかったのだ。

そこで、私は、関芳郎に送った手紙の写しを佳子先生にもお送りした。
それは、「関芳郎には、青写真に共感して動く力など全くありません。その
関芳郎を総合本部長に任命されたのは佳子先生なのですから、佳子先生が
関芳郎を動かして下さい」という意味であった(もちろん、そのような事は
一切書かなかったが)。

その当時、私は「映像配信システムを整える青写真が存在する」という
事は確信していたが、「そのための具体的手段」という点では詰め切れ
ていない面があった。私は、「A案:CS放送を使う」、「B案:
インターネットを使う」という二つの案を関芳郎宛の手紙に認めたが、
どちらかというと、「A案」をメインに考えていた。

「A案:CS放送を使う」ということであれば、日本国内であれば、
ほぼ全ての地域で映像配信を受けることができる。しかし、そのためには
月々相当の金額の衛星使用料をGLAが支払わなければならなくなる。

「B案:インターネットを使う」ということであれば、A案よりも
ずっと安い金額で実現できる。しかし、各会員が満足できる品質で動画
配信を受けるためには、当時は、FTTH(光ファイバー回線)を導入
するしかなかった。

205 :神も仏も名無しさん:2020/07/21(火) 00:10:27.65 ID:e983C/Zs1
当時、FTTHは都市部では普及していたが、田舎では、対応できない
地域が多かった。また、FTTHを導入するためには、建物の構造に
よっては、壁に穴を開けなければならない場合がある。すると、借家の
場合に「家主が許可しない」とか、集合住宅の場合に「管理組合
が許可しない」とかの事情で、都市部においても導入できない場合が
多く見受けられた。

それゆえ、「B案を選択すると、恩恵に預かれない人が多く出てしまう
ため、お金はかかるがA案でいくしかない」と、当時、私は思っていた。

その結末は、皆さんがご存じの通りである。2009年に「B案が正しい」
という解答を佳子先生ご自身が示された。その解答に対して、当時の
私は疑問を持っていた。「それでは、恩恵に預かれない人が多く出て
しまうが、どうされるおつもりなのか?」と思っていた。

佳子先生が示された解答に対して私が納得できたのは、それから数年
経った2012年頃だったと思う。現在主流になっている「4G(第4世代
移動通信システム)」の携帯端末がその当時、世間に出回り始めた。

それは、それ以前の「3G」の携帯端末とは全く違っていた。無線通信
なのに、かなりの品質で動画配信を受信できた。「これがあるなら、
絶対にB案がいい。これが青写真であった。さすが佳子先生には
先見の明がある」と、私は思っていた。

しかし、2008年または2009年の時点で、弟子のみの力によって、
「B案:インターネットを使う」という青写真にアクセスすることは
本当に不可能だったのだろうか?もし、それが可能であったなら、
何が必要であったのかを考えてみたい。

206 :神も仏も名無しさん:2020/07/21(火) 00:11:20.43 ID:e983C/Zs1
私がA案が正しいのかB案が正しいのか迷っているとき、私に有益な
アドバイスができた人がいたとすると、それは、「移動通信の国際
標準化の動向に詳しい人」だったと思う。2008年または2009年の段階で、
その人は、このようなアドバイスができたのではないだろうか。

「今、4G(第4世代移動通信システム)の規格が標準化会議で検討
されている。その詳細は未定であるが、大枠の方向性については合意が
形成されている。その合意内容によれば、携帯端末を使って、かなりの
高画質の動画配信ができる事になっている。おそらく数年後には、
4Gに対応した製品が出回るだろう」

そのようなアドバイスがあれば、私も2008年〜2009年の段階で、
「B案が正しい」という事に納得できただろう。しかし、その当時の
私は「移動通信の国際標準化の動向に詳しい人にアドバイスを求めれば
よい」という認識すら、持てなかったので、そのような人を探して
アドバイスを求めることも、事実上不可能だった。

これからも類似のケースは多く起こりえるのではないだろうか。
誰が持っている、どのような知識や経験が、GLAのためにどのように
役立つのか?それを事前に知ることは非常に難しい。
だからこそ、青写真の精度を上げてゆくために、アドバイスを求める
相手は、「全会員」でなければならない。「全会員」の参画が必要
になるのは、このような理由による。

207 :神も仏も名無しさん:2020/07/28(火) 00:08:01.04 ID:SmA9q02ku
>>203-206 に書いたことは、その少し前に書いた「100%の力を
出し切って、チャレンジすべき」にも通じる事であったと思う。

私がこの青写真へのアクセスを始めた発端は、
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf (GLA 随想8 霊操行のご提案)
の7〜9ページにある、GLA誌2006年6月号のp36〜37の記事であった。
この記事を拝読したとき、私は「何かが呼びかけられている」と感じ、
一体何が呼びかけられているのか、そこから青写真へのアクセスが
スタートしたのだった。

一体何が呼びかけられているのか、様々な可能性を模索した結果、2008年
初頭になって、ようやく「映像配信システムを整えること」という青写真
に到達できた。そして、それを具体的にどのような手段で実現すれば
よいのか、様々な手段の可能性と制約を調査した結果、「CS放送を
使うのが最善」という結論に達したのだった。

2006年〜2008年に、このテーマに対して私が為してきたことは、今から
見ると、色々足りない点はあったと思うが、当時の私としては、
「100%の力を出し切って、チャレンジした」と言えるのでは
ないかと思う。これは、6月号の「時の羅針盤」に示された佳子先生の
お言葉では、「自らのベストを尽くす」という事が果たされたのでは
なかったかと思う。

だからこそ「これ以上はできない」という自分の限界が見えてきたし、
その限界を超えて佳子先生の具現に近づいてゆく智慧=「全会員の
参画を求める」に到達できたのではないかと思う。

208 :神も仏も名無しさん:2020/07/28(火) 00:09:34.85 ID:SmA9q02ku
仮に、私が自らのベストを尽くしていなかったとすると、2009年に
佳子先生が「インターネットを使った映像配信システム」という解答を
示されたとき、これほどの気づきは頂けなかっただろう。おそらく、
私は、単に佳子先生のことを賛美して終わっていたのではないだろうか。

以上述べたことは、「過去の話」にとどまらず、これからGLAの中で、
より大規模な形で、同様の事が繰り返されるのではないだろうか。

創立50周年記念の9つのプログラムについて、佳子先生は何らかの形で
テーマを与えて下さるだろう。そして、暫く後に、そのテーマに
対する解答を与えて下さるかもしれない。その間に、そのテーマに
対して「自らのベストを尽くす」という事が何よりも大切ではないかと思う。

自らのベストを尽くしていたなら、佳子先生が解答を与えて下さった
とき、大きな気づきや果報を頂けるだろう。

しかし、自らのベストを尽くしていなかった人は、何も得るものが
無いだろう。その人は、ただ単に、佳子先生のことを賛美して終わる
のではないだろうか。

209 :神も仏も名無しさん:2020/08/07(金) 16:55:18.82 ID:mS5anNOCu
2018年11月、>>7-18 あたりで、私は「佳子先生が早逝されるの
ではないか」という考えを示した。

そして、今もまた、「速やかに佳子先生を天上界に召還される」
という神のご意志が一層強く感じられるようになっている。

なお、「早逝」というのは、具体的な時期は掴み難いが、例えば、
「関芳郎よりも早い時期、高橋一栄会長よりも早い時期に
神が佳子先生を召還される」ということである。以下、佳子先生が
早逝される可能性が高いと思われる理由と、佳子先生の早逝を防止
する方法について私の考えを述べておきたい。

【1】早逝される可能性が高いと思われる理由

1999年、高橋佳子先生が「GLA 魂共同体千年構想」を呼びかけて
下さった後、既に20年が経過した。その20年に渡って、千年構想
は放置され、ほとんど何も進捗していない。

しかし、千年構想こそGLAの中心軸であり、千年構想の青写真にアクセス
しなければ、GLAは何を果たしてゆけばよいのか解らなくなるはずだ。
20年という期間は、千年という全期間から見ると、「1/50」
に相当する。既に全体の「1/50」の期間が、何の代償もなく、
消失してしまったのだ。

その原因は何か?それは、私が再三に渡って述べてきたように、
「快苦に翻弄される人間の自我」、すなわち「あなた自身」にある。
ただ目先の快を求め、苦を退けようとする、そのような傾向を抱いた
あなたが、20年に渡って千年構想を放置してきた「因」に相違ない。

210 :神も仏も名無しさん:2020/08/07(金) 16:55:49.41 ID:mS5anNOCu
しかし、今、「因」の問題とともに、「縁」の問題も考えなければ
ならない時が来ていると思う。あなたが千年構想を放置してきた、
「縁」つまり「間接的な理由」として、「佳子先生がご在世中で
あるから」というものは無いだろうか?

佳子先生は、千年構想に関して、最初に若干のヒントを与えて
下さったものの、その後20年間、「弟子が発心して動かない限り、
一切の助力を与えない」という態度を貫かれている。

しかし、佳子先生という方が現にご在世中である、という現実は、
「快苦に翻弄される因」を抱えた人間には、「千年構想がGLAにとって
本当に必要なものならば、佳子先生が何かして下さるだろう」と
自然に考える「縁」になってしまうのではないだろうか。

そして、この「因」と「縁」が結合して、「千年構想が20年に渡って
放置される」という「果報」を生み出しているのではないだろうか。
ならば、佳子先生が、仮にあと30年ご在世されたならば、あと30年、
千年構想が放置されることになるだろう。

私は、現状を変革するために「因」を転換する必要性を再三に渡って
述べてきた。しかし、「縁」を放置したまま「因」だけを転換する
というのは難しいのかもしれない。難しいならば、「因」よりも先に、
まず「縁」を断つこと、すなわち、「高橋佳子先生には、速やかに
ご帰天頂く」ことしか方法はなくなる。

211 :神も仏も名無しさん:2020/08/07(金) 16:56:22.43 ID:mS5anNOCu
佳子先生はGLAにとって、無くてはならない方であったが、千年構想を
推進してゆくべき段階に至った今の時代において、佳子先生は、
千年構想を阻害する「縁」になってしまわれたのではないだろうか。

「速やかに佳子先生を天上界に召還される」という神のご意志が私に
感じられるのは、そのような理由からではないかと思われる。

【2】早逝を防止する方法

では、佳子先生の早逝を防止することは可能だろうか?可能ならば、
具体的に何を果たしてゆけば良いだろうか?

それは、弟子が志を立て、自ら率先して「因」を転換し、千年構想に
関しては「佳子先生は既にご帰天されている」ことを前提として、
推進してゆくしか無いだろう。

千年構想を推進させてゆくことができれば、佳子先生に早逝して頂く
理由がなくなる。これによって、千年構想そのものについても、それ以外
のテーマについても、まだまだ佳子先生のご助力を頂けるだろう。

皮肉なことではあるが、佳子先生がご在世中であることを前提として
佳子先生を頼ってしまえば、それは佳子先生を早逝に追い込むことに
なるだろう。

逆に、佳子先生が既にご帰天されている事を前提として具現を進める
ことができれば、佳子先生は早逝されず、今後とも佳子先生から
智慧の伝承を頂けるだろう。

212 :神も仏も名無しさん:2020/08/14(金) 11:51:24.60 ID:lHZvjyjAq
6月の時の羅針盤・196「器を満たす」を改めて拝読して思うことがある。
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban196/
「GLA 魂共同体千年構想」が20年に渡って放置され続けている要因の一つ
として、「器の問題」というものがあるかもしれない。

器が小さいと、人類全体のこと、千年先のことを「心配する」ことが、
そもそも出来ないのであって、そのために動くことも出来ないのだろう。
「器の問題」が千年構想の足を引っ張っているとするならば、その解決策は、
「器を大きくする」ことになるだろう。如何にして器を大きく
すればよいのか、それは佳子先生が記事中で明確に示されている。

> 発展途上の私たちが大切にすべき生き方があります。それは、日々、自らの
> ベストを尽くし、最善の生き方を重ねるということです。言葉を換えるなら、
> 私たちが抱いているそれぞれの器に、光と力をいっぱいに満たすことを
> 毎日連ねるのです。

> 私たちが限界を抱えているということ。それは、自らの器の大きさに限り
> があるということです。しかし、私たちが自らの器を満たし続けるとき、
> ある日、その器が限界を超えて大きくなっているのです。

> これ以上はできないというほど、頑張ってみる。これ以上はできない
> というほど、青写真を追求してみる。これ以上はできないというほど、
> 事態を心配し、工夫と改善を重ねてみる。これ以上はできないというほど、
> 試行錯誤を繰り返してみる……。そんな歩みを積み重ねてゆくとき、ある日、
> 私たちが抱える限界がふっと消えるときが来るのです。器が広がり、より多く
> の光と力で満たされる──。それが、人間の成長と進化の歩みなのです。

213 :神も仏も名無しさん:2020/08/14(金) 11:52:01.68 ID:lHZvjyjAq
「千年構想」というテーマが大きすぎて自らの器に収まり切らないのであれば、
もう少し小さなテーマ、例えば、「9つのプログラム」に対して、「自らの
ベストを尽くし、最善の生き方を重ねる」、「これ以上はできないというほど、
頑張ってみる」などの、佳子先生のお言葉を実践すべきではないだろうか。

すると、「千年構想」のことは特に考えていなかったとしても、「人類全体
のことや千年先のことを心配している自分」がいつの間にか現れるだろう。
そのような人々が増えてくれば、「千年構想」は、自然と進捗してゆくだろう。

このように言うと、「人間の器というものは、少しずつ成長することはあっても、
それほど急に大きくなるものではない」と思う人がいるかもしれない。

しかし、それは誤りであり、急激な変化が訪れるだろう。それは、「人間の器」
には「表面意識の器」と「魂の器」の二種類があることに起因する。

「表面意識の器」だけを見れば小器狭量のように見えても、実は「魂の器」は、
それよりもはるかに大きいものであり、「表面意識の器」からは想像も
できないほどのものである。

佳子先生のお言葉を実践することによって、「元々の器=魂の器」自体が
以前よりも大きくなるというのは事実だろう。しかし、それと同時に、
「元々の器=魂の器」が表面意識と導通することによって、「表面意識の器」
に劇的な変化が現れるだろう。

佳子先生が示された「9つのプログラム」というテーマに対して、「自らの
ベストを尽くし、最善の生き方を重ねる」等、佳子先生が示された事を
実践すること。それによって得られる果報は、おそらく、あなたの想像を
はるかに超えるものだと思う。

214 :神も仏も名無しさん:2020/08/21(金) 12:21:27.80 ID:CyzaIkgK8
https://www.gla.or.jp/practice/support/
GLAホームページの「生活と人生のサポート」のページが最近、
変更されたようだ。

正確な形で過去ページは保存していなかったが、このブログによると、
少なくとも2014年現在で、プロローグは次のようなものだった。
http://copyman.syoyu.net/Date/20140331/
http://copyman.syoyu.net/Date/20140404/

> 誰にも訪れる人生の節目。
> ときには不意に起こる問題も少なくありません。
> そのときをどのように生きるのか―。
> GLAは、一人ひとりの人生に同伴して、
> 魂を重んじる生き方を支援する、
> トータルライフパートナーです。

ところが、今、プロローグは、次の変えられてしまっている。

> 「人間は永遠の生命を生きる魂の存在」と捉えるGLAでは、誕生・
> 結婚・出産・葬儀などの人生の節目を魂が成長してゆく機会として
> 大切にしています。そして、その節目を新しい人生へと踏み出す
> 得がたい体験とするために、様々な儀式や集いを用意しています。

「トータルライフパートナー」であったはずのGLAが、「冠婚葬祭の
パートナー」に落ちぶれてしまったというのは、ずいぶん悲しい話だ。

215 :神も仏も名無しさん:2020/08/21(金) 12:22:00.60 ID:CyzaIkgK8
勿論、冠婚葬祭の内容をホームページに掲載することは問題ないと
思うし、「冠婚葬祭の案内」として現在のプロローグの文章を使う
ことも問題ないと思う。

ただ、「トータルライフパートナー」である事を宣言した、以前の
プロローグは佳子先生が作成されたものだと思うので、それを削除
するのは、弟子としてあり得ない態度ではないのだろうか?
佳子先生のお言葉は、GLAの中心軸であり、中心軸を外してしまうと、
そもそもGLAが何のために何をやっているのか、さっぱり解らなくなる。

信次先生が現代仏教の事を「葬式仏教」と呼ばれたように、形骸化
した宗教は、「冠婚葬祭のパートナー」に落ちぶれる。現状の
「生活と人生のサポート」のページは、正にGLAが形骸化の危機に
直面している事を物語っているのではないだろうか。

とにかく、「生活と人生のサポート」のプロローグは、佳子先生が
示された内容に、直ちに戻すべきだろう。

プロローグを元に戻したなら、そのプロローグに響きあう内実を
整えてゆく必要があるだろう。

上述のブログにあるように、佳子先生のご帰天後もGLAが「トータル
ライフパートナー」であり続けるためには、「グループ力・響働力に
基づくお世話構造」を構築しなければならない。それを20年に渡って
放置し続けているから、GLAが「冠婚葬祭のパートナー」に落ちぶれ
つつあるのだと思う。

216 :神も仏も名無しさん:2020/08/21(金) 12:22:41.84 ID:CyzaIkgK8
では、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」というものは、
現在のGLAには無いものだろうか?けっして、無いわけではない。
困難に陥った人のために、お世話チームを結成して同伴するという
事は、既にGLAにおいて実現されている。

但し、同伴が必要な対象者を選定することや、お世話チームの人選は、
多くの場合、佳子先生がされているのではないだろうか。

しかし、その佳子先生がされている「対象者の選定」、「お世話チーム
の人選」というものを弟子のみで実現することは不可能な事だろうか?
一つ一つの事例を振り返りながら、その可能性を模索してゆくことだ。

佳子先生が実現された事を、そのままの形で弟子が実現することは
難しいかもしれない。しかし、何かやり方を変えて弟子のみで実現
できないだろうか?それを弟子のみで実現するために足りないものは
何だろうか?では、一体、何を整えてゆけばよいのだろうか?

以上のような事を検討して実行に移してゆくことが、「グループ力・
響働力に基づくお世話構造」を構築するという事になるだろう。
そして、それにより、佳子先生が下さったプロローグに響きあう内容を
ホームページに掲載できるようになるだろう。

217 :神も仏も名無しさん:2020/09/18(金) 17:49:15.67 ID:vaLUBfWNY
「グループ力・響働力に基づくお世話構造」についてもう一度
考えてみたのだが、これは、事務局が動かなかったとしても、
草の根レベルから広げてゆけるものではないかと思う。

困難な状況に陥った人(縁友)が、例えば地区の世話人等の
対話者に相談を持ち掛けたとする。

ここで、一人の対話者が縁友と対話しても、道がつく場合もある
だろう。しかし、一人一人の対話者には、それぞれの傾きや癖という
ものがあり、それが解決に向かう障害になることもあるだろう。

多くの人が「お世話チーム」として響働することによって、それぞれ
の人の智慧が終結されて、青写真に適った解決の道がその場に降りて
くる可能性が高くなるだろう。

また、場合によっては、様々な分野の専門家の智慧を借りたくなる場合
もあるだろう。そのような場合は、事務局に要望を出せばよいと思う。

218 :神も仏も名無しさん:2020/09/18(金) 17:49:38.59 ID:vaLUBfWNY
事務局では、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」のために、
現状では特に何も準備していないと思う。しかし、その種の要望が
多く寄せられるようになると、その態勢を整える必要性を認識でき、
やがて態勢が整ってくるのではないだろうか。

但し、縁友の中には「お世話チーム」の結成に難色を示す人が多いと
思う。やはり、自分のプライバシーを何人もの人に開示することは
抵抗を感じるものだろう。

そのような場合は、あまり強く勧めないことが大切だと思う。縁友が
心を閉ざしてしまえば、何も進まなくなってしまうだろう。

しかし、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」の実践例が
少しずつでも積み重なってくると、やはり、自分もこのお世話構造
によるお世話を受けたいと思う人が増えてくるのではないだろうか。

そして、やがて佳子先生がご帰天される頃には、「グループ力・
響働力に基づくお世話構造」こそが、佳子先生が果たして下さっている
お世話に代わるものとして、多くの人に認識されるのではないだろうか。

219 :神も仏も名無しさん:2020/09/25(金) 19:23:07.63 ID:oy1iZiuI1
私は>>215 に、
> 正にGLAが形骸化の危機に直面している
と書いたが、そもそもなぜ宗教が形骸化するのか考えてみたい。

例えば、キリスト教では、「神の子キリストが十字架にかかって犠牲の死を
遂げることによって、人類の罪を償い、救いをもたらした。そのイエスを
信じることで人は救われる」としているが、そのような事を述べたのは
パウロであって、イエス・キリストはそのような事を一言も述べていない。

福音書には、「右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てて
しまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が
ましである。」「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って
捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方が
ましである。」等、煩悩に対して厳しく対峙することを促し、煩悩を放置
すれば地獄に堕ちることを警告するイエス・キリストの言葉が残っている。

ならば、キリスト教を形骸化させた犯人はパウロだろうか?
私は、そうではないと思う。パウロだって間違えるもあるだろう。
パウロの言葉をイエス・キリストの言葉の上に置いて、パウロの言葉を優先
させる人間の意識が形骸化を招いたのではないかと思う。

イエス・キリストを教祖として崇めながら、なぜパウロの言葉をイエス・
キリストの言葉よりも優先させるのか?その理由は、キリスト教徒の立場
からは、色々説明できるだろう。私はその説明を聞いたことがあったが、
さっぱり理解できなかった。

聖書に示された様々な言葉を解釈して、パウロの言葉をイエス・キリスト
の言葉よりも優先させる根拠とすることはできるだろうが、その根底に
あるものは「快感原則」ではないだろうか。つまり、「苦を退け快を求める」
方向に自然に動いてしまう人間の性に形骸化の原因があるのではないかと思う。

220 :神も仏も名無しさん:2020/09/25(金) 19:25:24.85 ID:oy1iZiuI1
パウロの言葉に従うのと、イエス・キリストの言葉に従うのと、どちらが
「楽」だろうか、と人は自然に考えて、無自覚のうちに「楽」な方を、「自分を
変える必要が無い」方を、選んでしまうのではないだろうか。「聖書の解釈」は
それを正当化するために後付けされたものに過ぎないのではないだろうか。

以上はキリスト教の話であるが、GLAも同じ道を歩んでしまう危険がある。
佳子先生は「グループ力・響働力に基づくお世話構造」を構築するように
呼びかけて下さった。それは、未来千年に渡ってGLAが「トータルライフ
パートナー」であり続けるために不可欠なものであろう。

しかし、佳子先生の呼びかけを具現するためには、様々な苦労が伴うし、
自分を変革する必要性もあるだろう。それよりも、関芳郎が示したように、
GLAが「冠婚葬祭のパートナー」に落ちぶれてしまったほうが、ずっと
「楽」であるし、自分を変える必要もないだろう。

一度、GLAが「冠婚葬祭のパートナー」に落ちぶれてしまったならば、
それによってGLAの場、風土というものが形成されてしまい、立て直して
ゆくことが難しくなるだろう。

ただ、GLAとキリスト教が大きく異なる点は、GLAでは「人間が如何に
快苦に支配されやすい存在であるのか」という事を学んできたことでは
ないだろうか。それがキリスト教の轍を踏まない希望であると思う。

快苦に支配される自分を明確に意識化し、支配から脱却してゆく必要
があるのではないだろうか。それを意識化しなければ、関芳郎が描いた
通り、GLAは本当に「冠婚葬祭のパートナー」に落ちぶれるだろう。

221 :神も仏も名無しさん:2020/10/02(金) 00:55:43.06 ID:+8DNma/OB
私は、千年構想、7つのプログラム、GLAホームページの「生活と人生の
サポート」、「Q&A」等について様々な問題を述べてきたが、これらの
テーマに問題が生じている一つの要因として、「佳子先生が、これらの
テーマに対してご指導をされていない」という事があるだろう。
「佳子先生がご指導をされない状態」というのは、「佳子先生が御帰天
された状態」と、とても良く似ていると思う。

佳子先生が御帰天された後、GLAはどうなるのか、気にならないだろうか?
それを知りたければ、「佳子先生がご指導をされていないテーマ」を
見ればいいだろう。

・千年構想は一体どうなっているだろうか?
・7つのプログラムは一体どのような結果に終わっただろうか?
・GLAホームページの「生活と人生のサポート」、「Q&A」の
ページはどうなっているだろうか?

これらの現実は、「GLAの未来を映す鏡」ではないだろうか。
佳子先生が御帰天された後のGLAは、ありとあらゆる側面において、
「佳子先生がご指導をされていないテーマ」の如くになるだろう。

逆に、一部のテーマについて「佳子先生がご指導をされない」という
ことは、これらのテーマを通して「GLAの未来」が見えるようにして
下さっているのであり、とても有難いことではないかと思う。

「佳子先生がご指導をされていないテーマ」を通じて、あなたに見えた
「GLAの未来」は如何なものだろうか?それは、「絶望」、「幻滅」
のような言葉でしか、表現できないものだと思うが、如何だろうか?

222 :神も仏も名無しさん:2020/10/02(金) 01:09:30.92 ID:+8DNma/OB
では、「絶望」や「幻滅」しか見えない「GLAの未来」を変えることは
できるだろうか?「GLAの未来」を変えるためには「GLAの現在」を変える
必要があるだろう。では、「GLAの現在」を変えるためには「あなた自身」
を変革する必要があるだろう。では、「あなた自身」を変革するためには
何が必要だろうか?それは、(何度もしつこく引用するが)佳子先生が
「時の羅針盤・190、196」に示されている通りだと思う。

( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )

> もし、あなたが「新しい生き方をしたい」と願ったなら、今まで
> 試したことのない生き方で1歩を踏み出すことが必要です。
> 新しい生き方は新しい考えから生まれるとしても、
> それを実現するのは行動なのです。

> どんなに「ウイズダム」 (*2) に懸命に取り組んだとしても、
> アクションプログラムのない「ウイズダム」だとしたら、
> 現実的には何の力も持ち得ないでしょう。つまり、行動することが
> いかに大切かということです。

( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban196/ )

> 私たちが限界を抱えているということ。それは、自らの器の大きさに限り
> があるということです。しかし、私たちが自らの器を満たし続けるとき、
> ある日、その器が限界を超えて大きくなっているのです。

> これ以上はできないというほど、頑張ってみる。これ以上はできない
> というほど、青写真を追求してみる。これ以上はできないというほど、
> 事態を心配し、工夫と改善を重ねてみる。これ以上はできないというほど、
> 試行錯誤を繰り返してみる……。そんな歩みを積み重ねてゆくとき、ある日、
> 私たちが抱える限界がふっと消えるときが来るのです。器が広がり、より多く
> の光と力で満たされる──。それが、人間の成長と進化の歩みなのです。

223 :神も仏も名無しさん:2020/10/02(金) 01:10:36.48 ID:+8DNma/OB
過去20年、佳子先生が下さった「千年構想」、「7つのプログラム」
のテーマが放置されてきたのに、これまで、あなたは何の行動も
起こしてこなかっただろう。また、GLAホームページに愚かしい言葉が
並んでいても、あなたは何の行動も起こしてこなかっただろう。

その、あなたの因が、「佳子先生がご指導をされていないテーマ」に
ついて「GLAの現在」を作っているのではないだろうか。そして、
このままでは、近い将来、「GLAの未来」は、あらゆる側面において、
この「GLAの現在」と同じようなものになるのではないだろうか。

まず、あなたが、あなた自身を変革して「行動」に結べるようになること。
そして、それを土台として、「GLAの現在」を変革すること。
それ以外に「GLAの未来」を変革する道は無いと思う。

224 :神も仏も名無しさん:2020/10/09(金) 12:18:39.27 ID:fxLpwnGGq
千年構想を推進してゆく「願い」について、もう一度考えてみた。
千年構想を推進してゆく「願い」が「一切の人の救済」にあることは
(表現の仕方は様々あるかもしれないが)疑う余地の無いことだと思う。

しかし、魂の「器」がさほど育まれていない人は、一切の人の救済を
願うことは難しいかもしれない。例えば、「自分自身のためなら真剣に
働けるが、見たことも会ったことも無い他人のためにそこまで犠牲に
なりたくない」と思う人もいるだろう。そのような人は、「第一に
自分のことを考える」ことからスタートしてもよいのではないかと思う。
「自分のこと」とは、「あなたの来世」のことである。

あなたが、来世、いつ、どこの国に生まれるか、それは解らない。
しかし、あなたは来世、再びGLAに集いたいと思わないだろうか?
さらに、来世、あなたが集うGLAは、形骸化して変質してしまったGLA
でもよいだろうか?「今と変わらぬ風土、変わらぬいのちを湛えた
GLAに集いたい」と、あなたは願うのではないだろうか?

今と変わらぬ風土…その重要な側面の一つが、佳子先生が示された
「一人ひとりの人生に同伴して、魂を重んじる生き方を支援する、
トータルライフパートナー」ではないだろうか。

時代を超え、国を超えて、「今と変わらぬ風土、変わらぬいのち」を
伝承してゆくためには、「変えなければならないこと」も様々生じる。
しかし、何かを変えることは、「大切な何か」を失ってしまう危険性を
同時に孕んでいる。それゆえ、何かを変える場合には、「本当に変える
必要があるのか」、「その変え方は本当に神意に適っているか」等、
慎重な吟味が求められることは当然であろう。

さて、現在のGLAを振り返ってみよう。関芳郎は、「トータルライフ
パートナー」としてのGLAを「冠婚葬祭のパートナー」に変質させようと
している。これは、慎重な吟味を重ねた上で、決定したことだろうか?
決してそうではないだろう。

225 :神も仏も名無しさん:2020/10/09(金) 12:19:11.41 ID:fxLpwnGGq
佳子先生のご帰天後もGLAが「トータルライフパートナー」であり続ける
ためには、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」を構築することが
不可欠である。しかし、そのために努力するよりも、GLAが「冠婚葬祭
のパートナー」に落ちぶれたほうが、自分自身が(関芳郎が)楽である
という、それだけの理由であろう。

このように、権力者が己自身の「快」や「楽」を実現するために「何かを
変える」行為は絶対に看過してはならないものだと思う。看過してしまった
ならば、その影響は「トータルライフパートナー」という側面に留まらず、
あらゆる側面に広がってゆくだろう。

そして、今のGLAに息づく、様々な「いのち」が、どんどん変質し失われて
ゆくだろう。すると、「来世、転生したとき、今と変わらぬ風土、変わらぬ
いのちを湛えたGLAに集いたい」というあなたの願いは、到底叶わなくなる。

如何だろうか。千年構想を推進すること(例えば、GLAを冠婚葬祭の
パートナーに変質させる動きを阻止して、GLAがトータルライフパートナー
であり続けるように尽力すること)は、あなたが「第一に自分のこと」を
考える人であったとしても、「自分自身のため」に為す行為として、
充分な理由、動機が生じてくる行為ではないだろうか。このように、
「一切の人の救済」という願いに共感できない人は、第一に自分のこと
を考えて、自分自身のために千年構想を推進して頂きたいと思う。

なお、いつまで経っても、自分自身のためだけに動くというのは、悲しい
ものがある。しかし、とりあえず、「自分自身のため」であっても、
様々な困難を乗り越えて千年構想を推進していくうちに、魂の「器」が
広がってくるのではないだろうか。

魂の「器」が広がると、いつの間にか、自分自身のことよりも、未だ神理に
触れていない大多数の人々のことで心を痛めるようになり、「一切の人
の救済」という願いも、自然に心に落ちてくるようになるだろう。

226 :神も仏も名無しさん:2020/10/11(日) 21:10:32.04 ID:UMPTVtnZP
千年構想を推進してゆく「願い」について、さらに考えてみた。
一人ひとりの会員が伝道を通じて感じた「痛み」があれば、その痛みを
千年構想の願いに結び付けてゆけるのではないかと思う。
ここで、二つの想定事例について、「痛み」について考えてみたい。

【想定事例1】
あなたが、A国という国に深い関わりがあり、A国にぜひ神理を
お伝えたいと願っているとする。
あなたは、A国の人々に英訳した佳子先生の御著書をお渡ししてきたが、
関心を示す人が少なく、どうすれば良いのか解らなくなっている。

【想定事例2】
あなたは、Bさんという方に、かつて大変お世話になったとする。あなたは、
Bさんにぜひ神理をお伝えしたいと願い、Bさんに佳子先生の御著書をお渡し
したり、ご講演会に誘ったりしていたが、Bさんはさっぱり関心を示さず、
そのうちBさんが亡くなってしまった。Bさんには、来世に神理に触れて
頂きたいが、どうすれば良いのか解らなくなっている。

以上のような事例があれば、一人ひとりが抱く千年構想の「願い」は、
最初は、「A国に神理を伝えたい」、「Bさんには来世に神理に触れて
ほしい」という個性願(個別的、具体的な願い)で良いのではないだろうか。
このような、多くの人の個性願が集まると、それは例えば「一切の
人の救済」という共通願に、自然に集約されてゆくと思う。

個性願、共通願を果たしてゆくために必要な手段は、「GLA 随想9
千年構想」( http://file.copyman.syoyu.net/GI.pdf )のp8〜p11に
あるように、「教義の三層構造」を構築するということになるだろう。
これは、GLAの教義を、「原典」、「ローカライズされた神理」、「導入教義」
の三層から構成するというものである(詳細はこのレポートにある
ので割愛する)。

227 :神も仏も名無しさん:2020/10/11(日) 21:11:07.75 ID:UMPTVtnZP
現在のGLAには、このうち「原典」しか存在しない。上述の想定事例1は
「ローカライズされた神理」が無いから起こっている痛みであり、
想定事例2は「導入教義」が無いから起こっている痛みである。
「千年構想」とは、ある面では「教義の三層構造」を充実させてゆく
歩みであり、これによって個々の会員の個性願も実現してゆける道が
整うことになるだろう。

勿論、「千年構想」は「GLAに集える人々を増やす」だけではなく、「GLAが、
新たに集った人々のトータルライフパートナーになる」ことと同時進行
でなければならない。「GLAがその人々のトータルライフパートナーになる」
ということは、「その人々のことをより深く知る」ということであり、
これによって「ローカライズされた神理」も、「導入教義」も、一層充実
させてゆけるだろう。

しかし、「教義の三層構造の構築」に今すぐに向かってゆくことは時期尚早
であろう。GLAが新たな人々を迎え入れ、その人々のトータルライフパートナー
になることを考える前に、「佳子先生の御帰天後も、今、現に集っている
会員のトータルライフパートナー」になることが先決問題である。

佳子先生の御帰天後もGLAがトータルライフパートナーであり続けるためには、
「グループ力・響働力に基づくお世話構造」を構築することが不可欠である。
そのためには、>>217-218 に述べたように、事務局が動かなかったとしても、
あなた自身が実現してゆくことが大切だと思う。

これこそ、あなたの個性願、共通願を果たしてゆく第一歩であり、これを果た
した後に、「教義の三層構造」の構築に、初めて向かってゆけるのだと思う。

228 :神も仏も名無しさん:2020/10/16(金) 18:20:43.46 ID:hBgW9F/EN
千年構想を推進してゆく「願い」は、伝道を通じて感じた「痛み」
のみならず、日々のニュースなどで見られる悲惨な出来事からも
結び付けてゆけるのではないかと思う。

悲惨な出来事の多くは、「神理が伝わっていない」ことが原因であり、
神理が伝わることによって解決に導いてゆける人が多いだろう。
その一方、「神理を伝える」というと、普通は「佳子先生の法」
すなわち「原典」を伝えることしか思い浮かばない人が多いの
ではないだろうか。

しかし、それでは足りないと思う。GLAが積極的な伝道を展開するよう
になって、30年以上経つ。しかも、佳子先生ご自身が伝道の先頭に
立っておられてきた。しかし、会員数はそれほど増えてはいない。
やはり、原典のみでは限界があり、ローカライズされた神理、導入教義
を充実してゆかなければ、神理を世界に広げてゆくことは困難だろう。

時の羅針盤199 ( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban199/
では、「宇宙と響き合う」ということを呼びかけて頂いている。
ならば、呼びかけにお応えして、「宇宙との響働」にチャレンジ
してみては如何だろうか。

まず、伝道で感じた痛みや、日々のニュースなどから感じた痛みを
心に置いてみよう。そして、「創造のために(宇宙との響働のために)」
をお享けしてみよう。

「この出会いにはどんな意味があるのだろうか。」
「この出来事、この事態には私に何を呼びかけているのだろうか。」
「何に気づけ、何をせよと言っているのだろうか。…」

祈りのお誘いの一文一文に集中して、自らの魂に訊ねることによって、
自らの心に「千年構想の願い」を確立してゆくことができるのでは
ないだろうか。

229 :神も仏も名無しさん:2020/10/22(木) 00:10:23.38 ID:XLVpyU3y4
>>228 では、佳子先生からの呼びかけにお応えして、「宇宙との響働」
にチャレンジしてみることをお勧めしたが、実際に、あなたは
チャレンジされただろうか。

今、佳子先生が「宇宙との響働」を呼びかけて下さっているのは、
正にそれが神のご意志であり、今必要なことであり、今、宇宙に流
れているエネルギーが、「宇宙との響働」を果たす方向に流れて
いるからではないかと思う。まだ、佳子先生からの呼びかけにお応え
てしていない方は、ぜひ「宇宙との響働」に取り組んで頂きたいと思う。

「宇宙との響働」によって自らの心に「千年の願い」が恢復してくると、
同時に、それが如何に困難なことであり、どこから手をつけてよいか
解らない、という想いも湧いてくるかもしれない。

例えば、「どこか一つの国で神理のローカライズを果たし、その国で
神理を広めたい」と願ったとしても、それは何十人もの同志を集めて
何十年もかけて、挑戦してゆくことであり、少なくとも今生のあなた
には、直接的に手をつけられる問題ではないかもしれない。

230 :神も仏も名無しさん:2020/10/22(木) 00:10:46.79 ID:XLVpyU3y4
神理のローカライズも、導入教義も、その多くは未来の同志によって
果たされてゆくことになるだろう。では、未来の同志は、一体何を目標
として、神理のローカライズを果たしてゆくのだろうか?一体、どの
ような方針で、導入教義を構築してゆくのだろうか?

それを考えると、「日本で既にトータルライフパートナーを実現して
いるGLAの場」こそが目標であり、お手本ではないだろうか。ならば、
佳子先生の御帰天後も、GLAがトータルライフパートナーであり続ける
ことは、未来の人々に、「目標となる場」、「お手本となる場」
を提示することになる。

そして、そのような「目標」、「お手本」が存在するからこそ、GLAは
世界中で神理のローカライズも、導入教義の構築も果たしてゆける
ようになるのではないだろうか。

如何だろうか。あなたが抱いた「千年の願い」を実現するために、
あなたが今何を果たすべきか理解できただろうか?

今、日本で、「トータルライフパートナーとしてのGLA」を実現すること、
その第一歩として、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」を構築
すること、それこそがあなたの「千年の願い」を実現するために不可欠
なことであり、それが唯一の道であることを理解して頂けるのでは
ないかと思う。

231 :神も仏も名無しさん:2020/11/06(金) 02:24:23.93 ID:Kpz0QKBx6
>>230 に、
> 神理のローカライズも、導入教義も、その多くは未来の同志によって
> 果たされてゆくことになるだろう。
と述べたが、「未来の同志」とは、実はあなた自身の来世かもしれない。

つまり、来世、あなた自身が世界伝道に直接参入し、あなたの願いを直接
果たしてゆく可能性が拓かれているのではないかと思う。では、具体的に、
どのようにして、あなた世界伝道に参入してゆくのか、私の考えを
述べてみたい。

神理のローカライズにしても、導入教義の構築にしても、それは「神理を
説く」ということであって、その中心を担う人、リーダー格の人は、
過去世に神理を説くだけの相応の鍛錬、実績を積んだ人に限られるだろう。
これは、あなたには、まだ無理な仕事かもしれない。

しかし、過去世に鍛錬を積んだリーダー格の人も、佳子先生と比較されると
足元にも及ばないわけで、佳子先生と同じように具現できるはずなどない。
様々間違えながら、紆余曲折しながら、先智慧(仮説)――実行――後智慧
のサイクルを何度も何度も繰り返して、青写真に近づいてゆくことに
なるだろう。

そのためには、リーダーを補佐する「同志」とも言うべき人がどうしても
必要になるだろう。では、「リーダーの同志」はどのような人だろうか?
それは、「先智慧(仮説)――実行――後智慧のサイクルを推進できる人」
ということにになるだろう。

232 :神も仏も名無しさん:2020/11/06(金) 02:24:54.87 ID:Kpz0QKBx6
具体的には、リーダーが「仮説」を提示したときに、それが漠然とした
もの、どこまで正しいのかよく解らないものであっても、とにかく
リーダーの意を受けて実行に移してみること、実行に移してみた結果、
問題点があれば、問題点を明確にして指摘することが同志の役割では
ないだろうか。

また、リーダーに視点落ちなどがあって間違いを起こしそうな場合に、
それを指摘して、再考を促すことも、同志の重要な役割だと思う。

そして、今、あなたに与えられているテーマは、正にあなたが
「リーダーの同志」としての役割を果たせるのかどうか、それを試す
ためのテーマではないかと思えるのだ。

例えば、佳子先生は「グループ力・響働力に基づくお世話構造の構築」
というテーマをあなたに与えられたが、特にその詳細は説かれていない。
あなた自身が仮説を立てて、実行してみて、「グループ力・響働力に
基づくお世話構造」とは如何なるものなのか、それは本当に正しいこと
なのかを明確にしてゆくことが求められている。

これは、リーダーが「仮説」打ち出したときに、「リーダーの同志」
が果たす役割と、とてもよく似ていると思う。但し、佳子先生に
関しては、例えば「佳子先生が示されたグループ力・響働力に基づく
お世話構造という仮説は、何か欠陥があるのではないか」などと
考える必要はない。

233 :神も仏も名無しさん:2020/11/06(金) 02:25:28.09 ID:Kpz0QKBx6
その意味では、今、あなたに与えられているテーマは「リーダー
の同志」の役割と比較して、易しい点があるのではないかと思う。

また、関芳郎がGLAのホームページに愚かな言葉を書き連ねている
問題も、「GLAの組織上で権限を持っている者に対して再考を促す」
という点で、「リーダーの同志」が果たす役割と、とてもよく
似ていると思う。

但し、神理のローカライズや、導入教義の構築に対して責任を負う
リーダーは、間違えを犯す事はあっても、関芳郎のように愚かで
解りやすい間違いは起こさないだろう。その意味においても、今、
あなたに与えられているテーマは「リーダーの同志」の役割と
比較して、易しい点があるのではないかと思う。

それゆえ、あなたは今生与えられたテーマをクリアしたなら、来世は
さらに難しいテーマに挑戦することが予定されていると思う。つまり、
あなたは、神理のローカライズや、導入教義の構築に対して責任を負う
リーダーとともに転生して、再びGLAに集い、「リーダーの同志」
としての役割に挑戦してゆくことになるだろう。

冒頭に述べた「来世、あなた自身が世界伝道に直接参入し、あなたの
願いを直接果たしてゆく可能性が拓かれているのではないかと思う」
とは、この「リーダーの同志」としての役割をあなた自身が果たして
ゆくことを意味する。

234 :神も仏も名無しさん:2020/11/10(火) 12:30:01.83 ID:kgsegcVmJ
>>232-233 に述べたように、佳子先生が漠然としたテーマを示されて
詳細を明示されていない理由、関芳郎を総合本部長に任命され、関芳郎の
愚かな行為を放置されている理由は、あなたが来世に「リーダーの同志」
として働くための鍛錬であると考えられる。

そして、心に置いて頂きたいことは、その鍛錬は佳子先生の叡智が
無ければ成立し得ないということである。すなわち、あなたが現在頂いて
いるこの鍛錬は今生限りのものであり、今生のチャンスを逃してしまえば、
来世に同様の鍛錬を受ける機会は訪れないという事である。

あなたの来世においても、如来クラスのリーダーがあなたを指導し、
あなたのために鍛錬を準備して下さるかもしれない。しかし、その方
であっても、あなたが現在頂いている以上の鍛錬をあなたに提供する
ことは、困難すぎて無理なのだ。

この鍛錬が実現困難な理由は、「菩薩の力を封じる必要」があるため
である。これまで何度も述べてきたように、千年構想は20年以上に
渡って放置され続けている。また、関芳郎が愚かな言葉をGLAホーム
ページに掲載し始めてから、10年以上放置され続けけている。

これほど長きに渡って、テーマや問題が放置されている原因の一つに、
「佳子先生が菩薩を排除し、菩薩の力を封じているから」という事が
挙げられるだろう。

現在のGLAでは、菩薩クラスの人数が極めて少ないように見受けられる。
そして、佳子先生は、元々数が少ない菩薩クラスの人に対して、「この
問題に対してあなたは動くな口出しするな」と命令されているのだろう。

235 :神も仏も名無しさん:2020/11/10(火) 12:30:30.58 ID:kgsegcVmJ
仮に、GLAで、ある程度の数の菩薩クラスの人がいて、その人々が
自由に動けたとしよう。その状態で佳子先生が1999年に「千年構想」の
テーマを与えられたとしよう。すると、「千年構想」に対する様々な
ヴィジョンが現れ、議論や智慧の交換が進んできたであろう。

また、関芳郎が愚かな言葉をGLAホームページに掲載している問題に
対しても、「すぐに問題を解決しよう」と動く人が多く現れ、早い時期に
問題は解決されただろう。

すなわち、40周年記念の「7つのプログラム」の「社会発信力の強化」
に示されたように、「システムを整える」ことが大切であり、愚か者が
一人いた程度ではホームページが愚かにならないような「システム」
を整えることよって問題は解決されただろう。

以上のように、自由に動ける菩薩クラスの人が、ある程度揃っていれば、
テーマがどんどん進捗し、問題がどんどん解決してゆくだろう。
あなたは、「そのほうが望ましい」、「そのほうがありがたい」と思う
かもしれない。しかし、本当にそれはありがたい話なのだろうか?

例えば、学校の教師が、「ある種の問題」を解けない生徒だけを教室に
集め、問題を書いて解かせていたとしよう。そこに、その問題を既に
クリアしている生徒が入ってこんで、黒板にスラスラと解答を書き込んで
いったとしよう。

多くの生徒にとって、その黒板に解答を書いた生徒はありがたい存在
だろうか?そうではなく、それは迷惑な存在ではないだろうか。
あなたにとって、「自由に動ける菩薩クラスの人」とは、正にその黒板に
解答を書き込んだ生徒のような、迷惑な存在ではないだろうか。

236 :神も仏も名無しさん:2020/11/10(火) 12:30:59.39 ID:kgsegcVmJ
ならば、教師は何をすれば良いだろうか?とにかく、既に解答を出せる
生徒を教室の中に入れないこと、どうしても入れざるを得ない生徒が
いたなら、「私が出した問題に対して、あなたは一切動くな、口出し
するな」と釘を刺すことになるだろう。それが実現しているのが、
現在のGLAであるように思える。

信次先生、佳子先生がこの世に転生される事が決定したとき、諸如来、
諸菩薩は共に転生することをこぞって切望したが、その願いはほとんど
断られ、信次先生、佳子先生は菩薩ではない人たちばかりを多く集めて
転生されたという話を聞いたことがある。

そのようにされた理由の一つが、「現在行われている鍛錬を実現する
こと」にあるのではないだろうか。しかし、諸如来、諸菩薩の願いを
断られたということは、「自分の仕事を分担してくれる助力者がいなく
なる」ことであり、「一切を自分一人で背負うこと」である。

佳子先生には、それが可能であっても、余人にはそれは不可能なこと
なのだ。すなわち、「一切を自分一人で背負いきる」力と覚悟が
無ければ、あなたが現在頂いているような鍛錬は実現できなくなる。

いかがだろうか?あなたが現在頂いている鍛錬は、佳子先生がご在世
であるから成立した、今生限りの貴重な鍛錬であり、来世には決して
頂くことができない鍛錬である。今生頂いた貴重なチャンスを活かして、
6月の「時の羅針盤」( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban196/
に示して頂いた「自らのベストを尽くし、最善の生き方を重ねる」
という事が呼びかけられているのではないだろうか。

237 :神も仏も名無しさん:2020/11/12(木) 22:09:09.38 ID:ssYLsDLPm
もし、今あなたに用意されている鍛錬を私が頂ける立場であったと
仮定しよう。そして、私が、せっかくのその鍛錬を何十年も
放置するような弱さを抱えた人間であったと仮定しよう。

もしそうだとすると、私は、鍛錬に向かえるように、生まれる前に
どのような対策を講じただろうか?私はきっと、次のように神に
願ったと思うのだ。

 「神よ。私にかけがえのない鍛錬の機会をお与え下さり、
 感謝に堪えません。しかし、私は、眠りに落ち、せっかくの
 鍛錬を放置してしまうかもしれません。
 神よ。どうか、その時には、今一度あなたの恩寵を私に
 与えて下さい。どのような厳しい形であっても構いません。
 私が眠りから目覚め、自らのベストを尽くして鍛錬に向かえる
 ように、私を目覚めさせ、導いて下さい。」

もしかすると、あなたも生まれる前に同じ事を願ったかもしれない。
「自分がそのような事を願うはずはない」と思うかもしれない。
しかし、潜在意識と表面意識とでは、考えること、願うことが
全く異なる場合がある。あなたの魂=潜在意識は、実は、私と
同じような事を考えているかもしれないのだ。

もし、あなたが上述のように願ったとすると、あなたには、間違い
なく、厳しい形で試練が課せられることになるだろう。否、もしか
すると、厳しい形の試練が、既にあなたに課せられているかも
しれない。

238 :神も仏も名無しさん:2020/11/12(木) 22:09:48.70 ID:ssYLsDLPm
あなたは厳しい試練に遭遇したなら戸惑うだろう。そして、「Calling
---試練はよびかける」の御著書の中にその解答を求めるかもしれない。
しかし、御著書の中には、その解答は無いかもしれない。

その時にあなたはどうすればいいだろうか?その時こそ、時の羅針盤199
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban199/ )に示して頂いた
ように、「宇宙との響働」にチャレンジする時だと思う。

「この出会い(あなたに課せられた試練)にはどんな意味があるのだろうか。」
「この出来事(あなたに課せられた試練)、この事態(佳子先生のご指示が
放置されている現状)は私に何を呼びかけているのだろうか。」
「何に気づけ、何をせよと言っているのだろうか。…」

このように、神に対し、また、自ら自身の魂に対して、現在起こっている
事の意味を訊ねることだ。そして、そもそも自分が何を願って、何を
したくて、現在の運命を背負ったのか、思い出すことだ。そして、自らの
願いに沿って、ベストを尽くし、最善の生き方を重ねることだ。

あなたが試練から解放される道があるとするならば、それこそが
唯一の道であると私は思う。

239 :神も仏も名無しさん:2020/11/15(日) 13:47:40.86 ID:LuI6FOHeI
>>237-238 に、あなたが受けている試練(または予定されている試練)
について述べたが、その事の前提として、「佳子先生に課せられている
制約」というものに言及しなければならないかもしれない。

佳子先生の弟子は、声聞、縁覚、菩薩の三界の人から構成され、人数は
声聞段階の人が圧倒的多数である。そして、佳子先生は、全員に対して
同じことを説かれている。

すると、佳子先生が説かれていることの大部分は、声聞段階の人でも
理解でき、実践できる内容になる。勿論、説かれていることの中には、
縁覚段階以上でなければ理解、実践できない内容も一部は含まれている。

しかし、声聞段階の人が誤解して誤った方向に進んでしまうようなこ
とは、佳子先生は説くことがお出来にならないのだ。その最たるものが
「試練」に関することだと思う。

「Calling---試練はよびかける」の御著書もそうであるが、佳子先生は
「試練の内容」と「試練が呼びかけていること」の間に、密接な関係
があるという事を一貫して説かれている。

しかし、縁覚段階以上の人にとっては、明らかに、その教えだけでは
不足している。縁覚段階以上の人に与えられる試練では、試練の内容と
試練が呼びかけていることの間に全く関係が無い場合もあるからだ。

240 :神も仏も名無しさん:2020/11/15(日) 13:48:28.92 ID:LuI6FOHeI
>>237-238 で述べた、あなたが受けている試練(または予定されている
試練)というもの、正にそのような試練になるだろう。具体的な試練の
内容は、肉体的試練かもしれないし、精神的試練かもしれないし、
経済的試練かもしれない。試練の内容には様々な可能性が考えられるが、
試練の内容のみをいくら観察しても、そこからは解答が得られない。

その種の試練に遭遇したときは、宇宙との響働(または魂、真我、潜在
意識との交流)を果たさなければ、試練からの呼びかけを聴くことは
できない。そして、宇宙との響働、真我との交流が果たせるのは縁覚段階
以上であるから、声聞段階の人には、その種の試練が与えられることは
なく、その種の試練について考える必要はない。

そして、声聞段階の人にとって、これは「考える必要はない」だけでは
なく、むしろ「考えること」によって、弊害を生んでしまう可能性がある。

例えば、自分の煩悩によって周囲との関係が歪んでしまうと、それが試練
となって現れる場合もある。その場合、試練の内容と試練が呼びかけている
ことの間には深い関係があり、当然、その試練は「煩悩の調御」を
呼びかけている。

しかし、自分の内界がよく見えていない人は、「煩悩の調御」が呼びかけ
られている事実になかなか気づけない。その人にとっては、とにかく
佳子先生が説かれたように「試練の内容と試練からの呼びかけの
間には深い関係がある」という事を信じて、試練の内容をよく観察して、
自分の内界との関係を探求しなければならない。

241 :神も仏も名無しさん:2020/11/15(日) 13:50:37.53 ID:LuI6FOHeI
そこに佳子先生が「実は、試練の内容は、試練からの呼びかけとは全く
関係ない場合もある。宇宙との響働、真我との交流によって初めて
試練からの呼びかけが聴こえる場合がある」などと説かれたとすると、
わけが解らなくなってしまうだろう。

例えば、「それなら、千年構想に一生懸命取り組めば、良いのだろうか」と
考えてしまうと、「煩悩の調御」という大切なテーマが抜け落ちてしまう。

縁覚段階以上の人に与えられる試練では、「宇宙との響働、真我との交流を
果たさなければ試練からの呼びかけが聴こえない場合がある」という事は
絶対的な真実であるが、上述した理由により、佳子先生の立場では、その
真実を説くことは、非常に困難である。

だからこそ、私が「試練の意味」について説く必要があったのだろう。
但し、私が「試練の意味」のみを説いたとしても、なかなか信用してもらえ
ないだろう。それゆえ、神が、いくつかの神理を説くように私に促してきた
ことの理由の一つに、「私の言葉の信憑性を高める」というものがあった
のだろう。

あなたは、私が説いてきた神理を「神理に相違ない」と認めるだろうか?
あなたがそう認めるならば、その神理を説いた者が説いた「試練の意味」
についても、「もしかすると、それが真実なのかもしれない」と受け止めて
頂くことができるのではないだろうか。

あるいは、あなたは私が説いてきた神理と称するものを「神理かどうかよく
解らない」と思うかもしれない。ならば、あなたは私の言葉を信用する必要は
無いと思う。あなたには、「宇宙との響働、真我との交流によって初めて
試練からの呼びかけが聴こえる」という状況は起こらないだろう。あなたは、
「佳子先生が説かれたことのみ」に基づいて、試練に対峙すべきだと思う。

242 :神も仏も名無しさん:2020/11/16(月) 16:32:25.03 ID:GIbq3I3mR
http://file.copyman.syoyu.net/GB.pdf
(GLAの歴史概観)にある「煩悩地図の原理」、そして、
http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf
(法の継承時の鍛錬)にある「魂の因果律の全体像」。

この二つの神理を介在として、「宇宙との響働、真我との交流によって
初めて解決に導かれる試練」というものを、あなたが背負えるかどうかが、
おそらく判別できる。

あなたは、この二つの神理が、「神理に相違ない」と断言できるだろうか?
自分自身の内界の動きと照合して、「本当にその通りになっている」と実感
できるだろうか?

もし、あなたが「神理に相違ない」と認めることができるなら、あなたには
内界を見る力が、相当に備わっていることになる。仮に、あなたに試練が
訪れたならば、あなたはその試練が「佳子先生が説かれたことのみによって
解決に導かれる試練」であるのか、それとも「宇宙との響働、真我との交流
によって初めて解決に導かれる試練」であるのか弁別できると思う。

やはり、両者の試練を弁別できなければ、後者の試練は背負うことは
無理だろう。そして、あなたが両者の試練を弁別できるということは、
特に後者の試練を自らの糧として成長を果たしてゆけることになる。

ならば、あなたの魂は、その試練を受けることを願った可能性が高いと
思われるし、そうであるならば、神は必ず、あなたの願った通りのことを
実現して下さるだろう。

243 :神も仏も名無しさん:2020/11/27(金) 14:04:11.17 ID:PMBZd5AAC
>>239 で「佳子先生に課せられている制約」について述べたが、
佳子先生には、さらに大きな制約が課せられているように思える。

私は、「佳子先生を信じる」こと、「佳子先生に対する信を確立する」
ことの大切さを、これまでも述べてきた。(>>44-47
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/736-737n )

しかし、その大切さを佳子先生ご自身が説かれることは極めて困難
である、というのがその制約である。困難であることの理由の一つとして、
特に声聞段階の人にとって大切なことと、矛盾する点があるということが
挙げられる。

例えば、「煩悩地図」について理解できない、納得できない、という人は
「煩悩地図は正しい」と信じる必要はあるだろうか?そのような事を
信じたところで何にもならない。煩悩地図について納得できない人は、
何よりも自分自身の内界を看取る力をつけ、煩悩地図が正しいのか否か
自分で判断できるようになる事が最も大切なことであろう。

また、二つ目の理由として、「佳子先生を信じる」ことの大切さを
佳子先生ご自身が説かれたならば、それは世間の人にとって「教祖の
言葉は絶対」とするカルト教団と区別がつかなくなり、あらぬ誤解を
受ける虞がある、ということが挙げられる。

244 :神も仏も名無しさん:2020/11/27(金) 14:05:04.72 ID:PMBZd5AAC
以上のような理由により、これまでGLAでは「佳子先生を信じること」の
大切さが説かれてこなかったのだろう。しかし、千年構想、7つのプロ
グラム、9つのプログラムのテーマによって魂の成長を果たしてゆく
ためには、「佳子先生に対する信を確立する」ことが不可欠であると
私は考える。

これらのテーマについて振り返ってみると、佳子先生が「して下さった
こと」もあれば、「して下さっていないこと」もある。そして、多くの人は、
特に後者に目が釘付けになって、「納得できない」と思っているのでは
ないだろうか。

例えば、「なぜ、もう少し解りやすいヒントを下さらないのだろうか?」
「なぜ、弟子がもう少し動きやすくなるよう、お膳立てをして下さらない
のだろうか?」のように思っていないだろうか?その上で、「納得できない。
だから動かない」という選択をしていないだろうか?

しかし、佳子先生が「して下さったこと」も、「して下さっていない
こと」も、あなたの魂の成長のため、綿密に計画されたカリキュラムの
青写真に基づくものであり、全てに必要性と必然性がある。

245 :神も仏も名無しさん:2020/11/27(金) 14:05:33.64 ID:PMBZd5AAC
そして、今のあなたは、その必要性と必然性を知ることはできない。仮に、
説明を受けたとしても、今のあなたに理解することなどできない。それを
理解できるようになる時期は、あなたが魂の成長を果たした後である。

魂の成長を果たしたあなたが自らの人生を振り返ったとき、佳子先生が
「して下さったこと」も、「して下さっていないこと」も、その一つ
一つが魂の成長のために必要不可欠であったと理解できるだろう。

ならば、今のあなたにできる事は何だろうか?それは、無条件に、
100%、「佳子先生を信じる」ことではないだろうか。

佳子先生が「して下さったこと」も、「して下さっていないこと」も、
全てあなたの魂の成長のために必要性と必然性がある、と信じる
ことではないだろうか。その上で、与えられた条件の下で、「自らの
ベストを尽くし、最善の生き方を重ねる」ことではないだろうか。

頂いたテーマに対して、今のあなたにできることは、他に何も無い
のではないだろうか。

246 :神も仏も名無しさん:2020/12/18(金) 16:02:13.15 ID:uVS4gYu6q
私は、>>245 で、
> 今のあなたにできる事は何だろうか?それは、無条件に、
> 100%、「佳子先生を信じる」ことではないだろうか。
と述べたが、これを書いたときには、佳子先生以外の人を
「無条件に100%信じる」ということは全く考えていなかった。

しかし、佳子先生が御帰天された後のことを考えると、例えば
「通信によって佳子先生から指導を受けて法を説く人」も、やはり、
佳子先生に対するのと同様に、無条件に100%信じるべき場合
というものが起こり得るかもしれない。

では、どのような場合に「無条件に100%信じる」ことが
妥当なのだろうか?誰か他人のことを「無条件に100%信じる」
のであれば、その相手が本当にそれに相応しい人なのか、
その相手を充分に吟味しなければならないだろう。

では、「相手を充分に吟味」すれば、それで充分だろうか?
そうではないと思う。例えば、オウム真理教などのカルト教団の
教祖を信じ切っている人の中には、「そうなる前に、自分自身で
相手を充分に吟味した」と認識している人もいると思う。

私は、カルト教団の教祖に騙される人は、騙される側にも、相当に
原因があると思っている。つまり、騙される側が本来的ではない
不純な動機を抱いていることが原因の一つになっていると思う。

247 :神も仏も名無しさん:2020/12/18(金) 16:04:26.52 ID:uVS4gYu6q
例えば、現実世界に対して、どうしようもなく不満を抱えていると、
「霊能力や超能力を獲得すれば、一発逆転ができる」あるは
「面倒な現実世界のことを忘れて、精妙な世界で生きることができる」
などの錯覚を抱いてしまうことがある。

そして、カルト教団の教祖には、ある種の霊能力や超能力が使える
人間が散見される。それは、信次先生の悪霊I、悪霊IIの御著書にも
あるように、行者の霊やら悪魔やらに憑依されている場合もある。
また、過去世に肉体行を重ねた人間ならば、特に憑依されていなく
ても、その種の能力を発揮できる場合もあるだろう。

もし、自分自身がその種の能力に傾倒してしまう傾向があったなら、
教祖の言動に色々とおかしな点があっても、見えなくなってしまう
だろう。それでは、相手を正確に吟味することなど不可能だと思う。

勿論、「霊能力や超能力に傾倒する」というのは、一例であって、
他にも、人間が抱く不純な動機は無数に考えられる。ならば、誰か
他人のことを「無条件に100%信じる」のであれば、まず、
「自分自身の内界を充分に吟味する」ことが欠かせないだろう。

但し、「自分自身の内界を充分に吟味した」と認識したとしても、
本当に吟味できているのか怪しい点があるだろう。ならば、「自分自身が
内界を吟味する力があるのか検証する」ことが欠かせないだろう。

248 :神も仏も名無しさん:2020/12/18(金) 16:05:19.04 ID:uVS4gYu6q
それは、>>242 に述べたように、「煩悩地図の原理」および
「魂の因果律の全体像」によって、検証することができる。

つまり、この二つの神理を「神理に相違ない」と断言できるようになること、
それは、「言葉、概念として理解できる」ということではなく、自分自身の
内界の動きと照合して、「本当にその通りになっていると実感できる」
ということである。

その条件を満たせば、あなたは自分自身が不純な動機を抱いているとき、
自分自身でその事を発見してストップをかけることができるだろう。

以上をまとめると、佳子先生の御帰天後に、誰か他人のことを「無条件に
100%信じる」のであれば、それは次の3つの条件をクリアした
場合に限る、と断言していいだろう。

・条件1:「煩悩地図の原理」および「魂の因果律の全体像」を
「神理に相違ない」と断言できる程度に、「内界を観る力」を育むこと。
・条件2:育んだ「内界を観る力」によって、自分自身が不純な
動機を抱いていないか充分に吟味すること。
・条件3:相手のことを「無条件に100%信じる」に足りる人で
あるのか否か、充分に吟味すること。

249 :神も仏も名無しさん:2020/12/24(木) 22:52:50.81 ID:6JCgJDh3h
千年構想、9つのプログラム等、佳子先生から頂いたテーマ、ご指示に
あなたがチャレンジしてゆくにあたって、ぜひ心に置いて頂きたい
大切なことがある。

それは、「そもそも何のためのテーマ、何のためのご指示であるのか」、
その「願い」を突き詰め、その「願い」を心に刻印しなければならない
ということである。「願い」とは、すなわち >>226-227 に挙げた
「個性願、共通願」という事である。

では、仮に「願い」を心に置くことなく、佳子先生が下さったテーマ、
ご指示に単に取り組んでしまうと、一体何が起こるだろうか?それは、
関芳郎が、反面教師として、とても解りやすい解答を示していると思う。

2014年、関芳郎は、信次先生の御遺骨とともに自らの遺骨を奉納できる
ことを、「歓びであり、このうえない誇りである」と主張する奇怪な
文章をGLAホームページに掲載した。

http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
 > 人生祈念館地階には、人生を支えた肉体への感謝を込めて、「ご遺骨」
> をお預かりする「納骨室」も設けられました。大いなる存在の光が常に注がれ、
> 見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に
> 奉納できることは、魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、
> このうえない誇りにほかなりません。

250 :神も仏も名無しさん:2020/12/24(木) 22:53:31.92 ID:6JCgJDh3h
関芳郎は、なぜ、このような奇怪な文章を掲載したのだろうか?
その理由は、例えば、「GLAが信次先生の遺骨を祭祀したことに対して、
会員の皆様が歓びと誇りを持てるようにせよ」と佳子先生が指示された
からであると思われる。

その佳子先生のご指示に対して、関芳郎は関芳郎なりに懸命に考えたの
だろう。その考え抜いた結果が、上述の奇怪な文章だったのだろう。

そもそも、なぜGLAが信次先生の遺骨を祭祀する必要があったのか、
その理由について、私の考えは以下のリンクで述べた。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640

要約すると、「GLAが千年構想の願いを成就してゆくためには、他教団の
集団帰依を進めてゆく必要がある。そのためには、将来帰依する他教団
との一体性、親和性を予め高めておく必要がある。そのため、GLAは早い
段階で、信次先生の遺骨を祭祀することが必要である」ということである。

関芳郎が、この点を会員に共有していたならば、GLAが信次先生の遺骨を
祭祀したことに対して、会員の間では、自然と歓びと誇りが湧いてきた
のではないだろうか。ならば、それによって佳子先生のご指示は成就
できたはずだ。

しかし、関芳郎にはそれはできなかった。なぜ出来なかったのだろうか?
それは、関芳郎が、1999年以降、千年構想を全く放置しその「願い」を
突き詰めてこなかったからであろう。

251 :神も仏も名無しさん:2020/12/24(木) 22:54:39.74 ID:6JCgJDh3h
千年構想のヴィジョンの案を提案するレポートは、は2013年の段階で、
誰でも閲覧できるようインターネット上に公開された。
http://file.copyman.syoyu.net/GI.pdf

その時点で、関芳郎は13年以上に渡って千年構想を放置してきたが、
さらに、公開されたレポートも吟味することなく、単に無視して
何も検討してこなかったのだろう。

それゆえ、2014年の段階で、佳子先生から上述のようなご指示を
頂いたとき、ホームページに奇怪な文章を掲載すること以外に何も
思いつかなかったのだろう。

如何だろうか?千年構想、9つのプログラム等、佳子先生から頂いた
テーマ、ご指示にチャレンジしてゆくにあたって、「願い」を突き詰め、
「願い」を心に刻印することの大切さが、ご理解頂けただろうか?

それを怠り、佳子先生の表面的なお言葉に単に従おうとするならば、
あなたは関芳郎と同様の結果を引き起こす可能性がある。それは、
GLAを貶め、佳子先生を貶め、自分自身を貶めることになる。

2014年、関芳郎が奇怪な文章をホームページに書き込もうとした際、
佳子先生がストップをかけられなかったのは、「願い」を突き詰める
こと、「願い」を心に刻印することの大切さを、「願いを没却した
反面教師=関芳郎」を通してあなたに知って頂く、という意味も
あったのではないかと思う。

252 :神も仏も名無しさん:2021/01/14(木) 22:26:23.30 ID:FZzBRLOeI
>>249-251 に述べた問題、すなわち2014年に関芳郎が奇怪な文章を
GLAホームページに掲載した問題について別の観点からも考えてみたい。
この問題は、佳子先生から頂いたテーマにチャレンジしてゆく際に
「順番を守る」ことの大切さが示唆されている問題だと思う。

「順番を守る」とは、「先に提示されたテーマに先に取り組み、
後に提示されたテーマは後に取り組む」ということである。

なぜ「順番を守る」必要があるのか?それは、「先に提示されたテーマ」
が「具現を果たすための基礎を整えるテーマ」であり、「後に提示された
テーマ」が「整えた基礎を足場として具現を果たすテーマ」であるケース
が多々見られることによる。

この場合、「先に提示されたテーマ」をクリアしない限り、「後に提示
されたテーマ」にチャレンジすることはできない。それでも、あえて
「後に提示されたテーマ」に先に手を付けたのであれば、様々な混乱が
引き起こされるだろう。

>>249-251 に述べたように、関芳郎が奇怪な文章を掲載した背景には、
例えば、「GLAが信次先生の遺骨を祭祀したことに対して、会員の皆様が
歓びと誇りを持てるようにせよ」のような佳子先生が指示された事が
あったのではないかと思われる。

そして、私は、佳子先生からのご指示を遂行するためには、「願いを
突き詰め、願いを心に刻印する」ことが大切であることも述べた。

253 :神も仏も名無しさん:2021/01/14(木) 22:27:00.03 ID:FZzBRLOeI
ここで、「願いを突き詰め、願いを心に刻印する」とは、言葉を
変えれば、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセス
する」(GLA誌1999年11月号79ページ)という佳子先生の御指示と
同じことだと思う。

この1999年に頂いたご指示こそ、「具現を果たすための基礎を整える
テーマ」であり、2014年に頂いた、例えば「GLAが信次先生の遺骨を
祭祀したことに対して、会員の皆様が歓びと誇りを持てるようにせよ」
とのご指示は、「整えた基礎を足場として具現を果たすテーマ」と
言えるのではないだろうか。

関芳郎は、正に「先に提示されたテーマ」を15年以上に渡って放置
しながら、「後に提示されたテーマ」に手を出したのであって、
これで訳が解らなくなって悩乱し、奇怪な言葉をホームページに
掲載するという醜態を晒すことになったのだろう。

以上、関芳郎が引き起こした問題について述べたが、このままでは
同じような問題が、形を変えて、起こり続けるのではないかと思う。

今、佳子先生はGLA50周年記念の「9つのプログラム」を提示して下
さっているが、これは「先に提示されたテーマ」である「千年構想」や、
「7つのプログラム」を横に置いて進められるものなのだろうか?

おそらく、「先に提示されたテーマ」をクリアしない限り、チャレンジ
できないテーマも含まれているのではないだろうか。

そこを敢えて順番を無視すれば、関芳郎と同じような醜態を晒す
可能性が大いにあると思う。ならば、関芳郎の醜態を反面教師として、
「順番を守る」ことの大切さを心に置いて頂きたいと思う。

254 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 22:17:01.57 ID:fYoFvsiXq
>>251-253 では、「順番を守る」ことの大切さ、つまり「先に提示
されたテーマ」をクリアしない限り、「後に提示されたテーマ」に
チャレンジすることはできないことを述べてきた。この「先に提示
されたテーマ」として重要なものはまだ存在する。

それは、例えば40周年記念の「7つのプログラム」の「社会発信力
の強化」に示されたように、「より多くの方々に、先生、神理を理解し、
生きていただくために、地域、社会、世界に広報していくための
システムを整える」ことである。

ここで、整えるべき「システム」とはどのようなものだろうか?
一人一人の人間は誰しも足りない面を抱えているが、何人もの人が
智慧を交換し、切磋琢磨することによって、お互いの足りない面を
カバーして、一人では辿りつけないような社会発信の青写真に到達
することができるだろう。

整えるべき「システム」とは、正にそれを実現するためのシステム
であろう。しかし、現在のGLAでは、その「システム」は全く整って
いない。

GLAホームページに奇怪な言葉が掲載された原因は、正にこの
「システム」が整っていないために、関芳郎の奇怪な言葉が、何の
ストップもかけられることなく、そのままGLAホームページに掲載
された、ということであろう。

255 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 22:17:28.83 ID:fYoFvsiXq
佳子先生が関芳郎を総合本部長に任命された理由の一つとして、
「関芳郎のような人間がトップに立ったとしても破綻しない
システムを構築する」ということもあったのではないかと思われる。

その「システム」の骨格は如何なるものだろうか?私は、社会発信
については「起案者」と「承認者」に役割分担する必要性を感じる。

つまり、「起案者」は社会発信の内容を起案できるが、「承認者」の
承認を得ない限り、その内容を社会発信できない。一方、「承認者」
は承認するか否かを決定できるだけで、社会発信の内容を起案できない、
という具合に役割分担することである。

このようにすれば、「起案者」または「承認者」のうち一方が愚かしい
想念を抱いたとしても、その愚かしい想念が「GLAの社会発信」として
世間に垂れ流しになることは避けられるだろう。関芳郎は総合本部長
なのだから、「承認者」としての役割を担ってもらえばいい。

とにかく、青写真に適った「システム」を整えない限り、また
「GLA」の名で愚かな社会発信が為されることは避けられないだろう。

256 :神も仏も名無しさん:2021/01/29(金) 13:48:39.96 ID:fiVC4KOK+
GLAのホームページでは、信次先生の遺骨にまつわる奇怪な文章は削除されたが、
特にQ&Aのページ( https://www.gla.or.jp/faq/ )では、例えば以下のように
愚かな文章がずっと以前から並んでいる。

> インターネット上の匿名掲示板に、GLAに対する批判的な投稿記事が
> 見られますが、書かれている内容は本当のことでしょうか?

> 書店で、『高橋信次の霊言』というスタイルで、高橋信次先生や
> GLAについて中傷する内容の書籍を目にしたのですが、書かれている
> 内容は本当のことなのでしょうか?

> ネットで「GLA」を検索すると、「GLA関西」というホームページがありますが、
> そこには、高橋信次氏のことは出ていても、高橋佳子氏のことがまったく
> 出ていません。同じGLAという名称なのに、なぜなのでしょうか?

これらの文章を読んだ人は、きっと疑問に思うだろう。
“GLAは「私が変わります」を提唱しているが、これらの文章のどこに
「私が変わります」があるのだろうか?「あなたが変わって下さい」
と主張しているだけではないのか?”と思うのではないだろうか。

その愚かさになぜ気づかないのか、不思議で不思議で仕方なかった。
しかし、Q&Aの愚かな文章も、やはり佳子先生のご指示が発端になっている
のではないかと今は思う。ご指示の正確な内容は知る由もないのだが、
それは、例えば、以下のようなご指示ではないかと思う。

257 :神も仏も名無しさん:2021/01/29(金) 13:49:25.69 ID:fiVC4KOK+
(1)「インターネット上にあるGLAに対する批判投稿に触発されてGLAを
退会した人が何人もいる。その出来事は私たちに何に気づけ、何をせよ、
と呼びかけているのだろうか?そのヴィジョンを示すように。」

(2)「信次先生の霊言と主張するものを追い求める人や、生前の
信次先生の法ばかりに目を向ける人が数多く存在する。これらの出来事は、
私たちに何に気づけ、何をせよ、と呼びかけているのだろうか?
そのヴィジョンを示すように。」

これらのご指示に対する対応が、「愚かしいQ&Aをホームページに
掲載する」という行動につながったのではないだろうか。

思い起こせば、2003年頃、GLAは「罰天使」を名乗る人物に対して、内容
証明郵便で警告するような行為を繰り返していたが、これも実に愚かで
理解に苦しむ行為だった。罰天使が出した情報というのは、ほぼ
平井和正氏や園頭広周氏から出た情報の受け売り等であり、彼独自の
情報というのは、ほとんど無かったからだ。

今考えると、この2003年頃のGLAの行為も、上述のご指示(1)に対応した
ものではないだろうか。

ご指示(1)(2)に関する事象が生じている原因は共通している。それは、
「佳子先生の法を理解できない」、「佳子先生の法に共感できない」
ということに他ならない。そして、ご指示(1)(2)に対する解答は、
2013年にインターネット上に公開されている。

258 :神も仏も名無しさん:2021/01/29(金) 13:51:06.06 ID:fiVC4KOK+
 http://file.copyman.syoyu.net/GI.pdf (千年構想)の10ページにある
ように、「導入教義」を充実させることである。その第一歩として、
 http://file.copyman.syoyu.net/GJ.pdf (信次先生の法の復活)
にあるように、信次先生の法を復活させることである。

2013年以前にこの解答に気づかなかったとしても仕方ない面はあるかも
しれないが、それから7年以上経過した今日においても、なぜQ&Aの
愚かしい文章が掲載され続けているのだろうか?それは「基礎」ができて
いないためであろう。

例えば、小学生レベルの四則演算が解らない人に、中学生レベルの方程式
のテストを受けさせたとしよう。その際、目に見えるところに、それとなく
解答を置いてやったとしよう。それでも、四則演算が解らない人は0点を
取るだろう。「基礎」ができていない人間は、目の前に解答を置かれた
としても、0点しか取れないのだ。

では、ご指示(1)(2)に関して「基礎」とは何だろうか?それこそ、
>>252-253 で述べたように、1999年に頂いた、「GLA共同体の千年構想の
青写真に、一丸となってアクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)
という御指示であろう。

その「基礎」となるご指示を20年以上に渡って放置してきたから、
「その基礎に基づいて具現を果たすご指示」には手も足も出ないのだろう。
見えるところに、解答を置かれても0点を取るのだろう。

「基礎」を整えない限り、このような愚かしい出来事が、間違いなく
これからも続くだろう。

259 :神も仏も名無しさん:2021/02/05(金) 11:58:16.98 ID:8zJPWPsj9
>>256-258 に書いたことだが、佳子先生が関芳郎に与えたご指示は、
関芳郎の能力を超えていることのように見受けられる。関芳郎は、
そもそも青写真にアクセスする力など備えていないだろう。

しかし、それは全く問題が無いことだと思う。関芳郎は総合本部長
であり、これは普通の会社で言えば「社長」に相当する。

例えば、建設会社の社長に「ビルを建てて下さい」と依頼する人は、
「社長がビルを設計する」とか「社長が工事現場で重機を動かす」
とかを期待しているわけではない。

ビルを設計するのも、重機を動かすのも、相応の資格や経験を備えた
社長以外の人々の仕事である。その人々がスムーズに動けるよう
コーディネートをすることが、社長の仕事であろう。

「社長の仕事をすること」、「コーディネートすること」こそ、
関芳郎に求められていることであり、関芳郎の最大の問題は、それを
果たしてこなかったことであろう。

>>256 に書いた愚かしいQ&Aのことだが、これもコーディネートが無い
から起こったことのように見受けられる。

私は、これらQ&Aについて最初は「ただ消せばいい」と考えていた。
しかし、愚かしいQ&Aが、佳子先生のご指示を曲解して作成されたの
であれば、「元々の佳子先生のご指示の正確な内容を明らかにすること」、
そして「その佳子先生のご指示に応えてゆくこと」こそが大切であろう。
これは、「ただ消せばいい」という問題ではない。

260 :神も仏も名無しさん:2021/02/05(金) 11:59:07.14 ID:8zJPWPsj9
>>257 に書いた「ご指示(1)(2)」は、「概ね、このようなご指示が
あったのではないか」という推測に過ぎないものであり、ご指示の正確な
内容は、開示されない限り知ることはできない。

そして、上述のように、このご指示は、関芳郎の能力を超えていること
であるから、関芳郎個人に対するご指示ではなく、全会員に対するご指示
であろう。

佳子先生は、全会員に対するご指示を、代表者である関芳郎に預けられた
だけであり、例えば建設会社の社長に「ビルを建てて下さい」と依頼する
のと類似のことであると思う。

「全会員に対するご指示」とは、換言すれば、「希望する全ての会員が、
魂の成長を果たしてゆける糧」であり、「全会員の共有財産」であるはずだ。
その「全会員の共有財産」が一部の人間のみに独占されてしまった結果が、
「愚かしいQ&A」という形になって現れているのだろう。

それゆえ、在家の会員は、声を上げなければならないと思う。
(1)まず、響働会議等を通じて、愚かしいQ&Aが作成された経緯を
明確にするよう、事務局に要求すべきだろう。
(2)そして、愚かしいQ&Aが佳子先生のご指示を曲解した結果である
ならば、元々の佳子先生のご指示の正確な内容を全会員に公開するよう、
事務局に要求すべきだろう。

それを果たさなければ、せっかく佳子先生が与えて下さった「魂の成長を
果たしてゆける糧」に触れることができなくなるだろう。

261 :神も仏も名無しさん:2021/02/19(金) 16:33:05.10 ID:7qOPRIsMi
これまで何度も言ってきたことであるが、佳子先生が「GLA共同体の
千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」(GLA誌1999年
11月号79ページ)という御指示を下さった後、20年以上が経過している。

20年が経過したということは、ある意味では、1000年先の未来が、
「見えるようになった」と言えるのではないだろうか。過去20年の
千年構想の成果に対して、あなたなりの基準で構わないから、
点数をつけてみてもらえないだろうか。

如何だろうか?あなたの基準では何点の評価だっただろうか?
20年というのは、千年の50分の1であるから、あなたが付けた
点数を50倍すれば、それが千年先に期待できる成果、点数という
ことになる。それが千年先のGLAの現実ということにになるだろう。

おそらく、過去20年の千年構想の成果に対して「0点」を付けた
人が大多数ではないかと思う。「0点」を50倍しても「0点」
であるから、「0点」こそが千年先に期待できる成果ということ
になるだろう。

過去20年の成果が「0点」であったのは、「0点」であったなりの
理由があるからだろう。私は、今まで様々な事を述べてきたが、
一言で言えば「志」の問題と言えるかもしれない。

262 :神も仏も名無しさん:2021/02/19(金) 16:33:48.99 ID:7qOPRIsMi
以前、佳子先生は「志の無い者にとって時間は快楽の餌である」
と仰ったことがあった。あなたが、未来千年の「志」を立てなかった
から、20年という時間が快楽の餌となって消えてしまったのでは
ないだろうか。

6月の「時の羅針盤」( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban196/
には、「自らのベストを尽くし、最善の生き方を重ねる」ことの
大切さを示して頂いている。

やはり煩悩というものは恐ろしい。志を立て、その志に向かって、
「自らのベストを尽くし、最善の生き方を重ねる」ことなしに
克服することはできないのだろう。

20年という時間を失ったのは確かに惜しい。確かに痛い。しかし、
その痛みを、これから千年構想に向かってゆくあなたの姿勢を
転換する糧にすることはできないだろうか。

それを果たして未来の世代に伝承できれば、未来千年というものは
「過去20年の50倍」とは全く異なるものにできるだろう。

263 :神も仏も名無しさん:2021/02/26(金) 18:42:02.89 ID:eT0jfNxJ7
私は、>>261
> おそらく、過去20年の千年構想の成果に対して「0点」を付けた
> 人が大多数ではないかと思う。
と書いたが、これは「0点」ではなく「マイナス点」と言うべきだった。
つまり、1999年の時点よりも、現在のほうが千年構想は後退しており、
より厳しい状況に陥っているということである。

「より厳しい状況」は、GLAの社会発信によって作り出されたものである。
>>256 に挙げたQ&Aのうち、
> インターネット上の匿名掲示板に、GLAに対する批判的な投稿記事が
> 見られますが、書かれている内容は本当のことでしょうか?
について考えてみたい。

このQ&Aは、「GLAは、GLAを誹謗する個人に対して、弁護士を使って制裁を
加える団体であり、かつ、その成果をホームページで公表する団体である」、
「GLAの人間観とはその程度のものである」という理解を読者に引き起こす。
これは、神理を世界に流布するにあたって、大きな障害になるだろう。

また、次のQ&Aによる障害も、相当に大きなものである。
> ネットで「GLA」を検索すると、「GLA関西」というホームページがありますが、
> そこには、高橋信次氏のことは出ていても、高橋佳子氏のことがまったく
> 出ていません。同じGLAという名称なのに、なぜなのでしょうか?

264 :神も仏も名無しさん:2021/02/26(金) 18:42:38.09 ID:eT0jfNxJ7
このQ&Aは、信次先生の法を学んでおられる方々を否定するQ&Aであり、
その方々にGLAに対する不信感を抱かせるQ&Aである。

私は、近い将来にGLAが信次先生の法を復活させ、神理を学ぶ場を
一つに統合してゆくことが、千年構想の青写真として描かれている
ことを感じる。

神理を学ぶ場を一つに統合してゆくためには、信次先生の法を現在
学んでおられる方々との間で交流を深め、信頼関係を醸成してゆく
ことが前提として欠かせないだろう。その方々に、GLAの側から不信感
を抱かせる行為は、千年構想を妨害する行為に等しい。

このように、非常に問題の大きい文章がGLAのホームページに掲載
されている理由は、>>256-258 に述べたように、千年構想の青写真に
全くアクセスしようとしなかった関芳郎および一部の職員が、
佳子先生のご指示を誤解して起こした結果であると考えられる。

今さらホームページの文章を削除したとしても、「掲載した」という
事実は残る。この愚かな行為によって、千年構想を進めてゆく志ある
人々は、背負う必要の無かった障害、重荷を背負うことになる。

少なくとも1999年には、このような障害は無かった。従って、過去20年
の千年構想の成果は、「0点」ではなく「マイナス点」である。

私は、この「マイナス点」を引き起こした関芳郎および一部の職員は、
自ら職を辞するべき時が来ていると思う。

265 :神も仏も名無しさん:2021/02/26(金) 18:43:33.71 ID:eT0jfNxJ7
彼らが現在の立場にあるのは、佳子先生が彼らを任命されたからである。
その根底には、彼ら自身の「願い」というものがあり、その願いを
適える機会を与えようという神の御意志があったのだろう。

そのため、彼らは、20年以上に渡って在家の会員の浄財によって
生計を立てることが許されてきた。また、千年構想に関しても
在家の会員では享受できない特別な研修の機会も与えられてきた。

さらに、彼らが志ある人々に対して、重荷や障害を背負わせた
という事実も、「ある程度はそれが容認されていた」から起こった
ことだろう。しかし、20年以上に渡って、このような恩恵を受けて
きたのだから、もう充分ではないだろうか。これ以上、重荷や障害を
作り出すことは許されない時期が訪れているのではないだろうか。

私は、「千年構想の青写真にアクセスするなど、やりたくない」、
「千年構想には関心が無い、自分は関わりたくない」、「千年構想は、
やりたい人間が勝手にやればよい」と思う人がいても、全く構わないと
思う。しかし、そのような人はGLAの運営には一切関わるべきではない。

既に千年構想はGLAの中心軸になっている。それに関心を持たない
人がGLAの運営に手を出せば、志ある人々に対して、さらなる障害や
重荷を背負わせる結果を生むだろう。「GLAの運営に一切関わらない」
ということは、職員にあっては「自ら職を辞する」以外の選択肢は無い。

266 :神も仏も名無しさん:2021/03/05(金) 16:01:12.33 ID:u2h0jMJTP
何十年にも渡って、在家の会員の浄財によって生計を立て、
在家の会員では享受できない特別な研修の機会も与えられ、
佳子先生のすぐ傍らで薫陶を受けることが許されながら、
志ある人々の邪魔しかできない人。

そのような人は、正に職員を続ける資格が無い人であると思う。

そのような人が、そのまま職員を続けるのであれば、正に
迷惑千万な人間のまま一生を終えることになるだろう。
本人とて、そのような事は望んでいないだろう。

もし、そのような人が覚醒する可能性があるとするならば、
日々、霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )
に取り組み、強い力で内界を変革してゆくしかあるまい。
少なくとも、私には、それ以外の方法は思い当たらない。

志ある人々の邪魔をしてきた人は、霊操行によって己の
内界を変革するのか、それとも職を辞するのか、今、
直ちに何れかを選んで頂きたい。

267 :神も仏も名無しさん:2021/03/19(金) 09:18:57.36 ID:24EAO07aJ
GLAのQ&Aのページ( https://www.gla.or.jp/faq/ )では、これまで
述べてきたように、「私が変わります」の神理に反する記事が掲載
されている。しかし、それとともに、私には「姑息な印象操作」が
行われているように思うのだ。次のQ&Aをもう一度読み返してみよう。

> インターネット上の匿名掲示板に、GLAに対する批判的な投稿記事が
> 見られますが、書かれている内容は本当のことでしょうか?

「書かれている内容は本当のことでしょうか?」という質問に対する
解答なら「本当です」か「虚偽です」の何れかになるはずだ。

しかし、このQ&Aでは何れの解答も無く、「記事投稿者ご本人が
GLAに対する名誉毀損を認め、文書にて謝罪するという結末に至って
います」とある。

「名誉毀損」は、情報が真実であっても虚偽であっても成立する
のであって、「書かれている内容は本当のことでしょうか?」
との質問の解答になっていない。

このQ&Aは、「真実か虚偽か」という質問とは関係が無い「名誉毀損」
を持ち出して、あたかも投稿記事が虚偽であるかのように印象付け
ようとしている。それは「姑息な印象操作」ではないだろうか。

268 :神も仏も名無しさん:2021/03/19(金) 09:19:36.20 ID:24EAO07aJ
さらに「投稿者」とは「罰天使」を意味することが明白だが、
罰天使が書き込んだ情報は、ほとんどが園頭広周氏や平井和正氏が
書籍等で発表した内容である。

GLAが、大元の情報源である園頭氏や平井氏に対して法的措置を講じた
ことは過去一度も無かった。それにもかかわらず、情報をコピーした
罰天使に対してのみ法的措置を講じたことに対して、不審を抱く
人も多いだろう。

このQ&Aの末尾には、次のような「お願い」がある。
> 皆様におかれましては、これらの記事に惑わされることなく、
> 現在GLAにて展開されている「魂の学」の実践をご覧いただき、
> ぜひ事実に基づいた理解をしていただけますよう、お願い申し上げます。

しかし、この「お願い」は、「相手にGLAを信頼して頂く」ことが前提
になっているのではないだろうか。GLAが「姑息な印象操作」に手を
染めた以上、GLAに対する信頼は損なわれる。

その結果、「魂の学」も、「魂の学の実践」も、「やらせではないか」、
「作り話ではないか」と疑われても仕方ないだろう。

269 :神も仏も名無しさん:2021/03/19(金) 09:20:42.10 ID:24EAO07aJ
私は、このQ&Aが持っている力は、想像以上に大きいと思う。

新たに神理に触れた人のうち、過去世から神理にご縁があって神理に
対する共感力の高い人は、例えば、「GLAのホームページにあるQ&Aは
確かに姑息である。しかし、それによって、神理の確かさは、なんら
損なわれるものではない」と思ってくれるかもしれない。

そのように思ってくれる人に対してなら、このQ&Aが与える影響は
小さいだろう。しかし、そのように思ってくれる人は少数派だろう。

GLAが「姑息な印象操作」に手を染めた以上、その事実が神理に対する
疑いや、神理実践に対する疑いにつながる事の方がむしろ自然であり、
それによって神理に至る道を閉ざされた人も多いのではないかと思う。

在家の会員の皆さんの中には、そのようにな痛みを実際に目にした
人もいるのではないだろうか。もし、実際に目にしたなら、それは
あなたに対する「呼びかけ」ではないだろうか。

この愚かなQ&Aが残り続ける限り、必然的に、同じような痛みが今後も
繰り返される。他の在家の会員と響働して、愚かなQ&Aの削除を実現
しない限り、それを止めることはできないだろう。

270 :神も仏も名無しさん:2021/03/25(木) 23:40:14.19 ID:610LBKIfi
GLAのQ&Aのページ( https://www.gla.or.jp/faq/ )にある次のQ&A
について、「千年構想」という観点からも述べてみたいと思う。

> ネットで「GLA」を検索すると、「GLA関西」というホームページがありますが、
> そこには、高橋信次氏のことは出ていても、高橋佳子氏のことがまったく
> 出ていません。同じGLAという名称なのに、なぜなのでしょうか?

「千年構想」と言えば、「佳子先生が1999年に表明されたことであり、
それ以前には無かったものである」と思う人が多いだろう。しかし、
それは誤りである。千年構想の青写真へのアクセスを続けてゆくと、
それは1999年よりもずっと以前に存在していたものであり、1976年当時、
信次先生も千年構想に基づいて動いて下さっていたことが解るのだ。

さて、このQ&Aには次のような文章があるが、「何かおかしい」とは
思わないだろうか?

> 「私の説いている神理はまだ途上のものだ。佳子がそれを完成させる」
> 「私の説いたことを何も気にすることはない。佳子は、新しい時代に
> 向けて佳子の言葉で説きなさい」
> 信次先生は、佳子先生にすべてを託され、GLA会員が佳子先生のもとで
> 新しい教えを学ぶことを願われつつ、帰天されたのです。

このお言葉を信次先生から直接聞いた人はごく僅かであり、大部分は
「伝聞情報」という形で聞いたはずだ。しかし、「佳子先生が後継者
である」ことを信次先生が悟られてから、御帰天されるまで数ヶ月
もの期間があった。

271 :神も仏も名無しさん:2021/03/25(木) 23:41:16.50 ID:610LBKIfi
その期間は、信次先生が講演会や月刊誌を通じて、GLA会員に直接
御意志を伝えるために充分な期間であったと思う。では、なぜ
信次先生は、「伝聞情報」という形を選択されたのだろうか?

信次先生が「伝聞情報」という形を選択されたため、GLA会員は
その情報を信じる人と信じない人に二分されてしまった。そして、
後者の人々は佳子先生からは距離を置いて、信次先生の法を学ぶ場を
独自に維持することになった。実は、それこそが信次先生の願われた
事であったのだと思う。

信次先生は、1976年当時から、21世紀に「信次先生の法の復活」の
必要性が提唱され、やがてそれが実現に向かうことを御存じで
あったのだ。

21世紀に「信次先生の法の復活」を果たすためには、その時まで、
誰かが、「信次先生の法を学ぶ場」を維持しておく必要があった。
その役割を担って下さったのが、GLA関西本部であったのだと思う。

> したがって、佳子先生に法を継承され、GLA会員が佳子先生のもとで
> 神理を学ぶことを願われた信次先生のご遺志を継承しているのは、
> 「GLA関西」ではなく、「宗教法人GLA」です。

以上のように、「宗教法人GLA」も、「GLA関西本部」も、それぞれ
役割は異なるが、双方とも信次先生のご遺志に従っており、双方が
必要であったのだ。信次先生のご遺志に反しているのは、「宗教法人
GLA」の名を使って「GLA関西本部」を貶している一部の人間だけであろう。

272 :神も仏も名無しさん:2021/03/25(木) 23:42:14.89 ID:610LBKIfi
今、そして将来、「信次先生の法の復活」を願う人々の多くは、
私自身も含め、現身の信次先生に出会ったことが無い人々だろう。

しかし、信次先生は、その人々のために、1976年当時から準備を
進めて下さっていたのだ。このように、「千年構想」の青写真を
探求し、その実現に努力する人々は、時間や空間の隔たりを超えて、
響働を果たすことができる。

あなた自身は如何だろうか?時間や空間の隔たりを超えて、
信次先生と響働を果たしたいと願われるだろうか?もし、それを
願われるのであれば、それは可能である。

今、GLAホームページには、「信次先生の御遺志」と主張する、
「信次先生の御遺志」に全く反する記事が掲載されている。

他の愚かな記事とともに、その削除を実現することこそ、あなたが
信次先生との響働を果たしてゆく歩みの第一歩になるのではないだろうか。

それは決して、容易なことではないと思う。しかし、智慧と努力を
尽くしてゆけば、必ず実現できるだろう。信次先生の御遺志を実現
しようとする者には、信次先生から惜しみない助力が与えられるだろう。

273 :神も仏も名無しさん:2021/03/26(金) 17:30:27.80 ID:7NFeP5I9H
法の継承時、GLAを離れた方々の中には、信次先生から
「佳子はミカエルなんかではない」とか、
「もうGLAはダメになる。GLAにはもう来なくていい」
とか告げられた方々もいたらしい。

その方々の中には、信次先生がウソを言われたのではないかと、
信次先生に対しても不信感を抱いておられる方もおられる
ようである。

しかし、その方々は、佳子先生からは距離を置いて、
「信次先生の法を伝承する」という大切な使命を担われた
方々だと思う。ならば、ぜひ、その使命を全うして頂きたいと思う。

274 :神も仏も名無しさん:2021/04/02(金) 18:43:49.60 ID:s36JpxMs/
GLAのQ&Aのページ( https://www.gla.or.jp/faq/ )にある次のQ&A
についても、再考してみたい。

> 書店で、『高橋信次の霊言』というスタイルで、
> 高橋信次先生やGLAについて中傷する内容の書籍を目にしたのですが、
> 書かれている内容は本当のことなのでしょうか?

まず、巷にある『高橋信次の霊言』なるものに関して社会発信するので
あれば、信次先生、佳子先生も、「天上界の方々のメッセージを伝える」
という点では、同様のことをされてきたし、そのメッセージの中には、明らかに
事実と異なるものも含まれている点を念頭に置く必要があるだろう。
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/240.html

「信次先生、佳子先生が伝えて下さったメッセージは尊いものであり、
それ以外の人間がやったことは偽物」という主張は、第三者から見て、
極めて自分勝手な主張に見えると思う。

仮に、『高橋信次の霊言』なるものによって、GLAに関する虚偽の情報が
流布され、その点を釈明する必要があるならば、「情報のどの点が虚偽
であって、正しくはどのような事なのか」を具体的に説明すれば足りる。
情報のソースが本物の信次先生であるか否かは全く言及する必要の
無いことだと思う。

275 :神も仏も名無しさん:2021/04/02(金) 18:44:22.78 ID:s36JpxMs/
ただ、このQ&Aが掲載された背景として、例えば、「『高橋信次の霊言』
と称するものに多くの人が引き寄せられている。このことは私たちに何を
呼びかけているのか?」というテーマを佳子先生が下さったのかもしれない。
そこで、この仮定が正しいとして、この事態が何を呼びかけられているのか
検討してみたい。

神理に関心があって佳子先生の法に共感できない人は、必然的に信次先生
の法を求めてゆくことになる。私は、以前は、「信次先生の法を求めるなら、
信次先生が遺された御著書、御映像に基づいて学べばよい。得体の知れない
霊言を追い求める態度は、まじめな信仰をする態度ではない」と思っていた。

しかし、信次先生の御帰天から45年が経過しようとしている。45年
以上前に信次先生が説かれた内容のみでは、現代の人々が抱える様々な
問題や悩みに対して応えきれない面はあると思う。

すると、この事態が呼びかけていることは、「信次先生の法の復活を
果たす際には、信次先生が説かれたことのみを単純に繰り返すのではなく、
現代の人々が抱える様々な問題や悩みに対して、絶えず新たな視点を
導入してゆく必要がある」という事ではないかと思う。

276 :神も仏も名無しさん:2021/04/02(金) 18:45:06.30 ID:s36JpxMs/
GLAのホームページに、愚かしいQ&Aが掲載されている事は放置しては
ならない事であるが、GLAの事務局は自浄能力を発揮できないように見える。
おそらく、これらQ&Aに対しては一部の職員のみが関わっており、他の職員には
口出ししないよう、佳子先生が指示されているのではないかと思う。
ならば、在家の会員、特に在家の伝研生が中心になって、事務局に対して
これらQ&Aの削除を求めてゆくべきではないだろうか。

但し、上述したように、これらQ&Aが掲載された背景には、佳子先生が
貴重なテーマを与えて下さった可能性があると思う。ならば、
Q&Aの削除を求めるとともに、佳子先生が与えて下さったテーマが
何であったのか、事務局に明示させる必要もあるだろう。

GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、
61ページには、「二十一世紀に向かうGLAのヴィジョン」として、
「A:共同体の変革一 ―― 押し上げる力の結集」とある。

そして、60ページには、「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、
これまで以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のよう
になって響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の両輪が
たくましくなり、押し上げる力と引き上げる力がつながってエネルギーが全開
してゆくように、ぜひお世話をさせて頂きたいと願っております。」とある。

愚かしいQ&Aの背景にあるテーマを明確にした後は、在家の会員が
「押し上げる力」を結集して、頂いたテーマに対峙してゆくことが
呼びかけられているのではないだろうか。

これに対して、職員は「引き上げる力」を発揮して頂く必要があるのだが、
愚かしいQ&Aの掲載に携わった職員が「引き上げる力」を発揮するのは、
かなり荷が重いだろう。「引き上げる力」を発揮するのは、これまでQ&Aに
携わっていなかった、他の職員になるのではないだろうか。

277 :神も仏も名無しさん:2021/04/16(金) 10:50:50.81 ID:SGWGF81Ck
2018年11月、>>4-10 にて、私は次の事を述べた。

・GLAで様々展開されている「神理実践」は「狭域神理実践」と
「広域神理実践」に分類される。
・しかし、「広域神理実践」の大部分は、佳子先生が直接働き
かけて下さったことによって成立した幻のようなものである。
・それゆえ、このままでは、佳子先生の御帰天とともに「次々と
広域神理実践を果たしてゆくGLA」は幻の如く消失する。
・そのGLAの現実は、「化城宝処の喩」として既に法華経で予言されている。
・導師が「化城」を出現させたのは、五百由旬(ゆじゅん)の道程のうち
三百由旬をすぎた処である。すなわち、道程の半分以上は既に歩んでいる。
・残りの二百由旬は、既に歩んできた三百由旬とは異なり、霊操行を
基として歩んでゆく道である。

これら述べたことは正しいと思うが、やはり容易なものから段階的に、
(佳子先生からの直接の働きかけが無い状態で)広域神理実践を
果たしてゆく鍛錬も必要になるだろう。

そして、GLAのホームページで愚かしい文章が掲載され続けている
という問題は、後半の二百由旬の道程を歩んでゆく第一歩として
与えられたものであると考えられる。

278 :神も仏も名無しさん:2021/04/16(金) 10:51:49.97 ID:SGWGF81Ck
後半の最初の第一歩であるがゆえ、この問題は、ある意味ではとても
考えやすい問題であり、例えば「建物の中で小火騒ぎが起こった」
ことと同様に考えられる問題であると思う。

建物の中で小火騒ぎが起こったなら、何を果たすべきか?それは、
「まず火を消すこと」、「小火が発生した原因、背景を調査すること」、
「再発防止策を講じること」の三点に集約されるだろう。

GLAのホームページの問題も、「まず愚かしい文章を削除すること」、
「愚かしい文章が掲載された原因、背景を調査すること」、「再発防止策
を講じること」の三点に集約されるだろう。

勿論、実際に進めてゆくためには、色々困難な事も起こるだろうが、
「どのような方向性で検討すればよいか解らない」というような
難しさは無い。

さて、あなたは広域神理実践を果たしたことがあるかもしれないが、
上述したように、それは佳子先生が直接働きかけて下さったことに
よって成立した幻のようなものではないだろうか。

ならば、佳子先生が御帰天された後のあなた、あるいは来世のあなたは、
このままでは広域神理実践を果たすことができなくなる。

279 :神も仏も名無しさん:2021/04/16(金) 10:52:31.26 ID:SGWGF81Ck
たとえ、幻であったとしても、それは、あなたが三百由旬も歩み続けた
ことにより、出現させることができた幻である。三百由旬の道程は大変
だったと思うが、このまま歩みを止めれば、本当にそれは幻のままで
終わってしまうだろう。

如何だろうか?まだまだ道程は長いが、既に半分を過ぎている。あと
二百由旬だけ、後半の道程を歩むことはできないだろうか?

それを果たせたならば、佳子先生が御帰天された後にも、来世にも、
あなたは広域神理実践を果たし続けることができるようになるだろう。

280 :神も仏も名無しさん:2021/04/23(金) 00:23:59.24 ID:Kw/cK9P4J
GLAのホームページに、愚かしいQ&Aが掲載されている原因は、
事務局に問い質さない限り解らない。
しかし、これまで述べてきたように、私は次のように予想するし、
おそらくその予想は当たっているだろう。

まず、根本的な原因は、千年構想が20年以上に渡って放置され
続けたことにあるだろう。千年構想を放置し続けたなら、
千年構想に基づいた物の見方、考え方、ヴィジョンの立て方、
佳子先生のご指示に対する解釈の仕方、というものも、当然
果たせなくなるだろう。

そのため、千年構想に基づいた佳子先生のご指示に対して、実に
奇妙な解釈をしてしまい、その奇妙な解釈を文章にしたものが
愚かしいQ&Aになったのだろう。

もう一つの重要な原因は、7つのプログラムも10年以上に渡って放置
されてきたことにあるだろう。とりわけ、「社会発信力の強化」
すなわち「システムを整える」ことが放置されてきたため、
愚かしいQ&Aが、そのまま、「GLAの社会発信」という形になって
垂れ流しになったのだろう。

281 :神も仏も名無しさん:2021/04/23(金) 00:25:11.41 ID:Kw/cK9P4J
ただ、私は、一方では、「これほどの暗転の因を抱えていたなら、
この程度の痛みや混乱で終わるはずがない」とも思うのだ。
現在、この程度の痛みや混乱で済んでいる理由は、
「佳子先生が弟子に委ねられている範囲がまだまだ狭い」
ことに尽きるだろう。

しかし、佳子先生が御帰天されるその時は、一日、一日、近づいて
いる。ならば、佳子先生が弟子に委ねられる範囲も、今後は段階的に
広がってゆくことになるだろう。

すると、上述のような暗転の因を抱えていたなら、新たに委ねられた
範囲に混乱や痛みが飛び火することは必定であり、混乱や痛みは
さらに大きく広がってゆくことになるだろう。

将来に起こる可能性のある、大きな混乱や痛みを未然に防ぐには
何をすべきか?それは、現在起こっている混乱や痛みに対峙して、
為すべき事を為してゆくしかあるまい。

282 :神も仏も名無しさん:2021/04/23(金) 00:25:55.44 ID:Kw/cK9P4J
ホームページに愚かしいQ&Aが掲載されていることは、一つの
「よびかけ」であると思う。今、その「よびかけ」に応えてゆく
ことにより、将来に大きな混乱や痛みが起こることを未然に
防止できるだろう。

在家の会員は、まず、様々な場で、ホームページの愚かしいQ&A
について意見交換する必要があるだろう。そして、「これは削除
しなければならない」という共通の認識を育むことが必要だと思う。

共通の認識が育まれたなら、事務局に対して、集団で、愚かしい
Q&Aの削除と、愚かしいQ&Aが掲載された詳細な経緯の報告を、
求めるべきだろう。

「詳細な経緯」とは、おそらく「佳子先生のご指示に対して奇妙な
解釈を行った」ということであろう。そうであるならば、多くの
人の智慧を集めて、「佳子先生のご指示を具現する」ことに
向かってゆくべきだろう。

より具体的には、千年構想のヴィジョンにアクセスし、千年構想を
具現してゆく歩みをスタートさせることだ。ここまで果たせれば、
将来に大きな混乱や痛みが起こることを未然に防止できるだろう。

283 :神も仏も名無しさん:2021/05/27(木) 22:01:41.24 ID:YZOfYO3VO
http://file.copyman.syoyu.net/GD.pdf 「7つのプログラム(歴史
の整備を除く)」このレポートの14〜20ページには、2013年当時の
GLAホームページに対する批判が述べられている。

その後、GLAのホームページは改定されたが、2013年当時の愚かさは
今もなお継承されている。“「魂の学」の理論(教義)”のページ
 https://www.gla.or.jp/about/kyoten/
を見てみよう。そこには、GLAの教義を単に羅列しただけで、読者にとって
何の感動も起きない文章が掲げられている。

また、次の文のように、GLAの中だけで使われている用語を何の説明も
無く使っている。

> 私たち人間の心の制約「煩悩」には、大きく4つの傾向、
> タイプがあります。「快・暴流」(独りよがりの自信家)、
> 「苦・暴流」(恨みの強い被害者」、「苦・衰退」(あきらめに
> 縛られた卑下者)、「快・衰退」(自己満足の幸福者)です。

神理をよく知らない人にとって、この文章は無意味な記号の羅列に
過ぎない。無意味な記号を延々と並べてその意味すら解説しない。
その愚かさが、なぜ解らないのか、不思議で不思議で仕方ない。

上述のレポートの17ページには、福島第一原子力発電所の事故の報道に
際して、例えば「圧力容器が破損して燃料が格納容器に溜まっている」
という事実を報道するために、マスコミ各社がどれほどの手間をかけたか
実例が示されている。社会発信とは如何なるものか、社会発信を業とする
人々になぜ学ぼうとしないのだろうか?

284 :神も仏も名無しさん:2021/05/27(木) 22:03:13.14 ID:YZOfYO3VO
愚かしい文章が愚かしい文章であることを、これ以上延々と述べても
仕方があるまい。教義関係のページについて、私が最も問題視している
事は、「佳子先生の叡智が削ぎ落されている」という事である。

それは、「自己診断チャート」および「魂の学エッセンス」である。
「自己診断チャート」は佳子先生の御著書の随所に掲載されているが、
「魂の学エッセンス」については、その内容の詳細は思い出せない。
まさかこのページが削除されるとは思っていなかったので、私自身、
全く記録は取っていなかった。

ただ、上述のレポートにあるように「魂の学エッセンス」の中には
「運命を変えよう」というページがあった。これは、「運命の原因
を知る」、「運命の傾向を知る」、「運命は変えられる」、「新しい
未来にこんにちは」という4つのステップによって運命を転換する
方法が示されていた。

上述のレポートの16ページには、「GLAの教義」は、「運命を変えよう」
を骨格として、さらに詳細な内容を肉付けしてゆくようにして構成
すべき事が記されている。なぜ、そのようにしなかったのだろうか?
なぜ、佳子先生の叡智が削ぎ落されてしまったのだろうか?
その理由は判然としないが、おそらく次のような事だと思う。

今、佳子先生は、御帰天される時に備えて、今まで担われていた役割を
段階的に弟子に委譲されつつある。そして、少なくともホームページ中
の「GLAの教義」に関することは全て弟子に委譲されたのだろう。

285 :神も仏も名無しさん:2021/05/27(木) 22:04:23.93 ID:YZOfYO3VO
そして、委譲された役割について次のような事を仰ったのではない
だろうか。

 「過去に私(佳子先生)が説いたことに固執する必要はない。
 弟子の意向に応じて、私の説いたことを改変してもよい」

仮に、佳子先生が上述のように仰られたとすると、それは至極当然の
事のように思える。佳子先生は、「20世紀後半から21世紀前半の日本
で神理を説く」という条件に対して最適な形で神理を説かれたのであり、
時代が変わり、地域が変われば、それは最適とは言えなくなるだろう。

そのような場合に佳子先生の説かれた事に弟子が固執すれば、伝わる
神理も伝わらなくなる。従って、佳子先生の説かれた事を弟子が改変
することは避けて通れなくなるだろう。

しかし、現代の日本において、あえてそのような行為に及ぶ必要性も、
妥当性も無い。ましてや、一部改変ではなく、ごっそり全部削除した
行為には、呆れて言葉を失う。

佳子先生の叡智が削ぎ落された理由は、おそらく、関芳郎と茶坊主
どもにとって、「そのほうが楽だから」ではないだろうか。
彼らがいくら増長していたとしても、「佳子先生が下さったものより
自分たちの作成したものの方が優れている」とは、考えないだろう。

「GLAの教義」を説明してゆくにあたって「運命を変えよう」を骨格
として、さらに詳細な内容を肉付けしてゆくのは、彼らにとって
「面倒なこと」だったのだろう。一方、何も伝わらない愚かしい
文章をただ書くだけのことなら、これは楽な仕事だ。

286 :神も仏も名無しさん:2021/05/27(木) 22:15:09.07 ID:C5YT5G/MB
実際にホームページから佳子先生の叡智が削ぎ落された理由が
上述の通りであるのかどうかは解らない。とにかく、在家の会員は、
佳子先生の叡智を削ぎ落した理由を明確にするよう、事務局に
対して要求すべきだろう。そして、その理由が真に妥当なものか
否かを検証し、妥当でないと思えば再考を要求すべきだろう。

仮に、佳子先生が上述のように仰ったとしても、佳子先生が弟子に
委譲された役割は、「弟子」に委譲されたのであって、断じて
「職員のみ」に委譲されたわけではない。

「弟子の総意」は「職員の意向」と「在家会員の意向」が合わさって
初めて形成される。弟子に委譲された事項の方針は、この両者を
合わせた「弟子の総意」に基づいて決定されるべきだろう。

「職員の意向」は既にホームページに示された。それは「佳子先生の
叡智を跡形もなく削ぎ落す」という意向であり、その理由はおそらく
「自分たちが楽をするため」であろう。

在家会員に残された道は、まず現状の事態が生じている理由を事務局
に問い質し、現状を承認するのか、異を唱えるのかの何れかである。
「何もせず、黙って見ている」という事は、「承認する」ということ
と同じであり、「佳子先生の叡智を削ぎ落す」ことを弟子の総意として
承認した事に他ならない。

私は、ここでもう一つ言いたいことがある。今回、関芳郎と茶坊主
どもは「佳子先生の叡智を削ぎ落す」という愚行に走ったのだが、
彼らをそうさせたのは、在家の会員であるあなた自身ではないのか、
ということだ。あなたの「過去20年以上の不作為」がその原因を
作ったのではないか、ということだ。

287 :神も仏も名無しさん:2021/05/27(木) 22:15:38.03 ID:C5YT5G/MB
佳子先生は、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となって
アクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を下さった。
それに対して関芳郎と茶坊主どもは、何のコーディネートも果たさず
放置してきた。それに対して、あなたは何もしてこなかっただろう。

2008年にスタートした「GLA創立40周年記念プロジェクト」の中の
「7つのプログラム」についても、関芳郎と茶坊主どもは、最初に
愚かしい案を提示しただけで、その後は何のコーディネートも果たさず
放置してきた。それに対しても、あなたは何もしてこなかっただろう。

関芳郎と茶坊主どもは、以上のようなあなたの不作為によって、
「在家の会員とは、家畜の豚のように、何も言わず、ただもらった
餌だけを黙って食らう存在だ」という認識を形成してきたのではない
だろうか。それによって増長し、「佳子先生の叡智を削ぎ落す」という
決定的な愚行に至ったのではないだろうか。

ならば、今度こそ、あなたは在家の弟子として、果たすべき使命を
果たすべきではないだろうか。

佳子先生が弟子に委譲される役割は、今後段階的に増えてゆくだろう。
今回の事態を放置するならば、今後は、委譲された全ての役割において、
同じような事態が生まれることは必須である。“「魂の学」の理論
(教義)”のページの如く、愚かしい結果が続々と生まれるだろう。

そして、それは、さらに大きな問題、大きな痛みをどんどん引き起こす
縁起になってゆくだろう。

288 :神も仏も名無しさん:2021/06/18(金) 15:38:37.22 ID:1Wmb1jFv9
既に述べたように、GLAホームページでは、佳子先生の叡智の
お言葉がゴミのように扱われ、削ぎ落されている。普段佳子先生
のことを賛美しているのに、この事態をただ眺めるだけで何の
行動も起こさない人は、何を考えているのだろうか?

関芳郎や茶坊主どもとの間に軋轢を起こすのが、それほど
怖いのか?「自分が動かなくても誰かがきっと動いてくれる」
とでも思っているのだろうか?

しかし、はっきり言っておこう。あなたが動かなくても動いて
くれる「誰か」というのは、おそらく存在しない。

勿論、GLAの中には、過去世において、その程度のことを果たせる
気魂を育んできた人は何人もいるだろう。しかし、佳子先生が
「動かないように」とストップをかけられているのだろう。
それは、この事態は、「ただ眺めるだけの人」すなわち、あなたの
願いを成就するために、神が準備して下さった修行の機会であると
考えられるためである。

この事態をただ眺めるだけで何の行動も起こさない人は、過去世で
きっと同じことをしてきた人だろう。

289 :神も仏も名無しさん:2021/06/18(金) 15:39:19.40 ID:1Wmb1jFv9
勿論、国も時代も状況も異なるだろうが、共同体がおかしな方向に
進んでいる時に、過去世のあなたは、その事態をただ眺めるだけで
何の行動も起こさなかったのではないだろうか。
そのため、やがてその共同体は崩壊していったのではないだろうか。

あなたは慚愧に咽んで、生き直しの機会を与えて頂けるように神に
懇願したのではないだろうか。その結果、神はあなたの願いを聞き入れて
下さり、あなたを現在の状況に置いて下さったのではないだろうか。

GLAの現状をただ眺めるだけで何の行動も起こさないあなた、
そのあなたは、過去世のあなたとそっくり同じなのだろう。
そして、今生与えられた修行を成就しなければ、来世のあなたも
現状のあなたとそっくり同じになる。

既に動けるだけの気魂を整えた人が動けば、それは修行の邪魔になる。
だから、佳子先生がストップをかけられているのだろう。

今回、動くべき人が動けるようになるためには、過去世の後悔を
呼び起こす必要があるのではないか、それが無ければ難しい
かもしれないと思う。

それゆえ、私は、もし、それが必要ならば、その人々に過去世の
後悔を呼び起こして下さるよう、神に祈ろう。

290 :神も仏も名無しさん:2021/07/02(金) 09:58:23.70 ID:wsb2JWQiu
既に述べてきたように、関芳郎や茶坊主どもが起こした問題に
対して、在家の会員が最初に為すべきことは、問題を起こした
「詳細な経緯」を明確化することに尽きるだろう。

彼らの愚行は、佳子先生のご指示、ご指導に対して奇妙な解釈を
した結果、生じた可能性がある。その場合には、その「ご指示、
ご指導」の内容を明確にして、その内容に沿って神理実践を
果たしてゆく必要がある。

また、そのような「ご指示、ご指導」が無いのであれば、それは
「無い」という事を前提にして神理実践を果たしてゆく
必要がある。このように、問題が起こった「詳細な経緯」が解ら
なければ、神理実践を果たしてゆく方向性が解らなくなるだろう。

問題が起こった「詳細な経緯」を明確にしてゆくことも、神理実践の
一環であると言える。それは、ウィズダムの中の「現状」を明確化
することに他ならないからである。

ただ、問題が起こった時、その「詳細な経緯」を明確にすることは、
社会の様々な場で実践されていることであり、特段「神理実践」と
呼ぶほどのものでもない、とも考えることができる。

291 :神も仏も名無しさん:2021/07/02(金) 09:58:55.41 ID:wsb2JWQiu
つまり、問題が起こった「詳細な経緯」を明確にしてゆくことは、
神理実践の中でも初歩的な段階のものであると言えるだろう。
何万人ものGLA会員が集まっているのに、初歩的な神理実践すら
果たせない、これが掛け値なしのGLAの現実である。

一方、GLAでは、これとは比較にならないような困難なテーマに
対して、次々と神理実践が(外見上は)果たされてきたというのも
事実である。

この違いの理由は何であろうか?既に>>4-10 で述べたように、
この事態は法華経の「化城宝処の喩」の中で既に予言されている。
困難な神理実践を(外見上は)次々と果たしていったGLA…
それは、佳子先生が作り出された「幻」に過ぎなかったのだ。

>>8 で引用した「化城宝処の喩」には、五百由旬、三百由旬という
数字が登場している。法華経の作者に「化城宝処の喩」を伝えられた
のは、おそらく佳子先生ご自身であろう。それゆえ、五百由旬、
三百由旬という数字は、おそらく、かなり正確な数字なのだと思う。

292 :神も仏も名無しさん:2021/07/02(金) 10:00:09.09 ID:wsb2JWQiu
現在は、五百由旬の中の三百由旬、すなわち全行程の60%の位置に
あると考えられる。まだまだ先は長いが、既に半分を超えた距離を
進んできたのだ。

ここで歩みを止めてしまえば、あなたは神理実践を果たせない人間
として、今生の人生を終えるだろう。しかし、残りの二百由旬の道
を歩んだならば、真に神理実践を果たせない人間になれるのだ。
残りの二百由旬、40%の道程を、どうにか進むことはできないだろうか?

「関芳郎や茶坊主どもが起こした問題に対して詳細な経緯を明確化
すること」…それは、初歩的な神理実践であるが、「佳子先生が
動機付けをされない」=「自分自身で動機付けをする必要がある」
という点では、「幻」ではない「真の神理実践」と呼べるだろう。

ならば、これは後半の二百由旬の道程の第一歩として、とても
相応しいテーマではないだろうか。

293 :神も仏も名無しさん:2021/07/08(木) 09:31:22.59 ID:KIg4AsoCk
再三述べてきたように、関芳郎や茶坊主どもが起こした問題に対して、
在家の会員が最初に為すべきことは、問題を起こした「詳細な経緯」
を明確化することに尽きるだろう。

私は、その中でも、特に、「コミュニティ・デザイン2001」との関係を
明確化してゆく必要があると思う。

「コミュニティ・デザイン2001」の概要は、GLA誌1999年11月号75〜76
ページに掲載されている。そこでは、関芳郎本人が「一言で言えば、
共同体内のコーディネーションの責任を担う部門、そして対社会的発信の
責任を担う部門が車の両輪となって、二十一世紀の新しい共同体の形を
形成してゆきます」と述べている。

「コミュニティ・デザイン2001」が発表されて既に20年以上が経過した。
その間、GLAの事務局の中では、「コーディネーションの責任を担う
部門」、そして「対社会的発信の責任を担う部門」が、それぞれの
分野で、佳子先生から智慧の伝承を受け、鍛錬を積んできたはずだ。

しかし、GLAのホームページに掲載され続けた奇怪な記事を振り返ると、
関芳郎が「コミュニティ・デザイン2001」に反して、社会発信の
智慧の伝承を受けていない職員に社会発信をさせてきたのではないか、
という強い疑いを抱かざるを得ない。

294 :神も仏も名無しさん:2021/07/08(木) 09:32:02.64 ID:KIg4AsoCk
それゆえ、ホームページを通じての社会発信の問題に関しては、
「コミュニティ・デザイン2001」に基づいて、社会発信の智慧の
伝承を受けてきた職員が担ったのか否か、という事を確認すべき
だろう。

仮に、関芳郎が「コミュニティ・デザイン2001」に反する行動を
取ったのであれば、「なぜ反する行動を取ったのか」を明確にする
必要があると思う。

この問題は、関芳郎のみならず、関芳郎の指示を受けてホームページの
執筆に携わった職員や、その周辺の職員にも関係する。関芳郎が
「コミュニティ・デザイン2001」に反する行動を取っているのに
対して、なぜそれを指摘して改めさせなかったのか、その理由も
明確にする必要があると思う。

仮に、「コミュニティ・デザイン2001」を遵守したくても遵守でき
ないような、何らかの事情が存在するのであれば、その事情を解消
してゆく必要があるだろう。

295 :神も仏も名無しさん:2021/07/30(金) 18:25:03.88 ID:BE7/mvySg
あなたが菩薩になることを志し、如来である導師に過去世に
何度も師事したにもかかわらず、その願いを果たせなかった魂で
あったとしよう。そして、今生、再び、菩薩になるチャレンジを
果たすため、佳子先生に師事することを許された魂であったとしよう。

しかし、過去世で、あなたとともに修行した人々の中で、
菩薩になれた人も存在したはずだ。
その人は、なぜ菩薩になれたのだろうか?
ではなぜ、あなたは菩薩になれなかったのだろうか?
過去世のあなたの、一体何が足りなかったのだろうか?

この問題を検討することは、今生のチャレンジを実りあるものに
するために、欠かせないように思えるのだ。

「過去世のことなど解らない」と言うかもしれないが、今生の
あなた自身のことを振り返ると、過去世のことも、かなり見えて
くるのではないかと思うのだ。

296 :神も仏も名無しさん:2021/07/30(金) 18:25:39.93 ID:BE7/mvySg
佳子先生は、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となって
アクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を下さった。
それに対して関芳郎と茶坊主どもは、何のコーディネートも果たさず
放置してきた。それに対して、あなたは何もせず事態を放置してきた。

2008年にスタートした「GLA創立40周年記念プロジェクト」の中の
「7つのプログラム」についても、関芳郎と茶坊主どもは、最初に
愚かしい案を提示しただけで、その後は何のコーディネートも果たさず
放置してきた。それに対しても、あなたは何もせず事態を放置してきた。

関芳郎と茶坊主どもは、現在もなお、GLAホームページに愚かしい
記事を掲載し続けている。それに対しても、あなたは何もせず
事態を放置してきた。

あなたが事態を放置してきた理由はどのようなものだろうか?
あなた自身は、その理由をどのように認識しているだろうか?
それを意識化して頂きたいと思う。それは、例えば、次のような
ものではないだろうか。

297 :神も仏も名無しさん:2021/07/30(金) 18:26:15.71 ID:BE7/mvySg
(例1)関芳郎や茶坊主どもに現在の立場を与えられたのは
佳子先生であって、それによって不始末が生じているのならば、
この問題は佳子先生に責任がある。自分が動くべき、という
事なら、責任者である佳子先生から明示的なご指示を頂きたい。

(例2)他の在家者と智慧を交換して事態に対処せよ、ということ
ならば、それを果たすことはやぶさかではない。しかし、例えば
ネットワーク上で智慧を交換するための場を整えるなど、最低限の
コーディネートは佳子先生が果たして下さるべきではないか。

(例3)関芳郎や茶坊主どもに盾突くと、GLAの中で自分の立場が
悪くなるおそれがある。下手をすると退会させられるかもしれない。
佳子先生は、まず、このような懸念を払拭して下さるべきだろう。

他にも、事態を放置する理由として、色々な例が考えられるが、
きりが無いので、このあたりでやめておく。

298 :神も仏も名無しさん:2021/07/30(金) 18:30:34.53 ID:BE7/mvySg
上述した例1〜例3は、全て煩悩の現れである。

佳子先生は菩薩を育むための比類なき叡智を持たれている。
その叡智とは、例えば、「菩薩を志す者に如何なるテーマを
与えるべきか」、「如何なる助力を与えるべきか」、また、
「如何なる助力を与えてはならないのか」という側面を含む。

それに対して、あなたは、「菩薩を育む智慧」を全く持ち
合わせていないではないか。上述の例1〜例3は、何も知らない
人間が、佳子先生に向かって「菩薩を育む智慧」について
教えを述べることである。それは、結局、「自分が楽をしたい」
「軋轢を避けたい」などの煩悩の現れでしかない。

現在のあなたが、例1〜例3のような事を考えて事態を放置
しているのであれば、過去世のあなたもきっと同じように
しただろう。

人間というのは不思議なもので、今世とは国も、時代も、状況も
異なるのに、驚くほど同じような事を考え、同じような行動を
取るものだ。

299 :神も仏も名無しさん:2021/07/30(金) 18:31:07.94 ID:BE7/mvySg
過去世のあなたは、現在のあなたと同じように、何も知らない
のに、導師から頂いた鍛錬に難癖をつけ、「取り組む必要が無い」
理由を頭の中で構築し、放置してきたのだろう。
それこそ、過去世のあなたが菩薩になれなかった理由であろう。

煩悩というものは誰にもである。要は、その煩悩に打ち克つのか、
負けてしまうのか、ということが問題だろう。

過去世のあなたと共に修行した人の中には、「色々な疑問はあるし
抵抗も感じるが、とにかく導師から頂いた鍛錬にチャレンジして
みよう」と考え、動いた人もいただろう。

菩薩になれた人は、そのような中から生まれたはずだ。

今生のあなたは、煩悩に負けてしまった過去世の愚をもう
一度繰り返すのだろうか?
それとも、今生は、新たに生き直すことができるのだろうか?

300 :神も仏も名無しさん:2021/08/06(金) 18:26:44.58 ID:/bEF0BrOl
今、鍛錬の機会が与えられている有余の菩薩、つまり、未だ菩薩ではない
人々がが、佳子先生から頂いたテーマを放置し続けると、やがて何が
起こるかを、もう一度考えてみたい。

佳子先生が下さったテーマには、全て、実現すべきタイムリミットが
存在する。佳子先生は、おそらく、タイムリミットぎりぎりまで、
有余の菩薩を待ち続けて下さるだろう。

しかし、いよいよタイムリミットが迫ってくると、佳子先生は、現時点で
ストップをかけておられる菩薩クラスの人々に対して、ストップを
解除されるだろう。

すると、その時点から菩薩クラスの人々による具現が始まる。
菩薩クラスの人々は、青写真にアクセスする速度や正確さ、その他諸々の
智慧において、有余の菩薩とは比較にはならない。
そのため、有余の菩薩が、菩薩クラスの人々と切磋琢磨しながら一緒に
修行する、ということは難しいだろう。

例えば、有余の菩薩が何か問題点に気づいたとしよう。しかし、菩薩
クラスの人々は、はるか以前にその問題点に気づき、既に対策を講じて
いた、というような事が頻発するだろう。すると、有余の菩薩にできる
ことは、かなり限定されてしまうだろう。

301 :神も仏も名無しさん:2021/08/06(金) 18:27:13.84 ID:/bEF0BrOl
多くの場合、有余の菩薩は、菩薩クラスの人々が打ち出した方針に、
単に賛同し、単に追従するだけの存在になってしまい、自分自身が菩薩
になる智慧の鍛錬を積むことが難しくなってしまうだろう。

但し、菩薩ではない人々も、これまでの人生で培った知識、経験、
スキルがあるので、これらを活かして青写真へのアクセスに貢献する
ことは、可能である。

例えば、>>203-206 で述べたように、2008年〜2009年の時点で弟子が
「GLAがインターネットを使って映像配信を行う」という青写真に到達
するためには、「移動通信の国際標準化の動向に詳しい人」が必要
であったと思う。その人は、別に菩薩である必要などない。

このような形で、菩薩ではない人が青写真へのアクセスに貢献すること
は可能であるし、それはGLAにとっても必要なことであると思う。

しかし、「果たして、その貢献が、その人自身が菩薩になることに
繋がるのか」と考えると、「それは難しい」というのが正直な答え
ではないだろうか。

302 :神も仏も名無しさん:2021/08/06(金) 18:27:44.13 ID:/bEF0BrOl
このような状況下で、あなたは何を考えるだろうか?
例えば、次のような事を考えないだろうか?

「 菩薩クラスの人々はGLAにとって欠かせない存在である。
  しかし、有余の菩薩が菩薩になる鍛錬を積むためには、
  既に菩薩になっている人々は邪魔な存在である。
  どうか、菩薩クラスの人々を排除して、有余の菩薩だけで、
  充分な時間をかけて具現の鍛錬を積めるような、そのような
  環境を佳子先生に作って頂くことはできないだろうか?」

その時、あなたは思い出すのではないだろうか。
少なくとも1999年〜2021年の20年以上に渡る期間、正にあなたが
望んだ通りの環境が、既にあなたに与えられていたのだ。

仮に、あなたがその期間を怠惰に過ごし、菩薩になるための鍛錬を
積んでこなかったとすれば、あなたは慚愧に咽ぶことになるだろう。

如何に望もうが、如何に後悔しようが、有余の菩薩のためだけに
与えられた有難い期間は既に終了したのだ。その有難い期間は、
二度と繰り返されることはないのだ。

以前、佳子先生は「未来からの視点」を持つことの大切さを
説かれていたことがあった。

「未来からの視点」を持つこと、未来の自分の視点で今の自分を
見ることにより、今与えられている環境が如何に有難く、如何に
貴重なものであるのか、理解できるのではないだろうか。

303 :神も仏も名無しさん:2021/08/20(金) 10:13:24.75 ID:PhUG8JgB6
今、有余の菩薩であるあなたに鍛錬の機会が与えられている
理由は、「菩薩になりたい」という、あなた自身の願いに基づく
ものである。しかし、その願いを、あなたは実際に表面意識に
落としているだろうか?

なぜ今のままではいけないのか、また、菩薩になって一体何を
果たしたいのか、明確に認識できているだろうか?

過去20年のGLAの出来事は、非菩薩である有余の菩薩の悲しみに
満ちているように思える。

1999年、佳子先生は「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸と
なってアクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)という
テーマを下さったが、20年以上経過しても、何も果たせていない。

2009年に佳子先生が映像配信システムを整えられたが、
佳子先生が全会員向けに映像配信システムを活用されるまで、
それを病気や高齢等の理由で集いに参加できない人のために
活用することは全くできなかった。

現在、GLAを貶める愚かしい記事がGLAホームページに掲載
されているが、それに対しても何も果たせていない。

304 :神も仏も名無しさん:2021/08/20(金) 10:13:55.38 ID:PhUG8JgB6
「有余の菩薩」とは、4万人集まって、20年かけて、全く神意を
具現できない人々である。では、「有余の菩薩」は常に神意を
具現できないかと言うと、そういうわけでもない。

GLAに様々な実践例があるように、菩薩以上の人(現在のGLAでは
多くの場合佳子先生)が関われば、有余の菩薩も神意を具現できる。

「有余の菩薩」とは、「月」のような存在であると思う。
「月」は「太陽」があるから輝くことができる。「太陽」を
取り去ってしまえば、4万人集めて20年という時間を与えても、
全く輝けない存在ではないだろうか。

「有余の菩薩」がこのような存在であるために、痛みを背負う人が
現れている。佳子先生が全会員向けに映像配信システムを活用
されるまで、病気等の事情で集いの場に足を運べなかった人々は
集いに参加できず、そのまま人生の第四期に旅立たれた人も
多かっただろう。

また、GLAを貶める記事がGLAホームページに掲載されていること
により、GLAを誤解し、GLAに集えなくなっている人も多いだろう。

305 :神も仏も名無しさん:2021/08/20(金) 10:14:23.19 ID:PhUG8JgB6
痛みを背負っている人々に対して、あなたはどのように思っている
だろうか?「自分には関係ない」、「自分の責任ではない」、
「自分は動くべき立場の人間ではない」などと表面意識では考えて
いるのだろう。だからこそ、この事態を放置し続けること
ができたのだろう。

しかし、あなたの魂が考えていることは全く別ではないだろうか。
「私が道をつけることができず、申し訳ない、申し訳ない」と
後悔しているのではないだろうか。

過去世でも、あなたは困の次元を放置して、全く同じような後悔を
魂に刻んだのではないだろうか。そこ後悔によって、「困の次元に
道をつけられる人間になりたい」という願いが湧いてきたのでは
ないだろうか。

「困の次元に道をつけられる人間になりたい」…これをもっと短い
言葉で表現した願いが、「菩薩になりたい」ということであろう。

では、「困の次元に道をつけられる人間」になるには、一体何を
果たせば良いだろうか?それは、易しいテーマから順番に、
「困の次元に道をつける行動」を実際に重ねてゆくしかないだろう。

306 :神も仏も名無しさん:2021/08/20(金) 10:14:52.87 ID:PhUG8JgB6
「映像配信システムを活用する」というテーマは、非常に易しい
ものであったが、これは既に挑戦することは適わなくなった。

しかし、他にも易しいテーマは残されている。例えば、
「GLAを貶める記事がGLAホームページに掲載されている」
という問題に対して為すべきことは、何度も述べているように、
「問題を起こした詳細な経緯を明確化する」ことに尽きる。

それ以外の可能性は、ほとんど考えられないだろう。その意味では、
この問題も、「困の次元に道をつける行動」の初期の実践に相応しい、
「極めて易しいテーマ」と言えるだろう。

この「極めて易しいテーマ」をクリアしたなら、もう少し難しい
テーマがあなたに与えられるだろう。このようにステップアップを
重ねてゆくことにより、あなたが「困の次元に道をつけられる人間」、
すなわち菩薩になってゆく道が拓けてゆくだろう。

307 :神も仏も名無しさん:2021/08/28(土) 21:40:23.87 ID:rGqZQSir/
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/
今月の「時の羅針盤 210:感じたことから出発する」には、GLAの
現状を改革してゆくにあたって、とても大切な智慧が示されている
ように思う。

> 1つの家庭に生まれた私たちは、そこで両親の生き方に
> 多大な影響を受けることになります。ある国に生まれたら、
> 誰もがその社会に根づいた常識や価値観、慣習や暗黙のルールを
> 受け入れて生きるようになります。
> 最初は、それらを拒むことはできません。そこにあるものを
> 吸収することで、私たちの誰もが生きることを学んでゆくからです。

「暗黙のルール」というものはGLAにも存在する。それは、「事務局
の為す事に異を唱えてはならない」というものだ。その「暗黙のルール」は、
各人が持っている「保身」、「自己保存」の意識が集まって、そのような
場、エネルギーを作り出していることによって生じているように見える。

> 私たちの社会には、そうした暗黙のルール、暗黙の価値観が
> 深く浸透していると言えます。日本という国に生まれることで、
> 自然に周囲の空気や世間の流れを読んで対応することに
> 大きなエネルギーをかけるようになるということです。

正にGLAの中にも、「周囲の空気や世間の流れを読んで対応する」
ことに大きなエネルギーをかける人が多いのだろう。それによって、
ホームページで、愚かしいQ&Aが何年も放置されるという事態を
招いているのだろう。

308 :神も仏も名無しさん:2021/08/28(土) 21:41:00.62 ID:rGqZQSir/
> 本当に感じたことから出発する
> そして、生き方を再選択し、人生を再構築するために、どうしても
> 必要な姿勢が、自分が本当に感じたことから出発するという姿勢です。
> 私たちが、外側にある生き方をなぞることで始まった人生から
> 飛躍することを願うなら、自分自身の中から生まれるものを
> 何よりも大切にしなければならないのです。

私はあなたに問いたい。GLAホームページの、愚かしいQ&Aをもう
一度しっかり読んで頂きたい。それを読んで、あなたにとって
「自分が本当に感じたこと」とは何だろうか?

GLAについてよく知らない人が、これらQ&Aを読んで、GLAに対して、
どのような判断をするだろうか?それがその人の人生にどれほどの
痛みを引き起こすだろうか?あなたにとって「自分自身の中から
生まれるもの」とは何だろうか?

あなたは、佳子先生のお言葉に従って、それを「自分自身の中から
生まれるものを何よりも大切に」することはできないだろうか?

> 自分が本当に感じていることを横に置いて、人生の真実を
> 深めてゆくことはできません。たとえ未熟な感じ方であっても、
> それを大切にせずに生き方を錬磨することはできません。
> 自分が何をどう感じているのか、自分が本当に願っているのは
> 何なのか、自らの心に尋ねなければなりません。

愚かしいQ&Aに対して、あなたが例えば「考えても仕方ない」とか
「自分の責任ではない」などと思うことは、「自分が本当に
感じていることを横に置いて」しまうことではないだろうか。
それでは、佳子先生が示されたように「生き方を錬磨する」ことは
できなくなるだろう。

309 :神も仏も名無しさん:2021/08/28(土) 21:42:37.71 ID:rGqZQSir/
さて、「自分が何をどう感じているのか、自分が本当に願っているのは
何なのか」を自らの心に尋ねた後、あなたは何を為すべきだろうか?

それは、2019年12月の「時の羅針盤・190:始まりを愛する」に
既に佳子先生が示されていると思う。
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )

> もし、あなたが「新しい生き方をしたい」と願ったなら、今まで
> 試したことのない生き方で1歩を踏み出すことが必要です。
> 新しい生き方は新しい考えから生まれるとしても、
> それを実現するのは行動なのです。

> どんなに「ウイズダム」 (*2) に懸命に取り組んだとしても、
> アクションプログラムのない「ウイズダム」だとしたら、
> 現実的には何の力も持ち得ないでしょう。つまり、行動することが
> いかに大切かということです。

> 「これまでの受発色 (*3) を繰り返してはいけない」と思ったら、
> 今日からでも、違う受発色を現すことを心がけることです。
> 思ったら、身体を動かしてみる。考えたら、行動を起こしてみるのです。

正に、佳子先生が示されたように、現実に「行動を起こす」ことに尽きるだろう。

310 :神も仏も名無しさん:2021/08/28(土) 21:43:15.20 ID:rGqZQSir/
いかがだろうか。今月の「時の羅針盤 210:感じたことから出発する」、
そして、2019年12月の「時の羅針盤・190:始まりを愛する」。
佳子先生が示されたこの二つの智慧を、GLAホームページの、愚かしい
Q&Aに対して実践することはできないだろうか。

具体的には、これまで述べてきたように、まずは「愚かしいQ&Aが
掲載された経緯を明確にする」ということであり、経緯を明確にする
ことによって、「次に果たすべき事を明らかにする」という事に
なるだろう。

それとも、あなたにとって、佳子先生が示された智慧を実践することは
まだ難しいことなのだろうか。

311 :神も仏も名無しさん:2021/09/03(金) 14:33:23.18 ID:FJHp7KjkQ
これまで述べてきたように、在家の会員が最初に果たすべき
ことは、「愚かしいQ&Aが掲載された経緯を明確にする」という
ことであろう。そして、2番目に果たすべきことは、「経緯を
明確にしたことによって現れた課題」という事になるだろう。

ここで、2番目に果たすべきこととして、上に述べたことと
同時に、二度と同じような事を繰り返さないための方策も
必要であると思われる。そのためには、「社会発信力の強化」、
すなわち「社会発信システムの構築」を事務局に要求する
以外に無いと思う。

要求する「社会発信システム」の内容は、以下の2点に
絞ってよいのではないかと思う。

【1】社会発信に関わる職員を、「起案者」と「承認者」
に分割すること。
(その内容および理由は>>254-255に述べた通りである)

【2】「起案者」となる職員は、社会発信の智慧の伝承を
受けた職員に限定すること。
(その理由は>>293-294に述べた通りである)

312 :神も仏も名無しさん:2021/09/03(金) 14:33:52.17 ID:FJHp7KjkQ
では、上記2点のみを実現すればそれで充分なのか、
これで「社会発信システム」は完成するのか、と問われると、
それは全然足りないと思う。

これまで、ボーディサットヴァ・ウィズダム等で佳子先生は
社会発信の青写真を様々示されてきたはずであり、その内容
を理解して心に落としてゆかないと、社会発信システムの
青写真にアクセスすることは極めて困難だと思われる。

しかし、在家の会員はボーディサットヴァ・ウィズダムを
拝読できないわけであるから、常識的に考えて「これで
愚かしい社会発信を防止できる」と思える程度のことを
要求できれば、それで充分ではないかと思う。

313 :神も仏も名無しさん:2021/09/08(水) 09:05:46.17 ID:j5dHxH6v5
GLAの現状がきわめて変だと認識できていながら、何の行動も
起こさない人の内界はどうなっているのだろうか?

これは、私の想像だが、その人たちは、自分自身の「恐怖心」
というものを客観視できていないのではないだろうか。
客観視できないままの「恐怖心」がどんどん膨らんでいる
のではないだろうか。

「恐怖心」を客観視するためには、自分が懸念していること、
恐怖を感じていることを、全て紙に書き出してみるのが良いの
ではないかと思う。

例えば「関芳郎に睨まれるのが怖い」、「周囲の人から変人だと
思われるのが怖い」など、全て書き出して、書き出した内容をもう
一度読み直して、評価してみると如何だろうか。

「これは本当に起こり得ることだろうか?」、「実際に起こった
として、それは恐怖するに値することなのだろうか?」このように
評価してゆくと、自分の行動を妨げていた感情、思考というものが、
実につまらないものだった気づけるのではないだろうか。

自分自身の中にある、つまらない感情、思考を客観視できたなら、
「魂が本当に感じたこと」が意識の中で重みを増してくるだろう。

すると、今月の「時の羅針盤 210:感じたことから出発する」を実践
してゆける道が拓けてゆくのではないだろうか。
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/

314 :神も仏も名無しさん:2021/09/10(金) 13:15:02.46 ID:tfrvV0Ocx
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
この記事にあるように、菩薩でない人が菩薩になれる
頻度は「数万年に一人」であり、それはほとんど
起こらないこと、ほぼ不可能なことである。

なぜ、これほど困難を極めるのか、もう一度考え
直してみたところ、菩薩になることがほぼ不可能
である理由は、次の二つの命題によるパラドックスが
存在するためではないかと思えてきた。

・「菩薩の受発色」を重ねない限り菩薩にはなれない。
・菩薩でなければ「菩薩の受発色」を発現できない。

このパラドックスにより、「菩薩ではない人は絶対に
菩薩にはなれない」という結論が導かれてしまう。

過去20年に渡って、佳子先生が下さったテーマを
あなたが放置してきたのは、「難しすぎる」から
ではないだろうか。

それは、言葉を換えれば、佳子先生は菩薩ではない
人に「菩薩の受発色」を発現するよう求めてこら
れた、ということになるだろう。

315 :神も仏も名無しさん:2021/09/10(金) 13:15:38.95 ID:tfrvV0Ocx
では、なぜ、佳子先生は菩薩ではない人に「菩薩の
受発色」を発現するように求められるのだろうか?
それは、その方法でなければ菩薩を生み出せない
からであろう。

ここで、「パラドックスがあるから動けない」と
言って放置してしまうのは簡単だが、それは
「あなたは絶対に菩薩にはなれない」という至極
当然な結果しか生まないだろう。

もし、菩薩になることを真に願うなら、自らの手で
パラドックスを打破しなければならない。それは、
「無理であっても菩薩の受発色を発現し続ける」
ことに尽きるだろう。

佳子先生が下さった一つ一つのテーマに真剣に対峙
して、無理があっても、菩薩の受発色によって解決・
創造を果たし続けるしかない。

無理してでも菩薩の受発色を続けていれば、やがて
自然に菩薩の受発色を発現できるようになる時が
訪れるだろう。それは、その時に「一人の菩薩が
生まれた」ことになるのだろう。

316 :神も仏も名無しさん:2021/09/17(金) 16:53:17.74 ID:guz6z/w63
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/
再び8月の「時の羅針盤 210:感じたことから出発する」を参照
してみたい。ここでは、佳子先生は次のようなお誘いを下さっている。

> 本当に感じたことから出発する
> そして、生き方を再選択し、人生を再構築するために、どうしても
> 必要な姿勢が、自分が本当に感じたことから出発するという姿勢です。

「本当に感じたことから出発する」の逆の言葉は、「本当は感じて
いないことから出発する」になる。「本当は感じていないこと」
とは、「嘘」であり「欺瞞」である。

「本当は感じていないことから出発する」のは、自分自身に対して
嘘や欺瞞を納得させようとする行為になるのではないかと思う。

もう少し、具体的に述べてみよう。>>307-310 で述べたように、
例えばGLAホームページに掲載されている愚かしいQ&Aに対して、
あなたが「考えても仕方ない」とか「自分の責任ではない」などと
思うことは、「自分が本当に感じていることを横に置いて」しまう
ことになる。

さらに、このような思いを抱くことは、単に「自分が本当に感じて
いることを横に置いて」しまうのみならず、もっと積極的に、「嘘や
欺瞞によって、自分自身を納得させようとする」行為になると思うのだ。

317 :神も仏も名無しさん:2021/09/17(金) 16:53:44.37 ID:guz6z/w63
「生命の余白に」では、佳子先生は次のように誘って下さっている。
>  怒り、謗り、妬み、恨み、僻み、傲慢、欺瞞、疑念、
> 愚痴、怠惰。これら私たちが本然に生きることを阻むものを
> 判っていながら生じさせてしまいます。自ら苦悩の種子を
> 蒔いてしまう傾きがあるのです。
> 偏りのある視座が生み出す信念は、偏りをそのまま引き継ぎます。
> 自己保存の想いが足ることを知らぬ欲望と結んで、悪しき習慣は
> 次々に流れを肥やしてゆきます。そして、その様々の傾きは
> 日々強化されていると言えるでしょう。
> 自らの生き方をより本然へと導くために、私たちはまず悪しき
> 流れをとどめなければなりません。自らの人生の基盤を顧みて、
> そこに根づいたものの見方や考え方、価値観をひとつひとつ
> 根気よく見取ってゆくことです。あたかも本性のように
> 深く根づいてしまった習慣に対して、それをもう一度確かめて
> ゆくのです。その強い流れの力に屈することなく幾度でも
> 立ち向かう勇気と意志の力を保つことを想います。

人間は他人に嘘をつくことはできても、自分自身に対しては、
けっして嘘をつくことはできない。「考えても仕方ない」、
「自分の責任ではない」などの言葉は嘘、欺瞞の言葉である。
そのような嘘や欺瞞の言葉で自分自身を納得させるのは絶対に
無理なのだ。

それにも拘わらず、あなたが自分自身に対して嘘をつこうと
試み続けるならば、それは、「悪しき習慣」の流れを次々に
肥やしてゆくことにつながり、「傾きは日々強化されて」
ゆくことにつながるだろう。

「その強い流れの力に屈することなく幾度でも立ち向かう」
ことによって「本当に感じたことから出発」できるようになる
のではないだろうか。

318 :神も仏も名無しさん:2021/09/20(月) 19:14:31.41 ID:ftNdVhp6U
現在、GLAの現状を介在とする鍛錬の対象とされている人々は、
「パラダイムを転換する」鍛錬を頂いているとも考えられる。

かつてのGLAでは、事務局が出してくる様々な方針については、
佳子先生が細かいところまでチェックされていたため、在家の
会員がその方針に対して異論を唱え、再考を促す必要など
無かった。そのため、GLAには「事務局が出した方針は、そのまま
受け入れる」というパラダイムが構築されていると考えられる。

しかし、今、そのパラダイムを維持したままでは立ち行かなく
なっていることが明白であり、「事務局が出した方針に対して、
必要に応じて異論を唱え、再考を促す」というパラダイム
を自らの行動を通して、構築してゆくことが呼びかけられている
のではないだろうか。

「パラダイムを転換する」と言っても、難しいものは非常に難しい。
例えば、「人権」や「平等」という概念が無い社会において
そのパラダイムを浸透させてゆくのは、なかなか難しいことである。

319 :神も仏も名無しさん:2021/09/20(月) 19:17:15.85 ID:ftNdVhp6U
しかし、「事務局が出した方針に対して、必要に応じて異論を
唱え、再考を促す」というパラダイムについては、現代社会
において、様々な組織で似たようなパラダイムが存在する。

従って、それら既存のパラダイムをモデルとして、必要に応じて
新たな視点を導入しつつ、GLAにおけるパラダイムを構築する
ということであれば、比較的取り組みやすいテーマであると思う。

そのため、過去世で「パラダイムを転換する」という経験を
積んでこなかった人々が最初に挑戦するテーマとして、
とても相応しいのではないだろうか。

但し、今回のテーマをクリアしたら、それで「パラダイムを転換
する鍛錬」が終わるわけではないだろう。おそらく、次は、
さらに難しいパラダイム転換のテーマが与えられるだろう。

そのようにして、「パラダイムを転換する」智慧を段階的に
修得してゆけるような青写真が描かれているのではないだろうか。

320 :神も仏も名無しさん:2021/09/26(日) 21:13:01.07 ID:E8d2tAB/b
以前、>>259-260 に述べたことであるが、関芳郎は総合本部長であり、
これは普通の会社で言えば「社長」に相当する。関芳郎には
「社長の仕事をすること」、「コーディネートすること」が求められ
ており、それを怠った結果、愚かしい記事がGLAのホームページに
掲載されたのではないかと考えられる。

「コーディネートする」というのは、「会員の智慧を結集する」という
ことであるが、佳子先生は、その具体的な態勢をボーディサットヴァ・
ウィズダム等に既に開示して下さっているのではないか、と最近思う
ようになってきた。

その理由として、関芳郎は、先智慧−実行−後智慧のサイクルを
回して、その態勢を模索してゆけるだけの智慧を備えていないと思われ、
佳子先生は弟子に対して無理なご指示はされないからである。

佳子先生が関芳郎に対してコーディネートを果たすよう求められる
のであれば、関芳郎には、コーディネートを果たせるだけの情報を、
必ず事前に与えておられるはずだと思われる。

但し、関芳郎は、どういうわけかボーディサットヴァ・ウィズダム
を無視して、無手勝流に物事を進める事を好むように見受けられる。

具体的には、>>293-294 で述べたように、「コミュニティ・デザイン
2001」を全く無視して、社会発信の智慧を鍛錬していない職員に、
ホームページを通じての社会発信をさせているように見受けられる。

321 :神も仏も名無しさん:2021/09/26(日) 21:14:20.01 ID:E8d2tAB/b
このことにより、「会員の智慧を結集する態勢」についても、佳子
先生は既にボーディサットヴァ・ウィズダム等によって詳細を
示されており、関芳郎がそれを全く無視しているのではないか、
それによって愚かしい記事がGLAのホームページに掲載されたの
ではないか、との疑いを払拭できないのだ。

以上述べたことは、あくまでも私の推測であり、これがどこまで
当たっているのかは解らない。それは、愚かしい記事がGLAの
ホームページに掲載された経緯を明確にしてゆく過程で明らか
になってゆくだろう。

仮に、上述した私の推測が正しいとすると、会員諸氏が関芳郎に
対して要求すべき事は、極めて単純な事になるだろう。それは、
「佳子先生がボーディサットヴァ・ウィズダムに示して下さった
通り、会員の智慧を結集する態勢を整え、その態勢によって、
頂いたテーマに再チャレンジすること」
になるだろう。

322 :神も仏も名無しさん:2021/09/27(月) 09:55:00.45 ID:W4H7BGl7S
「会員の智慧を結集する態勢」とは、どのような態勢になるのか、
詳細は私には解らない。しかし、会員であれば、誰でも意見を
表明でき、智慧を交換できる場ができることは間違いないだろう。

その場の議論を重ねることによって、未来千年のGLAのヴィジョン
が明確になってゆくだろう。まず、「一切の人を救済する」
ことが千年先に実現する願いとして共有されるだろう。

次に、アクションプログラムの第一歩として、これまで佳子先生
から頂きながら放置されてきたテーマに挑戦することになるだろう。

その次は、信次先生の法の復活を果たして、神理を学ぶ場を一つに
統合してゆくことになるだろう。
http://file.copyman.syoyu.net/GJ.pdf

その次は、法華経に依拠する伝道によって、さらに多くの人々を
神理につないでゆくことになるだろう。
http://file.copyman.syoyu.net/GF.pdf

323 :神も仏も名無しさん:2021/09/27(月) 09:55:29.53 ID:W4H7BGl7S
既に述べてきたように、関芳郎が愚かしい記事をホームページに
掲載した背景には、例えば次のようなテーマを佳子先生が
下さったからではないかと私は推測している。

【1】インターネット上にあるGLAに対する批判投稿に触発されてGLAを
退会した人が何人もいる。その出来事に対応せよ。
【2】信次先生の霊言と主張するものを追い求める人や、生前の信次先生
の法ばかりに目を向ける人が数多く存在する。これらの出来事に対応せよ。
【3】GLAが信次先生の遺骨を祭祀したことに対して、会員の皆様が
歓びと誇りを持てるようにせよ。

そして、これも既に述べてきたことであるが、千年構想を深めて
ゆくことによって、これらのテーマは全てお応えすることができる。

【1】について:批判投稿に触発されてGLAを退会した人々は、
神理を理解できなかった人々、体得できなかった人々である。
佳子先生が7つのプログラム、9つのプログラムで示されたテーマを
実現してゆくことにより、多くの会員が神理に対する理解を深める
ことができ、批判投稿に触発されなくなるだろう。

【2】について:信次先生の法を復活させ、神理を学ぶ場を一つに
統合してゆくことにより、信次先生の法を求める人々に手を差し伸べる
ことができるようになるだろう。

【3】について:GLAは、やがて法華経に依拠する伝道を展開し、
法華経信仰教団の集団帰依を実現してゆくだろう。法華経信仰教団は、
先祖供養と深く結びついており、教祖の遺骨も大切に祭祀している
場合が多い。そこで、GLAも信次先生の遺骨を祭祀することにより、
法華経信仰教団との親和性を高め、集団帰依を促進できる。
この願いを共有するならば、信次先生の遺骨を祭祀したことに対して、
会員の皆様の中で、歓びと誇りが自然に湧いてくるだろう。

324 :神も仏も名無しさん:2021/10/04(月) 18:02:21.62 ID:miBG3DYln
今、GLAに現れているテーマや、佳子先生から頂いたテーマを
放置し続けている人々は、一体何を考えているのであろうか。

おそらく、「自分が放置しておいても、佳子先生がどうにかされる
だろう」と思っているのだろう。しかし、弟子が果たすべきテーマ
に対しては、佳子先生は何もされないのだ。

「佳子先生がどうにかされるだろう」という考えをあなたが持つ
ことの一つの原因として、「佳子先生が現在ご在世中である」ことが
挙げられるだろう。すると、あなたが菩薩になるための修行を
積んでゆくにあたって、「佳子先生が現在ご在世中である」ことは
明らかに障害になっている。

以前、>>7-18>>209-211 などで述べたように、頂いたテーマを
放置し続けることは、佳子先生が早逝されることにつながる。

私は今、「速やかに佳子先生を天上界に召還される」という神の
ご意志が一層強く感じている。先に述べたように、「早逝」という
のは、具体的な時期は掴み難いが、例えば、「関芳郎よりも早い
時期、高橋一栄会長よりも早い時期に神が佳子先生を召還される」
ということである。

325 :神も仏も名無しさん:2021/10/04(月) 18:03:20.41 ID:miBG3DYln
あなたは、佳子先生が早世されること、佳子先生を死に追いやること
を望んでいるのだろうか?きっとそうではないはずだ。

ならば、頂いたテーマに対して、佳子先生を頼りにすること、
「自分が放置しておいても、佳子先生がどうにかされるだろう」
などと考えることは、直ちにやめることだ。そのような、考えや
行動は、「佳子先生を死に追いやる」という結果に直結する。

>>397-310で述べたが、あなたが為すべきことは、既に佳子先生が
示して下さっているではないか。まず、本当に感じたことから
出発すること、( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/
そして、現実に身体を動かすこと、行動を起こすこと
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )である。

とにかく、佳子先生から頂いたご教示に従って、行動を起こす
ことである。佳子先生の早世を避けるためには、他に道は
無いと思う。

326 :神も仏も名無しさん:2021/10/05(火) 23:31:26.53 ID:u5XxTDuCP
今、伝道の季節を迎えているが、もし、伝道した相手から、
GLAのホームページに対する疑問をぶつけられたら、あなたは
どのように対処するつもりだろうか?

もし、口先でごまかそうとすれば、相手が不信感を抱くだろう。
そして、一度不信感を抱いてしまえば、相手は、完全に
GLAのことを否定したまま生涯を終えてしまうかもしれない。

あなたにとって大切なことは、伝道に赴く前に、
「あなた自身はどう感じているのか?」
「あなた自身はどのように対処したいのか?」
ということを整理しておくことだと思う。

そして、相手から質問されたときは、それを正直に伝える
ことだと思う。現状では何もできていないわけだが、正直な
気持ちを伝えることができれば、相手も、完全にGLAのことを
否定したまま生涯を終えるようなことはないと思う。

327 :神も仏も名無しさん:2021/10/07(木) 09:11:38.41 ID:Xoh8qv8X+
GLAのホームページに愚かしい記事が掲載された後、既に数年が
経過している。この期間内に、愚かしい記事を介在として、
伝道において、様々な現実が起こってきたのではないだろうか。

愚かしい記事は、暗転の現実に結び付きやすい縁ではあると思う。
しかし、会員の側の関わり方によっては、光転の現実を生み出す
縁にできた場合もあったのではないだろうか。

暗転の側面を可能な限り抑制し、光転の側面を伸ばしてゆくため
には、これまで一人ひとりの会員が体験した現実を、できるだけ
多くの会員に共有して頂くことが最も望ましいのではないかと思う。

愚かしい記事を契機として、あなたが体験した暗転の現実も、
光転の現実も、「伝道の分かち合い」の場で、他の人に共有して
頂くことはできないだろうか?

ぜひ、そうして頂きたいと思う。

328 :神も仏も名無しさん:2021/10/14(木) 17:36:31.45 ID:SYZKitajT
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/304-306n
2017年のことだが、当時渡辺公夫氏が提唱していたノート法・カード法
というものは、渡辺氏がGLAに復帰された上で説かれるべきものではないか、
それによって止観シートに取り組むことが難しい人の研鑽体系を
補ってゆくことが呼びかけられているのではないか、ということを述べた。

また、渡辺氏がGLAに復帰されない場合、「ノート法・カード法に
相当するものは、佳子先生が直接説かれるであろうから、GLAとしては
何も困らないだろう」と述べた。

しかし、後者の場合、「佳子先生が直接説かれる」というのはおそらく
誤りであり、佳子先生は説かれないだろう。止観シートに取り組む
ことが難しい人のための基本行(これを第2の基本行と呼ぶことにしよう)
は、おそらく信次先生が弟子の誰かに直接伝えられると思う。

但し、その場合、第2の基本行の全てを詳細に伝えられるのではなく、
根幹となる考え方のみを伝えられ、詳細は弟子に任せられるのでは
ないだろうか。

329 :神も仏も名無しさん:2021/10/14(木) 17:37:02.57 ID:SYZKitajT
弟子は、それに基づいて、先智慧→実行→後智慧のサイクルを繰り
返してゆくことにより、第2の基本行の青写真にアクセスしてゆく
ことになると思う。なぜなら、それによって弟子は智慧の鍛錬を
積むことができるからである。

信次先生が第2の基本行の根幹を誰に伝えられるかは解らない。
GLAの中で特に立場も実績も無い人が、信次先生からご教示を頂く
かもしれない。

それゆえ、そのような人の提案であっても、真剣に検討して、
GLAの行として採用してゆけるだけの態勢をGLAが整えなければ
ならないだろう。

なお、以上述べたことは、渡辺氏がGLAに復帰されないことが
確実になった場合(例えば、渡辺氏が逝去された場合)に起こる
ことである。

信次先生は渡辺氏に第2の基本行の構築を主導してゆく優先的な
立場を与えられたのであるから、渡辺氏がGLAに復帰される可能性
が残っている場合、信次先生は、他の人には第2の基本行について
伝授されることは、おそらく無いだろう。

330 :神も仏も名無しさん:2021/10/20(水) 21:14:19.12 ID:wbOT43Xd2
第2の基本行の内容を私は知らないし、それを誰が説くことに
なるのかも解らない。しかし、第2の基本行によって、GLAの
教義の体系が変わる可能性が高いように思える。

第2の基本行については解らないことばかりであり、見当
はずれな事を述べてしまうかもしれないが、今、考えている
ことを述べておくことにしよう。

http://file.copyman.syoyu.net/GI.pdf (千年構想)

このレポートの8〜11ページには、GLAの教義の三層構造
のヴィジョンが示されている。それは、GLAの教義は、「原典」、
「ローカライズした神理」、「導入教義」の三層構造になる
というものである。

このレポートでは、「導入教義」とは、集団帰依した教団の元の
教義に密着する形で作成されるものとして説明されている。
しかし、そうではなく、「第2の基本行」そのものを世界共通の
「導入教義」にすることが妥当なのかもしれない。

331 :神も仏も名無しさん:2021/10/20(水) 21:14:59.71 ID:wbOT43Xd2
ある教団がGLAに帰依したとして、その教団の人々をお世話する
方針は、次のようなものになるのではないかと考えている。

(1)まず、その教団の従来の教義は、基本的にはそのまま
踏襲する。但し、「第2の基本行」をその教団の行として
位置づけ、第2の基本行に取り組んで頂く。

(2)第2の基本行によって、内界の看取りがある程度
果たせた人には、止観シートをお薦めして、今度は止観シート
に取り組んで頂く。

(3)やがて、その人は「従来の教義はもう要らないのでは
ないだろうか。神理一本でやっていきたい」と考えるように
なるかもしれない。
 その場合は、ご本人の判断で、信仰の方針を決定して頂けれ
ばよい。但し、これは、あくまでも「ご本人の判断」によって
決定して頂くことであり、他人が圧力をかけてはならない。

以上のような方針でお世話を進めることにより、一人の脱落者
も出すことなく集団帰依を進めてゆけるように思える。

332 :神も仏も名無しさん:2021/10/25(月) 11:04:45.50 ID:D44kDW/mi
佳子先生から頂いたテーマを放置し続けていると、佳子先生が
早世されることは何度も述べてきたが、まだ放置されている
のはなぜだろうか?それは私の説明の仕方が悪かったのかもしれない。

もう一度、いくつかの設問を列挙する形で説明を試みたいと思う。
どうか、ご自身の中で、設問に対する回答をして頂きたい。
そうすれば、佳子先生から頂いたテーマを放置し続けていると、
佳子先生が早世されることに納得して頂けると思う。

【設問1】佳子先生は1999年に「GLA共同体の千年構想の青写真に、
一丸となってアクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)という
テーマを下さった。では、弟子は、いつ、このテーマにチャレンジ
すべきだろうか?
A.直ちに開始しなければならない。
B.もう少し後に開始してもよい。

「千年構想の青写真」にアクセスすることは、千年先のヴィジョンを
描くことである。そして、千年先のヴィジョン、大目的が明らかに
なって、初めて例えば百年後の中目的、十年後の小目的などが明らか
になり、「今、何をすればよいか」が明らかになる。

333 :神も仏も名無しさん:2021/10/25(月) 11:05:24.68 ID:D44kDW/mi
逆に言えば、「千年先のヴィジョン」が解らなければ、「今、何を
すればよいか」が解らなくなるのだ。だから、「設問1」の解答は
「A」が正しい。「今、何をすればよいか」が解らなくなっている
例の一つとして、ホームページに掲載されている奇怪な文章が
挙げられるだろう。

関芳郎らは、信次先生の御遺骨とともに自らの遺骨を奉納できる
ことを、「歓びであり、このうえない誇りである」と主張する奇怪な
文章をGLAホームページに掲載している。

>>250 に述べたように、この事実には、例えば、「GLAが信次先生の
遺骨を祭祀したことに対して、会員の皆様が歓びと誇りを持てる
ようにせよ」のような事を佳子先生が指示されたことが背景にある
ものと考えられる。

これは、「千年先のヴィジョンにアクセスしていないから、今、
何をすればよいかが解らない」ということに他ならない。

では、次の設問について考えて頂きたい。

334 :神も仏も名無しさん:2021/10/25(月) 11:05:56.77 ID:D44kDW/mi
【設問2】あなたが、1999年以降、20年以上に渡って千年構想を
放置し続けているのは、「現状では解らないことが多すぎる。
佳子先生がもっと丁寧なご指導を下さったり、親切にコーディネート
をして下さるべきだ」と考えているからではないのか?

A.その通り。現状では解らないことが多すぎる。佳子先生の
ご指導やコーディネートが不足していると思われるので、
自分は千年構想に取り組んでいない。
B.それは違う。佳子先生のご指導やコーディネートは、神の
御意志に基づくものであり、神の御意志を具現するにあたって
必要かつ十分な筈である。千年構想に取り組まない理由は別にある。

“B”の一例として、「様々な事情で多忙なため千年構想に
費やしている時間が無い」ということが挙げられるだろう。
しかし、20年も連続してそのような事情が継続するケースは
稀であると思う。そのため、私は、大多数の人が“A”であると
思うのだ。

既に述べてきたように、佳子先生は、まず、本当に感じたことから
出発すること、( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/
そして、現実に身体を動かすこと、行動を起こすこと
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )の大切さを
説いて下さっている。これらのご指導は、千年構想に取り組むに
あたって整えるべき気魂を示して下さったものであると思うが、
千年構想の方針について特に具体的なヒントを示されたものではない。

335 :神も仏も名無しさん:2021/10/25(月) 11:06:31.92 ID:D44kDW/mi
千年構想の方針に関する具体的なヒントは、1999年に下さった
ヒントのみであり、それ以降は20年以上に渡って、具体的なヒント
は何も下さっていない。すると、「これ以上いくら待ったとしても、
追加で具体的なヒントを頂けることは無い」と考えるべきだろう。

それにも関わらず、設問2で“A”と回答した人は、「佳子先生が
ご在世中である」ことが思考の前提になっているのではないだろうか?
佳子先生がご在世中であるから、「もっとご指導を下さるべきだ」、
「もっとコーディネートをして下さるべきだ」などという考えが
湧いてくるのではないだろうか。

佳子先生が御帰天された後ならば、弟子が発心して自ら動かなければ、
動く人が誰もいなくなるのは自明であろう。つまり、設問2で“A”
と回答した人にとって、佳子先生がご在世中であることは、自らが
覚醒してゆくにあたって、最大の障害になっているのだ。

では、次の設問について考えて頂きたい。

336 :神も仏も名無しさん:2021/10/25(月) 11:08:22.13 ID:D44kDW/mi
【設問3】設問2で“A”と回答した人が覚醒し、自ら発心して
動けるようになるためには、佳子先生にご帰天して頂く必要が
あるのではないか?

A.その通り。自分にとって、佳子先生は最大の恩人であるが
自分がさらなる成長を果たすにあたって最大の邪魔者になっている。
自分がさらなる成長を果たすためには、ご帰天して頂くしかない。
B.それは違う。佳子先生が下さったテーマを20年以上も
放置してきた自分に一切の非がある。今後は、「本当に感じたこと
から出発すること」、「現実に身体を動かすこと、行動を起こすこと」
を大切な指針として千年構想に挑戦してゆくので、佳子先生にご帰天
して頂く必要はない。

佳子先生が1999年に千年構想のテーマを下さった後、既に20年以上も
経過してしまった。今は、“A”か“B”かの何れかを速やかに
選択しなければならない時期に至っている。

もし、“B”を選択しないなら、それは必然的に“A”を選択する
ことになる。そして、それは、「佳子先生に早世して頂く」ことに
他ならないのだ。

337 :神も仏も名無しさん:2021/10/26(火) 02:16:26.33 ID:NP06aGYW+
ミカエル宣言で大恥かいた婆さんを持ち上げるなんて恥ずかしくない?

338 :神も仏も名無しさん:2021/10/29(金) 09:25:43.67 ID:Ia7w8ZxWe
法華経には「三草二木(さんそうにもく)の喩」というものがあり、Wikipedia
の「法華七喩」には、次のように紹介されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9

  大地に生える草木は、それぞれの種類や大小によって異なるが、
  大雲が起こり雨が降り注がれると、すべての草木は平等に潤う。
  この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、
  中草とは声聞・縁覚の二乗、上草とは二乗の教えを通過した菩薩、
  小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、大樹とは大乗の教えの奥義を
  理解した菩薩であり、それら衆生は各自の機根に応じて一乗の教えを
  二にも三にも聞くが、仏は大慈悲をもって一味(一乗の異名)実相の教えを
  衆生に与え、利益で潤したことを例えた。

雨が降れば、全ての草木は平等に潤うが、大木と小さな草では、吸い上げる
水の量は全く異なる。佳子先生が説かれる神理も、正にそのようなものであり、
受ける側の器の大きさによって、「受け取れる教え」は全く異なる。

例えば、「時の羅針盤」に対して、「弟子が何を受け取らせて頂くべきか」
という指針は、生活実践等の場で共有されていると思う。しかし、その
共有される指針は「一体、どの段階の人を対象にしたものか」を考えなくては
ならないと思う。

339 :神も仏も名無しさん:2021/10/29(金) 09:26:29.90 ID:Ia7w8ZxWe
GLA会員を、声聞、縁覚、菩薩の三乗に分類したとして、声聞段階の人が
圧倒的多数である。すると、生活実践等において全体に共有される指針は、
原則として、声聞段階の人を基準にしなければならない事が解るだろう。

「縁覚以上」、あるいは「菩薩以上」を基準とした指針が全く無いという
わけでもないと思うが、それは相当に少ないと思う。すると、今生の
人生で菩薩になろうとする人々にとっては、事務局から示された指針のみ
では、全く不足するだろう。

既に述べてきたように、「時の羅針盤」において、佳子先生は、まず、
本当に感じたことから出発すること、
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/
そして、現実に身体を動かすこと、行動を起こすこと
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )の大切さを
説いて下さっている。

私は、これらのご指導は、「千年構想に取り組むにあたって整えるべき
気魂を示して下さったものである」と述べたが、そのような事は、
GLAの中で全体に共有される指針の中では述べられていないだろう。

それは、「千年構想をスタートさせるべき人々」は、「今生の人生で
菩薩になろうとする人々」であるから、その人々にとって必要な指針を
全体の指針として共有することは難しいためであろう。

340 :神も仏も名無しさん:2021/10/29(金) 09:27:21.37 ID:Ia7w8ZxWe
今生の人生で菩薩になろうとする人々は、「自分にとって必要な指針は
自分自身で吸い上げる」覚悟がなければならないと思う。それを、
「菩薩段階の人が吸い上げる指針」に一致させることによって、
魂の成長が果たされてゆくのではないだろうか。

私が述べてきた、「時の羅針盤」の解釈も、「自分自身が何を吸い上げる
べきか」を定めるにあたって、ぜひ参考にして頂きたいと思う。

今月の時の羅針盤212「どちらを選ぶのか」についても、考えてみたい。
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban212/
ここには、「唯物的世界」と「魂としての世界」が示されているが、
弟子は一体何を受け取らせて頂ければよいのだろうか?

「ぜひ、自分自身が“魂としての世界”で生きてゆきたい」という
受け取り方もあるだろう。しかし、それは声聞段階の人の受け取り
方であると思う。

また、別の受け取り方もある。「世界の総人口が80億だとすると、
80億の“唯物的世界”と80億の“魂としての世界”が存在する。
これから千年後かけて80億の“魂としての世界”の全てを開いて
ゆきたい」という受け取り方もあるだろう。

つまり、今月の時の羅針盤も「千年構想に取り組むにあたって整える
べき気魂を示して下さったもの」と受け取らせて頂くことができる。
今生の人生で菩薩になろうとする人は、「今月の時の羅針盤から一体
何を受け取らせて頂くのか、よく吟味して頂きたいと思う。

341 :神も仏も名無しさん:2021/11/05(金) 00:12:37.51 ID:THj4uqHGs
GLAのホームページを見ると、理事長=総合本部長が仲澤敏氏に変わっている。
会員の皆様に、その意味がお解りだろうか?それは、関芳郎が理事長のまま
佳子先生が御帰天されると、GLAにとんでもない混乱が起きるからだろう。

私は、仲澤氏のことはよく知らないが、この時期に理事長に任命される
ということは、佳子先生の御帰天後に理事長=総合本部長を担えるだけの
素養を持ち合わせた人なのだと思う。

つまり、佳子先生が御帰天されるカウントダウンは既に始まっているのだ。
あなたは、このまま黙って、佳子先生が御帰天されるまで、何も動かず
事態を眺めているつもりなのだろうか?そのような事をして、後で
後悔しないとでも思っているのだろうか。

佳子先生が千年構想にチャレンジするお誘いを下さってから20年、あなたは
何をやってきたのだろうか?何もやらずに「楽」を貪り、怠惰にふけっていた
だけであろう。20年も「楽」を貪ったなら、もう充分であろう。

今すぐ、行動を起こすことだ。これまで述べてきたように、まずは
「愚かしいQ&Aが掲載された経緯を明確にする」ことであり、経緯を明確にする
ことによって、「次に果たすべき事を明らかにする」という事になるだろう。

342 :神も仏も名無しさん:2021/11/05(金) 00:16:46.06 ID:THj4uqHGs
それから、仲澤氏が理事長に就任されたことで、仲澤氏に変な期待をする
人が現れるかもしれないので、この点についても述べておこう。

「変な期待」とは、例えば、「仲澤氏が先頭に立って千年構想を進めて
下さるのではないか?」、「ホームページの愚かしい記事も、削除する
ように仲澤氏が動いて下さるのではないか?」というような期待である。

その期待に対しては、「断じてそのような事は無い」と言い切って
いいだろう。仮に仲澤氏がそのように動こうとされたなら、佳子先生が
ストップをかけられるだろう。

「在家者が主体的に動いて、ホームページに愚かしい記事が掲載された
経緯を明確にしてゆくこと」、「それを契機として千年構想の青写真への
アクセスに挑戦すること」、それは在家者の中から菩薩を生み出して
ゆくために避けて通れないことである。

つまり、佳子先生が御帰天されようがされまいが、また、誰が理事長に
なろうが、在家者の為すべきことに何の変わりも無い、ということである。

繰り返しになるが、既に、佳子先生が御帰天されるためのカウント
ダウンは始まってしまった。今すぐ行動を起こすことだ。今すぐ、行動を
起こさない限り、手遅れになるだろう。

343 :神も仏も名無しさん:2021/11/12(金) 17:44:46.26 ID:8y0btN+Jf
>>341 >>342 述べたことについてもう一度考えてみたい。
> 今すぐ、行動を起こすことだ。これまで述べてきたように、まずは
> 「愚かしいQ&Aが掲載された経緯を明確にする」ことであり、経緯を明確にする
> ことによって、「次に果たすべき事を明らかにする」という事になるだろう。

> 繰り返しになるが、既に、佳子先生が御帰天されるためのカウント
> ダウンは始まってしまった。今すぐ行動を起こすことだ。今すぐ、行動を
> 起こさない限り、手遅れになるだろう。

述べた内容は正しいと思うが、実際には、これは実行することが
かなり難しいことなのかもしれない。

千年構想を20年も放置してきた人々、愚かしいQ&Aを何年も放置してきた人、
というのは、「佳子先生が動いて下さるだろう」という何の根拠もない、
「怠惰と依存の思想」に基づいて放置プレイを続けているのだろう。

このような「怠惰と依存の思想」は表面意識に発生した「果報」であり、
それは、「怠惰と依存の思考に陥りやすいカルマ」を「因」として、
発生している。

そして、「因」から「果報」を発生させる際に「縁」となっている
ものは、「佳子先生がご在世中である」という現実であろう。

344 :神も仏も名無しさん:2021/11/12(金) 17:47:42.51 ID:8y0btN+Jf
そのため、「怠惰と依存の思想」を解消するためには、「因」か
「縁」かの何れかを解消しなければならない。もし、自らの「因」
を転換できないのであれば、この思想を覆すためには、「縁」を
解消すること、すなわち佳子先生にご帰天頂くしか方法が無いのかも
しれない。

今生の人生で、仮にあなたが菩薩になれたとしよう。すると、
あなたが菩薩になれた最大の恩人は佳子先生であろう。

しかし、今、佳子先生は「ご在世中である」という現実によって
あなたのカルマを因として、あなたの表面意識に「怠惰と依存の思想」
を生み出す「縁」になってしまっている。これでは、佳子先生は、
あなたが菩薩になるにあたって最大の障害であると言えるだろう。

そして、今、あなたが「怠惰と依存の思想」から逃れて菩薩
になるために、佳子先生は御帰天されようとしている。それはもう
避けられないことなのかもしれない。

私としては、今まで述べたように、それ以前にあなたに「因」を
転換して行動を起こして頂きたいと思う。
しかし、もし、それが無理であるなら、佳子先生の御帰天を契機
として、あなたに転換を果たして頂きたい。

「怠惰と依存の思想」を捨て去り、佳子先生から頂いた千年構想の
テーマにまっすぐ向かって頂きたい。佳子先生のご指導を振り返り、
一歩一歩、道を歩んで頂きたい。それ以外に佳子先生から頂いた
恩寵にお応えする道は無いと思う。

345 :神も仏も名無しさん:2021/11/26(金) 18:20:03.03 ID:lMs8Tedl7
>>343 に次のように書いたが、もうしかすると、納得できないと
思う人がいるかもしれない。

> このような「怠惰と依存の思想」は表面意識に発生した「果報」であり、
> それは、「怠惰と依存の思考に陥りやすいカルマ」を「因」として、
> 発生している。
> そして、「因」から「果報」を発生させる際に「縁」となっている
> ものは、「佳子先生がご在世中である」という現実であろう。

佳子先生は、「魂の因果律」の「第二の因果律」として、
魂を「因」とし、三つの“ち”を「縁」とし、果報として「心」が
生じると説かれたことがあった。

ならば、「佳子先生がご在世中であるという現実は三つの“ち”
なのか?」「ならばそれは“血”なのか?“地”なのか?“知”
なのか?」と考える人がいるかもしれない。

346 :神も仏も名無しさん:2021/11/26(金) 18:20:37.76 ID:lMs8Tedl7
それに対する答は、次の通りになるだろう。

神理は、本来は言葉として表現し難いものであり、佳子先生が説
かれた神理は、言葉として表現し難いものを、あえて言葉として
表現して下さったものである。それゆえ、説かれた神理の言葉を、
ただ言葉のまま理解するのではなく、言葉を介在として「エネルギー
の流れ」を掴まなければ本当の事は解らない。

では、魂を「因」とし、「果報」としての心を形成してゆくエネルギー
の流れを掴むと何が解るだろうか?これは、少し掴みにくいかもしれ
ないが、それを掴むことができれば、「縁」となるものは「三つの
“ち”」に限られず、「この世に生を享けた後に出会ったあらゆる
もの」が「縁」になり得ることに気づけるだろう。
(但し、出会ったもののうち全く「縁」にならないものもある)

しかし、このように説明されても、なかなかイメージが掴みづらいと
思う。一方、「縁」になり得るものの中で、特にウエイトの大きな
ものが「三つの“ち”」であることは間違いない。それゆえ、佳子先生
は「三つの“ち”が第二の因果律の縁である」と説かれたのだろう。

そして、多くのGLA会員にとって、「佳子先生がご在世中である」
という現実も、「果報」としての「心」を形成してゆくにあたって
充分に大きな縁になっている。それは自らの内界をよく観察すれば
見えてくると思う。

347 :神も仏も名無しさん:2021/11/26(金) 18:22:16.51 ID:lMs8Tedl7
もう一点、佳子先生が御帰天された後に予定されていると思われる
ことも、もう少し詳しく述べておこう。

まず、佳子先生はご帰天される前、今後数十年の間にGLAにとって
必要なことを、全てボーディサットヴァ・ウィズダムとして遺して
下さるだろう。

但し、ボーディサットヴァ・ウィズダムは職員のみが拝読する
ことができ、かつ、職員はボーディサットヴァ・ウィズダムの
内容を自ら実現してゆくことは禁止されるのではないかと思う。

今後、GLAにおける具現は、在家の会員が発心してヴィジョンを描き、
そのヴィジョンの実現を事務局に願い出ることから始まると思う。
例えば、それは、千年構想のヴィジョンであったり、社会発信
システムのヴィジョンであったりするだろう。これこそが、在家
の会員が果たす「押し上げる力」になるのではないだろうか。

しかし、在家の会員はボーディサットヴァ・ウィズダムを拝読
できないため、描いたヴィジョンは、ほとんどの場合、何かしら
青写真から外れているだろう。

348 :神も仏も名無しさん:2021/11/26(金) 18:22:49.59 ID:lMs8Tedl7
そこで、事務局は、ボーディサットヴァ・ウィズダムを参照して、
在家の会員に様々な視点を導入してゆくことが求められるのでは
ないだろうか。その視点導入によって、在家の会員は、ヴィジョン
をより青写真に近づけてゆくことができる。これが、職員の
果たす「引き上げる力」になるのではないだろうか。

在家の会員は「押し上げる力」を発揮することによって修行を
果たし、職員は「引き上げる力」を発揮することによって修行を
果たしてゆく。それぞれ、立場の違いや、修行のあり方に違いは
あるが、それで在家の会員も、職員も、共に魂の成長を果たせる
ようになるだろう。

GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、
60ページには、久水講師の次のようなご発言が掲載されている。

「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、これまで
以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のように
なって響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の
両輪がたくましくなり、押し上げる力と引き上げる力がつながって
エネルギーが全開してゆくように、ぜひお世話をさせて頂きたいと
願っております。」

349 :神も仏も名無しさん:2021/11/26(金) 18:23:36.76 ID:lMs8Tedl7
これは、久水講師のご発言であるが、もともとは佳子先生が仰った
ことなのだろう。そして、その具体的な内容は、私が上述した
通りのことではないかと思う。

ただ、在家の会員が「押し上げる力」を発揮するにあたって、
本来、佳子先生に早世して頂く必要など、何もないと思う。

佳子先生がご在世中である今、怠惰と依存のカルマに打ち克つ
ことはできないだろうか?それによって「押し上げる力」を
発揮することはできないだろうか?

それさえ果たせれば、佳子先生の早世にストップをかけることが
できるだろう。それは、やはり難しいことなのだろうか?

350 :神も仏も名無しさん:2021/12/10(金) 00:28:44.32 ID:YNSuqvjPi
現在のGLAは、「佳子先生がどうにかして下さる」という「怠惰と依存の
思想」、あるいは共通の風土、共通認識というものに毒されていることが
お解りだろうか?

その思想は、佳子先生の御帰天とともに、早い時期に消失してゆくだろう。
そして、全ての人は、「佳子先生が弟子に下さったテーマは、弟子が
動かない限り一切何も動かない」という至極当然のことを至極当然のこと
として受け入れるようになるだろう。

しかし、GLAが「怠惰と依存の思想」に毒されている時に、それに対して
「No」と言える人と、その思想の力が無くなった後に「No」と言える
人とでは、全く次元が違うと思う。

人種差別の問題をもう一度思い起こしてほしい。2021年の現在、「人種差別
はおかしい」と言うことは、少なくとも先進国の中であれば、誰でも、
普通にできることであると思う。

しかし、約60年前の米国では人種差別が合法的に認められ、そのような
共通の理解、風土が蔓延していたのだ。そのような条件下で、人種差別に
反対を唱えることは勇気が必要なことである。

それは、変人扱いされること、様々な嫌がらせや、妨害を受けること、
自分の身に危険が及ぶこと等を覚悟しなければならなかった。実際、
ケネディ大統領をはじめ、人種差別を是正しようとした人で命を落とした
人も多かった。

351 :神も仏も名無しさん:2021/12/10(金) 00:29:22.70 ID:YNSuqvjPi
このように、社会に流れる共通の風土、共通認識が「神の御意志」に
適うのであれば、それに沿って動くことは比較的易しい。

しかし、社会に流れる共通の風土、共通認識が「神の御意志」に反する
とき、神の御意志に従って動くことは難しい。

しかし、その難しいことを果たせる人を神は求めておられる。それを
果たせる人でなければ、背負えない使命があるのだ。それを果たせる人
でなければ、開けない未来があるのだ。

今、佳子先生は現にご在世中である。そして、その事を縁として、GLA
全体が「佳子先生がどうにかして下さる」という「怠惰と依存の思想」に
毒されている。

あなたは、それに対して「No」と言える人なのか、それとも、ただ
共通の認識や、風土に流されしまうだけの人なのか、佳子先生が御帰天
されるまでの短い期間、あなたは神に試されているのではないだろうか。

そして、その結果に応じて、あなたの来世の人生、来世に背負える使命が、
おそらく違ってくるだろう。

352 :神も仏も名無しさん:2021/12/24(金) 16:36:06.33 ID:VgBWI1G6X
法華七喩とGLAの関係をもう一度振り返ってみたい。
まず、「三車火宅の喩」、「三草二木の喩」の二つに
ついては、次の「法華経に基づく伝道」
のレポートの内容通りでよいのではないかと思う。
http://file.copyman.syoyu.net/GF.pdf

「長者窮子の喩」の喩については、このスレッドで述べてきた
ように、W氏が第3代目会長として、GLAに復帰されることを
指しているのではないかと思う。

「化城宝処の喩」、「良医病子の喩」もこのスレッドで
述べてきたような意味ではないかと思う。

次に、「衣裏繋珠の喩」について考えてみたい。Wikipedia の
法華七喩のページでは、この喩は次のようになっている。
-----------------------
ある貧乏な男が金持ちの親友の家で酒に酔い眠ってしまった。
親友は遠方の急な知らせから外出することになり、眠っている
男を起こそうとしたが起きなかった。そこで彼の衣服の
裏に高価で貴重な宝珠を縫い込んで出かけた。男はそれとは
知らずに起き上がると、友人がいないことから、また元の
貧乏な生活に戻り他国を流浪し、少しの収入で満足していた。
時を経て再び親友と出会うと、親友から宝珠のことを聞かされ、
はじめてそれに気づいた男は、ようやく宝珠を得ることができた。
-----------------------

353 :神も仏も名無しさん:2021/12/24(金) 16:37:29.21 ID:VgBWI1G6X
「衣裏繋珠の喩」における宝珠とは、佳子先生が下さった
様々なご指導のことであると思われる。

それは、例えば、「時の羅針盤」において、佳子先生は、
「本当に感じたことから出発すること」、
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban210/
「現実に身体を動かすこと、行動を起こすこと」
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban190/ )の
大切さを説いて下さっている。

それらのご指導を無視しているため、ホームページに
掲載された奇怪な言葉一つ、削除させることができない
というのがGLAの現実である。このGLAの現実は、「衣裏
繋珠の喩」の中で「貧乏な生活」として表現されている
ことではないだろうか。

次に、「髻中明珠の喩」について考えてみたい。Wikipedia の
法華七喩のページでは、この喩は次のようになっている。
-----------------------
転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、
兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。
しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに
与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。
しかし、最も困難な事柄を果たした者には歓喜して明珠を与えた。
-----------------------

354 :神も仏も名無しさん:2021/12/24(金) 16:39:24.70 ID:VgBWI1G6X
この「髻中明珠の喩」については、まだGLAの中で対応する
事象が現れていないのではないかと思う。少なくとも私には
既に現れたものの中で思い当たるものがない。「将来起こる
ことが予定されているもの」ということで、一つの可能性
として、次のような事が考えられると思う。

既に述べてきたように、現在のGLAは、「佳子先生がどう
にかして下さる」という「怠惰と依存の思想」に毒されている。
その風土を転換すべき使命を背負う人は、通常であれば
菩薩以上の人になると思う。

しかし、現在のGLAでは菩薩以上の人は動かないように
ストップがかけられており、そのテーマは非菩薩の人の
修行として与えられているように見受けられる。

すると、喩の中にある「最も困難な事柄を果たした者」とは、
「非菩薩であったにもかかわらず、“風土を転換する”という
菩薩の仕事を果たせた人」ではないだろうか。そして、その
人に与えられる“髻の中にある宝珠”とは、悟りの九段階の
中の第七段階の悟り、すなわち“菩薩の悟り”ではないだろうか。

355 :神も仏も名無しさん:2021/12/27(月) 16:59:45.82 ID:I83slFuKM
以上、私の知る範囲においてGLAと法華経の関係を述べたが、上に
述べたものでは、まだまだ不十分であると思う。つまり、弟子全員が
持っている知識、経験、智慧を共有し、議論を深めてゆくことにより、
さらに解りやすいものにしてゆけるのではないだろうか。

佳子先生の法に直接触れて共感できる人にとっては、「GLAと法華経
の関係」というものは、ある意味では不要であるともいえる。これを
必要とする人は、佳子先生の法に直接触れても、いまひとつ共感
できない人であろう。

すると、「GLAと法華経の関係」を社会発信する場合には、神理に対する
理解が進んでいない人や、GLAの実情に関する知識が無い人であっても、
なるべくスムーズに理解できるよう、発信内容を構築してゆく必要性を
感じる。

GLAが「法華経に依拠する伝道」に参入するタイミングは、まだ先の
ことであるから、智慧を共有や議論のために費やせる時間は充分に
残っていると思う。

356 :神も仏も名無しさん:2022/01/07(金) 15:54:35.09 ID:xlNBmqQwX
法華経はGLAの出現を預言する預言の書であることは間違いないと
思うが、法華経には、色々と「変な記述」が含まれている。
その「変な記述」の代表例として、以下のA、B、Cについて
考えてみたいと思う。

A.焼身供養を推奨する
「薬王菩薩本事品」では、一切衆生喜見菩薩(薬王菩薩の過去世)が、
師である日月浄明徳如来を供養するために、自分自身に香油などを
注いで焼身供養をした事を釈尊が明かしたとされている。そして、
釈尊はその焼身供養を賞賛したとされている。

B.信次先生が否定された信仰形態を推奨する
「勧持品」や、その他随所においては、経典を暗記したり読み節を
つけて読経することを釈尊が推奨したとされている。また、
「方便品」では、仏塔や仏像を建立すること、仏画を描くこと、
仏骨、仏像、仏画を供養することが全て仏道を成就することであると
釈尊が述べたとされている。

C.差別を推奨する
「安楽行品」では、「悟りを求める修行者が近づいてはならない者」
として、釈尊は、拳闘や相撲、遊芸人達、カースト外の最下級の階層、
猪・羊・鶏・犬などを飼う者、狩猟や漁をする者、五種不男などを
挙げたとされている。なお、「五種不男」とは、「男であって
男の本性を欠いている五種類の者」であり性的マイノリティ―
を指すとされている。

357 :神も仏も名無しさん:2022/01/07(金) 15:55:09.94 ID:xlNBmqQwX
まず、「A.焼身供養を推奨する」については、おそらく悪魔が
介入して追加させた話ではないかと思う。信次先生、佳子先生が
これまで明かされてきた悪魔の所業の一つの特徴として、「人身
供犠をさせようとする」ことが挙げられる。「薬王菩薩本事品」
も、特に根拠があるわけではないが、そのような類の一つでは
ないかと思われる。

次に、「B.信次先生が否定された信仰形態を推奨する」について
だが、約50年前、信次先生は何度も、何度も、この種の信仰形態を
否定された。しかし、その事は、逆に考えると、「これで救われる」
と信じていた人がそれだけ多かったのではないだろうか。そして、
法華経は、そのような信仰形態を維持する重要な根拠の一つに
なっていたのだと思う。しかし、現在では、このような信仰形態を
肯定する人が、かなり少なくなっているのではないかと思う。

信仰形態に対する意識調査というものは、少し探した限りでは
見当たらなかったのだが、宗教に対する様々な意識調査を見て
いると、現代の日本人は合理性を求める傾向が強くなっている
のではないかと思う。例えば、50年前と比較して、「本尊を拝んで
読経すれば功徳がある」と言われて、納得する人が少なくなって
いるのではないかと思う。

358 :神も仏も名無しさん:2022/01/07(金) 15:56:10.97 ID:xlNBmqQwX
次に、「C.差別を推奨する」についてだが、「安楽行品」の内容が
差別的であることは、かなり以前から指摘されていた。しかし、
以前と比較して、最近は「差別」に対する人々の意識が一層厳しく
なっているのではないかと思われる。

これを象徴する事件の一つとして、2017年9月に、フジテレビが放送した
バラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の30周年
記念特番が挙げられる。この特番では、80〜90年代に流行ったキャラ
クター「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」を復活させた。
しかし、放送後、「ゲイに対する差別だ」という抗議がフジテレビに
殺到し、翌日、フジテレビの社長が謝罪を発表することになった。

この事件は、「30年」という期間で、差別に対する人々の意識が相当に
変貌した事例であると思う。

359 :神も仏も名無しさん:2022/01/07(金) 15:56:41.05 ID:xlNBmqQwX
私は、BとCに関しては、「悪魔の介入」によるものではなく
「天上界の計画」であったのだと思う。法華経が完成したのは
約2000年前と考えられているが、その当時から「約2000年後に
法華経に対する人々の支持を失わせ、法華経信仰を衰退させる」
という青写真が描かれていたのではないだろうか。

それは、法華経が衰退してゆく正にその時期に、法華経に代わる
信仰の中心軸として「佳子先生の法」が完成することが計画されて
いたからだと思う。

GLAが「法華経に依拠する伝道」を展開し、法華経信仰をしていた
人々に帰依を呼びかけることは、2000年前から青写真として描かれて
いたことであり、その青写真を具現化してゆくための準備は整えら
れつつある。

それゆえ、GLAがこの青写真に従って伝道を展開するならば、
天上界から惜しみない助力が与えられ、自分たちの力をはるかに
超える果報を頂くことができるだろう。

360 :神も仏も名無しさん:2022/01/12(水) 20:55:57.33 ID:kMe5IZzIX
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban214/
今月の時の羅針盤「王道を生きる」について考えてみたい。
特に、次の部分には、菩薩を目指す魂にとって大切な指針が含まれていると思う。

> そのカオスがいかなるものであろうと、そこには、実現されるべき
> 青写真(*3)が託されています。だからこそ、私たちは、今が
> どのようであろうと、本当にめざすべき未来を青写真とし、
> そこに至る最善の道、ゴールデンパスを求めることができる
> ということなのです。

> そして、その最善の道を自らに引き寄せる鍵は、私たち自身がいかに
> 神理と合致するか、宇宙・自然の法則と共鳴するか──。そのことに
> かかってくるのです。自らの受発色(じゅはつしき)(*4)を点検し、
> それを整えながら、「する」を連ねてゆくことです。

> 私たちには、どんなに望んでも「本当にできないこと」があります。
> たとえば、目の前の現実をすぐに変えたいと思っても、それは
> 「本当にできないこと」です。「こうだったらいいのに……」と
> どんなに思っても、すぐにはできないことがあります。

> どうにもならないことに惑わされることなく、今、すべきことに
> 意識を向けて、「できるのにしていないこと」を「する」ことなのです。

何度も繰り返すが、佳子先生は、「GLA共同体の千年構想の青写真に、
一丸となってアクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)という
御指示を下さった。しかし、そのご指示は20年に渡って放置され続けている。

この事態に対して、菩薩を目指す魂が果たすべきことは何だろうか?
それは、“「する」を連ねてゆく”ことではないだろうか。

361 :神も仏も名無しさん:2022/01/12(水) 20:56:26.79 ID:kMe5IZzIX
あなたにとって「できないこと」をやる必要は無い。佳子先生が
示されたように、「できるのにしていないこと」を「する」ことでは
ないだろうか。

・例えば、千年構想が放置されている問題に共感できる人と響働して
千年構想のヴィジョンを話し合うコミュニティを構築するように
事務局に要望することは、あなたにとって「できないこと」なの
だろうか?それとも、「できるのにしていないこと」だろうか?

・あなた自身が、千年先に何を果たしたいのか、その願いを確かに
してゆくことは「できないこと」なのだろうか?それとも、
「できるのにしていないこと」だろうか?

9つのプログラムにしても、あなたは何も自分から動いていないでは
ないか。ヴィジョンを描いて、その実現に尽くしてゆくことは
あなたにとって「できないこと」なのだろうか?それとも、
「できるのにしていないこと」だろうか?

佳子先生が示されたように、「する」を積み重ねてゆくことによって、
自分自身の歩む道に光を蓄えることができるだろう。そして、あなたの
辿る道は、最善の道に近づいてゆくだろう。

菩薩を目指す魂にとって「王道を生きる」こと、「最善の道」とは、
正に菩薩の具現を果たして菩薩の境涯を得ることではないだろうか。

362 :神も仏も名無しさん:2022/01/13(木) 13:17:06.92 ID:N5tflfQ/9
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
この記事にあるように、菩薩でない人が菩薩になれる
頻度は「数万年に一人」であり、それはほとんど
起こらないこと、ほぼ不可能なことである。

なぜ、これほど困難を極めるのか、という問題について、
>>314-315 では、私は、次の二つの命題によるパラドックスが
存在するためではないか、と述べた。

> ・「菩薩の受発色」を重ねない限り菩薩にはなれない。
> ・菩薩でなければ「菩薩の受発色」を発現できない。

しかし、>>314-315 で述べたことは、やや外れていたのでは
ないかと思う。今、私は、大多数の人が菩薩になれない理由は、
「できることをやらない」ことにあると思う。

如何に優れた指導者であっても、与えたテーマに対して
弟子が「これ以上できない」ところまで努力しないと、
次の段階に導くことはできないのではないだろうか。

すなわち、「できることをやらない」人間に菩薩の境涯
を与えることは不可能ではないだろうか。

363 :神も仏も名無しさん:2022/01/13(木) 13:17:33.01 ID:N5tflfQ/9
あなたの魂は菩薩になることを切望し、如何なる困難を背負って
でもそれを果たしたいと願って、生まれてきたのかもしれない。

しかし、肉の身を持った人間は弱い。できるだけ自分のエネルギー
をセーブして、できるだけ自分を安全な立場に置きたい、と考える。

その考えこそ、「できることをやらない」という行為につながり、
「何度願って転生しても菩薩になれない」という果報を生み出す
のではないだろうか。だから、菩薩でない人が菩薩になれる頻度は
「数万年に一人」になってしまうのではないだろうか。

そのような人々にとって、今月の時の羅針盤「王道を生きる」は、
本当に大切な指針になると思う。特に、次の一文は大切だと思う。

> どうにもならないことに惑わされることなく、今、
> すべきことに意識を向けて、「できるのにしていないこと」
> を「する」ことなのです。

この一文さえ、実行に移すことができれば(それはなかなか
大変なことかもしれないが)、あなたは超世の願いを果たし、
菩薩の境涯を得ることができるのではないだろうか。

364 :神も仏も名無しさん:2022/01/20(木) 22:43:09.75 ID:NkZvwWUT4
「できることをやらない」人は、なぜ「できることをやらない」の
だろうか?その原因は、「志が低い、願いが弱い」ということである、
と考えるのが普通であろう。

しかし、そもそも「志が低い、願いが弱い」人は、今生の人生で
佳子先生の弟子となって菩薩になる鍛錬を積むことは、許され
なかったはずである。

あなたの表面意識とは異なり、あなたの魂は、元々、高い志と強い願い
を抱いていたはずなのだ。魂が元々抱いていた高い志と強い願い、
それを自分で思い出すことは難しいが、魂の所以に遡る瞑想を
通じて思い出させて頂いた人も多いと思う。

しかし、佳子先生は、「魂の所以に遡る瞑想」によって体感できた
境地について「瞬間最大境地」と表現されたことがあった。その
「瞬間最大境地」は「元々の自分」に確かに備わっていたもの
であるが、そのリアリティを普段も保ち続けることは難しい。

しかし、普段の「表面意識の自分」を「元々の自分」に近づけてゆく
方法がある。それは、かねてから私が推奨してきた霊操行
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )である。

365 :神も仏も名無しさん:2022/01/20(木) 22:43:43.97 ID:NkZvwWUT4
霊操行は、佳子先生との一体化を果たしてゆく行であるため、一見すると
「自分自身」を「自分自身以外の存在」である佳子先生に近づける行の
ように見えるかもしれない。確かにそのような側面もあるが、それ以上に、
霊操行は、自分自身を「元々の自分」に近づけてゆく行でもある。

以前、佳子先生は「今のあなたより、ずっとあなたらしいあなた、それが
私(佳子先生)です」と仰ったことがあった。つまり、佳子先生との
一体化を果たしてゆくと、それによって本来の自分自身との一体化も
果たされることになる。

ならば、霊操行に親しむことによって、あなたは、必ず「本来のあなた」
に近づいてゆけるはずである。つまり、「高い志と強い願いを持ち、
如何なる困難も引き受けて菩薩の境涯にチャレンジしてゆくあなた」
が徐々に現れてくるだろう。

その「本来のあなた」に近づいたあなたが、佳子先生から頂いたテーマに
チャレンジすることによって、菩薩になる願いはきっと果たされるだろう。

366 :神も仏も名無しさん:2022/01/28(金) 18:14:22.40 ID:TDdCC490I
大乗経典の中に「無量義経」というものがあり、口語訳は
このサイトにある。
https://syoubou.wordpress.com/
このサイトによると、「無量義経」の中では、次のように、
仏が説く教えの特徴が示されている。

>  仏法に帰依した男子よ、この教義の理由により、
>  全ての諸々の仏の言葉には嘘偽りがないのです。
>  巧みに一つの真実の言葉で広く人々の声に応じ、
>  巧みに一つの身体を以ってガンジス川の砂の数ほどの
>  数え切れない身体を示し、
>  その一つ一つの身体の中にまたガンジス川の
>  砂の数ほどの数え切れない種々の形を示し、
>  一つ一つの形の中にガンジス川の砂の数ほどの
>  数え切れない形を示すのです。

しかし、「無量義経」の中には、「無量義」である
「仏が説く教え」の実例が特に示されていないのだ。

367 :神も仏も名無しさん:2022/01/28(金) 18:14:52.80 ID:TDdCC490I
「無量義」である「仏が説く教え」は、正に佳子先生が
説かれていることではないかと思う。例えば「時の羅針盤」
もそうである。私がこれまで述べてきたように、「時の
羅針盤」には、「今生の人生で菩薩を目指す魂」にとって
何が大切であるかが示されている。

しかし、その文章は同時に、「今生の人生で菩薩になる
ことが時期尚早である魂」にとっても、とても大切な
教えである。このように、佳子先生が説かれる教えは、
数え切れない意味を有する「無量義」の教えであると言える
だろう。

私は、これまで法華経が「GLAの登場を預言した書」で
あると述べてきたが、法華経に限らず、大乗経典全般が、
「GLAの登場を預言した書」と言えるのかもしれない。

そのためには、大乗経典全般をリサーチして、GLAとの
関係を検討していく必要性を感じる。

368 :神も仏も名無しさん:2022/02/04(金) 18:55:45.36 ID:NoknICv3j
千年構想、7つのプログラム、9つのプログラム
に関して、「佳子先生が下さるヒントが不親切」とか
「佳子先生がコーディネートして下さらない」とか
考えている人がいるだろう。

なぜそうなっているのか、という理由をもう一度考えて
みたのだが、菩薩になるためには、「他人からの指示、
指導、助力などが無い状況下で、自ら青写真にアクセス
して具現を果たす」という鍛錬が欠かせないという
ことではないだろうか。

すなわち、菩薩を志す魂には、基本的には「指導者
の助力なし、ノーヒントで具現を果たす」ことが
求められているのではないだろうか。

来世は佳子先生とともに転生するわけではない
のだから、「助力なし、ノーヒントで具現を果たす」
ことができない人には、結局、何も果たせないという
ことになるだろう。

ただ、千年構想等に対して、本当にノーヒントにして
しまうと、見当はずれな方向に努力を重ねてしまう
人が出てくる可能性が生じてしまうだろう。

369 :神も仏も名無しさん:2022/02/04(金) 18:56:16.05 ID:NoknICv3j
それゆえ、佳子先生が若干のヒントを下さっているのは、
あくまでも「見当はずれな方向に努力を重ねてしまう
ことを防止する」ためであると思われる。

やはり基本的には「助力なし、ノーヒント」でなければ
ならないのだと思う。

すると、さらなるご助力を待っていたとしても、何も
得られないだろう。例えば、「もっと親切なヒントを
下さってもいいはず」、「もっとコーディネートして
下さってもいいはず」、などと考えていても、何も
得られず、そのうちに人生が終わってしまうだろう。

佳子先生が1999年に千年構想のテーマを下さった後、
既に20年以上も経過してしまった。その間に、「今生の
人生で菩薩になる」ことを願って生まれてきた人の
中で、その願いを果たせず逝去された人もいるだろう。

佳子先生がして下さったことには「して下さった意味」
があり、して下さっていないことには「して下さって
いない意味」が存在する。その意味を知らないで、
自分で勝手に佳子先生に何かを期待したとしても、
それは「人生の願いを果たせない」という残念な結果
に終わるだろう。

370 :神も仏も名無しさん:2022/02/25(金) 17:48:27.54 ID:pAGdJkeN8
菩薩になるために必要なことは、佳子先生から頂いたテーマに対して、
ただ「自分ができること」を果たすだけである。自分にできない事は、
とりあえず横に置いて差し支えないのである。

「自分ができること」をなぜ果たそうとしないのか?その理由は、
さまざまな言葉で表現できるかもしれないが、結局は「煩悩」であろう。
「煩悩」に負けて、煩悩に絡み取られているから「自分ができること」
すら何もやらないで放置しているのだろう。

現在のあなたの姿は、おそらく過去世のあなたの姿と重なるだろう。
なぜなら、人間というものは、時代を変えても、国を変えても、
状況を変えても、そっくり同じようなことを繰り返す存在だからだ。

過去世のあなたも、やはり煩悩に絡み取られてしまったのだろう。
やはり師から頂いたテーマに対して、「自分ができること」を果た
さず、放置してきたのだろう。その結果、菩薩になることを願って、
何度転生しても、願いを果たせずに人生が終わってしまったのでは
ないだろうか。

371 :神も仏も名無しさん:2022/02/25(金) 17:50:42.46 ID:pAGdJkeN8
今世のあなたも、過去世のあなたと同じような存在であるとする
ならば、過去世と同じように煩悩に負けて、煩悩に絡み取られ、
過去世と同じように願いを果たせずに人生が終わってしまうかも
しれない。それは、仕方ないと言ってしまえば、仕方ないこと
なのかもしれない。

しかし、今世のあなたと過去世のあなたでは、一つ大きな違いがある。
それは、今世のあなたは、菩薩になるための本格的な修行に参入する
前に、自らの煩悩、自らの内界がよく見えるように鍛錬してきた、
ということである。

過去世のあなたは、「煩悩」とは如何なるものか、よくわから
ないまま、煩悩に対峙して煩悩に負けていただろう。しかし、今世の
あなたはそうではない。「煩悩」とは如何なるものか、よく知った
上で煩悩に対峙することができる。

そのことは、今世のあなたは、煩悩に勝利し「自分ができること」を
果たしてゆけるようになる可能性が高くなったと言えるだろう。

しかし、いくら「可能性が高くなった」と言っても、煩悩に打ち克つ
志と勇気が無ければ、やはり煩悩に負けてしまうだろう。煩悩に
負けてしまえば、過去世と同じように願いを果たせず人生が終わる
という結果を繰り返すしかないだろう。

372 :神も仏も名無しさん:2022/03/18(金) 18:53:21.58 ID:8nuMjJOlr
菩薩になることを志した人々が菩薩になる修行を積めるように、
佳子先生による鍛錬が始まってから、既に20年以上が経過した。
しかし、その間、佳子先生から頂いたテーマは、全く放置され
続けてきた。

「このままでは誰一人として菩薩になることは適わないだろう。
以前、佳子先生が仰った“数多の菩薩湧出のヴィジョン”とは
如何なるものであろうか?如何にしてそれが実現できるのだろうか?」

このように、私は神の御心を訊ねていた。その時、一つのヴィジョン
が私の意識の中に浮かんだ。おそらく、それが青写真ではないかと思う。

そのヴィジョンとは、次のようなものである。
まず、菩薩になることを志した人々のうち何人かは、先駆者として
選抜される。そして、選抜された人は、短い時間で人生を区切られる。
例えば、それは一年か二年程度の期間になるかもしれない。

短い時間で人生を区切られた先駆者は覚醒し、佳子先生から頂いた
テーマの実現に邁進する。

しかし、先駆者に与えられた時間は短い。先駆者による挑戦は、その
途中で終焉を迎えることになるだろう。しかし、その先駆者による
挑戦に触れることで、先駆者以外の人々が覚醒し、先駆者からの
バトンを受け継いでテーマの実現に邁進するだろう。

このように、志が連鎖してゆくことにより、佳子先生から頂いた
テーマが実現しながら数多の菩薩が出現する…これが私の意識に
浮かんだヴィジョンである。

373 :神も仏も名無しさん:2022/03/18(金) 18:54:18.05 ID:8nuMjJOlr
先駆者として選抜される人は、これを読んでいるあなたかもしれない。
だから、先駆者となるべき人々に、ぜひ心に置いて頂きたいと思う
ことをここで述べておきたい。

まず、先駆者として選抜された人は、おそらくスムーズにその役割
を果たせるわけではないだろう。スムーズにその使命を悟り、使命を
果たそうと動ける人であれば、過去20年の間に必ずなんらかの行動を
起こしていた筈だと思う。

過去20年間、なんら行動を行動を起こさなかった人が、先駆者として
選抜されたならば、例えば、「納得できない。なぜ自分の人生が短く
区切られなければならないのか」など、深い執われに陥るだろう。

しかし、その時には、このように自らに問いかけて頂きたいと思う。
「自分にとって“最も大切な事”は何だろうか?」
「自分は何を果たしたくて生まれてきたのか?」
「自分が佳子先生に師事することを許されたのは何故なのか?」

その答えは、「全ては一人の菩薩を生むため」ではなかった
だろうか。すなわち、あなたの中から一人の菩薩を生むためでは
なかっただろうか?その“最も大切な事”に対して、過去20年、
あなたは何を果たしてきただろうか?ただ眺めているだけで、
何一つ果たしてこなかったのではないだろうか。

仮に、これから何十年もの人生の時間があなたに与えられたと
しよう。その場合、どのような人生をあなたが送るのかを想像
してみてほしい。

374 :神も仏も名無しさん:2022/03/18(金) 18:55:57.50 ID:8nuMjJOlr
これから何十年もの人生の時間が与えられたなら、その時間で
様々な経験を積み、様々な学びを重ねることができるだろう。
しかし、“最も大切な事”に限って考えるならば、それは
過去20年の繰り返しに過ぎないのではないだろうか。

ならば、あなたが先駆者として人生を短く区切られたことは、
その短い期間で“最も大切な事”に収斂して取り組む機会を
与えられたということであり、それは神があなたに与えられた
恩寵ではないだろうか。

ところで、あなたは、これまで、人生の時間を短く区切られた
会員の方が、最後の短い時間で見違えるように覚醒し変貌して
ゆかれた事例を何度もご覧になってきたのではないだろうか。

しかし、今回選抜される先駆者は、そのような過去の事例とは
大きく異なる点があると思う。

過去の事例は、会員の方々が覚醒し変貌できた要因として、
「本人が志を立てられ、努力を重ねられた」というものが第一に
挙げられるだろう。しかし、それと同時に、「佳子先生による
同伴、お世話」というものが非常に大きなウエイトを占めていた
のではないかと思う。

しかし、今回先駆者となる人には、そのような同伴、お世話は
頂けないだろう。本当に「全く無い」とは言い切れないかもしれ
ないが、少なくとも過去の事例から想像できるような、佳子先生
による手厚い同伴、お世話というものは頂けないだろう。

このように、「佳子先生による同伴、お世話を頂けない」という
ことも執われを深める一つの要因になってしまうかもしれない。

375 :神も仏も名無しさん:2022/03/18(金) 18:57:46.17 ID:8nuMjJOlr
なぜ、佳子先生から同伴、お世話を頂けないのか?それは、決して、
先駆者となる人が見捨てられているからではない。

過去、短い時間で見違えるように覚醒し変貌してゆかれた方は、
「神と結びついた」ために、それを為しえたのである。
すると、「佳子先生に同伴、お世話をして頂いて覚醒した方」
というのは、「佳子先生という他人を介在として、その人が神と
結びついた」ということになるだろう。

しかし、菩薩になる人は「他人を介さず神と直接結びつく」ことが
求められ、それが果たせない限り菩薩にはなれない。そのため、
佳子先生が先駆者に対して、過去の事例のように同伴、お世話を
されるということは、神が許されないだろう。

その人自身が、神の御心を訊ね、神と結びつき、神の御意志を
果たしてゆかなければならないのだ。

このように考えると、先駆者として選抜された人に課せられる使命は
とても重く辛いものになると思う。しかし、その重さ、辛さを背負
えるからこそ、その人は先駆者に選ばれたのだろう。

先駆者に選ばれた人は、一時期は、深い執われに陥ることは避けら
れないかもしれない。しかし、やがてその人は自らの先駆者としての
使命を悟り、その使命を果たしてゆくだろう。

そして、先駆者を礎として、“数多の菩薩湧出のヴィジョン”が
実現してゆくだろう。

376 :神も仏も名無しさん:2022/03/25(金) 16:06:09.38 ID:EzzaS4+fN
上述した「先駆者」として選抜された人が、本当にその使命を全う
できるか否か、と考えると、そこには不確実な点がある。その人は、
過去世にそのような使命を果たした実績が無いと思われるので、
使命を果たせないまま人生が終わってしまうかもしれない。

その場合、神は、誰かが「先駆者」としての使命を果たせるまで、
第二、第三の先駆者となる人を選抜されるだろう。

また、「先駆者」としての使命を誰かが果たしたとして、先駆者
以外の人は、本当に先駆者からのバトンを受け継いでテーマの
実現に邁進できるだろうか、と考えると、同じ理由で、それを
果たせないかもしれない。

その場合にも、神は、「先駆者の志を継ぐ人」を選抜し、その人の
人生を短く区切り、先駆者の志を継いでテーマを進捗させるだろう。
但し、その人も「先駆者の志を継ぐ人」としての使命を果たせない
まま人生が終わってしまうかもしれない。

その場合、神は、誰かが「先駆者の志を継ぐ人」としての使命を
果たせるまで、第二、第三の「先駆者の志を継ぐ人」を選抜
されるだろう。

377 :神も仏も名無しさん:2022/03/25(金) 16:11:10.41 ID:EzzaS4+fN
既に述べたように、誰かがその使命を頂いたとしても、佳子先生
からその事を告げられることも無ければ、佳子先生によるお世話、
同伴というものも期待できないだろう。その人自身が直接神と
繋がり、使命を果たしてゆかなければならない。

このように考えると、「弟子が主体となって佳子先生から頂いた
テーマにチャレンジする」という風土がGLAの中に形成されるまで、
「多くの人の人生が短く区切られる」という結果を生むかも
しれない。否、そうなる可能性が高いように思えてならない。
そして、あなたもその一人になるかもしれない。

これは、近視眼的に見れば、残酷な事のように見えるかもしれない。
しかし、既に述べたように、これは短い期間で“最も大切な事”
に収斂して取り組む機会を与えられたということであり、それは
神から頂いた恩寵であると思う。

もし、あなたが“最も大切な事”をないがしろにしながら、
長い寿命を得たとするならば、むしろそちらの方が、魂のまなざし
から見ると、残酷な事ではないだろうか。

人生を短く区切られた人々によって、GLAの中で育むべき風土が
育まれてゆくことは、「その人々自身の魂願を成就してゆくこと」、
そして「GLA全体の風土を育んでゆくこと」を同時に実現してゆく
ことになるだろう。

それは、あなたが「未来千年の礎になる」という事だろう。

378 :神も仏も名無しさん:2022/03/31(木) 23:28:08.68 ID:4O/g0LLt+
既に述べたように、一人一人の魂願成就を果たし、また、「弟子が
主体となって佳子先生から頂いたテーマにチャレンジする」という
風土がGLAの中に形成されるまで、「多くの人の人生が短く区切
られる」という事が予定されていると思う。

しかし、神は「人生を短く区切る」という選択肢を直ちには選択
されないのではないか、とも思える。つまり、それを選択される前に、
なんらかの形で、「このままでは、あなたの魂願を果たすため、
あなたの人生を短く区切らざるを得ませんよ」という「よびかけ」
を下さるのではないだろうか。

その「よびかけ」が如何なるものになるかは私には解らない。また、
それぞれの人によっても異なるだろう。

それは、例えば「肉体的な痛み」や「経済的な痛み」という形で
現れるかもしれない。あるいは、「佳子先生から頂いたテーマの
重要性を痛感させる具体的な事例をあなたに見せつける」という
形で現れるかもしれない。

否、おそらく既にそのような「よびかけ」を頂いている人が何人も
いるのではないかと思う。仮に、あなたが、そのような「よびかけ」
を頂いたならば、すぐに行動に移すべだと思う。

「よびかけ」を頂いているのにそれを放置するという事は、
「あなたの人生を短く区切る」という以外に、選択肢がなくなる、
ということになるだろう。

379 :神も仏も名無しさん:2022/04/13(水) 00:58:30.30 ID:cXmWca2ns
GLA総合本部って今どんな感じなんですか?あまり評判が悪いという話もネット上では正直出てこないですが。

380 :神も仏も名無しさん:2022/04/15(金) 00:08:14.34 ID:GnMk1Rsu+
私は一昨年の11月に、「試練」について考えを述べたことがあった。
https://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1512431122/238-240n

それは要するに、「縁覚段階以上の人に与えられる試練では、試練の
内容と試練が呼びかけていることの間に全く関係が無い場合もある」
というものであった。

ただ、試練の内容と試練が呼びかけていることの間に全く関係が無い
場合には、「試練が何を呼びかけているのか」ということが掴みにくい
場合も出てくるだろう。呼びかけの意味が掴みにくい状況下であれば、
神がその種の試練を人間に与える可能性は低くなると思う。

しかし、今、「菩薩を志す人」にとっては、「呼びかけの意味が
掴みにくい」という状況は、全く生じないと思う。つまり、菩薩を
志す人が一体何を果たさなければならないのか、という問題に対する
解答は、既に、佳子先生が明確に示されているからである。
例えばそれは、「千年構想」であり、「9つのプログラム」である。

すると、「菩薩を志す人」であってこれらのテーマを放置してきた人
に対して、例えばなんらかの肉体的試練、経済的試練が与えられた場合、
その試練が呼びかけていることは明白であろう。

すなわち、「正に佳子先生が示されたこと」こそが「試練が呼びかけ
ていること」に相違ないのだ。このように、試練が呼びかけていること
を明確に把握できる状況下では、「試練が呼びかけていることと
試練の内容が全く関係無い場合」というものが高確率で生じるだろう。

つまり、例えばなんらかの肉体的試練、あるいは経済的試練などが
厳しい形で与えられる可能性が高い、ということになるだろう。

381 :神も仏も名無しさん:2022/04/22(金) 18:05:44.91 ID:+fzbtOzsl
もし、あなたに厳しい試練が与えられたなら、あなたは神を恨む
かもしれない。しかし、その試練は、あなた自身が菩薩になる
ことを切望し、そのために如何なる厳しい試練も引き受けることを
願ったから、与えられたものであろう。

なぜ、あなたは、それほど菩薩になりたかったのだろうか?

それは「菩薩になりたかった」と言うよりは、「自分自身の
現状が耐え難いものだから」と言えるかもしれない。
「自分自身の現状が耐え難い」とはどのような事であるのか、
私の考えを述べておきたい。

私には、GLAの現状は、非菩薩である有余の菩薩の悲哀に
満ちているように見える。

佳子先生が1999年から千年構想、7つのプログラム、9つの
プログラムという形で、4万人の有余の菩薩に対して菩薩になる
ための修行をスタートして下さってから23年が経過した。
(なお、菩薩以上の人に対しては佳子先生がストップをかけて
おられるように見受けられる)

しかし、「4万人」という人数がいて、「23年」という時間が
与えられても、有余の菩薩は、全く何も果たせていない。

382 :神も仏も名無しさん:2022/04/22(金) 18:07:55.03 ID:+fzbtOzsl
また、上述した事に関連するが、GLAのホームページには、GLA
を貶める奇怪な文章が掲載されている。

https://www.gla.or.jp/about/yatsugatake/
> ご遺骨をお預かりできる「納骨室」が設けられています。
> …
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして数多の求道者たちと
> 共に奉納できることは、道を歩む1人ひとりにとっての
> 歓びであり、このうえない誇りにほかなりません。

GLAの事をよく知らない人がこの文章を読めば、GLA会員とは、
高橋信次先生の遺骨とともに自分の遺骨を奉納することで、
「歓び」や「このうえない誇り」を感じる人たちであると
理解するだろう。それ以外に理解の仕方など無いだろう。

そして、この文章は、8年前の2014年から掲載されている。
http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php

「4万人」という人数がいて、「8年」という時間が与えられ
ても、自分たちのホームページから奇怪な文章一つ消すことが
できない人たち、それが有余の菩薩ではないだろうか。

383 :神も仏も名無しさん:2022/04/22(金) 18:10:42.95 ID:+fzbtOzsl
よく目を開いて現実を見てほしい。佳子先生からご指導、同伴、
お膳立て等のご助力を頂ければ、その範囲内では神の御意志を
具現できる。しかし、ご助力が無ければ、何万人集まろうが、
何年、何十年という時間を与えられようが、神の御意志を一切
具現できない人たち、それが「有余の菩薩」ではないだろうか。

その「有余の菩薩」である自分自身の現実を見て、あなた自身
はどのように思うだろうか?「悔しい」、「恥ずかしい」、
「情けない」、「申し訳ない」、「もう一度生きなおしたい」…
という気持ちは湧いてこないだろうか?

多分、「全く湧いてこない」というわけではなく、少しは
湧いてくるのではないかと思う。少し湧いてきても、それは
あなた自身の変革に結び付くほどの強さではないのだろう。

しかし、あなたの魂は、あなたの表面意識が少しだけ感じて
いることを、何百倍、何千倍という強さで感じているのでは
ないだろうか。すると、あなたの魂は「これ以上有余の菩薩に
留まることは耐え難い」、「如何なる試練を引き受けても、
神の御意志を具現してゆける人間になりたい」、と強く
願ったのではないだろうか。

その強い願いこそが、あなたに今生の人生が与えられた所以
であり、これからあなたに厳しい試練が与えられる(あるいは
既に与えられている)所以ではないだろうか。

384 :神も仏も名無しさん:2022/05/05(木) 01:08:38.49 ID:LtN5DU/vg
これから厳しい試練を受けることが予定されている人、または既に受けて
いる人が、一時、神を呪い、神を恨むことは避けられないかもしれない。
しかし、その人々は、そこから立ち上がり、神の御意志に従って歩む力を
持っているはずなのだ。持っているが故に今生の試練が与えられるのだろう。

ただ、自分自身に厳しい試練を与える「神」とは如何なる存在であるのか、
そのイメージを掴んでおくことは、神の御意志に従って歩み始めるに
あたって、一つの助けになるのではないだろうか。

そこで、「神とは如何なる方であるのか」という事を述べておきたい。
神とは如何なる方であるのか、それは既に佳子先生が「新いのりの道」
にて解説して下さっている。しかし、あなたは、この解説を拝読して、
理解できるだろうか?なんとなく、解ったような、解らないような、
今一つ釈然としない気分にならないだろうか。

385 :神も仏も名無しさん:2022/05/05(木) 01:09:14.61 ID:LtN5DU/vg
実は、神とは如何なる方であるのか、という問題について、あくまでも
「私が感じた範囲」ではあるが、もっと短く、もっと解りやすく回答する
ことができる。それは、すなわち、「神とは佳子先生のような方である」
と申し上げることができるだろう。

このことは、神の御意志を直接感じた体験が無いと、実感的に把握する
ことは難しいと思う。しかし、やがて、それが果たせるようになった時、
「本当に神とは佳子先生のような方である」と実感できると思う。

佳子先生の事を「神の如きお方」、「神の化身」、「神の分身」の
ように表現させて頂くとすれば、「神」とは「佳子先生の本体」である
と考えることができるだろう。

これから、あなたが神に向かって助力をお願いするとき、祈るとき
(時には神に向かって抗議するときもあるかもしれない)、
「自分は“佳子先生の本体”に向かって語りかけている」と
イメージすると如何だろうか。これによって、「神」という存在が、
あなたにとって、より引き寄せやすい存在になるだろう。

386 :神も仏も名無しさん:2022/05/09(月) 01:26:24.59 ID:s/6qKVm95
現在、ロシアによる一方的なウクライナ侵略が展開されている。
この問題について考えてみたい。この事態は、私たちに何に気づけ、
何をせよ、と呼びかけているのだろうか?

「ウクライナにできるだけの支援をすべき」、「日本も相応の備えを
整えなければならない」というのは正しいと思うが、これは別に神理を
学んでなくても言えることだと思う。

神理を学んだからこそ言えることとは、一体何なのか?

なお、私の考えは今週末あたりに述べることにする。

387 :神も仏も名無しさん:2022/05/18(水) 23:35:08.61 ID:EVuHcA6GR
少し遅くなったが、ロシアによる一方的なウクライナ侵略が
私たちに呼びかけている事は何であるのか、私の考えを述べる。

まず、ロシアによるウクライナ侵略は、直接的にはプーチン大統領が
起こしているものである。しかし、ロシアでのプーチンの支持率は
80%を超えている。プーチンが好き勝手な事を果たせるのは、この
圧倒的な支持率が根拠になっている。そのため、名もなき多くの
ロシア人こそがウクライナ侵略を起こしている元凶であると私は思う。

では、なぜ大多数のロシア人はプーチンを支持するのか?
この問いに対する解答は、ロシア通の人が様々な形で述べている。
私自身はロシアに関して、ほとんど知識が無いが、ロシア通の人が
述べている事とは別の角度から述べることができる。

多数のロシア人がプーチンを支持している理由は、ロシア人の多くが
「そのような事をしてしまうカルマを抱えている人々」であり、
その種の人々が集まった結果、プーチンを支持するような「集団業」
を形成しているからである。この「集団業」とは、「3つのち」、
特に民族業、地域業と、同じ意味であると認識してもらってもいいだろう。

そして、「カルマ」と「集団業」が合わさると、そこには、4月の
「時の羅針盤」で佳子先生が明かして下さった「人生の重力圏」という
ものが形成される。その「人生の重力圏」というものは、ロシア人に
対して超え難い壁になってしまうだろう。

それゆえ、「ロシアのやっている事はおかしい」と諸外国から批判を
受け、その批判が正しいことを頭の中で理解できたとしても、
多くのロシア人にとって現実は変え難いものになる。

388 :神も仏も名無しさん:2022/05/18(水) 23:36:01.19 ID:EVuHcA6GR
以上、ロシアの事を述べたが、実はGLAでも、形を変えてそっくり同じ
ような事が起こっているのではないだろうか。

何度も述べてきたが、佳子先生が下さった「千年構想」、
「7つのプログラム」、「9つのプログラム」が20年以上に渡って
放置され続けている。そして、GLAのホームページには、正にGLAを
貶めるような奇怪な文章( >>382 ) が8年以上も掲載され続けている。

なぜそのような事が起こっているのだろうか?その理由は、正に
「そのような事をしてしまうカルマを抱えている人々」がGLAに集め
られたからであり、そのような人々が集まった結果、「3つのち」
に類似した「集団業」がGLAに形成されているからである。

そして、「カルマ」と「集団業」が合わさると、そこには、
愚かしい現実を生み出すような「人生の重力圏」というものが
形成される。その「人生の重力圏」というものは、多くのGLA会員に
対して超え難い壁になってしまうのだろう。

如何だろうか?「ロシアの現実」と「GLAの現実」、両者は表面的には
全く異なるように見えるが、「人生の重力圏に縛られた人間」という
点では、そっくり同様の現象が現れていることが解るだろう。

389 :神も仏も名無しさん:2022/05/18(水) 23:39:28.66 ID:EVuHcA6GR
しかし、「ロシア」と「GLA」には全く異なる点がある。それは
大多数のロシア人は神理を知らないのに対して、GLA会員は神理を
学んでいることである。大多数のロシア人は、自分が「人生の
重力圏に縛られた人間」であることすら認識できないだろう。

しかし、GLA会員は、自分自身が「人生の重力圏に縛られた人間」で
ある事を自覚できる点が異なっている。自覚できたならば、
そこから離れてゆく努力を重ねる事ができるだろう。そして、
「人生の重力圏から脱出する事ができる」という現実を世界に示す
ことができるだろう。

世界中の様々な人は、様々異なる「人生の重力圏」というものを
抱えている。しかし、GLAが「人生の重力圏から脱出する事ができる」
という事実を示したならば、様々異なる「人生の重力圏」を
抱えている人々がその事を自覚でき、その人々も「人生の重力圏」
から脱してゆける道が拓かれてゆくだろう。

そして、現在ロシア人として人生を歩んでいる魂たちも、その拓
かれた道を辿ってゆくことができ、プーチンを支持してしまう
ような傾きから自由になってゆけるだろう。

これには、非常に長い時間、例えば何百年、何千年という時間が
かかるかもしれない。しかし、如何に時間がかかろうと、それは
困の次元を根本的に願の次元に運ぶ、唯一にして最短の道であると
私は思う。

390 :神も仏も名無しさん:2022/06/14(火) 20:23:46.19 ID:kTwnje0GS
https://www.gla.or.jp/about/about_membership/
今日はこの「GLA会員憲章」について考えてみたい。実は、
この憲章は、内容を見直すべきではないかと思う。

会員憲章について検討するならば、まず、会員憲章と千年構想との
関係を明確にすべきだろう。千年構想とは、未来千年に渡って
『GLA共同体』が果たしてゆくことである。一方、会員憲章は
未来千年に渡って『個々の会員』が果たしてゆくことである。

ならば、両者は表裏一体、不可分の関係にあり、響きあい、
一つになってゆくものではないだろうか。

この憲章は、上記ページにあるように、2004年の「善友の集い」
で採択された。このことから、おそらく、2003年暮れか、
2004年の年初あたりに、会員憲章を採択するよう、佳子先生
からご提案かご指示があったのではないだろうか。

一方、「千年構想の青写真アクセスする」という御指示は
1999年に下さったものである。ならば、先に頂いたご指示に従って、
まず千年構想の青写真にアクセスすべきであり、それがある程度
果たされた時点で、後に頂いたご指示に従って、千年構想と響き
あうように、会員憲章を検討すべきではないだろうか。

千年構想のヴィジョンを心に落とすことなく、会員憲章に着手
した結果、現状の会員憲章は、「千年」という時間の広がりや、
「全世界」という空間の広がりが感じにくいものになっている
ように見受けられる。

391 :神も仏も名無しさん:2022/06/14(火) 20:24:17.74 ID:kTwnje0GS
例えば、冒頭にある文章について考えてみたい。
> 私たちは遙かな転生の果てに、幾重もの後悔と願いを抱き、
> 神不在、物質偏重の時代に生まれてきました。

「神不在、物質偏重の時代」に生まれてきた「私たち」とは
「20世紀〜21世紀初頭に生まれてきた日本人」ではないだろうか。
外国、特にキリスト教圏では無神論者は少数派であり、大多数の
人にとって「神不在」ということは無いと思われる。

> 出口なき迷いと苦悩――そのただ中を生きていた私たちは、
> 高橋信次先生、高橋佳子先生にお会いして、初めて神との絆、
> 永遠の生命との絆を思い出すことができました。

この一文は、会員には、「高橋信次先生、高橋佳子先生に出会う
前の人生」が存在し、それが「出口なき迷いと苦悩――そのただ
中を生きていた」人生であったことを前提としているように
見受けられる。

しかし、多くの二世会員は、幼少の頃に信次先生、佳子先生に
出会っていたわけであり、今後、会員数が増加してゆくと、二世
会員の割合がさらに大きくなるだろう。

二世会員にとって「出会う前の人生」というものは極めて短い場合が
多い。それが「出口なき迷いと苦悩――そのただ中を生きていた」
人生であったと言われても、釈然としないのではないだろうか。

次に「私たちの信条」の内容を読んでみよう。これらの項目の
大部分は佳子先生が示された指針に基づくものであり、
「間違い」と言えるものではない。

392 :神も仏も名無しさん:2022/06/14(火) 20:25:04.09 ID:kTwnje0GS
しかし、千年構想のヴィジョンを心に落としてゆくと、「何と
してもこれを果たしてゆきたい」という願いと、「不可能に
近い困難さ」というものと、両方を感じるのではないかと思う。

現状の「私たちの信条」の内容は、「不可能に近い困難さ」
に対して、世代を超えて挑戦し続けてゆく決意と覚悟という
ものが、今一つ感じられない気がする。

私は、会員憲章のストラクチャーは、例えば次のような
ものにすると如何かと思う。但し、上述したように、まず
千年構想のヴィジョンを明確にし、その上で会員憲章に
ついて検討すべきだろう。

1.前文:
 ここでは、千年構想に対する願い、そして千年構想を
実現してゆく決意を述べる。

2.私たちの信条:
 ここでは、千年構想を実現してゆくために、菩薩必携の
四力を育んでゆく決意を述べる。
 そして、観力、浄力、発力、結力の四つの側面において、
それぞれ如何にしてその力を育むのかを誓願する。

393 :神も仏も名無しさん:2022/07/09(土) 16:59:47.93 ID:bqAlw58Ty
約2年前になるが、私は、キリスト教が形骸化した原因について私の考えを
述べたことがあった。( >>219-220n )

これを簡単に要約すると、以下のようなことであった。
・キリスト教を形骸化させた犯人はパウロではなく、それは「快感原則」
に染まった人々である。
・「快感原則」に染まった人々が、パウロの言葉に従うのと、イエス・キリスト
の言葉に従うのと、どちらが「楽」だろうか、と自然に考えて、無自覚のうちに
「楽」な方を、「自分を変える必要が無い」方を、選んでしまった結果、
キリスト教が形骸化した。
・そして、GLAも同じ道を歩んでしまう危険がある。

ここで、さらに考えてみると、かつてキリスト教を形骸化させてきた人々と、
今、GLAを形骸化させようとしている人々は、実は、かなり重複しているの
ではないかと思う。

それは、もしかすると、あなたのことかもしれない。あなたは、過去世で
快感原則に染まってキリスト教を形骸化させてきた人々の一人なのかも
しれない。そして、今生の人生でも、過去世と全く同じような過ちを
犯そうとしているのかもしれない。

もし、あなたが過去世と同じ過ちを繰り返そうとしているならば、あなた
自身の魂は、絶対にそれを看過しないだろう。おそらくあなたの魂は、試練を
通じてあなた自身を目覚めさせて下さるよう、神に懇願するだろう。もし、
その通りであるとすると、あなたは厳しい試練に遭遇することになるだろう。

しかし、その試練こそ、神の恩寵であることを心すべきだろう。その試練は、
あなたを「快感原則に呑まれ、快に流される人間」から、「神の御意志を
具現してゆける人間」、すなわち「千年構想を推進してゆける人間」に
転換させてゆく神の御慈愛であり、神の導きであると思う。

394 :神も仏も名無しさん:2022/07/11(月) 08:17:33.32 ID:IkW0fGBGE
Google には、サイトを指定して検索する機能がある。例えば、
「site:gla.or.jp 受発色」で検索をかけると、「gla.or.jp」の中で
「受発色」の語句を含むページが全てリストアップされる。これは
全部で40ページほど存在する。

では、「site:gla.or.jp 千年構想」で検索をかけると、何が検索される
だろうか?検索結果は、全く何も出てこないのだ。GLAのホームページの
編集に直接関われる人はごく僅かであるが、これは会員全体の総意を
反映したものではないだろうか。

つまり、「千年構想というものは、最初から無かったことにしたい」
というのが、会員の総意であろうか?それとも、佳子先生が呼びかけて
下さったことに対して何も果たしていないので、恥ずかしくて掲載できない、
ということであろうか?GLAのホームページには、正に「恥ずべきGLAの現実」、
そして「恥ずべきあなたの現実」が現れているのではないだろうか。

千年構想に対して、あなたが果たすべき事は何だろうか?
それは、これまで何度も述べてきたように、既に佳子先生が示されている。
それは、「できるのにしていないこと」を「する」ことに尽きる。

https://www.gla.or.jp/compass/rashinban214/
> そのカオスがいかなるものであろうと、そこには、実現されるべき
> 青写真(*3)が託されています。だからこそ、私たちは、今が
> どのようであろうと、本当にめざすべき未来を青写真とし、そこに至る
> 最善の道、ゴールデンパスを求めることができるということなのです。

> そして、その最善の道を自らに引き寄せる鍵は、私たち自身がいかに
> 神理と合致するか、宇宙・自然の法則と共鳴するか──。そのことに
> かかってくるのです。自らの受発色(じゅはつしき)(*4)を点検し、
> それを整えながら、「する」を連ねてゆくことです。

395 :神も仏も名無しさん:2022/07/11(月) 08:18:30.81 ID:IkW0fGBGE
> 私たちには、どんなに望んでも「本当にできないこと」があります。
> たとえば、目の前の現実をすぐに変えたいと思っても、それは
> 「本当にできないこと」です。「こうだったらいいのに……」と
> どんなに思っても、すぐにはできないことがあります。

> どうにもならないことに惑わされることなく、今、すべきことに
> 意識を向けて、「できるのにしていないこと」を「する」ことなのです。

“「できるのにしていないこと」を「する」”というのは簡単そうに
見えて、快感原則に呑まれた人には、困難を極めることなのだろう。
快感原則に縛られて全く身動きが取れない、それが現実のあなたの
姿ではないだろうか。

しかし、現実のあなたの姿が如何なるものであろうとも、快感原則を
超えて“「できるのにしていないこと」を「する」”を重ねてゆける
あなたの姿、それは理想的な姿であったとしても、その姿を想像する
ことはできるだろう。そして、「現実のあなたの姿」を「理想的な
あなたの姿」に転換できれば素晴らしいとは思わないだろうか。

これからあなたに与えられる(あるいは既に与えられている)試練は、
正に「現実のあなたの姿」を「理想的なあなたの姿」に転換するために
神が与えて下さる恩寵ではないだろうか。

それゆえ、神から試練が与えられたなら、感謝してその試練の意味
を受け止め、試練に込められた意味、願い、を成就して頂きたいと
思わずにはいられない。

396 :神も仏も名無しさん:2022/07/29(金) 18:21:57.86 ID:KWzuOySzm
>>366-367 に述べたように、佳子先生が説かれる法は、
大乗経典の「無量義経」に示された「無量義」の教えである
と思う。すなわち、一つの言葉に無限の意味が込められている。

それゆえ、声聞、縁覚、菩薩の三界の人々が、それぞれの気魂に
応じた意味を受け取ることにより、魂の成長を果たせるという
ことになるだろう。

しかし、例えば、GLAの事務局が、全会員に向かって佳子先生の
お言葉の意味を解説する場合には、どうしても声聞段階の人を
基準にせざるを得ないだろう。それは、声聞段階の人が圧倒的多数を
占めるからである。

声聞段階の人を基準にした解説は、「既に縁覚の境地を得て菩薩を
目指す人」の指針にするには、到底足りないものである。
だから、私は、そのような人々のため、佳子先生のお言葉の意味を
如何に受け止めるべきかを述べてきたつもりである。

では、あなた自身が「既に縁覚の境地を得て菩薩を目指す人」なのか、
それ以外の人なのか、どのようにして判断すれば良いだろうか?
それは、簡単に判断することができる。

397 :神も仏も名無しさん:2022/07/29(金) 18:23:07.52 ID:KWzuOySzm
それは、 http://file.copyman.syoyu.net/GB.pdf (GLAの歴史概観)
にある「煩悩地図の原理」、そして http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf
(法の継承時の鍛錬)にある「魂の因果律の全体像」、この2つの神理が
「神理である」と認識できるかどうかで判断できる。

これら2つの神理が「神理である」と認識できる人は、「既に縁覚の境地を
得て菩薩を目指す人」であり、私の言葉に耳を傾けるべき人であると思う。

特に「煩悩地図の原理」を実感的に把握するためには、感覚、感情、思考の
極の歪みの強弱と、そこに流れるエネルギーの関係を掴まなければならない。
それを果たせるのは縁覚段階以上の人であり、声聞段階の人には無理な
ことだと思う。

実は「魂の因果律の全体像」について、インターネット上で公表する前に、
ボランタスで伝研生をしている、ある人に開示したことがある。すると、
その人の反応は、「はあ?第3の因果律?一体、何を考えてるのですか?」
というものだった。

その人からすると、私という人間は、「わけの解らない持論を神理であると
主張する人間」にしか見えないだろう。ならば、私が述べていることに
対して聞く耳など持てないだろう。それは、そのように思って頂いて
構わないと思う。その人にとって「今生の人生で菩薩の境涯を得る」という
ことは時期尚早であり、私の言葉は無視してもらっても構わないからだ。
そして、GLA会員の9割以上は、その人と同様だと思う。

一方、これら2つの神理が「神理である」と認識できる人は、私の事を
「自ら神理を発見し神理を説ける人間」であると認めることになる。すると、
これら2つの神理以外に私が説いていることも簡単には無視できなくなって
しまうだろう。

398 :神も仏も名無しさん:2022/07/29(金) 18:24:20.55 ID:KWzuOySzm
このように、神は、私に神理を説かせることにより、私の言葉に耳を
傾けるべき人と、それ以外の人を峻別されたのだ。
だからこそ、私は、「私の言葉に耳を傾けるべき人」に申し上げたい。

7月1日の時の羅針盤 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban220/
では、“「当たり前」を問い直す”ことが呼びかけられている。
これは、菩薩を目指す人にとっては、“あなたが「千年構想に対して
抱いている当たり前」を問い直す”ことだと受け止めるべきだろう。

7月29日の時の羅針盤 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban221/
では、“焦点と磁石をつくる”ことが呼びかけられている。
これも、“あなたが千年構想に対して焦点と磁石をつくる”ことだと
受け止めるべきだろう。

それは、千年構想こそ、「既に縁覚の境地を得て菩薩を目指す人」が
真に菩薩の境涯を得るために与えられたテーマだからである。

繰り返しになるが、「時の羅針盤」等に対してGLA事務局が発表している
解釈や視点は、その大部分が声聞段階の人を対象としたものである。
もし、あなたがそこに留まって安住してしまえば、あなたは今生の
人生では菩薩になれなくなってしまうだろう。

399 :神も仏も名無しさん:2022/08/07(日) 17:47:38.59 ID:UX7vas+HK
7月29日の時の羅針盤( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban221/ )
「焦点と磁石をつくる」において、佳子先生は次のように述べられている。

> では、願いや目的を抱けば、その焦点に向かって内なるエネルギーを
> 集中させることができるのでしょうか。もうおわかりのように、できる人も
> いれば、できない人もいる──。それが事実です。

> 願いや目的という焦点に内なるエネルギーを注ぐには、その焦点に
> 向かってエネルギーを持続的に導くことができる心の磁石が必要
> だからです。あるいは、エネルギーを集めることのできる心のレンズが
> 必要だと言ってもよいでしょう。

> どんなに素晴らしい願いを抱いていても、その願いを具現するためには、
> 私たちの内なるエネルギーを集中して、その願いの成就に注ぎ続ける
> ことが必要です。

> 少しの失敗や困難な状況に揺れ動くことなく、くじけることなく、
> 持続的にエネルギーを焦点に向かって注ぐ中心・核となる力、持続する
> 意志とでも呼ぶべき心の磁石を形成できたとき、私たちは、人生の醍醐味を
> 味わうことになるのです。

では、千年構想の成就を願う人は、如何にして「心のレンズ」、「心の磁石」
を育んでゆけばよいだろうか?私は、その鍵は、「痛み」と「申し訳なさ」を
自覚し、刻印することにあると思う。

信次先生は、悪霊の問題について多くの事を説かれてきた。佳子先生はこの
問題について、あまり多くの事を説かれていないが、それによって、以前
よりも悪霊の問題が薄れているかのような錯覚を起こしている人がいる
かもしれない。

400 :神も仏も名無しさん:2022/08/07(日) 17:48:30.40 ID:UX7vas+HK
しかし、悪霊の問題は、なんら薄れていない。悪霊に憑依された人々が
起こす事件、例えばノイローゼになった有名人が不可解な自死を遂げる事件は、
日々のニュースの中に満ち溢れている。

この問題に道をつけてゆく方法は、信次先生の法を復活させる事に尽きる
だろう。それが全く進んでいない現実に、「痛み」と「申し訳なさ」
を感じないだろうか。

また、世間には、「沢山お布施をすれば救われる」などと主張する偽物の
宗教がはびこっている。先日も、そのような宗教の被害に遭った人が
安倍元首相を狙撃するという痛ましい事件が発生した。

GLAが積極的な伝道を展開し始めて30年以上が経過した。これによって
「本物の宗教=神理」を世間に伝えてきたが、残念ながらそれに見向きも
しない人のほうが大多数である。

これまでの伝道を振り返れば、佳子先生の法をそのままストレートに
お伝えするだけでは、どうしても限界があることに気づかれるだろう。
GLAが他教団の集団帰依を実現し、既存の宗教を土台として、神理に
誘ってゆく必要がある。しかし、その準備も全く進んでいない。その現実に
対しても、「痛み」と「申し訳なさ」を感じないだろうか。

千年構想が進捗していない事にたいする「痛み」と「申し訳なさ」、
それはあなたの魂も既に感じている事であると思う。ただ、それは
表面意識には、あまり強く意識化されていないのではないだろうか。

日々のニュースに接したとき、自分自身の魂が何を感じているのか、
自分自身の魂に尋ねてほしい。そこから湧き上がる「痛み」と「申し訳なさ」
を感じること、刻印すること。それこそが、千年構想に焦点してゆく
エネルギーになると思う。

401 :神も仏も名無しさん:2022/08/24(水) 21:10:41.97 ID:nbEJRgclX
今日は、「幼児虐待」について、私がふと考えたことを述べること
にしよう。私は、「幼児虐待」についてよく知らないし、当事者に
話を聞いたこともない。そのように事情をよく知らない私が、
自身の考えを述べることには、どうしても躊躇を感じる面がある。

それなのに何故、考えを述べるのかというと、なぜか「私の考え
公開するように」との促しを感じたためである。私の考えが
どこまで正しいのか解らないが、それを参考のために必要とする
人がいるのかもしれない。

そもそも、幼児虐待は、なぜ起こるのだろうか?

その大きな原因の一つは、被害者本人が、わざわざ、そのような
行為に及ぶような親を選んで生まれてきたからではないだろうか。
なぜ、そのような親を、わざわざ選んだのだろうか?

よく「幼児虐待は遺伝する」と言われている。自分自身が虐待
され辛い思いをして育ってきたのに、自分自身が親になると、
子供に同じ事をしてしまうケースが多いということだ。

この「遺伝」とは、「3つの“ち”の中の“血”」、すなわち
「親から受け継いだ意識の流れ」というものもあるだろう。
しかし、「本人の魂が元々持っていたカルマの流れ」というもの
も大きいのではないだろうか。

402 :神も仏も名無しさん:2022/08/24(水) 21:12:15.67 ID:nbEJRgclX
つまり、幼児虐待の被害者である幼児は、元々「幼児虐待の
加害者になるカルマ」を持っているケースが多いのではない
だろうか。

そのようなケースでは、幼児虐待の被害者である幼児には、
「3つの“ち”」と「カルマ」によって、「幼児虐待の加害者
になるような想念」が形成されてゆくことが、最初から予定され
ているのではないだろうか。

では、なぜそのような想念を形成するのか?その理由は、
「その想念を形成した上で浄化する」ためではないだろうか。

「3つの“ち”」と「カルマ」によって形成された想念は、重く、
変え難いものであると思う。しかし、困難を乗り越えてその想念の
浄化を果たしたときには、御著書「希望の原理」に示された
「ミクロとマクロの共振」が起こるだろう。

これによって、、自らのカルマの超克と、「3つの“ち”」の
浄化を共に果たしてゆける道が拓けてゆくことになる。

幼児虐待の被害者になるということは、幼いうちに命を落とす
危険も大きくなる。そのような危険すら承知の上で、幼児虐待の
被害者である幼児は、「カルマの超克」、「ミクロとマクロの
共振」を願って、今生の環境を選んできた人が多いのではない
だろうか。

403 :神も仏も名無しさん:2022/09/18(日) 17:38:19.05 ID:Z20VKHMPZ
私は、4/22( >>381 )に次のように述べたが、実は少し解らないことがあった。

> 私には、GLAの現状は、非菩薩である有余の菩薩の悲哀に
> 満ちているように見える。
>
> 佳子先生が1999年から千年構想、7つのプログラム、9つの
> プログラムという形で、4万人の有余の菩薩に対して菩薩になる
> ための修行をスタートして下さってから23年が経過した。
> (なお、菩薩以上の人に対しては佳子先生がストップをかけて
> おられるように見受けられる)
>
> しかし、「4万人」という人数がいて、「23年」という時間が
> 与えられても、有余の菩薩は、全く何も果たせていない。

「解らないこと」というのは、「非菩薩とは、全く動かない人たちばかり
なのか?動く人がいてもおかしくないのではないか」ということである。

http://file.copyman.syoyu.net/GB.pdf (GLAの歴史概観)にある
 「煩悩地図の原理」、そして http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf
(法の継承時の鍛錬)にある「魂の因果律の全体像」、この2つの神理が
「神理である」と認識できる人を次の3つのグループに分けることが
できると思う。

A.佳子先生から頂いたテーマを遂行してゆく智慧を既に備えている人。
B.未だ智慧は充分に育まれていないが、紆余曲折しながらテーマを
遂行しようとする人。
C.未だ智慧は充分に育まれておらず、テーマを放置している人。

404 :神も仏も名無しさん:2022/09/18(日) 17:38:49.67 ID:Z20VKHMPZ
Aグループの人は菩薩以上であり、おそらく動かないように、と佳子先生から
ストップをかけられている。そして、非菩薩の人は、Bグループか、Cグループに
属することになるだろう。しかし、現状のGLAには、Bグループに属する人が一人も
いないように見受けられる。もし、Bグループに属する人が一人でも存在すれば、
その兆候が目に見える形で現れるはずだからである。

現状のGLAには、Bグループに属する人が、なぜ一人もいないのだろうか?

それは、おそらく、Bグループに属する人というのは、「一時的に」
現れることはあるが、その人は、Bグループに長く留まることは無い、
というのが理由ではないだろうか。

紆余曲折しながらもテーマに対峙してゆくことにより、その人には
智慧がどんどん身についてゆき、早い時期にAグループに入ってしまうの
だろう。それゆえ、現状のGLAでは一人も存在しないのではないだろうか。

あなたがCグループに属していて、Bグループに参入できないとする
ならば、それは、あなた自身の心に、何かの「弱点」があるためだろう。

「Cグループ」というのは、A、B、Cの中では最も低いグループで
あるが、それは、「煩悩地図の原理、および魂の因果律の全体像は神理
であると認めることができる」という前提を満たす人の中で最も低い
グループということである。

この「前提を満たす人」というのは、GLAの中でもごく一握りの人であり、
それは、自分の内界を見取る鋭敏な感性を備えた人である。それゆえ、
あなたがBグループに参入することを妨げているあなた自身の「弱点」が
何であるのか、それを喝破する力が、あなたには既に備わっているはずである。

405 :神も仏も名無しさん:2022/09/18(日) 17:39:25.60 ID:Z20VKHMPZ
従って、あなたはあなた自身の「弱点」を喝破して、それを克服し、
Bグループに参入することが呼びかけられていると思う。あなた自身も、
何よりもそれを果たすために生まれてきたのではないだろうか。

そして、あなたがBグループに参入できたならば、あなたは短い期間内に
智慧を蓄積してゆくことができ、Aグループに参入できるだろう。
それは、すなわち、あなたが菩薩になる、ということである。

8/28の時の羅針盤「内なる勇者を呼び出す」において、佳子先生は、私達が
抱きがちな「自分の力では、もうどうすることもできない」、「自分1人が
頑張っても、どうにかなるわけではない」というつぶやきを否定され、
「内なる勇者を呼び出す」ことの大切さを説かれている。
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban222/ )

そして、「内なる勇者」が抱く側面として
・恐れに負けない「冒険者」、
・人生のミッションを求め続ける「探求者」、
・自らを変えることを厭わない「開墾者」、
・神理に一心に従う「法則の使い手」
という4つの側面を挙げられている。

あなたがBグループに参入することを妨げている「弱点」が何であるのか、
それは、この4つの側面から眺めてみると、見えやすいのかもしれない。

406 :神も仏も名無しさん:2022/09/23(金) 16:10:17.54 ID:3OcupKBkx
>>403-405 で述べたことをもう一度考え直してみたのだが、
過去20年以上に渡って、Bグループの人が全く現れないというのは、
やはり何かおかしいと思う。

おそらく、Bグループの人は既に何人も現れているのだろう。
そして、その兆候が現れていない理由、Bグループの人が
現れる度に、佳子先生がその人に対してストップをかけられ、
さらにストップされたことを口止めされているのではないだろうか。

改めて考えてみると、「CグループからBグループに転換することが
予定されている人」が、元々何十人かいたとして、その全員を
転換するためには、転換した人が現れる度にストップをかける事が
正しいようにも思える。

そして、Cグループの中で最後に残った一人が転換したとき、
事態が動くようになっているのではないだろうか。

もし、あなたがCグループの人であったとして、「Cグループの人
は他にも沢山いる」と考えているなら、それは、もしかすると、
違っているかもしれない。つまり、残っている「Cグループの人」
は、あなた一人しかいないかもしれない。

407 :神も仏も名無しさん:2022/09/30(金) 14:15:38.75 ID:pa/2LUuID
GLAのホームページの愚かしい記事が残り続けている
理由の一つとして、それによる「痛み」を経験していない
人が多い、ということが挙げられるのかもしれない。

ご講演会等に非会員のを誘ったところ、相手から参加を
断れたとして、相手の方はその理由を明確に述べないことも
多いと思う。もし、相手の方がGLAのホームページの
内容に疑問を抱いていたとしても、その事を明言しな
ければ、誘った側には、原因は解らないだろう。

しかし、中には、ホームページの問題を具体的に
指摘して、批判を述べた方もおられると思う。

もし、そのような事態に遭遇した人は、他の人に「痛み」
を共有して頂くことはできないだろうか。

その人の「痛み」を自分自身の「痛み」として受けと
める人が多くなると、それによって、ホームページを
このまま放置できない、という認識がGLAの中で高まって
ゆくのではないだろうか。それは、GLAを変革してゆく
第一歩につながってゆくのではないだろうか。

408 :神も仏も名無しさん:2022/10/06(木) 21:49:10.50 ID:y7J9b8Q8y
>>407 で述べたことであるが、この点は「在家者の努力」のみ
ならず、事務局の側からの支援も必要ではないかと思う。

おそらく、これまで事務局ではホームページの愚かしい記事を
削除すべく色々動いてこられたのだと思う。しかし、佳子先生が
許可されないために、愚かしい記事が今日まで残り続けている
のではないだろうか。

許可されない理由はは、在家者が主体となって動いて、「押し上
げる力の結集」(GLA誌2001年6月号)を果たし、それによって
愚かしい記事の削除を果たしてゆく必要があるからだろう。

しかし、それは「事務局は何もやらなくてよい」という意味では
なく、「押し上げる力の結集」を果たしてゆく支援をすることが
事務局には求められているのではないだろうか。

具体的には、まず、在家者からアンケートを取るなどして、
ホームページの愚かしい記事によって生じている痛みの現実を
把握してゆく集める必要があるだろう。

そして、痛みを背負った会員に対して、その痛みを他の人にも
共有して頂けるように働きかけ、例えば「伝道の分かち合い」
のような場で、共有を実現してゆくように動く必要であるのでは
ないかと思う。

409 :神も仏も名無しさん:2022/10/07(金) 17:32:35.65 ID:whQSbKNqL
痛みを背負った会員に痛みを共有して頂く場合、「神理実践報告」
という形にはこだわらないほうが良いのではないかと思う。

ホームページの愚かしい記事によって制約や痛みを受けながらも、
本人の智慧と努力によって制約を克服し、光転の果報を導き出された
方もおられると思う。

しかし、この問題に対する「神理実践」とは、本来は、「ホーム
ページの愚かしい記事の削除を実現し、佳子先生が元々下さった
テーマに挑戦していく」という方向でなければならないはず。

今日、それが果たせていない事は明白である。そして、それ以外
の方向性をもった神理実践報告をしてしまうと、「ホームページの
愚かしい記事は放置しておいてもよい」という雰囲気を生んでしまう
危険が生じるかもしれない。

もし、「痛みの分かち合い」に「神理実践報告」という形を取る
のであれば、在家の会員が、本来果たしてゆくべき神理実践の
方向性を見失わないように、注意が必要であると思われる。

410 :神も仏も名無しさん:2022/10/14(金) 16:08:28.48 ID:D1I+UdXbr
これまで、私は、GLAのホームページにある愚かしい
記事について、「速やかに削除すべき」と思っていたし、
そのように述べてきたが、少し考えが変わってきた。

実は、これらの記事は、中長期的には削除すべきもので
あるが、現段階では「削除してはならないもの」では
ないか、ということである。なぜ、そのように考えが
変わったのか理由を述べよう。

佳子先生の御著書等によって神理に触れ、その後に
ホームページの愚かしい記事を読んだ人は、どのように
考えるだろうか?それには、様々なパターンがあると
思うが、その中の代表例として、以下に述べるA群と
B群について考えてみたい。

A群:ホームページの記事には引っかかるが、佳子先生の
御著書に示された神理は、正しいものと思われ、とても
惹かれる。入会してもっと神理を学んでみたい。

B群:確かに書籍には立派な事が書いてあって関心を
持ったが、ホームページにあのように愚かしい記事を
書く教団というのは、信用するに値しない。

411 :神も仏も名無しさん:2022/10/14(金) 16:09:57.97 ID:D1I+UdXbr
A群の人は、神理に対する感受性の高い人であり、過去世
から神理に御縁のあった人であると思う。しかし、B群の
人は、神理に対する感受性がさほど高い人ではないと
言えるだろう。

ホームページの愚かしい記事は、A群の人が入会するに
あたって、さほどの障害にはならないが、B群の人が
入会するにあたっては、大きな障害となってしまう。

これまで述べたように、ホームページの愚かしい記事は、
佳子先生のご指示に対して関芳郎がおかしな解釈をして
書いたものであると考える。

しかし、関芳郎がそのように動くであろう事は佳子先生は
元々ご存じであり、関芳郎がそのように動くように、
あえて仕向けられたのだと思う。

その理由は、正に「B群の人の入会をなるべく抑制する
ため」であったと思う。

412 :神も仏も名無しさん:2022/10/14(金) 16:11:05.54 ID:D1I+UdXbr
近年、佳子先生の御著書は、以前と比較して、多くの人
にとって読みやすく、理解しやすい内容になっていると
思われる。それは、より多くの人に神理を学んで頂ける
ようにするためであり、上述の例では、「B群の人も
神理に関心を持って入会しやすくする」ためであったと
思われる。

しかし、特にB群の人については、「入会して頂ければ
それでよい」というわけではなく、A群の人と比較して、
より手厚い同伴、お世話の態勢を整えてゆかなければ、
神理を体得してゆくことが難しいと思われる。

「同伴、お世話の態勢を整える」とは具体的に如何なる
ことかと言えば、40周年記念の7つのプログラム、
50周年記念の9つのプログラムを推進してゆくことに
他ならない。

しかし、これまで7つのプログラム、9つのプログラム
が放置されてきたため、B群の人に対する同伴、お世話の
態勢が充分に整っていない、というのが現状ではない
だろうか。態勢が不充分であれば、多くのB群の人を
受け入れることはできないので、B群の人の入会を
抑制する必要が生じたのであろう。

413 :神も仏も名無しさん:2022/10/14(金) 16:12:07.86 ID:D1I+UdXbr
これまで、怠慢によって、7つのプログラム、9つの
プログラムを放置してきた人は、GLAのホームページに
愚かしい記事が掲載されている原因を自分自身に引き
寄せるべきではないだろうか。

確かに、これらの記事は、あなたが書いたものではなく、
関芳郎が書いたものであろうし、言い換えれば、関芳郎
が書くように、佳子先生が仕向けられたものであろう。

しかし、佳子先生がそのように動かざるを得なかったのは、
あなたが怠慢によって、7つのプログラム、9つの
プログラムを放置し続けてきたからではないだろうか。

ホームページの愚かしい記事を削除したいのであれば、
何よりも自分自身の過去の怠慢を省みて、多くのB群の人
が入会できるような態勢を整えてゆくことであろう。

414 :神も仏も名無しさん:2022/10/22(土) 11:28:55.07 ID:WdyL7uTh+
>>409 では、次のように述べたが、少しおかしかったと思う。
> 痛みを背負った会員に痛みを共有して頂く場合、「神理実践報告」
> という形にはこだわらないほうが良いのではないかと思う。

やはり、痛みを背負った人には、神理実践を果たして頂いた上で、
「神理実践報告」をして頂くことが呼びかけられていると思う。
事務局も、それを果たせるように、その人をサポートしてゆくこと
が大切ではないかと思う。

「神理実践報告」は、「苦集滅道」のストラクチャーにすると如何
だろうか。例えば、内容は次のようなものが考えられると思う。

【苦】
まず、誘った非会員の方から、GLAのホームページの愚かしい記事に
ついて、どのような事を言われたのか共有して頂く必要があるだろう。

先述のように、愚かしい記事が原因となってGLAを否定した人で
あっても、その事をはっきり伝えて下さる人は少ないと思う。
それゆえ、否定的な評価の内容を直接聞いた会員は、その事実を
他の会員に共有して頂くことが求められると思う。

415 :神も仏も名無しさん:2022/10/22(土) 11:31:00.43 ID:WdyL7uTh+
【集】
次に、「苦」の現実を生み出した原因、すなわち「集」とはどのような
ものだろうか。多くの人は「苦」の原因は「愚かしい記事が掲載された」
という事実にある、と考えているのではないだろうか。確かにその事実は、
「苦」の現実を生み出した原因の一つであると思う。しかし、私はさらに
大きな原因が存在すると思う。

「苦」の現実を生み出した最大の原因は、「何年にも渡って、愚かしい
記事を放置した」ことではないだろうか。あなたが愚かしい記事を放置して
きたのであれば、「苦」の現実を生み出した最大の原因は、あなた自身に
あるのではないだろうか。

【滅】
苦の現実に対して、自分自身は何を果たしてゆきたいのか、その
ヴィジョンを「滅」として共有して頂く必要があるだろう。

【道】
そのヴィジョンを実現するために、「如何なる行動を起こしたのか」が
「道」になるだろう。それは、例えば「何人かに呼びかけて、今後GLAが
果たしてゆくべき事のウィズダムを共同で作成し、事務局に採用を
お願いした」ということでもいいだろう。

それに対して未だ何の成果も上がっていなければ神理実践になっていない、
と思うかもしれない。しかし、それは違うと思う。これまで「ただ放置して
眺める」ことしかできなかった人は、自分のカルマに負けていたのだと思う。

その人が「行動を起こした」ということは、カルマ超克への第一歩を
踏み出した、ということであり、それは第一歩を踏み出せる程度にまで
「魂が成長を遂げた」ということではないかと思う。ならば、正に、
その事実こそが神理実践に他ならないのではないだろうか。

416 :神も仏も名無しさん:2022/11/04(金) 00:29:46.19 ID:M/9ZahghE
GLAホームページの愚かしい記事については、おそらく事務局から
佳子先生に対して「削除したい」と既に願い出られたのではないかと思う。
そして、佳子先生は「削除を果たすウィズダムを作成するように」と
指示されたのではないだろうか。そこで、事務局がウィズダムを
作成したところ、何度作成しても却下されてきたのではないだろうか。

もし、そうであるとすると、作成すべきウィズダムとは、一体如何
なるものであろうか?

まず、ウィズダムの「願い」、「目的」は、千年構想の「願い」、「目的」
でなければならないと思われる。すなわち、千年後に何を果たしたいのかを
明確化すべきではないだろうか。

そして、当面の期間に果たすべき「目標」は、「ホームページの記事を
介在として押し上げる力の結集をスタートさせる」ということではない
だろうか。「押し上げる力の結集」に関しては、GLA誌2001年6月号に
掲載されており、>>276 で引用している。

ここで引用したように、「押し上げる力の結集」とは、「職員のはたらきと
在家の方々の押し上げる力が車の両輪のようになって響働してゆく」、
「あらゆる側面で職員と在家の両輪がたくましくなり、押し上げる力と
引き上げる力がつながってエネルギーが全開してゆく」という事になる。

417 :神も仏も名無しさん:2022/11/04(金) 00:30:29.74 ID:M/9ZahghE
これを実現してゆく第一歩となる「アクションプログラム」は、次のような
内容になるのではないだろうか。

(1)事務局が在家の会員からアンケートを取るなどして、ホームページの
愚かしい記事によって生じている痛みの現実を把握する。
(2)当該会員が、事態を内に引き寄せ、神理実践を果たしてゆける
ように事務局が同伴する。
(3)神理実践を果たした会員に神理実践報告(>>414-415 )をして頂く。
(4)この神理実践報告を介在として、在家の会員の立志を促す。


この内容は、上述した「押し上げる力の結集」に即していると思われるので、
概ね青写真に適っているのではないだろうか。
従って、(多少の修正等はあるにせよ)佳子先生が御承認下さるのでは
ないかと思われる。

418 :神も仏も名無しさん:2022/11/11(金) 18:19:12.16 ID:E01bEg08i
>>417 で述べたアクションプログラムのうち、ネックになる
ステップは、「(2)当該会員が、事態を内に引き寄せ、
神理実践を果たしてゆけるように事務局が同伴する。」
ではないだろうか。

この点に関しては、職員が呼びかけたとしても、在家の
会員がなかなか応じて下さらない、ということが予想される。

その状況を超えてゆく鍵は、「願いの共振を引き起こす」ことに
なると思われる。まず、担当の職員が、「千年後に果たしたい願い」
を自らの内に刻印し、その願いを突き詰めて焦点していくこと
が大切ではないだろうか。

そのように、担当職員が願いを突き詰めて、焦点していくと、
相手の在家の会員にも、願いが伝搬して共振してゆくのでは
ないだろうか。

御著書「グランドチャレンジ」の中の雨乞師の物語を思い出して
頂きたい。担当職員が願いを突き詰めてタオ(道)、すなわち
青写真に焦点し共振してゆくことにより、自分自身の限界を
超える力が働く。

これにより、担当職員と在家の会員との間にも願いの共振が
起こり、在家の会員の神理実践が果たされてゆくのでは
ないだろうか。

419 :神も仏も名無しさん:2022/11/18(金) 18:04:33.14 ID:z0sCTTPrj
>>417 では
> この内容は、上述した「押し上げる力の結集」に即していると思われるので、
> 概ね青写真に適っているのではないだろうか。
> 従って、(多少の修正等はあるにせよ)佳子先生が御承認下さるのでは
> ないかと思われる。

と述べたが、これは「足りない点、誤っている点が無い」
という意味ではない。

佳子先生であれば、最初の段階から精密な青写真にアクセス
されるが、弟子が青写真にアクセスするには、なかなか
佳子先生と同じようにはできないものである。

弟子が青写真にアクセスするためには、多くの場合、
「仮説」→「実行」→「後智慧」のサイクルを繰り返さ
なければならない。その過程では、何度も事態から「No」
が突きつけられることは避けられないだろう。

>>417 で述べたことは、「実行」に移す最初の「仮説」としては
その水準に達しているのではないか、という意味である。

420 :神も仏も名無しさん:2022/11/30(水) 16:35:33.65 ID:0lQD5rf/8
教祖主観を唯一無二の絶対的な教えと妄信
他者は全て足下に及ばぬ愚か者と結論
これが宗教の全てであり例外はない
世界を救うとか口先だけ
彼らは何もしないし何も出来ない
やれることは信者を煽ることだけ
信者のやれることも教組以外の信者と非信者を批判することだけだ
本当に一生それだけ

421 :神も仏も名無しさん:2022/12/01(木) 00:25:52.72 ID:dmfaxXfNu
GLAのホームページに愚かしい記事が掲載された意味について、
もう一度深く訊ねてみたい。

1999年に佳子先生が千年構想のテーマを下さった後、7つのプログラム、
そして、9つのプログラムと、次々とテーマを下さった。これに対して
佳子先生の弟子を自称する人々が20年以上に渡って放置し続けたことを
私は問題視してきた。

確かに、「テーマを放置すること」は問題であることに間違いないが、
これは「色の次元」の問題であると言えよう。これと表裏一体の
「空の次元」の問題として、「痛みを引き寄せなかった」という
ものもあったのではないかと思う。

現在のGLAでは、遍く一切の人に救いの手を差し伸べることはできない。
これまで佳子先生が与えて下さったテーマは、全てそのことに対する
「痛み」が出発的になっている。

ならば、弟子が最初に果たすべきことは、「先生のみ旨を我が旨とする」
ことであり、その「痛み」を自らに引き寄せることであったのでは
ないだろうか。しかし、あなたはその「痛み」を自らに引き寄せようと
しなかったのではないだろうか。

「痛みを引き寄せない」という「空の次元の怠惰」は、「テーマを
放置し続ける」という「色の次元の怠惰」と表裏一体であり、
一方が他方の原因となって、20年以上に渡って、両者のループが
続けられてきたのではないだろうか。

422 :神も仏も名無しさん:2022/12/01(木) 00:27:04.05 ID:dmfaxXfNu
あなたが伝道しようとしたところ、GLAのホームページの愚かしい
記事に触れ、それを理由としてGLAを否定した人(ここでは仮に
Xさんと呼ぶことにする)が現れたとしよう。

Xさんが、あなたにとって御縁のある大切な人であるならば、
あなたはそれによって「痛み」を感じたのではないだろうか。

XさんがGLAを否定した根本的な原因は、Xさんが、(先に
>>410-413に述べた)「B群」に属する人であり、GLAには、まだ
B群の人を充分にお世話できる態勢が整っていないからである。

すると、あなたが「Xさんの件で痛みを感じた」ということは、
間接的ではあるが、「現在のGLAでは、遍く一切の人に救いの手を
差し伸べることはできない」という事実に痛みを感じたことに
ならないだろうか。

すなわち、あなたがXさんの件で痛みを感じることによって、
「空の次元の怠惰」に風穴が空いたのではないだろうか。
ならば、あなたは、この風穴を突破口として、「空の次元の
怠惰」と「色の次元の怠惰」のループを打ち破ることができる
のではないだろうか。

423 :神も仏も名無しさん:2022/12/01(木) 00:28:12.10 ID:dmfaxXfNu
おそらく、魂の次元から眺めれば、Xさんは、あなたに覚醒を
促すために犠牲を背負って下さったのではないだろうか。
ならば、あなたはそのXさんの犠牲に報いるべきであろう。

犠牲に報いる唯一の方法は、佳子先生が下さったテーマに、
一つ一つチャレンジすることにより、Xさんのような、B群の人
を充分にお世話できる態勢をGLAに整えてゆく以外にあるまい。

ここで、「いくら態勢を整えたところで、XさんはGLAに
集うことは無いだろう」とあなたは思うかもしれない。確かに、
愚かしい記事を理由として、GLAに対して一度否定的な考えを
抱いてしまうと、それは簡単には覆せないかもしれない。

しかし、仮に、今生は無理であったとしても、来世というものがある。
来世、Xさんがどこかの国に転生したとき、その国のGLAで、
B群の人を充分にお世話できる態勢を整えていたなら、その時、
XさんはGLAに集え、学んでゆける希望が生まれる。

世界中でその態勢を整えるためには、その前提として、「まず
日本でその礎を築く」ことが必要になるだろう。あなたは
未来千年の礎となって、現在の日本においてその態勢を整える
ことが呼びかけられているのではないだろうか。

424 :神も仏も名無しさん:2022/12/04(日) 15:38:02.89 ID:EN6x+M/sV
アトランティス大陸
http://www.nazotoki.com/atlantis.html
伝説の超大陸
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/samata/folk23.htm
大陸地殻とはどういうものか?
    ・・・本来は「ムー大陸」批判で書いた文章です。
http://www.h-hagiya.com/es/contine2.htm
2 地球の層構造
http://www.h-hagiya.com/es/rnj3.htm
ムー大陸はあった? いいえ。ありませんでした
http://www.arito.jp/oth_Mu.shtml

425 :神も仏も名無しさん:2022/12/09(金) 16:59:19.91 ID:yXScWL9GF
GLAのホームページに愚かしい記事が掲載された事実に対して
「まだ納得ができない」という人がいるかもしれない。その人は、
自分自身の今世の一生について考えてみたら如何だろうか?

あななたが「菩薩になりたい」「一切の人を救済したい」という願いを
持ちながら、過去世ではそれを果たせなかったのだ。だからこそ、
佳子先生は、今生の人生では、あなたを弟子として迎えられ、
「菩薩になれる道を整える」と約束されたのだ。

そして、佳子先生は既に約束を果たして下さったのではないだろうか。
それは「千年構想」、「7つのプログラム」、「9つのプログラム」
というテーマを与えて下さったことである。

1999年に「千年構想」のテーマを与えて下さってから既に23年が経過した。
この23年の歩みによって、今世の一生をかけて、あなたが菩薩になれる
のか否か、見通すことができるのではないだろうか。

「千年構想」、「7つのプログラム」、「9つのプログラム」のテーマ
に対する、過去23年のあなた自身の歩みに対して、点数を付けて頂きたい。
点数の付け方は、あなた自身が決めた基準でかまわない。

次に、あなた自身が、あと何年、今生の人生で菩薩になるための修行を
積めるのか見積り、一生かけて獲得できる点数を計算して頂きたい。

「あと23年程度は修行ができる」ということであれば、付けた点数の
2倍が、一生かけて獲得できる点数になる。「あと46年程度は修行が
できる」ということであれば、付けた点数の3倍が、一生かけて獲得
できる点数になる。

426 :神も仏も名無しさん:2022/12/09(金) 16:59:49.89 ID:yXScWL9GF
ここで、「一生かけて獲得できる点数」は、あなたが菩薩になるために
充分な点数だろうか?仮に、その回答が「No」であるならば、「あなたは、
今生の人生では、菩薩にはなれない」という結論しか導けないだろう。

過去23年、あなたが充分な点数を獲得できなかったとすると、その理由は、
上述したように、「空の次元の怠惰」と「色の次元の怠惰」のループに
あなたが呑まれ、あなたが自力でその怠惰のループを打ち破れなかったから
ではないだろうか。

では、将来、あなたはその怠惰のループを自力で打ち破れるように
なるだろうか?人間というものは、それほど急に変われるものではないから、
過去23年打ち破れなかった怠惰のループは、人生の残りの時間をかけた
としても、自力で打ち破れないのではないだろうか。すると、あなたの
残りの人生は、「過去23年の繰り返し」にしかならないだろう。

しかし、上述したように、GLAのホームページの愚かしい記事を契機として、
今、「空の次元の怠惰」に風穴が空いている。これは神から与えられた
助力に相違ないものである。この風穴を契機として、あなたが志を立てて
歩むならば、過去23年間打ち破れなかった怠惰のループを打ち破ることが
できるのではないだろうか。

過去23年間の怠惰によって失った時間は取り返すことはできない。しかし、
もし、今、この怠惰のループを打ち破ることができれば、今後のあなたの
人生は「過去23年の繰り返し」とは全く違ったものになるだろう。

しかし、怠惰のループを打ち破れなかったのであれば、「あなたは、
今生の人生では、菩薩にはなれない」という至極当然の結果しか
生まれないだろう。

427 :神も仏も名無しさん:2022/12/16(金) 16:25:24.42 ID:VB+3+tEQ7
>>426 では次のように述べたが、これは少しおかしかったと
思うので訂正したい。

> しかし、怠惰のループを打ち破れなかったのであれば、「あなたは、
> 今生の人生では、菩薩にはなれない」という至極当然の結果しか
> 生まれないだろう。

今回、あなたが怠惰のループを打ち破れなかったとしても、
神は、それを打ち破れるように、あなたを導いて下さるだろう。

具体的には、 >>372-378 で述べたように、神は
「あなたの人生の時間を短く区切る」ことによってあなたに
覚醒を促して下さるだろう。

但し、これは「最後の手段」になるだろう。もし可能であれば、
「最後の手段」を神が採られる前にあなたが覚醒できれば、
より長い時間、修行を積めるため、一層望ましいだろう。

今回、あなたが怠惰のループを打ち破れなかった場合に、
神は「最後の手段」を採られるのか、あるいは、その前にもう
一度別の手段を採られるのか、それは私には解らない。

しかし、今回の結果次第で、神が直ちに「最後の手段」を
採られたとしても、全く不思議ではないということを心に
置いてほしいと思う。

428 :神も仏も名無しさん:2022/12/18(日) 16:11:36.96 ID:gxzG8SdzT
あの世も来世も前世も神も仏も天使も守護霊も指導霊も如来も菩薩も天上界も
全て彼等の作り話であり撒き餌に過ぎません
それらに釣られたのが信者となるんです
恐怖話と美味しい話に翻弄され続けているのが実情ね
永遠に煽られ奴隷化し搾取され痩せ我慢して自分は偉いと思い込んでいる
みんな引っ括め劇団「裸の王様」状態さ

429 :神も仏も名無しさん:2022/12/22(木) 18:16:10.53 ID:QhaNz9MdH
教祖様の意向など無視して自分の人生を取り戻しましょう
矛盾を多く抱えた教えなどからは何も得られません
屁理屈と自己満足だけが肥大していくことでしょう
一人でも多くの方が宗教の呪縛から脱皮できるよう願うばかり
それには完全否定という断捨離が必要ですね
年末に向けて信じてきたものを全て大掃除することをおススメしたい

430 :神も仏も名無しさん:2022/12/29(木) 20:54:59.30 ID:h3RCSIjiz
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban226/
今月の「時の羅針盤(確かなものを取り戻す)」についてであるが、
拝読して、やや違和感を覚えることがある。

ここには、「大いなる存在」、「不滅の次元」、「人生の目的」の
三者の大切さが説かれている。これら三者の大切さについては全く
その通りであるが、「過去のご指導との整合性」という面では
疑問が残る。

まず、「大いなる存在」と「不滅の次元」の関係について、これまで
佳子先生は「ビッグクロス」と呼ばれていたが、記事中には
「ビッグクロス」という言葉すら登場しない。

また、「人生の目的」は、過去世の人生に大きく関係するため、
「人生の目的」は「不滅の次元」から生まれたものと言えるだろう。
そして、「大いなる存在」は、人生の環境、条件を整えることにより、
「人生の目的」を成就させる力を発揮する。これらの点についても、
記事中には説かれていない。

過去、このような形で佳子先生が神理を説かれたことがあった
だろうかと考えると、少なくとも「全体に対する発信」の中では、
そのような事例があった記憶が無い。

しかし、ある特定の人に対する対話ご指導ということであれば、
事例は有ったと思う。例えば、その人の人生の時間が限られている
とき、神理全体の体系というものは横に置いて、その人にとって
特に必要な事柄を、短く、簡潔に伝えられることはあるだろう。

431 :神も仏も名無しさん:2022/12/29(木) 20:56:34.67 ID:h3RCSIjiz
そのため、今月の「時の羅針盤」は、「全体に対する発信」という形を
取りながらも、「ある特定の人」を特に念頭に置かれて執筆された
ものではないかと私は考えている。おそらく、その方の人生は既に
短く区切られ、さほど長い時間は残されていないのだろう。

また、11月の「時の羅針盤(人間の力を信じる)」についても
気になることがある。11月の「時の羅針盤」の結論として、
8月の「時の羅針盤」の結論が繰り返されている。

https://www.gla.or.jp/compass/rashinban225/

> 才能や力量の不足、また持たざることを嘆く前に、
> 自らの持てる力に集中すること──。

これは、本来は8月の時点でその方が気づくべきであったのに、それが
果たせなかったため、もう一度11月に同じ結論をもう一度繰り返された
のではないかと私は考えている。

では、なぜその方、個人に対する対話ご指導ではなく、「全体に
対する発信」という形を取られたのだろうか?それは、その方に対する
同伴や対話ご指導を神が許されないからではないだろうか。

神が同伴や対話ご指導を許されない理由は、今年の3月に >>372-378
で述べたことによるものだと思われる。

すなわち、人生の時間を短く区切られた「その方」とは、如何なる
困難を引き受けてでも菩薩になることを志した方であり、
菩薩になることを志す以上、その方は「他人を介さず神と直接結びつく」
ことが求められているためであろう。

432 :神も仏も名無しさん:2022/12/29(木) 20:58:14.94 ID:h3RCSIjiz
以上述べた私の考えが当たっているのか、外れているのか、私には
解らない。しかし、もし当たっているとするならば、その方は
「自分のことである」と気づけるのではないだろうか。

おそらく、その方には、今生の人生の時間は、あまり残されていない
のだろう。ならば、11月、12月の「時の羅針盤」に示された
指針に従って、残りの人生の時間を生きるのか否か、その方は
速やかに決断しなければならないのではないだろうか。

もし、決断を先延ばしにしてしまうと、それは「何もしない」
という決断をするのと同じことになってしまうだろう。

433 :神も仏も名無しさん:2023/01/07(土) 15:56:38.29 ID:vg+N12dPx
>「大いなる存在」、「不滅の次元」、「人生の目的」

カルマ思想とかも含めてそんな概念に捉われるのはロボット化させられてる証拠

434 :神も仏も名無しさん:2023/01/07(土) 16:02:04.34 ID:vg+N12dPx
>>431
>菩薩になることを志す以上、その方は「他人を介さず神と直接結びつく」
>ことが求められているためであろう。

宗教ロボット養成セミナーでも受けてきた?

435 :神も仏も名無しさん:2023/01/07(土) 16:08:22.43 ID:vg+N12dPx
>>432
>もし、決断を先延ばしにしてしまうと、それは「何もしない」
>という決断をするのと同じことになってしまうだろう。

他人のことはいいから
君自身は一体何をしたというのかな?
発表したまえ

436 :神も仏も名無しさん:2023/01/17(火) 23:36:39.48 ID:CO6JXaHsm
もし、私が予想したように、菩薩になることを志した人の人生が短く
区切られ、その人に決断が迫られているとするならば、その人には
既に「魂願を思い出す」という形で助力が与えられているかもしれない。

「魂願」すなわち、「もともと魂が願ったこと」は、「菩薩になり
たい」というものではなかった筈である。それは例えば「魂の救済を
果たしたい」というような願いではなかっただろうか。

「魂の救済」については、人間が頭で考えて計画したとしても、なかなか
果たせないものである。真に「魂の救済」を果たしてゆくためには、
「神意・青写真」に従うことが欠かせない。

この「神意・青写真」にアクセスできる存在が「菩薩」であるから、
あなたは「菩薩になりたい」という願いを抱いたのではないだろうか。

佳子先生は、菩薩になる修行のために、「千年構想」、「7つの
プログラム」、「9つのプログラム」等のテーマを与えて下さったが、
これらテーマの一つ一つは、具体的、直接的にあなたの「魂願」、
すなわち「魂の救済」を実現するためのテーマでもある。

437 :神も仏も名無しさん:2023/01/17(火) 23:37:01.62 ID:CO6JXaHsm
「魂の救済」は、本来は菩薩になって「神意・青写真」にアクセス
した上で実行してゆくものであるが、「神意・青写真にアクセス
する」という困難な作業の相当部分を佳子先生が担って下さった
ために、現状では、菩薩ではない人でも「魂の救済」を遂行できる
状況になっている。

もし、あなたの人生の時間が短く区切られてしまったのなら、
あなたは与えられた残りの時間を、「あなたの魂が最も
果たしたかったこと」に集中して使うべきではないだろうか。

あなたの魂が最も果たしたかったこと…それが「魂の救済」
であるならば、あなたは、佳子先生が与えて下さった一つ一つの
テーマにチャレンジすることに、残りの人生の時間を集中して
使うべきではないだろうか。

438 :神も仏も名無しさん:2023/01/25(水) 09:19:17.64 ID:FFB+qB7D/
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban226/
12月の「時の羅針盤(確かなものを取り戻す)」について
もう一度考えてみたい。

今、「人生の時間が短く区切られる」という試練に遭遇している
人が、「大いなる存在」、「不滅の次元」、「人生の目的」
の三者に集中するならば、2年ほど前、>>160-165 で述べた、
「試練の輪廻」を念頭に置くと如何だろうか。

ここで述べたように、あなたの受発色を転換しなければ、
「試練→受発色→暗転の現実→慙愧→魂願→青写真→試練→…」
の輪廻が再び発動するだろう。そして、受発色を転換しない限り、
この輪廻が再び動き出すだろう。

時代を変え、国を変え、状況を変えて、あなたは同じような
試練に未来永劫に遭遇し続けるだろう。

受発色を転換することによってのみ、この輪廻を打ち破ることが
できる。では、いつ受発色を転換するのだろうか?それは、
あなたに時間が残されていないとするならば「今」しか
無いのではないだろうか。「今」を逃してしまえば、
また来世で、最初から再出発するしかないだろう。

439 :神も仏も名無しさん:2023/02/04(土) 17:18:38.92 ID:5k3u1F9GN
>「大いなる存在」、「不滅の次元」、「人生の目的」
それらのものが存在するという考え方は本人にとっては
確かに心の支えにはなるだろうが
反対に操られているという認識も持つべきだと思うよ

440 :神も仏も名無しさん:2023/02/05(日) 16:12:14.19 ID:YoclfppgG
千年構想は21世紀の幕開けに合わせたキャッチフレーズであり
ビッグクロスなどもミ○エル云々同様既に賞味期限切れワードに過ぎない
風見鶏宗教にどうしてもついていきたいなら過去のことは忘れるんだな
捨てられた異性のことがいつまでも忘れられないような気持ちも理解できるが
もう二度と戻ってこないんだよ御世辞言われて浮かれてただけ
カルト信仰は変形恋愛感情
結婚S欺のようなもの
菩薩などという仮想目標に生涯を捧げても時間とエネルギーの浪費であり
人生を無駄に終えるだけだ

441 :神も仏も名無しさん:2023/02/10(金) 16:27:10.12 ID:QtlPCbMZp
2018年11月、私が >>4-9 で述べたことは、概ね次のようなものであった。
・神理実践は「狭域神理実践」と、「広域神理実践」に分類することができる。
・「狭域神理実践」とは、自分自身、自分の家族、自分の職場等に
満ちる困を解決してゆく神理実践である。
・「広域神理実践」とは、社会全体に満ちる困、より多くの人々が関わっている困、
様々な人の利害が対立している困を解決してゆく神理実践である。
・広域神理実践は動機付けが難しい。すなわち、狭域神理実践における「困」は、
ある意味で「自分や家族に火の粉が降りかかっている」状態であり、それが
神理実践に取り組む動機になる。しかし、広域神理実践における「困」は、
「自分には関係ない」と思えば、見過ごしてしまうことができ、そのことが
自分自身や自分の家族に特に害をもたらすということが無い。
・自分で広域神理実践の「動機付け」ができる人、そして自分で「動機付け」が
できない人、両者の間には、見た目以上の大きな差がある。「動機付け」
というのは、それだけ難しいものであり、広域神理実践を果たしてゆく中核
になる要素である。

442 :神も仏も名無しさん:2023/02/10(金) 16:27:44.63 ID:QtlPCbMZp
この「広域神理実践の動機付け」の問題について、さらに深く考えてみたい。
「広域神理実践の動機付け」には「レベル」というものがあると思う。
人間は、「広域神理実践の動機付けのレベル」で、次の4種類に
分類できるのではないだろうか。

A群:自分自身で動機付けができる。
B群:指導者からの弱い働きかけに基づいて、動機付けができる。
C群:指導者からの強い働きかけに基づいて、動機付けができる。
D群:如何なる状況下においても、動機付けができない。

A群、すなわち自分自身で広域神理実践の動機付けができる人は、
「菩薩」であると考えられる。D群、すなわち、如何なる状況下においても、
広域神理実践の動機付けができない人は、GLAおよび世間の大部分を
占めると思われる。

C群は、例えば、次のようなことである。多くの人々が関わっている
社会的な困について、佳子先生が特定の誰かに「この問題をあなた
自身の内に引き寄せて解決できないだろうか?」と仰ったとする。
そして、そのお言葉を受けた人が、広域神理実践にチャレンジできたなら、
その人はC群に属する人である。

そのような神理実践報告は散見されるため、現在、鍛錬対象になって
いる人(千年構想、9つのプログラム等に対する実践を、佳子先生から
ストップされていない人)のうち、一部は、C群に属していることに
間違いないだろう。

443 :神も仏も名無しさん:2023/02/10(金) 16:34:12.02 ID:QtlPCbMZp
次に、B群について述べた「指導者からの弱い働きかけ」とは、
例えば、千年構想、7つのプログラム、9つのプログラムについて、
佳子先生がされてきたことである。

佳子先生はこれらのテーマにチャレンジすべきことを全体に
向かって発信されたが、特定の人に対して、「あなたはこのテーマに
チャレンジすると、どうだろうか」のような働きかけをされた事は、
おそらく無かっただろう。

そして、全体に対しても、チャレンジすることを催促されることも
無かった。すると、「自分は何もやらなくても良いのではない
だろうか?」と解釈する余地が残されている。

私は、そのような働きかけの仕方を、「指導者からの弱い働きかけ」
と呼んでいる。そして、鍛錬対象になっている人のうち、
これに基づいて動機付けができた人、すなわちB群に到達できた人は、
現在のところ、一人もいないのではないだろうか。

444 :神も仏も名無しさん:2023/02/10(金) 16:34:53.18 ID:QtlPCbMZp
この「指導者からの弱い働きかけ」というものは、さらに
細かい段階に細分化できる。例えば、千年構想、7つの
プログラム、9つのプログラムで頂いたテーマについても、
かなり具体的で取り組みやすいと思われるテーマもあれば、
どのような事を意味しているのか解りにくいテーマもある。

C群の人にとって最も大切なことは、「まずB群に入ること」
であろう。つまり、頂いたテーマの中で、自分が「難しい」と
感じたものは横に置いて、「できることにチャレンジする」こと、
最も易しいと思われることにチャレンジすることであろう。

それが果たされたなら、次に、B群の中で、段階を昇って
ゆくこと、すなわち段々と難しいテーマにチャレンジして
ゆくことであろう。その実践を積み上げてゆくならば、やがて
A群に到達するだろう。すなわち、その事こそが「菩薩の境地に
到達する」ということになるだろう。

445 :神も仏も名無しさん:2023/02/12(日) 10:23:57.83 ID:rdf2b97Bh
結局は限定された範疇での縛られた綺麗ごと
神理という名目での都合のいい解釈による永遠の無限ループ
信者以外自分以外を非難し続け自分の信じた教祖のみを絶対視
こんなマンネリ化した思考によく耐えられますね
この枠内での頭脳遊戯はさぞかし居心地がいいだろう
教祖至上主義的な勝利の方程式に当て嵌めるだけだから楽だしな
君の話は抽象論のみ
まるきり実践感がなく虚無
残念だけどこれが正直な感想
きっと教えそのものが先代教祖のトンデモオカルトと寄せ集め良い話の哲学版だからだろう

446 :神も仏も名無しさん:2023/02/12(日) 10:35:09.88 ID:rdf2b97Bh
 >ID:QtlPCbMZp
人生を試験化してるところなど大川某と思考回路が同じだね

447 :神も仏も名無しさん:2023/02/12(日) 19:23:16.51 ID:cDRpNwABk
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
この記事にあるように、菩薩でない人が菩薩になれる
頻度は「数万年に一人」であり、それはほとんど
起こらないこと、ほぼ不可能なことである。

なぜ、これほど困難を極めるのか、という問題について、
これまで、私の考えを色々述べてきたが、さらに主要な原因と
考えられることに、「自ら動機付けすることが難しい」という
こともあるのではないだろうか。

あなたの過去世の人生においても、指導者の方が、佳子先生と
同様に、「弱い働きかけ」によってテーマに誘って下さった
ことはあったのではないだろうか。

その「弱い働きかけ」のテーマに対して自ら動機付けができ
ないあなたは、例えば、次のような事を考えたのではない
だろうか。

 「このテーマは私が取り組むべきものなのでしょうか?
  もし、そうであるなら、一言、その旨のご指示を頂きたい。
  一言、ご指示を頂ければ、一生懸命やります。
  しかし、ご指示がなければ、私が取り組むべきものなのか
  どうか解りません。」

しかし、指導者からは一切指示が無かったのではないだろうか。
それは自ら「動機付け」ができなければ、鍛錬の意味が無いから
であろう。一つ一つのテーマを成就してゆくことは大切であるが、
「自分ら動機付けをすること」が、最も重要だからであろう。

448 :神も仏も名無しさん:2023/02/12(日) 19:23:49.32 ID:cDRpNwABk
一方、あなたは、「指示が無い」ことを理由として、そのテーマ
を放置してきたのではないだろうか。そして、やがてそのまま
人生の時間が尽きてしまったのではないだろうか。

このような人生を何万回繰り返したところで、菩薩になれるわけが
ないのはお解り頂けるだろう。そして、あなたは今生も、同様の
人生を繰り返そうとしているのではないだろうか。

「自分ら動機付けをすること」…それを実現するためには、
一つ一つのテーマに込められた「痛み」を自らの内に引き寄せる
ことが大切だと思う。

千年構想、7つのプログラム、そして、9つのプログラム…
佳子先生が下さった一つ一つのテーマには、例外なく、
「そのテーマが未だ成就していないことによる痛み」が存在する。
その痛みを自らの内に引き寄せることによって、そのテーマに
挑戦してゆく動機が醸成されてゆくだろう。

痛みを自らの内に引き寄せることが難しいのであれば、霊操行
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf)に取り組むと如何
だろうか。

霊操行によって佳子先生との一体化を果たしてゆくならば、
それによって、佳子先生が感じておられる「痛み」を、千分の一でも、
万分の一でも、自らの心に写し取らせて頂くことができる。
これによって、テーマに挑戦してゆく動機も醸成されてゆくだろう。

449 :神も仏も名無しさん:2023/02/17(金) 17:07:53.17 ID:luE9GVXPe
縁覚の人が菩薩になってゆく道程において、>>441-444
で述べた「C群からB群に上がる」ということが、
実は最大の難所になっているのではないかと思えてきた。

C群からB群に上がること、それは、「一言、ご指示を
頂ければ、一生懸命やります」と言う人が、「どうか、
私にやらせて下さい」と言う人に変わるということである。

両者は「心の働かせ方」の次元が全く異なるように思える。
C群とB群の間には、超え難い「絶壁」があり、不連続な
飛躍を遂げなければ、C群からB群に上がることはできない
のではないだろうか。

この絶壁に至る前であれば、階段を上るように一段一段
成長を遂げることができたのだと思う。また、この絶壁を
クリアできれば、その後は、また、階段を上るように
一段一段成長を遂げられるのだと思う。

しかし、この絶壁を超えない限りは、決してそれ以上先に
進むことができないのだろう。

不連続な飛躍を遂げて絶壁を乗り越えるためには、強い
エネルギーをかけて、「心の働かせ方」を転換してゆく
しかないと思う。私が考えつく中では、「霊操行」
こそが、それを実現できる唯一の方法である。

450 :神も仏も名無しさん:2023/02/18(土) 15:39:19.89 ID:jY0EECAfO
>>447
>この記事にあるように、菩薩でない人が菩薩になれる
>頻度は「数万年に一人」であり、それはほとんど
>起こらないこと、ほぼ不可能なことである。

そもそも3億6千万年前に他の天体から地球に移住してきたことを明かされたとか出鱈目です
地球における菩薩の人数は、天上界と地上界を合わせておよそ2万人であることも思いつきによる適当な数字です
菩薩設定といい如来設定といい独裁者の発想でしかない
表向き自由な考えや自由な心を尊重しつつ
一方では結局権威優先の絶対服従的な善悪判断の押し付けなんだよ
矛盾した話をされても信者は戸惑うがこれを奥深い教えと美化してしまうからどうしようもないんだよね全く

451 :神も仏も名無しさん:2023/02/18(土) 15:46:13.98 ID:jY0EECAfO
菩薩とか如来とか所詮は人間の想像したものでしかなく
ウルトラマンは実在するんだと本気で信じてるのと同じなわけよ

452 :神も仏も名無しさん:2023/02/23(木) 09:57:46.47 ID:o3uFH1dVI
自分を頂点とした位置づけで
他者を手前勝手に格付けして上から見下ろす
これがカルトの代表的特徴でもある
弟子は師匠に似るということだ
絶対視が前提の個人崇拝教育
日本にあってもあの国のような心を縛りながらのコントロールが可能なのだから
自分自身で判断できない自分で考えようとしない脳弱者は信じていたものを踏みつけて前に進んでほしい

453 :神も仏も名無しさん:2023/02/23(木) 10:15:14.31 ID:o3uFH1dVI
>C群からB群に上がること、それは、「一言、ご指示を
>頂ければ、一生懸命やります」と言う人が、「どうか、
>私にやらせて下さい」と言う人に変わるということである。


マイコン完成させて御満悦気分に浸りたいのかのな?

454 :神も仏も名無しさん:2023/03/02(木) 22:37:39.43 ID:mMG9fAfA7
これまで述べた事の繰り返しになるが、菩薩になるためには、
まず、B群に参入しなければならない。そのためには、霊操行
によって内圧を高め、佳子先生を信じ、「絶壁」を駆け上がって、
B群のテーマにチャレンジしなければならないだろう。

「もう少しスムーズな方法があるのではないか」と思われるかも
しれないが、そのような方法があるなら、過去20年のうちに
佳子先生が必ず説かれただろう。佳子先生が説かれていない以上、
「そのような方法は無い」と断言できるだろう。

このチャレンジを果たせなければ、今生の修行は現在のC群の
段階で終わってしまい、来世に、また、ふりだしに戻って
再チャレンジするしか方法はなくなるだろう。

455 :神も仏も名無しさん:2023/03/05(日) 11:49:52.11 ID:wzDxDAmw9
正論とトンデモのごちゃ混ぜ話を信じさせる側と信じる側という立場上の違いだけで
宗教やってる教祖も信者も
宗教まがいのことやってる奴らも
多かれ少なかれ糖質だということを自覚認定をしたほうがいい

456 :神も仏も名無しさん:2023/03/05(日) 12:00:38.41 ID:wzDxDAmw9
>>454
菩薩となるために人生を全うするのか?
菩薩となるために人生の目的があるわけではないだろう
そもそも菩薩設定とか魂に段階があるという概念そのものがイカガワシイんだよ
気づけ連中の罠に!
一方である時は人間は人間らしく生きていけばいいとかね
その時その時コロコロ掌返しする一貫性のなき有難き教えなど間抜け人間を惑わすコントロール術でしかないのだよ

457 :神も仏も名無しさん:2023/03/05(日) 12:03:14.33 ID:wzDxDAmw9
田中正道や斎藤まさしの質問をするとランナウェイするNHK党幹事長の黒川敦彦
https://www.youtube.com/watch?v=x2eRqIoFIM4
NHK党は極左小沢人脈
https://ameblo.jp/14pines/entry-12790960110.html
黒川敦彦の極左人脈
https://ameblo.jp/14pines/entry-12789049628.html

宏洋氏も幸福アンチも彼には気を付けたほうが良いよ

458 :神も仏も名無しさん:2023/03/14(火) 23:36:14.38 ID:kqbFidNJF
今生の人生で菩薩になるための修行の機会を頂いている人々は、
きっと「菩薩になりたい」という願いがあるから、その機会が
与えられたのだろう。では、そもそも、あなたは、なぜ「菩薩
になりたい」と願ったのだろうか?

それは、もしかすると「菩薩になりたい」と言うよりは、「自分が
非菩薩であることが耐え難い」ということなのかもしれない。

人間の99.999%以上は「非菩薩」であるから、私は「非菩薩
とは、どのような存在か」というのを概ね知っているつもりで
いたのだ。しかし、GLAの現実を見るにつけ、「非菩薩とは、この
ような存在だったのか」と再発見することが、しばしば起こっている。

過去20年以上に渡って、佳子先生は千年構想、7つのプログラム、
9つのプログラムという形で、菩薩になるための修行のテーマを
与えて下さったのだが、非菩薩の人々は、これらのテーマを20年
以上に渡って放置し続けてきた。

しかも、佳子先生は「できないことを果たせ」とは仰っていない。
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban214/
> どうにもならないことに惑わされることなく、今、すべきことに
> 意識を向けて、「できるのにしていないこと」を「する」ことなのです。
と仰って下さっている。

それにもかかわらず、「何もやらない」という選択をする人々。
「非菩薩」とは、このような人々なのだ。

また、このような怠惰によって、GLAのホームページに、正にGLAを
誹謗するような言葉が書き連ねられるという現実が生じてしまった。
それは、少なくとも2014年には始まったことであるので、8年間も
それが続いていることになる。

459 :神も仏も名無しさん:2023/03/14(火) 23:36:49.43 ID:kqbFidNJF
それにもかかわらず、「何もやらない」という選択をする人々。
「非菩薩」とは、このような人々なのだ。

もし、私自身がそのような行動を取ったとすれば、私は、自分自身
のことが恥ずかしくて、恥ずかしくて、赤面してしまうのではない
だろうか。しかし、「非菩薩」の人は、そうは思わないし、そうは
ならないのだろう。そうは思わないから、放置し続けることが
できるのだろう。

そのような人々は、私とは「感じ方」、「考え方」が全く異なる、
別種類の人間のようにも思えてしまう。

しかし、その人々は、本当に私とは別種類の人間なのだろうか?
実は、魂のレベルでは、私と似たような「感じ方」、「考え方」
をしているのではないだろうか。すると、その人々の魂は、
表面意識の自分自身を眺めて、「恥ずかしくて、恥ずかしくて、
赤面してしまう」という状態になっているかもしれない。

そして、「自分のこのような姿は耐え難い」=「自分が非菩薩
であることが耐え難い」と思っているのかもしれない。

実際に自分自身の魂がどのように感じているのか、まずそれを
自分自身に尋ねてみては如何だろうか。そして、その魂の
感覚からして「自分のこのような姿は耐え難い」と思うので
あれば、一歩ずつ前に進んで、そこから脱却してゆくしか
ないだろう。

では、具体的に何を果たしてゆけばいいだろうか?それは、
佳子先生が示して下さったように、『「できるのにしてい
ないこと」を「する」』を積み重ねることではないだろうか。

460 :神も仏も名無しさん:2023/03/21(火) 15:25:54.33 ID:ylz0zbx74
菩薩って何ですか?

461 :神も仏も名無しさん:2023/03/24(金) 19:31:54.16 ID:LNCWQuZ7C
なぜ、非菩薩の人々が動かないのか、もう一度考えて
みたのだが、非菩薩の人々は、「道なきところに道を
作る」ことが難しいのではないだろうか。

つまり、仮に、誰かが既に「道」を作ってくれていた
ならば、その道を辿って動けたのではないだろうか。

例えば、会員であれば誰でも自由に意見を表明でき、
多くの賛同を得た意見について、ウィズダムと願いの書を
作成して事務局に提出するような、ネットワーク上の
コミュニティが既に出来上がっていたらどうだろうか?

おそらく、佳子先生から頂いた様々なテーマについて、
その場、すなわち「既に出来上がった道」を使って、
実現に向かって動き出せたのではないだろうか。

そうであるとすると、「道なきところに道を作る」
ことが、なぜ難しいのだろうか?それは、おそらく
「過去に(過去世も含めて)、自分が主体的に動いて
道なきところに道を作った経験が無い」ことに起因
しているのではないだろうか。

462 :神も仏も名無しさん:2023/03/24(金) 19:33:16.67 ID:LNCWQuZ7C
過去に主体的に動いた経験が無いから、「智慧が
蓄積されていない」、「どのように進めてよいか
解らない」という現実が生じているのではない
だろうか。

しかし、「過去に経験が無い」ことを理由として
「できない」と断じてしまえば、何万年経っても
「できない」ままになる。

様々な点でスムーズに進まないこともあるだろう。
しかし、自分が主体的に動いて、「道なきところに
道を作る」実践を積むことが大切だと思う。

それを果たさなければ、菩薩になるために必要な
素養が身に付かないのではないだろうか。

このような理由により、佳子先生も、そのような
ネットワーク上のコミュニティを創設しておられない
のではないだろうか。

463 :神も仏も名無しさん:2023/04/07(金) 15:27:54.08 ID:eml7YgB3X
「できるのにしていないこと」を「する」ことができないのは、
煩悩に呑まれ、煩悩に打ち克つだけの意志、志が持てないから
であろう。意志、志が持てない理由は、「菩薩になる」という
願いを自分に引き寄せられないからではないだろうか。

それは言葉を変えると、「菩薩とは如何なる存在か」、
「菩薩になれば何がどのように変わるのか」、という事が
解らない、ということではないだろうか。そこで、この
問題について考えてみたいと思う。

先に、私は、>>441-442 にて、
神理実践は「狭域神理実践」と「広域神理実践」に分類する
ことができること、非菩薩(C群)にとって、広域神理実践
を果たすには、「指導者からの強い働きかけに基づく動機
付けが必要」ということを述べた。

ここで、「指導者」とは誰なのか、と考えてみると、それは
「佳子先生に限定される」と言い切れるだろう。佳子先生
以外の人が、あなたに対して、「広域神理実践」の動機
付けをしようとしても、あなたは決して動かないだろう。
すると、「広域神理実践を果たせるあなた」という存在は、
佳子先生の御帰天とともに跡形もなく消滅することになる。

464 :神も仏も名無しさん:2023/04/07(金) 15:29:08.05 ID:eml7YgB3X
私は、GLAの現状を法華経の「化城宝処の喩」の中で予言
されていることも述べた。すなわち、「広域神理実践を
果たせるあなた」という存在は、実は佳子先生が作り
出された「幻」に過ぎなかったのだ。

ここで考えて頂きたいのだが、「広域神理実践を果たせる
あなた」を「幻」のまま終わらせても構わないだろうか?
今生、佳子先生が御帰天された後も、また、来世の人生
においても、「広域神理実践を果たせるあなた」を
現実のものとして現したいとは思わないだろうか?

それを果たすための唯一の方法がある。それは、
あなたが菩薩になることである。

菩薩になれば、佳子先生がおられなかったとしても、
「神からのよびかけ」を動機付けとして、広域神理実践を
果たせるようになる。

これが、「菩薩とは如何なる存在か」、「菩薩になれば
何がどのように変わるのか」、という問いの解答になる
だろう。菩薩とは、佳子先生がおられなかったとしても、
「現実として広域神理実践を果たせる人」である。

如何だろうか?これで「菩薩になる」という願いを
確かにし、煩悩に打ち克ってテーマに挑戦することは
できないだろうか。

465 :神も仏も名無しさん:2023/04/21(金) 17:46:01.94 ID:Ni3EgzJpD
佳子先生が下さった様々なテーマの中には、色々と難しいものも
含まれているが、「最初に為すべきこと」に限れば、さほど難しい
ものではないと思う。何を果たしてゆくにせよ、まず、会員であれば
誰でも意見を表明できるネットワーク上のコミュニティが絶対に
必要になるだろう。

現状では、そのコミュニティが無いわけであるから、なるべく多くの
賛同者を集めて、コミュニティを創設するように事務局に願いの書を
提出する、という事が「最初に為すべきこと」になるだろう。

最初の段階で、それを果たさなければならないことは、少し考えれば、
誰でも気づけるのではないだろうか。気づけるのに、なぜ動かないのか?
その理由は、人間の「器」の問題かもしれない。

要するに、まだ器の小さい人は、自分のこと、家族のこと、ごく
親しい内輪の人のためであれば、主体的、積極的に動けるものの、
全体のために積極的に動くのは、難しいものがある。

誰かが具体的に指示を出したり、お膳立てをしなければ、器の小さな
人が全体のために動くには、できないだろう。現状では、佳子先生は
漠然とした指示しか出されていないし、特にお膳立てもされていない
から、器の小さな人は、なかなか動けないのかもしれない。

466 :神も仏も名無しさん:2023/04/21(金) 17:46:31.77 ID:Ni3EgzJpD
しかし、「自分や内輪の人のため」ではなく、全体のために動けない人、
具体的には、「全体のために願いの書を提出する」、という事ができない
人は、はっきり言って「菩薩になる修行を積む前提を欠いている」と
言わざるを得ない。

「まだ自分の器の育みが足りない」と思う人は、器を大きくしない限り、
菩薩になるための修行に参入できない、と断じても良いだろう。
では、どのようにして器を大きくすれば良いだろうか?
それは既に佳子先生が明かして下さっている。

https://www.gla.or.jp/compass/rashinban196/

> 発展途上の私たちが大切にすべき生き方があります。それは、日々、
> 自らのベストを尽くし、最善の生き方を重ねるということです。
> 言葉を換えるなら、私たちが抱いているそれぞれの器に、光と力を
> いっぱいに満たすことを毎日連ねるのです。

> 私たちが限界を抱えているということ。それは、自らの器の大きさに
> 限りがあるということです。しかし、私たちが自らの器を満たし続ける
> とき、ある日、その器が限界を超えて大きくなっているのです。

467 :神も仏も名無しさん:2023/04/21(金) 17:47:14.56 ID:Ni3EgzJpD
> これ以上はできないというほど、頑張ってみる。これ以上はできない
> というほど、青写真を追求してみる。これ以上はできないというほど、
> 事態を心配し、工夫と改善を重ねてみる。これ以上はできないという
> ほど、試行錯誤を繰り返してみる……。

> そんな歩みを積み重ねてゆくとき、ある日、私たちが抱える限界が
> ふっと消えるときが来るのです。器が広がり、より多くの光と力で
> 満たされる──。それが、人間の成長と進化の歩みなのです。

今回のケースについて言えば、自分のことや、内輪の人のためで
なければ動けないという人も、無理を承知で、全体のことを考えて、
全体のために動く実践を積むことだと思う。佳子先生が示された
ように、「これ以上はできない」というほど、実践を積むしか
道はないだろう。

もし、それができないという事であれば、必然的に、あなたが
菩薩になる可能性も閉ざされる、ということになるだろう。

468 :神も仏も名無しさん:2023/04/22(土) 10:50:31.61 ID:nm9OiFOHw
菩薩になって上から目線で人様に説教をし
自分をコピーしたクローン信者を多く生産すれば
やがては如来になれるってことですよね

469 :神も仏も名無しさん:2023/04/28(金) 08:16:23.18 ID:IhyBpYhac
 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban230/
今月の時の羅針盤・230「魂を動かす」には、次のように示されている。

> どんな社会にも時流というものがあります。時代時代の流行や傾向、
> そのときの社会が求めている価値に向かう流れと言うこともできるでしょう。

> 時代の中に生きる人々は、まさにそこにある流れの影響を
> 受けることは必至。そこから自由であることは、至難のことなのです。

> 流されるままに生きる──。もちろん、それも1つの生き方です。
> しかし、その生き方では、感じることのできないものがあります。
> 見えないもの、手にすることのできないものがあります。
> その生き方では、到達できない場所があるのです。
> なぜなら、その生き方では、自分の魂を動かすことは
> できないからです。

私は、GLAの中に、ある「流れ」あるいは「傾向」が存在していると思う。
それは、「一般会員は、GLA全体のことを考えなくてもよい。それは、
佳子先生、職員、伝研生の役割である」というものである。

その「流れ」「傾向」がなぜ生じたのだろうか?それは、一人ひとりの
内に「できれば楽をしたい」という想いがあるからではないだろうか。
自分以外の他人が全部担ってくれれば、これほど楽なことはないだろう。
そのような、何千人、何万人という人の「楽を求める想い」が集まって
場を作り、潮流を作ったということではないだろうか。

470 :神も仏も名無しさん:2023/04/28(金) 08:16:55.25 ID:IhyBpYhac
その「流れ」「傾向」を維持し続けた結果、例えば「GLAホームページに
愚かしい記事が掲載され続けている」「千年構想、7つのプログラム、
9つのプログラムがこれまで放置され続けている」など、明らかな歪、
矛盾が生じている。

あなたが「流されるままに生きる」ことを選択するのであれば、
そのような歪、矛盾に対して、「見て見ぬふりをする」という態度を
取り続けるしかないだろう。

また、佳子先生は、次のように示されている。
> 世間の評判ではなく、自分の目で確かめる。周囲から「それでよい」
> と言われても、もう一歩、自分で掘り下げてみる。これまでのやり方を
> 横に置いて、新たな生き方を追求する。自分の深奥が本当に感じていること、
> 魂が共鳴することを選ぶのです。
> 魂を動かす生き方は、まず、自分を信じることから始まります。
> 自分を信じるということは、自分の中に眠る可能性を信じるということです。
> それを信じるから、変わることができる。自分を信じて、まだ
> 現れていない、隠れた力を引き出す準備をしていただきたいと思います。

あなたは、「会員であれば誰でも自由に意見を表明でき、多くの賛同を
得た意見について、ウィズダムと願いの書を作成して事務局に
提出するような、ネットワーク上のコミュニティが必要である」
とは思わないだろうか?

もし、思えるなら、「そのように思う自分を信じる」ことはできない
だろうか?自分を信じることによって、変わることはできないだろうか?
全体の「流れ」「傾向」に逆らって行動を起こすことはできないだろうか?

それが「魂を動かす」ことであり、「まだ現れていない、隠れた力を
引き出す」ことではないだろうか。

471 :神も仏も名無しさん:2023/05/05(金) 17:44:23.64 ID:nQ1neFVj0
今日は、http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf (法の継承時の鍛錬)
について、その意味をさらに深く考えてみたいと思う。

それは、この鍛錬について、「まだ納得ができない」と思う人が
いるのではないかと、思われるためである。この鍛錬はカルマを超克
するために与えられたものであるが、そもそも、なぜ人間はカルマ
を超克しなければならないのだろうか?

「カルマがあれば、それが煩悩となって混乱を引き起こす。だから、
カルマを超克しなければならない」というのが普通の考え方では
ないかと思う。この鍛錬においては、確かに様々な人の様々なカルマが
煩悩となって現れた。しかし、それは信次先生が、わざわざそれを
引き出すような関わり方をされたからであり、通常の生活の中では、
まず現れないようなものであった。

私は、特に、菩薩段階に至った魂にとって、「カルマを超克する」
ということは、ただ「煩悩を引き起こさない」ことに留まらず、
さらに大切な意味があると思う。

悟りの九段階において、悟りの段階が、第七段階から第九段階に
上がってゆくに従って何が変わるのか、ということを考えてみると、
一つの側面では、「宇宙の意志、すなわち神の御意志を受け取れる
ようになること、そして受け取る確度や次元が深化してゆく」
と言えるのではないだろうか。

つまり、既に第七段階の菩薩の悟りを得た魂にとって、神の御意志
を受け取れるようになること、そして、その確度や次元を深化させて
ゆくことが、さらなる修行のために重要なテーマになる。

472 :神も仏も名無しさん:2023/05/05(金) 17:44:50.80 ID:nQ1neFVj0
ところで、神は、そもそもどのようにして人間に御意志を伝えられる
のだろうか?それは、佳子先生が時折、ウパニシャドから引用されて
いる、次の言葉の通りである。

「神は鉱物の中で眠り 植物の中で覚め
 動物の中で動き回り 人間の中で思惟する」

すなわち、神は、人間の意識の中に入ってこられ、人間の中で思惟
することによって、人間に御意志を伝えられるのである。

しかし、「神が自分の中に入って思惟されたこと」と、「自分が勝手に
思惟したこと」とは、簡単には区別できない場合がある。そして、
「神が自分の中に入って思惟されたこと」を基としていたとしても、
それが自分のカルマによって歪められ、元々の神の御意志とは異質な
ものになる場合もある。

私は、人間の意識というものは、「神の御意志を映し出す鏡」のよう
なものであると思う。人間が意識が、全く平坦で、全く曇りの無い
鏡のようであれば、その人間の意識には、神の御意志が、そのまま
の形で映し出されるだろう。

しかし、人間の意識が、歪みや汚れがある鏡のようなものであれば、
そこに映し出されたものは、元々の神の御意志に対して、何かが
欠けていたり、何かが歪んだようなものになってしまうだろう。

この「歪みや汚れ」とは、「人間のカルマ」のことである。人間が
カルマを持つことによって、その人間の意識に、あるがままの
神の御意志を映し出すことが難しくなるのである。

そのため、「神の御意志を具現したい」と願う人は、より厳しい
姿勢で自らのカルマに対峙しなければならない。それは、
「煩悩を引き起こさなければよい」というレベルとは、全く異なる。

473 :神も仏も名無しさん:2023/05/05(金) 17:45:42.49 ID:nQ1neFVj0
「法の継承時の鍛錬」を受けられた方は、如何に厳しい目に
遭ってもカルマ超克を果たすことを願われたのであり、信次先生は、
その願いに応えて下さるために、鍛錬を課して下さったのでは
ないだろうか。そして、カルマ超克の願いの根底にあるものは、
「神の御意志を具現したい」という願いではなかっただろうか。

それゆえ「法の継承時の鍛錬」は、「神の御意志を具現したい」と
願う人にとって、極めて有難い、極めて貴重な鍛錬であったと思う。

しかし、極めて有難い、極めて貴重な鍛錬であったとしても、
もう種明かしがされてしまった以上、未来のGLAで同様の鍛錬を
実施することは不可能であると思われる。

すると、未来のGLAにおいて、第八段階以上の悟りを目指す人々は、
「二十世紀後半の原始GLAで実施された法の継承時の鍛錬」の内容を
吟味して、自分自身と傾向が似ている人の鍛錬を霊操し、追体験する
ことによって、自らのカルマに対峙してゆくことになるだろう。

それを可能にするために、「法の継承時の鍛錬」の詳細な内容を
記録して、未来に繋げてゆかなければならないだろう。

鍛錬を受けられた方々のうち、存命中の方々については、自ら詳細な
記録を残して頂きたいと思う。また、すでに逝去された方々に
ついては、関わりのあった方々に、できるだけ詳細な記録を残して
頂きたいと思う。

特に、実際に鍛錬を受けられた方に申し上げたいことがある。

「未来のGLAにおいて、第八段階以上の悟りを目指す人」の中には、
来世のあなたも含まれている。来世のあなたが悟りの段階を
上ってゆくためには、今世のあなたが残した記録こそが、貴重な
介在になるだろう。

474 :神も仏も名無しさん:2023/05/07(日) 10:09:50.50 ID:7kHWk2eJP
https://npd.monster/cult-fanatic/
「これでもう迷わずに生きていけると思った」ごく普通の人がカルト宗教にハマる怖すぎる瞬間
何事にも白黒つけたい人は要注意
https://president.jp/articles/-/59935?page=3
宗教にはまる人の特徴!はまりやすい人の7つの心理がコレ!
https://know-space.sakura.ne.jp/religion-to-fit.html

475 :神も仏も名無しさん:2023/05/07(日) 10:22:43.19 ID:7kHWk2eJP
人はなぜ前世を信じるのか? 多角的な視点で輪廻転生を徹底考察
https://satomi-manga.com/previous-life/
なぜ「前世・来世・生まれ変わり」や「輪廻転生」「カルマの思想」を信じると不幸を招いてしまうのか!?
https://ohmy.s8d.jp/2015/08/14/rinnekaruma/

476 :神も仏も名無しさん:2023/05/11(木) 00:05:37.98 ID:QiBbxMMFD
>471-473 に述べたことを若干訂正したいと思う。

「法の継承時の鍛錬」の詳細な内容を記録して、未来に繋げてゆくべき
ことは、上述した通りである。しかし、改めて考えてみると、鍛錬を
受けた人に対して、その鍛錬内容の開示を求めるべきではないと思う。

それは、鍛錬内容を開示するということは、自分自身が煩悩で悩乱した
事実を明かす、ということであり、やはり、抵抗を感じる人もいる
と思われるためである。

従って、「鍛錬を受けていない人」が中心になって、客観的事実に基づいて、
鍛錬の記録を編纂してゆくことが正しいと思う。その際、編集者が、
鍛錬を受けた人に対して事情説明を求めることも、同様の理由で避ける
べきことであると思われる。

「客観的事実」の中には、真実であるかどうか、GLAが把握できないことも
含めたほうが、内容が充実するだろう。例えば、園頭広周氏が著書で
主張した事実は、真実であるのかどうかGLAが把握できないものも
多々存在すると思う。そのような場合、「園頭氏はこのように
主張しているが、GLAでは真偽を確認できなかった」という注記を付して、
記録に残してゆくべきだろう。

何が事実であって、何が事実でないのか判然としない面も生じてしまうが、
その判断は未来の読者に委ねる事が最善であると思われる。

上述のように、鍛錬を受けた人に対して、その鍛錬内容の開示を求める
べきではないが、あくまでもご本人の発心、ご本人の積極的な意志によって、
鍛錬の詳細を開示して下さるのであれば、それは、ぜひ、記録の中に
残して頂きたいと思う。

477 :神も仏も名無しさん:2023/05/11(木) 00:06:56.53 ID:QiBbxMMFD
以上述べたことは、実際に鍛錬の内容を見てきた人々、つまり、
事務局が中心になって進めてゆくべきことかと思われる。しかし、
在家の会員が何もしなければ、多分、事務局は、上述したようには
動かないと思う。

「法の継承時の鍛錬」の詳細な内容を記録すべきなのか否か、それを
判断する主体は「会員の総意」でなければならないと思われる。

「会員の総意」を醸成してゆくためには、会員であれば自由に
意見を表明できる、ネットワーク上のコミュニティを実現しな
ければならないだろう。

当時のことを知る人は、年々少なくなっている。当時の記録を
未来に残したいのであれば、ネットワーク上のコミュニティを
速やかに実現することが肝要であると思われる。

478 :神も仏も名無しさん:2023/05/18(木) 08:49:43.89 ID:9u6eu1nMW
菩薩だとか千年構想とか
そんなことよりミカエル騒動を総括してください

479 :神も仏も名無しさん:2023/05/20(土) 15:22:41.26 ID:auqqWSNie
上祐史浩×宏洋×村田らむ の動画
中々の内容だったぞ。

480 :神も仏も名無しさん:2023/05/26(金) 16:36:05.09 ID:mrNU8vmog
千年構想、7つのプログラム、そして9つのプログラム。
これらのテーマを通じて菩薩になる修行を積むべき人々が
20年以上に渡ってテーマを放置してきたのはなぜだろうか?

その人々には菩薩になることを切望する魂願があり、
その魂願ゆえに、今生、その魂願成就の機会が与えられた
筈である。

しかし、表面意識に生じる煩悩が、「魂願」を没却させる
方向に作用する。非菩薩であれば、魂の力が弱いために、
表面意識では、魂願よりも煩悩が優位になるように
見受けられる。

そして、自分一人の努力では、表面意識の中で魂願を
煩悩よりも優位に立たせることが難しいのだろう。
そのため、煩悩に流され、テーマを放置し続けてきた
のではないだろうか。

481 :神も仏も名無しさん:2023/05/26(金) 16:36:38.92 ID:mrNU8vmog
しかし、以前にも述べたように、魂の所以に遡る瞑想等
によって魂願のリアリティが恢復することがある。その
場合、あなたの表面意識において、魂願を煩悩よりも
優位に立たせることができるのではないだろうか。

そのため、自分一人の努力では、魂願を煩悩よりも
優位に立たせることが難しいのであれば、次に、魂の
所以に遡る瞑想の機会を頂いた時に、魂願成就に
向かってスタートを切ることができると思われる。

しかし、体験した人ならよくお解りのことと思うが、
魂の所以に遡る瞑想によって魂願のリアリティが恢復
したとしても、それは「瞬間最大境地」であり、すぐに
錆びて元に戻ってしまう。

そこで、瞬間最大境地が現れているごく短い期間内
に、スタートダッシュを切って、その後にリアリティが
錆びてしまっても、スタートダッシュの勢いで走り
続けるようにするのが最善であると思われる。

482 :神も仏も名無しさん:2023/05/26(金) 16:38:30.20 ID:mrNU8vmog
但し、瞬間最大境地が現れたその時になって、「さあ、
どのようにしてスタートを切ろうか」と思案を巡らせる
のであれば、それによって時間を浪費してしまい、
結局、何もできずに終わってしまう可能性が高い。

その時に、スタートダッシュを切るためには、次に、
魂願のリアリティが恢復した時に、「最初に自分は
何を果たすのか」、「その次に何を果たすのか」、
…等々の計画を、今の段階で熟考して立てておくのが
最善であると思う。

そして、次に、魂願のリアリティが恢復した時に、
その計画に従って、躊躇することなく邁進する
ことである。

483 :神も仏も名無しさん:2023/05/27(土) 10:20:57.45 ID:YIieIj4u/
>>480
>千年構想、7つのプログラム、そして9つのプログラム。
これらを放置し続けたのは最初に打ち出した本人ではないだろうか?
加えて何故それらを周囲の責任に置き換えるのか?
さらに加えて
ミカエル騒動 当たらない予言などを
40年以上に渡って問題を放置してきたのはなぜだろうか?

484 :神も仏も名無しさん:2023/05/27(土) 11:17:36.97 ID:p2KAhf1/e
4月26日の時の羅針盤、「魂を動かす」について考えてみたい。
 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban230/

> どんな社会にも時流というものがあります。時代時代の流行や傾向、
> そのときの社会が求めている価値に向かう流れと言うこともできる
> でしょう。私たちはどんな人でも、知らず知らずのうちに、その
> 時流に流されながら生きていると言えるのです。

どんな社会にも時流というものがあるならば、GLAにも、時流という
ものがあり、社会(GLAという場)が求めている「価値」、「常識」
というものが存在する。

では、そのGLAにおける「時流」、「価値」、「常識」とは、一体誰が
作っているのだろうか?作っているのは「GLA会員」に相違ない。
では、「GLA会員」とは一体どのような人々だろうか?

「GLA会員」の大多数は非菩薩である。非菩薩の中には、今生の人生で
菩薩になれる可能性がある人と、それが極めて難しい人の二種類がある。

前者は、主として縁覚段階であり、後者は主として声聞段階である。
そして、GLA会員の大多数は、後者、つまり声聞段階の人である。
従って、GLAにおける「時流」、「価値」、「常識」は、ほとんど
声聞段階の人が作り上げたものである。

では、声聞段階の人が作る「時流」、「価値」、「常識」とは如何なる
ものだろうか?例えば、千年構想、7つのプログラム、9つのプログラム
に対して、「佳子先生が具体的に指示されていないから、何も
やらなくていい」というものではないだろうか。

485 :神も仏も名無しさん:2023/05/27(土) 11:18:28.65 ID:p2KAhf1/e
声聞段階の人にとって、それは仕方ない面はある。しかし、菩薩になれる
可能性を持っている人が、その「時流」、「価値」、「常識」に囚われて
みすみすチャンスを逃してしまうのは、本当に勿体ないことだと思う。

> だからこそ、私たちは今、自分が気づかない間に、どのような流れの中に
> 生きているのかを問わなければなりません。
> そして、ときには、あえて流れに抗(あらが)う──。それが
> 必要なときがあるのです。

佳子先生から頂いたテーマに従って菩薩になるための修行を積むことは、
ある意味では、声聞段階の人が作った流れに対して、「あえて抗う」
ということである。それは、正に次のご指導の通りである。

> 世間の評判ではなく、自分の目で確かめる。
> 周囲から「それでよい」と言われても、もう一歩、自分で掘り下げてみる。
> これまでのやり方を横に置いて、新たな生き方を追求する。
> 自分の深奥が本当に感じていること、魂が共鳴することを選ぶのです。

また、世代別セミナーについて、次のようなご案内がある。
> 今月からGLAでは、「世代別セミナー」(*1)が始まります。
> 普段の生活の場を離れて、八ヶ岳の大自然の中で研鑽に集中する3日間。
> 日常の中で私たちを覆っている見えない壁を打ち破り、
> 魂を動かす絶好の機会です。

もしかすると、セミナーでは、魂願のリアリティを恢復できる機会を
頂けるかもしれない。昨日述べたように、その時には直ちに動けるように、
今から準備を進めておくことが大切だと思う。

486 :神も仏も名無しさん:2023/05/29(月) 00:14:03.82 ID:vfjtpiShD
>>483
> これらを放置し続けたのは最初に打ち出した本人ではないだろうか?
> 加えて何故それらを周囲の責任に置き換えるのか?

これは、例えば、小学校の教師が、算数の問題を児童に与えて、
児童が自分の力で解こうとするまで、じっと待っているようなものです。

教師は、児童が何かしら動き出すまで手助けしないでしょう。
児童が何も動かないのに、教師が自ら解答を示しても、
児童は問題を解く力をつける事ができません。

> ミカエル騒動 当たらない予言などを
> 40年以上に渡って問題を放置してきたのはなぜだろうか?

放置はされていませんよ。「歴史の整備」を果たすように、弟子に
呼びかけられました。それに応じて、弟子から仮説も提唱されています。

http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf
「ミカエル騒動」については、このレポートの15〜18ページあたり。

http://file.copyman.syoyu.net/GG.pdf
「当たらない予言」については、このレポートの5〜6ページあたり。

ただ、これは「仮説」に過ぎないわけで、どこまで正しいのかは
解りません。そのうち、詳細が探求され、GLAとして総括する日が
来るでしょう。

487 :神も仏も名無しさん:2023/06/05(月) 23:07:56.27 ID:1oOt6lUQv
海外の環境団体はあらゆる妨害活動から破壞活動までやってて人としての最低限の道徳を知ってて素晴らしいが曰本にはクス゛しかいないのかよ
せめて広島の平和公園もとい地球破壊公園の殺人の灯でBBQくらいやってみせろや、何しろ肉を焼くわけて゛もなく.月に8ΟО立方メ−トル
ものプ□パンガスをただひたすら燃やし続けていやか゛るんた゛からな.せめて肉でも焼いてみせて気侯変動に抗議する象徴的行動するのか゛人の道
莫大な温室効果ガスまき散らして世界ー周旅行して、サミットた゛のと国民から強奪した莫大な税金無駄にしながら飲み食い観光,警備た゛のと
クソシナ顔負けの私権侵害やって世界中にハ゛力晒し続けてる岸田異次元増税憲法カ゛ン無視地球破壊軍國主義売國奴文雄みたいなクス゛た゛の,
持続可能な開發目標に壞滅的なタ゛メ━シ゛を及ほ゛すために国連本部にノコ丿コ出かけて莫大な温室効果ガスまき散らす広島県知事湯崎英彦た゛のを
当選させてる広島県民は恥を知れよ、広島原爆で14萬人殺されたそうた゛が,WМ0か゛確認したた゛けて゛197Ο年以降に気候変動によって.
土砂崩れに洪水,暴風,猛暑,大雪やら災害で殺された人数は2〇○万人以上,經済損失は6ΟO兆圓以上という現実を理解しろダフ゛スタ県民

創価学會員は,何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ一が□をきけて容認するとか本氣で思ってるとしたら侮辱にもほどがあるぞ!
hтΤρs://i、imgur,cоm/hnli1ga.jpeg

488 :神も仏も名無しさん:2023/06/14(水) 15:29:30.63 ID:x0VRdGQ1B
>>486
回答の内容だけんどもさ
それ人前で喋れるかぁ?実名出して発表できるくぁ?無理だべ〜
これがすべてを物語ってるんよw
探求も総括もされんとよw無きものとして葬り去られるだけだがにぃw

489 :神も仏も名無しさん:2023/06/18(日) 21:09:29.12 ID:Im0S1KXCK
>>488
>それ人前で喋れるかぁ?実名出して発表できるくぁ?無理だべ〜

確かに、今できることは、客観的事実を集めて整理すること、
仮設を立てることぐらいでしょう。

ただ、存命中の関係者が誰もいなくなれば、GLAとして総括して、
詳細を発表できるでしょう。

490 :神も仏も名無しさん:2023/06/19(月) 01:25:13.12 ID:BTCOUGVbu
6月1日の時の羅針盤、「内圧を高める」について考えてみたい。
 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban231/

ここでは、私達が様々な「外圧」を受けること、そして、「その外圧に
屈することのない内圧を保つこと」の大切さが示されている。

では、千年構想、7つのプログラム、9つのプログラムのテーマを
放置してきた人々が、これらのテーマに関して、何か外圧を受けて
いるだろうか?

そのように考えると、「全く外圧を受けていない」というのがその答
になるだろう。これらのテーマに関して言えば、何もしなければ、
何も外圧を受ける理由が無いと思われるためである。

しかし、これらのテーマに対して志を立てて動こうとしたならば、
動こうとしたその瞬間から、あなたは様々な外圧に晒されるだろう。
その外圧が現れた時にこそ、この時の羅針盤、「内圧を高める」
のことをを思い出してほしい。

特に、菩薩になる修行を積むことは「青写真」にアクセスし、
それを実現することであるから、次のご指導をぜひ実践して
頂きたいと思う。

> その青写真に何とかアクセスし、それを実現させようとする──。
> この心の動きが、外圧に対する内圧を生み出し、それを高めるのです。

491 :神も仏も名無しさん:2023/06/19(月) 01:25:42.71 ID:BTCOUGVbu
菩薩になる修行を積もうとする人々が遭遇する「外圧」は、具体的に
どのようなものになるだろうか?それは、解らないことであるが、
一つの可能性として考えられることは、GLAの職員が「それをやめる
ように」と圧力をかけてくる可能性がある。

しかし、私が認識している限りでは、GLAの職員の多くは、青写真に
対する感性を充分に育んでいないように見受けられる。あなたが
青写真に何とかアクセスし、それを実現させようとするときに、
それに対して適切な指導を果たせる職員が一体何人いるのだろうか?
おそらく一人もいないのではないか、と私は思っている。

青写真に対する感性を育んでいない人が述べた意見は、「参考までに
傾聴する」ことに留めて、あまりそれに拘泥する必要はないと思われる。

なお、青写真にアクセスすることは、必ずしもスムーズに進むこと
ではない。 2019年、私は>>74-77 で、「青写真へのアクセスの仕方」
ということについて、「明治維新」を例として述べた。

ここに述べたように、菩薩クラスの人が(菩薩を目指す人も同様である)
青写真にアクセスする場合には、間違えること、紆余曲折することが
避けられないように思う。それゆえ、何か失敗したとしても、それで
めげることはない。「No」を引き受けることは「Yes」に到達するために
必須なものである。内圧を保ちながら、青写真に向かって探求を
続けることが大切であると思われる。

492 :神も仏も名無しさん:2023/06/24(土) 09:20:17.93 ID:rXxE9gYs/
結局 ・・人にクチナシの状態になってから歴史を好き勝手に塗り替えるわけね

493 :神も仏も名無しさん:2023/06/27(火) 10:45:21.89 ID:B6d7vPKcl
教えという外圧w

494 :神も仏も名無しさん:2023/06/27(火) 16:46:28.93 ID:fKEf7bhHE
>>491で、述べたことに若干補足したい。

佳子先生が下さったテーマの「青写真」にアクセスし、それを実現
しようとする人に対して、GLAの職員が「それをやめるように」と
圧力をかけてきた際、佳子先生は、その事を察知されたとしても、
職員にストップをかけられないと思う。

その理由は、その程度の外圧で折れてしまう人というのは、結局、
何も果たすことができないと思われるためである。

青写真に何とかアクセスし、それを実現させたいと願えるのか
どうか?それによって、外圧に対抗できる内圧を生み出すことが
できるのかどうか?

その事が試されるのではないかと思う。

495 :神も仏も名無しさん:2023/06/30(金) 09:12:48.83 ID:tHBMMSscm
魂レベルでの長い目で見れば・・
これは試されている・・
信者解釈の典型パターン

496 :神も仏も名無しさん:2023/07/05(水) 08:43:29.81 ID:9QXjStKz/
終末的な予言が外れる→教祖を通じて天上界からの御加護
明るい未来の予言が外れる→教祖を通じて天上界からの試練
全ては魂向上の為に試されていた→疑問を感じた己を恥じて涙を流して感謝した自分はスーパー偉い最高の理解者

497 :神も仏も名無しさん:2023/07/07(金) 08:39:12.93 ID:pDpf2gaXS
>>491で、述べた次の点についても、なぜそう思うのか、もう少し説明しておこう。

> しかし、私が認識している限りでは、GLAの職員の多くは、青写真に
> 対する感性を充分に育んでいないように見受けられる。あなたが
> 青写真に何とかアクセスし、それを実現させようとするときに、
> それに対して適切な指導を果たせる職員が一体何人いるのだろうか?
> おそらく一人もいないのではないか、と私は思っている。

2006年に起こったことを覚えているだろうか。
その年、信次先生の御帰天後30周年ということで、当時のことを知る
人々が、ネット上の掲示板で色々と信次先生の思い出話をしていた。
その中で、信次先生が弟子のことを「大天使」だの「後継者」だのと仰った
という話や、「実際に自分は大天使だと言われた」という話が登場した。

すると、GLAの事務局から、その人たちに対して書き込みをやめるように、
内容証明郵便で警告状が送られたということだった。書き込みをやめる
べき理由は「迷ってしまう人が出てくるから」ということだったそうである。

私は、「自分は大天使だと言われた」と主張するH氏の書き込みを見ていて、
「どう、ひいき目に見てもH氏は大天使には見えない」と思った。ただ、
H氏の書き込みを見てみると、真剣そのもので、ウソを言っているよう
にも見えなかった。

私は、H氏の書き込みを読みながら、「これはどういう事だろうか?」と
何週間か、考えていた。そして、ある日、ふと気づいたことがあった。
それは、「H氏は増長慢になっている」ということであった。

この点に気づいた後は、すぐに次の気づきを得ることができた。
「H氏が増長慢になったのは、信次先生から大天使だと言われたためだろう。
しかし、信次先生のお言葉は、増長慢を引き起こした根本的な原因ではなく、
単なる契機に過ぎない。増長慢を引き起こした根本的な原因はH氏の内側
にあり、信次先生はその事に気づかせるために、H氏に大天使だと仰ったのだ」

498 :神も仏も名無しさん:2023/07/07(金) 08:41:09.78 ID:pDpf2gaXS
この大天使云々の話は、何十人もの職員が知っていたはずである。
実際に信次先生から大天使だの後継者だのと言われた人の様子も直接的に
目にしていたはずである。その何十人もの職員が、30年かけて検討した
結果、「警告状を送って黙らせる」という事しかできなかった、という
ことになるだろう。

私は、最初、「信次先生のお言葉の意図を見抜くのは難しい面があり、
何十人もの職員が30年かけて検討しても解らなかったのは仕方ない面も
あったのではないか」と思っていた。しかし、ある人から情報を頂いて、
その考えが変わってしまった。

それは、法の継承の直後、佳子先生が職員に向かって、「信次先生が
W氏のことを後継者であると仰ったためにW氏は増長慢になっている。
信次先生は、なぜそのような事を仰ったのか?」と問いかけられて
いたということであった。

これほど解りやすいヒントを頂いて、何十人もの職員が30年かけて
解らなかったということは、GLAの職員に果たせることは、かなり限定的
なものになると思われた。>>491で私が述べたことは、このような考えに
基づくものである。

但し、このことが全ての職員に当てはまるかどうかは解らない点がある。
それは、大天使云々の話を、全く知らなかった人もいると思われるため
である。

青写真に何とかアクセスして、それを実現させようとする人に対して、
適切な指導を果たせる職員も、もしかすると存在するかもしれない。
しかし、簡単に信用できるわけでもない。もし、職員から干渉を受けた
場合は、その職員がどの程度の力を備えた人なのか、よく見極めた
上で対応することが大切だと思われる。

499 :神も仏も名無しさん:2023/07/10(月) 10:29:17.32 ID:zlv4at062
一般目線では、最初に大天使なる言葉を口にした者が増長慢という解釈になりますが
信者目線では、その意図を都合よくこねくり回し善意に解釈してしまいますね。

500 :神も仏も名無しさん:2023/07/10(月) 11:39:27.37 ID:zlv4at062
そもそも天使も生まれ変わりも無いでしょうけど
大天使が生まれ変わるとか何なんですかね?ごちゃまぜ宗教?
それも同時期に。天上界上層部ガラ空き?
人に翼生えてるのもおかしい、翼は前足、腕のパーツですよ。

501 :神も仏も名無しさん:2023/07/15(土) 12:01:53.69 ID:JQfNk2axF
6月24日の時の羅針盤、「行動する」について考えてみたい。
 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban232/

私には、特に、最後に示して頂いた次のお言葉が、響いてくる。
> もちろん、行動すれば何とかなるというわけではありません。
> どんなに想いを込めて取り組んでも、願った結果が得られないときも
> あるでしょう。新たな気持ちで取り組んでもうまくゆかない。
> 失敗が続いてしまうということもあるかもしれません。
> しかし、そのようなときに思い出していただきたいことがあります。
> 私たちはもう1度、挑戦することができるということ。そして、
> 何度でも挑戦し直すことができるということ──。私たちは今からでも、
> 再度行動を起こし、新たな因縁果報を生み出すことができるのです。

私は、2019年8月、>>74-77 にて、「青写真へのアクセスの仕方」
について「明治維新」をモデルにすることを提案させて頂いた。

「明治維新」は、正に「何度でも挑戦し直す」、「再度行動を起こし、
新たな因縁果報を生み出す」ことによって実現されたものであると思う。
それは、「前回描いたヴィジョンとは全く異なるヴィジョンを描き直す」
ことの繰り返しでもあった。

502 :神も仏も名無しさん:2023/07/15(土) 12:02:15.91 ID:JQfNk2axF
硬直した思考の持ち主であれば、「先日言っていたことと、
今言っていることが全く違うではないか」と批判するかもしれない。
しかし、菩薩による具現とは、正に、このように紆余曲折する具現
であると思う。もしあなたが菩薩を目指すのであれば、この
「紆余曲折する具現」の実践を積まなければならないだろう。

「明治維新」においては、描くヴィジョンが紆余曲折していた
としても、そこには全く変わらぬ中心軸があったと思う。それは、
「この国難を乗り越えて、国家国民を守りたい」という志であった。

その志があったからこそ、最後の最後には、「明治維新」の青写真
に到達して、それを具現できたのではないだろうか。

503 :神も仏も名無しさん:2023/07/15(土) 15:30:30.24 ID:gZhbGRztG
明治維新の美談はウソだらけ! テロやり放題でも「正義」だった黒歴史
https://news.kodansha.co.jp/20170923_b01
明治維新という過ち − 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト
https://www.planet-van.co.jp/shiru/chairman_library/142
「明治維新は薩長によるテロだった
https://president.jp/articles/-/50648?page=1

504 :神も仏も名無しさん:2023/07/27(木) 15:31:53.37 ID:wjGvcNOqo
【ゆっくり解説】明治維新の3つの謎から真実が見える!始まりはアヘン戦争だった【日本の近現代史】
https://www.youtube.com/watch?v=_Wv6XkngryU
【閲覧注意!!】これは地獄絵図!戊辰戦争の真実が恐ろしすぎる…【ゆっくり解説】
https://www.youtube.com/watch?v=0iA6iHAjwk0
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!?
https://www.youtube.com/watch?v=1AEQvwE-nIU

505 :神も仏も名無しさん:2023/07/31(月) 15:45:22.75 ID:2TkbUkjJk
「知ってはいけない明治維新の真実」を世界一わかりやすく要約してみた
https://www.youtube.com/watch?v=PDftLZDDe-I
明治維新の本当の黒幕【都市伝説】
https://www.youtube.com/watch?v=yQJP0gPzXq8
【歴史の真実!?】〜幕末〜明治維新の裏側に迫る!!
https://www.youtube.com/watch?v=wshB0cnAtyc
【ゆっくり解説】9割の人が誤解している!明治維新のウソ!!
https://www.youtube.com/watch?v=OKRWtockRE4

506 :神も仏も名無しさん:2023/08/04(金) 17:09:34.14 ID:45XINd5t0
カルト研究室
https://www.youtube.com/@user-ui1xj7eu3o/videos

507 :神も仏も名無しさん:2023/08/11(金) 10:47:29.58 ID:7jNbrNci+
7月27日の時の羅針盤、「中心を貫く」について考えてみたい。
 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban233/

ここには、“外なる3つの「ち」と対峙する”というテーマについて、
次のように示されている。

> 私たちの外側の世界には、多くの人々が存在しています。その1人
> ひとりが人生の条件として3つの「ち」(*1)を抱き、そこから
> 派生した価値観や生き方をもっています。さらに、その人々が
> 属している地域や場にも、3つの「ち」の「地」や「知」が流れ
> 込んでいます。それは、地域・業界の価値観であり、時代の価値観です。

GLAの中にも、“3つの「ち」”が流れており、それは、
4月26日の時の羅針盤、「魂を動かす」で述べられている
「時流」、「価値」、「常識」と同様の意味であると思われる。
 https://www.gla.or.jp/compass/rashinban230/

> どんな社会にも時流というものがあります。時代時代の流行や傾向、
> そのときの社会が求めている価値に向かう流れと言うこともできる
> でしょう。私たちはどんな人でも、知らず知らずのうちに、その
> 時流に流されながら生きていると言えるのです。

私は、>>484-485にて、GLAにおける「時流」、「価値」、「常識」は、
ほとんど声聞段階の人が作り上げたものであり、それは「佳子先生が
具体的に指示されていないから、何もやらなくていい」というものであり、
菩薩になれる可能性を持っている人が、その「時流」、「価値」、
「常識」に囚われてみすみすチャンスを逃してしまうのは、本当に
勿体ないことであると述べた。

508 :神も仏も名無しさん:2023/08/11(金) 10:48:05.49 ID:7jNbrNci+
しかし、改めて、考えてみると、声聞段階の人々がこのような「時流」、
「価値」、「常識」を作り上げてきたと言うよりは、佳子先生が、
声聞段階の人々の意識に働きかけることにより、このよな「時流」、
「価値」、「常識」を作り出された、と考えたほうが正しいのでは
ないかと思えてきた。その、典型的な事例が、以下のリンクにある、
https://copyman.syoyu.net/Date/20131110/

このリンク先の記事では、「聞く・吸い込む・変わるの行」に関して、
「内藤さん(仮名)」の事例と、「Aさん」の事例を挙げている。
佳子先生は、「内藤さん」の事例に関しては様々な形で取り上げられたが、
「Aさん」の事例に関しては、ほとんど取り上げられていない。

「Aさん」は、誰からも指示、指導を頂いていないにもかかわらず、
「聞く・吸い込む・変わるの行」の必要性を自ら悟って実践された
わけであるから、Aさんに実践報告をして頂ければ、それは多くの
人にとって参考になったのではないかと思われる。

それにもかかわらず、「Aさん」の実践報告が無かった理由は、その
実践報告によって「内藤さん」の実践報告が霞んでしまうからでは
ないだろうか。また、仮に「Aさん」に実践報告をして頂いたとしても、
それは、おそらく声聞段階の人にとって、理解すること、実践すること
が難しいものになったのではないだろうか。

GLAの内外において、大多数の人は声聞段階であり、社会において
様々な問題を引き起こしているのも主として声聞段階の人である。
それゆえ、佳子先生は「声聞段階の人の覚醒」を優先せざるを得ず、
内外への発表についても「声聞段階の人の実践」に重点を置かざるを
得ないのではないだろうか。

509 :神も仏も名無しさん:2023/08/11(金) 10:48:45.36 ID:7jNbrNci+
この結果、「聞く・吸い込む・変わるの行と言えば、内藤さん」
という認識がGLAの内外に形成され、Aさんの実践のことは、
多くの人の認識には含まれなくなっているだろう。

佳子先生がこのような方針を貫かれている以上、「神理実践とは
目覚めた声聞段階の人の実践を指す」という共通認識がGLAの中で
出来上がってしまったのだろう。この共通認識こそが、GLAの中の
「時流」、「価値」、「常識」であり、3つの「ち」であると
言えるのではないだろうか。

声聞段階の人が菩薩になってゆく過程を考えると、何回かは
「目覚めた声聞段階の人」になる必要がある。それは、その時期
には大切なことであるが、そこに留まってしまえば、絶対に
菩薩にはなれない。

菩薩になるには、菩薩になるためのテーマに挑戦しなければ
ならないのであり、その挑戦を果たそうとしたとき、おそらく
この共通認識が、障害となって、あなたの前に立ち塞がるだろう。
その時にこそ、7月27日の時の羅針盤、「中心を貫く」
のことを思い出して頂きたいと思う。

ところで、3つの「ち」と言えば、普通は「浄化すべきもの」、
「克服すべきもの」と考えられる。しかし、「神理実践とは
目覚めた声聞段階の人の実践を指す」という共通認識は、
世界の大多数を占める声聞段階の人に働きかけてゆくために
必要であるから、佳子先生が形成されたものである。

従って、その共通認識は、今後とも維持してゆく必要があり、
この共通認識を、解消させるような動きをしてはならないだろう。
菩薩を目指す以上、この共通認識を大切にしつつ、この共通認識
には執われない生き方、というものを実践してゆく必要がある
のではないだろうか。

510 :神も仏も名無しさん:2023/08/15(火) 14:59:51.07 ID:oFCoDYA+T
VOL,243 ファティマ第三の予言
https://www.youtube.com/watch?v=isNeOjtFbH4
VOL,232 奇跡の泉を見つけた?!ルルドの泉
https://www.youtube.com/watch?v=Vduu0D06HQ0
VOL,313 シュタイナー教育・後編
https://www.youtube.com/watch?v=PEh5sHiIGJc

511 :神も仏も名無しさん:2023/08/15(火) 15:07:08.14 ID:oFCoDYA+T
VOL,209 千乃正法会
https://www.youtube.com/watch?v=1HXGYWVSBR8
VOL,196ジェームズランディ―
https://www.youtube.com/watch?v=HoJxtieraQw
VOL,120 明治の生き神
https://www.youtube.com/watch?v=6M0N6YKaBwo
VOL, 78 スピリチュアルの起源?神智学
https://www.youtube.com/watch?v=6aJ9oGZQtdA

512 :神も仏も名無しさん:2023/08/15(火) 15:11:48.26 ID:oFCoDYA+T
VOL,79 アカシックレコード
https://www.youtube.com/watch?v=kVn0fZ4xDLE
カルト研究室VOL,41 幸福の科学の前身ともいえる団体GLA
https://www.youtube.com/watch?v=-1yyDnZJ64o

513 :神も仏も名無しさん:2023/08/27(日) 16:45:42.61 ID:VnPj4lJ6N
巨大地震は人工的に起こされた?「人工地震」説を検証する
https://www.nazotoki.com/artificial-earthquake.html
数々の大災害や著名人の死を警告する予言漫画『私が見た未来』
https://www.nazotoki.com/watashi-ga-mita-mirai.html
【増補改訂あり】新型コロナウイルスの大流行を予言した? 松原照子氏の各種予言を検証する
https://www.nazotoki.com/matsubara.html
大事故は14年前に予知されていた?「タイタニック号の予言」
https://www.nazotoki.com/titanic.html

514 :神も仏も名無しさん:2023/08/27(日) 17:02:20.18 ID:VnPj4lJ6N
ユリ・ゲラーが認めた後継者「リオー・スシャール」
https://www.nazotoki.com/lior.html
空飛ぶ円盤ブームのきっかけとなった「ケネス・アーノルド事件」
https://www.nazotoki.com/arnold.html
スピリチュアリズムの先駆者「フォックス姉妹」
https://www.nazotoki.com/fox.html
魔の三角海域「バミューダ・トライアングル」
https://www.nazotoki.com/bermuda_triangle.html
月の裏側を念写した男「三田光一」
https://www.nazotoki.com/mita.html
公式に認められた「メキシコ空軍が発表したUFO事件」
https://www.nazotoki.com/flir_video.html

515 :神も仏も名無しさん:2023/08/27(日) 17:07:41.78 ID:VnPj4lJ6N
法廷で認められた神通力?「長南年恵」
https://www.nazotoki.com/chonan.html
奇跡の治癒力「ルルドの泉」
https://www.nazotoki.com/lourdes.html
世界の終わりを告げる「終末予言」
https://www.nazotoki.com/doomsday_prophecies.html
恐竜と人類が共存した証拠「カブレラ・ストーン」
https://www.nazotoki.com/cabrera_stones.html
超古代の歯車か「4億年前の機械部品」
https://www.nazotoki.com/400million.html
古代に存在した飛行機「コロンビアの黄金ジェット」
https://www.nazotoki.com/airplane.html

516 :神も仏も名無しさん:2023/08/27(日) 17:12:16.91 ID:VnPj4lJ6N
超常的な力を演出するテクニック「コールド・リーディング」
https://www.nazotoki.com/cold_reading.html
奇跡を演出する事前調査「ホット・リーディング」
https://www.nazotoki.com/hot_reading.html
みんなの想いが奇跡を起こす?「百匹目の猿現象」の真相
https://www.nazotoki.com/hundredth_monkey.html
止まらない死の連鎖「ツタンカーメンの呪い」
https://www.nazotoki.com/noroi.html
古地図に残された超古代の記録「ピリ・レイスの地図」
https://www.nazotoki.com/map.html
最も有名な生まれ変わり事例「ブライディ・マーフィー」
https://www.nazotoki.com/bridey.html

517 :神も仏も名無しさん:2023/09/18(月) 23:55:01.89 ID:vGAaZi6V+
菩薩になることを志した人々のために佳子先生が与えて下さったテーマ
(千年構想、7つのプログラム、9つのプログラム)が20年に渡って
放置されている現実について、改めて考えてみたい。

テーマに取り組むべき人が、テーマを放置している理由は、ある側面では
「これらのテーマに取り組めば“NO”を突き付けられることが予想される」
「“NO”を突き付けられることは嫌であるから、“NO”を避けたい」
という想いが働いているからではないだろうか。

では、これらのテーマに取り組んだ際に、なぜ“NO”が突き付けられる
のだろうか?それは、あなたが神意・青写真に適うヴィジョンを
描こうとしても、それを果たせないために“NO”が突き付けられる
のではないだろうか。

未だ菩薩の境涯を得ていない人は、神意・青写真に適うヴィジョンを
描くことは、難しいわけであり、それを果たそうとした場合に、
“NO”が突き付けられることは避けられないだろう。

逆に、頂いたテーマに対して、ほとんど“NO”が突き付けられること
なくヴィジョンを描ける人というのは、既に菩薩の域に達しており、
「菩薩になるための修行」を必要としない人であろう。

頂いたテーマに関して、あなたに“NO”が突き付けられたとすると、
その“NO”は、あなたが、神意・青写真に適うヴィジョンを描くために
何が足りないのかを示唆してくれるものではないだろうか。

つまり、“NO”が突き付けられるからこそ、あなたは自分自身の
何が、どのように足りないのかを知ることができ、それを足掛かり
として、成長を果たすことができるのではないだろうか。

518 :神も仏も名無しさん:2023/09/18(月) 23:55:32.68 ID:vGAaZi6V+
逆に、「“NO”が突き付けられる」という事が無ければ、「神意・
青写真に適うヴィジョンを描く力を育む」という事は、極めて
困難な事になるだろう。

換言すれば、
(1)あなたが、頂いたテーマに対して、「これ以上できない」
程度まで努力して、神意・青写真に適うヴィジョンを描こうと
すること、
(2)その結果突き付けられた“NO”に真摯に向き合い、
自身の至らなさを知って変革に結び付けてゆくこと、
という二つの条件を満たす限り、頂いた“NO”の数こそが
あなたの成長のバロメーターであると言えるだろう。

頂いたテーマについて、過去20年以上の期間に渡って、あなたは
いくつの“NO”を頂いただろうか?その数こそが、あなたの
成長の度合を示すものである。

もし、テーマを放置してきたのであれば、自分自身の身に降り
かかるような形では、頂いた“NO”は一つも無いだろう。それは、
一切の気づきも、一切の学びも、一切の成長も無かった、
ということになる。

頂いたテーマに対して、あなたが「“NO”を突き付けられることは
嫌であるから、放置する」という態度を続けるならば、あなた
の今生の人生は、その状態のまま終わるだろう。

519 :神も仏も名無しさん:2023/09/18(月) 23:56:21.13 ID:vGAaZi6V+
これは、単なる「仮定」の話ではなく、過去20年以上の期間には、
そのような形で、今生の人生を終わった人々は、多数存在するだろう。

その人々は、頂いたテーマを放置し続けたことに対して、今、
どれほど後悔しているだろうか、と思う。その人々の後悔を、
あなたは「自分自身のこと」として引き受けることは
できないだろうか。

もし、あなたの今生の人生の時間がさほど残されていないなら、
あまり多くのことは果たせないだろう。しかし、何か一つの
テーマに対して、「これ以上できない」と思える程度まで努力して、
神意・青写真にアクセスすることを試みることはできないだろうか。

そして、その結果頂いた一つの“NO”に対して真摯に向き合い、
自らの変革につなげることはできないだろうか。

何か一つのテーマに対して、それが果たせたのであれば、それは、
きっと、あなたの来世に繋がってゆき、今生果たせなかった
「菩薩になる」というテーマを、やがて果たしてゆける
ことにつながるのではないだろうか。

520 :神も仏も名無しさん:2023/10/09(月) 16:55:37.38 ID:UO5OoxaI3
>>519にて、
> 何か一つのテーマに対して、「これ以上できない」と思える
> 程度まで努力して、神意・青写真にアクセスすることを試みる
> ことはできないだろうか
と述べた。

ただ、もう一度考えると、何でも好きなテーマを選ぶよりは、
様々なテーマの中で、菩薩になる修行を積む人々のために、
佳子先生が最初に示されたテーマ、すなわち「GLA共同体の千年構想の
青写真に、一丸となってアクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)
というテーマに最初に挑戦すべきではないかと思われる。

その理由は、その後に頂いた様々なテーマは、この最初に頂いたテーマを
基礎としているように思えるためである。

例えば、GLAホームページに掲載されている、愚かしいQ&Aの問題について
考えてみたい。これらのQ&Aは、>>323 に述べたように、例えば次のような
テーマを佳子先生が下さったからではないかと私は推測している。

> 【1】インターネット上にあるGLAに対する批判投稿に触発されてGLAを
> 退会した人が何人もいる。その出来事に対応せよ。
> 【2】信次先生の霊言と主張するものを追い求める人や、生前の信次先生
> の法ばかりに目を向ける人が数多く存在する。これらの出来事に対応せよ。
> 【3】GLAが信次先生の遺骨を祭祀したことに対して、会員の皆様が
> 歓びと誇りを持てるようにせよ。

仮に、私の推測が正しいとすると、これらのテーマは、千年構想を前提として
頂いたテーマであるように見受けられる。すると、「千年構想」を横に置いて
「愚かしいQ&A」の問題に対応しようとしても、結局は「千年構想」に戻って
しまうことになるだろう。

521 :神も仏も名無しさん:2023/10/09(月) 16:56:38.30 ID:UO5OoxaI3
次に、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
というテーマを果たすために何が必要だろうか、と考えてみると、
「会員であれば誰でも自由に意見を表明できるネットワーク上の
コミュニティ」が絶対に必要であろう。

少なくとも、このようなコミュニティが無かったとすると、青写真に
「一丸となってアクセスする」ことは不可能であると思われるためである。

すると、あなたが最初に果たすべきことは、他の何名かの会員とともに、
「ネットワーク上のコミュニティのヴィジョンを描き、
それ実現するように事務局に要望を提出する」こと、になるだろう。

ここで、間違えてはならないことは、「ネットワーク上のコミュニティに
関して、青写真に完全に適ったヴィジョンを描く」ことは、まず不可能
である、ということである。

菩薩を志す魂に提示できるヴィジョンは、どうしても、「何かが間違って
いるヴィジョン」、「何かが抜けているヴィジョン」になるだろう。
それによって、あなたには、数々の“NO”が突き付けられることになる
だろう。

あなたがヴィジョンを提示する理由は、ある意味では、正にこの点に
あると言えるだろう。すなわち、あなたがヴィジョンを提示する理由は、
「その“NO”を頂くため」であり、「その“NO”を介在として
成長を果たす」ためである。

522 :神も仏も名無しさん:2023/10/20(金) 11:23:44.41 ID:IMxLbUXcD
過去20年以上に渡って、佳子先生から頂いたテーマを放置してきた人は、
なぜ放置してきたのだろうか?それは、一つには「“NO”を受け取る
ことを拒否するため」ではなかっただろうか。

それでも、“NO”は突き付けられている。GLAのホームページに愚かしい
記事が掲載されていることは、正に頂いたテーマを放置してきたことに
対する“NO”に他ならないだろう。しかし、このような形で突き付けら
れた“NO”に対しては、「自分がやったことではない」、「自分には
関係ない」と思うことによって、対峙することを拒否できる。

このように、あなたの過去20年の人生は、「“NO”を受け取ることを
拒否し、“NO”に対峙することを拒否した20年」であると言えるだろう。
それは言葉を変えれば、「快衰退の煩悩により、ただ楽を貪った20年」
と言ってもいいだろう。

菩薩になるためのテーマに対して、“NO”を受け取ることを拒否し、
“NO”に対峙することを拒否することは、実に簡単である。実際、
あなたは、20年以上に渡って、それに成功し続けたではないか。

しかし、その成功(?)によって、あなたは、一体何を得ただろうか?
何に気づき、何を学び、何の成長を果たすことができただろうか?
あなたが得たものは何も無かったのではないだろうか。

このように、“NO”を受け取ることを拒否し、“NO”に対峙すること
を拒否する人には、一切の気づきは無く、一切の学びも無く、
一切の成長も無い。それは、あなた自身の人生の現実によって証明
されている。

523 :神も仏も名無しさん:2023/10/20(金) 11:24:27.01 ID:IMxLbUXcD
では、“NO”を避け続けた、過去20年以上のあなたの人生は、
あなたの魂の成長にとって無意味なものだったのだろうか?
それは確かに、一見すると無意味なものに見えるが、私は、
必ずしも無意味なものとは言い切れないと思う。

過去20年以上のあなた自身の人生の現実は、「快衰退の
煩悩の恐ろしさ」を雄弁に物語っているように思う。

あなたが油断していると、「快衰退の煩悩」は、あなたの
時間をどんどん浪費して、無意味な時間にしてしまうのだ。

あなたが、過去20年以上の人生の現実を「教訓」として
受け止め、快衰退の煩悩に対峙するならば、その過去20年
以上の時間は、「教訓」として意味のある時間になるだろう。

しかし、それを「教訓」としなければ、過去20年以上の時間も、
これからの人生の時間も、あなたの魂の成長にとって無意味
なものとして、浪費されてゆくだろう。

快衰退の煩悩に対峙すること、それは、頂いたテーマに
チャレンジして、“NO”を頂き続けること、そして
“NO”に対峙することである。

524 :神も仏も名無しさん:2023/10/23(月) 00:46:51.31 ID:ia/90jpu6
>>518では、「“NO”が突き付けられる」という事の大切さを述べたが、
その点では、一部の職員は、ある意味では大変恵まれた立場にあると
考えることができるだろう。

職員は、佳子先生から何かご指示を頂いたなら、そのご指示を遂行
することは職務であり、基本的には放置することは許されないだろう。
遂行したところ、それが見当はずれなものであれば、“NO”が突き
付けられることになる。すると、関係する職員には、「強制的に
“NO”が突き付けられる」状況に置かれることになる。

一方、在家の会員はどうだろうか?在家の会員は、自ら覚醒して、
テーマにチャレンジしなければ、“NO”と対峙することを避け続ける
ことができる。これは、楽なような見えて、魂の眼差しから
眺めるならば、かなり厳しい環境になるのではないだろうか。

私は、魂が成長してゆく過程では、現在の一部の職員のように、
「強制的に“NO”が突き付けられる」という事も必要ではないかと
思う。しかし、「強制的に“NO”が突き付けられる」ということ
のみでは、果たせる成長の度合いに限界があると思う。

やはり、菩薩の境涯を得てゆく最終段階になれば、
「自ら覚醒して、テーマにチャレンジし、“NO”と対峙する」
ことが欠かせないのではないだろうか。やはり、それが果たせ
なければ、ある段階以上には進めないと思う。

525 :神も仏も名無しさん:2023/10/23(月) 00:47:15.52 ID:ia/90jpu6
ところで、話は変わるが、高橋一栄会長も、久水講師も、相当の
御高齢であるのにあ、まだ現役で仕事をされているようで、
なかなか大変なことだと思う。

お二人が引退されないのは何故だろうか?
それは、おそらく、後を継ぐべき人が未だ覚醒していないから
ではないだろうか。

526 :神も仏も名無しさん:2023/10/26(木) 12:57:58.80 ID:CZGcsEqex
“NO”が突き付けられる」という事の大切さを述べたが、教祖様にNOが突き付けられない
のはNOがおかしいから?

527 :神も仏も名無しさん:2023/10/29(日) 16:44:09.82 ID:mef26duuh
これまで、繰り返し述べてきたように、GLAのホームページには、実に
愚かしい記事が散見される。これら、愚かしい記事は、関芳郎や一部の
職員が作成したものであろう。

関芳郎らが、これら愚かしい記事を作成した原因として、私が推測している
ことも既に述べた。それは、>>323 に述べたように、例えば次のような
テーマを佳子先生が下さったからではないかと私は推測している。

> 【1】インターネット上にあるGLAに対する批判投稿に触発されてGLAを
> 退会した人が何人もいる。その出来事に対応せよ。
> 【2】信次先生の霊言と主張するものを追い求める人や、生前の信次先生
> の法ばかりに目を向ける人が数多く存在する。これらの出来事に対応せよ。
> 【3】GLAが信次先生の遺骨を祭祀したことに対して、会員の皆様が
> 歓びと誇りを持てるようにせよ。

私の推測が正しいとすると、これらのテーマは、千年構想を前提として
頂いたテーマである。千年構想に関して、佳子先生は、「GLA共同体の
千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」(GLA誌1999年
11月号79ページ)という明確な御指示を下さった。

しかし、関芳郎は、当時、総合本部長という立場でありながら、千年構想を
無視し、放置してきたのである。上述したテーマ【1】〜【3】は、ある
意味では、そのような態度に対して佳子先生が“NO”を突き付けられたもの
ではないだろうか。

528 :神も仏も名無しさん:2023/10/29(日) 16:44:36.41 ID:mef26duuh
では、その“NO”は、一体誰に向けられているものだろうか?関芳郎や一部
の職員のみに向けられたものだろうか?そうではなく、その“NO”は、
千年構想を無視し放置してきた人々の全てに向けられたものではないだろうか。

「千年構想を無視し放置してきた人々」の中に、あなたも含まれているのでは
ないだろうか。例えば、あなたが当時総合本部長であったなら、関芳郎と
同じような事をやったのではないだろうか。

GLAのホームページに散見される愚かしい記事は、直接的には関芳郎らが作成
したものである。しかし、関芳郎らは「千年構想を無視し放置してきた人々」
の中の一因子として、直接的に“NO”を引き受けたのであり、愚かしい記事
が掲載された責任は、あなたにも、十分にあるのではないだろうか。

ならば、この問題は、「あなたの責任」で解決すべき問題だろう。

まず、会員であれば誰でも自由に意見を表明できるネットワーク上の
コミュニティを実現することである。そのコミュニティにおいて、
「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
という御指示を実現することである。

その中で、上述したテーマ【1】〜【3】についても、千年構想に
沿ったヴィジョンを提示することであろう。それ以外に、あなたが
責任を取る道は無いように思える。

529 :神も仏も名無しさん:2023/11/08(水) 18:11:04.02 ID:KQ9wOrlXT
10月25日の時の羅針盤「未知の自分を生きる」には、
次のような一節がある。

> 外側の世界に重く困難な現実を抱えている私たちは、
> それに対応し得るだけの内側の智慧と力を発揮しなければ
> ならないということです。
> それは、私たち1人ひとりが抱いている本当の智慧と力を
> 発揮しなければならないということでしょう。

ここで考えて頂きたいのだが、外側の世界にある
「重く困難な現実」の中に「あなたが引き起こしたもの」
が一つでもあるだろうか?一つも無いのではないだろうか。

もし、あなたが「自分自身が引き起こした問題であれば
責任をもって対応する。しかし、他人が引き起こした問題
に対して責任は持てない」と考えるならば、あなたは
外側の世界にある「重く困難な現実」に対して、何一つ
として対応できないということになるだろう。

あなたが「重く困難な現実」に対応できるようになるため、
あなたは何を果たしてゆけば良いのだろうか?
それは、“「もう1人の自分」と共に歩む”ことであると、
時の羅針盤には示されている。

530 :神も仏も名無しさん:2023/11/08(水) 18:11:38.62 ID:KQ9wOrlXT
では、時の羅針盤に示された通りのことを実践して、外側の
世界にある「重く困難な現実」に対応することは、あなたに
とって可能なことだろうか?

「他人が引き起こした問題に対して責任は持てない」
と考えているあなたが、他人が引き起こした問題に自ら対応
してゆけるように内界を転換するというのは、不可能ではない
としても、なかなか厳しいことではないだろうか。

そこで、もう一度、GLAのホームページに愚かしい記事が
掲載されている問題について考えて頂きたいと思う。

これらは、先述した通り、直接的にはあなたが引き起こした
ものではなく、関芳郎らが千年構想を放置したことにより
引き起こしたものである。

しかし、千年構想を放置してきた点については、あなたも
関芳郎らと全く同様である。ならば、この問題を自分自身に
引き寄せ、「自分自身が引き起こした事」として対応して
ゆけるのではないだろうか。

531 :神も仏も名無しさん:2023/11/08(水) 18:12:09.87 ID:KQ9wOrlXT
それは、「重く困難な現実」として、佳子先生が例示された
他の問題(中国との関係、人口減少、少子化、学力低下等)
と比較して、「事態を自分自身に引き寄せる」ことが比較的
容易な問題であると思われる。

GLAのホームページの問題は、これからあなたの魂が様々な
「重く困難な現実」を背負ってゆくにあたって、「一番取り
組みやすく、最初に挑戦するのに相応しいテーマ」
ではないだろうか。

だからこそ、そのテーマが今、あなたの眼前にあるのでは
ないだろうか。

それゆえに、時の羅針盤に記された次の呼びかけを、まず、
GLAのホームページの問題に対して実践することが、
あなたに対して呼びかけられているのではないだろうか。

> あなたの中には、あなたが未だ知らないあなたが隠れている。
> 幾度もの人生を経験して蓄えた智慧を抱き、
> どんな困難にも挫けることのない、たくましい力を備えた
> 「もう1人の自分」がいる──。
> それを信じて、挑戦に次ぐ挑戦に向かっていただきたいのです。

532 :神も仏も名無しさん:2023/11/23(木) 16:22:35.06 ID:QOP3bO5Do
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
この記事にあるように、菩薩でない人が菩薩になれる頻度は
「数万年に一人」であり、それはほとんど起こらないこと、
ほぼ不可能なことである。

なぜ、それほど困難を極めるのか?これまでも私の様々な考えを
述べてきたが、その原因は、次のようなステップ(1)〜(6)
の輪廻を際限なく繰り返しているから、と捉えることができる
のではないだろうか。

(1)実在界で、菩薩になる切なる願いを抱き、その機会を
与えて頂けるよう、神に切望する。
(2)願いが適えられ、指導者とともに転生することが許される。
(3)やがて、指導者から菩薩になるためのテーマが与えられる。
(4)そのテーマに挑戦することは魂が願ったことであったが、
そのように表面意識を動かせず、テーマを放置する。
(5)テーマを放置したために、願いを果たすことができず、
魂の成長も果たせず、その人生を終える。
(6)実在界に帰ったのち、人生を振り返り、せっかくの機会を
逃したことに、激しい慚愧を抱く。

輪廻を際限なく繰り返す理由は、ステップ(4)にあるだろう。
まだ菩薩になっていない魂は、潜在意識と表面意識のつながりが
弱いため、潜在意識が抱いている願いと、表面意識の働きとの
乖離が大きくなってしまうのではないだろうか。

533 :神も仏も名無しさん:2023/11/23(木) 16:23:25.70 ID:QOP3bO5Do
魂、潜在意識が如何に願おうとも、表面意識は自らのカルマ、
そして3つの「ち」による煩悩に呑まれてしまい、魂願に従って
生きることが難しくなってしまうのだろう。

これにより、長い転生輪廻の期間、ステップ(1)〜(6)の
ループを延々と繰り返してきたのではないだろうか。

すると、このループを打ち破り、菩薩になる道を歩めるかどうかの
鍵は、潜在意識と表面意識を如何に導通させられるか、という
ことにかかっていると言える。

では、潜在意識と表面意識を導通させるには何を果たしてゆけば
良いだろうか。その解答は、佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて
頂く霊操行(http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf)である。

既に >>364-365 で述べたように、霊操行は、佳子先生との一体化を
果たしてゆく行であるとともに、自分自身を「元々の自分」に
近づけてゆく行、すなわち、表面意識を潜在意識と導通させる行
でもある。この霊操行によって、ステップ(4)のところで、
輪廻を打ち破ることができるだろう。

534 :神も仏も名無しさん:2023/12/04(月) 00:10:39.70 ID:Lof3NcQ5D
私は、11/23に >>533 にて、次の3点のことを述べた。
・魂、潜在意識が如何に願おうとも、表面意識は自らのカルマ、
そして3つの「ち」による煩悩に呑まれてしまい、魂願に従って
生きることが難しくなってしまう。
・このループを打ち破り、菩薩になる道を歩めるかどうかの鍵は、
潜在意識と表面意識を如何に導通させられるか、ということに
かかっている。
・潜在意識と表面意識を導通させるには、霊操行に取り組むことである。

しかし、その翌日の11/24に、時の羅針盤・237「菩提心を掲げる」
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban237/ )にて、佳子先生は、
次のように示されている。

> 「魂」の力を引き出す鍵は、私たちの「心」=意識にあります。
> 私たちは「心」を通じて、内宇宙を動かすことができる。そして、
> 「心」と共鳴する「魂」の力を引き出すことができる──。
> 私たちは「心」次第で、これまで実現できなかった現実を生み出す
> ことができるのです。

> 菩提心を掲げる

> 私たちがいかなる「心」を抱くかということが、私たちの内なる
> 力全体を左右するということです。私たちはその「心」によって、
> 光にも闇にもなり得る内なる力を引き出してしまうのです。
>
> そして、だからこそ、私たちが生き方として「菩提心を掲げる」
> ことが、大きな意味をもっているのです。

535 :神も仏も名無しさん:2023/12/04(月) 00:11:38.25 ID:Lof3NcQ5D
私が申し上げた“潜在意識と表面意識を導通させる”という言葉は、
佳子先生が示された“「心」と共鳴する「魂」の力を引き出す”ことと、
ほぼ同義であると思われる。

そして、それを果たしてゆく方法として、私は「霊操行」を推奨した
のに対して、佳子先生は「菩提心を掲げる」ことを推奨されている。
そこで、この「菩提心を掲げる」ことの意味について考えてみたい。

まず、「菩提心」について、佳子先生は次のように示されている。
> 「菩提心」とは、一言で言えば、「自分をはみ出して、人々や
> 世界のよりよき現実のために貢献しようとする心」のことです。
> 自分を横に置いても、目の前の事態のために力を尽くそうとする
> 「心」の周波数が、内なる「魂」の力を引き出すのです。

次に、「掲げる」という言葉であるが、この言葉には、「人目につく
高い所へ上げる」、「新聞・雑誌などの、目立つ場所に載せる」、
「主義・方針などを、人目につくように示す」等の意味があるが、
「灯火をかき立てて明るくする」という意味もある。

私を含め、多くの人にとってあまり使い慣れない用法であると思うが、
佳子先生は、最後に挙げた「灯火をかき立てて明るくする」という
意味で「掲げる」という言葉を使われたのではないかと思う。

これまで、佳子先生は「菩提心発掘」という言葉をよく使われて
きたと思う。「菩提心発掘」と「菩提心を掲げる」には、何か違い
があるのだろうか?「菩提心を掲げる」の意味について、今回の
記事では、さほど詳述されていないが、御文章を拝読した限りでは、
「菩提心発掘」と「菩提心を掲げる」の違いが判然としない。おそらく
両者は同様の意味と考えて差支えないのではないだろうか。

536 :神も仏も名無しさん:2023/12/04(月) 00:12:12.35 ID:Lof3NcQ5D
私が思うに、「菩提心発掘」という言葉は、その意味が限定的に解釈
される可能性が高いから、佳子先生は「菩提心を掲げる」という言葉
を使われたのではないかと思う。

より具体的には、「菩提心発掘」という言葉では、「書写行等を通じて
12の菩提心を刻印すること」と固定的に解釈されやすいのでは
ないだろうか。それゆえ、そのように解釈されることを避けるために、
佳子先生は「菩提心を掲げる」という言葉使われたのではないだろうか。

「12の菩提心を刻印する」ことは、勿論、「菩提心を掲げる」の
範疇に含まれることである。しかし、そのことに限定されず、「自分を
はみ出して、人々や世界のよりよき現実のために貢献しようとする心」
を育む全ての行が、「菩提心を掲げる」の範疇に含まれるのでは
ないだろうか。

私が推奨した「霊操行」とは、「自分をはみ出して、人々や世界の
よりよき現実のために貢献しようとする心」を最も育んだ方、すなわち
佳子先生との一体化を果たしてゆく行である。ならば、「霊操行」も、
明らかに「菩提心を掲げる」の範疇に含まれるだろう。

「菩提心を掲げる」理由は、佳子先生が示されたように、私たちの
「心」を通じて、「心」と共鳴する「魂」の力を引き出すためである。

但し、「魂の力を引き出す」と一言で述べても、そのレベル、深さ
には、無数の段階がある。「魂の力を引き出す」ことをどのレベル、
どの深さで実現してゆきたいのか、それによって「菩提心を掲げる」
ことの具体的内容も違ってくるのではないだろうか。

今生の人生で菩薩になることを志す人が引き出すべき「魂の力」とは
何だろうか?それは、「実在界で、菩薩になる切なる願いを抱き、
その機会を与えて頂けるよう、神に切望した自分自身」、その本来の
自分自身のリアリティを恢復させることではないだろうか。

537 :神も仏も名無しさん:2023/12/04(月) 00:13:29.87 ID:Lof3NcQ5D
では、「菩提心を掲げる」ことの具体的取り組みとして、書写行等
による「12の菩提心の刻印」を選択したとして、それによって
上述したリアリティを恢復させることは可能なのだろうか?

書写行等による「12の菩提心の刻印」は、「12の菩提心」という
言葉が登場する以前、「神理カードの刻印」と呼ばれていた時代も
含めて、あなたは何十年も取り組まれてきたのではないだろうか。

では、それによって、上述したリアリティを恢復できたのだろうか?
おそらく、それによって、リアリティを恢復できた人は、今日まで、
一人も登場していないのではないだろうか。

書写行等による「12の菩提心の刻印」は、誰にでも取り組める
易しい行であると思う。「止観シートの取り組みが難しい」という
人は時折拝見するが、「12の菩提心の刻印が難しい」という人に、
私は出会ったことがない。

誰にでも取り組める易しい行というのは、易しい反面、やはり限界
があって、上述したリアリティを恢復させることは難しいのでは
ないかと思う。では、今生の人生で菩薩になることを志す人が
「菩提心を掲げる」ために実践すべきことは何だろうか?

その解答こそが、佳子先生との一体化を果たしてゆく「霊操行」
ではないだろうか。「自分をはみ出して、人々や世界のよりよき現実
のために貢献しようとする心」を最も育んだ方、すなわち佳子先生と
一体化し、佳子先生の御心を自らに写し取らせて頂くこと。
これこそが、菩薩を志す人々にとって「菩提心を掲げる」ことでは
ないだろうか。

538 :神も仏も名無しさん:2023/12/11(月) 13:29:26.21 ID:dQr3vBvA6
実在会も菩薩も設定上の創作でしかない
綺麗な話で幻惑されて関わりがあるとされている人物を特別視させられているだけ
有りもしない話に騙されてはいけないよ

539 :神も仏も名無しさん:2023/12/24(日) 16:58:00.36 ID:oS17EtoS/
実在界は実在しない。(藁)
幽界 霊界 菩薩界 如来界 そもそもネーミングからしてアウトだろ。
(しかもパクリときてる。)
ベータ星も然り表面意識 潜在意識という本来の意味から大きくかけ離れた用法も変すぎるし。

先代の方は差別を受けてたらしいけど、ピラミッド型で知られるあの世設定は封建社会そのもの。
カルマを基にした持って生まれたとされる魂に対する序列の決めつけもカースト概念を思わせる。
これで差別はいけないと言われてもね〜。
他方、神の前では皆平等とか。
何なんですか全く。
色んな意味で二枚舌使いまくったからから矛盾が生じて混乱したのは当たり前ですな。

540 :神も仏も名無しさん:2024/01/18(木) 23:50:58.72 ID:UIL91yc7r
1月1日の「時の羅針盤」( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban238/ )
「もう1人の自分」と歩む、について考えてみたい。

「もう1人の自分」と歩むことは、私自身、「潜在意識と表面意識を導通させる」
ことと同義であると考えてきたが、今月の「時の羅針盤」によれば、
必ずしもその段階に至らずとも果たせる、ということではないだろうか。

では、具体的に何を果たせば「もう1人の自分」と歩むことが可能
なのだろうか?佳子先生は次のように示されている。

> しかし、その「魂」の存在を自分の中にいる「もう1人の自分」
> として意識することによって、それを際立たせ、新たな人生を
> 始めるきっかけとすることができるのです。
…「もう1人の自分」を意識すること

> あなたの中には、そんな「もう1人の自分」が隠れていることを
> 信じていただきたいと思います。
…「もう1人の自分」の存在を信じること

> だからこそ、新たな年において、あなたの内なる「もう1人の自分」
> のことを強く想い、その存在を折に触れて呼び出していただきたいのです。
…「もう1人の自分」のことを強く想い、その存在を折に触れて呼び出すこと

> それでも、私たちの中に「もう1人の自分」が存在することを信じて、
> 共に歩むことを意識していただきたいと思います。
> それは、きっとあなたのこの1年に新たな歩みをもたらすはずです。
…「もう1人の自分」と共に歩むことを意識すること

541 :神も仏も名無しさん:2024/01/18(木) 23:51:36.52 ID:UIL91yc7r
私は、GLAの現状、そしてあなた自身の現状について、
佳子先生が示されたことを実践して頂きたいと思う。

何度も述べてきたことであるが、GLAのホームページには、
GLAを貶める奇怪な文章が掲載されている。

https://www.gla.or.jp/about/yatsugatake/
> ご遺骨をお預かりできる「納骨室」が設けられています。
> …
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして数多の求道者たちと
> 共に奉納できることは、道を歩む1人ひとりにとっての
> 歓びであり、このうえない誇りにほかなりません。

GLAの事をよく知らない人がこの文章を読めば、GLA会員とは、
高橋信次先生の遺骨とともに自分の遺骨を奉納することで、
「歓び」や「このうえない誇り」を感じる人たちであると
理解するだろう。それ以外に理解の仕方など無いだろう。

そして、この文章は、10年前の2014年から掲載されている。
http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php

「4万人」という人数がいて、「10年」という時間が与えられ
ても、自分たちのホームページから奇怪な文章一つ消すことが
できない人たち、それが有余の菩薩(非菩薩)ではないだろうか。

542 :神も仏も名無しさん:2024/01/18(木) 23:52:03.26 ID:UIL91yc7r
私は、この事実に対して、「非菩薩とはこのようなものか」と
呆れて眺めている。非菩薩が、外見上、困難な神理実践を
果たしたかのように見える出来事は、実は全て佳子先生の
サポートのおかげである。佳子先生のサポートがなければ、
自分たちのホームページから奇怪な文章一つ消せない人たち。
それが「非菩薩」というものであろう。

あなたの表面意識は、あなたが何も動いていないことについて、
色々と正当化する理由を付けしているのだと思う。しかし、
あなたの潜在意識、すなわち「もう1人の自分」は、
あなたの表面意識と同じように考えているのだろうか?
それを確かめるべきではないだろうか。

佳子先生が示されたように、「もう1人の自分」を意識すること、
「もう1人の自分」の存在を信じること、「もう1人の自分」の
ことを強く想い、その存在を折に触れて呼び出すこと、
「もう1人の自分」と共に歩むことを意識することである。

その上で、GLAの現状、そしてあなた自身の現状について、
どのように考えているのか、ぜひ「もう1人の自分」に尋ねて
頂きたいと思う。

あなたの潜在意識が感じ、考えていることは、実は私が感じ、
考えていることと、大きな違いは無いのではないだろうか。
それが正しいのかどうか、ぜひ確かめて頂きたいと思う。

543 :神も仏も名無しさん:2024/01/21(日) 16:11:37.73 ID:yLAqEWWeq
菩薩か菩薩でないか
誰が決める?
なんで勝手に決められる?
認定されなかった者は認定者に服従しろとでも?
差別と偏見に満ち溢れてませんか?

544 :神も仏も名無しさん:2024/02/02(金) 10:25:35.93 ID:JwwaX5Xvd
1999年、佳子先生が千年構想の青写真にアクセスするように
呼び掛けて下さってから、もうすぐ25年、四半世紀になろうとしている。

その間、千年構想に続いて、7つのプログラム、9つのプログラム、と、
菩薩になることを願った人々に対して、願いを成就するための
テーマを次々と提示して下さった。

しかし、それらのテーマは、ことごとく放置されてきた。私は、これらの
テーマに関して、「最悪の結末」を迎えることを考える時期が訪れて
いるのではないかと思う。

「最悪の結末」とは、「佳子先生の御在世中に、非菩薩の中から
新たに菩薩になれた者は一人も現れず、菩薩になれる兆候が現れた
者すら皆無であった」という結末である。

仮に、この「最悪の結末」が現実になった場合、佳子先生が何十年も
されてきたことが無駄になってしまうのだろうか?そして、
菩薩になることを願った人々は、全く願いを適えることなく
人生を終わってしまうのだろうか?

私自身、その人々は「全く願いを適えることなく人生を終わってしまう」
と考えていたのだが、今、もう一度考え直すと、必ずしもそうとは
言い切れない面があると思う。

545 :神も仏も名無しさん:2024/02/02(金) 10:26:34.57 ID:JwwaX5Xvd
菩薩になることを願った人々は、「菩薩になる」ことの他に、もう一つ
願いがあったと思う。それは、「未来千年の礎になる」ということである。
この「未来千年の礎になる」という願いは、ある意味では適えられる
のではないか、ということである。

例えば、佳子先生がご帰天された後の時代で、菩薩になることを
願った人々のために、その時代のGLAの指導者が、いくつかの修行の
テーマを提示したとしよう。しかし、その指導者は、これらのテーマを
提示したのみで、そのテーマに対して、何のコーディネートも
果たさなかったとしよう。

では、菩薩になることを願って、その時代に転生した人々は、その
指導者の態度に対して、どのように思うだろうか?例えば、次のように
思う人がいるのではないだろうか。

「私は、指導者が提示したテーマに取り組むことは、やぶさかではない。
しかし、そのためのコーディネートをして頂けないのであれば、動けない。
指導者が、しっかりとコーディネートをするまで様子見しよう」

しかし、そのように思った後、その人は、このように考え直すのでは
ないだろうか。

「いや、やはり、そのような考え方をしてしまうと、“昔のあの人たち”
と同じになってしまう。自分の人生は、本当にそれでいいのだろうか?
今、自分ができることについて、もう一度、考え直してみよう」

546 :神も仏も名無しさん:2024/02/02(金) 10:27:25.93 ID:JwwaX5Xvd
“昔のあの人たち”とは誰のことか?それは、佳子先生の御在世中、
佳子先生から頂いたテーマを何十年にも渡って放置し続けた人々。
つまり、あなたのことである。

あなたは、佳子先生が提示して下さったテーマを放置し続けており、
その態度を続けるならば、やがて、その態度に相応しい結末を迎える
ことになるだろう。

あなたは、その「あなた自身の人生の現実」によって、人間の業の深さ、
人間の弱さ、というものを雄弁に物語り、未来の人々に対して、警鐘
を鳴らすことができる。それは、正に、「未来千年の礎」と呼べるもの
ではないだろうか。

但し、以上述べたことは、あくまでも「最悪の結末」であって、本来は
「あなたが転換を果たしてテーマに挑戦し続けた記録」こそを、
「未来千年の礎」とすべきだろう。

初代弟子であるあなたは、何をやっても、それが「未来千年の礎」
として残る。では、何を「未来千年の礎」として残してゆくのか?
それは、あなた自身が決定することではないだろうか。

547 :神も仏も名無しさん:2024/02/11(日) 20:15:03.84 ID:2WKsTePoI
1月31日の「時の羅針盤」( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban239/ )
「潜在力を引き出す」、について考えてみたい。

「潜在力」には「直観力」と「暗黙知」という側面があり、
「直観力」とは、「論理的な推理などによらずに、直接的・
瞬間的にものごとの本質を捉える力」であり、「暗黙知」とは、
「個人の経験や勘に基づく、簡単に言語化できない知識」
ということである。

私は、菩薩を志す人々にとって、「直観力」とは、「青写真に
アクセスする力」であり、「暗黙知」とは、「青写真を具現
してゆく力」であると思う。

菩薩を志す人々、つまり、あなたに与えられたテーマに対して、
佳子先生が漠然としたヒントしか示されないのはなぜなのか?

それは漠然としたヒントに基づいて、「青写真にアクセスする力」、
すなわち「直観力」を、あなたが既に備えているからだろう。

また、佳子先生が何のコーディネートもされないのはなぜなのか?

それは、コーディネートが無かったとしても、「青写真を具現
してゆく力」、すなわち「暗黙知」を、あなたが既に備えている
からだろう。

548 :神も仏も名無しさん:2024/02/11(日) 20:15:42.93 ID:2WKsTePoI
しかし、あなたが備えている力は、潜在力であり、まだ顕在化
していない。その潜在力を引き出すために、何が必要なのか?
それは、佳子先生が示されている。すなわち、次の2点である。

(1)私たちが想像を超えた力を潜在的に抱いていることを
信じること
(2)限りない叡智を抱いた「もう1人の自分」を目覚めさせ、
呼び出すこと

「もう1人の自分」を目覚めさせ、呼び出すために何が必要
であるのか、それは11月24日、1月1日の「時の羅針盤」に
既に示されている。

549 :神も仏も名無しさん:2024/02/14(水) 09:24:59.08 ID:qM71Q7ynu
想像を超えた力など全編にわたって抽象的表現のオンパレード
宗教 スピリチュアルは全てこれ
具体的な核心部分には一切触れられずじまい
言葉を濁すことによって奥深さを演出しているに過ぎない野田
自ら回答を引き出してもらうためのヒントを与えて下さってる大いなる慈悲なのだから
皆心得て感謝せよとでも言いたいのだろうな

550 :神も仏も名無しさん:2024/02/14(水) 09:36:17.76 ID:qM71Q7ynu
個人崇拝教ってどうなんだろう
大いなる存在だと信じ込まされた状態でその個人に引き摺られてるだけじゃん
自分の考えを否定されあの国の人民みたくなっていくだけだよ
いつまで保育所に世話されたいんだろうね

551 :神も仏も名無しさん:2024/02/14(水) 09:48:07.51 ID:qM71Q7ynu
紀元前5000年1900万人、4000年2900万人、西暦0年2.3億人、
そして現在世界人口が80億人に達しました
これで人は誰でも 過去世 前世 があるとか 有り得ますか?
他の惑星からの輪廻?
それでも数的に調整不可能ですよねw

552 :神も仏も名無しさん:2024/02/23(金) 13:58:33.96 ID:YZ/tVh+Ty
2023.11.24の“菩提心を掲げる”、2024.1.1の
“「もう1人の自分」と歩む”、2024.1.31の
“潜在力を引き出す”。

過去3回の時の羅針盤は、特に菩薩を志す人にとって、
重要な指針が示されている。あなたは、これらの指針を
実践しているだろうか?

実践していないとすると、実践するだけの「動機付け」
がまだ足りないのかもしれない。

「動機付け」がまだ足りないのであれば、「現実を
直視する」ことによって、動機付けを深めることが
できるのではないだろうか。

「現実」とは、>>544-546に述べたことである。
このままでは、あなたは、人間の業の深さ、人間の弱さ
をさらけ出し、未来の人々に対して、反面教師として
警鐘を鳴らす存在になる、ということである。

このように言うと、「それが現実になるのかどうか、
まだ解らない」と思うかもしれない。

553 :神も仏も名無しさん:2024/02/23(金) 13:59:25.28 ID:YZ/tVh+Ty
しかし、既に今生の人生が終わった人々にとって、
これは、動かしようのない現実になってしまっている。

そして、既に今生の人生が終わった人々も、あなたも、
「弟子として全く平等である」ことを改めて刻印
すべきだろう。

菩薩を志す全ての弟子に対して、その願いを成就する
ために必要なテーマは、既に全て与えられている。

あなたが、その人々と同じように、頂いたテーマを
放置するならば、その人々と全く同じ結果を招くこと
は必然である。

この現実を直視して、痛みを覚えないだろうか。
その痛みこそが、実践に向かう「動機付け」になる
のではないだろうか。

554 :神も仏も名無しさん:2024/02/26(月) 09:31:28.85 ID:kYKU3F6/I
もしかすると、菩薩を志す人々に与えられたテーマに関して、
「黙って眺めていれば、そのうち佳子先生がコーディネート
してくれるのではないか」、と考えている人がいるかもしれない。

しかし、この点については、「絶対にあり得ない」と断言できる。

仮に、そのようなコーディネートをして菩薩を湧出できるの
であれば、最初からその通りにされていれば良かったのであり、
過去25年、佳子先生は何をされてきたのか、ということになるだろう。

また、既に述べたように、今生の人生を既に終えた人々にとって、
「与えられたテーマ」に対して、「一切何もやらなかった」
という結果が既に確定している。

今、存命中の人々に対して、コーディネートをして差支えない
のであれば、今生の人生を既に終えた人々が存命中に
コーディネートをされるべきであっただろう。

555 :神も仏も名無しさん:2024/03/15(金) 00:18:32.19 ID:Q3/W5XXcz
ふと思ったことであるが、菩薩を志す人々に与えられたテーマに対して、
放置し続けている人の中には、「放置してもよい理由」というものを
考え出して、その理由によって放置している人が多いのかもしれない。

表面意識で考えれば、「菩薩を志す人々が、今生の人生で佳子先生
とともに転生することを許され、その上で与えられたテーマに対して、
“放置してもよい正当な理由”など、あり得ない」、ということは、
すぐに理解できることであろう。

しかし、「放置してもよい理由」を考え出しているのは、表面意識ではなく、
想念帯、すなわち止観シートで言えば「つぶやき」である。

想念帯の思考というものは、すぐに快苦に翻弄される「支離滅裂で
幼稚な思考」である。そのようなものに翻弄されるのは、想念帯=
「つぶやき」の浄化ができていないからである。

想念帯の思考に対して、表面意識の分別知で、「その考えはおかしい
から、やめよう」と思っても、なかなか、ストップできるものではない。
ストップをかけるには、想念帯を浄化するしか方法が無いだろう。

では、何をすれば想念帯が浄化できるのか?

それは、2023.11.24の時の羅針盤、“菩提心を掲げる”こと、
2024.1.1の“「もう1人の自分」と歩む”こと、
2024.1.31の“潜在力を引き出す”こと、
であろう。

結局、果たすべきことは、これまで述べたことと何も変わらない。

果たすべきことを果たさなければ、「支離滅裂で幼稚な想念帯の思考」
によって、自分自身の運命が翻弄され、そのまま寿命が尽きるだけだろう。

556 :神も仏も名無しさん:2024/03/26(火) 00:17:31.37 ID:GsZnUmBMq
自分自身の「支離滅裂で幼稚な想念帯の思考」が見えていない人は、
それは「止観シートへの取り組みが不十分」ということではないだろうか。

出来事:集いの場で「9つのプログラム」のパネルを見かけた。
行為:黙って目をそらして通り過ぎた。

このような「出来事」、「行為」の体験は、あったのではないだろうか。

では、この「出来事」から「行為」に及ぶまでの表面意識の動き、そして
その根底にある「つぶやき」を真剣に検証したことがあっただろうか?

以前、佳子先生は内界を看取る際の姿勢として、「自分自身に刃を
突き付けて、えぐり出すようにして看取る」という事を仰ったことがあった。
それだけの覚悟と勇気を持って内界に対峙したことが、あなたにはあった
だろうか?

まだやった事が無いなら、今からでも、それに挑戦すべきだと思う。
それによって、「つぶやき」=「支離滅裂で幼稚な想念帯の思考」が
見えてくるだろう。

それが見えてきたのであれば、そこから、「それを乗り越えてゆきたい」
という志も湧出してくるのではないだろうか。

557 :神も仏も名無しさん:2024/04/05(金) 17:44:56.77 ID:YeJTJKaZm
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
この記事にあるように、菩薩でない人が菩薩になれる
頻度は「数万年に一人」であり、それはほとんど
起こらないこと、ほぼ不可能なことである。

この記事が正しいことは、過去四半世紀のGLAの歴史が
証明しているのではないだろうか。1999年から、
今日まで、千年構想、7つのプログラム、
9つのプログラムとして、菩薩になるための修行の
テーマが次々と与えられた。しかし、これらのテーマは
ことごとく放置されてきた。

過去四半世紀のGLAの歴史は、「非菩薩は絶対に菩薩
にはなれない。如何なる覚者に師事しても無理。
何十年という時間が与えられても無理」と、物語って
いるように見える。

558 :神も仏も名無しさん:2024/04/05(金) 17:45:50.30 ID:YeJTJKaZm
なぜ、そのような事になってしまうのか、これまで、
色々と考えを述べてきたが、>>555-556 に述べたことが
正解ではないだろうか。

つまり、指導者から頂いたテーマに対して、無自覚の
うちに想念帯が「放置してもよい理由」というものを
考え出すのだろう。それは、実に支離滅裂で幼稚な理由
であるが、無自覚であるために、それを抱いていることに
気づけない。そして、その想念に引きずられたまま
人生が終わってしまうのではないだろうか。過去世の
あなたも、きっとそうだったのだろう。

確かに、自分の想念を見ることは難しい面がある。
しかし、過去世のあなたと違って、今世のあなたには
「止観シート」が与えられている。

止観シートを介在として、見え難い想念を見ることが
できれば、過去世に超えられなかった壁を越えてゆける
道が拓けるだろう。

559 :神も仏も名無しさん:2024/04/12(金) 16:32:08.39 ID:mACwqpIA4
3月30日の時の羅針盤「志を響かせる」
https://www.gla.or.jp/compass/rashinban241/)にて、
佳子先生は、志を抱くこと、志を響かせることの
大切さについて示して下さっている。

私は、さらに、「志を抱くこと」によって、「自らの想念を
見ること」についても、力が与えられるのではないかと思う。

「志を抱くこと」は、ある意味では「意識を光で満たすこと」
である。そして、光が強ければ強いほど、影が色濃く
見えるように、強い志を抱くことができれば、その志を
妨げる自らの想念も、より明確に見えるようになるのでは
ないかと思う。

「志を抱くこと」と「自らの想念を見ること」、この2つは
別のもののように見えて、深く関わっているものであると思う。

560 :神も仏も名無しさん:2024/04/19(金) 18:08:40.40 ID:buDAjml01
3月30日の時の羅針盤「志を響かせる」について、
さらに考えてみたいと思う。

佳子先生は、「志を抱くこと」、「志を響かせること」
の大切さについて示して下さっているが、志を響かせる
ために、何が必要だろうか?

佳子先生は、特に「具体的行動」の必要性について
説かれていないが、私は、志を響かせるためには、
「具体的行動」が必須ではないかと思う。

すなわち、自分が如何なる志を抱いているのか、
外から見えるように志を明確化することが必要では
ないだろうか。

それによって、初めて、他の人がその志を知ることが
でき、同じ志を抱いている人との間で、志を響かせる
ことが可能になるのではないだろうか。

561 :神も仏も名無しさん:2024/04/19(金) 18:25:59.50 ID:buDAjml01
では、「佳子先生が下さった様々なテーマが放置
され続けている」という現実に対して、対峙してゆく志
を抱いた人にとって、「外から見えるように志を
明確化する」とは、具体的に何を果たしてゆくことだろうか?

その解答は、何度も述べてきたように、「会員であれば
誰でも意見を表明できるネットワーク上のコミュニティを
構築する」ことではないだろうか。

そのため、なるべく多くの賛同者を集めて、コミュニティを
創設するように事務局に願いの書を提出することでは
ないだろうか。

562 :神も仏も名無しさん:2024/04/19(金) 18:40:22.13 ID:buDAjml01
では、「佳子先生が下さった様々なテーマが放置
され続けている」という現実に対して、対峙してゆく志
を抱いた人にとって、「外から見えるように志を
明確化する」とは、具体的に何を果たしてゆくことだろうか?

その解答は、何度も述べてきたように、「会員であれば
誰でも意見を表明できるネットワーク上のコミュニティを
構築する」ことではないだろうか。

そのため、なるべく多くの賛同者を集めて、コミュニティを
創設するように事務局に願いの書を提出することでは
ないだろうか。

563 :神も仏も名無しさん:2024/04/25(木) 20:36:57.94 ID:nCvZEB771
3月30日の時の羅針盤にしても、それ以外に佳子先生が示された
様々なテーマに関しても、「できなかった場合」に何を果たせば
よいのかを考えてみたい。

できなかった場合には、「できなかった」という事実を直視すること。
そして、何度でも再挑戦することが大切だと私は思う。

再挑戦を果たしてゆくにあたって、最大の障害になるのが、
自分自身の想念帯ではないだろうか。

あなた自身の想念帯は、「できなかった」という事実を直視する
ことなく、「やらなくてもよい理由」を考えたり、「そもそも
何も考えない」という方向にあなたを引き込もうとするだろう。

その想念帯の動きに引きずられてしまうと、成長が止まってしまう
だろう。それを防ぐためには、想念帯の動きを看取って調御して
ゆくことが欠かせないだろう。それによって、あなたは頂いた
テーマに対して再挑戦し続けることが可能になるのではないだろうか。

564 :神も仏も名無しさん:2024/04/29(月) 13:23:18.16 ID:Yr3mbw7U/
>>563 では、
> 想念帯の動きを看取って調御してゆくことが欠かせないだろう。
と述べたが、それは、すなわち止観シートに取り組むことである。

それも、自分が書きやすい出来事を選んで取り組むのではなく、
佳子先生から頂いたテーマを放置しつづける核心となる
「つぶやき」が現れる出来事を看取ることである。

それは、例えば、>>556 に述べた、次のような出来事になるだろう。
  出来事:集いの場で「9つのプログラム」のパネルを見かけた。
  行為:黙って目をそらして通り過ぎた。

過去25年の現実から見れば、この「つぶやき」を掴んで浄化するまで、
「頂いたテーマを放置しつづける自分」から離れることはできない
のだろう。

565 :神も仏も名無しさん:2024/05/03(金) 11:15:25.08 ID:BuRIBTITy
以前、佳子先生が語っておられた「数多の菩薩湧出のヴィジョン」
について考えてみたい。

過去四半世紀のGLAの実績を振り返るなら、非菩薩の中で菩薩に
なれる兆候が現れた人が一人でも存在するだろうか?換言すれば、
頂いたテーマに対して、真摯に向かい合っている人が一人でも
存在するだろうか?

外部からGLAの現状を拝見する限り、その兆候は全く現れていない。
これでは、「数多の菩薩」どころか「一人の菩薩」を湧出すること
すら不可能ではないか、とも思えてしまう。非菩薩が菩薩になる
ことは、それだけ困難を極めるということだろう。

では、なぜ「数多の菩薩湧出のヴィジョン」を描くことが
できるのだろうか?

その鍵は、やはり「止観シート」にあるだろう。
頂いたテーマを放置し続ける「想念帯のつぶやき」をえぐり出して
浄化すること、「止観シート」はその介在となるだろう。

「止観シート」に真摯に向かい合うことによって、菩薩になる
ためのテーマに挑戦してゆく人々が次々に現れるだろう。
これによって、「数多の菩薩湧出のヴィジョン」が現実に
なってゆくのではないだろうか。

566 :神も仏も名無しさん:2024/05/10(金) 13:24:02.22 ID:33sFULmFQ
4月30日の時の羅針盤「節目をつくる」
( https://www.gla.or.jp/compass/rashinban242/ )
について考えてみたい。

ここでは、「節目が人生を変貌させる」ことについて触れられている。

> 試練や問題とは、これまでのように生きることができない状態です。
> 私たちは、立ち止まらざるを得ません。しかし、まさに立ち
> 止まるからこそ、私たちは、新しい自分、新しい次元への誘いを
> 受けることになるのです。

私は、「これまでのように生きる」ことしかできなかった人々に、
人生を変貌させるような何らかの「節目」が与えられることが
予定されているのではないかと思う。

「これまでのように生きる」ことしかできない自分に
問題意識を持ったとしても、やはり、何かの「節目」が無いと、
転換を果たしてゆくことは難しいのかもしれない。

4月30日の時の羅針盤は、その「節目」が与えられた際に、
如何なる態度でそれに対峙するのか、そのご指導を下さっている
ように思える。

583 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★