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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

442 :宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk :2020/04/03(金) 03:23:29 ID:vpD8hrvQ.net
>>408
>輪廻生死するこの世と違う別な場所に行ったわけでもなく、あいかわらずこの世に留まっていますが、もう苦厄から度してはいる。
>つまり悟りの目から見ればこの世がニルヴァーナということになります。

そんなことは判ってること。
だから、涅槃とは(どこか別の)場所のことではないとこの私はいってる。
それはつまり、“意識(自己意識)の状態の変性”だということに他ならないから。
ニューエージ系ならば、今いるこの場この世界がそのまま不二同一にして多次元世界であるという表現をとる。

>一九 輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。

だからといって...このように結んでしまうと、
「本来の我々はすでに悟っているから修行は無用なんだ」という勘違いのアホ仏教徒たちを輩出するだけでしかない。
クリスチャンサイエンス派なんかもそういうアホ視点に向かったものだ。
「病気というものは実在しない。病気を実在と思うから病気になる...」などといって
彼らは医療を受けることを否定する。当然その結果、彼らは病気で死んでいくこととなる
〜まっ、そういうアホで恐ろしいカルトですよ。

しいてあげれば『中論』の良き点とは、
現象界のすべてが空であると知的に理解することで無執着になることを助ける意味合いが一割程度あるくらいで、
残りの九割についてはほぼ、単なる勘違い仏教徒を輩出するだけの弊害しかもたらさないものだ。
そして、更いえば『中論』愛読者には「自分はこんなに凄いものを読み、そして、それを理解してるんだぞ!」
といった慢心を増長させている輩が多いように思う(あなたのことという意味ではない)。
つまるところ、仏典があれば『中論』など要らない。

>>409
要するにこれらは、自分で創り上げた概念でしかないアートマン【我の施設】や
感受作用といった誤認(アートマンではないものをアートマンと思い込むこと)
【我に関する誤認】についての戒めでしょう。
実際、そういう者ばかりがアートマンを体験したと語るバラモン行者らの実態だからです。

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