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天理教社会学研究所 カインを 糾す。

26 :18です:2017/03/18(土) 00:46:37.55 ID:0tQ5cft4u
「赤きは赤き、黒きは黒き者に連れられ」同じ連れられるのなら赤き者に連れ
られたいですね。羯諦、羯諦。

27 :18です:2017/03/19(日) 17:11:57.21 ID:SshoqKADL
それともう一つキリスト教での抜粋
ファリサイ派の人々(自分たちの解釈を重んじ神の掟を破っている人々)を
「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
            マタイによる福音書15.14

28 :18です:2017/03/20(月) 00:24:46.63 ID:/grYZfcA3
天理教社会学研究所内で話題になっている表統領の発言は問題ありですね。その事が
「サンデー毎日」2017.3.26号に運営トップ「表統領」仰天発言の表と裏で記事に載っているから、
もし本部が何も反応しないのはすべて認めているからと早急に決めつけるのはどうかと思いますね。
八島氏の件しかり、本部が表だって反対しないのは、その答えはおさしづにあると思います。

明治二十六年九月一日京都羽根田文明なるもの天輪王弁妄と題する小冊子を著述し攻撃せしにより、
反駁して宜しきや、又訴訟にても起こして宜しきや伺
「(前略)何も構わせん/\。よう聞き分け。何とかしたらどうかなろうか。相手を見て居るようなもの。(中略)
何を言うても聞いても今日の日が実際とさえ言うて居ればよい。(後略)」

暫くして御諭し下され
「どんな事目論でも何にもならん。善い事目論めば善い理が回る、悪い事目論めば悪い理が回る。
この道賢い者から出来た道やない。これから一つ定めてくれるがよい。」

天理教批判書である『天理王弁妄』  著者 羽根田文明
で、天理教の救済は現世的で貧病の解決に過ぎない浅劣なる主義だと批判して、天理教を撲滅するためには教育を盛んにし、
とくに「仏教因果の理趣」を人びとの心に植えつけないといけないとする、愚民観と愚民の間に浸透する天理教という見方。
つまり、この様な考え方に対して「この道賢い者から出来た道やない」と否定され、悪い事目論んだ上でのあるがままの姿が現れ、
問題は内にあると諭され批判の内容を肯定されずに「これまでどういう事も聞かす。どうもならんから、世上の道を通したる」
上での往還道が邪魔があると言う事を前々から諭されていた。

だから、このおさしづに習って、あらゆる批判(元の是非は別)は表だって本部は反応はされないのではないのでしょうか。

29 :18です:2017/03/21(火) 22:35:12.79 ID:LLuzbecYM
昨日、庭の片づけをしていたら、姿は見えなかったが、初めて近所を歩きながら拍子木を打って、
みかぐら歌を歌っている女性の声が聞こえた。そして思いついたのが、

明治15年、我孫子事件が起って、初めて新聞に取り上げられ、
親神の思召を伺うと、
  「さあ海越え山越え/\/\、あっちもこっちも天理王命、響き渡るで響き渡るで。」
との事であった。一同は辛うじて愁眉を開いた。
 更に、陰暦九月九日、節句の夜に、大阪で泉田藤吉が、熱心のあまり警官を相手に激論した。この夜同時刻に、
  「さあ/\屋敷の中/\。むさくるしいてならん/\。すっきり神が取払ふで/\、さあ十分六だい何にも言ふ事ない、
十分八方広がる程に。さあこの所より下へも下りぬもの、何時何処へ神がつれて出るや知れんで。」と、仰せられた。
この両事件が痛く警察を刺激して取り締まられることになる。

この事と今回の週刊誌の件は実は同じ事ではないのかと、考え、名前を響き渡らす事と屋敷内の掃除を実行されるのではないかと。

まあ、その女性と苦労している末端教会の人々には、幸あれとつくづく思います。

30 :18です:2017/03/25(土) 22:24:38.72 ID:9Ghuvvq8x
以前、社会学研究所と読者が重なる「御供え」についての掲示板で、
今日の御神楽歌は前管長(初代真柱)によつて、原本では、十二下り目「だいくのにんじうもそろひきた」を
勝手に「にん」と改めたのである、との事ですが、

次が根拠になった文献です。

31 :18です:2017/03/25(土) 22:29:43.96 ID:9Ghuvvq8x
大平隆平『評註御筆先』(新宗教社、大正5年刊) 初めて公に発刊されたおふでさき
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904991
コマ番号164〜165(現代文に書換)

付記 今日用いられている御神楽歌は前管長によって余程手入れされた様である。従って仮名使い等も教祖の其れと
一致しているかどうか分からない。現に此の十二下り目の終りの行の「だいくのにんじうもそろひきた」の如き
教祖の原本には「だいくのにんじうもそろひきた」と書かれたものである。其れを勝手に「にん」と改めたのである。
御神楽歌全編の中に未だ此の様な所があると思われるけれども手元に教祖の真筆がある訳ではないから分からない。
残念ながら仕方がない。
其れから各下り目の終りに今日では「てんりわうのみこと/\」と二編唱えるが元は「なむてんりわうのみこと/\」と云い、
ちょっとはなしとよろづよの後には更にようし/\をつけたものである。此の二つは共にとることの出来ない重要な意味を有して居るのである。
其れを勝手にとると云うのは甚だ心得ないことである。


それと、その当時(大正5年)、御神楽歌では、「てんりわうのみこと/\」と二編唱える、
ちょっとはなしとよろづよの後には「ようし/\」がなく、大平氏が言われる教祖の原本には、
「なむてんりわうのみこと/\」と云い、ちょっとはなしとよろづよの後には「ようし/\」がついていた。

32 :18です:2017/03/25(土) 22:36:36.09 ID:9Ghuvvq8x
『評註御筆先』は、大正5年1月10日(印刷)、大正5年1月15日(発行)である。
@の資料で大正5年の秋の大祭から現在の形になるので、大平氏が執筆した当時は、
明治29年 内務省訓令の影響以降で、Aのおさしづから「ちよとはなし」一条と「かんろだい」三三九遍だけになっている
御勤めの状態である。それなのに「あしきをはらうてたすけたまへ」が抜けている事に対して異論をはさまずに
『評註御筆先』の中での御神楽歌で「あしきをはらうてたすけたまへ」を入れている所を見ると内務省訓令で
止められた事を理解しており、「てんりわうのみこと/\」に「なむ」が入ってないのは、「南無」は仏教、
「命」は神道(高井家資料より「尊」と言う事で仏教とも匂わすが、実際原典では神)。明治政府による
神仏分離政策の影響を受けたと考えられる。「ようし/\」は教祖に意味をお聞きになっている話しがあるので、
省くとはどの様な意味があったのか、「ようし/\」は神の言葉であり、人間が発する言葉ではないと考えたのか、推測される。

次に本題に移り、現在、「なむてんりわうのみこと/\」になり、「よし/\」がついた。
それではなぜ「だいくのにん」を「だいくのにんじゅう」に戻さなかったのか、それを考察します。

二つの違いは「にん」と「にんじゅう」、「にん」とは単数、「にんじゅう」とは複数、後の「そろひきた」は複数が存在する事である、
棟梁が4人いるのでこれまた複数、これらの事により複数である「にんじゅう」が妥当であると思われるが、
BCのおさしづを見てみると、明らかに本席の飯降伊蔵ただ一人を指している、つまり、単数の「にん」に相当する。
「このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた」4人の棟梁には色々な説がありますが、
「棟梁を含む一列に大工の飯降伊蔵も揃った」という意味ではないでしょうか。

33 :18です:2017/03/25(土) 22:40:50.12 ID:9Ghuvvq8x
@みかぐら歌作成について(第1節〜第3節);資料比較
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/mikagurauta_/mk_kennkyu_/mika_sakusei_siryou_hikaku.html

「みかぐらうた語り艸」p37
明治二十一年十月二十六日の本部開筵式から、朝晩のお勤めも、ただいま勤めさせていただいているように
「あしきはらい……」二十一ぺん「ちよとはなし……」から「あしきをはらうて……」のかんろだいづとめとなったのであります。
ところがまたまた「あしきはらい……」の二十一ぺんのお勤めも、明治二十九年の内務省秘密訓令によって再び止められることになりました。
そして現在のように、二十一ぺんの「あしきはらい……」を勤められるようになりましたのは、
大正五年の秋の大祭からであります。

34 :18です:2017/03/25(土) 22:44:48.51 ID:9Ghuvvq8x
A明治二十九年五月二十日
五月十八日会議案の点に付願
朝夕の御勤今日より「あしきはらい」二十一遍を止め、「ちよとはなし」一条と「かんろだい」の勤三三九遍とに改めさして頂き度く願

「一つの理抜くに抜かれん。又一つ事情無理にせいと言えば、心の事情大変と思うやろ。なれど、一つ方法というものは、天にある/\。
子供可愛から、どのような事情も受け取ってやろう/\。」

 ※「あしきはらい」二十一遍を止める事について、神様は、抜くに抜かれんと仰り、けど子供可愛か
   ら許すと仰っています。
   明治29年4月6日 内務省訓令によって禁厭祈祷のため明治政府から止められた。

B明治二十三年六月十七日 午前三時半
同時に重ねて伺

「さあ/\席というは元は大工や。十二下りの止めはどういう事か分からんではあろうまい。」

C明治三十一年七月十四日 夜
本席の事情で御座りますか

「十二下りの止めは大工」

35 :18です:2017/03/25(土) 22:48:08.07 ID:9Ghuvvq8x
最後に御神楽歌の理を変える事は、次のおさしづにより、止められています。

明治三十三年十一月五日(陰暦九月十四日)
十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願

さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか。理を変えて居るもの世上にまゝある。
この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう。一文字でも理が変わりたら。
堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。
一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来ん。
つとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事。すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、
これは半文字もいかんで。

36 :18です:2017/03/25(土) 22:54:36.42 ID:9Ghuvvq8x
※主旨説明
文字を付け加えたり、削ったり、上の字が下に、又下の字が上になっても、言葉の理合いが変わらなければ、
いくつかの整理の方法もあるだろう。しかし、一文字でも理合いが変われば絶対にいけない。
それこそ道に錆をつけるようなもだ。

※注
これは「みかぐらうた」公刊本再版についてのおさしづであるが、その点に関し中山正善著「続ひとことはなし」その二に書かれている。
公刊初版本は、前川菊太郎名義にて東京にて発行されたもので、神道直轄として天理教会所が公認されたに従って、
統一された歌詞の必要より、従来の私刊本の不要を省き、神名等を正し、順序を調えて発行されたものであり、
従来”十二下り”の名称が普及していたに対して”みかぐらうた”の題名を附けた点に、当時の意図が窺われる。
(中略)量よりも理に重点をおいて採定されたと思われる題名には、意義深く感ずるところであり、
(中略)再版本 明治三十三年十一月五日『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』のおさしづを仰ぎ、
理をかえることなく字句を訂正の上、発行所を東京よりおぢばにかえて発行したものである。

37 :18です:2017/03/25(土) 22:57:12.54 ID:9Ghuvvq8x
以上の原典、資料より並行して問題となった「あしきをはろうてたすけたまへ」が教祖から教えられた事ではないとの事の批判に対する反論と
「だいくのにん」の妥当性を述べましたが、理の歌である御神楽歌を変えるという事を一時的に許しても、長い間はたして教祖は許すでしょうか、
御神楽歌は基本中の基本です。「原清ければ則ち流れ清く、原濁れば則ち流れ濁る」の様に改めるなら根幹部分を改めるでしょう。

38 :神之打分場所M:2017/04/01(土) 14:18:55.30
私もカインより出入り禁止されました。こちらからも禁止されるかもですね。
カインは教理を知らないようです。単に教団を潰そうとする心が見えます。
昭和五十一年三月十五日(旧一月二十六日)に天理教で無い、何も分からない渡邉 秀子様に天啓が
天啓が降りてきました。本人もびっくりされ、何の神様かも分からなかったそうです。
現在おさしづ、三十年分ほど、五・七・五の和歌体は百万首程有ります。

39 :神之打分場所M:2017/04/01(土) 14:56:35.64
おさしづの一つを紹介します。
昭和五十四年七月九日午前零時十五分
さあ/\どうしよこうしよと言うた処で成るものでは更にない。
神の自由用一つで有る。成る成らんそらゆえん。神の力そわねば成る事一つもない。
これよう思案せねばなろまい。どれ程我が身で成る事思たとて、そらならせん。。神が
力添えるでこそみな成り立つたる。これから先というのもみなその通りで有る。たれがやる、かれがやるそら成るものでは更にない。
いままでとこの先成るを見ているが良い。日々にどんな事出来るやも知れん。
心と言う理空に有る。心そろえて見よ。分からんで有ろうまい。一手一つの心になって談じ合えば心に治まる理これ深きの理
古い者うもれたると言うはよう聞き分けよ。これ末代の理ともさとして有る。
下なる理とは思うなよ。これ小さな者では有るなれど小さな者がどれ程大切なるか皆々にわかろうまい。
この先どれ程大きな者に成るや知れん。一寸見え掛けた道これが大還道と、成るのやで神之打分場所と言うて筆につけて残して有る。こら神の残した筆先や。こら証拠にと残した物や。

40 :神之打分場所M:2017/04/01(土) 15:17:10.65
おさしづ続く
教祖存命の時より筆に取りて残し置いたる道始めてより何年経ったか数えて見よ。
数えたならばよう分かる。この助け百十五歳定命と言うた。これ皆神の残した言葉なり。これまでに何よの事も皆説き置いたる神のさしづ通りなり。
甘ろ台と言う理わからん者は、神のさしづ通りの道歩いているとはいいがたない。何を神が頼むと言うた。甘ろ台と出たならば一手一つの心になって運んでくれと言うた。
又治めてくれとも頼んで置いた。その神の心分かる者有るのか無いのか、しっかり返答するが良い。こら道の宝やで。どれ程大切な事やわからん神と約束した日が有る。なんぼ知らんと言うたとて神は
覚えて居る。こら大事な事や。一本買うと言うた。言うたなればこそ神は待っている。その年限も目の前に近づいた。これだけ説いたら分かるやろう。早く買うて見せてくれ。そう成ったらえらい事や。なんぼ楽しみ有るやら。
世界成る程の理と言うてみな/\そろうて尋ね求めて出て来る理内の中これより鮮やかなる事情甘ろ台一つの事情一手一つの心定めよ。安心やで。

41 :神之打分場所M:2017/04/08(土) 10:02:34.45
昭和五十二年九月十八日
さあ/\親々の理、子に有る。親々の心の理、子に有る。子が成人したならばどんな大木に、成るや知れんで。これ神の残したさしづ成るのや。
さあ/\往還/\道とさとしたる。これしっかりよう聞き分け。なに事も我が身のためとさとし有る。さあ/\このさとしよう聞き分けよ。末代つゞくとは、この事成るをさとしたる。
これえらい事やで、こうきな事やで、皆一列も此のとうり、親の働き子に有る。子だん/\出世する。ほんに成る程なあと人が言う。これ一つ神の言葉や。これみなうち/\成るにさとし置く。えらい事やで此の事は。
はやばやと神のさとしを聞いたなら、早くに道がたつものを、其れ故に処を変えて場所をば、定めつけるも道のため、神の道をせ手引きしらする。

42 :神之打分場所M:2017/04/08(土) 10:13:52.28
続き
何事も神のなす事する事や、自然成り行き神のする事、これが誠の天の理道で有るぞや。
どの様な、はげしい処で有ろうとも、難しい処で有ろうとも、神がつけてしかと見ている。
一列が心にいか様思うとも、神のなす事道のためにと、今迄の道がころりと変わるも、神の言う事聞かぬ故、親々の心違いがこの道や。
しかと見ていよ神が付けるで。何事も欲にきりないどろ水や、すんだる水と変わり行くなり。さあ/\これからは、きれいな道に成る程に、何も案じな神の請け合い、しかと見ていよそばな者。

43 :神之打分場所M:2017/04/08(土) 11:02:57.87
昭和五十五年二月十日午前零時十分より二十七分まで
(明治三十五年五月九日夜本席赤衣を召してのおさしづ拝読後)のおさしづ
さあ/\聞いたで有ろう聞いたで有ろう、何も神は難しい事など更々言わん、前々より
説き置いて後で見えたらそれが神やで。こうして見えぬ先より神の思惑説き諭す。
年限来たらばみな見えて来る。今と言うたら今からや。神が降りたら引かんと言うた。
どんなさしづもみな説き置いた。今日こゝに早く成り立ったる理甘ろ台一つの事情、何も難しき事無い。皆々心に治まる理、心すまねば治まらぬ。心澄み切ってこそ我が足元も見えて来る。成らぬ事なぞせいとは言わん。成って来るので神が説き置く。
真実の神で有るから、この様に早く悟れと説き聞かす。
それも何故一列に末代迄の古記と成るよう、又心には第一にすんだる者には末代のさづけも
渡しやりたさに、この様にくどうに説き諭す。
神の心を思て見よ。この残念は無理で無い。ざんねん出たならなんとする。
世界は死人の山をつむ。かならず一度言うたなら成って来るのが天の理や。
しかと心に治め行け、嘘で無いぞや。
この事は今に分かるぞ見ているが良い。
早や/〃\と神が教えて置く程に、皆一列が心して早く談示の決を取れ、
談示する人神が見ている、これ末代のさづけ渡する。

44 :神之打分場所M:2017/04/16(日) 09:05:54.60
昭和五十三年四月八日 おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで、神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる。この理なに程のものやわからせんで、神思惑の元の理、神が長い年限の間伏せこんだる種天理の根である、深き理弥勒菩薩と言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う。
この深き魂の者世に出すためには、もんかたなき処より神が教祖中山みきに天降り、
だん/\道つけて、ひながた見せて一列のめどうにと、
しながたなるもすえし物、何故にこのよな事をなしたるか、
みな一列に分かり無くば知らそう、しっかりと神の言う事聞くがよい。
神が教祖中山みきに天降りたる事いうてある、みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始めかけた元治元年より、
この助け百十五才定命と定めつけたい神の一條と、残し置いたる事皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたるよう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる、神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづみかぐら歌とあるのや。これこれ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や、
しっかりと神の言う事分かりたら心に治め道のため、神のいうよにしかと通るよ。
早くな神の元にと尋ね出よ、神が待ちいる嘘で無い。早くさとりて道に出るよう。
神がしっかりさとし置く。
ふでさき十七号二十四
このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら

45 :神之打分場所M:2017/04/16(日) 09:25:10.84
元治元年より百十五年は昭和五十四年 この年は弥勒様に「赤衣を着れ」との天啓が有り十月二十六日より、赤衣を召される。

46 :基本:2018/02/15(木) 08:52:28.47 ID:2pFdH3sWO
カイン 限界でしょう。

47 :基本:2018/02/15(木) 22:45:03.62 ID:2pFdH3sWO
カインは社会科学という名で天理教を糾すというが、天理教団は元々衰退でしょう。
衰退の理由はお釈迦様の予言で、原因もお釈迦様の予言、つまり法理。

創価学会は当然お釈迦様の予言で、法滅します。

48 :基本:2018/02/15(木) 23:11:55.55 ID:2pFdH3sWO
カインは、天理教の貧乏が嫌いなようである。
「天理教次期真柱の結婚披露パレード」を批判して、のカインの見解であるが、

このような「文化的な最低限度の生活」が困難な教会家族や信者が多い中で、祝儀を出せという天理教本部は、国民が貧困で苦しんでいるのに数億円のミサイルを発射する北朝鮮と同じであると揶揄されて当然であろう。
・・神や教義に関することではなく、たかが次期真柱の結婚という私的な行事である。そこにまるで中山家の所有物であるかのように現役高校生まで動員するというのは、極めて教育上問題があるだろう。
このパレードこそ、天理教的に言えば人間思案そのものの醜態であろう。

真柱とは「神や教義」に直結していて結婚の祝いは、神事であって、
金を出してたすかるたすからないが肝心で、たすかるなら出せばよい。

カインは限界に来てしまっている。

49 :基本:2018/02/15(木) 23:42:35.79 ID:2pFdH3sWO
奇跡の存在が宗教の存在証明であり、奇跡を生む生まないは神仏の分岐点である。
お釈迦様は「生命の永遠」を説いて、弟子たちは「仏は死ぬ」と理解した。
だから2500年を待って、弥勒菩薩の出現を待って、中山みきは誕生した。

この実数の予言と実現に、カインでは反論のしようがない。

50 :基本:2018/02/15(木) 23:47:51.65 ID:2pFdH3sWO
神の打分場所さんも宗教詐欺の片棒を担がぬことだ。
「元治元年より百十五年は昭和五十四年 この年は弥勒様に「赤衣を着れ」との天啓が有り十月二十六日より、赤衣を召される。」
こんな幼稚な作り話では、お釈迦様の実数の予言には、なんの効力もない。
カインも神の打ち分け場所も、
「お釈迦様は生きている」「中山みきは生きている」と わからないお気の毒の限界である。

51 :基本:2018/02/16(金) 00:20:46.25 ID:vB4nwIhI5
[カインの限界]
天理教には教祖が定めた「ぢば」という中心点がある。天理教信者は、世界中どこからでも、この「ぢば」に向かって礼拝を行う。
「ぢば」は奈良県天理市の天理教本部の神殿家屋内にあり、「ぢば」の場所には
甘露台(かんろだい)という木製のブロックを積み上げた、だるま落としのような塔が立っている。
この「ぢば」に置かれた甘露台は四方を畳の参拝場に囲まれている。
参拝場の中央は一片20mほどの正方形の窪みがあり、その中央にぢば甘露台が鎮座しており礼拝上から枠越しに見ることができる。
中央の窪みは高さ1mほどの木製ポールで結界(枠)が作られ一般参拝者は入ることはできない。
また神殿内には警備員が配置され見張っている。
明らかな不審人物は警戒され警備員に距離を詰められる。
甘露台が置かれた「ぢば」は信仰目標であり、原点であるため、ここに巡礼することを天理教では非常に重視される。
「お『ぢば』がえり」という概念化された行為があるのはまさにここが核心的象徴の場所であるためである.

このカインの解説の低レベルは、滑稽である。

52 :基本:2018/02/16(金) 00:22:07.27 ID:vB4nwIhI5
地場は奇跡を起こす場所である。
奇跡を起こすことが地場の価値である。

53 :天理の基本:2018/02/16(金) 08:13:06.71 ID:u0dSTGj1j
宗教の堕落はカインそのものである。
カインはぢばを礼拝の対象と説く。信仰目標と説く。
中山みきは「自由自在」の地場の力をお筆先に残しているが、カインはそのお筆先には触れない。
「自由自在」じゅうようじざい。その力の根源だからぢばである。
説けないカインには、お釈迦様の絶大な力も説けない。

信じていないから、説けない。カインんは脱落した哀れな似非なのであり、それはぢばに足がとまらない自由自在には縁なき衆生という事だ。
哀れなカインは、創価教の中で起きている「法滅」の証拠そのものである。

54 :天理の基本:2018/02/16(金) 08:59:31.68 ID:u0dSTGj1j
創価学会は一時期社会に批判されました。
それは日蓮の思想に原因があります。
http://www.horakuji.com/lecture/nippon/mappoutoumyouki/index.htm
堕落容認の「聖典」があります。最澄の作と言われます。『末法燈明記』です。
この書は、末法思想を背景に鎌倉初期、
天台宗から派生していった、栄西禅師や親鸞、日蓮など鎌倉新仏教の祖師といわれる人々によって、自身の思想を正当化する為などに援用されています。
もっとも、その中で栄西禅師だけは、その著『興禅護国論]』において、『末法燈明記』の内容やそれを援用する人々を批判し、
末法であるならなおさら戒を守るべき事を強く主張しています。また、道元禅師は、この書に直接触れる事はなかったものの、末法思想そのものを否定しています。
いずれにせよ、この書は、それら人々の思想を知る上では、欠くべからざるものと言えます。
また、日本仏教の、戒律無視あるいは戒律否定の思想や歴史を知るためにも、大変重要な書です。
平安末期から鎌倉期にかけて天台宗から湧いて出てきた、「鎌倉新仏教」などと言われるものの中、
特に浄土教と日蓮の教を知るためにも、必須・必読の書です。
さらに、日本仏教史はもとより、日本思想史をたどる上でも不可欠の書である、といって間違いありません。

『末法燈明記』最澄の真価です。

カインには最澄の手のひらの上の自分の増上慢の醜態が見えていません。
カインの限界です。「法滅」の証人カインとなっています。

55 :神も仏も名無しさん:2018/02/16(金) 15:38:50.05 ID:0VAHOeU9j
http://1st.geocities.jp/manmaru_aco/aco.profile.htmこころまんまるセラピー☆   代表 池亀 厚子

56 :黒の基本:2018/02/19(月) 18:12:50.24 ID:Z3sg3Ritg
創価学会が、日蓮正宗を利用して仏教徒信者団体組織をつくり、折伏で、大教団をつくった。
宗教ビジネスを成功させた創価学会は、実はお釈迦様の手の平の上、、末法の仏教徒をまんま行っていたわけで、天理教を宗教ビジネスとみなして、天理教を社会学的に批判しているのですが、
地場はひとりだちしてある。

河原町というのは大教会信仰の大間違いの大教会で、本部の信仰をまるで理解できていない。
お気の毒な大教会で、本部内部の「天の支配」を具体的に知れば、道は小さくが分かることでしょう。

なにもかも月日しはいをするからハ
をふきちいさいゆうでないぞや (7-14)

57 :黒の基本:2018/02/19(月) 18:25:10.72 ID:Z3sg3Ritg
教団の大小を競ったり、語ったり、そういう末法の仏教徒の典型の人物カインは、
基本に反論できない。
基本は、実数と年表でものを言います。
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。
このような38という数理があります。

58 :黒の基本:2018/02/19(月) 18:28:14.92 ID:Z3sg3Ritg
> 明治34年5月25日に、御本席は、本部員を残らず寄せて、一同が打ち揃いしますと、その時には、お敷布団しかずにお座りのままでおさしづをしました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」開口一番のお言葉です。
> この明治三十四年5月から38年後といいますと、1939年、1940年です。
> おふでさき、おさしづは本部に回収となりました。
> 「天理教教典エン義」が刊行されました。戦争協力体制一色となりました。
> 月日の名前はまさに取り払われました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」
> まさに、本席おさしづをおとしめた38年後の天理教は革新の時代、国家に従うばかりでした。
> 明治34年5月25日のお言葉の中に、
> 「なかなかこれ38年以前、九月より取り掛かり、十分一つ道ようよう仮屋仮屋、仮屋は大層であった。
> 一寸ふしあった。皆退いて了た。
> 大工一人になった事思うて見よ。思うて見よ。」
> こうあります。
> 38年の後には、お前達は、本席さしづなど地におとしめてしまうとの予言から開始されたおさしづの中で、本席は、38年以前の、元治元年勤め場所の普請の節の事情をおさしづされています。
> 「なかなかこれ38年以前」
> 「なかなか」とは、秀司、小寒の道のことです。
> 38年という数理とその後、その前をおさしづした、数理の神意は重大な意味があります。
基本さんの基本教理の示すところを簡明に申しますと、中山家の土台の苦労をないがしろに、元冶元年当時に、既に、現在の「かなめ会」の間違いと同じ事が起きていて、それが、悪因縁であり反復されていると言う事です。
高慢な心は、高いところにて理を諭すという、教祖の道にあるまじき事をしでかすのです。
宗教家の仮面。仮面の宗教家。 かなめ会の方便こそ、「横暴の道」、神様の見せてくれた事です。
元一つほどけたらばらばらの、扇のかなめ、「かなめ会」。
今日まで誰もその問題点を指摘しなかった、指摘できなかった原因は、おそるべし情報操作と、仮想の教団の批判の当事者に「かなめ会」関係者がいるという、狡猾なレトリックのなすわざでした。

59 :黒の基本:2018/02/19(月) 18:31:45.41 ID:Z3sg3Ritg
カインは創価学会が思った以上に宗教ビジネスとして高収益ではないと、そろそろ気が付いたはずです。
天理教のビジネスモデルを模倣した創価教は、仏典の法華経を採用し、日蓮正宗の教説を利用し、自分がまさに末法の堕落の当事者の主役になっていた。
恥しいでしょう。

60 :天理の基本:2018/02/20(火) 00:27:16.05 ID:0uR/rEnyW
カインは、こんな問いを発している。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1331
「私が聞きたいことは一つだ。信者から巻き上げた金を自分たちで存分に消費し、
目の前でレーザービームとスモークを浴びせられ、神聖な神苑に大型ビジョンを乗り付けられ、
天理教の神と存命の教祖は、果たしてどのような気持ちで見ていたのだろうか。」

法滅の時代、天理教団衰退という表面上の出来事に合理的筋道を与えている。
誰が見ても教団衰退は当然だと理解できると、
ご安堵である。

カインにはわからないだろう。天理教団の大教会制度の解体は、親神の望みなのだ。

61 :天理の基本:2018/02/20(火) 00:32:41.13 ID:0uR/rEnyW
末端教会に、ご祝儀を出せというのは、「大教会」であり、河原町という大教会は典型的な「悪」であり、解体の第一候補である。
その役員から嫁には行ったら、大教会で描いている教会本部とは、まるで違う教会本部が、広く知られるきっかけになる。

真柱は「法力」で支配している。また教会本部は大教会から1円も来なくても「法力」で、独り立ちしている。

カインには、到底わかるまい。

創価学会員、がくカイイン、カイン。

62 :天理の基本:2018/02/20(火) 00:41:07.11 ID:0uR/rEnyW
大教会では「初代様」の権威と伝説で、「解脱」(欲を離れる)を説いて、「禅定」(真理探究)を教えられて、「読誦多聞」(おつとめと講話)を教えられ、
末法信仰になって「多造塔寺」(神殿普請)に金を出せと教えられる。
つまり末法で、それから「闘諍言訟」して白法隠没せん(教団批判・本部批判)で、大教会は滅びる。

それには、批判される真柱が必要なのだ。
カイン、分からないだろう。真柱候補はオカルトなのだ。

63 :黒の基本:2018/02/22(木) 05:24:37.48 ID:X5Sayd0C7
>>1 天理教社会学研究所 カインは、創価学会系の人物で天理教団の財政基盤を批判し洗脳をしていた。
> ルーツは大日本皇道立教会
歴史の事実を把握しておこう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大日本皇道立教会
概要[編集]
1890年に・・中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。
大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族や陸海軍人により構成された。後には児玉誉士夫も加入。
後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会(現在の創価学会の前身)の創立にかかわるものがいた。・・
・・中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努め、その門下には
大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦前戦後の陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている

64 :天理の基本:2018/02/22(木) 05:36:02.44 ID:X5Sayd0C7
日本では、末法 時代は一〇五一年に始まったと平安時代の僧・皇円は、「永保元年」(一〇八一年)が末法に入って三〇年後にあたると、書いています(『扶桑略記 ...

末法に入って(釈迦の没後1500年)が1050年という事日本の仏教の常識です。
12月15日が釈迦の命日、年末の、15日。(3×5)
中山みきは5日の数理をお筆先にてきちんと示しています。

五日
いまゝでも月日の心だん/\と
せへいゝばいにつくしいれども (12-11)

せかいにハたれかしりたるものハなし
とふむこのたび月日せひない (12-12)

それゆへにせかいぢううをとこまても
ことハりてをく月日しりぞく (12-13)

五日とは、いつつ立腹で、月日退く。釈迦は5の理で没しています。

65 :天理の基本:2018/02/22(木) 05:49:00.97 ID:X5Sayd0C7
>>63
>大日本皇道会
>大隈重信、
人間は25年を5回生きる能力を有している、いわゆる人生125歳説を唱えた。
大隈自身は83歳で死去したが、創立した早稲田大学にとって125という数字は特別なものとなり、
大隈講堂の時計台の高さは125尺(約37.9メートル)であるほか、
創立125周年にあたる平成19年(2007年)には記念式典を行っている。
・・・・・・・・・・・・・
大隈重信は、皇統問題の異端である「皇道会」に係わっていて、宗教による社会教育運動家であって、125の数理のオカルトであった。

66 :天理の基本:2018/02/22(木) 06:02:26.27 ID:X5Sayd0C7
皇道会は皇道大本のルーツであり、成長の家の谷口雅治もその流れの人物で、
弥勒は666と著作に残しています。
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1110873.html

神は「火水」とも云えると説いたり人間甘露台は谷口だと説いたりで、創価、PL,立正佼成会並び称される新宗教の宗祖でした。
大本教のお筆先解説もしています。
「御筆先による大本霊学の解説」という著作があるとの事です。
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1110913.html

67 :天理の基本:2018/02/22(木) 06:12:40.30 ID:X5Sayd0C7
因縁寄せて守護する親神は、異端因縁の弘道会に、日蓮宗の異端など宗教で社会教育の宗祖、教祖を集めたわけで、元々の仏教徒や、神道の信者を、「法滅」の時流の中でたきつけ騙して大教団組織を作った。
それのビジネスもであるが「天理教団」。中山みきの教えを信じていない集団・天理教大教会とその一派という、異端のやりくちを一部取り入れて大集金組織を作ったというわけです。

みんなお釈迦様の手のひらの上の、人間の醜態でしたが、天理の基本は基本を少しづつ説いていて、天罰の親神・赤衣装の悪魔の働きは天災となり、
病の元は心からで、理は白日に現れだしています。

68 :天理の基本:2018/02/22(木) 06:14:55.46 ID:X5Sayd0C7
信者は集めるうちは儲かりますが、信者の管理保護となると、金がかかって儲からない。

カインは幼稚だからわかっていない。
宗教の献金での大教団の維持は 実は赤字に絶対になるのです。

69 :天理の基本:2018/02/22(木) 06:24:55.02 ID:X5Sayd0C7
創価学会の活動家たちは平均年齢が75才になった今日、
献金そのものも額は年金の範囲内になり、減少しました。
高齢者の金は家族なりが管理して自由に使えなくなる。当然学会への献金も減少した。
その一方で、選挙のための活動に、膨大な経費が掛かる。

東京都でしか宗教法人認可を得ていない創価学会は、宗教法人法違反で取り消されたら、課税対象になるから、選挙の為に住民移動して、その経費も膨大です。
全国の創価会館も維持存続に金が要る。
それを、他宗教からの信者獲得で補おうというカインの浅はかさは、天理教・大教会のトップ並みのあくどさであり、法滅時代の天理教団の哀れさに似て、
同病あい憐れむ、カインの、愚かさです。

70 :天理の基本:2018/02/22(木) 06:35:14.62 ID:X5Sayd0C7
何よりも、富士のお山観光団参ビジネスを失った創価学会の凋落は、哀れです。
長野県では学会のトップにいた信者の観光施設が廃墟となって、落ちぶれています。

基本は詐欺師と渡り合ったことがあって、倒産企業を利用して宗教団体の宣材を作らせて、数十倍以上で売らせるビジネスを、統一教会用と創価学会様に作らせていた工場に乗り込んで会話しましたがm
濡れ手で粟の金もうけでした。
ところが、学会が利用していた富士の大石寺が利用できなくなって、団参がつくれない。
観光ツアーのまるごと、行く先々から途中全部、学会の物を食わせ、買わせる大儲けが消えたら、潰れるのです。

信者の献金より、観光事業の儲け、・・消えてしまいました。
カインんは哀れです。

71 :天理の基本:2018/02/22(木) 08:34:53.58 ID:X5Sayd0C7
中国系が観光ビジネスで立ちより施設を(実は中国系企業)にして観光事業で丸儲けしている。
観光業の事実・実態ですが、それは結局、観光遊び癖をつける。
創価学会で旅行の面白さを植え付けられたら、学会とは別行動で、遊び癖で浪費します。
そのぶん献金は減ります。
中国も同様に、個人の消費行動を蔓延させることになるわけです。

こういうことも全てお釈迦様の手のひらの上、中山みきの天罰の返しの対象です。

72 :天理の基本:2018/02/22(木) 08:40:40.29 ID:X5Sayd0C7
献金。
なぜ献金するのでしょうか。
カインは、天理教団は、どうやって献金させていると語っているかと言えば、はさておいて、
学会は、仏の加護への献金として理解させ、病が直る、不幸が無くなるとといて、
そして、実際に治った人が出て、献金した時代がありました。
平均年齢75歳の人たちの入信時の出来事です。

実際に学会で、病が煽り、学界に背いて不幸になったという、そのからくりを理解しておきましょう。

73 :天理の基本:2018/02/22(木) 21:26:49.80 ID:X5Sayd0C7
さてお釈迦様にもプライドがあって名誉がある。
学会は釈迦の経文を信じて救済を求めさせたから、釈尊を信じて病助けを願った。
通常の仏教団は、お釈迦が病気を治すと説かないが、学会はそれを説く。
法滅の時代には詐欺師が正しい法をとくが、説かれて信じて、お釈迦様病気を治してと、一心にお経を唱えたら、
唱えられたお釈迦様は、2000年ぶりの信頼に、感動して、治してしまう。

学会のカインなんかは自己暗示で、病は気から程度で治ったぐらいにしか思わない。
学会は、正しい信心だから治ったというわけで、主人公のお釈迦様は、最初は利用するが、
学会ブランドだからだと、信者をだまして金を集金する。
が、お釈迦様を信じたら治るのです。

学会に背いても、お釈迦様信じたら、治ります。
イエス様も治してくださいます。

宗教ビジネスは、神仏の効能利用したから、神仏の天罰も、中山みきの名において、
厳しく、あります。
お釈迦様の慈悲に、イエス様も愛に、すがりましょう。

正しく、永遠の釈迦を信じることです。

74 :基本:2018/02/23(金) 07:07:37.30 ID:sQPXrIXWz
>>1
>宗教を金儲けとして行う彼ら
1911年に大日本皇道立教会は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、創立された。
紀元前660年が皇紀元年であり、南朝(なんちょう)は1392年、皇紀2052年に焼失している。
大日本皇道立教会のメンバー の写真がある。
http://sudati.iinaa.net/senjika/senjika13.html
https://ameblo.jp/japmasa778/entry-12245965103.html
大本教の出口王仁三郎と統一教会の創始者と言われる笹川良一、北朝鮮を建国した「金策」こと畑中理、創価学会を創った牧口常三郎と、戸田城聖の血筋関係の事も、理解しておかねばなりません。

北朝鮮は宗教国家であり、まさに疑似天皇制の国家ですが、
異常な独裁国家北朝鮮のそのルーツは大日本皇道立教会にあり、創価学会、大本教、統一教会、PL教、という宗教ビジネスを大発展させたという事実が歴史上の事実です。

基本的に、理を諭してしまえば、親神は働いて、北朝鮮にも天罰を与えるから、
天理王の弟子演歌王は、公然と理を諭して糾弾します。

75 :基本:2018/02/23(金) 07:20:10.16 ID:sQPXrIXWz
カインとは聖書にしるされた兄弟殺しのカインです。
カインは、天理教団を糾弾していますが、創価学会と天理教団を「兄弟」とみなしているという自白です。

しかし天理教は、創価学会の兄弟ではありません。
創価学会の兄弟は、
大本教、PL教、成長の家、倫理会、
そして宗教国家北朝鮮、です。

76 :黒の基本。:2018/02/23(金) 07:35:59.14 ID:sQPXrIXWz
>>74
>大本教の出口王仁三郎と統一教会の創始者と言われる笹川良一、北朝鮮を建国した「金策」こと畑中理、創価学会を創った牧口常三郎と、戸田城聖の血筋関係
北朝鮮は、日本が満州として支配した天皇制を模倣していますが、国家を設立したのは、「金策」こと畑中理。
詳しい説明があります。紹介します。
https://xuzu0911.exblog.jp/15104648/

金正日の父は日本人の畑中理(ハタナカオサム)
【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、
壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】

大日本皇道立教会には読売新聞社が深くかかわっている。

カインがお釈迦様の手のひらの上で、天理教団殺しをしようとして、カインんと自白したが、
カインは、創価学会の真の兄弟である、北朝鮮や、PL教や、大本教や、統一教会やを、実は殺してしまう事になる。

それを天罰という。

77 :黒の基本。:2018/02/23(金) 07:38:07.62 ID:sQPXrIXWz
小泉新次郎もまた、北朝鮮人脈であって、天皇教の信奉者であるが、
南朝信奉者のなかまであると推理して間違いない。

78 :黒の基本。:2018/02/23(金) 07:50:54.96 ID:sQPXrIXWz
さて、BITコインは、宗教である。
国家が管理する通貨ではないBITコインを広めている講演、学習会を見学の機会があったが、
BIT教も集金システムであり、
批判の必要があるので、別にスレを立てて批判するが、従来までの宗教の集金システムの限界は、カインが晒してしまった。

カインの天理教集金システム批判は、まんま大本教、PL教にもあてはまる。創価学会にもである。
問題は「霊験」の有無で、釈迦の法力を説かないPL教はさっさと消えていく。

カインは、中山みきの代理人として、創価学会の兄弟たちを殺してゆきます。

北朝鮮の国家を天罰出来るのは、北朝鮮が「宗教国家」であり、創価学会と大本教との兄弟だと、理が皆に知れたら、親神が天罰で、国家を潰します。

79 :黒の基本。:2018/02/23(金) 08:49:04.82 ID:sQPXrIXWz
>>78
北朝鮮が民族分断でできたとか、そういう情報でだまされていたら、神は天罰を
与えにくい。

北朝鮮、旧満州にはレアメタルがあって、東条英樹が満州を日本の属国にした。
米ソが、満州を日本から切り離そうとした。
北朝鮮の正体は、旧の日本帝国の残置く家で、https://xuzu0911.exblog.jp/15104648/
【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、
壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】
が正体である。
日本では小泉元総理は母系北朝鮮で、郵便局を解体して民営化し国民の郵貯資金を金融市場に流出させた。

北朝鮮は経済数刺されているが、もともと日本の属国であって、残置国家であって、北朝鮮を失う事は日本国の損失であるから、
米国が北朝鮮のウラン支配を画策している現状の中で、
日本は米国の野望を阻止するために、安倍は、親米を装って北朝鮮を圧迫しているが、

北朝鮮の救済に「BITコイン」教を日本の裏支配者が用意したと見たら、間違いはない。

80 :黒の基本。:2018/02/23(金) 08:53:46.46 ID:sQPXrIXWz
北朝鮮問題は「核」問題で、ウラン支配問題で、北朝鮮はウランの使用権をミサイル発射で主張している。
米国は、北朝鮮は資源国だから、日本のように「支配下」に置きたいが、
韓国は米国支配が嬉しくないし、北朝鮮は日本の軍国化を期待している。

こういう高山に天災を、それには、神坐(かぐら)のつとめである。

カイン、分かるかな、君の社会学は幼稚なのだ。

81 :天理の基本:2018/03/10(土) 08:38:57.40 ID:gG/MODaX9
創価学会の歴史は天理の数理の手のひらにある。
3625の数理において、3×6=18 2×5=10 で合計が 28年の数理で、
「国会では治まらん」の本席お指図の 28年後に 創価学会は 王仏冥合の、政治利用団体の意思を表明していて。それは年表に記載されていたが、
そのことを基本が指摘したら。。創価学会の年表から 消されていた。

分かるかなカイン、隠してみても、事実として学会は「国会では治まらん」の3625の数理による、異端なのだ。

82 :基本:2018/03/10(土) 08:54:29.60 ID:gG/MODaX9
カインの天理教社会学研究所に対し、基本は投稿で論を述べるとカインは出入り禁止にして投稿を掲載拒否した。

拒否になる前の投稿に国会では治まらないについての投稿があるので紹介しておこう。
http://tenriky基本
2016年8月20日 3:34 AM
自立人生2014年11月24日 2:13 PMテーマ: 「立派なやかたで信者は激減 (内容一部補足字句修正、再投稿)」さんへ
【王仏冥合】おうぶつ‐みょうごう これが創価学会の指導原理です。
 法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという日蓮の教え。
対して天理教祖中山みきは、国会ではおさまらないと、宣言しています。
osyakaigakulabo.com/?p=335
(引用続きます)

83 :基本:2018/03/10(土) 08:57:56.42 ID:gG/MODaX9
(引用続きです)
「一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、お蔭/\と待ち兼ねたる処、
又一つには改正々々という、明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。
一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、
又お蔭/\の事情、よう思やんせよ。さあ/\明ければ五年という。
万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。
弱い心は更に持たず、気兼遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。
これから先は神一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。
怖い道があって、やれ楽しみという。……」(明治24.2.7)1891年
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
万事に通じる理として、
さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。
さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。
さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。
五箇年々々々と五箇年の日に移る。
四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、
人間の心の理というは更々持たぬよう。・・・
・・・・・・

つまり、人間がしているのではない。神の心の理が、国会では治まらない、なのです。

84 :基本:2018/03/10(土) 09:03:07.81 ID:gG/MODaX9
(引用続きです)
それでは、創価学会の5年5年5年を確かめましょう。ソースは「創価学会破折」などです。
1930年  昭和5年11月に 「創価教育学会」として創価学会創立。
1935年  昭和10年 牧口会長、折伏した元マルクス主義者を特高警察へ連れて行き
      「今後、法華経の信仰に励み、国家有為の青年となるから御安心ください」と紹介。
1945年  昭和20年7月5日 刑期を終え出所。
  ●牧口会長 日淳上人に対し不敬罪で投獄されたこと詫び忠誠を以後を誓う。
  ●池田大作 就職した出版会社倒産(s24・?)で、小口金融「東京建設信用組合」の社員
         に移動戸田城聖の下で貸金業社員となる。大蔵省から営業停止。
  ●50年8月戸田は事業家として致命的に敗れた。組合法違反で告訴される。
1950年  昭和35年戸田は創価学会理事長の椅子を去る。
1960年  昭和35年5月3日 – 池田大作が戸田の遺言と数の力を以て会長に就任。
1970年  昭和45年 国会で政教一致問題が追及される
1975年  昭和50年  池田大作、創価学会本部において本尊の開眼入仏法要を行う。
              1月 池田大作創価学会の世界的組織、SGIの会長に就任。
1980年  昭和55年 池田大作 所感「恩師の23回忌に思う」で、5反省懺悔 (聖教新聞)
1990年  昭和60年 池田大作 本部幹部会で池田が宗門及び日顕を批判する。。
2010年
 5月の本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席、現在へ至る。
 そのため重病説や死亡説が一部マスメディアで取り上げられル。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創価学会もまた、釈迦の予言の末法の予言の手のひらの上でした。
天理教の異端である創価教は、(5×2)×5 で、法滅の創価教になっています。

85 :基本。:2018/03/12(月) 08:14:00.48 ID:wLEbRcdnM
釈迦の教えだと、創価教の教えを信じた信者は釈迦に助けられ、その恩を池田大作先生に返そうとした。
みきの教えを親神(実は弥勒菩薩・第2の釈迦)と信じた信者は、その恩を初代大教会長様に返そうとした。
釈迦の恩は、仏教教団に奉納しろ、みきの恩は、天理教団に返せと説いて、
宗教ビジネスは、創価学会の隠者を、天理教の信者を、債務奴隷にしていった。

古神道の神の教えも、宗教ビジネスに用いられて、人を債務奴隷にし、高山の統治に利用された。

カインは、それがこの先も通用すると、傲慢な愚か者である。

86 :基本。:2018/03/12(月) 08:17:53.46 ID:wLEbRcdnM
宗教を統治に用いるという手法は、キリスト教においてもなされている。
無神論のはずの共産党国家では、人を現人神にして権力を集中させ統治に用いて、谷底をままにしている。
カインは、そういう古ぼけた宗教統治が通用すると 社会科学なる言葉でだまそうとする。

だが、天は許さない。

87 :基本。:2018/03/12(月) 09:39:46.39 ID:wLEbRcdnM
統治者は現人神になりたがる。
社会科学の示すところではある。
神仏は奇跡を日常とするが、
統治術の現人神は「科学」「医学」「社会学」と学問を代わりに用いる。

つまりオカルトとして無能である。

88 :基本。:2018/03/12(月) 09:42:22.78 ID:wLEbRcdnM
北朝鮮では大陸間弾道弾・核ミサイルは、現人神の奇跡であり、霊力である。

それゆえに科学信奉をあおり、
オカルトを無視するが、オカルトは、この世を変える。カインではオカルトは無理である。

89 :神之内分場所M:2018/03/16(金) 16:37:51.30 ID:1Fb0ZA9gv
昭和五十三年十二月二十三日午前十一時
さあ/~/

90 :神之打分場所M:2018/03/16(金) 17:57:55.48 ID:1Fb0ZA9gv
さあ/\分からんが九分で 分かりたが一分の処で 道は二つに分かる。
それより成り立つ道 どうでもこうでも立てあげて 道の土台というて 甘ろ台と席すえにゃならん。
これこうしてこうなるというて見たところがみな/\  が承知せん。
そこで神がこうして連れて出た。三十八年後こんな席へ座りゃせんと言うた。
三十ハよせて見よ。十一になる。甘ろ台建設の道始め出しは昭和四十年であろう。
それより十一年足して見よ。昭和五十一年であろう。
それより三月十五日に歌が出て道に一つの事情でけた。
内々事情 親族の事情一つ治めてくれいと言うて見たところ治らん。そこで三十ハ年後はこんな席に座りゃせんという事になりたのや。
これは神がいうて置いたのや。なんでもこの様に先先まで見えるのでから見えぬ先より とき置いて、それ見えたなら それが神 一つのうそも説いて諭さん。
みなその通り見えて来ている。
甘ろ台というは見事な花咲かすまで行くで/\
しっかり先を楽しめ。

91 :神之打分場所M:2018/03/16(金) 19:30:08.37 ID:1Fb0ZA9gv
基本さんの書き込み以前から他の掲示板でも見て興味深く思っております。
そして尊敬しております。でも言わせていただきす。
このお道は未だ半道中 完成されてません。それは天理教の最終目的である甘露台世界が実現されて無いと言う事です。本部に有るのは知っての通りひな型甘露台です。
では、甘露台とはどう言う意味でしょうか。
おさしづ明治二十三年に「かんろうだい一つ人間定めてある なんでも一日ある 楽しみあるを聞き分けて貰いたい」と有ります。
これは身上さとしの中に入っている一文ですが 刻限さしづも大事ですが 事情さしづ
身情さしづの中に 神様は当時の事も 答えながら先の事を小出しで言われているようです。
甘く優しく時には厳しく天啓を出す人間甘露台が本来 あの地場へ 治らなければなりません。そして天理を治め国を治めると言う事です。
それが甘露台普請です。
教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひながたと
なられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。
教祖と弥勒様との間には年限がありますが この時間が大事だったのでしょう。
昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
大きさで金文字がゆっくりと
「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました。それが冗談でなく現在百万首程有ります。数えてません。

92 :神之内分場所M:2018/03/31(土) 11:44:23.83 ID:b2aNqIKgP
昭和五十二年九月二十一日(本席様の話しをして居た時突然次の様な御言葉が出された)
さあ/\どんで有ろうが、ばかで有ろうが、一旦神が降りたと言うたら、何わからんと言うでないぞや。
如何様にかしこいかしこい者やと言うたとて、神のさしづがしかと説けるか。この神がしかと自由用して有るで、どんな者でも叶う者なし。
さあ/\あほと思うたその者が、あほになるのや、きっと見ていよ。
この神の言う事なるは、うそでない今に見ていよ、きっと分かるぞ。
さあ/\ あほの鏡にならぬ様、我が足元から気をつけよ。
この事は、誠の神のさとしなり。何も違ごうた事は決して言わぬ。
さあ/\教祖が何なろうた者でない。誰に教えをこうた事もない。みな神たるの自由用や。
この神が真実受け取りて、その者なるに仕込みたるのや、今なるもその事なると同じ事
さあ/\このお方をば何と思うぞ、この方はみろくぼさつの魂を、身に受けて出たる方なるぞ、それなるも神が見定めつけし者、きっと見ていよ今にわかるぞ。
さあ/\悪しきはらい助けたまえの天理王の命なるぞよ。
これにて皆にさとし置く。一列しかと心せよ。

93 :神之内分場所M:2018/03/31(土) 12:31:22.78 ID:b2aNqIKgP
すみません。明治二十三年→明治二十一年のさしづでした。

明治二十一年六月二十三日
甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。

昭和五十二年十月二日  おさしづ
さあ/\甘ろ台一つ人間定めてある。なんでも一日有る、楽しみ有る、楽しみの元一日が有ると言う事、天理教みな一例の心に治めてもらい度い。
この台一人神思惑の深き魂を持ったみろくぼさつと言う者、世に出すが為、もんかたなき所に、神が教祖中山みきに天降り、天理と言う道つけて来たる。
それより年限おうてながらえて、天理教という道続きたるのや。
その甘ろ台を世に出すため、そのあかりで今迄天理教は道がつゞきたる。
この事よう思案してみよ。その楽しみの元の親を治めると言う。
元一日が時旬以って今目の前に来たるのや。神の言う事何もうそで有ろうまい。
神は、無理な事は少しも言わん。此れは天の声で有る。
真実の神の言葉や、これ一つさとし置こう。

94 :神も仏も名無しさん:2018/03/31(土) 21:44:23.63 ID:gDbmN/lb1
繁殖用の犬猫400匹をすし詰め/福井県の繁殖業者を刑事告発

https://www.youtube.com/watch?v=u1mhYRQjz0I



すし詰め子犬工場、給餌の様子

https://www.youtube.com/watch?v=tNhXSTFr3G0

95 :神之内分場所M:2018/04/06(金) 17:37:51.61 ID:JcHhsRz5c
さあ/\/\/\天降りたで、神の言う事しかと聞け。
今迄に神の言うたる事、何もうその事一つも言わんで、その通り見えて来たで有ろう。
神が百年先の事言うて置いたら、かならず その日が来る。
なんぼ百十五才定命と説いた処で、なにひとつ解る者ありやせん。
神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
言うていたところが、神が承知出けん。
どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
道は無い、手立てはないで、どんな事になりても、神の思惑つけずにおかん。しっかりと神の言うたる真実がわかりたならば思案せよ、心に治め道のためしかとさとれよ神の
言葉や。
明治二十年三月二十二日  刻限
大風々々大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのような大きなものでも傾ける潰れる大風やで、風は神や

明治二十年三月十一日  午後十二時 刻限
さあ/\始め掛ける/\どえらい山がある。ろくじ/\と言う事も聞かせてある。山をくり抜かねば ろくじでない。さあ/\くり抜くでくり抜くで/\。

96 :神之内分場所M:2018/04/06(金) 18:43:06.22 ID:JcHhsRz5c
昭和五十三年三月十七日  午前九時十分
さあ/\/\/\仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、やっときれいな仕事場にした。
神の望む処で話しするのや。
綾錦の玉に、やんわりとしたころもを着せた者あるで
それより伝える話しは、神の言葉やで、これをしっかり聞いて置け
先の我が身のためになるのや。

明治二十年三月十七日  午後七時 刻限
さあ/\これからは綾錦の仕事場、錦を仕立てるで、こゝ暫くの間は………綾錦の仕事場にはならん。
さあすっきりとした仕事場にするのやで。綾錦の仕事場に仕立てる。

明治二十年四月二十四日  午後五時半
仕事場々々々 仕事場はあちらこちらその時/\さしづ
何を尋ねるよう風吹く様なものどうやこうや又々立て替えじゃで
仕事場任せて置いた席をすっきりあちらから/\こゝで一寸仕事場にしようか、席というは綾錦。

97 :神之内分場所M:2018/04/07(土) 11:35:41.70 ID:nWL7GdRvK
昭和五十三年三月十七日  午後三時
さあ/\/\もう年限もだん/\つみきった
神の思惑と言うは、時旬遅れては どうもならん。そこでどんな道筋にかゝりても、始めと言うはかゝりかけねば道は通れん。
良い道に出る迄には、山道や坂道も有る
このまま捨てて置いたら、神の定めた年限迄に間に合わぬ
幾日掛かるか思案もいるで
みなその心に成りてくれたら、この道のようだいもわかるやろう
神のさとしも聞けるやろう
この理と言うは心に有るで
心揃えばどんな大望なものでも、皆の力で動かす事出来るで
理と言うは順序の理である。順序通りて道が成り立つ。早くにおいをかけ道を通らな
ならぬ。そんな道あったか、おら知らなんだと言うようでは、心合わせたとは言えんで
話し聞いたらなんぼ遠い所の者でも、近い所の者でも 心合わせるが兄弟と言う理に成る
元一つ治める一日の日有る事思うたら楽しみ有る。神も同じ心や。
その心あらば、神の守護も自由用自在や
心違えば神の守護も、受けられん。
神の声出る地場取りあつかいは、この理で有る
この理分からぬならば、又尋ねかければ、神の自由用と言う
一つの効能も諭そう
道もどうなりこうなり、広く伝わったなれども、教祖寿命縮めて迄、さとしさしづ出して、教えた道 教祖も神の降りる台と言うて、十年や二十年や三十年やない
五十年と言う道つとうて来て、それより段々と通り来たるから、もう大丈夫と思うなれど、まだ/\十分やないで、人間心十分登れば、下に落ちるより天の理はなきもの
これ一つの理で有るによってしっかりとさとし置く。

明治二十五年六月十ハ日  午前三時十分
十年や二十年や三十年やない  だん/\一人一つのものと言う  何程の者偉いといえど
一つの理が分からいでは何にもならん…中略…これからと言う心を定めていたら危なきは無い十分上れば下りるより外は無い程に

98 :神之内分場所M:2018/04/07(土) 13:34:42.89 ID:nWL7GdRvK
昭和五十三年三月十七日  午後三時三十分頃
さあ/\このさしづしっかり聞き分けい
皆一列が甘ろ台/\と言うている、言うている
その理尋ねたるなら、しっかりとわかる
元と言う理、なにから言うたる者や
神がさとしたでこそ分かりたるもの
甘ろ台と言う理、そのあかりで この天理教が照って有るのや
道と言うはつづいてこそ道と言う。つづかん事は道といえんで。
そこで元一人神の定めし者治めると言う
神の定めた地場持っていても、そのところに神の声降りねば鏡屋敷とは言えんで
鏡とは天の言葉うつって来てこそ鏡屋敷と言える
神の定めた地場に、神の声出す者有りてこそ道と言える
神が年限おうて永らえて来たるところに、神の定めた神の声出す地場が有る
その地場一人世に出すため順序の理がある
神が一、二、三、のしるしを打って、そのしるしの中の中に伏せ込んだる深き魂の者、神の思惑のみろく菩薩と言う理、世に出すため、あちらやら、こちらやら、わからん者では有るなれど、神のつけたる順序の理、元の理である
この元一つ神の定めた月日親神元の理で有る
神の定めた地場有りても、神の声降りねば、暗闇と言う
手さぐりで通るより他ないで
それでは何で道と言えるか。手さぐりなら どこえいてよいやら分からん時に、三才童子にてあちら、こちらと尋ねたならば、通る道筋見えて来る
さあ/\神のさとしで有る程に、しっかりと心に治め道を歩むよ。

明治二十二年十一月二日
一、二、三の印を打ったら神一条の道
「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」

99 :神之内分場所M:2018/04/08(日) 11:11:45.91 ID:H99lxpsb9
昭和五十三年三月十七日  午後五時三十分より
さあ/\よう聞き分けよ、神と言うは、難儀さそうと言うて、出てる神はないで
みな/\に満足与えようと思い、今日迄道つけて来た
しあわせ/\授けるため、こうしてさとしさとし、神の思惑有るを知らすが為、紋方なき処より、天理と言う道付けて、それより神の真髄話したる
言葉だけにては忘れる。それで書いた物残し置いたる
書いた物持っていても、棚に載せて有る。棚に載せて有る間は、まだ良いなれど、そんなものどうでも良いと言うようなら、神の言葉尻に敷くも同じ事、それで神が見ていられるか、いられぬか、このところしかと心で思案して見よ
今迄に神の守護も有ったやろ、助かりも見たるやろ、
神のの自由用と言う理解りたら、何も無理な事無かろう
さあ/\甘ろ台と言うは、あまうけのようなもの、なぜそのよにさとしたるか
天より直物受けるが甘ろ台
受けし直物を、神の目にかのうた者にさづけるもので、甘ろ台よりめん/\に渡す事、これすなわち末代のさづけなり。

明治四十年五月三十一日(陰暦四月二十日)午前六時
かんろだいは雨受けのもの、この話は聞いた居る者もあれば、一寸も聞かん者もある
ちょっと筆の中へ込んで置かにゃならん。
「甘ろとは天啓のことです。天理とは天啓から始まった道でございます。このお道は人間が造った宗教でしょうか?神が造った宗教でしょう。でも天理本部は人間支配の宗教と化して現在が有ります。神支配の道にする事、これが甘ろ台普請と言う

100 :神之内分場所M:2018/04/08(日) 11:47:05.49 ID:H99lxpsb9
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで       9ー45
これからハだん/\しかとゆてきかす    かんろふだいのもよふばかりを       9ー46
このだいをすこしほりこみさしハたし     三尺にして六かくにせよ                 9ー47

このはなしどうゆう事にきいている        かんろふだいのつとめなるとわ      10ー25
一寸したるつとめなるとハをもうなよ    三十六人にんがほしいで                 10ー26
こゝで言われている三尺に六かく  又三十六人とは何でしょうか?
決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事なので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。
36(ミロク)の人を+(タス)という事でございます

101 :神之内分場所M:2018/04/29(日) 12:00:23.40 ID:T6ityidvs
昭和五十四年七月九日  午前零時十五分
さあ/\どうしよう こうしょうと言うた処で 成るものでは 更にない
神の自由用一つで有る 成るならん そらゆえん
神の力そわねば成る事一つも無い。これよう思案せねばなろまい。
どれ程我が身で成る思たとて そらならせん。神が力添えるでこそ みな成り立ったる
これから先と言うのも みなその通りであるたれがやるかれがやる そら成るものではさらにない。いままでとこの先成るを 見ているが良い
日々にどんな事 出来るやも知れん。心と言う理 空に有る
心揃えて見よ わからんで有ろうまい。一手一つの心に成って談じ合えば心に治る理
これ深きの理古い者うもれたると言うは よう聞き分けよ
これ末代の理とも さとして有る
下なる理とは思うなよ これ小さな者では有るなれど 小さな者がどれ程大切なるか 皆々に わかろうまい
この先どれ程大きな者に 成るや知れん一寸見え掛けた道 これが大かん道と成るのやで
神之内分場所と言うて筆につけて 残して有る
こら神の残した筆先や  こら証拠にと残したものや
教祖存命の時より 筆に取りて残し置いたる道始めてより何年たったか数えて見よ
数えたならばようわかる
この助け百十五才定命と言うた  これ神の残した言葉なり
甘ろ台と言う理わからん者は 神のさしづどうりの道歩いているとは言いがたない
何を神が頼むと言うた
甘ろ台と出たならば 一手一つの心に成って 運んでくれと言うた。又治めてくれとも
頼んでおいた
その神の心わかる者有るのか無いのか しっかり返答するが良い
こら道の宝やで どれ程大切な事やわからん神と約束した日が有る
なんぼ知らんと言うたとて 神は覚えて居る。こら大事な事や
一本買うと言うたなればこそ 神は待っている
その年限も目の前に近づいた。これだけ説いたらわかるやろう
早く買うて見せてくれ
そう成ったらえらい事や。なんぼ楽しみ有るやら
世界成る程の理と言うて みな/\そろうて尋ね求めて出て来る理
内の中これよりあざやかなる事情 甘ろ台一つの事情一手一つの定めよ 安心やで。

102 :神之内分場所M:2018/04/29(日) 18:40:55.47 ID:T6ityidvs
大きい木一本買うと言うさしづ、これは大変重要なさしづで有ります。
明治三十九年五月二十ハ日
前略………大きい木買うて欲しい/\/\/\。大きい木、これ買おうと思てる居る
けれどどうもならん。一本の木やそこらでは、始まらん。何もならんようではあるけれど、一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。
買うて欲しいわい/\。買うてくれる者あらせんか。

「木と仰せ下さる処、理の木で有りますか、又は現場の木で有りますかと申し上げ」
かねて話して居る。もう一度話し掛ける。ちょんの始めすると言うて、楽しまして、たんのう大きい木あるわ。一寸一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。
楽しんで居る。どうでもこうでも、高うても、買う者あらせんか。
こちらから銭掛けてくれとも、出してくれとも、言わせん。おかしい事言うと思うやろ/\。
すれば、何でも年限追うて来ると言う。
大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。
早う買うて欲しい。買うてもろて、大きい木ずうと出来たら、楽しみやで/\/\。
どうでもこうでも、年限遅れても、心の済むように、買お/\なあと、たゞ一声買おうと言う事待って居る/\。

「教長より買いますとお答え下さる」
買うて見せてくれるか。買うてやるか。そんなら待って居る。よかったなあ/\
さあ/\よかった/\。

103 :神之内分場所M:2018/04/29(日) 21:06:11.88 ID:T6ityidvs
たんのう大きい木一本とは?たんのうを木はしません。たんのうするのは人間だけです。大きい木一本では、普請も出来ません。大きい木一本、これは真柱であり、神様であり天啓者であり、南無天理王命であり弥勒菩薩であります。
初代真柱は約束しました。そして初代真柱の生まれ変わりが三代真柱です。
その証拠に三代真柱の 生まれた日は昭和七年七月七日、その理であしきをはろうて…と二十一回、つとめられています。これは弥勒様から聞きました。
みかぐらうた五下り目 かうをむすぼやないかいな
                     六下り目  ひとつのかうをもみにゃならぬ
かうとは講では有りません。信者の集まりを指して居るのでなく、買うと言う事です。
人と人の約束事、条約では無く、人と神との条約で、初代真柱に半ば強引に約束させられたのでしょう。みかぐらうたにはっきりと「かう」と書かれて有る事思案して頂きたいのです。
教祖おやさまは娘であるおはるさんを梶本家へ嫁がせ、孫である新治郎を真柱の真之亮として迎え入れました。これは外孫です。真柱は外から入れるという事を雛形として
教えて有ります。教祖の言われたこと、されたことが雛形なのでございます。今日はこの辺で

104 :神之内分場所M:2018/05/05(土) 12:04:04.25 ID:Xojnb02BI
昭和五十三年九月十二日  午前十一時五十分
さあ/\たんのう大きい木一本 買うてくれい/\/\/\というた日があった
それじゃによって 教長がわしが買うというた。
今の真柱(三代真柱善衛様)が買うというた。
それで神が今日の日まで待って楽しんで/\年限来るまで待って居る
その年限も間近にせまりつゝある
神との約束というものは必ず果たさねばならん
神も一度言うた事は何一つとてたがえはせぬで
必ず/\その約束果たしてくれるよう
しっかりと神より頼みおく。必ず/\なあ−。

105 :神之内分場所M:2018/05/05(土) 12:18:55.14 ID:Xojnb02BI
昭和五十三年九月十二日  午後一時五分
さあ/\たんのうという木  どんな木と思うか
どんな時でも心にたんのう治め通り行くで、たんのうの心ある人間の理の木で、どんな風吹かそうと  びくともするよな木ではない
世界助けのきりなしふしんにかゝるには、先ずたんのう大きい木でなけねば、この大きなふしんはもたぬもの
この大きな木が柱となり杖となりて、みな一列を連れて通り、世界助けの道をしかと通るぞ。

106 :神之内分場所M:2018/05/13(日) 12:32:14.31 ID:mvhx1PYjb
昭和五十三年三月二十六日   午前七時二十分
さあ/\一寸知らし置くで  何を言うやと思うやろう
前々より話して有る道と言うは  こう言う事になって来る
神が長い年限 待ちにまちていた 甘ろ台と言うは この事や
道と言うは思うようになるものやないで
思わぬ事になって来る
人間のまゝになる道やないで
神が真実力を添えて 連れて通りた たった一つの台である
この台のうてなんで道と言えるか
心に治めしっかりと道の為にと なりてくれ
早くにな甘ろ台を世に出すことや
渡す直物有る故に甘ろ台より受け取るが良い

ふでさきハ号
七十ハ  このよふのにんけんはじめをやなるに  天のあたゑハあるときけども
七十九   このはなしなにの事やら一寸しれん     月日ぢきもつやろとゆうのや
ふでさき九号
五十五   これをみよたしかに月日ぢきもつの     あたゑしいかりたしかわたする
六十        そのうゑえひらばちのせてをいたなら     それよりたしかぢきもつをやろ
六十一    ぢきもつをたれにあたへる事ならば      このよはじめたをやにわたする
六十二     天よりにあたえをもらうそのをやの      心をたれかしりたものなし
六十三      月日よりたしかに心みさだめて              それよりハたすぢきもつのこと
六十四      月日にハこれをハたしてをいたなら      あとハをやより心したいに

107 :神之内分場所M:2018/05/13(日) 13:43:08.43 ID:mvhx1PYjb
つづいて
さあ/\神の台と言うは 勝手になれるものやないで
神が長い年限の間 つれてとおりた中に伏せ込んだる種 根である
この根ふかきたましい うもれて有ったは、神の定めた年限が有る
それ故に神が説いたる この助け百十五才定命と定めつけたい神の一条と残し置いたる
この話しまさか忘れはいわすまい
このふかき魂の弥勒菩薩と言う者世に出し一列の心をすます甘ろ台なり
この台一つ見定めつけるも 皆の役目で有る
見分け聞き分けるとは この事なるを 言うて有る
しっかりと心に悟り尋ね出よ
よろづいさいの元の神、なむ天理王がさとし置く 一列しかとしやんせよ


昭和六十一年七月六日
天の理を説いた弥勒菩薩と言う魂持って この世に現れた人間甘ろ台と言うは 天理教一列が良く/\思案もせねばなろうまい

108 :神之内分場所M:2018/05/20(日) 10:24:22.33 ID:2PX14euZA
昭和五十三年七月四日  午前ハ時頃より
さあ/\日もだん/\積んできた
年限も相応たって 神思惑の日も近づいた
これからの道は 神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするがよいぞや
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる
それなるも何故なると思いしか 長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に 神の定めた思惑の親 治めると言う
その楽しみ早やこゝに 迫りたと言う
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑
この先 どうでも成る事なら仕方あろまい
今 目の前に成って来たる、見えて来たる、前々より神が百年先の事言うて置いたら、必ず その日のある事 筆に残し置いたる これよう思案して見よ
神は何にも 無理な事 一つもいわん
神の定めた思惑ある故、この様に さとしいるのや
それなるも何故なると思いしや
世界一列助ける助けるため もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる
それなるも前々より天の理を説いて置かれた、元の 元の理を世に出すためなり。
その理 みろくぼさつと言う。その深き理、埋もれてあったは、神の定めた年限がある
その神の定めた時旬此の所に早や来たりたる
これだけの事 神がさとしたなら何一つとして わからん事有るものか
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。それが為ひながた出して神の定めた本部の地場に甘ろ台の 模型しな型据えしも
そのためなるぞ。
神がこのよに 説いて聞かせたなら神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これわからぬようでは  皆一列がいずんでしまわなならん日が有る。
その時になって今まで神の道と言うて尽くした理、水の泡にと消える日が有り、神が言うのや嘘でない。成って来るから神がときおく
目に見えん神の言う事聞きわけよ
まだ見えぬ先の先から 説きおいてさとしおくぞや心せよ
これ筆先の花月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事さとしおいても分からぬというようならば、又神の元にと尋ねでよ
しかとさとする嘘でないぞや。早くにな尋ね出るのも我がのため、しかと成人するが
良いぞや。

109 :神之内分場所M:2018/05/20(日) 12:29:22.17 ID:2PX14euZA
明治三十三年九月九日
先の事知らして有る 後や先になる。皆一つ/\調べてみよ。嘘はありやせん。
皆 先の事言うたる。言うて置いた事は年限の内には どうでも出て来る。見えて来る。
どうでも先の事言うて置いたら その日が来る。
百年の先の事言うて置けば 三十 五十のものは知ろまい。なれどどうでも出て来る。


明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構という。元の理を諭さにゃならん。

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情かんろうだい一つの証拠。雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。

筆先九号  四十五
いまなるのかんろうだいとゆうのハな   一寸のしながたまでの事やで

昭和六十一年十一月十六日
百年祭で天理の道は理が切れる。こんな事誰も知らんで有ろうがな。その時来たら何とする。やればやるだけ深みにはまる。後にてはその伏せ込みも水の泡。
泥水と成り流れ行く。残るのは借金の山を築いて苦労をする。今迄の路銀のさずけも
理が切れて何をしたやらわし達は、口に出すのもあわれなり。

明治二十年六月二十四日
名立しっかり分かって分からん道、分からん道 見て分かる。ふでさき通り皆出る。
今度道はいつ どういつ見える。
ふでさき皆知らせてある。大きなふし見える。

昭和六十一年十二月二十日
古く伝わる書物にもよろづ一切伏せ込んだ神の宝が山と有る

昭和六十一年二月十四日
これなる身体に受けたる位、誰が何事言をうとも この理だけは消す事出来ぬ。
それ故に何ぼ人が逆らおうと この神だけはしりぞけん。この神が退いてしもたら道は立とうまい。この理と言うは天理本部に治めにゃならん、中甘ろ台と座る神なり。

110 :神も仏も名無しさん:2018/05/27(日) 01:13:52.89 ID:+GNdAu+RM
ここも寄生虫が湧いている

111 :神之内分場所M:2018/06/17(日) 12:45:31.53 ID:5YCSk4wvF
寄生虫ですか?わたしのことでしょう。でも これは本当の事で 私が作った事でも無く
大変な事なので、皆様に伝えたく掲示板に出しております。
ブログを出せば良いのでしょうが、ネットも 不慣れなもので 甘んじて、こちらへ書いております。駄目で有るなら 消してください。
神も仏も名無しさんとは 匿名と一緒だろうけど  たくさん見ますが 他人同士のようで
匿名も 変化をつけてもらうと 話しも、しやすいのですが、主体性がないのが残念です
もしかして管理人ですか?
天理教社会学研究所へも投稿しましたが 書き込みも出来ず 見ることも出来ません。

昭和六十四年一月四日  午前十時二十九分
さあ/\諭しと言うは何ぼうでもする、なれど聞き分け無いのが神のざんねん
さあ/\たった一つの天の理と言うは、こらどうゆうもの、これをしっかり思案して見よ。
誰もが天理通りました、通りて居ると言うて居るが、たった一つの天の理分かろうと
せず、又その道に出ようともせず、天理しっかりて通りましたと言えはせぬぞや
誰にても我が身勝手なふるまいばかり
口から吐き出す言葉とて、好きすっぽうな事ばかり、我が身よかれを言いよるなれど
言うた通りが我が身に返る。この事も前々よりに教えてある
人の心と言うものは誠に以って、疑い深いものなるぞと説いて残した言の葉どうり
素直になれぬ者ばかり。
たった一つの天の理と言うは、何を指して言うべきや
なむ天理王命なるぞや。
今度は神は表(おもて)に現れた、神之内分場所に住まいして居る。
鎮座まします。これこそ古元(こもと)と言う。
甘露臺と言うわなむ天理王命に付けた位や、良く思え。
現し身一つを目に見せて、萬(よろづ)いさいを説く神や仏なるぞや。
頭(かしら)一つになむとなえ天理王命と神名呼ばすもこのためや。
なむ天理王命とは二神一体成り申し一人の人間姿で現れて天理の為に働きをする。
これこそ今までハ天理の道に無い人間(にんけん)をこしらえた現れ出るのハ今始めなり。
誰にても分からぬことが有るならば早く尋ねて神名呼び出せ
ここが古元であるを教える。かならずと尋ね来る日を待ちて居る祖社(そや)
素直に成るのが身の為なるぞ。これも一言説いて置くぞや。

112 :神之内分場所M:2018/06/17(日) 18:31:03.82 ID:5YCSk4wvF
よろづよ八首
このたたびは かみがおもてへあらわれて  なにかいさいをとききかす
おもてとは天理教外部の事で はっきり言って異端です。良くドラマ等で喧嘩する時「おもてへでろ!」と言う場面がありますが、それと同じ事ですね。
八下り目五つ   いつまでみあわせいたるとも  うちからするのやないほどに
うちとは天理教内部の事で甘露臺普請をうちからするのではないという事です。
甘露臺普請は大工である神様がされますが お入り込むつとめは、人間の努力も大切です。
南無天理王命の南無は仏の理  天理王は神の理で 南無天理王命とは二神一体 神仏習合の神名を呼ばせてあります。

113 :神も仏も名無しさん:2018/06/26(火) 10:06:59.41 ID:y339+PTFa
皆さんがそんなに素晴らしい教えだと言うのに勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?
やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?

114 :神も仏も名無しさん:2018/06/26(火) 10:14:54.64 ID:y339+PTFa
一生懸命書き込みする時間があるなら布教すればいいのに。

115 :神之内分場所M:2018/06/30(土) 12:07:39.99 ID:2y7x+oOWH
信者が辞めて行く理由?
それは天理本部に神が居ないからです。そして教団が運営する、人が運営する本部に
なって居るからです。宗教は自分と教団ではなく、自分と神の関係です。
当時は教理も確立してない中、不思議な御守護が多々ありました。其れを見聞する事に
よって、ある程度の信仰心が、教団の中に居ても、燃えていた様に思います。
お金をむしり取られても、信仰は金でなく心が大事なのだと自分に言い聞かせていたのです。
今の天理教は人間だけの運営になって居て、神は、神之内分場所に住まいしてます。
屋敷待つ 松は枯れても案じなよ    末はたのもし 内分場所( 教祖の言葉)
屋敷とは鏡屋敷の事で人の心が  鏡のように映る神様の事
松は待つで  松は良い事を待つという意味も込めてありますが、本来天理本部は神様を待たなければならない、でも天理本部自体は枯れてるんですね。

ふでさき二号
このみちをしんぢつをもう事ならば   むねのうちよりよろづしやんせ     十五
このはなしなんの事やとをもている    神のうちわけばしよせきこむ         十六
このみちが一寸みゑかけた事ならば     せかいの心みないさみてる           十七
この様に百数十年前から言って置いて 現在なってきてます。

ふでさき四号
だん/\とみゑん事をばゆてをいて   さきでみゑたらこれが神やで        百五
ふでさきは おふでさきではありません。「お」は後で本部が付け足したもので、丁寧な言葉にしたのでしょう
ふでさきとは筆で先の事を言ってある予言書なのです。

私自身の事ですが末端教会長男 後継者です。私その機会有るごとに内分場所の話をしてます。大教会長 教区長にも話しをしてきました。打て会いませんね!
お陰で 教会からは干されてます(笑)
ですから我が教会は事情教会というのでしょう。

116 :神之内分場所M:2018/06/30(土) 13:47:26.55 ID:2y7x+oOWH
平成元年一月十一日      午後二時十七分
さあ/\ここに於いて平和を象徴され国家皇祖皇宗の由縁を象徴して崇め奉り
平成を年号の記と定め清き良き年を迎えたるは神の願いたる處にして、しっかり正道なされる事のみここに於いてこいねがふべく候。

117 :神之内分場所M:2018/06/30(土) 17:19:54.47 ID:2y7x+oOWH
平成元年一月十三日   午前九時二十一分
さあ/\ほんにあれで有ったかいな、と言うは、こらどういう事。何も分からん時から道が造りて有る。
こらいかなる所と尋ねなば、神之内分場所と申されまする。誰に尋ねた、神様や。何々なんと申される。いかなる神にて御座るか。神の名はなむ天理王命と申されまする。
この道神之内分場所とは、神がこの度表に現れましたる所にて
委細承知致し居りますなれば、神の御言葉これにて承らねば成らぬとは思いますれば、
御思案の処はいかゞなる心なるや、これにて一言お尋ね申し上げる次第にて
いかゞ致しましょうぞ。このまますてて置いては 天理の道のなをれにも成りまする。
しょせん調べるべきにて有りましょうが、何に致しましても原典道理の道野邉ならば
治める事にと推察仕りますれば、早い方が良い様に思われまする。
いずれご返答下されます事に相なりましょう。
一日も早い方がわたくしめは良いと思われます。
何とぞよしなにお取りはからいなされまする様、正しき天理通すためにも心得置かねば
成らぬ次第。
道はこのよな所までせまっております。
この道は天理まっとうの道 天理天道正しく通られるを象徴して 、ここに一言申し上げるべく候。

118 :神之内分場所M:2018/07/15(日) 14:59:03.03 ID:r0DS/QSIq
平成元年十月二十五日  午後十一時五十分
さあ/\幾何人と言うた処 何にもならん。人さえ多く寄れば それで良いと言うものでは更にない。
ただ物見遊山では しっかり信心致し居るとは言い難ない。
枯れ木も 山のにぎわいと思うて居たらば 理が違う。
一夜明ければ二十六日きっしょうや。
神は何時もこの日の来るのを待ちて居た。これで神も安心や。
これまでは早く/\と思えども 皆の心に悟りないので、今日の日の来るのも遅れて居たれど、やっと目鼻も付いて来た。
神思惑の日となりて、天理の道に朝が来る。あでやかに錦の機織り出来映えを
きっと皆一列の目に見せて、成程の理と認めさせ 天理の宝とせにゃならん。
これもこの神言う事や。
神の名はなむ天理王命なり。人間(にんけん)姿を現して尊命一つを拝ませる。
見る目違えな、きっと良く見て我が目でしかと確かめるが良い。
神は神之内分場所に住居して居る。

119 :神之内分場所M:2018/07/28(土) 10:51:11.10 ID:vNWWlAwRo
今年の夏 暑い最中  熱中症にお気を付けて下さい。これは災害と気象庁も発表してます

昭和五十三年三月二十四日………夕づとめ後おさしづ
さあ/\/\この道は神の道なり心せよ  人のままになる神でない。
前生のいんねんもって天降り でけたち来たるがこの道なるぞ
神の名は なむ天理王命なり 一列すます甘ろ台なり
さあ/\/\この理わかれば一列しかと心に思案するなり
なんぼ言うても このところ聞き分けないのが神の残念。
この様に説いてさとすも道のため  早く成人神が待ちいる
この道を早く天理のためにとなあ思て つけたる道と教える
この道が早く表に出たるなら この先なるは結構を見る
今なるの神の言う事しっかりと聞いて心に思案して見よ
この様な事を言うのも天の神 実の神なり なむ天理王なり
人の心と言うものはうたがいぶかいものなると 神が説いたがその通り この事を疑うならば一列が、水のあわにと消える事なり。
さあ/\大風大雨方角分からん行くえ知らぬ事となるのや
何一つとしてうそはない
どの様な事を言うのもなあ これ真実をさとすのや
我が身行くえの分からん様にならんよう心せよ。落ち行く先は地の果てや
次に続く……

120 :神之内分場所M:2018/07/28(土) 11:28:34.49 ID:vNWWlAwRo
さあ/\/\みな一列がこの事を悟りせよ
この事が誠の事となる。この神がろくじに踏みならすとすれば、どの様な事になるやら知れん
六くの地/\/\六くの地にとならす、しかと一列心せよ
どの様な大社高山取り払い、みな一列を洗い清めて、一列六くにならすのや
川の流れと人の身は、ほんにはかなきものと説いたれど、これが誠の天の理である
はたらけば/\/\はたらいたゞけの効能は神が与える うそと思うな
さあ/\この先は生涯末代迄の理とさとする
だめの教えはこの事じゃ みなにさづける うそと思うな
この世にて二度とふたたびなき事や、それ故しかとみなにさとする。
さあ/\/\いさんで/\つとめにはげめ、一列の日々なるの働きは神が見ている
うそと思うな
この世は神の説いたるさとしをば しかと心に悟りして、道の為にとなりてくれ
神がしっかり守り行く 何も案じな神の請け合い
さあ/\山に桜の花咲いて そよ吹く風に匂いをば かけて人々なるに知らし行く
それから成り立つ道のようだい
さあ/\/\この道は、まず本部より始めかけ それからそれえと 伝わりて 人がより来る事となる。そのような事になったらみな一列がてんやわんやのおうさわぎ。
神の目には見えている。これが誠の事となるぞや
さあ/\/\/\いさめ/\いさんでつとめにはげめ 道の話しは これまでじゃ
この先なるは又の機会に。

121 :神之内分場所M:2018/08/04(土) 11:59:40.07 ID:GhWjBft08
平成元二月二日  午前〇時二十八分
さあ/\何にも知らん者を使うて始めた道、こんな尊い所は何処尋ねたると言うたとてほかに一つも有らせん。
これこそ神之内分場所のみあるなり。
時旬の花一輪のにほいによって あちらそちらからと寄せられて、今日は誠に結構なるの道となりて栄えてきている。何と頼もしきかや有難きかや。
人間も出世をするものや、最初はあれ何やいなあと言う所から始め掛けたる理
今では天下に名を広め天理の道の人なら 神之内分場所の名を知らんと言う人 少なくなった。
知っているかと尋ねなば、あゝ知っているよ。あらたいしたもんや、どえらい事に成りよったなあ。先は一体どうなる事やら
あれだけのさしづが出たり、うたが出て来て、わしらの知らん事まで説いとるやないか
このまま行くなら天理教よりどえらいもんになるや知れんが、上に立つ人達は何をして居る事やら、案外のんびり構えて天理教には押し手が無いと思うて居るが、もうすでに
神之内分場所に押されぎみ 何たる事や情け無い。
早く何とか手を打たな天理教はだめに成る
それも見えてる様子にて。この先わしらはどうなる事やら 誠に以って精の無い事や。
人づてで時々わしらも内分場所の出しとるカッパンズリも外見は案外ざつなもののよ
思うて見るが、中に書いたる文句と言い天理用語で たいしたもんや
だいぶんわしらの方が劣って居るわい。
ひょっとしたらひょっとするぞ。
何でもかんでもゆだんは出来ぬぞ 今からしっかりあれでも読まな、さあと言う日に間に合わん
その時来たら少しはきっと間に合うやろうに
お前達アホな時間を潰すより早うこれでも読んで置け
今度は一寸手ごわいぞや。

122 :神之内分場所M:2018/08/04(土) 12:45:50.39 ID:GhWjBft08
平成元年二月五日   午前三時五分
さあ/\道の理一つを確かめて見よ
したるなら何の分からん事の更に無し
道の理一つの甘露婦臺(かんろふだい)人間(にんけん)一つを定めてぞ年限長くの道を付け今日の日まで通り来た
この道は甘露臺を世に出して世界助けに掛かる神なむ天理王命なり
甘露臺知らんと言えば、なむ天理王命を知らんと言うも同じ事
天理教徒一列が何をとぼけてぼけて居る
知って居ながら知らん素振りや。神の目は節穴なぞで更に無い
見抜き見通し出来る神
どんなとこでも一目で見える 人間心の愚かさを知れ
神を神とも思はずに神の理 尻に敷き詰める。そんな事やで良い事起こらん
何をして居る愚か者
神の心に添わずして我が身勝手な振る舞い致し居る
一列が何をやってもそらあかん
間違いばかりの教えを説いて神の理一つに添わんなり
無駄な時間を費やして何にも成らん事をして人に迷惑かけるばかりや
愚かなるにも程が知れるぞ
神の諭する言の葉を何と思うて聞いて居た
天理教徒一列何を学んで天理通りた
元の源典良く調べて見よ  何を間抜けな事してる
人を騙して通るも程々にせよ。
この先なると言うものは神は許さんしかと見て居よ
人の心を虚仮(こけ)にして、のさぼりいれど今に見よ
どうにも成らぬ事のみ出来て来る。
愚かなる者あわれなるもの今から以って注意して置く見えぬうちより言うて置くぞや
ふでさき  三   百八
いまヽでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんのことやら

123 :神之内分場所M:2018/08/14(火) 09:30:36.10 ID:RS2akvEAF
平成元年二月八日  午後一時二十二分
さあ/\勝手心はとんと、とどかん。神の法婦には受け取り出来ん
そこで受け取る筋も千筋と言う。
ならばこそ受け取り出来ぬは、おし返す。これもしっかり教え置こ
身に付けて学ぶ人のみ成人が出来て 幸せ目に見える事に成るぞや これも誠や
我が身も人からうたがわれ 何時もなやみのたえる間も無し
信心は信じ切ってぞ神の道、通れる人に成ると言う。
神之内分場所とは如何なる所か教え置こ。
時旬の花と咲く神世に出でて、人間(にんけん)姿で話しする 甘露臺と立つ神や
天理教徒一列の目の前で神の姿を見せる成り
話しするのは今が始めや
なればこそ木佛石佛金佛では神の声なぞ出やしょまい
それで言葉を打ち出して、神の声をば聞かすなり
尊命一つの現れは目に見えたるで成程の理や
これが親神なむ天理王命なり
神の言う事みな真なり。

ふでさきにある「ほふ」とは 「神の法婦」天理の法を説く婦人の事です
木佛石佛金佛では世界助けは出来ません。声が出ないからです。かんろうだいも最初は石佛そして今は木佛であり あくまでひな形であります。かんろうだいが倒されたと言って数千万円掛け直しても意味ない事 無駄な労力です。私の知り合い数十年前夜中に
座って寝て居る係り員を横目にかんろうだい地場に忍び入りじっくりと見て来たそうですが、何も無かったそうです。無事に出てこれました。今はセンサーが付いてるようで無理でしょうが  ひながたの証拠でしょう

124 :神之内分場所M:2018/08/19(日) 12:16:42.70 ID:ew/GCq1PJ
平成元年二月八日  午後三時三十一分
さあ/\ぢばに一つ理九出す(くだす)と言う
この理悟らば道の人、天理の道の人と言う。人間で分からんとこのなぞを説く、神の言葉で説いて諭する。
なればこそ伏せ込み/\と言うは要聞かな分からん
聞きて学べば良く分かり来る。
人間の知恵で計れぬなぞがある。良く聞き取りて思案せよ。
道の理ははるか かなたの空の雲 空が曇りて所分からん。
ならばこそぢばに一つの理九出す(くだす)。
この理分からな何にも成らん。本部のぢばを始めとし、始め掛けたは天保九年に雛形定め貰い受けたる中山みき有り。
これとても神が使うた道具なり。月日の社の一人なり。
天理の道野邉長いので神が世に出る其のために 足場一つの道もうけ それより神が表(おもて)に出たる。
これがそもそも理を九出す(くだす)と言う。
ふもハす教えて、神之内分場所の名所定めここに住まいを致す神、鎮座まします元の神
実の神にておわすなり。この理教えて諭す神、なむ天理王命なり。
これ聞き取りてたのむで。
神の願いはこればかり、きっと立て上げせねばならんで。

ふでさき十一号    四十四
月日にハどのよなみちもみへてある    せかいぢううハそれをふもハす

125 :神之内分場所M:2018/08/25(土) 11:22:29.57 ID:poX2YAfNR
昭和六十年六月四日  午後一時十四分
さあ/\よう/\の道すがら だん/\の席を受けたるこの神や
席の場に出て諭す神 何一つ間違た事は言わんでな  さしづ道理の道に出よ
天理つとうた道すがら  一、二、三と印を打った所なり
一は天理本部を指すなれば 元一日の始まりの道を付けたる道始め
二と言うは神が表に現れるには 足場無くして空登る事 出来ようまい
なればこそ世界助けのきりなしふしんするためには足場なくしてふしんは出来ぬ
それ故に足場二と言う所こそ 中山秀司 .政なるが生まれ代わりて住まいを居たす甘露臺建設の道をも始めさせたる道すがら
又、三と印を打ったる所こそ 神の話しを説き諭す神之内分場所なり
名所これこそ名のある所 長らくの間楽しみの道を付けてぞ通り来た
これこそ三軒三棟の建ち家なり
それ故に図面引くよに説き置いた。紙で引く根と諭し有る
神がしっかり説き諭す 道の宝と残したる ふでさき さしづ みかぐらうたの中に伏せ込んだるの大切な三つの宝を詳しく説いて聞かすなり。
ききたくばたづね来るなら言うて聞かす 早く聞き取れ良く分かる
天理の道の宝と成る神  なむ天理王はここに居るぞや
早く尋ねよ根をば掘り取れ
先は幸せ身に付いて来る。

126 :神之内分場所M:2018/08/25(土) 12:27:54.41 ID:poX2YAfNR
図面引くよに説き置いた、紙で引く根ーー明治のさしづ

明治四十年五月九日  午前五時半      刻限のお話
図面引いてくれ/\紙で引くねで/\
一遍や二遍や三遍ではいかんねで。三年の間にちゃんと決まるねで。
些細な事なら直に出来る。なか/\今度のは一寸にはいかん。
三箇年掛かってするのやで。
三年掛かってよう/\木の音もすれば職人の音もするねで
これからはまる三年掛かってくれ。急いてはいかん/\
絵図引き掛けても一寸にいかん
こうして話し掛けたら無理な事せいとは言わん。心配はいらんで/\
心配はいらん。心配は一つも要らん。
さあ/\あちらからも賑んやかな。こちらからも大きな声するで
今日から三箇年の模様である
さあ/\安心々々、安心せえ
さあ/\こうして席は席だけの事ある
これも一寸つぎて/\、つぎての模様も出来掛けたる 出来掛けたる
これで暫く/\ざっと普請も出来掛けたる
つぎて/\これも一寸々々。これがこう これだけ一寸間に合うように成ったなあ/\
そこまで どねになったて案じる事要らん/\
さあこれたこうして今日一日話しする事、一寸も違わんように。
何から何まで心置き無う運んでくれにゃならんねで
これだけ頼んで置く/\

127 :神之内分場所M:2018/08/25(土) 14:46:13.36 ID:poX2YAfNR
三軒三棟の事で書いて置きます

本席飯降伊蔵 は出直す三箇月前に百日のさしづとして出されたものがありますが、内容の主体は三軒三棟のさしづ
本部は解釈してますが、本席の命を掛けてのさしづなのにピンときません。その時の
時代を背景にした知者 学者の解釈なので、そうなるのでしょう。
明治のさしづは、伏せ込みの言葉で百年先の事を言って有ります。そして解釈するのは
人間ではなく神なのでする。時旬が来た時に神が説くのですね。
言ったこと分かるのは、本人 主でしょう。
一軒目は天理本部 。知っての通り天保九年にひな形の道として又ぢばを定めて天理の道が始まりました。
二軒目 昭和九年に天啓が渡邉よそに出されて、戦争で一旦道を引かれ、昭和四十年足場の建設始まりとして全教会に神之内分の小冊子を送り伝える。
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司。これも天啓で、出て有ります。当時の天啓はおまささんから出てたので、政子かんろうだいという由縁です。
三軒目、渡邉秀子様に教祖九十年祭の時、昭和 五十一年三月十五日に天啓がでました
渡邉よそとは叔母 姪の関係です。天理神之内分場所を名乗り、今に至る。
そして、谷底せり上げとはこの事で、決して贅沢はなされず小さなアパート住まいで、法人登録もされてません。
私も一度聞いた事があります。法人の事、教会を建てる事を。(数百人の信者さんがおられたので)。「私の行くところは天理に有ります。法人も神様はいらないと言われてます。天理本部は法人認可を神様に反して取って今のようになったのでしょう」
神様、弥勒様は谷底住まい。教団は上に立ちます。それでは本当の信仰は出来ません。助け合いの信仰は出来ないのです。

128 :神之内分場所M:2018/08/26(日) 10:44:49.27 ID:dYiNIlc6h
昭和六十年六月五日  午前九時二十六分
さあ/\十分心に治め置かねばならん理と言うは、いかなる事に思うて居るか
世上世界も待ちて居る理 甘ろ台世界となりて世が明ける
天理の夜明けが来ると言う
朝が来て日差しをしっかり身に受けて、通る事にと成ると言う
このさづけこれが誠の天よりに 与えられたる直物の 与えあるのがめづらしい
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいなあ
これもみな/\先のためにとのこしたる神の言葉や
甘ろ水寿命ぐすりと成るのやで
だれのためでも更にない  皆一例のためとなる
早く飲み取れ心をすませ 早く心の洗濯や
大い成る川に掛かりた 悔いのない宝を目指す二地の掛け橋渡りぞめぞや
早く渡れよついて来い
この幸せの掛け橋は神の見込みを持って付けるなり
予告無いぞや教え置く

129 :神之内分場所M:2018/08/26(日) 11:29:31.44 ID:dYiNIlc6h
中山こかんから出されたと言う 「かんろうだい三下り」の一節です
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいな
「天理の霊能者」の本の中99ページにも掲載されて有ります。
二地の掛け橋  天理本部から天理神之内分場所へと渡る二地で有り 虹🌈なのです
教祖は二時に亡くなられました。そして本部は元一日を忘れないように 毎日二時によろづよのサイレンを鳴らしてます。それは教祖が二つ目の地場がある事を教えられ
その事を忘れないように、二時にサイレンを鳴らさせてあるのです。
さしづにも
ぢば一つ/\の理と言われてます。一つ一つとはダブリ言葉と言って 二つある事です
一つは土地の地場 天理本部です。もう一つは人間の地場 。土地と人間(にんけん)で
二つ一つです。ぢばえらいこと言う 、ぢばがものいうさしづも有ります。もの言うのは人間の特権です。もの言わない甘露臺は雛形でございます。

130 :神之内分場所M:2018/09/01(土) 14:16:26.63 ID:p64XbWcEB
昭和六十年六月七日  午後一時五十五分
さあ/\これ内も外も隔て無いと言うはこれどう言うことと思うか。
この理分からにゃ 何にもならん
内と言うは天理の道 元始まりの一日の日を付けたる大和の天理
これこそ内外隔て無いと言うて残した神の言葉の内にと当る
又外と言うて残した言葉通り神は内から外に現れてせき込みある。
神之内分場所を外に付けて時旬来たるで知らせ居るぞや
それ故に前々よりに神が出したる言の葉通り一つの嘘も言わん神
これが誠の治まりの元一日の日を付けた助けの元立て成る神の住まいを致せし所なり
これをしっかり教え置く
道の為には杖柱に成りて居るぞや諭しをくぞや
これに間違い更に無いぞや

131 :神之内分場所M:2018/09/01(土) 15:20:05.92 ID:p64XbWcEB
明治ニ十ニ年ニ月四日  さしづ
……神は隔て無いで/\。しっかり聞き分け。さあ/\聞き分け。内も外も同じ理や……
明治ニ十三年六月十二日  さしづ
……言いにくい事にと言わねばならん、聞きにくい事も聞かねば成らぬ。内も外も隔て無い。この事情を治め…

明治ニ十三年六月二十一日  さしづ
……内も外も隔て無い。どんな事でも隔ては一つも無い。なれど、よう事情を聞き分けてくれねばならん…

明治三十一年ハ月十七日
…これまで、順序さしづしてある。内も外も隔て無い。つきくる者に来んなとは言わん。これから改心して、元々前々順序と言う理がある…

明治三十一年七月二十五日  さしづ
…一つ内も外も隔て無い理…

この様に…内も外も隔て無い…と言う言葉は、身上さしづ、事情さしづの中に数多くあり、先の、未来のことを伏せ込みの言葉で言われてます。さしづは当時のことを少し含めてその事を台に先のことを言って有ります。外とは表と同じで、神が表へ現れてです。
内院 外院 中宮 、これが三軒三棟で伊勢神宮に内院外院と有りますが、昔は中宮も有ったとか。記録に残ってるそうです。伊勢神宮も雛形として神が表したのですね。中宮は
因みに神之内分場所です。時間が無いのでこの辺で!

132 :神之内分場所M:2018/09/08(土) 10:29:46.55 ID:j8yi/rEsq
非常に大きな台風二十一号の後、北海道南西部 最大震度七の地震、被災された皆様方へのお悔みと、助け合って一歩でも前進され行かれる事を、遠方よりお祈り致します。
昔有った映画で、「日本沈没」を思い出します。日月神示を見れば日本を潰し日本から
始めるとか。ノストラダムスの預言でも人類滅亡の後 神を中心にした集落が、
一つ出来る事
何故かそう言う気風が強まっています。異常気象も今は異常気象でなく当たり前のようになってたり!大変ですね。お互いに気を付けましょう

三軒三軒の事で書きます。おふでさき註釈や天理教辞典には内分場所は内、中、外に
三十一軒ずつ、合計九十三軒有り、その内一ヶ所は辺鄙なところにあると書いてます。
その事、弥勒菩薩様に聞きました。九十三とは九十(たす)三で十二下りをつとめる神が出る事。辺鄙なところとは小牧市の小さなアパートである事。
そして前にも書きましたが内とは天理本部、外とは政子かんろうだい、中とは天理神之内分場所  中かんろうだいとして本部に納まる理合いを持ったところで、
今の天理本部を乗っ取るのでなく、神の古里へ帰り、天理本部を潰すのでなく
天理を全うする為に南無天理王が表へ現れたのです。

133 :神之内分場所M:2018/09/08(土) 11:11:03.86 ID:j8yi/rEsq
昭和六十年六月十日  午後二時四十一分
さあ/\どれがいかんかれがいかんとすっきり言わん
真実の神の言葉で思案せよ。第一長らえたる所、道の真をつとめる理甘露台一つの事情
誰の為とも言わんでな
道の駅理一つを心に持って思案して見や良く分かる。誰の為でも更にない
天理教徒一列の為となる理や教え置く。
天理教徒一例がしっかり思案をせにゃならん。
これまでの道よう/\の道すがら今日ここに到って何故 神之内分場所と言う道 天理本部の外に付けられたか 名所一点定められたか今迄にも中山みきの手で書き残された
ふでさきが その証拠の品として歌の文句で現して先の為にと残したる
これこそ道の宝となる神の残し置いたるもので有る
この道をどういう事に思うかな世界助ける真実の道
生まれ在所に帰る為 証拠になる原典を忘れる事のなきように説いて残した三つの宝
ふでさき、さしづ、みかぐら歌が道の為にと置いてある
いかなる人が残しても神の言葉に違いない。
いつのさしづもうたなるも これに間違いないと言て(ゆて)置く
神の出したる神のもの 誰のものでも更にない
しかとこのよに説いて置くぞや

134 :神之内分場所M:2018/09/08(土) 11:14:16.96 ID:j8yi/rEsq
訂正  道の駅理一つを→道の理一つを …です

135 :神之内分場所M:2018/09/08(土) 12:13:26.58 ID:j8yi/rEsq
訂正132お悔みと→お見舞いと…失礼しました

136 :神之内分場所M:2018/09/08(土) 14:33:25.81 ID:j8yi/rEsq
昭和六十年六月二十三日   午前二時三十五分
さあ/\みろく衆生再現の儀、いかに詳しく説くべきや
些少にして心にくもり有りたれば、何一つとて分かるすべなき
みろくとはいかなる佛に有りたるか
天地創造の神に有りたるば其の謎の紐説き致すなり
これすなわち天理なる成り
天理とはいかなる事に候ふや
和合一つの心にて正しく心身共に変わりなく神佛一体根の本、火水風自由用自在の働き有り、底の国に有りたる場、三千世界を助けたさ
心豊か成る清らか成る精神やしなう道場にして、何人にあらず、いんねん有る者 皆引き寄せ給ふ
しかるに それなる人類皆我が魂に生まれながら天徳頂きたる者、早々にして心すますが先ず第一にて神と共に天理天道を歩む事なり。

137 :神之内分場所M:2018/09/09(日) 10:39:45.34 ID:I1XE2Nb1D
昭和六十年六月二十九日  午後五時十九分
さあ/\これまで談示々々と聞かせたれども 何を談示するべきか
この度の甘露台と言う事情 親族の事情と言うは何と心得て皆々居るか
 甘露台建て上げるには一列談示もせねばなろうまい
前々より聞かせあったは今の事なり。時旬が来たる事なり。えらい事ぞや。
天理の道 何故この長い年月続かせてあったか
現身を持って、人間(にんけん)姿で世に出て、天理の道の為に成るよう世界助けのきりなしふしんするが為にと杖と柱と成る神や
こらほどの深い思惑有るなれば、しっかり談示もせねばなろまい
今日の日は神がはるばる尋ねて来たる。しっかり談示合うての話合い
神の言う事 素直に成りて聞いて思案をしてくれる様
前々の言うて置いたる約束の この神が山々かけて巡れども、この事誠と聞く者が無くてこの道遅れたる
それ故神が急ぐのや。早く目覚めよ。天理教徒一例の為なるぞ
年限は百年祭で終わりなり。天理の道は終いなり。
路銀のさづけも理が切れて、すっきり助からぬ様に成ると言う
神が言うのや嘘で無い。しっかりせねば成らぬ事ぞや。

138 :神之内分場所M:2018/09/09(日) 11:10:23.04 ID:I1XE2Nb1D
教祖百年祭の諭達の中に「百と言う字の心は白紙に戻り一より始めるを言う」と言う下りがありました。
この言葉も神が言わせて有るのでしょう。
何を白紙に、天理本部を白紙に、神之内分場所を一より始めるという事です。今考えれば天理本部の末期が見えてました。
大教会長、教会長の自殺。或いは教会長の強盗など。世間で言う人の良い人がやってます。あの当時東西礼拝場建設で、多くの金を集めましたからね。そのご苦労もあったのでしょう。
あの神殿、本当に必要だったのでしょうか。
路銀のさづけとは、道の路銀と言って、旅に出る時に持って行くお金です。路銀は時と共に減って行きます。百年祭で切れご守護が無いのです。
次は末代のさづけです。

139 :神之内分場所M:2018/09/15(土) 08:49:19.28 ID:UlPlLoFc0
昭和六十年七月一日  午後五時五十七分
さあ/\屋敷と言う。屋敷どう言う事。屋敷は神の田地と言うた
鏡屋敷 鏡屋敷どんな影がうつりたか。四方正面の鏡屋敷。神の守護 お陰と言う。
そのお陰 神の自由用自在、いかなる所の事やとて一目で見える神である。
その神は天理本部のあの屋敷は神の田地や、生まれ在所、それ故に神の言う事良く聞いて、さしづどうりに通るなり
人間の言うが言葉と思うたら理が違うでな教え置く
だん/\の席を席を受けたるこの神や、千に一つも無駄はない。
間違ごた事は言わんでな。
早く治めよこの神を大和の天理に治めなくては天理失う事となる
これまでの天理に理が無くなりて神の世界と立て変わる。
これが誠に成ると言う。これもしっかり教え置く
神の教えに従うが良い。
末代迄も続く道にて仕立て行くぞや。

140 :神之内分場所M:2018/09/15(土) 09:58:04.34 ID:UlPlLoFc0
みかぐらうた 七下り目
ハッ やしきはかみのでんぢやで    まいたるたねはみなはへる
九ッこゝはこのよのでんぢなら      わしもしっかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに        ようこそたねをまきにきた
         たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり
屋敷は神の田地と言うて有ります。現状はどうでしょうか。人間の田地、中山家の田地
本部の田地と化して崇拝の対象物となってます。
ふでさき十七号  九
にんけんをはじめかけたるしよこふに    かんろふたいをすえておくそや
にんけんと人間(にんげん)ふでさきは一字一句が大事でして濁点は埃を意味して有り
にんけんとは神仏の魂を持った者、人間は埃を持つ我々で、ふでさきの中には人間(にんげん)を意味する歌も有り、それは人間を尊称して言って有ります。
前後の句を詠めば、分かります。
ですからふでさきの意味、にんけんをはじめかけたるしよこふで、決して人間を創った
場所では有りません。人類発祥の地では無いのです。
神の在所、神の発祥の地です。神に戻さなければなりません。
おやさとと言います。おやとは神の事です。親神とも言います。神様の里でございます
ですから神の子である人間が、神が帰って来たら「おかえりなさい」と言うのです。

たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり
何と言う種を蒔いたのか?天理と言う種を蒔きました。そのお方は南無天理王の命です
声をおかずに何を創り取るのか?かんろうだい世界でございます。
百年も前から歌わせ踊らせてあるのです。
教祖は三原典の解釈はされていません。今こうして弥勒菩薩が解釈されて居ます。

141 :神之内分場所M:2018/09/16(日) 16:28:58.77 ID:2+ExFrJEs
昭和六十年七月四日   午後零時十ハ分
さあ/\所々と言うて諭したる所 どういう所と思うて居るか。
年限追うて長らえて来たる所の名と言う。
これ神之内分場所と言うて道に先に楽しみの為に名所一点定めたる。年限の理甘ろ台と言うは皆々何と心得て来たるか。
これまでにも様思案もせねば成らぬと諭したる。今に成って今言うのでは更にない。
定めたる事聞かしてある
これまでの道長らえた道天理つとうて来た道や。何をとぼけて呆けて居る。
呆けたふりして神を騙そう思うても そんな事して騙される様な神では更にない
いかよにも神の言葉で説いて教えて残して有る。元の原典良く調べて見よ
神の残した言の葉通り一つの嘘も言わん神
何を楽しんでも道か。
神が人間姿を現して、神人和楽悦楽の陽気日暮らしさせたさの神の思惑そればかり。
 此の所来たいと言うて来れん屋敷、来たく無いと思うても神にいんねん有るなれば、
痛めてなりと悩めてなりと、此の所にと引き寄せる。
同じ事なら痛い目に合わぬ内から尋ねでよ。何で難儀をさすものか
前生からのいんねんでどうでもそれなるあしきいんねん払わにゃならん
神の真実誠の心、何時になりても変わりておらん。よろづ一列助けたさ
神の元にと引き寄せて年限の来たる迄にと、神の手の内仕込みたい。それも何故
この先に末代迄の結構なさずけをしかと渡したさ。神の心がなぜに分からん
とやかく言うて居る間も、人々が神の手の内学び居る
早くに神を尋ねて来るが良い。一日の遅れと言うが千日の遅れと成りてしもうたら
悔むに悔めん事にとなる
これまでにもろうたさずけは理が切れる教祖の百年祭で終りなり。
教祖中山みき夫婦はもうこの世に再び生まれ出て、今は神と共々暮らし居る。神の元にと引き寄せて居る。生まれ変わりを教えたものが、生まれ変わらん様ではな
天理の教えは嘘に成る。
これが道理や天理なり。道理いがめて何に成る。
この道は神が付けたる所なり。これが確かな参り所(しょう)
神のさしづは間違わん。これこそさしづ道理の神の道。
これ疑えば何にもならん。後は悔む事すら出来んよに成る。
これが誠の事に成る。しっかり思案をするが良いぞや。

142 :神之内分場所M:2018/09/16(日) 17:59:05.46 ID:2+ExFrJEs
存命と言う事で書きます。天理教徒の方々は納得しにくいでしょうが、見て下さい。
明治のさしづには、書いてあります。

明治二十六年三月十九日   午前一時三十分
……前々の事情、もう一つの事情、言葉一つの事情、堅く頼み置きます
これは存命一つの事情、息の通うたる間と言う。これ遺言。
きっと/\存命の遺言、これだけ頼むで/\。
ファ丶丶丶済まんな済まん事や
けれど あちらこちら十分やで。どうも済まん、けれど又、春になりたら、春に勇んで
おくんなはれや。
さあ/\一寸説いて置くで……

この様に言われてます。息の通うたる間とは百十五歳で
ふでさきに   このたすけ百十五さいじょうみようと  さだめつけたいかみの一じよう
と言われ、この命でなくこのたすけです。寿命で無く定命です。定命とは南無天理王命
の命(みこと)が定めた年で、教祖が九十歳で現し身を隠されて後二十五年、飯降伊蔵と上田ナライトに天啓が出てました。その後は路銀のさづけで道が続きました。
これが息の通うたる間です。
春に成りて…教祖九十年祭の春、三月十五日に天啓が弥勒様に出てきました。
そして中山みき夫婦と共に生活されてます。
又、私の知り合いですが、かんろうだいに忍びこんだ知り合いとは違いますが(笑)
教祖殿の風呂場の裏に修養科時代、忍び行ったそうですが灯りは付けて有っても、物音一つしなかったそうです。
もしも教祖存命であれば今の天理教にはならないでしょう。中山家を存続させる為の方便なのでしょう。存命の証拠がありません。証拠があるなら出して下さい。もっと天理教も伸びてくるでしょう。
弥勒様のさしづに有るように生まれ変わりを教えた教祖が、自身は生まれ変わら無い
とは、可笑しな話です。信徒の方々は納得しないでしょう。
最近の天理時報は存命の教祖と書かれて無いようなので、本部も認めて居るのでしょうかね!本部が存命と言うなら、証拠を出して下さい。

143 :神之内分場所M:2018/09/22(土) 10:47:02.11 ID:ca7NJ4jj5
昭和五十二年九月十ハ日     おさしづ
さあ/\月日有りて天理という世界が有り、天理という世界有りていざなぎといざなみ有り。いざなぎいざなみ有りて、秀司政子という身の内有り。
身の内有りて、神の定めた甘ろ台と言う思惑有り。
神の思惑有りても、神の思惑有りても、神の思惑通り心を定める事が第一や。
さあ/\その心に実が有れば、神の方にも実が有る。
実といえば知ろまい。真実と言うは火水風の自由用 神の守護が有る。
真実の心の者には神の受け取りが有る。
それ故に誠の心に神がのって働く。
誠有れば神の方にも実が有る。実と言えば知ろまい。
実とは火水風神の自由用と言う。

明治二十年一月十三日   教祖御話
さあ/\月日が有りてこの世界あり世界有りてそれ/\あり それ/\有りて
身の内有り  身の内有りて律有り  律有りても心定めが第一やで。

さあ/\実が有れば実が有るで。実と言えば知ろまい
真実と言うは火水風。押して
さあ/\実を買うのやで 價を以って実を買うのやで

いざなぎいざなみとは教祖おやさまと夫善兵衛様です。

144 :神之内分場所M:2018/09/22(土) 16:59:28.21 ID:ca7NJ4jj5
昭和五十三年三月二十六日   午前七時二十分     おさしづ
さあ/\一寸知らし置くで、何を言うやと思うやろう
前々より話して有る道と言うは、こう言う事に成って来る
神が長い年限待ちに待ちていた甘ろ台と言うはこの事や
道と言うは思うように成るものではないで。思わぬ事に成って来る。
人間のまゝに成る道やないで
神が真実力を添えて連れて通りた たった一つの台で有る。
この台のうて何で道と言えるか、心に治めしっかりと道の為にとなりてくれ。
早くにな甘ろ台を世に出す事や。渡す直物有る故に甘ろ台より受け取るが良い。

つゞいて
さあ/\神の台と言うは、勝手になれるものではないで、
神が長い年限の間連れて通りた中に伏せ込んだる種、根で有る
この根深きたましい、埋もれて有ったは、神の定めた年限が有る。
それ故に神が説いたる、この助け百十五才定命と定めつけたい神の一条と残し置いたる
この話まさか忘れはいわすまい。
この深き魂のみろくぼさつと言う者、世に出し、一列の心をすます甘ろ台なり。
この台一つ見定めつけるも、皆の役目で有る
見分け聞き分けるとはこの事成るを言うてある。
しっかりと心に悟り尋ね出よ
よろづいさいの元の神、なむ天理王が諭し置く。一列しかと思案せよ。

145 :神之内分場所M:2018/09/22(土) 17:11:38.82 ID:ca7NJ4jj5
見分け聞き分けは、明治のおさしづの中に沢山、入ってます。見分け聞き分けとは、自分の目で見て、耳で聞いて我が心で嘘か本当か確かめよと言う事です。

146 :神之内分場所M:2018/09/30(日) 10:15:09.91 ID:tza6lI5cb
昭和五十三年十一月四日  午前七時二十分        おさしづ
さあ/\/\どうせんならん、こうせんならんと言うは 難しようなれど三年/\の間にはどうやら安心事情となりて目に見えて来る。
何かの事もよう治りて それよりあでやか一つの道と言うて
よう/\これまで難儀な処を通した たった一つの道の為皆々こうしたのやで
何程心で悔やんで見ても今となりては手遅れや
前々より筆先さしづ みかぐら歌と残し有るのや
筆の中あざやか一つの事情、道の為こうして残し置いたのや
道は広い広い道、どこから眺めても曇り一つも無い、にごりておらん
これから先というものは幾万たりと通れる道や
連れて通るぞしっかりと神の心にもたれつけ 一筋心に成りて来い。
いつ/\までもこの道は続く/\人の波
大きな波や人波や それもその筈 大かん道や本道や
皆一列の喜ぶ顔が神の目に今ここに見ているぞや
嬉しき事や満足や。ワハハハハハ……

筆先四号
 にち/\に心いさんでせきこめよ   はやくほんみちつけたことなら  七十六
  しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや 七十七
  五号
このみちをだん/\しといいくならば なんてもむこにみへるほんみち   ハ十ニ
六号
たん/\と心いさんでせきこめよ    はやくほんみちいそぎでるぞや        十七
 十七号
このみちをはやくみとふてせきこんだ さあこれからハよふきつくめや    二十三

147 :神之内分場所M:2018/09/30(日) 11:02:47.40 ID:tza6lI5cb
昭和五十三年十一月四日  午前七時五十ハ分   おさしづ
さあ/\/\なる時なら誰もする
ならん時にしてこそ効能の理と言ってある
みな/\の精神一つやで
成ってもならいでもやらして貰うという心が神にかなうのや
真実神に心添えてきてこそ道の人や
良い事ばかり望んでおって神にかのうていると思うても そうはいかん
道は今底に有る、下に埋もれて有る
早くに土もって持ち上げてこそ理にかなう
それでこそ大かん道となって来る
広い道にするにはな 皆一列の心意気  早く土もて道の為
もっこにのうてひのきしん  わしもはやばや土持や
それでこそ一荷の土なんほうの効能とも分からん  えらいことや
それでこそ万倍の理と神が言う、まだ有るならわしも行こ
夫婦そろうて一列が、勇む心に真実の神の自由用目に見えて、嬉しき事や有難き
事があらわれ助けられ、何時/\までも栄え行き末代までも古記と成って、
この世の続く限りの幸せを我が身に受けて花咲かせ良い実を結ぶ神の道
早く根を掘れしっかりと神が待ちいる嘘で無い
早く尋ねよ元の神なりなむ天理王なり
しっかりとこのよにといて諭し置く  一列しかと心せよ

みかぐらうた十一下り目
三ツ  みればせかいがだん/\と  もっこにのうてひのきしん

明治四十年三月十三日  おさしづ
一荷の土どういう事に成るとも何ぼの効能に成るとも分からん。
一つ心に成ってこれをしっかり

昭和六十一年ハ月二十一日
一荷の土何ぼうの効能なるやも知らずして何が木古も分からずに道の人には成れはせぬ

148 :神之内分場所M:2018/09/30(日) 11:53:49.18 ID:tza6lI5cb
昭和五十三年十二月十五日  午前九時ハ分     おさしづ
さあ/\これだけの事諭しても分からんと言うは神のさしづどおり通りておらぬ証拠や
そんな事で、どうなるぞ
何を思うての道か。教祖と言うて歌に歌って日を過ごし、教祖のひながためどうというて口先で人をたぶらかし神に やいば向けて天につばき吐きかけているも同じ事や
長い年限の中にたった一つの天の理を心に止めず何を思うて楽しんで通りた道や
なんたる事ぞ情け無い
道は先に成っても立つなれど人間は死するという事を心に治めていねば成らん。
どんな事有るとも知れん
その時に神の自由用受ける人、受けられぬ人皆一列心次第や
助かりするもしないのも、その心にて定めつくなり
その時に成りて神をうらんでくれるなよ
我が身勝手に通りたる成って来るのが天の理や
心通りに目の前にうつり来る姿ぞ、己れが心の現れぞ
その時は神ものく。
それで良いなら気ままに通れ。後の祭りと火も消えるなり。

昭和六十二年四月二十二日   おさしづ
天理教徒一列めん/\神のさしづに従わず我が意のまゝに通るなら、神に背を向けるのも同じ事、神にやいば向けるも同じ事
何ぼ信心致したるとは思えても神に受け取るこころ更に無し
何の自由用更に無いぞや

明治四十年四月八日   午前六時
手遅れ/\だめの諭しと言うたる。道は先になりても立つ
内々や。何時どういう事出来るとも分からん
人間というは死するという。生まれ更わり

明治三十年十一月八日
人間我が身から出したる 我が身からする事どうもなろうまい
たゞ一時道一つ理心に一つ理
人々我が身恨みという

149 :神之内分場所M:2018/10/13(土) 13:48:13.13 ID:BWI7MrfPw
毎月二十六日は本部と同じく天理神之内分場所でも月次祭です。
月次祭最中に 神さまからのおうたが出されますが、今迄の総計、約百万首程有ります
最新のおうたを書かせて頂きます

平成三十年ハ月二十六日
ふしんとハ  かたちのふしん  いうてない     神たてあげか ふしんなるそや
たてあげて  天りほんぶに  おさめなば   とうどところの  おさまりとなる
このことハ  ならぬさきより  いうてある    なってきたから  とくしんできた
このみちわ   せかい一れつ  たすけたさ     つけたるみちや   うちわけばしよ
このとこに  三つのたましい  すまいする    これもさき/\のぞみの一つや
このさきも  みな一れつを  たすけたさ      まだ/\みちわ  ながくにつゞく
これまでも  おおくの人をたすけたる      神であるそや  なむてんりわう
いらざらん  人のいうこと  なすことハ     けしてすなをに  うけるでないぞ
このことで  おゝくのまちがい  あとにてわ   なんぼなやんで  みたとてざんねん
しんじつを  さとす神なり   よくうけて     とくしんできる   これでたすかる
この神わ   よくのこころハ  もたんでな     かねで神をば  かえとわいわん
このみちわ  せかい一れつ  たすけたさ      つけたる神や   うちわけばしよ

150 :神之内分場所M:2018/10/14(日) 14:18:17.82 ID:XbObDzzoL
昭和五十三年十一月九日  午前ハ時二十分      おさしづ
さあ/\何もむつかしい事あらせん
神の思惑どうり通りて見よ。通りたならば成って来る/\のが天の理や。
今までに何よの事も説いて有る
今度現れた天の理を受けたる親にもたれたら、何不自由なきよにしてやろう
神の心にもたれつけと といてあるのも この時旬や
心もだん/\勇み来て病の根もうすれいき こんな事なら早や/\とすがれば良かった
しもた事したなぞと口々といゝ伝え国々までも鳴りひゞく大きな理やで
しっかりと神にもたれて 付いて来い。
神が言うのや。嘘でない。

明治二十年三月二十二日
今度無い世界を始めたる親にもたれて居れば生涯末代のさづけやで

みかぐらうた九下り目 二ツ
ふじゆうなきやうにしてやらう  かみのこゝろにもたれつけ

151 :神之内分場所M:2018/10/20(土) 10:23:20.08 ID:RipDmK1CV
昭和五十四年一月三十二日  午前八時十五分      おさしづ
さあ/\だん/\安心事情見えて来る
これ神の残したさしづ通りや
今日よりは理が高まりて栄え行く
世界成程の理という一つの理のため こうして来たのやで。
古い理は効能というたった一つの理がみな/\にさとせん
そんな事で何を楽しんで来た道か。心でしかと思案して先々の処 一列の心洗うて見よ
第一親がつけ元々の道 元に理がなくばなろうまい。
理なくば皆いずんでしまわねば成らん
そうなったらどうするぞ、道も立たんが身も立たん。
何を楽しんで来た道か。一つの理のため皆々こうして来たのや。
楽しんで/\長い道中道すがら余程退屈致したるやろう。
年限の内にはきっと世に出す。世に出たならどんな働きするかいまからしかと見ているが良い。
神のなす事する事がこんな事にと成るとは誰も心に思いなけねど、世界助けるには どうでもこうでも世に出す。世に出たらば神が働きせねばならん
どんな時でも働く神でなけねは この働きはでけはせぬ
みな一列一つに寄せておいて 越すに越せんその時は神の力がとものうて どんな中でも
救うてこさす。
それだけの力あるのが この神や
今に見ていよきっと分かるぞ
越すに越せんその時は、なむ天理王と唱えなば神の力が現れて一手一つにまとめて置いて さっとこさすぞ。
怖い関所がある程に。年限の内には必ず有る。その怖い処を救い上げるが神である。
目に見えぬ先の先から説き置いて それ見えたらばそれが神
神の力がともなわばどんな中でも通れる程に
しっかりと神にもたれて この先はいつ/\までも変わらじと心に治め通りなば きっと
救うて助け上げ、みなに見せる神の力を
越すに越せんその関所、神が必ずこさすから しかと見ていよ神のする事。
道のり余程隔てども神の方には見えて有る。
それ故説いて教え置くぞや
天火・火の雨海は津波で荒れくるう。神が言うのや嘘でない。

152 :神之内分場所M:2018/10/20(土) 10:45:58.17 ID:RipDmK1CV
前より続く     角目
明治三十七年三月二十九日   おさしづ
神の力は容易やない  どうなろとするで

明治二十一年十二月二十五日  午前一時三十分  刻限
一日の日がある/\と知らしたる処年明けたら えらい関がある 越すに越せん

明治三十一年十二月三十日     おさしづ
危ない道どうしたら良かろう 越すに越されん道ありたて案じにゃならんような道
神が連れて通りゃこそ通れる

明治二十一年十二月二十五日    刻限御話
年明けたらえらい関がある 越すに越せんという
えらい関は越すに越せんのその関は皆んなの心で皆一つに皆寄りて越す

ふでさき六号百十六
このはなし なんとをもふて きいている   てんぴ火のあめ うみわつなみや

153 :神之内分場所M:2018/10/28(日) 09:41:53.24 ID:ta5wj9HN5
昭和五十二年九月十ハ日  おさしづ
さあ/\月日有りて、天理と言う世界が有り、天理と言う世界有りて、いざなぎといざなみあり。いざなぎ、いざなみ有りて秀司 政子と言う身の内有り
身の内有りて、神の定めた甘ろ台と言う思惑有り
神の思惑有りても、神の思惑通り心を定める事が第一や。
さあ/\その心に実が有れば神の方にも実が有る
実といえば知ろまい。真実と言うは 火水風神の自由用の守護が有る。
真実の心の者には、神の受け取りが有る。
それ故にまことの心に神がのって働く
まこと有れば神の方にも実が有る。実と言えば知ろまい。
実とは火水風の自由用と言う。

154 :神之内分場所M:2018/10/28(日) 09:54:23.56 ID:ta5wj9HN5
続く
明治二十年一月十三日    教祖御話
さあ/\月日が有りて この世界有り 世界有りてそれ/\あり
それ/\有りて身の内あり 身の内ありて律あり
律ありても心定めが第一やで
さあ/\実が有れば実があるで。実と言えば知ろまい
真実というは火水風              押して
さあ/\実を買うのやで  価を以って実を買うのやで

いざなぎ いざなみとは 教祖中山みきと夫 中山善兵衛の事です

155 :神之内分場所M:2018/10/28(日) 14:31:56.63 ID:ta5wj9HN5
昭和六十年七月四日  午後五時三分
さあ/\これ神の自由用一人占めとはこれけしからん
前々より修理が声を聞かしたらこそ今日の天理が有るのやで
神の守護が有りたならこそここまで道を続かせたる
この理道の理甘ろ台と立つ神や
なむ天理王命と神名唱えて付いて来た。
今日の日は神は何でも言わねばならん。言わずに居ては分かろうまい。
この道の真を務める親神や。
天理の道何故この長い年月続かせてあったかよう/\の日を見てこれまでに尽くした
こうのうの理は十分満足さす処まで その結構は見せて有る。
その徳だけは付けて有る。
それ以上の強欲だけは 神は許すに許せん。
今の時旬いかにして道を通るべきか よく/\考えて見ても良く分かるやろう。
年限々々と聞かせて来た。年限の理いかに取り扱うべきや。
心で思案もせねばなろうまい
第一長らえての道すがら年限追うて今見えて来た理
現し身の神さしづを以って説き諭す。何を楽しんでの道か
何時迄下々ばかり苦しめて居る。
教祖の年祭ばかりを売り物にして下を苦しめ至る姿も見えている神
今に見ておれ我が身に難儀が振り掛かる
そんな事をも知らずして哀れなるかや 愚かなるかな
足元に火の付く事も分からずに欲の皮ばかりをば突っ張って我が身知らずの向こう見ず
何と残念おろかな事や
人のうらみ我が身に帰る。これも教えて説いて置こ。
神の言う事何も違わん。この日見るのも もう目の前や
早く改めせん事にや、その苦しみを見る事と成る
これに間違い無いと言うて置く。

156 :神之打分場所M:2018/11/03(土) 14:00:27.19 ID:85O8sQqnH
昭和六十年七月二十日  午前八時十一分    おさしづ
さあ/\これまでどんな道も通したで有ろう、通り来たで有ろう。
神の道と言うは続くが神の道  続かん事は道とは言えん。
中山家あの屋敷にいんねん有る神、屋敷は神の田地と言うた。
みろくぼさつの魂い身に受け、魂のいんねんを持って旬刻限の到来により、年限の切目
取り次ぐこの神や、なむ天理王とは このわしや。
皆々何を学んで来たる。たった一つの天の理や。 道に一つの宝なり。
国に一つの宝となる神
みろくぼさつや天の理を説いて苦労の道中は並大抵の事では無い。
人間の言うが言葉と思うなよ。皆神たるの言葉や。
これまでにも いかなる事でも言うて来た。
それなる神の言葉通り今この様に目の前に成って来たで有ろう、見えて来たで有ろう。
なむ天理王命と神名唱えてついて来た。
それなる神が人体以ってなむ天理王命を名乗り甘ろ台体位を持って天理の道の表に現われ今日に至って神之打分場所を定め その所より 神の思惑一切説き諭し居るなり。
心豊かにして神言きわまりなく胸に治め、しっかり聞き取り我が身成人なさしめて
世の人々を救い給う。
これ誰の為でも更にない。
天理教徒一列心して神の教えに従うべき。
これまで通り来て何も分からんと言うは誠真実なきにて受け取るすべなき
楽しみ一つがなぜに分からん
これ/\よう聞き分けずして この道だけは通られはせぬ。
人間思案を立て神の理尻に敷くと言う。
これ迄にもしっかり諭し来たる道の理なむ天理王命や
早く改めさしづ通りの道をあゆむよ。
これより通る所 更にない神が言うのや間違いない。
これより先は神の心にしっかりもたれ。違える事の更になきようここに一言教え置く。

157 :神之打分場所M:2018/11/10(土) 11:02:38.08 ID:ssDKG5CYC
昭和六十年七月二十一日  午後八時十三分      おさしづ
さあ/\これすなわち なぞの表現なればこそ、神がこの度現れて、謎の紐解き致すなり。それ故にすなをな心持つ人に説いて教えを致す神。
仏陀とは神の教えにそをた人、これすなわち仏の教えを広めた人間
これ王子と言うて、説いて教えは致したれども、これすなわち みろく衆生再現の儀
神と言うは男と成り女と成りて性別変わりて仏ともなりして現れ神の理 仏の理を説き
今尚 兜率天(とそつてん)にて其の説法して居る
これすなわち打ち分けて居る場所を指すなり。
なればこそ神之打分場所名所一点定めたる所こそ、人の心すます道場とも言う。
さあ/\人間凡夫の知恵では悟り取れまい。
何事も神のさしづに元付いて しかと成人するが良い。
さあ/\いかよにも説いて諭しをする神や仏なるぞや教え置く。
これまでは何か分からんなぞの紐 いんねんの糸につながれ致し居る。
よう/\にこの度世に出る時旬や、皆一列も心せよ。
神にしっかりそうたる人はけして難儀は掛けはせぬ。
先なるに良かったなぁと言える日を、きっとこの神付けるなり。
それ迄は決して心を倒すなよ。しっかり頑張れ道の為
人を助ける神の道。先成るにきっと手柄を致させる。
この神に付き来る人に幸せを、さづける神や徳さづけ神と共々陽気遊山をする事と成りて平和に暮らすなり。
これも見えてる神なれば一列心和に成りて道を進めて行くが良い。
神が付きそて通る道、道に障害更に無し。
しっかり見ていて進め行く。やがてたどるは天理なり。
今は道中半ばなり。これにて今日は筆ををく。

158 :神之打分場所M:2018/11/11(日) 12:22:01.39 ID:YC4jZ8/sF
昭和六十年七月二十九日 午前五時三十七分     おさしづ
さあ/\これまでの処 何よ運べど何にもならん。
無駄やと言うて前々より説いて聞かせて置いて有る。
さしづの中もとくと読めば良く/\分かる理や
年限も程のう間近に迫りつつ有る
神の残した言の葉は千に一つも無駄なる事は決して残して置いてない
理うけの声を頼りのこの教え、今迄皆々何を学んで居たることやら
年限の理/\と言うて言葉で誰しも語って居たれど、其の実 年限の理が何を意味して居る事やら、何を指して言う言葉なのやら 誰も分かりた者ぞなき。
いらざるふしんに力を入れて泣け無しの金を寄せ集め、人に苦労を掛けるばかりや
何が為にかたちのふしんに力を入れる。
天理の道と言うものは、教祖中山みきの百年祭で理が切れる。
それ故 これなる神が年限の切れ目の後をしっかり取り次ぎ役目を致すなり。
なればこそ年限の理をつとめる神が時旬待って 天理本部の表に現れ きっと人の心を見定めて渡す宝を胸に抱き、しっかり見る目違(たが)える事ぞ無き。
神のする事なす事に一つも無駄は更にない。
今なるは天理本部に神は住まいは致してをらん
なればこそ闇の夜や声を頼りについてこい。
夜が明けたなら成る程の理と一つの言葉も残して有る。
今なるは神は谷底住まいの日暮らしや。
人間と神と共に陽気日暮らし致し居る
これなる所 神之打分場所と言う。これも今に成って今急に定めたるのや更に無い。
前々のふでさきの中にしっかりせき込むと歌の文句で知らせても有る。
この神は一つの無駄も残してない。
(ふでさき二号 十六  このはなしなんの事やとをもている
神のうちわけばしよせきこむ)
つぎに続く

159 :神之打分場所M:2018/11/11(日) 14:07:56.44 ID:YC4jZ8/sF
続きます
神の名は、なわたまえ、はやくみたいとをもうなら  月日をしえるてゑをしいかり。
このよふにあしきをはらうてたすけたまへのなむ天理王命としっかり神の手のうち学ぶ
事をも教えて有る。
ころばぬ先の杖柱成りて、しっかり年限の理を美事につとめをはたす元の神実の神や教えをく。
誰が何事言をうとも神が見ている気をしづめ末代迄えも続き行く。
天理の道にと仕上げなならん。
神のする事なす事をきっと見ていよ今に分かるぞ
それ迄に真実誠を掛けて きっとだめの教えを致す成り
天理教山々掛けてだめおしを致す神なり教えをく。
だめの教えはこの事や。
これまでに聞かされて居た事忘れてしもたその人は早くめざめよ今がそれなる年限や
やがて百年祭で理が切れる。天理の道はをわりなり。
それ故神が急ぐのや。うっかり聞いていた人、天理失う事となる。
神の支配と立て替わる。神はここから立ち上がる。
その精神は出来て居る。早くしっかりするが良い。
いな事を言うと思うな。皆 誠、それ故先を急ぐ神。
その時は人数定めて役割をきっと致すぞ、今迄に積んだこうのう無駄にしな。
神が教えてやる程に、人間思案は持つでない。神の言うよにたしかする成り。
この神も天の理説いた一粒の種の芽生える時が来た。
あちこちと各宗派共この道に一つに寄せる時旬や。長い/\道中やった。
やっと日の目見る日が近づいた。
やっぱり良い種まかねばならん。一つも無駄に成らずにな、結構々々見る事と成る。
真実は誠と成りて目に見える。釈迦が世に出る時旬や。
みろくの世に出る時が来た。
なむ天理王命と唱えさせたもこのためや。天照大神と言うて来た、唱えさせたる時も有る

160 :神之打分場所M:2018/11/11(日) 14:44:50.96 ID:YC4jZ8/sF
 前に続く

元の神実の神とは何故か。
この元はくにとこたちとをもたりさま。時旬で名前姿も変えて来た。
なればこそ男やら女やら分からんと言うて居たのや教え置く。
神となり仏となりて世の中の人を助ける其のために、どんな中でも、
苦労をと思わず、今日の日まで、あちらそちらと道つとて、やっと思惑の日、目の前にと近づいた。
皆の者早く悟りを開くなり。聞き分けたなら我が身幸せ。
朝の日の出を拝む事にと成れる人なり。
天理天道を歩む人なり。これに間違い更にないぞや。

(ふでさき七号  七十二  なわたまへはやくみたいとをもうなら  月日をしへるてゑをしいかり   解釈ですが神の名は たまへの中にあると言う事で  あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみことの座りづとめの中にたまへと有り、
その後に天理王命と唱えさせて有ります。
そして手をしっかりとは、神の手の内、しっかり学べと言う事で、天理教に出して有る
三原典、また弥勒様の出すおうた、さしづという神の手の内です。
又ダメの教えと言われます。ダメと言う意味は駄目と言う事と究極と言う二つの意味が有りますが、今迄が駄目で有り、これからがかんろうだい普請に取り掛かり究極の教えで有ります。人間支配の天理で無く、神支配の道にと変わらなければなりません。
どうぞご思案お願いします。)

161 :神之打分場所M:2018/11/17(土) 10:28:53.75 ID:VPNd7UWW3
昭和六十年ハ月一日  午前七時二十六分     おさしづ
さあ/\建家一條とも諭して有る。何と心得ているぞ。
前々のさしづの中にも説いて有る。
人間の言うが事やと思い居る。神の言葉やさしづ成り。
其の建家年限の理から建ちた物。誰の物でも更に無し。
神の御陰が有りたならこそ、神の声を聞かして来たらばこそ、今日のこの道天理が有るのや。皆一列もとくと聞け。
一人で出来たる様に思うたるなら理が違う。
この長い道中守り通した神の理分かりて居らん。
そんな事やで通理いがめて我が意のまゝや。何たる事か情けない。
前々より、それなる建家明け渡さにゃならん日の有る事は聞かして有る。
神が人間姿で以って現れる日の有る事も聞かせても来た。
神も人間共に地上で陽気日暮らしする事も、その証拠の品として、ふでさき、さしづ、
みかぐらうた この三原典が残して有る。
人の事やと思うなよ。道の為残し置いたる宝なり。
みろくぼさつ魂を持って世に出る人間の姿現す その証拠に、神の為にと残したる。
皆一列の為とも成る。神の言葉や、神のさしづや歌なるぞ。
かなもじの中にうたうた このうたに神のひがんが込められて居る。
なればこそしっかり読むよに教えたる。
そんな事我は知らんと思う人、天理失う事と成る。
人間の甘ろ台と言うのはな、なむ天理王に付けられた位なるぞや教えをく。
これが親神なむ天理王命や。この神を知らんと言う者は、これより先は神の守護、身に受ける事叶わざるにして これ我が身うらみと聞かしめて今日ここに一言神言きわまりなき教えに記すなり。
さあ/\これなる建家三軒三棟建てると言う事も神の言葉で聞かして有る。
今に成って今言うのでは更に無い。
前々よりの原典の中にしっかり説きをいて先に成る事言うて有る。
これなる所、神之打分場所と言うのも教祖中山みきの手をわずらわし、今日の日のため
ふでさきの中にしっかりそれなる名所忘れぬようにと うたの文句で残して有る。
その中もう一度さらいなをしをするが良い。
三軒の建家の三棟目、神之打分場所予の元と成るぞ。神は今ここに住居致しおる。
神の言う事千に一つも無駄は無い早く悟りて道に出よ。
二せんの道や二地の地場。
二世の本部や聞かせおこう。これに間違い更にないぞや。

162 :神之打分場所M:2018/11/17(土) 13:47:56.35 ID:VPNd7UWW3
前に続く角目
明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
別派に立って行け。建家一条はやしき中のもの
「その建家は別派に有ります。でも其の建家は庄屋敷の中に治る、中かんろうだいとと言うもので、南無天理王命で有ります。」

明治二十二年七月三十一日   (陰暦七月四日) 午前六時十七分
世界の道を以って あちらにもこちらにも本部や。
偽の本部やと言うて居る理聴かしたい。
「みかぐらうた九下り目 一つ  ひろいせかいをうちまわり  一せん二せんでたすけゆく
と有ります。一せん二せんわ一銭二銭ではありません。一宣二宣で広めると言う意味で有ります。人間の解釈には無理が有りす。
一宣は今の天理本部、二宣は別派の神之打分場所の事で有ります。
おさしづには偽の本部と書いてあります。が本来は二世の本部です。
おさしづは聞いた言葉を文書にしてあるので間違いが有ります。偽の本部をわざわざ聞かせてどうしますか?二世の本部は神之打分場所の事で、次に神支配の本部と変わる事で有ります。

163 :神之打分場所M:2018/11/23(金) 10:44:05.13 ID:x7pl0mGn2
昭和六十年八月十日  午前七時三十三分      おさしづ
さあ/\いかなる事情とて聞けばどんな事でも分かる理や
人間心理を立てて神の理尻に敷き詰める。
この道の理と言うは長らくの間楽しませて来た。
天理つとうた道すがら 神の打ち分け場所と言うて、道に其の元一つの根と言う、甘ろ台と言うて、人間姿で人神と成り表に現れてくる事は、前々よりのふでさきにその証拠が書き記し道の先の為にと残し置いたる。
神の言う事何も一つもうそは言うてない。
神之打ち分け場所と言うは、いかなる所分かり無くば知らせよう。
長い年限の間に時旬を待って、やっと神の念願かのうて、神が天理より外に現れ出て来た所、これこそ名所一点定め付け神之打ち分け場所と言う。
それなる所になむ天理王命は今尚住まいを致し居る。
これこそ古元と言うて居たる所なり。
このとこで谷底住まいの毎日や。
日々は寄り来る人にしっかりと神の手の内仕込みたる。
同じ事天理通るの心なら、神の教える手の内学べ。よろづ一さい説き諭す。
これこそ説法致し居る。
この所中山みきも引き寄せて、神と共々暮らし居る。
先所のいんねん有るがそれ故に、道の為、多くの財産投げ打って、妻のみきに使わせて
世の為人の為なるよう果たしてくれた功績は、今尚けして無駄は無い。
それなる中山善兵衛もその伏せ込みの芽がふいて、神の元にと又引き寄せて神と共々
暮らし居る。
十人のなかに三人かたうでは  火水風ともしりそくと知れ。
ふでさきのうたにうとたるこのうたはこれなる人の証拠や。
何も知らずに口々にあくぞうもくぞう言いよるが、これが誠の事である。
神が世に出た其の時は、おろかなるおのが心情悔やまなならぬ。
このとこで まだ言うてない真実を詳しく説いて聞かすなり。
これがまさしく神の打ち分け場所なるなり。こんな事知らずに何をぼけて居る。
これが真のまいりしよたしかなるとこ二地の地場成り。
道の人ならこれくらい知らんようでは何にもならん、神の用木に使われぬ。
ましてこれより先の天理の道は、神の自由用受けづしていかなる人も通れまい。

164 :神之打分場所M:2018/11/23(金) 11:57:35.37 ID:x7pl0mGn2
(続きます)
これまでの長い道筋通れたも、神の自由用有りたればこそ、この先は神のさしづの分からん者に神の自由用伴なわん。
この理一つがどれほどに大切なるかがみな一列に分かりしてない。
しっかりしあんをせにやならん。ここがしやんのしどころや。
これも教えて説いて置く。早くしやんをしてかゝる成り。


ふでさき二号  十六
このはなしなんの事やとをもている    神のうちわけばしよせきこむ

せんしよのいんねんよせてしゆごふする    これハまつだいしかとをさまる 一号 七十四
「先所のいんねん有るがそれ故に………」と言われ有ります。
天理教では前生のいんねんよせてしゆごふすると、前生と言われますが、ふでさきには
せんしよと書いてあり、先所が本来の意味で有ります。
先所とは今から見た前の事で有り、天理本部の道すがらであります。
中山家に嫁いだ前川みきは、神がかりと成り、中山家の財産を投げ打ちました。
代々続いた財産を妻みきに使わせた夫善兵衛も、信仰心を持った方だと思案します。
みろく様からの天啓では教祖はいざなみで有りマリア様で有り、中山みきです。
そして夫 善兵衛はいざなぎで有りイエス キリストの魂です。

十人のなかに三人かたうでわ   火水風ともしりそくとしれ    六号 二十一
じゅうにんと読みますが、十とはタスとも言います。本部にタス人の事で、三人です。
一人はみろくぼさつでくにとこたちと をもたり様。をもたり様の体の中にくにとこたちが入り込んでいます。
後二人は中山みき様と夫善兵衛様です。
屋敷は神の田地と言うて、中山家或いは人間の田地に有りては、この天理通れないでしょう。天啓者が必要と言う事です。

165 :神之打分場所M:2018/12/06(木) 10:27:07.00 ID:j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日 午後零時十六分       おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ、理にそむかんよう。
さしづどういう理 神の言葉打ち出す所
これ分かり無くば説いて詳しく聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな。そこはめい/\の胸次第
心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや。心一つの理に受け取る
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも、何になるかや この先も神が説かねば分かろまい
しっかり説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ。
行き詰まりてぞ苦労して頭いためて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも出来わせん。こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから これも見えてるこの神や。
今から説いて教え置こ
人間で出来る事なら この神はいらんものやと言えようが
道の為には杖柱きっとつとめるこの神や
いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれん
これこそ天理の道は終わりなり
これが誠の事となるなり。

みかぐらうた
六ッ   むりにどうせといはんでな    そこはめい/\のむねしだい  七下り目
六ッ   むしゃうやたらにねがひでる    うけとるすぢぃもせんすじや   六下り

166 :神之打分場所M:2018/12/06(木) 10:49:06.34 ID:j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日  午後零時十六分   おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ理にそむかんよう
さしづどういう理神の言葉打ち出す所、これ分かり無くば説いて聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う。神の言葉や
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな、そこはめい/\の胸次第、心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや
心一つの理に受け取る、
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも何になるかやこの先も神が説かねば分かろうまい
しっかりと説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ
行き詰まりてぞ苦労して頭痛めて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも
出来わせん
こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから、これも見えてるこの神や
今から説いて教え置こ
人間で出来る事なら、この神はいらんものやと言えようが道の為には杖柱きっとつとめるこの神や。いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれん
これこそ天理の道は終わりなり
これが誠の事となるなり。

みかぐらうた
六ッ  むりにどうせといわんでな    そこはめい/\のむねしだい   七下り目
六ッ  むしやうやたらにねがひでる  うけとるすぢぃもせんすじや   六下り目

167 :神之打分場所M:2018/12/06(木) 10:50:10.39 ID:j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日

168 :神之打分場所M:2018/12/06(木) 10:52:38.51 ID:j1Yv0/jxR
昭和

169 :神之打分場所M:2018/12/09(日) 09:15:34.04 ID:SSXMcCE41
前の文章ネットの状況でおかしくなったようです。又 内分場所と間違えてたのを気付かないで載せてました。本来は打分場所です。

昭和六十年八月六日 午前三時二十九分       おさしづ
さあ/\さしづ一条紐説くと言う。みな/\何と心得て居るか。
さしづと言うは、何時のさしづも皆 同じ神の言葉やさしづなり。
誰が何事言をうとも、神が出したる神のもの
かるくあしろて神のさしづを尻に敷く
これから先と言うものは、なんぼ笑をとそしろうと、神の方には良く見える。
何ぼ遠くに離れよと一目で見える神である。尻に敷くなら敷いて見よ。
即座にそれなる理が現れる。心一つの現れが泣くも笑うも理が出る程に
目の前になって来る理で思案せよ。なって来た理で思案せよ。
したらばとくと良く分かる。己れなしたる心道理や。
なんぼ悔やめどどうにもならん。我が身うらみや教え置こ。
さあ/\いんねん有るが故から神が説く。この神も天の理説いた伏せ込みの種が芽生えて今日の日や。
月日の社と成る種は前生積んだ功徳や。これも一つの手本なり。
なむ天理王命と名乗り居るのもそれ故や。
我が身には甘ろ台の位いをも身に受けて居る親神や みろくぼさつの現れや。
皆一列も同じ事良い種のみを蒔くが良い。これも一つの教えなり
この先はどんな事でも説き諭す。誠真実有る人は神がしっかり教えの手をさしのべる
この神を私欲の為にあしらう人は帰る天の理心どうりや。
今から以って諭し置くぞや。
うかつに聞いていたならば成って来てから悔やまなならん。
これも教えて説いてをく。

170 :神之打分場所M:2018/12/09(日) 10:41:07.28 ID:SSXMcCE41
昭和六十年八月七日午前八時九分      おさしづ
さあ/\何も知らざる人間が神に逆らいはんぱつすれど先なる事を知らぬ故なり。
今日の日は何でも言わねばならんから このよに詳しく話し取り次ぐ
定かなる心で以って聞き取れば、如何なる神の言う事も何一つとて分からんで無し。
時旬の花と咲いたる甘ろ台人間姿現したなり。
それ故に甘ろ台人間一つ定めたる、こんなさしづも残したるぞや。
何時迄も知らぬふりしてぼけたふり。何をとぼけて至る事かな。
これまでの道のすがらは説いて有る。何時まで神にさからうべきか
元の原典良く見るが良い。その中に伏せ込んだるの天の理や。
天の理一つが分からんようで、何で天理が通れるものか。
この先に成って来る理で思案せよ。
よう/\ここまで連れて来た。神の真実この誠、受け取る人の心通りや。
早々と神の言う事聞き取りて、さしづ通りの道に出よ。
これまでにふでさきにても歌とて有る、神之打分場所なるぞや。
こらほどの所は外に一つとて更にないぞや予の元なるぞ。
この神はなむ天理王命や、まぎれもしない元の神実の神にそういない。
聖なる場所 神の道場とも言う。
いかよにも説いて諭しはするなれど受ける心に誠がなくば何を言うても分かる目はなし
何が為神の元にと引き寄せて居たる事かな分かろまい。
神の手の内学ばせて、まだ言うてない真実を説いて聞かせて仕込むなり。
しっかりと神の仕込みを身に付けた人、神の用木(き)と神が見定め神より渡す末代
までも、けっこうに続き行くさしづをしかと渡したさ。
これが神たる思惑や。早く悟りを開くなり。これ分からねば何にもならん。
こら程の大切なるのこの所たった一つの名所や。
この話何の事やと思て居る。神之打分場所せき込む。これが誠の事で有る。

明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)
かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみあるという事を治めて貰いたい。

おふでさき
このはなしなんのことやとをもている  かみのうちわけばしょうせきこむ 二号十六

171 :神之打分場所M:2018/12/15(土) 12:23:48.92 ID:v/hTbs/Cx
昭和六十年八月十日午前十時九分      おさしづ
さあ/\この道の理と言うは、何をほって置いても運ばにゃならん
こういう日の有る事も刻限話で聞かせても有る。
皆々何を楽しんでの道か。
神が人間姿で以ってなむ天理王を名乗り甘ろ台と言う位を身に受けこの世に現れて
来る事は その日有るのも説いて聞かせて その日の為に成る証拠も残して有る。
まさか知らぬなぞとは言われよまい。
ふでさき さしづ みかぐらうたと三つの証拠 この時の為となる物これ書いて残した道の為宝と成るのや教え置く。
その中に伏せ込んだるの天の理や。
知らぬなぞとは神は言わさん。
何時迄も強情張って居たるなら後は悔やまな成らぬように成り苦労をする事になる。
神のさしづと言うものは何時になりても腐らせて隠して居ても何もならん。
生きて世に出る時が有る。これが天理と言うものや
真実誠を言わねばならん時が来たぞや教え置く。
隠し通せるもので更にない。神が現し身を持ってこの世に出たからは見抜き見通し
するなれば いかな事でも一目で見える。
嘘の通らん世の中と言う。

172 :神之打分場所M:2018/12/16(日) 06:36:55.77 ID:GeVxrbw8p
 前に続く
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
しっかり筆取って置け。どういう者引き出すやら分からん。
余儀無きいんねん、ほのかのいんねん、
分からん時から何でもと尽した、心の理、いんねん三ついんねんどう成る。先ず/\の道、真実二つ三つの理、余儀無くいんねんは放って置いても成るやろう。
放って置いても退くに退かれん。ほのかのいんねんは良う成ったら行こうか、
楽しみ成ったら行こうか。何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、
人ともいう、一人の理という。これをよう聞き分け。
古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
これから、要らん者にさづけを渡す。

173 :神之打分場所M:2018/12/16(日) 12:27:27.54 ID:GeVxrbw8p
昭和五十三年四月八日      おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで
神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる
この理何程のものや分からせんで
神思惑の元の理、神が長い年限の間 伏せ込んだる種、天理の根である、深き理、みろくぼさつと言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う この深き魂の者 世に出す為には、もんかたなき処より
神が教祖 中山みきに天降り、だんだん道付けてひながた見せて一列のめどうにと、
しな型なるもすえしも何故にこのよな事をなしたるか、みな一列に分かり無くば知らそう。しっかりと神の言う事聞くが良い。
神が教祖中山みきに天降りたる時、世界一列助ける為に天降りたる事いうてある。
みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始め掛けた元治元年より、この助け百十五才定命と定め付けたい神の一條と、残し置いたる事、皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたる、よう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる。
神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづ みかぐら歌と有るのや。
これこそ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や。
しっかりと神の言う事わかりたら心に治め道の為、神の言うよにしかと通るよ。
早くにな神の元にと尋ね出よ。
神が待ちいる嘘で無い。早く悟りて道に出るよう神がしっかり諭し置く。

ふでさき
このたすけ百十五才ぢよみよと   さだめつけたい神の一ぢよ        三号 百
いままでにふでにつけたることハりが      さあみゑてきた心いさむで     十二号 四十四
このはなしどふゆう事にをもうかな    ふでのさきがなみへてきたなら    十七号二十四

174 :神之打分場所M:2018/12/22(土) 09:31:09.12 ID:vZNdJDifd
昭和五十三年四月二十五日
さあ/\/\どういう心こういう心みな知っているで。
さあというておゝといえばそれで良いのや。
心で応える処それで良い事あらためていう事やないで。
めん/\心どうりつなげ/\
たいそうな事すればみなめん/\心ににごり水そそぐ事になるで。
いかようつなげど心通りの理が出るで。
この道は神の道やでしっかりと心に治め通り行くなり。

175 :神之打分場所M:2018/12/22(土) 09:42:56.50 ID:vZNdJDifd
昭和五十三年四月三十日          おさしづ
さあ/\たいぎ/\心に思うなれどそうやないで。
尽くした理は神が見ている。何も心に止めるやない。
今までも神が言うたる事みな聞いている/\心に治めてくれ、人の為やないで、
みな我がの為や、心のつなぎやしかと分かるか。
人間は何時でも功能/\と思う。功能の理は神が与えるのやで、
この先なるというものは、心に止めるやないで、思うやないで、
心かなえば神が授ける。しっかりさとし置こう。

176 :神之打分場所M:2018/12/22(土) 09:52:11.51 ID:vZNdJDifd
昭和五十三年五月三日         おさしづ
さあ/\何事も人の事いうのやないで。
我が心から磨いてゆけば良いで。
人が良い人やなあというてくれてこそ、我が身も光が出る程に、
日々をしっかり成人する事や。
神の願いやしかと磨いて人の為にとなるのやで、
神からしっかりたのみ置く。

177 :神之打分場所M:2018/12/22(土) 14:28:02.82 ID:vZNdJDifd
昭和五十三年六月二十九日        おさしづ
さあ/\今までになによの事も みな説き置いたる。
その時旬早やこゝに来たりたる事、天理教徒一列なるにしっかりと知らし置く。
何故に時旬なるとさとするか。
神が天より天降りたる元一日の日がありた。
それなるも何故なると思いしや、
世界一列助ける為、もんかたなき処 、教祖中山みきに天降り、神の思惑とき置いたる
この助け百十五才定命と定め付けたも時旬なるぞ、
しっかりとこの事さとりしたならば、何分からん事あるものか。
神が言うのや嘘でない。
さあ/\心、心一つが真実や、誠となりて現れる。
良き事も悪しき事をもその心にて見分け聞き分けするべきや、神が言うのや嘘でないぞや。
しっかりと心に治め道の為、神の言うよにしかと思案せ。


明治二十年二月二十四日      おさしづ
百十五才 九十才これも分からん。二十五才不足、どうであろう、これも分からん。
どうしてもすうきり分からん。
故に二十五年を縮めた助けを急ぎ扉を開いて世界をろくじに踏み均しに出た神でのうて
この自由自在は出けようまい。

178 :神之打分場所M:2018/12/23(日) 12:56:01.83 ID:1qRUHvg+k
昭和五十三年七月四日  午前八時頃より      おさしづ
さあ/\日もだん/\つんで来た。年限も相当たって神思惑の日も近づいた
これからの道は神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするが良いぞや。
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる。
それなるも何故なると思いしか、長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に、神の定めた思惑の親治めるという。
その楽しみ早やこゝに迫りたという
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑。
この先どうでも成る事なら仕方あろまい。
今目の前に成って来たる、見えて来たる。前々より神が百年先の事言うて置いたら必ず
その日のある事、筆に残し置いたる、これよう思案して見よ。
神は何にも無理な事一つも言わん。
神の定めた思惑ある故、この様に諭し居るのや。
それなるも何故なると思いしや。
世界一列助ける為、もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる。
それなるも前々より天の理を説いておかれた、元の元の理を世に出す為なり。
その理みろくぼさつという。
その深き理、埋もれてあったは神の定めた年限がある。
その神の定めた時旬、此処に早や来たりたる。
これだけの事神が諭したなら 何一つとして分からん事あるものか。
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。
長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。
それが為ひながた出して、神の定めた本部の地場に甘ろ台の模型、品型据えしきも
その為なるぞ。

179 :神之打分場所M:2018/12/23(日) 14:09:18.59 ID:1qRUHvg+k
前より続きます

神がこのよに説いて聞かせたなら、神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これ分からぬようでは みな一列がいずんでしまわなならん日がある。
その時になって今まで神の道というてつくした理、水の泡にと消える日があり。
神が言うのや嘘でない。なって来るから神がとき置く。
目に見えん神の言う事聞き分けよ。
まだ見えぬ先の先から説き置いて諭し置くぞや心せよ。
これ筆先の花 月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事諭し置いても分からぬというようならば、又神の元にと尋ね出よ。
しかと諭する嘘でないぞや。
早くにな尋ね出るのも我がの為しかと成人するが良いぞや。


明治三十三年九月九日      おさしづ
先の事知らしてある。後や先になる。
皆一つ調べてみよ、嘘はありやせん、皆先の事言うたる。
言うて置いたる事は年限の内には、どうでも出て来る。百年の先の事 言うて置けば、
三十五十の者は知ろまい。なれどどうでも出て来る。

明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構と言う。元の理を諭さにゃならん。

おふでさき
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで     四十五

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情 かんろうだい一つの証拠雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って世界ほんの一寸細道を付け掛けた

180 :18です:2019/01/02(水) 03:34:06.66 ID:WY93Ofugv
久しぶりに投稿します。

>>113
>勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?
やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?

果たして教祖は御在世中、信者を増やしお道が盛んになる方法を取ったでしょうか。むしろ、大和神社事件、大和神社のふしと
足を引っ張る行為を高弟達にさせたでしょう。それは、広義には「ふしが栄える一つの理」といった理がある為であり、
狭義には信仰していく人々が見極め見極められる証拠とためしの過程があります。つまり、正味とかすを分ける。

それは、普請をするには道具がなければ造れないように神であっても道具がなければどうする事も出来ないので、その道具を選別する為です。
周りにどうしようもない人がいる環境こそ澄んだ心を以って神についてきて、我が事を思う事なくたすけ一条で口と心と行いが同じ人が誠の人になり、
それがたすけの実績に繋がり人が寄って来て盛んになる。その誠の人に出すお供えは誠になる。
即ち、お供えでのお金は、出す場所によりけりなのではないでしょうか。

信者は助かると思うから出すのであって助からなければ出しません。そして、信者からお金をむしり取った事例は直接には聞いた事はないですが、
少々の名目を付けた上でのお金の要望はどの宗教もあることです。末端教会からお金をむしり取るのは、系統によりけりでしょう。
問題なのはたすからないという事ではありませんか。基本さんが仰るようにお金を出してたすかるなら出したらいい。
しかし、お金の多少で信心の真剣さを図る事や短絡的にお金に走るのは問題なのでしょう。

181 :18です:2019/01/02(水) 03:45:51.31 ID:WY93Ofugv
ここから人によって見解が分かれると思いますが、

私が思うに、教団は誠真実の人々が居れる規模の大きさが妥当であり、必然的に小さくなる。
そして、中で発生的な兄弟があっても身分の上下(123の序列)をつけるべきではない。
それから、八町四方神のやかたなのでぢばに寄り来る人々が多い状況が一番良い。しかし、すべての人が天理教信者になるのではなく、
来た者に対しては、ぢばから喜んで家に帰る人達がいればそれでいいのではないでしょうか。

それと天理教を信仰していれば幸せになるという勘違い、教祖はそんなことをさせないとか優しいとかメルヘンチックに捉えて信仰している方も
いらっしゃるが、刃を差し向けるのも神であり、教祖自身も現身を隠される前まで艱難辛苦の道だった。
教組が認めた本席もなる前苦労をして、なってからは刻限や本部の者の心違いで身上になり、苦労を一緒に通り抜けた妻を先に亡くし、
子供達も悶々と過ごした。秀司さんも教祖に神が天降る過程で足が悪くなり、教祖の言う通りにしないだけで亡くなり、
こかんさんも普通の人生を求めただけで亡くなった。そして、先人達は信仰しなければ命がない中で家族の不幸や貧しさ等の中を通った人が多い。

そして、今でも末端教会は貧乏な教会が多い。世間一般に昔の時代の貧乏と今の時代の貧乏の比率は全然違い、
そして医療技術の進歩、医療保険が整っているので万能ではないが病院で治療される方が多いので、身上を助けられる機会が減り、
それなら医療と関係ない事情を治めればと思うが天理教を信仰すれば事情のオンパレードであります。

初代と四代五代の苦労は比べものにはなりませんが、神と人間では幸せの価値観が違い、神の幸せの概念はどのような状況でも心の持ち方で得ることであり、
今生だけと考えてない。その上神から見れば道具として使われ、我が身を振り返る事なくたすけ一条であるからでしょう。

182 :18です:2019/01/02(水) 03:52:15.42 ID:WY93Ofugv
その上、何時まで信心したとても 陽気づくめであり、
教祖と本席の守り役で「末はたのもし、打ち分け場所」、針の芯、息のさづけ、肥のさづけ、
誠の人の増井りん曰く「この教えは楽しみ勇んで、陽気づくめで通る道でござります。」と言い、
その増井りんさんに教祖は「さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と仰り、

そして、教組が山中忠七さんに永代の物種を授け下されたように不自由しない(心配ない((案じない=陽気)))
一つに必要な物があるかどうかですが、それも「贅沢して居ては道付けられん」ように、
本席は物を大事にして始末した暮らしをしていましたが、ある時、すぐに帰るのに家の部屋の火(行灯)を消して出かけたので、
供の者が火を消さなくてもいいのにと言うと「私はこの世での徳を来生まで持ってゆきたいから、こうして火を消しておくのや」
と来生まで目した行いに徹していた。

そして、教団擁護や教団批判者、異端者、他が出るのもその人達がいるからであり、いなければその声もあがってこない。
それは、先祖や初めに信仰した人が純粋に助かった事に対して感謝しておたすけに回った人がいたからこそ存在している。
中山家も「もし不承知とあらば、この家、粉も無いようにする。」と脅迫された形で認めさせられ、苦労の道中を通った後で今がある。

親神中山みき様がもう一度人間を始めようとしても、それを否定するなら人間や家は存在してないと同じ事でもあるので、
初めの心を大切にして人を潰さないようにしたならどういった形でも尽した家系が続くように親神様の計らいがそこにあるのだと思います。

183 :18です:2019/01/02(水) 22:34:29.97 ID:WY93Ofugv
ハンドルネームを天理教Hに変えます。

久しぶりに覗いてみたら、天理教の事ではなく神之内分場所になっていて、放っておいたらしつこいほど投稿し続けている。
〔天理教社会学研究所 カインを糾す〕でなく〔天理教を糾す〕の内容になっている。
そして、以下の投稿を教理を知り尽くした基本さんが覗く掲示板に投稿することを迷っていましたが、
しかし、去年皆の前で話をする夢を見て、何を話すか迷っていた所、三下り目の解釈が書いているメモを手に入れ、
話の順番を聞いている所で目が覚めた。起きてから3下り目を改めて見ると

三下り目
一ッ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや
 日の本の庄屋敷(正味のある屋敷、生屋敷)のつとめ場所は世の元や

そして、解釈を「みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎」で確認すると
「わしや人間はつれて行くことはできても、中山五番やしきは、どうすることもできまいやろうがな、そこに大きな台を建てるのやで」と、
かように教祖が仰せくだされまして、と書かれています。

※中山五番屋敷…中山家の元の地番で当時このように呼ばれていた。

184 :天理教H:2019/01/02(水) 22:38:54.59 ID:WY93Ofugv
人間甘露台を説く方に共通していることは、天理教の教会長や信者に、膨大なおさしづを主に論戦を挑んで、
教理が不勉強な人やおさしづに余り目を通してない人を論破して我の信者に取り込もうとすること。
だから、天理教の信者が集まる所でないといけないので、天理教や教団に対して批判をしている方が集まっている
天理教社会学研究所は絶好の布教場と思っていた。しかし、ブロックされたのでこちらに流れたということでしょう。

でも普通に考えれば、ここの掲示板は、カイン信奉者が多い天理教社会学研究所の読者は不愉快だと思うので僅かしか訪れない上に、
神之内分場所Mさんが難解なおさしづを並べているので、良くても斜め読みで読んでいる人はいないでしょう。
他に訪れる人は教理研究で基本さんから学びたい人、その様な人は三原典の基本を学んでいるので信じない。
後は偶々訪れたという人でしょう。でも全部合わせてもこの提示板の訪問総数は知れているのではないでしょうか。

他からの書き込みがほとんどないので人気のない掲示板です。ここでの教義・教理展開は無意味でしょう。
とんちんかんな投稿や感情的な投稿がないだけましですが。

基本さんは多忙な方で、外なる異端にはあまり反応されないと思います。基本さんと解釈が違う部分があるかもしれませんが、
人間甘露台の方が正当だと見ている方が誤解されたら困るので反論します。まあ全部読む方はほとんどいらっしゃらないと思いますが。

では、長文なので短時間の内の連投で書き込み禁止になるのを防ぐ為、日にちを分けて投稿します。

185 :天理教H:2019/01/03(木) 00:08:44.39 ID:8udh8Z7a2
神之内分場所Mさんは、本席のおさしづと渡邉秀子氏の啓示から一、二、三の印は、天理教本部→政子甘露台→神之内分場所と言われますが、
自分が甘露台と言っている天啓者は調べた範囲の中で以下の人達がいました。

〇ほんみち    (大正2年)  大西愛治郎→大西泰彦
〇天理三輪講 (昭和6年)  勝ひさの
〇政子甘露台  (昭和9年)  渡邉よそ
〇天理神之打明場所 (昭和12年) 山田梅次郎
〇天理甘露台  (昭和17年) 上野のぶ子
〇神一条打明場所(神一条教) (昭和17年)  米谷クニ
〇おうかんみち (昭和21年) 江上寿胤
〇ほんぶしん  (昭和37年) 大西玉→武田宗真
〇神之内分場所  (昭和51年) 渡邉秀子

63年の間に10人もいるのです。そして重なっている人もいるのです。無くなった団体もいます。
これだけたくさんの人が自分が甘露台であると言ってます。即ち、ほとんどが本席のおさしづや自分の啓示から解釈して
自分自身が正統であると言っています。天啓者だけにすれば他にもっと多くの人がいます。
だから、その中の一人を信用できるわけがないでしょう。

そして、この様な人達が共通しているのは、おさしづを主要な資料としている事だが、先に本席のおさしづがあり、
後からその中の一人のさしづを絡ませるのは後出しじゃんけんのように信頼性に欠ける。

186 :天理教H:2019/01/03(木) 00:12:29.44 ID:8udh8Z7a2
そして、渡邉秀子氏は、政子甘露台の渡邉よそ氏とは叔母 姪の関係らしいですが、
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司と天啓で出てますと言いますが、
おまささんは、教祖の前半のひながたを伝える貴重な存在意義はあり、嫌味を言って正味とかすを分ける「箕の役」でしたが、
酒ぐせが悪くて、その頃の人々から持て余し者で「ほこりの屋形」と言われていた人ですね。

秀司さんの生まれかわりは2代真柱です。2代真柱が生まれた時の本席の言動が証明しています。
それと誰々の生まれかわりで価値を見出そうとするおぞましさ、おふでさきの中に屋敷内の人に前生が道具、雛形であったとは述べてますが、
つとめ人衆は多くの用木の心を見てその中から親神様の思召しに叶う者を役割にすると述べてます。
教祖でさえ40年間、月日が心を見澄まされた上で天降ってます。そして、本席は前生が道具、雛形ではありませんでした。

つまり、それは前生のいんねんはあるが親神様は今生の心の在り方に重きを得ているのではないでしょうか。
天理教の教祖と関係なく人が助かっていく手段の一つ各宗教の教主が教える教義ならいいですが、
それを天理教の教組の存在が雛形で渡邉秀子氏が実物であり人間の地場だと言うのでしたら違います。

それでは、解ったふりでツッコミどころ満載やとおぼろげながら非難する訳ではなく、実際に一つ一つを挙げていきましょう。

187 :天理教H:2019/01/03(木) 00:15:56.51 ID:8udh8Z7a2
>>44-45

元治元年のつとめ場所棟上と115歳定命をかけていますが、教祖は「この普請は、三十年の見込み。」と仰せになり、
史実では其れに関わった本席が元治元年から数えで30年後明治26年に竣工した本席御用場に移っています。
これの意味するところは、「つとめ」と「さづけ」に関する事。だから、つとめ場所棟上と115歳定命の事柄は関係ありません。

188 :天理教H:2019/01/03(木) 00:18:59.24 ID:8udh8Z7a2
>>91
>教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひな
>がたとなられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
>それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。

教祖は「わしはひながたやで」と仰られたのも、自ら歩んで助かる道を示され「どんな道も親が通りた道である」と仰っています。
親が子供たちが道を通るのに迷わない様に先に道を通ったのです。それは、山の中で道をつける事と同じであり、
その道がなければ遭難します。教祖は人間の親です。その親が子に解りやすいように自ら通る事によって見せたのです。
それがひながたと言うのです。

「をや一つの道、どういう道を通りたなあ」M22.8.12
「どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。」M20.陰5

189 :天理教H:2019/01/03(木) 00:24:09.12 ID:8udh8Z7a2
教祖は神の社になってから親神様であり、我が子である人間をたすけたい、成人させたいとばかり思う教祖しか存在しません。

にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (14-35)

その教祖は今も”ぢば”に居て皆が知ろうか信じまいか関係なく日々働いているのです。
だから、教祖は弥勒菩薩のひながたではありません。教祖は多くの人々を救済する仏教で言ったら弥勒菩薩でもあります。

ひながた”かんろだい”も石造りにたいして木製であるからであり、もし人間が”かんろだい”であるなら、
ひながた”かんろだい”も人間の形をしていなければならないでしょう。教祖直々に”かんろだい”の寸法を指導され、
そして、「このよふハりいでせめたるせかいなり」とかんろだい寸法の理もあります。

かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ (10-79)
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)

つまり、”かんろだい”とは、人間始めた元なるぢばに、その証拠として据える台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造っています。

このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ (8-80)
人間に平鉢を載せるのですか?

そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ (9-60)
成人したその先に、病まず死なず弱らずの甘露を授けようとしているのです。
それを形造っているのです。

そして、
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし (17-10)
「皆揃いさえしたならば」とお書きになっているので、複数の人間甘露台が必要なのですか?

そうではなく、石造りの台が十三段全部揃ったならば、どのような願いも叶わんということはないと言う意味です。

190 :天理教H:2019/01/03(木) 00:29:21.95 ID:8udh8Z7a2
>>91
>昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
>五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
>大きさで金文字がゆっくりと
>「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
>コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました

教祖に月日が天降った時は、我が嬉しいとか日の当たるとか今幸せになるとか教祖の思いは、何一つ出てこないし、
月日も教祖自身に了承を取ったわけではないのです。そして、教祖の心には我を思う心なく子をたすけたい心しかありません。

191 :天理教H:2019/01/03(木) 08:01:19.33 ID:8udh8Z7a2
>>91 >>93 >>170
>明治二十一年六月二十三日
>甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。

人間甘露台を説いている方が良く引用されているおさしづでありますが、伺いのさしづの中に刻限のさしづを混ぜることはありますが、
おさしづ編纂をした桝井孝四郎曰く「おさしづとその時の事情とを切り離した時には、全くさとりの方向もつかないものも出来てくる。
だからおさしづは史実と言うものと切る事に出来ない関係がある。」と述べています。

例えば一例を挙げるなら、
「人が障りがあればあれほこりやと言う。どうも情無い。」(M22.10.9)
では、文言だけを見れば、身上の人をあれは埃が現れていると言う人は情けないと言った意味と捉えやすいですが、
そうでなくその時の事情を考慮に入れれば、本部の人達が刻限を聞き分ける事が出来ない為に現した身上を埃だと
片付ける事に対して情けないと仰った事だと分かります。

そして、
「かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」

このおさしづは、明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)に、ぢばに於て分教会所設置の件を伺っているおさしづです。
当時としては、教会本部を東京で認可をもらっていたのだが、さかのぼること認可を貰う発端となったのは、
かぐらつとめを夜明け前の早朝にして、隠密に執行しようとした教祖1年祭が自然と参拝人が集まり、
大神教会の告げ口で警察によって祭典中止にさせられたことです。

192 :天理教H:2019/01/03(木) 08:12:07.03 ID:8udh8Z7a2
そこで明治二十一年三月九日(陰暦正月二十七日)に伺い「ふしからふしからの芽が出てある。こんな中から芽が出る。
一寸の芽は一寸取れる、すっきり取れる。すっきり掃除。」
 →大神教会の傘下からの脱却。
※明治18年から明治21年まで所属、4月10日の神道直轄天理教会認可で大神教会との関係がなくなる。
追て伺「十分道と言えば、世界から付けに来る。世界からろくぢという道を付き来る。」
 →こっそりかぐらつとめを勤めていたのを公の機関によって堂々と勤められるようになる。
天理教会設立の伺「どんな道も連れて通ろう。一つ理も立てよ/\。十分の理を立つものと、一つの所に日々一つの道を付けようと思う。」
 →ちばから許しだす天理教会の道。
又、教会設立を運ぶに付心得「一つ所本部々々。これまでも伝えてある。あちらも本部々々、どんと十分の所に行かんと、
思案々々。……ぢば一つ理は、独り立ち出来てあるのやで。今一時の所を変えて。」
 →ぢば以外に本部を置くのは、十分に治まらない。ぢばは他から許可をもらって成り立っている訳ではなく独り成り立っている所であるが、
一時的に別の場所で他からの許可をもらう。

天理教会設立認可出願先を飯田宅で会議して東京に決定。

明治二十一年三月十一日
清水与之助、諸井国三郎の両人、教会本部設置願の件に付東京行伺
「いずれの理一つの事情という。……幾重の道も連れて通る。」
 →いずれぢばに本部を移さなければならないが、どんな道も連れて通る。

明治二十一年四月十日 「神道直轄天理教会」東京府知事より認可。

親神様は本部をぢばに移して秋に天理教会本部開筵式で忙しい事を、
明治二十一年四月十七日 夜九時の刻限
「これまで秋を合図と言うてある。十分運び出来てある。こんな忙しい、世界も忙し年に、一度忙し刻限、
皆それ/\へ合図立て合い、刻限それ/\へも伝えて教えて置け。」で知らせ、

本部移転を、本席御障りに付おさしづ(明治二十一年六月三日 十時頃)から段々と、本席身上おさしづ(明治二十一年六月五日)で
日柄刻限外さんように、御諭(明治二十一年六月八日)で早くと仰られ、本席の御障りに付きおさしづ(明治二十一年六月二十一日)で、
せかされているのです。

193 :天理教H:2019/01/03(木) 08:16:53.61 ID:8udh8Z7a2
しかし、高弟達は”ぢば”に本部でなく分教会を設置しようとしたので

「かんろだい一つ」→元なるぢばを教える。
いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで (17-34)
このたびハこのしんちつをせかへちうゑ どふぞしいかりをしゑたいから (17-35)
それゆへにかんろふたいをはじめたわ ほんもとなるのところなるのや (17-36)

「人間(をたすけたいから)定めてある。」
こんな事はじめかけるとゆうのもな せかいぢううをたすけたいから (17-37)

「何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
これさいかたしかさだめてをいたなら とんな事でもあふなきハない (9-20)

ぢば定めから始まる一日であると言う事と楽しみ(案じるでない、治まっていく)という事を治めてもらいたいと言うおさしづがあるのです。

194 :天理教H:2019/01/03(木) 08:26:59.46 ID:8udh8Z7a2
そして次のおさしづ
明治二十一年六月二十七日(陰暦五月十八日)本席御障りに付伺
「一寸細々の道を許してある。これまで通り替わりてある。早く理を運び替え。一寸世界から押されぬよう、細々の道なら早くに運んで了え。」
 →天理教会は許してある。世間に押されない様に早く本部をぢばに運び替えよ。

明治二十一年七月二日(陰暦五月二十三日)午前六時
本席腹下るに付伺
「遠く/\の理は、一寸世界の理。神の理は、さあ/\一時ならん。一時の間にも、一時急ぐ/\処は急がねばならん。
急がいでも/\よい事を急いでならん。」
 →本部を東京に置くのは、遠くの理で世界の理。ぢばに本部を置く神の理とは違う。早く移転を急がねばならない。
分教会設置を急がなくてもよい事を急ぐでない。

右に付、教会本部をぢばへ引移りの事を押して願
「世界で所を変えて本部々々と言うて、今上も言うて居れども、あちらにも本部と言うて居れど、何にも分からん。
ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まる。ぢばがありて、世界治まる。さあ/\心定めよ。」

明治二十一年七月三日(陰暦五月二十四日)
本席の御障りに付おさしづ
「本部々々、あちらも本部。変わる出ける残る理と、かんろうだい一つ、何にも分からんでない。出掛けたら見にゃならん/\。
第一の理が分からん。大層であろう/\。よう聞け。何でも道を出さねばならん。先ず/\このぢば・かんろうだい一つ、
何でも彼でも運ばにゃならん。どんな道、世界の道、ほんの気休めである。発端の道、何か急いで取り掛かれ/\。」
 →世界の道は気休めなのだが、ぢば・かんろうだい一つは、発端の道であり、この道は出さねばならない。

明治二十一年七月十一日(陰暦六月三日)
本部をおぢばへ移転するに付、奈良県庁へ届書にして宜しきや、又、願にして宜しきや伺
「この度皆世界から押されるから、一寸細い道を許したもの。どうでもこうでも、一つの道通らにゃならん。そこで早く/\道を運んで了え。」

195 :天理教H:2019/01/03(木) 08:28:24.53 ID:8udh8Z7a2
明治二十一年七月十三日
東京本局へ、奈良県への届を書し、添書頼みに行くに付願
「神一条の道を胸に治めて、世界の理を運ぶよう。まあ暫くの処と思う者もある。なれど神が入り込み守護をする。安心の道運ぶ。
道だけ早く早く運んで了うよう。」
 →暫く本部を東京に置いていればと言う者もあるが、その者に神が入りうまく事が運ぶように守護する。

明治二十一年七月二十三日
東京より届書の添書帰りて願
「さあ/\神一条の理は一夜の間にも入り込むなら、どうしようとままや。朝あちら向いて居るを、こちら向けるは何でもない。」
 →神一条の心で運ぶ事柄は、意に反する者を思い通りにするのは何でもない。

そして、同日(明治二十一年七月二十三日)に奈良県庁に天理教会所移転御届を神道管長の添書、東京府認可の写しなどを出願して、
即刻受理されたので、晴れて本部移転がかなったのです。
そして、明治二十一年十一月十一日(陰暦十月二十六日)教会本部開筵式で初めて公然とかぐらつとめが勤められたのです。
この日から三日間にわたる祝典は、お屋敷内は盛況をきわめた。

196 :天理教H:2019/01/03(木) 16:29:14.87 ID:8udh8Z7a2
なにもかもあきをあいづにみへかける よふきづとめにはやくかゝれよ (6-13)
明治八年にぢば定め、つとめが全体にわたって整えられ、それ以降つとめ人衆を揃えられた。
明治十五年に教祖は、「合図立合い、/\。」と仰せられ、一列澄ます為のかんろだい普請がかんろだいの石が没収、
そして、一列澄ましてに変更になり、たすけを急ぐ為に十月十二日から十月二十六日まで、
教祖自ら北の上段の間にお出ましの上、毎日々々つとめが行われた。即ち、善と悪が立合い。
そして、扉を開いて明治二十一年の秋に今までこっそりと(陰気に)勤めていたかぐらつとめが堂々と(陽気に)勤められたのである。

おふでさき第六号の執筆は、明治七年十二月(M7.12.1?陰M7.10.23?〜陽M7.12.31?陰M7.11.23?)より
明治八年一月(M8.1.1?陰M7.11.24?〜陽M8.1.31?陰M7.12.24?)までです。
その第六号十三は、一〜十六で一区切りなので明治七年十二月中に執筆されたと思いますので、それから丁度十四年後、
数えで十五年後の秋、公然とかぐらつとめが勤められた。
たん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる (2-44)

この様におふでさきの予言から数々のおさしづの刻限で旬を外さない様に史実へと繋がるのです。

親神様の神意にすぐに本部の移転があって、しかし、高弟達は、東京で認可してすぐに奈良に
本部を移せば世間からどのように思われるかも知れないその中で、とりあえず”ぢば”に分教会設置を伺ったのです。
そこで親神様は、かんろだいは一つであり、それはぢばに据えられているのであり、ぢば以外に本部を置くのは、
それはぢはに一つの理とはならないので、分教会を設置するのでなく本部をちばに移しなさいと仰っているのです。
それは、ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まるのです。

それなのになぜ”かんろだい”が人間になる刻限を入れなければならないのですか?
前後のおさしづと史実と文脈を考えれば違うというところが解ると思いますが。
だから「かんろだい一つ(を)人間(に)定めてある」ではなく、おそらく「かんろだい一つ(据える所の”ぢば”は)
人間(をたすけたいから)定めてある」になるのでしょう。

197 :天理教H:2019/01/03(木) 16:49:56.71 ID:8udh8Z7a2
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし (17-10)
それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで (17-11)

石造りのかんろだいの完成が先ではなく、かんろだい(本元の真実)一条によって人々の心を澄ますのを先にしなければならないと言うことです。

あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
このかんろだいの部分のお手振りはかんろだいの形を現しています。

そしてそれが
いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら (7-35)
太古の昔にぢばで人間を始められた事と同じく、天保九年、親神様がこの世の表に現れ陽気ゆさんの世界を初めていた。

いまゝてにない事ばかりゆいかけて よろづたすけのつとめをしへる (6-29)
つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ (10-21)
はや/\と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる (14-92)
このよふをはじめかけたもをなぢ事 ないにんけんをはちめかけたで (15-54)
これさいかはじめかけたる事ならば とんなたすけもみなうけやうで (15-55)

それを目に見える形でかんろだいを建てて、そこを芯として、心を揃えてつとめをする事によって御守護を見せようとした。
それが、かんろだいの石の取り払いという迫害干渉にあって「いちれつすますかんろだい」から「いちれつすましてかんろだい」へとおつとめか変わり、
人々の心を澄ましてからに変更になったが、それらを含めても明治八年六月二十九日(陰暦五月二十六日)のぢば定めが一日であり、
月日が最初に中山みきに天降ったのもちばの所です。
それから始まる一日であり、それぞれの人間がお道に出会い話をぢばで聞く事も一日であり、
天理教教会の許可する事も、それは全てぢばから始まる姿であって、皆の心が伴って、それが治まっていく事に繋がっていくのです。

198 :天理教H:2019/01/03(木) 17:13:34.48 ID:8udh8Z7a2
>>95
>神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
>その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
>言うていたところが、神が承知出けん。
>どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
>道は無い、

これと明治二十年三月二十二日(陰暦二月二十八日)二時 刻限御話と明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時 刻限御話をかけていますが、
明治二十年三月二十二日のおさしづの「風は神や。風がかりもの無うては、箱に物を入れて蓋を閉め切りた如く、
腐ろうより仕様の無いもの。風がそよ/\あるので、半日や一日は送れるで。」は外に出して風を通す事でなく、
少しの風があればこそ腐らないと仰ったのです。それは多少の事情は、それは腐らない為の少しの風と仰るのです。

しかし、今は大風だがそれに歯向かえば自ら倒れる事になるので放って置き、「今までに教えたるは腹の立たぬよう、
何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。」と仰せのように人から何か腹立たしい事や気にかかる言動を気にするなと仰っているのです。
史実でも教祖の御遺骸を一旦、頭光寺の中山家の墓地へ埋葬され今後の新墓地の話をされていて、
その過程で色んな問題や腹の立つような意見を聞いていたのです。

おさしづでの大風の用い方は、人間にとって感じる悪い例え話であり、おふでさきの直接指す「をふかぜ」と違うのです。
だから、おさしづの大風は山を刳り抜くためのおさしづと繋がらないのです。

199 :天理教H:2019/01/03(木) 17:21:08.96 ID:8udh8Z7a2
>>96
>仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
>神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、
>やっときれいな仕事場にした。
>神の望む処で話しするのや。

仕事場は場所ではありません。

明治二十年三月二十五日 午前五時三十分 刻限御話
「心の働きを見て、心の尽したるを受け取りてあるから、やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡した処が、
今までの昵懇の中である故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは、天のあたゑで、それに区別がある。
この通りに、受け取りてあるものがある。それを渡すには、どうも今の処の仕事場と言うた事を消して、本席と定めて渡そうと思えども、
このまゝでは残念々々。さあさあ本席と承知が出けたか/\。さあ、一体承知か。」

真之亮より、飯降伊蔵の身上差上げ、妻子は私引受け、本席と承知の旨申上ぐれば、引続いて
「一寸頼み置くと言うは、席と定めたるといえども、今一時にどうせいと言うでない。三人五人十人同じ同席という。
その内に、綾錦のその上へ絹を着せたようなものである。それから伝える話もある。」

と仕事場から本席となる飯降伊蔵の事なのです。

200 :天理教H:2019/01/04(金) 00:11:11.51 ID:RgUl2cWNG
>>98
>明治二十二年十一月二日
>一、二、三の印を打ったら神一条の道
>「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を
>言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。
>伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」

三軒三棟が建つ事は順序が成り立つ事でありますが、それは二の部分です。その二には真柱も含まれています。
三軒三棟の直接の意味は、「掛かり親子諸共親子諸共伏せ込んだ理、親子諸共の理、棟三軒の理」
つまり、親子諸共伏せ込んだ飯降家です。

一二三は、順序ですが、
明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時 本席身上障り願
「往還道通すと、どんと油断してどうもならん。長い間、道理上の道を通れとは言わん。何年々々の切りを切りて置こう。
さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
……どうでもこうでも、言わにゃならん、聞かにゃならん、聞かさにゃならん。三つ理を。」

その三つ理は、
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
「まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」
明治二十二年十一月九日(陰暦十月十七日)午後十時半 刻限御話
「遠く事情世界と言う。成らん事情を無理に通れ。長く事情やない。さあ/\まあ一寸今という今、もうこれ譬え一つの理を諭して、
もうこれ三年々々という理を諭し掛けたら、どういう事であろう。三年の理を待ち兼ねる/\。一寸一日二日三日つい経つものや。
三年と言えば長いように思う。一度定めた心は生涯という。」と「三つ理」は「三つ」と「三年の理」と同じであります。
明治二十五年七月二十七日のおさしづで「三年という、千日というて定めたる。千日先というはこうなる。三年以前に諭したる。」
があるように、つまり、三つ理は三年のひながたの道であり、一二三の切りは、三年の通りにくい道なのです。

201 :天理教H:2019/01/04(金) 00:17:38.86 ID:RgUl2cWNG
そして、一二三の印は、明治二十五年七月二十七日のおさしづで「一二三との印を打って尋ねる。」とあり、
それは割書で「前おさしづより一同決議の上左の項を分かちて願」と伺っているので前おさしづが解ることが一二三との印を打つこと同じであります。

その前の明治二十五年七月二十五日のおさしづを見てみると「一席という、又一席、又一席、よく聞いて事情に道があれば道がある。
理があれば理がある。支教会や支教会、分教会を題として、支教会出張所と言う。つゝまる処、一人とも言うであろ。
これまでの事情には、とんと分かり難ない。一日々々の理の治まり、一つ/\の道の理、どれだけ切なみ悩んで居るといえど、
何時なりと諭す。なれど、聞き分けにゃ何にもならん。高い所出ける、多く出来る。一時に聞かす。何ぼ尋ねたとて、
理に聞き分け無くば、納してあるも同じ事。悟りというは、幾重の理もある。一日勤まらん、二日勤まらん、三日勤まらん。今度は計られん。」

大意
別席の話をよく聞いて事情の中で用いれば道がある。それは理があることでもある。分教会を中心に置き支教会出張所と言うが
行く着くところ一人(教祖)と言うだろう。これまで皆は全然解ってない。一日一日の理の治まり、一つ一つの道の理を
皆がやりきれなくて悩んでいても何時でも諭す。しかし聞き分けなければ何もならない。明治政府から多く意見が出る。
それで何度もおさしづを伺っても理を聞き分けなければしまってある事と同じである。そして、悟りも多岐に亘る。
聞き分けできなければ一日、二日、三日と勤まらない。そうなれば今度の事情(本席が三日席御休みになり肩凝り付ける)はおしはかることができない。

202 :天理教H:2019/01/04(金) 00:18:26.41 ID:RgUl2cWNG
つまり、「一二三との印」は一日の理の治まり、一つの道の理を聞き分ける事が一つの印となり(一日?一年?の治まり)、
それを二日、三日(二年、三年)と新たに聞き分ける事が二三との印になる。それが神一条の道となるのです。
簡単に言えば刻限を出して一つ一つ組み合わせるように皆が聞き分けることです。

そして、それが一二三の切りの間は世界の道理上の道を通るが一二三との印を打って神一条の道を通り、
その三の切りの間を超せば「三年経てば、偉い事に成るのやで。」と仰るように、
史実でも明治二十二年から数えで三年後の明治二十四年に盛況を極め滞りなく教組五年祭が勤め終えれ、
翌年も教祖墓地改葬で各教会からの協力と多くの人がひのきしんに参加する壮大な光景であった。
これ以後の教勢は目覚ましく躍進を遂げる事になります。

203 :天理教H:2019/01/04(金) 00:23:44.14 ID:RgUl2cWNG
追記 訂正?は、二重括弧です。

204 :天理教H:2019/01/04(金) 00:26:10.54 ID:RgUl2cWNG
基本さんの解釈は、二代真柱は復元の真柱であって、明治22年の刻限の123 123の切りの予言がある。
>>14 の 刻限で諭された内容 123で30年、最初の復元(増野鼓雪の青年会)、次の123で60年。
天理教教義は復元されました。それが天理教教典です。

即ち三十年で復元です。
123の切りが三十年でいくと教祖が扉を開かれて数えで三十年後(1916年)には、
内務省訓令で改められていた朝夕のおつとめが復元(あしきをはらうてが唱えられるようになる)。
それから三十年後(1946年)には、二代真柱が復元の徹底のためにふでさき講義や各地を巡教とそれぞれ復元しています。

どちらも、一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事ではありません。

刻限自体は、決まった理を知らす事情、当時の事の言っているなら、当時の事柄を先でこうしなさいと言う事であり、
何も伏せ込む言葉ではありません。むしろ解るようにしなければ「刻限遅れると皆遅れる。どきはきの道を通らにゃならん。」
となるのです。そして、おさしづを悟り様で甘いものでも辛いと言えば無意味なもの。

205 :天理教H:2019/01/04(金) 00:31:24.56 ID:RgUl2cWNG
>>99
>甘ろとは天啓のことです

違います。
かんろとは、仏教では、スッタニパータでの甘露の原語amataは「不死」という意味もあります。

「本草綱目」という本には、甘露というものは、膏のような露である。また瑞露と言ってめでたい露である。
また、天酒と言って天から下される御酒である。また神様の下さる飲み物、即ち神漿である。
「北史節要」「文徳実録」には、甘露が降ったと書いてあります。大和にも降ったと記録されています。                                            (おかぐらのうた 上田嘉成)

つまり、中華世界古代の伝承で、天から降る甘い液体とサンスクリット語の不死を同一視した漢訳仏典があり、
その後、日本でも空から降ってくる薬と言う認識があったのです。故に教祖は、「かんろ』の意味が解って受け入れられやすい環境で説いたのです。

つとめに天からかんろを降ろすとおっしゃる。肝心要のかんろとおっしゃる。その人によって寿命を違う、
その寿命の継ぎ目の肝心な時に継いでもらうのがかんろである。それで寿命薬である。
神様はかんろをやるとおっしゃる。しかし人の心の澄むまでは、かんろを与えても、出した手が引けぬ(手がしゃちこばって動かなくなる)。
しゃちこばれば恐ろしい神様やというて人は怖がる。それで話をよく聞かして心を澄まし切ってからかんろを与えるとおっしゃる。
                  (みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎)

だから、かんろは寿命薬です。
かんろだいが完成したその暁には天から寿命薬であるぢきもつ(かんろ)を授けられ、教祖から各自の心を見定められ渡されるのです。

206 :天理教H:2019/01/04(金) 00:31:58.48 ID:RgUl2cWNG
死は誰にでも、必ず訪れます。そして、人間は誰しも死ぬと解っていても死が間近に迫れば恐怖があります、
それが若ければなおさらです、愛する者を亡くす辛さも持っています。その人間の心の叫びを執着心を捨てる、
極楽や天国に行く、来生や復活に思いをはせる事によって拭うてきた「死」に対する重い課題に対して、

神の心の真実は、
だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや (4-36)
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ (4-37)
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや (4-38)
115歳定命を超えたその先の寿命を授けるための思いがあるのです。

207 :神も仏も名無しさん:2019/01/04(金) 13:09:14.45 ID:nIXrD742W
児玉健次教諭と、愛媛県伊予市の『濱田屋』の息子が「誰だってイヤだ!」
という意味のことを言ってきたが、
☆凄くモテるS川クンから中学の部活で「お前、かわいいんよ!」とか「こんなかわいい奴がこの世に存在してええん?!」
と言われたり、
☆小学校高学年で3人から好きになられたり、小学校2年生の3学期にモテるK下クンと友達でした。

なのに、「港南中学校にいた松尾多美子」教諭が「誰が相手にするんで!!」だの言い
【伊予高校】にいた【愛媛県松山市在住の冨田徳生】教諭が「誰もが鬱陶しいと思うとらい!!」「百人中百人が!」
と言い、その冨田徳生の
当時の同僚の『橋本(=堀川映子)』や古茂田は偽善者だからキレイごとを言いながら頭では冨田徳生と同じようにバカにしてた。←まともだったころのボクも知らずに!!!!!!!

【高校教師の橋本(=堀川映子】偽善者がバカにしてた【北橋やバカの山中】

☆本当にわかってくれた(無知じゃなかった)のは『戒田育子先生♪』『池田和子先生』『高田恭子先生♪☆』『神野正憲先生☆』♪、、。。
尊敬してたのは『福田尚睦先生☆♪』☆

208 :神も仏も名無しさん:2019/01/04(金) 13:23:44.95 ID:nIXrD742W
http://www.asahi.com/

http://www.tbs.co.jp/

http://www.fujitv.co.jp/

http://www.eat.jp/

209 :神之打分場所M:2019/01/04(金) 14:44:32.54 ID:Oy5R3Hbrv
カインは教理を知らず社会学上、問題提起して本部を改革しようとしています。
それも一つの道理でしよう。
色々書いて下さり参考になります。
今私は出先なので資料もない中ですが書かせて頂きます。
平行線になるだろうと思いますが、
明治二十一年六月二十三日
「かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」
さしづは素直に読むことも大切では無いでしようか。
中に字を差し込むと違った意味になり、我が身勝手の解釈となりやすい。
でもさしづはその時を台にして先の事を言って有ります。意味がわからないように言って有るのです。そして先で分かるように。
高弟の桝井孝四郎が言われてもです。おふでさきのかんろふだいと言うもじは
かんろふたい(甘露婦体)かんろふ大(甘露婦大)かんろふだい(甘露婦台)かんろたい(甘露体)まだ有ると思いますが。
甘露とは天啓の事で婦人の体に天啓が降りる事を伏せ込んで有ります。
天啓で始まった天理教にどうして神様を治め無いのでしようか?
おふでさきにもありますが
このよふをはじめてからにないつとめ  またはじめかけたしかおさめる  と
でも此処に書いておきます。渡邉秀子様 昨年十二月三十一日に安らかに眠りにつかれました。齢九十八歳で今日がお通やです。

210 :天理教H:2019/01/04(金) 20:10:12.40 ID:RgUl2cWNG
>>209
>さしづは素直に読むことも大切では無いでしようか。
>中に字を差し込むと違った意味になり、我が身勝手の解釈となりやすい。

我が身勝手の解釈でなく、史実やおふでさき、おさしづから導き出した解釈です。
後での投稿についての反論は随時載せていきますが、出来れば神之打分場所Mさんの方から人間甘露台が正しい前程としてではなく、
客観的な共通の資料に基づき、根拠を示しながら反論して頂きたい。

>おふでさきのかんろふだいと言うもじは
>かんろふたい(甘露婦体)かんろふ大(甘露婦大)かんろふだい(甘露婦台)かんろたい(甘露体)まだ
>有ると思いますが。
>甘露とは天啓の事で婦人の体に天啓が降りる事を伏せ込んで有ります。

おふでさきの「かんろふたい」の「ふ」は、歴史的仮名遣いで現代仮名遣いに直せば「う」です。
他のおふでさきの語句も歴史的仮名遣いでお書きになっている所があります。
「ふ」を「婦」にする。それこそ我が身勝手な解釈ではありませんか?

211 :天理教H:2019/01/04(金) 23:18:50.53 ID:RgUl2cWNG
>>100
>三尺に六かく  又三十六人とは何でしょうか?
>決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、
>それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
>36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事な
>ので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。

三尺は三日三夜に宿し込み、三年三月留まった理。六角は人間はじまりの元六台。
36人もつとめ人衆すべてでなく「てをどり」6人6組で36人に当てはまります。
36の言葉が大事でなく3と6が大事なのです。
3は、身につく、三日三夜の宿し込み、三年三月留り、おさづけも三三三、おびや御供も三つ渡されます。
6は、六だいおさまる、6人6組、「六だい一つの理、それより理を始める」、
六台はくにとこたち、をもたり、くにさづち、月よみ、いざなぎ、いざなみのみことです。
実物のかんろだいの形こそ深い意味が込められているのです。

212 :天理教H:2019/01/04(金) 23:21:53.36 ID:RgUl2cWNG
>>102
>楽しまして、たんのう大きい木あるわ。
>>103
>たんのうを木はしません。たんのうするのは人間だけです。

初めに公刊されたおさしづも現在のおさしづ改修版も、「楽しまして、たんのう。大きい木あるわ。」
とたんのうの後ろには句読点があるのでたんのうと大きい木は区切ります。
即ち、普請の段取りをはじめる事により本席を楽しませ満足させなければならないと言う事です。

>大きい木一本では、普請も出来ません。

明治三十九年五月二十ハ日
木と仰せ下さる処、理の木でありますか、又は現場の木でありますかと申し上げ
「一本一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。」

大意
買い足して行こうと思えば大層だけど、大きい木一本を買って切って削っておけば、普請に十分の木が出ける。

そして、それが「一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。」先で多くの木を買い入れる事が出来るのです。

213 :天理教H:2019/01/04(金) 23:28:37.03 ID:RgUl2cWNG
>>103
>みかぐらうた五下り目 かうをむすぼやないかいな
             六下り目  ひとつのかうをもみにゃならぬ
>かうとは講では有りません。信者の集まりを指して居るのでなく、買うと言う事です。
>人と人の約束事、条約では無く、人と神との条約で、初代真柱に半ば強引に約束させられたのでしょう。
>みかぐらうたにはっきりと「かう」と書かれて有る事思案して頂きたいのです。
>教祖おやさまは娘であるおはるさんを梶本家へ嫁がせ、孫である新治郎を真柱の真之亮として迎え入れま
>した。これは外孫です。真柱は外から入れるという事を雛形として教えて有ります。

みかぐらうた「買う」とおさしづ「大きい木」、外から真柱を向かい入れた雛形より、外から渡邉秀子氏を迎え入れるという的外れな解釈をしてますが、
現代仮名遣いの「こう」は、歴史的仮名遣いで「かう」であり、もし、「かう」が買うなら歴史的仮名遣いでは「かふ」になります。
だから、「かう」を「こう(講)」と解釈するのが正解です。

教祖伝でも『明治十一年:「講を結べ。」と、お急込み頂いたのは、文久、元治の頃に始まり、早くもその萌しはあったが、
明治十一年四月頃には、秀司を講元とする真明講が結ばれて居た。』とあり、それより前に慶応3年に矢部村講中、七条村講中があったのです。
つまり、教祖のお言葉があり講が出来たのです。そして「結ぶ」は約束ではなく、繋がりなのです。

逸話編にこかんさんの出直しによって教祖の言葉を考え、懺悔して改め、皆が信仰していくために講を結ぶ事(各自の心の動きが勇んで一つになる)
に教祖は大層喜ばれたのです。
そして、真柱を外から入れる事を強調した訳ではなく、心低い母の娘元始まりにいんねんあるお秀の魂をたまへとして、
これまた元始まりにいんねんある教祖に理解があり若い時からこうのうを積んでいた前川の父半七正信の魂を眞之亮、
その二人を夫婦とするため、道具の製造・修理をする鍛冶屋から生屋敷に迎え入れたのです。

そして、六下り目の「かう」は、次の「このたびみえました あふぎのうかゞひこれふしぎ」とあるので「かう」は効能の「効」です。

214 :天理教H:2019/01/04(金) 23:30:54.94 ID:RgUl2cWNG
>>106
>ふでさき九号
>五十五   これをみよたしかに月日ぢきもつの     あたゑしいかりたしかわたする
>六十     そのうゑえひらばちのせてをいたなら     それよりたしかぢきもつをやろ
>六十一   ぢきもつをたれにあたへる事ならば      このよはじめたをやにわたする

五十九 このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに
このおふでさき一首を抜かしたらいけませんね。

215 :天理教H:2019/01/07(月) 23:03:22.34 ID:6QG6EyUso
まだまだ投稿しようとした文がありますが、もうやめておきます。

>>181
補足として、勘違いするのが、
子が可愛いとか「神というものは、難儀さそう、困らそうという神は出て居んで。」だから、教祖は優しいのではありません。
教祖は這い上がれない子を捨てずに根気よく待つが、我が子を千尋の谷に落とすような育て方をします。
思惑があるので助けるばかりが神ではありません。
教祖伝でも、『刻限々々にお言葉があって、「此処、とめに来るのも出て来るも、皆、親神のする事や。」と。
教祖の御苦労については、「親神が連れて行くのや。」と。』教祖も本席に苦労をさせろと仰せになり、

やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら (1-47)
まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり (1-48)
ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである (1-49)
とこれが道です。

道中「紙より薄い物でも、真実積み重ねたら、神が、どんな刃差し向けようがどんな大砲放そうが受けんが、神の自由。これまで説いたる。」
刃を差し向けたその先に真実の積み重ね方によって自由自在の守護があるのです。
しかし、言いかえれば真実の積み重ねが無ければ、神の躊躇はないのです。

一れつハみな/\わがみきをつけよ 月日ゑんりよわさらにないぞや (6-93)

そして、教祖が商売繁盛になると説くよりも「貧乏せ」と仰せになる。
恐ろしいや親神中山みき様。

>>21 基本さんから引用
>地場は独り立ちしてある。。それは信者の献金など一円もいらない。
>悪魔の教え、貧乏せいの天理教は、独り立ちへの道を教え、
>霊元の神の教えPLは、人生は芸術を説き、実は集金ビジネス、野球部は広告塔で、その塔がたおれた。
>神の返し・・いいえ赤衣の悪魔の祟りは、新宗教に降り注ぐ。大教会に降り注ぐ。

216 :神之打分場所M:2019/01/08(火) 22:28:32.01 ID:rHMPuFG5h
>189
>教祖は神の社になってから親神様であり、我が子である人間をたすけたい、成人させ>たいとばかり思う教祖しか存在しません。

教祖は神の社になられてから親神様ですか?教祖は教祖でしょう。
教典に天理王命とじばと教祖はその理一つであると言われますが、それもおかしい。
では教会に祭ってある親神様と教祖をなぜ一つにしませんか。
月次祭で一つ社が無くなればお供え物も少なく出来て、経済的にも助かります。
教祖を親神様と言うのは、中山家を教団の真に持って行く方便なのでは……
明治二十一年一月八日  おさしづ
元聞き分けて貰いたい。
何処其処で誰それという者でない。
ほん何でもない百姓屋の者。
何にも知らん女一人何でもない者や。
それだめの教えを説くと言う処の理を聞き分け。

このさしづを見ても教祖が親神様とは言えません。
教祖は月日が入った神の社です。
このあかいきものをなんとをもている    なかに月日がこもりいるそや     ふでさき
だから神と一体化しているため、神に聞く事も出来れば、神の言葉を伝える事も
出来ます。
でも私的時間もあります。それが鏡池の事件、夫善兵衛に死を願う事件が代表的なものでしょう。
弥勒様に天啓の事について聞いた事があります。
どの様にして出るのかと。曰く「例えば同じ言葉が何回も出て来る。日々に/\/\/
\と。書けば次の言葉が出て来ます」と言う事です。
私の目の前でさあ/\/\/\と出てきた事もあります。
それともう一つ、教祖が何故百姓だったか。
それは百年祭に女が生まれと書きます。それが弥勒菩薩です。
日本語も神様が人の頭を使って造られたという事です。
教祖も百年先の事言うて置けば見えてくると言われています。

217 :天理教H:2019/01/09(水) 00:35:47.65 ID:1bMVFcXsx
>>216
>教祖は神の社になられてから親神様ですか?教祖は教祖でしょう。

このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはじまりのをやがいるなり (6-30)
このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり (6-55)
月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから (6-56)
にんけんをはじめだしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや (8-37)
にんけんをはじめたをやがも一にん どこにあるならたつねいてみよ (8-75)
いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や (12-67)
しかときけくちハ月日がみなかりて 心は月日みなかしている (12-68)

これらのおふでさきを見ればおやが誰なのか解るでしょう。教祖自身が元始りのおやです。
明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)の何にも知らん女一人云々のおさしづは、「女の処入り込んで理を弘める処」と月日が教祖に入り込む前の状況を仰せになったのです。教祖が月日の社になってから人間から親神になったのです。
社が二つあるのも真ん中は天理王命の神名を授けた地場に対してのもの、もう一つは教祖です。
鏡池の事件は、差し迫った時に自由自在の守護があるひながたであり、夫善兵衛に死を願う事件は教祖を陥れる捏造でしょう。

教祖を親神だと解らなければ教理は何にも解らない。

218 :天理教H:2019/01/09(水) 06:26:33.36 ID:1bMVFcXsx
その教理ですが、教祖が月日の社になり、それが単なる神の言葉を伝える天啓者になるだけと思えば
言葉で聞き取れる限られた期間である考えに至るのです。
実際には元の理で起こった事がもう一度天保九年十月二十六日に起こり、この世を初めているその道中であるからこそ
教祖は永遠に親神なのです。それが他の天啓者と万全たる違いがあるのです。

いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら (7-35)

219 :神之打分場所M:2019/01/12(土) 12:04:39.35 ID:oy+L6yxj2
歴史的仮名遣い、現代仮名遣いはわかります。
分かった上での話しです。
私が神之打分場所へ行った最初の頃、弥勒様は「ふでさきにやまとのしばのかみがたと
と書いてあります。」と言われました。
その後「お爺さんはしばかりに、お婆さんは川へ洗濯に」と言われ、変な話しをするなーと。
そしてしばについて、長く話されました。
事実後でふでさきを調べたら、しばと書いてあります。
やまとのじばと思ってましたが。しばも歴史的仮名遣いでしょうか。
ふでさきは一言一句間違えはないと聞いております。

句読点の問題。私も分かってて句点を消して分かり易く書いて見ました。
おさしづは伊蔵から出た言葉を、高弟たちが編纂したものです。
その時の伊蔵さんでさえも「分かりません」と答えて有ります。
句読点の使い方で意味も大きく変わります。
私のおさしづ本は教祖八十年祭に出版されたものですが、最初ページの凡例に
「教祖五十年祭に出版したものは読点、即ち  、 のみであったが、今度は句読点即ち
    。と  、とを併用した。」と書いてあります。
即ち編纂時も都合により、変更すると言う事です。

220 :天理教H:2019/01/12(土) 19:58:55.19 ID:oC95yHrgP
>>219
>やまとのじばと思ってましたが。しばも歴史的仮名遣いでしょうか。

おふでさきの文字は、特殊文字が用いられている場合があり、
ぢばの部分で「しバ」とおふでさきにお書きになっているのは、第一号 四だけで、他6首はすべて「ぢば」です。

このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい (1-4)
この「やまとのしバ」が含まれるおふでさきは、第一号 一 〜 第一号 八までは、みかぐら歌の「よろづよ八首」と同じで、
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
に当てはまります。つまり「しバ」は「ぢば」に該当します。

>句読点の問題。私も分かってて句点を消して分かり易く書いて見ました。

他の人間甘露台を説いている方のおさしづで「楽しまして、たんのう大きい木あるわ。」と書かれていたのを見たことがあったので、
同じだと思いましたが、
原典から引用して、間違いは仕方無いですけど、例え句読点であっても一字一句違いないようにするのが正しい引用の仕方でしょう。
そこに意図が入り、形を変える事はしてはならない事だと思います。

おさしづ自体、口述を筆録したもの、実際にはそこに句読点があるかないかは解らないでしょう。
句読点あっての読み方も出てきますが、句読点を無しでその文を続けて読もうとする事も読み手の都合により出てくる事もあり得る事です。
だから、おさしづ本の再編集が決まると「こふき委員会」が結成され、元々のおさしづ全巻を総見直して、編集刊行された。
その原典に倣うのが教義、教理を語る上で最低限必要な事ではないでしょうか。

221 :天理教H:2019/01/12(土) 20:06:35.12 ID:oC95yHrgP
>>220
考察

>>212
明治三十九年五月二十ハ日
しばらくして
大きい木買うて欲しい/\/\/\。大きい木、これ買おうと思て居る。けれど、どうもならん。
一本の木やそこらでは、始まらん、何もならんようではあるけれど、一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。
買うて欲しわい/\。買うてくれる者あらせんか。

木と仰せ下さる処、理の木でありますか、又は現場の木でありますかと申し上げ
予て話して居る。もう一度始め掛ける。手斧始めすると言うて、楽しまして、たんのう。大きい木あるわ。
一寸一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。
楽しんで居る。どうでもこうでも、高うても、買う者あらせんか。こちらから銭金掛けてくれとも、出してくれとも、言わせん。
可怪しい事言うと思うやろ/\。すれば、何でも年限追うて来るという。大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。
早う買うて欲しい。買うて貰ろて、大きい木ずうと出来たら、楽しみやで/\/\。
どうでもこうでも、年限遅れても、心の済むように、買お/\なあと、たゞ一声買おうと言う事待って居る/\。

教長より買いますと御答え下さる
買うて見せてくれるか。買うてやるか。そんなら待って居る。よかったなあ/\。さあ/\よかった/\。

もし、「たんのう大きい木」を一括りにして人間だとするなら、割書で理の木か現場の木か尋ねているので、
人間なら理の木だと言う事になり、次のおさしづで、理の木を買うといった事になる。
しかし、実際は初代真柱は、普請の為に現場の木だと理解して木を買っていた。

明らかに悟り違いなのに、翌年の明治四十年三月十三日(陰暦正月二十九日)午前八時三十分の百日のおさしづが始まるまで、
それに対してのおさしづがない。
初代真柱の悟りが正しかったからこそ用材の調達が前もって済んで、神殿普請に関する
明確な指示がある百日のおさしづに繋がるのではないでしょうか。

222 :神之打分場所M:2019/01/13(日) 10:54:51.55 ID:CECHl72B0
みかぐら歌も口述で筆録したもので、教祖が書かれたと言うみかぐら歌は無いと
聞いております。
山澤本とか梅谷本とか数冊を編集したもの。
ぢばで間違いないと思いますが、しばもそれなりの意味があります。

おさしづは句読点の問題もありますが、御本部は御本部の立場での解釈、異端は異端での解釈でしょうが異端はもっと大きな意味での天理を望んでいます。
「可笑しい事言うと思うやろ/\。すれば、何でも年限追うて来るという。大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。」
何でも年限追うて来るという。ーーー
何が来るか?人間が来る事です。木は歩いて来ません。

当時の高弟たちは、その時を背景としておさしづを解釈しました。それはそれでいいと思いますが、神はその時を台にして先の事を言ってあります。
後々で意味合いが有るおさしづなのです。
自身の事をも含めて書きますが、私の専修科の先輩も教会長でありながら高所からの
飛び降り自殺、専修科の有名な講師の方も夫婦で飛び降り自殺。
天理時報の出直欄に名前が載っただけで、事件にはなっていません。
我が大教会では無理なお供えの取立てはしてないにもかかわらず、プレッシャーはあります。
それは天理教内における仕組みではないでしょうか。
今の天理教を本来の天理に変えなければならないのです。

223 :天理教H:2019/01/13(日) 19:10:49.40 ID:5m3uhtQnw
>>222
今も教内の方でしたか、ハンドルネームが神之打分場所なので、全く今は関係のない方だと思っていました。失礼致しました。

自立できない依存体制とお供え至上主義や教団の説く一部間違った教理により、不幸になった事例がある事に対しては
心が痛み腹立たしさも感じます。
しかし、それを解決するため人間甘露台を置く事が正しいとは思いません。
それは、現在の天理教のトップを替える事で本来の天理に戻そうとするのは、拝み祈祷の延長上にある
神輿を替える事と何ら変わらないのです。
「いちれつすまして かんろだい」先ず、神から一列を澄ますのでなく、一列から澄ます。その事が大事なのではないでしょうか。

みかぐら歌の原本は発見されてないのは知っていますけど、「続ひとことはなし その2」で
標準本と用字の異なる部分を載せられている写本や私刊本は、どれも「ぢば」の部分で「しバ(しば)」と書かれたものはありません。
教組が「し」という文字を何故お書きになったか、教組が大和言葉でお話になられたように、当時の人々には解る事なのか、
それとも五十音順の順番で母音が同じなので「し」が「ぢ」になる順番を現しているのか、私には解りません。

224 :天理教H:2019/01/13(日) 19:12:11.98 ID:5m3uhtQnw
「来る」ですが
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%A5%E3%82%8B-474513#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
くる【来る】
1 空間的に離れているものが自分のいる方・所へ向かって動く。また、近づく。
 ?こちらに近づいたり着いたりする。接近・到着する。訪れる。「バスがきた」「留守に友人がきた」「霜のこないうちに取り入れを済ませる」
 ?自分が今いる所を、再び、また以前にたずねる。やってくる。「いつかきた町」「また明日きます」
 ?物が届く。「便りがくる」「ようやく注文した本がきた」
 ?鉄道・水道などの設備が通じる。「この町にはまだガスがきていない」
2 時間的に近づく。ある季節・時期・時間になる。
 「春がきた」「時間がきたので終わりにする」「行く年くる年」
3 事態が進んで、ある状態に至る。
 「もはや救いようのないところまできている」「使いづめでがたがくる」「もともと体が弱いところへきて、
   この暑さですっかりまいってしまった」
4 (「…からくる」の形で)
 ?そのことが原因・契機になってある事態が生じる。起因する。「疲労からきた病気」「倒産は経営の不手際からきている」「信念からくる実行力」
 ?由来する。「ギリシャ語からきた言葉」
5 何かによって、ある反応・感覚・感情が起こる。
 「ぴんとくる」「胸にじんとくる温かい言葉」
以下略

と解説はこれだけあります。つまり、1の空間的に離れているものが自分のいる方・所へ向かって動く。
また、近づく。だけではないと言う事、
このおさしづの用い方は、2の時間的に近づく。ある季節・時期・時間になる。との意味です。

「年限追うて来る」は成って来ると同じ意味です。
それは、誰に頼みはしないけど皆が寄り合って出来て来る不思議な普請です。

225 :神之打分場所M:2019/01/19(土) 10:50:35.89 ID:sNwHs3oJ3
>223
>それを解決するため人間甘露台を置く事が正しいとは思いません。

人間甘露台を置くと言う事は天啓者を置くと言う事、南無天理王命を置き、天理を伺い立てて治めると言う事です。
大西愛治郎は天理本部へ「甘露台は人間である」と言う事を訴えて、相手にされず
天理本道を始めました。
元から御本部は異端とは馴染め無いのでしょう。と言うより、最初から異端と思うのでしょう。
おふでさき八号
にんけんをはじめたをやがもう一にん   どこにあるならたつねいてみよ     七十一
と言われるように教祖は助造事件の針ヶ別所村や水屋敷事件の飯田岩治郎宅へも足を
運ばれています。これがひながたではないでしょうか。たつねいてみよです。
決して天理教の為の天理王命でなく、この世助ける為に天下った天理王命です。
増野鼓雪でさえも、天理に天啓者が居なくなれば、天理教は衰退するだろうと言われてます。

226 :天理教H:2019/01/20(日) 19:11:39.70 ID:0H1UZjc+1
>>225
>天理を伺い立てて治めると言う事です。

たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)
教祖は、はっきりと伺い立てていくではないと仰っています。
教組が助造事件で足を運ばれたのも親がもう一人何処にあるか訪ねたのではなく、元の理非を明らかにしたひながたであります。
教祖御在世時、飯田岩治郎宅に足をお運びになりましたが飯田宅だけではありません。
水屋敷事件時は教祖は現身を隠されていらっしゃらなくて本席は足を運んでいません。

異端が出るのも内の掃除であり、その水屋敷事件が起こったのも本部がおさしづを用いない(聞き分け出来ない)背景があっての事情、
明治三十年六月三日安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)にて、
その神意は、飯田岩治郎の事云々でなく、上田ナライトの事、明治二十七年七月、上田ナライトは気の間違いのようになったので、
明治二十七年七月二十八日に「心休ますよう」とおさしづを仰ぎ、実家に帰っていたのを呼び戻しなさいと仰っているのです。
だから、両事件とも八号 七十五のおふでさきを言いえたわけでないのです。

227 :天理教H:2019/01/20(日) 19:14:25.78 ID:0H1UZjc+1
天理教の為の天理王命でないは、賛同します。天理王命が天理教の発展の為なら小さくならざるを得ない。

増野鼓雪先生がそのような事を言っていたのは知りませんでした。真意は解りませんが、
ぢばに天啓者が居なくなれば、皆がぢば中心でなく教会中心となり、天理教は衰退すると言いたかったのではないでしょうか?

史実では、
天理教の教勢100年
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3647/OYS000106.pdf
本席が出直しされ、一派独立してから教勢は大きく伸びています。
不幸な歴史があり、それから数十年後衰退が始まったが、それこそ天理教の発展の為の天理王命と捉えるから小さくなります。
明らかに世の中は、教組が仰った寝ておぢばに帰れる、人が空を飛ぶ、針金がもの言った通りになり、
女松男松の隔てない世界、平等の世界、長寿に向かっています。
天理教の衰退、いやいや世界が発展している素晴らしい事ではありませんか。

228 :天理教H:2019/01/20(日) 19:20:21.82 ID:0H1UZjc+1
大西愛治郎が何故人間甘露台を説いたのかは、自らの身体の異変がきっかけとなり、根拠を求めて原典を研究した。
当時としては、おふでさきも昭和3年に注釈付きが公刊されるまで、実際教祖から直々に教えを受けた人達が会議を重ねた注釈がない私刊本であり、
それぞれ独自の解釈が出回っていた時代である。
大西は、布教に成果があがらずに悶々としていた時におさしづ全巻(私刊本)を手に入れたので、おさしづ研究が主となり、
しかも個人で各史実を調べられる訳ではないので、おさしづに書かれた文言だけで判断した。
それが結果的におふでさきと共に史実を無視した形となった。そして、肝心の「一つの理」が悟れなかった事が誤解の大きな原因だったのでしょう。

しかし、この事柄も教祖がさせた事であり、この大西愛治郎のおふでさき、おさしづの曲解から不敬事件となり、
警察当局が熱心に教義の研究を始めて本部の方へ解釈の問い合わせがあり、
その事柄が注釈付きおふでさきの公刊、おさしづの年次を追って公刊となる旬が訪れたのです。

229 :神も仏も名無しさん:2019/01/20(日) 19:29:33.47 ID:xu37yNdHf
どこに有る?
現に今無いではないか
有るんならとっくにヤっとる

230 :神も仏も名無しさん:2019/01/20(日) 19:41:21.34 ID:xu37yNdHf
「見えます」ってのはね
脳の病気で幻覚が見える人に失礼なの
とんないのとんないの

231 :神之打分場所M:2019/01/26(土) 12:24:01.50 ID:80yyKCjb8
>おふでさき八号
にんけんをはじめたをやがもう一にん   どこにあるならたつねいてみよ     七十一

七十一→七十五で間違えてました。
当時の時代背景を参考に説明して頂き、ありがとうございます。
上のふでさきに類したさしづを書いて見ます。

明治三十一年十月十九日  身上さしづ
親という、もう一人の親という理は大切。
さあ/\順序話すによってよう聞き分けねばならん。
さあ/\親という二代なる子というを前々から一つどうやこうや楽しんで居る、
よいか、一日なりとも休息場へ出て楽しますがよい。
二代一つの理と初め順序の理を夫々、皆々の中こうと治まる。

私は専修科卒業でもありますが、その当時ふでさきを全文墨書で書かされました。
その中にふでさき第六号ー八
このよふをはじめてからにないつとめ    またはじめかけたしかをさめる
とあるふでさきを書いた時 電気が身体の中を走るのを覚え、聞いた事も、見た事も無い思いに晒されておふでさき注釈で確認しましたが、納得出来ませんでした。
神之打分場所へ行って色々納得出来たわけです。
何も論破しようとは思って居ません。事実を語っているだけでぢばを中心とした
天理を、元の神実の神で有る南無天理王命を治めこの世に現したいだけです。

232 :神之打分場所M:2019/01/26(土) 12:47:12.50 ID:80yyKCjb8
平成二年九月十二日  さしづ
この道は又始め掛けたるもう一度
手斧の始めをすると言うて聞かし来て、紋型無き所より始め掛けたる道
教祖中山みきも道のひな形、神の道婦具や。
神が仕込んで使うてきたる。何するも神のする事。神思惑の台を世に出す為に、先に道を歩かせたるぞ。
なればこそ、ひな形道理に見えて来た。
これが確かな参り所。
又始め掛けたる手斧の二せんの道や、一つの印を打ったる神の道
何も知らずに道を通りて到るよに思い居るのは理が違う。
今の時旬、神を世に出す時節到来
この事の分からんようで何ぼ信心致し居るように思えても神の思惑とは一寸違うぞ
なむ天理王命を甘露台と立て上げのふしんや
立て上げて道の宝とせにゃ成らん
天理の宝とせにゃならん
末代までも栄え行く道の宝や治めにゃ成らん
治めなくして宝と言えん。言えるようにと心するなり。

233 :天理教H:2019/01/28(月) 20:40:47.32 ID:i83QjiwFZ
>>231
人が救われるのは、天理教だけでなく、他の宗教でもある事なので、その人が救われればどの様な宗教でもいいと思っています。
また離れるのも一つの方法だと思っています。そこにこだわるほど天理王命は小さい神ではないと思っています。
逆に下手にこだわって自らを責め終わらせるよりか良いと思います。知らなくて結構だと言う事もあるでしょう。

しかし、問題なのは永遠に変わらない元を他に拵える事、教祖から「人の心の理から、どんな神もできるのやで」
とお聞かせてもらっています。その人の言葉を信じるか信じないかは各自の自由だと思いますが、
それを元として人に説く事は私は違うと言いたいのです。
私自身の悟りも間違っている所があるかもしれません。でも元だけは間違わない様にしたいと思っています。
人間を始めた親は、中山みき様以外は、どこにも居ないのです。そしてそのお方は今もぢばにお姿が見えないけど
存命で働いていらっしゃるのです。

そのぢばに据えるのはかんろだい、天理教としては、真柱を芯とする事です。

234 :天理教H:2019/01/28(月) 20:51:36.06 ID:i83QjiwFZ
このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる (6-8)


「またはじめかけ」の「また」は再び初める。初める「つとめ」、それは、10億年前にこの世人間を創造した事と
天保九年十月から「かんろだいのつとめ」とに分けてます。
この世の始まりを無視して、天保九年十月からの道をつとめではないと言う事です。

明治三十一年十月十九日のおさしづですが、個人の身上伺いであるので、事情をすべて知りえた訳ではないので
少ない情報から推測すると、割書で桝井きく七十四才身上願と書いてます。
桝井きくは、桝井伊三郎の母、伊三郎は、おさしづを悟る第一人者、きくは、八十八歳まで生きてます。
これらの事より、このおさしづを伺っての悟りは間違いがなかったでしょう。

あくまで自説ですが、
「親という、もう一人の親という理は大切。」この親は教祖を指し示し、そして、もう一人の親と仰った訳でなく、
親は、桝井きく、そしてもう一人の親は、桝井伊三郎の父。親思いの桝井伊三郎に対してのお諭です。
「親という、二代なる子という」これは、桝井伊三郎の父が桝井伊三郎の長男「安松」として生まれ変わり、
「二代一つの理と初め順序の理」は、二代「安松」は、桝井伊三郎の父と一つの理(同じ)であり、
それは、桝井家は、桝井伊三郎の父の喘息の身上から母が参って初まったのが順序だったのです。
「ほんにそうやという親大切なる理である。」そのように納得すれば親が大切になり、それが順序の台の順序の理となり、
親であった「安松」をこれからも楽しませなさいと仰せになっているのです。

桝井伊三郎は、教祖から言われてから家で叱ることはしなかったが、理に厳しい人だったので、
子供に対しては厳しく叱らなくてもいいのだろうかの迷いがあったのかもしれません。
そして心得として、このような「二代一つの勤め方」は、一代での勤め方と変わりないと仰ったのでしょう。

235 :天理教H:2019/01/28(月) 20:58:14.37 ID:i83QjiwFZ
それと桝井きくさんが初めておぢばで教祖にお会いになった時に、
教祖は、「待っていた、待っていた。」
と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温かなお言葉を下された。
それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、 詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、
教祖は、「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。 おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」と、
仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、
何んとも言えぬ慕わしさが、キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。
             (教祖伝逸話篇 一〇 えらい遠廻わりをして)

おぢばには、すべての神様がおいでになる事と教祖は本当の親と強い感激に打たれた桝井きくさんの姿があったのです。

236 :神之打分場所M:2019/02/03(日) 13:52:40.66 ID:OOOqRM+i4
>>233
人間を始めた親は、中山みき様以外は、どこにも居ないのです。そしてそのお方は今もぢばにお姿が見えないけど
存命で働いていらっしゃるのです。


人間を始めた親が中山みき、教祖ですか。
それは違いますねー
おさしづにも有るように、

明治二十一年一月八日
「なんでもない百姓家の者、何にも知らん女一人、
何でもない者や、それだめの教えを説くという処の理を聞き分け。
何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ」

明治二十年十二月六日
「何でもない百姓家の出、女一人十三歳の年より入り込み、誠々々天然自然の道付くという処も聞いて居るであろう。」
どちらも女に入り込むとあります。
月日の社所以であります。本当のこと、納得がいくようにこの天理を知りたいのです。
確かに教祖は子供の頃から人並み優れたものをお持ちでした。
教祖伝には十二、三歳の頃には浄土和讃を覚えられたと書いてあります。
やはりその魂はありました。
神が入り込み月日の社として天理を説かれました。
教えたのは神であり南無天理王命です。
キリストでさえもゴルゴダの丘で「天に在します我らの父よ……」と、キリストの上の神に言葉を発しています。それと同じ事で教祖は神の社であり現人神であり
人間を始めた親ではありません。
その当時の神の代理を務められた人であり、ひながたであられました。

237 :神之打分場所M:2019/02/03(日) 15:11:21.37 ID:OOOqRM+i4
>>233
そのぢばに据えるのはかんろだい、天理教としては、真柱を芯とする事です。

かんろだいを据えるのは石ですか。花崗岩の切石で造るのが本来の目的ですか?
世界一列の心澄ませてから据えますか?
天理の中でさえも澄んで無いのに、世界一列澄ますのは何時になることでしょう。
いつまでも夢の話しでしょうか?
又、どうして真柱様はその存命と言われる教祖殿のお社から落ちて怪我までされたのでしょうか。

明治三十一年七月十四日 夜
どういう話しから伝えるなら、裏は鍛冶屋表は大工、聞き分けば神の守護、
十二下りの止めは大工、これさえ聞き分けたら、苦労したいと言うても出けんが神の
守護、働き分かりたか。

この裏は鍛冶屋表大工というのは、表裏一体と言いまして、ひながたとして鍛冶屋は
梶本家で真之亮(真柱)大工は飯降伊蔵(本席、人足社、天啓者)、この一体を
言われています。
真柱と天啓者の一体です。
当時、信仰としては本席が、天理教の運営としては真柱が中心となって二本路線で
進んできました。
でも天理の中心は神であり天啓者で無ければなりません。そしてぢばとは神の
ふるさとであり昔から言う所の高天原であります。
それを教えるが為、神はぢばを教えました。
神が戻ったあかつきに、子供である我々が「おかえりなさい」と言うのです。
神を中心とするふしんそれがかんろうだいふしんであり、ふしんを行う神を大工にと
例えて教えて有ります。

238 :天理教H:2019/02/03(日) 23:13:52.06 ID:eKigWemnH
>>236
月日のやしろ
「やしろ」は社で、一般的に神が鎮まりいます所を意味する。したがって、「月日のやしろ」とは、
何よりもまず、親神の所在を表現したものと言える。親神が直接この人間世界に顕現され、
人間救済の意志と、それを実現する道を啓示された事実は、「教祖を通して」、ないしは「教祖において」であった。
                                                   (改訂 天理教辞典)
この事によって、誠に、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知ることが出来る。
にんけんをはじめだしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや (8-37)
教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親です。

それが解らない人に以下のおふでさきがあるのです。
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん (7-55)
これからハなにをゆうにもなす事も にんけんなるとさらにをもうな (7-56)

239 :天理教H:2019/02/03(日) 23:18:50.52 ID:eKigWemnH
同じ質問を繰り返されてますが、その時の背景を述べておきます。
明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)のおさしづは、多少学問の素養などもあった頭の良い松村吉太郎先生に
対するおさしづです。だから、その信仰の道すがらを自分の理知によって判断しようとした事に対して
「何にも知らん女一人」「何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし」のお言葉があり、「元五十年前より始まった。」
その道が「この道は、智恵学問の道やない」と仰せになっているのです。
つまり、このお言葉で教祖は人間だと強調された訳ではないのです。

明治二十年十二月六日「女一人十三才の年より入り込み」のおさしづは、文化七年九月十五日、
振袖姿で駕籠に乗り、五荷の荷を持って、庄屋敷村の中山家の人となられた。時に、教祖十三歳であった。
この事を仰っているのです。

そして、イエス・キリストと中山みきが同じだと言われますが、
キリスト教自体、イエスをキリストと言う呼び名に油を注がれた者=神の子という意味が含まれ、
それ故にユダヤ教やイスラム教はキリストと呼ぶ事を否定していますが、父なる神のひとり子として、
この世に生まれた人間である。つまり、人となった神でもあると説かれています。
「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、
権威ある者としてお教えになったからである。(マタイによる福音書 第7章)」
イエスは、自分が神であるように振舞い律法の教えを覆しています。そして、一方で律法を守りなさいと仰っています。
条件付きで人々を神の子とイエスは認めていますが、明らかに自ずから神の子(神)と仰り、
信徒も神の子(救世主)だと思っています。神の子だから刑に処せられ、人間が原罪から救われたのでしょう。

中山みきは、自ら神の子だと仰らずに人間は神の子供だと説きます。
明らかに違いがあるのにイエス・キリストと中山みきが同じだと言う根拠をキリスト教の教えから(聖書等)
でもいいので教えてもらいたい。

240 :天理教H:2019/02/03(日) 23:27:06.79 ID:eKigWemnH
>>237
>かんろだいを据えるのは石ですか。花崗岩の切石で造るのが本来の目的ですか?
>世界一列の心澄ませてから据えますか?
>天理の中でさえも澄んで無いのに、世界一列澄ますのは何時になることでしょう。

明治三十一年七月十四日 夜昨朝本席御身上御願い申し上げば、夜深に尋ね出よとの仰せに付願
「かんろうだいも、世界分からんから取り払われた。あれでもう仕舞やと言うた日もあった。
世界どんな事あっても、付け掛けた道は、付けずに置かん。かんろだいはいつの事と思う。
つとめ一条の台にも勤めて居るやろ。皆、話して居るやろ。なれど、何やら彼やら分からん。
どうでもこうでも、かんろだい積み建てる/\。」
親神様がかんろだいをどうでもこうでも積み建てると宣言してらっしゃるではないですか。

>どうして真柱様はその存命と言われる教祖殿のお社から落ちて怪我までされたのでしょうか。

一昨年の夏にかんろだいが倒れ、それから約一年後に真柱様が怪我、それを内だけの問題と見るのか。

日本の異常気象
https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/longfcst/extreme_japan/index.html
平成30年(2018年)の異常気象の多さ
日本での災害
2017年7月5日から6日 九州北部豪雨
2018年6月18日 大阪府北部地震
2018年6月28日から7月8日 西日本中心の集中豪雨
2018年9月 25年ぶりに「非常に強い」勢力の台風第21号で近畿地方を中心に大きな被害を出した。
2018年9月6日 北海道胆振東部地震

世界各地で最高気温を記録した7月
https://tocana.jp/2018/09/post_18020_entry.html
内も外も隔てなくそれぞれが考えなければならないと言う事です。

241 :天理教H:2019/02/03(日) 23:28:13.05 ID:eKigWemnH
>真柱と天啓者の一体です。

大工は飯降伊蔵本人を指す場合が多いが大工=天啓者でなく、大工は、心の普請、世界の普請をする者です。
十二下り目 三ッ みなせかいからだん/\と きたるだいくににほいかけ
と大工は一人だけでなく複数の人間を必要としています。
真柱様が一人だけ居ても普請は出来ない。そこで大工や棟梁や用木が必要となって来るわけです。

242 :神之打分場所M:2019/02/10(日) 15:13:39.13 ID:w8o16zsdY
真柱様の怪我や身情、かんろうだいの倒壊を地震や異常気象にもってくるのは
少しひねりすぎでしょう。
真柱様もある程度の年齢でも有り、各大教会等へ出向かれて祝宴を催されれば、糖尿や通風にもなりやすいでしょう。
かんろうだいの問題でも、関わった大教会は数千万円のお供えをされたとか。
明治二十四年二月十七日   おさしづ
「かんろだいの雛形破損に付き、木にて新調仕りますや、又は修復致して宜しう御座りますや願い」
さあ/\つくらいにして置くがよい、つくらいでよいで。
さあ/\つくらいにして置くがよい、つくらいでよいで。

このように言われています。こんなもの元へ戻すだけで良いのに数千万円。これが今の
天理教です。そのお金の裏には相当な苦労をしてる人もいるのです。これが今の教団です。末端教会は何時も御用御用で昔の銭形平次ですよ。
地震も昨年は数カ所起きました。沢山の被害者が出られ亡くなられたました。
外国でも大きな地震があってます。
此れはプレートの問題で予測出来る事、出来ない事。
でも最近多くなっていると感じるのは私だけじゃないと思います。
これに対して天理教は、かんろだい倒壊が報せであるならば、それに対して対処出来るのですか?
ただ報せは報せで、待つだけですか?
今度の東京オリンピックを、ある占い師は(東北大地震を当てた人)無いと言われています。それから行くなら我々も皆さま方も気を引き締めて掛から無ければなりません。
天理教を信仰してれば助かると言う保証はどこにも有りませんから。

温暖化の問題、此れは今すぐになったのではなく、数十年前から言われてました。
所謂人災で、文化文明の発達と共に人間が引き起こしたもの、真柱とは関係ないのです
地球全体で考え無ければなりません。又、我々はそう言う中に生かされているのです。
子供や孫の世代に良い世界をバトンタッチしなければならないのです。
悪いことは悪い、良い事は良いとして
すみません、ちょっと意見がそれました。

243 :神之打分場所M:2019/02/16(土) 12:14:05.51 ID:gJaaMWeWV
昭和六十年八月十二日   午後零時二十七分     おさしづ
さあ/\十分働くは心の理に有る
心一つの理と言うが、どれ程大切なるか誰も分からん。
今日の日のさしづと言うは何処から発して居るか。
皆 神の言葉と言う。人間の言うが言葉や更にない。
これまでの道、さあ/\どんな理も出したであろう。
この道と言うは長らくの間通り来て、神一條の道にするまで、ひながた道具も使うて来た。
これも皆一列のためとも言う。先に成りたら真の神の現れて来る日まで長らえさすには
時旬来るまでは、如何なる手段もいといなく、みな/\道具ひながた、これも神で有ればなれこそ、どんな苦労もいといなく続かせて来た。
これも道の為と思えばこそや
早々と心に治めくれたなら道も早くに建つなれど、神の言う事誠やと思うて聞く者
数少なくてずいぶん遅れて来てしもた。
このまゝで天理の道は続く事無し。
先を案じて居たる神。
天の理一つを建て上げな道はこのまゝ枯れて行く。
それも何故、根の元一つが分からずに我が身だけをば栄えさす。
そんな心の持ち方で なんで栄えて良いものか。
根が栄えなば枝葉はそれより先に枯れて行く。
これが天理や理の当然や。それ故に早く悟りを開くなり。
こんな大事な時旬や。今がそれなる時で有る。
天理教徒一列に早く知らせてくれる様、神が頼みや心せよ。
時遅れたら天理失う。これが誠になると言う。

244 :天理教H:2019/02/17(日) 07:40:44.94 ID:CwkQtAK7X
>>242
>真柱様の怪我や身情、かんろうだいの倒壊を地震や異常気象にもってくるのは
>少しひねりすぎでしょう。

しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい (3-8)
親神が心から急きこんでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、
心の時には中心思想を言う(註釈)。
先ず、真柱様とかんろだいは、切り離せない関係があり、
そして、真柱様の身上は、個人の間違いより鏡やしきでの間違いを現したもの、それが世界に映る関係でもあり、
そして、またぢばも世界の理が映る関係です。

明治三十年二月一日
「ぢばも鏡なら、世上も鏡、世上の理も映れば、ぢばの曇りも皆映る。」
だからこそ、それぞれが考えなければならないと言う事です。

245 :天理教H:2019/02/17(日) 07:44:48.02 ID:CwkQtAK7X
>真柱様もある程度の年齢でも有り、各大教会等へ出向かれて祝宴を催されれば、糖尿や通風にもなりやすいでしょう。

病気になるのは、生活習慣だけが原因でしょうか。それなら、生活習慣を改善したらいいだけであって、
教祖も食生活や適度な運動を心掛けよと仰ったのでしょうか?
まして、それならたすけづとめやおさづけも要らないでしょう。

このよふにやまいとゆうてないほどに みのうちさハりみなしやんせよ (2-23)
親神様はこの世に病はない、身の内障り皆思案せよと仰ってます。

ぢばで起こる事を世界なみの判断をするなら、かんろだいを石造りにして倒れにくくして、
真柱様の身上も老齢や個人の健康管理の問題だと片付ければ、
>>237
>どうして真柱様はその存命と言われる教祖殿のお社から落ちて怪我までされたのでしょうか。
事柄に対して教祖存命の問題提起する事自体矛盾しています。

まさか屋敷内は教祖存命なら不慮の事故、身上が起こらないと考えてらっしゃるのでしょうか?
教祖御在世時や本席様の時に数々の身上のお諭、事情のお諭と沢山あるでしょう。
おさしづをよく引用されるなら、その中で本席様の時に伺った人の立場による違いによっておさしづが違う事も分かるでしょう。

246 :天理教H:2019/02/17(日) 07:47:27.90 ID:CwkQtAK7X
明治二十四年二月十七日のおさしづを引用してますが、人間甘露台を説かれる立場としては
「つくらい(繕う)」は、むしろ不都合な文言ではないでしょうか?

>これに対して天理教は、かんろだい倒壊が報せであるならば、それに対して対処出来るのですか?

神からの返しはすぐに出る事ではなく、知らせがあってからは、防ぐ事は出来ないのです。
むしろ、先で起こる事に対しての心構えであり、起こった事柄に対して思案をしなければならない。
そして、屋敷内の事は心を入れ替えなければ事柄によって「我が身思案」や「道の中の反対」は掃除される対象です。

>天理教を信仰してれば助かると言う保証はどこにも有りませんから。

教祖は信仰してれば助かると一言も仰ってないでしょう。そこに心と行為が伴い、
釈迦やイエス・キリストも信仰だけしていれば助かると説いてないでしょう。
神之打分場所は自らが本部に治まり信仰してれば助かると説いていらっしゃるのですか?

247 :天理教H:2019/02/17(日) 07:49:51.01 ID:CwkQtAK7X
異常気象を引き起こす地球の温暖化は、人間の産業活動に伴って排出された二酸化炭素・
メタンなどの温室効果ガスが主因となって引き起こされているとされていますが、
その中で二酸化炭素が最も影響が大きいとされています。原因は、非効率的なエネルギー政策、
それ故に各国の京都議定書の批准が進められ、議定が2005年から発効されている。
それは、効率的なエネルギー政策や植林で改善される。

教祖は物を大切にする事を教えられ、本席も将来を考えて物を大切にしています。
それが経済発展を優先させ神からの守護である物を蔑ろにしてきた結果ではないでしょうか。

そして、おふでさきで、
月日よりたん/\心つくしきり そのゆへなるのにんけんである (6-88)
それしらす今のところハ高山ハ みなはびかりてまゝにしている (6-89)
この月日大一これがさんねんな どんなかやしをするやしれんで (6-90)
このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく (6-91)
人間は一列兄弟でありながら、経済発展の為に下の人間を好き勝手に使っている高山に対して意見があると言う事です。

248 :天理教H:2019/02/17(日) 07:52:09.13 ID:CwkQtAK7X
このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし (7-4)
上たるゑこのしんぢつをはや/\と しらしてやろと月日をもゑど (7-5)
上たるハそれをしらすにめへ/\の わがみしやんをばかりをもをて (7-6)
月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので (7-7)
月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ (7-8)
にんけんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる (7-9)
それしらすみな一れハめへ/\に みなうゝかりとくらしいるなり (7-10)
その上に対して我が身思案ばかりして通っているから恐ろしい道筋があるのです。

たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ (3-40)
このよふのぢいと天とハぢつのをや それよりでけたにんけんである (10-54)
人間は、天地抱き合わせの親神様の懐住居をさせて頂き、日夜親神様の御守護を頂いて暮らしているのである(註釈)。
だから、天災は親神様と関係なくもなくて、そして、その親神様はぢばにいらっしゃるのです。

宇宙は親神様の身体や人間の身体は親神様のかりものと学んでいるのにもかかわらずに解釈として、
親神様と別々に考える方がどれほどいらっしゃるか、道を離れての解釈は自由であってもいいのですが、
天理を名乗るからには、真理が書かれているおふでさきで思案しなければならないのではないでしょうか。

249 :神之打分場所M:2019/03/03(日) 13:46:56.13 ID:9/f6u/Dxn
明治二十四年二月十七日のおさしづを引用してますが、人間甘露台を説かれる立場としては
>「つくらい(繕う)」は、むしろ不都合な文言ではないでしょうか?

>これに対して天理教は、かんろだい倒壊が報せであるならば、それに対して対処出来るのですか?

おさしづは前回にも書いて有りますが、当時の場に対して答えても有りますが、その事を台にして、先の事を言って有るのです。
このおさしづは明らかに現場のひながたかんろうだいの破損の事のみ答えて有ります。
それは文章の中で悟ることが出来る事です。
かんろうだいも、ひながたかんろうだいと、人間かんろうだいと有ると言う事ですが
天理本部はひながたかんろうだいから何も前進してして居ません。
一列澄ましてかんろうだいで、世界を澄ませてからかんろうだいですか?
何時になる事でしょう!
石でつくることが本来なら、もう道は百年過ぎてるわけですから、ひながたで無く
本来のかんろうだいを据えるよう、御本部へ依頼して下さい。
そうすれば教理と信仰が一体化して、現在下向きの天理教も少し喝が入るのではないでしょうか。
どうせ数千万円かけての模様がえなら、そちらの方が実が有ったのではないですか。

250 :神之打分場所M:2019/03/17(日) 10:58:18.05 ID:grsCHUmqE
昭和六十四年一月五日   午後三時三十三分
さあ/\因縁事情理にかなわん。
理と言うは神より外に更に無し。
誰にても神の理 しりに敷きつめて、何故神にかなうまい。
よう聞き取りて思案せよ。
神の名わなむ天理王命なり。
何がため天理の道、神之打分場所まで継がせたるか、時旬以って神が人間(にんけん)
姿を現わす教え、前々のふでさきさしづみかぐらの歌にしっかり伏せ込んだ証拠確かに残したる。
その中もう一度さらい直すも道のため。
天理教徒一列良く調べるも義務の一つや。
この神はあしきな事は言わんでな、言うたる通りの道付けて皆に見せるも神の義務なればこそ あくどい程も諭す神。
誰の心も同じよに一つに揃えて神のさしづにしたがい行くよう。
この道は神の思惑深く有る。
古いもの古い理埋もれたるというは、よう聞かな分からん。
めん/\が我が身勝手の心を出して我が身よかれの道歩く。
そんな事では天理と言えん。
正しい天理を通るには、神のさしづのまゝなるぞ。
諭した通りの道通れ。
さもなくば何ぼ天理通りましたと言うたとて正しい天理は通りて居らん。
何時の日も神は見ている見えている。
しっかりせねばならぬ事ぞや。
人の心の真実をこけに致して何とする。
そんな事やで良い事おこらん。
今に見ていよ見える不思議や成らぬ内より言うて置くぞや。
これが見えたら神と思えよ。
神の言う事千に一つも違う事無し。

251 :神之打分場所M:2019/04/13(土) 11:16:01.32 ID:gZHTpT70X
昭和五十三年九月八日 午前七時三十五分    おさしづ
さあ/\正月二十六日というて三十日と日をきりて送るも神の心からとてと、のこしおいたるこれなるさしづも、よう聞き分けよ。
神の思惑と言うは その時ならば見えてくるなって来る。
これみな神ののこした、さしづ通りや。
それまでに
二二の二の五つに話しかけ    よろずいんねんみなとききかす
と 歌を出しその通りになって来たであろう。
古き魂因縁あるからその通りよろづいさいを歌で説き諭しいるであろう。
神のさしづというは前々より見えぬ先より説きおいて、神の定めたる時旬ならば必ず
そのようになって来る、それで神が一度いうておいた事みなその通り見えてくる、
なって来る。
一列が目の前になって来た理を目に見てしかと得心するがよい。
神のさしづというものは、何一つとしてうそはない。
うその事なぞいうてはおらん。
その通り見えて来たであろう なって来たであろう。
神たるが昭和五十一年三月十五日より歌を出し、天理の道のようだい教えつゝ一列の心
の澄むように、といてさとしている程に、神の言う事分からぬとあるなら、真実の心を持って尋ねでよ。
天の理を受けたる親がしっかりと、といてさとする又尋ねくるなり。
これ天の言葉やしかときくなり。

一寸はなし正月三十日とひをきりて   をくるも神の心からとて<1ー39>
二二の二の五つにはなしかけ   よろついんねんみなとききかす<3ー47>

明治二十二年三月十日
さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて始め掛けた理を見よ。
さあ/\又正月二十六日よりやしろの扉を開き世界ろくじに踏み均しに出て始め掛けた
理を……

252 :神之打分場所M:2019/04/27(土) 09:01:36.54 ID:Xks0DxUjK
昭和六十四年一月四日   午前十時二十九分
さあ/\諭しと言うは何ぼうでもする、なれど聞き分け無いのが神の残念。
さあ/\たった一つの天の理と言うは、こらどう言うもの、これをしっかり思案して見よ。
誰もが天理通りました、通りて居ると言うて居るが、たった一つの天の理分かろうとせず、又その道に出ようともせず、天理しっかり通りましたと言えはせぬぞや。
天理とは、めん/\一人々々の行い通り言うた通りに、なって来るのが天理なるぞや。
誰にても我が身勝手なふるまいばかり。
口からはき出す言葉とて、すきすっぽうな事ばかり、我が身よかれを言いよるなれど、
言うた通りが我が身に返る。
この事も前々よりに教えてある。
人の心と言うものは誠に以てうたがひ深いものなるぞと説いて残した言の葉どうり、
素直になれぬ者ばかり。
たった一つの天の理と言うわ、何を指して言うべきや。なむ天理王命なるぞや。
今度は神は表に現れた、神之打分場所に住居(すまい)して居る。
鎮座まします。これこそ古元(こもと)と言う。
甘露台と言うわなむ天理王命に付けた位や、良く思え。
現し身一つを目に見せて、よろづいさいを説く神や仏なるぞや。
頭(かしら)一つになむととなえ天理王命と神名呼ばすもこのためや。
なむ天理王命とは二神一体成り申し一人の人間姿で現れて、天理の為に働きをする。
これこそ今までハ天理の道に無い人間(にんけん)をこしらえた現れ出るのハ今始めなり。
誰にても分からぬ事が有るならば早く尋ねて神名呼び出せ。
ここが古元であるを教える。
必ずと尋ね来る日を待ちて居る祖社(そや)。
素直になるのが身の為なるぞ。これも一言説いて置くぞや。

253 :神之打分場所M:2019/07/14(日) 09:22:04.69 ID:z+q7Ygzta
昭和五十四年五月十日午前零時四十五分      おさしづ
さあ/\/\だん/\事情一つに取って思案せ
神と言うは難儀さそうと思うたことは一度も無いで。
これからと言うはよう聞かにゃ分からん。
道と言う、さしづと言う、道にさしづないげなと世上に聞こえたらなんとする。
そんな事でこの道通れると思うか。
世の中そんな甘いものでは更に無い。
嘘は嘘だけ直ぐに剥がれる。嘘に美味いものなぞ有りやせん。
道と言うはさしづ通りのこの道や。
神のさしづどうりに通りて見よ。
かならずほんになあと言う日が有る。
なって来てこそ天理やで。
どれ程人間心はびかれどそんな事したとて何もならゃせん
なんぼ神にはむかえど、はむかえばはむかうだけの理が現わろる。
真実誠の心で神にそうたなら、どんな時でも通れるなれど、添えぬとあらばぜひも無い
神の自由用も受けられぬ。
そうなったら何とする。
道は後になっても立つなれど、人間は神のかしものや
命は神がかして有る。
心次第で引き取りもする。
そのようになってしもては生きられまい。
たれがどのよに言うたとて思うようには成りやせん。
神の力がともなわな何も出来る事なぞ一つもないで。
これから先と言うものは一列その目で見るが良い。
かならず今に分かる日、来るとさとする。

254 :基本:2019/07/19(金) 21:32:59.02 ID:YfztM4vJ5
天理教批判は、あってよいのです。
カインは既に何も語れなくなっている。そういう現実は現実として、
カインを語らせていたのも親神様であり、
神の打ち分け場所がお指図を語るのも、語らせているのは親神様であり、
それは、人間の心を、自白させているだけの事です。

255 :基本:2019/07/19(金) 21:35:20.86 ID:YfztM4vJ5
お筆先に、口でも言わん筆先の責めと中山みきは理を示しました。
おさしづというのは、筆先の責めと違い、応法の、いわば方便です。

256 :基本:2019/07/19(金) 21:39:41.48 ID:YfztM4vJ5
「真実誠の心で神にそうたなら、どんな時でも通れるなれど、添えぬとあらばぜひも無い
神の自由用も受けられぬ。そうなったら何とする。」
こんなことは、神の打ち分け場所のおさしずだとしても、お筆先の理とは違います。

神にそうのも添わないのも人の自由です。
そわないから、神の自由用が受けられないなんて天理ではありません。
あり得ません。
親神は親です。子がそわないとしたら、親が悪い。それだけの事です。

257 :基本:2019/07/19(金) 21:49:26.30 ID:YfztM4vJ5
「神の力がともなわな何も出来る事なぞ一つもないで。」とは、そこまではマア理ですが、
カモに逆らえるのも、逆らう自由を、神の力が伴っているからで、心の自由は神でも侵害できない。

カインは「天理教」か「中山家教」かと言わされている。
天理教社会学研究所 @tenrisyakaigaku 12 時間前

「あなたは天理教を信仰しているのか、中山家を信仰しているのか」
それを支えているのは情報の平等化である。これまで情報とは権力者のものであった。
しかし現在の天理教は力のない末端信仰者や天理教以外の普通の人々からの批判にも晒されている。
しかしそれでさえ中山家は既得権は手放そうとしない。

カインはわかっていてわかっていない。天理教とは「中山みき教」「中山家教」なのだ。
中山みきは、中山家の当主なのだ。

258 :基本:2019/07/19(金) 21:55:45.18 ID:YfztM4vJ5
神は本当にはいないけれど「神の言葉を語る」人がいる。それが神之打分場所。
神は本当にはいないけれど「天理教」という教団はあるが、調べてみたら「天理教は中山家教」だった。
カインはようやく気がついた。
天理教の末端の信者が教会が減少しようと、献金が減ろうと、「中山家教」は独り立ちしている。と。

なぜなら、中山家は、中山みきの支配する神の屋敷だから、独り立ちしている。
カインは無意味な教団批判を行って、天理教団を「中山家教」に純化する手伝いをしたのです。

259 :基本:2019/07/19(金) 21:58:55.79 ID:YfztM4vJ5
神は本当にいる。
中山みきという個人が神、中山家というぢばのお屋敷が神屋敷。
これいがいには天理教団など、空虚なものです。

260 :基本:2019/07/19(金) 22:05:07.88 ID:YfztM4vJ5
中山みきには一人の信者がいます。
天理教の基本です。

>>249
かんろうだいも、ひながたかんろうだいと、人間かんろうだいと有ると言う事ですが
天理本部はひながたかんろうだいから何も前進してして居ません。
一列澄ましてかんろうだいで、世界を澄ませてからかんろうだいですか?
何時になる事でしょう!
石でつくることが本来なら、もう道は百年過ぎてるわけですから、ひながたで無く
本来のかんろうだいを据えるよう、御本部へ依頼して下さい

神を信じていない方の人事ていないよという自白です。
お言葉の理を学んでいない素人さんの論理です。

261 :基本:2019/07/19(金) 22:12:52.97 ID:YfztM4vJ5
つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ (10-21)
 このたいをどふゆう事にをもうかな これにいほんのをやであるぞや (10-22)
日本のおやが甘露台だということ、学んでいますか。
日本の親とは、中山みき様。ですよね。

このたびのかんろふたいとゆうのもな これもいまゝでしらん事やで (10-77)
どのよふな事をゆうのもみな月日 しらん事をばをしゑたいから (10-78)
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ (10-79)
なに事もみなこのとふりはちめかけ せかいぢううの心すまする (10-80)
にち/\になんでもせかい一れつを いさめるもよふばかりするぞや (10-81)
だん/\とせかいの心いさむなら りうけもろともみないさみでる (10-82)

これ全て、中山みき様のことばかりです。

甘露台とは中山みき=ぢば=天理王命=基本の先生 です。

262 :基本:2019/07/19(金) 22:19:12.22 ID:YfztM4vJ5
甘露台は出来ている。完成している。
 それが中山みき。百姓の女一人。
 ひながたとは中山みき、ひな形甘露台とはおやさまの事。
 人間甘露台というのも、中山みきが、ひな形であり、甘露台は出来ている。

263 :基本:2019/07/19(金) 22:23:12.69 ID:YfztM4vJ5
○教祖伝327〜328頁より
『さあ/\いかなるも、よう聞き分けよ/\/\。さあ/\いかなるもどうも、さあ今一時、前々(ぜんぜん)より毎夜々々々々伝える処、
今一つのこの事情早うから、今からと言うたなあ、さあ、今という処諭してある。
今から今掛かるという事を、前々に諭してある処、さあ今の今、早くの処急ぐ。
さあという処、応分という処あろう。待つという処あろう。
さあ/\一つの処、律が、律がこわいか、神が怖(こ)わいか、律が怖わいか。この先どうでもこうでも成る事なら、仕方があるまい。
前々より知らしてある。今という刻限、今の諭(さとし)じゃない。
どういう処の道じゃな、尋ねる道じゃない。これ一つで分かろう。』

尋ねる道ではない。
これ一つ分からないでは、神意は悟れません。

264 :基本:2019/07/19(金) 22:38:44.57 ID:YfztM4vJ5
このひがらこくけんきたる事ならば なんどき月日どこいゝくやら (10-96)

 この事情早うから、今からと言うたなあ、さあ、今という処諭してある。
 今から今掛かるという事を、前々に諭してある処、さあ今の今、早くの処急ぐ。

 おふえさき 第拾号 七十八才老女 明治八年六月 1875年。
明治20年1887
1月1日(陰12月8日)、教祖、風呂場より出た時、ふとよろめく。1月4日(陰12月11日)、教祖、身上迫る。おつとめを急き込む。
2月18日(陰1月26日)午後2時頃、教祖現身を隠す。1887年 お筆先から12年目の出来事です。

『さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。』(M20.01.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)

扉を開いて世界ろくぢにふみならすといふてある、扉を開いて世界ろくぢにふみならしにまわりてゐる、なれどもみなあんじてどうもならん (明治二二・三・二三)

 おやさまという人間甘露台がありながら、ひな形甘露台がありながら、「案じる」その集団が天理教団であり、中山教以外の天理教は案じ心の集団です。

265 :基本:2019/07/19(金) 22:52:35.93 ID:YfztM4vJ5
天理教団とは、真柱がおやさまの教えを伝えるうえで明治政府に認可を受けた応法の道。
おやさまの教えを伝えるに、心得を違っては、カイン様にご批判頂いたり、神の打ち分け場所さんにお指図頂いたりも、必要な道。

みき様の弟子、基本は、おやさまの神名を世に広め、伝えます。
 だん/\とみすますところせかいぢう きのどくなからもんくかへたい (10-72)
 しやんせよくちでなに事ゆうたとて たしかなしよこなくばいかんで (10-73)
月日よりたいないよりも入こんで ぢうよぢざいのさしずしよこや (10-74)
 それゆへにいまゝでどこにない事を ばかりゆううてはじめかけるで (10-75)
いまゝでもない事ばかりゆうのもな これも月日のみなをしへやで (10-76)
 このたびのかんろふたいとゆうのもな これもいまゝでしらん事やで (10-77)
どのよふな事をゆうのもみな月日 しらん事をばをしゑたいから (10-78)
 このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ (10-79)

 扉を開いて世界ろくぢにふみならすといふてある、扉を開いて世界ろくぢにふみならしにまわりてゐる、
 それが、赤い衣装の中山みき。
 基本の、おやさま、みき姉さんです。

266 :基本:2019/07/19(金) 23:04:26.74 ID:YfztM4vJ5
 とのよふな事でも月日しんぢつに みな一れつにをしゑたいのや (10-64)
 しんぢつの心がほしい月日にわ どんな事でもしこみたいから (10-65)
このはなしなにをしこむとをもうかな これからさきのよろづみちすじ (10-66)
 けふまてハなによの事もみへねども ひがちかづけばひとりみへるで (10-67)
 とのよふな事もやまいとをもうなよ なにかよろづハ月日ていりや (10-68)
月日よりにち/\心せきこんで どんなもよふをするやしれんで (10-69)
せきこみもなにの事やらしろまいな かんろふだいのもよふばかりを (10-70)

 にち/\にみのうちさハりついたなら これハ月日のていりなるかよ (10-71)

 基本は、かって応法の道を通る修行もしましたが、応法の道は黒衣装の道。

 みき姉さんには、まことに失礼ばかりでしたとさんげです。

 そこの甘露があり、甘露台があるというのに、「指でもしゃぶらせたい」みき姉さんがいるのに、
このことを伝えておるくのは、基本の基本的使命ですから。

267 :基本:2019/07/20(土) 07:47:09.81 ID:ecjdNrMXx
お言葉に、良いことしても礼言われたらそれっきりやでとあります。
おやさまは、世界一列を陽気にしていて、甘露台そのものとして、世界一列をたすけにでておられる。
しかし、そうは思われていない。
基本だけが中山みきを甘露台として信心し、中山みきを天理王命として信心し、天理教の宗旨として、中山みきこそ人類に甘露を与えるお方と、心得ている。
いや、基本以外にもおられるかもしれませんが、中山家のお屋敷で信仰している方々とて、おやさまが親神と口で説いてはいても、おやさまの指をしゃぶらせていただきたいと本気で念じてはいないでしょう。
おやさまの「指」をしゃぶらせていただいたら、それは甘露をいただく事に相違がない。

中山みき以外には「甘露」の台は、おられない。
お伝えしておきます。

268 :基本:2019/07/20(土) 08:02:03.54 ID:ecjdNrMXx
つとめさいちがハんよふになあたなら てんのあたゑもちがう事なし(一〇 34)

つとめとは、国語辞典では漢字では、勤め、努め。で、【勤め・務め】。
1.
[務] つとめなければならないこと。任務。義務。責務。
2.
[勤] (雇われて、役所・会社などに通い)仕事をすること。その仕事。勤務。

 中山みき教の信心の お勤めは中山みきのためのお仕事を勤めることで、
天理教団が説くように「朝晩に神様にお礼を申し上げること」は、中山みきのお仕事の勤めではありません。
教団信仰はうそばかり説く。(笑) その教団信仰教理を引用しておきます。

https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/otsutome/asayu/
朝には、十全じゅうぜんなるご守護に生かされていることにお礼申し上げ、今日一日、思召おぼしめしに沿って勇んでつとめることをお誓いし、
また今日も無事無難に健すこやかにお連れ通りいただけますようにと、願いを込めて勤めます。夕べには、一日を結構にお連れ通りいただいたお礼と反省、そして明日への祈りを込めて勤めます。

269 :基本:2019/07/20(土) 08:17:50.23 ID:ecjdNrMXx
昔、原宿分協会の奥さんが基本に、「この指一つ動かせるのもみな親神様のご守護です」と、
「太陽がもう少し地球に近かったら、人間は生きていられない」「親神様のおかげで生きていられる、生かされているのです」
「基本さん、あんたは教会に運んでいないがそれでは恩が返せない。教会のお勤めに行くようにしなさい」と、
堂々のおさとしでした。
 この方は、ご主人(会長さん)の女性問題で悩んでおられて、基本の叔母に離婚するか否かを相談していて、
基本の叔母はなんでも基本の相談する人だったから、基本が、「離婚しないこと」「離婚させないこと」「妻としてのあるべき姿であること」を、
この方の悩むつどつどに、叔母に諭し方を教えていて、離婚せずに、教会の奥様としてつとめておられて、
叔母の葬儀のとき、基本をみかけると一直線に近寄って、「教会に運びなさい」とのおさとしであった。

 教会の奥様は、「神仏に礼」を信仰者のつとめと説く。
 中山みき様への信心ではなく、教会信仰とは、理の無知に満ち溢れている。

 カインもまた創価学会カインの務めとして、お釈迦様、日蓮様さまへの、ご協力ではなく、
信仰組織学会へのつとめとして、天理教批判を行っているが、同じ穴、である。

270 :基本:2019/07/20(土) 08:31:57.92 ID:ecjdNrMXx
原宿分協会の初代会長さんは基本とはお友達としてお付き合いしてくれた。
70年祭の子供おぢば帰りのもっこ担ぎを。ともに楽しまれた。
80年祭のころ、原宿分協会の上級分協会で月並祭に、講話の場に立たれて、
初めておさづけをお取次ぎしましたと、お話をした。そして基本には、「いやほんとに。おさずけ初めて取り次がせて頂いたんだよね」と、「恥ずかしいながら今日は、匂いがけ、おたすけも普段していない私にでも、おさずけを利くようにして頂けたと、お話しました。」
恥ずかしい限りですと、報告をされた。
後に原宿分協会では、娘さんが出直されて基本は葬儀にはでず、基本は教会をそっと訪れた。
 原宿分協会の初代の奥様は、「基本さん、あなたにはわかるでしょうが、おやさまひながたと思って、娘の出直しを受け止めさせて頂きました」と報告があった。

 原宿分協会初代ご夫婦は、児童であったころからそのころまで、基本を信心の友と扱っていた。
 苦しいとき、胸中を察していただけると信じて、娘に先立たれたことの理の理解の確認を求められたのだ。

271 :基本:2019/07/20(土) 09:21:43.62 ID:ecjdNrMXx
カインは、お金の信仰を批判する。

引用すると、
おさらいしよう。毎月26日は天理市にある天理教本部の月次祭がある。
その中でも1月と10月には「天理教の始まり」と「教祖の死去」という重要な記念日であり普段より大きい大祭が開催される。
人が集まる記念日に合わせるように、天理教次期真柱である中山大亮氏の結婚披露パレードが開催された。
新婚の若者を批評するのは気が引けるが、天理教が衰退し、信者が減少する象徴を感じざるを得なかった。

周知のように天理教は年々信者数が減少し天理教本部に集まる献金も激減している。
天理教の関連施設や天理市などへの回付近や寄付金も減少の一途を辿っているほど、経営はヤバイ状態である。
昨年12月には実質的教団運営者である表統領の中田善亮氏が信者向けの内部機関紙で
「御供(献金)は命のつなぎ」という脅迫ともとれる発言をしたことで週刊誌にも取り上げられ、天理教から信者も離れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 天理教はお供えを説く宗教であり、天理教団は人助けるとは、お供えさせることと、心得ている。

 原宿分協会は、お供えで、しっかりと経済活動の基盤をご守護いただいて、教会設立した。
 だから、原宿初代は、信者として「謙虚」であったが、教団は原宿分協会を評価している。

272 :基本:2019/07/20(土) 09:27:23.24 ID:ecjdNrMXx
天理は「まいた種は生える」であり、「金銭を種として御本部にまいた」原宿初代夫婦は、まいた種が生えて一等地原宿にマンションを有し教会を設立している。
 金持ちになりたかったら金を出す。それは天理であり、ただし出した相手が埃なら、金銭は増えない。
原宿初代は宮島佐太郎という、お助け人に金銭を出して、教えのまま、働いた。
実業家として成功し、天理はそのまま、まいた種は生えた。

 金銭を蔑むのはカインの心得違いである。

273 :基本:2019/07/20(土) 09:30:22.86 ID:ecjdNrMXx
教団の側から言うなら、誠の理を集めたら「太る」、埃の金を集めたら「減る」。
 教祖は礼を言われるなと諭していて、教団は朝晩に礼を言えと説く。
 詐欺そのもので、そうやって集めたら「衰退」する。

274 :基本:2019/07/20(土) 09:36:37.21 ID:ecjdNrMXx
カインは、表統領の中田善亮氏が信者向けの内部機関紙で「御供(献金)は命のつなぎ」という脅迫ともとれる発言をしたことを取り上げている。
お言葉は「金銭は2の切り」であり、「金銭は3の理、つなぎ」とは貸し物借り物の教理だが、お供えは命のつなぎは、創作文である。
 中田善亮氏が本人の心情を吐露した、あるいは、願望を吐露したというのであろう。

 金銭は金銭で生える。
 身上は、人助けてわが身助かるが、身の助かりである。
 天理は正しく伝えないといけない。

275 :神之打分場所M:2019/08/10(土) 11:18:05.39 ID:zMU1K8+RW
久々に基本さんの信仰的内容、拝見しました。
こんな所で私が書き込んで恐縮です。
でも道の者として所動に駆られ書いてます。
知っておられると思いますが、おふでさき二号より

このみちをしんぢつをもう事ならば  むねのうちよりよろづしやんせ(15)
このはなしなんの事やとをもている  神のうちわけばしょせきこむ(16)
このみちが一寸みゑかけた事ならば  せかいの心みないさみてる(17)

とおふでさきに書かれてます。おふでさき通りになって来ているという事です。
これは個人の意思作ったもので無ければ、我々が作ったものでもありません。
何も分からない女の方に天啓として膨大なおうたとさしづでもった天理の道です。

276 :神之打分場所M:2019/08/10(土) 12:13:40.06 ID:zMU1K8+RW
昭和五十四年五月十二日 午前八時五十五分   おさしづ
さあ/\/\どれ程大切な事と思えどみな/\に分からん。
そんな事でこの道どうなると思う。
道にたった一つの事情 一列しっかり思案せねばなろうまい。
第一元に理なくば今まで長い間 道と言うて通り来たるは何を楽しんで通り来たるか
一列そろいしっかり神に返答して見よ。
答え出来まい。
そんな事では何にもなりやあせん。
どれ程神に尽くしくれたといえど この理分からんようでは道の上に立つ者と言えども
神の思惑更にない。
長い年限の中に古い理分からんようで道とは言えん
この古い理どれ程大切かしっかり思案せねばなろうまい。
元々親と言う根と言う。この通理聞き分けい。
道にどれ程大切な事か これ一つ心にとって思案して見よ。
何も難しい事無いはずや。
長々の道すがら身上事情にもさとし、さしづみな出して有る。
何を楽しんで通り来た事か。
何故さしづを持って尋ね出たるか。その時の神のさしづしっかり元に帰りて復習せい。
さらえて見よ その時のさしづ通りのこの道や。
元と言う古いと言うはよう聞かにゃ分かろうまい。
元と言うは元々天の理説いたみろくと言うぼさつと言う。
この理分からんようでは何もならゃせん。
元小さい者なれど一言解いたら百巻の書物とも言うたる。
これ皆神の残したさしづなるのや。
さしづいらんようなら、この先に何があろうとさしづはせんなれど、どうにもならん日が有る。通るに通れぬ日が来る。
その日の杖柱と思えば捨てるにすてられようまい。
この先どうでも越すに越せん怖い日が有る。
蚊のごとく泣かねばならぬ日が来る。
それでも良いなら勝手に通れ。その時はじっと見ている手だしはせんで。
死人の山を積むばかりやで、それだけ前もって説いておく。知らせおく。
見えているから神が説きおく言葉なり。
さしづ通りと説いて残する。

277 :基本:2019/08/12(月) 21:52:44.84 ID:sKH2ibsJr
>>275
お筆先が、この世をおふでさきの通りになると示しているのはその通りです。
 しかし、貴殿引用の、昭和五十四年五月十二日 午前八時五十五分   おさしづは、おふでさきの理の責めとは反していて、人間の思案交じりで、神の打ち分け場所さんが、語られていると思います。
 引用の、
 「元と言うは元々天の理説いたみろくと言うぼさつと言う。
  この理分からんようでは何もならゃせん。
  元小さい者なれど一言解いたら百巻の書物とも言うたる。
  これ皆神の残したさしづなるのや。          」
 これは、中山みき口伝のままでありますが、
 ここで問題は、「みろく」が生誕していて、その後に、昭和五十四年に、未来絶望を説いています。これは、案じ心です。
 絶望的な未来を語っているような神では、役立たずの神です。
 無能な神の自白です。つまり弥勒は助けたいであり、人間を絶望的に見ないと、そんな簡単な天理が見えていないわけで、それではご本人の純粋な神性に人間心を混ぜているというしかない、お指図です。

278 :基本:2019/08/12(月) 22:09:06.88 ID:sKH2ibsJr
>>275
>>277
>弥勒は助けたいであり、人間を絶望的に見ない
 弥勒菩薩である中山みきは、助けたいだけですから、こんな奴は助けないはありません。
 出来が良いから助ける、出来が悪いから助けない。教えを聞かないから助けないは、弥勒菩薩以前の諸仏の場合であり、「出来の悪い子ほどかわいい」弥勒は親神です、
 イエス様もさまよえる子羊のおそばに出かけます。
 引用ありましたが、
 「蚊のごとく泣かねばならぬ日が来る。それでも良いなら勝手に通れ。その時はじっと見ている手だしはせんで。」
 こんな弥勒は偽弥勒です。
 天理教団幹部と同等です。
 「蚊の如く泣いている人」がいたら、「わしが代わって苦しんであげよう」が弥勒菩薩。「人が罪びとなら、私が十字架にかかろう」がイエス様。
 お釈迦様は人の子を食らう鬼女に、鬼子母神と名づけて、「吉祥天」となされた。

 人間が絶望的だから、お釈迦様は悪事を吉祥とみなし、イエス様は十字架で罪をあがなわれ、中山みきは弥勒菩薩と下生し、甘露の道をつけられた。

 未来には、いや現実には、弥勒菩薩もお釈迦様もイエス様も、光を注がれている。
 おふでさきの予言は、明るい未来のための予言であり、悟るなら理は正しく神を無力と扱わないようあるべきです。

279 :基本:2019/08/12(月) 22:25:03.95 ID:sKH2ibsJr
>>275
>>277-278
 おふでさき2号ですが、確かめてみましょう
 たん/\と神のしゆごふとゆうものハ めつらし事をみなしかけるで(2-5)
 にち/\に神の心のせきこみを みないちれつハなんとをもてる (2-6)
 なにゝてもやまいいたみハさらになし 神のせきこみてびきなるそや (2-7)
   以上のどこに「蚊のごとくなく声がける」予言がありますか。「神はてだしせん」はありますか。
 検証を続けます。
このみちをはやくつけよとをもへとも ほかなるとこでつけるとこなし 2-14
このみちをしんぢつをもう事ならば むねのうちよりよろづしやんせ   2-15
このはなしなんの事やとをもている 神のうちわけばしよせきこむ     2-16

   このみちが一寸みゑかけた事ならば
   せかいの心みないさみてる (2-17)

 神の打ち分け場所がなさねばならぬのは「この道見えかけるよう」です。
 蚊の泣くような声の人がいたら、助けてあげて元気にすることです。
 道を似せる、それをしないのでは、神の打ち分け場所は、埃の姿です。
  なにゝても神のゆう事しかときけ
  やしきのそふぢでけた事なら (2-18)
  もふみへるよこめふるまないほどに
   ゆめみたよふにほこりちるぞや (2-19)

280 :基本:2019/08/12(月) 22:39:31.45 ID:sKH2ibsJr
 天理教団ばかりでなく天理教団が生んだ、宗教団体は、みな人間に絶望を説いて。すがらせるが、大埃である。
 神の側にいて、教えを諭す側にいて、実は不安を煽っている。それは大埃。
 神の言葉だと告げて、ふりをして、神に感謝せよといい、神に従えというのも大埃。
 その天理教団批判を、創価学会の会員獲得のために行うカインは、天理教団掃除の道具で、神を信じないよう洗脳するが、その洗脳は無意味である。

 神はある、世界は「てんりおう」が支配している。

281 :基本:2019/08/12(月) 23:12:58.27 ID:sKH2ibsJr
>>275さんへ
 私に声をかけてくださり有難うございました。
 人にはそれぞれに自由な心があり神を信じながら疑うも心のすることです。
 疑いながら信じるもあって、しかし、それでは、半信半疑であり、泥水状態と変わりない姿です。

 神様には意思があって全てを子供である人間のために支配しています。
 天理をしっかり学び、教えを宗教思想として理解しないことです。
 社会での行動原理的にしてしまうと改革や団体行動に走ります。

 そんなこと何もしなくても、ほんの十人いれば、世界一列を変えられるという、中山みきが、いてくださるから、髪の働きを、理を、見ていたらよい。
 まず、見ることです。「開眼」といいます。
 そして思うことです。「悟り」です。
 それを説くと「風が神」で、理が発動します。
 悟りは、火、開眼は、水、説く刃は吹きまわすで、風。火水風は人です。
 「蚊の泣くような声」になっても助けない。助けられない軟弱な真心では、
ちゃんと悟りが出来ていない。「子供かわいい・おもい」、火の理がない。
 だから暗い。悟りがつけば、明るい。お日様の温みを。。。
 しかし、欲しいの心で曇らせたら、水の理がない。目が開かない。・・・
 親の思いがわかり、理が見えたとして、それを言葉で発信しなければ。。

 一言の話が、悟り開眼した真理を語ることが、ようぼくの力である。
 いつも、語ることです。
 生活の場で、道の辻であった人に、一言の真理を、悟りを伝えることです。
 それは、自分ひとりで出来るおやさまの道です。

282 :基本:2019/08/14(水) 22:13:47.05 ID:EPxW6APPY
>>239

天理教Hさんの疑問、「イエスキリストと中山みきが同じだ」という根拠についてです。

>中山みきは、自ら神の子だと仰らずに人間は神の子供だと説きます。
>明らかに違いがあるのにイエス・キリストと中山みきが同じだと言う根拠を
>キリスト教の教えから(聖書等)でもいいので教えてもらいたい。

お教えします。
 マルコによる福音書14章61−65に「キリストは神の右の座に着き」とあります。
 こふき話にては、月さまが天理天体図の中心で、真北の方向で、元の神・国常立命さまの右の座は、
月読命様のお席です。
 十本の指では、中山山みきは右の小指、月読命のイエスは左の人差し指で、月さまは左手親指です。
 つまり、皆おざじ、一つの手の指です。

 聖書とこふきはイエスを神の座の人間から見て向かって左の座と示していて、一手一つの指仲間です。

283 :基本:2019/08/15(木) 00:15:36.28 ID:ZLEXtWGEY
こふきでは、おやさまは、月読命様の裏守護を、八幡様、聖徳太子と説いています。
八幡様は、応神天皇です。母は神功(じんぐう)皇后。父の死後,九州で生まれ,胎中天皇ともよばれ、倭の国を平定し朝鮮から技術者を招き入れ、儒教と漢字の伝来をしています。
聖徳太子は名は厩戸 (うまやど) 皇子。物部氏を制圧し、日本に仏教を、招き入れています。
 元の理の数理は、日本における文化文明の数理であって、智慧の仕込みを受けた縄文人は、天文学と造船技術を有し、海人族として世界の海に活動し、メソポタミア文明(旧約聖書の文明)に深くかかわり、
交流を示す遺跡が九州には散在している。

 智慧を仕込まれた縄文人は、シュメール文明び智慧の果実をメソポタミアにもたらし、
狩猟の生活に、農耕と栽培を持ち込んで、そこで、権力者が生まれ八つの国は争いあい、智慧の果実の奪い合いとなり、
神は、天災をもって、二度の大洪水で全てを流してしまわれた。
 ノアの方舟でわずかに保存された文化文明は、セム、ハムの子供により、文字の仕込みを受けて、「まず初めに言葉ありき」の旧約聖書の時代に入り、
一度は許す、二度は見逃す、なれど三度目はの、天理の通り、三度目の正直の仏法の通り、
三度目の天災は、シュメール人を文化をメソポタミアから消失させた。
 三階建ての方舟をつくる技術でシュメール人は、故郷の九州に戻っています。
 旧約聖書の記載のシュメールとは「箱船」製造を可能な技術を有していて、木材の加工に長じていて、その上太平洋を今のイラクから日本まで公開する天文学の知識を有していた。
 文字の仕込み前の日本からメソポタミア行の記録はないが、日本に荷が帰った記録は、証拠はそこここにある。
 海神族の聖地 海の神総本社 福岡【志賀海神社】と、織幡神社 引用します
https://blog.goo.ne.jp/nimojero/e/596ac590b54fa2655cc7d1f8de1d87ec
 神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで亀石が奉納された。
 神功皇后が鹿の角を納めた事に由来する鹿角堂には一万以上の角が奉納されているとのこと。
 海神族は、世界最古のシュメール文明が滅んだ後、船で東方へと渡ってきたシュメール人の末裔とも云われ、自ら「龍の末裔」と称していたらしい、、、






284 :基本:2019/08/15(木) 00:38:09.32 ID:ZLEXtWGEY
 日本人が縄文文化を、シュメールに伝えていた。その話題です。
メソポタミアから忽然と消え、日本に帰った事の証拠はあります。
https://tocana.jp/2015/03/post_6023_entry.html 引用します。
・ シュメール文字が刻まれている!?
2005年8月、「押戸石の丘」にも足を運んでいる。
阿蘇北外輪山の標高845mにある巨石群、「押戸石」・・・
 岩石や洞窟の壁面に刻まれた文字を「ペトログラフ(またはペトログリフ)」と呼ぶが、
押戸石にはペトログラフとしか思えない文字のような線が刻まれているとの指摘がある。
しかも、この押戸石のペトログラフは「シュメール文字」が刻まれたものではないかというのだ。
シュメール文字といえば、紀元前2600年ごろから古代メソポタミアのシュメール人たちが使用していた楔形文字だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 楔形文字の原型は、シュメールに先行していた縄文記号の智慧です。
 縄文記号の世界  https://www.joumon.jp/ 引用します。
  男性記号(省略された記号 リアルな形の記号)
  女性記号(省略された記号 リアルな形の記号)
 この4種類の記号の組み合わせによって、縄文人は次のことを土器や土偶に表していました。
男女が愛し合うこと 無事に出産すること 種をまくこと 作物を収穫すること
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 地上の楽園を、縄文人は土偶に、祈念していたと分かります。
 縄文人の記号文字は、日本語の原点です。

285 :基本:2019/08/15(木) 00:57:09.71 ID:ZLEXtWGEY
紋かたもない、天保9年よりも9憶9万9999年前に人間は始まり、
9千年前に智慧を仕込まれて、
縄文人は、男女が愛し合うこと 無事に出産すること 種をまくこと 作物を収穫することを智慧とした。

 聖書の「産めよ、増やせよ、地に満てよ」の智慧、そのものです。
 しかし、栽培と農耕が開始されて、日本の縄文人は、むらから国をつくり、戦争を起こします。
 天は、天災をもって、火山ンの噴火と異常高温で、九州の縄文人は、火山灰と熱低制気口からの民族移動をします。
 福岡の安曇郷から、信州の安曇野へ移り住んだ記録があります。
 東北が海人族の活動の中心地となり、・・
「天日、火の海」。
 シュメールに到来した縄文人は、男女が愛し合うことに、欲望の泥を混ぜて、。。
収穫物を奪い合います。
 元の泥海に帰してしまおうか、天災が全てを無にします。

 宗教を利用した悪事が、悪魔によって行われる、それが因縁です。

286 :基本:2019/08/15(木) 01:13:36.12 ID:ZLEXtWGEY
戦乱の時代に、八幡は儒教を、王のあるべき姿の教えを、シュメールからの伝承である四大文明の力伝承します。
戦乱の時代に、聖徳太子は、神仏による法治の教えを、シュメールの文明の景勝地インドからの仏教を、日本にもたらしました。
聖徳太子には、景教の伝承ありとも伝わります。

 ・・・天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。(以下略)」
 ・・・ベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ福音書)


 穴穂部間人皇女の元旦の夢に金色に輝く僧(正体は西方の救世観音菩薩)が現れ、「われに救世の願いあり。よって胎をかりる」との託宣があった。
 穴穂部間人皇女は辞退したが、「これは宿世の縁なり。これによって国本立ち、多くの民の救われることを思い、心安らけくおわすべし」と告げ、ひとすじの金色の光と化して妃の口から胎内に入った。
 十カ月後、邸内を散歩し、厩戸の前に来たとき産気を覚え、その場にうずくまった。
女孺(めのわらわ)たちが妃を産室へ運ぶと、玉のような皇子が生まれ、
西方から黄色の光が邸内から庭先までも照らし、空高く瑞雲がたなびいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 イエスキリストは、月読命様の裏守護で、弥勒菩薩の再誕を予言する仏教を日本に帰化させた聖徳太子も同じ裏守護であり、、
 イエスも大師も中山みきと同じ親神天理王命のお一人です。

287 :基本:2019/08/15(木) 09:03:35.33 ID:p4VSURk2c
 カインはアダムとイブの長男です。
 縄文文化はメソポタミアに伝承し、智慧を仕込まれた縄文人は、発情期の束縛を逃れていつでも性交できる定住生活の知恵を身に着けた、
その知恵をシュメールに伝えた。栽培し農耕する知恵を伝えた。こふき話に言う「垣根」「やりくり」の智慧を伝えた。
 高度な天文学と高度な数学とに裏付けされた縄文伝来のシュメールの智慧は、「暗唱」の方法で伝承され、
村の統治者は豊富な財力で大勢の女に子を産ませ、生産力を武器に都市国家の統治者になり、智慧の伝承者の争奪戦を行った。
ノアの方舟に至る、高山支配の歴史です。

 支配者の女の一人、王の妻イブは「動物と違って何時でも発情できる女の智慧」で、「動物と違いいつでも発情できる男」のアダムを発情させ、
欲情し性交し。生まれた子供が、カインであったと、旧約聖書は記しています。


 創世記では、禁断の果実とは、善悪の知識の木の果実を指す。
アダムとイヴはエデンの園にある果樹のうち、この樹の実だけは食べることを禁じられるが、
イヴはヘビにそそのかされてアダムと二人でこの実を食べ、シュメールの有する縄文の智慧の恩恵から追放されました。

 そして生まれた長男のカインは、縄文の智慧を有していた、聖書はそれを示しています。

288 :基本:2019/08/15(木) 09:43:48.13 ID:p4VSURk2c
 善悪の知識の実を食したアダムとイブは支配者のみが有していた「発情の自由」と、
「生産と収穫の管理の自由」の智慧を有してしまった。
 ノアの方舟以前のシュメール都市国家の支配者は縄文の智慧を独占し技術と科学を利用し、
発情の自由は支配者のみ有して大奥状態であった。
 その中、蛇(聖書では龍)と書かれていますが、縄文人・つまり海人族に入れ智慧されて、
男女の愛は自由であると知らされたという事です。王が善ではないと知恵がついた。

 長男のカインは、覚醒したアダムとイブの智慧を受け継ぎます。

 都市国家の王は、楽園追放したアダムの子カインとアベルの兄弟にも貢物を要求しています。
縄文由来の栽培と農耕のカインは、「やりくり」の智慧を用いて、王に全てを捧げていません。
善悪の智慧がついてしまったカインは「蓄財」を優先させた。
 シュメール以前の狩猟のアベルは、保存もきかないから最高の獲物を王に捧げます。
引用しましょう。神の言葉です。
7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。
それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

 智慧の果実は、経済行為を生み、産業相互の争うを生みます。
 農耕と栽培経済は狩猟経済を、やがて滅ぼします。
 そして、カインは、縄文人の伝承の智慧ではない「金属器」の智慧に・・
ヤハウェがカインの捧げた農産物の供物よりも弟アベルの捧げた動物犠牲のほうを喜んだのをねたんでアベルを殺害した。
この罪により,罰として定住していた土地より追われ,放浪の旅に出た。
その後,ノドの地に住み,子孫のトバルカインは青銅や鉄を鍛える者となった。

 青銅器と鉄器の文化は、古代の神に、縄文の智慧ゆえに追放されたカインの子孫により、伝播されて、日本に弥生時代をもたらします。

289 :基本:2019/08/15(木) 10:35:47.87 ID:p4VSURk2c
 アダムとイブとその子カインを楽園から追放し、「男と女の愛」を支配し、
「種まきと収穫」を管理した、シュメールの権力者は、縄文の智慧を食してしまったアダムの子カインには、
荒れ果てた地での居住以外許さず、栽培と農耕の権利を奪い、追放した。
 農業を管理支配する支配者には、カインは謀反人であり追放に値したが、縄文の智慧を食してしまったカインの一族は、
火を用いて道具を生産する技術者でもあり、カインは楽園を追放されたが、火を扱うにおいて縄文を超える鋳造技術を智慧として身に付けます。

 善悪の智慧の実は、本来は人類のための果実であった。
 それを食したアダムの勇気は、長男カインにおいて、既に権力者の独占であったシュメールの豊穣のちを追われて、谷底から這い上がる。
 
15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
17 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。
18 エノクにはイラデが生れた。イラデの子はメホヤエル、メホヤエルの子はメトサエル、メトサエルの子はレメクである。
19 レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダといい、ひとりの名はチラといった。
20 アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。
21 その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった。

290 :基本:2019/08/15(木) 10:46:51.28 ID:p4VSURk2c
カインから、琴や笛を執るすべての者の先祖となった子が生まれます。

男女の愛を自由であれと、親神は旧約聖書に示されていて、
経済行為を自由であれと、親神は旧約聖書で市まされてある。

こんな尊い教えを、天理教と違うと思い上がった天理教団には、天災が・・
崩壊は、あって当然です。

291 :基本:2019/08/15(木) 13:47:00.95 ID:p4VSURk2c
天理教社会科学研究所カインは、大日本皇道立教会の生んだ宗教団体の長男、創価学会を代表して天理教批判をします。

創価学会初代牧口常三郎、二代戸田城聖は構成員で、
その後その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近がいて、成長の家、実践倫理佼成会、紅卍会がある。
宗教を金儲けとしておこなう彼らと、天理教団が同一だとみなし、批判しますが、神がいるのに気づけない。
仏がいるのに、気がつけない。

それでいて、聖書の人物の名を借りています。
狩猟から牧畜へ、カインの子孫は肉食文化を生み出し、ナイフとフォーク、金属食器の文化を生みます。

つまり智慧の果実は、人間に幸福をもたらしているが、「不老不死」には、その真逆に向かう悪事の種となり、
青銅器、鉄器と、道具の進歩は強力な武器を生んで、世界に殺生の罪を多くします。

天理教団の解体に向けて、カインの名を選んだのは、ご自分の信仰する」仏法の哲学を祈願としたつもりでしょうが、
信仰を捨てないで、論を振り回すカインは、いわば偽物です。

292 :基本:2019/08/16(金) 07:46:28.42 ID:vHFd152rb
偽物の社会科学カインは、投稿コメントを掲載していますが、基本の投稿はブロックされています。
【投稿コメントについて】
以下のようなコメントは削除します。
通常の迷惑メールに加え、敬語を使わない、10語以内、他者の意見に耳を貸さない、名前を変え何度も同じようなコメントをおこなう、
非論理的文章など読者に配慮しないものも含みます。
なお1度削除しますと、以降自動的に同じIPアドレスからはコメントできません。
悪質な場合は自動的にアクセスブロックとなります。

カインはカインに賛同の意見しか投稿させない、事前検閲をしているわけです。

偽物らしい自己防衛です。

293 :基本:2019/08/16(金) 07:55:37.30 ID:vHFd152rb
基本にコメントさせないカインは自分が投稿者なりすましで、コメントしています。
匿名
2019年8月8日 6:38 PM
天理教に強い疑問を持ち、あれこれ資料を探しているものです。
秀司が始めた天理教団が強欲から始まった事実や、
現教理に教祖の教えに無い神道の神名が入って来ている事実を知りました。
十柱の神名は信者が押し寄せ賽銭が相当上がるようになりその旨味を知った強欲な秀司達が、
教団設立の為に神道の神名を利用して「転輪王」として唱えるとし、
吉田神ぎ官に願い出たものだそうで、この時に初めて教祖の教えに無い神道の神名が入ったと言う事のようですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上の、カインの大ウソは賛同者のコメント誘導の呼び水狙いです。

転輪王の神名の使用は教団設立運動以前であり、てんりんおうは、元々の中山みき(弥勒菩薩)の名でもあり、
お筆先に神名としての十柱は示されていて、天理教は神道の神名を元々中山みきが使用し、使用させていました。
嘘つきカインの、投稿者芝居の心の醜さです。糾します。

294 :基本:2019/08/16(金) 08:06:38.07 ID:vHFd152rb
カインは、投稿者芝居で、こう告げています。
 教祖が現中山家の強欲に対して天から仰っています。
 「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」
 「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 中山秀司はお筆先で、きちんと悪事を指摘されて指摘の1年で死んでいますから、
神のいう事を聞かない、金をためるという人だった。
 そのことと、天理教団の金もうけを中山みきは「天」からでなく、おやさと地場から非難され続けているのです。
 秀司が始めた天理教団が強欲から始まった事実は部分的には正しいですが、
現教理に教祖の教えに無い神道の神名が入って来ている事実というのはまるで嘘で、人間を始めだしたるをやは存命のまま、
強気。強欲を戒めているを、認めない嘘つきカインには「神の返し」があるよう呪詛します。
 基本です。

295 :基本:2019/08/16(金) 08:18:10.74 ID:vHFd152rb
天理教団の崩壊を告げるカインの投稿者芝居は、こんなことを言い出しています。
匿名 (実はカイン) 2019年8月11日 11:18 PM
組織は組織 信仰は信仰
分けて思案しないと、幸福や充足感から離れていきますよー
天理教の起こりや、そもそも論をしたら、元も子もないですけど…
日本で信仰できる宗教は天理教以外にもたくさんあります。
天理教、さらにはその組織活動に人生を費やすのは少しもったいないと思います。
昔より個人の思想や権利が尊重される現代、江戸時代からそんなに変わることがない凝り固まった思想では時代の変化に対応できません。弱い立場、思想、満たされず、自分に嘘をつく人生にならないように…人に喜んでもらい、人助けのできる人生がよろしいかと。
先を楽しめ…
しかし先案じはよくない。神にもたれろ。難しいことをいう教え。
神にもたれても、組織にもたれたらいけない。
組織と信仰 人と神 男と女 陰と陽 二つ一つが天の理
対になるもの、相反することがらをよく見極めないと
組織と信仰、人と神は相反するものではないと思いたいのですが…
ここに書き込んでいたらよくわからなくなりました。
天理教以外の宗教の勉強もしようと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 偽の匿名カインは、天理教の効能をなにもわかっていない。「幸福や充足感」だと思っている。
大間違いです。

 天理教は「病治癒」「豊年・大儲け」が売りの、中山みきの教えです。
 即物的な現世利益の宝島、宝の山、これで信者になるのです。
 基本です。

みなさま、まだまだ暑い日が続きますが、お元気で

296 :基本:2019/08/16(金) 08:32:53.80 ID:vHFd152rb
 昨日諏訪湖の花火大会があって、基本の関係者が、今花火大会に来ていますと連絡してきた。
 台風の予想ですが花火の時間、雨が来ないようお願いしてくださいと言う連絡だった。
  お願いした、雨は来なかった。
 この科学と無関係の、漫画が、天理教なのである。
  数日前、基本の関係者と食事に出たら、おいしい店でたべられるよと、先に言われてしまった。
基本は、外食の店に入る前に、まずい店、上手い店の知らせを頂くことがあるが、そんなもの非科学的であって、
まともにお願いされると、ともかく中山みきにお願いだけはする。基本じゃもりだ。
 そしたら、交差点で赤信号で止まった時、「左善」の知らせが来た。隣にハンバーグ・ステーキの看板があった。
 またしても、上手い店であって、一度の外れもない。

 左の知らせは善、右の知らせは悪で、交差点の左善の知らせの前に、大きな中華料理店があって、向かおうとしたら右悪の知らせで、
その店を行くのやめたあと、左の善に遭遇したのである。
 こういう、人間の能力以外の、現世利益が、天理教であり、天理教の効能は、美食、これは基本周辺の一度も外れない事実で、
非科学であるが、宗教である。

297 :基本:2019/08/16(金) 08:49:58.46 ID:vHFd152rb
匿名なりすましのカインは現世利益の威力を知りません。そして語ります。

匿名(実はカイン) 2019年8月15日 9:20 AM
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。<<
彼は崩壊、瓦解の根本原因が何かわかっているんだろうか。ここは神を語る宗教団体であり、営利を目的としない筈の団体ですよね。
学校を潰したり、天理市寄付金を減らしたり手当たり次第の事をしているが、限りなく下降線を辿るマイナスエネルギーに付きまとわれている以上、負の連鎖が渦巻いていて回復は限りなく無理でしょう。
信者にお金で神の守護を買わせるような金、金の体質を心を培う体質に方向転換せずして、回復はあり得ない。彼は何を根拠に盛り返すと言っているのだろう。
この期に及んでも、根拠なく140年祭にはお供え金が回復する!とお金にこだわる腹の内が思わず出てしまうんですね(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 効能は140年祭で復活するという予言である。
 わからないだろうな、神仏の効能は金と健康。効能があるから信心するのだ。

 カインは「ここは神を語る宗教団体であり」と見てきたような嘘をつく。
 「月日が支配する宗教団体」が、天理教であり、「左善」「右悪」にて統治されている。

 お筆先に「何もかも月日支配をするからに大き小さい言う出ないぞや」とある。
 カインは「大きくなった」「小さくなった」「衰退した」と言う。
 カインんは天理教を研究した立場で、月日支配を否定し、大きい天理教が小さくなったという。
 理の間違いであり、研究所とは真っ赤な嘘である。
 基本は天の返しを呪詛の為、天理教社会科学研究所カインを糾す。
 諭しておけば、神は働きます。嘘つきカインさん、悔い改めなさい。

298 :基本:2019/08/16(金) 09:01:14.30 ID:vHFd152rb
匿名 (実はカイン) 2019年8月15日 2:10 PM
教勢回復とおそなえ回復を信じるぜんすけもバカだが違和感持たない本部の奴らもバカばっかかよ
さすがにそんな根拠の無い理由での鼓舞を真に受けてると思うと呆れるを通り越しかわいそうになるな
違和感持った奴はぜんすけ叩き落として自浄しようとは思わないのかよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ぜんすけが、教勢回復とおそなえ回復を信じるぜんすけだと、さすがのカインも認めているようだ。
 回復しないとおもっているのにぜんすけは嘘ついたと言っていない。
 さて、140年祭に強制回復すると信じたら、どうしたらいいか、
偽匿名のカイン曰く「匿名 2019年8月11日 6:07 PM
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、」。なのだから絶好の投機、投資のチャンスではないか。
 これが普通の社会科学である。
 カインのお陰で、天理本どうりの出店は尻込みされるが、ぜんすけが左善で、告げているなら、出店は大儲けのチャンスである。
 基本だけの情報にしたらいけないので、皆に周知する。

299 :基本:2019/08/16(金) 09:33:50.12 ID:oi/RtVBzX
中山みきは、「名称は末代」とお指図した。
分かる人にはわかる。名前だけは末代だよと言うのは、実は代々続かないという事だと。
カインさんへの投稿者に、ここでコメントを述べさせていただく。
松永里子 (カインへの投稿者) 2019年8月9日 7:39 PM
 ・・大教会は、福岡県にある 鎮西大教会なのですが10年ほど前天理教の知り合いに聞いたのですが、
いま、鎮西大教会の大教会長家族は、たしか破産して、京都にある別荘である中心山荘で暮らしているらしいのです。
・・一体どうなってるのでしょうか?月次祭は直轄の教会長さんが交代で執り行っているそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 形は違っても大教会・分教会は会長の財産ではなくなってしまいます、
 それが天理です。
 「どうでも信心するならば効を結ぼやないかいな」で、効能の理の集団が「講」「講元」は効能の元でした。
ところが、「左善・右悪」の身の知らせの理すらわからない大教会長では、会長では、講ではない。効能が無い。
 効能とは効き目の事ですから、効能が無ければ破産は、当然です。聞かない薬は売れません。

 身の知らせを無視してそれを説かず、常岡一郎という国会議員経験の天理教徒が会を設立していて、中心会。
社会活動で世界をたすける方法をとった、たぶん鎮西大教会にゆかりがあると思います。
 そういうのを、基本は異端と呼びます。異端は掃除されます。天理です。

300 :基本:2019/08/16(金) 09:49:20.14 ID:oi/RtVBzX
天理教社会科学研究所は基本のコメントは妨害してのせないので、ここでコメントします。
匿名  2019年8月16日 7:28 AM
本部の人も(少しわかっているなら)、いまの表統領で天理教が決定的にダメになるのであれば、
教祖の血統の方、つぎの真柱の父が仕切ったものだから仕方ない、と思っているのではないですか。
東西礼拝場普請を「心のふしん」といっていたころが懐かしい。年祭活動を何だと思っているのでしょうか。
年祭活動でうたってきた人だすけとか人類の将来のビジョンがない、
あるいはあっても、こんなふうにお金がさきに見えるぐらい薄っぺらい。
年祭活動にあわせ、おやさとやかた構想の断念、詰所の統廃合を宣言するぐらいでないと(これができるのは真柱かそれに準じる人以外にはない)。
人材育成(教校学園・おぢばがえり)を先に切ってどうするの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人材育成についてですが、天理教校の先生は「左善・右悪」の知らせも体験が無い素人です。
教理の研究の入り口にすら立っていない。素人です。
お筆先2号には、「せかいぢうとこがあしきやいたみしよ 神のみちをせてびきしらすに (2-22)」とあります。
 神が道を教えるに、左善・右悪の教理があり、正解なら左、不正解は右と、誰でもわかる簡単な知らせがその一歩です。
 これを日々24時間知らせがあるという事を知らない人間では、嘘の先生です。
天理教の学校なら、日々知らせを受けて授業する先生でないといけません。


このよふにやまいとゆうてないほどに
みのうちさハりみなしやんせよ (2-23)

301 :基本:2019/08/16(金) 10:04:43.40 ID:oi/RtVBzX
人材育成(教校学園・おぢばがえり)を先に切ってどうするの。と、ありましたが、子供お地場かえりは人集めの手段なら切るべきです。
「集める理は小さい、集まる理は大きい」と、集める心の小ささは、人材育成の邪魔です。

 親神のビジョンを知ってそれに添うには本物が一人で良いのです。

 「おやさとやかた構想の断念」はしようとしたら、右悪にて抑止されるでしょう。
 「詰所の統廃合を宣言するぐらいでないと(これができるのは真柱かそれに準じる人以外にはない)。」は誤解です。
各大教会が本部と統廃合を検討すればできますが、世界中の人類が親里の来るのです。
 詰所は。足りません。

 効能の理は「左善・右悪」の体験を積み上げて、神の支配をなるほどと思えば、ご利益が代となります。
 つまり、効能の元は、中山みきですから多くの人は効能を求めて参集します。
 140年祭迄に詰所を居心地よく、内容充実が正解です。


302 :基本:2019/08/16(金) 10:26:59.89 ID:oi/RtVBzX
基本は18の頃には左善・右悪の体験をしていて、知識としては今語っているような教理はいつでも説けた。
それで、それじゃダメなので、普通の社会人して、特別な時以外は神様に知らせださぬようお願いし生きてきて、
50年を経る過程で、ようやく究極の一点「中山みきが親神」について語れるレベルになりました。
天理教は、
 このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち (6-4)
 これを実行しなければ、何が天理教であろうか。
 天理教はこの世を治める教え。
 この世はどうして治める。身の知らせで治める。身の知らせで支配する。

  どのよふな事でも神のする事や
  これをやまいとさらにをもうな (6-22)
  なにもかもしんぢつ神のぢふよふを
  しらしたいからしてみせるでな (6-23)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 真柱の身上のことを埃の心の結果だと、それは仮に左右でいえば「左なら善」ともなる。
 天理教団の間違いは、真柱の間違いだから、真柱が叱られたというなら右悪である。

 高齢者と高齢者の社会生活を、陽気暮らしから、陽気遊山社会に、そのテーマに照らせば、
 どのよふな事でも神のする事や
 これをやまいとさらにをもうな (6-22)
   なにもかもしんぢつ神のぢふよふを
   しらしたいからしてみせるでな (6-23)
 して見せるという親神と対話し、「やってもらおうじゃないか」と、詰めるのが基本である。

303 :基本:2019/08/16(金) 19:56:45.57 ID:oi/RtVBzX
中山大亮が真柱となってからの天理教を予想するスレに書いてありました。
 http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1484176188/l50
2 :
47 :日本青年協議会 ◆yNebCE.EhA :2017/03/28(火) 05:21:16.12 ID:Kzg2xQ4R.net
2  基本。:2017/01/15(日) 04:54:00.97 ID:sQc3y3HE.net[1/12]
真柱の名は、
初代:中山眞之亮(しんのすけ・教祖中山みきの孫)。
二代:中山正善(しょうぜん・初代真柱の長男)。
三代:中山善衞(ぜんえ・二代真柱の長男)
四代:中山善司(ぜんじ・三代真柱の長男)
五代予定者:中山大亮(だいすけ)
真 善 善 善 大である。12345。
1始まり 2、たっぷり 3、身につく。4世治り。5理を吹く。である。
3 :基本。:2017/01/15(日) 05:07:35.08 ID:sQc3y3HE.net[2/12]
1代 真(真之介) 初代真柱。管長公の時代。おやさまの付けた名が取り払われた時  代。
2代 善(正善) 応法の真柱。管長公から真柱。おやさまの予言の名が使われた時代。 教義の父。70年蔡
3代、善(善衛) つとめの地歌復元。理の親はおやさまのみ宣言。生まれたときから真柱候補。 100年蔡
4代、善(善司) 地場の祭儀祭式復元。国々所々の地場宣言。生まれたときからの真柱候補。 130年蔡
真は、真の理。 善は、善の理で、応法の悪しきを掃除した。
4 :基本。:2017/01/15(日) 05:11:42.65 ID:sQc3y3HE.net[3/12]
大 は、いかなる理か、です。
5 :基本。:2017/01/15(日) 05:20:32.74 ID:sQc3y3HE.net[4/12]
「世の中の廃れ者、厄介者からたすけるのは道の大」
つまり、天理教団は、おやさまの名を天理王命だと3代真柱が説いて、
4代真柱の時代にようやく信仰組織として善になった。
そこで、5代真柱は、道の大の、真柱という事です。

304 :基本:2019/08/17(土) 02:07:39.53 ID:c/lVmPjY/
真っ赤な嘘を見つけた。紹介する。

自立人生  2014年11月22日 8:47 PM
<天理教が創価学会に追い抜かれた理由>:
創価学会:
昭和18年7月、牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長ら幹部21人、治安維持法、不敬罪で逮捕、投獄。
昭和19年11月、牧口会長、獄死(73歳)。
昭和20年7月、戸田理事長出獄時、創価教育学会の信者は離散、組織壊滅。
昭和20年(1945年)8月15日、組織壊滅状態から出発。
創価学会は戦後再興された時から会費は一切徴収せず、賽銭箱が置いてない金のかからない宗教が第一のうたい文句であった。
折伏布教する相手は地方から大都会へでてきた貧困層が中心で、実際彼らは宗教に献金するようなカネの余裕は無かった。
・・・・・・・・・・・・・
実際の学会の集金システムは強固である。
ご紹介しておこう。

305 :基本:2019/08/17(土) 02:24:36.68 ID:c/lVmPjY/
基本は学会員の方を暴力団、やくざから守ってあげたことがある。
騙されて印鑑押してしまっていたので、家屋敷を取られる前に手段を取らせてあげて、守った。
学会員はグループ単位で各家をまわってお経の会を開いている。
献金額は割り当てられ、その方の家族は全員、給料の中から定額を治めていた。
 その方の知り合いが長野県の学会の責任者で、観光ドライブインを5件以上経営していて、学会の団体旅行は全部扱っていた。
 集金は厳しいと、語っていたが、池田大作先生のお陰だからと、積極的に献納していた。
 創価学会は中小企業の経営者に会員にが多い。
 江戸時代の五人組制度のように、信者相互を管理させていて、自主独立と程遠い。

 昔は現実にお経で病気が助かった信者はいて、熱心な信者であり、墓地も学会の世話になりでガチンコの信仰をしていたが、
そういう古参信者は年老いて、天理教団とにた信者の離散は始まっていて、長野県の学会責任者のドライブインは倒産し廃墟となっている。
 かき集めたお金を選挙資金に公明党をつくり、選挙の度の住民移動で、議席確保活動をしているが、
嘘をつくと、地獄に落ちると、お釈迦様の教えである。

306 :基本:2019/08/17(土) 02:49:58.65 ID:c/lVmPjY/
基本の高校時代の友人は医者の子で熱心な学会員だった。
親が自営業している学会員の友人もいた。各人少なくとも貧乏ではなかった。

学会員は七つの企業から新聞、仏壇など買わなければならない。
埼玉県に学会の品物を製造している下請け工場があり、団体力の関係のものを製造していた。
原価は、ただみたいなものだと笑っていた。
シール一つははれば、学会の名を入れれば、金がとれると笑っていた。
その会社は、統一教会の花売りグッズも作っていた。

宗教はビジネスとは、大日本皇道立教会をルーツとした、
創価学会初代牧口常三郎、二代戸田城聖の根本理念で、
大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近も、成長の家、実践倫理佼成会、も同類である。

悪の華も咲く。咲くから同類が皆集まり、神仏利用のビジネスのつもりでとりかかる。
だが、それはお釈迦様の手のひらの上の出来事。
 どんなに盛大に見えても、立ち枯れする。
 宗教ビジネスが根絶やしになる、根絶やしにする、
 お釈迦様には閻魔大王が、ついておられる。中山みきはダメをだす。
  なにもかもちがハん事ハよけれども
  ちがいあるなら歌でしらする (1-23)
  しらしたらあらハれでるハきのどくや
  いかなやまいも心からとて (1-24)
  やまいとてせかいなみでハないほどに
  神のりいふくいまぞあらハす (1-25)

307 :基本:2019/08/17(土) 14:10:29.79 ID:VY05oh3JR
毎年1月5〜7日、天理教教会本部でお節会がある。
国会議員も、この時は多数やって来る。

加藤 学 衆議院議員Blog 「信州伊那谷奮戦記」によると、昨年22名民主党国会議員が参加、とあるので、
自民党やら他党の国会議員、また県議会や市議会を合わせると、けっこうな人数の代議士がお節会にやって来ているだろう。

 政治と宗教の問題は、皇道会の長兄、創価学会には最大の関心事である。
 池田大作が病にあり人前に出なくなった心から、公明党は政治勢力としての天理教団に深い関心があった。
 自由民権運動を利用し国会開設の1夜まえに組織された皇道会は、創価学会という政治勢力を育て、所期の目的を達成したが、
釈迦の再来として信者を洗脳した、生き仏池田大作が、人前に出られない状態で、国会議員を参院に送った過去を持つ天理教団は、
叩き潰しておくべき政治勢力であり、富士のお山と決別した以上、その闘いは絶対に必要であった。

 カインの誤算は、高校時代に創価学会について徹底的に研究した基本と言う人間を親神は用意していたという事です。
 現在では隠しこまれている出版物も資料もみな研究した基本は、さすがに皇道会にいきつくには時間がかかったが、
 教理上の学会の位置は、全て承知していた。

308 :基本:2019/08/17(土) 14:21:01.73 ID:VY05oh3JR
 このよふを初た神のぢうよふを みせたる事ハさらにないので (4-116)
 なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら (4-117)
 これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや (4-118)

 基本は「何にても知らん間はその儘や 神の自由知らしたるなら」の専門家である。
 天理教社会科学研究所が、皇道会で、創価学会で、政治的目的の為、情報戦争を仕掛けていると、
知らしてしまえば、それだ神は働けるのです。
 知らない間はそのまま。
 知らしたらはたらく。

 創価学会の幹部も公明党の幹部も、知ってしまったのです。
全部バレていると、知ってしまったのです。
 しらしたらあらハれでるハきのどくや
  いかなやまいも心からとて (1-24)
  やまいとてせかいなみでハないほどに
  神のりいふくいまぞあらハす (1-25)

309 :基本:2019/08/19(月) 18:05:21.55 ID:4fmgNXzSq
https://siawaseo.exblog.jp/16564219/ 引用します。
牧口常三郎と柳田國男

創価教育学会というのは、創価教育学という牧口常三郎独自の思想だけではなく、初期においては、

◎社会的側面では大日本皇道立教会の友好的別組織

◎個人的側面では、川面凡児の禊流の影響を強く活動方法に受け

◎信仰的には日蓮正宗の中でも異質な堅樹派の流れを汲み

◎教育方面では教育学というよりも社会学の影響が強い

そういう多面性を持っているわけです。

つまり、創価教育学会は設立当初から「総体革命」を目的とした団体だったともいえます。

ちなみに、このような立場の牧口常三郎と柳田國男が相容れるわけもありません。

なにしろ、柳田國男は必死に大政翼賛し御用学者になりたかったのになれなかった人物です。

310 :基本:2019/08/19(月) 18:12:16.49 ID:4fmgNXzSq
一般の説では、http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-0fe2.html

柳田国男と牧口常三郎
  柳田国男(1875-1969)と牧口常三郎(1871-1944)は、明治42年5月2日、英文学者の馬場孤蝶の紹介で知り合う。
その後新渡戸稲造主催の郷土会で二人の交流が始まる。
牧口と柳田は農村調査のため明治44年5月12日から15日にかけて旅行をしている。
のち柳田は、創価教育学説支援会の発起人の一人にもなっている。
しかしそのような二人もやがて疎遠になる。柳田は仏教きらいであるらしく、牧口の温厚な人柄に好意を抱くものの宗教に対する根本的な考え方の相違が理由の一つに考えられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

311 :基本:2019/08/19(月) 18:16:28.78 ID:4fmgNXzSq
https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/blank-36
大日本皇道立教会
大日本皇道立教会の参加者
?後列左端が牧口氏(写真略)
 牧口常三郎を、創価学会では永遠の指導者としながらその実像を伏せている箇所は多くある。
 何故伏せるかといえば、今の創価学会の進める活動にそぐわない、不都合があるからに他ならない。
しかしそういう実像を隠す人物をして、創価学会では「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。」として永遠の指導者と呼んでいる。これは変な話ではないだろうか。
? まず左の写真を見て頂きたい。これは大日本皇道立教会の会合の写真と言われるが、後列左端に移っているのは牧口常三郎氏であり、後列右から2人目は後に右翼のフィクサーと呼ばれる児玉誉士夫である。
? また写真の前列中央に移っているのは「秋月翁」とあるが、これは三代目会長の秋月左都夫であろう。
この人物は司法省に入省するが、後に外交官に転身し、スウェーデン公使、駐ベルギー大使、オーストリア特命大使を歴任後、大正三年(1913年)に退官したという。恐らく写真はその年代以降のものと思われる。
また児玉誉士夫も若い年代(児玉氏は明治四十四年生まれ)の様である事から察すると、この写真は大正から明治に移り変わる頃の事では無いかと思われ。
?この大日本皇道立教会の目的は「南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨」として設立されたとされるが、
 設立された明治四十四年には天皇暗殺を企てて幸徳伝次郎、菅野スガら十二名が処刑されるという事件が発生している。(大逆事件)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用続く

312 :基本:2019/08/19(月) 18:21:38.11 ID:4fmgNXzSq
南北朝をめぐる教育問題が背景にあり、大日本皇道立教会が設立されたのではないだろうか。
そして牧口は教育者であり、恐らく当時は白金尋常小学校の校長を勤めていた時代とは思われるが、
先の人生地理学で新渡戸稲造や柳田邦夫、また国粋主義者の志賀氏など、当時あったと思われる幾人かの人脈を通じて
この大日本皇道立教会に参加していたのでは無いかと推察される。
?
 いまネット上を中心に創価教育学会の母体がこの大日本皇道立教会が関与したといわれているが、私はそのように思わない。
確かにこの写真に写っている秋月翁などが創価教育学会の設立に関与したという話しがあるが、
それはこの大日本皇道立教会で得た人脈を頼ったということであり、
そこ事がが即、この教会が創価教育学会の設立につながるとは到底思えないのである。

 牧口が設立した創価教育学会は日蓮仏法を基底とした「創価教育(間違えてはならないのは、現代の創価一貫教育の事ではない)」であり、
根底には人生地理学や価値論などで述べられる牧口の人生の集大成としての哲学である。

 一方、大日本皇道立教会は南朝正統を掲げて皇道に沿った教育を行う」という趣旨であり、根本が異なるのである。
ただ一つ留意しなければならないのは、大正から昭和にかけて、日本社会の教育の根本には天皇というものが中心であり、皇道から完全に分離できるものではないだろう。
それが当時の日本の社会というものであった。
 だから牧口の著書の随所に皇室や天皇家の事が出ているからと言っても、それが即ち「大日本皇道立教会」に関与するものでは無いのである。
 ただこの大日本皇道立教会から垣間見えるものは、牧口常三郎の人脈というものであり、
それは恐らく牧口会長の時代から戸田会長、そして池田会長から現代に至るまで影響を与えているのではないかという事ではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用終わり。

313 :基本:2019/08/19(月) 18:48:40.12 ID:4fmgNXzSq
基本の立場は、皇道会が創価教育学会を設立させたとの立場に立つ。
https://ameblo.jp/kinakoworks/entry-12131775437.html をその立場の基礎とする。
引用しよう。
転載元より抜粋) 煩悩くん フルスロットル 14/3/22
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2751.html

上田家は真田幸村で知られる信州上田を出自とし、生糸貿易から西陣織を支配。
またオランダからの輸入雑貨を扱う「尾張屋」を京に出店ており宮中にも出入りしていた。
江戸時代末期の当主・上田吉松はケシを用いた御祓いを看板に全国を徘徊し、公家の密偵を務めていたという。
吉松の五代前の先祖が、幽霊画で知られる丸山応挙(上田主水)です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この創価学会と大本教のルーツは、遺伝子調べればわかることですが、引用続けます。
 海部・上田家は、古代に渡来したイスラエル族の子孫で、なかでもアヤタチと呼ばれた特殊の家系という。
これは、戦前の皇国史観や戦後の弥生史観に泥んだ耳には荒唐無稽に聞こえるかも知れぬが、他の伝承などに照らしても、充分首肯しうるものである。
 さらに、古くからオランダ取引をしてきた上田家には、夙にオランダ人の血が入り、
吉松の五代前の先祖で画名を丸山応挙として知られる上田主水も、オランダ血統であったという。
 幕末の当主は上田吉松で、「言霊呼び」という御祓いをしながら、全国を巡ってケシ薬を売り、裏では朝廷の諜者として働いていた。
 その子が上田鬼三郎(注・これが本名で、どこかで喜三郎と変えたらしい)で、
すなわち後の大本教(皇道大本)の聖師出口王仁三郎である。

314 :基本:2019/08/19(月) 19:01:39.42 ID:4fmgNXzSq
明らかな事実と言うのは、https://ja.wikipedia.org/wiki/大日本皇道立教会
1890年に久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英を会長として組織された皇道会を前身に、
中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。
大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族や陸海軍人により構成された。
後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会(現在の創価学会の前身)の創立にかかわるものがいた。

これはまさしくの事実である。

カイン君は上田家の血筋でないのであろう、オカルト力が足りない。
学会の手法を真似して天理教団解体と創価学会会員勧誘をしてみたものの、
暴かれたくない創価教育の過去を指摘され、皆に知られた。

中山みきは見抜き見通しで「国会では治まらない」と告げているのに、である。

その後、家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努め、その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦前戦後の陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている。

315 :基本:2019/08/19(月) 22:47:43.19 ID:4fmgNXzSq
ユダヤ教は聖書の実例のように近親交配を行う。その例は王仁三郎の子にある。
https://ameblo.jp/ayacyan-nakamise/entry-12449655550.html
熾仁親王は妃との間に子供がいなかった。だが結婚前に京都に滞在していたときに、船宿の女中との間にできた落胤(らくいん)がいた。
 女の名は上田世祢(よね)という。世祢は妊娠したことがわかるとすぐに郷里の亀岡に帰り、お婿さんを迎えた。
そして生まれたのが上田喜三郎、後の出口王仁三郎である。
【熾仁親王の落胤はもう一人いた】

熾仁親王には、実はもう一人落胤がいる。名古屋の田中たまが生んだ「いく」という女性である。
こちらは女の子のため当局はノーマークどころか、熾仁親王の妃も公認している存在だった。
結婚して家口(やぐち)姓となる。
王仁三郎は昭和20年4月、自分の孫娘の直美と、いくの息子の榮二を結婚させた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この近親交配は、ユダヤ系のオカルトという王仁三郎の家系を示している。

316 :基本:2019/08/19(月) 23:09:13.47 ID:4fmgNXzSq
さて、カインが語らせている投稿を糾してみよう。
https://twitter.com/ZKaxUOpnG7vaxat/status/1163079424096362497
上級会長が「私も若い頃は教会長なんてやりたくなかった。でも身上でみせられて会長をやる決心がついた。
あなた達には同じ思いをして欲しくない。」と。
じゃあ、病気になるのが怖いから会長してるんですか?って聞いてやれば良かったな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
怖いから、教会長しているのです。
コメントがあります。
kz.m @k_LuvLuck
 そんな風に話して言いくるめたいんです。1つ部内が無くなれば、数万円お供えが減りますし、月々掛かる本部系の諸経費も上級が負担しなきゃならなくなりますから。ついでに言えば、大教会お供えも負担しなきゃならないですね。うちの系統はそうです
だから、必死に食い止めたいんですよ、要はお金。
返信先: @k_LuvLuckさん
そうなんですね!上級がそんなとこまで負担するというのは知りませんでした。すごく具体的に現実的に、お金の世界であることが分かりました。
なんだこの宗教。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大教会や上級教会は本部にという名目で、実は大多数が、自分たちが食っています。

こんなコメントして、この嫁さん病気になって、お金出してしまいますよ。
人間は弱いから、

317 :基本:2019/08/19(月) 23:16:26.04 ID:4fmgNXzSq
全部の宗教がお金で成り立っています。
教会の嫁さんも、信者の献金やお供え物を頂いてしまっている立場であり、教会にいるから
固定資産税も払わない。信者のお礼の金品も頂きましたしてる。

お金出してる人は病気が怖いのですから、お嫁さんは教会で信者から略奪している自分を自覚して、
教会出るべきです。
天理教会にいて、本部は金を求めるなと言うのは、病気の元です。
出てしまうこと以外に回答もコメントもない、出てしまえば天理教会の特権も使えないから、安心です。

318 :基本:2019/08/19(月) 23:26:17.22 ID:4fmgNXzSq
カインが基本には参加させない場所でこんな会話させてます。
「・・詰所で義父、義妹、私がいて、後継者について話になり、次男にしたら?と誰が言うたかな?怖すぎて記憶飛んでる」
「義妹 それでは長男夫婦が助からないんだってば て言ってたなあ」
末端教会長男嫁
&rlm;「なんですかそれ!教会をやれば助かるって意味ですか?助かるって何ですかね?」
「今回の席で上級教会長は、「長男は理が違う!」とか言うてましたね。
意味わかりませんでした。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このやり取りの奇怪さ、当人たちにはわからないでしょうね。
徳川 @iyeyasu0080
上級は脅してるんですね、教会継がないと病気になると。
それが信仰してる者の言葉?う〜ん、その言葉は人間としても最低です。信仰者としては論外。こんなこと言う宗教が有難い?   って、そんなわけないでしょ!
末端教会長男嫁
&rlm;あなたに幸せになってもらいたいから言うんやで、って全然響きません。全く重みもありません。上級教会長は、自分の言葉に重みがある、力があると勘違いしているようですが。

319 :基本:2019/08/19(月) 23:33:52.65 ID:4fmgNXzSq
>>318
長男本人も次男本人もいない場所で「次男にしたら?と誰が言うたかな?怖すぎて記憶飛んでる」
と、勝手に長男の人生を決めている。
 つまり語っている人たちは、長男も次男も駒のようなもので、人扱いしていない。
 怖い人たちです。

 天理教会は土地付き建物付き駐車場付きで家賃はタダなのです。特権です。
 税金はかからない、寄付金は一定額は来ます。上に出すのはその一部です。

 これ分かります。今のようには、教会出たら暮らせないのです。
 その教会のお守りを、長男にさせるか、次男にさせるか、駒を使い分ける。
 天理教の末端は、こういう、教会後継者探しをするのです。
 こわいですね。

320 :基本:2019/08/20(火) 00:12:52.67 ID:/6Cx/4mVE
日本で、自衛隊、東大、天理教は大地主です。
創価学会は個人に財産管理の自由を認めていませんが、天理教は、末端会長の指摘財産扱いしています。
大教会も、上級教会も、私的にに自由に教会そのものを財産扱いします。

末端教会の嫁さんが夫の会長と天理教辞めて出ていけば、その教会の財産は上級教会の管理となって、売り飛ばしも出来ます。

天理教会出るときには火災保険も全部無駄です。見ているテレビも教会の財産です。
2か所ほど天理教会を辞職に付き合いましたが、お墓どうするか、もめました。
無料で使っていますが出るとなれば、どこかに移転しなければならない。

教会の財産で生活している、それは宜しくないですが、タダで使っている本人がとは、親族や縁者、有力信者も勝手に使っていて、
管理人が教会長の場合には、長男にさせようか、次男がいいわよ。とかなる。

上級も上級なら、末端も末端、教会出たら教会の施設も道具も一切つかえないので、留守番を置くわけです。
天理教の土地は、教会の数だけ、全国にあって、私的に使わせているのは、一個一個が宗教法人であるじゃらです。
謀反を恐れる創価学会は1つしか宗教法人が無い。
 一個の法人としてやりたいようにできる自由が末端には法的にあるから、
上級は支配しなければそむかれるからと、色々するが、
それは全組織、宗教組織であれ経済組織であれ、支配の構造は一緒です。

321 :基本:2019/08/20(火) 00:19:57.33 ID:/6Cx/4mVE
カインの誘導で天理教会を辞めても、毎月の家賃(家を建てればロ−ン)、信者が出していてくれた水道光熱費。
これは付いてきます。
夫が就職したら、夫は会社組織に従い、妻も労働し組織に従い、普通です。

そうやって夫婦で働いて、今いる天理教会の土地建物以上の資産を自由にできるなんて、一生かかっても無理です。

カインはそうやって天理教会を無力化させたいのでしょうが、資産の土地があるかぎり、天理教会は資金力がある事になります。

322 :基本:2019/08/20(火) 00:31:09.49 ID:/6Cx/4mVE
甘露台についての社会科学を批判しておきましょう。
先ずやりとりです。引用します。甘露台が倒された件です。
・・てんりさん
&rlm;昨年、倒れたかんろだいは木製です。
二段まであった石のかんろだいが官憲に没収されたのは明治15年の出来事だったかと思います。
&rlm;・・
社会学のコメント欄でも、いろいろ意見が載ってましたが、何故、今、真柱邸に置かれている二段の石を、木の雛形を排して据えないのでしょうかね。
別に完成した形でなくても、陽気暮らし建設途上の象徴として、良いと思うし、石なら重くて動かせないでしょうから、防犯上も安心なのに。
20:39 - 2018年5月4日
リツイート 返信先: @sazannkasatukiさん、@getmilk_cさん
「一列澄まして甘露台」という言葉によるものではないかと思います。
官憲の取締りもなくなった今日、御教え通り石造りのかんろだいを建て、神様にお勇みいただくべく、
毎日かぐらづとめを勤めるくらいのことをしても良いのではないかと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに諸井敬徳や深谷忠政の教学に騙された天理教団の姿を、カインは引っ張り出している。
おやさまを侮辱するのがカインであり、基本は糾弾する。

323 :基本:2019/08/20(火) 00:41:42.20 ID:/6Cx/4mVE
真柱邸に置かれてある二段の甘露台は、皇道会に縁がある笹川良一が本部に届けたもので、
絶対に、地場には置かれることはない。汚れていると確定している。(中山慶一)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/kanrodainori/kanrodainori.htm
甘露台とは、その定義から社会科学しなければならない。
http「かんろだい」とは「甘露台」の和語であり、「甘露」(かんろ)とは、インドのサンスクリット語のアミルタ(amrta)の漢訳で、
アミルタが阿弥陀さまの語源になっている。
そういう訳で阿弥陀様は別名を甘露王如来とも呼ばれている。ちなみに、このアミルタ神話を辿るとヒンズーまで遡り、
ヒンズーの神はインドラで、インドラとは正義であり、光明である。
その反対がアシュラであり、破壊を意味し、暗黒である。このインドラの軍勢とアシュラの軍勢が戦い、勝利を手にしてみても、次の日には殺した筈の兵隊が再び攻めてくるので、いくら戦争をしてもかなわない。
よく調べてみると、アミルタという蜜を戦死した者の口に含ませると生き返る。
アミルタという生命の薬があるというので、その蜜を盗んでインドらの戦死者に飲ませてアシュラの軍勢を負かして勝利をおさめたという神話がある。
死者をも生き返らせる生命の寿命霊薬がアミルタという訳である。
それが中国語に翻訳された時、「甘露」となった。://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/kanrodainori/kanrodainori.htm

324 :基本:2019/08/20(火) 00:49:47.67 ID:/6Cx/4mVE
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/kanrodainori/kanrodainori.htm
「甘露」とは、そういう語源を持つ神々(諸天)の常用する飲料で、これを飲むと不老不死になり、死者をも蘇らせるという霊薬を云う。その味は密のように甘い、と云われる。これが仏教にも取り入れられて、不死・永遠の生を意味する涅槃の妙薬とされ、
甘露王如来は阿弥陀様の別名とされている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
甘露台没収の件は、教団教理では以下のように要約されている。
明治14年『おふでさき』第16号の冒頭から「かんろだいづとめ」の理を明らかにされ、ぢばの目標になるかんろだいの石普請にとりかかられています。
陰暦の5月に1段目、そして9月に二段目ができたと言われています。(『復元』37号114頁参照)
しかし、その後、石工が姿を消してしまい普請は途中で中断されてしまいます。
そして明治15年5月12日、残念なことですが二段まで積まれたかんろだいは警察に没収されてしまいます。
人々が待ち望んだかんろだい普請はわずか一年でとん挫してしまうのです。
その時のことを『おふでさき』では、
それをばななにもしらさるこ共にな
とりはらハれたこのさねんわな (一七 38)
このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん (一七 58)
『おふでさき』
と、かんろだいの没収が一の残念であると記されています。

325 :基本:2019/08/20(火) 01:35:56.25 ID:/6Cx/4mVE
甘露と甘露台の以前に、柱と甘露の関係を示すお筆先がある。
おふでさき十号です。
 しんぢつの心月日がみさだめて 天よりわたすあたゑなるのわ 十 1
「与え」とは何のことか、「ぢきもつ」のことです。

 そのぢきもつが授かり、の為には柱をたてます。
 にほんにハはしらをたてた事ならば やまずしなすによハりなきよに 十 11

 甘露台の完成以前に、柱をたてたら、不老長寿になる。

 ところが教団教理では「石造りの甘露台」が出来たら、甘露がいただけるよ、こういう出鱈目が説かれています。
山名系に深谷系に汚染された教団教理は、おやさまを否定している。

 教えでは、甘露はすぐ与えられる、天理教団は人間完成の後にという。
 この重大な相違を見逃してはなりません。

326 :基本:2019/08/20(火) 01:50:33.05 ID:/6Cx/4mVE
「御教え通り石造りのかんろだいを建て、神様にお勇みいただくべく」とは、信仰者の言葉です。
お釈迦様は「信仰を捨てよ、甘露の門が開かれる」と教えて、2500年。
信仰は、捨てられるどころか、創価学会は信仰しましょう、天理教団は信仰しましょう。
 宗教を利用したビジネス、政治・・
 この残念は、・・・
 イエス様も神殿を掃除しています。天の月日の残念はいかほどか。

 信仰に利用され、教えを曲げて解釈され、支配と統治に利用され、
信仰組織に利用された宗祖、開祖の残念を、太陽神とお釈迦様の残念を晴らすのが急務です。

 何時か完成しますと見せかけの木製甘露台は、しながた、ひな形としても、
中山みきは、人間甘露台として、甘露をくださいます。
 もう柱は、立っておられます。
けふまでハとんなみちやらしれなんだ これからさきハみちをしらする 17-56
このみちハどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじよの事    17-57
このざねんなにの事やとをもうかな かんろふ大が一のざんねん    17-58
このざねん一寸の事でハないほどに どんなかやしを月日するやら    17-59
どのよふな事がありてもうらみなよ みなめゑ/\にしてをいたのや   17-60
このさきハせかへぢううハとこまでも 高山にてもたにそこまでも    17-61
これからハせかい一れつたん/\と むねのそふちをするとをもへよ   17-62

327 :基本:2019/08/20(火) 01:57:46.89 ID:/6Cx/4mVE
天理教団は、解体されても、全国に土地があります。地場にしながたがあります。
 中山みきは、月穂の残念をかえします。
 かんろふ大とは、かんろだいではありません。
 世界中の人に大きく、不老長寿を与える大です。
 おやさまは、弥勒菩薩として、甘露を大きくお与えくださいますが、信仰者には与えません。

 山名系の教理はもう神から掃除されます。
 山名系を利用するカインも信仰を捨てて、甘露をおやさまからどうぞ頂いてください。

328 :基本:2019/08/20(火) 22:15:30.37 ID:sfusxRhNK
お筆先の文字と音みついて、天理教 基本教理 天理教教典に実例を述べてあります。引用します。
https://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1389806893/l50
530 :基本。:2016/06/29(水) 00:03:46.18 ID:GJXOfQ24
・・・・・・・・
おふでさきは音と文字で読むもので、音は「ローマ字お筆先」にて「文字は「おふでさき」にて読めます。
「このたひ」→「ひ」が文字で「BI」が音です。 濁っていません。
つまり、高山の悪事が発生した明治8年の前夜におふでさきの予言があるわけで、実は明るい未来を予言していたという事です。
澄むと濁るで悟りましょう。
532 :基本。:2016/06/29(水) 00:23:42.98 ID:GJXOfQ24
>>530
> 「このたひ」→「ひ」が文字で「BI」が音です。 濁っていません。
「このたひ」→「ひ」が文字で「BI」が音です。 濁っています。ともなります。
軍国主事の濁りの開始のとしであった明治8年、中山みきは
上たるの火と水とをわけたなら ひとりをさまるよふきづくめに (6-5)
この火水わけるとゆうハこのところ よふきづとめをするとをもゑよ (6-6)
このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな (6-7)
このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる (6-8)
と、中山みきは「勤労(つとめ)」を教えに出ておられて、世界たすける予言をなされた。
「火水を分ける」というのは、火と水をわけるですから「男女をちゃんと分けた」この世にするというのが、中山みきの神意です。
最高裁は「男女を分けない・平等」を説く機関で、それは「家庭を崩壊させる」→「国の為企業のための戦士」ばかりにしてしまうです。
 「さむらい」=「武士」=「戦士」=「死ねば英霊」=「男女平等」
これを見せつけるショーが「五輪」
この高山の思惑は「天災」がつぶす。「火と水」とは命の問題ですから、明治8年、中山みき(赤衣の悪魔)の理の諭しは、お筆先の明示され、そして「神と上」とのたたかいは今も続いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

329 :基本:2019/08/20(火) 22:26:37.70 ID:sfusxRhNK
完成されている「かんろたい」(中山みき)であるが、人間が演じる場合は、未完成の「かんろだい」と、
おふでさきの文字の澄むと濁るで判別できる。
それは以前に示しておいた。引用する。
https://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1389806893/l50
553 :基本。:2016/07/11(月) 05:11:52.56 ID:B6QHweta
かんろだいとは、人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠としてすえる台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造り、
人間世界の本元と、その窮りない発展とを意味する。
教典本文は「ふ」を「普遍の普、富貴の冨」と読んで、窮りない発展と通訳している。
同様に「かんろ」は「完路」と読んで、人間の創造と、その成人の理と通訳している。
  しんぢつのつとめの人ぢう十人の
  心を神がうけとりたなら            六 18
  それからハどのよな事もたん/\と
  神のをもわくみなときゝかす          六 19
  にち/\に神の心わせゑたとて
  人ぢう十人そろいなけねば           六 20
「にんぢう」は(人衆)と読む。濁音があるのは 濁った人物が混じっているからで、
「良い道具、悪しき道具合わせてできる、良い道具ばかりではできん」と神は教えておられる。
(引用を続けます)

330 :基本:2019/08/20(火) 22:29:56.77 ID:sfusxRhNK
(引用都築です)
十人とはチーム構成の数である。サッカーはイレブン、野球はナイン、天理の務めは「テン」という理解でよい。
メンバーが揃わなければ野球もサッカーも、「つとめ」もできない。

このつとめは、又、かぐらづとめとも教えられ、親神の創造の理をか たどり、選ばれた十人のつとめ人衆が、
夫々、面をつけ、歌に調子を合 せて、奏でる九つの鳴物の調べに心を揃え、親神の守護の理を手振にあ らわしてつとめる。
実に、かぐらづとめは、人間創造の元を慕うて、そ の喜びを今に復えし、親神の豊かな恵をたたえ、心を一つに合せて、そ の守護を祈念するつとめである。

このつとめは○○○であるが、またかぐらづとめとも教えられ。。。
こういう文章が正善真柱の応法レトリックである。
このつとめは、それ自体で完成していて、「即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気 な世界に立て替つてくる。」つとめであるが、
それを人間が演じた状態では、「かぐらつとめ」とも言われるつとめになる。これは未完成である。
かんろふたいは完成しているという元の前提があって、濁った人間が人衆に入ると当然未完成と読み取らないとだまされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

331 :基本:2019/08/20(火) 23:09:56.67 ID:sfusxRhNK
お筆先17号での澄むと濁るを確かめておこう。

 おふでさき 17号 56 から 神の残念が語られている。世界中の子どもの心と行いを残念だという。

このみちハどふゆう事にをもうかな
月日ざんねんいちじよの事    (17-57) 一序。一恕じょ【恕】思いやること。思いやり。同情。

このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん   (17-58) だい【大】 の解説
                     1 形・規模・数量などの大きいこと。また、そのさま。

このざねん一寸の事でハないほどに
どんなかやしを月日するやら   (17-59) 月日 お釈迦様・太陽神

どのよふな事がありてもうらみなよ
みなめゑ/\にしてをいたのや (17-60)    人類の歴史

このさきハせかへぢううハとこまでも
高山にてもたにそこまでも     (17-61)

これからハせかい一れつたん/\と
むねのそふちをするとをもへよ   (17-62)

332 :基本:2019/08/20(火) 23:22:27.90 ID:sfusxRhNK
かんろふ大が一のざんねん   (17-58) だい【大】 の解説
                     1 形・規模・数量などの大きいこと。また、そのさま。これからハせかい一れつたん/\と

甘露は降り注ぐものである。規模の間違いが一の残念である。
甘露台とは、世界規模、地球規模、人類史規模なのである。
天理教団の内部事情などは、規模が小さい、小さすぎる。石が立っていないとか、木で建てたら信者に倒されたとか、小さい。
情けない・・・


カインは、そういう小さい問題を騒ぎ立てて、お釈迦様の残念を騒ぎ立てない。


むねのそふちをするとをもへよ   (17-62)

そふち であり濁っていない。

333 :基本:2019/08/21(水) 03:28:45.88 ID:A6DFgyvlU
皇道会の系列に、日本会議を主導する成長の家がある。
生長の家は、甘露台が谷口雅春だとして本席没後に華々しく宣伝した。
谷口雅春は寒露の法雨を出版し聖典としている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%9C%B2%E3%81%AE%E6%B3%95%E9%9B%A8
甘露の法雨(かんろのほうう)は、生長の家の経典で「聖経」と冠される。
昭和初期、生長の家の創始者である谷口雅春が「神の啓示を受けて霊感的に著した」と主張する著作物。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教の異端谷口雅春は、皇道会運動の重要人物である。
皇道会は甘露の教えでは法華経利用の仏教系創価学会と別に、阿弥陀菩薩系の甘露を説く生長の家を生んでいる。
昭和5年(1930)3月に「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の啓示を受け、
この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に個人雑誌「生長の家」誌を創刊。
これが生長の家のはじまりである
天理教では1903年(明治36年)5月29日、甘露台を説く『天理教教典』(明治教典)が編纂されていて。
28年後に甘露の法雨を説く生長の家が開始されている。
 生長の家は最初人間甘露台谷口雅春を売りにしていて、異端である。
3625の異端の数理で、3掛ける6=18と、2掛ける5=10を
くれあって、生長の家は、明治経典天理教の異端だと数理判定される。
生長の家は聖典「甘露の法雨」で奇跡を起こし信者を獲得した。
 政教を分離した派と政治に向かう派に分裂し国民会議がうまれた。

甘露台を説いた中山みきの進行組織ではなく、皇道会系の異端たちが奇跡や霊救を大勢に受けたのだ。

 かんろふ大をきちんと読まない天理教団幹部は、程度が悪すぎる。

334 :基本:2019/08/21(水) 03:38:47.22 ID:A6DFgyvlU
神秘面より観たる『生長の家』四十年史(P.38―39)



<< 『甘露の法雨』は、生長の家発祥当時、しきりに霊感的に私の脳裡(のうり)にひらめいて来たのを書きつづった自由詩の一つであった。

 その頃出てきた私の自由詩は全部『生命の実相』の“聖詩篇”に収められているが、別に『ひかりの語録』という携帯型の袖珍本(しゅうもんぼん)に、やはり霊感的短箴言(しんげん)の輯録(しゅうろく)である“智慧の言葉”と共に収められているのである。

谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶhttp://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/12983466.html

これは私がまだ東京へ出ない前の数年間、ただ一般に“生長の家の歌”叉は“自由詩”として取り扱われていたのであるが、

私が東京へ移転してから後、京都電燈社長の石川芳次郎氏の外舅(しゅうと)・工学博士・小木虎次郎氏が、
その自由詩の中の一篇『甘露の法雨』を読誦すると、医界難治の奇病・難病が治癒することがあり、
霊界の祖先の霊が救われると見えるような奇瑞(きずい)が屢々あるので、

 それを単に”詩“として詩集の中にのみ収めておいては功徳を知らない人が多いから、
ハッキリとこれは聖経であると明示して折り本型の経本として発行すれば、功徳を受ける人が多いであろうと、
生長の家京都教化部で経本式折本(おりほん)として発行されたのであった。
//////////////////////////////////

さすがにお釈迦様の法華経由来の「甘露の法雨」であり、天理教のお授けより効能があった場合もある。

 天理教に甘露台があり、それが完成されたら困るカインは、
かんろふ大の大きさと広がりを知らぬ天理教団を馬鹿にしまくっているが、
お釈迦様の手のひらの上である。
 いつまでも嘘の甘露が通じるわけがない。

335 :基本:2019/08/21(水) 03:49:15.71 ID:A6DFgyvlU
皇道会系の創価学会に霊的救済や奇跡があり、生長の家に、PL協に、
ひとのみち教に奇跡や霊的救済があったのは、念じる相手がお釈迦様であり月日だったからで、
法華経の甘露を唱えて念じるのだから、月日は守護する。

天理教は「甘露台は未完成」だと決め込んで、仏教より優秀な天理教だとお釈迦様を握りつぶした。
それじゃ、本末転倒で、カインにつけこまれた今の姿も、仏の手のひらである。

「甘露」という言葉に軌跡の原因があり、かんろふ大、大を素直に聞き入れたら、
もう、人間は病まず死なず弱らず。。

 嘘が混じっていなければ、欲が混じっていなければ、大本、PL、みなたいしたものである。

336 :基本:2019/08/21(水) 04:23:42.83 ID:A6DFgyvlU
創価学会の池田大作は、https://blogs.yahoo.co.jp/home_altar/4448742.html
日蓮正宗を破門された池田大作は、「健康長寿の信心」を提唱した。
「健康長寿」は法華経にはない。甘露であれば不老長寿である。
言葉のすり替えは神仏お嫌いである。
池田大作の論を引用し、紹介しよう。
「・・・C第四の指針は「健康長寿の信心」。
大聖人(日蓮)は、病気と戦う健気な女性門下を激励なされて、仰せである。
「命というものは、わが身にとって第一の珍宝である」(御書986ページ通解)
「一日の命は、宇宙の全財宝を集めた以上の宝である」(御書986ページ通解)
「(あなたは)法華経にめぐりあわれたのですから、一日でも生きておられれば、その分、功徳が積もるのです。なんと大切な惜しい命でしょうか。惜しい命でしょうか」(御書986ページ通解) 」
以上の引用でわかるだろう。お釈迦様はいない、お経はない。法華経がない。
天理教団がそうであったように、屁理屈は並べるが、「甘露の法雨」は説けない。
今降るのですと説けない。不老長寿と説けない。。
もはや奇跡と霊救は、枯れた。

創価学会の永遠の五指針「健康長寿の信心」 と、自白させてから、
池田大作は病魔に負けて、死なないが、活動は出来なくなった。

カインさん、嘘はいけないよ。お釈迦様はうそつきは地獄に落とす。

盛況新聞に

337 :基本:2019/08/21(水) 04:37:54.36 ID:A6DFgyvlU
池田大作先生は不老不死だという信仰の対象が池田大作先生でした。
創価学会は日蓮正宗を利用し寄生して宗教法人の基礎を作りましたが、
政治活動への本格的な移動には、賛成されるわけがなく、破門されて、決別しました。
お釈迦様への筋がとおっていません。

そういう創価学会の都合で、天理教の甘露台に口を挟むのは、カインの悪事です。
お知らせしておきます。
「健康長寿の信心」を指針とした指導者は、お寺と離れたら、「不健康長寿」になった。
 これが、お釈迦様のお見せくださる創価学会進行組織の末路の姿です。

信心は、組織のためではなく、神仏のお心を裏切らぬことです。

338 :基本:2019/08/21(水) 10:54:16.48 ID:BfL/I6GGC
盛況新聞・聖教新聞の記事を引用する。https://woodyeyes.com/blog-entry-168.html 四季の励まし 池田SGI会長 健康・勝利の人間王者と

戦い続ける人が、一番偉い。一番若い不老の生命である。一番円熟した人生の勝利者である。
戦う心を失えば、五十歳でも老人だ。炎の心で前進すれば、八十歳でも青年だ。
(中略)
仏法は道理であり、正しき生活法でもある。信心は自分を健康へと向かわせゆく源泉である。
勤行は、根本の「生命健康」「心の健康」を培っている。
たとえば身は病んでも、「信心が健康」であるならば、幸福の境涯は揺るがない。
これが信心の妙用である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
語るに落ちている。法華経の真理は語られていない。
日蓮は7柱の神大食天命様で、お嫌いなな埃は欲である。天理王はダメを出す。

339 :基本:2019/08/21(水) 11:12:06.10 ID:BfL/I6GGC
盛況新聞・聖教新聞の記事を引用する。https://woodyeyes.com/blog-entry-168.html 四季の励まし 池田SGI会長 健康・勝利の人間王者と

「仏法のために、同志のために、一家のために、健康になろう、
長寿になろう」と心に決めて、祈っていくことだ。
大勢の人に尽くしていこうという広々とした祈りは、そのまま大宇宙に響いていく。
いかなる病気にも、また、いかなる宿命にも負けない、
強靭なる生命を築き上げるのが大聖人の仏法の目的であることを知っていただきたい。
健康 健康!長寿 長寿!そこに 幸福と勝者の第一歩がある。
心の広い人に!心の深い人に!心の温かい人に!心の強い人に!
ここに 仏道修行の勝利の旗がある。
今いる わが場所が宝塔と輝きをもつ人間王者たれ!
(聖教新聞 2016年9月18日(日)付 池田SGI会長 四季の励まし 健康・勝利の人間王者と)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お釈迦様は2500年前に「信仰を捨てよ、甘露の門は開かれる」と教えられた。
天理教団も、信仰を捨てよ、それが月日の教えである。
甘露とは不老長寿のじきもつである。

340 :基本:2019/08/21(水) 11:27:41.57 ID:BfL/I6GGC
http://sgi-shiteifuni.com/?p=13076
【池田先生の随筆より、池田先生は妙法に説く不老不死のまま永遠に広宣流布の指揮を執る】

池田教と呼ばれた、それは「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えれば病魔退散と教えて、
病気は治癒したからであるが、「妙法蓮華経」の効能であるが、池田は、そのお釈迦様の根をもう説けない。

詐欺宗教の正体をさらけた。今からでも妙法蓮華経にてお釈迦様に助けて頂くべきだが、嘘つきは自分の嘘に溺れる。

天理教団もどうようだ、何が報恩の道だ。
地場に帰ればどんな病気も治るという、中山みき親神信仰を枯らした天理教団も、枯れていく。

341 :基本:2019/08/21(水) 11:53:59.29 ID:BfL/I6GGC
奇妙なあおりがあった。紹介し糾しておこう、
東風Z 2019年8月20日 3:13 PM 天理教は本当に大丈夫?
宗教法人法第25条には次の条文がある。本部にだって同条第2項第3号に基づいて作成された財産目録があるはずだ。
更に、同条第3項において、信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
この場合、信者の範囲はどのように解すればいいのか。
本部直轄の信者でなければならないのか、末端教会の信者では閲覧ができないのであろうか。
末端教会の信者であろうと直轄信者の委任状があれば拒否できないだろう。
どなたか、本部の財産状況を明らかにしようという意思のある方が居られないのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教会本部と天理教団はまるで違う組織である。
末端信者は、宗教法人認可を受けた末端教会の信者であり、閲覧請求権は無い、

末端教会には宗教法人としての自由があり、創価学会のように、盾縛り一本ではない。

会計資料を見たければ本部直接の信者になる事だが、それは宗教法人法とは別の内部の問題で、会計を見たいと信者になるのは無理である。

342 :基本:2019/08/21(水) 12:04:05.98 ID:BfL/I6GGC
奇妙な問いかけがあった。紹介し糾しておこう、
憩の家 2019年8月21日 9:02 AM
天理教の衰退が著しく、仮に存続が本当に厳しくなった場合は今の本部の建物はどのようにされると考えられますか?
また、旧の天理よろづの建物はそのまま今もありますが、あれらも解体される可能性がある感じでしょうか?
あの辺り一帯は更地になる感じになるでしょうか?
1つの宗教が解体される場合、今まで歴史上はどのような形になっていってますか?
この辺り、無知なので教えて欲しいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宗教が解体の場合は、別宗教が乗っ取ります。支配下になるという事です。

ところで天理教団は衰退しますが、天理教は衰退しません。

天理教を模倣して政治勢力に利用しようとした皇道会は、正体を隠してはびこりました。
大日本皇道立教会
創価学会初代牧口常三郎、二代戸田城聖は構成員で、
その後その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近がいて、成長の家、実践倫理佼成会、紅卍会がある。
宗教を金儲けとしておこなう彼らは、互いに別宗教として日本支配に向かいました。

その正体は、バレてしまって、天理教を支配する力はありません。

343 :基本:2019/08/21(水) 12:21:31.58 ID:BfL/I6GGC
元々中山みき・親神は、「悪ははびからす」お方です。
戦前の最強組織大本教は軍部と癒着し国体に関与、大弾圧を受けています。
戦後の最強団体創価学会は、政党を設立し、公明党は政権与党にくみしました。

 だが、その信徒獲得の武器であった霊救や奇跡は起きないのです、ウソがバレた。
 南無妙法蓮華経の効能は、失われた、
 水のあがらない立樹は、枯れます。
 天理教の建物の心配より、全国にある創価学会会館の建物の維持が出来なくなる近未来を心配すべきです。

344 :基本:2019/08/21(水) 20:55:31.45 ID:BfL/I6GGC
天理教社会学研究所 このようにツイートがあった。
https://twitter.com/tenrisyakaigaku/status/1164115642519175168

先ほどある天理教後継者と面談。盆に教会の実家帰省中に教会を継がないと宣言。話し合いは揉めに揉めたが、
話はすべて弁護士に電話で繋いでおり、憲法を守らないなら教会本部を人権と法で今すぐ訴えると迫り終了。
無事に自由な身となり、喜び勇んで陽気ぐらしが実践できるとのこと。本当に良かった。
3:02 - 2019年8月21日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 お指図に、親族に神一条言うやない。とあります。
 つまり、長男に天理教会神一条を告げてきたことは、教えに背いている。
 教えに背いて天理教会を会長親族の私物と扱ってきて、長男は、どっちが有利か考えたのでしょう。
 教会に残さなかったのは、残らなかったのは結果とよしですが、
カインと交流して「陽気暮らしという信仰生活に絡めとられると、結局同じ穴です。

345 :基本:2019/08/21(水) 21:07:15.99 ID:BfL/I6GGC
カインは天理教用語を利用して洗脳します。
ただし正しくは意味用法をしりません、
陽気暮らしよ言う用語は、二代真柱中山正善の造語で、天理教の教えでなく、
天理教団は陽気暮らしを提唱していて、大間違いです。

「天理教団やめたら 陽気暮らし できるよ」は、詐欺的なセリフです。
天理教会長にならないで、信仰は捨てましょうが、お釈迦様の教えです。

 なお天理教の末端教会は「宗教法人」で。その法人の施設財産を利用し、成長し、
弁護士が使えるていどになってから、さようならするのは、合理tr記ですから、
陽気暮らしなどに、絡めとられないで、理性的に合理的に、普通に暮らすことです。
 深層心理に、天理教団利用の残存理念を有さない事、お気をつけください。

 会長のおぼっちゃま因縁が出てしまわないようにです。

346 :基本:2019/08/21(水) 21:20:36.40 ID:BfL/I6GGC
天理教の基本は、陽気ゆさんです。
天る教団にいたら陽気暮らし、信仰辞めたら、或いは身は教団にいても、
ゆさん  お筆先 第十四号二五
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから(14-25)

 ゆ‐さん【遊山】の意味
意味慣用句 出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 野山に遊びに行くこと。「花を訪ねて遊山に出かける」
2 気晴らしに遊びに出かけること。「物見遊山」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 天理教会の会長は、家族は、会社勤務の普通の人より、遊山してます。
 信者の出す経費を利用して。
 天理教のおぼっちゃま因縁とは、遊び癖、遊山癖、放蕩癖。
 どうぞ用心されて、ご無事でと、末端教会お育ちの寄生の因縁をお切りください。

347 :基本:2019/08/21(水) 21:28:32.74 ID:BfL/I6GGC
正直に申上げますが、家賃もいらない広い住居で、信者の寄付を頂いて。家族で
お地場かえりのと、遊山していた青年がm、後継者として甘やかされ放題のおぼっちゃまは、
洗脳しても、使い道がない。
カインは、弁護士しょうかいなど、おぼっちゃまに利用されているわけで、
天理教会に生まれて信者のお金を頂きまくっていたm、一見謙虚でいんぎんな物腰、
演技上手なおぼっちゃまは、カインの役には立ちません。

因縁寄せて守護する。カインとおぼっちゃまです。

348 :基本:2019/08/21(水) 21:45:56.18 ID:BfL/I6GGC
 天理教社会学研究所の見解を糾します。
https://twitter.com/tenrisyakaigaku/status/1164115642519175168&rlm;

後日談で、弁護士は「あなたから天理教人は話が通じないと聞いていたが、あれほどとは思わなかった。
親に尽くせという異常な言葉が普通に通用する組織が現代にあるとは驚いた」とのこと。
そうだよ、天理教は江戸時代で時間が止まっている異常な組織だが、
天理教人はその異常さに全く気づいてないんだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 父親にしたら、後継者が他人になれば教会から家族は追い出される。
 親・理の親に管理権がとられてしまう。
お墓も使えなくなる。見ているテレビも、名義次第では自動車も、生活道具一切が新後継者の家族に奪われる。
 必死になって、とめたのは「財産」「生存権」の問題だ。

 弁護士は「本部に抗議する」と脅したが、後継者決定は本部に知られてはならない内内の事情だから、
もめてると知られたら、大教会に確認が入り、大教会に介入をされる。

 大教会では、末端教会は空き家になってほしい、
 空き家になれば、大教会長の親族を送り込めるのだ、
 財産を手にすれば・・・思いのままだ。

 カインのような幼稚な悪徳大教会ではないのだ。したたかで末端を全財産絡めとる。
まあ、因縁寄せて、守護する。
 カインも間が抜けている。

349 :基本:2019/08/21(水) 22:04:15.92 ID:BfL/I6GGC
>>348
>大教会では、末端教会は空き家になってほしい、
 親神は、大教会に空き家になってほしい。
 こころどうり 神は返す。

 カインも末端教会は空き家になってほしい、
 親神は、創価学会施設に空き家になってほしい。
 倒そうとすれば、返しがある。

 きちんとカインにお伝えしておこう。

350 :基本:2019/08/22(木) 01:17:51.16 ID:Uxdg8hUcc
>>334 漏れがあったので補充する。
https://toki.5ch.net/test/read.cgi/psy/1278326308/

865 :基本。:2011/03/29(火) 02:31:41.69 ID:mL5kkwj0
すると、「つとめの人衆」の数は、実数ですから、極めて少ない数を、中山みきは示しています。
10人とか75人とか・・
そして「甘露台」のサイズも、おふでさき九号によれば、
 このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ 58
 このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに 59
 そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ 60
と、このように実数は小さなものです。が、

 ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする 61
甘露台でじきもつは、「この世始めた親に渡する」となっていまして、
この、「このよはじめたをや」のサイズが、一番の問題に、実は、なっています。
「甘露大」の「大」の部分は、ぢきもつの受取人の「中山みき」のサイズの問題と、実は、そうなっています。

351 :基本:2019/08/22(木) 01:22:03.58 ID:Uxdg8hUcc
ひらがなのお筆先を読めば、中山みきが甘露の受取人とわかります。
それは、甘露の大きさ、甘露台サイズとして地球規模です。

352 :基本:2019/08/23(金) 02:24:32.19 ID:unlJxw7tf
天理教社会科学研究所は、天理教会本部の会計を公開しろと言う主張で、伏魔殿だと批判を盛り上げようとしています。
東風Z  2019年8月22日 9:14 AM
加藤ハルアキ 様 ・・・本部は、正に伏魔殿ですね。何もかも隠そうとする忌むべき体質が改善されない限り、さっさと崩壊してほしいと願うばかりです。
多くの末端教会がこのような取り組み(公開請求)をされんことを望むばかりです。
崩壊 2019年8月22日 6:37 PM
加藤ハルアキ 様・・・
2019年8月21日 9:40 PM
 宗教法人法第二十五条第3項には次のような規定があります。
・・・「その他の利害関係人」には、天理市に居住し納税している一般の天理市民も含まれ、仮に天理教とは全く別の宗教を信仰している天理市民、あるいは、宗教を全く信仰していない天理市民から情報公開の請求があつたときには、
「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 東風Zでも、崩壊でも、加藤ハルアキ様でも、「その他の利害関係人」なのだから、法35条第3項の規定に従い、自分で請求をしたらよい。
 それだけのことだ。
 自分が請求しないというのは、正当な理由がないからと結論される。

353 :基本:2019/08/23(金) 02:39:47.62 ID:unlJxw7tf
請求したが教会本部は公開しなかったというなら、本部は、正に伏魔殿ですね。何もかも隠そうとする忌むべき体質が・・、というのも筋が通るが。
自分はしないで、末端教会さん公開請求しましょうでは、・・自分の責任放棄の態度で、まさに自己情報を隠蔽の、小賢しさである。
この辺り、無知なので教えて欲しいです。

加藤ハルアキ 2019年8月21日 9:40 PM
>信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
信者というのは、その宗教法人に属する「信者」と解釈するのが妥当でしょう。
当たり前の話ですが、本部には「宗教法人天理教」と「宗教法人天理教教会本部」があります。
本部の包括関係にある本部直轄教会とはいえ、大教会や直轄分教会は、全て、上記2つの法人とは別法人です。ましてや末端教会などは当然に「違う法人」です。
ですので「天理教の信者」とはいえ「本部の信者」ではありませんので、財産目録や事務所備え付け書類の閲覧を請求したところで、本部側には応じる義務はありません。
もっとも、「宗教法人天理教」か「宗教法人天理教教会本部」の信者(ようぼく)という人とは会った事がありませんので、存在するかどうかも疑問です。
とはいえ相手は人間ですから、中には勘違いして見せてくれる担当者がいるかもしれませんので、多くの人が「閲覧させてくれ」と申し出るのは良い事かもしれません。

請求者は住所氏名、天理教会本部との関係、請求する正当な理由を書いて、身分証明書の提出が必要になる。
請求して公開を受けた情報は、どのように使用するかの目的も明示しなければならない。

「天理市に寄付してるから、内容を知りたい」と書けば、「天理市の情報ですから、天理市に公開請求してください」となる。
迷惑をかけない請求であると明かさないと、相手には公開の義務は生じない。
 つまり、自分たちでは公開請求の行為の正当性を約束できないわけで、
「あんたたちの金の使い方が悪いから公開しろ」では、絶対に公開は受けられない。

354 :基本:2019/08/23(金) 02:46:26.44 ID:unlJxw7tf
天理教社会科学研究所、まさに自己情報を隠蔽の、小賢しさである。
この辺り、社会科学研究所なる団体について、無知なので教えて欲しいです。

天理教団は、天理教会本部は宗教法人として国の管理下にあるが、
天理教社会科学研究所は、住所も、代表の氏名も、まるで不明である。

隠蔽体質ではなく、隠蔽そのものである。
このイカサマに踊らされる人物は、自作自演のカインのスタッフ以外にはない。

355 :基本:2019/08/23(金) 03:02:26.23 ID:unlJxw7tf
天理教やめる。 と言う方をツイートさせています。社会科学研究所糾します。
以下が発端のようです。
天理教やめる。 @ASA20849243
天理教末端教会のひとりっ子です。現在22歳。父とはまともに話通じなくて思春期からメンヘラ爆発してます。継ぎたくない。
人助けどころか 病ませる宗教だと思います。天理教の方はわかってないって言うのでしょうが、もう限界なので、こちらで吐き出させて下さいm(_ _)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
末端教会のおぼっちゃまで22才、天理教やめる、そう口にしてますが、
やめられますか、そんな美味しいお立場を。

天理教社会科学研究所なら不満を持った教会後継者は大歓迎で、こんな実例があると盛り上がります。
加藤ハルアキ @haruakikatou_PN
 8月21日
教会子弟に生まれ育って、他に兄弟がいるなら静かにフェードアウトすることも出来るでしょうが、一人っ子では難しそうですね。
一番穏便な方法は「逃走する」こと。
一番堂々とした方法は「闘争する」ことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信仰って一名一人だよね いちいち干渉するなよ
さりげなく見せて強烈に、教えを押し付けてくる感じです。
教理をたてにした パワハラです
絶対負けないで欲しい
satuki @sazannkasatuki
その教理がまた、ほんとに教祖が言われた事か分からないですしね。
ご恩報じしろ、阿保になれ、不足は切る理、理の親(理の親は親神と教祖のみ)の言う事は絶対、など、殆ど教団が保身の為に作ったものも多い。
疑問に思ったら「その教えは原典のどこにありますか?」と訊いてみることをお奨め致します。

356 :基本:2019/08/23(金) 03:14:48.33 ID:unlJxw7tf
奇跡を信じない人は、天理教社会科学研究所の面々ですが、神を侮ります。
奇跡が普通だと思う人は、神を尊重し、カインの仲間に片足を入れた、このおぼっちゃまを見捨てます。

神の側に立つなら「干渉」とかしてはいけません。
しかりつけるとか、諭すとかしてはいけません。
神は、さんざん天理教会のおぼっちゃまで信者からお小遣いを頂いて、信者の献金で食事し、通学し、進学した、
宗教法人の財産を私物化し好きかってしてきた、「僕は後継者」この22男子をきちんと始末します。

本人はこう言っています。
・天理教やめる。@ASA20849243 8月20日
  もし天理教分教会継がないって言ったらどうなるのかな。
 一斉にいろんな人に心理攻撃されそう。ヤクザが指切り落とすのとおんなじ感覚で
辞めたとしてもすんごい精神的ハンデ背負うんだろうな。
やばい。。とんでもないところに生まれてきた。
・・・・・・・・・・・
 この期待に応えないことです。「やめたい」「どうぞ、一月で自立じゅんびして、早く出るのよ」
「あとの人さがすから」で、十分です。

357 :基本:2019/08/23(金) 03:22:02.89 ID:unlJxw7tf
天理の基本ですが、神が立腹している場合に人が神の代理をして叱ると神は何もしません。
神が立腹している場合、ひとは優しく優しくです。
 神が、パワーをだして、返しをします。

 基本の周辺では基本がやさしくなると見なヤバいと思います。
 事実、すぐ病気が出たりします。
 このとき基本が叱っていると、基本が叱ったから病気になったと誤解されますから、
絶対に悪く言わない・・。叱ったのは神だよと本人に分かることが大切です。

 22才の男性は彼女がいて教会出たい、それだけのことです。
 就職させて、天理教会から離し、解放してあげれば、後は神様の自由です。

358 :基本:2019/08/23(金) 03:24:56.55 ID:unlJxw7tf
ただし、天理教会の後継者として若様、おぼっちゃましていた22才男性は、出たら暮らせないと、
実は知っていて、条件闘争したいだけです。
カインを利用した時点で、十分危険な状態とわかります。

359 :基本:2019/08/23(金) 03:44:44.00 ID:unlJxw7tf
以下引用し、糾す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私は天理教の末端教会の長男に育ち、純粋な天理教の信仰生活と教団組織の現状や構造との乖離に疑問を持って育ってまいりました。
 そして、不条理な構造を維持しようとする既得権益どっぷりの教団や理の親と呼ばれる組織の支配者たちに対して、改革の声をあげたくても、
仮にあげたとしても、もはや糠に釘で、本当に末端の教会の後継者や信者たちは無力だとほぼあきらめている状況の人間でもあります。
 「陽気暮らし、世界たすけ」とは名ばかりの形骸化した教団組織なら、もはやいらないとさえ思っております。
 組織が沈没しようが教えは変わりませんから。個人で教祖中山みきのひながたを求道していけばいいのだと。
 今は実社会で、自分のできることをしっかりと行い、自分の生活費は自立して自分で稼ぎ、人生の拠り所として教祖の教えを慕い、教団組織とはほぼ関わらずに、悠々自適に陽気に暮らしております。(引用つづく)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 末端教会は、実は独立した宗教法人で、信者の財産の寄付を受け設立している。
「陽気暮らし、世界たすけ」しますと届けを出して教会になっていて、後継者は会長代理職でもある。
 うまみは頂いていて、自分以上に旨味を得ている教団幹部に不満を持ったということだ。

360 :基本:2019/08/23(金) 03:53:33.36 ID:unlJxw7tf
かれは、個人で教祖中山みきのひながたを求道していけばいいのだと、
うまいことを言うが「貧に落ちよう」としていない。
普通に暮らそうとしている。
  「陽気暮らし、世界たすけ」とは名ばかりの形骸化した教団組織」と批判する、
形骸化した後継者が、教祖ひな型の真実も知らず、教団を離れて、「ひながたを求道」など詐欺だ。

そしてカインと言う幼稚な創価学会活動家をよいしょする。
カインさんも書いておられますが、
>>その脅迫的な悲しみを生んだシステムを採用している以上、共犯である。
本当に同感であります。
きわめて閉鎖的な、まるで表沙汰にならない中学校の悪質なイジメ、および周りの権力者による隠蔽に近いものを感じます。
第三者機関に監視、監査していただくわけにはいかないものでしょうか。
人は権力(しかも神の)を手にすると、一般的な人間としての感覚が麻痺するのでしょうか?
虎の威を借る狐ならぬ神の威を借る凡人 が神様をバックに自分の都合のいいように人をコントロールする。
状況によっては何でもアリの恐ろしさを感じます。
某教団を思い浮かべてしまいますが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

361 :基本:2019/08/23(金) 04:00:49.22 ID:unlJxw7tf
カインなど基本が、皇道会の創価学会だと書いたら、一切語らせない。
弱虫であり、実は無能なのだ。

創価学会の活動は強制参加で自由は無い。

独立した天理教会の会長代理として、悪い理の親を、神様から叱って頂けばよいだけである。
あの理の親をお叱りくださいと、願わないのは、神を侮っているからで、
きちんと病気になって頂くまで、念じるを信心と言う。

そのためには、理を諭す。理を諭して念じて、
基本はそれを呪詛と呼んでいる。

362 :基本:2019/08/23(金) 04:02:55.54 ID:unlJxw7tf
ここに天理教社会科学研究所カインを糾すと、理を諭しているのは、当然呪詛である。

363 :基本:2019/08/23(金) 04:11:53.81 ID:unlJxw7tf
なお呪詛は神への捧げものである。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 呪詛 じゅそ

 ギリシア語 anathēmaは動詞 anatithēmi (上に置く) に由来し,原義は「上に置かれた物」であり,
旧約聖書では cherem (別つ,離す) がこれにあたり,「神への捧げ物」を意味していたが,
新約聖書以後はこの意味は失われて,共同体から排除すること,なかんずく教会からの破門ないし異端に対する強い呪いを意味するようになった。
たとえば,パウロは異なる福音を宣 (の) べ伝える者を信徒の共同体から排斥する必要を説くときこの語を用いている (ガラテア書1・8以下) 。
306年のエルウィラの教会会議ではこの語が教会規律を乱す者に対して正式に用いられているが,その後異端者排斥の公式用語として次第に一般化した。
431年アレクサンドリアのキュリロスがネストリウスの異端に対して 12の呪詛を公にしたことはそのうちでも有名である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 呪詛は、相手を全て神様のお好きなようにと、神にささげて成立する。
 人間の分際で人を呪うのは、天の教えではない。

 離脱者を神意に任せることは呪詛の基本であり、理の親は呪詛して差し上げて丁度良い。

364 :基本:2019/08/23(金) 10:07:05.86 ID:l9aRbs+TS
>>363
西洋文明が生命の木の実を食せないことになったのは、智慧の実を食べたからである。
 黒船ペリーはとふじんであり、日本に欧風文明がはびこる明治となった。
お筆先10号
011 にほんにハはしらをたてた事ならば やまずしなすによハりなきよに
012 いまゝでハからやとゆうてはびかりて まゝにしていたこんどかやしを
013 このはなしたれにどふせとゆうでなし 月日とびでゝまゝにするなり
014 これまでも月日をしらんものハない なれとほんもとしりたものなし

高山の真の柱は唐人(西洋人)。
智慧の実による聖書信仰が、甘露の門を閉ざしていて、これを呪詛するものが、天理教の基本である。

365 :基本:2019/08/23(金) 10:09:55.08 ID:l9aRbs+TS
>>363
西洋文明が生命の木の実を食せないことになったのは、智慧の実を食べたからである。
 黒船ペリーはとふじんであり、日本に欧風文明がはびこる明治となった。
お筆先10号
011 にほんにハはしらをたてた事ならば やまずしなすによハりなきよに
012 いまゝでハからやとゆうてはびかりて まゝにしていたこんどかやしを
013 このはなしたれにどふせとゆうでなし 月日とびでゝまゝにするなり
014 これまでも月日をしらんものハない なれとほんもとしりたものなし

生命の木の実とは「じきもつ」、智慧の実の効能をはびこらせれば、甘露の門はあく。

366 :基本:2019/08/23(金) 17:20:07.05 ID:3bkL+pKIn
天理教社会学研究所のツイートがありました、糾します。
@tenrisyakaigaku8時間
「世間の人の常識ではお道(天理教)は理解できない」
はい?じゃあ天理教を信仰する方は相当に頭が良いか、
騙されやすい馬鹿か、どちらかですか?
まるで反社会的組織みたいな言い方だが、それって誰のための信仰?
普通の人では理解できない宗教など存在する意味ある?
天理教はオウムになったの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信仰の世間の常識は、デジタル大辞泉の解説 しん‐こう〔‐カウ〕
【信仰】 [名](スル)《古くは「しんごう」》
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」
2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  世間では信仰とは絶対的に帰依する事である。天理教はそれじゃ通用しない。

367 :基本:2019/08/23(金) 17:31:17.83 ID:3bkL+pKIn
絶対的に帰依するのが、信仰であるとすればゲームするのが天理教である。わかるかな?

世間の常識を確認すると、
信仰の世間の常識は、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 信仰
神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、
その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。
経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。
宗教的体験や儀礼を繰り返すことによって、しだいに人格の内部に一定の心的態度が信仰として形成される。
信仰は個人生活を統合する中心の役割を果たすと同時に、その信仰の表現である信条、組織、制度などにより、共同体の生活を統合する活動の中心にもなっている。[藤田富雄]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 つまり信仰とは、世間では「自分にとって価値や意味をもっている対象と関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度」である。
 では天理教はなんというか。身条件の依存をするなと言う。
 「聞きたいなら尋ねてこい」「聞いて、それをためせ」「歌ダウなら力比べせよ」「実の知らせを解読し人をたすけろ」

 つまり自分のためにするのが信仰。
 人たすけるためにするのが天理教。
 人たすけるために「教えをためせ」「わが胸に問いかけよ」「理を聞き分けよ」「悟れ」という。

 全然、別なのが、世間一般の信仰と、みき姉さんの天理教なのである。
 みきの意思を悟れ、読み解け。実行するゲーム感覚でないと、天理教ではない。

368 :基本:2019/08/23(金) 18:00:22.41 ID:3bkL+pKIn
信仰はわが身我が内、我が精神を言う。信仰すべしという。
 中山みきは
 「わが身、わが内、言うやない」である。
例えば世間にある信仰教育団体の創価学会は、自白している。日蓮上人の仏法を信奉すると。

創価学会は、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人(1222〜1282)の仏法を信奉する団体です。
日蓮の教えを疑う事は、させません。信仰ですから、無条件に依存し献身するを説きます。
日蓮の教えを試すことは創価学会はさせません。
世間の常識では、日蓮以外の親鸞とか空海とかも名があがりますが、創価学会では日蓮以外は、教えません。
 天理教団の山名系とそっくりですな。
 実は創価教育法の団体創価学会は、日蓮以外を学ばせない洗脳教育のプロ集団ですが、呪詛します。

369 :基本:2019/08/24(土) 09:41:15.86 ID:R9Sg1KlvA
天理教会本部に法に従い情報公開を求めて欲しいという要求が、天理教社会科学研究所から出ています。これを糾します。

加藤ハルアキ  2019年8月23日 7:14 PM
崩壊 さま  2019年8月22日 6:37 PM
・・念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。
 でも実際に情報公開するかどうかは、情報公開を請求された本部(「宗教法人天理教」および「宗教法人天理教教会本部」)です。
 実際に、誰かが「情報公開を請求」し、それに対する本部側の回答が「情報は公開しません」というものなら、東風Zさんや崩壊さんが言うような理由で、「情報公開をしろ」と訴えればいいのです。
 私としては、実際に誰かが「情報公開請求をした時の本部の回答を知りたい」と思いますので、是非とも実行して頂きたいのです。
 私は明らかに「利害関係人」ではありませんので、請求することは出来ません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 これは、個人で言うならストーカーして欲しいと言う要求です。
 私じゃ財布の中見せてもらえないから、あんた見せてもらってきてよ。
こういう事、頼んじゃいけません。
 事務所に備え付けてある資料ですから関係者なら誰でも見えるものですが、
赤の他人には見せないのが、常識です。法人には人格権があります。
 法律がありますから天理教本部の事務所は利害関係人にすぐ見せるでしょう。
 しかし、謄写をさせるかさせないかは教会本部判断です。普通はさせません。
 利害関係人でないので自分が公開請求できないからと、利害関係人の立場の天理教関係者を煽り、ですから、犯罪行為の公募です。
 公開請求させ反応を知りたい。反応しだいでは本部を攻撃するという、ストーカーの発想で、取り消さないと、利害関係者から提訴もありますね。

370 :基本:2019/08/24(土) 09:50:40.02 ID:R9Sg1KlvA
 天理教の末端教会長に、天理教本部に会計状態を公開請求しろとの扇動は、
天理教会本部の業務妨害をしなさいという先導であり、公開請求権が無いと承知していて、誰か、反応みたいから、請求してくれというのは、犯罪行為の依頼です。
 天理教社会科学研究所も自らの犯罪性を自覚しなければいけません。
 この件のツイートを削除しないと、犯罪行為の扇動として提訴されることにもなるでしょう。
 天理教信者は違法な情報公開請求扇動についての利害関係人ですから、早期に削除、あるいは訂正、お詫びですね。

371 :基本:2019/08/24(土) 10:07:39.19 ID:R9Sg1KlvA
 天理教社会科学研究所が、犯罪行為を先導し違法な情報公開請求をしようと大勢の天理教末端教会会長に呼びかけた事実、それに応じて、数名の賛同者が違法行為を先導して事は、「自白」として、ネット上に刻まれています。
 基本は呪詛の第一人者と自負していますが、天理教社会科学研究所カインを糺します・
 天理教社会科学研究所カインの自白を紹介します。糺します。

? 天理教社会学研究所さんがリツイート
返信先: @ezGpmu55AzXIK8tさん、@ZKaxUOpnG7vaxatさん、他2人
 お父さんは、一体誰にお供えしてほしいのでしょうね?
 神様に精一杯の気持ちをお供えするのではなくて、自分の面子を保つ為にお供えしてほしい様に感じます💦
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 天理教のお供えの教理をまるでわかっていませんが、「自分の面子を保つ為にお供えしてほしい」とは、なにごとでしょう。
 お供えする限り見返りを求めるのが天理教です。
 「値(あたい)をもって、実を買うのやで」が、天理教です。
 神でなく人間にだすのは、実は買えませんから、お供えではありません。
 だから「神様に精一杯の気持ち」とは、お供えではありません。寄付です。神へのめぐみであり、いや信仰組織への協賛金であって、「実」は買えません。
 神様には1円も出さなくてよい。
 ただし実がほしいときは、値を出します。実がよこせなかったら神を見捨てます。
 基本の神様は中山みきは、実をくださいますから、見捨てていません。

372 :基本:2019/08/24(土) 10:20:19.66 ID:R9Sg1KlvA
基本の周囲の人物はきいんと値を求めます。
 四国が大雨洪水警報の状態で高知道が封鎖、市町村は住民に非難の呼びかけを、行っているときに、「基本さん、後から来る車両のために雨を少なくしてくださいと、お願いします」といわれた。
 進行方向は黒雲に覆われて、土砂降りの最中であるが、願うのは人間の権利だ。
 いったい親神はどうするだろうかと、お願いだけはした。
 すると周囲の山頂を覆っている黒雲が、山頂により接近して大量のもやが山を覆いながら降り、どんどんもやが広がった。
 基本は察知した。
 黒雲の含んだ大量の水蒸気を、雨にせずもやにしてくださっていると。
 これか、この手法を親神は使うのか、
 雨は小降りになり、ほとんどなくなった。
 依頼した人は、値を出してあるのだなと、感心した。

 願うのは人間の権利であり、願うには値がないと、の実例であった。

373 :基本:2019/08/24(土) 10:29:22.97 ID:R9Sg1KlvA
四国での雨預けの長居の話を聞いていた別の人は、諏訪湖の花火の当日に台風の予報があって、大雨の恐れがあるので、どうか雨を振らないようお願いして欲しいという。
 そんなことは基本はお願いするだけだから、すぐしてあげた。
 台風は着ていた、しかし風だけが諏訪湖に来ていて、花火は美しく夜空に花を咲かせた。その三日後大雨で近隣に土砂災害が来た。
 暴風雨や台風は、風の神である。
 値をいただく、それには実をもってであるから、お供えは「実」として代価として出すなら出す。結果を出せない神や神に代理人には出さない、結果出せなきゃ見捨てれば正しい。

374 :基本:2019/08/24(土) 14:54:19.38 ID:XjuaFZ3rT
ご利益があるから神である。
社会科学では、神は扱えない。

出典:デジタル大辞泉(小学館)ご利益。
1 神仏が人間に与えるお恵み、幸運。ご利生 (りしょう) 。霊験。「観音さまのご利益」

天理教ではご利益は、因果を明確にして与える。与えないを決める。
「天の帳面につけてある。余れば返す、足らねば貰う」と。

実と言うのは心の真実であり、誠である。金額ではない。
百万の物もってくるより一厘の誠が欲しい。神の言い分である。

神に人格があって神にも心の自由がある。認めなければ神は応じない。
社会科学が、特に天理教社会科学が神を扱えないのは。そのせいである。
信教の自由とは神仏を信じ教えを信じる自由であり、天理教では中山みきの教えを信じる。
天の帳面を信じているわけだ。だから、お金出しておけば神が嬉しいという教団幹部の詐欺にもかかるが、
教団幹部に騙されて金出したことを「可愛い」と神が思ってしまえば、「天の徳」。+ポイント。
 このゲーム感覚の駆け引きがわからないとおやさまとは遊べない。

 ご利益は中山みきの心を楽しませれば頂けるから、天理教の教会制度なんて邪魔でもない。
 社会科学という狭い了見では、この世の親神の、精密にして厳格な理の世界は楽しめないとつげよう。

375 :基本:2019/08/24(土) 15:12:13.56 ID:XjuaFZ3rT
ご利益があるから神である。
若者がいる。天理教団が嘘ばかり教える。そういう環境で若者は成長するゲームだとしよう。
しかし、お筆先があって正しい教えは本人の悟り。つまり悟りの経験値で成長するが、相手は強大である。

そこで若者が、こんな試練は無意味と思えば、天理教辞めればよい。
この試練で、能力を磨くぞと思えば、ゲーム続行したらよい。

カインは兄弟なのに差別されて弟を殺し、神に不毛の地に追いやられ、
そういう試練を通り抜けた。

人間誰にも試練はあり、ポイントをあげて人生を楽しめば、どうしようもない天理教団は、素晴らしいポイント稼ぎの場所である。

376 :基本:2019/08/24(土) 15:34:25.50 ID:XjuaFZ3rT
「自由自在はどこにあるとは思うなよ」「ただ面々精神一つの理にある」
天理教の用木に渡される「おかきさげ」の言葉である。
 自由自在・じゅうようじざい、である。

 今朝、頭痛と吐き気があるので治るようお願して欲しいと来た。
 お願いだけでは治らないとの知らせで、理を諭した。

 頭痛とは頭の使い方へのダメ出し、吐き気とは吐くことへのダメ出し。
 ここは初心者でわかる。
 頭の使い方の何が悪かったかは、コナン君のようにズバリ当てなければいけない。
 本人の前後の行動を聞き出して、「善悪の判断違い」とズバリ、吐きけの意味は
吐きたいものがある、吐かせたいものがある、つまり言っちゃいけないことを言った。
言うべきことを言わなかったであり、誰とどんな会話したか、本人の前後の行動を聞き出して、
「言った事の内、〇〇はダメ、いわなっか事の内△△は吐き出しておくべきだった」とズバリ。

 これで、たちまち頭痛も吐きけも消えた。
 普通のことでる。
 18の頃からこういう修行をしてきて、今も修行中であるが、基本の精神が良いからなんて思っちゃいけない。
 中山みきに気に入られる事だったからで、気に入らないことしたらみき姉さんは厳しく叱ってくる。

 叱られても嬉しいではないか。次に正解でよいではないか、
 ひとさえ助かればよい。それが天理教の基本である。

377 :基本:2019/08/24(土) 17:06:38.83 ID:XjuaFZ3rT
しかし、神の知らせは瞬間にあるから、次に正解は、その場でせよである。

378 :基本:2019/08/25(日) 23:01:21.43 ID:3a6UCcxPk
天理教社会学研究所&rlm; @tenrisyakaigaku · 12時間12時間前

神からの恵みを、天理教はお金に置き換えた時点で、天理教の歴史的使命は終わったと考えるが普通でしょう。
勉強のできない人や学生を騙し続けているとしか思えない。
勉強はいらない、あほになれ!ってね。
だから天理教本部を筆頭に、関連組織は衰退しているのか。
あほばっかりだから?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教はおふでさき17号を読み通したら「悟りばかりの道」となる。
悟り - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/悟り 概要
 悟り(さとり、梵: bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること 。
 覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう 。
 仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる 。
 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する 。
 現代社会は生命も金銭にて代償とする。恵みを金銭に置き換えるのは社会科学の常識である。
 社会科学といいながら、「神からの恵みを、天理教はお金に置き換えた時点で、天理教の歴史的使命は終わった」と考えるのは、浅知恵である。天理教の使命は、「悟りの世界から悟りばかりの世]へ、成人を促すことにある。

379 :基本:2019/08/25(日) 23:15:59.80 ID:3a6UCcxPk
天理教社会学研究所 12時間前

神からの恵みを、天理教はお金に置き換えた時点で、天理教の歴史的使命は終わったと考えるが普通でしょう。
勉強のできない人や学生を騙し続けているとしか思えない。
勉強はいらない、あほになれ!ってね。
だから天理教本部を筆頭に、関連組織は衰退しているのか。
あほばっかりだから?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 あほは、天理教社会科学研究所である。
 恵みを金銭に置き換えるのは社会科学の常識である。
 天理教の神の恵みは「いつも豊年教えたい」にある。
 「神からの恵みを、天理教はお金に置き換える」、これが本道であり、王道である。

 空から甘露が降るとか、月日「ぢきもつ」を与えるという神の恵みは、
天理教では「金持ちにする」という意味そのものである。
 旧約聖書という「こふき」を有するユダヤ教は金もちであり、天理には隔てはない。
 金持ちになるには「知恵の樹の実」を食せよということは間違いではないが、
 金持ちになるに「生命の樹の実」を食せという基本の通り方があること、それが天理である。

 天理教社会科学研究所は無知を恥じるべきである。

380 :基本:2019/08/26(月) 08:19:49.62 ID:LDUuecwDG
社会科学研究所を応援しこんなツイートがあって、それも糾す。証拠がない論である。

twtom&rlm; @ichiro0026
 病気や事情があれば、お供え、解決しなければ真実が足りない。
 解決すればお礼。その金は、真柱の別荘、本部員だけが利用する施設、天理ビルに変わる。神が金を欲しているのではなく、欲しているのは欲にまみれた高山である。
・・・・・・・・・・・・・・・
 「その金は、真柱の別荘、本部員だけが利用する施設、天理ビルに変わる。」というが、集金人は大教会、上級教会、末端教会と全員が教会関係者ですが、真柱や本部員ではないということです。
 法人が違う、本部は本部、真柱は真柱、経理も会計報告も違います。
 「その金」が信者から集金された金が、末端教会の家族(自称道専務)の食費や生活費、経費になって、
宗教家の宗教法人の費用に使われてはいますが、「その金」は本部会計には因果関係不明で、
真柱会計にも因果関係がないのは、社会科学したらわかることです。
 論拠がない論を、もっともらしく作文して「信者はお金出すと本部と真柱に使われちゃうよ」との、事実無根を告げていて、証拠がない論をのべるのは、不正です。糾します。

381 :基本:2019/08/26(月) 08:31:43.50 ID:LDUuecwDG
 本部が世話人や修理人として集金する相手は、大教会です。
大教会は、自分や部下教会の経費分の集金にも「ご本部へのお供え」の嘘の理由を用います。
 おやさと屋形の普請やを名目の集金、他に理由は「ご本部も会計が大変だから」とか付け足しますが、
本部会計が大変かどうかは別にして大学経営や病院経営、ここには「給料」を払っていますから、大変ですが、本部そのものは本部員は給料なしで、お与えが基本で、大教会長兼本部員は二つの財布で裕福ですが、兼でないと、金銭収入は貧乏です。
 しかし天理教会は個々が独立の法人ですから大教会の経理こそ怪しいもので、それを本部だって怪しいと、摩り替えてきた歴史があり、カインの虚偽の風説の原因になっています。

382 :基本:2019/08/26(月) 08:42:10.32 ID:LDUuecwDG
「病気や事情があれば、お供え、解決しなければ真実が足りない。」と、見てきたような記述ですが、治るなら出すのであって治らなければ誰も出しません。
 社会科学研究所のこの批判に賛同しているのは集金人である天理教会家族、特に後継者の関係。
 自分の教会も集金していて生活費に当てていて、それを「本部が出せという」との嘘まじりの上級に、大教会に、出していると、ばかばかしくなるわけです。うわまえをはねられると感じるから、本部のせいにして不満を持ち、天理教会を見捨てたくなります。
 そこをつけこむカインですが、そんなもの名称だけ残して家主を交代させたい神意のあらわれです。
 信者は、「治ればだす」「治らなければ他にいく」「治らなければ信心やめる」が本音で、普通にそうする自由を有しています。
 天理教会の土地建物、不動産と動産は、社会科学的には膨大な金です。

383 :基本:2019/08/26(月) 08:48:27.07 ID:LDUuecwDG
>>379
 神からの恵みは、金銭に置き換え出来なければ、人類全体につながらない。

384 :基本:2019/08/26(月) 08:56:08.06 ID:LDUuecwDG
天理教社会科学研究所の見解には事実無根がある。
 特に「その金は、天理ビルに変わる。」という見解は、事実無根である。
 天理ビルとは http://tokyotenrikyokan.co.jp/company/#top 本部のビルではない。
 会社名 株式会社 東京天理教館 のビルで、独立の法人の賃貸物件である。
 本社所在地 東京都千代田区神田錦町1丁目9番地 設立1960年6月 社員数54名
当然、公開された企業情報であり法人として国の管理下にある。

 社会科学研究所はデマばかりを語っていると、糾しておこう。

385 :基本:2019/08/26(月) 09:06:00.12 ID:LDUuecwDG
天理教の大教会が空き家になれば、膨大な不動産が空き家になるとして、資産価値は一人歩き可能である。
創価学会ではこの芸当は出来ない。
個人の信仰の自由の中に経済活動の自由があり、家業という自由な経済活動の中で、お供えをするしないの自由がある。
 例えば株式会社 東京天理教館 が、どんな形で天理教に寄付するもしないも自由である。
 天理教が医療法人への寄付で受け取るか、福祉法人への寄付で受け取るか、宗教法人への寄付で受け取るかも、自由である。
 末端教会では福祉法人を設立したりして真似している状態もあるが、
宗教法人がお供えとして受け取るのではなく国に認められた福祉や教育事業で、各法人活動するのは、正当な権利である。

386 :基本:2019/08/26(月) 09:34:50.67 ID:LDUuecwDG
天理教社会科学研究所カインは「憩いの家」という病院の存在に嫉妬している。
創価学会には天理教の憩いの家に相当する総合病院は存在していないと問題視されている。
創価学会にはなぜ病院がないのか GOOの議論を引用しよう

回答の一例である。No.3ベストアンサー 回答者: area_99回答日時:2014/12/18 13:11
  基本的に、創価学会に入信してお題目を上げれば病気や怪我が根治するという教義なので、病院はありません。
 なので大学にも医学部はありません。
 だから2009年に慶応大学病院で亡くなった池田大作も、根治して生きていることになっています。いつ死んだことにするのか楽しみですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 病助けが売りの創価学会であった。お題目で「妙法蓮華経」で病気が事実治った。
 悪は「はびからす」。
 病気が治って信者は爆発的に増えた。お供えもしっかりあがった。
 その根は「お釈迦様の教えの実行」を池田大作先生が説いてさせたからで、だから池田先生さえいたら病院はいらないと言う、天理教でいえば愛町の関根豊松のように、信頼され、池田教と呼ばれるほどはびこった。
 しかし仏法の叡智、仏法の真理と語りつつ病気治しは説かなくなっていく。
 堕落であり大教会の迷い道。
 学校は建てても病院は建てれないほど、医薬より「お題目」が学会にはびこっていたのだ。




https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8862284.html

387 :基本:2019/08/26(月) 09:44:19.73 ID:LDUuecwDG
創価学会にはなぜ病院がないのか GOOの議論を引用しよう
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8862284.html No.2 回答日時:2014/12/18 11:38
  学会職員専用の「心療所」があります。
 一時、池田名誉会長が病気入院の記事が週刊誌に出ましたが、この診療所の最上階に特別室があり、そこで治療を受けられていると書かれていました。
 今の学会の教えはどうか分りませんが、昔の指導は「医者要らず。病気は自分の信心(信仰)で治せ」と言う教えでした。
 交通事故に遭おうものなら「貴方の信心(信仰)が試されているんや」との幹部の教えでした。
 ですから幼稚園から大学まで教育には力を入れるが、医療の方がこの教えからすると、学会がわざわざ病院を建てる必要性は無い。という事になります。元学会員
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 治ったから信者は爆発的に増えた。
 しかし世間の批判は大きくて、創価学会を大嫌いという人も大勢生んだ。

 もともと皇道会の政治に宗教を利用という目的の池田大作は、公明党を設立し、
 医薬妨害とも非難された学会の教理と、信仰実践を停止させて、政治優先に切り替えた。
 しかし古参の信者は「医者より信仰心」を頭固く信じていて、病院設立を打ち出すには、抵抗が強いという状態で、手が出せなかったということです。

388 :基本:2019/08/26(月) 10:01:04.99 ID:LDUuecwDG
 基本が18のころの創価学会は「病気助け」が看板で、実際に治りましたがおおぜいいた。
 活動家や活動家の子息はみな信じていて疑わなかった。
 しかし基本は二代真柱が天理教の病院を建てたときの天理教内の猛反対をしっていた。神様で治るのに病院がなんでいるんだと、みな本気で怒っていた。
 その怒っている信者たちは「病院とおさずけ」を併用していたのにである。
 真柱はおさずけをしたことがないから効き目をしらないんだとか、散々であった。
 しかし基本は「病人でもお地場に帰れるためには病院が必要」という二代真柱の主張を機関紙で読み、納得した。
 瀕死の病人を移動させて病院以外に運んだら犯罪である。お地場に行けば病気が治りますでは通用しない。
 なんて深い人かと二代真柱に感嘆した。
 しかし、大教会長以下信者たちは「京都大学系の優秀な病院」として利用した。「お地場に行けば病気が助かる」は、ふっとんでしまっていた。
 おさずけもだが、優秀な病院はもっと有効と・・・
 そこにいくと創価学会の古参信者はお題目第一で徹底していて、病院も建てさせていないのは、さすがである。
 信心でお釈迦様に助けていただくを実行しゆずらない、尊敬に値する。

389 :基本:2019/08/26(月) 10:19:57.39 ID:LDUuecwDG
悪ははびからす。
お釈迦様を利用し皇道会の政治に利用した大本教、創価学会、PL教にも当然善良な神仏信心の良い方々がいた。が、そうした信心を利用して宗教ビジネス化し、政治団体化させるには裏切らせない締め付けを必要とする。
 皇道会系の思想を伝播された北朝鮮をみれば悪しき実例であるが、組織の多様化を許さない。
 天理教は誰でもが宗教法人にもなれる、天理教をなのれる。
 八島系に天理教会を名乗らせまいとした清水邦雄表棟梁は敗訴し、天理教は批判者でも名乗れると、神は道をつけた。

 天理ビルの実例でいえば、宗教の締め付けは通用しない。
 創価学会は発想が皇道会だから「うわべは多様化し」「内部は一本化の独裁である。
 そうなるとはびこった池田教を池田先生の専制、独裁でしか用意できない。

 はびこったは良いが、もともとは神仏の奇跡を信じていないから、
「精神力の精華」とかそんな程度にしか認識の仕様がない。
 全員ばらばらで神仏を信心する効能だけでつながるなんて発想は生まれない。
 そしてはびこり枯れる。

390 :基本:2019/08/26(月) 17:02:58.05 ID:uFX9uKZZ8
天理教社会学研究所 @tenrisyakaigaku 8時間前 ツイートを糾す

お金が沢山集まった昔。「天理教人は就労せずに、天理教のことだけすべき」

お金が集まらない現代。「天理教人も就労して、社会貢献しよう。働くとはハタハタを楽にする」

結局、天理教はお金
教祖の教えなど解釈次第でどうでもよいとしか思えない。
天理教、もう無茶苦茶
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教は昔も今も「家業第一」、用木にわたされる。書き下げである。

391 :基本:2019/08/26(月) 17:07:29.76 ID:uFX9uKZZ8
健全な計座活動は「家業」である。
社会はお金である。
天理教会に生活している人間の愚痴話や、不満を集めるの無中でで、社会の科学的原理を見失うべきでない。

天理教会以外の社会ではお金第一である。
それを、家業で得なさいと言う個性が、天理教である。

392 :基本:2019/08/26(月) 22:18:42.41 ID:uFX9uKZZ8
カインの天理教社会科学研究所は天理教徒のサムシング・グレート理論の提唱者、村上忠雄氏の関心があると分かっやが、
検証しておこう。
 天理教の信者(「用木」)
生命の存在はダーウィンの進化論では十分に説明できないと考え、サムシング・グレートと呼ぶ存在を想定し
自身の立場が「知的設計論者の意見に近い」と述べているが、さらに、
自著においては、サムシング・グレートを指して「あれは親神様のことです。」と明かし、サムシング・グレートが天理教の「親神様」のことを指していることを認めている。

貧のどん底も通り抜けてこず、学問の世界は中山みきが「見えてない」とご指摘なのに、
学問的に、親神だと決めつけた、恥ずかしいお方だ。

2007年2月21日、茨城県高校教職員組合は、茨城県内の県立高校で使用されている道徳の教科書の『生命のバカ力』から引用部分が特定の宗教を広める内容だとして、県教育委員会に是正措置を求めた。
これに対して県教委は問題がないとの見解を示している。

天理教の教理で科学しようというのは、まともだが、科学の力で親神を解こうという恥しさはカイン以下である。

 村会和雄氏のサムシンググレート理論で、誰が陽気になるのか。幸福になれるのか。

 遺伝子のスイッチのオン・オフを人間に操らせたい親神のお気持ちが分かるか、甘すぎる。
 天理教の教えではない、ただの科学の説だ。

393 :基本:2019/08/26(月) 22:22:37.06 ID:uFX9uKZZ8
お釈迦様は、不老長寿を教えられ、中山みきも甘露を教えた。
それは、遺伝情報にちゃんとあるはずで、見つけてないなら、心を澄ませることだ。
貧乏することだ。
天理教の学者の看板は、貧乏とおり、それから掛けたらよい。

394 :基本:2019/08/28(水) 17:05:16.54 ID:61LlrOOuL
天理教校学園の廃止の件ですが、天理教社会科学研究所の匿名 2019年8月7日 8:51 PM を糾します。

引用します。
 天理教校学園の学生募集停止が非常に深刻なわけ。
●そもそも天理高校があったうえに新たに学校を作ったのは、天理高校の教員(組合)が思い通りにならず、信条教育を図ろうとする当時の本部の思いに一致していなかったから。
 野球や吹奏楽など、教外者をスカウトすることも多かった。
 そこで、次代を担う布教専従者の育成を目指し、男子校の付属高校をつくり、卒業後は5年の第二専修科への進学を義務づけた。その後、親里高校をつくり、海外布教の要員育成をめざして、外国語の授業を充実させた。
 しかしうまくいかず、両校合併。第二専修科も廃止。そして今回の廃校。
 つまり、天理教が布教のために力を入れた学校(政策)は失敗したのである。
●教会子弟が多い学校が、本部の財政を理由にして真っ先に切り捨てられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 見てきたような嘘である。ソースは天理教フリーフォーラム系の教団情報だろう。
 天理教校は諸井慶徳と深谷忠政両名の「山名系」と「河原町系」の教団組織指導者が、
天理教の教団教理を後継者に教え込むため用意したが、天理教校学園の主体の河原町や山名に信心がなく、
一方若者は教団教理になれていすぎていて、屋上屋を架し、天理教団の見込み違いで世代の反発を受けた。
 信条教育は、教会のエゴであるから失敗するのは宿命である。

395 :基本:2019/08/28(水) 17:18:02.96 ID:61LlrOOuL
天理教社会科学研究所 東風Z
2019年8月28日 8:38 AM を糾します。
引用です。
 「・・例えば、音研これって絶対に必要ですか。
  教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。」
  「教校学園も誰かの趣味が高じて作られたものでしょうか。」
  「全ての機関・施設は、設立の趣旨が大切だと思うのです。」
 「例えば、おやさと館は二代さんがバチカンを見て、これに負けない物を作ろうとの思いで構想し、建設が始まったと聞いています。」
 「教祖は八丁四面鏡屋敷と言われたと聞いていますが、館まで言及されていたのでしょうか。」
  「大きいことはいいことだとばかりに作ったものを失くすことが先決ではありませんか。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 大きいことはいいことだというのは天理教の教えです。原典にあります。
 おやさと館は、「奈良、長谷七里は門前うちら」の予言から本部内において建てられています。

 「例えば、音研これって絶対に必要ですか。」
  絶対に必要です。
   御神楽歌は、音楽であり、音楽と陽気暮らしは切って切れません。

396 :基本:2019/08/28(水) 18:58:06.46 ID:61LlrOOuL
天理教校についての公式見解は、天理教校学園高等学校 公式ホームページでは理事長挨拶に示されていて、「教義に特化した施設」が天理教校学園高等学校である。
 天理教社会科学研究所の論は失当そのものである。

 天理教の立教以来、今日までの170余年にわたる歴史の中で、本教内において初めてつくられた学校が天理教校です。
開設は明治33年(1900年)4月。
その開校式において中山真之亮初代真柱様は、学校設立の目的を「信心堅固にして而かも学識徳行兼備せる教師を養成」するところにある、と述べられています。

 すなわち、揺るぎない確かなこの道の信仰を養ったその上に、豊かな教養、高い見識を兼ね備えた用木の養成にこそ、天理教校設立の理念があるのです。

 天理教校はその後、天理教管内のすべての教育機関の出発点として大きな役割を果たすと共に、
中山正善2代真柱様の時代にめざましい発展を遂げ、天理教の進展に貢献してきました。

 学校法人天理教校学園は、こうした天理教校の建校精神を受け継ぎ、
「一人でも多くの道の子供をこのおぢばで学ばせたい」という中山善衞3代真柱様の思いを受けて、昭和49年(1974年)に設立されました。
 そして、同年4月に教会長後継者の育成を含む布教専従者の育成を目的とする天理教校附属高等学校を、
さらに平成元年(1989年)には海外布教に寄与する人材の育成を目的に天理教校親里高等学校を開設し、両校の経営にあたってきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 批判のための批判は、天理教社会科学研究所の非科学的な証拠である。

397 :基本:2019/08/31(土) 01:54:55.78 ID:gsClqXvaB
末端天理教会長男坊が通ります のツイートがあった。

バシラの野郎なんて言ってすみませんでした。
今の真柱様にはこの狂ったカースト制度に是非ともメスを入れて頂きたいと切に願っております。
今後の天理教の事、親様の事を本気でお考えでしたら是非是非御一考の程をよろしくお願い致します。

/////
オババも同じ病気で半分寝たきり。
オカン介護疲れの上、月並祭、上級への御用、お供えする為に借りたサラ金返済。金などまるで無いから施設も入れれないし、仕事に出ようにも理の親に仕事したらダメ言われてる。
発狂なう。
どーしたらええのん?
////
現教会長はおとん。
アルツハイマーと脳の病気で神殿でしょんべんを垂れ流すのが日課。
止められない。
そろそろ畳抜けそう。

398 :基本:2019/08/31(土) 02:01:17.55 ID:gsClqXvaB
末端天理教会長男坊は、おやさまお助け下さいが一言もない。
しっかりお供えした教会だと言うが、たすけて欲しいという相手は、真柱と言う人間。
上級と言う組織、組織に負担金払ってきたのでは、神に願いようはない。

それでいて末端教会として信者におかね出させてきていたのだから、
おやさまは、なんなのだと問いたい。
どうぞお助け下さい、南無天理王命と、長男坊に代わって、基本は、神様にお願いだけはする。

399 :基本:2019/08/31(土) 02:02:43.42 ID:gsClqXvaB
おやさま、おたすけくださいは、基本である。

400 :基本:2019/08/31(土) 02:20:05.69 ID:gsClqXvaB
カインの洗脳が効果を発揮して、自分たち家族が願い出て天理教会をしているという、
簡単な事実さえも見失って、真柱が定めたカースト制度だと思い込んでいる。
天理教会を継ぐ時も印鑑が必要なのだ。

401 :黒の基本:2019/08/31(土) 07:25:00.26 ID:xaFAlqJMZ
基本が保険証を有しておらず低所得ということで、地域の民生委員さんが何回か顔を出して、
相談窓口になろうかと家庭訪問にkられたことがある。
>>397
末端天理教会長男坊さんのツイーとだが社会科学研究所の粉飾の疑いがある、
 天理教の教会に信者の参拝が一人もない状態で、高齢者の老女(教会長)が病気となっていて、それを地域の民生委員は発見し、保護のために動いて、どうしたらいいかという相談を受けた。
そういう例がある。
 末端天理教会は建物を有していて、地域社会においてまるで知られていない存在ではなく、
子供お地場帰りなどの行事で周辺住民との交流もあるのが普通で、
また信者があって連名で教会設立の手続きをしており、
末端教会というがひとつの宗教法人であって、役員が数名はいなければならず、
引きこもりのアパートの独居暮らしのお話ではない。

この投稿者のように、アルツハイマーで痴呆の病状の父親、母親について地域社会が気もつかないで放置しているほど、日本の福祉行政はずさんではない。
 

402 :黒の基本:2019/08/31(土) 07:48:46.75 ID:xaFAlqJMZ
>>391>>407
 地域社会は独居暮らしの老人や基本のように収入不安定な人間には福祉行政が機能していると、貧に落ちてみないと社会がそれなりに機能している味もわからないだろう。
 まず民生委員に相談するのが社会では普通のことである。

 また行政は税金について厳密に行動しているので市民税などの申告を調査している。基本にも市は、諸欲申告を促し、所在の確認に訪問などもある。これも貧のどん底を通らないと体験できない味である。
 末端天理教会に住居している長男坊さんの所得申告の問題も地域行政は一定の関心を持っている。父親、母親の場合もである。それを課税逃れするために、不審な行動していれば、なおさら無関心ではない。

 両親のアルツハイマーと脳の病気、これも当然医師の診断を受けているはずで、保険証があるはずであり、当然市町村は定期的に保険証の交付について審査しているから、両親の病状から、市の担当者が状態に気がつかないわけがない。

 貧の底を通る人の世話もしておらず、自分が貧の底を経験していないから、
粉飾話のこっけいさに自分が気がついていない、そういうことではないか。
 上級の天理教会にしても立派な神殿と社会的地位があるから、垂れ流し糞尿の部下教会を放置できるわけがない。上級教会自身の社会的地位にかかわる。
 天理教の上級教会は福祉の役員していたりで世間体があり、大教会と相談して手を打つしかない、大教会長こそ社会的地位たくさんありで、実話なら、すぐ手を打つ。そんな提訴の金はある。
 おそらく、事実を誇張し拡張してのツイーとだろうから黒の基本は呪詛する。

403 :黒の基本:2019/08/31(土) 07:59:04.58 ID:xaFAlqJMZ
>>432
>両親のアルツハイマーと脳の病気、
 これを医師に見せる義務は末端教会長男坊さんの義務である。
 医師に見せないと医薬妨害に相当する。
 また親権者としての保護義務がある。保護しないと犯罪行為である。

 病院は病人に関する経済情報を含めて聞き取りし生活保護などの支援、医療費免除の手続きをとる。高齢者の医療では法律の関係で特に厳密である。
 病状が深刻であれが長男坊などの親族の合意を得て治療方針を決める。
 教会に神殿で糞尿垂れ流しですと申告すれば、高齢者の場合、病院施設は何かの手をうつ。医療費無料も含めてである。
 末端教会長男坊と称する人物は、普通の社会の医療現場を知らないということは、当人ではないから、病院には出向いていないということだ。

404 :黒の基本:2019/08/31(土) 08:03:48.58 ID:xaFAlqJMZ
天理教には総合病院があり大教会長が申し込めば、総合病院憩いの家での高齢者医療がうけられる。
 高齢者の場合、法の保護は厚い上に天理教の病院独自の制度もあり、救済措置を受けるも可能である。
 この末端教会長男坊は、天理教教会の特権である天理総合病院利用に無知であり、偽者ということである。

405 :黒の基本:2019/08/31(土) 08:17:23.83 ID:xaFAlqJMZ
天理教社会科学研究所の煽りを受けて、実社会を知らない人は、末端教会はカーストの奴隷だと錯誤するだろう。

末端教会は奨学金制度、推薦入学制度で守られていて、天理大学へも優先して入学できる。病院の利用も優先である。就学と医療は優遇保護である。

天理教社会科学研究所は、一方で末端教会は奴隷だと煽り、もう一方で天理教会本部は教会師弟を優遇するなと煽る。

天理教会本部勤務者の所得は最低と呼ぶのが正しい。平均すれば末端教会の家族のほうが所得ははるかに上であろう。

 創価学会幹部とは天理教会本部員とはちがうのだ。
 皇道会系の創価学会はプロパガンダで情報操作するが、神の返しがあるよう呪詛します。

406 :黒の基本:2019/09/06(金) 23:11:16.31 ID:+0+UGGx79
崩壊 2019年9月6日 5:42 PM  社会科学研究所を糾す。
二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。
何とも哀れな生涯でした。
 若くして糖尿病で杖が手放せなかったということは、糖尿病の合併症が相当ひどかったということですね。・・
おそらく、腎臓や眼にも合併症がでていたのでしょう。人工透析や眼底出血の治療も受けていたのかもしれませんね。
糖尿病の末期症状です。戦後の食糧難の時代、一般庶民はサツマイモのツル、イナゴ、蜂の子、タニシ等を食して飢えをしのいでいました。
そんな時期に信者の「お供え」で輸入ワインや刺身を食していれば、寿命が短くなって当たり前です。
各大教会長クラスの方々、そして、教会本部のお偉い皆様方、巡教に行って御馳走ばかり食べていると、本当に殉教しますよ。
(真の殉教でないことは言うまでもありませんが)
 東風Zさんのおっしゃる通り、現行天理教は信仰に値しないということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 天理教の教えは美食せよであって、まずこの点正しておきます。

407 :黒の基本:2019/09/06(金) 23:15:17.81 ID:+0+UGGx79
天理教の教えは美食せよであって、美食は陽気遊山ですから、神は喜びます。
 二代真柱の事実、大教会の事実も知らないで、確認しないでのプロパガンダは、ひどいので、呪詛しておきます。
 真柱は自分の都合で行動はしません。神の意思で行動します。
 神が毒を食せと言えば毒でも食します。それが真柱です。
 大教会は真柱用の客間をつくり、天皇陛下のように扱いました。美食させました。時には腹の中で笑っていました。
 悪ははびからすで、好きなようにさせました。それだけの事です。
 基本も天理大学学長就任前の大久保先生から最高級のお酒を頂いたことがあって、飲んでから、毒だと気が付いた恥しい若き日がありますが、神と交信していると、毒でも飲む覚悟。それが二代真柱の畏怖すべき権威の根拠です。
 信仰は、いらない。信仰はすてよ、それが分かっていた超能力者として、二代真柱はオカルトを示し道を付けました。
 教義の父です

408 :基本:2019/09/06(金) 23:21:28.29 ID:+0+UGGx79
『 信者の「お供え」で輸入ワインや刺身を食していれば、寿命が短くなって当たり前です。』

大間違いです。
信者さんが出して下さった真心を頂いで、刺身を食したら、ちゃんと助けてあげるのがマナーです。

与えも出さない信者を、たすけたら、天理に反します。
出させすぎも、天理に反します。
左善、右悪の知らせで、悟れます。

409 :基本:2019/09/14(土) 11:20:41.74 ID:PKUf0aGFI
カインの昔の投稿 | 投稿日: 2012年10月16日 |
『 複数の読者より天理教みさとブログを運営されている植田義弘先生がご著書を発行されたと聞いた。』を糾す。
 本文を引用しておく。
『 ・・この本の発刊に際しての植田先生のインタビューもYouTubeにアップされている。
http://www.youtube.com/watch?v=oM12CKI3Clc
 植田先生は常々ブログをアップされている。そのブログで私は大変勉強させていただいているため信頼を寄せている。・・・
・・天理教の信者が高齢化になってきて減少している中で、誰もその原因究明や対策を打ち出しているものはいない。・・
そういった点に真正面から取り組んでおられる数少ない方が植田先生だと私は思っている。・・理論的背景や、問題点を鋭く指摘されている。
 ・・「「点と線」のナゾ解き」は天理教人の多くが感じていることだが、なかなか言葉にできない天理教の厳しい現実が書かれているのではないかと思う。
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-223.html
 表現の自由において、少数意見を大切にしたいと思う。特に宗教団体などの周りが見えなくなる思想形態は、リスキーシフトに陥る危険性を肝に銘じておくべきであろう。        』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ↑ このカインを糾す。

410 :基本:2019/09/14(土) 12:05:24.73 ID:PKUf0aGFI
 私の知る植田義弘先生は、親しく我が家で面談したこともあるが、温厚な人格者である。
 普通の天理教の信者ではなく本部の数人しかいない本部役員の家系で、実は天理教フリーフォーラムの中心的人物と認識している。
 周辺には天理教団の改革を訴える教会長らがあつまり、「縦の系列信仰」を否定し、
横の活動を主張し、天理大学宗教学科批判をWEBで開始し、基本は、それを「用危険」とみなし、参戦した。
 天理教改革運動を全国の教会に働きかけ、教祖本来の教えへの復帰を促した。
 基本は、「天理教フリーフォーラムの教団改革」「八島英雄の教団改革」の理の間違いを糾すこととなって、
その悪意の向かう方向とは、別に「伊藤青年」(二代目教祖なる出口なおの流れ)、大本の異端系の流れもあったが、天理教団との明確に対立する人物やの登場で、
天理教フリーフォーラムは、WEB上での活動を一時停止した。
 本部の中ぬ、真柱取巻き派がいるなら、著者の植田氏は純粋本部派で、純粋に天理教団の民主化を考えていた善人である。
 しかし、植田氏の本部愛を、利用する人物に、天理教社会科学研究所カインがいたという事は、このカインの投稿で発覚した。
 皆なんでも、口で言わす。親神の働きである。カインは関係を自白した。

411 :基本:2019/09/14(土) 12:25:50.14 ID:PKUf0aGFI
カインが、みさと(著者のコテハン)を知り勉強したというのは、みさとが普通の信者でないと知っていたからであろう。
みさとの論から何かを学んだというより、4名しかいないという本部の役員の家系であるという、特殊性は利用できると判断したからで、
ミサトから得た情報はおのまま天理教の事実とみなすことは間違いではなく、
資料収集も、ミサト氏周辺なら簡単にできるから、カインの本部内情報はミサト或いは天理教フリ−フォーラム関係者から得たと推理される。
「天理教の基本を基本と語ろう」をスレ立てしたのは、濱市分教会の部下教会の後継者で、2島神社移転問題の立役者の子であり、
基本が三島神社問題のフリーフォーラム活動に、横やりきちんと入れていた証拠とした。

 カインのような人物がミサト氏と接触し、共鳴を装って社会科学を洗脳しようとしたことは、紛れもないが、
ミサト氏は自分の信念、本部愛の人だから、通用したとは思えない。

412 :基本:2019/09/14(土) 12:51:36.28 ID:PKUf0aGFI
 基本の小学校からの愛読書は、植田平蔵著の「お言葉集」である。
 絶えず身近において、教理上の問題は、このお言葉集を参照していた。
 現在はお指図公刊本、同索引、旧かなお指図本があり、お言葉集はコメント欄があり、、
当時の信仰者の解釈がどうであったかなどの資料に使っている。
 お言葉集の茶者は、上田平蔵で、逸話編に登場のご本部の家系である。
年表から引用しよう。
http://tenrikyo.world.coocan.jp/bunko/jinbutsu.html
上田平治【うえだ へいじ】
天保2年(1831)生まれ(大和国式上郡大西村‐現・奈良県桜井市大西)
明治27年(1894)4月18日出直し:64才
上田いそ【うえだ いそ】
天保7年(1836)生まれ(大和国山辺郡新泉村‐現・奈良県天理市新泉町)
明治27年(1894)6月19日出直し:59才
元治1年(1864)兄山澤良治郎よりにをいがかかり入信
明治20年1月26日のおつとめでかぐらをつとめる
息子・民蔵は後に本部員となる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミサト氏は、山澤家とつながるご本部の宗教法人本部役員の家系である。

 カインはミサト氏が隠していたであろう身元を承知で、だから「勉強」に利用した。
 と、いうことだ、

413 :基本:2019/09/17(火) 04:45:57.50 ID:NrzWUmVA0
天理教フリーフォーラムは本部役員の家系の人物ミサト氏を核にして、教団教理批判を行って、
天理教祖本来の教えとは異なるとの、印象操作を天理教団内に行った。
背後にカインがいたことは自明である。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/index.html
その内容は、本部内の勢力争いそのものであって、山名系が教庁を支配しているに対し、批判的であるために、
山名系教義のシンボルである天理大学宗教学科の教授陣への討論をうたい文句にした。
教義論争の中核には、おさしづを読破したというミサト氏がいてのもので、
ミサト氏は、天理教の教義は出鱈目の嘘だという風評をはびこらせることが使命と錯誤していた。

天理大学宗教学科系、つまり山名系は「八島英雄」に背後でつながっており、本部内部の真柱とりまき系を排除しようと妄動した。
その少し前、清水表棟梁は少年会を基盤に教団内改革を提唱し兵神系は教団中枢としての教団改革に動いていて、
青年会の村上委員長らは教理武装で青年会をリードぢていたが、すべてがわが身思案であり、人をたすける心が無かった。

天理教団内部の乱れは、カインの漬け込む一点となり、ミサト氏から情報を得たカインは天理教社会科学研究所となのり、フリーフォーラムの賛同者の受け皿となった。

おやさまは、基本ひとりを信頼されて、時の来たるをお待ちくだされていた。

414 :基本:2019/09/17(火) 05:13:00.66 ID:NrzWUmVA0
天理教の教理をきちんと研究した人物は基本の知る限り、基本以外はいない。
知識だけではなく青少年期に匂い掛けし、原典を中心の教理の根を掘り、学生会委員長の頃には兵神系からは教理本を書くようすすめられたが
丁重にお断りし、まず平凡に暮らす、貧乏せいから入り、信仰者生活も経て、絶対に失敗するからやれとのお知らせで、世の中、経済活動を踏んで、
難儀の底を経験し、その中で、教理をきちんと研究したのだ。

フリ−フォーラムは、まだ生きている。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/index.html
基本が作詞作曲した歌も一時期そこに存在したこともあるが、今は疎遠な中である。

フリーフォーラムは「てんりんおう」神名説に立つ。
人間教祖中山みき説に立つ。
当然、稿本教祖伝はでっち上げ説に立つ。

それなら、天理教辞めたらどうかと言いたくなるが、彼らが理解した天理教とは明治政府の権力と闘った百姓女のオカルトばあさん中山みきという事で、
そういう天理教もあってよいだろう。

どんな説を説こうが流そうが、中山みきは釈尊予言の末法の弥勒菩薩、世界を支配する真の天輪聖王、神名は天理王命。
原子力の利用を抑止するために天理教を立教し、地震をおさめる心柱をさだめて、元の地場の真柱とし、謀反の根を切って、世界をろくぢに踏み鳴らすのだ。
誰も止められない。

415 :基本:2019/09/17(火) 05:32:24.22 ID:NrzWUmVA0
教祖中山みき人間説を採用する方に、お筆先を紹介しよう。
 しかときけをなじにんけんなるよふに
 をもているのハこれハちがうで (8-72)

 どのよふな事をふしへてかゝるのも
 もとなるをやてなくばいかんで (8-73)


 いまゝてもなにをふしへてきたるのも
 みなこのどふりはじめかけたで (8-74)

 にんけんをはじめたをやがも一にん
 どこにあるならたつねいてみよ (8-75)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 お筆先を読んでも、実感が生まれない。言葉上の出来事としか思えない。気の毒な方々は、
天理教祖人間説で、自分に理解しやすい教祖を描いて、論を張る。
見捨てるしかない。
 カインのところに拠り所を求めて、出向くけれど、元のおやにはあえない。
 カインは、フリーフォーラムの残党の中では、神の子なのだが、それこそ幻想である。

416 :基本:2019/09/17(火) 05:36:48.45 ID:NrzWUmVA0
カインは創価学会員、カイイン、カインであり、社会復帰できないままの名誉会長のために、
天理教の不満分子をたきつけて、天理教を脱退させ、創価学会会員獲得に利する目的であったが、
社会復帰できないままの社会科学研究所カインとして、天理教団の不満のゴミ捨て場で生きながらえている。

417 :神も仏も名無しさん:2019/09/17(火) 18:04:08.48 ID:ulgBVOkYC
世の中にはヒマを持て余しているって人が本当にいるんだね〜。

418 :基本:2019/09/21(土) 08:45:45.82 ID:WnDm3j3yS
>>417
>ヒマ
天理教は入信も自由で離脱も自由だが、天理教会になると宗教法人法認可の定めがあり、宗教法人の権利と義務が生じる。
固定資産税は免れる。宗教事業収入の扱いが権利と義務となる。
お寺さんも神社さんもおんなじ意味を有していて、暇な宗教であっても権利と義務が生じているから、
宗教法人に子弟・子女においては、生まれて時から家系の一員としての宗教義務と主教法人構成員としての義務に縛られる。

天皇家は最も分かりやすい例であって、その家系に生まれたら就職の自由や結婚の自由も制限される。

創価学会者単一の宗教法人であるから構成会員は本来法人の代表者家系の義務に拘束されない。しかし、
創価学会の会員は、教えのルールで冠婚葬祭の一挙手伊藤速までも、学会の管理下におかれる。
天理教の末端教会や中間教会、大教会の家族と同等の義務だけは負わされている。
大教会長や本部系天理教会の得ている権利は、創価学会員にはないが、
義務だけは、きちんとしているから、ヒマがあっても精神的自由の、社会的自由もない。、

419 :基本:2019/09/21(土) 08:59:05.70 ID:WnDm3j3yS
創価学会が池田会長指導下にお題目を唱えれば病気が助かる布教した時代、
池田教はまさに「密教」であり「呪文教」であり、経文唱和の効能でご利益を得たが、
病人を取り囲んでの長時間の読経、お題目唱和は、社会になじまなくなり、利益喪失。
仏法の哲学では病人は治らない、縄文人系から弥生人系に変質した池田教は、
創価学会とは名乗っているが、日蓮正宗を保持しないがらくたになった。
日本1の宗教団体が、1位である続けるためには「南無妙法蓮華経」お題目しかないが、
カインは悪智慧を用いて、日本bQの天理教団の不平分子を煽り、末端教会長子弟や、
植田主導のフリ−フォーラム利用で、1位と2位の争いを仕掛けたのは、天理の罠に落ちた姿である。

420 :基本:2019/09/21(土) 09:17:39.27 ID:WnDm3j3yS
カインの天理教批判は、そのまま学会批判として語れる内容であり、口説を尽くして、
カインは学会の1の座を危ういものとしていた事になる。
天理教には池田教の興隆を50年以上前から観察し、きちんと調べた天理教の基本がいた。
今は伏せられている当時の創価学会の教理を、その頃研究をし、現場で論戦した基本がいた。

カインが植田氏らの天理教団批判教団人と交流し、社会科学的に研究しようとした態度は、
発端から基本は観察していた。
カインに批判の為の教団情報を流しているのは、三島神社移転問題を取り上げた異端系の組織ではなく、
天理教組織に横の自由をと全国の天理教会に呼びかけるフリーフォーラムであることは、感じていて、
カインが天理教に理解を示しつつの態度のあいだは、放置していたが、
カインが皇道会の一派らしい語り口で天理教団批判を開始したので、カインに論を仕掛け、カインは基本を出入り禁止にし、
カイン自身も投稿披露をやめた。
皇道会について、宗教の専門家たちに知られることを、防止した
皇道会すじ、或いは創価学会幹部などの関与が原因であろう。

天理教は50年以上前から天理教の基本を用意し、明治維新の裏事情を見つめさせていたのである。
ヒマではなく、日常に、天理教の基本は守らなくてはならない。

421 :神も仏も名無しさん:2019/09/21(土) 13:38:05.39 ID:vGrh2MC8p
スレ違いですみませんが、右側の腹から背中に対して痛いのは何故でしょうか?

422 :神も仏も名無しさん:2019/09/21(土) 17:06:30.43 ID:vGrh2MC8p
>>421
病院行って診察してもらったら尿管結石でした。身上のお諭は何でしょうか?よろしくお願い致します。

423 :基本:2019/09/21(土) 20:47:03.66 ID:WnDm3j3yS
簡単に申上げます。
欲しがっている人に、何かの理由でお金をやらなかった。
お兄さんがお金貸してと言ったけど、貸さなかったという、
お聞きする限りでは、親兄弟、身内にお金やれば治る、そんな理由です。

424 :神も仏も名無しさん:2019/09/21(土) 21:47:59.00 ID:vGrh2MC8p
お答えありがとうございます。
私自身、そんなにお金を持ってませんが、身内にやって欲しい事を断って来た事柄があります。
その事柄をやれば治ると、私は悟りました。
基本様どうもありがとうございました。

425 :基本:2019/09/22(日) 00:04:00.13 ID:QsOq000NA
そうですね、おやさまは親族と言うはなおも助け合いと言われています。
他人事ではなく、皆わがことと思って水を出す。
水が神と言われるくらいですが、ものが尿となると、汚いと、つい思いますが、
出すことで、わが身の汚れが清めれれる、そういう水の理もあります。

南無天理王命 南無天理王命と おやさまの名を唱えて日々お過ごしください。
あなたにお金が授かりますよう、お願いさせていただきます。

426 :神も仏も名無しさん:2019/09/22(日) 21:31:32.02 ID:7LXVH1YEN
お優しいお言葉ありがとうございます。
「おやさまは親族と言うはなおも助け合いと言われています」のお言葉を肝に銘じたいと思います。
本当にありがとうございました。

427 :天理神之打分場所M:2019/10/12(土) 09:07:46.66 ID:gm3Xh0tsj
昭和六十四年一月六日  午前五時一分
さあ/\身に付けただけが我が宝。
誰もおしまん最高の宝成るらん。
この道の真柱 神の名わなむ天理王命なるぞや。
真実誠程尊いものは何あろう。
真実ならばこされ、甘露台と言う位い。
これなる身体に受けて居る。誰もそむきは致されん。
さしづ道理の神の道 良く聞き取りて思案せよ。
神のさしづと言うものは千に一つの無駄の無き 目に見えぬ先より言うたる理、天理の
道の辺たどる神、時節当来致し来て神の思惑通理に表(おもて)に付けた名称は神之
打分場所と印を付けて、その床(とこ)でまだ今までに言うて無い真実のみを説き聞かす。
神の思惑こればかり、一にだいくのうかがいになにかのこともまかせをく。
まかせたるので言わねばならん、天の法則通らなならん。
それでこのように付けた道。
よろずいさいを説き明かす。明らかなるの道通す。
これでなけねば天理と言えん。
神の付けたる道通れ。
甘露薹と立つ神や これに間違い更になきもの。

428 :天理神之打分場所M:2019/10/12(土) 09:38:51.42 ID:gm3Xh0tsj
平成元年一月十一日    午前一時三十分
さあ/\幾重の理も一つに治る事情。
この事情臺となりて、これまで諭し来たる。
夜々刻限諭したる理一つに寄せて見よ。
一つの理にとどまるであろう。
皆々精神一手一つに寄せてくれるなら、どんな守護とてする。
何も案じることいらん今までに天理の道に無い人間(にんけん)この理聞き分けよ。
現し身一つの現れ、ここになむ天理王命人間(にんけん)姿で現れたる。
よう聞き取りて思案せよ。
さあ/\あちらにもあるこちらにもあると思うたらころっとちがうで。
天理の道にたった一つの宝治めたるなら国えの土産、何と思うて聞いて来た。
前々より出したさしづも良く讀んで神のさしづにしたがい行くよう。
ふでさきに、といて残した言の葉も道の為をば思えばこそや。
あらかじめ道の次第は説いて有る、なれど真実まだ言い足らん。
それでこのよに諭す神。
甘露薹の現れや。
なむ天理王命に付けた位や、何一つ無駄は言わんがこの神や。
幾重の道も付けて有る。
なれど本元知りた者無し。
ならばこそ早く知らそと神の心や。
とても神名を呼び出せば早く古元(こもと)に尋ね来るなり。
これが本元分かりたるかや。

429 :天理神之打分場所M:2019/10/19(土) 08:15:04.36 ID:42HCa0cTV
昭和六十四年一月四日   午後十一時四十四分
さあ/\これまで臺の話しも十分して有る。
したれども、この理を聞いていながら、有るやら無いやらなあと思うて居るものが、けつまずく。
なればこそ神の言う事良く聞いて我が身けつまずく臺にしたなら大変や。
受け取り方が違ごうてはけつまずく臺にも成るやろ。
この道は神の思惑深く有る。
意味の深さは底知れん。
良く/\聞いて思案せよ。
この神はあしきな事は言わんでな。神の心真実が分かる者ならしっかりせ。
因縁の綱でつながれていたるもろ人や。
あしき因縁払わなならん。
我が身までをが落ちて行く。
そんな事では何にもならん、先なるに悔む種をばのこす成り。
なればこそ後で後悔せにゃならん。
早く聞き取れ悟り取れ。
何故に神の心が分からぬか、今日の日に差し向けたるの使者なるは神が使うた用木や。
何と思うて聞いて居た。
早く目覚めよにをいばかりを掛けて置く一つの無駄もしない神。
千に一つもうそはない。
色々話し説いたるは、この臺世に出す思惑や、甘露薹と立つ神や仏なるぞや、なむ天理王命に付けた位や親神や。
思案する理はこの理なるぞや。

430 :天理神之打分場所M:2019/10/19(土) 08:44:18.73 ID:42HCa0cTV
平成元年一月十一日    午前五時二十三分    おさしづ
さあ/\実々の理が有りてこれより確かなる道を通す。
なればこそ誰の心も一つに揃え神に持たれて付いて来い。
心一つの理によって決して難儀はささぬ神。
心一つの間違いで難儀苦労をするのやで道の諸人(もろびと)得ときけ。
神の言う事諭す事、千に一つも無駄は無い。
早く心の改正をせねば成らぬと教え置く。
誰にても取らぬ狸の皮算用、儲けぬ内より、儲けを先に計算立てて先あよびするが心が間違いや。
それが積もり/\て苦労する。
神はいつでも見て居るで、知りて居るのや。
この先は無駄な苦労の種蒔くな。
蒔かぬ種生えるためしの更に無し。
目に見る飾りはいらん事。目で見る飾りは一つも要らん。
うわべ飾るは神に叶(かな)わん。
重荷をしよって、心に負担。
何時も悩みの絶える間が無い。
そんな事では喜べんでなあ。
心の持ち方替えるが身の為、我がの為成り。

431 :天理神之打分場所M:2019/10/26(土) 08:59:35.13 ID:mSbdZ+CRW
平成元年一月二十三日    午前二時四十分      おさしづ
さあ/\一つの道長らえての道これこそ第一と言う。
第一と言うは三つ有るか。
よう思案して見よ。
紋型なき所から付けて来た道、神之打分場所と言う。
神の思惑深くある。
誰が何事言をうとも、この道だけはつぶさらん。
つぶそう思えば我が身一つが落ちて行く。
あしき思うな神の道。
道は広くてごもく無し幾たり成りと連れて行く。
早く続けよ神の後 決して難儀は致させん。
早く悟りてくるが良い。
人の心と言うものは、疑い深いものなるぞ。
神をうたごて何とする。己が心を確かめよ。
心を下に落とし見て眞の天理が分かるなり。
この神は間違ごた事は一つも言わん。理の諭し誰がするかや皆この神や。
神の名わ、なむ天理王命なり。
甘露薹と立つ神である。
理に背けば神の自由用すぐにしりぞく。
これもしっかり教え置く祖社(そや)。
理は神仏(かみほとけ)これもしっかり胸に治めよ。

432 :天理神之打分場所M:2019/10/26(土) 14:48:08.82 ID:mSbdZ+CRW
平成元年一月十一日  午前二時五分     おさしづ
さあ/\これまで/\幾重にも諭したる。
神の真実この諭し、今まで何と思うて聞いて居た。
早く目覚めな成らん事やで。
これまでの道がこのよに変わるのも、前々以って、ふでさきさしづみかぐらうたにも、神の思惑説き置いたる。
何と思うて天理通りた。
神の心の急き込みは、甘露薹を立て上げる事。
これより外(ほか)に神の望みぞ更に無し。
道の子供であるならば神のさしづにしたがい行くよう。
何を楽しんでの道なるや。
良く/\思案をして掛かれ。
あちらの岸からこちらの岸まで渡らせるのが神の思惑。
天理本部より神之打分場所まで渡らせるのが神の思惑。
神の思惑立たんとしたなら、神に何と詫びするか/\。
いささかなりとも良心あるなら、なんとなっと答えなくば成ろうまい。
一人の家守りに事は成らずその家あけ渡さねば成らんように成る。
そう成ってからは、何ぼ悔んだとても後えは戻れん。
ゆたん出来ぬようになって来る。
これも神の情けの一言や。
今から以って教え置く。
神か言うのや甘く見るなよ。この神が前々以って知らし有るぞや。
この道は神の思惑通り通りてこそ理にかなう。
さしづ道理通る人のみ神が使うぞ心して聞け。

明治31.8.26  夜
なむ天理王命/\唱え、太鼓叩いてつとめをし、他に居て一人の家守りに事が成らず。
門を閉めて了い、何構わん。

433 :天理神之打分場所M:2019/11/02(土) 08:49:27.79 ID:N9zhSa0Xp
昭和六十一年二月十五日  午後一時五十分       熊野路にほい掛け道中にて
さあ/\理と理と寄せて一つに合わす。
この道一筋の道すがら神之打分場所と言う。
これまでの道すじ年限長いと言うて有る。
今日の日はその長い年限 神の定めた百年と言う。
これまでの道すじ年限長いと言うて有る。
今日の日はその長い年限神の定めた百年と言う。
教祖中山みきの百年祭、早目の前に迫りたと言う。
これこそ百は一にと戻る日や、二せんの道の始まりや、これにてしっかり助けする。
みかぐらうたにも有るように、一せん二せんで助け行く、めずらし所が現われた。
これがたしかなるの参り所。
たれにてこんな事なぞ知らんであろう。
なればこそ神がはやばや知らせに来たる事なれば、早く心に悟りして元の源典得と見よ。
神の心の急き込みは、真の天理を通す為教えに来たる事なるぞ。
道の人なら人らしく神の言う事良く聞いて、どれが真の教えかをしっかりくらべて見るが良い。
高山のせききょ聞いて神の話しで良く思案せよ。
道のりは遠くに離れて居たるとも一目て見える神なるで、何で難儀をこの神がさすものなるか、助けたいばかり天理以って付けた道。
難儀はめん/\心の理、心一つの持ち方で早くに楽に成るものを神の話しを聞かんから、どれが真の道や分からず苦労して居る。
これより先の道筋は神と共々通る道、神にそわねば助からん。
早く思案をするが良い。
このままで通り行けると思うなよ、難儀ばかりが身に付きまとう。
これが誠の事で有る。

434 :天理神之打分場所M:2019/11/02(土) 09:25:09.18 ID:N9zhSa0Xp
昭和六十一年二月十五日   午後一時四十七分
さあ/\どういう理こういう理。
一ついんねんの理を以って諭す。
神と言うはなか/\以って長い年限の間(あいだ)に、天の理一つ説くため、誠難渋な苦闘の道中通り来て一粒の種を蒔いてぞ
伏せ込んだ。
それ故に旬刻限の到来で蒔いた種蒔き芽がふいて、この度(たび)いんねん事情を以って人間(にんけん)姿を現わした。
魂にいんねん持ってるこの神や、みろくぼさつと言うのもな、これも前生はみろくと言うて天の理を大和の生屋敷で説き明かし、
世の為人の為にとはたらいた仏なるぞや神なるぞ。
なればこそ魂のいんねん、又やしきは神の田地やとうとて有るのも何がため、あれなる田地は神の田地や、あれなるぢばは神の発祥の地や。
何の間違い更に無し。
誰が何事言をうともこの理一つは曲げられん。
なればこそ三大いんねんももつ神の社で有ると言う。
なればこそ鏡やしきの理を以って、如何なる事と言をうとも神の方にと映り来る。
これぞ誠の事で有るなり。

435 :天理神之打分場所M:2019/11/06(水) 09:03:21.67 ID:JyErJJuIA
昭和六十一年二月十七日   午前三時三十五分    おさしづ
さあ/\これまで自由用一つの理、何を諭して来たるか。
道の理一つ甘ろ台が人間(にんけん)姿を以ってこの世に現われ、天理の道の真柱となりて時旬来て治ると言う。
この理一つはどうでも治めとある。
この理と言うはなむ天理王命で婦体(ふたい)に位持っている。
甘ろ台と言うは、なむ天理王命に付けられたるの位なり。
この神は体にみろくぼさつの魂を持ってこの世に現れた。
現われて前々に中山みきの口通し元の源典のこしたる。
これこそふでさき、さしづ、みかぐらうた。
神の言葉が有ると言う。
道に残した三つの宝、伊降伊蔵のさしづをも皆同じ事、忘れぬように筆に取らせて有ると言う。
誰が言うたか皆神や、神が入り込み自由用して来た。
その中に神の思惑伏せ込んだ。
なればこそこの度人間(にんけん)姿を現して、よろず一さいのかづ/\を詳しく説いて諭しする。
これが誠の事なるぞ。
天理の道と言うのはな、神の思惑深く有る。
早く聞き取れ悟りを開け。
さもなくば年限過ぎたら手遅れや。
神がのいたら何にもならん、理が無くなりて朽ち果てる。
これが真実誠の事や。
神がのいたら助からん。
人助けするが我が身で有りながら理が切れしもて何になる。
助け人衆と人が言わんぞ。
我が身からワシが先生と言われまい。
これこそ言わん言えんの理を悟れ。この神は間違ごた事は決して言わんでこれが道理や天理の教え。
神の言う事間違ごて居らん。
しっかり思案をするが良い。

  注  おふでさきにも、かんろふたいと書いてあり、ふたいとは婦体です。伏せ込みとは言葉の伏せ込みで言葉の中に意味があるのです。

436 :天理神之打分場所M:2019/11/10(日) 09:53:12.16 ID:MzZ5YJO9T
昭和六十一年二月十九日    午前十時二十一分
さあ/\たんのうの心一つ治めたるなら何も案ぜは更にない。
日々の心一つの持ち方でいかなる時も安泰や。
道の道なら通さにゃ成らん。
又通らにゃ成ろうまい。
神の理一つの甘ろ台、我が身に位一つを受け取りて、仏の魂持って居るみろくぼさつや親神や、なむ天理王命や。
時旬以って名を上げて天理の道を支配する。
それなるいんねんもつ神や仏成るぞや教え置く。
自由用一つの理であるぞ天の理一つの宝なり。
誰が何事言をうとも天の理一つは曲げられぬ。
これが誠の事なればきっと心に治めてぞ通りしたなら安泰や。
人間はとかく愚かな者成るぞ。神の理尻に敷きつめる。
おろかな事や何も分からず暮らし居る。
やがて年限過ぎたなら神が一から始め掛け甘ろ台の世と立て変わる。
今に見て居よ良く分かる。
真実と誠一つが目に見える。
その時は我が身一つの愚かさが悔やめて成らぬ時が来る。
これも誠で有る成らば、その時来たらば手をくれや。
この神に隔てる心は無いなれど、我が身一つの心から隔て行くなら是非も無い。
良く/\思案をするが良いぞや。

437 :天理神之打分場所M:2019/11/16(土) 09:59:00.89 ID:npXbZUe8q
昭和六十一年二月二十日   午前二時四十三分
さあ/\この度(たび)で試し治めと言うて有る。
それ故に如何なる事もしっかりと神がためしをするからに、天理教徒一列もしっかりせねば成らぬ事ぞや。
ためされて落ちて行くよで何とする。
これまでもあくどいほどに説いて有る。
これまで成るの道すじはこの道一つを付けるため、この長い年月通り来てやっと付けたる所や。
神之打分場所の名を上げた、たった一つの名所や。
道の人なら分かるやろう。
ふでの先にも付けて有る。
道の宝を世に出す為や。
神の心の急き込みは口で言うよな事で無い、この残念を何と思うぞ。
今に見よ、その返しをばするほどに、天の理一つが心どうりに帰るなり。
言うよりも早くに帰る事なればしっかりせねば成らぬ事ぞや。
いかなるの時と言をうと決して試しに掛かるなよ、今から以って言うて置く。
末代のさづけを渡す時旬や。もう目の前に来たるなり。
それ故試しをすると思えよ。

このはなしなんの事やとをもている     神のうちわけばしょせきこむ    2-16

438 :天理神之打分場所M:2019/11/16(土) 10:59:00.85 ID:npXbZUe8q
昭和六十一年二月二十一日   午前三時三十六分
さあ/\これまでの理は頼み掛けたる理、よう思案もするが良い。
人間心を以って居ては分からん。
神の理一つと言うは人間心は更々いらん。
神のさしづ道理の道。
理と言うは如何なる理。
年限追うて長らえて重々の理、月日の社と言う。
二人目をつとめる神。
元の理。長々この元一つが分からんために真難儀を掛けて来た。
今日の日はその元一つが分かり出した。
その元一つが何処に有る。
今度(このたび)神が表に現れ名所一点定めたる所、神之打分場所と言う。
ここにその元一つの理、甘ろ婦台(ふだい)が親里一つの理を持って二せんの道を始め掛けた。
天理教徒一列が我が身に掛かる事情なり。
しっかり思案はこの所、まさか忘れて居やすまい。
長い年月通り来てその元知らぬとみかぐらのうたをうとうて今日の日や。
見えて来たから安心せ。
神は千に一つもうそは言わんで、言われたら誠そのよになって来た。
成って来たるで成る程の理、成らん事なぞするとは言わん。
早々(はやはや)と神の理一つの元に添うよう。
神の館の地場一つ何かめづらしものを言う、なむ天理王命や。
しっかり神にもたれ付け決して難儀はささぬ神、早く踏み止めするが良い。
神よりしっかり頼み置く。
やがて野山に花咲かせ陽気遊山を致させる春のおとづれもう間近。
しっかり幸せして見せる。
神の心の急き込みはその約束を果たす為、今までに使こた道具をみたすため教え居るぞや早く悟れよ。

月日よりやしろとなるを二人とも  べつまへだててをいてもろたら  9-5
教祖とこかんが別間隔てたのはひな形であり、こかんとは若き神こかんとも言われますが名前で行くなら「古神」であり、別間は長い年限を指して赤衣を付けた月日の社の二人目、みろくぼさつの現れです。

やまとのぢばのかみがたと  いうていれどももとしらぬ    よろづよ八首

439 :基本:2019/11/16(土) 10:59:50.44 ID:eSphGnxMt
>>436
>やがて年限過ぎたなら神が一から始め掛け甘ろ台の世と立て変わる。

せっかくの模倣も、この年限について、誤解ありませんか。

もう三十日をすぎてますよ。来てしまっているのです。

天理神之打分場所Mさん、天理教社会学研究所 カインを 糾す。の趣旨に無関係な投稿です。

削除依頼しますよ。

440 :基本:2019/11/16(土) 11:02:05.33 ID:eSphGnxMt
天理神之打分場所M さん。

スレ主として、貴殿の投稿は議論の妨害ですので、警告します。

ご自身で別にスレ立てるべきです。

441 :天理神之打分場所M:2019/11/16(土) 15:11:07.52 ID:npXbZUe8q
了解です。失礼しました。

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