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【国際】安倍首相の訪韓など考えられない〜第二の安重根が生まれる日 - 早坂隆(ノンフィクション作家)×拳骨拓史(作家)

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/03(日) 21:38:33.49 ID:???
>>1より

早坂:安重根の父、安泰勲は開化派に属していましたから、おそらく父親経由でさまざまなことを
学んでいたのでしょう。このようなことが日本ではほとんど知られていませんね。

拳骨:早坂さんはご存じだと思いますが、「安重根無罪論」という虚説があります。その論拠は2つ。
1つは安重根は大韓義軍の参謀中将であり、軍人が敵国の将を撃ったのだから、無罪とするもの。
もう1つは、軍人である安重根を日本の国内法で裁いたのはおかしいというものです。
つまり、安重根を処刑したのは法律違反というわけですが、どう思われますか。

早坂:ソウルの南山にある安重根義士記念館でも、彼を連合大韓義軍の参謀中将という肩書で顕彰
していました。しかし端的にいって、連合大韓義軍とは非合法のゲリラ組織にすぎず、そこでの肩書は
国際的に通用するものではない。現代のIS(イスラム国)のような過激派組織のなかにも、
いろんな肩書の人物がいるのでしょうが、そんなものは国際的に認められないのと同じです。

獄中で安重根は自身を「捕虜として扱え」と要求しました。しかし伊藤の暗殺時、彼は徽章をつけず、
武器を懐に隠して携行していた。これ自体が完全な国際法違反であり、彼が捕虜として扱われなかった
のは当然です。そもそも伊藤は文民であり、軍人ではなかった。どう考えても、彼のやったことは
非合法なテロ行為にすぎなかったと断定できます。

拳骨:安重根を称える人は、彼をインテリジェンスに富んだ人物だと言いたがりますね。
しかし、国際法の知識一つとっても、無知であったということです。ただ、それは安重根に限らず、
国王を含めて、当時の大韓帝国全体が無知だった。1907年、大韓帝国がオランダのハーグで開催
されていた第2回万国平和会議に密使を送るという事件が起こりました(ハーグ密使事件)。
しかし、1905年の日韓保護条約で韓国の外交権は日本にあり、密使たちの“告げ口外交”に付き合う
国はありませんでした。国際法に疎かったことで、失態を演じる羽目になったのです。
日本の維新の志士たちが「万国公法」に通じていたのとはあまりに対照的だったといえるでしょう。

〔2〕へ続く

http://shuchi.php.co.jp/voice/detail/2254

〔1〕の続き

■テロを助長するような愚行
早坂 伊藤博文の暗殺理由について、安重根は先述の自叙伝『安応七歴史』で15の理由を挙げています。
ところが、事実の誤認に基づくものが多く、こんなことでわが国の初代総理大臣が暗殺されてしまったかと思うと、
許し難い気持ちに駆られます。たとえば、伊藤暗殺の第一の理由として挙げているのが、韓国王妃(閔妃)の
暗殺を伊藤が指揮したというもの。むろん事実ではありません。裁判中の彼の証言録を読んでも、
基本的な事実に関する間違いが多く、唖然とさせられました。そんな安重根を韓国は「義士」「英雄」
として顕彰し、伊藤の暗殺を「義挙」として称えている。これでは第二、第三の安重根を生みかねず、
国家としてテロを助長するような愚行です。

しかし一方で、韓国における安重根の理解は「英雄」だという一点にとらわれており、じつはその経歴や
思想について詳しいことは知らない人が多い。伊藤についても同様で、韓国では併合の張本人と
思われていますが、併合は伊藤が暗殺された翌年のことです。それをソウルの安重根義士記念館の
見学者たちに尋ねてみても、「知りません」と答えるだけ。遠足で来ていた生徒たちだけではなく、
引率の教師にも聞いてみましたが、正確な知識があまりに乏しいことに驚きました。

拳骨 私も韓国から来た留学生たちに、安重根について聞いてみたことがあります。しかし一様に
「わからない」という。「なんで?」と聞くと、「小学生のときに記念館に連れて行かれただけで、
それ以上の教育は受けていない」とのことでした。
 >>3

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