2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

末法燈明記の作者は最澄か?U

1 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 07:00:11.07 ID:V2bOJhqR0
前スレ 末法燈明記の作者は最澄か?
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/

「末法には、ただ名字(みょうじ)の比丘のみあり。
この名字を世の真宝となして、さらに福田なし。
末法の中に持戒の者有るも、すでにこれ怪異なり。市に虎有るが如し。これ誰か信ずべきや」
『末法燈明記』

2 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 07:23:48.74 ID:V2bOJhqR0
仏滅後千五百年以降、現代に至る「末法」の世においては、肩書だけは僧を名乗る者たちが現われる。
そのような僧籍にあるという肩書などを尊いものと見做しても、ろくなことは無い。
また末法の世で厳しく戒律を守る僧がいたとしても、超ー珍しい現象で、街中に虎が出現し、うろついているような感じになるであろう。
誰も、そんな現象があるとは夢にも思わないだろう。

二、
末法の世で厳しく戒律を守る僧がいるという話が聞こえて来ても、
それは実際にはいない虎を、市中にいると(悪意をもって騙す側か、愚かさゆえに騙されたかの)多くの人が宣伝したから信じこまされただけであって、虎などいないと真実を語るまでもなく、誰も信じるものなどいない状態になるであろう。

3 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 07:53:08.79 ID:V2bOJhqR0
実際にはいない虎を、市中にいると(悪意をもって騙す側か、愚かさゆえに騙されたかの)多くの人が宣伝したから信じこまされ
ているのだと嘘を容易く見抜くようになり、ほんとうは虎などいないと真実を語るまでもなく、誰も信じるものなどいない世の中になっている。

4 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 07:55:53.46 ID:V2bOJhqR0
44 名前:神も仏も名無しさん 2020/07/29(水) 00:27:24.73 ID:dUtWz0oI
私達がこうして、いろいろ言葉であーだこーだ言ってるのって
仏陀がするなって言ってたことじゃないの?
なぜ仏陀の時代にお経や仏像がなかったか、
それを考えると
2000年もの間多くの人たちが誤った教えを正しいと思い広めて来たのではないか?
そんな気も少しします。
それは私が実際に仏陀のような人(悟りを開いたと思われる人)を見たことがないからというのもある。

5 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 08:26:14.56 ID:V2bOJhqR0
正しいか間違いかは一旦置いておいて、↓の水と氷の譬えは一つのヒントになると思った。
https://chisan.or.jp/shinpukuji/center/workshop/forum/%E7%A9%BA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%9F%E3%80%80%E2%80%95%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6%E2%80%95/

シューニャ(空)の字面上の意味は「欠く」「ゼロ」ということだが、
それで伝えたかったのは、縁起の正しい捉え方だとか。

例えば、水と氷が同じものか別ものか、連続か不連続かという疑問に白黒つけることはできず、
観点の違いで答えは変わってくる。
「空」はそういうことを伝えたいらしい。

ただそれだと、本質は存在しているけど、人間には捉えられないだけと受け取れなくもない。

よくよく考えてみると、仏教では本質はどこにもないと断言しているのだろうか、
それとも、どこかに存在するかもしれないが人間には知る由もないと考えているのだろうか。
おそらく「無我」と「非我」の違いはそういうことなんだろうけど、それこそ「空」なる疑問なのかも

6 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 08:27:39.89 ID:V2bOJhqR0
佐保田鶴治も同様の観点から、般若心経は密教のお経であり、全部を繰り返すのは無駄であって、最後の明呪だけを繰り返せばよいとしている。

心経末尾のマントラについて、こ
>の真言は『般若大心陀羅尼』と同じ真言である。
(大正新脩大藏經 佛説陀羅尼集經卷第三 大唐天竺三藏阿地瞿多譯 般若波羅蜜多大心經(印有十三呪有九) 、
本経は654年訳出とされ、玄奘の般若心経訳出との関連は不明。
と記載
(有名な心経の法隆寺本は 577年に没したヤシという僧侶の所持した写本で609年請来とされているそうです)

7 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 10:13:14.31 ID:V2bOJhqR0
空とは何でしょう? ―中観派の教えを学ぶ―
講師:東京大学教授 斎藤 明 先生

空についての五つの誤解
空とは何でしょう? 最初に、空についての代表的な五つの誤解をみることで、空を考えるきっかけにしたいと思います。
一つ目の誤解は、「空は非存在(無)を意味するから、ある種のニヒリズム(虚無主義)である」というものです。
これは、空を何も存在しないことと誤解したうえでの批判です。
そして二つ目が、「それゆえ空の説は、伝統的な仏説のみならず、すべての言語習慣や倫理・道徳を無意味なものとする。
だから、空では倫理も成り立たない」という批判です。これもまた、空を非存在と誤解したうえでの非難なのですが、実際にはむしろ逆で、空、
つまりすべては固有の本質をもたず変化しうるという理解に立つときに、言語習慣も道徳も
修行によって凡夫が仏になることも可能になるというのがナーガールジュナ(龍樹)の考えでした。
三番目の誤解は「初期仏教の中心的な思想が無我、非我であるのに対して、空の思想は大乗仏教において初めて登場した」というものです。
修行時代のゴータマは、生老病死という問題を根源的に克服できる道を求めたわけですが、縁起の道理を見抜いたときに、
四苦を克服できるのはニルヴァーナ(涅槃)という境地であり、日常の経験を超越した自分が四苦を解決するのではないということを悟りました。
そして、苦しみは過度に自分自身に執着することから生じるのであり、ニルヴァーナのために無我、非我を説きました。
このように、お釈迦さまが説かれたのは無我ということであり、
空という考えはお釈迦さまの時代にはなかったという誤解です。

8 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 10:28:28.52 ID:V2bOJhqR0
縁起を悟ったブッダは、縁起にもとづき存在か非存在かという偏ったものの見方をしない「中道」を説き、それを根拠に「無我(心身の諸法は我をもたないこと)」
「非我(心身の諸法は我でないこと)」を自覚することの重要性を語っていました。初期の仏教では、ここにいう無我の意味で空を説いています。
また、後にみるように無我を観想する三昧を「空三昧」と呼び、「無相三昧」「無願三昧」と並ぶ「三三昧」の一つとしてその重要性を強調していました。
こうしてみると、空は大乗仏教になってから登場したわけではなく、ブッダの時代からすでにあった思想を、
さらに敷衍して「諸法は固有・不変の本質をもたない」という意味で説いたという流れであることが分かると思います。
四番目は「空は無自性、つまりすべての事物が、それ自身の固有の本質を欠くことを意味する」というものです。一見すると正解のようにも聞こえますが、
ただしこれは「空」という言葉の意味を述べているのであって、「空」という語が用いられたのは、「空でない」という誤解、つまり「事物には固有の本質がある」
という錯覚が人びとにあるからだというのです。ただしポイントは、「空」という言葉の意味に尽きるのでなく、「空」という言葉で表現された「空そのもの」が
探究され、体得されるべきである、というところにあります。このことは後に述べたいと思います。
最後の五番目の誤解は「空の思想は、唯識や如来蔵、仏性、本覚などの他の大乗思想と矛盾する」というものです。唯識説は、すべては識のみであるという思想で、
識の存在を認める。如来蔵説はすべての有情(衆生)は如来の見えざる子(胎児)であると説き、仏性説によれば、すべての有情は仏の本性をもっているという。
一方また、本覚思想はすべての有情は本来目覚めているという思想です。
空の説はこれらと矛盾するという批判ですが、これもまた誤解にもとづいています。これらの説は、煩悩に限定して空を説くなど、
空の意味合いを微妙に変えるの
ですが、空の説そのものを否定することはありません。
空をめぐるこのような五つのポイントを念頭に置いたうえで、これからもう少し詳しく空についてみていきたいと思います。

9 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 10:35:28.29 ID:V2bOJhqR0
空の語源はサンスクリット語のシューンヤで、「家に人がいない」とか「王国に王がいない」というような時に使われ、
「期待される何かを欠いた」状態を示します。ですからシューンヤ自体は「空(から)の」「うつろな」「欠いている」「ない」「寂しい」などや、
数学のゼロを意味します。
この空を仏教では「AはBを欠いている」あるいは「AにはBがない」などと用いました。この場合のAには「諸法」が、Bには実体的な「自我
(アートマン)」や実体的な「固有の本質」などが入ることになります。
空ということばの使われ方を歴史的に見ていきますと、初期仏教やその後のアビダルマ仏教の時代には禅定と結びついた実践的な意味合いが強調されます。
例えば『スッタ・ニパータ』(1119)には「つねに心して自我に固執する見解をとり除き、世間を空と観察せよ。そうするなら死を乗り超えるであろう。」
とあり、先ほどの三番目の誤解の箇所でみたように、「無我(非我)観」にもとづいて五蘊など自分を構成する要素、
世間を構成する諸要素(諸法)が無我であると、空を観察することの重要性が説かれています。
やがて、自我と我所(自我の所有するもの)が空であると観察する「空三昧」、無常を知るために事物には固定した特徴がないことを観察する「無相三昧」、
過度に期待することなく願い求めるものがないことを観察する無願三昧の、三つの瞑想を実践する「三三昧」が説かれるようになります。

10 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 10:39:55.45 ID:V2bOJhqR0
『般若経』、ナーガールジュナの空
このような背景のもと、『般若経』は、実践徳目として智慧の完成(般若波羅蜜)の重要性を強調します。そしてブッダの悟りの本質もこの智慧の完成であるとし、
智慧の完成を求める者すべてを菩薩と呼びました。そして菩薩は、悟りや涅槃をも含むあらゆるものに固定した特徴を見ることがなく、すべてに無執着であるとして、
この無執着のあり方を「空」と呼びました。
『般若経』が智慧の完成とともに、無執着のあり方としての空を強調したのは、当時のインドで最有力の部派であった説一切有部が、
諸法、すなわち心身の諸要素――ひろくは事物の構成要素――には固有・不変の本質がある、と解釈することへの強い批判があったからです。
そしてこの『般若経』の空をより詳細に考察し、伝統部派による縁起解釈に対して、「縁起する、すなわち原因によって生じるものごとは固有の本質をもたない」と
いう空の立場から改めて批判したのがナーガールジュナでした。
冒頭の四番目の誤解でみたように、空の立場からは、すべてのものは他に依存して生起するのだから、固有・不変の本質をもった存在、言いかえるなら
固定的な存在としてあり続けることはない。氷と水の関係で考えてみますと、氷が水からできるのであれば、氷と水が別だとか同じだとか言うことはできません。
そこには連続性もあり不連続性もあります。様態や働きによって名前も変わります。このように、氷と水は同じか別かという問いは、
観点によって答えも違ってくるのです。これがブッダの本意であり、縁起の正しい捉え方なので、
『般若経』の縁起(=空)解釈こそが本来のブッダの教えに直結しているのだと論じたのです。

11 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 10:44:17.55 ID:V2bOJhqR0
概念(戯論)からの解放
また空の立場からは、ものごとは役割に応じて名前が変わるので、いま仮に「空」ということばで「ものごとは空である、
すなわち固有の本質を持たない」と表現しているが、「空」という表現そのものが究極(=勝義)であるわけでもない、とも言います。
つまり、本来は言語表現されえない、いいかえれば、概念によって間接的に指し示すことはできても、「空であること」は直接に体得されることが期待される
ということです。とはいえ、ブッダの悟りであるその勝義的な真理(第一義諦)が人々に理解されるためには、「空」などの世間の言語表現が必要不可欠で、
それを世俗真理(世俗諦)とも呼びました。
もとより、事物に固有の本質はないが、そこに固有の本質があるかのような錯覚はある。それが錯覚にすぎないこと気づかせるために、
「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたとナーガールジュナは言います。ただし、空が正しく理解されるというのは、錯覚を錯覚であると気づくこと、
それによって煩悩の根源に巣くう概念化(戯論)という心のはたらきから解放されることを意味しています。
ナーガールジュナによれば、このような理解こそがひとびとを煩悩から解放し、じつはそれこそがブッダ自身の本来の煩悩論にほかならないというのです。

(構成/智山教化センター)

12 :神も仏も名無しさん:2020/07/29(水) 14:54:51.98 ID:V2bOJhqR0
涅槃が言葉で説明出来ないのは原始経典でも同じでしょ?

言葉が間接的なものである以上は表現にも自ずから限界が有るし その向こう側が彼岸なんだから語り様が無い

13 :神も仏も名無しさん:2020/07/30(木) 21:56:24.51 ID:WPGcwYlOi
 仏陀の説く智慧とは、煩悩を断つ智慧であり、解脱・涅槃に導く等正覚の智慧なり

14 :神も仏も名無しさん:2020/07/31(金) 10:04:23.83 ID:imc6e62IS
 >如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。

諸仏の説法は、二諦によっておこなわ れる。
世俗諦と勝義諦とである。
これら二種の諦の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深い真実を理解しない。
ことばによる説明によらなくては、勝義は説かれ得ない。
勝義にもとづかなくては、ニルヴァーナはさとられない。
(龍樹 「中論」)

お釈迦様がその十二支縁起を悟ったことで成仏したことについて宮崎哲也は「パーリ経典に十二支縁起成道記事そのものがわずかしか見出せない」として
3つの経典のみ挙げていたが(それでもチベット律蔵と有部破僧事の2経よりは多いのだが)
長部14経「大本経」、相応部因縁相応4〜9経(以上は過去仏の縁起成道をお釈迦様が語っているのだが、
過去仏の行動内容がお釈迦様そのままである。過去仏に仮託して自己の成道を説いたのであろう)

城邑
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70512.html
(十二支ではなく十支で説かれているが縁起成道には変わりはない)

だから宮崎哲也の本に書いてあることを鵜呑みにしてはいけない
また中村元は「チベット律蔵と有部破僧事では、縁起説とさとりとのあいだに本質的な連関は存在しない」とした

>縁起の法とは、釈迦仏教最初期では(十二)支縁起に限定されてたけど、五蘊無我説等から、その支縁起の法理が導き出され、
その旨を(言語による分節として)分別し、衆生に開示した

>三支や五支、十支縁起を説いてるのもあるんです。
ひいては、それを以って成道後に後得智として(十二)支縁起が形成・加上されたという見解もある

十支縁起を説いているのが城邑経
それと縁起成道説の他に四諦三明成道説もある

15 :神も仏も名無しさん:2020/07/31(金) 10:34:26.99 ID:imc6e62IS
如来出世するも、及び出世せざるも法性は常住なり。彼の如来は自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。〔『雑阿含経』30〕

法性
dharmat? (S)
 「実相」あるいは「真如」と同じ。事物の本質、事物が有している不変の本性を意味する。法の体性という意味で、諸法の真実如常である本性をいう。

16 :神も仏も名無しさん:2020/08/01(土) 13:18:05.90
ブッダシャキャムニは十二支縁起など説いていません。
二支縁起に当たる内容は説き、後代の学者等が発展させたのです。
心経を説いた大乗の菩薩も十二支縁起成立の事情を知った上で
無無明亦〜と説いたのかも知れません。

>八頌品と四ニカーヤの間には、阿含と大乗経典の間の飛躍以上の飛躍があります
というのは全くその通りで、二支→十二支縁起等への発展を巧く言い表してる印象を受けます。
四諦ですら後代の教義学者の仕事であるようで、全て体裁よく纏めたディスクールへの執着から
の離を(つまり概念でなく仏の智慧だよ、と)示唆してるのでは?

17 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 02:53:16.08
>道諦とは八正道のことだけではない、と確信したのは、自歓喜経を読んでいる時であった。自歓喜経というのは、
釈尊と舎利弗の会話が主たる経で、舎利弗が釈尊の教法を褒め称える内容になっている。
舎利弗は、釈尊の優れた教えは、悟りに導く「所謂道也」と言ったからである。

>舎利弗が言う道也とは七覚支であった。それを釈尊は認めた。つまり、道諦とは三十七道品のこと だったとも解釈できる。

真に菩提心を生起した求道者ならば
>形式的な概念化に囚われず、必要なこと、修行の本質を知りたいと思うであろう

少なくとも四諦八正道や十二縁起説は、ブッダが説いたものではないことはもちろん、ブッダの死後、弟子たちが記憶していた師の教えをもとに、
それを体系化したところにできたもの かどうかにも疑義があるらしい


また三十七道品に基づく正しい生活態度で日々を過ごすことで識が浄化されて行き
智慧によって無知を晴らして行ける訳です。

>知覚では感じられない宇宙がある。
              ヘルメス文書

18 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 05:54:15.45
頌に曰く、真言は不思議なり
観誦すれば無明を除く(本尊を観想しながら、真言を唱えたならば、根源的な無知の闇が除かれる)
一字に千理を含み(真言のわずか一字の中に、それぞれ千の理法がふくまれ)
即身に法如を証す(そうして、この身のままで真理をさとることができる)
行行として円寂に至り ぎょうぎょうとしてえんじゃくにいたり 去去として原初に入る
(「羯諦 羯諦」と行き行きて、静かな涅槃の境地に至り
「羯諦 羯諦」と去り去りて、根源的なさとりに入る。)
三界は客舎の如し さんがいはかくしゃのごとし 一心はこれ本居なり いっしんはこれほんこなり
(いまださとりを開いてないものにとっては、三種類の生存世界は、あたかも仮の宿である。
しかし、実際には、われら衆生がそなえて持っている、ただ一つの心が、本来の拠り所なのである。)

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶  【秘蔵真言分】

19 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 06:08:00.17
心経の解釈には無限の可能性があります。
般若心経秘鍵の「一字に千理を含み」とは
真言だけでなく
心経全ての文字について当て嵌まる気がしてきました。

20 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 06:23:35.62
煩悩を断じ六道輪廻より解脱して行く預流、一来、不還、阿羅漢の四段階のさとりを通って声聞の覚りを成就する。
末那識の錯覚を消そうと努力し、個我意識が薄れ五蘊を越えプルシャをさとるのが唯蘊無我心の段階の瞑想
阿頼耶識・諸法の縁起を覚り、業の因となる種を伐採する段階が抜業因種心。縁起を独自にさとる独覚乗
>一切は因縁よりなることを体得して無知をとりのぞく。このようにして迷いの世界を除いて、ただひとり、さとりの世界を得る。
阿頼耶識・諸法が唯識のみであると覚り、仏縁・無縁乗に目覚め、(弥勒菩薩の瞑想の門・大いなる慈しみの瞑想・すべての如来の大いなる慈しみが
無量であるのを覚知する)大乗菩薩の菩提心を起こすのが他縁大乗心
第六住心=他縁大乗心−人びとの苦悩を救う
 一切衆生に対して計らいなき愛の心を起すことによって、大いなる慈愛がはじめて生ずる。すべての物を幻影と観じて、ただ心のはたらきのみが実存であるとする。
第七住心=覚心不生心−一切は空である
 あらゆる現象の実在を否定することによって、実在に対する迷妄を断ち切り、ひたすら空を観ずれば、心は静まって何らの相なく安楽である。
第八住心=一道無為心−すべてが真実である
 現象はわけへだてなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して、仏(大日如来)というのである。
第九住心=極無自性心−対立を超える
 水にはそれ自体の定まった性はない。風にあって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。
第十住心=秘密荘厳心−無限の展開
 密教以外の一般仏教は塵を払うだけで、真言密教は庫の扉を開く。そこで庫の中の宝はたちまちに現われて、あらゆる価値が実現されるのである。

21 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 09:17:09.11
「色即是空」解釈の誤り7
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1596306367/

22 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 11:20:58.29
比丘たちよ、苦滅聖諦(苦しみの消滅という聖なる真理)とはこれである。この渇愛を余りなく離れ滅し、棄捨し、定棄し、解脱して執着がないことである。
 比丘たちよ、苦滅道聖諦(苦しみの消滅にいたる道という聖なる真理)とはこれである。八聖道である。即ち正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=951429&id=25094422

ここでは道諦とは八正道であるとはっきりと定義しています。

但し中村元氏によると、「ブッダの最初の説法に八正道が述べられたという多くの経典は後世の虚構であり、後世になってかこつけたものである」とのことで、まさしくこの初転法輪がそれに当たります。

23 :神も仏も名無しさん:2020/08/02(日) 14:01:37.29
中村氏が十二因縁説は後代に成立した説と説明してる部分

中村元 - ブッダの生涯
https://youtu.be/EvjMcWZGzQg?t=5800


ブッダの言葉・スッタニパータ 第四 八つの詩句の章 1〜16 通読
https://www.youtube.com/watch?v=R884Fvj_Cgs

ブッダの言葉・スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章 1〜18 通読
https://www.youtube.com/watch?v=VyUuiYoS6Fc

ブッダの言葉・スッタニパータ 第一 蛇の章 1〜12 通読 1時間15分
https://www.youtube.com/watch?v=F1d7GMocWOw

24 :神も仏も名無しさん:2020/08/03(月) 03:49:02.14 ID:Q2cxwaK2L
一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。
ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。
それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/916-919

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1595245188/749-750

如来蔵思想は仏教ではない
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1561366171/

25 :神も仏も名無しさん:2020/08/03(月) 13:10:09.42 ID:Q2cxwaK2L
しかし一つ言えるのは、大乗では
ひとたび菩提心を起こして求道者となったならば
(その菩提心が正しい菩提心であるならば)その瞬間より菩薩道に入る
とのこと

26 :神も仏も名無しさん:2020/08/03(月) 22:15:22.22 ID:Q2cxwaK2L
スッタニパータ
355「かれはこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」五人の修行者に
出会った尊き師はそのようにかたった。

>勝義に於ける自他の別は無く世俗に於いては各人の差別が生じる

>無分別であれば自他無く、分別であれば自他あり。

>過去から数えて七人目のブッダという意味だと思います
ゴータマ・ブッダ以前にブッダがいたことがそれだけ知られていた

27 :神も仏も名無しさん:2020/08/04(火) 04:25:31.44 ID:BdouOcjyh
スッタニパータ
356 [ヴァンギーサいわく、]第七の仙人さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは慶びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。
バラモンであるあなたは、わたしをだましません。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/46/1/46_1_391/_pdf

初期仏教の仏陀観は「―世界一仏」論が原則

部派仏教の時代になり大衆部所有の仏教説話集(アヴァダーナ)のマハーヴァストゥでは大乗仏教を彷彿とさせる複数仏陀観が説かれ、
「空間的には仏国土が多数あるので一つの仏国土に一人の仏陀が存在する」、「時間的には釈迦牟尼仏は過去世に色んな仏に授記され
最後に過去七仏が置かれ、また釈迦牟尼仏は未来仏として弥勒に授記する」
というスケールの大きな話となり、大乗仏教との親近性を窺わせるとのこと。

28 :神も仏も名無しさん:2020/08/04(火) 10:07:59.35 ID:BdouOcjyh
1160 五種の構成要素(五蘊)を、[アートマンとは異なった]他のものであると見て、アートマンであるとは見ない人々は、
微妙なる真理に通達する。――毛の尖端を矢で射るように。
  1161 またもろもろの形成されたもの(諸行)を[アートマンとは異なった]他のものとして見て、アートマンであるとは見ない人々は、
精妙なる真理に通達した。」
(「テーラガーター 仏弟子の告白」中村元訳 岩波文庫)

「もろもろの原因から生じ、壊滅するものである
| もろもろの形成されたもの(諸行)を
| (自分とは異なった)他のもの(わがものではないもの)であると見なして、
| わたくしは、あらゆる煩悩を捨てました。
| わたくしは清涼にしてやすらかなものとなりました。」

|(「テーリガーター 尼僧の告白」中村元訳 岩波文庫)
https://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/03561d0502ed182a2755c341d2b80ae4


しかしアーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき彼の身体は健全なのである
その故にアーナンダよ、この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
(マハーパリニッバーナスッタンタ)

29 :神も仏も名無しさん:2020/08/04(火) 21:28:30.13 ID:BdouOcjyh
>中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ、
>"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。
宗教的により深遠な教えをブッダはサーリプッタに対して説いていたはずである
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC

>アビダンマ的な仏教から離れているのは釈迦と龍樹であり、この2人の説いてることは輪廻などはともかく妄想が少なくてリアリティがある
事である

30 :神も仏も名無しさん:2020/08/05(水) 04:21:06.37 ID:vZFpNBiT7
>(法相唯識の)五位法では、まぁ色は当然に色法だから除外として、識は心法(王)だから心所からは除外される
色〜色法
 受想行〜各々が心所法
 識〜心法

31 :神も仏も名無しさん:2020/08/05(水) 22:00:39.96 ID:vZFpNBiT7
>スブーティ。
我々は決して、「生きているもの」が存在する、などと考えてはならないからだ。
人は誰しも、「自分」がいる、「他人」がいる、「生きているもの」がいる、「個体」が存在する、などと思い込みがちだが、それらはすべて、誤りなのだ。

>釈尊は衆生は無我で唯蘊に過ぎないと観て解脱してる
慈悲の心に基づいて、衆生に法を説く

32 :神も仏も名無しさん:2020/08/06(木) 03:07:37.04 ID:pml767RPv
龍樹は『宝行王正論』[注釈 2]においてこの6項目を以下の3つのカテゴリーに分けて解説している。

布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」

龍樹によれば、釈迦の教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」の3つに尽き、「自利・利他・解脱」はすべて六波羅蜜によって包摂されるため、阿含経に根拠を持たない大乗独自のこれら六波羅蜜も仏説であるという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

布施・持戒の波羅蜜は確かに利他行であるが基本は自己の修行(波羅蜜)である。
ここでも「利行は一方なりあまねく自他を利するなり」

33 :神も仏も名無しさん:2020/08/06(木) 09:58:14.84 ID:pml767RPv
「執着して取ること」が無いならば涅槃を得る、ということは、執着して取ることがないならば生死輪廻が滅尽する、という意味です。
十二縁起、無明〜渇愛〜取(執着)〜生老死。
渇愛・取(執着)がなければ、生老死(生死輪廻)は滅尽するという教え、それが涅槃

釈迦の悟り・涅槃は、五道輪廻からの解脱と煩悩からの解脱

>十結煩悩解脱=五道解脱=阿羅漢、です。
五下結煩悩解脱=四悪道解脱=不還、です。
三結煩悩解脱=三悪道解脱=預流、です。
三結煩悩断じ二結(欲貪・瞋恚)薄れて、
三悪道尽きて、人間界にあと一回だけ生じるだけまでに、五道解脱が進んだのが一来です。

「中論」第二五章 涅槃

九 もしも【五蘊、個人存在を構成する五種の要素を】取って、あるいは【因縁に】縁って生死往来する状態が、縁らず取らざるときは、これがニルヴァーナであると説かれる。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9530374

(鳩摩羅什訳 漢訳)
諸の因縁を受くるが故に、生死中に輪転し、
諸の因縁を受けざる、是れを名づけて涅槃と為す。

大般若波羅蜜多経卷第四百三

舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識不異空。空不異受想行識。受想行識即是空。空即是受想行識。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不染不淨。不増不減。非過去非未來非現在。
如是空中。無色。無受想行識。無眼處無耳鼻舌身意處。無色處無聲香味觸法處。無眼界色界眼識界。無耳界聲界耳識界。無鼻界香界鼻識界。無舌界味界舌識界。無身界觸界身識界。無意界法界意識界。
無無明亦無無明滅。乃至無老死愁歎苦憂惱。亦無老死愁歎苦憂惱滅。
無苦聖諦無集滅道聖諦。
無得無現觀。無預流無預流果。無一來無一來果。無不還無不還果。無阿羅漢無阿羅漢果。無獨覺無獨覺菩提。無菩薩無菩薩行。無正等覺無正等覺菩提…

34 :神も仏も名無しさん:2020/08/06(木) 14:23:49.94 ID:pml767RPv
所取(知られるもの)と能取(知るもの)を分別するという虚妄なる分別は我々の意識の中には存在する
しかし実相としては所取と能取の二つは存在しない ⇒ 色即是空
存在しないことからそこに空性が存在し虚妄なる分別は空であると言える
しかし所取と能取の実在は否定されるにもかかわらず虚妄なる分別は意識の事実として存在する(空性の中にまた虚妄なる分別が存在する) ⇒ 凡夫の空即是色


この虚妄なる分別は瑜伽行の実践によって煩悩障と所知障を断滅すれば正しい弁別へと転換される ? 後得智としての空即是色
法界が現量になるとも表現される

35 :神も仏も名無しさん:2020/08/06(木) 22:06:40.67 ID:pml767RPv
色として認識された物は、実は虚妄分別された結果としての情報に過ぎないのである
>すべての現象は幻のごときものと知って
執着を離れ、束縛から解放されます


金剛般若経

第三章

師は、このように話し出された。

「スブーティよ、菩薩の道に向かう者は、
次のような心を、起こさなければならない。」・・・
ありとあらゆる生けるものを、
>私は、無余涅槃に、導かなければならない。
>しかし、こうして、永遠の平安に導こうとも、
>実は、誰一人、永遠の平安には導かれていない。」
>「それは、何故かと言えば、スブーティよ。
>もし、生きものという実体に、囚われるなら、
>もはや、かれは、菩薩と、言えないからである。」

この説法から
他(他人)とは言語表現だけのものであり実体はない
https://gamp.ameblo.jp/0358rainbow/entry-12291549474.html

36 :神も仏も名無しさん:2020/08/08(土) 10:14:34.91 ID:l2wDw2HdM
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
仏教用語。サンスクリット語のアヌッタラー(無上の)・サムヤク(正しい、完全な)・サンボーディ(悟り)anuttar samyak-sabodhiの音写。仏の仏たるゆえんである、このうえなく正しい完全なる悟りの智慧(ちえ)のこと。
無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)、無上正真道(しょうしんどう)、無上正遍知(しょうへんち)と訳される。仏、縁覚(えんがく)、声聞(しょうもん)がそれぞれ得る悟りの智慧のなかで、仏のそれ(菩提(ぼだい))は、このうえない究極のものを示す。

37 :神も仏も名無しさん:2020/08/08(土) 12:25:11.38 ID:l2wDw2HdM
涅槃へ至る真理を会得したこと、それが悟り

言葉で表現出来ないと何度も釈迦は説いている

涅槃に於いては思考も言語も滅びてる

38 :神も仏も名無しさん:2020/08/12(水) 04:18:56.25 ID:UhT6sCX53
>心経の批判は
有部の法有の見解にずぶずぶ嵌り込んでる方を対象
としたピンポイント爆撃的な面もあった

というより
>もっとデカイ意味があったんでは? たとえば有部や諸派がブッダのさとりから
如何に堕落したかを戒める狙いとか

39 :神も仏も名無しさん:2020/08/12(水) 05:53:38.64 ID:UhT6sCX53
つまりニカーヤにしても言葉っちりや経の体裁や表層的な概念への固執や
因縁なるもののマニアックな分類だのに執着して実体視し、押しつけがましく
説教するだけで、それよりそこから解放されるすじ道を明らめるほうが大事だと。
釈尊は教義などゴリゴリ説かなかった

40 :神も仏も名無しさん:2020/08/12(水) 17:32:47.06 ID:UhT6sCX53
空即是色というのは、現象界のあらわれは全て 一心のつくり出した物である
という認識が、その時点で根底にあって、表現された語
唯心縁起、一切の諸法は一心の縁起によって顕現したもの
という考えから発展

世のあらわれで何一つ空でない物は無い
現象界は虚妄というのはブッダと同じで、華厳経では「ただ一心のつくりたるもの」と
見る。仏陀の悟りの内容を推し量った。一心は一点集中の瞑想、精神統一、如来蔵
その他の意味でも用いられた

41 :神も仏も名無しさん:2020/08/13(木) 12:17:06.39 ID:XMEMt1JNG
観自在菩薩は生きてる仏じゃないから
生きてる限りは五蘊には苦の要素は残るでしょ
思うに空とは無我で、左脳が空になれば、ストッパーが外れて
涅槃の心がオンになる

42 :神も仏も名無しさん:2020/08/13(木) 19:40:05.47 ID:XMEMt1JNG
涅槃を知るために障りとなるものを除くことを空と仮に言ってるだけ

しかし生きてる限りはブッダであっても老病死の苦は訪れる。でなければ入滅できない。
しかし最後にチュンダの供養で食中毒になってもブッダは苦とは感じなかったのでは
なかろうか。それを空の境地と呼ぶ

43 :神も仏も名無しさん:2020/08/14(金) 03:06:24.95 ID:nVcpdGqgI
マントラって西欧的知性というか分別的思考に毒された
ヘッドパワー過剰な意識の状態を呆けさせて変性意識に導くための方便だったのはわかるよ
だが現代では意識や知的水準が全く違い、信心の質も別世界な訳で、
ただ読んでも嗤うだけじゃ効果ない

44 :神も仏も名無しさん:2020/08/14(金) 07:47:42.56 ID:nVcpdGqgI
ナーガルジュナ以降の
輪廻も涅槃も無い 的な思想ってのは、大乗より前の理解にあてはめると
預流や一来に乗った者の涅槃に向かう心を表現した考え方とは
とれませんかね

つまり不還以上、阿羅漢果は輪廻への執着は無いけれども
それ未満は現世で涅槃を証悟するという覚悟とでもいうか
まだ輪廻の中にいながら成仏道を歩んで行く求道者(大乗では声聞等より上)たる
心構えというか

というかここまで書いて気付きましたが、やはり
大乗の菩薩がおこす菩提心は
自分のみ悟ればよしとする二乗の目的よりは、ずっと高貴で尊いのだという
認識がまずあるのだとわかりましたね

45 :神も仏も名無しさん:2020/08/14(金) 08:07:36.59 ID:nVcpdGqgI
何ものにも依拠しない無為法の慧

46 :神も仏も名無しさん:2020/08/14(金) 21:42:21.82 ID:nVcpdGqgI
仏の身体のすがたをもって仏を見てはならない、いかなる相も虚妄であり、
諸々の相は相に非ずと見るなら、即ち如来を見ることになる。

仏像を(その物自体を)仏と思ったのでは、実体が無い物であるから錯誤に陥るのである
認識は幻想=いかなる「個としての枠組み」も、思考による妄分別が作り出した幻影、妄想=戯論に過ぎず
認識したものは真の実在ではないと如実に観察するなら
即ち空の智慧を生じて涅槃寂滅を知解する(宇宙の一体性をさとる)事ができる

像法(ぞうぼう)とは、仏教で、正法に似た仏法のことをいう。「像」とは「似」の意味である。
また、釈迦の入滅後の500年から1,000年の間(又は1000年から2000年の間)の時期のことをいう。前の時代を正法、後の時代を末法という。正・像・末の三時のひとつである。
像法の時代には仏法と修行者は存在するが、それらの結果としての証が滅するため、悟りを開く者は存在しないとされる。
形式化されて仏法が伝えられ利益をもたらす時代
日本では、1051年(永承6年)で像法の時代が終了したとされ、その年限の接近に従って、次第に末法の世の到来への危機意識が高まることとなった。

)【像法】
(「ぞうほう」とも。「像」は映像の意)仏語。釈尊入滅後、正法の時をすぎて、教えや修行が行われるだけで、さとりが得られなくなった時期をいう。
多く正法五百年、像法千年と数えるが、日本では永承六年がその最後の年と信じられていた。像法時。

47 :神も仏も名無しさん:2020/08/15(土) 13:57:05.26 ID:c7ThtRvMr
サーンキヤの専門家の説明を引用します

>大乗は五蘊の世界観しかありません。
その識(五蘊)を越えたところに梵と我があって

梵我一如っていってるので世界観が全く違います。
諸法を生む阿頼耶識とは五蘊の中の諸法を生むだけで
梵と我は生み出せません。
もっというと梵が阿頼耶識を生み出します。

大乗の言う無我は五蘊の中に梵も我もないので無我です。

小乗はこの我を悟ると阿羅漢と呼びます。
この文脈だと梵と我の合一したもの(梵我一如)をブッダは真我と呼んでいます。

また下の概念図でわかるか微妙ですが、サーンキヤの梵我は五蘊の上です
http://kitade.stonesbazar.lolipop.jp/?eid=1002034

48 :神も仏も名無しさん:2020/08/17(月) 03:48:44.41
あまり好きな比喩ではないのですが、脳科学に詳しい人が書いてたこと
で共感できることがありましたので、単純化して説明すると、
人間の左脳にが利己的な心、というより欲が物本位に縛られた下向きの性質があり、
また右の脳には正反対の利他的な仏性、如来がいる。
ブッダが空にせよ我を無にせよと説いたのは、その左に住む性質で、さらに言うと
そうした障りをクリアすればストッパーが外れて、仏心全開となるという事

49 :神も仏も名無しさん:2020/08/18(火) 09:06:01.58
>五蘊の識は、『秘密曼荼羅十住心論』の唯蘊無我心で説かれてる識で、六大の識は秘密荘厳心で説かれている識
要は空海によれば、六大は如来内証の阿字本不生の世界の諸相をいうものなのであり、元素のことではなかったのである。
 >すなわち、この六大は、如来内証の世界の本体が、本不生・離言説・離塵垢・遠離因縁・等虚空であり、かつそれらの覚証の智慧でもあること(理智不二)
すなわち本覚真如の世界「仏、六大を説いて法界体性と為す。」

華厳経でいう三界唯心、つまり唯識をベースとしたこころの顕れ、円成実性
>基体に疑似されるのが 縁起(業感縁起、阿頼耶識縁起、如来蔵縁起、法界縁起、六大縁起)ではないのか

第八住心くらいで如実知自心という言葉はでてきますね
この自心というのを真我と言ってよいように感じますが、ただ本来ブッダが
語るべきでなく確かめるべきとした「我」を あえて説くのが密教であった所
大乗の展開において顕教でありながら我を説く枝が生えてしまった訳ですね

50 :神も仏も名無しさん:2020/08/18(火) 15:25:02.86
五蘊=五陰 魄   魂 陽 霊・気 六大の識 六大は如来内証の阿字本不生の世界の諸相 遠離因縁・等虚空 「仏、六大を説いて法界体性と為す。」 六大の識は秘密荘厳心において説かれている識

51 :神も仏も名無しさん:2020/08/19(水) 19:59:42.41
その認識さえ仮に選びとられた暫定的なものに過ぎない

52 :神も仏も名無しさん:2020/08/20(木) 00:44:08.47 ID:S6m/Lq+1p
七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。
(中論第18章)

53 :神も仏も名無しさん:2020/08/20(木) 20:23:05.71 ID:S6m/Lq+1p
真我とは大我ともいわれ「パラマートマン」(parama-?tman)であり、最高の我の意味
仏果の徳の上につけた名で、すなわち涅槃といわれるさとりは真実であるからと、
その悟りの世界はいっさいの繋縛をはなれて完全自由であるからとの両面より、さとりのうえに大我の徳を認める

ウダーナヴァルガ 27 は  ”第27章 観察”

 ”明らかに見る(prapa?yan)” は、
”.『出曜経』にも『法集要頌経』 にも「妙観」
(と訳される真我を探究するための”観察”)

釈尊の死後におこった仏教なるものは所謂自称仏弟子たちによる噂話のようなもの? ただの詩人も大勢いた?

54 :神も仏も名無しさん:2020/08/20(木) 20:30:25.20 ID:S6m/Lq+1p
原始仏教聖典におけるattanとbrahman
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpbs/17/0/17_KJ00001034359/_pdf/-char/ja

○(無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、{しかしながら全く不可思議なことではあるが}
その(無明が)あるが故に、すがたをさらに{正しく}吟味して見るということが起こるのである。
{そして究極において}この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも{無明とともに}消滅するのである。

「すがたと無明の消滅」(人と世の真実を見極めて、無明を消滅する)
https://76263383.at.webry.info/201705/article_25.html

一切皆苦と見ることをしない凡夫は五蘊をアートマンとして見る。
しかしながら無明(煩悩)即菩提であるので、無明があるが故にすがたを正しく吟味して見るということが起きる。
一切皆苦であると見て、苦なる五蘊以外の何がアートマンであるのか常に更に吟味して見る。
そしてアートマンに執着するという無明が消失したときには、すがたを更に吟味して見るということもその無明とともに滅する。

自在の義なり、凡夫は自己の身心を認めて我となせども、身心一も自在なるものなし、我と思ふものは迷倒の見のみ、我の実あることなし。
此の理を悟るを小乗の知見とす、而して彼れ但凡夫の倒我小我なきを知て更に佛の眞我あり大我あるを知らざるなり、即ち佛所証の涅槃は真我なり、
大我なり、佛は八自在を得て一切の繋累を離れ、万法に於て自在なり、之を涅槃の大我とす。『涅槃経』一部の所明是なり。
 有(2)大我(1)故名(2)大涅槃(1)。    〔涅槃経23〕
 汝獲(2)蕪等利(1)。位同(2)大我(1)。    〔大日経1〕
 大我謂諸如來成-(2)就八自在我(1)。於(レ)法得(2)自在(1)者。    〔大日経疏5〕
 今復約(2)眞我(1)明(2)心(ノ)實相(1)。此宗辨(レ)義即以(レ)心爲(2)如來應正等覺(1)。所謂内心(ノ)大我也。    〔〃1〕
唯有(2)大日如來(1)。於(2)無我中(1)得(2)大我(1)也。    〔吽字義〕
http://www.wikidharma.org/index.php?title=が&oldid=9545

55 :神も仏も名無しさん:2020/08/20(木) 21:32:29.15 ID:S6m/Lq+1p
このように現在において欲楽なく、静まり、清涼となり、楽しみを感受しつつ、
 >ブラフマンとなったアートマンによって住する(解脱している)
 >(ディーガ・ニカーヤ)

56 :神も仏も名無しさん:2020/08/21(金) 20:29:53.10 ID:TrqADthhV
>インド最古の文字史料であるアショカ法勅(紀元前3世紀頃)にはスッタニパータに含まれる経が示されていますし、この物的証拠を無視することはできないでしょう。

”若干の文献的史実”とは、スリランカの歴史書に「〇〇〇バーンナカは一部の経を誦出するのを拒否した」という記述があり、
その拒否した経がスッタニパータやダンマパダだったという記述のことです。

>※バーンナカー(bh??aka)
https://www.wisdomlib.org/definition/bhanaka

「バーンナカが拒否した」ということは、経がある、あるいは経を知っているがあえて唱えないという意味を含意しています。
その唱えなかった理由が問われる必要があります。
様々な要因が想定できます。

>職業集団としてのバーンナカ―・コミュニティーの立ち位置とは、これらの拒否された経典が含む教えが相容れない面があったのではないか?と推測しています。
部派仏教時代は、ブッダの教えが仏教化し、ある意味で”雇用を伴う職業化”した時代
>その教えを伝える人たち(出家者だけとは限りません)にとっては、スッタニパータやダンマパダは昔から伝わっているニカーヤ(口伝の教え)だけれども、
これを説くのは差し障りがあると考えられた

>紀元前後からニカーヤが筆記され始めて、5世紀には現在まで伝えられる”決定版”に近いトリピタカが整備されましたが、
経の文章から推測するに、これらの経を編纂した人たちも「現代で言うところの”仏教学者”」だった
※私見では、バーンナカとは世俗の人で、世襲で経の誦出の技を受け継ぐ人たちであり、ギルドを形成していたと考えています。大乗経にある「法師」と同じです。

その根拠は、ヒンドゥー文献にある、「ヴェーダを説く輩」です。
インドでは、ヴェーダの教えを担い、学び、伝えるのはバラモン階級者の特権でありましたが、実は、低階級者にもヴェーダの教えを説く人たちがおり、
彼らは現代語で言うところの「吟遊詩人」だったと思われます。

日本史で言えば、太平記を面白おかしく説くことを職業としてた琵琶法師のようなもの

57 :神も仏も名無しさん:2020/08/22(土) 01:14:25.32
「色即是空」解釈の誤り8
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598024409/l50

58 :神も仏も名無しさん:2020/08/22(土) 16:18:16.64 ID:aBsT8S5W1
世間法即涅槃
目覚めた人が直ちに涅槃に赴かず
未だ迷いの生存中にいる衆生のために法を説く

成道後のブッダの行動を言ってる
大乗では菩薩行となる

完全に入涅槃すればこの世と関わるのが不可能な為に悟りの階梯を阿羅漢果の手前に留めると初期の大乗思想に有った

59 :神も仏も名無しさん:2020/08/23(日) 22:42:56.86 ID:6Ip7YTT4/
http://yusan.sa
kura.ne.jp/☆libr
ary/buddha
☆_pottapada/☆#pottapada6

その数日後、象使いの子である、チッタは、
仏陀の止まる、アナータピンディカ園を訪れ、
恭しく挨拶すると、仏陀に対して、こう尋ねた。
「有るとも言えて、無いとも言えるような、
真我なるものを、どうして説くのでしょうか。
尊師よ、解かない法が、良いのではないですか。」
「チッタよ、その問いに、答えるためには、
この頼み事に、応えてもらわないとならない。
さあ、ここまで、最高の美女を連れて来なさい。」
「尊師よ、その美女の名前を教えて下さい。」
「チッタよ、名は知らないが、最高の美女だ。」
「では、無理です、誰が最高か確められません。」
「チッタよ、まさしく、これと同じである。
名が付けられるのは、命を確めるためであり、
実に、概念を説くのは、概念を解くためである。」
「真我を説くのは、真我を解くためであり、
真我に囚われて、真我を論じるためではない。
越えるべきものに、囚われるのは、転倒である。」
心から感動して、チッタは、このように言った。
「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」
「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」
こうして、象使いのチッタは、出家を果した。
そして、戒律を受けて励み、阿羅漢に到達した。

60 :神も仏も名無しさん:2020/08/23(日) 22:44:32.44 ID:6Ip7YTT4/
大縁方便経(マハーニダーナ・スッタンタ)
「アーナンダよ、作用する、者に二つがある。
それでは、この二つの者とは、如何なるものか。
第一に、概念を作り出す、心の働き、名である。
第二に、形状を描き出す、物の働き、色である。」
「アーナンダよ、名が現れて、色が現れる。
主体が現れるから、客体が現われるのである。
すべての起源は、二つに分かれたこと、である。」
「アーナンダよ、唯一にして、絶対のもの、
アートマンを想定すると、如何なるだろうか。」
「尊師よ、非アートマンも、想定するでしょう。」
「即ち、真我が生まれて、非我が埋まれる。
アーナンダよ、有ると思えば、無いのであり、
アートマンなど、無いと思えば、有るのである。」

61 :神も仏も名無しさん:2020/08/23(日) 22:47:43.14 ID:6Ip7YTT4/
「釈尊が形而上学的問題に黙して答えず。」という説法が度々話題になりました。

長部経典では第九経の「布?波樓経(ポッタパーダ経)」に詳しく記載されてますので、一部紹介します。 (中村元監修)

説法対象者:遍歴の行者ポッタパーダ、象使いチッタ(後に阿羅漢)

【アートマンの三種の分類】
釈尊、「ポッタパーダよ、次のような三種のアートマンの概念があります。
すなわち、物質的なアートマンの概念、意よりなるアートマンの概念、 非物質的なるアートマンの概念です。」
・物質的なアートマン:形態があり、四つの元素からなる
・意よりなるアートマン:形態があり、すべての感覚器官を備える
・非物質的なるアートマン:物質的でない、心理作用からなる

釈尊、「(象使い)チッタよ、たとえばそれは、牛から牛乳が出てきて、 その牛乳からヨーグルトができ、そのヨーグルトから生バターができ、 その生バターからバターができ、そのバターから醍醐が生じるようなものです。
牛乳が生じるとき、それはヨーグルト、生バター、バター、醍醐と呼ばれる ことがなく、ただ牛乳と呼ばれます。」

※釈尊は世の中の三つのアートマンの分類を世間の単なる名称、言い表し方、概念に過ぎないと説かれております。

「ポッタパーダは、異教の見解・忍耐・目的・実践・師によっているから 『心理作用とアートマンは異なる』ということを、知り難いのです。」
(※文脈から見て、釈尊を師とすれば悟れるという意味でしょう。)

62 :神も仏も名無しさん:2020/08/24(月) 18:05:33.02 ID:RJgxGqgqi
【仏教】悟りを開いた人のスレ528【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598192986/

63 :神も仏も名無しさん:2020/08/25(火) 03:16:34.95 ID:AEBM7ZE+f
常住なるものが二あって、それは涅槃と虚空である

女に狂う男がいたとして
お前が佳きと思う その女は
実はウンコの塊に過ぎないと知らしめる
そのように この物質世界の全ては
実は幻影なのだと目覚めさせる
ために仏説とインドの叡智を総合して
秘密大乗真髄の法を説くのである

64 :神も仏も名無しさん:2020/08/25(火) 04:24:17.32 ID:AEBM7ZE+f
華厳の三界虚妄などと同じにするのだったら「この世界は全てアートマンが創り出した幻影に過ぎない」

65 :神も仏も名無しさん:2020/08/25(火) 21:17:11.64 ID:AEBM7ZE+f
>我と言うも自分というも人により、場合により
意味が異なるし、スリランカ出身者はころころ変わる

ブッダが否定してるのは我執 仏は真実の我を説こうとしたのである

https://youtu.be/7jKGg_jelSM?t=2865

66 :神も仏も名無しさん:2020/08/27(木) 02:51:28.08 ID:3EIduzXr1
空の意味が零だとすると 色即是空の意味は「質量を持たない物質」ということになります。
面白いですね。その場合でも色の解釈が魂魄の魄だったとすれば
(但し、コドンのような情報を指しているのだとして、それを「零」と言い切れるかは疑問)
通らない事もないような…?

>苦の起源についてこそ知るべき
空=ゼロだという見解への妄執こそ苦の起源なのであって、
ブッダは、それに気づくとともに、その執着こそゼロにせよと説いたのだ。ゼロに執着しろ
と説いたのではない

第16回 愛宕薬師フォーラム
空とは何でしょう? ―中観派の教えを学ぶ―
講師:東京大学教授 斎藤 明 先生
https://chisan.or.jp/shinpukuji/center/workshop/forum/%E7%A9%BA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%9F%E3%80%80%E2%80%95%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6%E2%80%95/

67 :神も仏も名無しさん:2020/08/27(木) 12:22:45.84 ID:3EIduzXr1
色即是空の誤り=「色即是空」解釈=顛倒夢想=三毒煩悩→燃料(菩提心と空による「戯論の滅」)


世間においていかなるものへも執取しないなら解脱できる


統失者には捨無量心が重要、医者でなければ、駅前や電車内で下着を下すようなものの動きに囚われず、亦、かまわない事。
仏教では、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三つの煩悩=
三毒を動機として為された行いは悪業とされます。

善心によって起こる善業(安穏業)と、悪心によって起こる不善業(悪業、不安穏業とも)と、
善悪のいずれでもない無記心によって起こる無記業の3つがあり、この3つを三性業といい、そのうち。
非善非悪の無記業は業果を引く力がないとされる

仏教では、行為の結果よりも動機のほうが重要である

業とは何か?  講師・岩井昌悟(東洋大学准教授)
https://youtu.be/9wzLrvLA3rk?t=1605
https://youtu.be/9wzLrvLA3rk?t=1258

善悪・苦楽の区別がつかないものを無記業(むきごう)といいます。
http://okigaruni01.okoshi-yasu.com/yougo%20kaisetu/gou/01.html

68 :神も仏も名無しさん:2020/08/28(金) 14:57:09.34 ID:eFvcXKH8R
多くの人には、或る教訓というか
無駄な足掻きをしても恥かくだけだよ とか徒労の空しさ、妄想に囚われる滑稽さ
を教えてるかも、だが、本当に才能ある人にはモチベーション低下の悪い影響も
有得る。生煮えではサーブするな位に見るべきか

あと般若経典も維摩経同様、有部や分別説部への批判が根本的な意図として含まれていたのでは? というのと維摩経との違いについて
>般若経典は呪術的な面が強く、経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。
般若経典では一般に「空」思想が繰り返し説かれるが、維摩経では「空」のような観念的なものではなく現実的な人生の機微から入って
道を窮めることを軸としている。

69 :神も仏も名無しさん:2020/08/28(金) 19:01:41.54
維摩経
法供養品第十三
http://tubamedou.egoism.jp/Yuima/Yuima03b.htm#%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%BE%9B%E9%A4%8A

ここで維摩経の経典の功徳は大いに説かれています。

また維摩経の時代の大乗仏教は無分別は空ではなく不二

70 :神も仏も名無しさん:2020/08/29(土) 05:38:02.97
「色即是空」解釈→色即是空の誤り(と書かせた脳内妄想)←顛倒夢想=三毒煩悩→燃料(菩提心と空による「戯論の滅」)

視聴者数が100倍以上違う理由の考察

玄;栄の比較  この差は何に起因するのか
     玄 栄
イメージ 55 : 0
内容   45 : 0
知名度  50? : 5(5chのみ)
総合   50 : 2(1.666)

1.6666666666666〜…は魔   魔とは空
色 即 是 空

法身仏が何かを教えるため、魔の形となって顕われているのだ
空即是色

寸評
いまゼロであっても、頑張れば改善できるかも知れません
「すぐやる」姿勢が大事。スマナサラみたいな詐欺坊主から「先々ロクなことないよ」と言われて、それ
真に受けてたら、一生涯 0の儘で終わります。

71 :神も仏も名無しさん:2020/08/29(土) 22:51:20.15
空を覚る・極無自性心・秘密荘厳心
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1598708654/

72 :神も仏も名無しさん:2020/08/30(日) 01:17:06.06
カルト・マインドコントロールの考察
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4649/1598717403/

73 :神も仏も名無しさん:2020/09/01(火) 00:58:57.40 ID:FJHCf6ay5
宝行王正論
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%8D%E3%82%93

(抜粋)
涅槃の境地にはこれ(苦)がない。どうして怖れることがあろうか?真実には空であると説かれていることが、どうして汝を怖れさせるだろうか?
解脱は無我であり、無蘊である。汝がこの法を聞いたならば、我と五蘊を捨てることを、どうして願わないのか?
無すら涅槃ではない。どうして有が涅槃であろうか。有と無の見解が残りなく滅びることが涅槃であると、ブッダによって説かれている。
邪見を要約して説けば、因果〔応報〕を否定することである。これは苦しみを充満せしめ、悪趣への最も重い因である。
正見を要約して説けば、因果〔応報〕を信じることである。よく幸いを充満せしめ、善趣への最も優れた因である。
智慧によって有無の見解が静まり、楽と苦を乗り越える故に、善悪の〔二〕道を離れる。これが解脱であるとブッダによって説かれている。
サーンキャ学徒、ヴァイシェーシカ学徒、ジャイナ教徒はアートマンを説く。彼らに尋ねよ「〔あなたたちは〕有と無〔の二見〕を越えることを説くか」と。
これら(外道の教え)は法とは言えない。有と無〔の二見〕を越える故に、汝は、深淵なるブッダの正教を不死の妙薬と知るべきである。
https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E5%AE%9D%E8%A1%8C%E7%8E%8B%E6%AD%A3%E8%AB%96

※刹那滅の箇所は漢文訳をした真諦(パラマールタ)が独自に差し込んだ可能性があると私は見ていますw
理由として龍樹は基本刹那滅を否定していることと、真諦は唯識の論書を漢訳するときに彼独自の解釈を入れたとされている(それが悪いというわけでもなさそうですが。というか唯識は論者の独自解釈の上に加上的に様々な論が誕生してますし)からです。

https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E5%AE%9D%E8%A1%8C%E7%8E%8B%E6%AD%A3%E8%AB%96

74 :神も仏も名無しさん:2020/09/01(火) 01:15:56.16 ID:FJHCf6ay5
>汚い欲に縛られた自我を綺麗にゼロにしろ説かれてるだけなのに
物理学や完全誤解の数学史漫談にすり替えるな

>そもそも欲界から離れて初禅

夢窓Dream Window: Reflections on the Japanese Garden
https://www.youtube.com/watch?v=xWcmuk2tN7M

学者もわからないのに論文を書くため、わかったようなフリをして書いている・・・
https://youtu.be/vom-aH1lrW0?t=31

75 :神も仏も名無しさん:2020/09/01(火) 01:20:02.59 ID:FJHCf6ay5
無想天に生まれ変わる(何も考えない無)と仏法を聞くことができなくなる
邪見・顛倒見を持っていると正しく仏法を理解できません
また(実際は覚っていないのに)発信者の立場になったなら、自分都合で教えを変えて伝える行為は
慎みましょう

「初期仏教の輪廻思想」輪廻とは何か? 講師・岩井昌悟(東洋大学准教授)
https://youtu.be/zsNMhDfTWC0?t=561

輪廻って、本人がもうやめようと思っただけで解脱できるものならよい
のだが・・・

「初期仏教の輪廻思想」現代の仏教学者の説
https://youtu.be/JoYQisFK8pE?t=668

76 :神も仏も名無しさん:2020/09/01(火) 08:02:01.36 ID:FJHCf6ay5
八世紀以後のシナチョン語の話は、般若経の空の解釈とは特に関係無い。
それこそシナチョンの空への誤解を示すだけ
シナチョン語の歴史の話はスレチ。別スレへ。

空の意味をゼロとだけ限定する無神経さ単細胞ぶりは唯物史観とも
関係あり。創価のチョン体質とも同根か?  五蘊盛苦や非我→無我だけじゃなく
インド→シナへの翻訳時の誤訳や意味の漏れは凄まじく、仏教思想に限っても、根本的に大事な意味が
こぼれ落ちてしまってる事例が幾つもある

77 :神も仏も名無しさん:2020/09/01(火) 08:30:30.82 ID:FJHCf6ay5
根拠としては乏しいのに何かを思い込んでしまう
これは差別とかではなく(ただ議論が発作や異常行動の引き金となり得るのでストップします)、
統失者の言葉を無批判に受け入れるのは
有害な場合もあるのです

様々な妄想を紹介 妄想とは?[学生必見]統合失調症などのお話
https://www.youtube.com/watch?v=Ql_jatvmcf0

精神障害者1級統合失調症が創価学会脱退の意思を示した結果
https://www.youtube.com/watch?v=GWb1tae4Er4

78 :神も仏も名無しさん:2020/09/01(火) 10:03:42.39
理解のある方で患者さんが発作をおこさないように
説明する自信のある暇な方
がいないだけなのに
仏教の空=ゼロが正しい   ←根拠のない思い込み=妄想

大乗≠シナ仏教と捉えて
シナ仏教の汚泥だけ落とす方法には賛成です
シナ仏教固有の特質こそ真理だという者がいたなら
それはカルトですね

79 :神も仏も名無しさん:2020/09/02(水) 13:37:14.67 ID:MXa0DMry0
>空というのは「〜を欠く、〜がない」ということ。大乗仏教では自性空で「実体を欠く」という意味。
有るのでもなく、無いのでもない、仮に成り立つ中道が縁起であり空性

>7神も仏も名無しさん2020/05/16(土) 02:19:51.41ID:a043ApJm
般若心経は「色即是空」で無分別の空性に行った後に
衆生への悲から、
「空であるものそれは、色である、受である、想である、行である、識である」と法を仮設して行くから間違いではない

80 :神も仏も名無しさん:2020/09/02(水) 20:49:06.52 ID:MXa0DMry0
空=0と解釈しようが、無と言おうが別にどーでもよいが
凡夫の五蘊の顛倒夢想はゼロではない。そもそも仏教は
五蘊はゼロである、とかのテーゼを拝んだり覚えたりする教えじゃなく
五蘊=ゼロとなるよう努力して修行を完成させよ、という教えであって、
実践する気がまるでない只の謎解きみたいな話なら仏教とは関係がない。
悪い煩悩や欲が詰まった五蘊をゼロにしようとの努力を放棄し、
下らん動画拡散で他に苦しみのみ撒いてたら
先は暗い



777 名前:神も仏も名無しさん 2020/09/02(水) 14:59:42.26 ID:M6YbIj2j
空がゼロとしてあらわれることもある ならそれもよかろう
だが、∞としてもあらわれ、その時には、マイナス∞もどこかにペアで
生じていて、ただし生じたものは必ず滅するので、生滅繰り返す現象は
仮の相であって、真の実体とは呼べない。それが空の大意


仮のものは仮の現象とわかる観察者の心を仮に空の中と表現してるのでは。
さらに仮の立場より見るなら、欲がゼロになったら、それが覚り
煩悩がゼロと呼べるほど微細になったら、それこそ悟り。真実には大小の別さえ無く、極小である微細な意識が
全宇宙を究め尽くしているのがブッダ・マインド

81 :神も仏も名無しさん:2020/09/05(土) 03:25:59.53 ID:vgmLBKXrg
『延命十句観音経』(えんめいじっくかんのんぎょう)

観世音。南無仏。
(かんぜおん。なむぶつ。)


与仏有因。与仏有縁。
(よぶつういん。よぶつうえん。)

仏法僧縁[1]。常楽我浄。
(ぶっぽうそうえん。じょうらくがじょう。)

朝念観世音。暮念観世音。
(ちょうねんかんぜおん。ぼねんかんぜおん)


念念従心起[3]。念念不離心
(ねんねんじゅうしんき。ねんねんふりしん)



口語訳

観世音菩薩に帰依します。

我々は仏と因縁でつながっています。
三宝の縁によって、「常楽我浄」を悟ります。
朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます。

観世音菩薩を念じる想いは我々の心より起こり、また観世音菩薩を念じ続けて心を離れません。

82 :神も仏も名無しさん:2020/09/05(土) 05:03:51.43 ID:vgmLBKXrg
縁起の法(諸行無常、一心縁起含めて全) 空(四諦を直観で見る事) 諸法非我 涅槃寂滅(輪廻からの解脱)

無上正等正覚を得る実践法(方便)が九次第定

無も有も誤解錯覚で
実には空より空へ遷移してるだけ
それ恰も氷が溶けて水になり、蒸発して水蒸気になって雲となり
雨雪降らして水氷に転ずるが如きで状態変化繰り返し
可視不可視に関わらず水分子の本質変わらざるが如し

苦滅のための道諦と苦滅そのものである滅諦、或いは四諦を直観で見る事を空といいますね
それから色即是空 の一つの解釈として 水とは即ちこれ、水分子の集まりである とも言え
水分子、あるいは、その集合体という(容易に肉眼視できなかった)本質を指して「空」という、というか
科学的にも立証可だけれども直ちには確認し難い本質(縁起など)を指すと。

三密加持 即疾顕
有頂天にもとづき心と心所法を止滅する 「五蘊は非我なり」と覚る
五蘊の顛倒夢想を除く 五蘊に我無し(欲我消え、また識を越えて、智慧生如来顕)
即身成仏 法界体性智 涅槃寂静

83 :神も仏も名無しさん:2020/09/05(土) 13:21:34.31 ID:vgmLBKXrg
ブッダが説いたのは、アンタの五蘊に巣食う妄念の塊である欲我のほう、
それを綺麗に吹き消せば、
自動的に真の自己は顕はれます。なかなか霧が晴れないのは、偏執性が強烈
だから!

菩薩は一切の執着から遠く離れているので
果報など、どうでもいいのである。そんな自利に拘る、あさましく卑しい
さもしい根性は餓鬼同然と見てスルー

しかし、考えようによっては、
他人にたかってメシを食うよりも自力で食うほうがエライかも
と書いて気付いたが、経営者であったとしても客にたすけられ従業員に支えられ、
社会に依存しているのは同じこと

84 :神も仏も名無しさん:2020/09/07(月) 09:03:23.84 ID:6VIlEAXfh
凡夫が見る女の形なるものは存在しない(対象物の否定)
あの女がいいとか思って欲情する五蘊も蜉蝣の如し(主観への執着の拒否)
一切は幻なのであり、そうした卑近なテーゼから一切皆空という普遍的真理へ敷衍して一切の実体性を否定した
のが空の思想

>空がよくわからん厨房に
日蓮系、念仏系、ブッダゴーサ教系、
および外道イン哲・西欧哲学・歴史錯視誤認厨
の四種あり

心経の観自在菩薩による説法は、
心経成立時のの説一切有部に対する批判を含み、上座部分別説部の阿羅漢の象徴を
大乗の菩薩が超えて見せた(且つ菩薩が照見する事は無我というより非我を説示した)
比喩

85 :神も仏も名無しさん:2020/09/08(火) 12:34:24.48 ID:Oh6O4uVZM
>唯識だってヒンドゥ教でしょ
ヨーガ行者の宗教経験を仏教用語で理論化しただけ

チベット密教の目的は幻身、真の光明を達成して、化身を使って衆生を救済すること

86 :神も仏も名無しさん:2020/09/09(水) 07:28:23.27 ID:d/1Sm3mpe
>不完全に見られた空は智慧の鈍いものを害する。恰も不完全に捕えられた蛇、或いは未完の咒術の如し

それ故にその法が鈍いものどもによってよく領解されえないことを考えて、
聖者(ブッダ)が教えを説示しようとする心はやんだ。
— 『中論』24:11,12

要するに縁起というのは
実体無き有情の因縁の本質について、生前死後問わず
カルマの清算をすべく転がり、過ぎ去るように宿命づけられている真実を
示したものである

87 :神も仏も名無しさん:2020/09/09(水) 07:50:25.33 ID:d/1Sm3mpe
「色即是空」と般若心経の深義9
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1599594934/

88 :神も仏も名無しさん:2020/09/14(月) 04:53:58.60 ID:AcNSEXNrf
>無我なのに何が悟るのか

左脳の我執という妄想を「無」にして、本来悟ってる右脳を目覚めさせる。右脳を真の自己という者も
いる。またムガムガ言ってるスリランカの長老も、無我といいながら、話のオチで、結局は、
真の自己という言葉を出してしまう。

89 :神も仏も名無しさん:2020/09/14(月) 05:21:05.29 ID:AcNSEXNrf
>涅槃の反対の意味は『一切皆苦』だと思います、心が訳の分からない者の(圧迫)攻撃を受けて、心が粗ぶっていたり、
大変賑やかな様相を見せている状態だと思います。

分かり易い言い方をするなら、漠然とした不安感や、それから派生する大変な恐怖心を抱えてしまう現象です。
現代用語で表現するなら『心に矛盾を抱えた様です。』もう少し砕けた表現にするなら、心が矛盾を抱えてしまって、心の対立とか分裂に悩む様相を呈している状態です。

気持ちとか感情とかで表現するなら、『意識地獄に落ち込んだ状態』と言っても
可能と思います。全ての考えが否定的になっている状態です。全否定と云った心境が=で『一切皆苦』になっていると思います。

王様の地位でさえも必要と感じなくなってしまう、苦しみと云ったら分かるかも知れません。

こうなってしまう原因は、人間の高度に発達をした脳の機能にあると思います。つまり漠然とした不安を感じている心が何によって、
圧迫を受けているのかのその相手です。

脳の研究成果の一つです。ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、
片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

大人の脳は左右の脳の機能が分化したことによって別な者として機能しています。

90 :神も仏も名無しさん:2020/09/14(月) 05:21:57.15 ID:AcNSEXNrf
>今の記事を補完する資料として参考になるものを載せてみたいと思います。是は右脳と左脳が交替制を取りながら、
健常者としての毎日が無事に過ごされている事を語っています。処が脳卒中になってしまって右脳の自分と左脳の自分が語られている様子です。
是を見た後では疑問とか悩みとか神経症の説明がたやすくなります。

その為に、脳内に意識或は人格が二人存在している事をしっかりと証明している、脳科学者の動画を載せて置きます。
URL:https://youtu.be/ldSoKfFYKqM?t=18
もし出ないようでしたら、ジル.ボルト.テーラ脳卒中と検索して下さい。
脳内の二つの意識の関係性を示しているものに、禅の経典などに書かれている言葉があります、それによると、『没交渉』
専門的な読み方をするなら、もっきょうしょう、現代文にすると、ぼつこうしょうになると思います。

右脳の意識は仏性の事ですが捉えどころがないようです。そうして毎日の生活の中では、一日に何百回と交替を繰り返しています。
その舞台は脳梁の中で、です。
修行が整うとか、師匠の指導が良い場合では、この二つの意識が、何百分の一秒の時間だけ出会う場合がある様です。
この体験を見性と言っているようです。『自分自身を知る』という体験です。
ジル.ボルト.テーラー女史の体験のように、稀にこういった体験をする場合がある様です。臨死体験なども同じですが、
死の瞬間に、自我意識を救うという意味で右脳の意識がその姿を見せるようです。
そうしてその姿は、正に永遠の姿をしているようです。死の淵で自我意識という命と肉体は朽ちてゆくとしても、
自分の本当の姿は永遠からやって来て、又永遠にかえってゆくだけと納得をします。

死に逝く人の中で、にっこりと笑っている人は、自身の仏性=命の働きと出会っているからだと思います。」

>一切皆苦は『自意識が右脳からの情報に否定的になっている姿です。』見性後では、全肯定と云った態度になります。
悟りを開いた後では、全てを肯定出来る様になるからです。良い事も、悪い事も全てです。

そうして心の中は、否定すべきものが無くなっています。その姿を涅槃と形容しています。
言葉で表現するなら『静寂に包まれた心の姿』という意味です。心の矛盾が根底から解消した姿の事です。

91 :神も仏も名無しさん:2020/09/14(月) 12:32:30.84 ID:AcNSEXNrf
人の心には二つ、我があって
一つは小我とか個我とか我執とかエゴとか言い、もう一つは真我とか
仏性とか法性とか円成実性等と呼ばれる

梵我。至上我はどっちも右脳です。
五蘊は、凡夫の場合、ただの曇りであって
全部錯覚、テン倒夢想に支配されてる

さらに言うと五蘊は苦の因を集める器であり
悪魔の棲家と見做されるべきもの。
苦の因を集めるのが我執。それを晴らすのが
空=道諦


祖師傳記:一遍上人
http://youtu.be/1HsKWvj6AG8

「日本仏教の発展と教え」(8)時宗
https://www.youtube.com/watch?v=iIJw7FR5Oos

華厳の哲学 世界は仏に満ちている!量子力学的サイケデリック&ポジティブな仏教哲学
http://youtu.be/27-dCSpv0dQ

92 :神も仏も名無しさん:2020/09/14(月) 14:01:58.55 ID:AcNSEXNrf
『究竟一乗宝性論』と『修行道の三要素(道の三要訣)』の法話会 3日目
https://youtu.be/ocvB3C6JaQA

93 :神も仏も名無しさん:2020/09/15(火) 03:59:45.45 ID:ExT4swRLv
我は毎日、仏陀釈迦牟尼、毘盧遮那仏と一体化しています。
その方法は二つあります。
一つはブッダが覚れし行法であり、もう一つは秘密の教えです。空を知り、
常に根本に帰入します。

それは五蘊の知覚を越えた体験です。空の見解を育み、
無常・苦・非我・不浄を覚る事で
涅槃寂滅、常楽我浄を知る
のです。

94 :神も仏も名無しさん:2020/09/15(火) 05:11:14.25 ID:ExT4swRLv
大日如来呪

布施一切施餓鬼陀羅尼(毘盧舎那一字心水輪観陀羅尼)
ノウマク・サマンダ・ボダナン・バン

光明真言
オンボッケン
o? amogha vairocana
オーン 不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
オン アボキャ ベイロシャノウ
? 阿謨伽 尾盧左曩

mah?mudr?[1][2][3] ma?i padma
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
マカボダラ マニ ハンドマ
摩訶母捺? 麼? 鉢納麼

jv?la pravarttaya h??
光明を 放ち給え フーン (聖音)
ジンバラ ハラバリタヤ ウン
入?? 鉢?韈?野 吽

加持飲食陀羅尼(無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼
ノウマク・サラバ・タターギャタ・パロキテイ・オン・サンバラ・サンバラ・ウン

95 :神も仏も名無しさん:2020/09/15(火) 05:13:56.26 ID:ExT4swRLv
南無過去宝勝如来(なむかこほうしょうにょらい)

除慳貪業福智円満(じょけんどんごうふくちえんまん)

南無妙色身如来(なむみょうしきしんにょらい)

破醜陋行圓満相好(はしゅるぎょうえんまんそうごう)

南無甘露王如来(なむかんろおうにょらい)

潅法身心令受快楽(かんぼうしんじんりょうじゅけらく)

南無廣博身如来(なむこうばくしんにょらい)

咽喉廣大飲食受用(いんこうこうだいおんじきじゅよう)

南無離怖畏如来(なむりふいにょらい)

恐怖悉除離餓鬼趣(くふしつじょりがきしゅ)


蒙甘露法味陀羅尼
ノウマク・ソロバヤタターギャタヤ・タニャタ・オン・ソロソロ・ハラソロ・

96 :神も仏も名無しさん:2020/09/15(火) 05:16:44.18 ID:ExT4swRLv
ハラソロ・ソワカ

生飯偈(さばげ)

偈文


汝等鬼神衆 (にょとうきじんしゅ)
あなたたち鬼や神たちよ

我今施汝供 (がこんせにょくー)
私は今あなたに施しをして供養します。

此食遍?十方 (しじきへんじっぽう)
この食事をあまねく全世界に行渡らせ、

一切鬼神供 (いっさいきじんくー)
すべての鬼と神に捧げ供養します。

地蔵菩薩真言
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(O? ha ha ha vismaye sv?h?)
邦訳すれば『オーン、ha・ha・ha(地蔵菩薩の種子を3回唱える)、希有なる御方よ、スヴァーハー』

発菩提心真言
オン ボウヂシッタ ボダハダヤミ
(オーム ボーディチッタン ウトパーダヤーミ)

秘密三昧耶仏戒
おん さまや さとばん

http://www.horakuji.com/lecture/sila/samaya-sila.htm

97 :神も仏も名無しさん:2020/09/17(木) 03:09:17.38 ID:dJqlphM3s
手に入れたと感じられた宝が
観によるものか、止によるものか存じませんが、観であれば常に初禅の境地は
キープでき、止であれば毎日継続することだと思います。何かに同調して変性意識に入るとかではなくて、普通の寧ろ沈んだ意識より
自然に観察する習慣をつけ、生活に馴染ませて行くのが確実です。瞑想は座っていなければできないというものではないですから

98 :神も仏も名無しさん:2020/09/18(金) 12:33:09.16 ID:8g5gPCrnT
 〜〜ましょうという言葉によって
何ものかへの執着により苦が生じ、
執着を因とした苦であるが故に苦そのものに実体が無い事を思い起こし、
苦に実体が無い事で因である執着も実体が無くなり
執着そのものが消え去って
これを観察した因により、方便が生じる

この場合、一時的に煩悩障は消えますが
まだ所知障が残っているため、
また来てしまうという問題があります
まだ一切のもの事には実体がないと
理解できていないからではないのかと推測してはいる

99 :神も仏も名無しさん:2020/09/19(土) 04:26:49.89 ID:bpteFT4fQ
和顔愛語(わげんあいご)とは、「無量寿経」(康僧鎧の訳とされる『仏説無量寿経』の事を示し、浄土宗や浄土真宗では根本所依の経典)にある言葉で、
おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することなのです。
無財の七施(むざいのしちせ)〔財がなくてもできる七通りの布施〕の中の和顔悦色施(わげんえつじきせ)と言辞施(ごんじせ)に通じる内容ですから、
布施行のひとつでもあります。

無財の七施(むざいのしちせ)
1.眼施(げんせ)
やさしい眼差(まなざ)しで人に接する。
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)
にこやかな顔で接する。
3.言辞施(ごんじせ)
やさしい言葉で接する。
4.身施(しんせ)
自分の身体でできることを奉仕する。
5.心施(しんせ)
他のために心をくばる。
6.床座施(しょうざせ)
席や場所を譲る。
7.房舎施(ぼうじゃせ)
自分の家を提供する。

「何であれ善く説かれたものであれば、 それは全て釈尊のことばである。」
『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』

100 :神も仏も名無しさん:2020/09/19(土) 04:28:23.69 ID:bpteFT4fQ
原始経典同士は互いに関連付けて理解するもの

筏喩経の最後に
>「修行僧達よ。この人はこの筏を岸に引き上げて、再びガンジス川に沈めたのであり、それは正しい処置であった。
修行僧達よ、この筏の喩えを知るものは、総て真理も法も捨てねばならない。
ましてや真理でないもの、法で無いものを捨てねばならないことは言うまでも無い。」

『(師ブッダが現われていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアータヴィ・ブッダが信仰を捨て去ったように、
そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。ビンギャよ。」』(『スッタニパータ』第5章<パーラヤナ篇> Sn.1146  =『ブッダのことば』中村元訳・岩波文庫)

つまり筏は向こう岸=涅槃にたどり着く為の乗り物で辿り着いた後に捨てられるのは何かと言えば信仰
この信仰とは何かと言えば四諦に有るように「苦を滅する道がある」という事に対する信仰
苦を滅する最後の段階ではそれまで持ち続けた信仰も無用となり新たに教わる様な教えも存在しない
心に抱え続けたあらゆる物から来る苦悩を解決する最終的な手段は所有する物も俗世の人間関係も何もかも捨てきる事で教えも例外じゃない
所有してる物事が無くなる事 それを得たいという思いがなくなる事で苦悩が消え失せるというのが原始仏教のやり方

101 :神も仏も名無しさん:2020/09/20(日) 07:54:49.48 ID:UmPau+FCr
オン・バザラ・ダト・バン (金剛界)[14]
O? vajra-dh?tu va?
ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン (胎蔵界)
Nama? samanta-buddh?n??, a vi ra h?? kha?

102 :神も仏も名無しさん:2020/09/20(日) 09:18:05.79 ID:UmPau+FCr
>「ア」は、さとりの世界にあるあらゆる存在は、本来生起(も滅亡も)しないこと(?dyanutpanna)を象徴し、
それが大地の堅固さにたとえられることから「地」とされます。
それを阿字本不生と言います。

「バ」は、さとりの世界は通常の言語(v?c)では表現されないことを象徴し、それが水の持つ清めの力にたとえられるので「水」とされます。
それを?字離言説(ばじりごんぜつ)と言います。

「ラ」はさとりの世界が汚れ(rajas)のないことを象徴し、それが全てを焼き尽くす火の浄化力にたとえられるので「火」とされます。
それを?字清浄無垢塵(らじしょうじょうむくじん)と言います。

「カ」はさとりの世界が原因(hetu)や条件などの働きを超越していることを象徴し、それが全てを吹き払う風の力にたとえられるので「風」とされます。
それを訶字因業不可得(かじいんごうふかとく)と言います。

「キャ」はさとりの世界が虚空(kha)に等しいことを象徴し、それがあらゆるものを包含する虚空(宇宙)にたとえられるので「空」とされます。
これを等虚空と言います

>「金剛界よ。バン(金剛界大日如来)よ。」とか
「金剛のような堅固な覚りを本質として有する仏、金剛界大日如来よ。」

103 :神も仏も名無しさん:2020/09/20(日) 09:54:09.36 ID:UmPau+FCr
大日如来様のご真言、
おん あびら うんけん ばさら だと ばん

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14197586874

104 :神も仏も名無しさん:2020/09/20(日) 10:39:34.39 ID:UmPau+FCr
不完全に見られた空は智慧の鈍いものを害する。恰も不完全に捕えられた蛇、或いは未完の咒術の如し

それ故にその法が鈍いものどもによってよく領解されえないことを考えて、
聖者(ブッダ)が教えを説示しようとする心はやんだ。
— 『中論』24:11,12

105 :神も仏も名無しさん:2020/09/20(日) 20:07:19.52 ID:UmPau+FCr
『華厳経』読経
https://www.youtube.com/watch?v=RlnxJFRbyw8

華厳経と華厳思想 No.1(華厳経の教え)
https://www.youtube.com/watch?v=ivdY28YKCsQ

106 :神も仏も名無しさん:2020/09/22(火) 05:25:32.72 ID:RxGsydWuB
八正道の意義〜

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1555424766/26-

107 :神も仏も名無しさん:2020/09/22(火) 11:39:09.42 ID:RxGsydWuB
>パーリ三蔵等に700年
とかいう数字は無いよな。
天魔云々はあるにせよ。そういう年代指定とかが後からとってつけた加上増広というやつかな
ただそうやってみてくと
ウパニシャッドについてはスルーでもサンヒターは批判するとかも
三蔵編纂者の見解が混じったもんだったとかって見えて来ない?


ヨガスートラ|見る者と見られる者
https://youtu.be/1YOYQAncWeY?t=1

AWA UTA - GAYATRI MANTRA  あわ歌 - ガヤトリマントラ / CRYSTAL NADA
https://www.youtube.com/watch?v=LIHX1OP7uE0

古伝巣籠(鶴の巣籠)[KODEN SUGOMORI(TSURU NO SUGOMORI)] / 寄田真見乃
https://www.youtube.com/watch?v=Sv2je9arNz4

鹿の遠音[SHIKA NO TONE](独奏)/ 寄田真見乃
https://www.youtube.com/watch?v=HwY4MYJZ-Zg

108 :神も仏も名無しさん:2020/09/22(火) 21:35:57.96 ID:RxGsydWuB
胎蔵界
金剛界 (こんごうかい) と対になり,密教における2種法門の一つ。胎蔵とはサンスクリット語 garbha-ko?aの漢訳語で,
一切を含蔵する意義を有し,また母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有している。
因徳を成じて果徳に同じる胎蔵界を蓮華が開くことにたとえて蓮華胎蔵といい,仏の大悲が衆生を守護して育てることを,
母胎が子を養育することにたとえて胞体胎蔵という。

金剛界
仏教用語。『金剛頂経』で説かれる唯一絶対の実在界のこと。正しくは一切如来身語心金剛界という。
究極的実在を想像も及ばない無量無数の一切の如来たちの身体と言葉と精神が1つに集合した絶対界であると表現したもの。
表現不可能なこの実在者が衆生利益のために顕在化し,象徴的な図形によって自己を表現したとされるものが金剛界曼荼羅である。

109 :神も仏も名無しさん:2020/09/23(水) 13:32:45.40 ID:3ydIMRNSu
Pure consciousness プルシャ、純粋意識=我、涅槃(真我・至上我・真諦)のこと

110 :神も仏も名無しさん:2020/09/23(水) 15:45:09.89 ID:3ydIMRNSu
160 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

ヴェーダ哲学の「人間は大いなる大宇宙の中の小宇宙である」

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/866-868
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/877
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/886-887
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/891-892
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/895-896
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/901
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/907
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/912-913
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/916-923
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/926-931
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/935-947
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/966-972

111 :神も仏も名無しさん:2020/09/23(水) 17:22:00.67 ID:3ydIMRNSu
内観によって五蘊(諸法)という幻を遠ざけて「実は世界は真実には存在しない」と覚る→純粋意識たる真我を確かめる事なのです。
本来仏教でそれは語るべきでないお話とされ、無我と呼ばれてきました

世間を陽炎と見れる人なら苦の起源たる渇愛も執着も起こさないから当然苦も生じない
つまり空観とは、滅諦に到るための道諦でもあり、滅諦の比喩でもあるのです。単に言葉の理解の問題。
先ほども >テーラワーダが般若心経を攻撃するのはテーラワーダには本当の悟りが伝わっていないから「空」が理解できないのでしょう。 との指摘を
見たばかりでした、また究竟道とは、仮・空も超えた中の道と観じます。

佐保田鶴治も同様の観点から、般若心経は密教のお経であり、全部を繰り返すのは無駄であって、最後の明呪だけを繰り返せばよいとしている。

前スレ 721 以前までは正常であった その下から荒らしが北

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/692-721
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/771
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/777
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/800-801
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/806
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/815-818
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/826
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/834-835
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1510698501/864

112 :神も仏も名無しさん:2020/09/23(水) 19:02:58.63 ID:3ydIMRNSu
純粋意識の探究
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1600853777/

113 :神も仏も名無しさん:2020/09/24(木) 03:17:59.13 ID:CSJpXLGy0
時間の観念も自己所有の意識も幻想
地球での長い年月も別の天体へ行けば一瞬
全ては幻なのであり
一切皆空

114 :神も仏も名無しさん:2020/09/25(金) 20:31:50.47
太陽の運動が5次元なのでは?

115 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 01:22:07.32 ID:V80yeIUe8
龍樹「あらゆる不善をやめること, (身体と) 口と心 による (三つの) 行為によってつねに善を行なうこと, これが二種の法といわれています。
この法によって, 地獄や餓鬼や畜生に生まれることを免れるばかりでなく, 人間や神々の世界において, 大きな安らぎと栄光と尊貴を得ます。
さらに, (四) 禅・(四) 無量・(四) 無色 (の修定) によって, 梵天をはじめとする (諸天の) 安穏が得られます。
以上が, 要約していうと, 繁栄の法とその報いとであります。」 (『宝行王正論』 第1章22󿰀24偈)

ここでは龍樹は王様に対して、四無色禅を紹介して勧めていました。

また四無量心については別に王様に宛てた手紙のなかで

「慈しみ (慈), 憐れみ (悲), 喜び (喜), (愛 憎を離れた) 平静心 (捨) をつねによく修めるべきです。
たとえ高い境地にいたらなくとも, 梵天の世界の幸せを得るでありましょう。
欲望, 思案, 歓喜, 楽と苦を断つ四種の禅定によって, 梵天, 浄光天, 広善天, 広果天の神々と同じ幸 せを得るでありましょう。」(『勧誡王頌』40󿰀41 偈)

止観については

「智慧なくしては禅定はありえず, 禅定なくし ては智慧もありえません。 その両者がある人に とっては, 生死の海は牛の足跡のようである, と知るべきです。」 (『勧誡王頌』 107 偈)

と記していました。
王様は在家なので般涅槃ではなく生天の教えを説いています

116 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 01:29:54.78 ID:V80yeIUe8
>>55
初禅・・・五禅支の生成
五下分結(衆生を「欲界」へと縛り付ける「5つの束縛」としての煩悩の総称)を絶って欲界から脱する


一日のうち、たとえ一瞬であっても、
煩悩を止め
如来の心を自覚できるなら それは
よいことである

修行者は果報を期待したり考えること自体
不遜で筋違いのこと、無意味で滑稽といった意識をもつべきではないでしょうか

阿羅漢ともなれば、上分結からも解放され
慢なども、とうに消えているというか、起こり様がないのですが、
そこまでいかずとも、四念処観を実践していけば
自分の心も如実に観察するので、痴かな思いも自ずと起きなくなるような気がします。

「止」を伴った優れた「観」が
煩悩を克服するのをよく知って
四つの無色界の瞑想を超越した瞑想を修習する
それが菩薩の実践である

三十七の菩薩の実践(菩薩道を実践したい人のために記された聖典)

117 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 01:47:59.78 ID:V80yeIUe8
>般涅槃される直前 にといっても、それは一旦初禅から滅尽定まで上がり、
また滅尽定より初禅まで下って、それから第四禅にて、無余依涅槃入りというのは
あくまでも如来の入滅・大涅槃であって、
しかも当時まだ阿羅漢でもなかった阿難らが他心通?によって読み取った??
とされるお話でもあって、それらをもって、まだ有余依涅槃までしか(それだって
格別なことですが)行けない修行僧がブッダ大涅槃の伝説をマネする意義が
あるのか、さっぱりわかりません。やはり原典版マハーパリニッヴァーナスッタンタ
の最初期における解釈というか受け止め方が可笑しく、
それに引きずられて後続の仏教徒が正しい実践、正定に背を向ける結果になった
ような気がしてなりません。


>>224
そもそも今まさに無余依涅槃に入らんとされているブッダは
生死輪廻など、とうの昔に超越した存在であり、
一般仏教徒が如来の大涅槃の(しかも後代の編纂者の想像が混じった)行いを真似して
生涯貫かれた他の正定の実践をあっさり切り捨てる根拠が生じるのでしょうか?

118 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 11:25:53.32 ID:V80yeIUe8
>>223
>有部において静慮いわゆる禅とは、止と観とが拮抗した心の状態、『倶舎論』における玄奘三蔵の訳語をもって言えば、
>止観均行なる勝れた心の状態を示すもの

そうです。理想の無色定は、「止観均行なる勝れた心の状態」にあると常々感じていました。
私見を述べれば、初禅から滅想受定にいたる流れを止と観の関係より大雑把に要約すると
以下のように止と観を七度ずつ反復して
完全な止={五蘊皆空」を完成させる流れとなります。

@瞑想を始めるに当たって、まず欲界から離れ、五禅支の生成=(日常的な思いの)止 → 初禅=観
A第二禅=止(尋・伺が捨てられる) 三昧
B第三禅=観(正念・正智・正見)
C第四禅=止(一境性単独状態) サマーディの完成
D四無色定=色界が消え、観より止へ ×4 止観均行
E滅想受定=完全な止、涅槃

119 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 11:36:49.72 ID:V80yeIUe8
>>224

初禅から滅尽定まで の歩みは
如去を示し
滅尽定より初禅までは
如来をあらわし
再び二・三・四禅と進んでの大涅槃は
色界からの完全な離脱を示す とも色貪も無色貪も捨てた中の道ともとれますね。

テーラワーダ式に4個だけやればよいの略分ではなく、ブッダの示された通り修習実践するなら
初禅から滅尽定までの色即是空9+滅尽定より初禅までの空即是色8+二・三・四禅の20ステップでは?

120 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 12:13:06.04 ID:V80yeIUe8
何を止めるかといえば、それは煩悩を止めるのであり、
智慧とは如来の心に目覚める(自覚する)ことである。

121 :神も仏も名無しさん:2020/09/29(火) 12:15:42.25 ID:V80yeIUe8
何を止めるかといえば、それは煩悩を止めるのであり、
観察する智慧とは如来の心に目覚める(自覚する)事なり

122 :神も仏も名無しさん:2020/09/30(水) 09:44:19.09 ID:yE5w1hAfX
如来の大般涅槃のマネをするにしても、ちゃんと真面目にするのなら
テーラワーダ式に4個だけやればよいの略分ではなく、ブッダの示された通り
初禅から滅尽定までの色即是空9+滅尽定より初禅までの空即是色8+
二・三・四禅(真に色界より解脱し中の道に入る大涅槃)の計20ステップ

123 :神も仏も名無しさん:2020/10/03(土) 09:57:20.61 ID:Vd+qx3+cP
┏━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┓
┃仏説摩訶般若波羅蜜多心経
┃観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。
┃色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。
┃是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中無色、
┃無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
┃無眼界、乃至、無意識界。
┃無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。
┃無智・亦無得。以無所得故。
┃菩提薩陀、依般若波羅蜜多故、心無掛礙、無掛礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、┃
┃究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
┃故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、
┃能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多咒。
┃即説咒曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
┃般若心経
┗━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┛
為 開運招福 心願成就 諸願成就 満願成就 也

124 :神も仏も名無しさん:2020/10/03(土) 10:01:48.95 ID:Vd+qx3+cP
観世音   南無仏
与仏有因  与仏有縁
仏法僧縁  常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起  念念不離心

125 :神も仏も名無しさん:2020/10/03(土) 10:02:39.55 ID:Vd+qx3+cP
延命十句観音経

観世音   南無仏
与仏有因  与仏有縁
仏法僧縁  常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起  念念不離心

126 :神も仏も名無しさん:2020/10/04(日) 04:35:15.06 ID:tWRYbvR9O
ダイアナ妃暗殺と父親違いの子を産んだ女優の死
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1601752553/

127 :神も仏も名無しさん:2020/10/07(水) 14:50:09.23 ID:r3ZgpsAwq
摂大乗論 和訳と注解
長尾 雅人

アーラヤ識を主体として輪廻が発生していた
アーラヤ識によって、現に生死輪廻の世界が成立し、またその払拭によって解脱涅槃の世界がある

生存のあり方に3種があって、
@迷っている段階
A迷いに気が付き始めた生存のあり方
B迷いから目覚めたあり

第八回 現代仏教塾「仏教の生命論」後半 唯識の生命論/三木悟
https://www.youtube.com/watch?v=5ST8mySxds4

128 :神も仏も名無しさん:2020/10/08(木) 16:53:52.70 ID:JZKsddQIO
純粋意識の探究
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1600853777/

129 :神も仏も名無しさん:2020/10/09(金) 09:05:21.94 ID:M8dm5XBku
「不死に達するための苦行なるものは、すべてためにならぬものであると知って、・・・乾いた陸地にのり上げた船の舵(かじ)や艪(ろ)のように、
全く役に立たぬものである。

さとりに至る道・・・戒めと、精神統一と、智慧とを修めて、わたしは最高の清浄に達した。破滅をもたらす者よ。お前は打ち負かされたのだ。」

130 :神も仏も名無しさん:2020/10/09(金) 09:42:50.62 ID:M8dm5XBku
釈尊が「四禅三明」で成道したという経典がある
との事ですが、何という名の
お経ですか?

131 :神も仏も名無しさん:2020/10/10(土) 15:18:04.96 ID:F+3RmjBr9
華厳十波羅蜜と九次第定、菩提分法の実践と体得
カテゴリ:カテゴリ未分類
菩提分法とは、三十七菩提道品などとも呼ばれ、中に八正道も含みます。
また六波羅蜜と止観についての照見五蘊皆空 度一切苦厄さん
の質問中に良い説明がありましたので、一部転載させていただきます。
布施とは、他に施すなどの資糧を積む行い
持戒は、戒律や (在家なら)在家信者戒を守ること。というよりも ある程度は時代の常識に融通無碍に沿いつつ
菩提分法に則った行いをする事
忍辱とは、不如意や困難にも三毒の心を遠離するよう、四無量心をもって耐え忍ぶこと
精進は、瞑想時に得た決意や菩提心をもって日々の生活にも常に仏たるよう努力する事
(ここまで、ほぼそのまま)
禅定 精神統一。九次第定の完成。
慧   瞑想中の観察だけでなく、日常生活においても観察行を継続し、さらに深化させる実践
つまり生死輪廻の境地から解脱し、五蘊を越え、プルシャを覚った仏の心で人生を生きる事です。
観は
止(禅定)や慧波羅蜜による「瞑想中の観」で得たさとりの智慧を
日常生活の中でも維持し、深めること
との認識は重要でしょう。般若波羅蜜多とは智慧方便のことであり、究極的には世間法即涅槃の通り、
衆生の救いのために生かされるべき(涅槃に至らしめる)手段だからです。
しかしポイントはブッダが「戒めと精神統一と智慧とを修めて、我は最高の清浄に達した」とされる解脱
に到るための行いで、それを具足する道が華厳十波羅蜜ではないのかとも思われます。
そして四禅を超えて「想受滅」を経て解脱するという経典もあり、
(「南伝大蔵経」9巻、360、313頁。10巻、267頁。13巻、311頁)
「想受滅」つまり滅尽定を完成させるためには、四無色定を経ての九段階のステップが必要と思われます。
また九次第定の重要な意義が示唆されたお経として
オリジナルの大般涅槃経であるマハーパリニッヴァーナスッタンタが挙げられます。

132 :神も仏も名無しさん:2020/10/10(土) 15:20:54.32 ID:F+3RmjBr9

しかしアーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき彼の身体は健全なのである
その故にアーナンダよ、この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
マハーパリニッヴァーナスッタンタ


もし、この原典版である大般涅槃経の意義をぼかしたり、
良くわからなくさせる面があるとしたら
後に潤色された大乗経典は、よろしくない改悪作業を経た誤訳的な内容を含むものと見做されなければならないでしょう。
涅槃経には9種の異本があり、それぞれに後世の脚色が加えられているのですが、
常楽我浄や如来常住や一切悉有仏性等の如来蔵思想も、他の経典において既に説かれていることであり、空の解釈にしても
仏説の真義を歪めてないか、再検討の必要があると思います。
最後になりますが、「いかに九次第定を究めるか」というスレッドで見つけた
興味深い実践法を引用させていただきます。とても参考になる内容と思います。
>理想の無色定は、「止観均行なる勝れた心の状態」にあると常々感じていました。
私見を述べれば、初禅から滅想受定にいたる流れを止と観の関係より大雑把に要約すると
以下のように止と観を七度ずつ反復して
完全な止={五蘊皆空」を完成させる流れとなります。
@瞑想を始めるに当たって、まず欲界から離れ、五禅支の生成=(日常的な思いの)止 → 初禅=観
A第二禅=止(尋・伺が捨てられる) 三昧
B第三禅=観(正念・正智・正見)
C第四禅=止(一境性単独状態) サマーディの完成
D四無色定=色界が消え、観より止へ ×4 止観均行
E滅想受定=完全な止、涅槃

133 :神も仏も名無しさん:2020/10/11(日) 04:14:03.09 ID:xZEiL0IDk
https://plaza.rakuten.co.jp/brahmanbuddha/diaryall/

134 :神も仏も名無しさん:2020/10/13(火) 04:46:41.05 ID:1arXag3+C
真理の言葉
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/487

135 :神も仏も名無しさん:2020/10/15(木) 12:48:54.62 ID:hqaDOZf/s
>>128

un

136 :神も仏も名無しさん:2020/10/19(月) 06:39:06.92 ID:Xd/yL/3EZ
スリランカから来た坊さんの本に、奇妙なことが書いてある
https://youtu.be/7jKGg_jelSM?t=1767

137 :神も仏も名無しさん:2020/10/20(火) 15:46:50.18
誰もが、余命の長短の差はあれ、
必ず死によって終わる余命を生きているわけだ。
実は、時間というのは幻想なのであり、皆、そうした幻を生きて
消えていくのである。

138 :神も仏も名無しさん:2020/10/21(水) 18:00:12.81 ID:Mjvefncuh
ブッダゴーサの改竄を把握するには漢訳阿含経や法句経と比較すればいいけど パーリ語聖典で最も表現が古いスッタニパータ第4章 第5章は
漢訳されてないから検証が出来ない

ただ釈迦の時代のマガダ語表現をインドの言語に精通していないシンハラ人が捏造するのは困難なので 其処は信頼出来る部分ではなかろうか?

一念三千(いちねんさんぜん)とは、天台宗の観法であり、また根本教理とする。一念の心に三千の諸法を具えることを観(かん)ずることである。

139 :神も仏も名無しさん:2020/10/22(木) 10:51:13.26 ID:Ay/reaNH+
思っても思わんでも五蘊は幻想だから、実には五蘊に我は無く、
勝義の我は、見ることはできる。
だが、板曼荼羅は五蘊の生した業である故、
実体は無い。

140 :神も仏も名無しさん:2020/10/22(木) 17:04:38.40 ID:Ay/reaNH+
最初から仏だったというなら仏門に入る訳がない

魔酢谷、酢魔拿皿、豚魔米痴
現代の波旬らが
ウィルス魔いてるんかい?
ww

141 :神も仏も名無しさん:2020/10/25(日) 10:15:52.10 ID:P2FTX5HPv

もう戻らぬ

142 :神も仏も名無しさん:2020/10/25(日) 10:24:41.86 ID:P2FTX5HPv
翼かっとこか
ぼうず

143 :神も仏も名無しさん:2020/10/28(水) 21:21:03.92 ID:kmLzQCIq0
じじれつちゅうい
しんどうあきらめない

144 :神も仏も名無しさん:2020/10/29(木) 20:39:34.48 ID:vw1zAQ2Y0
>物質はまだ世俗諦
そんなもんは宇宙が終わる時に消え去る



悟りは言語で表せない

あらゆる言語表現を「〜ではない」で打ち消した果てにある言い表し様のない何かだから それを言語化するのは退行でしかない

強いて言えば悟りとは「〜ではない」に尽きる

145 :神も仏も名無しさん:2020/10/30(金) 10:06:05.08 ID:dR58V1zCQ
大念住経(マハーサティーパッターナ・スッタ)

一-4.不浄観察の部
9.比丘たちよ、次に比丘は、足の裏から上へ、頭髪の先から下へ、皮膚に覆われ多くの不純なもので満たされているこの身体について観察する。

「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓、胃、腸、胃の中の食べ物、大便、胆汁、啖、膿汁、血、汗、脂肪、涙、血精、唾、鼻汁、関節滑液、脳漿、小便がある」と。

比丘たちよ、それは、ちょうど両方に口がある袋の中が、いろいろな穀物、即ち、サーリ籾米、ヴィーヒ籾米、緑豆、そら豆、胡麻、米などで一杯になっているようなものである。

良い目の者は、それを開けて「これらはサーリ籾米、これらはヴィーヒ籾米、これらは緑豆、これらはそら豆、これらは胡麻、これらは米である」と観察するであろう。

146 :神も仏も名無しさん:2020/10/31(土) 09:11:45.88 ID:9qA7dNdLe
>毘盧遮那は華厳経の太陽の象徴

大日如来の梵名は摩可毘盧遮那=マハー・ヴァイローチャナで宇宙を遍ねく照らす光で釈迦如来とは別体

147 :神も仏も名無しさん:2020/10/31(土) 09:14:54.56 ID:9qA7dNdLe
別体
とは言うものの
すべての仏は、この仏から出、宇宙において、この仏のあらわれでないものは
無い。

148 :神も仏も名無しさん:2020/11/01(日) 11:13:14.05 ID:6AwbPasPp
ブッダは「スジャータのおかげで覚れたのだよ」と言うかもしれません。
また「我が衆生を救ったというより、梵天さんが利他をすすめてくれたから説法しただけなのだよ」と言うでしょう。
決して哀れむべき輩のおべんちゃらの出鱈目詭弁で史実を曲げ過大評価するのが道理な訳はなく、
いわんや日蓮が持ちだしたとされる鎌倉時代の真言僧(いったい誰!?)のような
仏を卑下する言説に理があるとはいえません。

149 :神も仏も名無しさん:2020/11/02(月) 02:00:11.07
執着を持たせようとする対象は偽りで、
幻でしかない

150 :神も仏も名無しさん:2020/11/04(水) 11:28:12.42 ID:V7W58J+GB
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

151 :神も仏も名無しさん:2020/11/05(木) 12:27:37.69 ID:IFQ5cV3Nu
良遍の『唯識大意』曰く
「定果色又は定自在所生の色、又定所引とも云ふ、
是れは定力の勝れたる人、火光定に入て火光発現し光明を現し又六根浄を得、
悉地成就して加被の自在を得、念仏三昧発得しては仏界を見、
又八地已上の菩薩は砂石を変化して金玉とし、
其余種(たね)なくして米菓を生ずる等自在所生の実色なり。」

定果色について法相の良遍が『唯識大意』で、
「定力のすぐれたる人が仏界見る時の実色なり」と
「観る」ではなくて「見る」と言っている

152 :神も仏も名無しさん:2020/11/06(金) 07:36:58.73 ID:Ej8HJg5Qy
唯識にもいろいろある。
末那識というのは利己的自我、阿頼耶識は五蘊の識=諸法(プラクリティ)、
さらに深層に阿摩羅識があって、それが仏性とか如来蔵とか
心王などと呼ばれる。


>唯識初歩の33ページによると、
師僧(橋本凝胤)から教えられたのが、
唯識は五八識が大事だ

説明には
前五識と第八識の両識で認識すれば、第六識、意識・第七識、マナ識によって歪められた認識がないことに気づき。

153 :神も仏も名無しさん:2020/11/06(金) 10:47:30.11 ID:Ej8HJg5Qy
凡夫の遍計所執性と 成仏後の円成実性は全く異なり、
自我執着意識や余計な計らい執われが完全に除かれた状態が円成実性で
自我執着意識を無にしよう、なくそうと常日頃から取り組んでる求道者には
既に理解できなくてよいものかも知れません

依他起性に達してるという点では、大乗の菩薩でも縁起を知った独覚乗でも同じ
そこから、どっち向くか、
凡夫へ戻る方向か、円成実性まで達するか
全く違う

唯識的に言うと
識の汚れによって、それに相応する汚いものが寄って来るという
のも言えてて、しかし、それだけでは、全ては説明できませんし、
人は何も変えられません。


瑜伽行派の瑜伽というのは「相応」であって、
識の汚れを浄化して人生を改善するのが目的なので、
その識の汚れ=カルマがくっつくのが五蘊のどこかなのか、第八か七かは
あまり重要でなく、また唯識一派の見解がベストとも限らん

末那識は最初、煩悩側だった時に
観察する主体である眼界や阿頼耶識のほうを見て
勝手に「俺」だとか誤認するだけで
平等性智に転じると、、それは真我とか宇宙意識とか阿シュク如来とか
と成る。と

154 :神も仏も名無しさん:2020/11/07(土) 08:41:26.01 ID:HbIYBtnOF
無明が消えれば行も消えるから
犬の生老死もなくなる。
それを逆観
という


瑜伽行的には、法身仏より
識を浄めるために
いぬの生老死の観察という中道正見修行を
させていただいておる


だからいぬに輪廻するもののカルマというものを
よく見つめて、そうした悪業の根源にある無明無知をきれいに晴らせば
悪い「行」も消えるから、悪い縁起の連環も断たれて、輪廻じたいが
消滅する

155 :神も仏も名無しさん:2020/11/07(土) 17:13:53.10 ID:HbIYBtnOF
ブッダの無我を「我執を無くすこと」と本来的な意味で理解するなら
(唯識的には)第七識を平等性智に転識得智する でおしまい


ブッダは仏教がなかった時代にさとったんだし
ブッダ以後にブッダが出てないとすれば、
仏教って多分、未完成だったか、仏に成れる教え
じゃなかったという事

156 :神も仏も名無しさん:2020/11/08(日) 19:37:52.64 ID:GSppZFhgr
我を【我執】とするか 個人の【実体】的何物かとするのか?それで違ってきますね。
ヨーガのヨーゲシュバラナンダ師著『魂の科学』によれば【真我】に相対して有るのが【我執】であるとしています。

この我執とは生命を持たない微細精妙器官で有って 胸に位置し 頭部の【理智・意思】に入ってくる五感からの情報を【真我】に見せるとともに その情報の取捨選択を瞬時に行い それを【宇宙我執】に受け渡す役目を担っているとあります。

【我執】には3つの位相があります、3グナと言い 1善性 2動性 3暗性 でこの3つがバランスして人の性質が決まるようです、
この【1善性】のみとなった【我執】の状態はまさに【平等性】の状態であります。

しかし あくまで此は【真我】に於いて観照された【我執】の状態であって 生命の当体ではなく 生命無き器官であり其所に実体は無いとされます。

選択無き【我執】は【止念の行】のみの状態にあって その状態を【真我】に見せます、止念の状態にある我執は【観られる】側であるので ここで識の転変が起きます。

我執は一時的に空となるので 対象を失った【観る側の真我】の注意は自身に置かれます、この状態を【真我独存位】カイバリヤーと言い 真我自身のみになった状態と言われています。

真我はこの後 更に【プルシャ】に転変し更に【ブラフマン】宇宙意識に至ります、真我独存位では 当然色界は覚知されず 純白の光もしくはダイヤモンドの耀きのごとき光としてあるとされています。

157 :神も仏も名無しさん:2020/11/10(火) 08:29:47.90 ID:5O6DN1Dl4
毘盧遮那佛

158 :神も仏も名無しさん:2020/11/12(木) 06:54:21.01 ID:az1sc8dWp
ありがとうございます。

最後には、自分が仏という真実に気付くしかない。

159 :神も仏も名無しさん:2020/11/12(木) 10:10:22.11 ID:az1sc8dWp
悟るとは自己をコントロールし、調え、まとめる事です

戒めと精神統一と智慧により達成される清浄です
仏教も元々はヨガですから
お釈迦さまは元々はヨガ行者でした

160 :神も仏も名無しさん:2020/11/13(金) 05:35:43.59 ID:c7stJJeIF
キリストは兎も角として
弘法大師にとっての「文字」とは、まさにそうした
縁起とか情報とか宇宙の根本原理とかに直結し、全て包摂する真言だったと
考えられる。

161 :神も仏も名無しさん:2020/11/18(水) 08:50:17.00 ID:HyunB6jnY
覚者は、んな自明なことはわざわざ言わない。聴聞者の心理的反応にも
よく気をつけ、諸の影響にまで配慮して、正しく法を説く。

>女の正体とは、ウンコ、ゲロ、汚れきった
垢や体液の集積体なり。
斯くの如き不浄なる代物に、何ゆえ執着する事が出来ようか!。
これがブッダの悟りである

162 :神も仏も名無しさん:2020/11/18(水) 20:03:42.50 ID:MW/luccYE
ブッタはネパール人

今ならコンビニに来るね

ルンビニからコンビニにきまし〜た

おへんと 480円 ありがとござまし〜

163 :神も仏も名無しさん:2020/11/21(土) 09:50:07.79 ID:jWUtSGYLW
欲色界の物質的形態への執われを完全に滅ぼす段階
想(事物の形象を心の中に思い浮かべる心的表象行動)が滅して、五蘊は皆空となり、五蘊を越え、涅槃寂滅・寂静境を知得

>阿頼耶識には常に五遍行(触・作意・受・想・思)という心の働きと共にあると
説かれている
”触・作意・受・想・思という心所はあるものの唯捨受のみ”
ただ受のみが捨受と説かれるのは、煩悩がない価値中立を意味
『唯識三十頌』では、現量と説かれていない。
捨受とは、価値中立の受であるということ

■基本概念の解説
・触spar?a…接触のこと
・作意 manask?ra…manas心+k?ra動かす→思考すること
・受vedan?…人間の感受作用
・想sa?jñ?…事物の形象を心の中に思い浮かべるイメージ化作用(表象作用)
・思cetan?…意思。目標に向かう方向性を持った意思
・捨受…苦楽憂喜などを感じない感覚な感受作用のみ

164 :神も仏も名無しさん:2020/11/22(日) 21:51:08.63
五蘊を越える=プルシャを覚る→梵我一如に到る

五蘊は今生一回限りの身心の状態で、プラクリティの仮の顕われ

サーンキヤで言うプラクリティとは、実は梵でなく、諸法
のことだったとか?

165 :神も仏も名無しさん:2020/11/23(月) 10:34:17.05 ID:1WhH+Zy7o
※マッジマニカーヤを引用する者に見られる不純な動機という問題点  おかど遅いと嗤われるべき勘違いとは、

『我がもの』の所有観念の否定、つまり「無所有」の境地や「自我に固執する見解」の
否定は仏説として正しいにせよ、それを浅薄な梵我一如解釈による他教批判と結びつけた
点が改竄捏造で我説の混入・すり替えなのである


梵我一如を きちんと理解できぬまま、
そうした低級で浅薄な誤解に基づき
他教批判に仏の教えを利用する点こそがイカサマ。ブッダが否定したのは俗信であって
バラモン教徒の非合理性だけである


つまり、ブッダが批判したのは、梵我一如の「解釈の誤り」なのに
仏説を聞き齧った浅学者が、それを「梵我一如の完全否定」と誤解し、広めてしまった。
ブッダは、梵我一如の真義を理解せぬ者の狂信と我執を否定したのに、否定していない
真我を抹殺してる南伝等の顛倒見

166 :神も仏も名無しさん:2020/11/23(月) 15:02:38.90
感覚は実在しない
肉体(もの)を実体視する意識もカルマ(行)も想念も実在しない
五蘊は皆、仮初のあらわれであり、亦いかなる執着も 真実には
存在しない。


執着など実在しないのに
何ゆえ、そのような思いを為してるのか?
執着する心じたいが、そもそも
幻だというのに

167 :神も仏も名無しさん:2020/11/24(火) 10:09:09.58 ID:kQOjHB1aO
件の妄執の輩の行動は、仏の教えを学ぶ者の
あるべきすがたではありません。


「真言」コテという現代の俗信、我執を
ブッダの真我が撃破してます

いかに九次第定を極めるか
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1555424766/

168 :神も仏も名無しさん:2020/11/25(水) 10:59:14.83 ID:fLY+w1g+t
「三賢尚お未だこの旨を明らめず
十聖なんぞよくこの宗に達せん」『十玄談』

三賢十聖という、菩薩の位を極めた人ですら
仏心には全く届いていないという
仏だけは、凡夫や二乗、菩薩といった段階とは別

169 :神も仏も名無しさん:2020/11/25(水) 16:58:04.86 ID:fLY+w1g+t
生じるものは必ず滅するものである(無執着)

(五蘊・自我を越える) 平等性智へ転じる

諸法非我 → 空(無我)・不生不滅、プルシャ=プラクリティを覚る(梵我一如)

 → 虚空、涅槃(勝義)の「我」一心、如来

170 :神も仏も名無しさん:2020/11/26(木) 03:49:51.62 ID:KS3JsmSGz
人間には二種の自分、脳があるということに気付かないと無我や真我もわからないのだ。
一つは普段、誰もが意識する利己的自我、もう一つが如来を蔵する真の自己であり、
無我とは、まず利己的自我を綺麗に無にする事で、これは禅などでもやられてるようで、
正定であるなら仏心が自然と光輝くのである

171 :神も仏も名無しさん:2020/11/26(木) 14:20:57.40 ID:KS3JsmSGz
大乗で教えてることにも理はある。
道を成すための戒めと精神統一と智慧・・・
その修行を完成させる上で、忍辱波羅蜜といわれるものは
大変大事であり、
現代の方は、この忍辱が足りない
すぐ幻想でしかない自我の要求に屈し、忍辱することを放棄する
忍辱とは我慢ではない
離欲し、正しく仏道を成就するために
五禅支の喜を生じつつ
現実の困難や魔の誘いより心を固く守って耐え忍ぶことである

172 :神も仏も名無しさん:2020/11/26(木) 19:18:39.33 ID:KS3JsmSGz
誰もがブッダであり、
本来覚っている仏なのですが、
空即是色として、五蘊にまで それをあらわせているかが成仏・未仏の差
なのです

173 :神も仏も名無しさん:2020/11/27(金) 08:18:20.60 ID:Ja6Haq7hs
プラクリティとは空

空とはプラクリティ

174 :神も仏も名無しさん:2020/11/27(金) 11:39:00.13 ID:Ja6Haq7hs
否定の否定
とは
五蘊・諸法にかたちとして顕わす事
なのである

175 :神も仏も名無しさん:2020/11/29(日) 05:44:19.50 ID:YoK93NyLs
ガン患者でなくてもゲルソン療法の実践は健康によい
無糖のにんじんジュースは効果満点だ。ガン細胞も消す力がある。また23時から2時
の間だけ眠ればよいと聞いたが、それも言えてる。早く起きて緑茶やコーヒー飲むと目が
覚めてしまう。4時台は時間の流れ方が速い

176 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 08:41:27.28 ID:JRrEYHxq3
意識の正体は一心で
量子世界に固形物質は無く
物質・エネルギーも時空も
その本質は
一心の縁起によって顕現したもの
であり、
究極は一心のつくりたる三界は虚妄
という事になる。

まさに
それが「空」であり
真に幻の如き、無実体な現実の正体
という事である。

ただ意識は現実に実在性を感じたりはする。
が、それこそが幻想なのである。
26 名前:神も仏も名無しさん 2020/11/30(月) 08:02:42.34 ID:7O35k/Uy
勝義諦、涅槃を知る一歩手前まで来ましたね

177 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 08:52:06.03 ID:JRrEYHxq3
涅槃というのは、正定の実践によって当人が観じなければ
知ることができないことかもしれず、理屈で議論すべきことではないです。
ブッダの方法論の一つは「無我」を感じる、五蘊非我、戒めと精神統一(止)、
智慧(観)をコアとした八聖道です。

178 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 09:02:27.71 ID:JRrEYHxq3
精神統一(止=一点集中の瞑想、一境性単独状態の禅定)だけでなく、観が大事。
観とは、智慧により思索し抜く瞑想です。

179 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 09:45:24.97 ID:JRrEYHxq3
一心とは真如と同義であり、即ち「さとりの真理」です。
また禅宗や真宗の教説がよいと薦めるわけではないのですが、それらの宗派で積極的に
仏や祖師が悟られた「普遍の真理・真如」としての一心が
わかりやすく説かれ、参考になると思われますので転載しておきます。

「正伝しきたれる心といふは、一心一切法、一切法一心なり、・・即心是仏
とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり」

 ここで言う「心」とは仏そのもののこと

180 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 10:28:44.37 ID:JRrEYHxq3
自分自身が大日如来である事を認識し、確認し、実現しようと
するのが密教で目的とする即身成仏です。

181 :神も仏も名無しさん:2020/12/01(火) 06:55:21.81 ID:LrZzGjLds
本来の仏に成るための教えとは、断見も常見も超えた中の道です。

アナートマンに固執し過ぎると断見に陥り
アートマンに固執し過ぎると常見に陥ります。どちらにも偏らない姿勢が
肝腎です。

182 :神も仏も名無しさん:2020/12/02(水) 11:13:27.92 ID:Havn+ERR5
アナートマンにしろ真言俗信にしろ
ブッダが否定し戒めた非合理な迷信への
しがみつきが現代に残っている
のである

183 :神も仏も名無しさん:2020/12/02(水) 12:27:44.23 ID:Havn+ERR5
>>181

正しく智慧を生じれば、誤りなく択法覚支を実践することができます。

>アナートマンの禅定や五蘊非我・涅槃寂滅の覚りと宿命智、天眼智、漏尽智という神通智などを伴う解脱知見、さらには
密教の即身成仏、無上瑜伽、大乗菩薩の菩提心による菩薩行を全て含み、
仮(南伝系の世界観)も空(大乗)も超えた中諦の立場で全仏教とインド思想を俯瞰できる立場です。

184 :神も仏も名無しさん:2020/12/02(水) 15:39:45.56 ID:Havn+ERR5
塵を払えば、光輝く心があらわれるということもあります。
塵を払うのが、無我です

185 :神も仏も名無しさん:2020/12/03(木) 07:31:40.93 ID:mYZjEbFeP
勿論、真我への低い見解も俗信めいていて、固執する態度はよくないのですが、
浅薄な「無我」の誤解の上に立てられた南伝・北伝のドグマ
の数々は砂上の楼閣に等しく、論じるにも価しない無意味なものだ
と思います。

186 :神も仏も名無しさん:2020/12/03(木) 20:21:14.10 ID:mYZjEbFeP
無我
というのは禅定の中での実践面の話であって、
それを表看板みたいにドーンと外に宣伝するべきことじゃないだろって事です。
したくなるのはわかるけど

187 :神も仏も名無しさん:2020/12/05(土) 09:39:37.53 ID:AHm6d7jKX
>>良く存在とか言われてるの、仏教的な解釈だけでは本質は掴めないよ、
特に唯識はマナ識に対してアラヤ識を立てるけど、

ヨガでは我執(マナ識)を挟んで貯蔵庫で、大我執(アラヤ識)と真我(真の
鑑賞者)の3つをたて、真我の上にブラフマン(宇宙的存在意識)を
おきます、

そして、臨済が言った面前を出入りする生き物(悟りの当体)と、展開する
世界をも含めたものを真我とするのです、般若心経はこのことを言って
います、

素領域理論でも同じことを言っていますね、自分の見ている世界はその個人
だけの世界空間であって、それを素領域と言い、その素領域は他の素領域と
部分的に重なりながら全体の無限個の意識空間の塊を形作っていると、

サーンキャでも無限個のアートマンの総体がブラフマンであると言ってて、同じです。

金剛般若経の否定の否定とか、最後の最後に解るのが、存在そのものを
在らしめる「多次元空間=多次元意識」この空間だけでは無いので、光と同じこと、紫外線赤外線は目で見えないが、それ用のカメラでは像として映ります、同じ理屈で色界の上に無色界が説かれていて、それが多次元宇宙です、
そして、釈尊の悟ったものとは、この多次元宇宙を在らしめている、
一つの空間意識であって、これを神の命、大生命とも言います。
非常に広大で深く高い無限ではありますが、空にして無でもあり、名状しがたく、これを如とし、如来と言います。

188 :神も仏も名無しさん:2020/12/06(日) 10:34:05.38 ID:7zUmjNTlW
五蘊と諸法<阿頼耶識など→五智・法界体性智

>我(個人)と法(世界)とを我々は仮設して、仮設されたイメージで
個人と世界を理解しているが、それは三層構造の認識によってなされている。
その一番最初の起点となっている認識が阿頼耶識である。
そして次の末那識が阿頼耶識を我(個人)と見なしているという説明になってます。

なので、阿頼耶識は末那識によって誤解された個人です。
で、最終的には克服されるべきものです。
最終的とは瞑想によって真理へ到達した際です
これは、瑜伽行者の瞑想について語られているのです。

189 :神も仏も名無しさん:2020/12/06(日) 14:29:54.30 ID:7zUmjNTlW
精神分析では、人間の精神構造をイド、自我、そして超自我の3つの領域ないし機能に分けて理解するのですが、
こうした自我、イドは当然五蘊に含まれると思います。イドは「色」蘊や利己的欲求に基づく衝動を起こす根源で、
悪いことでもよくても無関係に、兎に角「やりたい」のですが、それに対し、自我はそんなことしたら捕まるとか
みっともない、とか自分のポリシーにあわないとか色々理由をつけて、行動を規制する主体で、或いは規制する
ばかりでもなく、現実原則に則って最終的に判断を下します。それに対して超自我は、
一応意識上に上る場合においては五蘊に属するのですが、そうした最善な命令を下す大元で統御する真の主体者であり、
観照者であり、それこそが頼るべき真我なのだと思います。
この真我は上記の低次元での葛藤など遥かに超えており、自帰依の対象になる真の自己で、敢えて言葉にするなら
「我はブッダなのであるから、そうした低級な欲に指図されることなど本来的に有り得ないのだ」といった感じになります。
しかし五蘊にいる自我に毒矢が刺さっていてイドより弱くなっていたり、自分という真我を信じれていないと
正しい判断ができない場合も有り得るのです。
このように考えると、誰だかのように
もし無我の境地で欲の言いなりになっていたなら大変なのです。

190 :神も仏も名無しさん:2020/12/06(日) 14:53:47.70 ID:7zUmjNTlW
フロイトなど初歩の精神分析と大般涅槃経、五蘊非我などを繋いだ
「五蘊と真我の関係」でした。

191 :神も仏も名無しさん:2020/12/06(日) 16:24:48.87 ID:7zUmjNTlW
勝義諦は言葉では表されない。
言葉にした瞬間、意味が生じ、
役割が生じた世俗諦になる。
人間は世俗諦でしか生きられない。
唯識も唯識である以上、
勝義諦の真理ではない。
識を越え、転識得智する事によって
唯識観も阿頼耶識も消えてなくなってこそということ

192 :神も仏も名無しさん:2020/12/06(日) 16:31:32.43 ID:7zUmjNTlW
南伝も良いお経もありますが、後からとってつけたような夾雑物が多いですね

193 :神も仏も名無しさん:2020/12/07(月) 09:43:16.45 ID:Q8sNT2KU+
大乗の菩薩とされる求道者を声聞縁覚二乗と明確に峻別するものに
地蔵菩薩の誓願があると言える。これは大悲闡提と呼ばれ、
一切の有情を救って成仏させるまでは自ら成仏しないという最も殊勝なる志であり、
この誓願ゆえに
ただ自分のみ解脱するのをよしとする阿羅漢など比較にならぬ高い境涯とされるのであろう。

194 :神も仏も名無しさん:2020/12/08(火) 09:47:02.89 ID:54cYJ9sNK
E縁起(抜業因種心)

ブッダの真理の言葉 第1章〜第26章 通読
https://www.youtube.com/watch?v=cQ0Wp_yT3hQ

中村元 - 原始仏典 ダンマパダ の解説
https://youtu.be/i7TkouxAZI0

ブッダの言葉・スッタニパータ 第一 蛇の章 1〜12 通読 1時間15分
https://www.youtube.com/watch?v=F1d7GMocWOw

相応部経典・有偈篇(サンユッタニカーヤ・サガータヴァッガ)

「サンユッタニカーヤ」(雑阿含経)
https://youtu.be/7zSPvkoWQME?t=41

『テーラガータ』
『テーリーガータ』

ほか原始仏典

195 :神も仏も名無しさん:2020/12/11(金) 05:36:56.33 ID:OLAhTtM3B
>真我と「五蘊の自我」は、全く別物で
真我は仏であり、五蘊は悪魔であると言ってもよく、五蘊皆空とは勝義の立場から、悪魔の儚さを
如実に喝破した言葉とも言えるでしょう。

196 :神も仏も名無しさん:2020/12/12(土) 09:41:52.02 ID:TsqjegLft
空と涅槃は裏と表

現象世界の空を理解しないと、涅槃も知解できない

物質的なものに心がとらわれていたのでは涅槃寂静になれません

それだけ。シンプルでしょ

197 :神も仏も名無しさん:2020/12/14(月) 05:17:09.30 ID:uvVbuwRtV
開く も 得る も 悟るも 同じで世俗の言に差別あること無し 況や凡夫の一念三千をや。
シニフィエされた当体こそ大事。

大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点‐七「其れ斯の謂(イヒ)乎(か)」


勝義こそさとりの真理也

198 :神も仏も名無しさん:2020/12/15(火) 02:26:11.58 ID:OG/hPRJvn
死後、外側の乗り物、あるいは鞘を捨てる過程で、人は、短い間、歓喜鞘に接触する
ようになります。
臨死体験を報告する人々は、彼らが愛で彼らを包む輝く光に引き付けられたことについて語るとき、この短い接触を記述しているのです。
悟りは、光を見ることではなく、内側の光が真の存在だと悟ることです。
すべてのナディ、あるいは体のエネルギー通路のうち、最も重要である のがスシュムナであると説明しました。
スシュムナは脊柱の中央を通り上へと流れます。
スシュムナを通して、クンダリニーという霊的なエネルギー、あるいは神聖なる力が 流れます。
スシュムナは自由のキーポイントです。
死の際に、スシュムナに入ることができる人は、人生の最高のゴールであるブラフマ ンに到達します。
(Swami Rama ”聖なる旅”)
http://santanadharma.hatenablog.com/entry/2017/01/28/233835

199 :神も仏も名無しさん:2020/12/16(水) 06:06:50.44 ID:ZLGQnJRMK
「我」を
五蘊から

無限に 遠ざけよ

真我独存

転識得智によって八識が質的な変化を遂げる。具体的には
見分、相分、自証分、証自証分と別れていた識が
証自証分という本来の自分となる。
識体そのものが、質的に転換しているので
識から智へと変換される

200 :神も仏も名無しさん:2020/12/18(金) 10:32:51.76 ID:JMEeTzrP8
ブッダが生の終わりに、人生とは甘美なものであったと述懐した。

人が悟りに至って自他融合一如の境にあるときの、清浄でほのかな覚醒感
と明るさを伴った、世界(人や生き物、植物など全て)と共に在ることの静かな喜と
楽が甘く美しかったと

201 :神も仏も名無しさん:2020/12/20(日) 07:06:22.03 ID:aYXba7IEH
まず、自分自身が中学校の修行を完成させて、正しく悟り、それにより、他をも彼岸に導く事の出来る存在になるのである。

諸行の無常なること、諸法の非我なるを知り、一切は苦しみである、と如実に見て
順観・逆観を行じ、現象世界の虚妄なるを見抜く。
そして基本、常に八正道を含む三十七道品の実践修行の完成に努め苦滅・解脱知見を得。これにより生死の迷いより脱した大安楽
を得、仏陀と等しき我を覚り、最高の清浄に達する



究竟道:無学の道に正しく入って、如来の庫を開き、無上正等正覚を成就する。一切有情救済の行を適切に為す

修道高:他まで救済せずにはおかない菩薩道を正しく歩み、大乗の法門を学び、密教の奥義も究めて、大慈大悲の心を起こす

中学校:道諦を正しく実践して苦を滅し、苦の因を正しく抜いて業を除き、塵を払って解脱に到り、見諦道に入る

小学校:菩提心を生起して、迷いに気付き始めた段階

幼稚園:煩悩は消えず、迷いから覚める気配も無い

202 :神も仏も名無しさん:2020/12/25(金) 04:25:51.12 ID:vq+0ze3Ae
人は誰でも一旦死ぬ。

現象面での消滅はある。その覚悟を決め、

昇華に備えよ 輪廻から

解脱せよ

203 :神も仏も名無しさん:2020/12/26(土) 06:21:46.38 ID:TjxA1m3Pe
集諦と苦諦
識別作用とそれから生じた妄執こそが
苦しみの素なのである。

道諦と滅諦
識別作用を残りなく離れ止滅するならば
再び苦が生起することはない。

204 :神も仏も名無しさん:2020/12/27(日) 16:54:36.11 ID:8oCZDv+ZC
テーラワーダや現代の分別論者への教化として、おそらく大変適切と言える言葉を見つけました。
https://plaza.rakuten.co.jp/brahmanbuddha/diary/202009300000/


諸法空相と色即是空の違いをわかりやすく教えてください。
また「色即是空」が語られる時、性的なニュアンスを含む場合も多いのですか?

補足
大変恐縮ですが、わからない方は回答するのは控えてください。
想像みたいな話でも閲覧者のためになる話なら結構と思いますけども
反感を買われる覚えは無いのに、わからないからというだけで質問者を野次るのは
意味不明です
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10224252255

205 :神も仏も名無しさん:2020/12/29(火) 04:09:43.08 ID:luOOGGVQ/
大乗仏教の如来の基本像として

「スブーティよ、あなたは、どう思うか。
如来は、特徴を得たから、菩提を得たのか。
スブーティよ、このように、見てはならない。
特徴を備えたところで、菩提を得ることはない。」
「『如来が来る、去る、座る、寝る』
もし、このように説く者がいるならば、彼は、わたしが説いた、法を解してない。
というのも、如来は、普遍に存在しており、どこから来ることも、どこに去ることもない。
それだからこそ、如来と名付けられるのである。」
(金剛般若経)

一四 しかし如来はそれ自体としては空であるから、この如来については「死後に存在する」とか、あるいは「死後に存在しない」とかいう思索は成立しない。
一五 戯論(形而上学的論議)を超絶し、不壊なる仏をいろいろ戯論する人々は、すべて戯論に害されていて、如来を見ない。
一六 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。
 ※では真実のブッダとは何であるか。それはわれわれの経験している世界にほかならない。
(中論第二十二章 如来)


ということで、如来(仏)には特質がなく、我々が存在している世界の実相(真如)であると
実相は空であり分別というものがないので自他不二であるというのが大乗仏教

206 :神も仏も名無しさん:2020/12/31(木) 23:53:40.94 ID:Tt3WllJvX
観音経
https://youtu.be/ej-VNM4j0-g

207 :神も仏も名無しさん:2021/01/06(水) 09:43:27.97 ID:X/WtIYLBO
解脱者はどこにも行かないし、

永遠に生きるというのが本来の考えでは?



>そもそもは川を渡る方法に三つの方法がある
善人は、金銀財宝の橋をゆうゆうと渡り
軽微な罪人は浅瀬を濡れながら行き
重罪人は流れのはやい深い淵という難所を渡らなければならない
ということだけどな

いつしか、意味づけが変化した

>法華経バカ連合ではなくて、
三悪趣の住人の栄進が、法華をヨイショして
晃を取り込もうとしているんだよ。

余り無く涅槃世界に融け込む
帰入する
のが成仏で、無住処が涅槃。

208 :神も仏も名無しさん:2021/01/07(木) 14:51:37.58 ID:TJgR3imo2
『般若心経』法話会 1日目
https://youtu.be/Qwu2sT5Km7s?t=1341

『般若心経』法話会 2日目
https://youtu.be/kpoPVu5W6CA?t=38

209 :神も仏も名無しさん:2021/01/11(月) 11:22:47.95 ID:3xGML6Y6o
字義に成りきる。

字義とは、

文字のシニフィエを身にあらわす事

である。

210 :神も仏も名無しさん:2021/01/13(水) 20:02:28.14 ID:KvggmAXXV
『般若心経』法話会 3日目
https://youtu.be/bxO5QVIuF6s?t=410

211 :神も仏も名無しさん:2021/01/14(木) 10:36:12.75 ID:Yt7iWBIjg
ナーガルジュナ
サンスクリットの「五蘊もまた
自性による成立の無い空の本質を持つものである」

人無我

『般若心経』法話会 2日目
https://youtu.be/kpoPVu5W6CA?t=343

212 :神も仏も名無しさん:2021/01/17(日) 08:39:00.60 ID:AmKNjUpLv
全体像(全体図)とは
絶対の中心(無限大の外遙か彼方、無限の無限の彼方)から、全方向から、すべてのすべてへ、
左旋回の渦巻きとなって、一瞬に舞い降り、舞い昇る。
無色透明の輝き(光源と光の流れ)が、表を通って無限大が無限小となり、
裏を通って無限小が無限大となり、絶対の中心へ戻ってゆく。
一点に向かって無限通りの光の渦巻きが、一瞬一瞬新たに降り注ぐ。
無限のすべての一点に向かっても、同じように降り注ぐ。
無限の無限の渦巻きは、無色透明の輝きとなって、お互いが干渉し合うことも、
邪魔し合うことも全くなく、お互いに支え合って、その輝きを増すだけ。
新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という、
一大循環の相象の完璧極まりない一つの流動体

213 :神も仏も名無しさん:2021/01/17(日) 11:03:21.17 ID:AmKNjUpLv
等正覚 色即是空 秘密荘厳心 一即一切、一切即一



空を覚る・極無自性心・秘密荘厳心
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1598708654/

無上正等正覚を開くためのスレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1604769706/

華厳経の宇宙観・須弥山と現代の宇宙論を繋ぐ視点
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1606429843/

「色即是空」と般若心経の深義9
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1599594934/

214 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:19:27.27 ID:rWwF9s5Yr
terebihoueiCM40mannenn,2warikoukokudairitenn.
burogunado3mannhofuriafurieitososikikatudouwosienndekirunann%
jituyousinann8% nakayama3%sinbunnorikomikoukoku syuzei
5%syouhizei 11%tabakozei(narubeku100enndesiire20ponn neagehajisedai)
eiheijitatiai3manngosennennhakennryou.ofudakatonnyoujinn.
nennpoujidannkaseido.ofudakatonnyoujinn.
katonnyoujinnofuda40mannenn.
ato20mannenn
10mannenn
5mannenn.

215 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:25:51.94 ID:rWwF9s5Yr
tabijihasabisikuuhanarugadesu.toutomarinikkyuu3000enn
mikadukikeiheiryoku.
inakou,

216 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:28:31.45 ID:rWwF9s5Yr
nennpoujisinnkousyuukyounagarayouhikitateta,
turakattaro.
tamanegidakenigittoke,
kometo,

217 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:31:16.13 ID:rWwF9s5Yr
mouatamakezuranndeiisizennsyuurijyanennpouji,
youtaeta,

218 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:35:12.90 ID:rWwF9s5Yr
onionnsu-puatodeippaiirudenolu
koitemotatoekoitemo///

219 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:38:39.26 ID:rWwF9s5Yr
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/たまねぎスープ/
?scid=s_kwo_2014trend&lsid=1016934950&icm_acid=553042&icm_cid=1341753014&icm_agid=65640478783&i
cm_kw=%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%81%8E%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%97&icm_mt=e&icm_tgid=kwd-363941456557

220 :神も仏も名無しさん:2021/01/20(水) 08:57:49.69 ID:rWwF9s5Yr
kikujirounonatu.
FF3
nagekinokabeyorimasi,

221 :神も仏も名無しさん:2021/01/22(金) 06:21:15.16 ID:fF3Q2QRQ0
>>213

その下から
荒らし

222 :神も仏も名無しさん:2021/01/23(土) 13:32:20.06 ID:RfbM+MGVw
幽界は宇宙人が創った世界だった!
https://youtu.be/CAVKJcYqg5A

223 :神も仏も名無しさん:2021/01/24(日) 11:10:29.38 ID:JydNxnoRr
明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%81%B5

224 :神も仏も名無しさん:2021/01/24(日) 15:19:47.20 ID:xCZOaen3W
宇治うめちぃ

225 :神も仏も名無しさん:2021/01/25(月) 04:06:09.54 ID:92hW+eBWb
執着するもの一切を忘れよ

手離せ。

226 :神も仏も名無しさん:2021/01/26(火) 05:54:21.53 ID:Wz2uPL+z7
明恵(みょうえ)
は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%81%B5

明恵上人その生涯と足跡(1/3)
https://youtu.be/KkM5ovnNpvU

明恵上人その生涯と足跡(2/3)
https://youtu.be/RI70PfJuOKo

明恵上人その生涯と足跡(3/3)
https://youtu.be/7hvKjG60K80

227 :神も仏も名無しさん:2021/01/28(木) 18:10:18.43 ID:VHG3whzuv
地味ニーアック梅原の軌跡

228 :神も仏も名無しさん:2021/02/01(月) 05:40:18.79 ID:ewapDoiyA
アヴァタンサカ・スートラ
正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう)
経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意
「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典
元来は『雑華経』(ぞうけきょう、梵: Ga??avy?ha S?tra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」

チベット語訳完本も存在し、チベット大蔵経の「カンギュル」(律・経蔵)の主要な一角を占めている。

中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教史にも大きな展開を起こした。

上代日本へは、大陸より審祥が華厳宗を伝来し、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年間に及び行なった。東大寺は今日まで華厳宗大本山である。

ネパールでは『十地経』と『入法界品』(Ga??avy?ha)がそれぞれ独立の経典として九法宝典(Navagrantha)に数えられている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C

229 :神も仏も名無しさん:2021/02/03(水) 07:45:45.90 ID:Zl9CLsIsC
『入法界品』(にゅうほっかいぼん)
とは、大乗仏教経典『華厳経』の末尾に収録されている大部の経典(品)。
サンスクリットの原題は『ガンダヴィユーハ・スートラ』(梵 : Gandavy?ha S?tra)。

善財童子が、文殊菩薩に促されて悟りを求める旅に出発、
53人の善知識(仏道の仲間・師)を訪ねて回り、最後に普賢菩薩の元で悟りを得る様が描かれる。

一説には、東海道五十三次の53の数字の由来は、この『入法界品』にあるとされる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B3%95%E7%95%8C%E5%93%81

230 :神も仏も名無しさん:2021/02/04(木) 09:56:02.32 ID:1dXd43joZ
才能というものも「幻想」に過ぎん。所謂天才と呼ばれた芸術家も優れた成果物の裏には
夥しい数の「駄作」が隠されているものである。初期の叩き台から傑作にまで昇華させるには
膨大な推敲や書き直しを経たケースも多く、作家の中には「書き直し作業こそが創作」と公言
する者もいた。ベートーヴェンみたいに同じ楽想を何度も使いまわしたり、新規で何かを
産むというのは実は至難の業なのだ。

但し書き直していくと、どんどん変なのにしてしまう人もいて
そういう人は編集者はやってはいけません。

そうなんだよ。確かに一番大事なのは批評能力なのだが、
ミシマや中上健次型の作家や詩のボクシングに出ても良い詩が即興的に詠める詩人は
絶対に書き直しちゃダメなんだよ

231 :神も仏も名無しさん:2021/02/06(土) 03:44:39.10
仏教的に
「それも何かの因果だ」という言い方があります。
眼を背けたくなるような事象に遭遇しても、そこから何かを学んで成長する
心の大きさを身に具えるのです。

232 :神も仏も名無しさん:2021/02/15(月) 03:34:31.71 ID:wp9Kq7qo4
一心は是 本居なり

233 :神も仏も名無しさん:2021/02/21(日) 15:23:37.89 ID:cktBYGWRN
現代科学や心理学で日蓮流の仏法を理屈付けしようとしても無理がある。そもそも、日蓮の三大秘法および題目唱
和(唱題)という修行方法は、ヒンドゥー教のバクティ(帰依)信仰とマントラ(真言)そのものである。真言も念仏も題目も同
じマントラの一種である。そもそも、マントラは陀羅尼(ダラニ)を短くしたもので、陀羅尼は法華経にも使われている。
マントラも陀羅尼も一種の呪文であり、未開の呪術に他ならない。それは、法華経自体が
オリジナルの仏教に反する教えの影響を受けたことに由来する。法華経自体は、『ウパニシャッド』の影響を
強く受けた経典であり、パーリ経典(ニカーヤ/阿含経)の誤りを正すなど真実も含まれてはいるが、パーリ経典と
同様の創作経典である。

成功哲学や自己啓発などでは、よくアファメーション(肯定的な自己宣言)という実践が勧められている。また、日本では
言霊
(ことだま)という言葉もあるくらい、言葉の力を重視している。

結論から、申し上げる。個人は、高い存在性のレベルにいる場合、言葉の影響を受けることはない。しかし、個人が存在性
のレベルを下降していくにつれ、言葉の影響力は増していく。

言葉のパワーは幻想である。前世や子供の頃に、物理的な手段で服従を強いられてきた人間は、言葉という幻影に支配される。

強い口調で言われる「こっちへ来い!」という言葉には、個人をその発言者のところに引き寄せる実際の物理的な力は何もない。しかし、その人は近付くことを恐れながらも、近付く可能性がある
https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/RHG53WNC38ROC?ASIN=4908055173

234 :神も仏も名無しさん:2021/03/11(木) 04:07:32.47 ID:jvDE5dhe5
  法華や華厳経より源流に如来蔵経がある。
般若以降の発展は全て物質界の空性を
徹見し、ひっくり返した思想と
いえる。

235 :神も仏も名無しさん:2021/03/29(月) 04:09:43.72 ID:SJlIMG7wT
世界中の人を救える人になりましょう

236 :神も仏も名無しさん:2021/04/03(土) 05:36:57.27 ID:PWIh9Fxm0
菩薩とは
「まよいに気付きながらも輪廻する求道者」というほどの意味なんでしょうね
ダライラマ(ロックフェラーのプロパガンダ?)が菩薩だと
すればね

237 :神も仏も名無しさん:2021/04/06(火) 03:02:01.94 ID:bt/ocVoKA
医者が治すのではない。

自ずから治るのである。

全ての治癒は

是の如し

238 :神も仏も名無しさん:2021/04/10(土) 07:03:40.83 ID:/vSGq/ZYo
龍樹も袈裟を着した猟師かも知れない

239 :神も仏も名無しさん:2021/04/18(日) 18:22:01.78 ID:x6JQjGSIT
六道輪廻は迷いの世界

菩薩乗では仏の慈悲により

発心した衆生も直ちに迷界より出離して

解脱する


菩薩は

たとえ輪廻すると雖も、心は迷界にあらず

既に六道に住さずして

菩薩道に入っている

240 :神も仏も名無しさん:2021/04/23(金) 10:17:57.29 ID:Xx1sGrfkS
睡眠不足の時のほうが明智慧は輝きやすい
余計な思考が働かないから?
ヘッドパワーを抑制することが大事なんだ

241 :神も仏も名無しさん:2021/04/26(月) 11:39:55.40 ID:lM5uwAuK1
#天の川の音 #宇宙の音 #OTOCOTO
天の川の音 | 幻想的な天の川の音 | ソニフィケーション | Space Sound【Soundscape】
https://youtu.be/kHKJl_NakK4?t=1

242 :神も仏も名無しさん:2021/04/27(火) 06:40:43.42 ID:886ynmDvb
嘗ては一人で暮らしていたのに
のちに性の交わりに耽る人は、車が道から外れたようなものである
世人は、彼を卑しい凡夫と呼ぶ
嘗て彼の持っていた名誉と名声とは全て失われる
このことを見て、性の交わりを断つ事を学べ

独身を守っていた時には、一般に智慧者と認められていた人が
性の交わりに耽ったために、愚か者のように悩まされている

聖者は、この世で前後に
この艱難のあることを知り、固く独身を守り、性の交わりに耽ってはならない
俗事から離れる事を学べ
これは諸々の聖者にとって最上の事柄である

ブッダの言葉・スッタニパータ 第四 八つの詩句の章 七 ティッサメッテーヤ
https://youtu.be/R884Fvj_Cgs?t=1068

243 :神も仏も名無しさん:2021/05/05(水) 20:03:21.49 ID:cmSFu4v9q
Deva Premal Gayatri Mantra 2 hours
https://youtu.be/UlnHON3tAXo?t=1

244 :神も仏も名無しさん:2021/05/06(木) 11:24:17.20 ID:jBqQPtyds
世界主義陰謀団は
5ちゃんにまで入り込んで工作をしとる

245 :神も仏も名無しさん:2021/05/12(水) 20:05:45.63
自力を「頼るべき自分」による修行完成に向けての正しい実践努力
他力を仏の慈悲 及び入我我入により一体化する加持力
と見るなら、その双方共に大事であって、自力単独や他力のみ説くのも片手だけで、
他力とは無我の境涯より得るもの

246 :神も仏も名無しさん:2021/05/16(日) 13:40:51.24 ID:a70lv8ZYU
キリスト教もカルトの教義も
所詮は共同幻想だということ

社会の中で一人だけ他人と違う幻想を持って生きてたら
それは妄想であり、場合によってはキチガイ認定される。
ただそうした精神異常や脳の病気に侵された者の妄想を、複数の人が共有したらどうなるか?
現にその手の共同幻想が広まっているのだとしたら?

実際精神病の教祖もいたし。
ニーチェやヒトラーやミシマやスターリン、犬作君や犬川隆法がそうでない
と言えるか?

彼らはキチガイだったかも知れないが、
しかし文章能力が抜群にあって、(もしくは演技力もあり口も十二分に巧い)天才だった訳で
狂人と天才は紙一重と言われる如く、天才側に転んだものの(今のところ)カルト教祖以外は
非業の死を遂げたとされる

共同幻想というのが、どのように形成されたか、それを分析するのは意義深いことである。
多くは、伝言によって細部が削られ、尾ひれが付き、言葉の魔力で全体的に美化される。

共同幻想〜茂木健一郎の感慨深い話
https://www.youtube.com/watch?v=TuMm2ggFENQ

吉本隆明とフロイト:幻想論と心的現象
https://youtu.be/aetFV-kzOI4?t=190

247 :神も仏も名無しさん:2021/05/17(月) 08:09:41.94 ID:S8vvWD/Le
さんじん【三身】
仏語。仏身の三種。法身・報身・応身、自性身・受用身・変化身、法身・応身・化身などをいう。三仏身。

ほっしん【法身】
仏語。
1 仏の説いた教法や、仏の成就した十力などの功徳の法。仏の生身(しょうじん)に対していう。
2 三身などの一つ。真如の理体をいう。真理そのもの、永遠の理法としての仏。
3 法体となった身。僧侶の身。*栄花‐うたがひ「道俗加持の香水をもちて法身の頂に注がるとおぼしめす」
ほっしん‐せっぽう(‥セッポフ)【法身説法】 仏語。日本の真言宗の教義で、大日如来が一切の根源である本地身としての法身
の位において自ら説法するということ。
ほっしん‐ぶつ【法身仏】 仏語。仏の三身の一つ。法身としての仏

ほうじん【報身】
(梵sa「bhoga-kDyaの訳語)仏語。仏の三身の一つ。菩薩であったとき願を立て、修行の成就によって、その報いとして得た仏身をいう。たとえば阿弥陀仏

おうじん【応身】
仏語。
1 (梵nirmD、a-kDyaの訳語)衆生を救うためにその機根に応じた種々の姿をとって現われる仏のこと。応化身(おうげしん)。
2 (梵sambhoga-kDyaの訳語)=ほうじん(報身)
おうじん‐ぶつ【応身仏】 応身の仏。釈迦はその一例。


さんじん‐ぶっしょう(‥ブッシャウ)【三身仏性】 仏語。天台宗で説く、衆生の心中に具足する正因・了因(報身因)
・縁因(応身因)の三種の仏性

248 :神も仏も名無しさん:2021/05/23(日) 05:00:33.67 ID:ZrMUgcTIU
五蘊しかない
低い仏教の世界観では、
ほんとうの覚りには到れない

249 :神も仏も名無しさん:2021/05/24(月) 22:18:04.61 ID:EPezKY+yi
>大乗では完全に五蘊を去った状態を五蘊皆空と言ってるだけです。
原始仏典流に簡潔に言うなら
五蘊は悪魔の棲家と明らかな智慧により如実に見て、しかもそれを完全に遠ざける
という事は大変な事だと思いますよ。それを無我、皆空と呼んだのでしょう。ブッダもその境地に到るために出家後
まず仙人について(九次第定でいえば七番目に当たる)無所有処定を学び、次に先生を変えて非想非非想処定を学び
さらに長い年月をかけて孤独な修行の末に滅尽定に至って初めて成道となった訳です。
ですから、その境地まで達しなければ本当の無我、皆空とは呼べないし、涅槃もまだ浅いものなんでしょう。
その段階に行くには菩薩の十地の六〜八番目にならないと、と論書にも書かれていますね。
ただ人によっては、像法の時代以降で菩薩の初地に至ったのはナーガルジュナとアサンガだけと言う人もいます。
そこまで厳しくは無くて、有名無名の解脱者は大勢いたとは見ています

250 :神も仏も名無しさん:2021/05/26(水) 06:51:47.09 ID:SWIavY3Qf
日蓮さんは、
伝最澄作(つまり偽作)の『末法灯明記』に引用された
『周書異記』(中国での偽作)の
「周の穆王の五十三年」(紀元前949年)に記載の仏滅年代説を採用されていますが、
学問的には前四六三〜三八三年説が有力です。

251 :神も仏も名無しさん:2021/05/29(土) 07:45:21.74 ID:RSwT34AWo
唯心
一切の諸法はただ心の現れである
1 仏語。一切の諸法はそれを認識する心の現れであり、存在するのはただ心だけであるということ。華厳経の中心思想であるが、また唯識と同義にも用いる。
2 仏語。自已の心の本性に仏や浄土が内在するとすること。仏や浄土はわが心の中にあるという考え。→唯心の弥陀。
3 精神だけが真の存在であるとして、精神を本位として考えること。

252 :神も仏も名無しさん:2021/05/31(月) 04:53:45.45 ID:hcLcaRwg6
自ら仏格に達せし者にあっては

既に左脳と右脳の差別も消滅している、と

253 :神も仏も名無しさん:2021/06/08(火) 07:44:43.55
自己の見解に対する執着もまた
色への執着同様、
空しいもの
なり

254 :神も仏も名無しさん:2021/06/23(水) 19:09:58.20 ID:bIk7NwRqv
【世界遺産】総本山 金剛峯寺をお参りします!【前編】
https://youtu.be/kffFjZ8-ZPg?t=1

255 :神も仏も名無しさん:2021/06/24(木) 10:10:12.90 ID:LPke1PztS
【世界遺産】空海の足跡を辿る・・・壇上伽藍・御社から御影堂へ
https://youtu.be/11omV3Ayu20?t=1

256 :神も仏も名無しさん:2021/06/26(土) 09:45:19.03 ID:35UtNIr99
PILGRIMAGE TO KOYASAN English version
https://youtu.be/WhqVR5Lu06E?t=1

257 :神も仏も名無しさん:2021/06/29(火) 05:41:55.83 ID:oxvhlhSQ9
楽しめば苦しむは苦諦
楽しむを苦の因と見るなら集諦。
楽しまなければ苦しまないは道・滅諦の消極的な解釈では?
だが楽にも出離の楽しみや涅槃の安楽もある。五欲に繋縛された行為か罠から逃れるかがポイント

欲を生存者に課せられた罠でもあるかのように
ストイックに遠ざけ、
欲を制御することのみに専心したのが本来の仏教。だが密教、大乗では
「大欲の思想」が出現した

258 :神も仏も名無しさん:2021/07/03(土) 09:56:54.38 ID:+XbG6TD/q
菩薩道が目前に用意されていながら拒否し、声聞の道に退いて、而も声聞にも達せず、あやしげな経を読み覚えるだけで満足して只管
退行するのみのフシギな輩がいる。そうしたテラワーダとかに洗脳された輩の言う与太話に騙されるバカに仏教を語る資格など無い。
批判対象が間違っているというより、そいつの識にこびり付いてる腐った解釈自体
が誤りなのだ。

259 :神も仏も名無しさん:2021/07/08(木) 02:22:19.65 ID:dl//AVNyp
涅槃を知らぬ

心かき乱された者に仏の教えを語る資格など無い

総レス数 259
131 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200