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【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践18

1 :神も仏も名無しさん:2019/10/10(木) 13:05:53.62 ID:hDxt+2MS.net
お釈迦さまの教えとサマタ・ヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、
体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、
更なる成長を求めて語り合いましょう。

前スレ
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1559901710/

※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会や
そこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など
多種多様な団体があります、
諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違い
もあります。
そこを踏まえてご参加ください。

578 :神も仏も名無しさん:2020/05/22(金) 13:15:11 ID:Atwrv/cR.net
>>574

>アンポンタンって人格なのか?笑

アンポンタンはバカとかアホのように人格攻撃をするときの言葉だよね。違うの?
それに「アンポンタンって人格」なんて意味不明な事も言ってないし。(笑

君は文盲なの?日本語わかるの。小学生でもそんな反論は恥ずかしくてしないと思うけど。(苦笑

まぁ、君との議論はもういいよ。

ローレベルな議論をしているほど暇では無い。時間のムダ。

579 :神も仏も名無しさん:2020/05/22(金) 13:15:40 ID:Atwrv/cR.net
>>575

>法華七喩の三車火宅の喩えはご存じですか?

仏教オタクなら誰でも知ってるよ。(笑
というか、法華経は私の得意分野だよ。(笑

法華経は最高の経典なので、それを学ぶことは、とても価値がある事だし、
今後とも、しっかり勉強して下さい。

いい機会なので、法華経譬喩品に説かれる一番最初の「三車火宅の喩え」を学んでみよう。

譬喩品は、舎利弗の深い歓喜の言葉から始まります。方便品の開三顕一の説法を聞いて領解した歓喜です。

法華経以外の爾前教で於いては二乗は厳しく弾訶され「二乗不作仏」として成仏を許されていませんでした。
それは自利に執着し利他心がなかった二乗の自己中心的な姿勢を糺そうとしたからです。

※ここで言う「開三顕一」はあなたが説明してますから詳しくは省略しますが
付け加えて言うと、略して「十界互具」を顕しています。

ところが法華経に於いて二乗の代表格である舎利弗は釈尊より成仏の記別を与えられます。
今までの釈尊の説法と真逆の事を言っている訳です。

だから、法華経は古来「難信難解」と経と言われるゆえんなのです。
ゆえに、法華経に精通していない学者は、法華経を「非仏説」としたり「おとぎ話」と揶揄したりするのです。

記別を与えられた舎利弗は喜んで師匠の釈尊にこう言います。

他の弟子たちのために、「未だかつて聞いたことのない法」のいわれを説いてくださいと釈尊にお願いします。

釈尊がそれに応えて説かれたのが「三車火宅の譬え」です。

580 :神も仏も名無しさん:2020/05/22(金) 13:16:25 ID:Atwrv/cR.net
それでは、三車火宅の譬喩を、あらまし紹介したいと思います。


「ある町に年を取った一人の大長者がいました。

長者の家は大邸宅でしたが、古くて、建物は傾き、ボロボロの状態でした。

その古い大きな家に突然、火事が起こり、たちまち家屋敷全体が火に包まれてしまう。
家の中には、長者のたくさんの子どもたちがいました。

家が燃え、崩れ落ちようとしている。危険ががいよいよ我が身に迫っている。
しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、そのことに誰も気づかないし、気づこうともしない。

「三界は安きことなし猶火宅の如し」(法華経p233)とあるように、
焼けている家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)を譬えています。」

そして、場面は一転して、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿が現れる。

長者は火宅に飛び込み、子どもたちに早く家から出るように告げます。

しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、火事だということがわからない、
焼け死ぬということがどういうことなのかもわからず、ただ家の中を走り回っています。

そこで長者は、一計を案じて、子どもたちに「お前たちが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が門の外にあるよ。
早く家から出なさい。好きな車をあげるから」と呼びかけます。

すると子どもたちは、喜び勇んで争うようにして燃えさかる家から走り出る。
こうして子どもたちは救われました。

子どもたちが、早く約束の車をくださいと父に言ったら、長者は、羊の車、鹿の車、牛の車ではなく、「等一の大車」を与えた。

それが「大白牛車」です。三車は、三乗の法を譬えています。

つまり、羊車は「声聞のための教え」、
    鹿車は「緑覚のための教え」、
    牛車は「菩薩のための教え」です。

そして、実際に子どもたちに等しく与えた大白牛車は一仏乗、すなわち「仏になる教え」を譬えています。

言うまでもなく、「長者」は仏、「子どもたち」は一切衆生です。

581 :神も仏も名無しさん:2020/05/22(金) 13:17:05 ID:Atwrv/cR.net
子どもたちが火宅で遊んでいるのは、衆生が苦悩の世界にいながら、そのことに気づかず、
やがて苦しみの炎に焼かれてしまうことを表しています。

羊車、鹿車、牛車で、子どもたちの気を引きつけたのは、仏が衆生を救うために、衆生機根に合わせて、
三乗(声間・縁覚・菩薩のための教え)を説くことです。

大百牛車を与えたのは、仏の真意は三乗ではなく一仏乗(仏になるための唯一の教え)であると明かすこと、

すなわち「開三顕一」です。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
法華経譬喩品から抜粋

<本文>
「我は為(こ)れ衆生の父なり。応に其の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし」(法華経p216)

<現代訳>
私は衆生の父である。彼等の苦難を抜き、無量無辺の仏の智慧の楽しみを与えて、人生を自在に遊戯できる境涯にしてあげよう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<本文>
今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難(げんなん)多し 唯我れ一人のみ 能く救護を為す (法華経p233)

<現代訳>
今、この三界はすべて私の所有するところである。その中にいる衆生は、ことごとく私の子である。
しかも今、この三界には諸々の苦悩が多く、私一人のみが、彼等を救い護ることができる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

582 :神も仏も名無しさん:2020/05/22(金) 13:17:28 ID:Atwrv/cR.net
三車を与えるという方便で火宅から救ったのは“抜苦”です。大白牛車を与えたのは“与楽”です。

仏の智慧という最高の安楽の境涯を与えたのです。

「大白牛車」とは、いかなる険難の峰も自在に走り回り、遮るものはないという仏の大境涯を譬えられている。

愚痴と無明に覆われた衆生は、自らの住む家が火宅となって燃え盛っていることに気づかないばかりか、

自身の命に仏の生命が具わることにも、まったく気づいていない。

その内なる「燦爛と輝く生命」を譬えによって教えているのです。

583 :神も仏も名無しさん:2020/05/22(金) 13:25:05 ID:Atwrv/cR.net
小乗経の根本的な誤りは

すなわち「仏が衆生を救うために、衆生機根に合わせて説いた教え(※随他意の教え)、三乗(声間・縁覚・菩薩のための教え) 」に執着し
仏になる教え(法華経)を知らない事です。

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