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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻
- 525 :宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk :2020/04/06(月) 13:14:56 ID:OzKb7zxX.net
- >>520
絶句...(汗)。
アスタリスクが、
「神の側についていてブッダの言葉の側ではない」だって...?
いやいや、全然そういうことではないでしょうよ! 普通、常識的にみて。いや、どう見てもだwww
アスタリスクが神の側についているのは、
---ただ単に文章が「神いわく」の方が先にきているからですよ---
つまり、問題としてる『わたしが語る』と <わがもの>の二語は、まったく同じくそのまま次の後者「尊師いわく」で使われるわけです。
説明したい言葉が繰り返し同じく使われている場合においては、通常、最初に登場した箇所でアスタリスクが付くに決まってる。
繰り返し使われる際にはもう説明は無用だからですよ。すでに説明したのだから...。理由としては、ただそれだけのことです。
もし逆になっていて、先に「尊師いわく」で始まっていたならば、当然、こちらを先に註釈の対象にするでしょう。
当たり前の話ですよ。普通、その他のどんな書物の場合でもそうなっています!
一体、今までどんな風に書物を読んできたのか?
理解に苦しみます...
そして、肝心の内容としては、
ブッダは神からのその発言を受けて、“それで良いとして是認している”わけです。
ブッダご自身が認めているのだから誰の文句も無用ですよ。
もし強いていうなれば、「ただし、それは言語表現として仮りにだよ!」と断りをいれてる、ということ。
* 夜勤なので、もう寝かせてくれ〜(苦笑)www
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