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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

495 :宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk :2020/04/05(日) 11:34:50 ID:zWwbqjoP.net
>>453
了解。

要するに、「諸法」(五蘊・色および物質現象界のすべての物質と事象)が「空」であるということですが、
「空不異色」(空は色に異ならず)、「空即是色」(空は即ち是れ色なり)ともある通りで、
空は涅槃/涅槃は空などということにはならないし、もちろん、
そんなことはまったく何処にも述べられてはいない。
そのように解することもできない。

>>460
>我ありとの慢からではなく、あくまでそのような者として

これは、
所謂、(ウパニシャッドの)アートマンの有無についてアレコレ述べているのではなくて、
「あいつは我の固まりだ! 」、「我のはった奴だ! 」、「わたしは我を捨てる」...などとして使われるもののこと。
つまり、自分本位で自己主張の強い者を「我慢ガマン」できない奴だといい、
自分本位な自己主張を押さえることを“我慢する”という。
そのような慢心のない純粋な意味で「私は言う」と言ってるということでしょう。

しかし、もしもこれが私の読み違いだったならば、
可能性としてのもう一つの解釈としては、『煩悩の汚れを滅ぼした真人(阿羅漢)、すなわち、
修行を完成した尊敬すべき人は「わたしが語る」と言ってもよい。』(SN.?,3-5)
と、同一の意味合いでの経文だということになる。
つまり、アートマンを確立した者だからこそ、
そういう意味において「わたしは語る」と言っていいということ。

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