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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

455 :神も仏も名無しさん:2020/04/03(金) 14:10:10 ID:oW25I11p.net
余談2:
また、
『 >涅槃に達した >五蘊(肉体とその作用 は >変性を遂げたもの』(>>445
「変性した五蘊」とは、いったいぜんたいどういうことか(ものか)?
一瞬一瞬、因により縁により転変し続ける五蘊が変性するとは、いかなる理(ことわり)であろうか。

また、
『 >それまでの煩悩と不浄に塗れた五蘊 』(>>445)であるならば、『そうでない五蘊』があり得るが、
(実際、その視線の取り方は正しいと思うがw)それが、
『>清浄にして光り輝く』ものへと『変じる』(>>445)とはいかなる理(ことわり)であろうか。
 *常に因により縁により変じ続ける五蘊なれば、
  寧ろ、「煩悩と不浄に染まっていない、或いは汚れを落とし得た(状態のもの)」という、
  ただそれだけで良さそうなものだがw。
  さらにそこから輝きを発すとは、いかなる道理があり得るだろうか。
  別段耀く必要なぞ無い。まさに白紙の状態の五蘊と見ればいいし、それを「耀ける」と表現することはあっていいけれど。
  (増支部の例の部分は、心について、まさにそのように説いていると見るべきなのです。)

また、
別に「オーラ(霊光)」が見えても構わないし、悟った者の肉体に神々しさがまとわれていてもいいけれど、
それと、永遠なる真我・アートマンが『存在』することとは、まったく別の話。

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