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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

389 :神も仏も名無しさん:2020/03/30(月) 11:26:59 ID:mWwr0f9X.net
>>387
>ハッキリ言ってしまうと、ウパニシャッドの説くアートマンというものは、
>そもそもが、その「実体」などという定義にすらも当て嵌まらないものなんだけどね。

実体とは自性があることで、また有のことでもあり、名色(名称と形態)のどちらでも実体がある法があるかどうが古代インド哲学で議論されてきたと思います。

ですが、ぶっちゃけそのウパニシャッドのアートマン論も色々。
こちらでは心臓の内に米粒よりも黍粒の核よりも小さい物質(色)として表されているようで、それでいながらブラフマンと一如であるから無限でもあるとされています。


 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』 3.14.1−4

1.この一切(万物)はブラフマンであり、
  タッジャラーン(それから生じ、それへ帰り、その中で呼吸するもの)*注であると、こころ穏やかなる者は思念せよ。

  人間は実に意向からなる。
  この世においてもつ意向のまま、この世を去った後も同じ意向をもつ。
  人は意向を定めよ。

2.意からなり、生気をからだとし、光を姿として、真実を思惟し
  虚空を本性とし、あらゆる味をもち、万物を包みこみ、沈黙して煩わされることのないもの。

3.それが心臓の内にある私のアートマンである。
  それは米粒あるいは麦粒より、また芥子粒、黍粒より、黍粒の核よりも微細である。

  この心臓の内にある私のアートマンは、
  大地より大きく、虚空より大きく、天よりも大きく、これら諸世界よりも大きい。

4.あらゆる行為をなし、あらゆる欲望をもち、あらゆる香りをもち、あらゆる味をもち、
  万物を包みこみ、沈黙して煩わされることのないもの。

  それは心臓の内にある私のアートマンである。それはブラフマンである。

  この世を去った後、それに合一したいという意向のある人は、この点に疑いをもたない。

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