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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

387 :宝珠真範@迦楼羅 :2020/03/30(月) 02:25:42.08 ID:ONlcwRyc.net
>>384
>もしも何か或る不空なるものが存在するならば、空という或るものが存在するであろう。
>しかるに不空でないものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するであろうか。

ブッダは『ウダーナ』において、
「有為(縁起/空)ではないものがある。それが涅槃(無為)であると説いた」。
ただし、それは“存在論”として述べているわけではないですよ。

そして、どうやら何かを勘違いされてるのかもしれませんが、
この私は単に、ただ便宜的に一元論と言っているまでのことであって、
それはウパニシャッドの説くようなヴェーダーンタ哲学のアドヴァイタ(一元論)と同一の意味合いはまったくありませんからね。
龍樹は、勝義諦と世俗諦の二つの真理(の説き方)があってその内の世俗諦をブッダは説いたといって、
仏典の教えのすべてを態々、勝義諦にしようとしてるでしょう?
そのことを二元論から一元論に変換しようとしてるといったまでのこと。
まっ、私の側の良くない表現にてそれは誤りますよm(__)m

それから、この際にもう一言だけ言及させてもらうと、
仏教徒側がアートマンなどを批難する際に使うその存在論の「実体」という言い方や理解だけど...。
ハッキリ言ってしまうと、ウパニシャッドの説くアートマンというものは、
そもそもが、その「実体」などという定義にすらも当て嵌まらないものなんだけどね。
それが全然分かってないから。だから、最初からすべてが噛み合わない。
お話にならないから、その議論すらする気にもならない...。
だから、これまで指摘してこなかった。

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