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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

373 :神も仏も名無しさん:2020/03/29(日) 01:56:53 ID:yOMFFZck.net
>>368
「じつにポッタパーダよ、私(ブッダ)にとって、我(アートマン)の獲得体は三〔種〕あります。
粗大な我の獲得体、意所成の我の獲得体、無色の我の獲得体です。
(略)
チッタよ、如来はとらわれることなくこれら(三種の我の獲得体)による言説をなします〔が〕、じつにそれらは世間における名称、世間における言辞、世間における慣用語、世間における概念〔にすぎない〕のです」
https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn09/dn09c08.htm

この長部・布吒婆楼経でブッダはアートマンとは世間の真実、つまり世俗諦であることをハッキリと説いています。
そもそもが主観的な「心情」なのであるから当然でありましょう。
龍樹の言葉を借りれば、アートマンは空(≒概念)ということになります。

五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。
ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。

六 もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。

「中論」第一八章 アートマンの考察
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9529993

なお、中村先生も水野教授も龍樹は否定できないでしょう。

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