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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

355 :神も仏も名無しさん:2020/03/24(火) 15:21:19 ID:PEirtg5h.net
そもそも

>>326
> 「無為法(asamskrta-dharma)とは不生不滅の永遠の存在とされているものである。無為の語は原始経典にも涅槃の同義語としてしばしば
>出ている。しかし原始経典で説く無為とは存在論的なものではなく、涅槃が生死輪廻を超えているとされるために、生死にわたらないとい
>うことを無為といったものであって、それは主観的な心情を述べたもので、客観的事実としてのものではない。

と宝珠さんが引用された水野教授が説明していますが、この説明によると生死輪廻を超えた涅槃・無為は「主観的な心情であって客観的な事実ではない」と。

一方の我アートマンというのは主観的心情ではなく客観的なものでしょう?万物の認識主体とか、ブラフマンアートマンとして万物を構成するものだとか、客観性のあるもので、
これならもし発見されていたのたら部派仏教の説く勝義諦の中の法(有部の五位七十五法とか、上座部の四位(色・心・心所・涅槃)に入れられているものですよ。
発見されないから我は概念法として施設なんですけどね。

とにかく、その水野教授の言われてることに従えば、無為・涅槃と我アートマンは全然性格が違うものになると思います。

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