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【歴史】日本史最大のミステリー「邪馬台国論争」のユニークな新説 「邪馬台(やまたい)」ではなく「邪馬壹(やまとぅ=大和)」 ★2 [樽悶★]
- 274 :ニューノーマルの名無しさん:2022/07/17(日) 14:56:48.57 ID:XY7nahXP0.net
- 当時の九州は大陸との後ろ盾と交流によって発展していることは鉄や絹などの外来物の発掘状況を見れば明らかで
漢の時代に金印を受け代表として君臨した奴国は約100国を支配するまでになった
漢が崩壊し後ろ盾がなくなると倭国の荒れ内乱大乱がおきる。
魏志倭人伝における魏が半島を支配するやいなや、女王による暫定政権による交流を行い復興を目論んでいたと考えられる。
その規模は奴国を含むわずか30国程度。
卑弥呼の死後、また支配権を争って荒れるが、中国の使者の計らいで13歳の壱与を立てることで一端落ち着きを取り戻し使者は帰国を果たすが
すぐに魏は西晋にとってかわり、後ろ盾としての安定を失う。
その後しばらく交流は途絶え詳細は不明だが、壱与に国をまとめる力があるとは到底思えず
大陸の巨大勢力も敵対勢力との争いが絶えないことから、日本として大きなまとまりを築くべく奈良へ勢力が集結し建国下のではないかと考えられる。
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