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【邪馬台国】卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心 ★2 [ごまカンパチ★]

1 :ごまカンパチ ★:2021/10/24(日) 22:18:29.31 ID:0pYUAxcf9.net
https://www.sankei.com/article/20211020-X3UJYBQUXJMSDPJJBJ3EYKPT6Y/
 古代史最大の謎として江戸時代から続く邪馬台国(やまたいこく)の所在地論争。
「女王・卑弥呼(ひみこ)は、北部九州や吉備(岡山)を中心とした勢力によって擁立され、奈良・纒向(まきむく)遺跡を首都として国を治めた」との説が打ち出された。
有力候補地の纒向遺跡(奈良県桜井市)などを調査してきた寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長が、県内で行われた講演会で披露した。
「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」としながらも、九州勢力の関与を指摘。「畿内VS九州」という二者択一ではない、新たな見解に注目が集まる。

■文献研究では限界も
寺沢さんは講演会の冒頭、「かつて『考古学者は邪馬台国に足を突っ込むな。あれは文献の世界だ』と言われた」と振り返り、
「文献では、江戸時代以来300年にわたって研究されても結論は出ていない。考古学的な視点が必要」と述べ、近畿や山陰、瀬戸内、
九州各地の遺跡の状況を示しながら、考古学の立場から解説した。

魏志倭人伝には、女王・卑弥呼が誕生した経緯や、中国との外交について年代も含めて詳細に記されている。
記述によると、倭国では長年、各地の勢力が互いに争っていたが、2世紀末頃に卑弥呼を共立。
卑弥呼は239年に中国の魏に使者を送り、銅鏡百枚などを下賜(かし)され、「親魏倭王」の称号と金印が授けられた。248年ごろに亡くなり、大きな塚(古墳)を造ったと記す。

※無料部分ここまで


★1:2021/10/23(土) 15:22:14.89
前スレ
【邪馬台国】卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心 [ごまカンパチ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1634970134/

2 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:20:18.57 ID:aU0ToRrh0.net
弥生姐さん

3 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:21:39.38 ID:Hgh20o370.net
大都会吉備

4 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:22:59.47 ID:crq6fPug0.net
九州説という精神障害

5 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:23:36.54 ID:NkGy4TvT0.net
もうゴッドハンドに再登場してもらうべきじゃないか?

6 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:23:48.30 ID:P5XQOu/a0.net
倭国を日本国が併合した←
終了w

7 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:23:56.31 ID:zZeZZYus0.net
マタイの福音書の1章17節に注目
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8%201&version=JLB
14代・14代・14代と「14代ごとに歴史の転換点や偉人の誕生、壊滅的な出来事が現われる世界」が作られている

次に以下のサイトを参照しながら富士山噴火の歴史に注目
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#%E4%B8%80%E8%A6%A7%E8%A1%A8
https://sites.google.com/site/auroralrays/hayamihyou/tennou
一度目の噴火である864年に発生した貞観大噴火は、14+14+14+14=56代目天皇の時に起きた
二度目の噴火である1707年に発生した宝永大噴火は、14+14+14+14+14+14+14+14=112代目天皇が上皇陛下として存命だった時期、113代目天皇の時に起きた
そして現在の令和天皇陛下は、14+14+14+14+14+14+14+14+14=126代目

さらに富士山噴火の時はいつも必ず現在のように「咳の出る肺病」が大流行している
詳しくは『日本三代実録』および新井白石の自叙伝『折たく柴の記』を確認

8 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:24:03.37 ID:W1GdFodt0.net
卑弥呼は概念

9 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:26:13.03 ID:9mcAZhGy0.net
なにその「両方なだめよう」的ご都合説(笑)

10 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:26:48.48 ID:P5XQOu/a0.net
耶って朝鮮半島でよく出てくるんだよな

古噸耶郡 古昌郡 安東府

11 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:33:22.52 ID:SDpFu5HM0.net
古代にそんな移動がなされたとは思わん
日本書紀にある神武の東征を考えたらそんな統治形式はあり得ない

12 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:36:01.20 ID:1TX6FemB0.net
卑弥呼って北方系シャーマンなの?
それとも沖縄のユタのように南方系?
邪馬台国の記述は明らかに南方系だけど

13 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:37:05.11 ID:D+lqMDkG0.net
>>12
時期的に黄巾党じゃね?

14 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:37:13.26 ID:YqLaKLYA0.net
日本はそんな大昔から中国の属国だったのか

15 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:37:34.53 ID:SDpFu5HM0.net
最も自然な考え方は元々倭国は九州と朝鮮半島南部を統治する勢力によって支配され、その分家か或いは血統的には繋がりがない近隣の勢力が何らかの理由で東遷し、大和にクニを立てたのがいわゆる日本、つまりヤマト政権だと思う

16 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:37:35.99 ID:/nbqYI1t0.net
大化の改新の焚書さえなければ本当の歴史知れたのにな
古事記 日本書記は偽書

17 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:38:57.81 ID:4UrE9xoi0.net
時々やる折衷案か。
どっち派も賛成してねとか、ダメだろう。

まあ、三国志しか資料がなくて、其れも伝聞を記載したようなもんだから、
あとは地道に発掘調査する以外ないだろうけど、
古代天皇陵とかも込みで、発掘すれば多少はなりたちがみえるかもな。

18 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:39:12.43 ID:iAUxjJM10.net
九州の王族が東征して作ったのが纒向だから

19 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:41:48.21 ID:SDpFu5HM0.net
>>14
倭の五王ってそうだろ
中国の王朝から安東大将軍の称号を与えられていたからな
当時の倭国はいわゆる中国の冊封体制に入っていたものと思われる

20 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:42:42.61 ID:94Tjd8mg0.net
>>18
纏向周辺の遺跡から出土する遺物は、九州の影響が殆ど感じられないのだが?

21 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:42:50.01 ID:iAUxjJM10.net
>>16
蘇我氏がアメノタリシヒコの流れを汲んだ正当の天皇だってバレちゃうからね

22 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:43:00.88 ID:A0teqgi+0.net
>>9
この人は畿内説の中心人物
そんな人でさえもう畿内説には目が無いと内心わかってるから九州に擦り寄り始めたってわけ

23 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:44:33.50 ID:SDpFu5HM0.net
倭国と日本(ヤマト政権)は分けて考えよう

24 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:44:59.74 ID:gvVGjk9N0.net
これは畿内説の最後の悪あがきで
畿内説の学者の論文読んでも結論は完全にSF扱いされてる

25 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:45:14.49 ID:DTNRHh8U0.net
敗北を悟った畿内派が撤退準備を始めました

26 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:46:53.31 ID:o5FUUhOM0.net
当時の日本の「東端」が畿内じゃなかったんだろ
もっと東の方、濃尾地方や越の国やそれ以東まで広がっていたんだろ

そうだとすると、畿内だけでなく東国を広く背後として持つ大和地方は有利な場所にあったことになる

27 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:47:14.57 ID:UwwPNZ4p0.net
>>3
www

28 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:48:10.07 ID:O7s/MIhJ0.net
那珂八幡古墳(福岡)→浦間茶臼山古墳(岡山)→箸墓古墳(奈良)

29 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:48:34.12 ID:x4Y4DizQ0.net
>統治は纒向、擁立は九州・吉備中心

これが畿内説の最新見解なんですか?

30 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:48:54.24 ID:Y843ymS10.net
>>22
マジかもう畿内説は終わりなんか・・・

31 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:49:15.72 ID:ipNVrbuQ0.net
細群 麁群って何?

32 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:51:38.99 ID:SDpFu5HM0.net
528年磐井の乱
527年(継体21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井(『日本書紀』は筑紫国造だったとする)がはばみ、翌528年(継体22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、または王権間の戦争。

筑紫君磐井は朝鮮半島にある倭国の宗主国を守るために近江毛野率いる大和朝廷軍の進軍を阻んだのではないかと考えられる

33 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:52:10.19 ID:97PMJbDw0.net
せこすぎw

卑弥呼が何様だくらいの気持ちでいろよw

34 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:52:21.51 ID:UvEeqZp20.net
ぴやこちゃんか

35 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:53:01.31 ID:o5FUUhOM0.net
当時の日本が濃尾地方や越の国やそれ以東まで広がっていたとすると、九州はとんでもない僻地ということになる

そんな僻地に日本の中心があるはずがない

36 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:53:28.82 ID:FVGzC2Qd0.net
剣玉鏡の副葬は福岡、円筒埴輪は吉備、葺石は山陰。前方後円墳は西日本の弥生墳丘墓の寄せ集めという北條論文が一番分かりやすいな

37 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:55:19.17 ID:SDpFu5HM0.net
>>35
いや
中国や朝鮮半島近いので九州当時日本列島における最先端地域だったと思う

38 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:55:24.68 ID:T2DTN+1n0.net
ミス日本東京代表

39 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:57:18.23 ID:FVGzC2Qd0.net
>>35
弥生時代の九州は中国を中心とした金印国家群のひとつだからね。むしろ畿内こそ僻地。輪の中心が今とは違う

40 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:59:21.53 ID:Rc3PXEBg0.net
25 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:39.93 ID:68Ek905f0
免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178
> 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。

https://special.sankei.com/a/life/images/20190902/0001p1.jpg
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる

41 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:59:24.43 ID:4UrE9xoi0.net
>>35
いや、文化圏等の広さと、文化の中心地とは別物なので、
一概に僻地とも言えない。
また、直接支配でもないだろうからねえ

42 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:59:36.05 ID:Rc3PXEBg0.net
26 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:45.99 ID:68Ek905f0
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される

https://i.imgur.com/4pKQIsd.jpg
https://i.imgur.com/xysLhhD.jpg

邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる

43 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 22:59:50.48 ID:Rc3PXEBg0.net
日本史板での結論

383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな

309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg


当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう

44 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:01:20.92 ID:Jp2+YLOm0.net
既に最も有力な阿波説があるぞ

45 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:01:23.98 ID:vIMXD6Oz0.net
邪馬台国は大和と答えたのを中国人が聞き間違えただけじゃないか?
だから奈良で間違いないと思う

46 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:02:24.81 ID:T3ZYnjZ30.net
>>22
いまさら引っ込みはつかないから>>1みたいなことを言い出したんだろうな

47 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:02:31.12 ID:G8YKJFLR0.net
どっかのタイミングで九州から近畿に遷都したとかいう折衷説みたいなのもあったよな

48 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:03:32.45 ID:LvXPGswD0.net
>>45
福岡の山門だよ

49 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:04:06.12 ID:ClE+9Bcr0.net
>「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」

ちょwwwwww
まだこんなアホな事言ってるのかよwww

50 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:04:55.95 ID:Bt3fczec0.net
卑弥呼スムニダ

51 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:05:19.08 ID:KvTMtPXB0.net
いやもう揺るぎない証拠が九州からいろいろ見つかってんだから諦めなよ...

52 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:05:40.56 ID:ipNVrbuQ0.net
突厥碑文にはアヴァール、ギリシャ出てくるのに
アジア系の書物にほとんど出てこないってどう言う事?

53 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:05:44.11 ID:4UrE9xoi0.net
>>45
中国人は、聞いた音に漢字を当てはめて表記してるだけ。
ただ東夷なので、卑しめるような漢字を使ったいりするけど。

54 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:06:16.47 ID:wYzgjGnG0.net
>>1
そもそも卑とか倭とか中国が日本を見下すために付けた当て字だろ?
中国人が書いた文献なんて信用出来ないもんね
おそらく内容の大半は中国人が作り出した女シャーマン主役の日本ファンタジー旅行記だと思う

55 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:06:21.44 ID:FVGzC2Qd0.net
最近の弥生時代研究では硯が話題になってるな。弥生時代にすでに文字で行政が行われていた可能性がある。今後、文字資料も出てくるかもね。

56 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:09:30.74 ID:FVGzC2Qd0.net
鉄の出土量でいうと弥生時代は圧倒的に九州。古墳時代になると畿内。これを神武東征と結びつけるのは結構理に適ってたりするんだよね

57 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:09:40.74 ID:wYzgjGnG0.net
>>45
>>48
ヤマトは福岡の山門でほぼ間違いないと思われる

58 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:09:53.78 ID:ClE+9Bcr0.net
>>45
邪馬台(やまと)と 大倭/大和(ダイワ)の違いを
まずは考えよう。

59 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:15:56.98 ID:Q9OAoR5P0.net
>>35
日本は最初から統一国家だったわけじゃないぞ。
九州北部の奴国、伊都国が倭人の代表としてずっと中国と交流していただろ。

60 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:18:01.85 ID:RZasApdV0.net
吉備の連中とは仲悪かったろ
巫女さんっていうより完全に詐欺師扱いしてたしな
まあ九州の連中は仕方ない 大陸へ助けを呼びに行った勢力が既に併合されましたでは
格好の派兵の口実与えるだけだしなあ
いつも人狩りでボロボロにされてる朝鮮諸国が
束になってもボロボロにされて平身低頭させられたってトラウマ持ってたくらいで
装備が違いすぎて五十倍百倍ので向かっても勝てる見込みなんてない
あわてて取り繕ってその期間だけ再興させてっての一番乗り気というか
いつも真っ先に九州が被害を受けるので他に選択肢なんてなかった
あちこちうろうろさせて準備に時間を稼ごうとして涙ぐましいもんがあった
ええっあの大飯食らってる連中が使者じゃあないのか ただの先触れだとう
ここ先に副使 正使まで別にやってくるだとう 我らがさきに干上がるわ
まあここは耐えて耐えて侵攻されるよりはましだからって感じでなあ

61 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:18:20.18 ID:Ny1YhUox0.net
韓国のものなのに

62 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:18:22.27 ID:O7s/MIhJ0.net
唐津あたりで船を降り、徒歩でしばらくするとたどり着く伊都国は、監視が大変厳しかったようなので、その先の奴国から邪馬台国(畿内)まではある程度の統制が取れていたのであろう
一方、大陸から船で八代あたりに降り立ち、筑紫平野から熊本平野にかけて大きな国を建設していた勢力もあったと見られる

63 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:20:03.43 ID:ipNVrbuQ0.net
https://www.livius.org/pictures/romania/sannicolau-mare/sannicolau-mare-nagyszentmiklos-treasure-gold-dish-with-handle-copy/
🤔

64 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:20:13.11 ID:fHptP3jY0.net
アクロバティックすぎる
畿内論者は哀れよのう

65 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:20:40.89 ID:BzE27mWQ0.net
>>60
主語がないから意味不明なんだけど日本語不自由なの?

66 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:23:34.41 ID:U9arD3hx0.net
まずさ、真実を言うと、卑弥呼てのは神武天皇の皇后のヒメタタライスズヒメなのね
彼女らは双子
タタラヒメとイスズヒメ
で、歴代の皇后は全員双子の姉妹なの
ね、こんなこと誰も知らないでしょ?
知らずに歴史なんてものは語られて、我々は信じ込まされているわけでしょ?
そんなものに意味があるのかな?
仮に、卑弥呼が誰か、真実か判明したところで我々には何の影響もないよね?

67 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:28:32.78 ID:O7s/MIhJ0.net
松野連 大変胡散臭い存在ですよね

68 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:29:01.00 ID:675lEhjL0.net
そもそもその時期に日本は統一されてない
九州にあった大和国の名前であるだけ

69 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:29:48.81 ID:U9arD3hx0.net
平成天皇の皇后美智子さま、
実は双子です
令和天皇の皇后雅子さま、
実は妹が双子だよね?
実は妹が真の皇后なのでは?
雅子さまはあくまでメディア向けで
そんな隠し事くらい簡単にやるよ
真の国体維持のためなら

70 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:30:02.05 ID:ipNVrbuQ0.net
じゃ、なんで🇭🇺ハンガリー語なの?(入植地)

71 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:30:48.90 ID:4UrE9xoi0.net
>>54
東の国から朝貢に来たって記録は事実だろうから、
事情を聴くなりして、何某かの国ぽいので 冊封はしたんだろ。

陳寿が日本に行ったわけでもないので、そこは、
あちこちの資料からかき集めて構成したんだろうけど。

72 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:31:37.34 ID:ipNVrbuQ0.net
Ⱡ ι ᓓ̸ᐠ ι Շ: むじんくんATM

73 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:31:37.65 ID:Q9rUPsJy0.net
九州吉備大和

74 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:33:45.87 ID:ipNVrbuQ0.net
日本人ほど、混血して無い国は珍しい
↓ところでこれ何↓

75 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:36:04.07 ID:93+5UTQf0.net
対立を煽るわけじゃないけど、こういう根拠のない折衷案みたいなのが一番ダメだと思う

76 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:39:16.40 ID:/x6Kgyh60.net
九州で墳長が120メートルを超える前方後円墳は全部で12基。
律令制に基づく国別でみると、現在の宮崎県と鹿児島県の大隅半島地域を含む日向国が8基と圧倒的に多い。
これは畿内王権と深いつながりがあったことの証しと受け止められている。

なぜ畿内王権が日向と深い関係をもったのか。謎を解くカギの一つが「后(きさき)」だ。
古事記と日本書紀には12代の景行天皇、15代の応神天皇、16代の仁徳天皇がそれぞれ日向出身の后を迎え、皇子や皇女をもうけたと記す。
古事記では3人で、日本書紀では4人の日向出身の后が登場する。
https://style.nikkei.com/article/DGXNASJC2701L_T00C14A7000000/


畿内は北部九州よりも宮崎との繋がりのほうが強い

77 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:40:08.73 ID:ZKFsrPhM0.net
むりやり吉備いれ

78 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:44:02.45 ID:Hehohwi40.net
岡山は韓国みたいなもんだろ。
いつも起源を唱えるww

79 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:44:55.62 ID:/iUmWJQO0.net
近畿に首府があって、国が分裂して九州勢が最終的に実権掌握したんだろ
それですべて辻褄が合う

80 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:50:06.70 ID:ClE+9Bcr0.net
>>59
漢に倭国代表の体で朝貢してたのは奴国だ(後漢書)。
だが、魏誌でバレるのは、奴国は邪馬台の中の国でしかなかったw
つまり、漢の時代、倭で覇権を握ってたのは、実は、奴国の上に
居たおやびんの邪馬台だわ。これは漢には内緒だった訳だな。

ところが、漢の終わりの時期に起きた倭国大乱で全てが変わる。
漢が滅んで魏に朝貢したのが、何故か邪馬台だ。はあ???
で、その邪馬台の大事な博多港を、得体の知れぬ「大倭」が
伊都国に置いた「一大卒」を使って完全に押さえてる!(魏志)
魏の遣いを伊都国でブロック、邪馬台の女王に会わせさえしない。

つまり、大倭こそが倭国大乱の勝者にして隠れた新覇権国だわ。
いや、もう覇権じゃないな。事実上の実効支配を確立してるわ。
倭(日本語話者地域)をすべたから「大倭」と名乗った訳だな。

81 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:50:11.39 ID:O7s/MIhJ0.net
筑紫磐井(呉系)がヤマト(大倭)管轄の博多港を制圧して反乱を起こす
ヤマトは九州征伐を開始、小郡市付近で磐井を撃破し、見事勝利する
敗者一族の磐井葛子は博多港をヤマトに返還する

82 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:51:00.96 ID:k1xSFCip0.net
なに落としどころでまとめたようなこと言ってるねん

83 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:52:45.72 ID:ipNVrbuQ0.net
シラギの意味も忘れちゃってる?
(コンスタンティヌス)

84 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:55:10.48 ID:ipNVrbuQ0.net
クダラも🇭🇺ハンガリー語で解釈出来るだろwwwww
(失敗)
どういう事?多過ぎ。ドンピシャだし。

85 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:57:15.84 ID:7yXKNRUu0.net
卑弥呼はいなかった
邪馬台国はなかった
この説の方が腑に落ちるわ
どこどこにあった説はどれもこじつけが酷い

86 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/24(日) 23:58:59.14 ID:dhD48xLO0.net
卑しいジジイだわ
マニアでは九州説以外にないのに
自称専門家が歴史を歪める

87 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:00:13.42 ID:aZtx30vH0.net
>>83
新羅国(半島読み:シッラグッ)

倭人「し、しらぐ?」
しらぐ、しらぐ、しらぐぃ、しらぐぃ、しらぎ...

88 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:01:51.32 ID:B9z34BTX0.net
畿内説を唱えている奴は次の質問に答えて欲しい
・なぜ大陸から海を渡って来れる技術があるのに、わざわざ九州に上陸して歩いて畿内まで行くのか?

当時は多くのクニがあり献上品を持っていたらクニの頭や山賊に夜襲を受けるぞ!?
外国からの使者は襲ってはならないという紳士協定とかも無いだろうし歩いていくのは疲れるし
そのまま海路で海流に乗って畿内に行くか瀬戸内海を横切った方がはるかに安全で疲れない

当時の古代人は知識は無いかも知れないが馬鹿じゃない
普通に考えて途中に寄った地点の直線上に邪馬台国がある

89 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:05:54.04 ID:xbGnuwMB0.net
三韓征伐とは
みかんの国征伐のことです

90 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:08:49.79 ID:TLOhV40V0.net
ウラル語族の金→カマタ?!
カマタと言えば日本に新羅人来てるよな…

91 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:09:31.11 ID:B9z34BTX0.net
>>42
おそらく邪馬台国は熊本県北部のトンカラリン遺跡があるところ
ここでは呪術による統治が行われていた跡がある
不思議な洞穴もあるし呪術に関係するのだろう
最大のポイントはすぐ近くの江田船山古墳からは日本の最初の漢字が記された剣が出土しており国宝になっていること
つまり、その頃は栄華を誇っていたという証
そう考えると水行は有明海を渡ったということになる
佐賀に上陸して陸路を行けば良かったのだろうが敵対勢力等の関係で有明海を渡る選択肢をしたと思われる

92 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:10:27.20 ID:E/JIoZ9p0.net
>>43
畿内説はこれにぐうの音も出なかったな

93 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:12:12.50 ID:spBScuqd0.net
邪馬台国は妄想で存在しなかったんだろ
卑弥呼の頃には既に朝廷が有る以上、天皇の許可も無しに外国と外交なんてするはずが無いし神功皇后が三韓征伐していた頃だぞ

94 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:12:21.97 ID:1bN8nrvl0.net
考古学とか馬鹿らしいよな。
近親相姦で断絶した誰かさんとか明らかに暗殺なのに
そこからして否定されるなら更に遡って分析する意義無いもんな。

まぁ散々家名汚しといて
ドッチが分不相応の役立たずかハッキリしたけどなw

95 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:17:31.71 ID:B9z34BTX0.net
>>93
近畿では大和朝廷があったかも知れないが、その勢力は近畿および出雲くらいまでだったのだろう
それに日本が統一されたのは織田信長の時代だぞ
古代日本では朝廷の威光も地方には届かない
連絡手段も歩きくらいだったろうし
そもそも明治になっても地方で反乱が起こっているんだぜ

96 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:22:34.83 ID:dE45dRup0.net
>>22
長年纒向遺跡発掘に携わった関川尚功氏も最近邪馬台国畿内説を否定する著書を出したけど
纏向から中国との交流を示すような遺物があまり出土しないのが大きな理由の一つみたいだな
寺沢氏の畿内説はいつ聞いても初めに畿内ありきで後から理屈を付け足しているように聞こえて仕方がない

97 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:26:30.37 ID:dE45dRup0.net
>>49
何故「纒向にいたとしか考えられない」のか聞いてみたいけど
結局の所「巨大古墳があるから」以上の話を聞けたことが無い

98 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:32:41.63 ID:fKRNyl3V0.net
>>35
全部別の勢力だぞ

99 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 00:59:36.39 ID:ylN44qcw0.net
>>88
邪馬台国と当時の中国情勢を考えたらいいだけでは?
巨大な中国に対して邪馬台国は侵攻できないが、その逆はありえるだろう

弱者側としては首都や橋頭堡になるような要地は知られたくないはずで
日本の玄関口に留め置いて、いや〜ウチめっちゃ遠いんですよって
さっさと帰国してもらいたかった
でも、どうしても都を見ときたいと言われたときに備えて
正規ルートを避ける水増し行程を提示しておいたんじゃないか

100 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:24:35.18 ID:bjK3JMBG0.net
畿内説に人は関西を日本列島の首都にしたいという前提で話してるよね
そういう概念が根本的に間違ってると思うんだが

101 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:28:50.80 ID:c5EPnyPT0.net
>>47
折衷案じゃなくて神武東征がそのまんまじゃん

102 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:29:40.43 ID:Pxyzc6Zx0.net
黄金の国ジパング

103 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:33:20.67 ID:2iErQawr0.net
古事記から想像するに東遷説かなぁ、魏からの貿易をわざわざ畿内からするかな?

104 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:33:38.63 ID:qMus/qqk0.net
>>103
地理的に不自然だな

105 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:36:24.17 ID:Pxyzc6Zx0.net
徳川埋蔵金

106 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:41:17.74 ID:Pxyzc6Zx0.net
ツチノコ

107 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:44:59.77 ID:moK9yNyn0.net
ヤマタイって言葉の響きが九州っぽい

108 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:45:17.03 ID:TLOhV40V0.net
そもそも、ひらがなカタカナって暗号の意味もあったのでは?
周辺国が読めるわけがない

109 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:47:46.31 ID:1668IOBO0.net
こんな無能ばかりをマスゴミで取り上げて
文系に意味がないという無駄なものにしていく
アホすぎで

110 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:50:22.36 ID:g4L3Jntr0.net
>>43
すげー

111 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:50:23.01 ID:Dnfeb/370.net
>>108
当時、かなはないだろに?

112 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:57:37.90 ID:7fR5Fpre0.net
昔は前方後円墳は方墳文化と円墳文化の連合の象徴みたいに習ったな
まぁ実際そうなのかもな

113 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 01:59:21.58 ID:7fR5Fpre0.net
>>103
後の時代も外国使節は太宰府に留め置きが多かったから元の時代ですら北部九州しかよく知らない状態だったんだぜ

114 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 02:05:06.81 ID:JlWR9cLE0.net
卑弥呼は皇女(ひめみこ)、邪馬台は大和(やまと)なんだよな
ヤマトをわざわざヤマタイって読ませるのは後の大和朝廷との区別ということになっているけど、
戦前の帝国史観と戦後の極左史観の奇妙な合作の結果だと思うね
邪馬壹国は素直にヤマト国と呼ぶべき

115 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 02:10:34.57 ID:c5EPnyPT0.net
>>100
首都希望じゃなくて「畿内≠邪馬台国」ならば「関西人は朝鮮半島由来」が成り立ってしまうのがアイデンティティにかかわるんじゃないの?

116 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 02:20:53.74 ID:c5EPnyPT0.net
>>114
「壹」は「壱」なのでイーアルサンスーの「イー」と読むべき字
複写時に読み間違いや書き間違いの可能性もあるので「ヤマト」と読むべきかも確定してない

117 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 02:44:51.56 ID:zq/Y5lGU0.net
都城市歴史シンポジウム「古墳をつくった人々〜墓制から文化の多様性を探る〜」
令和2年3月

【竹中正巳】
骨の研究や最近ではDNAの研究で、縄文人の遺伝的な要素、DNAを色濃く残しているのが北海道のアイヌの人々だということがわかっております。
アイヌの人々の軟組織を見れば、眉が濃かったり、髭が多かったり、そして目は二重であったり。そして耳垢が湿っていたりという特徴があります。縄文時代の人たちもそういう顔つきや体つきをしていた。
縄文人は基本的に日本列島全域でほぼ一緒の特徴を持っていたと言われております。近年では、DNAの研究で東日本と西日本の縄文人の中には、DNAのタイプとしてちょっと違うものがあるという面白い研究等もあります。
私はDNAの専門家ではありませんので、またの機会に譲るといたしまして。縄文時代の終わりから弥生時代にかけて大陸から、朝鮮半島や今の中国の地域から人がやってきます。
そのような人たちは顔が長くて、面長で平べったい顔で、毛は薄い。そして目は一重ということになります。縄文人とは違っていますね。
こういう人たちがやってきて、生活も弥生時代になると、金属の道具とか水稲耕作とか、色んな形で生活も変わってまいります。もう日本列島の人々にとっては大革命です。こういうことをもたらした人たちが、地元の縄文的な人たちと混血をしていくことになります。
そしてどんどん広がって、この人たちの特徴がどんどん後の日本列島の色んな所に広がっていくというのが、現代日本人の成り立ちの大まかなストーリーであると、大方の研究者が認めております。

それでは最後になりますが、南九州の古墳時代人は、ということになります。第1図を見ると古墳時代、地下式横穴墓が分布しています。宮崎平野と内陸の方です。
この都城盆地からえびのにかけての地域というのは、本土の縄文人みたいな感じ、上部中央の写真は菓子野小学校の近くから出てきた人骨です。
上部右側は宮崎の平野部の国富町から出てきた人骨ですが、これは渡来系の弥生人に似ています。
現在の宮崎県域の方は本土縄文人と渡来系弥生人の特徴を持った地域とに分けられます。最後になりますけれど、都城盆地の古墳時代の人々、多様な古墳がいっぱいありますけれど、
今わかっているところでは地下式横穴墓と箱式石棺墓から出てきている人骨から言うと、本土の縄文人に近い顔つき、体つきの人たちがこの都城盆地の古墳時代の主な住民だと思います。

隼人の故地にあたる南九州地方(宮崎県南部・熊本県南部〜鹿児島県)における古墳時代の墓制 には、南九州にだけ認められる地下式横穴墓、地下式板石積石室墓、土坑墓・立石土坑墓があります。
地下式横穴墓は、竪穴を垂直に掘り込んだ後、横方向に水平に掘り広げて、墓室を造ったものです。
最も古いもので4世紀末頃の土器を出土するものがあり、5〜6世紀に築造 の最盛期があり、7〜8世紀頃まで存続して造られています。


地下式横穴墓(隼人)・横穴墓(大和)
https://livedoor.blogimg.jp/warabite/imgs/c/9/c97e0728.jpg

118 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 02:45:38.52 ID:zq/Y5lGU0.net
地下式横穴墓から出土した人骨および人骨関連遺物に関する骨考古学的研究 (竹中正巳、篠田謙一他 2015)
主に大隅半島の古墳時代人骨に関する研究。5〜6世紀
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-24520873/

宮崎県などの南九州の山間部では縄文人・西北九州弥生型の人骨が弥生〜古墳時代にかけて出土することで以前より知られている(南九州山間部タイプと呼ばれる。)が、大隅半島では詳細が不明であった。
今回の研究で大隅半島に属する立地の遺跡(小野堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、 町田堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、塚崎古墳群 19 号地下式横穴墓(鹿児島県肝付町)、飯隈古墳 群鷲塚地区地下式横穴墓(鹿児島県大崎町)、
旭台地下式横穴墓群(宮崎県高原町)、地下式横穴墓群(宮崎県えびの市))で新資料が得られた。
それらの新資料を本研究で詳細に調べたところ、典型的な低身長・低顔・低眼窩・広鼻という縄文人の特徴を持っていることが判明した。

広田遺跡C-8号男性人骨、町田掘遺跡60号地下式横穴墓男性人骨
https://i.imgur.com/0ct0mKi.png

119 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 03:08:53.77 ID:A/N2RjFA0.net
言語学からアプローチして、古代漢語の発音を元に近畿説だと結論づけるtwitterが話題になってたぞ

120 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 03:25:48.33 ID:ejjrtPro0.net
首露王(しゅろおう、수로왕)は、金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたとも伝えられている。
妃はサータヴァーハナ朝の王女と伝わる許黄玉。
ただし、首露王についての記述は金官加羅国滅亡の500年ほど後に書かれた駕洛国記が本となっているため史実か判断が難しい。伝説ではクジボン(クジの岳)に降臨したと言う。金官加羅国には須恵器に影響を与えた土器が発掘されている。

121 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 03:27:47.16 ID:ejjrtPro0.net
みょーな、中国👆age👆
どう見てもインドの方が関係ありそうなのに

122 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 05:24:05.53 ID:VyhFw5Pk0.net
畿内説に無理があるからこじつけてきたな

123 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 05:25:06.49 ID:4zlQRFQW0.net
>>119
ヤマトの地名は福岡にもあるぞ

124 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 05:26:50.50 ID:CDzLdHNG0.net
>>116
壹は委で倭の事
ヤマ倭国

125 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 05:30:56.22 ID:LAxJg+QP0.net
近畿にあったか
道中に追い剥ぎに会う
朝鮮半島もその理由で避けられて
船が利用されてる

126 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 06:57:22.40 ID:wMTd1h4+0.net
纏向は外来土器の出土状況から、
四道将軍を派遣した御馬城崇神の
王都である事が確定している。
御馬城崇神は北部九州に進出出来なかった事も
記紀に記述されており、
纏向が邪馬台国でない事も、
考古学的に確定している。

127 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 06:58:53.43 ID:/rdGCL2t0.net
複数いたことにすればええやん

128 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:02:17.96 ID:wMTd1h4+0.net
纏向から出土する特殊器台埴輪や、
桃の種、犬の骨等、吉備や
桃太郎伝説を持つ吉備津彦と関連が深い
出土品の数々からも、纏向が吉備出身の豪族、
御馬城崇神の王都である事を裏付けている。

129 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:07:02.79 ID:wMTd1h4+0.net
また、邪馬台国の超重要拠点である伊都国の、
卑弥呼の死亡時期と同時期に作られた
とされる平原遺跡が方墳である事で、
邪馬台国が前方後円墳の築造を象徴とする勢力なる
畿内説は完全崩壊した。
畿内説は完全に終わった説になった。

130 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:12:30.03 ID:wMTd1h4+0.net
邪馬台国の外交上の拠点として、
大陸からの贈物を管理したと
魏志倭人伝に明記されている
伊都国の卑弥呼の死亡時期と
同時期に築造された平原遺跡から出土した、
舶載鏡の数々の中に、三角縁神獣鏡が
一枚も無い事で、
卑弥呼の死亡時期に三角縁神獣鏡が
倭国に流通していなかった事が確定し、
三角縁神獣鏡が魏から贈られた鏡なる畿内説は、
ここでも完全に破綻し、終焉した。

131 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:14:31.43 ID:ap3pxeqJ0.net
纒向学はもう言ってることが無茶苦茶

132 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:24:19.49 ID:wMTd1h4+0.net
魏から卑弥呼に贈られた鏡は、
平原遺跡から出土した
方画規矩神獣鏡と内行花文鏡であり、
コレが日本から100枚程度出土する事で、
魏志倭人伝の記述と一致する事になる。
当時の魏は徐州の銅山を手に入れていなかった為に、
銅銭の流通すら困難であったとされ、
銅鏡100枚は後漢鏡を掻き集めた
歴史的背景も一致していている。

133 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:31:23.54 ID:wMTd1h4+0.net
平原遺跡の甕棺墓と時代編年が一致する
甕棺墓が出土する祇園山古墳が
卑弥呼の墓で間違いない。
平原遺跡で16人、祇園山古墳で66人の殉死が想定でき、
合計82人の殉死が卑弥呼の死亡時期と
同時期に作られた墓に認められ、
祇園山古墳が卑弥呼の墓である事は、
疑いの余地がない事になる。

134 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:41:11.25 ID:wMTd1h4+0.net
また、魏志倭人伝には倭国は
埋葬形式が甕棺墓であり槨無しと明記されており、
北部九州が文字通り、甕棺墓主体の埋葬形式で、
槨棺墓が一切無いのに対して、
纏向はホケノで槨棺墓が出土してしまい、
邪馬台国畿内説は完全崩壊した。
槨棺墓文化圏は吉備や阿波から始まっており、
吉備や阿波から東は、魏が認識した
倭国ではない事も確定している。

135 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:48:26.63 ID:k2hFJLwsO.net
遣隋使も九州が送ったという主張を見たことあるな

136 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:52:03.34 ID:dIozzA6L0.net
>>13
張三姉妹?

137 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 07:52:37.14 ID:JrFZEPoO0.net
>>86
マニアも自称専門家も仲間じゃん
仲良くしろよ

138 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 08:03:45.61 ID:fknN9d2z0.net
ここまで来ると無理がある 近畿に有力国があったとしも当時吉備や九州まで屈してたなんて有り得ない 好意的に擁立する意味もない 

139 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 08:09:49.19 ID:3T3uWHud0.net
邪馬台国語と日本語違うだろ?

140 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 08:15:22.02 ID:k2hFJLwsO.net
>>16
今ですら資料保存怪しいのに昔はそういう概念すらないだろうな

141 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 08:25:32.95 ID:RtjK8KjI0.net
卑弥呼好きってネトウヨなん?
たまに立つね卑弥呼関連

新しい物的証拠出てきたときでいいよ
こんなもん論争するだけ無駄だよ

142 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 08:34:05.66 ID:k2hFJLwsO.net
古墳発掘できればいいんだけどな
発掘という表現自体が日本人への冒涜とか言っちゃう奴等がいるから

143 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:06:52.19 ID:c5AEaUZz0.net
前方後方墳がある都道府県は下記の通り

奈良県
大阪府
京都府
兵庫県
埼玉県

意外にもたった5府県しか無いのである

144 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:11:55.54 ID:SAz47ECi0.net
100年にインド系が極東にいたって事?

145 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:12:56.76 ID:U0DTjB/N0.net
現代のしょうもない事情で各方面に忖度した妥協説提示するなんてアホかよ。学者辞めた方がいい。

146 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:14:44.80 ID:mk4IQMvT0.net
>>4
奈良県民必死やの

147 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:17:54.79 ID:SAz47ECi0.net
司馬ってシヴァ?

148 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:42:41.70 ID:RBKu5iTR0.net
これで勝負あった感あるな

87 :ニューノーマルの名無しさん :2020/10/28(水) 02:23:05.26 ID:02Gx9kmc0
面白いものを見つけた
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が
九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ラインだろ

https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/23/45/a0237545_12273741.jpg

149 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:44:38.93 ID:z/8DjJEH0.net
弥生時代の奈良盆地は湖だ。
農産物の生産高は限られているから勢力も限られる。

150 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:46:51.58 ID:1p0Bs1Xo0.net
当時は、国の人口がものすごく少なかったことを勘案してイメージしないと駄目だよね

151 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:47:04.83 ID:02cCbws00.net
文字も持ってない未開な国がどこにあったかなんてどうでもいいよ
予算かけずに村おこししたいド田舎の自治体はぜんぶ邪馬台国でいい

さっさと卑弥呼まんじゅう、金印チョコレート、壱与のいょうかん作って村おこしせいやw

152 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:53:59.30 ID:z/8DjJEH0.net
>>99
その理屈だと、
巨大な中国側は玄関口が首都と思って
外交や経済取引することになる。
それでもいいのかw

153 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:54:51.98 ID:Wl2R2nYv0.net
>>12
朝鮮からの渡来人だよw

154 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 09:58:29.12 ID:qjVeTPMs0.net
>>149
縄文後期には既に湖ではなくなっていたみたいだけどね
奈良盆地に複数の縄文遺跡があるし、弥生遺跡は標高の低い場所でも見付かっているから
もし弥生時代も奈良盆地が湖だったとしたら、湖底で弥生人が生活していたことになるw

155 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:01:06.09 ID:wBNTcrWP0.net
中部の尾張氏は、奈良の葛城の賀茂氏と同族で、もとは高尾張と呼ばれていた人たちだから。

156 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:03:54.59 ID:wBNTcrWP0.net
いわゆる奈良湖だが、
これは河内湖といっしょで時代とともに縮小していって、
それに合わせて有力は遺跡もだんだんと盆地中央に寄って行ってるだろ?
生産力的には唐古鍵の大遺跡が営まれているくらいだから、相当量あったと思われ。

157 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:04:13.10 ID:qjVeTPMs0.net
>>1の説はちょっと強引だけど
当時の移籍を見ると、奈良のあたりに日本中と交流があった大きな国があったことは確実だし
さらに、九州の方も鉄の精製が盛んな大きな国があったことも間違いないんだよな
ただ、そのどちらかが邪馬台国なんだ、というのはかなり暴論
実際にはその間にも複数の国があっただろうし、どれが邪馬台国と称されていたのかがわからんからな

158 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:05:50.69 ID:z/8DjJEH0.net
>>87
斯羅=シラ
新羅=シンラ、あるいはシラギ

159 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:08:47.74 ID:wBNTcrWP0.net
失われた古代新羅語は、いまみたな強烈な子音の投げっぱなしみたいな発音ではなかったと推測されるよw

160 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:16:36.78 ID:djCRL9OO0.net
もう何でもありの世界

161 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:19:39.74 ID:9jQxmvXW0.net
>>157
中国と外交交渉していたという事実から考えれば地理的に九州しかないよ
当時の船だとどうしても壱岐・対馬を経由しなきゃいけないから
九州すっ飛ばして大陸との行き来はできない

162 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:24:47.44 ID:HmcFd2+l0.net
>>143
とんだ嘘つき野郎発見

九州から東北まで、こんだけ分布してんだけど?
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRV_ymSYjYKC4T5WQxPC6r-cW1tNeVLK-fSuw&usqp=CAU

163 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:24:51.08 ID:z/8DjJEH0.net
>>154
弥生時代の奈良湖(大和、やまと)も大きかった。

164 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:25:50.96 ID:z/8DjJEH0.net
>>156
>>163

165 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 10:31:43.99 ID:z/8DjJEH0.net
>>16
俺もそう思う。
7世紀までの記述は眉唾が多い。
まあまあ信じられるのは8世紀からだろう。

そもそも天皇という呼称がおかしい。
歴史と伝統ならば「おおきみ」なんだろ。
天皇は中国の神話で天を治めるる皇帝のことだ。
なんでそれをパクるの?

166 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 11:40:07.57 ID:MeqbGnwX0.net
>>159
「久須尼自利。」此新羅語、未詳也。

167 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 11:42:59.71 ID:MeqbGnwX0.net
クッスニーじゃないの?!
極東に🇭🇺ハンガリーがいた証拠沢山あるなw

168 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:09:20.46 ID:B85Ou7wo0.net
羅紀法興十九年の條に金官加羅王金仇亥が來投したこと
を傳へ、又真興王十五年の條に新州軍主金武刀(仇亥の第三
子)の名が見え、共に「金」姓が附記されてゐる。
王以外に有姓の人名が全く見えないこの時代に獨りこの一族が金姓を有するのは甚だをかしい。

169 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:11:43.23 ID:S2e+wpXb0.net
天皇皇后が橿日宮(香椎宮)に滞在して熊襲討伐を行った記録もあるんだからもしその通りだったら邪馬台国が九州と言えなくも無いという

170 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:26:42.59 ID:c6i0xkAk0.net
景初や正始という魏の年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が
畿内の古墳から出土しているよ
景初や正始は卑弥呼が魏に使者を派遣した年と魏志倭人伝にある

卑弥呼の時代ころに畿内は魏と交流があった証拠で
魏志倭人伝の邪馬台国とは大和国のことというのが現在の一般的な説

171 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:35:45.61 ID:Gcyatoyy0.net
九州は時に飢饉にさらされ
南は熊襲、東に出雲
水稲が得意な北九州渡来人は瀬戸内海ルートから近畿の芦原を開き水田を作る
旧倭人を熊野(和歌山)へ追いやる

熊は縄文人

旧倭人は徐福福井ルートから近畿入し混血
爆発的に人口増加しやがて北九州と決別

これが大和大乱

旧倭人は山口県から北九州と和睦し熊襲を攻略

172 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:36:15.86 ID:42UoyCqj0.net
>>170
誤字があるんだよね
だからでっち上げの可能性が高い

しかも銅の分析すると国内産
それは国内で魏志倭人伝に合わせて後世に捏造したもんだろ
その一事をもって近畿人は嘘つき朝鮮人であると定まる

173 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:38:33.74 ID:wMTd1h4+0.net
邪馬台国の外交上の重要拠点であり、
外国からの贈答品を管理したと
魏志倭人伝に明記されている伊都国の、
卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡から出土する
舶載鏡の数々の中に、
三角縁神獣鏡が1枚も無い時点で、
三角縁神獣鏡は卑弥呼の死亡時期に
倭国では流通していなかった事が確定し、
三角縁神獣鏡が魏から贈られた銅鏡なる
畿内説は完全に破綻し終焉を迎えた。

174 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:41:40.07 ID:42UoyCqj0.net
>>114
ヤマタイを後期にパクってヤマトとした可能性が大
そもそも倭をヤマトと読むんだよってエビデンスがゼロだから

大和盆地もなんでヤマト盆地と読むのに万葉仮名ではないんですかね

175 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:52:24.06 ID:TgwYWnrh0.net
>>170
今さらもう誰もそんなのじゃ騙せないよw

畿内出土の銅鏡は国産品だと明らかになりました
畿内説というのはこういう都合の悪い事実に全てほっかむりしてるだけの虚構です

337 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/01(土) 13:31:50.48 ID:xWuatOBT0
>>236
ただの国産コピーですがw
型取りすることでいくらでもコピーが作れるんだよ

今どきの歴史:三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。


> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。

176 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:53:54.11 ID:kiQpVu2h0.net
仮説仮説で楽しそうだな
証明のし様のない仮説など無意味だけど

177 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 12:55:06.03 ID:mBF/TDjP0.net
大和政権の重要人物であるなら記紀に明示してあるはずで、その人物の墓探せばいいんじゃね?

178 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:00:00.88 ID:wMTd1h4+0.net
三角縁神獣鏡が魏から贈られた銅鏡でない事は、
理論上完全に証明されてしまっているので、
今後、コレを畿内説の根拠として持ち出す考古学者は
一切居なくなる事が分かっている。

179 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:00:19.44 ID:kiQpVu2h0.net
あらゆる古墳の内部調査をすればもう少し色々判るのは確かだろうな
宮内庁が邪魔さえしなければなぁ

180 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:01:55.63 ID:w4nNkpqX0.net
何なの?その各方面に配慮した説w
岸田かよw

181 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:03:43.40 ID:X13PAI2n0.net
日巫女なんだから複数居たんだよ

182 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:06:12.97 ID:wMTd1h4+0.net
私が理論上纏向が邪馬台国でない事を確定させたのが7月の事なので、
それ以降に畿内説に代わる説を畿内説論者が
唱えざるを得なくなったと言うのが
邪馬台国巡る考古学界の正しい分析になる。

183 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:12:11.99 ID:wMTd1h4+0.net
纏向の外来土器が、記紀に記述された
御馬城崇神が派遣した四道将軍の範囲に
一致する事で、実際に吉備出身の豪族が、
纏向に勢力を張って、日本各地に
四道将軍を派遣した記述が正しかった事が証明され、
逆に言えば九州に進出出来なかった事も確定し、
纏向の御馬城崇神王朝が、
邪馬台国でない事も歴史の事実として
確定している。

184 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:20:12.31 ID:wMTd1h4+0.net
魏志倭人伝には伊支馬が長官であり、
彌馬升が副長官であると明記されている。
伊支馬は生目垂仁、彌馬升は御馬城崇神に比定出来るが、
親である御馬城崇神が副長官であり、
子の生目垂仁が長官となって、
直系男子の継承が破綻してしまう事になるので、
垂仁と崇神は直系の親子関係で無かった事が分かるのである。

185 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:21:22.53 ID:S2e+wpXb0.net
九州吉備中心の擁立というよりは大陸から渡ってきた最新の初期道教信仰を取り入れたということじゃないのかね
伊勢遺跡から纏向の間に祭祀が変遷している

186 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:23:13.02 ID:euymhf550.net
なに難癖つけてんだろう?
纏向なんか誰が見ても邪馬台国とは無関係だろ
卑弥呼時代から100年後の遺構だぞ
バカじゃね?

187 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:31:32.64 ID:wMTd1h4+0.net
丹波国造の邪馬台国、
御馬城の吉備纏向、
生目の投馬国、
出雲建の出雲、
熊襲建の熊襲が
当時の勢力図であり、
丹波国造の邪馬台国と御馬城の吉備が
同盟を組んだシーンは、
日本武命の出雲征伐や日本武命の東征に描かれている話である。

188 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:34:42.90 ID:C1++qNCT0.net
>>152
邪馬台国サイドとして外交意図はそういうことだろう?
歴史研究家その他の人達が、あーだこーだ迷走してるのは当時の中国視点だからであって
古代日本の実態がイマイチ把握できないのは
カモフラージュされた記述の結果から推測してるわけで、当然のことだよ

貿易は倭人各国が勝手にやればいいんだし
平家とか足利義満みたいに、それぞれの立場によって対外的な利益の求めかたは変化するのが当たり前で
朝廷なり倭国連合が権威でもって統制できるものではないよ

189 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 13:39:13.49 ID:wMTd1h4+0.net
邪馬台国の卑弥呼は、
記紀には倭姫命(ヤマトノヒメミコ)と
明記されている。
狗奴国と対峙した事は熊襲征伐として描かれ、
張政が黄幢を与えて激を飛ばした事は、
博多祇園山笠の大幡主のエピソードとして言い伝えられており、
また大幡主の弟が倭姫命の世話をしていた伝承も、
魏志倭人伝の歳の離れた弟が、
卑弥呼の世話をしていた伝承と一致する。

190 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 14:40:51.44 ID:gztTaSnf0.net
縄文人はゲイが多い。

191 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 14:46:39.23 ID:nDhEd10A0.net
>>1
魏志倭人伝に記述されているのは使者から得た口伝でしかない
つまり魏の役人が自分の意志で収集した情報ではない
正史ではなくそれを基軸にして語るのは考古学ではないと思う
それはただの文献を元にした創作であり文学ですらない

邪馬台国も卑弥呼も日本側呼称ではなく
日本では遺跡の発掘を基準にした考古学的視点で研究を行うべきであり
明確な物証でも見つからない限りはいかなる物も結びつけるべきではない

192 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 14:55:03.75 ID:gztTaSnf0.net
倭国大乱とは近畿日本と福岡倭国の争いなんだよ。

193 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:13:04.68 ID:/GAAkXvv0.net
>>189
卑弥呼(ビミク)、今の音:ひめこ=太陽の娘
ひめこ の略が ひめ(姫)   
cf ひこ ↔ ひめ(← ひめこ)
 むすこ ↔ むすめ(← むすめこ)
 をとこ ↔ をとめ(← をとめこ)

倭姫命
倭:ワ・やまと ・・・漢の時代の倭の覇権国=邪馬台(やまと)
 (※ 邪馬台が覇権国だったのは漢の時代。ここ要注意。)
姫:ひめ(=ひめこ) ・・・高貴な女性と解る名
命:みこと(御言) ・・・ みこ(御子→皇子・巫女)じゃないので要注意!

194 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:26:22.33 ID:CAsY5aGr0.net
>>11
卑弥呼の時代に船の絵が見つかってる
なお文字はなし

195 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:32:40.63 ID:XzDgsFdX0.net
>>103
神武て紀元前なのにどう考えたら邪馬台国と関係あることになんの

196 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:33:44.29 ID:XzDgsFdX0.net
>>192
普通に九州内での諍いやろ

197 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:39:37.34 ID:S2e+wpXb0.net
>>191
考古学的物証から解るのは紀元前後に北部九州に多かった銅鏡がこの時代ごろから畿内を中心にたくさん出るようになることかな
大量に仕入れたかもしくは大量生産して配布したのかは知らんけど

198 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:52:52.24 ID:o0hYH12p0.net
関裕二先生に是非「フトニ王」について書いて欲しい。

199 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 15:56:38.78 ID:jcxC3ibd0.net
卑弥呼の出生地が畿内で、亡くなったのは九州?
畿内と九州を往き来していたともある
しかし、亡くなったのか消えたのか分からないが
奇術を使うことから、案外魔女狩りみたいに暗殺されたかもね?
昔の奇術使いの巫女なんて、霊媒師やら除霊やらイタコしてたならありがちだよね
そして天満宮も関係ありでだそうで、各地同時進行で、天照大神として崇められ
天の文字を表す⛩を入口に、神社が建てられた
邪馬台国が朱の国だと云われいたなら、朱ニス塗りの神社が密集した県かもね

200 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 17:29:20.71 ID:Fp6IsaLe0.net
古墳調べられたらすぐ分かりそうなのにな

201 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 18:18:48.46 ID:X6WMCK5l0.net
>>195
200歳とか280歳の人物が出てくる記紀をそのまま読んだら「神武て紀元前」だろうけど

202 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 18:29:24.09 ID:azERICdN0.net
>>1
>>201
記紀だと神功皇后は170年から269年の人物とされている
しかも仲哀天皇が死んでから神功皇后は独身で弟がいて日本を統治していた
さらに武内宿禰は策士だった
なおその時代でも記紀には系図に欠損が見受けられる
つまりA+Bの統治なのにBが欠損している
よってAの統治期間がA+Bになる

記紀において200歳以上は武内宿禰とかくらい

その他の天皇は100歳代で十分に系図の欠損で説明がつく
実際に欠史8代には業績が欠損しており、古代であればあるほど寿命が長いのが説明できる
つまり系図だけではなく業績すら欠損しているケースがある

また暦などは殷の時代から干支が存在しBC660年に日本に暦があってもなんら不思議な事ではない

203 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 18:30:55.05 ID:azERICdN0.net
>>202
訂正
武内宿禰などが200歳なのであって
天皇は100歳代で十分に系図の欠損で説明がつく
実際に欠史8代には業績が欠損しており、古代であればあるほど寿命が長いのが説明できる
つまり系図だけではなく業績すら欠損しているケースがある

204 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 18:31:55.26 ID:azERICdN0.net
>>203
記紀を見ればわかるが
系図自体にも書き間違いが存在すると考えられる

205 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 18:38:15.91 ID:azERICdN0.net
>>1
ちなみに陵墓選定も江戸時代に行われたものであり
それが絶対的に正しいというわけでもない

206 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:17:15.11 ID:T7biPm790.net
弥生時代の三種の神器(剣、鏡、勾玉)がセットで出土したのは
1.吉武高木遺跡  福岡市西区・・・弥生初期
2.三雲南小路遺跡 糸島市
3.井原遺跡    糸島市
4.須玖岡本遺跡  春日市
5.七ヶ瀬遺跡   佐賀市・・・弥生末期
6.平原遺跡    糸島市・・・弥生末期
※三種の神器は弥生末期まで北部九州のみでの出土なので
 神武東征は弥生末期以降となる

207 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:28:10.29 ID:nyBRYZdx0.net
>>15
その過程で先に大和にいた出雲系の先住勢力を配下にしてるな。
国譲り。
こう考えるのが一番自然だと思う。

208 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:32:15.22 ID:X6WMCK5l0.net
>>202
対中国、対半島との外交マウント合戦で日本の系統の方が古くなるように記紀を編纂してるだろ
焚書等による欠損より意図的な創作的改ざんだから端々に不自然な部分が出てる

209 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:32:56.25 ID:x3YYK3rV0.net
>>202
そんな仮定に仮定を重ねたようなのは説明じゃなくて妄想って言うんだよ

210 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:41:09.79 ID:0OP8S+8l0.net
>>202
記紀には
>170年から290年の人物
など書いてない

なんで日本でキリスト基準の西暦が採用されてるんだ
あくまでも雄略天皇から遡って数えただけの話

211 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:47:34.51 ID:xaIJPO4s0.net
もはや邪馬台国の所在地については北部九州という事で決着がついた。

これからは出雲史と欠史八代について語るべきだ。

212 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:53:39.26 ID:b/vS+aNa0.net
>>209
お前はアホか
仮定じゃなくて記紀の古代史の部分は欠損だらけだぞ
まあ見てもいない奴にはわからんだろうがな

213 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:54:14.24 ID:b/vS+aNa0.net
>>208
そういうのを妄想というんだよ

214 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:54:43.64 ID:N7/FFU400.net
北九州の古墳からは後漢(〜220)の鏡が出土する。つまり220年以前に築造された古墳。
前方後円墳や畿内の古墳からは魏(220〜265)の年号の鏡が出土する。つまり220年以後に中国と接触した古墳。
2〜3世紀はこのパラダイムシフトにより北九州か畿内どちらかに首都があったのか
わかりにくくなるが、220年を基準に考えれば、220年以後は奈良に都が移ったと考えればよい。

215 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:54:54.77 ID:A+RjxlPG0.net
もうあきらめろう

216 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:57:45.99 ID:TksdV85e0.net
>>4
涙拭けよ精神障害近畿パーwww

217 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 19:59:02.82 ID:TksdV85e0.net
>>143
お前精神病だろ
何しょーもなウソコピペ夢中ではってんだよアホw

218 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:00:39.88 ID:7tujBfPs0.net
これって絶対にどこなのか確定しないとダメなの?

219 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:00:54.99 ID:TksdV85e0.net
>>192
間違い

はい、論破w

220 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:01:54.53 ID:N7/FFU400.net
ちなみに卑弥呼が使いを送った景初ニ年は238年。鏡をもらったのは景初三年(239年)。
この時期には巻向に首都があった。

221 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:02:07.80 ID:TksdV85e0.net
>>141
じゃあ来んな猿www

はい、論破w

222 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:15:18.56 ID:LO3AI1d50.net
畿内説に無理が出てきたからこじつけて九州説にすり寄ってきたな

223 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:16:50.77 ID:5VA+BJDa0.net
小学生の間で何かあるとすぐ論破論破言うのが流行ってるって記事が出てたけど本当だったんだな

224 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:17:38.30 ID:TksdV85e0.net
>>222
無理ってかもう否定済みだよ
畿内は可能性は完全にゼロ

225 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:17:58.34 ID:TksdV85e0.net
>>223
涙拭けよ幼稚園

はい、論破w

226 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:18:53.23 ID:TksdV85e0.net
邪馬台国畿内説は否定証明済み

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿、吉備、出雲などの諸勢力が割拠していて
緩やかに連合している状態であり、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全な定説で、否定するものなど誰も居ない。

ところが邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり近畿に邪馬台国があったと主張することは
近畿は自分の周辺国すら軍事的に統括出来ずに居たのに
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、最早学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないファンタジー。

はい、完全論破w

 

227 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:25:01.24 ID:TksdV85e0.net
 
邪馬台国畿内説は否定証明済み

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿、吉備、出雲などの諸勢力が割拠していて
緩やかに連合している状態であり、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全な定説で、否定するものなど誰も居ない。

ところが邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり近畿に邪馬台国があったと主張することは
近畿は自分の周辺国すら軍事的に統括出来ずに居たのに
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、最早学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないファンタジー。

はい、完全論破w

 

228 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:36:38.02 ID:X6WMCK5l0.net
>>213
古事記や日本書紀を歴史書だと思ってるのかよw

229 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:43:09.84 ID:wizMfDdt0.net
青森にある日ノ本中央 の碑は日本って国が青森にあってその名前を後からパクった証拠

230 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:45:31.52 ID:wizMfDdt0.net
>>55
古代日本人の特徴として男女共に刺青をしてたのでその為の硯

231 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 20:57:59.97 ID:c6i0xkAk0.net
>>172
三角縁神獣鏡は銅の分析で
中国産という結果が出てるよ

232 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:05:12.40 ID:X6WMCK5l0.net
>>229
捏造ご当地青森

233 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:05:26.74 ID:MeqbGnwX0.net
>>200
ギリシャ文字余裕で出てきそうw

234 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:07:22.22 ID:X6WMCK5l0.net
>>230
発掘土偶からも推測される通り、刺青は中部日本でも慣習だったはず
でも硯は出ない畿内と中部日本

235 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:08:15.97 ID:59rUX+C/0.net
どうせ観光でしか使わないんだからどこだっていい
学術的な興味なんて一切ないくせに

236 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:08:42.22 ID:1kHEtYyd0.net
中国の歴史学者の見解はどうなのよ。
日本の学者は魏志倭人伝の漢文を恣意的に読むから信用できない。

237 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:08:58.72 ID:/UmZHJbN0.net
もう俺が卑弥呼で良いよ

238 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:11:40.84 ID:TksdV85e0.net
>>237
ダメだよ

はい、論破w

239 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:13:40.54 ID:TksdV85e0.net
>>236

>>227





 

240 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:14:44.33 ID:TksdV85e0.net
>>236



中国の学者がどうの関係ない



邪馬台国畿内説は否定済み







 

241 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:17:00.27 ID:TksdV85e0.net
もう面倒臭いから九州説でいいよ
はいはい九州九州
決まったね
九州ってことにしといてやるよ
はいはい
じゃ終了で

242 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:17:58.06 ID:TksdV85e0.net
面倒くせーなこいつら
もう九州でいいよ
分かった分かったバーカ
はいはい九州九州
終了

243 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:20:53.83 ID:dx2J9cG70.net
>>236
数年前に放映したBSの番組がここでもよく話題になるけど
中国の漢字学者、古典学者、台湾の歴史学者に見解を求めたところ
3人共邪馬台国は北九州一帯だろうとのことだった

244 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:23:38.38 ID:A+RjxlPG0.net
古墳しらべたら一瞬で終わるのにな

245 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:30:12.56 ID:c6i0xkAk0.net
>>175
蛍光分析機springー8で三角縁神獣鏡を分析したところ
魏で作られた鏡と成分が一致したよ
つまり三角縁神獣鏡は中国の魏の鏡と同じ銅で作られてるということ
ニュースにもなったよ

246 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 21:44:41.72 ID:6eizJIs60.net
発掘してきた結果、邪馬台国も卑弥呼も存在しないという結論に至ったんやろな
巻向が政治の中心だったことだけは発掘から分かった
そもそも天皇自体が後付けで当時は概念もなく存在すらしてなかったからな
天皇陵を調査したいけど調査をすれば天皇に全く関係のない氏族の墓だったてオチもあり得るし
当時の遺構は田畑や建築物の下に埋まってしまっていて大規模公共事業でもなければ不可能だから
みんなが妥協できそうな落としどころを探してるのかな

247 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:09:14.46 ID:S2e+wpXb0.net
三角縁神獣鏡が中国製 → 魏の時代に鏡を大量に輸入して配布する勢力が畿内にあった
三角縁神獣鏡が日本製 → 魏の時代の鏡を大量にコピーして配布する勢力が畿内にあった

どっちにしろすごいことなんだよなw

248 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:15:12.11 ID:Db27vbjB0.net
>>245
蛍光分析器spring8って、錫の蛍光X線ピークの分析のことかな。

「魏でつくられた鏡と成分が一致した」と結論したニュースはみたことがない。
データはある?

私が読んだのは、日本の三角縁神獣鏡と中国歴代王朝の神獣鏡の成分を分析比較したところ、
中国のものは、戦国時代から西晋まで、時代によってピークに偏りが見られることと、
日本のものは、ばらつきが大きいという結果だった。

古墳時代の日本では青銅を生産できないから、青銅インゴットを入手して鋳造するか、
鏡のそものを入手するか、どこからか手に入れねばならない。
インゴットか鏡か、いずれにせよ、入手先は幅が広いという結果。

249 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:18:20.25 ID:EqS6EJKr0.net
時の帝は畿内にいて、卑弥呼さまは、北部九州の何処かにいててさぁ。
大陸の使者がどちらと謁見したのか?
そりゃ卑弥呼さまでしょう。

250 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:23:01.24 ID:A+RjxlPG0.net
大陸からみたら「倭」てのは常に一定で、それに対する主権誇示みたいなのをなんとかしなくてはいけなかった?

251 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:27:07.78 ID:MeqbGnwX0.net
つか、そもそも王様が日本に逃げてきてるよ

252 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:35:14.92 ID:c6i0xkAk0.net
>>248
産経のウェブニュース
https://www.sankei.com/article/20181013-ODJOCBRZGJOI5EYS7Y63J7DBIY/

spring-8のページ
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_16/
西晋時代の鏡の銅に含まれる不純物の銀・アンチモングループに
三角縁神獣鏡も収まる
これは同じ銅が使われているという事
一部国産と同じ成分のものも見られて
これは国内で複製された三角縁神獣鏡と見られる

253 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:37:11.74 ID:Db27vbjB0.net
>>249
240年に、朝鮮半島の帯方太守が梯儁を倭国に派遣した。
要件は魏皇帝の詔書と印綬と下賜品を倭国に届けること。
と魏書にあるが、ヒミコとの謁見は書いていない。

帯方郡が倭国に使いを出すときには、津に臨んで捜露し、文書や下賜品を伝送して女王に届け、
交わることはない、とある。

また、伊都国に帯方の使者が往来し滞駐する、ともある。

謁見はなかったのだろう。

254 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:37:13.95 ID:xkkES9BC0.net
>>245
まーたそうやってとっくに暴かれた嘘を繰り返す
だから畿内説は敗北したんだぞ


> 650 :名無しさん@1周年 :2019/06/08(土) 14:37:02.32 ID:vlUn2Ajg0
> >>618
> >そもそも黒塚古墳の三角縁神獣鏡は成分分析の結果、後漢鏡と同じ成分だと判明している
>
> あいにくだが、それは完全な誤りだと金属分析の専門家からとっくの昔に指摘されてるんだ
> しかも平成十六年には既に指摘されていたのに平成三十年になって同じ過ちを繰り返している悪質なゴッドハンド
>
> http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> > 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> > 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> > すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> > すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> > 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
> 中略
> > たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> > 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> > とまで述べておられた。

255 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:38:11.95 ID:3PE8nPcg0.net
マジかアインシュタインはこんなことまで言ってたのか

256 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:38:31.27 ID:HC/giG5J0.net
>>38
フラッシュバック

257 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:41:28.13 ID:Db27vbjB0.net
>>252
俺が読んだのと同じソースだ。
俺は、データと記事そのままに、日本の三角縁神獣鏡の産地の幅が広いとの結果を書いた。

あなたは、同じデータと記事に
>これは同じ銅が使われているという事
との自己解釈を、あたかも研究の結果であるかのごとくに書きこんだ。

258 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:44:14.35 ID:c6i0xkAk0.net
>>254
三角縁神獣鏡が中国鏡である証拠は原料成分だけと思っているのか?
魏鏡との文様や形式の共通
銅出徐州 師出洛陽 徐州の銅で洛陽の鏡師が作ったという銘文
当時の倭では使われてなかった漢字の使用
景初三年や正始元年など魏の年号の記銘
魏の都のあった洛陽でも出土

これらの証拠から
三角縁神獣鏡は西暦240年ころに相当する景初や正始に
魏の洛陽で作られた鏡という事がわかっている

そして景初や正始は魏志倭人伝には卑弥呼が魏に使いを送った年と書いてあるので
三角縁神獣鏡は魏から卑弥呼に下賜された鏡という事がわかっている

259 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:53:34.93 ID:C0OL9J8G0.net
>>117
>隼人の故地にあたる南九州地方(宮崎県南部・熊本県南部〜鹿児島県)

これ間違いね
もともと隼人と呼ばれていたのは薩摩半島と大隅半島の突出部に住んでいた阿多隼人と大隅隼人
後の薩摩隼人も現在の鹿児島県にとどまる
まったく宮崎にも困ったもんだ
都城は薩摩藩だったとはいえその前に現在の霧島市のあたりは熊襲の地だった
隼人を名乗る前に熊襲を名乗ればいいのに

260 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:54:12.29 ID:c6i0xkAk0.net
>>257
西晋時代の銅鏡の銅に含まれる銀・アンチモンと
三角縁神獣鏡は同じ比率の銀・アンチモンが検出されてるよ
これは同じ銅が使われている事を示す
つまり三角縁神獣鏡は中国製の鏡
一部には国産で複製された三角縁神獣鏡もあって
それは国産と同じように幅広い産地の銅が使われているという分析結果が出てる

つまり銅に含まれる不純物から見て
三角縁神獣鏡には中国製のものと国内で複製された2種類があるということ
三角縁神獣鏡は国産の?製鏡と中国産の舶載鏡の2種類があるという従来の説通り

261 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:54:36.17 ID:Db27vbjB0.net
>>258
「という事がわかっている」と書くと、広く認められた研究や論文の結論を紹介しているかのように読めてしまう。
あなたの独自解釈であることを明記すべきでしょう。

>>245
>蛍光分析機springー8で三角縁神獣鏡を分析したところ
>魏で作られた鏡と成分が一致したよ
>つまり三角縁神獣鏡は中国の魏の鏡と同じ銅で作られてるということ
>ニュースにもなったよ

こう書くと、魏の鏡と三角縁神獣鏡の成分が一致したとの研究がありニュースにもなったと読めてしまう。
新聞記事をソースにあなたが独自解釈を述べていることを明らかにしないと話が混乱する。

262 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:56:44.41 ID:c6i0xkAk0.net
>>261
独自解釈ではなくて紹介したページにも同じことが書いてる

263 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:56:45.84 ID:xkkES9BC0.net
>>258
ほらまた散々論破された嘘を重ねる
そうやって嘘ばかりつくから畿内説は敗北したというのに

>魏鏡との文様や形式の共通
全く共通してません
共通しているというソースをどうぞ
呉鏡である画文帯神獣鏡とは共通してますね

>銅出徐州 師出洛陽 徐州の銅で洛陽の鏡師が作ったという銘文
徐州で銅が取れたのは南端の長江沿岸部だけでそこは三国時代は呉の領土
華北で呉の銅が使えるようになるのは西晋が呉を滅ぼした280年以降で卑弥呼はとっくに死んでる

>当時の倭では使われてなかった漢字の使用
漢字は呉にもある

>景初三年や正始元年など魏の年号の記銘
>>175のとおり型取りしてコピーしただけ

>魏の都のあった洛陽でも出土
出土してません
そう言い張ってる収集家が一人いるだけ

264 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 22:57:26.22 ID:xkkES9BC0.net
>>260
>>254でとっくに論破された嘘を何回繰り返す気だこのクズは

265 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:01:07.32 ID:Db27vbjB0.net
>>262
>蛍光分析機springー8で三角縁神獣鏡を分析したところ
>魏で作られた鏡と成分が一致したよ
>つまり三角縁神獣鏡は中国の魏の鏡と同じ銅で作られてるということ
>ニュースにもなったよ

これと同じことが新聞に書いてあった?

266 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:01:37.19 ID:xkkES9BC0.net
金属分析の専門家による見解はこれ

685 :日本@名無史さん :2019/09/28(土) 23:53:34.83
>>682
残念だが、金属学者が分析した結果三角縁神獣鏡は仿製鏡だ

三角縁神獣鏡は果たして魏鏡か
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ronnrinomichibiki/1hpkouennshuu-arai-hi-gikyousetsu2016-1-17.pdf
>魏鏡論者の岡村秀典や福永伸哉の精緻な研究によれば、初期の三角縁神獣鏡と時期を接する「魏鏡」は斜縁神獣鏡である。
>したがって、まず、三角縁神獣鏡と斜縁神獣鏡、および同時期の日本製仿製鏡の鉛同位体比を比較して見た。
>その結果は、三角縁神獣鏡は斜縁神獣鏡とは似ていずに、むしろ仿製鏡と良く一致している。

267 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:03:22.97 ID:c6i0xkAk0.net
>>263
三角縁神獣鏡は分類上は斜縁神獣鏡という
魏でよく見つかる鏡の一種なんだよ
そして両方とも銅に含まれている例文が一致している

そして徐州は曹操と劉備の徐州の戦いで魏の領地になった
徐州の銅の産出地である銅山県は魏の領地にあって
呉が領有していた徐州のごく一部には銅山はなくてあったのは鉄山

そして三角縁神獣鏡にある景初や正始など魏の年号は
魏で作られたかもしくは国産としても魏と交流がなければ鏡に入れられないもの
なので中国産でも国産でも見つかる地域は魏と交流していた事になるし
三角縁神獣鏡のよく見つかる畿内が邪馬台国という事が考古学的に確かめられている

268 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:04:57.38 ID:c6i0xkAk0.net
>>264
論破なんてされてないから何回も言ってるんだけど?

269 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:08:49.64 ID:xkkES9BC0.net
>>267
まーたそうやって嘘をつく
もうとっくの昔に暴かれてるのにw


177 :名無しさん@1周年 :2020/03/28(土) 03:48:01.99 ID:9OOE01ur0
徐州刺史部で銅山があったのは徐州最南端の江都や儀徴のみで三国時代は呉の領土だった
中原勢力が呉の銅を使えるようになったのは西晋が呉を滅ぼした西暦280年以降で、卑弥呼はもうとっくに死んでる
「銅出徐州」の銘文はその鏡が280年以降に作られていることを物語っている

http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku365.htm
三国時代の、魏の領域になっている徐州に、銅を産出する地域は、ふくまれていたのか。西晋時代、東晋時代の徐州は、どの範囲をさすのか。
すでに、1992年に、中国の考古学者、王仲殊氏は、参考文献を示し、かなりくわしく論じている。

要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。

http://yamataikokunokai.com/katudou/image3/365-17.gif
王仲殊氏の文章中にみえる「江都」「儀徴」などは、後漢の時代、「徐州剌史部」の監督する地域内にはいっていた。
この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。

270 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:10:45.17 ID:xkkES9BC0.net
>>268
金属分析の専門家が調査ターゲットが間違ってるから無意味だと>>254ではっきり指摘しているだろ嘘つき
お前のウソはとっくに論破されてるんだよ

> http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> > 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> > 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> > すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> > すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> > 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
> 中略
> > たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> > 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> > とまで述べておられた。

271 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:10:46.28 ID:Db27vbjB0.net
>>266
おもしろい。
初期の三角縁神獣鏡が仿製鏡だったとしたら、
デザインも近畿独自との可能性が出るな。

272 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:17:41.95 ID:MoFgr/mR0.net
>>267
銅山県に銅山があったというのも使い古されたウソ
中国の考古学者に否定されている

http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku365.htm
> 三国時代の、魏の領域になっている徐州に、銅を産出する地域は、ふくまれていたのか。西晋時代、東晋時代の徐州は、どの範囲をさすのか。
> すでに、1992年に、中国の考古学者、王仲殊氏は、参考文献を示し、かなりくわしく論じている。
> 王仲殊氏はいう。(傍線を、引いたのは、安本。)
> 『銅出徐州』の銘文にある徐州とは、どの地を指しているのであるか、研究しなければならない。思うに徐州とは漢の武帝が置いた十三の刺史部
> 〔州内の国政を視察・報告させるために中央から派遣した官の刺史が監督する地域〕の一つで、管轄地区はいまの江蘇省の長江以北および
> 山東省の東南部の地区であった。後漢時代の徐州の治所〔郡役所のおかれこころ〕は?(せん)(いまの山東省?)にあり、魏時代に彭城(ぼうじょう)
> (いまの江蘇省徐州)にうつした。しかし、指摘しなければならないことは、いまの徐州一帯では、古代より銅を産出しない。
> 『漢書』地理志、『続漢書』郡国志には、彭城およびその付近の地区には、漢代に鉄鉱があり、かつて鉄官〔鉄の産地で鋳造を担当した官〕がおかれたが、
> しかし銅鉱はない。『新唐書』地理志、『宋書』地理志などにも、徐州には鉄を産するといっているが、銅を産出するとはいっていない。
> ただ、明・清時代の関係ある書籍になってようやく徐州付近に銅山があり、『旧く、かつて銅を産す』といっているが、実は根拠のないことである。
> 清時代の雍正年間〔1723〜1735年〕に徐州府に銅山県がおかれたが、しかし銅山といっても有名無実である。
> 近代の実地踏査によれば、徐州利国駅〔山東省との境にある地〕でとれるおもな鉱石は赤鉄鉱であり、銅山島の南端にある鉄峰の赤鉄鉱の中に
> 黄銅鉱がまざっていて、風雨によって緑色になっている。銅山の名のおこりはこのことからおこったのであろうが、しかし、採鉱のできるような銅鉱山ではない。
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
> 後、呉楚七国の乱の中心になった人物でもある〕。当然、この地は長江に近く、鏡銘中の『徐州』にあたるかどうかについてはなお肯定しがたい。
> 要するに、『銅出徐州』の銘文は比較的複雑な問題であり、さらにすすんだ研究がまたれる。
> 少なくとも、鏡は『銅出徐州』の銘文があっても、必ずしも鋳鏡の銅が徐州にでたと説明するには十分でないし、また銅をとることのできない彭城および
> その付近に銅がでたとは説明できない。」(王仲殊著『三角縁神獣鏡』「学生社。

273 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:22:43.91 ID:Db27vbjB0.net
>>267
✖畿内が邪馬台国という事が考古学的に確かめられている
〇私は畿内が邪馬台国だと思う。

誰の意見か明確にすると議論がスムーズになる。

274 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:25:01.15 ID:xCOUXtY40.net
>>259
熊襲踊りで有名なのは宮崎県都城市
隼人の弥五郎三兄弟は宮崎県都城市、宮崎県日南市、鹿児島県曽於市

成川式土器圏の熊本南部〜鹿児島西部(肥人、薩摩隼人、阿多隼人)とは文化圏が異なる

275 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:28:55.43 ID:MoFgr/mR0.net
繰り返すが三国時代に銅を大量保有していたのは呉であって魏ではない
魏は銅原料の不足により貨幣鋳造すらままならない状態にあった
畿内説はウソばかり

中国貨幣の歴史
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china12.pdf
>洛陽を都とし黄河流域を領域とした「魏」では、後漢末の「董卓小銭」を廃止し、「五銖」銭を標準貨幣として鋳造を試みるが、
>銅原料や燃料炭の不足から「五銖」銭の鋳造はわずかでその絶対的不足は解消されず、布帛・穀物が主たる貨幣として機能していたとされている。

>また、江南地域を領域とする「呉」では、長江流域での銅産を背景に、「大泉五百」銭(重さ8〜12g程度)や「大泉当千」(重さ12〜20g程度)といった大銭が鋳造・発行された。

276 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:32:17.56 ID:UnF3CErr0.net
>>247

仮に畿内が複製して配布したとしても、漢字を記入する能力があることになる。
また、記入された魏の年号が卑弥呼が魏に遣いを送った年とピンポイントに同じことが
偶然とかありうるのであろうか?
そもそも、魏は45年足らずしか存在していない国であり、当時の中国には魏呉蜀と三ヶ国あった内の一つにすぎない。

277 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:36:15.45 ID:MoFgr/mR0.net
>>276
>>175を嫁
型取りするから漢字もコピーされるんだよアホ

278 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:37:35.47 ID:wTmuTP320.net
>>267
嘘も百辺言えば真実になるって寸法か?
もう百辺以上言ってる気もするがな

279 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:42:22.55 ID:UnF3CErr0.net
また、仮に後の時代に複製したとして、わざわざ魏の年号を記入し複製する必然性もあるのであろうか?
そんなことするなら、当時の西晋などの年号を記入すればいいわけで。
その方が箔がつく。
仮に卑弥呼が魏からもらった鏡がプレミアム化していて、フェイクとして作ったとしても、
それなら、なぜその本物が九州から出土しないのであろう?

280 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:43:45.31 ID:UnF3CErr0.net
九州から出土するのは後漢時代の鏡ばかりである。

281 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:45:24.00 ID:MoFgr/mR0.net
>>280
またそうやって論破され尽くしたウソを繰り返すw


304 :不要不急の名無しさん :2020/08/30(日) 23:12:33.44 ID:MnedjF5X0
>>272
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku366.htm
>■徐苹芳氏の意見
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・
>双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>至位三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

中国社会科学院考古学研究所所長・徐苹芳氏が挙げている銅鏡はいずれも北部九州からの出土が多数
http://yamataikokunokai.com/katudou/image3/366-16L.gif

282 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:45:24.09 ID:0lPBafOa0.net
>>259
天皇家の祖となる瓊瓊杵尊が太陽神・天照大神からの使命を帯びて
天上界から南の九州に降り立ち日本国を造り出す準備をしたのが天孫降臨

古事記の記述では

竺紫筑紫(南九州)の日向(南九州)の高千穂の久士布流多気(火山)
(かささつくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)

注)古来鹿児島・宮崎の両県は日向の名で統一されていた

日本書記の記述ではより正確を記す為、五書の古文名で表している

本文  日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
    槵日二上天浮橋 (くしひのふたがみのあまのうきはし)
第二書 竺紫日向高千穂槵觸之峯
第三書 日向槵日高千穂之峯
第四書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋
第五書 日向襲之高千穂添山峯

天孫降臨の舞台となった神聖な山を様々に表現したものに他ならない。
日向神話の全てを満たす山が真実の天孫降臨の山だと言うことになる。
そんな山は、日本に二つとは無い。

古事記、日本書記で最も重要な日向神話の中で誕生する
天皇家の歴史を創始した瓊瓊杵尊が高天から高千穂峯に舞い降りる山峰とは

@竺紫(九州)日向(国)襲(郡)に存在する山である。
A日向国(現在の鹿児島県・宮崎県)に存在する山である。
 ・襲(曽於市)に存在する山である。
B高千穂峯と言う名の山である。
C久士布流多気・槵觸之峯・槵日之峯(火の山・尖った山・日に輝く山)である。
D二上峯(二つの峰がある山)である。
E天浮橋(天空を歩くような山)である。

天界の太陽神天照大神の神性を受け継いだ直孫・瓊瓊杵尊は
高天空から日向襲之高千穂峯を目指し九州日向で降臨に成功すると
目的地の鹿児島薩摩の吾田(阿多)長屋の笠狭岬(笠沙の岬)で
地上bフ大山祇神の娘=E鹿葦津姫を娶b闢V高界の血脈bェ地上界に宿り
天皇家の血脈ルーツとなる火須勢理命が誕生し子孫となる
九州の神武天皇が列島東征を開始、本格的な列島国が生み出される物語なんだよ

283 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:47:02.08 ID:YWPEUFuI0.net
お互いが折衷案で妥協すれば、それが史実になる、というわけではないだろ。

284 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:47:26.00 ID:MoFgr/mR0.net
畿内で出土の多い神獣鏡は呉の鏡
魏の敵国です残念でした


231 :名無しさん@1周年 :2018/11/17(土) 23:43:12.60 ID:xGjjowfH0
神獣鏡は魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね

http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」

285 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:50:39.52 ID:MoFgr/mR0.net
畿内説がいくら嘘を並べても無駄
後の時代にまとめて作ったことが既に暴かれている


729 :名無しさん@1周年 :2018/12/14(金) 07:07:46.83 ID:KIkBsuQN0
畿内説が心の拠り所にしている紀年銘鏡も、銅の成分を測定すると異なる年号の鏡で同一ロットの銅が使われており
後の時代にまとめて作成したことが判明w

http://www7b.biglobe.ne.jp/~ronnrinomichibiki/1hpkouennshuu-arai-hi-gikyousetsu2016-1-17.pdf
> (5)複製鏡の存在(紀年鏡の場合)
> 国内出土の「魏の紀年鏡」で鉛同位体比が判明しているものが、5種9面ある。表4には相互間の鉛同位体比の類似係数の関係を示す。
> これを見ると,同笵鏡でも鉛同位体比が大きく異なり、同時に鋳造したとは考えられないものがある
> 反面、年号の異なる鏡に鉛同位体比が一致していて、同時に鋳造した可能性を示すものがある。
> すなわち、
> Aグループ(正始元年森尾鏡、景初4年辰馬鏡、青龍3年大田南鏡、青龍3年個人蔵鏡)
> Bグループ(正始元年柴崎鏡、景初3年広峯鏡)
> であり、年号鏡を後の時代に纏めて製造していたことを示唆している

286 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:51:34.28 ID:UnF3CErr0.net
>>284

三角縁神獣鏡は北九州からも出土してます。呉の鏡なら、北九州も邪馬台国ではないですね。

287 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:52:31.28 ID:0lPBafOa0.net
川上建日別率いる熊曾国(異称・熊襲)の姫だった襲武媛(そのたけひめ)は

日本書紀に景行天皇の妃(妻)なったとハッキリと記録され

襲武媛と景行天皇の間に生まれた子を国乳別皇子といい

国乳別皇子の長子は分家し水間と名乗り後に

北九州・筑前(現在の福岡市周辺)を支配してた記述は注目に値する

288 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:56:16.35 ID:MoFgr/mR0.net
>>286
西晋が呉を滅ぼした後に輸入したものだな
つまり西暦280年の時点でまだ邪馬台国は九州にあった

289 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:59:38.15 ID:MeqbGnwX0.net
そもそも秦はローマ??

290 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/25(月) 23:59:55.56 ID:xCOUXtY40.net
隼人歴史民俗資料館
熊襲・隼人豪族分布図より
https://i.imgur.com/uH3TLvi.png

九州南部の墓制
https://i.imgur.com/a97cfLI.png
https://i.imgur.com/3w67SVp.jpg

291 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 00:03:33.17 ID:hWt8OfCE0.net
>>3
大和朝廷の方から来た人に討伐されるまでは、一大勢力だったらしいからな
そういう意味では当時としては本当に大都会だったのかもしれない

292 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 00:06:22.52 ID:RWfZnogR0.net
>>286
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku366.htm
>■徐苹芳氏の意見
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・
>双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>至位三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」


位至三公鏡の出土は北部九州が中心
北部九州には弥生末からあるが近畿での出土は東遷後の古墳時代中期以降
http://yamataikokunokai.com/katudou/image3/365-13L.gif

293 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 00:11:16.91 ID:jmvzFQnO0.net
景初2年(238年)に明帝が難升米に約束し、正始元年(240年)に梯儁らによって倭国まで運ばせたという鏡100枚は、
どこにいったのだろう。すでに博物館入りしているどれか?

294 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 00:22:43.90 ID:3xi0mboc0.net
>>280
>>281
魏志倭人伝(3世紀)の記述をよく読めば、その前の漢の時代の
倭の覇権国は、配下の奴国を漢に朝貢させた邪馬台だと解る。
その邪馬台が、漢末の倭国大乱(2世紀末?)で敗れ覇権を失い、
今度は、港を押さえてる謎の勢力「大倭」(←これ奈良でしょ?)
から魏に朝貢させられたことも透けて見える。
なので、魏の時代の鏡が九州から出なくて当然だわ。
港を押さえてる大倭が全部奈良に持ってっちゃっただろうからw

295 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 00:28:25.16 ID:99pCN+310.net
もう近畿説は諦めろよw

296 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 01:05:36.62 ID:3i/SJDQi0.net
3〜6世紀
神功皇后の熊襲・土蜘蛛征伐→九州北部
景行天皇の熊襲征伐→宮崎県小林市夷守で引き返す

1世紀 奴国王が後漢より金印を授かる
2世紀 倭国王師升が後漢に朝貢、倭国大乱
3世紀 倭国王卑弥呼が魏より金印を授かる、邪馬台国と狗奴国が対立
4世紀 空白の世紀
5世紀 奈良の大和王権が北九州〜南東北を平定、雄略天皇=ワカタケル大王
6世紀 継体天皇即位、筑紫磐井が大和王権に反乱
7世紀 乙巳の変、歴史書を新たに編纂→熊襲の名が消え九州南部に隼人、聖徳太子が軍隊を半島に派遣
8世紀 隼人の乱、藤原広嗣が大和朝廷に反乱
9世紀 最後の朝貢を持って隼人の名が消える、北海道と南西諸島を除く日本統一

297 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 01:28:40.23 ID:rMhA1hR20.net
いや〜おもろいね。
金属冶金のジャンルまで関わって来たか。
多角的な検証が新事実を突き止めたり、新たな疑問を投げかけたりするのがまた良い。

298 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 01:58:54.16 ID:gGxrcNEc0.net
>>296
卑弥呼の後、半島でいきなり荒ぶり始めたのも追加で
広開土王の在位が391年からだから3〜4世紀あたりからか

299 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 02:21:06.81 ID:yQwk/9Q60.net
そもそも魏志倭人伝って12世紀の写本だろ?
日本書紀の方が古い

300 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 02:24:09.48 ID:2kS7B1y30.net
歴史にロマンを求めるのは良い
だが九州ウリナラファンタジーみたいになったらただの害悪

301 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 02:27:33.27 ID:NY5G2Gqs0.net
邪馬台国は九州から近畿まで支配してた

これで丸く収まる

302 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 02:29:25.94 ID:CoC+uevV0.net
https://youtu.be/rZSIvf-YCtA
🤔

303 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 03:17:51.00 ID:miTpmfcO0.net
>>296
>>298
三韓征伐は4世紀末だろ
で三韓が朝貢すると約束し大和政権が宗主国だったのはわずか数年だったろうし

304 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 03:34:50.18 ID:hqrHtray0.net
畿内説のどの辺が無理なのか具体的に言える人いないの?
考古学系の資料みると九州説の方が根拠が全然ないんだけど九州説は魏志倭人伝以外にどういう根拠があるの?

305 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 03:42:19.72 ID:p2rFaOeK0.net
王仲殊・徐苹芳の三角縁神獣鏡や漢鏡の年代、制作地の比定とか見ると、日本の考古学界はかなりの無理筋を通そうとしてるように見えるね

306 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:10:53.47 ID:LVS3U2hb0.net
>>286
理論の訓練としてレスするだけだけど、
例えば邪馬台国が呉の鏡持っていても別におかしくないのでは? 日本にも中国北朝鮮ロシアの物品ある
「別におかしくない」と「邪馬台国であるという根拠に使えない」は同時に正しいし両立する

307 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:11:44.09 ID:w9JEOk3e0.net
邪馬台国はヤマトだから女王国が大和国だろ
帝都はどこか、それは時代によって東京か京都か奈良か大阪かという具合に変化するはずだが
王朝としての意味なら、倭の五王が言う毛人関東〜西国九州までが版図で
朝鮮半島の入植地を含めたのが勢力範囲ということだろ

308 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:18:04.60 ID:YxknYXL40.net
卑弥呼って実在してたの?
なんか実在前提でやれ邪馬台国はあそこだとか言い争いしてるが

309 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:18:35.51 ID:LVS3U2hb0.net
>>304
弥生時代の畿内には絹がない
これ一つで水爆100個分くらいの威力ある
あと
>考古学系の資料みると九州説の方が根拠が全然ないんだけど
左翼が多い歴史学者は神武神話を否定したいために畿内説でいきたい。ゆえに
伊都国の八咫鏡など、九州説に繋がることを教科書や資料集に載せない

>>301
絹が東伝する古墳時代にはそうなってたんだろう。卑弥呼は弥生時代なので

310 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:23:51.71 ID:LVS3U2hb0.net
>>308
実際、弥生時代の九州には女性酋長がたくさんいた
“絹”を着た遺体として発掘もされているし
肥前風土記には女土蜘蛛がたくさん出てくる
肥前というのは佐賀なんだけど、佐賀の吉野ヶ里遺跡は絹が最も多く出土している
伊都国からも女王の遺体が出ている

311 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:25:56.48 ID:6vHy5nbo0.net
金印など重要な物は九州で見つかってる
邪馬台国は九州にあったのは事実なのに近畿説を無理やり唱えるから論争がある様に見えてる
今回の説も痛み分けのように見せかけて邪馬台国は近畿にあったことにしてる

竹島問題と同じ構図

312 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 04:27:37.46 ID:LVS3U2hb0.net
>>307
卑弥呼の後の男王の後のトヨが畿内に東遷したという説もある
それ以降(魏志倭人伝以降)の話としてならあり

313 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 05:42:07.73 ID:miTpmfcO0.net
畿内で絹布が作られるようになるのは応神天皇の時代に弓月君(秦氏)が来てから

百済の蓋鹵王の所に高句麗のスパイの僧侶の道琳が送り込まれて、大規模な土木工事が行われ百済が疲弊し簡単に高句麗に滅ぼされたように
秦氏、王仁も高句麗の息のかかった新羅から大和に送られたスパイだったかもしれない

古墳が極端に巨大化するのもこのあたりの帰化人を受け入れた神功皇后〜応神天皇の時代
七支刀や七子鏡が百済から送られ、銅鏡を大量に国産化し始め大和が国力を失う原因になったかもしれない
だから畿内や東日本で大量に出土している銅鏡は、卑弥呼や魏とは関係なく4世紀末以降のものだろうと俺推測

314 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 05:44:32.37 ID:GpNW9d3u0.net
k「いや、それよりむしろ、とりあえずチンポ汁が溜まって大変なんだわ

315 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 05:53:51.06 ID:wO9Dfe3m0.net
>>206
三種の神器を使っていた国が東征したんじゃなくて、三種の神器を使っていた国を支配して、支配の象徴として天皇家の神器となったんだよ
支配対象の国の重要な物を奪って宝とするのは古代日本がよくやっていたこと

316 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 06:00:11.29 ID:sW76mjVu0.net
>>314
朝鮮ゴキブリを国外追放しろ

317 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 06:01:52.80 ID:w4WjegpN0.net
https://m.youtube.com/watch?v=CzsZvRn2mKM

318 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 06:07:43.70 ID:tnfIqcXT0.net
>>284
呉の孫権伝に孫権が夷州・亶州を探索させたと書いてあるけどこの亶州というのが丹波の国だという説があるね
仮にこれが正しければ丹波の勢力が作った畿内から呉の影響を受けた鏡が多く出るのも納得できる

319 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 06:08:45.69 ID:LwgkAv1V0.net
九州朝鮮人を叩き潰せ!

320 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 06:20:11.47 ID:miTpmfcO0.net
>>318
会稽から海流に流されてたどり着くこともある亶州が内陸にあるわけがない
せいぜい沖縄〜九州〜対馬のどこかで陸が見えて上陸できる

321 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 07:40:36.03 ID:KXMDyNYZ0.net
>>45
そもそも邪馬壱なのを無理矢理「邪馬台」って読み替えてるんだろ?
ハナからヤマトとは無関係と考えるのが自然じゃね?

322 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 07:50:06.02 ID:AK8SbSES0.net
>>269
彭城銅山県(現・徐州市銅山区)は北宋の元豊年間に宝豊監が置かれ
宋銭「元豊通宝」の鋳銭が行われていた。

呉の領有した徐州南部とはもと揚州の属であった広陵郡南端の
極めて限られた地域のみで、徐州の殆どは魏領である。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで
銅山があった記録がないことは彭城と同じである。

と日本史板に書かれてる

>>270
まずまともな大人もしくは学者は相手が間違ってても
「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、
日本考古学の将来は真っ暗」
と罵ったりはしないよ
狭い世界で付き合いもあるし

間違いはこうでないかと指摘して議論になって結論が導かれるというのが通常のプロセス
けどいきなり相手を罵ってる金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とやらは
まともな大人か学者か怪しいところ

結局>>269>>270
全部九州説のでっち上げたデタラメな情報

323 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 08:08:30.81 ID:w9JEOk3e0.net
>>312
なんで考古学資料がないのに東遷伝承だけ後でくっつけてくるんだ?

邪馬台国の本拠地が九州にあったとするなら
大和朝廷によって滅亡させられた結果になるし
その後の権力者がヤマトの名称を受け継いだり地名に残す意味がわからない

邪馬台と書いてヤマダとかヤマイだったのかもしらんが

324 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 08:15:11.18 ID:idv8kWLp0.net
遣唐使「倭国と日本は別です。日本は邪馬台国です」

325 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 08:26:58.65 ID:M6Ckp01B0.net
>>306
おかしいのは大陸の王様が山ほど逃げてきているのに
中国←→日本で、言葉が全く通じない所

326 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 08:29:12.42 ID:Nm5Det8p0.net
邪馬台国は宇佐です。以上。

327 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 08:39:17.15 ID:pgoukrS10.net
数年前に久住氏がこの種の逃げを主張してたが
とうとう寺澤氏も乗っかってしまったのか

那珂八幡古墳が纒向型ではないと分かった時から完全に空気が変わったな

>>322
学者外でもこういう頭のおかしい奴しかいないし畿内説も本当に終わった

328 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 09:00:59.06 ID:Mdd6vmb20.net
>>321
むしろ邪馬壱は邪馬台の書き間違えと考える方が自然

329 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 09:28:22.20 ID:QvEr1JIT0.net
>>320
https://www.padi.co.jp/scuba-diving/columns/weather-abc/images/weather_11_02.jpg

330 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 09:58:28.08 ID:miTpmfcO0.net
>>329
だったら亶州は北海道でも房総半島でもよくなるわけだが、なぜ丹波国限定なの?

331 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:01:48.87 ID:Dx4Hel6c0.net
そんな壮大な古代帝国が存在できる?

332 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:03:39.32 ID:wO9Dfe3m0.net
>>320
丹後は720年まで丹波

333 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:07:30.66 ID:vSVPeCOG0.net
機内説唱えてた側が老朽化して押され始めてるな

334 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:10:28.97 ID:bNgM90iY0.net
九州朝鮮人を

国外追放しろ!

335 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:12:31.88 ID:SnHnW4eU0.net
何故か関東人は畿内説嫌うよな

336 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:13:12.77 ID:wO9Dfe3m0.net
畿内説はそもそも皇国史観のために強化された理屈だろ
むりがあるんだわ

337 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:17:27.99 ID:miTpmfcO0.net
天皇家が中華冊封下の王家じゃ東亜共栄圏の提唱国主謀国としてふさわしくないもんな

338 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:19:22.60 ID:miTpmfcO0.net
大化の改新以降も何度も焚書してるから大和朝廷に都合の悪い文書はほとんど消えてるはず

339 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:31:46.25 ID:q40SjobI0.net
どこでもいいからはよ決めろや

340 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:45:12.70 ID:S0hwj1+f0.net
https://www.beach.jp/circleboard/ad25106/topic/1100096345141
うわあああー韓国語だ!万葉集

341 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 10:53:54.40 ID:S0hwj1+f0.net
狛よ 瑞穂の狛たちよ 復旧よ 瑞穂の復旧の者たちよ
 この丘に 私は(先代と)並び立ち
 ここに家を作り 告げて住もうと思う
 さろみつ やまとの国は 押さえおきて 統治者は私一人である
 鎮めねかして 私は自ら位に就く
 私は急ぎ来て 告げる ここに来る 出てくると

韓国語読みキツくねwwwww草
つか、🇭🇺ハンガリー語

342 :アクセントに騙されてる:2021/10/26(火) 11:13:31.73 ID:S0hwj1+f0.net
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=hu&tl=ja&text=Az%20%C3%BCnnepnap%20a%20n%C3%A9met-amerikai%20kultur%C3%A1lis%20%C3%B6r%C3%B6ks%C3%A9gnek%20%C3%A1ll%C3%ADt%20eml%C3%A9ket%3A%201683-ban%20ezen%20a%20napon%20sz%C3%A1llt%20partra%2013%20n%C3%A9met%20bev%C3%A1ndorl%C3%B3%20csal%C3%A1d%20Philadelphia%20%C3%A1llamban%2C%20akik%20k%C3%A9s%C5%91bb%20megalap%C3%ADtott%C3%A1k%20a%20Germantown%20nev%C5%B1%20v%C3%A1rosukat%2C%20amely%20az%20els%C5%91%20n%C3%A9met%20telep%C3%BCl%C3%A9s%20volt%20az%20els%C5%91%2013%20gyarmat%20ter%C3%BClet%C3%A9n.&op=translate

Az unnepnap a nemet-amerikai kulturalis oroksegnek allit emleket: 1683-ban ezen a napon szallt partra 13 nemet bevandorlo csalad Philadelphia allamban, akik kesőbb megalapitottak a Germantown nevű varosukat, amely az első nemet telepules volt az első 13 gyarmat teruleten.
ドイツ系アメリカ人の日(英語版)( アメリカ合衆国) 1683年のこの日、初のドイツ人移民となるクレーフェルト出身の13家族がフィラデルフィアに上陸した。

343 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 11:14:49.33 ID:S0hwj1+f0.net
🐶狛犬食べてるしw

344 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 11:40:03.11 ID:Tc1OabwK0.net
そもそも邪馬台国が畿内にあるのならば北部九州に上陸せず瀬戸内海を
まっすぐ大阪まで直行する。伊都国や奴国などを見学するヒマなど
ある訳が無い。畿内の国々を視察するはず。

345 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 11:46:26.78 ID:S0hwj1+f0.net
狛は狛族、すなわち韓国人の総称。復旧(ふく)は、占領し服属させた領土のことです。
 「菜摘ます児」の韓国語の読みは「なたらそご」。我は並び立つ(先代王と)という意味になります。
この歌の前半は、岡で菜摘む娘への牧歌的な問いかけなどではなく、眼前にひれ伏す非占領民に対する、高らかで威圧的な新天皇即位宣言だったのです。
😂腹痛えw🇭🇺ハンガリー語じゃねえの?

346 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 11:59:19.09 ID:ZkA0CrJA0.net
【東京五輪】韓国人「私の祖国というのが恥ずかしい」 [北条怜★]
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1627044095/

347 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:02:30.78 ID:tnfIqcXT0.net
>>344
日本海側を若狭湾まで航海してそこから陸路というルートもあるね
縄文時代には既にあったルートだから
九州に上陸して陸路は余りにも不自然だね

348 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:11:05.79 ID:ERxVU+1r0.net
>>344
邪馬台国まで行ってないし
九州にあったのなら邪馬台国までいかないのは不自然
やはり畿内と考えるのが妥当

349 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:30:04.23 ID:/jPUiXYC0.net
えっ

350 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:40:31.45 ID:i4OEL1pC0.net
根本的に張政は19年も倭国に留まっているので、
邪馬台国に行かなかった説は理論として有り得ない。

351 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:44:47.40 ID:Fd9fIOAl0.net
九州吉備大和

352 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:47:20.32 ID:WnFvphlm0.net
ウイグルとハンガリーで共通遺伝子出てるんだろ?
柔然=アヴァールは正しいみたいだな。
アヴァールって相当デカい国だからな

353 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:49:17.19 ID:gGxrcNEc0.net
>>301
銅鏡の分布なんかからみても最近はそういう説が主流になりつつあるがどうも「おらが村に邪馬台国が!」に拘る老害が多いのよな

354 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:49:22.36 ID:+13feaGD0.net
まきむくには、北九州の土器が出土しないのが特徴でなかったか?
どういう解釈なんだ?

355 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:52:03.12 ID:EdshYBNW0.net
畿内にあったなら、シナの使者は岡山を通るはずで、
岡山が大都会だったて史記に記述されるはず。
本州側の記述がまったくないていう点で九州確定だよ。

356 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:55:26.35 ID:3KocZ/ON0.net
>>277
コピー元があるにせよ、畿内でしか見つからないのはなんでなん?
九州に邪馬台国があったなら九州にもコピーした鏡あってもいいやん

357 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 12:59:48.73 ID:AK8SbSES0.net
>>327
九州説はこういう印象操作しかできなくなって
衰退していった

358 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 13:04:20.78 ID:V0hCKvV40.net
ララ・クロフトは何て言ってるの。

359 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 13:35:13.37 ID:cj6XWsdI0.net
古代の銅鏡は下記の通り

三角縁神獣鏡
内行花文鏡
方格規矩鏡

意外にもたった3種類しか無いのである

360 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 13:37:21.89 ID:gGxrcNEc0.net
以前三国志展で魏の時代の墓とか展示してあったけど枕元に銅鏡飾ったりしてあったな

361 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 13:43:41.94 ID:0gCfCB/p0.net
>>356
南九州で5年前、古墳時代の貴重な倣製盤龍鏡が鏡箱入りが見つかってる

南九州の鹿児島県と宮崎県県境にあたる、古墳時代のえびの市地下式横穴墓群で
日本最古おろか東アジア最古となる豪華な鮫皮柄装飾の銀装円頭大刀や大鎧
装飾馬具類や大刀(鹿角装製)、短甲 、衝角付冑、頸甲、肩甲一式、
革製漆塗り草摺、漆塗り矢鏃、弓、両頭金具の弓、革製鞘入りの小刀
古代日本で極少数の高貴な人しか所持出来ない鏡箱入りの倣製盤龍鏡や管玉など
日本最古にして最大量となる400点もの豪華な副葬品が完全な状態で出土して
古墳時代の遺蹟が完全な形で発掘され大騒ぎになったニュースを思い出した
同時に高位の公家儀式で使われる古代の矢具・平胡祿の底板全体形も
日本で初めて発見され九州には邪馬台国といい日本文化を創造した何かあるのは確か

362 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 13:45:43.17 ID:CUTL7jJR0.net
>>350
だよな
なんで>>348みたいな嘘をつくんだろうな?

363 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 13:56:15.86 ID:i4OEL1pC0.net
考古学会がもう畿内説は通用しないと見切りを付けたのは、
私が平原遺跡に関する指摘を行って以降だろう。
理論上完全に論破されてしまったので、
畿内説はもう考古学会では語る事が許されなくなってしまった。
邪馬台国論争は次のステージに移ったと前向きに捉えて、
弥生の考古学を一歩前に進めていってほしいものだな。

364 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 14:28:33.17 ID:PghBaiSt0.net
高句麗の北に住んでいたのが穢族

穢族の北に住んでいたのがアイヌ人

365 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 14:36:59.55 ID:miTpmfcO0.net
>>359
多鈕細文鏡

366 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 14:42:13.11 ID:miTpmfcO0.net
倭人伝にも鏃は「鉄と石」と書かれてるのに同年代の畿内は青銅鏃ばかり
鉄製品の出土数も九州北部の2割に届くかどうか

367 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 14:45:44.69 ID:R0sIOPNZ0.net
なんでわざわざ遠い奈良にある国の女王を九州が擁立するんだよ。
奈良から九州までの距離って九州から帯方郡までより遠いんだよ?
三世紀末には奈良や吉備や出雲や九州にそれぞれ国があって、
その上で邪馬台国は九州にあったと考えるのが理にかなっている。

368 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:05:42.76 ID:gGxrcNEc0.net
>>367
江田船山古墳から獲加多支鹵の鉄剣出てるしそんなにおかしいことではないが

369 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:07:14.52 ID:1ruwaRrX0.net
三種の神器を引き継いだ天皇家は卑弥呼(アマテラス)の祟りを恐れていた
https://i.imgur.com/d0uyKBn.jpg
https://i.imgur.com/iJHFrRL.jpg

370 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:39:45.34 ID:wO9Dfe3m0.net
>>369
ヤマト王権は邪馬台国卑弥呼を滅ぼした側だからそりゃ厄介者扱いするわな

371 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:41:36.85 ID:Tc1OabwK0.net
祇園山古墳は殉葬者の数が倭人伝の記載に近いと言うだけの事しか無い
肝心の卑弥呼の宮殿の場所も判らないではお話にならんし、盗掘されて
いるのでどんな副葬品があったのかも判らないから、祇園山古墳を
卑弥呼の墓と断定するのは無理がありすぎる

372 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:44:09.89 ID:miTpmfcO0.net
>>368
6世紀頃の古墳が、少なくとも250年は前の邪馬台国にどうつながる?
おそらく4世紀後半に仲哀天皇が熊襲征伐中の九州北部香椎宮で死んだときより更に150年前だぞ
畿内勢力がそれ以前に九州を征服服従させるために戦力を送った記録あるのか?

仲哀天皇より前の九州VS畿内だと、時期不明だが九州を発った神武に畿内の土人たちが蹂躙されたところになるだろう

373 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:50:02.39 ID:bSrv3xQD0.net
新羅の比丘尼?!

5、三國遺事巻一によれば智哲老王(智證王)の妃は牟梁部相公の女にして、羅紀には「妃朴氏延帝夫人。登欣伊浪女」とある。
また「國史云建nO十一年…………眞興王妃比丘尼卒。按眞興
乃法興之蛭子。妃思刀夫人朴氏。牟梁里英央角干之女。」(三國遺事)

374 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:50:08.75 ID:MWcqXkFP0.net
>>362
畿内説の輩は結論が先にあるからいつも支離滅裂になる
これは学問ではない
韓国のなんちゃって歴史みたいなもの
私は馬鹿ですという自己紹介

375 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 15:55:30.72 ID:bSrv3xQD0.net
比丘尼で国際的に通用したって事?!

376 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 16:43:14.24 ID:MOBrBCWX0.net
反日朝鮮九州を叩き潰せ!

新幹線を止めろ!

旅行を取り止めろ!

377 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 16:45:55.36 ID:K0uV0RnC0.net
邪馬台=ヤマトと勘違いしてる人居るけど邪馬台をヤマタイと読むのは危険
邪馬台国と記されてるのは中国の文献ですよ

378 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 16:51:55.56 ID:5Ypq/Nl80.net
>>377
正しくは何?

379 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:13:51.91 ID:miTpmfcO0.net
>>378
俺の思い付きで言うと、
中華には周辺の国を「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」と呼んでいた
当時の日本は「東夷」の中の「九夷」又は「四夷」と呼ばれる地方の蛮族の一つでしか無かった
中華側から見たら、卑弥呼の使者がわざわざ「東夷」から家来になるために朝貢に来たので、
「東夷」からちょっと昇格して「邪馬」(中国での竜や馬にはめでたい意味があるが、龍は皇帝にだけ許された絵柄)になった一番目の国という事で
「邪馬壱国」という国名が送られた、とかなw

380 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:17:43.70 ID:miTpmfcO0.net
魏志倭人伝にも「文明度は低いが礼儀正しい」と書かれていたので「付き合いやすい民族」「御しやすい民族」と印象を持たれていただろう

381 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:25:14.79 ID:THYRgjvQ0.net
>>362
魏志倭人伝は2回来日してるから内容が分かれてる
1つは卑弥呼がいる時代238~248
この時代に国の名前や位置と風習を記録してる

もう1つの来日が台与の時代249年以降
張政が来日したときがここで、本人が邪馬台国まで行った可能性はあるが
位置の修正がされてないので記録をとってないか行ってない可能性がある

382 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:36:47.31 ID:AK8SbSES0.net
>>366
畿内では古墳1基から鉄製品は山ほど見つかるよ
その量は九州にある鉄器をはるかに凌駕

383 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:37:10.63 ID:bSrv3xQD0.net
新勢力が擡頭したように見えないんだが。

384 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:37:54.42 ID:XpdZQgJx0.net
>>350
邪馬台国が畿内で遠かったから19年滞在しても行かなかったわけだろ

>>374
九州説こそ結論ありきだろ
九州に邪馬台国があったのだから行ってないのは不自然!とかアホかとw

385 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:42:04.46 ID:miTpmfcO0.net
>>382
で、その古墳の築造年代は?

386 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:45:38.93 ID:miTpmfcO0.net
>>384
九州が畿内邪馬台国の支配下であれば、畿内から派遣されてるはずの伊都国の一大卒とかとも親交深めるには十分な時間があったと思うが?

387 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:50:17.47 ID:bSrv3xQD0.net
https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/3/31596/20170425035636210675/a007038001.pdf
だって…農民の人名も現代日本人とたいして変わらないじゃん?
暴力による大きな征服が起きたとは考えられない。

388 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:52:35.56 ID:bSrv3xQD0.net
当時の女性農民は、
◯✕売、◯✕女が多かった

389 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 17:53:41.46 ID:AK8SbSES0.net
>>385
卑弥呼の時代に相当する
3世紀前期から中ごろ

390 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:05:29.48 ID:miTpmfcO0.net
>>389
古墳名を出せないところがいつもの基地外畿内説のようだな

391 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:10:31.07 ID:aPR2nZw90.net
>>382
また嘘なんですね
貴方の妄想はもうウンザリなんで、そろそろ引っ込んで貰えますかねえ

392 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:10:40.90 ID:AK8SbSES0.net
>>390
ホケノ山古墳
黒塚古墳
椿井大塚山古墳など

393 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:19:23.71 ID:miTpmfcO0.net
>>392
それ全部、3世紀中葉の年代特定は奈良の町おこし集団が噛んでる古墳?
今回のニュースで九州説に日和ってるのも同じ集団だよね?

394 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:28:25.59 ID:qznbiYXc0.net
>>382
淡路島の五斗長垣内遺跡
1世紀ごろ、鉄器工房

395 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:43:13.19 ID:zME+3SLj0.net
畿内の古墳時代は銅器が主。
鏡しか入ってない古墳も珍しくない。

畿内で鉄が入ってる古墳は
確か6基くらいしかなかったはず。

396 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:43:55.65 ID:AK8SbSES0.net
>>395
へー
どの古墳?

397 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:45:17.89 ID:zME+3SLj0.net
>>392
あと、鉄があるのは桜井茶臼山古墳くらいじゃね?

398 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:47:20.87 ID:AK8SbSES0.net
畿内の古墳で
銅器しか出てない古墳なんて聞いたことないなあ

399 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:48:49.21 ID:zME+3SLj0.net
前方後円墳にも、古いタイプと
新しい形が決まってるタイプがあってね、
鉄が出るのは古いタイプなのね。

古いタイプは全国にあるんだよ。

400 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:50:04.93 ID:K45sGPER0.net
ようは大宰府の前身みたいなもんだろ、北九州は
軍事拠点でもある

401 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:51:18.87 ID:miTpmfcO0.net
>>394
神武東征のコース上だから兵站拠点として炉跡があるのは特に違和感はない

畿内説の場合、邪馬台国の南にあるはずの狗奴国との国境にはさぞ大量の鏃が埋没しているだろうな?
ということは畿内説だと、狗奴国は四国にあったのかな?
四国には鉄の鏃の出土が多いに違いない、あれ?

402 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 18:52:11.09 ID:zME+3SLj0.net
畿内は鉄の出土が少ないからね。
鉄がある古墳も少ないんだよ。

感覚としては、鉄が出る古い古墳と
銅鏡しかない新しい古墳だね。

403 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:05:05.35 ID:AK8SbSES0.net
畿内の古墳からは鉄鏃や鉄剣などの鉄器が
たくさん見つかるよ

404 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:18:33.03 ID:zME+3SLj0.net
>>403
遺跡データベースでは、奈良県の鉄の出土は
福岡県の1/20程度ですね。

405 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:21:20.24 ID:miTpmfcO0.net
>>402
鉄が出る3世紀以前の古墳が存在しないと畿内説は終わりだからね
そういう結論ありきで年代特定してる町おこし団体メンバーが今回の>>1

406 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:28:02.66 ID:zME+3SLj0.net
>>405
まあ、畿内の前方後円墳で
鉄が出る古墳もいくつかあるけど
これらは全国に広がっている
古い形式の前方後円墳なんだよね。

箸墓古墳に代表される新しい古墳には
銅鏡などはあるけど鉄はない。

407 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:37:16.89 ID:AK8SbSES0.net
畿内で見つかっている鉄器

○ホケノ山古墳 畿内 3世紀中期
鉄鏃 約60本
素環頭大刀 1口
鉄製刀剣類 10口

○椿井大塚山古墳 畿内 3世後期
鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、
銅鏃17本、鉄製甲冑1領、鉄鎌3本、鉄斧10個、
鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上、
鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本
その他鉄製冠ではないかと疑われる鉄製品

○黒塚古墳 3世紀後期
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品

これはごく一部
九州の古墳から出るのよりずっと多い

408 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:52:42.19 ID:0gCfCB/p0.net
>>307
奈良内のホケノ山古墳が3世紀中期 w???
椿井大塚山古墳が3世後期 w???
黒塚古墳が3世紀後期 w???

また奈良県桜井市纒向村おこし研究センターが築造年代まで捏造してるだけだろ

409 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:54:11.43 ID:0gCfCB/p0.net
×>>307
>>407
奈良内のホケノ山古墳が3世紀中期 w???
椿井大塚山古墳が3世後期 w???
黒塚古墳が3世紀後期 w???

また奈良県桜井市纒向村おこし研究センターが築造年代まで捏造してるだけだろ

410 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:54:40.10 ID:SyCEG27q0.net
>>405

いやそんなの要らないよ
畿内説はすでに消滅したよ

411 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 19:55:28.59 ID:SyCEG27q0.net
畿内説は首の皮一枚みたいなこと言うやついるんだけど沢山
いやもう首落ちてるから

412 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 20:00:00.89 ID:SyCEG27q0.net
ウソつきの神様どうか私を助けて!
みたいになってるんだけど

ウソつきの神様は助けてはくれないよ

ウソつきの神様がお前たちに望んでいることは
お前らが滅ぶこと



 

413 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 20:03:30.88 ID:qznbiYXc0.net
>>401
こういう設備を兵站基地とは言わん

414 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 20:09:13.10 ID:9TBbwyKQ0.net
中国の三大古典、倭人伝、魏略、廣志はそろって、末盧国からは東南へ向かえ・・、と指示している。
その先は、誰が考えても佐賀平野である。
この明確な指示に違背・離反して、畿内説や北部九州(福岡県内)説は、強引に北東の糸島・博多方面へ向かった。
出だしで90度も違えば、古典の云う正しい方向へ進むことなどありえない。
畿内説や北部九州(福岡県内)説は、空想・夢想・妄想・自己萬の成れの果てなのだ。

415 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 20:12:26.39 ID:9TBbwyKQ0.net
>>1 ごまかしカンパチ ★2021/10/24(日) 22:18:29.31

忖度も、たいがいにしろよ

416 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 20:19:50.60 ID:C0RpbSbC0.net
>>407
凄い
学会に発表したらw
畿内の鉄は溶けて残ってないんだって言い訳してた某学者さんが泣いて喜ぶよ

417 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 20:52:51.10 ID:miTpmfcO0.net
>>413
兵站基地でもなければ100年内に炉が消えることはない
それともコロナでも流行って滅んだのか?

418 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:03:59.19 ID:bSrv3xQD0.net
>>400

発掘調査によって木簡や瓦類が出土。他にも越州窯青磁・長沙窯磁器・荊窯白磁・新羅高麗産の陶器・イスラム圏の青釉陶器・ペルシアガラスが出土している。また建造物の第1期から第5期に区分される時代的変遷が判明。
ただし、9世紀後半からの第4期と10世紀後半〜11世紀前半の第5期の遺構は福岡城建築によって破壊されている。奈良時代のトイレ遺構の寄生虫卵分析により、豚や猪を常食する外国人のトイレと日本人のトイレが別々に設けられていたことが判明している。さらに、男女別のトイレであり、トイレットペーパーには籌木(ちゅうぎ)という棒きれが使われていたことが判明している。
唐って何者?

419 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:05:35.84 ID:bSrv3xQD0.net
トイレットペーパー→あった
肉食→日本人はしてなかった?

420 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:08:38.97 ID:aKBnNtDR0.net
纏向と九州で物の交流の形跡が少なすぎると思うけどなぁ

監察の一大率と共に、税務の大倭があったとは書いてあるから、絶対に成立しない論法だとは言わんけど

421 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:12:14.49 ID:0egKpaXA0.net
>>372
なんで戦力を送るのさ。
魏志倭人伝によれば、女王を共立したと書いてるじゃん。

422 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:12:20.87 ID:WnFvphlm0.net
大宰府でペルシアガラス出土してるけどw
いわゆる中国人?

423 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:16:00.59 ID:AK8SbSES0.net
>>409
見つかっている三角縁神獣鏡からの推定だよ
三角縁神獣鏡は編年が進んで
どの鏡が出たかによって古墳の年代測定にも使われている

424 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:24:14.07 ID:WnFvphlm0.net
https://kotobank.jp/word/%E9%83%A1%E8%A9%95%E8%AB%96%E4%BA%89-1162563
「にゃ」って中国語?

425 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:29:07.44 ID:WnFvphlm0.net
https://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/01/01komatsu.html
コンニャク

426 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:30:59.44 ID:WnFvphlm0.net
蒟蒻
Jǔruo

427 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:31:21.25 ID:eSN+o1b30.net
首都九州はあまりに最前線すぎる
天津と北京みたいに首都は内陸に置く
瀬戸内海が黄河の代わり

428 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:35:08.88 ID:WnFvphlm0.net
https://www.js-language.com/jp/%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%AE%E8%AA%AD%E3%81%BF%E6%96%B9%E3%80%80%E6%8B%97%E9%9F%B3%EF%BC%88%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%8A%E3%82%93%EF%BC%89%E3%81%A8%E4%BF%83%E9%9F%B3%EF%BC%88%E3%81%9D/
諸見里?

429 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:36:32.08 ID:Ig0cBbkX0.net
>>314
目つきの怪しいヤリマソ大国のオンナにやらせてもらなさい

430 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:37:14.24 ID:f8rnG0lS0.net
九州みたいな文化不毛の地に日本の中心があるわけねえだろ

431 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:41:47.93 ID:WnFvphlm0.net
李善注の発音だと蒟蒻(グジャク)って発音してるんだよなw
こんにゃく、はにゃふにゃ👦👧

432 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:44:19.00 ID:nq7oLTfk0.net
一応言っとくと、
国産製鉄は5世紀以降ね。
それ以前の国産鉄の確実な痕跡はない。
そして畿内は5世紀後半以降から
鉄が増え始める。

それまでは輸入鉄が基本で
北部九州や山陰から輸入して
各地に交易されるのでそのあたりの鉄が多く、
距離が離れるにつれて鉄の出土は少なくなる。

433 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:44:34.07 ID:bSrv3xQD0.net
寧ろ冷泉(れいぜい)みたいな発音だったんじゃ?
初期唐って。日本語そのまんまの。
初期ね?安史の乱前
切韻の前はホント謎

434 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:49:34.89 ID:nq7oLTfk0.net
鉄製品の製作には、

製鉄:鉄鉱石、砂鉄を還元して銑鉄にする
精錬:銑鉄から炭素を適度に抜いて鋼鉄にする
鍛冶:鋼鉄を加工して必要な鉄製品にする

このうち製鉄が一番難しく、1250度以上で酸素が少なく、
一酸化炭素が多い状態をつくり、長時間維持しなければならない。
そのためには温度と酸素を調整できる閉炉が必要。

一般的には製鉄は5世紀以降と言われる。
それ以前は朝鮮半島から鉄素材を輸入していた。

鉄関連遺跡では、製鉄、精錬、鍛冶の遺跡がごっちゃで
全部、製鉄遺跡と表現されていることがあるので注意。

輸入鉄素材からの精錬や鍛冶は弥生中期から日本各地で見られる。

435 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:51:43.64 ID:0egKpaXA0.net
反わくと同じで、ごく少数が大声で喚き散らすから
「九州説」ってのがあたかも主流派のように勘違い。
違った。
そう見えるように書き込んでるわけだ。

436 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 21:54:51.63 ID:0egKpaXA0.net
半々くらいに勘違いしてもらうほうが本が売れるんだろうな。
考古学者のいうことは無視。
発掘調査の結果も無視。
ヤマトの遺跡から出てきた絵をもとに「弥生時代」を復元したら
それが真実だと思いこむ人まで現れる始末。

437 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:07:40.53 ID:0egKpaXA0.net
>>163
証拠はあるのかい?
地質学者が必死に探したけど、弥生時代の湖の証拠は見つかっていないよ。

438 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:24:05.65 ID:MWcqXkFP0.net
なんで畿内から遠いイト国に軍団おけるの?
早く答えろよ

439 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:35:01.27 ID:gdAQsgZ90.net
>>438
朝鮮を攻める為
本国を守る為

ひなもりって所が九州以外にも複数有って
要所は兵を置いていただろ

440 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:49:07.14 ID:ERxVU+1r0.net
>>435
専門家の大半が機内説唱えてる時点で反ワクと同レベルなんだよなw
ド素人が都合良くツギハギしてるだけ

441 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:53:40.42 ID:xEucgMKJ0.net
李善注の発音参考になるかもw

442 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:55:00.33 ID:AK8SbSES0.net
反ワクという単語の使用で
九州説の正体が何となく透けて見えるね

443 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 22:55:31.57 ID:xEucgMKJ0.net
『新唐書』は李善の才能をひどく低く評価しており、李善は古今の書物には通じていたものの、文才がなく、「書簏」(本の入れ物。本を読むだけで身についていない人)というあだ名がついていたとする。また、李善がはじめ『文選』注をつくったとき、事柄の説明のみで文意を説明できていなかったので、子の李邕が文義がわかるように補い、李善の注と李邕の注が並び行われたという。
この『新唐書』の記述は疑わしく、←
『四庫全書総目提要』は、『文選』注が書かれたときに李邕はまだ生まれていないことを指摘し、また『新唐書』は小説から取材することが多く、よく調べていないと批判している。富永一登もこの話は李邕を持ち上げるためにわざと李善を低く評価したものとする。

444 :伝説となった邪馬台国や倭人国家とは:2021/10/26(火) 23:18:10.43 ID:uHoZ5eG40.net
倭人達は帯方(古代中国王朝の朝鮮中西部にあった朝鮮半島統治拠点)
東南にあたる大海にあり、山島に住み国を成している。
土地は平野少なく山林多く、良田はない。倭人は主に海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接し、魏の時に至って三十の国があり親しく交流す。
戸数は七万有り、男子は大人、子供は皆、顔と体に入墨を施している。

そして倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人達は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。
いにしへの夏朝(中国史上初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達も沈没して魚類を取るのを好み、同様に入墨を施し水魔を払う。

倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国・浙江省”)の東に当たる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせて?ぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れ、皆おかっぱ頭で裸足である。

倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。

○770神話となった邪馬台国や倭国とは2020/07/26(日) 22:42:48.84
倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)

倭国における重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。

倭人国家の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢代末に大規模な倭国内乱が起こり、やがて倭人達は共に女子を擁立し倭国家の女王とす。
其の女王の名は卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
卑弥呼は役人を遣し帯方に至り宣帝に朝見した。その後も朝貢が続き遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。

晋書 第九十七巻 『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰

神々からの日本最古の教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国の官僚には正確に記述されてた
伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本列島の何処にあったんだろう?

445 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 23:34:23.10 ID:qznbiYXc0.net
>>417
意味分かってないなら無理にレスしなくていい

446 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/26(火) 23:50:42.15 ID:xEucgMKJ0.net
にゃと言えば……🇭🇺ハンガリー語?!

447 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:20:36.08 ID:HfiyFtZu0.net
>>439
奴国に鄙守がいるって魏志倭人伝にもしっかり書いてあるよな
ヒナ=鄙びた温泉 とかの語源

448 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:24:19.75 ID:PSCOjqF60.net
当時倭人に首都という概念があったのか
のちの時代でも天皇は行く先々で何何の宮とか作りまくってた
邪馬台国に置かれた女王の都も王がいるから倭国の中心と倭人は考えてたかもしれんが実質的な首都機能は伊都国が担ってた
だから魏国は都という字を伊都国に当てたのだろうと思う
邪馬台国は魏使から見て首都とは呼べないものだった

449 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:39:10.74 ID:qIbiZbg90.net
>>407
その中で一番古いホケノ山古墳すら4世紀だと測定結果が出ている
残念だったな

460 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/05(水) 01:21:05.99 ID:cfsy/uqY0
>>436
期待するのは自由だけど、箸墓古墳は形式が4世紀のホケノ山古墳より新しいから可能性はほぼないと見たほうがいい


http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku318.htm
> 纏向古墳群のなかの、ホケノ山古墳の築造代は、箸墓古墳の築造年代よりも古いとみられている。
> 考古学者の寺沢薫氏の年代論によれば、ホケノ山古墳は、庄内3式期のもので、箸墓古墳は、そのあとの、布留0式期のものである。
> 2008年に、『ホケノ山古墳の研究』(奈良県立橿原考古学研究所編集・発行)が、刊行されている。
> 『ホケノ山古墳の研究』によれば、ホケノ山古墳出土の、「古木効果」がはいらないよう慎重にえらばれた十二年輪の小枝の、炭素14年代測定法による測定値は、
> 四世紀を主とする年代を示している。
> (4)ホケノ山古墳出土の試料によるばあい、歴博仮説は1%以下の危険率で棄却できる小枝の資料だと、ホケノ山の年代は320年〜400年ごろとなる。
> 箸墓古墳はそれよりも新しいと言われており、もっと新しくなる。詳細は317回「炭素年代法記事について」参照。

450 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:42:24.60 ID:le2D2eLB0.net
>>398
というかそもそも畿内の古墳で卑弥呼の年代と合う古墳てあんの?
最古とされる箸墓古墳で実際の4世紀だろ?

451 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:54:29.72 ID:qIbiZbg90.net
>>322
>彭城銅山県(現・徐州市銅山区)は北宋の元豊年間に宝豊監が置かれ
>宋銭「元豊通宝」の鋳銭が行われていた。
まーたその嘘かよ
元豊通宝でググってもソース無しの畿内説スレしかヒットしないw捏造だぞそれw
騙されたバカ乙

>漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで
>銅山があった記録がないことは彭城と同じである。
だからこう書いてあるだろメクラ
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。

徐州の銅鉱が呉側にあったのは間違いない
それは>>275の事実からもはっきり分かる
魏側に銅鉱があれば貨幣の鋳造ができずに布帛や穀物が貨幣代わりになったりしない

>けどいきなり相手を罵ってる金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とやらはまともな大人か学者か怪しいところ
都合が悪くなると誹謗中傷に逃げるのも畿内説論者の特徴
そんな感情論を並べても植田晃一氏が専門の学者であることに疑念の余地はない
https://staff.aist.go.jp/miyagi.iso14000/nkysdb/82/97/3fe1f30c47fc308165cff7d3e4036f58c75e.html

452 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:55:37.59 ID:qIbiZbg90.net
>>423
国産コピー鏡である三角縁神獣鏡なんて何の参考にもならんよ

畿内出土の銅鏡は国産品だと明らかになりました
畿内説というのはこういう都合の悪い事実に全てほっかむりしてるだけの虚構です

337 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/01(土) 13:31:50.48 ID:xWuatOBT0
>>236
ただの国産コピーですがw
型取りすることでいくらでもコピーが作れるんだよ

今どきの歴史:三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。


> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。

453 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:57:56.88 ID:qIbiZbg90.net
以上、嘘を徹底的に暴かれ続けた畿内説敗北の軌跡でしたw

454 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 00:59:18.80 ID:l++Z2vo40.net
邪馬台国なんて無かった説を推すわ

455 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:00:38.21 ID:bMtfEPvk0.net
邪馬台国を一番上と見るからおかしな話になるんだ
あれは魏志倭人伝に載ってただけでその血統が後に関わってくる

456 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:04:28.57 ID:P2vPjc2p0.net
前方後円墳の北限は埼玉。
これ豆知識です。

457 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:07:20.81 ID:le2D2eLB0.net
>>455
とは言え大陸と交流のあった邪馬台国が一番栄えていた、と考えるのも自然じゃないかな?
ほんで魏志倭人伝以降日本史に数百年の空白がある事
畿内で4世紀頃から古墳が作られ始めたことは偶然で済まないような気はする

458 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:10:58.29 ID:bMtfEPvk0.net
栄えてたってモンゴルに滅ぼされる国はあるし
突然、畿内に何かが生まれるなんて事もないし
邪馬台国は思ってるようなもんじゃないはずなんだな、帥升の時代は分からんけど

459 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:22:57.90 ID:l++Z2vo40.net
いい国作ろうキャバクラ幕府

460 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:29:18.72 ID:DaZmhGhu0.net
>>448
魏志は「女王国」だからね
邪馬台国という文字はあまり書かれてない
王の国だからとうぜん邪馬台国は倭国の中心地

461 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:34:27.72 ID:oUwPVVtN0.net
>>456
南森古墳(山形) 前方後円墳
雷神山古墳(宮城) 前方後円墳

462 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:47:31.68 ID:W0zt5J9N0.net
>>450
ない可能性が極めて高い
箸墓にしたってヤマトモモソヒメの古墳ってことで、
1800年くらい通ってきてる古墳だし、
どこにもヒミコの墓です、なんて文献も口伝もない
ヤマトモモソヒメがいないと吉備津彦が生まれない
吉備津彦がいなければウラもいない
そうなると鳴釜神事はどうなるのか、
いつ誰が吉備国をヤマト王権の下に置いたのか、
そこがすっぽり抜けてしまう

ちなみに前方後円墳として最初期なだけで、
円墳や方墳はもっと古いのがある

463 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 01:54:11.38 ID:cKVexQB+0.net
>>462
畿内派の奴らはその辺調査する気はないんかね
卑弥呼の墓は前方後円墳ではなく円墳である可能性が高いわけだし
建造年代を捏造してまで箸墓古墳を卑弥呼の墓とするより
その古い円墳を調べた方がよっぽど建設的な気はする
まあどのみち畿内説の芽はないと思うけど

464 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 02:08:43.79 ID:aAQVh8km0.net
>>456
岩手県奥州市の角塚古墳は、日本の最北端に位置する前方後円墳である

465 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 02:11:06.51 ID:bw+OxMgb0.net
>>439
小国分立の連合国家でなんで畿内が軍団を派遣するんだよ
弥生に集権国家なんてナンセンスにもほどがある
電波野郎はすっこんでろ

さあ畿内説はまともに答えろよ
なんで500kmも遠くのイト国に軍団を派遣できるんだ?

466 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 02:58:45.15 ID:sYbX+W+W0.net
>>19
どうして倭の王なのに「讃・珍・済・興・武」なんて名前なんだ?
国号や皇帝の系譜がころころ変わる国の史書を信頼し過ぎじゃないか?

467 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 03:01:52.73 ID:jdu8A/mP0.net
関西に多い銅鐸がある時期から忽然と無くなってしまう、村はずれの崖に埋められて
いたり、未完成品の銅鐸も埋められていた、つまり銅鐸を持っていると九州からの
侵略者から殺される可能性があるので慌てて隠したわけだ 鳥取では大量の銅剣が
埋められていた、つまり戦いを放棄して降参した訳だ

468 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 03:04:00.57 ID:W0zt5J9N0.net
>>463
どうもね、この学説に沿いたいらしい
この思考回路は定説にパズルを無理やり嵌め込んでる

ヤマト王権が支配を広げた証拠は前方後円墳

3世紀から5世紀の間の出土品がおおい
※誤差二百年くらいは年代測定で余裕

そしたら3世紀に邪馬台国が文献に出てくるから卑弥呼の墓なんだよ!
※なぜか中間値の4世紀は無視

やっぱヤマト王権が日本を3世紀に支配してたんだ!
※新井白石が自身で否定した説を持ち出す

村おこしじゃー!吉野ヶ里より本物だよ!掘ったら確実だよ
第一、3世紀の前方後円墳とか最初期じゃん!
さあ寄付金募るよ!観光で金儲けて掘るよ!
え?皇室の先祖の墓だからダメなの?
じゃ周り掘ってみよう

わあ、桃がたくさん出てきたよ!これは間違いない!
※ヤマトモモソヒメの子供は吉備津彦モモタロウ
桃が出てきて当たり前

東大リーダー「掘れば掘るほど違う気しかしない」
鏡もないし大きさもおかしい

「日本中の産物が見つかった!間違いなくここが邪馬台国首都だ」
なぜか九州がなく中国地方のものが極端に多い
ヤマトモモソヒメなら息子が吉備征服したから当たり前

469 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 03:08:17.02 ID:W0zt5J9N0.net
>>466
名前を与えられたのかもしれないし、
ワカタケルは朝鮮からの七枝刀では「獲加多支鹵」
ワカタケルの日本書紀表記は幼名で「幼武、若健」
使いをよこした時に中国人風に「武」とされたのかも
実際には武王であればこれは中国的には珍しくもない

470 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 03:42:12.27 ID:sYbX+W+W0.net
>>469
稲荷台と江田船山の鉄剣のワカタケルは聞いたことがあったけど
七支刀にも書いてあったんだ?初めて知った、ある意味で勉強になるわ

471 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 05:42:18.89 ID:gtIlCL180.net
>>465
奈良から伊都なら700kmだな
今の道路事情でそれだから当時はもっと長く、かつ獣道ばかりだから徒歩で行こうと思うならかなり厳しい道のりになるね

472 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 06:11:12.06 ID:oUwPVVtN0.net
>>471
だね、当時の畿内には遠距離航海能力さえ無い土人しかいなかった
丸木舟で翡翠の勾玉のような小さく軽量で付加価値の高いものを運ぶくらいの文明度
だから魏志倭人伝にあるような嵩張る貢物を持って大陸に朝貢に行くなんて非現実的

473 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 06:24:02.19 ID:Rd9nXNBr0.net
九州で論破されてんの定期的に論争すんのは何故なんだぜ

倭国大乱の証拠が九州一択なんだよ

474 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 06:34:58.08 ID:8MWnkwip0.net
畿内説は2011年以降は書籍も論文も出ていない。
畿内説でググると、畿内説はなかった、とか
畿内説の終焉、とかそんな本ばかり。

475 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 06:37:37.23 ID:8MWnkwip0.net
白村江は九州勢力が主力だったので
48000人を朝鮮半島に投入できた。
大和朝廷の遣唐使後半は危険な南路にコースを変え
1/4が遭難した。

476 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 06:58:41.69 ID:ggKhWBKu0.net
https://youtu.be/T9sTOv0BLcw

477 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:04:38.38 ID:W0zt5J9N0.net
>>470
すまん
勘違いだ
ワカタケルとは七枝刀には書いてない

>また、日本書紀等の史書では、百済が倭に対して複数回朝貢し人質を献上していたことが記述されているが、
この七支刀献上に関して、
日本書紀神功皇后摂政52年条に、百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ「七子鏡」一枚とともに「七枝刀」一振りが献上されたとの記述がある。
紀年論によるとこの年が372年にあたり、年代的に日本書紀と七支刀の対応および合致が認められている(後述)

478 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:08:08.27 ID:W0zt5J9N0.net
>>472
んー
奈良大和から難波津に出て、瀬戸内海通って下関までは問題ないよ
瀬戸内海は内海ゆえに風が山おろしになるし、
手漕ぎでも十分
ただそこから下関海峡から唐へ行くのは無理
下関から筑紫国に移動して朝鮮半島経由が安全

これがあるので遣隋使までは半島経由で人を送ってる
白村江で負けたからこそ、遣唐使を送らねばならなかった
新羅の版図である半島を経由せずに
当然リスクが上がった

479 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:24:51.82 ID:ZiIbOxvn0.net
九州説ゴリ押してる奴は、おらが村さ意識が強すぎて
日本という国の成り立ちを軽視しすぎだわ。もう反日左翼のノリに近い。

なるほど、九州はどこよりも大陸に近い
文明が発展する優位性はあっただろう
しかし2世紀のその頃まで日本は野蛮で未開な地だったのか?

既に畿内には山陰から東海から各所から送られた貢物の跡が残っている。
それはずっと古く畿内がこの国の中心だったということを証明してはいまいか

日教組から教わった歴史とは異なり
もっと開けた文明がこの国でずっと昔から花開いていたのではないか?

畿内説を否定する論者には、日本という国の成り立ち、その観点から
邪馬台国の所在を公平に考えて欲しいのだ

480 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:27:11.06 ID:ggKhWBKu0.net
https://gogen-yurai.jp/konnyaku/
本草和名・和名抄では?

『本草和名』に「古爾也久(こにやく)」、『和名抄』に「古迩夜久(こにやく)」とあり、

481 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:32:46.15 ID:ggKhWBKu0.net

漢音:ジャク
呉音:ニャク

中国語
普通話
ピンイン: ruo (ruo4)
ウェード式: jo4
広東語
イェール式: yeuk6

韓国語
ハングル: 약
音訓読み: 부들, 구약나물 약
文化観光部2000年式: yak
マッキューン=ライシャワー式: yak
イェール式: yak

482 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:33:57.69 ID:ggKhWBKu0.net
ちょっと、違うw
何者?百越語?秦語?

483 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:34:01.89 ID:oUwPVVtN0.net
>>478
張政が畿内に来なかったのは?の理由で「遠いから」とキチガイ畿内説が言ってたから皮肉交じりに書いたんだよ

484 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:36:01.79 ID:0dUUK/Fa0.net
中国の三大古典、倭人伝、魏略、廣志はそろって、末盧国からは東南へ向かえ・・、と指示している。
その先は、唐津市の小中学生でも佐賀平野という。
この明確な指示に違背・離反して、石の畿内説や、古くて易い北部九州(福岡県内)説は、強引に北東の糸島・博多方面へ向かった。
出だしで90度も間違えれば、古典の云う正しい方向へ進むことなどできない。
畿内説や北部九州(福岡県内)説は、空想・夢想・妄想・自己慢心の成れの果てなのだ。

485 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:38:40.12 ID:oUwPVVtN0.net
>>479
畿内説論者がやってる事は、物証に基づく学問的考証じゃなくて
町おこしが目的の宣伝論説だから否定されてるんだよ

486 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:41:50.46 ID:oUwPVVtN0.net
>>484
方角の問題なら久留米や八女でもいいわけだろ
佐賀平野内説としては説明不足で説得力がなさすぎる

487 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:43:19.48 ID:sbEc7dw60.net
四国説を推したい
九州近畿の教授利権うざ

488 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:43:30.89 ID:/Zw69AZp0.net
ワカタケルが統治していた最北端が埼玉。
大和朝廷公認マーク付きの前方後円墳の北限。

大和朝廷公認の証
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQf14HCbSvEpfv6ku1Qa0-yJ7Ptx2sajhGDoQ&usqp=CAU

489 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:45:49.61 ID:n6PnM4a7O.net
中国人の考古学者の見解では
そもそも魏志倭人伝は中国国内の敵対勢力に対するプロパガンダ雑誌で
かなり誇張して書かれているので丸々信用してはいけない
それを踏まえて、邪馬台国のあった場所は九州
初期邪馬台国は九州で誕生し
東へ東へと遷都し奈良へと移っていった

↑みたいな事を20年以上前に言っていた

490 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:46:22.48 ID:cYaRQl6q0.net
>>479
貢ぎ物というか日本各地との細々とした交易や人的交流は当然あっただろう。
ただそれが中心となる国であった論拠にはならないのではないか。
また、ここでいう邪馬台国はあくまで三世紀末の女王国のことであって、
日本の中心となる国でなくてもいいわけだ。

491 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:47:26.39 ID:cYaRQl6q0.net
>>485
いや、まあ町おこしは九州説や他の説も同じでさ

492 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:51:19.82 ID:x8S7DzoT0.net
大和朝廷と埼玉を結んだのは船運。
大和川を下り、大阪湾から紀伊半島の南、熊野灘を東へ進み、浜松沖を通過、伊豆半島南端を通り、相模湾を経て東京湾へ入る、そこから荒川を遡上し、さいたま新都心へ至る。
畿内の大和朝廷から埼玉へもたらされた重宝は数知れず。

493 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:54:41.47 ID:oUwPVVtN0.net
>>492
その前に埼玉群馬に送られた新羅の貴族たちは財産没収されてるけどな

494 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 07:57:24.10 ID:0dUUK/Fa0.net
>>486
詳しく知りたきゃ、佐賀平野以降〜肥後邪馬台国までなんぼでも説明してやるぞ
とりあえずは:
末盧国東南500里は佐賀市大和町川上だ。最近大きな発掘成果が有った。さらに発掘は継続される。
その東南100里の奴国は、現在の佐賀県庁、佐賀城あたりの微高陸地で、律令制の佐嘉郡。
またその伊都国の東行100里の不彌国は現在の吉野ケ里遺跡〜東接の目達原で、のちの律令制では彌根郡
この不彌国の南の方角に投馬国があった。(実際には南南東180qの宮崎平野都万一帯。)
同様にこの不彌国の南の方角(1400里)に邪馬台国女王の所都があった。
(以下、別途詳述)

495 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:01:30.88 ID:rfvwzmzl0.net
「古事記」では、国生みの神を伊弉諾尊、伊弉冉尊の二尊とし、最初の夫婦神とした。
国生みの順は、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州とあり、ここまでを国土の中軸の大八洲(おおやしま)とする。
そのあと属する島として、最初に「吉備児島を生みき。またの名を建日方別(たけひかたわけ)という」

これって豪族が統治した順というか国ができた順って意味じゃないの?

496 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:02:06.91 ID:0dUUK/Fa0.net
>>486
>方角の問題なら久留米や八女でもいいわけだろ

行程記録を辿れば、久留米や八女は方角里数共にハズレており、届かない。

497 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:15:22.13 ID:1HSZj2zv0.net
>>495
海面上昇して一番始めに瀬戸内海が出来てあ恥島が出来た

498 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:16:21.87 ID:VxQsBRVG0.net
>>449
ホケノ山古墳かららは三角縁神獣鏡の出土がないので
三角縁神獣鏡が倭に伝わった240年以前の建造と分析されてるよ

499 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:16:41.48 ID:oUwPVVtN0.net
そもそも>>484のレスの時点で(なに言ってんだ?こいつ?)って感じが出てる
こういうスレによくいる本人の説明不足で主張の主題が分からない

500 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:17:14.76 ID:3lSpUXgR0.net
邪馬台国論争は永遠に続くぜ

501 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:19:20.64 ID:oUwPVVtN0.net
>>498
スプリング8で製造年代特定は不可能ですが

502 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:26:28.44 ID:VxQsBRVG0.net
>>450
箸墓古墳よりもっと古い古墳もあるね
畿内に前方後円墳が作られ始めるのは3世紀の前期あたり

>>451
呉が領有していたのは徐州のもと揚州の属であった広陵郡南端の
極めて限られた地域で銅山はなし
徐州は曹操と劉備の徐州の戦いで曹操が勝って
大分便が魏の領有となった事は三国志にも書いてある
なので三角縁神獣鏡に銅出徐州と書いてあるのは
魏の徐州で産出された銅で作られてるということを示すもの

>>452
三角縁神獣鏡には国産のものと中国製の2種類がある事が
文様や銅の素材に含まれる不純物などから解明されてる

503 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:34:20.11 ID:SknnsXH60.net
ここまでのレスを読んだが、どうやら九州説が優勢みたいだな
そのような印象を受けた(印象だけだけど)

意見(妄想)百出だが、どれかは正解かも知れない!でも
結局は、「親魏倭王」の金印が出るような決定打を気長に待つしかないな

504 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:37:04.06 ID:VxQsBRVG0.net
>>501
三角縁神獣鏡には景初三年や正始元年など
240年あたりに相当する魏の年号が彫られている

505 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:57:18.05 ID:oUwPVVtN0.net
>>504
確実な中国製ならもっと彫りが深く字体も整ってるらしいぞ
参考P6図5
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/8040/885768.pdf

506 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 08:59:31.11 ID:QVwRagMG0.net
そうか、九州説が勝ったのか
昔は畿内説 49 対 九州説 1 だったというから
時代も変わったのう

507 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 09:04:35.07 ID:cYaRQl6q0.net
>>503
金印が出ても移動が容易な物だけに決定的な証拠にはならない。
例えば壇ノ浦の近くで草薙剣が見つかったからといって、その
あたりに都があったことにはならないでしょ?

508 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 10:00:37.17 ID:LoAAPjqQ0.net
邪馬台国が近畿でも九州でもどこでも構わないが
ここの九州説はウザい(品がない)しつこい(連投しすぎ)
ってことは自演も多いに違いない

まともに議論や考察できる環境ではなく、単なる押し付け
ならば邪馬台関連の書籍でも売ってる輩の宣伝誘導か
渡来人がらみで洗脳目的の穢族による投稿だろ

509 :韓国語で読める?!:2021/10/27(水) 10:57:31.32 ID:EpWp6umE0.net
如此耳 恋哉将度 秋津野尓 多奈引雲能 過跡者無二(巻四の六九三・万葉仮名)

かく急に/ともに棲まむと/いわれても/秋津野に/すべてをやめて/しりぞける/くもは住み場の/多く無かれに
(急に一緒になろうと 仰せられても 秋津野に すべてを辞めて退いている貊[こま]は 住み場があまり無いのですから)

510 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 11:02:57.01 ID:EpWp6umE0.net
韓国はおいておいて🤣
何で、
こんなドンピシャ?!
↓百済↓

https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=hu&tl=ja&text=A%20v%C3%A1l%C3%A1st%20vagy%20a%20k%C3%BCl%C3%B6nk%C3%B6lt%C3%B6z%C3%A9st%20sokszor%20a%20mag%C3%A1ny%20%C3%A9s%20a%20kudarc%20%C3%A9rz%C3%A9se%20k%C3%B6veti.&op=translate

A valast vagy a kulonkoltozest sokszor a magany es a kudarc erzese koveti.
離婚や別居は,しばしば孤独感や「挫折」感をもたらします。

511 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 11:03:44.57 ID:EpWp6umE0.net
日本国が併合した「倭国」って
極東🇭🇺ハンガリーの事?!

512 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 11:07:39.43 ID:EpWp6umE0.net
どうやっても読めない
百済
訓なんだろうけど。

古語に敗北の意味あったのか?クダラって

513 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 11:19:48.79 ID:Akfr4Sr50.net
>>498
科学を否定する畿内説信者w
炭素年代測定で4世紀なので諦めなさい

>>504
>>175でとっくに論破されてるぞw

514 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 11:24:16.72 ID:Akfr4Sr50.net
>>502
だからこう書いてあるだろメクラ
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。

徐州の銅鉱が呉側にあったのは間違いない
それは>>275の事実からもはっきり分かる
魏側に銅鉱があれば貨幣の鋳造ができずに布帛や穀物が貨幣代わりになったりしない

>三角縁神獣鏡には国産のものと中国製の2種類がある事が文様や銅の素材に含まれる不純物などから解明されてる
その嘘は>>270,285でもう暴かれている
何回嘘を並べてもダメ

515 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:00:02.87 ID:OGOlUkaa0.net
>>315
妄想お疲れ様
最低限、物証か文献の裏付けを基に話そうね

516 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:02:52.73 ID:cGCT3FE10.net
>>236
俺が知っている限り、NHKの番組に出演した中国の歴史学者達の見解は九州以外は有り得ない、だったと記憶している

517 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:37:27.68 ID:bw+OxMgb0.net
>>507
文献資料は九州のことしかかかれていない
出土品も記述と一致している
この状況で移動するだって?
そういうのを詭弁というんだよ!
そこまでして言い張る動機は一体なんなんだよ
朝鮮のウリナラマンセー史観そのものじゃないか
本当に見苦しい

518 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:44:00.06 ID:VxQsBRVG0.net
>>513
ホケノ山古墳の木棺の炭素年代測定は
上限が240年と出ているよ
つまりホケノ山古墳は240年以前に建てられた事が示されている

519 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:44:04.68 ID:o0COL+kt0.net
九州は当時の先進国に一番近いから繁栄はしてただろうが
倭国の中心をそんな前線基地に置くわけがない
洛陽の真似をするなら関西という立地にするのはよく分かる

520 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:45:25.78 ID:jbq1JXpJ0.net
考古学上では東遷説は否定されるし
倭国大乱のち卑弥呼が共立されるというのも
邪馬台国が武力でもって他国を制圧したような気配もないので
倭国王たる盟主はそれまで北九州だったけど
ぽっと出の畿内の女王がそれになったというのも特におかしくはない

521 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:46:56.76 ID:bw+OxMgb0.net
>>491
中国の学者も九州

522 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:47:39.93 ID:VxQsBRVG0.net
>>514
魏志倭人伝には魏は銅鏡を百枚作って卑弥呼に贈ったとある
これから見ると魏では銅が採れていたという事になるけれど

523 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:50:08.43 ID:cGCT3FE10.net
>>519
当時の倭国が日本全土を掌握していたという考えなのかな?

524 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:53:05.09 ID:kgMFQIxP0.net
あんな広い領域清朝だって完全に支配してないぞ?

525 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:53:07.32 ID:37SKEwiw0.net
>>518
古墳は土で密閉されるから出土物の中で一番新しい年代が古墳の年代になるんだよ無知
そして棺に使うような大木には古木効果が働き正確な年代測定が難しくなる
古木効果のない最も信頼性の高い小枝資料の測定結果が4世紀だ
諦めろ

Old Wood Effect(古木効果)を理解する
https://www.radiocarbon.com/jp/old-wood-effect.htm
>芯材(内側)と辺材(外側)の放射性炭素年代は異なり、芯材の方が辺材より年代が大幅に古くなります。
>炭化物や木の炭素年代測定を行う場合は、年代は特定できますが、サンプルが短命な植物や小枝がサンプルでない場合は、
>木の成長過程のどの部分をサンプリングするかによって数百年の誤差が生じる可能性があります。
>
>また、放射性炭素年代測定は試料がいつ使われたのかではなく、試料となった有機物がいつ生きていたのかを教えてくれるものです。
>測定試料と史実をリンクさせる場合は間違った結論に導かないように“古木の問題”を考慮しなくければなりません。
>伐採年とは違う年における木材の使用、木材の再利用も年代測定という観点からすると“古木の問題”となります。
>木材はいわゆる“寝かせ”の期間があります。 建築材の中には後世の建築に再利用されるものもあります。

526 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:54:07.73 ID:o0COL+kt0.net
九州はサンクトペテルブルク
関西はモスクワみたいなもんだよ

527 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:54:31.43 ID:37SKEwiw0.net
>>522
銅が採れていれば貨幣の鋳造に苦労しない
魏は漢の継承国家だから鏡は倉庫にあった漢鏡を渡すこともできる

528 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 12:58:47.92 ID:VxQsBRVG0.net
>>525
畿内のホケノ山古墳からは副葬品に内行花文鏡や画文帯神獣鏡は出てるけど
景初3年つまり魏の年号で240年と彫ってあるものもあって
240年に倭に渡来したと判明している三角縁神獣鏡が見つかってないから
240年以前に建造されたものと推定されてるよ

棺の炭素年代測定では240年以前のもの
副葬品も240年以前のもので
2つの証拠が合致するのでホケノ山が建造されたのは
3世紀の240年以前という事が判明している

529 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:00:03.31 ID:VxQsBRVG0.net
>>527
畿内で見つかる銅鏡には景初や正始元年と魏の年号が入っているので
漢鏡ではないね

530 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:02:05.68 ID:37SKEwiw0.net
>>528
何度同じ嘘を繰り返してもムダ

鏡の年号は>>175,285
炭素年代は>>449,525

で全て論破されている
畿内説には考古学的根拠がもう存在しない

531 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:04:13.10 ID:VxQsBRVG0.net
>>530
畿内のホケノ山古墳は木棺の炭素年代測定の結果が240年以前のもの
副葬品も240年以前のもので
2つの証拠から240年以前の建造ということが解明されてるよ

532 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:04:23.05 ID:37SKEwiw0.net
>>529
それらが卑弥呼に下賜された銅鏡百枚ではないというだけのことだ
つまり邪馬台国は畿内ではない

>>292のとおり中国の専門家も魏の鏡は北部九州を中心に出土する鏡種だと言っているしな

533 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:05:28.21 ID:37SKEwiw0.net
>>531
壊れたレコードかよ

炭素年代については>>449,525で完全に論破されている
ホケノ山は4世紀で確定

534 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:08:12.46 ID:VxQsBRVG0.net
>>532
九州の鏡は主に漢の時代のものが多くて
畿内からは魏の時代の鏡が多く見つかってる事は前から知られてる
卑弥呼は魏に使者を送ったので
魏の鏡がよく見つかる畿内が邪馬台国だったと考古学的には結論づいてるよ

535 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:10:19.30 ID:bw+OxMgb0.net
>>520
ああ、それに義経がいきていて大陸に渡りジンギスカンになったとしても
特におかしくはないな
いや普通に全然おかしいだろ

536 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:10:51.35 ID:o0COL+kt0.net
>>534
九州から畿内に倭国の中心が移動したんだろうね
サンクトペテルブルクからモスクワに首都が移ったのと似てる

537 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:26:25.65 ID:37SKEwiw0.net
>>534
またそういう嘘を言う
中国側の専門家が指摘する魏の鏡は北部九州を中心に出土している

http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku366.htm
>■徐苹芳氏の意見
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・
>双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>至位三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」

>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」


位至三公鏡の出土は北部九州が中心
北部九州には弥生末からあるが近畿での出土は東遷後の古墳時代中期以降
http://yamataikokunokai.com/katudou/image3/365-13L.gif

538 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:26:31.25 ID:QVwRagMG0.net
鏡は九州から出土しているのだが
だからと言って邪馬台国が九州にあったという
直接証拠にはならないのだった
あとは卑弥呼の墓を見つけられるかどうかにかかってきた

539 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:32:21.17 ID:bw+OxMgb0.net
>>534
もう鏡なんてゴリゴリ畿内説でも触れなくなってる
なんでか君には理解できないようだね

540 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:46:10.58 ID:HfiyFtZu0.net
古墳が造られた時期と出土品の年代は必ずしも一致しないからな
4世紀ごろと推定される東大寺山古墳からは後漢時代の鉄剣が出ているし
ずっと大切にされていたものが後から副葬されたのかどうなのか

541 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:47:57.35 ID:0dUUK/Fa0.net
>>537
>■徐苹芳氏の意見
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。

この学者は、倭人伝を良く読んでいないようだ。
倭人伝には、「汝の好物の鏡を与える」となっているから、
中国で広く流通しているありきたりの鏡でなく、倭国で好まれる形式の鏡を特に用意したと読める。
それは三角縁の意匠の源になった(厳重な楼観城柵を模した鋸歯紋列を有する)画文帯神獣鏡だったのだろう。

542 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:48:14.11 ID:+Vajxrme0.net
銅鏡ってさ、正式には青銅鏡な訳だけど、青銅は銅と錫を混ぜてつくる

で、銅と錫の混合の割合を分析すると、大体何処で作られたものなのかは判別がついたりする
※工房により割合に違いがあるので、成分比率を調べればわかる

そうすると少なくとも畿内も九州も鏡で考えてては答えが出ないと言うことはわかる
どっちからも後漢時代の中国で作られた青銅であることを示す成分分析結果が出ているので

543 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:49:57.82 ID:DGy1jUnL0.net
九州説なんて九州出身の学者くらいしか信じてないwww

それが最近の学説。

544 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:50:16.83 ID:CsRPWBjx0.net
当時流行った萌え漫画みたいなもんだろw

545 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:51:46.63 ID:IcTFWxzr0.net
九州・吉備中心でなんで纒向みたいなど田舎に女王立てるんだよ

546 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:55:02.82 ID:37SKEwiw0.net
>>541
画文帯神獣鏡は呉あった江南地域の鏡だ
三国時代は魏の敵国だからあり得ん
画文帯神獣鏡が出土するということはそこは西晋が呉を滅ぼした西暦280年以降の遺跡ということになる

231 :名無しさん@1周年 :2018/11/17(土) 23:43:12.60 ID:xGjjowfH0
神獣鏡は魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね

http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」

547 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:58:08.63 ID:37SKEwiw0.net
画文帯神獣鏡の出土分布
http://yamataikokunokai.com/katudou/image3/366-26.gif

どこからどう見ても江南地方の鏡
洛陽などでもわずかに出土しているが数は著しく少ない
呉を滅ぼした西晋が戦利品として多少持ち帰っただけだな

548 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 13:59:34.58 ID:HfiyFtZu0.net
>>543
俺九州出身だけど九州説なんか支持してないぞ(´・ω・`)

549 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:01:42.91 ID:37SKEwiw0.net
ちなみに畿内説が執着している三角縁神獣鏡は出土古墳や一緒に出土する土器の形式などからして
画文帯神獣鏡よりも後の時代の鏡だ
つまり魏志倭人伝よりも後の時代の鏡ということです
残念でした

550 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:06:03.98 ID:o71CgucU0.net
話聞いてたら台湾っぽいw

551 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:10:18.44 ID:rqWSIL1q0.net
日巫女だろ

552 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:13:46.06 ID:37SKEwiw0.net
〜画文帯神獣鏡の分析〜

金属分析の専門家「これには中国南部産の銅が使われています」
中国の考古学者「これは江南地域の鏡ですね」
日本の考古学者「これぞ魏が卑弥呼にくださった鏡に違いないいいいいぃ!!邪馬台国は畿内だあああああぁ!!」

このアホアホ集団が学会を名乗り権威のごとく振る舞っているのが今の日本の考古学会
畿内説信者が「考古学者は畿内説ダー!」と喚いているのがいかに空疎なものかよく分かるだろう

553 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:14:14.25 ID:bw+OxMgb0.net
>>543
それが学説!(キリッ
どうしてこんな馬鹿みたいな書き込み平然とできるのか

554 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:15:18.39 ID:cGCT3FE10.net
>>538
卑弥呼の墓と比定出来るだけの考古学的な発券は無いだろうし、金印見つからないと論争は終わらないだろう
いや、金印が見つかってさえ、後年に持ち去られたものだと主張する輩が見えるろ

555 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:16:48.75 ID:+Vajxrme0.net
>>549
正確にはその考え方は違う

三角縁神獣鏡の青銅の成分分析の結果は、後漢時代の中国の工房で作られた青銅である事を示してるが中国からは出てこない
つまり、原材料として中国の青銅鏡を使って、日本国内で鋳潰して作られた鏡と考える方が自然

556 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:29:49.82 ID:S7KmkPOt0.net
以前参拝した吉備津神社の巫女さんが美人だったな

557 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:40:20.66 ID:37SKEwiw0.net
>>555
後漢時代の銅は既に中国南部の原料が使用されている
三国鼎立によって南部を治める呉と敵対した魏はこの原料を使用できなくなった
それゆえ>>275にあるように貨幣の鋳造さえまともにできなかったわけ

古代日本の青銅器の原料産地を訪ねて 平尾 良光 東京国立文化財研究所
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl1962/28/8/28_8_681/_pdf
> その後,漢代中期に中国南部の開発が盛んになり,西暦後25年以降の後漢時代には鉛の生産中心は南部へ移ったと推測できる.
> 西暦後220年以降の三国時代には魏が中国北部,呉が中国南部を勢力下に治めていたが,青銅鏡に用いる鉛の生産中心は中国南部へ移ったままなのであろう.
> 少なくとも前漢時代に使用されていた鉛鉱石はまったく現れてこないことから,長安(魏の時代には洛陽が首都である)付近(中国北部)の鉛は使用されていない.
> それゆえ,後漢・三国時代には鏡の材料には中国南部の鉛を利用していたと推定できる.


>つまり、原材料として中国の青銅鏡を使って、日本国内で鋳潰して作られた鏡と考える方が自然
当時はまだ銅原料の国産化がされていなかったとされているからこの頃の日本の青銅器は全部中国産の銅で出来ているので
それは概ね正しいだろうね
ただその鋳潰した中国鏡も上記の通り呉の銅原料を使っていた

558 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:45:55.17 ID:pga5OYtD0.net
伝説のAV女優

559 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:53:50.64 ID:dbO4eA6L0.net
>>516
その人、東京の某大学に留学経験あるとか?

560 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 15:06:07.15 ID:aCF/Jjo50.net
>>551
それ間違い(キッパリ
ひめこ(日女子=お日様の娘)
○○ひこ(日子=お日様の息子)との対比で自明
なお、ひめこ の 省略形が ひめ

ひこ ↔ ひめ(ひめこ の略)
をとこ ↔ をとめ(をとめこ の略) をつ+子・女子(=若い男女)
むすこ ↔ むすめ(むすめこ の略) 産す+子・女子

561 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 15:08:07.33 ID:kgMFQIxP0.net
>>540
前漢後漢から王様逃げてきてるんだから
出土して当たり前じゃ?
日本人のものかどうか

562 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 15:32:30.41 ID:bw+OxMgb0.net
>>560
それも違う
それだと狗奴国王卑弥弓呼(ひみこと)が解釈できない
肥前の肥御子と肥後の肥尊

563 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 16:13:06.37 ID:+Vajxrme0.net
>>557
三角縁神獣鏡の青銅の成分分析結果はもう出てるんだよ
畿内の物も出し、九州のものもね。

564 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 16:32:06.90 ID:4J8uRibA0.net
のっぺり薄い顔…新たな日本人のルーツ「古墳人」発見 現代人の半数に及ぶ影響【石川発】
10/24(日) 11:0

いよいよ
朝鮮半島からきたも
どんどんなくなってきたなw

565 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 16:40:31.52 ID:kgMFQIxP0.net
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/238107/1/shirin_055_6_804.pdf
諸問題

566 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:08:36.90 ID:pv43jhxf0.net
鏡でゴリ押しは難しいから炭素14に移行したんだよ
今鏡をゴリ押ししてる人は流れが分かってないw

567 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:18:49.54 ID:VxQsBRVG0.net
九州説は鏡の話をされたくないようだね

568 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:30:42.01 ID:oUwPVVtN0.net
>>562
「肥」は当て字なので「火巫女」「火尊」あるいは「日巫女」「日尊」だろ

569 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:32:22.37 ID:oUwPVVtN0.net
>>567
中国からも出土しない類の銅鏡でなんで年代特定ができると思った?

570 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:44:36.31 ID:VxQsBRVG0.net
>>569
三角縁神獣鏡は魏の都のあった
洛陽でも見つかっているよ

571 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:49:11.92 ID:wK15DOan0.net
学者が「黥面文身」の話をあまりしないのは日本人の男性が全員子供から大人まで顔に刺青、体に模様を入れていた事を知ると邪馬台国論争もしらけてしまうし、言い方は悪いが土人の暮らしなんて誰も興味を持たなくなるから
日本各地で発掘される黥面土偶
https://i.imgur.com/dD5odms.jpg
https://i.imgur.com/WX58Zhr.jpg

572 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 17:49:35.54 ID:W9OhklhE0.net
>>570
2015年に洛陽の骨董市で売られてたらしいね。

573 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 18:15:03.14 ID:37SKEwiw0.net
>>563
そうだね
呉のあった江南地域の原料が使われていると結論が出ているね
それをなぜか魏の鏡だと言い張るおかしな人達が問題

574 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 18:23:38.48 ID:VxQsBRVG0.net
三角縁神獣鏡は呉では見つからず
魏の都のあった洛陽で見つかってるよ

575 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 18:32:47.46 ID:8qOhMnlo0.net
>>571
瓜田やん

576 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 18:48:44.66 ID:k8RFvwr10.net
>>555
鋳型が出てない謎

577 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:00:08.59 ID:6i4XEZDN0.net
>>572
曜変天目も見つかってるし。
なんか同じ匂いがします。

578 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:08:57.53 ID:kgMFQIxP0.net
ローマ帝国の犯罪者の逃亡者?

579 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:18:14.93 ID:kgMFQIxP0.net
>>571
安徽省北西部の亳県の元宝坑村一号墓から発見された磚に「有倭人以時盟否(倭人、時を以て盟すること有りや否や)」

580 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:21:19.59 ID:37SKEwiw0.net
>>574
骨董市で売られていたものは出土品とは認められませんw
文様の共通する画文帯神獣鏡も呉の鏡です
諦めなさい

581 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:27:13.10 ID:ahuOMR070.net
>>537
こういう中国の研究者からの意見はいいね
日本の考古学者を悪く言いたくないが邪馬台国論争はちょっと恣意的過ぎるし
無理があるというか飛躍し過ぎた意見ばかりで疑問しかない

582 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:52:13.03 ID:oUwPVVtN0.net
>>572
>>577
出雲の銅鐸初期の同笵小型銅鐸と鋳型も吉野ヶ里から出土してるんだよな
だから初期銅鐸は九州北部産と言われている
またそれとは別の銅鐸で、出雲と淡路で同笵銅鐸が出土してるし

近畿式銅鐸と三遠式銅鐸という分類も吉野ヶ里から派生したのか
吉野ヶ里出土の銅鐸の場合、錫が多く含まれ中国産の銅で作られているようだが
畿内のものは、中期までは錫の少ない朝鮮半島産銅製、後期に中国産銅製となっている
銅鐸の年代も紀元前2〜紀元後2で2世紀に突然作られなくなったと現在は言われているが、畿内説学者の邪馬台国畿内ありきでの推定なので
実際は畿内では4世紀あたりまで銅鐸が作られていた可能性もあるんじゃないかなあ?

それで後期銅鐸を鋳つぶして銅鏡を作った場合も中国製銅鏡に近い成分の国産銅鏡が作れるよね

583 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:54:06.98 ID:kgMFQIxP0.net
言語学から行った方が
直ぐ結論出そうw

584 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:54:47.86 ID:bw+OxMgb0.net
>>568
ひみこ ひみこと などの地名と尊称の組み合わせは代々襲名された可能性がある
個人名は別にある
なので巫女ではおかしくなるし、女王という感じがない
当て字についてはどれが適切かわからないが
肥は領域がわかりやすいと思って使った

585 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:58:26.38 ID:088I2ZvA0.net
大和朝廷って制服王朝で正統性を誇示するために滅ぼした勢力の痕跡を完全に消したから邪馬台国も出てこないんじゃないの?たとえば太宰府とか地下深く掘れば、豊臣の大坂城みたいに遺構が眠ってるかもよ。

586 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 19:58:37.99 ID:kgMFQIxP0.net
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/tr/vmod/sound/word/word_1480.mp3
これ、草だろ🇹🇷🤣どんだけ野蛮人だったの?🐼?

587 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:01:45.85 ID:kgMFQIxP0.net
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883812863/episodes/1177354054883834957
🇹🇷😡💢.。oO(🤜💥🐼)
トルコ怒りの記録😂

588 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:06:34.49 ID:kgMFQIxP0.net
新羅の漢文と日本の漢文も
微妙に違うんだよな
書式が。

589 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:06:37.75 ID:neYsH9Dd0.net
信仰している人には悪いが、
「ジンム」ってやつは九州から来た流れ者だよ
そいつが手勢を率いて勢い大和を征服しちゃったもんで、
豪族たちが国家体制の再建に苦労したんだ

纏向ってのは、新国家の国家宗教をテストする実験場かと

590 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:09:16.21 ID:Ugvm+JZ50.net
巻向にある古墳って卑弥呼の時代より100年遅いんでしょ。後発国の可能性大。

591 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:09:22.49 ID:neYsH9Dd0.net
>>585
大和王権があんだけやって、それでも蝦夷の文化は消せなかった
文化ってのはしぶといよ
そうそう消せるものではない

592 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:21:48.70 ID:DaZmhGhu0.net
征服なんてされたらかならず反発が起きるからね
いきなり知らない人間が来て征服しましたってそれに従う人間はいない

593 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:28:26.15 ID:/5Km0MvU0.net
神武が畿内に行ったときには
同郷の先輩がすでに移住してたからねえ。
その先輩の助けも借りてる。

594 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 20:42:54.38 ID:7DQGgSMa0.net
畿内の歴史

奈良
国内最大、計約2万平方メートルの水田跡

2400年前の洪水などで埋まった水田跡を掘り当てた

https://mainichi.jp/articles/20161213/ddl/k29/040/683000c

595 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 21:12:51.31 ID:W0zt5J9N0.net
>>585
完全には消えてない
例えば出雲、例えば諏訪
ミシャグジ信仰の石神井とか

596 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 21:21:41.98 ID:oUwPVVtN0.net
>>594
2haか、吉野ヶ里遺跡が約120haだから東京の港区と小笠原村くらいの差があるんだな

597 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 21:28:06.79 ID:vbVI2Sw70.net
◇近代社格制度によるランク◇
━━ 別格(S) ━━
  伊勢神宮(三重)

━━ 勅祭社・官幣大社(A) ━━
 鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)、氷川神社(埼玉)、明治神宮(東京)、熱田神宮(愛知)、近江神宮(滋賀)、上賀茂神社(京都)、下鴨神社(京都)
 石清水八幡宮(京都)、平安神宮(京都)、春日大社(奈良)、橿原神宮(奈良)、出雲大社(島根)、香椎宮(福岡)、宇佐神宮(大分)

━━ 勅祭社(A-) ━━
 靖国神社(東京)

━━ 二十二社・官幣大社(B) ━━
 松尾大社(京都)、平野神社(京都)、伏見稲荷大社(京都)、大神神社(奈良)、石上神宮(奈良)、大和神社(奈良)、廣瀬大社(奈良)
 龍田大社(奈良)、住吉大社(大阪)、日吉大社(滋賀)、廣田神社(兵庫)、八坂神社(京都)、丹生川上神社(奈良)

━━ 二十二社(B-) ━━
 大原野神社(京都)、梅宮大社(京都)、吉田神社(京都)、北野天満宮(京都)、貴船神社(京都)

598 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 21:47:10.12 ID:yn9uzxWA0.net
>>585
政治的・宗教的理由もあって消していない。
出雲は神々の地としてちゃんと祀り上げてる。
一方、邪馬台(やまと)については、奈良の大倭が滅ぼし
その権威を継いだ(というか簒奪したw)から、
その地に何も残していない。しかし、天皇の祖先神として
ちゃんと祀り上げている。天照は卑弥呼と臺與がモチーフ。

なお、地政学から、大宰府の地が邪馬台最盛期には最重要拠点
(まあ、事実上の新首都だな)であったことは自明。

599 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 21:49:41.80 ID:jdu8A/mP0.net
こういう判りきった事をあえてまだ未決の問題にして金儲けを企む
奴が大勢いるのだと思っている。まだ年金生活をするには早すぎるし
転職も簡単には出来んし、今までの成り行きでウソを突き通そうと
言う事だよ

600 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 22:20:01.22 ID:f7Wuarxc0.net
素人考えで
もともとは北九州、出雲、吉備などにいた勢力の一部が
政治的な対立かなにかで分裂して
共同で纏向を作ってそこに移転したのではないかと思ってるんだが

601 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 22:43:04.85 ID:SknnsXH60.net
唯一真実九州説也。何故、九州説 基 考古学的事実。
一方、近畿説妄想噴飯也。我、哀 人 唱近畿説。

602 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 22:47:48.38 ID:0Vx7oTxS0.net
>>576
鋳型も日本で出土してたよな

603 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 22:48:36.27 ID:HqGjsDE60.net
畿内説(笑)はもうボロ出まくりでただのトンデモネタになったから
少しでも九州説に便乗しようと必死だなwww

604 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 22:54:54.75 ID:kg+jTUOW0.net
>>597
日本最高峰の神社格に位置す胃勢神宮だけど
三重県の南端にある伊勢神宮がある地は
天照大神おろか古代史的にも何の縁もゆかりもない土地に
偉そうな神社を建てたのも面白いね

605 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 23:04:11.58 ID:B6DuCAvB0.net
近畿説を唱えている奴は知的障碍者

606 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 23:06:35.16 ID:eJ+gTCRD0.net
>>45
ダイワスカーレット

607 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 23:13:13.03 ID:sYbX+W+W0.net
冊封だったというのが嘘臭い
足利義満のように貿易で儲けたなどのメリットが分からないし

2代続いての女帝というのも反天連の捏造だろう
実際は九州の小国というのがオチ

608 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 23:22:04.93 ID:dGrAabfh0.net
やっぱ近いよな福岡
https://www.jice.or.jp/cms/kokudo/img/pages/knowledge/japan/commentary02/02_102_b.png

609 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 00:03:01.02 ID:yoVnO6tG0.net
>>580
資料的価値があるね
そして三角縁神獣鏡の文様は魏の鏡と共通している

610 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 00:27:03.35 ID:P7rpZ/8G0.net
学会的に畿内説が優勢だから最近の歴史教科書も畿内説が有力と記述するようになっている。
(東京書籍、清水書院)

611 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 00:40:40.80 ID:P7rpZ/8G0.net
歴史教科書最大手の山川出版社(東大系)も纏向遺跡で3世紀の大型建築物が発掘されて、邪馬台国との関係で注目される、と記述している。

纏向は3世紀との認識が歴史学会の定説。

612 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 00:41:11.16 ID:kJi9F7Mk0.net
該個邪馬都阿認得?🗻🌄🌾

613 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 00:50:27.31 ID:kJi9F7Mk0.net
你知道邪马都在哪里吗?🗻🌄🌾
貴方邪馬都乃場所知乎?🗻🌄🌾

614 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 01:40:52.48 ID:8OZEtbYK0.net
邪馬台国は滅ぼされてるのにお互いに美化し過ぎ
倭を統一したのは畿内

615 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 01:45:59.00 ID:fDkkcy1a0.net
馬もないのにアホか
1000年後の戦国時代だろうがそんな統治はありえんわ
現実見ろ畿内厨

616 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 01:48:07.93 ID:8OZEtbYK0.net
土地を離れるなんて馬以下だろ

617 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 02:32:53.17 ID:p/sBhdi80.net
>>614
魏志倭人伝(3世紀)の記述を慎重に読めば、その前の漢の
時代に、列島で覇権を握っていたのが、実は、奴国を支配下
に置いてた邪馬台だと分かる。漢末には、倭國(≒列島)の
歴史的権威になっていたであろう。
しかし、漢末の倭国大乱で邪馬台は謎の勢力「大倭」に敗れ、
事実上、その支配下に入ってる。
大倭に博多港を押さえられ、朝貢・交易全てを監理されてる。
この大倭とは、ほぼほぼ奈良の大倭で間違いないでしょう。
奈良の大倭が邪馬台(やまと)を滅ぼし、その権威ある名を
奪うのは、華北崩壊で東亞の秩序が無くなる4世紀だわ。

618 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 05:42:24.53 ID:epZme88W0.net
弥生時代の水田遺跡

静岡県登呂遺跡   約70500u 弥生時代後期 1世紀
福岡県板付遺跡   約47500u 弥生時代早期
兵庫県玉津田中遺跡 約30000 u弥生時代中期
宮城県富沢遺跡   約40000u 弥生時代中期
岡山県百間川遺跡  約40000u 弥生時代後期末
奈良県中西遺跡   約20000u 弥生時代前期
滋賀県服部遺跡   約18700u 弥生時代前期

619 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 06:05:49.12 ID:Z7RMuv4E0.net
ID:p/sBhdi80

本日の畿内説キチガイ(説得力皆無)

620 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 06:52:25.78 ID:kJi9F7Mk0.net
阿要阿部來替耐辖兩拳?
阿部にかわってしばらく拳をうつようにいいましょうか。

文法違くね?呉語

621 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 06:52:34.81 ID:W/Fv2QTe0.net
>ID:p/sBhdi80
>↑
>本日の畿内説キチガイ(説得力皆無)

まさにそのとおり、空想・妄想・作り話の産直市場

622 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 06:57:45.64 ID:W/Fv2QTe0.net
通説、定説といっても、
畿内大和の歴史同好会の就活トークみたいなもの

623 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:00:13.34 ID:aeQFSz4o0.net
倭国大乱の証拠が、九州一択だと言ってんだ
論破されてんのにいつまで論争してんだよ

624 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:09:16.51 ID:NQdrIwRp0.net
>>585
正解
だから記紀での卑弥呼の記述も奥歯に物が挟まったような文章になる
一方で、明らかに神功皇后より卑弥呼っぽい熊襲のシャーマンを殺戮する記述がある記紀www

625 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:12:32.22 ID:W/Fv2QTe0.net
>>582
>出雲の銅鐸初期の同笵小型銅鐸と鋳型も吉野ヶ里から出土してるんだよな
>だから初期銅鐸は九州北部産と言われている

なるほどね・・、つまり、
広く在来の弥生の邑々をまとめ上げていた銅鐸中心文化の上に、新たに漢族系の銅鏡文化が渡来してきたように見える。
そして、その2つを纏め上げ融合させる方便として、(定型化)前方後円墳が考案されたのではないか。
だから、前方部は銅鐸を寝かせた形、後円部は銅鏡を模した形になったのではないかと思う・・、

626 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:19:29.59 ID:o3MQxAaz0.net
三角縁神獣鏡は平原遺跡から出土しなかった事で、
卑弥呼の死亡時期に倭国に流通していなかったことが決定した。
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡なる畿内説は完全崩壊したのだよ。

627 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:22:07.61 ID:sbNVoXF+0.net
三角縁神獣鏡の元になった平縁神獣鏡も画文帯神獣鏡も呉鏡だよ
そのごきゃうが

628 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:22:59.94 ID:sbNVoXF+0.net
しまった
呉鏡が輸入されたのは4世紀に東晋が起こってからだ

629 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:25:29.59 ID:Z7RMuv4E0.net
>>624
どっちみち神功皇后は卑弥呼の150年くらい後の人だから台与の更に次の次の次くらいの女王だろ

630 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:27:50.93 ID:o3MQxAaz0.net
魏志倭人伝に外交上の重要拠点で
一大率を常駐させていたという
伊都国の卑弥呼の死亡時期と
同時期に作られた平原遺跡から
数多く出土する舶載鏡の中に、
日本全国から500枚以上見つかっている
三角縁神獣鏡が1枚も無い事で、
三角縁神獣鏡は卑弥呼の死亡時期に
倭国に流通していなかったことが決定した。
何人も覆し難い完璧な理論によって、
邪馬台国畿内説は完全に崩壊させられたのである。

631 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:33:38.87 ID:o3MQxAaz0.net
また邪馬台国の超重要拠点たる伊都国の、
平原遺跡の墓が方墳である事で、
邪馬台国は前方後円墳の築造を
象徴とする勢力なる畿内説の論拠も
この私が完全に崩壊させた。
畿内説の中核たるこの2つの論拠を、
何人も覆し難い完璧な理論で論破した事で、
畿内説は完全崩壊したのである。

632 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:41:23.25 ID:82qIFRsq0.net
>>609
日本から持ち込んだ可能性があるので価値はありません
文様も原料も呉のものです

http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」

633 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:43:09.95 ID:kJi9F7Mk0.net
>>595
日本語じゃね?さく

634 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:46:50.46 ID:ED/LERHO0.net
卑弥呼が神功皇后なら
ミカド、ガド族シルクロードをアークを持ち
朝鮮で三韓征伐をし属国にする
宮崎高千穂高天原に天孫降臨し、邪馬台国ヤマト、ニギハヤヒスサノオ神武と倭国大乱
卑弥呼はスサノオが暴れ大岩に隠れ
空が暗くなり日蝕、裸同然のウズメが舞い
覗いたすき出された、隠れるのは死んだという事で死後天照大神と祀られた
台与が13歳で卑弥呼の後を継いだ
ユダヤは太秦に住み秦氏となる
徐福は始皇帝の不老不死の薬草を探しに日本に
2000人ほど引き連れてきたが見つからず
手ぶらで帰ると殺されるから
日本に住みつき、物部蘇我氏となった
聖徳太子は架空で蘇我馬子の業績だが、馬子を消し去り聖徳太子を作り馬子の業績を聖徳太子の業績にした?

635 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:50:47.09 ID:yoVnO6tG0.net
>>623
記紀には九州から出発した神武天皇が畿内を制圧して
大和を建国する神武東征の話があるけれど
倭国大乱がこの事ならむしろ倭国大乱は邪馬台国が畿内にあった証拠

636 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:52:15.24 ID:yoVnO6tG0.net
>>632
三角縁神獣鏡は呉では発見がなく
魏の都のあった洛陽で発見されてるよ

637 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:52:26.93 ID:o3MQxAaz0.net
魏から卑弥呼に贈られた銅鏡は、
ズバリ、平原遺跡から数多く出土した舶載鏡の
方画規矩神獣鏡と内行花文鏡である。
コレが日本全国から合わせておよそ100枚見つかる事で、
魏から贈られた銅鏡である事を確定させている。

638 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:54:02.11 ID:o3MQxAaz0.net
>>636
そんなモノには考古学上全く意味がない。

639 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:55:09.52 ID:yoVnO6tG0.net
>>638
資料的価値があるね

640 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 07:56:28.00 ID:o3MQxAaz0.net
>>639
資料的価値はゼロだ。

641 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 08:00:06.84 ID:o3MQxAaz0.net
三角縁神獣鏡が卑弥呼の死亡時期に
流通していなかったことは
理論上確定した事であり、
何人も覆す事は不可能。
これが理解できないのは
脳が破壊されているからで、
考古学上に意味のある考察を
行う資質のある人物であるとは
見なすことが出来なくなる。

642 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 08:03:25.19 ID:de5EEnjO0.net
>>635
すげええええええええええええええええ

畿内で確定じゃん!!!

643 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 08:23:02.71 ID:kJi9F7Mk0.net
「唐を拓跋国家とみなす学説は、日本の学界、さらに中国や欧米の学界では、どの程度認知されているのか?」
という質問に対して、「唐の王族・李氏が拓跋出身であることを認めない者は、もはや世界中のどこにもいません」と回答している。

644 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 11:01:35.88 ID:muoyo+qQ0.net
>>635
神武東遷以前を神代、それ以降を人代と明確に分けてるから、
東の勢力が西の歴史的権威を滅ぼし、その権威を簒奪したのは
自明。その権威簒奪を正統な権威の移動と書き換える為に
神武東遷神話を作り上げた。
しかし西の旧権威を神々と崇めることは忘れていない。
邪馬台は九州というのは自明。

645 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 11:49:45.59 ID:J+nO5VRr0.net
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟

日本語じゃね?

646 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 12:40:19.13 ID:yoVnO6tG0.net
>>641
卑弥呼の死は250年辺りと推定されてるので
240年辺りの魏の年号の景初や正始元年が入ってる三角縁神獣鏡は
卑弥呼の死の前に国内に流通していた事になるよ
魏志倭人伝には景初二年や正始元年に卑弥呼が魏に使いを出したと書いてある

647 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 12:46:21.57 ID:yoVnO6tG0.net
>>644
それは逆だ
記紀には神武天皇が九州から出発して畿内に大和国を建国した事が書いてあるし
考古学でも2世紀あたりには出雲や畿内で大きな紛争のあった痕跡が見つかっているし
2世紀末には畿内では銅鐸が見られなくなって代わって銅鏡が古墳から見つかるようになる

これは弥生時代は銅鐸を祀る文化だった畿内に
銅鏡を祭祀する集団が2世紀末に侵入した事を示すもの

648 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:09:46.20 ID:J+nO5VRr0.net
上海→さんへ
だろ?

日本人借用してない

649 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:26:27.25 ID:o3MQxAaz0.net
>>646
あなたの脳は破壊されている。
理論的に議論する脳を有していない様だ。

650 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:44:56.80 ID:J+nO5VRr0.net
そんな言い訳みたいな石碑作るのかなあ。
誤訳か、明治政府のゴッドハンドか?
寧ろ警告文の方が。

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘連侵新羅以為臣民 〈新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に(高句麗に)来たので(高句麗は)海を渡り(倭を)破った。百残はそんな倭と連合して(高句麗の臣民である)新羅に攻め入った。(好太王は)臣民である(百残が)どうしてこんな事をしたのかと思った。〉

651 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:49:08.34 ID:6cJR+Pnn0.net
卑弥呼は「日の巫女」で、単なる大和朝廷の地方自治の施政者だろ
反日学者の論説なんて全く刺さらんわ

652 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:52:41.64 ID:6cJR+Pnn0.net
>>649
アンカーミスか知らんが
資料を根拠にした書き込みに対してやる返信じゃないな

653 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:55:36.37 ID:6nZqT1M/0.net
>>1
纒向はない。紀記に普通に出てくるじゃん。

邪馬台国は九州だよ。

654 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:56:53.25 ID:jPCY/MbN0.net
もう卑弥呼は二人いたってことでいいよ

655 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 13:57:22.89 ID:J+nO5VRr0.net
古代の中国人は何処に消えちゃったんだろう?

656 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 14:35:39.98 ID:2szkmdj/0.net
古代中国人は香港とかシンガポールにいて世界豊かに暮らしてるよ

657 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 15:08:16.38 ID:V2SnlDwF0.net
>>655
隋書に、華夏の風習をもつ秦王国(筑紫国の東、畿内の西)が記述される。7世紀には中国人がまとまって国を形成していた(と、隋の使者裴世清には思えた)

どこにも行っておらず、今の中国地方で暮らしていたのでは?

658 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 15:22:40.84 ID:6R2v4csn0.net
>>653
纏向のことはなんて書いてあんの?

659 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 15:25:32.74 ID:J+nO5VRr0.net
>>424
中国正史には、高句麗に「内評・外評」(『北史』・『隋書』)、新羅に「琢評」(『梁書』)という地方行政組織があったことが記されており、『日本書紀』継体天皇24年(530年)条にも任那に「背評(せこおり)」という地名が登場する

660 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 15:33:36.47 ID:J+nO5VRr0.net
>>657
いや、だから…
日本にぜんぶ逃げて来ちゃった?

661 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 15:36:08.24 ID:J+nO5VRr0.net
隋のレビラト婚←

662 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 15:51:25.07 ID:V2SnlDwF0.net
>>660
>>655
すまん、勘違いをした。
古墳時代に日本列島にやってきたであろう古代中国人のその後は?ではなく、

中国の三国志時代に中国に生きた中国人がどこに行ったのか?
後漢→魏→晋の王朝交代は禅譲だし、前王朝の王族や名族高官の地位は下がっても殺されることはないから、日本にまで来ないんじゃないかな。
権力闘争にともなう戦乱で徴発され使い捨てにされるのを嫌った庶民が、家族もろとも逃散することはあったと想像する。
そのうちの誰かが日本列島にたどり着いてもおかしくない、と思う。

663 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:00:26.33 ID:V2SnlDwF0.net
中原の庶民が船団を組んで直接日本列島に来るのではなく、ある地域で逃散が起き、その移動先の元の住人が押し出され、
という玉つきを起こして、遠く日本列島に波及した可能性をイメージしている。

とくに邪馬台国の時代であれば、遼東の公孫が司馬に滅ぼされるのと同時期だから、
朝鮮半島住人の南下の玉つきはあったろうと思う。

664 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:06:49.84 ID:J+nO5VRr0.net
http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji03.html
いや、前漢の王族も日本に逃げて来てる

665 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:11:41.35 ID:J+nO5VRr0.net
出自隋煬帝之後達率楊侯阿子王也←百済の官位貰ってるね

666 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:14:20.31 ID:V2SnlDwF0.net
王族が日本列島に来てもおかしくはないと思うが、その場合、文字を書き残すだろう。
文字を知っている人が未開の地で果てると知った時、自分の姓と名、出身地をどこかに残したいはず。
いずれでてくるのかな。

667 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:17:53.56 ID:Si7e8+/s0.net
>>654
良くないよ

はい、論破w

668 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:18:19.51 ID:Si7e8+/s0.net
>>651
涙拭けよ反日猿www

669 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:20:27.80 ID:Si7e8+/s0.net
>>642
大丈夫
糞食って死ねば治るww 

670 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:21:07.40 ID:4Koov3mj0.net
当時の日本に逃げると言っても草で前も見えないというジャングルだろ
インドの未開の島に行くようなものだな

671 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:21:32.10 ID:3qW4fZs70.net
妥協しても奈良にしたい勢力がいるw

672 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:22:30.37 ID:BUI/wRtX0.net
>>653
大陸の国と国交しようって国がそんなちっぽけなわけないだろ。海外とのやり取りに北九州の産物だけで経済的にむり。

673 :纏向遺跡は4,5世紀、邪馬台国の時代に合わないのに捏造しすぎ:2021/10/28(木) 16:26:42.77 ID:pXqefWJD0.net
そもそも、奈良盆地も大阪の河内も湖で米すら生産できない。水が先に引いたのが
大阪の河内、その時、バブルが発生し仁徳など大古墳がつくられるようになった。
この時、まだ奈良は淡水湖。吉野ケ里とかがある筑紫平野も湿地でコメの生産が出来ない。
邪馬台国の時代に米すら生産できないところに邪馬台国があるわけない。三世紀、近畿は
超後進地域で、大国が生まれる地域じゃない。馬の埴輪が纏向の隣の池から出ているが、
基本的に馬の埴輪が出た時点で、4,5世紀と推定するのが考古学的常識。これも無視して捏造。
どんなにこじつけようとしても、失笑されるだけ。かといって九州でもない。
先進地域は日本海側でしかないんですよ。弥生遺跡も身分の高い王などの威信財も鉄剣なども
日本海側から多く出土。

674 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:28:08.26 ID:4YD1JeRdO.net
>>644
倭という概念は古代日本の権威者にとって
古代中国の魏志倭人伝の表題にされてるからも
倭文字が皇族名に盛んに当てはめられ特別な意味があったと伺える

675 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:31:44.16 ID:V2SnlDwF0.net
三角縁神獣鏡の論争は、鋳造工房跡が出土すれば決着がつく。
青銅の鏡の成分からは鋳造年代がわからない。
しかし工房であれば炭素年代で推定できる何かが周辺にあるだろう。

現在のところ、前方後円墳からザクザクでてくる三角縁神獣鏡が、いつ誰によって鋳造されたものかわからない。
・景初の頃、オリジナルを受け取った集団が、コピーをつくって配ったのか。
・数十年〜100年後に、景初の頃に女王国に鏡が下賜されたことを魏志を通して知った誰かが、それっぽいものをつくって配ったのか。
・ほかの可能性か。

676 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:37:27.04 ID:V2SnlDwF0.net
半島との交易における主たる輸入品は鉄や青銅で、主たる輸出品は生口じゃないの?

677 :纏向遺跡発掘にかかわった考古学者も近畿説は無理がある :2021/10/28(木) 16:52:27.61 ID:pXqefWJD0.net
寺澤さん論破されてるんだよね。今度は、九州へすり寄ってくるとは。

関川尚功氏の『考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国』

畿内説の寺澤氏も、邪馬台国以前の大和に、纏向を建設するだけの政治権力が見出せないことは認め、
3世紀初めに外部勢力によって突然誕生したとする。外部勢力によって生まれたとすることには賛成だが、
短期間で生まれ変わったという寺澤氏の見解にはかなりの無理があるように感じられる。畿内説には説得力がないのではないか。

https://agora-web.jp/archives/2050016.html

678 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 16:53:43.43 ID:pXqefWJD0.net
【邪馬台国】近畿(7): 三角縁神獣鏡 古墳時代に大量生産?
https://www.youtube.com/watch?v=FlIUOq6aZtg


邪馬台国】近畿(8): 紀年銘鏡こそが 魏からの下賜品
https://www.youtube.com/watch?v=pMdzUy05wa0

679 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:01:11.23 ID:cHkzLhri0.net
>>624
記紀物語を編纂した目的の一つが、九州の倭国と、近畿の大和は別の国だと唐に認識してもらうことだから、そういう匂わせをしただけ。

なぜかというと、倭国(邪馬台国)が白村江で負けたので、大和が倭国の後継国家だと唐にバレると侵略されて征服される危険性があったから。

そんな近畿の大和をプロデュースしたのは、邪馬台国から続く卑弥呼の家で、一言主神(男王)の家。

雄略天皇が土下座した一言主神が倭国、日本国の本当のフィクサー。

680 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:02:39.88 ID:0+QwHajw0.net
ようは奈良と九州に次元回廊があったんだろ

681 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:30:11.69 ID:muoyo+qQ0.net
>>647
魏志倭人伝ちゃんと読め。(教科書の洗脳から頭を解放して!)
漢に倭国代表の体で朝貢した奴国が、実は邪馬台の配下だった。
つまり、漢の時代、列島で覇権を握ってたのは邪馬台(九州)だ。

だが、漢末(2世紀末頃!!)の倭国大乱でその邪馬台が負け、
覇権放棄の証に女王即位。博多港の支配権を"大倭"に明け渡してる。
この大倭こそが大乱の勝者で、今度は、軍門に下した邪馬台を
倭国代表の体で魏に朝貢させた訳だ。大倭とは奈良のことだわな。

奈良近辺の遺跡から出土する物がこの2世紀末!でがらりと変化する
のは魏志倭人伝の記述とびったり合致することなんだわ。

魏志が3世紀中頃だな。4世紀に入ると華北崩壊で東亞の秩序消失。
この期に奈良が九州邪馬台(やまと)を滅ぼし、その権威を継ぐ。

682 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:30:50.03 ID:V2SnlDwF0.net
帯方郡の高位の役人に博多湾に出張ってこられたのは、倭国にとって初めての経験じゃないのかね。
漢の時代は、こっちから行きたい時に行って、吹かしもふくめて口上を述べ、朝貢しとけばよかった。
向こうからやってくることはない安心感があった。

それが、魏になっていきなり、公孫は滅ぼされるわ、帯方郡が設置されて三韓は大混乱だわで、難民が日本列島に大量にやってきた。
難民は魏に飲み込まれるから逃げてきたって言ってるし、
急ぎ朝貢に行ったら、都の位置や統治機構まで細かく聞かれて、帯方郡は伊都国に高官を送ってくるだけでなく伊都国に常駐しようとするわ、
倭国の人々は震えあがったんじゃないの?
次は倭国に魏が押し寄せてきてもおかしくはないと。

それで、倭は大和として連合を強め、博多から遠い内陸の纏向に拠点を築いた。

纏向で王権が誕生し、博多も勢力下において、魏に朝貢を果たしたのではなく、
魏の誕生、公孫滅亡、帯方郡の東夷支配力強化に緊張した倭国が、内陸の纏向に拠点を築いた。

683 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:39:48.22 ID:NQdrIwRp0.net
>>647
2世紀に畿内での紛争の痕跡って何?

684 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:41:54.48 ID:6OYaE7Ma0.net
「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」

大和と魏志の邪馬台国はおなじ

685 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:46:58.60 ID:NQdrIwRp0.net
>>679
670年の遣唐使が「倭を日本に改名した」と言及したと新唐書にあるのに別国家と認識してもらうとか何いってん高

686 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:54:53.73 ID:V2SnlDwF0.net
>>684
隋書ですね。
「俀国在百済新羅東南水陸三千里於大海之中(中略)
都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」

ワ国は百済新羅の東南水路三千里の大海中にあり(中略)、
ヤマトに都する、すなわち魏志のいうヤマトなり。

素直に読んじゃっていいんじゃないですかね。

687 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:56:59.97 ID:7iLJfnBD0.net
>>677
> 「纏向も箸墓も4世紀」の衝撃

記事のタイトル通り衝撃的やね
記事内で要点をまとめてあるけど一読の価値ありだな

688 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 17:59:53.00 ID:J+nO5VRr0.net
>>685
原文がそもそも…
隋書→唐の時代に作成

シラーギ=コンスタンティヌスだって唐は知ってた?
秦=ローマ系?

689 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:02:24.58 ID:V2SnlDwF0.net
「ヤマト」という音の起源がよくわからなくなっている。
地名なのか民族名なのか、王朝名なのか。

ヤマトが住むから土地もヤマトなのか。
ヤマトという地に住んだ人々がヤマトと呼ばれた(名乗った)のか。

ヤマトと読む地名や集団が多すぎる
倭 大和 山門 山戸 山都 日本 邪馬台

690 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:17:03.50 ID:Z7RMuv4E0.net
>>686
また2世紀の卑弥呼の朝貢した時代と
ロンダリング済の6〜7世紀の遣隋使時代を一緒くたにするから畿内説論者はどこ行ってもバカにされる

691 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:22:01.20 ID:V2SnlDwF0.net
>>690
私は邪馬台国の女王は九州説です。
ロンダリングは起きていないと考える。

692 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:35:25.26 ID:Qcw3ECPn0.net
>>686
隋書の時代頃まで九州に倭国が在ったってことだな。

693 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:35:37.75 ID:QsYZRdKT0.net
>>689
山の中の平らなところ「やまと(山門)」
海や川を使って交通するところ「みなと(水門)」
原初の日本語だと思う

694 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:36:59.33 ID:J+nO5VRr0.net
吾が東方の礼楽文章はr(ひと)しく華夏に擬たり。但だ方言俚語は,之と同じからず。書を学ぶ者は其の旨趣の暁(さと)り難きを患ひ,獄を治むる者は其の曲折の通じ難きを病む。昔新羅の薛聡(せっそう),始めて吏読(りとう)を作り,官府民間,今に至るまで之を行ふ。然れども皆字を仮りて用ゐ,或は渋り或は窒(ふさ)ぐ。但だ鄙陋無稽のみに非ず,言語の間に至りては,則ち其の万一にすら達する能はず。

695 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:37:51.63 ID:Qcw3ECPn0.net
>>687
古代人のDNAの調査を見ても奈良に邪馬台国は無かったみたいだな

696 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:46:38.55 ID:32Du73C60.net
中国「穢族はアホ」

697 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 18:49:30.56 ID:1AfUBZQ60.net
>>685
別王朝になったから名前を変えたということ

698 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:00:03.23 ID:J+nO5VRr0.net
っていうか奈良県=倭国(新倭国)
じゃないの?

699 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:03:04.42 ID:muoyo+qQ0.net
>>693
と(戸)→ きど(木戸)→ 訛ってカド(漢字の「門」の字を宛てた)
「と」とはクニ(邑)の入口の木戸の事で、クニの婉曲表現。

やまと=山手のクニ ・・・日田盆地から広がった邪馬台(やまと)
みなと=水辺のクニ ・・・ここでは、博多の奴国のことだね

700 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:05:36.86 ID:Qcw3ECPn0.net
>>698
大和が新倭のこと

701 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:10:24.06 ID:yoVnO6tG0.net
>>683
高地性集落

702 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:14:51.02 ID:muoyo+qQ0.net
>>698
奈良が倭(日本語話者の地域・この場合列島限定)を
ほぼ手中に収めたから、「大倭」と名乗った。
ブリテン島を手中に収めたから「グレート・ブリテン」
と同じ。

703 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:17:07.65 ID:GE1GukVi0.net
邪馬台国はやはり九州にあった!

704 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:17:59.03 ID:qUtxTA7/0.net
>>123
宮城にも2箇所ある

705 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:19:38.49 ID:yoVnO6tG0.net
>>681
> 奈良近辺の遺跡から出土する物がこの2世紀末!でがらりと変化する
> のは魏志倭人伝の記述とびったり合致することなんだわ。

奈良近辺の遺跡から出土する物が2世紀末でがらりと変化するのは
記紀にあるように神武東征で九州から畿内入りした勢力があったからだよ

九州では1世紀あたりに漢と交流していたころ漢鏡を貰っていたのか
内行花文鏡などの漢鏡が見つかる
その頃の出雲いよび畿内は銅鐸が主に祀られていた

しかし2世紀末から3世紀あたりに出雲や畿内では銅鐸が作られなくなり
代わりに漢鏡や魏鏡が古墳から出土するようになる

これは九州で銅鏡を祭祀していた勢力が
2世紀末ごろに畿内に侵入し征服した事を現わしている
古事記や日本書紀の神武東征は神武天皇が九州から出発して
畿内を征服し大和を建国した話があり
魏志倭人伝にある倭国大乱はこの神武東征の事を指しているというのが
資料と考古学から見て推定できる

706 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:33:19.45 ID:muoyo+qQ0.net
>>705
>奈良近辺の遺跡から出土する物が2世紀末でがらりと変化するのは
>記紀にあるように神武東征で九州から畿内入りした勢力があったからだよ

ところが逆なんだよ。
権力の拡大は、東から西へ。(2世紀末の倭国大乱)
それに伴い、文化は西から東へ。
4世紀ついに邪馬台を滅ぼし、*権威*が西から東へ。

この*権威*の移動が、後世作られた「神武東遷」の神話となる。
記紀はそのまま信じてはダメ。権力の意図が入ってるからね。
ちゃんと読み解かないと。

707 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:39:14.55 ID:7iLJfnBD0.net
古代って野蛮な地域の方が戦争に強かったりするよな
中国も何度も北からの遊牧民に侵入されて滅ぼされるし

708 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:39:21.28 ID:66zG80ZR0.net
>>693
トの音は古代では2つあって
ヤマトのトは門のトとは違う
だから山門ではない

709 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:42:20.20 ID:IS2XT9kV0.net
>>598
いや
これはある
>福岡県みやま市の老松神社には、
田油津媛(葛築目)を葬った蜘蛛塚[注釈 1]とよばれる古墳が残されている。
>
^ 別名大塚。明治時代までの旧称は女王塚だった。
しかし大正2年の頃、神社南の田の中まであった古墳を分断する形で新道建設がなされたとき、
皇室への忖度で蜘蛛塚へと改称された。
lunabura.exblog.jp/16895784/

710 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:46:40.09 ID:IS2XT9kV0.net
>>708
という説もあるが、
そもそも音を邪馬台国の言葉→半島で翻訳して当て字
→中国で記載

なのでトが乙か甲かは些細なことでしかない
あと後の音でどうとかも関係ない
音訳なので表記揺れがある

一方、勅撰の類書でみると、宋代の『太平御覧』現存刊本は、
成本時期が10世紀で現存の『三国志』刊本時期より古いが、『三国志』を引用した箇所をみると「邪馬臺国」の表記が用いられている。
『三国志』より後の5世紀の『後漢書』倭伝現存刊本では「邪馬臺国」、
7世紀の『梁書』倭伝現存刊本では「祁馬臺国」、
7世紀の『隋書』現存刊本では俀国について
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」(魏志にいう邪馬臺)、
唐代の『北史』四夷伝現存刊本では「居于邪摩堆 則魏志所謂邪馬臺者也

711 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:46:41.43 ID:FqrowiDT0.net
俺が中学校の先生に教わったのはこんな感じだった

奈良の勢力が九州の邪馬台(ヤマト)との戦いで勝って倭を統一
同時に国名を屈辱的な当て字の倭から縁起のいい「和」に変更
おまけに箔を出すために欲張って「大」まで付けた
更に読み方も前王権にあやかって大和をヤマトと読むようにした
全部中国に向けてのアピールだと

これは間違いなのか?

712 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 19:47:56.45 ID:IS2XT9kV0.net
>>711
否定する根拠がない
九州王朝説または二元王朝説だとそれが主流
ただ、物証はまるでない
その点では大和盆地もいつからヤマトなのか不明だしな

713 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 20:04:25.73 ID:TIgZQD/v0.net
九州吉備大和=日本国誕生

714 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 20:16:38.79 ID:ROfcDz6W0.net
日本史教科書は纏向遺跡は3世紀のもので邪馬台国との関係ある可能性があると記載している。

715 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 20:28:45.82 ID:ZcpPXjn20.net
邪馬台国=宮崎県説って本が最近出てたよな

716 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 20:29:29.79 ID:W/Fv2QTe0.net
>>1
>【邪馬台国】卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心★2 [ごまカシパチ★]

張り切って、一石を投じたまでは良かったが、どうやら池ポチャで終わりそうだな、、。

717 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 20:41:24.14 ID:0hUWNqWH0.net
>>689
邪馬台→(大)倭→(大)和→日本
      ワ→ ワ

と言うか邪馬台以降は時の権力者が都合よく勝手に使い回しただけ
おそらく邪馬台と大和に関連は無いし
日本に至ってはパクったのが記述されてるし

718 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 20:45:00.98 ID:V2SnlDwF0.net
>>693
原初の日本語説は、とても参考になる。
漢字より先に、音があったはずだな。

ヤマト
ミナト
アマト

アイヌ語のアイヌが人を意味するように、
ヤマト、ミナト、アマトなども、地名や民族名より大きな概念であったと想像する。

ヤマト語の外から来た人々(中華)に向けて、自分たちを説明するときに使うが、
それは国名でも、民族名でも、王朝名でもなく、我々はヤマトだという。

ヤマトが住む場所はヤマトであって、
中華に与えらえた漢字を読み下すときにヤマトとあてたのだと思う。

719 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:34:27.79 ID:SRSXNUv00.net
>>711
かなり近い。さすがの先生だわ。
ただ一つだけ違うのは、先に「大倭」を名乗ってること。
魏志倭人伝をよく読むと、倭國大乱(2世紀末)で大倭が勝利し、
邪馬台を事実上支配下に置いたのが読み取れる。隠してるけど。
大倭が邪馬台を滅ぼしたのが4世紀。
(この時、大倭と書いて「やまと(邪馬台)」と読ませたか。)
大倭を大和の字に変えたのは、ずっと後、7世紀頭らしい。

720 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:34:52.51 ID:sbNVoXF+0.net
多分答えは九州王朝説と東遷説の間くらいだよ

721 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:38:04.24 ID:SRSXNUv00.net
>>719訂正
× 大倭を大和の字に変えたのは、ずっと後、7世紀頭らしい。
○ 大倭を大和の字に変えたのは、ずっと後、8世紀頭らしい。

722 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:57:38.01 ID:09KdOZxy0.net
>>684
間違い

723 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:58:58.49 ID:1AfUBZQ60.net
>>719
卑弥呼がいたのは邪馬台国じゃなくて邪馬壹国
魏志倭人伝の原文でも「南至邪馬壹國 女王之所都」

ヤマイ国、山を囲んだ国で山囲でヤマイ国、邪馬壹國

724 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:59:24.06 ID:09KdOZxy0.net
>>685
新唐書にも旧唐書にも別の国とあるのに何言ってんのかね

はい、論破w

725 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 21:59:51.12 ID:09KdOZxy0.net
>>723
邪馬臺でよい

はい、論破w

726 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:01:07.61 ID:09KdOZxy0.net
>>712
もちろん神武から

カムヤマトイワレヒコ(神武)

カムは神。井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬台(山門)。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、
と言う意味。

言い換えると、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。

 

727 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:03:17.78 ID:09KdOZxy0.net
>>723
古代日本語には連母音はない
yamaiもyamaichiも間違い

はい、論破w

728 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:03:29.09 ID:1AfUBZQ60.net
>>725
魏志倭人伝は邪馬壹国で統一されてる
後にヤマト国がヤマトと名乗った時に臺に変化した当て字とした


長い間、交流を絶っていた倭王が、新たに使者を派遣し朝貢してきました。そして、自分達の国をヤマダイ(呉音)と発音したので、その著者、范曄は、魏志倭人伝の邪馬壹(ヤマヰ)国を訂正し、「ダイ」という音を表わすのに、わざわざ「壹」に似た「臺(*)」の字を選んで使用したらしいのです 《*/この文字は魏志倭人伝中に見つけることが出来ます》。

729 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:16:17.83 ID:1AfUBZQ60.net
>>727
amaterasuohomikami

730 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:17:48.95 ID:lcXbFBAJ0.net
ネキニネキニヌダラダラー

731 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:38:05.49 ID:J+nO5VRr0.net
大連じゃないの?

732 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 22:39:49.03 ID:J+nO5VRr0.net
倭国と日本国使い分けてない?
日本書紀

733 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:02:37.66 ID:U7B0nCPX0.net
卑弥呼の伝承やらなんにも残ってない時点で、実在しないかせいぜい当時の九州地方豪族の一首長レベルの存在
金印も多分偽物だから、当時の九州勢力が朝貢してたなんてのも嘘くさい

当時の書籍や伝聞をかき集めまくったであろう日本書紀編纂者ですら魏志倭人伝の記述に全然ピンときてないから適当な注釈つけてるし

大和政権と邪馬台国はまったくの別物だと思うが
どんだけ三国志の記述を信じてんのよ

734 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:08:08.39 ID:TIgZQD/v0.net
>>726
神武こと神倭伊波礼毘古命には2人の兄がいたんだよな

735 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:31:11.12 ID:V2SnlDwF0.net
神武(カムヤマトイワレヒコ、またはヒコホホデミ)がなぜ初代か。
ニニギを初代にしなかったのはなぜかね。
その息子の山幸彦(ホオリ)でもいよいし。

736 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:34:14.95 ID:MTmVj/bz0.net
まだ畿内説を信じてる低脳がいるのかwww

737 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:37:34.43 ID:MTmVj/bz0.net
>>711
だいたいそんな感じだと思う

738 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:38:01.71 ID:MTmVj/bz0.net
>>714
可能性って言っとけばいいだけだからなぁ

739 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:38:31.81 ID:P1/FKpHh0.net
>>733
魏誌の記述は考古学的事実と合致する。

九州の邪馬台が漢への朝貢を握り(実際は配下の奴国に行かせた)、
列島で覇権を握ってたと判る。地方豪族のレベルではない。
(この時代にすでに列島の歴史的権威となっていたか。)
が、倭国大乱(2世紀末)で大倭(奈良!?)が勝利した様子で、
邪馬台を事実上の支配下において、今度は大倭が邪馬台を魏に朝貢に
出してる。博多港は大倭が監理して朝貢から交易まで全てを仕切ってる。
邪馬台はもう名目上の存在になってる。《以上、魏志から》

上記の内容は、2世紀末から奈良の出土品が変化するのによく合致する。
権力は東から西に拡大、それに伴い文化は西から東に拡大。

740 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/28(木) 23:49:27.63 ID:V2SnlDwF0.net
>>739
ご指摘の出来事は、魏志にはまったく書かれていない。

朝貢を握り、覇権を握る、地方豪族、勝利した、
事実上の支配下において、全てを仕切っている、名目上の存在になっている。

書かれていないことに「以上、魏志から」と添えるのはどうかと。

741 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:33:33.96 ID:UGxYVf090.net
>>740
ちゃんと書かれてるよ。 原文自分で読んでご覧?
教科書による洗脳が効き過ぎてて読みとれてないだけ。
みんなで「連合国家」とか狂った結論を信じてるw
逆にどこにそんなアホな事が書いてるのかとw

742 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:38:28.77 ID:45L6UuC+0.net
>>741
全文読んだけど、書いてないよ。
書かれているというなら、該当の原文を抜き出してみ?

743 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:41:03.55 ID:rzu9qRHR0.net
大分に耶馬渓ってあるから邪馬台国は九州にあったと思ってたワイ

744 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:43:01.39 ID:UGxYVf090.net
>>742
お前さんの目(というかお脳)、大した節穴だな。
じゃあ「連合国家」て書かれてる?
該当の原文抜き出してみ?w

745 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:45:58.73 ID:B8h+K0fJ0.net
>>743
それは比較的最近命名されたあれだろ、明治政府とかの

746 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:47:20.87 ID:EMwivVhc0.net
奈良にしても九州にしても、縄文時代以外で日本史に出現しない青森県とかよりずっと恵まれているよなw

747 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:49:59.83 ID:B8h+K0fJ0.net
>>744
>復立卑弥呼宗女壹與年十三為王國中遂定政等以檄告喩壹與

ここの「國中遂定」を脳内妄想で「連合国家成立」と変換してるのかも

748 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:50:16.33 ID:45L6UuC+0.net
>>744
あなたがあると主張する記述につき、
当該箇所を魏しの原文からあげられないのなら、そこまで。

私は、邪馬台国が連合国家だとは思わないし、そう主張したこともない。また、中高の歴史教科書に、邪馬台国の説明で「連合国家」としているのを見たことがない。戦後の教科書すべてを読んだわけではないが。

749 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:50:59.48 ID:B8h+K0fJ0.net
>>746
ドングリを見るとなぜか青森を思い出します

750 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 00:55:11.96 ID:1FD9doPA0.net
>>12
卑弥呼は屋内に引きこもり気味で色白だったようです

751 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:00:56.58 ID:HwGsqBvV0.net
>>744
横だけど俺も興味あるからお前の言う原文抜き出してみて
俺も原文一通り読んだけどそんな記述は記憶にない

752 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:02:07.10 ID:45L6UuC+0.net
>>744
あなたが>>733で、《以上、魏志から》と引用した記述は以下のとおり

〉九州の邪馬台が漢への朝貢を握り
〉大倭(奈良!?)が勝利した様子で、
邪馬台を事実上の支配下において、今度は大倭が邪馬台を魏に朝貢に出してる。
〉博多港は大倭が監理して朝貢から交易まで全てを仕切ってる。
〉邪馬台はもう名目上の存在になってる。《以上、魏志から》

引用もとの魏志の原文をあげてください

753 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:04:04.17 ID:I3exYVD70.net
>>684
それは地名が似ていたから隋の使いが勝手にそう思い込んだだけで何の裏付けも無いぞ
実際はヤマトなんて地名は北部九州だけで数カ所もあるありふれた地名なんだが、隋の人間がそんなことを知る由も無い
そもそも魏志から数百年も経っているのに見ただけで分かる訳がない
赤壁賦を詠んだ蘇軾が地名だけで別の場所を赤壁の戦いの古戦場だと勘違いしたのと同じことに過ぎない

https://www.town.arita.lg.jp/main/3822.html
> ご存じの方も多いかとは思いますが、実は「赤壁賦」は、赤壁の戦いとは直接関係はありません。
> 北宋時代の元豊5年(1082)に、蘇軾(そしょく)という人が長江沿いの「赤壁」で客人と舟遊びをした際に詠んだ(?)「賦」という韻文の一種です。
(中略)
> また、蘇軾は赤壁の古戦場だと思いこれらの賦を詠んだようですが、実際には赤壁の戦いのあった古戦場はもっと長江上流の別の場所だったことから、
> 赤壁賦の場所を“文赤壁”、古戦場の方を“武赤壁”と呼ぶそうです。

754 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:11:22.10 ID:jQxPCom10.net
>>114
左右逆じゃないかな
朝貢してたら嫌なのはどっち

755 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:30:08.69 ID:vNCWiqJB0.net
>>753
隋の裴世清は小野妹子が帯同して都の邪靡堆まで実際に到着してる
都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也

これは小野妹子など朝廷の人間からおそらく確認とったうえの内容
帰国して隋の王様に報告しないといけない外交に関わる重要な話だからな

756 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:42:29.78 ID:UGxYVf090.net
>>747
そう。
だがその前の、倭国乱れ(倭国大乱)卑弥呼共立で収まったとの記述から、
連合国家だと言ってるんだよな。共立したんだから連合だろうと。
これが古代やってる学者()の共通認識の様子だw

魏誌の中で倭、倭國、倭種など出てきて紛らわしいが、倭國が主語だとすると、
どうも倭人伝の倭國とは邪馬台支配下の領域のことを言ってる様なので、
この部分だけでそのまま解釈すると、上記の結論になるわな。
だが、これがおかしいと気付かないといけない。

後漢書に拠れば、漢の時代奴国が朝貢してた。だが魏誌で分かるのは、
奴国は邪馬台の配下のクニだということ。倭の代表の面して朝貢した奴国の
裏にそれを支配する存在邪馬台が居たという事!
このことから漢の時代の倭で覇権を握ってたのは邪馬台だと判る。
(つづく)

757 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:43:11.90 ID:BbtGGVKl0.net
倭人伝の中に邪馬台とは別に臺という字がある
邪馬臺だけ壹に間違えるかね?
陳寿の原文も臺じゃなかったんじゃないかな
とはいえ壹も間違いで本当は嘉だと思うが根拠は薄い
臺に関して言えば、後で魏志を読んだ倭人が臺は王のいる場所の意味と学んでそれから使い始めたんじゃないかな

758 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 01:54:35.70 ID:UGxYVf090.net
>>756つづき
女王(卑彌呼)の共立、卑弥呼の死後男王が立って戦になり、女王(臺與)
に戻したという記述、この意味は何?
ここで女王の意味は覇権放棄の証(女王=剣を持たぬ王)ということは自明
だわな。卑弥呼の死後、邪馬台の覇権復興を掛けて男王が立つも破れ、
覇権放棄の証の女王に戻したと。ここが理解できないとちとヤバいw

で、倭国大乱とは何なのか?
教科書では>>756の学者たちの説で邪馬台内の丗数ヶ国の内乱との立場だ。
でもオカシイ。何で今度は親分の邪馬台が自ら朝貢するのかという事。
また配下の奴国に行かせりゃいいのに、明らかに変だ。
ここから倭国大乱は邪馬台支配下という意味での「倭國」の大乱ではなく、
「倭」の大乱、つまり列島の大乱だと理解できる。でないと辻褄が合わない。
邪馬台は外部勢力と戦い破れ、覇権放棄を科され、その軍門に下ったと判る。
そしてそれ故、戦勝国から(かつて邪馬台が奴国を漢に朝貢させたように)
今度は邪馬台が倭国代表の体で魏に朝貢させられたと理解できる。
女王「共立」とは倭国王に任じて貰う為の方便だわな。倭国の皆が異論なく
この女王を選出したんだとw 連合国家でも何でもないw
(つづく)

759 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 02:09:33.39 ID:UGxYVf090.net
>>758つづき
で、邪馬台を下した戦勝国は誰か、ということ。
覇権を奪ったからには、それを維持しないといけない。簡単だ。
邪馬台の力の源泉は朝貢と交易だった。だから、その港を押さえ
ればいいだけのこと。
で、実際に港を押さえているのは・・・「大倭」だ!!!
(これ驚愕の事実!)

勿論、その昔、漢に奴国を朝貢させた邪馬台が漢には存在を隠して
いたのと同じく、この大倭は魏志でその正体を偽装している。
邪馬台の配下か何かのように。
魏志の文脈から、大倭の下りの次にある「一大卒」の記述は、大倭の
港支配に関する詳細な記述であるのは自明で、つまり一大率は大倭の
代官の官職名だと判る。これから逆に大倭は単なる官職名ではなく、
何らかの勢力だと判る。だがその所在地は隠されてる。
本州とみられる地の記述が、「皆倭種」とだけ。ぁ ゃ ι ぃ

760 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 02:54:01.54 ID:wWGa0Os00.net
時代によって同じ言葉でも意味が変わってるだろうが、
遣隋使〜遣唐使の時代の場合、純粋な日本人の場合は「倭人」
大陸人との混血の場合は「倭種」と使い分けていたようだ

さて張政の時代はどういう意味だっただろうか?

761 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 03:05:24.11 ID:p89IcyZn0.net
>>729
それは複合語

はい、論破w

762 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 03:08:00.69 ID:p89IcyZn0.net
>>735
神武は近畿日本に招かれて頭に据えて貰った雇われ店長だから
近畿日本からみたら初代だから初代と呼ばれたってこと
雇われ店長初代の意味

763 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 03:11:10.79 ID:p89IcyZn0.net
>>689
山門のこと
邪馬台国発祥の地
邪馬台国は移動している
卑弥呼の時代は御井
卑弥呼の死後甘木・朝倉地方へ移動し(安本美典の言う邪馬台国)
最後は恐らく奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ

764 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 03:12:50.83 ID:p89IcyZn0.net
>>760
そんな事実は無い
ウソをつくな

はい、論破w

765 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 03:33:54.97 ID:wWGa0Os00.net
>>764
知識が薄いなあ
>別(こと)に倭種(やまとのうぢ)韓智興・趙元宝(てうぐゎんぽう)、今年、使人(つかひびと)と共に帰れりといふ
>韓智興(かん ちこう、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。日本人と唐人との混血児。

ちなみに当時はベトナムあたりを「かし」または「こし」と呼んで
南方からの人々が住み着いた地域をそのまま呼んで「香椎(かしい)」「越(こし)」と地名が残っている地域もある

766 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 03:46:53.09 ID:p89IcyZn0.net
>>765
アホか
それは日本の文献だろが

767 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:21:36.19 ID:wWGa0Os00.net
知識は浅いし言葉は汚いしどうしようもないゴミだなあ
当時は文字を書けるインテリ層は漢語をそのまま使っていたことも知らないとはな

768 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:38:10.72 ID:p89IcyZn0.net
知識は浅いし言葉は汚いしどうしようもないゴミだなあ
当時は文字を書けるインテリ層は漢語をそのまま使っていたとか大ウソをしゃーしゃーと
このキチガイww

769 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:39:16.11 ID:p89IcyZn0.net
とにかく近畿パーはウソを平然と言う
もう精神病だなこいつらはw

770 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:41:32.34 ID:E9IKeWPn0.net
卑弥呼はサイコロを振らない

771 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:43:46.05 ID:p89IcyZn0.net
話しにならんねこいつらウソつきゴミクズ野郎はw
良く恥ずかしくないもんだわ本当
死ねマジで

772 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:48:33.40 ID:UZwVvprw0.net
>>42
面白いな
菊池川か

773 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 04:48:58.60 ID:p89IcyZn0.net
もう殺したるなお前らウソつき近畿パーはw

三皇五帝は、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王だが
三皇は天皇、地皇、人皇だ
つまり天皇は中国人なわけだな猿www

 

774 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:06:34.88 ID:gfawkRK+0.net
日本には青銅器時代が存在しない
いきなり石器から鉄器 稲作

鉄と稲作 九州だろうな

775 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:16:39.71 ID:p89IcyZn0.net
本当汚ならしいウソつきだこと

776 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:21:01.65 ID:gfawkRK+0.net
日立金属トップページ たたらの話
https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020101.htm
鉄の使用の始まり

稲作と鉄の伝来

現在のところ、我が国で見つかった最も古い鉄器は、縄文時代晩期、つまり紀元前3〜4世紀のもので、福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧(鍛造品)の頭部です。鉄器が稲作農耕の始まった時期から石器と共用されていたことは、稲作と鉄が大陸からほぼ同時に伝来したことを暗示するものではないでしょうか。

弥生時代前期(紀元前2〜3世紀)から次第に水田開発が活発となり、前期後半には平野部は飽和状態に達して高地に集落が形成されるようになります。さらに土地を巡る闘争が激しくなり、周りに濠を回らした環濠集落が高台に築かれます。京都府の丹後半島にある扇谷遺跡では幅最大6m、深さ4.2m、長さ850mに及ぶ二重V字溝が作られていますが、そこから鉄斧や鍛冶滓が見つかっています。弥生時代前期後半の綾羅木遺跡(下関市)では、板状鉄斧、ノミ、やりがんな、加工前の素材などが発見されています。しかし、この頃はまだ武器、農具とも石器が主体です。

https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/photo/p20101_1.jpg
石崎曲り田遺跡から出土した板状鉄斧
(出典:「弥生の鉄文化とその世界」北九州市立考古博物館)

777 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:23:20.86 ID:gfawkRK+0.net
朝鮮半島との交流

弥生時代中期(紀元前1世紀〜紀元1世紀)になると青銅器が国産されるようになり、首長の権力も大きくなって北部九州には鏡、剣、玉の3点セットの副葬が盛んになります。朝鮮半島南部との交易も盛んで、大陸からの青銅器や土器のほかに、鉄器の交易が行われたことが釜山近郊の金海貝塚の出土品から伺われます。

弥生時代中期中頃(紀元前後)になると鉄器は急速に普及します。それによって、稲作の生産性が上がり、低湿地の灌漑や排水が行われ、各地に国が芽生えます。後漢の班固(ad32〜92)の撰になる『前漢書』に「それ楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国となる。歳時を以て来り献じ見ゆと云う」との記事がありますが、当時倭人が半島の楽浪郡(前漢の植民地)を通じて中国との交流もやっていたことが分かります。実際、弥生中期の九州北部の墓から楽浪系の遺物(鏡、銭貨、鉄剣、鉄刀、刀子、銅製品など)が多数出土しています。この中に有樋式鉄戈(てっか)がありますが、調査の結果によると鋳造品で、しかも炭素量が低いので鋳鉄脱炭鋼でないかと推定されています。

https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/photo/p20101_2.jpg
福岡県春日市の門田遺跡から出土した有樋式鉄戈(てっか)
(出典:「弥生の鉄文化とその世界」北九州市立考古博物館)

778 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:25:11.90 ID:ew8nMx3Q0.net
>>1
中国の文献がいっている邪馬台国や卑弥呼とは
日本のどんなことを指し示して書いたものなのか?

これを推定するのが卑弥呼の話で
実はコレって中国の文献の学問でしかないんだよね

779 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:27:46.10 ID:wWGa0Os00.net
東名遺跡
http://www.qsr.mlit.go.jp/chikugo/gaiyou/dosui/higashimio/index.html

たまたま調整池の工事で5m掘ったら貝塚出てくるとか、土砂の堆積量が奈良とは違うから発見しづらいわな

780 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:39:59.77 ID:UZwVvprw0.net
>>76

騎馬民族?

781 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:47:40.96 ID:nKO958C80.net
>>230
形が大陸のそれなんだよ。

782 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 05:52:02.42 ID:UZwVvprw0.net
>>43
邪馬台国はここだな
それはいいとしてこの国の成り立ちの流れを知りたい

783 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 06:13:08.62 ID:UZwVvprw0.net
>>171
もうちょい詳しく欲しいところ
>>206
ほう

784 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 06:24:37.69 ID:wWGa0Os00.net
まあ文明の高度さ的に西高東低で、九州邪馬台国からの分家の神武でも、易々と土人ばかりの畿内征服ができたってところだよな

785 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 06:29:24.97 ID:5u99W44D0.net
>>701
高地性集落は確かに徐々に近畿方面に増えるがその割には武器など戦闘の跡は全く見られない
あれを倭国大乱の根拠とするには無理がある

786 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 06:32:40.17 ID:woOWZF/g0.net
日ユ同祖論だと
神武がガゾ一族でシルクロードから高天原に
天孫降臨し、アークを持つ十字軍と九州を
納めていた豪族達を打ち払い 倭国大乱で
ある程度国を纏め
最初の邪馬台国を九州に拠点として作り一族
と共に暮らし、神武東征で東へ向かい
アークを四国の剱岳に隠し纏向辺りま攻め行って、統治し纏向に邪馬台国を移した?
卑弥呼の時代にある程度国を纏めれたから
朝鮮に攻め込み三韓征伐し属国にし
魏に認められ金印を貰った?

787 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 06:37:16.31 ID:5u99W44D0.net
>>724
日本側が別の国と認識してもらいたかったという根拠はないわな

788 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 07:03:24.21 ID:5u99W44D0.net
>>784
初期に大陸との交流があって力を持っていたのは九州だが、九州は渡来人を受け入れず、渡来人は日本海経由でなどで空白地だった畿内に大量移入する。その結果畿内が急速に力をつけ九州との力関係が逆転し結局九州邪馬台国を畿内吉備濃尾連合が支配した。

789 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 07:30:48.76 ID:CgMcB+/K0.net
>>738ニューノーマルの名無しさん
>714
>可能性って言っとけばいいだけだからなぁ

そうだよねえ、可能性という言葉は便利(で責任逃れに最適)。
つまり、可能性がある・・、というセリフを聞いたら「否定はできないが、まず見込みがない・・」と思えばよい。

790 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 07:52:52.71 ID:5JHqdMB10.net
大体が邪馬台国論争で中国の歴史書の記述は頼りにならない。昔の中国は中華主義で周辺国を
正確に観察していなかった。陸続きの越国の記述にしても、越国の文化を馬鹿にすることに注
力している。
そこへ行くと、ローマの1世紀の歴史家兼政治家タキトゥスのゲルマニアについての記述は正
確さを相当に期していた。

791 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 07:53:38.85 ID:wiYVmdum0.net
>>755
ただの妄想じゃん
そもそも記紀に記録の無い邪馬台国を小野妹子が知っていたという根拠が全く存在しない
そういう妄想を事実のごとく言うから畿内説は誰にも信用されなくなったんだよ

792 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 08:48:38.90 ID:36JL6Xfl0.net
>>791
記紀の成立は、小野妹子が遣隋使で隋に言ったっ時代より後ですよ。

793 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 09:11:33.36 ID:umxLSGPT0.net
>>369
このマンガなん?
>>15
ほう
>>290
ほう
>>457
だよね

794 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 09:41:04.12 ID:+NYAsBse0.net
突厥がアヴァール、ギリシャ言ってるんだから
極東にいたんじゃないのか?ローマ系

795 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 09:52:18.25 ID:yLPi+h9c0.net
縄文時代から、輸入品の鉄器は使ってた
海洋民の機動力なめるな 時代はグローバル化

796 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 11:55:32.75 ID:gSKf4+eK0.net
>>727
ないことの論文よろ

797 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 11:56:32.72 ID:gSKf4+eK0.net
>>369
伊勢の遷宮はほんと
てか今でもやること

798 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:02:13.99 ID:Icl+FavR0.net
>>707
騎兵最強の近世までは辺境の方が馬乗れるからな
戦車やミサイル、ドローンの時代に北方モンゴル系やウイグルやチベット系は散々中華に侵略してたんだから
やり返されるのは因果応報だわ

799 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:06:09.05 ID:+NYAsBse0.net
日本語が単一言語でなかった証拠見つければいいんじゃね?
倭国を併合したのなら

800 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:07:11.50 ID:+NYAsBse0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%AA%9E?wprov=sfti1
ちょっとおかしい?🌾🇯🇵上代日本語の法則から。

801 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:13:29.48 ID:+NYAsBse0.net
https://youtu.be/VIkQSuZbbt0
クメール語に近くねwwwww

802 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:34:01.90 ID:JEqR9ClV0.net
>>706
考古学的に見れば逆だね
2世紀から3世紀に西で行われていた銅鏡祭祀が東へと広がっていった
東で行われていた銅鐸祭祀が西に広がったのではなく

記紀には神武東征で九州から出発した神武天皇が
畿内入りして大和を建国したという事が書いてあって
魏志倭人伝や後漢書には恒霊の間(160〜190年)に倭国大乱があった事が書いてある

出土するものと魏志倭人伝や後漢書に書いてある事が
記紀にある神武東征は実際にあったという事を補強する

803 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:48:44.57 ID:rpZPesaa0.net
大和の王権が大和発祥なら東遷神話も要らないし、大和とは別のところに高天ヶ原を設定する必要もないわな
それに寺沢は文献史学じゃなく考古学者だ
考古学的にも東征東遷の可能性が見受けられるということ

804 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 12:53:22.96 ID:h24QRZ0L0.net
>>802
よく嫁
>権力の拡大は、東から西へ。(2世紀末の倭国大乱)
>それに伴い、文化は西から東へ。

当時の”上方”は九州だったんだよ。
その”上方”を奈良が武力制圧した結果、文化は逆に、
”上方”(九州)から”あずま国”(関西)に急速に広がった訳。

805 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:01:10.15 ID:JEqR9ClV0.net
>>804
記紀や魏志倭人伝や後漢書などの資料と考古学から見れば
1世紀ころの倭の文化と権力は西から東

806 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:09:18.44 ID:+NYAsBse0.net
(漢音)Daads cwangとおおきみとで
離れ過ぎじゃね?(大王)
日本に王様逃げて来てるんだけどw

どういう事だ?🤔

807 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:10:32.68 ID:h24QRZ0L0.net
>>803
”西征東遷”なw
西の歴史的権威を攻め権力を奪い、最終的に滅ぼし、
その権威を東が継いだ(てか、奪ったw)。

808 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:14:23.13 ID:+NYAsBse0.net
寧ろ大王じゃなくて大尊じゃ無いのか?
これならだいそんって読めるけど

809 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:14:41.43 ID:h24QRZ0L0.net
>>805
記紀と他をごっちゃにしちゃいかん。
記紀は、権力を正当化・正統化するための文献。
それを念頭に相当読み解かない行けない。
単純に信じたらダメだわ。
魏誌だって単純に信じたら、今の教科書の様なとんでも歴史感
になるw 記紀は、その比じゃない。

810 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:32:07.91 ID:270whG2Y0.net
>>804
権威も実在天皇(応神天皇くらいか?)の時代に入るまで九州に残っていただろ
九州に残る権威を畿内政権が無視して畿内にある政権が専横できるほど、「九州の権威」が軽かったなら、その数百年後の「宇佐八幡宮神託事件」なんざ起こってない
キリスト教におけるローマ&バチカンのような立ち位置が九州に残り続けていたと思う

811 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 13:34:22.63 ID:270whG2Y0.net
キリスト教国家におけるローマ&バチカンのような立ち位置が九州に残り続けていたと思う

812 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 14:34:56.57 ID:270whG2Y0.net
そういった権威が宇佐神宮から伊勢神宮に移ったのも藤原氏等々の根回しによる簒奪があったんだろうなあ

813 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 14:35:48.91 ID:gSKf4+eK0.net
>>804
ん?
日本刀ってどこで出きたか知ってる?

814 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 14:40:33.96 ID:O3zrB5ig0.net
>>810
>権威も実在天皇(応神天皇くらいか?)の時代に入るまで
>九州に残っていただろ

まあ、残ってなかったろうな。
完全に滅ぼしちまって、奈良がその権威を完全に継いだ形にする
必要があったからね。

比較すべきは出雲で、ここは強大な大国だったので、滅ぼした後、
それ地を神々が集う地として祀り上げた。ここ大事な点。
出雲と違って邪馬台は、その権威を奈良が継ぐ必要のある存在で
あったが故に、その地には何も残せなかった。その地にはね。

だが、九州から消し去った邪馬台の権威を、天皇の祖先神=天照
という形に変えて神話の中で祀り上げている。ここ大事な点。
そして、東遷神話を作り、この権威は元は西にあったと記録した。
(当時の人には、これら神話の意味は簡単に解ったはずだな。)
そしてその邪馬台の権威は、今日に至るまで(!)、天皇の権威
として引き継がれていることは、特筆すべきこと。

815 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 14:40:34.74 ID:646VDNf00.net
九州説にこだわると卑弥呼や邪馬台国がどんどん矮小化されるんだよなあw

816 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 14:53:25.86 ID:O3zrB5ig0.net
>>815
拘るも何も史実だし。

邪馬台は、漢への朝貢と交易を握り列島の覇権国になった。
その歴史的権威が、漢の混乱期の倭国大乱で敗れ、覇権放棄
の証として女王卑弥呼が即位した。(これら魏志から読める事)

だがこれは、権威と権力が分離した瞬間であって、逆にそのため、
卑彌呼の権威は世俗から離れた不可侵の神聖な権威となった。
それが故に、邪馬台が滅ぼされた後も、その権威は今日の天皇に
まで受け継がれる永遠の権威となれたわけだ。

卑弥呼・邪馬台の矮小化? とんでもない。その逆だわ。

817 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 14:54:37.17 ID:evoO/FsI0.net
>>815
九州説は東大が描いた作文だからなあ

818 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 15:06:02.41 ID:270whG2Y0.net
>>814
出雲も大国主の先祖がスサノオで九州日向から出てるし
吉野ヶ里の時代から九州の移民地か出先機関でしかなかったような形跡があるからなあ

宇佐八幡宮神託事件も卑弥呼台与の時代以降に残る天皇の任命権人事権があった名残で起こった事件だろうし
藤原政権下でも宇佐神宮を伊勢神宮の下の二品格より更に下に落とせなかったのはそういう背景があったと考えるのが妥当だ

819 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 15:12:15.78 ID:evoO/FsI0.net
>816
史実は以下の通り
1,弥生町東京大学敷地内にて土器出土、弥生土器として縄文土器の次に現れた土器だと
大々的に発表
2、古墳時代の土器じゃないか?外部の調査入れろとの声が出る
3、東大敷地内のはずだが、発掘現場が行方不明になる(文書も記憶も不明)
4、九州で似たような土器出土
5、東京大学これ幸いと邪馬台国九州説と騎馬民族渡来説の作文発表

ちなみに土器年表は東大が作っているため未だに「弥生土器」は載っている

820 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 15:14:47.82 ID:IKL2Qu7d0.net
九州や吉備って範囲広すぎだろw

821 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 15:41:52.03 ID:b9bqvYjA0.net
>>814
いや
源氏の氏神神社総本山である宇佐神宮は九州にある
http://www.usajinguu.com/
宗像三神祀ってるし、宗像神社もある
太宰府には太宰府天満宮がある

これらはすべて一級の寺社で、
京都にあるのはこれのコピーってことになる
宇佐神宮は石上八幡だし、
太宰府天満宮は北野天満宮になる

わざわざ二個作る理由だよな

822 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 15:45:41.82 ID:b9bqvYjA0.net
>>819
ここでしょ?
> 石碑
1884年(明治17年)に、
東京大学学生だった坪井正五郎、白井光太郎、有坂鉊蔵の3人が根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見した。
これはのちに縄文土器とは異なるものと認められ、発見した地名を取り、「弥生式土器」と名付けられた。
向ヶ丘貝塚は、弥生土器発見の地となった。
昭和61年度に石碑が立てられ、そこには、「弥生式土器発掘ゆかりの地」と記されている。

キャンパスじゃないよ

823 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:01:49.24 ID:qIHVZsA+0.net
邪馬台国は九州
卑弥呼の墓は祇園山古墳
ヤマト王権は別の国

近畿説は全くお話にならん

824 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:24:00.99 ID:270whG2Y0.net
繰り返すが宇佐八幡宮神託事件でわかる通り、大和政権成立の数百年後まで「天皇の任命権or人事介入権」が九州に残っていたのは明らか

825 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:25:10.00 ID:7Of4cQkf0.net
>>815
実際に邪馬台国や卑弥呼が強大なものだった根拠もないけどね

単なる九州北部の泡沫集団が、うっかり帯方郡に挨拶に行ったら大騒ぎになっただけ

826 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:33:40.00 ID:O3zrB5ig0.net
>>821
宇佐神社は、邪馬台支配領域の西の端であり、そこの神社が
邪馬台の権威そのものを祀るものかは不明だが、京都にコピーが
あるという事は、やはり邪馬台の"まつりごと"(=政教一致)と
関係あるんだう。
豊の国=卑弥呼の次の女王「臺與(とよ)」の国ということなのかも。
そこの神社。なるほど。

宗像三女神は、もっと前の時代だわ。
日田に起こった 邪馬台(やまと)が筑紫を支配し強国になった。
この邪馬台が博多港の支配権を旧支配者ら奪い地域覇権(これが
列島の覇権に繋がる)を握るプロセスが、神話 海幸彦・山幸彦に
書かれてる。
やまと(弟・山幸彦)は半島(海神の宮)に渡り政治工作し、
鉄利権(釣針)と漢への朝貢(玉)を握り、旧支配者(兄・海幸彦)
を下し港を手に入れたことが判る。
このプロセスは、天照とスサノオの誓約に再掲される。
 ※ 天照は、奈良が滅ぼした邪馬台の権威の象徴なのだが、倭国大乱
  で邪馬台を下した際、邪馬台の覇権放棄の証として即位した女王
  卑彌呼と再度の女王臺與をモチーフにして作られてるようだ。
天照がスサノヲの剣を噛み砕き宗像三女神が産まれる。これ、宗像が
邪馬台の軍門に下るプロセスの描写だね。上記の港の旧支配者が宗像
だとここから判る。

大宰府!ここ!ここ! ここ大事!
地政学を考えると、上記のプロセスで博多港とその周辺を手に入れた
邪馬台、その後の政治・経済・軍人中心地は、自ずと物流の結節点で
軍事要衝でもある大宰府の地に移っていったのは自明。
邪馬台が奈良に滅ぼされた時、ここが事実上の首都だった筈。

こうして見て行くと、邪馬台を滅ぼした大倭は、正史の上でこそ
その権威を九州の地には全く残さず全て畿内に移したのだが、
九州の地でひっそりとその地の神々として祀ったという事だな。
(そしてそのコピーを西にも作ったと。)うむ。

827 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:49:01.77 ID:b9bqvYjA0.net
>>826
逆だろうね
太宰府天満宮は置いとくとしても、
宇佐神宮と筥崎宮、宗像三神のオリジナルが大和であるとは考えにくい
なぜなら宗像三神は海の女神であり、
宇佐神宮の本来の三柱。
ここに神功皇后とその子応神天皇をここに祀ったのは、
山彦の子孫が現天皇で、海彦の子孫が隼人族ということからも、
この時期には九州北部に拠点があったことになる
実際、京都の石上八幡宮は源氏の氏神総本山ではなく、
宇佐が総本山

神功も熊襲征伐から三韓征伐するのに奈良から北九州に行ってから半島に登る方が不自然
応神が事実存在するとしたら奈良大和は不便にすぎる

828 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:49:59.79 ID:270whG2Y0.net
畿内説キチガイは、歴史経過上必ず通るべき「神武東征」についてはガン無視する特徴があるな

829 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:50:49.79 ID:O3zrB5ig0.net
>>824
おお、それ、すごい視点だな!
正史の上では、西の権威を東に完全に移した筈が、
東遷神話などにある様に、かつて権威が西にあったことを
否定できないが故に、その地で神々を祀らざるを得ず、
そのことが、西からの政治介入を許すという想定外の事態を
招いたという訳だな。
うーむ。じつに凄い話だ!

830 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:56:17.25 ID:O3zrB5ig0.net
>>827 (>>826訂正)
ああすまん、最終行、書き間違えた ><

×(そしてそのコピーを西にも作ったと。)
○(そしてそのコピーを東にも作ったと。)

すまん。奈良の大倭にオリジナルがある筈もなくw

831 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 16:58:20.89 ID:YSRxJK8v0.net
巫女さんに統治能力まで求めんなって

832 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:02:47.11 ID:O3zrB5ig0.net
>>831
統治されないがために巫女さんなんだよ。
男王 = 剣を持つ王・統治する王
女王 = 祈るだけの王・祀るだけの王

833 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:03:08.47 ID:270whG2Y0.net
神武東征により東は駿河国まで平定
それより東は、その後世の九州閥により平定されたことが地名の名残からも一目瞭然
筑紫の邪馬台国から次々と人が送られ今の日本の礎を作ったのは間違いないだろう

宇佐上(うさかみ)→相模(さがみ)
宇佐下(うさしも)→武蔵(むさし)
上宇佐(かみうさ)→上総(かずさ)
下宇佐(しもうさ)→下総(しもうさ)
日田地(ひたち)→常陸(ひたち)

被征服地の土人達の子孫が必死に否定したがる気持ちはわからんではないけど
温情で「毛の国」と「みちのおくの国」が残ったんだから邪馬台国に感謝すべき

834 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:04:53.54 ID:O3zrB5ig0.net
>>831 (>>832訂正)
統治*させない*がために巫女さんなんだよ。(←訂正)
男王 = 剣を持つ王・統治する王
女王 = 祈るだけの王・祀るだけの王

835 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:05:40.38 ID:b9bqvYjA0.net
>>830
それなら同意でいい
神道の根っこを探していくと、
古社や格式の古さでいうと圧倒的に九州になる
特に大分含めた肥豊地域から福岡にかけて。
土蜘蛛女王の古墳もある

京都にあるのは大体その分社であり、
大社格は近畿以外だと

戦前
出雲大社 官幣大社 島根県出雲市
熊野大社 熊野神社 国幣大社 島根県松江市
戦後
三嶋大社 三嶋神社 官幣大社 静岡県三島市
富士山本宮浅間大社 浅間神社 官幣大社 静岡県富士宮市
諏訪大社 諏訪神社 官幣大社 長野県諏訪市
気多大社 気多神社 国幣大社 石川県羽咋市
南宮大社 南宮神社 国幣大社 岐阜県不破郡垂井町
宗像大社 宗像神社 官幣大社 福岡県宗像市
高良大社 高良神社 国幣大社 福岡県久留米市

熊野すら出雲島根から分社したもの

836 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:08:58.05 ID:b9bqvYjA0.net
>>833
> 相模国は古墳時代の成務朝に成立した
相武国造(さがむ-)[注 6][6]の領域(相模川流域、県中央部)と
師長国造(しなが-)の領域(酒匂川流域と中村川流域、県西部)を合したとされる。
さらに、ヤマトタケルの子孫である鎌倉別(かまくらわけ)の支配する鎌倉地域と三浦地域も加わる。

なお、もとは武蔵国と一つだったという説がある。
賀茂真淵や『倭訓栞』には、身狭(むさ)国があり、
のち身狭上・身狭下に分かれ、語の欠落などでそれぞれ相模・武蔵となったとする。
本居宣長は『古事記伝』で、佐斯国(さし-)を仮定し、
佐斯上、身佐斯と分かれ、そののち相模・武蔵となったという。
近藤芳樹『陸路廼記』などによれば総国(ふさ-)の一部が総上・総下となり、のち相模・武蔵となったとされる。

837 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:11:05.18 ID:3brklq5n0.net
専門家は畿内説しかいないってのに九州とかw
ド素人ほど逆張りしたがるな

838 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:16:19.60 ID:uvU7RQgQ0.net
>>824
それ以外にはなんにもないのにw

839 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:16:48.36 ID:O3zrB5ig0.net
>>837
専門家()

はて、何の専門家でいらっしゃるのかね
聞く所によると
学会内政治の専門家でいらっしゃるのだとかw

840 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:19:55.86 ID:uvU7RQgQ0.net
>>837
必死になるしね。
現実世界では相手にされないからな。
ネットだけ見てたら、九州説が9割に見えちゃうだろw

841 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:22:22.39 ID:270whG2Y0.net
>>837
国立博物館の学芸員が専門家じゃなかったら誰が専門家なの?
https://www.kyuhaku.jp/news/news_090823.html

もしかして「奈良県の町おこし要員以外は学者じゃない!」とでも?w

842 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:27:08.11 ID:uvU7RQgQ0.net
擁立が九州って寺沢の説?
ちょっと驚きだわw
寺沢ってなんか妙に吉備を持ち上げてるけど。

843 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:31:36.75 ID:JEqR9ClV0.net
>>809
銅鏡など考古学的な物証と
魏志倭人伝や後漢書など中国側の資料が
記紀にある神武東征を2世紀末あたりの出来事と補足しているよ

844 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:32:22.27 ID:+NYAsBse0.net
>>817
https://youtu.be/zyQed9RERdE
最強李舜臣

845 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:33:30.83 ID:JEqR9ClV0.net
>>810
九州は3世紀には
一大卒が置かれて邪馬台国の監視を受けていたと魏志倭人伝に書いてるよ

846 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:33:33.26 ID:+NYAsBse0.net
>>836
一文字で一つの意味が日本語
め、とか

847 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:51:35.28 ID:+NYAsBse0.net
みんな薄々気づいてる
別言語だって。
やたら一文字=一つの意味じゃん?

848 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 17:54:54.00 ID:+NYAsBse0.net
漢語や百済語じゃない?
何語?
まさか…ハンガリー語?!

849 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 18:27:59.00 ID:woOWZF/g0.net
西に合ったのは倭国、東が大倭(和]国ヤマト
邪馬台国?

850 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 18:30:39.11 ID:K1JGpKga0.net
邪馬台国は九州を支配するローカル国家で、大和朝廷に負けて属国になったんだろ
その統治機構が残ったのが太宰府

851 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 18:30:42.55 ID:ngVo33nv0.net
九州人には誇大妄想、嘘つきが多い

852 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 18:39:06.76 ID:O3zrB5ig0.net
>>843
魏志倭人伝(と後漢書)から解ることは上に色々書いた。

その昔、配下の奴国を漢に朝貢させた列島(正確には倭)の
覇権国邪馬台が、2世紀末の倭国大乱に負け、覇権放棄を約し、
その証に女王(剣を持たぬ王・祈るだけの王)を即位させた。
で、戦勝国大倭が、軍門に下した邪馬台を魏に朝貢させている。
大倭は博多港横の伊都国に代官「一大率」を置き、朝貢と交易
を完全掌握している。
この大倭、倭をほぼ手中に収めたから大倭を名乗ったか。
大倭=奈良だわな。

2世紀末から奈良に考古学的な変化が起きるのは、まさにこの為。

なお、大倭が邪馬台(やまと)を滅ぼし、その権威ある名を
継いだのは、華北崩壊で東亞から秩序が消えた4世紀のことだ。
この権威継承を正統なものに見せる為に作ったのが東遷神話だ。

853 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 18:44:38.88 ID:+NYAsBse0.net
「こ」
此の
這 Zhe
「そ」
其の
它Tā
「あ」
彼の
那Na
「ど」
何の
哪Nǎ

854 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:01:30.66 ID:O3zrB5ig0.net
>>850
直接支配領域という意味では、邪馬台(やまと)の範囲は
九州北部限定だ。

だが、漢への朝貢と交易(特に鉄!)を握ったことで、
列島(正確には列島の倭人地域)の覇権を握った。
(5ch風に言えば、列島でマウントとったw)
漢の威厳を背景に、邪馬台は長らく列島の覇権を握ったことで、
倭国大乱のころ迄には、既に列島の歴史的権威となっていた。
それ故、やまと(邪馬台)の名は今日まで引き継がれることになる。

大宰府に関しては、そのとおり。そういう事だ。

855 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:06:16.93 ID:XcOpPjzU0.net
>>735
単純なことです
日向神話は南方海洋民族の説話を多く含みます
ニニギも海幸山幸もモデルになった人物すらいない架空の人物でしょう
稗田阿礼が覚えていたのは個々の話で太安万侶が合体させ一つの神話にしたわけです
確かに天皇家の祖先の話と言えるのは神武天皇からでしょうね
ちなみに私はワカミケヌという名前が好きです

856 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:08:54.75 ID:HZH7Pz/U0.net
最後のあがき的な
珍説乙です

857 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:09:33.94 ID:q+nXyLs60.net
>>836
残念ながら徳川光圀が始めた水戸学の皇国史観ありきで編纂された大日本史以降の歴史学者はある意味藤村新一ばりのゴッドハンドだらけ

858 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:12:18.27 ID:oBJJfdi50.net
>>845
鄙守(ヒナモリ)という辺境を防衛する役職が奴国などに与えられてたことも書いてあるな

859 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:44:33.32 ID:BbtGGVKl0.net
畿内説をとる動機として東征とか東遷を認めるのは関西人として悔しい、プライドが傷つくというのがあると思うんだけど、畿内説からもそういう説が出てきたらなんだか立つ瀬がないな

860 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:50:54.54 ID:b9bqvYjA0.net
>>857
日本書紀だと奈良大和になるね
魏志倭人伝にあるように邪馬台国が奈良にあったと書いてない

861 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:52:36.97 ID:O3zrB5ig0.net
>>858
鄙守。辺境(鄙)國を監視(守)するお目付け役の副官だね。
長官は地元の国長だが、副官は中央から鄙守を派遣し、
辺境国が変な動きをしない様に常時目を光らせてる。

奴国の鄙守について、(邪馬台が覇権を握ってた時代から、
朝貢に出す奴国を監視する為に鄙守を置いたのかも知れぬが)
大倭が港を支配してからもちゃんと鄙守を置いてる訳で、
かつての朝貢国が勝手な動きをしない様に目を光らせてる。
そして港の監理から奴国を外して、大倭自ら伊都国に一大率を
置いて港を完全掌握してる。

862 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:52:48.27 ID:b9bqvYjA0.net
>>859
変なのは東征、東遷説を日本書紀通り信じるのに、
邪馬台国なんて出てこない
卑弥呼って名前も出てこない
魏に使いを送ったことも書いてない

天皇勅宣の日本書紀を信じるなら、
天皇家は九州から来たとしか言えないのね

863 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 19:53:22.73 ID:b9bqvYjA0.net
>>861
大倭はヤマト王権ではないからね
念のため

864 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 20:08:06.94 ID:HvQPRwlZ0.net
行政木簡何処か殷虚の金石文レベルの資料も出土しないのに桃の種だけで600キロ先を統治とか大笑い。
バスラとティクリート間が600キロだからアッシリア帝国レベルとなる。纏向帝国とか言うつもりなのか?

865 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 20:36:55.52 ID:/+RDt0c50.net
>>860
ならしのがあるじゃん
韓国語ってw

866 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 20:51:15.22 ID:O3zrB5ig0.net
>>863
おいおい
俺が上に書いたこと嫁(ID変わってるかも。すまん。)

大倭(このダイワは正体不明)は、倭国大乱(2世紀末)の勝者。
で、博多港を掌握している(3世紀)。
奈良が名実ともに"大倭(やまと)"になるのが4世紀。
さて、このたった1世紀(たぶん数十年)の間で列島の覇者「大倭」
が入れ替わる可能性は? ほぼゼロだね。

867 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 20:54:26.24 ID:JEqR9ClV0.net
>>852
2世紀には邪馬台国はまだなかったね
様々な資料から邪馬台国は畿内の大和国とするのが通説
ちなみにややこしいけど魏志倭人伝に出てくる大倭職は当時の中国語で書いてあるものなので
やまととは読まない

868 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 21:08:03.93 ID:O3zrB5ig0.net
>>867
>2世紀には邪馬台国はまだなかったね
アホかw 

>大倭職
これ、実は職じゃないのよw 上の方に書いた。
魏志の大倭はダイワだよ。倭(ワ)をほぼ手中に収めたから、
「大倭(ダイワ)」(= グレート倭)と名乗ったか。

おそらく(てか確実)この大倭が4世紀の東亞秩序消失期に
邪馬台(やまと)を滅ぼし、その歴史的権威を継いで、自ら
「やまと」と名乗った。
漢字で書くときは「大倭(ダイワ)」だね。当然のこととして。
結果、列島内では「大倭」と書いて「やまと」と呼ぶようになる。

869 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 21:24:21.63 ID:CgMcB+/K0.net
日本人の「完成」は古墳時代だった? (金沢大・鳥取大など国際研究チーム)
朝日新聞デジタル 2021/09/18 03:00

■DNAを分析、「古墳人」のルーツに新説
 日本人のルーツは、これまでは土着の縄文人とその後に大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だったが、
金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人には見つからないのに、
現代日本人は持っている東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。
つまり、古墳時代になって大陸から漢民族の渡来が進んだことで、新たに「古墳人」が登場し、
現代人につながる祖日本人集団が形成されたことを示唆している。

■大陸から漢民族が大挙移住、新技術持って次々に?
大陸からの大規模な渡来人の移住は、約3千年前の弥生時代にさかのぼる。
弥生人は、中国東北部の遼河流域と北東アジアに多く見られる遺伝的な特徴を示し、
縄文人と混血していることも確認できた。

一方、古墳人は、弥生人は持っていないが、東アジアの漢民族人に多く見られる特徴を持ち、
現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致することも判明した。これらのことから、
大陸漢民族などの集団が次々に渡来し、土木や織物などの新技術を伝えて古墳時代を築き、
現代の大和民族→日本人につながっていったとみている。

870 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/29(金) 21:38:32.10 ID:hbKt8Lft0.net
>>857
藤村新一か
なつかしい響きだ

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