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【朝日新聞】戦禍を免れ、焼き物で沖縄の戦後復興に貢献した壺屋 近日発見の写真に名工小橋川父子の姿 [みの★]

1 :みの ★:2021/05/26(水) 11:48:14.09 ID:TGvTudda9.net
 戦前の沖縄の人や風景を写した写真165枚が、朝日新聞大阪本社(大阪市)で見つかった。戦前の沖縄の写真は戦災で多くが失われ、まとまった形で見つかるのは珍しい。その中から選んだ写真を紹介する。

 焼き物が盛んな那覇市の壺屋地区。1944年ごろに撮影されたとみられる写真に、代表的な工房が写っている。

 那覇市の壺屋焼物博物館によると、1672年に首里城正殿が瓦ぶきで再建されるなど、地元では瓦の需要が増大。首里王府が1682年に陶工たちを移住させ、多数の窯を築いたのが壺屋で、「壺屋焼」の始まりと言われる。主に食器やつぼなど日用雑器がつくられていた。

 太平洋戦争で物資が不足し始め、壺屋では1944年ごろから軍用の飯わんや蓄電用のバッテリーケース、電線を固定するための碍子(がいし)などもつくらされた。

 写真は「壺屋焼の名人」といわれる小橋川仁王(におう)(1877〜1954)=写真奥=が軍用か県外向けと思われる土瓶をつくっているところ。工房はその後「仁王窯」と呼ばれるようになった。

 写真の裏には「父子」とあり、隣にいるのは、仁王の息子で戦後の壺屋焼を支えた名工、永昌(えいしょう)(1909〜78)。壺屋町民会自治会長の島袋文雄さん(83)は、永昌の姿をよく覚えている。壺屋で生まれ育ち、永昌とは親戚関係。壺屋の古い話や、永昌が熱心に取り組んだ「赤絵」の話をよくしてくれたという。「写真を見てすぐに永昌だとわかりました。壺屋の重鎮とも言える人です」

 永昌のこの時期の写真はあまり残っておらず、同館は「極めて貴重」とする。

…続きはソースで。
https://digital.asahi.com/articles/ASP305WBPP3LTIPE03Q.html
2021年5月25日 14時43分

2 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 11:49:04.86 ID:lSrvg43L0.net
どうせ捏造ですわw

3 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 11:50:13.40 ID:MFflYqqq0.net
壺三www

4 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 11:55:42.89 ID:NCzx2aJO0.net
もう8月15日のシーズンに成ったか。

5 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 11:57:49.95 ID:TGvTudda0.net
>>2 一般市民への誹謗中傷も平気な朝日ガーのネトウヨ。

6 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 12:13:31.20 ID:iPJA4kN+0.net
アカピじゃあねーw
また捏造かもしれないし、取り上げられるとか恥なだけ

7 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 12:23:50.07 ID:A/61lAoH0.net
仁王・ポッター

8 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 12:26:30.16 ID:E4yKXCdz0.net
壺屋って何かの隠語?

9 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 13:52:27.64 ID:uP5FTxCc0.net
40歳になってようやくわかる8つのこと。


http://ccuua.juvientadventures.org/YIOT/762886175.html

10 :ニューノーマルの名無しさん:2021/05/26(水) 22:25:18.31 ID:3bSO9uCD0.net
焼き物が沖縄の復興を支えたとは、知らんかった。(´・ω・`)

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