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【邪馬台国】「卑弥呼の墓」を素粒子で探査……奈良・箸墓古墳の内部★2

1 :すらいむ ★:2020/01/10(金) 21:53:46.92 ID:yEOurkSc9.net
「卑弥呼の墓」を素粒子で探査
奈良・箸墓古墳の内部

 「卑弥呼の墓」の可能性が指摘される奈良県桜井市の前方後円墳・箸墓古墳(全長約280メートル、3世紀中ごろ〜後半)の内部構造を探るため、物質を透過する素粒子「ミューオン」を用いた探査を始めたと、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。

 同古墳は宮内庁が孝霊天皇の皇女の墓として立ち入りを禁止し、調査はほとんどできていない。
 探査では石室の可能性がある空洞があるかどうかや、その位置や方向、規模を調べる。
 古代史上最大の謎を秘めた古墳の内部を知る手掛かりになりそうだ。

 ミューオン探査は宇宙線から生じる素粒子の一種を利用し、物体の内部をエックス線写真のように写し出す。

共同通信 2020/1/9 20:43 (JST)
https://this.kiji.is/587970300458878049?c=39550187727945729

★1が立った日時 2020/01/09(木) 20:48:03.29
前スレ http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578570483/

2 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 21:54:28.26 ID:lMzNrMmK0.net
ゴッドハンドがばれちゃうの?

3 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 21:55:05.94 ID:Z0/pww8n0.net
BC770年 春秋戦国時代
 │
BC221年 秦(キングダム)
 │
BC206年 漢(項羽と劉邦)
 │
184年 三国時代(三国志)
 │ ←────────────卑弥呼
265年 晋
 │
439年 南北朝(蘭陵王)
 │
589年 隋
 │
618年 唐

4 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 21:55:12.85 ID:izCHl1cD0.net
福一の内部を透視したのと同じ技術だな。

5 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 21:56:07.71 ID:El+d6Z0Z0.net
俺の仮説



カササギは外来種として九州北部に留鳥としてとどまる

魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある

なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか

魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば

生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか

銅鏡などの錆びついた物証だけではなく

鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば

邪馬台国の生きた物証としてロマンがある

6 : :2020/01/10(金) 21:56:09.93 ID:xYCYLozC0.net
>>1
朝日新聞が捏造するんですね

7 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 21:56:19.97 ID:zd57vWf30.net
>>1
奈良は色々とあるんだから邪馬台国くらい佐賀に譲ってやれよ

8 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 21:58:35.35 ID:wHLKUBk40.net
愛子様が考古学者になって自ら墓を開いて調査するとかないかな

9 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:03:36.57 ID:0P55GkfG0.net
ハイテク墓荒し

10 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:04:37.72 ID:lMrCJ7T+0.net
>>8
皇族がそんな目立つことをさせてもらえるわけがない。

>>9
暗視カメラで水着盗撮みたいなもんだよなw

11 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:04:51.56 ID:cDoA2CUq0.net
天皇陵の調査が行われない限り、大和朝廷成立の過程はいつまでも仮説のままだろう。

箸墓も調査を行うならば、徹底調査をするべきだが、宮内庁の壁は高いな。

12 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:05:06.22 ID:8Ubn7JKK0.net
「盗まれない傘」がツイッターで話題 こういうアイデア浮かぶやつってすごいわ
http://5ch-top.rebatesrule.net/1459.html

13 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:05:07.07 ID:uiqN2AI00.net
マトリョーシカだろう
箸墓古墳は卑弥呼の墓を覆い隠すように作られた古墳時代の墳墓

マトリョーシカでなければ未来永劫卑弥呼の墓は見つからない

14 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:06:00.50 ID:gVBZGh540.net
邪馬台国って九州だよね

15 ::2020/01/10(金) 22:06:09.44 ID:yAsfgNGf0.net
>>8
面白いw

宮内庁 「連綿と世界最古から続く皇室の尊厳を守るため陵墓の発掘などもってのほかで云々…」
愛子様 「わたしはご先祖さまのお墓参りがしたいの」
宮内庁 「…」

16 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:07:12.00 ID:Z0/pww8n0.net
人は記憶型と思考型に大別できる

BC770年からの春秋戦国時代から184年の三国時代まで、実に1000年の間、大陸は乱れた
https://www.youtube.com/watch?v=lF37YlQfgMo
その間、大陸から多くの難民が九州にたどり着いたと思われる
そして大陸の戦争を日本列島に持ち込んだ
そして倭国大乱へと発展していく

17 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:07:17.62 ID:lMrCJ7T+0.net
>>11
宮内庁的には皇族の倭迹迹日百襲姫命の墓であって、卑弥呼なんて知らんからなー

18 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:08:12.18 ID:wHLKUBk40.net
>>10
でも自分の先祖だし、皇族が自分でやると言ったら宮内庁がダメとは言いづらいんじゃね?

19 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:08:55.68 ID:wHLKUBk40.net
>>15
そうそうw
ちょっと見てみたいシチュエーション

20 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:10:04.51 ID:yTzwplTg0.net
百襲姫とは百十姫
五十姫より大きく見せたく
名前も墓も大きくしただけ

21 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:10:24.06 ID:O31d4b+g0.net
>>1
いい加減捏造馬鹿畿内説は
一切関係ない年代の墓を卑弥呼のとかつけて捏造すんなよw

ほんとゴッドハンドから何も学んでないなクソ京大の捏造学者は
ほんとやり口が半島そのもの

22 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:10:49.90 ID:hDada8fK0.net
ピラミッドの構造解析などミュー粒子の透過する性質から色々分かることが多い

23 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:12:02.91 ID:lMrCJ7T+0.net
>>18
いや、普通にそんな目立つことダメって言うだろ。
墓参りに行きたいなら予定は組みますけどってぐらいじゃね?

24 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:12:23.91 ID:UGwnxnv+0.net
>>1
朝日新聞の素粒子スタッフ連れてくるのかな?
ガイガー振り切れるほど強い出力の電波出すぞ

25 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:12:40.76 ID:O31d4b+g0.net
>>11
そもそも基地害薩長政権が明治維新時に捏造しまくったのがばれるからだよ

有名な天皇陵のほとんどが出鱈目な認定で
史実でも何でもないのに明治維新による捏造と日本文化破壊を
否定したくない神社本庁やらと一緒に宮内庁も明治政府の出鱈目な認定を
覆す調査を認めていない

26 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:12:41.78 ID:Z0/pww8n0.net
てすと

27 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:12:54.46 ID:pS8DrEv70.net
愛子様「真実はいつも一つ!じっちゃんの名にかけて卑弥呼の謎を解いてみせる。」

28 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:13:17 ID:DgW9A42n0.net
>>2
しーっ!

29 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:13:31 ID:Rg9An0Nr0.net
宮内庁は開けたわけでもないのに勝手に天皇家の墓にしてるのか?
宮内庁に権威があるのはおかしい

30 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:13:46 ID:7kod5zaq0.net
墓をハッキングするの?
ハッカー?

31 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:13:59.11 ID:fbuVDSTx0.net
素粒子て
ゴルゴ13が出てきてこんにちは。
とかあったな

32 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:14:13.34 ID:UGwnxnv+0.net
>>18
てか、一番の問題はなんもでねぇとことか、
むしろ別の豪族の墓ってわかることだって。

そうなると他人の墓を後生大事に税金で保存してたことになる
しかもそれが他にもあることになるだろ?
だから、「伝 仁徳天皇稜」でいい
大仙古墳で構わんの

33 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:14:26.50 ID:Z0/pww8n0.net
>>16 の続き

大陸が乱れれば多くの難民が海を渡ってくるんだ
https://www.news-postseven.com/wp-content/uploads/2017/07/P106nanmin_kyodo.jpg

34 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:15:36.89 ID:wHLKUBk40.net
なんだかんだと調査させたくない勢力というのが理屈こねるのねー

35 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:16:29.96 ID:UGwnxnv+0.net
>>29
勝手に、つうか天皇のものを宮内庁が召し上げて国のものとして管理してるだけだよ
じゃないと象徴であるだけの一国民が莫大な財産持ってることになる
ほかのガラクタもそう
宮内庁事物と文部科学省事物があって、
宮内庁所持物は文化財的価値ももちろん、金額もガチでオーパーツになる琵琶とかあるから、
この辺は学術調査入ってないものがある

36 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:17:06.29 ID:uiqN2AI00.net
墓暴きは罪暴き
折角封印したものを暴く愚かさ
誰かが卑弥呼の罪を背負うなら分かるが結果を放り投げるしかしない学者たち

37 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:17:26.00 ID:UGwnxnv+0.net
>>34
そんなら墓暴きしてくれば?
てか正当なルートで発掘許可取ればいいのに

38 ::2020/01/10(金) 22:17:53.30 ID:yAsfgNGf0.net
>>25
今城塚古墳が真の継体天皇陵だとわかってもなお、
三島藍野陵を治定し続けているんだよね。
けっきょくのところ彼らが守りたいものは、たかだか明治維新以降の
わずかな歴史に基づく面子でしかない。

39 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:17:56.13 ID:nvFfY5st0.net
捏造なんだろ
だったら別に暴くのも悪くないんじゃない?

40 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:18:19.30 ID:tynVzc4i0.net
宇佐神宮だぞ、卑弥呼は

41 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:19:30.54 ID:0ySSWXZ50.net
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる

このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない

神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない

証明終わり

42 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:20:02.08 ID:ivRBfFAD0.net
>>1

パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がわきまくってるしな


日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら凶悪レイプ犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。

チョンポップの人気偽装を繰り返してるのもこいつら在日朝鮮人・帰化人。スパイそのものだよ。

朝鮮戦争が終わり「特別永住許可」も終了しており、
帰化人を含めて在日朝鮮人たち 全員を強制送還するしかない。


●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
.

43 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:21:15.87 ID:PAdtE2Pz0.net
箸でまんこを刺して自殺したんだよね?

44 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:21:39.36 ID:P0T6CGR10.net
邪馬台国の場所すら分かってないのに、皇紀2600年とかバカな事言う白痴が笑えるw

日本好きだけど、そういうバカな事言う奴が日本サゲしてるのいつ気が付くんだろうw

45 ::2020/01/10(金) 22:25:20.75 ID:yAsfgNGf0.net
>>43
自分で刺しちゃいかんだろ。はしたない。

46 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:26:17.88 ID:xWwYY4ew0.net
>>41
こうしてみると弥生時代に発展していたのは明らかに九州であって畿内じゃねえよなぁ
九州スルーで中国に行くのは無理だし畿内が九州を支配ってのも無理がある

47 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:27:47.36 ID:7klH03/30.net
まーた奈良お得意の捏造やるのか

48 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:27:47.88 ID:JIepkzob0.net
>>35
金額がオーパーツになる琵琶ってなんじゃ??

49 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:29:15 ID:PsoLummP0.net
ピラミッドのやつNHKドキュメンタリーで観たわ

50 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:29:49 ID:wHmwNxSv0.net
>>41
俺も神武東征は西暦300年以降だと思ってる それと畿内の銅鐸文明の消滅時期との関連

51 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:32:06.68 ID:EEmJ1o7P0.net
ユンボ入れて掘り返した方が早くて確実だろ

52 ::2020/01/10(金) 22:32:31.26 ID:yAsfgNGf0.net
>>46
俺も九州説だが、安曇族の拡散は、畿内のヤマト王権の九州進出と
それによる宗像族の台頭によって追われた結果だと考えている。
書紀の履中天皇記に出てくる阿曇野連浜子の刺青刑のエピソードも、
凋落した地位の逆転を狙ってクーデターに加担したら失敗した話だよね。

53 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:32:34.57 ID:lTpRBjog0.net
卑弥呼の墓にどうこじつけるか
腕の見せどころだね

54 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:34:07.23 ID:vI+Xsy/V0.net
>>46
出雲は九州スルーで中国に行ってるぞーーーー

55 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:34:26.15 ID:uiqN2AI00.net
一等地にある仁徳天皇陵

仁徳天皇陵の下に何があるのか?
煤になった神産巣日の新宮の可能性もある
暴かない方がいいものもある

56 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:35:12.35 ID:0ySSWXZ50.net
>>52
安曇氏は浜子の先代の大浜のとき「海人の宰」つまり全国の海人族のトップに任じられている
凋落どころか絶頂期だよ
調子に乗りすぎたんだな

57 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:36:00 ID:xWwYY4ew0.net
>>54
九州を経由していないというソースは?

58 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:36:48.20 ID:Abuz/OzT0.net
>>50
あり得ない、神武の存在を信用するなら年代も信用しろよw
そもそも畿内の銅鐸はもっと早くに消滅してるぞ。

59 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:36:53.83 ID:Wf6XLFBy0.net
九州は一度鬼界カルデラの噴火で滅亡してるだろ
人口ゼロから復興するにはかなり時間がかかる

60 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:36:57.54 ID:D75Ce2u+0.net
仁徳天皇陵といえば、雷魚釣りバカの秘密ポイントとして有名だった

61 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:38:10.47 ID:pz/JSdDk0.net
卑弥呼の墓はそもそも前方後円墳なんですかね。
特徴的なんだから魏志倭人伝に記述がありそうにも思うんだが。

62 ::2020/01/10(金) 22:39:13.41 ID:yAsfgNGf0.net
>>56
トップっちゃトップだが、「お前が責任を持って監督しろよ」と押し付けられた
中間管理職の匂いがプンプンするw

63 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:39:39.42 ID:Abuz/OzT0.net
九州説の連中がやたら箸墓にこだわってるのは
それだけびびってるからなのか?

まあモモソの存在も厄介だしなw
九州説では説明出来ない事が多いから仕方ないのだろう。

64 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:40:10.55 ID:T+y46irF0.net
そうか 卑弥呼が山本朝廷に連ならないと
皇紀2600が否定され日本が1300年くらいの
歴史になる

65 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:41:15.03 ID:vI+Xsy/V0.net
>>52
出雲を国譲りで併合し

帯方郡
ー 韓国
− 対馬國
− 一大国(見島もしくは隠岐)
− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
− 伊都国(出雲)
− 奴国(因幡)
− 不弥国(摂津住吉)
− 投馬国(近江)
ー 邪馬壱國(奈良)

で、全く問題がありませんが?


生口10人、班布二匹二丈しか献上できなかったことも

漢委奴国王の金印を、魏の皇帝に差し出して、
後漢ではなく魏の皇帝に恭順する意を明確に示せなかったことも

末廬国という本土に上陸した後は、次の伊都国まで500里も延々と、
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎だったことも

すべて解決します

66 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:41:42.53 ID:Abuz/OzT0.net
>>61
箸墓は江戸時代の絵図では円墳で描いてるけどな。前方後円墳なんて最近の分類だよw

67 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:41:48.90 ID:uiqN2AI00.net
卑弥呼の前は男の倭国王の時代が約80年
そこに繋がるかもね
知らんけど

68 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:41:49.36 ID:vI+Xsy/V0.net
>>57
日本の記紀

69 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:44:45.66 ID:Y3STBeyZ0.net
>>16
そもそも、渡来人って、そんなに来てない
多くて数万てとこ
海があるから渡れないよ

北九州で稲作始めたのもなんと、縄文人

最新の遺伝子研究からも、チョンと日本人は縁遠い ↓ ↓
長浜浩明氏講演『韓国人は何処から来たか』(展転社刊)2015.5.24頑張れ日本!群馬県支部設立3周年
105,702 回視聴 https://www.youtube.com/watch?v=GLxyhtn7P-g&t=3428s

日本の歴史学者は、朝鮮人をかばうからなのか、かばうためにうそまでついて朝鮮人になったシンパたち。

 日本の歴史学会は、戦後、国学派の歴史学者を公職追放して、マルクス学派講座派の東大派閥で牛耳られてきた。

70 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:44:47.70 ID:wHmwNxSv0.net
>>58
銅鐸文化は2〜3世紀の弥生時代後期に近畿・中部地方でもっとも盛大となり、しかも突然消滅する

71 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:47:23 ID:uiqN2AI00.net
鐸は教令を伝える時に鳴らすもの

神社でお祈りする時に鳴らすやつ
復活したのかもね

72 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:47:28 ID:Y3STBeyZ0.net
>>46
延喜式 出挙稲数 >【稲作の分布】>古代は九州のほうが圧倒的に大きい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

畿内 2,087,126
  山城 424,070  大和 554,600  河内 400,954
  和泉 227,500  摂津 480,000

西海道 5,990,581 @@@@@@@@@@@@@@
  筑前 790,063 @@@@@@@@@@
  筑後 623,581
  豊前 609,828 @@@@@@@@@@
  豊後 743,842
  肥前 692,589  @@@@@@@@@
  肥後 1,579,117 @@@@@@@@@@@@@@
  日向 373,101
  大隅 242,040  薩摩 242,500  壱岐 90,000  対馬 3920

延喜式は10世紀だから、古代3世紀ごろはもっと差が大きいんじゃない
弥生時代の農業生産はおそらく畿内全域と九州で10倍くらいは差があったでしょう。
九州に7万戸でも畿内には7000戸とかでしょう。
畿内の狭い見識を九州や他の地方に当てはめて論じています。

73 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:47:46 ID:Abuz/OzT0.net
ヤマトトトヒモモソヒメ
海部氏系図によると別名日女命、神大市姫。
またの名前を日神、つまり天照に匹敵する
名前を持ち、スサノオの嫁さんと同じ名前まで持つ存在であるからな。

九州説はこのモモソヒメに関する記述を否定できるのかな?
海部氏系図自体やは籠神社に長く保管されていて、昭和の末期にやっと公開された資料。現在は国宝として認められている、つまり国のお墨付き。

74 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:49:43 ID:Abuz/OzT0.net
>>70
どこの国から来たんだ?パラレルワールドかw
実例を上げてみれば?

75 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:49:50 ID:uiqN2AI00.net
>>72
借金の多さを自慢してどうするの

76 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:51:40.94 ID:HZao85aV0.net
倭人伝で、卑弥呼の墓について書いてるのはこの一行のみ

>卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 ?葬者奴碑百餘人
(卑弥呼もって死す 大いに塚が作られる 径100余歩 殉葬者は奴婢100余人)

一番大きな特徴は100人殉葬してるという部分。
これが決めて

77 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:51:53.96 ID:wHmwNxSv0.net
>>74
銅鐸は祭器と言われているが、これが突然消滅した理由は外部勢力による征服と考えられ、この外部勢力とは、神武東征に象徴される九州勢力であろう。

78 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:52:07.42 ID:xWwYY4ew0.net
>>68
具体的にどの記述の話?

79 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:53:11.88 ID:tZS1zPhs0.net
>>65
その奇怪な行程ほんま好きやな
まぁそれどうのこうの言ってもノラリクラリやからええわ

倭人伝はその後も続いてるの知ってるよな
海渡って千里また国が有って皆倭種
その南には侏儒国というのが有って三尺から四尺の身長
また四千里ほどで裸国、黒歯国が有るとかかれてる

倭人伝とは別に日本(倭)だけの書物ではない
現在のフィリピン辺りもみな倭人と呼ばれていたんやからな

さて畿内説ではどこに比定されるわけ?小人だから小豆島とか?w

80 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:53:32.60 ID:Wf6XLFBy0.net
>>69
朝鮮人はモンゴル人に征服されてレイプされまくってそれ以降と以前では全くの別種族になったから
今の朝鮮人と日本人が多少違うのは仕方ない

81 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:55:00.22 ID:0am+tpGV0.net
>>59
そもそも現在の鹿児島にあたる地域は鬼界噴火で大部分が生存
噴火の被害を受けたのは種子島・薩摩大隅半島南部
400年後にはAエリアも完全復興

火山噴火が狩猟採集社会に与えた影響 : 鬼界アカホヤ噴火を中心として

7300年前(縄文早期)の鬼界噴火災害エリア区分

Aエリア→人類は死滅、わずかな生存者は移動、適応不可
Bエリア→生活圏の移動、適応不可
Cエリア→噴火を挟んで長期継続的な遺跡利用が確認される 人吉平野以北 適応可
花粉分析の結果によれば極端な植生変化は認められない
Dエリア→影響なし 熊本平野以北 適応可
https://i.imgur.com/EVxqGSO.png

82 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:55:08.78 ID:0am+tpGV0.net
噴火の400年後(縄文前期)には南九州全域に縄文遺跡の再分布がみられ、種子島においても土器が多量に出土したり、明確な遺構を伴った遺跡がみられる。
https://i.imgur.com/9kW5Qb7.png

噴火後のA・Bエリア主な遺跡
https://i.imgur.com/xN4njwm.png

83 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:55:15.10 ID:Abuz/OzT0.net
>>77
銅鐸は北部九州でも見つかってるし作ってもいるのにw
しかも一番多く出土してるのは出雲地方だぞ?
神武の伝承なんか皆無だよww

84 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:55:34.22 ID:WVSH1vlJ0.net
ピラミッドでも同じことやって、なんか秘密の空間を発見したとか
やってなかった?あれどうなったの?
楽しそうだけど、こういうニュースってほんと続報がないよな

85 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:55:37.03 ID:Y3STBeyZ0.net
>>77
銅鐸文化の消滅をこじつけでしか説明できない時点で近畿説はダメ

巨大古墳は、先住民(銅鐸民)の反抗を封じるために作られた無益なモニュメント
結果ではなく過程(強制労働)に意味があった

銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 単行本 ? 2010/12/27 臼田 篤伸 (著)

巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた 巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

86 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:55:43.32 ID:0am+tpGV0.net
時代区分としては鬼界噴火を境にして縄文早期→縄文前期に変わる
鬼界噴火を皮切りに縄文人は手付かずの漁場を求めて海へまで進出した。
縄文時代になって初めて本土の人間が黒潮本流を北から横断して沖縄へ出現したのもこの頃である。

轟A式→鬼界噴火→轟B式

鬼界カルデラ後(縄文前期)の主な轟B式土器分布
https://i.imgur.com/Nny4FfS.png
https://i.imgur.com/FV4TVw4.png

熊本県の宇土市の轟貝塚では、アカホヤの層の下から轟A式土器、上から轟B式土器という、同じ系統の土器が見つかる
これは、轟貝塚の住人が鬼界カルデラの爆発で全滅しなかった事、火砕流が宇土市周辺にまで達しなかった事を意味する。
轟貝塚は有明海に突き出た宇土半島にあるが、周辺の人々は、火山灰の被害から逃れるため、轟B式とともに、海へ進出した。

轟B式土器は、熊本・長崎県の九州本土の海岸地帯だけでなく、五島列島・壱岐・対馬などの離島でも広く見つかる。
火砕流の被害から回復すると、屋久島・種子島を含む鹿児島にも分布を広げる。また、朝鮮南岸・山陰・瀬戸内でも出土する。
さらに、長崎県平戸市の、つぐめのはな遺跡では、捕鯨のための銛(もり)と思われる石器が、轟B式土器の頃から作られる。
また、轟B式土器が出土する長崎県の大村湾の伊木力遺跡では、外洋航海可能な縄文前期の丸木舟の船底が見つかっている。

87 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:56:03.59 ID:wHmwNxSv0.net
>>69
しかも渡来人って言葉が初めて使われたのは1970年代だからね?それ以前は帰化人って言われてた

88 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:56:16.68 ID:0ySSWXZ50.net
植物学の見地からすると素戔嗚命は九州の人間である可能性が高い
その姉の天照大神も九州人だろうね

http://wp1.fuchu.jp/~kagu/mokuzai/kusu.htm
> 関東以南の暖地、特に海岸に多い。また、台湾・中国にも分布。なお、「楠」は南国から渡来した木を意味する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%AD
> 世界的には、台湾、中国、ベトナムといった暖地に生息し、それらの地域から日本に進出した。(史前帰化植物)
> 日本では、主に、本州西部の太平洋側、四国、九州に広く見られるが、特に九州に多く、生息域は内陸部にまで広がっている。
> 生息割合は、東海・東南海地方、四国、九州の順に8%、12%、80%である。人の手の入らない森林では見かけることが少なく、人里近くに多い。

魏志倭人伝でも倭国に生えている植物としてクスノキが記録されているが、上記の通りクスノキは圧倒的に九州に多い木で、
特に九州以外の地域では沿岸部に偏って分布している
植物について解説するサイトなどではクスノキが暖地の植物であることをその理由としていることが多いが、実際には北関東の栃木でも
有名な大クス(八幡山のクスノキ:宇都宮市)があり、北限は沿岸とはいえ東北のいわき市である
北関東の内陸や南東北でも育つ木が西日本の内陸に見られない理由が寒さのせいというのは説得力に乏しい

ではなぜ九州以外では沿岸部に偏って分布しているのか?
その答えは日本書紀に書かれている
書紀によれば素戔嗚命が日本に浮宝(=船)が無くては困るだろうと、体毛を抜いて木に変え、息子の五十猛命に各地に植えさせた、とある
この中に眉毛から作られたクスノキもあり、その用途として「船に使え」と素戔嗚命は述べている
クスノキは防虫剤の樟脳が採れる木なので虫害に強く、また腐りにくいという性質を持つ
丸木舟の時代には虫食いで船体に穴が開くのは致命的なので、クスノキは船の材料として最適なのだ

そしてこの木を植えるように指示された五十猛(いそたける)が安曇海人の祖・安曇磯武良(いそたけら)と同一人物であることは日本史スレで検証済
つまりクスノキは元々九州の木であり、五十猛=安曇磯武良の命を受けた海人族が本州、四国各地の沿岸部に植えてまわったから分布が沿岸に偏っているのである
そのクスノキの用途にまで精通していた素戔嗚命もまた九州人であろう

89 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:57:46.15 ID:jfdJ7sgJ0.net
卑弥呼はアイヌなんでしょ

90 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:57:58.57 ID:AfbBZuCh0.net
>>1
何の学術的根気もなしに卑弥呼を無理やり皇族にしたがってる連中って
チョンかな?

91 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:58:44.78 ID:OVq2oWac0.net
>>83
>しかも一番多く出土してるのは出雲地方だぞ?


銅鐸の出土数もさることながら、 銅鐸の出土遺跡の多さに驚かされる。
まさに、倭国(阿波)は、銅鐸王国。   @阿波

徳島県の銅鐸出土地
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸

遺跡発掘後進県なのに、なぜ徳島で、このように非常に多くの場所から出土するのだろうか?  あとは推して知るべし。   @阿波

92 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:59:01.44 ID:wHmwNxSv0.net
>>83
>>85
また銅鐸が宗教的祭器に使用されたと考えられるのに、記紀などの大和朝廷側の古伝承には、その痕跡をまったくとどめていない。

93 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:59:06.75 ID:lMrCJ7T+0.net
>>72
奈良と大阪の一部と九州全域で比較って、ミスリードしたいのか本当に日本の地理を知らないのかどっち?

94 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 22:59:32 ID:Abuz/OzT0.net
>>88
九州バカw
倭人は海人、九州の山に入るなら温泉や火山の記述が無いとダメだろ。一番特徴的なところスルーしちゃあかんw

95 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:00:29.05 ID:aUovPGlv0.net
何か?この?歴史の論争には、在日反日活動家の、
日本国籍に帰化した歴史学者が😡絡んでるから、
ゴチャゴチャしてるニダ〜😡

96 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:00:37.03 ID:Y3STBeyZ0.net
>>87
古代朝鮮語で日本の古典は読めるか (古代文化叢書) [単行本]
西端 幸雄 (著)

古代朝鮮語で日本の古典は読めるという。藤村由香・李寧煕・朴炳植の解釈を徹底的に批判する。

↑「古代朝鮮語」で云々 すでにその段階でダメ 古代朝鮮語なるものは存在しない 
新羅のリトのことを言いたいんだろうが、金石文でいくつか残ってるだけで
日本語のルーツを解明できるほどの量がない
司馬遼太郎はじめ、「古代朝鮮語」で云々言ってるのは胡散臭い
朝鮮最古の三国史記は11世紀の書物  万葉、古事記、日本書紀より300年以上遅い

97 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:01:41.90 ID:oMzsw0py0.net
だから日田市だっつーの

98 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:01:49.40 ID:6SBMzapM0.net
>>59
卑弥呼は鬼界カルデラの破局噴火から5500年も後世の人。
復興の時間は十分すぎるほどあった。

99 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:02:03.77 ID:LzQNK/ly0.net
神社の入口には韓国犬があるだろ。
これは本州が韓国の植民地だった物証だからな。

100 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:02:18.43 ID:0ySSWXZ50.net
>>94
魏志倭人伝に山に入ったなどという記載はない
描かれている倭人の姿(紋身)は明らかに海の民のもの

101 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:02:42.27 ID:sDaTdN610.net
2020年になったんだからそろそろ卑弥呼問題にケリつけようぜ

102 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:02:44.06 ID:rn1jxDtK0.net
朝鮮に神社なんてないからどうでもいい

103 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:02:54.07 ID:Abuz/OzT0.net
>>92
忌部氏系の資料には天岩戸で鐸が出てくる。つまり忌部氏が没落していなに過ぎない。

104 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:03:38.36 ID:Wf6XLFBy0.net
>>89
卑弥呼ってアイヌ系なの?
アイヌって変な入れ墨みたいなのしてるから変に見えるだけで
素の顔はまんまヨーロッパ人の顔でかなり格好良いからなぁ
卑弥呼はかなり綺麗な人だったかもね

105 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:03:53.20 ID:6pieRk/j0.net
>>5
もうちょい

106 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:04:36.83 ID:hSLn1Xb90.net
>>88
植物学まで持ち出すとは、九州説の分析は深いな
スサノオが九州ならアマテラスも九州だよな
やはり卑弥呼は九州か

107 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:04:51.57 ID:Abuz/OzT0.net
>>100
丹は海や海岸沿い、平野にはないぞw

108 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:05:27.30 ID:wHmwNxSv0.net
>>103
713年、大和の長岡野で銅鐸が発見されたが、続日本紀はその制、常に異なると書いている。

109 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:05:48 ID:uiqN2AI00.net
卜占して鬼道を行うアイヌとかいるのかー

110 ::2020/01/10(金) 23:06:42.80 ID:yAsfgNGf0.net
>>88
俺はやっぱりスサノヲとイソタケルは木の国(紀伊)に鎮座ましましたと思いたいなあ。
今も紀伊半島にはすさみ町があるし。

111 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:08:15.79 ID:0ySSWXZ50.net
>>107
山に丹が有ると書いてあるだけで魏の使者が実際にそれを目撃したとは書かれていない
普通に考えて伝書を携えてきた使者をわざわざ鉱山に案内するとは考えにくい

112 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:08:36.06 ID:Abuz/OzT0.net
>>108
その当時はアショーカ王のお宝と見られてた位だからな。

113 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:08:55.64 ID:Y3STBeyZ0.net
>>106
考古学者 森浩一氏
ヤマタイ国奈良説をとなえる人が知らぬ顔をしている問題がある。(中略)
倭人伝では、”養蚕をおこない、糸をつむぎ、細やかな(けん)や緜(めん)を作っている”。
作っていただけでなく、魏へ二度めに派遣された使者が献じた品物のなかに、”倭錦、青、緜衣、帛布”などがある。
(中略)
布目氏(布目順郎氏、京都工芸繊維大学名誉教授)の名著に『絹の東伝』(小学館)がある。目次を見ると、
『絹を出した遺跡の分布から邪馬台国の所在地等を探る』の項目がある。

簡単に言えば、弥生時代にかぎると、絹の出土しているのは福岡、佐賀、長崎の三県に集中し、前方後円墳の時代、
つまり4世紀とそれ以降になると奈良や京都にも出土しはじめる事実を東伝と表現された。
布目氏の結論はいうまでもなかろう。倭人伝の絹の記事に対応できるのは、北部九州であり、ヤマタイ国もそのなかに
求めるべきだということである。この事実は論破しにくいので、つい知らぬ顔になるのだろう。

114 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:10:07.44 ID:rQ2dVqqo0.net
読売の社説だっけ

115 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:10:39.91 ID:CYsVXwCf0.net
ミューオン探査すごいよね!
宇宙線でしょ?
面白いなぁ

116 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:10:57.71 ID:UGwnxnv+0.net
>>113
てか吉備国で皇族が蚕の飼育と絹の機織り教わってるから。
その時点で邪馬台国ではないわけよ、大和朝廷

117 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:12:06 ID:0ySSWXZ50.net
>>110
海人族は行動範囲が広いから紀伊にも行ってたんじゃないかな
後の神武東征で難波で負けた神武が紀伊半島を目指したのもそこに味方の海人族がいると知っていたからだろう
普通に考えれば兄を失うほどの敗戦でガタガタの戦力で再戦したって勝てっこないのだから

118 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:12:42 ID:Abuz/OzT0.net
>>111
筆頭に丹山に青玉だぞ、一番関心事だけどな。
当たり前だが鉱物はそのまま財になるから他国視察の重要事項だよ。
だから丹に関する記述は倭人伝では多いだろ。

119 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:13:09.53 ID:uiqN2AI00.net
アショーカ王と阿射加は似ているな

それは置いておいて日本書紀に鈴のエピソードはいくつもある

120 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:13:19.38 ID:wHmwNxSv0.net
>>112
また821年日本紀略、860年三代実録にもまた銅鐸が出土したが、インドの阿育王の塔鐸だと言って、昔の大事な祭器である事が忘れられていた。

この事は、銅鐸をもつ大和の先住民が九州から来た天皇家とその一党達によって滅ぼされた事を雄弁に物語っている。

121 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:13:49.26 ID:UGwnxnv+0.net
>>65
問題はないね
正解ではありえないけど

122 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:14:08.24 ID:JjfitDwR0.net
正月に箸墓古墳へ行ってきた
https://i.imgur.com/8XFEA1y.jpg
https://i.imgur.com/mVljsSs.jpg

123 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:15:25.12 ID:UGwnxnv+0.net
>>94
温泉?
なんで温泉の話を書くの?

当時温泉なんて利用してないけど。
温泉利用が可能になるのは火山活動が終わって、地下水が豊富に蓄えられるようになってから、
つまり井戸ができてからだぞ?

124 :石原さん:2020/01/10(金) 23:15:29.30 ID:vG27+sZ/0.net
>>3
1945〜三国人時代

125 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:15:33.75 ID:Z0/pww8n0.net
>>69
穏やかな縄文時代が終わった理由
大陸から人が流れてきてのんびり暮らしていけなくなったからさ
大陸から渡って来るのが年間100人としよう
100年で1万人、1000年で10万人
当時の日本列島の人口からして大きな影響力をもたらすのに十分な人数

126 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:15:46.51 ID:Abuz/OzT0.net
>>120
だから銅鐸は九州でも出てるし作ってるからw
しかも数が多いのは畿内ではなく出雲だ、
頭大丈夫か?

127 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:16:17.73 ID:UGwnxnv+0.net
>>119
リンと鈴って違うしな
錫杖のこともスズっていうし

128 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:16:56.10 ID:Y3STBeyZ0.net
>>122
いい写真  保存した

129 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:17:21.00 ID:UGwnxnv+0.net
>>69
アホだから朝鮮半島南部に住んでたのが倭人なの忘れてるだろ?

130 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:17:37.10 ID:UGwnxnv+0.net
>>122
構図と天気がいいね

131 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:17:41.34 ID:uiqN2AI00.net
物部と蘇我のやりとりにも鈴のエピソードがあったな

132 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:18:36.15 ID:wHmwNxSv0.net
>>126
大伴氏・中臣氏・物部氏などの大和朝廷の中核を形成した豪族の発祥地は九州

133 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:18:59.67 ID:uiqN2AI00.net
このスレは嘘つきばかりなのが分かるだろう

134 ::2020/01/10(金) 23:19:19.19 ID:yAsfgNGf0.net
>>117
いちおう、「我々は太陽の神の子孫だから南から攻めなきゃ」みたいな
理屈は言ってるよな。まあ、現実的に考えたら仲間がいたんだろうけど。

135 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:20:30 ID:0ySSWXZ50.net
>>118
>筆頭に丹山に青玉だぞ、一番関心事だけどな。
そういうウソをつくから畿内説は信用されないんだよ
筆頭に上がっているのは真珠と青玉だけ、丹山はその後ろにただ「有る」としか書かれておらず重視されていない

>だから丹に関する記述は倭人伝では多いだろ。
いや全然
白粉のように体に塗ってる朱丹は明らかに貴重品の水銀朱ではなくベンガラだし、山に有るのも重視されていないところを見るとベンガラ

136 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:20:47 ID:V/n9+Ip00.net
奈良は部落と在日朝鮮人だらけの汚れた土地

137 :石原さん:2020/01/10(金) 23:20:55 ID:vG27+sZ/0.net
つうかこの頃は半島も倭だろ?
今半島にいる人は挹婁人

138 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:21:09 ID:vK198IBC0.net
>>129
去年のNHKサイエンスゼロでやってたけど弥生時代の朝鮮半島人(渡来人)と現代日本人のゲノムが完全に一致するらしいね

139 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:26:56.08 ID:Abuz/OzT0.net
>>135
え、倭と魏でお互い丹に関するやり取りもしてるのに?
嘘ツキなら勝手に倭人伝を邪馬台国伝と混同してる九州説の連中なんだが。
鉄が多いなんてオオボラだぞww

140 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:28:29.91 ID:9rMZGiBQ0.net
>>138
北京中国人と縄文人のハーフが渡来系弥生人(現代日本人)
北京人と渡来系弥生人のハーフが現代韓国人
https://i.imgur.com/aIDmdiG.jpg

ということになるらしいな

141 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:30:09.47 ID:0ySSWXZ50.net
>>137
魏志には倭人伝の他に韓伝があり、半島南部が弁韓、馬韓、辰韓に分かれていたと書かれている
たぶんそこは倭ではない
ただ、半島南東部の狗邪韓国は国名こそ韓と入っているが韓伝には記載がなく倭人伝の方にだけ書かれているので
住んでいたのは倭人だと思われる

北部九州の海人族が沖縄近海から運んできていた貝製品が半島南東部からも出土している
https://pbs.twimg.com/media/DsWScScV4AEIsU0.jpg

142 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:31:09.99 ID:iw5jEZxq0.net
半島中南部に日本語地名が残るという。
つまり、半島の中部まで、弥生人=日本語話者が住んでいた。
この弥生人の大量流入により、列島の言語が置き換わった。
時がたち、半島に残った弥生人と列島の弥生・縄文混血人、
つまり日本語話者をまとめて、大陸では、「倭人」と言うようになる。

143 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:31:37.82 ID:/hTfXRbZ0.net
左翼は科学で語り
右翼は妄想で語る

144 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:33:17.97 ID:JbHR96Ju0.net
これ盗撮なんじゃないの

145 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:34:23 ID:iw5jEZxq0.net
>>143
左翼は妄想を科学と言い
右翼は科学を妄想と言う

146 :婆 ◆HKZsYRUkck :2020/01/10(金) 23:35:09 ID:yAsfgNGf0.net
>>139
だから「丹」というのは赤色系顔料を表す一般的な言葉なんだってば。
邪馬台国がもらった鉛丹だって、水銀朱じゃないよね。

147 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:35:18 ID:0ySSWXZ50.net
>>139
魏志韓伝、弁韓の項より
「國出鐵韓濊倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡」
国は鉄を産出し、韓、濊、倭がみな、従ってこれを取っている。諸市では買みな、中国が銭を用いるように、鉄を用いて買い物をする。また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。

倭人が半島まで来て鉄を採っていることが記されている
そこまでして手に入れた鉄が畿内に無いのは致命的
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png

148 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:36:56.93 ID:0Dx5AsG/0.net
卑弥呼じゃないだろ
普通少し知恵付ければ卑弥呼の墓だとは思わない

149 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:41:25.28 ID:XPKe62gy0.net
>>113
やっぱり考古学的には九州なんだな

150 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:42:52 ID:Y3STBeyZ0.net
>>142この弥生人の大量流入により、列島の言語が置き換わった
?????????????????
【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26/4/15]
SakuraSoTV 36万 回視聴 5 年前

そもそも、渡来人って、そんなに来てない
多くて数万てとこ
海があるから渡れないよ

北九州で稲作始めたのもなんと、縄文人

わかったか、ちょうせんじん

151 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:43:12 ID:Wf6XLFBy0.net
>>143
左翼って妄想しか語ってるの聞いたこと無いんだけど
自分の理想を信じ常に自分達が正しいと思ってる人達の集団だろ
宗教にかなり近いものがあり自分達の意見を強制させるのが左翼の特徴
他人を見下し自分達の道は進化と言いそこから逆行する事を退行と真顔で言うのがリベラルの特徴でもある
特に政権を取ると他者に強制や粛清をして独裁政治に向かう事が多い
特に共産主義なんて最悪だよ

152 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:43:34 ID:nelHjY0S0.net
>>113
>簡単に言えば、弥生時代にかぎると、絹の出土しているのは福岡、佐賀、長崎の三県に集中し、前方後円墳の時代、
>つまり4世紀とそれ以降になると奈良や京都にも出土しはじめる事実を東伝と表現された。
それって>>41の鉄器の普及時期と完全に一致してるよな
やっぱり3世紀末か4世紀初めくらいに東征があったんじゃねえの?

153 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:44:25.01 ID:7e1UldF30.net
>>149
昭和の時代にはまだ九州説が息してたかな

154 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:45:26.98 ID:wHmwNxSv0.net
>>149
弥生時代の北部九州の墳墓からは鏡・剣・玉が多数出土し、しかもこの三点がセットになっている場合も多い。これは天皇家の三種の神器と文化的に直結する。これに対して畿内の銅鐸文化は、次の古墳文化にまったく接続していない。

155 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:45:53.47 ID:zjWTICao0.net
μ粒子が発見されたとき、湯川が予言した粒子かと思われたが、
結局、別の粒子だった。その10年後にπ中間子が見つかったのだ。

156 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:46:11.08 ID:H91u/LF70.net
>>153
平成は学閥への忖度とゴッドハンドの時代になったってことか

157 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:46:43.12 ID:xBTx9IoW0.net
日本史の空白を埋める為にも
古墳発掘を許可すべき

158 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:46:47.23 ID:Y3STBeyZ0.net
>>152
邪馬台国が東征したんじゃない

実際は100年くらいかかってる(畿内を制圧するまで)
神武もおれは、九州勢力のバガボンド(放浪者・はぐれ者)だと思ってる

兵庫県の高地性集落

神戸市伯母野山遺跡(標高130メートル)、同県芦屋市会下山遺跡(えげのやまいせき、標高185メートル)、
同城山遺跡(標高250メートル)

↑田能遺跡も九州系の遺跡と考えてもいいと思う。
 甕棺、銅剣の鋳型、木棺墓など。
 弥生時代のほかの近畿地方の遺跡からするとやはり異質。

 いずれも直線距離で、8キロから10キロ ゲリラ戦を展開するにはいい距離じゃないか? 

@香川県善通寺市・旧練兵場遺跡 九州地方からの移住者住居跡

@紫雲出山遺跡(しうでやまいせき)は、香川県三豊市詫間町に所在する弥生時代中期後半の高地性集落遺跡

↑いずれも直線距離で、8キロから10キロ ゲリラ戦を展開するにはいい距離じゃないか?

159 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:47:46.60 ID:7e1UldF30.net
>>156
国立歴史民俗博物館 よくあるご質問
https://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
>大多数の考古学者は大和説です。

160 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:48:03.13 ID:fDyYDax90.net
「盗まれない傘」がツイッターで話題 こういうアイデア浮かぶやつってすごいわ
http://5ch-lala.toh.info/1081.html

161 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:49:04.74 ID:0lqzyZG80.net
卑弥呼は魏志倭人伝にしか出てこない。日本の歴史書には出て来ない。
そして魏志倭人伝をわたしは読むとそこは日本ではなく現在の대한민국のソウル辺りになります。
日本は歴史を捏造してる。

162 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:49:19.72 ID:Y3STBeyZ0.net
>>156
それは、現在の「邪馬台国論争」の「構造」のことである
「邪馬台国畿内説」の証明はない
あるのは、ただ「はじめに邪馬台国畿内説ありき」なのである

ではなぜ、「はじめに邪馬台国畿内説」なのか
それはそのように教育されたからである
京都大学を中心として、その伝統にもとずき、考古学の分野で
そのような教育システムができあがっているからである

その教育システムからはずれれば、就職も生活も出世も不利となる可能性がある
「邪馬台国畿内説」はいま学問的、科学的にはきわめて多くの
問題をかかえながら政治的には勝利をおさめつつあるようにみえる

「邪馬台国畿内説」は、実証的根拠をもたない
出発点である「魏志倭人伝」の記述とあっていない
「邪馬台国畿内説」は確かな根拠といえる鉄の骨をもたない
土の虚塔である 空中楼閣である いつかはかならず崩壊する

「兵用 矛 楯 木弓  矛のでてこない畿内はありえない

竹箭或鐵鏃或骨鏃  鐵鏃のでてこない畿内はありえない

163 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:49:50.25 ID:SG7bHvrB0.net
アホな朝日新聞記者が卑弥呼の名前の入った木簡を埋めるに3000点!

164 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:49:51.34 ID:0OlYCPWq0.net
>>5
北部九州、日田、筑豊にカササギはいねーよタコ
いるのは西部九州までで
近くにカササギがいて北限ギリギリだからわざわざカササギの名を入れただけだろ
鼻からカササギなんて知らない畿内文明の場所を記するのにカササギの名前なんか入れないわ
近くにカササギの生息地が有り北限越えた場所に邪馬台国が有ったからそういう表記にしてんだよ

165 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:49:54.83 ID:L25uhglq0.net
>>159
>>156にソースがついたな

166 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:51:07.96 ID:SG7bHvrB0.net
>>162 東大は九州説だった覚えがあるが・・・

167 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:51:08.99 ID:Wf6XLFBy0.net
>>161
ソウル辺りまで倭だったって事?

168 ::2020/01/10(金) 23:51:59.12 ID:yAsfgNGf0.net
>>158
> 神武もおれは、九州勢力のバガボンド(放浪者・はぐれ者)だと思ってる

俺も俺もw
なんか田舎町のコンビニの駐車場でウンコ座りしてタバコ吸ってるヤンキー兄弟が
浮かぶんだよね。そこに通りかかった謎の爺さん(塩椎神)に
「東に行って一旗揚げてみんかね?」とかそそのかされて、その気になっちゃった感じe

169 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:52:14.35 ID:L25uhglq0.net
>>162
「畿内説」なんて最初から存在しないよ
あったのはこうであって欲しいという「畿内願望」だけさ

170 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:53:05.50 ID:/3wp5T1G0.net
聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれました。
このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。
工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。
重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。
https://www.kongogumi.co.jp/enkaku.html

171 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:53:58.69 ID:7e1UldF30.net
>>166
100年くらい前はそうだったよ
白鳥庫吉の時代だけど

172 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:55:02.96 ID:SG7bHvrB0.net
>>167 横からすまん。任那と言われたあたりは確実に倭国の一部。
百済は倭国の言葉とほとんど同じという研究結果がある。
韓国は馬鹿だからわからないんだ。

173 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:55:47.00 ID:QBsgsekP0.net
中国に九州スルーでは渡れたことになると九州説は成り立たなくなってしまうので

九州説は「中国には九州スルーでは渡れない」という バカの壁 を作り閉じ籠っている

174 :名無しさん@1周年:2020/01/10(金) 23:59:36.80 ID:tZS1zPhs0.net
10年前でゴール近かったはずなんだがな〜w
http://web.archive.org/web/20091114105617/http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091111/acd0911111059006-n1.htm

175 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:00:10.51 ID:ZEdQoZS80.net
大和朝廷の歴史書である記紀の神話には鏡の事は何回も出て来るが、銅鐸については何も語るところがない

176 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:00:16.74 ID:J0QEKSNA0.net
>>146
倭人伝の書かれた三世紀後半は神仙思想が基本的に盛り上がってな時期で丹は仙薬の意味、丹山は辰砂が取れる山だろ。
赤色塗料なら朱丹だな、これならベンガラを含む。鉛丹とわざわざ書くくらいなら
丹に関してはハッキリと区別するよ、だからベンカラ、酸化鉄は代用の代赭と書く。
年代、時代背景を無視するなよ。

177 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:00:17.82 ID:HJuDChkS0.net
>>173
九州スルーで中国に行けたという証拠を出せないバカがそんな負け惜しみを言っても見苦しいだけだぞ

178 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:00:19.50 ID:LpirCex60.net
>>173 馬鹿の壁を越えた奴が利口だとは限るまいにw

179 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:03:04.70 ID:h8y9RzJ30.net
>>176
ベンガラも丹と呼ばれていた
丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている
山に有るだけで重要視されず、書き分けもされていない丹はベンガラだな

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に
> 区別していない場合があるからである。
> 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり,
> 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998)
> さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。

180 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:03:58.06 ID:qDSzmv5S0.net
>>52
出雲を国譲りで併合し

帯方郡
ー 韓国
− 対馬國
− 一大国(見島もしくは隠岐)
− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
− 伊都国(出雲)
− 奴国(因幡)
− 不弥国(摂津住吉)
− 投馬国(近江)
ー 邪馬壱國(奈良)

で、全く問題がありませんが?


生口10人、班布二匹二丈しか献上できなかったことも

漢委奴国王の金印を、魏の皇帝に差し出して、
後漢ではなく魏の皇帝に恭順する意を明確に示せなかったことも

末廬国という本土に上陸した後は、次の伊都国まで500里も延々と、
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎だったことも

畿内のヤマト王権の九州進出で、ヤマト王権が航海に起用した氏族は
九州の 大綿津見神(豊玉彦)を祖とする阿曇氏ではなく
出雲の 6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)を祖とする宗像氏だったことも

九州の彦瀲海神国王(漢委奴国王)の四人の皇子が、なぜ奈良に東征したのかも

すべて解決します

181 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:04:32.25 ID:L3ypZ7Og0.net
魏志倭人伝に卑弥呼の墓は石室が無く土を被せただけと書いてあるから奈良の箸墓古墳の可能性はゼロなんですよ。卑弥呼の墓は、棺はあるけど室はないから。

182 ::2020/01/11(土) 00:04:43.19 ID:M49wk0Hc0.net
>>173
ちょと違うな。
もともとは魏志倭人伝にある末盧−壱岐−対馬ルートしかなく、
その頃は奈良の王権は自前の交易手段を持ちえなかった。
んで、その状況を打破するために、胸形族と手を結んで宗像−沖ノ島−対馬ルートを
掌握したのだ。ここで安曇族は商売あがったりになって拡散したと。

183 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:05:09.06 ID:J0QEKSNA0.net
まあ畿内、特に奈良盆地は丹山なら宇陀、青玉なら二上山周辺の青玉どちらも問題なし。
そもそも河内南部の豪族の名前は河内青玉なんだからなw
しかも河内青玉は百襲の逸話にも登場するから年代的にもピッタリ。
また池上曽根遺跡、逢坂山口神社辺りの古い地名でヤマダイまで残っている。
まあ九州説なんて既に終わったんだよw

184 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:05:14.58 ID:twb5KrR/0.net
>>173
魏志倭人伝の頃で使訳を通じてる国が30国あるんだから
九州邪馬台国連盟以外のルートだってあったかも知らんよ
出雲、吉備、尾張、越なんかも朝貢してたりして

185 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:05:18.20 ID:L3ypZ7Og0.net
早い話が、石室がない前方後円墳なんてものはない。 ということで、前方後円墳である箸墓や纏向は明らかに邪馬台国ではない。

186 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:05:54.87 ID:6b21hCHb0.net
卑弥呼の墓は大分の宇佐神宮だよ
正体不明の比売神(ひめがみ)がそれ

187 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:06:58.45 ID:qDSzmv5S0.net
>>177
建速須佐之男命も、大国主と国造りをした少名毘古那や大物主も
九州スルーですけど?

188 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:08:16.94 ID:J0QEKSNA0.net
>>179
5世紀まで酸化鉄、ベンガラを丹と呼ぶ資料はない。特に四世紀の資料では代赭とあり丹という記述がないぞ、辰砂は勿論丹だし鉛丹もある。

189 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:08:58 ID:deH8eYNL0.net
>>183 また池上曽根遺跡、逢坂山口神社辺りの古い地名でヤマダイまで残っている。

頑固だねえ バカじゃね

その地名、ぜんぶ、九州から遷移したもの

190 ::2020/01/11(土) 00:10:15.48 ID:M49wk0Hc0.net
>>187
大陸から日本列島に来る方なら日本海岸のどこでも着けるのよ。
たとえば渤海使の到着地点を見たら自明だよね。
あるいは現代の北朝鮮の小舟もそう。

列島から大陸に行くのは、九州からじゃないと難しいのだ。

191 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:10:47.93 ID:qDSzmv5S0.net
>>173

今の日本の三大バカの壁って

1.憲法9条があれば戦争は起きない
2.原発事故の放射能でガンになる
3.邪馬台国は九州スルーで中国にいけない

だな(笑)

192 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:12:18 ID:OvVdXfSN0.net
卑弥呼は九州だろw

193 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:12:35 ID:b5bc0ZPt0.net
>>183
終わってるとっつーか、九州説は始まってすらないだろ

194 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:12:41.58 ID:J0QEKSNA0.net
>>189
じゃ、九州の地名という証拠を出せばいいだろ?
まあ有るわけないけどねw

195 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:12:50.40 ID:qDSzmv5S0.net
>>190
んなこたぁない

196 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:13:36.29 ID:OvVdXfSN0.net
卑弥呼の邪馬台国と、出雲や奈良の大和朝廷は別国家だろ・・・

197 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:14:03.18 ID:twb5KrR/0.net
>>194
近畿説だって音がにてる気がする以上の証拠ねーぞ

198 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:14:15.55 ID:h8y9RzJ30.net
>>183
青玉をサファイアとするのは現代中国語であって古代においてそうであったという根拠は無いし、
二上山のサファイアは砂粒のように小さく特産品にもなり得ない
河内青玉が二上山に由来するという根拠も無い、上記の通り玉と呼べるほど大きくもない

池上曽根遺跡の井戸枠は樹齢700年のクスノキ製で、>>88の通りクスノキは九州の木なので
池上曽根遺跡は地元豪族ではなく九州から進出してきた海人の遺跡だと分かる
池上曽根遺跡は当時海辺だった

199 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:16:28.63 ID:J0QEKSNA0.net
>>193
河内青玉のいたであろう河内南部からは、水銀朱測る分銅まであるからな、しかも紀元前の話。
つまり現在の大和路線から南側、つまり物部氏は紀元前からこの辺りに基盤があったのは確定済みだよな。
三世紀なんてこれから数世紀も後の話だ。

200 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:16:50.41 ID:L3ypZ7Og0.net
その墓制にぴったりなのは福岡県糸島市の平原(ひらばる)遺跡。

201 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:16:57.42 ID:deH8eYNL0.net
>>194
「《近畿地方に成立した古代王朝の前身が、その東遷以前に、北九州の部族連合体であっ
たことは、三世紀半に編纂された三国史東夷伝倭人の条の記事を見ても明らかである。倭人伝
は、すでに「邪馬台国」の名で呼ばれる北九州の部族連合体政権を魏の使者の報告通りに記載
しているので、この連合体政権は、それより早く、二世紀の後半には存在していたとみなけれ
ばならぬ。そして北九州で蓄積され発達した、この政権のエネルギーがわが国の中央部である
やまと東に移り、現地の部族連合体を吸収して大和古代国家の基礎となったであろうことは
すでに多くの学者の説くところである。すなわち畿内政権の故郷は北九州であると
無理なく考えられよう。記紀には人名にも地名にもトヨの字が多く出てくるが、魏志倭人伝の

「台与」がその音を写したものとすれば、後代に「豊」の漢字をあてはめた地名は北九州に
ずっと以前からあったものとみなければならない。ツクシが奈良朝期にできた九州の広い呼び名で、
豊の国がその中の狭い地域の呼び名であったことから、豊のほうが古い名であり、

大化後の行政区画である豊みやこ前豊後のうち、豊前がその原体である。
それも豊前平野を占める京都郡(旧仲津郡を含む)が中心であったことは、従来史家の
いずれも認めるところである。

202 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:18:47.90 ID:J0QEKSNA0.net
>>198
別に九州から仮定してもいいが邪馬台国は三世紀の話だw
とっくに紀元前からあるんだから進出済みだろ?つまりはいくら九州からを主張しても無駄w

203 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:19:49.61 ID:J0QEKSNA0.net
>>197
それは君の頭が悪いだけだぞw

204 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:20:22.52 ID:YUl3rSF+0.net
>>18
宮内庁は後続にダメ出しするのも仕事やん

205 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:21:09.31 ID:L0ziqP9x0.net
>>195
帆も無かった時代にどうやって対馬海流を遡ったんだ?
有ったなら画期的な航海技術だぞ

206 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:21:22.28 ID:HJuDChkS0.net
>>187
スサノオは>>88のとおり九州人だし、少彦名や大物主は中国なんて行ってないが何言ってんだコイツ
バカの壁とか言ってるやつが一番バカなパターンだなw

207 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:23:43.65 ID:aPyk4RX90.net
>>156
明治から学閥です
京都帝国大学内藤湖南の畿内説
東京帝国大学白鳥庫吉の九州説
元々学閥争いなのこれ

208 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:25:50.98 ID:twb5KrR/0.net
>>203
音がにてる以外の理由で邪馬台国が畿内である根拠はゼロだぞw

209 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:25:52.58 ID:aPyk4RX90.net
>>18
法律上はそうです
今上陛下は皇太子の頃言い出したことがあるそうです

210 :石原さん:2020/01/11(土) 00:28:05 ID:hnfI73wX0.net
地方政権の人がどのくらい支配できれているのやら

211 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:28:25 ID:cJGmFoGJ0.net
入れ墨入れて素潜りで貝を取ってたり丹があったりと。
実際に来て見て書いたんなら四国しか考えられないでないの。

212 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:29:35.70 ID:ZEdQoZS80.net
>>152
九州にあった邪馬台国は、266年の台与の中国西晋王朝への遣使から分かるように、270年頃までは健在であったと考えられる。従って、九州勢力の東征は3世紀邪馬台国以降、すなわち270年以降と言う事になるだろう。

213 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:31:51.56 ID:J0QEKSNA0.net
>>208
そんな頭の悪い証明をされても困るw

214 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:32:13.45 ID:lO8xhdGx0.net
>>174
この後の10年間であった主な出来事
・三角縁神獣鏡が中国でも見つかり、畿内と魏との交流を裏付ける材料が追加
・桃の種を使った炭素年代測定法で、纒向遺跡が3世紀前半には存在していたことが確実になった
・従来一貫して中立の立場だった教科書もついに畿内説寄りの記述に書き換わってきた

実質的に邪馬台国論争は終結したと言っていいだろう

215 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:33:30.99 ID:qDQoOoS40.net
>>196
それが一緒に、なったから、
音読み(邪馬台国 鋳鉄文化)と訓読み(出雲 鋳造銅文化)の融和した日本語があるわけやね。
いつ融合されて、誰がしたかだよね。
訓読み、一つ、2つ、3つと数える数詞は、
ルーツ探れば、どこからきたかわかるよ。
その文化を変える衝動は、なぜおきたか。
卑弥呼が、使者を魏に、派遣したのも238年ぐらいからのたった10年でおわる。一方で、親魏や檄文など、
周辺国とは違う扱い。
高い扱いと10年で、密度濃い交流がおわることが、
相反しているようで、矛盾はない。

216 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:34:28.17 ID:HnI8EWDM0.net
>>186
宇佐は、おそらく、邪馬台国の支配領域の東の境界。
ヒメ=ヒメコ(=お日様の女のお子・漢語では卑弥呼)の省略形
なので、比売神さまとは、卑弥呼(か壹與)を祀ったものだろうな。

地政学から考えると、邪馬台の起こりの地は、日田、
最盛期の政治・軍事・経済の中心は大宰府だろうな。
卑弥呼は、2C末頃、邪馬台が倭国大乱で敗北し、覇権を失った
(=男王禁止)結果として即位したので、古都・日田に籠ったかも。

217 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:35:18.62 ID:SBZJwFgc0.net
>>212

九州の遺跡からは魏の遺物が少ない。後漢のものが多い。これは北九州は後漢と繋がっていて
畿内は魏と密接な関係をもっていたとみてもよい。
つまり、後漢時代は北九州が倭を代表していて魏の時代には大和が倭を代表していた。

218 :石原さん:2020/01/11(土) 00:35:26.35 ID:hnfI73wX0.net
http://inoues.net/study/rakuroh4.html
卑弥呼は帯方郡を通じて魏に使者を送り、

219 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:36:27.75 ID:OvVdXfSN0.net
>>205
熊本辺りから海流に乗って?

220 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:37:00.76 ID:qDSzmv5S0.net
>>205
建速須佐之男命や、大国主と国造りをした少名毘古那や大物主も

九州スルーで、隠岐ー鬱陵島ー新羅に行って帰って来ている

つまり、出雲が天照大神に併合される前に、出雲にはすでに、朝鮮半島に渡る航海技術があった

221 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:37:17.18 ID:OvVdXfSN0.net
>>206
須佐之男命は出雲地方だぞ
そこから兵庫辺りから奈良へ

222 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:38:26 ID:h8y9RzJ30.net
>>202
日本語でおk

池上曽根遺跡は遺物から見て1世紀だ
年輪年代法による紀元前説は疑義が呈されているし、そもそも基礎データが公開されていない
「私のブラックボックスによれば紀元前です」などというのは科学の世界では通用しない

http://washiyamataikoku.my.coocan.jp/keisaironbun.pdf
> 日本では、奈良文化財研究所(奈文研)の光谷拓実が 1980 年から研究を開始し、ヒノキ、スギ、コウヤマキ、ヒバの標準パターンが作成されている
> (図 2。奈良文化財研究所『埋蔵文化財ニュース』99 号 2000 年。および
> 光谷拓実「年輪年代法と文化財」―『日本の美術』421 号 2001 年に鷲?加筆)。ただし、基礎データは非公開でブラックボックス化している。
> なお、スギの標準パターンはヒノキに連動し作成されており、ヒノキが 100 年狂えばスギも 100 年狂う。この年輪年代法により、弥生中後期および古墳開始期が
> 通説より 100 年遡上し、邪馬台国が古墳時代と重なった。そして今や、この年代遡上論は畿内説を支える最大の根拠となっている。
> しかし、この 100 年遡上論は完全な誤り。基本となる標準パターンの作成時、飛鳥時代で年輪パターンの接続に失敗し、奈良時代〜現代は正しいが、
> 640 年以前(弥生中後期〜古墳〜飛鳥時代)の測定値は全て 100 年古くズレている(表1、表 2 参照。ほとんどがヒノキで、一部はスギ)。

223 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:40:01.77 ID:OvVdXfSN0.net
>>88
【前提1】
「楠」は南国から渡来した木を意味する。

【前提2】
クスノキは圧倒的に九州に多い木で、
特に九州以外の地域では沿岸部に偏って分布している

【結論】
楠は南国九州から本州に渡来した木である

224 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:40:11.35 ID:qDSzmv5S0.net
>>218
そう

http://inoues.net/study/rakuroh4.html
卑弥呼は帯方郡を通じて魏に使者を送り、

九州の「漢委奴国王」の倭奴国を支配していた公孫淵が司馬懿に討たれて
公孫氏政権が崩壊し、魏が楽浪郡と帯方郡を占拠してから



225 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:40:20.78 ID:h8y9RzJ30.net
>>221
素戔嗚命が九州出身なのは>>88のとおり明らか
記紀の内容は学者も信用していない

226 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:40:26.30 ID:L0ziqP9x0.net
>>214
1つ目 露店の店に転がってを買い付けただけのもの、実物見せてくれて言うと
     出来ないと断る胡散臭い中国人←これが本物ですか?
2つ目 纏向の存在年代と桃の種の時代考証もなんら邪馬台国とは
     関連性はない
3つ目 中立だったことなど有りません 常に政府お抱え検閲教科書です
     最近は中国マナーが凄まじく忖度具合が半端なく問題になりつつあります

10年経っても何一つ進展なし
考古学会としたらこれがベスト 下手に結果でちゃったら飯の食い上げだからねw

227 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:41:38 ID:qDSzmv5S0.net
>>225
ほらみろ

日本の記紀を全否定しなきゃ成り立たない九州説

m9(^Д^)プギャー

228 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:42:05 ID:h8y9RzJ30.net
>>223
本州のクスノキは海人族が人為的に植えたものだから沿岸ばかりに生えているんだよ
>>88のとおり北関東内陸部で生育できる木が西日本内陸で生育できない理由は無い

229 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:42:18.50 ID:Fe0h+Bsr0.net
朝日新聞凄い!!

230 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:42:24.29 ID:oxnA6g1j0.net
>>159
そのコメント主の佐原 真はもう息してないよ

231 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:42:33.02 ID:wte1H0Sj0.net
共和制になってるか、天皇制は継続だが信長等が皇位簒奪して
今でも続いている形なら、発掘出来たろうになあ

232 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:43:09.53 ID:h8y9RzJ30.net
>>227
記紀の記述を鵜呑みにするだけで科学的検証に耐えられないのが畿内説だということだね

233 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:44:20.43 ID:twb5KrR/0.net
>>213
ないことの証明求められても困る
邪馬台国が畿内であることを何か証明してみればいいのに

234 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:44:26.64 ID:OvVdXfSN0.net
>>215
邪馬台国が大和朝廷を吸収したのか?
大和朝廷が邪馬台国を吸収したのか?

そもそも邪馬台国は何故、魏に使者を送って魏の属国となり皇帝から倭の王に任命される必要があったのか?

結論としては邪馬台国は近隣の国と戦争状態にあり、後ろ盾を必要としてたと言う事だと思うんだよね
つまり日本(西日本?九州?)は卑弥呼の時代は統一されてなかった事の証明なんじゃないかと

235 :石原さん:2020/01/11(土) 00:45:32.27 ID:hnfI73wX0.net
郡(帯方郡)から倭に行くには、海岸
にしたがって水行し、韓国(馬韓)を経
て、あるいは南へ、あるいは東へ、そ
の北岸の狗邪韓国(くやかんこく、加
羅・金海)にゆくのに七千余里。
始めて一海を渡ること千余里で、対馬国につく。
その大官を卑狗(ひこ、彦か)といい、副官
を卑奴母離(ひなもり、夷守・火守
か)という。居るところは絶遠の島
で、四方は四百余里ばかり。土地は山
が険しく、深林が多く、道路は鳥や鹿
の径(みち)のようだ。千余戸ある。
良い田はなく、海産物を食べて自活
し、船に乗って南北に行き、米を買う
などする。

236 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:45:33.01 ID:m3djXkML0.net
卑弥呼のひ
邪馬台国のや
倭人のわ
どれも蔑称

237 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:46:03.08 ID:nfez/HKT0.net
>>230
さらにもっと前から九州説は息してないって事だね

238 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:47:42 ID:OvVdXfSN0.net
>>225
いや須佐之男の産まれた場所では鉄の精製は出来なかったんだよ
須佐之男の十束の剣は銅剣
八岐大蛇の尾から手に入れたのが鉄剣

239 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:48:03 ID:L0ziqP9x0.net
>>227
ほんとに根本がわかってねぇんだな
記紀が正しい事書いてるなら邪馬台国の事も普通に書きゃいいんだよ
出来ないからそれまでおそらく正確に書かれてた天皇紀や国記を
焚書してまで藤原氏の都合の良いように書かせたんだよ

240 :石原さん:2020/01/11(土) 00:48:45.60 ID:hnfI73wX0.net
女王国の以北にある、狗邪韓国、対馬
国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、
不弥国と投馬国、邪馬台国の他に、遠
くに在って国名だけしか分からない国
として斯馬国、己百支国、伊邪国、都
支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐
奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴
蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬
国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴
国、奴国が記録されている。また、南
の狗奴国の男王卑弥弓呼とは不和との
記録もある。奴国は2回記されている
が同一の国とする説と別の国とする説
がある。

241 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:49:51.37 ID:nCATrYVT0.net
大八段一書三
そこで素戔嗚尊は蛇【韓】鋤之剣(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。
その尾を斬った時に剣の刃が少し欠た。
故に尾を裂きて看るとそこにはにひとふりの剣があった。
名を草薙剣と言う。
この剣は昔、素戔嗚尊の許(もと)に在ったもので、今は尾張國に在る。
その素戔嗚尊が八岐大蛇を断ちし剣は、今に吉備(きび)の神部(かむべ)が許に在る。
出雲の簸(ひ)の川上の山、これなり、とある

242 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:50:05.16 ID:OvVdXfSN0.net
縄文人=邪馬台国=九州
弥生人=大和朝廷=出雲・近畿
と考えると色々と整合性が取れると思うんだけど…

243 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:54:04.75 ID:OvVdXfSN0.net
>>241
八岐大蛇
「八」は「いっぱい」と言う意味で
八っつの頭は、いっぱいの族長の意味
その地方の族長を酒に酔わせて暗殺したのが
須佐之男の八岐大蛇の神話

尾を斬ると言うのは残党の粛清
そして族長の住処から鉄剣を手に入れる
製鉄技術を手に入れると言う意味

だと思うんだよね…

244 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:54:35.75 ID:nCATrYVT0.net
縄文人は混血のベース
日本列島満遍なく分布
畿内の縄文系父系の割合は平均的で東北より高いくらい

245 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:55:28.63 ID:ZEdQoZS80.net
>>242
邪馬台国があった弥生時代には北部九州から瀬戸内海に及ぶ銅剣・銅鉾文化と、近畿・中部を中心とする、銅鐸文化の二代文化圏の存在が知られている

246 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:55:38.13 ID:nCATrYVT0.net
ヤマタノオロチは風の神さま

247 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:57:28.85 ID:OvVdXfSN0.net
>>244
縄文人と弥生人の見分け方であるのは

脚の指で
親指が1番長いのが縄文人
人差し指が1番長いのが弥生人
って見分け方があったはず

片方がエジプトからインド経由で日本に移り住んだ人種で
もう片方がギリシャ周辺からシルクロード経由で日本に伝わった人種
だったはず

248 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 00:58:47.68 ID:h8y9RzJ30.net
>>238
十拳剣が銅剣であるという根拠はない

249 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:01:48.73 ID:HnI8EWDM0.net
>>234
漢の時代
 覇権国: 邪馬台(九州北部)
 朝貢国: 奴国(博多) ・・表向き、倭国代表()

漢衰退期、倭国大乱、邪馬台敗北、覇権喪失(=男王禁止)

魏の時代
 覇権国: おそらく奈良
 朝貢国: 邪馬台  ・・・権力無き権威(形式上の倭国盟主)

華北が崩壊(4C)
 →奈良が邪馬台を滅ぼし、その名と権威を継いだ(奪った)。

当時の列島覇権国は、自ら直接には大陸の臣下に成らず、
配下を朝貢させ、大陸の権威と財を利用し、列島に君臨した。

250 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:19:10.01 ID:lLWk5tAc0.net
>>220
なるほどな
そのルートを応用して帯方郡に渡っていたのなら
生口を10人とかしか連れていけなくて当然だな

100年以上も前に160人とか連れていけた九州の国とは
確かに別物だわ

251 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:26:11.06 ID:L0ziqP9x0.net
>>220
なんじゃそれw天津神も国津神もごっちゃに神話の神様出して
かと思えば鬱陵島ー新羅だぁ?4−5世紀の話かよ
神話の神様ずいぶんご長寿なんやな ソース頼むわ

252 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:33:35.12 ID:MGN2KEWw0.net
>>220
隠岐から鬱陵島まで250kmもあるわけだが
ノンストップで行けるわけ無いだろバカかよw

253 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:33:54.08 ID:OvVdXfSN0.net
>>248
鉄剣の天叢雲剣に当たって欠けてるのだから
鉄剣ではない=銅剣

じゃね?

254 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:37:26.18 ID:h8y9RzJ30.net
>>253
鉄剣に鉄剣をぶつけても刃こぼれはするぞ
同じ鉄剣でも熱処理の技術差によって強度も変わるしな

255 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:40:04.97 ID:AA8l5lsj0.net
>>205
よく分からんが北朝鮮の漂流船って島根や石川県に漂着してるイメージ。
朝鮮戦争の時の難民ボートってみんな九州に来てたの?

256 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:42:39 ID:LAJcKOvp0.net
>>251
壱岐と隠岐を間違えたんだろな、恥ずかしすぎるわ

257 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:45:44.87 ID:OvVdXfSN0.net
>>254
十束の剣が鉄剣って記述が無いのよね
銅剣、または青銅なのはほぼ確定的
鉄鏡じゃなく銅鏡の文化だった訳だし

百歩譲って鉄剣だったとしても、貴方が言うように未熟な製鉄技術で欠けたのだとしたら
九州の製鉄技術が未熟だっちと言う事になるから
須佐之男の九州生誕説は無理があると思うんだけども

258 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:47:31 ID:sgQwJwjj0.net
>>1
卑弥呼の墓・・

ソース元が共同通信wwwwwwwwwwwwwww

259 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:48:32.19 ID:h8y9RzJ30.net
>>257
鉄剣と書かれていないことが根拠なら天叢雲剣だって鉄剣とは書かれていないぞ
どちらも銅剣でも成立する話だ

>百歩譲って鉄剣だったとしても、貴方が言うように未熟な製鉄技術で欠けたのだとしたら九州の製鉄技術が未熟だっちと言う事になるから
ぶつける相手も九州製だから何も問題はない

260 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:50:27.18 ID:pqk+cpf50.net
卑弥呼の墓に100人ぐらい殉葬されたって記録があるんだからいっぱい人が埋まっている所を探せ

261 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:51:57 ID:L0ziqP9x0.net
>>255
対馬海流はかなり速いらしい
1975年に角川春樹が野生号って当時の筏みたいなのを復元して
人力で韓国から日本に渡ろうとしたんだが、全然ダメで普通に船で
曳航されたって笑い話があるw

だから韓国からは普通は山口、島根、丹後とかにたどり着く
が、逆は無理

262 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:53:34.55 ID:YCBex2G60.net
つーか1月5日まであってた九州国立博物館の三国志展に曹操の副葬品持って来た中国の学者が
邪馬台国は北九州だと中国は見てる、っつーか
中国は古代日本についての文献があるだけで古代日本に興味ない、だと

魏の曹操に関わる研究の人だから詳しかったそうだが

263 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:56:51.59 ID:LAJcKOvp0.net
>>262
邪馬台国は北九州とは言ってないぞ
日田で出土したと言われてる鏡が中国製のかなりいいやつだから、
卑弥呼の鏡の1つじゃないかってだけで

264 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:56:53.68 ID:h8y9RzJ30.net
>>260
大規模な殉葬は福岡県久留米市御井の祇園山古墳でしか見つかっていない
たぶんこれが卑弥呼の墓だが発見時すでに盗掘に遭っていた

265 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:57:17.57 ID:EO7iuR0J0.net
>>262
中国では九州から神武が東征して畿内の銅鐸文化を滅ぼしたって事知られてないんだろうか?

266 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:57:38.38 ID:L0ziqP9x0.net
>>262
そりゃそうやろな 古代なら日本より自分らのほうが
進んだ文化持ってたんだもんなw

267 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:58:13 ID:2HlKl2ij0.net
この技術なら宇宙からカツラかどうか分かりそうだ

268 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 01:58:29 ID:yRTeCtFi0.net
卑弥呼の墓は大分県日田市のダンワラ古墳だろ
卑弥呼の鏡の可能性が高い銅鏡が見つかったんだから

まあダンワラ古墳は線路工事で破壊されて跡形も無いんだけどな

269 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:00:07.34 ID:YCBex2G60.net
>>263
日田なのかよく分からんが
鉱物が簡単に出たとかの地理的条件では北部九州しか当てはまらんのだろ?

270 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:04:05.09 ID:YCBex2G60.net
これで箸墓が新し過ぎたらどーなるのよ
吉野ヶ里は古過ぎ、箸墓は新し過ぎとかなりそう

271 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:07:46.80 ID:dxCTwtKG0.net
>>88
神社のご神木にクスノキが多いのも何か関係あるのかな?

272 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:11:12.54 ID:yRTeCtFi0.net
>>270
だから卑弥呼の鏡が見つかったとされるダンワラ古墳なんだろうよ

273 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:11:17.23 ID:LAJcKOvp0.net
>>268
その鏡も古物商が出元だからどこの古墳かもはっきりわからないという残念な話

274 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:15:03.81 ID:qDQoOoS40.net
>>234
魏の属国ではないと思う。同盟の意味合いが、親魏に
でているかと。檄文なんて、現代にも残る檄を飛ばすの語源を使用するのは、其処が魏にとって重要場所と
わかる。
公孫淵を討ち破り、その残党などをうちながら、
楽浪郡、帯方郡をしいていくなか、半島の王族が、
海を渡り逃げてくる。
司馬懿は、公孫淵を、討った際に、二度と魏を
せめないようにするため、15歳以上の男性、
5000人を討った。つまり、徹底した討伐をする。
その首を積み上げたとまである。
その徹底さが、「一大卒」の怖さにつながる。
魏志韓伝には、王族が海を越えて。にげて、勢力回復はかったが、出来なかったともかいている。
出来なかったとも、書いている。

275 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:15:33.65 ID:L0ziqP9x0.net
>>271
都市伝説 クスノキには良い霊が宿っているらしい 霊感鋭い人は
クスノキの近くに来ると歩きにくくなるって話し
それと薬の木からクスノキとかなんとかw

276 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:15:53.30 ID:+fX1BFlG0.net
>>261
そういや何年か前にゴムボートだったかで何故か韓国から日本に渡ろうとして死んだ外務省職員かなんかいたよな…

やっぱ無理有りすぎなんやろな

277 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:19:48.69 ID:L0ziqP9x0.net
>>276
あ〜あったよね なんか胡散臭い話だったような記憶
警察がほとんど動かず韓国に事情も聴かないのはおかしい
ひょっとしたらスパイだったんじゃないかって言われてたよね

278 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:26:53.64 ID:CiwmQUPy0.net
卑弥呼って奈良の人だったの
九州かと思ってた

279 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:28:25.65 ID:oxnA6g1j0.net
この邪馬台国時代の直後、新羅が急速に拡大してるように思えるのだが
このことが、倭国に大きな影響を与えているんじゃないかと思うんだけど
この辺のこと詳しい人いないかな?

280 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:29:04.94 ID:qDQoOoS40.net
>>234
だからこそ、魏志倭人伝で、陳寿さんが、
倭人が、海に潜り、黥(サメ除け)をいれて、
生活していたかを、長い描写で描いているかが、
わかる。
実は、三国志のどの国も持っていない
海軍を、もっていたんではないか。
魏は、赤壁でもそうだが、水軍。
呉は、公孫淵に、援軍だしていたが、
やはり、内海の穏やかな場所の海軍
日本海などの深い荒い海は、大陸は、経験も
準備もなかったと思う。だからこそ、
中原王朝は、騎馬であり、南船北馬であり、
帯方郡を敷設するには、不得手な海を
克服する必要があったんではないかな。
偶然にも、海軍発祥地が、九州にありますね。

281 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:29:55.67 ID:3OHb2qvM0.net
>>274
>魏志韓伝には、王族が海を越えて。にげて、勢力回復はかったが、出来なかったともかいている。

そんなこと書いてあったっけ?

それに魏志韓伝では倭と韓は帯方郡に属したとも書いてあったりする。

是後倭韓遂属帯方(その後、倭と韓は遂に帯方郡に属す。)

魏からしたら倭も韓も属国扱いだよ。

282 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:39:09.61 ID:HnI8EWDM0.net
>>220
九州北部〜半島南部は、倭人(わにん)、つまり邪馬台の
勢力圏。漢の権威を後ろ楯に、交易ルートを独占してた。
出雲(大国様)は、裏手の因幡に新羅(しっら)人を囲い、
倭人(わにん)交易ルート上で密貿易させ、その富で台頭した。
時々、倭人(わにん)にバレ、新羅(しっら)人が身包み剥がされ、
出雲(大国様)に逃げ保護された。 これが、「因幡の白兎」

白兎(しらうさぎ)= 新羅(しっら)人の隠語。
鰐(わに)= 倭人(わにん)、つまり邪馬台の隠語

283 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:39:38.12 ID:qDSzmv5S0.net
>>250
「親魏倭王」となった直後から、九州の超大国である「漢委奴国王」の倭奴国と、
そこに大量に逃げ込んだ、魏に滅ぼされた公孫氏政権の残党たちの 猛反発にあい、
戦争状態に突入した邪馬台国が魏に助けを乞うものの、
魏は、武官(張政)を軍事顧問として派遣するにとどまり、軍隊を派兵しなかったのも
行くのは良いけど帰ってこれないからだし


父である天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)海神国王(漢委奴国王)から、奈良の邪馬台国の制圧を命じられて東征した四人の皇子のうち

次男の稲飯命は暴風雨にあって
「自分の先祖は天の神で、母親は海の神なのに、どうして陸で苦しめられ、さらに海で苦しめられるのか」と嘆き、そのまま韓国の新羅に渡った

という話しにもつながるよ

284 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:39:41.82 ID:AOKf0hiV0.net
近畿説はオワコン

285 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:43:20.96 ID:lLWk5tAc0.net
>>283
なるほど

九州スルーじゃムリなんて

うそ

286 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:46:19.25 ID:6XQavf6F0.net
邪馬台国云々のせいで巻向あたりが色眼鏡で見られるのがな
日本成立の重大な遺跡だろうに

287 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:50:46.56 ID:XaeLrOQd0.net
天皇は朝鮮に帰ってもらって発掘しよう

288 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:54:01.56 ID:c7QtaUdG0.net
奈良県には過去はあるけど未来はない感じ。(´・ω・`)

289 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:54:33.75 ID:qDQoOoS40.net
>>281
魏志韓伝の魏略曰のところに。
魏志倭人伝にもある注釈みたいな感じで。

290 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 02:56:30.22 ID:rL/vCqGQ0.net
ちゃんと立ち入り、検査した方が良くないか?

291 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 03:48:08.62 ID:IdooxPaO0.net
卑弥呼「やだ!エッチ!暴かないで!」

292 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 03:53:18.12 ID:qDSzmv5S0.net
>>285
ねっ、ちゃーーんと【竹島は日本固有の領土】でしょ\(^_^)

293 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 04:03:14.43 ID:qDSzmv5S0.net
邪馬台国は九州スルーで中国にいけない・・という「バカの壁」をぶち壊せば

出雲を国譲りで併合し

帯方郡
ー 韓国
− 対馬國
− 一大国(見島もしくは隠岐)
− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
− 伊都国(出雲)
− 奴国(因幡)
− 不弥国(摂津住吉)
− 投馬国(近江)
ー 邪馬壱國(奈良)

ー 邪馬壱國(奈良)
− 投馬国(近江)
− 不弥国(摂津住吉)
− 奴国(因幡)
− 伊都国(出雲)
ー 隠岐
ー 鬱陵
ー 韓国
帯方郡

で、全く問題がありません

294 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 04:08:25 ID:qDSzmv5S0.net
>>293
生口10人、班布二匹二丈しか献上できなかったことも

漢委奴国王の金印を、魏の皇帝に差し出して、
魏の皇帝に恭順する意を示さなかったことも

末廬国という本土に上陸した後は、次の伊都国まで500里も延々と、
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎だったことも

戦争状態に突入した邪馬台国が魏に助けを乞うものの、
魏は、武官(張政)を軍事顧問として派遣するにとどまり、軍隊を派兵しなかったことも

九州の彦瀲海神国王(漢委奴国王)の四人の皇子が、なぜ奈良に東征したのかも

東征した四人の皇子のうち、次男の稲飯命が、そのまま韓国の新羅に渡ったことも

畿内のヤマト王権の九州進出で、ヤマト王権が航海に起用した氏族は
九州の 大綿津見神(豊玉彦)を祖とする阿曇氏ではなく
出雲の 6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)を祖とする宗像氏だったことも

すべてすっきり解決します

295 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 04:35:48.01 ID:X6phC58A0.net
宮内庁は何を恐れてるのか

296 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 06:27:05.50 ID:O9QagKEJ0.net
箸墓古墳は、主体部を掘ってないので
結論は出せないが
周囲の遺構から出土したものは
すべて4世紀後半以降の遺物である。

297 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 06:30:35.34 ID:jCauH65E0.net
誰の墓か知らんけどそっとしといたれや

298 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 06:57:53.99 ID:0NnW8NuF0.net
桃の実?だっけかが出土した纏向遺跡(線路の隣)見に行ったんだけどめっちゃ団地の内部でワロタ
アレは確実に遺跡打ち壊されてますわwww

299 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 07:30:23.12 ID:deH8eYNL0.net
>>296
箸墓古墳はありえん(卑弥呼の墓じゃない)

四世紀初めの木製輪鐙  乗馬 定説の50年前から?
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の周濠から、乗馬の 際に足を掛ける馬具、木製の輪鐙(わあぶみ)が見つか
り、桜丼市 教委は三十日、「輪鐙は四世紀初めに周濠に投棄され たと推定され、国内最古の馬具である
可能性が高い」 と発表した。
輪鐙は落葉などが20〜30年にわたってたい積して 固く締まった層から、四世紀初めの大量の土器と
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ともに 出土。同時期に投棄されたとみられ、後世に混入した可 能性は低いという。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2.馬具出土の事実と、これについての解釈
この報道では、「四世紀初めの大量の土器」となっている が、桜井市教育委員会に電話をし、うかがった話では、これ は、
「布留1式」の土器が出たという意味に理解してよい、と のことであった。

300 :石原さん:2020/01/11(土) 07:39:13.62 ID:hnfI73wX0.net
日明貿易も足利氏を日本国王と勘違いしていた

301 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 07:54:33.81 ID:K3ktkmdG0.net
>>8
昭和天皇の弟・三笠宮様は歴史学者で
天皇家のルーツを研究されてたよ。
色々面白い逸話も残ってる。

302 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 07:55:11.44 ID:hEL0G/pJ0.net
>>245
>邪馬台国があった弥生時代には北部九州から瀬戸内海に及ぶ銅剣・銅鉾文化と、近畿・中部を中心とする、銅鐸文化の二代文化圏の存在が知られている

「銅剣・銅鉾文化圏」 と 「銅鐸文化圏」、両方に重なる位置の「阿波」が、「銅剣・銅鉾文化」および「銅鐸文化」の発信地なのである。   @阿波

303 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 07:57:44.10 ID:QP8Figcg0.net
>>142
この奇妙な無茶苦茶さは隣国人か?
思い通りの妄想歴史が通じなくなって
目茶苦茶なことを言い出してるのか?

日本人がつまり倭人が入植していたのは半島
の南端だけだな
いちばん半島中で気候が日本と似ていて稲作
をしやすいところしかも海が苦手な半島民族と
違って渡海術にすぐれているから半島民族の
羨望をよそ眼に鉄を採取したり鮑を取ったり本来
の列島の拠点と好きなように2日かけて自由に往来
していただけだ
半島南端部に進出していた倭人の一部の者たちは
墓を二カ所でもっていた可能性まであるわけだが

304 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:02:31.82 ID:deH8eYNL0.net
>>303
古代史スレはチョンコだらけだよ

戦後、韓国と北鮮は、負け犬の遠吠え的ウリナラマンセー教育で国民を洗脳し、日本に与えた影響力を
大いに誇張して喧伝することによって、地に落ちた自尊心を回復しようとたくらんだ
(また、半島における中国の影響も、ほとんど無かったコトになっている。)
それとは逆に日本では半島史研究が急速に衰退したので、連中のデタラメを無批判に信じ込む
反日サヨク教師・バカサヨク学者・バカ左翼マスゴミが言いたい放題を繰り返すことになる
いい例が高松塚古墳の壁画だ。どう見ても漢人の風俗なのに、朝鮮文化だと騒いでいた

 ソウル・平壌を含む半島の主要地域は、B.C.108〜A.D.313まで400年間も漢人の植民地(楽浪郡
・帯方郡)で、それ以降も半島には漢人・楽浪文化→中国のコピーが現在まで続いている。
そして半島に、朝鮮(韓国)文化らしいものが芽生え始めたのが、新羅が半島南部を統一した、
7世紀後半以降のことである
朝鮮文化が成立する前のハナシなのに、「これは朝鮮文化だ!」と喧伝するのは危痴害の戯言
以外の何ものでもない
朝鮮人が「朝鮮文化を日本に教えてやった」言っているものは、すべて漢・楽浪文化だ
ようするに、313年に楽浪郡が滅ぶと、漢人達が徐々に南下してきて半島南部や日本側に渡っ
て、その文化を授けたのである
代表例が、日本に漢文を大系的に伝授した王仁博士で、同じ時代に百済も漢人に漢文を教授されている  

「司馬史観」なるものも要注意だ いい小説家ではあるが彼は歴史家ではない
 チョンコおもねり史観のきらいがある 要注意だ

305 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:04:18.50 ID:hEL0G/pJ0.net
>邪馬台国があった弥生時代には北部九州から瀬戸内海に及ぶ銅剣・銅鉾文化と、近畿・中部を中心とする、銅鐸文化の二代文化圏の存在が知られている

「銅剣・銅鉾文化圏」 と 「銅鐸文化圏」、両方に重なる位置の「阿波」が、「銅剣・銅鉾文化」および「銅鐸文化」の発信地なのである。   @阿波

306 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:05:33.08 ID:QuArxYOH0.net
ヒルコさまが目覚めてしまう

307 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:06:52.67 ID:8hQ7E0eE0.net
箸墓古墳は田舎なので
全く盗掘されていないよ。

308 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:26:17 ID:hEL0G/pJ0.net
心を落ち着かせるための小休止?  わははははは   @阿波

309 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:28:57.42 ID:FzTqt69h0.net
>>287
憐れな在日韓チョン人

310 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:32:53.27 ID:LAJcKOvp0.net
>>304
朝鮮人におもねってるようにみえて
右派って言われてたんだぜ
戦後の時代の空気感からしたら明治時代や江戸時代を讃えることすら相当やばい

311 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:40:50.72 ID:09uv+fEo0.net
>>310
キムチ御飯食べ終わった?

312 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:48:22.55 ID:8YpqtLRv0.net
日本人は皆、漢文が正しく読めないな
魏志倭人伝には卑弥呼が伊都国にいたと書かれてるじゃないなw

313 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:50:23.08 ID:8YpqtLRv0.net
>>298
纏向遺跡からも5世紀以後に日本へ伝来したベニバナの花粉が出土してたな。

314 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:51:17.90 ID:hDIXmPhh0.net
近畿は魏志倭人伝でいう女王国の東にあった「倭種の国」であり、邪馬台国連合の「倭国」とは無関係だ。

315 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:55:20.31 ID:8YpqtLRv0.net
>>300
明に対して足利義満が日本国王を称してたからだろ。

316 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:55:41 ID:+pnrJ3oa0.net
>>312
お前は日本語が正しくないな

317 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 08:58:00.26 ID:EO7iuR0J0.net
>>242弥生時代の北部九州の墳墓からは、鏡・剣・玉が多数出土し、しかもこの三点がセットになっている場合も多い。これは天皇家の三種の神器と文化的に直結する。これに対して畿内の銅鐸文化は、次の古墳文化にまったく接続していない。

318 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:01:59.55 ID:hEL0G/pJ0.net
>>317
>邪馬台国があった弥生時代には北部九州から瀬戸内海に及ぶ銅剣・銅鉾文化と、近畿・中部を中心とする、銅鐸文化の二代文化圏の存在が知られている

「銅剣・銅鉾文化圏」 と 「銅鐸文化圏」、両方に重なる位置の「阿波」が、「銅剣・銅鉾文化」および「銅鐸文化」の発信地なのである。   @阿波

319 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:04:24.23 ID:WfBFnIZR0.net
朝鮮半島に九州スルーして渡るのは危険過ぎる
と言うことはそんな危険侵さないといけない理由がある
九州にヤマト王権に匹敵するもしくは凌ぐ反対勢力があったのだ!

320 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:21:33.90 ID:KnftcJRX0.net
>>317
AD100年代の天候不順と紀元前後〜AD200地殻隆起などでクニ水準の祭祀が転換したからな

321 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:26:02.35 ID:LAJcKOvp0.net
>>317
銅鐸文化圏とか、昭和から来たの?ってくらい古い話してんなw

322 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:26:42 ID:4g/6aoam0.net
箸墓は竪穴てわかってるだろ その確認のためか?

323 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:27:18 ID:LAJcKOvp0.net
>>319
出雲と壱岐が関係が深い
九州をスルーしてるかは分からないが、出雲→壱岐はルートとしてはあるみたい

324 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:35:50.75 ID:fkuV1mo40.net
>>318
>>320

記紀神話が語る神武東征は神武天皇の兄・五瀬命の戦死でも分かるように、決して楽な戦いではなかった。

325 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:36:31.43 ID:hEL0G/pJ0.net
>>322
>箸墓は竪穴てわかってるだろ その確認のためか?

だから、鳴門萩原発祥なんだよ。   @阿波

326 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:36:47.20 ID:8YpqtLRv0.net
>>139
魏志倭人伝の記述によると朱は魏から倭へ贈られているが、倭から魏へは贈られてないな。

327 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:38:45.96 ID:hEL0G/pJ0.net
>>324
>記紀神話が語る神武東征は神武天皇の兄・五瀬命の戦死でも分かるように、決して楽な戦いではなかった。

その通り。   倭国(阿波)国内のお話!   @阿波

328 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:41:11.18 ID:fkuV1mo40.net
>>327
難波から大和に入ろうとして長髄彦の抵抗にあい、海路をたどって紀伊半島を迂回して熊野に上陸し、背後からついてようやく大和を平定したとある。

329 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:42:57 ID:hEL0G/pJ0.net
>>326

「其四年倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人上獻生口倭錦絳青?緜衣帛布丹木付短弓矢」   @阿波

330 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:43:23 ID:8YpqtLRv0.net
>>328
九州から先に大和に入植してた人々が既に居たようですね。

331 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:44:35.03 ID:8YpqtLRv0.net
>>329
丹木・・・赤い木
丹山・・・赤い山
ですよw

332 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:44:35.71 ID:KxdLokrx0.net
モモソヒメが卑弥呼、すなわち女王なんだったら同時期にいた(はずの)
崇神天皇はどういう位置づけになるの? トヨが出てくる前に国があれた
時の王かい? あとトヨは誰なの?

333 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:46:26.18 ID:hEL0G/pJ0.net
>>328
勝手読み!

神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。

神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。



東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。

西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳で、 中央に南北方向の結晶片岩石積の竪穴式石室がある。

竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m、 墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が晶片岩で覆われている。

石室には粘土でつくられた棺台があり、刳抜式木棺があったと考えられている。

石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。

棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土、棺外からは鉄槍や土器が出土した。

3世紀半ばの築造と推定されている。 

334 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:54:24.91 ID:8YpqtLRv0.net
>>329
丹木付短弓矢・・・これで一つの品物の名称ですよ
丹だけ切り離したら文章として変でしょ。

335 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:54:31.75 ID:3OHb2qvM0.net
>>312
世有王ってのが卑弥呼だとするのは、九州説の中でも賛否あるんだがな。

邪馬台国が女王之都とあるのは言うまでもないが。
魏志倭人伝の中で卑弥呼は「女王」と呼称されてる。
伊都国に「王」がいたとあるが「女王」ではない。
伊都国にいたのが卑弥呼であるなら、なぜわざわざここだけ「女王」ではなく「王」と表現したのか?


王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯

魏の京都や帯方郡、韓国に使者を送るのは「王」
文書や贈り物を受け取るのは「女王」
文章の揺らぎとしても酷い。

336 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 09:59:39.41 ID:4g/6aoam0.net
奈良県立橿原考古学研究所、箸墓古墳と西殿塚古墳の3D調査に成功
https://torachangorogoro.hamazo.tv/e3654778.html
箸墓古墳は、後円部が5段で前方部が3段になっており、
側面にも段があることがわかった。


第7代孝霊天皇の娘でしかないはずの百襲姫が
当時としては最大で天皇以上の5段に埋葬されたのはなぜなんだぜ
ていう疑問はある

337 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:04:25.07 ID:LAJcKOvp0.net
>>336
巫女だからだろ
王より巫女の方が偉いこともありなん

338 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:08:18 ID:hEL0G/pJ0.net
>>336
>箸墓古墳は、後円部が5段で前方部が3段になっており、
>側面にも段があることがわかった。


だから、鳴門萩原発祥なんだよ。   @阿波

339 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:14:51.76 ID:SJM9u7Jc0.net
邪馬台国阿波説は考古学会では邪馬台国阿呆説と読んで完全に無視をしている

340 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:17:01.32 ID:KxdLokrx0.net
阿波と言うか四国は流刑地だったと思うんだよねえ。

341 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:18:41.36 ID:+pnrJ3oa0.net
>>340
古墳時代くらい昔の事は知らんけど
今の徳島民は犯罪人の子孫だろ

342 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:18:54.06 ID:tdKqyx7W0.net
>>27
じっちゃん、ご存命

343 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:19:41 ID:1n22RPva0.net
古代ヘブライの末裔が
>>295
DNA検査

344 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:20:24.93 ID:fkuV1mo40.net
>>330
>>333
神武東征は神武東遷とも言われるが、これはたんなる首都の平和的移転や遷都ではない。それはまさに九州勢力と畿内勢力との軍事対決であり、征服戦争だったんだよ!

345 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:21:23.13 ID:KEVSHtD60.net
どうでもいい事に無駄金使うな

346 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:21:42.90 ID:hEL0G/pJ0.net
>箸墓古墳は、後円部が5段で前方部が3段になっており、
>側面にも段があることがわかった。


だから、鳴門萩原発祥なんだよ。   @阿波

347 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:22:06.76 ID:+OuoaFV90.net
卑弥呼の遺伝子が微レ存?

348 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:23:17.22 ID:hEL0G/pJ0.net
>>344
妄想話は、所詮妄想でしかない!  わははははは   @阿波

349 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:25:24.60 ID:Mr0yLo5z0.net
どこぞの大川さんに卑弥呼さん呼び出してもらって色々聞けばいいじゃん

350 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:27:06.86 ID:fkuV1mo40.net
>>348
この征服戦争の為に、神武軍は大兵力と大船団と周到な準備を必要としたであろう。

351 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:27:49.17 ID:KxdLokrx0.net
>>342
存命でも名前にかけても良いんでないの?

352 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:28:44.53 ID:KxdLokrx0.net
とりあえず欠史八代説くらいは知っとこうか。採用するかしないかは別として。

353 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:29:17.44 ID:8YpqtLRv0.net
>>335
魏の京都や帯方郡、韓国に使者を送るのは「(伊都国の)王」
文書や贈り物を受け取るのは「(何処か別の所に居る)女王」

文書として変じゃないかい?

王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露・・・昔から変わらい伝統 

傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯・・・魏使の見た今の事

この程度の意味だろ。

354 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:31:15.30 ID:hEL0G/pJ0.net
>>350

誇大妄想。 卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。   @阿波

355 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:34:15 ID:+vgkd8RY0.net
あほ
入って調べろ

356 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:34:30 ID:XuDdFLTM0.net
>>335
伊都国に王がいると書いたすぐあとに、みな女王国に属す
とわざわざ注を入れてるんだから
この王も女王の下だってことだろ

357 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:34:53 ID:+vgkd8RY0.net
>>354
海路なら可能

358 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:35:09.92 ID:fkuV1mo40.net
>>354
しかるに東征の時期を4世紀後半とすると、九州勢力が朝鮮半島での新羅・高句麗との戦争と並行して、近畿地方への東征と言う二大正面作戦を敢行した事になる。

359 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:37:55.34 ID:8YpqtLRv0.net
>>350
大兵力なんて必要なく
先住の大和の豪族も大した勢力では無かったんだよ
大規模な戦闘の痕跡とかないからね。

360 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:38:06.01 ID:WfBFnIZR0.net
東征なんてデッチ上げでホントは権力争いに負けて東に逃げたんだよ

361 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:46:28.92 ID:1+3LdPcs0.net
>>38
今もそうなのかも知れないけど
この時代の日本の学者の面子への拘りって異常だよなw
とてもじゃないが科学の徒とは思えない

362 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 10:51:42.26 ID:4g/6aoam0.net
天皇3段 百襲姫5段
天皇は百襲姫より格下ということになる

>西殿塚古墳は、後円部東側が3段・西側4段。

台与の墓とも言われる西殿塚古墳3段と4段の複合

つまり 百襲姫>台与>天皇

363 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:03:14.07 ID:fkuV1mo40.net
>>360
でっち上げじゃないよ!それはまさに九州勢力と畿内勢力との軍事対決であり、征服戦争だったんだよ!

364 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:07:11.02 ID:hEL0G/pJ0.net
>>357
>海路なら可能

即、地元の海賊の餌食だよ。  わははははは   @阿波

365 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:07:29.66 ID:WfBFnIZR0.net
250年頃に九州にあった巨大勢力が300年以降衰退していき
畿内にあったヤマト王権が背乗りしたかパクった
これで解決

366 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:07:38.21 ID:+pl5mGMz0.net
>>336
こないだまで箸墓は四段って言ってたはずだが?

いずれにしろ三段や四段があったからそれより段数を多くした。
という事は箸墓は最古の前方後円墳では無いという事だ。

367 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:07:58.07 ID:bHhEXitD0.net
「東征」は卑弥呼前から同時期くらい
銅矛の広がり、畿内の弥生集落の消滅、銅鐸の廃棄、高地性集落の形成と消滅、ニギハヤヒにあらわれる
でも「東遷」はなかった
というか首都の概念がなかった
あえていうなら倭王の行く先々が首都だった
倭京が日本で最初の首都かな
それでも遷都癖が収まらなかったのはそういう来歴からだろう
大陸を流浪して列島にたどり着いたというのはまんざら嘘でもないかもな、なんて

368 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:08:40.15 ID:hEL0G/pJ0.net
>>363
>でっち上げじゃないよ!それはまさに九州勢力と畿内勢力との軍事対決であり、征服戦争だったんだよ!

誇大妄想。 卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。   @阿波

369 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:08:43.50 ID:fkuV1mo40.net
>>365
それはない!畿内や中部地方の先住民は弥生時代後期に九州人に滅ぼされた

370 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:09:12.13 ID:1+3LdPcs0.net
>>360
それも一理あるよな
権力争いに負けたとかあるいは火山活動が活発化してとか
いずれにせよ東征ではなく東へ避難したのだと

371 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:12:34.07 ID:qDQoOoS40.net
>>334
そうですね。丹木は、「山海経」にも、かいせつあります。これは、なるほど、古代からある
神聖なクワ科のカジノキだね。
絹もできるし、赤い丸い実をつける。
丹木付短弓矢の文型は、
例えば、石に置き換えて、撃石付石という
文章も実際にあるしなあ。

372 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:13:06.65 ID:hEL0G/pJ0.net
>>370
>東へ避難したのだと

その「東」ってどこ?   @阿波

373 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:13:32.41 ID:fkuV1mo40.net
>>368
話しの続きだけど、しかし、これは政治的・軍事的には考えられない事態である。従って、東征は朝鮮半島での倭国の軍事活動が本格化する以前、すなわち4世紀前半までに行われたと想定される。

374 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:14:08.28 ID:+pnrJ3oa0.net
>>366
だよな
前方後円墳の初期に作られたのなら
三段や四段の古墳と区別することまで普通は考えてないんだよな

五段だから一番偉い
というのを最初に決めてないとおかしいわけで

後からのこじつけ感が強いんだよな

375 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:15:21.68 ID:rmBUffX30.net
>>366
箸墓が最古の古墳だったらすごいわw
中国の皇帝より古い古墳かよ

376 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:15:55.68 ID:HxFZjg9R0.net
台与が死んだ辺りで西に移動して成功したんだろ
だから感謝の気持ちを込めて卑弥呼たちを天照豊受という神様にして祀った

377 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:17:29.94 ID:rmBUffX30.net
>>374
五段だから一番偉いというのを最初に決めてたわけではないだろうな
モモソ姫よりも偉い天皇があらわれなかったので
結果的に箸墓が一番偉い人の墓の形状になっただけで

378 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:17:31.51 ID:w0moC4oq0.net
楊貴妃の墓もやって

379 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:18:50.93 ID:+pnrJ3oa0.net
>>375
最古級の前方後円墳

他人のレスはよく読んだ方がいい
特に批判的なレスをするときはね

でないと馬鹿にされることもあるよw

380 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:20:23.78 ID:Mh2wSOfV0.net
>>368
中世以前の戦争は略奪ありの現地調達なので兵站はあまり考慮されないよ

381 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:21:19.67 ID:rmBUffX30.net
>>337
『古事記』ではモモソ姫は最高神・大物主の妻なので
『古事記』の中でも天皇よりもモモソ姫のほうが偉い人になってる

382 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:21:41.56 ID:fkuV1mo40.net
>>368
また東征を4世紀後半以降とするのは、銅鐸文明の消滅時期との関連からして遅すぎると思われる。

383 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:22:41 ID:+pnrJ3oa0.net
>>377
単純に土木技術の差だと思うよ

最初期の前方後円墳だったので、どうやって作ればいいかわからなかったとか、

本来は4段で予定の高さまで積み上げるはずだったけど、失敗して4段ではちょっと低かったのでもう1段増やしたとか
理由なんていくらでも予想できる
特別な人だったから5段とは言えないんだよ

前方後円墳の様式が成立してしばらくたってからの中期ごろに作られたのなら、5段だから偉いという理屈は信憑性もあるけど
最初期は試行錯誤の最中だろうから成り立たないよ

384 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:22:47 ID:rmBUffX30.net
>>379
箸墓が最古級の前方後円墳というのは学問的な定説だから
否定したいならソースが出して

385 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:24:28.06 ID:+pnrJ3oa0.net
>>384
は?
何言ってるの?www
俺は、箸墓古墳は前方後円墳の最古級だと言ってるんだよ

理解できてる?
大丈夫か?

386 ::2020/01/11(土) 11:25:50.18 ID:M49wk0Hc0.net
>>320
うんうん。
天候不順による不作と政治の腐敗で後漢がグラグラしてくる時期に、
東アジア各地の地方首長のお墓も大きくなるんだよね。
日本だと弥生墳丘墓から古墳時代に突入する。

冊封の安全保障体制が揺らいで、新興勢力が勃興して、
墓制(≒宗教)も新しくなると。

387 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:25:52.55 ID:UpJjpIbX0.net
さっさと掘れよ無能学者共。
国の歴史という大事を、一部のカルト公務員に独占されてる馬鹿のくせに、
やたらと「九州説はキチガイ」とか「阿波など誰も相手にしてない」とか
人の悪口ばっかし。団結して国に言っていかないといけにのに、同じ学者
達を見下して自ら分断されてる。こういうの一番最悪のダニ。
クズはお前らだろう。

388 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:26:57 ID:z7EIAuB50.net
天皇の祖先とされる墓にある骨からDNAを調べたら今の皇族と一致しないんだろうな
絶対に途中で何度も入れ替わってる

389 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:28:47.76 ID:rmBUffX30.net
>>385
ウソつき
あなたは箸墓古墳は前方後円墳の最古級だと言っってないです

390 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:29:11.18 ID:5+T91e/e0.net
>>1
卑弥呼は韓国からの渡来人であることが確定している。
現在の韓国南部の住人多数と遺体のDNAを比較してみれば結果はすぐ出る。

391 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:30:06.22 ID:+pnrJ3oa0.net
>>389
では何て言ってる?
>>374で初期って書いてるぞ
初期と最古級は違うという屁理屈か?

392 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:31:13.93 ID:fkuV1mo40.net
>>390
それはない!ただ畿内や中部地方の先住民は弥生時代後期に九州人に滅ぼされた

393 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:31:25.60 ID:6Y5/Apv70.net
箸墓がなぜ重要かというと明らかに最高ランクの墓だから。
当時の人々は「箸墓に眠る人は天皇よりも偉い」と思っていたことはその形状から間違いない。

五段築成 箸墓
四段築成 とくに偉大な天皇の墓
三段築成 天皇の墓

394 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:32:17.39 ID:SJM9u7Jc0.net
俺が邪馬台国奈良論を信じているのならば宮内庁や文科省に箸墓古墳の公開調査を
要求するぞ。ひょっとしたら「親魏倭王」の金印もあるかも知れんからな。
しかし、残念ながら邪馬台国は奈良とは無関係なので金印が出る事は絶対に無い。

395 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:32:41.84 ID:APSLZ5Uz0.net
>>353
一文を途中でぶった切って、過去現在と解釈を分けるのは無理筋すぎるよ。
魏志倭人伝文中を、王、男王、女王、卑弥呼って切り口で見ると、伊都国の王は、卑弥呼とは別人としか思えんのよな。

>>356
普通ならそう捉えるよな

396 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:32:59.71 ID:5+T91e/e0.net
>>388
天皇家は韓国とも血縁関係があるからな。韓国人のDNAの入り具合によっては、当時と今のDNAの相違点は多くなるかもしれない。

397 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:33:45.28 ID:5+T91e/e0.net
>>392
卑弥呼が韓国人だと何か不都合でも?

398 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:34:59.74 ID:+pnrJ3oa0.net
>>397
どんな根拠で渡来人だと確定してるんだ?

399 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:35:30.38 ID:VDA8+HEF0.net
昔の日本と韓国は近い種族だった
モンゴルに征服されてレイプされてから完全に別種族になっただけだろ

400 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:36:40.32 ID:HxFZjg9R0.net
>>394
わざわざしなくても良い東征の話盛り込んでるし縁者はいるんじゃないか
金印持ってける立場には無いと思うけど

401 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:36:41.68 ID:1+3LdPcs0.net
>>388
そんなのもう誰もが知っている事なのにな

俺は万世一系という神話ファンタジーはあってもいいと思うんよ
科学的な正しさと信仰における正しさの概念はまた別のものだからさ
例えばガンジス川ってくっそ汚い川だけどあそこで沐浴することが信仰的には汚れをはらう神聖な行為になるようにさ

天皇家が簒奪者でも万世一系がファンタジーでもいいじゃんって思う
「そういう事」にしてなんとなく尊いものとする気持ちの方が大事なんだから

402 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:36:42.98 ID:fkuV1mo40.net
>>397
倭国の朝鮮半島での第一回の軍事活動は367年であり、この初めての海外派兵の367年までに、九州勢力が作った大和朝廷による日本統一がなされたと考えられる。

403 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:37:49.74 ID:rmBUffX30.net
>>396
百済や新羅の王族は倭人だから
朝鮮の王族(倭人)と天皇が血縁関係あるというのは知ってるが
そもそも朝鮮人と天皇が血縁関係あるなんて聞いたことがない

404 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:38:11.50 ID:5+T91e/e0.net
>>398
最新の研究結果。

405 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:40:21.53 ID:5+T91e/e0.net
>>399
いや、日本人は韓国人の子孫で確定してる。同じ民族と言っていい。

406 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:40:48.92 ID:rmBUffX30.net
>>388
日本の場合、神社の歴史などは途絶えてないから
血は繋がってると思うぞ
男系の直系とは思えないがDNAは一致するはず

407 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:40:53.27 ID:S7NjYjP40.net
>>396
そもそも半島は高麗の時代にフビライの元に征服されて民族が相当数入れ替わってる説あり

408 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:42:35 ID:VDA8+HEF0.net
>>405
日本人と中国と言うかモンゴル人のハーフだよ
モンゴルに征服される前と後では全くの別人種

409 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:42:39 ID:8YpqtLRv0.net
>>402
朝鮮半島で戦争してた時期には都はずーと九州に在った
でないと遠すぎて朝鮮半島で戦争できないな。

410 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:43:22 ID:+pnrJ3oa0.net
>>404
なんだ妄想か

411 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:43:23 ID:rmBUffX30.net
>>405
科学的な遺伝子解析結果を見ると
韓国人が日本人の子孫
南にある九州のほうが温暖化による人口爆発が早いので
南朝鮮に初めて大きな集落を作ったのは九州人の移住者

412 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:43:31.28 ID:AXDSEcF60.net
邪馬台国と大和王朝は別物だろ

413 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:43:47.02 ID:5+T91e/e0.net
>>407
そういう説もあるが、今の日本人のDNAを見ると、韓国人の子孫としか考えられない。いわば韓国人は日本人の父母。
だが、日本人は、母を慰安婦として扱って性欲をみたし、父を徴用工として強制労働に駆り立てた。
これが国連で日本が非難される理由。

414 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:44:02.26 ID:fkuV1mo40.net
>>409
そうだよね

415 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:44:36.28 ID:S7NjYjP40.net
>>405
元に征服以前の半島人と元に征服された以降の半島人は民族形態が違う
それに半島人は支那の王朝が入れ替わる度に征服されてるから支那の流刑地を兼ねてる意味合いが濃い

416 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:45:57.49 ID:8YpqtLRv0.net
>>408
朝鮮には漢の時代には楽浪郡、帯方郡が置かれてたし
その後も次から次へと北方民族が侵入して来てるから
古代の韓族とか殆ど残っていないな。

417 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:46:29.29 ID:fkuV1mo40.net
>>412
別物だけど九州勢力が畿内勢力と戦って滅ぼした後に大和朝廷を建てた

418 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:47:46.68 ID:6hbQ1uOm0.net
>>401
気持ち、というか、そこまで完成された権威と信仰の打ち立て方は興味深いな
明治のちょっと安直なな絶対権力者的なのは頂けないけど

419 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:47:49.17 ID:8YpqtLRv0.net
>>414
秀吉が朝鮮征伐の際には名護屋城に居たことからも分かるね
大阪じゃ遠すぎる。

420 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:47:57.97 ID:5+T91e/e0.net
>>416
いや、韓国南部にかなりの数の韓国人が残ってたよ。
日本人の祖先ともいうべき人たちがね。

421 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:48:31.97 ID:fkuV1mo40.net
>>419
本当そうだよね

422 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:49:57.46 ID:5+T91e/e0.net
>>415
いや、日本人は自力で自然発生したとか、非現実的なことを言っても仕方がないと思う。
日本人には祖先があって、それは受け入れ難くとも韓国人であると、事実は事実として認めるべき。

423 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:49:58.91 ID:rmBUffX30.net
>>420
韓国南部に残ってた韓国人は、日本人の子孫だよ
中国の歴史書でも朝鮮南部にいるのは倭人ということになってる

424 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:51:13 ID:5+T91e/e0.net
>>423
つまり、日本人の祖先である韓国人がいたということ。

425 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:51:42 ID:UzGWWghG0.net
明治天皇は日清戦争の時に、指揮をとるため広島城に移ったからな
皇居江戸城だと遠すぎるから

426 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:52:23.52 ID:UzGWWghG0.net
日本人とユダヤ人だけに伝わるYAP遺伝子
https://kuhuu.info/2017/10/30/yap/
YAP遺伝子 日本人男性だけが受け継ぐ遺伝子
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10122185965

中国人や韓国人はこの遺伝子は持っていません

427 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:53:50.21 ID:qaATq/rT0.net
天皇家と宮内庁が無くならないと本当のことはいつまでもわからない

428 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:54:20.36 ID:8YpqtLRv0.net
>>422
韓国人ってのは今の人のことだろ
倭人が南下した後の開いた所に南下してきたんだろ
略別の民族だろ。

429 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:55:17.65 ID:5+T91e/e0.net
>>426
いや、普通にその遺伝子は持ってるんだが

430 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 11:59:17.16 ID:1+3LdPcs0.net
天皇家ファンタジーをぶっ壊すには今このタイミングが最適だと思うんだけどね
昭和天皇に残ってた国家神道のイメージは当代で完全に無くなったし
国民もファンタジーと科学を切り離してどちらも尊重して受け入れられる
ようになってると思うんだが

431 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:05:09.82 ID:S7NjYjP40.net
>>422
倭人のルーツは海洋系マレー系だよ
あと支那から琉球経由の南方系
半島も少しは混じってるがあくまでベースは南方系

432 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:05:10.43 ID:hEL0G/pJ0.net
>>380
>中世以前の戦争は略奪ありの現地調達なので兵站はあまり考慮されないよ

中世以前の戦争で、大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなどないよ!  わははははは   @阿波

433 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:10:40.99 ID:AegLra5J0.net
>>431
なんだっけ、呉だか辺りのなんとか伯な子孫名乗って使者をやった記録もあったよな
海流的には南方系のが自然な気はするな

434 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:13:02.58 ID:+hVbKTEZ0.net
どうせ5世紀の遺品を隠すかゴッドハンドで年代幅を3世紀までずらすんだろ

435 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:18:10.76 ID:1+3LdPcs0.net
>>433
海彦山彦や浦島系とか南方の民話も共通してるしね
倭国というのが北九州であり南方の海洋民族がルーツなのは間違いない

436 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:18:37.97 ID:8YpqtLRv0.net
>>432
足利尊氏とか関東から九州まで走り回って戦ってますけど。

437 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:19:38.41 ID:7vmULugy0.net
 
「微レ存」を探す科学、胸が熱くなるな!

438 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:20:19.21 ID:CmovUbhG0.net
>>430
ファンタジーだけで切り捨てるのも乱暴な気はするが…「隠す」という呪術的な行為がまだ天皇家を生かすパーツとして生きてると言えるんだからそこの考察とかも興味深いのでは
ま、考古学的には調査入ったら面白いだろうことも分かるけどさ
宮内庁関係ない古墳でも予算とかの問題で未調査とかまだまだあるらしいしそっちを先にしてからでもいいのでは?
箸墓相似形のも幾つかあるし

439 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:25:31.07 ID:+pnrJ3oa0.net
>>434
ゴッドハンドの共犯者の意見を得意げにコピペする畿内説のアホがいるもんな

440 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:25:56.62 ID:3WJc8hVC0.net
そうそう足利尊氏は天皇の正体に気がつた節あるな

441 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:27:57.43 ID:fkuV1mo40.net
>>439
地元大好きな関西人の百田尚樹ですらかばいきれなくて畿内の先住民は弥生時代後期に九州人に滅ぼされたってはっきり言ってるからね!

442 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:35:30.55 ID:1+3LdPcs0.net
>>438
呪術的意味とかをそこまで突っ込んで考えてたわけじゃないんだ

俺は古代日本において天皇家が簒奪者であったことも断絶があることも確実だと思ってるんよ
卑弥呼や邪馬台国とも繋がっていないし継体天皇だってそうだ
ただここいら辺が学問的に明らかになったところでそれでも1300年から続いた歴史は否定されるもんじゃないし天皇家の神話としての価値も薄れないとも思うんよ
国家神道の成立と共に染み付いた妙なタブー意識で学問的公平性が失われるのがなんとも残念だと思うのよ

畿内説の根底にある固定観念だって大和朝廷と卑弥呼が繋がってないと困る、ひいては天皇家が昔から倭の王だったことにしないと困るという事でしょ

443 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:35:42.56 ID:OvVdXfSN0.net
>>259
天叢雲剣は鉄剣だぞ?
何を言ってるんだ?
仮に銅剣だとしたら須佐之男の持ってた銅剣は更に質の低い銅剣と言う事になるから

444 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:37:34.38 ID:a4xu+5jt0.net
キリストの墓が青森にあるんだから、海外かもしれない

445 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:38:50.27 ID:4g/6aoam0.net
>>1
>箸墓古墳(全長約280メートル、3世紀中ごろ〜後半) ←
>県立橿原考古学研究所が9日、発表した。

箸墓は4世紀と主張していた橿原考古学研究所がついに折れて
3世紀中ごろ〜後半と認めたの?

446 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:40:07.17 ID:OvVdXfSN0.net
>>274
親の意味は親しいじゃなく、親と子の関係だからね
皇帝が王を任命するのが中国文化だし

447 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:42:46.10 ID:r6K/cGaE0.net
学説なんて物的証拠一つで覆るんだからとっとと調査すべきなんだよ

448 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:42:55.82 ID:OvVdXfSN0.net
>>444
九州が大陸との最大の交易地と勘違いしてる人がいるけど
室町時代までは東北の秋田が最大の交易・貿易港なんだよね

449 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:45:25.49 ID:1n22RPva0.net
神話は物語であり暗喩の塊

矛で海を掻き回して国産みをしていったというのは、船で探検しながら島々を矛で制圧して支配地域を広げていったことを暗喩している

450 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:45:42.87 ID:3WJc8hVC0.net
倭王と大王は別だった

これだな

451 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:48:26 ID:fkuV1mo40.net
>>321
効いてる効いてるww

452 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:49:50.80 ID:LX5rK+AO0.net
カルロスゴーンが↓

453 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:50:25 ID:CmovUbhG0.net
>>442
畿内説は困る…というより、その方が比較的自然と考えたからとは思うが
まぁ、残念なのも分かるし、国家神道も明治政府は余計なことしたなとは思うな
継体や繋がりの怪しい天皇は確かにいるけどそれが実は意外にちゃんと繋がってた、となっても面白いし

454 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:53:28.90 ID:fkuV1mo40.net
>>442
だったら畿内人は九州人との戦争で勝てばよかっただけの話し 神武天皇率いる九州人に負けて滅ぼされたんだから仕方ない

455 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:54:16.08 ID:piSGK4gP0.net
>>442
倭=日本じゃないぞ・・・

倭は1地域の部族なんだから

456 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:55:09.29 ID:3WJc8hVC0.net
畿内説というより日ユ同祖論を煽ってるカルトじゃね?

畿内説の連中がいいように操られてるけどw

457 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:55:38.64 ID:piSGK4gP0.net
>>454
神武天皇は九州人じゃないぞ?
今で言えば出雲地方の出身なんだから
国譲りで近畿に入ったけど

458 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:56:10.15 ID:fkuV1mo40.net
>>457
神武天皇は九州人だよ?

459 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:58:39.68 ID:piSGK4gP0.net
>>456
日ユ道祖論はズレてるんだよね
神道とユダヤ教に親和性は無い

ユダヤ教と親和性があるのは仏教だし
神道と親和性があるのは北欧神話やギリシャ神話
仏教はインド経由で日本伝来した旧ユダヤ教で
神道はシルクロード経由で日本に伝わった北欧・ギリシャ神話
伝わる過程で各地の宗教を吸収して変異してるけど

460 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:58:52.68 ID:WfBFnIZR0.net
>>455 それは違う。倭は日本全体でそこにヤマトや邪馬台国や奴国が乱立してた
そしてそれぞれが倭の王だと自称してた

461 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:59:17.36 ID:piSGK4gP0.net
>>458
何の根拠も無く言い切られてもw

462 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 12:59:56.91 ID:+pnrJ3oa0.net
>>457
日向の国は九州だぞ

463 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:00:41.58 ID:fkuV1mo40.net
>>461
神武天皇が九州人って言うのは常識だけど

464 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:01:01.14 ID:piSGK4gP0.net
>>460
いや、倭って言葉が中国の魏が命名した名前だからね?

465 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:01:25.12 ID:3WJc8hVC0.net
>>459
マジでローマの創世神話のが日本の建国神話と親和性あるわwコメント内容

466 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:01:28.60 ID:GpjhjAo10.net
殉葬とか生贄とか明らかに民を害する風習を持つ人々が後に民によって追い払われたということ
卑弥呼、100人の殉葬、異常やわな

467 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:02:24.38 ID:+pnrJ3oa0.net
>>464
倭人伝だろ?

倭人の国の一つに邪馬台国や狗奴国などがあるという事で
魏志と矛盾する所は何一つないんだよ

468 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:02:41.06 ID:piSGK4gP0.net
>>462
>>463
神武天皇とニニギノミコトは別人だぞ?

469 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:03:54 ID:KxdLokrx0.net
話はちょっとずれるけど、一応日本書紀では卑弥呼かも?と書かれてる
神功皇后の代って仲哀天皇が死んでから応神天皇が即位するまでは
空位だったのかな? それとも神功皇后が一応即位したんだっけか?

470 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:03:58 ID:+pnrJ3oa0.net
>>468
ハァ?
なんか見当外れもいいところだなwww

471 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:05:52.46 ID:piSGK4gP0.net
>>467
例えるなら
日本人がイギリスと呼んでても、イギリス人は自分たちをイギリス人と言ってないのと同じみたいな?
「倭の国」ってのは魏から日本を見て名付けた名前で
日本の各部族は倭を自称してない

472 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:06:22.55 ID:piSGK4gP0.net
>>470
具体的に何も反論出来ないのかお前はw

473 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:06:50.36 ID:+pnrJ3oa0.net
>>471
ほんとお前は的外れだな

474 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:07:15.86 ID:jPvhcIdZ0.net
>>458
おじいちやんが山幸彦で、
海神(ワダツミ)国王 大綿津見神(豊玉彦)の娘の豊玉毘売命と結婚して海神国王(漢委奴国王)の座を継承して
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)が産まれ

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)が海神国王 大綿津見神(豊玉彦)の娘の玉依毘売(母の豊玉毘売命の妹)と結婚して
天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)から海神国王(漢委奴国王)の座を継承して

4人の皇子が産まれ

その4人の皇子が、父である天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)海神国王(漢委奴国王)から、奈良の制圧を命じられて東征したんだよね

長男の彦五瀬命は、賊の矢にあたって戦死
次男の稲飯命は、熊野に進んで行くときに暴風に遭い事故死
三男の三毛入野命は、怖くなって海神国に逃げ帰り
四男の神武が東征を成し遂げた

475 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:08:28.85 ID:EG/PFYTQ0.net
頭悪い人でも参加できるのが邪馬台国論争
声の大きな門外漢ばっかりが騒いでる

476 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:08:29.70 ID:CmovUbhG0.net
>>469
多分空位では?
古代は皇后はいざというときの天皇代理が出来るものしかなれない地位だし、その権限で色々やったのかも

477 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:08:34.07 ID:+pnrJ3oa0.net
>>472
ニニギノミコトは日向三代の初代
神武天皇は日向三代の三代目の子供
違ってて当たり前

見当違いというのはそういう事だ
理解できたかな?

478 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:09:04.20 ID:1n22RPva0.net
>>457
神武天皇はヘブライ人です

479 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:10:06.38 ID:3WJc8hVC0.net
>>469
天皇も大王もなかったんだよ
実質、応神朝が大王の始まりなんじゃないかなぁ?

480 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:10:23.24 ID:4g/6aoam0.net
初代神武と2代綏靖にはモデルがいたと思うよ
何の争いもなく嫡男が継いだ3〜9代は創作

神武のモデルは九州からきた王族だけど九州で王にはなれないから
地方へ移動して奈良盆地の南部に住んだ
2代は記紀にあるように兄弟で後継者争いをやった

なにも揉め事がなかった3〜9代は創作だけど
九州本家の王たちがモデル
だから九州から引っ越してきた百襲姫を7代天皇の娘としたり
吉備津彦を7代天皇の息子としたりした

481 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:10:47.56 ID:KxdLokrx0.net
神武は兄といっしょに日向を出発して、宇佐、福岡、広島、岡山と移動して
いったはずなんだが。

482 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:10:48.12 ID:1n22RPva0.net
神武天皇 の称号 神倭伊波礼昆古命 をヘブライ語で読むと カムヤマトイワレビコスメラミコト

神 カム(KUM)創立する 設立する
倭 ヤマト(YAUMATO)天の神々の子孫 神の民
伊波 イワレ(IWRAA)日本語では該当なし アラム語でヘブライを意味する
礼昆 ビコ(BEKHOR)最初に生まれた
古 スメラ(SHAMRA)サマリアを意味するアラム語 統合し調整する
命 ミコト(MALKIOTO)神とか天皇の尊称 シリア語で皇帝を意味する 神の世界

「サマリヤの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創設者」

483 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:11:18.62 ID:CmovUbhG0.net
>>474
三毛入野命は兄弟とはぐれて故郷高千穂に戻ったら鬼八という賊が暴れてたんで退治してそのまま高千穂を統治した、って伝説もあるから面白いな

484 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:12:30.88 ID:piSGK4gP0.net
>>477
だからな?
日向出身なのはニギキで、天皇位についた神武天皇は違うって言ってんだよ
日本語の読解力が無いのかお前は

485 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:12:44.11 ID:+hVbKTEZ0.net
3世紀距離すら日数で測った倭人の歴史をそれより500年も後に書かれた書物で詳細に分かるわけがない。
そもそも記紀基準を考え直すべき

486 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:12:55.00 ID:1+3LdPcs0.net
>>455
いや俺もそう思うよ
古代日本、少なくとも魏志倭人伝においては倭=北九州と朝鮮南部だったろう
いつから倭がヤマト王権をも含む日本全体になったのかは謎だけど
でもコチコチの畿内説の人は倭王=日本の王と考えちゃうじゃん

487 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:13:24.75 ID:M/k/SsIA0.net
四季報記者が注目する2020年大化け期待の30銘柄
http://soty.gardevie.net/nkwrz1wr/bv2i6yio4li4mn.html

488 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:13:39.92 ID:piSGK4gP0.net
>>474
それ日本書紀の中でも諸説あるんだよね
書いてある巻によって齟齬がある

489 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:15:51.30 ID:piSGK4gP0.net
>>480
神武天皇って名称自体が受け継がれてる名称だからね
東征して在位してから70数も生き続けたとか
物理的に無理だもの

490 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:16:09.95 ID:KxdLokrx0.net
ついでに神武って広島と岡山に合わせて15年もいたらしいじゃん?
まあ神武が実在したかどうかは置いておいて、なんで15年も途中の
場所で暮らしたのかを考えるとけっこう面白い。

491 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:16:23.30 ID:piSGK4gP0.net
>>481
神武天皇、何歳よ?それ

492 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:16:52 ID:+pnrJ3oa0.net
>>484
いいや
ニニギは日向に移動してるんだよ
そこで子供の山幸彦を作り孫を作り

孫の子供が神武天皇だ
それまで日向に住んでいた

お前頭悪いなぁ

493 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:17:02 ID:+hVbKTEZ0.net
大和は白村江の敗戦で残存した勢力が大陸王朝の敵視を避けるため倭王朝由縁を断ち切り別国家を偽装した単に言い訳に過ぎない

494 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:19:05.17 ID:1+3LdPcs0.net
>>490
「東征」じゃなかったからじゃないの
神武東征の記述を見ると征服というより何らかの理由で国を出ることになった王族が落ち着ける先を探していたという印象

495 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:19:58.45 ID:GpjhjAo10.net
>>469
卑弥呼の時代は殉葬あり
神功皇后は埴輪の後
三韓征伐は4世紀

496 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:20:00.48 ID:fkuV1mo40.net
俺は神武天皇率いる九州人が弥生時代後期に畿内人と戦争して滅ぼしたって事実を言ってるだけで

497 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:21:25.57 ID:jPvhcIdZ0.net
神武の祖父は出雲出身の山幸彦
兄の海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚し、ワダツミの国王を継いだ


神武の父、とうちゃんは、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)と綿津見大神の娘である豊玉毘売の子供
宮崎県日南市で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある
山幸彦のあと、ワダツミの国王を継いだ


【最初に天皇を名乗った神武】は、その天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と
綿津見大神の娘である玉依姫のあいだに産まれた、四番目の子供(ワダツミの国王では無い)
宮崎県西諸県郡高原町で産まれ、
【奈良に東征する前に】日向国吾田邑の吾平津媛と結婚し、息子の手研耳命をもうけている

奈良に東征したあと【最初に天皇を名乗った神武】は、
奈良の橿原宮でも、出雲の事代主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命と結婚し、息子の神沼河耳命をもうけており

神武の死後に次の天皇をどちらにするかで
神武の出身地の九州の海神(ワダツミ)国と骨肉の争いになる

498 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:22:00.09 ID:GpjhjAo10.net
殉葬を廃止したのは埴輪
奴婢を開放したのは平安時代

499 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:23:43.23 ID:KxdLokrx0.net
>>494
ワシも同感なんだよね。神武は崇神で、ニギハヤヒとともに
狗奴国出身だと思う。

500 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:24:13.29 ID:+pnrJ3oa0.net
>>498
そういえば
埴輪があるなら殉葬しないよな
箸墓古墳は埴輪が出なかったのかな?

501 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:24:23.66 ID:PfafUnUK0.net
>>469
普通に日本書紀に書いてあるよ。
仲哀天皇の死後、神功皇太后の摂政三年に皇太子になってる。
この時点ではまだ三歳。

天皇位は空位で、皇太后が摂政、応神天皇は皇太子という関係。

502 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:27:34.78 ID:KxdLokrx0.net
そう言えば「日向」って地名は景行天皇が行幸した時につけたって話だけど、
それ以前の例えば神武が出発した時はなんて呼ばれてたんだろうな?

503 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:27:43.81 ID:fkuV1mo40.net
>>494
>>499
気持ちは分かるけど神武東征は神武東遷とも言われるが、これはたんなる首都の平和的移転や遷都ではない。それはまさに九州勢力と畿内勢力との軍事対決であり、征服戦争であった。

504 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:29:42.49 ID:3WJc8hVC0.net
狗奴国が後の応神朝でいんじゃないの?

505 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:33:03.99 ID:PfafUnUK0.net
>>502
記紀の地名は基本的に700年頃の地名だからねー
実際になんて言われていたのかはわからないとしか言いようがないかな?
神武天皇存命時点から変わってない地名なら、記紀一緒なんだろうけど、それがどこかはわかりようもない。

506 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:33:14.36 ID:1+3LdPcs0.net
>>503
そうかねえ
俺は征服したのは逆だと思ってるよ
先進地域で倭の王でもあった九州から出奔してきた神武を畿内が受け入れて神輿にしたんじゃないかと
それ以降ヤマトの勢力が出雲や九州を併呑していった歴史を捻じ曲げて正統性を主張するために神武が征服していったことにしたんだろう

507 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:35:46.53 ID:+pnrJ3oa0.net
>>506
うん
出雲の国譲りと同じように
相手を立ててるだけで、本来は簒奪してるんだと思う

508 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:37:10.45 ID:CmovUbhG0.net
>>505
意外にずーっと変わらない地名もいっぱいあるしなぁ
諸県=モロカタも何だかんだ少なくとも牛さんの頃から変わってないわけだし

509 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:37:29.68 ID:4g/6aoam0.net
アマテラスが天岩戸に隠れたきっかけ

古事記
天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき
建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて
皮を剥いだ馬を落とし入れたため
驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった

日本書紀
素戔嗚尊が皮を剥いだ天斑駒を投げ込んだ
すると稚日女尊は驚いて梭で自分を傷つけて亡くなった
それを聞いた天照大神が天岩戸に隠れた
稚日女は天照大神自身のこととも天照大神の幼名であるとも言われる


箸墓のはなし

日本書紀 崇神天皇10年9月
百襲姫は三輪山の大物主の妻だったが
大物主は夜しかやって来ず昼には姿を見せなかった
妻である百襲姫が明朝に夫のお姿を見たいと願うと
翌朝大物主は化粧箱の中に美しい小さな蛇の姿で現れた
その姿を見た百襲姫は驚いて叫んだため
大物主は恥じて人の姿になって妻の百襲姫に
「汝が私に恥をかかせたので、私も汝に恥をかかせよう」
と言って天を翔け三輪山に帰ってしまった
百襲姫はこれを後悔して急に座り込んだ時に
陰部を箸で突いて死んでしまい大きな墓に葬られる


アマテラスと百襲姫てなにか関係ありそうじゃねてお話

510 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:37:49.50 ID:fkuV1mo40.net
>>506
逆はありえない!理由は神武東征だけじゃなくて畿内の銅鐸文化が弥生時代後期に急に消滅した所 九州から来た天皇家とその一党達によって滅ぼされたとしか思えない

511 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:38:04.92 ID:CmovUbhG0.net
>>507
船を傾けて消えました、とかあからさまに怪しいもんな
暗殺違うんかと

512 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:38:12.63 ID:jPvhcIdZ0.net
ちなみに

神武のおじいちゃんの天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)の父ちゃんは

天津彦彦火瓊瓊杵尊で

天照大神の高天原で建速須佐之男命から産まれ、その後、天照大神の養子となった正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊と
熊野の高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命との間に産まれ

出雲に天降り・・これが卑弥呼が伊都国に派遣した一大卒

つまりだ

神武は、「天」津一族の「皇」子であり、だから天皇なんだ

513 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:43:00.38 ID:3WJc8hVC0.net
ザビ家みたいなことをしたんだな!

514 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:44:46.33 ID:WfBFnIZR0.net
そもそも倭や大和をヤマトと読むのは無理がある
倭をヤマト王権が背乗りしたに違いない

515 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:45:10.25 ID:jkhRyuWa0.net
殉葬という風習は大陸、朝鮮の影響だろう
縄文時代にはなかった

516 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:46:00.36 ID:OXVzkqcx0.net
邪馬台国は九州にあったに決まってんじゃん
おまえら馬鹿なの?

517 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:46:18.38 ID:fkuV1mo40.net
>>514
それはない!大和朝廷は九州人が戦争で畿内の銅鐸文化を滅ぼした後に作った

518 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:49:16.72 ID:jPvhcIdZ0.net
>>510
別にそれでも良いんだよ

邪馬台国が奈良で卑弥呼が天照大神

天照大神(卑弥呼)から十種の神宝を授かり奈良(邪馬台国)を守護していた邇芸速日命は

天照大神の孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊の息子の
天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)の息子の
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の息子の
神日本磐余彦(神武)



奈良(邪馬台国)を国譲りした

519 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:50:11.99 ID:3WJc8hVC0.net
ヤマトが九州由来なら辻褄合うだろ

520 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:53:14.66 ID:fkuV1mo40.net
>>518
大伴氏・中臣氏・物部氏などの大和朝廷の中核を形成した豪族の発祥地も九州。

521 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:53:24.15 ID:ZVmlsNzW0.net
ついこの間大分県で何か発掘したって記事を読んだような

522 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:54:56.72 ID:jPvhcIdZ0.net
邪馬台国が奈良で卑弥呼が天照大神

壱与の死後、天照大神(卑弥呼)の十種の神宝を授かり奈良(邪馬台国)を守護していた邇芸速日命は

天照大神の孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊の息子の
天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)の息子の
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の息子の

天の皇(子)である神日本磐余彦(神武)



奈良(邪馬台国)を国譲りした

523 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:56:02.83 ID:3WJc8hVC0.net
>>521
何かイラン絡みの書き込み規制のドサクサに落とされてたわw

524 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:58:12 ID:jPvhcIdZ0.net
>>520
神武の軍の一員だったんだろね

525 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 13:59:18.58 ID:fkuV1mo40.net
>>524
そうだろうね

526 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:01:22.29 ID:jPvhcIdZ0.net
邪馬台国が奈良で卑弥呼が天照大神

壱与の死後、天照大神(卑弥呼)の十種の神宝を授かり
奈良(邪馬台国)を守護していた邇芸速日命は

九州から東征してきた

天照大神の孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊の息子の
天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)の息子の
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の息子の

天の皇(子)である神日本磐余彦(神武)



奈良(邪馬台国)を国譲りした

527 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:01:42.08 ID:4g/6aoam0.net
福岡県糸島市の平原遺跡で40枚の鏡でる
さらに機内での銅鐸から銅鏡への切り替え
九州でやってた銅鏡を使う儀式を畿内に持ち込んだと思われる
神武はいないしドラマチックな征服もしてないけど
九州から畿内への引越しはあった

528 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:04:15.84 ID:YZzHhDdi0.net
九州説の人ってのは
冬に野菜は出来ないとか
山田太郎と山本太郎は漢字が似てるので同一人物とか
極めて低いレベルの知能なので話を聞くに値しない

529 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:05:24.61 ID:jPvhcIdZ0.net
>>526 により、

九州から信越までが、すべて「九州の海神国」の支配下となり

事実上の倭国統一となった

530 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:06:54.10 ID:1n22RPva0.net
ヘブライ語のアラム方言によると「ヤマト」=「ヤ・ウマト」=「絶対神ヤハウェ・民族」=「神の民族」

531 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:07:34.69 ID:fkuV1mo40.net
>>529
そうなんだよ テレビではっきり伝えて欲しい

532 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:08:21.50 ID:3WJc8hVC0.net
な、畿内説の謎のコピペと日ユ同祖論はセットだろ?

533 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:08:46.49 ID:cwZpePUr0.net
江戸時代スレがあったけど、前の時代を否定、なかったことにしたがるのは、普通のこと
日本書紀に邪馬台国が登場しないのは、編纂者たちだけじゃなく朝廷、王権の当初から否定してたからなんじゃないかな
全く無関係なら「こんな国がありました」位は書いてもいい
つまり関係はあった、しかし心情的に否定したかった者が王権を設立した
邪馬台国連合体制下で冷遇されていた人間が、初期大和王権を作ったんだと思う

534 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:10:44.82 ID:3WJc8hVC0.net
邪馬台国と狗奴国は隣国同士だから九州にしかならんだろ

535 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:12:34.15 ID:s2Fnp3Jo0.net
奴国王は安曇族らしいな。

536 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:16:20.80 ID:cwZpePUr0.net
>>516
九州説自体はいいんだけど、いわゆる東遷説には疑問を持ってる
たとえ分家でも伝承は残すと思う
それがない

537 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:20:33 ID:4i2kNXLs0.net
住吉系の神社が安曇の痕跡だという話はある
河内に安曇江という根拠地もあったようだ

538 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:21:16.53 ID:3WJc8hVC0.net
王朝交代が複数回あったんだろうな

539 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:21:50 ID:M/k/SsIA0.net
四季報記者が注目する2020年大化け期待の30銘柄
http://soty.gardevie.net/r1craq/mf3etxuxy52213.html

540 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:22:34.23 ID:jPvhcIdZ0.net
>>531
神武の父ちゃんの彦瀲と、神武が生きているうちは

神武の父ちゃんの彦瀲の九州の海神(ワダツミ)国
それに従う神武の奈良の邪馬台(ヤマト)国

で良い関係だったんだけど

神武の父ちゃんの彦瀲が死に
神武も死んでしまうと

九州の海神(ワダツミ)国と
奈良の邪馬台(ヤマト)国で
骨肉の争い(欠史八代)になっちまうんだよね

541 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:22:55.80 ID:1n22RPva0.net
伊勢神宮なんてどっからどうみても古代ユダヤ教だから

542 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:24:38.14 ID:s2Fnp3Jo0.net
畿内説は矛が殆ど出てこないのが致命傷。

543 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:25:28.39 ID:jPvhcIdZ0.net
訂正

>>531
神武の父ちゃんの彦瀲と、神武が生きているうちは

神武の父ちゃんの彦瀲の九州の海神(ワダツミ)国と
それに従う、彦瀲の息子の神武の奈良の邪馬台(ヤマト)国

で良い関係だったんだけど

神武の父ちゃんの彦瀲が死に
神武も死んでしまうと

九州の海神(ワダツミ)国と
奈良の邪馬台(ヤマト)国で
骨肉の争い(欠史八代)になっちまうんだよね

544 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:26:30.83 ID:6m9Sdcgp0.net
<<天皇陵の調査が行われない限り、大和朝廷成立の過程はいつまでも仮説のままだろう

陵を調べると古代の文化が分かる天孫伝説からすれば天の影響が発見できるはずなのに
描かれた星座はシナ西方の砂漠の星座これは生まれ故郷だろうそうでなければ棺の周りに
描くはずがない

545 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:29:53.76 ID:GpjhjAo10.net
>>543
嘘はあかんよ
別に九州と近畿は敵対なんかしてないが
魏志倭人伝の時代の九州北部の遺跡からは大量の瀬戸内系の土器
瀬戸内の勢力の支配下だったんだろう
無い争いを作り出すなよ
住吉神は畿内の守り神の一つ
九州と畿内はむしろ仲がよい

546 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:30:07.38 ID:cwZpePUr0.net
「狗奴国」は敵対していた邪馬台国サイドからの別称で、本来は「旧奴国(くなこく)」説に一票
つまり、邪馬台国連合以前にあった初期奴国の要人のうち、連合体制に参加しなかった人間が集まっていた
彼らは後に征服され、連合体制下では冷遇された
その豪族の子孫から、大和王権設立者が出たんだと思う
邪馬台国の優れた点はよく知りながらも、その体制とカリスマだった卑弥呼を絶対に認めたくはなかった
だから伝承を許さなかったんだと思う

547 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:32:39.86 ID:YBuzm0yu0.net
>>538
100年に一回強い国が入れ替わったとしても昔のことなんて上書きされて残らないわな
ましてや反乱や小国の乱立なんてのもたくさんあったろうし

548 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:33:25.88 ID:4g/6aoam0.net
魏志倭人伝で邪馬台国の記述は一ヶ所だけなんだよね
あとは女王国と書いてる

そして魏の役人が意味を使い分けていたとするとこうなる
女王国 女王卑弥呼が代表の30カ国連合
邪馬台国 女王卑弥呼がいる首都の国

狗奴国については奴国の南にあると読み取れる 原文見てね
>次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。
>その(女王国の)南に狗奴(コウド、コウドゥ)国があり

とりあえず水行十日陸行一月だから少なくとも
九州北部に邪馬台国はない もっと遠い

549 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:34:20.78 ID:+pnrJ3oa0.net
>>548
宮崎周辺だろうな

550 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:38:10 ID:cwZpePUr0.net
邪馬台国は連合なんだよね
卑弥呼がいたのは女王国

551 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:39:07.37 ID:3WJc8hVC0.net
普通に多元王朝説で落ち着くな

552 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:40:10.67 ID:4g/6aoam0.net
九州説は女王国と邪馬台国を同じ意味だとしないと成り立たないけど
頭のいい魏の役人がそんなあいまいな書き方はしないと思うんだよね
陳寿とかね

>郡より女王国に至る。万二千余里。

1万2千里で着くのは30カ国連合の1国であり
邪馬台国ではないとも読める魏志倭人伝

553 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:41:14.69 ID:s2Fnp3Jo0.net
狗奴国の狗古智卑狗は久々知=菊池彦で間違いないだろう。
投馬国は宮崎の西都原古墳群辺りの妻国で間違いない。

554 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:43:27.05 ID:3OHb2qvM0.net
>>550
邪馬台国は、他の国と同じく官も副官もいて、戸数も明記されてる。
逆に官も副官も戸数も書いてないのが女王国。

卑弥呼を女王とする統治体制の総称が女王国であり、邪馬台国はその中の一つの国(地域)

555 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:44:25.48 ID:+pnrJ3oa0.net
邪馬台国が畿内にあるなら
魏の使者たちは、松浦国で上陸して何百里も歩かずに
関門海峡を通るか、日本海側を移動すると思う
でも、そういう記述ではないのだから
九州か、その周辺なんだよ

556 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:45:05.07 ID:Bix09BIS0.net
九州の日田で確定。

557 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:47:59.78 ID:GpjhjAo10.net
瀬戸内海に海賊、大阪は敵対する狗奴国、琵琶湖北部はヤマト政権に最後まで抗った伊吹山の荒ぶる神がいる

九州南部まで南下して黒潮に乗り紀伊半島からヤマト入りしたんだろう
黒潮は当時の新幹線

558 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:49:48.03 ID:+pnrJ3oa0.net
>>557
なら、朝鮮半島から船に乗ったまま沿岸部を移動して九州南部まで行けばいいんだよ
上陸して陸上移動する理由が無い

559 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:49:53.00 ID:GpjhjAo10.net
埴輪の梅
伊吹山の風
大阪の月サカツキ

560 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:51:50.59 ID:GpjhjAo10.net
河童の天敵は
河童より泳ぎの上手い猿、鉄、鹿の角

561 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 14:59:10.35 ID:+oqDy3+80.net
それ卑弥呼の墓じゃないんで

562 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:00:02 ID:s2Fnp3Jo0.net
帯方郡から一万二千余里(狗邪韓國まで七千餘里) 北部九州○ 大和☓
南に狗奴國有り 北部九州○ 大和?
沈没して魚や蛤を捕ることを好む 北部九州○ 大和☓
入墨の風習 北部九州○ 大和☓
絹綿を生産している 北部九州○ 大和☓
兵器には矛を用いる 北部九州○ 大和☓
矢は鉄の鏃 北部九州○ 大和☓
墓は有棺無槨 北部九州○ 大和☓
宮室、楼観、城柵が厳設 北部九州○ 大和☓
四千里南に小人の島、侏儒国がある 北部九州○ 大和☓
百人規模の殉死を示す径百歩の塚の墓がある 北部九州○ 大和☓

100%北部九州が邪馬台国で間違いない。

563 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:01:18 ID:HxFZjg9R0.net
住吉大社や宗像大社の海人族が大和朝廷を牛耳ってた

564 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:04:21.29 ID:gfkn8VGL0.net
箸墓が卑弥呼の墓なら邪馬台国は奈良にあったのだろうな

565 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:05:26.78 ID:QSlzo9DtO.net
亀卜とか動物の骨を使った占いは、殷とか周とかから続いた儀式
他に、天体崇拝と祖霊崇拝もやってた古代中国大陸からの系統

だから、卑弥呼の鬼道は神がかりとは違うな
ヘブルの禁忌であるイタコだな
神巧皇后のは神託な気がするが、未だ判然としない

566 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:08:50.07 ID:1+3LdPcs0.net
神功皇后の逸話もデタラメが過ぎるよなw
神託に従わないから夫が死んだとか
得体のしれないオーラにおののいて敵が降伏したとかさ
挿入した作り話臭さ全開

567 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:46:48.29 ID:WkQbc2200.net
卑弥呼の墓は半島南部にある

568 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:52:35.93 ID:rmBUffX30.net
>>424
ソウル大学の地層調査で
朝鮮半島には寒すぎて人がほとんどいなかったことが判明してるからありえない
朝鮮半島南部に大きな集落を作ったのは倭人が最初だよ

569 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 15:59:05.11 ID:cwZpePUr0.net
邪馬台国連合はぶっちゃけ卑弥呼のカリスマ性(演出込みかも)に支えられた体制だったと思う
その土地の人は「卑弥呼さまの頃はよかったなあ、大きな戦もなかったし、海の向こうの国とも上手く付き合えてたし…」的に言い続けたんじゃないかな
それが後代の政治家はいやで、伝承にいい顔しなくなったんじゃないかと

570 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:05:43.39 ID:IaaxJUAq0.net
朝鮮人のメンタリティーが壊れるからあれだけど
朝鮮人に文化を教えたのは日本人なんだよ

571 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:05:52.67 ID:f8/9pN/T0.net
>>568
気象変動があるからね
朝鮮半島が一貫して米作に不向きだったわけではない
事実として、日本列島の水稲発生と同時期の水田跡が出ている

572 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:06:53.28 ID:f8/9pN/T0.net
>>570
メンタリティーなどどうでもよいのだ
遺跡調査と文献を見て推定するのみ

573 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:08:05 ID:VDA8+HEF0.net
まあ朝鮮の南は倭だったんだから九州で作ってる稲作が伝わるのも早いでしょ

574 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:09:04.56 ID:f8/9pN/T0.net
素粒子調査で何が見えるだろう
墓誌や金印が出たらすごいが、そこまでは期待できんわなあ

575 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:09:54.85 ID:MoMJkkou0.net
卑弥呼の墓は半島南部にある
邪馬台国は半島国家だよ

576 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:10:45.11 ID:IaaxJUAq0.net
朝鮮半島にあってもいいけど現在の朝鮮人は11世紀からだしな

577 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:12:17.08 ID:gIVLOeZV0.net
日本人が卑弥呼の実在を疑わないのは何故なのかね

578 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:12:26.21 ID:VDA8+HEF0.net
現在の朝鮮人は少しずつ中国人と交わりながらモンゴルに征服されて一気に別人種に変わったから

579 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:13:01.96 ID:f8/9pN/T0.net
>>573
漢代までの中原からみて、
朝鮮半島南部と日本列島西部の住人が「倭」としてひとくくりだったのは、事実だな

同一言語だったのか
同一民族だったのか
単に遠方の(中原民族からみて)小さな夷の意味だったのか

580 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:14:56.60 ID:IaaxJUAq0.net
>>578
それは違うモンゴルにメチャクチャにされたのは全然後だよ
エベンキ族やらか南下してきて集落つくったのが始まり

581 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:15:49.50 ID:lEl0qUWz0.net
邪馬台国が九州にあったというのは、四半世紀前に言語学的にほぼ明らかになっている
歴史学者もそのことは知っているだろうに触れない
過去に邪馬台国論争の特集をした毎日・読売・テレ朝・日テレも当然知ってる筈だが触れない

582 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:16:34.11 ID:f8/9pN/T0.net
つまるところ、
神武なり、卑弥呼なり、スサノヲなり、
彼らの先祖は、どこから日本列島にやってきたのかという問いに行きつく
高天原とはどこなのだろう

583 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:16:58.70 ID:BcK6dSEU0.net
そもそも邪馬台国は博多あたりから見て南方向の何処かだぞ

584 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:17:10.34 ID:IaaxJUAq0.net
>>579
倭国であるわけだし邪馬台国の勢力が半島までいたのかもな

585 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:18:51.46 ID:f8/9pN/T0.net
>>584
半島南部と出雲や北九州とで、同一文化圏を形成した可能性はあるね

586 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:19:11.12 ID:gIVLOeZV0.net
朝鮮半島通って来たんだと思うよね普通に

587 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:19:34.40 ID:IaaxJUAq0.net
スサノヲは宮崎生まれ日巫女も日本だろ神武天皇は渡来人だろう

588 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:22:58 ID:koMb+2yZ0.net
>>514
逆だよ
九州王権に乗っ取られたのが大和

589 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:24:45.58 ID:IaaxJUAq0.net
九州制圧説の人には残念なんだが畿内に大規模な戦争跡が無いんだよね

590 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:25:05.25 ID:koMb+2yZ0.net
>>566
架空の天皇だからそれでもいいんだよ

591 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:25:19.83 ID:f8/9pN/T0.net
>>586
文化の中心地が黄河中流域にあり、
そこから日本列島に物や人が流れるルートはと考えるに、
政治的理由を無視するならば、
遼東半島から、朝鮮半島の西岸伝いに南下しながら、対馬に至る海路が最も容易だろうね

592 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:26:17.68 ID:jPvhcIdZ0.net
>>545
おまえ、知らないのか

神武の死後に、次の天皇を誰にするかで

奈良の邪馬台(ヤマト)国は
神武が東征を成功させてから、大和国で、
出雲のコトシロヌシの娘「イスケヨリヒメ」との間に作った子カムヌナカワミミを推し、

九州の海神(ワダツミ)国は
初代天皇が北九州狗奴国日向の高千穂の宮にいたときに日向の吾田邑(むら)の小椅(おはし)の娘「アヒラツヒメ」との間に作った子タギシミミを推して

意見が分かれ、

骨肉の争いになってる

593 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:29:44.71 ID:IaaxJUAq0.net
そんな神話の世界どうでもいいんだよ神武天皇なんていなかっただろうに

594 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:30:19.29 ID:7tPWz4vd0.net
せいぜい石室の位置と大きさとかそんなもんだろう

595 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:32:20.81 ID:BZpSeWBN0.net
邪馬台国も大和政権も大陸、朝鮮勢力だから一緒

596 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:36:22.99 ID:2Oui/H1X0.net
九州の倭国は白村江の戦い、遅くても7世紀の末までに滅んで
ポツダム政権のような大和王権が言わば火事場泥棒的に対外的に日本を代表する国になった。

こう考えると、日本書紀の白村江前後の矛盾する記載とか
遣唐使粟田真人の、唐人に不審がられた倭国と日本国の発言とかも納得できよう。

597 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:39:39.28 ID:4g/6aoam0.net
別種と勘違いされたのは
首都ヤマト国が台湾沖縄にあると思われてたから
南ではなく東の奈良から来たといったら
中国人の当時の常識と違うのでアレ?てなる

598 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:46:09.86 ID:3pHEab1q0.net
絶対違うって判ってんだろが? 

卑弥呼なんてのは前方後円墳の日本の皇室に居たことないし、
墓は九州の直径150mの塚って倭人伝に書いてあるだろ?

徇葬者奴婢百餘人なんて古墳も無くないか?

卑弥呼は、190年から247年までで
自為王 以来少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食 傳辭出入居處 宮室

こんな歴史が、神功皇后辺りやそれ以前の古代日本に有るのかよ?
卑弥呼が半島遠征したら、魏の皇帝の倭人伝が成立しないしwww

599 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:46:16.87 ID:8YpqtLRv0.net
>>596
郡評論争からも701年が倭王朝と大和朝廷との境目だな。

600 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:46:34.93 ID:4g/6aoam0.net
白村江のあとの度重なる遣唐使で倭国は唐に
首都ヤマト国が台湾沖縄ではなく東にあることを説明するけど
唐滅亡後戦乱により資料が揃わず
旧唐書では別種とされたが
宋が統一して資料を揃えてちゃんと作った新唐書では
ちゃんとヤマト国は東にある

卑弥呼の朝貢時からはじまった台湾沖縄にあるという勘違いだったが
新唐書が出来る1060年にやっと一般の中国人がそれは間違いで
ヤマト国は東にあることを知る

601 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:47:48.71 ID:HxFZjg9R0.net
>>589
政治的に制圧したんでは
磐井の乱以前は大きい戦いはない気がする

602 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:50:41.40 ID:8YpqtLRv0.net
>>552
女王国とは伊都国と奴国のことを指し
邪馬台国とは北部九州全体のことを指している
1万2千里で着くのは伊都国と奴国の境

603 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:51:53.15 ID:0et27LDV0.net
モモソ姫が日巫女でいいんだよ
日本書紀古事記は天皇家のヨイショ本なんだし正確なわけがない
正確なのは朝鮮半島攻めで植民地にしたとかお互いそれっぽい文献があるやつだけ

604 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:53:22.21 ID:GpjhjAo10.net
別に畿内が九州を支配とかないから
九州を支配下にしていたのは瀬戸内勢力
瀬戸内勢力は当初奈良にも手を出していた
九州と畿内の原住民は手を繋いだ仲間みたいなものだろう
敵の敵は味方

神功皇后は三韓征伐の帰路、住吉明神をお供にして瀬戸内の鬼退治をしている

605 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 16:57:53.74 ID:H3vzQbn20.net
徐福の1回目の渡来の時のメンバーをルーツに持つ近畿王権を
徐福の2回目の渡来の時のメンバーをルーツに持つ北九州王権が東征で倒したんだと思うわ
ニギハヤヒが神武天皇が同族だと分かってあっさり降伏したことにも合致する

606 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:00:59.01 ID:0et27LDV0.net
なんで徐福が2回も渡来するんだよw
始皇帝から金まきあげて永住する気満々だったのに

607 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:01:10.45 ID:4g/6aoam0.net
魏志倭人伝の記述からそう考えるのが一番自然なんだよね

上が北ね
北↑

奴国(女王の境界尽きる所 一番北 帯方郡から1万2千里)

以下略たくさんの国

斯馬国

邪馬台国(台湾沖縄辺りにあり 女王がいる首都)
↓南

>女王国より以北、
>その戸数、道里は略載を得べきも、
>その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。
>次に斯馬国有り。次に巳百支国有り。次に伊邪国有り。
>次都支国有り。次に弥奴国有り。次に好古都国有り。
>次に不呼国有り。次に姐奴国有り。次に対蘇国有り。
>次に蘇奴国有り。次に呼邑国有り。次に華奴蘇奴国有り。
>次に鬼国有り。次に為吾国有り。次に鬼奴国有り。
>次に邪馬国有り。次に躬臣国有り。次に巴利国有り。
>次に支惟国有り。次に烏奴国有り。
>次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。

当然だけど魏の人は邪馬台国が台湾沖縄にあると勘違いしてるからね
つまり魏志倭人伝は邪馬台国の位置は間違ってるけど
当時の中国人の思考的には矛盾が無い

608 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:03:55.06 ID:jPvhcIdZ0.net
後漢末期より三国時代初期、遼東郡から朝鮮半島北部にかけて公孫氏が事実上の独立政権を打ち立てて、204年に公孫氏が独断で帯方郡を設置

永初元年(107年)に、後漢に生口160人を献じた九州の「漢委奴国王」の倭奴国は、それ以降、公孫氏の支配下にあった

そして238年に公孫淵が司馬懿に討たれて公孫氏政権が崩壊し、魏が楽浪郡と帯方郡を占拠
帯方郡は魏の直轄地となり、太守も魏が派遣した劉マとなった

九州の「漢委奴国王」の倭奴国は本来であれば、新たな盟主「魏」に対しての恭順の意を示すために直ちに使者を派遣して
「漢委奴国王」の金印を「魏」に差し出して、自ら漢委奴国王の座を捨てて
「魏」から「親魏倭王」の金印を貰って、新たに親魏倭王の座を拝領しなければならないのに

行き場を失った公孫氏政権の残党が大挙して、支配下にあった九州の「漢委奴国王」の倭奴国に逃げ込んだため

使者を派遣するどころか、帯方郡の魏が、対馬から渡って追ってきやしないかと、バリバリに警戒し、ほぼ鎖国状態に突入していた

新たな盟主「魏」に対して使者も出さず、漢委奴国王の座も捨てない九州の「漢委奴国王」の倭奴国は「魏」にとって、

「魏」に歯向かう意思を自ら表示した「狗奴国」となってしまったんだよ

609 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:06:46.45 ID:ED+A2PIR0.net
延々とわけの分からない妄想を喚いてる奴しかいないな
一人くらいちゃんとした話してる奴がいたらと思ったが

610 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:07:22.31 ID:4g/6aoam0.net
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。

>有無する所は?耳、朱崖と同じ。
持っている物、いない物は?耳、朱崖(海南島)と同じである。

>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。
倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。

>倭地を参問するに、絶えて海中の洲島の上に在り。
>或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
倭地を考えてみると、遠く離れた海中の島々の上にあり、
離れたり連なったり、巡り巡って五千余里ほどである。


矛盾があると困るのは敵国の蜀漢出身の陳寿なので
おかしなところがないように書いた結果が魏志倭人伝

611 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:07:34.25 ID:H3vzQbn20.net
>>606
「あとちょっとで不老不死の薬見つかりそうですねん」とか言って1回ぬけぬけと始皇帝の元に帰って、
追加の物資を要求してるぞ

612 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:09:30 ID:H3vzQbn20.net
高句麗の広開土王碑文は広開土王に都合悪いこともたくさん書いてあって正確そうだな
それによると三韓征伐は西暦391年で卑弥呼の時代とだいぶ違う

613 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:13:15.67 ID:4g/6aoam0.net
魏志倭人伝で論理的におかしなところはないので
1060年まで勘違いが続いたともいえる

614 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:14:30.80 ID:8YpqtLRv0.net
>>612
広開土王碑文によると高句麗と倭が戦い
新羅と百済は倭に降ってて三韓征伐じゃないな。

615 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:16:33.50 ID:jPvhcIdZ0.net
>>608
一方、

奈良の邪馬台国・卑弥呼は、公孫氏が排除されたために

新生・帯方郡の地へ、直ちに朝貢使の難升米を派遣して、新たな盟主「魏」に対しての恭順の意を表明

このとき太守は劉夏であったが、彼は郡の官吏を付けて後漢の都・洛陽まで難升米の一行を送らせて

見事、「魏」の皇帝への拝謁に成功して

「親魏倭王」の金印を貰って、新たに親魏倭王の座を拝領してしまったわけだ

616 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:18:11.70 ID:3pHEab1q0.net
卑弥呼は実年代で190年から247年迄の 筑紫の男を知らないひきこもり女王だが、

神功皇后ってのは、実年で纏向時代、漢四郡の有った313年以降なら存在できんの?
謎の女戦士の大和朝廷が三韓征伐したら、350年に新羅と百済が建国できちゃうわけ?

その子応神の次世代で、400年には百済王属や新羅王属族人質に取ってる
倭の五王が南朝に半島利権交渉に出向くんだよ?

卑弥呼の50年アマゾネスヒッキーみたいな悠長な時間は日本朝廷には無いぞ。

617 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:18:51.29 ID:H3vzQbn20.net
>>614
新羅と百済を破ったことは書いてあるぞ
ちょっと盛って、もともと日本の属国みたいなもんだった加羅もその時に倒したことにしたんだろう

618 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:21:12.64 ID:oxnA6g1j0.net
自女王國以北 其戸數道里可得略載

戸数と道里の記載しえた国の南側に所在する
投馬國、邪馬壹國については道里の記載はなく、途中の国の詳細が略載されていない
のでこの2か国については女王国の北が詳細にわかってるという記述と矛盾するので
帯方郡からの日程を併記したものである。

自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國

ここでも女王国の北にあるのは伊都国であると示唆されている


女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種

これを素直に読むと、東の海にも女王国は隣接委していることになる
対岸が千余里であることから、四国の西側あたり


これらを総合すると、女王国は伊都国、奴国、不彌國の南側にあり、東は大分付近までという
他国に比べて広大な」広さことになり、日田もその範囲内。

619 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:27:52.58 ID:hEL0G/pJ0.net
>>436
>足利尊氏とか関東から九州まで走り回って戦ってますけど。

中世以後なんですけど。  わははははは   @阿波

620 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:33:23 ID:2F7evE6q0.net
>>149
言語学者・長田夏樹は、日本の古代言語は三つの異なる地域に分けられるという
すなわち、S音の北部九州、ts音の近畿、tf音の東国

魏志倭人伝を分析すると、ほとんどがS音をつかっていることが明らかであり
これから推測すると、S方言圏は北部九州であり、……

考古学的にも言語学的にも九州だね

621 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:35:39.30 ID:jPvhcIdZ0.net
>>615
しかし、「親魏倭王」の金印を貰って、新たに親魏倭王の座を拝領したからといって、それで九州の「漢委奴国王」の倭奴国が、奈良の邪馬台国・卑弥呼を倭国王と認めるかと言えば、そうは問屋が下ろさず

九州の「漢委奴国王」の倭奴国は、奈良の邪馬台国・卑弥呼に対して、戦争を吹っ掛けてくるわけだ

622 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:37:33.28 ID:hEL0G/pJ0.net
>>545
>九州と畿内はむしろ仲がよい

そりゃ、ともに「忌部一族」だからね。  わははははは   @阿波

623 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:38:13.47 ID:aPyk4RX90.net
>>25
出鱈目じゃないよ
多くは江戸時代の国学者蒲生君平の「山陵誌」に基づく
崇神天皇陵なんぞは当たってると言われてる

624 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:39:24 ID:3pHEab1q0.net
違うよ。

邪馬台国の内訳は、次有21国であって
これ以南には、一大率の勢力は及んでいない。
熊襲、土蜘蛛の征伐はまだ。

一大卒は本州勢力と合流した筑紫女王国に置かれた筑紫防人。
これを見たのが、247年の張政であって、この247年で倭人伝は終わる。

公孫氏と韓王の滅亡で、日本は魏との敵対を選択した。
280年の三国志の覇者は、313年韓四郡から撤退。

東夷では、日本と高句麗が勝者であり350年に、百済新羅建国、
高句麗は幽州刺史、楽浪候として中華貴族となる。

しかし、日本は戦乱で牛馬の移入や技術者の強制連行を進め、傀儡の百済から
五経博士、仏教や軍師の導入から高句麗衰退〜白村江海戦の歴史へと連なる。

これが、東亜の古代史。 邪馬台国論争、イランだろwww

625 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:39:42 ID:jPvhcIdZ0.net
やれやれ

九州説者が、自分を守るために

また必死に、

邪馬台国は九州スルーで中国にいけない・・という「バカの壁」を、せっせと建て始めた

626 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:43:58.76 ID:jPvhcIdZ0.net
出雲を国譲りで併合した邪馬台国は、帯方郡に公孫氏さえいなければ、

九州なんか無視して

帯方郡
ー 韓国
− 対馬國
− 一大国(見島もしくは隠岐)
− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
− 伊都国(出雲)
− 奴国(因幡)
− 不弥国(摂津住吉)
− 投馬国(近江)
ー 邪馬壱國(奈良)

ー 邪馬壱國(奈良)
− 投馬国(近江)
− 不弥国(摂津住吉)
− 奴国(因幡)
− 伊都国(出雲)
ー 隠岐
ー 鬱陵
ー 韓国
帯方郡

で、全く問題なく朝貢できるんだよ

627 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:45:30.92 ID:H3vzQbn20.net
全国にある無数の巨大古墳を全部天皇家絡みってことにしてるのは無理があるわな
古墳の調査さえまともに出来るようになれば古代史の真相解明が一気に進むだろうに

628 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:47:45.65 ID:QL6otX4l0.net
発掘調査しろよ

629 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:48:32.83 ID:YVdBJMEf0.net
天皇陵や皇族の陵墓に「墓誌」があれば良かったのにな。
なぜ「墓誌」を設けなかったのだろう?

それとも、元々「墓誌」が有ったが、明治の頃の陵墓比定に関係して、都合が悪い団体や省庁によって破壊されたとか???

630 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:49:31.75 ID:hEL0G/pJ0.net
>>627
>全国にある無数の巨大古墳を全部天皇家絡みってことにしてるのは無理があるわな

全部、臣下の「忌部はん」 のお墓だよ。   @阿波

631 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:54:46.30 ID:japsKkDj0.net
四季報記者が注目する2020年大化け期待の30銘柄
http://soty.gardevie.net/gkjf68up/j5jvsziebeinm2.html

632 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:54:46.90 ID:YVdBJMEf0.net
>>630
>全部、臣下の「忌部はん」 のお墓だよ。
その明確な理由を拙僧にもご教授いただけないか?

633 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 17:57:11.25 ID:hEL0G/pJ0.net
>>632

古墳築造工法・副葬品   @阿波

634 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:00:03.16 ID:3pHEab1q0.net
BC200 年から有る日本の青銅器移入航路は

釜山〜対馬〜沖ノ島を目印で、宗像〜長門以東ならどこでも良くて
出雲や丹後半島に上陸するだろ?

筑紫の卑弥呼以外に、壱岐とか松浦半島なんて、必要か?

至末盧國が何処か? なんてのは、枝葉末節であって
目的地が博多なら、船が有れば博多湾内まで船、歩かない。

潮や風で呼子でも良いけど、土井ヶ浜に向かうのに、博多湾には入らない。
247年の張政が、船で行って当たり前の行程を、歩いた理由は、他にある。

635 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:07:21.55 ID:jPvhcIdZ0.net
>>634
筑紫は卑弥呼じゃねーよ

中国の正史では
筑紫は「漢委奴国王」の倭奴国

日本の記紀では
筑紫は「綿津見大神(豊玉彦)」の海神(ワダツミ)国

636 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:13:25.61 ID:8YpqtLRv0.net
>>618
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
(卑弥呼は)女王国以北に特に一大率を置き諸国を検察されていた、諸国はこれを畏れ敬っていた。
常に伊都国で(卑弥呼は一大率を使い諸国を)治めていた。

伊都国に卑弥呼はいたんだよ。

637 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:14:05.48 ID:/pqVkDOd0.net
>>25
ほとんどデタラメっていうのは違うな。

638 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:15:58.83 ID:AfjoCekg0.net
卑弥呼の子孫が芸能界にいるらしいね。

639 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:20:04.85 ID:yA9cyuoY0.net
ID:jPvhcIdZ0
畿内説のガン
考古学者が唱える畿内説とは全く違う珍説を作りしつこくコピペしてるだけ
こいつだけのオリジナル珍説であるにも関わらず、畿内説の主流であるかのように嘘をついてる

640 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:20:30.48 ID:/pqVkDOd0.net
>>361
拘っているのは宮内庁であり、学者ではないな。

641 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:23:09.75 ID:oxnA6g1j0.net
>>636
一部を切り取って解釈するのは間違いです
漢文は接続助詞がないので、全体の文脈を読み取らなければ理解できません。

自女王國以北 其戸數道里可得略載

女王国は、伊都国や奴国や不彌國の南側にあることは一目瞭然です

642 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:26:39.21 ID:yA9cyuoY0.net
九州説にとって安本信者や古田信者がガンであるように
畿内説にとっては、ID:jPvhcIdZ0がガン
こういうデタラメ野郎のせいで他の畿内説論者も同類とみなされてしまう

643 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:27:22.48 ID:BcK6dSEU0.net
>>638
魏志倭人伝には卑弥呼には夫はいないと書いてある

644 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:28:48.88 ID:aPyk4RX90.net
>>361 >>641
天皇陵というのは法律上の位置づけが「個人の墓」
何故かというと子孫とされる人物が実在しているから
だから文化財保護法ではなく墓地埋葬法の管轄下になる
子孫及び墓地管理者の許可なくしては発掘できない
各地の菩提寺にある大名の墓地も調査するときは子孫の許可のもとに行われる
そーでなければ法律上盗掘になる
だから学者は発掘できない

645 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:30:16 ID:aPyk4RX90.net
>>644 は>>640あて

646 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:30:46 ID:VDA8+HEF0.net
畿内と九州は既に統一されて居たんでしょ
場所が何処かだけさ

647 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:31:10 ID:0et27LDV0.net
日本書紀と古事記だすやつはマジで要らない

648 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:31:13 ID:qDSzmv5S0.net
>>634
筑紫は卑弥呼じゃねーよ

中国の正史では
筑紫は「漢委奴国王」の倭奴国
金印が出土してる

日本の記紀では
筑紫は「綿津見大神(豊玉彦)」の海神(ワダツミ)国
「綿津見大神(豊玉彦)」のひ孫の四人の皇子が東征したと書かれている

唯一、なーーんの確実な根拠も無い話が
筑紫は「卑弥呼」の邪馬台国

649 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:32:06 ID:hEL0G/pJ0.net
>>646
>畿内と九州は既に統一されて居たんでしょ

「忌部はん」 にね。  わははははは   @阿波

650 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:33:15.83 ID:MtC1n8g50.net
手塚治虫の世界やな

651 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:33:52.35 ID:G56A1XIk0.net
透かして見るなんて盗撮だなw

652 :石原さん:2020/01/11(土) 18:35:09.66 ID:hnfI73wX0.net
予算欲しいだけじゃないの?

653 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:37:43.62 ID:8YpqtLRv0.net
>>641
自女王國以北 其戸數道里可得略載
女王国より北はその戸数、道里を略載することができた。
伊都国、奴国までが12000里ですから伊都国、奴国が女王国なんですよ。

654 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:42:10.27 ID:/pqVkDOd0.net
>>147
弥生中期まではそうだけど、二世紀になると近畿で増えるんだよ。
丹後地域でな。

655 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:42:17.03 ID:KZ450Ul/0.net
中身が空っぽとかとか

656 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:43:02.64 ID:nCATrYVT0.net
マトリョーシカと思うけどな
調べない方がいいと思うけどな

657 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:43:19.84 ID:hEL0G/pJ0.net
>>653
「次有斯馬國次有巳百支國・・・」以下の21カ国は、女王国(粟国=大吉野川流域)に所属する国々の説明である。     

「其戸數道里可略載」(女王国より北にある国々は、その戸数や道順、距離をおおよそ記載できる)が、女王国に所属する21カ国のこと。

「其餘旁國遠絶不可得詳」(その他の周辺国は遠く離れていて、戸数や道順、距離がつまびらかでない)は、阿讃山脈を越えた遠く瀬戸内海地域などの国々(吉備など)。   



こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

658 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:43:58.77 ID:L0ziqP9x0.net
ここには新唐書読んだ人は居ねぇのかな
そこでは『王年代紀』『唐会要』『太平寰宇記』などを参照して日本伝(倭国伝ではない)
が書いてある

その中で国王の姓は阿毎氏、初代の国王は天御中主と名乗り彦瀲に至るまで、
およそ三十二代とされている(二三代の誤記の指摘もあり)

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の神武が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。

その後代々の天皇名が明記されてるが日本側と照らしても正確に書かれてる

659 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:47:55.20 ID:gAOGYDj80.net
>>1
●偏差値50私立理系新設バイオ大学へ入学して卒業した。
すると、無職(むしょく)の私を見て親は混乱、動揺(どうよう)、狼狽(ろうばい)した。
親が混乱、動揺、狼狽する姿を見たくない。
そうなら、中学生は進学高校へ、高校生は上位大学へ入学したほうがいいよ。
私は明石家さんまの名言「生きてるだけで丸儲け」だ。

web-n20-0006 2020-01-11 1742
https://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20200111174701_5050695165.gif
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kouri/1574407001/14-

●不可解な色目

不良や教授の縄張りにいるバイオ女たちが、モヤシ金持ちへチラチラ色目をつかってきたら、目的は次のこれ。
「不良や教授の縄張りに居座って、よそ者の金持ちから極上のおもてなしを受けて結婚する。」不可能だね。
手先の器用な女は男性教授のバイオ実験を無賃代行するので、教授の次に発言力が強い。助教授よりも強い。
強者への説教は不可能。モヤシ金持ち坊ちゃんは食い物扱いで、身の危険が迫ってる。

女は、「不良や教授の縄張り」と「富裕層」とは、相性が悪い程度はわかってるが、両取りできると勘違いしてる。
「相性悪いをわかってる」とは、女が不良と一緒にいるときは、筋肉金持ちにはちょっかい出さないからだ。
万が一にも筋肉金持ちを怒らせると、愛する不良の身に危険が及ぶから、筋肉金持ちへは大人しい。
不良や教授の縄張りでは、モヤシ金持ちへ女性器出して追い回したり、大損させて屈服させ求婚する。

女は無賃で不良や教授の実験を肩代わりするので、女性器を出す「そそう」はお目こぼしを受ける。不問だ。
不良や教授にとっては、実験を担う女の貴重な時間が、富裕層のために削られる利用価値の低下を恐れる。
女が私に興味を持てば持つほど、女の時間をタダ乗りする不良や教授は、モヤシ金持ちの私を攻撃する。
不良や教授の縄張りにいる女がおもてなしをされたいなら、女がモヤシ金持ちへ危険手当を支払う必要がある。

女が男を追い回してるのに、女が自分の行動を否定する。悪魔は「じゃあ、あの男は何者だ?」と付け込む。
女性器を出す女が自分をウソで正当化し「男が私を追いかけてる。」と。詰まんない女のプライドだ。
不良や教授は「そうか、じゃあ富裕層はストーカーだな。退治だ。」となる。不良や教授は忖度で攻撃する。
教授は、女が求婚する世界一大切(?)な殿方にストーカー濡れ衣を着せて教授会で吊るし上げ無職破滅させる。
女は愛すべき富裕層が教授会で八つ裂きに破滅するのを見て喜ぶ。喜ぶ女を見て、彼らは女を馬鹿にし面白がる。

●戯曲「じゃじゃ馬ならし」
勉強実験邪魔する奇声女たちが、不良や教授に100%マインドコントロールされてるように、当時の私は錯覚。
それが、彼女たちの内発的な意志でやらかしたと判れば、シェイクスピアのじゃじゃ馬女と同一視できたろう。
じゃじゃ馬とは、制御困難な馬だ。転じてオテンバ娘。じゃじゃ馬ならしは、暴れ馬を役立つ馬に手懐けることだ。
戯曲の「じゃじゃ馬ならし」は、男が商人のはねっ返り娘を金銭目的に虐待で隷属妻へ調教し、賭けに勝つ喜劇だ。
彼女たちは殿方へ不良や教授を後ろ盾に損をさせて、その殿方に求婚する。私は劇中の男よりも不利な立場だ。
仮にシェイクスピアのじゃじゃ馬女とわかってれば、囚人のジレンマで囚人の彼女たちと共闘計画は捨てたろう。
共闘呼びかけをやめ、女性器を出してることを大きく言う選択肢もあったろう。女性器発言は吉凶はわからんが。

●入学したのが間違いだった。
坊ちゃん同士で情報共有したほうがいいと思う。でも勉強できない。
悪化原因の奇声バイオ女に理解を求めることで時間と体力を使って卒業こそできた。
しかし、勉強実験するエネルギーを奪われ専門性ゼロで卒業し無職破滅になる。
我々の一人を囮にして悪党たちに襲わせれば、証拠がとりやすいけど、平気で放火するワルだから命が危ない。
死ぬこと以外はかすり傷でも、実際にすぐ身近に田舎坊ちゃんの変死者も出てるし、死んだら元も子もない。
慶応大学の卒業生の社会人の「スイミー(Swimmy)のように群れる行動」が正解になる。
理工学部「内部」でスイミーように群れるのは富裕層の絶対数も足りないし、男連れションだと勉強実験不可能だ。
研究所としては残るけど理工学部として廃学部になる。入学したのが場違いだった。命を守るのに精一杯。
受験のふるい落としは、中堅大学が放火魔や損させて振り向かせる女を排除するためなのかもね。


660 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:48:19.53 ID:BcK6dSEU0.net
>>658
新唐書は日本書紀を参照して書かれたもの

661 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:48:20.31 ID:gAOGYDj80.net
>>659
●商売でもないのに人様の財布を欲しがる。
娼婦さんでもない田舎娘たちが、デカイ態度で赤の他人のお金を欲しがってるって、物騒な世界だった。今はない。
四つんばいで女性器出しても、しょせん彼女たちはプロじゃないから、私の負担になるようなおもてなしを要求する。
不良や教授のいる世界で、横柄な女たちをおもてなしなんてできなかった。

662 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:49:31.09 ID:qDSzmv5S0.net
中国の正史では
筑紫は「漢委奴国王」の倭奴国
九州から金印が出土してる

日本の記紀では
筑紫は「綿津見大神(豊玉彦)」の海神(ワダツミ)国
「綿津見大神(豊玉彦)」のひ孫の四人の皇子が九州から東征したと書かれている

唯一、なーーんの確実な根拠も無いのが

朝鮮半島に一番近いからというバカ理論の
筑紫は「卑弥呼」の邪馬台国

663 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:50:07.28 ID:L0ziqP9x0.net
>>660
そりゃ一部は見てるだろうが記紀に筑紫城から神武が天皇と号して
大和にやってきたとでも書いてあるのか?

664 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:51:09.86 ID:/pqVkDOd0.net
>>152
倭人の国にあったんだから、何の問題もないが。
そもそもが「ヤマト」は共立した女王が住む都ってことだ。
今の東京には米も半導体も自動車も作っていないから江戸は日本じゃないってか?

665 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:51:21.20 ID:ED+A2PIR0.net
>>654
というか「弥生時代の鉄器」には注意が必要

この時期の鉄器ってのは鎌やヤリガンナ
鍛冶技術が稚拙だから石器と同じように「研ぐ」「尖らせる」と言う加工しかできなかった
用途も石器と同じ

だからよく想像されるような鉄器の開墾道具で農地が広がって貧富が広がって王権が出来たと言うのは間違い

いわゆる開墾道具のスキやクワの登場は弥生時代の後期後半後葉
原の辻上層式の時代

しかも全国でも20点程度で使った痕跡もない

鉄器の開墾道具が普及するのは古墳時代に入ってから
なので「鉄器が多い=生産力がある」と言うのは土台から間違い

弥生時代は「稲作と木器石器の時代」
木器でも問題なく開墾も生産もされていたと言うのが真実

666 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:54:21.37 ID:WncsZ4Pe0.net
この方式は解像度上がったの?

667 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:54:28.03 ID:hEL0G/pJ0.net
>>653
「次有斯馬國次有巳百支國・・・」以下の21カ国は、女王国(粟国=大吉野川流域)に所属する国々の説明である。     

「其戸數道里可略載」(女王国より北にある国々は、その戸数や道順、距離をおおよそ記載できる)の意味は、女王国(粟国=大吉野川流域)に所属する21カ国の説明。

「其餘旁國遠絶不可得詳」(その他の周辺国は遠く離れていて、戸数や道順、距離がつまびらかでない)の意味は、阿讃山脈を越えた遠く瀬戸内海地域などの国々(吉備など)の説明。


こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

668 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:55:00.87 ID:s2Fnp3Jo0.net
帯方郡から一万二千余里(狗邪韓國まで七千餘里) 北部九州○ 大和☓
南に狗奴國有り 北部九州○ 大和?
沈没して魚や蛤を捕ることを好む 北部九州○ 大和☓
入墨の風習 北部九州○ 大和☓
絹綿を生産している 北部九州○ 大和☓
兵器には矛を用いる 北部九州○ 大和☓
矢は鉄の鏃 北部九州○ 大和☓
墓は有棺無槨 北部九州○ 大和☓
宮室、楼観、城柵が厳設 北部九州○ 大和☓
四千里南に小人の島、侏儒国がある 北部九州○ 大和☓
百人規模の殉死を示す径百歩の塚の墓がある 北部九州○ 大和☓
庄内期の中国鏡の分布 北部九州○ 大和☓

100%北部九州が邪馬台国で間違いない。

669 :石原さん:2020/01/11(土) 18:55:30.64 ID:hnfI73wX0.net
>>585
ウラジオストクからも隠岐の島の黒曜石が出土してるよ

670 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:55:44.19 ID:8Tm0k2dS0.net
お前ら、素粒子の話は一切してないなw
まあ、俺も期待してないけど
ぼんやりと何かあるなくらいしかわからんはず

671 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 18:58:12.93 ID:ED+A2PIR0.net
だから弥生時代の開墾については畿内だろうが九州だろうが基本的に石器と木器で行っている

鉄器による開墾地の拡大という現象は古墳時代から
よく言われるような「鉄器普及→開墾地の拡大→貧富の拡大→王権誕生」というイメージは日本に該当しない

中東とかの鉄器拡散による社会変化を日本の実際の発掘物とかが少ない時代にそのまま当てはめた誤解

672 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:00:03.13 ID:s2Fnp3Jo0.net
箸墓は前方後円墳。
築造時期は四世紀。
百人余の殉死は確認できず。
確実に槨埋葬。
埋葬品に馬具が出る可能性が高い。

以上です。

673 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:01:24.68 ID:OMM9GGtQ0.net
渡来ユダヤ人が九州人利用して近畿のっとたのが大和朝廷それをのっとたのが継体で今の天皇の先祖

674 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:02:51.96 ID:L0ziqP9x0.net
>>670
そもそもの話

素粒子ってなんだよだからなw

675 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:03:03.64 ID:8Tm0k2dS0.net
宮内庁が発掘の許可を出せば一気に解明が進むのに
古墳の管理を文部科学省に移せないものか

676 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:03:49.14 ID:s2Fnp3Jo0.net
中国鏡の分布状況から、
大和の北部九州進出は東晋時代前後と考えられる。
以上です。

677 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:06:09.00 ID:ED+A2PIR0.net
素粒子レベルで・・・っていうネタであふれかえると思ったら、
邪馬台国バカがお構いなしに妄想をつぶやき続けるだけのいつもの基地外宝石箱になったというw

まぁこいつ等会話なんてする気ないからなw

678 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:07:47.68 ID:XTd6JNZx0.net
前方後円墳って写真でも映像でも後円部を上にして
逆さに映してるのはなんで?

679 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:08:16.50 ID:s2Fnp3Jo0.net
箸墓が卑弥呼の墓説というのは、
畿内説でも核になる部分です。
古墳時代初期で最大の古墳が、
倭国を支配して強大な権力を持っていた
邪馬台国の卑弥呼の墓
という理論なんで。
しかし、発掘してしまうとその全てが崩れ去ってしまうことは確実。
おそらく、本格的な発掘を望んでいないのは畿内説派の方でしょう。

680 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:13:08.92 ID:wYpD5nIG0.net
鉄器があってもそれを携えての遠征とか無理。
その時代は九州では戦乱状態。
機内は平和な統一政体。この結論しかない。

神武東征は史実通りの時代にあったので
卑弥呼とは無関係。

681 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:13:52 ID:oxnA6g1j0.net
>>653
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國

女王国の北に伊都国がある

682 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:19:07.12 ID:VDA8+HEF0.net
国って書いてあるけど普通に地方の事じゃ無いの?
それぞれの国に国王が居たんじゃなくて全てをまとめる女王がいてそれぞれの国に国司みたいな感じでしょ

683 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:20:43.22 ID:s2Fnp3Jo0.net
前方後円墳の円の方は祭祀でもメインの部分で、
中国では北壇や円丘、天壇と呼ばれる部分。
王族が冬至などの祭祀を行う部分と考えられています。
方の部分は南壇や方丘、地壇と呼ばれる部分で、
家臣や民が夏至の祭祀を行う部分と考えられます。
円の部分が天で、方の部分が地なので、
常に前方が低く、後円が高くなっています。

684 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:22:54.24 ID:H3vzQbn20.net
>>673
継体天皇までの畿内は秦氏と物部と徐福の系統の啀み合いっぽいわなあ。全部ユダヤっぽい

685 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:31:14.99 ID:qDSzmv5S0.net
中国の正史では
筑紫は「漢委奴国王」の倭奴国
九州から金印が出土してる

日本の記紀では
筑紫は「綿津見大神(豊玉彦)」の海神(ワダツミ)国
「綿津見大神(豊玉彦)」のひ孫の四人の皇子が九州から東征したと書かれている

唯一、なーーんの確実な根拠も無いのが

朝鮮半島に一番近いからというバカ理論の
筑紫は「卑弥呼」の邪馬台国

唯一、実際に、邪馬台国の壱与から266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)が書いた

中国の正史『魏志』(倭人伝を含む)ですら、よくよく読めば

韓国から

− 海を渡る1000余里 で対馬國
− 海を渡る1000余里 で一大国

その一大国という島から、さらに同じぐらい

− 海を渡る1000余里 で、邪馬台国がある陸地の末廬国

だから、邪馬台国は九州には無いという根拠にしかならない

686 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:35:52.13 ID:gKK0QAhR0.net
.
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。

687 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:39:03.61 ID:s2Fnp3Jo0.net
「晋書」武帝紀の泰始二年(266年)に、
「十一月己卯月(五日)、
倭人来たりて方物(特産物)を献ず。
円丘方丘を南北郊に併せ、
二至(冬至と夏至)の祀りを二郊に合わす」
と書かれています。
トヨの使者が洛陽で、司馬炎が、
円丘方丘を併せた施設で、
二至の祀りを行うのを見て、
それを真似て日本で作った施設が前方後円墳です。
従って、前方後円墳が卑弥呼の墓というのは間違いです。
ちなみに、方墳、円墳とも段状になっていて、
円が奇数段、方が偶数段というのが、
南壇北壇と同じです。

688 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:45:01.66 ID:L0ziqP9x0.net
>>678
そのほうが絵的におさまりがいいからでしょ

冗談はさておき あの前方後円って名付けたのはずっと後代なんで
意味も分からず適当に付けたんでしょ
本来は円の方が主ですから方のほうは付けたしなんで
そういう風に命名すれば誤解受けなかったやろけどね

689 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 19:54:59.42 ID:L0ziqP9x0.net
改めて写真みて見たけど、現代だから空から俯瞰できるけど
名付けた江戸時代だと入り口から入って手「前」が方墳でその「後」ろが
円墳に見えるから正しい名付け方なのかもしれんねw

690 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:01:03.86 ID:JvV46utH0.net
あれは方形部分が祭祀をする場所で円形部分が墓だから祀る側から見た自然な絵だと思うけどな

691 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:01:16.57 ID:Eeqpcjee0.net
>>679
九州説の哀れな妄想願望でしかないw

692 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:08:03.90 ID:Eeqpcjee0.net
卑弥呼はヤマトトトヒモモソですよ、日女命。
神大市姫こと日神、天照の名前までもってるぞw

693 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:08:50 ID:s2Fnp3Jo0.net
基本的に、円と方、両方祭祀の場所です。

694 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:11:55.29 ID:YCBex2G60.net
こんな調査をしたら卑弥呼の墓じゃ無い事が分かってしまうやん。
いいのか、畿内説を唱える少数派の人達よ。

695 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:16:16.27 ID:Eeqpcjee0.net
邪馬台国は畿内で確定してるから心配しなくてもいいぞw

696 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:20:38.91 ID:L0ziqP9x0.net
>>694
たいした答えなんて出さないよ 纏向発掘始めたときも
これでゴールが見えた?とか卑弥呼の墓に違いない!とか
適当に書いて後は放置 予算さえ取れればどうでもいいんだよ

邪馬台国や卑弥呼のことなんてね

697 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:21:51.58 ID:ED+A2PIR0.net
本当に一人くらいまともなこと言う奴いないもんかね

698 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:23:42.53 ID:bvQUy8HA0.net
邪馬台国九州はあるよここにいる基地外が信憑性下げてるだけで
朝鮮人がゴイムだから頑張ってるだけ家畜は家畜らしく日本人全ての御主人様に尽くせ

699 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:24:32.52 ID:Eeqpcjee0.net
当たり前だが狂った九州説じいちゃんの妄想聞かされるのウンザリなんだよな、発掘する人は。
だから邪馬台国に関する質問は皆さん嫌がりますw
考古学資料に文句つけるくせに考古学資料を根拠にするとか、ホンマにあほばっかw

700 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:27:33.60 ID:s2Fnp3Jo0.net
>>697

何か聞いてください。
答えられる範囲で答えてあげましょう。

701 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:28:05.40 ID:bvQUy8HA0.net
九州説だと朝鮮半島由来だと出来る可能性があるから頑張ってるんだよ
邪馬台国とかはお前ら大分後に登場するゴキブリ自分達のルーツから逃げるな

702 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:28:43.91 ID:G+V/d0aC0.net
>>696
定期的に出てくるNASAの

宇宙人が見つかる…かも!?

と一緒かw

703 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:30:05 ID:L0ziqP9x0.net
>>702
そゆこと 埋蔵金が出た?とかネッシーの痕跡か?の類

704 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:30:08 ID:VDA8+HEF0.net
>>700
卑弥呼の時代は九州と畿内は統一されていたの?それとも別々の勢力?

705 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:30:37 ID:dOe3bW8Q0.net
朝鮮から先進文化が来たのは事実

706 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:33:23.17 ID:KxdLokrx0.net
>>689
前方後円墳と名付けた理由は古墳全体を牛車に見立てて、
方部が牛とつなぐ取っ手の部分で円部を車体としたからだと
聞いた。

707 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:34:43.02 ID:s2Fnp3Jo0.net
卑弥呼の時代は土器編年で庄内期に辺り、
その時代の中国鏡の分布からみて、
北部九州と畿内は完全に切り離されていました。
畿内が北部九州に進出するのは、
東晋時代前後の事です。

708 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:35:03.51 ID:bvQUy8HA0.net
>>705
無理があるから誰が日本に文化教えたか調べれば朝鮮アイデンティティ崩壊
残念だが文化を教えたのは日本人なんだよ残念だが無知晒すな

709 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:35:14.25 ID:L0ziqP9x0.net
>>706
そうなのか 江戸時代に名付けられたってことしか知らなった
良い勉強になりました ありがとう

710 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:35:27.85 ID:Eeqpcjee0.net
朝鮮半島南部は元々倭人の国だぞw

前方後円墳を必死で壊しまわってたけどな。
九州説の連中が箸墓を四世紀にしたいのと
同じ心理だねw

711 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:38:08.53 ID:NDjBPoBB0.net
記紀の伝承が確かだとするならば百襲姫は土着の神を祀る事で在来勢力との融和統合に努めた祭司だったのだろう。しかし蛇神様を祀る祭司が中国皇帝にとりわけ鏡を所望する事は、あり得ない事だな。鏡を所望したのは太陽神の大祭司でなくてはならない。

712 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:38:18.22 ID:KxdLokrx0.net
>>577
中国の国史はある程度信頼できるという思い込みがあるから

713 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:39:06.83 ID:dOe3bW8Q0.net
朝鮮に先進文化を教えたのは後漢と公孫氏でしょ
後漢+公孫氏→三韓→九州

714 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:40:03.22 ID:l1aKaqbp0.net
箸墓を造営した崇神の次の垂仁が
殉死を撤廃してるのがリアル
墳墓が一気に巨大化したおかげで
関連コストが跳ね上がったのだろうな

715 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:40:19.61 ID:bvQUy8HA0.net
朝鮮人の誇りは日本に文化を教えた事だからそれを実証しないといけないけど
日本に文化を教えた人調べれば誰かわかるし移民は江南地方現在の上海とかな

716 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:40:25.85 ID:KxdLokrx0.net
>>701
ていうか、ワシは継体が渡来系だと見ている。アメノヒボコとかツヌガアラシトとか
あのあたりの一族。

717 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:41:26.49 ID:3OHb2qvM0.net
>>658
新唐書も王年代記もちょう然も知った上で、アレは偽書だとしか思わんよ。

記紀の成立から250年も後、980年代に宋に渡ったちょう然が上奏したとされるのが王年代記。
これはちょう然による捏造もしくは、記紀編纂時点から存在していた捏造歴史書。

ちょう然が書いたのなら理由なんてわかるはずもないが、記紀を元にでっち上げたんだろう。

元々記紀は各地の豪族たちが勝手に独自の歴史書を作るから記紀編纂が必要になったと、はっきり編纂理由が表明されてる。
日本書紀では正史として認定した内容を本段として掲載しつつ、同じ出来事に対しても改編された諸説を一書として併記してる。
一書にすら載せてもらえなかった地方豪族の捏造歴史書の一つに王年代記があったんだろう。

718 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:42:04.65 ID:G+V/d0aC0.net
>>711
だから裏切りとか思われて暗殺された…とかだと面白いかも

719 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:44:04.49 ID:UF7xb4210.net
四国説が濃厚

720 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:44:17.22 ID:bvQUy8HA0.net
>>716
わかりきった事抜かすなアホ
DNAで中国から来てるんだよ春秋戦国時代の呉がそう海直接渡って来たか朝鮮半島通ってきたかの話朝鮮半島に当時人は定着してなかった定着出来る環境じゃなかった
基地外のチョンと知恵遅れのジャップのせいで無駄な論争

721 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:44:48.55 ID:Eeqpcjee0.net
>>711
大物主は海を渡ってきた神だから。ルーツはインド辺りだよ。金比羅さんだし。
勿論根本的には太陽崇拝だぞ。

722 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:45:17.02 ID:bvQUy8HA0.net
朝鮮人には知性がない日本人には知能がない

723 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:45:40.00 ID:jr07yiZF0.net
永遠にわからないままのような気するが何が出てきたら邪馬台国って断定できるんだろか

724 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:45:45.28 ID:ED+A2PIR0.net
5ちゃんの書き込みに期待した方がアホだったかw

725 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:46:01.26 ID:L0ziqP9x0.net
>>717
ふむ その意見にはすべてではないが同意できる
新唐書はそのほとんどが書き写しだからね
見聞した部分が見当たらないと言われてるね

しかしその全てを否定する偽書というのには賛同できない

726 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:49:30 ID:8YpqtLRv0.net
>>681
女王国の北には一大率が置かれて諸国を検察している
諸国はこれを畏れ敬っていた
伊都国に於いて常に治める(女王卑弥呼が諸国を一大率を使って伊都国で常に治めていた)
女王国の北に伊都国はないよ。

727 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:50:06 ID:XzwMqqyV0.net
>>724
いたよ自分が常識人みたいなw知識があれば反論出来るのにしてない
知識もなく自分の結論信憑性ほしいだけ一番無能生きる価値なし

728 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:50:06 ID:Eeqpcjee0.net
ちなみに箸墓伝承の肝は旧来の宗教的シンボル、大物主の権威を下げる為に作られた物だからな。
全部を真に受けてはダメだぞ。
ヤマトで仏教こそが正義を定着させる物。

モモソがホトを突く話も同様、女性器を箸でさすなんて事になってるが、元々ホトは心臓の事でもあるんだからな、一つ賢くなっただろw

729 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:50:22 ID:3OHb2qvM0.net
>>723
年代測定のしっかりした中国製の3世紀の地図

金印だと死後動く可能性があるし、女性の埋葬者が出てきても卑弥呼とは断定不可能
そもそも卑弥呼の墓の場所はどこにも書いてないので、邪馬台国に埋葬されたかどうかもわからない。

730 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:51:32.71 ID:wYpD5nIG0.net
神武東征はメイフラワー号のような移住であったと考えるのが妥当。

その途上で各勢力と結びつき畿内の統一に至った話しだと。

731 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:53:16.36 ID:1+3LdPcs0.net
>>712
というかあの時代の文献がそれしか無いからだろう

732 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:54:18.76 ID:wYpD5nIG0.net
>>658
それに対する解答は簡単。
年代的に大化の改新の時代でそこで国号が大和から日本に変わった。

733 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:56:33.28 ID:L0ziqP9x0.net
>>732
え?最初から疑問に思ってねぇがw

734 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:56:50.43 ID:qDSzmv5S0.net
中国の正史では
筑紫は「漢委奴国王」の倭奴国
九州から金印が出土してるという根拠がある

日本の記紀では
筑紫は「綿津見大神(豊玉彦)」の海神(ワダツミ)国
「綿津見大神(豊玉彦)」のひ孫の四人の皇子が九州から東征したと書かれているという根拠がある

なーーんの確実な根拠も無いのが
朝鮮半島に一番近いからというバカ理論の
筑紫は「卑弥呼」の邪馬台国

唯一、実際に邪馬台国の壱与から、266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)が書いた
中国の正史『魏志』(倭人伝を含む)ですら、よくよく読めば

韓国から
− 海を渡る1000余里 で、対馬國
− 海を渡る1000余里 で、一大国

その一大国という島から、さらに同じぐらい
− 海を渡る1000余里 で、邪馬台国がある陸地の末廬国

だから、

邪馬台国があった陸地は九州じゃ無いという根拠にしかならない

それでも九州説者は、なーーんの根拠も無く
中国の世史も日本の記紀も偽物だなんつって
朝鮮半島に一番近いから邪馬台国は九州と、
なーーんの根拠も無く言い続ける

735 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:57:38.28 ID:hEL0G/pJ0.net
>>719
>四国説が濃厚

四国といっても、阿波が盟主だけどね。   @阿波

736 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 20:58:23.71 ID:XzwMqqyV0.net
日本としたのは天武天皇やが大化の改新は時代が違う

737 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:00:51.38 ID:SOA+R8RD0.net
>>707
この事実一つとっても邪馬台国畿内説は無理があると思うんだけどな
畿内説の人は中国鏡の分布にどういう説明をするんだろうか

738 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:03:04.32 ID:XzwMqqyV0.net
中国鏡をどう説明するかとかいうのが九州説バカにされる要因だと気付かないんだよなw
100枚あったとか知らないんでしょう

739 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:04:51.16 ID:wYpD5nIG0.net
>>736
最近は大化の改新のときが有力になってきている。
壬申の乱のあと大和にいったん戻ったが、再び日本になった。

そもそもとして天武は大化の改新の反対勢力に担がれた存在

740 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:07:16.47 ID:Eeqpcjee0.net
>>737
黒塚以降、三世紀後半の古墳から多量に出るから全く問題なし。

741 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:07:43.94 ID:dOe3bW8Q0.net
>>738
畿内での複製がその3倍ぐらい出て
いわゆる魏鏡の大半が複製で意味がない
まあ複製も技術なりと言うのかも知れないが笑

742 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:08:05.15 ID:s2Fnp3Jo0.net
またマキムクからは庄内期の北部九州の土器が出土しません。
これらの事実も庄内期の大和の北部九州への進出を否定している。

743 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:08:14.40 ID:wYpD5nIG0.net
ちなみに男系が固まったのはこの歴史的経緯による。

744 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:08:39.29 ID:3OHb2qvM0.net
>>725
新唐書ではなく王年代記が偽書

745 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:09:32.28 ID:OMM9GGtQ0.net
維新市長も九州で中国の植民地化っぽいことしてるし隠れてるユダヤそろそろでてくるな

746 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:10:15.45 ID:XzwMqqyV0.net
>>739
それはありえなくないか記紀からして大化の改新がそうならおかしいと思うが

747 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:10:37.43 ID:L0ziqP9x0.net
>>744
了解

748 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:10:41.96 ID:Eeqpcjee0.net
>>741
出てる時点で全く問題ないのだがw
今後も出る可能性しかないんだからな。

749 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:11:03.94 ID:ju1DTbLN0.net
>>730
神武東征で九州人が1度畿内を滅ぼした後 西暦300年代にまた九州から来た天皇家とその一党達によって畿内の銅鐸文明を滅ぼしたと思うんだよ

ようは畿内人は2度九州人に滅ぼされた

750 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:11:08.15 ID:jPvhcIdZ0.net
>>737
まったく「バカの壁」はおそろしいな


57年から238年まで、倭国王として君臨し、107年にはすでに中国に、生口160人を献上できた「漢委奴国王」の倭奴国

240年から30年か40年しか倭国王じゃいられず、壱与が266年に遣使を派遣した時でさえ生口30人しか献上できなかった「親魏倭王」の邪馬台国

【中国からの鏡がたくさん出てくるのは、どっちでしょう】

751 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:15:37.20 ID:va2FgZ/E0.net
感想を同人作家さんに送ったら起こった悲劇
http://socky.wardonline.org/8mt5l5/6rp8qmpwu4e122.html

ほとんどの作家さんはこんなことないだろうけれど1回でも嫌な目に遭うと控えますよね。

http://socky.wardonline.org/vyadm46xg/112ep6zd8nk4en.html

752 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:25:32.02 ID:oxnA6g1j0.net
>>726
どういうこっちゃ?何回見てもあなたの意図がわらないんだが
伊都国に卑弥呼がいて、伊都国の北に一大率が置かれてるという主張なのか?

女王国より以北は、その戸数や距離のだいたいのところを記載出来るが他は詳細不明だと書いてあるんだから
伊都国の東に奴国と不弥国の詳細が記載されてあるし
まとめてみると、伊都国と奴国と不弥国より南に女王国があると書かれてるんだが?

753 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:27:36.24 ID:mZO/bbXQO.net
記紀にも
古墳は誰のかあんまハッキリわかんねえな

みたいな調子だしさ

銅鐸は俺たちもよくわかんねえや、だしさ

卑弥呼も何か神功ぽいよねぇ〜って

絶対連続性ないわw

754 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:28:19.98 ID:s2Fnp3Jo0.net
三角縁神獣鏡は中国での出土例が無いので、
いつの時代の鏡か中国側で特定できない。
仿製鏡が多くて、殆どが日本鏡。
日本では殆どが四世紀の遺跡の出土品である。

755 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:29:34.16 ID:s2Fnp3Jo0.net
庄内期の中国鏡がたくさん出てくるのは北部九州です。

756 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:30:46.84 ID:s2Fnp3Jo0.net
ちなみに、トヨの後に男王が立ったと梁書には書かれています。

757 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:31:48.56 ID:L0ziqP9x0.net
>>750
誰もかまってくれないようで哀れだからレスするけど
鏡は畿内派のタブーの一つだぞ 覚えておいたほうが良い

758 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:33:16.17 ID:1+3LdPcs0.net
>>753
>卑弥呼も何か神功ぽいよねぇ〜って

これは因果関係が逆だと思うぞ

おいおい中国の魏志倭人伝って書物に卑弥呼って書いてあるぞ!鬼道を用いて倭を治めた女王だってそんなの知らんぞどうしよう・・・。
そうだ!神功皇后に天皇の代わりになって貰って色々超常的な力を使ってもらったことにしよう!
でも卑弥呼とか邪馬台国って書いちゃうといろいろ嘘がバレるから必要最小限の引用でそれとなくミスリードさせるようにして・・・・。誰からもツッコミが入らないといいなあ

・・・こんな感じかと

759 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:34:48 ID:mZO/bbXQO.net
桃の種で遠隔操作が最近の畿内派

とんでもないロストテクノロジーがあったんだよ!

760 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:36:21.73 ID:jPvhcIdZ0.net
つまり

桃のタネぐらいしか出ない方が邪馬台国

なんだよ

761 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:36:54.70 ID:s2Fnp3Jo0.net
あと、奴国は銅矛文化の中心地でした。
奴国王は安曇族と考えられています。

762 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:36:59 ID:SOA+R8RD0.net
>>740
黒塚古墳から出土したのって三角縁神獣鏡だよね?
これって日本で作られた説が有力じゃない?
これが魏から送られたものという前提での話なのかな?

763 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:37:41 ID:jPvhcIdZ0.net
>>757
タブーでもなんでもねーわ
まったく「バカの壁」はおそろしいな


57年から238年まで、倭国王として君臨し、107年にはすでに中国に、生口160人を献上できた「漢委奴国王」の倭奴国

240年から30年か40年しか倭国王じゃいられず、壱与が266年に遣使を派遣した時でさえ生口30人しか献上できなかった「親魏倭王」の邪馬台国

【中国からの鏡がたくさん出てくるのは、どっちでしょう】

つまり

桃のタネぐらいしか出ない方が邪馬台国

なんだよ

764 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:41:39.27 ID:L0ziqP9x0.net
>>763
へ〜中国鏡何枚出て来たんだ?

それとおそらく漢委奴国王の読み方も意味も解ってねぇだろw

765 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:43:39.58 ID:s2Fnp3Jo0.net
魏志倭人伝には兵には矛・楯・木弓を用いると書かれている。
安曇族の中心地、奴国を示す北部九州周辺からの
大量の銅矛の出土がコレを物語っています。
また、この時期には、鉄矛も北部九州から一六例出土しています。
一方、大和からは、銅矛ですらごくわずかしか出ない。
鉄矛はゼロです。

766 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:48:31.15 ID:s2Fnp3Jo0.net
ちなみに、卑弥呼の墓に比定される、
大量の殉死の認められる祇園山古墳は、
高良大社の伝承では、物部市の一派、
鏡山氏の廟というふうに考えられています。
祇園山古墳が、鏡と関連のある墓である事を示唆しますね。

767 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:48:49.83 ID:mZO/bbXQO.net
>>760

ただの関係ない連中だろw

768 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:50:51.17 ID:ju1DTbLN0.net
>>753
畿内の銅鐸文化の事知らないって事は九州人が畿内人に戦争で勝った後民間人も皆殺しにしてる可能性があるよ

769 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:55:47.08 ID:s2Fnp3Jo0.net
奴国王安曇氏は志賀海神社なんですね。
もちろん、あの漢委奴国王の金印が出た志賀島の。

770 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:57:14.09 ID:0+Fnl/w80.net
卑弥呼とも皇室と全然関係ない豪族の墓でもおかしくないわけで

771 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:58:28.35 ID:8YpqtLRv0.net
>>752
>伊都国の東に奴国と不弥国の詳細が記載されてあるし

伊都国と奴国の中間点が12000里の場所で伊都国と奴国が女王国
奴国の東に不弥国が在るので伊都国、奴国、不弥国より北が女王国以北
その戸数や距離のだいたいのところが記載されてるのは伊都国、奴国、不弥国まででしょ。

772 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 21:59:55.04 ID:/4v08xAb0.net
こんなもんに頼るなんて古墳の研究者は大体の内部構造も見当つかんのかな

773 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:00:49.78 ID:3OHb2qvM0.net
>>747
王年代記が偽書であると思う理由をもう一つ。

新唐書にある天皇の名前に致命的な問題がある。

神武以降多くの天皇の名前がズラズラと出てくるが、古代の天皇の名前に神武や綏靖、安寧といった
漢風の名前をつけたのは淡海三船であり、8世紀半ばまでは神武なんて表現そのものがない。
淡海三船が一括撰進するより前、720年に完成した日本書紀では、天皇は漢風の名前では書かれておらず和名で登場する。

王年代記は8世紀半ば以降の知識を持った人物によって書かれてないと不可能。

古代の歴史の真実を隠し持ってたという発想自体が騙されてる。

774 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:03:55.03 ID:oxnA6g1j0.net
>>771
帯方郡から女王国までの距離は誤差の範囲であるから、まあいいとして
貴方の考えでは一大卒はどこにあるん?

775 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:06:48.21 ID:s2Fnp3Jo0.net
奴国→安曇氏
邪馬台国→物部氏??
こんな感じです。

776 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:07:08.43 ID:L0ziqP9x0.net
>>773
新唐書自体が1000年辺りにまとめられたものなんだから
それ以前の書物と遣使によりもたらされた日本の書物等が
参考にされて書かれたはず

しかし筑紫城関連のネタはどの文献から書かれたのかは
俺は分からないが、捏造する必要は一切ないので
なにかしらに書かれたたとは推論できる

777 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:11:29 ID:oxnA6g1j0.net
>>771
奴国、不弥国は伊都国の東にあるので
女王国以北は詳細を得るが、ほかはよくわからないという文に矛盾がありますね

あと距離も単純に足し算すれば伊都国まで、9500里+余里×3なのでおよそ1万里でしかなくちょっと厳しいですね

778 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:14:00.83 ID:3OHb2qvM0.net
>>776
新唐書は宋に渡ったちょう然が上奏したとされる王年代記なる謎の文献を元に筑紫城や天皇について書いたとされる。

1000年代、当然日本には公式な歴史書が存在していた訳で、その内容との違いを理解しつつ
淡海三船が撰進した名前に置き換えるなんて面倒なことを中国本土でもない蛮夷の国の記録にやったとするのはかなり無理があるよ。

王年代記そのものが、撰進された漢風天皇名を元にツラツラと書かれたものであり、新唐書ではよく調べもせず転載したと考える方が自然。

779 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:22:06 ID:8YpqtLRv0.net
>>774
対馬国、一大国、末盧国

780 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:22:43 ID:ED+A2PIR0.net
本当にびっくりするくらいアホしかいないな
まともな話をしてる奴がいたらレスするつもりだったが

781 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:24:12.34 ID:yA9cyuoY0.net
>>757
バカ?
中国鏡は九州説にとどめを刺した最重要の物証の一つだろが
安本とか古田のデタラメばっかり読んでないで、考古学者の論文くらい読め

782 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:24:52.20 ID:8YpqtLRv0.net
>>777
対馬国が400×400里
一大国が300×300里
これを加えれば丁度12000里
合計が12000里と書かれてるから内数を合計すれば12000里になる。

783 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:28:12.70 ID:oxnA6g1j0.net
>>782
それは国の入り口までの距離、国の広さ、出口からの距離があって
行程記録に国の広さの分を加算しなければおかしいという考えなの?

初めて聞いたw

784 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:31:32.07 ID:6ngmZdgF0.net
>>781
そんな論文はありません。

785 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:33:16.89 ID:L0ziqP9x0.net
>>781
おおおお これは初耳だ
中国鏡の何が止めを刺したんだ?
安本せんせと古田せんせについては別に議論する必要は無いね

>>778
すまんね 新しいおバカ来たから貴殿との議論はこれくらいで

ちょう然が持参した「職員令」「年代記」『日本年代記』等も
参考にしたんでは?と思う

786 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:40:29.51 ID:QSlzo9DtO.net
>>565
訂正

〇神功皇后

787 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:43:51.92 ID:8YpqtLRv0.net
>>783
魏使は船で着てますから島の外周を半周したんですよ
帯方郡の港から出発して狗邪韓国へ・・・7000里
狗邪韓国から対馬国北海岸へ・・・1000里
対馬国の北海岸から半周して対馬国の南海岸へ・・・800里
対馬国の南海岸から一大国の北海岸へ・・・1000里
一大国の北海岸から半周して一大国の南海岸へ・・・600里
一大国の南海岸から末盧国の北海岸(呼子)へ・・・1000里
呼子から末盧国と伊都国の国境へ・・・500里
そこから伊都国と奴国の国境へ・・・100里
伊都国と奴国の国境で12000里

788 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:45:06.67 ID:yA9cyuoY0.net
>>785
高校生の教科書にも書かれてることを初耳だとよwwwwwwwwww
レベル低すぎるんでもういいです

789 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:46:25.13 ID:L0ziqP9x0.net
>>788
あれ?もう逃走?つまらん
高校の教科書が印籠すか、、、ww

790 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:51:08.47 ID:dOe3bW8Q0.net
高校の教科書記述も毎年変わる変化の時代に高校の教科書に書いてあると吠えるおじいさん
そんな人は歴史スレは無理と思う

791 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:52:39.74 ID:ED+A2PIR0.net
>>788
あれだろうよ
九州には鏡がザクザク出てきて、絹も大量だ!とか言うバカ話を資料も見ずに信じてるんだろうよ

鏡が前時代の古い破鏡や鏡片ばかりで絹も最盛期の13遺跡から激減して1遺跡になって粗雑な麻布レベルになってるとも知らないんだろうよ
鏡なんて完鏡が出てくるのは「4〜5世紀の古墳から」だからな
笑わせてくれるよな

鏡の資料を知らんとか言ってるが「日本列島の鏡集成(下垣仁志)」にバッチリ書いてある

まぁこの程度のバカの集まりって事だ

792 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:53:14.89 ID:oxnA6g1j0.net
>>787
ほー、つまり、島に関しては陸路と違って港を複数経由する可能性を考慮したということかな?
海に関しては、潮流や風やシケの具合を慎重に見極めないと、当時の技術では命に係わることなので
最も対岸に近い港に移動することは大いに考えられますね。

しかし、この記録は、日誌的な距離の記載なんかではなく、戦略的な情報の取りまとめなので
帯方郡からのおおよその距離、全工程にかかる日程、なんかは重要事項なので、そのような中途半端な記載にはならないと考えられます。

793 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:54:17.33 ID:ED+A2PIR0.net
書名間違えた

「日本列島出土鏡集成」だ

794 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:56:36.14 ID:L0ziqP9x0.net
>>791
ほう じゃ当然この事実も書かれてるんやろね
読んだこと無いけど

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01H2A_R01C15A1CC1000/

795 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 22:59:57.96 ID:L0ziqP9x0.net
>>793
んじゃ賢明はあなたはそれを読んでどう書いてあったのか
アホな俺に教えてくれまいか
当然読んだんだよな?

796 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:01:11.27 ID:8YpqtLRv0.net
>>792
中途半端な記載?
詳細な距離の記述だと思いますけど?
7000里に水行20日
4400里に水行10日
600里に陸行1日(月)
が掛かる時間です。

797 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:01:46.75 ID:YVdBJMEf0.net
結局、邪馬台國は大和朝廷とは無関係でよろしいかな?

798 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:02:22.67 ID:VDA8+HEF0.net
>>794
そのヒビぜんぜん似てなくね?

799 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:03:02.32 ID:L0ziqP9x0.net
>>797
ハッキリ無関係です 記紀に一切書かれてないのが証左

800 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:04:35.93 ID:SOA+R8RD0.net
>>782
これって孫栄健さんの本の話かな
興味深い

801 :婆 ◆HKZsYRUkck :2020/01/11(土) 23:06:15 ID:M49wk0Hc0.net
>>585, >>786
亀卜や骨卜は自然崇拝のアニミズム、神託はシャーマニズムに位置づけられるけど、
どちらも不可視・不可知な神の言葉を伝える翻訳者(インタープリター)だよね。

でもってシャーマニズムだが、大御所ミルチャ・エリアーデの分類だと、
シャーマンは、自分の霊魂が肉体を抜け出して天界にのぼって神様にインタビューして
帰ってくる脱魂型(エクスタシータイプ)と、神様が降りてきてシャーマンの肉体に入り、
神託(オラクル)を述べる憑依型(ポジェッションタイプ)とに大別されるらしい。

実はエリアーデさんは当初は前者しか認めていなかったが、後に日本のイタコのように
東アジアでは後者のタイプが卓越していることを知って憑依型も分類に加えたそうな。
もちろん朝鮮半島でも同様。
その意味では、魏志東夷伝の朝鮮半島の国々の記述に登場する
「鬼道」とか「鬼神に仕え」とかの記述は、基本的には同じものじゃなかろうかと。

802 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:07:37.91 ID:jPvhcIdZ0.net
>>794
やっぱりなぁ

57年から238年まで、倭国王として君臨し、107年にはすでに中国に、生口160人を献上できた「漢委奴国王」の倭奴国

240年から30年か40年しか倭国王じゃいられず、壱与が266年に遣使を派遣した時でさえ生口30人しか献上できなかった「親魏倭王」の邪馬台国

一年に一枚中国から鏡を貰えるとして
「漢委奴国王」の倭奴国なら180枚
親魏倭王」の邪馬台国なら40枚

【中国からの鏡】なんて邪馬台国にはろくに入ってこないからなぁ

貴重な一枚を複製したのだろうねぇ

803 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:08:14.77 ID:L0ziqP9x0.net
>>798
ヒビじゃなくしわって書いてあるが?縁についてるんじゃねぇか?
詳しくは知らんけどw

804 ::2020/01/11(土) 23:08:31.43 ID:M49wk0Hc0.net
>>801のアンカーは
>>565, >>786 じゃった。

805 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:09:19.95 ID:ED+A2PIR0.net
まともなことを書く奴がマジで一人もおらんから語り合うレベルにさえない

806 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:09:57.05 ID:8YpqtLRv0.net
>>800
>対馬国が400×400里
>一大国が300×300里
>これを加えれば丁度12000里

古田武彦氏の本にあったけど
大元は知らん。

807 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:13:27.26 ID:8YpqtLRv0.net
>>800
古田武彦氏の説では邪馬台国が何処にあったか不明
博多湾の近くのあったってだけ。

808 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:15:50.24 ID:oxnA6g1j0.net
>>796
>>7000里に水行20日
これについては異議なし

>>4400里に水行10日
記載されているのは、千余里×2回  つまり、4400里と読み取れる記載がない=推測によって出さなけれbならないような記載にするはずがない
渡海するのに要する日数=10日は、天候や潮流の関係で、すんなりいけませんよという情報の意味合いもあるものだと思う。

>>600里に陸行1日(月)
検閲などの手続きや、奴国王との交流なくして女王国への面会は不可ということが考えられる


つまり、あなたとの相違は、島の移動距離を込みで記載しているのか、省略しているかの差ということか。
俺の意見は先に書いた通り、戦略的に残すための記録であるので省略はないという意見ね。

809 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:20:43.54 ID:8YpqtLRv0.net
>>808
合計距離の12000里が記されているんですから
内訳の合計が12000里にならないのは変でしょ?

810 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:22:35.29 ID:sgQwJwjj0.net
>>1
「卑弥呼の墓」を素粒子で探査……奈良・箸墓古墳の内部

また共同通信は大衆が勘違いするような

「卑弥呼の墓」 って見出しにしてるのか!!

で「卑弥呼の墓」の可能性が指摘される・・と曖昧な表現の記事に変更してな

みんな共同通信はこういうテクニック記事を戦前から書いてるのが

バレてるから共同通信のニュースにはくれぐれも気をつけるようにな!

811 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:23:09 ID:k+zWX1WA0.net
四季報記者が注目する2020年大化け期待の30銘柄
http://nicoy.anceps.net/xk4z5jbr/b6qqrx5gold3t8.html

812 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:26:42.83 ID:8YpqtLRv0.net
>>808
わざわざ12000里と書いてあるのは
対馬国が400×400里
一大国が300×300里
を行程の距離に加えろって意味でしょ
でないと12000里にならない。

813 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:27:02.67 ID:jPvhcIdZ0.net
>>808
狗邪韓国の港から海に出て、対馬国の港について・・・海を渡る1000余里

対馬国の港から海に出て、一大国の港について・・・海を渡る1000余里

一大国の港から海に出て、末盧国の港について・・・海を渡る1000余里

つまり

狗邪韓国の港から末盧国の港まで、海を渡ること3000余里だな

814 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:29:59.46 ID:S3Hj//LS0.net
「その通りだというっ!」

↑このフレーズにピンとくるやついる?

815 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:32:15.61 ID:oxnA6g1j0.net
>>809
7000余里+1000余里+1000余里+500里+100里+100里で不弥国 ここまでで計9700里+余里×3

女王国の北は詳細を得るという記載から(これ重要)、これらの南1500里〜2000里くらいの場所が女王のいるところ

こう考えると、奴国両隣が100里と狭いわりに2万戸は多すぎという気がしないでもないがw
ほとんどの国は環濠集落で、奴国だけは当時の首都機能を備えた人口密集地だったのかな。

816 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:35:22.33 ID:oxnA6g1j0.net
>>813
あ、ナイス、1000里抜けてたww 訂正します

7000余里+1000余里+1000余里+1000余里+500里+100里+100里で不弥国 ここまでで計10700里+余里×3

女王国の北は詳細を得るという記載から(これ重要)、これらの南500里〜1000里くらいの場所が女王のいるところ

こう考えると、奴国両隣が100里と狭いわりに2万戸は多すぎという気がしないでもないがw
ほとんどの国は環濠集落で、奴国だけは当時の首都機能を備えた人口密集地だったのかな。

817 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:36:39.95 ID:jPvhcIdZ0.net
つまり

九州説者の言うとおり「一大国 は 壱岐」ならば

末廬国 は

1.壱岐と対馬の距離と同じぐらいの距離のところにあって
2.そこの港まで壱岐の港から船で入る

末廬国 は九州じゃねぇな

818 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:44:50.14 ID:jPvhcIdZ0.net


壱岐 から、壱岐ー対馬の距離と同じぐらいの距離の
【古代に渡来人が来たと言う伝承が残る海岸は・・・】と見てみると

帯方郡ー韓国
− 海を渡る1000余里 対馬國
− 海を渡る1000余里 一大国(壱岐)

そこから

− 海を渡る1000余里 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)

ということになる

末廬国が石見国美濃・島根県益田付近となれば、当然
王がいる伊都国は 出雲ということになり

出雲には、一大卒が派遣されているとなれば
派遣してるのは天照大神

つまり 天照大神=卑弥呼 ということになる

819 :婆 ◆HKZsYRUkck :2020/01/11(土) 23:45:59 ID:M49wk0Hc0.net
>>817
漕走時代の海上の距離は信用ならんよ。
おそらく、「一航海が千里」程度のもんだろう。
その距離には幅があるが、止まれば対馬海流に流されるから
漕ぎ続ける距離には上限はある。

でもって末廬国だが、これはもう壱岐から最も近い陸地である
松浦に決まりだろう。帆走ではなく漕走の時代なんだから、
最短距離の陸地を目指さない船長は、絶対漕ぎ手にどつきまわされるよねw。

820 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:46:26 ID:oxnA6g1j0.net
>>818
>>そこから

>> 海を渡る1000余里 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)

>>ということになる


なりませんww

821 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:46:26 ID:lO8xhdGx0.net
九州説のやつらって畿内には三角縁神獣鏡しかないと思ってるみたいだな
しかも三角縁神獣鏡に文句つければ畿内説を否定できると思ってるようだし

822 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:47:09.62 ID:jPvhcIdZ0.net
つまりだよ

九州説は「一大国 は 壱岐 だ」と言った瞬間にゲシュタルト崩壊する

のだよ

823 ::2020/01/11(土) 23:49:48.09 ID:M49wk0Hc0.net
>>822
俺の知ってるゲシュタルト崩壊と違う気がするw

824 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:49:54.33 ID:jPvhcIdZ0.net
>>819
ほらな

中国の正史では
筑紫は「漢委奴国王」の倭奴国
九州から金印が出土してる根拠がある

日本の記紀では
筑紫は「綿津見大神(豊玉彦)」の海神(ワダツミ)国
「綿津見大神(豊玉彦)」のひ孫の四人の皇子が九州から東征したと書かれている根拠がある

なーーんの確実な根拠も無いのが
朝鮮半島に一番近いから九州というバカ理論の
筑紫は「卑弥呼」の邪馬台国

825 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:49:59.27 ID:L0ziqP9x0.net
>>821
邪馬台国スレってとんでもなく長くやってんだぜ
今どきそんな幼稚な事考えてるやつらいねぇよw

神獣鏡に文句をつけるんじゃない 神獣鏡を邪馬台国や
卑弥呼の存在理由にするから文句付けられるんだよ

500枚出ようとどうでもいいんだよ ただ邪馬台国とは
無関係だぜってだけだ

826 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:50:02.19 ID:6ngmZdgF0.net
まだ桃の種とか言ってやがるwww

827 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:51:25.50 ID:8YpqtLRv0.net
>>816
女王国の北は詳細を得るという記載があるから
女王国以北の12000里の内訳が全部記載されてるはずなんだよ
12000里にならないのは対馬国と一大国の外周を忘れているからなんだ。

>>817>>818
単に海上は実測出来なかったから全部1000里となっただけでしょ。

828 ::2020/01/11(土) 23:52:28.89 ID:M49wk0Hc0.net
>>824
よくわからんが、「帯方郡は朝鮮半島になかった!」てな主張なのん?

829 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:55:18.66 ID:WfBFnIZR0.net
邪馬台国のは周囲5000里の島にあるのはガン無視?
畿内ではない

830 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:57:52.17 ID:lO8xhdGx0.net
>>825
やっぱり三角縁神獣鏡のことしか考えてないんだなw
まあいいや

じゃあ、三角縁神獣鏡のことでもいいが、景初や正始といった魏の年号が入ってる鏡があるけど
これを合理的な根拠を提示して否定できるのか?

831 :名無しさん@1周年:2020/01/11(土) 23:58:35.26 ID:bNljrGYp0.net
>>829
位置はもうどうでもいい

832 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:00:28.65 ID://156yG30.net
>>829
魏志倭人伝の記述は100里単位で正確な計測してないのは明らかなのはガン無視?
北部九州から水行30日の場所だから邪馬台国は北部九州ではない

833 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:00:34.58 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>819
中国の正史『魏志』(倭人伝を含む)で

実際に邪馬台国の壱与から、266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)が

対馬國から、 海を渡る1000余里で、一大国(壱岐)

その一大国(壱岐)から、海を渡る1000余里
壱岐と対馬の距離と同じぐらい離れたところに末廬国がある

と書いているのに、なぜ

>末廬国だが、これはもう壱岐から最も近い陸地である松浦に決まりだろう。

なんて言えるんだろう
統合失調症なのか?

834 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:04:05.16 ID:RQrzx1qA0.net
何の鏡が大和主体なのかきちんと示さないとねえ。

835 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:04:17.60 ID:JXo0Z1ZQ0.net
病気ではない正常な人間ならば

実際に邪馬台国の壱与から、266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)が

対馬國から、 海を渡る1000余里で、一大国(壱岐)

その一大国(壱岐)から、海を渡る1000余里
壱岐と対馬の距離と同じぐらい離れたところに末廬国がある

と書いているから

末廬国は、少なくとも、壱岐から最も近い陸地である松浦【では無い】

とわかるはずなんだけどね

836 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:09:58.19 ID://156yG30.net
箸墓がなぜ重要かというと明らかに最高ランクの墓だからだある。
当時の人々は「箸墓に眠る人は天皇よりも偉い」と思っていたことは
その形状から間違いない。

五段築成 箸墓
四段築成 とくに偉大な天皇の墓
三段築成 天皇の墓

五段は最高ランクの形状

837 ::2020/01/12(日) 00:11:07.66 ID:csUbVwPs0.net
>>833< >>835
最も近い陸地を目指すのが,、漕走航海の基本だからだよ。
唯一のエンジンが乗員の筋肉である以上、漕ぐ距離は最小にせざるを得ない。

その上での距離の評価だが、時計の無い時代にハンドログを流してロープの
繰り出し量を計るわけにいかないから、「一航海千里」というざっくりした
数字を当てはめるしかないと。さらに言えば、対馬海峡は海流を横断するから
対馬−壱岐間と壱岐−松浦間の漕走距離が地図通りかも疑わしい。

838 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:13:24.94 ID:JXo0Z1ZQ0.net
で、病気ではない正常な人間ならば

末廬国は、少なくとも、壱岐から最も近い陸地である松浦【では無い】

ならば

伊都国も、少なくとも、糸島【では無い】

と、わかるはず

なのに、糸島市は踊らされて「伊都国歴史博物館」なんか創っちまって

九州説者はどう責任とる気なんだろ

839 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:13:46.81 ID:x/iq1NGA0.net
>>830
何読んでんだよ 神獣鏡のことなんざどうでもいいって
言ってるだろが、神獣鏡の年号を盾にしてだから邪馬台国は
畿内にあったんだとしたいならそれを示せよ

景初4年の事も韻さえ踏んでない銘文も、中国人が読めない
銘文が書かれてることも今は問わないからさ

840 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:14:04.54 ID://156yG30.net
・纏向遺跡の「真南」にあるのが箸墓
・纏向遺跡の「真北」にあるのが黒塚古墳

黒塚古墳は、箸墓の約2分の1の大きさである。
黒塚古墳は発掘調査済みで、難升米(卑弥呼の使者)が授かったとされる黄幢(黄色い旗さし)と思われる金具が出土している。

841 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:15:26.15 ID:NyUJxLqz0.net
【画像】欲求不満なナース達、透けててもお構いなしと話題にwwwwwwwwwwwwwwww
http://socky.wardonline.org/csb3fu/l2rkwxlcfei1t2.html

【衝撃】会社の飲み会で同僚(女)が酔いつぶれたからホテル連れ込んだ結果wwwwwwwww

http://socky.wardonline.org/2z91998lm/giizb3ofloi5ek.html

842 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:16:15.34 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>837 こそが

中国の正史にどう書かれていようが
日本の記紀にどう書かれていようが

なーーんの確実な根拠も無く

朝鮮半島に一番近いから九州というバカ理論の
筑紫は「卑弥呼」の邪馬台国

843 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:17:34.13 ID:RQrzx1qA0.net
ちなみに、3世紀の遺跡から出たとされる数例の三角縁神獣鏡の殆どが北部九州。

844 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:21:21 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>843
57年から238年まで、倭国王として君臨し、107年にはすでに中国に、生口160人を献上できた

北部九州の「漢委奴国王」の倭奴国

3世紀の遺跡から出たとされる数例の三角縁神獣鏡の殆どが北部九州

じゃねーと変だからねぇ(笑)


240年から30年か40年しか倭国王じゃいられず、壱与が266年に遣使を派遣した時でさえ生口30人しか献上できなかった「親魏倭王」の邪馬台国

からは、んなもん出てくるわけがねぇ

845 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:23:10.30 ID://156yG30.net
>>843
黒塚古墳は公式報告書で3世紀後半
https://www.sankei.com/region/news/181017/rgn1810170027-n1.html

黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡が出土している

846 ::2020/01/12(日) 00:24:24.07 ID:csUbVwPs0.net
>>842
>>837は史書の記述を解釈してるレスなんだから、
それに対して「史書の記述と反することは認めん」と言っても仕方ないじゃろと。

あなたに必要なのは、「>>837の解釈は間違っている」という論証だよね。

847 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:25:41.00 ID://156yG30.net
発掘調査済みの黒塚古墳が公式報告書で3世紀後半なのは重要。
黒塚古墳は、箸墓を参考に作られており
箸墓は3世紀後半以前(卑弥呼死亡直後)に作られたことの証拠になるからだ。

848 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:29:13.02 ID:gbl7m/Oi0.net
>>839
つまり、魏の年号が入った鏡については合理的な根拠を提示して否定できないってことだな
お疲れさん

849 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:30:27.28 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>845
わずかの期間しか「親魏倭王」でいられなかった邪馬台国が
わずかの期間の「親魏倭王」の間にもらった数枚の貴重な鏡を

複製したんじゃないか・・と考古学者は考えている

850 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:30:34.80 ID:x/iq1NGA0.net
>>847
どうしてそれが一番のネックだと気づかんのかねぇ
戦争中なんだぜ?それも敗戦して女王様死んじゃったから
最大規模の古墳作りましょって
どっからその労働力と資材や金調達したんだよ

そんなもん作れる勢力ありゃ負けるかよw

851 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:31:27.83 ID:x/iq1NGA0.net
>>848
意味不明 どうでもいいから絡むな

852 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:34:57.03 ID:gbl7m/Oi0.net
>>851
自分から絡んできておきながら、ぐうの音も出ないから
絡んでくるなと捨て台詞かよ
面白すぎるわ

853 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:35:32.45 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>846
あのなぁ

史書の記述の解釈は、あくまでも

対馬國から、一大国(壱岐)と
一大国(壱岐)から、末廬国は
おなじぐらいの距離、離れている

854 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:36:49.99 ID://156yG30.net
>>850
台与が朝貢してるから卑弥呼死亡後も
邪馬台国は勢力を保っていたことは確実

855 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:37:05.86 ID:+6uP6UKN0.net
>>2
ゴッドハンドは東北大ご用達だったので、関西までは来ない

856 ::2020/01/12(日) 00:37:38.18 ID:csUbVwPs0.net
>>853
その「千里」の正確さについて検討しているのに、
「どちらも千里と書いてあるじゃないか!」と言っても
反論にならないでしょうに…。

857 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:38:41.45 ID:RQrzx1qA0.net
>>845
黒塚古墳は4世紀初頭から前半

858 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:39:24.75 ID:x/iq1NGA0.net
>>852
済まん アホかまった俺のミスやわ
未だに魏の年号書いてあるから魏からの賜り物だなんて
言ってる馬鹿が邪馬台国スレに来るとはね
こっちが赤面するほどの無知やわ 

859 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:39:26.32 ID:JXo0Z1ZQ0.net
訂正

>>846
あのなぁ

史書の記述の解釈は、あくまでも

対馬國から、一大国と
一大国から、末廬国は
おなじぐらいの距離、離れている

一大国 は 壱岐 だ

と解釈した瞬間に、末廬国は九州じゃ無くなるの

860 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:41:30.44 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>856
だれが「千里だ」と言ってるんだよ

いいか、もう一度言うぞ

史書の記述の解釈は、あくまでも

対馬國から、一大国と
一大国から、末廬国は
【おなじぐらいの距離】
離れている

一大国 は 壱岐 だ

と解釈した瞬間に、末廬国は九州じゃ無くなるの

861 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:41:56.89 ID://156yG30.net
>>839
「景初4年」って中国で作られた証拠だよ。
倭国製なら「景初3年」で作るよ。
皇帝が正月に死んだせいで、中国で暦の混乱が起きたが
「景初4年」は暦の混乱が起きてた中国で作られた証拠。

銘文は韻を踏まなければいけないというルールもないし
韻を踏むか踏まないかは、作者の個性に過ぎない。

862 ::2020/01/12(日) 00:42:32.04 ID:csUbVwPs0.net
>>859
何を意地になっているかはわからんけど、答えは同じだよ。

> おなじぐらいの距離、離れている

という記述の信憑性を検討している人に向かって、
「だってそう書いてあるじゃないか!」と言っても仕方がないじゃろと。
反論したいなら、論の中身に対してやって欲しい。

863 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:44:14.77 ID:x/iq1NGA0.net
>>854
死後すぐに男王建てたがまとまりもしない国の
どこに国力があるんだよ

台与が朝見できるまで国力回復できたのは張政のおかげ

864 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:44:29.89 ID://156yG30.net
>>857
根拠は?

黒塚古墳は公式報告書で3世紀後半だよ。
「発掘調査」されてるから3世紀後半で合ってる可能性が高い

865 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:44:52.00 ID:UxgXkNy+0.net
>>840
難升米が授かったとされる黄幢という説があるのはわかるけど、これは中国の考古学者にも調査してもらった事があるのかな?
先日、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を曹操高陵を発掘した中国の学者に見せたところ
卑弥呼がもらった鏡の可能性が高いという見解を示したとニュースになっていたが
中国と関係が深い遺物は中国の学者にも調査してもらって見解を明らかにして欲しいところだな

866 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:44:56.85 ID:RQvHz6IE0.net
>>164
「カササギか…」
「カササギか…」
「カササギか…」
「カササギか…」

867 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:45:40.93 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>862
意地になってるのはおまえ

唯一、実際に邪馬台国の壱与から、266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)が

おなじぐらいの距離離れている

と書いているんだから、疑う信憑性なんかねーんだよ

868 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:46:42.86 ID:gbl7m/Oi0.net
>>858
はあ?魏からの賜り物?
なんだそりゃ
反論できなくなると罵倒に走るのは九州説のデフォだし
まあいつもことだな
お疲れさん

869 ::2020/01/12(日) 00:47:24.70 ID:csUbVwPs0.net
>>867
んじゃ、266年に遣使を派遣された西晋の人はどうやって距離を測ったの?

870 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:47:30.54 ID:x/iq1NGA0.net
>>861
切りがないので これでも読んで 京都産業大学の森博達教授

そもそも魏の時代は、曹操父子を中心として詩壇が形成され、
「建安詩」「正始詩」の時代と して文学史上高く評価されている。
詩は銘と同じく韻文であり、音韻の知識も深まっていた。

卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、まさにこのような詩文隆盛の時代である。

そのとき明帝(曹操の孫)は卑弥呼に銅鏡百枚などを賜わり、次のように詔した。
「これらすべ てを汝の国内の者たちに示し、わが国家が汝をいとおしく思っている
ことを知らしめよ。 それゆえに鄭重に汝に良き物を賜与するのである」

この荘重な詔書とともに、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が下賜されたと、
魏鏡論者は主張する。魏の 詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、
押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。 「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。
親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威にも傷がつく。
こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。

871 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:48:01 ID://156yG30.net
>>863
台与が朝貢したのは卑弥呼死亡後、10〜20年後のことで
国力が大きく衰えたとは考えにくい。
卑弥呼死亡後の混乱は長くなかったようだし。

872 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:48:56.41 ID:oiKiZffW0.net
>>861
曹魏が、銅鏡をおくるとしたら、景元四年八月七日右尚方工作立 の銘文にある 右尚方が、はいるはずなんよね。右尚方は、公式な作鏡部署だからね。

873 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:50:20.34 ID:gbl7m/Oi0.net
>>857
天理市のホームページが修正されてないだけ
1年ほど前、公式報告書が発行されて、築造は3世紀後半と推定されている

874 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:51:12.01 ID:RQrzx1qA0.net
出土品の年代から、鏡の製造年代を推定するべきであって、
鏡の編年から、古墳の築造年代を繰り上げるなど論外。
黒塚古墳の築造年代は4世紀初頭から前半 で間違いないだろう。

875 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:51:30.22 ID:JXo0Z1ZQ0.net
いいか

考古学者は

末廬国は九州ではない
その根拠は
唯一、実際に邪馬台国の壱与から、266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)の記述


おまえは

末廬国は九州だ
根拠はオレ

876 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:52:49.64 ID:x/iq1NGA0.net
>>874
正論です

877 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:53:28.92 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>869
そういう話じゃねーの

考古学者は・・・
末廬国は九州ではない
その根拠は
唯一、実際に邪馬台国の壱与から、266年に遣使を派遣されたことがある西晋(265年 - 316年)の記述


おまえ(九州説者)は・・・
末廬国は九州だ
根拠はオレ

878 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:54:42.97 ID://156yG30.net
>>870
>「朕はアホなり」と言うに等しい銘文
>皇帝自身の権威にも傷がつく

これは「あなたの感想」ですねとしか言いようがない。

銘文は韻を踏まなければならないというルールがはないので
作者の個性としか言いようがないよ。
芸術性の高い銘文を書く作者もいれば
論理的な銘文を書く作者もいるということ。

879 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:56:30.80 ID://156yG30.net
>>874
繰り返すが、黒塚古墳は「発掘調査」されており3世紀後半です

880 ::2020/01/12(日) 00:56:37.67 ID:csUbVwPs0.net
>>875, >>877
> 末廬国は九州ではない

と考えている考古学者も居るかも知れんけど、多数派じゃない気がする。
たとえば誰よ? と聞いてもいいもんじゃろか…。

881 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 00:58:07 ID:gbl7m/Oi0.net
>>870
藁人形論法
その理屈で反論してるのは、三角縁神獣鏡を下賜鏡とする説のみ
魏との何らかの交流、あるいは商取引と考える説にはまったく無意味でトンチンカンな反論

882 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:00:43.63 ID:x/iq1NGA0.net
>>878
すばらしい 専門家にそういう意見是非してくださいねw

883 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:01:25.71 ID:RQrzx1qA0.net
三角縁神獣鏡の編年がクソすぎる。
こういう模様だから260年だろうみたいな、
そもそも中国の出土例が無い(一点は骨董屋で見つかったwww)以上、
そんなかんたんに、模様で編年できない。
そのテキトーな鏡の編年を根拠に、
黒塚古墳の築造時期や、
土器の編年を繰り上げようとしてるのが畿内説な訳で、
土器の編年によって4世紀の古墳であることが確定している黒塚古墳から出た、T〜W期の三角縁神獣鏡は四世紀の鏡でいいんだよ。

884 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:02:51.71 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>880
大多数の考古学者は大和説です

しかし

(九州説者は「根拠は俺」で「朝鮮半島に一番近いから邪馬台国は九州」と言い続けるので)

たとえば卑弥呼がもらった金印が出てもだめで(後からよそに動かされる可能性があるから)

邪馬台国の位置を書いた地図が中国で出ない限り、万人(九州説者)を納得させるのは難しいでしょう。

と、

元館長・佐原真は九州説者を完全に小バカにしてます

885 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:02:59.72 ID:x/iq1NGA0.net
専門家の意見に それはあなたの感想 トンチンカンな反論という
ド素人

これだから邪馬台国スレは楽しいw

886 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:03:44.42 ID:RQrzx1qA0.net
>>879
先ず発掘調査では四世紀だ。
鏡の編年で三世紀に繰り上げたのだよ。

887 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:11:43.65 ID:gbl7m/Oi0.net
>>885
おまえは三角縁神獣鏡には下賜鏡説しかないと思い込んでて、森教授の見解を引用したんだよな
だがそれはおまえの無知
自分の無知を指摘されて、今度は捏造か
罵倒と捏造は九州説のデフォ

888 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:12:04.01 ID:RQrzx1qA0.net
白石がテキトーに編年した三角縁神獣鏡の時代区分を根拠に、
四世紀の土器の編年を繰り上げて、
それで黒塚古墳も箸墓古墳も築造時代が繰り上がってる訳で、
こんなデタラメが畿内説の中で正当化されているのは100%間違い。
箸墓も間違いなく四世紀の古墳であり、
それに従って黒塚も四世紀の古墳に戻され、
土器の編年が戻され、三角縁神獣鏡が四世紀の鏡に戻されるだろう。

889 ::2020/01/12(日) 01:13:53.62 ID:csUbVwPs0.net
>>884
すまん、その引用からは

> 末廬国は九州ではない

という記述が読み取れないのだが、説明してもらえるだろうか?

さておき、佐原先生はたしかに畿内説だが、勝手に( )の注釈を加えることは
先生の真意をゆがめて人格を冒涜することになると思う。
こっちについてはけっこう真剣に怒っている。

890 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:14:21.52 ID:x/iq1NGA0.net
>>888
すばらしいとてつもなく正論

891 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:15:12.29 ID:JXo0Z1ZQ0.net
九州説者は考古学者とちがって

『魏志』(倭人伝を含む)は、
実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)によって書かれているため
『魏志』に記載されている、邪馬台国の記述は正確で、ほぼそのとおり
『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されている

ということを知らず

『魏志』(倭人伝を含む)に書かれていることは、どうせ適当
俺様のほうが正しい

というロジックで論理を展開しているんだよ

そこが根本的に間違っている

892 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:15:34.84 ID:x/iq1NGA0.net
>>889
横からですまんが、そいつに何言っても無駄だよ
昨日からずっと居るけどね

以上大きなお世話でした

893 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:17:14.61 ID:VNydL95k0.net
魏志倭人伝が適当だから永遠の謎のまま

894 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:18:01.06 ID:LwDg0ta00.net
邪馬台國の卑弥呼とは
記紀でも触れているが、土蜘蛛の女酋長である田油津媛。

魏には倭國王を偽僭して倭國王と金印、黄巾まで貰っちまったのが真相。

895 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:20:22.34 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>889
いいか

『魏志』(倭人伝を含む)は、

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)によって書かれているため

『魏志』に記載されている、邪馬台国の記述は正確で、ほぼそのとおり

『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されている

つまり『魏志』に西晋が

対馬國から、一大国と
一大国から、末廬国は
【おなじぐらいの距離】離れている

と記述していれば、考古学的には
「そのとおりなのだろう」という前提で考えるのが基本なんだ

だから

一大国 は 壱岐 だ

と解釈した瞬間に、末廬国は九州じゃ無くなるの

896 ::2020/01/12(日) 01:20:48.47 ID:csUbVwPs0.net
>>892
ありがとう。

でも、引用の文中に加筆する行為は許せない。

897 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:21:17.87 ID:LwDg0ta00.net
古墳や陵墓比定地には何故か墓誌が無い。
これはある時期に徹底的に破壊されたのか、それとも元々墓誌という文化が無かったのか?

何故無いのだろうね?

898 ::2020/01/12(日) 01:24:05.98 ID:csUbVwPs0.net
>>895
ならば、>>869の質問に答えてくれ。

> 考古学的な事実で次々に正しいと確認されている

のならば簡単なはずだよね。

899 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:25:25.41 ID:8SFthO540.net
三角縁神獣鏡の信ぴょう性については議論の余地があるとは思うが次のことを考慮しなければいけない

三角縁神獣鏡に分類される銅鏡はすでに発掘されたものだけで330面程で、
見つかってないもののほうが多いことを考慮すると1000は超えるくらいは存在するだろう。

魏志倭人伝で魏から下賜したのは百枚との記載がある

ということは、別の勢力が別ルートで手に入れたか(中国史の記載はなし)
半島や国内で複製したものが沢山あると考えられる。

従って、いつの時代のものであれ、権威の象徴であることはわかるが、邪馬台国のものであることは証明できない。

複合的な別の物証との整合性が重なることで、一つの有力な証拠となりえる。

900 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:30:35.87 ID:mIDqEf4g0.net
奴国支配の終焉が倭国大乱で、その奴国の末っ子の王子が後の神武
中心部から内陸の外れを領有していたのが幸い、大乱のさなかに山間部を通って脱出
残りの一族と与力した国家群の残党を率いて、一か八かの新天地を求めての物語が神武東征だよ
倭の祭祀を司る卑弥呼の家系は、神武東征の前段階に重要な関係はあるものの
時代の開きもあるんで、もはや邪馬台国の時代には双方の間には無関係の国家群

901 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:30:38.05 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>898
どうやって距離を測ったのか



実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)は
書いてる?

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)は

対馬國から一大国と、一大国から末廬国は、【おなじぐらいの距離】離れている

としか書いていない

902 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:34:17.13 ID://156yG30.net
>>899
作られた年は書いてあるから邪馬台国時代のものだよ。
国内で複製したものには権威がないから大事に古墳に埋める人なんていないよ。
中国の皇帝からの下賜だから価値があるわけで、複製品には価値がない

903 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:35:40 ID:NyUJxLqz0.net
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904 :婆 ◆HKZsYRUkck :2020/01/12(日) 01:36:04 ID:csUbVwPs0.net
>>901
> 対馬國から一大国と、一大国から末廬国は、【おなじぐらいの距離】離れている
> としか書いていない

考古学はどうした?

905 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:36:22 ID:JXo0Z1ZQ0.net
つまり

『魏志』(倭人伝を含む)は、

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)によって書かれているため

『魏志』に記載されている、邪馬台国の記述は正確で、ほぼそのとおり

『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されている

『魏志』に西晋が記述していることは考古学的には
「そのとおりなのだろう」という前提で考えるのが基本

なので、

どのように距離を測ったのかは、記述されていないのでわからないが

対馬國から一大国と、一大国から末廬国は、【おなじぐらいの距離】離れている

のはその通りなのだろう

というのが考古学

906 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:36:56.09 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>904
やっぱりおまえ統合失調症だぞ >>905

907 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:38:28.35 ID:8SFthO540.net
>>895
>>一大国 は 壱岐 だ
>>と解釈した瞬間に、末廬国は九州じゃ無くなるの

これ詳しく説明して、対馬と壱岐と同じ距離は九州以外考えられないんだが

対馬と壱岐と同じ距離を、北九州方面へ伸ばしたとしてもも宗像くらいだろ?
そもそも太陽の方向くらいは間違わないと思うが。

908 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:43:02.15 ID:JXo0Z1ZQ0.net
その他にも、『魏志』に西晋が記述している

末廬国がどこなのかはわからないが

末廬国という本土に上陸した後は、次の伊都国まで
500里も延々と、草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる

のも、その通りなのだろうし

不弥国から水行20日で投馬国
投馬国から水行10日、陸行1月で邪馬壱國と
とても遠い

のも、その通りなのだろうし

「阿蘇山」の記載が無いから、阿蘇山は見ていない

のも、その通りなのだろう

というのが【今の考古学の『魏志』に対する評価】

909 ::2020/01/12(日) 01:43:18.04 ID:csUbVwPs0.net
>>905
三省堂 大辞林 第三版
こう こがく かう− [3]【考古学】〔archaeology〕
遺跡・遺構・遺物を考察することにより過去の人類の文化を研究する学問。

史書を鵜呑みにする学問じゃないよね。

910 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:46:32.23 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>907
壱岐の港から、

壱岐と対馬の距離と同じ距離離れている

九州の港はどこ?

911 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:47:21.07 ID:8SFthO540.net
>>902
複製品だとばれると、後ろ盾がないことがばれて権威を失うことはわかるが
古代にそんな鑑定できる人いないから。

大陸の権威争いもめまぐるしく、半島でも新羅の勢力が大きくなってきて
半島の利権争いも、国内の勢力争いも激しくなる中、権威の後ろ盾があるのだぞという威嚇が必要だったんだろ。

912 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:48:23.13 ID:8SFthO540.net
>>910
さあ、どこでしょうね?
九州から出るには遠すぎるし、方角も見当違いなのは小学生でもわかるとは思いますが。

913 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:48:35.75 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>909
鵜呑みにはしてないな

『魏志』(倭人伝を含む)は、

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)によって書かれているため

『魏志』に記載されている、邪馬台国の記述は正確で、ほぼそのとおり

『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されている

だから

『魏志』に西晋が記述していることは考古学的には
「そのとおりなのだろう」という前提で考えるのが基本

となった

914 ::2020/01/12(日) 01:49:07.16 ID:csUbVwPs0.net
>>910
だから、再三その精度について問題にしている。
当時の人たちは、どうやって海上の距離を測ったのかと。

915 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:53:58.80 ID:8SFthO540.net
>>913
あれ? 末廬国は九州内であるこということでいいんですか!?

916 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:56:26.47 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>912
九州から出ないと近すぎますけど?

対馬島は、九州本土より約132km
壱岐島は、九州本土より約20km

なので

一大国 は 壱岐 ならば

壱岐島から100kmぐらい離れているのが末廬国

917 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 01:58:26.50 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>915
はいはい

対馬島は、九州本土より約132km
壱岐島は、九州本土より約20km

なので

一大国 は 壱岐 ならば

壱岐島から100kmぐらい離れているのが末廬国の港

918 ::2020/01/12(日) 02:00:45.78 ID:csUbVwPs0.net
>>916, >>917
で、その有効数字についての質問が>>914なんだが、そっちは無視か?

919 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:04:33.78 ID:8SFthO540.net
>>916
九州本土ってどこから?
グーグルで計測したところ
唐津市から対馬市までの直線距離が104km
唐津市から壱岐市までの直線距離が42km
壱岐市から下関市までの直線距離が120km

つまり、対馬市から壱岐市の約2倍の距離で九州から出られますね。
方角は見当違いですけど。

920 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:33:59.39 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>919
少なくとも唐津の港は、すべて候補外

しかしだ

そうなると、なぜ目と鼻の先の唐津の港に上陸せず
100kmも離れた地点に上陸するのか

しかも、そこが港が整備された便利な場所ならまだわかるが

そこから延々と、草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされるような不便な場所だ

921 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:41:56.86 ID:JXo0Z1ZQ0.net
と、そう考えて、

一大国という島はどこなのか
末廬国という上陸地点はどこなのか

不弥国から水行20日もできるのか
投馬国から水行10日、陸行1月もできるのか

と考えていくのが考古学

一番近いから・・は、もはや考古学では無い

922 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:50:38.17 ID:8SFthO540.net
>>921
上陸地点は根拠に乏しいけど、伊都国と奴国については考古学視点から畿内説も福岡と一致してたんだとおもうけど?

923 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:52:45.09 ID:AQKE4vcl0.net
邪な国を統治していたのは、卑しいと呼ばれた女
って事?

924 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:56:47.47 ID:JXo0Z1ZQ0.net
ちなみに

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)は『魏志』に

狗邪韓国の港と対馬の港
対馬の港と一大国の港
一大国の港と末廬国の港

は、ほぼ等間隔だ

と書いている

そうなると

対馬の港と壱岐の港じゃ【遠すぎる】
壱岐の港と唐津の港じゃ【近すぎる】

つまり

一大国の島としての壱岐・・が間違っている

ということも考えなきゃならない

925 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 02:58:28.97 ID:8SFthO540.net
>>923
覇権国家から見て、従属国家として周辺国を見下した表現じゃないかな。
半島の国々にもいたるところに卑下する漢字が使われてるので、それ以上の意味はないでしょ。

926 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:08:07.80 ID:8SFthO540.net
>>924
間違ってる可能性を検討することはいいことだけど
方角に関して言えば、海の上で90度以上の誤差はあり得ない。

直線距離においては、寄港する場所によって、実際の距離は直線距離と大幅に変わるし
海流が早いところは、実際の距離より進む距離が長いということになるのかもしれない。
言い換えると、労力×時間=距離みたいな計測かもしれない。

なので、対馬、壱岐、伊都国、奴国の遺跡なんかとの関連で、ほぼ間違いないというのが、あなたの好きな考古学者の見解。

927 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:20:04.88 ID:BnRQl36X0.net
>>785

うっかり早寝してたわー

>職員令、年代記、日本年代記

職員令と言うのは、757年の養老律令の中の一つで実在する。
官職名や人数、職域なんかの決まりが書いてあるだけで、歴代天皇の漢風名なんて書いてない。

年代記、日本年代記というのは、王年代記と同じもの。
複数の俗称が付いてるだけ。

王年代記は、8世紀半ばに淡海三船が撰進するまで存在していなかったはずの漢風諡号で天皇を記載しているというわかりやすいミスを犯してる。

少なくとも古田武彦は、この矛盾に気付いていながら九州王朝説を提唱したと思うよ?

928 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:20:11.81 ID:JXo0Z1ZQ0.net
そして再び

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)は『魏志』にどう書いているのかを見てみると

狗邪韓国の港と対馬の港
対馬の港と一大国のある島の港

ここまでは、まともな航海だけれども

そこから上陸するのが

草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされるような不便な場所



一大国のある島の港からの最後の航海は、対馬海流に流されて
港ではなく、難破同然で、末廬国の海岸のどこかに漂着し

そこから役人かいる伊都国へ、野山を掻き分けたどり着くのだ

という行程像が見えてくる

929 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:22:13.82 ID:hyTffGaa0.net
倭という1文字が気に入らないから邪馬台国なんだよ
中国の国の名前は1文字だから朝貢してる国に倭王ってことはいかんになって邪馬台国と思う

930 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:32:17.64 ID:JXo0Z1ZQ0.net
そして改めてまた地図を見て、対馬周辺の離島をチェックして

そこから対馬海流に流され、難破同然でたどり着くとしたら、日本のどこの海岸かを考える

そしてその周辺に、上陸してからの陸路を見てみるわけだ

931 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:45:50 ID:JXo0Z1ZQ0.net
そして同時にこうも考える

九州から金印が出た「漢委奴国王」の倭奴国は

安帝の永初元年(107年)、倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書いているような

一大国のある島の港から一か八かで出港し、
末廬国の海岸のどこかに難破同然で漂着し

そこから役人かいる伊都国へ、草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされ
野山を掻き分けたどり着く

ような行程で生口160人も中国に連れていけるのか

という矛盾が見えてくる

932 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:50:18.93 ID:JXo0Z1ZQ0.net



国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

933 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 03:54:36.21 ID:Wdyak1O20.net
九州だから

934 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 04:06:17.15 ID:hAtkEl760.net
一大國が壱岐国なら一大率も壱岐率だわな
糸島市のとなりの福岡市西区には、壱岐という地名があり、神功皇后にゆかりのある生(いき)の松原もある
ここらへんに一大率(壱岐率)はいたかも
福岡市側にいた方が伝送するには都合いいしね
福岡市西区の海岸が本来の航路のゴールだったんじゃないかな
ここがゴールだと狗邪韓国、対馬、壱岐、福岡市西区間のそれぞれが等間隔に近くなるんだけどね
末盧国は面倒臭いから同じ数字使ったんじゃないか

935 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 04:10:11.78 ID:8SFthO540.net
>>932
あなたの好きな国立歴史民俗博物館の研究発表にこんあものがありましたよ
弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1203&file_id=22&file_no=1

耶韓国の金海をはじめ,南海岸一帯には弥生土器・甕棺,土師器などが分布する。交易・経済
活動をおこなう倭人が居住していた。
鉄を市(か)っていた倭人は対馬人や壱岐人であった。倭の地には,「大倭」が管理する市があ
り,さまざまな物資が交易されていた。とくに伊都国に一大率が置かれた。この伊都国の市は,対
外的な国々の間の交換の場としての公的な市であった。その市で売買,取引された鉄は壱岐カラカ
ミ遺跡・福岡西神・佐賀城ノ上遺跡のような鉄板・斧状鉄板であった。

P33より抜粋
貴方の想像とはだいぶ違うようですが、もっといろんなこと書いてあります、一度読んでみては?

936 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 04:17:58.22 ID:8SFthO540.net
>>932
あ、そうそうあなたの好きなAnswer 大多数の考古学者は大和説です の回答者

佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授。

さっきの「弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)」は2004年2月とありますので、
研究結果は知らないで亡くなられたんでしょうか?

937 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 04:54:32.72 ID:3QMpfHr60.net
>>934
壱岐の松原のとなりは山門(ヤマト)だよ
https://i.imgur.com/HTimfcS.png

938 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:03:55 ID:K2D6wWFo0.net
>>934
めんどくさいというか、航路は所要時間で距離を出すから海流が激しいところは距離の数字が大きくなりがちなんだよ
福岡市西区壱岐では伊都国(糸島市)を東に超えてしまっている

一大国
↓(渡海)
末盧国→(東南)→伊都国

だから、一大国(一支国)は伊都国より西の離島にないとおかしい

939 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:22:58.04 ID:cABORf7a0.net
>>819
>でもって末廬国だが、これはもう壱岐から最も近い陸地である

対馬海流を舐めてはイカンぜよ!   @阿波

940 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:32:43 ID:cABORf7a0.net
>>888

その通り。   @阿波

941 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:33:38.10 ID:cABORf7a0.net
>>891

その通り。   @阿波

942 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:40:42.73 ID:cABORf7a0.net
>>910
>壱岐と対馬の距離と同じ距離離れている
>九州の港はどこ?


福津市(万津浦)辺り。   @阿波

943 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:41:56.34 ID:FwUL2DKC0.net
>>937
これでヤマトは九州で決まり

944 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:48:08.57 ID:FwUL2DKC0.net
>>909
史書考古学もあるからその意見は論外
考古学のこと知らないんだろうなって思われて終わり
シュリーマンより前ならわかるけどね

945 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 06:48:31.12 ID:cABORf7a0.net
>>931
>一大国のある島の港から一か八かで出港し、

「一か八か」なんかじゃないよ!  労せずとも、対馬海流に流されて(乗って)、福津市(万津浦)周辺に漂着する。   @阿波 

946 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:05:41.99 ID:EaqzsCKS0.net
>>914
要した時間から推測したんじゃないの?

947 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:21:51.85 ID:cH3O/erN0.net
大手マスコミなのに、卑弥呼の墓だというイメージづけを誘導しすぎやろ

948 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:27:35.71 ID:vk4GJcAW0.net
>>923
でも卑っていう姓の武将三国志のゲームで見たよ

949 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:34:30.29 ID:cABORf7a0.net
>>943
>これでヤマトは九州で決まり

これで末盧国は福津市(万津浦)辺りで決まり。  わははははは   @阿波

950 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:36:27.71 ID:DVrR6LFh0.net
近畿は3世紀都市人口が密集した痕跡は存在しないし銅鐸系の市場遺跡も住居跡は無いんだよな。
対して九州は吉野ヶ里から太宰府下に眠る倭京まで
先代倭国の中心的役割を担う当時最大規模の正に王都が存在する。
その他4世紀にかけても古墳から出土する他に類を見ない豪華絢爛な王朝下賜物品は一大卒で検品され大君に献上されたと思わせる海外の装飾品ばかり
魏志と隋書を加味すれば6世紀初頭迄大陸朝貢使節養成所を含めた遺跡は九州にしか存在しない。
どう考えても近畿は地方の中継地点としか思えない

951 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:40:38.92 ID:cABORf7a0.net
>>950
>対して九州は吉野ヶ里から太宰府下に眠る倭京まで

九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。   @阿波

952 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:46:23.98 ID:IMQ7Yt3a0.net
>>950
九州北部が地方の中継地ではないの

953 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:48:40.07 ID:mc/5P8WR0.net
これボットじゃないのか

954 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 07:54:48.00 ID:Jjz25PWi0.net
当時は日本には文字は存在してないだろ文明もたいしたことない
学者の間で倭人伝の距離をとるか方向をとるかで論争してるだけ

955 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:02:26.69 ID:cABORf7a0.net
>>954

論争もいいけど、
末盧国は福津市(万津浦)辺りで決まりだよ。  わははははは   @阿波

956 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:03:25.09 ID:nQtZg6OM0.net
>>931
一大国の南岸の港から出港し、対岸の末廬国の呼子付近に上陸
濱山海居・・・上陸した呼子湾付近の風景
草木茂盛 行不見前人・・・東松浦半島内を通過中に見た風景
好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之・・・二丈付近の海岸を通過中に見た風景

>>949
福津市(万津浦)辺りだと末盧国の描写と合わないねw

957 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:08:15.97 ID:cABORf7a0.net
>>956
>福津市(万津浦)辺りだと末盧国の描写と合わないねw


ぴったり、合うよ。

>末盧国の港付近は、草ボウボウで前を行く人が見えなかったとある。

それは、末盧国(福津市辺り・万津浦) から 伊都国(直方辺り)へ向かう道中の峠越えの場面だよ。  

こういう詳しい説明が出来るのは、倭国(阿波)への行程だけ。 わははははは   @阿波

958 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:13:43.14 ID:VhTZiKmz0.net
レントゲンとらせる「うなもんだけどいいのか
宮内庁的には立ちい愛菜毛レラいいのかな?

959 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:16:42.28 ID:nQtZg6OM0.net
>>815
奴国が狭いのではない
不弥国へ行くのに奴国を100里横切るだけ
奴国自体は大きな2万戸もの都市国家だ
早良区を横切り那珂川市方面が不弥国であろう
奴国は福岡市全体と周辺部を含む位の広さはあったんだろう。

>>832
歩測によるもので、陸上だと大きくは違わない
日数も帯方郡からのものですよ
里数で12000里、日数で水行30日、陸行1日(月)

960 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:18:34.23 ID:nQtZg6OM0.net
>>957
濱山海居・・・これは?
福津市(万津浦)辺りの海岸に山は無く砂浜で
家は海岸には無いよ。

961 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:24:08.12 ID:cIuHoKs80.net
>>810
邪馬台国卑弥呼は奈良県にあったような
出鱈目なことばかり昔から共同通信は書くよな

それも断定的に所詮考古学者レベルの権威的なコメントを載せて
新聞系ってゴッドハンド東北でもわかるように明らかに程度が低いよ

962 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:26:50.87 ID:cABORf7a0.net
>>960
>福津市(万津浦)辺りの海岸に山は無く砂浜で

福津市(万津浦)辺りの背後は山だよ。


>家は海岸には無いよ。

あたりまえ。   @阿波

963 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:35:21.09 ID:nQtZg6OM0.net
>>962
濱山海居・・・これは?
山が海に迫り家が海岸にあるって意味ですよ。

964 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:39:19.24 ID:nQtZg6OM0.net
呼子の風景 の写真
https://www.photolibrary.jp/img599/42543_5586451.html

965 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:39:44.43 ID:cABORf7a0.net
>>963
勝手読み!   @阿波

966 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:42:38.21 ID:neBAYrbK0.net
>>954
距離とって方向を九十度曲げたら青森くらいまで行ってしまうので
邪馬台国は青森かも知らん

967 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 08:47:03.85 ID:nQtZg6OM0.net
>>965
漢文が読めないのに魏志倭人伝を語るなよw

968 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 09:07:21.78 ID:oj8zSzXT0.net
全部魏の一里435mにしちまったら
南はパプアニューギニアかマリアナ諸島。
東に曲げたらベーリング海だ。

距離が間違ってるのは明らか。

松浦までの距離は一里あたり
80mほどで書かれてると推測されるので
それに合わせて計算すると
熊本南部に到達する。

そして熊本肥後は最も古い
平安時代の記録では
西日本で最大の生産量を誇っている。

969 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 09:07:25.28 ID:cABORf7a0.net
>>965

漢文勝手読み!   @阿波

970 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 09:35:05.20 ID:l5+v6RzG0.net
おもろいやんけw

971 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 09:46:14.67 ID:Lp1YqMcv0.net
巨大古墳なら関東にいくらでもある
がそこを倭国の中心地とは言わないだろう
近畿も同じこと
そもそも天皇などという呼称は後から作り出したもの。
本来数多の国があり其々にオオキミが存在し3世紀はオオキミの時代
筑紫の君の様に後からオオキミを格下扱いし始めた後代の権力再編を考えれば記紀が作られた時代と魏志の時代は全く違う

972 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 09:59:47.98 ID:Sfq9jpse0.net
>>88
その切り口は面白い
色んな見方があるもんだ

973 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 10:12:06.13 ID:voX1jkFDO.net
南方熊楠とか東郷平八郎とか似てるもんな

熊楠とか答え言ってるようなもんじゃんかよ

974 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 10:40:41.63 ID:nQtZg6OM0.net
>>969
濱山海居・・・山と海の間の狭い浜に住んで居る、他にどんな意味にとれるの?

975 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 10:50:07.44 ID:CJYTlcST0.net
弥生時代、日本国内での鉄は生産されず、朝鮮半島から輸入していた。
銅は、国内生産可能だったので、畿内古墳で大量に発掘されている。

976 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 10:54:42.80 ID:cABORf7a0.net
>>974
>濱山海居・・・山と海の間の狭い浜に住んで居る、他にどんな意味にとれるの?

「狭い」なんてどこにも書いていない。
浜あり、山あり、海あり・・・   @阿波

977 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 10:56:15.59 ID:D4HnmTwA0.net
>>975
畿内に沢山あった銅鐸も大陸から九州経由で行ってるよ?

978 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 10:56:38.54 ID:cABORf7a0.net
>>975
>畿内古墳で大量に発掘されている。

倭国(阿波)産がね。 もとろん、「朱」や「勾玉」などもね。  わははははは   @阿波

979 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:04:57.28 ID:nQtZg6OM0.net
>>976
アホウw 「浜あり、山あり、海あり、居す」じゃ意味不明だろww
山と海のある浜に居す。つまり「山と海の間の狭い浜に住んで居る」って意味だよw

980 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:12:27.68 ID:D4HnmTwA0.net
九州には銅剣や・銅鉾は沢山あったのに対して畿内は銅剣や銅鉾は殆どなかったけど銅鐸は沢山あった

981 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:23:18 ID:BnRQl36X0.net
>>975
2〜3世紀頃には、宮崎県の笠置山墳丘墓付近でたたら製鉄が始まってるよ。

たたら製鉄のルーツは中国南部の江南地方に広がった直接法。
中国北部は一気に溶かす間接法と、そもそも中国でも製鉄技術に地域差があった。

江南地方から日本へは、南方ルートで九州南部に伝来したんだろう。

982 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:30:38.29 ID:D4HnmTwA0.net
>>981
畿内の銅鐸も2〜3世紀がピークだったけどその後いきなり消滅した

983 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:38:21.30 ID:BnRQl36X0.net
>>982
銅鐸が消滅したのと、たたら製鉄のルーツになんの関係があるの?

たたら製鉄の技法自体は紀元前の中国南部にあったわけだし、それがいつ日本に導入されたのかは日本の遺跡を探っていけばいい。

今の所、最古記録は2〜3世紀の宮崎県笠置山墳丘墓ってだけで、もっと発掘が進めば、もっと古い時代のものが見つかるかもね。

984 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:45:15.48 ID:cABORf7a0.net
>>980

>邪馬台国があった弥生時代には北部九州から瀬戸内海に及ぶ銅剣・銅鉾文化と、近畿・中部を中心とする、銅鐸文化の二代文化圏の存在が知られている

「銅剣・銅鉾文化圏」 と 「銅鐸文化圏」、両方に重なる位置の「阿波」が、「銅剣・銅鉾文化」および「銅鐸文化」の発信地なのである。   @阿波

985 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:47:26.75 ID:cABORf7a0.net
>>974
>濱山海居・・・山と海の間の狭い浜に住んで居る、他にどんな意味にとれるの?

「狭い」なんてどこにも書いていない。 「居」は「ある」だよ。
浜あり、山あり、海あり・・・   わははははは   @阿波

986 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:54:10.28 ID:oiKiZffW0.net
>>983
関係あるよ。
銅剣が鉄剣に、負けたから。
鉄の品質向上が、銅剣を追い抜き追い越したから。
銅剣は、鉄剣の質が悪い鋳鉄のころは、
強度も悪く粘度もない。一方、銅剣は、粘度もある。
つまり、遼寧省など、冬場が寒い地域では、鉄は、銅剣に合わさってもおれるだけだった。
たたら製鉄による鋼に近づく技術が、
冬場でも折れない技術に変わっていった
技術革新があるだろう。
銅剣を主流とした部族は、新しい鋼に近い鉄剣と
合わされば、今度は銅剣がおれる。

987 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 11:56:04.33 ID:ruRXs7RZ0.net
管理されたのって最近だろ。動乱期に盗賊に暴かれてるって

988 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:00:32.04 ID:oiKiZffW0.net
>>983
銅鐸もそうだが、銅鐸文化は鋳造文化ネットワーク。
鋳造技術で、繋がっていた。
出雲大社の御神体も「釜」という鋳造だし。
その鋳造文化が、たたら製鉄文化に抗えず
負けたともいえる。

989 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:08:20.16 ID:BnRQl36X0.net
>>986
たたら製鉄を誤解してない?

たたら製鉄は低温でも製鉄が可能な低温還流法。
強度は不純物をどれだけ丁寧に取り除けるかの問題。

990 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:13:28.70 ID:D4HnmTwA0.net
>>983
>>986
なるほどね

991 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:20:25.90 ID:Rt0+f/pG0.net
この年代なら粘土槨じゃないの?
石室だけ見つかったら年代狂うな
粘土槨は素粒子探査でもわかるのか?

992 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:25:19.38 ID:cABORf7a0.net
>>991
分かるのは、空間の有無とその空間の形状ぐらいじゃないの?  粘土槨が潰れていなければ分かるだろう。   @阿波

993 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:28:29.07 ID:JXo0Z1ZQ0.net
>>935
ほらな

なのに

末廬国という本土に上陸した後は、次の伊都国まで
500里も延々と、草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる

238年に邪馬台国が献じたのは、生口10人、班布二匹二丈

240年に卑弥呼が「親魏倭王」となったのち、壱与の代となり、

266年に遣使を西晋(265年 - 316年)に派遣したときですら
生口30人、白珠五千孔、大勾珠二枚および異文雑錦二十匹

「阿蘇山」の記載も無い

実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書き残したことと

>>935 は、かけ離れている

だろ

994 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:28:45.20 ID:cABORf7a0.net
>>991
でも、「若杉山辰砂採掘遺跡」産の「朱」に染まった、阿波の青石石棺だよ、きっと。  わははははは   @阿波

995 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:30:03.35 ID:qD6RdB5I0.net
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996 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:31:11.66 ID:6yulLI9E0.net
箸墓古墳なんて盗掘されてんだから
纒向古墳群の調査発掘すすめた方が良いだろう

997 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:32:35 ID:oiKiZffW0.net
>>989
以前は、鋳造と同じ、鋳鉄の弱い鉄器が、
鋳鉄より不純物が、取り除かれる分
炭素を還元していくんではない。古代の
横穴郡は、たたら製鉄の跡と、おもうがね。
近くには、砂鉄が取れる箇所あるよね。

998 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:41:40.66 ID:D4HnmTwA0.net
>>997
旭化成は凄いよね?

999 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 12:46:51.56 ID:ixL0yRVc0.net
次スレ立ちました

【邪馬台国】「卑弥呼の墓」を素粒子で探査……奈良・箸墓古墳の内部★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578799975/

1000 :名無しさん@1周年:2020/01/12(日) 13:53:29.58 ID:Ecjn2mhx0.net
1000ならすらいむ記者しね!

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

総レス数 1001
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