2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【歴史】卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」が熊本に? 九州説に新解釈 ★3

1 :樽悶 ★:2019/09/10(火) 14:21:50.34 ID:kYEpXFi79.net
免田式土器の分布イメージ図。作成した松田度氏は、邪馬台国と抗争した狗奴国の勢力を反映していると推察する(松田氏提供)
https://special.sankei.com/a/life/images/20190902/0001p1.jpg

 畿内説が優勢とされる邪馬台国の所在地論争で、九州説の立場を取る大和(奈良県)ゆかりの考古学者ら3人が8月、謎の王国「狗奴国(くなこく)」の実態に迫る学会発表を行った。魏志倭人伝によると、狗奴国は女王・卑弥呼が君臨した国々の南に位置し、卑弥呼とは抗争状態にあったとされる。考古学者らはその勢力圏の中心が熊本県内にあったとし、狗奴国の位置から卑弥呼の邪馬台国は福岡県域にあったと主張している。(川西健士郎)

■最有力の纒向遺跡

 九州説と畿内説との間で江戸時代から続く邪馬台国論争は、今も決着していない。だが、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で平成21年秋、宮殿を思わせる3世紀前半の大型建物群の跡が見つかるなど、近年は畿内説が勢いづいている。

産経ニュース 2019.9.2
https://special.sankei.com/a/life/article/20190902/0001.html

★1:2019/09/06(金) 22:38:16.51
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567920865/

2 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:24:03.93 ID:dPz5FFTw0.net
九州は無い。そろそろ諦メロン

3 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:24:29.08 ID:T8CEtOkD0.net
まあ邪馬台国は九州だろうね
曹操の墓から出た銅鏡と同じものが大分から出たんだっけ

4 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:26:20.66 ID:U0QAYn9y0.net
魏志倭人伝を読む限り対馬國には油田がある

5 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:27:37.43 ID:CSylcIpt0.net
集団ストーカー(Gang Stalking)は精神病の妄想ではない - Togetterまとめ
https://togetter.com/li/796999
2015年3月19日 ...
A◇矢野絢也元公明党委員長は、 集団ストーカー行為等につき裁判を起こし、
2009年に勝訴した。

山本弘氏の集団ストーカーに関するまとめが偏っており、
集団ストーカー被害者=統合 失調症であるという印象操作の意図が感じられた ...


矢野絢也氏とその家族に対して、日常生活が困難になる程の監視、尾行、 恫喝に
よって 、警察が矢野宅の隣に常駐するに至った集団ストーカー事件である。裁判
の結果、敗訴して、集団ストーカー問題が広く知られる原因となった 事件

http://www.cyzo.com/2011/09/post_8463.html m
都内の大手コンサルティング会社から労働法の専門弁護士として依頼を受任し、
不都合な社員や退職させたい社員がいる際には、まず集団ストーカーと呼ばれる
手口で、その社員の 周辺に複数の人間が常につきまとい、その社員に精神的苦痛
を与え続け、その社員がたまらなくなって、 怒鳴ったり暴力を振るったりしやすい
ようにする、もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける
☆このような集団ストーカー行為、もしくは産業医の制度を悪用する手口を使って
、被害を訴える個人に対し、 統合失調症等の精神病として診断書を作成して被害者
の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し 措置入院等を行う事で、
報道、捜査機関、裁判所等を欺いて対応が出来ないようにし、さらに一般市民を
自殺や泣き寝入りに追い込むjこぉkjひゅtrt

6 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:29:13.67 ID:eXCwOGN+0.net
もうどこでもええよくだらねぇ
沖ノ鳥島当たりにしとけよもう

7 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:29:31.79 ID:bMNZ/fZC0.net
・ハングルが日本の阿比留文字の真似であること
・満州国国歌を韓国国歌にしていること
・朝鮮が告げ口社会であり、それが今でも続いていること
・新羅16代の王のうち半数が日本人であったこと
・朝鮮民族には入浴する習慣がなかったこと
・朝鮮には誇れる歴史がないので、歴史を創出しようとしていること

https://blog.goo.ne.jp/kendokun/e/2ae6a6d5ab6ec685309c13686df0bfe4

8 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:32:22.48 ID:6wDqMfde0.net
邪馬台国は朝倉市だって。

9 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:33:02.11 ID:J/iO/V6B0.net
無駄だ
金儲けにすがるな

10 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:33:39.31 ID:q7I8ymqZ0.net
>>7
それは嘘
阿比留文字すなわち神代文字は逆にハングルをベースに近代に作られたもの
日本には漢字伝来まで一部の象形文字を除くと表音能力が十分な文字がなかった

11 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:36:44.78 ID:qo0CaFel0.net
クマソと重なるなあ

12 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:38:38.41 ID:zGAMbfiy0.net
邪馬台国は八女市やで

13 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:41:04.22 ID:/eJXmKZg0.net
>>12
帯方郡の使者が伊都国(福岡)の住民に訊いたんですよね
「女王の国はどこだ? 」

伊都国人 「八女たい」

14 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:42:38.63 ID:HHYRbM/D0.net
解釈なら、なんぼでも・・・

15 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:43:09.98 ID:h4S4PmZ20.net
狗奴国東海説は恥ずかしい学説です

名古屋と奈良は遠すぎて戦争になりませんわ、プ、

16 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:45:22.26 ID:QTTEmOv40.net
クナじゃなくてクマだったのか

17 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:45:44.03 ID:eKvQQf8f0.net
九州北部中部が邪馬台国
九州南部が狗奴国
こう決まったな

18 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:45:55.20 ID:M3wL5yf00.net
>>11
熊襲(くまそ)は、熊(くま)と襲(そ) の二部族らしい。
熊が熊本で、最後は球磨川上流へ追い詰められたんだろうな。
襲は、襲(そ)つ町(襲の町)→薩摩 だな。知らんけどw

19 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:46:35.20 ID:9IEjXu/Y0.net
九州だろね。
九州と畿内に同じ地名が散在するのは、邪馬台国のあと政治の中止が九州から畿内に移動したってことだ。
逆はやる必要性が無いからね。

20 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:47:53.88 ID:z7haGqqj0.net
加害する傾向がある子供を育てた親の育児談がまじで辛い…「これは言われても納得できないかも」の声も
http://geow.goodjobworld.com/c15/98872.html

21 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:49:17.12 ID:Y2SUiRyg0.net
>>3
ただ、出土したとされる古墳自体は5〜6世紀のものと推定されるから、
直ちにそこが邪馬台国とは結論付けられない。

22 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:49:26.33 ID:M3wL5yf00.net
>>16
n ⇔ m この二音は容易に変化するらしい。

狗奴 クナ kuna → kuma クマ → 熊本・球磨川
任那 ニンナ ninna → mimna → mimana みまな

23 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:50:30.88 ID:XdlgqTvB0.net
倭人伝を馬鹿にする奈良派歴史学者:
・その南に狗奴国あり。男子を王となす、その官に狗古智卑狗あり(菊池彦)

24 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:54:44.21 ID:h4S4PmZ20.net
狗奴国東海説なるものを始めて聞いたときは、冗談だろうと思ったが、
本気で言ってる人がわりといるんだよね、本まで出している。
どういう神経してるかと思うけどね

25 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:58:53.05 ID:I/kcSl2P0.net
元々日向と言われていた薩摩、大隅から南は南下して琉球人の先祖になってるんだよね

26 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:59:35.49 ID:IDZRttLQ0.net
主流と違う俺カコイイ

27 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 14:59:48.29 ID:g+ByA+CJ0.net
>>22
>狗奴 クナ kuna → kuma クマ → 熊本・球磨川

断定的に書いてるけど、根拠なし
狗奴国を熊本にしたいために言い張ってるだけ

>任那 ニンナ ninna → mimna → mimana みまな

元々「ニンナ」だったソースは?

28 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:04:07.60 ID:M3wL5yf00.net
地政学を考えると、邪馬台は、おそらく日田盆地から筑紫平野を支配し、
強国になった。そして、みなとを取りに掛かる。

天照とスサノヲの誓約、宗像三女神、を考えると、内陸の邪馬台国が、
みなと(奴国)の支配勢力「ミナカタ(「港の横」の意・後の宗像(むなかた))
から権力を奪取したと分かる。

その際の経緯が海幸彦・山幸彦の神話となって残された。
邪馬台は、海を渡り、半島の倭人や漢の出先と通じ、漢への朝貢(玉)と
鉄(釣り針)を手に入れ、覇権を港勢力から奪った。

29 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:05:29.39 ID:TbNbfv1a0.net
絶対千葉県

30 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:06:39.68 ID:tbnWiyAh0.net
ヤマトというのは日本の本来の自称
ヤマトがどこかというよりヤマトの首都がどこにあったかというほうが適切

31 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:09:00.26 ID:M3wL5yf00.net
>>27
どこかで見た。
そもそも、音読みすればニンナだよね?

遣唐使の前からあった古い音「呉音」をみれば、
任(呉音)=ニン(nin)・ニム(nim)
那(呉音)=ナ(na)
だから、昔の音は、ninna か nimna だな。

32 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:09:13.64 ID:HCWpZMpg0.net
>>2
いいよいいよ、その調子!頑張れ畿内派!

33 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:10:01.95 ID:wA2T9ac40.net
あの時代でも東西南北を間違える事はないから…
普通に考えれば九州だよ。
畿内説は東西南北が間違えてる前提なのがな…

34 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:10:29.27 ID:eBspMe2x0.net
日本の記紀では

九州は、豊玉彦の「海神国」(倭奴国・狗奴国)
出雲は、素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は、天照大神尊の「大和国」(邪馬台)

35 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:11:39.39 ID:eBspMe2x0.net
>>33
間違ってないよ

奈良へは対馬から、山陰(山口県萩〜島根県〜鳥取県米子)あたりに上陸するのが、近くて楽

帯方郡ー韓国

− 海を渡る1000余里− 対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)


− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
− 東南に100里ー 奴国(因幡)
− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
− 南に水行20日ー 投馬国(近江)

ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良)

36 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:14:24.29 ID:g+ByA+CJ0.net
九州説の人って、ぼくがつくったさいきょうのこだいしを書いてるけど、
そもそも九州説の根拠って何?

南は絶対に正しいニダ、古代中国人は日数も数えられなかったニダ
ってことでいい?

37 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:16:38.39 ID:h4S4PmZ20.net
奈良は 穴と桃の種しか出てこないけど、それが邪馬台国に結び付ける風桶話に勝てる学者はいない。

38 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:16:42.45 ID:+3QTLd+/0.net
倭奴隷奴スレかと

39 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:16:43.52 ID:M3wL5yf00.net
>>30
ミナト(水戸) vs ヤマト(山戸) 九州内の地域の対立から始まった。
「ト」 とは、集落入り口の戸・木戸(キド→カド・門)。集落・クニを表す。

ヤマトが漢への朝貢利権を握り(※隷属させたミナト奴国に朝貢させた)、
漢の権威を背景に、列島の覇権を握ったので、この名が、列島の盟主
としての歴史的権威を意味するものとなった。
そして、奈良に引き継がれる。

40 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:20:00.56 ID:BfOi3PeD0.net
>>1

まあ、

奈良にいる女王卑弥呼に対して、
九州の狗奴国が「南にあった」としてもオカシイことではない。

西郷隆盛による反乱を「西南の役」というように、
日本人は古来、九州や四国を「南にある」として来たからな。

41 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:22:13.99 ID:cAYzPZen0.net
>>6
沖ノ鳥島は島じゃなくて岩だよなあ。

42 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:22:45.70 ID:h4S4PmZ20.net
>>40
日本人が書いてるのか? 魏志

43 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:23:13.73 ID:sCwQ4hyP0.net
日本人学者は、畿内説・九州説に分かれているが、
中国人学者は、ほぼ九州説を取っている。
古代中国の距離は不確実というのが大きな根拠。
すると畿内説はありえないそうだ。

44 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:25:13.26 ID:Zwi2vVMc0.net
大和王朝が歴史や地名を改ざんしたからヤヤコしい事になったんだと思われ
九州で起こった史実を、一部そのまま近畿で起こった話にすり替えて
地名やらなんやら奈良に持ち込んで、近畿支配を正当化しようとしたんだろ
邪馬台国東遷説が一番しっくり来るわ

45 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:25:52.05 ID:nCGWlc/N0.net
もうどこでもええがな。

46 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:27:36.55 ID:BfOi3PeD0.net
>>42

まあ、分かりやすい例を挙げたまでで、
(ひょっとしたら、言われてるように、この魏志倭人伝は実地踏破せず、日本人から聞いて書いただけのものかも知れんし)


しかし中国人なら、なおさら、近畿の北に大して九州を南とするだろうな。
というのは、中国人の大局的地理観では、東にあるのが日本、西にあるのが中国王朝だからな。

そこに西という字を使って狗奴国を示すのは抵抗がある。(誤解しやすいからな)
日本の中で、近畿を北、九州を南ととらえることでスッキリと理解しやすい。

47 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:27:49.30 ID:eBspMe2x0.net
>>42
方角は日本人に聞くしかねーだろ

48 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:28:00.69 ID:2v5YHmQ+0.net
狗奴国は宮内(庁)、クニ。
大国主とスクナヒコナが国作りしたクニやね。畿内のこと。
邪馬台国は記紀にもある通りヤマト征伐でできた政権。
魏志倭人伝当時は畿内征伐の途中ということやな

49 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:28:34.08 ID:q7I8ymqZ0.net
>>30
魏史倭人伝の著者はヤマトをヤマタイと聞き取って漢字を充てたのではないの?
実際そういう議論もあるし

>>27
そう
基本的に言語学の見地から言って子音が変化することは稀
熊本はクマソからの変型じゃないの?
まあクマソの由来は何かって議論になるけど

神功皇后陵を考古学的に分析すればわかりそうなんだけど宮内庁らが邪魔しているんだよ
あとあと作られたために考古学的には相手にされていない日本書紀や続日本記などを正史としていてそれを暴くのがタブーとなっている
このあたりも日本の古代研究の足枷になっている
ヨーロッパでの中世から近代初期における科学に対する教会の弾圧を想起させる
はやく近代化しなきゃ

あと神代文字に関するWikipediaの記述間違いだらけだな
味噌糞一緒ってやつ
あんな二次ソースを真に受けているやつは自己批判してほしい

全体的に狗奴の熊本説は叩き台として面白いと思う

50 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:29:28.02 ID:g+ByA+CJ0.net
>>33
古代中国人は日数も数えられなかったの?

51 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:31:17.64 ID:q7I8ymqZ0.net
歴史に疎いヒトが多いので補足しておくと歴史学は孝子学を中心にした客観性の高い資料を優先している

52 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:31:40.47 ID:BaPvPDIn0.net
>>48
初期は九州にあって
後期に畿内はあるかと思うけど
畿内派のいうような最初から畿内が中心はないよねー

53 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:32:25.53 ID:h4S4PmZ20.net
>>47
東と南を間違える(畿内説患者の前提)ような日本人に聞いたのか?

54 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:33:50.29 ID:eBspMe2x0.net
夷人不知里數但計以日
倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算している

つまり

距離は渡来人のカンで
方角は倭人のカン

55 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:33:56.46 ID:IA74tGIP0.net
>>33
何を言ってんの?
倭国の中で国の位置がほぼ判明してるところで検証すると、魏志倭人伝の方角は実際に全部間違ってるじゃん

対馬国(対馬) → 一支国(壱岐) 南と書かれているが、実際は東南
末盧国(唐津) → 伊都国(糸島) 東南と書かれているが、実際は北東
伊都国(糸島) → 奴国(博多) 東南と書かれているが、実際は東北東

56 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:35:04.60 ID:n8OQBvCd0.net
ヤマト王朝は、卑弥呼の時代は九州
その後どこかで東遷して畿内に落ち着く
征服の帳尻を合わせるために、神武まで遡って畿内中心の神話に話を作り変えた
ってあたりが一番ありえるシナリオかね

57 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:35:26.97 ID:nBznesLn0.net
そもそも邪馬台国なんて魏志倭人伝にしか載っていないトンデモ伝承だろう。
なにどこにあるかわからないってw
なかったからいつまでもわかんねんだろw
中国人の他国記述なんていいかげんなもんばっか。
よくあんなウソつきの記述を真剣に信じれるな?w
日本書記にも古事記にも乗ってないってのはそんなものの存在は日本人自身が
ウソだってわかってたからだろう。

58 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:35:33.73 ID:LURZC/RM0.net
>>51
客観性の高い資料を優先
となると九州だな。

59 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:35:58.54 ID:UYoqvFRu0.net
卑弥呼か

精一杯戦ったけど、あいつホンマ強かったわ・・・

60 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:37:05.78 ID:M8nxRZze0.net
使者を送った頃の当時の中国ってクーデターが起きてる最中なんだよ
邪馬台国爺には司馬氏とか言っても分からんのかもしれないけど
249年にクーデターが起きて、以降の魏の皇帝は傀儡になる
そして、265年に禅譲という名の、王朝交代

魏志倭人伝の情報なぞ、当時の政治状況でどうにでも変わっていく
必要なようにな

そして、初代皇帝の司馬炎は皇帝に成るまでは有能であったようだけど
皇帝に成ると途端に女色に耽り、それが後の八王の乱に繋がっていく

61 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:37:11.20 ID:BaPvPDIn0.net
>>10
あのー
ハングルて13世紀にやっと編纂されたんですけどw
象形文字かつ任那日本府などの関連から、日本から伝わったと思うのがしぜんではw
日本が文字を持たなかったというのは早計

62 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:37:13.91 ID:ft1hW2630.net
邪馬台国は鳥取県にあったに違いない

63 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:38:27.82 ID:BfOi3PeD0.net
>>56

オマエ、もう一度日本古代史を勉強して来い。

神武東征は、卑弥呼時代の900年前に行われてるのだぜ。
それ以来、ヤマト王朝は連綿と続いているのだ。近畿を拠点としてな。

64 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:40:14.44 ID:eBspMe2x0.net
夷人不知里數但計以日
倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算している

つまり

距離は渡来人のカンで
方角は倭人のカン

渡来人のカンで書かれた距離は

海を渡るときは1000里

陸行は
500里(長いか)
100里(短いか)

のみ

65 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:40:38.83 ID:M8nxRZze0.net
>>600
400年くらい前では?

66 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:40:44.48 ID:wT+dNNxV0.net
古代人は電気がない時代だぞ
現代人と違って星や太陽の動きにはものすごく詳しく方角を間違えることなどありえない

67 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:41:21.38 ID:xBZPFMD40.net
さすがに九州で決まりだろ

68 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:42:02.07 ID:n8OQBvCd0.net
>>63
神話時代の記述を間に受けるほどアホでは無いので
旧約聖書冒頭での家系説明と同じで、900年とか真面目に信じるなら
それは信仰の問題であって学術にはならんよw

69 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:43:27.50 ID:q5+9ypT20.net
>>55
45度ずらししたら、漢文の本場中国の学者の「陸行なら一月、水行なら十日」だね、って読み方で、
ドンピシャ九州説の放射読みが正解になるんすけどwwww

70 :相場師 :2019/09/10(火) 15:46:19.74 ID:uHIrXX850.net
南方や大陸から渡ってきたのが日本人のルーツなら、まず九州で文明が起こると考えるのが自然だわな

71 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:47:27.27 ID:g+ByA+CJ0.net
>>43
>日本人学者は、畿内説・九州説に分かれている

これが嘘
ほとんどが畿内説
九州説の学者なんて例外中の例外

>中国人学者は、ほぼ九州説を取っている。

これも嘘
「諸説あり」というテレビ番組で3人の学者がそう言ってただけ
言語学者とかで、古代史は専門外
邪馬台国に関して多少は知識ある学者が1人いたが、
やってることは日本のネットに書かれてることを台湾で紹介してる程度
自分自身で研究してるわけでもないので素人レベル
「諸説あり」という番組で、九州説という「諸説あり」を唱えただけ

72 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:47:42.39 ID:BfOi3PeD0.net
>>68

何だ。

オマエは半島人かいW
日本の神話は、他国の神話と違い、荒唐無稽なものではないのだよ。

キチンと史実に基づいて伝承されて来たもの。もちろん途中で意図されない変更はあっただろうが。
神武の東征の経路も、その経路の先々で、キチンと神武の伝承が残っている。

日本の口伝による資料は、文字資料並みの信頼性があることは、近年指摘されている。
(専門の「口伝家」があり、先祖代々、その使命を果たして来てるからな)

73 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:47:43.82 ID:4BLD1xB/0.net
清の時代の地図でも日本は九州しかないみたいな描かれかたじゃなかった?
京都も江戸も九州にある勢い

74 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:47:50.47 ID:LtaBt2Wy0.net
>>69
45度ずらす根拠は?
そうすれば実際の(九州説に有利なように比定した)地理と一致するから、という、初めに結果ありきの主張ではないよね?

75 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:49:47.21 ID:ddb/Ozhc0.net
紀元前600年に神武天皇がいたとかw
戦前の皇国史観の時代でもまともには信じられていなかった。

76 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:51:21.95 ID:m1bM8EdB0.net
弥生中期になると農業生産の安定で北部九州の人口が爆発的に増加してるんだよね
そして同じ頃、畿内での戦乱の跡も増加してる。高地性集落が増えたのも同じ頃

77 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:51:24.54 ID:BfOi3PeD0.net
>>75

それよりも1億年前に恐竜がいたとか、

100年前までは、誰もそんなバカ話は信じなかった。

78 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:51:33.98 ID:CZY7CG5Z0.net
狗奴国は今の熊本菊池あたりだろう

79 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:51:53.89 ID:uVGxpwDx0.net
南朝鮮が古代日本領だったとすれば魏志倭人伝の記述は何の齟齬もない

80 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:52:17.14 ID:Y5SrBFNH0.net
>>39
ホトもな。火戸でかまどの口。女性の陰部と思ってるヤツも多いが。

81 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:52:45.48 ID:oTm2hsNr0.net
専門の役人配置して歴史を客観的に記録し続けた中国人スゲーな

これじゃジャップごときが経済力で勝てるわけねーよな

82 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:52:56.56 ID:ddb/Ozhc0.net
>>77
100年前に信じなかった????
100年前には恐竜は研究されていただろう?

83 :相場師 :2019/09/10(火) 15:53:18.77 ID:uHIrXX850.net
神武天皇という虚構はいつごろ考案されたのだろうか
まさか江戸時代の創作、、、よりは昔だよね

84 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:53:20.76 ID:g+ByA+CJ0.net
>>66
日数も数えられなかったのか?
そんな低レベルの人間がきちんと方角認識してたってのがありえない

85 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:54:05.44 ID:ddb/Ozhc0.net
>>83
君は古事記や日本書記を知らんの?

86 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:54:14.92 ID:EzZZhjBA0.net
畿内の考古学者は二百回掘っても
畿内での邪馬台国の証拠はなかったんで
あきらめて地元の発掘調査を行う
纒向学に転向しました。

だいたい2014年くらいに
専門家はほぼ撤退済みです。

87 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:54:29.20 ID:Tz4HcMwl0.net
wiki
中国の歴史書『三国志』中の「魏志」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に登場する狗奴国の官・狗古智卑狗(くこちひく)を、その名前より「菊池彦」に通じるとし、
熊本県菊池郡や菊池氏との関連を指摘する説がある。

88 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:54:45.06 ID:M8nxRZze0.net
>>79
日本領ではなかったはずだよ
傀儡とかをさすならまた別だけど

89 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:55:35.05 ID:ddb/Ozhc0.net
邪馬台国の証拠なんて金印でも出ない限り確定しようがない。
近畿にヤマト王権が誕生したのは動かしようがないのでどうでもいい論争。

90 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:55:36.24 ID:IDZRttLQ0.net
邪馬台国は朝鮮半島にあったと手搏図に記されてるぞ

91 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:55:43.17 ID:4BLD1xB/0.net
>>81
筆罰

92 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:56:42.11 ID:BaPvPDIn0.net
>>88
王族は日本人である可能性が高いけどね
傀儡というより、一つの群かと

93 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:57:01.66 ID:MQKu7I0R0.net
前スレ、前々スレでは畿内説の人はこれに手も足も出なかったけど、今回はどうかな?

> 86 :名無しさん@1周年 :2019/09/06(金) 23:46:57.90 ID:953HWZUu0
> >>1
> 最近日本史板で見た内容とおおむね一致してるな
>
> 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
> >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
> 総合的に考えた結果こうなった
> https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
> https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg

94 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:57:18.10 ID:7i54agyu0.net
別にどこでもいい

95 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:57:19.28 ID:BfOi3PeD0.net
>>82

研究はされていただろうな。しかし一般的には「アホ話」のレベル。

しかし、ポイントはそこではないぜW
研究が新しくなればなるほど、より正確に古代のことが分かるようになるってことだ。

96 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:57:23.94 ID:cNVSu6Ho0.net
倭国と大和国は別物
卑弥呼は九州にいたが国の名前はわからない、邪馬台国は大和国のことで機内だな。

97 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:57:53.03 ID:MQKu7I0R0.net
>>93の続き

> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg


> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と


> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ

98 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:58:05.97 ID:ddb/Ozhc0.net
一般的にアホってお前がアホなだけじゃん

99 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:58:38.23 ID:M8nxRZze0.net
>>82
100年だとギリギリじゃね?

100 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 15:58:52.08 ID:MQKu7I0R0.net
>>93,97の続き

> 308 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 07:29:57.35 ID:nfEZxMc70
> 伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
> 海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
> http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif
>
> また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
> http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
>
> 有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
> 製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
> 狗奴国との国境は菊池川だろう
>
> 鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの

101 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:00:03.05 ID:MQKu7I0R0.net
前々スレより
重要と思われるポイント

> 806 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:37:57.84 ID:PRbsOSjX0
> >>793
> >畿内説ってのは中国語読めない人たちが漢文を曲解してるだけのつまらないお話
> それな
> 畿内のアホどもが散々縋りついていた水行十日、陸行一月の記述も暴かれちゃったしw
> もう畿内説は詰んでる
>
> > 73 :日本@名無史さん :2019/08/22(木) 23:45:04.55
> > 邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
> > 水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
> > これを押さえておかないと正解には辿り着かない
> >
> > 【用例】
> > 通鑑釋文辯誤卷六
> > https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
> > >沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
> > 江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
> > 江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
> >
> > 【嘉興府志】
> > https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
> > >{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
> > 嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
> > やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
> > また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし

102 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:00:30.61 ID:BaPvPDIn0.net
>>97
当時の最新兵器である鉄が九州から大量に出てるのが決定的だよねー

103 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:01:11.15 ID:BfOi3PeD0.net
>>96

オマエのような主張をするのは、決まって半島人だよな。

日本という国の成立に、半島人が九州経由でかかわっていたとしたいんだろうな。
まあ、ムダだよ。

104 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:02:36.60 ID:ddb/Ozhc0.net
九州北部に大規模な古墳群がない。
ということは大きな権力が生まれなかったということだろうなあ。

105 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:03:31.41 ID:2v5YHmQ+0.net
九州は偉大な伊都国、奴国、投馬国など大国があるのにな
そっちを自慢したらいいのに

特に九州南部の投馬国は、ミミの国。
かなり重要

106 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:03:54.10 ID:9R+SC7Hq0.net
>>93
これこれ待ってました
これ出されると居並ぶ畿内信者が一言も言い返せず下向いてダンマリなんだよなw

107 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:04:01.18 ID:m1bM8EdB0.net
>>102
残念ながら、三国時代の中国ですら鉄器の優位性はなかったのだよ。安価で製作可能というメリットはあったが
あと、3世紀ごろになると丹波など日本海側での鉄器生産が盛んになっている

108 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:04:12.29 ID:BfOi3PeD0.net
>>102

近畿への献上品の鉄を生産するための工房があったのだろうな。

都(近畿)の近くにはそんな野暮な工房は作らない。

109 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:05:05.30 ID:BaPvPDIn0.net
>>104
初期の古墳は小さく墓としても意味合いが大きかったが、後の古墳ほど権威を誇る為に巨大になっただけでは?

110 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:05:06.80 ID:m1bM8EdB0.net
>>106
誰にも相手にされない妄想だからスルーされるとそろそろ気づいた方がいいw

111 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:05:45.09 ID:9R+SC7Hq0.net
>>102
鉄は国家なり、だからねぇ
>>100の鉄鍛冶工房の分布なんてもうそのまま当時の勢力を表してるよな

112 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:06:29.02 ID:9R+SC7Hq0.net
>>110
反論できずに泣き暮らすだけの畿内信者さん乙ですw

113 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:06:31.63 ID:ddb/Ozhc0.net
>>109
でも近畿では初期から巨大だからな。
巨大古墳を作るには物理的に多くの人出が必要でそれは人を動員できる巨大な権力があったということ。

114 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:06:57.78 ID:s01sX48T0.net
狗奴国は静岡の沼津らしいな。俺は濃尾平野を押しているが。

115 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:07:00.95 ID:BaPvPDIn0.net
>>108
どうかなー
俺が権力者なら、最新技術は懐で管理したくなるけどね
まず都は九州にあったのは確実かと
後に遷都したってのがスマートかな

116 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:07:25.49 ID:75nxcTke0.net
>>2
位置関係見たらどうやっても九州だわ。

117 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:07:31.43 ID:9R+SC7Hq0.net
>>107
こういう嘘をしゃあしゃあと吐くのが畿内信者w
ウソツ畿内、ゴッドハンダ―畿内と呼ばれる所以ですな

118 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:07:35.58 ID:VNgs+yl30.net
まぼろし邪馬台国か
宮崎康平は島原だから目と鼻の先だな

119 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:07:44.72 ID:m1bM8EdB0.net
>>112
罵倒は飽きたからそろそろ論理的に自説を展開しろよw エビデンス付きで

120 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:08:11.27 ID:Kb25joFb0.net
>>1
邪馬台国は奈良 古代から丹の産出で知られてる



日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。
古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。
漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは伊勢国丹生(現在の三重県多気町)、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川上流などが特産地として知られた。

121 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:08:15.91 ID:BaPvPDIn0.net
>>113
東征していくうちに巨大な国家ができたのかと
最初から巨大って事になると、ますます遷都の可能性がたかいねえ

122 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:08:23.19 ID:qijZym7t0.net
>>93
前スレでも自演やってたよな
何度もID変えまくって自分でレスして絶賛するw

123 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:08:35.65 ID:9R+SC7Hq0.net
>>108
献上されたはずの製品も見つからないんですがw
http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg

畿内説は妄想だけで出来ていますw

124 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:09:20.23 ID:m1bM8EdB0.net
>>114
狗奴国は物証がないからなんとも言えないな
確かに東海の久努という説もあるが

125 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:09:39.81 ID:9R+SC7Hq0.net
>>122
>>112

126 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:10:10.12 ID:ddb/Ozhc0.net
>>121
だったら九州の古墳が一番古くてそれが次第に移動していくということになるはずだが、
実際は近畿の古墳の方が古くてしかも初期の頃から巨大なんだよ。
つまり最初から近畿に巨大な権力が誕生したということ。

127 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:11:19.05 ID:4kWjMkQE0.net
いぬやっこ

128 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:12:33.99 ID:qijZym7t0.net
>>125
はあ?
明らかな自演を指摘しただけだろ

129 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:12:54.15 ID:m1bM8EdB0.net
古墳についてはどうなんだろうね
前方後方墳は畿内と北部九州などで割と近い時代に同時発生してるし、この時代の各豪族の関係性が木になるところ
西都原の古墳もかなり古いし

130 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:12:58.03 ID:ddb/Ozhc0.net
また、纒向遺跡から九州系の土器が出土していない。
つまりは九州系は近畿の権力に関わっていないということだろう。

131 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:13:03.44 ID:M8nxRZze0.net
>>111
それはドイツの19世紀頃の話な

132 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:13:07.39 ID:HDRcE31x0.net
>>100
配置が見事に一致してるな
>>93は正しいと考えるのが妥当だろう

133 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:13:42.83 ID:0gUDMtx70.net
無理めを承知で、どうしても地元に有利な学説を展開させようとする辺りは、かの国に似ているw
やはり地理的に近い所為なのかDNA的なフュージョンが行われてきた所為なのか?

134 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:14:31.46 ID:gUGTZ6lr0.net
>>117
ゴッドハンダー畿内wwww
テコンダー朴かよwwwwwww

135 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:14:49.38 ID:M8nxRZze0.net
>>121
東征なんて食料が持たんと思うよ
武器も壊れたらり補充もしないとならんし

それに神武東征も岡山あたりで何年も居候したり
畿内でも負けて、謀略を駆使して勝った感があるけど

136 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:15:25.60 ID:ddb/Ozhc0.net
土器はかなり地域で特徴があってこの土器は伽耶系とか九州系とかかなりの程度わかるらしい。
出てないということはそこにいなかった関わっていなかったってことだろう。

137 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:15:53.62 ID:m1bM8EdB0.net
>>130
北部九州からいきなり畿内を制圧した訳じゃないからな
神武東征伝説ですら吉備に長期滞在してほぼ吉備の人になっちゃってるし

138 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:16:38.72 ID:dlRMks/F0.net
350年頃に邪馬台国のクマソタケルを殺して
ヤマトタケルが乗っ取ったんだろうな

139 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:17:11.70 ID:UpcphMi80.net
>>102
鉄は武器以外にも有用だしな
鉄の農具は開墾に威力を発揮するし、森林国の日本では鉄のオノやノコギリがなければ耕地拡張もままならない
鉄を手にした九州勢力が圧倒的に有利になったのは>>97の地図を見ても明らかだな

140 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:17:58.31 ID:ddb/Ozhc0.net
>>137
そもそも日本書記では北部九州から近畿に行ったことになっていない。
南部から北上してその後近畿に入ったことになっているがそんな考古学上の痕跡は皆無だね。

141 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:18:11.55 ID:s01sX48T0.net
前方後方墳って濃尾平野が発祥地じゃねえの。

142 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:18:33.33 ID:Cpf518D+0.net
>>139
鋸は随分とあとだあよ

143 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:18:45.57 ID:EzZZhjBA0.net
九州は古墳の大きさには興味がないね。
むしろ副葬品に凝る傾向がある。
宝物などは九州に多い。

もっとも古墳時代後期に作られた、
古墳じゃない水城などは
1200mあるから作れないわけでもなさそうだ。

ただ単に大きさにはさほど興味がなかっただけだろう。

144 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:19:13.62 ID:N9fjbvr60.net
>>83
基本的には大海人皇子が天智・弘文天皇の王朝を簒奪した後とみるべきでしょうね。
神武の畿内での戦略経路とされているものが、大海人皇子=天武天皇が壬申の乱で軍を動かした経路とよく一致するし。
もともと天皇=大王の初代とされていたのは崇神天皇(和風諡号はハツクニシラススメラミコト)だったのを、
天武朝が自らを新王朝の始祖だと喧伝するために、更に9代遡って壬申の乱と同じ経略で畿内を制圧した神武天皇(和風諡号は、やっぱりハツクニシラススメラミコト)を捏造したものと考えます。

神武天皇には即位後の治世に関する記述が貧弱で、崇神天皇は逆に即位前の記述が貧弱なのは、崇神天皇の記録を前半生と後半生に二分割し、
(分割して矛盾の生じないよう、ここに欠史八代を挟み込む)
前半部をベースに壬申の乱での大海人皇子の軍略を付加して神武天皇の一代記として纏め上げ、後半部だけを崇神天皇記としたためでしょう。

145 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:19:19.88 ID:m1bM8EdB0.net
桜井の茶臼山古墳は3世紀末のものといわれてるけど、なぜか大昔から宗像神社があるんだよな
九州系の勢力との関係は土器云々だけで確定できない感じ

146 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:19:49.50 ID:ddb/Ozhc0.net
大きさだけじゃない。
そもそも北部九州に4世紀以前の目立つ古墳群がない。

147 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:20:33.30 ID:M8nxRZze0.net
>>140
極少人数ならありえるとは思うけどな
何で岡山の人達が居候許したり、軍をかしたりしたかは分からんけど
あと、畿内にも内応してくれる人達が居たみたいだし
足利尊氏みたいな感じかもな?

148 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:20:42.62 ID:hCRdI7BE0.net
>>93
うーん、ちょっと物言いをつけられそうな箇所が見当たらないな
特に菊池川を境とする考え方は>>1の免田式土器の分布ともよく一致している
かなり正確と見るべきなんだろうな

149 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:20:57.89 ID:heg2em2o0.net
元の近畿の勢力といえば出雲じゃないか
出雲の国譲りの謎を解かなきゃ分からない

150 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:21:28.69 ID:M8nxRZze0.net
>>143
よく巻向の古墳の大きさとか指摘してるよ

151 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:23:04.18 ID:M8nxRZze0.net
>>149
出雲とは言うものの、何か畿内にも勢力及んでそうだし

152 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:23:13.91 ID:ddb/Ozhc0.net
やっぱり出土したものが一番客観的だと思う。
土器が出ないということはそこにいなかったということだし古墳がないということは権力がなかったということ。

153 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:23:17.09 ID:EzZZhjBA0.net
ちいさい古墳ならくさるほどあったけどね。
佐賀市大和町川上地区で2000基
鳥栖市で1000基

大和町史、鳥栖史より

154 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:23:50.15 ID:hCRdI7BE0.net
>>100,101
なるほど考古学的に見ても文献学的に見ても合ってそうだね
>>93は相当練られた結論なんだな

155 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:24:03.76 ID:x4OD0HqB0.net
なんだ天皇家って熊襲とか隼人なのね

156 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:25:18.22 ID:ScyU2uyT0.net
と言うか前のスレから自分で張り付けた珍説を「すばらしい!文句のつけようがない

157 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:25:28.78 ID:/sFOVvEC0.net
また町おこしかーーーーーー
いい加減どうでもいい論争で研究費無駄遣いするなよwww
しょうもな!!!!!!!!!!!!!文系しょうもない!!!!!!!!!!!!

158 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:25:45.96 ID:PxiQnW6m0.net
征服地は自由にできる土地と労働力が多いからね

159 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:25:58.09 ID:ScyU2uyT0.net
と言うか前のスレから自分で張り付けた珍説にレスして「素晴らしい!文句のつけようがない!」とか書き込んでるアホがすげぇ笑えるんだけどw

160 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:26:12.56 ID:m1bM8EdB0.net
魏志倭人伝の投馬国が出雲や丹波だとすると、当時は日本海航路がメジャーだったということだろう
あるいは瀬戸内海を通る航路に何かしら障害があったのかもしれない

161 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:26:20.78 ID:L3cxpUJX0.net
でかい古墳があるのは土地の余った田舎だったということ
土地に余裕のない大都会にはでかい墓など作る余地はない
だから大都会九州の墳墓は大きさは控えめに作り、副葬品が豪華になっていった
畿内の古墳の副葬品はショボショボ、ウドの大木

162 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:26:29.44 ID:BfOi3PeD0.net
>>93

あんたの地図は、魏志倭人伝の下の記述に合わないな。

「末ラ国より東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する」

163 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:26:38.91 ID:ddb/Ozhc0.net
日本書記にしても8世紀の史料だし後から作られたものであって
権力を正当化するために潤色が著しい。
出土物が一番客観的。

164 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:27:20.55 ID:BaPvPDIn0.net
>>126
その畿内で小さな古墳とかあるのー
巨大であるからここで間違いないといのは早計かと
論理性に欠ける
どんな文化も発展するもんだからね

165 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:27:38.85 ID:Vnkj642s0.net
雷火思い出した、面白いですよねあれ

166 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:28:24.57 ID:v5JOA1iS0.net
>>123
畿内ショボすぎワロタwww

167 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:28:31.08 ID:BaPvPDIn0.net
>>135
なんで一気に行くと思ったの
行く先々の豪族を併合しながらですよ

168 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:29:18.76 ID:M8nxRZze0.net
>>167
それならさすがに戦乱の跡が残るよ

169 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:29:52.05 ID:HlxdmDl10.net
>>1
猿といぬの散歩戦い

170 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:29:55.02 ID:+6Ni5r7f0.net
天孫降臨伝説がある所は昔なんらかの王朝があったんだろうけど。。。

171 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:30:41.02 ID:BaPvPDIn0.net
>>168
畿内は絶えず戦乱が絶えなかった前線って事では?
平定後、遷都
その先を見ていたのかもね

172 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:31:17.10 ID:LURZC/RM0.net
>>146
邪馬台国は、小国同士の連合だから当然じゃないの
近畿では中央集権が大きくなる
規模も当然、大きくなる。

173 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:31:51.08 ID:MZZHel2Y0.net
>>100
やはり鉄を支配した北部九州の海人族が東征したんだろうな
船の機動力と鉄器の優位性は当時としてはチート

174 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:32:03.62 ID:X1IzcTur0.net
>>123
これまでの議論全く押さえてないんだけど、これ見ると
福井に何かあったってことか?

175 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:32:23.15 ID:BfOi3PeD0.net
>>163

魏志倭人伝もそうだがW

余り固定観念を持たない方がいいぜ。
   神話 → 作り話
   官誌 → 政権に都合よく脚色
   遺物 → 宗教的意味を持つ

176 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:33:05.15 ID:B3ksPaM70.net
だから邪馬台国自体は阿蘇山の東部一帯で、福岡辺りの北部九州は連合国家の倭国の首都だと何回いえば・・・
卑弥呼は地方の邪馬台国出身者だ。



という妄言を言う奴もいるから九州説派は頭にウジが沸いている。

177 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:33:08.49 ID:M8nxRZze0.net
>>170
どうだろ?
宮崎は栄えた試しがないし
基本的に栄えるところは昔から栄えるはず
なのに、宮崎は一貫して歴史の表舞台には立たない

178 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:33:30.28 ID:p50VoCTv0.net
>>101
おお、水行陸行の問題解決したんか
これでだいぶ絞り込めるな

179 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:33:36.38 ID:m1bM8EdB0.net
個人的には畿内の初期ヤマト王権と北部九州との関係は密接だったんじゃないかと推測している
根拠は前方後方墳の同時発生や祭祀の類似、あと、関係性が密接でないと魏志倭人伝の女王国連合の記述と矛盾する点かな
また、王権が畿内に移動したと思われる時期も九州では鉄器生産など産業が衰えた形跡がない点

180 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:34:47.25 ID:EzZZhjBA0.net
宮崎はわりと大きめの古墳群があるよ。
北部九州より瀬戸内海文化圏に近いかもしれない。

181 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:35:07.75 ID:9UtYjGdu0.net
>>174
>>97を見ると若狭湾に安曇族が押し寄せたみたいだ
天然の良港が並んでるからな

182 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:36:03.44 ID:BaPvPDIn0.net
>>179
畿内には何らかの勢力が居たのは間違いないだろうねえ
北部九州で鉄器生産が衰えないのは、それが重要な産業であったからだろうね
やはり経験から来るもので、その他の新興勢力とは出来が違ったのかもしれない

183 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:37:54.35 ID:HCWpZMpg0.net
>>86
それな、マスコミと芸能人を使って全国区で奈良こそ邪馬台国だとアピールした時に3ヶ月以内に邪馬台国だと確定するものが出ると、
それまでに出ないはずはないし、出なかったら奈良は邪馬台国ではないとまで笑って言ってたが
もう何年もたつから、邪馬台国ではないと確信した畿内論者はこっそり離脱していると聞くw

184 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:39:25.54 ID:ddb/Ozhc0.net
瀬戸内海の周りで権力が発達して近畿と連合的なつながりがあったのは間違いないんだろうね。
北部九州の初期古墳で言えば石塚山古墳とか。
博多周辺はあまりそういう痕跡がない。

185 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:40:31.82 ID:yjDSp0sY0.net
>>182
四世紀以降は畿内でも鉄器生産が盛んになってくるから、四世紀の頭か三世紀の末に東遷があったんだろうね
当時はまだ鉄材が国産化されてなくて弁韓から全量輸入だから北部九州を通さないと材料が手に入らなかったはずだし
九州勢力が東遷したというのが一番無理がない説明だね

186 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:41:00.04 ID:fBiUkIZ4O.net
>>19
後に邪馬台国を支配下に入れたマキムク政権が、自分達が正当な後継国家であると主張するために「ヤマト国(大和)」を自称したのだと思う
その際に、周辺の地名も変えてごまかそうとしたのだろう

187 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:41:15.41 ID:1WYBGuR10.net
卑弥呼の直筆の日記と装束が見つかったらしいね

188 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:41:30.80 ID:BfOi3PeD0.net
>>182

鉄製品が沢山出てきたから、当時の「都」であるってw

どんだけ単細胞なんだw
その場所は、普通に鉄の産地か、あるいは輸入品の集積場所でしかないだろう。

普通に支配者がいる都には、古代も江戸時代も、
都から遠くはなれた産地から献上しているのだよ。

189 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:41:32.27 ID:X1IzcTur0.net
>>181
なるほど

190 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:41:44.50 ID:nBznesLn0.net
もう場所もわからないしろくな伝承もないって時点で邪馬台国なんて魏志倭人伝の
トンデモ記述にすぎないってわかりきってるだろw
古代中国人の他国記述のいい加減さはアホだってわかってることだろうに、
なんでそんなに真剣に魏志倭人伝を信じ切れるのかね?
古事記や日本書紀に乗ってないって時点で日本人にしてみれば邪馬台国なんて
中国人のたわごとくらいにしか思ってなかったんだろう。
現代日本人でも真剣に韓国の歴史考古学なんか信じてるやついるか?w

191 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:42:18.71 ID:m1bM8EdB0.net
>>177
宮崎で関係がありそうなのは諸県君あたりかな
応神仁徳あたりとの関係性は深かったようではあるし

192 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:42:42.45 ID:BaPvPDIn0.net
>>185
俺もその説が一番スマートな気がする
なんで畿内説の方々はこれを拒否するのか謎
結局遷都したって話なのに

193 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:42:48.83 ID:EzZZhjBA0.net
博多は弥生中期以降の生活遺跡が多いね。
弥生早期の板付遺跡なんかもあるけど。

あと、縄文晩期の稲作遺跡の
唐津の菜畑遺跡が有名どころ。

194 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:42:53.52 ID:HCWpZMpg0.net
そう考えると、卑弥呼のいた邪馬台国は九州で、卑弥呼のいない邪馬台国は畿内つーことかいw

195 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:43:16.91 ID:BaPvPDIn0.net
>>188
いや・・・
江戸時代と比べられましても

196 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:43:19.53 ID:yjDSp0sY0.net
>>188
>>123の言う通り、献上された鉄製品も畿内に無いからそれは無理だよ

197 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:43:36.01 ID:ddb/Ozhc0.net
>>192
考古学的証拠が皆無だから。
文献も皆無。
つまり証拠が一切ない。

198 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:44:08.94 ID:BfOi3PeD0.net
>>186

まあ、邪馬台国が九州にあったなら、

ワザワザ、近畿に移動する理由がない。

199 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:44:31.10 ID:Yzf8OT530.net
3世紀の魏志では狗奴国は女王国の南
5世紀の後漢書では拘奴国は女王国の東

どっちが正しくてもいいが、
「中国の史書に書いてある方角は正確だ」とはとても言えんわ

200 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:44:54.08 ID:BaPvPDIn0.net
>>198
権力闘争があるあるね

201 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:45:04.41 ID:yjDSp0sY0.net
>>194
魏志倭人伝より後の時代に邪馬台国が移動してきたのが畿内、かな

202 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:45:22.59 ID:qyPLKkNA0.net
距離は盛られる可能性あるけど方角を偽る必要性ないから近畿説はない

203 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:46:13.54 ID:m1bM8EdB0.net
>>192
東遷があったとすると卑弥呼よりもう少し前の時代だとは言われてるが、逆にそれは九州説論者も畿内説論者も嫌う説でもある
九州にしてみたら邪馬台国が九州じゃ無いし、畿内にしてみたら自分らが屈服した訳だしw

204 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:46:54.03 ID:EzZZhjBA0.net
畿内の鉄器は5世紀以降。
山陰で製鉄が始まるのと関係する。

それ以前には国内で製鉄が確実な遺跡はなく
輸入鉄を加工する鍛冶遺跡ばかり。

その輸入鉄の窓口が博多や唐津だった。

205 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:46:54.63 ID:yjDSp0sY0.net
>>198
>>97でいいと思うよ
実際その後は東日本へ勢力を拡張していく流れだし

206 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:47:48.66 ID:X1IzcTur0.net
>>203
素人で悪いんだけど、東遷が卑弥呼より前ってのはなんでなの?

207 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:48:15.98 ID:BaPvPDIn0.net
>>203
その時代の邪馬台国に東遷する力あるのかね
やっぱ鉄の影響を考えるとねぇ

208 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:48:51.32 ID:m1bM8EdB0.net
>>197
畿内での弥生中期から後期の戦乱の痕跡
高地性集落の西から東への遷移
銅鏡の分布が九州から畿内へ移動
播磨風土記などに渡来系氏族襲来の記録

東征があったとは言わんが、証拠が無い訳でもない

209 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:49:52.09 ID:yjDSp0sY0.net
>>203
鉄器の移動を見ると東遷は魏志倭人伝よりも後の時代だね
卑弥呼より前にしたがってるのは畿内説の人だけでしょ

210 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:50:11.93 ID:heg2em2o0.net
古代にも明治維新の廃仏毀釈みたいなことがあったんだよ
そして銅鐸は埋められた

211 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:50:57.76 ID:BfOi3PeD0.net
>>196

そうでもないな。

卑弥呼の時代よりわずか経過した頃、
有名なヤマトタケルが、天皇の命令で奈良の都から遠く九州や東北に軍を動かして遠征している。

ヤマトタケルがグチったよに、「まるで自分を都に入れたくないかのようだ」と。

そのように、軍備は、都でなく、都から離れた場所に置かれていたろう。
鉄器のあるなしで(特に初期は兵器に主に使われていたなら)、都の所在は判断できないだろう。

212 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:51:19.61 ID:ddb/Ozhc0.net
卑弥呼より後なら3世紀終わりとか4世紀になるけど、なおさら証拠がない。
その前なら民族移動的なものがあった可能性はある。

213 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:51:41.69 ID:BtPlv1ZO0.net
どうでもエエわ
どっちにも文明があったって事だろ
ただ火山の近くで発展させるよりは畿内の方が発展はしやすいだろうな
で、どっちの段階で邪馬台国を名乗ったかって事だろうけど、本気でどうでも良い
後の利権に繋がる奴だけが必死なんだろうけど

214 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:52:53.54 ID:BaPvPDIn0.net
>>213
真実の探求ってやつよ
どっちでもいいは物凄く良くない

215 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:53:02.42 ID:R+3uDxb20.net
九州爺さん今日も頑張ってるな
いくらネットで頑張っても史実は変えられないよ

216 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:53:40.60 ID:EzZZhjBA0.net
縄文時代から翡翠が交易されてるんだから
鉄の分布だけじゃ東遷の時代はわからんだろうな。

鉄も村から村へ交易されていくだけのことで
輸入窓口の北部九州から離れるに連れて
数も少なく貴重になっていくだけの話。

217 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:53:58.95 ID:M8nxRZze0.net
>>214
妄想と罵倒に傾倒してるのも居るみたいだけど

218 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:54:12.95 ID:N3aHCxRH0.net
考古学者と憲法学者には歴史修正主義者が多い

219 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:55:18.88 ID:R+3uDxb20.net
畿内説=学問、通説
九州説=俗説、エンタメ

教科書からもやがて消えるだろうから、これからはエンタメ路線で頑張れ

220 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:55:23.28 ID:JUjFNt1Z0.net
>>204
唐津はずっとあとに松浦川の流れをかえて、もとの川を埋め立てて作った街だよ。古いのは呼子とか鏡

221 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:55:50.64 ID:yjDSp0sY0.net
>>211
>卑弥呼の時代よりわずか経過した頃、
何の根拠があって言ってるの?
そういう嘘をつくから畿内説は信用されないんだよ

邪馬台国は狗奴国と戦争してたのに軍備を置かないわけないでしょ

222 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:56:24.84 ID:BaPvPDIn0.net
>>216
製鉄・加工技術こそがパワーの時代ですからねえ
それを握った勢力が圧倒したのではないか?という仮説から始まる物語

223 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:56:54.47 ID:/REeWYpX0.net
畿内説とか関西人以外誰も信じてないよな
銅鏡ともっと鉄を見つけてから喋れよ

224 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:57:04.50 ID:JUjFNt1Z0.net
>>219
畿内説は学説通説なのに、提唱者がはっきりしない不思議な説。

225 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:58:06.06 ID:yjDSp0sY0.net
>>216
いや都なら当然地方にいいものは献上しろって言うでしょ
鉄を献上してもらえなかったってことはそこはまだ都じゃなかったんだよ
実際四世紀以降は畿内でも鉄が増えるんだから

226 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:58:27.80 ID:ddb/Ozhc0.net
製鉄技術を持つ伽耶地域との関係を近畿が握ったので北部九州の勢力が衰退したんでしょ。
事実、弥生時代は発展していたのに4世紀ごろになると北部九州に目立つ古墳群はない。

227 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:58:53.22 ID:isd0y58e0.net
卑弥呼って書いた墓石でも出てくれば一発で決まりだなw

228 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:59:10.38 ID:m1bM8EdB0.net
>>217
罵倒する奴はある意味名物w

229 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 16:59:28.97 ID:R+3uDxb20.net
>>224
提唱者?
本居宣長より前は畿内説が当たり前

230 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:00:44.73 ID:m1bM8EdB0.net
鉄に関しては弥生後期になると日本海側で盛んだからね
琵琶湖を通じて畿内はすぐだし、東海も然り

231 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:00:48.46 ID:yjDSp0sY0.net
>>226
地理的に畿内が直接半島とやり取りするのは無理だよ
北部九州の勢力が東遷したから畿内にも半島からの鉄材料がもたらされたと考えるのが自然

232 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:00:53.83 ID:ddb/Ozhc0.net
京大系は近畿説、東大系は九州説って5ちゃんで見たけど、いまでもそうなん?

233 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:02:04.37 ID:ddb/Ozhc0.net
>>231
その肝心な東遷の具体的証拠がないわけだから。

234 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:03:10.13 ID:BfOi3PeD0.net
>>221

オマエこそ、

何の根拠があって、オレのいってることを否定してるのだ?w
ヤマトタケルの遠征は、資料や遺跡で確認されてるよ。

また、古代ローマでも、ローマ市内には軍を入れてはいけないという規定があった。
それを破って軍を入れたのがシーザーであった。有名な話だ。

ただの村落国家(w)なら、長オサのいる場所が武器のある場所になるだろうが、
卑しくも「都」となったなら、反乱を恐れて、武器は持ち込ませない。

235 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:03:16.10 ID:R+3uDxb20.net
>>232
東大は昔は九州説だったけどギブアップした

236 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:04:02.51 ID:oM/alVON0.net
>>81
中国は本物の記録の国なんだよ
ネトウヨの自慰史観ではなぜか捏造国家日本が記録の国になっていて中国が捏造の国になっているけど、これこそウヨさんの教育水準が低い証拠
このスレにもちらほらいるガイジ

237 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:04:27.89 ID:HCWpZMpg0.net
九州が邪馬台国だとしても、もう畿内で決まってるって聞いた事があるw
どんな理由があろうとも畿内が邪馬台国なんだとよw
だから九州説派は無意味なことはやめろと言う人がちらほらいるだろうw
奴等は歴史をねじ曲げる悪魔そのものなんだよw
九州で曹操の鉄鏡が出ても知らんぷりなんだぞw

238 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:04:47.66 ID:kbZ07PU20.net
邪馬台国と武装戦線じゃどっちが強い?

239 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:05:00.38 ID:ddb/Ozhc0.net
>>235
やっぱり半島から勢力が北九州に来てそれが近畿に移ったという仮説を前提にしていたんだろうね。

240 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:05:23.55 ID:EDA4rwy80.net
「邪馬台国」と「卑弥呼」の存在について

結論から言うと
「邪馬台国」も「卑弥呼」も「日本全域」に存在した

その理由を説明しよう

「邪馬台国」=「大和国」=「山人(やまと)国」(重要)
「山人国」とは「山の人の国」
「山の人」とは「天上の神」=「太陽神」のこと

つまり
「邪馬台国」とは「太陽神の国」のこと
これは「一般名称」(重要)のことである

このことにより
「日本全域」に自分が住んでいる「国の名前」を「山人国」→「大和国」→「邪馬台国」と呼んだのである

その中で国力が強かった二大勢力が「畿内」と「九州」である

その後最大勢力になったのが「畿内」(奈良)である

これにより「畿内」説、「九州」説の論争に終止符が打てる

241 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:06:00.25 ID:EDA4rwy80.net
次に「卑弥呼」について説明しよう
「卑弥呼」=「日巫子(ひみこ)」=「太陽の巫女」(重要)のこと

つまり
「卑弥呼」とは「太陽の巫女」のこと
これも「一般名称」(重要)のことである

このことにより
「日本全域」に「邪馬台国」があり「日本全域」に「卑弥呼」がいたことになる

その中で一番「権力」を持ったのが「畿内」(奈良)の「邪馬台国」の「卑弥呼」である

だから現在「奈良」は「大和国」と呼ばれている


これが「邪馬台国」と「卑弥呼」の真実である

242 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:06:10.67 ID:yjDSp0sY0.net
>>233
それは東遷だと都合の悪い畿内説が目を塞いでるだけだよ
破鏡の伝搬を見れば九州から大量に人が移動してるのがはっきり分かる
弥生時代後期には破鏡の分布はほぼ九州だけで、本州は安曇の進出した沿岸部だけしか存在していなかったけど
古墳時代に入ると九州では減少し、本州西部では内陸まで破鏡が分布する
九州から大量に人が入ってきた以外には説明がつかないよ

166 :ホワイトケープ :2018/10/06(土) 18:57:54.78
破鏡をご存知ですか。銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に後加工したものや穿孔したものが、墳墓からだけでなく住居跡や田んぼからも見つかります。
弥生後期の遺跡から出土する、神武東征由来の遺物です。

次は破鏡の分布図で、図40は弥生後期〜終末期の分布、図41は古墳時代前期の分布図です。「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎から借りています。

図40(http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu40.jpg
図41(http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu41.jpg

熊本平野、大分大野川流域の状況が特徴的です。
ほとんどが集落域からの出土ですが、弥生終末期にのみ見られ、古墳時代には全く見られなくなります。

当然なことで、神武東征が九州を発つ前に狗奴国や大分の従わないクニとの決着の戦いの痕跡だからです。
福岡平野で募られた兵は、家族との長い別れに、親子兄弟、妻とも家族の絆として鏡を分け持って出発したのです。
家族の証明はこの割れた鏡が合わさることでしか、確認できない時代です。
出征兵の親は、待てど帰らぬなか亡くなっていき、鏡とともに副葬されました。
兵たちは落とさないよう穴をあけ首にかけていたが、戦闘の中で田んぼに落とすこともありました。
突然の出立に、置き忘れることもあったでしょう。
妻や子は、小さなかけらをもって後を追いかけました。

鏡種を調べると、内行花文鏡と方格規矩神獣鏡が多く、三角縁神獣鏡は一面もありませんでした。
三角縁が東征後の鏡であることは明らかです。
東征を卑弥呼の前とする説がありますが、その時代にはこのような痕跡は全く見つかりません。

九州の三角縁神獣鏡は古墳から出土し、奈良から帰還した兵が持ち帰ったものと思われます。

243 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:06:25.05 ID:BfOi3PeD0.net
>>233

神話であろうと、資料だからな。

その神話の記述を否定できる証拠が無ければ、神話が生きる。

244 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:06:35.44 ID:R+3uDxb20.net
東大で古代史だと、文献史学の大津さんも設楽さんも畿内説だね

245 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:07:19.50 ID:HCWpZMpg0.net
>>238
何代目かによるだろうw

246 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:07:22.69 ID:yjDSp0sY0.net
>>234
>ヤマトタケルの遠征は、資料や遺跡で確認されてるよ。
ソースを出してね

>卑しくも「都」となったなら、反乱を恐れて、武器は持ち込ませない。
じゃあどうして四世紀に入ったら畿内に鉄の武器が増えたの?
矛盾してるよね

247 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:08:47.18 ID:ddb/Ozhc0.net
>>243
その「神話」は8世紀に作られたものじゃん。

248 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:09:23.90 ID:R+3uDxb20.net
>>237
九州説はこうやって嘘で中傷することしかできない
哀れだね

249 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:10:04.22 ID:X1IzcTur0.net
>>242
東遷だと考えると、当時畿内には別の勢力があったということになるの?
纏向遺跡は邪馬台国と同時代に存在してたんだよね?

250 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:10:07.84 ID:oM/alVON0.net
>>210
そうそう
出雲やクマソには信仰対象を破壊した形跡や、頭蓋骨が破壊された出土品が見つかっている
朝廷が地方豪族を虐殺、民族浄化で支配していったことの証拠で学術会議では主流の説

251 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:10:21.19 ID:/REeWYpX0.net
光武帝の金印と魏時代の高位な銅鏡が揃って九州から出てきてるんだから魏志倭人伝が言う邪馬台国はもう九州だよ
簡単じゃん

252 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:11:37.62 ID:EzZZhjBA0.net
鉄製品の製作には、

製鉄:鉄鉱石、砂鉄を還元して銑鉄にする
精錬:銑鉄から炭素を適度に抜いて鋼鉄にする
鍛冶:鋼鉄を加工して必要な鉄製品にする

このうち製鉄が一番難しく、1250度以上で酸素が少なく、
一酸化炭素が多い状態をつくり、長時間維持しなければならない。
そのためには温度と酸素を調整できる閉炉が必要。

一般的には製鉄は5世紀以降と言われる。
それ以前は朝鮮半島から鉄素材を輸入していた。

鉄関連遺跡では、製鉄、精錬、鍛冶の遺跡がごっちゃで
全部、製鉄遺跡と表現されていることがあるので注意。

輸入鉄素材からの精錬や鍛冶は弥生中期から日本各地で見られる。

253 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:11:49.71 ID:ljxceCYd0.net
>>237
邪馬台国と大和朝廷が連続してないと気が済まないっぽいよね。
別に古代日本が群雄割拠であっても、今ある国体が変わるわけじゃないのにさ。
何をそんなにビクビクしてるのかねえ

254 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:11:57.97 ID:yjDSp0sY0.net
>>247
8世紀には確実に都は畿内にあるわけだけど、どうして自分たちは九州に征服された負け犬ですなんて屈辱的な神話を創作しなきゃいけないの?
事実そうだったから以外に理由があるなら教えて

255 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:11:58.86 ID:hSuTO+Yv0.net
天皇ファンタジーの弊害だよな
日本を単一のものとしようとするから無理が出てくる
実際は、九州にも近畿にも王朝があって、魏が倭と読んでたのは九州の方だったってだけ

256 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:13:01.14 ID:ddb/Ozhc0.net
邪馬台国とヤマト王権が仮に連続してない場合は、
地方政権がたまたまシナの文献に残っただけということになる。今のところ。

257 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:13:02.45 ID:PxiQnW6m0.net
東遷ならまだましなんだよ
関西人のしょーもないプライドが傷つくだけだから
問題は東遷がなく、九州に王権が存続しつづけていた場合
つまり九州王朝説だわな

258 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:13:11.71 ID:R+3uDxb20.net
>>242
弥生後期、つまり邪馬台国の時代より前に本州各地で出てるじゃん
九州の没落を示すものをドヤってるだけだ

259 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:13:14.51 ID:+PrzYCkY0.net
>>246
それやwwww

260 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:13:16.51 ID:RM2wPd/O0.net
あえて言よう。邪馬台国は徳島県内であると。

261 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:15:01.69 ID:ddb/Ozhc0.net
>>245
おそらく「九州の南の端から近畿まで古の昔から天皇の土地だぞ」と主張したかったんだろう。

262 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:15:18.22 ID:oM/alVON0.net
>>237
宮内庁や神社本庁やな
そんなに皇族も豪族も朝鮮系と認めたくないのか
まあ右翼にとって天皇のカリスマ?カルト?がなくなるから必死なんだろ

263 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:15:55.08 ID:HCWpZMpg0.net
>>248
嘘じゃねーよ。その関係者にわしは九州説と言ったら、赤面でそう言われた。
学者が満場一致で決めたこと
素人が口を出すなってよw
曹操の鉄鏡はなんでスルーされてんだよ、このインチキ野郎が!w

264 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:16:35.35 ID:oM/alVON0.net
>>241
まったくの妄想
出典出してみて?

265 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:17:12.31 ID:5I8+5gRE0.net
邪馬台国の価値って、こうして色々な説を生み出すことにあるんだろうかね
これが場所を特定する決定的な証拠が出てきたら、みんな興味を失ってしまいそうだよな

266 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:18:03.47 ID:R+3uDxb20.net
>>263
曹操の鉄鏡が九州のどこで「出土」したの?wwwww

267 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:18:19.22 ID:MLdwMnpa0.net
やたら起源を主調する九州
どこかの国にそっくり
まあトンネルまで作って仲良しこよしで
ほとんどチョンなんだろうな
近づきたくねえわ〜
チョン九州

268 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:18:45.22 ID:RFh2Zimb0.net
神話遺跡や出土品の傾向からして本来の「邪馬台」は九州勢力
新興で強い勢力だった畿内勢力が「邪馬台」を滅ぼしパクって「大和」王権を築いただけ
「邪馬台=大和」というのが壮大な勘違いの始まり

269 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:18:52.30 ID:ddb/Ozhc0.net
大分で出たとかニュースなかったっけ?

270 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:19:31.25 ID:yjDSp0sY0.net
>>249
奈良盆地内にも古い農耕跡とかはあるから土着の勢力はいたと思うよ
北部九州から来た安曇の分布は>>100の貝輪の分布とかを見ると弥生時代には大阪湾岸まで及んでるから、
西暦300年前後まで東遷できなかったのは奈良盆地で頑張ってた勢力があったんだと思う
奈良盆地は周りを山で囲まれて防衛に適しているからなかなか攻略できなかったんじゃないかな
安曇たちは海に面した河内でしばらく機をうかがっていたんだと思うよ

271 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:20:30.66 ID:ddb/Ozhc0.net
記紀神話は九州の南の端から近畿まで全部天皇の土地だと主張するための創作されたフェイクだと思う。

272 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:21:14.83 ID:LURZC/RM0.net
梁書の
倭国、文身國(出雲?)、大漢國(奈良)、扶桑國(?)
隋書 
倭国のみ
北史
倭の項目に注意、竹島があるが独島はない
当時から倭の領土と認識?
南史
慧深又云 扶桑東千餘里有女國(?)
旧唐
倭国と日本国が並記
新唐
日本,古倭奴也

273 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:21:17.46 ID:XCVQqW/l0.net
>>268
つまり畿内も狗奴国連合の一国だったと思う。

274 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:22:11.79 ID:oM/alVON0.net
>>243
ならない
8世紀に完成を見たもので権力を強めるためのプロパガンダの要素が大きいから
考古学的な文献としてはリアルタイムに記録してきた魏史倭人伝が優先される

275 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:22:19.93 ID:yjDSp0sY0.net
>>258
安曇の分布地と一致してるから彼らが持っていっただけだよ
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg

276 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:22:59.36 ID:BfOi3PeD0.net
>>234 の続き

古代より、一定規模の国家の軍隊は、

都より遠く離れた場所に軍隊を置くという観点からすれば、
九州には、大陸や朝鮮半島からの脅威に対抗するための「防人サキモリ(防衛軍)」を置いていたのだろう。

それなら、最新鋭の鉄剣が集積されていた理由もハッキリとする。

277 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:23:03.49 ID:ljxceCYd0.net
>>269
そうそう日田だったかな
酷似してたらしい
日田は地形的に軍事拠点だから是非とも抑えておきたいところ

278 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:23:16.39 ID:HCWpZMpg0.net
>>266
沖縄県w

279 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:24:56.08 ID:HCWpZMpg0.net
畿内説のノータリンをまともに相手にしたわしもまだまだ青いわいw

280 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:25:20.53 ID:yjDSp0sY0.net
>>276
まず>>246に答えてね

281 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:26:48.65 ID:JUjFNt1Z0.net
>>229
現代の提唱者だよ。

282 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:28:27.01 ID:X1IzcTur0.net
>>270
ふむふむ
そうなると、纏向遺跡の勢力は邪馬台国により滅ぼされたということになるの?

283 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:28:53.20 ID:M8nxRZze0.net
親魏倭王の金印、238年ないし239年に与えたとされる
239年に独立を目論む公孫氏の討伐が終る
しかし、与えた皇帝も239年に死去
次代に成る訳だけど、244年に遠征是非で司馬氏と対立し、遠征も又失敗に終る。対立が激化していく
そして、249年に司馬氏によるクーデター。以降の魏は司馬氏による傀儡政権になる
265年に禅譲という名の王朝交代。以降は晋となる

親魏倭王の金印って、もしかすると持ち帰ってたりするかな?
使者が帰る頃には、王朝が変わってて、金印が意味を成さない物になってたりして

284 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:28:58.61 ID:JUjFNt1Z0.net
>>235
最近、東大で西日本の日本考古学やってる人いないだろ

285 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:31:17.03 ID:OaVvcUYI0.net
「その南」は女王の支配が及ぶ境界だろな
邪馬台国の可能性もあるだろうけど、普通最後に出てくる方の「奴国」でないのか

286 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:31:17.29 ID:oHpMqxtr0.net
>>250
九州にあった女王を戴く風習のあった国々も、土蜘蛛と称して民族浄化していったのかな

287 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:31:34.78 ID:kvICC7QH0.net
邪馬台国は神話のお話だよ
神武東征より前だよ

288 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:32:29.73 ID:Pns2tJJs0.net
>>262
畿内説を狂ったように吹聴しているのは京大の連中で宮内庁とかは関係ないよ
だいたい宮内庁のお膝元の東大は九州説だし
京大は自分のお膝元が邪馬台国でないと気がすまない結論ありきの韓国みたいな連中

289 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:32:33.47 ID:4w6hkXqE0.net
松本清張の邪馬台国鹿児島節面白かった

290 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:33:33.54 ID:RU676CHQ0.net
弥生人というのは古代中国の春秋戦国時代に戦乱を避けて大陸から日本へ渡来してきた人たちらしい。
彼らは現在の九州へ上陸して稲作をしながら当時の原住民の縄文人を駆逐しながら次第に居住地域を広げていった。
これが神武東征のモデルとなったのだ。

291 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:35:31.55 ID:LURZC/RM0.net
>>252
石炭、コークス等の産地に
なるね。

292 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:36:27.17 ID:JUjFNt1Z0.net
>>262
二代続けて佐賀に繋がる血脈から皇后を迎えてるんだから、皇室は九州や大陸との関係を軽視してはいないだろ。

293 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:38:09.84 ID:YmyFcI2F0.net
>>282
横からですまんが、のちの飛鳥時代・奈良時代は政令で諸国が一致して纏まろうとしてるし
勢力争いか戦争かはわからんが、もうそういう流れだったんじゃないかな

294 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:38:47.89 ID:hogGZvfP0.net
神器は強奪されたもの
玉璽は強奪から逃れるため隠されたもの

295 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:39:21.49 ID:xVcEXhFL0.net
邪馬台国スレは大陸や半島の影響をモロに受けた国がどっちにあったか骨肉の奪い合いしてていつも笑えるw

296 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:39:49.44 ID:M8nxRZze0.net
>>291
石炭を利用した製鉄って16世紀頃からじゃね?

297 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:39:50.96 ID:9Eo8Z0Vy0.net
>>290
駆逐じゃなく融合でないか

日本人には弥生人にない酒豪体質やアメ耳の遺伝子が伝わる

298 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:39:56.62 ID:oHpMqxtr0.net
>>287
倭国大乱(146年 - 189年)で支配者一族が敗北して倭国は統治者の居ない空白地帯となった
その後倭国の国々は卑弥呼を共立して九州倭国連合を立ち上げた

東征なんかなかった
あったのは倭国大乱で敗北した元支配者(漢委奴国王)一族の逃亡生活
逃亡の果てにいきついたのが大きな勢力のいなかった奈良の山奥の湿地帯

299 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:40:50.47 ID:H2gAIym40.net
九州説の勝ち
https://goo.gl/maps/9f5PtZH9YXS2yAxo9

300 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:41:24.27 ID:yjDSp0sY0.net
>>282
そうかも知れないけど、個人的には違うと思ってる
畿内の土着勢力は滅ぼされたと言うよりは九州から来た支配者(のちの皇室)を共立する形で臣従したと思う
そしてそれが現れているのが氏姓制度だと思う
姓(カバネ)の中で特に有力だったのは臣(オミ)と連(ムラジ)だけど、この両者には外様と譜代の違いがある

https://kotobank.jp/word/氏-34455
>日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
>臣姓豪族は皇別すなわち天皇の後裔(こうえい)と称するのが一般であり、連姓豪族は神別すなわち神代の昔から皇祖の神々に奉仕した
>神の後裔と称しているが、これは江戸時代における外様(とざま)大名と譜代(ふだい)大名との違いにも比せられる。
>すなわち、臣姓豪族は天皇家と連合して大和政権を構成した有力豪族、連姓豪族は大和政権の盟主としての天皇家の地位、
>実力の向上に伴って頭角を現した家政機関のおもだった役人あがりであり、その家政機関が拡大改組されて大和政権の中枢機関となったのである。

神代の昔から皇祖に仕えた、つまり神武東征に付き従った元々の皇室の臣下が連の姓を与えられている
たとえば北部九州が本拠地の安曇氏が連姓、これは皇室が九州起源であることの根拠となるわけ
逆に臣姓となった豪族の中に畿内の土着勢力がいると思う

名目上の地位は臣の方が高いことになっている、それは共立以前は皇室と並ぶ立場の王だったから
でも、天皇がより頼みとしたのは昔からの家臣である連
上記引用で比されている江戸時代でも、外様の加賀藩なんかはどの譜代大名よりも石高は高かったけれど、
高位の幕閣には譜代大名しかなれなかったわけで将軍が本当に頼みとしたのは譜代大名だった

301 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:45:20.24 ID:R+3uDxb20.net
>>269>>277
日田で出土したと「古物商」が言っただけ
誰も確認してない
古墳の出土品からは矛盾だらけ、当時の発掘関係者の証言とも矛盾している
古物商が嘘をついていた可能性が極めて高く、考古学者は日田で出土したとは信じてない
古物商が30年前の発掘を知っていたとは到底思えないし

302 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:47:22.12 ID:qLcRNmRs0.net
邪馬台国は伊予国
ソースはないが

303 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:51:21.01 ID:JUjFNt1Z0.net
>>296
日本はたたら製鉄でしょ。

304 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:51:51.72 ID:LURZC/RM0.net
>>301
古物商が嘘をついていた可能性が極めて高く
根拠は?
考古学者て誰?どのグループ?

305 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:53:13.10 ID:M8nxRZze0.net
>>303
たたら製鉄は6世紀と言われてる

306 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:53:35.45 ID:ujNlPNS60.net
人は記憶型と思考型に大別できる

奈良の南は山、山、山
畿内説オワタ\(^o^)/

307 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:55:48.36 ID:LURZC/RM0.net
>>305
どうやって作る?
全て輸入か?

308 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:56:25.81 ID:R+3uDxb20.net
>>304
朝日新聞の記事に書いてあるぞ

309 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 17:59:53.51 ID:LURZC/RM0.net
>>308
朝日新聞?
書いていたら正しいのか?

310 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:00:04.64 ID:EzZZhjBA0.net
6世紀以降の糸島市の元岡遺跡では
数十基の製鉄高炉跡が出土している。

たたら製鉄のように玉鋼を直接作るものではないが
銑鉄を大量に生産でき、この銑鉄を別工程で精錬することで
鋼鉄にする。

当時は石炭を使う可能性はあまりなく、
おそらくは薪、木炭だろう。

311 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:00:38.47 ID:R+3uDxb20.net
九州説の高島さんでさえ信じてない
九州大学の学者も信じてない

312 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:01:56.85 ID:EzZZhjBA0.net
日本国内での確実な製鉄の痕跡は5世紀以降である。

313 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:02:57.48 ID:LURZC/RM0.net
>>311
信心の話なら別。
根拠がないよね。

314 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:04:15.31 ID:R+3uDxb20.net
>>309
おまえは古物商が言ったことが正しいと思えばいいだろうに
おれは状況証拠と学者の判断を信じるから

315 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:05:59.76 ID:R+3uDxb20.net
>>313
それでいい
おまえは古物商が言ったことが正しいと思ってなさい

316 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:06:13.83 ID:EvHqIQna0.net
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

魏書第三十巻『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰

317 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:08:55.64 ID:2V6Vx7UN0.net
<<中国の歴史書『三国志』中の「魏志」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に登場する狗奴国の官・狗古智卑狗(くこちひく)を、その名前より「菊池彦」に通じるとし、
<<熊本県菊池郡や菊池氏との関連を指摘する説がある。

名前つながりで
天照大神 という人が天皇家の先祖らしいが
この名前の人が 大昔の九州大分にいた
大神さんという姓を持つ人たちが当時から大分に住んでいて (今も)
そのなかに天照さんという女性がいた
東遷したのは 大神さんの子孫だな

318 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:11:31.76 ID:zX5ZhAOw0.net
>>2
近畿パーまた自己紹介?

319 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:12:23.33 ID:zX5ZhAOw0.net
>>302
間違いだからソースは無いよ

320 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:12:58.79 ID:R+3uDxb20.net
発掘に関わってない古物商が30年後に言ったことを信じるって凄いな
まあこれくらいじゃないと九州説なんか支持するわけないわな

321 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:12:59.87 ID:+PrzYCkY0.net
>>317
大神(おおみわ)は奈良の氏族やな
それいうたら大倭氏もあるし、どうもならんわ

大神朝臣自体は奈良からの流れ氏族

322 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:13:14.26 ID:zX5ZhAOw0.net
>>311
そんなアホ知らんがな

323 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:13:58.49 ID:zX5ZhAOw0.net
>>273
ただの妄想。
はい、論破w

324 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:14:35.62 ID:zX5ZhAOw0.net
>>267
涙拭けよウソつき近畿パーww

325 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:15:44.89 ID:ESLDsiXA0.net
邪馬台は徳島やで
くなは四国中央の宮内 いよは伊予
天皇は美馬郡の字天皇出身だから
空海さんはお遍路コースに邪馬台ゆかりの土地をあえてはずして、結界をつくったんだよ。
剣山はソロモンて、四国最高峰だと目立つから頂上削って石鎚に負けさせた。剣山なのにとんがってないのが証拠。

326 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:15:51.45 ID:zX5ZhAOw0.net
>>243
いくらでもある。
はい、論破w

327 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:16:21.10 ID:zX5ZhAOw0.net
>>243
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。

しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。

つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。

はい、論破w


 

328 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:16:58.80 ID:zX5ZhAOw0.net
ほぼ小保方擁護と同じだな近畿パーは
もうただ言い張るだけww

329 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:17:55.67 ID:zX5ZhAOw0.net
    
吉武高木遺跡って

最古の王墓かも知れないっつって

三種の神器の最古の出土があることも認めて

その上で掘り返して埋めて、真上にただの一車線の
糞みたいにどーでもいいド田舎の農道通してんだぜ?

九州の王朝と、近畿の王朝と

まるで無関係なの行動でまるっきりゲロってるだろが。

隠してるつもりか?

ただなんでもトボけてりゃいいってか?

猿だろw



 

330 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:18:51.42 ID:zX5ZhAOw0.net
倭国は九州。
近畿は日本。
別の国。

はい、終了w

331 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:19:03.66 ID:yjDSp0sY0.net
>>300補足
のちの大連・物部氏の故地が福岡県みやま市瀬高町太神にある「こうやの宮」と呼ばれる場所
正式名称は磯上物部神社
久留米の高良大社にある高良記天慶神名帳に「礒上物部神(いそのかみもののべしん)」と書かれている

そこには5体の神像が祀られていてそのうちの一つが手に七支刀を持っている
明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた
物部氏の像と考えられており、物部氏が九州出自の氏族であることを示している
カバネが臣ではなく連なのもこのためだろう
https://stat.ameba.jp/user_images/20190526/11/kenbuncho2017/1b/e2/j/o1475087514416523027.jpg

そしてこの磯上物部神社のある場所こそまさに筑後国山門郡にあたり、邪馬台国があった場所と考えられる
地名の太神(オオガ)は古代にはオオミワと読まれていた
明らかに畿内大和の祖型となった地である
https://lunabura.exblog.jp/25416518/
>この地の旧名は筑後国山門郡太神村で、『倭妙類聚抄』には「太神郷」と出てきます。
>「山門」には「夜万止」(やまと)、
>「太神」には「於保美和」(おほみわ)と読み仮名がついています。

332 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:19:38.99 ID:f9iqhafp0.net
>>44
記紀には人名にも地名にもトヨの字が多く出てくるが、魏志倭人伝の
「台与」がその音を写したものとすれば、後代に「豊」の漢字をあてはめた地名は北九州に
ずっと以前からあったものとみなければならない。ツクシが奈良朝期にできた九州の広い呼び名で、
豊の国がその中の狭い地域の呼び名であったことから、豊のほうが古い名であり、

大化後の行政区画である豊みやこ前豊後のうち、豊前がその原体である。
それも豊前平野を占める京都郡(旧仲津郡を含む)が中心であったことは、従来史家の
いずれも認めるところである。
これが豊前の地名の東漸であることは、ツバキ市に関連する古地名が長門、周防、阿波、因幡、伊勢の
径路に分布していることでも知られる。地名の移動が民族の移動に付随することは、アメリカにおける
イングランド移住民の故郷地名の例をまつまでもない。

333 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:21:05.99 ID:EvHqIQna0.net
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林多く良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す。魏の時に至って、三十ヶ国があり親しく交流す。
戸数は七万戸あり、男子は大人子供はみな顔と体に入れ墨を施す。

倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。

いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨し水魔を払う。

倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。

倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。
倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)

重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。

その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人は共に女子を立てて倭国の女王とす。
其の名は卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。

晋書第九十七巻 『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰

334 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:22:16.33 ID:f9iqhafp0.net
>>331 物部氏が九州出自の氏族であることを示している

『隠された物部王国{日本ヒノモト} 民俗学者・谷川健一

かつて列島に併存していた「倭国」と「日本ヒノモト」
「日本ヒノモト」はいつ、だれによって併合されたのか

物部も九州から、遠賀川流域から来たんだよ 饒速日とか

東遷は2回あった 谷川健一がいってるように

335 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:23:59.43 ID:zX5ZhAOw0.net
ちゃんと反論して見ろよクズ近畿パー
またコピペかじゃ反論じゃねーんだよカス

336 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:24:13.89 ID:zX5ZhAOw0.net
>>243 
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。

しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。

つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。

はい、論破w


 

337 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:24:27.32 ID:zX5ZhAOw0.net
     
吉武高木遺跡って

最古の王墓かも知れないっつって

三種の神器の最古の出土があることも認めて

その上で掘り返して埋めて、真上にただの一車線の
糞みたいにどーでもいいド田舎の農道通してんだぜ?

九州の王朝と、近畿の王朝と

まるで無関係なの行動でまるっきりゲロってるだろが。

隠してるつもりか?

ただなんでもトボけてりゃいいってか?

猿だろw



 

338 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:24:49.96 ID:zX5ZhAOw0.net
 

倭国は九州。


近畿は日本。


別の国。


はい、終了w


 

339 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:24:56.12 ID:+PrzYCkY0.net
>>325
あー、劔山

重要だけど違うんだなwwww

340 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:25:24.32 ID:R+3uDxb20.net
九州説のやつって、学者を揃って同じ説を唱えても信じない
でも古物商の言うことは信じる
カルト宗教の信者と変わらんw

341 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:26:32.42 ID:U669pDtq0.net
う〜ん、
地形から背後に山がないと防御が難しい。
大平野があって治水がよくて遠征の拠点なら
もう場所が限られてくる

342 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:29:00.83 ID:yjDSp0sY0.net
>>321
>>300のとおり、オオミワはもともと筑後山門にあった地名

大倭氏の祖である宇豆毘古は尾張氏と同族で、安曇氏と同祖氏族になる
だから尾張氏も連姓だし、倭氏で出世した人も連姓になった
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/倭国造
>倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。
>天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。
>一般に綿積豊玉彦の孫とされ、神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる、海人族の一族。

343 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:29:41.34 ID:fBiUkIZ4O.net
「日本(ひのもと)」は近畿などではなく、もっと東の地域だと思うよ
「日本中央」の石碑が青森県に有ることからも伺える

まあ、「倭国」と「日本」が別の国だった点には同意する

344 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:30:04.28 ID:zX5ZhAOw0.net
>>340
早く反論して見ろよウソつき近畿パー



 

345 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:30:18.59 ID:iYHy4xu80.net
倭 → 大倭
伊都 → 大伊都 →大分

346 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:30:28.56 ID:m1bM8EdB0.net
桜井の茶臼山古墳も黒塚古墳も九州様式なんだよね
まぁ、何かしら関係があったんだろう(東征したとは言わない)

347 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:30:52.10 ID:/dpK1PJ40.net
魏志倭人伝を素直に読めば邪馬台国は沖縄周辺だと思うがな
九州北部説も近畿説も無理がある

348 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:30:59.06 ID:zX5ZhAOw0.net
>>340
カルトはお前だよウソつき近畿パーw

349 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:31:49.04 ID:Ge3jx1YH0.net
逃げ回って無いで反論して見ろウソつき近畿パー




 

350 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:31:53.40 ID:LURZC/RM0.net
>>314
意味不明だな。
どちらもつかずなんだけど
状況証拠て何があるの?

351 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:32:23.54 ID:yjDSp0sY0.net
>>342
安価ミスった
オオミワについては>>331

352 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:35:16.27 ID:z1f9k6t00.net
て言うかその頃本州は完全にアイヌの勢力下にあったんだから九州以外あり得ないっつうの

353 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:35:23.20 ID:azoe4pqg0.net
>>331
物部の故郷が筑後山門なのか
じゃあもうそこが邪馬台国で決まりくさいな
>>93はそれも知っててそうしたんだろうか

354 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:36:16.72 ID:m1bM8EdB0.net
>>231
東遷したかどうかはともかく、大和との関係性が良好だったから博多−壱岐対馬−伽耶ルートで大陸と行き来できたんだろうな
筑前風土記などの怡土のイトデが神功皇后を親類として歓待した記録を信じるなら、卑弥呼と同族だった可能性はある

355 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:36:58.02 ID:R+3uDxb20.net
>>350
記事読めば書いてある

356 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:39:48.72 ID:zX5ZhAOw0.net
まあ猿だな
人間じゃ無いね
猿だ猿

357 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:39:53.60 ID:LURZC/RM0.net
>>340
説だからね。
九州・近畿説も何をもって決定となすのか?
学者て何人もいる。

358 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:43:13.76 ID:wqiL8vMp0.net
>>342
倭国造って大和地方の長官だろ?
それが九州の海人族出身って、どうみても東征の結果だよねそれ

359 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:43:27.86 ID:h4S4PmZ20.net
巻向村からは穴っぽこと桃の種しか出てないからな、
これで卑弥呼の宮殿発見となるんだから、凄いね頭。

360 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:43:45.71 ID:zX5ZhAOw0.net
>>357
畿内説は否定証明完了済みだよ猿>>336

361 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:44:32.96 ID:iYHy4xu80.net
なぜ九州と畿内の二択でしか考えないの?
バカだから?

362 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:44:34.15 ID:zX5ZhAOw0.net
>>358
いやそれよりうんち食えよ猿

363 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:44:57.82 ID:zX5ZhAOw0.net
>>361
畿内説は否定証明完了済みだよ猿>>336

364 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:45:25.15 ID:Ge3jx1YH0.net
>>361
お前バカで猿じゃんw

365 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:46:12.85 ID:WRGdJ6Po0.net
>>300
卑弥呼を共立した北部九州諸国の王が臣で、邪馬台国の官四人衆が連になったみたいな感じか
連が九州出身多数っていうのはやっぱり東遷あったのかな

366 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:46:24.73 ID:m1bM8EdB0.net
>>340
どっちの説にしろ、論証しないで妄想垂れ流す奴とか延々罵倒だけやってる奴は無視するのが一番w

367 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:46:37.90 ID:DzELZv/E0.net
>>177
画文帯神獣鏡出土数
湖北省(長江中流域)86枚、浙江省(長江河口域)46枚、
福岡県4枚、熊本県7枚、宮崎県10枚、岡山県6枚、香川県8枚、
兵庫県11枚、大阪府16枚、京都府15枚、奈良県24枚、千葉県4枚

弥生時代鉄鏃出土数
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3

368 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:47:07.17 ID:Ge3jx1YH0.net
>>366

逃げ回る猿ww

369 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:47:30.16 ID:Ge3jx1YH0.net
>>366
畿内説は否定証明完了済みだよ猿>>336

370 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:48:06.80 ID:c+vfeCeV0.net
邪馬台国は魏の人が手柄を捏造する為にでっち上げた妄想の国
実在しない

371 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:48:29.47 ID:M8nxRZze0.net
>>357
大学関係でまともに邪馬台国なんてやってる人はもう居ない
邪馬台国爺から金を巻き上げるのに時折発信してる自治体があるだけで
今の主題は邪馬台国がどう大和朝廷に成っていったか
当然九州にあるなんて考えてない

372 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:48:43.33 ID:Ge3jx1YH0.net
>>370
実在しないのはお前だよ猿ww

373 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:48:45.02 ID:zGdRsK810.net
>>353
そうなると>>93の地図は正しそうだな
意外と小さい気もするけどまあ当時ならこんなもんか

374 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:48:52.26 ID:Stsxxmwb0.net
邪馬台国があった頃、大和朝廷もすでにあったんだよな?
古事記、日本書紀に邪馬台国が一切出て来ないのはなんでなんだ?
匂わせてる部分てあるん?

375 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:49:06.41 ID:Ge3jx1YH0.net
>>371
涙拭けよ猿ww

376 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:49:16.75 ID:ttWU2PHr0.net
長渕剛はよ

377 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:49:37.64 ID:Ge3jx1YH0.net
>>373
ザックリとは正しいけど細かいとこ沢山間違いがある。

378 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:51:24.82 ID:zgdnuhCL0.net
>>331
>そこには5体の神像が祀られていてそのうちの一つが手に七支刀を持っている
>明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた

えっ、何これめっちゃ凄いじゃん
どうしてもっと話題になってないんだ?

379 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:51:37.74 ID:zX5ZhAOw0.net
>>336
>>337

こんなもんで反論不能で崩壊するんだぜ畿内説って。




 

380 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:53:02.04 ID:m1bM8EdB0.net
>>371
まぁ大体そんな感じだな
ただ、北部九州や出雲との関係性は未だに議論が分かれるようで
個人的にはこの頃には既にゆるい同盟関係があったと思ってはいるけど

381 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:53:32.60 ID:zX5ZhAOw0.net
>>380
涙拭けよ猿ww


 

382 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:53:44.12 ID:zX5ZhAOw0.net
>>336 
>>337

こんなもんで反論不能で崩壊するんだぜ畿内説って。




 

383 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:54:07.03 ID:heg2em2o0.net
古樹紀之房間
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/

384 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:55:47.78 ID:m1bM8EdB0.net
>>300
俺も畿内の土着勢力は共立された勢力に従ったという説に賛成だな
九州から来たという確証はないけど、少なくとも何かしら関係はあったのだろう

385 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:56:09.48 ID:Qc811JHj0.net
投馬国は殺馬国の誤字。
帯方郡から邪馬台国まで水行10日+陸行1日(月→日の誤字)
帯方郡からサツマノクニまで狗奴国(熊国)が途中にあって邪馬台国から陸行出来ないから海行20日。

386 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:57:28.46 ID:f9iqhafp0.net
>>337
ヤマトという地名も北部九州から移った

考古学者・森浩一、最後のインタビュー(足立倫行「倭人伝、古事記の正体」2012)

伊都国の平原古墓は、すべての銅鏡が破砕して墓に埋納されていたことで有名ですが
奈良県桜井市の前期の外山茶臼山古墳でも、2009年の再調査で、実に81面の
銅鏡が埋納され、ことごとく破片だったことがわかりました、2つの墓は
100年ほど年代が隔たっていますが、弥生時代の近畿には墓へ銅鏡を入れる風習も、
その銅鏡を割る風習もなかったことを考えると、北部九州の強い影響は明らかです

また「魏志倭人伝」では、中国人が倭地の朱や丹に関心を持っていたことが記されていますが、
伊都国の平原古墓や井原鑓??溝古墓では棺の中に大量の朱が使われました
近畿でも、前期の前方後円墳では遺骸の周囲に朱を撒くことが知られており、
奈良天理市の大和天神山古墳では約40キロもの朱がキビツに埋納されていた
これなども、北部九州からの風習の伝播でしょうね
そもそも、ヤマトという地域名、いずれ国名になる名称自体が北部九州からの東遷の結果です

387 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:58:37.41 ID:1G5c7tre0.net
スレタイの
卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」が熊本に?の?は不要。
卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」は熊本にあった。と書くのが正解。

388 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:59:43.41 ID:NNRAIy/70.net
>>331
>明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた
あれ?石上神宮の宝物庫かなんかにずっとあったんじゃねえの?
と思ってたら埋まってたんだな
剣と一緒に勾玉が出てきたらしいが鏡は無かったんだろうか?

https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2901F_Q4A630C1AA1P00/
>石上神宮は古代、ヤマト政権の武器庫で、軍事を担った物部氏が祭祀(さいし)を司(つかさど)っていた。
>主祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、東征の際に神武天皇を助けた剣「●霊(ふつのみたま、●は音へんに巾の上に一のつくり)」に
>宿るとされる。以前は本殿はなく、神体は境内にある霊域「禁足地」に埋納してあるとの伝承があった。

>菅政友は、その禁足地を「盗掘を防ぐ」名目で明治7年に掘り起こし、勾玉(まがたま)などと共に剣を発見。
>「これぞ●霊」とされ、大正時代に本殿を建立して奉斎している。

389 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 18:59:43.84 ID:m1bM8EdB0.net
ただ伊勢遺跡等との連続性を考えると、畿内に王権が移ったのは卑弥呼よりかなり前の時代だと思うがな
卑弥呼の時代は既にヤマト王権初期だし、鏡の配布元の移動がそれより前なので

390 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:00:21.34 ID:xrengvA/0.net
邪馬台国が、どこかなんて日本に文字がない時代のことなんだから
永遠に謎なんだよ
問題の本質は3世紀前半に倭がどこまで勢力を広げていたか?だろ
どうみても奈良!

391 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:01:33.08 ID:oHpMqxtr0.net
>>374
吉備あたりから女児を連れてきて卑弥呼の親戚と言い張って
後見人を気取った(248年)のがヤマト背のり王権の始まりなのでダンマリです

392 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:01:46.85 ID:R+3uDxb20.net
ダンワラ古墳の発掘に関わってない古物商が、30年前に日田の古墳から出たものだ、と言って鉄鏡を売った
普通の人は、古物商がそんなことを知りえるはずがないと疑う
考古学者が古墳の出土品を調べた結果、みんなおかしいと考えてる
当時の発掘関係者の証言とも矛盾する

それでも九州説信者は、古物商の言ったことが正しいと信じる
この思考回路は理解できんw

393 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:02:31.30 ID:minF3MLb0.net
これは九州で確定だね!

394 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:02:54.05 ID:zX5ZhAOw0.net
>>336  
>>337

こんなもんで反論不能で崩壊するんだぜ畿内説って。





またコピペかうんたらかんたら


395 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:02:55.45 ID:M8nxRZze0.net
>>374
400年前の話だぞ
文字の無い時代
今で言えば関が原の頃

396 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:04:52.99 ID:m1bM8EdB0.net
>>374
卑弥呼は百襲姫とか神功皇后とかに比定されることが多いな
纏向の祭殿は笠縫邑に築かれたといわれる斎宮の可能性もあるし

397 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:10:19.24 ID:LYccFmKp0.net
>>374
その頃まだ大和朝廷なんて無いよ
魏志倭人伝よりも後の時代に邪馬台国が東遷して大和朝廷になった
だから皇室の譜代の臣は九州出身ばかり(>>300,>>331,>>342など)

特に>>331の、筑後の山門にいた物部氏が大和朝廷で大連を務めたというのはほとんど決定打と言っていい

398 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:11:21.34 ID:mnj3zKH50.net
鹿児島と熊本南部は顔つきが違う人が多い
アジア人ぽくない

399 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:15:41.51 ID:rTie3gRL0.net
>>389
東遷があったとするなら、九州から来た大和朝廷は当然鉄の重要性を認識していたはずだから
>>97>>100のように鉄が畿内に来てない3世紀まではまだ東遷していないだろうと思う
4世紀の初めくらいが東遷の時期じゃないかな

400 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:16:23.64 ID:xrengvA/0.net
まともな畿内説派は九州から稲作や文化が広まった事を否定しない
ただ縄文時代には、すでに文化のあった日本で
倭の支配地域が北九州限定なわけがないという事

401 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:16:49.45 ID:f9iqhafp0.net
>>400
近畿のヤマト王朝も、狗奴国出身

近畿の古墳の石棺のピンクの石って熊本産なんだろ?
これこそ東遷の証拠じゃねえか
おまえら、嫌いな国の、地方の産物に囲まれて死にたいと思う?

九州以外で確認された阿蘇ピンク石(馬門石)の石棺  5世紀後半〜7世紀前半(築造年代は推定)
〈1〉岡山市・造山古墳 〈2〉大阪府藤井寺市・長持山古墳 (伝・允恭天皇陵陪塚2号棺)
〈3〉大阪府羽曳野市・峯ヶ塚古墳 〈4〉奈良県天理市・鑵子塚古墳 〈5〉奈良県桜井市・兜塚古墳 〈6〉桜井市・慶雲寺
〈7〉桜井市・金屋ミロク谷 〈8〉岡山県瀬戸内市・築山古墳 〈9〉奈良市・野神古墳 〈10〉滋賀県野洲市・円山古墳
〈11〉野洲市・甲山古墳 〈12〉大阪府高槻市・今城塚古墳 〈13〉奈良県天理市・東乗鞍古墳〈14〉奈良県橿原市・植山古墳

・なぜ、大王のひつぎという重要な石棺に、九州のピンク色の石が使われているのか?
関西でとれる石ではなく、わざわざ赤い石を熊本から運んで来た理由は何か?

阿蘇ピンク石石棺の謎は「何故、九州から遙か東方へ運ばれ、使われたのか」ということのほかにもまだあります。
 その一つに、地元の九州では石棺材として使われた形跡が現在のところ見つかっていないのです。

ここで石棺がある程度加工されて、近畿に運ばれて行ったそうです。
何せ古墳時代です。
この石を知っていたことも驚きだし、
あんな遠くまで運んでも、この石の中に眠りたかった情熱に驚かされます。

402 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:17:07.64 ID:2PXA00ib0.net
>>359
大規模な施設があるなら当然其れ相応の人口はあったと推測できるし祭事中心の施設なら卑弥呼と関係がある可能性は高いんじゃね

403 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:17:36.17 ID:rTie3gRL0.net
>>388
その禁足地をもうちょっと掘れば鏡も出てきそうな気がするね

404 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:20:20.31 ID:6Zhs37Lt0.net
>>388
百済から贈られた七支刀って宝物庫で保管されてなかったのか
土に埋まっていたとは、隠されてたのか
捨てられていたのか
歴史の謎があるな

405 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:24:39.84 ID:pQvvCS/oO.net
>>374
>>396
耶馬台国があった九州倭国と畿内の大和王朝は全く別の国だったからだよ

406 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:30:03.39 ID:ujNlPNS60.net
>>306 の続き

帯方郡(平壌の南)
狗邪韓国(順天、海 7千里)
対馬国 (対馬、海 千里)
一大国 (壱岐、海 千里)
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里)
投馬国  (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)


投馬国と邪馬台国は前のものと原文が違うと思われる
よって放射説も考えられる
ではその起点はと・・・・原文が違うんだから前の文の末廬国や伊都国(をもって来る訳にはいかない
よって投馬国と邪馬台国の起点となり得るのは帯方郡

407 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:37:20.59 ID:HCWpZMpg0.net
中国から、日田で出た鉄鏡あるやん、それ曹操の墓から出てきた鏡と同じやん。って言ってきたわけだろう。
さすがに決まりじゃん。

408 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:37:28.93 ID:q+Wo8spJ0.net
>>399
なるほど、じゃあやっぱり魏志倭人伝の邪馬台国は九州なんだな

409 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:37:47.29 ID:knJ5Ky9L0.net
>>401
莫大な金を使わせて権威を見せつけるのと弱体化狙いだろ
天下普請と一緒やん

410 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:39:49.10 ID:h4S4PmZ20.net
>>402
分らんことは 祭事にしとこう 考古学  ってね

穴と種から祭事が想像できるとは? トイレの穴かもしれない

411 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:39:56.76 ID:knJ5Ky9L0.net
>>407
5〜6世紀の古墳じゃなかったっけ?
どこかのタイミングで下賜された可能性がある

412 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:41:08.94 ID:WijHY2Wv0.net
>>409
じゃあ熊本の石だけにこだわる必要無いし
そもそも石棺なんていう神聖なものに
使用するわけないわな

413 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:43:43.33 ID:NkMlbGwG0.net
>>411
古墳って再葬もあるから
出土品と古墳年代は必ずしも一致しない
最初の埋葬時点で数百年前の鏡を
わざわざ下賜するのもおかしな話だしね

414 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:44:00.39 ID:HCWpZMpg0.net
>>411
使い回してただけでしょうw

415 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:45:33.11 ID:XhTaF48W0.net
>>411
下賜は無理筋
畿内の大王家にさえこれと同レベルの宝は無いから
地方の豪族が主家より良いものを下賜されるとかあり得んから

416 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:47:53.72 ID:knJ5Ky9L0.net
>>412
当時の人間じゃないから分からんけど
流行ってたら使うんじゃね?
まして今城塚古墳って継体じゃなかったか?
異例でもおかしくないと思うが。なんなら大和周辺の産物を嫌がりそうw

417 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:48:32.56 ID:uvf/Bp4i0.net
>>353
色々な要素から考えるほど>>93が正解のように思えてくるな

418 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:49:40.38 ID:ZnBfRe3n0.net
地元の大学が邪馬台国はここにってガンバってるだけの話

419 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:49:52.50 ID:DbIm+sHH0.net
名古屋かグンマーが有力視されてる
そもそも邪馬台国は大和国だからな

420 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:50:38.31 ID:HCWpZMpg0.net
これが畿内のどこかの話ならもう畿内論者は三日三晩のお祭り騒ぎだろう。
九州だと、怪しい、胡散臭い、スルーだしねwww
もうね、畿内ありきだからね。卑弥呼ちゃんの金印が出ても奴等は首をたてに振らないよwww

421 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:51:21.85 ID:m1bM8EdB0.net
>>401
九州と関係があった可能性はあるな
例えば応神天皇なんか出身地が福岡の宇美だしw

422 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:54:55.17 ID:I7UuznZ40.net
邪馬台国が朝鮮半島にあったという
説はないのか

423 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:57:15.64 ID:1G5c7tre0.net
北部九州の住民と関西の住民では民族が違うのは常識

424 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:58:59.60 ID:0Knp2CSb0.net
>>421
関係があった以上に
先祖からのしきたりを継承したという事だろ
九州王朝の文化を東遷して畿内に持ち込んだ
としか考えられない

425 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 19:59:19.07 ID:knJ5Ky9L0.net
>>413
おっしゃる通り、再葬もあるかもしれないし
いにしえの鏡を下賜することもあるだろうし
下賜された後に一族の宝としてたかもしれない

426 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:00:21.07 ID:m1bM8EdB0.net
>>423
そりゃまぁヤマト王権成立後に渡来人たくさん連れてきてるからな

427 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:01:03.85 ID:knJ5Ky9L0.net
>>420
金印こそ動くからなあ
本物は中国に返すわけだし

428 :国家社会主義ファシストの家ゲバ左翼 :2019/09/10(火) 20:02:47.14 ID:K1ocIotK0.net
ねえねえサヨ、これってサイエンスなん?

429 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:05:36.18 ID:4ydiQ+g+0.net
学会や専門家がまた素人に負けたのか

430 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:06:38.17 ID:ujNlPNS60.net
>>406 の続き
では日数計算だ
海千里が1日と推定できる
よって末廬国までで水行10日

0日 帯方郡(平壌の南)
7日 狗邪韓国(海 7千里)
1日 対馬国 (海 千里)
1日 一大国 (海 千里)
1日 末廬国 (海 千里)

431 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:07:57.32 ID:CD89+4C60.net
>>423
東遷で下戸遺伝子が畿内に持ち込まれた
日本の土着民族(縄文人)は明らかに酒豪遺伝子のほう

> 803 :名無しさん@1周年 :2019/09/09(月) 22:51:57.54 ID:jdTkdsc+0
> https://i.imgur.com/rqJbZDM.jpg
> 熊本から高知にかけてお酒に強い遺伝子が分布してる
> これが縄文人≒狗奴國じゃねーかな
>
> ちなみに下戸遺伝子は弥生人≒安曇族≒ヤマト王権だな

432 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:08:03.52 ID:HCWpZMpg0.net
>>427
桃の種はもっとあちこちに動くけどなw

433 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:09:10.22 ID:2PXA00ib0.net
>>410
作りや規模埋蔵物である程度推測できると思うが…

434 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:10:55.79 ID:ujNlPNS60.net
>>430 の続き
投馬国  (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)



末廬国までで水行10日を消費してるんだからこうなる
 ・投馬国は末廬国から水行10曰
 ・邪馬台国は末廬国から陸行一月

435 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:11:45.66 ID:zN6zpr0U0.net
邪馬台国の領土が広かったか、負けて逃げ延びた、もしくは別の国じゃね
捏造節が有力馬だと思うがw
あんな災害だらけの土地に都なんて造れるかw

436 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:12:05.91 ID:IA74tGIP0.net
九州説って凄いよな
日田の鉄鏡って出土状況があれだけ胡散臭いのに、古物商のセールストークを信用してるんだろ?

437 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:14:59.09 ID:IA74tGIP0.net
古物商が扱うようなものなら、まずは盗掘を疑うだろうに

438 ::2019/09/10(火) 20:15:32.78 ID:8OV9PAWZ0.net
>>301
古物商の作り話かどうかは知らんが、「日田ならありうる」と思わせるだけの
背景がある土地なのも事実だよね。
日田は畑氏が住む土地で(ムツゴロウの畑正憲さんもそうだ)、
彼らはおそらく秦氏の末裔だ。

439 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:15:53.01 ID:m1bM8EdB0.net
記紀などにもある通り大王はあちこちに行幸したり遠征したりしているので、九州に宮や陵がないとも言い切れないんだよな。神功皇后なんか特に

440 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:16:43.35 ID:BsH6+kaY0.net
>>93が結論なの?なんか普通だね
まあ事実ってそんなものかもしれないけどさ

441 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:17:04.65 ID:8AF1tlTX0.net
これはニュース速報スリーですか。

442 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:17:08.44 ID:m1bM8EdB0.net
>>440
お前は何回自演するんだよw

443 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:18:00.68 ID:BsH6+kaY0.net
>>442

何言ってんのこの人?

444 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:20:16.59 ID:8AF1tlTX0.net
卑弥呼って漫画読んだ?なかなか面白いよ。なんで学者より漫画家が真実をついてるんだ?

445 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:20:45.84 ID:qijZym7t0.net
奈良の天皇陵を盗掘したのが古物商に流れたんちゃうの?
そりゃ出どころを正直に言えんでしょ

446 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:20:52.02 ID:cEFkHt600.net
奈良の古物商が京大の先生に売り付けるのに日田で見つかったと嘘を言うの?
奈良で見つかったと言った方が価値が上がりそうだけど

447 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:20:52.63 ID:zyrpgziC0.net
匈奴みたいな名前

448 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:22:22.32 ID:HCWpZMpg0.net
94年に重文に指定されたのに、なんか俺たち考古学者は凄いんだぜの畿内論者は
その鉄鏡がこんなに凄いってわからなかったんだよねw
切ないねw

449 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:30:38.20 ID:0UNNF55/0.net
>>422
あるよ。
半島南端の加羅(任那)は、皇室の祖先でもあり、文化的にも共通、前方後円墳も
ある。民族的に同一だっただろう。海の民=天一族。
鉄器、土器、農耕技術など、完全に同じ経済文化圏で、それに比べたら畿内は異質
すぎて同じ国と思えない。

大和王権も、じゃあなんで三種の神器なの?ってね。神話に銅鐸なんて出てこない。
そもそも、神武は即位の記述は無い。やたらリアルなくせにね。当然三種の神器も
継承していないことになる。では、ニニギの神器はいつ誰が継承或いは盗んだか?

それはともかくも、いくら日本書紀で捏造しても、焚書しても、初代が筑紫から来
たという事は隠してない。当時まだ、「遠の朝廷」の記憶を消し去ることはできな
かったんだよ。当時の海運力を考えれば、九州から巨大な石を運ぶのは国家プロジ
ェクトレベル。しかも、死闘の末筑紫の君からようやく長門までを領土とした継体
が何故宿敵の九州から石を運ぶ必要があるのか。

地政学的にも、奈良は未だに田舎であってw 記録に残る倭人の海人文化がなんで
奈良盆地の最奥地に花開くのか。神武の軍団は鯨の歌を歌ってるけどw
首都になったのは、奈良、京都、鎌倉、江戸。戦国時代は安土、大坂。奈良以外は
必ず水運が伴う。大和ヤマト言ってる連中も、その後二度と日本の中心に返り咲く
ことがなかったのをどう思ってるんだろう。
そして、福岡は、今でもエリアのセンターであり、国境を越えて韓国や中国からの
流入も多い。現在の都道府県別外国人人口は、福岡9位、奈良は31位w

いい加減、科学的に物事を考える習慣を付けたらどうだい、畿内説馬鹿の皆さん。

450 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:32:48.75 ID:m1bM8EdB0.net
正直、中国行くと出土品の贋作がたくさん売ってるから非常に胡散臭いんだよな
書画関係でもまずは疑ってかからないと危険が危ないというw

451 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:33:30.64 ID:+PrzYCkY0.net
>>436
桃の種より信用できるわw

452 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:33:31.35 ID:p/yKJCZ+0.net
https://i.imgur.com/RtbiWPS.jpg
https://i.imgur.com/skvii9Q.jpg

453 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:35:03.68 ID:m1bM8EdB0.net
>>449
伽耶のは安曇などの根拠地だろうな。弥生中期から倭人の痕跡があるから頻繁に行き来してたんだろう
ただ、あくまで根拠地であって半島南部が全て倭人だったわけではないようだ

454 ::2019/09/10(火) 20:35:29.78 ID:8OV9PAWZ0.net
>>450
日本には「開運!なんでも鑑定団」があって良かったw

455 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:41:15.10 ID:BsH6+kaY0.net
>>242
なんだもう民族大移動の跡まで見つかってるのかよ
完全に九州で決まりじゃん

456 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:51:45.22 ID:h4jFy5/B0.net
魏志倭人伝は、漢人による九州地方の調査報告書のようだ。
その頃、倭人は本州にいくつものもの国を形成していたのだから手抜き調査やな。

457 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:55:12.68 ID:IA74tGIP0.net
日田の鉄鏡なら、中国で見つかった三角縁神獣鏡の方が遥かに信憑性があるわ
両方とも古物商みたいなのから買ったものだが、中国のは最初の発見者に経緯を聞いたようだし、
発見から入手までの年数が短い
発見された経緯を公にできないのは、やっぱり盗掘かなあ

日田の鉄鏡は、30年も経過してるし、ダンワラ古墳の発掘に携わった人が
実際に出土したものを須恵器に入れたと述べた文書もある
須恵器に入る程度の大きさしかなかったということは、鉄鏡とは別のものということ

458 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:56:01.43 ID:0UNNF55/0.net
畿内説の自称学会の皆様は、とにかく説明が嫌いなんだよね。
例えばなんで記紀で神武が九州から来たか、誰も説明しない。
なんで三雲や平原が日本一豪華なのかも説明しない。
なんで三種の神器が玉と剣と鏡かの説明もしない。
漢の伊都国王の金印がなんで福岡から出るのか、いろいろと変竹林な
説明しか無いw

とにかくその口から出てくるのは「マキムクガー」「ハシハカガー」
「モモガー」で、いきなり結論は「だから大和しかあり得ない」w

もの凄いよねこれって。桃ってなんだよwwwww

別に巻向が聖地でも、日本中から集まった人が共立女王を祀ったって
全然構わない。でも、じゃあなんでそれが倭人伝の邪馬台国と卑弥呼
かって。それを繋げる理屈は何も無い。これってゴッドハンド藤村の
手口と全く同じ。「あっこれは!」「ええっ(何か分からんけど偉い
さんが言うから)凄い!」
京大の碩学か橿原研究所の偉いさんか知らんけど、こんな稚拙な欠陥
を放置しておいてやれ九州説はキチガイだの学会は無視だのと、やた
ら権威ぶるんだよ。低脳の奈良大出身とか教委の埋蔵土方とか、頭悪
い連中をミスリードしやがってジジイ共。

キチガイはどっちだよって。小学生でも分かるわ。

459 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:58:17.75 ID:IA74tGIP0.net
>>451
難癖?
桃の種の出土に疑わしい点があったとは初耳だが
九州説が得意な捏造か?

460 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 20:59:38.44 ID:+PrzYCkY0.net
>>459
桃の種!すなわち鬼道!!!

まやかしやーまやかしやーwwww

461 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:01:37.94 ID:Bg7pc57A0.net
>>93
前スレから見てるが、どうやらこのスレでも誰も反論できないみたいだな

462 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:05:40.13 ID:8700NBMU0.net
>>459
どうして土壌の有機酸によって汚染されているのが明らかな資料を使ったの?
種の中身を使えば汚染されていないのに

120 :名無しさん@1周年 :2018/12/10(月) 20:14:00.58 ID:20pAzCG90
>>85
桃核ってのは桃の種のことであって、種の中身の"仁"ではない
報告書にはナイフで切り出したとあるから種の表面部分を測ってる
ゆえに土壌由来の有機酸による資料汚染は免れない
桃核の入ったツボは土中から出てきてるからな

http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-6.pdf
> モモの核試料の年代測定のための試料調製は中村(1999;2006)による。その概要を以下に述べる。
> 分取されたモモの核につき、ナイフを用いて核から数ミリ角の小破片を切り出した


土壌由来の有機酸による汚染の説明
土器付着炭化物についての文章だが、炭化した桃核の表面も同じこと
http://arai-hist.jp/lecture/13.1.26.pdf
> しかも、炭化物と言うのは、活性炭のイメージのように汚染物質を極めて吸着しやすい性質を持っている。
> その一方で、土器のまわりの土壌には古い炭素 14 年代を持つ腐植酸が豊富にある。
> 腐植酸というのは、樹木とか落葉が腐ってできた有機物質であるが、他の物質に非常に着きやすい性質を持っている。
> すなわち、比表面積が大きい上に、物を吸着しやすい土器付着炭化物と、物に吸着されやすい腐植酸の組み合わせなので、
> 汚染され易く、汚染を除去し難いのである。
> この腐植酸には、フミン酸(アルカリに溶けるが酸には溶けない)、フルボ酸(アルカリにも酸にも溶ける)の他に
> ヒューミンと言うアルカリにも酸にも溶けない物質がある。しかしこれらは定性的な表現であり、酸やアルカリの強さによっては、
> 除去し切れなかったり、逆に試料まで溶かしてしまったりして、その加減が難しい。

463 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:07:06.77 ID:w0qf1L6l0.net
>>458
曜変天目の奈良大はいかんわ
科学者としての基本がまるでできてない
ありゃゴッドハンダー養成所かなんかだな

464 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:07:17.74 ID:0UNNF55/0.net
関係ないけど、折角だからと三輪さん詣った帰りに巻向行ったけどさ、どこ見ても全然
何も無くてw
結構な予算つぎ込まれてるのに、未だにレプリカの建物ひとつ作れないのかって。
唐子でも楼閣や公園整備されてるのに、なんで「邪馬台国か」って(一部アホ)学者が
大騒ぎしてる巻向がなーんもないのよって、怒って帰った。てか怒ったのは家族だがw

結局兄弟学派と教委とマスコミ(特に朝日)のマッチポンプで、「邪馬台国利権」で
予算分捕ってるんだよね。発掘自体は悪いことじゃないけど、この構図は色んな意味で
非常に歪んでいて、非常に不健全。あいまいでもとにかく羅列的に歴史を教え込む教科
書を生んだ遠因でもある。

465 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:07:29.44 ID:b4Px/D7s0.net
ももの種は酒を作った残りかすだろうな。
だから直接かじったあとがない。

ついでに粉状のサバの骨は魚醤だろう。

多くの古墳築造労働者に振る舞うなら
むしろ必然と言って良い。

466 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:08:29.89 ID:NYydlld+0.net
豊丸とか小林ひとみは熊本なんか

467 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:08:54.90 ID:8700NBMU0.net
>>462関連

958 :名無しさん@1周年 :2018/12/12(水) 05:45:06.05 ID:UyESc2o50
>>925
>>902の資料でもやっぱり問題視されてるね
乾燥地帯のエジプトなら、森林国の日本より土壌の腐植酸は少ないと考えられるけど、それでも100〜300年も古く出るらしい

http://arai-hist.jp/lecture/13.1.26.pdf
> エジプト考古学では、第 3 王朝を前 2686 年頃〜前 2613 年頃、第 11 王朝を前 2133 年〜前 1991年頃、あるいはクフ王の生涯を
> 前 2589 年〜前 2566 年などと、精緻な年代観を持っている。これはシリウス星の観測記事をもとにして古代エジプト暦が復元されているからである。
> ところが、エジプト考古学における炭素 14 年代がこの古代エジプト暦よりも 100〜300 年古くでるため、永年にわたって論争が続いている。
> 図 3 と図 4 にその事例を示す。

エジプトを参考にして炭素年代が実際より中央値の200年ほど古く出ると考えると、纏向は西暦335〜430年か
旧来の年代観の方にぴったり一致するね

468 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:10:12.41 ID:Bg7pc57A0.net
>>462
(ノ∀`)アチャー

469 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:14:09.36 ID:0UNNF55/0.net
畿内馬鹿って文献学無視しておいてやたら他説の文献解釈には難癖付ける
んだよね。文献学にも歴史があって積み上げがあるのに、素人臭い断定と
か平気でぶっこんでくる。二言目には「物が全て」とか言って、埋蔵物偏
重のくせに。

でも、いくら気合い入れても所詮は桃wwwww
それで何が分かったんだい?税金分だけの値打ちはあったのか?ああ?

どこに金使ってんだよ馬鹿共。税金だって。税金。

470 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:18:16.11 ID:UDBj8Hxx0.net
>>55
ふと思ったんだが、この方位のズレって、沖縄に今も残ってる「民俗方位」ってやつじゃないのか?
真冬の季節風が吹いてくる方向を北にしてるってやつ。

北九州は冬には朝鮮半島から季節風が吹いてくる。
弥生時代の北九州人が北西を北と呼んでいたのなら、倭人伝に記載された方角は倭人的には「正しい」ことになるのでは?


沖縄の東西南北は、実際の東西南北とズレてる。
>>55

471 :470:2019/09/10(火) 21:19:20.75 ID:UDBj8Hxx0.net
ぐは、>>470の最後の2行は消し忘れだ。

472 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:23:57.56 ID:MYN1AcZh0.net
邪馬台国に「もうくんな」と言ったという記録が残っている

473 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:24:41.16 ID:7HqaFbnq0.net
>>462
うはwwwゴッドハンドする気満々じゃないすかwwww

474 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:24:51.64 ID:IA74tGIP0.net
>>462
C14年代測定を自分ではやったこともない新井が一般論でコンタミがあると書いて、
専門家批判をしてるだけだよな
新井が思いつく程度のことは、専門家は十分承知の上だよ
年代測定の前に試料の下処理をして汚染を除去していると書かれてるだろ
その下処理が不十分だというなら、それを批判すればいいのに、具体的な批判は何もない

測定結果からもグラフの大きな山は、どの試料でもほぼ同じ
いくつかの試料で、古い年代と新しい年代を示す小さな山があった程度だ
結果は下処理が十分であり、コンタミが極めて少なかったことを示している

しょうもない難癖はやめろって

475 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:25:59.10 ID:o3YBQrqH0.net
>>4
油田っていい方したら、秋田県が邪馬台国になる。

476 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:28:51.98 ID:8700NBMU0.net
>>474
いや手法にも疑義が呈されているが
しょうもない言い逃れはやめなよ

710 :名無しさん@1周年 :2018/12/11(火) 02:42:08.71 ID:nFlMeMDb0
>>120
なんか他にもヤベー事書いてあるんだけど
歴博wwwww

http://arai-hist.jp/lecture/13.1.26.pdf
>山本直人氏らの報告「濃尾平野における弥生後期〜古墳前期の炭素 14 年代測定と炭素安定同位体比」(山本 2003)によれば、
>平成 14 年度にパレオ・ラボに依頼して 23 点の炭素 14 年代の分析を行ったが、その内 19 点については前処理でアルカリ処理を行っていなかった。
>そのため、残試料についてアルカリ処理を行ったところ 15 点はアルカリに溶解してしまい、再測定が行えたのは4点のみであった。
>しかも、アルカリ処理を行ったことで表 9 に示すように、炭素 14 年代が95 年から 220 年、平均で 135 年も新しくなったのである。
>その結果からみると、土器付着炭化物の炭素 14 年代が古くでるのは、アルカリ処理の不徹底にありそうである。
>それよりも問題なのは 19 点の試料がアルカリに溶解して無くなってしまったことである。これでは、付着炭化物とは何であったのか問われる。

>土器付着炭化物がアルカリ処理によって溶解してしまう現象については、歴博からも報告されており(今村 2002)
>「われわれの経験では、土器付着炭化物の半数以上は、前処理の際のアルカリ処理によって殆ど溶解した」とあって
>一般的な現象と見ることができる。
>この点を補足するかのように、小林謙一氏の「土器付着炭化物を用いた年代測定」(小林 2006)に次のような記述がある。
>土器付着物以外は、ほとんど年代測定可能であるが、土器付着物については…………前処理後の重量は、平均して10パーセント程度で
>……測定できる試料は半分程度である。
>この記述と関連するのが、歴博におけるアルカリ処理の濃度である。一般的なAAA処理ではリットル当たり 1 モルの NaOH 溶液を使うのに、
>歴博では 0.1 モルを使っているのである。
>目的は試料の溶解防止であるが、これでは、正しい炭素 14 年代を保証することなどできるはずがない。
>本来ならば、土器付着炭化物こそ、より強力なアルカリ処理を必要としているはずなのに、本末転倒である。

477 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:29:29.07 ID:IA74tGIP0.net
>>462 >>473
おまえがやってることは、個人を特定できる状況でゴッドハンド呼ばわり
訴えられたら名誉毀損がなりたつぞ

478 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:30:34.43 ID:8700NBMU0.net
>>474
>測定結果からもグラフの大きな山は、どの試料でもほぼ同じ

>>467のとおり、それはコンタミが少なかったことを保証しない
残念だったな

479 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:31:01.80 ID:m1bM8EdB0.net
桃は西王母信仰なんかとも関係するし中国道教がらみなんだろうな
後の仏教のように、大陸由来の最新の祭祀として導入された可能性はある

480 ::2019/09/10(火) 21:31:08.81 ID:8OV9PAWZ0.net
>>470
なるほどなるほど。
正直、魏志倭人伝の方意とは関係ない気がするが、
「民俗方位」というのを初めて知ったわ。ありがとう。

>>472
「ふざくんな!」と怒ったのかも知れん。九州弁的には。

481 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:31:37.62 ID:8700NBMU0.net
>>477
事実を指摘されたら脅迫かね
つくづく畿内説というのはゴッドハンド体質なんだな

482 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:32:12.68 ID:IA74tGIP0.net
>>476
Aさんにイチャモンつけるために、Bさんの事例を持ち出すアホ

483 ::2019/09/10(火) 21:34:49.08 ID:8OV9PAWZ0.net
「いちゃもん」のイチャは「いちゃいちゃ」のイチャ。

484 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:36:22.64 ID:8AF1tlTX0.net
関東、近畿、九州と転勤してきたが普通に九州と思う。九州は遺跡も濃い。 畿内説の教授がムン大統領に見えてきた。

485 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:37:20.43 ID:IA74tGIP0.net
>>478
それ年代較正のことだろ
コンタミとは無関係

486 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:38:43.45 ID:8700NBMU0.net
>>482
歴博の体質の問題だ
イチャモンでもなんでもない

487 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:39:30.41 ID:IA74tGIP0.net
>>481
はあ?
論文には名前が書かれていて個人を特定できる
その上で、ゴッドハンド呼ばわり
普通に名誉毀損だから忠告したんだが、それを脅迫とはすごい思考回路だな

488 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:40:25.75 ID:8700NBMU0.net
>>485
>それ年代較正のことだろ
違います
残念でした

489 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:41:14.19 ID:PTgvxTYTO.net
そういやスタップ連中も訴えるとか言ってたな

ゴッドハンド連中は何か似てるな

490 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:41:36.27 ID:IA74tGIP0.net
>>486
ただのレッテル貼り
今回のは歴博は無関係だがな

491 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:43:49.56 ID:8700NBMU0.net
>>487
ゴッドハンドと呼んだのは>>473で俺じゃないが、汚染されていない資料を使う選択肢があったにもかかわらず
汚染が明らかな資料をあえて使うその体質はそう呼ばれても仕方あるまい

お前こそ上で日田の鉄鏡の件で古物商を盗掘者扱いしてるだろ
それこそ何の根拠もなく

492 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:45:27.42 ID:wT+dNNxV0.net
理論的に考えて日本で残された最古の書物が記紀であるわけが合い
記紀の正当性を疑われないために封印されているか破棄されたと考えるのが妥当。
しかし他国に残された史書と、考古学によってその牙城が崩れかかっている。
近畿説はその牙城の一角を守るべく、なんとかごまかそうとしてるに過ぎない。

493 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:47:18.33 ID:PTgvxTYTO.net
畿内説のダメ工作員を見ると安心するわw

494 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:47:58.62 ID:IA74tGIP0.net
>>488
年代が全体的に古く出るなら年代較正の問題だろが
何を言ってるんだか

495 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:48:18.79 ID:B4/35g/a0.net
>>462,467,476
やっぱり畿内説ってのは信頼性ゼロだな
科学的調査までこんなザマでは出した結論を信頼できる道理が無い

496 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:48:45.40 ID:WlXrz5LF0.net
>>461
九州の遺跡・出土品は、すべて

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた

「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡

ですが

497 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:50:06.74 ID:2PXA00ib0.net
こんな場所で勝ち誇っている時点で論も人格も人生も負けていると思うぞ

498 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:50:16.29 ID:8700NBMU0.net
>>494
一律ではなく100〜300年と非常に変動が大きいから校正の問題ではない
残念だったな

499 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:51:24.68 ID:WlXrz5LF0.net
九州の遺跡・出土品は、すべて

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた

「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡

です

500 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:53:10.63 ID:IA74tGIP0.net
>>491
名古屋大学と桜井市にメールしとくから、あとは先方がどう判断するかだ

おれは古物商が盗掘したなんて書いてないがw
おまえも訴えたければ訴えていいぞ

501 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:53:41.32 ID:PTgvxTYTO.net
畿内説が負けそうになったら全体のダメ出しかよw

この戦術のセコさw

502 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:54:52.46 ID:IA74tGIP0.net
>>498
桃の種は試料ごとにバラツキがないから、コンタミがなかったと言いたいわけだな
はい、終了w

503 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:56:04.01 ID:fbXY6Bqn0.net
このスレを見た限りでは>>93が一番俺の考えに近いな

504 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:57:39.35 ID:8700NBMU0.net
>>502
アホかよ
ロットによってまとまりがあるのは当然
やはり畿内説は知能が低いな

505 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 21:58:50.25 ID:RNOBAc020.net
昔からみんな知ってる

506 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:00:11.65 ID:WlXrz5LF0.net
大陸に一番近いから邪馬台国は九州だ
という、難しく考えない幼稚な思いつきが九州説

ところが九州は、

大陸に一番近かったために、紀元前から大陸と活発に交易し
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられてから150年間以上の間に残された遺跡と出土品だらけで

魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられてから、たった40年ぐらいしか存在しなかった邪馬台国の遺跡や出土品は特定できない

九州説が伊都国だといっている

糸島市の三雲・井原遺跡にしても

「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡なのか、
「親魏倭王」の邪馬台国の遺跡なのか、

全く区別がついていないのに

なんの証拠もなく勝手に伊都国の遺跡だと言い張っているだけ

507 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:00:32.12 ID:mmq/Dym00.net
俺、隠してたけど
実は卑弥呼のセフレだったんで
もう何千年も生きてるんだよね
当時も関鯖はご馳走だったんで邪馬台国が北部九州なのは間違いないよ

508 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:00:49.09 ID:O2q84TDM0.net
>>474
>年代測定の前に試料の下処理をして汚染を除去していると書かれてるだろ
>その下処理が不十分だというなら、それを批判すればいいのに、具体的な批判は何もない

下処理をしても落ちない腐食酸があると書かれているんだけど字が読めないんだろうかこの人

> この腐植酸には、フミン酸(アルカリに溶けるが酸には溶けない)、フルボ酸(アルカリにも酸にも溶ける)の他に
> ヒューミンと言うアルカリにも酸にも溶けない物質がある。

509 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:01:56.62 ID:Pd70ZuUZ0.net
九 州 厨 必 死 だ な w

510 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:02:35.38 ID:IA74tGIP0.net
>>504
はあ?
それなりのロットがあって、みんな同じ結果
これでコンタミを疑うってどんな屁理屈だ

511 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:02:39.08 ID:OQ/jNQv80.net
考古学的にも文献的にも邪馬台国は北部九州の小国の連合体で解決だな。

512 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:03:55.32 ID:8700NBMU0.net
>>510
同じ壺に入ってたものは全部同じロットだよアホ
検査のロットじゃなく資料のロットの話

513 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:04:28.11 ID:IA74tGIP0.net
>>508
コンタミがあると言いたいなら、グラフのどこに表れてるんだよ

514 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:04:51.32 ID:PTgvxTYTO.net
畿内説は詭弁術の基本であるチンピラ威圧攻撃を始めるなw

ほんと、これで勝手に自壊するもんなw

515 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:04:59.13 ID:8700NBMU0.net
>>508
そのとおり
酸でもアルカリでも溶けないものをなぜか完全除去したと言いはる畿内説は頭おかしい

516 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:06:49.51 ID:6ScKDYaN0.net
北部九州の連合が邪馬台国か、93なのかがわからない。北部九州は金持ち国であったのは確かだが、邪馬台国は八女かもしれんな。

517 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:07:29.68 ID:2DitdiV70.net
>>485
べつに年代較正の問題だったとしても、桃の種の年代測定結果が信頼できないことに変わりはないよね

518 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:08:52.00 ID:Taoy63JhO.net
しかし神武の嫁は新羅の邑のたたら姫だし、スサノヲは新羅の神だし秦は香春を祀るし神功は天日矛の系列で仲哀の子は神功に追い詰められて部下とあららかえり松原松原と歌い出すし。宮中祭祀じゃ韓こい韓こいと踊っとるし。外国人の話だわ!

519 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:09:48.05 ID:IA74tGIP0.net
>>512
どの試料も年代の下限がほとんど同じ
おまえのイチャモン通りのコンタミがあったと仮定しても、
下限が同じなのはそれが試料の年代の下限だ
残念でしたw

520 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:10:53.68 ID:STjktY850.net
>>431
>>242とあわせて考えると、やっぱり九州勢力が東に勢力を伸ばして畿内を征服したんだろうな
元々いた酒に強い人達は追い出されてしまったのか

521 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:11:08.65 ID:IA74tGIP0.net
>>517
なんで?
九州説に都合が悪いから?

522 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:13:02.07 ID:s8SYcyOM0.net
>>517
それな
結局実際より大幅に古く出るということに変わりはない

523 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:14:39.71 ID:8700NBMU0.net
>>519
同じ壺の中で同じ汚染源に触れていたのだから下限が汚染源によるものであってもなにも不自然はない
残念だったな

524 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:14:50.85 ID:IA74tGIP0.net
グラフに異常値が出てないのは、
新井が思いつく程度のことは、専門家は十分承知の上だったということ

525 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:15:38.16 ID:UQvrUFKv0.net
>>492
考古学は記紀とすごく合ってるよ。
天皇家が九州の文化を持っているというのも考古学と一致しているし、周辺国を征服していったのは、伊勢、尾張から始まり、吉備、丹波となっている。
考古学的にも、そこら辺の土器や祭祀が実際に大和に流入している。
大彦命が記紀の捏造でない事は稲荷山鉄剣で証明されたし、つまり欠史八代も実在する可能性が高い。
神功皇后がもらったとされる七支刀も実際に発見された。

526 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:16:28.37 ID:IA74tGIP0.net
>>523
理由になってない
おまえは桃の種が蒸発して消えたと荒唐無稽な話を作ってイチャモンつけてるのと同じ

527 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:18:05.77 ID:4Y3t0Mj+0.net
>>123
これの通りだね

> 244 :名無しさん@1周年 :2019/07/26(金) 15:34:06.93 ID:1O3R9XNh0
> 当時の経済活動の状況を見れば、畿内は外野であることは明確である。
>
> ■魏志韓伝より
> 國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
> (国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
> 諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
> また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
>
> ■重要事項
> ・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
> ・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
> ・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
> ↓鉄の出土状況
> https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
>
> ■推測されること
> ・畿内政権は鉄を取りに行っていない
> ・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
> ・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
>
> ■結論
> ・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
> ・一大率は畿内政権とは無関係だった
> ・畿内は倭国ではなかった
>
> ■裏付け
>  纏向遺跡の出土土器に九州産や半島産が含まれていない
>  もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
> 「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
> (開き直りw)

528 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:18:58.24 ID:ujNlPNS60.net
BC770年 春秋戦国時代
 │
BC221年 秦(キングダム)
 │
BC206年 漢(項羽と劉邦)
 │
184年 三国時代(三国志)
 │ ←────────────卑弥呼
265年 晋
 │
439年 南北朝(蘭陵王)
 │
589年 隋
 │
618年 唐

529 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:20:05.42 ID:UQvrUFKv0.net
大国主と越のぬなかわ姫が結婚したが、実際に四隅突出型古墳は出雲と越で共通する。
越は出雲の支配に入ったことが分かる。

530 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:20:25.40 ID:4Y3t0Mj+0.net
>>525
問題は時代が合ってないことなんだよ
つまり記紀では紀元前660年に大和朝廷ができたことになってるけど考古学的にそれはあり得ない
鉄器の分布を見てもどう見ても魏志倭人伝より後になってから東遷が起きてる

531 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:23:45.18 ID:NoC174Cu0.net
>>527
やはり畿内は何もないド田舎だったのか
九州人によって文明化されたんだな

532 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:24:09.97 ID:UQvrUFKv0.net
>>530
時代は詐称しているが事績はだいたい事実にもとづいて脚色しているように思う。

533 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:27:05.12 ID:0gdPNiWn0.net
>>476
業者にやらせてろくな値が出ないのは常識。測定不適で装置にかけられなかったら、金が取れない。
それにパレオラボは、社員が大学の客員になってとった科研費使って、営業しかけるとんでもない会社。はじめは科研の研究のふりして近づいて、ただでやってあげて、続きはわが社に発注してくださいだって。

534 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:27:35.16 ID:/GziRrhN0.net
>>532
逸話の元になった事実は何かあったんだろうね
ただそれが記載されている年代と合わないので、記紀を根拠にこの古墳があの天皇だからこの時代
とか言い出す畿内説の人はどうかと思う

535 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:30:37.63 ID:IA74tGIP0.net
>>527
その鉄デマのコピペ、何度も嘘デタラメ捏造を指摘されてるのに、
同じものを貼り続けるのは騙すつもりなのか?

536 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:32:16.02 ID:ujNlPNS60.net
>>528 の続き
卑弥呼より400年前、項羽と劉邦
垓下の戦い
https://www.youtube.com/watch?v=lF37YlQfgMo
項羽が負けて楚が滅ぶ訳だから当然ながら多くの難民が海を渡って日本に辿りついたと思われる

537 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:33:10.26 ID:z7xnLgMF0.net
>>531
等と意味不明な供述を繰り返しており、大伴旅人達にど田舎左遷唄を詠まれ
大和どころか近代まで琉球に朝貢してた糞雑魚九州男児()精神鑑定を急ぐとの事です。

538 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:33:40.02 ID:2PXA00ib0.net
>>528
中華滅びすぎじゃね

539 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:33:40.34 ID:UQvrUFKv0.net
>>534
いや年代まで根拠にしてないと思うよ。

540 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:33:44.84 ID:0UNNF55/0.net
>>506
そうだよ。今のところ確証は無い。
でもさ、お前さんはそれで何か言ったことになってるつもり?

これだけの規模の王墓が当時ただの辺境の村に過ぎないとは言えないよね?
それと、大陸に近いから九州って、お前こそ幼稚だろ?
近いってことは、それだけヤバいんだよ。それまで朝貢したかもしれない
公孫が滅亡し、中華世界の拡大と周辺への文化的政治的に多大な影響を
与えた三国の角逐、琉球への奴隷狩り、吉野ヶ里の海からの敵への要塞化、
等々。半島とも共通するルーツを持ちながらも時に敵同士にもなっただろう。
鉄も喉から手が出るほど欲しい。遠くからの強大な敵と、近くの近親憎悪。

卑弥呼が遙か魏の都まで印綬を求めたのは、そういう緊張した情勢下での
事であって、のんびり「平和的に女王を共立した」巻向がそんな大プロジェ
クトを行うわけが無い。しかも奈良は更に遠い。瀬戸内海はご存じ中世の
一大海賊エリア。

まあ、畿内説は弥生から巨大統一国家とか言ってるアホだから、瀬戸内海も
安全に航海できると思ってるんだろうね。

あまりにも穴だらけで、指摘するのも疲れるw しかもそれみんな無視する
馬鹿が相手なんだよ。
お疲れ様、畿内説以外の皆様。

541 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:35:11.45 ID:wT+dNNxV0.net
>>525
史実に基づいて、大和朝廷に都合がいいように編集されてるということだよ
そのことによって、日本が一つにまとまり、現在の礎になった功績は偉大なことで尊重されるけども
そのことと、歴史の事実を正しく認識することは別。

542 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:46:23.03 ID:Taoy63JhO.net
卑弥呼が魏に使い出したのは晩年だろ?

543 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:46:36.38 ID:ujNlPNS60.net
>>536 の続き
あまり関係ないけど序に・・・・
このときに項羽と共に死んだ女性の名が虞美人
後に虞美人の墓に花が咲いたそうな
その花を今でも虞美人草と呼ばれてる

544 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:46:42.06 ID:UQvrUFKv0.net
>>541
まあそれは有る程度しかたないかもしれんなあ
敵対した勢力を事実に反して悪く書いている可能性は高い。
出雲はあまり悪い印象は受けないが

545 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:47:44.41 ID:UQvrUFKv0.net
むしろ大国主の印象は天孫族より良い。

546 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:48:41.50 ID:NcF6MAZk0.net
>>1 >>2 >>100

パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がわきまくってるしな。


日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。

チョンポップの人気偽装を繰り返してるのもこいつら在日朝鮮人・帰化人。

在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん 強制送還するしかない。


●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm

.

547 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:52:02.76 ID:WlXrz5LF0.net
>>540
そもそもだ

後晋(936年- 946年)の時代、945年に成立した『旧唐書』では、

九州のこと

古くは「漢委奴国」と呼び
どんな時代もずっと中国と交易していた【倭国】である

としており

古くは「邪馬台国」と呼び・・とは書かれていない

548 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:52:19.57 ID:0UNNF55/0.net
>>525
記紀と一致してるってwww

ちょっとは勉強しなさい。
正確には「一致している部分もある」だ。

そもそもが記紀と同列に並べることがまずできない。
別の物だから。
わずかな時間で国家プロジェクトを廃棄して別の記録を作る理由は何か。

549 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 22:56:05.44 ID:ujNlPNS60.net
>>543 の続き
大陸が乱れればその都度多くの人が渡ってきて日本に影響を齎す
戦の仕方や文化も持ち込まれる

近年では大東亜戦争だ
今は誰でも食ってるラーメンや餃子
戦前はなかった食べ物、日本での歴史は70年ほどでしかないんだ

550 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:06:22.79 ID:0UNNF55/0.net
>>547
何がそもそもだよ。

もう一度言うけど、お前はただの近視眼。
弥生王墓の歴史的位置づけが無い。
あるのはただ「邪馬台国に関する言葉遊び」だけ。

それに、よりによって旧唐書を出してくるとは。

日本は旧小国、倭国の地を併す
其の国界、東西南北各数千里。西界南界、咸大海に至る。東界北界、
大山有りて限りを為す。山外即ち毛人の国

これで日本=邪馬台国と読む阿呆は畿内説以外どこにもいないだろう。
「邪馬台国は小国」とでも考えているならいいけどね。

てか、なんで畿内説は邪馬台国にこだわるの?大和王権研究すればいいやん。
無理矢理モモソヒメとか箸墓とか言うから馬鹿にされるんだよ。

551 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:10:53.31 ID:QbmgmLJ50.net
>>527
やはり邪馬台国は九州で間違いないね
畿内とか無いわ〜

552 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:11:32.83 ID:8AF1tlTX0.net
博多ラーメンの発祥は筑後平野の久留米。船職人も筑後平野の大川、今は家具職人の町で、旧山門町だ。 うどんは博多。志賀島安曇海神の祭りには、八女の尼が八人で舞う。江南呉の地域から移住してきてるな。

553 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:14:10.47 ID:UQvrUFKv0.net
>>548
一致してない部分は何?

554 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:16:04.11 ID:0UNNF55/0.net
なんて書いたかぐらい読めよ。
「勉強しろ」って。

555 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:17:13.61 ID:UQvrUFKv0.net
考古学が記紀に矛盾した例って年代以外であまり聞いたことないが
埴輪も吉備あたりから来てるのも一致してるし、三韓征伐も外国文献や広開土王碑と一致している。

556 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:18:26.72 ID:OQ/jNQv80.net
>>530
神武東征は4世紀以後だよな。

557 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:19:07.58 ID:ny+n7MYo0.net
>>555
畿内が九州に征服されたのも一致してるしね

558 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:20:11.50 ID:ny+n7MYo0.net
>>556
だね

559 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:20:36.88 ID:OQ/jNQv80.net
>>530
最近のDNAの研究成果でも古墳時代が日本人の大移動の時代だってね。

560 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:20:51.82 ID:PTgvxTYTO.net
やっぱ応神朝が狗奴国で全解決じゃんかよ

561 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:22:45.23 ID:UQvrUFKv0.net
>>557
征服されたというべきか入り婿に来たというべきかは悩ましいところだが

562 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:24:04.37 ID:UQvrUFKv0.net
普通は征服された方が娘を差し出すわけだが、天皇家は地元の豪族に皇女(斎王)をさしだしてるから

563 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:27:27.59 ID:EXdz+zC20.net
>>331
物部氏が筑後国山門郡の出身か
>>100の鍛冶工房の資料を見ても製鉄が盛んだった地域だね
大和朝廷でも武器制作を担ったのはそれでか

564 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:32:07.61 ID:Pns2tJJs0.net
そもそも桃の種がなんで邪馬台国が畿内にあった証拠になるのかがさっぱりわからん
大陸から伝わった植物なんて他にも腐るほどあるのに
縄文時代にはすでに陸稲や大麦やソバまであったんだぞ?

565 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:37:34.60 ID:UQvrUFKv0.net
>>564
桃の種が邪馬台国なら、邪馬台国は吉備になるわな
そっちの方が桃の種の本場だから

566 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:38:49.12 ID:wT+dNNxV0.net
>>564
奈良の遺跡を古く見せかけるためじゃないのか?
邪馬台国時代にこんな偉大な遺跡があったんだというところだけが畿内説のよりどころ。

567 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:39:42.21 ID:IA74tGIP0.net
>>559
そんな研究はない
鉄器の分布は、畿内祭祀の九州への浸透、中国鏡の分布と合わせて見ると
2世紀後半〜3世紀初頭から九州の没落を示すもの

568 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:43:11.82 ID:qyPLKkNA0.net
魏志倭人伝に倭国にはサルとキジがいるって記述あるし桃の産地だし吉備は重要だよな

569 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:47:52.85 ID:m1bM8EdB0.net
>>568
吉備は宇佐と同種なので、九州とのつながりが強い
あと、桜井茶臼山古墳には宗像神社がある
何か関係があるのかもね

570 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:51:20.56 ID:m1bM8EdB0.net
>>559
大移動というよりは、ヤマト王権が安定してきて往来が盛んになってきたんだろうな
弥生後期に高地性集落があれだけあったということは要するに治安が悪かったということだし

571 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:52:04.87 ID:IA74tGIP0.net
>>564
年代推定を土器編年だけでなく、科学的に測定するためだよ
桃でなくても、栗でも柿でも、年代を測定する材料に使えるなら何でもよかった

「纒向遺跡の年代」の裏付けと「畿内勢力が北部九州へ進出した時期の年代」の裏付けになった
3世紀前半には畿内勢力が北部九州に到達していたことが確実になった

572 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:52:09.84 ID:k2WzL2jE0.net
>>563
古代の九州出自の人々

・神武天皇(初代天皇)
・物部氏(大連:大和朝廷のメインプレーヤーの一角)
・安曇氏(海人の宰:伊都国王の一族、古代の海上交通の支配者)
・尾張氏(尾張国造:東海の支配者、安曇氏とは同祖氏族)
・倭氏(倭国造:大和地方の為政者、安曇氏とは同祖氏族)

これだけのメンバーが九州に揃っちゃってるのに、邪馬台国は畿内ニダ!とか言ってる人たちはきっとオツムがご病気なのだろう

573 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:52:37.90 ID:cUUCVnPu0.net
宇佐の近くには重藤製鉄遺跡がある

574 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:54:43.14 ID:k2WzL2jE0.net
>>559
>>242のとおりだね
畿内説はもう目と耳を塞いで「あーあー見えない聞こえない!」と喚くのみ

575 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:54:52.47 ID:PTgvxTYTO.net
そもそも応神が八幡神で鉄の神様じゃんかよw

576 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:57:41.05 ID:xMB3dsqz0.net
>>572
大和朝廷オールスターじゃないすかw
どう見てもこの人達が畿内を征服して大和朝廷になったとしか
鉄の移動を見ればそれが4世紀であることまでありありと分かる

577 :名無しさん@1周年:2019/09/10(火) 23:57:47.00 ID:qyPLKkNA0.net
>>572
九州人すげえ
ヤマト王権は奈良を舞台にした九州人の集団なのか

578 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:00:05.81 ID:569JWmOF0.net
こんな議論をとっとと終わらせようぜ。

我ら日本には幸福実現党の教祖である大川隆法導師が付いている。

大川導師に卑弥呼を降臨させて、邪馬台国の場所を特定しようではないか!

579 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:00:20.96 ID:m6a1q0iZ0.net
そして八幡製鉄所は北九州ですね

580 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:01:15.19 ID:pRoHqQBv0.net
>>572
もう一つの大連である大伴氏は南九州系の氏族だと言われているね
投馬国かな?

581 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:01:27.05 ID:569JWmOF0.net
>>578
てか真面目な話。大川さんにこうしてくれって言ったらどう答える気なんだろう。。

嘘を見破ろうなんていう邪神は信者は持ってないのかね。

582 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:01:38.45 ID:opHLE22F0.net
>>431
逆でしょ?
アルコール分解酵素を多く作り出せるのは弥生人

583 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:03:38.83 ID:qVwgTeOt0.net
とりあえず宇佐、宗像、住吉あたりは九州がルーツ
初期ヤマト王権には多かれ少なかれ関わっていたんだろう
でないと、魏志倭人伝で怡土や那が大和の玄関口になるはずがない

584 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:08:19.44 ID:myGFRBMS0.net
>>569
宇佐は八幡神なので朝鮮くさい
宗像は海人族だしムナカタが胸の刺青の意味なので縄文ぽい

585 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:08:37.04 ID:qVwgTeOt0.net
九州は渡来人が早い時期から来て農業技術も発達していたから、弥生中期には人口が爆発的に増えたんだよ
だから土地が足りなくなり、中国地方からから畿内にかけての瀬戸内海沿岸の住人は高地性集落に逃げ込むようになった
播磨風土記などにも大国主と天日槍が争った話が残ってるだろ?

586 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:10:21.01 ID:qVwgTeOt0.net
>>584
香春神社は宇佐と並んで豊前で重要な神社だけど、ここは天日槍だから渡来系だよ
あと、糸島なんかも天日槍を祀っている

587 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:11:42.05 ID:LpsgwXoM0.net
九州から移動してきた人たちがたまたま奈良で成功した感じ

588 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:12:12.96 ID:uNbaPRWe0.net
太陽信仰風習が中国の律令や王墓風習など取り入れた地域に
あるのはナンセンスすぎる。
畿内は卑弥呼の名を利用して古墳調査費用を捻出させようと
工作しているだけだよなw

第三者視点にある海外の考古学者の多くも畿内説の胡散臭さを
皆指摘してるからなw
日本国内の畿内説考古学者たちは胡散臭いよ。
地面ほじくる調査費用ほしさにうそふりまきすぎだ。

589 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:14:13.96 ID:GgYEqb3x0.net
新説なの???

590 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:14:29.88 ID:Ggnxriwx0.net
>>192
何の痕跡もないしそもそも女王国は瀬戸内海だから、邪馬台国はヤマトだよ。

591 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:14:33.59 ID:Eh0zfHltO.net
>>420
畿内論者はカルトなんだよ
天皇皇室ありきだから畿内でないと困るのよ

592 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:16:42.51 ID:bJsFlF/P0.net
邪馬台国なんてどうでもよくね?

大和王朝にもつながってないし
大和政権の豪族や天皇が半島のどこから来たかのほうが重要じゃね?

あとは関東の謎の巨大王国とか

593 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:17:30.69 ID:Z+KbKRdj0.net
事実も真実も誰にもわからないし確認のしようもないけど
史実によって推測していくってロマンの学問だよな
歴史学って

594 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:17:59.59 ID:Ggnxriwx0.net
>>588
残念ながら中国には古来から東方に扶桑国がある憧れもあるからな。
丹山がある紀伊半島は特別。

595 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:20:03.35 ID:Ggnxriwx0.net
>>572
アマテラスは東の国からきたのだが?
太陽神なら当然の話だぞw

596 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:20:19.49 ID:oWP4+/yx0.net
邪馬台国は九州でヤマト国は畿内なのは確定として問題はヤマト国が邪馬台国の東遷なのかどうかだよな
鉄の数からして邪馬台国の戦力が圧倒的に上だったろうけど壱与のくだりから読むと必ずしも力だけではなく人の影響力で戦が収まってるからなんともいえんよね
300年から500年あたりの間で何があったのかが1番のミステリーだわ

597 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:20:59.38 ID:qVwgTeOt0.net
鏡やら剣やら水銀朱やら桃やらはどう考えても大陸の影響なんだよね
徐々に銅鐸信仰が廃れて鏡や剣に移行しているのも面白い

598 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:22:40.43 ID:Z+KbKRdj0.net
ミステリーはミステリーのままに置いといたほうが
一番ワクワクするな

599 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:23:08.76 ID:Ggnxriwx0.net
>>596
邪馬台国はヤマト、九州にあるのは伊都国。
邪馬台国に鉄が豊富なんて記述は何処にもない、邪馬台国の会の安本のミスリードだ。

倭人伝を勝手に邪馬台国伝にするなよw

600 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:23:42.75 ID:qVwgTeOt0.net
>>596
何かあったとしたら紀元前後の北部九州が中心だった時代から畿内に中心が移ってる3世紀までの間だよ
卑弥呼以降の東遷はそれこそ物証が無い

601 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:35:41.41 ID:oWP4+/yx0.net
今回大分で出た鏡と曹操の墓の鏡が一致したのは決定的だろ
銅鏡とは訳が違う
王が持つような高貴な鏡
魏と外交してた国が九州にあったのは間違いない
魏志倭人伝に記述されてた国は九州
畿内や東日本にも国はあったが最終的に奈良にヤマト政権が出来たのも間違いはない
稲作技術や弥生時代の鉄の出土数の桁違いの多さから力関係は九州の国々が圧倒的に有利
でも邪馬台国が東遷してヤマト政権になったかどうかの決定的な証拠が余りにもないってとこだろ

602 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:53:30.76 ID:cfEID4aY0.net
>>601
× 今回大分で出た鏡
◯ 大分で出たと「古物商」が言ってるだけで、出土は確認されておらず、考古学者も他の出土遺物からの判断で出土に否定的な鏡

× 鉄の出土数の桁違いの多さ
◯ 九州は鉄の出土が多いと九州説信者が勘違いしてるだけで、畿内勢力に飲み込まれてしまった「現実の歴史」により、
国力とは無関係な数がしかなかったことが証明された九州の鉄

603 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 00:55:01.07 ID:d6VQMk1/0.net
九州からわざわざ近畿くんだりまで大移動するのには、半島情勢が大きくかかわってる。

604 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:03:42.59 ID:ahAdtXr/0.net
>>550
九州のほうがおかしいだろ

605 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:05:33.56 ID:t1SMxQzl0.net
九州にあるのは親魏倭国王の邪馬台国連合
近畿にあるのは倭国大乱で敗れて逃亡した漢委奴国王のヤマト連合

卑弥呼が死んだ後に倭国連合の再編が起こって
近畿勢が倭国王の地位に返り咲いた

その際に卑弥呼の親戚を担いで後見人として権力を握ったので
2代目親魏倭王(近畿ヤマト連合)としてヤマトを名乗った

606 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:17:51.30 ID:ahAdtXr/0.net
>>572
古代の九州出自の人々

・神武天皇(海神(ワダツミ)国第4皇子 初代天皇)
・神武の父ちゃん 彦瀲(海神(ワダツミ)国 第32代国王)
・神武の爺ちゃん 彦火火出見尊(出雲を追い出された山幸彦)
・神武の曾祖父ちゃん 豊玉彦命(海神(ワダツミ)国 第31代国王 綿津見大神)
・物部氏(大連:大和朝廷のメインプレーヤーの一角)
・安曇氏(海人の宰:古代の海上交通の支配者)
・尾張氏(尾張国造:東海の支配者、安曇氏とは同祖氏族)
・倭氏(倭国造:大和地方の為政者、安曇氏とは同祖氏族)

これらはすべて

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた
「漢委奴国王」の倭奴国のメンバー

倭奴国のこれだけのメンバーが九州に揃っちゃってるのに、邪馬台国は九州ニダ!とか言ってる人たちはきっとオツムがご病気なのだろう

607 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:20:12.06 ID:o2N6lE270.net
>>602
ある時期まで鉄の出土は九州が圧倒的なんだろ?

608 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:23:14.57 ID:ahAdtXr/0.net
>>572
古代の九州出自の人々

・神武天皇(海神(ワダツミ)国第4皇子 初代天皇)
・神武の父ちゃん 彦瀲(海神(ワダツミ)国 第32代国王 筑紫城居住)
・神武の爺ちゃん 彦火火出見尊(出雲を追い出された山幸彦 海神(ワダツミ)国 第31代国王 筑紫城居住)
・神武の曾祖父ちゃん 豊玉彦命(海神(ワダツミ)国 第30代国王 綿津見大神 筑紫城居住)

・物部氏(大連:大和朝廷のメインプレーヤーの一角)
・安曇氏(海人の宰:古代の海上交通の支配者)
・尾張氏(尾張国造:東海の支配者、安曇氏とは同祖氏族)
・倭氏(倭国造:大和地方の為政者、安曇氏とは同祖氏族)

これらはすべて

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた
「漢委奴国王」の倭奴国のメンバー

倭奴国のこれだけのメンバーが九州に揃っちゃってるのに、邪馬台国は九州ニダ!とか言ってる人たちはきっとオツムがご病気なのだろう

ちなみに、邪馬台国の海人の宰:古代の海上交通の支配者は
出雲6代主王の息子、吾田片隅を祖とする宗像氏

609 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:35:43.00 ID:cfEID4aY0.net
>>607
弥生末期の九州には、大した数がなかったのに、なぜか九州説信者は「圧倒的」と表現する
3世紀中頃までには、北部九州とくに博多湾沿岸地域は、畿内勢力に飲み込まれてしまったんだから
九州説信者が自慢してた鉄は、実際には大した数ではなかったということ
日本列島で鉄が増えてくるのは、古墳時代になってからで、もちろん畿内が「圧倒的」

610 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:36:09.35 ID:qVwgTeOt0.net
伊都のイトデは神功皇后を同族として歓待してるし吉備も宇佐と同族だし、まぁ色々と関係はあるんだよな

611 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 01:38:44.83 ID:qVwgTeOt0.net
そもそも鉄が軍事的に大きな意味を持つのは製鉄技術がもっと上がってからなんだよね

612 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:03:15.39 ID:e5i7Vh/l0.net
>>600
そうやって嘘ばかりつくから畿内説は廃れたんだよ
畿内に鉄が移動するのも>>242の破鏡の移動も3世紀末か四世紀初頭の出来事
東遷はその時期で、魏志倭人伝よりも後の時代

613 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:05:30.27 ID:e5i7Vh/l0.net
>>607
そう3世紀までは九州が圧倒的に多い
畿内で鉄が増えだすのは4世紀になってから
それはその頃に九州勢力が東遷したからに過ぎない

614 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:06:44.75 ID:e5i7Vh/l0.net
>>609
>>97

615 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:09:32.68 ID:nzjnnLne0.net
>>15
壬申の乱じゃ、尾張氏を中心とする東海勢に滋賀の西端まで
畿内勢は対策する間も与えられず瞬く間に詰めら寄られてるだろ

本拠地が奈良だろうと、近畿と東海は全然戦えない距離じゃないよ

616 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:13:39.45 ID:vjzEIPFi0.net
>>611
んなこたない
漢の時代にはもう鉄のほうが青銅より上

617 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:15:22.34 ID:Ggnxriwx0.net
>>612
また脳内ストーリーを勝手に組み立てるww
卑弥呼は鬼道使いで武力とは無縁だし、
鉄が豊富なんて記述は何処にもない。
そもそも畿内周辺には既に二世紀の時点で
鉄工房が淡路島や近江にあるんだからな。

いつまでも昭和の理屈を持ち込むなよ。

618 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:20:38.31 ID:Ggnxriwx0.net
まあそもそも東へ移動していったのは邪馬台国ではなく狗奴国だよ。
だから畿内説でも狗奴国は元々が九州南部で
全く問題ない。
邪馬台国はヤマトで移動なんてしていないからw

619 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:21:51.83 ID:aaleK0Gw0.net
畿内説が正しいんだろうから実際は紀伊か熊野かな

620 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:28:59.64 ID:Ggnxriwx0.net
狗奴国をルーツに持つのは神武天皇であり、崇神天皇なんだよ。
東征話は元々が紀元前から始まっていてとっくにヤマト入りしてたんだ。
で、3世紀にモモソが瀬戸内海で女王として君臨してた時代は奴国と手を組んでいて、大陸とのルートを確保している。
太平洋側の狗奴国はそれに反発してしていたと
いう事。

621 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:31:31.68 ID:J1teWQnZ0.net
すでに埋まってた徳島説のスレ見てたら
九州は丹が採れるで話が進むんだけど、採れるって教えといて

622 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:34:50.40 ID:GgYEqb3x0.net
すべての元凶は日本書紀、つか、無理矢理藤原氏の
氏神をこじ入れたせい

623 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:37:31.11 ID:J1teWQnZ0.net
九州でも丹は採れるのに、なぜ採れないという話が流布されているんだろ
https://trakl.exblog.jp/17576928/
とか
https://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/2011-07-15-4

624 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:40:59.48 ID:LpsgwXoM0.net
中国の歴史書が書いててくれたお陰でかろうじて正しい国の成り立ちが分かるなどと
もし中国が日本に興味なかったら終わってたな

625 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 02:47:49.28 ID:Nb2cxsFT0.net
九州説の自作自演のやつが貼ってるデータってこういうこと

弥生後期(邪馬台国より前の時代)に、本州でも鉄が出土するようになる
弥生後期(邪馬台国より前の時代)に、本州でも破鏡が出土するようになる
時期はいつだか不明だが、安曇氏が本州各地に拡散する

でも自作自演のやつは、3世紀末か4世紀初頭に東遷があったと言う
意味不明すぎる

626 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 03:01:01.45 ID:C4Hg2lAF0.net
>>617
弁韓まで鉄を取りに行ってたんだから鉄がないところは倭の都邪馬台国ではありませんw
残念でしたw

> 244 :名無しさん@1周年 :2019/07/26(金) 15:34:06.93 ID:1O3R9XNh0
> 当時の経済活動の状況を見れば、畿内は外野であることは明確である。
>
> ■魏志韓伝より
> 國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
> (国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
> 諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
> また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
>
> ■重要事項
> ・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
> ・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
> ・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
> ↓鉄の出土状況
> https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
>
> ■推測されること
> ・畿内政権は鉄を取りに行っていない
> ・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
> ・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
>
> ■結論
> ・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
> ・一大率は畿内政権とは無関係だった
> ・畿内は倭国ではなかった
>
> ■裏付け
>  纏向遺跡の出土土器に九州産や半島産が含まれていない
>  もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
> 「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
> (開き直りw)

627 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 03:23:25.50 ID:E5aekwZp0.net
>>617
淡路島も近江も九州から進出してきた安曇の鉄工房だぞw
畿内は奈良盆地内だけの土着勢力で3世紀には既に九州勢に包囲されていた
だから>>97のとおり海に面した河内には安曇が来たから鉄があり、奈良盆地内には鉄が無いw

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。

628 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 03:28:51.63 ID:Ggnxriwx0.net
>>626
倭に丹山がないとな、巻向の背後なら水銀朱の山で鬼道使いの宮にこれ以上最適な場所はない。弥生時代北部九州にまともな丹山なんてあるはずもなくw

大体女官ばかりの宮が戦場近くにある訳ないだろw

629 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 03:32:42.31 ID:Ggnxriwx0.net
そもそも倭人伝にある鉄の記述なんて
鉄鏃だけだからな。

骨鏃や石鏃と同じ扱いだぞww

630 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:00:52.65 ID:ahAdtXr/0.net
>>627
残念

畿内は奈良盆地内だけの土着勢力

だったが

アマテラスが出雲を植民地としたことでガラリと変わったのだ

631 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:02:01.84 ID:vKzPx1uF0.net
>>629
悪あがきしても無駄無駄
>>626が完全に論破済み

632 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:03:02.82 ID:ahAdtXr/0.net
畿内の山の民である邪馬台国は

出雲を武力制圧し、アマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」を一大卒という総督として派遣して出雲を植民地とし

石見と言う大陸と行き来できる港と、宗像氏の祖である出雲6代主王の息子、吾田片隅という、大陸への航海技術を一気に手に入れて急速に発展し

魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられた

633 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:06:08.77 ID:bMvdUgMl0.net
>>628
鬼道がどんなものかも判明していないのに「鬼道使いの宮にこれ以上最適な場所はない」w

講談師 見てきたように 嘘を言い

お前のことだよ詐欺師w

634 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:07:41.03 ID:3eQAflm70.net
九州説は左遷国の教員の話題作り

635 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:09:41.91 ID:qDEyHoRq0.net
さすがバカ九州民
起源主調はチョン並みですな
気持ち悪い

636 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:16:07.87 ID:2P6B58qN0.net
物部氏や尾張氏や倭氏が九州だという根拠はあるの?

637 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:16:24.84 ID:xlMuQnxo0.net
兵は詭道なり

638 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:21:43.76 ID:l9sr6x0C0.net
>>636
>>331,342

639 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:25:42.16 ID:u7l8J0wU0.net
>>633
まさにそれだな
畿内説は嘘のオンパレード
嘘の上に嘘を塗り固めた虚偽の塊が畿内説

640 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:28:34.17 ID:vyUX1r/C0.net
>>300
なるほどね、九州説はのちの氏姓制度まで視野にいれて考えてあるのか
桃の種しかすがる物のない畿内説とは雲泥の差だな

641 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:32:47.74 ID:FEtwskml0.net
不弥国の中心地は糟屋郡宇美町、ここには福岡で2番目に古い光正寺古墳があるし
応神天皇(八幡神)を出産した宇美八幡宮がある。不弥国から南行したら投馬国だから
投馬国は筑後川の北側の地域、朝倉市、小郡市、鳥栖市などこの付近からは弥生遺跡が
多数出土している。邪馬台国は筑後川の南側で久留米市から八女、柳川、大牟田
などの広範囲な地域となる。

642 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:36:53.63 ID:dVnNSzy10.net
>>641
山門郡が邪馬台国の名残だったら位置ピッタリだな

643 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:38:00.83 ID:2P6B58qN0.net
>>638
一説の一つにすぎんな

644 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:43:36.54 ID:jlA+SJeG0.net
魏志倭人伝を少なくとも日本の学者よりちゃんと読み解ける
中国の学者連中が全員九州のどこかしか有り得ないと
断言してんのに、読み解くことも出来ない日本の素人学者が
いくらほざいても馬の耳に猫耳

645 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:54:45.61 ID:KYs2D0gT0.net
>>242
なんか泣ける

646 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 04:57:40.93 ID:Nb2cxsFT0.net
>>644
「諸説あり」というテレビ番組で3人の学者がそう言ってただけ
言語学者とかで、古代史は専門外
邪馬台国に関して多少は知識ある学者が1人いたが、
やってることは日本のネットに書かれてることを台湾で紹介してる程度
自分自身で研究してるわけでもないので素人レベル
「諸説あり」という番組で、九州説という「諸説」を唱えただけ

647 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:07:10.40 ID:jlA+SJeG0.net
>>646
毎度毎度畿内捏造派はそれ言ってくるけど
どこに書いてあんの?毎度同じコピペみたいなんだけど

TVの中だけの話じゃない本出してる学者も同じこと書いてる
今の日本人が日本の古典書物をまともに読めないように
魏志倭人伝などは現代の中国人でも、相当難解で
かなり習熟した学者じゃないと文法が読み解けないそうだ

その学者達ははっきり言ってるぞ
日本の学者はそれら文法を知らないのではなく
知らないということを分かってないんだとね

648 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:12:41.63 ID:2P6B58qN0.net
尾張氏や物部氏は神武(九州)系と言うより饒速日系だと思うけど
つまり近畿系の氏族
丹後、熊野、大和、尾張とかその辺が根拠地だと思うけど

649 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:22:11.03 ID:H1Ga3F8K0.net
邪馬台国は狗奴国に滅ぼされたと思う。

650 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:35:49.09 ID:2P6B58qN0.net
>>649
根拠は?なんの説明もなしにそんなこと言われても皆困ると思うよ

651 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:37:14.83 ID:H1Ga3F8K0.net
>>170
天孫が降臨したのは近畿の丹波と九州の日向だね。

652 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:40:54.48 ID:C9tG2TOo0.net
>>157
伝説の巨人も町おこしだろう?
〜五郎とか〜どんとか

653 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:41:04.97 ID:H1Ga3F8K0.net
>>650
女系の国は長続きしない。
邪馬台国は滅んでいるよ。

654 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:42:08.69 ID:/AkBN68e0.net
>>571
なんでそれが裏付けになるのかさっぱりわからんのだが?
全く説明になっていないぞ?

655 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:45:00.36 ID:Eh0zfHltO.net
>>622
ほんそれ
藤原氏が一番最悪

656 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:45:09.51 ID:ADih/atv0.net
尾張氏の祖神、天火明命饒速日命。

657 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 05:57:50.37 ID:/AkBN68e0.net
>>596
古代の戦争の強さに関しては鉄はそれほど重要なアドバンテージにはならないよ
むしろスキタイとか山越とか羌とかフン族とかゲルマンとか見ればわかるが未開の野蛮人の方が圧倒的に強くて文明国は劣勢だった
要するに基地外みたいに狂暴な奴らの方が強かった

658 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 06:21:49.36 ID:NpVz16lo0.net
>>653
卑弥呼に子供はいない
だから女系の国ではない。ただの女王にすぎない。

659 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 06:36:18.70 ID:fE5kPa+W0.net
>>652
白い巨人が座ってるところは特に町おこしにすらなってない様に思えた

660 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 06:37:49.64 ID:H1Ga3F8K0.net
>>658
女系というのは女系女子にのみ継承権を認める制度だよ。

661 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 06:45:16.52 ID:xbzd7+dT0.net
 表音文字でもある漢字には、意味も含まれており、興味深い。名前をつけた人の意図が分かる。
 狗奴国は、当時の朝鮮半島にあった倭と国境を接する狗邪韓国との比較からすると、同じく
狗は獣篇で、倭の亜種だが、物凄い野蛮人を意味する。奴隷の奴を充てており、奴国の副長官を
卑奴母離と呼んで蔑んでおり、奴隷という意味が奴にあるかは不明であるが、奈・那・那を充て
ておらず、政治的な意図を感じる。
 奴国が、漢代に柵法を受けて金印で駱駝でもなく蛇でもない鈕と紫の紐を授受されていたが
、狗奴国は、生意気にも邪馬台国に先を越されて、呉か蜀に柵法を受けていたと考えられる。
狗蟆国で狗蟆蘇つまり、呉の敵である。
 熊本なのか、鹿児島なのか、琉球なのか、分からない。沖縄で有る可能性もあるが、宮崎とか、
高天原のあった、皇祖とは言い難いが、ずばり、宇佐神宮かも知れない。

662 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 06:46:38.68 ID:aD+aIdxQ0.net
>>449
>奈良以外は 必ず水運が伴う。

布留遺跡から唐古鍵~国分~河内湖の水運と紀の川遡上し
葛城北部で北上ルート、木津川の水運で琵琶湖~日本海の
海運族による水運でもってる最高の地政学的要衝

考古学や文献史学の常識だろ
弥生中期には東進をすませていた吉備も含む、記紀で
国津神とされる海運族が大和地域にも進出していたのは
すでに学術的には自明だが、その弥生初波ではなく
古墳中期の通史のなかでの第3波の阿曇などが突如として
記紀の中で海軍大将のように出現してくるのは海運同族が
すでに倭国としての地盤の中枢に入り込んでいたのが理由

3ルートの海運水運によって独立した地位を持てた大和盆地の
勢力が文物や情報収集に長けていたのは当然で、盆地内勢力の
内輪もめの際にも、それぞれのルートでそれぞれが生き延びた
が、高尾張の尾張への移動も、二上崇敬の派と相性のいい竜王崇敬
が分裂して起こったことだろう
移動先でS字甕など発達させてその後は伊勢の形成に貢献したのだから
尾張はたいしたものだ

663 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:00:37.24 ID:Tc566vSF0.net
>>242
銅鏡の総量の違い、要するに母数の違いが出土数に反映されtるだけじゃないの?

664 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:03:26.66 ID:NpVz16lo0.net
>>660
だから邪馬台国はそうではない。

665 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:05:43.86 ID:RZx+qbdg0.net
邪馬台国って、書いてある部分だけでも
女→男→女じゃね?

666 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:12:39.74 ID:NpVz16lo0.net
>>665
男→女→男→女だよ

667 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:13:46.25 ID:NpVz16lo0.net
>>666
しかも卑弥呼は結婚してない。

668 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:19:32.98 ID:lWRqiYJb0.net
>>665
せやで。
卑弥呼の後にも一度男王が立ったが内紛で千人ほどが死んで、こりゃ駄目だとなって壱与を女王に据えてる。

ただし壱与の時代が長続きせず、狗奴国に滅ぼされたとするのは俺も同意。

まず邪馬台国がその後の記録からプッツリと消えてしまっているという事実。
邪馬台国では伊都国で文のやり取りをしていたとの記述もあり、継続していたなら、何らかの記録は残ってないとおかしい。
また戦時体制なのに十三歳の占い少女を国のトップに据えるという迷走っぷりで勝てるわけがない。
倭国が元は百余国あったうちの三十という小規模しか邪馬台国の勢力下に無かったこと。

これで邪馬台国が継続したと考えるのはメンヘラ並みの思考停止以外にない。

669 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:20:15.98 ID:NzlAGrSR0.net
これは犬の奴隷の国だから朝鮮のことではないか?

670 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:23:37.68 ID:H1Ga3F8K0.net
>>656
尾張氏の祖神「天火明命」は天孫、物部氏の祖神「饒速日命」は天神。
尾張氏は物部氏の一派だと思うんだけど、なぜ物部氏の祖神の方が格下なんだろう?

671 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:24:00.00 ID:NpVz16lo0.net
>>668
邪馬台国の祭祀は完全に引き継いでいるが
拍手を打つ、骨卜、斎王、太陽神、鏡収集分配など

672 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:25:10.69 ID:NpVz16lo0.net
>>670
饒速日は出雲に婿に行ってしまったからと言われているが

673 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:26:02.63 ID:NpVz16lo0.net
>>672
今でいう皇籍離脱みたいなものか

674 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:26:07.99 ID:RZx+qbdg0.net
>>668
ぷっつりっていっても
中国自体がそれどころじゃないから
265年に王朝が晋に替わるけど、初代が女色に耽り乱の遠因となる
そして、戦国時代へと推移
特に北部は酷い状態。朝鮮半島ルートなら北部が重要なのに、その北部が戦乱の渦

675 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:29:27.12 ID:qVwgTeOt0.net
五胡十六国の時の北部はひどい有様だったようで
日本は一貫して晋の後継の南朝と交易してるな

676 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:30:39.71 ID:qVwgTeOt0.net
まぁ、中国が乱れまくったからそれだけ渡来人もやってきたんだろうけど

677 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:31:48.30 ID:RZx+qbdg0.net
>>675
都は中国南部なのに
どうやって交易したんだろ?
朝鮮半島ルートは使えないだろうし
沖縄経由の船か?

678 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:32:35.24 ID:Ggnxriwx0.net
>>633
お前が無知なだけだろ、三世紀の鬼道なら初期道教的な物以外何があるんだよw
妄想しかできないおまエラと一緒にするな。

卑弥呼は鏡を欲しがり鉛丹をもらってる。
ついでに黄旗の意味を理解してるのに。
食用でない大量の桃の種なんて仙果として
扱ってた証拠だ。

679 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:34:49.54 ID:NpVz16lo0.net
大和政権の連合や征服の関係をみたいなら皇后を見ればわかる。
たがいに相譲らないライバル関係にある豪族同士が連合したり和睦したりするときに王子と王娘が結婚する。

680 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:35:34.92 ID:H1Ga3F8K0.net
>>672
俺は記紀が書かれた時の尾張氏と天皇の関係が原因だと思う。
尾張氏は壬申の乱の功労者だからね。

681 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:37:59.80 ID:Ggnxriwx0.net
>>644
三角鏡を中国製ではない、と判断したその中国人は畿内説なんだがw

682 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:40:13.09 ID:R4eodHZ50.net
>>19
神武東征で奈良に行ったのかな。

683 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:42:23.35 ID:Tc566vSF0.net
>>677
荒れてる言うても、基本黄河流域なんちゃうん?
百済からなら直接南部地域に航海可能ちゃう?

684 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:45:05.93 ID:e1GFvI+/0.net
>>662
考古学の常識なのかよwww

まず、河内湖とのアクセスは悪くて、水運の利便性は無いと言っても
いいぐらい。また、京都側とはそもそも繋がっていない。
大和川が考古学的にどれだけの洪水を引き起こしたかくらい知ってる
はずだろ?
水退と川自体の治水なしにはそんなに安定的には農業を行えなかった
んだよ。

>最高の地政学的要衝

こういうそれらしい言葉で騙すのはお得意な京大学派w
それは淡路島とか筑紫とか岡山とか丹後とか越とかのレベルだろ。
何がうれしくてわざわざ亀の背越えんといかんのよ。

685 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:46:57.09 ID:qVwgTeOt0.net
>>677
南朝には大体山東半島も含まれてるから朝鮮南部経由だと思われる

686 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:48:08.29 ID:Tc566vSF0.net
>>682
銅鐸文化圏の消失を考えると、畿内は3世紀初めから変革を始めてるやろな。
神武東征は少なくともそれより前やろな。

687 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:49:09.71 ID:NpVz16lo0.net
>>680
まあでも結局尾張氏も饒速日の子孫だから神別なんだけど

688 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:49:38.49 ID:RZx+qbdg0.net
>>683
上海の西だから
韓国と長崎、沖縄、船ならそう変わらないと思うけど
多分帰りは、海流に乗れば比較的楽かもしれないけど
行きがかなり厳しいと思う

689 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:51:04.30 ID:qVwgTeOt0.net
銅鐸を鋳つぶして銅鏡にした痕跡もあるから、祭祀の入れ替わりがあったのかもね
仏教の光背に勾玉砕いて使ったのと同じ感じで

690 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:56:02.54 ID:Ggnxriwx0.net
>>449
本当に無知だね。だから九州説なんだろうが。
奈良盆地は奥に水銀朱の山があるから
地勢、宗教的にとても重要だぞ。
卑弥呼は鬼道使いだしな。

神武は大物主の血縁者の嫁さんが欲しかったから奈良入りしたんだよ。
それに奈良は本来は水運の都だ。

691 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:56:05.19 ID:R4eodHZ50.net
>>686
卑弥呼が天照大神だとすると神武東征より前のはずなのでわけわからなくなるな。卑弥呼と天照大神は別人なのかな。

692 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:56:30.48 ID:Tc566vSF0.net
>>688
半島の西には弱いながらも西向きの海流があるはずだから問題ないと思うよ。
日数がかかるので嵐に会うリスクを考えれば、
要人を多数引き連れて航海するのはお勧めでないといった感じちゃう?
>>685 に書かれてることが本当なら、山東半島南岸に行くのは
対馬海峡を渡るのに比べれば楽勝だろうし。

693 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:56:31.84 ID:RZx+qbdg0.net
>>685
400年頃では?
もっともその頃には後継の東晋も滅亡寸前で
間もなく宗に王朝交代されるけど
そして、宗に代わっても中国の混乱は続く

694 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:58:12.43 ID:NpVz16lo0.net
>>691
時代的にはトヨスキイリヒメが卑弥呼だよ

695 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 07:59:33.67 ID:SdUZgsPr0.net
>>678
>お前が無知なだけだろ、三世紀の鬼道なら初期道教的な物以外何があるんだよw
妄想そのものじゃねーかw
結局何の裏付けもない決めつけだけが根拠、つまりただの妄想癖
それが畿内説ww

696 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:01:30.64 ID:Ggnxriwx0.net
>>684
当時奈良の水運の要所は木津だから。
だから椿井大塚山古墳等から大量の鏡が出たりしてる。
河内湖から淀川、巨椋湖と簡単に水運が使えて
いたんだよ。

697 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:01:37.63 ID:RZx+qbdg0.net
まあ、遣隋使の時も中国北部(満州近辺?)は使えんだろうし
相当苦労した船便なんだろうな

698 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:03:22.70 ID:OJfrqHA10.net
>>686
3世紀にはまだ奈良盆地に鉄器がない
4世紀になると鉄器が増える
明らかに3世紀末から4世紀頭にかけて東遷があった

> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と

> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ

699 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:04:42.25 ID:/244iB2U0.net
糸島近辺はなに国?

700 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:04:53.75 ID:Ggnxriwx0.net
>>695
いい加減無知を晒すなよw
倭人伝は中国側の文献だぞ?中国で当時
鬼道とは初期道教的な物を指す。
裏付けも何も常識問題だからw

701 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:07:04.92 ID:Tc566vSF0.net
>>691
その卑弥呼=天照大神という考え方が記紀を軽んじすぎてる。

702 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:07:16.58 ID:RZx+qbdg0.net
>>699
修羅国

703 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:07:30.18 ID:w/Pxr6X90.net
>>700
>中国で当時鬼道とは初期道教的な物を指す。

という妄想wソースゼロwww
断言口調で妄想を吐けば騙せると思っている典型的詐欺師だなw
常識だと言うならソースを出してみろカス

704 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:08:26.66 ID:H1Ga3F8K0.net
>>687
尾張氏の先祖は「天火明命」だよ。

705 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:08:40.81 ID:GrKhK7340.net
>>698
ふむ、東征は邪馬台国よりも後なのか
となるとやはり九州ということになる

706 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:08:57.54 ID:Ggnxriwx0.net
>>698
近江と淡路島の鉄工房は二世紀に稼働してるのだがw
いい加減鉄なんて邪馬台国問題と無関係なの
理解しろよ。
卑弥呼は鬼道使い、鉄器や武力支配では
ないんだからな。

707 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:09:08.66 ID:Tc566vSF0.net
>>698
鉄器はなくても変革はできるよ。
九州北部だって鉄器のない時代から発展してる。

708 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:10:23.71 ID:7mdV3loT0.net
>>704
天火明命と饒速日命は異名同神
その孫の天村雲命と安曇磯良も異名同神

709 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:11:56.23 ID:Tc566vSF0.net
>>698
4世紀になると鉄器が増えるのは朝鮮半島に大和領を持ったからだろうと推測する。
記紀に出てくる半島との交流がそれを意味してるんだろうと思う。

710 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:11:59.61 ID:xxNX+FMs0.net
>>706
その二箇所は九州のものだぞw

627 :名無しさん@1周年 :2019/09/11(水) 03:23:25.50 ID:E5aekwZp0
>>617
淡路島も近江も九州から進出してきた安曇の鉄工房だぞw
畿内は奈良盆地内だけの土着勢力で3世紀には既に九州勢に包囲されていた
だから>>97のとおり海に面した河内には安曇が来たから鉄があり、奈良盆地内には鉄が無いw

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。

711 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:12:34.22 ID:H1Ga3F8K0.net
徐福が作った国が「狗奴国」ならロマンがある。

712 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:13:26.13 ID:R4eodHZ50.net
>>694
>>701
卑弥呼が天照大神説も学者の意見だけどね、色んな視点で考えられるのが面白い。

713 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:14:57.72 ID:7vN0Jydl0.net
大きい建物の跡や桃の種が畿内説のよりどころ
国宝の鏡や地理的状況(大陸との交易でいきなり大陸から畿内の向かうはずない)を考えても
九州説が有力でしかない
しかも曹操の鏡と同じものが出たりとか
ただたんに畿内説の学者の声が大きいだけ

714 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:15:48.68 ID:RZx+qbdg0.net
日食ガァーとかってのを意見として採用する価値あんの?
素人の戯言ならともかくとして

715 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:16:23.22 ID:zi/ZTDRM0.net
邪馬台国の後、大和朝廷登場までの間がどういう経緯なのか知りたい

716 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:16:43.53 ID:H1Ga3F8K0.net
>>708
時代が下れば皆同祖になってしまうのかもね。
京都の平野神社は百済系の神社だけど、平氏だけでなく源氏もお参りしていたからね。

717 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:16:59.78 ID:Ggnxriwx0.net
>>703
お前は初期道教をそもそも何も理解してないだろw
当時の中国からみて土着宗教全般を指しているが、その大半のベースになるのが神仙思想だ。

それらが組織化されて道教が成立してゆく。
鏡と水銀朱はマストアイテムで、三世紀後半から奈良の巨大古墳から集中して使われているだろ。

718 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:18:35.87 ID:y5VCkuZH0.net
議論での敗北が決定的になったので

ソースの無い妄想会話で

スレ流しを始める畿内信者であった(笑)

719 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:19:15.87 ID:NpVz16lo0.net
>>708
アメノホアカリと饒速日は世代が4代くらい違う
つまりニニギの子のホアカリと混同したと思われる。こちらのホアカリがたぶん饒速日系だと思う。
安曇イソラと天村雲は何百年も時代が違うから話にならない。

720 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:21:13.47 ID:XiWlNtzx0.net
2000年前の出来事は、地球から2000光年離れた場所に瞬間移動して、そこから地球を見れば見える
ワープ航法が発明されたら、歴史が確定する

721 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:22:46.93 ID:Ggnxriwx0.net
>>710
九州脳をいい加減に辞めたら?
鉄の技術は九州発祥でもないし邪馬台国とは
何の関係もない。

そもそも二つの鉄工房は二世紀が稼働時期で
邪馬台国の時期ではない、倭大乱とされる時期だぞw
つまり鉄器軍団wの東征なんて邪馬台国以前の話だぞww

722 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:24:02.89 ID:R4eodHZ50.net
曹操が亡くなった後に軍を統括していた司馬懿の子孫に国をうばわれたし歴史は面白いな。

723 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:24:37.42 ID:Tc566vSF0.net
>>712
最も重要な外交・安全保障関係が一致してない事柄を、
明らかに優先順位の低い物事の類似で同一人物とみなすのはばかげ過ぎてる。

724 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:27:00.69 ID:TPHqfZBr0.net
>>61
神代文字が近年の創作であるのは常識以前の常識だろ
まともな学者であんなヨタを信じている人は皆無だよw

>>10が書いてる通りだよ
ハングルが13世紀に編纂されたからだからなに?って話
神代文字の方がそれより新しくでっち上げられたという証拠にしかならん

725 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:30:28.60 ID:Tc566vSF0.net
>>721
ただ、一つ言えることは鉄器が有用だから後に大和でも増えたわけで、
鉄器の少ない地域が鉄器の多い地域より文明レベル優れてるとか
国力があるとか外交で地域を代表するとか考えるのはナンセンスだな。

726 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:31:26.46 ID:+Y0OTKSs0.net
九州て入れ墨の風習とかあったん?

727 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:33:32.20 ID:NpVz16lo0.net
>>719
あすまんイソラと天村雲はだいたい同じくらいの世代だった。

728 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:33:33.17 ID:F+1jKW3d0.net
纒向っておもいっきりサバよんでるらしいね
ほんとは4世紀らしい

729 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:35:05.52 ID:NpVz16lo0.net
>>725
奈良は湿地でだれも住んでなかっただけじゃないの?
鉄器がないのは

730 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:36:09.70 ID:EJYy64lQ0.net
狗奴って字面からそこはかとなく漂う悪者臭

731 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:38:17.46 ID:jlA+SJeG0.net
>>724
ここにも神代文字を否定してる大馬鹿者が居る
これだけネットが普及してもなかなか馬鹿は減らないもんだね

732 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:42:05.61 ID:Tc566vSF0.net
>>710
九州が一番のお得意様だっただけじゃね?
運送会社の現地法人があっても特に不思議はないだろうし。

733 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:47:24.76 ID:TPHqfZBr0.net
>>731
そっくりそのまま返すわw
ネットの普及以前からあんなもの信憑性ゼロだってのは常識だろ
ネットが普及して一般人が容易に情報得られるようになってもまだあんなもの信じてるバカが居ることの方が不思議だわ
自分の見たいものしか見ない、都合の悪い事は信じない、そういう人間に情報の有無は関係ないってことなんだろうけどね

734 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:48:06.97 ID:39uniuHK0.net
>725
鉄器が邪馬台国とは何の関係もないというだけの話
技術的にも銅鐸とかの方が鉄に関するより負けない程だよ。

735 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:48:14.00 ID:BVhFfapC0.net
四国の鍛冶遺跡は九州の出張所でしょう。
ピンポイントにしか鉄がないし
その鉄が畿内に運ばれた形跡がないから
鍛冶遺跡周辺で消費されただけでしょう。

736 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:49:26.45 ID:NDO1iqQG0.net
絶対ないよ
保証する
そんな国は存在できない

737 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:49:41.69 ID:Ma3wASvZ0.net
>>734
鉄器は大切だよー
現代でいう長距離ロケットとかにあたる

738 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:52:08.99 ID:Tc566vSF0.net
>>729
鉄の少なかった時代は人はまだそれほど多くはなかったとは思うけど、
朝鮮半島との交易が希薄だったことを意味してるだけだと思うかな。
当時九州勢力は東の地域をさほど重視してなかったろうし、
出雲は国譲り以後干渉することを禁止されてたろうし。

739 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:54:26.55 ID:NpVz16lo0.net
だから奈良は土木も農業もやってなかったってだけの話だろ

740 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:55:32.95 ID:Tc566vSF0.net
>>734
中空の銅鐸を作るのは確かに素晴らしい技術だとは思うが、
鉄器を作るのに比べればどちらかというと器用さみたいなものを必要とする部類の方だと思うが。
やっぱり鉄器を作る方が大変だと思う。

741 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:55:47.18 ID:NpVz16lo0.net
奈良だけいじめっ子みたいに仲間はずれとかないと思うぞ

742 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:56:37.19 ID:NpVz16lo0.net
奈良も河内も湖の底だったんだから

743 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:58:04.85 ID:6pnQtmrL0.net
>>713

その曹操の鏡は後漢時代に作られたもの。魏の時代ではない。しかも、卑弥呼が魏に遣いを送ったのは
曹操が死んでから数十年後。
曹操の鏡が邪馬台国に送られるはずもない。

744 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 08:59:53.89 ID:qVwgTeOt0.net
弥生中期の北部九州人口爆発についてはいくつか論文があったな
農業生産力が上がるとそれだけ人口も増える

745 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:03:30.43 ID:bA/w+c/W0.net
もうまともな学者で九州説支持者は絶滅寸前
学界内でも邪馬台国=畿内説が定説となりつつある

ただネタとして九州説は生き続ける

746 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:03:50.33 ID:Tc566vSF0.net
>>744
馬韓等との交易で金属器を使い始めたのが開拓を加速させた可能性が十分考えられるよな。

747 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:04:01.98 ID:4PtwGiCl0.net
狗奴国出身:ニギハヤヒ、神武=崇神
邪馬台国出身:応神=仁徳

神様的には

古奈良:大国主
狗奴国系:大物主
邪馬台国系:住吉、宗像系

で、継体かそれ以降で邪馬台国系の女神(卑弥呼)を元にした
天孫系が成立したのではないか。

748 :オレンジ・エア:2019/09/11(水) 09:05:30.10 ID:PXHWauUb0.net
邪馬台国の開祖は徐福

平原広沢とは筑紫平野のこと

749 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:09:57.21 ID:P5MRqFdW0.net
鉄器は武器より農具として力を発揮する
柔らかい青銅器は農具には不向き

750 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:14:25.24 ID:39uniuHK0.net
>734
魏志倭人伝読んだことあります?
鉄は石や骨の鏃と同じ扱いだ。

751 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:14:33.72 ID:Tc566vSF0.net
>>749
ただ、青銅器は石器や鉄器に比べれば生産が容易だろうからな。
適材適所で使い道はいろいろあるだろう。

752 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:15:28.53 ID:cfEID4aY0.net
>>654
具体例で説明すると、纏向遺跡の大型建物の年代は、多くの考古学者は土器編年から3世紀前半と推定していた
九州説の素人さん(1人か2人考古学者がいるかもしれんが)は4世紀と言ってた

放射性炭素年代測定法という方法で、桃の種の年代を測定したところ、3世紀前半かそれ以前という結果が出た
考古学者の土器編年が科学的方法によって裏付けされたということ

したがって、纏向遺跡の大型建物は3世紀前半で、
また3世紀前半には畿内勢力が北部九州へ進出してたことも確実になった

753 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:23:33.35 ID:OghIAz0f0.net
>>752
当時の畿内は農業もあまり発展してなかったのにねぇ
大陸と交流していた北部九州にねぇ

754 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:25:42.03 ID:Tc566vSF0.net
>>753
そういった類の痕跡があるなら、その頃から既に出稼ぎを始めてたんでしょ。

755 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:27:04.83 ID:OghIAz0f0.net
>>754
出稼ぎねえ
あれでしょ、当時既に新幹線走ってたと思ってるでしょw

756 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:28:34.99 ID:Tc566vSF0.net
>>755
瀬戸内海の海運で、陸を移動するなんてナンセンスも甚だしいと思ってるけど。

757 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:30:15.84 ID:FEtwskml0.net
卑弥呼のいた邪馬台国とその同盟国は三十余カ国、国と言っても現在の市、郡程度の
広さしか無いから北部九州の地域がそれに当てはまる訳だ。倭国とは九州島の事を
指していると考えれば良いだけ。

758 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:30:38.00 ID:qIoPM/Bn0.net
>>1
邪馬台国といい、狗奴国といい
ネーミング、と使っている漢字が
いかにも当時の中国人が当時の日本人を野蛮人と蔑視している感じがありありだよなあ

759 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:33:24.87 ID:AlXBchJa0.net
>>755
新幹線はしってないのに、何故か畿内では日本各国から集まった土器が出土
なお、九州から出た当時の土器は地元のもののみ

なんでだろーな?

760 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:34:34.27 ID:cfEID4aY0.net
>>753
北部九州が初期ヤマト王権の傘下に入る動きが、3世紀前半から始まってる
その時期が考古学者の土器編年による推定年代でほぼ間違いないってこと
https://i.imgur.com/63f11W7.jpg

761 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:38:01.77 ID:Tc566vSF0.net
>>760
出稼ぎの証拠なわけやね。

762 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:39:19.42 ID:TPHqfZBr0.net
>>758
まあ別に日本人だけを見下していた訳じゃない
中華以外は全て蛮夷とする思想だからこれは平常運転の範疇
特に蔑視していたわけではないと思うよ

763 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:41:14.54 ID:IkYMcoFt0.net
>>684
阿波派のオレでもおまえが論点ずらしでアホなのがよく解るわ
奈良盆地は日本で有数の攻め難いい場所
治水とかの話は日本中どこでもどこでもいっしょ
治水ができないとなんとかは今は関係ないよね
奈良盆地は南西中央部も南東もよい水田地帯なのは
よく知られる事だよ
日本中どこの複合遺跡も洪水後の地層は何層にもなってる

764 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:43:31.59 ID:cfEID4aY0.net
>>761
こうやって九州説は最終的に、ヤマト王権の存在そのものを否定する
要するにトンデモを唱えてるだけ

765 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:46:36.27 ID:Ggnxriwx0.net
>>753
畿内は弥生中期の大規模な水田跡が各地で発掘されてるのだが?

766 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:47:16.47 ID:OghIAz0f0.net
>>756
海運で動くなら
北九州の が当時日本一であったと理解しててその発言??

767 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:48:31.95 ID:rESEvrjt0.net
曹操の鉄鏡で決まり!倭人伝に書かれてる邪馬台国は九州!!!
出土に立ち会った人とも一緒にその場所に行き確認作業までしているみたいだし
道路工事の時に出てきたみたいだね!
流された可能性もあるから、後は場所を特定するだけ!

768 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:50:31.47 ID:EBHFg8t80.net
>>766
北部九州が最先端だったからこそ畿内どころか東海まで到達したんだろ

769 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:52:59.00 ID:qIoPM/Bn0.net
魏志倭人伝に書かれている
邪馬台国は九州にあって
その当時の中国人が行ったことがない
近畿地方には邪馬台国以上に繁栄している別の国があった
そんな仮定のほうが真実に近いのかも

770 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:53:30.51 ID:OghIAz0f0.net
>>768
北部九州が大陸交易の窓口であったのは理解してる?

771 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:54:15.89 ID:EBHFg8t80.net
>>760
最近は畿内が九州を圧倒したという説は旗色が悪いよ
九州が衰退した証拠が無いし、魏志倭人伝や記紀で連合組んでる記述共矛盾する

772 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:55:57.82 ID:EBHFg8t80.net
>>770
最先端だからこそ弥生中期に人口爆発があったと言われているな
半島南部に倭人の根拠地ができたのもこのころ

773 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 09:59:28.36 ID:cfEID4aY0.net
>>771
武力で九州を圧倒したんじゃないよ
畿内の祭祀連合が北部九州を飲み込んでしまった

774 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:00:36.66 ID:Ggnxriwx0.net
>>769
弥生時代、大陸との交流の痕跡は北部九州から丹波や吉備、河内や近江に流れているのは確実だから。
考古学的には既に九州説の立証は無理だよ。

775 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:01:02.74 ID:OghIAz0f0.net
>>773
意味が全くわかりませんw

776 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:02:47.33 ID:cfEID4aY0.net
>>775
北部九州も前方後円墳体制に入ったんだよ

777 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:06:02.23 ID:OghIAz0f0.net
>>776
武力も金も上なのにねぇ

778 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:07:30.21 ID:LmMEIgrn0.net
引越し説だと纏向に遷都後も九州北部が強いのは説明つくよ

779 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:08:46.34 ID:LmMEIgrn0.net
卑弥呼の頃は畿内があまり発展してないけど説としては問題ない
このあと発展するから

780 :名無しさん@13周年:2019/09/11(水) 10:10:49.31 ID:FkCHCbnCt
>>773
  祭祀連合? 何だよそれwww お前みたいな頭がぼんやりした薄らバカし
かそんなタワゴト信じねーよwww 歴史は生存競争の歴史だぞ。戦いは総力
戦だ。単に戦闘力だけじゃ決まらない。食糧調達するには土地の開墾が必要。
それには自然改変能力、つまり土木工事能力が要る。このことを常に教えてく
れるのが「ブラタモリ」だ。歴史は「ブラタモリ」に学べ。いいか、学ぶんだ
ぞ www


781 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:09:46.00 ID:cfEID4aY0.net
>>777
九州説の鉄自慢って、弥生終末期の九州には実際は大した数の鉄はなかったのに、
鉄デマのコピペをしつこく貼るやつがいて、膨大な量の鉄があったかのように誇張している
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png

こんなのは、3世紀の畿内の古墳3基から出る鉄で上回ってしまう程度の量でしかない
畿内の古墳3基 > オール九州

これが現実

ホケノ山古墳
素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄鏃 約60本、鉄製農工具

黒塚古墳 
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札600点、U字形鉄製品

椿井大塚山古墳 
武器:鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、鉄製甲冑1領、
工具農具:鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上
漁具:鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本

782 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:10:25.58 ID:yuA/nL0X0.net
>>747
継体天皇そのもが若狭周辺に進出していた海神国津神の住吉・安曇系の古族
言うまでもなく日本の海神はすべて国津神
だから元々の所縁の古い大和の勢力の後押しを受けることができた

783 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:11:34.90 ID:xgT8VsP50.net
魏志倭人伝そのものが作り話って可能性は?

784 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:17:07.31 ID:LmMEIgrn0.net
引越し説だと畿内で鉄があまり出ないもの問題ないんだよね

個人的な考えだと畿内は発展してないフロンティアで
唐古鍵によって青銅器の入手はできたが鉄はめずらしかった
そこに九州北部の王族が引越ししてきた

だから畿内では鉄の道具は支配者しか持っておらず
それを民衆に貸し与えて作業させていたので
纏向では基本的に鉄を貸していた支配者の古墳内部でしかみつからない

785 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:23:04.16 ID:EBHFg8t80.net
>>773
祭祀連合に加わったという意味ならそうだね
早い時期に前方後円墳が発生しているし、むしろ連合に積極的に関わっているように見える
桜井の初期の古墳も九州様式だし

786 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:27:30.13 ID:LmMEIgrn0.net
宮内庁が管理してない古墳から大量の鉄が出てるから
管理して発掘調査できない天皇やその親族の墓からも
鉄は大量に出てくると思うよ

各地の集落が狗奴国から急襲される可能性がある九州北部では
鉄の武器が広域に広がったんじゃないか
一方畿内は支配者層しか鉄を持ってなくて統制されてた

787 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:28:53.04 ID:OghIAz0f0.net
>>784
俺も遷都して
後の大和政権になったと思う
北部九州を祖とした勢力が、次第に東へと勢力を伸ばした

788 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:30:00.93 ID:GTeHJ9e30.net
>>786
オール形無き想像w

789 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:30:05.05 ID:cfEID4aY0.net
弥生終末期の九州に鉄が多いというのは、真っ赤な嘘
本当に鉄が多いとはこういうこと

古墳時代前期(3世紀中頃〜4世紀後半)の鉄刀剣の出土数比較
もちろん畿内が圧倒的に多い
九州はだたの一地方にすぎない
https://i.imgur.com/aNlfjez.jpg

790 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:34:54.01 ID:OghIAz0f0.net
>>785
その人、祭祀連合が北部九州を支配したって説で
言うなれば、文化侵略で九州を落としたというてられる
武力への考察なし

791 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:37:09.22 ID:zgRh4UpM0.net
畿内では古墳からしか鉄が発見されない。
=>埋葬者の為に外から持ち寄ったもの。
つまり畿内で出土したとは言えない。

<魏志韓伝より>
「國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡」
(韓国は鉄が出るので、韓国、?国、倭国がこれを採っている。
諸の市で買い物をするときは中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪と帯方の二郡にも鉄を供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://imgur.com/eRF3Zza

■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
 
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係
・倭国として認識された範囲に畿内は入ってなかった
 
■裏付け
・纏向遺跡では鉄器は出土せず、釘一本すら見つかっていない
・纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない
・もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
(畿内説の有名な迷言)

792 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:37:14.22 ID:cfEID4aY0.net
>>787
時系列が逆転してるけど?
九州から畿内に行くと、タイムスリップするんですか?www

793 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:41:15.88 ID:Ma3wASvZ0.net
>>792
んー、君の説は荒唐無稽すぎてなんとも

794 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:42:25.80 ID:zgRh4UpM0.net
卑弥呼の時代は2世紀〜3世紀前半であり、3世紀末には女王制が消滅しています。
奈良にはそれに合致する遺跡はありません。
しかも狗奴国との戦争や卑弥呼死後の内乱の痕跡も無く、4世紀末には渡来政権が入植している。
畿内が魏志倭人伝の倭国とは無関係であったことは明らかである。

<奈良の歴史>
〜2世紀末 唐古・鍵最盛期
3世紀後半〜4世紀半ば 纏向最盛期
4世紀末〜↓ヤマト政権の種ご到着↓

産経新聞(2018.11.28)

最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

795 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:45:17.92 ID:xdCdX2Ob0.net
この手のスレ毎度毎度ホントにおもろいな

796 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:49:50.78 ID:GTeHJ9e30.net
>>791
鉄の文化は時系列的に北部九州や山陰から浸透したのは間違いないな。

銅鐸文化圏が銅鐸を溶かして鏡をつくり、銅鏡文化圏へと移行したとも考えられる。
そもそも魏の時代は銅が不足していたらしいから。

797 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:50:30.87 ID:t1SMxQzl0.net
>>789
150年はざっくり過ぎるな
せめて50年ごとに区切って

798 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:52:22.47 ID:cfEID4aY0.net
>>793
どこが荒唐無稽なの?
日本史の教科書に基づいた通説だけど

山川の教科書から抜粋
【古墳の出現とヤマト政権】
「3世紀中頃から後半になると、より大規模な前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現する。
これら出現期の古墳は、多くは前方後円墳もしくは前方後方墳で、
長い木棺を竪穴式石室におさめた埋葬施設や、多数の銅鏡をはじめとする呪術的な
副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた。
それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には  『古墳の出現に先だって広域の政治連合』  が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。」


この文中にある『古墳の出現に先だって広域の政治連合』を物証で示して、
それを邪馬台国連合とみなすという説だよ

799 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:54:07.09 ID:EBHFg8t80.net
弥生後期になると、丹波など日本海側での鉄の生産が非常に盛んなんだよね。そして丹波と畿内東海は琵琶湖経由で目と鼻の先。
高地性集落だらけな瀬戸内海よりも日本海航路が栄えていたというのもあるんだろうけど

800 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:54:22.00 ID:qxuTyu2a0.net
>>794
邪馬台国はそうすると九州で消滅したのかね

801 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:55:41.21 ID:pafWDUCd0.net
だから国譲りが遷都ってことだろ

802 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:56:14.92 ID:zgRh4UpM0.net
>>789
3世紀中頃〜4世紀後半ってのは卑弥呼の居ない時代だ。
畿内の古墳で見つかる鉄は弓月君が持ってきたんだろうよ。

>>798
ゆるい祭祀連合などと言いながら、いつの間にか政権だの勢力だのと変形させていくのが、畿内式詐欺商法だw

803 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:57:36.87 ID:EBHFg8t80.net
>>798
今割と議論になってるのは、畿内が中心だとしてその時の出雲や北部九州との関係だな。
畿内が他を圧倒したというよりは西日本諸豪族による女王共立だったのではないかと個人的には考えている。

804 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 10:59:18.90 ID:zgRh4UpM0.net
>>800
邪馬台国は狗奴国と合併したんじゃないかな。

漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

<旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png

■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
 
■日本条 701年〜 (ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
 
 そして古代倭国との関係について
 日本国使者があれこれ言い訳をする。

「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
 ↑
※日本が倭国とは別国であったという認識があるのがわかる

805 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:00:00.60 ID:cfEID4aY0.net
>>797
そういうのはないから代わりに、>>781を参照

畿内の古墳3基 > オール九州

比較年代が違うが、九州は弥生終末期から古墳時代にかけて
ちょっとしか増えてないからある程度は参考になるだろう

806 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:06:59.38 ID:GTeHJ9e30.net
>>805
畿内の鉄は全て古墳に詰め込んだので遺跡からは出土しないのだー!www

浸透していたなら纒向出土の土木用具や農具はなんで木製なんだよwww
箸墓古墳の馬具も木製だったなwww

807 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:08:58.65 ID:qxuTyu2a0.net
>>804
なるほど

808 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:17:41.32 ID:NDO1iqQG0.net
纒向遺跡が卑弥呼とするには無理がある
古墳まで残っているが
卑弥呼が亡くなった時に100人とともに埋葬と魏志倭人伝には記載されているが
そもそも纒向遺跡の古墳は100も人も埋まる規模ではない上に
中国系の出土品は未だにない
交流があったのなら出土するはずだが
出てきたのは桃の種がいっぱいと国内の交流の後、住居跡
確かにそこにそれなりの国があった跡だが
中国との交流跡はない

809 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:22:00.71 ID:qxuTyu2a0.net
そもそも邪馬台国とヤマト王権が同一だと言えるような
根拠はあるの?
遺跡があるから邪馬台国だってのも飛躍がありすぎるのでは

810 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:24:56.33 ID:4hRCHpR/0.net
>>789
例えば戦いで勝った側が負けたほうの鉄器文化を簒奪して遷都した可能性もあるのでは

811 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:26:06.02 ID:LmMEIgrn0.net
唐古鍵は何百年と続いた道具職人集落で
弥生中期末の洪水後も再建されて続いた

尖った石と堅い木で十分使える道具を作る匠集団のおかげで
鉄が必要なかったのかもしれない
青銅でも鉄の代用にはなるし鉄がどうしても必要かというと送でもない

812 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:26:53.24 ID:GTeHJ9e30.net
畿内説をよく読むと、日韓併合時代を語る反日韓国人と同じ論法だ。

813 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:27:33.53 ID:cfEID4aY0.net
>>808
纒向に中国との交流跡がないなどと、どうしてすぐバレる嘘をつくんだろうな?

ホケノ山古墳
画文帯同向式神獣鏡が1面と破片化した内行花文鏡などの鏡片
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html

814 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:29:40.46 ID:eyelri9H0.net
>>813
古墳時代後期wwww

815 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:32:48.45 ID:Tc566vSF0.net
>>802
弓月君はたぶん5世紀やろな。

816 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:34:20.85 ID:4xi7Zq6S0.net
素人目に見ても纏向が邪馬台国なんて完全にデタラメ。

崇神天皇系は青銅文化圏かつ東国にルーツを持つ王だったが
西日本から侵攻してきた勢力に負けて大和国の支配者から転落する。

つまり記紀でいうナガスネヒコは現実の崇神天皇だったとか。

817 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:35:16.41 ID:NDO1iqQG0.net
>>809
ない
ただそう思いたいから頑張ってる
日本の考古学はいつもそう
発掘調査の事実より空想が先

纒向遺跡が邪馬台国で有力だと言うのも妄想
現段階で解っているのはそこにそれなりの古代の国(都市機能)があったという事だけ
中国と交流を持っていた形跡はむしろ全く見られないのが纒向遺跡
国産のものしかなく国内の交流跡しかない
邪馬台国を探すのなら国の跡を探すのではなく大陸との交流の痕跡を探すのが重要
何故なら大陸側に記録のある国ってだけの存在で重要なのはそこなのだから

ただ位置的にも大きさと年代からも纒向遺跡のあたりから大和政権が生まれたのはそーかもしれんけど

818 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:36:04.30 ID:TPHqfZBr0.net
しかしこの話題で感情的になってまで相手を貶す人ってなにがモチベーションなんだろうな

自分が九州か畿内に住んでて邪馬台国というブランドがアイデンティティになっているのか
それとも純粋に知的探究心から自分が到達した結果に執着しているだけなのか

関東人の俺には魏が示した「邪馬台国」がどこであってもどうでもいいとしか思えないけどねえ
それよりも日本の文明や都市の発展の流れなんかを書いてくれてる人のレスのほうがずっと面白い

819 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:36:44.32 ID:NDO1iqQG0.net
>>813
時系列と場所をちゃんと見ろよ
それいつの時代のものですか
邪馬台国はいつの時代ですか
纒向遺跡はいつの時代のものですか

820 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:37:00.35 ID:cfEID4aY0.net
>>814
嘘をつけば騙せると思ってる?
リンク先に「築造時期は庄内3式期の3世紀中頃」と書かれているだろ?
しかも、九州説が主張するデタラメな年代は、放射性炭素年代測定法でも否定された

821 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:38:28.28 ID:tsW6pvpq0.net
船は鉄が無いと作れないので
製鉄所あった北部九州

822 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:39:03.36 ID:cfEID4aY0.net
>>819
>>820

823 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:39:20.97 ID:Tc566vSF0.net
>>813
仲哀天皇の反応を見ても、大和ではこの時代まで朝鮮半島の事は良く知ってても、
中国の知識はほとんどの人があまり持ってなかったとみるべきだろうな。
中国鏡を持ってたとしても、朝鮮経由で手に入れた中古品がほとんどだろうと考えるべきだな。

824 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:41:48.53 ID:cfEID4aY0.net
>>810
言ってる意味がちょっとよくわからない
どっちが勝って、どっちが負けたと考えてて、どこからどこに遷都したと言いたいのか

825 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:42:18.50 ID:EBHFg8t80.net
>>818
あくまで一部だけど、畿内の人は九州から人が来たわけがないと感情的になるし、九州は九州で邪馬台国が九州になきゃイヤだと駄々をこねるから面倒くさいw

826 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:42:40.64 ID:NDO1iqQG0.net
こういう話になると時系列ごっちゃになる人が多いのも謎
古墳時代ってだけでも数百年あるんだい
数百年後のものを指してほら交流跡あるじゃんと言う
所詮その程度の知識

纒向遺跡からは銅鏡も勾玉も剣も出土していないし
ましてや大陸からのものも出土していない
もし邪馬台国なら当然何らかの痕跡があるだろうにね

827 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:43:24.19 ID:tsW6pvpq0.net
北部九州の乗っ取りが古代日本史

828 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:43:46.75 ID:NDO1iqQG0.net
>>820
解ってないのは自分のほうじゃんな

829 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:44:20.58 ID:LmMEIgrn0.net
>>819 橿原考古学研究所は纏向が3世紀中頃だと
初代〜8代が住んだ時期に橿原に邪馬台国がないことになるので
いじってるけどそれは信じないほうがいいよ
バイアス材料まるわかりだし 都合よく変える九州といっしょ

830 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:44:39.98 ID:0KpylSP70.net
>>36
大陸に近い
はい論破

831 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:44:54.05 ID:cfEID4aY0.net
>>823
だ・か・ら・時系列が逆転してたと、超超超オカルトを主張したいなら、
それを証明しろって、何度も何度も何度も言ってるだろ

832 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:46:32.60 ID:AlXBchJa0.net
>>830
近いから何なの???

833 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:47:27.91 ID:qQ1h7uz00.net
九州を追われた神武勢力が畿内に行ったら意外と簡単に制定出来て
軍備を整えて九州に仕返しに行った事を都合良く書き記したんだと思っている

834 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:48:40.82 ID:LmMEIgrn0.net
初代 神武天皇 橿原宮 奈良県橿原市 ←
2代 綏靖天皇 葛城高丘宮 奈良県御所市
3代 安寧天皇 片塩浮孔宮 奈良県橿原市? ←
4代 懿徳天皇 軽曲峡宮 奈良県橿原市 ←
5代 孝昭天皇 掖上池心宮 奈良県御所市
6代 孝安天皇 室秋津島宮 奈良県御所市
7代 孝霊天皇 黒田廬戸宮  奈良県磯城郡
8代 孝元天皇 軽境原宮 奈良県橿原市 ←
9代 開化天皇 春日率川宮 奈良市

橿原考古学研究所は8代孝元天皇あたりが橿原にいて
その後纒向に移ったことにしたいので
意図的に纏向は3世紀中頃より30〜50年あとにされてる
学者って汚いよな

10代 崇神天皇 磯城瑞籬宮 奈良県桜井市三輪山のふもと
11代 垂仁天皇 纒向珠城宮 奈良県桜井市纒向
12代 景行天皇 纒向日代宮 奈良県桜井市纒向
13代 成務天皇 志賀高穴穂宮 滋賀県大津市

835 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:49:23.80 ID:TPHqfZBr0.net
決定的な証拠がどちらからも出ないことを鑑みると
邪馬台国そのものが大した都市じゃなかったんだろうな
仮に九州とするなら九州くらいの広さの中に何十とある集落のうちの一つ、という程度の

836 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:49:50.82 ID:hjPiDkP10.net
邪馬台国連合はS北部九州と朝鮮半島の連合国である

837 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:51:45.07 ID:Tc566vSF0.net
>>831
神功皇后の三韓征伐と好太王碑に書かれてることが同じ出来事なら、
仲哀天皇が死んだのは4世紀末。
別の出来事なら大和とは別の倭軍がやったこと。
どっちが好みなんや?

838 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:52:49.30 ID:LmMEIgrn0.net
8代孝元天皇の治世が3世紀中頃で橿原にいて
邪馬台国も橿原にあって
その後代が変わって纏向に移動したことにしたい意図がみえみえだろ

839 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:52:58.11 ID:EBHFg8t80.net
纏向に関してはその前の伊勢遺跡とどういう関係があるのかわからないけど、突如大きな施設が造られているのが面白いな

840 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:53:39.81 ID:zgRh4UpM0.net
そもそも古墳時代の幕開けが前方後「円」墳というのもおかしい。
それより古い前方後「方」墳の時代も十分定型化されており古墳時代だったと言えるだろ。
そうやって辿っていくと、鉄の時代=弥生時代が到来した地域とは別に、縄文時代から直接古墳時代へと移行した土着文化圏が存在したとしか思えない。

https://i.imgur.com/49UBvoP.jpg

841 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:54:07.32 ID:cfEID4aY0.net
>>834
そんな与太話を唱えてる学者や研究機関はない

842 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:55:10.05 ID:LmMEIgrn0.net
昭和の年代測定なんてそんなもん
そういう意味で九州の甕棺編年もあやしいからな
祇園山遺跡の甕棺Xfを意図的の3世紀半ばにあてた疑惑

843 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:55:52.84 ID:EBHFg8t80.net
>>840
前方後円墳は円墳文化と方墳文化の連合の証と言われていたな。まぁ出現した時期と連合成立の時代は概ね一致するけど

844 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:57:41.81 ID:cfEID4aY0.net
>>837
おまえの空想の与太話には興味ない
自分の妄想を根拠にして、空想話をでっち上げ、これこそ史実だと強弁するやつは相手にしない
しつこいぞ

845 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:58:01.29 ID:XHi9yXkT0.net
>>535
初めてみたからどこがデタラメと指摘されたのか教えて

846 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 11:59:59.02 ID:GTeHJ9e30.net
年代測定自体が誤差100年を持つというのに、畿内説はそれらを30年単位で並べてあれこれ想像してるわけで。
根本的に考古学には向いてないよな。

847 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:00:05.79 ID:rrV4XSSr0.net
ふつうに考えたら九州が合理的なんだけど物的証拠がほとんど無いんでしょ
畑から金印が見つかったりとか鏡が見つかったとかなんか唐突なの多いね

848 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:01:08.82 ID:LmMEIgrn0.net
まだ桜井市は出土品の調査を橿原考古学研究所に任せてるから
昭和に橿原考古学研究所がたった14回の発掘調査で作った
纏向編年について文句言えない
15〜190回の発掘調査は桜井市がやって見直したいだろうが
現状教科書で年代は橿原考古学研究所の昭和のが載る

849 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:02:17.67 ID:zgRh4UpM0.net
>>845
デタラメじゃないよ。
魏志の中の韓伝と、その年代に合う鉄の出土数だから。

850 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:03:13.61 ID:Ma3wASvZ0.net
>>803
九州にある神社などの伝承を見ると
天皇家の祖は九州で間違いないかと
まあ卑弥呼と天皇家との関係はわからんけど

851 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:04:26.39 ID:QZjbVq7s0.net
他の国には「邪馬台国論争」みたいなもの、あるのかなあ?

ロシアには、東スラブ人の古事記にあたる「年代記」ってのがあって、その記述をめぐって

「ロシアの名の元になったルス族は、ヴァリャーグ(北欧バイキング)なのか、スラブ人なのか」
「ルスの本家はロシアなのか、ウクライナなのか」
論争があるらしいが。

852 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:05:41.12 ID:E7AWmQgp0.net
当時はまだまだ中国から文化、技術を取り込む時代

いきなり畿内にあるわけねえだろ

853 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:06:43.44 ID:tsW6pvpq0.net
万葉集のオオキミ が九州王の呼称

854 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:07:14.53 ID:E7AWmQgp0.net
卑弥呼

日を観る巫女

火を観る巫女

火を使って預言してたシャーマンだから

簡単に火を得られる

近くに火山がなきゃ無理だぜ

855 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:07:38.65 ID:L5rEG2EW0.net
>>851
民族起源説なら世界中にあるわな
それこそお隣の半島なんか盛んだろw
DNA解析技術の進歩で、色々と嘘が暴かれてきてるけど

856 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:08:15.55 ID:E7AWmQgp0.net
ヤマタイ

阿蘇を行けばその意味がわかる

山と台地、自然の防御壁

857 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:08:20.68 ID:rESEvrjt0.net
>>847
釣針でかすぎw

858 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:08:22.35 ID:XHi9yXkT0.net
>>849
そうなのか
日本史は専門ではないが、それなら世界史の常識的には最新素材である鉄が多いところに中心的な支配勢力があると考えられるな

859 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:09:13.59 ID:E7AWmQgp0.net
古代都市国家は

きちんと見事に整備された広大なたんぼが基本だぜ

860 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:10:02.26 ID:bUfSV2Lk0.net
>>851
アメリカでは、最初のアメリカ人は日本から来た説が最近出てきた
https://gigazine.net/news/20190830-first-americans-from-japan/

861 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:10:12.02 ID:d6VQMk1/0.net
中国から見た倭人というのは、大陸での覇権争いから逃れ、朝鮮半島を経て、海を制し、九州を開拓した人たちのこと。
なので、半島南部と九州を頻繁に行き来し、貿易や商業を発達させて勢力を伸ばした人種。
それゆえに、争いを避けるため、大陸の覇者とは争いませんという確約の元、交流も行うことができた。

ところが弥生時代末期ともなると、半島南部も敵対勢力が増え、武力でしか領土は持ちこたえられないという
大きな連合組織と軍を持たなければ、いずれ、大陸や半島の覇者が攻めてくる。
そこで、海の機動力を生かして、日本本州へ盛んに移動し、本格的な国づくりを行う必要性が高まった。

近畿が弥生時代末期に急速に発展し、古墳時代に突入するといった大きな流れには相当の理由がある。

862 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:10:31.86 ID:cfEID4aY0.net
>>845
>・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
>・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
>・畿内政権は鉄を取りに行っていない
>・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
>纏向遺跡の出土土器に九州産や半島産が含まれていない

この辺がデタラメというか、ほとんどが意図的な嘘
正しい情報は今日上の方で書いてあるから見て

863 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:10:32.62 ID:E7AWmQgp0.net
卑弥呼の鉄鏡が出た大分県日田は

むかしからヒタ

つまり卑弥呼の田

卑弥呼が生まれた土地

864 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:11:01.27 ID:Ma3wASvZ0.net
>>858
初期の邪馬台国が北部九州にあると考えると
古代文献、伝承共に無理が無いのよのねぇ

865 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:11:16.52 ID:tsW6pvpq0.net
九州倭国王が大王と呼んでたので
滅ぼした天武が天皇と自称するようになったのが歴史

866 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:11:30.97 ID:EBHFg8t80.net
桜井周辺って唐古・鍵遺跡にしろ纏向にしろ笠縫にしろどれも至近距離だから、かなり古い時代から栄えていたことは解る。ただ、ここが初期ヤマト王権の中心になったきっかけはなんだったんだろうな。
吉備はもちろん北部九州とも関係が良好なようだし

867 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:11:49.16 ID:L5rEG2EW0.net
>>860
石器が日本の縄文のものとそっくりという奴な
確かにアメリカに陸続きで渡れる民族の有力候補だわなw

868 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:12:16.47 ID:E7AWmQgp0.net
事前に何がおきるかわかる特殊な能力をもってた卑弥呼

大分県日田のとなり
うきは朝倉もきちんと見事に整備された田んぼだぜ

869 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:12:57.10 ID:E7AWmQgp0.net
ヤマタイは阿蘇

狗奴は南阿蘇

870 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:12:59.76 ID:I8Ogrh7b0.net
>>840
前方後方墳の祖墳が濃尾・近江だからそこを中心とした東国がうかがえるな。

871 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:13:05.72 ID:rESEvrjt0.net
鏡は昔から見つかってたけど、その鏡は凄いから何か邪馬台国と関係あるんじゃね?みたいな事を気にしてた九州論者、しかし畿内論者は華麗にスルー
ところがどっこい、曹操の墓からその鏡と酷似した鏡が出た!中国の学者が日田の鏡って曹操と同じやん!て流れだろう。
これだけでわかることは畿内論者はあまりたいした事ないんじゃね?て事www

872 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:14:14.22 ID:E7AWmQgp0.net
たとえば豊前豊後は地続き

肥前肥後は離れてる

火、日、卑、肥

873 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:15:53.22 ID:KZdSI4pu0.net
>>868
邪馬台国の甘木朝倉説って
地名の相関関係が素人目には凄いんだけど
あの理由は誰かがちゃんと考証したんだろか

874 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:16:38.73 ID:LpsgwXoM0.net
魏から貰った鏡が出てきた時点で九州確定だよな
あと親魏倭王の印さえ出てきてくれれば…

875 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:16:42.35 ID:iOmHQXKt0.net
帯方郡(現在のソウル付近)から狗邪韓国(こやかんこく)まで7000余里で
同じく帯方郡から邪馬台国まで1万2千余里なんだから、どう考えても
邪馬台国が北九州のわけがない。

876 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:16:45.21 ID:KvX9IuWF0.net
くぬもん作ってこ

877 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:16:53.66 ID:E7AWmQgp0.net
特殊な能力をもつ卑弥呼はまず朝倉へ

そこから阿蘇へ

四方を山にかこまれた日田

進撃の巨人、日田の諌山が発想しやすい風景

山が諌める

そこから阿蘇へ

878 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:17:09.71 ID:d6VQMk1/0.net
なぜ、大和建国に近畿が選ばれたのか?
おそらく、そこに丹が取れる場所がみつかったからじゃないかな
当時の丹はとても希少価値があり、宗教的にも権威としても大事にされてきた。

879 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:18:51.82 ID:tsW6pvpq0.net
ヒミコは火見子 阿蘇王が元祖で
パクったのが北部九州ヤマト
だろ

880 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:19:00.27 ID:E7AWmQgp0.net
ヤマタイは自然の城壁にかこまれた阿蘇

狗奴は南阿蘇

881 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:20:07.14 ID:Ma3wASvZ0.net
>>875
もう古いねその説

882 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:20:36.19 ID:E7AWmQgp0.net
大分県には国東市、クニサキ

クニの崎、端がある

鹿児島ではなく宮崎に

日の南、日南市がある

883 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:20:46.30 ID:TPHqfZBr0.net
ヤマタイカでも読み直すか
あれは東遷説だったよな

884 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:21:15.52 ID:7vN0Jydl0.net
纏向って規模が大きいだけで一般人しか住んでないよね
何かしら決定的な物証とか出てるんかな?
花粉とか飲み物や土器にだって混入出来る物じゃあ話にならないし
古墳がありましたって言うのも誰のか分からないんじゃあダメだよね

885 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:22:11.93 ID:E7AWmQgp0.net
大分、オオイタ

イタコ

この世あの世を分ける

別府にむかしから蔓延する硫黄臭は

古代人からすれば地獄の臭い

886 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:22:54.46 ID:QZjbVq7s0.net
>>860
それは出てきたばかりの、ごく一部の人しか知らないマイナーな学説で
 邪馬台国論争のように、何十年(江戸時代のも含めたらもっと古いか)も、専門の学者だけでなく、国民の間で広く議論されてるもの、とは言えないな。

887 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:22:59.45 ID:E7AWmQgp0.net
クニサキとニチナン

現在のわれわれと方向感覚が違う

888 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:24:37.49 ID:Lq1JDhHJ0.net
まあ九州から古墳時代の大規模祭器遺跡でも見つかれば
畿内説はひっくり返る訳で
吉野ヶ里の連中がどこに移り住んだのか面白いよね

889 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:24:41.74 ID:JuRdYPSOO.net
大和朝廷の祭祀にアマテラスは居ない。居るのは守護神八神。だから何処かで必ず祭祀が半島と入れ替わるか最初から半島に食われてるかなんで当初倭は九州王朝中心で神武が東征してたたらの女を嫁にした辺りからおかしくなっていって仲哀で入れ替わったと思うぞ。

890 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:24:45.40 ID:E7AWmQgp0.net
阿蘇が噴火

筑紫側には筑紫族がいて厳しいから

大分側へ

891 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:24:56.12 ID:Ma3wASvZ0.net
>>886
日本人が渡ったかどうかわからんけど
東アジア文化圏の人種が移住したのだろう
インディアンの精神的な考え方がアジアぽいから

892 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:26:15.75 ID:TPHqfZBr0.net
>>860
どっちにしろその「アメリカ人」ってネイティブアメリカンの事でしょ?
現代アメリカのマジョリティと関係無いから論争になりようもないんじゃないの

893 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:26:35.96 ID:E7AWmQgp0.net
宇佐で紛争、敵の慰霊に神社

別の府を避け

北九州から中国へ

出雲で鉄の武器、大量生産を知り

もってきたものを廃棄

894 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:27:46.95 ID:cfEID4aY0.net
日本ではこれだけ紀年銘鏡が出土してる

この時期、畿内と中国が交流できていた期間って、実は結構短い
畿内勢力が本格的に北部九州に進出したのは、3世紀前半で、対外交渉もそれ以降となる
一方、中国人が頻繁に日本に来てたのは、3世紀中頃までで、3世紀後半からは激減する
重なるのは、230年頃から250年頃までの期間しかない
紀年銘鏡もその時期のものばかりというのも整合性がある

青龍三年 235年 方格規矩四神鏡 大田南5号墳   京都府京丹後市
青龍三年 235年 方格規矩四神鏡 安満宮山古墳  大阪府高槻市
青龍三年 235年 方格規矩四神鏡 (出土地不明)
景初三年 239年 三角縁神獣鏡  神原神社古墳  島根県雲南市
景初三年 239年 画文帯神獣鏡  和泉黄金塚古墳 大阪府和泉市
景初四年 240年 斜縁盤龍鏡   広峯15号墳   京都府福知山市
景初四年 240年 斜縁盤龍鏡  (伝)持田古墳群 宮崎県西都市
正始元年 240年 三角縁神獣鏡  竹島御家老屋敷古墳 山口県周南市
正始元年 240年 三角縁神獣鏡  蟹沢古墳    群馬県高崎市
正始元年 240年 三角縁神獣鏡  森尾古墳    兵庫県豊岡市
赤烏元年 238年 平縁神獣鏡   鳥居原狐塚古墳 山梨県西八代郡市川三郷町
赤烏七年 245年 平縁神獣鏡   安倉高塚古墳  兵庫県宝塚市

これ以外に桜井茶臼山古墳からも蟹沢古墳出土の正始元年鏡の同笵鏡とされる鏡も見つかってる

895 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:28:04.85 ID:Ma3wASvZ0.net
>>888
宗像にある沖ノ島は古代より聖地とされてるけどね

896 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:28:16.08 ID:E7AWmQgp0.net
天草ー阿蘇ー宮崎高千穂にリンクするような

淡路ー畿内ー三重伊勢

そこでヤマタイの正式な系統者として

897 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:30:02.23 ID:E7AWmQgp0.net
邪馬台国と

大分の耶馬溪

邪馬が通った渓谷

898 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:31:06.35 ID:EBHFg8t80.net
>>888
吉野ヶ里は神埼郡の前身だろう
海岸線後退と、そもそも防衛する必要性が薄れたので環濠集落が無くなったようにみえる

899 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:31:17.37 ID:Lq1JDhHJ0.net
>>892
ネイティブアメリカンは9割がハプログループQの染色体なので
アジア辺境特有のDや中国のCよりもずっと新しい遺伝子
でも最初にアメリカに文化圏築いた連中は、どうも古アジア人らしいという事

900 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:31:25.57 ID:E7AWmQgp0.net
大分県日田には

月出山がある

なぜかカントウという

関東地方じゃねえぞ

901 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:31:41.52 ID:Krx4HvXd0.net
>>10
>>724
変なマウント取り
根拠ない嘘

チョン涙拭けよ

902 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:32:33.45 ID:XHi9yXkT0.net
>>862
>>781のことか
古墳などの墓所や宗教施設といった特定の場所は、どこかの時代に収集しうる勢力があった証明にはなるが、
特定の時代に有力勢力があったかどうかは一般的には同じ時代の出土品の種類や数を見ると思う
古墳などの場合は、仮にその時代の製品であっても、後の時代に自分たちの祖先をよく見せることで権威を高めようと追加することも珍しくないから、年代測定もそれほど証拠にならずなかなか難しい

903 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:33:38.34 ID:E7AWmQgp0.net
大分県日田はむかしからヒタ

卑弥呼の田

大分県日田には

小さな会所山神社がある

会う所の山と書き

ヨソヤマ

904 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:34:21.19 ID:VKsyngEe0.net
>>752
いやだから奈良に大きな勢力があったのは別にいいんだよ
問題は桃の種がなぜ邪馬台国畿内説の根拠になるか
邪馬台国とは全く関係ない別の勢力ではなぜだめなんだい?

905 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:34:38.38 ID:Ma3wASvZ0.net
>>902
その通りだな
古くから伝わる『お宝』を埋葬するのはあり得る
それより、当時の生活がどうなっていたのかを調べるのが先決

906 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:35:11.42 ID:E7AWmQgp0.net
卑弥呼の墓は立派なものじゃない

われわれは

特殊な能力をもった卑弥呼の後継者を自負して移動

907 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:35:22.74 ID:7vN0Jydl0.net
>>895
そうだよね
どんなに説を語っても沖ノ島を通って大陸との交易をやっていた事実は消えない
九州北部までの道のりは確定してる
その先の水行20日って瀬戸内海を通って畿内に行くのに
どこにも停泊せずにどこの地名も出ないなんて変だよね
今出てる日田説なんかで考えて20日が2日の間違えなら距離はぴったり合う

908 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:38:22.57 ID:TPHqfZBr0.net
>>899
いやそういうことじゃなくてさ
先アメリカ人が誰であったとしても現アメリカ人にとってはさして関心事にはなり得ないだろうなあって話
どっちにしろ今アメリカ人と呼ばれている人のルーツとはなんも関係ないから邪馬台国論争みたいなメジャーな争いには発展しないよねって

909 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:39:13.63 ID:Lq1JDhHJ0.net
>>907
畿内までたどり着くのが唐突すぎるんだよね
瀬戸内海なんていう分かりやすい地勢が記録されてないのはおかしい
沿岸にもクニや集落が多数あったろうに、何故かガン無視

910 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:40:33.73 ID:Lq1JDhHJ0.net
>>908
考古学ってのは関心・無関心でやるものじゃ無いからw
それに争うためにやるもんでも無い

911 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:42:26.28 ID:EBHFg8t80.net
筑紫から大和までの途中がぶっ飛んでるのは隋書も同じという不思議
よほど何もなかったのか

912 :オラ悟空:2019/09/11(水) 12:42:31.21 ID:E7AWmQgp0.net
邪馬台

邪蘇教

阿蘇

高千穂神話

耶馬溪山

913 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:43:07.14 ID:Lq1JDhHJ0.net
>>911
出雲は何してたんだろねw

914 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:46:21.46 ID:TPHqfZBr0.net
>>910
文盲かよw
だってそもそものレスが邪馬台国論争みたいのが外国にもあるかな?って趣旨だったろ
誰も関心無い論争もない起源説ならそら世界中にあるだろうよ
そうじゃなくて一般社会も巻き込んで長く続くムーブメントになってるような論争があるかどうかって話だろ?

それと考古学は関心・無関心でやるものじゃないのかね
誰も関心ない分野じゃ金も出ないしそもそも研究対象にすらならん

915 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:46:25.57 ID:EBHFg8t80.net
>>913
投馬国が出雲という説があるけど、これを実証するのは難しいからなんとも

916 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:47:17.92 ID:cfEID4aY0.net
>>902
古墳時代も古墳からしか出土しない傾向は同じ
その理屈を持ち出して、「ヤマト王権なんか存在しなかったんだー」っていうトンデモと同じ
実際にある証拠を認めない人は、どんな理屈を作ってでも認めないから、これで終了

917 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:48:56.93 ID:Ma3wASvZ0.net
>>916
トンデモとは
武力を考慮しないこの事かい?

764 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/09/11(水) 09:43:31.59 ID:cfEID4aY0
>>761
こうやって九州説は最終的に、ヤマト王権の存在そのものを否定する
要するにトンデモを唱えてるだけ

918 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:50:27.39 ID:cfEID4aY0.net
>>904
>問題は桃の種がなぜ邪馬台国畿内説の根拠になるか

根拠にしてないという意図で書いてきたつもりなんだが?

919 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:53:26.37 ID:EBHFg8t80.net
北部九州に前方後円墳が早い時期にいきなりできたのも不思議だが、それよりも唐古・鍵遺跡なんかで銅鐸作ってた大和が突然鏡信仰になったのも不思議なんだよな

920 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:57:07.51 ID:cfEID4aY0.net
>>917
ヤマト王権の成立段階では武力による征服ではなく
前方後円墳体制で成り立っていったというのが日本古代史の通説なんだが
邪馬台国どうこう関係ない問題
日本古代史の通説をトンデモと呼びたいなら、好きにすればいいんじゃない?
九州説の人は、教科書もデタラメと全員が思ってるようだし

921 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 12:59:35.88 ID:bNL00/EP0.net
>>894
紀年銘鏡は4世紀以降に作られた国産鏡だな。

922 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:00:33.61 ID:Ma3wASvZ0.net
>>920
歴史なんて書き換わるもんだろ
特に古代
通説が間違ってましたなんてよくある話

当時の状況と文化的発展を考えると
最初から中央は畿内にあったという畿内説は無理があると主張してるだけだけどねー

923 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:01:03.40 ID:cfEID4aY0.net
>>919
寺沢さんは、銅鐸は村の共有財産、鏡は個人所有で王権の証みたいなことを書いていたような

924 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:02:00.10 ID:Ma3wASvZ0.net
そういや、恐竜もティラノサウルスには羽が生えてた!
なんて10年前は言ってたけど
最近ではまた、いや羽はやっぱ生えてなかったぽい
になってるみたいよw

925 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:06:15.72 ID:cfEID4aY0.net
>>921
九州説としては、そういうことにしないと即否定になるからな
桜井茶臼山古墳は3世紀の古墳だけどね

926 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:09:13.03 ID:QZjbVq7s0.net
>>914
元レス書いた俺的には、君の書いてる趣旨どおりです。

専門の学者だけの論争だけだと「邪馬台国みたいなもの」とはいえないね。

927 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:09:13.50 ID:bNL00/EP0.net
>>875
帯方郡から狗邪韓国まで7000余里
朝鮮海峡の3水道が各1000里
対馬が400里×2、壱岐が300里×2
末盧国から伊都国が500里
伊都国から奴国が100里
合計すると丁度12000里
女王国とは伊都国と奴国のこと。

928 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:11:04.80 ID:bNL00/EP0.net
>>925
桜井茶臼山古墳を3世紀の古墳としてる根拠が4世紀以降に作られた国産鏡紀年銘鏡なんだよなw

929 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:16:02.57 ID:cfEID4aY0.net
>>928
そういう嘘をついてでも、年代の根拠がないことにしたいんだろ

930 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:18:48.29 ID:Tc566vSF0.net
>>875
7万戸を養える倭国最大の穀倉地帯やからな。
大陸からの海賊の襲来を警戒して、わざと回り道して1か月も歩かせたんやろ。

931 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:26:51.36 ID:xlMuQnxo0.net
海は千里単位、よって千里が1日の距離
陸は百里単位、よって百里が1日の距離

百里は短里で8km
一月だと240km、2/3を直線距離とすると160km

沿岸部から直線距離で160km入ったところが邪馬台国

932 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:29:28.52 ID:zgRh4UpM0.net
>>920
あらま教科書が最後の心の拠り所なのか?
じゃあ南京事変の被害者40万人、韓国の従軍慰安婦20万人、数十万人の徴用工に謝罪して来いよ。
教科書に書いてあることは真実なんだろ?

933 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:35:32.16 ID:xlMuQnxo0.net
>>931 の続き
直線距離ではないけど・・・・福岡市〜鹿児島、280km

934 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:36:22.52 ID:KiCjcVyX0.net
20年くらい前の史料の授業でそうも読めると習ったが

935 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:37:53.48 ID:bNL00/EP0.net
>>929
三角縁神獣鏡が出土しててその年号を元に3世紀の古墳だとしてるから
三角縁神獣鏡が4世紀以降の作だと根拠が崩れるんだよ。

936 :名無しさん@13周年:2019/09/11(水) 13:40:10.35 ID:FkCHCbnCt
畿内説とは何か? 歴史を「ブラタモリ」に学ぼうとしない妄想論だぜwww
歴史の基礎をまるで習得していない単なる発掘バカの妄想なwww

937 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:40:18.48 ID:xlMuQnxo0.net
邪馬台国が海に面してるとするなら有明海か八代海沿いだろうね
http://www.qsr.mlit.go.jp/n-kawa/suisitu/img/map.gif

938 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:43:08.10 ID:rESEvrjt0.net
倭人伝に書いてある卑弥呼がいた邪馬台国はどこ!?と言われれば九州でしょう。

939 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 13:57:15.23 ID:xlMuQnxo0.net
>>937 の続き
ごめん訂正
卑弥呼の国はそんなに小さいものではなかった
東側も海に面してた

女王国東渡海千余里復有国皆倭種

東に海を渡った場所は中国地方、そして四国も加わるか?

940 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 14:15:45.45 ID:bNL00/EP0.net
>>938
卑弥呼がいた女王国は伊都国(糸島市)
>>939
北部九州の小国の連合体が卑弥呼の治める邪馬台国なんだよな
大分県側の東側も海に面してた 。

941 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 14:19:58.72 ID:J1teWQnZ0.net
調べてたら怖くなった
吉野ヶ里遺跡でさえ開発に邪魔ってことで潰される寸前だったらしいじゃん
知事が別の人だったら今頃そうなってたっていう。それ以下の遺跡はどんだけ消えてるんだよ

942 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 14:24:23.19 ID:Tc566vSF0.net
>>919
たぶん出稼ぎやろ。
地方から大和に人を集めて開拓事業するには先立つものがいったんじゃないだろうか。
唐古・鍵遺跡は飢餓かなんかで大和に恩ができるなどして
おそらく真っ先に銅鐸文化圏を裏切ったんじゃないかな。
奈良県としての銅鐸出土数の年代分布しか見たことないから、
唐古・鍵遺跡も同じような年代分布なのかどうかは知らんけど。

943 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 14:25:18.92 ID:OghIAz0f0.net
>>941
福岡は
地面掘れば遺跡に当たるて言う人居るね

944 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 14:55:59.52 ID:J1teWQnZ0.net
>>732
日本史板で議論されていたのは
最初はお膝元で製造していたけど、環境破壊になるので、そのうち外注しだすのではないか
日本のアニメをアジアに外注しているうちに向こうに技術移転してしまったみたいな

945 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:24:14.88 ID:Tc566vSF0.net
>>944
九州は鉄器と交換するための米は豊富にあったと思うが、
鉄器の生産技術があったとは思えんけどな。
出雲圏(銅鐸文化圏)の方が高い技術を持ってたから
初めからそっちにできたんじゃないかと思うかな。
九州勢力による投資くらいはあったとは思うが。

946 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:28:37.13 ID:zgRh4UpM0.net
邪馬台国時代の九州にはしっかりと鉄文化が浸透しているという事実。

富の原遺跡/長崎県大村市
(弥生中期初頭〜後期前半)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、
錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、刃部には真鍮を
削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は
0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている
すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる
「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された

947 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:38:39.36 ID:B9x+QGMu0.net
九州説の根拠ってなーに?
南は絶対に正しいけど、古代中国人は日数も数えられなかった
これだけ?

948 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:41:44.23 ID:Tc566vSF0.net
古墳時代、畿内で金属器の出土品が多く、九州で少ないのは、
治水等が行き届き、めったに洪水で埋まるようなことが無くなったのと、
自分らで生産できる畿内は惜しみなく古墳に埋めるが、
汗水たらして育てた米と交換して手に入れた金属器を自らの意志で埋めるような
もったいないことをできなかったことを意味してたりするんかもな。

949 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:43:10.44 ID:FmLsudEg0.net
九州の人しつこいな 近畿で間違いないよ

950 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:49:39.70 ID:JLPqjK8c0.net
卑弥呼は、九州だろうなぁ

951 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 15:49:59.03 ID:xiRKY8Tg0.net
宮崎か徳島じゃないと条件が合わない

952 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 16:02:58.27 ID:Tc566vSF0.net
>>951
どのみち陸行1月の必要性がなぜなのかが問題になる。
地形的に必要になるのは黒潮のため外洋に出るのがリスクを伴う
高知か中京地域くらいだろう。

953 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 16:31:15.71 ID:XHi9yXkT0.net
>>916
世界史の中でもユーラシア大陸の超マクロの動きが専門だから、何を言ってるのかよく分からないんだが
>>781の出土分布は、俺が>>902で書いたことを理解してるから(専門家なら当然だが)左右に分かれてて、
左棒グラフは一般集落からの発掘数なのでは?
右側の棒グラフに>>789が反映されていないのはなぜ?
時代が違う?

954 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 16:56:17.14 ID:Ma3wASvZ0.net
こうやって見ると
畿内説言ってる人は少数の声の大きい人みたいね

955 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 16:56:39.51 ID:bUfSV2Lk0.net
>>943
那珂遺跡は、民間ビルを建てる時に掘ってみたら環濠が見つかったもの

奴国を取り囲む大きな外周の一部と見られている。

博多駅のそばなんで多くは福岡市の中心の下
https://i.imgur.com/IQlifac.jpg

956 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:02:54.80 ID:YQBxRnkp0.net
福岡は奴国
邪馬台国ではない

957 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:06:02.34 ID:YQBxRnkp0.net
邪馬台国の中に伊都国や奴国があるってのもやめた方がいい

958 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:10:37.75 ID:JLPqjK8c0.net
やっぱ宮崎じゃね、天孫降臨の地だし

959 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:18:12.66 ID:JoMcxXP4O.net
途中の村を通る度に歓待をうけていたら、一ヶ月もかかってしまっただけじゃないの

960 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:23:47.86 ID:B9x+QGMu0.net
九州派って北部九州に100万人いたと本気で思ってんの?

961 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:26:36.52 ID:4xi7Zq6S0.net
>>817
畿内説論者でも後の大和朝廷と邪馬台国との間には
制度や文化に大きな違いがあるのを認めている、かつ
なんでそれが変わったのか証明できてないんだのな。

962 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:33:14.46 ID:V4O1d1XV0.net
>>955
こうやってみると
邪馬台国もどこかの都市の地下に埋もれてんじゃ無いかと思うわ

963 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:41:50.38 ID:J1teWQnZ0.net
しんどい。スレ全部読んだ
>>130
例えば明治政府は薩摩から徴税できていなかったから、
比喩的に言うと、米を入れた薩摩式土器が旧江戸城に搬入されない的な
>>168
例えば日韓併合のときは向こうに親日派がいて、国際法上と欧州各国の了承のもと、併合している
鉄の武器の出土が圧倒的に九州なので戦意起こらないかもしれないし、
安曇族も事前に各地に進出しているから、元同族ってことで大きく和したとか?
>>203
高地性集落? タイミング詳しくないけど、西から東へは神話上も複数回ある
例えば安曇族による海岸線への侵攻で、神話で言うとニギハヤヒ?
神武の神話はその後。お互い同族じゃんって神器を見せ合っている
>>331
これが一番ビックリした
発音も記録されているなら、正真正銘ヤマトとオオミワが福岡の物部氏じゃん
オオミワって三輪山のニギハヤヒだよな

964 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:42:36.24 ID:J1teWQnZ0.net
>>340
文系の歴史家の発想は南京事件の記述見ても科学じゃなくて政治。ポリコレっぽい
>>455
ちょっと難しいんだけど、二度と故郷に戻れる可能性が低いから、鏡を割って遠方の家族と持ちあっていたってこと?
福岡の埋葬風習が後の畿内に移ってるのと同じタイミング?>>386のやつ
>>470
面白くて難しい。安曇族は船使うから沖縄式の方角感になる?
>>648
ニギハヤヒは神武より先に九州から来てた同族。歴史学者は大分と言ってる。大分の前は山門郡?
>>945
なんか奴国の遺跡に鉄の生産と環境破壊の後と(伐採による)洪水の跡があって、
それで中国地方のどっかに製鉄拠点を複数作ったと
当時は空き地多いから、本州に行けば別に戦争せずにその土地使える>>911とか

965 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:57:34.85 ID:qVwgTeOt0.net
>>963
西から東への侵攻の話は複数あるな
実際、弥生時代の文化や人の流れがその方向だから当たり前かも知れないが

966 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 17:59:28.99 ID:B9x+QGMu0.net
邪馬台国が東遷して大和朝廷になった
日食が起きて卑弥呼の呪術が衰えたとみなされ殺された

こんなの小学生向け読み物の中だけと思ってたが、まじで信じてる大人がいることに驚き

967 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:05:05.07 ID:qVwgTeOt0.net
>>966
東遷のようなものがあったとしたらもっと前の時代だよ
高地性集落の遷移やら鏡の出土状況からして

968 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:07:23.54 ID:0NUJ3J9F0.net
>>301
何ヘラっと嘘ついてんだよ
古物商はなんも知らんで売った
買った方の先生が昔大分の学校に飾られていた盗難された遺物を覚えてて買い戻したんだよ
発掘された時の資料もあってほぼ間違いないじゃろって大分に戻ってきたんよ

969 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:15:50.08 ID:RZx+qbdg0.net
>>955
博多って海辺では
砂地で建物建てるの大変って聞いたけど

970 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:20:50.62 ID:ZyDHHr5E0.net
ID:yjDSp0sY0
この人説得力ある
レスをもっと見たい

971 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:20:52.37 ID:bvQx0kVQ0.net
>>966
東遷が歴史的事実じゃないならどうしてわざわざ事実と異なる事を書いたのか
そこに何らかの政治的意図が存在する事になる
当時は西のほうが本流でそこを継承したのだという主張が見える

972 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:30:51.58 ID:mfBiEDC00.net
>>970
今日も自演ですか
毎日毎日、自演乙です

973 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:35:23.69 ID:ZyDHHr5E0.net
>>972
おれがこんな知識があるわけないw
文体でわかるやろ
おまえこんなことが読み取れなくて歴史論争に参加すんなよw

974 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:36:49.38 ID:sCvWmwmJ0.net
奈良の大神神社をモデルに筑前におおみわ神社を作る

周辺の地名を奈良に大神神社に合わせる

大己貴おおなむち神社に変更

筑前の発展を考えると奈良の大神神社が先だろ
3世紀の筑前町とか奴国からも離れた田舎だぞ
白村江以降は重要になるが

975 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:42:42.22 ID:sCvWmwmJ0.net
大和の三輪を筑前に再現したのは
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/fa/8bb155e98cf905ea32b65ac219bdcbb9.jpg
唐に海戦ではかなわないので
念のため九州支所を海岸線から離れたところに置いたんだろう
大宰府も近くに作られる

976 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:43:58.86 ID:BVhFfapC0.net
博多遺跡でぐぐって見よう。
調査する気が失せるほと莫大だから。

須恵、那珂遺跡も同様。

977 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:47:41.24 ID:rESEvrjt0.net
まぁ、例え九州で卑弥呼の墓が見つかっても、可笑しいな不思議だなと首をかしげてお仕舞いw
畿内の邪馬台国は絶対に揺らがない、決定事項ですよw
その証拠に曹操の鏡は全然スルーだろうwww

978 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:47:41.84 ID:sCvWmwmJ0.net
和魂の大国主を奉っていたのに
荒魂の大己貴に変更したのは荒事の解決を願ってのことだろう
普通に考えると九州で紛争があって
和魂の大国主では対応できなかった

979 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:48:29.74 ID:Eh0zfHltO.net
>>961
畿内説は矛盾だらけなんだよな

980 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:49:05.13 ID:2XXiesHJ0.net
地理的に九州じゃね?
九州人が近畿を侵略して王朝立てたと思う

981 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 18:58:20.51 ID:sCvWmwmJ0.net
邪馬台国は巫女が王の平和主義で占いで決めてたからね
そんなんで国が発展しないことはわかるよね

そこに朝貢や三韓との争いや
狗奴国を何とかするために派遣された軍事顧問張政の教えによって
変わっていったことは容易に想像できると思うが

卑弥呼のあとでも平和主義を続けたままだと埋もれてたと思うよ
変化したから残ったし大きくもなれた

982 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:06:36.35 ID:6G3KQvp60.net
続いてるなら朝貢も途絶えないだろう

983 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:10:05.71 ID:RZx+qbdg0.net
247年以降中国は大荒れの時代を迎える
隋の頃まで荒れるけど
隋は短命
次の唐で安定かな

984 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:10:23.92 ID:Ggnxriwx0.net
やはり邪馬台国はヤマトだったんだよ。
九州説なんていつまでも昭和な茶番劇をいつまでも引っ張るなw

985 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:10:28.77 ID:8G8JI8rk0.net
戦国時代でも隣接する国を滅ぼして徐々に自国の領土を広げてたけど
離れた場所をいきなり攻撃して、そこに首都を築いた例などないだろう?
東遷なんてフィクション小説の話だろうに

986 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:12:17.31 ID:sCvWmwmJ0.net
倭人がしっかりと大陸の王朝と関わったのは邪馬台国がはじめてだよね
そこで大陸王朝の政治制度や戦闘方法を学んで
大和朝廷の飛躍に繋がったと考えてるよ

そして出雲や狗奴国は戦法とかで
すでに大陸のやり方を取り入れていて
それゆえに最強国家九州北部は狗奴国の攻撃に苦労したし
卑弥呼が死んだあと男王を立てようとしたら
出雲が反対して攻めてきて倭国軍が負けて
また巫女を王にするしかなかった

卑弥呼の死後軍事顧問張政が来たとき以降に
男王を中心に大改革があったと思うよ
平和主義をやめて占いではなく現実的考える
そして四道将軍を派遣して各地に武装を見せる

987 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:13:45.74 ID:Km6UTxPW0.net
畿内説は狗奴国でグダグダになるなw

988 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:15:05.32 ID:JuRdYPSOO.net
邪馬台国は卑弥呼と弟(武内宿禰)で支配してる国だから、この二人三脚姫彦制統治は大和につながるんよ。因みに新羅もこのやり方昔氏らの嫁の氏族が動かしてる。大体この時代一番儲けてたのは鉄産出国だろ、コイツらが支配地域拡げようとすんのも自然だからな。

989 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:16:35.72 ID:VaxYtiVh0.net
>>981
卑弥呼の後継者は十三歳の占い少女

一度男王が立ったが不満が出て纏まらず内紛で千人もの死者を出し、戦時体制として下の下の選択をせざるを得なかったわけだ。
これで平和主義だとはとても言えないし、戦争状態の難局を乗り越えられたとはとても考えられない。
まして九州北部の邪馬台国は九州全体の3割の勢力でしかない。
残り7割の敵性勢力相手に凌ぎきれるのはラノベレベルのご都合解釈が大量に必要。

990 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:18:33.56 ID:sCvWmwmJ0.net
最強国家九州北部は狗奴国の攻撃にビビってたから
http://www.yoshinogari.jp/img/c3/cat-1/b102_01.gif
ここまでした
狗奴国は夜に移動したりゲリラ戦法をしてたと考えてる
だから広域を守るしかなかった

最強国家九州北部は巫女の占いに縛られていて
非合理的な戦闘をしていなかったがゆえに狗奴国を滅ぼすことができず
gdgdやってた

991 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:20:19.01 ID:JuRdYPSOO.net
ただ13歳ってとてもインパクトがあって新羅の人間にとっちゃ建国の祖、神再び降臨って意味もないとはいえないんだよ。

992 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:20:43.81 ID:4PtwGiCl0.net
>>960
白髪三千丈あったと思ってる?

993 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:21:26.17 ID:sCvWmwmJ0.net
文章がおかしい
合理的な戦闘をしていなかったがゆえに狗奴国を滅ぼすことができず
gdgdやってた
ところが軍事顧問張政に戦い方を教えてもらってやったら
あっさり狗奴国は降伏
台与は魏に贈り物をする(魏志倭人伝の一番最後のトコ)

994 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:25:00.61 ID:RZx+qbdg0.net
247年以降は司馬氏による傀儡政権で
265年以降は晋だけど
魏に送るんか?

995 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:26:05.84 ID:8G8JI8rk0.net
>>990
筑紫平野スッカスカ
なんじゃこりゃ
まっさらな場所にもちっこい遺跡くらいはあったんだろうけど

996 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:26:16.22 ID:obMLUhJe0.net
>>861
日本人も皆そう思ってたんだが、なんと弥生人が縄文系であったことが分かり騒然となった。
そして日本の倭人と言われているハプロo1b2も8000年前と河姆渡遺跡よりも古いタイプが見つかっている。
どうも方向が違うんじゃないかという雰囲気になってきた。

997 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:26:18.52 ID:sCvWmwmJ0.net
狗奴国降伏をきっかけに戦闘革命が起こった可能性は否定できないだろ

軍事顧問張政に教わったとおり難升米の黄幢で狗奴国が降伏
>遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢  拝假難升米 為檄告喩之

狗奴国は黄幢の意味がわかる文明国だったが
田舎の国に対しては分かりやすく武装してみせて威嚇した四道将軍

998 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:28:15.86 ID:obMLUhJe0.net
韓国のo1b2は新しいタイプしか見つからない。
つまり日本→韓国
中国はどうか分からないが、中国に日本のo1b2がほとんど見当たらないので別種ではないだろうか?

999 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:29:43.18 ID:R8fVJXQq0.net
>>985
東南アジアや中央アジア〜ロシア辺りをはじめとして世界的には珍しくない
この時代人が住んでいない地域が広大に広がっていて国と国が隣接していなかった
遷都するために民族移動しても、「国」にぶつからずにかなり遠くまで行けたと考えられるケースがある

日本の場合は大陸とは違って通れる場所が限られそうではあるが、例えどちらかが気づいても季節や食料事情や政治信条でスルーした可能性はある

1000 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:41:04.13 ID:sCvWmwmJ0.net
最先端九州北部はちょっと力を見せるだけの戦闘で
領地拡大がうまくいっていたと思うよ
殲滅はしなかった
だから出雲も同盟した

ところが狗奴国みたいに降伏しない国がでてきて行き詰った

1001 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:42:35.69 ID:sCvWmwmJ0.net
東海との戦闘も激しいものではなかったので共立できた

1002 :名無しさん@1周年:2019/09/11(水) 19:43:18.46 ID:sCvWmwmJ0.net
自分でもうまく繋がるなあと思うよ

1003 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

総レス数 1003
332 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★