【「国立戒壇」を日蓮正宗からパクった】日蓮宗国柱会【インチキ田中さん】
- 1 :神も仏も名無しさん:2024/03/19(火) 00:18:23.43 ID:c7JcLiAV.net
- 日蓮正宗歴代上人の戒壇についての発言
「国立戒壇」という言葉こそ全然ないけど内容は全く同じ
三十七代日■(《ぽう》ぎょくへんにたてまつり)上人
「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては、富士山の麓・天生原に戒壇堂造立あって…」(御宝蔵説法本)
五十六代日応上人
「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申すこうこうたる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって…」(御宝蔵説法本)
五十九代日亨上人
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)
「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけ
そして、田中智学の「国立戒壇」自体が富士大石寺の教えのパクりなのです。
たとえば日蓮正宗六十五代日淳上人は
「田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である」(「興尊雪寃録」の妄説を破す)
また、創価学会教学部編の「日蓮正宗創価学会批判を破す」によると
「あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近ごろは田中智学門流でさえも、囀さえずっているではないか」
さらに昭和の大白蓮華誌には
「田中智学は国立戒壇の建立が、宗祖大聖人窮局の御本懐であらせられることまでは知ることができた」(32年9月号)
「国柱会の田中智学は、富士の正義をぬすみ、三大秘法抄によれば富士に本門戒壇を建立すべきだ、などと主張した」(35年6月号)
このように宗門も学会も田中智学がうちらの教えを盗んだ≠ニ名指しで批判している
- 2 :神も仏も名無しさん:2024/03/19(火) 00:34:36.53 ID:c7JcLiAV.net
- ちなみに日蓮正宗(系列含む)で「大聖人」と言えば「日蓮大聖人」の事である
- 3 :神も仏も名無しさん:2024/03/19(火) 01:01:53.69 ID:c7JcLiAV.net
- 著名な国柱会会員
宮沢賢治
石原莞爾
佐藤菊子(北原白秋夫人)
高山樗牛
武見太郎
- 4 :おてんば私立学院総長 :2024/04/02(火) 04:11:58.26 ID:Gkf1ZWcD.net
- クソウヨ宗教のままでは法を下げるだけのこと。
- 5 :神も仏も名無しさん:2024/04/06(土) 10:29:41.07 ID:S33t4Ztn.net
- アメリカのカトリック聖職者は精神世界を二つに区分し、一方には聖書に啓示された教義をそのままに置いて、議論の余地なくこれに服するが、政治の真理はもう一つの世界にあるとし、ここでは神はこれを人間の自由な探求に委ねたと考える。
アメリカの聖職者は市民的自由を全面的に支持し、信教の自由を認めぬ人々をさえそれから除外しない。しかしながら聖職者が特定の政治体制に支持を与えることはない。彼らは注意深く政治問題の局外に立ち、党派的関係に巻き込まれない。
私自身の信仰から、カトリックの聖職者にはとくに近づき、その中の何人かとはやがて親しい間柄になった。そのうちの誰に対しても、私は自分の驚きを語り、疑問を打ち明けた。すると、これらの人々の意見が違うのは細部に関することだけであるのが分かった。誰もが、この国における宗教の平穏な支配の主要な原因を、宗教と国家との完全な分離に帰した。私は、アメリカ滞在中、この点で考えを異にする人間には、聖職者と平信徒とを問わず、ただの一人も出会ったことがないと言って憚らない。
聖職者自身の考えを調べてみると、この人々の多くは自発的に権力から遠ざかっているようであり、その外に立つことに一種の職業的矜持をもつように見えるのに気がついた。
彼らは野心と不誠実に対しては、それがどんな政治的意見を装おうとも、口を極めて非難した。だが、彼らの話をよく聞いてみると、人が真面目に信じるものであれば、政治的見解を理由に神の前で罪とされることはありえず、政治において過ちを犯しても、家の建て方や畝のつけ方を間違えるのと同じく、なんら罪ではないと言うのであった。
彼らはすべての党派から注意深く距離をとり、個人のあらゆる利害を傾けて、党派との接触を断っていた。
『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
- 6 :神も仏も名無しさん:2024/04/06(土) 10:29:58.15 ID:S33t4Ztn.net
- 宗教がその力を、万人の心を等しく捉える不滅への希求の上にのみ基礎づけようとするとき、それは普遍性を目指しうる。だが宗教が一つの政府と一体化してしまえば、特定の国民にしか適用できない教えを採用しなければならぬ。こうして宗教は、一つの政治権力と結ぶことで、ある人々に対する力を増大させ、万人を支配する望みを失う。
宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。宗教が現世の恨みつらみと混じり合うと、愛というより利益で結びついた宗教の同盟者を守るだけのものになってしまうことがある。そしてしばしば、宗教をなお愛しながら宗教の同盟者と激しく戦う人々を、敵に回さねばならなくなる。宗教が為政者の物的なカを分かちもてば、必ずや為政者のかきたてる憎しみの一部をも身に引き受けねばなるまい。
ある宗教がその力の源を、歴史のあらゆる時代に同じように繰り返し現れる感情、本能、情熱に見出している限り、それは時の挑戦をものともしない。少なくとも、別の宗教によってしか滅ぼされぬであろう。だがそれが現世の利益の支持を得ようとすると、地上のあらゆる権力とほとんど同じように脆弱になる。独りでいれば、永遠を期待できるのに、束の間の権力と手を結ぶと、その運命の後を追い、しばしば権力を支える一時の情念とともに滅びる。
だから宗教は種々の政治権力と手を結んでも、厄介な同盟関係に入るだけである。宗教が生きるために政治権力の助けは要らず、政治権力に仕えれば、宗教は死ぬかもしれない。
アメリカの聖職者は他の誰よりも前にこの真理を認識し、行動をこれに一致させた。彼らは、政治的権力を得ようと思うならば、宗教的影響力を放棄しなければならぬことを理解し、政治の有為転変を共にするよりは、その支持を失う方を選んだのである。
ヨーロッパの不信仰者は、キリスト教徒を宗教上の敵というより、政治的な敵として追及している。彼らは誤った信仰という以上に、一党派の意見としてキリスト教を憎むのである。聖職者の中に権力の友を見てこれを退けるのであって、神の代理人を拒むのではない。
『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
- 7 :神も仏も名無しさん:2024/04/25(木) 18:03:11.75 ID:4JpYXXKA.net
- >>1
日蓮宗は太平洋戦争の反省文は出した?
出してないなら、まず日蓮宗から取り潰し、な。
鎌倉時代からの800年間のキチガイ宗教。
- 8 :神も仏も名無しさん:2024/04/25(木) 18:10:51.48 ID:4JpYXXKA.net
- >>1
ああ、立正佼成会が日蓮宗か。
一応、立正佼成会 =立憲民主党が反省してるってことだな。
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