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【友だち以上には】なぜ戸田城聖は岸信介を日蓮正宗に入信させられなかったのか【決してなれないの…】

1 :神も仏も名無しさん:2024/03/16(土) 07:37:49.45 ID:le/RK4HE.net
「いいお友達」以上の関係にはなれなかったこの二人

岸首相(当時)は昭和33年3月16日、創価学会戸田会長は日蓮正宗総本山大石寺大講堂落慶式典に招待されたが側近政治家の猛反発食らい当日になってドタキャンする羽目になった

2 :元歌 バラライカ (久住小春):2024/03/24(日) 22:05:13.91 ID:glztvQ9E.net
関連スレ
【昭和の】岸信介って最低だよな【妖怪】
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1710353351/
主題歌

ゆらりゆらり揺れている その元凶 岸
かなりかなりヤバいのよ 統一教会とズブズブに
戸田城聖会長と親友だったのに
たくさんの友情 投げ捨て 邪教と組んだ

バカ内閣バカ内閣 イライラ内閣
この変節許せない
最も俗物パワーギラリンリン
ちょっと危険な カ ン ジ

バカ内閣バカ内閣 イライラ内閣
もう怒りが収まらない
最も俗物昭和の妖怪
岸信介バカ内閣

3 :神も仏も名無しさん:2024/03/26(火) 22:28:39.39 ID:ohHaBtLE.net
https://i.imgur.com/H46r1TF.jpeg
だれ

4 :神も仏も名無しさん:2024/04/06(土) 10:27:43.08 ID:S33t4Ztn.net
アメリカのカトリック聖職者は精神世界を二つに区分し、一方には聖書に啓示された教義をそのままに置いて、議論の余地なくこれに服するが、政治の真理はもう一つの世界にあるとし、ここでは神はこれを人間の自由な探求に委ねたと考える。

アメリカの聖職者は市民的自由を全面的に支持し、信教の自由を認めぬ人々をさえそれから除外しない。しかしながら聖職者が特定の政治体制に支持を与えることはない。彼らは注意深く政治問題の局外に立ち、党派的関係に巻き込まれない。

私自身の信仰から、カトリックの聖職者にはとくに近づき、その中の何人かとはやがて親しい間柄になった。そのうちの誰に対しても、私は自分の驚きを語り、疑問を打ち明けた。すると、これらの人々の意見が違うのは細部に関することだけであるのが分かった。誰もが、この国における宗教の平穏な支配の主要な原因を、宗教と国家との完全な分離に帰した。私は、アメリカ滞在中、この点で考えを異にする人間には、聖職者と平信徒とを問わず、ただの一人も出会ったことがないと言って憚らない。

聖職者自身の考えを調べてみると、この人々の多くは自発的に権力から遠ざかっているようであり、その外に立つことに一種の職業的矜持をもつように見えるのに気がついた。

彼らは野心と不誠実に対しては、それがどんな政治的意見を装おうとも、口を極めて非難した。だが、彼らの話をよく聞いてみると、人が真面目に信じるものであれば、政治的見解を理由に神の前で罪とされることはありえず、政治において過ちを犯しても、家の建て方や畝のつけ方を間違えるのと同じく、なんら罪ではないと言うのであった。

彼らはすべての党派から注意深く距離をとり、個人のあらゆる利害を傾けて、党派との接触を断っていた。

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル

5 :神も仏も名無しさん:2024/04/06(土) 10:28:03.38 ID:S33t4Ztn.net
宗教がその力を、万人の心を等しく捉える不滅への希求の上にのみ基礎づけようとするとき、それは普遍性を目指しうる。だが宗教が一つの政府と一体化してしまえば、特定の国民にしか適用できない教えを採用しなければならぬ。こうして宗教は、一つの政治権力と結ぶことで、ある人々に対する力を増大させ、万人を支配する望みを失う。

宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。宗教が現世の恨みつらみと混じり合うと、愛というより利益で結びついた宗教の同盟者を守るだけのものになってしまうことがある。そしてしばしば、宗教をなお愛しながら宗教の同盟者と激しく戦う人々を、敵に回さねばならなくなる。宗教が為政者の物的なカを分かちもてば、必ずや為政者のかきたてる憎しみの一部をも身に引き受けねばなるまい。

ある宗教がその力の源を、歴史のあらゆる時代に同じように繰り返し現れる感情、本能、情熱に見出している限り、それは時の挑戦をものともしない。少なくとも、別の宗教によってしか滅ぼされぬであろう。だがそれが現世の利益の支持を得ようとすると、地上のあらゆる権力とほとんど同じように脆弱になる。独りでいれば、永遠を期待できるのに、束の間の権力と手を結ぶと、その運命の後を追い、しばしば権力を支える一時の情念とともに滅びる。

だから宗教は種々の政治権力と手を結んでも、厄介な同盟関係に入るだけである。宗教が生きるために政治権力の助けは要らず、政治権力に仕えれば、宗教は死ぬかもしれない。

アメリカの聖職者は他の誰よりも前にこの真理を認識し、行動をこれに一致させた。彼らは、政治的権力を得ようと思うならば、宗教的影響力を放棄しなければならぬことを理解し、政治の有為転変を共にするよりは、その支持を失う方を選んだのである。

ヨーロッパの不信仰者は、キリスト教徒を宗教上の敵というより、政治的な敵として追及している。彼らは誤った信仰という以上に、一党派の意見としてキリスト教を憎むのである。聖職者の中に権力の友を見てこれを退けるのであって、神の代理人を拒むのではない。

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル

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