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阿含宗という宗教331

1 :口下手番長331 ◆LqOjycZZ7o :2023/08/28(月) 10:01:47.65 ID:cPPfNLNb.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
__________

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)← このリンクそのものはあるが、阿含スレはなくなっている?
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
http://agama.zouri.jp/kakoindex.html (1〜100まで)
http://agama.zouri.jp/kakoindex2.html (101〜200まで)
http://agama.zashiki...m/kakoindexmenu.html (201〜239まで) ←随分前からリンク切れ。

※ 以降は5ch(旧称 2ch)が転載防止策を講じたのもあり、転載できなくなっているのもあり、
※ 239で処理を中断しています。
※ なので、まとめサイトとしての agama考察室での過去ログ閲覧は239までとし、
※ 以降はネットで見たい掲示板のタイトルを検索して探して見ることをお奨めします。

過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.j...kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

前スレ
阿含宗という宗教 330
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/c/psy/1673494348/

2 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/08/28(月) 10:41:22.88 ID:NIQXC6Oa.net
>>1
スレ立てありがとうございます。
阿含宗という宗教130、もう終わりということに全く気付かず、書き込んだら終わってしまいました。
申し訳ありません。
次スレを立てようと試みるも規制かなんかで立てられませんでした。

3 :ぶどう ◆oChxHZFrrvfX :2023/08/28(月) 18:49:06.00 ID:pVcHuEnp.net
>>1
スレ立てありがとうございます。

4 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 20:58:47.76 ID:4W4ubi9u.net
>>1
スレ立てをありがとうございます。

前スレのYahoo知恵袋で相談した972さんについてです。
「苦しい時こそ信仰が試される」
と教団側は主張し、狂信した信者はそのように他人に助言する。
その典型が、Yahoo知恵袋で阿含宗の奇跡の体験談を読めと助言している信者です。↓

「今月(2003年8月)の冥徳祭の「開祖ご法話」での体験談は、
あなたに絶対に聞いて考えてもらいたい内容です。」

その体験談が本物かどうか、内容の検証も確認もしていない無責任な助言です
しかも、そんな奇跡の体験談なら、よその教団にいくらでもあります。
信者時代、宗務局が勝手に体験談の文章を直したので、体験者本人が、冊子に
書かれた内容と違うと言ったという話を知っています。
また、奇跡と言われた体験談を丁寧に読むと、前後矛盾しており、
現実には絶対にありえないような話だった。
972さんが欲しい助言は、作り話かもしれない他人の体験談ではないでしょう。

5 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:05:51.25 ID:4W4ubi9u.net
ペテン大作さんはこれだけ窮地に追い込まれた信者仲間の
書込みを見ても、助言一つせず、相変わらず意味不明の漏尽智説を唱えている。
宝生ソウカ大人は、桐山さんから「私は危ない所を助けて貰いました」と
宣伝しているのだから、信者仲間も助けるべきだろうに、彼も一言の助言もない。

yahoo知恵袋では、今日の飯代をどうしようかと悩んでいる人に、
「解脱供養は、分納で”5万円”になれば受け付けてくれます」
などと、さらに金を出せという助言や、
「今月(2003年8月)の冥徳祭の「開祖ご法話」での体験談は、あなたに絶対に聞いて考えてもらいたい内容です。」
根拠のない御利益体験談という御利益話や、同情どころか、
「あなたは、最初から経営者の器ではなかったのです。」
などと、972さんをさらに傷つける言葉が出ている。
972さんに面と向かって「信心が足りない。因縁が深い」と告げた信者もいたらしい。
これのどこが仏陀の智慧、どこが仏の慈悲なのだ?

試されているのは972さんの信心ではなく、宗教としての阿含宗です。
「苦しい時こそ信仰が試される」など嘘で、正しくはこれです。↓

6 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:13:29.99 ID:4W4ubi9u.net
●「信者が苦しい時こそ阿含宗が試される」

私は972さんに助言した心無い信者だけを責めるつもりはありません。
これを読んでいる信者さんたちも、どうして宗務局はこういう
困っている人を助けようとしないのかと不思議に思っているでしょう?
その疑問は私の信者時代にもありました。
解脱供養、導き、ボン行など、桐山さんから指導された内容を
実行しているにもかかわらず、大きな困難にぶつかり、どうにもならない。
職員も先達も、それ以上助言のしようもない。
当然、指導者である桐山ゲイカに頼るしかない。

ところが、管長ゲイカにお願いする方法がないのです。
昔はお伺い書、御指導願いというのがありました。
ところが、阿含宗になった後からこの制度は事実上機能しなかった。
そこで作られたのがALCという素人相談係です。
子供騙しの九星占いを使った素人助言で、しかも、優秀とされたALCの
結論は、お金を出せという話だった。

7 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:20:40.46 ID:4W4ubi9u.net
*桐山ゲイカの面接指導の実例

桐山さんの新刊にはいつも面接指導などで助かった人たちの話が出て来ました。
私の周囲の信者たちは不思議がっていました。
宗務局に桐山ゲイカへの御指導願いを申し出ても、断られるのに、
新刊の中では指導によって救っている話がたくさん出てくる。
あの人たちはいったいどうやって桐山ゲイカに御指導願いを出せたのだろう?

桐山さんは一部のコネの効く人からの依頼なら指導していた。
その実例がE川裁判のE川さんです。
彼女は離婚して、某先達に誘われて仙台に行き、かなり大変な生活をしていた。
そこで、埼玉道場の有力先達とのコネで、桐山さんに御指導願いを出した、
その御指導が裁判に提出された御霊諭です。
御霊諭とは仏様からの御指導を桐山さんが翻訳して伝えるという内容です。
阿含宗の仏様からは、桐山さんが滞在する予定の名古屋のホテルに同宿し、夜11時に
桐山さんに電話すれば弟子にしてやる、お金も同封する、という御指導だった。
桐山さんの留守電の番号まで教えて、二度も「今夜にでも」と、
すぐに返事するようにとしつこく催促した。
このように桐山ゲイカは阿含宗の仏様からの御霊諭に沿って、1989年頃も
手取り足取り、お金をもらうどころか、逆に渡して指導をしていたことが、
裁判でも証明されました。

8 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:28:22.06 ID:4W4ubi9u.net
*ペットの御指導願い

信者さんの中には、E川裁判に提出された御霊諭は偽造だと思うかもしれない。
それはありません。
なぜなら、桐山さんは裁判で偽物だと反論していないからです。
桐山さん側は、E川さんが出した他の証拠にも反論も否定もしていない。
これは裁判では、本物だと桐山さんが認めたことになります。

御指導願いではもっとひどい例を知っています。
信者がペットについての御指導願いを、懇意の有力職員を通じて出した例です。
ペットだからけしからんと言っているではありません。
その当時の私の周囲にも、972さんのような深刻な問題を抱えて、
解脱供養、特別御祈願、導き、ボン行など一通りの修行をしても、
何にも効果がなく、解決の兆しも見えない人たちがいました。
ペットよりも、人間である彼らの問題を先に指導してあげるべきではないかという意味です。
コネがあればペットの相談も受け付けるのに、深刻な問題を抱えた人間は放置だったし、
今もそうであることは972さんが実例です。

9 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:35:54.10 ID:4W4ubi9u.net
1980年代後半、短期間、御指導願いが復活し、職員や先達の推薦があれば、
御指導願いを出せました。
当人だけでなく、ファミリーの修行者たちが喜んだ。
972さんのような深刻なケースは素人の信者では手にあまり、仏陀の智慧と
大霊能力と事物の明快な認識力で指導してもらうしかなかったからです。
そもそも、桐山さんの本ではそれを売り物にしていた。

実際、桐山さんに御指導願いを出し、面接指導してもらった人を二人知っています。
結論から言うと、桐山さんの指導はまったく何の効果もなく、
解決する兆しもなく、二人の問題はそのままだった。
これは私が批判側だから誇張して言っているのではありません。
私もその二人を知っているのですから、問題解決を祈るような気持ちでいた。
桐山ゲイカのお力で、問題がすぐに解決とまではいかなくても、
何か解決の糸口が見つかるだろうと信じていたし、期待した。
ただ面接指導などでの指導内容を聞いて、正直「これが霊的なことを含めた指導?
こんなことで問題が解決するのだろうか」と疑問に思いました。
もちろん二人にはそんなことは言わなかったし、二人が桐山ゲイカから
指導された内容をそのまま実行したことも知っています。
だが、何の効果も、問題解決の兆しもなかった。
冗談や誇張や嘘を抜きにして、何の効果もなかった。

10 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:45:06.38 ID:4W4ubi9u.net
「病気や死の苦しみに耐える力、それにうち勝つ力を求めているのである。
それをほうっておいて、なにが宗教の道場か。
第一、仏教とはなにかというと、生老病死の四苦の解決のためにあるものではないか。
目前、病苦にあえいでいる人聞をかえりみずして、いったいなにを修行させ、
信仰させる道場なのか。」(『変身の原理』2002年版、148ページ)

これはL会という新興宗教が、ガンになった信者を見捨て、それを桐山さんが
助けたという話です。
今972さんは人生の最大のピンチにあえいで、助けを求めている。
阿含宗が972さんを「かえりみずして、いったいなにを修行させ、信仰させる道場なのか。」
まったく、そのとおり、私は桐山ゲイカのこのお言葉に激しく賛同する。

「「よし、助けよう。大丈夫だ」
それだけである。それで病人は回復しはじめ、医師は不思議だと首をひねる。」
(『変身の原理』2002年版、122ページ)

医者が首をひねるくらい、ガンが桐山さんの法力で治った!
桐山夫人のガンの件は忘れたことにして、これを読む限り、972さんの未来は明るい。
密教時代の通力しか持たなかった桐山さんにしてこれだけのお力を持っていたのだから、
その後、神通力の成仏力を体得した桐山ゲイカのお力は桁違いです。
ペテン大作さんご推薦の、煩悩も破滅のカルマもぶった斬る漏尽智ですから、
向かうところ敵なしです。

11 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 21:52:32.16 ID:4W4ubi9u.net
*開祖霊諭がある

桐山さんは死んだのだから助けられないなどということはありません。
桐山ゲイカは今でもブッ界から長文のメッセージを送って、信者たちにお金と
人を集めろと命じているのだから、972さんの指導くらい朝飯前です。

972さんのような深刻な問題を職員や信者程度が対応できるはずもなく、
これはブッ界におられる開祖様からの御霊諭をいただくしかない!
開祖様は、漏尽智で煩悩もカルマも断滅する力を持っていると本人が宣言し、
ペテン大作さんによれば、著名な学者たちも認めているという。
972さんがあれほど頑張って修行しても切れなかった悪しきカルマを開祖様
お得意の「エイッ」で切ってもらうか、とりあえず抑えてもらう。

972さんはネットを通じて世間に公表していますから、
逆に言うと、972さんが阿含宗の力で奇跡的に救われるなら、
これはまたとない阿含宗が奇跡の宗教であるとの宣伝のチャンスです。

12 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/28(月) 22:01:59.68 ID:4W4ubi9u.net
*奇跡の新刊!

この件で開祖様の死後の新刊が出ます。
桐山さんによる新刊ですから、信者さんたちも読んでみたいでしょう。
本は、最初に972さんの深刻な状況から始まり、霊障のホトケの怖さ、
悪因縁の恐ろしさを描写し、続いて、信者の急難を知ったブッ界の
開祖様が御霊諭によって972さんに実地指導をする様子が描写される。
972さんが窮状を説明などしなくても、開祖様はすべてお見通しで、
「よし、助けよう。大丈夫だ」と御指導をされた。
すると、あンら不思議、不可思議、摩訶不思議、事態は急転直下、
972さんの会社は再建されたばかりか、その後大発展を遂げる。
本には信者によるこの件の目撃談としてペテン大作さんが登場し「深山の漏尽智説は
これで嘘だと証明されたwwww」と彼らしく憎しみ垂れ流しの勝利宣言をする。

信者さんたちも良い機会だと思いませんか。
本当に阿含宗に宣伝どおりの力があるなら、972さんを救うことができるでしょう。
苦しんでいる972さんをリトマス試験紙代わりに使う失礼は重々承知だが、開祖様に
よる救いのモニターになれるのだから、ご本人も喜んで開祖様の御指導を受けたいでしょう。
ただ、972さんはお金はありませんから、供養金が必要なら、ニコニコ顔の
メタボ大黒天様に走ってもらい、972さんに届けてください。
信者さんたちは宗務局に提案し、阿含宗は口先ばかり大仰な宣伝をするだけの
能なしで、ただの金集めのインチキ宗教だと批判する批判側を一度でいいから
ギャフンと言わせてください。

13 :神も仏も名無しさん:2023/08/29(火) 13:59:41.37 ID:tKs4kb8P.net
>前スレ989深山
>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe

>他の信者さんたちは、卑怯者のペテン大作さんは絶対に、
>次の質問には触れないことに気が付いているでしょう。

>質問1.桐山説3の漏尽智で業を消しさる因縁解脱は阿含経のどこにあるか?(>947)
>質問2.シュダオンやシダオンは煩悩を何で切るのか?(>951,952)

>質問1は阿含宗の教義そのもので、何度も質問されても答えないのは
>答えられないから、必死に逃げている。
>質問2はペテン大作さんの漏尽智説の致命傷です。
>答えられないから、何度指摘されても彼は無視して、逃げるしかない。

深山さん自身も答えられずに逃げ回っている質問があるのだが、
それを棚に上げて相手を攻めまくるところに、この人の素晴らしいw性格が現れています。
私はあなたと違って答えられない質問には答えられないと答えます。
質問1だが、業を消し去る因縁解脱が阿含経のどこにあるかは知りません。
阿含経をすべて読んだわけでは無いので有るのか無いのか答えようが無いのです。
ただ漏尽通で煩悩を断つことについては、座右宝鑑(旧版)に第四禅(漏尽通)として登場するので
これが阿含宗の教義であることは間違いありません。

それから質問2ですが、私はシュダオンやシダゴンで因縁が切れると言ったことはありません。
それは切れないと思っているからです。
漏尽智で煩悩を断ずることが出来るのはアナゴンです。
中夜で天眼智を得たのはアナゴンであり、このアナゴンが漏尽智を得てアラカンになった。
掃除しただけで煩悩を断った弟子の話などを、あなたが取り上げて
だから漏尽智を得なくても解脱できるのだと、勝手に妄想を書き並べているのです。
掃除だけで煩悩を断てるのなら誰も苦労しませんよ。
掃除してた弟子の解脱と釈尊の解脱と同レベルではないことに気付かないのか?
いい大人がこれだから困るのです。
あなたは漏尽智の価値を無視することで、釈尊の仏法を貶めているのです。
これは外道の所業です。

14 :神も仏も名無しさん:2023/08/29(火) 15:20:17.32 ID:tKs4kb8P.net
>前スレ989深山

>「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
>他の信者さんたちはこの学者たちの説明くらい受け入れてはどうか。
>桐山説2の煩悩を漏尽智で切るなど仏教には存在しない。

>桐山説2では、漏尽智をアナゴンが持つことになる矛盾を指摘すると、
>ペテン大作さんは意味不明の瞬間解脱説を出して自慢した。
>だが、この説はペテン大作さんの発明で、阿含経にあるはずもなく、
>学者はもちろん、阿含宗の教義でさえもない。

岩波仏教辞典の説明は、私も含めて読者の人はみな信じていると思いますよ。
ただ、深山さんは、これを持論の根拠に悪用しているのです。
あるいは善意に解釈すれば、理解出来なかったのかも知れないw
岩波には、編者として中村氏の名前があるが、執筆者は別の仏教学者です。
もちろんこの説明は間違いではありません。
では、中村氏による漏尽智の別な説明を見てます。

「漏尽(ろじん)明、漏、すなわち煩悩を断じて真理を明らかにする智慧の働き。」
(『ブリタニカ国際大百科事典3』小項目事典、【三明】の項、201頁)

中村氏は「執筆・編集協力者一覧」に名前があります。
大事典には「煩悩を断じて」とあるように、漏尽智は煩悩を断じる働きがあるのが分かります。
そして「真理を明らかに知る」とあるので、これが岩波の「自己の煩悩の尽きたことを知る能力」
に相当するのです。
このように、漏尽智には「煩悩を断つ働きと煩悩の尽きたことを知る働き」の二つがあるのです。
それを岩波は端的に「自己の煩悩の尽きたことを知る能力」と言っただけです。
煩悩を断つことができるから煩悩が尽きたことを知ることができるわけで
こんなことは当たり前の話です。
でも実際には理解できない人がいるのですね。
深山さんの主張は「煩悩を断つ働き」が抜けています。
彼にとって、この部分は絶対に認めたくない。
そこで岩波を利用して読者の目を欺いているのです。
本当に悪質なことをする人です。
もし理解できなかったとしたら、非常に悲しい話です。
皆で憐れんでやりましょう。

15 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 22:31:39.17 ID:RXszdvft.net
>>0013神も仏も名無しさん2023/08/29(火) 13:59:41.37ID:tKs4kb8P
>質問1だが、業を消し去る因縁解脱が阿含経のどこにあるかは知りません。
>阿含経をすべて読んだわけでは無いので有るのか無いのか答えようが無いのです。

信者さんたち良く上記のペテン大作さんの惨めで悲惨な答えを読み直してください。
漏尽智による因縁解脱は阿含経のどこにあるのかという質問の答えが、たったこれだけです。
普段は饒舌に深山破れたりと勝利宣言を繰り返すペテン大作さんが、
因縁解脱の阿含経の根拠を質問されて、やっと今頃「知りません」。
ペテン大作さんが自分から漏尽智で解脱すると出してきたから、ユビキタスさんが
因縁解脱の根拠を示せと、直後の前スレ916で指摘した。
あれから10日間ほど、毎回私からも催促され、逃げている、卑怯者と
からかわれて、ようやく出した返事が「知りません」。
では、今まで、彼は何の話をしてきたのか?
因縁解脱は阿含宗の説く解脱であり、漏尽智でカルマを断ち切ることが
仏教の解脱だと桐山さんは繰り返し説いた。

文献3「仏教の本質はカルマを断滅する「力」に尽きる。この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、
この力を得るために、釈迦はたいへんな難行苦行を行った。」
(『準胝尊真言行とは』2015年、阿含宗教学部、8ページ)

因縁解脱の根拠がないなら、漏尽智で因縁解脱するという主張は意味をなさない。
他の信者さんたちはペテン大作さんの主張が、タキシードの上着だけ着て、
ズボンをはき忘れたような恰好だと思いませんか。

16 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 22:41:19.02 ID:RXszdvft.net
>>0013神も仏も名無しさん2023/08/29(火) 13:59:41.37ID:tKs4kb8P
>阿含経をすべて読んだわけでは無いので有るのか無いのか答えようが無いのです。
>291神も仏も名無しさん2018/01/21(日) 01:37:16.55ID:yxB4rHlY
>いや読み過ぎるほど読んだで。

↑291は、ユビキタスさんから、阿含経を読んだのかと質問された五年前の
ペテン大作さんの答えで、今回とは違うのが笑える。
ペテン大作さんの言葉の重みとはこんな程度で、その場しのぎの口から出まかせです。
彼のことだから「すべてを読んでいないと書いただけで、一部は読みすぎるほど読んだ」と
またウンザリする屁理屈を書いてくるでしょう。
阿含経をすべて読まなければ、因縁解脱が出てこないなどありません。

「悪い因縁を切ることを「因縁解脱」と言います。この「因縁解脱」するための教えと、
「因縁解脱」するための方法、これだけを四十五年間お説きになったのです。」
(『入行者教典』2019年、12ページ)

釈尊は45年間、因縁解脱を説き続けたとあります。
釈尊は解脱を説いたのだから、阿含経は因縁解脱だらけなはずです。
なにも阿含経を「読み過ぎるほど読んだ」などでなくても、
いくつか阿含経を開けば、そこに因縁解脱が出てくるはずです。
一生かけて釈尊が因縁解脱を説いたなら、阿含経にちりばめられているはずです。
だが、信者さんたちが毎日読んでいる二種類の阿含経のどこにも因縁解脱や
漏尽智で因縁、煩悩、カルマを切れとは出てこない。
桐山さんが選んだ阿含経に因縁解脱が出てこないなんておかしくないか。

17 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 22:51:40.42 ID:RXszdvft.net
*因縁解脱が嘘だと証明したペテン大作さん

ペテン大作さんを弁護すると、因縁解脱を探すのに努力しなかったのではありません。
彼は何がなんでも深山をぶちのめして、勝利を味わうことを渇望しているから、
復讐のためなら努力も時間も惜しまないド根性の持ち主です。
彼は四谷大塚出身の知性派で、今回も水野氏や中村博士、その前はベッグなど
の学者本や、望月佛教辞典などカビの生えた辞典や、仏教学者の論文まで
引っ張りだして、自説に強引に当てはめ、深山破れたり!と叫び続けて二十年。
憎しみの復讐のためなら、一歩も引かないペテン大作さんが、
阿含宗の大黒柱である因縁解脱について「知りません」。
こうやって逃げるのも初めてではなく、前は話を適当にそらして逃げた。
毎回、私は、彼がどうやって逃げるつもりか苦笑いしながら、見ている。

阿含経どころか、彼が必死に学者たちの文章を探しても、
ついに因縁切りや因縁解脱は見つけられなかった。
漏尽智での議論を見てもわかるように、矛盾を指摘されようが、
どこ吹く風で自説を展開する彼が、「仏教に因縁解脱などない」
「因縁解脱の阿含宗は外道だ」という批判に正面から反論できないのです。
彼ほど屁理屈魔なら、阿含経にある因縁や解脱の記述にインネンを付けて、
これが因縁切りだと叫びそうだが、この彼にして屁理屈が付けられなかった。
「知りません」とシッポを巻いて逃げるしかなかった。
あの憎しみの権化のようなペテン大作さんが「知りません」と逃げるしか
なかったという現実を信者さんたちに良く見てほしいのです。
仏教には因縁解脱など存在しない、という批判側からの
指摘が正しい事をペテン大作さんが証明したのです。

18 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 22:59:26.08 ID:RXszdvft.net
*桐山さんに因縁解脱の根拠を質問した

ペテン大作さんが因縁解脱の根拠を見つけられないのは当たり前で、
因縁切りは霊友会など新興宗教の教祖が造った言葉で、桐山さんは模倣した。
因縁解脱という言葉は桐山さんの造語で、概念も彼が造ったものです。
新興宗教の教祖の作った因縁解脱や因縁切りが仏教にあるはずがない。
ましてや、2500年前の釈尊が説いたはずはありません。
因縁解脱の阿含経の根拠を桐山さんが示せなかったことも本に残っています。
生前の桐山さんに、ズバリ次の質問をした人がいます。

「因縁解脱とは何か?
まず確かめたいことは、仏陀は「阿含経」のどこで、どのような表現で、因縁の存在、
因縁解脱の法を説かれているのか。因縁解脱は大乗教典も含めて、仏教の教説の中ではど
ういう位置を占めるのか。」(『超脳思考をめざせ』78ページ)

私がペテン大作さんにしたのと同じで、桐山さんのいう因縁や因縁解脱は
阿含経のどこにあるのか、という質問です。
信者さんたちも桐山さんの回答を知りたいでしょう。
批判側に、因縁解脱などないと言われたが、桐山ゲイカが本に
根拠を示したに違いないと思いましたよね?
そこで知性のある信者さんたちに提案だが、本にある桐山さんの説明を読んで、
因縁解脱とは阿含経のここにあると、自分の言葉で自分に説明してみてください。

19 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 23:07:48.87 ID:RXszdvft.net
*誰も説明できない因縁解脱の根拠

桐山さんの説明を読んでも因縁解脱のある阿含経がどれか、説明できませんよね?
桐山さんは10ページにわたり回答を述べているのに、信者さんたちは示せない。
回答しているかのように見せかけたゴマカシだからです。
一つ目のゴマカシは、桐山さんが引用した縁起についての経典です。
「縁起=因縁」ですから、因縁の説明はしたことになるだろうが、
釈尊のいう縁起には桐山説のような「運命の星」などという意味はありません。
ましてや、その阿含経のどこにも「縁起を切る」「縁起解脱」など出てこない。
桐山さんはその後、四諦を並べた後で唐突に、

「これこそが、仏陀の説く因縁解脱の基本の公式となるものであった。」(84ページ)

と因縁解脱という言葉を滑り込ませた。
引用した経典の縁起の説明にも、四諦の中にも因縁解脱などないのに、
まるでそれがあるかのように誤魔化した。
手法がペテン大作さんとそっくりで、彼も学者の説を引用して何か根拠を
示したかのよう見せかけながら、自説に都合の良い勝手解釈を加えている。
桐山さんは縁起(因縁)という言葉の出てくる経典を引用して、
いかにも自説の運命という意味の因縁を示したかのように見せかけ、
その後で四諦の解脱の話をくっつけて、唐突に因縁解脱という
言葉を持ち出し、さも根拠を示したかのように錯覚させる。
二人とも自説のためならゴマカシ、すり替え、捏造が平気で、こうしてみると、
ペテン大作さんて桐山さんの優秀な弟子なんですね。

20 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 23:17:15.27 ID:RXszdvft.net
「これこそが、仏陀の説く因縁解脱の基本の公式となるものであった。」
(『超脳思考をめざせ』84ページ)

信者さんたちは本を読んだ時、上記の84ページの桐山さんの一文がゴマカシの
瞬間であることに気が付いていましたか?
これよりも前にはいっさい因縁解脱など出てこない。
引用された経典は縁起(因縁)についであって、因縁解脱など
言葉はもちろん内容的にも出てきません。
信者さんたちに特に気が付いてほしいのは、桐山さんが質問に答えていない点です。
質問者は阿含経の根拠を質問したのですよ。
余計な解説はいらないから、釈尊が「因縁解脱せよ」と言っている
阿含経を引用すればいいだけで、1ページで済みます。
それをダラダラと10ページにわたり書いているが、
肝心の因縁解脱の阿含経は出ていない。
こういうのをゴマカシと言って、弟子のペテン大作さんが
いつもそっくりのことをしている。

桐山さんは師匠だけあって、ペテン大作さんよりもすり替えがうまい。
10ページの文章の中で、たった一行で話をパッとすり替えて、
いかにも因縁解脱をすでに引用したかのように見せかけた。
だから、信者さんたちでこのすり替えに気が付いた人はほとんどいなかったはずです。
それは今の私とは読み方が違うからです。
私は桐山さんが嘘つきの詐欺師だと知っているから、
「さあ、この人は今回どこで誤魔化すだろう」と読んでいる。
ペテン大作さんも信用できない人で、論点をずらそうとしたり、こちらが
言ってもいないことを作ったり、すり替えなど、姑息なことを平気でする。
桐山さんもペテン大作さんも道徳心の低い人たちで信用に値しない。

21 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/29(火) 23:28:25.71 ID:RXszdvft.net
*外道は阿含宗

桐山さんが因縁解脱の阿含経の根拠を質問されても、適当に
誤魔化したのを見てもわかるように、根拠がないのです。
もし、この本が平河出版社から出ていたら、この質問はカットされていたでしょう。
だが、別な出版社だから、桐山さんは返答を迫られ、逃げられなかった。
この件は桐山さんにとってマズイ内容で、触れたくないから、これ以降、
桐山さんは本でただの一度もこの件には触れていません。
この後もずっと死ぬまで阿含経講義の本を書き続けたのに、
因縁解脱と書いてある阿含経を示すことはなかった。
だから、信者が阿含経の根拠など示せるはずがない。
「知りません」とペテン大作さんは卑怯者らしく逃げたが、
知らないのではなく、そんな阿含経は存在しない。
いや、大乗経典にさえも因縁解脱などありません。

因縁解脱など仏教には存在しない。
阿含宗は解脱の意味が違うのです。
解脱の意味が違う宗教は仏教ではないから、外道です。
だから悪口でもなんでもなく、阿含宗は正真正銘の外道です。
外道の凡夫ごときが仏教の漏尽智を論じて何の意味があるだろうか。
ここで議論したければ、因縁解脱が阿含経にあることを示してからにするべきで、
知らないで済む話ではない。

22 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 12:21:58.90 ID:269FdVXX.net
>>0014神も仏も名無しさん2023/08/29(火) 15:20:17.32ID:tKs4kb8P
>ただ、深山さんは、これを持論の根拠に悪用しているのです。

岩波仏教辞典を私が悪用しているというなら、どのように悪用しているのか、
相手に反論する時は、根拠をなる証拠を示すべきです。
だが、彼が示した根拠とは、中村博士が書いた文章の「彼の解釈」です。
しかも、彼の解釈の間違いに私はすでに反論しているのに、
その反論に対する反論ではなく、ただ同じ「彼の解釈」を並べているだけです。
これは根拠や反論にはならない。

>420神も仏も名無しさん2020/11/17(火) 13:56:26.34ID:LMwFWZm7
>「ブリタニカ世界大百科辞典」では、煩悩を断じて真理を明らかに知る智慧の働き、

420はペテン大作さんで、ごらんのように3年前もブリタニカを出して、同じ主張をした。
彼は自分では今回初めてこれを出して、深山破れたりと思っているだろうが、
私はすでに反論済みで「またか」です。
3年前に反論しているだけでなく、今回も彼の解釈の間違いをすでに反論している。
だが、彼は読まない、理解できない、記憶しないから、私の反論など頭の隅にもなく、
彼の狭い狭い論理の穴の中でグルグルと同じ所を回っている。
そこを回っている分には彼が正しいと自惚れていられるからです。

23 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 12:29:17.11 ID:269FdVXX.net
*矛盾だらけのペテン珍説「漏尽智に二種類ある」

読者の皆さんにペテン大作さん狭い穴の中の論を紹介すると、彼は他にも、
総合仏教大事典、広説佛教語大辞典、新・佛教辞典の文章を引用して、
彼の勝手な解釈を加えて「漏尽智で煩悩を切る」という説の根拠にした。
もちろん、そのどれにも「漏尽智で煩悩を切る」とは書いていない。
しかも、これだけだと岩波仏教辞典の説と矛盾する。
そこで唱えた珍説が、ペテン珍説「漏尽智に二種類ある」です。

ペテン大作さんは漏尽智に、1.煩悩を切る、2.煩悩がないことを確認する、
という二種類あるという「漏尽智二種類説」を唱えた。
彼の理解力ではこれが限度なのでしょう。
だが、私は三年前も彼の説の矛盾と問題点をいくつも指摘しました。

・阿含経でも学者も二種類あるとは解説していない
漏尽智に二種類あるなら、釈尊が阿含経で述べたはずです。
阿含経は数字の分類が大好きで、二種類あるのに数えないなどありえない。
また、彼が引用した辞典などで、二種類あると説明している学者は一人もいません。
信者さんたちも、本当に漏尽智に、1.煩悩を切る、2.煩悩がないことを確認する、
という二種類あるなら、学者がそのように解説すると思いませんか。
だが、現実はそんな経典も説明文もありません。
だから、二種類ではなく、同じ内容を説明しているのに
単にペテン大作さんの頭では理解できないだけです。
お笑いを一つ紹介すると、私から「なぜ岩波仏教辞典には片方の
説しかないのか」と質問すると、彼の返事は辞典のページ数が足りなかった
から、というものでした。
この子供じみた返事を、よくまあ書くものだと彼の恥知らずぶりに苦笑いした。

24 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 12:36:39.43 ID:269FdVXX.net
・アナゴンが漏尽智をもつのか?
漏尽智で煩悩を切るなら、アナゴンが漏尽智を持つことになり、
漏尽智はアラカンに属するという定説に反します。
この矛盾を説明するのにペテン大作さんが考えたのが瞬間解脱です。
アナゴンが漏尽智を獲得した「瞬間」にアラカンになるから、
漏尽智を持つのはアラカンだという詭弁を、今回もまた並べた。
今回も指摘したが、この説は「漏尽智を持つ」を「煩悩を切る」と
すり替えたゴマカシです。
漏尽智を体得し、つぎに煩悩を切るのだから、一瞬などありえない。
漏尽智の体得と、煩悩を切るのは別で両者が同時などありえない。
しかも、アナゴンの持つ煩悩である五上分結は名前どおり五種類もあるのです。
それを漏尽智を体得した瞬間にすべて切る??
どこの経典にそんな子供じみた知性の低いタワケが書いてあるのだ?

そのような説は阿含経にも学説にもないと指摘するまでもなく、
彼は、自分の思い付きを褒めてあげたいなどと、自説であることを認めた。
彼の瞬間解脱説は阿含経にも学説にも根拠はなく、彼の狭い自己満足という
穴の中で成り立っているだけ、今回も自慢気にまだ唱えている。
彼は矛盾を指摘されても理解することもできない。
他の知性と良識のある信者さんたちは、どうですか。
これ一つで、漏尽智で煩悩を切るという説が成り立たないことは明らかです。
矛盾はこれだけではない。

25 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 12:44:23.37 ID:269FdVXX.net
・シュダオンやシダオンは煩悩を何で切るのか?
今回、ペテン大作さんはこの質問に答えたかのように「みせかけている」。
だが、彼は正面からこの質問に答えず、質問そのものを捏造して、はぐらかした。

>それから質問2ですが、私はシュダオンやシダゴンで因縁が切れると言ったことはありません。

私の質問と彼の答えを読み比べてください。
私は、煩悩を切るのか、と質問しているのに、彼は因縁を切る話にすり替えている。
因縁を切るなどという質問を私はしていない。
こうやって質問内容まで誤魔化すのがペテン大作さんの常習で、私が
彼を卑怯者だと批判するのもこれが理由の一つです。
こういう小手先のゴマカシを現実世界でも彼は繰り返して生きてきたのでしょう。

漏尽智で煩悩を切ると主張すれば、シュダオンやシダゴンが
漏尽智で五下分結を切ることになる。
だが、漏尽智はアラカンしか持たないから、シュダオンやシダゴンが
持っているはずがない。
つまり、シュダオンやシダゴンは煩悩が切れないことになる。
普通の知性のある信者さんなら、漏尽智で煩悩を切る、という説は
この一点だけでも矛盾し、成り立たないのがわかるでしょう。

26 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 12:52:49.42 ID:269FdVXX.net
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
「あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1444頁)

漏尽智の代表的な説明は上記の二つに集約されます。
知性と良識ある信者さんたちに考えてほしい。
この二つの説明、三つの文章を、矛盾なくどう理解しますか?
ペテン大作さんの四谷大塚脳では同時に理解することができず、
漏尽智二種類説を唱えたが、すでに指摘したように、
そんなレベルの低い珍説は矛盾だらけで成り立たない。

*アラカンだけが持つ漏尽智
今回、漏尽智に関連して、私が最初の頃にしたアラカンの説明を読んで、
理解した信者さんなら、三つを矛盾なく説明できるはずです。
解脱者とは煩悩を断っただけではなく、解脱した後も
ずっと煩悩に染まらないように、必死に自分を保っている人たちです。
「煩悩を滅する」とはそういう意味です。
戒定慧で解脱して終わりではなく、戒定慧戒定慧戒定慧・・とどこまでも
繰り返し、常に煩悩に囚われないようにしているのがアラカンです。
100mを10秒で走る例えなら、いつも時計を見て、間違いなく自分が10秒で
走っているのかを確認するのが、漏尽智です。
部屋のゴミ掃除に例えるなら、掃除が終わった後、本当にゴミが残っていないか、
いつも部屋の隅まで確認するのが、漏尽智です。
煩悩に囚われていないことを確認するのだから、「あらゆるけがれを滅する智」です。
煩悩を切っているのは戒定慧で表された八正道です。
すでに八正道で煩悩を断じて、四諦という真理を繰り返し確認しているのだから
「煩悩を断じて真理を明らかにする智慧の働き」(>>0014)です。

27 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 13:00:20.16 ID:269FdVXX.net
●桐山説1「煩悩を完全に滅したことを知る智慧」
●桐山説2「煩悩を完全に消滅させてしまう智慧」(ペテン大作説)
●桐山説3「業を消し去る智慧」

桐山さんは漏尽智に二種類ではなく、三種類あると述べているのです。
だが、桐山説3が成り立たないことは、すでに>>16〜で説明しました。
屁理屈魔のペテン大作さんでさえも根拠を示せないから、逃げた。
漏尽智でカルマを切って解脱する因縁解脱など、阿含宗以外には存在しないオカルトです。
そして、桐山説2もペテン大作さんの必死の詭弁も矛盾だらけで、
お笑い瞬間解脱を唱えるしかなくなった。
つまり桐山説2と3は真っ赤な嘘です。

知性と良識のある信者さんたちに良く現実を見てほしいのです。
阿含宗は成仏力こそが他宗教と大きく違う特徴です。
その成仏力とは漏尽智です。
信者さんたちが因縁を切るのも、霊障のホトケを成仏させるのも、
破滅のカルマを切るのも、すべてこの漏尽智のおかげです。

だが、阿含経の漏尽智にはカルマを切るどころか、
煩悩を切るという項目さえもありません。
阿含宗の土台であり、信者が頼りとする成仏力が真っ赤な嘘なのです。
人並の知性があるなら、信仰が足元から揺らいでいるのではなく、
崩壊していることに気が付くはずです。

28 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/30(水) 13:06:54.89 ID:269FdVXX.net
*仏教の漏尽智は他人に影響しない

何よりも注目してほしいのは、漏尽智とは他者に何も影響しないという点です。
阿含宗では、桐山さんが成仏力と称する漏尽智で、信者さんたちの因縁を切り、
カルマを切り、霊障のホトケを成仏させ、破滅のカルマを切り、世界を救うという。
桐山さんは成仏力が生者、死者など他の人たちに作用するだけでなく、
地震や戦争など天災人災にも作用すると称していた。
だが、仏教の漏尽智は、アラカン本人だけのもので、他人には何の影響もありません。
仮に、桐山説2のように、漏尽智で煩悩を切るとしても、
それは本人の煩悩を切るだけで、他人の煩悩は関係ない。
本人が100mを10秒で走っても、他人の記録が良くなることはない。
本人が自分の部屋のゴミを片付けても、他人の部屋はきれいにはならない。

阿含経や学者の解説のどこを探しても、漏尽智で誰かを救ったなどという話は出てきません。
桐山さんが漏尽智ではなく、成仏力という阿含経にはほとんど出てこない言葉を
使っているのはそれが理由で、漏尽智とはっきり言うと、調べられて、嘘がばれる。
成仏力は神秘的力で間脳が開いた桐山さんにしかわからないと信者たちは
無批判に信じ込んでいるから、成仏法や成仏力と聞いただけで思考停止する。
「破滅のカルマ」と「成仏法・成仏力」は信者を考停止させるキーワードで、
ちょうど法華信者が狂ったようにお題目を唱えるのとそっくりです。
どちらも無知な信者を騙す原始宗教の信仰で、知性のカケラもない。

29 :神も仏も名無しさん:2023/08/30(水) 21:33:50.20 ID:0n9ty4U7.net
うさ・トゥエル卐ウル卐ラピュタ🧠INTP IQ555
@ss82345671
普段咳とかされたら睨んで殺しちゃうんだけど、ここの店員さん全員かわいくて入れて下さいとしか思えなくて始まってる。

30 :神も仏も名無しさん:2023/08/31(木) 14:18:41.79 ID:eENhBOq2.net
切るの切れぬの、素人が五月蠅い五月蠅い、
これらの仏教用語は、現代の精神分析から言うと
精神の統合を果たす。
如実知自心とはこれなり。
という意味合いだ、ホントに果たしたか如何か?という疑問に答えるなら
証拠としては、自ずと供養力が生じ功徳を積む修行に移行する。
300人程度の悲惨な集団事故ほどなら纏めて30分ほどで、霊界に
引導可能だ。
遺族の守護霊になりたいと望む、祖先霊を供養し其の位置に座させるのも可。
仏教は自他の幸福を実現させるのが眼目。
深山君よ余生をむざむざと送るのは愚でござるよ。

31 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/31(木) 22:13:28.17 ID:1e4SpIC3.net
>>0030神も仏も名無しさん2023/08/31(木) 14:18:41.79ID:eENhBOq2
>仏教は自他の幸福を実現させるのが眼目。

私が>>5で、ペテン大作さんも宝生ソウカ大人も、前スレのYahoo知恵袋で
相談した972さんへの助言が一言もないことを指摘しました。
ペテン大作さんは冷酷非情な桐山ゲイカの弟子らしく相変わらず一言もなく、
信者仲間の不幸は完全無視。
宝生ソウカ大人は前にこんなふうに書いています。↓

>407 :神も仏も名無しさん:2016/01/25(月) 14:39:29.38 ID:AGJDr/St
>  私は危ない所を助けて貰いました。
>83神も仏も名無しさん2017/08/08(火) 21:29:38.16ID:15RQkmfw
>わたくしが、もう30年ほど前になります。
>桐山師の御祈祷によって救われたことは確かでした。
>21神も仏も名無しさん2020/10/30(金) 13:58:35.81ID:JiyGEbr1
>その日は桐山猊下と個人面談の日で、順番を待ち乍ら椅子に座る。
>61神も仏も名無しさん2022/08/05(金) 13:46:07.58ID:GHJgNFMl
>さて、わたくしは桐山師の法力=(仏菩薩、神々との交流と祈念を言う)
>の実際を直に見聞きし、以後大いに人生観が変わり今に至る。

桐山さんとの面接や御祈祷で彼の抱えた問題を解決してもらった。
信者さんたちもぜひその体験談を聞きたいと思いませんか?
ここでは、阿含宗は何の効果もなかったという話ばかりで、
桐山さんの法力を証明するような話はほとんどありません。
それを又聞きや、宗務局の創作した体験談ではなく、宝生ソウカ大人が
桐山さんから指導され、祈祷され、効果を実感したという体験者です。
もう何年も前から、その体験をここに書いてくれと、私やユビキタスさんが
要求しているのに、彼は絶対に書かない。
今回、宝生ソウカ大人からの972さんへの助言らしいのが来ました。

32 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/31(木) 22:22:23.63 ID:1e4SpIC3.net
>>0030神も仏も名無しさん2023/08/31(木) 14:18:41.79ID:eENhBOq2
>切るの切れぬの、素人が五月蠅い五月蠅い、
>これらの仏教用語は、現代の精神分析から言うと
>精神の統合を果たす。
>如実知自心とはこれなり。

・・・相変わらず、日本語として意味不明。
この人、本当に日本で教育を受けた人なのだろうか。
八月も終わろうというのに「五月蠅」?
精神の統合?如実知自心?供養力?・・・なんの話?
老人が部屋の隅でブツブツ何かつぶやきながら、一人でニヤニヤ
しているような光景です。
そういう話ではなく、972さんは熱心に供養もボン行も続けたのに、
会社が倒産して、一家が路頭に迷っているが、どうすれば良いかと
助言を求めているのであって、老人のタワゴトのほうがよほど五月蠅です。

これだけ熱心に修行やボン行をしていたのに、どうして?と阿含宗への
不信が芽生えたところに、信者仲間からは、
「あなたは、最初から経営者の器ではなかったのです。」
「信心が足りない。因縁が深い」
「分納で”5万円”」
「冥徳祭の「開祖ご法話」での体験談」
など、972さんの辛い現状と揺れている信仰心に冷や水をかけるような
無神経な助言が相次ぎました。
そこに輪をかけたように、五月蠅(うるさい)と罵り、精神の統合、如実知自心、供養力??
スレ違いな自分教を書くから五月蠅のも、精神の統合が失調しているのも、
自分の醜悪な心を見えないのも、供養をけちっているのも、全部宝生ソウカ大人です。

33 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/31(木) 22:29:20.65 ID:1e4SpIC3.net
>>0030神も仏も名無しさん2023/08/31(木) 14:18:41.79ID:eENhBOq2
>切るの切れぬの、素人が五月蠅い五月蠅い、

批判側からは、阿含宗のインチキぶりや、桐山さんの山のような嘘と
冷酷非情な対応を教えられて、972さんは相当なショックを受けたはずです。
ガンになって泣きついた信者を叩きだし、機関紙にさらし者した開祖様は
仏の慈悲を持っていると賞賛されていた。
開祖様は、活躍していた先達をチヤホヤしたのに、ガンになり、
病み衰えると、目の前にいても声もかけなかった。
ガンになって助けてくれと指導を求めると、効果のないアガリクスを投げつけた。
信者が指導通りにお金の供養をしても何の効果もないと桐山さんに抗議すると、
職員と先達が総出で排除して、自殺に追い込んだ。

この冷酷非情な桐山さんを見れば、yahoo知恵袋での信者側の反応も
例外ではなく、むしろ阿含宗の正統な反応だとわかります。
そこにさらに四十年をこす大先達様にして守護霊をお持ちの宝生ソウカ大人
から五月蠅(うるさい)と罵られ、精神の統合、如実知自心、供養力とくれば、
972さんは、信者仲間から繰り返し阿含宗の正体を見せられ、気の毒に、
百年の恋も冷め、三十年に及ぶ修行や供養は何だったのかと茫然自失でしょう。

34 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/31(木) 22:38:38.76 ID:1e4SpIC3.net
972さんは桐山さんが未然に不幸を防ぐというから、例祭にも
修行で参加するなど、熱心に梵行もした。
ボン行などしたこともない宝生ソウカ大人とは違います。
972さんは導きも実践し、一人も導けない宝生ソウカ大人とは違います。
供養で先祖を成仏させ、供養にお金も出し、初護摩札だけでも10万円だした。
そこは冥徳供養はしたこともなく、年間30本の護摩木と決めている吝嗇信者の
宝生ソウカ大人とは違います。
これだけ桐山ゲイカの指導に従順に従って、30年間、修行とボン行をして
きた972さんが自己破産し、生活の基盤を失った。

一方、宝生ソウカ大人は護摩木はケチり、ボン行などしたこともなく、
阿含宗の教義は知らず、信者に勝手な助言をして虎屋の羊羹を見返りに
受け取るなどの悪事をなし、さらには自前の守護霊を調達するなど
違法行為を堂々と自慢した。
普通の文章をまともに書けず、意味不明のお説教をきどった調子で繰り返すから、
ネットでは笑い者になり、道場では嫌われ者で、他人に迷惑をかけ続けている。
行歴が長いのが唯一の取り柄で、釈尊の言葉を真似るなら、
年をとってただ余分な肉が増えただけの信者です。

35 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/31(木) 22:47:20.12 ID:1e4SpIC3.net
桐山さんによれば阿含宗には生きた仏様がいらっしゃるという話だった。
では、生きた仏様は居眠りしているのだろうか。
「供養に応えるぞ」と金品を要求する応供の如来様の要求に応えた972さんが
転ぶと、信者が後ろから石を投げつけるようなことを許している。
桐山ゲイカの御指導に従った人が窮地に陥っているのに助けようとする
どころが、罵りや心無い言葉を投げつけて、まるで追い出すかのようです。

一方、阿含宗の修行もせずに、>>30のような阿含宗とは関係のない個人的な
宗教を阿含宗であるかのように書いて、開祖様と阿含宗の顔に泥を塗っているのに、
こんなヤカラが四十年以上も在籍できる。
宝生ソウカ大人のように、阿含宗とは全然関係ない自分教をネットで滔々と
書きまくる男を十年以上も放置したままです。
信者さんたちは、阿含宗に生きた仏様が本当にいるなら、
何か変な仏だと思いませんか。

36 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/08/31(木) 22:56:47.03 ID:1e4SpIC3.net
信者さんたちに考えてほしいのは、阿含宗に本当に生きた仏がいるなら、
こんな事って、ありえるだろうか?
972さんを助けることもできず、阿含宗の恥さらしの宝生ソウカ大人のような
人物をそのまま放置している。
これは阿含宗の仏様とやらは、実は何も力がないか、あるいは最初から
そんなのはいないという証拠です。

星まつりに、まるで何か後ろめたいかのように、背を丸めて
横向きに現形するなんて、何か変な仏様ですよね。
横向きですよ。
もっとも、横向きには意味があって、そのおかげで、あの応供の如来の
現形写真では、裾の後ろから長くて白いシッポが出ているのが見えます。
冗談抜きで、信者さんたちもあの現形写真の裾から後ろを良く見てごらんなさい。
ホッキョクギツネのような白くてきれいなシッポです。

そういう目で見ると、どこを切っても金太郎飴のように嘘だらけだった桐山さん、
ひたすら強烈な憎しみと復讐心に燃え、さらに燃え〜のペテン大作さん、
無知と無恥と慢心の宝生ソウカ大人などは、なるほど
シッポの生えた応供の如来にふさわしい人たちだったとわかります。
972さんへの信者たちの冷たい反応も納得できます。
他の信者さんたちはどうですか?

37 :神も仏も名無しさん:2023/09/01(金) 05:30:41.04 ID:cV3sXUG5.net
>>22
>岩波仏教辞典を私が悪用しているというなら、どのように悪用しているのか、
相手に反論する時は、根拠をなる証拠を示すべきです。

証拠は何度も示しているのだが、リクエストがあれば、何度でも書きます。


「漏尽(ろじん)明、漏、すなわち煩悩を断じて真理を明らかにする智慧の働き。」
(『ブリタニカ国際大百科事典3』

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

ブリタニカによれば、漏尽明とは「煩悩を断じて、真理を明らかにする智慧」です。
この「真理を明らかにする」の部分が、岩波の「自己の煩悩の尽きたことを知る」に相当するわけです。
このように、岩波の説明は、ブリタニカの後半部分である「真理を明らかにする)だけを指しており、前半部分の「煩悩を断じて」には触れていないのが分かります。
それは「煩悩を断じて」と今更言わなくても分かるからです。
煩悩の尽きたことを知るには、その前段階で煩悩を断じることが出来なければならないからです。
断ずることが出来なければ、尽きたことを知ることは出来ない。
煩悩を断じるから尽きたことを知ることが出来る。
このように分かりきったことなので「煩悩を断じて」という説明を省略して、説明を簡略化したとものと考えられます。
その方が字数の節約に繋がる。
小型の辞典だからそれも当然でしょう。
ところが、深山さんはうした事情を全く理解出来ずに、岩波を持ち出しては、漏尽明が煩悩を断じる智慧であることを隠蔽しようと奮闘している。
だから辞典の悪用だと言っているのです。

38 :神も仏も名無しさん:2023/09/01(金) 05:32:32.57 ID:cV3sXUG5.net
>>26

>100mを10秒で走る例えなら、いつも時計を見て、間違いなく自分が10秒で
走っているのかを確認するのが、漏尽智です。

訂正しましょう。
100mを走る例えなら、間違いなく自分が100m走ったのかを確認するのが漏尽智です。
そして、それには自分で100m走れなければならない。
だから100mを走り、それを確認するのが漏尽智です。

39 :神も仏も名無しさん:2023/09/01(金) 05:50:49.88 ID:cV3sXUG5.net
深山さんが根本的に間違えているのは
智慧をオカルトや超能力だと思っている点です。
だから漏尽智で解脱したことが理解出来ない。
あなたが、いくら理屈を並べても漏尽智は煩悩を断じる智慧であると、大抵の仏教辞典に書いてある。
あなたの理屈は読んでいて、読み物としては面白いが、内容は妄想に溢れた夏休みの感想文の域を出ていない。

40 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 20:48:06.02 ID:OIJHUEHa.net
*去年とペテン大作さんの答が違う

信者さんたちを含めた普通の知性と良識のある読者の皆さんに
ここしばらくの漏尽智の議論を振り返ってほしい。
ペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」(桐山説2)が嘘であることを
示すためにも矛盾点を指摘しました。
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない
その上で、彼が触れようとしない二点の質問をしました。
質問1.漏尽智で因縁解脱するという阿含経の根拠
質問2.シュダオンやシダゴンは煩悩を何で切るのか
質問1に対して、彼は答えられず、次のように逃げた。
>知りません
質問2に対する答えは、
>シュダオンやシダゴンで因縁が切れると言ったことはありません
と質問をすり替えて、答えなかった。

昨年も同じ質問をした時の答えが次です。
質問1に対する答え、
>桐山開祖はこう述べただけで桐山カルマの話はしていません。
と桐山さんの文章を引用してはぐらかして逃げた。
質問2に対する答えは、
>シュダオンやシダゴンは知りません。
と「知らない」と、答えらずに逃げた。
だが、彼の説の矛盾を指摘されたのだから、知らないで済む話ではありません。

41 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 20:57:45.36 ID:OIJHUEHa.net
*論破されたことがわからない知性

同じ質問にたいする去年と今年のペテン大作さんの返答を比較して、
読者の皆さんは失笑したでしょう。
彼のことだから去年自分が書いた答えなど忘れているだろうから、
今年はどんなゴマカシを自慢するか、何度も煽って、見物していた。

去年は、質問1ではぐらかし、今年は質問2をすり替えた。
去年は、質問2に知らないと逃げ、今年は質問1に知らないと逃げた。
つまり、追いつめられると、「知らない」というか、
すり替えやゴマカシをして逃げるのがペテン大作さんの成仏力です。

明瞭なのは、彼はどちらの質問にも何ら答えてはいない。
矛盾の指摘に対して「知らない」と言うのは、議論の敗北です。
彼は二年間を通してみると、質問1と2の両方に知らないと答えている。
自説の矛盾を指摘され、それに対して「知らない」とは矛盾を説明できないの
ですから、間接的に矛盾することを認めたのと同じです。
彼の「漏尽智で煩悩を切る」は論破されたのです。
普通の人ならこれで終わりです。
だが、ペテン大作さんは普通の人ではなく、桐山さんの超能力開発法を
実践して朝からギンギンの大先達様です。

42 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 21:06:26.52 ID:OIJHUEHa.net
*ペテンゾンビは負けない

普通の知性と良識のある読者の皆さんに考えてほしい。
あなたの自説の矛盾を指摘され、その矛盾に答えられないなら、どうしますか?
勇気を出して自説の間違いを認めて撤回するか、沈黙しますよね。
それが普通の知性と良識を持った人の行動です。
なぜなら、人間としての羞恥心があるからです。
だが、ペテン大作さんは恥知らずなので違う。
>0037からの彼の書き込みを見てください。
むしろ、深山が間違っていたのだと、逆に書いている。
矛盾を指摘され、論に詰まり、知らないと答えて論破された本人が勝利を宣言している。

この反応は初めてではなく、彼との議論は15年以上にもなるが、「常の如し」です。
どんなに矛盾や間違いを指摘されても、彼は絶対に認めない。
可能性の一つは自分が論破されたと理解する知性がないこと、もう一つは、
強烈な憎しみから来る深山への復讐心で、負けを認めたくないという性格の歪みです。
彼は、倒されても、自爆しても、何事もなかったかのように立ちあがり、
また攻撃を始める自分をものすごく格好良いと勘違いしているのです。
だが、彼の姿は知性も良識もない、おぞましいだけのゾンビです。
その姿はいかにも外道の狂信的なカルト信者らしい。

43 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 21:15:09.36 ID:OIJHUEHa.net
*自説の証拠に自説を使う愚かさ

普通の知性と良識のある信者さんたちに考えてほしい。
「A自説」の根拠に「B自説」を出しても証拠にならないとわかりますよね。
泥棒と疑われ人が「オレが泥棒ではないと言っているのが何よりの根拠だ」
と言っているようなもので、根拠にはならない。
彼の、自説「漏尽で煩悩を切る」の根拠に自説「瞬間解脱」を出しても、
根拠にならないのは当たり前です。
だが、四谷大塚出身のペテン大作さんはこの簡単な理屈がわからない。
認めないのではなく、彼の脳では理解できないのです。
A自説の根拠として出されたB自説など検証するに値しない。

だから、これまで私は瞬間解脱は簡単な反論を加えるだけで取り扱わなかった。
ペテン大作さんはA自説の根拠にB自説を唱えるなど、彼の自説のための
狭い議論に入り込み、スレのテーマである阿含宗からどんどん離れていく。
最初の頃はそれを追いかけて、彼の自説が成り立たないことを反論したが、
彼は今回がそうであるように絶対に認めず、しばらくすると復活したゾンビが
また同じ自説を滔々とまくしたてて、何の効果もないので、止めたのです。
彼は現実世界でもこうやって周囲の人たちを黙らせて、勝利したと思ってきた。

愚説の放置は別な危険性があると知ったのは、アラカンポ先生の自説でした。
三善根に二種類あるという、今のペテン大作さんとそっくりな珍説を出して、
なんと、桐山さんが後にこれを本に採用した。
この経験から、くだらない珍説でも警告だけはするべきだと学びました。

44 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 21:22:23.41 ID:OIJHUEHa.net
>0013神も仏も名無しさん2023/08/29(火) 13:59:41.37ID:tKs4kb8P
>漏尽智で煩悩を断ずることが出来るのはアナゴンです。
>830神も仏も名無しさん2022/06/07(火) 15:27:24.87ID:8n25nriS
>漏尽智を体得するのはアナゴンです。
>そして漏尽智を体得して煩悩を切ったらアラカンなので漏尽智はアラカンが持つ。
>>776神も仏も名無しさん2022/05/29(日) 13:37:12.73ID:W1dv273e
>阿那含が体得し阿羅漢になるので漏尽智は阿羅漢に属する。

これがこれまでペテン大作さんの瞬間解脱の解説で、阿含経にも
学者の解説にもなく、もちろん阿含宗の教義でもありません。
実際、彼は瞬間解脱説は彼の発明だと認め、自慢した。
「漏尽智で煩悩を断ずることが出来るのはアナゴン」ならば、
アナゴンは漏尽智を体得していることになる。
だが、漏尽智はアラカンしか持たないから、矛盾している。
「漏尽智を体得するのはアナゴンです」とあるが、
漏尽智を体得したらアラカンですから、矛盾している。
「阿那含が体得し阿羅漢になるので漏尽智は阿羅漢に属する」とあるが、
前半ではアナゴンが漏尽智を「体得し」と言いながら、
後半では漏尽智は「阿羅漢に属する」と、一つの文章が前後矛盾している。

こんなふうに、短い一行にも矛盾したことを書いて、これを批判する深山は
「全く理解出来ずに」(>0037)「理解出来ない」(>0038)「理解出来なかった」(>0014)
「理解出来なかった」(>0982)「理解できない」(>0939)「理解できなかった」(>0940)そうです。
もちろん、こんな矛盾したデタラメな文章など私は理解できないし、
ペテン大作さん以外の頭では誰一人理解できない説です。
これらの文章は彼の知性のレベルと心の歪みを示すにすぎない。

45 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 21:31:22.35 ID:OIJHUEHa.net
*漏尽智の獲得を解脱に見せかけた

「漏尽智で煩悩を切る」という説自体が嘘だが、これを前提としても、
瞬間解脱説は矛盾することを以下に再度指摘します。
彼のゴマカシは、漏尽智の獲得が解脱であるかのように見せかけている。
「漏尽智の獲得」=「煩悩を切る」=「解脱」
であるかのように見せかけたのがペテン大作さんの瞬間解脱説です。
「煩悩を切る」=「解脱」は正しいが、「漏尽智の獲得」=「煩悩を切る」は嘘です。
両者を混ぜて他人の目をくらませただけでなく、本人も区別がつかないのでしょう。
「漏尽智の獲得」と「煩悩を切る」は別物です。
例えば、ハサミ(漏尽智)で糸(煩悩)を切るとします。
ハサミを手に入れてから、次に糸を切るのだから、同時などありえません。
それをペテン大作さんはハサミを手に入れた瞬間に糸が切れると誤魔化している。

「漏尽智で煩悩を切る」説でも漏尽智体得が解脱ではなく、漏尽智で煩悩を
切ることが解脱です。
漏尽智を体得して、次に煩悩を切るのですから、時間差があります。
では、漏尽智を体得した時、比丘はアナゴンなのか、アラカンなのか?
漏尽智を体得したのだから、アラカンです。
だが、煩悩はまだ切れていないから、アナゴンです。
こんなふうに彼の説では矛盾してしまう。
そこで彼は漏尽智の体得と煩悩を切ることが一瞬で起きると誤魔化した。
さらに予想どおり、彼の知性では矛盾点を指摘されても理解できなかった。

46 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 21:39:19.93 ID:OIJHUEHa.net
*五上分結と五種不還

ペテン大作説では漏尽智を体得した瞬間に煩悩が切れることになる。
だが、一瞬で煩悩を切るなど経典のどこにもないし、実際にありえません。
アナゴンの持つ煩悩は五上分結といって、五つに分類される煩悩です。
五つに分類されるとは、煩悩が五つしかないという意味ではありません。
たくさんの煩悩が五つに分類されるというだけで、アナゴンたちは
その一つ一つを戒定慧で八正道を実践することで断ち切っていくのです。
たくさんの煩悩が残っているのに、それを漏尽智を体得した瞬間に
全部切れてしまうなどという説はアニメの見過ぎです。

アナゴンは五種不還という五種類に分類されるのは、各人に残って
いる煩悩の種類や量が違うからです。
五上分結が漏尽智で一瞬で一気に切れるなら、アナゴンたちに五種不還という
差があることの説明がつかない。
彼らは戒定慧の八正道で、一つ一つに立ち向かい、煩悩を切り、それに
二度と囚われないように、地道に戒定慧の八正道を実践し続けている。
漏尽智という超能力で煩悩を切るという説では、
このようにアナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾します。
これを見ても、瞬間解脱説も、漏尽智で煩悩を切るという説も成り立ちません。

47 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/01(金) 21:48:29.76 ID:OIJHUEHa.net
*瞬間解脱でブッ界に逝くのは彼だけに任せたほうがいい

漏尽智で煩悩を切るという説の致命傷が、「シュダオンとシダゴンは何で
煩悩を切るのか」という問題です。
仮に瞬間解脱説で、アナゴンからアラカンになるとして、ではシュダオンや
シダゴンはどうやって煩悩を切るのか、この説では説明できない。
だから、この質問にペテン大作さんは去年も今年も逃げた。
普通の知性があるなら、この指摘は煩悩を漏尽智で切るという説の致命傷だとわかる。

子供騙しにもならない知性の低い瞬間解脱説などどうでもいいが、
問題は阿含宗の教義を作っている職員です。
あなた方は、桐山さんのインチキ説を擁護するために、さらに嘘を作ろうとする。
三善根に二説あるという嘘がその典型です。
漏尽智で煩悩を切るなどというインチキ説は成り立たないのに、強引に説明
しようとすれば、ペテン大作さんみたいに瞬間解脱説を採用することになります。
だが、それを採用すれば、さらに矛盾が生じ、阿含宗の外道ぶりはもっと進む。
採用した職員は釈迦仏教の教義と阿含宗の教義の二つを捏造したことになる。
その職員が希望どおりに桐山さんと同じブッ界に逝くのは自業自得だが、
それを信じた信者たちも引きずり込まれます。
三善根の時のように、他の信者を道連れにするのはやめてほしい。
この件でブッ界に逝くのは犯人のペテン大作さん独りに任せたほうがいい。

48 :神も仏も名無しさん:2023/09/02(土) 09:46:28.75 ID:xoW2es1n.net
=T=i=k=T=o=k(←迷惑でしたらこちらをNGしてください。)

更に家族に紹介する側になり加えて¥3500をGET。
https://i.imgur.com/N8rbbpC.jpg

49 :神も仏も名無しさん:2023/09/02(土) 11:04:46.48 ID:r9ghKefA.net
>>48
これ知らなかったわ。

50 :神も仏も名無しさん:2023/09/03(日) 02:37:53.58 ID:fa+jb4mY.net
深山さんは面白い人ですね。
「自説の証拠に自説を使う愚かさ」と言いながら、あなた自身が自説の証拠に自説を使っている。
あなたの自説は「漏尽智で解脱するのではない」であり、その証拠に使っているのも全部あなたの自説です。
漏尽智で解脱するのではないという学者の説なり辞典の文章を出せば済む話ではないか。
でもそれは出せないのだろう?
だからクダランしゃべりで誤魔化しかないわけだ。
悔しかったら出してご覧よ。

51 :神も仏も名無しさん:2023/09/03(日) 02:53:09.46 ID:fa+jb4mY.net
どうもあなたの自説とは違うんだよなw

「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
(『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

反論するなら自説でないやつで答えてね。
宜しくお願い致します。

52 :神も仏も名無しさん:2023/09/03(日) 12:00:07.13 ID:5RyMsWxD.net
>>42
>どんなに矛盾や間違いを指摘されても、彼は
>絶対に認めない。
>可能性の一つは自分が論破されたと理解する
>知性がないこと、もう一つは、
>強烈な憎しみから来る深山への復讐心で、負
>けを認めたくないという性格の歪みです。

これほど克明かつ詳細な自己分析を、私は今まで読んだことがありません。

53 :神も仏も名無しさん:2023/09/03(日) 12:08:57.33 ID:5RyMsWxD.net
「漏尽智証明。四諦の理つまり仏教の真理を明らかに証知して、漏つまり煩悩を断滅する智慧で、漏尽明ともいう。」
(『総合仏教大辞典 上』法蔵館、507頁)

どの辞典にも漏尽明とは煩悩を断滅する智慧だと書いてある。
これ自説じゃないからね〜
本当にアイツは嘘つきだよ。
ブッ界にブッ跳ぶのは間違いナシ♪

54 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 21:41:57.53 ID:r6syI0F6.net
*スレのテーマは桐山説の漏尽智が正しいかどうか

●桐山説1「煩悩を完全に滅したことを知る智慧」
●桐山説2「煩悩を完全に消滅させてしまう智慧」(ペテン大作説)
●桐山説3「業を消し去る智慧」

私は桐山説1のみが正しく、桐山説2〜3は嘘だと批判した。
そこにペテン大作さんが桐山説2は正しいと主張し、その証拠として
今回もまた学者の同じ文章を引用した。
私が、彼は総合仏教大事典、広説佛教語大辞典、新・佛教辞典を引用すると
>>23で指摘したとおりに彼はこれらを引用した。
私に予知能力があるのではなく、彼は反論を無視して毎年同じ文献を得意気に
出しているのです。
同じ穴から毎回同じモグラが出てくる。

私はこれに対して、学者の文章には「漏尽智で煩悩を切る」とはどこにも
書いておらず、彼の勝手な解釈、つまり「A自説」にすぎないと指摘した。
彼は自分の「解釈」以外ありえないと今も主張している。
だが、彼の解釈どおりに、漏尽智で煩悩を切ると主張すれば、

矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

という大きな矛盾が生じてしまう。
他の信者さんたちは、学者たちがこんな矛盾が生じることも予想せず、
「漏尽智で煩悩を切る」などと主張すると思いますか?
これは彼が引用したすべての学者の文章はそんな意味でない何よりの証拠です。

55 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 21:50:23.27 ID:r6syI0F6.net
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

この矛盾1に対して、ペテン大作さんは瞬間解脱という「B自説」を出した。
A自説の根拠にB自説を出して得意になって自慢する知性です。
しかも、彼の瞬間解脱説のたった一行の説明は前後矛盾し、意味不明で、
誰も理解できない内容です。(>>44)
A自説を証明するのに、意味不明のB自説を出す愚かさ。
また、瞬間解脱の彼の説明が意味不明だと言われても(>>44)、説明しようとさえもしない。
なぜなら、矛盾だらけの内容をあれ以上長く説明すると馬脚が現れるから、できない。
仮に瞬間解脱が成り立つとしても、矛盾2の説明がつかない。
彼は二年間にわたり、矛盾2に対して「知らない」と逃げた。

知性と良識のある信者さんたちはいかがですか?
これでも学者たちの解説が「漏尽智で煩悩を切る」という意味で、
桐山説2(=ペテン大作説)が正しいと思いますか?
無理ですよね。
私はペテン大作さんが出した学者の書いた漏尽智の意味を説明した。
念のためにいうが、この説明はここでは議論のテーマではない。
知性と良識のある信者さんたちに、普通の仏教を理解すれば、
学者のこの解説も矛盾なく説明できることを示すためです。

ペテン大作さんがあの説明が理解できないことは知っています。
これは皮肉ではなく、昔、彼のために丁寧に無我の説明をしたが、
受け入れる以前の問題として、ついに彼は理解できなかった。
理解できないと言われると、ただ「理解できない」と言い返すのが彼の理解力です。

56 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 22:01:11.21 ID:r6syI0F6.net
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

仮に私の漏尽智の説明が間違いなら、桐山説2(ペテン大作説)は正しくなるのですか?
私の説明が正しかろうか、間違っていようが、矛盾1と2には何の影響もありません。
私の説明とは関係なしに、「漏尽智で煩悩を切る」は成り立たないのです。

皆さんは>>50でのペテン大作さんのすり替えに気が付いていますか?
ペテン大作さんの「ペテンA自説」は「漏尽智で煩悩を切る」です。
この根拠に瞬間解脱という「ペテンB自説」を出したから、私は笑ったのです。
自説の証拠に自説を出しても根拠にはならない。
こんな簡単なことも彼はわからない。
そこでいつものように彼は自分の間違いを素直に認めることは絶対にせずに、
深山も自説を出していると反撃したつもりです。
だが、私はB自説など出していない。
私の学者の文章の説明は「深山A自説」です。
私は「深山A自説」の証拠に「深山B自説」など出していない。
「深山A自説」に矛盾がないので、証拠を示す必要がないからです。

A自説をB自説であるかのように彼はすり替えて私を笑ったつもりです。
悔し紛れに、言われたことをそのまま言い返すのがペテン大作さんです。
理解していないと言われると、「理解していない」とそのまま言い返す。
事の是非ではなく、彼は何でもかんでも殴り返さないと気が済まない。
念のために言うが、私は何もしていない。
彼の万年芸で、勝利を叫びながら自分で思いっきり舞台の上で転んだだけです。
そして、これも万年芸で、自分で転んだのに、私を逆恨みして復讐に燃える。

57 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 22:13:32.78 ID:r6syI0F6.net
*何度論破されても振り出しに戻るゾンビ

普通の知性と良識を持った信者さんなら、
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」(ペテン大作説)
という説は、矛盾を生じてしまい、成り立たたないことがわかったでしょう。
私の漏尽智の説明が正しいか間違いとは関係なしに、桐山説2は成り立たない。

だが、ペテン大作さんの知性には何の効果もない。
どんなに論に詰まっても、どんな矛盾を指摘されても、ゾンビですから、無傷です。
撃たれようが、殴られようが、フラフラと立ち上がってくるゾンビそっくりに、
彼の脳は完全にリセットされ、議論の振り出しに戻り、また同じ主張を始める。
それが>>51です。

また同じ学者の文章を引用して、彼の勝手な解釈を加えて主張を始めた。
読者の皆さんは完全に話が降り出しに戻ってしまったことに気が付いてください。
ただ、グルグル同じ所を彼は回っているだけです。
二週間前、ペテン大作さんは51と同じように、中村博士や望月仏教大辞典を
引用して、彼らの漏尽智の説明とは「漏尽智で煩悩を切る」という意味だと主張した。
それから二週間、私は繰り返しその解釈では矛盾1や2が生じて成り立たないと指摘した。
すると、彼は去年と同じで瞬間解脱を出した(去年と同じ所を回っている)。
自説を根拠に自説を出す愚かさと、瞬間解脱でも矛盾2は説明できないと指摘し、
彼に矛盾2の説明を求めると、適当に誤魔化して逃げた。
瞬間解脱など、五上分結という煩悩の数の多さからありえないし、
何よりも五種不還の存在を説明できない。(>>46)
矛盾を指摘され、行き場がなくなると、彼は振り出しに戻った。

58 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 22:21:48.76 ID:r6syI0F6.net
*輪廻するゾンビ脳

「漏尽智で煩悩を切る」という説は、これだけ矛盾があり、八方ふさがりの説だと
批判されたら、他の信者さんたちはもはや主張しませんよね。
だが、ゾンビのペテン大作さんは違う。
二週間前に逆戻りして、また同じように学者の文章を引用して、
自分の解釈以外にはありえないと>>53で勝利宣言をしている。
これまでの議論を完全に無視して、彼はスタート地点に戻ったのです。

最初の頃、私は彼と議論していて、これを繰り返す彼に熱が出そうだった。
「その議論は、前に論破され、終わっているだろう」と指摘しても、
彼は何度でも、繰り返し、年単位で出してくる。
しかも、今回のように彼は新しいネタを見つけたかのように自慢しながら、
相手を小馬鹿にしきった態度で、勝利を宣言しながら出てくる。
今回の議論で、コテンパンにのされているのはペテン大作さんです。
彼の主張する「漏尽智で煩悩を切る」をいくつもの事例で矛盾を指摘している。
一つを誤魔化せても次のが待っている。
普通の知性があるなら、これだけ矛盾を指摘されたら、自説の間違いに気が付く。
だが、彼はそうではない。
都合の悪いことは「知らない」と逃げて、自分の巣穴の中に戻り、
学者の文章をまた自説の解釈をして、得意気に出してくる。
この彼が子供の頃は秀才君だったと聞いて、
「変われば、変わるもんだなあ」と無常を感じませんか。

59 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 22:31:22.50 ID:r6syI0F6.net
*ドツキ漫才の相方

私は十数年前に彼と議論するのはやめました。
秀才君のゾンビと議論はできない。
だが、批判ネタを提供してくれるオカルト信者としては使えます。
悪臭を放つ生ゴミも発酵させれば堆肥です。
私が一人で何度も桐山説の漏尽智を批判したら、信者さんたちはしつこいと思うでしょう。
だが、ペテン大作さんが話題をふってくれれば、私はそれを機会に
信者さんたちに説明することができる。
今回もペテン大作さんが、私に桐山説を詳しく批判し、矛盾と嘘だらけで
あることを丁寧に説明する機会をくれました。
この意味では、彼は良いドツキ漫才の相方なのです。

信者さんたちがどちらの話を信じるのも自由で、私は興味がない。
各人のことは各人のことである、という釈尊の言葉どおりで、
カルトを信じようが、ペテン大作さんのように、注意されると
もっと力を込めて釈尊の説いた教義を捻じ曲げようが、
その報いは各人にいくだけで、私には関係ないからです。
私は、自分も信者時代、いろいろな人から正しい情報をもらうことで
ずいぶん助けられたから、自分の知りうることを伝えているだけです。

60 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/03(日) 22:42:01.89 ID:r6syI0F6.net
*彼の憎しみと復讐心がチャンスをくれた

桐山さんのインチキぶりを伝えられ、正しい仏教を教えられて、
信者さんがどう反応するのかはいつも楽しみにしています。
だから、ペテン大作さんや宝生ソウカ大人の反応を見ていると、
ピンクのゴキブリを見ているような気分になる。
気色悪くて見たくないのに、おもしろすぎて目が離せないという意味です。
これだけ桐山さんの嘘デタラメに何の嫌悪感も持たず、矛盾だらけの自説を
滔々と並べて慢心を垂れ流し、反論されても脳ゾンビで理解できず、
釈尊の教法を示されても、ツバを吐きかけ、小馬鹿にする。
釈尊の教法を捻じ曲げる悪業の報いをいくら警告しても、
ただ同じことを言い返すだけ。(>>53)
世の中にはこんな人たちがいるんだなあと、あまりに気色悪いが、
つい目が行ってしまう。

経典の中にも、釈尊が直接議論し、相手を論破しても、
それでも無視する者たちが登場します。
釈尊に対してさえもそうだったのだから、仏教素人の私が説明して、
一人理解してくれたら十分で、すでに利子が付いています。
信者さんの中で、私の今回の説明で漏尽智の意味や、アラカンが
何をしているのか理解した方は、ペテン大作さんに感謝してください。
彼の理解力の低さ、強烈な憎しみと復讐心こそが、それを学ぶチャンスをくれたのです。

61 :神も仏も名無しさん:2023/09/04(月) 02:46:22.58 ID:mWx1se/b.net
これ全部読んでる人いるのかねw
51は、漏尽智は煩悩を断滅する智慧で、それを獲得して解脱したという話でしょ。
だからあなたの説とは違うと言ってるの。
それに対して、文句が言いたいのなら自説じゃなくて学者の説でも持って来なさい。
自説じゃ駄目だとあなたが言い出したのだからちゃんと実行しなさい。



だからあなたの説とは違うと言ってるの。



ところが、あなたは矛盾を感じている。
だから書いてあるそのままを信じるよ。
ところが、あなたは矛盾を感じるようだ。


あなた自分で勝手に矛盾を作り上げてるだけでしょ。
51の学者の説を読んで、あなたは矛盾を感じているわけだよね。

矛盾と言ってるけど、矛盾に思うのはあなただけでなんだよ。


矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない


自分で矛盾を作り上げて、さあ説明してみろと

62 :神も仏も名無しさん:2023/09/04(月) 02:55:18.62 ID:mWx1se/b.net
コレ↓以下は消し忘れ。

だからあなたの説とは違うと言ってるの。

63 :神も仏も名無しさん:2023/09/04(月) 12:13:30.61 ID:M7dZuox/.net
〉〉55
〉矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
〉矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

〉この矛盾1に対して、ペテン大作さんは瞬間解脱という「B自説」を出した。
〉A自説の根拠にB自説を出して得意になって自慢する知性です。

何の矛盾もありません。
矛盾はあなたの脳みそが作り上げているだけです。
瞬間解脱は自説ではなく仏教学者の言葉を
根拠にしています。

「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」
(『原始仏教入門』231頁、水野弘元、佼成出版社)

この水野博士の説明によれば、高い禅定に熟達した者は、さとりを開くと同時に三明を獲得することになります。
そして「漏尽明によって、釈尊の成道が実現したのである。」(『同書』)とあるので、ここでの三明とは漏尽明のことです。
また、さとりを開いた人=解脱者をアラカンと呼ぶので「アラカンになると同時に漏尽智を獲得する」わけです。
これが中村氏の「漏尽智はアラカンに属する」の意味になります。
このように、水野説と中村説には何の矛盾もありません。
矛盾1はこれで無事解決です。

64 :神も仏も名無しさん:2023/09/04(月) 12:15:22.19 ID:M7dZuox/.net
次に矛盾2ですが、「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」(『広説佛教語大辞典』1776頁)なので、煩悩を滅ぼさせる智慧=漏尽智を持たないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることはできません。
これで矛盾2も無事に解決です。

水野説、中村説、望月仏教大辞典の説明は完璧で矛盾点は一つも無い。
私も自説を述べているのではなく、こうした仏教の大家たちの言葉に従っているだけなので、矛盾することも無く行き詰まることはないのです。
それに対して、あなたは大家たちの言葉に素直に従わずに、自分好みの仏教を作り上げているから矛盾点が生じる。
すべては自分は頭が良いという思い上がりと教祖教団に対する憎しみが原因です。
所詮あなたの仏教は偽仏教なので、行き着く所が何処かは言うまでもありません。

65 :神も仏も名無しさん:2023/09/04(月) 18:06:41.26 ID:QY8txJdF.net
「漏尽智ーあらゆる汚れを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

「阿羅漢に属する」という文句を見て、ああ
漏尽智というのは阿羅漢が持ってるんだから、阿羅漢が漏尽智を獲得するなんておかしい。
こういう風に早合点するところがアホなんです。
そうではなくて「あらゆる汚れを滅する智を必要としているのは誰か」ということを考えなければいけない。
すると阿羅漢はあらゆる汚れを滅している人だから、あらゆる汚れを滅する智は必要ないわけで、必要としているのはアナゴンであることに思い付く。
では「阿羅漢に属する」の方はどうするかというと、あらゆる汚れを滅する智(漏尽智)を獲得すれば阿羅漢になれるから「漏尽智は阿羅漢に属する」で問題ないことになる。
こうしてアナゴンはあらゆる汚れを滅する智(漏尽智)を得て阿羅漢になり、漏尽智は阿羅漢に属するという解釈に辿り着くわけです。
私は上の解釈に到るまで、いくらか時間を使いました。
もっと頭が良ければ瞬時に見抜いたのにね。
でも未だに理解出来ない人がいるのを見ると、世の中、上には上が、下には下がいるものだと少し安心しました。

66 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 21:08:35.05 ID:O86VWSdc.net
*また自説の根拠が自説

漏尽智で煩悩を切るなら、アナゴンが漏尽智を持つことになり、矛盾する。
この矛盾1に、>>63でペテン大作さんが出した証拠が、水野氏の文章の「同時」です。
これは前に彼の瞬間解脱説の根拠とした文章です。
自分で前に出したのを忘れているのでしょう。
水野氏の文章の「同時」を彼は「一瞬」と置き換えたから、私がこれを瞬間解脱と表現した。
今回、彼が矛盾しない理由に挙げたのが、ペテンB自説「瞬間解脱」です。
自説の根拠に別な自説を出しても、根拠にはならないと笑われても、
まだ懲りずにこうやって同じことをする。

水野氏は同時と言っているだけで、一瞬などと言っていません。
「解脱して、同時に、解脱を確認するのが漏尽智」だという意味です。
何よりも、水野氏の文章にはどこにも、アナゴンが漏尽智で煩悩を切るなどない。

「肉と野菜を同時に買った」という文章は、ペテン大作さんの世界では、
瞬間移動で野菜売り場と肉売り場に行き、瞬間移動でレジで金を払うから、
肉と野菜を一瞬で買ったという意味だそうです。
ごらんのように、ペテン大作さんの理屈は、自説を批判されると次の自説を出し、
それが矛盾すると、前の自説に戻るだけで、同じ所をグルグル回るだけです。
いや、次の矛盾2に対する書き込みはこれまでにない珍説を出しているから、
妄想だけは進歩したのかもしれない。

67 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 21:19:32.10 ID:O86VWSdc.net
>>0064神も仏も名無しさん2023/09/04(月) 12:15:22.19ID:M7dZuox/
>漏尽智を持たないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることはできません。
>これで矛盾2も無事に解決です。

信者の皆さん、阿含宗を弁護したペテン大作さんの末路を見てください。
シュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない!??
釈迦仏教でも、阿含宗でも、三結を切ってシュダオン、欲貪と瞋恚が
薄らいでシダゴン、五下分結を切ってアナゴンです。
ですから、シュダオンもシダゴンも煩悩を切ることができます。
私と阿含宗では主張が対立しているが、この点に関しては違いはありません。
唯一というか、たぶん世界中でペテン大作さんだけが、
シュダオンやシダゴンは煩悩を切れないという自説を唱えている。
阿含宗を擁護したつもりが、阿含宗からも離れてしまった。

では、煩悩が切れないシュダオンはどうやってシダゴンになるのだ?
煩悩が切れないシダゴンはどうやってアナゴンになるのだ?
シュダオンの前のシュダオン向も煩悩は切れない。
アラカンも最初はシュダオン向だった。
ところが、ペテン仏教ではアナゴン以外は煩悩は切れないのだから、
誰もシュダオン向にもなれず、三結は切れないのだから誰もシュダオンになれず、
欲貪瞋恚が切れることもないのだから、誰もシダゴンにもアナゴンにもなれない。
アナゴンがいないのだから、アラカンはいない。
シュダオンからアラカンまで誰もいないことになる。
それでいて、アナゴンが、どういうわけかアラカンしか持たない漏尽智を体得し、
一瞬でたくさんの五上分結の煩悩を漏尽智で切ってアラカンになるそうです。
滅茶苦茶、支離滅裂な説を堂々と唱えるのも深山をやっつけたい一心で、
彼にとっては仏教も阿含宗も実はどうでもいいのがわかります。

68 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 21:30:15.02 ID:O86VWSdc.net
>>0061神も仏も名無しさん2023/09/04(月) 02:46:22.58ID:mWx1se/b
>51の学者の説を読んで、あなたは矛盾を感じているわけだよね。

また私の主張をすり替えて、捏造している。
本当にペテン大作さんて悪質な男だ。
51はじめ、学者の主張に矛盾などないと私は言っているのです。
ペテン大作さんが彼らの文章を「漏尽智で煩悩を切る」と
解釈しているにすぎず、その解釈に矛盾が生じると指摘しているのです。
ペテン大作さんに何を言っても無駄であり、ドツキ漫才の相方にすぎない。

知性と良識のある信者さんたちに良く見てほしい。
「漏尽智で煩悩を切る」という説から生じる矛盾は>>56の二つだけではありません。
百人からの学者が集まって作った岩波仏教辞典にはこの説を否定する材料が
たくさんあります。
例えば、岩波仏教辞典での漏尽智(漏尽通)の説明には次の一行しかない。

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

どこにも、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」と解釈できる文章がありません。
屁理屈魔のペテン大作さんもこの文章にはインネンのつけようがない。
桐山説では、漏尽智で煩悩とカルマを切るというのだから、最大級に
重要な項目なはずです。
その大事な漏尽智の説明に、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」がない!?
おかしくありませんか。

69 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 21:38:38.40 ID:O86VWSdc.net
矛盾3.「漏尽智で煩悩を切る」が、どうして岩波仏教辞典の説明にないのか?

この指摘は深山の自説などではなく、事実です。
岩波仏教辞典の漏尽通(漏尽智)の説明は、たった一行で、
そこには「漏尽智で煩悩を切る」などない。
この指摘に、ペテン大作さんは何と言い逃れしたと思いますか。
シュダオンやシダゴンは煩悩が切れないと平気でいう男ですよ。(>>64)
恥知らずの屁理屈魔の真骨頂で、読者の皆さんは失笑する準備をしてください。

>405神も仏も名無しさん2022/04/11(月) 13:05:33.82ID:7C7KKG4S
>岩波では頁数の関係で簡潔に一行での説明となったと考えるのが妥当である。
>578神も仏も名無しさん2022/05/10(火) 16:07:19.49ID:LDOrLmRG
>紙数の関係でそうなったことは容易に推察できます。

ページ数が限られているから、「漏尽智で煩悩を切る」という説明を省略したというのです。
こんな子供騙しの屁理屈が通用すると思っている彼の知性と道徳心を見てください。
漏尽智(漏尽通)は、彼の説によれば、煩悩を切って解脱をもたらす智慧ですから、
仏教の大黒柱です。
辞典では、仏教の目的である解脱の説明に半ページ近くを費やしています。
ペテン大作説では、仏教の目標である解脱をもたらすのが漏尽智なのだから、
半ページくらい費やしてもおかしくない。
いや、ページなど必要なく、ほんの少し文字を加えればいいだけです。
「漏尽通はこれで煩悩を切り、自己の煩悩の尽きたことを知る能力」
と「これで煩悩を切り」というたった8文字を入れればいいだけです。
だが、ペテン大作さんによれば、8文字も入れる余裕はなかったらしい。
彼はこんなことを書くのは恥だとも醜態だとも思っていないのだから、
彼はお笑い芸人の天性の才能に恵まれている。

70 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 21:47:18.26 ID:O86VWSdc.net
矛盾3.「漏尽智で煩悩を切る」が、どうして岩波仏教辞典の説明にないのか?

岩波仏教辞典は個人や数人ではなく、100人以上の仏教学者が総出で作った。
これは人数の問題だけではなく、客観性です。
学者がそれぞれ項目を担当して勝手に書いているのではありません。
その原稿を複数の学者たちが文章を検証し議論し、必要なら修正する。
特に、岩波仏教辞典は一般人も対象とした辞典だから、
仏教の素人が誤解するような言葉や表現は避けなければならない。
そうやって作られたはずの初版にもいくつか問題があったから、
二版ではかなりの修正が加えられています。
岩波仏教辞典の編纂には、ペテン大作さんが引用した辞典の執筆者も含まれ、
中村博士は筆頭であり、最高責任者です。

「あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1444頁)

同一人物なのに、古いこの辞典と、後の岩波仏教辞典(>>68)の表現が違う。
ペテン大作さん以外の信者さんたちは、すでにその理由を私が
説明していることに気が付いていますよね。
「あらゆるけがれを滅する智」とは「漏尽智で煩悩を切る」という意味なら
「阿羅漢に属する」と矛盾することは、>>65以外の普通の知性を
持っている人ならわかります。
学者が矛盾するようなことを書くはずがないから、「漏尽智で煩悩を切る」
という意味ではありません。
アラカンが煩悩と戦いながら解脱が保たれているのを確認するという意味です。
「漏尽智で煩悩を切る」という説は、岩波仏教辞典を見ると、
別な角度からも、成り立たないのがわかるのです。

71 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 21:53:58.15 ID:O86VWSdc.net
矛盾4.どうして岩波仏教辞典には漏尽智という項目そのものがないのか?

岩波仏教辞典には、漏尽智、漏尽通、漏尽明という項目はありません。
毎回引用している↓この漏尽智の説明は六神通の説明の一部なのです。

「(漏尽通)は自己の煩悩が尽きたことを知る能力.」(岩波仏教辞典の六神通の説明)

後で紹介しますが、漏尽や三明という項目の中に、漏尽智の説明が少し出てきます。
「漏尽智で煩悩を切る」が正しいなら、変だと思いませんか?
煩悩を切ることが解脱なのだから、もし煩悩を切るのが漏尽智なら、漏尽智は
非常に重要な内容で、当然項目として取り上げ、詳しく説明するはずです。
ところが、他の用語の付け足しやついでのように、短く説明されているだけです。

漏尽智という項目がないことを見てもわかるように、漏尽智で煩悩を切って
解脱するなど嘘です。
それは他の三明や漏尽の項目での説明を見てもわかります。

72 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/04(月) 22:02:50.28 ID:O86VWSdc.net
矛盾4.どうして岩波仏教辞典には漏尽智という項目そのものがないのか?

「・・第3に仏教真実によって煩悩を断滅した漏尽智証明で漏尽明ともいう。」
(岩波仏教辞典の三明の説明)

ペテン大作さんは「煩悩を断滅した漏尽智証明」という文字を読んで、
大喜びしているでしょう。
彼の読解力や読み方はいつもそうです。
だが、普通の国語力のある信者さんたちは前後を良く読んでください。
煩悩を断滅したのは漏尽智(漏尽明)ではなく、「仏教真実」です。
仏教真実が何であるかさておいて、煩悩を断滅したのは漏尽智でないこと
だけは、普通の日本語の読める方ならわかるはずです。
漏尽智(漏尽明)とは、煩悩を断滅したことを証明する、つまり、解脱した後に
解脱を確認するのが漏尽智です。

「煩悩の尽きた状態.(中略)・・・また,この状態を自ら知覚することを(漏尽明)(漏尽通)
といい三明六神通の一つである.」(岩波仏教辞典の漏尽の説明)

この漏尽の説明でも同様で、漏尽智(漏尽明、漏尽通)とは、
「煩悩の尽きた状態を知覚すること」であると述べています。
もし、「漏尽智で煩悩を切る」なら、その説明がどこかにあっていいはずです。
ペテン大作説のように紙数が少ないから省略するにしては、
こんなふうに少なくとも数カ所、漏尽智の説明をしているのに、
その説明のどれもが、漏尽智とは「煩悩の尽きたことを確認する能力」です。
一度も「漏尽智で煩悩を切る」など出てきません。
これを見ても、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」など嘘だとわかります。

73 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 12:33:32.81 ID:O7PRksyZ.net
仏教無知の書き込み読むと笑えるねw
単語しか知らんのがおるしw

74 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 12:38:48.41 ID:O7PRksyZ.net
阿含宗の信者の皆さんも桐山因縁解脱なんてアホな話でなく、本当の仏教の考えをこの機会に学んでください。
漏尽智ネタでもそれは追求できます。
智慧とは何か?
桐山さんが提唱してる超人みたいな言説説明不能みたいな智慧と仏教の智慧は異なりますよ。
そこが切り口です。
晩にそのことも書いてみたい。

75 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 12:44:02.39 ID:O7PRksyZ.net
智慧だけでは解脱できないんですよ。
解脱できたことを確認できるのは智慧ですが。

76 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 12:45:54.29 ID:O7PRksyZ.net
四谷大塚で勉学に励んでいた秀才もこのザマなんだねw

77 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 12:47:47.07 ID:O7PRksyZ.net
専門用語を誰にでもわかりやすい言葉に噛み砕いて説明してみい。
それができるのが本当に頭のいい人間だ。
まあ私も頭はあまり良くないが、それもできないほど悪くもないか。

78 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 20:51:55.69 ID:qATRbbXl.net
>>37 神も仏も名無しさん 2023/09/01(金) 05:30:41.04 ID:cV3sXUG5

>「漏尽(ろじん)明、漏、すなわち煩悩を断じて真理を明らかにする智慧の働き。」
>(『ブリタニカ国際大百科事典3』

>「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

>ブリタニカによれば、漏尽明とは「煩悩を断じて、真理を明らかにする智慧」です。
>この「真理を明らかにする」の部分が、岩波の「自己の煩悩の尽きたことを知る」に相当するわけです。
>このように、岩波の説明は、ブリタニカの後半部分である「真理を明らかにする)だけを指しており、前半部分の「煩悩を断じて」には触れていないのが分かります。
>それは「煩悩を断じて」と今更言わなくても分かるからです。
>煩悩の尽きたことを知るには、その前段階で煩悩を断じることが出来なければならないからです。
>断ずることが出来なければ、尽きたことを知ることは出来ない。
>煩悩を断じるから尽きたことを知ることが出来る。
>このように分かりきったことなので「煩悩を断じて」という説明を省略して、説明を簡略化したとものと考えられます。

そんな都合のいい理屈は世の中に通用しません。
たしかに煩悩を断じていることが絶対的な前提には違いないわかりきったことだが、
あなたが言うように、単に知ることだけでなく知る前提としての煩悩そのものを断じる行為、修行、アプローチを含むのならば
明らかに岩波仏教辞典は説明不足になります。
また深山さんが指摘しているようにそんなに大切な漏尽智技法ならば、これを辞典に載せない方がおかしい。
これは辞典の編集責任者が誰であるとか関係ない。
全て共同責任ですから協議、監修のサイドで疑問が起こるはずで簡略化なんてあり得ない。
それにこれは漏尽智という智慧であることに着目しなければならない。
智慧は煩悩を断ずるのに欠かせないものだが、智慧だけでは煩悩を断じる解脱はできないのです。
なぜなら智慧とは要するに「知る」ことだからです。

79 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 21:08:16.12 ID:qATRbbXl.net
智慧とは要するに知ることです。
これは漏尽智以外の他の宿明智・通とか他心通・智も同じです。
前世が透視できたり他人の心を読めたりすることはこれは常人にはあり得ないすごい神通力、超能力です。
しかし実はこれも単に知ることのみです。
前世にしても他人の心にしても知ることができるだけで、前世を変えることはできないし、
他人の心を変えて操作することもできない。
他人の心を変えようと思ったら神通力ではなくその人と直接コンタクトをとって言葉による会話で
教え諭すという別の行為が必要です。
桐山流智慧みたいにカルマの鎖をパッカーンと断ち切る言葉で説明不可な摩訶不思議なものではない。
だから智慧とは知の名の通り、知ることであり認知・認識に過ぎません。
そしてこの認知・認識行為は煩悩を断ずるのに絶対不可欠だが、これ単独では解脱は不可能です。
だから常に戒と定と智慧がセットにして修行しなければ煩悩は断じることができません。
智慧とは知ることであり知識もありますから、これをしてはならないという知識・認識を持ち、
これをすべきだという知識・認識を持つ。
でも知識を持って認識しただけで煩悩が断てるほど甘くない。

80 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 21:20:09.17 ID:qATRbbXl.net
だから智慧とは漏尽智のような最終段階だけの話ではない。
もう修行の初歩から智慧による観察を始めている。
定に関しては滅尽定なんて技法も境涯も釈尊以前の外道にも存在した。
滅尽定に入れば感覚も無くなり、これはもう死んだも同然の境涯です。
長く続けたら本当に死ぬがw
だから滅尽定に入っている間じゅうは煩悩なんか沸き起こるはずもない。
でも定から解けたらまた元に戻り煩悩も蘇るのです。
だから釈尊は定だけでは駄目で戒律や智慧による観察を取り入れたのです。
観察とは自分の日常生活の四六時中の一挙一投足の心と行動の観察です。
これは常にありのままを観察するのです。
当然煩悩具足の自分をありのままに観察するのです。
最初から煩悩がなくなるはずがない。
戒と定を一緒に行いながらこのような観察と思索を行う。
これにより少しずつ煩悩が減っていく。(漸得解脱)
いつしか完全に煩悩が無くなるのです。
そして有漏の慧は最終的に無漏の慧となる。
無漏の慧こそが漏尽智です。
だから智慧とは観察なのだからそこで残っていた煩悩を退治する話ではない。

81 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 21:39:21.71 ID:qATRbbXl.net
つまり戒定慧とは生活に厳しい規制を設けて煩悩のままに行動しないようにすることであり、
心を集中統一して散乱しないようにして、自分自身を観察するという行為です。
この智慧による観察には真理の観察もあります。
真理の観察、真理とは何か?
それはペテン大作さんが答えを書いている。
つまり四諦の真理です。
しかし四谷大塚で勉強したかつての秀才のペテン大作はこの四諦という単語を目にしただけで
その内容について考えなかった。
四諦とは阿含宗の信者だって内容を知っている。
苦集滅道です。
桐山さんの解説はこうです。
おまえ「苦」しいだろう?なんで苦しいかわかるか?
それは「集」めているからだ。苦のモトを集めているからなんだ?
ならばそれを無くせ!集めているものを「滅」せよ!
ここに「道」がある。集めているモノを滅する道がある。その道を歩め!

まあ桐山四諦解説は集めているモノを悪因縁とし、煩悩としておらず、道もまた八正道と限定することを無知から嫌い、仏道としているが、
それでもペテン大作さんが提唱しているようにまだ煩悩を完全に無くしていないアラカンが
漏尽智(苦集滅道の四諦の法門真理)をちゃちゃっと瞬時に行ってアラカンの解脱者になるという話だと
阿含宗の信者でもそれっておかしな話だと気づきます。

82 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 21:53:50.57 ID:qATRbbXl.net
そもそもこの漏尽智の話は沙門果経の記述からペテン大作さんは自分の論理を展開している。
沙門果経は釈尊が阿闍世王に仏道の出家の沙門が得ることができる果報を一つ一つ順を追って説明したものです。
順を追って説明してるが、イコール修行の順番を説いた話ではありません。
しかしその順を追って説明の順とはたしかに釈尊の成道体験を題材にしていることが誰の目にも明らかです。
最後に菩提樹の下に座って試作品して成道を得た件からしても。
しかしこの漏尽智、解脱知見とも言われる最終段階で初めて苦集滅道の四諦が出てくるだろうか?
たとするとおかしな話してますがになる。
なるほど!苦しいのは苦のモトとなる煩悩だか悪因縁だか知らないがそれを集めているからなんだな。
ならばそれを滅しなければならない。んだばその道、八正道だか仏道だか知らないがオラもそれをやらなきゃ駄目だなと悟る。
それをこの段階で初めて始めるか?
あ!オラにも煩悩があった!どうしよう?八正道に励まねば、となる。
これを瞬時に樹下に座っただけでできるのか?
だからこの段階でみ四

83 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 21:54:23.41 ID:qATRbbXl.net
途中で投稿されてしまった。やり直し。

84 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 22:03:26.35 ID:qATRbbXl.net
そもそもこの漏尽智の話は沙門果経の記述からペテン大作さんは自分の論理を展開している。
沙門果経は釈尊が阿闍世王に仏道の出家の沙門が得ることができる果報を一つ一つ順を追って説明したものです。
順を追って説明してるが、イコール修行の順番を説いた話ではありません。
しかしその順を追って説明の順とはたしかに釈尊の成道体験を題材にしていることが誰の目にも明らかです。
最後に菩提樹の下に座って思索して成道を得た件からしても。
しかしこの漏尽智、解脱知見とも言われる最終段階で初めて苦集滅道の四諦が出てくるだろうか?
たとするとおかしな話になる。
なるほど!苦しいのは苦のモトとなる煩悩だか悪因縁だか知らないがそれを集めているからなんだな。
ならばそれを滅しなければならない。んだばその道、八正道だか仏道だか知らないがオラもそれをやらなきゃ駄目だなと悟る。
それをこの段階で初めて始めるか?
あ!オラにも煩悩があった!どうしよう?八正道に励まねば、となる。
これを瞬時に樹下に座っただけでできるのか?
だからこの段階での四諦の観察とは追認に他なりません。
実は修行を始めた当初、初心の頃から取り組んできた方法論です。
だってアゴン宗の信者ごときでも四諦の真理をだいたい理解しているではないですか?
この四諦の真理の方法論、仮説で修行を進めてきた。
そして最後の段階で再度この真理に従って己を観察した。
観察とはあるがままの観察です。
煩悩具足の頃は煩悩がある自分があるがままに観察できたが、今自分は煩悩が完全に尽きてなくなっており
来世にも生まれ変わらないことを実感できている。つまり自分は真理を体得できたのだ。
煩悩を全て断じる解脱がなされていたからこそ、この四諦の真理はまさに正しい真理だと
証明することができたのです。
だから漏尽智とはこの真理の観察だけです。
それまでの長年の煩悩を断じる努力があったからその成果が確認できたのです。
これが漏神智という実は観察だけの智慧です。
煩悩は既に断じて解脱を得ている。

85 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 22:23:44.23 ID:qATRbbXl.net
「漏尽(ろじん)明、漏、すなわち煩悩を断じて真理を明らかにする智慧の働き。」
(『ブリタニカ国際大百科事典3』

こういう点から考えでも上記をペテン大作さんのように
①まだ残ってる煩悩を断ずる行為

②真理を明らかにする智慧
と2つに分けることが勝手な思い込みの読み方とわかります。
そうではなく煩悩を断じるのは絶対的な前提ですね。
煩悩を断じていなければ真理は明らかにできないのです。四諦の真理は仮説に過ぎなくなるのです。
漏尽智とあるのだからそれは単なる智慧(という言い方も失礼たがw)に過ぎず、
真理を知る、確認できたというだけの徳性です。
断滅の作業は前提であり、そこで行われたものでない。
いつ行われた?
仏道に入門してからずーっと。
なぜなら煩悩を断ずるというのは仏教の目的だからです。
仏教の目的が煩悩を滅することが全てなんだから、ここでアナゴンだと勘違いも甚だしい人が取り組む話ではない。
仏教の目的が煩悩を滅することによりあらゆる苦を超己できる(生老病死等の苦とされるものそのものはなくなりません)
と悟り、それを証明したのが釈尊の教えというのが仏教の当たり前の基礎知識です。
ペテン大作さんはこの基礎知識を謙虚に学ぼうとせずに、ある部分だけ学者の文章を読んで引用しても
わかるはずがありません。
それをよくもまあこれだけ恥知らずの書き込みができるものだと私は感心するw
私だったら恥ずかしくできないw
煩悩を断じてはそれこそ補足説明を行った条件記述なんです。

86 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 22:48:32.82 ID:qATRbbXl.net
だから三明六通などと言うが、これらほ全て知ることだけですね。
同じ知るならば、前世を知るとか他人の心を知るなんて話よりも
己の煩悩が尽きて無くなったことを知ることの方が遥かに価値があるではないか?
と、釈尊一流の示し方で他の明知も出しただけで、その実宿明智も他心通もどうでもよいとわかる。
だから智慧とは何かパッカーンと粉砕して変革を起こすなんて夢物語ではなくあくまでも知る、認識作用に他ならないことを
阿含宗の信者は知ってください。
煩悩が起こらないようにそれに左右されないように生活を律して(戒)
常に心が散乱しないように心がけ(定)
間違った認識を離れ、正しい真理、わが歩むべき道を理解認識して、常に観察する(慧)
こそが仏教の全てです。
桐山因縁解脱なんて話はない。
そんなつまらない道徳的な話?とできもしないのに軽蔑するのもあなた方の自由かもしれないが、
仏教とはそういうものだから、そこだけは認識して阿含宗を続けるなり止めるなりしてください。

87 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/05(火) 23:43:30.18 ID:qATRbbXl.net
>>81一部訂正
まだ煩悩を完全に無くしていないアラカンが

まだ煩悩を完全に無くしていないアナゴンが

88 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/07(木) 20:58:36.37 ID:DBbHVtzL.net
>>0064神も仏も名無しさん2023/09/04(月) 12:15:22.19ID:M7dZuox/
>漏尽智を持たないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることはできません。

信者さんたちは、ペテン大作さんがどんなに論に詰まり、見苦しい言い訳を
並べても、阿含宗とは関係ないと思っているでしょう。
たしかに彼は代表ではなく、動機は単に深山憎しだが、手段は阿含宗の擁護です。
阿含宗を刀に深山を叩き切ってやろうとしている。
だが、その刀は役に立たないどころか、桐山説3という阿含宗の刀を
逆に批判側から使われて、ペテン大作さんは必死に逃げ惑う有様です。
追い詰められて、シュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができないという
自爆型の爆笑珍説を編み出した。
信者さんたちに見てほしいのは、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
桐山説3「漏尽智で因縁解脱する」を擁護しようとした結果だという点です。
この説を擁護すれば、シュダオンもシダゴンも煩悩を切ることができなくなる。

桐山さんは誰からも矛盾を追及されなかったから、素知らぬ顔をしていられた。
だが現実世界で桐山説を刀に使うと、矛盾が次々と出てきて、ペテン大作さんは
珍説を連発して逃げて、自分の巣穴に閉じこもるしかなくなった。
桐山説で深山を叩き切るつもりが、逆にその刀によって、
ペテン大作さんは追い込まれ、屁理屈の中に立てこもるしかなくなった。
つまり、桐山説が議論という知性のまな板に乗せられると、
矛盾だらけで、ペテン大作さんのように屁理屈やすり替えなど
小汚い手段でも使わないと擁護できないのです。
この事実を信者さんたちにも良く見てほしい。

89 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/07(木) 21:07:04.92 ID:DBbHVtzL.net
*悪因縁、霊障、阿含経は桐山さんの復讐の道具

信者さんたちに、ペテン大作さんという阿含宗で長年修行し、
チャクラの開発を実習しているという大先達の様子を見てほしい。
彼の頭と心が書き込み内容や時間でわかります。
>>60までの私の書き込みに彼は激怒し、「深山め〜〜!」と憎しみが爆発した。
「復讐する我にあり!」と彼は強い生き甲斐を感じて燃え上がった。
敵を作り、その敵への復讐心で燃え上がるのは桐山さんがお手本です。
自分を迫害したとインネンを付けてわざわざ敵を作り、自分の復讐心を
正当化することで、復讐に強い生き甲斐を感じる。
桐山さんは前科で世間を激しく逆恨みして、仕返しに因縁や霊障で脅かし、
次には彼を批判した伝統仏教を激しく恨み、阿含経を使って復讐した。
世の中を救うためでも、解脱のためでもなく、復讐心を満足させ、
大作さんのように大教団を作り世俗的にエラクなるのが桐山さんの目標だった。
自分の間違いは絶対に認めず、責任を他に押し付けて復讐するのだから、
歪んだ精神構造で、ペテン大作さんと良く似ている。

だから、ペテン大作さんが書いた61は夜中の3時近くです。
私の文章に四時間以上も、真夜中の彼は激しい憎しみに燃え上がった!
しかも、翌日になっても憎しみは収まらず、昼間と夕方にまた書いている。
復讐心に燃える自分を激しく恰好いいと妄想しても、現実は何も変わらない。
深山に一撃加えたいが、ダルマさんのように目を憎しみでギョロギョロ
するばかりで、彼の頭からは何も出てこない。
65など、すでに私から繰り返し反論され、矛盾を指摘された内容で、
自分の出した説に独り合点して、自己満足に浸るしかなかった。
彼は元々視野の狭い上に憎しみで知性はまとも動かず、
出てきたのは、新ネタ珍説「シュダオンは煩悩が切れない」です。
こんな珍説は、大嫌いな深山に、矛盾を追及する機会と、からかいの
ネタを与えたにすぎないことが、彼は憎しみが強すぎてわからないのです。

90 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/07(木) 21:16:32.57 ID:DBbHVtzL.net
*桐山説を現実世界に出したらどうなるか?

ペテン大作さんは過去に、いつも軽薄な珍説を出して、私から繰り返し嘲笑われ、
矛盾を指摘され、追い詰められたことを絶対に記憶しない。
負けは死んでも認めたくないペテン大作さんはただ怒り、憎しみと復讐心に
燃えるばかりで、自分を反省するなど金輪際ないから、自分のミスはきれいに忘れる。
矛盾1と2に返事できないだろうと煽られ、ひたすら悔しくて、何とかの一つ
覚えみたいに、「深山ごときに負けてなるものか!攻撃だ!」こればかりです。
だから、矛盾1には学者の同じ言葉に因縁を付けて同じ自説・瞬間解脱を唱え、
矛盾2には「シュダオンは煩悩が切れない」という珍説を出した。
しかも、矛盾2の指摘を「漏尽智では・・」と論点をそらし、ごまかしている。
本人は「無事に解決」などと撃破したと一人で自己満足にふける。
だが、彼がしたことは、わざわざ矛盾をさらに増やしただけです。

桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
桐山説3「漏尽智で因縁解脱する」
が間違っているのだから、最初のボタンをかけまちがえており、
どんな屁理屈や詭弁を並べても、やればやるほど悪化し、矛盾に追い込まれる。
桐山さんは新興宗教の教祖だったから、こういうインチキが通用した。
桐山さんがおかしいと思う人は辞めるか、桐山さんの気分を損ねた者を
教団にいられなくしたから、桐山さんはどんな嘘や矛盾を言っても、いつも勝者だった。
桐山さんは内弁慶で表に出て議論などしたことがなかったのに、
ペテン大作さんはネットという表で桐山説を振り回した。
その結果がどうであるか、知性と良識のある信者さんは良く見てほしい。

91 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/07(木) 21:24:10.00 ID:DBbHVtzL.net
*誰がやっても弁護できない阿含宗

ペテン大作さんが追いつめられて、その場しのぎの説で右往左往するのは初めてではなく、
前は、瞬間解脱を説明するために、漏尽智と漏尽通は別物だという珍説を唱え、毎度、学者の文章を引用して勝手解釈を加えた。
今も、漏尽智に二つあるとか、彼の自説はどんどん増殖していく。
それもこれも、桐山説を擁護しようとした結果です。
嘘を擁護するには、別な嘘を作るしかない、という当たり前の結果です。
擁護しきれないのは、彼の能力や理解力が低いからだけではなく、
阿含宗は根本仏教を名乗りながら、中身は似ても似つかないオカルト教で、
桐山さんが妄想と空想と低い理解力で作り上げた偽仏教だからです。
桐山さんという、解脱の意味も理解できなかった人が、希望的妄想と、
子供じみた空想を、慢心というタレの中に付け込んだのが阿含宗です。

小説にすぎない宗教を、どんなに頭の良い人間でも、矛盾なく
説明するなど不可能です。
しかも、密教でやめておけばいいのに、桐山さんはわざわざ釈迦仏教を道具に選んだ。
釈迦仏教は桐山さんには一番合わない宗教で、彼にとっては猛毒なのは、
信者さんたちもここの議論を読めば実感できるはずです。
阿含宗は仏教を材料に空想で作った宗教ですから、長期にわたり擁護できるのは
ペテン大作さんのように憎しみが知性を覆いつくしている人や、
宝生ソウカ大人のように阿含宗の教義さえも知らない人です。
普通の知性や良識を持つ人は、最初は弁護しても、嘘や矛盾を指摘され、
反論できないなら、阿含宗に疑問を持つようになるからです。

92 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/07(木) 21:33:27.04 ID:DBbHVtzL.net
*阿含宗は大丈夫

信者さんの中には、ペテン大作さんの説だと、阿含宗では因縁や煩悩も
切れないのかと不安になった方もいるだろうが、心配いりません。
私が阿含宗の教義を説明してあげましょう。
それをするのは、信者さんたちに阿含宗の教義を正確に理解してほしいからです。
正確に理解しないとデタラメだということもわからない。

阿含宗の教義では、阿含宗シュダオンどころか、一般信者でも煩悩だけでなく
悪因縁と名付けられた桐山カルマも断ち切ることができます。
それが三福道で、釈迦仏教と違い、他力信仰ですから外道思想です。
方法は、応供の如来にお金と人を貢げば、見返りに阿含宗アナゴンまで行けます。
応供の如来は成仏法という漏尽智を持っていて、信者の供養の額に応じて、
煩悩や悪因縁(桐山カルマ)を切ってくれることになっています。
応供の如来様は現金決済の明瞭会計で、阿含宗の沙汰は金次第ですから、
阿含宗シュダオンになっていない信者でも安心してください。
万一、死ぬまで到達できなくても、柏原の墓石を買っていれば、
つまり、ここでもお金さえ出せば、開祖様がロープで桐山ブッ界まで
引き上げてくれるサービス付きです。

ペテン大作さんは柏原に墓石を買っているらしいから、
この方もブッ界まで引き上げてもらえます。
もっとも彼は自力だけで十分に、そして確実にブッ界に逝けます。
阿含宗の教義に詳しい私が保証するのだから、確実です。
毎度申し上げているように、阿含宗のブッ界とは釈迦仏教の三悪道のことです。

93 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/07(木) 21:44:41.17 ID:DBbHVtzL.net
*開祖様は悪因縁も煩悩も切った有余依涅槃の聖者

阿含宗で煩悩も悪因縁も切れる証拠が桐山ゲイカ、開祖様です。
漏尽智を体得した桐山ゲイカは煩悩をバッサバッサと斬りまくり、
食欲という煩悩を切ったから、糖尿病になっても、脳梗塞を併発しても
食いしん坊を止められず、性欲という煩悩を切ったから、
孫のような愛人にお手当と恋歌をあげて、名誉欲という煩悩を捨てたから、
大作さんに負けまいと名誉教授や名誉博士を買い集めた。

悪因縁は全部切ったと宣言してから、薬事法違反で刑獄の因縁を出し、
脳梗塞になって、本人が無いと言っていた脳障害の因縁を出し、
色情の因縁を切ったから、元愛人から裁判に訴えられ、全国民の前に下半身をさらした。

阿含宗ではこのように、桐山ゲイカは漏尽智によってすべての煩悩を切り、
すべての悪因縁(カルマ)を断ち切ったとして、有余依涅槃の聖者とされた。
有余依涅槃の聖者とは仏教ではアラカン、解脱者のことです。
信者さんたちの目には、桐山さんが煩悩も悪因縁もすべて切って解脱した
聖者に見えたのでしょう?
だったら、大丈夫で、三福道でお金と人を貢げば、漏尽智を体得しなくても
信者さんの煩悩どころか、悪因縁まで切れてしまう。
何よりも、仏頂面の釈尊が何を言おうが信者さんたちは興味も関心もない。
このことと、考えないこと、これを応供の如来様は信者に強く望んでおられる。

記憶してほしいから繰り返すと、応供の如来様は現金決済のニコニコ会計で、
阿含宗の沙汰は金次第です・・・信者さんは、他の事は深山に反発しても、
この金次第という記述だけは激しく同意したはずです。

94 :神も仏も名無しさん:2023/09/13(水) 12:05:27.35 ID:iZ/cLkK/.net
問い 宗教って何だ?
答え 神仏と人間の関りを云う
問い ではその関り方の在るべき様は?
答え 人を救済するのが神仏で在り、破壊するなら悪魔
問い ではその救済に与るにはどうすれば善いか?
答え 人のみが出来る祈りという行いを、発する言葉と共に為すべし
 深山君よ宗教はコンナものだよ。

95 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/13(水) 21:25:06.57 ID:7fESAMzC.net
>>94
それが宗教というものならば釈尊の仏教は宗教ではないということになります。
いえ、実際に昔から釈尊の仏教は西洋のreligionではないと言われています。

96 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 21:40:45.17 ID:Cp7QC42+.net
>>0094神も仏も名無しさん2023/09/13(水) 12:05:27.35ID:iZ/cLkK/
>答え 人のみが出来る祈りという行いを、発する言葉と共に為すべし

私とペテン大作さんがまさにその祈りのことをテーマにしていたのが、
やはり宝生ソウカ大人の頭では理解できない。
この理解力の低さ、ピンボケぶり、それでいてお説教をする身の程知らずぶりが、
いかにも宝生ソウカ大人らしい。

阿含宗の祈りは他の宗教と同じではなく、成仏法・成仏力の祈りです。
成仏力の祈りだからこそ、仏を動かし、天地を動かし、人を救い、世を救うばかりか、
死者たちを救うこともできる。
成仏力を持たない他の教団の祈りはただの祈りであって、何の力もない!
ところが、宝生ソウカ大人によれば、他の宗教の祈りでもかまわないそうです。
このように阿含宗の教義を完全完璧に彼は知らない。
それでいて、「コンナものだよ」と偉っそうにお説教を垂れる。

成仏力による祈りは、他の教団の祈りとは違う。
では、その成仏力と何なのか、というのが先月からペテン大作さんとの
間で起きた議論で、私は成仏力である漏尽智の根拠がデタラメだと批判した。
阿含宗の教義の根本に関する重大テーマです。
だが、宝生ソウカ大人は意味もわからないから、ピント外れに
「祈り」のお説教が始まった。
私が、宝生ソウカ大人は阿含宗の教義も理解していないと指摘しているのが
単なる悪口ではない証拠が今回の彼の反応です。

97 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 21:48:27.67 ID:Cp7QC42+.net
>>0094神も仏も名無しさん2023/09/13(水) 12:05:27.35ID:iZ/cLkK/
>答え 人のみが出来る祈りという行いを、発する言葉と共に為すべし

阿含宗の祈りとは護摩木であり、護摩木本数という金額です。
ところが、宝生ソウカ大人の祈りは年間30本、たった3000円だけです。
本人がそのように宣言している。
どんだけドケチなんだ?!
阿含宗の祈りである護摩木をたった30本しか買わない男が、祈りをお説教するのですよ。
この男のツラは皮の厚さだけでできている。

お金がないなら、護摩木を周囲に勧進して祈りを集めればよい。
だが、彼は護摩木勧進などしたことがない。
桐山さんは、護摩木勧進は、自分を買ってもらうのだと述べた。
宝生ソウカ大人は周囲からは鼻つまみで、誰も彼を買わないから、誰も護摩木は買ってくれない。
それなら、護摩木の個別托鉢をすればよい。
知らない人の家を訪問して護摩木を勧める修行です。
だが、彼は護摩木の托鉢などしたこともない。
阿含宗の修行のイロハもしたことがない彼が、どの面下げて祈りを説教できるのだ?!
彼は厚顔鉄面皮大人(ウシ)らしい。

98 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 21:55:25.58 ID:Cp7QC42+.net
*釈迦仏教には祈りなどない、

知性と良識のある信者さんたちに良く知ってほしいことがあります。
釈迦仏教には祈りなどない、という事実です。
祈りがあるというなら、阿含経から引用してください。
信者さんたちも、桐山さんの阿含経講義で、釈尊が祈ったとか、祈りを説いたとか、
弟子たちが祈ったなどという場面を見たことがないはずです。
そのように改めて指摘されて、唖然としませんか?

信者さんたちは桐山さんの阿含経講義で祈りが出てきたのは見たことがない。
在家用の経典だという三供養品にも祈りなどありません。
信者さんたちは、在家信者が釈尊に何か祈ったと信じていませんか。
釈尊はキリスト教の神と違い、祈りの対象ではありません。
合掌するのは、敬意を表す挨拶です。
釈尊は偉大な教師ですから、弟子と信者は深い尊敬を表わし、頭を下げ、
何歩も下がっただろうが、それは祈りではありません。

99 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 22:02:36.27 ID:Cp7QC42+.net
*祈りは欲望にすぎない

祈りを信者さんたちはとても清らかな宗教行為のように思ってるようだが、
仏教的に解釈すると、ただの欲望です。
信者さんたちの護摩木祈願が典型で、家内安全、仕事順調、病気平癒、
良縁成就などの四文字祈願が並ぶ。
全部、欲望です。
「世界平和は私利私欲ではない」と言うだろうが、100円で世界を平和に
してくれと祈るのだから、強欲の極みです。
ウクライナの戦争が終わるようにと祈るのも、100円であの戦争を
終わらせてくれというのだから、ものすごく虫のいい欲望です。
ただの焚火に祈ると死者が成仏するとか、前世の悪業の報いが消えてなくなるとか、
信者さんたちは自分たちがどれほど強欲か、気が付いていないだけです。

祈願とか祈りと称して、神仏にお願いするから、いかにも宗教的行為で
あるかのように錯覚するだろうが、ただの欲望です。
仏教では欲望は煩悩ですから、解脱したいという欲望を除いて、すべて削減対象です。
釈尊が護摩などの加持祈祷を禁止したのも当然で、これらはすべて欲望の成就です。
欲望を減らせという教法なのに、それを増大させる行為を禁止しないはずがない。
成仏法による護摩などと、いくら屁理屈を付けても無駄で、釈迦仏教では
護摩は欲望を煽る外道の行為であり、全面禁止です。

100 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 22:10:19.24 ID:Cp7QC42+.net
*祈りが仏教だといつから信じていたのか

信者さんたちは釈迦仏教に祈りがないことを私から指摘されるまで気が付きませんでしたね?
それどころか、宝生ソウカ大人みたいに祈りこそが宗教の本道だと思っていませんでしたか。
桐山さんが「祈りによって天地を動かし・・」などと叫んでいたし、
阿含宗の護摩は祈りを集めるのだと称して、護摩木購入を修行として課している。
祈りは阿含宗の重大な修行の一つなのだから、当然、釈尊は説いたはずだ、
祈りこそが信仰の崇高な行為だと思い込んでいた。
だから、釈迦仏教には祈りなどない指摘された時、反発心や侮蔑心を感じたはずです。
だが、現実は、阿含経を開いてもわかるように、釈迦仏教には祈りなどありません。
信者さんたちの好きなシチカ三十七道品にも祈りという項目はない。

信者さんたちは釈尊も祈りを説いたと信じていたのだから、
ありもしない事を信じていたことに気が付いてください。
それを洗脳というのです。
洗脳は祈りの件だけではない。

101 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 22:17:51.90 ID:Cp7QC42+.net
*「供養」を無いのに有ると信じている

信者さんたちは三供養品の如来供養でアナゴンまで行けるという三福道を信じている。
信者さんたちが毎日読誦しているその経典には、「供養」など一言も出てこないことに
気が付いていましたか?
如来供養でアナゴンまで行けるというのが三福道なのに、
そこには供養など言葉も概念も出てきません。
だが、信者さんたちは如来に供養するとアナゴンまで行ける在家修行だと信じている。

三供養品という題名と桐山さんの巧みなすり替えに騙されて、あの経典は
如来供養が説かれたと錯覚させられているのです。
三供養品とはあの経典の題名ではなく、経典群の総称です。
供養などと一言も書いていないのに、如来供養だと信者さんたちは信じている。
無いのに有ると錯覚している。
これを洗脳と言います。

102 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 22:24:43.21 ID:Cp7QC42+.net
*因縁解脱という洗脳

毎回指摘している因縁解脱です。
信者さんたちは仏教の解脱は因縁解脱だと信じている。
だが、因縁解脱など阿含経はもちろん、大乗経典にさえも出てきません。
仏教の解脱は目標ですから、意味が違ったら、仏教ではありません。
ジャイナ教の解脱は仏教のそれとは意味が違うから、ジャイナ教は外道です。
仏教のどこにも存在しない因縁解脱を釈尊が説いたと信者さんたちは信じている。
そのことに仰天しませんか。

振り返ってほしいのは、いつからそんなオカルトを信じるようになったのかという点です。
阿含宗に入ってからですよね。
それは当たり前で、因縁解脱は桐山さんの造語ですから、阿含宗以外で習ったはずはない。
桐山さんの阿含経講義で、いくつもの阿含経を習い、どれ一つにも因縁解脱は
出てこなかったにもかかわらず、信者さんたちは釈尊が説いたと信じている。
普通の知性と良識を持っている信者さんたちに、仏教に存在しない因縁解脱を
信じて来た自分に驚いてほしいのです。
これが洗脳でなくて、何なのですか?

103 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/13(水) 22:30:59.57 ID:Cp7QC42+.net
*無いことを信じていた自分を疑う

信者さんたちの大半は洗脳と指摘されると、反発を感じるか、
鼻先でせせら笑ったはずです。
だが、現実に、あなた方は、釈尊は因縁解脱など説いていないのに
説いたと信じ、釈尊は三供養品で供養など説いていないのに
供養を説いたかのように毎日読誦し、祈りなど説いていないのに
護摩木で祈りを集めるのが仏道修行だと信じていた。

知性と良識のある信者さんたちに、現実に存在しないことを信じ込んでいた自分に
疑いを持ってほしいのです。
洗脳と言われて、頭から拒絶するのではなく、こんなことを本気で信じていた自分を
見て、自分を疑ってほしい。
宝生ソウカ大人もペテン大作さんも、絶対に自分を疑うことはしません。
ペテン大作さんは、深山が右と言えば、彼は左という人ですから、無理です。
宝生ソウカ大人に祈りなど釈迦仏教にはないと説明するのは初めてではないが、
彼の記憶の片すみにもそんな情報は残らない。
二人と同様の信者に用はない。

祈りも、因縁解脱も、三福道も釈迦仏教には存在しないと聞いて、
ショックを受けたほんの少しの信者さんに、自分を疑ってほしいのです。
そういう人は、宝生ソウカ大人みたいな、無知と慢心の塊に失笑しているでしょう?
では、自分の宗教選択は正しいという慢心を自覚し、減らすことです。
ペテン大作さんみたいに屁理屈を並べて、逆恨みの復讐心を持つ人を
醜悪だと顔をしかめた信者さんがいるはずです。
では、批判側の主張だからと最初から拒絶せず、信じなくていいから、
無視せず、放置せず、後回しにせず、自分でそれぞれを確認する努力をすることです。

104 :神も仏も名無しさん:2023/09/15(金) 12:34:21.64 ID:IP5fuICe.net
>>91
>ペテン大作さんが追いつめられて、その場し
>のぎの説で右往左往するのは初めてではな
>く、
>前は、瞬間解脱を説明するために、漏尽智と
>漏尽通は別物だという珍説を唱え、毎度、
>学者の文章を引用して勝手解釈を加えた。

私は追いつめられてもいないし、右往左往することもない。
学者の文章を引用しているだけだからです。
だから、あなたの相手は私ではなくて仏教学者たちです。
これでは始めから勝負にならないはずだが、
そこは大先生のこと、持ち前の巧みな話術で何とか荒波を乗り切ってきた。
だが学者の文章を勝手に解釈しているから、いろいろと矛盾点が出てきてそれを指摘されると苦しくなるのは当然です。
そこでグダグダとたくさん書き込んで、自説が正しいように見せかけるしかない。
まあそれが仕事なんだから何でもないか。
あなたの自説は「漏尽通で解脱するのではない」というものです。
しかし、それは完全に崩されている。

漏尽通合格通知説=「合格通知(漏尽通)をもらう時にはすでに合格(解脱)している」
は、水野説(さとりと三明獲得は同時)により粉砕された。
さとりと三明獲得が同時では、解脱→漏尽通が成立しない。
こうして、深山説は根底から崩された。
もし反論するのなら水野説は間違っているとでも言うしかないがそれは無理かw

105 :神も仏も名無しさん:2023/09/15(金) 12:40:31.27 ID:IP5fuICe.net
「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
(『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

漏尽通とは煩悩を断つ智慧(漏尽智)を体得する神通だというので決まりですね。

106 :神も仏も名無しさん:2023/09/15(金) 18:02:53.56 ID:UfW7GJEM.net
最近の日本の危機的状況を見れば
もはや神仏の加護に頼るしか
日本の救われる道は無いように思われます。
釈尊仏教に祈りが無いとか言ってる場合では無い。
深山が日本を守ってくれるわけでも無い。
こんな男は相手にすることはありません。

107 :神も仏も名無しさん:2023/09/15(金) 18:06:36.88 ID:UfW7GJEM.net
祈りは人を浄めます。
祈りは人を高めます。

深山は人を卑しめます。

108 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 21:43:04.66 ID:cbgV0TlJ.net
>>0104神も仏も名無しさん2023/09/15(金) 12:34:21.64ID:IP5fuICe
>学者の文章を引用しているだけだからです。

瞬間解脱では矛盾すると指摘されても逃げて、また瞬間解脱の話に戻る。
このように、彼の話は同じ所をグルグル回り、自己完結する。
A自説を証明するのに、学者の解説を勝手解釈したB自説を使う。
学者の文章には「漏尽智で煩悩を切る」とはないのだから、引用ではなく彼の解釈です。
解釈を加えたら、自説です。
B自説はA自説の根拠にならないと何度言われても、彼の頭では理解できない。
こういうペテン大作さんに勝てる人は現実世界では誰もいないから、彼と
宝生ソウカ大人は常に勝者です。

阿含宗の成仏力とは仏教の漏尽智(漏尽通)のことです。
阿含宗の成仏力という根幹の問題だから、知性と良識のある信者さんたちに
何度でも考えてほしい。
桐山さんは漏尽智について三つの性質を持っていると主張しました。

109 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 21:49:12.07 ID:cbgV0TlJ.net
●桐山説1「漏尽智は煩悩を完全に滅したことを知る智慧」
●桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」(ペテン大作説)
●桐山説3「漏尽智で桐山カルマを切る」(因縁解脱)

これらは漏尽智について桐山さんが本に残した解説です。
ところが、仏教の漏尽智(漏尽通)とは↓これですから、正しいのは桐山説1
のみで、2と3は嘘です。

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

解釈の必要もなく、議論の余地のないわかりやすい説明です。
個人が編集した辞典ではなく、百人からの学者が検証して、言葉を選んだ漏尽智の
説明が↑これです。
この点を信者さんたちに良く見てほしい。
昔の学者たちは、専門用語を羅列して、素人にはわかりにくい言葉や表現を用いた。
望月佛教辞典など、説明文を他の辞書で調べないとわからないような文語体です。
だが、岩波仏教辞典は個人の編纂ではないから、学者たちが他の学者たちの
説明文を検証し、素人でも理解できるようにしたのです。
個人が編纂するとどうしてもわかりにくい文章が入ってしまう、という典型が、
中村博士の次の漏尽智の説明です。

110 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 21:56:50.53 ID:cbgV0TlJ.net
「あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1444頁)

一文目では、煩悩(あらゆるけがれ)を滅する智なのだから、
「漏尽智で煩悩を切る」と解釈してしまう人もいます。
ところが、二文目には、漏尽智は阿羅漢に属するとあるから、
「漏尽智で煩悩を切る」という解釈は間違いだと、普通の人は気が付きます。
煩悩のないアラカンが漏尽智で煩悩を切るのはおかしいからです。
視野の狭いペテン大作さんは一文目を読んで、大喜びして、二文目が見えなかった。
私から、彼の解釈では二文目と矛盾すると指摘されるまで、彼は矛盾に気が付かなかった。

ただ、確かに素人には誤解を与える文章には間違いない。
すでに説明したように、これは「漏尽智で煩悩を切る」という意味ではなく、信者さんたちも知っている五分法身の解脱知見のことを指しているのです。
阿羅漢は解脱したら終わりではなく、彼らは煩悩に染まらないように、
四六時中、戒定慧を完璧に保ち、その保たれていることを確認し続けている。
煩悩を切るのではなく、煩悩に二度と染まらないようにしていることを
中村博士は「けがれを滅する智」と表現したのです。
煩悩に染まらないようにするのだから、煩悩を滅する智には間違いない。

111 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 22:04:08.58 ID:cbgV0TlJ.net
アラカンは煩悩を切って解脱したらそれで終わりではありません。
・煩悩を切る(シュダオンからアナゴン)
・煩悩に二度と染まらないようにする(アラカン)
という智慧があり、アラカンの智慧のことを漏尽智と表現したのです。
誤解のないように言うと、二つの修行法があるという意味ではありません。
シュダオンもアラカンも同じ戒定慧で八正道を実践している。
前者は煩悩を切ることを、後者は煩悩に染まらないことを実践していたという意味です。

中村博士が岩波仏教辞典の編集のトップにいたにもかかわらず、
『佛教語大辞典』の漏尽智の説明は採用されず、別な文言になった。
普通の知性があれば、その理由がわかりますよね。
中村博士は「あらゆるけがれを滅する智」をアラカンの智慧という前提で
書いているが、その前提が理解できず、ペテン大作さんみたいに
「漏尽智で煩悩を切って解脱する」という解釈をする人が出てくるからです。
だから、岩波仏教辞典では、前提を知らなくても理解できて、
誤解を招くことがなく、素人でも理解できる表現にした。
信者さんたちは素人ですよね。
だったら、素直に、>>109の岩波仏教辞典の説明を受け入れることです。

112 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 22:12:13.64 ID:cbgV0TlJ.net
●桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」(ペテン大作説)

学者たちの「煩悩を滅する智」という言葉を「漏尽智で煩悩を切る」と
解釈すれば、矛盾が生じることは普通の知性があればわかります。
漏尽智で煩悩を切るなら、煩悩のないアラカンには必要ない。
アラカンしか漏尽智はなく、アナゴンは持っていない。
漏尽智のないアナゴンがどうやって漏尽智で煩悩を切るのか?

矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する

漏尽智で煩悩を切るなら、漏尽智を持たないアナゴンは永久に煩悩が切れない。
この批判に対するペテン大作さんの屁理屈がA自説「瞬間解脱」です。
漏尽智をアナゴンが体得したその瞬間にアラカンになるという??
>>44で彼の瞬間解脱の説明を引用したが、支離滅裂で誰も理解できない。
私から、「漏尽智で煩悩を切る」という自説の証拠に別なA自説「瞬間解脱」を
持ってきても根拠にはならないと批判された。
自説を証明するのに自説を持ってきても意味がないのは当たり前です。
そこで彼が証拠として出したのが、水野氏の文章にある「同時」(>>63)です。

だが、水野氏の文章には「漏尽智で煩悩を切る」という文章はありません。
また「同時=瞬間」と勝手解釈をするのはペテン大作さんの自説にすぎない。
自説「漏尽智で煩悩を切る」を説明するのにA自説「瞬間解脱」を持ってきて、
A自説を説明するのに、また自分の解釈にすぎないB自説「同時」を持ってきた。

私が、野菜と肉を「同時」に買ったという例えで、反論した。(>>66)
水野氏の「同時」には「瞬間」などという意味がないのは、
水野氏の他の文章を見てもわかります。

113 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 22:18:55.10 ID:cbgV0TlJ.net
「漏尽明とは漏すなわち煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明すなわち知恵である。」
(『仏教の基礎知識』水野弘元、222〜223ページ)
「・・・、漏尽智力(一切の煩悩障礙が尽き、仏としての悟りを得る知力、仏の漏尽通)である。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元、72ページ)

漏尽明(漏尽通、漏尽智)は「煩悩がすべて尽き滅した時に得られる」とある。
また、漏尽通の説明でも「煩悩障礙が尽き」とあり、
煩悩が無くなった後に得られるのが漏尽明、漏尽通であると述べている。
誰が読んでも、煩悩が尽きて解脱した後に漏尽明が得られるのです。

ペテン大作さんの引用した「同時」は上記の文章の
「煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明」を
「煩悩がすべて尽き滅したと同時に得られる明」と書き直したのと同じです。
どちらも、一瞬や瞬間的になどという意味ではありません。
解脱と解脱知見が同時に起きるのは当たり前です。
合格通知を見て、合格したと知るのが同時なのと同じです。
しかし、合格を知ることで合格したのではありません。

上記の文章の引用は初めてではなく、去年も同じ文章を引用して彼に反論した。
もちろん、彼の頭には彼にとって都合の悪いこういう文章は残りません。
だから、毎回、同じ文章を引用し、自説のための自説を延々と繰り返す。
彼は自分の狭い巣穴から絶対出ないから放置しましょう。
他の、知性と良識のある信者さんたちは桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」が
矛盾してしまい、成り立たないことがお判りでしょう。
漏尽智を水野氏は次のように説明しています。

114 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 22:25:28.40 ID:cbgV0TlJ.net
「そこでは因果業報説から四法印・十二縁起・四聖諦などの仏教のあらゆる
正しい教理学説が理論的に理解されているだけでなく、日常生活のすべてが
自然に正しい理論に従ったものとなり、体験の上に仏教の理想がすべて
具現されているのである。これを漏尽明という。」
(『仏教の基礎知識』水野弘元、222〜223ページ)

少々、わかりにくい説明だが、これが漏尽智(漏尽明、漏尽通)です。
漏尽智が、解脱する前の事ではなく、解脱した後の事であることに着目してください。
漏尽智で煩悩を切るのなら、解脱前の説明をしなければならないはずです。
だが、水野氏が説明している漏尽明は解脱した後のアラカンたちの描写です。
これが「煩悩を断滅する智慧」の中身です。
これを見ても、「漏尽智で煩悩を切る」など嘘だとわかります。

私が、アラカンが解脱した後も八正道の実践によって戒定慧を完全に保ち、
煩悩が漏れてこないことを一瞬の気も抜かずに保つことが漏尽智だと
説明した内容と同じだとわかるでしょう。
そんなことは当たり前で、深山説ではなく、単に私は経典の釈尊の言葉や
こういう学者たちの解説を読んで、真似て説明しているだけです。

115 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 22:31:58.71 ID:cbgV0TlJ.net
知性の良識のある信者さんたちに、「漏尽智で煩悩を切る」という嘘を擁護し
ようとして、ペテン大作さんが見苦しい屁理屈を並べているのを見てほしい。
彼の場合、桐山説2を擁護したいのではなく、深山をぶちのめしたいだけだから、
何をどう説明しても、どんなに彼の説の矛盾を指摘しても無駄です。
彼の場合、理屈理論さえも憎しみと復讐の道具にすぎない。
「漏尽智で煩悩を切る」の矛盾1はこれだけでなく、矛盾2(>>55)も待ち構えている。

●矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

普通の知性があるならこちらは手も足も出ません。
ペテン大作さんの答えは、煩悩は切れないという爆笑回答でした。(>>64)
本人は気が付かないだろうが、仏教どころか、阿含宗すらも否定した。
64の回答によって彼はもっと自縛して、物笑いのネタになっただけです。
仏教ではシュダオンもシダゴンも煩悩を切ると言っているのに、切れない??

他の信者さんたちは、ペテン大作さんなど関係ないと言うだろうが、
桐山説2を擁護した結果が、このザマなのです。
これは誰がやっても擁護はできません。
なぜなら、桐山説2は嘘だからです。
しかも、信者さんたちにはもっと頭の痛い問題がある。
それが桐山説3「漏尽智で悪因縁(桐山カルマ)を切る」という説です。
ペテン大作さんでさえも逃げているこの説を、信者さんたちはどう擁護するのだろう。
あなたが作った嘘でもないのに、何ため矛盾に苦しむ必要があるのですか?
知性の低い屁理屈や、思考停止して狂信するよりも、事実や現実を受け入れ、
桐山説2や3など、嘘だと認めることです。

116 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 22:47:33.79 ID:cbgV0TlJ.net
>>0106神も仏も名無しさん2023/09/15(金) 18:02:53.56ID:UfW7GJEM
>深山が日本を守ってくれるわけでも無い。
>こんな男は相手にすることはありません。

勘違いされているようだが、私はこれまでただの一度も
日本を守るとか、私を相手にしろと言ったことはありません。
日本を守るとか、地球救済と吠えているのは、阿含宗であり、あなたは
そこの信者なのだから、あなたが日本を焚火で守ると宣言しているのでしょう?
自分がしている基地外沙汰を、まるで私が主張しているような言いがかりはやめて
ほしいなどと言っても、因縁を付けるのが専門の教団にいれば無理でしょうね。

「我が神軍に加わり
その豪猛なる武神軍を率いて
共にこの日の本の怨敵降伏せしもう哉
我らは日の本の守護神なり 必勝の神なり」

106さんも↑これなんでしょう?
日本を守るなんて、勇ましいですなあ。
焚火して、必勝の神!??
木切れに祈って、武神軍!?
よくまあ、いい年をして、ここまで愚か者に成り下がれるものだ。

117 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 23:02:27.82 ID:cbgV0TlJ.net
>>0106神も仏も名無しさん2023/09/15(金) 18:02:53.56ID:UfW7GJEM
>最近の日本の危機的状況を見れば
>もはや神仏の加護に頼るしか
>日本の救われる道は無いように思われます。

危機的状況とは何を指すのかしらないが、それを解決するのに
神仏の加護に頼るしかない??
あなたは本当に桐山さんの本をきちんと読んで信者をしているのか?
桐山さんでさえも最初はそんなことは言っていなかった。
桐山さんは、高い知能を獲得し、高い徳によって人を動かすことで、
問題を解決するのだと言っていた。
「管長並の知性を目指せ」という管長メッセージを読んだことがないのですか。
そのために花山を作り、滝場を作り、信者は修行に励んでいた。
なにか長たらしい名前の護摩を77人に伝授した。
求聞持聡明法や仏陀の法によって、霊性顕現の人類を作る!
その出来上がりが106さんやペテン大作さん、宝生ソウカ大人なんでしょう?

世間の、阿弥陀信仰や法華経信仰のように、神仏にお願いするなんて
江戸時代の無知な民衆相手の宗教だと批判していたから、当時の若者に受けた。
では、106さんがその修行の成果としての実力を示してください。
まさか、それが木切れにお願い事を書いて焚火で神仏にお願いするだけ??
阿含宗から破滅のカルマで脅かされてすっかり怯えきって、
日本の危機!などと騒ぐしか能がない。
ペテン大作さんも、コロナが始まったとたん、破滅のカルマだと大騒ぎして、
護摩木祈願しろと言い出した。
何か起きると条件反射のように破滅のカルマに短絡して、恐がる。
それは信仰ではなく、洗脳というのです。

118 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 23:13:02.41 ID:cbgV0TlJ.net
>>0107神も仏も名無しさん2023/09/15(金) 18:06:36.88ID:UfW7GJEM
>深山は人を卑しめます。

釈迦仏教に祈りなどないと批判された107さんの反応がこれですか。
本当にあなたには釈尊への信仰が皆無なのですね。
少しでも信仰心があれば、釈尊が説いてもいないことを信じた自分を
反省して、恥じるはずです。
だが、あなたの反応は違った。
ペテン大作さんと同じで、自分の信仰を批判されたことに
霊障のホトケのように怒り、憎んだが、ダルマさんみたいに目を
白黒させるだけで、あなたの頭からは具体的な反論の言葉は何も出てこない。

出てきたのは、「深山は人を卑しめます」という罵りだけです。
何年、何十年阿含宗で信仰しているか知らないが、これがあなたの修行の全てです。
自分では地球を救う桐山開祖様を信仰する、すンばらしい人間で、
応供の如来の所で徳を積み、頭からオーラが噴き出ていると思い込んでいる。
だが、出てきたオーラの色を見てごらんなさい。
「深山は人を卑しめます」と憎しみからの罵りで、
あなたのオーラは煩悩で真っ黒ではないか。
これのどこが「清めます」「高めます」なのだ?
わずか三行の文章に、これだけ矛盾したことを書いて、恥ずかしくないのですね。

119 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/15(金) 23:25:38.05 ID:cbgV0TlJ.net
>>0107神も仏も名無しさん2023/09/15(金) 18:06:36.88ID:UfW7GJEM
>深山は人を卑しめます。

あなたは釈尊を卑しめている。
釈尊が禁止した護摩を焚くことは、釈尊を卑しめることです。
釈尊が禁止した占いをすることは、釈尊を卑しめることです。
釈尊が説いてもいない死者の成仏を説くのは、釈尊を卑しめることです。
釈尊の煩悩解脱を小解脱と卑しめ、外道の因縁解脱を大解脱と自惚れる。
愛人がいて欲望と怒りと名誉欲という煩悩の塊のような男を、
あろうことか、釈尊と同等の仏陀の称号を与えて、本物の仏陀を卑しめている。

あなたこそ世間の人々を卑しめている。
あなたは霊能力もないのに世間の人々因縁、霊障、破滅のカルマで
脅かすという卑しい行為をしている。
あなたは霊視する力もないのに、死者たちを霊障のホトケと卑しめている。
あなたは、釈尊が禁止したことを隠して、護摩木を人々に売りつけ、
霊感商法という卑しい行為をしている。
あなたは、釈尊ができないと言っているの、死者を成仏できるかのように
世間の人々を欺いて阿含宗に勧誘する卑しい行いをしている。

釈尊を卑しめ、世間を騙し、死者を冒涜し、その一つの悪業だけでも報いはただごとではない。
だが、あなたは何をどう言われようが、どす黒い怒りのオーラが
今も頭から噴き出しているだけですよね。
その姿はペテン大作さんや宝生ソウカ大人と同じで、
桐山さんは、霊障のホトケには理屈が通じないと言っていたが、良く似ている。

120 :神も仏も名無しさん:2023/09/16(土) 23:13:53.71 ID:u8dUVWKO.net
>>114
>漏尽智が、解脱する前の事ではなく、解脱
>した後の事であることに着目してください。
>漏尽智で煩悩を切るのなら、解脱前の説明
>をしなければならないはずです。

またまたそういう嘘を吐く。
漏尽智は解脱した後のことではありません。
水野氏は「さとりを開く時には三明六通を同時に獲得する」(原始仏教入門)と述べているのを忘れたのか。
もし漏尽智が解脱した後のことならば、
さとりを開いた「後」に三明六通を獲得する」ことになります。
だが氏はそうは述べていないのです。
三明の獲得はさとり(解脱)と「同時」だと述べている。
これは漏尽智が解脱に関与している証拠ではないか。
水野氏の言葉はあなたの自説が嘘であることを証明しているのです。
だから、あなたが自説が正しいとあくまで主張するのなら、水野氏は間違っていると言うしかないのです。
あなたはこの話題から降参して撤退するしかないのです。

121 :神も仏も名無しさん:2023/09/17(日) 00:32:52.92 ID:3oXJ5gOd.net
水野説を使えば、深山さんの「アナゴンは漏尽智を獲得出来ない説」も嘘になります。
水野説では、さとりを開くのと三明の獲得は同時です。
これを言い換えれば、三明を獲得したと同時にさとりを開くことになります。
こう考えれば、アナゴンが漏尽智を獲得したと同時にさとりを開く=阿羅漢になり、漏尽智は阿羅漢に属することになります。
深山さんはこれを瞬間解脱だと笑ったが、このように立派に成立するのです。
「アナゴンが漏尽智を獲得して、漏尽智は阿羅漢に属する」で全て説明がつくのです。
深山さんの「アナゴンは漏尽智を獲得出来ない説」では、アナゴンは永久に阿羅漢にはなれないことになる。
何故なら、漏尽智はあらゆるけがれを滅する智(中村説)なのだから、漏尽智を獲得出来なければ阿羅漢にはなれないからです。
このように矛盾を残すのは深山説だけです。
>>104の「漏尽通合格通知説」も「アナゴンは漏尽智を獲得出来ない説」も独善的な自説であり、釈尊を卑しめています。

122 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/17(日) 06:14:27.06 ID:LkJdc3c8.net
仏教学者に手紙でも書いて質問してはどうですか?

123 :神も仏も名無しさん:2023/09/17(日) 16:30:14.51 ID:1lrSTQWc.net
質問しなければならぬのは私でなくて深山さんです。
私は学者説に従っているが彼は違います。

124 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/17(日) 21:11:58.71 ID:2AW/7k+e.net
>>123
だからそれを言い合っても拉致があかないではないですか?
とすると第三者の協定も必要になってくるわけで、専門の仏教学者というのは理想なわけです。
面と向かって否定されたら、あなたみたいな異常な執念の犯罪者予備軍みたいな人は
まあ刺すことは絶対にしないだろうが、腹立ててぶん殴る可能性はあると見てる。
だから手紙は最適なわけです。
あるいは宗務局の職員に面と向かって注意された時にもあなたは職員をぶん殴る可能性があると見ている。
我々批判側よりもね。

125 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 21:22:03.30 ID:n/VueJjB.net
>>0120神も仏も名無しさん2023/09/16(土) 23:13:53.71ID:u8dUVWKO
>水野氏は「さとりを開く時には三明六通を同時に獲得する」(原始仏教入門)と述べているのを忘れたのか。

私は忘れるどころか、その水野氏の別な文章を引用して>>113で反論した。
だが、ペテン大作さんはたった2日前の水野氏の文章をもう忘れているらしい。
つまり忘れているのは私ではなく、彼です。

同じ学者の説明なのだから、漏尽智については同じなはずです。
水野氏の説明は「解脱の後に漏尽智を得る」です。
だが、その証拠を示されたペテン大作さんの反応をみてください。
その文章を完全無視して逆にお説教を垂れた。

ペテン大作さんのこの異様な反応に、最初は深山に勝利したい一心から、
理屈にもならない理屈を唱え続けているのだろうと思いました。
だが、長年、彼を見て、本当に理解できないらしいことに気が付いた。
これが悪口などでない証拠が今回の反応で、私が示した、岩波仏教辞典や、
二日前に示した水野氏の文章を無視して、また同じ主張を繰り返すばかりです。

普通の読解力を持つ人は、十行くらいの文章なら、主旨を一行でまとめられる。
だが、彼は少し長くなると主旨をまとめることができなくなる。
前に、学者の論文を引用して、学者の主張とは正反対の主張をしたことが数回あります。
今回も、水野氏の三つの文章の比較検証が彼にはできないのです。

126 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 21:29:56.79 ID:n/VueJjB.net
「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、
三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」
(『原始仏教入門』231頁、水野弘元、佼成出版社)
「漏尽明とは漏すなわち煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明すなわち知恵である。」
(『仏教の基礎知識』水野弘元、222〜223ページ)
「・・・、漏尽智力(一切の煩悩障礙が尽き、仏としての悟りを得る知力、仏の漏尽通)である。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元、72ページ)

読者の皆さんも上記の水野氏の三冊の本の解説から、漏尽智(漏尽通、漏尽明)を
矛盾なく説明してみてください。
ほとんどの方は、水野氏は次の説明と同じこと書いていると理解します。

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

ところが、ペテン大作さんの結論は「漏尽智で煩悩を切る」だというのです。
彼は水野氏の一つ目の文献は読んでいるが、後の二つを加えて、三つ同時に
理解することができないのです。
「同時=一瞬」という解釈では二つ目や三つ目と矛盾すると気が付くのは、
三つを同時に考えられるからで、彼はそれができない。
一つ目の文献を見ている時には後の二つは彼の頭にはないから、「同時=一瞬」
という勝手解釈を加えて、自分の勝利を確信していられるのが>>120-121です。
私が、彼は自分の狭い巣穴の中をグルグル回っているだけだというのはこのことです。

127 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 21:41:17.73 ID:n/VueJjB.net
「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、
三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」
(『原始仏教入門』231頁、水野弘元、佼成出版社)
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

ペテン大作さんは↑水野氏と岩波仏教辞典の文章を同時に考えることができない。
普通の人は、二つを同時に考えて、漏尽智とは煩悩がないことを確認する智慧
なのだと理解します。
普通の人はそれをほとんど意識もせずにするが、彼はできないのです。
その証拠に彼は漏尽智には二種類あると始まった。
円筒とは丸と長方形だと説明しても、彼には丸と長方形は別な形にしか見え
ないから、自分は賢く、説明したほうがバカだと思う。
だから、いくら彼に証拠を示しても無理なのです。

これは実は桐山さんもそうでした。
だから、彼は三十七道品をシチカ三十七道品と七科目だと思い込んだ。
三十七道品とは八正道という一科目を別な切り口で説明しただけです。
普通の知性があれば、七科目あるように見えるのに、どうしてシチカ三十七道品と
名前を付けないのだろうと、先に自分の説を疑う。
だが、二人とも自分の理解力の低さを疑うこともなく、無知を反省することもなく、
底の浅い自説を誇り、どこまでも強弁し、認めない相手を小馬鹿にする。

128 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 21:48:15.69 ID:n/VueJjB.net
*「獲得」と「属する」のゴマカシ

>>0121神も仏も名無しさん2023/09/17(日) 00:32:52.92ID:3oXJ5gOd
>「アナゴンが漏尽智を獲得して、漏尽智は阿羅漢に属する」で全て説明がつくのです。

ペテン大作さんの瞬間解脱説をわかりやすく書き直すと、
漏尽智はアラカンに「属する」から、アナゴンには属さない、
アナゴンは漏尽智を「獲得する」が、その瞬間、
アナゴンはアラカンになるから、漏尽智はアラカンに属する、というのです。

私の説明はカギカッコがついているから、
読者の中にも、ペテン大作さんが何を誤魔化したかわかるでしょう。
彼のゴマカシの一つ目は、「獲得」と「属する」という言葉でごまかしている点です。
自説に都合が良いように、獲得と属するという二つの言葉を並べて、
別物であるかのように、読者の錯覚を誘い、ごまかした。
獲得でも属するでもどちらでも彼の説は成り立ちません。
なぜなら、漏尽智はアラカンに属する智慧ですから、
アラカン以外に漏尽智は獲得できない。
だからアナゴンは漏尽智を獲得などできない。
アナゴンが獲得できるなら、漏尽智はアナゴンに属することになる。
どうしても彼がこの主張したいなら、「アナゴンが漏尽智を獲得」という
阿含経でも学者の解説でも出してみるといい。
あるはずがない。
このように彼の説明の前半「アナゴンが漏尽智を獲得」がそもそも嘘なのです。
ゴマカシはこれだけではない。

129 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 21:55:21.10 ID:n/VueJjB.net
*「漏尽智の獲得=煩悩を切る」と見せかけたゴマカシ

今回の議論を最初から読んでいる人は、私がすでにペテン大作さんの
瞬間解脱説のゴマカシを暴露したことを覚えているでしょう。
前スレの949以降で、このスレでも>>45以降で指摘しました。
あれから17日たつから、彼も私の指摘などきれいに忘れて、
また同じゴマカシを繰り返した。

彼のゴマカシは、漏尽智の獲得が解脱であるかのように見せかけていることです。
「漏尽智の獲得」=「煩悩を切る」=「解脱」
であるかのように見せかけたのがペテン大作さんの瞬間解脱説です。
「煩悩を切る」=「解脱」は正しいが、
「漏尽智の獲得」=「煩悩を切る」は嘘です。
両者を混ぜて他人の目をくらませただけでなく、本人も区別がつかないのでしょう。
「漏尽智の獲得」と「煩悩を切る」は別物です。
例えば、ハサミ(漏尽智)で糸(煩悩)を切るとします。
ハサミを手に入れてから、次に糸を切るのだから、同時などありえません。
それをペテン大作さんはハサミを手に入れた瞬間に糸が切れると誤魔化している。
これは彼の説においてもゴマカシです。

130 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 22:02:51.20 ID:n/VueJjB.net
*「漏尽智の獲得=煩悩を切る」と見せかけたゴマカシ

桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」説でも漏尽智獲得が解脱ではなく、
漏尽智で煩悩を切ることが解脱です。
漏尽智を獲得して、次に煩悩を切るのですから、時間差があります。
では、漏尽智を獲得した時、比丘はアナゴンなのか、アラカンなのか?
桐山説2でも漏尽智を獲得したのはアナゴンです。
煩悩をその漏尽智で今から切るのだから、確かにアナゴンです。
だが、漏尽智はアラカンに属しているはずなのに、アナゴンにも
属していることになり、矛盾する。
表現を変えるなら、漏尽智はアラカンのみが獲得する智慧なのに、アナゴンも
獲得していることになり、矛盾する。

こんなふうに彼の説では矛盾してしまう。
そこで彼は漏尽智の体得と煩悩を切ることが一瞬で起きると誤魔化した。
さらに予想どおり、彼の知性では矛盾点を指摘されても理解できなかった。
ここまでと同じことを、私は>>45以降で書いたのです。
つまり、さらに予想どおり、彼の知性では矛盾点を指摘されてもまだ理解できなかった。

131 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/17(日) 22:10:49.57 ID:n/VueJjB.net
読者の皆さんにペテン大作さんのゴマカシの姑息さを見てほしい。
「獲得」と「属する」ですり替え、「漏尽智の体得」を「煩悩を切る」と
同じであるかのように見せかけ、小手先のゴマカシが彼は何ともない。
それを17日前に注意されてもまた同じことを繰り返した。
今後も、ずっと彼は続けます。
道徳心が低く、相手をやっつけるためなら、どんな姑息な方法もためらわない。
しかも、そのゴマカシやすり替えを彼は自分の頭の良さだと誇っている。

>795神も仏も名無しさん2022/05/30(月) 16:51:35.78ID:eNjzPTXQ
>「体得したら阿羅漢になるから阿羅漢に属する」
>よくこれに思いついたと自分を自分で褒めてあげたいw

↑これは一年前に彼が瞬間解脱説を思いついた時の様子です。
「思いついた」つまり、瞬間解脱説を考えたのはペテン大作さんだと認めた。
彼の自説ですから、実はここでの議論のテーマではありません。
彼の思い付きの自説が、水野氏の本にあるはずがない。
普通、自説を思いついても、ではどうして経典や学者の解説に
その説がないのだろうか、自分は何か勘違いしているのでないかと自分を疑う。
だが、↑これを見てもわかるように、彼は慢心具足で、褒めてあげたいくらい
頭がよいと思っているのだから、さすがは大慢心大具足の桐山さんの愛弟子です。

132 :神も仏も名無しさん:2023/09/18(月) 19:02:21.61 ID:BYL9JVms.net
深山さんが名誉を挽回するには、仏教学者の説を否定するしか道は無いのだが、それが出来ないのが彼の気の弱さです。
今回も反論しているように見せているが、肝心なところを避けています。
姑息な手を使う人ですね。

>>127
>ペテン大作さんは↑水野氏と岩波仏教辞典
>の文章を同時に考えることができない。
>普通の人は、二つを同時に考えて、漏尽智と
>は煩悩がないことを確認する智慧
>なのだと理解します。
>普通の人はそれをほとんど意識もせずにす
>るが、彼はできないのです。

深山説の「漏尽智とは煩悩がないことを確認する智慧」が成立するには、漏尽智の獲得は解脱した「後」にならなければなりません。
これがもし「同時」だと漏尽智は解脱に関与していることになりマズいのです。
ところが水野説では「さとりを開くときには、三明六通などの霊能力をも、同時に獲得する」(原始仏教入門)となっていて深山説を否定しているのです。
だから彼は水野説を否定するより他に道は無いのです。

133 :神も仏も名無しさん:2023/09/18(月) 19:04:07.16 ID:BYL9JVms.net
>その証拠に彼は漏尽智には二種類あると始
>まった。

二種類あると言うのは、漏尽智は煩悩を断滅する智慧であり、煩悩を断滅(解脱)したことを確認する智慧だという意味です。
普通の人はそれをほとんど意識もせずに受け入れるが、彼にはできないのです。

134 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/18(月) 22:13:41.21 ID:7lUIurIY.net
>>0132神も仏も名無しさん2023/09/18(月) 19:02:21.61ID:BYL9JVms
>これがもし「同時」だと漏尽智は解脱に関与していることになりマズいのです。

「同時」がマズイなんて、私が書いていないことをまた捏造した。
マズイどころか、「同時」を使って>>113で説明したのに、ペテン大作さんは読みもしない。
>>126で引用した水野氏の文章は同じ内容です。

水野文献1「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、
三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」
(『原始仏教入門』231頁、水野弘元、佼成出版社)
水野文献2「漏尽明とは漏すなわち煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明すなわち知恵である。」
(『仏教の基礎知識』水野弘元、222〜223ページ)
水野文献3「・・・、漏尽智力(一切の煩悩障礙が尽き、仏としての悟りを得る知力、仏の漏尽通)である。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元、72ページ)

「同時に」「滅した時」「尽き」は同じ意味です。
だから、水野文献2を「同時」という言葉で水野氏の文章を書き換えるなら、
「煩悩がすべて尽き滅したと同時に得られる明」
このようになると>>113で私は書いている。
同時ではマズイどころか、同時を使って9/15にすでに私は説明しているのです。
たった三日前の文章さえも彼は読まない、理解できない、記憶しない。

135 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/18(月) 22:23:38.03 ID:7lUIurIY.net
>>0132神も仏も名無しさん2023/09/18(月) 19:02:21.61ID:BYL9JVms
>深山説の「漏尽智とは煩悩がないことを確認する智慧」が成立するには、漏尽智の獲得は解脱した「後」にならなければなりません。

それは深山説ではなく、岩波仏教辞典に書いてあることです。
また水野文献2と3にも解脱した後に漏尽智が得られると書いてある。
水野文献2「煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明」
煩悩が滅した時というのだから、煩悩が尽きた後に得られるのが漏尽明(漏尽智)です。
煩悩が尽きて、解脱した後に漏尽明が得られるとはっきり書いてある。

水野文献3「煩悩障礙が尽き、仏としての悟りを得る」
煩悩が「尽き」というのだから、煩悩が尽きた後に仏となったという自覚を
得る智慧だと述べている。
どちらの文章も、煩悩が尽きて、解脱した後に得られる智慧だと書いてある。

そこで、読者の皆さんは、この二つの文章を踏まえて、
水野文献1「三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされる」
をどう解釈しますか?
同時とは、解脱した時には漏尽智も同時期に獲得するという意味です。
文献2、3にそれが具体的に書いてあって、解脱した後に
解脱を確認するのが漏尽智ですから、同時期です。
このように、水野氏の「同時」とは「瞬間」などという意味ではない。

136 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/18(月) 22:35:17.96 ID:7lUIurIY.net
*六つの神通を瞬間に体得する?

水野文献1「三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされる」

文献1の「同時」が「瞬間」という意味なら、三明六通を瞬間的に体得することになる。
それ自体が変な話だが、さらにペテン大作さんはこれとは矛盾する主張もしてきました。
それが沙門果経です。

ペテン大作説によれば、沙門果経は修行の順序なのだそうです。
私から、釈尊は仏道の果報を説くと言っているだから、順序ではないと反論された。
だが、彼はいつものように頑迷不屈に順序説を撤回していない。
だから、彼の説によれば、六通は沙門果経にある順序で体得していくことになる。

彼は、水野氏の文章では、六通を「瞬間」に獲得すると主張し、
沙門果経では、六通を「順序」よく体得するのだと主張した。
それでどっちなのだ?
私はペテン大作さんの屁理屈の良き理解者ですから、説明してあげましょう。
順序よく瞬間に獲得する・・・こういうことを言いかねない男です。

137 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/18(月) 22:45:40.29 ID:7lUIurIY.net
*六つの神通を瞬間に体得する?

読者の皆さん、ペテン大作さんが自爆したことにお気づきでしょう。
その場しのぎに適当に主張を繰り返すから、やがて自己矛盾するという
世間でも良くあるパターンです。
だが、彼は絶対にこういう自分のミスからは学ばない。
漏尽智に二説あるとか、次々と自説を作って逃げ惑うしか能がない。

彼の瞬間解脱説では、アナゴンが六つの神通を一瞬で獲得し、次の瞬間に、
たくさんの五上分結をすべて一瞬で切って解脱し、一瞬でアラカンになるらしい。
「早撃ちペテン」と言われているのでしょうか。
こうやって、彼は墓穴を掘り、どんどん自己矛盾の穴の中に落ちていく。

実は、沙門果経との矛盾は前も指摘したのです。
先月からの議論は、新しいことは何一つなく、彼の主張も彼の引用した文献も
去年のまま、さらにいうなら、議論の展開のしかたもそのままです。
去年どころか、私が9/1に水野氏の文献2〜3を引用したのに、彼は17日後に
はきれいに忘れて、文献1が深山には都合が悪いのだろうとまた始まった。

今回も、姑息と言われると、そのまンま姑息と言い返す。
憎い相手なら、何か工夫しろよと言いたいが、彼の頭からは憎しみしか出てこない
昨日のユビキタスさんとの議論を見てください。
>>123でも、ただ相手に言われたことをそのまンま投げ返しただけ。
それに比べて、ユビキタスさんは>>124で強烈な内容を書いて、
読者からのペテン大作さんへの失笑と嫌悪を誘っている。

138 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/18(月) 22:53:00.81 ID:7lUIurIY.net
普通の人は議論に勝ちたいなら、相手の文章を徹底的に読んで、理解し、
記憶し、また自己矛盾に追い込まれたら、何がまずかったのか、
どこを修正すればいいのか検証して、立て直します。
だが、ペテン大作さんは絶対にそれをしていないのがわかる。
悔しいから、深山の反論は読まないで、同じ主張を繰り返すばかり。
矛盾や間違いを指摘されても、それを反省するのではなく、
深山への激しい復讐心の燃料に転化する。
それをまた彼は自分では格好が良いと思っている。

だから、彼は自分の失敗から何も学ばず、去年と同じ主張をし、
去年と同じように私から揚げ足を取られ、去年と同じように
彼の出した主張の自己矛盾を指摘され、自爆する。
すると憎しみを燃やしながら明日、来週、来年、彼はまた同じ主張を繰り返し、
また私から同じ反撃を受ける。
私は、モグラが毎度同じ穴から出てくるだけだから、ウンザリしているが、
彼は記憶にないから新鮮で、今回同様に闘志満々で出てきます。

知性と良識のある信者さんたちにもう一つ気が付いてほしいことがあります。
それは私やユビキタスさんの主張が、長期にわたるにもかかわらず、
矛盾や自爆がないことです。
ペテン大作さんの自爆、自滅、自己矛盾ぶりは、本人が自覚しないだけあって、
見苦しいことおびただしい。
ところが、私やユビキタスさんにはそれがない。
どうしてだと思いますか?

139 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/18(月) 23:03:45.02 ID:7lUIurIY.net
私もユビキタスさんも自説がないからです。
経典にあるがまま、学者の解説のまま受け入れているだけだから、自説なんてない。
自分の誤解や記憶違いに気が付いたら、ペテン大作さんみたいに
見苦しく、別な自説で誤魔化すのではなく、さっさと認めて、軌道修正する。
自分が作った説を記憶する必要も、自説を経典や学者の解釈に合わせる必要もない。
ただ、その都度、経典や学者の説明を引用しているだけです。
だから、長年書いていても、矛盾がないのです。

ペテン大作さんを見ればわかるように、彼は書いてある文書をそのまま
理解するのではなく、先に自分の結論があり、自説に合わせて強引な解釈を加える。
今回の「同時」などその典型で、毎度このパターンです。
学者の文章で漢文経典だと書いてあるのに、それをパーリ仏典だと
ペテン大作さんは引用して、批判側を騙そうとしたことがある。
私がその嘘を暴いたから、彼の憎しみがまた増えた。

桐山さんも自説が先にあり、それに合わせて阿含経に勝手解釈を加えたから、
矛盾だらけ、嘘だらけ、支離滅裂で、解脱の意味さえも違っている。
だが、彼は教祖で、誰も面と向かっては批判しないから、そのまま通用しただけです。
信者さんたちもペテン大作さんみたいに、勝手な解釈を加えるのはやめて、
釈尊の教法は教法のままに、阿含宗の教義は教義のままに理解することです。

140 :神も仏も名無しさん:2023/09/19(火) 00:22:19.22 ID:2n6SfWAa.net
>>137
>今回も、姑息と言われると、そのまンま姑息
>と言い返す。
>憎い相手なら、何か工夫しろよと言いたい
>が、彼の頭からは憎しみしか出てこない

>>139
>私もユビキタスさんも自説がないからです。
>経典にあるがまま、学者の解説のまま受け入
>れているだけだから、自説なんてない。

この大先生は漫才やってるのかw
人のことをそんまンま姑息と言い返すと笑っておきながら、自分自身が言われたことをそのまま言い返すとは。
139は私が>>104で言ったことではないか。
大先生もついに壊れてしまったようだ。

141 :神も仏も名無しさん:2023/09/19(火) 11:36:20.16 ID:5PLhAYsa.net
深山大先生は、その明晰な頭脳で学者説を分析して自説を立証しようと必死です。
読者の中には流石は深山大先生だと惚れ直す人もいるでしょうが、残念ながらそれは夏の終わりの打ち上げ花火に終わります。

>>135
>水野文献2「煩悩がすべて尽き滅した時に得
>られる明」
>煩悩が滅した時というのだから、煩悩が尽
>きた後に得られるのが漏尽明(漏尽智)です。
>煩悩が尽きて、解脱した後に漏尽明が得られ
>るとはっきり書いてある。

>2008/11/18(火) 12:59:44 ID:s8pu1w+h
>だから、漏尽通で解脱するのではありません。

という結論に持って行きたいのが深山大先生ですが、残念ながら世の仏教学者達はそうは解釈していないのです。

【漏尽通】煩悩を断除して般若の明智を得る能力(『古典にみる仏教語解説辞典』倉部豊逸、国書刊行会)

漏尽通とは煩悩を断って般若の明智を得る能力だと述べている。
ここからは、漏尽通で解脱するのではない、なんて結論は出て来ません。
また別の学者はこう書いている。

142 :神も仏も名無しさん:2023/09/19(火) 11:40:08.68 ID:5PLhAYsa.net
「次に第六は漏尽智証通である。
いわゆる漏尽通であり、人間苦の根本となり、人間の行動を誤らしめる煩悩を滅尽せしめる智慧をいうのであり、煩悩を滅尽することに自在無㝵であり、如実に四諦の理をしり、いわゆる「梵行すでに立ち、所作すでに弁じ、後有をうけざる」にいたらしめる智慧である。」
(『仏教思想辞典』武邑尚邦、教育新潮社、236頁)

漏尽通とは煩悩を断ち解脱して、それを確認する(解脱知見)までの一連の能力であることが分かります。
そして岩波仏教辞典は漏尽通の能力の内、後半の解脱知見に当たる部分を「煩悩が尽きたことを自ら知覚すること」と端的に表現したことに気付きます。
煩悩を尽くすことは前提条件になっているのです。
その証拠に、多くの仏教辞典には、漏尽通は「煩悩を断滅する智」と書かれています。
解脱を確認するということは、解脱させる力があるということです。
ノコギリでどれだけ木が切れたか確認するには、木を切ることが出来なければいけない。
それと同じ理屈です。
普通の人は解脱を確認するだけの能力なんて可笑しいと思う。
ところが可笑しいと思わない可笑しい人がここにいる。
その可笑しい人は、漏尽通が無くても解脱出来るという可笑しな自説の根拠に岩波仏教辞典を利用した。
こうして15年間もネットに可笑しな自説=偽仏教を書き込んだ悪業は限りなく大きいのです。

143 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/19(火) 21:00:55.60 ID:AC2ErDhv.net
>>0141-0142
【漏尽通】煩悩を断除して般若の明智を得る能力(『古典にみる仏教語解説辞典』倉部豊逸、国書刊行会)
「次に第六は漏尽智証通である。
いわゆる漏尽通であり、人間苦の根本となり、人間の行動を誤らしめる煩悩を滅尽せしめる智慧をいうのであり、煩悩を滅尽することに自在無㝵であり、如実に四諦の理をしり、いわゆる「梵行すでに立ち、所作すでに弁じ、後有をうけざる」にいたらしめる智慧である。」
(『仏教思想辞典』武邑尚邦、教育新潮社、236頁)

また始まりました。
ペテン大作さんの得意技で、話がまた振り出しに戻ってしまった。
今回ペテン大作さんが出した根拠は、前に彼が証拠として出した『佛教語大辞典』
『総合仏教大事典』『ブリタニカ世界大百科事典』と同じです。
彼はこれらの説明を「漏尽智で煩悩を切る」と解釈していたから、
その解釈では、アナゴンが漏尽智を持つことになり、シュダオンは煩悩が
切れなくなるのだから、成り立たないと議論が始まった。
これに対して、彼は瞬間解脱説を出したが、水野氏の文章の勝手な
解釈にすぎず、瞬間解脱説など根拠がないと証明した。
つまり「漏尽智で煩悩を切る」という解釈が成り立たないことが示された。
ところが、それに対して、なんと、また同じような文章を引用して、
「漏尽智で煩悩を切る」と主張が始まった。
では、今までの議論は何だったのか、と最初の頃は熱が出そうだったが、
これがペテン大作さんの知性だと知ってからは驚かない。

ガムを万引きした人に二度とするなと注意をしたら、またやった。
どうしてかときくと「今回はチョコだから、ガムは盗んでいない」と言った。
こういう人には何をどう説明しても無駄です。

144 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/19(火) 21:08:04.35 ID:AC2ErDhv.net
「あらゆるけがれを滅する智」(『佛教語大辞典』)
「煩悩を断除して般若の明智を得る能力」(『古典にみる仏教語解説辞典』)
「煩悩を滅尽せしめる智慧」(『仏教思想辞典』)
「漏つまり煩悩を断滅する智慧で、」(『総合仏教大事典』)
「煩悩を断じて真理を明らかに知る智慧」(『ブリタニカ世界大百科事典)

ペテン大作さんが引用した、これらの辞典の表現をまとめるなら
辞典によって断除、滅尽、断滅など微妙な書き方の違いはあるが、
漏尽智とは「煩悩を断滅する智慧」です。
これをペテン大作さんは「漏尽智で煩悩を断滅する」と解釈している。
だが、この解釈は、仏教の話を抜きに、文章の解釈として間違っていることは、
例えば、次の事例でもわかります。

ペテン大作さんは、
「車を運転する知恵」=「知恵で車を運転する」
と言っているようなものです。
両者は意味が違います。
「車を運転する知恵」とは人間が車を運転するのに対して、
「知恵で車を運転する」は人間ではなく、
知恵という存在が運転することになり、意味が違う。

同様に、「煩悩を断滅する智慧」≠「漏尽智で煩悩を断滅する」です。
「煩悩を断滅する智慧」とは、アラカンが戒定慧を完璧に守り、煩悩が
入り込まない状態を維持し確認することを言っているだけです。
煩悩を断滅するのはアラカンで、アラカンが断滅することを智慧と言っているだけです。
だが、ペテン大作説では、漏尽智という力で煩悩を断滅することになり、意味が違う。
そもそも釈迦仏教には、神通で煩悩を切るなどという思想はありません。

145 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/19(火) 21:18:21.61 ID:AC2ErDhv.net
漏尽慧「一切の煩悩を断ちつくす智慧」
(『例文仏教語大辞典』石田瑞麿、小学館、1135ページ)

この漏尽智(漏尽慧)の説明に、ペテン大作さんは我が意を得たりと、
大喜びしているでしょう。
だが、他の普通の国語力のある人は良く読んでください。
何度も説明したように、これは「漏尽智で煩悩を断滅する」という意味ではありません。
しかも、その直後には次のような解説があります。

漏尽通「一切の煩悩がなくなって、迷いの世界に再び戻ることのないことを知る智慧。」
(『例文仏教語大辞典』石田瑞麿、小学館、1135ページ)

漏尽通は、煩悩がなくなったことを知る智慧だとある。
漏尽智も漏尽通も同じです。
ところが、両者は説明が違うように見えます。
そこでペテン大作さんは最初、漏尽智と漏尽通は違っていて、
漏尽智で煩悩を切り、漏尽通でそれを確認するのだという愚説を作った。
私から嘲笑われ、撤回して、今では、漏尽智に二種類あると主張しだした。
もし二種類なら、上記の表現はおかしくありませんか。
この辞典は石田氏一人が執筆し、しかも、漏尽慧と漏尽通は隣に書いてある。
それなら、漏尽慧でも漏尽通でも二種類あると書いたはずです。
だが、そんな表記はない。
他の辞典にも阿含経にも、彼の思い付きが載っているはずがない。
二種類説など彼の読解力の低さから来た作り話で、これらは同じ内容を
違う表現をしただけです。

146 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/19(火) 21:24:49.87 ID:AC2ErDhv.net
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

「漏尽智で煩悩を断滅する」という解釈では、上記のような致命的な矛盾が
生じてしまい、ペテン大作さんは説明ができない。
瞬間解脱説を出しても、根拠とした水野氏はそんなことは言っていない。
そもそも彼が引用した学者の解説に、「漏尽智で煩悩を断滅する」と
書いた文章がないのが何よりの証拠です。
漏尽智で煩悩を切るのなら、そのようにストレートに書いてあっていいはずなのに、
書いてあるのはどれもが「煩悩を断滅する智慧」という表現です。
前述のように文章解釈としても「漏尽智で煩悩を断滅する」という意味にはなりません。
水野氏の文章では「同時」に六通を体得するのだから、
ペテン大作さんの説では、六通を一瞬で体得することになる。
だが、沙門果経では六つが一つ一つ順序よく説明されていて、
ペテン大作説によれば、この順序で体得するのだという。
では、一瞬なのか、この順序なのか、どっちなのだと質問しても、逃げた。
「漏尽智で煩悩を断滅する」という説が自滅し、自爆したのです。

彼の説では、五上分結というたくさんの煩悩を一瞬に切ってしまうことになる。
そんなことは素人が考えてもあり得ないし、もちろん、経典にも学者本にもない。
彼自身の瞬間解脱の説明も意味不明で、漏尽智を体得することと、
煩悩を切ることが同じであるかのようにすり替えて、さらには、
「獲得」と「属する」を使い分けて、錯覚を誘うという姑息なやり方です。
彼の「漏尽智で煩悩を断滅する」はすり替えとゴマカシでできており、矛盾だらけです。

147 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/19(火) 21:32:56.10 ID:AC2ErDhv.net
>>0142神も仏も名無しさん2023/09/19(火) 11:40:08.68ID:5PLhAYsa
>普通の人は解脱を確認するだけの能力なんて可笑しいと思う。

漏尽智は解脱を確認するだけの智慧だというのは、可笑しいと笑いものにした。
ペテン大作さんは本当に愚かな人です。
深山を嘲笑ったつもりで、釈尊を嘲笑った。
なぜなら、漏尽智で解脱を確認すると主張しているのは、
私でも、学者でもなく、釈尊本人だからです。

解脱を確認することが「可笑しい」そうだ。
その彼は神通で煩悩や桐山カルマを切ると信じている。
阿含経のどこに、神通で煩悩や桐山カルマを切るとあるのだ?
彼の頭は神通でエイッと煩悩やカルマを切るというアニメレベルです。
どっちが可笑しいのだ?

私が、先月、その点をすでに信者さんたちに書いたことを彼は読まない、
理解できない、記憶しないのです。
解脱を確認することがどれほどすごいことか、またなぜ漏尽通や漏尽明、
あるいは漏尽智という表現をしたのか、由来を説明しました。
私がわざわざこれを説明したのは、信者さんたちに、上記のような
罵りを釈尊に向かって投げつけて、悪業を作ってほしくないからです。
他の信者さんたちは釈尊の言葉に素直に耳を傾けてください。

148 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/19(火) 21:40:24.18 ID:AC2ErDhv.net
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、414頁)

釈尊は解脱した後に「解脱したという智」つまり漏尽智が「おこった」とあります。
解脱した後に漏尽智が生じたと釈尊本人が述べているのです。
漏尽智で煩悩を切って解脱するなら、解脱する前から漏尽智があったはずです。
だが、釈尊は、解脱した後に漏尽智が生じたとはっきり述べている。
そして、この釈尊の言葉をペテン大作さんは「可笑しい」と嘲笑った。

釈尊の言葉以上の何が必要ですか?
普通の国語力があれば、上記の言葉が
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
という意味であることに議論の余地もない。

他の信者さんたちに助言だが、ペテン大作さんのような愚かな行為をしないことです。
もし、釈尊の教法が理解できないなら、それを決めつけたり、
勝手な解釈を加えたり、ましてや、可笑しいなどと嘲笑うのではなく、
「自分の理解力が足りない」と反省し、調べるか、人に聞くか、
それでもわからない時は、わからないと「保留する勇気」を持つことです。
ペテン大作さんや宝生ソウカ大人みたいに、知ったかぶりで、
勝手な解釈を加えるのは愚行であり、悪業です。
他の信者さんたちは悪因縁を恐れているのなら、
如来への悪業の報いをもっと恐れてください。

149 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 20:44:00.69 ID:OkT3OycR.net
*ペテン大作さんは阿含宗の裏切り者

ペテン大作教は、シュダオンが煩悩を切ることができないという爆笑宗教です。
だが、信者さんたちは御心配いりません。
阿含宗ではシュダオンでも煩悩を切ることができます。
信者さんたちには釈迦仏教も阿含宗の教義も正確に理解し、
ペテン大作さんみたいに適当な作り話をしないようにしてほしい。

信者さんたちはペテン大作さんが阿含宗の裏切り者だと気が付いていますか?
仏教の解脱とは何か、という点で阿含宗を裏切った。
阿含宗では煩悩解脱(漏尽解脱)は小解脱で、因縁解脱が大解脱とされます。
桐山さんは釈尊が一生かけて因縁解脱を説いたと書いています。

ところが、ペテン大作さんは、煩悩解脱が仏教の解脱だと認めている。
だから、漏尽智で煩悩を切ってアラカンになると何度も書き、
今もそれを前提にして彼は自分教を主張しています。
阿含宗では煩悩を切っただけでは小解脱で本当の解脱ではないのに、
ペテン大作さんはこれを否定し、煩悩を切っただけで解脱すると認めているのです。
彼は桐山さんと阿含宗を裏切った、正確には仲間を置き去りに一人だけ逃げた。

150 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 20:45:14.62 ID:OkT3OycR.net
*ペテン大作さんは阿含宗の裏切り者

ペテン大作教は、シュダオンが煩悩を切ることができないという爆笑宗教です。
だが、信者さんたちは御心配いりません。
阿含宗ではシュダオンでも煩悩を切ることができます。
信者さんたちには釈迦仏教も阿含宗の教義も正確に理解し、
ペテン大作さんみたいに適当な作り話をしないようにしてほしい。

信者さんたちはペテン大作さんが阿含宗の裏切り者だと気が付いていますか?
仏教の解脱とは何か、という点で阿含宗を裏切った。
阿含宗では煩悩解脱(漏尽解脱)は小解脱で、因縁解脱が大解脱とされます。
桐山さんは釈尊が一生かけて因縁解脱を説いたと書いています。

ところが、ペテン大作さんは、煩悩解脱が仏教の解脱だと認めている。
だから、漏尽智で煩悩を切ってアラカンになると何度も書き、
今もそれを前提にして彼は自分教を主張しています。
阿含宗では煩悩を切っただけでは小解脱で本当の解脱ではないのに、
ペテン大作さんはこれを否定し、煩悩を切っただけで解脱すると認めているのです。
彼は桐山さんと阿含宗を裏切った、正確には仲間を置き去りに一人だけ逃げた。

151 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 20:46:07.95 ID:OkT3OycR.net
*ペテン大作さんは阿含宗の裏切り者

ペテン大作教は、シュダオンが煩悩を切ることができないという爆笑宗教です。
だが、信者さんたちは御心配いりません。
阿含宗ではシュダオンでも煩悩を切ることができます。
信者さんたちには釈迦仏教も阿含宗の教義も正確に理解し、
ペテン大作さんみたいに適当な作り話をしないようにしてほしい。

信者さんたちはペテン大作さんが阿含宗の裏切り者だと気が付いていますか?
仏教の解脱とは何か、という点で阿含宗を裏切った。
阿含宗では煩悩解脱(漏尽解脱)は小解脱で、因縁解脱が大解脱とされます。
桐山さんは釈尊が一生かけて因縁解脱を説いたと書いています。

ところが、ペテン大作さんは、煩悩解脱が仏教の解脱だと認めている。
だから、漏尽智で煩悩を切ってアラカンになると何度も書き、
今もそれを前提にして彼は自分教を主張しています。
阿含宗では煩悩を切っただけでは小解脱で本当の解脱ではないのに、
ペテン大作さんはこれを否定し、煩悩を切っただけで解脱すると認めているのです。
彼は桐山さんと阿含宗を裏切った、正確には仲間を置き去りに一人だけ逃げた。

152 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 20:58:37.76 ID:OkT3OycR.net
>>150-151重複書き込みをたいへん失礼しました。

*ペテン大作さんは仏教に因縁解脱がないのを知っている

ペテン大作さんは阿含宗の解脱の意味を否定したのです。
阿含宗の味方をしたつもりが、屁理屈を重ねているうちに阿含宗の教義を否定していた。
信者さんの中には、ペテン大作さんは信者で、敵の敵は味方とばかりに、
彼の味方をしたいだろうが、それをすれば阿含宗を裏切ることになります。
解脱とは仏教の根幹であり、それは阿含宗でも同じです。
信者さんたちの多くは解脱など目指していなくても、桐山さんの解脱こそが、
信者さんたちが求める御利益の源泉です。
阿含宗では桐山さんは因縁解脱してアラカンになったのであって、
煩悩解脱してアラカンになったのではありません。
だが、ペテン大作さんは桐山説を否定し、仏教の解脱とは煩悩解脱だと認めてしまった。

ペテン大作さんは仏教には因縁解脱などないことを知っているからです。
彼は卑怯者だから、それを認めない。
口を拭い、因縁解脱の話になると「知らない」と逃げる。
因縁解脱が仏教の解脱だと主張して、阿含経の根拠を示せと批判されても、
何も答えられないのを体験しているから、因縁解脱には触れない。
あの屁理屈魔のペテン大作さんにして、阿含経からも、学者の解説からも、
因縁解脱など探せないのです。
だから、彼はそこは素知らぬ顔をして、議論を振られても無視するか、
悔し紛れに一行レスをつけて、いかにも説明したかのように誤魔化す。
これ一つ見ても、彼がどれほど卑怯な男かよくわかる。
擁護側のようなふりをしながら、因縁解脱などないと気が付いて、
他の信者を置き去りにして、自分だけ逃げだした。

153 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 22:46:46.65 ID:OkT3OycR.net
*ペテン大作教では誰も解脱できない

ペテン大作教ではアナゴン以外は煩悩を切ることができないという爆笑教義です。
なにせ漏尽智を「獲得」するのはアナゴンだけだという珍説です。
アナゴン以外は煩悩を切ることができないなら、
そもそもどうやってアナゴンになるのだ?
三結という煩悩を切ったからこそシュダオンになれる。
ところが、ペテン大作教ではシュダオンは煩悩が切れないからシュダオンになれない。
シュダオンになれないなら、当然、シダゴンにもアナゴンにもなれない。
アナゴンが漏尽智で解脱するも何も、そもそもペテン大作教では
誰もアナゴンになれないのです。
こういう矛盾を指摘されても、どこ吹く風で勝利宣言をしながら、ここに出てくる。

桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」はこんなふうに矛盾が出て来る。
普通なら、ここまで矛盾に突き当たったら、自分の間違いを認めます。
だが、不倒翁のペテン大作さんは違う。
何度自分からこけても、自分の足を踏んづけて頭から倒れ込んでも、
自分の投げた石が返ってきて彼の顔面を直撃しても、
天に吐いたツバが彼の顔にかかっても、ニャッと笑って、立ち上がり、
すべてをリセットしてまた同じ主張を始める。
その姿に彼自身が惚れ惚れとしている。
宗教ゾンビ、これがかつては四谷大塚の秀才君だった男の末路です。

154 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 22:55:48.53 ID:OkT3OycR.net
*阿含宗では煩悩も切れる

他の信者さんたちは、ペテン大作さんのように自分教を作り上げるのではなく、
阿含宗の教義を正しく理解しましょう。
私は批判側だが、彼のような勝手な解釈を加えるのと違い、
阿含宗の教義を正確に理解しているから、信者さんたちにも説明できます。

「漏尽智で煩悩を切るのに、漏尽智を持たない一般信者はどうやって
煩悩を切るのか」と疑問になるでしょう。
御心配に及びません。
阿含宗では信者でもシュダオンでも煩悩を切ることができます。
ペテン大作さんじゃあるまいし、宗教詐欺の天才であらせられた桐山ゲイカが
そんな穴の開いた教義を作るほど間抜けではありません。

阿含宗では自分で煩悩や因縁を切るのではなく、仏様の成仏力、
つまり漏尽智によって切っていただくのです。
だから、三福道があるのです。
応供の如来様に煩悩を切っていただく。
自力で煩悩を切るなんて、素人の甘い考えだと桐山ゲイカは次のように
叱責していました。

155 :神も仏も名無しさん:2023/09/20(水) 23:00:11.19 ID:afIhYjjD.net
>>148
>釈尊は解脱した後に「解脱したという智」つ
>まり漏尽智が「おこった」とあります。
>解脱した後に漏尽智が生じたと釈尊本人が述
>べているのです。
>漏尽智で煩悩を切って解脱するなら、解脱す
>る前から漏尽智があったはずです。

それがあったのですよ、解脱する前から漏尽智が。
望月仏教大辞典に書いてありました。

「是れ即ち一切の有漏煩悩を断盡し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、」
(『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

漏盡智が一切の有漏煩悩を断盡するのです。

「若し智生せば、有漏盡きて無漏の心解脱慧解脱を得、現世に自ら行を成就し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じて復た有に還らじと證知す。是れを漏盡智證通と名づく。」
(『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

「若し智生せば」とあるから、漏尽智が生じたことにより、無漏の心解脱慧解脱を得るわけです。

「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

漏尽智が四諦を認識して漏心を解脱するのです。

156 :神も仏も名無しさん:2023/09/20(水) 23:03:03.44 ID:afIhYjjD.net
漏尽智とは「四諦認識で無漏の心解脱慧解脱をしてから解脱知見を得る智慧のこと」です。
漏尽智は解脱の前から始まっているのです。
岩波仏教辞典は解脱後の解脱知見のことを指しているだけで、漏尽智自体は解脱前から始まっている。
岩波は小型の辞典だから解脱知見の部分を端的に一行で表現したのでしょう。
それが後になってタワケ者がこれを誤解して、タワケけた自説の根拠にされた。
全く迷惑な話です。
さぁ困ったね、深山さん。
あなたのことだから色々と屁理屈を並べて反論するだろうが、何処の馬の骨か分からぬ名無しの仏教素人さんと、その後の日本の仏教辞典の模範になった大辞典とじゃ、どちらが信用されるかは言うまでもありません。
どうする深山???

157 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 23:11:30.37 ID:OkT3OycR.net
*煩悩は自分の力だけでは切れない?

「理くつはそのとおりだが、自分の力だけで心の因縁が切れると思ったら大まちがいだ。」
(『修行者座右宝鑑』135頁)
「仏の加護、仏の加持力というものがなかったならば、煩悩などとても断てるものではないのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』176頁、2007年)

阿含宗の心の因縁とは煩悩のことです。
それを自分の力だけで切れると思ったら、大間違いだと桐山ゲイカは喝破された。
では、どうやって切るのか。
応供の如来様に金品や勧誘した人を供養することで切ってくれるのです。
供養の額や人数に応じて、あの現形した応供の如来様が漏尽智で
信者さんたちの煩悩を切ってくれます。

これは私が勝手に言っているのではなく、「供養に応えるぞ」と御霊諭が
あったと桐山ゲイカが本に書いています。
「供養に応えるぞ」なんて、まるで時代劇の悪代官が悪徳商人に
袖の下を要求している場面みたいで、とってもわかりやすい。
現金決済ですから、それなら信者さんたちの煩悩も切れるはずです。
ペテン大作教では信者さんたちは煩悩は切れないが、
このように阿含宗は三福道がありますから、切れるのです。

158 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 23:17:57.14 ID:OkT3OycR.net
*阿含宗で煩悩を切った実例は?

私の知る限り、信者で〇〇の煩悩が切れた、△△の因縁が切れたと
公式に宣言してもらった人は一人もいません。
だから、行歴の長いペテン大作さんも宝生ソウカ大人も一つも煩悩は切れていない。
宝生ソウカ大人は年30本の護摩木と決めている超ドケチ吝嗇信者だから無理としても、
ペテン大作さんは柏原の墓石も購入しているのに、煩悩は減るどころか、
私と議論を初めてからも彼の憎しみの煩悩は増えるばかりです。
たぶん、これは供養額が足りないからだと思いますから、信者さんたちは
引き続き先祖解怨に・・・これはT教会で、阿含宗では冥徳供養でした。
先祖供養の無限ネズミ講が、あまりにそっくりなので混同しました。

桐山ゲイカは煩悩解脱して名誉欲はありませんでした。
そこで名誉教授などの名誉を、あるが上にも買い集めました。
桐山ゲイカは怒り(瞋恚)の煩悩は切ってしまいました。
そこで信者から嘘つき呼ばわりされると、激怒して暴力で排除しました。
桐山ゲイカは、もちろん性欲などという本能の欲望は解脱しました。
そこで二十代の色っぽい女性にわかっているだけでも十年以上にわたり、
お手当をあげて、またホテルオークラに長期滞在しました。
桐山さんのこの有様が阿含宗では煩悩を完全に切ったと言います。

これが阿含宗で煩悩を切る方法で、そこで、信者さんたちは興味がないだろうが、
釈迦仏教の煩悩の切り方を紹介しましょう。

159 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 23:24:06.13 ID:OkT3OycR.net
*自分で煩悩を切る

釈迦仏教の煩悩の切り方は、自力、つまり自分で切る。
これは出家か在家かなど関係なく、両方とも自力だけで、
釈尊はじめとする神仏はまったく関係ありません。
釈尊からは、桐山さんの好きな加持力も加護ももらえません。
今この世界には釈尊はいないが、自力ですから、煩悩を切ることができます。

「浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない」
(『真理のことば・感興のことば』中村元、33頁)

ここでの「浄い」とは阿含宗のいう霊的浄化などではなく、煩悩が無いことです。
煩悩を切るのは「各自のことがら」であり、神通に優れた釈尊でも
「他人を浄めることができない」のです。
そこで、桐山さんがこの点についてどう言っているか、読んでください。

「解脱するためには、十結をすべて切らなければいけないとお話ししましたが、
これらの煩悩は到底自分の力だけでは切れません。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』176頁、2007年)

ごらんのように、釈尊とは正反対のことを述べている。
阿含宗は応供の如来がいないと、三福道が成り立たず、煩悩も因縁も切れなくなる。
だから、応供の如来様が、背中を丸めて、横向きに、後ろからきれいな白いシッポを
出して、釈尊が禁止した護摩に現形したことは、阿含宗にとっては大ラッキーでした。
そうなると、現形以前は誰に供養していたのか、問題になるのだが、
宗教家畜の信者はそんな疑惑を持ってはいけない。
信者とは宗教奴隷なのだから、言われたことを頭から信じて、お金を出せばいい。

160 :神も仏も名無しさん:2023/09/20(水) 23:24:22.37 ID:afIhYjjD.net
>>148
>釈尊は解脱した後に「解脱したという智」つ
>まり漏尽智が「おこった」とあります。

漏尽智が「おこった」なんて書いてない。
この嘘つきめ。
いい加減にしなさいw

私が裏切り者?
とんでもない。
シャカ仏教と比較して教団を批判してる奴が
実はシャカ仏教のことを何も知らないクソだってことをバラしてくれて感謝されるかもね。

161 :神も仏も名無しさん:2023/09/20(水) 23:31:48.72 ID:OkT3OycR.net
*先生に渡した賄賂で成績の決まる阿含宗

釈尊の教法は学校の勉強に例えるとわかりやすい。
生徒の成績は本人の勉強で決まり、先生は関係ありません。
先生が試験の採点をするが、点数は先生が決めているではなく、生徒です。
釈迦仏教もこれと同じで、釈尊という偉大な教師は煩悩を切る方法を
教えてくれるが、切るのは信者や比丘自身であって、釈尊は関係ない。
だから、シュダオンになるのも、解脱するのも本人の努力だけで、
如来はただ教えを説くだけです。

この視点から、阿含宗を見てください。
全然違うというか、真逆だと気が付きませんか。
阿含宗の応供の如来様はとても親切で、生徒から供養という名前の
賄賂を受け取ることで、成績を決めてあげるというのです。
賄賂に三福道という名前を付けて、しつこく強く繰り返し要求している。
阿含宗という学校は、生徒の成績は応供の如来先生様にどれだけ
現金を渡したかで決まる「賄賂学校」なのです。

桐山さんは子供時代の学校の成績が総崩れで、小卒の彼が
大学に入学どころか受験もできたはずはないのに、早稲田中退、
日大中退を詐称し、兵役を逃れるのにも賄賂を使い、
宗教家になってもお金で学位や名誉を買い続けた。
応供の如来や三福道は、世間と人生をお金で渡った桐山さんらしい発想です。
問題は、信者さんたちがこういう発想の宗教に嫌悪を感じるか、
それともペテン大作さんや宝生ソウカ大人みたいに親近感を感じるかです。

162 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/20(水) 23:34:34.70 ID:OkT3OycR.net
0161は深山の書き込みです。

163 :神も仏も名無しさん:2023/09/21(木) 01:57:11.09 ID:lXFIbsrH.net
工工エエェェ(゚Д゚;ノ)ノェェエエ工工

164 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:13:06.09 ID:UlGi2DhG.net
>>0155-156

前に何度も読み間違いを指摘されたのに、また同じ話が始まった。
ペテン大作さんの「読み間違い」なのです。
往年の秀才君とは思えないほど読解力も学習能力も低い。

読者の皆さんは望月佛教辞典の煩瑣な文言を見るのが嫌だろうが、
できるだけ、わかりやすく説明しますから、仏教の話ではなく、
国語の読解の問題だと思って読んでください。
仏教の議論ではなく、ペテン大作さんが文章が読めないことが問題だとわかります。
彼の引用した文章は、漏尽智が煩悩を切ったことを確認する能力である
という説明で、私の主張の裏付けを彼はしてくれたのです。

望月佛教辞典の三つの文章の内、二つは三年前にも彼が引用して、
私は彼の読み間違いだと指摘した。
三年前の指摘に反論するなら、まだ議論も成り立つだろうが、
自分が引用したことも忘れて、今回初めて引用したと思っているのでしょう。
これまで彼が引用した水野氏の現代語の文章でさえも、彼は読解できなかった。
三年前も、読解力の低い彼が、現代語に訳さないとわからないような
煩瑣な文章を根拠にするのは止めたらどうかと助言したが、無駄でした。
彼は煩瑣な文章なら勝手な解釈を加えることができるから、好都合なのです。
ちょうど、宝生ソウカ大人が誰も使わないような難しい単語を並べて、
自分が教養人であるかのように見せかけるハッタリと同じ手法です。

165 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:21:21.46 ID:UlGi2DhG.net
>561神も仏も名無しさん2020/11/21(土) 00:25:40.22ID:KW8hSSfl
「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、四根本静慮を依持とし威徳殊勝を示現するを漏盡智通と名づくることを設けるものなり。」
(『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

日付を見てもわかるように、三年前にも彼はこれを引用して、議論になった。
読者の皆さんは、現代語に要約するなら次のようになるとわかるでしょう。
「一切の煩悩を断滅した後、二度と輪廻することはないと自覚することを漏尽智という」
つまり煩悩を切り、解脱した後、自分はもはや輪廻することがないと
自覚することを漏尽智という、とあるだけで、
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
と同じ解説です。
何よりも、どこにも、漏尽智で煩悩を切る、という文章がない。

二年前、他の人が、わかりやすく文章の構造を解説し、ペテン大作さんの
解釈が正しくないことを指摘しましたので、次に引用します。
この文章は、「一切の有漏煩惱を斷盡し」を「證知す」、という意味だと説明しています。
つまり、漏尽智で煩悩を断滅したという意味ではなく、
漏尽智は断滅したことを確認する智慧だと述べている文章です。

166 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:27:37.31 ID:UlGi2DhG.net
以下、二年前の445さんの書き込みの部分引用
-------------------------------------------

445神も仏も名無しさん2021/04/04(日) 17:33:36.36ID:PFz6hGkW
この前段部分は
−−−−
是れ即ち
1. 一切の有漏煩惱を斷盡し
2. 我が生すでに盡き
3. 梵行すでに立ち
4. 所作すでに辨じて
5. 復た後有を受けじ
(上記1〜5の状態にある)と證知するを漏盡智と称し
−−−−
ということですから

> となっていて、漏尽通(智)とは「煩悩を断尽(解脱)して、後有を受けない(再生しない)ことを知ること」であることが分かります。

これは若干省略されているが正しい ( >>352 にもそう書いた ) けれども、どうしてこれが

> つまり漏尽通(智)は解脱を確認するだけではなく、解脱させる神通でもあるのです。

となるのですか? 正しい主張の後になぜ余計な思いつきをつけるのだ。その心の癖は桐山さんから受け継いだものですか?

-------------------------------------------
以上、二年前の445さんの書き込みの部分引用

167 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:34:25.26 ID:UlGi2DhG.net
>385神も仏も名無しさん2020/12/23(水) 12:24:22.81ID:3IO9yo7S
「舎利弗阿毘曇論第十に「云何が漏盡智證通なる。
若し智生ぜば、有漏盡きて無漏の心解脱慧解脱を得、現世に自ら行を成就し、
我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、所作すでに辨じて復た有に還らじと證知す。
是れを漏盡智證通と名づく」と云ひ、」(『望月佛教大辞典 第五巻』)

これも三年前にペテン大作さんがすでに出した内容です。
現代語に訳せば、次のようになります。
「漏尽智とは、煩悩が尽きて、解脱を得て、二度と生まれ変わらないと自覚することである」
という意味です、
ペテン大作さんは、「漏尽智が生じた後に煩悩が尽きて」と読んでいるが、
そんな文章ではありません。
「智生ぜば」は「有漏盡きて」にかかるのではなく、「證知す」にかかる言葉です。
漏尽智が生じれば確認する、という文章であって、漏尽智が生じたから
煩悩が尽きた、という文章ではありません。

「合格通知は合格してからもらえる」という文章の「合格通知」は
「もらえる」にかかる言葉です。
それをペテン大作さんは、「合格通知で合格する」と解釈した。
これと同じような例えを三年前にもしたが、もちろん彼は理解できなかった。
彼は理解しても拒絶しているのではなく、説明されても理解できないのです。
理解したら、自分の稚拙な解釈のミスを恥じて、二度と出さない。
だが、彼は今回もまた出して、恥の上塗りをした。
だから、これからもこの文章を引用して、同じ主張を繰り返します。

168 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:43:17.74 ID:UlGi2DhG.net
「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

これはペテン大作さんが初めて引用した文章です。
だが内容は前の二つと同じで、
「四諦で解脱して、もはや輪廻しないと自覚することを言う」
という意味です。
四諦で解脱するのだから、漏尽智で解脱するのではありません。
四諦で解脱すると如実に書いてあるのに、彼の頭では漏尽智で解脱すると読める!?
こういう読み方をする彼の知性をどう思いますか?

四諦は仏教の全てで、四諦を体得して解脱するという当たり前の説明です。
四諦では、八正道で煩悩を切って解脱するだけで、漏尽智ではありません。
解脱した後も、四諦を繰り返し洞察して、自分の中に何ら煩悩が
ないことを確認するのが漏尽智です。
漏尽智で煩悩を切るのではありません。

これはペテン大作説を明瞭に否定している文章です。
私の主張のままの内容なのに、それをわざわざ引用した!
これを見ても、彼が稚拙な読み間違いをするのは、読解力が低いだけでなく、自分の勝手解釈ができる文章はないかと、深山への憎しみと
復讐心で目をテラテラしながら読んでいるからだとわかります。
その実例が次です。

169 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:51:44.84 ID:UlGi2DhG.net
>>0160神も仏も名無しさん2023/09/20(水) 23:24:22.37ID:afIhYjjD
>漏尽智が「おこった」なんて書いてない。
>この嘘つきめ。
>いい加減にしなさいw

「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、414頁) (>>148)

「解脱したという智がおこった」とは、漏尽智がおこったという意味です。
書いていない、嘘つきとまで批判するなら、具体的に何がどう「書いていない」
「嘘つき」なのか示すべきなのに、何もない。
まるで、悪ガキの小学生が悔し紛れに罵声を浴びせているような姿です。
これが四谷大塚に通ったという優等生???

しかも「解脱したという智」がおこることも、それが漏尽智であることも
ペテン大作さんのこれまでの説と矛盾はしていない。
彼もまた、漏尽智は、煩悩を切る、解脱したと自覚するという二つを指すと
述べているからです。
つまり、彼は悔し紛れに、夜中にただ吠えた。

私が148で指摘したのは、「解脱したという智」の前には漏尽智で解脱したと
いう説明がないことで、これはペテン大作説に反します。
解脱した後に漏尽智が「おこった」ことは普通の読解力があれば理解できます。
解脱する前に漏尽智はないのだから、漏尽智で解脱するという説を
唱える者こそ嘘つきです。
上記の文章の前に釈尊は、同じ内容を次のように述べています。

170 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/21(木) 12:59:04.36 ID:UlGi2DhG.net
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動となったときに、もろもろの汚れを滅する智(漏尽智)に心を向けた。
われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、414頁)

ペテン大作さんは上記の一文目の「心が統一され・・・不動」の段階では
まだ解脱しておらず、二文目の漏尽智に向けた後で解脱したと主張した。
だが、彼と違い、普通の読解力のある方は良く読んでみてください。
釈尊は同じ内容を、表現を変えて、二度繰り返しただけだとわかります。
阿含経では、こういう繰り返しは珍しくなく、釈尊の得意技です。

一文目の「心が統一」から「不動」までも同じ内容の繰り返しで、
これは「煩悩が無い」「解脱した」という意味です。
「汚れなく」ですから、煩悩が無いことを何度も表現を変えて繰り返している。
つまり、解脱したことを強調し、その後で「汚れを滅する智(漏尽智)」に
心を向けたとありますから、漏尽智とは解脱した後のことです。
これを見ても、「煩悩を滅する智慧」とは、漏尽智で煩悩を切るという
意味ではありません。

解脱して漏尽智に心を向けたことを、再度、表現を変えて繰り返したのが二文目です。
ここでも内容は同じで、汚れ(煩悩)から解脱した後に「解脱したという智」
という漏尽智が初めて「おこった」、つまり生じたと述べています。
一文目も二文目も内容は同じで「解脱した→漏尽智が生じた」と述べているのです。
どこにも、漏尽で煩悩を切ったなどという言葉はありません。

171 :神も仏も名無しさん:2023/09/21(木) 23:03:09.19 ID:Sg2sVJqq.net
※漏尽智の中身は四諦だった。

漏尽智とは「四諦を認識して解脱し、解脱知見を得る智慧のこと」です。
漏尽智が、四諦を認識する理由は、漏尽智の中身は四諦だからです。
それは仏典の中で、釈尊が漏尽智に心を向けた直後に四諦の文章があることから分かります。

「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、巧みで、確立し不動となったときに、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」(『ゴータマ・ブッダー釈尊の生涯』春秋社、中村元、184頁)

漏尽智の内容が四諦であることは『ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道』(ターナヴットー ビック)という論文の9頁でも指摘されています。

頭脳明晰なハズの深山大先生も、この事実には気付かなかった。
仏典を何度も目にしているのにです。
漏尽智を阿含宗の超能力批判に利用しようという腐った欲望が先生の読解力を鈍らせたのか、それとも生まれつきの読解力が低いのか。
おそらく両方でしょうね。
‘’漏尽通で解脱するのではない‘’
と主張することは、
‘’四諦で解脱するのではない‘’
と主張するのと同じです。
大先生の漏尽智爆笑発言は当スレの読者の心に永遠に刻まれることでしょう。

172 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 06:40:18.62 ID:wbi7dfqI.net
>>171
四諦の内容について細かに具体的に解説してみ。
これは解脱に至る真理であり。実践を必要とするものです。
どんな実践なのか書いて欲しい。
それは菩提樹下の観察の時にちゃちゃっと生活実践したものなのか?
それとも菩提樹下のそれはこれら一連の観察と考察であり、生活実践の方はじゃあいつやったのか?

173 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 06:44:32.02 ID:wbi7dfqI.net
あと煩悩って具体的になんなのかも書いてみ。
それは解脱とは具体的になんなのかを考察する大きな答えとなるんだから。

174 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 07:07:27.30 ID:wbi7dfqI.net
専門学術用語、テクニカルタームを駆使しただけで理解した気になっては駄目だよ。
抽象的な用語を自分の頭で誰でも理解してもらえるようにわかりやすく具体的に説明できなければ理解したことにならない。
望月佛教大辞典なんてものに対していつまでも権威にひれ伏していてはならない。
望月佛教大辞典が間違っているわけではない。
少しも間違っていない。
ただその表現が抽象的であるがゆえのあなたのようなとんでもない余計な誤解だって生む弊害だってある。
だから岩波仏教辞典のようにそれよりも新しく編纂された辞典は、それを避けるためにも
抽象的な表現を避け、端的に表現するように敢えて心掛ける。
個人の考えではなく編集委員の協議により。
その結果、漏尽智は煩悩(漏)が尽きてなくなったことを知ることとされ、
その前提となる煩悩を少しずつ減らして無くしていく前提の営為は表現する必要がなくなる。
それを表現することによって煩悩を無くする行為もこの智慧に含まれると誤解されるならば
この前提は敢えて表現しない方がよい。
表現しないということは、あくまでも漏尽智は煩悩が無くなって解脱を成し遂げたことが
観察により真理として確認できた

175 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 07:13:17.56 ID:wbi7dfqI.net
専門学術用語、テクニカルタームを駆使しただけで理解した気になっては駄目だよ。
抽象的な用語を自分の頭で誰でも理解してもらえるようにわかりやすく具体的に説明できなければ理解したことにならない。
望月佛教大辞典なんてものに対していつまでも権威にひれ伏していてはならない。
望月佛教大辞典が間違っているわけではない。
少しも間違っていない。
ただその表現が抽象的であるがゆえのあなたのようなとんでもない余計な誤解だって生む弊害だってある。
だから岩波仏教辞典のようにそれよりも新しく編纂された辞典は、それを避けるためにも
抽象的な表現を避け、端的に表現するように敢えて心掛ける。
個人の考えではなく編集委員の協議により。
その結果、漏尽智は煩悩(漏)が尽きてなくなったことを知ることとされ、
その前提となる煩悩を少しずつ減らして無くしていく前提の営為は表現する必要がなくなる。
それを表現することによって煩悩を無くする行為もこの智慧に含まれると誤解されるならば
この前提は敢えて表現しない方がよい。
表現しないということは、あくまでも漏尽智は煩悩が無くなって解脱を成し遂げたことが
観察により真理として確認できたことであり、
その真理は正しかったと認識されたことだけと示したことにほかならない。
ゆえに證知なわけです。
四諦の生活実践がこんな最後に初めて実践されたものと思うか?
滅諦の具体的方策である道諦をシュダオン以前の昔から実践したから解脱を得たのであり、
解脱を得たから、四諦は真理と証明されたのです。

176 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 12:09:18.15 ID:xYXeI4cX.net
呻きダス
喚きダス
指金玉ス

177 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 12:13:27.87 ID:xYXeI4cX.net
望月佛教大辞典なんてものに対していつまでも権威にひれ伏していてはならない。
望月佛教大辞典が間違っているわけではない。
少しも間違っていない。
ただその表現が抽象的であるがゆえのあなたのようなとんでもない余計な誤解だって生む弊害だってある。

必死www

178 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 12:13:28.10 ID:xYXeI4cX.net
望月佛教大辞典なんてものに対していつまでも権威にひれ伏していてはならない。
望月佛教大辞典が間違っているわけではない。
少しも間違っていない。
ただその表現が抽象的であるがゆえのあなたのようなとんでもない余計な誤解だって生む弊害だってある。

必死www

179 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 12:24:44.09 ID:wbi7dfqI.net
>>178
岩波仏教辞典の方が表現としては適切だというわけさ。
漏尽智で解脱するなんてたわけた誤解を生まないだけ。

180 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 13:33:41.76 ID:rJEvA3uw.net
ペテン師大作は現役の阿含宗信者だろう。
ズブズブの邪教信者ということだろうよ。
阿含宗のどこが仏教なのさ。

漏尽智とかさ、おこがましいよ。
桐山靖雄なんか只の詐欺師だろうが。
デタラメばっかりで、ビジネスで阿含宗とか密教とか
こいていたんだ。

こんな屑を信じている分際で仏教とか言うんじゃねえの。
ペテンは阿含宗という邪教インチキ宗教の会員信者であって
仏教徒じゃあないからな。おまえ図々しいよ。
桐徒と名乗れよ、桐徒とな。

181 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 13:55:13.66 ID:rJEvA3uw.net
なによ、阿含宗は数年前の出雲護摩(令和3年11月)とかで、
次のようなことをベラベラこいていたんだって。
それも内輪だけのお知らせの類いでな。
あいかわらず姑息だねー。Wダの婆に伝えておけよ。
みんな見ているからな。増上慢心もいいかげんにしとけよ。
こんなバカげたこと書いているんだとさ。こんなバカで漏尽智もねえだろうよ。
↓↓↓
「出雲の地に集われた八百万の神々はじめ世界中から参集の神々、
成仏法の供養によって神力を復活していただく・・」
「本法要は天津神・国津神・古の始めの神と民および、世界中の
神々の神力を復活・融合させる祭典である・・・」

↑↑
こんなことを書いて知らせて、それも内輪だけに。
頭は大丈夫かね。詐欺をやるにしてもセリフがバカすぎる。
どうせWダの婆さんと、提灯持ちのクズの低能セリフだろうよ。
程度が知れるね。お里も知れる、実に卑しい銭の奴。

阿含宗の邪教構成員はすべからくおこがましい低能ということよ。
意味不明の成仏法とかの供養で、世界中の神々の神力を復活・融合
させるんだってさ。いままで働いて無かったそうですよ。
それを阿含宗の焚き火で、融合しちゃうんだって。
妄想にしてもくだらなすぎ。阿含宗というのはこの程度です。
ペテンが漏尽智なんたらなどと深山さんに嚙みついても
てめえの入会しているのが邪教なんだから、そこを辞めてから
出直せよ。くだらない邪教に入っている分際で生意気だぞ。

182 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 13:55:14.20 ID:rJEvA3uw.net
なによ、阿含宗は数年前の出雲護摩(令和3年11月)とかで、
次のようなことをベラベラこいていたんだって。
それも内輪だけのお知らせの類いでな。
あいかわらず姑息だねー。Wダの婆に伝えておけよ。
みんな見ているからな。増上慢心もいいかげんにしとけよ。
こんなバカげたこと書いているんだとさ。こんなバカで漏尽智もねえだろうよ。
↓↓↓
「出雲の地に集われた八百万の神々はじめ世界中から参集の神々、
成仏法の供養によって神力を復活していただく・・」
「本法要は天津神・国津神・古の始めの神と民および、世界中の
神々の神力を復活・融合させる祭典である・・・」

↑↑
こんなことを書いて知らせて、それも内輪だけに。
頭は大丈夫かね。詐欺をやるにしてもセリフがバカすぎる。
どうせWダの婆さんと、提灯持ちのクズの低能セリフだろうよ。
程度が知れるね。お里も知れる、実に卑しい銭の奴。

阿含宗の邪教構成員はすべからくおこがましい低能ということよ。
意味不明の成仏法とかの供養で、世界中の神々の神力を復活・融合
させるんだってさ。いままで働いて無かったそうですよ。
それを阿含宗の焚き火で、融合しちゃうんだって。
妄想にしてもくだらなすぎ。阿含宗というのはこの程度です。
ペテンが漏尽智なんたらなどと深山さんに嚙みついても
てめえの入会しているのが邪教なんだから、そこを辞めてから
出直せよ。くだらない邪教に入っている分際で生意気だぞ。

183 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 15:03:09.89 ID:jn8kVitX.net
大先生の取り巻き共も今回は必死だなw

184 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 16:36:10.66 ID:wbi7dfqI.net
>>183
ペテン大作さん、この議論をヤフー知恵袋あたりに質問に持っていきましょうか?
お互いの根拠資料を基に、漏尽智とは煩悩を断つ行為を含むのか、それとも煩悩断ち切り解脱を得た人が
それを知ることだけを指すのかという命題です。
これを多くの人に投げかけて質問する。
もちろんヤフー知恵袋で答えてくれる人がいても、その人が専門家とは限らない。
とんでもない無知な人が答える可能性も私も危惧はしている。
それでもとにかくやってみるのです。
第三者に聞いてみるのです。
質問文は私が考えて私が質問する。
これは阿含宗の信者とか退会元信者の対立なんて構図は一切出さず(そもそも阿含宗の話ですらないしw)
あくまでも純粋な仏教解釈の意見の対立を多くの人に質問を投げかけて考えを集めるのです。
そちらが自信満々に示すのなら、それくらい問題なく自信あるでしょ?
しかし私が質問文を書くと言っても、偏ったものになってはいけない。
あなたの考え、根拠も正しく伝えねばならない。
だから暇な時にそれを作って、あなたにもそちらの考えはこれでいいか?と確認をとることも考えているのだが、
それ以前にこの取り組みに対して、あなたは協力する気はあるか確かめておきたい。

185 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 16:40:09.06 ID:wbi7dfqI.net
>>183
四諦で解脱する仕組みを具体的に示せない?
単語だけでは駄目だと言ってるでしょw

186 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 16:43:04.90 ID:wbi7dfqI.net
>>184
協力する気はないと言うのなら、こちらは勝手にやっちゃうよw

187 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 18:57:29.93 ID:wXRHRcxP.net
おい指金玉スよ。
大先生がこれから反撃するのを妨害するな。
それとも先生では無理だと思ってるのか。
それでは先生に対して失礼だろうが。
だからもう少し待ちなさい。

188 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 19:06:13.87 ID:wbi7dfqI.net
>>187
うん、オイラも楽しみにしてるから、大先生にも小物のワシにも中身で反論してみw

189 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 19:32:46.98 ID:wbi7dfqI.net
>>171 神も仏も名無しさん 2023/09/21(木) 23:03:09.19 ID:Sg2sVJqq
>※漏尽智の中身は四諦だった。

>漏尽智とは「四諦を認識して解脱し、解脱知見を得る智慧のこと」です。
>漏尽智が、四諦を認識する理由は、漏尽智の中身は四諦だからです。

>‘’漏尽通で解脱するのではない‘’
>と主張することは、
>‘’四諦で解脱するのではない‘’
>と主張するのと同じです。

四諦で明確に示された実践法の道諦である八正道で人は解脱するというのはまさにその通りです。
後は漏尽智、漏尽通=四諦なのかどうか?ということですね。
あなたの主張は漏尽智とは四諦に他ならないからそれは八正道の実践に他ならない、漏尽通=八正道で解脱する、それでよいか?

190 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 21:11:46.61 ID:wNSBguXK.net
*逃げ惑うペテン大作さん

信者さんたちはペテン大作さんが逃げまくっている姿を見てください。
引用した学者の文章にはペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」という文章はない。
そればかりか、その説ではアナゴンが漏尽智を持ち、
シュダオンは煩悩を切ることもできないという矛盾に追い込まれた。
シドロモドロになりながら、三年前に思いついた瞬間解脱の根拠として
水野氏の文章の「同時」に勝手解釈を加えた説をまた出したが、
逆に水野氏の文章で反論され、何も言えなくなった。
そこで文語体で勝手解釈のできる望月佛教辞典を持ち出した。
だが、仏教の問題ですらなく、彼の低い読解力の問題だと一蹴された。
すると今度は四諦を出してきた。
何か私の反論を待っているようだが、先にユビキタスさんが
指摘した内容に反論してみればいいではないか。

>四諦の生活実践がこんな最後に初めて実践されたものと思うか?>>175

四諦をアナゴンが解脱する直前になってようやく学ぶという爆笑説が
ペテン大作説の「漏尽智=四諦」です。
ユビキタスさんのこの指摘一つで「漏尽智=四諦」など成り立たないのがわかる。

>あなたの主張は漏尽智とは四諦に他ならないからそれは八正道の実践に他ならない、漏尽通=八正道で解脱する、それでよいか? >>189

上記の内容を私も三年前に彼に書きました。
ペテン大作さんに、「八正道で解脱するというのだから、意見が珍しく
一致しましたね」と私は書いてしまい、後で吐き気がした。

191 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 21:22:28.00 ID:wNSBguXK.net
>>0171神も仏も名無しさん2023/09/21(木) 23:03:09.19ID:Sg2sVJqq
>頭脳明晰なハズの深山大先生も、この事実には気付かなかった。

ペテン大作さんはいつものように勝利を確信して、私の反論を
待っているようだが、すでに三年前に私は反論して、去年も反論した。
だが、私の反論などもちろん彼は何一つ覚えていない。
だから、↑上記のように、彼は自分でも初めてこの件を出したと思っている。
彼は自分がいつ「漏尽智=四諦」と言い出したか覚えていないでしょう。

彼が「漏尽智=四諦」説を作ったのは2020年からで、最近です。
しかも、「漏尽智=四諦」説を作ったのは、私が貢献したのを忘れている。
私から引用のゴマカシを追い詰められて、言い逃れに作ったのがこの自説です。
私から矛盾を指摘されて、瞬間解脱の珍説を作ったのと同じパターンです。
それからはまるで最初からこの説を唱えているのかのようなふりをして
学者の解説に勝手解釈を加えて、自説の根拠にしてきた。
今回もまた同じ文献を引用して、勝ち誇ったような書き込みをするでしょう。

この一カ月の議論の流れは去年そのままなのです。
彼はAを出して、論破されるとBを出しというように、次々と出すが、
去年とほぼ同じで、すべて矛盾や解釈間違いを指摘され、全滅した。
だが、彼は記憶せずに都合の悪いことはさっさと忘れて、いっさい学ばない。
今がそうで、水野氏や望月佛教辞典で間違いを指摘されても、
自分の間違いは絶対に認めず、次の攻撃だけを始める。
昨日、>>160で「嘘つき」呼ばわりしたら、普通の人はその根拠を示すか、
取り消して謝罪するでしょう。
彼は絶対にそれをしないから、現実世界でもこの有様でしょう。
悪質なことに、自分のミスを誤魔化すために執拗に次の攻撃を始める。
学習せず間違いを修正しないから、学者、水野氏、望月佛教辞典、四諦と、
毎年、同じパターンの主張が針の飛ぶレコードのように繰り返される。

192 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 21:28:44.32 ID:wNSBguXK.net
*ペテン大作さんこそカルト信者の模範

信者さんたちにペテン大作さんを参考にしてほしいのは、彼が主張に詰まり、
反論できなくなっても、無視して、次の攻撃を闇雲に始める点です。
信者さんたちも、阿含宗批判を読んでも、考察し、検証するのではなく、
ただ、無視するか、悪口だと決めつけて、自分の信仰に戻る。
その反応はペテン大作さんと同じです。
同じとは、「現実逃避」です。
自分の宗教の選択ミスを目の前に示されても、それを無視して逃げる。

だから因縁解脱など仏教には存在しないのに信じている。
現実を認めない限り、ペテン大作さんと同じで、同じ思考パターンで
同じ場所をグルグルと回るだけです。
ペテン大作さんと同じで、同じ場所を回っていることにも気が付かない。
気が付かないばかりか、自分こそは先祖を助けている、地球を救っている
などと慢心妄想に溺れている。
回っている場所は、ペテン大作さんは憎しみや復讐という彼の巣穴の中だが、
信者さんたちは阿含宗という宗教牧場です。

193 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 21:35:27.53 ID:wNSBguXK.net
>>0171神も仏も名無しさん2023/09/21(木) 23:03:09.19ID:Sg2sVJqq
>頭脳明晰なハズの深山大先生も、この事実には気付かなかった。

信者さんたちに漏尽智の話もさることながら、阿含宗信者の姿が世間から
どう見られているか、ペテン大作さんを他山の石にしてほしい。
ペテン大作さんは今回の文献の引用も主張も初めてしたと思っているのです。
だが、↓三年前にも同じことを彼は主張している。

>781神も仏も名無しさん2020/11/30(月) 22:04:21.99ID:b2zeIOox
>漏尽智の内容が四諦と同じであることは、平川氏以外にも
>「ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道」の論文にも指摘されています(9頁)。

それどころか、彼がこの論文を引用したのは、七年も前です。

>148 :神も仏も名無しさん:2016/04/07(木) 23:17:16.21 ID:v1c7KvPX
>(『ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道』P.11)

毎回、学者の文言に彼の勝手解釈を加えているだけで、
その都度、私は彼の読み間違いを指摘しました。
彼は学者論文を引用して権威付けしたつもりだろうが、使い方を知らない。
前にユビキタスさんから、論文での学者の独自の見解は定説ではないから、
根拠に使うのは不適切だと指摘された。
もちろん、ペテン大作さんは理解できないから、またこうやって出してくる。

読者の皆さんは漏尽智の話だけでは飽きるだろうから、ペテン大作さんが
「漏尽智=四諦」という珍説をどうして作り出したか、経過を説明しましょう。
彼の下劣さがもろに出ていますから、鼻をつまみながらお読みください。

194 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 21:42:30.44 ID:wNSBguXK.net
*重要な四諦の一文を故意にカットした理由は?

「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔かで、巧みで、確立し不動となったときに、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」
(『ゴータマ・ブッダー釈尊の生涯』春秋社、中村元、184頁)(>>171)

>191神も仏も名無しさん2019/12/25(水) 00:28:31.82ID:H9HdhOG8
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔らかで、巧みで、確立し不動となったときに、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
(ゴータマ・ブッダ釈尊の生涯」春秋社、中村元、184頁)

ペテン大作さんが今回171で引用したのと、同じ経典を彼が2019年に
191で引用したのと比較してください。
四年前、彼は最後の「そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」をカットした。
「一切は苦」とは四諦の一つです。
つまり、四諦の記述をカットしたのです。
中村博士の本での経典の本文は171がすべてで、長い経典ではありませんから、
最後の一行をわざわざカットするべき理由がない。
191で最後の一行がないのは、彼は故意にカットしたのです。

この当時、彼は漏尽智で煩悩を切るとして出した証拠が191の文章です。
今は、「漏尽智=四諦」と大上段に振りかざし、吠えている。
その彼が、四年前、その四諦を隠したなんて、変だと思いませんか。
「漏尽智=四諦」だと最初から主張していたのなら、むしろ、この一文こそが
彼の主張の決定的な証拠になるのだから、カットなどありえない。
ではどうしてこんな重要な文言をわざわざカットしたのか。

195 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 21:50:50.50 ID:wNSBguXK.net
*自説をこすからく変えた

カットした理由は簡単で、四年前は「漏尽智=四諦」とは主張していなかったからです。
「漏尽智=四諦」は私からカットを追及されて、あわてて作った説なのです。
当時のペテン大作さんは漏尽智で煩悩を切ると主張してたから、漏尽智の
後に四諦があるのでは、四諦で煩悩を切ることになり、自滅です。
漏尽智で煩悩を切るという自説には都合が悪いからカットした。

故意に彼はこういうゴマカシ引用を平気でする非常に道徳心の低い男です。
これまでどれほど同様の手口でインチキ引用をしたことか。
だから、私は彼の引用など信用しておらず、元の文献で確認します。
私が彼の恒例のゴマカシを2020年に次のように指摘した。

>228深山 ◆lDoupiXSYZNC 2020/01/18(土) 19:09:49.01ID:Q9u+aoe5
>つまり、あなたはこの中村博士の記述を隠し、この後に四諦があることを隠して、
>いかにも二人の学者が漏尽智という神通力で煩悩を切ったかのように見せかけた。

私がこのように指摘すると、後に、彼は次のような開き直りをした。

>303神も仏も名無しさん2020/11/14(土) 10:46:05.09ID:JdDTPCIk
>では217を引用した時に、何故それを言わなかったのか?
>四諦を隠しているよ〜〜〜と。
>たぶん、その時はそうは思わなかったのだろう。

愚かにも、この文章では彼は隠した事を半ば認めている。
ちょうど、瞬間解脱説を思いついたのは自分だと自慢して馬脚を現したのとそっくり。
ここからがペテン大作さんの本領で、それまで一度も唱えたことのない
「漏尽智=四諦」説をまるで大昔から唱えているかのように書き並べた。

196 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/22(金) 22:03:29.59 ID:wNSBguXK.net
>640神も仏も名無しさん2020/11/23(月) 11:48:10.27ID:QBJnK9dw
>漏尽智=四諦だからです。
>>775神も仏も名無しさん2022/05/29(日) 13:07:52.81ID:W1dv273e
>彼にとって漏尽智=四諦だと非常にマズいのです。

吐き気がするので、二つだけにしておくが、すごい数でした。
ペテン大作さんは2019年まではそんな説は一度も出したことがなかったばかりか、
中村博士の経典の文言をわざとカットしたのに、私から指摘されると、
とたんに「漏尽智=四諦」を前から唱えているかのように、例によって学者の
解説を引用しては曲解しながら、自慢気に唱え続けて今年で三年目。
三年前、私の批判から逃れるために作った説であることも忘れて、深山は
「この事実には気付かなかった」そうです。
彼の知性、記憶力にもあきれるが、中でもあきれるのが道徳心で
嘘、ゴマカシ、すり替えに何のためらいも羞恥心もない。

>>171の経典は>>170で私が引用したのと同じ沙門果経で前後する一文で、
この経典に対する解釈は、すでに私は書いています。

知性と良識のある信者さんたちなら気が付いているはずです。
漏尽智=漏尽通ですから、ペテン大作説では「漏尽智=四諦=漏尽通」、
つまり四諦とは神通力だという爆笑説になる。
もちろん四諦の苦集滅道に神通力なんて出てきません。
これ一つだけでも「漏尽智=四諦」など成り立たないことは明瞭です。
この指摘は三年前もしたが、もちろん、彼には効果がない。
彼が前に引用した学者の文章を私が先回りして引用して、
彼の憎しみの勝利感を奪うようなことはしません。
なぜなら、私は食後「飯を食っていない」と叫ぶ老人の介護士ではないからです。

197 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 22:12:57.84 ID:MgzLybB2.net
これが反論なのですか?
「漏尽智=四諦」説は最近気が付いた説です。
それは望月仏教大辞典を改めて読んでみたことと、ビック氏の論文の中に書かれていたことを思い出したのです。
もし4年前に知っていたらその時に書いた。
でもその時は知らなかったから書けなかった。
それだけの話です。
で、それがどうしたのですか?
何処の馬の骨か分からぬ私のことなど読者にとってはどうでもいいことです。
「漏尽智=四諦」説は認めるしかないということですね。

198 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 22:26:04.90 ID:wbi7dfqI.net
>>197
反論内容が理解できてないwww
だから四諦の具体的な内容を書いてみろっての。
阿含宗の信者で四諦の内容を知らない一休みはいない。
そんな信者ですら誰もそれをアナゴンからアラハンに飛躍する際の漏尽智などと解釈する奴はいねえw

199 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 22:26:24.20 ID:wbi7dfqI.net
一休み→人

200 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 22:30:08.36 ID:MgzLybB2.net
>>196
読者の皆さん、これが反論だそうです。
漏尽智=漏尽通で神通力だから
漏尽智は四諦ではない。
これが深山大先生の反論とは。
こんな文句が大先生の口から飛び出すとは
正直言って驚きました。
本当に壊れてしまったのですね。

201 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 22:54:02.99 ID:wbi7dfqI.net
ビック氏の論文の中にも答えは書いてありますよ。
それが三学系統の螺旋形の修行です。
そして有漏の慧と無漏の慧です。
これで説明がつく。
説明できますか?
螺旋形とは戒定慧が戒→定→慧の順番ではなく常に戒定慧→戒定慧→戒定慧というふうに、戒と定と慧を螺旋形に修行を進めていく。
そして未完成の時の智慧観察はまだ有漏(煩悩が残っている状態)での観察(慧)だが、
最後は無漏(煩悩が尽きて無くなった解脱を得た状態)での観察(慧)です。
実はこの部分沙門果経の漏尽智の部分にそのまま適用できると私ならわかる。
沙門果経ではたしかにあの場面で四諦が出てきます。
しかしそれは四諦の修行ではなく四諦にあてはめての観察です。
実は四諦の修行はあの時が初めてなんてあり得ず、仏道入門時からそれに取り組んできたのです。
だから長年の修行を経て自分自身をありのままに観察して煩悩が尽きて無くなっていることがわかり、
すなわち解脱していることがわかる。
それを四諦の真理にあてはめて観察した。
自分はたしかに八正道に取り組み、苦を生じる原因となる煩悩を滅したことが証明されたとわかった。
これが無漏の慧です。
しかしこの観察には実はもはや残っている煩悩を尽きさせるなんて修行はどこにもない。
あるのは観察のみです。
観察した結果、解脱していた自分を再確認できたというお話です。
解脱できていなければいくら観察したって煩悩具足の自分が観察されてしまうだけです。
だから解脱できた自分が観察された、それが漏尽智です。
だから漏尽智とは解脱した後というよりもほぼ同時に起きるもので、漏尽智の力を借りて
煩悩を退治して解脱するという話ではないことは、実はビック氏の論文でも読み取れるのです。

202 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 22:55:57.16 ID:wbi7dfqI.net
>>200
はっはっはっ、それに対する大先生への再反論も一つもできてねえw
思い切り煩悩出して罵ったろw
ばーーーーーーーーーーーか

203 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 22:58:24.20 ID:wbi7dfqI.net
>>200
漏尽智とは四諦の「修行」でなく、解脱完成者が行う四諦の「観察」です。
四諦の真理にあてはめて観察しただけです。
四諦の修行なんてとうの昔から始めているのです。

204 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:00:35.97 ID:wbi7dfqI.net
ばーーーーーーーーーーーか

あわわ、また我が煩悩が我慢できないでいるwww

205 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:02:00.57 ID:wbi7dfqI.net
四諦も語れないばーーーーーーーーーーーか

206 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:08:58.99 ID:wbi7dfqI.net
>>200
実は漏尽通とも表現されるけど、神通力ですらないよ。
ありのままの観察だけですから。常に。
そう言えば宿明通も前世を観察して知るのみ、他心通も他人の心の内部を観察して知るのみであり、
知る以上の変革を生じさせるなんて話ではないのです。
他の超能力としか言いようのない神通力と比べても最上の神通力とも表現されるのは
煩悩が尽きてなくなっている事実こそがすごいのです。
他の超能力者にはあり得ない、超能力者、天部の神々でも成し遂げられないすごい価値ある話なんです。
だから三明の中でも神通と呼ぶだけの価値のある話で漏尽通と呼ぶのです。

207 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:12:21.52 ID:wbi7dfqI.net
俺がこの男をヤフー知恵袋の公開の場に晒して恥かかせてやろうと思った悪意もよくわかるだろうてw

208 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:17:15.26 ID:wbi7dfqI.net
A.四諦の真理を信じて八正道の修行に邁進して解脱する→○
B.修行により解脱を果たした完成者が再度四諦をあてはめて観察して、
四諦は真理であったと改めて確信する→○

漏尽智はBではあるものの、Aではありません。

209 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 23:24:03.63 ID:MgzLybB2.net
194の中村氏の文章は
「諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。」となっている。
諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。
漏尽智を漏神通にすり替えて誤魔化しを謀っても駄目です。
そしてこの文章の直後に四諦が来ているから
漏尽智の内容は四諦です。
これについては大先生も反論出来ずに終わった。

漏尽智=漏神通と説明している文献があるが
厳密に言うとこの両者は同じものではない。
望月仏教大辞典の説明を見れば両者は同じものではないことが分かる。

210 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 23:27:14.72 ID:MgzLybB2.net
>>207
恥をかくのは批判側ですよ。
あなた方の主張には文献の根拠がない。

211 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:27:50.55 ID:wbi7dfqI.net
学者の論文を読んでもその文を暗記してるだけで、その実その論を別の言葉に置き換えて
説明すらできないんだね。
つまりこういうことはその学者の論文を理解できていないということになります。

212 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 23:30:13.17 ID:MgzLybB2.net
訂正
209
漏神通→漏尽通

213 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:31:46.82 ID:wbi7dfqI.net
>>209
だから「心を向けた」だけですよ。
心を向けたとは観察したというだけのことです。
心を向けて観察したら、あら、解脱を成し遂げていたことが確認できた、四諦は真理だったと証明できたという話ですよ。

214 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:33:20.85 ID:wbi7dfqI.net
>>210
で、どうするよ?
ヤフー知恵袋という公開の場にこの議論を持っていくという提案。
その度胸ある?
あれば私もあなたなりの根拠資料を示してあげますよ。

215 :神も仏も名無しさん:2023/09/22(金) 23:37:24.61 ID:MgzLybB2.net
文章の構造上の問題だよ。
漏尽智に心を向けた後に四諦の文章があれば
漏尽智の内容は四諦になることは小学生でも分かる。
チミらはそれ以下www

216 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:39:14.17 ID:wbi7dfqI.net
>>215
だから四諦とは何なのか書いてみろっての。

217 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/22(金) 23:46:11.14 ID:wbi7dfqI.net
あと他人の書いた文書の内容よく読めよな。
これ議論対話の基本だぜ。

218 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 00:00:24.33 ID:fk0EHyRD.net
>>193 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2023/09/22(金) 21:35:27.53 ID:wNSBguXK
>前にユビキタスさんから、論文での学者の独自の見解は定説ではないから、
>根拠に使うのは不適切だと指摘された。

これはビックの論文よりも岩波文庫の仏教で有名なベックの話でなかったかな?
彼はドイツのシュタイナー人智学の徒であり、仏陀を単なる哲学者でなく
神秘的側面を強調したいという側面も見える。
だからベックの本を読んでもよいが、それよりも前に読む本がいくつでもある。

219 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 00:06:02.52 ID:fk0EHyRD.net
そうしないと仏教の基本がわからないだろ?
だから仏教の入門書、概説書を読めっつの。

220 :神も仏も名無しさん:2023/09/23(土) 00:29:57.33 ID:gbiNwCyB.net
指金玉スが子供時代に、将来なりたいものに心を向けた時にポルノ男優が浮かんだら、指金玉スのなりたいもの=ポルノ男優になる。
この時ポルノ男優がどういうものであるかは問わない。

221 :神も仏も名無しさん:2023/09/23(土) 00:56:00.44 ID:gbiNwCyB.net
>>214
批判側は擁護側に反論出来なくて、ついに外部に助けを求めたことになる。
そう思われてもいいのならやってみたら?
ま〜あんまり期待出来ないのでは?
阿含宗の話題も見たことがあるが、このスレで見たのと同じ内容で変わり映えがしなかった。
ここと同じ人が投稿してるのかも。
昔、子供時代にテレビで見た外国のアニメのタイトルを知りたくて袋に聴いたら直ぐに答えが来たことがあった。

222 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 08:09:24.80 ID:7F/+6Pke.net
>>221
いや、漏尽智という用語に対してこれを含むのか含まないのかという単にそれだけの質問になる。
質問者自身どちらの立場であるかも表明しない。
だから自分の立場を裏付けるために助けを求めたことにならない。
反応は皆無かもしれず全然期待もできないが、自分にとって都合の悪い回答だってあり得る。
それを承知で書く。
助けを求めるといえば、これは自説を補強する目的の話でなく、第三者機関に調停を求めることに等しい。
当事者同士でやらずに第三者を入れる。
それは逃げでもなんでもない公正な堂々とした試みです。
専門の学者に質問できればよいが、それも難しいなら不特定多数に話を振る。
多数決で決めるような話でないのはもちろんのことだ。
このスレに限定せず公共の場に持ち込むことが意義のある話という考えです。

223 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 08:21:06.61 ID:7F/+6Pke.net
もちろん当事者同士でもそれはここで継続して行なわれる。
反論も再反論も文献の提示もあり、深山さんもそれをしっかりやっている。
そこだけに留まらないという話ですね。

224 :神も仏も名無しさん:2023/09/23(土) 08:40:15.83 ID:r2oQTOOH.net
>>167
>漏尽智が生じれば確認する、という文章で
>あって、漏尽智が生じたから
>煩悩が尽きた、という文章ではありません。

この解釈は間違いです。
大辞典の別の説明では
「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

とあるように、漏尽智とは「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知する」ことです。
漏尽智が「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、後有を受けじと了知する」のです。
漏心を解脱するのも了知するのも漏尽智です。
「漏尽智が生じれば確認する」という文章ではありません。
ミスをしているのは私ではなく大先生です。

>「合格通知は合格してからもらえる」という
>文章の「合格通知」は
>「もらえる」にかかる言葉です。
>それをペテン大作さんは、「合格通知で合格
>する」と解釈した。

さて、どれを指しているのか分からない。
示してちょ。

225 :神も仏も名無しさん:2023/09/23(土) 08:51:39.16 ID:r2oQTOOH.net
漏尽智の内容が四諦説であるのは当たり前。
その当たり前が分からないのが批判側。
袋に出して笑い者にされてマゾに浸るのもいいかも。

「第三の四禅三明は、宇井博士もいうように比較的成立の新しい教説である。
しかも三明(三種の智慧)の最後の「漏尽智」は四諦説と内容の同じものである。」
(『インド仏教史 上巻』春秋社、平川彰、40頁)

226 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 12:09:59.50 ID:GwUlRDdj.net
>>0200神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 22:30:08.36ID:MgzLybB2
>読者の皆さん、これが反論だそうです。

ペテン大作さんはすっかり自分が議論の中心になっていると勘違いしている。
視野が狭く、節穴どころか、針の穴くらいしかないから、
昨夜書いた私の文章の主旨も全然理解できていない。
私は「ペテン大作さんは信用するに値しない人物だ」と書いたのです。
読解力が低いことの自覚もなく、むしろ自分は知性に優れていると自惚れ、
適当にその場しのぎの自説を作り上げて、この解釈以外ないと宣言する。
相手が呆れて諦めるまで、繰り返し年単位で主張し続ける。
引用はデタラメで、自分に都合よく、学者の文章をカットしてみたり、
あるいは自分の持っている文献は誰も確認できないだろうとばかりに、
その学者の説とは正反対の意味に使ったりと、悪質極まりない男です。
私は彼の手法と違い、具体的な彼の悪業を紹介し、ペテン大作さんの
人間性を疑うように読者に示した。
こんな男の主張は、もっともらしい主張でも信用するに値にしないと
読者に実例をもって説明したのです。

また、ここは阿含宗のスレです。
漏尽智の議論スレでもなければ、ペテン大作教スレでもない。
瞬間解脱説もペテン大作説にすぎず、そんなのは議論の対象ではない。
同様に、「漏尽智=四諦=神通力」など彼の自説はスレ違いです。
ワンパターンで>>225で去年も引用した学者の解説を根拠にしているが
「漏尽智=四諦=神通力」という意味ではないし、
ましてや漏尽智で煩悩を切るなどとどこにも書いていない。

227 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 12:16:30.63 ID:GwUlRDdj.net
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

また過去の議論のリセットです。
彼は信用できない男だと指摘したが、さっそく、実行してみせた。
前にも「漏尽智≠漏尽通」の説を唱えて、私から反論され、笑われ、
根拠も示せず、結局、「漏尽智=漏尽通」を認め、逃げ口上に
漏尽智に二つの働きがあると主張を変えた。
ところが、また自説を否定して、元の自説に戻った。
ペテン大作さんはこんなふうに過去の議論で決着のついた内容を
自分に都合が悪くなると、クルクルと説を変える卑怯な男です。
現実世界でもこの調子で、約束したことを平気で破っているのでしょう。
信者さんたちはこんな男が周囲にいたら、信用しますか?
ドツキ漫才の相方くらいにしか役に立たない。

仏教ではもちろん「漏尽智=漏尽通=漏尽明」です。
前にも由来を紹介しましたが、バラモンの三明に例えたのが漏尽智や漏尽明、
当時、解脱者とは神通力を持っていると世間で信じられていたから、
漏尽通と表現しただけで、同じ内容です。

何よりも、桐山さんも「漏尽智=漏尽通」で区別などしていない。
だから、阿含宗の教義も「漏尽智=漏尽通」です。
阿含宗の信者さんはペテン大作教の愚説にひきずられないことです。

228 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 12:23:53.57 ID:GwUlRDdj.net
>>0200神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 22:30:08.36ID:MgzLybB2
>読者の皆さん、これが反論だそうです。

桐山さんは「漏尽智=四諦=神通力」などという主張はしていません。
勝手な自説を唱えて、「反論してみろ」という勘違い男。
反論がほしければ、この件の去年までの私の反論をまず読んで、
それに反論するのが順序であり、礼儀です。
誰もペテン大作さんを納得させようなんて、暇なことは考えていません。
自説すらもクルクルと変えながら、「四諦=神通力」と何年にもわたり
主張する、ここまで愚かな者に話すことは何もない。
彼は品性下劣な人間だから、彼の思い付きの説など相手にするなと
信者さんたちに書いただけです。

ユビキタスさんが>>208で端的にわかりやすく説明しています。
沙門果経の漏尽智の部分は桐山さんも本で引用していますから、
ここでの議論の対象です。
信者さんたちも、阿含経の桐山さんの講義ではなく、釈尊本人からの直接の
説法を読んで理解することです。
釈尊本人がわかりやすい日本語で説明してくれているのだから、
中学生以上の読解力があれば、ペテン大作さん以外誰でも理解できます。
繰り返すが、意味がわからない時には、どこかの愚か者たちのように知った
かぶりで勝手な解釈をするのではなく、わからないと保留する勇気を持つことです。

229 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 12:30:48.68 ID:GwUlRDdj.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適応し、不動なものとなると、かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。

(ここに四諦の説明が入る)

このように知り、このように観察するかれにとっては、欲望の煩悩からも心は解放され、
生存の煩悩からも心は解放され、無知の煩悩からも心は解放されます。
解放されたときには、解放された(解脱)という認識が生まれます」
((『原始仏典1 長部経典T』春秋社、105〜107頁)

これが沙門果経の漏尽智の部分です。
わかりやすいように、四諦の説明を省略してありますから、
信者さんたちはぜひ原文を読んでください。
この文章の後に、説法相手である大王への例えをした後、
再度、これとほぼ同じ文言の内容を繰り返しています。
つまり、それくらいこの説法は大事だということです。
ペテン大作さん以外の信者さんたちは、霊性も間脳もチャクラも開かずに、
中学校の国語の課題だと思って普通の読解力で読んでみましょう。

230 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 13:03:35.19 ID:GwUlRDdj.net
*「心の安定(統一)」=解脱

文章の最初にある「心が安定」「清浄」「純白」「汚れなく」「心に付随する小さな煩悩をも離れ」
「柔軟」「行動に適応」「不動」は全部同じ意味であることは文章の構造からも明らかです。
釈尊は何かを強調したいときは、一つの事柄を別な言葉で表現して繰り返す。
信者さんたちの読誦する応説経に「結・縛・使・煩悩・纏」とあるのは
5つの別々な物ではなく、すべて煩悩という意味です。
この「心の安定・・」とは、釈尊は何を強調するために繰り返したのでしょうか。
心の安定(統一)の意味は次の経典が参考になります。

「最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。 」
(『ブッダのことば』中村元、51ページ)
「心を統一した師(ブッダ)が達した(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたもの、―――その理法
と等しいものは何も存在しない。」(『ブッダのことば』中村元、44ページ)

釈尊は心の安定(統一)に等しい者は存在しない、つまり、心の統一とは
解脱だと述べています。
釈尊本人からの説明ですから、普通の国語力を持つ他の信者さんたちは、
沙門果経の心の安定(統一)が解脱を意味することに納得したでしょう。
沙門果経の「心の安定=解脱」です。
ペテン大作さんによれば、心の統一の意味はsamadhi(禅定)であり、
解脱とは書いていないという。
だが、仏教では正しい禅定とは解脱のことです。
また、沙門果経の「心の安定」が解脱の意味であることは、
次の「汚れなく」からもわかります。

231 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 13:10:21.27 ID:GwUlRDdj.net
*「汚れなく」=煩悩がない=解脱

仏教では、「汚れ」とは煩悩であり、仏教では煩悩がないことが
解脱ですから、汚れないとは解脱のことです。
だから、釈尊は入滅の前に、アーナンダに次のように告げています。

「努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」
(『ブッダ最後の旅』中村元、137ページ)

「汚れのないもの」とは解脱者のことです。
つまり「汚れなく=解脱」であり、ペテン大作さんも前にうっかり認めた。↓

>601神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:42:19.94ID:rbXSUWMk
>あらゆるけがれを滅するとは煩悩を断つという意味になる。

しかし、「汚れなく」が解脱だと認めてしまうと、彼の説が成り立たないことに
気が付いて、あわてて「あらゆるけがれを滅する」が解脱であり、沙門果経には
「あらゆる」とはないから解脱ではないと、恒例の見苦しい屁理屈が始まった。
インチキを指摘されて悔し紛れに「漏尽智=四諦=神通力」と主張を変えたのと同じです。
この男は本当に姑息で信用ができない。
釈尊がアーナンダは解脱すると言ってるのに、ペテン大作説では解脱できないそうだ。

232 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 13:18:13.96 ID:GwUlRDdj.net
*「かれは」の前に解脱している

「・・・煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して・・・」
(『阿含経典 第五巻』増谷文雄、269頁)

これは同じ経典の他の学者の訳で、「汚れなく」を「煩悩すでになく」と
訳していますから、「汚れ=煩悩」で、「汚れなく=煩悩がない=解脱」です。
春秋社の訳文↓でもその後に「小さな煩悩をも離れ」とあります。
小さな煩悩さえも離れたのだから、大きな煩悩からも離れているのは
言うまでもなく、仏教では煩悩から離れたら解脱です。

「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する
小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」

この文章の前半の「心が安定・・・不動なものとなる」とは、
煩悩からの解放、つまり解脱したという意味です。
解脱という最も重要な点だから、釈尊はこんなふうに言葉を変えて、
何度も繰り返すことで強調したのです。
単なるサマディ(禅定)の話なら、何度も別な言葉で強調する必要はないはずです。

ペテン大作さん以外の、普通の読解力のある信者さんたちは、
↑この文章の「かれは」の前で、すでに解脱していることをまず確認してください。
そして、何よりも、ペテン大作さん以外の信者さんたちは、
漏尽智で煩悩を切ったなどという記述は出てこない点を確認してください。
これを前提として、「かれは」の後を読んでみましょう。

233 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 13:26:57.15 ID:GwUlRDdj.net
*漏尽智は解脱した後に生じる

「・・諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」

解脱した後に、諸煩悩を滅する智慧である漏尽智に心を向けた。
漏尽智とは解脱した後に生じる智慧です。
これが文脈から出てくる当たり前の結論です。
煩悩を切って解脱した後に出てくるのが漏尽智ですから、
「漏尽智で煩悩を切る」という説が成り立たないことはあまりに明瞭です。
また、この釈尊の説明は、次の経典の記述とも一致します。

「比丘たちよ、それが滅尽したとき、滅尽した(と知る)智の因由によって生じる。
因由なしにではない。
では比丘たちよ、滅尽した(と知る)智の因由は何か。
それについては解脱であるというべきである。」
(『原始仏典U相応部経典二』浪花宣明、春秋社、75ページ)

一文目では明瞭に、解脱した時に解脱したという漏尽智が生じると述べています。
その後で、自分が解脱したと自覚する漏尽智はなぜ生じたのか、
それは解脱したからだと、同じことを述べています。
解脱した後で、初めて漏尽智が「生じる」「おこった」のです。
もし、漏尽智で煩悩を切って解脱するなら、解脱する前にすでに漏尽智が
生じ、おこっていたはずなのに、実際は解脱後です。
ですから、解脱する前に「漏尽智で煩悩を切る」ことは不可能です。
また、ペテン大作説「漏尽通で解脱の確認」と違い、
釈尊は解脱の確認は漏尽智であると述べています。
学者たちもこういう釈尊の説明に基づいて、次のように書いています。

234 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 13:38:07.90 ID:GwUlRDdj.net
*「漏尽智で煩悩を切る」は嘘

「漏尽明とは漏すなわち煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明すなわち知恵である。」
(『仏教の基礎知識』水野弘元、222〜223ページ)

漏尽智=漏尽明=漏尽通ですから、ここでも煩悩がなくなった時に
得られる智慧が漏尽智だと述べているのです。
そして、このことをもっとも端的表現したのが、次の説明です。
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

釈尊の説法、学者の解説、辞典の説明が全部一致しています。
ここまでで信者さんたちに確認してほしいのは、引用した沙門果経の、
・「心の安定・・・不動」は解脱したという意味である。
・漏尽智は解脱した後に出てくる智慧で、また解脱後にしか出てこない。
・したがって、漏尽智で煩悩を切るなど嘘である。

こういう前提を確認した上で、ペテン大作さん以外の信者さんは先に進みましょう。
いよいよ四諦です。
>>229の経典の中頃に、釈尊は漏尽智として四諦の説明をしています。
意味は、すでに私が今回の議論の最初からしているし、またユビキタスさんが
ここ数日の書き込みでも何回か、私よりも短く、わかりやすく説明しています。
ペテン大作さん以外の信者さんたちは、私から説明されるのはいやだろうから、
その前にここに四諦が出てくる意味を考えてください。
上記で確認した三つの事項と矛盾しないように気を付けてください。

235 :神も仏も名無しさん:2023/09/23(土) 19:01:26.07 ID:AFMvC9oK.net
深山大先生は例によって長々と以前と同じ主張を繰り返していますが、二つの話題については避けています。
一つは大辞典の漏尽智の説明。>>224
もう一つは漏尽智の内容が四諦であるという
仏教学者の指摘です。>>225
この二つを受け入れてしまえば彼の主張は崩れます。
彼にとってこの二つは鬼門なのです。
同じ主張を繰り返しているのは、それを隠すためです。
人には色々な考えがあるのだからそれを主張するのは自由です。
だからたとえ仏教学者の説であろうと、自分の主張と異なるならば堂々と否定すればよいのです。
私が彼の立場ならそうします。
しかし、この大先生の姑息なところは、学者の説を否定せず、その代わりに擁護側を叩いているところです。
大先生には学者の説を否定する勇気は無い。
しかし否定しなかったら自説の否定になるので、代わりに学者の説を取り上げた擁護側を叩くのです。
こんな卑怯な男の主張を信用するのは彼に似たような連中だけでしょうね。
だがこんなことをしても鬼門は残ったままなので無駄な悪アガキです。
いつまでもこの鬼門で攻められるだけです。
自説を主張したくば男らしく学者の説を真っ向から否定してみなさい。
こちらもそれを評価してあげますよ。

236 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 19:12:36.45 ID:Iw/Lg1Nz.net
>>235
だから漏尽智は四諦の観察であり悟りであるけれども四諦の修行ではないということだよ。
理解できる?
まだ完全に解脱してない者はなんらかの修行が必要です。
四諦の八正道の修行が必要です。
しかし漏尽智を得た者はそれはもう済んでいる。
解脱を果たしている。
そこで四諦の観察をして四諦の悟りを得たことを知るわけです。
それが漏尽智=四諦の観察、悟りです。
漏尽智=四諦の修行ではない。
観察だけでは解脱してない者は解脱に至ることはできない。
しかし解脱した者が四諦の真理の観察をすることにより、解脱したことを知ることができ、
四諦は真理であったと悟ることができる。
アタマ悪いから理解できないだろうなあw

237 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 19:23:17.97 ID:Iw/Lg1Nz.net
「だってママがそう言ったんだもん!」
「だって先生がそう言ったんだもん!」

子どもかw
ママや先生が言ったことも理解できないガキがw

238 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 19:37:13.85 ID:Iw/Lg1Nz.net
四諦の内容を説明せよと言われても絶対にしない卑怯者~w
いや、無知だから知らないのかw

239 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 20:40:47.87 ID:Iw/Lg1Nz.net
んでペテン大作さんみたいな不良信者というか阿含宗の中でも何も知らないダメ信者はさておき、
実は桐山さんも解脱する直前の瞬間解脱みたいな話も説いているのです。
それが思念による王者の相承ですね。
言葉では説明できないものをテレパシーみたいなもので弟子に相承する。
それから私は最近は桐山本も自宅のどこにあるのかわからなくなった(認知症じゃ~~)
状態なんで、
正しい引用が示せず申し訳ないのだが、たしかカルマと霊障からの脱出の最後の方だと思ったが、
こんな記述がある。
自分はそれまでカルマを断つ智慧とは、例えば求聞持聡明法などにより獲得した高い頭脳を智慧と思っていたが実はそうではなかった。
智慧を獲得した瞬間カルマが断たれる。
それは智慧というよりも力(パワー)と呼ぶべきものなのかもしれない。
だから阿含宗の信者というものは智慧という言葉で言説不可能な摩訶不思議、神秘的な神通力みたいな概念を持っている。
しかし釈尊の仏教はそんなものはない。
言説不可能なんて釈尊の仏教とは異なる法華経の冒頭あたりで示される悟りであって。
そしてペテン大作さんは漏尽智に対して四諦を当てはめた。
そうです。四諦の実践をこれからせっせとする話ではないが、四諦の真理にあてはめて観察できた悟りの内容が漏尽智です。
そしてその四諦の悟りとは思念の相承みたいな話でも言説不可能な話でもパワーみたいな話でも全くなく、
きわめて論理的なもので理解可能な話です。
求聞持頭脳も必要としませんw

240 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/23(土) 20:42:26.19 ID:Iw/Lg1Nz.net
それにカルマを断つ智慧ではなく煩悩を断った智慧ね。四諦の悟りとは。

241 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 21:33:33.83 ID:GwUlRDdj.net
>>234からの続き
*漏尽智=四諦の洞察

>>229の経典を復習すると、煩悩をすべて切り、解脱して、その後に
漏尽智に心を傾ける。
その内容が、下記の四諦です。

「『これが苦しみである』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが背しみの滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。
『これらが諸煩悩である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。」

これが>>229で引用した経典で省略した四諦の説明です。
厳密にいうと、『』で示されたのが四諦ですから、「四諦の洞察」が正しい。
つまり、漏尽智とは四諦の洞察です。
煩悩を切るともないし、ましてや因縁切りも霊障解脱もカルマ解脱もありません。
信者さんたちは意味がわからなくても、まず文章として書いてあることが、
解脱した後に心を向ける漏尽智とは四諦の洞察だという点を確認してください。
なぜなら、これを昨年指摘した時のペテン大作さんの反応が↓これです。

242 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 21:40:21.65 ID:GwUlRDdj.net
>775神も仏も名無しさん2022/05/29(日) 13:07:52.81ID:W1dv273e
>洞察って何?w

これは四諦の洞察に対するペテン大作さんの反応です。
四諦の洞察を完全に小馬鹿にしきった態度で「w」だそうです。
釈尊本人が漏尽智は四諦の洞察だと述べているのに、
そしてペテン大作さんは自分で引用しながら、これを嘲笑った。
度胸があるのか、ただの愚か者なのか、釈尊を嘲笑った!
読者の皆さんがペテン大作さんの立場なら、去年、この大ドジを
踏んだ四諦の話を、自分から持ち出しますか?
普通の人は持ち出しません。
なぜなら、私から↑775の書き込みを引用されて、また恥の上塗りです。
だが、ペテン大作さんはわざわざ自分から「漏尽智(=四諦=神通力)で煩悩を切る」と
また去年と同じパターンで主張を始めた。
私から↑775を引用されるとは予想できないからです。
彼は自分のミスからは何一つ学ばず、一年前の自分の大ドジなどきれいに
忘れて、彼の記憶に残るのは深山への激しい憎しみと復讐心だけです。

243 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 21:48:48.39 ID:GwUlRDdj.net
「第三の四禅三明は、宇井博士もいうように比較的成立の新しい教説である。
しかも三明(三種の智慧)の最後の「漏尽智」は四諦説と内容の同じものである。」
(『インド仏教史 上巻』春秋社、平川彰、40頁)

これをペテン大作さんは自説「漏尽智(=四諦=神通力)で煩悩を切る」の根拠にした。
だが、平川氏の文章のどこに、漏尽智で煩悩を切るとあるのだ??
漏尽智と四諦は内容が同じだという当たり前のことを平川氏は書いているだけです。
平川氏の本では根拠を示していないが、おそらくは平川氏も>>229
沙門果経を元にしたのでしょう。
沙門果経をみれば、「内容が同じ」とは漏尽智が「四諦の洞察」であるという意味で、
ペテン大作説「漏尽智(=四諦=神通力)で煩悩を切る」であるはずがない。

>210神も仏も名無しさん2020/12/18(金) 00:22:00.93ID:zQn0SOTj
>「漏尽智は四諦説と内容の同じものである」
>(『インド仏教史 上巻』平川彰、春秋社、40頁) という文章を読んでも、
>彼には何のことだかサッパリ理解できない。

ごらんのように、ペテン大作さんは三年前から同じ文献を引用した。
その都度彼に反論したが、今の彼を見てもわかるように、完璧に覚えていない。
私が「サッパリ理解できない」のは、沙門果経や平川氏の文章ではなく、
平川氏のこの文章を読んで「漏尽智(=四諦=神通力)で煩悩を切る」
という結論を出したペテン大作さんの脳味噌です。
そんなことは一言も書いていないのに彼の目には読めるらしい。
憎しみしか入っていない脳味噌には用がないから、放置して、先に進みましょう。

244 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 21:55:21.27 ID:GwUlRDdj.net
*「諸煩悩を滅する知恵=漏尽智=四諦の洞察」

他の信者さんたちに助言だが、文章は書いてあるままに読んで、
ペテン大作さんのように書いていない文字は読まないほうがいい。
>>229の経典では、釈尊は説法の最初にまず解脱したことを強調し、次に、
漏尽智(諸煩悩を滅する知恵)に心を向けた。
具体的には四諦の洞察です。
四諦の洞察というのだから、四諦を深く考察することです。
煩悩を切るなどとは一言もありません。

四諦である苦集滅道は桐山さんも説明していますから、
信者さんたちも御存じでしょう。
この世界で苦の混ざらないものは何一つなく、その苦の原因は煩悩であり、
煩悩を切ることで苦の原因がなくなるのを解脱といい、
煩悩を切る方法は八正道である、これが四諦です。

信者さんたちに知っておいてほしいのは、
「四諦は仏教のすべて」だということです。
これは私が勝手に言っているのではなく、釈尊が五人の比丘に
最初に説法した内容こそが四諦だと言われているのです。
仏教では、初心者からアラカンまで全員、四諦をいつも洞察し、
その実践に努めているのが仏教徒です。
逆に、四諦を洞察も実践もしない人は仏教徒ではない。
だから、解脱した後、四諦の洞察をするなど、何も特別なことではなく、
当たり前のことなのです。
解脱しようがしまいが、仏教徒は常に四諦を洞察するのです。
ただ、解脱者とそうでない者では洞察の内容が違います。

245 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 22:02:58.99 ID:GwUlRDdj.net
*「諸煩悩を滅する知恵=漏尽智=四諦の洞察」

解脱者の四諦の洞察をユビキタスさんが>>208でわかりやすく分類しています。
解脱者の洞察は、この世界が苦であり、その苦の原因である煩悩を
彼らは完全に除去したことを確認し、八正道の戒定慧を完璧に保ち、
あらたに煩悩に汚染されていないことを確認する。
煩悩にまったく汚染されない状態を保っているのですから、
釈尊はこれこそが最も優れた智慧であり、最高の神通力だと説いた。

今回の議論が始まった頃に、アラカンとはどういう人たちなのかと説明しました。
彼らは解脱したからノンビリ暮らしているのではなく、二度と煩悩に
汚染されないように、一瞬たりとも気を抜かずに戒定慧を守り、
八正道を実践している人たちだと説明しました。
気を抜いて、煩悩に汚染されれば解脱から転落するからです。
だから本物の解脱者が、ホテルオークラで美食飽食を繰り返したり、
若くて色っぽい女を夜11時に自分の部屋に呼ぶなどありえない。

246 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 22:09:18.10 ID:GwUlRDdj.net
>>229
「このように知り、このように観察するかれにとっては、欲望の煩悩からも心は解放され、
生存の煩悩からも心は解放され、無知の煩悩からも心は解放されます。
解放されたときには、解放された(解脱)という認識が生まれます」
((『原始仏典1 長部経典T』春秋社、105〜107頁)

四諦を洞察して、自分の中にいっさい煩悩がないことを知り、
間違いなく自分は解脱していると確認するのが漏尽智です。
煩悩がないのを、ただ漫然と確認するのではなく、
その確認の方法が四諦の洞察です。

信者さんたちは掃除業者に掃除を頼んで、終わった後で
お金を払う前に、本当に掃除されているか、確認しますよね。
アラカンも、自分の中の煩悩というゴミをすべて片付け終わり、
その後で、本当に自分は片付け終わったのか、ゴミは何もないのかと、
何度も、部屋の隅やガラス窓をチェックし続ける。
煩悩が一つもないことを確認できるというのは、スゴイことです。
なぜなら、解脱していなければできないからです。
ところが愚か者はその価値がわからず、また解脱者たちを小馬鹿にした。↓

>0955神も仏も名無しさん2023/08/24(木) 21:18:51.70ID:xoA4T2GH
>漏尽智は解脱した後に確認しているだけの智恵ではない。

247 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/23(土) 22:15:29.06 ID:GwUlRDdj.net
*卒業証書が卒業させる?

信者さんたちも卒業証書をもらったことがあるでしょう。
あれはたいていはただの紙だが、価値がある。
どこかの愚か者から「その卒業証書の力で君は卒業できたんだ」と
言われたらどうですか?
勉学で努力したから卒業したのであって、卒業証書はその証明にすぎず、
卒業証書が卒業させてくれたのではありません。

ところが、その愚か者は頑迷不屈に、卒業証書(漏尽智)によって
卒業(解脱)できたのだと言い張る。
その愚か者とはペテン大作さんだけではありませんよ。
桐山さんも、漏尽智で煩悩を切ると称している。

「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)

だが、信者さんたちは今日、釈尊本人から学んだはずです。
漏尽智で煩悩を消滅させるのではなく、漏尽智とは煩悩が消滅したことを
確認する智慧なのだと理解したはずです。
もちろん、どっちを信じるのも信者さんたちの信仰の自由です。
ただ、釈尊の教法を歪めることは大悪業ですから、そんな悪業は桐山さんと、
釈尊に向かって「洞察って何?w」と嘲笑うのが大好きなペテン大作さんに
任せたほうがいいでしょう。

248 :神も仏も名無しさん:2023/09/24(日) 12:14:14.30 ID:9AXVfAB5.net
七佛通戒偈という重要な課題が仏法を説きたがる御人には課される。
少々説明を加える、1修善奉行 良き行いを為せ 2諸悪莫作 悪事を為すな
3自浄其意 自らの心を浄めよ 4是諸仏教 是を必ず仏は説き この三つを弟子に仏は教える。
そのうち、要点は三番目にある。
つまり3番目を明確に説き、救うべき衆生を実地に導くなら彼は、世に現れる如来であり仏様である。
過去の歴史に現れた人たち例えば、日蓮は題目を説き、法然は念仏、道元は座禅、空海は即身成仏の秘密観法を伝える、
その効能は兎も角、等々一々挙げるに不足はない。
さて深山さんは桐山氏の不足と揚げ足ばかり言うが、通戒偈の3番目は何?であるのか?お尋ねしたい。
10年以上このスレ主的な立場なのだから、40字程度の短文で可能でしょう。
桐山はこうだが俺はこれで行くのだ!という切れの良い文章を要望する次第にてございます。

249 :神も仏も名無しさん:2023/09/24(日) 12:14:14.92 ID:9AXVfAB5.net
七佛通戒偈という重要な課題が仏法を説きたがる御人には課される。
少々説明を加える、1修善奉行 良き行いを為せ 2諸悪莫作 悪事を為すな
3自浄其意 自らの心を浄めよ 4是諸仏教 是を必ず仏は説き この三つを弟子に仏は教える。
そのうち、要点は三番目にある。
つまり3番目を明確に説き、救うべき衆生を実地に導くなら彼は、世に現れる如来であり仏様である。
過去の歴史に現れた人たち例えば、日蓮は題目を説き、法然は念仏、道元は座禅、空海は即身成仏の秘密観法を伝える、
その効能は兎も角、等々一々挙げるに不足はない。
さて深山さんは桐山氏の不足と揚げ足ばかり言うが、通戒偈の3番目は何?であるのか?お尋ねしたい。
10年以上このスレ主的な立場なのだから、40字程度の短文で可能でしょう。
桐山はこうだが俺はこれで行くのだ!という切れの良い文章を要望する次第にてございます。

250 ::2023/09/24(日) 15:48:34.40 ID:7xe5uSve.net
ヨガはそもそもクレーシャ対策です。苦しみの原因であるクレーシャを少しでも減らすために八支足があります。ここで注目してほしいのは、パタンジャリが、『クレーシャをなくしましょう』ではなくて、『減らしましょう』と言っていること。それぐらい、クレーシャをゼロにするのは難しいということです。

ヨガはそもそもクレーシャ対策です。苦しみの原因であるクレーシャを少しでも減らすために八支足があります。ここで注目してほしいのは、パタンジャリが、『クレーシャをなくしましょう』ではなくて、『減らしましょう』と言っていること。それぐらい、クレーシャをゼロにするのは難しいということです。

251 ::2023/09/24(日) 15:49:59.83 ID:7xe5uSve.net
ヨガはそもそもクレーシャ対策です。苦しみの原因であるクレーシャを少しでも減らすために八支足があります。ここで注目してほしいのは、パタンジャリが、『クレーシャをなくしましょう』ではなくて、『減らしましょう』と言っていること。それぐらい、クレーシャをゼロにするのは難しいということです。

252 ::2023/09/24(日) 15:50:35.61 ID:7xe5uSve.net
うん?

クレーシャとは?


クレーシャとは、私達の行動や思考を支配している印象的な記憶からつくられる思考パターンである”サムスカーラ”が、もっと強力になったもの

253 ::2023/09/24(日) 15:53:00.94 ID:7xe5uSve.net
アーユルヴェーダとヨガで述べられる5つの煩悩(クレーシャ)

@アヴィディヤ(無知)
Aエゴ(自我)
Bラーガ(執着)
Cドゥヴェシャ(嫌悪)
Dアビニヴェーシャ(死や生命の喪失の恐怖)

254 ::2023/09/24(日) 15:56:51.23 ID:7xe5uSve.net
4. 自我意識によって、心が作り出される。

5. 心はその活動の性質において、集中していたり、散漫な状態となる。

6. 瞑想による心の集中状態では、カルマの蓄積は生じない。

7. ヨーギーのカルマは白くも黒くもない。その他の人のカルマは、白、黒、灰色の三つに色分けすることができる。

8. この三つのカルマは蓄積され、それが今生や来世で機会に応じて願望となって生じる。

9. サンスカーラと記憶は繋がっているので、たとえ生まれる時代や場所が変わっても、サンスカーラは変わらずにその人に付き従う。

10. 生への欲が永遠のものであるので、これらの願望も永遠からのものである。

11. 願望は、原因と結果の基礎になる対象と共にあり、その対象が消えると願望もまた消える。

12. 現れ方の違いはあるが、願望はそれ本来の姿として過去や未来に存在している。

13. それらは、グナの性質に基づいて精妙な状態で現れる。

14. その対象の本質はグナの変化の一貫性に基づいている。

15. 同じ対象でも見る人の心によって全く違ったものとして現れる。したがって、対象と心は違うものであるということが理解される。

255 ::2023/09/24(日) 15:57:18.61 ID:7xe5uSve.net
16. 事物の存在は心に依存しているわけではない。もしそうであるなら、心に認識されないとき、その事物は存在しなくなってしまうだろう。

17. 心がその事物を認識するかどうかによって、その事物は知られたり、知られなかったりする。

18. プルシャは不変であるので、心の動きは常に知られている。

19. 心はそれ自体で輝くものではない。それはプルシャによって見られるものであるから。

20. また、心は二つのものを同時に認識することはできない。

21. もし心が別の心によって知覚されるのであれば、心は知覚する数だけ無限に存在することになり、記憶の混乱を生じるだろう。

22. プルシャは不変であり、その本性を見ることによって、心は自己を知る。

23. 見る者と見られるものに染められることで、心はあらゆるものを知ることができる。

24. 心は無数の願望によって動き回るが、心はプルシャのためにこそ働くものである。

25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

26. この識別知を得た人は、カイヴァリヤへと赴く。

27. その間にも、過去に生じているサンスカーラから様々な心の作用が生じてくる。

28. それは、これまで説明した煩悩の対処法によって取り除けばよい。

29. 識別知を確立した人は、最上の知識に対しても無関心になる。これをダルマメーカサマーディと呼ぶ。

256 ::2023/09/24(日) 15:57:43.66 ID:7xe5uSve.net
30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

31. そのとき、智慧を覆っていた汚れは全て取り除かれ、現れてくる無限の智慧によって、これ以上知るべきものはもう無い。

32. これで、グナの変化の過程におけるすべての目的が果たされた。

33. 瞬間瞬間に起きていた変化の連続は、ここに終息する。

34. グナがプラクリティの本来の姿へと戻れば、そのとき、カイヴァリヤは実現する。プルシャの目的は無くなり、純粋意識は本来の状態へと戻る。

257 ::2023/09/24(日) 15:58:29.49 ID:7xe5uSve.net
う〜〜ん^^

ヨーガ・スートラおわた^^

258 ::2023/09/24(日) 15:59:44.20 ID:7xe5uSve.net
うん?

ここはどこ^^?私は誰^^?

259 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 21:36:10.81 ID:8I/qMmqq.net
「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

読者の皆さんは笑う準備をしてから、上の二つを読み比べてください。
桐山さんは、煩悩を切るのは「漏尽通である」と主張し、
桐山さんを擁護しているはずのペテン大作さんは煩悩を切るのは
「漏神通ではありません」と桐山説を否定した。
ペテン大作さんは私に投げたつもりの石がもろに桐山さんの顔面を直撃した。
実はこれは初めてではありません。

彼は、前に議論の途中から、苦し紛れに、
自説A「漏尽智で煩悩を切り、漏尽通で解脱を確認する」
という、恒例のペテン自説を作った。
漏尽智も漏尽通も同じ意味で、山田太郎さんを山田さんと呼ぶか、
太郎さんと呼ぶかの違いにすぎず、自説Aは嘘です。
私から反論され、特に、上記の桐山さんの主張との矛盾を指摘され、
彼は自説を撤回して、その代替品として、
自説B「漏尽智は煩悩を切り、煩悩がないことの確認する二つの智慧」
というまた自説を作って、つい一か月前までは主張していた。↓

>>14神も仏も名無しさん2023/08/29(火) 15:20:17.32ID:tKs4kb8P
>このように、漏尽智には「煩悩を断つ働きと煩悩の尽きたことを知る働き」の二つがあるのです。

ところが、今回、この自説Bを捨てて、自説Aに先祖返りした。
彼のこういう主張の右往左往は過去もいくつもあって、笑えます。
何か確固として調べて理解して書いているのではなく、その時読んだ本に、
浅はかな解釈を加えて知ったかぶりで主張するから、話が右往左往する。

260 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 21:44:27.31 ID:8I/qMmqq.net
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

読者の皆さん、どうして彼はこんなふうに右往左往するのか、推測してください。
話は簡単で、ペテン大作さんは前の自分の失敗を記憶しないからです。
むしろ、故意に忘れようとしているのでしょう。
自説Aを作って自爆したら、信者さんたちならどうしますか。
まず自説Aで自分が何を間違ったのか、反省して、用心深くなります。
また同じ失敗を繰り返さないためです。
ところが、彼は自説Aの失敗の直後にまた自説Bを出したのです。
信者さんたちなら、自説Aのドジの直後に自説Bを出しますか?
普通の人は同じ失敗を繰り返したくないから、つまり反省するから出さない。

だが、ペテン大作さんの脳味噌というか、性格はそうではない。
自分を絶対に反省しないのです。
彼が自説Bを出したのは、自説Aというミスを認めないためです。
自分のドジを認めないために、彼は自説Bを出してゴマカシ、
深山を激しく憎むことで、自分のミスを認めることから逃げた。
自分のミスを認めて反省しないから、自分の失敗から学習しない。
学習しないから、彼はまた同じ間違いをしたのです。
だから、今回、自説Bを撤回し、自説Aに戻ったから、また見事に
桐山さんに石を投げつけるという前と同じパターンで自滅した。

261 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 21:54:59.50 ID:8I/qMmqq.net
*間違いを認めるのが死ぬほど嫌いなのは宗祖と同じ

ペテン大作さんは自分の間違いを認めるのが死ぬほど嫌いなのです。
その代償行為として、彼は次々と自説を作り、深山を敵として激しく憎み、
一歩も下がらずに深山に反撃する自分をものすごく格好良いと自己陶酔する。
信者さんからは、「ペテンなど興味がない」と言うだろうが、
彼のブザマな姿を紹介したのは、桐山さんとそっくりだからです。
桐山さんは自分は他人よりもはるかに秀でた人間だと確信していた。
だから小学校時代の成績が悪すぎて、公立中学の受験すらできなかった彼が、
後にアナゴンを自称していた時期に書いたのが↓これです。

「・・いまさら東大を志すというわけにもゆかない。」(現世成仏、39頁)

自己評価が高いというよりも、異常に高く、滑稽なほどです。
信者さんから悪口だというだろうが、「レベルが低い」(『現世成仏』26ページ)
という中学校に入学したと本人が書いている。
桐山さんが学校時代から成績が本当によかったら、一年浪人するなどして、
翌年、公立の中学を受験したはずです。
だが、現実の彼はその「レベルが低い」中学校も卒業できなかった。
その言い訳に、父親が貧乏だったと称しているが、嘘です。
貧乏な家庭で、通学費までかかる東京の私立中学に通わせるなどありえない。
貧乏なら、なおさら、浪人して公立中学に入学したはずです。

262 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 22:06:04.04 ID:8I/qMmqq.net
*アナゴンが学歴詐称

桐山さんの学歴詐称はわかっているだけでも二種類あります。
最初は早大中退で、これは念力の護摩を焚いた後に書いたものです。
驚きませんか。
桐山さんは求聞持法で特殊の脳を完成させ、念の力だけで火をつけた。
すでに脳を改造し、超人になったはずの桐山さんが、若い頃に
した偽ビールという詐欺と同じように、学歴詐称という詐欺をした。
しかも、伝法受講に提出する履歴書には学歴など必要ないのに、
わざわざ必要もない嘘の学歴を書いた。

普通、学歴詐称が暴露されたら、二度としないでしょう。
だが、桐山さんは違った。
ペテン大作さんと同じで、自説Aが自滅しても、すぐに自説Bを出す。
暴露された何年か後に、また本で学歴を詐称し堂々と出版した。
小卒の桐山さんは中卒の資格がないから高校を受験できない。
高卒の資格ない桐山さんは大学を受験できたはずがない。
大学受験さえもできなかった桐山さんが大学を中退はできません。
こんなわかりきった嘘を1980年代に入ってから、つまりアナゴンになって
から本に書いた。
アナゴンが学歴詐称!!
こういう嘘を堂々とついたのを見てもわかるように、彼は大学受験とは、
願書さえ出せば誰でも受験できると思い込んで、資格が必要なことさえも
知らなかったのでしょう。
自分の作り上げた嘘に本人が一番信じ込み、晩年のタレントとの対談で
「学生時代は・・」などと話をしていました。

263 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 22:12:58.26 ID:8I/qMmqq.net
*自分の悪事を認めないために言い逃れの自説に逃げ込んだ

秋の空のように自己評価が高い桐山さんが偽ビール事件で服役した。
御立派でエライはずの堤青年をムショにいれるとは何事だ!!と
プライドを滅茶苦茶に傷つけられ、彼は絶対に許さないと復讐を誓った。
いや、世間が悪いのではなく、桐山さんが詐欺という犯罪を為したのです。
だが、彼は絶対に自分の非を認めないために、悪因縁のせいにした。
桐山自説Aです。

桐山さんの前科が暴露されると、これを素直に認めて反省するのではなく、
前科を逆手に、今度はありもしない上意討ちの話を作り、
自分の詐欺行為を18人の霊障武士の祟りのせいにして、
それでも足りずに、祖父が地獄に堕ちる描写をして、溜飲を下げた。
桐山自説Bです。

早稲田中退の学歴詐称を暴露されると、それを認めて反省するのではなく、
今度は日大中退というまた学歴詐称を繰り返した。
桐山自説Cです。

僧籍や阿闍梨詐称を暴露されると、それを認めて反省するのではなく、
海外にお金を出して、法位法号を買い集めた。
桐山自説Dです。

桐山さんの反応は全部同じパターンだと気が付きませんか。
桐山さんの嘘やインチキを暴露されると、それを認めるどころか、
反省さえもせずに、むしろ新しい嘘やインチキで誤魔化した。
こういう桐山さんを長年師匠としてきた信者であるペテン大作さんが
そっくり真似をしても不思議ではありません。

264 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 22:20:19.41 ID:8I/qMmqq.net
桐山さんは前科や学歴詐称を反省するのではなく、暴露した伝統仏教系に
激しい復讐心を持ち、そのために阿含宗を立宗した、というと
信者さんたちは悪口というだろうが、本人がそう書いているのです。

「同時に、こういう卑劣きわまる策を弄する連中と、これ以上、付き合って
いることに嫌悪を感じ、「そんなに邪魔なら、消えてやるよ」と
密教界からサヨナラする決心をした。
以前から、釈尊直説の経典、「阿含経」に興味を感じて研究していたので、これを好機と
みて、阿含宗を立てることを決意したのである。」
(『変身の原理』558頁、2002年)

つまり、立宗自体が、桐山さんの復讐心から出たもので、
自分の前科や学歴詐称を誤魔化すためです。
桐山自説Eです。
AからEまで、内容は違うが、全部同じパターンです。
自分の間違いや嘘やごまかしを指摘されると、正面から向き合わず、むしろ激しい
復讐心にすり替え、別な話に置き換えることで自分の間違いから逃げる。

ペテン大作さんとそっくりでしょう?
自爆したり、間違いを指摘されても、向き合わず、また別な自説を唱えて逃げる。
桐山さんは教祖で教団という妄想の世界に居られたから、インチキ自説を
いくら唱えても信者には通用した、いや今でも通用している。
だが、ここは現実世界に開かれたスレですから、ペテン大作さんは、
漏尽智の話もA自説の矛盾を指摘されてB自説、それもまずくなると、
A自説が成り立たない理由を忘れてA自説に戻って、また自爆した。

265 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 22:44:08.47 ID:8I/qMmqq.net
*如来への悪業は二人に任せましょう

桐山さんとペテン大作さんにはさらに一つの大きな共通点があります。
それは阿含経を使っているという点です。
桐山さんの学歴詐称や阿闍梨詐称は社会的な犯罪にすぎず、
騙す相手も人間です。
だが、釈尊の説いた本物の経典である阿含経を、
自分の悪業の弁護に使ったら、これは釈尊への大悪業です。
嘘デタラメや自分の間違いを認めないための言い訳を並べ、
如来とその教法を捏造した。

「漏尽智で煩悩を切る」など釈迦仏教にはありません。
それをこの二人は唱え続けている。
間違ってこのように理解したなら、直せばいいだけです。
だが、桐山さんは絶対に自分の間違いを認めず、たくさんの信者たちに
嘘を信じ込ませ、ペテン大作さんはこれを擁護して、間違いを指摘されても、
追い込まれて何度自爆しても、次々と自説と嘘を並べて、絶対に
自分の間違いを認めない。
さらには釈尊の言葉を「洞察って何?w」(>>242)と嘲笑い小馬鹿にした。
前、釈尊は入滅するまでは解脱していなかったなどと釈尊を罵ったこともあります。
信者さんたちに毎度同じお勧めだが、如来への悪業はこの二人だけに
任せて、釈尊の説いた正しい仏教をまず理解してはどうですか。
信仰するかどうかはその後でいい・・・いや、二人ではなく、三人だった。↓

266 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 22:50:49.15 ID:8I/qMmqq.net
>>0249神も仏も名無しさん2023/09/24(日) 12:14:14.92ID:9AXVfAB5
>少々説明を加える、1修善奉行 良き行いを為せ 2諸悪莫作 悪事を為すな

またこれが始まった・・・熱が出そう。
「修善奉行」ではなく「衆善奉行」で、順序も「諸悪莫作 衆善奉行・・」だと、
この数年間、何度間違いを指摘しても、宝生ソウカ大人はこんな簡単なことも
学習できない。
「たった四行の偈」を宝生ソウカ大人は覚えられないのです。
三か月前の↓0784で書いて、この時も私から文字と順序が違うと注意された。

>0784神も仏も名無しさん2023/06/24(土) 10:41:29.90ID:OZKdfzV/
>修善奉行 善い行いを為せ
>諸悪莫作 悪しき行いはするな

>557神も仏も名無しさん2021/12/04(土) 21:32:39.95ID:UekfR9SQ
>修善奉行に他宗批判を繰り広げるがアルカのかナイカの

>402神も仏も名無しさん2021/11/29(月) 01:05:55.45ID:CWoJkPoz
>1修善奉行 善き行いを敬虔に行え 2諸悪莫作 悪しき行いを絶ち、戒律を護れ

「修善」ではなく「衆善」なのも、「諸悪莫作」が最初に来るのも理由があります。
しかも、六月が初めてではなく、その前にも私やユビキタスさんに
何度も、文字が違う、順序が違うと注意されました。
それなのに、たった三カ月後、また同じことを書く・・・。
彼の脳には学習機能がついていないようです。

267 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/24(日) 22:58:52.49 ID:8I/qMmqq.net
「・・・低い知能に生まれついた不幸な子供たちの知能を高めて、
普通人の水準にひき上げてやることも、それに劣らぬ社会的意義を持つことでは
ないだろうか、と。」(『密教入門』108ページ)

このように桐山ゲイカは書いておられたが、どうも宝生ソウカ大人と
ペテン大作さんを見る限り、あまり効果がなかったようで、二人とも、
自分の間違いやドジを完全完璧に記憶せず、同じ間違いを年単位で繰り返す。
二人は長年阿含宗で信仰と修行をしてきた大先達です。
ペテン大作さんは柏原の墓石まで持っている!
それなのに、結果は逆効果で、少年時代は秀才君だったのに、
阿含宗の信仰をした今では自分が一年前にやった大ドジさえも記憶しない。
この二人を見るかぎり、桐山さんの上記の効果は逆で、桐山さんの方法を
実践すると、この二人のように人並の知性も羞恥心も失われてしまうらしい。
他の信者さんたちはこの大先達様たちを今後の信仰の参照にしてください。
自分が彼らのような知性レベルと恥知らずになりたいかどうかが問われます。

268 :神も仏も名無しさん:2023/09/24(日) 23:46:39.15 ID:wt1Txl4D.net
深山大先生は張り切って四諦を攻めているが、これは望月仏教大辞典に反論できないからです。
四諦は望月の文章にあったから取り上げたのであって、望月だけでも大先生はアウトです。
だから御高説が正しいと言いたいのなら望月を否定しなければダメなのだが、そんな勇気をこの先生は持ち合わせていない。

269 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 07:45:50.47 ID:4TQEKaOR.net
>>268
いや、それは深山さんも私も漏尽智の内容は四諦の真理で観察した内容であり、
望月佛教大辞典の内容も間違ってなどいないと書いていることをお宅のお粗末なアタマが
理解できないだけで、 こちらがお宅の示している何を否定しているのかも理解できないほど、お宅のアタマはお粗末だということだよ。

270 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 10:06:41.01 ID:33eeKt0/.net
196 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2023/09/22(金) 22:03:29.59
「漏尽智=四諦」など成り立たないことは明瞭です。

243 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2023/09/23(土) 21:48:48.39
漏尽智と四諦は内容が同じだという当たり前のことを平川氏は書いているだけです。

これはかなり重症ですね。
至急、医療機関での受診をお勧めします。
指金玉ス、一緒に行ってあげなさい。

271 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 11:54:18.56 ID:4TQEKaOR.net
>>270
それ説明済みね。
他人の書いた書き込みをよく読んでね。
漏尽智=四諦が成り立たないというのは、漏尽智がいまこの段階でこれからせっせと四諦の修行実践に励むという話は成り立たないということ。

272 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:10:11.80 ID:pmi5c6gC.net
>>0268神も仏も名無しさん2023/09/24(日) 23:46:39.15ID:wt1Txl4D
>四諦は望月の文章にあったから取り上げたのであって、望月だけでも大先生はアウトです。

他の信者さんは、私が望月佛教辞典に対して、きちんと反論し説明した
ことを記憶しているでしょう。
一週間前どころか、数年前にも同じ説明をして、その時も私以外の人からも
望月佛教辞典の文章構造を丁寧に説明して、ペテン大作さんの「読み方」の
間違いだと指摘された。
今回もそれを引用した。
だが、彼は224でただ自分の解釈をまた並べて、否定してみせただけです。
その彼の読み方が間違っていると指摘したのです。
正しい読み方をすれば、漏尽智で煩悩を切るという意味ではなく、
漏尽智とは、煩悩を切った後に切ったことを確認すると書いてある。

「現金で、食事した後で払った」という文章をペテン大作さんは
「現金で食べて払った」という爆笑解釈をしている。
彼があまり国語が得意でないなら、解釈間違いも仕方ない。
小学生時代は四谷大塚に通う秀才君だったと自分から自慢したのです。
その彼が、文章を読み間違えばかりか、それを指摘されても意味が理解できない。

273 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:16:23.48 ID:pmi5c6gC.net
*そっくりな二人

私は反論したのだから、この件の議論は終わりです。
後は読者が、どちらの文章読解が正しいかを判断するだけです。
だが、これも彼はわからない。
自分が是非を判断する立場だと思い込んでいるのです。
前から、ここでは裁判官は読者であって、互いの主張が出尽くしたら、
議論はそれで終わりだといくら説明されても彼は意味がわからない。

望月佛教辞典の件も、彼は文章構造を説明されても、意味がわからないのです。
それはちょうど宝生ソウカ大人に何度説明しても、七仏通戒偈の
言葉も順序も覚えようとしないのと似ています。
宝生ソウカ大人の七仏通戒偈の行歴は長く、わかっているだけでも
十年ほど前にも遡ります。↓

>464 :神も仏も名無しさん:2013/06/20(木) 13:34:48.64 ID:5oDQvqPl
>修善奉行、諸悪莫作は信仰と無関係でも人生に各人必須ですよ。

十年間、毎年のように、今年はすでに二度目です。
毎回、注意されても、絶対に受け入れない。
普通なら、さっさと自分の間違いを認めて、正しい七仏通戒偈を受け入れる。
ところが、十年間、何度直されても絶対に修正しないばかりか、まるで先生に
でもなったかのように、その間違った内容を高見からお説教をする。
ペテン大作さんとそっくりです。

274 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:24:33.04 ID:pmi5c6gC.net
*望月佛教辞典の次は瞬間解脱

今の時代、文語体の望月佛教辞典などいらない。
他にいくらでも現代語で書いてある辞典があり、彼も引用しています。
そして、そこには、「漏尽智で煩悩を切る」とは一言もない。
「煩悩を断滅する智」を彼は「漏尽智で煩悩を切る」と解釈しただけです。
最初はその誤解も仕方ないとしても、その解釈では、
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない
という矛盾が生じることを指摘されたら、普通の人は考えなおす。
つまり「煩悩を断滅する智」は「漏尽智で煩悩を切る」という意味ではない。

だが、ペテン大作さんは絶対に納得せず、
矛盾1に対抗するために、瞬間解脱という自説を自慢しながら出した。
瞬間解脱の彼の解説は誰一人理解できない。
彼が自説の根拠として出せたのは水野氏の「同時」という言葉一つです。
だが、その水野氏は他の本で、漏尽智とは解脱したことを確認する
能力だと書いているのを私が示した。
信者さんたちに気づいてほしいのは、彼は私の指摘を認めていないことです。
ただ沈黙して、無視しただけで、これは彼の常で、半年一年たてば、
この反論をきれいに忘れて、また瞬間解脱説を出します。
針の飛ぶレコードのような宝生ソウカ大人と同じです。

275 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:31:42.27 ID:pmi5c6gC.net
*瞬間解脱の次は「四諦(=漏尽智=神通力)で煩悩を切る」

瞬間解脱説が根拠がないのだから、矛盾1は生きており、
したがって「漏尽智で煩悩を切る」は成り立たない。
ペテン大作さんはこの論理の展開を理解できないから、
また同じような学者たちの「煩悩を断滅する智」という解説を出した。
彼らの文章は「漏尽智で煩悩を切る」という意味ではないという
議論から、私が矛盾1-2を指摘し、瞬間解脱も根拠がないと否定したのに、
それまでの議論を無視して、また同じ主張を彼が始めた。
針の飛ぶレコードでないなら、知性ゾンビです。

彼はそこで去年同様に「漏尽智=四諦」説を出して、去年と同じ文献を出した。
これも彼の勝手解釈の自説で、去年も同じように行き詰った時、
これを出して、すでに私から論破されているのです。
平川氏の、漏尽智と四諦は内容が同じだ、という文章を曲解して、
「漏尽智=四諦」だという。
だが、それでは彼の説の自滅です。
なぜなら、漏尽智という神通力で煩悩を切るというなら、
「四諦=神通力」という爆笑説になる。
去年、私からその矛盾を指摘され自滅したのですよ。

シドロモドロになった彼は、漏尽通と漏尽智は違うと逃げた。
四諦は漏尽智であり、神通力ではないとうまく逃げたつもりです。
前もそこに逃げて、私から物笑いの種にされたのを忘れているのです。
だから、また桐山ゲイカ本人をぶつけられて、物笑いの種になった。
しかも、その後の反応を見てください。
無視です。
自分の間違いやドジを素直に認めて、体勢を立て直すのではなく、
無視して、また使い古しの望月佛教辞典を投げてよこした。

276 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:41:49.21 ID:pmi5c6gC.net
*知性ゾンビだが、周囲の目が少しわかる

「漏尽智で煩悩を切る」という説の四方八方をふさがれ、
自滅し、自爆し、桐山説とも矛盾し、さらには釈尊を嘲笑った。
普通の人なら、ここまで醜態をさらす前にそんな説は捨てる。
だが、彼はどんなに反撃され、自爆して、ボロボロになっても、
それでもニヤリと笑いながら、フラフラと立ち上がり、深山に攻撃を
加え、絶対に勝つ自分に惚れ惚れしているのです。
はたから見たら、ただの知性ゾンビです。
みっともなく、不気味で、知性のカケラもないと表明しているようなもので、
男としてはかなり格好悪い。
幸い、ペテン大作さんの憎しみと復讐心が羞恥心や知性を上回って、
恥知らずだから、なんともない。

彼のために少し擁護すると、彼は周囲の目がわからないのではありません。
そこは、まったく分からない宝生ソウカ大人とは違います。
宝生ソウカ大人は周囲の嫌悪や非難の目を、逆に自分への畏怖や賞賛だと
勘違いできる超能力の持ち主です。
だが、ペテン大作さんはそこだけは少し違う。
周囲が自分を嫌悪しているのではないかと薄々気が付いている。
そして、気が付いているからこそ、周囲に嫌がらせの復讐するから、もっと嫌われる。

277 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:48:33.11 ID:pmi5c6gC.net
*「漏尽智で煩悩を切る」は嘘

知性と良識のある信者さんたちは、一連の議論から、
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
など嘘だとわかったでしょう。
私のお勧めは、釈尊の言葉を文字のまま拝聴して、普通の国語力で理解して、
受け入れることです。
>>229>>241に引用した沙門果経がすべてです。
釈尊は丁寧に説明をしているのをそのまま受け入れることです。
どこにも「漏尽智で煩悩を切る」などない。
「諸煩悩を滅する知恵」とは、「漏尽智で煩悩を切る」ことではなく、
四諦を洞察することです。
四諦は神通力ではありませんから、桐山説は間違いです。
釈尊本人の丁寧な説明以上の何か必要ですか?
学者説も桐山説も、ましてや外道信者のペテン大作説などいらない。
経典は長くて難しいというなら、たった一行の説明もあります。

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

ここでもう一つ、ペテン大作さんを弁護しましょう。
彼がどうもがいても理解できずにいることがあります。
それは、どうやって煩悩を切るのかという点です。
彼はこういう基本を、いくら説明されても理解できないのです。
だから、今回も繰り返し彼はそれを書いています。

278 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 12:56:59.83 ID:pmi5c6gC.net
>>0142神も仏も名無しさん2023/09/19(火) 11:40:08.68ID:5PLhAYsa
>解脱を確認するということは、解脱させる力があるということです。
>ノコギリでどれだけ木が切れたか確認するには、木を切ることが出来なければいけない。

ペテン大作さんは沙門果経を読んでも、どこでどうやって煩悩を切ったのか理解できない。
これを紹介するのは、彼のためではなく、他の信者さんたちのためです。
信者さんたちの多くも同じような誤解を桐山さんから植えつけられている。
それは、超能力みたいな神秘力でカルマや煩悩を切るという前提で
仏教を見ていることです。
だから、ペテン大作さんは「解脱させる力」と言っている。
解脱させる力などありません。
無い物を阿含経から読み取ろうしても、読み取れないのは当たり前です。

自分で煩悩を切るのが解脱であって、神秘力で煩悩を切って解脱するのではない。
それを彼に指摘すると、「お前もな」とただ投げ返して来た。(>>39)
わからないというから説明すると、条件反射でただ投げ返す。
彼が理解するのは無理だろうから、知性と良識のある信者さんだけでも
少し阿含宗の説明の間違いに気が付いてほしい。
神通力という神秘力で煩悩や因縁を切るなどというオカルトを信じている限り、
ペテン大作さんがそうであるように、仏教の解脱は永久に理解できない。
これは冗談でもなんでもなく、桐山さんがついに仏教の解脱の
意味を理解できないまま死んだ。
桐山さんの後追いをして桐山ブッ界に逝きたければそのままでかまいません。

279 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 13:06:59.38 ID:pmi5c6gC.net
*阿含宗は神秘力によるアニメ解脱

私は阿含宗の神通力による解脱をアニメ解脱だと揶揄しています。
桐山さんの頭は子供っぽく、スーパーマンやウルトラマンが光線を出して
敵をやっつけるというあの構図しか入っていなかった。
だから、漏尽智という超能力で因縁や煩悩を切るとしか、彼の知性では
理解できなかったのです。
信者さんたちは、開祖様をけなされたと反発するでしょう。
だが桐山さんを高い知性の持ち主で、仏教を体得したと信じている限り、
信者さんたちは永久に釈尊の説いた解脱を理解できません。
それはペテン大作さんが模範演技を示している。

どうやって解脱するのか、私はすでに繰り返し、くどいくらい説明しています。
今回も何度も説明しているし、ユビキタスさんも説明しています。
深山説やユビキタス説ではなく、釈尊が説いた内容を紹介しただけです。
信者さんたちは気が付いていますか?
ペテン大作さんも宝生ソウカ大人もそれが説明だとさえも理解できない。
だから、宝生ソウカ大人は代案をずっと要求し続けている。
彼の代案に相当するのが、どうやって解脱するのかという点です。
ペテン大作さんも142のような内容を今回も繰り返し書いています。
二人とも、説明されているのに、理解できない。
オニギリを目の前に出されても、彼らは「飯がない」と言っている。
なぜならば「解脱させる力」だと信じているからです。
これを信じている限り、釈迦仏教は理解できないから、私やユビキタスさんが
説明しても、その説明が解脱する方法だと理解できないのです。
他の信者さんたちは、信じるかどうか別として「ああ、あの説明がそうか」
と思い出せますか?

280 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 13:28:58.60 ID:cYh0q5K6.net
>>224
「四諦の理を證して漏心を解脱し」だから
漏尽智で解脱するのだ。
この一行だけで大先生の嘘は証明された。
それにしても大先生の要領を得ない作文はヒドいものだ。
たぶん当人以外は読んでないだろう。

281 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 13:41:53.96 ID:4TQEKaOR.net
>>280
四諦の理を「證して」ですよね。
つまり四諦の理が正しいことを自分の身を以て証明するということですよね。
ならば四諦の八正道を実践しなければ、これは証明できません。
いつ実践するのですか?
アラカンにあと一歩のアナゴンが瞬間的に八正道を実践して解脱するのですか?
答えてください。


(皆さん、どうせコイツは答えないですよw)

282 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 13:42:08.42 ID:cYh0q5K6.net
漏尽智は漏尽通とも言われているから、大先生はこれを神通力だと思い込んでしまった。
彼が漏尽智で解脱するのではないと絶叫を繰り返しているのはそのせいだ。
一番アホなのはテメエであることに、この大先生は気付いていないwww

283 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 13:43:43.19 ID:4TQEKaOR.net
世の中には本当に頭の悪い奴がいるものだ、と勉強になります。
狡猾にごまかしているのではなく、コイツは本当に頭が悪いのですw

284 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 13:45:06.79 ID:4TQEKaOR.net
>>282
それ逆w
オマエさんがそう思っていた。
実は神通力ですらない。
神通と言われるほど煩悩が尽きて無くなった事実は稀で尊いということ。

285 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 14:09:36.16 ID:4TQEKaOR.net
ちなみに桐山さんが述べた四諦の道諦の解説はこれね。

ここに道がある!
仏道だ!
だから苦の原因となる集めているものを滅するためにこの道をひたすら歩め!

まあ道諦の道を八正道に限定していないのはさておき、とにかく仏道だと言う。
ならばその仏道はアナゴンになった時に初めて最後の飛躍で実践するのですか?

286 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 14:15:40.00 ID:oVyDPW5Z.net
漏尽智が四諦であることを最初に書いたのは私です。
困るとバーカバーカと幼稚園児みたいに繰り返す。
指金玉は進歩がないねwww

287 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 14:20:38.60 ID:4TQEKaOR.net
>>286
ほら、答えないでしょw

288 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 14:21:40.56 ID:4TQEKaOR.net
おーーーい、何逃げてんだ~~~?www

289 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 14:54:44.31 ID:oVyDPW5Z.net
>>281
金玉蹴飛ばしてやるか。
ビックさんの論文に載ってるよ。
いちいち人に聴かないで自分で調べろ。
調べても理解できないかwww

290 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 15:03:27.89 ID:4TQEKaOR.net
>>289
俺も読んだ。
有漏の慧と無漏の縁だ。
戒定慧の螺旋形の修行だ。
だから漏尽智の段で語られるのは無漏の慧です。
四諦の理を自らの体験で証明してみせたのです。
しかしそれ以前に有漏の慧の観察修行をしてきており、それが四諦の道諦、八正道の修行実践です。
これが無ければ無漏の慧は得られなかった。
だから最後の漏尽智は無漏の慧に他ならないのだから、まだ尽くすべき煩悩が残っている、解脱していないはずがない。

291 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 15:04:45.59 ID:4TQEKaOR.net
と、自分の言葉でポンポン出てきちゃう僕ちゃん偉いと自画自賛w
片や・・・w

292 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 15:17:22.82 ID:4TQEKaOR.net
コイツ実社会でマトモな仕事してこなかっただろ?

293 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 21:39:24.60 ID:Ci4V2ZQN.net
*ペテン大作さんが桐山さんの嘘を暴露!

>>0286神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 14:15:40.00ID:oVyDPW5Z
>漏尽智が四諦であることを最初に書いたのは私です。

すンばらしいですね。
ペテン大作さんが桐山さんの嘘を暴露してくれた。
桐山さんは漏尽智が四諦だとは一言も言っていませんから、
桐山さんが嘘つきであるとペテン大作さんは見抜いた。

「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

桐山さんが漏尽通で煩悩を消滅させると説いているのに、
ペテン大作さんはこれは嘘で、漏尽通ではないと
桐山説を全面的に嘘であることを看破した。

「仏教の本質はカルマを断滅する「力」に尽きる。この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、
この力を得るために、釈迦はたいへんな難行苦行を行った。」
(『準胝尊真言行とは』2015年、阿含宗教学部、8ページ)

この阿含宗の解説では、漏尽智はカルマを断滅する「力」であると述べているが、
ペテン大作さんはその嘘を見抜き、漏尽智とは四諦であると反論している。
四諦は力などではありませんし、桐山さんの四諦の解説でも四諦が力で
あるとは説いていない。
このように次々とペテン大作さんは阿含宗の嘘を暴露している。

294 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 21:44:54.67 ID:Ci4V2ZQN.net
*桐山説の嘘を見抜いたペテン大作さん??

いつの間にか、ペテン大作さんは阿含宗の教義を否定するようになった。
彼は沙門果経、たくさんの仏教学者たちの解説、さらには望月佛教辞典
などという普通の人が見ないような小難しい辞典まで渉猟する熱意で、
その結果として、桐山説の漏尽智による解説は嘘であると批判しているのです。

信者さんたちは苦笑いしませんか。
阿含宗を擁護して批判側に反撃したつもりのペテン大作さんが、
こちらからの様々な批判や反撃に右往左往と自説を変えていくうちに、
いつの間にか、阿含宗を否定する発言をするようになった。
どうしてだと思いますか?

ペテン大作さんでなくても、批判側がこれまで示した沙門果経や学者の
解説を素直に読むなら、阿含宗の漏尽智など嘘デタラメだとわかります。
ペテン大作さんは、卑怯者だから阿含宗を否定しているなど認めるつもりはない。
だが、追い詰められて、彼の最初の主張とは全然違う方向に進み、経典や
学者の説明に寄ったから、結果、彼は桐山説を否定することになった。
漏尽智も、自説を主張すれば阿含宗を裏切ることになり、
阿含宗の説を受け入れれば、自説を否定することになる。
彼の頭では現状を理解できないからお幸せなままだが、一般的に言うなら、
彼の今の状態は、前門の虎後門の狼です。

295 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 21:52:47.60 ID:LpmUY7ed.net
>>0286神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 14:15:40.00ID:oVyDPW5Z
>漏尽智が四諦であることを最初に書いたのは私です。

四年前、四諦を隠したのはどこのどなた様だ?
>>194で暴露されても、恥とも思わず、彼の頭では自分の成果になっている。

>191神も仏も名無しさん2019/12/25(水) 00:28:31.82ID:H9HdhOG8
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔らかで、巧みで、確立し不動となったときに、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
(ゴータマ・ブッダ釈尊の生涯」春秋社、中村元、184頁)

これがペテン大作さんが引用した沙門果経で、この文章の後の次の文章をカットした。

「そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」

四年前、この四諦の一文を彼は故意にカットしたのです。
「漏尽智=四諦」と主張していたなら、どうしてその根拠となる一文を
わざわざカットするのだ?
彼の性格なら、得意満面でこれを引用したはずなのに、実際はカットした。
当時の彼は「漏尽智=四諦」などとは頭の隅にもなかったばかりか、
神通力で煩悩を切ると唱えていたのに、そこに四諦など出てきてはまずいからです。

彼のこのゴマカシを見抜いて、四諦をカットしたことを私が批判した。
それであわてて、四諦があることを認め、主張を変えて、
「漏尽智=四諦」と言い出して、誤魔化した。
四諦が後に続くことを指摘したのは私であり、彼ではない。
彼は隠したのです。
それが今では、彼の頭の中では彼が最初に紹介したことになっている。

296 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 21:59:41.91 ID:LpmUY7ed.net
*四諦は神通力?

「漏尽智=四諦」説を自慢しているのだから呆れます。
私からその当時も、四諦は神通力なのかと皮肉を書かれた。
なぜなら、桐山説では漏尽智は神通力という力なのだから、
「漏尽智=四諦」ならば、「四諦=神通力」になる。
いったいどこの経典に、またどこの学者が「四諦=神通力」
などというタワケを書いているのか、示してみろと笑われた。

そこで苦し紛れの言い逃れに出した自説が「漏尽智≠漏尽通」です。
信者さんたちに助言だが、こういう苦し紛れのゴマカシを
すれば矛盾がもっと増えるだけです。
実際、阿含宗では↓パンフレットの例のように「漏尽智=漏尽通」です。

「この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、」(『準胝尊真言行とは』)

阿含宗を擁護したつもりで「漏尽智≠漏尽通」を出したら、
見事に、阿含宗説と矛盾し、阿含宗説を否定した。
ごらんのように、苦し紛れのゴマカシは矛盾を増やすだけです。
「漏尽智=四諦」などという嘘の説を出したから、
「四諦=神通」になり、ついには阿含宗と矛盾して自滅した。
普通の読解力のある人はペテン大作さんが自爆したのが
わかると思うが、彼は今この説明を読んでも、何がどう
自爆したのか、意味がわからない。
だから、四諦を自分が出したなどと手柄にしていられるのです。
爆笑の矛盾は今も続き、彼は記憶できないようだから、
醜態を何回でも示してあげましょう。

297 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 22:08:14.56 ID:LpmUY7ed.net
「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

今回、また苦し紛れにだした「漏尽智≠漏尽通」で
桐山さんの説を真正面から否定した。
他の信者さんなら、青くなりませんか?
ところが、ペテン大作さんの反応を見てください。
私が、この件をこれまで二度も指摘したにもかかわらず、彼は反論どころか、
逆に四諦を出したのは自分だと自慢したことに着目してください。
普通の人なら、ここで「漏尽智=四諦」を出せば、また深山から
↑これを引用されてからかわれると予想するから、出さない。

ここに彼が何のために漏尽智を叫ぶのか、動機が明瞭に現れている。
深山に勝つこと以外は、彼にとってはどうでもいいのです。
だから、桐山説を否定しても、なんともない。
師を裏切り、顔に泥を塗って恥をかかせても、彼は何も感じない。
あるいは裏切ったという理屈が理解できないから、わからない。
阿含宗の信仰などは彼にとってはどうでもよく、深山に勝つためなら、
桐山さんを裏切ることなど彼は気にもとめない。
仏教も、阿含宗すらも彼にとっては勝つための道具、踏み台にすぎないのです。

298 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/25(月) 22:14:26.59 ID:LpmUY7ed.net
*「漏尽智=アラカンによる四諦の洞察」

信者さんたちに信仰の前に、正しい仏教を理解してほしい。
「漏尽智=四諦」ではありません。
経典を読めばわかるように「漏尽智=四諦の洞察」です。
ペテン大作さんのように悔し紛れに「洞察って何?w」などと
釈尊を小馬鹿にするのは彼に任せて、釈尊の言葉を受け入れましょう。

「漏尽智=四諦」なら、解脱する前の人たちは四諦の洞察ができなくなる。
なぜなら、漏尽智はアラカンに属するからです。
だから、厳密にいうなら「漏尽智=アラカンによる四諦の洞察」です。
四諦の洞察自体は初心者からアラカンまで全員がしているし、しなければならない。
だから、阿含宗の信者は仏教徒ではありません。

桐山さんの四諦の解説はこれまた嘘デタラメだからです。
「苦」を、苦も楽もあり、因縁次第だとか、
「集」を、悪因縁を集めているだとか、
「滅」を、桐山カルマを切ってブッ界に逝くとか、
「道」を、因縁解脱の成仏法だとか、
桐山四諦は原型を留めないほど嘘デタラメのオカルト解釈です。

四諦の洞察は仏教徒は全員がしなければなりません。
だが、四諦の内容が桐山四諦みたいに、釈尊の説いた四諦と
似ても似つかないものを洞察しても、四諦の洞察にはならない。
それは外道の洞察です。
四諦は理解するのに難しい内容ではなく、釈尊が説いたことを
学者たちがわかりやすく解説しているから、知性と良識のある
信者さんたちは桐山四諦というオカルトを信じるのではなく、
釈尊の説いた四諦を素直に読んで、洞察することです。

299 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 22:17:45.43 ID:knn4MNUe.net
>>295
>「漏尽智=四諦」と言い出して、誤魔化し
>た。
>四諦が後に続くことを指摘したのは私であ
>り、彼ではない。
>彼は隠したのです。

四諦が後に続くことを指摘しただけで
漏尽智=四諦を主張したわけではないだろう。
漏尽智の内容が四諦であることを大先生は知らなかったのだから。
自分が発見したようなことを言うなよw

300 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 22:33:58.01 ID:knn4MNUe.net
>>296
>そこで苦し紛れの言い逃れに出した自説が
>「漏尽智≠漏尽通」です。

残念ながら自説ではないんだ。

「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
(『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

漏尽通というのは漏尽智を得て解脱して
威徳具足することだという。
威徳具足というのは威厳とか人徳を備えるということ。
漏尽智よりも広い意味があるようだ。
だから厳密に言えば両者は少し違うわけだ。

301 :神も仏も名無しさん:2023/09/25(月) 22:39:16.24 ID:knn4MNUe.net
>>298
>なぜなら、漏尽智はアラカンに属するからで
>す。

これがまた違うんだな。

「漏尽智ーあらゆる汚れを滅す智。阿羅漢に属する。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

この中村先生の解説は漏尽智の内容が四諦であることで上手く説明できます。
まず、阿羅漢の前段階にある修行者(アナゴン)が漏尽智に心を向けます。
この漏尽智の内容は四諦なので、修行者は苦諦→集諦→滅諦と進めて行き、最後の道諦を終えた時に阿羅漢になります。
こう考えれば、漏尽智は阿羅漢に属することになり、先生の解説と何ら矛盾するところがありません。
一方、漏尽智は阿羅漢に属するからアナゴンは獲得できないという主張では、アナゴンは永久に阿羅漢にはなれないことになり、漏尽智があらゆるけがれを滅す智である意味も無くなります。
だからこの主張は間違いです。

302 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/25(月) 23:09:42.94 ID:4TQEKaOR.net
はい、永久に平行線w

303 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/26(火) 00:00:44.10 ID:vriinPan.net
>>301 神も仏も名無しさん 2023/09/25(月) 22:39:16.24 ID:knn4MNUe
>一方、漏尽智は阿羅漢に属するからアナゴンは獲得できないという主張では、アナゴンは永久に阿羅漢にはなれないことになり、漏尽智があらゆるけがれを滅す智である意味も無くなります。
>だからこの主張は間違いです。

少し私の表現をもっと優しい柔らかな口調でレスしましょうか。
漏尽智というものをこれを以て何かを成し遂げる手段、方法と捉えるとそういう話にもなります。
しかし漏尽智を得た、獲得した結果の智慧と見たらどうでしょうか?
智ですから知ること、知ったことです。
漏尽智、漏尽通、漏尽明とも比定されて示される他の三明もそうですよね。
宿明通ならば前世を知ることができます。それだけです。
宿明通という手段で何かをどうするかという話ですか?
他心通ならば他人の心の有り様を知ることができます。それだけです。
他心通という手段で何かをどうするかという話ですか?
だから漏尽通、漏尽智も煩悩尽きて解脱したことが確認できて四諦の真理を証明できたという
阿羅漢のみが知ることができた結果論というふうに発想を変えてみてはいかがでしょうか?

304 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 12:12:51.88 ID:QH/8hRcT.net
>>0299神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 22:17:45.43ID:knn4MNUe
>四諦が後に続くことを指摘しただけで
>漏尽智=四諦を主張したわけではないだろう。

では、どうして今まで私がペテン大作説「漏尽智=四諦」と書いたのを
否定しなかったのだ?
昨年から私はずっとそれを書いて来た。
私が「漏尽智=四諦」は嘘で「漏尽智=四諦の洞察」だと
指摘した時の、彼の反応が「洞察って何?w」です。
その段階で「漏尽智=四諦」など唱えていない主張すれば
よかったのに、つい最近まで、彼はこの説を認めていた。

>この中村先生の解説は漏尽智の内容が四諦であることで上手く説明できます。(>>301)

誰が読んでも彼の主張は「漏尽智=四諦」です。
こいうことを書きながら、「漏尽智=四諦」ではないと言い出したのは、
これではまずいことに彼は気が付いたからです。
何ためにこれをしたのか、そのゴマカシぶりをご紹介します。
そのゴマカシとは、また瞬間解脱説を出すためです。

305 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 12:22:18.62 ID:QH/8hRcT.net
*また瞬間解脱の嘘

>>0301神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 22:39:16.24ID:knn4MNUe
>まず、阿羅漢の前段階にある修行者(アナゴン)が漏尽智に心を向けます。
>この漏尽智の内容は四諦なので、修行者は苦諦→集諦→滅諦と進めて行き、最後の道諦を終えた時に阿羅漢になります。

また瞬間解脱のゴマカシです。
四諦で誤魔化そうという魂胆だろうが、道諦を一瞬で体得して、
アラカンになるという瞬間解脱説そのままです。
単に、漏尽智を道諦という言葉で置き換えただけです。

瞬間解脱が成り立たないと、ペテン大作さんがこれまで示した証拠をことごとく
反証しても、彼の脳味噌にはまったく効果がなく、これまでの議論が
すべてリセットされて、また同じ瞬間解脱の主張が始まる。
ここ一カ月にわたる議論を完全に無視です。
この男にはそれまでの議論が何の意味もない。
「修善奉行」を十年間書き続ける宝生ソウカ大人と同じです。
しかも、二人とも、得意満面ですでに反論された内容を書き続ける。
他の信者さんたちは、この二人の知能を疑いませんか。

ペテン大作さんの瞬間解脱説は、彼の自説であり、阿含宗の教義ではありません。
しかし、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」という主張の根拠して
出された自説ですから、それが成り立たないこと、何度でも示します。
なぜなら、信者さんたちの中には敵の敵は味方とばかりに、
彼の詭弁を信じたい気持ちがあるでしょう。
普通の知性と良識のある人なら詭弁に惑わされないことです。

306 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 12:29:31.46 ID:QH/8hRcT.net
*矛盾だらけの瞬間解脱

ペテン大作さんの瞬間解脱を簡単に表記するなら、
「アナゴンが漏尽智(道諦)を獲得し、その瞬間に解脱するから、
漏尽智(道諦)はアラカンに属する」
という詭弁の繰り返しです。
読者の皆さんで、この説明で理解できた人がいますか?
誰も理解できない証拠は、自分の言葉で説明しようとしてもできませんよね。
彼のゴマカシはまず「獲得」と「属する」という二つの言葉に混ぜることですり替えた。
今回は、「獲得」を「心を向ける」と経典の言葉に置き換え、
「漏尽智」を「道諦」に置き換えた。
言葉をすり替えるという同じゴマカシの手法です。

・六神通を一瞬で体得?
瞬間解脱が正しいなら、六神通を一瞬で体得することになる。
六つもある神通を一瞬で体得するなどありえると思いますか。
もちろん、沙門果経の記述を見ても、別々に書いてあります。
アラカン全員が六通や三明を持っていたのではないことを見れば、
一つの神通を体得するのでも容易ではなかったのがわかります。
これらの事実を見ても六神通を一瞬で体得するなど、ありえない。
したがって、瞬間解脱などありえません。

307 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 12:35:47.71 ID:QH/8hRcT.net
・ハサミを手に入れるだけで糸は切れる?

ハサミで糸を切る時、先にハサミを手にいれ、それから糸を切る。
ハサミを手にいれることと、糸を切ることを同時ではありません。
瞬間解脱説でも、先に漏尽智を獲得し、次に煩悩を切ることになる。

そこで問題になるのは、漏尽智を獲得した比丘はアナゴンかアラカンかという点です。
漏尽智はアラカンに属しますから、漏尽智を獲得したらアラカンです。
だが、瞬間解脱説では、漏尽智を獲得しただけで、
まだ煩悩を切っていないのだから、アナゴンです。
矛盾します。
これは漏尽智を四諦の道諦で置き換えても同じことです。

ところが、ペテン大作さんは瞬間的にできるから矛盾しないという詭弁で、
しかも、誰も理解できない説明を繰り返す。
もちろん阿含経にも学者の解説にもそんな珍説はないという反論に、
彼が出したのが水野氏の「同時」です。
しかし、私から水野氏の他の解説から、水野氏の「同時」
にはペテン大作さんの言うような瞬間などという意味はない
ことを示したから、彼の瞬間解脱の根拠にはならない。
瞬間解脱など、経典はもちろん、学者の説にも根拠のない空想説です。

308 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 12:57:16.37 ID:QH/8hRcT.net
・五下分結を一瞬で切る?
瞬間解脱説では、漏尽智(道諦)を体得した瞬間に、五下分結を一瞬で切ってしまう。
五下分結は大まかな分類だけでも5種類もあるように、数も多く、
色界と無色界に属する多様な煩悩です。
瞬間解脱では、この量も質もすごい煩悩を一瞬で切ってしまうことになる。
六神通の体得と五上分結の煩悩を切るのが「同時」だというのです。
五上分結の数の多さ、内容の複雑さから見ても、ありえない。
まるで大学四年間、まったく勉強をしなかった生徒が、
卒業証書を授けてもらうその瞬間、あんら不思議、一瞬で
四年間の勉学が彼の頭に入りましたさ、と言っているようなものです。
道諦で誤魔化そうとしても無駄で、この例えを見てもわかるように、
瞬間解脱などありえない説です。

・シュダオンは煩悩が切れない?
漏尽智で煩悩を切るなら、シュダオンなどはどうやって切るのですか?
彼の説では漏尽智(=道諦)を体得するとアラカンになるという。
では、シュダオンはどうやって煩悩を切るのだ?
ペテン大作さんからは「切れない」という爆笑回答が来た。
彼の説では、シュダオンは煩悩が切れないからシダゴンになれず、
シダゴンも煩悩が切れないからアナゴンになれないから、
教団には一人のアナゴンもおらず、したがって、アラカンはいないことになる。
瞬間解脱説とは、こういう爆笑説なのです。
瞬間解脱は論理の破綻、自滅、自爆です。
だが、これだけ矛盾を指摘されても彼は何も感じないというか、
矛盾を理解する知能がないらしく、また得意気に瞬間解脱説を出してきた。

309 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 13:05:19.94 ID:QH/8hRcT.net
>>0301神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 22:39:16.24ID:knn4MNUe
>この漏尽智の内容は四諦なので、修行者は苦諦→集諦→滅諦と進めて行き、最後の道諦を終えた時に阿羅漢になります。

冒頭で、「漏尽智=四諦」を彼がわざわざ否定したのには
新しいゴマカシがあるからだと紹介しましたが、それがこれです。
これまでは彼は漏尽智(四諦)で瞬間的に煩悩が切れて解脱すると主張してきた。
だが、四諦は四つの悟りですから、これ全体を漏尽智だというと
瞬間解脱と説明がつかない
「漏尽智=四諦」では矛盾してしまうことにようやく気が付き、
これをわざわざ否定したのです。
だが、無駄です。

彼がしたゴマカシは「漏尽智=道諦」という珍説です。
これをすればもっと矛盾と、桐山説の否定につながることは、
すでに私やユビキタスさんが警告している。
だが、彼はそんな文章は読まない、理解しないし、記憶しないから、自説に
>795神も仏も名無しさん2022/05/30(月) 16:51:35.78ID:eNjzPTXQ
>よくこれに思いついたと自分を自分で褒めてあげたいw
と毎度強い満足の笑みを浮かべながら書いているのでしょう。
彼の得意満面の自説の前に立ちはだかるのは、深山ではなく
桐山さんその人です。

310 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 13:12:13.57 ID:QH/8hRcT.net
*道諦は八正道

四諦は苦集滅道で、解脱は「滅」であって、「道」ではありません。
「道」はその滅に至る方法を述べただけです。
「道」が終わると解脱するなどとペテン大作さんは書いてるが嘘です。
問題はそれだけではない。
煩悩を切るための「道」の具体的な内容は八正道です。

「(道諦)とは,苦の止減に到る道筋についての真理であり正見・正思惟な
どのいわゆる八正道として示される.」(岩波仏教辞典)

道諦が八正道であることは議論の余地はなく、別な学説などありません。
そうなると、ペテン大作説では、八正道で解脱することになる。

そこで最初の矛盾は、八正道とは戒定慧の三学であり、
これはアナゴンだけでなく、すべての仏教信者が行う点です。
それなのに、彼の説のようにアナゴンだけが獲得するというのはおかしい。
八正道の中身はアナゴンだけ違うなどということはありません。
全員が同じ八正道を実践しているのです。
どうしてアナゴンだけが煩悩を、それも一瞬で切れるのですか?

阿含宗の信者である彼の説の矛盾はこれだけでは終わらない。
先に確認すると、ペテン大作さんは四諦の道諦、つまり
「八正道」でアナゴンはアラカンになると主張した。
そこで次の桐山さんの文章を読んでください。

311 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/26(火) 13:18:57.02 ID:QH/8hRcT.net
「「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

ペテン大作さん以外の読者の皆さんは、ペテン大作説が
桐山さんによって否定されたことがわかるでしょう。
ペテン大作さんは、漏尽智とは四諦であり、その四諦の道諦、
つまり八正道で解脱すると主張した。
だが、桐山さんは、八正道では解脱できないと言っているのです。
初学の弟子に説いたというのだから、シュダオンやシダゴン用という意味でしょう。

これまでも上記の桐山さんの文章を何度も引用した。
だが、視野が狭く、目の前の矛盾を誤魔化し、そのゴマカシを自慢すること
しか頭にないペテン大作さんは、憎い相手の警告など聞く耳はない。
これまでの彼の反応から見ると、この指摘を完全無視して、同じ話を繰り返すか、
あるいはまた別な自説を唱えて、もっと矛盾を作り出すか、どちらかです。

信者さんに見てほしいのは、最初の桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
を擁護して、詭弁と嘘と屁理屈を並べている内に、桐山さんの説と
矛盾してしまったことです。
桐山説2の嘘をいくら擁護しても、嘘が事実になることはないからです。
嘘を弁護すれば、また嘘をつくるしかなくなるという典型です。
だから、知性と良識のある信者さんたちだけでも、経典にあるがままの
釈尊の言葉を普通の知性で理解することです。
釈尊は「漏尽智で煩悩を切る、因縁を切る、カルマを切る」などとは言っていません。

312 :神も仏も名無しさん:2023/09/26(火) 23:04:56.58 ID:towd8XlY.net
>>306
>ペテン大作さんの瞬間解脱を簡単に表記する
>なら、
>「アナゴンが漏尽智(道諦)を獲得し、その瞬間
>に解脱するから、
>漏尽智(道諦)はアラカンに属する」
>という詭弁の繰り返しです。

アナゴンが道諦を認識すれば漏尽智(四諦)を認識したことになり、アナゴンは阿羅漢になります。
ただ、いきなり道諦を認識できるわけではなく、その前に苦諦、集諦、滅諦を認識する必要があるので、いきなり漏尽智(四諦)を瞬間的に認識することはできません。
以前の私は漏尽智(四諦)を段階的に認識することまでは説明出来なかった。
だから深山大先生から瞬間解脱などと言われてしまった。
しかし漏尽智の内容が四諦であることを再発見したことで、漏尽智(四諦)を段階的に認識することを上手く説明できるようになった。
漏尽智(四諦)を段階的に認識するには時間がかかるので、瞬間解脱ではなくなり、大先生から批判されることもなくなります。
私の説明が最初から十分なものではなかったことは認めます。
しかし、今回の説明はかなりいいと自負しています。
大先生もかなり狼狽しているようです。

313 :神も仏も名無しさん:2023/09/26(火) 23:29:54.12 ID:towd8XlY.net
「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

深山大先生がいくら口角泡を飛ばしたところで
上の大辞典の説明がある限り、深山説(漏尽智で解脱するのではない)は間違いです。
だから源太郎のようにこの話題をやめて、サッサと他の話を始めた方が身のためです。

314 :神も仏も名無しさん:2023/09/26(火) 23:59:45.47 ID:cjNLcw7M.net
阿含宗に行ってきたけど、色々と最高すぎた✨特に〇〇がよかった😊
https://youtube.com/watch?v=x9Osy1SOig4&si=YydRXVjMA2AraRWc

315 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/27(水) 00:40:11.20 ID:jzMFTdjZ.net
>>312
道諦を認識って何よ?
道諦の八正道とは単に認識すれば効力を発するものではない。
実践するものです。日夜継続的に時間をかけて。
一晩認識して成されるものではありません。
実践してこそ煩悩も減っていき無くなるのです。
並大抵のことではない。
だから認識とは道諦含めた苦集滅道の実践成果を観察することです。
実践によりそれが成し遂げられたことを観察して認識するのです。
苦集滅道はたしかに真理であったと認識するのです。
つまり解脱したことを知るのです。
これから解脱する話ではない。
だからあなたは相変わらず抽象的な用語、苦諦、集諦、滅諦、道諦、認識と並べただけで
なんかわかったような気になっているだけで、その実何の認識もできていないのです。

316 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/27(水) 00:53:22.80 ID:jzMFTdjZ.net
全ては苦である
煩悩を集めているからである
だから煩悩を滅する必要がある
それには八正道の実践が必要である

これが四諦の真理です。
だから必要であると認識しただけで煩悩が滅するはずがない。
一晩ではなく長年かけて実践して成し遂げて再観察するのです。
解脱して再観察して認識するのです。
だから水野博士の言う通り同時なんです。
同時とは解脱を成し遂げたということです。

317 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/27(水) 08:41:11.79 ID:nzqdGwEL.net
解脱を成し遂げたのと解脱を成し遂げたことを知るというのが同時なわけです。
解脱を成し遂げる前だったら直前だろうと同時とは言わない。

318 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/27(水) 12:05:44.04 ID:QTq4Ejmf.net
>>0313神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:29:54.12ID:towd8XlY
>上の大辞典の説明がある限り、深山説(漏尽智で解脱するのではない)は間違いです。

「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

ペテン大作さんの低い読解力をまた指摘しなければならない。
彼の解釈では、四諦で煩悩を切って解脱するのだそうです。
望月氏はそんなことは書いていない。
一つには、文章の構造から見てもわかります。
彼は「四諦の理を證」したことで「漏心を解脱し」と解釈しているが間違いです。
「漏心を解脱」は「了知する」にかかる言葉です。
「漏心を解脱」したことを「了知する」という意味です。
「漏心を解脱」以下「我が生已に盡き・・受けじ」までが「了知する」にかかる。
つまり、漏尽智とは、煩悩を切ったことを確認するという意味です。
望月氏の文章は「四諦を洞察して、自分がすでに煩悩を切って解脱して・・・
輪廻しないことを確認した」という意味です。
四諦で煩悩を切ったという意味ではありません。

二つ目に、この説明の元となった経典を見れば明らかです。
「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し・・」は沙門果経そのままです。
実際、望月氏は沙門果経を元にしたのでしょう。
読者の皆さんは>>229>>241の引用した沙門果経を見てください。
初めに「心が安定・・・不動」と釈尊が強調しているのが解脱です。
解脱した後に、漏尽智に心を向け、それは四諦の洞察です。
四諦の洞察とは、完璧に四諦を理解して体得していることを確認することです。
沙門果経を知っていた望月氏が四諦で煩悩を切ったなどと書くはずがない。

319 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/27(水) 12:14:02.35 ID:QTq4Ejmf.net
>>0313神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:29:54.12ID:towd8XlY
>上の大辞典の説明がある限り、深山説(漏尽智で解脱するのではない)は間違いです。

読者の皆さんは、ペテン大作さんの読み間違いに「前にも・・」と記憶があるでしょう。
>>164で指摘された読み間違いとそっくりそのままです。
望月氏の文章の解釈の間違いを指摘されたら、普通なら、こんな
わかりにくい文章を引用しないか、次からは気をつけるだろうに、
彼は気にも留めずに同じ間違いをした。
今回の指摘も彼は受け入れず、嘲笑いながら、また自分の解釈を
得意気に出してきます。
なぜなら、164や今回の解釈間違いの指摘を彼は理解できない。

理解できないから、>>155でまた望月氏の解説を出して来た。
この文章の読み間違いを指摘されたのは三年前ですよ。
三年前>>166の445さんは丁寧に文章構造を説明した。
中学生程度の国語力があれば、誰でも理解できるわかりやすい説明です。
だが、これだけ説明されても四谷大塚の秀才君は理解できなかった。
だから、懲りずに今回また同じ読み間違いを得意気に出した。

わかりにくい文章だから普通の人が最初読み間違えるのはしかたありません。
だが、普通の人ではないペテン大作さんは指摘されて一週間も
たたない内に、またそっくり同じ読み間違いを得意気に出した。
彼は445さんの説明が理解できないし、自分の間違いを絶対に認めないからです。
だから、彼は四谷大塚の秀才君しては「恥ずかしい解釈」をこれからも繰り返します。

320 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/27(水) 12:22:07.19 ID:QTq4Ejmf.net
>>0312神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:04:56.58ID:towd8XlY
>以前の私は漏尽智(四諦)を段階的に認識することまでは説明出来なかった。
>だから深山大先生から瞬間解脱などと言われてしまった。

ペテン大作さんは漏尽智を道諦に置き換えただけです。
最初の頃のペテン大作説では、
1.漏尽智を獲得して、
2.漏尽智で煩悩を切った。
では、1の比丘はアラカンなのかアナゴンなのか?
では、2の煩悩を切っている最中の比丘はアラカンなのかアナゴンなのか?
ペテン大作さんは1はアナゴンであり、2はアラカンだと述べている。
だが、1は煩悩を切っていないという点ではアナゴンだが、
漏尽智を獲得しているのだからアラカンで、矛盾する。
2も漏尽智を獲得しているのだからアラカンだが、
煩悩を切っている最中はアナゴンで、矛盾する。

この矛盾を解決するために、彼が主張したのが、
「アナゴンが獲得した瞬間にアラカンになる」という詭弁です。
まさに瞬間解脱です。
漏尽智を獲得して切るのでもなく、煩悩を切っている最中もなく、
「漏尽智獲得=解脱」というゴマカシをしたのが瞬間解脱です。
だが、すでに何度も述べているように、説明は矛盾だらけで、
水野氏の文献にも瞬間解脱説には根拠がない。
彼の「漏尽智で煩悩を切る」は自己矛盾で追い込まれた。
それを彼は四諦の洞察でうまく逃げ切ったと勘違いしている。
彼のシッポを彼自身の作った屁理屈がつかんで放さないから、逃げられない。

321 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/27(水) 12:30:49.38 ID:QTq4Ejmf.net
>>0312神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:04:56.58ID:towd8XlY
>漏尽智(四諦)を段階的に認識するには時間がかかるので、瞬間解脱ではなくなり、大先生から批判されることもなくなります。

漏尽智を四諦や道諦に置き換えただけで、彼の瞬間解脱説は何も変わっていません。
沙門果経では漏尽智の前にすでに解脱しています。
だが、ペテン大作さんは、漏尽智で解脱する、つまりこの四諦の洞察の
最中に解脱するのだと主張している。
四諦を洞察するのはアナゴンで、洞察し終わった時にはアラカンなのだという。
では、どこで解脱するのか?
彼はそれを道諦だと述べた。
だったら、>>320で指摘した矛盾はそのまま同じです。

ペテン大作説では、
1.道諦を獲得して、
2.道諦で煩悩を切った。
では、1の比丘はアラカンなのかアナゴンなのか?
では、2の煩悩を切っている最中の比丘はアラカンなのかアナゴンなのか?
ペテン大作さんは1はアナゴンであり、2はアラカンだと述べるでしょう。
だが、1は煩悩を切っていないという点ではアナゴンだが、
道諦を獲得しているのだからアラカンで、矛盾する。
2も道諦を獲得しているのだからアラカンだが、
煩悩を切っている最中はアナゴンで、矛盾する。

ごらんのように、ペテン大作説は漏尽智を道諦に置き換えただけで、
何も変わっていませんから、矛盾はそのままです。
ペテン大作説の漏尽智のよる解脱は瞬間解脱であるように、
道諦による解脱も瞬間解脱です。

322 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/27(水) 12:37:59.31 ID:QTq4Ejmf.net
>>0301神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 22:39:16.24ID:knn4MNUe
>まず、阿羅漢の前段階にある修行者(アナゴン)が漏尽智に心を向けます。
>この漏尽智の内容は四諦なので、修行者は苦諦→集諦→滅諦と進めて行き、最後の道諦を終えた時に阿羅漢になります。

ペテン大作さんの常で、私から批判されても、都合の悪いことは無視する。
それが>>311の桐山さんからの御指導です。
どうして桐山ゲイカからの御指導を無視するのだ?
四諦の道諦とは八正道のことです。
ペテン大作説では、道諦で解脱するというのだから、八正道で解脱することになる。
だが、桐山さんは彼の説を真っ向から否定しています。

「「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

八正道では解脱できないというのです。
ペテン大作さんは八正道(道諦)で解脱するといい、
桐山ゲイカはこれを間違いだと看破されている。
ペテン大作さんは自己矛盾だけでなく、桐山ゲイカからの叱責にも
対応しなければならない。
だから、前門の虎後門の狼なのです。
実は、桐山さんからのペテン大作さんへの叱責はこれだけではありません。
桐山虎も桐山狼も一匹だけではない。

323 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/27(水) 22:42:40.85 ID:yxnMEkRn.net
桐山四諦の道諦は八正道は初学の者に対するもので、それを指すのではないとして
(いや、経典に明記されているのだがw)仏道とし、あるいはシチカ三十七道品の修行法、修行道と位置づけています。
八正道はシチカ三十七道品のごく一部とする桐山無知の件はさておき、
とにかく修道法、修行法、修行道とします。
ところがペテン大作さんは苦諦、集諦、滅諦の段階を踏んで(笑)最後に道諦の認識を得て
アナゴンはそれまであった煩悩を絶って解脱を果たすとします。
アナゴンになって初めて仏道を認識するのか?
修行法を認識だけするのか?
このようにペテン大作さんはいずれにしても桐山さんの顔に泥を塗っているのです。
覚えた単語を意味もわからず抽象的に並べているだけだからです。

324 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 12:11:11.75 ID:zdiWrc43.net
>>0312神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:04:56.58ID:towd8XlY
>しかし漏尽智の内容が四諦であることを再発見したことで、漏尽智(四諦)を段階的に認識することを上手く説明できるようになった。

この文章でもわかるように、ペテン大作さんは漏尽智を四諦にすり替えて、
自説が完成し、深山の追及から逃げられたと安心していた。
沙門果経の四諦の部分をかつてはカットしたくせに、私から指摘されると、
「再発見」などと、前から主張していたかのように自己弁護まで作った。

ところが、彼の説は漏尽智を四諦や道諦に置き換えただけで、アナゴンが
漏尽智を持つこと、シュダオンの煩悩が切れないことなど、矛盾は何も
消えておらず、四諦を唱えることで桐山説との矛盾がさらに増えた。
桐山さんは漏尽通で煩悩を切るといい、ペテン大作さんは違うと主張した。
これに答えられないから、彼は完全に無視して逃げているが、
現実世界ではちゃんと生きています。(>>293)

今ペテン大作さんは必死に、漏尽智で煩悩を切る、道諦で瞬間的に煩悩を
切るという説の根拠となる経典や学者の説を探している。
だが、また望月佛教辞典を出して、四谷大塚出身にしてはかなり
恥ずかしい読解力を露呈するくらいしか方法がありません。

読者の皆さんは彼の「漏尽智で煩悩を切る」が成り立たないことがわかるでしょう。
彼は毎回自家中毒を起こしても認めず、「深山ごときに負けてなるものか!
必ず勝つ!絶対に勝つ!」と憎しみを激しく燃やし、深山を踏みつけて、
勝利を叫ぶ自分の姿を妄想しながら自分を鼓舞している。
彼は一生この輪廻のパターンから逃れられない。

325 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 12:32:41.54 ID:zdiWrc43.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適応し、不動なものとなると、かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」(>>229)

四諦にうまく逃げ込んだつもりですっかり忘れているようだが、
ペテン大作さんは一つ、重大な証明をさぼっています。
↑この沙門果経の冒頭の解釈です。
彼は「心の安定・・・不動なもの」は解脱ではないと主張しました。
今回は、この点について明瞭な説明がありません。
この後で出て来る四諦で解脱するというなら「心の安定・・・不動なもの」が
解脱ではないと彼は証明しなければならない。

なぜなら、これが解脱なら、すでに解脱しているのだから、解脱後に
漏尽智が出てくることになり、彼の「漏尽智で煩悩を切る」が否定されます。
だから、彼は四諦の話に行く前に、まず「心の安定・・・不動なもの」は
解脱ではないと証明しなければならない。
実際には、この一文の引用は、彼の自説の間違いをわざわざ証明したようなものです。
彼は自分で引用しながら、自説を否定していることに気が付かなかったし、
今も気が付いていない。

326 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 12:41:53.23 ID:zdiWrc43.net
*漏尽智の前に解脱しているのか

沙門果経の論点の一つは釈尊が約八回繰り返している内容一つ一つが
別々な内容なのか、同じ内容なのかという文章構造の問題です。
普通の読解力を持つ人なら、釈尊はここで一つのことを表現を変えて、
繰り返すことで強調したのだから、これらはすべて同じ意味だと解釈する。
八つは同じ意味なのか、別々な八つのことを述べたのか、
ペテン大作さんはこれについては去年も表明していません。

どちらであっても、「心の安定・・・不動なもの」とは解脱です。
なぜなら「汚れなく」「心に付随する小さな煩悩をも離れ」の汚れとは
仏教では煩悩を指し、「汚れなく」とは解脱を意味することは、
すでに>>231で示したような経典を見れば十分です。

「努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」
(『ブッダ最後の旅』中村元、137ページ)

ここから見ても、八つが同じ意味なら、「心の安定」はじめ、
すべてが解脱を意味することは明らかです。
だから、ペテン大作さんは八つが同じ意味だという解釈を
採用することはできず、別々な意味だと主張するしかない。
実際、「心の安定」を彼は三昧で解脱ではないと述べた。
仮に「心の安定」が彼の言うような三昧であったとしても、「汚れなく」
「心に付随する小さな煩悩をも離れ」は解脱を意味しますから、
漏尽智の前の段階で煩悩が切れて、解脱していることになります。
つまり、ペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」「漏尽智で解脱する」は成り立たない。

327 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 12:48:44.68 ID:zdiWrc43.net
*アラカンの解脱を否定した!

「心の安定・・・不動なもの」の内、仮に「汚れなく」だけが
解脱を意味するとしても、すでに解脱しており、
その後に「諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け」と
あるのだから、「解脱→漏尽智」の順序であることは明らかです。
読者の皆さんはお気づきのように、これで漏尽智の議論は終わっており、
ペテン大作説「漏尽智→解脱」は否定されているのです。

彼は沙門果経の前半の結末を無視して、後の四諦に話を持ち込もうとしている。
ゴマカシですよね。
彼は「心の安定・・・不動なもの」が解脱ではないと証明しなければならない
のだが、証明しようとすれば、
「努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」
の「汚れのない」とは解脱ではないと主張しなければならない。
つまり、アーナンダは解脱していないと罵るしかない。

もっとも彼はアラカンの解脱を罵ることをあまり気にしないようです。
なぜなら、「心の安定・・・不動なもの」が解脱ではないと
彼は主張しているのだから、釈尊の解脱も否定してきたのです。
「汚れなく」「心に付随する小さな煩悩をも離れ」を見れば、
アーナンダの経典を引用しなくても、解脱だとわかります。
釈尊が八回も同じ内容を繰り返すという強調ぶりを見ても、
普通の事柄ではないのがわかり、解脱なら、ナルホドです。
そして、この解脱したアラカンの中には釈尊も含まれます。
これをペテン大作さんは、解脱ではないと否定した!
解脱したと説く釈尊に向かって「それは解脱ではない」と
十年以上にわたり、彼は言い続けている猛者です。
だから、今さら、アーナンダの解脱を否定しても、気にしないでしょう。

328 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 12:57:29.83 ID:zdiWrc43.net
*七回の繰り返しを七つの別なことと勘違いした仏陀の智慧

沙門果経で八回同じことを別な表現で強調されると、これを
八つの別な内容だと思い込むのは阿含宗ではお家芸です。
三十七道品の「念処・正勤・・・覚・道」と七回同じことを繰り返されると、
一つを強調したとは理解できずに、七つの別なことだと思い込んで、
シチカ三十七道品などと名前を付けて、自慢気に世間に公表した!?
信者も自慢気にシチカ三十七道品などと書いていた・・・ああ、恥ずかしい。
これを読んでいる信者さんたちもほとんどがあれは七科目の成仏法だと
信じているのでしょう?
あれは七つではなく、八正道一つのことだと説明しても、聴く耳を持たない。

信者さんたちは、「応供」を「供養に応える」と読んでいるのでしょう?
あれは、「供養に値する」くらいの意味で、応えるなんて意味はありません。
信者さんたちがおねだりしても、如来は教法以外は何もくれません。
ましてや、応供も如来も同じ意味で、「応供の如来」などと言ったら、
山に登山する、馬に乗馬すると言っているのと同じくらい無知な言葉です。

教祖は仏陀の智慧という高度の知性を持つと自慢しながら、
一つのことを七回繰り返し強調されると、七つの別な内容だと勘違いした。
信者は四谷大塚の秀才君を自慢しながら、八回、解脱を強調されても、
解脱したとは今でも理解できない。

329 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 13:04:19.00 ID:zdiWrc43.net
*成仏力とは四諦?!

信者さんたちはどうですか?
間脳を開くとか、霊性を顕現するなどと意味不明の絵空事を信じる前に、
学校で習った普通の読解力で釈尊の言葉を拝聴することです。
釈尊は、文字も書けない人たちに道端で説法し、彼らの中にはそれを
理解し、受け入れた人たちがいたのです。
釈尊の教法が今の教育を受けた日本人で理解できないような
難しい内容であるはずがない。
脳味噌を供養せずに、釈尊の言葉を自分の頭で考えて理解することです。
桐山さんを、高い知性と霊性で阿含経を体得したなどと信じていると、
シチカ三十七道品などという恥ずかしい主張や、因縁解脱などという
外道の解脱に染まってしまいます。

桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」という説が成り立たないことは、
ペテン大作さんが何年にもわたり何度も繰り返し証明している。
彼は八方ふさがりで、得意の屁理屈で逃げることもできない状態です。
これは彼個人の問題や、一部の教義の問題に留まりません。

信者さんたちに良く見てほしいのは「漏尽智=成仏力」だという点です。
信者さんたちが、破滅のカルマを切り、霊障のホトケを成仏させ、
悪因縁も切るという力こそが成仏力であり、漏尽智です。
その成仏力が阿含経の根拠がないのです。
阿含経から体得したはずの成仏力の根拠が阿含経にない。
あるはずもなく、成仏力など、漏尽智という名前だけ拝借した桐山さんの作り話です。

330 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/09/29(金) 13:10:46.26 ID:zdiWrc43.net
「仏教の本質はカルマを断滅する「力」に尽きる。この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、
この力を得るために、釈迦はたいへんな難行苦行を行った。」
(『準胝尊真言行とは』2015年、阿含宗教学部、8ページ)

ペテン大作さんでさえも、漏尽智の中身は四諦だと認めた。
漏尽智とは四諦の洞察のことですから、大筋で正しい。
つまり、成仏力は四諦だということになります。
四諦の苦集滅道で、破滅のカルマを切る?!
四諦の道諦で、霊障のホトケを成仏させる?!

四諦のどこに破滅のカルマがあるのだ?
四諦のどこに死者の成仏があるのだ?
四諦では護摩は禁止です。
四諦には先祖供養などない。
このように成仏力は阿含宗の大黒柱なのに、阿含経には根拠がない。

仏教用語や阿含経を引用しているから、いかにも仏教のように見せかけて
いるだけで、肝心要の成仏力さえも、少し調べると、嘘デタラメだとわかる。
普通の知性と良識のある信者さんなら、阿含宗の教義が
仏教とは似ても似つかない、オカルト教だと気が付きませんか。
信者さんの中には「自分は釈尊ではなく開祖様を信じている」と言うかもしれない。
その桐山さんは、阿含宗は純粋な根本仏教で、釈尊だけが成仏法を説いた
から、釈尊を信じろと信者に説いているのです。
こんなふうに、阿含宗の信仰は全部が前門の虎後門の狼です。
どうして逃げ場もないのだと思いますか?
阿含宗は阿含経や仏教の皮をかぶっただけで、桐山さんの嘘と妄想で
作られたオカルトにすぎないからです。

331 :神も仏も名無しさん:2023/09/30(土) 22:02:18.60 ID:GglMoCjV.net
※「心の安定・・・」は解脱ではない
>>326
>どちらであっても、「心の安定・・・不動なも
>の」とは解脱です。

素人同士の議論の場合は、専門家の見解で決着をつけるしかないですね。
多くの読者もそう思っているでしょう。
それで大先生の説ですが専門家の裏付けはありません。
先生独自の解釈を並べただけです。
「心の安定・・・」の文章が解脱を意味すると解釈した専門家の説明はありません。
逆に「心の安定・・・」を解脱以外の意味に解釈したものがあります。

「八種の禅定(samapatti)において自在になっていること」(『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、片山一良、55頁)

これが解脱なんですか? 違うでしょ。
だから大先生がいくらまくし立てたところで、それは仏教の素人の意見に過ぎず、学問的にも何の根拠も無い空論、戯論です。
望月仏教大辞典と同じで、ここでも深山説が嘘っぱちであることが証明されている。
悔しかったら神田の古書店街にでも行って「心の安定・・・」が解脱だと書いてある本を見つけてくるしかない。
でもそれは不可能です。
「心の安定・・・」が解脱だったら望月仏教大辞典の説明が間違いになってしまうからね。
だからもう諦めましょう。

332 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/30(土) 23:14:01.36 ID:qnDMXQLp.net
この男恥ずかしくないんかな?

333 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/09/30(土) 23:34:26.79 ID:qnDMXQLp.net
>>331
じゃあ解脱とは具体的にどういう状態?

334 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:11:19.53 ID:R3HYPxhO.net
>>0331神も仏も名無しさん2023/09/30(土) 22:02:18.60ID:GglMoCjV
>「心の安定・・・」が解脱だったら望月仏教大辞典の説明が間違いになってしまうからね。

あれだけ文章の読解の間違いを指摘されても、まだ望月佛教大辞典を出す!
これが桐山さんみたいに学校時代の劣等生だったなら仕方ないだろうが、
ペテン大作さんは四谷大塚の秀才君だったのだ!
小難しい文語体だから、最初は読み間違えるのも仕方ない。
だが、三年も前から私や他の批判側から二度、三度と文章構造を解説され、
彼の解釈は、日本語の文章解釈としても間違っていることを指摘された。(>>164〜)
「漏尽智とは、解脱してから・・・認識すること」という文章を、
彼は「漏尽智で解脱して・・・認識すること」と間違った読み方をしている。
仏教の解釈ではなく、文章の読解の間違いを指摘されたのです。
秀才君してはこれだけでもかなり恥ずかしい。

さらに秀才君は解説され間違いを指摘されても、まだ理解できないのです。
>>166で、他の人からの読み間違いを指摘を引用されただけでも恥ずかしいのに、
懲りもせずにまた同じ読み間違いをして>>318で指摘されても、
恥をかいたと彼は理解できないのです。
だから、331でまた同じ話を出してきた。
文章構造について秀才君らしく解説して反論するならともかく、なんにもなく、
まるで学習能力の低い子供みたいに、ただ同じ間違った解釈を並べただけです。
反応を見ればわかるように166や318を秀才君は読んでも理解できないのです。

335 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:18:24.47 ID:R3HYPxhO.net
望月佛教辞典の引用は、むしろ、ペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」を
否定している証拠です。
彼が引用した文章すべてが、漏尽智とは解脱した後のことだと書いている。
それを何度解説されても、誰から解説されても断固として
「漏尽智で煩悩を切る」と主張する。
だが「漏尽智で煩悩を切る」では次の矛盾が出てくると何度も指摘された。

矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

矛盾1への彼の反論の根拠を切り崩され、矛盾2で追い込まれて、彼は
シュダオンは煩悩を切れないなどという爆笑説を出して逃げた。
彼の説は惨敗で、論破された。
だが、彼の頭では矛盾が彼の説の否定になることが理解できないから、
針の飛ぶレコードのように、また「漏尽智で煩悩を切る」に戻る。

普通の人は矛盾1と2を説明できないなら「漏尽智で煩悩を切る」説を諦めます。
論理的に間違いを指摘されても無視したら、今度は自分の知能を
疑われるのが恥ずかしいからです。
だが、矛盾を指摘されてもペテン大作さんはなんともないという現実を見てください。
矛盾2に、シュダオンは煩悩を切れないと書いて、彼は恥ずかしくないのだ!?
私は長い間、彼は羞恥心よりも深山への憎しみや復讐心が勝っている
からと推測したが、そうではなく、論破されていることがわからないのだ。
つまり>>164>>318で何を指摘されたか、彼は理解できないから、
また恥の上塗りなのに、望月佛教大辞典の同じ主張を繰り返した。

336 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:24:46.82 ID:R3HYPxhO.net
>>0331神も仏も名無しさん2023/09/30(土) 22:02:18.60ID:GglMoCjV
>「心の安定・・・」の文章が解脱を意味すると解釈した専門家の説明はありません。
「八種の禅定(samapatti)において自在になっていること」(『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、片山一良、55頁)

また国語の読解力の問題です。
ペテン大作さんは、片山氏が「心の安定・・」を解脱だと書いていることがわからないのだ!?
片山氏の解釈は「八つの禅定」ではありません。
「八つの禅定において自在になっていること」です。
ペテン大作さんは「心の安定・・」を禅定と解釈しているが、そうではなく
片山氏は「自在になっていること」だと説明している。
仏教で自在になっているとは解脱のことです。
禅定において自在になっている、つまり解脱しているという意味です。
「八つの禅定において解脱していること」という意味です。
その証拠の一つが他でもない「汚れなく」です。
八つの禅定の中に「汚れなく」「付随する煩悩を離れ」が
入っているのだから、煩悩からの解放で、解脱そのものです。

望月佛教大辞典と同じで、わざわざ私の主張の根拠を引用してくれた。
だが、彼の目には「禅定」しか見えず、その後の「自在」が見えない。
望月佛教大辞典と解釈と同じで、彼は単語しか見えず、
こんな短い文章の構造を理解できないのです。

心の安定の説明は学者の解説などいらない。
釈尊本人がしばしば解脱を心の安定と表現しているからです。

337 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:34:07.08 ID:R3HYPxhO.net
*心の安定=解脱

「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。」
(『ブッダのことば』中村元、51ページ)

「その人々の迷いの生存は消え失せ、こなたの端に依存することなく、
その人々の境地は空にして無相であり、心の安定統一であるならば、
かれらの行く道はたどり難い。
空飛ぶ鳥の行く道のたどりがたいようなものである。」
(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元、264ページ)

「(托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。
他人の得たものを羨むな。
他人を羨む修行僧は心の安定を得ることができない。」
(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元、61ページ)

普通の読解力のある皆さんは、この釈尊の言葉を読んで、心の安定が解脱を
意味していることはすぐにわかったでしょう。
たぶん、これらの経典にある「心の安定」の原語も同じ三昧(samadhi)でしょう。
「この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない」という表現を見ても、
禅定という狭い意味ではなく、解脱そのものであることは明らかです。
釈尊はこのように心の安定を解脱という意味で良く使い、沙門果経も例外ではありません。

338 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/02(月) 12:39:29.04 ID:J2K60cIM.net
そもそも「深山のいう境地はまだ解脱ではない」と主張するのなら、
じゃあ「解脱とはそれよりも進んだこういう境地である、だから深山の主張は間違いである」
と論じるべきなんですが、彼にはそれは絶対にできないでしょうね~www

339 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:40:20.09 ID:R3HYPxhO.net
*釈尊から説かれても受け入れない

これらの経典は去年も引用しました。
それに対してペテン大作さんは何と反応したと思いますか?
読者の皆さんは失笑する準備をしてください。
ペテン大作さんは、引用したのは沙門果経ではないからダメだというのです。
その沙門果経に「心の安定・・・」が30回近く頻出します。
これを見ても「心の安定・・・」がものすごく重要な概念であることは明らかで、
実際、単なる禅定なら30回近くも繰り返すはずはなく、
解脱という意味だからこそ、繰り返し強調したのです。
沙門果経とは、仏教の解脱の果報を大王に説明した経典ですから、
仏教の解脱とはこれほどの果報があると説明したのです。
その説明の冒頭に「心の安定・・・」とあり、その後に果報が説明されています。
この説法の構造を見れば、「心の安定・・・」が解脱でなくて何なのですか?

三明六通の直前には「心の安定・・」がすべて繰り返される。
ペテン大作さんによれば、それを解脱ではないというのだから、
仏教では、漏尽通以外の五通はアナゴンが獲得するらしい。
そんな経典や学者の解説はありません。

釈尊本人からの説法すらもペテン大作さんは理解できないのだから、
私が何を言っても無駄なのは当たり前なのでしょう。
それはペテン大作さんだけではありませんよ。
信者さんたちも、釈尊が禁止しているのに占いや護摩をしている。
釈尊が煩悩解脱だと言っているのに、因縁解脱だと信じている。
ペテン大作さんと同じですよね。
他の信者さんたちに一つだけ助言をするとペテン大作さんの真似をしないことです。
真似とは「心の安定・・・不動」を解脱ではないと主張することです。
それは釈尊の解脱を解脱ではないと罵る行為です。
そんな悪業と報いを受けるのはペテン大作さん一人に任せましょう。

340 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:46:35.41 ID:R3HYPxhO.net
*桐山説との矛盾はどうなった?

ペテン大作さんは桐山先生から二つも宿題をもらったのに、さぼっている。
その一つが、>>259で指摘したように、漏尽通で煩悩を切るという桐山説を
ペテン大作さんは否定していることです。↓

「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)

>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

ごらんのように、桐山さんとペテン大作さんでは正反対の主張です。
ペテン大作さんは>>194で引用した沙門果経にあるように、
漏尽智であって、漏尽通ではないという主張です。↓
「諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた」
つまり、「漏尽智≠漏尽通」という珍説の再開です。
彼は三年前も同じことを主張していた。↓

341 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/02(月) 12:48:42.55 ID:J2K60cIM.net
私の記憶によると、ペテン大作さんは解脱が何であるかは、そんなものは到達しないとわかるはずがないと書いたことがあると思う。
私の記憶が間違ってなければ。
いえいえ、沙門果経は阿闍世王に対して出家の沙門の得る果報を順を追ってわかりやすく説いたものだから
その最後の解脱がなんであるか示さずにどうするんですか?
阿闍世王に理解など得られるはずがない。

342 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/02(月) 12:50:13.69 ID:J2K60cIM.net
結局学者の文章をわかりもしないのに引用だけしてみせて、解説なんてできないのです。
自分の頭でこれっぽっちも理解していないからです。学者の論説も。

343 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 12:53:42.26 ID:R3HYPxhO.net
>280神も仏も名無しさん2020/12/20(日) 10:31:51.58ID:jqtTmV7x
>「漏尽通と漏尽智は同一ではない」

ペテン大作説「漏尽智≠漏尽通」だと、六通では6つの神通と6つの智慧の、
合計12種類の神通と智慧を体得することになる!
彼の説だと、三明とは3つの明知(智慧)ではなく、3つの神通と3つの智慧の
合計6種類の神通と智慧を体得することになる。
宿命智を得た後に宿命通を得る??
宿命智と宿命通は何がどう違うのだ?
そんなことが書いてある経典はどこにあるのだ?
沙門果経では六通を智慧と表現しているが、ではどこに六神通が出て来るのだ?
漏尽通など一言も出て来ない。
「漏尽智=漏尽通」だから、この経典では智慧として説法しているのです。
なによりも、阿含宗では「漏尽智=漏尽通」です。

「この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、・・」(『準胝尊真言行とは』)

これを三年前にも引用され、反論されて、彼は一度「漏尽智≠漏尽通」を
撤回し、今回、9月の中頃までは「漏尽智=漏尽通」だった。
だが、数年前に論破されたことなどすっかり忘れて、また目先の矛盾を
誤魔化すために、「漏尽智≠漏尽通」を唱え始めた。
犬でも一度痛い目に遭うと次から気を付けるのに、彼はまた同じ轍を踏んだ。
彼は今回はまだ「漏尽智≠漏尽通」を撤回していません。
桐山説「漏尽智=漏尽通」に逆らうのは彼の自由だが、彼の説は
仏教の教義でも阿含宗の教義でもなく、単なる自分教にすぎません。

344 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 13:01:01.18 ID:R3HYPxhO.net
>>0313神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:29:54.12ID:towd8XlY
「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

この文章はペテン大作さんの「漏尽智≠漏尽通」説を否定していることにわかります。
ペテン大作説では、漏尽智で煩悩を切り、漏尽通で煩悩を切ったことを
確認する能力だから、両者は違うという。
だが、上記の説明によれば、漏尽智とは、輪廻しないことを「了知」した、
つまり確認したとあるのだから、煩悩を切ったことを確認することも含めています。
仮に、ペテン大作説のように、漏尽智で煩悩を切ったと解釈しても、
その後に、「了知」とあるのだから、漏尽智とは解脱を確認することも
含まれていることになります。
ペテン大作説では、解脱の確認は漏尽通なのに、望月佛教大辞典では
解脱の確認も漏尽智だとある。
望月佛教大辞典はペテン大作さんが自説の根拠として引用した。
だが、それが自説の否定になることに気が付かないのです。
>>336で指摘した片山氏の文章の引用と同じパターンで、彼は単語しか見えず、
文章全体の意味を理解することができないのです。

345 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 13:07:38.02 ID:R3HYPxhO.net
*四諦で解脱するのか、しないのか?

桐山さんからの二つの目の宿題は、さらに深刻です。
ペテン大作さんは四諦の道諦、つまり八正道で解脱すると述べているが、
桐山さんは八正道では解脱できないと述べている。(>>311)↓

「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは
完全には解脱できない。」 (『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

>>0301神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 22:39:16.24ID:knn4MNUe
>この漏尽智の内容は四諦なので、修行者は苦諦→集諦→滅諦と進めて行き、最後の道諦を終えた時に阿羅漢になります。

それで、ペテン大作さんは桐山説とペテン大作説のどちらを選択するのだ?
信者としては桐山説を否定することできないから、採用するしかない。
だが、桐山説を採用すれば、ペテン大作説と矛盾するだけでなく、
学者たちの解説とも矛盾する。
これまで学者の解説を曲解してでも根拠としてきた彼にしてみれば、
学者の説を否定すれば、深山に投げつけた、

「学問的にも何の根拠も無い空論、戯論」(>>331)

という罵りが彼自身に戻る。
毎回、天にツバして自分の顔にかかっているのだから、やめておけばいいのに、
彼は自分の失敗を学習しないから、毎度この有様で、またやるでしょう。
失敗を学習するかどうかも、知性の問題です。

346 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 13:14:25.15 ID:R3HYPxhO.net
*ペテン大作さんの正しい結論

信者さんたちに良く見てほしいのは、ペテン大作さんは
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」を擁護しているうちに、
ついには桐山さんその人から行先を遮られていることです。
どうしてかわかりますか?
ペテン大作さんを擁護するなら、彼は正しい主張をしてしまったから、
桐山説とぶつかったのです。

それが「道諦で解脱する」つまり、「八正道で解脱する」と主張した点です。
八正道で煩悩を切って解脱するというのは釈迦仏教では正しい。
ペテン大作さんは長年、阿含宗を擁護したつもりで、経典と学者の解釈を
背景にして主張した結果、途中の考察はデタラメで間違えているが、
結論だけは「八正道で解脱する」という正しい仏教の教義に到達した。
正しい仏教だから、阿含宗の教義を正面から否定することになったのです。
つまり、阿含宗の教義が仏教から見たらデタラメだとペテン大作さんが証明した。

彼が普通の知性を持っていれば、矛盾にぶつかって自爆するから、
だいぶん前に阿含宗擁護は止めていたはずです。
幸い、彼は矛盾を指摘されても意味が理解できず、しかもきれいに忘れて
しまうから、二十年近くも、阿含宗のインチキを暴露し続けている。
ちょうど、阿含宗の教義を知らない宝生ソウカ大人がずっと擁護を
続けられるのと同じ理由です。

347 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 13:21:41.61 ID:R3HYPxhO.net
*ペテン大作さんの逃げ道

そこでペテン大作さんの逃げ道を信者さんたちも考えてください。
沙門果経の釈尊の教法からは「八正道で解脱する」という結論しか出てこない。
ペテン大作さんでさえもそう結論づけた。
しかし、桐山さんは「八正道では解脱できない」というのだから、釈尊の
教法を採用すれば桐山さんを否定し、裏切ることになり、
ペテン大作さんは絶対に避けたい。
それは桐山さんへの尊崇からではなく、深山の主張を認めることは
死ぬほど嫌だからです。

ここから出てくる彼の逃げ道は、「道諦≠八正道」という愚説です。
「道諦≠八正道」は愚説だが、このスレの主旨に沿った主張です。
この愚説を私が紹介するということは、この愚説を唱えたとたん、
またしても別な、そして致命的な矛盾にぶつかるという意味です。
ペテン大作さんに逃げ場などありません。

ペテン大作さんは引き返して「漏尽智で煩悩を切る」という最初のボタンの
掛け違いを認めない限り、行き止まりの迷路をウロウロするだけです。
視野が狭く、何を指摘されたのか、理解できず、しかも自分のミスをすぐに
忘れる彼は一生、また来世もこの有様でしょう。

348 :神も仏も名無しさん:2023/10/02(月) 13:51:08.29 ID:VDjcmbQQ.net
※大先生はスリ替え名人

>>327
>「心の安定・・・不動なもの」の内、仮に
>「汚れなく」だけが
>解脱を意味するとしても、すでに解脱してお
>り、

最初、大先生は「心の安定・・・不動なもの」の語句全部が解脱を意味すると言っていた。
心の安定=清浄=汚れなく=不動なもの、・・・=解脱だと言っていたのです。
それがここに来て汚れなくだけが解脱だとトーンダウンした。
そのわけは心の安定が三昧、禅定の意味であることをバラされたからです。
そこで汚れなくだけを攻めようと方針転換したのです。
また、ここで大先生はすり替えもしています。

>>326にある
>実際、「心の安定」を彼は三昧で解脱ではない
>と述べた。

心の安定=三昧は私でなく中村先生が説明されていることです。
それを大先生は、私の主張にした。
中村説を私の説にすり替えたのです。
そうすることで心の安定=三昧説を間接的に否定しているのです。
何て汚い手を使うのだろう。
この大先生は他人のアラを糾弾するくせに、自分はこのようなことを平気でする人です。

349 :神も仏も名無しさん:2023/10/02(月) 15:07:15.70 ID:VDjcmbQQ.net
そこで大先生の都合による方針転換説ではなく、最初の深山説「心の安定=清浄=汚れなく=不動なもの、・・・」を尊重することにしましょう。
中村説では、心の安定=三昧≠解脱なので
「心の安定・・・」全体も≠解脱になります。
従いまして漏尽智に心を向ける前は≠解脱であり、漏尽智後に解脱することになり、漏尽智は煩悩を滅する智になります。
これは多くの仏教辞典にある記述と一致するものです。
大先生がこの現実をどうしても受け入れたくないならば元にある学者説を否定しなさい。
私のような仏教の素人を攻めるのは、弱い者イジメしか出来ない卑怯な、人間のクズのすることです。

350 :神も仏も名無しさん:2023/10/02(月) 15:10:34.01 ID:VDjcmbQQ.net
そこで大先生の都合による方針転換説ではなく、最初の深山説「心の安定=清浄=汚れなく=不動なもの、・・・」を尊重することにしましょう。
中村説では、心の安定=三昧≠解脱なので
「心の安定・・・」全体も≠解脱になります。
従いまして漏尽智に心を向ける前は≠解脱であり、漏尽智後に解脱することになり、漏尽智は煩悩を滅する智になります。
これは多くの仏教辞典にある記述と一致するものです。
大先生がこの現実をどうしても受け入れたくないならば元にある学者説を否定しなさい。
私のような仏教の素人を攻めるのは、弱い者イジメしか出来ない卑怯な、人間のクズのすることです。

351 :神も仏も名無しさん:2023/10/02(月) 15:11:14.98 ID:VDjcmbQQ.net
そこで大先生の都合による方針転換説ではなく、最初の深山説「心の安定=清浄=汚れなく=不動なもの、・・・」を尊重することにしましょう。
中村説では、心の安定=三昧≠解脱なので
「心の安定・・・」全体も≠解脱になります。
従いまして漏尽智に心を向ける前は≠解脱であり、漏尽智後に解脱することになり、漏尽智は煩悩を滅する智になります。
これは多くの仏教辞典にある記述と一致するものです。
大先生がこの現実をどうしても受け入れたくないならば元にある学者説を否定しなさい。
私のような仏教の素人を攻めるのは、弱い者イジメしか出来ない卑怯な、人間のクズのすることです。

352 :神も仏も名無しさん:2023/10/02(月) 15:13:14.08 ID:VDjcmbQQ.net
ダブリ済まん

353 :神も仏も名無しさん:2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ.net
「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

354 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/02(月) 21:47:30.19 ID:aPVKAnmA.net
>>350
それはこういうことなんですよ。
実はかなり昔から同じことを説明してますが。
禅定による三昧の境地も心の安定です。
解脱の境地も心の安定です。
じゃあ解脱=三昧、三昧=解脱かというとこれは違う。
どう違うのかと言うと、三昧はあくまでも禅定瞑想をやってる最中の心の状態です。
で、何も仏道修行者でなく当時のインドの外道の行者だって瞑想して心が散乱するなんてことはない。
そんな奴はヘボの初心者だけです。
外道の瞑想の滅尽定なんて全く何も感じることもなくなるのですよ。
心が乱れるはずないじゃありませんか。
また禅僧が座禅をしている。禅僧に脳波計を装着して計測した実験データは桐山本にも紹介されてますね。
チャリーンという音を聴いて普通の人はそこで脳波が乱れ、その影響が尾を引く。
しかし達人の禅僧ともなれば音には反応するけどすぐに脳波は元に戻る。
また音を聴かせると反応するがその時だけです。
つまり音を音として認知するだけでそれ以上の迷いに発展させない。
つまり心の安定です。
こんな境地なら外道の瞑想でも達することができる。
できない奴がヘボな未熟者なだけで。
そして釈尊はその外道の滅尽定まで体得したのですよ。
でも解脱は得られなかったとしている。
これってどういう意味かわかりますか?
瞑想の真っ最中だけでなく瞑想も解けた後でも日常生活をしながら何事があっても心は乱されず迷わず安定する、
これこそが解脱なんです。
そこが三昧と解脱の違いです。
仏道修行者は禅定瞑想もするが、瞑想のお時間だけでなく日常生活において心の安定平安を得たのは
日頃から戒定慧の生活をしてきた成果です。
沙門果経も四禅を終えた時点での心の平安を語っているでしょ。
つまり禅定解けても心は安定しており解脱していた。
この人が四諦の真理の観察に再度心を向ける。
ありのままに観察するだけです。
すると、
「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る」
ことが自分自身の中で証明できたのですよ。
これが解脱知見です。
解脱知見(漏尽智、漏人生通)を得られたのは解脱していたからです。
単なる三昧でなかったのです。

355 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/02(月) 22:01:24.62 ID:aPVKAnmA.net
漏人生通→漏尽通

356 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:04:52.23 ID:R3HYPxhO.net
>>0348神も仏も名無しさん2023/10/02(月) 13:51:08.29ID:VDjcmbQQ
>そのわけは心の安定が三昧、禅定の意味であることをバラされたからです。

バラされた!?
ペテン大作さんは、今回初めてこれを書いたと思っているのだ!?
昔からペテン大作さんが書いていることを私はすでに紹介していることも
読んでいないのだ!

>0232深山 ◆lDoupiXSYZNC2023/09/23(土) 13:18:13.96ID:GwUlRDd
>単なるサマディ(禅定)の話なら、何度も別な言葉で強調する必要はないはずです。
>>0326深山 ◆lDoupiXSYZNC2023/09/29(金) 12:41:53.23ID:zdiWrc43
>実際、「心の安定」を彼は三昧で解脱ではないと述べた。

ペテン大作さんが今回、心の安定を禅定だと書いたのは331の9/30です。
私はその一週間も前から、前から彼が心の安定をサマディ(禅定)、三昧と
主張してきたと書いている。↑
なぜなら、彼は何年も前からそれを根拠にして「心の安定・・・不動」は
解脱ではないと主張してきたからです。
私の書き込みを読みもしないで、まるで片山氏の文章で
私が初めて気が付いて、説を変えたかのような言い方です。
ペテン大作さんは、本当に過去の議論の何も覚えていないのだ!!
普通自分の主張くらい覚えているはずなのに、記憶にないらしい。
文章の読解どころか、記憶力にも相当な問題がある・・・もう認知症?

357 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:11:47.77 ID:R3HYPxhO.net
>686神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad
>だから「心の安定」という訳語に執着して、
>他の経典で解脱の意味で使われているからといって、三学経典でも解脱であるということにはならないのです。

ペテン大作さんて、自分が書いたことさえも覚えていないのですね。
↑これは今から四年前のペテン大作さんの書き込みです。
私が心の安定(心の統一)とは解脱の意味だという証拠として、
>>337の阿含経を示したことに対する彼の反応が↑これだった。

「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。」
(『ブッダのことば』中村元、51ページ)

彼は今回が初めてではなく、四年も前から、中村博士の説明に心の安定
とは三昧と書いてあるから、心の安定は解脱ではないと主張した。
自分で書いていて忘れて、自慢している・・・みっともない。
それにしても、ペテン大作さんは自分で片山氏の
「禅定において自在になっている」(>>336)
というわかりやすい説明を引用しても、まだ意味がわからないのだ。
まるでペテン大作さんの知能検査をしているみたいになってきた。

358 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:21:07.02 ID:R3HYPxhO.net
>>0349神も仏も名無しさん2023/10/02(月) 15:07:15.70ID:VDjcmbQQ
>中村説では、心の安定=三昧≠解脱なので
>「心の安定・・・」全体も≠解脱になります。

前と同じで「心の安定=三昧≠解脱」などと、証明しなければならないことを
まるですでに証明されたかのように誤魔化すのが、彼の得意技です。
私が前に何と反論したかも忘れている。
ペテン大作さんは、中村博士の註を自分で引用しながら、都合の悪い事は見ない。
彼が引用した中村博士の註の隣には、次のようにも書いているのです。

「間をおかぬ心の安定-----(中略)この禅定を得た直後に、間をおかずに、
なんらの障擬なくして聖果を得るので、このようにいう。」
(『ブッダのことば』中村元、300ページ)

心の安定を得た比丘は「間をおかずに」聖果、つまり解脱するという意味です。
ペテン大作さんの大好きな瞬間解脱です。
心の安定と解脱は間をおかないのだから、「心の安定=解脱」です。
普通の読解力があれば、こんな説明をしてもらわなくても、経典の
「この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。 」(>>357)
という一文を見れば、心の安定を得た者は解脱者だとわかりますから、
心の安定とは単なる禅定(三昧)ではなく、解脱そのものだとわかります。
つまり普通の読解力のないペテン大作さんには無理です。

359 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:28:54.65 ID:R3HYPxhO.net
*インネン付けの阿含宗の信者

>>0348神も仏も名無しさん2023/10/02(月) 13:51:08.29ID:VDjcmbQQ
>それがここに来て汚れなくだけが解脱だとトーンダウンした。

さすがはインネン付けの阿含宗の信者らしい。
「仮に」(>>327)ときちんと説明しているにもかかわらず、
私が途中で説を変えたかのようなインネンを付けている。
あるいは「仮に」という日本語の意味を彼は理解できないのかもしれない。
これまでの読解力からいうと、こちらでしょう。
私は主張を変えたことなどありません。
彼のように卑怯者ではありませんから、変えたら変えたと説明します。

>>0326深山 ◆lDoupiXSYZNC 2023/09/29(金) 12:41:53.23ID:zdiWrc43
>沙門果経の論点の一つは釈尊が約八回繰り返している内容一つ一つが
>別々な内容なのか、同じ内容なのかという文章構造の問題です。
>普通の読解力を持つ人なら、釈尊はここで一つのことを表現を変えて、
>繰り返すことで強調したのだから、これらはすべて同じ意味だと解釈する。

御覧のように、私は釈尊は八回同じ内容を繰り返しているから、すべて
「同じ意味」、つまり解脱だと述べていますから、説など変えていません。
彼はわずか数日前に私が書いたことを読まない、記憶しない、インネンだけ付ける。
どうしてペテン大作さんがこんなに簡単に反論される内容に
インネンをつけたのでしょう?
私から「漏尽智≠漏尽通」の件で、クルクルと主張を変えている醜態を
引用され、嘲笑われたから、その同じ手を使ってやり返したつもりなのです。
気の毒に、彼はこういう時でさえ、憎い相手の物真似しか思いつかない。

360 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:39:15.20 ID:R3HYPxhO.net
>>0353神も仏も名無しさん2023/10/02(月) 15:19:32.83ID:VDjcmbQQ
「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

まただ・・・。
ペテン大作さんはこの文章で「漏尽通で煩悩を切る」と勝手解釈しているらしい。
だが、その解釈自体がペテン大作さんの主張と矛盾することに気が付かないのだ!
ペテン大作さんはいつから、「漏尽通で煩悩を切る」という説になったのだ?
あなたは先月末から、
「漏尽智≠漏尽通」
「漏尽智で煩悩を切る」
「漏尽通で煩悩がないことを確認する」
と主張を変えた。
この説明が違うというなら、自説を表明してはどうか。
『新・佛教辞典 第三版』の文章を引用したら、自説と矛盾する。
あなたの解釈では「漏尽通で煩悩を切る」になってしまうのですよ。
こんなことも気が付かないのですね。
よくまあ、懲りもせずに自爆ネタを次々と出すものだ。
自分でコケテいるのに、また深山を逆恨みするのでしょう?

361 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:45:27.44 ID:R3HYPxhO.net
>46 :神も仏も名無しさん :2011/02/13(日) 14:29:00 ID:PweGcPUb
「2.『漏尽通 :現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、
  すなわち本能に基づく心の動揺をとり迷いなきに至る能力』・・・(『新・佛教辞典』中村元監修・誠信書房、223頁)

読者の皆さん↑これの日付をごらんください。
今回353でペテン大作さんは初めてこの文章を引用したかのように錯覚して
いるようだが、すでに12年前に引用し、私から反論されているのです。
彼は12年前、七つの文献を引用したその一つです。
自分が引用したことも忘れて、そのうち他のも得意気に引用するのでしょうね。
だが、どんなに引用しても無駄です。
彼の頭の中には勝手な解釈しかない。

そもそも上記の文章にも「漏尽通で煩悩を切る」などありません。
学者の解説は前にも示したように「煩悩を滅する智」という表現で代表されます。
なぜなら、これは学者の説ではなく、沙門果経の中で釈尊がこのように
表現しているからです。
いくら学者の解説の数を増やしても無駄で、元が同じなのだから、
沙門果経に戻り、確認するしかないのです。
そして、今回もすでに沙門果経の議論は終わっています。
すると、彼は毎度、また学者の同じような解説を持ち出すのです。
その学者の説の元が沙門果経であり、そのために議論していたのだろうと
彼に指摘しても、彼の頭では理解できないから、何度も得意気に出す。
>>353を見ればわかるように、彼は引用だけで説明もしません。
どんなもんだいと、本人はすっかり勝利した気分なのです。

362 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:51:37.80 ID:R3HYPxhO.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適応し、不動なものとなると、かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」(『原始仏典1』春秋社、105〜107頁)

沙門果経の「煩悩を滅する智」に「漏尽智で煩悩を切る」という意味はありません。
なぜなら、その前の「心の安定・・・不動」が解脱を意味しているからです。
「汚れがない」というたった一つを見ても、解脱していることは明らかで、
漏尽智はその後に出てくる。
「解脱→漏尽智」であることはあまりに明瞭です。
四諦を洞察することで解脱したことを確認するのが漏尽智です。

この漏尽智を「漏尽智で煩悩を切る」と解釈すれば、様々な矛盾が出てきます。
つまり、ここで議論は>>335に戻ります。
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない
この矛盾をペテン大作さんは説明できない。
だから、成り立たないと指摘しても、その直後から、今回のようにまた得意気に
学者の解説を引用して「漏尽智で煩悩を切る」が始まる。
彼は記憶できないから、同じ所をグルグル、少なくともこの十数年間
回り続けても、飽きない。
「漏尽智≠漏尽通」のように、その場しのぎに説を唱えて、反論されても、
やがて自分が自爆したことも忘れて、今回のようにまた同じことを主張する。

この愚か者を相手にせず、他の信者さんたちは心の安定とは
どういう意味か、次の阿含経を読んでください。

363 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 22:57:53.59 ID:R3HYPxhO.net
「わたしの庵はよく葺かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うがままに、雨を降ら
せ。わたしの心はよく安定し、解脱している。わたしは努力をつづけている。天の神よ、雨
を降らせ。」(『仏弟子の告白』中村元、8頁)
「〔屍体を遺棄する〕寒林におもむいた修行符は、ひとりいて、満足し、心を安定させている勝
利者であり、身の毛のよだつことも無く、身体について専念しつづけている剛毅な人である。」(『仏弟子の告白』中村元、9頁)
「知慧のカあり、戒しめと誓いを身に具現し、心が安定し、瞑想を楽しみ、落ち着いて気を
つけていって、適当な食物を食する人は、食りを離れて、この世で死ぬ時を待つべきである。」(『仏弟子の告白』中村元、11頁)
「みずからを制することなく、うろつき廻りながら、種々の国々におもむく。もしも心の安
定を失っているならば、国々を歩き廻るのに何の用があろうか。それ故に倣慢を抑えて、心
が乱されることなく、瞑想せよ。」(『仏弟子の告白』中村元、18頁)
「信の心をもって、わたしは家を出て、家無き(修行者の境地)におもむいた。わが正しい念
いと知慧とは増大した。わが心はよく安定している。〔悪魔よ。〕いろいろの形を現わすがよ
ぃ。しかしわたしを悩ますことはできないであろう。」
「地は雨水を濯がれ、風は吹き、雷の電光は空を駈ける。(しかし)わが省察作用は静まり、
わが心はよく安定している。」(『仏弟子の告白』中村元、22頁)
「麗しいメロディで(空の)神は雨を降らす。わが庵は屋根を葺かれ、風を防ぎ、快適である。
そうして、わが心はよく安定している。さあ、(空の)神よ。もしも欲するならば、雨を降ら
せ。」(『仏弟子の告白』中村元、23頁)

364 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/02(月) 23:05:05.11 ID:R3HYPxhO.net
「わが心はよく安定している」(>>363)

ペテン大作さん以外の信者さんたちはごらんになっていかがですか?
『仏弟子の告白』の本文は230頁ほどで、その最初の23頁、つまり一割
ほどの経典の中に、これだけ「心の安定」があるのですから、
全体ではどれほどあるか想像がつくでしょう。
これらの言葉を残した長老とは、全員が解脱者、アラカンです。
解脱とは一言も出てこないが、全部解脱した境地を表現している。
「心の安定」が解脱の境地を表していることはあまりに明瞭です。
363の経典は八年前にも引用しました。
八年間にペテン大作さんはただの一歩も、1cmも進歩できなかった。
アラカンたちの言葉さもえ、読解力のない彼の耳には届かなかった。

「八種の禅定(samapatti)において自在になっていること」(『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、片山一良、55頁)

ペテン大作さんが引用した上記の文章で「禅定において自在になっている」
と表現しているのも、経典の境地と一致します。
ペテン大作さんは「禅定において自在になっている」というわかりやすい
説明文を自分で引用しても、まだ理解できないだから、
まあ、この人の知性ではやはり無理なのでしょう。

365 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 08:10:00.36 ID:bWk7gqQu.net
>>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

上記が四諦の真理を我が身に体現証明したという他の神通力とは比べ物にならないほど価値のある
神通力という話です。
四諦の真理を実に一言で説明できた文章だと思います。
で、ここからの話はペテン大作さんの超狭い興味は別として、他の阿含宗のマトモな信者さんに呼び掛ける問題提起です。
何しろペテン大作さんは桐山さんがとくとくと説いてきた桐山四諦の話も知りませんからね。
だから四諦の話なんか矛盾も感じず出せる。
まあよほど当初から仏教に興味がなかったのでしょう。
だから仏教の基礎知識すら押さえていない。
それはさておき、皆さんは上記の四諦の真理を読んで、なるほど、桐山開祖がお示しになったとおりだと思いますか?
それはペテン大作さん並みに文章に対する鋭敏さが欠けてますよ。
あれ?と感じなければならないのです。
桐山四諦解説は実は間違っているのです。
それを解説していきます。
桐山四諦は道諦は八正道ではないとしたところが大間違いなんですが、それだけではないんです。
集諦も大間違いだし、そもそも苦諦の捉え方からして大間違いです。

366 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 08:20:42.59 ID:bWk7gqQu.net
>>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

まず桐山さんがとくとくと語ってきた桐山四諦を示しましょう。
桐山さんは誰にでもわかりやすく示したつもりのそれを。

「お前、苦しいだろう?」
「はい、苦しいです」
「なんで苦しいかわかるか?」
「いえ、わかりません」
「それはだな、集めているからなんだ。苦しみのモトを集めているからなんだ」
「なるほど、なんとなくわかる気がします。で、どうしたらよいのでしょう?」
「なくせ!滅せよ!その苦しみのモトを滅してしまうのだ」
「なるほど!たしかにその通りで目からウロコが落ちたような気がします。で、どうやって滅すればよいのでしょう?」
「ここに道がある!仏道だ!この道をただひたすらに歩め!」
「なるほど!わかりやすい真理ですね。よくわかりました」

さていかがでしょうか?
ここから感じ取れる話はどういうものでしょうか?

367 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 08:32:25.30 ID:bWk7gqQu.net
>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

実は桐山さんは集めている苦のモトを普段から信徒に説き続けており、それは阿含宗の信仰の根幹目的となっています。
それが因縁解脱とやらいうもので、そうです、苦のモトとは自分の運命を苦しい境涯に導く悪因縁とやらです。
その悪因縁の一つに例えば癌の因縁があります。
癌になると苦しいですからね。
この癌の因縁(運命のモトなんだそうな)を切る、滅する。
インネンゲダツですね。
さすれば癌になることもなく健康な人生を送ることが可能になる。
苦の人生は楽な人生へと転じるというおハナシです。
実はここの捉え方が仏教的には完全に間違っているのです。

368 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 08:54:28.47 ID:bWk7gqQu.net
続きはお昼にでも。

369 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 12:27:52.59 ID:bWk7gqQu.net
テスト

370 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 12:43:08.28 ID:bWk7gqQu.net
>>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

では本当の仏教の苦諦とはなんでしょうか?
それはこの辞典に書いてあるとおり現在の生が苦であることを悟るのです。諦観するのです。
全ては苦である。一切皆苦。これ自体が悟りと言って過言はない。
具体的には四苦八苦を説きますね。
生老病死の四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を入れて八苦です。
これらは全ての人間に当たり前に備わったものです。
必ず死ぬし、老いるし、病気にもなるし、生きていくこと自体苦だし、
愛する人や物と永遠に離れることがないなんてあり得ない。
自分の周囲には常に自分の気に入らない人や物などないなんてこともありえない。
求めて得られぬことはなく常になんでも求めるとのは叶うなんてこともない。
だから私はアラカンポ先生によく質問していたのだが、仏教における苦の解決法とは
死ななくなることか?不老不死を得ることか?なんでも思い通りに叶うことなのか?と。
つまりこれらは求めること自体ナンセンスな話だとわかります。
それを求めること自体が不当な煩悩です。
だから仏教の四諦の苦諦、集諦、滅諦とはガンの因縁を集めているからその因縁を滅してガンという苦はなくなり
健康という楽が得られるなんて構図の話ではないのです。

371 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 12:51:42.70 ID:bWk7gqQu.net
>>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

人生は苦であると諦観する。
これは受け入れるしかない。
この苦を増幅しているものがある。
それが煩悩です。
煩悩を減らし無くすことによりこの世で受ける苦は病気なら病気、老化なら老化、死なら死だけになります。
しかしそれに対する不安やらなんとかならないかなどとあれこれ余計なことを考える、これが煩悩です。
この煩悩を捨てることによって、一の矢は受けても二の矢は受けなくなります。
それが滅諦だが、上の辞典はこれを端的に「迷いなきに至る」とある。
そうです。つまり解脱で得られる境地とはこの迷いが無くなることなんです。
あくまでも自分の心の問題です。
身体の病気や老化などの情況は何も変わりません。
しかしそれは人間として当たり前のことなんだからありのままに受け入れる。
これが苦諦ですね。
この基本で苦を余計に増幅せず迷いだけが無くなるという滅諦の悟りを得るのです。
だから桐山因縁解脱とは全然違う話であり、桐山さんも阿含宗の信者も実は四諦の真理、さとりを知らないのです。

372 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/03(火) 12:54:51.39 ID:bWk7gqQu.net
>>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

集めているものを煩悩とせず、インネンとしてしまったことが大間違いなんです。
桐山さんもウンメイの星としてのインネンを説く時、それは前世からの煩悩により生じたものであるかのように一応説く。
しかしそんな話ではないのです。
前世の煩悩ではなく現世で今自分自身が対峙して観察によって自覚もできる煩悩のみが滅する対象です。

373 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/04(水) 07:49:44.83 ID:HiR2JTMK.net
>>353 神も仏も名無しさん 2023/10/02(月) 15:19:32.83 ID:VDjcmbQQ
>「現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
>(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁「漏尽通」)

苦(結果)←集(因)
滅(結果)←道(因)
とされます。
これは仏教も桐山教も同じです。
仏教の集諦は煩悩で阿含宗の集諦は因縁ですが、仏教が煩悩重視であることを無視もできないので、
観音慈恵会の昔より因縁の手鏡帳を作って心の因縁としています。
煩悩との対比表もあります。
いかにも根本仏教に則っているかのように。
しかし貪りとか怒りの煩悩からガンなどの病気が生じたなんて経典のどこにも書いてません。
また桐山心解脱行をすればガンの因縁がそれだけで切れるなんて阿含宗でも認めてません。
心解脱行は助行のようなもので、別の因縁解脱法による本行があるのです。
桐山さんは間にカルマを挟むわけですね。
アラカンポ先生が擁護してた惑→業→苦ですね。
悪い煩悩が悪い行為を生みその報いの苦を受けるというもの。
ガンも生活習慣病と言われ、悪習慣を改めることにより防ぐことも可能と言える。
しかし阿含宗ではこの因縁は運命の星だから特殊な成仏法で解消しないと防げないとする。
心解脱行はその前提の上の助行なわけです。
それは産まれた時に既に決まっている運命であり、
前世の惑→業より生じた苦とするわけす。
しかし釈尊は前世のことなどくよくよ思い煩うなとします。未来のことを追い求めないのと同時に。
ただ今現在をひたすら懸命に煩悩を捨てて清らかに生きよとするのです。
たとえ情況はガンになったとしてもガンが治らぬにしても。
迷いがなくなればよいのです。それが解脱です。
そしてそれを一生迷いがないように観察し続けるのが漏尽智です。

374 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 20:18:01.96 ID:0CN4Hzbm.net
*八正道で解脱する、しない、どっち?

>>0312神も仏も名無しさん2023/09/26(火) 23:04:56.58ID:towd8XlY
>アナゴンが道諦を認識すれば漏尽智(四諦)を認識したことになり、アナゴンは阿羅漢になります。

桐山さんからペテン大作さんに与えられた宿題の一つです。
ペテン大作さんは「漏尽智が四諦を認識して解脱する」としている。
一方、四諦では「道諦=八正道」ですから、ペテン大作さんは八正道で
解脱すると主張したことになるが、↓桐山説と違う。

「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは
完全には解脱できない。」(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

八正道では解脱できないと桐山さんははっきりと述べている。
この宿題にペテン大作さんは逃げまどうだけです。

>>0155神も仏も名無しさん2023/09/20(水) 23:00:11.19ID:afIhYjjD
>漏尽智が四諦を認識して漏心を解脱するのです。

卑怯者の彼はまだ八正道だとは言っておらず、四諦で誤魔化して
逃げるつもりかもしれない。
四諦の教義からもそんな屁理屈は通用しないだけでなく、
またしても、この珍説の前に立ちふさがるのは桐山さんです。

375 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 20:27:04.05 ID:0CN4Hzbm.net
*桐山説「四諦では解脱できない」

ペテン大作さんは四諦で解脱できると主張しているが、
桐山ゲイカは、それは間違いだと、次のように述べています。

「私の体験をのべるならば、最初に四念処法で「四諦の法門」を体得し、次いで
七覚支法で最高度の禅定を体得し、さいごに四神足法の習練に入って、神通力を得た。」
(『阿含仏教超奇蹟の秘密』261頁)

桐山ゲイカは「四諦(四念処)→禅定(七覚支)→神通力(四神足)」で解脱したとあります。
四諦を「体得した」にもかかわらず、桐山ゲイカは解脱しなかった。
ところが、ペテン大作さんは四諦で解脱するのだという。
桐山説では四諦では解脱できないのだから、ペテン大作説を否定している。
八正道(道諦)で解脱できないと述べる以前に、そもそも四諦で
解脱はできないというのが桐山さんの主張ですから、
阿含宗ではペテン大作説は成り立ちません。

違いはこれだけではなく、解脱の階梯も違います。
ペテン大作さんは漏尽智という神通力が四諦を認識して解脱するというのだから、
「神通力→四諦→解脱」
という説になるが、桐山説から神通力と四諦の部分だけを取り出すと、
「四諦→・・→神通力→解脱」
となって、ペテン大作説とはこれまた逆です。
ペテン大作さんは沙門果経の記述にしたがって自説を展開した結果、
桐山説とは順序が逆になり、何よりも、桐山さんから四諦では
解脱できないと、顔面パンチを浴びた。
やはり、ペテン大作さんはお笑いの才能があるらしい。

376 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 20:35:30.57 ID:0CN4Hzbm.net
*桐山説「四諦は教えにすぎない」

桐山さんは、四諦で解脱するなど昔から否定しているのです。
ペテン大作さんはそれを知らないから「漏尽智が四諦を認識して解脱する」などと
唱えて、私やユビキタスさんが失笑していることも読み取れなかった。
私が桐山さんの本から何度も引用しているのに、彼は師の教えを記憶しない。
桐山さんは>>375の本で「四念処法で「四諦の法門」を体得し」と書き、
四念処について別な本で次のように述べている。

「四神足法,五力以外の道品、すなわち、四念柱、四正断、七覚支、八正道は、
『教え』である。」(『仏陀の法』128頁、1991年)

四念処(四念柱)は「教え」にすぎず、四神足と五力のみが「法」だと述べています。
教えで解脱できたら、他の教団も解脱できることになるというのが阿含宗の主張です。
桐山さんは、教えにすぎない四念処で四諦を体得したと述べている。
阿含宗では四諦は法ではなく教えにすぎず、法ではない四諦では解脱できない。
つまり、ペテン大作説「漏尽智が四諦を認識して解脱する」を桐山さんが否定しています。

他の信者さんは、ペテン大作さんは前門の虎後門の狼だとわかるでしょう。
ただ、彼はここまで説明されても自分の危機的な状況を理解できるかどうか、わかりません。
信者さんたちも桐山さんが四諦についてどのように講義されているか、
阿含宗にとっても重要な教義ですから、しっかりと復習してください。
なぜなら、桐山さんは学者たちの説を否定しているからです。

377 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 20:42:43.17 ID:0CN4Hzbm.net
*桐山説「道諦≠八正道」

「さきほど、四諦の道(諦〉とは仏道のことであるとお話ししましたが、
ところが今までの僧侶も、学者もこの道を八正道だと解釈してしまいました。
これはじつに狭い考え方です。
八正道とは、お釈迦さまの解脱成仏法・七科三十七道品の中の一科目にしかすぎません。
もしも八正道だけで因縁が切れるのならば、残りの六科目は最初から不要になります。
ですから、この八正道が四諦でいう道だとすると、非常におかしなことになるのです。
おそらく、八正道に道という字がつくために、これが四諦でいう道だと思ったのでしょうが、
そうではありません。四諦でいう道とは因縁解脱道、仏道のことなのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く〈上〉』142ページ)

桐山さんは学者の「道諦=八正道」は「狭い考え」と批判しています。
その学者たちは次のように道諦を八正道だと説明しています。

「(道諦)とは,苦の止減に到る道筋についての真理であり正見・正思惟な
どのいわゆる八正道として示される.」(岩波仏教辞典)

この学者説を桐山ゲイカは正面から否定され、「道諦は八正道ではない、
なぜなら、道諦がシチカ三十七道品の一科目にすぎない八正道だとすれば、
残りの六科目はどうなるのだ?
学者たちはこんな簡単なこともわからず、「道」という文字を見て、八正道だと
短絡するくらい頭が悪いのだ」と桐山ゲイカは学者たちの知性を批判された。
そして、次のような結論を得ています。

378 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 20:48:56.63 ID:0CN4Hzbm.net
「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」では
ないという確信を持った。」(『般若心経瞑想法』115ページ)

桐山説「道諦≠八正道」
学者説「道諦=八正道」

ここで四諦の道諦について両者の説をまとめると、↑このようになります。
両者は正反対で、信者さんたちはもちろん桐山説を信じるでしょう。
信者さんたちは、
「学者などいくら頭が良いと言っても、大脳新皮質の思考にすぎない、
桐山ゲイカは間脳を開き、仏陀の智慧をもって読んで、何よりも理屈理論では
なく、実際に成仏法を体得しておられたのだから、桐山ゲイカこそが正しい!
仮に桐山ゲイカが勘違いをされても、神仏が気が付いて指摘したはずだ、
桐山ゲイカが説いた本人である如来にお尋ねし、御霊示を仰いだはずだ」
と考えていますよね。
そのとおりで、学者なんかよりも、四諦を説いた本人である釈尊の説明を
拝聴するのが一番良い。
では、拝聴しましょう。

379 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 20:55:08.71 ID:0CN4Hzbm.net
「比丘たちよ、聖なる真理としての苦の消滅に導く道(苦滅道聖諦)とはこれである。
それは八つの聖なる道である。すなわち、正しい見解、〔正しい思惟、正しいことば、正しい
行為、正しい生活、正しい努力、正しい念い、〕正しい精神統一である。」
(『ブッダのことば?』講談社、190-191頁)

これが釈尊本人の道諦の説明で、まとめると次のようになります。
釈尊説「道諦=八正道」
桐山説「道諦≠八正道」
学者説「道諦=八正道」
信者さんたちはいかがですか?
釈尊は桐山説ではなく、学者説のほうを説いていた。
学者は「道」だから八正道と短絡したのではなく、こういう釈尊の説法を
阿含経で読んで「道諦=八正道」と説明したのです。
阿含経には「道諦=八正道」の説明は珍しくありません。

そこで知性と良識のある信者さんたちに現実を良く見てほしい。
桐山さんは自信たっぷりに間違えた。
四諦は仏教の全てであり、釈尊が最初の弟子である五比丘に説いた教法は
四諦と八正道だと言われているほどです。
仏教の基本、基礎ですから、道諦が何であるかは間違っていいことではない。
だが、解脱者であらせられた桐山さんは間違えた。
学者たちの間違いを指摘したつもりが、桐山さんが間違えていた。
釈尊が経典で「道諦=四諦」と述べているのに、それも知らずに、自分の無知と
理解力の低さを棚に上げて、学者たちを半ば小馬鹿にして、自慢気に否定してみせた。
これはちょっとしたミスで済むことではありません。
いくつも桐山さん本人への疑問がおきませんか?

380 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 21:05:24.80 ID:0CN4Hzbm.net
*四諦を理解できなかった有余依涅槃の聖者?

「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」では
ないという確信を持った。」(『般若心経瞑想法』115ページ)

求聞持脳を持ち、間脳を開き、仏陀の智慧を持ち、なによりも阿含経の
成仏法を体得し、四諦も四念処で体得した桐山ゲイカが、
四諦という基本を堂々と間違えて、繰り返し本で公表した!?
まるで数学科の大学教授を自称する男が「数学を追及していくうちに、
1+3=13だと確信を持った」と自慢気に本に書いているように見えませんか。
彼は数学科の教授どころか、算数もできない無知な男ですよね。
桐山さんはこれとそっくりです。

こういうのを馬脚を露すといいます。
桐山さんの馬脚は一本や二本ではない。
四諦だけでなく、解脱の意味も間違えていた。
解脱や四諦の意味さえもわからなかった人が仏陀の智慧などという高い
知性を持っていたはずはないし、ましてや、有余依涅槃の聖者、
つまり解脱者であったはずがない。
応供の如来は桐山さんの間違いを注意しなかった。
つまり、応供の如来様は四諦を理解できない頭の悪い爆笑如来らしい。
桐山さんの御霊示話や霊能話もすべて嘘という証拠です。

381 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/05(木) 21:12:17.08 ID:0CN4Hzbm.net
*桐山さんの知性と良識

四諦の道諦が八正道であることは阿含経のあちこちに書いてあります。
「それで、徹夜につぐ徹夜で、阿含を読みふけったんです。」 (『霊障を解く』211頁)
という桐山さんは、目がカメラのような超人的な記憶力を持つと言うのに、
「阿含経を追求していくうちに」、釈尊があちこちで述べている道諦の
説明を理解も記憶もできなかった???

桐山さんの超人的な記憶力なんてのも嘘です。
桐山さんは中学生でも理解できる四諦を理解も記憶もできなかった。
普通の知性と良識のある信者さんなら、桐山さんが阿含経を読破したとか、
間脳で理解したとか、ましてや体得したなど嘘だと気がつくでしょう。
阿含経を読破して、阿含経に頻出する解脱や四諦の意味も理解できなかった
なんて、普通の知性と記憶力があればありえない。

桐山さんも、ペテン大作さんと同じで、書いてあるままを読むのではなく、
理解できないと勝手解釈と決めつけをして、わかったつもりで説教が始まる。
だから、阿含宗は根本仏教を標榜しながら、解脱や四諦などの意味が
完全に間違っている「完全非仏教」、つまり外道です。
普通の知性と良識のある信者さんなら、桐山さんの知性と良識を疑うでしょう。
桐山さんがなんでここまでの体たらくだったのか、私から説明されても
反発しか感じないだろうから、少し自分で考えてみてください。

382 :神も仏も名無しさん:2023/10/07(土) 23:16:08.86 ID:A2sOoyUJ.net
※大先生のインチキに騙されないように注意しましょう。

「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁、「三明」)

上記の大辞典の説明は、漏尽智とは何かを簡潔にかつ完璧に説明しています。
前半部分の「四諦の理を證して漏心を解脱し」とは、四諦を知り煩悩を滅するということ。
後半部分の「我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知する」とは、煩悩が尽きて再生しないことを知るということ。
つまり漏尽智とは「四諦を知って煩悩を滅し、煩悩が尽きて再生しないことを知る智」のことです。
大先生の「漏尽通で解脱するのではない」という主張は誤りです。

>2008/11/18(火) 12:59:44 ID:s8pu1w+h
><漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力>(『岩波仏教辞典』)
>漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力だから、 その前に煩悩が尽きて、解脱しているのは当たり前なのです。
>合格発表に自分の名前を見て合格を知り、漏尽通とはその後に 合格通知を正式にもらうようなものです。
>合格通知をもらう時にはすでに合格しているのです。
>だから、漏尽通で解脱するのではありません。

岩波仏教辞典の説明は、望月仏教大辞典の後半部分に相当します。
大先生は「漏尽智で解脱するのではない」という自説を証明するのに、岩波仏教辞典を上手く利用(悪用)しているのが分かります。
大先生が如何にインチキなことをするのか、これで分かりますね。
こういうインチキは、他でもかなりやっていると思われます。
騙されないように注意しましょう。

383 :ユビキタス :2023/10/07(土) 23:52:10.35 ID:FNdipve5.net
進歩ねえ奴w

384 ::2023/10/08(日) 04:11:16.73 ID:HqFORQ4F.net
八正道とは・・⑻ サマーディ(涅槃の境地・三昧)に至る前の準備段階^^

ラージャ・ヨガの特徴は、八つの部門で瞑想の実践的な面を指示しており、瞑想に取り組もうと思う人は、その部門に取り組みながら瞑想を深めていくことができます。その八つとは以下のものになります。

⑴ ヤマ(してはならないこと)
 ・アヒムサ(暴力を振るわない)
 ・サティヤ(嘘をつかない)
 ・アスティーヤ(他人のものを盗まない)
 ・ブラフマチャリア(禁欲)
 ・アパリグラハ(貪らない)
⑵ ニヤマ(進んで行うこと)
 ・シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)
 ・サントーシャ(今あるものに満足する)
 ・タパス(苦行、忍耐)
 ・スワディヤーヤ(聖典などによる自己についての学習)
 ・イーシュワラプラニダーナ(神への信仰心を持つ)
⑶ アーサナ(瞑想のための座法)
⑷ プラーナヤーマ(呼吸法)
⑸ プラティヤハーラ(感覚の制御)
⑹ ダーラナ(一心集中)
⑺ ディヤーナ(ゆるぎない精神統一・禅定)
⑻ サマーディ(涅槃の境地・三昧)

385 ::2023/10/08(日) 04:13:22.78 ID:HqFORQ4F.net
解脱とは・・簡単に言えばこれ^^

T 三昧の章
1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

心(チッタ) … サーンキヤ哲学では、ブッディ(識別知)、アハンカーラ(自我意識)、マナス(思考・欲望)の三つの心の作用がある。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

386 ::2023/10/08(日) 04:16:27.13 ID:HqFORQ4F.net
つまり・・真我独存^^

1.ヨーガが説く真我の思想と人間の苦しみの原因

ヨーガでは、真我というものを説く。サンスクリット語では、アートマン(Ātman)である。ヴェーダの宗教(バラモン教・ヒンドゥー教)で使われる用語であり、意識の最も深い内側にある個の根源などを意味する。

わかりやすくいえば、真実の自分、自分の本質といった意味だが、重要なことは、心とは異なるものであることだ。本来、真我は、純粋な認識主体であって、思考・感情・意志・欲求などの心理的な要素は一切含まない。絶えず移り変わる心(の諸要素)と異なり、真我自体は決して変化することがなく、永久不変の平安の状態にあるとされる。

ところが、ヨーガの根本経典(ヨーガ・スートラ)によれば、普通の人の場合は、真我が、心を自分自身と混同・錯覚しているとする。そして、真我が、心を自分自身と錯覚して一体となっているので、心が苦しむとともに、真我が苦しむ状態に陥っている。本来は、真我が認識の主体であって、心は、体や外界と同じように、真我が認識している対象にすぎない。

387 ::2023/10/08(日) 04:18:34.85 ID:HqFORQ4F.net
ブッダちゃんも最初はこの道を進んでいたのは間違いない^^

388 ::2023/10/08(日) 04:30:13.18 ID:HqFORQ4F.net
ンド哲学において、真の自己を知ることでサンサーラ(輪廻)から解放され、最終的な解脱(ムクティ)を達成できるという主張がなされている。サンサーラとは、生死を繰り返す永遠の循環であり、人間はその過程で様々なカルマ(行為の結果)を積み重ねる。このカルマによって、個々の存在は新たな生命に生まれ変わり、繰り返し生死を辿るとされる。



解脱(ムクティ)とは、このサンサーラの循環から永遠に解放されることであり、インド哲学の究極の目標とされている。解脱を達成するためには、真の自己であるアートマンを知ることが重要である。アートマンは、無限で不変の純粋な意識であり、現象界の変化や制約を超越した存在である。



ヴェーダーンタ哲学では、アートマンと宇宙原理であるブラフマンが同一視される。真の自己を知ることは、ブラフマンとの一体性を悟ることに他ならず、この悟りによって解脱が達成される。アディ・シャンカラによるアドヴァイタ・ヴェーダーンタでは、無知(アヴィディヤ)から生じるマヤ(幻想)を超越し、アートマンとブラフマンの真の同一性を悟ることが解脱への道であると説かれる。

389 ::2023/10/08(日) 04:32:37.63 ID:HqFORQ4F.net
また、ヨーガ哲学やサーンキヤ哲学では、瞑想やアシュターンガ・ヨーガ(八支則)の実践を通じてアートマンを知り、サンサーラから解放されることが説かれる。これらの実践によって、精神的な浄化が行われ、アートマンの真実を悟ることができるとされる。



総じて、インド哲学においては、真の自己であるアートマンを知ることがサンサーラからの解放と解脱への鍵とされており、この達成が人間の究極の目標となる。

390 ::2023/10/08(日) 04:33:33.19 ID:HqFORQ4F.net
八支則^^つまり・・ブッダちゃんの八正道みたいなもんやな^^

391 ::2023/10/08(日) 04:34:36.95 ID:HqFORQ4F.net
ヤージュニャヴァルキヤの名言


「私は〜にあらず、〜あらずとしか説明しようがない」
ヤージュニャヴァルキヤは、古代インドの重要な哲学者であり、『ブリハダーラニャカ・ウパニシャッド』において彼の対話が記録されている。彼の著名な言葉「私は〜にあらず、〜あらずとしか説明しようがない」は、アートマン(自己)の本質について語られたものである。この言葉は、アートマンの真の性質を捉えることの困難さを示唆している。



この言葉の背後にある哲学的思考は、アートマンが無限で不変の純粋な意識であるという考えに基づいている。アートマンは、現象界の変化や制約を超越した存在であり、その性質を言葉や概念で直接的に表現することは難しい。このため、ヤージュニャヴァルキヤは、アートマンを「〜にあらず、〜あらず」と否定的に表現することしかできないと語っている。



この否定的な表現は、アートマンが現象界における一切のものとは異なる性質を持つことを強調することを意図している。言葉や概念を超越したアートマンの本質を理解するためには、従来の知識や経験に依拠せず、内省や瞑想によって直接的な悟りを得ることが必要である。

392 ::2023/10/08(日) 04:37:48.98 ID:HqFORQ4F.net
ヤージュニャヴァルキヤは古代インド哲学、特にヴェーダーンタ哲学における重要な思想家である。彼のアートマン(真の自己)とブラフマン(宇宙原理)の関係に関する考察は、インド哲学の基本原理を明確に理解する上で不可欠である。また、現象世界をマヤ(幻想)と捉え、解脱(ムクティ)を究極の目標とする彼の思想は、自己と他者のつながりや、人間の本質に関する普遍的な洞察を提供している。

393 ::2023/10/08(日) 04:39:38.19 ID:HqFORQ4F.net
ヤージュニャヴァルキヤ(Yājñavalkya[1], 漢訳: 祭皮衣仙)は、インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人、「聖仙」とも称される古代インドの哲人。およそ紀元前750〜前700年の人物。[1]生没年不詳。ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、梵我一如の哲理の先覚者として著名である。太陽神から授けられたという白ヤジュル・ヴェーダの創始者で[1]ヨーガ哲学の元祖ともいわれる。王仙ジャナカと共に後の仏陀の思想、仏教の道を用意したという説もある[2]。

394 ::2023/10/08(日) 04:40:10.99 ID:HqFORQ4F.net
王仙ジャナカと共に後の仏陀の思想、仏教の道を用意したという説もある^^

395 ::2023/10/08(日) 04:43:56.36 ID:HqFORQ4F.net
つまり・・^^

簡単に言えば・・自己は知りえない・・と言うことやな^^

396 ::2023/10/08(日) 04:46:25.96 ID:HqFORQ4F.net
ところで・・^^

桐山さんとか・・どうでもいいとかちゃう^^?

うん?

397 ::2023/10/08(日) 04:48:04.79 ID:HqFORQ4F.net
ちみたちの解脱は・・まず桐山さんからの解脱やな^^

398 ::2023/10/08(日) 04:48:33.91 ID:HqFORQ4F.net
おっと・・^^

失礼したしました^^

399 :ユビキタス :2023/10/08(日) 06:12:26.95 ID:Q+BRFDEr.net
>>396
ペテン大作さんにとっては、実のところ桐山さんも阿含宗もどうでもいいと思ってるんじゃないかとかねがね思ってます。

400 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 21:16:05.58 ID:rDOlZUkw.net
>>0396あ2023/10/08(日) 04:46:25.96ID:HqFORQ4F
>桐山さんとか・・どうでもいいとかちゃう^^?
>>0397あ2023/10/08(日) 04:48:04.79ID:HqFORQ4F
>ちみたちの解脱は・・まず桐山さんからの解脱やな^^

それは、あさんの勘違いです。
スレのタイトルを見てもわかるように、ここは解脱の議論をするスレではなく、
桐山さんの作った阿含宗の批判や擁護をするスレです。
ですから、桐山さんが「どうでもいい」ことはなく、むしろ主題であり、
「桐山さんからの解脱」は必要ありません。

桐山さんの主張した解脱の意味が間違っていると指摘しているのです。
桐山さんは仏教の解脱とは因縁解脱で、因縁解脱が大解脱で、煩悩解脱は小解脱と罵った。
だが、御存じのように仏教の解脱とは煩悩解脱(漏尽解脱)です。
桐山さんは漏尽通で桐山カルマと煩悩を切って解脱するのだという。
だが、御存じのように、仏教の「道」とは八正道のことで、
漏尽智とは解脱を確認するという意味です。
桐山さんは八正道を初学の者のためのオシエだと小馬鹿にした。
だが、御存じのように、釈尊は八正道以外には道はないと説いている。

桐山さんはこういう嘘デタラメの教義を阿含経から体得したと称している。
信者の多くはそれを鵜呑みにしています。
特に阿含宗では漏尽智を成仏力と称して、信者がもっとも依存している霊能力です。
信者は成仏力が阿含経に根拠があると信じている。
だが、漏尽智は解脱を確認することだけで、桐山カルマどころか、
煩悩を切る能力でさえもありません。
多くの信者はペテン大作さんや宝生ソウカ大人と同じで聞く耳を持ちません。
だが、少数だが、道理を説明すれば理解する信者がいます。
その人たちが正しく釈迦仏教を理解するようにと書いているのです。

401 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 21:23:00.47 ID:rDOlZUkw.net
*ペテン大作説「漏尽智≠漏尽通」はどうなった?

>>0382神も仏も名無しさん2023/10/07(土) 23:16:08.86ID:A2sOoyUJ
>岩波仏教辞典の説明は、望月仏教大辞典の後半部分に相当します。
>大先生は「漏尽智で解脱するのではない」という自説を証明するのに、岩波仏教辞典を上手く利用(悪用)しているのが分かります。

また自己矛盾することに気が付かずに書いている。
ペテン大作説は先月末から「漏尽智≠漏尽通」になった。

>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。

望月佛教大辞典は漏尽智、岩波仏教辞典は漏尽通の説明です。
それなのに、漏尽智と漏尽通という彼にとって違う内容を
引用して比較して、何の役に立つのだ?
主張するなら、まず「漏尽智≠漏尽通」の間違いを認め、これを撤回し、
それから比較をするべきでしょう。
ところが、彼は卑怯者で、自分の間違いを認めるのが死ぬほど
嫌いで、勇気などないから、こうやって相手を攻撃することで誤魔化す。
生徒のくせに桐山大先生からのいくつもの宿題も無視です。

402 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 21:30:15.82 ID:rDOlZUkw.net
*どうして岩波仏教辞典には「後半」の説明しかないのか?

<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力>(『岩波仏教辞典』)

「漏尽通=漏尽智」なのは仏教だけでなく、阿含宗でも認めています。
ペテン大作さんだけが、認めたり、否定したりを御都合で繰り返している。
岩波仏教辞典にある漏尽智(漏尽通)の説明の全てが↑これです。
ペテン大作説のように、
前半「漏尽智で煩悩を切る」
後半「漏尽智で煩悩がないことを知る」
の二つの能力があるというなら、どうして岩波仏教辞典には後半の
説明しかないのですか?
岩波仏教辞典のどこを探しても「漏尽智で煩悩を切る」という説明はありません。
煩悩を切ることは仏教の解脱ですから、
漏尽智で煩悩を切るなら、辞典にその説明がないなどありえない。
これを私から指摘された時の彼の爆笑回答がこれです。↓

403 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 21:37:13.09 ID:rDOlZUkw.net
>578神も仏も名無しさん2022/05/10(火) 16:07:19.49ID:LDOrLmRG
>紙数の関係でそうなったことは容易に推察できます。

読者の皆さんはこの回答にペテン大作さんの知性を疑いませんか?
辞書のページ数に限界があるから「漏尽智で煩悩を切る」を省略したというのです。
仏教の解脱とは煩悩を切ることですから、その重大なテーマを紙数の関係でカットした?
漏尽智で煩悩を切るなら、省略して良い内容ではない。

しかも、それは「漏尽智で煩悩を切る」というたった一文ですから、
<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力>
これを
<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)を切り、尽きたことを知る能力>
と「切り」という文字を増やすだけですから、ページを増やす必要もない。
だが、現実にはそんな言葉がないのは、漏尽智で煩悩を切るなど嘘だと
という何よりの証拠です。

詭弁や屁理屈を言うにしても、彼の回答はあまりに稚拙で、小学生でも
こんな間抜けた回答はしないし、大人なら恥ずかしいから言わない。
だが、彼はこれを何度も書き続けている。
前は、深山への憎しみだけの恥知らずなのだろうと思っていたが、
最近は少し見方が変わりました。
彼の頭では、説明されても意味が理解できないのではないか。
理解できなければ、たしかに恥ずかしくないでしょう。
それを示すのが、望月佛教大辞典の文章の毎度の解釈です。

404 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 21:44:56.38 ID:rDOlZUkw.net
「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁、「三明」)

最初に「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し」というのだから、
四諦によって解脱したという意味です。
これは仏教の当たり前で、四諦の道諦は八正道ですから、
八正道によって煩悩(漏心)を滅して解脱したという意味です。
次の「我が生已に・・・・受けじ」とは、修行は完成して、もはや輪廻しないと
確認したという意味です。

つまり、望月氏の文章を簡単に現代語に訳するなら、
「漏尽智とは、四諦の八正道で煩悩を切って解脱し、輪廻転生しないと確認すること」
という意味です。
漏尽智の意味は岩波仏教辞典の説明と同じです。
ここまでが普通の読解力をもった人の理解です。
ところが、何度このような説明をしても理解できない往年の秀才君がいる。

405 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 21:53:46.68 ID:rDOlZUkw.net
>>0382神も仏も名無しさん2023/10/07(土) 23:16:08.86ID:A2sOoyUJ
>つまり漏尽智とは「四諦を知って煩悩を滅し、煩悩が尽きて再生しないことを知る智」のことです。

そのとおりで、四諦で解脱して、解脱の確認をすることを漏尽智というのです。
やっとペテン大作さんも理解したのかと思ったら、違った。
ペテン大作さんは、漏尽智の中に「四諦で煩悩を切る」が入っていると主張しているのです。
彼のインチキ、詭弁に気が付きましたか?

彼は私が2008年に例えた(>>382)とおりのインチキを繰り返しているのです。
「合格通知とは、受験して合格して、合格を通知されること」
という文章を、彼は合格通知には「受験して合格」が含まれると言っているのです。
合格通知とは「受験して合格」することを含めると主張している。
彼の世界では合格通知で合格するらしい。
この文章の合格通知は「合格を通知されること」であって、「受験して合格」は含まれません。

望月氏の文章もこの受験合格の文章構成と同じです。
漏尽智(合格通知)には「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し」(受験して合格)は
含まれていない。
漏尽智(合格通知)は「我が生已に盡き・・・了知する」(合格を通知)にかかる言葉です。
私の例えを引用していながら、こんな簡単な事を何度説明されても、
彼は理解できないのです。
彼は、「合格通知とは」は「受験して合格」にかかる言葉ではなく、
「合格を通知されること」にかかると説明されても、
「かかる」という意味がわからないのでしょう。

406 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 22:00:30.62 ID:rDOlZUkw.net
*すり替えても矛盾はそのまま

ペテン大作説では「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し」は漏尽智だという。
一方、漏尽智はアラカンに属しますから、望月氏のこの四諦もアラカンの
四諦ということになります。
アラカンが四諦で煩悩を切って解脱する?
煩悩のないアラカンが煩悩を切って解脱する???
煩悩を切るのはアナゴンであって、アラカンではありません。
この矛盾は何年も前からの同じ話の繰り返しで、話がまた元に戻っただけです。

矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

矛盾1対して、彼は瞬間解脱を出し、根拠として水野氏の文章を出したが、
私から水野氏の文章を逆引用されて論破された。
矛盾2に対する彼の説では、シュダオンは煩悩が切れないという!??
シュダオンが煩悩が切れないなら、シダゴンになれず、シダゴンが煩悩が
切れないなら、アナゴンになれないから、誰一人解脱できないことになる。
こんなふうに彼の「漏尽智で煩悩を切る」は矛盾だらけで成り立たない。

ペテン大作さんは漏尽智を四諦でうまく誤魔化せたと得意満面で出てきた。
いかにも視野の狭い彼らしい発想です。
だが、漏尽智を四諦と置き換えただけのゴマカシだから、矛盾はそのままで、
彼は同じ狭い穴の中をグルグルと回っているだけです。

407 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/08(日) 22:09:17.35 ID:rDOlZUkw.net
>>0382神も仏も名無しさん2023/10/07(土) 23:16:08.86ID:A2sOoyUJ
>※大先生のインチキに騙されないように注意しましょう。
>こういうインチキは、他でもかなりやっていると思われます。
>騙されないように注意しましょう。

ペテン大作さんは矛盾を突きつけられようが、釈尊の経典を示されようが、
桐山説との矛盾を指摘されようが、馬耳東風で、絶対に自分の間違いを
認めず、毎度こうやって言葉をひねくり回す自分は頭が良いと自惚れている。↓

>795神も仏も名無しさん2022/05/30(月) 16:51:35.78ID:eNjzPTXQ
>よくこれに思いついたと自分を自分で褒めてあげたいw

彼が引用した私の受験合格の例えは、2008年で15年も前です。
彼は15年間、ずーーーっとこういう詭弁を使ってきた。
ペテン大作さんて勉強も仕事も、こういう小手先のゴマカシを繰り返して
生きてきたのでしょうね。
周囲は彼の執念深さにウンザリし、執拗な復讐が恐いから引っ込むので、
いつも彼は勝利したと錯覚できた。
いや、ただ疎まれ、嫌われ、排除されただけです。
私も彼が目の前にいたら、逆恨みの復讐が恐いから反論などしない。
ここでもペテン大作さんと宝生ソウカ大人がいつも勝利しています。
恥知らずに勝てる人間などいるはずがない。

408 :神も仏も名無しさん:2023/10/08(日) 22:59:03.04 ID:FCavz3Gp.net
※「心が安定し・・・」=解脱はアホの極み

おそらく書いた当人しか読んでいないであろう屁理屈をダラダラと要領悪く書き込んで、仏教学者気取りの人がいますが、何をどう解釈しようが「心が安定し・・・」は解脱にはなりません。
理由はハッキリしていて、比丘が解脱する場面は四諦の後に出てくるからです。
「欲の汚れから解脱し、生存の汚れから解脱し、無明の汚れから解脱します」の箇所です。
だから「心が安定し・・・」を解脱だと述べている学者は一人もいません。
どんなに偉い仏教学者でも経典から逸脱したことは書けませんからね。
ところが批判側におられる大先生は15年前に、仏教学者なら全員が「心が安定し・・・」を解脱だと答えるとハッタリをかました。
だが、結果は無残でそんな学者など一人もいなかったのです。
たぶん全てに前向きな大先生は過去の失態などスッカリ忘れているのでしょう。
現在も、当時と同じことを堂々と主張しています。
大先生は仏教経典などは自分の好みでいくらでも内容を変えられると思っているらしい。
こういう人が手にかける仏教解釈はかなり危うくて怖ろしいものがあります。
とても信じられるものではありません。
もし信じてついて行けば、怖ろしい結果が待っているでしょう。
桑原桑原

409 ::2023/10/08(日) 23:16:55.71 ID:HqFORQ4F.net
桐山さんは漏尽通で桐山カルマと煩悩を切って解脱するのだという。

これなんだけど・・^^

ヨーガ・スートラの ?独存の章にも書かれている^^

漏尽通ではないな^^

410 ::2023/10/08(日) 23:20:51.54 ID:HqFORQ4F.net
25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

26. この識別知を得た人は、カイヴァリヤへと赴く。

27. その間にも、過去に生じているサンスカーラから様々な心の作用が生じてくる。

28. それは、これまで説明した煩悩の対処法によって取り除けばよい。

29. 識別知を確立した人は、最上の知識に対しても無関心になる。これをダルマメーカサマーディと呼ぶ。

ダルマメーガ・サマーディ  法雲三昧。
30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

31. そのとき、智慧を覆っていた汚れは全て取り除かれ、現れてくる無限の智慧によって、これ以上知るべきものはもう無い。

32. これで、グナの変化の過程におけるすべての目的が果たされた。

33. 瞬間瞬間に起きていた変化の連続は、ここに終息する。

34. グナがプラクリティの本来の姿へと戻れば、そのとき、カイヴァリヤは実現する。プルシャの目的は無くなり、純粋意識は本来の状態へと戻る。

411 ::2023/10/08(日) 23:22:23.37 ID:HqFORQ4F.net
29. 識別知を確立した人は、最上の知識に対しても無関心になる。これをダルマメーカサマーディと呼ぶ。

ダルマメーガ・サマーディ  法雲三昧。

30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

412 ::2023/10/08(日) 23:23:42.16 ID:HqFORQ4F.net
30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

413 ::2023/10/08(日) 23:24:53.24 ID:HqFORQ4F.net
識別知を確立した人は・・・^^

414 ::2023/10/08(日) 23:26:28.79 ID:HqFORQ4F.net
桐山さんは漏尽通で・・とか・・なんやねん^^

415 ::2023/10/08(日) 23:27:44.34 ID:HqFORQ4F.net
漏尽通なんて・・どっから引っ張り出してきたんや^^?

416 ::2023/10/08(日) 23:32:40.40 ID:HqFORQ4F.net
?−30 tata4 kle1a-karma-niv3tti4/
(私訳)それ(ダルマ・メーガ・サマーディ(法雲三昧))によって、煩悩と宿業が消滅する。

(佐保田訳)その時、煩悩と業は消滅する。

(インテ訳)そのサマーディによって、すべての苦悩〔煩悩〕とカルマ〔業〕は終熄する

(シュリー訳)そのあと苦悩と過去の潜在印象は消滅する。

417 ::2023/10/08(日) 23:37:02.66 ID:HqFORQ4F.net
?−29 prasa/khyqne ’py-akus]dasya sarvathq viveka-khyqter-dharma-megha4 samqdhi4/
(私訳)(深い)瞑想智に対してさえも無償の人には、みな、識別の覚知によってダルマ・メーガ
(法雲)というサマーディ(三昧)がある。

(佐保田訳)ヨーギーが最高の直観智に対してさえなんらの期待を抱かず、あらゆる形の弁別智を尽
くしたならば、法雲三昧の境地が現われる。

(インテ訳)完全なる識別知によって、最も高い報償に対してさえ全く無欲となった者は、不断の、
特異な洞察の内にとどまるものであり、それはダルマメーガ・サマーディ【法雲三昧】と呼ば
れる。

(シュリー訳)至高の識別知を得てさえ離欲を保持する者には、完全な識別知による法雲三昧が生じ
る。

418 ::2023/10/08(日) 23:40:22.40 ID:HqFORQ4F.net
ヨーギーが最高の直観智に対してさえなんらの期待を抱かず、あらゆる形の弁別智を尽くしたならば、法雲三昧の境地が現われる。

あらゆる形の弁別智を尽くしたならば・・^^

419 ::2023/10/08(日) 23:41:37.12 ID:HqFORQ4F.net
弁別智とは何か^^?

420 ::2023/10/08(日) 23:43:44.69 ID:HqFORQ4F.net
ヴィヴェーカ】

識別智。弁別智。批判。真実の自己とエゴとを識別する智。

421 ::2023/10/08(日) 23:44:23.30 ID:HqFORQ4F.net
真実の自己とエゴとを識別する智^^

422 ::2023/10/08(日) 23:45:55.17 ID:HqFORQ4F.net
これやな・・^^

25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

26. この識別知を得た人は、カイヴァリヤへと赴く。

423 ::2023/10/08(日) 23:48:59.32 ID:HqFORQ4F.net
つまりは・・これや^^

? 三昧の章

1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

424 ::2023/10/08(日) 23:50:45.82 ID:HqFORQ4F.net
簡単に言えば・・^^

心と身体は変化するので真実の自己ではない・・ということやな・・^^

425 ::2023/10/08(日) 23:51:47.73 ID:HqFORQ4F.net
真実の自己は変化せず^^

426 ::2023/10/08(日) 23:52:56.76 ID:HqFORQ4F.net
それら(心・身体)を眺めているだけ^^

427 ::2023/10/08(日) 23:53:53.50 ID:HqFORQ4F.net
そう思わない?^^

うん?

428 ::2023/10/08(日) 23:56:37.49 ID:HqFORQ4F.net
4. その他のときは、心の働きと同一化している。

心の働きと同一化している^^

ここが重要^^

テストにでるで^^

429 ::2023/10/08(日) 23:58:17.78 ID:HqFORQ4F.net
私たちは、心のはたらきをすべて制止し心が絶対的に静穏になった時、はじめて「真実の自己」
がわかる。それをパタンジャリは、「個人が本性にある」と言わずに「見る者がその本性にある」と
言う。私たちの心のはたらきが完全に制止されると、「自己の本性」という意識もなくなるためで、
サーンクヤ思想で言う「プルシャ(puru2a)」(「見る者」)の状態で「その本性を眺めているだけ」で
ある(インド人学匠の註釈より咀嚼)

430 ::2023/10/08(日) 23:58:45.86 ID:HqFORQ4F.net
私たちは、「真実の自己」を知らない限り、自分の個人意識(「citta」)に現われる心のはたらき
と自己とを同化している(インド人学匠の註釈より咀嚼)。

431 ::2023/10/09(月) 00:26:36.34 ID:038Lk7tJ.net
「心が安定し・・・」・・これ^^

サーンクヤ思想で言う「プルシャ」(「見る者」)の状態で「その本性を眺めているだけ」

432 ::2023/10/09(月) 00:28:08.99 ID:038Lk7tJ.net
心のはたらきと自己とを同化している限り安定は得られんな^^

433 ::2023/10/09(月) 00:29:50.47 ID:038Lk7tJ.net
やはり・・^^

識別智だよな^^

うんうん^^

434 ::2023/10/09(月) 00:33:43.33 ID:038Lk7tJ.net
ヨガスートラでは”解脱のための手段は永続的な識別智である。八支則のヨガを実践することで、不純なものが取り除かれ、知識と識別の光があらわれる。”と書かれています。
識別智とは本物か偽物かを識別する知識のことです。解脱(ヨガのゴール)には識別智が必要であり、識別智を得るのに必要なのが八支則のヨガである。という意味です。

435 ::2023/10/09(月) 00:35:39.38 ID:038Lk7tJ.net
ヨガスートラでは”解脱のための手段は永続的な識別智である^^キリッ

436 ::2023/10/09(月) 00:38:57.33 ID:038Lk7tJ.net
識別智を得るのに必要なのが八支則のヨガである。という意味です

八正道のヨガでもいいかなと・・^^

437 ::2023/10/09(月) 00:39:50.75 ID:038Lk7tJ.net
まぁヤマ・ニヤマにあたるんだけど・・まっいいか^^

438 ::2023/10/09(月) 00:42:08.45 ID:038Lk7tJ.net
ブッダちゃんの無我(非我)説は・・ここらへんからでてきた感がする^^

439 ::2023/10/09(月) 00:43:57.81 ID:038Lk7tJ.net
原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説かれる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。1)ここでは、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」という主張を含んでいると考えられる。

 ところでアートマンは、単なる自己ではなく、それによって現象界の個体が成立する永遠不変の本質あるいは原理と見なされた。このような思想に対する批判として、「諸法無我」は、「すべての事物は我(永遠不変の本質)をもたない」と解釈されるようになる。一般に無我説という場合、このような意味が含まれる

440 ::2023/10/09(月) 00:48:03.91 ID:038Lk7tJ.net
釈迦が教えを説いた当時のインドでは、バラモン教(ヒンドゥー教)の哲学者たちは、我の実在の有無を始めとする形而上学的な論争をしていた[26]。初期仏教においては、物事は互いの条件付けによって成立し存在し(縁起)、無常であり変化し続けるため、「われ」「わがもの」などと考えて固執(我執)してはならず、我執を打破して真実のアートマン、真実の自己を実現すべきとして、「我でない」(非我)と主張された[27]。これは、「我がない」「主体がない」「霊魂がない」ということではなく、「アートマン」「我」「真実の我の姿」「私のもの」という観念が否定的に説かれたと考えられている[27][26]。

しかし、その後「我がない」(無我)という解釈に発展し、人無我と法無我の二つが考えられた[28]。人無我とは、人間という存在(有情、衆生)は五蘊が仮に和合した無常なるものに他ならないから、恒常不滅なる自我の存在、実体的な生命の主体というようなものは無いということ[4][28]。法無我とは、あらゆるものは縁起・因縁によって仮に成り立っているものであるから、そのものに恒常不滅なる本体、本来的に固有な独自の本性(自性)はないということである[4][28]。これは大乗仏教にも受け継がれて、般若思想では「無我」は「空」と表現された[28]。

ヒンドゥー教では永遠不滅・独立自存の個我、個人の本体としてのアートマンの存在を信じ、これを輪廻の主体と考える[29]。ここで言うアートマンは、単なる個人の我としての「自我」ではなく、世界に対峙する個人の我としてのアートマンであり、よって個我と訳される[30]。無我という言葉はウパニシャッドの atman(Sk.語 アートマン)に否定の接頭辞 an- を付けたもので、アートマンの否定の形になっているが、釈迦はウパニシャッドの形而上学的な梵我一如思想に対抗して無我(非我)を説いたのではないと考えられており、釈迦の無我説はアンチ・アートマン思想ではない

441 ::2023/10/09(月) 00:48:44.83 ID:038Lk7tJ.net
釈迦の無我説はアンチ・アートマン思想ではない^^

442 ::2023/10/09(月) 00:50:01.61 ID:038Lk7tJ.net
25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

443 ::2023/10/09(月) 00:51:50.64 ID:038Lk7tJ.net
うん?

永遠に続くので・・ここらへんでやめとく^^

通りがかりのものなんで失礼いたしましたです^^

444 ::2023/10/09(月) 05:51:53.11 ID:038Lk7tJ.net
う〜〜ん^^

必要なのは・・阿含経より真実の自己を悟ることなんだよな・・^^

445 :ユビキタス :2023/10/09(月) 11:25:53.90 ID:d2BbKNt4.net
現在羽黒山頂にいますが、出羽三山神社三神合祭殿にお詣りしたところ御神示を受けました。
法器だ!そなたは法器だ!とw
心の安定は解脱でしょうか?とお訊ねしたところ、
当然である。否定する奴は馬鹿である!
とのことでしたw

446 :深山 :2023/10/09(月) 12:15:50.22 ID:Z9EVNRwd.net
*また「泥棒ではないから、泥棒ではない」が始まった。

>>0408神も仏も名無しさん2023/10/08(日) 22:59:03.04ID:FCavz3Gp
>理由はハッキリしていて、比丘が解脱する場面は四諦の後に出てくるからです。

読者の皆さん、どちらの主張が正しいか間違いかを抜きにして、
ペテン大作さんのこの主張の論理展開がおかしいことに気が付きませんか。
彼が理由としている内容こそは、彼が自説としている内容です。
自説を使って自説の根拠にしている。
Aを証明しなければならない時に「Aである。したがって、Aである」と
彼は述べているのです。

ペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」ですから、沙門果経の解脱が
四諦の後だということを彼は証明しなければならない。
ところが、↑408を見てください、彼はその証明しなければならない内容を
証拠として使っている。
彼の知性を疑いませんか。

証明しなければならない自説を根拠に使って自説を証明したつもりなっている!
しかも、こういう支離滅裂は彼は初めてではありません。
十数年前に彼と議論した当初から、彼はこういう小学生でも言わないような
短絡した理屈を主張してきた。
泥棒と疑われた男が「オレは泥棒ではない。したがって、オレは泥棒ではない」
と言っているのと同じです。
この例えも、彼にこれまで何回もしても、未だに彼は繰り返す。
何を指摘されたのか、彼は理解できないのです。
これが彼の知性のレベルです。

447 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/09(月) 12:24:51.20 ID:Z9EVNRwd.net
*ペテン大作説では仏教は消滅する

ペテン大作さんの論理性のなさは、彼の説「漏尽智で煩悩を切る」では
矛盾1と2があるから成り立たないという論理展開を理解できないことからもわかります。(>>406)
矛盾1に対する彼の証拠は論破されても、まったく気にすることなく
自説を唱え続けています。
矛盾2の彼の返答では、誰も解脱できなくなるという支離滅裂な内容です。
漏尽智はアラカンに属するから、アラカン以外の聖者たちは持たない。
では、漏尽智を持たないシュダオンはどうやって煩悩を切るのか?
この指摘に対するペテン大作さんの回答がこれです。↓

>>0064神も仏も名無しさん2023/09/04(月) 12:15:22.19ID:M7dZuox/
>漏尽智を持たないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることはできません。

シュダオンは煩悩を切れない???!!!
漏尽智で煩悩を切るなら、誰一人としてシュダオンもシダゴンもアナゴンにもなれない。
誰もシュダオンどころか、シュダオン向にすらなれない。
誰一人として煩悩を切ることができないのだから、四双八輩はゼロです。
ペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」は、仏教そのものが消滅するという爆笑説です。
シュダオンが煩悩が切れないなどと言ったら、他人に指摘されなくても、
普通の人なら書いているうちに、これはおかしいと気が付く。
だが、ペテン大作さんの知性は普通ではないから、気が付かないどころか、
自分の回答に大いに満足した。↓

448 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/09(月) 12:33:30.72 ID:Z9EVNRwd.net
*ペテン大作説では仏教徒は誰一人煩悩を切れない?!

>>0064神も仏も名無しさん2023/09/04(月) 12:15:22.19ID:M7dZuox/
>漏尽智を持たないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることはできません。
>これで矛盾2も無事に解決です。

ここまで矛盾を指摘されても彼の頭では「矛盾2も無事に解決」です。
読者の皆さんはこの反応を見て、彼の知性を疑いませんか。
彼の説では解脱どころか、仏教そのものを否定することになった。
「漏尽智で煩悩を切る」なら解脱者どころか、シュダオン一人いないという
お笑い仏教ができあがったのに、彼はノンビリと「矛盾2も無事に解決」です。
ごらんのように彼は自説の矛盾から来た事態の深刻さを理解する知性がない。

他の信者さんはどうですか?
ペテン大作説「漏尽智で煩悩を切る」は桐山さんの説でもある。
信者さんたちはペテン大作さんを見捨てても、桐山説は否定はしたくない。
だが、漏尽智で煩悩を切ると主張すれば、漏尽智はアラカンに属するのだから、
アラカン以外の人は煩悩を切ることができない。
煩悩のないアラカンに、煩悩を切る漏尽智があるというのも矛盾だが、
ペテン大作さんを真似て、そういう矛盾を無視するとしても、シュダオンは
煩悩を切れない、ということが矛盾であることはわかりますよね?
ペテン大作さんは今これを読んでもまだ矛盾がわからない。

桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」を主張すれば、仏教では誰一人として
煩悩を切ることができないという矛盾が生じる。
したがって、桐山説2は間違いである、という論理展開を大半の信者さん
たちは理解できますよね・・・ペテン大作さんは理解できない。
他の信者さんたちはこれを理解した上で、沙門果経の釈尊の言葉を見てください。

449 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/09(月) 12:41:53.12 ID:Z9EVNRwd.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適応し、不動なものとなると、かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1 長部経典?』春秋社、105〜106頁)

ここで「心の安定・・・不動」が解脱ではないというのがペテン大作さんの主張です。
これを解脱と認めたら、その後に漏尽智が出てきますから、
「漏尽智で煩悩を切る」という説に反するからです。
だが、そもそもこの説ではシュダオンは煩悩を切ることもできず、
四双八輩は誰もいないことになってしまう。
だから、この説は嘘です。
漏尽智の前にすでに解脱していることは文章からも明らかです。

「心の安定・・・不動」は解脱を表わします。
最初の「心の安定」が原語は禅定だが、ここでの意味は解脱です。
そんな事例はたくさんあることを示しました。
>>357の釈尊の言葉、>>363のアラカンたちの言葉を見れば
わかるように、「心の安定」とは解脱のことです。
「汚れなく」は煩悩が無いという意味ですから、これも解脱のことです。
八回も同じことを繰り返しているのだから、釈尊が最も強調したい内容です。
それは煩悩からの解放、つまり解脱以外にはありません。
つまり、「心安定・・・不動なもの」はすべて解脱です。
そして解脱の後に「諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)」が出てきます。
「解脱→漏尽智」なのです。
信者さんたちも知っている「解脱→解脱知見」です。
これを見ても、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘です。

450 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/09(月) 12:49:50.59 ID:Z9EVNRwd.net
>>0408神も仏も名無しさん2023/10/08(日) 22:59:03.04ID:FCavz3Gp
>※「心が安定し・・・」=解脱はアホの極み

釈尊やアラカンに向かって、「アホの極み」だそうです。
>>357の釈尊の言葉、>>363のアラカンたちの言葉さえも、彼の耳には届かない。
信者さんたちにこの悪業の真似をしてほしくない。
釈尊の解脱に向かって、「アホの極み」と罵るのは大悪業です。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」を信じてしまうまでは、無知から来た間違いであり、
修正すればいいだけです。
だが、こうやって、間違いをいくら示されても、自説を変えないなら、
如来の教法を歪める行為であり、しかも釈尊が解脱だと言っているのに、
「アホの極み」などと罵るのは、如来への罵倒です。

ペテン大作さんは仏教へも阿含宗へも信仰心はないから、
如来を罵倒しても、桐山説を否定しても気にもしない。
彼は因果応報など信じてもいないというよりも、因果応報の意味が理解できない。
だが、少しでも釈尊への敬意と信仰心を持っている信者さんなら、
また悪業の報いを恐れるなら、彼のような軽率な行為はしないことです。
行為は帳消しできず、必ずその報いが来るというのが釈尊の教えです。
如来とアラカンたちの教法を信じようとしないばかりか、罵倒したらどうなるか、
阿含経を読んでみてください。

451 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/09(月) 17:34:19.00 ID:gD5+DOS3.net
心の安定が解脱なんて当然じゃありませんか?
それは煩悩がなんたるかを把握してないからです。
煩悩とは心が不安定だということです。
だから心が煩悩にかき乱されていると言うでしょう?
ペテン大作さんも漏尽智とは煩悩をなくし、かつなくなったことを知ることだとしている。
煩悩のある人が煩悩をなくす営為方法まで漏尽智に含めるのかの議論はさておき、
煩悩が無くなるのが解脱であることには、ペテン大作さんでも異論を差し挟めない。
なぜなら自分が学者の辞書の文を引用してそのように主張しているのだから。
煩悩をなくし、なくなったこと=解脱でないとしたら彼は嘘つきです。
心の不安定の状態の煩悩が無くなれば心は絶対に安定不動柔軟になりますよ。
だから心の安定=解脱です。
そうでないならばそれ以外の解脱の状態を説明してみなさい。
沙門果経では心の安定の境地を得た後の記述がありますね。
神通に心を向けてみる。
心を向けるだけです。神通力を得る訓練修行を行ったなんて書いてない。
神通に心を向けたら神通が発揮された。
刀を鞘から抜くようになんか幽体離脱みたいな体験もしたそうだ。
身体が巨大になったり微細になったり壁をすり抜けたり、一身が多身になる分身の術(笑)みたいな神通も得た。
で、この神通に何の意味があるのですか?
単なる不思議体験みたいなものではないですか?
他心通も得ましたね。他人の心が読めてしまう。
あの娘は自分のことが好きでない、嫌ってる、と読める。
それだけです。それでギリギリと歯ぎしりをする煩悩でも増やしますか?(笑)
宿明智で前世もわかりました。前世はつまらない奴だったとわかりました。それだけです。
なんか解脱とやらはそこにありますか?
それよりも四諦の真理の観察に心を向けて再確認でしてみたら、自分は心の安定を得て、心の不安定(煩悩)を脱しており解脱していたと悟る。
漏尽智ですね。
じゃあいつ解脱したか?
心を向ける前です。
解脱していたから四諦に心を向けてみて、たしかに解脱したと自覚できたのです。
解脱してないと、煩悩のある不安定な状態だとこれは得られません。

452 ::2023/10/10(火) 03:03:17.34 ID:9JTH/IsJ.net
ヨーガ学派の自在神は、世界創造の最高神ではなく、ヨーガ行者が修行中に祈念する対象とされている。形而上学的な世界観を確立したサーンキヤ学派に対し、ヨーガ学派は「心の諸作用の止滅」を主目的とする救済技術を発達させ、これに伴う心の作用自体を探求して心の理論を精緻に整え、解脱に至る実践的な行法の体系を示した[3]。記憶や意識下の潜在印象(サンスカーラ、薫習、習気(じっけ))が煩悩を形成する原因になると考えられたため、心の作用だけでなく、潜在印象についてもかなり深い考察がなされている[3]。サーンキヤ・ヨーガの体系では、心は常に転変し、それに伴い潜在印象が生まれ続けると考えられ、修習と離欲を繰り返す、ある意味パラドキシカルな修行の階梯を上り、煩悩を断ち、潜在印象から煩悩が生じない境地を目指す[5]。こうした心の理論には仏教の影響が認められる。修行が進むと様々な超能力が自然と身につくと考えられたが、後世のハタ・ヨーガとは異なり、超能力の獲得自体は修行の目的ではない[

453 ::2023/10/10(火) 03:03:25.19 ID:9JTH/IsJ.net
ヨーガ学派の自在神は、世界創造の最高神ではなく、ヨーガ行者が修行中に祈念する対象とされている。形而上学的な世界観を確立したサーンキヤ学派に対し、ヨーガ学派は「心の諸作用の止滅」を主目的とする救済技術を発達させ、これに伴う心の作用自体を探求して心の理論を精緻に整え、解脱に至る実践的な行法の体系を示した[3]。記憶や意識下の潜在印象(サンスカーラ、薫習、習気(じっけ))が煩悩を形成する原因になると考えられたため、心の作用だけでなく、潜在印象についてもかなり深い考察がなされている[3]。サーンキヤ・ヨーガの体系では、心は常に転変し、それに伴い潜在印象が生まれ続けると考えられ、修習と離欲を繰り返す、ある意味パラドキシカルな修行の階梯を上り、煩悩を断ち、潜在印象から煩悩が生じない境地を目指す[5]。こうした心の理論には仏教の影響が認められる。修行が進むと様々な超能力が自然と身につくと考えられたが、後世のハタ・ヨーガとは異なり、超能力の獲得自体は修行の目的ではない[

454 ::2023/10/10(火) 03:07:45.23 ID:9JTH/IsJ.net
次から次に湧き出る「出来ない理由」は全て無知から生じる妄念です。自分が抱えている悩みのほとんどは妄念であることを学ぶと、悩みが弱まり、現実的な対処法も冷静に考えることが出来ます。苦しみの原因は物質ではなくて心の働きだと知りましょう。

ヨガスートラから紐解く
さて、具体的には、どのような心の働きがクレーシャだと言われているのでしょうか。

クレーシャには無知・自我意識・愛着・嫌悪・死への効果がある。(ヨガスートラ2章3節)

455 ::2023/10/10(火) 03:08:32.20 ID:9JTH/IsJ.net
クレーシャ=煩悩^^

456 ::2023/10/10(火) 03:09:37.29 ID:9JTH/IsJ.net
ヨガスートラでは「金欲」などの具体的な物質への執着は上げずに、あらゆる煩悩の根源となる大きな心の作用について説明されています。あらゆる煩悩は、この5つに当てはめて考えると、自分の悩みの根源が見えてきます。

無知(アヴィディヤー)
無知は、他の全てのクレーシャの原因。私たちの苦しみの全ては、間違った妄念によって作り出されている。

自我意識(アスミター)
プルシャとプラクリティを同一だと勘違いすること。

愛着(ラーガ)
渇望を呼ぶ快楽・愛着。

嫌悪(ドゥベーシャ)
苦痛の記憶に対する反発の感情。

死への恐怖(クレーシャーハ)
生に対する執着。

457 ::2023/10/10(火) 03:11:37.68 ID:9JTH/IsJ.net
無知(アヴィディヤー)
無知は、他の全てのクレーシャ(煩悩)の原因。私たちの苦しみの全ては、間違った妄念によって作り出されている。

ここ重要^^

テストにでる^^キリッ

458 ::2023/10/10(火) 03:12:54.44 ID:9JTH/IsJ.net
無明やな・・^^

459 ::2023/10/10(火) 03:14:59.59 ID:9JTH/IsJ.net
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃・・やな^^

460 :神も仏も名無しさん:2023/10/10(火) 03:15:49.35 ID:9JTH/IsJ.net
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

無知(アヴィディヤー)

無知は、他の全てのクレーシャ(煩悩)の原因。私たちの苦しみの全ては、間違った妄念によって作り出されている。

461 ::2023/10/10(火) 03:19:05.48 ID:9JTH/IsJ.net
「三界虚妄 但是一心作」

『華厳経』

【書き下し】
三界(さんがい)は虚妄(こもう)にして、但(た)だ是(こ)れ一心(いっしん)の作(さ)なり。」

【解釈】
世界は虚妄なものであり、ただ一心が造りなしたものである。

【三界とは】
欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つの世界の意。欲界は欲望渦巻く煩悩の世界。色界は物質の世界。無色界は形なき精神の世界。釈尊の解脱はこの三界から脱して自己を解放することを教える。

462 ::2023/10/10(火) 07:41:44.88 ID:fZJlCz2D.net
煩悩つまり無明^^

無明故にうろうろする^^

463 ::2023/10/10(火) 07:42:15.44 ID:fZJlCz2D.net
道に迷ったり、どうして良いのか判断できずに困って彷徨っている様子を、一般的に「うろうろする」と表現します。

〈うろ〉とは漢字で〈有漏〉と書きます。

これは様々な心の汚れを表す総称です。煩悩と同じような意味と思って下さい。

サンスクリット語では有漏を[sāsrava(サースラヴァ)]と書き「流れ出る」ことを意味します。

私たちの六根(五感+意識)から煩悩が流れ出て、心が惑う状態を有漏と言いますが、それが重なり〈うろうろ〉と表現されるようになりました。

一方、流れ出る煩悩や汚れが無い状態を〈無漏(むろ)〉といいます。

464 ::2023/10/10(火) 07:45:30.99 ID:fZJlCz2D.net
「漏尽智で煩悩を切る」

うーん^^

これじゃ訳わかめ^^

465 :現信:2023/10/10(火) 16:30:06.88 ID:73/H8cLJ.net
現在、イスラエルのエルサレムに桐山雄世界平和祈念堂が建て

466 :深山 :2023/10/10(火) 22:15:04.03 ID:DLk6SV8K.net
>>0465現信2023/10/10(火) 16:30:06.88ID:73/H8cLJ
>現在、イスラエルのエルサレムに桐山雄世界平和祈念堂が建て

「桐山雄世界平和祈念堂」を説明してもらえませんか。
阿含宗の信者以外は何の話なのかわからない。
阿含宗のホームページにも掲載されていないようです。

それはともかく、今こそ阿含宗の出番です。
イスラエルは宣戦布告をしましたから、紛争ではなく、戦争が始まっています。
2008年に桐山さんは嘆きの壁に頭を擦り付けてまで、イスラエルに
おもねて護摩を焚き、2013年には世界平和祈念仏舎利塔を建てた。
イスラエルとの太いパイプを持っているのですから、
戦争を止めて、今こそ阿含宗が成仏力を示すべきです。
もっとも、過去のイスラエルと阿含宗を見ると、
阿含宗が行事をすると、逆に紛争が始まるように見えます。

467 :深山 :2023/10/10(火) 22:23:41.46 ID:DLk6SV8K.net
2008年9月 イスラエル建国60周年奉祝・世界平和祈念 イスラエル大柴燈護摩供
2008年11月 イスラエルがガザに侵攻して1300人死亡。

世界平和の護摩を焚いてわずか二カ月後には、子供を含む1300人もの死者を出した。
これは桐山ゲイカの護摩の効果です。
この五年後に、仏舎利塔を建立すると、翌年また紛争が始まった。

2013年8月 聖地エルサレム仏舎利塔建立供養
2014年7月 ガザ攻撃で2200人が殺された。

二回とも、阿含宗がイスラエルで何かすると紛争が始まり、死者たちが増えた。
「桐山雄世界平和祈念堂」を建てたから、今回の戦争が始まったのではありませんか。
1993年のオスロ合意以降、中東に少しだが平和が訪れたように見えて、
これは2000年代も続き、日本からの観光客も大勢訪れるようになっていました。
だから、阿含宗も護摩を焚きに行けた。
ところが、阿含宗が護摩を焚いた2008年以降、紛争がまた激化して、
ついには戦争になった。

468 :深山 :2023/10/10(火) 22:33:06.82 ID:DLk6SV8K.net
「阿含宗の成仏法が引き起こした天災人災」

1986年、スリランカから真正偽仏舎利をもらったら、
翌月、スリランカのエアランカ航空機が爆破され約150人が死亡した。
1990年、中国の天安門事件で、民衆を虐殺した為政者に阿含宗は見舞金を贈った。
1995年、冥徳祭で京都の花山で護摩を焚いたら、翌日、阪神大震災が起きて
約6500人が死亡した。
1997年 思念の相承で桐山さんが祈ったから関東で地震がおきた。
1998年、台湾で護摩を焚いたら、翌年大地震が起きて2400人が死んだ。
1999年、インドで三月に護摩を焚いたら、五月から印パ戦争(カルギル戦争)が起きた。
2000年、ニューヨークで護摩を焚いたら、翌年テロが起きて戦争が始まった。
2003年、パリで護摩を焚いたら、猛暑になり三百人が死んだ。
2007年、ロシアで護摩を焚いたら、ロシアは2022年にウクライナを侵攻した。
2008年、イスラエルで護摩を焚いて平和を祈ると、ガザ紛争が始まり、
イスラエル軍の空爆で子供を含めた1300人が殺された。
2010年、第2回オーラの祭典 世界平和祈念 マヤと阿含の合同法要」で祈ると、
翌年、東日本大震災が起きて、2.2万人が死亡した。
2013年 聖地エルサレム仏舎利塔建立供養・中東平和祈念護摩法要を行うと、
翌年、イスラエルのガザ侵攻で約2200人が殺された。
2015年 法務大臣から感謝状をもらうと、翌年、桐山さんが死んだ。
2018年、スリランカに開祖骨が祭られると、翌年テロで250人が死んだ。

469 :深山 :2023/10/10(火) 22:42:45.34 ID:DLk6SV8K.net
>>468
これを見ればわかるように、阿含宗は世界平和どころか疫病神です。
災害が起きて迷惑だから、護摩を焚くのも、祈るのも、あちこちに
桐山さんの骨をばらまくのもやめてほしい。
一番ひどいのが柴燈護摩です。
日本では法律で野焼きは禁止され、国民はこれに協力しています。
ところが阿含宗は宗教を盾にして、護摩と称して無意味な大焚火をして、
CO2を増やし、地球温暖化を促進している。
今年の夏の暑さを体験し、多くの人が地球温暖化問題に取り組もうと
努力していることに逆行する時代錯誤の行事です。
しかも、災害を引き起こすとこれだけ証明されている焚火を、
己の信仰のためにするのだから、エゴの塊です。
もっとも、桐山さんは天下のエゴイストだったから、朱に交われば赤くなるで、
その信者が同化され、感化されて、同類になっても不思議ではありません。

470 :ユビキタス :2023/10/11(水) 07:08:39.44 ID:26aLh9z1.net
>>465 現信 2023/10/10(火) 16:30:06.88 ID:73/H8cLJ
>現在、イスラエルのエルサレムに桐山靖雄世界平和祈念堂が建て

祈念堂ではなく深山さんも書いている通りの仏舎利塔のことなんじゃないですか?
あれは日本庭園を作ることが認められ、日本庭園にはありがちの小さな塔も建てられ、
これを勝手に世界平和祈念塔とした。
仏舎利塔とのことですから、阿含宗の仏舎利塔ならミミョーのホーを説きたもうw
このミミョーのホーによりイスラエルにどれだけ信者を獲得しましたか?
エルサレムに支部道場ができるほどですか?w
現実には桐山さんの世界平和の祈りも阿含宗の世界平和祈りも空しく、なんの効力も発揮できずに
イスラエルとハマスが完全に戦争状態になり、空爆などにより両サイドに千人以上の死者が出てまだ続いています。
あなたはこれを嘆きたかったのですよね?
現役信者なのに勇気ある発言だw

471 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/11(水) 08:19:05.87 ID:26aLh9z1.net
>>465 現信 2023/10/10(火) 16:30:06.88 ID:73/H8cLJ
>現在、イスラエルのエルサレムに桐山靖雄世界平和祈念堂が建て

世界平和の仏舎利塔だけでなくエルサレムは桐山さんが存命中自ら赴いて
世界平和の護摩を焚いた所です。
護摩は桐山さんが最も成仏力を発揮できるんだそうです。
その桐山さんが世界平和の護摩を焚いたのです。
そしたらそれから僅か数ヶ月後にそれまで長く平穏状態だったのにイスラエルがパレスチナに空爆侵攻を始め世界平和を脅かしました。
イスラエル文学賞も受賞している作家の村上春樹はそれでも自分はやられている方を応援するとイスラエルを非難しました。
桐山さんと言えばその護摩法要に際してイスラエルの首脳一部などとも会見しているはずなのにダンマリです。
何しろイスラエルでの護摩を許可してもらう条件としてユダヤの嘆きの壁に額をつけさせられたのです。
ユダヤ嘆きの壁に額をつけるとはユダヤの神に土下座したのも同然なのは
仏教でも五体投地礼があるのを見てもわかる。
現地の新聞はこれで桐山さんもユダヤのシンパとなったと書かれた。
そのような奴隷根性まで出したわけで、抗議もできないのです。
何も発言発信せず、ただせっせと焚き火だけして世界平和を推進してるつもりです。
その実パレスチナ侵攻が起きたのです。

472 :ユビゲタス:2023/10/11(水) 20:54:38.75 ID:1W22R7d6.net
【悲報】パレスチナゲリラ、パラグライダーで音楽ライブ会場に舞い降りイスラエル人300人を皆殺しに

仏陀の大仏が光沢色彩を放つモニュメントのイスラエル・音楽ライブ会場
https://twitter.com/visegrad24/status/1710831127668072676

そこへパレスチナゲリラ、パラグライダーで音楽ライブ会場に舞い降りる。
https://twitter.com/jix5a/status/1710998651344920912
(deleted an unsolicited ad)

473 ::2023/10/12(木) 12:50:09.43 ID:NtMM7a30.net
桐山さんはブッダちゃんの言ってることと逆なことしてるからしゃないわな^^

474 :神も仏も名無しさん:2023/10/13(金) 12:46:15.19 ID:nau5RrUI.net
※心の安定=解脱はアホの極み(その2)

深山説では「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」になるが
「心の安定」の原語samadhiは”三昧”の意味であり禅定のことであると中村氏は解説しているので
(『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫、300頁より)
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」はすべて≠解脱となります。
従ってこの過去スレ↓はアホの極みと言えます。
ドジを踏んだのは深山大先生の方でした。
皆で笑って上げましょう。
↓↓↓

205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:574E+w79
>>168 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
>「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」といった言葉を見れば
>この繰り返し部分は比丘の心の状態を示しているのがわかります。

これも間違いです。
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、 」
をばらばらの内容だと思っているようだが、
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。
同じ内容をただ別な表現で繰り返しているだけです。
心が小さな煩悩すらもなくなり、煩悩から清浄になり、煩悩に対して純潔で、
煩悩の汚れがないから安定したのです。
これは黄廬園経でも同じで、
「定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し 、不動心、 」
とは、「清浄=穢無く=煩無く=柔軟=不動心」であり、
釈尊が煩悩を完全に滅してしまったことを表現を変えて繰り返しているだけです。
こういう同じ内容の繰り返しの強調は経典ではよく見られます。
こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
だが、ペテン大作さんは理解しなかった。
普通に読めばいいのに、普通には読まず、他の経典を持ってきて
比較しようとしてみたり、釈尊の意図を無視して、都合の良い解釈をしようとした。
どうしてペテン大作さんは毎回、こうもドジばかり踏むのでしょう。
その理由はあなた自身が次のように書いている。

475 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 21:35:25.70 ID:81l2V6Vr.net
>>0474神も仏も名無しさん2023/10/13(金) 12:46:15.19ID:nau5RrUI
>※心の安定=解脱はアホの極み(その2)
>>0408神も仏も名無しさん2023/10/08(日) 22:59:03.04ID:FCavz3Gp
>※「心が安定し・・・」=解脱はアホの極み

如来の解脱が「アホの極み×2」だそうです。
注意されると、もっとむきになって書くのは、まるで子供です。
ペテン大作さんが引用した私の文章は15年前です。
15年間、繰り返し説明されても理解できないどころか、>>337の釈尊の
言葉や>>363のアラカンたちの言葉でさえも彼は聞く耳を持たない。
学者は誰一人として漏尽智で煩悩を切るとは述べておらず、
沙門果経の釈尊も解脱した後に漏尽智に心を向けるとある。
桐山説2「漏尽で煩悩を切る」と主張すれば、矛盾1や2が出てきて、
成り立たないと>>447で説明されても、彼は理解できない。
そればかりか、彼の主張は桐山説とさえも矛盾して、自家中毒をおこした。

他の信者さんたちはどうですか?
普通の知性のある人なら「漏尽で煩悩を切る」という説は経典の根拠がなく、
学者も唱えておらず、桐山説とさえも矛盾し、何よりも致命的な矛盾を
いくつも生じて、八方ふさがりだから、この説は成り立たないと理解します。
だが、ペテン大作さんの知性では15年間、そしてこれからも理解できない。
彼の視野には、心の安定の原語が三昧だという説明しか見えない。
ここまで理解できない彼の姿は、なんか哀れですよね。
彼はどうでもいいから、沙門果経を理解するためにも、
他の信者さんたちは読誦している応説経を開いてください。

476 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 21:42:10.17 ID:81l2V6Vr.net
「・・その修行を成就するならば、一切の結縛・使・煩悩・纏から解脱することができるのです。」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、79ページ)

ここで釈尊は解脱する対象として「結縛・使・煩悩・纏」と四つ言葉を並べています。
四つの言葉だが、実はすべて同じ意味であると桐山さんも講義しています。

「結縛・使・纏、これらはすべて煩悩の異名です」(仏陀の真実の教えを説く[上]、81ページ)

煩悩と一度言えばいいのに、これを釈尊は四回、しかも別な表現で
繰り返していることに着目してください。
釈尊は繰り返すことで重要性を強調する手法を経典のあちこちで用いています。
そこでペテン大作さん以外の信者さんたちに理解してほしいのは、
釈尊が繰り返した時は、

・その内容がとても重要だから繰り返している、
・複数の別々の事を言っているのではなく、一つの事を言っている、

という点です。
つまり、釈尊にとって煩悩がとても重要な事柄で、我々に煩悩に目を
向けるように強調しているのがわかります。
こんな当たり前なことを確認するのは、この当たり前が理解できない人たち
がいるからです。
その上で沙門果経を見てみましょう。

477 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 21:48:21.16 ID:81l2V6Vr.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1』春秋社、105〜107頁)

「安定・・・不動」の八つの事柄は同じ内容を繰り返すことで強調したとわかります。
つまり「安定」=「清浄」=「純白」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」=
「柔軟」=「適応」=「不動」です。
八回も強調したのだから、釈尊にとってはこれはとてつもなく重要な事柄であり、
私たちに記憶し理解することを求めているのがわかります。
応説経の煩悩は四回なのに、沙門果経は八回ですから、釈尊の教法に
とって、上位を争うくらいの重要な事柄です。

釈尊は沙門果経で八回強調しただけではありません。
これは漏尽智を説明した部分で、実はこの前にも何度も出てきます。
六通の説明にはそれぞれ二度出てきて、さらに無我と意生身の説明でも
二度出てきますから、結局、ほぼ同じ文章が16回出てくるのです。
一つの概念を八回繰り返しただけでなく、それを16回、つまり
8×16=128回も繰り返したのです。
そこで信者さんたちに考えてほしい。
釈尊が連続して128回も繰り返した概念とは何でしょうか?
上位を争うのではなく、間違いなく、一番強く説きたい内容です。

478 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 21:55:09.66 ID:81l2V6Vr.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1』春秋社、105〜107頁)

釈尊が128回も繰り返した内容とは、
四谷大塚出身の秀才君のペテン大作さん三昧だといい、
四谷大塚を出ていない私は解脱だと主張しています。
ペテン大作さんの主張の根拠は、「心の安定」の原語が
三昧だからというものです。
三昧は、禅定とも訳され、定は戒定慧の一つとして重要な徳目です。
だが、それを128回も繰り返さなければならないだろうか。
それなら、戒や慧だって、同じくらい重要です。
なぜなら、三つが完璧にそろわないと解脱できないからです。
ペテン大作さんは八つあるのに「心の安定」の一つの言葉にしか目を向けない。
視野が狭いので「心の安定」を見ると、残りの七つが彼の脳から脱落するらしい。

釈尊は八回も繰り返して強調しているのです。
しかも、例えば、「不動」という言葉には三昧という意味はありません。
「安定」「汚れなく」「純白」「適応」「柔軟」にも三昧という意味はなく、
またこれらは単独では岩波仏教辞典に項目がありません。
応説経の煩悩の説明にも「結縛・使・煩悩・纏」と並べているが、
その中に煩悩という、聞く側が明瞭に意味がわかる言葉が入っています。
そういう目で見れば、この八つの言葉にもそれが入っています。
その一つが「心に付随する小さな煩悩をも離れ」です。

479 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 22:03:48.53 ID:81l2V6Vr.net
「心に付随する小さな煩悩をも離れ」

小さな煩悩からも離れたのだから、大きい煩悩は言うまでもありません、
などと、わかりきったことを強調するのは、前にペテン大作さんが
「小さい煩悩とあるだけで、大きな煩悩とはない」と、いつもの
ひどい読解力を自慢気にここに披露したからです。
ここまで来ると、もう一度小学校に入り直してもらうしかありません。
今回は四谷大塚は無理でしょう。

解脱「仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。」(岩波仏教辞典)

仏教では煩悩から離れるとは解脱のことです。
「心に付随する小さな煩悩をも離れ」たら、煩悩からの解放であり、解脱です。
つまり、八つの項目の意味は解脱という意味です。
「汚れなく」の汚れとは煩悩であり、煩悩がないという意味です。
「清浄」とは、そのまま煩悩がないという意味です。
この三つが明瞭に解脱を意味しますから、八項目は解脱という意味です。

釈尊は漏尽智一つに、解脱したことを八回別な表現しをして強調し、
しかもそれを二度繰り返した。
さらには、六神通はじめ、八つの項目でこれを繰り返し、合計128回、
煩悩からの解放が沙門としての大きな果報であると王様に強調したのです。

480 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 22:10:12.42 ID:81l2V6Vr.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1』春秋社、105〜107頁)

心の安定の原語が三昧であることは何も不思議ではありません。
なぜなら、八正道には正定が項目としてあり、戒定慧の定がそれです。
その定とは、煩悩に心をかき乱されたり、心を向けることなく、一瞬の隙もなく、
煩悩から解放された状態を保ち続けるという意味です。
解脱者は完璧な戒定慧を保っている、というよりも、保っている人のことをアラカンというのです。
愛人のいる人を有余依涅槃の聖者とはいいません。
食いしん坊をやめられない人は解脱者ではありません。
批判されると怒り狂って暴力で排除するような人はアラカンではありません。

中村博士は仏教用語である三昧をわざわざ心の安定と別に訳した。
煩悩に左右されず安定した状態、つまり解脱していることを表現するためです。
そのことを中村博士は、ペテン大作さんが引用した註で書いているのです。
それを15年前から指摘しても、今回も>>358で書いても彼は無視している。
彼にとって都合の悪いことを、彼の脳は三秒しか記憶できないらしい。

481 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 22:20:36.87 ID:81l2V6Vr.net
「間をおかぬ心の安定-----(中略)この禅定を得た直後に、間をおかずに、
なんらの障擬なくして聖果を得るので、このようにいう。」
(『ブッダのことば』中村元、300ページ)

ペテン大作さんが引用した中村博士の註の隣には、↑このように書いてあるのです。
心の安定を得た比丘は「間をおかずに」聖果、つまり解脱するという意味です。
心の安定と解脱は間をおかないのだから、「心の安定=解脱」です。
心の安定の原語は三昧だが、意味は解脱だと中村博士が説明している。
それを無視して、しかも、私から何度も指摘されても無視して・・・そうか、
無視ではなく、彼は理解も記憶もできないから、無理なのだ。

普通の読解力があれば、こんな説明をしてもらわなくても、経典の
「この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。 」(>>357)
という一文を見れば、心の安定を得た者は解脱者だとわかりますから、
心の安定とは単なる禅定(三昧)ではなく、解脱そのものだとわかります。
普通の読解力のないペテン大作さんには理解は無理です。
15年ですよ、15年、同じ説明を繰り返されても、
「かのペテン大作さんは遂に理解すること能わず。所以はいかん」

「心の安定・・・不動」が解脱ですから、解脱の後に漏尽智が出てきます。
ペテン大作さんには無理でも、他の信者さんたちは、さすがに
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘だとわかるでしょう。

482 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/13(金) 22:28:10.33 ID:81l2V6Vr.net
*イスラエルを支持する阿含宗

今回、ペテン大作さんらしい反応だと気が付きませんか。
イスラエルのことをこちらが書いているのに、彼は無視している。
阿含宗は護摩まで焚いて、今でも現地に阿含宗が植物園に
作った「日本庭園」に仏舎利が祭ってある。
桐山さんは嘆きの壁に頭をすりつけて、イスラエルのシンパであることを表明した。
あれはイスラエル側の「踏み絵」で、桐山さんは見事に合格した。
親イスラエルとは反パレスチナを意味します。
これからハマス殲滅を理由にパレスチナの民衆の本格的な虐殺が始まる。
それを阿含宗も支持しているのです。
他の知性と良識のある信者さんたちは立場を考えたほうがいい。
阿含宗は桐山さんがイスラエル支持を表明して、それを撤回していない。
だから、今でも阿含宗と信者さんたちはイスラエルの軍事行動を含めて
全面的に支持していることになります。

日本政府は片方だけの支持はせず、双方に暴力の自粛を呼び掛けて、
パレスチナには人道支援をしてきました。
阿含宗は日本のやり方と違い、イスラエル支持を表明した数少ない人たちです。
これが阿含宗のいう世界平和とやらの正体です。
ペテン大作さんが無関心であるように、信者さんたちも所属する阿含宗が、
今のイスラエルの暴力と殺戮を支持していることになるなんて、
何の関心もないのでしょうね。
仏教では身口意の三業ですから、間接的にせよ、軍事行使を支持したことは
間違いなく一つの行為であり、報いが来ます。

483 :神も仏も名無しさん:2023/10/13(金) 22:28:39.97 ID:OyLTgtIw.net
※心の安定=解脱はアホの極み(その3)

15年前に批判側サイドから興味深い主張↓が投稿されていました。
部分的には大先生の主張に沿っていますが、大先生の主張を否定する内容も含んでいます。
当時、大先生は御自分の主張を否定する内容に対してノーコメントでした。
たぶん相手が批判側だったせいでしょうね。
しかしそういう姿勢を続けることは、相手によって主張を変える人であると見做されます。
大先生のコメントを是非聞きたいですね。
↓↓↓

105 :樹意:2008/12/08(月) 06:40:32 ID:RLrJRl+8
大まかにいうと各種の戒律より戒蘊を得、四禅と進み 解脱智見の段階がある。
第四禅において
このようにして、心が安定し、清浄になり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ
柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになる。 
ほぼこの段階で解脱しているのだがその後 各種の智見に心を傾注し最終仕上げの段階がある。
最後に 99煩悩滅の智(漏尽智)がある。
これらを勘案するに、私の場合は七氏さんとは見解が少し違い、煩悩滅の智に心を傾注し
「阿羅漢道」「arahatta-magga〉が得られるのだろうと思います。 ただ勘違いしないで欲しいのは
あくまで 戒蘊を得、四禅と進み 解脱智見 なのであって、四禅をベースに各種の智に心を傾注する
のであって 〈智〉神通力で解脱するものではないということです。四禅を得る為には戒蘊を得ていなければ
いけないのは当然のことです。

着目すべきは 神通力とあってもこの場合は〈智〉或いは〈智見〉の扱いだということです。
四禅のベースが無ければその智は得られず 四禅は戒のベースがいる。 アゴンのように
大戒 中戒 小戒 として禁止するものをボン行と言い換えているところが議論の対象とする
ものではないということです。

484 ::2023/10/13(金) 22:41:15.09 ID:ZERM4/Z5.net
うん?

心は私だ・・と思っているうちは解脱はないよ^^

485 ::2023/10/13(金) 22:43:43.18 ID:ZERM4/Z5.net
バガヴァッド・ギーター

詩節3−27

行為は、いかなる場合でも、根源的自然(プラクリティ)のグナによって行われる。「私」という感覚によって精神が惑わされた人は、「私は行為を為す者である」と考える。

486 ::2023/10/13(金) 22:54:23.87 ID:ZERM4/Z5.net
う〜〜ん^^

心と身体は私なのか^^?

うん?

487 ::2023/10/13(金) 22:56:49.06 ID:ZERM4/Z5.net
真実の自己とは心と身体を眺めているもの・・^^

488 ::2023/10/13(金) 22:58:08.38 ID:ZERM4/Z5.net
心と同化しちゃっているから・・気づかないんだよな・・^^

489 ::2023/10/13(金) 22:59:14.25 ID:ZERM4/Z5.net
心と身体は・・物質原理^^

真の自己は・・精神原理^^

490 ::2023/10/13(金) 23:09:11.27 ID:ZERM4/Z5.net
うん?

【自分=身体・心】
と思うので私たちは苦しむのです。
感情に支配されたり、痛みに苦しんだり。
自分に感情や身体くっつけると悩むし、苦しむ…

【自分≠身体・心】と考えてみましょう。

【自分=魂】
これが私たちの本来の姿です。
これはとても美しい、常に満たされていて、平和的(*´ω`*)✨
この魂は現実を見ています。
変化を観察出来るのです。

491 :神も仏も名無しさん:2023/10/13(金) 23:10:26.37 ID:32kTQqRS.net
深山落ち着け

492 ::2023/10/13(金) 23:11:45.05 ID:ZERM4/Z5.net
身体・心は変化するんだよな・・・^^

それに対し自己は変化しない^^

つまり・・^^

変化を観察出来るのです。^^

493 ::2023/10/13(金) 23:12:22.73 ID:ZERM4/Z5.net
おなじく^^

深山落ち着け^^

494 ::2023/10/13(金) 23:17:29.26 ID:ZERM4/Z5.net
ヨーガ・スートラ ? 独存の章

25. 心とプルシャ(真の自己)の違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

495 ::2023/10/13(金) 23:20:17.84 ID:ZERM4/Z5.net
もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない^^キリッ

つまり・・心の安定^^・・解脱^^

496 ::2023/10/13(金) 23:23:28.40 ID:ZERM4/Z5.net
もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない

これ^^

識別智 ヴィヴェーカと言われてるんだよな^^

497 :神も仏も名無しさん:2023/10/14(土) 00:16:26.10 ID:4eu4TOLJ.net
「心の安定=解脱」はアホの極み(その4)

>>481
>ペテン大作さんが引用した中村博士の
>註の隣には、↑このように書いてある
>のです。
>心の安定を得た比丘は「間をおかず
>に」聖果、つまり解脱するという意味
>です。
>心の安定と解脱は間をおかないのだか
>ら、「心の安定=解脱」です。

一体どういう読解力なのだ?
こんな小学生でも理解出来ることがこの大先生には。
全然違いますよ。
そういうインチキは止めましょうね。
この「心の安定」の註は二二六番の詩の解説です。

二二六
最も優れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、ひとびとは「〔さとりに向かって〕間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
(『ブッダのことばースッタニパータ』中村元、岩波文庫、51頁)

「間をおかぬ心の安定」とは「最も優れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定」のことを指しているのです。
「最も優れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定」=「間をおかぬ心の安定」
です。
ただの「心の安定」が「間をおかぬ心の安定」ではない。
「最も優れた仏が讃嘆したもうた清らかな」という形容詞が「心の安定」にくっついているのです。
「心の安定」自体は三昧のことです。
大先生の大好きな岩波仏教辞典の「三昧」の項目を読んでご覧なさい。
何処にも解脱のことだとは書いてない。

三昧
「サンスクリット語samadhiに相当する音写。〈三摩地〉とも音写する。訳して〈定〉〈等持〉などとする。」
「悟りに至るには三昧が前提とされるが、悟りに達する直前の心の堅固で不動なる状態を指して、特に金剛喩定の名で呼ぶ。」(『岩波仏教辞典 旧版』330頁)

ここでも「悟りに達する直前の心の堅固で不動なる状態」が「金剛喩定」なのであって「三昧」だけなら「定」です。
解脱の意味などありません。
心の安定=三昧=解脱などと言い出したら仏教界の笑い物です。
ヤメ信者とはいえ阿含宗の恥曝しになるので止めてください。

498 :神も仏も名無しさん:2023/10/14(土) 00:41:26.04 ID:4eu4TOLJ.net
497の補足

「心の安定」は沙門果経ではすでに第二禅に入った比丘の状態を表す言葉として
「観察と考究を離れた心の安定(三昧)から生ずる喜びと安楽」(『世界の名著1』中央公論社、530頁)と書かれているので、解脱の意味はありません。

499 ::2023/10/14(土) 05:59:15.22 ID:IKrOiiSt.net
解脱^^

https://imepic.jp/20231014/214800

500 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/14(土) 07:04:18.41 ID:AN+b9g5O.net
ペテン大作さんはいつの間にか心の安定という単語のみを対象としています。
しかし深山さんも私も実は沙門果経の中で複数表現された心の状態の中で安定という単一の単語「だけ」を以て解脱だと判断していないのです。
心の安定という単一表現はあくまでも代表で他の表現も含めている。
議論の都合上他の表現を省略しているだけです。
これは最初からそのように説明しています。
すなわち沙門果経の中で釈尊が阿闍世王に四禅を終えた出家の比丘が、
神通や漏尽智に心を向けてみる前の心の状態の総合を以て、実はこの時点で解脱を得ていると判断した
ことを我々は最初から説明しています。
すなわち、
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1』春秋社、105~107頁)
この表現の漏尽智に心を向ける云々よりも前半の表現全てで判断している。
深山さんはこれを心が安定=清浄=純白=汚れなく=小さな煩悩も離れ=柔軟=行動に適応=不動と説明しているが、
実はこういう説明でもよい。
心が安定+清浄+純白+汚れなく+小さな煩悩も離れ+柔軟+行動に適応+不動
この総合表現の全てを以て解脱と判断したのです。
これは最初からそう説明していますよ。
この経典の表現が安定という単語一つだけだったら、あるいはこれは禅定三昧のことを示しているのかもしれない。
しかしそうでなくいくつもの心の状態が列挙された。
解脱と判断する最大の決め手は「心に付随する小さな煩悩も離れ」であったことも当初から説明している。
行動に適応のどこが禅定三昧なんですか?
行動とは日常生活に対応していくことで、これはもはや三昧も離れている。
だからこそ釈尊は単一表現を避け努めて複数表現をして誤解がないようにしたのです。
そうしないとどこかの四谷大塚の出来損ないのような、深い意味も考えることすら放棄して
暗記=わかったつもりというバカに誤解されてしまいますからね。

501 ::2023/10/14(土) 07:54:06.93 ID:IKrOiiSt.net
瑞龍鉄眼禅師 『仮字法語』

【二の三】

また古人、法身は形殻のうちにかくるといえり。
形殻とはこの身なり。
この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。

【二の四】

本より法身の如来なるを、まよいて万物と思い、またはわが身と思うには、二重のまよいあり。

【二の五】

まず一重のまよいは、この身は、地水火風の四大を、仮にあつめて、つくりたてたるものなり。
身の内の皮肉筋骨のたぐいは土なり。
涙よだれ血などは水なり。
あたたかなるは火なり。
出入の息と、うごきはたらくは風なり。
この地水火風をはなれては、わが身というべきものなし。
ただ今なりとも命おわりて、地水火風もとにかえりぬれば、ただ白骨となりて、つゆほどもわが身とたのむべきものなし。


かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、このされこうべにつかわれて、地獄の業をのみつくりて、三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。


かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。

502 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/14(土) 07:54:28.87 ID:Vkpluaft.net
>>483
当時の樹意さんが七氏さんと少し違うとしているのは、漏尽智により解脱知見を得ることにより
阿羅漢道が完成するということです。
表現を変えると、覚者(=仏陀)になるということです。
漏尽智に心を傾注する前は解脱の状態は得ていたが、覚者とまではなっていなかった。
だから命題がいつ解脱していたかではなく、いつ覚者となったかならば、これはやはり漏尽智に心を向けて観察した後です。
しかし覚者となるにはその前提として戒蘊も含めた戒定慧の成果が必要であり、
漏尽智はあくまでも智(知ること)であり神通力で何事かを為す話ではないとしています。
だからこちらの主張とそんなに違わない。
まあ同じ批判側で全部が全部同じ考えである必要はありません。
私も深山さんとも少し考えが異なることはよくありますよ。
それでいいのです。
それをあなたは深山崇拝が激しいから、少し深山さんと意見が異なる人がいるだけで、
コイツはいいのか?とムキになるw
まあ四谷大塚の出来損ないで自分の頭で考える習慣を持って来なかった男はもはやそこからの脱却進歩も難しいと思うが、
その深山コンプレックスに基づく怨念をなんとかしろよw
なんかさあ、もう目を真っ赤にして泣いているようにも見えるしw
私も仕事の最中仕事をサボって短い書き込みをすることもたまにあるが(長文は無理です)
あなたは仕事も引退されて時間は自由に使えると思うのだが、日中であれ深夜であれ規則正しい生活を心掛けて
健康を害さないことに留意してくださいw

503 ::2023/10/14(土) 07:58:49.81 ID:IKrOiiSt.net
【三の十一】

三界流浪の凡夫のならいは、すべてこの苦楽の間をのがるることあたわず。


そのうえは、さく花を見て楽しみと思えば、ちる時はやがて苦なり。
出る月を見てたのしめば、入る山の端はまたかなし。
逢う事をよろこべば、わかれはかえってうれいなり。
さかえたるをたのしむ人は、おとろうる時またくるしむ。
まずしき人はなきをくるしむ。
富める人はあるになやまさる。
へつらうも苦しみなれば、おごるもげには苦しきわざ、恋しきも苦なれば、うらめしきもまた苦なり。


大いなるかな苦楽の二受。
三界一切の衆生、その中におぼれて、ついに出る事あたわず。

504 ::2023/10/14(土) 07:59:41.07 ID:IKrOiiSt.net
大いなるかな苦楽の二受。
三界一切の衆生、その中におぼれて、ついに出る事あたわず^^

505 ::2023/10/14(土) 08:01:08.72 ID:IKrOiiSt.net
またまたこれ^^

https://imepic.jp/20231014/214800

自我=心身^^

506 ::2023/10/14(土) 08:02:56.09 ID:IKrOiiSt.net
三界一切の衆生、その中におぼれて・・^^

世界内=自我(心身)=幻影^^

507 ::2023/10/14(土) 08:05:00.77 ID:IKrOiiSt.net
遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃^^

508 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/14(土) 08:08:34.28 ID:Vkpluaft.net
>>507
This is a pen.

ピタゴラスの定理=直角三角形の3辺の長さに関する a2+b2=c2 という関係

509 ::2023/10/14(土) 08:11:29.78 ID:IKrOiiSt.net
ところで^^

心の安定なんておかしくないか^^?

510 ::2023/10/14(土) 08:14:28.25 ID:IKrOiiSt.net
【ヨーガスートラ】1章44節 自分は心か?いや、心じゃない!

https://youtu.be/ibp0PgYO6ys?si=IbFxwnfljiAqLCyN

511 ::2023/10/14(土) 08:16:17.55 ID:IKrOiiSt.net
【ヨーガスートラ】1章45節 心=私??

https://youtu.be/nDIF1uI5LTk?si=oZNMVaj6Z07hYkqn

512 :ユビキタス :2023/10/14(土) 08:16:33.17 ID:Vkpluaft.net
>>509
お宅のアタマほどおかしくないw

513 ::2023/10/14(土) 08:30:07.23 ID:IKrOiiSt.net
うん?

まじかぁああああああああああああああ^^

514 ::2023/10/14(土) 08:33:13.47 ID:IKrOiiSt.net
心の寂静・・ならまだわかるが・・^^

これは識別知による^^

心の安定なんてその時だけだろ・・^^

永遠ではない^^

515 ::2023/10/14(土) 08:34:48.63 ID:IKrOiiSt.net
心が私ではないと識別できた時・・心の寂静がなされる^^

516 ::2023/10/14(土) 08:36:23.26 ID:IKrOiiSt.net
これ^^

ヨーガ・スートラ

? 三昧の章

1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

517 ::2023/10/14(土) 08:37:03.24 ID:IKrOiiSt.net
ここ重要^^

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

518 ::2023/10/14(土) 08:38:01.37 ID:IKrOiiSt.net
心の働きと同一化してて・・心の安定なんてありえん^^

519 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/14(土) 08:38:20.57 ID:Vkpluaft.net
>>514
だから阿羅漢はその心の安定を持続するように常に自己に注意を払っている。

520 ::2023/10/14(土) 08:38:57.99 ID:IKrOiiSt.net
つまり・・解脱とは・・^^

心の働きと同一化からの解脱なんだよな^^

521 ::2023/10/14(土) 08:39:41.97 ID:IKrOiiSt.net
つまり・・またこれ^^

https://imepic.jp/20231014/214800

522 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/14(土) 08:40:14.20 ID:Vkpluaft.net
殴られれば痛いわさ。
感じないなんてことはない。
しかしその場で痛いと感じたそれ以上に心を動かされない。
発展させない。

523 ::2023/10/14(土) 09:03:23.33 ID:96IkVbb5.net
扁桃体(へんとうたい)は、神経細胞の集まりで情動反応の処理と短期的記憶において主要な役割を持ち、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に不安や緊張、恐怖反応において重要な役割も担っています。

524 ::2023/10/14(土) 09:05:41.64 ID:96IkVbb5.net
扁桃体と心の安定^^

525 ::2023/10/14(土) 09:08:47.24 ID:96IkVbb5.net
うーん^^

何事もほどほどがベストやな^^

簡単に言えば中道^^

526 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/14(土) 09:11:41.60 ID:Vkpluaft.net
釈尊は最期は食あたりで腹痛や下痢などに苦しんだ。
苦しくないはずがない。
しかしその苦痛に身をまかせて安静に横になっていただけです。

527 ::2023/10/14(土) 09:11:53.71 ID:96IkVbb5.net
うん?

扁桃体って私なのか^^?

528 ::2023/10/14(土) 09:13:19.83 ID:96IkVbb5.net
つまり身体は私ではない^^キリッ

529 ::2023/10/14(土) 09:15:25.52 ID:96IkVbb5.net
身体が痛いのであって真実の自己はそれを眺めてるだけ^^

530 :現信:2023/10/14(土) 09:23:37.68 ID:WH+X5hiy.net
このAV女優の名前わかる人いませんか。
https://missav.com/ja/instv-406

531 :現信:2023/10/14(土) 09:25:36.60 ID:WH+X5hiy.net
合掌

532 ::2023/10/14(土) 09:50:19.72 ID:IKrOiiSt.net
心の安定はやはりおかしい・・^^

心が不安定だから安定を求めるのか・・^^

結局は・・安定も不安定も一如ということやな・・^^

だとすると・・安定も不安定もない寂性やな・・^^

533 ::2023/10/14(土) 09:50:29.46 ID:IKrOiiSt.net
心の安定はやはりおかしい・・^^

心が不安定だから安定を求めるのか・・^^

結局は・・安定も不安定も一如ということやな・・^^

だとすると・・安定も不安定もない寂性やな・・^^

534 ::2023/10/14(土) 10:47:25.40 ID:IKrOiiSt.net
スッタニパータ 二二六の原語は^^?

535 ::2023/10/14(土) 10:47:32.88 ID:IKrOiiSt.net
スッタニパータ 二二六の原語は^^?

536 ::2023/10/14(土) 10:47:35.88 ID:IKrOiiSt.net
スッタニパータ 二二六の原語は^^?

537 ::2023/10/14(土) 11:22:12.14 ID:96IkVbb5.net
原語も知らずに語るなよ^^

まったく、、、もう^^

538 ::2023/10/14(土) 11:23:37.88 ID:96IkVbb5.net
うん?

牛になってしもうた^^

539 ::2023/10/14(土) 11:24:37.41 ID:96IkVbb5.net
寂滅為楽^^

540 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 12:07:55.10 ID:EfqP3yE4.net
>>0483神も仏も名無しさん2023/10/13(金) 22:28:39.97ID:OyLTgtIw
>15年前に批判側サイドから興味深い主張↓が投稿されていました。
>部分的には大先生の主張に沿っていますが、大先生の主張を否定する内容も含んでいます。

どこが否定する意見なのですか?
樹意さんの主張で、漏尽智で解脱すると、どこにあるのだ?
心の安定が解脱ではないと、どこにあるのだ?
ペテン大作さんは樹意さんの、
「〈智〉神通力で解脱するものではない」
という文章が読めないらしい。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」を否定している。
この点で彼と私の意見は同じです。

私がこの時、樹意さんにレスをつけなかったのは当たり前です。
このスレは解脱そのものについて議論するスレではない。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
桐山説3「漏尽智で桐山カルマを切る」
という説が嘘かどうかを議論するスレです。
わざわざ桐山説とペテン大作説を否定する批判側の主張を引用してくれて、ご苦労様。

541 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 12:18:01.51 ID:EfqP3yE4.net
>0497神も仏も名無しさん2023/10/14(土) 00:16:26.10ID:4eu4TOLJ
>「最も優れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定」=「間をおかぬ心の安定」
です。
>ただの「心の安定」が「間をおかぬ心の安定」ではない。

さすが四谷大塚の秀才君だけあって、支離滅裂な読解力です。
一行目で両者が「=」だといいながら、二行目ではこれを否定してみせる。
ひどい読解力というよりも、醜悪な読解力です。
何か屁理屈を付けて、否定しないと気が済まない。

「最も優れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
ひとびとは「〔さとりに向かって〕間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。」
(『ブッダのことばースッタニパータ』中村元、岩波文庫、51頁)

この愚かな男の意味不明の解釈ではなく、読者の皆さんは普通国語力で読んでください。
心の安定の性質は
「「最も優れた仏が讃嘆した清らかな」
「〔さとりに向かって〕間をおかぬ」
です。
心の安定は、仏が賞賛し、解脱と間をおかない、という性質を持っている、
という意味です。
解脱と間をおかないのだから、心の安定とは解脱そのものです。
解脱だから仏は賞賛している。
つまり「心の安定=解脱」です。

彼はこの一文のみに反論しているが、>>337に引用した釈尊の
他の言葉や>>363のアラカンたちの「心の安定」については一言もない。
「心の安定」と解脱という意味で使っている経典はこのようにたくさんあります。
つまり、沙門果経の心の安定も解脱という意味で、漏尽智の前に解脱して
いるから、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は間違いです。

542 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 12:30:22.14 ID:EfqP3yE4.net
>>0498神も仏も名無しさん2023/10/14(土) 00:41:26.04ID:4eu4TOLJ
>「心の安定」は沙門果経ではすでに第二禅に入った比丘の状態を表す言葉として

ペテン大作さんの主張の背景には、沙門果経が修行の順序だという勝手解釈があります。
沙門果経は、沙門の果報を説いたもので、修行の順序ではありません。
王様は果報を質問し、釈尊も果報を説くと述べ、学者もそのように解説しています。
ペテン大作さんだけが、勝手にこれを修行の順序であり、最後の
漏尽智の後に解脱するのだという順序説を唱えている。

↑498は、漏尽智の前の四禅などでは解脱していないという前提で主張をしています。
だが、その順序説という前提が間違っているのです。
私は前に彼の説の間違いと矛盾を何度も指摘しました。
彼は順序説を撤回していないし、反論内容も記憶しない。
学習しないから、またしても、彼は自説Aを前提として自説Bを主張しているのです。
自説Aが間違っているのに、それを前提にして↑自説Bを主張しても意味がない。
彼の論の展開はいつもそうで、砂上楼閣です。

543 :深山 :2023/10/14(土) 12:39:56.43 ID:EfqP3yE4.net
>>0498神も仏も名無しさん2023/10/14(土) 00:41:26.04ID:4eu4TOLJ
>「心の安定」は沙門果経ではすでに第二禅に入った比丘の状態を表す言葉として

釈尊は入滅する時、初禅から第九禅に行き、次に初禅まで戻り、さらに第四禅から入滅しました。
私から、入滅する時の第四禅では、釈尊は解脱していなかったのかと追及されて、
何と、ペテン大作さんは入滅する直前は解脱していなかったという爆笑説を書いた。
後に彼は撤回したが、自分の愚かな間違いなど三秒で忘れて、
深山への激しい憎しみだけが増えた。

ペテン大作さんの↑上記の説だと入滅する時の第二禅は解脱していないことになる。
また前と同じ間違いを繰り返している。
自分のミスからこの人は何一つ学習しない。
彼は視野が狭い上に過去の議論を何も記憶していないから、すでに批判され
否定されたはずの同じ主張を、まるで新しく発見したかのように、
深山破れたり!と大喜びで繰り返す。
先に勝利宣言をするとみっともないといくら言われても、彼は止められない。

アラカンの第二禅は解脱です。
四禅などは瞑想の技法であり、これで解脱できたら、釈尊が師事した二人の
宗教家の瞑想だけで解脱できたはずです。
だが、釈尊はこれだけでは解脱できないと去った。
瞑想の技法としては完成度が高いから、釈尊はこれを採用した。
だから、解脱しているアラカンの第二禅に心の安定が出てきても何も不思議ではありません。

544 :深山 :2023/10/14(土) 12:47:09.54 ID:EfqP3yE4.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1』春秋社、105〜107頁)

ペテン大作さんは私が指摘したことはほぼ無視している。
反論できないから、樹意さんの文章を引用して当て馬に使ったつもりです。
だが、そんなゴマカシは通用しません。
「心に付随する小さな煩悩をも離れ」という文言が決定的で、
煩悩を離れたら解脱ですから、他の七つの文言が何であれ、これは解脱を
意味しています。
15年前からこういう指摘をしても、彼は反論できないからほぼ無視している。

清浄「煩悩の汚れを意味する(雑染)に対立する.」(岩波仏教辞典)

清浄とは、「煩悩の汚れ」と対立するというのだから、煩悩が無いこと、
つまりこれも解脱を意味します。
また、「煩悩を汚れ」と表現しているのを見ればわかるように、
経典の「汚れなく」も、煩悩がない、つまり解脱という意味です。
そういう目で見れば、煩悩に左右されないから、心が安定し、
煩悩に汚染されていないから、清浄、純白、汚れなく、
煩悩に凝り固まっていないから、柔軟で、
煩悩に行動が左右されないから、適応し、
煩悩に動かされないから、不動なものとなると
表現しているのだとわかります。
「心の安定・・不動」は解脱を表わし、その後に漏尽智が出てきますから、
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘です。

545 :深山 :2023/10/14(土) 12:58:35.08 ID:EfqP3yE4.net
*煩悩からの解放を128回強調した

前回、私は、釈尊が「心が安定し・・・不動」という言葉を128回も
繰り返している点を指摘しました。(>>447)
ペテン大作説では心の安定は三昧という瞑想の話だという。
釈尊は三昧を128回も繰り返したのですか?
三昧は戒定慧の一つであり、八正道の一つであり、重要な徳目だが、
戒定慧や八正道の各項目はどれも重要で、定のみが重要なのではありません。
つまり三昧は128回も繰り返して強調しなければならない話ではありません。

釈尊が128回も王様に強調したのは、仏教の解脱とは煩悩からの解放だという点です。
煩悩に囚われない境地がどれほどすごい果報か、それを繰り返し示した。
王様は他の宗教家の教法を引用して質問しています。
釈尊は自分の教法を他者と比較してどれほど優れているかを示さなければならなかった。
その他者との違いが三昧?
三昧という言葉は釈尊の発明ではなく、当時の宗教家の間で使われていた言葉です。
そんなありふれた三昧を得るというだけなら、これでは他と変わらない。

釈尊は三昧という王様も知っている言葉を用いながら、仏教は他とは
まったく違う果報があると説いた。
それが煩悩からの解放です。
信者さんたちは煩悩解脱(漏尽解脱)を軽く見るどころか、侮蔑さえもしているが、
これは釈尊の大発見なのです。
煩悩からの解放が解脱であると発見したのは釈尊が初めてで唯一です。
だから、128回も繰り返した。

546 :深山 :2023/10/14(土) 13:04:54.85 ID:EfqP3yE4.net
*「心の安定」=煩悩からの解放

王様から仏教の果報を質問されたら、釈尊の答えは煩悩からの解放しかありません。
だから、沙門果経は最初から終わりまで、煩悩からの解放を説いている。
それまでの宗教家が使っていた三昧、解脱、涅槃といった言葉を用いて、
煩悩からの解放を説明したのです。
釈尊は自分の教法の最大のセールスポイントとは煩悩からの解放だと
王様に説きたかったから、128回も繰り返しているのです。

アラカンの三昧は解脱です。
釈尊の三昧が解脱だなど、当たり前ではないか。
釈尊の初禅は三昧のことだが、解脱です。
だから、中村博士などは三昧や禅定と訳さず、心の安定と訳した。
原語のサマディは三昧や禅定といった訳がすでにあったのに、
こういう一般的な訳をせず、わざわざ心の安定と訳したのはどうしてですか?
元々の三昧には解脱という意味がないから、その訳では誤解を招くからです。
その証拠に、曲解している愚か者がここに一人いるではないか。

沙門果経の「心の安定・・・不動」は解脱を意味します。
漏尽智はその後に出てきますから、
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
は間違いであり、嘘です。

547 :神も仏も名無しさん:2023/10/14(土) 18:46:06.45 ID:9kMhTJTp.net
>>500
>解脱と判断する最大の決め手は「心に付随す
>る小さな煩悩も離れ」であったことも当初か
>ら説明している。
>行動に適応のどこが禅定三昧なんですか?

>>477にあるように、大先生が言うには八つ全部が同じ内容なんだとさ。
だから安定が三昧で解脱でないなら全部が解脱ではなくなるのだよ。
ボクちゃん分かったかい?
グダグダごねても駄目ですよ。
そんなことより樹意さんのレスに対するコメントをお願いします。
特にココ。

>>483
>最後に 99煩悩滅の智(漏尽智)がある。
>これらを勘案するに、私の場合は七氏さんと
>は見解が少し違い、煩悩滅の智に心を傾注し
>「阿羅漢道」「arahatta-magga〉が得られる
>のだろうと思います。 

批判側が相手でも手心を加えないでバシッと決めてください。

548 :ユビキタス :2023/10/14(土) 20:09:49.19 ID:AN+b9g5O.net
頭悪w

549 :ユビキタス :2023/10/14(土) 20:25:42.13 ID:AN+b9g5O.net
>>547 神も仏も名無しさん 2023/10/14(土) 18:46:06.45 ID:9kMhTJTp
>>>500
>解脱と判断する最大の決め手は「心に付随す
>る小さな煩悩も離れ」であったことも当初か
>ら説明している。

>>544 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2023/10/14(土) 12:47:09.54 ID:EfqP3yE4
>「心に付随する小さな煩悩をも離れ」という文言が決定的で、

ほら、全く同じこと書いてるじゃんw


>477にあるように、大先生が言うには八つ全部が同じ内容なんだとさ。
>だから安定が三昧で解脱でないなら全部が解脱ではなくなるのだよ。

この辺が四谷大塚でもそんなことは教えてなかったと苦情も来そうな四谷大塚の面汚しだな。
私は>>500で、=でもよいが+として総合的な内容と説明している。
8つの全てが全く同一なのではなくそれぞれが解脱の諸相だと言うのです。
なんなら8つ以外でもいいですよ。四禅の説明に入るずっと以前の戒の果報を語る段でもそれが見える。
占いを禁じるのが戒律ならば、それによりもう占いに心を奪われないならばこれはもう解脱の諸相の一つです。


>そんなことより樹意さんのレスに対するコメントをお願いします。

だから>>502に詳しく論じたじゃん。
読んでない?
あ?理解できないかw
単語の意味も知らんと単語を駆使してるだけだもんなw

550 :深山 :2023/10/14(土) 21:47:29.33 ID:axshqP+p.net
>>0547神も仏も名無しさん2023/10/14(土) 18:46:06.45ID:9kMhTJTp
>そんなことより樹意さんのレスに対するコメントをお願いします。

やはり私がきちんと答えていることがペテン大作さんには読めないのだ。
これが彼の読解力と理解力です。
これは今に始まったことではなく、海外に寄付することを書いた時も、
私が寄付したのかしないのか、ついに彼は読み取れなかった。

まだ彼は私と議論しているつもりらしい。
何度も言うが、私は彼の書き込みを利用して、知性と良識の残っている信者さんたちに
桐山さんの嘘、阿含宗のインチキを説明しているだけです。
漏尽智は成仏力という重要なテーマだが、私一人が二カ月も書き続ければ、
いくら知性と良識のある信者でも飽きて、読んでくれない。
しかし、ペテン大作さんが話題を振ってくれるから、いくらでも桐山さんの
嘘を指摘できる。
生ゴミも捨てれば汚いだけのゴミ、だが使えば堆肥になる。

桐山説3「漏尽智でカルマを切る」という説の根拠や、
桐山さんからの二つの宿題、桐山説2から出てくる矛盾1や2、
瞬間解脱の間違いなど指摘しても、彼は逃げるだけの卑怯者です。
勝利を宣言しながら出てきて、毎回コケテて恥をかいても、学習しない。
彼は恥知らずだから、ちょうど良い。
スレで阿含宗の信者が文章の読解すらもできず、何をどう説明されても、
狂信から一歩出られない姿を見れば、第三者にはまたとない阿含宗の宣伝になります。
長年、信仰を続けて来た信者代表のペテン大作さんの理解力の低さ、
憎しみの強さ、ものすごい執念深さを見れば、批判側の批判など顔色を
失うほど、阿含宗の逆宣伝としては効果的です。

551 :深山 :2023/10/14(土) 21:54:36.46 ID:axshqP+p.net
*釈尊の説法を否定した桐山さん

ペテン大作さんは「漏尽智が四諦を認識して解脱する」といい、
桐山さんはこれを否定した。(>>374-)
この点で釈尊と桐山さんは次のように述べていますから、信者さんたちは
丁寧に両者を読み比べてください。

「比丘たちよ、聖なる真理としての苦の消滅に導く道(苦滅道聖諦)とはこれである。
それは八つの聖なる道である。」(『ブッダのことばW』講談社、190-191頁)
「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」では
ないという確信を持った。」(『般若心経瞑想法』115ページ)(>>378)

釈尊は四諦の道諦(苦滅道聖諦)とは八正道だといい、
桐山さんは八正道ではないと確信したとある。

「諸の道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。
真理について言えば<四つの尊い真理>(=四諦)が最もすぐれている。」
(『真理のことば・感興のことば』、中村元、196頁)
「四神足法,五力以外の道品、すなわち、四念柱、四正断、七覚支、八正道は、
『教え』である。」(『仏陀の法』128頁、1991年)

釈尊は八正道と四諦が最もすぐれているといい、
桐山さん八正道はオシエにすぎず、四神足こそが法だと言う。
これらの比較から、知性と良識のある信者さんなら、
桐山さんが仏教の基本さえも理解していなかったと愕然とするはずです。
もちろん、ペテン大作さんのような信者は何を指摘されているのか
理解できないから、カエルの面に水です。

552 :深山 :2023/10/14(土) 22:01:19.51 ID:axshqP+p.net
*教宣部に聞いてみる

桐山さんが作った教義が釈迦仏教と違うのだから、ペテン大作さんで
なくても、誰一人として阿含宗を理屈で擁護できる人はいません。
ペテン大作さんは、幸いにも視野が狭く、彼の自説は先々矛盾することが
予想できず、卑怯者で、憎しみが先行しているから、屁理屈を並べられる。
普通の知性のある人が見れば、彼が自分で作った迷路の中をただ
グルグル回っているだけで、出口がないことがわかるはずです。

信者さんにペテン大作さんを他人事だと思わずに、参照にしてほしいのは、
誰が弁護しても、結果は彼とは同じだという点です。
阿含宗を擁護すれば、阿含経との整合性を取るために自説を唱えるしか
なくなるが、その自説は今度は桐山説と矛盾します。
桐山説が阿含経と違うのだから、ペテン大作説を阿含経に合わせれば
桐山説と矛盾し、桐山説に合わせれば阿含経と矛盾します。
だから、前門の虎後門の狼なのです。

信者さんたちにお勧めは、阿含宗教宣部先達の中先達、小先達などの
御立派な肩書の先達に質問してみることです。
因縁解脱は阿含経のどこにあるのか、釈尊は四諦と八正道がすべてと
言っているのに、開祖様は否定しているが、どちらが正しいのか、
質問してみることです。
幸い、彼ら全員が>>551のような矛盾そのものを知りません。
だから教宣部先達などの恥知らずな肩書にしがみついていられるのです。

553 :深山 :2023/10/14(土) 22:07:42.12 ID:axshqP+p.net
*どうして桐山さんは仏教の基本を間違えたのか

どうして桐山さんは四諦八正道という仏教の基本さえも間違えたのか、
信者さんたちは不思議に思いませんか。
四諦八正道は中学生なら十分に理解し暗記できる内容です。
ところが、仏陀の智慧と七つの超人的能力を持つ桐山ゲイカは
その簡単な内容を理解できなかった。

いくつか理由があるが、その一つが桐山さんの知性です。
信者さんたちは桐山さんが高い知性を持っていたと信じている。
だが、四諦八正道の件を見ても、現実は逆で理解できなかったのです。
桐山さんが理解できなかったのはこれだけでなく、
無我という仏教の基本中の基本も理解できなかった。
ペテン大作さんにも時間をかけて説明したが、理解できなかった。
無我は指摘されないと気が付かないという意味で簡単だとは言わないが、
説明されれば、これも中学生なら十分に理解できる内容です。

理解できないなら、理解している人に教えを請うのが普通なのに、
慢心が強すぎて、桐山さんはそれができなかった。
さしたる知性もないのに、何でも自分はできると思っていた。
実際に桐山さんは「文字と踊り以外は誰にも負けない」などと
法話で言っているのを何回か聞きました。
自惚ればかり強く、実社会で客観的な競争をしたことがないから、
自分の頭の程度も理解していなかった人の発言です。

554 :深山 :2023/10/14(土) 22:14:03.27 ID:axshqP+p.net
*わかっていることに置き換える

物事をそのまま理解できない時に使う手法が連想や例えです。
わからないことを、すでにわかっていることに置き換えて理解しようとする。
例え話などがその典型で、理解をする上では必要です。
釈尊もさかんに例えをしています。
しかし、例えの大原則は、内容を理解した人が例えを使うことです。
内容を十分に理解していない人が別なことに例えてしまったらどうでしょう。
まったくピント外れな連想をして、自分では理解したつもりになっている。
それが桐山さんやペテン大作さんです。
彼らは物事や文章をそのまま理解できなかった。
そこで、彼らがすでに理解できた内容に置き換えて理解したつもりになった。

理解できないなら、まず自分が理解できないと認めることです。
桐山さんの知り合いには著名な仏教学者もいたのだから、教えを請えばよかった。
しかし、二人とも自惚れだけは天井知らずだから、桐山さんは自分が理解できないと、
道諦を八正道だと書いている学者が間違っていると本に書いた。
ペテン大作さんとそっくりです。
「心の安定」が解脱だと釈尊やアラカンたちが述べている経典を示しても、
彼は断固として拒絶して、解脱ではないと受け付けない。
そして自説にひたすらしがみつく。
桐山さんとそっくりです。

二人とも釈尊の説く解脱の内容と方法が理解できない。
だから、桐山さんは、解脱とは煩悩解脱などではなく因縁解脱であり、
方法は八正道などというオシエではなく、神通力を獲得する四神足だと、
彼が理解できる事に「置き換えて」、自分では理解したつもりになった。
まったくの見当違いで、釈尊の説いた解脱とは煩悩解脱(漏尽解脱)であり、
八正道こそがその解脱に至る唯一の道です。

555 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 22:20:48.50 ID:axshqP+p.net
*煩悩からの解脱を理解できなかった桐山さん

桐山さんもペテン大作さんも経典を読んでも、学者の解説を読んでも、理解できずに、
勝手な連想でわかったつもりになっていた。
勝手な連想の一つが、「何から解脱するのか」という点です。
釈尊は煩悩からの解放が解脱だとした。
ところが、桐山さんはこれを桐山さんのいうカルマを切ることだとした。
自分と人生を様々に縛り付けているのが桐山カルマで、
この桐山カルマを切り自由自在の境涯になることだと主張した。
つまり、因縁解脱やカルマ解脱です。

桐山カルマ「すべてのものの存在原理であり、存在の根本動力」
こんな意味のカルマは仏教にはありません。
仏教のカルマとは「行為」という意味しかない。
阿含経どころか、仏教そのものに存在しない桐山カルマを
桐山さんはどうして勝手に作り出したのか?

桐山さんの頭では、仏教の煩悩解脱がどうして解脱なのか
理解できなかったのです。
煩悩を切るなど「オシエ」という倫理道徳にしか見えなかった。
他人より欲望や怒りの強い桐山さんは、これを抑えるなど死ぬほど嫌だった。
桐山さんが一番したくないことだから、煩悩を切るなど実践しなくても
いいように、幼稚園並の教えにすぎないと唾棄したのです。
桐山カルマを切って自由自在になる、つまり自分の欲望や執着や怒りのままに
生きられるという妄想話を作り上げた。
煩悩を切れという仏教の教えとは正反対の内容です。
あきれたことに、桐山さんはこれで仏教を理解したつもりだったのです。

556 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 22:28:43.55 ID:axshqP+p.net
*超能力解脱だと信じた

運命を変えるのに、桐山カルマは何で切るのか?
神通力という超能力で桐山カルマや煩悩を切る、これが桐山さんの主張だった。
だからペテン大作さんは今でも超能力のような力で煩悩を切るという
発想から一歩も出られない。
私やユビキタスさんから何度も仏教の解脱とは、超能力解脱ではないと
批判されても、彼は理解できないから、こちらから指摘されたことを真似て、そのまま投げ返して来た。↓

>0039神も仏も名無しさん2023/09/01(金) 05:50:49.88ID:cV3sXUG5
>深山さんが根本的に間違えているのは
>智慧をオカルトや超能力だと思っている点です。

漏尽智を超能力だと思っているのは桐山さんとペテン大作さんです。
それが彼の漏尽智の説明にもはっきり表れている。↓

>0155神も仏も名無しさん2023/09/20(水) 23:00:11.19ID:afIhYjjD
>漏尽智が四諦を認識して漏心を解脱するのです。

「漏尽智が」と漏尽智という神通力で煩悩を切ると本人が書いている。
四諦を洞察して自分の中に煩悩がないことを確認するのを漏尽智や
「煩悩を滅する智慧」と表現しているだけで、漏尽智が煩悩を切るのではありません。
これを年単位で何度説明しても、彼は理解できない。
この有様は桐山さんも同様で、桐山カルマも煩悩も漏尽通という
超能力で切るのだという子供じみた考えから一歩も出られなかった。
その証拠が>>377で、桐山さんは八正道はオシエにすぎず、神通力ではない
八正道で解脱するなどありえない、何を馬鹿なことを言っているのだと書いていた。
だが、愚か者はこの二人です。

557 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 22:36:47.97 ID:axshqP+p.net
*.超能力解脱は子供脳

桐山さんやペテン大作さんの頭は子供時代に読んだり見たりしたドラマのままです。
ドラマではヒーローが超能力で悪い奴をやっつけている。
超能力だから、何か神的な力だと勘違いする人が多いが、
相手を上回るような武器や兵器、つまり暴力です。

「5.自分を変え、他人を動かし、自分の思うままに環境を作り変える力
7.すさまじい爆発的な念力による願望達成力」
(『阿含仏教超能力の秘密』57−61頁)

これが桐山さんの超能力だという。
相手の意志を無視して「他人を動かし」、自分の欲望どおりに「環境を作り変え」、
周囲の迷惑など無視して「願望達成力」を発揮するのです。
人間はそれをずっとしてきたから、今日の様々な問題を抱え、戦争を引きおこした。
今も一部の為政者たちは国民という「他人を動かし」て戦争に駆り立て、
超能力のような最新兵器で他国の「環境を作り変え」、「願望達成」をしようとしている。
神通力という名前の超能力で、カルマという悪魔や煩悩という敵を
やっつけてしまうという桐山さんやペテン大作さんの発想と同じです。
桐山説の解脱を簡単に言えば「超能力という腕力を使った解脱」です。
もちろん、こんな子供じみた解脱は仏教には存在しません。

558 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/14(土) 22:46:36.68 ID:axshqP+p.net
*超能力解脱を信じている限り仏教は理解できない

他の信者さんたちは、超能力で敵をやっつけるという原始的で暴力的で
子供じみた方法を説くほど、あの釈尊の頭が悪かったと思いますか?

桐山さんの、超能力で敵をやっつけるという考えは、現実世界を
投影しているから、わかりやすい。
仏教以外の宗教ではこういう考えは良くみられます。
信者はその超能力解脱をそのまま信じて、しかも、実行しています。
成仏力という超能力で破滅のカルマという敵を滅ぼそうとしている。
武力で相手をやっつけようとしている連中と同じ愚かな発想です。
だから、阿含宗では調子に乗って「その豪猛なる武神軍を率いて」
などというご神託まで出した。
自己顕示欲の煩悩を丸出しにして、仏教徒としてどれほど恥ずかしいことを
書いているか気が付かないのだから、オメデタイ。

釈尊は桐山さんやペテン大作さんよりも頭が良かった。
神通力や超能力などの神秘力で解脱すると考えるほど頭が悪くなかった。
信者さんたちが、神通力でカルマや煩悩を切るなどという超能力解脱を
信じている限り、桐山さんやペテン大作さんと同じで、釈尊の説いた仏教を
永久に理解できません。

559 ::2023/10/14(土) 23:19:55.32 ID:IKrOiiSt.net
荘子 (養生主篇)

人間の死とは、全く天(自然)の道理ではないか。それを君たちがかくも哭(な)いたり、喚(わめ)いたりするというのは、天の道理を遁(に)げまわり、人間存在の実相に背いて、天から受けた自己の生命の本質の何たるかを忘れたからで、要するに老?(ロウタン)の哲学がほんものでなかった証拠だよ。昔はこれを天の道理を逃げまわる刑罰(真理逃避の罪)と呼んだものだ

560 ::2023/10/14(土) 23:21:01.34 ID:IKrOiiSt.net
あの先生がたが、たまたまこの世に生まれてきたのは、彼が生まれるべき時にめぐり合わせたからであり、たまたまこの世を去ったのは、あの先生がたが死すべき自然の道理に順(したが)ったまでではないか。何事も時のまわり合わせに任せて、生まれたからといって喜んだりせず、何事も自然の道理に順(したが)って死が訪れてきたからといって嘆き悲しまず、一切を自然のまにまに振舞ってゆけば、哀しみも楽(よろこ)びも心を紊(みだ)す余地はないであろう。昔はこのような境地に立ち得た人間を絶対の自由者 ─ 天帝の縛(いまし)めから解放された人間 ─ と呼んだものだ

561 ::2023/10/14(土) 23:22:22.17 ID:IKrOiiSt.net
天の道理を逃げまわる刑罰(真理逃避の罪)^^

562 ::2023/10/14(土) 23:25:11.82 ID:IKrOiiSt.net
う〜〜ん^^

無為自然^^

563 ::2023/10/14(土) 23:26:37.61 ID:IKrOiiSt.net
無為自然・・最強説^^

564 ::2023/10/14(土) 23:28:14.83 ID:IKrOiiSt.net
別に・・解脱しなくても・・・無為自然でいいんだよな^^

565 ::2023/10/15(日) 06:09:57.72 ID:P1TvA0Eb.net
?−41 k2]za-v3tter abhijqtasya iva mazer grah]t3-grahaza-grqhye2u tat-stha-tad-a`janatq
samqpatti4 /

(私訳)心の多様なはたらきが停止した人(の静穏な心)には、あたかも清浄な宝珠にとって(種々
のものが映っている)の如くに、知覚する者(プルシャ)・知覚すること(知覚器官)・知
覚されるもの(知覚対象)(の三つのどれか)にそれ(心のはたらきの停止)がとどまり、
それに染まることが合一(サマーパッティ(等持))である。

(佐保田訳)かくして心のすべてのはたらきが消え去ったなら、あたかも透明な宝石がそのかたわら
の花などの色に染まるように、心は把握者(真我)、把握器官(知覚器官)、把握対象のうちの
どれかに心がとどまる時、それに染められる。これが定とよばれるものである。

(インテ訳)本来透明な水晶がかたわらに置かれた物の色や形を呈するように、動き〔作用〕が完全
に弱まったヨーギーの心は、澄明・平静となって、知る者と、知られるものと、知との区別の
ない状態に達する。この瞑想の極点が、サマーディ(三昧)である。

(シュリー訳)定とは、透明な水晶が傍らの対象物の色に染まるように、動きの静まった心が認識す
る者、認識器官、認識対象(のいずれか)に定まり没入する状態である。

※註2:「合一(サマーパッティ、samqpatti)」を諸訳は「定」と和訳しているが、『ヨーガ・スートラ』
では「三昧(サマーディ)」と区別がハッキリせず、ほぼ同義である。仏教では等持・平等・正定・
禅定・三昧という意味に使われ、原意(sam-q-√pad)の「禅定に入ること」「三昧に入ること」に叶
っている。
私は、「samqpatti」の「会う」「〜になること」「等持」「平等」という意味から、一点集中して認識対
象と一体になった(合一した状態、心のはたらきの停止した)状態と解釈し「合一」と和訳した。

註2:「宝珠(mazi)」の比喩は仏教と共通。

566 ::2023/10/15(日) 06:15:29.49 ID:P1TvA0Eb.net
(インテ訳)本来透明な水晶がかたわらに置かれた物の色や形を呈するように、動き〔作用〕が完全に弱まったヨーギーの心は、澄明・平静となって、知る者と、知られるものと、知との区別のない状態に達する。この瞑想の極点が、サマーディ(三昧)である。

567 ::2023/10/15(日) 06:20:04.47 ID:P1TvA0Eb.net
226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 心の安定と申しますのは、元のパーリ語で「サマーディヒ」と申しまして、心を安定し統一することです。漢訳の仏典では、「サマーディヒ」を「三昧(さんまい)」と音訳している。日本の俗語でも○○三昧ということをよく言いいますが、時には非常に崩れた意味で使われることもあって、例えば刃物三昧というような言い方もありますが、そればっかりに夢中になっていることの意味です。しかし元の意味は心を統一して思うことであります。禅定といっても実際には同じであります。禅の原語は「リャーナ」で、俗語では「ジャーナ」となるのですが、それを、音を写して「禅」となるんですね。「座禅」の「禅」です。「定」というのは定まるという字。精神統一をすると心が定まりますから、それで禅定というのであります。それを称えているのであります。

568 ::2023/10/15(日) 06:22:04.03 ID:P1TvA0Eb.net
ラージャ・ヨガの特徴は、八つの部門で瞑想の実践的な面を指示しており、瞑想に取り組もうと思う人は、その部門に取り組みながら瞑想を深めていくことができます。その八つとは以下のものになります。

⑴ ヤマ(してはならないこと)
 ・アヒムサ(暴力を振るわない)
 ・サティヤ(嘘をつかない)
 ・アスティーヤ(他人のものを盗まない)
 ・ブラフマチャリア(禁欲)
 ・アパリグラハ(貪らない)
⑵ ニヤマ(進んで行うこと)
 ・シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)
 ・サントーシャ(今あるものに満足する)
 ・タパス(苦行、忍耐)
 ・スワディヤーヤ(聖典などによる自己についての学習)
 ・イーシュワラプラニダーナ(神への信仰心を持つ)
⑶ アーサナ(瞑想のための座法)
⑷ プラーナヤーマ(呼吸法)
⑸ プラティヤハーラ(感覚の制御)
⑹ ダーラナ(一心集中)
⑺ ディヤーナ(ゆるぎない精神統一・禅定)
⑻ サマーディ(涅槃の境地・三昧)

569 ::2023/10/15(日) 06:24:16.34 ID:P1TvA0Eb.net
なんだ・・^^

心の安定とは・・^^

⑺ ディヤーナ(ゆるぎない精神統一・禅定)

これか・・^^

570 ::2023/10/15(日) 06:26:57.70 ID:P1TvA0Eb.net
『大般涅槃経』によれば、釈迦は弟子アーナンダに、禅定の段階について以下のように説いたとされる[15][注釈 1]。

アーナンダよ。これらの八つの解脱がある。その八つとは、どれどれであるか?……(中略)……
〈物質的なもの〉という想いを全く超越して、抵抗感[注釈 2]を消滅し、〈別のもの〉という想いを起こさないことによって〈(すべては)無辺なる虚空である〉と観じて、〈空無辺処〉に達して住する。これが第四の解脱である。

〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。

〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第五の解脱である。

〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。

〈非想非非想処〉を全く超越して、〈想受滅〉(表象も感受も消滅する境地)に達して住する。これが第八の解脱である。

アーナンダよ。これらが八つの解脱である。

571 ::2023/10/15(日) 06:34:34.52 ID:P1TvA0Eb.net
ちなみに・・八正道とは・・^^

これみたいなもんで^^

⑴ ヤマ(してはならないこと)
 ・アヒムサ(暴力を振るわない)
 ・サティヤ(嘘をつかない)
 ・アスティーヤ(他人のものを盗まない)
 ・ブラフマチャリア(禁欲)
 ・アパリグラハ(貪らない)
⑵ ニヤマ(進んで行うこと)
 ・シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)
 ・サントーシャ(今あるものに満足する)
 ・タパス(苦行、忍耐)
 ・スワディヤーヤ(聖典などによる自己についての学習)
 ・イーシュワラプラニダーナ(神への信仰心を持つ)

瞑想の前段階やな・・^^



572 ::2023/10/15(日) 06:37:02.89 ID:P1TvA0Eb.net
簡単に言えば・・・^^

八正道ができてないと・・^^

⑻ サマーディ(涅槃の境地・三昧)には至れないと^^

こうなる^^


⑶ アーサナ(瞑想のための座法)
⑷ プラーナヤーマ(呼吸法)
⑸ プラティヤハーラ(感覚の制御)
⑹ ダーラナ(一心集中)
⑺ ディヤーナ(ゆるぎない精神統一・禅定)
⑻ サマーディ(涅槃の境地・三昧)

573 ::2023/10/15(日) 06:38:00.78 ID:P1TvA0Eb.net
おまえら・・^^

難しく考えすぎやで^^

574 ::2023/10/15(日) 06:47:08.67 ID:P1TvA0Eb.net
最初からこう言えば理解できたのに・・^^

言葉が足りん^^

心の安定と申しますのは、元のパーリ語で「サマーディヒ」と申しまして、心を安定し統一することです

575 ::2023/10/15(日) 06:49:03.46 ID:P1TvA0Eb.net
あ〜そうか・・^^

禅定のことか・・^^ニコッ

・・とこうなったのに^^

576 :神も仏も名無しさん:2023/10/15(日) 17:23:50.57 ID:cN4UoIKT.net
ID
P1TvA0Eb、「あ」のレスは非表示、NGにしているので一切読んでません

577 ::2023/10/15(日) 17:52:19.14 ID:P1TvA0Eb.net
うん?

大正解^^

https://tadaup.jp/1517495119.jpg

578 ::2023/10/15(日) 17:52:30.62 ID:P1TvA0Eb.net
うん?

大正解^^

https://tadaup.jp/1517495119.jpg

579 ::2023/10/15(日) 17:59:04.82 ID:P1TvA0Eb.net
暇つぶしに書いてるもんで・・^^

すまん^^

580 :現信:2023/10/15(日) 20:47:03.12 ID:qBe3MDtN.net
人類のカルマを断つ護摩の聖堂
『エルサレム桐山??Y平和祈念堂』が完成間近だそうです。

祈りによって世界平和を実現する阿含宗の真骨頂が発揮される舞台が、ようやく整ってきましたよ。

581 :現信:2023/10/15(日) 20:48:03.82 ID:qBe3MDtN.net
合掌

582 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/15(日) 21:56:54.95 ID:8HbR2O51.net
>>580
で、なんでイスラエルでは戦争になってるの?
そんな平和祈念堂なんて意味無いじゃん。
役立たずじゃん。
それに答えてみ。

583 :ユビキタス :2023/10/15(日) 22:47:37.46 ID:8HbR2O51.net
>>580
エルサレム桐山靖雄平和祈念堂が完成間近だからイスラエルとハマスの戦争になった?
じゃ完成したら第三次世界大戦になっちゃうかもね。
本当に癌みたいな存在だよね。阿含宗って。

584 :神も仏も名無しさん:2023/10/15(日) 23:24:21.72 ID:Jngx9wXK.net
>>502指金玉ス
>表現を変えると、覚者(=仏陀)になるということです。

覚者だってさ。
この人はいつも決まって二字熟語やら三字熟語を使って誤魔化しを謀る。
今回もその手を使っています。

>漏尽智に心を傾注する前は解脱の状態は得
>ていたが、覚者とまではなっていなかった。

解脱の状態は得ていません。
樹意さんのレス(>>483)では

>第四禅において
>このようにして、心が安定し、清浄になり、
>純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ
>柔軟になり、行動に適し、確固不動のものに
>なる。 
>ほぼこの段階で解脱しているのだがその後 
>各種の智見に心を傾注し最終仕上げの段階
>がある。

「ほぼ第四禅の段階で解脱しているが、最終仕上げの段階がある」と書いている。
つまり解脱していないのです。
これが樹意さんの主張です。
解脱の状態は得ていたが、覚者とまではなっていなかったとは何のことだい、指金玉スw
どうやら経典だけではなく人様の書いた文章を勝手に作り替えるのがこの人の趣味のようです。

585 :神も仏も名無しさん:2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK.net
>>502指金玉ス
>いつ覚者となったかならば、これはやはり漏
>尽智に心を向けて観察した後です。

「覚者」じゃなくて「阿羅漢」です。
漏尽智に心を向けて観察した後に阿羅漢になったということです。
これが樹意さんの主張です。

>漏尽智はあくまでも智(知ること)であり
>神通力で何事かを為す話ではないとしています。

漏尽智の内容は四諦だから神通力ではない。
だがそもそも、開祖は漏尽智を神通力だとはしていません。
座右宝鑑(旧版)の97頁にある「七つの訓練課程」の中では「漏尽智ー深層意識の完全なる制御」となっています。
神通力ではありません。
それを深山大先生は、勝手に漏尽智を神通力だと言い出して開祖に因縁をつけている。
自分は因縁解脱が出来ないから、腹いせに開祖に因縁をつけているのです。
本当にたちの悪い人です。

樹意さんのレスは見事です
私も彼の主張に賛同します。
彼等は15年間も嘘を書き続けてきたことが
読者の皆さんにも納得して頂けると思います。
大先生も指金玉スも反論できません。
彼等が反論出来る相手は擁護側だけです。
それも反論だけならいいが、相手の人格まで徹底的に貶すという歪んだ精神の持ち主です。

586 :ユビキタス :2023/10/16(月) 00:14:54.25 ID:E7Ruqrto.net
>>584 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:24:21.72 ID:Jngx9wXK
>覚者だってさ。
>この人はいつも決まって二字熟語やら三字熟語を使って誤魔化しを謀る。
>今回もその手を使っています。

>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>「覚者」じゃなくて「阿羅漢」です。

阿羅漢=仏陀=覚者なんですよ。
これは仏教の常識です。
ひょっとして覚者という仏教を知る者ならば知らない人はいない単語を知らないなんてことないよね?
仏陀とは真理を覚れる者です。
つまり覚者ということでその単語が根付いている。
そして覚者=仏陀であり、阿羅漢=仏陀なんだから(阿那含は仏陀ではありません)
樹意さんが言う阿羅漢道を極めるとは仏陀になる、すなわち覚者になるということですよ。
その覚者の覚れる者の内容がまさに漏尽智ですよ。
すわなち四諦八正道を実践した結果、己が心に漏(煩悩)が尽きて無くなったことを知り、
まさに四諦八正道は真理だと覚ったわけですよ。
これが成道です。
だからそれは心の安定等の解脱を得た後の観察による成道こそが阿羅漢道の完成であると樹意さんは主張したわけで
それは私も深山さんも認める話ですよ。
あの時の議論は沙門果経の四禅を終えた比丘のあのシーンでの心の状態は解脱だったと結論付けただけで、
何もそこで解脱知見を得ただの漏尽智を得ただの覚者仏陀になったなんて主張していない。
だから我々と樹意さんは実は反目するところが何もない。

587 :ユビキタス :2023/10/16(月) 00:22:45.90 ID:E7Ruqrto.net
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>座右宝鑑(旧版)の97頁にある「七つの訓練課程」の中では「漏尽智ー深層意識の完全なる制御」となっています。
>神通力ではありません。

いやいや、その桐山さんのお笑い解釈こそがまさに桐山神通力、桐山超能力なんですよw
桐山超能力の特徴は必ずしも超常現象ではないのですよ。
深層意識とか目に見えないところをいじって自分を変革するとか夢話の超能力です。
漏尽智はそんな深層意識がどうこうという話ではありません。
表面意識で観察してそれとわかり、真理を論理的に考察してわかる話なんですよ。

588 :ユビキタス :2023/10/16(月) 00:28:21.03 ID:E7Ruqrto.net
ところでペテン大作さんが出てきたら訊こうと思っていたことがあります。
すなわち

580 現信 2023/10/15(日) 20:47:03.12 ID:qBe3MDtN
人類のカルマを断つ護摩の聖堂
『エルサレム桐山靖雄平和祈念堂』が完成間近だそうです。
祈りによって世界平和を実現する阿含宗の真骨頂が発揮される舞台が、ようやく整ってきましたよ。

↑これについて訊こうと思ってました。
あなたも現役信者なんだろうから。
これについてわかることを説明してください。
例祭でそういう話があったとか。
私は現信さんにさらに訊こうと思っていた。
そのエルサレム桐山靖雄平和祈念堂の規模大きさですね。
エルサレムの丘に聳える巨大な建物ですか?
それとも星まつりに行った時に目にするスサノヲ神社みたいなチャチな建物ですか?とか。

589 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/16(月) 00:42:11.46 ID:E7Ruqrto.net
花山の龍神の焚き火だったっけ。
あそこに護摩堂も建てたよね?小さな。
滝行をして護摩行をして水の行、火の行とする。
で、その小さな護摩堂って管理人が常駐しないよね?
常駐させる必要もない。どこでも。
だからエルサレムの平和祈念堂が巨大な建物ならばこれは普段誰が常駐管理するのか?
ってな話になる。
そんな予算なんて無いでしょ?
また派遣する人材も足りない。
でもエルサレムにも龍神の滝の護摩堂みたいな小さなお堂だけ建てて、
あとはいつ誰が焚くのかわからんながらも一応護摩も焚けますよというお堂だけ建てれば
あとは常駐管理なんかする必要もない。
そのお堂自体が世界平和のバイブレーション(笑)を発しているなんておハナシにして
置いとけばいいんだからさ。
せいぜいその平和祈念堂もどさくさに紛れてハマスからの攻撃も受けないように日本国内で祈っててねw

590 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/16(月) 00:43:34.15 ID:E7Ruqrto.net
✕花山の龍神の焚き火だったっけ?

○花山の龍神の滝だったっけ?

591 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/16(月) 00:48:50.84 ID:E7Ruqrto.net
高尾山なんかも6号路登山コースに琵琶滝がある。
行者が本当に滝行をするところですね。
あそこも通ったことあるが、たしか小さな建物があったと記憶している。
護摩なんか焚かないだろうが、滝行をするために着替えたりする。
で、そんなお堂に管理人なんか常駐してません。
各々の行者が来て使えばよいだけですから。

592 ::2023/10/16(月) 03:26:59.75 ID:3k9xRn+e.net
無功徳

『碧巌録』第一則

達磨初見武帝。帝問。朕起寺度僧。有何功徳。磨云。無功徳。

593 ::2023/10/16(月) 03:28:15.49 ID:3k9xRn+e.net
無功徳 … 何か求める心で行なった善行には功徳がないこと。
『新版 禅学大辞典』には、「達磨が初めて梁の武帝に相見したとき、武帝が『朕は寺を起し經を寫し僧を度す、何の功徳かある』と質問したのに対して、達磨は『無功徳』と答えた、という因縁をいう。これを達磨が功徳が無いと一蹴したと解しても文法上の誤りではないが、それは達磨の宗旨ではない。達磨は梁の武帝の三宝供養の真の功徳の端的を、無功徳と親切に示したものである。無為の功徳は人間の欲望を満たすものではなく、真実に生きることであって、現世利益的な功徳を追求したのでは、解脱して真実に目覚めることの永久にできないことを、達磨が親切に教示したもの」とある。【達磨無功徳】
柴山全慶編『禅林句集』には、「どんな功徳もないの意。禪は無心の行為を貴び、決して果報を期待しないことを示す語」とある。【無功徳】

594 ::2023/10/16(月) 03:30:34.65 ID:3k9xRn+e.net
エルサレムの平和祈念堂と聞いて・・^^

達磨無功徳を思い出してしまった^^

595 ::2023/10/16(月) 03:33:17.17 ID:3k9xRn+e.net
『無功徳』という言葉の意味は、《 前もって良い報いのことを考えて(何かを期待して)、良い行いをしたならば、何の功徳にもならない》 ということです。

 今から千五百年以上も前に、ダルマさん( 達磨大師) はインド( またはペルシャ)でお生まれになりました。達磨さんは出家修行をなさって、お釈迦様の正しい教えを受け継いだ方となられましたが、その教え( 禅の教え)を中国へと伝えられたのです。

 中国へきたダルマさんと、その時代群雄割拠していた中国の王朝の一つ・ 梁(りょう)の武(ぶ)帝(てい)との間で交わされた有名な問答が残っています。

 達磨さんは王宮に招かれて帝王から質問されました。

「私はこれまで多くの僧侶に供養したり、たくさんの寺院を建立してきた。果たしてどのような功徳が私にはあるか?」

 ダルマさんはひとこと答えました。・ …「無功徳(功徳はない)」

596 ::2023/10/16(月) 03:44:16.86 ID:3k9xRn+e.net
第一則 達磨廓然無聖
本則
梁の武帝、達磨大師に問う、「如何なるかこれ聖諦第一義」
磨云く、「廓然無聖(かくねんむしょう)」
帝云く、「朕に対する者は誰ぞ?」
磨云く、「識らず」
帝、契わず、達磨ついに江を渡って魏に至る。
(以下略)
梁の武帝は達磨大師に聞いた、「仏法の第一義はどのようなものですか?」
達磨は言った、「からりと晴れ渡った青空のように「聖」も何も無い」
武帝は言った、「朕に向かいそのようなことを言っているお前は一体何者だ?」
達磨は言った、「そんなことは識(し)らん」。
武帝は達磨の心を理解できなかった。達磨はついに江を渡って魏に去った。
(以下略)
 梁の武帝は仏教に帰依していて、「自分は即位以来、多くの寺を建立し、多くの僧侶を育て、仏法修行に精進しているが、はたしてどんな功徳があるのか」と達磨に問いかけます。ところが、達磨は功徳などないと答えます。でも、これは理不尽で理解できません。というのも、仏教は善因善果、悪因悪果の因果応報をもとに、「修善奉行」(善業を修めなさい)「諸悪莫作」(悪い事はするな)と説いているからです。そこで、武帝が尋ねます。「では、仏法の根本とは一体何か」と。からりと晴れた青空のようなもので、聖とか梵の分別は無く、聖と呼ばれるものなどないというのが答え。武帝はその意味が理解できず、「朕に対する者は誰そ」(私の前にいるあなたは一体誰ですか。)この質問に対する答えが「不識(ふしき)」です。不識とは単なる「知らない」という意味ではなく、思量することが不可能という意味です。「廓然無聖」は「不識」と同じことなのです。そして、これがこの公案の核心(でも、これで納得できる人は果たしているでしょうか?)。

597 ::2023/10/16(月) 03:46:00.69 ID:3k9xRn+e.net
^^/はい

598 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/16(月) 07:29:10.92 ID:E7Ruqrto.net
例え話が全然ピントが外れてるのがおるなw
頭のネジも外れてるんだろうがw

599 ::2023/10/16(月) 07:43:28.57 ID:LIaZI+kC.net
うん?

まじかぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

600 ::2023/10/16(月) 07:45:10.30 ID:LIaZI+kC.net
せっかく桐山さんを武帝に例えてあげたのに^^

いったいどないなってんねん^^

601 ::2023/10/16(月) 07:48:04.86 ID:LIaZI+kC.net
ネジネジ^^

巻き巻きっと^^

602 ::2023/10/16(月) 07:58:53.89 ID:LIaZI+kC.net
うん?

〜三種の慈悲〜 大悲と中悲と小悲

603 ::2023/10/16(月) 08:01:40.37 ID:LIaZI+kC.net
大乗^^

非仏説^^

604 :深山 :2023/10/16(月) 12:13:48.04 ID:zDfcncju.net
>>0584神も仏も名無しさん2023/10/15(日) 23:24:21.72ID:Jngx9wXK
>つまり解脱していないのです。

ペテン大作さんて本当に卑怯な男ですね。
樹意さんがいない所で、彼の文章に勝手な解釈を加えて、
自説の根拠にしようとしている。
樹意さんの「ほぼこの段階で解脱している」は後で説明するが、
「解脱していない」ではなく、「解脱している」という意味です。

樹意さんが、解脱していないと述べたと言うなら、樹意さんがいた頃に
「私と同じ意見ですね」とどうして言わなかったのだ?
樹意さんに言えば、即刻、否定されると知っていた。
そして今なら、樹意さんがいないから、彼の文章を勝手解釈できるからです。
つまりペテン大作さんて読解力がないだけでなく、卑怯で根性が悪い。
現実世界でも面と向かって言われたことがあるでしょう?

605 :深山 :2023/10/16(月) 12:20:41.66 ID:zDfcncju.net
*樹意さんは解脱していると述べている

樹意さんの書いていることは、
・漏尽智(神通力)で解脱するのではない
・漏尽智の前に「解脱している」
・阿羅漢道が阿羅漢たちの解脱である
という意味です。
「ほぼこの段階で解脱している」を、ペテン大作さんは解脱していないと
勝手な解釈をしているが、「解脱している」と述べているのです。
樹意さんが私と「見解が違う」と書いているのは、私が議論のために解脱の部分だけを
重視したのに対して、彼は解脱した後の阿羅漢道を重視している点です。

私は、受験合格した段階で合格したと述べているが、
樹意さんは、それは「ほぼ合格している」といっていいが、合格通知で
確認したことをもって合格したというべきだという見解を述べているのです。
樹意さんの見解に私も賛成だから、反論などしたはずもない。

沙門果経の文言で、解脱したのは「どこか」というテーマだったから、
それが「心の安定・・・不動」だと主張した。
だが、樹意さんは、その後の煩悩がないことを確認し続けること(漏尽智)を
含めて解脱というべきだと述べたのです。
しかし、誤解されるといけないから、彼は
「〈智〉神通力で解脱するものではない」
と断りを入れたのです。
樹意さんと私は見解が違うのではなく、視点が違うだけです。
私と樹意さんの見解が違わないことは、私が今回八月末に書いた、解脱者とは
どのようなものかという説明を見ればわかります。
あれは樹意さんのいう阿羅漢道の具体的な内容です。
私は今回、樹意さんの主張が引用される二カ月も前に彼のいう
阿羅漢道について書いているのです。

606 :深山 :2023/10/16(月) 12:28:48.81 ID:zDfcncju.net
*阿羅漢道は八月末に書いている

私と樹意さんの考えに違いがないことは、今回議論が始まった八月末に、
解脱者とはどのようなものなのかを説明したことを見てもわかります。
あれが樹意さんのいう阿羅漢道です。
あれをわざわざ説明したのは、信者さんたちは阿羅漢とはどのようなものか
理解していないからです。
信者さんたちは四双八輩を阿含宗で授ける位階のようなもので、
資格を取れば、安泰だと勘違いしている。
桐山さんは解脱宣言した後で「食いしん坊」を自称した。
解脱を自称した桐山さんが煩悩を目の前で丸出しにしても
信者さんたちは気にしなかったのです。
解脱の意味を理解していないからです。

私は、100mを走ることに例えて、阿羅漢とは10秒の記録を持つ人ではなく、
10秒で一生走り続ける人だと述べました。
ペテン大作さん以外の方は覚えている人もいるでしょう。
あれが樹意さんのいう阿羅漢道です。
四六時中、煩悩が漏れてこないように監視し続ける、これが阿羅漢道です。
樹意さんは、煩悩を切った段階でも解脱だが、
阿羅漢道こそが釈尊の説いた解脱だと述べたのです。
私と意見が同じで、単に切り口が違うだけです。
私は、ペテン大作さんとの議論で、どこで解脱したのかということを示す、
つまり最初に10秒で走ったのはどこかを示す必要があったからです。

607 :深山 :2023/10/16(月) 12:36:50.46 ID:zDfcncju.net
*阿羅漢道を理解できないペテン大作さん

ペテン大作さんに阿羅漢道の説明をしても彼の知性では混乱するばかりで、
それよりも、どこに解脱したのかを示す必要があった。
当時、私は彼と正面から議論し、彼の間違いを指摘して誤解を解き、
神通で解脱するなど嘘だと納得させようとしていた。
牙をむき出して咬みつくしか能のない犬に言葉で説明していたのだから、
私の努力は無駄だったことを認めます。
沙門果経を修行の順序だと主張して譲らない彼の知性では、
点と線しか理解できず、面や立体である阿羅漢道は理解できない。
だから、話を単純化して解脱がどこかを説明したのです。

私の説明がまったく無駄であったことは、彼が15年たっても、
まだ漏尽智で煩悩を切ると主張しているのを見れば十分です。
15年前の予想どおり、彼の知性では阿羅漢道は理解できない。
だから、八月に阿羅漢道を説明しているのに、彼はそれが樹意さんの主張と
同じだと気が付くこともなく、「見解が違う」という言葉を見つけて、
欣喜雀躍、これで深山を叩きつぶせると勝利に酔いしながら出ている有様です。

ペテン大作さんは目の前の短い言葉しかわからない。
その前後や全体の意味を理解する理解力がないからです。
阿羅漢道や漏尽智という言葉はわかっても、これらがどう関係していると
樹意さんや私が説明しているのか、彼は理解できない。
他の信者さんたちも、主張に賛成するかしないかは後にして、
まず相手が何を言っているのか、理解しますよね?
だが、ペテン大作さんはそれができないのです。
理解しているなら、書いてみろと前に煽ったが、彼にできるはずがない。
今回も何を指摘されたのか、彼には理解できないから、また樹意さんの
「ほぼこの段階で解脱している」「見解が違う」を出して、同じ勝手解釈を並べ続けます。

608 :深山 :2023/10/16(月) 12:44:26.35 ID:zDfcncju.net
>105 :樹意:2008/12/08(月) 06:40:32 ID:RLrJRl+8
>「〈智〉神通力で解脱するものではない」

↑このように樹意さんも漏尽智で解脱するのではないとはっきり書いている。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」(ペテン大作説)を真っ向から否定しています。
わざわざ、ペテン大作説を否定するような主張を調べて引用した!?
他の信者さんなら、見つけても絶対に引用しませんよね。
だが、堂々と引用したことに、ペテン大作さんの本音、性根が出ているのです。

ペテン大作さんは仏教も阿含宗もどうでもいい。
彼の最大の目的は、深山など批判側を叩きつぶして、彼が「勝つ!」ことです。
もし本当に桐山さんを尊崇するなら、桐山説との矛盾を指摘されたら、撤回します。
だが、彼は撤回することもなく、さっさと桐山さんを見捨てて逃げた。

ペテン大作さんは仏教もどうでも良い。
彼が仏教に求めたのも超能力です。
超能力を獲得して、現実世界でペテン大作さんを批判した連中を
アッと言わせて、一泡吹かせたいという下劣な復讐心が動機です。
彼が漏尽智に執着するのも、超能力に価値を置いているからです。
だから今でも桐山さんの超能力開発をして「朝からギンギン」だと力自慢をしていた。
仏教信仰を目指す者なら、恥ずかしくて、こんなことは絶対に書けません。

だが、これはペテン大作さんだけでなく、桐山さんがそうです。
桐山さんも「食いしん坊」を自慢した。
二人とも、煩悩を切れという仏教の信仰を説きながら、
煩悩を丸出しにするどころか、その煩悩を自慢した。
仏教的には醜悪な光景だが、彼らは仏教が目的ではないから気にしない。
桐山さんもペテン大作さんも超能力で人生の一発逆転を狙ったのです。
だが、最大の間違いは阿含経を取り入れたことです。

609 :深山 :2023/10/16(月) 12:53:27.40 ID:zDfcncju.net
>「〈智〉神通力で解脱するものではない」

桐山さんは仏教を理解できず、神通力で煩悩や桐山カルマを切ると主張した。
桐山カルマというオカルトをさて置くとしても、煩悩は神通力で切るものではありません。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
という説の阿含経の根拠を桐山さんは示していません。
沙門果経はペテン大作さんが出した根拠です。
「漏尽智で煩悩を切る」など嘘だから、阿含経に根拠などあるはずがない。
だから、桐山さんはあれだけ阿含経講義をしていながら、根拠を示したことはありません。
ド偉いペテン大作さんはついに師を乗り越えたらしい。

読解力が低く、決めつけの激しいペテン大作さんの目には
漏尽智で煩悩を切ると読めるのです。
そのためには「心の安定・・・不動」が解脱ではないと証明する必要がある。
だが、「心の安定」が解脱だという経典はたくさんあり、しかも、
「心に付随する小さな煩悩をも離れ」
とはっきりと煩悩からの解放を説いているのだから、「心の安定・・・不動」が
解脱を意味することは明らかです。
解脱の後に漏尽智が出てくるのだから、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘です。
こういう理屈を15年以上にわたりペテン大作さんに説明しても無駄です。
これを見ても、彼の理解力がどれほど低いかわかります。
おかげで、桐山さんもできなかった阿含経の根拠を示すことができるらしい。

610 :深山 :2023/10/16(月) 12:59:59.82 ID:zDfcncju.net
>「〈智〉神通力で解脱するものではない」

ペテン大作さんは仏教や阿含宗を理解したいのではなく、相手に勝ちたいだけです。
桐山さんの頭にもそれしかないから「絶対に勝つ!」などと拳を振り上げて叫んでいた。
仏教徒としてみっともないだけでなく、時代錯誤の社員研修みたいです。
仏教で勝つべき相手とは自分の煩悩しかない。
だが、二人は、方法や手段を選ばず「相手に絶対に勝つ!」ことです。
だから、桐山さんは阿含経を使って伝統仏教を攻撃した。
桐山さんが一番選んではならない手段なのに、「絶対に勝つ!」ことしか
頭にないから、目についた切れそうな刀を大上段で振り下ろした。
阿含経を武器に使えば、自分にも振りかかってきます。
阿含経の漏尽智でカルマ解脱するなどという嘘デタラメを並べたから、
自己矛盾が生じて、自滅している。

ペテン大作さんも真似て、阿含経を武器にして批判側を攻撃したつもりが、
コテンパンにやり返された。
幸い、彼は恥知らずで、理解力が低く、読解力は壊滅状態で、自分のミスは
三秒で忘れて憎しみに転換するから、15年間、同じことを繰り返していられる。
手段など選ばないから、樹意さんの「見解が少し違い」という言葉に
飛びついて、深山をやっつけたつもりでいる。
樹意さんも漏尽智で解脱するのではないとはっきりと書いているのに、
彼にはそんな文言は見えないし、興味もない。
桐山説との矛盾を指摘されても、卑怯者だから、素知らぬ顔をする。
阿含宗で長年修行してきた先達様って、ほんとうにすごい。

611 ::2023/10/16(月) 13:01:51.66 ID:LIaZI+kC.net
ヨガスートラの目標は、サマディー(三昧、解脱)です^^

612 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/16(月) 13:07:29.58 ID:zDfcncju.net
*漏尽智でイスラエルの破滅のカルマを切る??

信者さんたちに見てほしいのは、ペテン大作さんの醜態ではなく、
それが阿含宗と桐山さんの醜態だという点です。
ペテン大作さんは阿含宗と関係のない話をしているのではありません。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」という説を擁護しているのです。
すべて論破され、ついにはスレにいない樹意さんの15年前の言葉尻をとらえて、
反論するしか手がなくなった。
こちらから指摘されたことや矛盾はいっさい無視するしか手がない。
卑怯者と嘲笑われても、彼は卑怯者だから気にしない。
他の信者さんたちはどうですか?

阿含宗の成仏力という重大な教義が阿含経に根拠がなく、矛盾だらけです。
現信さんが、恥知らずにもイスラエルのことをまた出した。(>>580)
阿含宗の得意技とは、祈念堂という建物ではなく、そこに込められた成仏力です。
成仏力とは阿含経の漏尽智だが、漏尽智とは煩悩がないことを確認することです。
阿羅漢が自分の煩悩がないことを確認する漏尽智で、どうやって
イスラエルの争いを鎮めることができるのですか?
破滅のカルマを切るというが、漏尽智はそんな力ではありません。
そもそも破滅のカルマなど阿含経を含めたどんな仏教にもありません。
阿含経に根拠のない成仏力を阿含経から体得して、
仏教には存在しない破滅のカルマを断ち切る??
ペテン大作さん、現信さん、宝生ソウカ大人以外の知性と良識のある信者さんは、
イスラエルの平和を成仏力の護摩木で祈願する前に、自分の信仰の
支離滅裂さに少し疑問を持ったほうがいい。

613 ::2023/10/16(月) 14:58:23.71 ID:K1MFNRC6.net
ヨーガ=解脱のための具体的な方法

ヨーガと聞くと、普通はおそらくホットヨガやマタニティヨガをイメージするだろう。だが、何もヨーガ派の人たちは健康になりたいと思って修行していたわけではない。彼らにとっての問題は、どうすれば業と輪廻から解脱することができるかにあった。彼らは次のように考えていた。

苦の原因は無知による。私たちは普通に生活していると対象に固着・執着してしまう。それによって心の安定が失われてしまい、業と輪廻から解脱することができなくなってしまう。そのためにはまず無知を脱する必要があるが、そのためにはただ考えているだけではダメで、座法や呼吸法など、具体的な方法を用いなければならない。

こうした流れのなかでヨーガは生まれてきた。ヨーガをすると確かに気分が落ち着くが、ヨーガ派の人たちはその先に解脱があると考えていた。ヨーガとは、業と輪廻から解脱するための具体的な修練法として編み出されたものなのだ。

614 ::2023/10/16(月) 15:02:00.70 ID:K1MFNRC6.net
苦の原因は無知による^^

大正解^^

615 ::2023/10/16(月) 15:05:25.76 ID:K1MFNRC6.net
無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死

616 :神も仏も名無しさん:2023/10/16(月) 18:46:41.27 ID:RO4SN+78.net
宗教は、「商売」にすり替わった段階で「カルト」認定ですね。
金、異性、名誉、権力で人は簡単に狂います。
https://togetter.com/li/2209909

617 ::2023/10/16(月) 18:51:32.35 ID:RdYy3nBn.net
【ヨーガスートラ】1章51節 祝・解脱!

https://youtu.be/SRFHx1YKhAY?si=G7nalNGLt-eeYPRq

618 ::2023/10/16(月) 18:54:49.95 ID:RdYy3nBn.net
ヨーガ・スートラ

25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

26. この識別知を得た人は、カイヴァリヤへと赴く。

27. その間にも、過去に生じているサンスカーラから様々な心の作用が生じてくる。

28. それは、これまで説明した煩悩の対処法によって取り除けばよい。

29. 識別知を確立した人は、最上の知識に対しても無関心になる。これをダルマメーカサマーディと呼ぶ。

ダルマメーガ・サマーディ  法雲三昧。

30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

31. そのとき、智慧を覆っていた汚れは全て取り除かれ、現れてくる無限の智慧によって、これ以上知るべきものはもう無い。

619 ::2023/10/16(月) 18:55:52.90 ID:RdYy3nBn.net
29. 識別知を確立した人は、最上の知識に対しても無関心になる。これをダルマメーカサマーディと呼ぶ。

ダルマメーガ・サマーディ  法雲三昧。

30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

620 ::2023/10/16(月) 18:56:41.93 ID:RdYy3nBn.net
識別知を確立した人^^

621 ::2023/10/16(月) 19:01:39.40 ID:RdYy3nBn.net
(佐保田訳)ヨーギーが最高の直観智に対してさえなんらの期待を抱かず、あらゆる形の弁別智を尽
くしたならば、法雲三昧の境地が現われる。

(インテ訳)完全なる識別知によって、最も高い報償に対してさえ全く無欲となった者は、不断の、
特異な洞察の内にとどまるものであり、それはダルマメーガ・サマーディ【法雲三昧】と呼ばれる。

(シュリー訳)至高の識別知を得てさえ離欲を保持する者には、完全な識別知による法雲三昧が生じ
る。

622 ::2023/10/16(月) 19:05:21.84 ID:RdYy3nBn.net
(私訳)それ(ダルマ・メーガ・サマーディ(法雲三昧))によって、煩悩と宿業が消滅する。


(佐保田訳)その時、煩悩と業は消滅する。

(インテ訳)そのサマーディによって、すべての苦悩〔煩悩〕とカルマ〔業〕は終熄する

(シュリー訳)そのあと苦悩と過去の潜在印象は消滅する。

623 ::2023/10/16(月) 19:08:37.22 ID:RdYy3nBn.net
桐山さんは・・教師ですぞ^^

とても勉強になる^^

反面がつくけど・・^^

624 ::2023/10/16(月) 19:14:04.24 ID:RdYy3nBn.net
V 成就の章
1. ダーラナとは、心を一つの対象にとどめておくことである。

2. ディヤーナとは、その対象に対する集中が途切れなく持続されている状態である。

3. サマーディとは、瞑想の対象だけが照らし出され、その対象のあり様が空のようになっていることである。

4. これら三つはサンヤマと呼ばれる

5. それにより、智慧が輝きだす。

6. サンヤマは段階的に達成される。

7. この三つは前の五つの部門よりも内的なものである。

8. しかし、ニルヴィージャ・サマーディから比べると、それらもまた外的なものである。

9. 雑念を生じさせるサンスカーラから、止滅に向かうサンスカーラへと心を結び付けていくことが、ニローダ・パリナーマである。

ニローダ・パリナーマ  止滅への変化が繰り返されること。
10. これによって、サンスカーラは平穏なものへと変わっていく。

11. 心が様々な対象へと活発に向かっている状態から、一つの対象に集中し続けている状態へと置き換えていくことが、サマーディ・パリナーマである。

サマーディ・パリナーマ  サマーディへの変化が繰り返されること。
12. 心の止滅へと向かう想念が、現在湧き上がる想念と同一であるとき、エーカーグラ・パリナーマである。

エーカーグラ・パリナーマ  一点集中への変化が繰り返されること。

625 ::2023/10/16(月) 19:16:17.03 ID:RdYy3nBn.net
しかし・・^^

なぜこのスレでヨーガスートラをやっているのか・・

ようわからん^^^?

626 ::2023/10/16(月) 19:21:15.54 ID:RdYy3nBn.net
4.25 心とアートマン(自己)の区別を知る者は、心をアートマンと考えることが永遠に止む。

4.26 そのとき心は識別(ヴィヴェーカ)の方へと傾き、絶対(カイヴァリャ)に引き寄せられる。

4.27 その間隙にも、過去の印象(サンスカーラ)から来る雑念が生ずることはある。

4.28 それらは、前述の(サーダナ・パダ 1、2、10、11、26)諸障害(煩悩)の除去と同様の方法によって除去することができる。

4.29 完全なる識別によって最も高い報償に対してさえ全く無欲となった者は、不断の、明敏なる識別のうちにとどまるものであり、それはダルマメガー・サマーディ(法雲三昧)と呼ばれる境地である。

4.30 そのサマーディによって、全ての苦悩(煩悩)とカルマ(業)は終熄する。

627 ::2023/10/16(月) 19:25:41.23 ID:RdYy3nBn.net
4.28 それらは、前述の(サーダナ・パダ 1、2、10、11、26)諸障害(煩悩)の除去と同様の方法によって除去することができる。

2.1 浄化を助けるものとして苦痛を受け入れること、霊的な書物を研究すること、至高の存在に身を委ねることが、実行のヨーガである。

2.10 これらの障害(煩悩)が微妙な状態にあるときは、始源の原因【=自我】に還元するところによって破壊することができる。

2.26 途切れることのない明敏な識別が、その除去の方法である。

2.11 それらが活動の状態にあれば、瞑想によって破壊することができる。

2.2 それらは、障害(煩悩)を最小にして、サマーディを達成させる。

628 ::2023/10/16(月) 19:27:25.00 ID:RdYy3nBn.net
うん?

こっち^^

2.1 浄化を助けるものとして苦痛を受け入れること、霊的な書物を研究すること、至高の存在に身を委ねることが、実行のヨーガである。

2.2 それらは、障害(煩悩)を最小にして、サマーディを達成させる。

2.10 これらの障害(煩悩)が微妙な状態にあるときは、始源の原因【=自我】に還元するところによって破壊することができる。

2.26 途切れることのない明敏な識別が、その除去の方法である。

2.11 それらが活動の状態にあれば、瞑想によって破壊することができる。

629 ::2023/10/16(月) 19:29:53.17 ID:RdYy3nBn.net
う〜〜ん^^

これやな・・^^

諸障害(煩悩)の除去^^

2.26 途切れることのない明敏な識別が、その除去の方法である。

630 ::2023/10/16(月) 19:31:07.28 ID:RdYy3nBn.net
「識別知で煩悩を切る」^^キリッ

631 ::2023/10/16(月) 19:32:00.50 ID:RdYy3nBn.net
なっ・・勉強になるだろ^^

このスレ^^

632 ::2023/10/16(月) 19:34:06.88 ID:RdYy3nBn.net
つまり・・こうゆうことや^^

4.25 心とアートマン(自己)の区別を知る者は、心をアートマンと考えることが永遠に止む。

4.26 そのとき心は識別(ヴィヴェーカ)の方へと傾き、絶対(カイヴァリャ)に引き寄せられる。

633 ::2023/10/16(月) 19:35:28.14 ID:RdYy3nBn.net
ここ重要^^

テストに出るで^^

4.25 心とアートマン(自己)の区別を知る者は、心をアートマンと考えることが永遠に止む。

634 ::2023/10/16(月) 19:48:14.68 ID:RdYy3nBn.net
図で表すとこれ^^

https://tadaup.jp/1517495119.jpg

635 :ユビキタス :2023/10/16(月) 20:03:35.77 ID:K/CXk6Az.net
阿含宗の話して書けないのなら、荒らしとみなすから、去れ。

636 :ユビキタス :2023/10/16(月) 20:04:15.97 ID:K/CXk6Az.net
阿含宗の話書けないのなら、荒らしとみなすから、去れ。

637 ::2023/10/16(月) 20:04:26.18 ID:RdYy3nBn.net
宗教学(初級27):ヨーガ・スートラ(I1〜16)

https://youtu.be/IyKOHG3Rt1o?si=UzL1dK_fHklz0pU9

638 ::2023/10/16(月) 20:07:32.17 ID:RdYy3nBn.net
うん?

去るとするか・・^^

勉強の題材としたら最適だったのにな^^

・・反面教師的な意味で^^

では^^

639 :現信:2023/10/16(月) 20:11:18.67 ID:Bw3ps7Ev.net
桐山雄

教職・学位
1991年 チベット仏教ニンマ派仏教大学名誉学長に就任
1995年 サンフランシスコ大学理事に就任
1996年 モンゴル国立大学より名誉哲学博士学位を授かる
1997年 中国国立中山大学名誉教授に就任
1998年 中国国立佛学院名誉教授に就任
1999年 モンゴル国立大学学術名誉教授に就任、中国国立北京大学名誉教授に就任
2001年 タイ国立タンマサート大学より名誉博士号を授かる
2003年 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院 (SOAS)名誉フェローを授かる
2005年 モンゴル科学アカデミーから名誉哲学博士の学位を授かる

640 :現信:2023/10/16(月) 20:11:52.87 ID:Bw3ps7Ev.net
受賞・栄典等
1990年 国際警察長官協会 (IACP) から特別功労賞受賞。国連・国際麻薬取締官協会(INEOA)から平和賞受賞
1991年 パリ市特別文化功労賞(金メダル)受賞、モンマルトル名誉市民となる。イタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ受章(外国人としては初、114人目の受章)
1992年 日本棋院名誉八段認定
1997年 スリランカ首相賞・功労大賞受賞
1998年 サンフランシスコ大学第1回アジア太平洋リーダーシップ賞受賞、北京大学教育奨励賞受賞
2001年 モンゴル国最高国家勲章友好大勲章、および平和の銀賞受賞
2002年 日本棋院名誉九段認定。中国囲棋協会名誉副主席就任
2005年 モンゴル自由勲章受章。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院 (SOAS)が貢献を顕彰、モンゴル政府より勲功表彰状、京都市より特別感謝状を受ける
2006年 中国貴州省凱里市の名誉市民となる
2007年 中山大学国際教育傑出貢献賞受賞、トルコ共和国名誉勲章受章
2010年 日本棋院より大倉喜七郎賞受賞
2014年 関西棋院より九段の免状を受ける
2016年 サンパウロ平和名誉賞受賞

641 :現信:2023/10/16(月) 20:12:28.08 ID:Bw3ps7Ev.net
法脈
仏教の三つの流れ(南伝仏教、東伝仏教、北伝仏教)の各法脈を継承。

1970年 真言宗小田慈舟大僧正より広島県比婆郡比和町(当時)の城福寺にて如意宝珠法を伝授される(北伝仏教)
1972年〜1973年 小田大僧正より観音慈恵会京都道場にて金剛界法・胎蔵界法を伝授される(北伝仏教)
1983年 チベット仏教ニンマ派のミンドルリン寺の大座主ミンリン・ティチン・リンポチェより秘法の伝授を受け、その秘経と古儀密教の法衣(シャナク)、また最高位の法号「ギュルミ・ドルジェ・ドゥ・ドゥル・ツェル(一切萬霊守護金剛)」を授かる(東伝仏教)
1988年 チベット仏教ニンマ派より、金剛阿闍梨法冠の授与灌頂、僧位の師の位「金剛阿闍梨位」を授かる(東伝仏教)
1992年 スリランカ仏教シャム派より、名誉大僧正の僧位と法号「キールティ・スリ・サーマ・ドゥータ(輝く平和の大王)」を授かる(南伝仏教)
1993年 チベット仏教サキャ派の大座主チョゲ・ティチン・リンポチェ(ツァル派出身)より、金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂、最高僧位「金剛大阿闍梨耶」と法号「智勝光明大覚者(ンガワン・リクズィン・テンペル)」を授かる(東伝仏教)
1994年 ミャンマー仏教界から僧位「アシン・ウイ・トッダ・タンダ・マナ(非常に高潔で平和を招来する尊い僧)」と法号「テイラ・ワーダ・サーサナ・ノツガハ・ベイック(釈迦の真の教えを保護し伝道してこられた大尊者)」を授かる(南伝仏教)
1995年 チベット仏教より瑜伽タントラ金剛界血脈相承(ツォクシン)のタンカを授かる(東伝仏教)
1999年 チベット仏教界から当代最高の人物に贈られる名誉称号「パンティッタ」を授かり、ニンマ派総本山ミンドルリン寺で称号認証式拳行(東伝仏教)
2010年 ブータン高僧(チベット仏教ドゥクパ・カギュ派)から後期密教の伝法灌頂を受け、法号「ウガワン・ゲルツェン(王者の説法をする仏法守護者)」を授かる(東伝仏教)
2011年 ブータン高僧からドルジ・パモ伝法灌頂、護法尊伝法灌頂を受ける。

642 :現信:2023/10/16(月) 20:13:09.76 ID:Bw3ps7Ev.net
阿含宗はこれだけの実践的・理論的バックボーンの上に立っている。
ここのスレの流浪の民が何を説き何を提唱しようが、阿含宗の鉄壁の教義に
傷1つつけることができないだろうな。www

643 :現信:2023/10/16(月) 20:16:59.97 ID:Bw3ps7Ev.net
また根本尊師は社会的信用もこれだけあるんだよ。

対談など
森下敬一との対談「人類の大量突然死の日は近い?」自然医学会『自然医学』1973/5〜6
金岡秀友との対談「密教の本質とその魅力―教理と行法とこれからの課題をめぐって」『別巻密教講座』1(初出:佼成出版社『アジア仏教史・インド編IV』1974/6)
平井富雄、草柳大蔵との対談「密教の念力があなたを創る」『別巻密教講座』2(初出:『壮快』講談社1974/11)
津島秀彦との対談『日本の宗教者 十人の教主と語る』島村出版1976/1/1
金岡秀友との対談「『密教講座』の回顧と展望―曼荼羅の精神を基本として」『密教講座』第12巻、1977/9, pp. 12-20
今西錦司との対談「自然と人間」『アーガマ』1979/6-8
森萬壽夫との対談「医療とこころ」『アーガマ』1979/3, pp. 38-45
横尾忠則との対談「瞑想と創造への道」『アーガマ』1979/5, pp. 48-54
樹木希林との対談「女が迫る」『週刊朝日』1980/8/22
森下敬一との対談「健康と食生活―現代に生まれ変った密教食」『アーガマ』1979/9〜10
森敦との対談「文学と信仰」『アーガマ』1979/11, pp. 40-47
安部譲二との対談「宗教活動から社会活動へ。真に人を救うために。」『京都新聞』2003/2/9
市川森一との対談「祈りを捧げることが世界平和への第一歩」『週刊文春』2004/4/1, pp. 126-128
西木正明との対談『週刊文春』2006/3/23
柳田邦男との対談「今、”第二の敗戦を体験” 精神の輝きを取り戻せ」『産経新聞』2007/8/15
金美齢との対談「忘れてはならない尊い犠牲」『産経新聞』2008/8/15
武田樹里との対談「日本人よ、忘恩の徒になるなかれ―黙して語らぬ‶先人”の声に今こそ耳を傾けよう」『正論』2008/12, pp. 272-279
服部克久との対談「」『週刊文春』2010/3/17
桂吉坊などとの対談「「面白い」を探そう」『産経新聞』2010/8/15
乙武洋匡、百田尚樹との対談「命を考える。未来を考える。」『産経新聞』2011/8/14
石原慎太郎との対談「この危機に、なぜ国が号令をかけないのか」『産経新聞』2012/6/7
倉本聰との対談「命を敬う生き方」『産経新聞』2012/8/15
藤岡弘との対談「命を敬い明日に進む」『産経新聞』2013/8/15
百田尚樹との対談「平和にかけた命」『産経新聞』2014/8/15

644 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/16(月) 21:33:01.15 ID:Xmd4U0nC.net
>>639-643
はあ?こんなお金を寄付して受け取った名誉の数々なんか並べて、こんなもんで自慢するのかい?
それなら創価学会の池田名誉会長なんかもっと10倍くらいの名誉肩書き持ってるんじゃない?
で世界平和を提唱するのはよいが、エルサレムに世界平和祈念堂まで建立しながら、
どうして当のイスラエルで世界平和を脅かす戦争をしているんだい?

645 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/16(月) 21:54:17.35 ID:Xmd4U0nC.net
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>座右宝鑑(旧版)の97頁にある「七つの訓練課程」の中では「漏尽智ー深層意識の完全なる制御」となっています。
>神通力ではありません。
>それを深山大先生は、勝手に漏尽智を神通力だと言い出して開祖に因縁をつけている。
>自分は因縁解脱が出来ないから、腹いせに開祖に因縁をつけているのです。

実は「深層意識」という言葉こそ桐山超能力よ神髄です。
これは桐山さんの超能力宣伝本の初代の「変身の原理」にはっきりと書かれている。
あの著書を単なる念力の護摩手品の自慢本と思ってはならない。
キーワードは深層意識の開発なんです。
深層心理学に脳生理学の古皮質、旧皮質なんかの話も関連付けてプロレスのレスリングに乱入させて
実はすごい力を持った存在であることを誇示し、自分らの言い分を話させているでしょ?
これがわからないと桐山超能力を語る資格もないよ。
それは密教から阿含に乗り換えたからと言って前言取り消しも訂正もされておらず生きてます。
そして変身の原理のサブタイトルは文一出版時のそれが「密教・その持つ秘密神通の力」です。
神通とあるでしょ?神通力ですよ。
次の平河出版社の「密教・超能力の秘密」では神通力を超能力とわかりやすく表現を変えただけで。
その秘密神通の力の最大の秘密が深層意識の開発です。
これはオシエの実践では得られない超技術としている。
深層意識の開発による人間の変革というのは桐山神通力の最大のテーマなんだから、
神通力でないなんて言うあなたが、そもそも桐山超能力を理解していないのです。
因縁解脱だってその神通力の活用なんですよ。

646 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/16(月) 22:03:02.03 ID:7TLzpOS5.net
>>0642現信2023/10/16(月) 20:13:09.76ID:Bw3ps7Ev
>阿含宗はこれだけの実践的・理論的バックボーンの上に立っている。
>>0643現信2023/10/16(月) 20:16:59.97ID:Bw3ps7Ev
>また根本尊師は社会的信用もこれだけあるんだよ

教祖も俗物丸出しなら、信者も俗物丸出しを恥とも思わない。
桐山さんの行状や、阿含宗の教義を批判されている時に、
桐山さんが買い集めた名誉や、お金を払って対談した相手を出して、
自分たちの正統性の根拠とする。
それはユビキタスさんが指摘しているように、ソウカと何が違うのだ?
名誉の数なら大作さんのほうが桁が一つ上です。
世界の著名人との対談の一覧表がネットで公開されています。
そうなると、現信さんの考えでは、
「ソウカはこれだけの実践的・理論的バックボーンの上に立っている。」
「また大作尊師は社会的信用もこれだけあるんだよ」
となるらしい。

阿含宗よりもソウカのほうがもっと強いバックボールを持ち、
桐山さんよりも大作さんのほうが社会的な信用があることになる。
阿含宗はソウカと同類と言いたいらしい。
前に私は、大作さんは名誉の数が多いから大物俗物、桐山さんは名誉の
数で負けているから小者俗物と笑ったことがあります。
たぶん、このように現信さんの愚かさを指摘されても、名誉を並べたことを
恥とも思わないのでしょうね。

647 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/16(月) 22:09:12.32 ID:7TLzpOS5.net
*釈尊は尊敬や名誉を捨てるように説いた

現信さんて阿含宗を何年しているのか知らないが、呆れるほど、
仏教を勉強していない。
仏教が社会的な権威を持ち出したら、オシマイです。
なぜなら、釈尊はそれを煩悩として禁止しているからです。

「比丘たちよ、もし比丘がすでに生じた利益と尊敬と名誉を捨てず、希求するなら、
比丘たちよ、この比丘は魔の釣り針を呑みこみ、苦境におちいり、苦難におちいり、
悪魔パーピマンの思うとおりにされる、と言われる。」
(『ブッダのことば?』講談社、108頁)

利益、尊敬、名誉を捨てるように説いています。
桐山さんと現信さんはこの釈尊の指示とは真逆のことをした。
しかも、現信さんはその真逆のことを繰り返し自慢した。
どうしてそこまで無知なのに、どうしてそこまで慢心ばかり強いのだ?

648 :深山 :2023/10/16(月) 22:16:03.77 ID:7TLzpOS5.net
*仏教では世俗の権威はいらない

釈尊がバラモンの権威から位階や称号をもらったなんて話はありません。
当たり前です。
仏教では、釈尊こそがこの世界において最高の存在であり、
バラモンなど他の者はひれ伏すべきです。
だから、釈尊は誰からも名誉も学位ももらう必要はありません。
これは阿羅漢なら全員そうで、彼らこそがもっとも優れた存在で、
世俗からあれこれと評価される必要はない。
釈尊と阿羅漢たちこそが尊敬されるべき人、つまり応供です。

だが、桐山さんも現信さんも世俗の権威に価値を置き、
桐山さんはあるが上にも名誉を買い集めた。
桐山さんも現信さんも、仏教こそが最高の価値、世間を
はるかに超越した価値があると信じていないのです。
二人とも、御利益信仰だからです。
宗教に求めるのが世俗的な欲求の充足だからです。
桐山さんも解脱を唱えていたが、現実には現信さんが示した結果が
全てを物語っていて、世俗的にエラクなりたかっただけです。
現信さんも、煩悩を切るなんて論外で、世俗的な欲望を
かなえてくれるのが宗教だと信じている。
だから、桐山さんの名誉の一覧表がうれしくてたまらない。
見なくても、あなたが護摩木に何を祈願しているかわかる。
そういうのを御利益信仰というのです。
宝生ソウカ大人と現信さんはそっくりの御利益信仰で、釈尊が否定した信仰です。
二人とも釈迦仏教なんて興味ないから気にもしない。

649 :深山 :2023/10/16(月) 22:22:14.68 ID:7TLzpOS5.net
*桐山さんの名誉欲というゲロ

現信さんが自慢したのは「桐山さんの名誉欲というゲロ」です。
仏教では名誉欲は煩悩であり、汚れです。
それを現信さんは誇らしく飾ってみせた。
名誉欲で煩悩まみれの桐山さんを、さあ、どうだと自慢してみせた。
批判側を「www」と笑ったが、仏教から見たら、現信さんの
したことは失笑を通り越して、鼻つまみです。
よくまあ、恥ずかしくもなく、ここまで愚かな自慢ができるものだ。

現信さんは仏教の解脱とは何かを全く、さっぱり、完全にわからないのですね。
ペテン大作さんでさえも、煩悩からの解放だと言葉だけは知っている。
だが、現信さんはそれさえもわからない。
だから、桐山さんがどれほどの煩悩まみれの俗人だったかを
わざわざここに自慢して見せた。

「阿含宗の鉄壁の教義」どころか、桐山さんが解脱などしていなかったと
わざわざ公表しているようなものです。
阿含宗では煩悩解脱は小解脱と卑しめられているが、
因縁解脱するには煩悩も切ることが前提ですから、
桐山さんは成仏力(漏尽智)で煩悩を切ったはずです。
その桐山さんがどうしてこれほど名誉欲という煩悩を持っていたのだ?

650 :深山 :2023/10/16(月) 22:29:16.35 ID:7TLzpOS5.net
*全部お金で買った名誉や学位

現信さんが示したのは全部、お金で買った名誉や学位です。
お金を直接間接に出していないのがあるなら、示してみなさい。
ありません。
全部、何か寄付して、その見返りにもらったものです。

「仏さまは、その危機を救うために、わたくしにいろいろな飾りをくださ
った。国立モンゴル大学の名誉哲学博士、中国・国立中山大学の名誉教
授などがそれです。これらの肩書は阿含宗管長にはいらない。しかし、
世界平和のために世間的に活動をしようと思ったならば、これらの肩書
きは、やはり一つの大きな武器になる。」
(『阿含宗報』145号、1998年)

桐山さんはこういう言い訳をして、地球壊滅が来たら、その肩書を使って、
世間を動かすと言っていた。
だが、地球壊滅などなかったし、桐山さんがその肩書で世界平和の
ために動いたことは一度もありません。
2008年にイスラエルで護摩を焚いた直後にガザ紛争で、
たくさんの死者を出したのに、桐山さんは何も言わなかった。
これを見ても、↑上記は桐山さんの名誉欲の言い訳にすぎないのがわかります。

651 :深山 :2023/10/16(月) 22:36:18.10 ID:7TLzpOS5.net
*お金を出し、頭を下げ、媚びて、へつらって

桐山さんは、現信さんと同じで権威が大好きで権威に弱かった。
イスラエルという権威の前にひれ伏し、彼らがパレスチナ人を
殺戮しても、為政者の気分を損ねる異見などするはずもない。
中国の権威に土下座して、天安門事件で民衆を虐殺した中国共産党に
見舞い金を500万円贈ったと自慢した。
その恥知らずな苦労の甲斐があって、大作さんに遅れること二十年にして、
北京大学名誉教授になれた。

権力者や為政者や権威にお金を出し、頭を下げ、媚びて、へつらって、
護摩を焚かせていただき、名誉をいただく。
ただの名誉餓鬼です。
だが、信者にも餓鬼がいるから、このやり方は通用します。
桐山さんは名誉大餓鬼、現信さんは名誉小餓鬼です。

現信さんは現実世界でも、権威や権力や肩書に弱いでしょう?
前にここにいたアラカンポ先生がそうだった。
前都知事の石原氏など著名人や一流週刊誌に宣伝記事が載ると、
彼らに土下座して、世間がすべて認めているかのように錯覚していた。
それは政治家にうまく取り入って、政治権力を笠にして
信者からお金を巻き上げているT教会とそっくりです。

652 :神も仏も名無しさん:2023/10/16(月) 23:38:48.46 ID:5srHZ9Vr.net
※漏尽智で解脱するのは真実です

いくら仏教の素人が経典解釈を繰り返したところで、根拠となる文献を示せなければ世の中では相手にされません。
自分の知識にのぼせやがってバカじゃないの?とか、ヤメ信者がまだ教団に未練があるんじゃないの? 可哀想そうに、なんて同情されるのが落ちです。
共感してくれるのは心にキズを持つ仲間の批判者たち位でしょう。
さて漏尽智で解脱するしないの話ですが、これはもう議論するレベルの話ではありません。
漏尽智で解脱することは文献により明らかです。

653 :神も仏も名無しさん:2023/10/17(火) 00:09:49.30 ID:wHGNU/sL.net
「漏盡智とは、謂はく此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、及び諸漏の盡なり。威徳を具足するは此の智成満するが故なり。」
(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

”此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、及び諸漏の盡なり”

つまり ”漏尽智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、及び諸漏の盡なり”ということです。
漏尽智によって全ての漏尽(漏を尽くすこと)の手段に熟達し諸漏を尽くすのである。
まあこんな意味でしょう。
だから「漏尽智で」解脱するのです。
”漏尽智に由りて”
これは正に必殺の一撃です。
日本最高峰の大辞典に書いてあるのだから文句の付けようがありません。
素人のクダランしゃべりなどこれで粉砕です。

654 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 08:59:42.87 ID:4T44s/Hx.net
この男いずれ犯罪者になるんじゃないかな?
ご両親を悲しませるんじゃねえぞ。

655 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 09:03:38.98 ID:4T44s/Hx.net
「此の智に由りて」ですよ。
「智」とはなんぞや?
知、知ることですよ。
宿明智(通)も他心智(通)も結局前世なり他人の心を知ることのみと説明したでしょ?

656 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 10:18:31.06 ID:4T44s/Hx.net
WikiDharmaにはこうあるね。

漏尽
āsrava-kṣaya (S)
 煩悩の尽きた状態。煩悩を離れること。「āsrava」(漏)とは、本来「流入」の意味であり、煩悩や業や苦難が身の中へ漏れ入ることである。ジャイナ教ではもっぱらこの意味で考えている。
 輪廻の原因であるこれらを防止し消滅させることにより、輪廻からの解脱が得られると考えられていた。これが「漏尽」である。
 また、この状態を自ら知覚することを「漏尽智」「漏尽通」といい、三明、六神通の一つである。
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%82%8D%E3%81%98%E3%82%93

「漏尽」と「漏尽智、漏尽通」を分けて、後者は知覚することと限定している。
望月が日本最高峰の辞典?
笑わせてくれるなw
表現が古く抽象的でわかりにくいから、岩波ではそれを補正するためにも
漏(煩悩)が尽きたことを知るのみにして、漏を尽きさせる手段については、
省略なんかではなく、そんなものを加えなかったんだよ。
コイツ現代社会に対応できないだろうなw

657 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 12:16:36.37 ID:dbMg9VUj.net
>>0652神も仏も名無しさん2023/10/16(月) 23:38:48.46ID:5srHZ9Vr
>いくら仏教の素人が経典解釈を繰り返したところで、根拠となる文献を示せなければ世の中では相手にされません。

経典の勝手解釈をして、根拠となる文献を示せないのはペテン大作さんであって、
私ではありません。
ペテン大作さん自身が桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」という文章のある
経典や学者説などの文献をただの一度も出せたことはありません。
彼が出しているのは経典や学者説への勝手な解釈です。
私が毎回、彼の勝手な解釈だと述べているから、「素人が経典解釈」と
悔し紛れに罵るしか能がない。

こちらが指摘したペテン大作説のいくつもの矛盾にどうして答えないのだ?
答えられないから、無視している。
何も反論できないから、反論しなくてもいいように「素人が経典解釈」
などと腐して、逃げる。
私は経典も学者の説明も、解釈抜きで、次のように毎回出しています。

658 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 12:24:42.32 ID:dbMg9VUj.net
*沙門果経が経典根拠
沙門果経はペテン大作さんが引用した経典で、
そこにははっきりと「解脱→漏尽智」と書いてある。
解脱した後に漏尽智が出てきます。
「心の安定」が解脱であるという証拠の経典をいくつも示しました。
そればかりか、「汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ」(>>449)と
明瞭に煩悩からの解放、つまり解脱であることを示している。
これを何度示しても、彼は無視です。
漏尽智が出てくるのはその後ですから、ペテン大作さんが引用した沙門果経
こそは桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘であるという何よりの証拠です。
自分で引用していながら、読解力がないから、逆の解釈をしている。

*学者の説明の根拠
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
学者は漏尽智を↑このように明瞭に説明していて、これも
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」が嘘である証拠です。
解釈も何も、小学生でもこのまま理解できる文章です。
桐山説2が正しいというなら、岩波仏教辞典から「漏尽智で煩悩を切る」と
書いてある文章を出してみればいい。
そんな文章は存在しません。

このように私は経典と学者の解説の両方の根拠を明瞭に示しています。
どちらも解釈など必要がなく、書いてあるままです。
一方、ペテン大作さんは何か示しましたか?
引用した沙門果経はむしろ彼の主張を否定し、学者の説明にも
彼の根拠となる文章は一つもありません。
それを誤魔化すために、曲解できる文語体の望月氏の文章を引用する。
今回、彼が示した望月氏を彼は初めて引用したかのように
錯覚しているようだが、実は毎年恒例なのです。

659 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 12:27:01.33 ID:4T44s/Hx.net
比丘たちよ、私は、知らない者・見ない者のではなく、知る者・見る者の諸漏の滅尽を説きます。
では比丘たちよ、いかに知る者、いかに見る者に、諸漏の滅尽があるのでしょうか。
『このように〈色〉あり。このように〈色〉の生起あり。このように〈色〉の滅没あり。
このように〈受〉あり……(省略)
このように〈想〉あり……(省略)
このように〈諸行〉あり……(省略)
このように〈識〉あり。このように〈識〉の生起あり。このように〈識〉の滅没あり』と、
比丘たちよ、このように知る者、このように見る者に、諸漏の滅尽があるのです。
「縁由経」(『相応部』12-23)


解脱を縁由として尽智あり。

ここでいう尽智とは漏尽智のことです。

漏尽
煩悩の尽きた状態。煩悩を離れること。「āsrava」(漏)とは、本来「流入」の意味であり、煩悩や業や苦難が身の中へ漏れ入ることである。ジャイナ教ではもっぱらこの意味で考えている。
 輪廻の原因であるこれらを防止し消滅させることにより、輪廻からの解脱が得られると考えられていた。これが「漏尽」である。
 また、この状態を自ら知覚することを「漏尽智」「漏尽通」という。

解脱すれば煩悩が完全に消滅し、二度と輪廻することがなくなるという智慧が生じます。
それにより解脱したといえます。

https://ameblo.jp/hakujyushi/entry-12819676927.html


解脱する→漏尽智が生じるの順番になっています。

660 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 12:28:49.33 ID:4T44s/Hx.net
苦を縁由として信があり、信を縁由として喜悦があり、喜悦を縁由として喜があり、喜を縁由として軽安があり、軽安を縁由として楽があり、楽を縁由として三昧があり、三昧を縁由として如実智見があり、如実智見を縁由として厭離があり、厭離を縁由として離貪があり、離貪を縁由として解脱があり、解脱を縁由として尽智があります。

「縁由経」(『相応部』12-23)

661 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 12:30:40.05 ID:4T44s/Hx.net
解脱を縁由として尽智あり

解脱→漏尽智の順番です。
解脱が原因であり尽智が結果です。

662 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 12:35:27.33 ID:4T44s/Hx.net
そして漏尽(解脱)を得て、その結果尽智を得て、ここに解脱は完全に確立するというのが樹意さんの主張ですね。
私もそう思いますよ。
でも尽智の前に解脱していることに変わりありません。

663 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 12:40:37.54 ID:dbMg9VUj.net
「漏盡智とは、謂はく此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、 及び諸漏の盡なり。」
(『望月佛教大辞典 』

ペテン大作さんは自分では初めてこれを引用したと思っているのでしょうね。
2020年、2021年、2022年と、毎年、↑この同じ文章を引用して、私の反論は
いっさい無視して、同じ主張を繰り返す。
針の飛んだレコード、食事の直後に「オレは飯を食っていない」と叫ぶ老人です。

後半の「諸漏の盡なり」をペテン大作さんは勝手に「煩悩を切る」と
解釈しているが、そんな意味でないことは、これまでも何度も説明しました。
こんなわかりにくい文語体の文書ではなく、この説明の元となった
沙門果経を見れば十分です。
解脱した後で、四諦の洞察によって、煩悩が尽きたことを確認することです。
「一切の漏盡の方便に通達」とは四諦の洞察のことだとわかります。
それによって「諸漏の盡なり」、つまり煩悩が尽きていることを確認したという意味です。
どこにも、漏尽智で煩悩を切るとはありません。

「鎮火とは火が消えたことをいう」という文章を、彼は
「鎮火で火を消した」と読んでいるのです・・・失笑です。
仏教の議論ではなく、単なる彼の読解力の低さにすぎない。
そして、このみっともない読み間違いを何度指摘されても、理解できない。
四年続けて、同じ主張を繰り返す。
ここまでは仏教の話ではなく、文章の解釈です。
次に、仏教の漏尽智の意味についてです。

664 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 12:49:05.39 ID:dbMg9VUj.net
*阿羅漢に属する漏尽で煩悩を切る??

漏尽智で煩悩を切るのではありません。
だから、漏尽智は
「阿羅漢に属する」(『佛教語大辞典』中村元、1444頁)
のです。
漏尽智で煩悩を切ると解釈したら、阿羅漢に煩悩が残っていることになり、矛盾する。
切らなければならない煩悩があるのはアナゴンです。
漏尽智で煩悩を切るなら、アナゴンが漏尽智を持っていることになり矛盾します(矛盾1、>>406)。
これを見ても「諸漏の盡なり」を「漏尽智で煩悩を切る」「漏尽智で解脱する」
と解釈するのは間違いです。
これを毎年説明しても、ペテン大作さんは理解できない。
毎年どころか、ここ二カ月、ほぼ毎日のように説明されても、彼は理解できない。
彼に説明しているのではないし、阿含宗信者の知性を世間様に
示しているだけだから、笑うだけです。

しかも、今回、ペテン大作さんは樹意さんの説明を自分で引用しているのに、
意味がわからないのです。
樹意さんは、解脱した時だけを解脱というのではなく、解脱した阿羅漢が
いっさいの煩悩に染まらないように持続することが解脱であり、これが
阿羅漢道であり、染まっていないことを確認することを漏尽智というと書いた。
こういう説明をペテン大作さんは自分で引用しながら、理解できない。
彼の自説を否定する文章を自慢気に引用するのだから、おもしろい人です。

665 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 12:55:27.91 ID:dbMg9VUj.net
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>漏尽智の内容は四諦だから神通力ではない。
>だがそもそも、開祖は漏尽智を神通力だとはしていません。

またペテン大作珍説「漏尽智≠漏尽通」が始まった。
仏教では「漏尽智=漏尽通」で、漏尽通とは六通という神通の一つですから、
漏尽智は神通の一つです。
桐山さんが漏尽智を神通力と言っていない??
私が引用した桐山さんの本さえも彼はろくに読んでいない。

「生存の尽きてなくなることを確認する(完全に人間としての因縁を解脱し、
涅槃に入る智を持つ、聖人のみが持つ通力とされる)(漏尽通)」
(『密教入門』30頁、1976年)
「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。
すなわちこの智慧によって業が全く消え去り、修行者はニルヴァーナに入るのである。
したがって、この智慧は、仏教修行者の究極の智慧であるとされている。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)
「仏教の本質はカルマを断滅する「力」に尽きる。この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、
この力を得るために、釈迦はたいへんな難行苦行を行った。」
(『準胝尊真言行とは』2015年、阿含宗教学部、8ページ)

他の信者さんたちは↑この阿含宗の正しい教義を学んでください。
阿含宗では「漏尽智=漏尽通」でこれは仏教でもそのとおりです。
繰り返すが、漏尽通は六通という神通の一つだから、漏尽智も神通です。
ただ一人、ペテン大作さんは「漏尽智≠漏尽通」という珍説を唱えている。
それも矛盾を指摘されて一時は撤回したのに、先月からまた復活した。
こうやってクルクルと自説を変えるのを見ればわかるように、
彼はその場しのぎに適当なことを書いているにすぎない。

666 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 13:00:21.44 ID:4T44s/Hx.net
ペテン大作さんの主張によるならば、
尽智を縁由として解脱あり
となるはずなんだが、このパーリ相応部の縁由教の表現は何よ?
それとも望月大先生はこれを読み落としているとか?w

667 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 13:02:58.54 ID:dbMg9VUj.net
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>座右宝鑑(旧版)の97頁にある「七つの訓練課程」の中では「漏尽智ー深層意識の完全なる制御」となっています。

ペテン大作さんが引用した上記の文章のどこに「漏尽智≠神通力」とあるのですか?
ありません。
相変わらず、書いていないことを勝手解釈している。
いかにも、桐山さんが「漏尽智≠神通力」と他の文章で説明しているかのように
臭わせたつもりなのでしょう。

ペテン大作さんは旧『修行者座右宝鑑』など普通の人が持たないような本を
引用しているのが恒例のゴマカシです。
彼が示したこの本の文章の隣に
「くわしくは『人間改造の原理と方法』を見よ」
と書いてあります。
『人間改造の原理と方法』の162ページに同じ課程がそのまま載っており、
詳しく漏尽智について説明しています。
それがいつも私が引用している>>665の文章です。

『人間改造の原理と方法』のほうが項目を設けて詳しく説明しているのだから、
最初からこちらを引用すればいいのに、彼はわざとしない。
ペテン大作さんは、「漏尽智≠神通力」と桐山さんが説いたかのようなインチキを
主張するために他人は調べられないようにわざとこういうことをする。

668 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 13:06:32.83 ID:4T44s/Hx.net
>>659-660のアメブログを書いた人は決して専門の仏教学者ではないと思える。
しかし>>660の和訳文には彼の解釈による捏造は加えられない。
原文を読めば、解脱を縁由として尽智あり、とはっきりしているのです。

669 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 13:09:16.43 ID:dbMg9VUj.net
「しかし、漏尽通だけは仏教独特の
ものであって、仏教修行により、諸法の実相、すなわち、縁起や四諦の理法を如実に身につけ、さら
に仏教修行独特の心身錬磨の結果、はじめて得られる通力であるとされるのである。」
(『人間改造の原理と方法』157ページ)

このように桐山さんは漏尽通の説明をして、これが通力、つまり神通力で
あるとはっきり書いています。
また、この漏尽通の説明の最後のほうで次のように述べている。

「仏教修行者の目ざすところは、どこまでもこの漏尽智の獲得でなければならないのである」
(『人間改造の原理と方法』158ページ)

漏尽通の説明に漏尽智と書いています。
「漏尽通=漏尽智」なのだから、当たり前です。
つまり、桐山さんは漏尽智とは漏尽通という神通力であるとはっきり述べています。

つまり、ペテン大作さんの話は嘘です。
調べればすぐにばれるような嘘を書いた。
『人間改造の原理と方法』を引用すればすぐに嘘がばれるから、
旧『修行者座右宝鑑』という大半の人が持たないような文献を出して、
ばれないようにしたのです。
ペテン大作さんのこういうゴマカシの常習犯で、前も何度も学者本から引用して、
学者の主張と逆のことを書いて、自説の根拠にしていた。
私がその雑誌や本を持っていたから、彼の汚い手口を暴露した。
彼が現実世界でこれまでしてきた仕事ぶりを彷彿とさせる。

670 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/17(火) 13:14:52.86 ID:dbMg9VUj.net
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>自分は因縁解脱が出来ないから、腹いせに開祖に因縁をつけているのです。

私が因縁解脱できないから怒って因縁を付けた??
ペテン大作さんは因縁解脱ができたらしい。
何か一つでも因縁が切れたのか?
自己申告ではなく、桐山さんや開祖様から「ペテン君、チミの根性曲がりの因縁と
読解力壊滅の因縁は切れたよ」と公式にお墨付きをもらったことがあるかと
質問しているのです。
私の知るかぎり、そんな人は一人もいない。
因縁切りは阿含宗の最大のウリなはずなのに、ペテン大作さんのように
長年信者をして熱心に修行をしてきたはずの信者の因縁が一つも切れない!?
ペテン大作さんだけでなく、もっと行歴の長い宝生ソウカ大人も切れていない。

ペテン大作さんの目には、桐山ゲイカは因縁を切って因縁解脱した
ように見えるのでしょう。
因縁切りの総大将が、密教食事件で罰金二十万円の刑獄の因縁が出た。
完全な因縁切りを宣言した後でも、脳梗塞を何度も発症して、脳障害の因縁を出した。
さらには有余依涅槃の聖者、つまり阿羅漢を宣言した後でも付き合っていた元愛人から
裁判に訴えられて、色情の因縁を丸出し。
もっともペテン大作さんはE川さんが愛人などではなかったという
証拠を持っているが、それはここには示せないそうですね。
桐山ゲイカは生前、これだけ因縁丸出しをしても、ペテン大作さんの
目には桐山さんが因縁解脱した大聖者に見えるのだ!
ペテン大作さんは桐山さんの超能力開発法を実践して、視力がよくなったと言っていました。
それでも因縁丸出しの桐山さんが因縁解脱したと見えるのだから、
どんな因縁を持つと、そこまで視力が衰えてしまうのでしょう?

671 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 13:17:07.87 ID:4T44s/Hx.net
>>652 神も仏も名無しさん 2023/10/16(月) 23:38:48.46 ID:5srHZ9Vr
>自分の知識にのぼせやがってバカじゃないの?とか、ヤメ信者がまだ教団に未練があるんじゃないの? 可哀想そうに、なんて同情されるのが落ちです。

いや、自分の間違い、失敗に気付いたら、それを認めて反省して、単に悔いるだけでなく、
再度仏教も阿含宗も検証するのです。
あなたには絶対できない話です。

672 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 17:21:35.20 ID:Vw407XBs.net
>>671の続き
で、自分が間違った選択をしていたことに気付き、改める、再度振り返ってみる、
新たに勉強してみる、って、実は楽しい話なんよ。
それまでにない新たな世界が広がるわけだからね。
でもそれってとにかくそれまで抱えていたものを捨て去る、解き放つことによって得られる「喜び」なんよ。
この喜び理解できるかなあ?

673 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/17(火) 17:46:28.49 ID:Vw407XBs.net
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>自分は因縁解脱が出来ないから、腹いせに開祖に因縁をつけているのです。

んー、因縁と言えば、私はここのスレにも書いたように、今年の4月に慢性硬膜下血腫で、
頭蓋骨にドリルで穴を空けて管を通して血腫を除去して洗うドレナージ手術をしました。
私は中学の時に腰椎椎間板ヘルニアで整形外科の手術をしているから、肉体障害の因縁もあったことになる。
まあ軽い肉体障害の因縁になるのかな?
その後日本アルプスの登山にも明け暮れたしね。
だから今年脳神経外科の手術をしたということは脳障害の因縁もあったことになるね。
まあ軽い脳障害の因縁になるのかな?
4月21日に救急搬送されて緊急手術入院となり、はあ?と思ったが、9日間入院し
4月29日には退院し、5月1日には職場復帰したからね。
だからその後も順調に回復し、本当にドレナージ手術してよかったと感謝している。
もう入院中から幸福感がありましたね。本当の話。
まあ10%の確率で再発もあるとのことなんで、それも想定して現実を受け入れる心構えもできています。
だから今年は面白いなあと思っている。
私はもう何年も常に現在が楽しいと感じている。
2年前も楽しかったが昨年はもっと楽しかった。
昨年も楽しかったが今年はもっと楽しい。
4月の健康上のアクシデントを差し引かなくても楽しいと言うか、むしろそれを加えて楽しい。
常に幸福感に満ちている。
だから過去に戻りたいなんて思わない。今の方が楽しいから。
未来については期待もなければ不安もないという感じで、常に現在を楽しんで生きてます。
もちろん感謝しながら。
だから因縁って何よ?ってな感覚ですね。

674 :深山 :2023/10/17(火) 20:35:13.89 ID:dbMg9VUj.net
>>0668ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2023/10/17(火) 13:06:32.83ID:4T44s/Hx
>原文を読めば、解脱を縁由として尽智あり、とはっきりしているのです。

「比丘たちよ、それが滅尽したとき、滅尽した(と知る)智の因由によって生じる。
因由なしにではない。
では比丘たちよ、滅尽した(と知る)智の因由は何か。
それについては解脱であるというべきである。」
(『原始仏典U相応部経典二』春秋社、75ページ)

>>660の相応部の経典は、>>233で引用した↑この経典のことです。
↑これは専門家の訳で、ユビキタスさんが引用した訳も適切です。
この同じ経典の中で、少しに後に↓次の文言が二度でてきます。

「解脱を因由として滅尽した[と知る]智慧がある。」
(『原始仏典U相応部経典二』春秋社、77ページ、78ページ)

漏尽智の原因は解脱である、解脱が原因で漏尽智がある、
と釈尊は述べています。
この経典で、解脱したから漏尽智が生じたと、釈尊は三度も述べています。
子供でも「解脱→漏尽智」の順序であることがわかります。
釈尊がこのように述べているのですから、学者の説明も解説もいりません。
これをペテン大作さんには二年前も、昨年も何度も示し、今回も一カ月ほど前に示した。
ところがこれらをいくら示しても「根拠となる文献を示せなければ」(>>652)
なのだそうです。
釈尊本人の説明を根拠となる文献ではないと言われてもねえ??
彼には馬耳東風なのか、馬の耳に念仏なのか、豚に真珠なのか、
犬に論語なのか、兎に祭文なのか、ペテン大作に漏尽智なのか、
まったく効果がなく、今も「漏尽智→解脱」と吠えています。

675 :深山 :2023/10/17(火) 20:46:35.78 ID:dbMg9VUj.net
>>148, >169, >170
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ T』414頁)

この経典も何度も引用してペテン大作さんに示しました。
おそくても2011年には引用していますから、12年間、引用し続けています。
「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」というのだから、
釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
子供でもわかります。
ところがペテン大作さんは「漏尽智→解脱」だと主張して譲らない。
つまり、釈尊からの説明にも納得しない。
ペテン大作さんは釈尊よりもド偉い方らしい。
岩波仏教辞典を作った百人からの学者の説明も拒絶。
釈尊すらも否定するペテン大作さんは、桐山ゲイカとE川さんの次の意見に
深く感動し賛同しているのではないか。

「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れたなどという表現は非常に鋭いと思う。
私自身そう思っているが自分では言えない。」
(E川裁判に証拠として出された【御霊諭】平成元年5/4付)

桐山ゲイカこそが真打で、釈迦は前座にすぎないのだから、
釈迦がどう言おうが、桐山ゲイカが漏尽智で煩悩を切ると言えば、こっちが
正しい!とペテン大作さんは深く桐山ゲイカを信仰しているのです。
信者として桐山ゲイカ様に地獄の果てまで付いて行く覚悟をしている!
(ここで♪地獄のはてまで ついて行く♪という半世紀前の曲が流れる)
それなら、応供の如来様はペテン大作さんのその御祈願だけはかなえてくれるでしょう。

676 :ユビキタス :2023/10/17(火) 21:06:10.04 ID:Vw407XBs.net
おお、>>233でちゃんと示されてましたね。
読み落としたわけでもないが、同一と気付かなかったw

677 :ペテン大作 :2023/10/17(火) 21:09:26.29 ID:Vw407XBs.net
ええい、うるさい。
釈尊がどうした?
望月佛教大辞典が一番偉いんだい。
釈迦は望月大先生のお言葉に泥を塗るんじゃない!

678 :ユビキタス :2023/10/17(火) 22:16:59.95 ID:Vw407XBs.net
んでエルサレム桐山靖雄平和祈念堂の話はどうなった?
ペテン大作さんに訊いている。
最近道場にも例祭にも行かないから知らない、ならそれでよい。
まあ無理もないだろう。
あんな例祭行っても無意味だし。

679 :神も仏も名無しさん:2023/10/17(火) 22:18:09.96 ID:iAZTeclu.net
※漏尽智により解脱する

「定の修習により慧が得られ、定の深さに従って慧も多くなる。その慧により漏・煩悩が断除され、定と慧が繰り返し修習されることにより、漏・煩悩が完全に断除され、その結果として解脱と解脱智見が得られる。」

(『ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道』ターナーヴットー ビック、10頁)

定が深まるにつれて慧が多くなり、その慧によって漏・煩悩が断除される。
定と慧が繰り返し修されることで漏・煩悩が完全に断除されて、解脱と解脱智見が得られるというわけです。
慧(知慧)によって解脱が得られることは釈尊自身が語っています。

「戒律とともに修養された精神統一は大きな果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された知慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」
(『ブッダ最後の旅ー大パリニッバーナ経』中村元訳、岩波文庫、25頁)

漏尽智も慧だから「漏尽智によって解脱が得られる」と言えます。
これは望月仏教大辞典の
「漏盡智とは、謂はく此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、及び諸漏の盡なり。」
(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)
という説明と一致します。

定の次の段階である慧によって漏・煩悩が断除されるのだから
「心が安定し・・・」(定の部分)は解脱であるわけがない。
深山大先生や指金玉スがいかにデタラメなことを言ってるか、読者の皆さんにも分かるでしょう。
彼等は解脱のプロセスを全く理解していないのです。
解脱を理解していないのだから仏教を理解していないことになる。
偉そうに仏教を語っていても、彼等は仏教の素人です。

680 :ユビキタス :2023/10/17(火) 22:40:14.30 ID:Vw407XBs.net
>>679 神も仏も名無しさん 2023/10/17(火) 22:18:09.96 ID:iAZTeclu
>※漏尽智により解脱する
>「定の修習により慧が得られ、定の深さに従って慧も多くなる。その慧により漏・煩悩が断除され、定と慧が繰り返し修習されることにより、漏・煩悩が完全に断除され、その結果として解脱と解脱智見が得られる。」
>(『ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道』ターナーヴットー ビック、10頁)

いや、その定とともにくり返し修習される慧というのは漏尽智の智慧ではないよ。
ひょっとして智慧って漏尽智しかないと思ってない。
だとすると仏教のど素人はおめーの方だよ。
ビックだってその論文で有漏の慧と無漏の慧と分けている。
解脱してない修行者が取り組むのが有漏の定・慧だ。
そして解脱を果たした者が得る智慧がその論文にもある解脱智見だよ。
漏尽智とは解脱智見のことです。
「漏・煩悩が完全に断除され、その結果として得られる解脱と解脱智見」の解脱智見が漏尽智慧そのものです。
はい、即レスw

681 :ユビキタス :2023/10/17(火) 22:53:16.77 ID:Vw407XBs.net
智慧とは観察ね。
有漏の自分を観察するのも智慧ならば、無漏(解脱した)自分を観察するのも智慧で、
無漏の智慧を漏尽智という。

682 :神も仏も名無しさん:2023/10/17(火) 22:56:50.64 ID:iAZTeclu.net
>>675
>「解脱しおわったときに、解脱したという智
>がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べ
>ている。

違いますよ。
今更そんな誤魔化しはやめなさい。
漏尽智は大先生の指摘した部分より前から始まっている。
漏尽智はこの部分です。

「諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。
われがかくのごとく知り、かくのごとく見たときに、心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱し終わったときに、「解脱した」という智が起こった」

四諦は漏尽智の内容だから
”そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。”
も漏尽智です。
従って「解脱→漏尽智」ではなく
「漏尽智→解脱」になります。
残念でした。

683 :神も仏も名無しさん:2023/10/17(火) 23:04:33.37 ID:iAZTeclu.net
>>680
>漏尽智とは解脱智見のことです。

だから違うんだって。

「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

四諦から始まっているのだ。
分かったかい、僕ちゃん?

684 :ユビキタス :2023/10/17(火) 23:17:56.98 ID:Vw407XBs.net
>>682 神も仏も名無しさん 2023/10/17(火) 22:56:50.64 ID:iAZTeclu
>「諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
>そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。
>われがかくのごとく知り、かくのごとく見たときに、心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
>解脱し終わったときに、「解脱した」という智が起こった」

>四諦は漏尽智の内容だから
”そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。”
>も漏尽智です。
>従って「解脱→漏尽智」ではなく
>「漏尽智→解脱」になります。

これだから四諦という単語しか覚えてない暗記くんは仏教のど素人だから困る。
四諦の内容とは道諦たる八正道こそが重要で、それは実践を伴う。
瞑想のお時間だけでなく日常生活の四六時中の実践が必要なんです。
漏尽智に心を向けるとは四諦の真理を観察するということです。
実践ではなく、今ありのままを観察するのです。
四諦の真理で観察してみたら、心はあらゆる汚れから解脱したことが確認された。
そこで「解脱した」という智が起こった。これが漏尽智です。
漏尽智に心を向けるとはこの四諦の観察を試みただけです。
心が汚れて解脱していなければ、解脱したと知ることはできない。漏尽智は得られない。
解脱したと確認できたのは、修行当初から八正道の実践を継続していたからこそ得られた成果です。
今から八正道を実践する話ではない。

685 :ユビキタス :2023/10/17(火) 23:22:38.66 ID:Vw407XBs.net
パーリ相応部縁由経の
解脱を縁由として尽智あり
は無視か?
どうして尽智を縁由として解脱あり
ではないのか?
無視か?w

686 :ユビキタス :2023/10/17(火) 23:28:04.13 ID:Vw407XBs.net
四諦の八正道の実践は仏教入門時から既に始まっている。
だから四諦の実践を漏尽智に含めるのならば、まだシュダオンにもなっていない初心者が
漏尽智に心を向けてひたすら年月をかけて修行するということになる。
漏尽智という言葉を使う時、漏尽智にはそんな話はありません。

687 :ユビキタス :2023/10/17(火) 23:31:29.87 ID:Vw407XBs.net
ペテン大作さん。あなたの主張を支持する人を集めてくださいなw
あなた独りで虚勢を張っても見苦しいだけですよ。
オーディエンスを納得させたつもりでいるのですか?w
なあに、5ちゃんねるにはありがちの自作自演をすればいいのですよw

688 :神も仏も名無しさん:2023/10/17(火) 23:39:39.97 ID:iAZTeclu.net
>>665
>ただ一人、ペテン大作さんは「漏尽智≠漏尽
>通」という珍説を唱えている。

いや、大先生と違ってそんな尊大なことはしない。
ちゃんと出所があるのだ。

「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

これなんか、漏尽通の中に漏尽智が含まれるみたいだ。

689 :ユビキタス :2023/10/17(火) 23:47:23.04 ID:Vw407XBs.net
>>688 神も仏も名無しさん 2023/10/17(火) 23:39:39.97 ID:iAZTeclu
>「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
>(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)
>これなんか、漏尽通の中に漏尽智が含まれるみたいだ。

それって単なる自分の先入観から抜け出せないだけと考えないか?
普通は漏尽通と漏尽智を並べて書いたら、これは同じことではないかともカンガエル。
漏尽通の中に漏尽智が含まれるというのならば、じゃあ漏尽智以外の神通はどういうものであるのか
説明されて然るべきではないか?と考えないか?
だからあなたは単語だけ並べられればそれで満足してしまう暗記教育の被害者です。
しかし普通の人は暗記教育も受けながら、その上を目指す。

690 :神も仏も名無しさん:2023/10/18(水) 00:23:51.55 ID:o+HhmVPg.net
>>684
>四諦の内容とは道諦たる八正道こそが重要
>で、それは実践を伴う。
>瞑想のお時間だけでなく日常生活の四六時中
>の実践が必要なんです。
>漏尽智に心を向けるとは四諦の真理を観察す
>るということです。
>実践ではなく、今ありのままを観察するので
>す。

漏尽智は如実智見の別名の修行法ではないかと
ビック氏は述べている。
(『ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道』ターナーヴットー ビック、9頁より)

如実智見だから八正道だ。
漏尽智も八正道と同じ修行をやっているわけだ。
指金玉スや大先生は八正道こそが修行法で
三学は修行法ではないという先入観がある。
漏尽智の解釈を見ているとそれが良く分かる。
両名とも還暦をとうに過ぎた年齢で、
今更先入観を捨てろと言っても無駄だから
好きにしてろという話だがね。

691 :神も仏も名無しさん:2023/10/18(水) 00:36:07.03 ID:o+HhmVPg.net
まあこういうバカな話をしていられるのも
平和だからだが、日本もそろそろ危なくなってきたようだ。
そうなるとやはり阿含宗か。

692 :ユビキタス :2023/10/18(水) 01:27:00.59 ID:j97m+f+3.net
>>690 神も仏も名無しさん 2023/10/18(水) 00:23:51.55 ID:o+HhmVPg
>如実智見だから八正道だ。
>漏尽智も八正道と同じ修行をやっているわけだ。

また単語の意味もわからんと書いている。
如実智見って意味わかる?
如実に、ありのままに知るということだ。
知見だから見て観察して知るだけだ。
八正道って見るだけ?知るだけ?
違うだろ?
だから同じ四諦でも、これは修行当初から継続している四諦八正道の実践ではなく
四諦の真理に照らし合わせての観察だけだよ。
となると、漏尽智=四諦八正道を実践する話ではないことが如実に(笑)わかる。

>指金玉スや大先生は八正道こそが修行法で
三学は修行法ではないという先入観がある。

はい、また単語しか知らない問題w
三学とは戒定慧のことだ。
もちろん修行実践のことです。
しかし戒定慧の内容は全て八正道に収まる。
あるいは八正道の実践とは戒定慧の実践そのものだ。
三学系統の経典とその論文でも書いているでしょ?
これは三学系統の修行法とそれとは別の八正道という系統の修行法が別々にあるということではない。
経典により視点を変えて表現してるだけで実は両者の内容は同じなんです。
だからこれは修行実践をこれからやる話ではなく、修行実践をここまでやってきた成果を観察して
如実にその真理が正しいことを知る話です。
すなわち解脱知見です。
如実にありのままに己と真理を照らし合わせて観察したは解脱したと知る話です。

>両名とも還暦をとうに過ぎた年齢で、
>今更先入観を捨てろと言っても無駄だから
好きにしてろという話だがね。

いや、お宅だって50代ということもあるまいに。
自分の年齢書いてみ。

693 :ユビキタス :2023/10/18(水) 08:17:36.91 ID:j97m+f+3.net
「八正道」
①正見(正しい見解) ②正思惟(正しい決意) ③正語(正しい言葉) ④正業(正しい行為) ⑤正命 (正しい生活) ⑥正精進(正しい努力) ⑦正念(正しい思念) ⑧正定(正しい瞑想)の修行のことである。


如実智見は如実にこれを知るということで、上記の行為をこれから行うという話ではない。

694 :ユビキタス :2023/10/18(水) 08:22:03.62 ID:j97m+f+3.net
「八正道」
正しい見解が行われ、正しい決意が行われ、正しい言葉が行われ、正しい行為が行われ、
正しい生活が行われ、正しい努力が行われ、正しい思念が行われ、正しい瞑想が行われた
ことを如実に知ったということは、過去形、現在進行形の話で、これからこれらの修行をして解脱するぞ、
という話ではない。

695 :深山 :2023/10/18(水) 12:14:54.01 ID:tgQVmglM.net
*また自説を使って自説の証明を始める知性

>>0679神も仏も名無しさん2023/10/17(火) 22:18:09.96ID:iAZTeclu
>漏尽智も慧だから「漏尽智によって解脱が得られる」と言えます。

読者の皆さん、ペテン大作さんのゴマカシの瞬間をごらんください。
彼が引用した学者の解説と阿含経に書いてあるのは、
戒定慧によって解脱するという普通の話です。
ただの一言も漏尽智のことは出てこない。
ところが、唐突に、「慧=漏尽智」とすり替えた。↑

戒定慧の慧が漏尽智であるというのは彼の自説にすぎない。
その自説を証明しなければならない時に、その自説を根拠にして
自説を主張してきた。
毎回、この子供じみたすり替え、インチキ、ゴマカシ、嘘です。
というか、彼の知性では自説を根拠にして自説を証明することが
間違いだと理解できないのです。
繰り返しますが、彼の引用した学者の説明も釈尊の言葉にも
漏尽智など一言も出てきません。
戒定慧の慧の話をしているだけです。
戒定慧の慧には漏尽智という意味はありません。
そういう意味があるという証拠も証明も彼はしていません。

696 :深山 :2023/10/18(水) 12:21:42.84 ID:tgQVmglM.net
>>0682神も仏も名無しさん2023/10/17(火) 22:56:50.64ID:iAZTeclu
>漏尽智は大先生の指摘した部分より前から始まっている。

読者の皆さんはこのペテン大作さんの説明を読み飛ばさないで
丁寧に、元の阿含経から読み直してださい。
彼の知性がよく現れている。

「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ T』414頁) (>>675)

ペテン大作さんによれば、この文章前半「われがこのように・・・」で漏尽智が
始まっているというのです。
だが、前半は解脱の説明で、どこにも漏尽智とはありません。
漏尽智が出てくるのは「解脱したという智」だけです。
前半で解脱の説明があり、後半に漏尽智の説明がある。
「解脱→漏尽智」で、中学生ならそのくらいことは読めます。
だが、彼の読解力では前半も漏尽智だというのです。
ただひたすら彼は決めつけを並べているだけで、証拠はどこにもない。

ペテン大作さんは、釈尊が解脱の説明をしているにもかかわらず、
それを漏尽智の説明だと強弁している。
釈尊は解脱を漏尽智だと説明していないにもかかわらず、
彼はそれを漏尽智だと決めつけている。
彼の読み方は一事が万事この有様で、先に自分の結論があり、
説法も学者説も、彼の結論に合わせて勝手解釈を加える。
この彼の中学校以降の成績が良かったと思いますか?
小学校までなら丸暗記でも通用するだろうが、
中学ではそれだけでは難しく、高校では無理です。

697 :深山 :2023/10/18(水) 12:27:50.69 ID:tgQVmglM.net
>>0688神も仏も名無しさん2023/10/17(火) 23:39:39.97ID:iAZTeclu
「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)
>これなんか、漏尽通の中に漏尽智が含まれるみたいだ。

ペテン大作説「漏尽智≠漏尽通」の根拠がこれだけという。
望月氏は、漏尽智を、三明として説明した時と、神通力として説明した時の
違いを述べているだけです。
山田一郎さんを山田さん(漏尽智)と言うか、一朗さん(漏尽通)というかの
違いだけで、両者は同一の人物です。
ところが、ペテン大作さんによれば、別人物だそうです。
こういう解釈を堂々と並べる彼に、読者の皆さん、彼の知性を疑いませんか。

解釈をどう並べようが彼の勝手だが、スレと関係のない自分教を出すなと
言っているのです。
仏教では「漏尽智=漏尽通」で、しかも、これは阿含宗も同じです。
「漏尽智=漏尽通」は批判側と阿含宗側で一致しているから、
ここでは議論の対象ではない。
彼の「漏尽智≠漏尽通」の根拠を聞きたいのではない。
スレ違いな主張を出すなと言っているのです。
だが、どこ吹く風、馬耳東風で、また出した。
十数年前まではスレ違いを指摘されると彼も出さなくなったが、
そういう自制心すらも失われているのは彼の脳の老化を示しています。

698 :深山 :2023/10/18(水) 12:34:26.34 ID:tgQVmglM.net
*三学と八正道が同じだと理解できないペテン大作さん

>>0690神も仏も名無しさん2023/10/18(水) 00:23:51.55ID:o+HhmVPg
>指金玉スや大先生は八正道こそが修行法で
>三学は修行法ではないという先入観がある。

私やユビキタスさんが三学が修行法でないなど書いたことはありません。
それ以上にあきれるのが、彼は三学(戒定慧)と八正道が
別物だと信じ込んでいる点です。
これは仏教を議論する者としては相当に恥ずかしい。
私やユビキタスさんがこれまで何度も説明してきたことなのに
こんなことも理解できないのだ!?

>>692でユビキタスさんが反論しているように、戒定慧は八正道です。
こんなこともペテン大作さんは知らないというか、彼の頭では理解できない。
彼には、戒定慧は戒定慧であり、八正道は八正道で、言葉も内容も違うから、
両者が同じことなのだと説明されても理解できない。
彼の頭では点や線しか理解できず、面や立体は理解できないと指摘しました。
これが悪口でない証拠が↑これで、彼は三学と八正道が同じことだと理解できないのです。
もし、理解していたら、八正道が修行法だという批判側の指摘は、
戒定慧が修行法だと言っているのと同じだと理解したはずです。
だが、↑彼の文章を読めば、両者を別物だと思い込んでいるのがわかります。
先入観などと批判側を非難つもりで、彼自身の無知と理解力の低さをさらした。
普通の人なら恥じるが、彼は深山への憎しみと復讐心以外は何も感じない。

699 :深山 :2023/10/18(水) 12:41:17.61 ID:tgQVmglM.net
>>0690神も仏も名無しさん2023/10/18(水) 00:23:51.55ID:o+HhmVPg
>指金玉スや大先生は八正道こそが修行法で
>三学は修行法ではないという先入観がある。

ペテン大作さんは三学と八正道が同じだとわからなかった。
そして、自分の無知を棚に上げて、批判側が間違っていると決めつけた。
私やユビキタスさんから説明しても、今この瞬間も彼はまだ理解できません。
三学と八正道が同じなのは、仏教の常識、基本中の基本です。
戒定慧と、正見や正思惟などがどうして同一なのか彼の頭では理解できない。
こんなこともわからずに仏教の解釈を並べているのがペテン大作さんです。
ここで信者さんたちに彼の主張を参考にしてほしいのです。

釈尊が同じ内容を切り口を変えて説法すると、ペテン大作さんはそれを
別な話だと受け取った。
山田さんと太郎さんは同一人物なのに、別人物だと信じ込んでいる。
これはどこかで見た光景だと思いませんか。
>>230で説明した応説経の煩悩の話です。
釈尊は煩悩を「結・縛・使・煩悩・纏」と表現した。
これは煩悩を五回繰り返して強調しただけです。
ところが、ペテン大作さんは五つの違うことを説いたと解釈したようなものです。
ペテン大作さんはどうでもいい。
信者さんたちに、釈尊が応説経で同じように、何度も繰り返すことで
強調している部分を探してほしい。
煩悩以外にも釈尊がもう一つ、同じパターンで強調している部分があります。

700 :深山 :2023/10/18(水) 12:48:16.42 ID:tgQVmglM.net
「それは、いわゆる四念処法(四念処観)・四正勤法(四正断法)・四如意足法(四神足法)・五根
法・五力法・七覚支法・八正道を修行していないのです」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、67ページ)

応説経で釈尊が繰り返し強調しているが↑これです。
原文では、これが四回繰り返されています。
四回も繰り返されるのだから、明らかに重要な事柄です。
それを桐山さんは「七科三十七道品」と名付けた。
これは桐山さんの命名であって、仏教では三十七道品と言います。
「七つあるのだから、七科でいいのではないか」と思いましたか?
それなら、煩悩の「結・縛・使・煩悩・纏」を思い出してください。
煩悩は一つのことを五回繰り返したのに、その同じようなパターンで
説いている三十七道品は七つの違うこと、七科目を述べているのですか?

釈尊の説法のパターンから言っても、その解釈はおかしい。
煩悩を五回繰り返したように、釈尊は一つの修行法を七回繰り返したのです。
(信者さんたちに合わせて修行法という表現をします。)
七科目の修行法を並べたのではなく、一科目の修行法を
表現や切り口を変えて、七回繰り返したのです。
煩悩は重要だから五回繰り返し、煩悩を切る修行法は最も重要だから、
七回繰り返した。
そのように見れば、経典の中に4回三十七道品は出てくるのだから、
実は七回ではなく、7×4=28回繰り返したのです。
これを理解した上で、次の文章を見てください。

701 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/18(水) 12:55:39.97 ID:tgQVmglM.net
「・・・わたくしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、
「七科三十七道品」です。」(仏陀の真実の教えを説く[上]、68ページ)

桐山さんは、七回繰り返したのではなく、七科目の修行法だと述べている。
釈尊の説法の仕方を見ても、煩悩を5回繰り返して強調したように、
一つの修行法を7の別な表現をして、合計28回繰り返すことで強調したのです。
本当に七科目の修行法なら、七道品とでも名付けたはずです。
アビダルマ仏教の僧侶たちは同じ内容だと知っていたら、三十七道品と名前を付けた。
三十七道品という命名は釈尊ではなく、後のアビダルマ仏教が付けたことは
学者たちも認めています。

三十七道品の八正道こそがその修行法です。
それを念処、正勤・・・と切り口を変えて七回繰り返しただけです。
ちょうど煩悩を「結・縛・使・煩悩・纏」と繰り返したのと同じです。

そこで信者さんたちに考えてほしい。
八正道を繰り返しただけなのに、桐山さんはこれを七つの違う内容だと解説した。
しかも、その内の三科目を習得して解脱したと宣言した!?
いくらなんでも変だと思いませんか。
最初、七科目だと誤解しても、実際に体得したら、同じだと気が付くはずです。
だが、桐山さんは死ぬまで、七科目は別々な修行法だと主張した・・・。

702 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/18(水) 13:03:47.90 ID:tgQVmglM.net
「八正道だけでは完全には解脱できない。」
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

桐山さんは四念処、七覚支、四神足で解脱したという。
また五根や五力は「智慧の低い初歩の者」のためのオシエにすぎないと書いている。
まるで、山田さんは天才だが、一朗さんは平凡だと言っているようです。
だが、山田一郎さんは同じ人です。

四念処、四神足、五根など、すべて同じ内容で、それは八正道です。
ところが、こんな基本的なことも桐山さんは理解できずに、
しかも、自らはこれを修行して成仏力を得たと自称した。

ペテン大作さんとそっくりだと気が付きませんか。
漏尽智と漏尽通と並べられると、同じだと理解できず、
戒定慧と八正道を並べられると、同じだと説明されても理解できない。
彼らの勝手解釈の決めつけを強引に経典や学者説にあてはめる。
二人とも慢心は天井知らずで、ろくに仏教を理解できないのに、
さも何か体得したかのように説教を始める。

桐山さんとペテン大作さんは知性が同レベルだったということです。
ペテン大作さんは釈尊本人から、「解脱→漏尽智」と説明されても、
理解もできなければ、受け入れることもない。
ちょうど桐山さんが死ぬまで因縁解脱が解脱だと言い続けたのと同じです。
桐山さんを信仰するのは自由だが、ペテン大作さんと同じ程度の
理解力の低い知性を仏陀の智慧として尊崇していることになる。

703 :現信:2023/10/18(水) 14:39:07.29 ID:eyOxSPZ+.net
おい、俺の書き込みどこいった?AV女優のとか。
合掌つけるの忘れてる。合掌。

704 :神も仏も名無しさん:2023/10/18(水) 22:16:05.37 ID:ALTTK3LU.net
※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた(素晴らしいオウンゴール!!)

>>675
>>148, >169, >170
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ ?』414頁)

この経典も何度も引用してペテン大作さんに示しました。
おそくても2011年には引用していますから、12年間、引用し続けています。
「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」というのだから、
釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
子供でもわかります。
↓↓↓

読者の皆さんは、深山さんの上のレスを記憶に留めてください。
私は一晩経ってこのレスを見直して驚いた。
彼はこの中で爆弾発言をしている。

>「解脱しおわったときに、解脱したという
>智がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。

>解脱しおわったときに、というのは、
その前にある
「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
を指します。
続いて
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
というのだから「解脱→漏尽智」の解脱とは
「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
の部分を指していることになる。
何と深山さんは、この部分を解脱だと認めたのです。
この部分が解脱なら
「かくのごとく心が統一され、・・・」
は解脱ではないことになります。
これで今までの彼の主張は全てひっくり返ります。
彼は15年間も嘘を書き続けてきたことを認めたのです。
素晴らしいオウンゴールを決めた彼を皆で称賛しましょう。

705 :神も仏も名無しさん:2023/10/18(水) 22:19:05.75 ID:ALTTK3LU.net
※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた(素晴らしいオウンゴール!!)

>>675
>>148, >169, >170
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ ?』414頁)

この経典も何度も引用してペテン大作さんに示しました。
おそくても2011年には引用していますから、12年間、引用し続けています。
「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」というのだから、
釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
子供でもわかります。
↓↓↓

読者の皆さんは、深山さんの上のレスを記憶に留めてください。
私は一晩経ってこのレスを見直して驚いた。
彼はこの中で爆弾発言をしている。

>「解脱しおわったときに、解脱したという
>智がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。

>解脱しおわったときに、というのは、
その前にある
「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
を指します。
続いて
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
というのだから「解脱→漏尽智」の解脱とは
「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
の部分を指していることになる。
何と深山さんは、この部分を解脱だと認めたのです。
この部分が解脱なら
「かくのごとく心が統一され、・・・」
は解脱ではないことになります。
これで今までの彼の主張は全てひっくり返ります。
彼は15年間も嘘を書き続けてきたことを認めたのです。
素晴らしいオウンゴールを決めた彼を皆で称賛しましょう。

706 :神も仏も名無しさん:2023/10/18(水) 22:21:41.21 ID:ALTTK3LU.net
※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた(素晴らしいオウンゴール!!)

>>675
>>148, >169, >170
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ ?』414頁)

この経典も何度も引用してペテン大作さんに示しました。
おそくても2011年には引用していますから、12年間、引用し続けています。
「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」というのだから、
釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
子供でもわかります。
↓↓↓

読者の皆さんは、深山さんの上のレスを記憶に留めてください。
私は一晩経ってこのレスを見直して驚いた。
彼はこの中で爆弾発言をしている。

>「解脱しおわったときに、解脱したという
>智がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。

>解脱しおわったときに、というのは、
その前にある
「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
を指します。
続いて
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
というのだから「解脱→漏尽智」の解脱とは
「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
の部分を指していることになる。
何と深山さんは、この部分を解脱だと認めたのです。
この部分が解脱なら
「かくのごとく心が統一され、・・・」
は解脱ではないことになります。
これで今までの彼の主張は全てひっくり返ります。
彼は15年間も嘘を書き続けてきたことを認めたのです。
素晴らしいオウンゴールを決めた彼を皆で称賛しましょう。

707 :神も仏も名無しさん:2023/10/18(水) 22:25:04.61 ID:ALTTK3LU.net
※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた(素晴らしいオウンゴール!!)

>>675
>>148, >169, >170
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ ?』414頁)

この経典も何度も引用してペテン大作さんに示しました。
おそくても2011年には引用していますから、12年間、引用し続けています。
「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」というのだから、
釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
子供でもわかります。
↓↓↓

読者の皆さんは、深山さんの上のレスを記憶に留めてください。
私は一晩経ってこのレスを見直して驚いた。
彼はこの中で爆弾発言をしている。

708 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 00:27:50.84 ID:RgumYzPK.net
※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた
(素晴らしいオウンゴール!!!)

>>675
>148, >169, >170
「われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」
(『ゴータマ・ブッダ ?』414頁)

この経典も何度も引用してペテン大作さんに示しました。
おそくても2011年には引用していますから、12年間、引用し続けています。
「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」というのだから、
釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。
子供でもわかります。
↓↓↓

読者の皆さんは、深山さんの上のレスを記憶に留めてください。
彼はこの中で爆弾発言をしているのです。

709 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 00:30:53.90 ID:RgumYzPK.net
※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた
(素晴らしいオウンゴール!!!)

>「解脱しおわったときに、解脱したという
>智がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。
「解脱しおわったときに」の解脱とは、
その前にある「心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
のことです。

>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。
「解脱→漏尽智」の解脱とは
「心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」のことを指します。
深山さんは「釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている」と主張するのだから、
「解脱→漏尽智」の解脱とは
「心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」のことだと認めたことになります。
彼はついに、釈尊が解脱したのは
「心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
であることを認めたのです。
そしてここで釈尊が解脱するなら
「かくのごとく心が統一され、・・・」
は解脱ではないことになります。
深山説は
「かくのごとく心が統一され、・・・」
が解脱であることが絶対条件です。
もしこれが解脱でなくなると、彼の主張は全てひっくり返ります。
彼は
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。
と書いたことで、自分は15年間、嘘を書き続けてきたことを自ら証明したのです。
こんな見事なオウンゴールは滅多に見られません。
彼を皆で称賛しようではありませんか。
大先生バンザイ!!!

710 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 00:34:21.07 ID:RgumYzPK.net
スマホの調子が悪くてスミマセン

711 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 00:38:30.49 ID:V0TaMuZG.net
阿含宗の信者には、こんな哀れな人間がいるんですね。

712 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 00:46:41.44 ID:V0TaMuZG.net
病んだ心以上にその低い頭脳がおぞましい。

713 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 00:47:03.84 ID:RgumYzPK.net
704×
705×
706×
707×
708×
709◯

714 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 00:51:34.07 ID:RgumYzPK.net
目を真っ赤にして変な熟語を並べて
訳の分からんことをつぶやく64歳

715 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 00:53:16.17 ID:V0TaMuZG.net
しかし頭脳の問題はさておき、やはり病んだ心が問題だ。
スレを離れて、一度診てもらった方がいい。

716 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 00:54:16.67 ID:V0TaMuZG.net
いい年を超えて人間ここまで醜態をさらせるものか?

717 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 00:54:38.32 ID:RgumYzPK.net
訂正
704×
705×
706×
707×
708◯
709◯

718 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 01:00:24.26 ID:V0TaMuZG.net
現代において精神科医に話を聞いてもらうことは恥ではない。
宗教よりも全然よい。

719 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 01:23:56.85 ID:RgumYzPK.net
レスの中身がショックだったのだろう。
キチガイバカでは負けています。
昔は擁護側に相手を罵るのが多かったが
今は批判側に多くなった。
悪いことをしてるからな。

720 :ユビキタス :2023/10/19(木) 06:21:13.30 ID:V0TaMuZG.net
罵りではなく、スレを離れた個人的なアドバイスです。
医者に行かなくていいから少し冷静になった方がよい。

721 :ユビキタス :2023/10/19(木) 06:28:42.42 ID:V0TaMuZG.net
よって私としては>>708だの>>709にレスしないことにする。
即答で反論できるが呆れたので敢えてしない。
もちろん反論できないだの逃げただのそちらが吠えるのはそちらの勝手です。
吠えても何も癒やされないだろうが。

722 :深山 :2023/10/19(木) 12:13:02.03 ID:K9cZ7ZJF.net
>>0708神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 00:27:50.84ID:RgumYzPK
>※大先生は15年間の主張は嘘だったと認めた
>(素晴らしいオウンゴール!!!)

ずいぶん長いレスだと思ったら、全部、同じ書き込みです。
ペテン大作さんを弁護すると、彼の脳が老化したから、書き込んだ直後に
書き込んだことを忘れたのではありません。
5ちゃんねるの書き込みに時間がかかるので、勘違いしたのでしょう。
問題はそちらではなく、内容です。

読者の皆さんは一読で、ペテン大作さんの反論の主旨がわかりましたか?
彼のいうオウンゴールが何を指しているのか、深山の主張のどこに矛盾を
見つけて、大喜びしているのか、わかるかという質問です。
大半の方は一読しても意味がわからないでしょう。
昔からそうで、彼と正面から議論していた頃、私はわざわざ読者のために、
議論の流れと、彼が何を一人吠えているのか解説してあげた。
そうしないと、今回がそうであるように、彼は一人で激しく盛り上がって
勝利宣言をするばかりで、肝心要な彼の主張の解説はほんの少しなのです。
まるで、子供が母親に「アレ!」としか言わずに、ぐずっているような光景です。

勝利する前に勝利宣言をするのだけでもやめてはどうかと何度彼に
助言しても、彼にとっては麻薬なので止められない。
その結果、今回もそうであるように、舞台の上に小躍りしながら
勝利宣言を叫んで出てきて、自分で思いっきりコケル。
彼のあまりの愚かさに最初は失笑しても、彼が自分で投げた石に当たり
血だらけになってもまだ高笑いしながら、勝利を叫んでいるような光景に、
現実世界でも誰も相手にしなくなるから、彼は常に勝利してきた。

723 :深山 :2023/10/19(木) 12:23:13.06 ID:K9cZ7ZJF.net
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動となったときに、もろもろの汚れを滅する智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの[一切は]苦であると如実に知った。
(深山註、ここに四諦の洞察が入る)
われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、414頁)

ペテン大作さんが勝利を宣言したのはこの沙門果経での釈尊の説法です。
彼がここから「漏尽智で煩悩を切る」という文言を見つけたというなら、
意味もあるだろうが、もちろん、どこにもありません。
四諦の洞察を挟んで、前半は解脱して漏尽智に心を向けたとあるのだから、
「解脱→漏尽智」です。

次に漏尽智である四諦の洞察をして、その結果として後半で解脱を確認したから、
「解脱したという智」、つまり漏尽智がおこったという同じ説明ですから、
ここでも「解脱→漏尽智」です。
前半は、解脱して漏尽智に心を向け、四諦の洞察をして、後半は
それによって解脱を確認したとあるだけで、別々の話をしているのではありません。
私のこの解釈は一貫しており、なんら矛盾などありません。
上記の経典は、解脱した後、漏尽智で解脱を確認したという意味です。
つまり、桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘です。
これに対して、彼は次のような反論をして、私の主張が自爆していると述べた。

724 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 12:26:13.60 ID:FRA8JF4p.net
※深山説は方針転換しても「漏尽智→解脱」です

>>675
>「解脱しおわったときに、解脱したという智
>がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述
>べている。

今までは「心が統一され、・・・確立し不動」までが解脱であると力説していたのが、今度は、
「われがかくのごとく知り、・・・心は無明の汚れから解脱した」までが解脱であると、急に方針転換したようですが「漏尽智→解脱」であることに変わりません。

「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁、「三明」)

辞典の説明にあるように、漏尽智は「解脱したという智」だけでなく「四諦認識で解脱すること」も含むので
「そこでこの(一切は)苦であると如実に知った」から
「解脱したという智」までが漏尽智です。
従って「解脱→漏尽智」ではなく「漏尽智→解脱」になります。
残念でしたね。

725 :深山 :2023/10/19(木) 12:33:25.49 ID:K9cZ7ZJF.net
>>0709神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 00:30:53.90ID:RgumYzPK
>「心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。」
>であることを認めたのです。
>そしてここで釈尊が解脱するなら
>「かくのごとく心が統一され、・・・」
>は解脱ではないことになります。

彼の主張を解説すると、「(漏尽智)に心を向けた」という文章の後の
「心は欲の・・・」を私が解脱と認めたのだから、
「漏尽智→解脱」と私が認めたのと同じだというのです。
私は失笑よりも、彼の知性に、むしろ哀れを感じました。
文章の解釈は一文だけでなく、全体としてどう理解するかです。
723に引用した経典全体の解釈を私は前提としています。
彼のように単語一つ、文章一つで解釈しているのではありません。

私の主張は最初に「心が統一・・不動」は解脱だと言っているのです。
当然、それ以降も、すべて解脱した後の話です。
これを前提として私は書いている。
今回も何度も何度も、「心が統一・・・不動」は解脱であると
繰り返し書いていることは読者の皆さんも記憶しているでしょう。
723は一つの経典なのだから、それを前提とするなんて当たり前です。
だが、彼は読解力がないのか、強烈な悪意なのか、たぶん両方で、
私の前提を無視した。
彼のこういう小汚い手法は今に始まったことではないので驚きません。

726 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/19(木) 12:41:05.96 ID:K9cZ7ZJF.net
「A 心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動となったときに、もろもろの汚れを滅する智(漏尽智)に心を向けた。
(四諦の洞察)
B われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」

読者の皆さんは、ペテン大作さんが何に因縁を付けているか理解できるでしょう。
私はBだけを引用したのを幸いに、彼はAの文章を無視した。
AとBは連続した一連の文章ですから、Aを前提としてBが成り立っているのです。
私は当たり前だが、>148, >169, >170などの引用はすべてAを前提として書いている。
Aでは「汚れなく」とあります。
汚れがないとは煩悩がない、つまり解脱です。
新しい訳では
「心に付随する小さな煩悩をも離れ」(『原始仏典1 長部経典?』春秋社、105〜106頁)
とありますから、煩悩からの解放、つまり解脱です。
Aでは解脱した後に漏尽智に心を向けたとあります。

つまり「解脱→漏尽智」です。
文章はこのまま続きますから、A以降は、解脱した後の四諦の洞察と
漏尽智に心を向けた時のBの説明です。
実際、Bは四諦の洞察で「このように」解脱したことを確認したとあります。
解脱したのだから「解脱したという」漏尽智が起きたと述べているのです。
AとBは、解脱して、次に漏尽智に心を向けて四諦の洞察をして、
その結果、煩悩をすべて切ったと確認したから漏尽智が起きた、というそれだけです。
漏尽智で煩悩を切り解脱したなどとはどこにもありません。
こういう私の説明のどこがオウンゴールなのだ?

727 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/19(木) 12:49:18.29 ID:K9cZ7ZJF.net
*ペテン大作自説「漏尽智≠漏尽通」のオウンゴール

ペテン大作説では>>726のAはまだ解脱しておらず、漏尽智でBで解脱し
漏尽通で解脱を確認したというのがペテン大作さんの主張です。
「漏尽智で解脱し、漏尽通で確認する」
「漏尽智→解脱→漏尽通」
「漏尽智≠漏尽通」
というのがペテン大作自説です。
信者さんたちのために言うと、桐山さんはこんな愚説は唱えていない。
彼が引用した沙門果経はこのペテン大作説を否定しています。

B「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」

「解脱したという智」ですから、漏尽通ではなく、漏尽智です。
ペテン大作説では「漏尽智→解脱→漏尽通」だが、彼の解釈でも、
この経典では「漏尽智→解脱→漏尽智」になってしまい矛盾します。
オウンゴールは彼のほうです。
こういう矛盾は初めて指摘されたのではなく、十年以上も前から私から
指摘されて行き詰り、一時「漏尽智≠漏尽通」を撤回したが、きれいに忘れて、
九月にまたこの説に戻った。
ペテン大作さんは自分の過去のミスは三秒で忘れて何一つ学習せず、
攻撃こそが最大の防御とばかりに、何とかの一つ覚えのように、
相手こそが間違っていると叫びながら、>>724のように同じネタで、
突撃を繰り返すから、同じ間違いを何度も何度も繰り返す。

728 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/19(木) 12:57:13.74 ID:K9cZ7ZJF.net
「解脱を因由として滅尽した[と知る]智慧がある。」
(『原始仏典?相応部経典二』春秋社、77ページ、78ページ)
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)

読者の皆さんは上記の二つを読んで、漏尽智とは何だと思いますか?
釈尊自ら、解脱の後に煩悩を切ったと知る智慧が生じる、と述べています。
学者も、解脱したことを知る能力と説明しています。
両者に何の矛盾もありません。
>>723で引用した沙門果経も同様で、最初の「汚れなく」で解脱して、
その後に漏尽智が出てきますから、一貫しています。

釈尊がそのように説明し、学者もそのように説明しているのだから、
もはや何の議論の余地もなく、漏尽智とは解脱したことを確認する能力です。
仏教など興味がなくても、中学生程度の学習能力があるなら十分に理解できる内容です。
だが、約一名は頑迷不屈に桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」と主張している。

彼は絶対に受け入れないから、放置して、彼と違い、中学生程度の
学習能力のある信者さんたちは現実を認め、受け入れることです。
釈尊本人と学者がわかりやすい日本語で説明している時に、
どうして>>724の望月氏の難解な文章を読む必要がありますか?
理解力の低い人間はこういうことをするのです。

729 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/19(木) 13:04:45.03 ID:K9cZ7ZJF.net
*成仏力=漏尽智

何より重要なことは阿含宗では「成仏力=漏尽智」だということです。
解脱を確認する能力なのに、それで仏教には存在しない破滅のカルマを切る?
煩悩を尽きたことを知る能力なのに、それで仏教には存在しない桐山カルマを
切って解脱する?
釈尊は死者の行先を変えることはできないと述べているのに、
阿含宗は漏尽智(成仏力)で変えることができるという。

阿含宗の信仰の根幹をなすのが成仏法、成仏力です。
その成仏法はシチカ三十七道品というお笑い成仏法で(>>700)、
そこから得られたという成仏力が漏尽智で、これまた破滅のカルマを
切るなどという能力ではありません。
気が付いてると思うが、ペテン大作さんでさえも煩悩を切る能力だと
言っているだけで、カルマを切る能力だと言っていない。
私やユビキタスさんからこの点を追及され、何度も煽られても彼は無視するしかない。
阿含経にはそんな話は存在しないからです。

この結末を見てもまだ、桐山さんが阿含経から釈迦の成仏法を発見して、
それを体得して成仏力を得て、死者の成仏や破滅のカルマを切って、
彼自身は解脱したと信じるとすれば、それは読解力が壊滅状態の
ペテン大作さんと同類の信者ということになります。
もちろん、批判側はそんな信者たちには手も足もでない。
ペテン大作さんと一緒に「必ず勝つ!」と勝利を祝ってください。
T教会やオウムの残党を見ているから、特に驚きません。
阿含経でも、釈尊の懇切丁寧な説法でも断固として拒絶した人たちが
いたから、信者さんたちのような人たちは昔からいたのです。

730 :ユビキタス :2023/10/19(木) 22:26:44.79 ID:bWG+SUQk.net
本日は心解脱と慧解脱の話をしたいと思います。
心解脱だの慧解脱だの倶解脱だのいろいろと分類されます。
ただしこの分類はやたら分類好きのアビダルマ論師が分類したものです。
桐山さんは悪い心癖を捨てることを心解脱としていますが、それだけでは小解脱だとして
因縁解脱こそが大解脱としていますが、そんなおハナシは経典のどこにもないのは
言うまでもありません。
桐山さんはこれを身解脱、命解脱などと解説します。
すなわち心解脱は単に自分の悪い心癖の問題だが、身解脱は病気なども克服して頑健な身体を得る。
命解脱とは運命を変えてしまう、好転してしまうわけです。
要するにどちらも桐山因縁解脱です。
これを大解脱とした。
しかし実は経典にはそんな身解脱とか命解脱なんて単語も考え方もありません。
桐山さんの造語に過ぎません。あったら示してください。
そして実際にはアビダルマの分類用語としてある心解脱と慧解脱だが、これはアラカンポ先生がよくこれを持ち出した。
仏教は単に心の煩悩を無くすだけではない、慧解脱もあるんだ、と言って漏尽通以外の三銘六通を出す。
で、今回は心解脱と慧解脱の内容を検証しましょう。
学者の例によって抽象的な表現解説よりもこちらの方がわかりやすいかもしれない。
マンガ原始仏典・ブッダの教え
https://buddha.pink/buddhism/17/

731 :ユビキタス :2023/10/19(木) 22:28:16.71 ID:bWG+SUQk.net
上記より抜粋引用する。

•心解脱(しんげだつ)「こころの解脱」
こころの解脱とは、心解脱ともいい、
わるい感情の煩悩(ぼんのう)を
「消滅させる・止める・出てこないように」する。
わるい感情をとめて・消し去って、
「涅槃」(ねはん、ニルバーナ)に入ること


と解説され、具体的な方法まで記述されています。そして


•慧解脱(えげだつ)「ちえの解脱」
ちえのげだつとは、慧解脱ともいい、
苦の真理、四諦(したい)を理解することです。
ブッダは成道したときに、
ありのままの自分と世界を如実知見(にょじつちけん)して、
「苦の原因と解決」の四つの真理をみて、
再生はなくなった
と悟りました。
その苦の真理からの「解決」=「解脱」することを目的に、
ブッダは教えを説いています。


そして大縁方便経などを紹介し、心解脱と慧解脱の「倶分解脱」両面から解脱することより優れた人はいないとしています。

732 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 22:31:16.45 ID:FRA8JF4p.net
>>699
>ペテン大作さんは三学と八正道が同じだとわからなかっ
>た。
>そして、自分の無知を棚に上げて、批判側が間違ってい
>ると決めつけた。

それは事実ではありません。
ビック氏の論文を紹介したのは私です。
その中に三学と八正道の相関関係があった。
批判側はそれを私から教えてもらったのです。
しかしアタマが良すぎて未だに理解出来ないらしい。
漏尽智が八正道の正見に当たることが理解出来れば
解脱を確認するだけの智恵だと主張するわけが無いからです。

733 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 22:34:18.28 ID:FRA8JF4p.net
※深山説は自己都合によって解釈が変わる

「心が統一され、・・・確立し不動」が解脱でないなんて当たり前なんです。
釈尊の解脱は「心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した」の部分であると、釈尊本人が述べているからです。
しかし深山大先生はそれを無視した。
では何故、深山さんが釈尊の言葉を無視して
「心が統一され、・・・確立し不動」は解脱である
と主張してきたかというと、
「解脱→漏尽智」を言いたかったからです。
(その時の漏尽智は
「確立し不動となったときに、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。」の部分でした)
ところが擁護側から「解脱→漏尽智」をしつこく反論された。
そこで彼が思いついたのは「解脱したという智」が漏尽智であることでした。
それで「解脱→漏尽智」を主張するために
今まで無視してきた釈尊の言葉である
「心は欲の汚れから解脱し、・・・解脱した」の部分を解脱にしたのです。
このように、彼は自分の都合によって
釈尊の言葉を解脱にしたりしなかったりする人です。
釈尊の言葉をもてあそんでいる。
ひどい話です。

734 :神も仏も名無しさん:2023/10/19(木) 22:38:53.87 ID:FRA8JF4p.net
深山大先生や指金玉スが何を言ったところで
望月さんがいる限り、彼等の主張が通ることはありません。

735 :ユビキタス :2023/10/19(木) 22:48:12.14 ID:bWG+SUQk.net
ところで私は今なぜ唐突にも心解脱と慧解脱の話をしたとお思いでしょうか?
鋭敏な方ならお気づきかもしれない。
ペテン大作さんの以下の指摘です。
あるいは私は彼よりも上を想定もしているかもしれないが、彼の言わんとすることは大体わかるのです。

>>709 神も仏も名無しさん 2023/10/19(木) 00:30:53.90 ID:RgumYzPK
>そしてここで釈尊が解脱するなら
>「かくのごとく心が統一され、・・・」
>は解脱ではないことになります。

これについては既に深山さんからレスがあるが、>>726で種明かししてるようにAの文とBの文のAを無視していると。
しかし私は考えました。
すなわちAとBとのタイムラグです。
これは沙門果経を読んでのことなので、やはり順番というものがある。
すなわちAで心の統一だけでなく心の汚れ、煩悩がなくなっていたことがまず示された。
しかし経典はまだ続く。
まずは神通に心を向け、また四諦の真理、漏尽智に心を向ける。
そして解脱したと悟るわけです。
だから解脱とは、この最後の四諦の真理の如実知見で初めて得られるもので、
心の汚れがなくなった時点で解脱していたというのはおかしい、深山さんは15年間嘘をついていたという主張です。
実はこのタイムラグの問題も含めて考えるのに有用なのが心解脱と慧解脱の話です。

736 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 23:01:04.95 ID:bWG+SUQk.net
「A 心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動となったときに、もろもろの汚れを滅する智(漏尽智)に心を向けた。
(四諦の洞察)
B われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」

上記のA、漏尽智に心を向ける直前までが実は心解脱とわかります。
また漏尽智に心を向けた結果解脱したことを知ったというのが、実は慧解脱とわかります。
実はどちらも解脱なんです。
ペテン大作さんは解脱というのは最後の1回しかないと思い込んでいるが、
そうではなく心解脱もまた解脱なんです。
解脱でなければ心解脱などと表現してはならない。
立派な解脱です。
だから心の汚れがなくなっただけでも少なくとも心解脱なんです。
これを解脱でないとするのがおかしい。
しかし心解脱の後に慧解脱もある。
これを両方備えれれば最強だと私も思う。
また樹意さんが漏尽智の得たことで阿羅漢道を極めたと言うのもこういうことだとわかる。
そこで心解脱と慧解脱なんだが、この2つの解脱を繋ぐ大切なキーワードがある。
それが如実知見です。

737 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 23:16:42.59 ID:bWG+SUQk.net
慧解脱の条件は心解脱です。
心解脱していないと慧解脱は得られない。
そして心解脱していればもうそのまま慧解脱も得られてしまうのです。
なぜそう言うのかと言うと、心解脱した人が行うのは四諦の真理を「理解」することなんだが、
頭で理解なんて簡単ですよね。
言葉で表現されていることだから。
それなら依然として煩悩がある人だってとりあえず頭だけで理解はできる。
じゃあそれで解脱したのかと言うと、実は煩悩が残っているので全然解脱していない。
この理解とはそんな段階の話ではない。
如実知見です。
引用の文にもあるように如実知見とはありのままを見ることです。
ありのままに見るだけの作業なんです。
ありのまま見た結果自身に煩悩が残っていることが観察されたら、解脱していなかったとありのままに知る。
しかしありのまま見た結果自身に煩悩は尽きて無くなっていることが確認されたら、解脱していたとありのままに知る。
実はこれだけなんです。
漏尽智という特殊な修行法があって、その実践の結果今まで残っていた煩悩も消えて無くなり
解脱するなんて話ではないのです。
その証拠が如実知見、ありのまま見てありのままを知るということです。
だから漏尽智で煩悩を切って解脱を得るなんて話こそ嘘です。
心解脱した人がありのまま四諦の真理に照らし合わせてみたら自身は解脱していたと知り、
慧解脱も確認できたということです。
もちろん慧解脱とは真理が絶対だと確固たる確認ができたのだから、これは心解脱と共に最強でしょうね。
ゆえに倶分解脱に優れたるものはないというわけです。
だから心解脱は解脱であり、心の汚れのない安定の記述は解脱なんです。
しかしこの説明、ペテン大作さんには到底理解できないでしょうね。
私は彼の上を想定すると書いたのだから、彼に心解脱と慧解脱の関係などちんぷんかんぷんだと思う。
でもペテン大作さん以外の人はこれを理解してください。

738 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/19(木) 23:41:54.79 ID:bWG+SUQk.net
ペテン大作さんって随分子どもっぽいんだね。
その年齢でそれはいかんよ。

739 :ユビキタス :2023/10/20(金) 08:39:17.05 ID:giz3RaZx.net
>>732 神も仏も名無しさん 2023/10/19(木) 22:31:16.45 ID:FRA8JF4p
>それは事実ではありません。
>ビック氏の論文を紹介したのは私です。
>その中に三学と八正道の相関関係があった。
>批判側はそれを私から教えてもらったのです。

ビック氏の論文だけあなたに初めて示されただけで、三学と八聖道の2つのアプローチの経典があっても
これは実は中身は同じなんて最初から知ってます。
自分がたまたまある論文を読んだから得意気になって、自分が教えたなんて認識しているところが
年齢不相応に子どもっぽく問題だと指摘しているのです。

>漏尽智が八正道の正見に当たることが理解出来れば
>解脱を確認するだけの智恵だと主張するわけが無いからです。

だから八正道の内容を全て知っていれば、これは正見や正定だけでなく
要するに正しい言葉や正しい行いで正しい生活をするということです。
心解脱を得た比丘が樹下にて瞑想思索に入って初めて四諦の要諦である八正道を実践するとでも思うか?
それはおかしいとわかります。
だから漏尽智の内容が四諦の真理だとしても、それをこれからせっせと八生活を見出すの実践をするということでなく、
この八正道の実践は実は心解脱を得る前に為されており、漏尽智では
それをありのままに見て確認して、その結果解脱していたことを知り、真理の絶対たるを確認できる信念を持ったということです。
だから如実知見、ありのままに見て知るという言葉こそ見落としてはならない。
四文字熟語だけ見て、内容もわからんくせに、わかったような気にならないことです。

740 :神も仏も名無しさん:2023/10/20(金) 11:23:44.36 ID:AUGbsmz+.net
タイムラグか。
今度は熟語じゃなくて英語を出してきた。
癖は治らんようだね。
Aが心解脱だというのは指金玉スさんの妄想でしょう。
だから胸の中にしまっておきなさい。
言わなきゃバカだと気づかれない。

B われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。

こう書いてあるのだから解脱はここだけです。
以前、名前は忘れたが何処かの大学院の研究論文にも、Bは心・慧・俱解脱の三つだと書いてあった。
経典は書かれたことを素直に信じればいいのです。
ありのままにね。
釈尊の言われたことを信じない者は地獄に堕ちるんでしょ。
それから子供っぽいのもそんなに悪いことではない。
指金玉スさんが擁護側にも割かし人気wがあるのは、子供っぽいところがあるからです。
だからそれを大切にしましょう。

741 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:08:01.70 ID:jPxhcWqk.net
>>0732神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 22:31:16.45ID:FRA8JF4p
>ビック氏の論文を紹介したのは私です。
>その中に三学と八正道の相関関係があった。
>批判側はそれを私から教えてもらったのです。

爆笑です。
自分の無知をわざわざ公開した。
ペテン大作さんはビック氏の論文をネットで探して読んでから、
初めて三学と八正道が同じだと知ったらしい。
彼はビック氏の論文を引用したのは2016年で、その時まで知らなかったのだ!?
こんな仏教の常識を、学者の小難しい論文を見るまで知らなかった!?
ペテン大作さんがどれほど無知を誇っているか、他の皆さんは
ウィキペディアで八正道を検索すれば、良くわかります。

「八正道は三学として、以下の3種類に分類可能である」(ウィキペディア)

このような説明があり、その下に対応表が掲載されています。
ウィキペディアの三学の説明でも、三学とは八正道だと解説されています。
ウィキペディアに一覧表で載っている程度の常識を、私やユビキタスさんが
知らずに、2016年になってペテン大作さんに教えられた??
彼こそが2016年まで知らなかったから、私やユビキタスさんも知らなかったに
違いないと思い込んでいた。
他人を踏み台して己の無知と慢心を高笑いしながら誇るのが
ペテン大作様です・・・見ていてこっちが恥ずかしい。

742 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:17:46.75 ID:jPxhcWqk.net
>>0732神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 22:31:16.45ID:FRA8JF4p
>漏尽智が八正道の正見に当たることが理解出来れば
>解脱を確認するだけの智恵だと主張するわけが無いからです。

知ったかぶりの寝言がまた始まった。
漏尽智とは、四諦の洞察であり、四諦の道諦とは八正道であり、
八正道の一つが正見ですから、何も不思議なことではありません。
正見とは四諦を正しく洞察することです。
解脱した後、苦集滅道を自分が「体得」しているかどうかを確認して、
煩悩から解放されていると確認するのが阿羅漢の正見であり、これが漏尽智です。
四諦八正道は、解脱する前も後も、シュダオンからアラカンまで全員が
二十四時間実習している。
だから、解脱したアラカンが正見で解脱を常に確認すること、つまり
漏尽智など当たり前です。

ここまで説明されて、ペテン大作さんは、「四諦の洞察の八正道の一つが
正見なのに、その正見が四諦だなんて、何を矛盾したことを言うかWW」と
深山の矛盾を見つけたと大喜びしている。
点と線しか理解できない彼には、永久に面や立体が理解できない。
しかも、こういう人に限って、難しい言葉の学者の論文や、
文語体で書かれた望月氏の文章などを使いたがる。

743 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:25:01.28 ID:jPxhcWqk.net
>>0733神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 22:34:18.28ID:FRA8JF4p
>ところが擁護側から「解脱→漏尽智」をしつこく反論された。

ペテン大作さんが自分が「しつこい」と自覚しているのは笑えますね。
彼はしつこいというよりも、執念深いのです。
彼の動機は漏尽智の意味の理解ではなく、深山への憎しみと復讐心を
燃やして自分を奮い立たせることだからです。

擁護側とは誰を指すのでしょう?
ペテン大作さん以外に「漏尽智→解脱」と主張している人はどこにいるのだ?
昔はアラカンポ先生がいたし、今も宝生ソウカ大人や現信さんがいる。
私の記憶では、彼らが「漏尽智→解脱」を主張したことも、支持したこともない。
アラカンポ先生などペテン大作さんと同じで屁理屈を並べる人だったが、
その彼も漏尽智とは一言もなかった。
ペテン大作さんは孤立無援なのです。
15年間、ここでは彼以外に「漏尽智→解脱」を唱える人など誰もいない。
それどころか、通行人さえも、↓こういう反応です。

>>0464あ2023/10/10(火) 07:45:30.99ID:fZJlCz2D
>「漏尽智で煩悩を切る」
>これじゃ訳わかめ^^

ヤフー知恵袋で意見を聞いてみてはどうかというユビキタスさんからの
提案があったが、それに相当するのが↑あさんからの反応です。
あさんは通行人ですから、第三者で、阿含宗の擁護側でも批判側でもない。
その人の桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」に対する反応が「訳わかめ」です。
ペテン大作説は意味不明だという意味です。
まともな読解力と記憶力をもっていたら、>>728の経典と岩波仏教辞典を
見て、「漏尽智→解脱」など唱えるはずがない。
憎しみに燃えた執念深いゾンビだけが、そんな愚説を15年も吠えていられる。

744 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:32:47.68 ID:jPxhcWqk.net
>>0733神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 22:34:18.28ID:FRA8JF4p
>釈尊の解脱は「心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した」の部分であると、釈尊本人が述べているからです。
>しかし深山大先生はそれを無視した。

私は無視どころか、>>726のようにペテン大作さん以上に沙門果経の
この文章を引用して解説してきた。
726は初めて書いたのではなく、15年前から同じことを書いています。
これをAとBに分けて説明したのも初めてではなく、前から二つに分けて、
前半は解脱であり、後半が漏尽智であると説明してきました。

ペテン大作さんは無視どころか、Aの文章の後に続く四諦の洞察を
最初は素知らぬふりをしてカットした。
中村博士は「そこでこの(一切は)苦であると如実に知った」と
四諦を書いているのに、この一文を彼はカットして引用してみせた。
漏尽智で煩悩を切るのに、四諦の洞察ではマズイと思ったからです。
四諦の洞察などないかのようにBが続いているかのように誤魔化した。
狐のようにズルイ男です。
私から彼のゴマカシを指摘されて、あわてて、漏尽智とは四諦だと始まった。
だが、彼の頭の中では自分の悪事はきれいに忘れ、
まるで深山がやったかのようにすり替える。
狸のように厚かましい男です。

>>727で彼のクルクルと変わる主張を指摘したから、悔し紛れに
「オマエモナー」と言っている。
子供っぽいのではなく、まるで小学生の悪ガキです。
「漏尽智≠漏尽通」といってみたり、矛盾を追及されと「漏尽智=漏尽通」
と説を変えて、それも忘れてまた「漏尽智≠漏尽通」を彼は唱えている。
彼の全ての説は「漏尽智≠漏尽通」を根拠にしているのだから、ここではスレ違いです。

745 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:43:52.57 ID:jPxhcWqk.net
「A 心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動となったときに、もろもろの汚れを滅する智(漏尽智)に心を向けた。
(四諦の洞察)
B われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」

私はこの15年間、沙門果経の漏尽智について一度も説を変えたことはありません。
変えるも何も、書いてあるとおりを毎回読んでいるだけです。

ペテン大作説だと、前半(A)で解脱して、後半(B)でまた解脱することになり、
二度解脱するのかと、前に皮肉を書いた。
前半(A)の「汚れなく」は解脱で、後半(B)の「心の欲・・」も解脱なら、
二度も解脱することになる。
読者の皆さんは二度も解脱するなんて、おかしいと思いませんか。
解脱は前半だけで、後半は「解脱し、それを確認した」と述べているだけです。

ペテン大作さんは前半(A)を解脱だと認めるわけにはいかない。
読者の皆さんは、私が前半にある「汚れなく」が解脱だろうと指摘しても、
彼はまったく反応していないことに気が付いていますか?
都合が悪いから逃げている卑怯者か、あるいは彼の頭ではBを見るとAは
脱落して両者を同時に考察することができないか、どちらでしょう。
後半の「汚れから解脱」は解脱だが、前半の「汚れなく」は解脱でないというのが
ペテン大作さんの四谷大塚で習った読解らしい。

746 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/20(金) 12:50:39.93 ID:giz3RaZx.net
>>740 神も仏も名無しさん 2023/10/20(金) 11:23:44.36 ID:AUGbsmz+
>タイムラグか。
>今度は熟語じゃなくて英語を出してきた。
>癖は治らんようだね。

悪い癖でもなんでもなく、常に自分の言葉で語れるという証拠です。
学者が使用した用語をそれしか使えないというのは実はちゃんと理解しているのかすら怪しい。
だから如実知見という単語だけで、ありのままに見て知るという意味が理解されていないから
四諦の真理を如実知見すると読んで、四諦八正道をこれから実践する話と捉えるのは
理解していないからであり、用語とは一度噛み砕く必要があるのです。

>Aが心解脱だというのは指金玉スさんの妄想でしょう。
>だから胸の中にしまっておきなさい。
>言わなきゃバカだと気づかれない。

「A 心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動となったときに、もろもろの汚れを滅する智(漏尽智)に心を向けた。
(四諦の洞察)


•心解脱(しんげだつ)「こころの解脱」
こころの解脱とは、心解脱ともいい、
わるい感情の煩悩(ぼんのう)を
「消滅させる・止める・出てこないように」する。
わるい感情をとめて・消し去って、
「涅槃」(ねはん、ニルバーナ)に入ること
>>731

↑の両者の内容は同じではないですか?
これが違うと言うのなら、どちらかが嘘です。
それに慧解脱の説明に注目です。
•慧解脱(えげだつ)「ちえの解脱」
ちえのげだつとは、慧解脱ともいい、
苦の真理、四諦(したい)を理解することです。
ブッダは成道したときに、
ありのままの自分と世界を如実知見(にょじつちけん)して、
「苦の原因と解決」の四つの真理をみて、
再生はなくなった
と悟りました。

とある。
成道した時にその直後に如実知見して四つの真理をみて慧解脱を得たのです。
となると心解脱とは成道となります。
成道とは道の完成ですよ。
道の完成とは解脱ですよ。
つまり心解脱こそが成道であり解脱なんだとわかる。

747 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:51:58.80 ID:jPxhcWqk.net
「B われがこのように知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、
心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった。」

後半の「心の欲・・」の意味は解脱であり、私はそんなことは否定していない。
だが、それは漏尽智で解脱したという意味ではありません。
釈尊は「解脱しおわったときに、解脱したという智がおこった」と述べているだけです。
解脱した後に四諦を洞察することで解脱したと確認したという意味です。
その確認を漏尽智というのであって、漏尽智で解脱するのではありません。
これを彼は「解脱とあるのだからここで解脱したのだ」と主張している。

これを私は十年も前から合格通知に例えてきて、今回も何度か例えました。
合格(解脱)と合格通知(漏尽智)のうち、後半(B)は合格通知だという例えです。
「合格通知とは、合格した後にもらう通知」という説明にも
合格(解脱)という言葉が入っています。
だが、合格通知で合格するのではありません。
これを彼は「合格した後にもらう通知」には合格(解脱)という言葉が入って
いるから、合格通知で合格するのだというのです。
釈尊の「心の欲・・」という説明は、「合格通知とは、合格した後にもらう通知」
の中の合格に相当する説明です。
合格(解脱)の説明があるからといって、合格通知で合格するのではありません。
ところが、こういう文章構造を解説されても、理解できず、
合格通知で合格するのだと主張する愚か者が約一名いる。
ペテン大作さんの解釈が間違っているのは、他の文献からも明らかです。

748 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/20(金) 12:58:49.20 ID:giz3RaZx.net
>>740 神も仏も名無しさん 2023/10/20(金) 11:23:44.36 ID:AUGbsmz+
>以前、名前は忘れたが何処かの大学院の研究論文にも、Bは心・慧・俱解脱の三つだと書いてあった。

Bにおいて心解脱、慧解脱、倶解脱全て揃ったと言いたかったんじゃないかな?

>それから子供っぽいのもそんなに悪いことではない。
>指金玉スさんが擁護側にも割かし人気wがあるのは、子供っぽいところがあるからです。
>だからそれを大切にしましょう。

今度からハンドルネームを指金玉酢にでも変えましょうか?
その方が気楽でよいw
何しろ私のモットーは「名乗るほどのもんじゃねえ!ワシゃただのスケベな爺じゃよ」ですからw

749 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 12:59:44.01 ID:jPxhcWqk.net
「比丘たちよ、それが滅尽したとき、滅尽した(と知る)智の因由によって生じる。
因由なしにではない。
では比丘たちよ、滅尽した(と知る)智の因由は何か。
それについては解脱であるというべきである。」
(『原始仏典?相応部経典二』春秋社、75ページ)

↑これは>>726の沙門果経のAとBの説明と同じです。
解脱したから、解脱したと自覚した(漏尽智)と述べてある。
釈尊は、合格(解脱)したから合格通知(漏尽智)が来た、
合格通知が来たのは合格したことが原因であると述べているのがわかります。
ところが、ペテン大作さんの理解力では「漏尽智で解脱したというべきである」
と読めるのです。
15年間、彼はこれを言い続けている。

ペテン大作さんの読み方は、先に自分の結論があり、それに合わせて、
目の前にある単語や文章を作り替える。
だから、それをやりやすい小難しい論文や文語体の辞書を持ってくるのです。
長い文章の読解は無理で、AとBを彼は同時に考察することができない。
Aに「汚れなく」と、解脱したと書いてあるのに、
>解脱はここだけです(>>740)
とBにしかないと今でも言っている。
Bを読み始めるとAは記憶から消えて、Bに解脱が出てくるから、
それが解脱なのだと決めつける。
文章をそのまま読まないというか、たぶん読めない。

750 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/20(金) 13:10:30.48 ID:jPxhcWqk.net
>>0732神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 22:31:16.45ID:FRA8JF4p
>漏尽智が八正道の正見に当たることが理解出来れば

ついにペテン大作さんはまた桐山ゲイカを裏切った。
彼は、漏尽智で解脱すると主張し、ついにその漏尽智は八正道の正見なのだと述べた。
つまり、八正道で解脱すると主張した。

「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、
また、八正道だけでは完全には解脱できない。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)

桐山さんは八正道では解脱できないと言っている。
ところが、ペテン大作さんはついに八正道で解脱するのだと始まった。
今まで、彼は四諦で解脱するとまでは言っていたが、八正道で
解脱するとは認めていなかった。
だから、こういう彼の書き込みを待っていたのです。
ついに彼も八正道で解脱するという真実に到達した!

「漏尽智≠漏尽通」でも彼は桐山さんを裏切って自爆した。
漏尽智は四諦であり、四諦で解脱すると書いて、桐山さんを裏切って自爆した。
桐山さんは四諦などオシエにすぎず、法ではないと述べています。
それにも懲りずに、また八正道で桐山さんを裏切った。

信者の皆さん、良く見てください。
彼が仏教経典に基づいて議論すればするほど、一つまた一つと
桐山説を否定するしかなくなった。
彼は今回の裏切りを意図したのではありません。
私から指摘されて、初めて気が付いた。
必死に彼は屁理屈を今考え中です。

751 ::2023/10/20(金) 22:48:34.96 ID:Vna/AuRk.net
なるへそ〜〜^^

そういうことか・・^^

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6266.html

752 ::2023/10/20(金) 22:48:43.94 ID:Vna/AuRk.net
なるへそ〜〜^^

そういうことか・・^^

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6266.html

753 ::2023/10/20(金) 22:50:38.47 ID:Vna/AuRk.net
文を見ると難しそうに見えるけど・・^^

ほんまは簡単なことやで^^

754 ::2023/10/20(金) 22:52:56.06 ID:Vna/AuRk.net
ちょっとした気づきなんだよな・・・^^

755 ::2023/10/20(金) 22:54:54.82 ID:Vna/AuRk.net
簡単に言うと・・^^

気づくか気が付かないかの違い・・^^

それを言葉にすると・・智慧解脱なんてたいそうな言葉になる^^

756 ::2023/10/20(金) 22:58:12.82 ID:Vna/AuRk.net
智慧解脱を簡単に図で書くとこれ^^

https://imepic.jp/20231014/214800

757 ::2023/10/20(金) 23:03:00.11 ID:Vna/AuRk.net
不二一元論かぁ・・^^

アートマンと非アートマンを区別できないことが、輪廻から抜け出せない原因である。

ブラフマンだけが唯一で不二の実在者であり、これが真実である。誤った付託を滅し、アートマンを正しく認識し、個我(アートマン)がブラフマンと同一で、現象界が実在しないマーヤーであると悟ることで(明知)、無明は退けられる。これにより個我による縛りはなくなり、解脱が果たされる

758 ::2023/10/20(金) 23:05:38.27 ID:Vna/AuRk.net
アートマンと非アートマンを区別できないことが、輪廻から抜け出せない原因である^^

つまりこれ^^
ヨーガ・スートラ

? 三昧の章

1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

心(チッタ) … サーンキヤ哲学では、ブッディ(識別知)、アハンカーラ(自我意識)、マナス(思考・欲望)の三つの心の作用がある。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

759 ::2023/10/20(金) 23:06:46.45 ID:Vna/AuRk.net
4. その他のときは、心の働きと同一化している。

これからの・・心解脱^^

760 ::2023/10/20(金) 23:08:00.03 ID:Vna/AuRk.net
うん?

スレ違いだった^^

すまん^^

761 ::2023/10/20(金) 23:12:35.50 ID:Vna/AuRk.net
アートマンと非アートマンを区別できない^^

まぁ・・八正道の正見が関わってくるかもしれん^^

762 ::2023/10/20(金) 23:17:35.22 ID:Vna/AuRk.net
うん?

どうも・・八正道の正見で検索すると・・みんな間違った解釈してるな^^

アートマンと非アートマンの区別やで^^

またの名を・・非我とも言う^^

763 :神も仏も名無しさん:2023/10/20(金) 23:18:25.78 ID:Vna/AuRk.net
まっ^^

どうでもいいけど^^

764 ::2023/10/20(金) 23:21:48.90 ID:Vna/AuRk.net
無我
ⓈanātmanⓅanattanの訳語。「我(アートマン)でない」(非我)と「我(アートマン)がない」(無我)の二つの解釈がある。初期仏教では、ウパニシャッドで説かれた恒常不滅なるアートマンが存在するかしないかという形而上学的問題を離れ、現実世界でのもののあり方を見つめたために、それがあろうがなかろうが「すべてのものは我でない」(諸法無我)と説いた。すなわち、無常で変化していくものを自分の固定観念で「わがもの」と見る我執を離れるために、「我でない」(非我)と主張した。しかし、その後「我がない」(無我)という解釈に発展し、人間という存在は五蘊ごうんが仮に和合した無常なるものであり、そこに恒常不滅なる自我の存在はないという「人無我」、すべてのものは縁起によって起こるもので、そこに恒常不滅なる本体はないという「法無我」の二つが考えられた。

765 ::2023/10/20(金) 23:25:12.28 ID:Vna/AuRk.net
それよりも問題なのは、無我と非我の関係である。従来、「仏教とは無我説である」と言われてきており、私の仏教理解もこのことが基本になっている。しかし、宮元氏は、五蘊非我が仏説であり、無我説は後世の仏教徒が誤解して作り上げたものだ、と言う。

ゴータマ・ブッダの、こうした五蘊非我の教えは、ゴータマ・ブッダが入滅してはるかに時が経つと、「五蘊のいずれも自己でないならば、どこにも自己は存在しない」という趣旨の「無我説」へと変質しました。「自己」ということばを主語にした議論にかかずらうなというゴータマ・ブッダの戒めは、忘れられてしまったのです。(p.97)
ここでいう「自己」とはアートマンの訳で、通常は「自己」よりも「自我」とか「霊我」と訳されている。宮元氏は、「アートマンは有でも無でもない」と言いながら、次のようにも述べる。

因果を認めるということは、因果応報、自業自得の原則を認めることですから、倫理的な行為を為す主体とその行為の結果を享受する主体とは同一にして不変でなければなりません。この主体こそが自己なのです。(p.104)

766 ::2023/10/20(金) 23:28:48.93 ID:Vna/AuRk.net
私に言わせれば、これこそが矛盾である。釈尊が否定したのは、形而上の議論に関わることであり、アートマンを巡る議論こそが形而上学の最たるものである。しかして、宮元氏がここで行っている議論こそが形而上学である。そもそも、無我説は縁起説から演繹的に導くことができる。現象的なすべての存在にはその因がある、因があるならば実体(自性)を持つものではありえない、しかるにアートマンは実体の同義語であるから、現象的にはアートマンは存在しない。もし現象を超えたところにアートマンがあるというならば、それは形而上学になるから、そのことについては議論をしてはならない。

767 ::2023/10/20(金) 23:30:36.57 ID:Vna/AuRk.net
現象的にはアートマンは存在しない。もし現象を超えたところにアートマンがあるというならば、それは形而上学になるから、そのことについては議論をしてはならない

現象を超えたところにアートマンがあるな・・^^

https://imepic.jp/20231014/214800

768 ::2023/10/20(金) 23:31:37.27 ID:Vna/AuRk.net
世界外・・自己(アートマン)^^

769 ::2023/10/20(金) 23:32:56.49 ID:Vna/AuRk.net
う〜〜ん^^

面白すぎて・・寝れん^^

770 ::2023/10/20(金) 23:35:20.87 ID:Vna/AuRk.net
原始仏教 に お け る 無 我説 に つ い て の 先行研究 は , 多 くの 論文 が 発表
さ れ て お り (5), こ こ で そ の 概 要 を 取 り上 げ る こ と は 差 し控 え た い が , 中 で も
中村元 氏が anattan を 名 詞 と し て 訳 し 「ア ー ト マ ン な ら ざ る も の (非 我 )」 と
主 張 し た こ と は , 我 々 の 無 我 説 に つ い て の 解釈 に 大 き な 発 展 を 齎 し た 。 そ
して 中 村 氏 は 論 証 の 結 果 , 原 始仏 教 聖 典 の 中で 「我 (attan )」 の 存在 が 否定 さ
れ て い る 記 述 は ど こ に も 見 出 さ れ な い こ と を 主 張 し て い る (7)。 ま た perez−
Rem6n 氏 (8)も Nikaya の 範 囲 に お い て , 無 我 説 は 「そ れ は 自 己 を 有 し な い (形
容詞 )」 と教 え て い る の で は な く, た だ 「自己 で は な い (名詞)」 と教 え て い
る , と 主 張 し て い る 。 さ ら に , NikEya に 説 か れ て い る attan と anattan に 関す
る 教 え は 「attan を 否 定 的 な 表 現 で 語 る 」 も の と 「attan を 肯 定 的 に 語 る 」 も の
と に 区 別 で き る もの で あ る , と主 張 し た 。 そ して こ の 区 別 が で き な い た め に ,
多 く学 者 に 混 乱 が 生 じ, 彼 ら は 五 蘊 (Khandhas ) だ け が 自 己 で あ る と誤 ま っ
た 解 釈 を し て い る , と厳 し く批判 し て い る

771 ::2023/10/20(金) 23:36:59.52 ID:Vna/AuRk.net
中 村 氏 は 論 証 の 結 果 , 原 始仏 教 聖 典 の 中で 「我 (attan )」 の 存在 が 否定 され て い る 記 述 は ど こ に も 見 出 さ れ な い^^キリッ

772 ::2023/10/20(金) 23:37:41.14 ID:Vna/AuRk.net
なっ^^

おもろいやろ^^

773 ::2023/10/20(金) 23:39:13.06 ID:Vna/AuRk.net
中村元 氏が anattan を 名 詞 と し て 訳 し 「ア ー ト マ ン な ら ざ る も の (非 我 )」 と主 張 し た

ここ重要^^

774 ::2023/10/20(金) 23:40:36.68 ID:Vna/AuRk.net
・・ということは・・^^

漏尽智なんてどうでもいいねん^^

775 ::2023/10/20(金) 23:41:32.46 ID:Vna/AuRk.net
こっちの方が重要^^

アートマンと非アートマンの区別^^

776 ::2023/10/20(金) 23:42:56.93 ID:Vna/AuRk.net
どうでもいいことを。。長々と・・^^

おまいらもたいへんやな^^

777 ::2023/10/20(金) 23:44:06.63 ID:Vna/AuRk.net
漏尽智だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


・・で^^?

・・とこうなる^^

778 ::2023/10/21(土) 02:34:24.73 ID:Fn9HcGpU.net
うん?

八正道
正見・・・縁起の道理を正しく見ること
(見=見解,哲学的立場)
正思・・・正見に基づいて正しく思惟すること(意業)
正語・・・正しい言葉を用いること(口業)
正業・・・正しい行いをすること(身業)
(不殺生,不偸盗,不邪淫,布施など)
正命・・・規則正しい生活をすること
正精進・・・自己批判の精神にのっとって正しい努力をすること
正念・・・正しく注意力を対象に向け,正しく憶念すること
正定・・・正しい禅定(平静な状態で思考を集中する)
八正道=苦楽中道

779 ::2023/10/21(土) 02:35:09.87 ID:Fn9HcGpU.net
う〜〜ん^^

おまいらと・・・真逆^^

780 ::2023/10/21(土) 02:36:05.21 ID:Fn9HcGpU.net
うん?
戒によって生活をととのえ,定によって精神を統一し,それによって智慧を得る,というのが仏教の基本線

781 ::2023/10/21(土) 02:37:41.61 ID:Fn9HcGpU.net
智慧よりも・・気づきやな・・^^

782 ::2023/10/21(土) 02:40:54.01 ID:Fn9HcGpU.net
仏教はわれわれを世間(生死輪廻する世界)から出世間(涅槃(ねはん)の世界)へ連れ戻そうとしているのであり、そのための智慧を出世間智といい、それは誰もが本より具えているというのが、釈尊の悟りであったのだ。

783 ::2023/10/21(土) 02:47:06.99 ID:Fn9HcGpU.net
『楞伽経』に[次のように]説かれた。
外界対象は凡夫たちによって構想されるようなあり方では存在しない。潜在印象
によって歪められた心が、対象の顕現を持って活動するのである。
鏡の中における、姿かたちは、同一性と別異性から離れたものとして、見られは
するが、その(鏡の)中に[実際に]存在するわけではない。同じように、諸存
在の中における存在性は[見られこそするが、実際に存在するわけではない]9

784 ::2023/10/21(土) 02:48:09.58 ID:Fn9HcGpU.net
外界対象は凡夫たちによって構想されるようなあり方では存在しない。

潜在印象によって歪められた心が、対象の顕現を持って活動するのである。

う〜〜ん^^

するどい^^

785 ::2023/10/21(土) 02:50:04.72 ID:Fn9HcGpU.net
これ^^

https://imepic.jp/20231014/214800

世界内・・幻影

786 ::2023/10/21(土) 02:52:21.19 ID:Fn9HcGpU.net
世界内

自我=(心身)

この世界内は幻影だと・・^^

真の自己は・・世界外にある^^

787 ::2023/10/21(土) 02:53:19.42 ID:Fn9HcGpU.net
つまり・・・^^

あーとまぁああああああああああん^^

788 :神も仏も名無しさん:2023/10/21(土) 02:54:00.27 ID:Fn9HcGpU.net
うん?

おまいら・・ふざけすぎやろ^^

789 ::2023/10/21(土) 02:56:33.99 ID:Fn9HcGpU.net
しかし・・これするどいな・・^^

外界対象は凡夫たちによって構想されるようなあり方では存在しない。

潜在印象によって歪められた心が、対象の顕現を持って活動するのである

790 ::2023/10/21(土) 02:58:08.78 ID:Fn9HcGpU.net
まっ^^

これなんだけれどもね^^

「三界虚妄 但是一心作」

『華厳経』

【書き下し】

三界(さんがい)は虚妄(こもう)にして、但(た)だ是(こ)れ一心(いっしん)の作(さ)なり。」

【解釈】

世界は虚妄なものであり、ただ一心が造りなしたものである。

791 ::2023/10/21(土) 03:00:01.13 ID:Fn9HcGpU.net
う〜〜ん^^

一晩中やっててもあきないな^^

おもろすぎて^^

792 :深山 :2023/10/21(土) 12:06:04.02 ID:nxHNKi0g.net
>>0760あ2023/10/20(金) 23:08:00.03ID:Vna/AuRk
>スレ違いだった^^
>すまん^^

スレ違いだとわかっていて書いているのですね。
てっきり、それもわからないのかと思った。
わからないで書いているなら誤解だが、わかっているなら、
他人迷惑なことだと思いませんか。
あさんが紹介しているヨーガでは、スレ違いというルール違反でも、他人が
迷惑していると百も承知でも、自分が「おもろすぎて^^」(>>791)なら
気にせずにやりなさいと教えているのですか?
少なくとも仏教ではそれは禁止です。

戦争にもルールがあるように、5ちゃんねるにもルールはあります。
その一つはスレ違いなことは原則書かないことです。
他人の家に来て、居間でオシッコをしないのと同じです。
このスレは阿含宗がテーマであって、ヨーガや仏教ではありません。
あさんが書き込んだヨーガや仏教は阿含宗の議論と関係ない。
あなたが書き込んだ数少ない関係した内容は、>>743で引用した↓これです。
>「漏尽智で煩悩を切る」
>これじゃ訳わかめ^
他の書き込みはほぼスレ違いで、つまり大迷惑です。

他の人からもあなたの書き込みに注意が入って、あなたはここを去ると
宣言したから、理屈がわかる人なのかと思った。
なぜここの住人があなたへの注意を控えているか理解できますか?
注意すれば、復讐に、もっと大量書き込みをされるのを恐れるからです。
実際、過去にスレをいくつも潰されるような嫌がらせがありました。
スレ違いだと自覚があるなら、自重して、ここを去ってください。

793 ::2023/10/21(土) 12:27:02.98 ID:Fn9HcGpU.net
了解しました^^

794 ::2023/10/21(土) 12:30:24.52 ID:Fn9HcGpU.net
「漏尽智で煩悩を切る」

煩悩を切る主体が問題なんだよな^^

795 ::2023/10/21(土) 12:31:56.51 ID:Fn9HcGpU.net
「漏尽智で煩悩を切る」て言うてるのはだれや^^?

・・ということで・・またまた去る^^

796 ::2023/10/21(土) 12:34:17.59 ID:Fn9HcGpU.net
まさかの・・^^

煩悩が言ってる可能性もあるで^^

797 :ユビキタス :2023/10/21(土) 13:03:19.66 ID:3T9XnLeI.net
>>796 あ 2023/10/21(土) 12:34:17.59 ID:Fn9HcGpU
>まさかの・・^^
>煩悩が言ってる可能性もあるで^^

その通りで彼を支配しているのは煩悩に他なりません。
煩悩とは身口意の三業に表れます。
彼の姿は見えねども彼の書き込みから煩悩が見てとれます。
彼は煩悩という単語しか知りませんが、我々は具体的な煩悩発現の諸相を見て取ることができます。
もちろん自分のそれも見てとれます。
私だってこのスレの中ですら煩悩が漏れ出ていることも自覚しています。
自分のそれが一番よくわかりますが、他人のそれもわかります。
まあ彼は自分の煩悩を煩悩と自覚してない冷静かとも思いますが、この通り煩悩なんて
深層意識だの言わなくても表面意識の観察ですぐにわかります。
たから如実知見で如実にありのままに見たら彼は煩悩に囚われているとありのままに知ることができます。
同時に可哀想とも思います。
その憎しみの煩悩を捨てれば、彼も楽になれると思うのに。

798 :ユビキタス :2023/10/21(土) 13:04:57.54 ID:3T9XnLeI.net
自分の煩悩を煩悩と自覚してない冷静かとも思いますが

自分の煩悩を煩悩に自覚してない例かとも思いますが

799 ::2023/10/21(土) 16:15:46.18 ID:Fn9HcGpU.net
うん?

これ^^

●そもそも煩悩とは
人々を悩まし苦しめる心のはたらきのことを言います。この苦しみの根源ともいえる、煩悩を学び、これらを上手く手放せば心の安らぎに繋がります。

●ヨガの5つの煩悩(クレーシャ)
?アヴィディヤ:無知・思い違い
?アスミター:自我意識・エゴ
?ラーガ:執着・欲望
?ドヴェーシャ:嫌悪・憎しみ
?アビニヴェーシャ:死への恐怖

●無知

800 ::2023/10/21(土) 16:15:56.11 ID:Fn9HcGpU.net
うん?

これ^^

●そもそも煩悩とは
人々を悩まし苦しめる心のはたらきのことを言います。この苦しみの根源ともいえる、煩悩を学び、これらを上手く手放せば心の安らぎに繋がります。

●ヨガの5つの煩悩(クレーシャ)
?アヴィディヤ:無知・思い違い
?アスミター:自我意識・エゴ
?ラーガ:執着・欲望
?ドヴェーシャ:嫌悪・憎しみ
?アビニヴェーシャ:死への恐怖

●無知

801 ::2023/10/21(土) 16:19:10.36 ID:Fn9HcGpU.net
煩悩の根源はこれ^^

?アヴィディヤ:無知・思い違い

つまり・・^^

っ無明^^

比丘たちよ、縁起とは何か。
比丘たちよ、無明により行が起こり、行により識が起こり、識により名色が起こり、名色により六処が起こり、六処により触が起こり、触により受が起こり、受により渇愛が起こり、渇愛により取が起こり、取により有が起こり、有により生が起こり、生により老死が、愁悲苦憂悩が生じる。 このようにして、全ての苦蘊は生起する。

—パーリ仏典, 相応部 12-2 分別経,

802 ::2023/10/21(土) 16:21:41.67 ID:Fn9HcGpU.net
比丘たちよ、無明により行が起こり・・愁悲苦憂悩が生じる。 このようにして、全ての苦蘊は生起する。

803 ::2023/10/21(土) 16:28:47.09 ID:Fn9HcGpU.net
うん?

元品の無明を切る大利剣(十二因縁)

お坊さんが「元品(がんぽん)の無明(むみょう)を切る大利剣(だいりけん)」
という言葉をお唱えしているのを耳にしたことはありませんか?
日蓮宗では、お葬式や加持祈祷でよくお唱えします。

804 ::2023/10/21(土) 16:29:46.99 ID:Fn9HcGpU.net
2世紀頃の高僧として知られる龍樹菩薩が書かれた「大智度論」によると、
無明には、仏道修行を邪魔する魔王、第六天魔王がいると書かれています。
第六天魔王というと、比叡山を焼き討ちした織田信長公の異名としても有名です。
なんと、無明では、第六天魔王が十軍(煩悩の魔軍)を引き連れ、あなたの精神に戦を仕掛けてくるのです。

十軍とは、?欲?憂愁(気分が晴れず沈むこと)?飢渇(飢えとかわき)
?渇愛(欲望への執着)?睡眠?怖畏(おそれ)?疑悔(疑いを起こすこと)
?瞋恚(怒り)?利養虚称(名利にとらわれること)?自高蔑人(驕り高ぶり、他を見下す)
のことを言います。つまり、全ての人が心の内側に持っている「魔」のことをいうのです。
どれも強敵な魔ばかりです。

しかし、心配はありません。タイトルでも触れましたが、
その強敵である第六天魔王をはじめとする十軍が居る無明を切ることが出来る大利剣こそが
「南無妙法蓮華経」のお題目なのです。お題目を受持することによって「元品の無明」を割り、
「元品の大燈明(菩薩性)」へと転ずることが出来るのです。
すると、苦しみや悩みを生むカルマから慈愛に満ちあふれたカルマへと一瞬にして変化していきます。

805 ::2023/10/21(土) 16:31:01.34 ID:Fn9HcGpU.net
なんぞ^^?

806 ::2023/10/21(土) 16:33:05.83 ID:Fn9HcGpU.net
その強敵である第六天魔王をはじめとする十軍が居る無明を切ることが出来る大利剣こそが
「南無妙法蓮華経」のお題目なのです

だれやねん^^

こんんなこと言ってるやつ・・^^

807 ::2023/10/21(土) 16:35:44.59 ID:Fn9HcGpU.net
これに近いのか^^?

ヨーガ・スートラ

21. 熱意のある人に、サマーディは速やかに訪れる。

22. この成就に必要な時間は、実践の度合い(緩やかか、ほどほどか、熱心か)によって変わる。

23. または、イーシュヴァラへの祈念によってもそれは可能である。

イーシュヴァラ  至高のプルシャ、ブラフマン
24. イーシュヴァラとは、煩悩、カルマ、カルマの結果、欲望から影響を受けない至上のプルシャである。

カルマ  行為。行為の原動力となるもの。
25. そこには、至高の全知の種が備わっている。

26. イーシュヴァラは時間を超越しており、太古の師にとっても師でもある。

27. これを音で表したものが、聖音オームである。

28. その意味をよく念想し、繰り返し唱えるべきである。

29. この実践によって全ての障害が取り除かれ、内なる自己に目覚める。

808 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/21(土) 16:36:49.04 ID:3T9XnLeI.net
やめれっつの

809 ::2023/10/21(土) 16:36:55.60 ID:Fn9HcGpU.net
23. または、イーシュヴァラへの祈念によってもそれは可能である。

イーシュヴァラ  至高のプルシャ、ブラフマン

810 ::2023/10/21(土) 16:37:38.68 ID:Fn9HcGpU.net
じゃぁ・・やめとく^^

811 ::2023/10/21(土) 18:43:44.08 ID:Fn9HcGpU.net
?アヴィディヤ:無知・思い違い

中村元さんもアヴィディヤと言っておる^^

0:10分頃^^

https://youtu.be/UPLYaHqwS8E?si=sl4bqdnCuVIPCczB

812 ::2023/10/21(土) 18:51:24.40 ID:Fn9HcGpU.net
言っていることが・・なんか違う^^

無明とは・真の自己を知らないということなんだな・・これが^^

813 ::2023/10/21(土) 18:53:26.13 ID:Fn9HcGpU.net
まぁテレビだからああ言ったんだろうな・・^^

わかるわかる^^

814 :神も仏も名無しさん:2023/10/21(土) 21:36:42.05 ID:GNjj3UpF.net
今、第三次世界大戦にむかっているのではと言われています。
阿含宗は世界平和に向けて、日本海のカルマ解脱をやったり、日清日露戦争戦没者供養を行っている事をご存知ですか?
皆で第三次世界大戦を防ぎましょう。

815 ::2023/10/22(日) 00:58:41.26 ID:V2RuDduw.net
うん?

カルマ^^

外界対象は凡夫たちによって構想されるようなあり方では存在しない。

潜在印象によって歪められた心が、対象の顕現を持って活動するのである

潜在印象によって歪められた心^^

日本海のカルマ解脱ってなんだよ^^?

斜め↑いってるで・・^^

816 ::2023/10/22(日) 00:58:47.69 ID:V2RuDduw.net
うん?

カルマ^^

外界対象は凡夫たちによって構想されるようなあり方では存在しない。

潜在印象によって歪められた心が、対象の顕現を持って活動するのである

潜在印象によって歪められた心^^

日本海のカルマ解脱ってなんだよ^^?

斜め↑いってるで・・^^

817 ::2023/10/22(日) 01:00:56.96 ID:V2RuDduw.net
25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

26. この識別知を得た人は、カイヴァリヤへと赴く。

27. その間にも、過去に生じているサンスカーラから様々な心の作用が生じてくる。

28. それは、これまで説明した煩悩の対処法によって取り除けばよい。

818 ::2023/10/22(日) 01:02:13.81 ID:V2RuDduw.net
カルマってこれじゃないのか?

27. その間にも、過去に生じているサンスカーラから様々な心の作用が生じてくる。

サンスカーラ^^

819 ::2023/10/22(日) 01:05:01.64 ID:V2RuDduw.net
サンスカーラ

梵:संस्कार saṃskāra

印象・行。

過去の因果によって、物事が”そのように”なる力。

人間にとっては、心身の「癖」などの形で現れる。「物事をそのように捉えてしまう」といった心の癖などは、前世を含めた過去の行い(カルマ・業)によって生まれる。

カルマを重ねることによってサンスカーラが生まれ、それによって再生が起こり、輪廻は続き、解脱からは逃れられない。

ヨーガの目的の表し方のひとつとして、サンスカーラから逃れて自由になること(解脱)がある。

カルマを重ねず、カルマを焼き尽くすための行法が、様々なヨーガの道の中で説かれている。

820 ::2023/10/22(日) 01:08:00.77 ID:V2RuDduw.net
これ^^

『楞伽経』に[次のように]説かれた。外界対象は凡夫たちによって構想されるようなあり方では存在しない。潜在印象によって歪められた心が、対象の顕現を持って活動するのである。

821 ::2023/10/22(日) 01:10:35.17 ID:V2RuDduw.net
つまり・・^^

『華厳経』


世界は虚妄なものであり、ただ一心が造りなしたものである。

822 ::2023/10/22(日) 01:11:44.86 ID:V2RuDduw.net
その根源はこれ無明^^

比丘たちよ、縁起とは何か。

比丘たちよ、無明により行が起こり、行により識が起こり、識により名色が起こり、名色により六処が起こり、六処により触が起こり、触により受が起こり、受により渇愛が起こり、渇愛により取が起こり、取により有が起こり、有により生が起こり、生により老死が、愁悲苦憂悩が生じる。 このようにして、全ての苦蘊は生起する。

—パーリ仏典, 相応部 12-2 分別経,

823 ::2023/10/22(日) 01:12:48.66 ID:V2RuDduw.net
う〜〜ん^^

このスレは勉強になる^^キリッ

824 ::2023/10/22(日) 01:19:02.82 ID:V2RuDduw.net
比丘たちよ、無明により行(サンスカーラ)が起こり

825 ::2023/10/22(日) 01:21:29.74 ID:V2RuDduw.net
サンスカーラ

梵:संस्कार saṃskāra

印象・行。

つまり・・^^

潜在印象によって歪められた心^^

826 :神も仏も名無しさん:2023/10/22(日) 01:21:41.55 ID:BstMTxVf.net
※経典をありのままに読めば深山説にはならない。

>>742
>解脱した後、苦集滅道を自分が「体得」して
>いるかどうかを確認して、
>煩悩から解放されていると確認するのが阿羅
>漢の正見であり、これが漏尽智です。

大先生の戦略とは、とにかく大量に書いて相手を黙らせるということですかね。
解脱する前に出てきた漏尽智は何処に行ったんですか?
隠しても駄目ですよ。
経典では、漏尽智に心を向けた→四諦→解脱→解脱知見の順に書かれている。
だから大辞典の説明は、
「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、
我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

となっており、漏尽智は四諦を認識して解脱する智なのです。
大辞典は経典の記述に忠実に従って解釈している。
大先生のように都合が悪い所は無視するなんてインチキなことはしない。
他の仏教辞典では

「漏尽智証明。四諦の理つまり仏教の真理を明らかに証知して、漏つまり煩悩を断滅する智慧で、漏尽明ともいう。」
(『総合仏教大事典』(法蔵館)507頁)

「漏尽通ー現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁)

となっていて、漏尽智は四諦を認識して解脱する智です。
深山説は正しくない。
経典がそれを裏付けているから、どんなに理屈を並べても無駄です。

827 ::2023/10/22(日) 01:22:42.65 ID:V2RuDduw.net
からの・・^^

カルマを重ねることによってサンスカーラが生まれ、それによって再生が起こり、輪廻は続き、解脱からは逃れられない。

ヨーガの目的の表し方のひとつとして、サンスカーラから逃れて自由になること(解脱)がある。

828 ::2023/10/22(日) 01:24:21.26 ID:V2RuDduw.net
うん?

邪魔なようなので・・去る^^

829 ::2023/10/22(日) 03:56:00.16 ID:V2RuDduw.net
う〜〜ん^^

よくよく考えてみたら・・^^

知らぬ間に無明を克服してた^^

これは智慧解脱かもしれん^^

そういうことか・・・^^ニコ

830 ::2023/10/22(日) 03:59:15.56 ID:V2RuDduw.net
●ヨガの5つの煩悩(クレーシャ)
@アヴィディヤ:無知・思い違い
Aアスミター:自我意識・エゴ
Bラーガ:執着・欲望
Cドヴェーシャ:嫌悪・憎しみ
Dアビニヴェーシャ:死への恐怖

なくなったもの^^

831 ::2023/10/22(日) 04:03:54.34 ID:V2RuDduw.net
12. こられの心の働きは、アヴィヤーサとヴァイラーギヤによって止めることができる。

アヴィヤーサ … 修習、繰り返し修練すること
ヴァイラーギヤ … 離欲、執着から離れること。
13. 心の止滅にとどまろうとする努力がアヴィヤーサである。

14. それは、絶え間なく熱心に取り組むことで確立される。

832 ::2023/10/22(日) 04:04:43.30 ID:V2RuDduw.net
16. 最高のヴァイラーギヤとは、自己の本質がプルシャ(真我)であると悟ることによりグナ(心や体)への執着から解放されることである。

プルシャ  サーンキヤ哲学では、プルシャ(純粋意識)とプラクリティ(根源物質)という永続する二つの原理があり、プルシャがプラクリティを見ると万物が展開すると説明する。
グナ  万物が展開した際に現れる原質。サットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(暗質)という三つの性質がある。
17. サンプラジュニャータ・サマーディには、論理性、考察、至福、自我意識が伴う。

サンプラジュニャータ・サマーディ  認識のあるサマーディ。
18. アヴィヤーサによって心に想念が生じなくなれば、後はサンスカーラのみが残る。

サンスカーラ  潜在印象。過去の縁起によって無自覚に生じる心の作用。

833 ::2023/10/22(日) 04:05:38.10 ID:V2RuDduw.net
8. アヴィヤーサによって心に想念が生じなくなれば、後はサンスカーラのみが残る。

サンスカーラ  潜在印象。過去の縁起によって無自覚に生じる心の作用。

834 ::2023/10/22(日) 04:07:29.44 ID:V2RuDduw.net
19. プラクリティに束縛されている者は、神々であっても繰り返し生まれ変わる。

20. その他の人々(ヨーギー)は、信念、努力、想起、サマーディ、智慧によって解脱する。

21. 熱意のある人に、サマーディは速やかに訪れる。

22. この成就に必要な時間は、実践の度合い(緩やかか、ほどほどか、熱心か)によって変わる。

835 ::2023/10/22(日) 04:08:38.67 ID:V2RuDduw.net
47. ニルヴィチャーラ・サマーパッティによって一切の汚れが浄化されると、至高の真我が照らし出される。

48. このとき、絶対的真理を見る。

49. この絶対的真理は、聖典で学んだり、推察され知識とは全く異なっている。なぜなら、それらの知識は特定の対象に限定されているから。

50. この絶対的真理の光によって、すべてのサンスカーラは消滅する。

51. この光さえ消滅したなら、一切が消滅する。これがニルヴィージャ・サマーディである。

ニルヴィージャ・サマーディ  種のない三昧。解脱の完成。

836 ::2023/10/22(日) 04:11:08.22 ID:V2RuDduw.net
う〜〜ん^^

ここらへんやな・・^^

21. 熱意のある人に、サマーディは速やかに訪れる。

22. この成就に必要な時間は、実践の度合い(緩やかか、ほどほどか、熱心か)によって変わる。

837 ::2023/10/22(日) 04:13:17.34 ID:V2RuDduw.net
う〜〜ん^^

「去れ」と言われてモ〜〜〜^^♪

ここにきてしまう私ぃ〜〜^^♪

いったいどないなってんねん^^?

838 ::2023/10/22(日) 06:51:55.63 ID:V2RuDduw.net
心と身体が苦しむ

 (私は心身ともに苦しんできました。誕生したその日から、一度も幸
     せだったことがありません。私の母も私を身ごもって以来、苦しみ
     つづけてきたと聞いています。どうして私はこのように苦しむので
     しょうか? 私はこの人生で罪を犯したことはありません。これは
     みな過去生での罪が原因なのでしょうか?
 
 マハルシ
 あなたは心と身体が苦しむと言う。
 だが、心と身体がそう言うのかね?
 質問しているのは誰だろうか?
 それは心と身体を超えたものではないだろうか?
 この生で身体が苦しむのは、前世に原因があるとあなたは言う。
 もしそうであれば、現世の原因はひとつ前の生にあり、その生はもうひとつ
 前の生に原因があるというようにつづいていく。
 種と芽のように、因果関係の連鎖には際限がない。
 だから、すべての転生の最初の原因は、無知にあると言わねばならない。
 その同じ無知が今も存在して、この質問を生みだしているのである。
 その無知がジニャーナによって取り払われなければならない。
 「なぜ、誰にこの苦しみはやってくるのか?」。
 もしあなたがこのように問いただせば、「私」は心や身体とは別のものであ
 ることに気づくだろう。
 真我だけが永遠の存在であり、それこそが永遠の至福、ジニャーナなのであ
 る。(p367

839 ::2023/10/22(日) 06:51:59.93 ID:V2RuDduw.net
心と身体が苦しむ

 (私は心身ともに苦しんできました。誕生したその日から、一度も幸
     せだったことがありません。私の母も私を身ごもって以来、苦しみ
     つづけてきたと聞いています。どうして私はこのように苦しむので
     しょうか? 私はこの人生で罪を犯したことはありません。これは
     みな過去生での罪が原因なのでしょうか?
 
 マハルシ
 あなたは心と身体が苦しむと言う。
 だが、心と身体がそう言うのかね?
 質問しているのは誰だろうか?
 それは心と身体を超えたものではないだろうか?
 この生で身体が苦しむのは、前世に原因があるとあなたは言う。
 もしそうであれば、現世の原因はひとつ前の生にあり、その生はもうひとつ
 前の生に原因があるというようにつづいていく。
 種と芽のように、因果関係の連鎖には際限がない。
 だから、すべての転生の最初の原因は、無知にあると言わねばならない。
 その同じ無知が今も存在して、この質問を生みだしているのである。
 その無知がジニャーナによって取り払われなければならない。
 「なぜ、誰にこの苦しみはやってくるのか?」。
 もしあなたがこのように問いただせば、「私」は心や身体とは別のものであ
 ることに気づくだろう。
 真我だけが永遠の存在であり、それこそが永遠の至福、ジニャーナなのであ
 る。(p367

840 ::2023/10/22(日) 08:46:18.19 ID:V2RuDduw.net
因果関係の連鎖には際限がない。
 だから、すべての転生の最初の原因は、無知にあると言わねばならない。
 その同じ無知が今も存在して、この質問を生みだしているのである。
 その無知がジニャーナによって取り払われなければならない。
 「なぜ、誰にこの苦しみはやってくるのか?」。
 もしあなたがこのように問いただせば、「私」は心や身体とは別のものであることに気づくだろう。

841 ::2023/10/22(日) 08:47:32.34 ID:V2RuDduw.net
その無知がジニャーナによって取り払われなければならない^^

842 ::2023/10/22(日) 08:48:55.56 ID:V2RuDduw.net
ジニャーナとは・・^^

843 ::2023/10/22(日) 09:06:06.89 ID:V2RuDduw.net
「ギャーナヨガ|知識のヨガ」ってなに?
https://youtu.be/q3cJ4vIuMUo?t=141

844 ::2023/10/22(日) 09:49:55.58 ID:V2RuDduw.net
ジニャーナヨガ(知識のヨガ)とは、経典の研究や師の教えから自己を探究していくヨガの道です。ジニャーナには“知識”という意味があります。
このヨガは哲学的思索が好きな人に向いています。

ラージャヨガによって真理を悟った賢者たちは、誰に導いてもらうわけでもなく自身の瞑想を通して真理を悟りますが、それができる人はなかなかいません。ひとりで悟りに向かうのが難しい人は、出家して真理を悟った師と共に生活し、先生や経典から学び実践することでヨガを深めていきます。

このようにジニャーナヨガとは、知識を通して自分を探求していくヨガの道です。

845 ::2023/10/22(日) 09:52:23.93 ID:V2RuDduw.net
 ジニャーナヨガ(またはジュニャーナヨガ)とは、別名「知識のヨガ」とも呼ばれる哲学的なヨガ。
ジニャーナヨガの修行者は、「経典」「理由」「経験」を基本原則とし、理性的に自己の内面を分析し解脱に至り、真の知性・知識に到達します。
スピリチュアルで、哲学的な思考の修行者に最適なヨガと言えるでしょう。

846 ::2023/10/22(日) 09:54:20.74 ID:V2RuDduw.net
 マハルシ
 あなたは心と身体が苦しむと言う。
 だが、心と身体がそう言うのかね?
 質問しているのは誰だろうか?
 それは心と身体を超えたものではないだろうか?
 この生で身体が苦しむのは、前世に原因があるとあなたは言う。
 もしそうであれば、現世の原因はひとつ前の生にあり、その生はもうひとつ
 前の生に原因があるというようにつづいていく。
 種と芽のように、因果関係の連鎖には際限がない。
 だから、すべての転生の最初の原因は、無知にあると言わねばならない。
 その同じ無知が今も存在して、この質問を生みだしているのである。
 その無知がジニャーナによって取り払われなければならない。
 「なぜ、誰にこの苦しみはやってくるのか?」。
 もしあなたがこのように問いただせば、「私」は心や身体とは別のものであ
 ることに気づくだろう。
 真我だけが永遠の存在であり、それこそが永遠の至福、ジニャーナなのであ
 る。(p367

847 ::2023/10/22(日) 09:57:24.07 ID:V2RuDduw.net
う〜〜〜ん^^

そろそろ・・スレ違いさんと・・去れさんが来る頃だ^^

またまた去る^^

848 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 10:00:41.87 ID:LneBjknz.net
>>814 神も仏も名無しさん sage 2023/10/21(土) 21:36:42.05 ID:GNjj3UpF
>今、第三次世界大戦にむかっているのではと言われています。
>阿含宗は世界平和に向けて、日本海のカルマ解脱をやったり、日清日露戦争戦没者供養を行っている事をご存知ですか?
>皆で第三次世界大戦を防ぎましょう。

>>815で、早よ他スレに行ってここからは消えなさいという「あ」氏が一つだけ仕事をしています。
「日本海のカルマ解脱ってなんだよ」と。
実はこの疑問こそ正しくて、仏教やインド思想におけるカルマ、業とは人間の行いを指します。
もちろん人間の行いの総称を指すから、その影響や報いも含みます。
日本海の行いの報いって何よ?
人間以外の土地なんかが出てくる話は中国あたりの魂魄地に留まりてなんて話と
日本の怨霊思想を結びつけているだけの話で、仏教にはそんな思想すらありません。
それに対して仏教用語のカルマなんて言葉を当てはめる無知はやめなさい。
もっともあなたのその無知は阿含宗の桐山さんの無知そのものなんだが。
あ、あなたのような人が阿含宗内だけでなく、広くこれを社会に宣伝してくれれば、
阿含宗の無知も世に知れるところとなりますねw

849 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 10:19:25.60 ID:LneBjknz.net
>>814 神も仏も名無しさん sage 2023/10/21(土) 21:36:42.05 ID:GNjj3UpF
>今、第三次世界大戦にむかっているのではと言われています。
>阿含宗は世界平和に向けて、日本海のカルマ解脱をやったり、日清日露戦争戦没者供養を行っている事をご存知ですか?
>皆で第三次世界大戦を防ぎましょう。

で、仏教無知の件は一時置いておくとして、その怨霊魂魄思想のできそこないみたいな話の世界で考えてみるが、
日本海において過去に為された何が第三次世界大戦を引き起こそうと言うのですか?
たしかに日本海海戦みたいなものはありましたね。
ロシアとも朝鮮半島とも対峙している位置関係です。
日本海海戦の死者の怨念が第三次世界大戦まで引き起こすのですか?
日清日露戦争の犠牲者の怨念が第三次世界大戦を引き起こすという侮辱を述べたいのですか?
第三次世界大戦の脅威というのは現代においてたしかにあります。
ロシアにイスラエルに中国あたりがネックとなる。
しかしロシアは日本海とは全く関係ないウクライナを侵攻している。
阿含宗はロシアのハバロフスクで護摩を焚いたこともある。
その護摩の効果(?)も空しくウクライナ侵攻ですか?
またイスラエルでも護摩を焚いたが、その直後にイスラエルはパレスチナを空爆攻撃したし、
現在も戦争となっている。
あの護摩は何の平和の役にも立たなかったという証拠ですよね?
また中国においても桐山さんは関係を築いた。
台湾には阿含宗の支部道場まであるし、道場内で護摩も焚いたし、柴燈護摩形式では理の護摩も焚いたこともある。
しかし中国と台湾の関係は危険です。
このように阿含宗が焚き火しようとも世の中に何の良い影響も与えられなかったくせに
まだこの危機を幸いとばかりに焚き火をして、教団は信者から金集め、信者は己の歪んだ
名誉欲みたいなものを誇示でもしたいのか?

850 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 10:20:11.68 ID:LneBjknz.net
北朝鮮もあるか。

851 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 10:30:52.24 ID:ii6qprx1.net
>>0826神も仏も名無しさん2023/10/22(日) 01:21:41.55ID:BstMTxVf
>※経典をありのままに読めば深山説にはならない。

「経典をありのままに読めば」「経典がそれを裏付けている」と書きながら、
826には「漏尽智で煩悩を切る」と書いてある経典が出てこない。
出てきたのは、すでに何度も反論されている学者の解説です。
読み間違いだと何年も前から繰り返し指摘されたら、
私の指摘に対して反論すればいいのに、それは完全に
無視して、自分の解説をまた並べる。
それしかペテン大作さんには能がないからです。

彼が引用した学者の解説のどこにも「漏尽智で煩悩を切る」とはありません。
望月氏の文章は、解脱した後に輪廻しないことを「了知」すること、
つまり解脱を確認する智慧だと書いてあるのに、彼は読めない。
『総合仏教大事典』の「煩悩を断滅する智慧」という文言の元は沙門果経であり、
沙門果経では「汚れなく」と解脱した後に、この文章が出てきているのだから、
漏尽智とは解脱の後であることは明らかです。
『新・佛教辞典 第三版』に至っては、ペテン大作説そのものを否定しています。
ペテン大作さんは「漏尽智で解脱し、漏尽通で確認」という説なのに、
この辞典は漏尽通の説明であって、漏尽智で解脱するとはどこにもない。
しかも、これは>>360ですでに指摘している。

何よりも、私が指摘した桐山説との矛盾はどうなったのだ?
議論のテーマは桐山説の是非です。
桐山説を否定するような主張をして「理屈を並べても無駄」(>826)です。
まず、彼は次のような自説の矛盾を解決してから、お説教を始めるべきです。

852 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 10:37:45.30 ID:ii6qprx1.net
*阿含宗の教義を正しく理解する
信者さんたちに阿含宗の教義を正しく理解してほしい。
信者仲間としてペテン大作さんを味方したい気持ちはわかるが、
ペテン大作さんは桐山さんの主張の大半を否定しています。
彼の味方をすれば、阿含宗と桐山さんを否定することになります。
阿含宗を正しく理解すればペテン大作さんがどれほどの裏切り者かわかります。
最初に、桐山さんが唱えた阿含宗の教義を復習して、正しく理解しましょう。

・漏尽智=漏尽通
「仏教の本質はカルマを断滅する「力」に尽きる。この力を「漏尽智(漏尽通)」というが・・・」
(『準胝尊真言行とは』2015年、阿含宗教学部、8ページ)
「漏尽智(漏尽通)」という表現を見てもわかるように、阿含宗では
漏尽智、漏尽通、漏尽明は同じことです。

・漏尽通で煩悩を切る
「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」
(『人間改造の原理と方法』157頁、1977年)
桐山さんは煩悩を切るのは漏尽通(漏尽智)だと述べています。

・漏尽智で煩悩がないことを確認する
「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
これがもっとも重要である。」
(『般若心経瞑想法』124頁、1994年)
桐山説は漏尽智(漏尽通)で煩悩がないことを確認するという説です。

853 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 10:43:50.33 ID:ii6qprx1.net
・四諦では解脱できない
・神通力で解脱する
「私の体験をのべるならば、最初に四念処法で「四諦の法門」を体得し、次いで
七覚支法で最高度の禅定を体得し、さいごに四神足法の習練に入って、神通力を得た。」
(『阿含仏教超奇蹟の秘密』261頁)
桐山さんは四諦を体得したにもかかわらず解脱できず、四神足法で
神通力を得て解脱したと書いています。
つまり「四諦では解脱できない」「神通力で解脱した」のです。

・四諦の道諦は八正道ではない
「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」では
ないという確信を持った。」(『般若心経瞑想法』115ページ)(>>378)
桐山さんは、四諦の道諦は八正道ではない、と述べています。

・八正道では解脱できない
「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁)
桐山さんは八正道では解脱できないとはっきり述べています。
阿含宗ではシチカ三十七道品の中の八正道は法ではなく、
「初学の弟子」に説いたオシエにすぎないとされています。

これが漏尽智や解脱に関する桐山さんの主張であり、阿含宗の教義です。
すべて文章による根拠を示しました。
阿含宗の信者とは、自覚の有る無しにかかわらず、これらの教義を
信じている人たちのことであり、また、これを信じなければならない。
そこでペテン大作さんの主張を見てみましょう。

854 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 10:51:22.37 ID:ii6qprx1.net
・ペテン大作説 漏尽智≠漏尽通
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。
一時「漏尽智=漏尽通」を認めたが、また「漏尽智≠漏尽通」に戻った。
阿含宗の「漏尽智=漏尽通」という主張をペテン大作さんは否定しています。

・ペテン大作説 漏尽通ではなく漏尽智で解脱する
>>0209神も仏も名無しさん2023/09/22(金) 23:24:03.63ID:MgzLybB2
>諸々の汚れを滅す智は漏尽智であり、漏神通ではありません。
桐山さんは「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。」(>>852)
と述べているのに、ペテン大作さんはこれを真っ向から否定した。

・ペテン大作説 漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する
>420神も仏も名無しさん2020/11/17(火) 13:56:26.34ID:LMwFWZm7
>一つは漏尽通で煩悩を滅し、漏尽通でそれが尽きたことを確認するケース。
漏尽通で煩悩がないことを確認すると書いているが、この説明も
クルクルとここ数年でも変わっている。
一方、桐山説には漏尽智と漏尽通の区別などありません。

・ペテン大作説 漏尽智は神通力ではない
>>585 神も仏も名無しさん 2023/10/15(日) 23:26:55.13 ID:Jngx9wXK
>漏尽智の内容は四諦だから神通力ではない。
>だがそもそも、開祖は漏尽智を神通力だとはしていません。
桐山さんは、四神足法で神通力を得て解脱したと言っており、
その神通力とは漏尽智だと言っています。
桐山さんは漏尽智を神通力だと言っているのにペテン大作さんは否定している。

855 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 10:57:48.99 ID:ii6qprx1.net
・ペテン大作説 四諦で解脱する
>0155神も仏も名無しさん2023/09/20(水) 23:00:11.19ID:afIhYjjD
>漏尽智が四諦を認識して漏心を解脱するのです。
桐山さんは四諦の体得でも解脱しなかったと書いている。
だが、ペテン大作さんは四諦で解脱すると述べて、桐山説を否定しています。

・ペテン大作説 漏尽智は四諦である
>0286神も仏も名無しさん2023/09/25(月) 14:15:40.00ID:oVyDPW5Z
>漏尽智が四諦であることを最初に書いたのは私です。
桐山さん説では、四諦とは四念処で体得したオシエにすぎず、
漏尽智は四神足で体得した法ですから、両者が同じなはずがない。
だが、ペテン大作さんは両者は同じだと述べて、桐山説を否定しています。

・ペテン大作説 四諦の道諦とは八正道である
・ペテン大作説 八正道で解脱する
>>0732神も仏も名無しさん2023/10/19(木) 22:31:16.45ID:FRA8JF4p
>漏尽智が八正道の正見に当たることが理解出来れば
>解脱を確認するだけの智恵だと主張するわけが無いからです。
桐山さんは四諦の道諦が八正道だという学者の説は間違っていると
指摘しています。
ところが、ペテン大作さんは道諦は八正道だと断言している。
桐山さんは八正道では解脱できないと述べている。
だが、ペテン大作さんは漏尽智とは四諦であり、その四諦の八正道で
解脱すると述べている。
桐山説を一刀両断で切り捨てている。

856 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 11:09:33.26 ID:ii6qprx1.net
阿含宗の教義(桐山説)
・漏尽智=漏尽通
・漏尽通で煩悩を切る
・漏尽智で煩悩がないことを確認する
・四諦では解脱できない
・漏尽智という神通力で解脱する
・四諦の道諦は八正道ではない
・八正道では解脱できない

ペテン大作説
・漏尽智≠漏尽通
・漏尽通ではなく漏尽智で煩悩を切る
・漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する
・漏尽智は神通力ではない
・四諦で解脱する
・漏尽智は四諦である
・四諦の道諦は八正道である
・八正道で解脱する

信者さんたちに着目してほしいのは、これらの比較は桐山さんと
ペテン大作さんの比較である点です。
批判側も阿含経も関係なく、単純な両者の比較です。
両者の矛盾、食い違いは批判側は関係ない。
教祖と信者だから、本来なら一致するのが当たり前です。
ところが、ここ二カ月の、それも漏尽智だけの議論なのに、
ペテン大作さんは正面から繰り返し桐山説を否定している。
阿含宗擁護が本当の目的ならありえないことです。
信者さんたちは、阿含宗擁護派であるはずのペテン大作さんが、阿含宗に
石を投げ続けている現実に、一体彼は何が目的なのかと疑問になりませんか。

857 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 11:24:43.03 ID:LneBjknz.net
まあ阿含宗の信者さんで、いくら批判側が嫌いだからと言って、ペテン大作さんを支持したい人はゼロなんじゃありませんか?
私が擁護側信者の時にだって、当時いたよー痴さんと言われていた信者も
こちらは少しも擁護する気はなく、居られて迷惑だったし。
マトモな信者さんだったらね。

858 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/22(日) 11:26:56.41 ID:ii6qprx1.net
*ペテン自滅の矛盾はさらに増える

実は、議論は半分も終わっていません。
桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」の議論が二カ月たっても終わらず、
桐山説3「漏尽智でカルマを切る」に進めない。
正確には、いくらペテン大作さんに桐山説3の議論に応じるように言っても、無視しているからで、これは毎年そうです。
これも奇妙ですよね。
因縁切り、カルマ解脱という阿含宗の最重要課題なのに、
彼は逃げるばかりで、議論に応じない。
桐山説2一つでこれだけ阿含宗に石を投げ続けているのだから、この先
桐山説3まで議論が進んだら、いったいどうなるのでしょう?

信者だからといって阿含宗の教義を全部是認しろとは言いません。
だが、桐山さんの主張が間違っている部分があるというなら、それを
はっきりと認めると表明するべきでしょう。
過去の信者の大半は間違いを指摘されると認めるか沈黙して
そのテーマは終わりにして、その上でさらに阿含宗を擁護しようとした。
それは正しい議論の仕方です。

だが、ペテン大作さんは違う。
どんなに間違いや矛盾を指摘されても無視して、15年以上にもわたり同じ主張を繰り返す。
今回の桐山説との矛盾を指摘されても、彼は、
狐のように、口を拭い、屁理屈を並べ続ける自分を狼だと思い込み、
狸のように、素知らぬ顔をして、とぼける自分を虎だと勘違いしている。
信者さんがペテン大作さんを支持するなら、それは阿含宗の教義を
否定し、桐山さんを裏切ることになる。
こんな裏切り者の味方などするつもりはありませんよね?
このように、現実世界でもペテン大作さんは狐や狸の行為を繰り返すことを
自分ではすごく格好良いと思い込み、自ら孤立を招いてきた。

859 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 16:49:55.59 ID:LneBjknz.net
お互いの意見が異なるとわかった時、またそれでも自分の主張は譲れないと思った時でも、
これ以上続けても平行線だなと観察できた時は、そこで平行線のままにしますよね。
意見の食い違いなんて世の中に数えきれないほどあるのです。
しかしいちいち決着なんかつけなくて、異なった意見がある、とそれだけでよい。
それで世の中は存続します。
ましてやペテン大作さんの説に「あ」さんなども疑問を書いている。
多数決の世界ではないが、深山・ユビキタス説は我々2人で、後の世界中の人がこれを否定しているという構図にもなっていない。
だったら自説は自説、他人の説は他人の説で平行線でいいではないか?
私はペテン大作さんを説得しようなんて考えてもいない。
どうでもいいのです。
だからやめようと言ってもやめないのが彼です。
桐山さんは言っていた。
経済戦争ならばお互いに利益不利益が見えたところで集結する。
しかし民族闘争、宗教戦争ならば相手の最後の1人が死ぬまでやり続ける、と。
現実はそんな桐山説の展開にもなってないと思うのだがw
しかしペテン大作さんはまさにそれを地で行ってますね。
相手が全面降伏するまでやり続ける。
それが人類の平和を乱すのです。
これを捨てねばならない。深層意識だの霊障を解かねばならないなんて話ではないw
ペテン大作さんは霊障か?w
だからペテン大作さんの心は常に安定していない。極めて不安定です。
これを煩悩というのです。
彼はどうせ解脱なんて興味もないだろうが、煩悩で苦しみ続けるのです。
苦しいという自覚がなくても苦しみから逃れることができない。
ただそれを捨てればよいだけなのに。
普通の人は俗にこれを大人の対応をすると言います。

860 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 16:51:02.75 ID:LneBjknz.net
集結する→終結する

861 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/22(日) 17:02:26.44 ID:LneBjknz.net
そして彼の卑怯なところは、この議論だけでこちらの様々な主張を否定しようというところです。
我々は実にたくさんもの点で阿含宗を批判してある。
それを常に具体的に示している。
ところがペテン大作さんは心の安定論議で自分の考えと合わないだけで、こちらを全否定にかかる。
こんな奴が言っていることは全部嘘だ、信用しない方がいい、と。
皆さんそう思いますか?
ある人が数学の試験の答えを間違えたとする。
すると、こんな奴は信用できない、こんな奴は英語の試験をしても間違うに決まっていると決めつける。
しかしそんな決めつけをする人間は世の中に一人もいねーよということです。
こちらの阿含宗批判の具体的な指摘に対して、それぞれ個別にこれは違うと反論すべきなのに。
しかし彼はそれをしようとせず、心の安定論議だけで全て白黒つけようとするのは卑怯と言うよりも・・・
やはり馬鹿なのかな?
よくもまあこの愚かさをスレという社会の一部で示せるものだ。
小学生にもこうなってはいけないよと反面教師として教えてあげたい。

862 ::2023/10/22(日) 18:52:54.82 ID:V2RuDduw.net
うん?

^^キョロキョロ

863 ::2023/10/22(日) 18:53:01.71 ID:V2RuDduw.net
うん?

^^キョロキョロ

864 ::2023/10/22(日) 18:53:22.91 ID:V2RuDduw.net
「業」の教えとは何か?

「業」の教えは多種多様とはいいながらも、「業」の教え=業論であるかぎりは、共通な考え方や視点はあるはずです。ここでは仮に、

「業論とは、人間存在における業=行為とその結果や影響について、何らかの積極的意義を認める教説・思想のことである」と定義してみましょう。

初期仏教の阿含あごん教説に「比丘びく等よ、およそ過去世において応供おうぐ・正等覚者しょとうかくであった世尊は、業論者(kammavāda)、業果論者(kiriya-vāda)、精進論者(viriya-vāda)であった」(パーリ経典・増支部三・一三五)とあります。業(行為)とその結果・影響および自由意志による精進=努力の重要さを述べています。

また、この阿含教説には、業論が成り立つための3つの要素や前提条件が述べられています。

1  業=行為そのもの 身しん・口く・意いの三業 または思業・思已業の二業

2  業=行為の結果・影響 転じて行為主体の状態・境遇

3  業=行為の動機・意志 業の動機・原因となる意識の問題

これら3つは、後世の業論展開の基本要素となり、どれを強調するのかによって、異なった業論が展開されていきます。

865 ::2023/10/22(日) 18:53:53.72 ID:V2RuDduw.net
初期仏教の経典等では、生前の行為によって死後、異なった来世がもたらされるという業報輪廻とは別に、?現在の善悪の行いが、今ここに在る「私」という行為者の性格、さらには人格のあり方を形づくり、?さらに業=行為が、同時に行為主体をも限定していくことを教えています。日常の業=行為とその習慣がおのれ自身に影響をおよぼすということなのです。

何かをすることも、しないことも、その人の自由意志ですが、その行為・不作為ということが、何らかの影響をおよぼします。善き行為の習慣は、苦楽の結果にかかわらず、善の徳を重ねることになりますし、逆に悪しき行為の継続は、それにまつわる様々な結果や作用を発生させることになります。

例えば、嘘をついて他者をだますことに慣れてしまうと、嘘の習性が身についてきます。一時期は得しても、長い目で見ると、結局は誰にも相手にされなくなります。

866 ::2023/10/22(日) 18:56:30.24 ID:V2RuDduw.net
初期仏教の阿含あごん教説に「比丘びく等よ、およそ過去世において応供おうぐ・正等覚者しょとうかくであった世尊は、業論者(kammavāda)、業果論者(kiriya-vāda)、精進論者(viriya-vāda)であった」(パーリ経典・増支部三・一三五)とあります。

たぶん基本はこれ^^

比丘たちよ、縁起とは何か。

比丘たちよ、無明により行が起こり、行により識が起こり、識により名色が起こり、名色により六処が起こり、六処により触が起こり、触により受が起こり、受により渇愛が起こり、渇愛により取が起こり、取により有が起こり、有により生が起こり、生により老死が、愁悲苦憂悩が生じる。 このようにして、全ての苦蘊は生起する。

—パーリ仏典, 相応部 12-2 分別経,

867 ::2023/10/22(日) 19:02:23.86 ID:V2RuDduw.net
さて質問です^^

行と業の違いは何でしょうか・・・?

868 ::2023/10/22(日) 19:04:37.80 ID:V2RuDduw.net
う〜〜ん^^

ほんまおもろいで^^

869 ::2023/10/22(日) 19:06:55.46 ID:V2RuDduw.net
ヒント^^

行蘊 - 巴: saṅkhāra, 梵: saṃskāra

業 - 梵: karman

870 ::2023/10/22(日) 19:07:36.59 ID:V2RuDduw.net
行蘊 - 梵: saṃskāra

業 - 梵: karman

871 ::2023/10/22(日) 19:17:33.26 ID:V2RuDduw.net
つまり・・^^

カルマ(業)とサンスカーラ(行)

872 ::2023/10/22(日) 19:21:08.56 ID:V2RuDduw.net
仏教における用法
 サンスカーラ(行)は、まず、「集め造るはたらき」、いわば「形成力」を意味するが、仏教では常住不変なる存在は認められないので、主宰神などを指すことはない。
 因・縁となる諸条件を集めて結果・現象を成立させる力・はたらき、つまりはえんぎ縁起のはたらきを指し、加えて、そのはたらきを有するもの、因となるものを意味するのである。それゆえ、サンスカーラは、思(cetanā、意志作用)、つまり心が他に対して積極的にはたらきかけること、さらには、思を含む心作用一般をも意味するのであり、この思自体または思を源とするものたる業(karman)、苦・輪廻の生存全体を形成する因である行為と同義語となる。そして、以上の点において、サンスカーラは、四諦中の「集(苦集)」とも同義語となる

873 ::2023/10/22(日) 19:22:58.31 ID:V2RuDduw.net
また、サンスカーラ(行)は、十二縁起の「無明一行一識一…」(惑一業一苦)において、その一面が示されるように、その力または因によって形成されたもの、すなわち縁起された結果をも意味するので、この場合、有為(saṃskṛta)とも同義語となる。

874 ::2023/10/22(日) 19:24:38.36 ID:V2RuDduw.net
なる。
 「諸行無常・諸法無我・一切皆苦」という三法印、あるいは「涅槃寂静」を加えた四法印中の「諸行」は、縁起されたものを意味するが、それも、個人存在に関するかぎりでの一切法を指すのであって、諸行=諸法=一切でなくてはならない。しかし、アビダルマ仏教、特に説一切有部では、有為と明確に区別して無為を立てるために、この「諸行」も、無為以外の法と限定して解釈される。なお、諸行は、縁起されたものであるから無常なのである。三苦(苦苦・行苦・壊苦)中の行苦(saṃskāraduḥkha)は、さらに無常=苦と続けるのである。五蘊(色・受・想・行・識)において、受(感受作用)―想(表象作用)一行一識(識別作用)は一連の心理活動と考えられており、したがって「行蘊」は、上述の思(六触所生の六思)なのであるが、心所(心作用)に対する分析・分類が進んで多くの心が設定されるにともない、思を代表とする受・想以外の心所すべてとされるのである。

875 ::2023/10/22(日) 19:25:06.98 ID:V2RuDduw.net
また、一切法の分類として五位七十五法を立てる説一切有部においては、五蘊をも一切有為の分類であると考えて、「行穂」は、色、識=心、受・想、無為以外の諸法、すなわち、受・想以外の心所と心不相応行法(心所以外の作用・力など)とされるのである。

876 ::2023/10/22(日) 19:28:21.70 ID:V2RuDduw.net
う〜〜〜ん^^

難しく書いてあるが・・実は簡単なことやで^^

877 ::2023/10/22(日) 19:29:25.25 ID:V2RuDduw.net
文字にすると・・なぜか難しくなる摩訶不思議^^

878 ::2023/10/22(日) 19:33:24.27 ID:V2RuDduw.net
色は匂へど 散りぬるを(諸行無常)

我が世誰ぞ 常ならむ (是生滅法)

有為の奥山 今日越えて(生滅滅已)

浅き夢見じ 酔ひもせず(寂滅為楽)





香りよく咲いた花もたちまち散り。

人が生まれやがて死ぬのは世の自然の流れ。

苦しみの山々を今日超えて目覚める。

もう浅はかな夢もなく迷いがない。

879 ::2023/10/22(日) 19:37:21.20 ID:V2RuDduw.net
うん?

なんか暗い^^

僕とか・・こっちの方↓なんで^^

サット・チット・アーナンダという言葉。
聞いたことがありますか?

インドなどのヒンドゥー教圏でよく使われる言葉です。

サットは”存在”、チットは”意識”、アーナンダは”至福”という意味です。

これら3つは、人の本質(真我)の3つの側面を言い表しています。

人は、体でも心でもない
サット・チット・アーナンダの話をするには、ある前提が必要です。

それは、人の本質は、体でも心でもないということです。

「何言ってるの? 人は体を持っているし、心も持ってるでしょ」と思う人は多いんじゃないでしょうか?

だって、体には5感覚があるし、心だって、人の存在理由のようにも感じます。

体も心も、自分だと思う人がほとんどだと思います。

880 ::2023/10/22(日) 19:38:56.16 ID:V2RuDduw.net
人の本質は、サット・チット・アーナンダ
その何かが、サット・チット・アーナンダなんです。

サットは”存在”、チットは”意識”、アーナンダは”至福”、という意味です。

意識については、ほとんどの人が自覚しているはずです。

人は、自分の考えに気がつくことができます。

意識があるからこそ、そのことに気がつけるはずです。

であるなら、あなたは意識なんじゃないでしょうか?

多くの人は、体と心に、自分という感覚があると思い込んでいます。

体と心を持ったこの自分が、この意識に気がついていると思っています。

でも、実際は違うんです。

逆です。

実は、意識そのものに、自分という感覚があるんです。

だからこそ、意識を失っているときは、自分という感覚はありません。

体と心が動いていてもです。

そして、人の本質(真我の3つの側面)には、”意識”の他に、”存在”と”至福”があります。

881 ::2023/10/22(日) 19:39:50.78 ID:V2RuDduw.net
サット・チット・アーナンダ♬^^

882 ::2023/10/22(日) 19:40:28.60 ID:V2RuDduw.net
う〜〜ん^^

明るくなった^^

寝る^^

883 ::2023/10/22(日) 19:43:23.20 ID:V2RuDduw.net
簡単に言えば・・^^

意識=精神原理=変化しない^^

身心=物質原理=変化する^^

884 ::2023/10/22(日) 19:49:14.99 ID:V2RuDduw.net
先人たちは、瞑想によって自分の内側の深い部分に意識を向けて行った時、自分自身の「心」でさえ物質的な社会の一部であり、それを手放すことで純粋な真実の自分がいることに気が付きました。それがプルシャ(真我)と呼ばれる本当の自分です。

885 ::2023/10/22(日) 19:49:58.38 ID:V2RuDduw.net
やばい^^

徹夜になってしまう^^

寝る^^

886 :ユビキタス :2023/10/22(日) 20:45:33.65 ID:LneBjknz.net
>>865 あ 2023/10/22(日) 18:53:53.72 ID:V2RuDduw
>初期仏教の経典等では、生前の行為によって死後、異なった来世がもたらされるという業報輪廻とは別に、①現在の善悪の行いが、今ここに在る「私」という行為者の性格、さらには人格のあり方を形づくり、②さらに業=行為が、同時に行為主体をも限定していくことを教えています。日常の業=行為とその習慣がおのれ自身に影響をおよぼすということなのです。

これはその通りです。
仏教では常に今現在の自分の行いが正しいか浄らかが問われます。
過去の先人が行った行いも、前世に自分が犯してしまった悪い行いもくよくよとすることもありません。
世の中の平和を願うなら、まず自分がどれだけ正しい行いをするかだけが問われます。
釈尊が説きもしないカルマ解脱なんて説いて広めることは悪業、悪い行いだからそれは報いとなって還ることを覚悟しましょう。
日本海のカルマにしたってそうですよ。
おかしな焚き火までしてそれだけ先人を辱めた悪い行いの報いは必ず阿含宗の信者個々に返ります。

887 :ユビキタス :2023/10/22(日) 20:46:14.28 ID:LneBjknz.net
>>885
とっとと寝ろ。
明日の朝も起きてこなくていいぞw

888 :神も仏も名無しさん:2023/10/22(日) 21:10:34.55 ID:n9zkYJOA.net
>>851
>ペテン大作さんはいつから、「漏尽通で煩悩
>を切る」という説になったのだ?
>あなたは先月末から、
>「漏尽智≠漏尽通」
>「漏尽智で煩悩を切る」
>「漏尽通で煩悩がないことを確認する」
>と主張を変えた。

大先生は「漏尽智≠漏尽通」に噛みついて起死回生を図ろうと必死です。
私が「漏尽智≠漏尽通」だと言ったのには根拠があります。

「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、四根本静慮を依持とし威徳殊勝を示現するを漏盡智通と名づくることを設けるものなり。」
「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」
(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

上記の説明によれば、漏尽智と漏尽通が全くのイコールでは無いのが分かる。
誰でもそれに気づくでしょう。
漏尽智とは煩悩を断ち再生しないことを確認する智であり、
その漏尽智で解脱して威厳と人徳を備えることを漏尽通という。
このように両者は微妙に違うのです。
しかし普通は両者は同じだと見做されている
から漏尽智=漏尽通です。
仏教辞典にある漏尽智は漏尽通に置き換えても同じでありその逆も同じです。
「漏尽通で煩悩を切る」は「漏尽智で煩悩を切る」と言っても同じことです。

889 :神も仏も名無しさん:2023/10/22(日) 21:11:26.67 ID:n9zkYJOA.net
>>851
>望月氏の文章は、解脱した後に輪廻しない
>ことを「了知」すること、
>つまり解脱を確認する智慧だと書いてあるの
>に、彼は読めない。

読めますよ。
だが了知する前に
「如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、」
とあるから、煩悩を断ち輪廻しないことを了知する智です。

>『総合仏教大事典』の「煩悩を断滅する智
>慧」という文言の元は沙門果経であり、
>沙門果経では「汚れなく」と解脱した後に、
>この文章が出てきているのだから、
>漏尽智とは解脱の後であることは明らかで
>す。

漏尽智が解脱の後だったら煩悩を断滅する必要はありません。
煩悩を断滅する智慧だから解脱の前にあることになります。
だから「漏尽智→解脱」です。

890 :ユビキタス :2023/10/22(日) 21:48:37.07 ID:oY4kv6t+.net
病人登場

891 :ユビキタス :2023/10/22(日) 22:47:46.13 ID:oY4kv6t+.net
>>888
つまり桐山開祖が説いたことは全部間違いであると。

892 ::2023/10/23(月) 03:38:49.10 ID:cuTGWE/n.net
三 明 と は の 宿 命 智 通 , の 天 眼 智 通 , の 漏 尽 智 通 で あ る . 説 か れ て い る よ
うに の 宿 命 智 通 は 過 去 の 事柄 を知 る 智 で あ り, の 天 眼 智通 は 未 来 の 事 柄 を 知
る 智で あ る . そ の た め 過 去か ら未来に わ た る あ ら ゆ る 事柄を 知 る 智 で あ る と言 え
る . そ し て の 漏 尽 智 通 は 煩 悩 を離れ た 智 で あ る .
で は こ れ ら三 明 が 一 切 智 の 内容 で あ る な ら , 先の 不 染 汚 無 知 の 内容 と対応 して
くる こ と に 気付 く. す なわ ち宿 命 ・天 眼 の 2 つ は, 時間を こ え て 余 す所 な く知 る
こ と が で き る た め ,
一 切法 に 関す る 無 知 を離 れ て い る と理 解 で き る . また 漏 尽 智
通 は 煩悩 か ら完 全 に 離 れ て い る た め , 習 気 を も離 れ て い る と了 解 で きる . した が っ
て 一 切 智 の 内容が 三 明 で あ る こ と か ら, 『婆 沙 論』 は そ の 逆 の 不 染 汚 無 知 に ,

切 法 に 関す る無知 と煩 悩の 習気 の 2 つ の 内容 を 与 え た と推 測 で きる .

893 ::2023/10/23(月) 03:38:55.62 ID:cuTGWE/n.net
三 明 と は の 宿 命 智 通 , の 天 眼 智 通 , の 漏 尽 智 通 で あ る . 説 か れ て い る よ
うに の 宿 命 智 通 は 過 去 の 事柄 を知 る 智 で あ り, の 天 眼 智通 は 未 来 の 事 柄 を 知
る 智で あ る . そ の た め 過 去か ら未来に わ た る あ ら ゆ る 事柄を 知 る 智 で あ る と言 え
る . そ し て の 漏 尽 智 通 は 煩 悩 を離れ た 智 で あ る .
で は こ れ ら三 明 が 一 切 智 の 内容 で あ る な ら , 先の 不 染 汚 無 知 の 内容 と対応 して
くる こ と に 気付 く. す なわ ち宿 命 ・天 眼 の 2 つ は, 時間を こ え て 余 す所 な く知 る
こ と が で き る た め ,
一 切法 に 関す る 無 知 を離 れ て い る と理 解 で き る . また 漏 尽 智
通 は 煩悩 か ら完 全 に 離 れ て い る た め , 習 気 を も離 れ て い る と了 解 で きる . した が っ
て 一 切 智 の 内容が 三 明 で あ る こ と か ら, 『婆 沙 論』 は そ の 逆 の 不 染 汚 無 知 に ,

切 法 に 関す る無知 と煩 悩の 習気 の 2 つ の 内容 を 与 え た と推 測 で きる .

894 ::2023/10/23(月) 03:43:11.73 ID:cuTGWE/n.net
漏 尽 智通 は 煩悩 か ら完 全 に 離 れ て い る た め

895 ::2023/10/23(月) 03:46:58.29 ID:cuTGWE/n.net
一 切 智 の 内容が 三 明 ^^

三 明 と は の 宿 命 智 通 , の 天 眼 智 通 , の 漏 尽 智 通 で あ る

896 ::2023/10/23(月) 03:47:55.20 ID:cuTGWE/n.net
ふ〜〜ん^^

まぁ〜参考程度やな^^

897 ::2023/10/23(月) 03:52:23.72 ID:cuTGWE/n.net
一 切 智 と三 明の 関係
不 染 汚 無 知 の 初 出 は 「婆 沙 論 』 で あ る . そ れ 以 前 に は 類 す る 概 念 も 見 当 た ら な
い . で は こ の 内容 は ど こ か ら きた の か . その 点 を 不 染 汚 無 知の 対 概 念と もい え る
一 切 智 を手 が か りに して 解 明 して み た い .
一 切 智 は ニ カ ー ヤ の 時代 か らす で に 見 られ る が ,
一 切 智 に 関 して 活 発 な 議論 が
な さ れ る の は や は り不 染 汚 無 知 と 同 じ く 「婆 沙 論 』 か ら で あ る
10). そ の 点 か ら
も不 染 汚 無 知 と一 切 智 が 関 連 して い る こ とが わ か る . しか しニ カ ー ヤ に 一 切 智 に
関 す る 議 論 が 全 くない わ けで は な い .
『中部 』 の 「テ ー ヴ ィ ッ チ ャ ヴ ァ ッ チ ャ ゴ ー タ 」 に は , ヴ ァ ッ チ ャ 姓 の 者 が 「世
尊 を 一 切 智者 と呼ん で もよ い の か 」 と質問 し, 釈 尊が 次 の よ うに 答 えて い る .

898 ::2023/10/23(月) 03:53:10.15 ID:cuTGWE/n.net
世尊 は 仰せ られ た 〕 「ヴ ァ ッ チ ャ よ ,彼 ら は こ の よ うに 言 っ て い る .

沙 門 ゴ ー タ マ は ,
一切 智者 一切 見 者で あ り, 完全 な 智 見 あ る と称 して い る. 我 が 歩 む 時 や 留 ま る時 ,寝 て
い る 時 や 寝 て い な い 時 に は ,常 に 不 断 に 智 見 が 起 っ て い る

と. 〔こ の よ うに 〕 私 に 関
して そ れ らの こ と を 言 う者 は , 事 実 で は な い 偽 りを も っ て 私 を 謗 っ て い る .」 (中 略 )
「ヴ ァ ッ チ ャ よ,

沙 門 ゴ ー タ マ は 三 明 あ る 者 で あ る

と, 説 き語 る 者 は , 我 に 関 して 我
を偽 りを もっ て 謗 ら ず ,法 に 関 して 法 に か な っ て 説 くで あ ろ う.」

899 ::2023/10/23(月) 03:55:41.40 ID:cuTGWE/n.net
〔こ の よ うに 〕 私 に 関
して そ れ らの こ と を 言 う者 は , 事 実 で は な い 偽 りを も っ て 私 を 謗 っ て い る .」 (中 略 )

「ヴ ァ ッ チ ャ よ,沙 門 ゴ ー タ マ は 三 明 あ る 者 で あ る

と, 説 き語 る 者 は , 我 に 関 して 我を偽 りを もっ て 謗 ら ず ,法 に 関 して 法 に か な っ て 説 くで あ ろ う.」

900 ::2023/10/23(月) 03:56:45.67 ID:cuTGWE/n.net
私 に 関して そ れ らの こ と を 言 う者 は , 事 実 で は な い 偽 りを も っ て 私 を 謗 っ て い る .」

901 ::2023/10/23(月) 03:58:01.26 ID:cuTGWE/n.net
ヴ ァ ッ チ ャ よ,沙 門 ゴ ー タ マ は 三 明 あ る 者 で あ る^^キリッ

902 ::2023/10/23(月) 04:00:15.42 ID:cuTGWE/n.net
ブッダちゃん^^

俺が三 明 あ る 者 だと・・・^^

^^テヘッ

903 ::2023/10/23(月) 07:37:06.03 ID:SFHfyyzx.net
〔こ の よ うに 〕 私 に 関
して そ れ らの こ と を 言 う者 は , 事 実 で は な い 偽 りを も っ て 私 を 謗 っ て い る .」 (中 略 )


さてどう言う意味でしょう^^

904 ::2023/10/23(月) 07:41:15.44 ID:SFHfyyzx.net
「ヴ ァ ッ チ ャ よ,沙 門 ゴ ー タ マ は 三 明 あ る 者 で あ る

と, 説 き語 る 者 は , 我 に 関 して 我を偽 りを もっ て 謗 ら ず ,法 に 関 して 法 に か な っ て 説 くで あ ろ う.」

905 ::2023/10/23(月) 07:42:02.34 ID:SFHfyyzx.net
沙 門 ゴ ー タ マ は 三 明 あ る 者 で あ る^^キリッ

906 ::2023/10/23(月) 07:42:34.84 ID:SFHfyyzx.net
三 明 あ る 者とは^^?

907 ::2023/10/23(月) 07:44:47.91 ID:SFHfyyzx.net
漏 尽 智 通 は 煩 悩 を離れ た 智 で あ る

これぐらいでは理解できる^^

908 ::2023/10/23(月) 07:45:42.29 ID:SFHfyyzx.net
煩 悩 を離れ た ^^

ここ重要^^

909 ::2023/10/23(月) 07:47:13.69 ID:SFHfyyzx.net
遠離やな^^

910 ::2023/10/23(月) 07:50:08.09 ID:SFHfyyzx.net
仏教に「遠離」という言葉があります。遠離とは、離れること、捨てること、手放すこと。遠離を追求するということは、すべての執着から離れ、真の自由を目指して成長するということです。

911 ::2023/10/23(月) 09:38:43.45 ID:SFHfyyzx.net
真の自由を目指して成長するということです。

うん?

912 ::2023/10/23(月) 09:41:27.75 ID:SFHfyyzx.net
さて問題です^^

自由意識はあるのでしょうか^^?

913 ::2023/10/23(月) 09:45:25.46 ID:SFHfyyzx.net
三明
もはや学ぶべきことが無い聖者、仏陀がもつ三種の明智^^

914 ::2023/10/23(月) 09:55:04.51 ID:SFHfyyzx.net
三明説(および三明説から発展した六通説)は、初期仏教から部派仏教へ展開する過程で、「縁起」型と「四諦」型に分裂した。初期仏教時代の三明説は、菩薩も比丘も第三明(漏尽知)で「四諦」を認識して仏陀・阿羅漢となることを説く伝承であり、もともとは「四諦」型しか存在しなかった。ところが、部派仏教時代になると、菩薩が「縁起」を認識して仏陀となる様式と、比丘・瑜伽行者が「四諦」を認識して阿羅漢となる様式に、三明説が分かれたのである。

915 ::2023/10/23(月) 09:59:06.05 ID:SFHfyyzx.net
うーん^^

はっきり言って^^

つまらん^^

916 ::2023/10/23(月) 10:06:03.01 ID:SFHfyyzx.net
おまえら^^

サーンキヤ哲学のほうがおもろいで^^

917 ::2023/10/23(月) 10:06:36.85 ID:SFHfyyzx.net
はまる人ははまる^^

918 ::2023/10/23(月) 12:50:10.37 ID:SFHfyyzx.net
心と身体は私ではない^^

これだけでも面白い^^

919 ::2023/10/23(月) 12:53:08.34 ID:SFHfyyzx.net
心と身体は変化するけど^^

真の自己は変化しないんだよな^^

これが^^

920 :ユビキタス :2023/10/23(月) 15:25:35.49 ID:5BKJ3sih.net
>>919
阿含宗の話できねえのか?

921 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/23(月) 21:10:23.75 ID:VfUMlHYw.net
>>0888神も仏も名無しさん2023/10/22(日) 21:10:34.55ID:n9zkYJOA
「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、四根本静慮を依持とし威徳殊勝を示現するを漏盡智通と名づくることを設けるものなり。」

ペテン大作さん以外の普通の国語力を持つ信者さんは、文章を普通の
読解力で読んでみましょう。
まずどこにも「漏尽智で煩悩を切る」とはありません。
冒頭には「一切の有漏煩惱を斷盡し」というのだから、「煩悩を断滅した後」が
前提になっているのがわかります。
煩悩を断滅して解脱し、その後に漏尽智と漏尽通が来ると言っているのです。

前半の漏尽智の説明は「解脱して、解脱を確認するのを漏尽智という」意味です。
望月氏も、漏尽智とは解脱を確認する智慧だと言っているのです。
後半の漏尽通(漏盡智通)の説明は「解脱して、四諦を体得し実践し示すのを
漏尽通という」という意味です。
これも、四諦を完全に体得したら解脱ですから、それを示す、つまり
解脱したことを確認することです。

922 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/23(月) 21:20:09.99 ID:VfUMlHYw.net
>>0888神も仏も名無しさん2023/10/22(日) 21:10:34.55ID:n9zkYJOA
「漏盡通ー漏盡智を證得し、解脱を得て威徳具足するを云ふ。」

この文章も前の文章と同じことです(同一人物が書いているのだから当たり前)。
解脱した後に解脱を確認して(漏尽智)、四諦を完全に体得しているか
どうか、つまり解脱したことを確認するのが漏尽通だとある。
漏尽智も漏尽通も同じで、どちらも解脱を確認することです。
それを望月氏、「輪廻転生しない」と確認することを漏尽智と表現し、
四諦を完璧に体得していることを漏尽通と表現しただけです。
輪廻しないことも、四諦を完璧に体得することも、どちらも解脱によって
得られる結果であり、それを確認しているだけです。
その確認の内容の違いで漏尽智や漏尽通と表現しただけです。

望月氏は「漏尽智≠漏尽通」などと言っていない。
ある人物を山田さんと言うか、一朗さんというかの違いです。
すると、ペテン大作さんには二人の人物に見える。
円筒は丸と四角でできていると説明すると、ペテン大作さんは
円筒とは丸と四角という二つの図形だと主張する。

彼は放置するとして、読者の皆さんに良く見てほしいのは、文語体の
細かい解説を抜きにして、どちらの文章にも、またペテン大作さんが
過去に引用し望月氏の文章のどこにも、漏尽智で煩悩を切るという表現はないことです。
ペテン大作さんは文章に書いてあることは理解できないが、
書いていないことを勝手に読む能力がある。

923 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/23(月) 21:27:40.58 ID:VfUMlHYw.net
>>0888神も仏も名無しさん2023/10/22(日) 21:10:34.55ID:n9zkYJOA
>漏尽智が解脱の後だったら煩悩を断滅する必要はありません。

漏尽智は解脱の後だから煩悩を断滅する必要はありません。
ペテン大作さんは前にも同じことを書いて、こちらの主張の矛盾を突いた
つもりでいるらしいが、彼の理解力の不足だけで、何の矛盾もありません。
漏尽智の前に解脱しているのだから、煩悩を切る必要はありません。
漏尽智とは煩悩を断滅したことを確認する智慧だから、
断滅しない限り、確認はできない。
断滅したから確認できるのです。
断滅したとは、それ以上煩悩を切る必要はないことです。
阿羅漢たちには煩悩はないから、煩悩を切る必要はない。
漏れて来ないように一瞬の気も緩めずに四諦を繰りかえすことで
監視して、その結果、煩悩がないと確認するのを漏尽智というのです。

沙門果経では煩悩を断滅する漏尽智(四諦の洞察)に心を向けている。
それを彼の頭では煩悩を切るという意味にしか理解できない。
ユビキタスさんや私から繰り返し、阿羅漢の四諦と
それ以外の人たちの四諦は違うと説明されても理解できない。

阿羅漢のしている煩悩の断滅とは、煩悩を切ることではなく、
煩悩が漏れてこないように四諦の洞察で鉄壁の守りをつくることです。
一方、アナゴンはまだ煩悩が残っている。
アナゴンも四諦の八正道を実践して煩悩を断滅しようと努力している。
漏尽智で断滅するのではなく、八正道で断滅するのです。
四諦・八正道の実践はシュダオンからアラカンまで、仏教徒なら
全員が死ぬまで実践する。
だが、アラカンのみが四諦を完璧に体得し、八正道を完璧に実践して
「威徳殊勝を示現する」「威徳具足する」のです。

924 :深山 :2023/10/23(月) 21:35:42.05 ID:VfUMlHYw.net
「この中の天眼通・宿命通・漏尽通を別出して三明ともいう」(岩波仏教辞典)

これは岩波仏教辞典の、六神通の説明の一文です。
読者の皆さん、良く読んでください。
三明の天眼明・宿命明・漏尽明(漏尽智)とは、六神通の中の三つを
取り出しただけだと述べてある。
つまり、このようになる。↓

天眼通=天眼明
宿命通=宿命明
漏尽通=漏尽明(漏尽智)

両者は同じだと辞典に明瞭に書いてあります。
六通の中の宿命通、天眼通、漏尽通を別出して、これを三明、三つの智慧と
呼んでいるにすぎない。
三つの神通も、三つの明知も同じことですから、「漏尽智=漏尽通」です。

ペテン大作さんは六通の三つと三明は違うという。
漏尽通と漏尽智が違うというなら、後の二つも違うはずです。
私は前に、宿命通と宿命明、天眼通と天眼明でどう違うのかと質問した。
もちろん、彼は答えられないから、完全無視です。
ペテン大作説「漏尽智≠漏尽通」などいかに根拠のないタワゴトか、
これを見てもわかる・・・もちろん、約一名は絶対にわからない。

925 :深山 :2023/10/23(月) 21:42:57.91 ID:VfUMlHYw.net
桐山説「漏尽智=漏尽通」
ペテン大作説「漏尽智≠漏尽通」

望月氏の小難しい文章に勝手解釈を並べるのが
彼の「漏尽智≠漏尽通」の根拠です。
だが、この主張自体が、スレ違いです。
なぜなら、学者説も批判側も阿含宗も「漏尽智=漏尽通」で違いはありません。
ペテン大作さんだけが違う。
だから、彼の説はここでは議論の対象外で、彼個人の宗教観にすぎず、
スレ違いです。
桐山説を擁護したいなら、自説を撤回するべきだし、桐山説を否定したいなら、
はっきりと批判するべきです、などと書かれても、狐のように卑怯で、
狸のように恥知らずな彼がするはずがない。

926 :深山 :2023/10/23(月) 21:51:21.98 ID:VfUMlHYw.net
>>856
阿含宗の教義(桐山説)
・漏尽智=漏尽通
・漏尽通で煩悩を切る
・漏尽智で煩悩がないことを確認する
・四諦では解脱できない
・漏尽智という神通力で解脱する
・四諦の道諦は八正道ではない
・八正道では解脱できない

ペテン大作説
・漏尽智≠漏尽通
・漏尽通ではなく漏尽智で煩悩を切る
・漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する
・漏尽智は神通力ではない
・四諦で解脱する
・漏尽智は四諦である
・四諦の道諦は八正道である
・八正道で解脱する

これだけの矛盾を指摘されたら、信者さんたちはどうですか?
普通の知性か良識のどちらか片方を持っていたら、出て来れない。
だが、ペテン大作さんの反応が>>888-889で、まるで
何事もなかったかのように、同じ主張をただ繰り返す。
彼は厚かましく恥知らずな男だとよくわかる。
だが、ここで議論をしたいなら、こういう矛盾をきちんと説明するべきです。
ここはペテン大作さんの宗教観を語るスレではない。
桐山説を擁護するように見せかけながら、これだけの項目で否定している。
しかも、「漏尽智≠漏尽通」の件は初めてではありません。

927 :深山 :2023/10/23(月) 21:58:02.84 ID:VfUMlHYw.net
*桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は嘘

信者さんたちに良く見てほしいのは、ペテン大作さんの自滅ぶりです。
彼個人など予想どおりの狐狸ぶりだからどうでもいいが、桐山説2
「漏尽智で煩悩を切る」を擁護した結果が、このザマだということです。
どうしてこんなふうになると思いますか?
桐山説2が嘘だからです。
ペテン大作さんは必死に経典、学者説を引用して、何とか桐山説2を
擁護して、深山に一撃を加えるつもりだった。
だが、彼が投げた石は、926のようにことごとく桐山さんに当たった。
経典を引用すればするほど、学者説を引用すればするほど、桐山説2と
矛盾が生じて、その矛盾を回避しようと、彼の低い読解力と恥知らずを
武器に15年間詭弁を並べ続けたから、桐山説を片端から否定することになった。
彼は学習能力が低いから、自分の失敗からは何も学ばず、この先ずっと
同じ詭弁を並べ続けるから、桐山説とさらに矛盾が生じるでしょう。

知性と良識のある信者さんたちに彼を反面教師として見てほしいのです。
誰がやっても桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」は擁護できない。
なぜなら、嘘だからです。
ペテン大作さんが桐山説2を926のようにことごとく否定してしまったのは、
桐山説2が嘘だという証明なのです。
解脱についてこんな基本的なことすらも嘘なのが阿含宗です。
しかも、漏尽智とは信者さんたちの大事な成仏力です。
桐山さんは阿含経から体得したというが、それが阿含経に根拠のない嘘だ
とペテン大作さんが証明している。
桐山説の嘘を批判側でなく、信者が証明したという現実を良く見てください。

928 ::2023/10/23(月) 22:15:10.99 ID:cuTGWE/n.net
う〜〜ん^^

漏 尽 智 通 は 煩 悩 を離れ た 智 で あ る^^

煩 悩 から離れ ると簡単に言えばこうなる^^

乃至無老死 亦無老死尽

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故

無苦集滅道^^

929 ::2023/10/23(月) 22:17:45.74 ID:cuTGWE/n.net
「苦集滅道」は、お釈迦様が35歳で悟った時の、最初の説法(初転法輪)で、教えの基本をなすものです。それは「四諦(したい)」「八正道(はっしょうどう)」と言われます。

四諦

苦諦(くたい)・・・人生は思うようにはならない(苦)という真理
集諦(じったい)・・・苦の原因は、執着・煩悩にあるという真理
滅諦(めったい)・・・執着・煩悩の消滅こそが救いであり安らぎであるという真理
道諦(どうたい)・・・八つの正しい実践(八正道)こそが無心・涅槃を実現するという真理
八正道

正見・・・こだわりなき正しい物の味方
正思惟・・・こだわりなき正しい思考
正語・・・こだわりなき正しい言葉
正業・・・こだわりなき正しい行い
正命・・・こだわりなき正しい生活
正精進・・・こだわりなき正しい努力
正念・・・こだわりなき正しい意識
正定・・・こだわりなき正しい落ち着き・精神統一(禅定)
★無智亦無得(むーちーやくむーとく) 以無所得故(いーむーしょーとくこー)

智も無く、また得も無し 所得無きを以ての故に

930 ::2023/10/23(月) 22:19:14.64 ID:cuTGWE/n.net
つまりや・・^^

「四諦」も「八正道」もいらなくなると・・^^

931 ::2023/10/23(月) 22:23:52.00 ID:cuTGWE/n.net
15 是故空中 <ぜこくうちゅう> それゆえに「空」には、・・・

16 無色 <むしき> いろもなく、・・・

17 無受想行識 <むじゅそうぎょうしき> 実体もなく、「受想行識」もなく、・・・

18 無眼耳鼻舌身意  <むげんにびぜつしんい> 「六根=眼耳鼻舌身意」もないので、・・・ 

19 無色声香味触法  <むしきしょうこうみそくほう> 「六根」が感得する「色声香味触法」もないのだ。

20 無眼界 <むげんかい> 可視できるものもなく、・・・

21 乃至無意識界  <ないしむいしきかい> 意識に智得されるものもない。

22 無無明 <むむみょう> 無智・無明もなく、・・・

23 亦無無明尽  <やくむむみょうじん> 無明の尽きることもなく、・・・

24 乃至無老死 <ないしむろうし> また、老死することもなく、・・・

25 亦無老死尽  <やくむろうしじん> また、老死が尽きることもなく、・・・

26 無苦集滅道  <むくじゅうめつどう> 「四諦」(「苦」人の生の苦しみ、「集」は煩悩のために苦を生ずる、「滅」とは煩悩を滅すること、によって涅槃に至る八正道という「道」に励むべきであること)もなく、・・・

27 無智亦無得  <むちやくむとく> 悟りのための「智」もなく、また「智」を得ることもなく。・・・

28 以無所得故  <いむしょとくこ> 持つべきものは何もないのだから、・・・

932 ::2023/10/23(月) 22:25:12.45 ID:cuTGWE/n.net
31 心無罣礙  <しんむけいげ> 心に「罣礙(けいげ)」というこだわりがなく、・・・

32 無罣礙故  <むけいげこ> こだわりが無いことの故に、・・・

33 無有恐怖 <むうくふ> 恐怖するものも無く、・・・

34 遠離一切顛到 夢想 <おんりいっさいてんどうむそう> あらゆる本末転倒した妄想を離れて、・・・

35 究境涅槃 <くきょうねはん> 究極の涅槃の域に、・・

933 ::2023/10/23(月) 22:27:02.91 ID:cuTGWE/n.net
これ^^

16 無色 <むしき> いろもなく、・・・

17 無受想行識 <むじゅそうぎょうしき> 実体もなく、「受想行識」もなく、・・・

18 無眼耳鼻舌身意  <むげんにびぜつしんい> 「六根=眼耳鼻舌身意」もないので、・・・ 

19 無色声香味触法  <むしきしょうこうみそくほう> 「六根」が感得する「色声香味触法」もないのだ。

934 ::2023/10/23(月) 22:29:23.18 ID:cuTGWE/n.net
これやな・・^^

1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

心(チッタ) … サーンキヤ哲学では、ブッディ(識別知)、アハンカーラ(自我意識)、マナス(思考・欲望)の三つの心の作用がある。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

935 ::2023/10/23(月) 22:31:31.78 ID:cuTGWE/n.net
大体方向性は同じなんだが・・^^

空と真の自己との違いやな・・^^

936 ::2023/10/23(月) 22:33:37.65 ID:cuTGWE/n.net
心の働きが止滅されると・・^^

四諦も八正道もいらなくなると・・^^

937 ::2023/10/23(月) 22:34:27.66 ID:cuTGWE/n.net
26 無苦集滅道  <むくじゅうめつどう> 「四諦」(「苦」人の生の苦しみ、「集」は煩悩のために苦を生ずる、「滅」とは煩悩を滅すること、によって涅槃に至る八正道という「道」に励むべきであること)もなく、・・・

938 ::2023/10/23(月) 22:35:45.61 ID:cuTGWE/n.net
これ^^
0918あ
2023/10/23(月) 12:50:10.37ID:SFHfyyzx
心と身体は私ではない^^

これだけでも面白い^^
0919あ
2023/10/23(月) 12:53:08.34ID:SFHfyyzx
心と身体は変化するけど^^

真の自己は変化しないんだよな^^

これが^^

939 ::2023/10/23(月) 22:37:52.66 ID:cuTGWE/n.net
これは・・^^

34 遠離一切顛到 夢想 <おんりいっさいてんどうむそう> あらゆる本末転倒した妄想を離れて、・・・

35 究境涅槃 <くきょうねはん> 究極の涅槃の域に、・

これ^^

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

940 ::2023/10/23(月) 22:39:26.38 ID:cuTGWE/n.net
心の働きと同一化してるから・・^^

四諦も八正道も必要になってくるんだよな・・これが^^

941 ::2023/10/23(月) 22:41:18.59 ID:cuTGWE/n.net
1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

5. 心の働きには五つの種類があり、苦しみの生じるものと生じないものに分けられる。

6. それらは、正しい認識、誤った認識、想像、睡眠、記憶である。

942 ::2023/10/23(月) 22:44:09.05 ID:cuTGWE/n.net
3. そのとき、見る者(真の自己)はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

つまり・・^^

見るもの=真の自己=変化しない^^見てるだけ^^

見られるもの=心・身体=変化する^^

943 ::2023/10/23(月) 22:47:15.21 ID:cuTGWE/n.net
?− 3 tadq dra2wu4 svar[pe ’vasthqnam /

(私訳)その時(心のはたらきが制止された時)、見る者(プルシャ)にとって本来のかたち(見
ているだけという本態)にとどまる。

(佐保田訳)心のはたらきが抑滅された時には、純粋観照者たる真我は自己本来の態にとどまること
になる。

(インテ訳)そのとき、見る者【真我】は、それ本来の状態にとどまる。

(シュリー訳)そのとき、観る者は自己の本性に安住する。

944 ::2023/10/23(月) 22:48:29.42 ID:cuTGWE/n.net
私たちは、心のはたらきをすべて制止し心が絶対的に静穏になった時、はじめて「真実の自己」
がわかる。それをパタンジャリは、「個人が本性にある」と言わずに「見る者がその本性にある」と
言う。私たちの心のはたらきが完全に制止されると、「自己の本性」という意識もなくなるためで、
サーンクヤ思想で言う「プルシャ(puru2a)」(「見る者」)の状態で「その本性を眺めているだけ」で
ある(インド人学匠の註釈より咀嚼)。

945 ::2023/10/23(月) 22:49:42.08 ID:cuTGWE/n.net
つまり・・^^

これ^^

:私たちは、「真実の自己」を知らない限り、自分の個人意識(「citta」)に現われる心のはたらき
と自己とを同化している(インド人学匠の註釈より咀嚼)。

946 ::2023/10/23(月) 22:51:04.36 ID:cuTGWE/n.net
私たちは、「真実の自己」を知らない限り、心のはたらきと自己とを同化している

947 ::2023/10/23(月) 22:52:42.04 ID:cuTGWE/n.net
うん?

びっくりした^^?

ということで・・寝る^^

948 ::2023/10/23(月) 22:55:24.18 ID:cuTGWE/n.net
心のはたらきと自己とを同化しているなんて・・^^

かなり長い間瞑想しとらんとわからんで^^

ほとんどの人が気づかん^^

949 :神も仏も名無しさん:2023/10/24(火) 00:31:58.76 ID:FXkF9HV7.net
※深山説は解脱も漏尽智も二つある爆笑説。
(その1)

>115 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:54:17 ID:s8pu1w+h
>釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱
>したと宣言しているのです。
>「定まり、清らかになり、清浄で、汚れな
>く」とはその後の「煩悩を離れ」
>と同じ意味ですから、すでに煩悩を断ちきっ
>てしまった後で憶宿命智通、
>つまり宿命通を得て、自分の前世を透視した
>と言っているのです。
>以下、天眼通も漏尽通も同様の言葉が冒頭
>に並びます。
>煩悩を断ち切るのに三明を使ったのではな
>く、
>煩悩を断ちきって解脱した後で、三明を使っ
>たと述べているのです。

上記は15年前の深山さんのレスです。
この中で彼は
「煩悩を断ちきって解脱した後で、三明を使った」と書いています。
「定まり、・・・」が解脱で、その後で三明を使ったというわけです。
だから「解脱→三明(漏尽智)」です。
そして上記に引用された経典の続きが
>>675です。
引用された経典が上記の経典とは違うが、
内容は上記の経典の続きです。

950 :神も仏も名無しさん:2023/10/24(火) 00:34:00.11 ID:FXkF9HV7.net
※深山説は解脱も漏尽智も二つある爆笑説。
(その2)

>>675
>われがかくのごとく知り、かくのごとく見たときに、心
>は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、
>心は無明の汚れから解脱した。
>解脱し終わったときに、「解脱した」という智が起こっ
>た」
>(『ゴータマ・ブッダ』中村元、414頁)
>「解脱しおわったときに、解脱したという智
>がおこった」というのだから、
>釈尊本人が「解脱→漏尽智」とはっきり述べている。

深山さんは
「われがこのように知り、・・・解脱した」
が解脱で「解脱したという智」」が漏尽智だと言っている。
このレスと15年前のレスを合わせると
深山説は
解脱→漏尽智→解脱→漏尽智であり、
解脱が二つ、漏尽智も二つある爆笑説です。

951 :神も仏も名無しさん:2023/10/24(火) 01:25:30.93 ID:FXkF9HV7.net
>>921
冒頭には「一切の有漏煩惱を斷盡し」というのだから、「煩悩を断滅した後」が
前提になっているのがわかります。
煩悩を断滅して解脱し、その後に漏尽智と漏尽通が来ると言っているのです。
↓↓↓
また同じことを言ってる。
自分だって前に言ったことを繰り返しているだけだろう。
「一切の有漏煩惱を斷盡し」は「漏盡智と称し、」に掛かっている。
一切の有漏煩惱を斷盡するのは漏尽智です。
それは他の説明文を見れば分かる。

「漏盡智證明とは又漏盡智明、漏盡明、漏盡智とも名づく。如實に四諦の理を證して漏心を解脱し、我が生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、後有を受けじと了知するを云ふなり。」
(『望月佛教大辞典 第二巻』世界聖典刊行協会、1685頁)

「漏盡智とは、謂はく此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、及び諸漏の盡なり。威徳を具足するは此の智成満するが故なり」
(『望月仏教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)

何でこれ等に触れないのだ?
隠しても駄目です。
大先生は本当にインチキな人だね。
これからはペテン大先生と呼ぼうか。
そんな誤魔化しが通用すると思っているとは
読者を舐めているのだな。
それから望月氏が書いたと思っているようだが、執筆者は他にいる。
岩波と同じで数多くの学者が参加しているのだ。
恐らく岩波より多いだろう。
あまりにも多いから数えたことはないが、
今度暇な時に数えておくよ。
この大辞典のお陰で大先生の嘘をスッパ抜くことが出来た。
本当に感謝しています。

952 :神も仏も名無しさん:2023/10/24(火) 01:49:19.72 ID:FXkF9HV7.net
>>926
ペテン大作説
・漏尽智≠漏尽通
・漏尽通ではなく漏尽智で煩悩を切る
・漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する
↓↓↓
バカみたいだね。
大先生は子供だよ。
ペテン大作説など並べても何の意味も無い。
ペテン大作なんて何処の誰だか知らん奴が何を言おうが、それで多くの仏教辞典が、深山ペテン大先生の嘘を証明している事実が変わるわけではない。

953 ::2023/10/24(火) 04:40:12.81 ID:MIPTaBYi.net
うん?

そしてこのような“一切智者”になるための障げが所知障なのです。それは煩悩の習気なのです。それを断じた時の心境はどうかといえば、“一切智者のみぞ知る”ですよ(笑)

954 ::2023/10/24(火) 04:40:47.47 ID:MIPTaBYi.net
一切智者のみぞ知る^^

955 ::2023/10/24(火) 04:41:44.83 ID:MIPTaBYi.net
一切智者だったら煩悩は生じないだろうな^^

確かに^^

956 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 06:35:54.95 ID:i707CftW.net
>>951 神も仏も名無しさん 2023/10/24(火) 01:25:30.93 ID:FXkF9HV7
>何でこれ等に触れないのだ?

何度も数え切れないくらい触れてんじゃん。
この男に長文レスしても無駄だな。
短文レスしても無駄だが。
しかしレスはあなたに向けられているのではなく、ギャラリーに読んでもらうために書かれていると知りなさい。

957 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 06:49:00.13 ID:i707CftW.net
>>951 神も仏も名無しさん 2023/10/24(火) 01:25:30.93 ID:FXkF9HV7
>岩波と同じで数多くの学者が参加しているのだ。
>恐らく岩波より多いだろう。
>あまりにも多いから数えたことはないが、
今度暇な時に数えておくよ。

数ではなく岩波の方が望月佛教大辞典よりも新しいです。
つまり岩波仏教辞典は天下の望月佛教大辞典の成果を知り踏まえた中で書かれている。
その岩波仏教辞典は、あなたの説によると漏尽智が煩悩を断滅する手段も含むことは省略されているという。
なんでそんな大切なことを省略して、煩悩が無くなったことを知るだけの表現になっているのだ?
あなたが主張する通りだったら、これは省略していいなんて話ではない。
誤解を与えるではないか?
しかし実際は望月佛教大辞典も岩波仏教辞典も同じことを示しています。
望月が煩悩が尽きたことを知るの大前提である煩悩を断滅を入れてしまうと
あなたのような誤解をする人も出てくるのだから、ここはそのわかり過ぎる前提を削除したのです。
つまり煩悩が尽きたことを如実知見に知ることしか漏尽智という用語の意味はありません。

958 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 06:50:21.19 ID:i707CftW.net
書き忘れた。
ペテン大作さんはこの岩波仏教辞典の省略なんかしていい話ではないということに
なんで触れないのだ?

959 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 08:30:14.87 ID:i707CftW.net
岩波仏教辞典は初版が1989年、第二版が2002年、第三版も出たようで、2023年の刊行ですね。
一方望月佛教大辞典は1956年刊行ですか。

960 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 08:33:09.80 ID:i707CftW.net
望月佛教大辞典の増訂版10冊が刊行されたのが1974年ですから、岩波よりも全然古いです。

961 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 09:15:04.93 ID:i707CftW.net
これ岩波の最新の第三刊も確認してみるのも面白いかな?

962 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2023/10/24(火) 09:15:25.57 ID:i707CftW.net
第三版だったか。

963 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/24(火) 12:12:08.22 ID:1a6zCMLc.net
>>0949神も仏も名無しさん2023/10/24(火) 00:31:58.76ID:FXkF9HV7
>深山説は
>解脱→漏尽智→解脱→漏尽智であり、
>解脱が二つ、漏尽智も二つある爆笑説です。

爆笑は彼の読解力という知性です。
いや、爆笑というよりも、失笑です。
他人の文章に因縁を付けて、勝手解釈をして、彼にとって攻撃しやすくして、
相手の矛盾や間違いを見つけたかのように錯覚して、勝利を宣言する。
これは何度もペテン大作さんがしてきた。
狐が人を騙して、勝利したと思い込んでペロリと舌なめずりをしている姿です。
私が彼を狐とまで笑う理由を、沙門果経で他の信者さんたちに解脱の意味を説明しましょう。

964 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/24(火) 12:19:06.40 ID:1a6zCMLc.net
*解脱が何度も出てくるなど当たり前

ペテン大作さんは相変わらず、沙門果経が解脱の順序だという勝手な
前提で私に因縁を付けている。
A自説「沙門果経は順序」を根拠にしてB自説「深山は二度解脱」と彼は批判している。
自説を根拠にして自説を主張しても無駄だと何度教えられても彼は理解できない。
ほとんど「バカみたいだね」「子供だよ」(>>952)。

沙門果経が彼の自説のように修行の順序なら解脱が一回しか出てこないでしょう。
だが沙門果経は修行や解脱への順序を述べているのではなく、
沙門の果報、釈尊の教法の素晴らしさ、功徳を述べた経典です。
大王も果報を質問し、釈尊も果報を説明すると述べています。
だったら解脱が何度も出てくるなど当たり前です。
釈尊の説く解脱、煩悩からの解放こそが最大の果報なのだから、
それを繰り返し強調するなど当たり前です。
彼は、私が二度解脱すると書いたと笑ったが、二度どころか、
私が128回も解脱していると書いた時、どうして反論しなかったのだ?
もちろん、彼は読まない、理解できない、記憶しないからです。

965 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/24(火) 12:26:45.15 ID:1a6zCMLc.net
>>477>>545
「*煩悩からの解放を128回強調した」

たった10日前、私が↑このように書いたことさえもペテン大作さんは覚えていない。
ペテン大作さんは2回が見えるのに、128回も解脱が出てくると
私が書いているのが見えない。
沙門果経は沙門の果報を説いた経典で解脱の順序を説いたのではありません。
釈尊の説く煩悩からの解放がどれほど素晴らしいかを説いたのだから、
最初から最後まで解脱が出てくるのは当たり前です。

「心が安定し・・・汚れなく・・・不動」は解脱を意味します。
なぜなら「汚れなく」とは仏教では煩悩からの解放、解脱を意味するからです。
この指摘に彼は未だに答えられない。
解脱が沙門果経では128回も繰り返される。
ペテン大作さんは漏尽智の部分しか見えないが、その前から
「心が安定・・・不動」が繰り返し出てくるのです。

ペテン大作さんの読解力では、釈尊は128回も解脱したことになるらしい。
128回も出てくるのを見ただけでも、沙門果経が解脱の順序などでは
ないことは、中学生でも気が付くが、15年間それを説明されても、
「バカみたい」「子供」(>>952)ではないというペテン大作さんは理解できない。
彼は放置して、知性と良識のある信者さんたちは沙門果経を良く読んで理解してください。

966 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2023/10/24(火) 12:34:01.73 ID:1a6zCMLc.net
「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、
かれは、諸煩悩を滅する知恵(漏尽智)に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典1』春秋社、105〜107頁)

釈尊が一つの説法で128回も繰り返す内容とは、読者の皆さんは何だと思いますか?
解脱以外ありません。
沙門果経では「心が安定・・・不動」が16回出てきて、六神通の
説明の冒頭にはすべて出てきますから、「解脱→六神通」です。
文章の構造は全部この「解脱→六神通」です。
解脱の功徳を説いているのですから、当たり前で、
解脱で六神通が得られたと果報を説いているのです。

その六神通の一つが漏尽智(漏尽通)です。
他の五神通と同じパターンで、まず「心が安定・・・不動」と
解脱が出てきて、次に漏尽智に心を向けるとあります。
「解脱→漏尽智」です。
漏尽智だけでなく、他の五通でも「心が安定・・・不動」が二度繰り返されます。
「バカみたい」「子供」(>>952)ではないという男は、これを二度解脱すると解釈している。
彼は、鈴木さん、一朗さんと並べられると、二人いると解釈する男です。
だから、今も「深山は二回解脱すると言った」と嘲笑っていられる。
だが、普通の読解力のある方はおわかりのように、
釈尊は同じ内容を二度繰り返すことで強調しただけです。

967 :深山 :2023/10/24(火) 12:41:40.37 ID:1a6zCMLc.net
>>0951神も仏も名無しさん2023/10/24(火) 01:25:30.93ID:FXkF9HV7
>何でこれ等に触れないのだ?

望月氏の「漏盡智證明とは・・」には今回だけでも私は168、318、344、404
と四回も反論している。
四回も反論されたことを彼はまったく記憶しないのです。
「漏盡智とは、謂は・・」には663で反論して、その時も、彼がすでに2020〜2022年と
毎年恒例で出しており、彼はそのたびに初めて出したと勘違いしていると笑った。
私が何度も反論しているのに「何でこれ等に触れないのだ?」??
私は、ペテン大作さんは読まない、理解できない、記憶できないと
批判しているが、それが悪口でないことを彼が自ら証明した。

他の読者の皆さんがペテン大作さんの立場にいて、私が四回も反論して
いることを指摘したら、どうしますか?
謝罪して、ピント外れな非難を撤回しますよね。
だが、彼はこれまでそれをしたことは一度もありません。
彼の親は学校の成績だけを求め、礼儀などのシツケを何もしなかったらしい。

「何でこれ等に触れないのだ?」の後に何か新しい主張でもあるのかと
期待したが、13行もの文章が続くのに中身が何もない。
恒例の空虚な勝利宣言をしただけで、何によってどう勝ったのか何もない。
つまりただ望月氏の文章を出して終わりです。
それで何を言いたいのだ?
彼は子供みたいに「アレ!」と言ってオシマイらしい。
普通の親なら「アレだけではわからないから、きちんと説明しなさい」と
しつけるものだが、彼の親は「アレ!」と言っただけで、動いてくれたらしい。

968 :深山 :2023/10/24(火) 12:48:57.78 ID:1a6zCMLc.net
>>0951神も仏も名無しさん2023/10/24(火) 01:25:30.93ID:FXkF9HV7
>何でこれ等に触れないのだ?

私には「何でこれ等に触れないのだ」と詰問しながら、
こちらが指摘したことで、ペテン大作さんが触れないのは山のようにある。
ユビキタスさんが>>958で指摘した件も、彼は「紙数が足りないから」という
幼稚園児のような説明を前に書いたが、今回は「何でこれ等に触れないのだ?」
↓桐山説とペテン大作説の矛盾を指摘されているのに無視している。
一つや二つではなく、両者は明瞭に違うのに「何でこれ等に触れないのだ?」。

>>856>>926
阿含宗の教義(桐山説)
・漏尽智=漏尽通
・漏尽通で煩悩を切る
・漏尽智で煩悩がないことを確認する
・四諦では解脱できない
・漏尽智という神通力で解脱する
・四諦の道諦は八正道ではない
・八正道では解脱できない

ペテン大作説
・漏尽智≠漏尽通
・漏尽通ではなく漏尽智で煩悩を切る
・漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する
・漏尽智は神通力ではない
・四諦で解脱する
・漏尽智は四諦である
・四諦の道諦は八正道である
・八正道で解脱する

969 :深山 :2023/10/24(火) 12:55:51.96 ID:1a6zCMLc.net
>>0951神も仏も名無しさん2023/10/24(火) 01:25:30.93ID:FXkF9HV7
>何でこれ等に触れないのだ?

ペテン大作さんが「触れない」ことはたくさんあります。
「漏尽智で煩悩を切る」では次のような矛盾が出てくるが、この件はどうなったのだ?
矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

矛盾1の証拠にした水野氏の文献は論破され、根拠がないことがわかった。
矛盾2をペテン大作さんはシュダオンは煩悩がきれないとそのまま認めている。
誰一人、解脱どころか、シュダオンさえもなれないという爆笑説です。
「漏尽智で煩悩を切る」では矛盾が生じるのだから成り立たない。
では「漏尽智で煩悩を切る」と同じ主張を繰り返す彼の脳はどうなっているのだ?

他人の二度解脱と因縁を付けているが、それなら
>>924で指摘した神通と三明の話はどうなったのだ?
岩波仏教辞典との矛盾を、逃げないで、説明してみればいいではないか。

「この中の天眼通・宿命通・漏尽通を別出して三明ともいう」(岩波仏教辞典)
この説明では、「漏尽智=漏尽通」です。
ペテン大作説では両者は違うというのだから、宿命通と宿命明、天眼通と
天眼明がどう違うのか、根拠を示しながら説明してみればいいではないか。
二つの説明ができないから、逆に、私に二度解脱の因縁を付けて逃げた。
ごらんのように、「これ等に触れない」のはペテン大作さんなのに、
あたかも私であるかのようにすり替えている。
彼は狐のようにずるく、狸のように厚かましく、イタチの最後っ屁で逃げる。

970 :深山 :2023/10/24(火) 13:03:01.46 ID:1a6zCMLc.net
>>0952神も仏も名無しさん2023/10/24(火) 01:49:19.72ID:FXkF9HV7
>ペテン大作説など並べても何の意味も無い。

ペテン大作説
・漏尽智≠漏尽通
・漏尽通ではなく漏尽智で煩悩を切る
・漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する

意味がないどころか、彼のこの反応を待っていたのです。
彼の「四諦で解脱する」を「八正道で解脱する」と書いてくれないか、
待っていたのと同じです。(>>732)
私は何もせず、彼が自分の掘った穴に入るのを待つ。

ペテン大作説が上記であることを彼は認めました。
私がわざわざこうやって列記するのは、彼は自説を唱えながらも、
逃げられるように言葉を濁し、はっきりとは書かないからです。
前に私がそれに反論すると「そんなこと書いていない」と逃げた。
卑怯者の狐です。
だから、私はわざわざペテン大作説を列記することにしています。
彼が反対しなければ認めたことになるし、こうやって反応してくれれば、
なおさら認めたことになる。

ペテン大作さんを擁護すると、彼が自説を曖昧に書くのには理由があって、
彼の頭の中でも自説が曖昧なままで決まっていないからです。
その場しのぎの思い付きで書いてるのだから、当たり前です。
ペテン大作説は矛盾だらけで答えられないから、
「何の意味も無い」と誤魔化して逃げた。
悪知恵しかない狐、すっとぼけた狸、屁を放つイタチとそっくりです。

971 :深山 :2023/10/24(火) 13:09:10.23 ID:1a6zCMLc.net
ペテン大作説
・漏尽智≠漏尽通
・漏尽通ではなく漏尽智で煩悩を切る
・漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩がないことを確認する

仏教、批判側、阿含宗の説は「漏尽智=漏尽通」ですから、
ペテン大作さんの↑このような個人的な宗教観はスレ違いです。
あさんもスレ違いなことを書いてるが、ペテン大作さんの
ほうがはるかに悪質で15年間もスレ違いなことを書いている。
二人とも何度注意されてもやめない。

しかも、こういう社会常識を守らないペテン大作さんは
おそらくは40年前後の行歴を持つ阿含宗大先達様です。
因縁を切り、積徳行に励み、柏原の墓石も買い、瞑想と超能力開発も実践して
いるから、阿含宗の霊性は確実に顕現しているのでしょう。
その彼が基本的な社会常識すらも守れない。
そればかりか、桐山説をことごとく否定して、それを指摘されても、
撤回どころか、恥じる様子もなく、堂々と「漏尽智≠漏尽通」を
唱え続けています。
彼は信者の分際で開祖様が説かれた教義を否定しているのですよ!!

阿含宗で信仰していると、ペテン大作さん、宝生ソウカ大人、
現信さんたちのように、悪知恵しかない狐、すっとぼけた狸、
屁を放つイタチになりはてる。
桐山さんは銀狐に似ていたし、現形した応供の如来様の裾からは
真っ白なシッポが出ていたから、彼らは例外ではありません。
知性と良識のある信者さんたちはこんなふうになりたいのですか?

972 :ユビキタス :2023/10/24(火) 17:04:50.14 ID:i707CftW.net
トリップ変更しました。
他板他スレで私のミスで漏洩してしまいましたのでw

973 :ユビキタス ◆/HXoWlCNmQ :2023/10/24(火) 20:03:32.31 ID:i707CftW.net
次スレを立てました。
このスレが終了してから移動してください。

阿含宗という宗教332
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1698145239/

974 :ユビキタス ◆/HXoWlCNmQ :2023/10/24(火) 20:12:58.77 ID:i707CftW.net
ハンドル名を指切ったっス番長にはしなかったなw

975 ::2023/10/25(水) 03:43:23.15 ID:i+Dt1tLV.net
うん?

こんなふう^^?

うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

976 ::2023/10/25(水) 03:43:28.53 ID:i+Dt1tLV.net
うん?

こんなふう^^?

うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

977 ::2023/10/25(水) 12:40:33.44 ID:/KfHM1iv.net
あまえらだって^^

護摩供養してブッダちゃんに嫌がらせしてだろ^^

どないなってんねん^^

978 ::2023/10/25(水) 12:41:51.25 ID:/KfHM1iv.net
ブッダちゃん^^

護摩供養見て^^

うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

979 ::2023/10/25(水) 12:42:39.21 ID:/KfHM1iv.net
うーん^^

同じや^^

980 :ユビキタス ◆/HXoWlCNmQ :2023/10/25(水) 12:59:41.60 ID:KiMtiPnK.net
>>977 あ 2023/10/25(水) 12:40:33.44 ID:/KfHM1iv
>あまえらだって^^

>護摩供養してブッダちゃんに嫌がらせしてだろ^^

>どないなってんねん^^

誰にモノを言うとる?
おまえらとは誰と誰のことなのか?
主語述語等日本語をマトモにしろ。
仮に我々批判側ならば、かつては元信者だったから釈尊が禁止否定批判した護摩供養に拝み、支持したわけです。
だからそれは間違いであると知った。
ならば反省して改めればよいのです。
それはいつのタイミングでも決して遅くはない。
間違いは間違いと素直に認めて、止めて、改めてこそ進歩があるのです。
問題なのはまだ気が付かない、止めようとしない、護摩を拝み支持し続ける現役信者さんたちですね。

981 ::2023/10/25(水) 17:43:35.00 ID:i+Dt1tLV.net
うん?

ブッダは主として3つの方法を駆使した。第1には「存在」と「生成」を対義語として、対偶的につかった。第2には三宝印をうまくつかった。3つの印とはアニッチャ(無常、変化)、ドゥッカ(苦・不満足・不足)、アナッタ(我、私、自己)である。ふつうは「一切皆苦・諸行無常・諸法無我」を三宝印という。第3には意識(サンカーラー)の本質に肉薄するため、カルマ(業)と「蘊」(うん)をできるだけ一緒に解釈した。蘊についてはあとで説明するけれど、当時は五つの蘊、すなわち五蘊のとりくみのうち、このサンカーラーの正体をめぐる思索や議論がいちばんヘビーだったと思われる。

982 ::2023/10/25(水) 17:43:40.38 ID:i+Dt1tLV.net
うん?

ブッダは主として3つの方法を駆使した。第1には「存在」と「生成」を対義語として、対偶的につかった。第2には三宝印をうまくつかった。3つの印とはアニッチャ(無常、変化)、ドゥッカ(苦・不満足・不足)、アナッタ(我、私、自己)である。ふつうは「一切皆苦・諸行無常・諸法無我」を三宝印という。第3には意識(サンカーラー)の本質に肉薄するため、カルマ(業)と「蘊」(うん)をできるだけ一緒に解釈した。蘊についてはあとで説明するけれど、当時は五つの蘊、すなわち五蘊のとりくみのうち、このサンカーラーの正体をめぐる思索や議論がいちばんヘビーだったと思われる。

983 ::2023/10/25(水) 17:49:10.65 ID:i+Dt1tLV.net
比丘たちよ、サンカーラとは何か? 比丘たちよ、これら六つの思身(cetanākāyā)がある。
色思、声思、香思、味思、触思、法思。 比丘たちよ、これらがサンカーラといわれる。
触(phassa)の生起によってサンカーラの生起があり、触の滅尽によってサンカーラの滅尽がある。
(それゆえに)八聖道は、行の滅尽にゆく道である。

—パーリ仏典, 相応部蘊相応,取転経

984 ::2023/10/25(水) 17:54:03.66 ID:i+Dt1tLV.net
サンカーラ

仏教用語のサンカーラ(巴: Saṅkhāra)、サンスカーラ(梵: Saṃskāra)とはパーリ語およびサンスクリット語に由来し、一緒になったもの、纏めるものという意味合いである。伝統的に行(ぎょう)と訳される。

985 ::2023/10/25(水) 17:59:25.95 ID:i+Dt1tLV.net
カルマ(業)⇒サンスカーラ(行)⇒ヴィパーカ(業報)、この流れを理解することはとても大切です^^

986 ::2023/10/25(水) 18:06:57.70 ID:i+Dt1tLV.net
八聖道は、行の滅尽にゆく道である^^キリッ

987 ::2023/10/25(水) 18:20:26.73 ID:i+Dt1tLV.net
うん?

カルマについて
・カルマの結果に無執着で働け
・いつも神と繋がっている状態でカルマを果たし、結果を神にお供え・・この心の状態が《ヨーガ》(48)
・ヨーガはカルマの一番良いやり方: yogaḥ karmasu kauśalam ヨーガハ カルマス カウシャラム(50)
・執着は我々を堕落させる
あるものを見聞きし好きになる→それが欲しくなる→得られないと怒りが出る(62,63)
→怒りから混乱が出る→間違った判断をする。

988 :ユビキタス :2023/10/25(水) 18:20:29.39 ID:KiMtiPnK.net
阿含宗の話しろって言ってんだろが

989 ::2023/10/25(水) 18:20:34.47 ID:i+Dt1tLV.net
うん?

カルマについて
・カルマの結果に無執着で働け
・いつも神と繋がっている状態でカルマを果たし、結果を神にお供え・・この心の状態が《ヨーガ》(48)
・ヨーガはカルマの一番良いやり方: yogaḥ karmasu kauśalam ヨーガハ カルマス カウシャラム(50)
・執着は我々を堕落させる
あるものを見聞きし好きになる→それが欲しくなる→得られないと怒りが出る(62,63)
→怒りから混乱が出る→間違った判断をする。

990 ::2023/10/25(水) 18:21:06.45 ID:i+Dt1tLV.net
対象に向かって動く感覚に心が従うと、執着が始まる→平安はなくなり、幻惑状態になる。(67)

991 :ユビキタス :2023/10/25(水) 18:21:10.70 ID:KiMtiPnK.net
頭悪いんだな

992 ::2023/10/25(水) 18:22:53.92 ID:i+Dt1tLV.net
なんか来た^^

寝る^^

993 ::2023/10/25(水) 18:29:05.44 ID:i+Dt1tLV.net
釈迦はあらゆる行蘊は、無常および無我の状態にあると述べた。

これについての無知(無明)が、行の発生に繋がり、最終的には苦につながるのである。

行蘊の種類

身行、口行、心行。三業(身・口・意)に対応する。

六思身。六境(色・声・香・味・触・法)に対応する。

これ^^

三業(身・口・意)に対応する

おわかりいただけたであろうか。。。^^

994 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:44:00.44 ID:KiMtiPnK.net
梅は咲いたか桜はまだかいな?

995 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:44:27.84 ID:KiMtiPnK.net
梅も桜もまだ半年も先だよ!

996 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:44:43.61 ID:KiMtiPnK.net
う!

997 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:44:55.36 ID:KiMtiPnK.net
うめ!

998 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:45:12.06 ID:KiMtiPnK.net
うめた!

999 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:45:25.58 ID:KiMtiPnK.net
埋め立てが足りない!

1000 :ユビキタス :2023/10/25(水) 20:45:53.21 ID:KiMtiPnK.net
はい、次スレ誘導

阿含宗という宗教332
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1698145239/

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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