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仏教の「無い」志向は間違いではないのか?【03】

1 ::2015/11/17(火) 11:19:01.35 ID:sNEvMQGn.net
仏教は虚無論ではないにも関わらず、虚無論として「無」を強調し、
元祖仏陀は形而上の存在論としては「有」「無」を説かなかったのにも関わらず
「無」を仏教的教えの中心として説くのは間違いではなかろうか?
「実体がない」などという表現はまさにこの無いの主張の代表的なものであり、
「実体は分からない」と正しく使うべきである〜w

精神的苦痛を除くのが仏陀である〜。
精神的苦痛などは元々無いのであり、それに執着しているのが苦痛の原因である。
執着を無くせ〜。
という教えは有難く承ろう〜。

が、しかし精神的苦痛は現代では脳内の病による肉体的苦痛と同義である一面もあり
2500年前と同じように精神と肉体などと切り離して考えるわけにはいかない。
うつ病は抗うつ剤による治療が行われるのはこのためである。
これを2500年前の仏陀のように単に執着をなくせ〜の一言で済ますのは現代においては誤である。

さらに仏陀は肉体の苦痛については何ら解決策を述べておらず、まさか肉体的苦痛の苦痛などは無い
気のせいだ〜と言うわけにもいかずお手上げ状態であり、ただ耐えるり無いのである。

仏陀も下痢に悩まされ体力を削がれ横たわって休むよりなかった〜
現代においてはその道の専門家の医者にかかり治療を受ければ速やかに回復する事もあろう。

何でも全部一字一句2500年前の仏陀の教えに従う必要は無い。内道の仏教徒である必要などさらさら無い。
外道で外から自由に取捨選択して自分に合う教えだけを取り込めば十分である。

前スレ
仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1443186217/

2 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 11:52:53.83 ID:B8uKa4z4.net
スレ立て代行依頼122
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1446370241/42

3 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 14:43:07.15 ID:VjTxSG3c.net
>>1
わら人形論法乙

4 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 16:20:59.68 ID:sHiiBunf.net
無は無いのムではない

5 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 17:40:26.55 ID:LvayGG7z.net
>>927
>お前の妄想はずっと同じ絵を繰り返してるのか?
違うだろ?コロコロ変わってるだろ状況は常に

自分の感管と心に生じた変化だけをすべての行と仏陀はいたんだろうか?
それを一概に否定できないが、仏陀は、どんな状態の人であれ、その人が
周りを見回して、変化を認めるすべてを、諸行と言ったものではないか?

諸行とは、変化のことであり、それは人間だけが認めるものではないと言ったほうが正解だと思う。
犬が状況の変化を認めて、起こす行動もまた、人間が認識する範囲ではあるが、犬が自分で変化に対応したのである、
と人間は思うのが通常で、それは問題にはしないのだ。

何であろうが、変化がある、と認められる状況を、諸行と言ったのだ。

で、変化とは、考えてみると、生滅なのだ。あるものが生じ、あるものが滅する、という変化なのだ。
そして、この変化は相対的に発生しているのだな。
そしてこういう変化しているものは、定まって存在していないがゆえに、無常であり、
無常なものであるが故に、その物自体の固定的実体がないのだ。これを諸法無我と言うのだ。

この実態、この森羅万象の実態は例外を見出せないんだな。

だから解りやすく言うと、諸行は、縁起しているものゆえに、無常であり、無我である、と言えるのだ。
人間も森羅万象のうちの一つだから、人間という動物も、無常な存在であり、無我の存在だと言わなければならないことになる。

人間の世界だけが、存在するのだとしても、その人間の世界において、この縁起の理法というものが認めない訳に行かないのだから、
所詮同じに帰結する。

6 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 18:08:14.07 ID:hduGvQhT.net
>>1
>さらに仏陀は肉体の苦痛については何ら解決策を述べておらず、

「生・労・病・死」は、すべて「肉体の苦」。

7 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 18:20:35.33 ID:28GFk0R4.net
>>5
>周りを見回して、変化を認めるすべてを、諸行と言ったものではないか?
>諸行とは、変化のことであり、それは人間だけが認めるものではないと言ったほうが正解だと思う。

仏陀は・・ と言っているのだから仏教に付いて言っているのだろう
その場合に於ける諸行とは、君の理解するものでも大方間違いでは無いのだが
それは、「行(サンカーラ)」と言うものが難解故に、世間に照らして言う方法として巷間流布されたと言えよう
仏教はその究極の見地を「世間解」とも言い、それは一切世間を証知尽くした立場の事を言う
そもそも世間とは何か?と言う問題がここで起こると思われる
あれやこれやそれ等、自分の周りなどを世間と考えるだろう
そう考えてしまう故に仏陀は一切衆生が顛倒して苦を受けていると指摘されたのである
世間と言えども「眼耳鼻舌身意」が入り口なのであり、それをそれと認識できねば世間足り得ないのである
その認識には順序が有り、その順序も「色受想行識」と言うワークフローとなっているのである
色とは身体の事だが、これを「眼耳鼻舌身意」に異常無しと感知出来る故に聞けるし見えるのである
異常が無い(エラーを返さない)なら次は受に因って実際に感受し、見たり聞いたりするのである
見て聞いたそれは想でイメージされアレコレ吟味され、イメージは行にて意思を増幅し更に見るなり聞くなりし
そして識別されて、これは彼である、これは音であると断定される

世間と言えどもこうして自己のなかで起きている現象を世間と名付けているに過ぎないと言えるのである
諸行無常は大乗仏教が広まるにつれて、理解され難い故に「あれやこれ」と言った自己外を指して教えられ直されたものと言える
本来の仏教は全部自己内の処理を云々しているので、外に答えを求めると必ず迷うのである
今までだって答えは外だった故に迷っていたのだから、何を今更であろう

8 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 18:25:28.98 ID:hduGvQhT.net
>>6の訂正
×労
○老

まあ、「労」であっても、「肉体の苦」だなw。

9 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 18:42:09.36 ID:28GFk0R4.net
>>6
現代では医療にて麻酔があろう
肉体の苦なるものが本当なら麻酔は成り立たない事になる
何故なら、例えば苦痛とは感受して苦痛と為り得る訳だから、感受出来ない・しないならばそれを苦痛と呼べないのであり
その感受を薬の力で一時的に遮断する方法が麻酔と言えよう
つまり、苦と言うものは感受されるものだとここで解る筈なのである

生老病死も苦と言う観点で言うならば、感受されるものなので
それは肉体の苦、とは言えないのである
言葉を補足するならば「肉体に起因する苦」かと言えよう

10 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 19:16:35.28 ID:hduGvQhT.net
>>9

人間のほとんどの苦は、「肉体(生命)」とそれを維持する物質との関連で
生じる。その意味で、釈迦の四苦は、極めて正しい。

人類の歴史は、甘ったれた「精神的充足」ではなく、専ら生存のための「物質的
充足」の歴史であった。

竜樹は、中論以外の作品において、「何故盗んではならないか」の理由を、
「生存」との関係で説明しているのは、さすがである。

生存に無関係な、純粋に精神的な苦は、ほとんどが「自己中心主義」から生じる。
自己への執着を離れて、他者へ心を移し、他者の生命の至上性をも自覚すると
き、精神的苦は、軽減・消滅する。

11 ::2015/11/17(火) 20:44:30.22 ID:p88aFnV4.net
>>10
↓以下を参照されたいw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29
>哲学的意味の苦
>仏教で説く「苦」とは例えば原始仏教では「苦しい事」の他、「虚しい事」、「不完全である事」、
>「無情である事」を指す[1]とされ、それら精神的な側面を「苦」と表現している。
>したがって、覚りを得たからといって、病気や肉体的な苦痛が無くなる訳ではない。
>古い仏典には、肉体的な苦痛に耐える釈迦が描かれているし、釈迦が病死したことは間違いないとされている。

仏典で指す「苦」とは精神的苦痛の事である。仏陀が病に苦しんだ事は大パリニッバーナ経を読めば分かる事である。

12 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 21:05:06.47 ID:LvayGG7z.net
≻≻10
>竜樹は、中論以外の作品において、「何故盗んではならないか」の理由を、
「生存」との関係で説明しているのは、さすがである。

ソースを開示してください。
そんな言い方は非常にいじわるでは?

13 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 21:05:59.43 ID:p88aFnV4.net
体が無いから病も無い〜とかぬかす阿呆がいたが言語道断であるww

「チミ〜」の阿呆よ、お前の事だ。絶対に医者にかかるなよ。かかれば地獄逝きだ。

14 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 21:39:35.37 ID:LvayGG7z.net
≻>11
>「無情である事」を指す[1]とされ、それら精神的な側面を「苦」と表現している。
>したがって、覚りを得たからといって、病気や肉体的な苦痛が無くなる訳ではない。

この二行は繋がらないのでは?
それでは苦集滅道の真理は、おかしなことになる。

仏陀の死については、大乗の法華経で、それはフェイクだとしている。
確かに仏陀の教えによれば、肉体的苦痛も精神的苦痛も、解脱してもあるというのはおかしい。

あるいは、紆余涅槃が一回この娑婆に生まれた限り、免れないのか、それとも、本当のフェイクだったのか?

15 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 21:45:18.90 ID:p88aFnV4.net
人間の死にフェイクも糞もないw
人間仏陀は肉体を持った我々と何ら違わない一個人に過ぎない。
病気にもかかれば死にもする。80で亡くなったというのが本当だろうよ。

経典作者の創作の大乗経典(偽経)をそのまま鵜呑みに信じるのは、
原始仏典をそのまま鵜呑みに信じる以上に害悪は大きい。

16 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 21:45:23.98 ID:LvayGG7z.net
≻≻13
チミは本心からそう思ってないね?
朕が医者にかかれば絶対に地獄行きだというのは支離滅裂だからだ。

チミは有身見に拘束されているが、チミが無我を悟り、仏性と言う真実に合一するならば、
それは永遠の安楽国の主となるということだが、こんな小さな高々100年ばかりの命と考えて、
永遠の安楽の命を捨てているのだが、そんな愚か者の言うことが信じられようか?

しかし、立ち止まるな・・・・・

17 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 21:54:34.40 ID:p88aFnV4.net
何故地獄逝きか?
それは自分で「体が無いものは病も無く病気にはならない、真実の世界には、病気などもともとありえないのである。」と
宣言しているからだよw
閻魔大王はしっりと聞いていようw

前言を翻してこっそり医者にでもかかろうものなら、確実に地獄に堕ちるw 閻魔大王に煮え湯を飲まされるだろうよww

18 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 22:12:11.51 ID:hduGvQhT.net
>>12
ソースは、中村元「龍樹」の巻末にあったと思う。今、本が手元に見当たらない
ので、「龍樹」の巻末を参照されたし。

>>11
釈迦の「一切皆苦」は、彼のうつ病の症状に過ぎないので、問題にするに
及ばない。彼のうつ病が感染するので、要注意。

大乗では、「常楽我浄」(涅槃経)である。岩波仏教辞典の詳細な「苦」の
項目を参照のこと。

19 :超次元導師 ◆eeHKuSUvzQeu :2015/11/17(火) 22:28:40.84 ID:/PWiPQug.net
マザー・テレサさんは重病の人たちを治療もせずに安らかに死ねるよう看取ったのですが問題は彼女自信が病気になったときには最新鋭の医療設備が整った病院で治療したことが最近になって問題視されてましたね。

20 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 22:38:49.00 ID:hduGvQhT.net
>>19
それに彼女の貯金通帳には、数十億円の現金が残っていた。

彼女は、己の宗教的満足のために、極貧の中で死に行く人々を「利用」
したに過ぎない。これらの人々にとっては、彼女の行為は大きな侮辱で
あったが、人々には、その侮辱に抗う力さえ残っていなかったのである。

21 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 22:44:15.71 ID:hduGvQhT.net
釈迦は、無、無我、空などと言いながら、苦だけは常住とは、これほど幼稚で
滑稽な論理矛盾はない。完全な気違い。気違いの症状に、いつまでも付き合う
必要はない。

釈迦の多くの論理矛盾、誤り、精神病理をすべて是正したのが、大乗仏教である。

22 :神も仏も名無しさん:2015/11/17(火) 22:53:46.72 ID:p88aFnV4.net
仏陀、原始仏教であろうが、龍樹、大乗仏教であろうが部派仏教であろうが依存する姿勢が根本的にダメである。
己を頼る事を第一義とし、経典は何を読もうが構わないが自分で取捨選択して取り込むべきである。
仏陀の神格化部分を鵜呑みに信じる〜なんてのはナンセンス。

23 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 00:39:58.58 ID:0dPS7Q8L.net
>>14
解脱は生涯に一度、と想定するのが先入観かも知れないよ
解脱がと言うより、生涯の設定が先入観なのかな
オギャーと生まれて棺桶に入るまでを生涯と決め込んでると仏教の核心は観えないと思われる
仏教で良く出てくる生滅とは、具体的にどこを指しているのか
仏陀の最期も「死んだ」とは言わずに「般涅槃」と言ってわざわざ伝わっている
我々人間の死は一度きりだと言うのは常識としてそうなのだが
その常識を覆すものが仏教にはあって、それが生滅の理だと言えよう
しかもだ、現代の医療や科学では、我々人間個々を支えてるのは細胞だと解っているではないか
その細胞たちの生滅の繰り返しは、果たして生死とは言わないのかな?
考えてみてくれたまえ

24 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 00:43:22.42 ID:p0YhEptq.net
〜の思考や思い込みを無批判鵜呑みにする方がナンセンスかな

25 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 01:02:16.59 ID:csma7Uf3.net
>>21
君はひょっとしてナムミョ〜さんなの?

26 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 09:52:37.19 ID:ovkGokVX.net
釈迦はもうおまいりはしてはいけません!醜いひがみ嫉妬でかたまっています。
釈迦は修行中に1つの大きな勘違い失敗をしたそうです。
こいつは姦淫を当時他の宗派が硬く禁じてるのを自分にも取り入れようとした時、捉え間違いをしています。
他の宗派が性行為を禁じてたのは、原始時代の人間達では用扱えない、まずい方へ行く方が圧倒的多い落ちだった
ということでした。ところが彼はそれそのものが汚らわしいと言われてる表面だけを捉えその因縁を全て切って
しまったのです。他の西洋などの宗派は表面上は汚らわしいと言ってても禁止していた本来の理由が違うので
現代では裏で?分別して開放するほうに向かってるとの情報がありました。

これを知った釈迦は、それならこっちもと、共感するスタジオMAXの内O順久に憑依などしてアダルト作品を作り
ド失敗しました。
で、おもしろくない釈迦は内Oを使って他の成功してる者たちをつぶしにかかったりもしました。おかげで死人
や廃人もでています。釈迦はきれいでもなんでもありません。穢れてる上にインポです。その上ホモと言う説もあります。

それではあきたらず、ストレス解消半分に宮崎勤や酒鬼薔薇聖斗に憑依か支持し連続猟奇殺人を起こしています。
そして再び内Oにもどり、「ほらみろっ!!あんまりそそるようなもの作ると影響されてあのような事件起こす者が
出るんだぞ!」と表面からは自分の失敗を正当化して他はけなす惑わしをしました。
酒鬼薔薇聖斗も最近本を出したり、ホームページなどを開設して自分の悪事を正当化し他はけなす惑わしを
やっています。ただの惑わしではありません、釈迦、釈迦系の術まで入っているかもしれません。

気持ち悪いといいながらも裏でついつられて画像などをコレクションした人も多いのでは?気をつけてください!

27 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 09:53:30.45 ID:ovkGokVX.net
因縁を切り修行を積み悟りを開いてブッダになれば聖者になり安住の地に?どこがだ!?と言いたい。現に開祖の
こいつ自体がひどく醜い嫉妬にくるってもがき苦しみバカな言動を連続してやってるとの情報がこのようにあります。
だいたい釈迦が悟りを開く前にブッダになった人など方法記録を残してなかっただけで、実は幾人もいます。
結局、仏教の行はあまりにも悪因縁が込み入ってどうにもならなくなった時の1つの整理法だと考えるべきでしょう。
やり方を誤れば釈迦のように“ただのダメ人間”なってくだけ、あるいは凶悪犯になってしまいます。

釈迦は長いこと人類をだまし悪行やってきたのがばれて抹消対象となっています。
 
だから、仏教の僧や人々は方法を一部注意して持ってくるのはいいでしょうが、釈迦や不動などを唱えてはいけません。
プチ業などで行く宿坊などもそうすべきです。また、禅宗等にある「釈迦が現れたら釈迦を切り・・」という言葉
などは今こそ本当の意味で実践すべき時です。

28 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 09:54:13.19 ID:ovkGokVX.net
私がたまたま別の件で何件何十件とバラバラの宗派、会社の霊媒師にあたった時まだ彼らが正常だと
思える頃に、どこまでが本当か定かではないが、それでも共通して上がってきた内容発見をここの件
ともからめて伝えることにします。

日本は生まれてこのかた七五三、5月人形、ひなまつりは日本神道、クリスマス、結婚式はキリスト教、
初詣、正月はまた日本神道、法事、葬式は仏教といった具合にまるで“すき焼き”みたくそれも形式っぽく
やってる国です。
これによって日本が同時にスパイ天国みたくもなってしまっています。

神仏様はあるかもしれませんが、騙してくるものを信仰してはいけません。

みなさんが従来から信じ込まされてきた不動明王(シヴァ)、釈迦、キリスト、ジュブナイル(ガブリエルの亜流)、ヤーウェ、
ヴィシュヌ、スサノオノ、アマテラス、それについてた(ふりをしていた)ヤタガラス(実はゾロアスター教とも)、孔子、ヘルメス
不動の片割れ御霊のイルミナティー(フリーメーソン)などらは拝んではいけません。
 こいつらは全てもはや神仏界や霊界では長く騙してきた悪行がばれ、叩き潰し、場合によっては殺しどころか
抹消にかかってる指名手配の凶悪犯人達だそうです。
つまり、こいつら及びその残党らを拝んでも最終的に害はあっても決してよくはならない、霊界でもろくな所
にいけません。霊界で騙されて再び拝んだ者達さえ位置を何段階も落とされ、ひどくいましめを受けてます。
他それらにつらなった弁才天、吉祥天(ラクシュミ)、大黒天、帝釈天、毘沙門天、孔雀明王、千手観音、準低観音、弥勒菩薩
西洋の代表的な4天使の内の3天使ミカエル、ラファエル、ウリエル、他ではマリア、ハトフル、オーディーン、空海
日蓮ももはやダメです。

よってこの述べた連中を中心に拝んでる霊媒師、占い師またはこれらの連中とも八方美人
やってる霊媒師、占い師について行ってはいけないし、占いやってもいけません。これからは、ろくなことになりません。

29 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 11:01:08.91 ID:JjdUUdQe.net
前スレの>>711について再度書こうかw 人間は例外なく全て見当識障害である。
「ここはどこか?」「いまはいつか?」「あなたはだれか?」の三質問に正しく答えられない。
「どこか?」通常は住所、つまりより大きい座標系の一定の位置を示せばそれが正解となるが、
日本のある町を示して、その日本は地球の北半球にあり、地球は太陽系にあり、太陽系は天の川銀河に
あり、天の川銀河は宇宙にあるが、その宇宙はどこにあるのかを示す座標系はどこにもない。
「いつか?」も同様。西暦、平成何年何月何日何時何分〜と時間的座標軸の一点を示せばそれが正解だが、
その西暦、平成という時間軸は無限の時間の流れの中のどこに位置しているのかを答える方法はない。
「だれか?」通常は名前、住所、年齢、親子兄弟の名前、会社や学校などを示せば社会的人間関係、個人的
人間関係の中で一人の人間を定位づけられると考えるが、そのようなものは単なるレッテルに過ぎない。
単なる個物としての位置情報で固有性を表現しているだけであ、個々人は個物ではない。では「あなた」とは
何なのか?誰なのか?誰も自分の存在根拠を知り得ない。自分の父母のDNAが出会い遺伝子組み換えで私の
DNAが生まれた。私の父母もその両親がいたから生まれた、その両親は、そのまた両親は〜と私のDNAの
先祖をたどっていくとやがて私の家系の歴史は日本人の歴史につながり、その先は人類の歴史につながり、
その先は生命の進化の歴史につながる。生命を誕生させたのはケミカルな物質進化であり、その物質進化を
起こさせたのは地球環境であるから生命史は地球史につながり地球を生んだのは宇宙であるから、その先は
宇宙史につながる。時間軸、空間軸、構成要素すべての面で宇宙史につながるが、その宇宙史はビッグバンまで
しか遡れない。その先は闇である。ビッグバン以前は虚無かもしれず別の宇宙があったかもしれず、それは不明である。
この世界の存在論の謎が、人間の見当識障害の根本原因である。
コレは個々人の生前、死後についても個々人は知り得ないのと同じ構造である。こういうのを形而上という。

30 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 11:06:56.25 ID:JjdUUdQe.net
空海の秘蔵宝鑰に、
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始に暗く、死に死に死に死んで死の終に冥し」
「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲せることを識らず」
人も生物も自分が知っている世界だけが世界のすべてだと思ってしまう。知らないものを「ない」と言い、見えない
ものを「ない」と言う。正しくは「ない」ではなく「私は知らない」「私には見えない」というべきである。
しかし人間は知らないことを知らないままにしておくことには耐えられない生き物である。
何とか知ろうとする。しかし原理的に知ることが不可能なこともあるし、知る方法がないこともある。

ここで人間は2〜3種類に分別される。
T:分からないものは分からないとそのままにする。判断中止。仏陀の無記がこれに相当する。
Ua:分からないものは知る価値がない、そもそも存在しないとする。
Ub:分からないものはとてつもなく良いものだとし、より一層欲しがりあこがれる。
最も健全な立場はTであり、宗教全般の立場はUbであり、ちょっと前の古い科学的立場はUaと言えよう。
大乗仏教の空を「実体がない」とする姿勢もUbと言えよう。これらは健全な姿勢とは言えない。

31 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 11:17:15.95 ID:JjdUUdQe.net
×大乗仏教の空を「実体がない」とする姿勢もUb
○大乗仏教の空を「実体がない」とする姿勢もUa

×これらは健全な姿勢とは言えない。
○これらUは健全な姿勢とは言えない。

32 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 11:27:51.35 ID:Dld/qx/K.net
>>1
>さらに仏陀は肉体の苦痛については何ら解決策を述べておらず

般若心経は大乗の見本みたいにされているが、阿含経にそのままある。
それによれば、五蘊皆空と説かれている。感覚は空であって、苦痛と言うものはない、と説かれえているのだ。
かつ、識も空であると説かれている。心の苦しみは、識に入る。つまり士気も食う名のであって、識の苦しみはないということだ。

なのに、チミ〜は、肉体的苦痛については何も解決策を説いておらず、などと不謹慎なことを言っている。

ゴータマは、一切の苦痛について説いているのであって、肉体的、精神的と区別していないのだ。

ゴータマの説く、縁起という原理は、宇宙の一切を支配してるのであって、例外はないのだ。
ビックバンが誕生する以前、以降も支配してる原理なのであるぞよ。

ゴータマが、世界を空なりとみよ、と教える時の世界とはビックバンの以前以降すべてを含んでいるのだよ。
そのように理解して、止観=禅定=空観しなければならない。
 
血と、頭が高いんじゃあるまいか?

33 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 11:30:12.74 ID:JjdUUdQe.net
お前は黙っていても地獄逝きの阿呆だよww
医者にかかれば閻魔大王に灼熱の鉄玉を飲まされるであろう。

34 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 11:56:42.49 ID:Dld/qx/K.net
http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/rousi_syaka/17_02rousou%20.html

荘子内篇(2)

       逍遥遊(しょうようゆう)篇

35 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 17:49:33.24 ID:Dld/qx/K.net
この思想の草創期には、新鮮でその伝わり方も効果的だったんだろうね。

パルメニデスは、その証拠はたやすく得られていると言っているし、ゴータマは、ここにきてその証拠を見よ、と言っている。

それが、学問盛んになるにしたがって、その思想の新鮮さが苔むしてきてるようだ。
そもそも学問するということは、生きている思想から離れるということジャマイカ?

36 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 19:55:20.42 ID:GH+KPmYl.net
>>35

仏教徒による仏教学は「学問」にはなりえない。学問に不可欠な「客観性」が
存在しえないから。たとえば、釈迦教徒が釈迦を批判する解釈など、殺されても
できないだろう。常に、「形振り構わぬ正当化」のみ。

これは、すべての創唱宗教に共通する「宗教の病理」である。

37 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 23:15:38.35 ID:Q7oOz5U/.net
>>36
そう言うお前さんは自分を客観的に批判できるのかね?
過剰な自意識と自惚れと承認願望も宗教みたいなもんだろ

38 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 23:38:16.40 ID:GH+KPmYl.net
>>37
自分自身に対する視線は、主観的に決まっている。自分を見ている自分は、もう
一人の自分。そのもう一人の自分を見ているのは、さらにもう一人の自分と
無限に連続し、どこまで行っても主観的である。

仏教徒にとって、釈迦は、親でもない大昔の「赤の他人」に過ぎないではないか。

赤の他人に自分の心を占拠・支配されることが、統合失調症の典型的症状である。

39 :神も仏も名無しさん:2015/11/18(水) 23:45:40.68 ID:ZQr/3trp.net
>>38
>無限に連続し、どこまで行っても主観的
どれが、主体(自分自身、俺、私)なの?
無限に存在するの?

40 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 02:35:13.08 ID:V7gItfhW.net
紐が真理を如実に知ったとしたら、ある意味カルト信者様変わりするんだろうな
今のあの論調のまま、仏教擁護を通り越してそれこそ「俺は極めたんだから間違って無い」

みたいなw

41 ::2015/11/19(木) 04:00:52.08 ID:OyEnoVrc.net
>>40
いくら繰り返し言っても理解しない頭の足りない馬鹿は気の毒だなwwwww

あらゆる生き物は自分の住んでいる次元以下の次元しか想像できないんだよ。
点の1次元に住む生き物は2次元以上を想像できず、線の2次元に住む生き物は3次元以上を想像できず、
空間の3次元に住む生き物は4次元以上を想像できず、時空の4次元に住む生き物(人間)は5次元以上を想像できない〜。
人間は時空の4次元下に住んでおり人間は4次元以下の世界しか想像できない生き物なのw
極めるのはせいぜい4次元止まりでしかも光速の限界を超える事も出来ないのでビッグバンまでだww
逆に言えば4次元以下の事なら普通の人間ならば誰にでも極められるだろうよ。

5次元以上を「ない」と言う阿呆に阿呆と言った場合それは、少なくとも「間違ってない」わなwwwwww
5次元以上の多次元の世界は理論上はいくらでも仮定としては語れるんだから、人間が勝手に「ない」など
断定はできない〜。人間には想像ができないだけだ。しかも、見てきたように人間が勝手に妄想してアレコレ語りだす
キチガイにはキチガイというよりなかろう〜

理論物理学者が5次元以上の世界を数式で表現するのは好ましい事だが、宗教かぶれが妄想でアレコレ語るのは百害あって一利なしだww

42 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 04:41:26.91 ID:OyEnoVrc.net
これほどカルトから遠いものの言い方はあるまいww
むしろ宗教にかぶれている>>40の方が遥かにカルト化する可能性が高いw

43 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 04:58:05.76 ID:OyEnoVrc.net
>>30
Uaが無い無い〜馬鹿であるw 「実体がない」〜など繰り返し言う阿呆であるw
Ubが輪廻転生だの涅槃だの解脱だの覚者だのを繰り返し言うキチガイであるw

宗教の人間は上記のUに該当し、分からないものを分からないままにしない。
そういう意味では仏陀の無記は素晴らしい。これは健全なTの立場だからな。
彼は自分の主張を宗教とは思っていなかったであろう。
仏陀死後の後代の信者が仏教として宗教化して仏陀の教えはダメになってゆく。

44 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 05:13:47.10 ID:V7gItfhW.net
自己愛性人格障害の典型とも言える自惚れだな

45 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 05:17:49.55 ID:OyEnoVrc.net
「無い無い〜」の次は「自惚れ」だの「自意識過剰」だの「自己愛性人格障害」かww

それしか突く点が無いのかよ? まったくノータリンな頭の持ち主だわなw

46 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 06:16:16.69 ID:V7gItfhW.net
何も突いてなんかないがねw
聞く耳など持ってない御仁が、他人の評価には敏感に反応する様が面白いだけだよ

47 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 06:32:24.35 ID:V7gItfhW.net
>>45
折角だからお前に教えといてあげよう
良く読め紐よ

仏教は菩提心凡夫の為にある
故に、菩提心を持たないお前には無用の長物に過ぎない
無用である以上、お前に仏教を理解し、言わんとする教義の真実などお前に分かる筈もないのだよ
それは逆に観たなら、お前の言っている一言一句がお前にとっての事実だと言う事も同時に意味を成す
お前が仏教を知ったかぶるのなら、お前にとってそれは紛う事なき事実なのだ
何故ならそれは、お前が望んでいる事であり、お前がそう望んでいるからだ
知ったかぶった事実はお前にとっての真実なのであり、それを他の誰をもが否定すること等出来ないのだ
どうだ?気分が良いか?良かったじゃないか

お前はお前自身で引いたその業報のレールから逃れる事が出来ないだろう
自分で気付き、苦しみを苦しみだと気付いたその時、お前に本当の覚醒が起きるだろう
その時まで、お前の事実を謳歌すればいい

48 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 06:44:58.20 ID:OyEnoVrc.net
そんなのは以前から俺が言っている事に過ぎないわなw >>47

>>30のTの人間にいわゆる一般的な宗教など要らないものだわなw
天国だの神だの涅槃だの解脱だの極楽浄土だの〜を目指す宗教は不要〜
単に理想的な人間の生き方を追求するという純粋な形の宗教、哲学、倫理、道徳というものが
あれば十分で、キチガイのカルトの仲間入りする必要は無い〜という事だよw

Uの人間は俗な宗教路線まっしぐらだww 妄想の真っただ中でキチガイ路線を歩むか無い無い〜の阿呆路線を歩むかw
Uはaもbも再起不能の治らない病気のようなものだ。 まあ気の毒ではあるが仕方あるまいw

49 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 06:49:26.81 ID:Mez28zdU.net
>>48
日本共産党の支持者とかもお前のような事言ってるよ

50 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 07:00:02.89 ID:OyEnoVrc.net
>>47
>お前に仏教を理解し、言わんとする教義の真実などお前に分かる筈もないのだよ

それに加えて言うなら中村元氏は「仏教に教義無し」と言われたが同意する。

51 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 07:18:28.43 ID:Mez28zdU.net
>>50
お前の嫌いな「無い〜」の真意だと言うのに同意するのか
やっぱお前は上っ面でしか物事を洞察出来て無いんだな
教義が無いとはどう言う意味なのか良く考えたほうが良い
でなければ中村さんが心血注いで訳した事実を冒涜する事になる

52 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 07:56:06.56 ID:/bGcUmlE.net
紐は俗物の極みだから超俗の事なんか高尚過ぎて理解出来ないのは当たり前。

53 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 09:27:10.75 ID:+/qpbWnA.net
原因があって生じたものは詰まらないものだ、とゴータマさんは言っておられる。
これはつまり、縁起してるものは詰まらないものだ、という意味だ。
詰まらないということは、少しは値打ちがあるということだろう?などと現代人は解釈するかもしれないが、
ゴータマさんは、捨てろ、執着してはいけない、という意味を持っておられたのだ。
だから、この世界はすべて縁起の世界だから、幻なのだ、ということになるのだ。

そこで、イエスが奇跡を起こして人を驚かせたとある。こんな奇跡もたやすいものだった。
幻の世界に、奇跡を起こすことは、どうして容易いのか?

原因となるものを作ればいいのだ。これ生ずれば彼生ず、だ。
イエスが、あの人の蘇りのニュースを聞きたい、という思いが生じたら、それに縁起して、かの人の復活が起きるのだ。

この世界は縁起の世界で、すでに満タンなんだから、そこに割り込む隙はない、と思いこんで
願いを起こすのを止めるのが普通の人だ。しかし、智慧のある人は、そんな心配しない。
幻の世界は、この世界が無限であると同じに無限なのだ。

しかし、イエスも、奇跡を求める民衆を御叱りになった。奇跡が起きたところで、一時的なもので、
初めからなかったものと同じになる。縁起したものは詰まらないものというのはそのことである。

ゴータマさんも奇跡を起こしておられるが、ゴータマさんはそんな奇跡に、一瞥もくれてはおられないのだ。

このことをよーく考えてみよ。

54 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 09:42:33.36 ID:oY1dpKXK.net
>>51
>でなければ中村さんが心血注いで訳した事実を冒涜する事になる

中村さんが訳した小乗仏典が、オウムの原因となったという仏教専門家もいる。

オウムは、小乗仏教がメインで、それにキリスト教、チベット仏教が加わる。

大乗だけなら、オウムは発生しなかった。日本の仏教は大乗仏教。2chが小乗
に偏り過ぎているのはなぜか。

55 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 09:46:53.10 ID:T6gsbx3a.net
日本の仏教はバラモン教。大乗なんて欠片も無い。

56 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 10:14:52.12 ID:K4zFyMPt.net
>>54
>大乗だけなら、オウムは発生しなかった。日本の仏教は大乗仏教。

ではお前は六波羅蜜を修めているのかな?
所謂、布施・忍辱・持戒・精進・禅定・智慧の六つの事なんだが
お前はこれを漏れなく修めている者だと言うのかな?
修めていると言うならその具体的な行法は何かな?
これは嘘(シカトやダンマリも)が認められない質問なんだが

57 :超次元導師 ◆eeHKuSUvzQeu :2015/11/19(木) 10:17:43.93 ID:P+KI5EAr.net
怒りも悲しみも不安だって結局は無なんだからほっとけばいい。体を貸してやらなきゃ何もできないんだから。
ブンシャカムニムニはそう言ったとか言わなかったとか……。もしかしたら全然後世の僧ですかね?

58 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 10:24:50.52 ID:F5kitvIi.net
>>57
その論が正しいなら何故紐は無知な知ったかぶりをやめられないのかな?

>怒りも悲しみも不安だって結局は無なんだから

釈迦牟尼は本当にそう言ったのだろうか?
無だからとは教えなかった筈だが

59 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 10:26:48.06 ID:OyEnoVrc.net
>>51
俺の主張の真意を全く理解しない宗教キチガイならではの意見だわなww
もう、何回繰り返し言った事か・・・ww

1)存在論で「有る」やら「無い」やら言うのは阿呆である〜w
2)非存在論では「有る」やら「無い」やら言うのは当然至極の事で、有るのに無いと言ったり、無いのに有ると言うのが阿呆である〜w

さて、中村元氏がいう「仏教に教義無し」というのは存在論に非ず、2)の無いものを無いと言っているので当然至極な事と同意する。

ここまで噛み砕かないと分からんのは正常な大人ではないな、まあ宗教かぶれのキチガイだから仕方ないのかwww

60 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 10:52:48.85 ID:h9kuWxV7.net
>>59
非存在論とお前が呼称するそれは、具体的に何の事だ?
言葉を濁しても良い事は無い筈だぞ?

61 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 13:30:23.77 ID:+/qpbWnA.net
量子哲学とか、相対性原理哲学になると、仏教に似てきてるぞ。
相対性原理哲学なんてあるのかどうか知らないが。

規約主義と言う言葉が量子哲学では言われているようだ。
科学の世界も、結局は規約を中心に回っている、という見方だ。人間が中心と言うことだ。
「人間は万物の尺度である」とプロタゴーラスのいうところだ。

例えば、自分の身体を中心に、左、右、というし、上下などもそうだ。
メートル原器も、人間がちょうど手ごろな寸法を基準にしてるものだ。

人間の中でも、先進的国家がその基準を先に定めて、人間の中でも、
先進国が、規約となる基準を制定してるんだな。

しかし、ゴータマさんのインドでは、今の欧米のセンスとは異なって、世界の基準は、もっと根源的なものに向けられているんだな。
欧米では実生活重視だった。

欧米の文化の源流というと、ギリシャローマ文化と、ユダヤの一神教文化であるのだが、インド的な思想はないんだよねⅬパルメニデスを除いて。
ピタゴラスはインド的だな。
Indus文明は、思想的遺産が見いだせないのだが、それはもともとなかったのではないのかな。
                      ―――つれずれ草

62 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 14:14:29.87 ID:T6gsbx3a.net
仏教は、存在論でも非存在論でもないので、
>>59に理解できなくても当然っちゃぁ当然。

63 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 16:15:23.29 ID:OyEnoVrc.net
>>61
>Indus文明は、思想的遺産が見いだせないのだが、それはもともとなかったのではないのかな。

インド人は輪廻転生を国を挙げて大昔から信じている国民だw
今世より来世を志向して今を生きる。
インド人全員がそのような気風だから歴史的な記録を留めようなんて気はさらさら無いんだよw
いつ、誰がどのような事をしたか〜なんて記録は殆ど残っていないのはそのためで、それに比べれば
仏陀の記録なんてのは驚異的に残っている方だわな。

64 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 16:57:48.90 ID:+/qpbWnA.net
インドの文字はいつごろで来て使用され始めたのでしょうか?その文字はどういう文字ですか?
パーリだとか、マガダ語だとかは話されていた言語だということですが、文字を持っていたのですか?

65 :神も仏も名無しさん:2015/11/19(木) 17:17:01.11 ID:+/qpbWnA.net
インドの歴史は良く解らないが、カースト制度については、侵入者のアーリア人が、
土人を征服するにつれて、土着民を支配下に置く必要があたと思われるが、その時にアーリア人が必要に応じて
創った制度ではないかと思われるね。

だから、アーリア人の社会では、公共施設が発展しなかったのだ。アーリア人が侵入する前のIndus地方には
公共施設の完備した都市国家があったのだから。それがインダス文明とされているものだ。

その制度を良いなと思って、それを採用するような社会を創るとすると、土着民都の支配関係がクヅれる恐れがあると
警戒したと想像できるのだ。

66 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 00:23:16.69 ID:x9wenKrK.net
>>64
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008448899
ヤシの葉写本研究ノートHistorical and geographical frumwork of palm leaf manuscript
安江 明夫Yasue Akio 人文科学研究科
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=ir&lang=jp&type=pdf&id=http%3A%2F%2Fhdl.handle.net%2F10959%2F2641
http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2641/1/kenkyunenpo_57_105_140.pdf

>インドにおける文字の歴史を概観すると、
>古代インダス文明の印章文字に関する議論は別として、
>セム系のアラム文字に起源するカローシュティー文字が誕生し、
>別のセム系文字からブラーフミー文字が派生したと言われている18)。
>その時期は論者によりBC 8 世紀からBC 3 世紀と推定に幅があるが、
>カローシュティー文字、ブラーフミー文字ともに
>BC 6〜5 世紀頃とする説が一般的である19)。

67 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 06:03:08.91 ID:/3iUqNU/.net
当面、一番困惑するのは、釈迦とアジャセ王の関係なんだ。

アジャセ王とはアショカ王のことなんではないのか?
彼はこう反仏教を保護したのだ。そしてその証拠の碑文を残している。
だとすると当事釈迦の時代にはすでに、文字があったのだな。

それなのに、阿含経典ができたのは、釈迦が死んでから、数百年後だ。
文字で記録するよりも、人間の記憶に頼るほうが信頼できるという雰囲気があったのだろうか?

アジャセ王が文字を用いて政治を行ったというのなら、国民の教育も相当なものでないと、
文字の効果はないと思われるが、そこんところが話されることもないね。

建築するときには数学とか文字は必須だと思われるが、それがなかったとみなしえる記事はない。

68 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 06:04:51.90 ID:/3iUqNU/.net
訂正
彼はこう反仏教を保護→彼は後半仏教を保護

69 ::2015/11/20(金) 06:24:59.11 ID:ButhqtXH.net
>>67
ゴータマは幼少時に王の息子なのに教師を招いて教育を受けるのではなく
他の子供等と同じ学校に通っていた。そこでは石板に文字を書いて勉強していた。
当時は文字を使わずに聞いて暗唱して勉強するのが普通ではあったろうが、
ここのところが違うのが面白いねえ。
文字は既に有ったんだが積極的に使われる事はなくゴータマの様に例外的に
使われてただけなんだろう。もちろん、建築の設計などにも使われただろう。

ただ、インド人は歴史的記録を残す性質じゃないのは前述のとおりなので仮に
文字が有っても残さなかったと思われる。

70 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 09:51:33.56 ID:/3iUqNU/.net
カーストと言うのは職業差別のことだ。

71 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 11:27:54.14 ID:Y65h2O11.net
頭の悪い人のために分かりやすく説明するよ。

たとえばこういうことだ。
非常に簡単に説明するけど・・・

平地に住んでる人たちがいたとする。 
その人たちは標高が上がるごとに気温が下がるということを知らないとする。
そこに実際に山に登ってきて確認した人がいたとする

標高2000mではかなり寒くなり、5000mでは物も凍るのだよ、と
説明しても平地の人は信じられない。
ところが科学が追いついてくると、それを科学的に証明できるようになる。
それで、ああ、あの人たちの言ってることは正しかったって証明されることになる。

ところが、こういう次元があまりにも甚だしく違うものは、より科学が発達しないと解明されることはない。
それでその人の言ってることが信じられなかったりする
科学で証明できるようなことは論理的にも説明できないとおかしいってことになる。
それをやろうとしたのが龍樹だよ

72 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 14:23:03.11 ID:ButhqtXH.net
科学と宗教では科学が先行だろw

天動説-地動説でキリスト教は最後まで天動説を説いていたよな?w
それに登山の高低は次元が違うとは言わない〜w
ちょっと比喩としてはお粗末w セブンを彷彿とさせるなw まさかセブン本人じゃあるまいな?ww

宗教の瞑想の変容意識下の経験談など単なるキチガイの戯言に他ならないからな。
そんなものが科学の先を行っているなんてのは甚だしい妄想だ〜w

龍樹は仏陀の「コレがあるからカレがある〜」の縁起を物事全般の関係性を空として縁起とする〜と
発展させた人でその功績は大きいと思うよ。だがそれも所詮人の説く事で参考程度に聞けば良い事。

どっぷりハマれば仏陀も龍樹も駄目だろうよw

73 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 14:44:28.17 ID:Y65h2O11.net
>>72
はぁ〜?? 意味が通じてないぞ?w

>科学と宗教では科学が先行だろw

まったく喩えがわかってないなぁ・・・
この場合でいうところの「天動説」というのが、「平地が暑いのに高所が寒いということが信じられない」ってこと。
どちらも科学が進むことによって解明されたよね・・・?

天動説というのはキリスト教の本質というより、当時の人間の一般的な考え方を宗教的にアレンジしたものだよ。
キリスト教の教えの本質ということじゃない。
だってどうみたって、天が回ってるとしか見えないんだもの。

比喩としてはお粗末 というよりか、「比喩の理解がお粗末」ということではないかい?

>所詮人の説く事で参考程度

これも単なる理屈として捉えてるからさ。
理屈からでも「空」が証明されてる。
つまり、われわれの捉えてるものは、「無い」ってことさ。

ここで重要なのは、「われわれの捉えているもの」 ってこと。

74 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 14:58:18.51 ID:ButhqtXH.net
山登りなんてのは大昔の人間もやっていただろうし、高度が上がれば気温や気圧が下がる事も
理解していただろうよ。経験科学、実証科学も科学ならばこういう登山の例は科学をダシに何々〜というのはお粗末だろw

比喩の理解ではなく比喩そのものがお粗末

75 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 14:59:55.01 ID:h/GScc6a.net
>>69
>ゴータマは幼少時に王の息子なのに教師を招いて教育を受けるのではなく
>他の子供等と同じ学校に通っていた。そこでは石板に文字を書いて勉強していた。

ソースをよろしくお願いします。
仏伝にそのような記述があるとか?
どこかの学者が主張しているとか?


>>67
マガダ国の王アジャセ(アジャータシャトル、阿闍世)と
マウリヤ王朝の三代目の王アショーカ(阿育王)は別人物。

76 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 15:00:34.49 ID:ButhqtXH.net
加えて言うならば、「空」と「無」の混同を中村元氏は批判している。私は全くそれに同意する。

77 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 15:02:02.96 ID:rPi2iCPd.net
>>73
三世心不可得は紐に理解出来ない
自分の知識とその自惚れが渇愛から万能感を作り出して疑わない
仏道は菩提心凡夫の為にあるのであり、それはボーディサットヴァでなければ適わない

現在の紐はボーディサットヴァではない
それ故に仏道を言い聞かせても理解出来る訳も無く
それでも尚行なおうとするなら、それは説くもののエゴ以外の何ものでもないことになる

78 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 15:09:33.39 ID:rPi2iCPd.net
ボーディサットヴァ=漢字で当てて略したのが菩薩の事なのだが
菩薩の切欠は「求めること」に尽きる
求める中でも最上のものを命懸けも辞さない覚悟で希求するのが菩薩である
単なる自己満足の知識を漁り続けて、他者からの優越感を貪る紐にこれは無い
簡単に言うなら、仏道に命乞いを求められるか否か
プライドが高慢の極みな紐にこれは無理だろう

説くだけ気の毒な話だ

79 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 16:46:22.11 ID:ButhqtXH.net
>>75
ソースは中村元氏のなんかの本ww タイトルまで覚えてない。
中村氏は仏陀が経典で誇大に神格化されているのを見て、翻訳という仕事ではそのまま翻訳せざるを得ないにせよ
神格化されたものではない人間仏陀の実像に迫ろうとインドまで行き経典にある仏陀がたどった各地域を巡っている。

経典の誇大に神格化された仏陀像をそのまま信じ、その他経典にある一字一句そのまま鵜呑みにする姿勢ではなく、
神格化された部分を取り除き、経典にある教えを選別し自分の生活に取り入れる生き方こそ望ましかろう。

般若心境の「色」とは「実像」という事であり「空」とはその実像の陰のようなもの。
だから、色即是空(実像があるから影が出来)、空即是色(影があるのは実像があるから)〜という解釈になる。
色即是無、無即是色〜などとはなっていないわなww

この実像(色)こそが非存在論であり「有る」というべきもの。
この実像(有)を正確に捉えなければ正しい影(空)も得られまい。
ましてや無い無い〜の虚無論の阿呆には一生届かぬ世界だろうよw

80 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 16:49:56.27 ID:ButhqtXH.net
×般若心境
○般若心経

×この実像(色)こそが非存在論であり「有る」というべきもの。
○この実像(色)こそが非存在論であり有無を語るべきもの。

正しい影こそが縁起という奴だw
神格化された仏陀の虚像などは縁起ではない。

81 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 16:57:25.98 ID:MJvQgyYS.net
>>78

現実上の根拠皆無な妄想に過ぎない宗教ごときに「命を懸ける」イスラームテロリスト。

いい加減で、その愚かさを学べ。

彼らは、「空想上の神のために殺し、殺される」ことに最大の喜びを感じているのだから、
キリスト教側がいくら殺しても無駄な話。宗教観念によって、人間が人間ではなくなって
いる状態。親でもない赤の他人の大昔の文盲のおっさんの口からでまかせの一言一句を、
どうしてここまで盲信できるのか。

折角の宗教板なのだから、宗教の病理をもっと分析しよう。仏教信者としての見解を聞きたい。

ダライラマは、仏教者として、すでに見解を出したね。

82 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:01:46.30 ID:GNjA6gV1.net
>>79
>般若心境の「色」とは「実像」という事であり「空」とはその実像の陰のようなもの

みんなそう解釈したがるが違うよ
色は五体、つまり身体に対する実感の原因を指している、ここが知識と思考だけでは理解出来ない
色即是空 空即是色 を矢鱈滅多ら解釈したがる奴は多いが、ここだけ抜き出して解釈すれば当然難解なのである

色即是空 空即是色
受即是空 空即是受
想即是空 空即是想
行即是空 空即是行
識即是空 空即是識

と読む様に経には書いてあろう?
つまり、「自分を自分だと根拠付けてる実感」は全て空であり実体が無いのだと言ってるんだよ
実体が無いと言う事が実感の正体なのだと

解んないだろうけどな

83 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:04:34.75 ID:GNjA6gV1.net
>>81
イスラムの話なんか誰もして無いだろ
そう言う安易な先読み妄想がダメなんだよ

84 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:06:34.81 ID:GNjA6gV1.net
>>79
色即是空 空即是色
受即是空 空即是受
想即是空 空即是想
行即是空 空即是行
識即是空 空即是識

これな、五蘊皆空って意味なんだよ

85 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:17:06.20 ID:MJvQgyYS.net
ダライラマは「人間が起こした問題だから、いくら神に祈っても解決しない」といったが、
私は、「宗教(神概念)によって起こった問題だから、神に祈れば祈るほど問題は悪化する」
といいたい。

対立する宗教が、「己の神」ではなく、「相手方の神」に対して祈れば、問題は簡単に
解決するのではなか。あくまで「空想上の神」だから、どうでもよいと思うが。

しかし、宗教が「開祖盲信・生命軽視」である限り、宗教による殺戮は、永遠に絶滅しない
だろう。「人間にあらざる空想上の神」に「人間の生命以上の価値を認める」ところに、
人間としての倒錯と狂気がある。他の動物は、「架空の神」のために、同じ種属同士で、
生存に無関係な殺戮などしない。

86 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:19:51.58 ID:GNjA6gV1.net
>>85
お前は生命と呼ぶ神を妄信してるじゃないか
そのレベルで言うなら例外はないんだよ

87 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:21:29.03 ID:ButhqtXH.net
空が実体が無いで良いなら〜
色即是無、無即是色〜で良い訳で、そうなっていないのは何故か?
分からないだろうなあww

88 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:23:28.13 ID:GNjA6gV1.net
>>87
それは苫米地英人の受け売りだろw
ああいう守銭奴の言う事なら信用出来るのか
お前も相当な俗物だなw

89 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:27:20.15 ID:ButhqtXH.net
そんな人間は知らんなww

90 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:28:44.46 ID:MJvQgyYS.net
>>86
生命を神として盲信すれば、人間を殺すことは絶対にできなくなるから、
何らの問題も生じない。

宗教のいう「神」とは、すべて、生命の機能としての空想力の産物。その意味で、
生命よりも、低次元。生命の奴婢・奴隷に過ぎない。生命は、人間の生命によては
対象化不可能(対象化主体と客体とが同一)だから、人間が対象化できない、
従って、人間が神と呼ぶに相応しい唯一の対象。

91 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:33:05.17 ID:GNjA6gV1.net
>>90
お前は人間だけ殺さなければ善だと考える偽善者に過ぎない
植物や家畜、魚類の命を頂戴して己の今がある事を当然だと考える愚か者だ
どんな御託を並べようと、偽善者は信用に値しない

>>89
嘘だけはダメだよ嘘だけは
愚かなのも困るが、それはお前の問題だから別に構わん
が、嘘だけはダメだ
害悪を外に垂れ流すんだからな

92 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:34:50.29 ID:ButhqtXH.net
嘘も何も知らんものは知らんとしか言えんわwwww

阿呆丸出しだなあww 妄想丸出しと言うべきか?wwwww

93 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:40:36.91 ID:GNjA6gV1.net
>>92
色即是無の理屈を公言した奴は苫米地なんだよ
それは間違った解釈なのはお前でも解るだろ?
自称天才を名乗る奴が知ったか仏教でやらかした訳で
本当に知らんなら調べて矛盾を探してみれば良い

無いじゃなく有るでもない、それが空だと言う事実を無視すると矛盾しか起こらない

紐は有るに拘るが、別にそれはお前の自由だ
仏道に無いものなら何でも有る有る言うのが普通だしな
だからって仏道にて何でも無と言うのも、お前の言うとおり全て間違いだ
笑ってやってそれは構わんと思うよ

94 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:44:41.54 ID:ButhqtXH.net
何を言ってんだ?ww >>93

俺は色即是無、無即是色を推奨しているんじゃないんだが、それすら見えないのか?ww
文章を読む読解力がゼロ?ww

お話にならないわww
訳の分からん人間を持ち出され、正反対に色即是無、無即是色を俺が推奨しているかのごとく言うろは・・・wwww

95 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:46:22.33 ID:GNjA6gV1.net
>>92
紐が有る有る言う、その有るの事な
もし、この画像https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%A7%BD%E3%81%AE%E8%84%B3#/media/File:Brain_in_a_vat_(ja).png
がお前の今の状況だったとして、それをどうやって認識できると考える?
また、逆にお前は現在の生活こそ真実であり、この画像https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%A7%BD%E3%81%AE%E8%84%B3#/media/File:Brain_in_a_vat_(ja).png
の如きは嘘偽りフィクションなのだ、と何を根拠に何を担保に言えると考える?

これは空とはどう言う意味かに掛かる質問だ
煽りや罵倒抜きで忌憚なく書いて貰えれば幸いだ

96 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:48:14.74 ID:MJvQgyYS.net
中村博士は、「中論研究」の「基本書」である「龍樹」において、中論の「空」とは、
「無」どころか、「厳然として存在する実在」といっている。中論を論じるなら、
基本書くらいは読んでね。

97 :123:2015/11/20(金) 17:49:54.56 ID:ovpvsxPv.net
90.
その説であればホイエルバッハを引用すべきである。

98 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:49:59.94 ID:GNjA6gV1.net
>>94
苫米地も推奨はしてないんだよ
空を無と同義に捉えるならそう書くべきだろって、ネットで公言した奴って話だ
奴も空は無に近いと言う、が、見識としては交差する点みたいなものであり
点には面や面積があったら点では無いので、本当の点は肉眼では見えないとなり
そう言うことが空と例えられるとちゃんと言ってる

99 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:52:58.86 ID:ButhqtXH.net
詳しく読む気もしないが一言でその仮説は誤だな。
脳の認識だけが有るだけに過ぎず実体が無い〜。
脳や意識は謎でイメージジェネレーターのような在り方もするから
物事が無くともあたかも実在するかのごとき夢を見る事も有る。

しかし、それは変容意識下の事で日常意識下では目の前のモノの有無については真実であろう。
目の前にあるリンゴを見て、コレは脳が勝手に作った映像で実際は無い〜などと判断するのは
精神に深刻な病気があるに違いない〜w

100 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:55:17.53 ID:GNjA6gV1.net
>>96
お前の言うその実在とやらを、お前はどう言う方法で認めるんだ?
また、その「認める」それ自体は実在するのか?

実在するならここに出せば即刻解決する問題だろう

中論を引き合いに出すなら、解説書に頼らずに名色をちゃんと理解して語れば良い
名色が解らないものに中論は理解出来ないだろう

101 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 17:56:35.93 ID:ry3AyF0m.net
>>87
世界の真実を真理で説明していくときに、ないとか、無だとか、空だとか、表現方法を変える方が、説明として
効果があるのだよ。

空とは、無で片付けられないからだ。つまり、世界の真実としての存在までも、無だと否定するからだ。

102 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:02:53.62 ID:ButhqtXH.net
点や線に面積が有るから点や線ではない〜なんて理屈はその何某とやらが言う遥か以前から
言われてきたことだろうよw 陳腐すぎる話でそれを「空」と言っても良いのかもしれないが、ちょっと
比喩としてはお粗末だな。点なり線は明瞭に有るんだからなあ。これを面積があるから概念と異なる〜
と非有にするのが乱暴だろうよ。

むしろ空は「影」「陰」が似つかわしいよ。これは言葉通りの「影」「陰」ではなく及ぼした影響というべきもの
も内包しているからな。 >>98

103 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:06:28.62 ID:GNjA6gV1.net
>>99
人間は事物の様相を全て、脳に受ける電気信号に頼って認識している
これは事実であり、否定する奴は頭がおかしい

お前は電気信号を事実だと「信じる」事によって、今の生活が成り立っているんだよ

あれもこれも、お前の身の回りの事物やお前自身も、その実感は全て漏れなく「電気信号」だ
それをお前は「事実として有る」と言っている、それ自体は間違ってない
電気信号は確かに起こって伝達出来てる故に認識まで出来てるんだからな
しかし、それを根拠に対象事物が本当に実在しているか否かまでは本当は誰にも担保出来ない
多くの共感者が居るから、それは容認されて安堵を得るのであろう

その安堵は信仰の賜物なのであり、それは共感集団の賜物なのであり、それは立派な信仰生活とも言えないかどうか

104 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:08:05.73 ID:MJvQgyYS.net
>>91
>植物や家畜、魚類の命を頂戴して己の今がある事を当然だと考える愚か者だ

そうやって、すぐに他の種属のことを考えないで、人間という種属の範囲内
で語るべき。他の種属の気持ちは、他の種属に成り変れない限りわからない。
動物の各種属には、それぞれ異なった世界があるのだから。

宗教による人間同士の大殺戮を撲滅することが、喫緊の問題ではないか。

105 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:13:52.01 ID:GNjA6gV1.net
>>104
お前は霞を食って生きてる訳ではなかろう?

そう言う重要かつ直面している課題を見てない事にするからダメなんだよ

人はパンのみで生きるに非ず、だろ?
四食を仏教は説くので参考にすべし

106 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:18:20.65 ID:ButhqtXH.net
>>103
「色」が非存在論であり、それは目の前のリンゴを見てリンゴが有ると認める事だw
これが有無を語るという事だ。リンゴが無ければ無い。無いのに有るは誤、有るのに無いも誤。

これを素粒子まで分解して何が残るのか残らないのか?が「実体」を問う事で有るとも無いとも
答えられないから空と言う。コレが存在論だw コレも影のようなものだろうw 
元はリンゴなんだが細分化されれば分からなくなるが、元がリンゴなのは間違いない〜ww 
しかし有るのか無いのか答えられない〜。

だから非常に甚だしく頻繁に繰り返し言っているように、存在論と非存在論を混同するからダメなんだよ〜ww

目の前のリンゴを「実体がない」などと言うのは精神病者だ。
健常者は「実体は分からない」と言う。

107 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:25:11.00 ID:VbjKbtcx.net
アドヴァイタも素粒子とか言い出して同一だと言うな

んで、非存在って具体的に何を指すんだ?

108 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:25:11.93 ID:MJvQgyYS.net
釈迦の「無」「無我」は、彼の重度の精神病の症状としての、すべてを否定的
に考える「微小妄想(コタール症候群)」の結果であり、専ら精神医学による
治療の対象に過ぎない。竜樹が折角、釈迦のこの妄想を是正してくれたのに、
釈迦に対する執着のあまり、中論の空までも「無」と解釈して、釈迦の恥を
いつまでもさらし続けるべきではなかろう。

中論には、恐らく、論破の対象として以外には、「無」という言葉は使われて
いないと思う。中論の「空(相互依存性、関係性)」とたちまち矛盾してしまう
ではないか。

109 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:26:51.91 ID:VbjKbtcx.net
>>106
リンゴはリンゴではない、それをリンゴと「名付くる」

110 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:27:53.63 ID:VbjKbtcx.net
>>108
どんな治療があるんだ?

111 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:27:55.34 ID:ButhqtXH.net
>>107
非存在-論ではなく非-存在論ねw

112 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:35:56.45 ID:VbjKbtcx.net
>>111
それでどうやって言い逃れるんだ?

113 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:37:48.20 ID:MJvQgyYS.net
人間という種属は、(必要な場合は観測装置を使って)その五感で知覚できる
対象のみを「有(実在)」と呼び、知覚できない対象を「空想」「妄想」と呼
んで治療の対象とするのだよ。何故なら、知覚できない対象は、人間の生命の
維持」には無関係、つまり、人間には無関係だからだ。

人間は、その発生以来、「有(実在)」に100%依存することによっのみ
生存を続けてきた。

残念ながら、釈迦の時代には、精神医学がなかったw。

114 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:38:06.36 ID:ButhqtXH.net
別に言い逃れないが?w

115 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:42:00.95 ID:VbjKbtcx.net
>>114
>「色」が非存在論であり、それは目の前のリンゴを見てリンゴが有ると認める事だw

と、色は存在論ではない何かの論で成り立って、それ故に存在論ではないのにリンゴをリンゴと認めるんだよな?

エピステモロジーとオントロジーとをごちゃ混ぜにして楽しいか?

116 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:52:49.23 ID:ButhqtXH.net
>>115
エピステモロジーやらオントロジーなんてのは初めて聞く言葉で何の事か分からんが
形而上の存在論に対して形而下の非存在論という意味で言っているだけで非存在論なる
言葉が無ければ形而下でも良いよ〜ww

117 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 18:56:35.27 ID:ButhqtXH.net
リンゴはリンゴでなくリンゴと名付けても構わないが、リンゴを秋刀魚と間違わなければなww
何故、ヒトはリンゴを秋刀魚を間違わないのか?w

118 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 19:07:09.56 ID:MJvQgyYS.net
>>110
>どんな治療があるんだ?

現代医学では、うつ病の原因が脳内の特定の神経伝達物質(セロトニン、ノル
アドレナリン等)の不足であることが判っているので、脳神経シナプスにおけ
るそれらの物質の再吸収を阻害するなどして増量する。SSRI,SNRI,
NaSSAが現在では代表的薬剤。

釈迦の場合は、突然、楽しい、美しいなどと叫びだすから、躁うつ病(双極性
障害)と思われる。これは治療が難しい。最新の学説では、双極性障害は、
統合失調症と密接な関係があることが指摘されている。

119 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 19:17:43.00 ID:Y65h2O11.net
>>74
ちょ〜っと待ってくれよw  レスの飛びすぎで誤魔化せると思ったのか?w

この場合の比喩は、「平地の世界がすべてだと思ってる人」のことで、
「平地しか知らない人」ってこと。
それを前提にして話してる。

比喩は比較的限定された中で話されることが多いだろ。
現実的なレベルにまで裾野を広げたら、比喩にならないだろ。
比喩自体に突っ込みを入れるために、わざと現実的な話に裾野を広げて突っ込んでる人をたまに見かけるけど、
そういう人は比喩を理解出来ていない人に多い。

これは討これは討論以前の問題で、比喩が理解できんと話にならんよ

120 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 19:22:01.59 ID:ButhqtXH.net
平地しか知らない人でも構わないが、科学がどうのこうのというのは
比喩としてはお粗末=セブン並〜という事だなw

比喩のおぜん立ては用意周到にせねばならんのよw
簡単にぽろっと言ってドツボに嵌るのが「毎度おなじみのセブンで〜」という奴だw

121 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 19:51:47.24 ID:MJvQgyYS.net
釈迦もイエスも「病気」なのだから、あんまり付き合ってると、こちらも病気
になるよ。精神病は感染する。精神科医は、患者からの感染(逆転移)を極度に
警戒する。

イスラムテロリストも、病気以外には考えられないだろ。彼らも、イスラム教国
以外で育てられれば、絶対にあのようにはならなかったのである。

122 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 19:54:39.65 ID:EYNsvK5c.net
善人が悪人に見えるようになってきたらいよいよじゃ。

123 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 21:50:25.57 ID:MJvQgyYS.net
善悪ではなく「病気」の問題。

宗教患者は、例外なく善意。100%の善意で、外部から見れば100%の悪を
なくことが可能になる。これが宗教。

イスラムテロリストたちも、開祖と教義のため、100%の善意で人を殺し
続けているのである。

どんな悪人でも、人を殺すことには生存本能の機能としての「自体の死への
恐れ」から、いささかの躊躇と良心の呵責があるものだ。しかし、宗教による
殺人の場合は、宗教観念の植え付けにより生存本能が破壊されるから、ある
ものは、大いなる喜びと快感のみ。つまり、人間が人間ではなくなった状態。

宗教ほど恐ろしい精神病は、ほかには存在しないのである。

124 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 21:52:51.18 ID:MJvQgyYS.net
>>123の訂正
×悪をなくことが
○悪をなすことが

125 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 21:54:49.45 ID:iXCsQ75r.net
キリストはどうやって蘇えった?頭を使いなさいな。

126 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 22:04:08.82 ID:MJvQgyYS.net
同じ宗教者として、仏教徒もイスラムテロに対してコメントして欲しい。
ダライラマはやったぞ。

「彼らは宗教者ではない」などというなよ。開祖と教義のために命まで捨てた
彼らが怒るぞ。究極の宗教者ではないか。

東大の宗教学科まで出てクリスチャンからイスラームになった著名な宗教学者
のコメントを読んだが、彼は、「イスラム国」が究極のイスラームの形態だと
言っている。殺人に対する反省や謝罪はゼロであった。

127 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 22:32:28.70 ID:ButhqtXH.net
私はイスラムの何たるかは全く分からないものだが、外から見る者としては
イスラム教は立派な宗教だと思うよ。キリスト教も立派〜その他諸々数多くの
宗教があろうがそれはそれぞれに立派だ。

そのそれぞれの宗教の最も拙い要素が排他性だろうなあ。
仏教徒を内道と言いそれ以外を外道と言う仏教にもその要素があるのがダメだ。
本来の仏教(仏陀生存時)は他の教えを退けるような事はしないものだが、後代に
変わってしまったんだなあ。

いずれにせよ、無差別にテロを仕掛けまくるイスラム国なんてのは国でもなければ
イスラム教とも何の関係も無い集団だと思うよ。

イスラム国と宗教は無関係。彼らは己の勢力拡大の目的の為だけに無差別テロを
仕掛けており、そういうものを宗教とは言わない。

128 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 22:34:36.23 ID:MJvQgyYS.net
存在論において、ある物質(何でもよい)が「有るか、無いか」と、その物質が
「何であるか」とは、全く別の問題。前者は専ら五感の知覚によるが、後者は、
共同体における共通の合意の記憶の問題。これら両者を混同するから、存在論に
極度の混乱が生じている。アリストテレスでさえ混同している。

極度の飢餓状態において、目の前に何らかの物質が実在すれば、それが何で
あるかが判らなくても、食ってみて食えるものであれば、生命が維持できる
のである。

前者が、生存に直接の影響を及ぼす、禅でいう直接現実。後者は、共同体の合
意の記憶に基づく観念の世界である。仏教の他宗派でも、混同しまくりである。

人間は、有に100%しない限り一瞬も生存できないのだから、有は生命維持の
ための基盤。生まれたばかりの赤ん坊でも知っている。そのことに思い至らな
かった釈迦は、やはり極度の知能低下を伴う精神の病であることが否定できない。

129 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 22:46:11.83 ID:ButhqtXH.net
>>128
>>109は>>106の>リンゴが有ると認める〜を見て「認める」の方にウェイトを置いて解釈して
言ったんだろうなあw

認めるも何もリンゴはリンゴではなくリンゴと名付けただけなのに何を認めるんだ?〜という感じだろうww
まあ、屁理屈と言えば屁理屈だが、それは龍樹の去る者は去らず〜と同じ構造だろうw

130 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 22:49:37.55 ID:MJvQgyYS.net
>>127
>そういうものを宗教とは言わない。

宗教お決まりの「自己正当化」。宗教の純粋形態ではないか。それがまさに
殺戮の原因なのである。「ビンラデインは宗教者ではない」と言った著名な
宗教者もいる。彼が聞いたら激怒するだろう。

「体は殺せても、魂を殺せない者どもを恐れるな」。肉体は殺してもよいことに
なる。イエスのこの「肉体(生命)を忘れた精神性」と言う、すべての創唱宗教
にも共通する狂気が、宗教による大殺戮の元凶なのである。信者たちは、開祖
のこの狂気を忠実に実行しているに過ぎない。

131 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 22:53:18.46 ID:ButhqtXH.net
宗教の持つ排他性が「他を殺しても構わない〜」と判断した瞬間にそれは非宗教となる。
宗教で他を殺しても構わない〜というのは自己矛盾であり、それは宗教ではない。

132 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:06:04.10 ID:MJvQgyYS.net
>>129
リンゴという名称は、共同体における共通の同意の記憶という純粋な間接現実
だが(ある物質が実在するということだけが、直接現実)、竜樹の「行くもの
は行かず」は、身体の行為という直接現実である。竜樹自信が言ってるように、
歩いている者が、同時に歩くという同じ行為を重ねてやることは絶対に不可能。
直接現実と言わざるを得ない。

133 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:11:04.11 ID:ButhqtXH.net
私は極めて隠居氏に近いものだが、隠居氏と私の違いはここだ。
隠居氏は龍樹信仰者であり、私はどちらかと言うと仏陀寄りだ〜w
それも私はどっぷりハマる形態の信仰は不可であり、龍樹であれ仏陀であれ
その教えを取捨選択するのはこちら側であり盲目に信仰しない。

宗教もそう見れば他のいかなる宗教も立派であろう。
これだけが素晴らしく他はダメと切って捨てるの姿勢自体がダメだろうなあw
宗教自体がダメという隠居氏の見解にも同意しない。

宗教は己が主となり取捨選択し、宗教の前に卑屈にならなければ有益だろう。

この点が隠居氏と私の最も見解が異なる点だろう。

他の宗教かぶれのキチガイ共とは180度異なるから話にならんがなあwwwww

134 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:13:21.36 ID:MJvQgyYS.net
>>131
ならば、キリスト教も、イスラームも、原始仏教も、宗教ではないw。
釈迦も、生命は無明、無我と言ってるから、殺してもかまわないことに
なる。

135 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:21:02.48 ID:ButhqtXH.net
>>134
仏陀が言う無明とは喉が渇いて仕方のない人間が水を欲するがごとくモノに執着する姿を言っている。
仏陀が言う無我とは世の中の何物も自分の所有物ではないという事を言っている。
また仏陀は戒律で殺してはならぬと戒めている。コレはジャイナ教の影響が大きいだろうがジャイナ教では
生き物を殺さない事に重点を置くあまり生まれて食わずに死ぬ事が最も尊いとされる。

殺して構わない〜などと言う宗教は無く、それを言った途端にそれは宗教ではなくなる。

136 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:21:37.97 ID:MJvQgyYS.net
>>133
開祖個人の妄信がすべての宗教の本質。そうでなければ、宗教は成立しない。
信者が、開祖に対して傲慢こく宗教が、一体どこにあるのかねw。

137 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:26:35.88 ID:LDQgxKXW.net
その妄想に妄想を重ねたらどうなると思うね。
信じられないのなら素直に離れるがよい。

138 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:27:20.77 ID:ButhqtXH.net
>>136
妄信ではなく、例えば仏陀の神格化を除外し実像を求めその足跡を探る中村元氏の姿勢は良いと思うよ。
これは妄信とは言わない。
実像の陰、影が空であり縁起だ。正確な実像を求めるのは当然だ。

経典の誇大神格化された仏陀像をそのまま信じ、経典の一字一句をそのまま鵜呑みにする阿呆はまさに妄信の信者であろう。

139 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:28:04.17 ID:MJvQgyYS.net
>>135
人間が水に執着しなければ、数日で間違いなく死ぬのだから、釈迦仏教も
やはり殺人宗教w。空気に執着しなければ、数分間で死ぬ。

140 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:30:33.14 ID:ButhqtXH.net
>>139
「〜がごとく」であり飢餓の人間が飲食を欲するのは当然。
それを戒めている訳ではない。 というかそんな事は当たり前だろうww

141 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:33:05.06 ID:LDQgxKXW.net
グダグダ言っているくらいなら離れればよいだけです。
だれも宗教など強制しないのだから。

142 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:39:11.67 ID:MJvQgyYS.net
>>138
中村氏が釈迦信者であったことが、残念ながら彼の学者としての限界だね。
学問に不可欠な「批判」は、一切できないのだから。

143 :神も仏も名無しさん:2015/11/20(金) 23:41:20.45 ID:ButhqtXH.net
>>142
確かにそういう一面はあったかも。
しかし、それは中村氏の人間性として見れば微笑ましいものとも言える。
何も学者として頂点を極めるために人間性を捨てる必要もないわけで〜w

144 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 00:04:30.40 ID:w012zLbw.net
このスレの人間は、
勿論、今日のNスペ見たよな?(特に隠居w)

145 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 00:07:07.51 ID:vfdfhFSO.net
>>141

人間の生存努力の中から自然に発生した自然宗教とは異なり、例外なく開祖の
精神病から発生した創唱宗教が、これほどの害悪を人間に及ぼしているのに、
見て見ぬ振りをするほうがおかしくないか。

理由の無い大量殺戮だけでなく、家族の一員が宗教に嵌ると、家庭は例外なく
崩壊しているのが実情。生来の性格と現実感覚と社会常識とが破壊され、人間が
人間でなくなってしまうからである。家族でさえも、宗教のベールを通さなければ
見ることができなくなってしまう。

慈しみ育てたわが子が、宗教に嵌ったが故に、100%の善意で犯罪を犯し、死刑台に
上るのを見なければならない親の心情を想像することもできないのか。

病人を放置するのは、人道に反する。

146 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 00:31:40.57 ID:YUcSLSx6.net
洗脳と宗教もこれも一概にイクオールで結べない。
現に私は何者にも洗脳されずに己の取捨選択で宗教の教えを選択している。

嵌って妄想に陥れば、半ば洗脳された状態だからまあ、気の毒としか言えんわな。
こればっかりは親が子供をしっかりと躾けて、他から洗脳されないように育てるよりあるまい。
それで洗脳されたら、宿命と思ってあきらめろ。そういう人間はどうにもならんわ。

147 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 01:51:26.73 ID:giRn8WmY.net
>>116
お前が形而下と呼称するそれも、実際は認識で成り立ってる形而上の事ではないか?
人間の所謂認識は全て形而上で行なわれるのであり、直接形而下と称する事物一般を
形而上以外で認識する事は出来ないぞ?
言葉に縛られずに、自分の身体で以って今すぐ確認してみろ
言葉もそれ自体は形而上の思念無くしては成り立っていない
西洋哲学的な思考しか出来ないからお前は仏教が解らんのだよ
事物をどうみるか?ではなく
何故事物を認め知れるのか?が仏教の視点だ

>>118
つまり、生命の問題では無い、と言う訳じゃないか
違うか?

148 :CIAパンドラ計画:2015/11/21(土) 01:51:42.13 ID:0yBBWWSq.net
>>103
電気とは例えば稲妻ですね

電気が見えているかの様なアレは何なんでしょうね?

そう言えば光は電磁波の一種だそうです

光が電磁波なら
始めから見えていた世界は電磁波だった訳です

世界は電磁波です

ところが電磁波とは何かと言えば
やはり電磁界の強度を計測器で図って目で見る事で
分かる訳です

電磁界が世界に及ぼす影響を目で見る事で
分かる訳です

その世界が電磁波なんです

電磁界が世界に及ぼす影響を電磁界で
見ていた訳です

すると今度は
電磁界とは何でしょう?

149 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 02:48:32.64 ID:vfdfhFSO.net
>>147
>つまり、生命の問題では無い、と言う訳じゃないか 違うか?

神経伝達物質がなければ神経は働かず、生存は不可能になるから、生命は
神経伝達物質を出す。しかし、肉体は物質だから、壊れたり、狂ったりする
事もある。神経伝達物質が少なくなると、うつ病になることがわかっている
から、抗うつ薬により神経伝達物質の再取り込みを防ぎ、その濃度を増加
させるのである。精神も、すべて物質の働きということになる。その働きの
原動力が生命である。死者には、このような生命現象は一切生じないからである。

150 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 02:57:15.56 ID:vfdfhFSO.net
精神とは肉体の働きであるというこの「モノアミン仮説」は、人類史上、最大の
発見の一つだね。釈迦やイエスの念頭にも浮かばなかったこと。

「体を殺しても、魂を殺せない者共を恐れるな」というイエスの言葉が、いかに
誤った、馬鹿げた、滑稽なものであるかが判る。

151 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 02:59:19.49 ID:YUcSLSx6.net
>>147
>>29を見よw そこに形而上の解説が有るww

形而下とは目の前に有るそのものの事だ。
お前は形而上と形而下の違いをわきまえてモノを言えww

仏教が分かる分からない以前の問題だ〜w
スタート地点にすら立っていないものが大口叩くんじゃないわww

152 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 04:25:06.78 ID:giRn8WmY.net
>>151
では聞くが、「見た」「聞いた」「考えた」と言う「実感」は形而下なのかね?

もしそうだと言うならここに出してみてくれないか
因みに、「ここ」は形而下と言えるかね?

少しは唯識くらいも学んでみたら良いと考えるがどうか

>>149
おやおや、生命神とやらにも手抜かりがあると認める訳だね
それ故に不足分を薬に頼らざるを得ないと

153 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 04:47:31.52 ID:giRn8WmY.net
>>151
>スタート地点にすら立っていないものが大口叩くんじゃないわww

先ず、相手を罵倒せねば気が済まない卑劣さを自分で戒める事からお勧めする
人として、社会人として、健常者として、知識人として、そして現代人として
相手を罵倒しなくては自らのアイデンティティを保てない愚劣さを何とかするべきかと思われるがどうか

154 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 04:56:10.98 ID:giRn8WmY.net
>>151
相手を軽蔑する事は即ち差別であろう
果たして軽蔑は知識人として正しい行いであろうか

お前が愚劣で卑劣なのではない
お前の行う軽蔑の気持ちが愚劣で卑劣であると知るべきであろう
その行ないはお前の価値を下げているのである

お前はそれで満足であろうか
それで全てが円満なのであろうか
お前の親はお前を尊敬してくれているかな?
お前は親を尊敬しているかな?
お前の恋人はお前を尊重してくれているかな?
お前はどうであろうか

お前の価値はお前の行ない如何に全て掛かっている
自由に行きたいなら、その障害は極力除いて行くべきであろう
それはお前の身の振り方、物の考えなどの行いに全て掛かっており
それがお前の価値の全てとなる

価値を高めたいのなら、識者として、人として、社会人として、健常者として
相手を罵倒する真似は避けるべきだと思われるが如何か

155 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 09:40:55.12 ID:wdBKNJBw.net
>>150
>精神とは肉体の働きであるというこの「モノアミン仮説」は、人類史上、最大の
発見の一つだね

精神とは何かが問題だ。
日本人のいう、「心」とは何か、について、英語に翻訳すると、「気にすること」
と言うような意味で、「mind]となる。決して「heart]ではないんだな。

日本人の精神は、だから、感情なのだ。しかし、それを欧米人は「知性」と解するのだ。

感情が損傷されるのと、知性が損傷されるのと、比較してみるべきだ。

根本は同じところに行き着くように思えるが、感情がマヒする、知性がマヒする、等の場合、
それは廃人になることを意味しないか?
これこそ、イエスが、人は自分を失ったら、全世界をもらってもそれは無価値になる、と言っている、その自分ではないか?

神の処罰とは、この知性、感情を、失わせる処分であると思う。

この知性感情は、肉体が損傷されて滅したなら、同じに滅するものだろうか?

この知性が、肉体は縁起してるもので実体のない幻であると判断するものなのだ。
肉体が、どのような判断をするというのか。肉体が滅んだら、その知性以外は滅ぶが
知性そのものは滅ぶことはない。

これが「自灯明」の「自」であり、イエスのいう「魂」であると思う。
だから、この「自」が処罰されるときは、「地獄」と言われるところに「閉じ込められ、抜け出すことができない」
ので、その警告を聖者はしているのだ。

156 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 10:19:18.67 ID:hmUtIfcU.net
>>152
>それ故に不足分を薬に頼らざるを得ないと

生命に生じた不具合の理由を発見し、それを是正できるのも、また生命である。

生命こそ全知全能。それを「無明」呼ばわりした最大の愚か者が釈迦である。

157 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 10:28:49.28 ID:wdBKNJBw.net
>>155続き
知性はここの肉体に拘束されない。だから、複数の肉体やその他の事物に移行して働く、つまり判断する。
一つの肉体が滅んでも、知性はその居所を失うことはないのだ。

精神は肉体の働きだ、と言うとき、肉体は精神があるから、働くのだ。
肉体とは、精神のないもので、それは彫刻された身体像を意味しているのだ。
そんな身体像だけでは動かない。そこに精神が入るから働くのだ。

身体像が精神を創るのなら、その精神は身体像に完全に拘束され一ミリも身体像から離れるものとならない。
ところが身体が運動するときは、身体の外に動くのであり、しかも外の事物に影響されて行為もするのだ。
精神は身体の働きに拘束されていたら、結局一歩も動けないのだ。

チミの一番の間違いは、肉体と言うものが彫像と見做していることだ。人間の肉体とは芸術作品ではないのだ。

158 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 10:47:27.23 ID:hmUtIfcU.net
>>155
>これこそ、イエスが、人は自分を失ったら、全世界をもらっても
>それは無価値になる、と言っている、その自分ではないか?

イエスの、その生命に対する聖書中の唯一の言及は、何と、「俺を
信じなければ、その大切な生命を失う」という脅迫の前提である。

話にならん。

十戒における「殺すななかれ」という無条件で、簡潔で、力強く、美し
い一句に、「しかし・・・・」などと条件を付けたのもイエスである。

「肉体を殺しても、魂を殺せない者どもを恐れるな」という、イエスの
恐ろしい言葉とともに、キリスト教が最大の殺人宗教である所以である。

159 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 10:51:37.69 ID:hmUtIfcU.net
>>158の訂正
×「殺すななかれ」
○「殺すなかれ」

160 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 10:59:27.08 ID:3b1Z2Wm2.net
>>155
>肉体が、どのような判断をするというのか。肉体が滅んだら、その知性以外は滅ぶが知性そのものは滅ぶことはない。

気持ちは分からなくは無いが、知性は滅ばないと考えるのは「梵我一如」のアドヴァイタと同じ永遠・常住の希求となんら変わらないだろう

>これが「自灯明」の「自」であり、イエスのいう「魂」であると思う。

先ず、自灯明とは四念処を頼れと言う事で経典にある通りをそのまま読むべき
そして、イエスがもし魂なるを説いたのなら、どうして復活を予告されたのであろうか
滅びぬものに復活など有ろうはずが無かろう?

161 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:02:31.63 ID:YUcSLSx6.net
>>152
少しは前のレスを読む癖をつけたらどうだ?
何度繰り返し同じことを言わせる?
>>95
>>99

唯識など根本的に誤でありむしろ唯物の方が科学のベースとなっただけ価値が有る。

糞に糞と言うのは当然だろww
それとも、糞の様なおつむのお方ですね〜など言えば良いのか?www
別に誰からも尊敬などされなくても結構w
他者から尊敬されたい〜などと気に掛ける事自体が汚らわしいわw

162 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:06:18.07 ID:3b1Z2Wm2.net
>>161
軽蔑は軽蔑しか生まず、侮蔑は嘲笑される

163 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:10:03.42 ID:3b1Z2Wm2.net
>>161
>少しは前のレスを読む癖をつけたらどうだ?
>何度繰り返し同じことを言わせる?

流石ググれと言われて激怒し粘着する御仁はパンチが効いてますなw

164 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:15:41.20 ID:YUcSLSx6.net
軽蔑されても結構w 侮蔑、嘲笑されても結構w
そんなことはどーでも良い事だ。
他者から尊敬されたい、賢いと思われたい、良い人と言われたい〜などと志向する姿勢自体が汚らわしいわww

自灯明の枝葉の解説の方に重点を置くのが間違い。
自灯明の最も根本的な意味は己に頼れというシンプル、ストレートなものだ。
己に頼れとはどういう事か?との問いに答えたのが枝葉の解説〜。
即理解出来れば第二の質問とその回答など不要。

人間個人が滅びるのか滅びないのかはモノの実体を問うのと同じで存在論である。
その回答も頻繁に嫌と言うほど繰り返し言っているが空で肯定も否定も出来ない。
お前が言う「滅びない」というのは常住論であり仏陀が完全に否定した見解だ。 >>162

165 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:22:51.04 ID:hmUtIfcU.net
>>155
>精神とは何かが問題だ。

「精神とは、状況に応じて肉体を維持するために、専ら肉体から発する
機能」(James-Lange Theory)。肉体のみに仕える。従って、「精神のた
めに精神を使うこと」は、精神の目的外使用、精神の濫用、精神のオナ
ニーである。肉体が死ねば、精神は一切生じ得ない。

感情も知性も、同じく精神。その目的は、実質的には同じ。ヒュームは、
「知性とは、感情の束である」と言っている。

166 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:32:34.88 ID:wdBKNJBw.net
>>160
こちらのいうことが不明瞭、というよりかよく分からないままに言ってしまっている。

167 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 11:43:41.54 ID:wdBKNJBw.net
>>165
参考に、荘子は恵子に、感情はない、と言って、政治家の恵子は感情は本質的なものだと反論している。
まあ、哲学者と、政治家との立場の違いが見て取れるね。

168 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 13:04:07.44 ID:bOsU1tbc.net
>>150
仮説は発見とはちゃうで

169 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 13:37:54.11 ID:hmUtIfcU.net
>>168
「モノアミン仮説」は、その作用機序が100%は判っていないだけで、
実際に効果があり、多数使用されている。「とにかく効く」という事実
だけで使用されている薬剤はかなりある。宗教とは異なり、科学は
100%判らない場合は「仮説」として扱う。そしてさらに観察・実験を
継続する。宗教は、何も判らなくても、「開祖が言った」という事実だけで、
「真実」として、初めからすべてが判った積りになるw。Stap細胞と同じw。
科学とは、それほど厳しい。

科学における仮説には、「一応の根拠」を要する。宗教における根拠皆無な
「真理」は、科学における仮説にもはるかに及ばない。

170 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 13:57:28.84 ID:y2QneiTF.net
宗教は奴隷学だ
宗教学や1団体の教義より「宗教社会学」を作って研究が必要だ

171 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 15:34:37.19 ID:3b1Z2Wm2.net
>>164
>自灯明の枝葉の解説の方に重点を置くのが間違い。

いや、由来となってる経典を無視して曲解する事こそ大間違いだろ
よく読め

165-13.それゆえアーナンダよ、ここなるあなた方は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住しなさい。
165-14.ではアーナンダよ、いかに比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住するのでしょうか。
165-15.アーナンダよ、ここなる比丘が、身に対して、身を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(身念処)
165-16.アーナンダよ、ここなる比丘が、諸々の受に対して、受を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(受念処)
165-17.アーナンダよ、ここなる比丘が、心に対して、心を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(心念処)
165-18.アーナンダよ、ここなる比丘が、諸法に対して、法を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(法念処)
165-19.アーナンダよ、じつにこのように、比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住するのです。

172 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 15:40:52.71 ID:3b1Z2Wm2.net
>>164
>己に頼れとはどういう事か?との問いに答えたのが枝葉の解説〜。
>即理解出来れば第二の質問とその回答など不要。

二度質問などされてない
自洲法洲とは具体的に何か?を自洲法洲として説明しているだけだ
そもそも自洲法洲と言う言い回しを「作った」のは釈尊その人なのであり
その独自の言い回しを語る時、釈尊は必ずちゃんと「それはどう言う意味か」を教えている
その一つが件の自洲法洲、別訳自灯明法灯明の下りなのだよ

手前勝手に解釈して良いと言う道理が正義なのか?
お前はお前の都合で勝手解釈したいのだろうが、お前はこの世界のルールではない
お前のその根拠無き万能感は本当、見ていて微笑ましいと思うよw

173 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 15:51:41.53 ID:3b1Z2Wm2.net
>>164
因みに、その自洲法洲を教える前段の、アーナンダの語り・質問はこうである

164-12.「尊者よ、わたしは、世尊の安穏であるのを拝見しました。
164-13.尊者よ、わたしは、世尊の和らいでおられるのを、拝見しました。しかし尊者よ、私の身体は、〔不安のあまり〕まるで酒に酔った状態のようです。
164-14.方角すら、私にははっきりしていません。
164-15.世尊の病より、諸法もまた、私に対し明らかになりませんでした。しかし尊者よ、私は、なんであれ一息つきました。
164-16.世尊が比丘僧伽について何も仰らない限り、その間は、世尊が般涅槃されることはないであろう、と」。

要するに、「もう死んじゃうかもよ」と釈尊に言われて、離貪出来て無いアーナンダは酒に酔っ払ったみたいに何にも解らなくなっていると訴えてるのであり
「これからどうすればいいのでしょう?」と、問いにもなってない様な問いに答えるのが釈尊なのである
その釈尊の語り出し部はこうである

165-1.「しかしアーナンダよ、比丘僧伽が私に何を期待するというのでしょうか。
165-2.アーナンダよ、私は、内外の別をなさず、法を教示してきました。
165-3.アーナンダよ、如来の教法に師の握拳は存在しません。

174 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 16:04:29.39 ID:3b1Z2Wm2.net
「自己」は「法」で成り立って「自己」であると言うのが「自洲法洲」の由来なのであり
その「自己」が「(自己に起こってる)法」を身念処として受念処として心念処として法念処として良く観察する事に頼れ
と言うのが自洲法洲(自灯明法灯明)の教えの正体なのである
紐の様に、理解出来ないからと「法灯明」を切り捨てて「自灯明」だけを切り取って「自己が自己こそが」と勝手解釈するのは
三次元こそがこの世界の真実なのであり、三次元以外は戯論だ糞だと言うのと同じであろう

なあ紐よw
この世界は三次元じゃなかったよなぁ?w
それじゃ何かが足りない筈だろ

175 :オンリーワン!:2015/11/21(土) 16:15:46.18 ID:rDGWpDGi.net
本当に論理的に考えられるなら、私と対象しか存在しない。
第三者という仮の目を作り、仮の思考者、仮の行為者を自作しておいて「私は客観的な目を持ち、客観的な思考をしている。」などという妄想を止めて素直にだ。
ゆえにこれは、独り言になる。

自燈明はね、このように問うといいよ。ラマナ・マハルシの瞑想法だよ
これを読んでいるのは誰か?
その文章はどこから出てきたのか?
これを見ているのは誰か?
そのように考えたのは誰か?
釈迦が過去に存在したと思っているのは誰か?

そのあと「その私とはどこにいるのか?」「私とはなんなのか?」と問う。
「体は私ではない。心は私ではない。感覚は私ではない」を知的に受け入れた人向け。

釈迦も縁起もそれを知る私があって存在するといえるわけです。

176 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 16:19:27.87 ID:3b1Z2Wm2.net
>>175
わたしはノンデュアリティは推奨しないが、紐には向いてるのかも知れんな
何でも同一にして有と言う見方を、彼が好むかは知らんがね

177 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 16:47:13.74 ID:w012zLbw.net
>>176
紐は、サンジャヤ+アジタだろ。 (ゴーサーラでないだけまだマシかw)

実際、メタ視線で考えたら、
ブッダの教えって、六師のハイブリッドみたいなもんだしなwww

178 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 17:01:07.10 ID:3b1Z2Wm2.net
>>177
>実際、メタ視線で考えたら、
>ブッダの教えって、六師のハイブリッドみたいなもんだしなwww

言いたい事は解らないでもない
が、それは経典を良く読んでいないか
読んでいても離貪に至れていないものの「見解」に過ぎないだろう
所謂六師外道各々の説く最上より上がある事を見極めた故に如来は解脱出来たと経には説かれる
手法が似て見えても、結果が違うならそれは違うものなのであり
思想が似て見えても、それは同じことが言えよう

179 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 17:58:16.85 ID:wdBKNJBw.net
ノンデュアリティなんていう思想が一部で繁盛してるということを聞いた。
シャンカラの説だという。梵我一如なんだという。
その説明で、梵が何を指すのか、明らかにされていない。
しかし梵が空という実相だというのなら、空と合一することが、仏教の目的である
というのは阿含経典にあるのだから、これは仏教ではないか?
仏教の修行は、この実相である空と合一するためのものだ。

180 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 18:04:16.69 ID:vWpk8VdO.net
>>170

「宗教社会学」は、すでに存在するが、問題は、学者たちが、特定の宗教の
信者であるか、若しくはその影響を受けており、そのため、単に宗教現象の
記述に止まり、宗教の内在的精神病理の解明が、一切なされていないことである。

これは、宗教学に付いても言える。東大の宗教学科の創設者は、日蓮宗の熱心な
信者である。

マックスウェーバーの「宗教社会学」も、彼の宗教であるプロテスタントの
基本的視点から逃れることはできない。

181 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 18:26:08.75 ID:YUcSLSx6.net
>>174
当たり前だろうw
自=法であり、自灯明=法灯明だ。
四念処>自灯明をダメだと言っており、自灯明=四念処ならば自灯明を聞くだけで
四念処やら法灯明を知る事となり不要。
仏陀は分からなかろう人間を想定して第二、第三の解説を加えたに過ぎない。
第一句で分かるべきで第二句以降をもって分かるようではそれだけの人間という事。

それと、何だ?三次元って?人間は時空の四次元に住んでいるのではないのか?
お前は時間の観念が欠落しているお目出度い人間という事か?ww
>>41参照w (人のレスを読まない阿呆しかいないなあこのスレにはww)

182 :神も仏も名無しさん:2015/11/21(土) 19:00:02.19 ID:w012zLbw.net
>>178
当たり前だろw わかってるよ、んなこた。時系列考えろよw

ブッダが六師より後輩、後代なら、また別かもしれんが。
んと、頭硬い奴は2chやめとけ。

183 ::2015/11/22(日) 03:01:27.99 ID:BJN7yZ1r.net
>>179
>仏教の修行は、この実相である空と合一するためのものだ。

空はその実相とやらの陰、影(その影響)に過ぎない。空は実相ではない。実相は色だ。
陰(空)と合一する〜なんてのは意味不明な表現であり、主張の体をなしていない。

修行僧が修行するのは人間の原点に戻るためのものさ。
人間は俗の中で生きて成長するが、その過程でくだらない観念のゴミを身にまとう。
それらのゴミを一掃し、人間本来の生き方を追求するのが出家という奴だ。
本来ならば文字通りの裸一貫なにも身のまとわず荒野を一人這いつくばらねばならない。
寺でぬくぬくと「我は出家でござい〜」なんてのは俗も俗w 出家とは言わん。

184 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 04:31:00.00 ID:smrp+43T.net
たとえば、物を認識するのは人の心だとする。
認識されないものは存在しないのかというと、そうではないと言うことになるだろう。

たとえば、未知の惑星がどこかの星を回っていて、いずれは発見されるとする。
発見されない、つまり、人間の認識上に上らなければその惑星は存在しないかというと、そうではないと言うだろう。
しかし、じゃあその惑星が「惑星」として限定された形にされているが、その「限定された」というところの「限定」は存在しているのだろうか?
もしかしたらその惑星は他の宇宙人から見れば、磁気圏など、多種多様な層を成していて、
単に固体の惑星に留まらず、大きな圏を成していて、周囲の惑星と繋がっているかもしれない。
そうして大きな層を成してる一つの層と見えるだけで、一個の惑星と分離出来ないかもしれない。
あくまでも分離的に個々の存在を見いだすのは人間の思考だ、ということだ。

「いずれ発見される未知の惑星は、まだ人間の認識に上っていないが確かに存在する」 という言い方はどこがおかしいかというと、
「惑星」と決め付けてるところだよね?
その時点で個々に分離して、一つの物体として存在させてしまっている。
そういう人間の勝手な想定によって存在しているものが「無い」ということであって、
それが「空」、ということなんだよね。
「空」というのは例えば、地図上に国境線が引かれているのを見て、あそこの国、ここの国と、いくつもの国に分かれているように見えたけれど、
いざ宇宙から地球を見てみれば、まったくそれらの隔たった個々の枠は存在しなかった、ということ。

国境線を引かれた一つ一つの国という存在物体は存在せず、あるのはただ地球という何のわけ隔てることの出来ない
一体のものだった、ということ。
これが国境線の引かれた個々の物体である「国」という存在は空であった、ということ。
され、空っぽの中にあったガチャガチャとしたいろんな存在物が無くなれば、
そこには静寂のみがあることになる。
何にもない、ただ空っぽ。
在るものが無くなったんじゃなくて、もともと空っぽのところにいろいろと線引きをしたものが無くなるということ。、

185 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 12:52:13.51 ID:F5ZK3Fqu.net
>>184
その理解は正しくないのだ。それでは真実に至れない。

ゴータマは自己の肉体とその働きを観察して、色(物質)と思い、は全部相対して存在してるとみなすのが正しいと判断したんだ。
これを縁起しているというのである。白い色があるから、黒い色があるのであり、白い色ばかりならば、白い色という認識が生じないのだ。
黒い色があるから、白い色が認識できるのだ。だからもちろん、白い色とか黒い色という名称は、人間が都合上つけたものにすぎない。

人間は、この色の相違を認識するようになることが、不幸の始まりなのだ。
なぜなら、認識とは、相違を認めることにほかならず、相違を認めるとは守捨選択に至るからだ。
自己中心のスタートだ。
こうして人間全部がおのおの自己中心になった。
「これ」と「彼」が対立するようになった。

こういう人間関係を発生させる人間の認識を観察した、ゴータマ尊者は、
この「これ」と「彼」というのは、相対して存在するもので、相手がいるからこちらの存在が誕生するもので、
相手がいないならこちらの存在も誕生しないものであると見破り、これらは実在しない幻、陽炎、蜃気楼のようなもの
であるとみなし、この陽炎のようなものを、相手にしないのが正しい態度であると判断したのだ。
そして、この世界の一切は、この相対存在、即ち縁起物なのだから、世界全体がカゲロウなのだ、と見做すのが正しいのだ、としたのだ。

186 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 12:52:50.62 ID:F5ZK3Fqu.net
>>184 つづき
こうして、初めの色の関係に戻るが、色の相違の認識を捨てる必要があると判断したのである。
世界は色々な変化に満ちていても、それを、「これ」「彼」と認識しないなら、何の問題も起こりえないのは、道理なのだ。
これがゴータマの説く「理法」である。

今まで認識していなかったものが、表れてきても、それもやはり相対存在に他ならないのだから、ゴータマの理法が崩壊することはない。

真実としては、無相の姿をしている「一」なるものが存在しているだけなのだ。その「一」は無相であるが故に、
世界を空なるものにするのだ。世界を空っぽにするのだ。チミの認識を捨てれば、世界は空になるということだ。

そこで実生活においては、一切の混乱を故意に避けるようにしなければならないことになる。トラブルにかかわらないならば、そのトラブルは自然に
消滅する以外ないのだ。トラブルにかかわらせようとするものを悪魔マーラーと言う。

どうだ?これがゴータマの教えだと思う。誰か反論疑問有るかな?

187 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 13:06:11.77 ID:JmZeD/cs.net
>>184
>人間の認識上に上らなければその惑星は存在しないかというと、そうではないと
>言うだろう。

実在とは、「(必要な場合には観測装置を使用して)人間(宇宙人ではない)の五感で
知覚できる対象」のみ。それ以外を「空想」「妄想」と呼ぶ。例外は「皆無」。
自分の日常生活の経験から容易に帰納できること。

初めて知覚れた対象は、それ以前の「何時から」実在したかの証明は絶対に不可能だから、
結局、知覚時に発生したことにならざるを得ない。「世界5分前発生説」を参照。

知覚された対象が「何であるか」は、あくまで、共同体における同一の合意による。

「何らかの対象が知覚されるか否か」と「知覚された対象が何であるか」とは、全く
別の問題。両者を混同するから、存在論が混乱に陥っている。

188 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 13:17:49.72 ID:F5ZK3Fqu.net
>>183
>人間は俗の中で生きて成長するが、その過程でくだらない観念のゴミを身にまとう。

チミの意見は全く論理が無いね。理性がない。これでは一貫した生活態度を維持できない。
修行にならない。

189 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 13:22:21.56 ID:BJN7yZ1r.net
>>186
空と無を同一視する明確な誤。
人間は認識下において生きる事が出来る。認識しなければ即死ぬだけ。
仏陀は死の勧めなど説いていない。

トラブルには仏陀であれ巻き込まれるだろうよ。チュンダの供養で食あたりになり
下痢に苦しみ体力を削がれ横たわらねばならないトラブルに陥っている。

体が無いから病気も無いなどというキチガイの見解に誰が従おうかwww
お前は病気になっても絶対に医者にかかるなよw かかれば閻魔大王に灼熱の鉄玉を飲まされるであろう。

>>187
>結局、知覚時に発生したことにならざるを得ない。

人間は地球を認識(知覚)するが地球は46億年前に誕生した事は分かっている。
地球は人間が誕生する遥か以前から存在した事が分かってるのは何故か?w

190 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 13:23:56.99 ID:JmZeD/cs.net
>>186
>どうだ?これがゴータマの教えだと思う。

ゴータマが痴呆、氣違いであったことを完全に証明しているw。

人間にとってのすべての区別は、人間の生命の維持に不可欠であるから、
存在する。死者は、如何なる区別も認識しえない。

「一なるもの」とは、即ち、「人間の生命」である。

191 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 13:57:50.87 ID:fHIxzc0U.net
>>189
>地球は人間が誕生する遥か以前から存在した事が分かってるのは何故か?w

すべて、現在知覚できる対象からの「推測」に過ぎない。

「原初の地球」の絵は、「想像画」なのですよw。「恐竜大百科」に出てくる
恐竜の絵も同じ。

192 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 14:00:54.85 ID:BJN7yZ1r.net
>>191
人間が最初に知覚するのは母親であろうw
母親の存在も「推測」に過ぎないのか?w

193 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 14:03:53.99 ID:mAIYEw2v.net
>>192
幻肢って知ってる?

194 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 15:08:12.13 ID:F5ZK3Fqu.net
>>189
>空と無を同一視する明確な誤。

修行僧は、一切の自分の認識を捨てようと励む。無であるか空であるか区別しない。
その区別をも捨てているのだ。

維摩詰を見本とせよ。

> 人間は認識下において生きる事が出来る。認識しなければ即死ぬだけ。

認識は上下の結である。このことを知って修行僧は一切の認識を捨てることに励む。
「結」ってわかる?認識の世界に結び付けようとするもの、「絆」のことだ。「紐」のことだ。

195 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 15:12:40.94 ID:F5ZK3Fqu.net
>>190
>「一なるもの」とは、即ち、「人間の生命」である。

チミのいう生命とは煩悩のことだ。

196 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 15:25:28.90 ID:BJN7yZ1r.net
>修行僧は、一切の自分の認識を捨てようと励む。無であるか空であるか区別しない。
さっさと自決して死ぬことだw 死ねば認識は無くなる。逆に言えば生きている以上認識が無くなる事はないw
そのような修行増は修行の方向性が根本的に間違っており、100年修行しても何にも得られないだろうよw

197 :一切皆苦:2015/11/22(日) 15:47:05.99 ID:V2zJHXoG.net
どのように見るかは見る者にかかっている。
モノから情報を抜き取って空っぽにしてしまう技だ。魔法のように感じる御仁もおられるだろうが簡単だよ。
その効果は即実感できるのだから、お釈迦様はすごいよな。

198 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 15:48:42.70 ID:V2zJHXoG.net
>>197
コテは一切皆空の誤変換です

199 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 15:58:20.13 ID:F5ZK3Fqu.net
>>196
>さっさと自決して死ぬことだw 死ねば認識は無くなる

自決と言う行為を知っているんか?認識を捨てようとしてる修行僧が自決するわけない。
それは真逆の修行だからだ。修行にならない。

200 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 17:24:39.67 ID:fHIxzc0U.net
>>192
赤ん坊にとっては、現に知覚している、オッパイを与えてくれる女性だけが母親。

鳥の子に、母鳥の模型を見せると、母親だと信じて、付いて回るらしい。

>>193
幻肢痛の原因はまだ解明されていないが、生理的なものではなく、単なる
心理現象だろう。鎮痛剤も麻酔も効かないのだから。

>>195
ならば、「一なるもの」とは、一体何か?答えてくれ。

煩悩とは、専ら生命から発し、究極的には、生命の危機に対する警告。生存に
不可欠な心理現象。「感謝して受け入れ対処する」ことによって、煩悩は去る。
「排除すべき異物」などでは決してない。釈迦は、ここでも間違っている。

201 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 17:39:24.95 ID:OnRgzCCo.net
欧米を含む外国のキリスト教徒は
はるかに日本のキリスト教徒と異なるということが
わかった

202 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 17:45:42.09 ID:fHIxzc0U.net
如何なる問題も、根源である生存本能(生命・肉体)の視点から対処すれば、
一発で回答が可能である。

禅も、「座る」とういう「動作」で、「生存努力を擬制している」のである。
半眼を開いて物質の対象を見つめるのは、生存に不可欠な現実との接触を
維持しているのであろう。

究極の生存状態においては、実在(有)のみが対象となり、観念は一切消失
する。究極の飢餓状態においては、「食える物」だけが、唯一の現実である。
「その食えるものは何か」などという観念は、一切消失する。これが禅でいう
「直接現実」の意味である。

203 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 18:23:43.38 ID:mAIYEw2v.net
隠居も紐も、モニターばかり見てないで、たまには外に出て街歩きしてこいよw

自分だけの脳内仏教は聞き飽きた。 ┐(´ー‘)┌


つか、心身の感受を忘れてるのは、寧ろお前らの方だよ。

204 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 18:51:35.93 ID:mAIYEw2v.net
>>200
>生理的なものではなく
>単なる心理現象だろう  ( >鎮痛剤も麻酔も効かない )


だから重要なんじゃないかw  んと、頭悪いな・・。
で、こういう隠居を褒める紐も、同レベル、と・・・。

205 :123:2015/11/22(日) 19:17:37.29 ID:W0xub15V.net
存在論をやっているバカばかりである。
宗教は存在論ではない。
存在論は科学にまかせておけば良い。

206 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 19:30:21.22 ID:fHIxzc0U.net
>>204

純粋に精神的な苦痛など、生存に関係ないから全く重要ではない。単なる
自己中心主義か現実逃避である。幻肢痛は「疾病への逃避」とする解釈も
ある。

その意味で、釈迦が、「生・老・病・死」と、専ら「肉体の苦」を説いた
ことを、仏教徒はもっと評価すべきである。「六処」の発見も然り。存在論
の基盤である。イエスには、存在論など皆無である。すべて「妄想」。

207 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 19:38:24.44 ID:fHIxzc0U.net
>>205
存在論を欠く思考は、すべて妄想である。ニーチェが、仏教を「唯一の実証的
宗教」であると激賞したのは何故かを考えて欲しい。

「仏教は、若干の信仰的部分を除いては、徹頭徹尾、現実的宗教」と解釈する
仏教学者もいる。

208 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 20:53:26.80 ID:BJN7yZ1r.net
>>206
仏陀の説く苦とは精神的苦の事で精神的苦を取り除く事を説くが、肉体的苦に対しては対処法を持っていない。

>>200
オッパイを与えてくれる女性でも構わんが彼女は赤ん坊が知覚する以前から存在したよな?w
オッパイを与えてくれる女性の存在も「推測」しているに過ぎないのか?w

209 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 20:58:47.25 ID:F5ZK3Fqu.net
>>200
>ならば、「一なるもの」とは、一体何か?答えてくれ。

チミは生命が一なるものだと言った。其れに対して朕は、チミの一なるものは煩悩のことだ、と返答した。
そこでチミにこたえよう。
一なるものは、生命=煩悩でないものだ。
この世界の真実を言うのだ。真実は一なるものでしかない。真実は真実でも、この世界の真実程
尊いものはあり得ない。
これを認め、尊重することこそ、あらゆる存在するものの、命題であるのだ。

個の世界で生きる人間の善悪は、この命題を知り、認め、尊重したかどうかによって、判定される、閻魔大王に。
ゴータマ尊者は、これを「正法」ともいった。このことを知れ。

210 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 21:54:34.69 ID:fHIxzc0U.net
>>208
ならば、「生・老・病・死」は無関係。

肉体・物質に無関係な苦は、単なる釈迦の自己中心主義、わがまま、贅沢病。
己を忘れて、家族などの身近な他者に心を移すことにより、軽減・消滅する。
釈迦は、そんなことも悟れなかったのか?生活者(衆生)は、皆、悟ってる
ことだ。

釈迦のうつ病に起因する強度の苦悩感なら、現代なら精神科へw。

親子関係は、子の出生によって生じるものだよw。

211 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:05:17.08 ID:BJN7yZ1r.net
宇宙発生の仕組みを神として、その神の意向に沿った生き方を目指すのであれば
ソレは作為のない生き方をする事かもしれない。
「かもしれない〜」というのは神の意向そのものを知る事が出来ないから、人としての
生き方として信じる〜という程度のものだ。
>>209
「この世界の真実」なんてのは人間に知り得ないもので、何かしらコレがそうだ〜等と言うのは全て妄想である。
>>29-30 分からないモノを分からないとする姿勢こそが健常者のもので、妄想語りは狂人に過ぎない。
仏陀の法は人としての生き方、在り方として信じる〜という程度のもので仏陀ですら形而上の事は無記として回答を拒否した。
これは健常者の姿勢であるが、「この世界の真実」等と妄想を語る時点でキチガイであり仏陀の法などとは全く関係のないものである。

四次元の時空に住む人間が五次元以上の世界を四次元の法則で説く事は不可能。人間は人間の法則でしか物事を語れず、それ以外の
世界の事は分からない生き物である。何かしら語ればそれは妄想キチガイである〜w

212 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:12:06.21 ID:BJN7yZ1r.net
>>210
「生・老・病・死」は仏陀の出家の動機に過ぎず、「生・老・病・死」に伴う精神的苦を取り除く事を説いているに過ぎない。
仏陀はチュンダの供養で食あたりになり下痢に苦しみ体力を削がれ横たわって休まねばならない程に苦しんでいる。
病気やケガなどのダイレクトな肉体的苦痛は仏陀であろうが耐えるよりないのである。仏陀も肉体を持った我々と何ら変わらない人間である。

「親子関係」は子の出生で生じようが親自体は子が生まれる以前から存在しただろうw
以前の親の存在は推測に過ぎない〜などという主張はダメだろうよw

213 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:13:39.06 ID:fHIxzc0U.net
>>209
世界やその真実を認識しうるのは、生命のみ。死ねば一切不可能。

従って、生命は、世界やその真実の、そして人間にとっての一切の根源であり、
最高次元である。

だから大乗では、生命を、大我、真如、久遠実成の本仏、如来、父母未生以前の
面目、赤肉団上の一無位の真人などとも呼ぶ。

214 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:25:11.86 ID:fHIxzc0U.net
日本の仏教は大乗仏教なのだから、大乗仏教の思想で論じてくれ。

東南アジアの仏教である小乗は無関係。

215 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:25:12.38 ID:EJktd6fX.net
>>1
君は勘違いをしている。
空と無は別であるよ。

苦しい、痛い、悲しいは現実としてあるもの。しかし、本質は空である。

この世は色たる世界だから痛みから逃れることはできない。ただ、その色たる世界は空である世界から成っている。
本質は空とはこのこと。

これが仏教を哲学と捉える人たちにはどうしても理解できない。
霊的世界を認識できないから。

本当につきつめればこの世は幻のごときもの。でも、そういったって現実は救われないんだよ。
肉体的苦痛を伴うことで多くの悟りを得る。それを否定したところで全く意味がない。

「苦痛など本来は存在しないのだ。
痛みは存在しないのだ。
この世は幻、偽物なのだ」
と馬鹿みたいに思うくらいなら霊的世界を認識しないで懸命に生涯を生きた方がいい。

どうしてそんなこといえるのか?
空というものが至上の教えと盲信し、それが理解できないはずがないという仏教権威主義者ほどそういう傾向だよ。

216 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:35:55.17 ID:EJktd6fX.net
霊的世界を認めないものが空の悟りを得ることは不可能であるよ。

だけれども、空の思想に触れることは無意味ではない。
体を空と認識できなくても、心を空とさせることはできるでしょう。
それは、仏教を哲学と認識しているもの達でも可能なこと。
これを知っていると知らないとでは大きな違い。
そもそも哲学の領域といえど、空の思想に触れることを許されているのであるよ。
天の帝が許さないもの触れられんよ。

217 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:46:22.71 ID:/spWdzkB.net
何で仏教者たちは小難しい言葉使うかね?そこらへんはキリスト教を見習い平易な言葉を選ぶべき。

どうしても理解できない人達が権威付けのために難しい言葉を選んだのかね?本来はどんな愚かものにもわかる教えだよ。

218 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:47:27.06 ID:/spWdzkB.net
ごめん。
215=217
です。念のため

219 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 22:48:31.93 ID:/spWdzkB.net
君たちは何をいってるのかさっぱり理解できないよ。

220 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:14:45.29 ID:F5ZK3Fqu.net
>>215
>この世は幻、偽物なのだ」
と馬鹿みたいに思うくらいなら

この世界は幻、偽物、なんで、執着どころか、見向きもするな、という教えだよ。
幻の世界に住むことを強いられるという意味ではないのだ。
この幻だという仏陀の言葉に外道どもは、何もないというが幻があるではないか、どうして実装が空であるか?と疑問を呈したところ、
大乗涅槃経の仏陀は、返答に困っていたような。
そこで朕が補足すると、幻だから、執着しないで相手にしないことに徹し、ないものの世界に向かい、その世界を生きなさい
、幻の世界を振り返ってはならないよ、チミが振り返るなら、幻の世界はすぐにチミの前に現れる。方向を無相の世界に向け、しっかりとそれを守りなさい、
ということになる。そうすれば幻の世界は、チミから二度と現れることはなくなる、と言います。

221 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:16:29.77 ID:fHIxzc0U.net
>>219
言ってる者たち自身が、理解していないからだよ。

だからこそ、中論は言う。「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示され
得ない」と。つまり、大乗では、真理は世俗から一歩も外に出てはならない
のである。

222 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:17:44.85 ID:y0NEjcVQ.net
寝た子は起こすな。然り。

223 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:24:23.66 ID:+ocQd9CS.net
>>183
>空はその実相とやらの陰、影(その影響)に過ぎない。空は実相ではない。実相は色だ。

実相は真実の姿(相)なのであり、それは「あらゆる見方」と「戯論」が通用しない故に「無漏」であり「無相」なんだがな

西哲しか思考出来ない奴には全く不可思議な話だろうよ

224 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:30:14.51 ID:+ocQd9CS.net
>>221
>世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示され得ない

正しくは
一〇 世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。
なのであり、この説は「四諦」の事実を考察するための文である
お主は四諦が理解できてるのかな?
四諦が解ってないなら、空は理解できず、空も四諦も解らないならばそれは
第一義諦が何かも解らない事になるが

どうかな?

225 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:40:49.59 ID:F5ZK3Fqu.net
https://www.youtube.com/watch?v=suKsM_JYqeo

チミたち、これを聞いて学ぶべきだ。

226 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:41:20.54 ID:mAIYEw2v.net
紐は、↑一連の対論相手が隠居だっての判ってんのかな・・(´・ω・`)

227 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:53:22.67 ID:BJN7yZ1r.net
究極の真理など仏陀でさえ知り得なかっただろうよw
仏陀が知り得たであろう事は、「人間には知り得ない領域が有る」という事だろう。
それを元に作為なく生きる生き方、在り方を自らの法として一生を送ったのだろう。

世の中の阿呆は人間に知り得ないものも知り得るはずだと妄想する。
ニルヴァーナ(涅槃)を単に心安らかな状態の世界〜とでもするならばまだしも、
究極の真理などと想定すれば途端にアウトだろうよw >>224

目の前のリンゴをありのままに見ればそれはリンゴではあるがその実体は分からない〜w コレが実相=無相だろうよw
ポイントは「実体は分からない〜」であり、「実体がない」ではない事だ」。

228 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:53:29.42 ID:+ocQd9CS.net
>>185-186

その論に一応異論は無いが、疑問は残るな
そのままだと仮面の仏教徒と同じ論理を言っている訳であり
それは不二一元と少しも変わらない

お主の行法はノンデュアリティなのか?
仏法者ならその上(最上)に至れる訳だが

229 :神も仏も名無しさん:2015/11/22(日) 23:55:57.59 ID:+ocQd9CS.net
>>227
>仏陀が知り得たであろう事は、「人間には知り得ない領域が有る」という事だろう。

第一義諦は人間に知り得ないと考えてるのか?
それはお前が知らないだけ・知ろうとしないだけ・興味がないだけだろう
それだけの事なのに世俗の全てであるかの如くに言うお前の傲慢さは面白いと思うが

230 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 00:05:30.93 ID:RUiheHZE.net
>仏法者ならその上(最上)に至れる訳だが

????・

231 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 00:06:31.85 ID:wGCMR9xI.net
>>227
>目の前のリンゴをありのままに見ればそれはリンゴではあるがその実体は分からない〜w コレが実相=無相だろうよw

先ず、「リンゴはリンゴに非ず、それをリンゴと名付くる」
リンゴと言う物体はそもそも存在して無いんだよ、便宜的に命名してるだけだ
で、お前が観る「リンゴと呼ぶ姿」を色と分類し、その観ている物体を「リンゴと命名して呼ぶ」のを名と分類する

それを「名色(ナーマルーパ)」と言うんだがお前は知らんのだな

名色を良く調べてみろ、もっと賢くなれるぞw
中論去来の考察くらい難易度高いがな

それと、無相と言うのはあれだ
見えた聞こえた感じた味わった匂った思ったと言う「界(ダートゥ)」を持たないと言う意味だ
六識を持つのは人間だが、この世界は人間が統治して居る訳では無い
それを統治出来てると勘違いしている奴なら星の数ほど居るがな
自然界に六識は無いんだよ、有ればそれは有情と言う事になる
有情はこの世界じゃ少数派だ
もう少しちゃんと調べたほうが良いぞw

232 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 00:10:41.62 ID:rpR71fu7.net
>>117www

233 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 00:23:20.57 ID:wGCMR9xI.net
因みに、中論二章去来の考察は、先の名色(ナーマ・ルーパ)の理屈が理解出来ないと意味が分からないものとなる
何故ならこの去来の考察は、「去る」と言う現象を「名称」と「形態」とで分析し尽くしているからだ
名色の別訳は「名称と形態」と言う意味に当てられるもので、それは人が事物をどう認識するのかの
原点を分析している理論となっている
故に、去来の考察は中論全章の中心となる二十四章の更に根幹を成す論なのである
中々この名色の理屈、理解出来る奴はそうそういない
何故なら大抵のやつは是を理解する為に思考だけに頼るからである

仏道は思考を止める訓練から入る
ヒントはここにあるが、インテリ志向の戯論好きにはこれが全然容認出来ない
故に名色も中々ピンとこない

234 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:15:06.93 ID:rpR71fu7.net
中論は龍樹が法の実有を批判する目的で書かれたものだから、その視点で見れば
去る者は去らずで良いだろうが、一般常識的に見れば単なる屁理屈にしか見えないわなw
この屁理屈はリンゴはリンゴに非ずリンゴと名付くる〜も同じだわな。

思考で理解する事もあろうし体験的、経験的に理解する事もあろうし、そういうのは
どちらであっても構わない。職人芸の世界等は後者であろうw
ただ言えるのは瞑想下の変容意識下で理解する〜と言うのは単なる夢物語と変わらず
その様な世界を信じて公言するのはダメだろうよ。
ダメというのは他者に「コレが真実である〜」などと啓蒙する事を指しており、個人的に
信じる分には何ら問題は無いがなw 個人的な経験に文句を言うつもりは無い。

235 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:32:29.83 ID:QubsoPM6.net
>>224
「世俗の表現」とは、中村訳と思うが、サンスクリット語の意図的な誤訳だと
思うよ。「説く」のは、「世俗の表現」即ち「言語」によるのは当たり前。
また「世俗の表現」は、世俗以外の要素は含み得ない。若し含んだら、それは
「世俗の表現」とはいえない。

さらに、中論が「世間の一切の慣習」を無条件の前提としていることや、
中論25:19、25:20(生も死もある世界、即ち世俗界と涅槃とは、
いささかの区別も無い)と言っていることから、中論は2諦説、さらには
釈迦仏教を完全否定していると解すべき。釈迦信者の中村博士にとっては、
そのことが耐えられなかったのである。

大乗仏教の中心教義「煩悩即菩提」「生死即涅槃」は、中論のこの「2諦説の
否定」から来ていることは明らか。

中観思想においても、2諦説(2真理説)については、多くの議論と批判がある。

236 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:38:57.43 ID:wGCMR9xI.net
>信じる分には何ら問題は無いがなw 個人的な経験に文句を言うつもりは無い。

十分言ってるだろ、キチガイだの何だのと
本当に文句を言うつもりが無いならば、仏教徒に喧嘩を吹っかける真似はしないだろ
興味ない筈なんだからな

紐は言ってる事が徹頭徹尾支離滅裂なんだよ

237 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:48:43.58 ID:rpR71fu7.net
>>236
当り前だろww

2ちゃんねるで「公言」する阿呆にキチガイと言うのは当たり前〜w
キチガイ思考を自分の胸の内だけに収めていれば誰からも文句は言われないだろうよw
それを口に出して言い、掲示板に書き込めば「公言」「啓蒙」ととられ叩かれるのは当たり前だ〜ww

コレを支離滅裂というお前の頭が支離滅裂なんだよw

238 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:51:38.78 ID:wGCMR9xI.net
>>235
>「世俗の表現」とは、中村訳と思うが、サンスクリット語の意図的な誤訳だと思うよ。

思うよかw
良いかい?そもそも世俗とは何か?解ってるか?
その上で世俗の表現と言えば言語言論と言う言葉の事になる訳で
じゃあ世俗って何よ?って方はいまいち解明出来て無い事になる
世俗と言うものが有るのか?
それは一体なんの事か?
世俗の反対は超俗だが、それらは何を意味してる?
この意味は煩悩即菩提生死即涅槃をも意味してる訳で
世俗の中に涅槃を見るならそれは現法涅槃論と言う邪義になる
世俗と涅槃はコインの「裏と表」の如くで表に裏が無い如く、裏に表は無い如く
世俗の中に涅槃は無く、涅槃の中に世俗は無い事を意味する

これは思考して解る事では決して無い
とは言っても、変性意識を使う変な瞑想でも解らないだろう
仏道の瞑想は心を使わないので夢も幻も見ない
何も無いと言う事はどう言う事かを実際に知る為にだけ瞑想するのである
考えて知れる事は考えて知れば良い
では、考えないで知る事はどうすれば良い?

それが涅槃を知る唯一の方法となる

239 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:53:20.43 ID:wGCMR9xI.net
>>237
わたしは紐の理屈も認めてるぞ?
そう言う考えも一理ある、紐には、とね

他者を認めない排他思想は頂けないと思われるな

240 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 01:58:20.65 ID:rpR71fu7.net
まともな思考は認めているがな。 >>239
隠居氏の言う事は7割も認めているw (それでも3割は認めていない訳だ〜w)
キチガイ思考を認める必要は無い。

241 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:00:34.65 ID:wGCMR9xI.net
と言う事は隠居と並んで間違いを真実だと考えてる事になるな

242 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:01:29.68 ID:rpR71fu7.net
まあ、どちらが間違いなのかは分からんだろうがなww

243 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:04:29.72 ID:wGCMR9xI.net
・人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文、神の啓示などに頼ってはいけない、
・世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
・古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
・自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
・経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
・理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
・人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
・自分の見方に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
・説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
・説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、

上記のどれにも頼らないで解った事のみが真理なんだよ
そしてそれは「触無く感受する道理」に縁って理解される

244 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:28:00.45 ID:rpR71fu7.net

さて、触無く感受できる人間が実在しようかね?
そのような方法では真理は人間には理解できないだろうよ。例え仏陀であろうとも。
真理を掴もうと生きるのは構わないが「コレが真理である」などと説き始めたらそれは狂人に成り下がった証拠である。
現在は物理学者が統一理論を求めて奮闘中であり将来的に解明されるかもしれないが、解明されればその時が「コレが真理である」と宣言できる時であり、
それ以外で宗教かぶれが「コレが真理である」等と言うのは単なるキチガイに過ぎない。

245 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:41:08.25 ID:ue22Qqul.net
>>244
>さて、触無く感受できる人間が実在しようかね?

何故出来ないと考えた?
触とは十二因縁に言う触の事で六触の事を言うんだが
もしお前が考えた「触無く感受する」事など出来る訳無いと言う所感が正しかったなら
日常生活に於いて重大な事、日常茶飯事なある事が解らない事になるぞ?
もっと良く探してみろw

>そのような方法では真理は人間には理解できないだろうよ。例え仏陀であろうとも。

解らないのはお前の様に自分と言う仕組みの解明を思考して満足するからだよ

246 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:56:54.88 ID:rpR71fu7.net
日常茶飯は全て触によるだろうよw
触によらず〜感受する事は言葉を変えて言えば目の前のリンゴを触らずに持ち上げる〜に等しく
念力で持ち上げるから「触無く感受する」とでも言うのか?

それこそ阿呆らしい世界観だろうよw キチガイにキチガイと言うゆえんであるw

247 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 02:59:24.32 ID:ue22Qqul.net
>>246
では「無」は?
「無い」と言う事態は触(六触)に受けていると言えるのか?
普通は触に受けない故に「無い」と断定するんじゃないのか?
どうだ?

248 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:04:43.08 ID:rpR71fu7.net
日常生活で「無い」をメインの命題とする事態はない。
隠居氏の言う通り人間にとり「有る」「生」がメインの命題であり、
「無い」「死」はサブの命題に過ぎない。

死ねば分かる事は死んで分かれば良く生きている間に分かろうと努める事自体が無駄。
無論、物理学者が統一場理論(万物の理論)を探し求めるのは好ましい事であり、宗教かぶれが妄想するのは百害あって一利無し〜
とはもう何度も繰り返し言っている通りである。

249 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:07:06.73 ID:ue22Qqul.net
>>248
ああ、そこで諦めちゃうのかw

折角のチャンスをまた無駄にするんだな
だからダメなんだよw

250 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:07:44.47 ID:rpR71fu7.net
妄想のキチガイの範疇には入らないww

251 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:08:51.37 ID:ue22Qqul.net
お前は対告衆だから簡単に解って貰っちゃ勿体無いのは事実としてある
ずっと解らないままの方がスレのためにもなるから一応有用なんだよな紐は

252 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:10:40.63 ID:ue22Qqul.net
紐よ、ここでお前の言う仏教キチガイやらを黙らせたいなら
お前が悟れば一斉に黙るんだよw

不妄語戒に誓って嘘は言わない

253 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:19:04.79 ID:rpR71fu7.net
お前が一番の宗教キチガイだろうがw >>252

これまた何度も繰り返し言っているが、私は、
「悟り」だの「解脱」だの「涅槃」だの「如来の確信」だの「覚者の存在」だのを志向しない。
それらを志向する事自体が人間の生き方として間違いなんだよ。
その間違いを間違いと気づく事が悟りだろうよww

・人間には分からない領域がある。
・悟りだの解脱だの涅槃を志向する生き方は間違いである。

少なくとも↑この2つくらいは理解出来ればまともになれるんだが、宗教かぶれのキチガイには無理な話だなw

254 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:40:01.99 ID:ue22Qqul.net
>>253
お前に理解者は居るか?
ネットではなくリアルにだ
嫁さんは居るか?
恋人でも良いが

現実を見ろとお前は言う
成る程な、とは思うよw

255 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:46:28.31 ID:rpR71fu7.net
宗教キチガイとは>>253にある2点を認めない人間の事であり、救いようがないw
>>29-31

256 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:49:33.89 ID:ue22Qqul.net
>>255
愚問だったのかw
触れられては困ると言う訳だな

257 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 03:58:49.00 ID:rpR71fu7.net
触られても構わんが2ちゃんねる、というかネットで自分の個人情報をホイホイ書くのはこれまたキチガイだろうよw >>256
愚問だな。 私はキチガイには染まらない。

258 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:04:19.98 ID:ue22Qqul.net
>>257
居ないんだろ?
有無を言う位どこが個人情報なんだよw
嘘かも知れんじゃ無いか、ビビりすぎだよ

まあいい、応えんでも
事実としてのお前自身に心で問え
その実態がお前の今現在の実相なんだから
どうすれば良いか知りたくなったらわたしを呼べば良い

その時ちゃんと応えてあげるよ
じゃな

259 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:06:22.34 ID:rpR71fu7.net
キチガイに相談をするようになったら人間終了だわww

260 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:07:09.34 ID:ue22Qqul.net
人間は人間ではない、それを人間と名付くるw

261 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:08:03.72 ID:rpR71fu7.net
>>117 wwww

262 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:09:15.64 ID:ue22Qqul.net
名色

263 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:20:40.18 ID:ue22Qqul.net
>>261
紐、寝ながら考えろ、良く眠れるぞw

形而上も形而下も、それを思考し認め知るのは共に形而上でだけだ
形而下の事を思考し認め知るには、思考と言う形而上でしか行なえない
どんなに頑張っても形而下それ自体に思考と言うものはどこにも存在していない
考えるためには必ず形而上でなくては成り立たないのだ
それを唯識では「唯識無境」といい、外界の何をどうやっても、認め知る為には
思考して識にて認め知らねばならない事を意味する

何故だか考えて眠れ

264 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:25:12.16 ID:rpR71fu7.net
名色 >>29-31の「あなたはだれか?」の問いと答えこそがコレだろうよw
別の言い方でレッテルとも言う。何ら個別の実体-存在根拠〜を説明するものではない〜。

人間の実人生では存在根拠など不明なのだから気に掛ける必要は無いw

265 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:30:51.50 ID:ue22Qqul.net
>>264
>人間の実人生では存在根拠など不明なのだから気に掛ける必要は無いw

それで煩悩の解決になるのかな?
自身の存在根拠は両親の行為からだと普通は知っている筈なんだが
それを気にしないのは別に構わんと思われる
しかし、両親ですらやってたのにお前と来たらどうだ・・・
と言う念は如何ともし難いんじゃなかろうかw

266 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:33:25.35 ID:rpR71fu7.net
形而上と形而下をわきまえないキチガイの論に意味なし〜w

人間の論理的な思考は形而下。
人間が形而上の事を妄想するのがキチガイ。(科学的なアプローチは可だが宗教的アプローチは不可)

唯識など根本的に間違いだろうよ。唯物の方が科学のベースとなっただけの価値がある。

267 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:37:44.56 ID:ue22Qqul.net
>>266
>唯識など根本的に間違いだろうよ。

これが間違いなら全身麻酔は効き目がない事になる

と言うか、仏教を論じるなら西哲は参考にならんよ
何故なら、吾思う、ゆえに吾有り、以上の答えが出せないのが西哲なんだからな

思わなかったら無いのか?
と言う疑問には西哲では誰も答えられない

268 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:38:25.18 ID:rpR71fu7.net
>>265
お前自身お前の存在根拠を語れずに何を言っているんだ?
煩悩など有って構わず、煩悩を飲み込め。

お前の書き込みがお前のげすな人間性を醸し出しているのが面白いなw

269 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:43:53.05 ID:ue22Qqul.net
>>268
>お前自身お前の存在根拠を語れずに何を言っているんだ?

両親の行為からじゃないのか?
お前は木の股から生まれたとでも言うのかw
両親の行為が原因で母親の股から出てこれたのが我々の存在根拠だろう
違うのか?

>煩悩など有って構わず、煩悩を飲み込め。

じゃあ飲み込んでみてくれw
書き込みも煩悩だろ、違うとでも言うのか?
さあ、簡単に言ってのけたのだからやってみてくれないかww

270 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:47:13.55 ID:rpR71fu7.net
>>267
識が有ろうが唯ではない〜のに全身麻酔が効かない〜という飛躍した論展開がキチガイと言うんだよw
唯物は物だけで識がない〜主張である〜とでも言いだしかねないからなあww

人間の意識などは変容意識、日常意識、潜在意識、顕在意識、無意識〜分からない謎の世界なんだよ。
脳科学や心理学が発展しても分からない領域はある。 >>255

仏教で分かったと思っているのはお目出度い頭の構造の人間で、はたから見ればこれをキチガイと言う。

271 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:50:06.83 ID:ue22Qqul.net
>>270
別にお前が理解出来ないのは良いんだよ

サンドバッ・・ いや対告衆なんだからお前は理解出来ないままの方が良いのさw

272 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:51:21.45 ID:rpR71fu7.net
>>269
では、>>29の3つの設問すべてを答えずとも「あなたはだれか?」に答えてみよw
ちなみに両親のDNAが出会って遺伝子組み換えで私のDNAが生まれた〜で解答終了とはならんぞw

273 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 04:58:24.31 ID:ue22Qqul.net
>>272
お前はその部分で理解出来ずに居るから相手を罵倒してるんじゃないかw

問所は答所の如しで、お前は答えを言っている
「あなたはだれか?」とは思考からの問いなのであり、それは思いに過ぎない
思考も思いも「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本体ではない」
「わたし」的なものがそう考えて問うている訳だが、それは本体ではなかろう?違うのか?
思いは本体か?

問所は答所の如しだ
仏法は無我にて候、これ以上に答えなど無かろうに
違うと思うか?

どこを探しても「あなたはだれですか?」の答えなど無かろうに

274 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:01:46.76 ID:rpR71fu7.net
お前の存在根拠の答えは
>両親の行為が原因で母親の股から出てこれたのが我々の存在根拠だろう
>違うのか?
じゃないのか?w >>273

今度は「答えは無い」か?

げすな人間はいつまでたってもげすなまま。

275 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:10:10.55 ID:ue22Qqul.net
>>274
お前は両親が原因で生まれたんじゃないのか?
それは現実として認めないのか?

これを事実と認めるなら、それが名色の「色」の事なんだよ
んで、お前が見等識障害とか認知症の症状を誤認するもの
それが名色の「名」に当たる

解らんか?
名称は存在じゃないから実在しないだろ?
名称は思いに因って命名されているに過ぎない
肉体の方はそうはいかないだろ?

事物の認識には二種あるんだよ
それが名色の理だ
良く覚えとけ

276 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:17:08.62 ID:rpR71fu7.net
な〜にが「良く覚えとけ」だw キチガイがww
名色など>>29の「あたなはだれか?」のレッテルの事であり〜既に示しているわw

両親から生まれてで存在根拠を示した事になるのなら話は簡単だろうが
そうは簡単にいかないんだよw

人間には分からない事があるんだよ。個々の存在根拠もそのひとつ。
分かった振りして語るお前らがキチガイなだけw

277 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:19:06.98 ID:ue22Qqul.net
>>276
不可知論も邪義なんだよねw

278 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:21:31.65 ID:rpR71fu7.net
不可知論は健全な人間の思考。
分かった振りして妄想を語るキチガイより遥かにマシ。

仏陀もサンジャヤの不可知論の教えをその弟子であった舎利弗、目連から仕入れた〜w

279 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:25:58.23 ID:ue22Qqul.net
>>278
>不可知論は健全な人間の思考。

本当にそうなのか?

280 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:28:57.42 ID:ue22Qqul.net
>>278
どうした?
察しだけは鋭いお前は矛盾に気付いて途端に不安になったのか?w

281 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:31:48.12 ID:ue22Qqul.net
>>278
>不可知論は健全な人間の思考。

↑であるなら

>分かった振りして妄想を語るキチガイより遥かにマシ。

↑と言う事らしいので、紐がキチガイと言う事になるw
何故なら

>不可知論は健全な人間の思考。

と言う事を知っているからだw
知っちゃダメだろ知っちゃwwwww

282 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:32:39.30 ID:rpR71fu7.net
経典を捨てて己の頭で考えよw
経典の文字の暗記など糞の人間のする事だ。

>>29-31
>>79-80

宗教は諸刃の剣で、どっぷりハマって宗教の奴隷になれば人間にとりマイナス、デメリットでしかない。
自らが主となり取捨選択し、神格化の部分や誇張、誇大表現の部分を切り捨て自分に合った教えを選別するべき。

283 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:36:00.23 ID:ue22Qqul.net
あーあ、不可知論
論破されちゃったねwwww
話摩り替えなきゃやってられない罠www

284 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:36:39.01 ID:rpR71fu7.net
形而上-形而下も知らなければ不可知論も知らない〜
こういうのは仏教以前だろw

仏教で名色だけ覚えて有頂天になっている馬鹿かww

285 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:37:59.63 ID:ue22Qqul.net
                    負
                   け
       /⌒\     オ 犬
      ノ)´・ \・`    h の
     (/ (   ▼ヽ    ボ
       / \_人_)    エ
      /|\ソ ヽ\
     /  ̄L\|∩)
     | \ /\)\\
      \ 〆  /  | \\
       |\/ ∧゚ |  \\_
       |   / \|_  | /
     _|_ ノ  ̄\  \ レ  ボエ〜〜♪
     .|\\__レ  |  |

286 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:41:08.08 ID:rpR71fu7.net
私は人間には分からない領域がある〜と繰り返し言っいるww
これこそ不可知論だろうよ。

お前らは、悟りだの解脱だの涅槃だの〜偉そうに語っているわなww
これを不可知論の外にいるキチガイという。

仏陀もサンジャヤの弟子であった舎利弗、目連を引き入れて彼らからサンジャヤの不可知論を仕入れた〜w

何が論破だww まあキチガイの本領発揮だなあw

287 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:47:35.57 ID:ue22Qqul.net
>>286
ゆっくりでいいから今後の為に理解した方が良い
不可知論は詭弁なんだよ
知っているとも知らないとも結論しない、それが不可知論
それは何に対しても例外無く結論しない、論理としては混乱しか残さない狂った論法なんだよ
お前はサンジャヤの何が気に入ったのか知らんが、最期は悔しすぎて悶絶死したそうだよ
それはお前も知ってる通り、サーリプッタとモッガラーナがサンジャヤの大多数の弟子を引き連れて
釈尊に帰依してしまったからだ

悪い事は言わんから、不可知論の矛盾をもっとよく研究して足を洗ったほうがいい

288 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:47:53.13 ID:gV31UuOe.net
>>286
おまいのほうが正しいと思うよ。
寝ようぜ

289 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:49:02.32 ID:gV31UuOe.net
>>287
結論しないんじゃない。
したくてもできないよ。

ちっちゃいちっちゃい存在。
それが人間。

290 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:53:05.90 ID:gV31UuOe.net
>>281
論破のための言葉になってるよ。
そろそろ太陽さん顔だすで。
両者お疲れや。

291 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:53:34.83 ID:gV31UuOe.net
勉強になったよ。

292 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 05:57:04.72 ID:ue22Qqul.net
サンジャヤの論が正しいと思うなら紐よ
お前は日常生活を普通の人と送れない事になるんだよ
サンジャヤは出家者だったから所謂「うなぎ論法」でも食って行けたが
紐は出家してお布施で食ってる訳じゃないだろう
会社の会議でうなぎ論法使って見れ、相当窮地に追い込まれると思うぞw

293 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:00:24.29 ID:rpR71fu7.net
>>287
>不可知論は詭弁なんだよ

まあ、サンジャヤの不可知論はウナギ論法と言って掴みどころがない〜と言われたそうだが
一般的な不可知論とは分からない事を認め、分からないとする論だ。 凡人は分からないままにするのが
我慢できなくて妄想する。不可知論に矛盾なし。
分かった振りして語る妄想こそ矛盾の塊だ。

294 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:03:43.22 ID:gV31UuOe.net
両者とも正しい部分はあると思う。
でも、
「人間に理解できない領域がある」
この言葉重い。
お二方みたいな難しいことよくわからんがね。

キリスト教でも同じ7つの大罪のうち一番は「傲慢」です。

私は、熱心な信者でないし。
完全な仏教徒といえんけどね。
キリスト教でもないよ。

295 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:06:16.66 ID:4+T5qFxj.net
宗教は奴隷学だ
それだけわかれば充分だ

296 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:08:19.89 ID:ue22Qqul.net
>>293
サンジャヤ論はこれだぞ?

「もし、あなたがあの世はあるかとたずね、自分があの世は、あると考えたなら、あの世は、あると答えるであろう。
しかし、私はそうしない。そうとは考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではないとも考えない。」

上記を一端差し置いて、紐の論だとこうだ

>一般的な不可知論とは分からない事を認め、分からないとする論だ。

↑だとするならば

>分かった振りして語る妄想こそ矛盾の塊だ。

だそうだから、この件でも紐が該当してしまうんだよw
何故なら

>一般的な不可知論とは分からない事を認め、分からないとする論

なのに、何を以って正しいとするかを分かってしまっているからだw
故に

>分かった振りして語る妄想こそ矛盾の塊だ。

と、紐自信が矛盾の塊となるwww

297 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:13:56.69 ID:rpR71fu7.net
分からない事を分かった振りして語れば妄想であり、当たり前な事を当たり前に語るのは普通だろw
分からない事を分からないと認める人間は健常であり、分からない事を分からないままにしておくのが我慢できず
妄想するのをキチガイと言う〜。

なんら矛盾は無い。コレを矛盾というのはこじつけで頭がおかしい事になり己のキチガイを宣言しているようなものw

298 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:16:46.40 ID:gV31UuOe.net
>>296
さとってない以上矛盾もあるでしょう。そんなのはどうでもいい。
本質的に何がいいたいか。
言葉重いけども、もっと奥深くで思考すればいい。

となると私は人間の限界を感じるよ。

でも、貴方がそう思うのならそうすればいい。現世ではそっちのが正しいよ。

それに本当のところどうだかわからん。
さんじゃなるひとがどういう人かはわからん。けども、私は貴方が完全に間違ってるとは断定しない。
その気持ちはわかる。
それほどに神の妙技は素晴らしく、おそろしい。
まぁ本当に勉強になった。

299 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:21:27.69 ID:gV31UuOe.net
最も仏教者は神というのは嫌いかな?

ならば、今のその論理を積んでいけるとこまでいけばいい。その最果てについて気づくであろうよ。

300 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:23:28.92 ID:rpR71fu7.net
>>298
そのとおりw
>>29-31のごとく人間は何も分からない存在である。
宗教にかぶれると分かった気がして大口を叩くようになる。
これが大間違いであり、こういう阿呆には阿呆と罵った方が彼らのためである。

いくら罵っても馬耳東風で効果は見込めないがww

301 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:24:27.12 ID:gV31UuOe.net
矛盾をついて論破などというのはそれこそ西哲の思考であるよ。
そうであれば、真理を追求せずミスを少なくした方よいね。

302 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:26:45.55 ID:ue22Qqul.net
>>297
>分からない事を分かった振りして語れば妄想

>分からない事を分からないと認める人間は健常
なのに
>分からない事を分からないままにしておくのが我慢できず妄想するのをキチガイと言う〜。
と言って
>なんら矛盾は無い。
らしい

おかしいよね?

>分からない事を分からないままにしておくのが我慢できず

妄想してキチガイ呼ばわりしちゃってるんだからww

単に紐が気に食わない反論がなされてるだけで
相手がキチガイかどうか分からない・根拠がない状況下に於いて

>分からない事を分からないままにしておくのが我慢できず妄想

してるんだから、それは紐がキチガイって事なんだよねぇw

303 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:30:18.96 ID:rpR71fu7.net
>>302
ならば悟りや解脱やら涅槃を一言で言えw

それを検証しようか?
言えるものなら言ってみよ〜w

304 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:31:11.66 ID:gV31UuOe.net
>>302
だから二人とも疲れてるって。
お休み。

305 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:34:39.27 ID:ue22Qqul.net
>>300
その論もおかしいよね?

>>29-31のごとく人間は何も分からない存在である

のに、宗教にかぶれてない筈の紐自身が

>>29-31のごとく人間は何も分からない存在である

と分かった気がして大口を叩く
しかも
>これが大間違いであり、こういう阿呆には阿呆と罵った方が彼らのためである。

だと言うw
罵ってほしいのか?
紐はMっ気があるのか?

>いくら罵っても馬耳東風で効果は見込めないがww

確かに効果は無さ気だwww

306 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:37:07.81 ID:ue22Qqul.net
>>303
お前には無理でしょ、今は

触無く感受すると言う道理

って時点でネを上げてたじゃ無いかw
出来るもんならやってみろ〜w

307 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:37:52.37 ID:rpR71fu7.net
なんら矛盾がないところに無理やり矛盾を押し込める糞な論法だなあww
そういうのを「揚げ足取り」の糞と言って2ちゃんねるでは最も軽蔑されている論法なんだがなww

308 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:41:39.42 ID:rpR71fu7.net
自らの悟りの見解を述べる事も出来ないのに大口叩いて仏教の悟り、解脱を説く〜
これほど滑稽な姿は有るまいww

徹夜マージャンで明け方に下らないジョークで大笑い〜の状況だなあw
俺が悟れる悟れないは関係なく、むしろ悟らなくても構わないんだが〜w
お前の悟りを一言で言え〜という設問で、「言っても無理だから言わない」〜ってw
単に悟っていないだけなのが見え見えだろうww  大笑いな阿呆だなあww

309 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:41:49.82 ID:ue22Qqul.net
>2ちゃんねるでは最も軽蔑されている論法
>2ちゃんねるでは最も軽蔑されている論法
>2ちゃんねるでは最も軽蔑されている論法
>2ちゃんねるでは最も軽蔑されている論法

ふーんw
変な拘りだねぇwww
ソースは2ちゃんねる・・ みたいなw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


310 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:43:41.97 ID:ue22Qqul.net
>>308
答えモロ書きされてて気付けないのはお前の眼が節穴ってことだろw

311 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:48:31.49 ID:rpR71fu7.net
触無く感受すると言う道理〜等は却下だろうよw
コレがお前の悟りの境地なのか?

こりゃたまげたww
目の前のリンゴを触らずに持ち上げられるよ、俺〜って自慢しているのか?w
念力があるのはすごいねえ〜ww 2ちゃんねるではいくらでも言える嘘〜って奴だわなw

糞な悟りに執着して気の毒だなあw

312 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 06:54:52.53 ID:ue22Qqul.net
>>311
それは人様にものを尋ねる態度じゃねえよな、常識的にさ
お前は常識人の筈じゃないのか?社会人としてその態度は正しいのか?
相手を馬鹿にしたままの態度で物事を尋ねられるその神経

本当に知りたいなら、先ず今のその貪瞋癡を鎮めてからにしてくれ

313 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 07:05:23.10 ID:rpR71fu7.net
【結論】
宗教にかぶれたキチガイに付ける薬は無い。
矛盾なきところに無理やり矛盾を押しはめて「論破〜」などと狂乱するw

悟りを語れと言っても語らず、一方で偉そうに悟りとは〜などと蘊蓄を垂れる。

キチガイにモノを尋ねるようになるくらいなら死んだ方がマシという奴だw

314 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 07:13:18.34 ID:ue22Qqul.net
つまり、悔しくて尋ねられないサンジャヤが宿ったって訳だな紐よ
それがお前の今の限界なのであり、お前の悩みの軸足なんだろうよ
お前が2ちゃんから居なくならん限り、わたしが2ちゃんから居なくならん限り
ちゃんと見ててやるよ、お前が懇願する時が来るのをな
それまでは面白おかしくやればいいさ

315 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 07:17:05.72 ID:rpR71fu7.net
キチガイに対して「悔しい」などという感情は起こらんだろうよw
キチガイは「悔しい」感情にまみれているんだろうなあw 哀れ〜w

316 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 07:20:36.27 ID:ue22Qqul.net
そうだろうなw

317 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 07:44:18.51 ID:rpR71fu7.net
ウナギ論法が良いとは言わないが、分からない事を分からないとする姿勢は目指すべきもの。
分からないのを分かった振りして妄想語りを始めたら語る方も聞かされる方も不幸せだろうよw
触無く感受すると言う道理〜などと言われて「有りがたい教えで〜」などと言うのはキチガイであり
キチガイはキチガイにしか分からない〜という事だろうよw


仏教の経典を読む際の最も重要なのはその経典が大乗の創作ものか原始仏典か(大乗に意味は無いとは言わないがあくまで創作ものと
理解しおくべきではある)、仏陀の神格化や誇張、誇大な表現がないか(あれば除去〜)等を確認し自らが取捨選択し選び捨てる事だ。
一字一句鵜呑みに暗記、信じ込むのは最もダメだ方法で、宗教に嵌るキチガイはこのダメ路線まっしぐら〜と言う輩ばかりだ〜w
こんなのは愚の愚〜、サイテーという奴だ。サイテー人間に相談を持ち掛けねばならんような事になるのなら自決して死んだ方がまし。

318 :123:2015/11/23(月) 11:29:55.76 ID:pEd1fDjN.net
303.
一言で言える、と思っているのが、バカの証明となる。

319 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 12:11:16.68 ID:vd203Evb.net
紐よ、チミの判る人そして解らない人、とは現代の物理学者のことではないのか?

それらの科学者の限会が明らかになっており、チミはその科学者の認識が最高のものと信じているのだ。

科学とはそもそも誕生の初めから、仮説を基礎として発展してきているものではないか。
あくまでも仮説なのだ。
そして、その仮説の世界を、ゴータマであろうとその他の哲学者が、「世俗諦」と名付けているものなのだ。

科学界は、その仮説の修正を求められているのだよ。

仮説とは人間の認識の仕方を定義したものだ。其れには二つがある。一つは代数だ、他方は幾何学だ。
これらは世俗諦と言われるものなのだ。

この世俗諦を洗い直し、見直す必要は、世俗諦が誕生したと同時に誕生しているものだ。
それは哲学として誕生している。

世俗諦は生活の便宜性に起因している。とりあえず、これに従うことにしようという考えだ。これが法律の起源だ。
今の法律でも、この世俗諦をそのまま採用している。

荘子尊者は世俗諦だけでは世界の問題は決して解決しない、明知によらなければ世界は安息しない、と言っている。

チミは体積を持つリンゴはここにいくつあるでしょうか、と言う問題から解明すべきだ。学校教育では真理を教えないで、
世俗の規約を教えるのみだから、大抵の人民は、真理に疎くなっているのだ。

チミを馬鹿にしてこの問題を出すのではない。この問題の考察は、世俗諦と正反対の方向に、人を導くスタートになるものであり、
それを欠かすことはできないのだ。それが欠けてきたので、人類は苦難してきているのだ。

320 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 16:42:45.76 ID:rpR71fu7.net
>>319
阿呆w
寝言は寝て言えw
お前の言っている事は100%理解できない、外国語のようなものなんだよw

宗教かぶれの戯言に何の価値もない。

321 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 16:55:07.07 ID:vd203Evb.net
>>319続き
世俗諦、勝義諦を論ずるときに、もし世俗諦にはずれる場合、および勝義諦にはずれる場合どういうことになるかを明らかにしておく必要があるのだ。
それはつまり、理性又は知性に反する行為をした場合のことだが。

簡単に言えば、地獄に落ちるということだ。

この点の論がこのスレでも、仏教スレ全般にない。これを知れば、人は熱心に仏教の勉強をするのだ。せざるを得ないからだ。
今の日本の政治に、このあくっ校の報いについての教育が欠けているので、悪知恵を働かすことが
頭の良い人の印だとか、要するに、欲を発揮するのが良い人生のエネルギーだと、考えられている。

これは大間違いなのだ。こんな根本的な大間違いが跳梁跋扈してるのだ。
末法と言われるべきだな。それにふさわしい偽宗教がわいているしね。

322 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 20:43:27.14 ID:rpR71fu7.net
笑わせるwww
お前が一番の偽宗教かぶれだろうがww

お前自身が地獄で閻魔大王に灼熱の鉄玉を飲まされるんだよw
首を洗って待ってろ。

323 :神も仏も名無しさん:2015/11/23(月) 22:02:12.08 ID:c81TAjjM.net
さて、画像は老婆か若い婦人か・・
http://file.andornot.blog.shinobi.jp/bijos.jpg

さて、色は緑かはたまた青か・・
http://ameblo.jp/kurokurocatsss/image-11245764645-11961620704.html


http://mery.jp/120287
http://ameblo.jp/kurokurocatsss/theme2-10045015956.html

324 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 13:38:27.58 ID:nY1dIl7Z.net
>>321
本当に同意です。
末法なのかな?

私は神が許してくださるのなら天へ帰りたい。最も許してくださらないだろう。そういう誓いでここにいるのだから。

最後の最後まで神と共に。

325 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 17:03:42.88 ID:676L1ptl.net
ローマ史の最新の研究書を読んだが、ローマ興隆の原因は、ローマが多神教で、
征服した辺境の神々をすべて取り込んで、摩擦を起こさなかったから。

ローマ衰亡の原因は、母親ヘレナのキリスト教入信に影響されたコンスタンテイヌス
一世。自分の長男と妻を殺し、他の子供たちも殺し合い、残ったのは陰険極まりない
コンスタンテイヌス二世だけ。かの現実的で質実剛健なローマ人たちの精神が
変容されて混乱が生じ、ゲルマン人たちもキリスト教に影響され排他性を帯び、
ローマを滅ぼしたのである。

現代のイスラムテロも、その原因は専らキリスト教の影響。

キリスト教の殺戮性・排他性の精神医学的原因でも追及・解明されたし。

326 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 17:21:52.34 ID:bJrld0DQ.net
釈迦自体、とっくに“オシャカ”になってる。

327 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 17:36:48.37 ID:b+6HrZs2.net
ISの問題が宗教素因だと考える奴は、
世界情勢、世界経済、そして中東の歴史を知らないとしか思えんなw


勧誘の際も、宗教的話は皆無らしいぞw

328 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 19:04:38.43 ID:tzLaru7Y.net
みんな利害にばかり目を向けて真実を見ようとしない
だからバーミヤンの大仏は「教えの無力さ」を恥じて自ら砕け散った
あれを直接壊したのは人の意思ではあるが、あれを作ったのも人の意思なのである
平和になれたから大仏は作れた訳で、その平和は人の心が落ち着いて成り立つ
人の心が荒みだせば平和は崩れ、そして土地も人も文化も荒廃していく
バーミヤン大仏も、人の心が荒み、利害しか見なくなった故に砕け散ったのである
武器を買う金を何故飢餓に喘ぐ人々に使えなかったのか
大仏保護を懇願した国際世論は何故、現地の飢餓に喘ぐ人々が見えなかったのか
いまはISのテロ問題

今度は人の命が砕け散るのか

329 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 19:20:07.57 ID:b+6HrZs2.net
>>328
何を今更w

有史以来、人は、
自身の(所属共同体の)護持と豊かさの向上の為に争い、他を蹴落としてきたし、
今もまだ、搾取&抑圧をテーゼとしている。


こういう図式を「宗教的・思想的素因」によるものとする考え方は、
中世の西洋列強による植民地支配の考え方と寸分も違わないだろうよw

330 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 19:28:49.14 ID:tzLaru7Y.net
正しくない事はわかっても、やめられない
それがどうした、今更
と傲慢な愚者は開き直って言う

善がわからぬものは結論を言わない
悪が解らないから結論しない
結論すると非難されるので結論しない
それは無知だと言われて悩み、悩みに対する解決策として

相手を罵倒し攻撃する
ISと同じ

331 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 19:47:19.96 ID:b+6HrZs2.net
>>330
聖書だけでなく仏典読めよw

大乗は進化・変化形だが、捨身飼虎なんて極論があったりするぞ。

332 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 21:00:14.80 ID:1IC5Fmp6.net
>>327
すべては、宗教観念による「精神破壊」の結果。経済や社会情勢の問題などでは
ない。

なぜ、殺すときに、必ず「アラーアクバル」と唱えるのかね。

ビンラデインは「億万長者」である。

333 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 21:12:00.10 ID:1IC5Fmp6.net
東大宗教学科で学び、クリスチャンからイスラム教に嵌り、信者になって
しまった中田考氏は、宗教学者の島田氏との対談において、イスラム教の
究極の姿は「イスラム国」だと言っている。宗教学者なのに、「一生涯
アラーに仕える」と言っている。テロによる殺戮に対する反省のかけらもない。

334 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/24(火) 22:00:31.71 ID:YHWApFfC.net
>>332
宗教も政治も経済も「人類の精神活動」を一面から見ただけでしょ?(笑)
「全て宗教が悪い」なら「全て政治が悪い」も成り立つだろ。(笑)

(^。^)でも諸悪の根元はキリスト教だけどな。(笑)

335 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 22:09:35.28 ID:1IC5Fmp6.net
>>334
政治・経済は、人間の生存を目的とするが、宗教は、生存を軽視・否定する。
大違い。

「諸悪の根源はキリスト教」だけは正しいw。

336 :神も仏も名無しさん:2015/11/24(火) 23:19:30.12 ID:b+6HrZs2.net
>>332
○○高〜! ファイ!オー!ファイ!オー!ファイ!オー!
○○高〜!ファイ!

と同じだよw  んと、頭悪いな。
というか、マジで現実社会の諸相、実像を知らんのか?w

337 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 00:42:04.66 ID:KFIfWb6z.net
>>336
掛け声をかけて人を殺すのは宗教だけ。

彼らは、植えつけられた「架空の神概念」のために人を殺し殺されることに
「大いなる喜びと快感」を感じているのだから、いくら報復しても無駄だね。
報復側も宗教だから、そのことが判らない。

根源である「宗教そのもの」を撲滅する以外には、方法がない。

開祖・教理の「無条件盲信」即ち「神格化・偶像崇拝」が、宗教の病理の根源。
この原理は、すべての創唱宗教に当てはまる。釈迦仏教は、キリスト教に似ている。

338 :123:2015/11/25(水) 07:05:39.61 ID:WioT3g9Z.net
337.
宗教そのものは、使いようである。
人間を否定したものが宗教であるからして、戦争などでの殺人は簡単にできることになる。
それは人間の能力を拡大したものである。
そんなの必要ない、と小さく人生やるのも一方法である。
だが生存競争の現実では、勝ち負けの問題がある。

339 ::2015/11/25(水) 09:02:48.74 ID:ATx8wOZW.net
仏教は宗教の中でリーストドグマティックであると言われている。
他者を教えで最も強要しない、する事が少ないの仏教。

しかし、コレは教えられる方がマトモな人間である事を想定しての表現であり、
かぶれる、妄想に嵌る人間の場合は宗教の種類を問わずにアウトだろうよw
マトモな人間が仏教を見る場合、自分で取捨選択し自分に合うものを選ぶ。
経典を一字一句丸暗記し誇大表現も神格化も全部信じてしまう人間は何の宗教
でもダメだろうよ。仏教ですらダメな人間は他も全部ダメww

だから経典は読んだら捨てよ〜と言っている。ふくさに包んで後生大事に誰にも見せず〜
なんてのはキチガイのする事。マトモな人間は読んだらさっさと捨てる。

340 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 15:18:11.08 ID:avIsOIxW.net
>>323
http://mery.jp/120287
この第一の問題における、どちらの四角の色が濃いでしょうかの問い、
これは実に素晴らしい設問だ。

これが縁起と言うものだ。

世界はこの縁起により生じている。だから世界そのものが、幻なのだ。

人間も根本からその余なもの。以下の荘子尊者の譬えも参考になる。

                (10)

 何時だったか荘周(荘子)が自分が蝶になった夢を見た。ひらひらと飛び回る蝶になって、のびのびと快適に飛び、自分が蝶であることを自覚しなかった。
ところが目を覚ますと、紛れもなく荘周である。いったい荘周が蝶になった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢をみたのだろうか、荘周と蝶とは確かに別個である。
これを物化(万物の変化)という。

341 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 15:29:30.19 ID:avIsOIxW.net
>>324
> 最後の最後まで神と共に。

チミの神というものが、単に言葉でしかないということがないように祈る。
西欧のキリスト教徒でも、神とは言葉としか理解していない、と言う人が多いようですよ。

せめて仏教のいう真実である無相なるもの空相なるものであることを祈ります。

単に言葉だけのものであるなら、今の日蓮創価と同じになるでしょう。
これでは、宗教が真実真理とかけ離れたもの、という誤解をまき散らすことになり、
その効果は、最悪の地獄を招く以外のものではないことになると思います。

342 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/25(水) 15:45:37.66 ID:rvoyBYXd.net
test

343 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/25(水) 16:23:25.80 ID:PmpKcXY2.net
>>335
政治経済に殺された人も居るし、滅ぼされた文明だってあるでしょ?(笑)
共有幻想ってのは、その集団を保持するのが目的であって種としての存続なんて閑人の妄想でしか有り得ないよ。(笑)

(^。^)但し、キリスト教は人類の殲滅を謳う邪教だがな。(笑)

344 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 18:15:37.94 ID:mJlaQx3R.net
>>331
>聖書だけでなく仏典読めよw

何故そう考えたのだろうw
初期仏典を良く読まれた方が良いのはお主だろう
大乗経典では曖昧に暈されている部分が明らかなのでね
例えば、釈尊は自分を言う場合、一人称に「わたし」を使う
しかし、重要な教示をする時には、一人称に「如来」を使う
この使い分けの意味をご存知かな?
大乗経典ばかり読んでると気付かない重要な教示なんだがね

如来の一人称は如来

何故だか良く調べて考えてみてくれ給え

345 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 18:42:15.76 ID:6w438u3K.net
>>343
伝染病や他の病気の予防・撲滅には、国家に関係なく協力する。科学上の真理は、
「全人類的合意」が容易に得られる。宗教上の真理は、宗教間の争いと殺し合
いの原因となるだけ。やはり、大量殺戮は、宗教の「専門分野」。マルクス主義は、
キリスト教に起源する「擬似宗教」。

「キリスト教は人類の殲滅を謳う邪教」は正しいw。その統合失調症の症状と
しての誇大妄想故に、己が「神になりたい、なった積り」のイエスにとっては、
前任者の神が創造した「あるがままの人間」が邪魔で、憎くてたまらなかった
のである。

346 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 19:13:55.75 ID:SNFXD/M9.net
>>341
ああ、なるほど私とは逆にして同じ神ですね。
私の通じた神は全てを内包するものです。ゆえに全ての実相でしょう。

347 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/25(水) 19:19:36.22 ID:PmpKcXY2.net
>>345
だから、もう少し考えてみろ。(笑)
キリスト教が諸悪の根元って事はだ。
いいか?
その腐った妄執に依って成り立つ政治経済があるから「諸悪の根元」なんだろ?
ローマの国教であった腐れカルトの影響は既に、現代社会の政治経済芸術軍事文化、ありとあらゆる分野に拡散し、他の全ての宗教にすら及んだ訳。
視点の問題なんだよ。
汚染された現代から見れば、キリスト教のみならず全ての宗教が腐ってる、全ての宗教が腐ってるならその源流も、
というのは間違いって話だ。

(^。^)まぁ、お前さんらも汚染されたままから判らんだろうけどな。(笑)

348 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 19:31:25.27 ID:SNFXD/M9.net
>>341
知識として空相の神は理解できても、私は認識できる能力はないです。
未熟ですね。

349 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 19:39:30.42 ID:SNFXD/M9.net
>>347
許してあげて。正しさを探している時点で間違いってこと気づいてない。
でも、縁あって彼らはきたのかもしれない。
無分別を教えてあげて。俺の言葉はおそらく届かない。
もし、彼らが理解できたら俺も救われる。多くの人が救われる。俺を助けてください。

350 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/25(水) 19:56:46.09 ID:PmpKcXY2.net
>>349
救われる人なんか居ないし、ましてや救う人なんてのも居ないわな。(笑)
本人が望んでそうなっただけだから。(笑)
だからそこに高低も善悪も無いわな。(笑)
汚いものが汚いものとして在るのも道理の一つ。(笑)
汚いものを綺麗なものと偽る虚言癖が居るのもね。(笑)
何を望むかは、それこそアンタの勝手で俺の知った事じゃないよ。(笑)

(^。^)俺は俺が気に入らないから叩くだけ。(笑)
そういう風に俺が望んでなっただけ。(笑)

351 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 20:02:54.56 ID:SNFXD/M9.net
>>350
ありがとう。

352 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/25(水) 20:21:28.00 ID:PmpKcXY2.net
>>351
そこでバカカルトみたく「バカにすんな!」とファビョってくれないと次のネタに行けないのにwww

(^。^)何にせよ、依存性はダメですよね。(笑)
相依性だから。(笑)

353 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 20:25:16.48 ID:SNFXD/M9.net
>>352
全くだ。目が覚めたぜw

354 :神も仏も名無しさん:2015/11/25(水) 21:09:14.57 ID:FgZa2U5u.net
>>347
「すべての宗教が腐っている」のは、その源泉であるキリスト教が腐っている
から。

キリスト教が腐っているのは、その源泉であるイエスが腐っているから。

源泉である、ナザレ村のしがない大工の子倅で、まともな教育も人生経験もない
30歳そこそこの気の狂った青二才イエスの首を、最高次元である人間の「生命」
で挿げ替える必要がある。

キリスト教発生前の自然宗教、多神教に立ち帰ればまともになる、ということ。

生命を「無明」呼ばわりし、聖者と凡夫に差別した釈迦も落第。

自然宗教、多神教では、「神々」とは、人間の生存に奉仕する道具に過ぎなかった。
最高次元としての「生命」に仕えるものだった。

文明の利器など何一つなく、厳しい自然と闘いながら、ひたすら生存に努める
古代人たちの姿を想像して、人類における宗教や神概念の発生原因を考えて
見よう。

355 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 01:26:05.60 ID:6O4ER1ts.net
>>354
前にも指摘したが、(笑)
「生命」とは何か?その線引きは未だ曖昧のままだよ。(笑)
そこに釈尊はキリストより500年も前、時系列をわきまえよう。(笑)
そして多くのナナシが毎回指摘してきたが、
無明は生命の事ではありません。(笑)
「聖人と凡俗を差別」したのは釈尊より更に昔からのインド文化。(笑)
君の言う「自然宗教」。
それに乗っかって身分差別したのがバラモン教。
まぁ、これは文献主義者には理解不能な話だが。(笑)

そんで「自然宗教〜では神々は道具」なんてとんでもない。(笑)
未開の部族社会で「神々が道具」なんて言ったらどうなるかね?(笑)
それこそキリスト教に汚染された見方だよ。(笑)

(^。^)もう少し真面目に考えてみなさい。(笑)

356 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 02:29:42.25 ID:no3drFy+.net
>>347
お前さんが腐ってるって視点は論外なのかな?
お前さんには理解出来ない信仰は、それを必要としてる人のものである
それはその人達の心の拠り所である
よく知りもしないで一概にそれらを「腐ってる」と言うならば
それはその人達の拠り所とするものを非難しているのである

お前さんでも自分の信念があろう?
その信念は、かの人達で言う「神」にあたる事を何故わからない?

右の頬とはそう言うことを言っているのであり、それを打つ人には左も出せとかの人は言う
左の頬とは自分自身の事を言うのだよ

争いはおまえが作っている

357 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 02:35:23.58 ID:no3drFy+.net
>>355
貪瞋癡の三毒乃至は五蓋を制すのは仏道の基本

(笑)←これは良くないな

お前さんが見て「バカにみえる」相手はみんな諸天のお使いであろう
常に試されている事を今肝に銘じないでいつ果たすのか

358 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 04:37:28.88 ID:no3drFy+.net
>>345
お前さんは混乱した詭弁を吐かない様に努めたならもう少し捗るかと思われる

>生命を「無明」呼ばわりし、聖者と凡夫に差別した釈迦も落第。

この論のままでは藁人形論法そのままだぞ?
お前さんが差別された悔しい悔しいと言ってる事にもなる

無明とはお前さんのその書き込みの事を言うんだよ
何故無明呼ばわりしたのか、何故差別したのか、解らんのだろう?
その解らないそれ自体が無明と言うのであり、それはお前さんの生命それ自体ではなかろう?
お前さんは生命とやらの正体も良く分かってないのだろう
その良く分かってないものを解ったつもりで言うそれを混乱してると指摘されるのである

ところで、そんな愚痴をいくら書いてもお前さんの症状は改善されんと思われる
気晴らしに批判するのは余り得策ではないと思うがどうか

それよりも、今現在ふつふつと湧いてくる妄想を含めたその思考を止める訓練でもしたらどうか

スッキリするぞ?

359 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 11:26:58.32 ID:sq8JgITJ.net
仏陀の自灯明の教えをないがしろにするからこのような論が出てくるんだよ。
自らを島とし他を島とするなかれ〜というのに宗教とやらを島とし、自灯明ならぬ宗教灯明では駄目だろうよw

>貪瞋癡の三毒乃至は五蓋を制すのは仏道の基本
こんなのは不苦不楽の中道と同義であり、当たり前だのクッラカーって奴だろうよw
現代の快楽主義者に教えてやれ〜w 
現代では苦行なんてやってる人間もいないだろうから、いるであろう数少ない快楽主義者だけが説く対象だろうよ。
むさぼる〜人間なんていても少数派だろうよww

いずれにせよ、宗教は何を信仰しても構わないが自らが主となり宗教の奴隷とならずにやれば良し。
妄信してかぶれ、嵌りドツボに堕ちて行く阿呆ばかりだからな。(このスレを見ていれば良くわかるわww)

360 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 12:35:06.78 ID:olFC2R+/.net
>>355
生命とは何かを考えているのも生命だから、「生命とは何か」が判るわけが
ない。思考主体と思考対象とが同一だから、思考の正しさの保証は全くない。
定規は自分で自分の長さは測れない。生命は、人間が対象化できない唯一の
存在。

中村元大先生は、無明を「生活作用を現すもの」としている。これなら判るな。
死者は、生活作用を一切現さない。無明が生命以外の一体何がある?

文明の利器など何一つ無く、虎の皮の褌一枚で、厳しい自然との闘いの中で
生きる古代人たちにとって、生きることがいかに大変な大修行であったかを
想像してみよう。彼らにとって、自然のみが唯一の現実だった。生存を助けて
くれるまたは脅かす自然現象を引き起こす不可知な力を、便宜上、「神々」と
呼んで、感謝し又は憎悪したのである。これが、人類における神概念の発生で
ある。ヒュームは、憎むべき神々のほうが多かったと言っている。自然現象の
恐ろしさを考えれば当然だろう。

従って、宗教の発生がアニミズムというのは、宗教学の定説。

古代人の生存努力という大修行には、瞑想などありえない。そんなこと
してれば、たちまち野獣に食われて死ぬし、今日の食物にもありつけない。
寝そべって梵我一如など考えた奴は、よほどの暇人だったのだろうw。

カースト制は、共同体を維持するための分業制度。それぞれの成員が、それぞれの
役割を果たして共同体としての生存を維持する重要な職域確保の手段。カースト
制では、食いっぱぐれはない。インドでカースト制を廃止するといったら、真っ先に
反対するのは、下位カーストの人々だろう。キリスト教にかぶれたガンジーが、
最下位カーストの人々を「神の子」と呼ぼうとしたら、彼らは激怒した。

釈迦とイエスとは、「肉体を忘れた精神性という狂気・倒錯」において類似する。

361 :123:2015/11/26(木) 16:18:42.43 ID:NUDl3A02.net
360.
肉体を忘れた精神性という狂気か。
それが天才である証明となる。
自然現象の恐ろしさを考えれば、狂気となる。
その狂気が宗教である。
狂気でない思考では宗教は出て来ない。
そこには凡庸な結論が出て来るだけのことである。凡庸万歳か。

362 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:36:56.55 ID:l5v25Qlz.net
>>359
>貪瞋癡の三毒乃至は五蓋を制すのは仏道の基本
>こんなのは不苦不楽の中道と同義であり、当たり前だのクッラカーって奴だろうよw

しかしお前は出来て無いじゃないか
お前は現代人じゃないのか?

他者を侮蔑するのは貪瞋癡に当たらないと考えるのか?
自分の考えこそが至上主義だと「欲して止まない」のは貪瞋癡に当たらないと考えるのか?
「俺の考えを認めろ」と主張して止まないそれは貪瞋癡に当たらないと考えるのか?
もしそう考えるなら貪瞋癡の言う癡かそのものじゃないか

自灯明法灯明とは
身体の不浄を観じ認め諦め、一切の受は苦であると観じ認め諦め、心の無常を観じ認め諦め、いかなる事象も自分に非ずと観じ認め諦める
この四つを観じ認め諦める四念処を拠り所にせよと言う教示だ

お前にはこの四つの一つも出来て無いじゃないか

363 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:41:41.13 ID:l5v25Qlz.net
>>360
>生命とは何かを考えているのも生命だから

違うだろ
生命とは何か?と考えてるのは「思考」だ
もし思考が生命だと言うのなら、思考が不可能になる全身麻酔からは戻れない
そう言うのもちゃんと経典には明らかに成っている(法嗣経)

364 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:48:54.08 ID:l5v25Qlz.net
>>360
失礼、件の経典は法嗣経ではなく「大有名経」

もし、思考や感受などが所謂生命なる当体だとするなら
滅尽定などに入ったら戻ってこれない事を意味してしまう
故に、そう考えるのは間違いだと経典にも明らかにされている

そう言う訓練以外でこれを述べるなら、
夢を見ない睡眠からは戻ってこれない事を意味してしまうと言う事だ

365 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:48:54.17 ID:sq8JgITJ.net
>>362
阿呆がww

いくら繰り返し言っても分からん宗教馬鹿には馬の耳に念仏という奴だなw

阿呆に阿呆と言うのは当然w 言われて頭にくるのならば阿呆を卒業すれば良いだけだろうよw
何回繰り返し丁寧に親切に説明しても阿呆の領域が余程居心地が良いのか全く卒業する兆しも無いw
これでは、いつまで経っても阿呆と罵られ続けるだけ。

ちなみに >自分の考えこそが至上主義だと「欲して止まない」 >「俺の考えを認めろ」と主張して止まない
等誰の事を言っているんだ?www

宗教にドツボで嵌っているお前らを叱咤激励しているだけなんだが、性根がひねくれていると被害妄想ばかりで
醜さがレスに滲み出ているなあw

それと、四念処など付け足しの方ばかり見て本体を見ないのも宗教馬鹿、仏教馬鹿の特徴だw
自灯明が中心の根本の教えであり、付け足しよりもむしろ前の方を重視しろ。
「わたしは修行僧のなかまを導くであろう」「修行僧のなかまは私に頼っている」などと思う事がない、と断定している。
四念処よりのこの前置きの方が重いんだよ。

まあ、頭が足りなくて四念処しか分からんのなら一つでも克服できるように頑張れ〜w

366 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:51:40.32 ID:l5v25Qlz.net
>>365
いくら繰り返し言っても分からんのはお前だ

先ず、仏教を云々して批判する前に、お前はお前の自己愛性人格障害の害悪を何とかするのが先決だろう
自己愛性人格障害は批判され得るものでは無い筈なのに、お前がその名を汚している事になる
いい加減それに気付くべきだと進言する

仏教はその後にすればいい

367 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:54:43.40 ID:sq8JgITJ.net
自己愛性人格障害など誰の事を言っているのか分からんが、仮に私の事であっても
宗教キチガイよりは遥かにマシであり、宗教キチガイなどになれば本来ならば死んだ方がマシというくらいに価値がない。
それを自覚せよw 宗教馬鹿<<<<<<<(越えられない壁)<<<<<自己愛性人格障害くらいに存在価値が違うわw

368 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:57:21.09 ID:l5v25Qlz.net
>>365
>四念処など付け足しの方ばかり見て本体を見ないのも宗教馬鹿

お前はくり返し「付けたし」と言うが、それならばその「自灯明法灯明」の出自にあたる経典を言ってみよ

その出自の経典それ自体に「自己を頼り法を頼るとはどう言う意味か」と説示されているのに

付け足しなのか?

それこそ阿呆の戯言だろう
この教えは釈尊の作品なんだから、出自の時点ではだれも意味が解らない
だからそれはどう言う意味かと説明されているのに、後付けだ付け足しだになるのか

都合の良い解釈だな
口ばかりのいい加減な生き方はさぞ楽しかろう

369 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 16:59:18.82 ID:l5v25Qlz.net
>>367
いい加減で知ったかぶりで口だけのお前に言われても痛くないぞ?

貪瞋癡のどれひとつも制せ無いお前に説得力など無いじゃないか

370 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 17:04:33.98 ID:sq8JgITJ.net
宗教キチガイの戯言など一般市民に全く説得力がないんだがなw
自らを説得力があると誤解しているようだが、分かってくれるのはキチガイ仲間だけだぞwww

371 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 17:10:55.65 ID:l5v25Qlz.net
>>370
>宗教キチガイの戯言など一般市民に全く説得力がないんだがなw

その一般市民であるお前は「自洲法洲」の出自すら知らずに勝手に自灯明と解釈してたんだろ
たの一般市民ならそう言うお前の諸行を何と解釈するかな?
お前が困っても誰も助けてくれないだろう
精々お前の勝手解釈「自灯明」で

おきばりやす

372 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 17:23:59.53 ID:sq8JgITJ.net
大パリニッバーナ経の事も前述済み〜w
読んでいない馬鹿に何度も繰り返し言うかよww

373 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 18:22:02.17 ID:VD25eMFS.net
>>359
本当に勉強になります。
本当にありがとうございます。

374 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 18:43:27.01 ID:6O4ER1ts.net
>>360
自家撞着って知ってますかね?
「生命が生命を考えるから判る訳ない」
「無明が生命意外の何がある」
こういう支離滅裂な文章の事を言います。
そして中村大先生。(笑)
確かに比較宗教学の大家だけど、だから何?(笑)
偉いさんが「○○だと思います」って言ったら信じるってキリスト教徒と変わりありません。(笑)
それと、「感謝又は憎悪云々」って事は「道具でした」発言は撤回な訳かね?(笑)
酷い態度だね。(笑)
あと、インド社会やガンジージーに対してはもっと酷い。(笑)
史実と真逆のご意見ですね。(笑)

インドの方が聞いたら怒られますよ。(笑)
まぁ、不可触民については聞き流すかも知れませんが、(笑)
ガンジージーが「キリスト教かぶれ」とか、誰がそんな妄想を?(笑)
あの方は良識ある一ヒンドゥー教徒でしたよ。

(^。^)そんな妄想ばかりしてたら笑われますよ。(笑)

375 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 18:54:53.42 ID:d8RAeUgH.net
自己の霊性に気づいていないひとは、四処を頼りに霊性に気づくということなのかな?

霊性に気づけば四処を捨てていいのでは?

376 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 18:58:41.89 ID:d8RAeUgH.net
ああ、ごめんなさい。
誤解避けるため、373=375です。

377 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:11:42.70 ID:sq8JgITJ.net
>>375
まず、「霊性」なる概念が曖昧模糊としており何を指しているのか不明。
個人の霊魂の様なものを想定しているのならばそういう形而上の事については語らない、
「無記」回答拒否〜というのが正しい姿勢。
人間は当たり前に分かる事のみを分かれば良く、分からない事を分かった振りして語るのが阿呆という奴だ。

>>29-31
>>79-80

378 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:22:08.28 ID:d8RAeUgH.net
>>377
自分の無知をおもい知りました。
また、勉強に来させて頂きます。

379 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 19:24:32.20 ID:6O4ER1ts.net
>>79
色が「実像」だなんて中村氏がそんなバカな間違いはしないよ。(笑)
漫画か何かの話じゃないのかい?(笑)

(^。^)もしくは中国共産党のデマとか。(笑)

380 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:30:45.65 ID:72Fa6QAD.net
>>348
>知識として空相の神は理解できても、私は認識できる能力はないです。

なにも認識するもの、認識できるものがない、というだけで認識してるんじゃないの?
認識できるものがない、というのも認識のうちでしょう?

381 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:34:29.45 ID:sq8JgITJ.net
>>79の前半は>>75に対する回答であり、後半は我見だw
実像とは言っても実体があるとかないとかを前提としない実像だから、形象と言っても良いんだがなw
事実上、形が有るもの(ただし実体があるとかないとかは言わない〜w)だから実像と言っている。

実像=実体がある像としたら明確に誤だろうよ。こういうのも繰り返し言い飽きたわww

382 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 19:43:45.22 ID:6O4ER1ts.net
>>381
しかし、それでも「実像があるから影が出来る」ってご意見と矛盾するよね?(笑)

(^。^)それとも、母国では「虹にも影は出来ます」って習いましたか?(笑)

383 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:46:09.68 ID:sq8JgITJ.net
虹は影の様なものだからむしろ空というべきものw
水滴に光が当たって虹を作るってのは小学生の理科で教えているはずんだが習わなかったのか?ww

384 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 19:52:56.37 ID:6O4ER1ts.net
>>383
もしもし?(笑)
今は「実像にも影が出来ます。実像とは実体がない事実上形があるものです。」ってご意見が矛盾してますよってお話ですよね?(笑)
色空がごっちゃになってますけど大丈夫ですか?(笑)


(^。^)水滴が色で虹が空って言い換えるなら、「じゃあ実像って何?」って話に戻りますけど?(笑)

385 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:53:03.11 ID:miCIzTpE.net
>>374
>「感謝又は憎悪云々」って事は「道具でした」発言は撤回な訳かね?(笑)

撤回しないよ。古代人たちは、生存に役立つものをもたらさない神や、生存を
害するものをもたらす神は、相手にせず憎悪した。あくまで「現世利益の追求」
が宗教の起源。現代の宗教学でも、現世利益が見直されている。岩波講座「宗教」
に論文もある。

> あと、インド社会やガンジージーに対してはもっと酷い。(笑)

ガンジーを不倶戴天の敵とした現代インド仏教の指導者アーベンドカルの
ことを知らないの?w

ガンジーは、留学で、英国との関係が極めて長いから、キリスト教の影響を
受けていたことは十分に推測できる。ガンジーはひどい人間だよ。くぐってみ。

386 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 19:56:49.78 ID:sq8JgITJ.net
>今は「実像にも影が出来ます。実像とは実体がない事実上形があるものです。」ってご意見が〜

阿呆!ww
俺のどこのレスに「実体がない〜」というのがあるんだ? 勝手にでたらめな事を言うなw こういうのを誰かが言っていた藁人形論法というんだよww

387 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 20:02:56.40 ID:6O4ER1ts.net
>>385
君たちは、道具、弄り回してるパソコンに「感謝」したり「憎悪」するんですか?(笑)
「宗教は道具でした」って話を撤回しないなら、その変な感情移入を説明してね?(笑)

あと、ガンジージーは「キリスト教かぶれ」は出来なかったから、南アフリカで弁護士として赴任した際に受けた人種差別に愕然として民族主義者としての活動に巻き込まれていくんだよ。
ちゃんと史実を学びましょうね?(笑)

388 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 20:11:56.04 ID:sq8JgITJ.net
水滴=実像(ただし実体があるないは言わない)/形象で虹がその影(のようなもの〜)で空だ。
全く矛盾なし〜。 コレを矛盾と言うお前の頭が矛盾なんだよww

389 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 20:12:21.01 ID:6O4ER1ts.net
>>386
「実体があるともないとも」言えない「色」は、
「実体があるとしたら誤り」なんですよね?(笑)
仰る意味が良く解りませんが、(笑)
じゃあその「実像」=「実体が有るとも無いとも言えない」とは何を意味したんですか?(笑)
「有ると言えば誤り」で「無いとは言ってない」じゃあ何が残るんですか?(笑)

390 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 20:12:26.98 ID:miCIzTpE.net
>>363

思考は、生命の機能の「一部」。全身麻酔は、すべての神経ではなく、
知覚、意識、運動など、手術に不都合な神経を抑制するだけ。だから、手術後、
麻酔薬の効果がなくなったら覚醒する。延髄の呼吸中枢まで抑制したら、人間は
死にます。全身麻酔は、死の一歩手前の状態。麻酔深度4期(延髄抑制期)は
「死」のこと。

禅定では、悟りたいという煩悩はぴんぴん生きているねw。警束で殴られると
痛い。

391 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 20:15:47.51 ID:6O4ER1ts.net
>>388
え?(笑)
水滴が有るか無いか判らないの?(笑)

(^。^)そりゃあ大変だ!(笑)

392 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 20:21:52.10 ID:6O4ER1ts.net
全く関係ないけど、毛沢東やキムジョンやキムイルとかって極悪人のクソヤロウだよね?(笑)

(^。^)いや、以前、自称日本人カトリック教徒で「パク大統領閣下」とかレスした気違いが居たからさ。(笑)

393 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 20:26:14.82 ID:sq8JgITJ.net
>>389
色は非-存在論/形而下であり空は存在論/形而上である。
目の前のリンゴをリンゴと認めるのはその形象/実像を認めてリンゴと認識する。→目の前に有るから実体がある〜などとは言えないw
(リンゴはリンゴに非ずリンゴと名づく〜でも構わんが、同じ事w)
リンゴを細分化し素粒子以下まで細分化して何が残る?コレが非有非無で空〜だ。

両者共に同じリンゴだわなw

コレが色即是空空即是色〜という。(空は素粒子と言わずにリンゴの影と言っても構わない。リンゴの影響と言っても構わない。

394 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 20:44:52.88 ID:6O4ER1ts.net
>>393
ほ〜ん。(笑)
じゃあ、その「空=色」説で、
心経の「是故空中無色」はどういう話になりますか?
「何だか良く判らないものの中には何だか良く判らないものは無い」
とか、そういう話かい?(笑)
空空と何度も説明してるのに、心経は何が何だか良く判らないって話を繰り返してるだけって事かい?(笑)
そんなバカな話なのに「中観は難しい」って事に昔の三國のインテリ達が口を揃えてでっち上げたと?(笑)

(^。^)てんでお話になりませんなぁ。(笑)

395 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 20:49:37.91 ID:sq8JgITJ.net
リンゴを100年ほったらかしにしたら腐って形が無くなるだろうよw
形が無くなる〜で実体が無くなるのか否かは分からない〜w

話にならないのはお前の方だよw

396 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 20:55:10.92 ID:6O4ER1ts.net
てかさぁ、(笑)
色を初め受想行識の五蘊は上座の基礎的な行じゃんよ。
自心の認識としての色、からの受、からの想、からの行、からの識をニョホウに観ようぜって。
それを何で「存在論がー」に置き換えちゃうかね?(笑)

(^。^)バカなの?しぬの?(笑)

397 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:01:40.90 ID:sq8JgITJ.net
難しいものはほっとけww
難しいものを中途半端にかじって分かった振りをする阿呆の実害の方が遥かに大きい。

難しいもの=有難いものじゃないからなww
大事なのは己の頭で理解し実生活で実践する事だよw

大口叩く阿呆に限ってオドオドして日常生活をまともに送っていないんじゃないのか?w

398 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 21:07:31.10 ID:6O4ER1ts.net
>>397
難しいって言葉と理解出来なかったって言葉はちゃうからね?(笑)
君が理解出来なかった事でも沢山の人が理解出来た事はいくらでもあるし、
君が理解したつもりで良く分かって無かった事も同様だからね?(笑)

(^。^)判らない判らないって虚仮威しの阿呆には一生理解出来ない世界があるんだよ?(笑)

399 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:10:17.07 ID:sq8JgITJ.net
>>398
当たり前だろうよwww

個々人は個々人の分かった範囲内で生きるだけw
分からないものを妄想してアレコレ語りだしたらキチガイだ。

俺はキチガイではないw
お前はどうだか知らんがなww

400 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 21:13:23.79 ID:6O4ER1ts.net
>>399
そうだね。(笑)

(^。^)気違いは皆「俺は気違いじゃない!」っていうからね。(笑)

401 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:17:58.87 ID:d8RAeUgH.net
ふむふむ、なるほど、なるほど。
実態は確かにあります。
だけども、わからないものはやっぱりわかりません。

402 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:19:29.21 ID:d8RAeUgH.net
>>380
わからない。と言うことです。

403 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:20:49.84 ID:sq8JgITJ.net
>>400
そんなのは >>30 >「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲せることを識らず」で既に言っているわw

404 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:21:56.92 ID:d8RAeUgH.net
憎たらしいやつですかな?
私は小僧ですので。

405 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 21:26:52.50 ID:6O4ER1ts.net
心経「色はすなわち空であり、空はすなわち色。受、想、行、識もまたそうです。舎利子よ、この諸法は空相にして六不。この故に空の中に色はなく、受、想、行、識もありません。眼耳鼻舌身意もなく、〜」

バカ「この色とはつまり非存在論的なウンタラカンタラで〜空とは影、すなわちウンタラカンタラ」


(^。^)こういうのを「判らないものを妄想して語り出す気違い」と言います。(笑)

406 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:33:09.31 ID:sq8JgITJ.net
仏教を全く知らない人間に、
>心経「色はすなわち空であり、空はすなわち色。受、想、行、識もまたそうです。舎利子よ、この諸法は空相にして六不。この故に空の中に色はなく、受、想、行、識もありません。眼耳鼻舌身意もなく、〜」
という方が馬鹿だろうよ〜w

2ちゃんねるの仏教スレとはいえ読んでいる人間は仏教を知っている前提ではない。
仏教を勉強しなおして出直せ〜で切り捨てるより一般論として説く方が親切というものだろうよw

宗教キチガイの馬鹿に限って仏教専門用語を使って我は仏教を知っている〜的な勘違いの阿呆ばかりだからなwww

407 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 21:37:34.48 ID:6O4ER1ts.net
>>406
仏教とは無関係なのに知ったかぶりして「存在論がー」と言い出す方は言う事が一々ご立派ですね。(笑)

(^。^)「俺様は叩いて良いが、叩かれるのは我慢出来ない!」ってお話ですよね?(笑)

408 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 21:40:18.90 ID:sq8JgITJ.net
定型の決まりきった解説などgoogleで十分なんだよw

お前の言葉で言ってみろと言っているんだよw
叩かれる阿呆は叩かれる理由があるんだが、阿呆はそれすら分からない〜w
もう、哀れというよりないなw

409 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 21:55:14.77 ID:6O4ER1ts.net
>>408
「お前の言葉で言ってみろ!」(笑)

(^。^)俺も「言語ゲーム的な〜」とか言えば良いの?(笑)

410 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 22:07:52.92 ID:sq8JgITJ.net
このようにw 宗教のスレにはキチガイばかりである。
もう、この辺りで引き揚げた方が良かろうww

これ以上キチガイの付き合いをさせられるとこちらもキチガイになりかねないわw
隠居氏の助言にもあったがそれに従い、私はこのスレを卒業するww

後は好き勝ってほざけキチガイどもよww〜ww

人間は生まれながらに自由であり何者にも束縛されないものである。
束縛されそうになったなら断ち切るべし。

仏教知ったかぶりの阿呆の戯言等に付き合う必要はさらさら無い。
仏教の最重要の教えの自灯明だけ得れば、仏教は即終了で構わない。

自灯明に対する信念が欠如した人間に救いは無い。

411 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 22:25:37.50 ID:6O4ER1ts.net
オウムスレを見れば判る事だが、こういう妄想癖は虚言癖でもある。
すぐに自分で書いた事を忘れてまた同じ妄想を書いてくれるから一同、ご安心なされい。(笑)

(^。^)ノシじゃあの。(笑)

412 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 22:52:02.73 ID:miCIzTpE.net
「色即是空」されど「空即是色」(この世界は、人間の知覚に映じただけの世界だから、
実は空かも知れない。しかし、その空の世界こそ、人間が生きてきた、そして将来も
生きることのできる、唯一の現実の世界なのだ」。

この解釈が「決定版」w。

両句が同じ比重で併置されていることの深い意味を、理解できなければならない。

413 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 22:59:35.85 ID:miCIzTpE.net
「無もまた無い」と言っている。二重否定で「有」である。

釈迦の「無」「無我」は、明らかな誤り。

414 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/26(木) 23:21:36.21 ID:6O4ER1ts.net
>>412
はやっ!!(笑)

じゃあ、その後の
受想行識亦複如是って何ですか?(笑)
亦複如是ってのは、またまた同じだよ、って意味ね。
色=空、受=空、想=空、行=空、識=空って話なんだけど。
んで、こういう風に分かりやすく簡略化した文章だから、無無=有なら有って書くよ。(笑)

(^。^)国が資格を与えてた真面目な団体だから、そういうおバカなトンチはありませんよ。(笑)

415 :神も仏も名無しさん:2015/11/26(木) 23:42:54.27 ID:miCIzTpE.net
>>414
>受想行識亦複如是って何ですか?(笑)

心経は、基本的には、色(物質)について語っている。「受想行識」は色では
ないが、色についての論理を「準用」しているだけ。従って、やはり二重否定で
「有」である。「無」ではない。

心経は、極めて優れた現実論である。

416 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:00:04.53 ID:URdVsRXo.net
>>414
>有なら有って書くよ。(笑)

釈迦が「無」「無我」などアホなことを言ったから、それを論破して
いるのだよ。

大乗が、釈迦とほぼ同時代に発生したことの「必然性」を考えなければ
ならない。当時から、常識人はいたのである。

417 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:04:39.30 ID:rrzQ5QQL.net
>大乗が、釈迦とほぼ同時代に


馬鹿発見(´・ω・`)

418 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 00:11:13.44 ID:/eETYh9B.net
>>415
いやいやいやいや!(笑)
だから、亦複如是って略さなければ
「色不異空空不異色色即是空空即是空」
「受不異空空不異受受即是空空即是受」
「想不異空空不異想想即是空空即是想」
以下略
ってなるって教えてあげたのに、なんでそうなるの!(笑)
その後もこの故に空の中には〜と、目耳鼻舌身意から色声香〜更に眼界〜がないと、十二因縁が、シタイがと書いてあるでしょ?(笑)
明らかに空について説明してるよね?(笑)

あと、「無無」って所は「無明」が「無く」「無明」が「尽きる」ことも「無い」だからね?(笑)
書き下したら無の無って話じゃないから。(笑)

(^。^)漢文読めないなら大人しく解説本読みなさいよ。(笑)

419 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:12:59.40 ID:URdVsRXo.net
>>417
時代はそれほど離れてはいない。同じ寺院に、小乗派と大乗派とが共存していた
ようだ。

大乗の発生史はすごく面白いそ。田川氏の「仏塔崇拝起源説」も捨てたもの
ではない。

唯、釈迦カルトたちは、中論の空さえ釈迦の無に合致させるべく足掻いている。
見てて、気の毒になるねw。

420 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 00:21:50.31 ID:/eETYh9B.net
(^。^)そういや昔、「千年は一瞬の光の矢」って某アニメの主題歌にあったな。(笑)
実はご隠居は不老不死だったのか?(笑)
神話時代だと千年万年生きたって話はざらだし。(笑)

421 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:33:35.44 ID:URdVsRXo.net
>>418
>「無無」って所は「無明」が「無く」「無明」が「尽きる」ことも「無い」
>だからね?(笑

それって少しおかしいとは思わんか。「無」と言いながら、重ねて「無が
尽きることはない」などw。最初の「無」だけで十分じゃん。

釈迦から180度頭を切り替えなければ、大乗は理解できないよ。

「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「本覚思想」「如来蔵」。釈迦からは絶対に
出てこない。小乗カルトの連中は、釈迦に執着するあまり、これらの概念を
すべて必死で否定するw。

日本の仏教は大乗仏教。すべて大乗で語ってくれ。大乗は、歴史的釈迦は、
「より大いなる存在」の象徴、飾れ物としていることに気づくべし。

今、手元に心経が見当たらない。誰か挙げてくれ。

422 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:36:30.80 ID:rrzQ5QQL.net
>>420
>時代はそれほど離れてはいない


へぇ〜・・・・
お釈迦さんは何歳まで生きたのかしらん?(´・ω・`)



>>421
そうか、御隠居は漢文苦手だったか・・w

423 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 00:44:05.52 ID:/eETYh9B.net
>>422
漢文どころか500年が同時代って人間ですらないよね……

(^。^;)我々は恐るべき存在をバカにしていたのやもしれぬぞ?(笑)

424 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:45:04.97 ID:URdVsRXo.net
>>422

私は、中国語ができるから、漢文は中国語として読む。字をひっくり返す必要は
ないw。

まあ、大乗仏教については、シリーズ大乗仏教全巻を読むことから初めてください。

425 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:48:38.75 ID:URdVsRXo.net
>>419の訂正
×田川氏
○平川氏

426 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 00:53:00.82 ID:/eETYh9B.net
>>421
畏れながら、心経は元々梵文の経で、「無明」は十二因縁が一つ、つまり梵語の訳語で御座いますれば、
漢文にて無無明とありましても原文の梵文にて二重否定とは限らないかと、拙は愚考致します。

<(_*_)>

427 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 00:55:44.76 ID:Nm2KJXc9.net
>>419
>時代はそれほど離れてはいない。

どれくらい離れていると考えています?
大乗仏教経典が主流派(部派仏教)の僧団の内部で製作されていったと
する説が近年出てきたれど、同時に平川彰氏の「大乗仏教仏塔起源説」に
疑義を呈する学者も出てきた。

>>424
シリーズ大乗仏教をちゃんと読んでいたら「時代はそれほど離れてはいない」
なんて言葉は出てこないと思うのだが…
ここらへんも面白いよ。

『下田正弘とグレゴリー・ショペン : 大乗仏教の起源をめぐって』
佐々木 閑(著) 印度學佛教學研究 61(1), 342-334, 2012-12-20
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009586157

428 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 01:22:35.83 ID:kjZUk94j.net
>>421
>今、手元に心経が見当たらない。誰か挙げてくれ。

おっさん言ってる事が根底からおかしいよな
大事な資料テキストすら手元に無くてどうして正当な批判など出来ようか

429 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 01:41:33.48 ID:kjZUk94j.net
>>421
漢文苦手みたいだから
訓み下しね

觀自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。
舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はこれすなわち色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。
舎利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減ぜず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。
眼界もなく、乃至、意識界もなし。
無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。
得る所なきを以ての故に。菩提薩?は、般若波羅蜜多に依るが故に心に?礙なし。
?礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の?倒夢想を遠離し涅槃を究竟す。
三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。
故に般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰わく、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶
般若心經

430 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 01:52:16.31 ID:kjZUk94j.net
?礙=四の下に圭・礙
?倒=顛倒

2ちゃんはUTF8も表示出来ないのか・・・

431 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 01:54:43.47 ID:kjZUk94j.net
菩提薩?=土へんに垂

432 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 02:20:50.10 ID:kjZUk94j.net
>三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。
>故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。
>これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。

ここ、物凄い重要なんだよね、普通は結構読み飛ばされちゃってるんだけど
「咒」って要は「唱えるべき」呪文って事なんだけど
ここの場合「般若波羅蜜多は」と言っている、それが大神呪文であり
大明呪文なのであり、無上の呪文であり、等しきものなど無い呪文なんだと言う
その般若波羅蜜多なる呪文を説く(解説する)と
「逝けるものよ逝けるものよ、彼岸に逝けるものよ、彼岸に全く逝けるものよ、悟りよ、幸あれ」と解説される

これって、勝義を言葉に直しちゃってるからこうなってる訳
これを修行したい人は「般若波羅蜜多と言う呪文はどう言うスペルなのか」を知って行なわねば成就しない

その般若波羅蜜多の唱えるべき正確なスペルは、「ぎゃーてーぎゃーてー」の方じゃなくもっと前の方に懇々と説かれている
あれが無いこれが無い、みーんな無い無いって説明してる
その「無尽くし」なる事実を念じ尽くす事で謎のスペルは完成し
故に
「般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。中略〜よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。」

と言う事になるんだよね

般若波羅蜜多の真実のスペルを唱える事が出来たなら、それは万能薬の如しだと

433 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 02:20:50.92 ID:URdVsRXo.net
>>429
Oh, thank you. しかし、中国語でないと、よく判らんw。

私は、親類の葬式では、お坊さんに代わって心経を唱えるから、内容は頭に
入っている。医学もやってるから、全部、面倒を見てあげる。

やはり、二重否定ばかりで「肯定」だな。

434 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 02:30:20.99 ID:kjZUk94j.net
竹島と尖閣諸島と北方四島は日本固有の領土なんでよろしくね

435 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 03:02:25.44 ID:URdVsRXo.net
>>427

その下田さんの論文は、シリーズ大乗仏教で既に読んでいたよ。佐々木さんの
批判を待つまでも無く、一読しておかしいと思った。大乗発生の「思想的必
然性」が全く論じられていない。下田さんは、小乗系の人かな?

436 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 03:15:53.52 ID:URdVsRXo.net
>>432
>阿耨多羅三藐三菩提

心経のその前に書かれていることが、その悟りの内容ではないの?

平川さんは、「大乗は在家信者から生まれた」と言ってるね。

437 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 03:53:43.31 ID:ydd9+wkO.net
最近分かってきたんだけど、そもそも最初の前提がおかしいのよ。

たとえば、「部屋に物がいっぱい詰まっている」 この「物」が有か無か、
幻想か現実かってことじゃなくて、
そもそも最初の「物が」「いっぱい」「詰まっている」という認識による前提がおかしいわけ。

もし仮にまったく性質の違った存在が複数あるとして、それらのものが全く同じものを見た(覚知した)場合、
まったく違う認識になるよね?
各々のまったく性質の異なったフィルターを通して覚知しているからだよ
人間や生物的感覚で把握できる世界が、世界の真実を正確に見ていることにはならないということ。
主体というフィルターを通している限り、そのフィルターを通して色眼鏡で世界を見ていることになるんだよ。
だから、前提として「部屋に物がいっぱい詰まっている」という認識は、生物的な知覚のフィルターを通した認識であって、
前提にはならないってこと。
物が消えるとか、無になるということじゃなくて、視点が変化するということだよ。
そしてそれはたとえば、全体を一つとしてしか認識できない異質の存在があったとすれば、あらゆる雑多なものを見ても分別できない。
つまり、そのものにとっては「全てのものが空」になるわけ。
仮に自他という分別も出来ないほど一つであれば、その人にとっては世界は空(カラ)同然になるんだよ。
つまり、「部屋の中に一杯物が詰まっている」そのままの状態で、その人にとっては「部屋が空(カラ)だ」、ということ。
何も無くす必要はないし、何も変化させることはない。
「部屋にいっぱい物が詰まった状態」に、何一つ変わることはない。
これは何も物質的なことだけじゃなくて、主体と客体を分別出来ないほどの視点(←あえて)になったら、
好悪、苦楽といった精神的領域までクリア(空)になるということ。
すべては一体だからだ。

438 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 04:10:48.57 ID:kjZUk94j.net
>>436
そうだよ
だから「般若波羅蜜多と称する呪文はどう言うスペルなのか」
「そのスペルはどうやって唱えるのか」が重要になってくるんだよ
「悟りの内容」には悟る事が重要なんでしょ?
悟るには菩提と呼ばれる智慧が必要なんでしょ
その智慧なるものが呪文だと般若心経は言ってるわけ
その呪文とは何か?具体的にどう言うスペルなのか?
それを唱える具体的な方法はどうやるのか?

そのお経は包み漏らさず解き明かしてるんだよ

439 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 04:11:43.66 ID:kjZUk94j.net
>>437
非二元ではそれが限界なんだね

440 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 04:32:35.03 ID:kjZUk94j.net
般若心経はインチキだの後世の偽経だの色々言う人は一杯居る
あのスマさんだって難癖付けたシロモノでもある
しかし、阿含経なんかを読んでみれば解るが、釈尊が自らを言う場合は一人称に「わたし」を使う
それなのに、重要な真理を教示する時は決まって一人称に「如来」を言う
ここで解る事は、如来の一人称は如来だと言う事
如来は真実しか言わないから、誰彼なく語ったならそれは誰であっても如来その人となる
そう言う意味で、観自在菩薩が深く般若波羅蜜多を行なった所感を述べるこの経も
如来の説として紛う事なき仏説なんだと、心あるものには解る事になる

経の言葉を追いかけても徒労に終るだろう
大事なのは経の意味を「行なう」事
そこに全ての答えがある

頭でいくら考えても無駄だろう
考えても彼岸には到達しない
実際に向わなければ、それは只の妄想に過ぎない

441 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 07:05:01.51 ID:/eETYh9B.net
>>440
>観自在菩薩が所感を述べるこの経

君は色々とおかしいよ。(笑)
オウム並みにすっとんきょうだよ。(笑)
初期の経典で釈尊が私と如来の二つの自称ってのはまぁ浅いって話で済むけどさ。(笑)
如来と釈迦如来って違いは判るかな?(笑)
いっぱいいる如来の一人が釈迦如来だよね?(笑)
固有名詞と一般名詞だっけ?何かあるよね?そういう違いがさ。(笑)
君は観自在菩薩が「観自在菩薩は〜、こう思うんだ〜。」と言ったと、こういう解釈な訳だよね?(笑)

(^。^)俺が「承狂はこう感じた」とか書いてたら、とうとう気が狂ったなと思うだろ?(笑)

442 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 08:23:22.13 ID:kjZUk94j.net
>>441
>君は観自在菩薩が「観自在菩薩は〜、こう思うんだ〜。」と言ったと、こういう解釈な訳だよね?

所感と書いたからそう考えたのかな?
まあ、そう考えるのも仕方ないだろうし自由だと思われる
しかし

>いっぱいいる如来の一人が釈迦如来だよね?

これがダメだと思うよ
言ったろ?「如来の一人称は如来」だと
如来を感得して如来なのではないでしょ?
「全て滅して認め知る事が無い境地」は不一不異でしょうに
大丈夫かな承狂くん
認め知る事も滅し、一切の戯論が滅した如来が

>俺が「承狂はこう感じた」とか書いてたら、とうとう気が狂ったなと思うだろ?

なんて言う事も無いでしょう
「俺」が滅したのが如来なんだから

ちょっと残念かな、承狂くん

443 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 08:41:27.83 ID:kjZUk94j.net
>>441
承狂くん
アドヴァイタな連中が「ほら仏教も一緒じゃん」と指摘してくる部分がまさにここなんだよ
彼らには滅すると言う真の意味が理解出来ないから、この一人称如来に「同一・一体」を観る
彼らには全て滅した境地が本当に理解出来ないから、この同一に真我を観ちゃうんだな
んで、梵我一如だと

ここをひっぺがすのが仏法者の立ち居地なんだけど
承狂くんはこの位置に居ないのかな、残念で成らない
良い目線なんだけどねぇ

444 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 13:05:06.18 ID:mzXea1A2.net
>>437

それぞれの種属の動物は、その種属に固有のフィルターを通じてのみ生存して
いるのだよ。そのフィルターを外したら、死ぬか、狂うだけ。この自覚が、
悟りの基本。

真っ先にやるべきことは、宗教という人為的フィルター(色眼鏡)を外して、
生存という種属本来のフィルターに戻すこと。

感動的な正法眼蔵でも読んでください。

445 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 13:29:46.60 ID:mzXea1A2.net
梵我一如って、釈迦の無我に比べてスケールでかいなw。精神医学的には、
前者が躁病の誇大妄想で、後者がうつ病の微小妄想。しかし、宇宙を認識し、
思考できるのも我(生命)だけだから、論理的には前者が正しい。

446 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 19:02:47.94 ID:ilE+0avD.net
それ五悪見のうちの有身見だし

447 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 19:31:52.46 ID:ydd9+wkO.net
>>445
あなたは非常に浅いレベルで物事を考えてるよ
釈迦の無我こそ、「すべてものが一体だ」ということ。
ただ、「一体」という言葉を使ってしまうと、世界を分別していることになる。
「一体」の外の世界が生まれてしまう。 「一体でないもの」と「一体であるもの」の二つに分裂してしまう。
そうすると、「一体である」ということを打ち出してしまうと、逆に「一体」じゃなくなってしまうわけ。
だから言葉の使い方に注意した。

もし偏見なく深い洞察が出来て、これらの言葉の意味を知ることの出来る人がいたら、その時こそ
「一体」という言葉を使っていいんだよ。

ブラフマンという概念が「ブラフマン」という神を作り上げ、その外にあらゆるものを生み出してしまった。
ようは分裂したわけ。
一体でも何でもなくなった。
酷いのになると、神像を作り上げ、本当にそのような個別の存在があるように感じてしまった。
だからイスラム教では偶像崇拝を禁止したわけだよ。
「すべては一体である」という「タウヒード」という概念を否定することになるからだ。
それをまた狂信主義者が「一つの神」という固体の存在を作り上げてしまった。
なんのことは無い、すべての神を否定して一個の強力な「存在」を作り上げてしまった。
いかに偶像崇拝禁止しても、箱の中の一つの強力な実体のある神を想定してしまっているわけ。

ちなみに、マヤ文明の宗教にも、フナ・ブクーという形象で表されない神がいるという。
これもまた同じ思想なんだよね。
昔からこの「すべては一つ」ということを表現するのに、あらゆる宗教が苦労し、そして失敗した。

「すべては一つ」と「無限」が合わさって、始めて本当の「一つ」になれるわけ。
一つの存在が無限であれば、その他に何も存在出来ないから。
固定として判断出来ない。
だから、「一つ」という言葉でさえ適切ではなくなる。
なので一つも糞もない、ということになる。

448 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 19:35:58.53 ID:/eETYh9B.net
ID:kjZUk94jは糖質なのか。
宗教板って頭おかしい人が多いよな。(笑)

(^。^)まぁ、俺様も似た様なもんだがな。(笑)

449 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 19:36:20.31 ID:ilE+0avD.net
そんなにヒンズー教は良いかね

450 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 19:39:47.86 ID:ilE+0avD.net
承狂が狂ってるのは知ってた

451 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 19:43:17.92 ID:ilE+0avD.net
>>447
見取見だよそれ

452 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 19:44:56.59 ID:/eETYh9B.net
>>433
>葬式ではお坊さんに代わって心経を唱える

(^。^)心経じゃなくてナンミョーホーレンゲーキョーでしょ?(笑)
頭の狂った学会員だったのか。(笑)
大作しんじゃったらしいけど、これからどうなるんだろうね? (笑)

453 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 19:59:49.83 ID:rrzQ5QQL.net
>>450
ショキョタソは、くるってるのでなく、
情に厚い熱血漢なだけだよwww

454 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 20:18:37.73 ID:ilE+0avD.net
>>453
情に厚い人ならば誰であっても軽賎しないだろう
自称する人は多い

455 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 21:17:39.14 ID:/eETYh9B.net
>>453
(^。^)だまれ小僧!(笑)

456 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 21:23:23.25 ID:rrzQ5QQL.net
>>454
浅いね・・・

情が深いほど、自身の基準から外れた者・ことに対しては、
徹底した攻撃をし易いよ。

 *(それは、共同体を営む人類の、本能的防衛反応と繋がるものだとは思うけど)

457 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 21:29:40.22 ID:nPXnbEHP.net
宗教学的には、ユダヤ教から発生したカルトが、キリスト教とイスラム教。
バラモン教から発生したカルトが、小乗仏教。

やはりいずれも、本家のほうが民族宗教的要素があり、思想的にも骨太で深い。

小乗仏教は、開祖盲信・精神性の偏重という点で、キリスト教に類似している。

458 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 21:45:21.41 ID:rrzQ5QQL.net
今の中東・IS問題を、宗教的要因だと考えて対策立ててたら、
永遠に解決できねーよw
スリランカもそう。ビルマもそう。
宗教的でない、まったく別の要素が絡んでるから、
互いの心理的譲歩(思想面での相互理解)では事態を動かせないわけ。


御隠居は、なんでこういう『現実的側面』に盲目なんだろうな・・・ ┐(´ー‘)┌

459 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 22:21:29.73 ID:/eETYh9B.net
>>458
ご隠居の思想的には、全て自己責任だから、「はいはい、生命生命」って言うだけです。(笑)
そしてテロに巻き込まれようが、天変地異に巻き込まれようが、

「わぁ〜れこそは〜〜!せえ〜めぇ〜なりいぃぃぃ!」

って叫ぶだけでテロリストたちは悶え苦しみ、天変地異は忽ち収まるから何の問題もありません。(笑)

(^。^)無限の環境適応力を秘めた生命様に縋れば全て丸っと解決だぜ!(笑)

でも、カルトみたいな精神性偏重ではないらしい。(笑)

460 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:00:00.44 ID:nPXnbEHP.net
>>458

すべて宗教思想が原因ではないか。争いが、異なった宗教・宗派間のみで
生じていることが、100%の証明。

10億人を殺したと言われるマルクス主義も、キリスト教起源の「擬似宗教」。

ミャンマー、スリランカ、タイは小乗仏教。

中国最大の内乱であり、推定犠牲者数5000万人と言われる太平天国の乱の
原因も、首謀者洪秀全がふと手にした一冊の聖書だった。

まあ、世界を見なくても、2chの宗教板における争いだけで、十分に証明
されているけどねw。ニュース速報板などでは、こんな争いは一切ない。

461 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:05:41.48 ID:nPXnbEHP.net
>>458
「互いの心理的譲歩(思想面での相互理解)」が「絶対にできない」のが、
宗教の病理。

462 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 23:13:37.99 ID:/eETYh9B.net
>>460
てぇ事は、ISが本当にイスラム教の狂信団体だと思ってるんだ?(笑)

(^。^)まぁ、陰惨すぎるから本当の事は見ないってのも手だな。(笑)

463 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:14:47.78 ID:nPXnbEHP.net
>>458
>今の中東・IS問題を、宗教的要因だと考えて対策立ててたら、
>永遠に解決できねーよw

全員が、イスラム教の特定宗派に入信し、「アラーアクバル」を唱えたら、
殺し合いは一瞬で終息するw。

464 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:25:16.66 ID:nPXnbEHP.net
>>482
東大の宗教学科まで卒業したのに、キリスト教からイスラムに嵌って信者に
なった中田考と宗教学者島田との対談を読んだが、中田は、「イスラム国」を
イスラム教の理想の形態としている。テロに対する反省など一切ない。「一生涯、
神に仕えたい」などと口走っている。

465 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 23:32:23.70 ID:/eETYh9B.net
>>464
(^。^)そうだね、東大出た人は絶対に間違わないよね。東大ってスゴイよね。お供え物して毎日拝もうか?(笑)

466 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:41:31.30 ID:nPXnbEHP.net
宗教信者は、宗教観念によって生存本能を破壊されるから、生存本能から
生じる「自他の死への恐れ」という自然の感情が消滅し、己の宗教のために
殺し殺されることが、快感と喜びになってしまう。だから、報復殺戮は無意味。
報復側も宗教信者だから、報復の無意味さが一切理解できていない。

「体を殺せても、魂を殺せない者どもを恐れるな」。体は殺してもよいことに
なる。イエスのこの「肉体を忘れた精神性という狂気」が、すべての殺戮の原因。

467 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:44:55.49 ID:nPXnbEHP.net
>>465
そのスゴイ人でも、宗教に嵌るとこれほど狂うということ。

468 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/27(金) 23:45:42.44 ID:/eETYh9B.net
>>466
そういう妄想と、現実の「イスラム教過激派」や「IS国問題」は分けて考えようね?(笑)

(^。^)宗教戦争だ!とかブッシュ並みの知能だよ。(笑)

469 :神も仏も名無しさん:2015/11/27(金) 23:53:49.63 ID:nPXnbEHP.net
>>468
そのような「宗教のあくなき正当化」こそが、テロや大殺戮の原因であることを、
忘れてはならない。

君のような宗教患者は、宗教患者による殺戮を目の当たりにしながらも、
「彼らは宗教者ではない」と形振り構わず、宗教を正当化する。

「貧困が原因」などと屁理屈をつけるが、ビンラデインは億万長者である。
自爆テロリストたちも、比較的裕福な、特に、キリスト教からの改宗者の
「自分探し」であると、現地で聞き取り調査を行ったジャーナリストは
語っている。

470 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/28(土) 00:01:05.68 ID:P2b7smCU.net
>>469
(^。^)まぁ、確かに俺の信なんざぁ3ヶ月で帰りたいって泣いたバカ女の自分探しと同じかもしれんね。(笑)
でも、真面目に信仰してる人にはかなり失礼な事を書いてるよ、アンタ。(笑)

471 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 00:07:18.15 ID:eD0DWwp8.net
>>468

ブッシュは、キリスト教原理主義者。聖書を引用して、湾岸戦争に突入した。

典型的な宗教戦争ではないか。

フランスのテロも、漫画で開祖を侮辱されたのが原因。

日本の歴史には珍しい戦国時代の大殺戮は、キリシタン思想が原因。
黒幕は南フランスのキリスト教勢力であった。研究書も出ている。
明治維新での無意味な殺戮も、キリスト教国による砲艦外交とキリスト教
思想の浸透が原因であることは明らか。

日本最初の本格的内戦は、仏教の到来時である。

472 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/28(土) 00:15:20.19 ID:P2b7smCU.net
>>471
(^。^)だから、そのアホのブッシュ並みだって言ってんだよ。(笑)

473 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 00:20:01.58 ID:Ox7JdmKv.net
>>456
浅いと分別するそれは軽賎の現れだろうな
推して知るべしかと

474 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 01:56:02.34 ID:eD0DWwp8.net
>>470
>真面目に信仰してる人にはかなり失礼な事を書いてるよ、アンタ。(笑)

宗教は、不真面目にやればやるほど、即ち、世俗に近づけば近づくほど
マトモになるのだよ。初めから間違っているからだ。

一休さんを見よ。 彼の「死にとうない」は、究極の悟りである。

475 :小僧 ◆965zSALn8Q :2015/11/28(土) 03:20:31.21 ID:ry7MAwO7.net
あなたを盲目的に信奉する小僧はここにもいますよ。
私以外小僧など声かけられるところみ
ると嫉妬してしまいますわ。
時々話を聞かせて下さい。

476 :小僧 ◆965zSALn8Q :2015/11/28(土) 03:22:36.67 ID:ry7MAwO7.net
>>456
本当にその人攻撃すると思うのかね?
そうだとしたら偽物だよ。
騙されちゃいかんw

477 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 14:00:05.02 ID:BpMMotln.net
10:28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
・・・・・・
だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
10:33 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

478 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 14:02:17.71 ID:gmIIJE7s.net
神はいる

479 :小僧 ◆965zSALn8Q :2015/11/28(土) 14:23:42.51 ID:ry7MAwO7.net
さて、少し話をさせて下さい。
私は神がいると思っていますが決して確信ではありません。
霊感などもありません。
せいぜい見えた時は自我が肥大し、狐か狸でもついているのだと思っています。

そもそも、ここは空のスレでスレ違いですよ。

霊と仏教関係ありません。
私は仏教を学びたく思います。
スレを汚してしまい申し訳ありません。

480 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 16:50:15.53 ID:BpMMotln.net
仏教では清浄不浄と言う。不浄とは欲心を言い、清浄とは無欲を言っていると思う。

現実社会生活で、この不浄な精神、清浄な精神は、混在して見受けられるのではないのか?
この清浄な精神、不浄の精神を、キリスト教では、霊と言っているのだと思う。
清浄な精神を政令、不浄な精神を悪霊と言っているのだと思う。

キリスト教では、神は霊である、と言っているだろう?そして、それは清浄な霊でなければならないだろう?
つまり無欲な霊なのだ。それが神なのだ。

仏教の実相から来る要求と、キリスト教の神の要求とは同じではないか?同じにならないか?

481 :神も仏も名無しさん:2015/11/28(土) 17:06:57.16 ID:cPS75vBm.net
キリスト教も仏教も神道も一緒。統一教つくろうぜ。
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1389493032/

482 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/11/28(土) 18:51:20.30 ID:P2b7smCU.net
(^。^;)あっれ〜?なんかおかしな連中がわいてんなぁ?(笑)
コワイから転進しますね。(笑)
オイラにご用の方はバカカルトスレまでご足労下さい。(笑)

じゃあの。(笑)

483 :小僧 ◆965zSALn8Q :2015/11/28(土) 21:28:00.46 ID:G83OWHFQ.net
さて、あなたたちは私の書き込みをみて何を思ったでしょうか?

沸き上がるもの全てが「妄想」「妄像」かもしれません。
私は自称小僧ですが、明確に私の姿をわかることはできないですよね。
パソコンに向かっているのか?
スマホか?
プログラムによる予約投稿?
かもしれません。

考えること自体が無意味なのです。
賢者であれば私の書き込みから愚者であることそれのみが判別ができたはずです。
年齢?性別?職業?
全てが謎なのに人間は頭の中で「像」をつくります。

484 :小僧 ◆965zSALn8Q :2015/11/28(土) 21:31:35.75 ID:G83OWHFQ.net
では何において信頼にたる人物であると判断するのか。
それは、言葉にほかなりません。

それは、カルト宗教、偽経典、も同じこと。釈迦仏といいます実際にあった人はいるのでしょうか?

おそらく多くの人の釈迦仏は妄想といえると思います。

まずは、仏教の基本から。

485 :小僧 ◆965zSALn8Q :2015/11/28(土) 22:17:12.12 ID:G83OWHFQ.net
龍神の化身で病気を治すというもと犠牲者がでました。
両親が保護責任者遺棄致死を疑われています。

さて、仏教の字面通りに考えれば因果の法則のもといいも悪いもありません。
苦は存在しますがそれは幻といいます。

本当にそうでしょうか?
まずは自分なりの答えを出して下さい。
それにいいも悪いもありません。

486 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 07:58:35.01 ID:ecnzAYVe.net
>>480
お釈迦様の言う一切を厭い嫌い遠ざかる教えでは
不浄は一切
清浄は一切の生滅

これは一切を捨てる覚悟の出家者向け。
捨てられない在家者はそこは緩くなり、少しでも良い境遇に近づけるよう善業を行えという。

487 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 12:32:11.80 ID:FMDvdqEm.net
「仏教の無い志向は間違いではないのか」
シャンカラは著書ウパデーシャサーハスリーのなかで、間違いであると断言している。
岩波文庫で1000円以下で購入できるのでぜひ読んでみるべき。
ヴェーダーンタでは唯一の実在があるだけだという。
一方で仏教は全ては無であるという。
唯一の実在のみが有る状態と、一切は無である状態は同じことではないかと思うけれど、そうではないという仏教に対する反論が提示されている。
単純に三界は無であるという意味では、三界の一切はマーヤーであると切り捨てる、その点はヴェーダーンタと一致している。

488 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 12:49:09.52 ID:FMDvdqEm.net
ちなみに>>1が書いてるような、痛みや苦しみが確かに感じられるのに、それが無であるというのはおかしいのではないか、
という点についてもウパデーシャサーハスリーで割と丁寧に説明がされている。
そういう点について本当に疑問を感じるのなら、ウパデーシャサーハスリーを読むべき。
あり得ないくらい安い値段で入手できる。

489 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 13:39:19.79 ID:Ljb88T7e.net
>>488
夢の中で食べ物を食べた。
その見た目も香りも味も本物だった。

夢から覚めた時その食べ物は存在しなかったと知るでしょう。

490 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 13:42:04.83 ID:Ljb88T7e.net
夢としては存在した。という言い方ができるね。
夢の中にいる人にはどうしたって本物に見えるんだから。

491 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 16:40:19.07 ID:FMDvdqEm.net
>>489
その説明はすごく分かり易いし一つの真実だと思う
ウパデーシャサーハスリーの一節「私は認識する力を持つが対象を欲しない。マナスは対象を欲するが認識する力を持たない。よってあなた(マナス)は寂静であることが望ましい」
マナスは自分がアートマンであり認識の主体であると思い込んでいる、その錯乱こそが無知であり迷いであるという。
上のほうに出てた、無欲は清浄というのもこのあたりのことじゃないかね。
自分なんかは欲望=性欲=不浄なんていう、極めて西洋的、現代的な連想がすぐに出てくる人間だけど、浄不浄の次元がちょっと違うよね

492 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 16:46:52.17 ID:ZJKFmrI1.net
>>487
>唯一の実在のみが有る状態と、一切は無である状態は同じことではないかと思うけれど、そうではないという仏教に対する反論が提示されている。

仏経はこれを否定してないだろう?
仏教では、実相は無相で、故に一相で、この逆もまた可、そして空相、無願と言っている。
無相ゆえに、一相、であるが、直面する回答になる。実相が一相であるが回答で、それは何にもないではなく、一相があるという意味だ。
エレアはやろうそうでは、単に「一」と言うが、この一が無相に当たるんだよ。

真実に存在するものは必ず、純一なものでなければならないというのは論理の帰結するところだよ。

そこで、シャンカラは、どのような反論をしてるんだろうか?

493 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 16:57:24.95 ID:ZJKFmrI1.net
梵我一如については、まあ、グーグルの検索で見る限り、ブラフマンがどのような真理だと主張してるか、
明確にしてるものがないのだ。

仏教では、縁起の理法とそれから導かれる純一が根本である。この純一が人を平安に置くもので、
このことを凡夫も知っているので、これに反する状態を(苦)と感じるのだ、とゴータマ尊者は言っている。

ところが、ベーダンタでは、縁起の理法を強調しないんじゃないの?

確か、シャンカラも縁起の理法に言及しているのを見たことがある。おそらく縁起の理法
に基づいてシャンカラは、ブラフマンを定義してるんじゃないのかな?

ヒンズー教では、最初にブラフマンというものを提示して、それに対する個我を考えるから、
それは自然ではないと仏教ゴータマは否定するのだと思う。彼が自灯明と言うのはそこに原因があるのだよ。
自分がブラフマンを発見するのだ。

494 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 17:00:10.45 ID:ZJKFmrI1.net
のんぢゅアリティも、仏教と同じ、梵我一如と同じことを主張してるんじゃなかろうか?

495 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 17:11:21.12 ID:5bCDJvdN.net
シャンカラは「仮面の仏教徒」と呼ばれることもあるんやで

496 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 19:48:05.28 ID:QldW5pt2.net
>>489

最新の学説によれば、夢は、睡眠中における脳細胞の混乱状態。何ら、意味の
あるものではない。フロイトの「夢判断」は無意味だったのである。

夢の筋書きは支離滅裂だが、一度知覚した対象だけしか現れない。夢に神仏は
出てこない。脳細胞が混乱しても、細胞に刻まれた記憶は、そのままだという
ことだろう。

なお、睡眠中でも、身体の各器官は活発に活動している。胃腸は睡眠中に活動
するし、ある種のホルモンは、特に睡眠中に分泌される。死ねば、このような
肉体の活動は、一切生じなくなる。

死者が「涙を流した」と感激する人がいるが、これは、生前に分泌して眼中に
たまっていた涙液が溢れ出しただけ。

497 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 20:25:37.74 ID:DP5of7T0.net
仏教(お釈迦さんの説くところ)は、学説とは何も関係ないんだけどねぇ・・。

学説は学説で踏まえておけばいい。
テーブルマナーが文化によって異なるように、
「生き方の指針」も、一つである必要は無い。
(それを一つにしようとしたのが、西洋キリスト教的価値観だったりするわけだが、
隠居や紐は、それと同じことをやろうとしてるわけで・・w)

498 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 20:43:30.12 ID:dgYDEtGj.net
宗教は奴隷学だ

499 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 21:43:09.29 ID:QldW5pt2.net
>>497
生き方は、己の「生命」が教えてくれるもの。生命は、すべてを知る。
他人に教わるべきものではない。

大昔の精神病の一個人に教わろうとすることが、すべての誤りの原因。

道元さんは、「仏道とは己を習うなり」と言っている。まさに至言では
ないか。道元が、世界最大の思想家とも評価される所以である。

500 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 22:04:53.27 ID:QldW5pt2.net
大昔の気違いの一個人に生き方を教わった一神教徒たちが、絶え間ない殺し合い
を続けている実情を見よ。

501 :神も仏も名無しさん:2015/11/29(日) 22:57:56.80 ID:ZJKFmrI1.net
>世界最大の思想家

???

502 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 01:05:18.13 ID:bbTbI7b9.net
>>501
正法眼蔵の解説書に書いてあった。

くぐったら、ハイデッガーや和辻哲郎も評価しているのだから、世界的な
思想家であることは間違いなかろう。これほど感動的な仏法書は、他にはない。

503 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 04:26:59.74 ID:H0PPbDvD.net
>>487
>単純に三界は無であるという意味では、三界の一切はマーヤーであると切り捨てる、その点はヴェーダーンタと一致している。

三界とは「欲界・色界・無色界」の事を言うんだが、つまりこれはどう言う事を言ってるとお前は考えるんだ?
ちゃんと把握出来てるだろうか

そして「一切」とは具体的に何を指して一切かな?
ヒンズー教でこれがまともに答えられるだろうか

504 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 04:37:38.00 ID:H0PPbDvD.net
>>502
仏教は自洲法洲を是とする
故に

@風説に依らず、A伝承に依らず、B伝聞に依らず、C聖典集の所伝に依らず、
D推論に依らず、E公理に依らず、F類比に依らず、G深慮され達された結論への同意に依らず、
H有能そうな者の言葉に依らず、I(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。

なのである
例えば上記をヒントに考察する事は禁じられないが、それを鵜呑みに信じる事を仏道修行では行なわない
先ず、判断基準として最初に判ずるのは四大教法に照らす
(1)ブッダの(直接の)言として新しい事がらを、
(2)僧団の(直接の)言として新しい事がらを、
(3)長老の(直接の)言として新しい事がらを
(4)達人の(直接の)言として新しい事がらを、
これらを言い出す者があれば、喜ばずきらわずに聞き、これを経と律とに照して明らかにし、相違すれば捨てるべきこと。

そして既出な説などに当たれた場合は、それを行じてみて実践で学び取るのである

おわかりかな?
世界の中に有って重要にして最大の経典は「自洲法洲」なのである
それ以外のものは全て自洲法洲の説明なのだから、実践してみれば真偽がその場で分かるのである

肩書きも見た目も関係ない言われはここにありこれに尽きるといえる

505 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 09:04:56.42 ID:2Xs0muAp.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1444810285/l50

506 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 18:53:53.45 ID:w/WI1wN0.net
 
乙です!

紐くんも
机先生も
123くんも
隠居先生も
承狂先生も、何言ってるのか? わからないけど

応援してるゾ! ガンガレ!

507 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 19:42:06.84 ID:w/WI1wN0.net
 
> 実践してみれば真偽がその場で分かる

例えば、仮設としての、自分(ID:w/WI1wN0)の場合は
無明の暗闇に覆われて
渇愛(タンハー)に依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執に依存して
他に対して、自らを特別な存在として妄信している想いに依存して
(「変化しない」という意味での「我」は)存在しないにも関わらず
(「変化しない」という意味での「我」が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)が現れ(滅し)て
(五性各別)誰もが成仏するわけではないので、それ故に

想いの手放しの実践は難しい
http://homepage3.nifty.com/junsoyo/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗の僧侶  内山興正
坐禅中,思いが浮かび,その思いを追っているならば,それはすでに考え事をしているのであって,坐禅していることにはなりません
われわれの思いは,いつも「何か」を思うわけですけれど,この「何かを思う」ということは,思いをもって,その「何か」をつかむことです
ところが今,その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって,何ものをもつかまないでいることです
すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
(掴もうとしている、想いを手放し、そして)
すべての事象は独立してではなく、原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは、無常(無我)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません

508 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 20:06:47.83 ID:RpkZMQBv.net
>>507
人間は、生物の一種属に過ぎない。

すべての生物に共通する唯一の普遍の基盤は、「生きること(生存)」である。

極限の生存状態においては「思い」はない。唯、唯、「裸の現実」に適応して
生きること。溺れかけた場合、浮遊する一片の物質がすべてである。極限の飢
餓状態にあっては、一塊の可食物質がすべてである。それらの物質が「何であ
るか」などは、考えない。唯ひたすら、その「有なるもの」にすがるという行
為のみ。

座禅は、思考を捨てて唯ひたすら座るという「行為」によって、「極限における
生存」を擬制しているのである。半眼を開いて対象の一点を見つめるのは、
生存に不可欠な「有(物質、現実)」との接触を維持しているのである。

509 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 20:32:17.02 ID:w/WI1wN0.net
 
乙です!

> すべての生物に共通する唯一の普遍の基盤は、「生きること(生存)」である

隠居先生かしらん?


> 座禅は、思考を捨てて唯ひたすら座るという「行為」によって
> 「極限における生存」を擬制しているのである

実践するのは難しいと思うけど、ご教示ありがとうございます

余念を交えず、ただひたすら座禅する、只管打坐?

http://www.myoshinji.or.jp/faq/faq_04.html
京都花園  臨済宗大本山  妙心寺派
曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と言われ
「人は本来清浄な心を元々持っているのであるから、悟りを求める必要はない」と言う立場から
ひたすら黙々と坐禅する只管打坐(しかんたざ)を説きますが
臨済宗と曹洞宗の
根本的宗旨に違いはありません

510 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 21:08:21.96 ID:RpkZMQBv.net
>>509

「生命(如来)の声」は、「究極の生存状態(直接現実)」において、初めて
良く聞こえる。生存努力とは「行動」であって「瞑想」ではない。「只菅打座」
とは、「我を忘れた生存努力」の擬制である。従って、「我を忘れた現実の生存
努力」によっても悟りは得られる。すべての衆生(生活者)が悟っている所以
である。

511 :神も仏も名無しさん:2015/11/30(月) 21:46:47.00 ID:w/WI1wN0.net
 
自分の場合は
無明の暗闇に覆われているので
悟っているとは思えないけど

> すべての衆生(生活者)が悟っている

とりあえず、ご教示ありがとうございます

http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
般若経の解説

一切の有情は、もともと仏なのだ
悲しみ、怒り、喜び、妬み、執着するものたちだ
それこそが仏なのだ
もともと仏であったことに気づくこと
気づいてみればたやすいことだ

しかし
(「変化しない」という意味での「我」が)
有ると思う虚妄の執著である、遍計所執性が現れ(滅し)て
それ故に
気づくまでは、気づくことは難しい

512 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 00:34:07.87 ID:5eJTCtvs.net
>>511

生命は、無明どころか「全知全能」である。この広大な宇宙を認識し、それを
存在あらしめているのも生命。人類の発生以来、その営々たる生存努力によって、
如何なる宗教の奇跡も及ばないこの人類の巨大な文明・文化を作り上げたのも、生命
である。釈迦が、生命の驚異と神秘に思い至れなかっただけ。無明とは、釈迦の
ことであろう。

「我(生命)」は、変化してはならないのである。「三つ子の魂100まで」
という。生命を宗教観念で変化させたら、本末転倒であり、人間が人間では
なくなってしまう。史上及び現在の宗教戦争の惨状が、そのことを如実に証明
しているではないか。

513 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 02:21:58.39 ID:iUdWhKK5.net
 
> 生命は「全知全能」である
> 「我(生命)」は、変化してはならないのである

梵我一如(ぼんがいちにょ)
宇宙を支配する原理と個人を支配する原理が
同一である
ということに気づくこと

そして

サーンキヤ学派の
プルシャは永遠に変化することのない実体である

プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる

という感じでつね?

ご教示ありがとうございます!  隠居先生!

514 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 02:36:24.51 ID:iUdWhKK5.net
 
> 「我(生命)」は、変化してはならない

不動明王

中咒−ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

小咒−ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン

515 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 02:43:19.65 ID:5eJTCtvs.net
>>513

手垢の付いた大昔の文献に頼らないで、すべてご自分の生命に問うてください。

516 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 08:25:30.36 ID:Cu91vAld.net
生命、生命とオームのように鳴くおあんさんが降臨してるけど、その生命が問題なんだよね。
その生命が厭わしくて、自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいるんだよね。
自殺しないまでも、四苦八苦している人も多くない?生命を謳歌して、これこそ神様だ、と
チミのように言う人は少ないんじゃない?

生命はないと喝破されたゴータマ尊者は、幸せないお方様と認められた聖者なんだが、
生命を否定した人が、幸せな人であるに対して、チミは正命こそ人を幸せにする神様だ、と言っているのだが、
真っ逆さまな見識だよね。

これってどういうことよ?

チミの生命とは、五感と第六の意なんだと思う。これをゴータマ尊者は、一切と教えられました。
それは生きてる人に所属してるからね。死んではその人は五感と意は発揮しない。

死んだ人についてはゴータマ尊者は、死んだ人はもう接触できないものとして、諦めなさい、と教えられました。
イエスキリストは、死人は死人に世話をさせなさい、と言われました。
死者を悲しんで、心を苦しめてはならないんですね。

ゴータマ尊者は自らの死については、生じたものはすべて滅する決まりのものだ、だから、自分もこの世界に誕生した以上、
滅するのであると言われました。しかしゴータマ尊者は、諸行無常、是消滅法、生滅滅己、寂静為楽、と言われました。
生滅のない世界があるのだ、そここそ安楽の世界ですよ、と教えられたのですよ。
生命のある世界、生命のない世界、これは縁起して存在してるもの。
縁起して存在してるものは、虚妄なもの、実体のないもの、だから生命に起因する一切の苦しみは、
妄想にすぎづ、真実は安楽の世界しかないのでつよ、と教えられてのでつ。

チミは単に、ゴータマ尊者の教えを拒否してるにすぎないのでつ。肉体はないのに、ないものを妄想して作り上げ、
それを大事にしようと、骨折っているのでつ。それこそ苦しみでつ。チミの生命は苦しみに他ならないのではないでつか?

大事たところでつからよーく考えましょう。

517 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 08:47:13.10 ID:Cu91vAld.net
>>516つづき
あるいは、チミは、ひょっとしてこのことを言っているのでは?
つまり、十善戒のうちの、五戒、を勧めているのではないのでつか?

生命は大事なものでつから、人を殺さないを堅持しましょう、人は大事なものでつから、人を騙さないようにしましょう、
同様に、人のものを盗まないように、人の女をかどわかさないようにしましょう、と。

そうですよ。この戒めを守るなら、それは、世界の真実への道を容易いものにしてるのでつよ。
この戒めを犯すことは、真実に反して、人間という肉体に固執すること、人間が心を持つということに固執すること、
人間が持ちものを持つという考えに固執すること、人間が情欲を持つのは当然だという考えに固執することに、なるのでつが、
戒めを守るならば、この考えから離れることになるからだと思います。

自分が真実に合一することは最大一の重要事です。チミがこの戒めを守ることは
他者を同じく真実に合一する道に引導することになり、これは自分を愛するように他者を愛することになるでしょう。

生命を損なわないとは、このように良い効果をもたらすのですよ。

518 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 10:37:33.44 ID:iUdWhKK5.net
 
> 自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいる

藤村操が華厳の滝の近くにある樫の木を削り、「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残した

岩の上で思う

天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか

五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない

宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した

すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ

非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った

519 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 11:27:34.64 ID:iUdWhKK5.net
 
色受想行識の仮和合は
地水火風空識による仮の現れなので

スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界すべてを空なりと観察せよと

みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として

仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる

一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している

分別しようとしている想いを手放すことができるのなら
「地水火風空識による仮の現れ」と
「現れてくることもなく滅していくこともなく」によって形容されている仏との
両者の間にはわずかな違いも、最も微細な違いすらも存在しない(中論 25-19・20)

しかし
(変化しないものが)
有ると思う虚妄の執著である、遍計所執性が現れ(滅し)て
それ故に
掴もうとしている想いを手放していくことは難しい

520 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 14:59:25.05 ID:qNKd99VH.net
>>516
>その生命が厭わしくて、自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいるんだよね

自殺する人も、「生きたくてたまらないが、苦しみに耐えられない」から死ぬのだよ。

人類が、その発生以来、現在まで営々として生存を続け、ますます繁栄しているのは、
一体なぜか。生きるのが苦痛ばかりなら、人類はとっくに消滅していたはず。「苦が
あれば、必ず楽がある」という真理が、常に働いているからである。

どんなに苦しくても、人間は「今ここに生きている」ことに、無意識にでも最大の
喜びを感じているのである。「苦と闘う」こと自体が、実は、「生の喜び」を
もたらしているのである。人類のこの巨大な文明は、「苦との闘いと楽の追求」の
結果なのである。

「一切皆苦」などと、人間の真理に思い至れなかった、愚かな精神病者ゴータマに、
「尊者」などという敬称を付けるのは止めよう。「愚者」のほうが、はるかに
相応しい。

521 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 15:30:48.67 ID:iUdWhKK5.net
 
過去への想いも手放し
未来への想いも手放し

> 今ここに生きている

そして、更に
今への想いも手放していく

ご教示ありがとうございます!

522 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 16:53:52.35 ID:Cu91vAld.net
--------------------------------------------------------------------------------
■□■<2,ダニヤ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
18 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


523 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 16:55:58.07 ID:Cu91vAld.net
19 師は答えた、
「わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

20 牛飼いダニヤがいった、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、かれらは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

21 師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

22 牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

23 師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

24 牛飼いダニヤがいった、
「私は自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

25 師は答えた、
「わたしは何人の傭い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

26 牛飼いダニヤがいった、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲む仔牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

27 師は答えた、
「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

524 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 16:56:24.66 ID:Cu91vAld.net
28 牛飼いダニヤがいった、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ち込まれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。仔牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

29 師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、臭い臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

30 忽ちに大雲が現われて、雨を降らし、低地と丘とをみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。

31 「われらは尊き師にお目にかかりました、われらの得たところは実に大きいのです。眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。あなたはわれわれの師となってください。大いなる聖者よ。

32 妻もわたしもともに従順であります。幸せな人(ブッタ)のもとで清らかな修行を行いましょう。生死の彼岸に達して、苦しみを滅しましょう。」

33 悪魔パービマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」

34 師は答えた、
子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」

525 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 17:11:08.40 ID:Cu91vAld.net
>>520
>「苦が あれば、必ず楽がある」という真理

????

その楽と箔を伴っているものではないか?つまりくと楽は縁起関係にあるものだろう?
だとすれば必然的に、楽には苦が混入しているのだ。
だから、楽と思っているのは、泡沫の如しものだ。

そこで、チミは楽とは何か、苦とは何か、を聖者に聞いてみるべきだ。

聖者は、楽とは寂滅為楽、だと言っているが。それに反対なのか?

526 :123:2015/12/01(火) 17:36:03.95 ID:9lbazJj6.net
525.
寂滅為楽。
涅槃寂静。
その寂滅とか寂静とか言うのは、一種の状態である。
それは結果論である。
その結果の前提が問題となる。
その前提は、そういう状態ではないことが重要である。
だから、そう言う状態を目標とするのではない。
難解なり。

527 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 18:08:42.91 ID:iUdWhKK5.net
 
> そう言う状態を目標とするのではない

http://enlighten.fc2web.com/fukanzazengi.html
普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)道元禅師著

坐禅をするときは、静かな部屋ですべきであり、飲食に節度をもって
雑事を忘れ、全ての関わりから離れ、事の是非
善悪を思わず、心に念が浮かぶことも意識に想像することも
何かを観じるという認識作用も働かせてはならず
また仏に成ろうと思ってもいけない

http://www.myoshinji.or.jp/faq/faq_04.html
臨済宗 大本山  妙心寺
曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と言われ
「人は本来清浄な心を元々持っているのであるから、悟りを求める必要はない」と言う立場から
ひたすら黙々と坐禅する只管打坐(しかんたざ)を説きます

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%8F%AA%E7%AE%A1%E6%89%93%E5%9D%90/m0u/
「自分の方から働きかけていく」という想いも手放し
「周囲環境の方から働きかけてくる」という想いも手放し

余念を交えず、ただひたすら座禅する、只管打坐

528 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 19:11:40.98 ID:Cu91vAld.net
>>526
涅槃寂静という状態はもともとある状態である。
諸行無常の世界は、人間の欲心の世界である。
この欲心を抑制し、ついには滅した時、涅槃寂静の状態に達するのではないか。
欲心の世界は縁起の世界だ。縁起の世界が滅すると自然に寂静になるのだ。
だから、寂静の世界は縁起しているものではないだろう。つまり実体として存在してる世界なのだ。

529 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:13:25.47 ID:twBdV0TO.net
>>521
煩悩は「生きていることの証(あかし)」。煩悩が無くなれば、それは「死」
である。死ねば、釈迦も、宗教も、悟りも、へちまみない。

煩悩は、究極的には、死の危険への警告。生存に不可欠な心的機能。「除去す
べき異物」などではない。感謝して受け入れ、処理することにより、煩悩は煩
悩では無くなり、大いなる恩寵、よりよき生への原動力に変容する。

530 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:22:37.42 ID:kgxsXBZn.net
>>529
>受け入れ、処理することにより

「処理」が必要じゃんwww
処理方法を84000通り示してるのが仏教なのにw

531 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:24:03.30 ID:kgxsXBZn.net
隠居や紐は、頭のネジが2・3本足りないとしか思えんなw

532 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:25:41.41 ID:twBdV0TO.net
>>525

「苦楽」は相対概念。「苦」がなければ、「楽」も存在し得ない。「楽」だけの
世界は、「苦」だけの世界と全く同じであることを、理解しよう。

「清濁」「正邪」「美醜」「善悪」「正誤」などについても全く同じ。それを
すべて併せ持つのが、人間が人間たる所以である。すべて、状況に応じて生命
(肉体)を維持するために、肉体から発生する心的機能。

533 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:30:50.09 ID:iUdWhKK5.net
 
> 煩悩は煩悩では無くなり

煩悩即菩提

煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれる
と考えられるようになった

煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する
これを而二不二(ににふに)といい、二つであってしかも二つではないとする

宇宙を支配する原理と個人を支配する原理は同一である

一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している


ご教示ありがとうございます

オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ

一切の如来の御足を礼拝し奉る

534 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:36:37.31 ID:twBdV0TO.net
>>530

煩悩の処理は簡単。煩悩を満足させてやるだけでよい。腹が減れば、
飯を食う。病気なら、治療する。金がなければ、働く。他人に腹が立てば、
自己中心主義を止めて、その他人の立場になる。

それによって初めて、自他の生存が可能になる。

人類の発生以来、人間社会(生存共同体)は、そのようにして、成立・
維持されているのである。

535 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:42:00.31 ID:kgxsXBZn.net


>>534
20世紀、及び、今現在、
煩悩を満足させようとしてきたことのツケを、
人類全員、地球全体で払う羽目になってることを忘れてるとはな・・・ ┐(´ー‘)┌

536 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:48:28.34 ID:iUdWhKK5.net
 
> 紐は、頭のネジが2・3本足りないとしか思えんな

それゆえに
地水火風空識に依存して仮に現れ(滅し)ている
おじゃるも
紐くんも
脳みそが、くるくるパーであると
『 仮名の空 』 を以って説いた!
中論觀四諦品第二十四

537 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 20:48:35.36 ID:twBdV0TO.net
「煩悩を満足させないで去りたい」という煩悩こそ、最悪の煩悩。最大の
苦としての死に至る。

煩悩は、生命維持のために生命から発する不可決な機能。満足させる
ことなく排除してはならないもの。

538 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 21:39:19.95 ID:kgxsXBZn.net
>>537
はぐらかすなよw

先進国が煩悩の充足を極め切って「賢者モード」になったから、
発展途上国が煩悩の充足を目指すことを阻害しようとしてるんじゃないかw


COP21にも伺える構図が見えないか?w

539 :超次元導師 ◆mnR0C8EG98xy :2015/12/01(火) 21:56:12.95 ID:4vVm2EFJ.net
脳が煩うから煩悩、きれいなお姉ちゃんを見るとなる奴です
脳を殺すから悩殺、ムフフなポーズ
この時の漢字のへんの変化が重要
体から心に変わる
そんなもの

540 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 22:19:24.92 ID:iUdWhKK5.net
 
> きれいなお姉ちゃんを見るとなる

美人で可愛い女性とデートしたことがあるけど

まったく会話が、かみあうことがなかった

今では
「(会話が、かみあわなかったので)お付き合いしなくて良かった」と思ってます

長く、お付き合いするのなら
「会話が、かみあう人じゃないと無理!」という感じでつ

541 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 22:41:26.14 ID:twBdV0TO.net
>>538

国際化が進んだ現代において、先進国の恩恵を受けていない後進国は皆無。

土人でも、しゃれたシャツを着て、靴を履いている。

中国人の日本における爆買いを見よw。

542 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 23:26:11.37 ID:iUdWhKK5.net
 
> 中国人(煩悩)の日本における爆買いを見よ

日本全国土が
中国人(煩悩)に買収されちゃうのかしらん?

心配でつ!

543 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 23:31:06.84 ID:kgxsXBZn.net
>>541
相変わらずマジで馬鹿だなw

お釈迦さんが、
「俺は子供まで作ってセックス三昧したけど、お前ら弟子たちはソレ禁止な」
というのと同じだが?w
先進国が、
「俺は二酸化炭素出しまくってすげー発展したけど、お前らこれからの国はソレ禁止な」
と。

ふ〜ん、御隠居はお釈迦さん側の意見なんだwww

544 :神も仏も名無しさん:2015/12/01(火) 23:38:28.51 ID:g7CRFZ6I.net
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

545 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 02:50:10.92 ID:1IxQi2oD.net
>>525
「寂滅を以って楽と為す」

と読めない・読まないものに寂滅為楽のままではどうかと思われますよ。

546 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 03:07:27.01 ID:g4CfGPys.net
ちょっと分かったことを書こうと思う。

「存在」というものを正確に定義すると、「全く変化せずに、時間的に継続できる同一のもの。」 ということになる。


あっ、誰か来た。  つづきはまた今度。

547 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 03:21:09.71 ID:Hb3ifad/.net
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
読み下し
(諸行は無常なり 是れ生滅の法なり 生滅を滅し已わりて 寂滅を楽となす)

諸行とは六根(眼耳鼻舌身意)十二処(眼触耳触鼻触舌触身触意触)十八界(眼識耳識鼻識舌識身識意識)
無常とは始まりがあり終わりがある真実の事
生滅とは無常なる真実がいつも直面していると言う事実の事
法とは全ての作用の事
生滅を滅し已わりとは生滅の事実から抜け出す(解脱する)事
寂滅とは生まれない事

業報有りて而も作者なし、この陰滅し已わって(次には直ぐに)異陰相続す(第一義空経)

各々方はその目で今2ちゃんを見ている。
試しに家の天上を見てみよう。
家の天井を見ている目玉の中に、先程あった2ちゃんは何処へ行ったのだろうか?
今度はまた2ちゃんを見てみよう。
2ちゃんを見ながら考えてみてくれ、先程目玉の中にあった天上は何処へ行ったのだろうかと。

これが上記の経の言う異陰相続と言う意味になり、相続するには搬送基盤が無ければ成立出来ない真理を説き明かしている。
生きている内なら心なる搬送基盤は壊れていないので、目玉の中の像の様に、瞬間瞬間の縁起に応じて思いが生じ
その思いに応じて心は輪廻の転回を始めて手放しでは止まらなくなるのである。この対処が四念処だったり四禅だったり八正道なのであり
死んだら心の搬送基盤は失うので、心の輪廻は強制終了するのである。
死んで強制終了できるのが心なる事実ならば、瞑想や八正道で十分止められると言う証拠でもある。
思考を止めれば寂滅為楽なのだから簡単だろう。

548 :123:2015/12/02(水) 06:57:34.32 ID:3l1ngR61.net
547.
思考を止めれば寂滅為楽か。
それでは無になってしまう。死んで強制終了か。
寂滅するための条件が問題となる。
それは無となることではない。
それは思考停止ではない。
それでは何か。そこが問題である。

549 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 10:36:46.85 ID:g4CfGPys.net
たとえば、リンゴが1日目、2日目、3日目と腐っていくとする。
1日目のリンゴと3日目のリンゴはその形態が違うはずだが、「同じリンゴ」というわけだよね?

通常、諸行無常の説明としては、「あらゆる『もの』は変化していく」と、表現される。
『もの』が変化していくだけで、『もの』自体はつづいていくわけだよね?
ではその『もの』とは何か・・・?

表面上、あるいは内面も変化していく中で、時間を越えて変わらない『もの』がある。 とされる。
リンゴが腐っていく。 リンゴは変化していくが、同じ『リンゴ』というものは時間を越えて継続していくというわけだ。
リンゴの実体ということであろうか?

1日目と3日目のリンゴが同じということであるならば、存在の定義として、「時間が経っても変わらない実体」を出さなくてはならない。
諸行無常の表現として、「リンゴが腐っていく、だから諸行無常なんだ」と言われるが、
本当の意味の諸行無常というは、そこで止まらない。
リンゴという実体は変わらずにただ表面上が変化していくということではなく、
そのリンゴ自体の実体も、1秒も同じ物はつづかないということを意味している。

もし、「いや〜、リンゴが変化していくだけで、リンゴ自体は変わらないだろ」と、いうのなら、
その変わらない「リンゴ自体」を出さないといけない。
「前のもの」と「後のもの」が全く同一のものであることを証明するには、「全く変わらない共通する何か」を出さなくてはいけない。

われわれ人間・生物は、「物が継続している」と見るとき、つまり「存在している」と見るとき、
前のものと後のものが同じものであることを確認しているから、「物が継続している」「存在している」と確認できるわけだよね?
共通の部分があるから、確認できる。
人間の知覚能力を使い、記憶で照合しているから、同じ物が継続していると認識できる。
「昨日の車」と「今日の壊れた車」が同じであると分かるのは、その車の形状の同じ部分の一致点を見いだしているか、
同じ位置や状況を推測しているからだけど、何かの共通点を探していることには違いはない。
なので、人間の知覚能力で一致点を見いだせないほど共通点が破壊されていれば、
同じ物として認識出来ない。

550 :123:2015/12/02(水) 10:53:28.86 ID:3l1ngR61.net
549.
物質の変化は物理学、化学の問題である。
それが宗教問題となるのか。
そこが問題である。
存在の問題は宗教問題とはならないものである。

551 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 11:17:52.08 ID:g4CfGPys.net
もしも人間の知覚能力を越えて一致点を見いだせないというのであれば、科学的手法を使うことになるよね。
それでも、あくまでも存在の継続を確認するのは、「一致点を見いだすこと」だ。

たとえば、死体の損傷が激しくて、人間の知覚能力では「同じ人」と判断できない場合、DNAや歯型に一致点を求めることになる
ここでも、あくまで存在の継承を確認するのは「一致点」だ。
どんなものでも「一致点」が見いだせなければ、「前のもの」と「後のもの」が同じだということを証明出来ない。
なので、もし、「同じリンゴはつづいていて、腐っていくという現象・変化が起きているのだ」、というのならば、
そのリンゴがつづいていると言える、前後で変わらない共通部分を出さなくてはならなくなる。
もしも前後で全く共通する部分が見いだせなければ、同一物とは言えなくなる。

たとえば、全く同じ顔で、姿形は全く同じ。 しぐさ、思考方法、雰囲気までそっくりな人を作り上げることが出来たら、
それが友人や家族と入れ替わった場合、疑いもなく、まったく同じ人間に見えるだろう。
完全に共通しているため、全く同じ人間に見えるからだ。

このように、人間が存在を確認するときは、人間の知覚能力に頼っていることが分かる。
それはある特定の範囲の能力なんだよね。
つまり人間は日常生活において、非常に限定された能力で存在を認識しているということ。
能力を越える場合は、科学的手法によって、一致点を見いだすことになる。

遠くのものを確認するには望遠鏡を、微細なものを確認するには電子顕微鏡を、
あるいは化学反応を、あるいは音響鑑定、内部を透過するレントゲンなど、
あらゆる知覚能力を補う手法を用いるが、全く変わらないものが継続するという「存在」を確認するにはやはり、
「完全な一致点」を探すということだ。

もしも完全なDNAの複製が出来、その他の特徴もまったく瓜二つの人間を作ることが出来たら、もはやそれは、
同一人物そのものということになってしまう。
違う点が見つからないからだ。

552 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 11:20:41.88 ID:g4CfGPys.net
われわれは共通点というものを漠然と捉えて存在というものを確認しているんだよ。
日常生活では人間の知覚能力を使って・・・、ということは、限定された能力の中で存在を確認しているということになる。
つまり、本当に同一のものか、深いところで確認できていないということ。

もちろん、人間の知覚能力であれば、日常生活ではまったく問題なく存在を確認していくことが出来る。
より深い認識で存在を確認しようとするとDNAなどの科学的手法になるが、
それでもDNAのもっと奥深く、素粒子レベルまで見ると、全く同一とはいえない。
どこまでいっても完全な同一の確認など出来ない。

つまり、「全く同一のものが、時間を経過していく・・」ということは、ありえないということになる。
前のものと後のものは、「全く同一のものとは言えない」、ということになる。
これが諸行無常の原理だ。

われわれの世界は1秒足りとも、「存在する」ということが有り得ない。

553 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 14:10:52.66 ID:KCKtP62H.net
物が「変わる」ということは、その基点としての当初の「変わらない状態」の
存在を前提としている。常に変動している物があるとすれば、その変動している
状態が「常」である。従って、「諸行無常」という命題は誤りである。

素粒子学的には、すべての物質は、超高速で運動する総粒子の関係的集合体である。
しかし「人間には」、それが固定した実体に見える。その理由は、誰にもわからない。
そして、そのような固定の概念に基づき、人間社会も、世界も成立している。
そのことの方が、より重要で、神秘ではないか。

プラトンは、人間は、洞窟の入り口にある松明に照らされた影を見ている洞窟内の
囚人だという。しかし、人間と言う種属にとっては、その松明は絶対に見えない
のだから、考えても無意味・無駄、単なる妄想である。若しそれが見えたら、
人間としては狂気の発生ということになる。

「人間は、動物の一種属」という前提を忘れた人間を、人間界では狂人と呼ぶ。
精神病とは、「現実(即ち人間が知覚できる世界)との接触の喪失(loss of
contact with reality)」と定義される。

554 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 14:28:17.47 ID:KCKtP62H.net
時間とは、「物の変化」のことである。物を離れて時間の概念は存在し得ない。
昔は、太陽や水の動きで時間を計測した。現代では、原子の振動である。

物理的時間に対して、「心理的時間」は、単なる心理現象。時と場合によって
ばらばらだから、普遍的な基準にはなりえない。

変化している実在の「構成」は、その変化、即ち時間を止めなければ解明できない。
動いている機械は、その動きを止めなければ、その構造はわからない。

時間を否定することにより、「もろもろの実在」の構成を解明したのが、中論
である。

555 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 14:48:09.01 ID:aXOdCkHp.net
 
> 時間を否定することにより
> 「もろもろの実在」の構成を解明したのが
> 中論である

(難しくて理解できないけど、それでも、とりあえず)

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

556 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 16:14:14.82 ID:Hb3ifad/.net
>>548
そのあなたの心 からのお喋りを止めてみなはれ。
心からのお喋りを止めてみたところで、あなたは無になどならないし消えたりしませんから。
デビットカッパーフィールドのイリュージョンじゃあるまいし、何のお喋りをしてるのかと。

557 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 16:23:12.55 ID:Hb3ifad/.net
>>550
縁起は宗教的でもあり哲学的でもあり科学的でもある。
科学じゃ縁起は言わないかも知れないが因果は言うだろう?
実存の如何は常に宗教的論点の的だったろうに。
「それ」は「如何に」して「存在」し得るのか。
「想う」故に「吾」はある、問題は「想わない」ならどうか?
こんなのは常に宗教的だったろうに。

558 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 17:34:35.10 ID:Hb3ifad/.net
>>554
>時間を否定することにより、「もろもろの実在」の構成を解明したのが、中論である。

アホw
時間を否定したら縁起を否定しちゃうだろ。
縁起は如何にしても止まらないし止められない。
故に、時間を否定する事も出来ない。
また、そもそも「否定」と思考する時点で戯論。
この世界で戯論に捉われてるのは有情だけ。
天然自然のこの世界は有情が動かしてる訳では無い。

559 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 17:41:41.76 ID:NuDEEZ4g.net
生命生命と鳴く恰好鳥がいるのだが、そのおあんさんに聞きたいものよね。
人が誕生して生命を有するに至るということは、生命が死亡を相手方として存在できる
、相依性のもの、即ち縁起の所産だとすれば、生命が滅するときは相手方の死も滅することになる。
「これ滅すれば、彼滅す」というわけで。
で、結論として、生命というものは、個体的実体なものとして存在していない、とするんだよね。
そして生命とその死亡があったところには、無相、一相なものが現れるのであり、それが実体ある実相というのである、ね。

560 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 17:55:56.36 ID:Hb3ifad/.net
>>559
実体ある実相って、何?
実相は無相なのだから実体が有っちゃ無相にならないでしょ。
いいかな?
生があって滅がある、とするのが有相なのよ。
世間は真実が解らないから一応生滅を方便するけれども
実相としてこの世界は無相なのだから、本当は生も滅も有り得ないのよ。
だから中論でも冒頭に八不で不生不滅ってのたまってる訳。
人の通常の感覚では、人には寿命があって、オギャっと生まれていつか死ぬ。
そこだけで判断してしまう。
精子や卵子は無関係なのかな?
骨と灰とガスとは無関係なのかな?
確かに人間とは言えないだろうけどさ、その人間で居られる範囲だけで論じてしまうから
仏法は中々理解出来ない、故に何で不死の法と言われるのかも解らないままになってしまうと。

561 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 19:01:10.99 ID:Mxu2FoXX.net
>>558

釈迦の縁起は、時間的因果関係。忌むべき業報論を維持するための論理に過ぎない。
実在は、時間的因果関係で常に変動しているのだから、釈迦の時間的縁起では、
その空間的構成を把握することができない。その把握は、時間を否定した中論の
空により、初めて可能になる。

動いている機械の構成は、その機械を止めない限り、絶対に把握できない。

562 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 19:06:12.23 ID:Mxu2FoXX.net
>>558

「天然自然のこの世界」を認識して存在たらしめているのは、生命のみ。

生命が認識しなければ、存在するとはいえない。誰が、その存在を証明
するのか。

563 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 19:19:29.70 ID:Mxu2FoXX.net
有情の世界は、徹頭徹尾、「生存共同体」。生命は、独りでは、絶対に維持
できない。

デカルトが、いくら我ありと言ってみても、他者が彼の肉体を認識しなければ、
我は無い。釈迦が、いくら無我を唱えてみても、他者が彼の肉体を認識すれば、
我は有る。

両者とも、人間の本質としての「共同体性」に思い至っていない。

564 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 20:05:02.23 ID:s/GSw6IG.net
>>563
御隠居! さすがにそれは乱暴過ぎるだろw
>他者が彼の肉体を認識しなければ、我は無い

無人島や深山幽谷で一人過ごす者も、
「オレ」という感覚を失うことはない。

仮に、「他者の認識」よりも緩い「他からの干渉」に依存するならば、
動物がいるから?植物がいるから?
日没や気候等、外的干渉があるから? しかし、それらは、
そうした『外的刺激の感受』によって成立するよな? 違うの?
また、仮に、【そうした外的干渉に依る】のだと見做したとしても、
そうした、《干渉》《外的刺激》を、
【感受し】【情報処理し】【認識する】という行程がなければ無意味じゃないか?w
特に隠居理論でいけば。
それは、「他者が」「彼を」「認識する」かどうかとは無関係の、全くの別問題だ。

また、意識は自己フィードバックするわけで、
そこにこそ着目したのがデカルトなんじゃねーの?www

こういう隠居を持ちあげてるんだから、紐のレベルも推して知るべし、と・・w

565 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 20:32:47.86 ID:8z0ZuOk/.net
ご隠居に哲学のセンスはないよ。
哲学は書かれたテキストの内容よりも、それが書かれるにいたった
問題意識を共有していないと、そこからはなにも読み取れない。

デカルトのテキストに書かれているのは、
「疑って疑ってなお疑って、それでも疑いきれないものは何か」。
こういう問題意識が立ちあらわれる前提を感得していないと。

566 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 21:35:10.64 ID:Mxu2FoXX.net
>>564
>無人島や深山幽谷で一人過ごす者も、
>「オレ」という感覚を失うことはない。

社会にとっては、存在しないも同然。一般に、7年以上行方不明だと、失踪宣告が
出され死者扱いにされる。

「オレという感覚」が、妄想ではないという証明は、自分では不可能。

釈迦は、それは妄想だとさえ言っている。

567 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 21:38:15.19 ID:Mxu2FoXX.net
>>565

デカルトは、神の存在は疑いきれなかった。彼のコギトは、すべて崩壊。

568 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 21:59:33.44 ID:aXOdCkHp.net
 
> 釈迦は、それは妄想だとさえ言っている

  …  …  …

プルシャは永遠に変化することのない実体である
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる

我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである

釈迦は
このような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
生物(衆生)は無常である
五蘊の仮和合したものであるから

我は
(地水火風空識に依存して現れ(滅し)ている)
(仮設としての)
仮りの存在であると説いた

569 :神も仏も名無しさん:2015/12/02(水) 22:11:35.56 ID:s/GSw6IG.net
>>566
ほんと、浅いな・・。

所謂「妄想」「思い込み」「理想の投影たる生活の中の各種設定」.、
或いは(今日の相棒じゃないがw)多重人格等も、
自己意識の過剰なフィードバックに依るわけだが・・・。

>「オレという感覚」が、妄想ではないという証明は、自分では不可能
まさに、>「オレという感覚」 は、>妄想 的に、
(自己フィードバックを、その機構として)心的事象として生じるが故に、
自身では、その真偽を判別し得ないわけさ。デカルトのようにね。


御隠居・・、さすがに今回のレスは浅すぎるわ・・。

570 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 01:40:35.75 ID:jljJ4gqe.net
>>568
>五蘊の仮和合したものであるから

「仮」和合というのなら、そのほかに「本」和合があるのか?すべてが「仮」和合なら、
「仮」和合が「本」和合であり、「仮」という言葉を使うのは、無駄なこと。

すべてが「仮設」住宅なら、「仮設」住宅が、「狭いながらも楽しい我が家」である。

571 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 01:54:12.71 ID:jljJ4gqe.net
「己の我を以って無我を説いた釈迦」
「すべてを疑えと言いながら、神は疑えなかったデカルト」

世界の「二大コント」であるw。

バークリーも同じ失敗をやった。「実在とは、知覚されることである」
という名言を吐きながら、「庭の樹木が、見ていない時でも実在してい
るのは何故か」と突っ込まれて、「神が見ているから」と言ってしまった。しかし、
神は知覚できないから、実在しないはずであるw。

572 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 02:04:37.16 ID:Eqo7kXMd.net
>>511
ご隠居は実在についてどう考えますか?

>「実在とは、知覚されることである」という名言を吐きながら、
ご隠居がこれに同意されるのなら、

>「庭の樹木が、見ていない時でも実在しているのは何故か」
という突っ込みにどう答えますか?

573 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 02:46:05.88 ID:jljJ4gqe.net
>>572

いい突込みするね。感心した。

(1)人間は、己の知覚を記憶して、他者に伝える能力を有する。
(2)自分が知覚した庭の樹木は、他人を連れてくれば、いつでも同様に知覚
   できる状態にある。

そのほかに、あなたご自身の答えがあれば、教えて下さい。

574 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 03:18:07.77 ID:jljJ4gqe.net
>>573への追加

庭の樹木は、見ていない間に、ドロボー団が切って持ってゆき無くなっている
かもしれない。それでもドロボーたちは、樹木を知覚している。

575 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 03:20:41.38 ID:+m2Hi+nI.net
 
中観自立派
火にも、自相がある
誰かが
分別しても
分別しなくても、熱さや燃焼作用がある


中観帰謬派
火も、自相ではない
誰かが
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別して、その法が火として設定される

「誰も気づいていない山火事」も
いま我らによって
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別されている

576 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 03:30:20.48 ID:+m2Hi+nI.net
 
中観自立派
誰かが
分別しても
分別しなくても
ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった


中観帰謬派
誰かが
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別して
ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった
として設定される

「ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった」も
いま我らによって
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別されている

577 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 04:11:42.53 ID:52HaVKAQ.net
おじゃるは五下分結を離れられたのかな、その様に読める気がする。
それならお目出度い事だが。

578 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 05:19:21.71 ID:+m2Hi+nI.net
 
> おじゃるは五下分結を離れられたのかな

(自らを特別な存在として妄信することは)
存在しないにも関わらず
(自らを特別な存在として妄信することが)
有ると思う虚妄の執著である遍計所執性が現れ(滅し)ているので
それゆえに

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Z6RJZS8ML.jpg
朝霧の巫女 弐 [DVD] 2002/12/25
第5話  集結巫女委員会
http://www.anitube.se/video/42996/Asagiri-no-miko-05

↑これを見て『巫女さん萌え〜ッ!』という想いが現れ(滅し)ているので

五下分結を離れてない  おじゃる♪

579 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 06:18:00.08 ID:hx+bMAjm.net
>>553
あなたの言うとおり、「変動」というのは何かの「基点」を掴んでいるということだよね。
目の前のパソコンが変化していく・・・。
パソコンに基点を置くから、それが変化(変動)しているように見えるんだよ。
基点が無かったら何が変化していると言える・・・?
何もないじゃないか。

では、あなたは「変動している」と言ったが、一体「何が」?
「何が」変動しているの?
変動の主体を打ち出さないといけないんだよ。 
でないと何が変動するんだ?

じゃあ、常に変動しているのに、そんな基点が存在できると思うか?

できるわけないだろ、このうすらトンカチ。

580 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 08:00:03.69 ID:VNfnYBq4.net
君は十悪、とりま悪口。

581 :123:2015/12/03(木) 09:50:37.01 ID:qT/FZngT.net
579.
変動か。
それは外部の物理学の問題である。
旗が動くか、風が動くか。
それは外部の問題である。
それによって心が動くか。
それが不動心のの問題である。
不動心を持て。答えは簡単である。
だが実現は出来ない。
なんでか。それは物理学をやっているからである。

582 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 09:59:01.40 ID:AIqdHp8K.net
>>579
「変動」とは「固定」の相対概念。固定があるから変動がある。釈迦がいう
ように、すべてが無なら、変動の主体がない。

常に変動しているものは、変動が常態。「行くものは行かず」である。

583 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 10:13:58.60 ID:AIqdHp8K.net
>>579

変動する物も、刹那においては固定している。流れる川の水も、刹那においては、
固定した水である。

584 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 10:25:39.87 ID:4axRBhQC.net
>常に変動しているものは、変動が常態。「行くものは行かず」である。

間違ってるね。
移動する物体は「行く」でも「行かない」でもない、敢えて言うなら事実として「移動」する・してるだけ。
「行く」「行かない」「移動する・してる・しない」は物体を指してるつもりで、それは物体自体ではない。
故に、それは表象なので「何処へも行かない・移動しない」

相対概念も悪く言えば妄想の産物に過ぎないので、それは事実ではなく心上でのイメージなんだよ。
中論の去来の考察は、名色の「名(表象)」を論じていて、それはどこまで行っても妄想を事実と断定して言うから矛盾するって指摘。
我々は「色(物体)」を直に論じる事が出来ない、何故なら物体は勝義に相当するから。
言葉にだして「あれ」と指した時点でそれは「あれ」ではなくなる、と言うのが去来の考察の趣旨。

585 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 10:28:45.98 ID:4axRBhQC.net
>>583
はいダメ。
そう言うものの見方が三世実有法体恒有になっちゃうのよ〜ん。

586 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 11:00:16.03 ID:AIqdHp8K.net
>>584
人類は、その発生以来、その五感に映じる対象を、実体(実在、物質)、そう
でない対象を非実在、空想、妄想と区別して生きているのですよ。人間でない
方は、お引取りください。人間界では、話が通じません。

人間は、実在に100%依存しなければ一瞬も生きられないのだから、いくら
無を語ってみても無駄な話です。あなたが今生きている大地が無なら、あなたは
一蹴にして奈落の底です。お釈迦さんでも同じ。

この世界は、すべてが「相互依存性・関係性・相対性」(中論の空)によって
成立しています。世界をよーく観察してみてください。

587 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 13:34:36.68 ID:hx+bMAjm.net
>>582
あー、わかった。
あなたは「諸行無常」のことを、「変動」と捉えてるんだよ。

ちがう。
無常とは、「一定の固定がない」ということ。
変動の主体すらない。
主体が無いのに、何が「変動」する?
変動することなんてないんだよ。

凡夫には変動しているように見える。
そこで説法する人が、「すべて変動しているように見えるでしょ?  留まってないでしょ?
だから一定の物なんて無いんですよ。 固定された『存在』というものはないんですよ。」
と言ってるわけ。

「変動」自体が「諸行無常」ということではなくて、「変動」から「諸行無常」が導き出されるんだよ。
「変動」というのは凡夫の目に見えること。

「在るように見えるものが変動しているのは…、」 という前置きなんだよ
「在るように見える」から、「変動しているように見える」、と言ってるわけ。
「変動」という時点ではまだ物事を捉えてるんだよ。
「変動する物」を捉えちゃってる。

「在るように見える」から、→ 「変動してるように見える」 → (変動というのは時間の経過を現す。)
「生老死苦」が生じる。
「生老死」が生ずるということは、「物事が在る」と見ているからだ。
「物事が在る」と見ているから、「生老死(変動)」が生まれる。

588 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 14:06:11.78 ID:hx+bMAjm.net
>>582
「諸行無常」は=そのまま「諸法無我」ということを現してるんだけど、
「変動」=「諸法無我」ということじゃない。

「変動」はある「もの」を捉え、その「もの」の時間の経過を見ているからだ。
時間が存在するということは、時間の対象が存在するということだ。
時間の対象とは何だ?  
大まかに言ってこの「世界」だ。
「世界」は存在しない。 ゆえに「時間」は存在しない。

たとえば、「パンがカビていく」という時、「パン」という主体が「カビる」という「変動」を起こすわけだよね?
「パン」というものの「変動」を見ている。
つまり、「パン」という固定された存在を意識してるわけだよ。
前にも言ったとおり、「パン」という固定された実体は、どこをどう探しても出てこないわけ。

「パンという固定された実体」があって、それが「変動してるように見える」
その「固定が無いんですよ」、というのが「諸行無常」ということなんだよ。

なので正確に言うと、「パンがカビて(変動して)いく」 → 「だから諸行無常なんだ」 
というのは間違い。
「時間の経過」が「諸行無常」なんじゃなくて、「時間が無い」ということが「諸行無常」なんだよ。
時間があるから、ありとあらゆる「生滅」が存在する。
時間を掴むということは、存在を掴んでるのと同じ。
そして存在(固定された存在)を掴むということは、諸行無常に反するんだよ。

何物も一定した存在は無いから、何かを対象とした時間も存在しない。
「時間」、つまり、「変動」も存在しない。

変動する、しない、というのは、その対象が存在するということ。
なので、対象(固定された存在)が存在しなければ、「変動することも無く、変動しないことも無い。」 
ということになる。
「不生不滅」「不垢不淨」「不増不減」とは、対象が存在しないことを現している。
対象が存在しないものに、「変動」ということがあるわけがない。
ゆえに、もし「変動が常である」というなら、それは「諸行無常」ではない。

589 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 14:21:22.61 ID:hx+bMAjm.net
「諸行無常」=「諸法無我」=「空」=「縁起」=「中道」

ということ。

590 :123:2015/12/03(木) 16:21:59.14 ID:qT/FZngT.net
588.
対象は存在しない、か。
物理学では対象は存在する。
宗教では対象が存在しても、しなくても、どちらでも良い。
なんでか。
584のように存在を、その表彰に置き換えても良い。
なんでか。
それは、宗教は対象の問題、存在の問題ではないからである。

591 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 17:00:04.44 ID:AIqdHp8K.net
>>590

科学は、すべての生物・無生物、全世界、全宇宙を対象とする。

特定の開祖とその教義「のみ」に執着し、世界が判らなくなっている
のが創唱宗教。開祖の精神病の感染の結果としての「視野狭小」「観念の
遊戯」「論理性の喪失」の故である。

古代人の自然宗教は、生存に必要な物質的利益の追求という、「生存の
手段の一部」として発生したことを、忘れてはならない。

592 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 18:04:22.02 ID:4axRBhQC.net
>>586
>いくら無を語ってみても無駄な話です。あなたが今生きている大地が無なら、あなたは一蹴にして奈落の底です。

では聞くが、お主の眼耳鼻舌身意が情報を受けてる、その「受け」と言う感受は実在なのかね?
無を語るだの無を云々としきりに「有」を言いたがるが、その言いたがる感情・思い・意根は実在と言えるのかね?
そうやって受けた情報から起きているそのお主の所感・思いは有るのかね?無いのかね?
もし有るなら今ここで写真に撮って見せてみてくれ。
もし無いと言うならお主がレス出来る筈がなかろう?
それが中論でも仮設されてる「空」と言う事実なのだが、

>人間でない方は、お引取りください。人間界では、話が通じません。

と理解出来て無いのは中論を誤読してるからなのだろう。

>>588

>「世界」は存在しない。 ゆえに「時間」は存在しない。

諸行とはサンカーラの事を指すので世界の事ではないですよ、全く前知識が無い人にそう言って教えるのは方便として言われてきましたが
彼は多少なりとも知識があるので、ズブ用の方便では誤解が増えるだけでしょう。
存在しないとは無いと言う事になりますが、認知できる世界は有る訳でも無い訳でもないでしょう。
そして、時間とは概念ですが、これは縁起の事です。
時間でも縁起でも、存在では無いので、これまた有る訳でも無い訳でもありません。

空をお浚いしながら説き直してみては如何でしょう。

593 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 18:55:30.04 ID:4axRBhQC.net
>>591
釈尊をしきりに精神病にしたがるが、その論で大乗は該当しないのか?
統合失調などの人は、一般的には尊敬されてる偉人等をこき下ろす事でカタルシスを得るものが居る。
そう言う人にとってその行為は「安心する為の麻薬」なのだろう。
釈尊を精神病者と断定し、自らと同じ病なら自らの方が優れているのだ、と誇示をしたがる。

その薬は麻薬なので、処方箋に従う以外では控える事をお勧めする。

594 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 20:44:09.87 ID:AIqdHp8K.net
>>589
>「諸行無常」=「諸法無我」=「空」=「縁起」=「中道」

釈迦の「縁起」と中論の「空」とは本質的に異なる。世界の、特に西洋の
仏教学者の一致した見解。西洋の仏教学者は、恐らくは仏教信者ではないから、
客観的な分析が可能なのだろう。

両者を混同するから、あらゆる混乱が生じている。

「煩悩即菩提・生死即涅槃」、「一切衆生悉有仏性」、「如来蔵」、「本覚思想」、
「真如としての衆生心」、「自利・利他」などは、釈迦からは絶対に出てこない。
釈迦カルト(小乗信者)は、皆、これらの思想に必死で反対する。

大乗の発生については、シリーズ大乗仏教の、該当諸論文を参照されたし。
発生源の思想が根本的に異なっていることが理解できる。

釈迦が重度のうつ病患者又は躁うつ病患者であったことや、精神病が伝染する
ことは、精神医学の教科書を読めば自明。「一切皆苦」という強度の苦悩感や
「無」「無我」という「微小妄想」は、教科書そのまま。

595 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 22:33:09.51 ID:hx+bMAjm.net
>>592
諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?

ニュアンスとしては、「ある状態が保たれている」ということで、
複合的に要因で成り立っているものと取れる。

「複合的な要因で成り立っているもの、(状態)」ということで、別に「物体」でも、「現象」でも、「精神的働き」でも、
同じということじゃないか?

596 :神も仏も名無しさん:2015/12/03(木) 22:52:55.50 ID:hx+bMAjm.net
>>594
釈迦の縁起も「空」を表している。

だいたい、「これが有るからそれが有る」「これが無ければそれは無い」 という時は、
今目の前にある「それ」は、「これ」によって成り立っているということを表している。

「土台があるから、家がある」とすると、今そこにある「家」は、「土台」によって成り立っていることになる。

「土台」が建った後、交代で「家」が現れるわけじゃない。
簡単に言うと、「土台」と「家」でセットなんだよ。
1セットのものは全く分けることの出来ない状態を、「縁起している」というんだよ。

1 → 2 → 3 と前のものが消えて後ろのものが現れるということじゃなく、
「3」の中には[1,2]が入ってるんだ。
「2」の中には[1]が入ってるんだ。
それは切り離すことも出来ず、縁起しているんだよ。

龍樹は横のつながりを縁起とし、釈迦は縦のつながりを縁起とした。
両方とも、1つのものが別のものの原因によって支えられていて、切っても切り離せないということを表している。

597 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 00:22:34.59 ID:/23LRPCi.net
>>595
>諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?

うん、そう。
しかしいつも問題になるのはその「縁によって生起したもの」のターゲットなんだよ。
そのターゲットを、例えば「コップ」と言う対象に設定するから矛盾が起こる。
仏法はそれを言っていない。

コップをターゲットとして受け取った「感受」の方こそが言わんとしてる「諸行」なんだな。
多くの人はここを「コップ」と言う存在に向けてしまう。
仏道は「苦」と言う感受をどうしたら超克できるかを解明し尽くした方法なんだから
苦を縁起させた「わがものならざる」対象物の方は問うていないのさ。
自分にとってはそれが「苦」であっても、他の人は同じそれを「苦」とはしていない。
つまり、苦とは感受より認識され得るものだとわからないかい?
コップが苦なのではなく、コップと受け取ってから、そこから想起されたりする「何か」が苦を起こしているんだと。

598 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 00:40:32.34 ID:M5klFFSL.net
>>596

中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定して
いるのは何故か。中論は、また、「生滅」や「無」の概念も否定してる。

中論の空(空間的相互依存性、関係性、相対性)とは異なり、釈迦の縁起は「時間的因果
関係」で、忌むべき「業報論」を維持するための論理としか考えられない。

西洋の仏教学者が、「世界宗教史上稀有の例」と解釈しているのは、この相違ではないか。

599 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 00:48:48.66 ID:M5klFFSL.net
>>597

三枝氏は、「中論の空は、釈迦の縁起を換骨奪胎した」と言っているが、
この「換骨奪胎」はどの部分か?

600 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 00:50:00.81 ID:fenRpf6S.net
御隠居はミーハーだからなぁぁw
有名な誰それが言ったことだから正しい筈!とw
中村さんやら平川さんやら三枝さんやら・・。
確かに、偉大な学者さん方だが、100%錯誤がないと誰が言いきれるのか?とw
今度は西洋の近代仏教学者か・・。 誰を念頭に発言してるのか知らんがwww

馬鹿だねぇ・・。

601 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 00:57:38.51 ID:/23LRPCi.net
>>598
>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定しているのは何故か。

具体的にその部分を中論から引用してみて。

602 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:00:21.34 ID:M5klFFSL.net
>>600
>誰を念頭に発言してるのか知らんがwww

君は、日本における中論研究の基本書ともいうべき、中村元の「龍樹」も
読まないで、中論を語っているのかw。その西洋の仏教学者の氏名も国籍も、
ちゃんと記載されている。

603 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:08:14.41 ID:/23LRPCi.net
>>599
↑こっちは簡単だな。
仏法に於いて法は全て、本来は勝義なので語れない。
釈尊は迷える凡夫の目線に立って、同じ目線で教えたのだから、それは全て世俗諦を語って
教えて、行なわせる様に導いたに過ぎない。
龍樹尊者の犯した失敗は、解らせて上げたい気持ちが先に立ち、世俗諦の核心たる勝義諦を
中論で展開した事に尽きる。
ただし、中論は、例えば隠居レベルの初心者相手に論じられたのではなく、阿羅漢と呼ばれてるレベルの
連中相手にその誤謬を指摘し、徹底的に潰す目的で論じられている。
潰す相手は釈尊なのではなく、部派仏教最大勢力の説一切有部とその支持者達だった。

三枝さんは有部の教義を支持する立場なのかなw
多分そんな事は無いと思われるが、ご本人の立ち居地如何で見方も変わる事は否めないだろう。

有部の教義がそのまま釈尊の教えだと考えてる人には、確かに龍樹尊者の中論は釈尊の教えを破壊したと見えるかも知れない。

それは誤謬なんだけどね。

604 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:13:22.91 ID:M5klFFSL.net
>>600

釈迦の言葉以外は、一切受け付けない。一挙手一投足を釈迦に支配される。
まさに、イスラムテロリストの心理状態だなw。

日本の仏教は、釈迦仏教(小乗)ではなく、大乗仏教ですよ。

605 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:18:18.97 ID:/23LRPCi.net
>>604
うん、それは良いがアンタ、実際にどんな行を修行してんのさ、って話。

おじゃるが言う通り、アンタのは語るだけ知ったかなんちゃって大乗仏教なんじゃないの?
仏教は信行学の基本姿勢で戒定慧の三学を実践する方法なんだよ?

実際にアンタは何を行なってるのさ。

606 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:22:58.07 ID:M5klFFSL.net
>>605

「修行しろ」「修行しろ」って、あなたは麻原さん?w

大乗は、在家信者から発生したものだから、出家修行は関係ありません。

607 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:30:13.66 ID:/23LRPCi.net
>>606
いや、出家修行じゃなくてさ、在家仏教でも日々の勤行があるでしょうに。

ひょっとしてやってないの?
戒定慧は大乗でも言う訳で、しかも、三学は六波羅蜜の土台だよ?

どんな形式の勤行してんの?
依経は何?

608 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:37:47.05 ID:3iYudDtF.net
>>597
ちょっと違うと思うな・・・

コップは単に「物体」というよりも、勝儀では「心の作用」が作り出したもの
という感じだよね?
「心の作用」、働きそのものじゃなくて、「それによって現れているもの」ということでいいんじゃないか?
「心の作用に関係ない物体」をターゲットしているということじゃなくて、
物体自体が心の作用によって現われているわけだから、
それこそが心の作用自体ととるべきじゃ?

働き自体というと完全におかしくなるね。
人間が捕らえてる「もの自体」(物質に限らず)が、「無常」ととるべきだろうね。

609 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:44:09.04 ID:/23LRPCi.net
>>606
黙るのか。
実践はやってないから言えないのかな?
それとも依経を出すとフルボッコになる様なご信心なのか。

日本で既成仏教の信者を名乗る場合、依経と本尊で何宗か特定出来る。
宗教法人法の規定で、本尊は「何」と確定していないと法人として認められないから
少なくとも本尊に縁する経典を依経と定めて、日々の勤行を必ず行なっている、筈なんだな。

特に本尊な。
これ重要。
仏教なら本尊は大抵釈尊(釈迦牟尼仏陀)なんだが、そうじゃない宗派なら
立宗した人物などが本尊だったりする。
それだけに限らないまでも、釈尊以外を本尊に立てる宗派は全体からみるなら割りと少ない方となる。


>>608
>「心の作用」、働きそのものじゃなくて、「それによって現れているもの」ということでいいんじゃないか?

現れないでしょ、己去去らず未去去らず去りつつあるものも去らないんだから。

610 :メリークリスマス:2015/12/04(金) 01:48:16.00 ID:PybOQ4Vs.net
出家の修行と言うより選ばれる人間と言うのは
未来に楔を打ち込めるような人間なのじゃよ。

611 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 01:56:25.46 ID:3iYudDtF.net
>>598
「A」と「B 」が縁起しているというとき、「A」がなければ「B」が無いというとき、
「A」そのもの。 「B」そのもの。というのは無いんだよ。
分けて考えられないわけ。

前と同じように、『 「A」があるから「B」があるでしょ?  片方が無いともう片方が存在できないでしょ?
だから、「A」が単独で在ると思うのは間違いなんだよ。  「B」が単独で在るということは間違いなんだよ。 』
と言ってるわけ。

それを凡夫は、「家」と「土台」を別々に見ている状態なんだよ。
だからそれを、縁起の関係性を教えてるわけ。
簡単に言うと、
「これ」があるから「それ」があるでしょ?  「これ」無ければ「それ」は無いでしょ?
だから、「これ」と「それ」は無いんだよ。(単独で存在出来ないんだよ。)と、言ってるわけ。

縁起しているから空になるんだよ。
「これ」と「それ」というものは本来無い。
無いのにどうして縁起するんだ?
縁起しているものの主体が無いんだよ。

原因と結果というものも無いわけ。  なぜなら原因と結果という風にわけられないから。
原因と結果は縁起しているから。
縁起しているから、原因、結果、という個別の存在は存在しない。
だから、縁起を構成するものなんてないわけ。
あったら一つ一つ分別できることになるでしょ?

縁起と言った時点で空になるわけ。   「これ」「それ」の話は凡夫の目線で話てるの。

言葉遊びで表現すると、「二つの桃にボールをぶつけても、通りすぎていく。
だから二つの桃は幻想でしょ」 という時、「二つの桃は透過する」と言ってるときは「二つの桃」を説明してるよね?
だからと言って「二つの桃」が実在するということじゃない。
「二つの桃が透過する」 だから、「桃は実在しないんだ」 というわけ。

最初の時点で「桃がある」とする凡夫の立場に立ってるわけ。
そして「桃が無い」ということを証明しようとしてる。
あんまりこういう言葉遊びで引っかからないほうがいいよ。

612 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:02:25.49 ID:3iYudDtF.net
>>609
「諸行」というのはまだ説明前の段階。  それが「無常」である、ということ。

「A」というものが在る。 それは「幻」だ。 という時、
「A」というものが在る。と言った時点で、「いや、それは幻でしょ? 無いでしょ?」  っていうのはおかしいんだよ。

こういうのは言葉遊びで、物事の本質をよく見てないからこうなる。

「在る」というのは凡夫の目線なんだ。  それをこれから「空」であることを証明しようとしてんだ。
これはもう仏教というより、国語力の問題だよ。

613 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:03:41.96 ID:/23LRPCi.net
>>611
「吾思う、故に吾あり」をデカルトを離れて考察する事をお勧めする。

これを仏法では、

「思ってあるなら、思わなきゃ無い訳で、思いと言うのは実在ではないから、吾も実在では無い」

と観る。

614 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:05:46.66 ID:/23LRPCi.net
>>612
AだのBだの一端離れて考えてみてくれ。

>「諸行」というのはまだ説明前の段階。  それが「無常」である、ということ。

では聞くが、手で一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?

615 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:14:54.11 ID:3iYudDtF.net
あなたはね、観念論を言ってるのよ。

もしあなたの言うことが単なる観念論じゃなくて、実際に正しい経験というのなら、
言葉でいくらでも説明出来るわけ。
反対に、言葉で説明出来ない・・・ つまり、分からないから抽象的な観念論になる。

言葉の説明から逃げてはいけない。
観念論に走ると議論にならないし、何も証明しなくてもいいことになる。
証明するには論理が必要だ。
ところがあなたは、論理不足のところを観念論で補おうとしている。
それでいて、観念論によって論理が補えたと信じ込んでる。

こういうのはダメだよ。
ちゃんと説明しなければ。 (出来ないと思うけど。)

616 ::2015/12/04(金) 02:18:14.46 ID:PybOQ4Vs.net
勇気と強い意思、そして愛のある頑強な人間が選ばれる。

617 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:18:34.64 ID:/23LRPCi.net
>>615
何故逃げるのかな?

もう一度尋ねるよ。

手で一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?
ピンと来たから話を摩り替えたと思いたいが、それならそれでまた別の問題がある。

618 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:25:39.35 ID:3iYudDtF.net
>>617
あのね・・・・  

それはあなたが説明することでしょ?w

なぜ人に投げる?w

「オレは知っている。 これがお前に分かるか?」 じゃなくて、その「オレは知っている」というのを
説明しなくちゃならないんだよ。 

そうじゃないとカルト宗教の教祖になっちゃうよ。

619 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:31:31.90 ID:/23LRPCi.net
>>618
おやおや、君は仏法者ではないのか。
貪瞋癡の抑制は行の最初から行なう筈だが。

諸行とは何かって話だったろ?
釈尊は一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切だと教えた筈だが(SN.35-23)
だからこそ一切行無常=諸行無常なんだろうに

まだお分かりにならんかな?

620 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:36:08.96 ID:/23LRPCi.net
>>618
諸行の行を感受と書いたのは、それで解ると思われたからだが。
解らんならもっと詳しく言えば、六触=六根に情報が触れた瞬間に向ける「意思・注意」の事だよ。
この意思・注意が行(十二支縁起の無明の次)なのであり、それは無常だと言うのが諸行無常だ。

本当に知らなかったのか。

621 ::2015/12/04(金) 02:36:21.06 ID:PybOQ4Vs.net
神が選ぶのではなく自ら選ぶのじゃよ。
その意思を未来に打ち込めるのは自分しかいない。

622 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:44:36.73 ID:3iYudDtF.net
あなたは引用ばかりで中身がないんだよ

あなたの言葉で、あなたの理解で、ちゃんと説明しなくちゃならないの。

「一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切だ」 あなたはこれを自分の言葉でわかりやすく
説明しなけりゃならないんだよ。
ただ文章を抜き取ったってダメだ。

あなたは本質を語るようなフリをしながら、学問的な姿勢に切り替える。
学問的な姿勢というのは良すぎた言い方で、
ようは、「本にこう書いてある、ああ書いてある」、ってこと。

自分で教祖のように振る舞いながら、しかもその説明は、全くの受け売りに頼ってる。
相手がわかりやすく100の説明をしているところを、1の説明で手早く投げつける。
これは能力が無いということを現しているのと同時に、非常に自己中心的であるということを物語ってるよ。

あなたが、「自分自身がスゴイこと言えてる」と、思うことじゃなく、
相手に、「いいこと教えて貰った」 と、思わせないといけないんだよ。

相手に評価されないと何にも価値がない。
「自分が理解しているか」、より、いかに「相手が理解できたと思うか」が問題なんだよ。

自分満足で相手が不在じゃないかい?

623 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:45:21.64 ID:3iYudDtF.net
>>622は >>619に対して。

624 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:52:12.73 ID:/23LRPCi.net
>>622
>「一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切だ」 あなたはこれを自分の言葉でわかりやすく

解んないの?マジで?

だから尋ねたでしょう?
一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?

音は直ぐ止むでしょう?パン!って一発なんだから。
止んだらもう聞こえないでしょう?ぱーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・
って鳴りっぱなしなんですか?違うでしょう?
これが諸行無常(サビィサンカーラアニッカー)って事なんですよ。
サンカーラって行と訳されるけど、それは注意とか意識とか行なう切欠になる動機の先端の事ですよ。

625 ::2015/12/04(金) 02:54:32.22 ID:PybOQ4Vs.net
神との共同作業で未来を切り開く人達の事を選民と言うのではないでしょうか。

626 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 02:58:52.65 ID:/23LRPCi.net
>>622
それともう一つ。
君は議論とは云々と書いてるけどね、対人論証し始めたらそれは詭弁だよ。
議論する気ならね、詭弁はダメでしょうに。

627 ::2015/12/04(金) 03:23:11.26 ID:xDD7QOoY.net
プルス-ウルトラとは

http://getnews.jp/archives/946001

628 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 03:55:18.47 ID:3iYudDtF.net
>>624
最初からそう主張すればいいのに。

そのような主張もせず、ただ「これはどうなる?」じゃ、議論でもなんでもないわ。
そういうのは議論でもなんでもなく、教師の生徒に対する態度だろ?

誰も教師と認めていないにもかかわらず。

それから、対象の「もの」がターゲットじゃなくて、「意識の働き」がターゲットなんだ、
ということになると、「意識の働き」というものが単独で存在することになるよね?
つまり、「対象物」が心に飛び込んでくるんじゃなくて、こちら(意識の働き)が対象物を作り出してることになる。
これはこれでいいんだけど、ということはどういうことになるかというと、

たとえば、「後ろを振り返ったら、木があった」という場合、「振り返ったらターゲットが心に飛び込んできた」、ということじゃなくて、
振り返るときの心象も、振り返った時の景色も、全部自分がその場で作り出してることになる。
つまり、自分が振り返ってるんじゃなくて、前回が自分の周囲を回ってることになる。

バーチャル映像に喩えると、自分はその場で動かないまま、後ろを振り返っている・・・ ということだけども、
それは旬旬刻々と自分が振り返る映像と身体の感覚を作りだしてるってことになる。

ここで問題なのは、それを諸行無常ということにしてしまうと、諸行無常と諸法無我の説明に違和感が出てきてしまう。
「諸行無常」は「常に一定の形は無い」ということを説明しているわけだが、

「心の働き」、「思考」、「思い」が常に一定じゃないのは当たり前だよね?
「想念が常に変動するから、常住のものはないんだ」じゃ、話にならない。
想念の変動と見えてるものは、直接的には関係ないからだ。

たとえば、自分の心の働きが変動しても、物体にはなんら影響はないのは明らか。
サイズを測って心の変動に応じて変化しているかっていうとそうではない。

629 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 03:58:24.58 ID:3iYudDtF.net
>>624
ちょっとレス間違えたw  
上のレスの角度からじゃなくて、こういう角度の方が分かりやすい。

もっと簡単に言うと・・・、  音が鳴り止んだら常住でしょ?
わずかな間でも常住を認めていることになるんだよ。  わからないかなぁ〜。

「鳴り止む」ということは、「始まり」と「終わり」が存在することになるんだよ。
なぜか・・・?
それは「音」というものの実体を捉えているからだ。

鳴り止むというのは、「パンがカビていく。」というのと同じ。
パンも音も、時間の経過が生じている。  時間の経過が生じるということは、それだけ、「常住の存在」が継続するということだ。

あなたは、音の大小を問題にしてるだろ?
音に大小はあっても、「その拍手の音」という風に
捉えているわけだよね・・・?
つまり、音が大きかろうと、小さかろうと、最初に打った同じ音と捉えているわけだ。
じゃあ、音の大小に関わらず同じ音とするのは、どうしてだ?

最初の大きい音と、最後の小さい音と、同じ音だとするならその音の全く同一に変わらない本質を出さないといけない。
つまり、時間的な継続を前提にすると、逆に「変わらない実体」を証明する必要が出てくるんだよ。

もう一度言うと、諸行無常に「音が止む」ということはない。
つづいていた音(の実体)が無いからだ。
これが諸行無常の原理だ。

詭弁は君のほうだろw  勝手に自分の論を証明もせずに押し付けといて。

630 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 04:36:49.32 ID:M5klFFSL.net
>>609
私は、宗教が人間にもたらしている巨大な害悪に鑑み、人間にとっての最上位
次元である生命の視点から、宗教を批判している。仏教徒などであるわけがない。

修行というなら、釈迦のようにスジャータの乳粥一杯で止められる、趣味、お
遊びとしての修行ではなく、生存努力という選択不能な大修行を行っている。

自由意志を持つ大の大人でありながら、現代の小学生ほどの知識ない大昔の精
神病の1個人に一挙手一投足を支配される。人間にとってこれほど恐ろしいこ
とはない。宗教観念によって、生来の人格が変容され、現実感覚と社会常識と
が破壊されるため、全世界規模の殺戮だけでなく、家庭においても、家族の一
員が宗教に嵌ると、例外なく家庭が破壊されているのが実情である。

人間は生物の一種属に過ぎず、他の生物と同様、人間がこの世に生まれたこと
の唯一の目的は、只ひたすら「生きる」ことである。動物としての人間にとっ
て、心とは状況に応じて肉体を維持するために、肉体から生じる機能に過ぎない。

人間が動物の一種属であるという生物学的事実をすっかり忘却し、心を心の
ために使うことは、心の目的外使用、心の濫用、心のオナニーであり、人間と
して全く無意味で有害な倒錯に過ぎない。

科学がいかなる宗教の奇跡も及ばぬ巨大な発達を遂げた現代において、宗教ほど
時代錯誤で無意味で有害なものはない。まさに人類に残る唯一のがん細胞である。
創唱宗教以外の人間の努力が、すべて「よりよき生存」に向けられてきたと
いうのに、争いあい、殺しあっているのは、生存に無関係な宗教と宗教に起因
するイデオロギーだけでないか。

この時代錯誤の宗教の撲滅こそ、人類が次世代に対して負う喫緊の責務である
ことを、人類史的に自覚すべきである。

631 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 05:03:33.83 ID:/23LRPCi.net
>>628
>振り返るときの心象も、振り返った時の景色も、全部自分がその場で作り出してることになる。

そうだよ。
だから唯識は心と言う仮設を認めない中観とは別に、心と言う仮設を仮に認めて発展したんでしょ。

>つまり、自分が振り返ってるんじゃなくて、前回が自分の周囲を回ってることになる。

でも君の解釈だと↑で既におかしい。
何故自分が設定されてるんだい?
自分と呼ぶそれも、と言うよりそれ自体の仕組みを観察するのが仏道だろうに。
その立ち居地ならば自分と思っていたその実感も思いも現象なので
その自分なる設定も一端解除して観察できなきゃダメだろ。

君は仏法者じゃないんだね。
知識が無いなら無いなりに、砂漠の砂の如き吸い込みがあれば良かったのに、
君は自分の考えが大事なんだね。

頑張ってくれたまえ。

632 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 05:05:46.20 ID:/23LRPCi.net
>>630
ああそうなんだ。
経典だのその解説書だのを読んだだけで鵜呑みにして批判してるんだね。


うん、頑張ってくれ給え。

633 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 05:21:33.91 ID:M5klFFSL.net
>>632

>経典だのその解説書だのを読んだだけで鵜呑みにして

それがまさに創唱宗教のことだろ。私は、その宗教を、人間の最高次元と
しての「生命」の視点から批判している。

634 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 05:29:43.37 ID:/23LRPCi.net
>>633
>私は、その宗教を、人間の最高次元としての「生命」の視点から批判している。

君が当にその創唱宗教の一つになってるじゃないかさ。
こうしてカルト宗教は作られると言う見本かな、大川さんとこみたいな。

635 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 05:41:29.27 ID:M5klFFSL.net
>>634

生命は、創唱宗教とは異なり、人間が作ったものでも、人間が対象化できる
ものでもない。

それでいて、宗教を含む人間の「すべての営みの根源」である。死者には、
一切が不可能。

636 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 06:01:33.43 ID:/23LRPCi.net
>>635
>生命は、(中略)宗教を含む人間の「すべての営みの根源」である。

立派に創唱者として見解をお述べですが?w
中論のどこに生命肯定なんて書いてあるのか 教えてくださいな。
それと

>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定しているのは何故か。

が具体的にどこの事かも教えてくださいな。
そしたら

>中論は、また、「生滅」や「無」の概念も否定してる。

も意味も通るかも知れませんよ。

637 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 06:35:14.43 ID:3iYudDtF.net
>>631
分からない人だなぁ・・・w
君は自分で墓穴を掘ってるんだよ。

変化を観察する「主体」というものを作ってる。
「もの」を作り出す主体をさ。

「心の働き」が無常ということは、「心の働き」が「変化していく」ということだ。
「心の働き」は様々に変化するが、「心の働き」というものがあるのは確かだよね?  あなたの言い分だと。

「心が現象を作っているだ、心という主体が、現象を見せているんだ」、っていう、
よくある主張だよね?
『「心の働き」が無常』という言い方を君は、『「心の働き」が常に変化している。 だから無常なんだ。』としているよね?

物質も何もかも、心の働きが見せているものであって、それは幻だ、
常に揺れ動く心の働きが『在る』だけだ。 ←こういう風に主張しているわけだよ。
つまり君は、「心の働きという実体があって、それが全ての物を見せている」と解釈しているわけだ。

何を言ってるんだ君は・・・・。
「心の働きが無常」ということは、「心の働きが常に変化する」ということじゃないんだよ。
「心の働きという(継続する)実体が無い」 ということだ。

あなたの言う「諸行無常」では「諸法無我」にならないぞ。
なぜなら全ての変化の中心にある「心の働き(我)」を持っているからだ。

とんでもない間違いをしているぞ、君は。   本質の教えからハズレまくってる。  仏教を学ぶことが逆に弊害を起こしてる。
もう救いようがないレベルだ。  もったいない・・。

638 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 07:00:01.14 ID:3iYudDtF.net
上から目線で教祖ぶる態度。
諸行が「心の働き」という、最初から妙なはなし。

『「心の働き」が作り出したもの。』というんなら分かるけど、「心の働き」ってなんだよ?w
しかも、その『「心の働き」が無常なんだ』と来るw

「心の働き」が無常だったら、心の働きはねーだろうにw  心の働きがねーから物質もねーんだよw
『心の働きで物質を見てるから、物質に実体は無い』、じゃねーんだよw

何が「拍手の音がすぐに鳴り止む」 だよ?w  おまえの「心の働き」は
鳴りっ放しじゃねーかwwww
これで偉そうな態度とるって、よっぽどアホだぞ。
ただの虚栄心の表れだ。

だって、自分が正しいと絶対の自信を持つのは、ただしい理論を得るからだよ。
間違った理論のまま自信なんて持てるはずが無い。
自信を持つほど追求したっていうんだったら、ここまで外れた理屈が持てるはずがない。
かならず途中で間違いに気づくからだ。

こういうのはよくあるんだよ。  自分がスゴイ人だと思いたい人。
能力や理論を越えて、正しい立証が成されないまま、「私はよく知っている」とでしゃばる人。
穴だらけの理論で、デカイ面してしまう。

あなたは分を弁えろ。  二度とおかしな理論を吹聴せず、
他の人の意見に耳を傾けろ。
だいたい、質問を一方的に投げかけて偉そうな態度を取るって時点で、
もうおかしいと思ったわ。

あなたの理屈では何も得られないよ。  何も足しにならない。
あなたは心の働きが常に変化しつづける状態で、ずーっと世界を見続けるんだよ。
音が鳴り止まないわけだ。

639 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 07:04:34.48 ID:3iYudDtF.net
許せんな  ただ虚栄心のみで相手を振り回す・・・・

自己愛性人格の典型じゃないか。

640 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 07:26:29.16 ID:3iYudDtF.net
>>631
>でも君の解釈だと↑で既におかしい。
>何故自分が設定されてるんだい?

おまえが「心の働き」という主体を設定したんだろうが?w
自分で自分のことをおかしいと言ってるようなもんだぞ。

ほんとにバカみたいな幼稚な理屈を振り回しやがって。

641 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 07:33:59.21 ID:/23LRPCi.net
>>637
>つまり君は、「心の働きという実体があって、それが全ての物を見せている」と解釈しているわけだ。

憶測で勝手論をぶちまけてますよ君は。
六処という入り口から入った情報に「触れて(触)」「感受」した。
これが六処→触→受の流れです。
心なんてどこにも介在して無い訳です。
何を言ってるんだ君は・・・・。

>「心の働きが無常」ということは、「心の働きが常に変化する」ということじゃないんだよ。

心って何の事ですか?チッタですか、フリダヤの事ですか。
心って実在してるんですか?少なくともわたしは心を前提に書いてませんよ。
何で心に固執し始めたんですか?
君は「自分」と呼ぶそれが本当はどう言うことなのかに迷っているんじゃないんですか?
それ故に
>「心の働きという(継続する)実体が無い」 ということだ。

と言葉では理解してるつもりだけど、敢えてもっと詳しく解説できる人を探しているんでしょう。

どうですか?
教えて欲しいなら吝かではありませんよ。
その前に、ダラダラ駄文を書くのも何とかしてくださいね。

642 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 07:36:19.95 ID:/23LRPCi.net
>>640
>おまえが「心の働き」という主体を設定したんだろうが?w

どこで?

って言うか貪瞋癡も制せないのかな?
憤ったら負けだと思われます、仏法に無理解と言う意味で。

643 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 07:45:42.53 ID:/23LRPCi.net
>>640
ああわかったw

>>597に対して>>608の君が勝手に「心の作用」って言い出して始まってるね。

相手が言ってない事を勝手に設定押し付けて論を進めるのは「わら人形論法」って詭弁だよね。

良くないなぁそういうの。
だからこちらは気を使って、余計な話は飛ばしてレスしてあげてるのに、
君は自分の論法で墓穴掘ってるんだよ。

644 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 08:24:01.45 ID:3iYudDtF.net
>>641
アホだな・・・  おまえが曖昧な言い方をしてるから、あえて「心の働き」としたんだよ。
仮に名称を作ったんだよ。
おまえの言ってることが支離滅裂だからさ。

>六処という入り口から入った情報に「触れて(触)」「感受」した。
>これが六処→触→受の流れです。

これが現象を見せてるんだろ?w
おまえはこれを『在る』とやっちゃってるわけ。
ところが釈迦はこれを12縁起で、『無い』としているわけだよ。

おまえは『在る』としてるんだよ。
これは非常に致命的、というか、バカなんだよ
こんな仏教あるかw

それをお前は言葉に拘って、内容そっちのけで突っかかって来てんの。  自分が説明を曖昧にしたにも関わらず。
こういうのは全く自身の理解力がの無い人がやることだよ。
内容が無いから言葉で突っかかるしかない。

645 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 08:26:06.78 ID:3iYudDtF.net
もう一度言うけど、「ものの変化を見る(覚知する)主体は無い」ということ。
「六処→触→受の流れ」 というのが無いんだよ?  わかる?w
なぜだかわかるか?  縁起しているからだよ。

おまえはそういうものが『在る』と思ってる。  本当にバカだよ・・・。
それがすべての物を見せてるんだと。  生み出してるんだと。

生み出すことなんて無いだろ?  その流れが何かを生み出すというなら、生滅が存在することになるぞ?w
その流れが縁起しているから、流れを構成するすべての (個々の)ものが無いということだ。
その流れを構成するものに実体が無いということだ。
その実体の無いものがすべてのものを生み出してるから、生み出されたものは存在しない、ということだ。

おまえの言ってるのは、「生み出すものが在って、生み出されるものが幻だ」、って言ってるんだろ。
だったら、生滅が存在することになるじゃないかw
バカじゃないか?

その流れが提示されているのは、「本来その流れというのは縁起していて、存在しない」ということを証明するためだ。
「こういう流れが確かに在ります」ってことじゃねーんだよw

根本的に「空」も「縁起」も「中道」も何もかも分かってねーだろ。
こんなことでは何を説明しても墓穴を掘るだけだぞ。

諸法無我も説明出来ないだろ。  なんたって最後に「その流れ」が存在するって言ってるんだからなw
たとえ幻想でも在るとしたら終わりだ。
幻想が生み出されるということは、幻想という生滅が存在することになる。
そしてその幻想を生み出す主体が存在することになる。

646 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 08:33:07.42 ID:/23LRPCi.net
>>644
>おまえはこれを『在る』とやっちゃってるわけ。

またわら人形論法ですか。
在るってどこで言いましたか?
全ては空な筈ですが。

故に

>ところが釈迦はこれを12縁起で、『無い』としているわけだよ。

も違いますよね。
「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本体ではない」と釈尊なら言いますから。

ついでに、「わたしはない」とはわたしも釈尊も言ってない訳です。
すべては縁起して起こる空なる事実なんですから。
あるでもないでも言い切れないんでしょうに。

647 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 08:45:56.89 ID:/23LRPCi.net
>>645
以後、喧嘩腰を改めないおつもりなら謹んで止論させて頂きます。

648 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 08:48:57.89 ID:/23LRPCi.net
>>645
あ、あと、わら人形論法は論破したい人が必死になって行なってしまう姑息な手段です。

人としてどうかと疑念を禁じ得ません。

649 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 09:27:01.89 ID:3iYudDtF.net
>>646
あらら、遂にまた無説明を始めたな・・・・
あんたさっきからこっちにばっかり説明させてんのよ。
こっちの方があんたのところまで引き下げてやってる。 降りて行ってるの。
あんたの何倍も説明してんだよ。 物分りの悪いあんたのために。

それでお前のやることは何だよ?  ただ「これを説明しろ。 これはどういうことか?」って、てめーの質問をぶつけてるだけだ。
ここに傲慢な姿勢が見えるのよ。
「オレは完全に分かってる。 お前は分かってない。」「ホラ、これはどう見る?  おまえが正解を語れるかどうか、俺が見てやろう。」 ってね。
「オレの正解」とはおまえの身勝手な妄想だ。  理論なんてもんじゃない。
てめーの身勝手な妄想を人に叩きつけといて、自分中心の思い通りに行かせようと思ってる。
議論も何もあったもんじゃない。
ここはお前の妄想をかなえるスレじゃないぞ。
いいかげん、自分のレベルを弁えろ。

あと、「無い」というのは分かりやすいように便宜的に言ってるだけだぞ。
お前は空や縁起を理解出来てないから。

おまえは

>すべては縁起して起こる空なる事実なんですから。
>あるでもないでも言い切れないんでしょうに。

こういうことを言いながら、「常に変化する流れがある」としてるんだよ。  わかる?
その「流れ」が全ての幻想を作りだしてるんだろ?

口では空空言いながら、実際は「在る」と言っちゃってるのよ。
そもそも最初のスタートが、「全てのもの」がターゲットじゃなくて、「流れ」がターゲットに
なっちゃったからおかしいのよw
しかもおまえの場合、そのターゲットであるはずの流れが消えないのよ。  空にならない。
なぜなら、その流れがないと、すべての物が空にならないから。

おまえの場合、流れが実在しないと、すべての物が空にならないのよ。
もしも流れが空というなら、「幻想を見ているものがいない」ということが分かるよな?
おまえは「空(幻想)」を見るものがいると思ってるのよ。
すべての物は「流れ」が見せているんだと。

650 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 09:28:47.46 ID:3iYudDtF.net
>>646
すべてが空なら「すべて」がターゲットになるはずだ。
「流れ」をターゲットにするからおかしくなる。
しかもお前は、「流れ」を諸行無常のターゲットとし、流れの「変化」=「無常」として誤魔化し、流れ自体を無常とせず、
変化する実体を残してしまった。
固定した存在が0.1秒も続かないという無常の意味がわからないから、無常というのを「変化」と受け取ってしまった。
それだと物が変化するだけで、物が空にならないから、どうしても物を空にするために、
受け取り側をターゲットにした。

おまえの論理では物がなかなか空にならないので、どうしても「流れ」で打ち消す必要があったのよ。
だからどうしても、おまえの場合は、すべての物を空にするために、「流れ」を実在にする必要があるわけ。
「流れ」がないと全てが空にならない。
「流れ」が無かったら困っちゃうわけだ。
すべての物を空にする物がないから・・・。

あほだな・・・ すべての物を空にする必要はないんだよ。  何かを変える必要はない。
そのままで空なんだよ。 そのままで空ということを証明しなければならない。
空を作り出すんじゃない。
「流れ」によって空を作り出すんじゃない。

おまえは元々論理的にすべてのものをそのまま空にすることが出来なかった。
なぜなら洞察力が無かったからだ。 それがお前の限界だったからだ。
しかしそれを何とかしようとして、空にするものを引っ張り出して来た。
正しい論理を当てはめることが出来ずに、自分で勝ってに作った論理を当てはめたわけ。

651 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 09:40:11.07 ID:/23LRPCi.net
ペラペラよく喋る割には中身が無いよね。

何、俺様が正しいんだからお詫びしろって言いたいのかな?
>>597に対して>>608でわら人形論法カマした時点で終わってるんだよ君。

君は空だと言っている、わたしも空だと論じている。
何か問題があるのかね。
空はきみのものではないだろう、故に君の論に従わねばならない決まりも無い。
双方が空だと言っているのだから、空の意味が分かってるならそれ以上議論する理由も無いだろう。
で、極論すれば空を証明するにはその空も空じる以外に無いだろう?

中身の無いお喋りはやめて、不放逸に為すべきことを励むべきだろ。

652 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 09:59:30.87 ID:3iYudDtF.net
空にするものを引っ張り出してきたから、空を生み出すことになったんだよ。
生滅を作り出したわけ。
あらかじめすべての物が「空」なんじゃなくて、おまえの場合作ったんだよ、空を。
常に変化しても消えないから。 すべての物は。

おまえの場合、すべての物は変化しても消えない。 ただ変化するだけでいつまで経っても消えない。  空にならない。
そこで幻想(空)を作り出す「流れ」を持ってきたんだよ。

おまえは、すべての物が変化するということは、物の状態が変化すると考えていて、物自体がつづきながら変化していくと思ったわけだ。
そして、「諸行」を「すべてのもの」としてしまうと、「すべてのもの」が変化していくだけで、「空」にならないから、
「諸行」を別のものにする必要があったんだよ。

しかし、すべてのものを「空(幻想)」にするために「流れ」をターゲットにしたら、
逆に「流れ」だけがあるといいことになっちゃう。
「流れ」があればすべての物が空になるわけだから、ことさら「流れ」に「無常」をつける必要がない。
『「諸行無常」である。 だから世の中空なんだ。』という説明を、『「諸行」だから世の中空なんだ』で、終わってしまう。
何も「無常」をつけ加える必要がないw

逆に無常を付け加えてしまうと、「流れ」が消えてしまって「幻想」を作るものが無くなってしまう。
こういう矛盾を引き起こしてるのよ、おまえは。

653 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 10:03:17.73 ID:/23LRPCi.net
>>652
残念だったね、せっかく教わるチャンスだったのに。
君は人に教えを請う姿勢ではないよね。
なので、その俺様理論の変てこ空で行けばいいさ。
わたしは四大教法に照らして行くから心配ないよ。
今日はまた新たな珍説がご開陳されたんで照覧の甲斐もあるw

まあ、全部ボツだ罠w
珍説だもん君のは。

654 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 10:13:43.55 ID:3iYudDtF.net
>>651
中身が無いのはお前のほうだろ?w

>わたしも空だと論じている。

どこが空なんだよ?w  苦ぅ〜の間違いじゃないか?w

では「流れ 」自体が無い(空)ということを認めるんだな?
おまえの場合、「流れ自体」が「空」なら、すべての物を「空」に出来んぞ。
なぜならお前の理論では、「すべてのものは変化するだけで、存在するから」だ。w
どこで空になるんだ?w
空の理屈が無くなるだろ。
おまえがよりどころとした、「流れ」が空なんだからな。

いい加減諦めろ。   おまえの論理ではいつまで立っても「すべての物」は「空」にならないんだよ。
なにしろ、変化しながらつづくことになっちゃうんだから。
それだからこそ、幻想を見せてる「流れ」を持ってきたのに、それが「空」ということになれば、一体何が空にするんだ?w

さっきの拍手と同じじゃないか。
音がパンと始まって鳴り止んでいく・・・・。  鳴り止むまで音が「ある」じゃないかw
おまえはこの「音がある」という事実をどうしても論理的に空に出来ないから、ターゲットを流れに摩り替えたんだよ。

655 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 10:18:41.10 ID:3iYudDtF.net
>>653
とんでもないヤツだわ〜w、こりゃw

頭が悪いやつが学を修めるとこうなるw  こういうのがたくさんいるんだよ。
いい話があると、自分も出来ると思っちゃう。
それは学があればあるほどなお更、自分が出来る能力があると思っちゃう。

出来るのはその人の能力なんだ。  表面的に治めた学じゃない。
そこを間違えてはいけない。

学は道具だ。 その道具を使えないやつが振りましたって、組み立てるものをメチャクチャにするだけだ。

656 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 10:35:53.36 ID:/23LRPCi.net
>>654>>655

君の書き込みはプロファイルさせてもらったよ。
今後のバカ対策のためにね。

>いい加減諦めろ。   おまえの論理ではいつまで立っても「すべての物」は「空」にならないんだよ。

空にする必要がどこにあるんだい?
いつからこちらが「空にする」と摩り替わってたのかな?

諸行って世界とか世の中の事だと君は考えてるんだろ?
それだからいつまでも空性が理解できずに変なお喋りが止まらなくなるんだよ。
もう一度言うが、一切行無常の一切とは十二処の事だよ、んで行(サンスカーラ)が十八界の事だよ。
つまり、十二処十八界は漏れなく無常で恒常じゃないって言う意味だよ。
だから、一切が空と言えばそれは眼耳鼻舌身意に情報を受けて成り立つ感受や意識(及び無明行識名色六処触受愛取有生老死(+愁悲苦憂悩)全て)が
固定した実体の無い空性だと言う意味になるんだよ。
そもそも釈尊は一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切として全てだと教えてる。
そこに世の中とかリンゴだとかコップだとかは二の次の話になるんだよ、仏教ではね。
すべては五感と意識とで認知されるのがこの世界だろ?違うのか?
それ以外で一切を立てて一切を言うものは中身のない事しか言わないとさえ断じられてるよ。
認知は外に無いだろ、自己が認知するんだから。
どうして外に求めるのかよく考えたほうが良いよ。

657 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 10:40:58.11 ID:/23LRPCi.net
>>655
仏道の目的を書いてごらん。
散々ペラペラ駄文書いてくれたんだから簡単だろ?

あと、仏法の大意も書いてごらん。
わたしより詳しいんだろ?簡単だよね。

さあ、賢いところを見せて貰おうかw

658 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 19:11:08.16 ID:3iYudDtF.net
>>657
こいつはとんでもないやつだわ。 

>>597
>>諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?

>うん、そう。しかしいつも問題になるのはその「縁によって生起したもの」のターゲットなんだよ。
>そのターゲットを、例えば「コップ」と言う対象に設定するから矛盾が起こる。
>仏法はそれを言っていない。

>コップをターゲットとして受け取った「感受」の方こそが言わんとしてる「諸行」なんだな。
>多くの人はここを「コップ」と言う存在に向けてしまう。

「縁によって生起したもの」とは、この世界のすべてのことだ。
それはコップであり、リンゴであり、感受作用であり、あらゆる主体であり、客体だ。
それらすべてが無常なんだと言ってる。
だからこそ、十八界であり、無明行識名色六処触受愛取有生老死(+愁悲苦憂悩)の全てなんだろ?

「六境」というのは感受作用の対象だろ。
まさに、今われわれが接している、この世界のすべてのことだ。
「生老死」も、「感受作用」の対象だろ。

おまえは矛盾したことを言ってるのよ。  こういうのを「ウナギ論法キチガイ編」という。
無常(空)のターゲットは感受作用だと言いながら、「いや、コップなどの対象をターゲットにするからおかしくなる。」 という。
もう支離滅裂だろ。
何が、>「仏法はそれを言っていない」、だ。

おまえは最初、「縁によって生起したもの」の中で、「感受作用」こそが無常のターゲットだと言った。
ちがうだろ。 おまえはバカか?w
この考え方だけで、おまえがさっぱり「縁起・空・無常」というものを理解していないのが分かる。

「縁によって生起する」ということは、イコール=「無常」なんだよ。」
「縁によって生起」したものの中から、「無常であるもの」と、「無常でないもの」が。
分かれるわけないだろw

659 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 19:44:05.87 ID:aUK3C45s.net
>>658
>「縁によって生起したもの」とは、この世界のすべてのことだ。

いや、違うな。
生起したのは目や耳や鼻や口や触覚や意識に起こった感受だろ。
お前はそれを世界だと考え認め鵜呑みに信じたに過ぎない。

>それはコップであり、リンゴであり、感受作用であり、あらゆる主体であり、客体だ。

お前はコップなのか?リンゴなのか?感受作用なのか?
お前は主体なのか?客体なのか?
何の話をしているんだ?

>それらすべてが無常なんだと言ってる。

それらってどれらだ?
お前の言う世界は五感から得られた情報じゃないのか?
それは神経を伝う電気信号だが、お前はそれを疑うどころか考慮にすら入れていない。

>だからこそ、十八界であり、無明行識名色六処触受愛取有生老死(+愁悲苦憂悩)の全てなんだろ?

十八界って何のことだ?

660 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 19:44:47.50 ID:3iYudDtF.net
もしも「感受作用」のみがターゲットで、「感受作用の対象」がターゲットじゃないとすれば
「感受作用」がいくら無常であっても、「対象」は関係ないということになる。
「感受作用」だけが「幻」で、物質は空にならず、実在しつづけるということになる。

もしも、「いや、感受作用が、リンゴやコップなどの幻を現しているんだ」 というんなら、
「感受作用」は幻の製造の道具のようになって、実体化しないといけなくなる。

もしも、「いや、感受作用も、その対象も、空なんだ。」というんなら、
「感受作用」のみをターゲットにして、「リンゴ」や「コップ」などの「対象」をターゲットにしないのは矛盾していることになる。

おまえはここで>>631  
>「何故自分が設定されてるんだい? 」 
と言いながら、>>624←ここで、「拍手の音を聞く自分」「音が鳴り止むのを聞く自分」というものを作ってる。

>一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?
ってw 
音を聞いてる主体と、「音」という客体が、無常で空になることなく、つづいている(存在している)じゃねーかw
一発拍手の音を聞いて常住も無常もあるかw
音も無ければ聞くものもいねーんだよ。それが無常だ。
「一発の音」と「拍手を聞くもの」を生み出しといて、何が無常だよw

「一発の音を聞くものがいたら、無常ではありませんよねえ?」 というんならわかるよw
一発の音を聞いて、しかもそれが鳴り止むのを確認してるわけだから、「非無常の主体」有りまくりじゃねーかww

こいつが悪質なのは、論理の中でぴょんぴょんと都合よく立ち位置を変えてること。
このウナギ論法をやるやつをときどき見かけるよね。
こういうやつは、深い意味をわからずに、知ったかぶりをしようとするやつに多い。
これを相手にしてると大変なんだよ。
相手の異常性にこちらが合わせなきゃならないから、キチガイ度が上がれば上がるほど、相手の異常に付き合って深く理解しようとしなくちゃいけないから、
どんどんこっちが説明が困難になってくる。
それでいてこういうキチガイは、自分できちっと説明するより、ただ安易なウナギ論法で相手を揺さぶり続ける。
こういうのは議論の中でもっとも悪質なんだよ。

661 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 22:58:59.09 ID:NyQ1mzLu.net
簡単に揺さぶられるんだねw

662 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 23:05:58.84 ID:ox1fP4dA.net
>>660
>「感受作用」のみをターゲットにして、「リンゴ」や「コップ」などの「対象」をターゲットにしないのは矛盾していることになる。

リンゴやコップは苦なのかな?
仏教の目的は、リンゴやコップの素性を知る事ではなく、苦の超克だったろう、違うのかな?

663 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 23:19:41.93 ID:BsU5N85S.net
12支縁起の最終は、要するに妄想の最終ということだよね。
そこで妄想から解脱して居ない人は、さらに輪廻を妄想するんだよね。
そして死後輪廻の世界に生まれ変わる妄想を起こすんだよ。それを繰り返すことになるのよ。

無明を脱する人は、もうその輪廻を繰り返さないのだ。

輪廻の妄想を起こす人はまだいい方で、輪廻すら妄想しないで、単に亡霊として漂うほどのことしか妄想できない人は、
その通りの死後に残るんだよ。

だから、せめて死後の妄想をするにしても、阿弥陀仏の教えにできるだけ従う方がいいということになるね。

664 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 23:25:50.06 ID:e74rdNHd.net
>>636
>>生命は、(中略)宗教を含む人間の「すべての営みの根源」である。
>立派に創唱者として見解をお述べですが?w

人類史的な「事実」を述べただけです。死者にはいかなる営みも不可能です。
例外が、唯の一つでもあれば、挙げてください。

人類、いやすべての生類にとって、その発生以来、唯一の普遍の「宗教」は、
「生存(生存本能、生命)」です。だからこそ人類は、今日迄営々として存続し、
ますます増加・発展しているのです。「一切皆苦」が真実であれば、人類は
とっくに消滅していたはずです。どんなに小さな動物でも、捕らえようとすれば
必死に逃げます。だまって捕らえられる動物などいません。

>中論のどこに生命肯定なんて書いてあるのか 教えてくださいな。

「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」(中論22:16)

「生類の本性」は、「生命」以外にはあり得ません。また中論は、「世間の一切の
慣習」と「物質現象」とを、「無条件の前提」としています。「世間の一切の慣習」
に反することを、何度も戒めています。「世間の一切の慣習」とは、「衆生の生存
努力」であり、「物質現象」は、生命の維持に不可欠です。

個の生命も、万物・万人との相互依存性・関係性の下に存在していることは、
日常生活をちょっと振り返っただけで判ることです。

>>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定
>>している、
>が具体的にどこの事かも教えてくださいな。

その「明示的否定」は、仏教学者の常識のはずです。中論第一章は、「もろもろの存在」と
いう言葉で始まります。中論は、「もろもろの存在」の構成原理を解明しているのです。
第一章を理解すれば、中論全体の理解が可能になります。「存在」ですから、「無」や
「無我」が介入する余地は、初めからありません。

665 :神も仏も名無しさん:2015/12/04(金) 23:36:49.14 ID:3iYudDtF.net
>>661
アホばっかりで疲れるわ

>>662
アホか・・・  何も分かってないじゃん、仏教というものが・・・  はぁーー

素性を知るんじゃなくて、物事を分別することが「苦」なんだよ。
物事を個々に捉える分別。  良し悪しなのど価値判断。
すべて、「我」(主体)が働いてるからこそなんだよ

我(主体)があるから対象が生じる。
我が無ければ対象(分別)が生じない。
まさに、この分別を起こすものこそ、「苦」の原因なわけ。

苦しみはどうやったら消える?  苦が無くなれば、楽になるのか? ちがう。
苦楽を超越したときにこそ、苦しみ(価値判断)は無くなる。

苦楽の超越(価値判断の超越)とは、どちらにも付かない(価値判断の働かない)中道ということだ。
中道 = 無我 = 苦楽の超越 ということ。

>仏教の目的は、リンゴやコップの素性を知る事ではなく、苦の超克だったろう、違うのかな?

全然、苦の原理がわかってないじゃん。

666 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 00:22:32.50 ID:3G77wuBT.net
>>665
>我(主体)があるから対象が生じる。
>我が無ければ対象(分別)が生じない。
>まさに、この分別を起こすものこそ、「苦」の原因なわけ。

まず、苦の原因は煩悩の筈だが?
リンゴやコップの件はどこへ行ったのかな?

660 名前:神も仏も名無しさん [sage] 投稿日:2015/12/04(金) 19:44:47.50 ID:3iYudDtF [22/23]
>「感受作用」のみをターゲットにして、「リンゴ」や「コップ」などの「対象」をターゲットにしないのは矛盾していることになる。

リンゴやコップは我ではないし、分別でもない罠。
分別しているのはリンゴやコップではないだろ?
お前が分別するからリンゴやコップなのだろ?違うのか?
リンゴやコップが苦を生んでるとでも言いたいのか?違うだろ?
苦を生起させるのはあくまでもお前自身の勝手な妄想からだろ。

667 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 00:25:51.86 ID:3G77wuBT.net
>>665
>苦楽を超越したときにこそ、苦しみ(価値判断)は無くなる。

ほう、苦楽をどうしたら超越出来るのか語ってもらいたいが、

>苦楽の超越(価値判断の超越)とは、どちらにも付かない(価値判断の働かない)中道ということだ。

だと言うらしいw
超越してるっていうのかどっちにもつかないことをw

668 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 00:30:07.36 ID:3G77wuBT.net
>>665
一つ教えてやる。

苦と言う極端も、楽と言う極端も選ばないのが中道なのだが、
お前の様に中道に固執する事も一つの極端となるのでそれも中道とは言わない。

669 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 01:23:28.45 ID:kgYqOJLL.net
「苦」を「苦と思わない」方法は唯一つ。己の「我(生命)」を、「我を忘れて」
ひたむきに生きること。苦を、己の生命の危険に対する警告として、感謝して
受け入れ、その克服のために、苦と真正面から対峙して「闘う」こと。

釈迦の、「苦からの逃避」や「無我」は、常に苦や我を意識・分別するから、
苦や我は、却って強化される。全くの誤り。

人類のこの巨大な文明は、すべて、苦との闘いの成果である。

670 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 03:25:14.09 ID:clY2jArH.net
>>666
(笑い)  

煩悩とは何が発するの?   煩悩の元は何なの?   それは「我」でしょ。

12縁起でも「我」の生起が表現されてるでしょ?
我があるから分別が起こるんだよ。  そしてその分別こそ、煩悩と言えるわけ。

言ってみれば、煩悩の中にも「リンゴ」も「コップ」もおよそ認識対象になるすべてが入ってるのよ。
ようは「分別」が「煩悩」ってこと。
その「分別(煩悩)」を越えるための教えなんだ。仏教は。

>リンゴやコップは我ではないし、分別でもない罠。

リンゴやコップは分別の対象だろ?   分別があるから「コップ」は「コップ」
「リンゴ」は「リンゴ」と捕らえるわけだよ。
分別が無かったら「リンゴ」という実体は捕らえられない。

「リンゴ」を捕らえるということは、苦や楽を捉えるのと同じなんだよ。
いずれも分別が働いてるからだ。

>超越してるっていうのかどっちにもつかないことをw

あのね・・・ バカでも分かるように最大限言葉を駆使してるんだよ。
ほどほどにとか、極端を選ばないとかじゃあ、まだ両極を気にしていることになるんだよ。
それでは一般的に使われる中庸ということになっちゃう。
いいか?  極端を選らないじゃあ、極端を気にしながら中間を求めることになるだろ?
中道ってのは中間じゃねーぞ。
正確に言うと、左も右も中間もねーんだよ。
それを越えるんだ。
あっちだ、こっちだ、あっちこっちの真ん中だ〜 っていう左右への捉われを越えるんだよ。

>>668
オレが中道という言葉で捉われないのないことを示しているのに、おまえは中道に固執するなといいながら、極端を選ばないという両極に固執する主張をしてんじゃねーかw
支離滅裂とはこのことなんだよ。
これは全く教えの中身が論理的にわかってないからこうなる。

671 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 03:44:02.86 ID:clY2jArH.net
>>669
釈迦のは「苦の逃避」じゃないんだよ。
むしろ、「苦との一致だ」。

対象と一致したところに「苦」があるか? ってこと。

自分の周りを回ってる苦から逃避したり、消したりするんじゃないんだよ。

風と一致したところのどこに風速を感じる?  一致したら風速100mでも無風だろ。
どこに風速があるんだ?

自分がそれそのものになり切るということは、「我」があってはダメなんだよ。
「我」がある分だけズレが生じる。

旗が自然に揺らめいてるとする。
旗に我があったらギコチなくなるだろ?  自然のありのままからズレてるからだ。

ああでもない、こうでもない、という思いから解放されれば、左でも右でも自由に合わさるだろ。
左に揺れるのに右に行きたいって思う我があるからズレが生じるんだよ。 そのズレた分だけ、「苦しみ」に変わるんだよ。

左右気にせずっていうのは、我(分別)が無いということだ。
分別がないから逆に、左でも右でも自由に動けるんだよ。
自然のありのままとピッタリ合ってズレることがない。

究極の生命というのはこういう自然のありのままそのものだ。
「我」は自然の生命からズレを生じさせる。

我が無くなったらロボットのようになると思うか? ちがう。 自然のそのままの働きになるんだよ。
それが「道は常に無為にして、而も為さざる無し」ということだ。

生き生きとはためいてる旗を見て、「我」があると思うか?

672 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 05:16:44.16 ID:kgYqOJLL.net
>>671
>むしろ、「苦との一致だ

苦は、初めから我(生命)と一致している。苦も煩悩も生命(我)の証。だから
こそ釈迦は、「無我」という「分別」と「仮構」で、苦から逃れようとしてい
るのだろ。

「苦との一致」など、全く矛盾している。

673 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 07:05:24.95 ID:LdIDgg5W.net
>12縁起でも「我」の生起が表現されてるでしょ?

我の生起wwwwwwwwwww
ついに隠居の生命論をも超えたwww

>>671
>むしろ、「苦との一致だ」。

苦は遠離するべきもので四つの真理の一つなんだが?wwww

もはや手の付けられない珍説のオンパレードwwww
隠居よ、笑っていいぞ、隠居がまともに見えるww

674 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 07:08:36.47 ID:2DmU2drC.net
ID:3iYudDtF = ID:clY2jArHは自己愛性人格障害

675 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 07:19:50.71 ID:sK7ARQNJ.net
 

>>1

何も「無」いのではない。
主観と客観の対立がない、心を迷わすものが無いことを
全てが平等であること

肉体的苦痛は肉体に留めることを。
第二第三の矢を受けない
心まで脅かさないことを


 

676 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 07:28:24.93 ID:sK7ARQNJ.net
 

> 中道

概念化自体が間違っている
平均を取ることでも、道の中央を歩くことでもない

同じ概念化なら無住の方が叶っている
どこにも住まない
「執着をしない」という言葉ももはや軽すぎて素通りするようだ




 

677 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 07:46:45.03 ID:sK7ARQNJ.net
 
ほんらい、念(心の働き)は真如の働き
だけど、それは諸刃の剣だった...
ように見えるけど、それも真如の働き

諸佛世尊唯以一大事因縁故出現於世


 

 

678 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 11:53:53.32 ID:xg1aDBk9.net
>>1
紐氏は納得がいくまで諦めるべきではない。

実相と言う真実在は、無の塊と考えて、それは一切を支配しているので、勝義諦というのであるが、
好むという将棋隊は、永遠の昔から、永遠の未来に渡り、その姿、働きを変えることは不可能な存在で、
今も、勝義諦に反抗して、何かがある、これがある、あれがあると考える凡夫に、障害を与えて気づかせているのである、
というべきものだ。

679 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 13:21:49.51 ID:xg1aDBk9.net
>>664
> >中論のどこに生命肯定なんて書いてあるのか 教えてくださいな。

「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」(中論22:16)
・・・・・

16.如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界も本質をもたない。

上のように書いているものを発見したが、これによると、生類などとは言っていないし、後に続く説明がある。
世間とは決してチミのいうように「生類」と限定した意味ではないことは、常識ではないか?
天台は、世間を、衆生世間、国土世間、五蘊世間の三つに分類している。そして、これは竜樹に起因しているのだ。
だから、竜樹は、チミのいうような「生類」に限定していないというべきだろう。

そしてこの三世間が、本質を持たないというのだ。本質とは、我と言う意味だろう。つまり諸法無我ということだ。

680 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 13:35:17.80 ID:xg1aDBk9.net
>>664 つづき
そしてチミと違う中論22の16によれば、如来は本質をもたづ、この世界も本質を持たないと言い、
この意味は、如来そのものは、本質=我を持つものではないと同じに、この世界も本質を持つものではなく、
この世界は諸法でできているが、真実には如来と同じに本質を持たないものである、と言っている。
チミの生類に当てはめても、生類は本質を持たない、と言っていることになる。

681 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 13:43:52.83 ID:xg1aDBk9.net
>>664 つづき
>>>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定
>>している、
>が具体的にどこの事かも教えてくださいな。

その「明示的否定」は、仏教学者の常識のはずです。中論第一章は、「もろもろの存在」と
いう言葉で始まります。中論は、「もろもろの存在」の構成原理を解明しているのです。
第一章を理解すれば、中論全体の理解が可能になります。「存在」ですから、「無」や
「無我」が介入する余地は、初めからありません。
・・・・・
もろもろの存在には「無我」の介入する余地がない、という解釈の主張のようですが、
中論が、もろもろの存在は縁起によって存在しているというのが竜樹の解釈主張であることこそ、仏教学者の常識なのだと思う。
そして縁起による存在は実体のない幻であるというのだ。つまり縁起によって存在してるものには、
本質が無い、無我である、これが諸法の本姓である、実相である、という解釈と言うべきではないか?

言葉の表現については、世俗諦に従わなければ、ならない、とはチミも認めるだろう?

682 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 15:24:01.51 ID:vWgZtThv.net
釈迦がいくら生命を否定してみても、その否定も、彼の生命(我)の機能。
彼が死ねば不可能。自殺でさえも、生命の力を要するw。釈迦がいくら無我・
無我と足掻いてみても、己の生命(我)の否定は、絶対に不可能。

否定しきれない我(生命)を否定しようとする「無我」は、人為的な仮構・
分別の典型。

「世間」とは、「衆生の生存努力の世界」である。「国土」が無ければ生きられない
し、国土を認識するのも生命である。五蘊がなければ生きられない。五蘊は、
生きていることの証(証)。天台さんは、中論をよく理解しておられる。

釈迦の時間的縁起(因果関係)は、忌むべき「業報論」を維持するための論理
なので、使うべきではない。中論の空(相互依存性・関係性・相対性)を使う
べき。中論が、釈迦の縁起を換骨奪胎したとは、この意味である。生命も、両
親の相互依存の結果であるw。その関係性は、「父母未生以前」にまで遡る。

要するに、釈迦の「無我」「無」は、彼の勘違い、うっかりミス。いつまでも
執着して、彼の恥をさらし続けるべきではなかろう。

683 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 15:30:13.21 ID:vWgZtThv.net
>>682の訂正
×(証)
○(あかし)

684 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 16:28:29.49 ID:sK7ARQNJ.net
 

>>682

縁起(釈迦の覚りの原点)を因果関係だと誤解していて釈迦を知ることはできない。

縁起は因果関係ではない。


 

685 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 16:50:08.88 ID:clY2jArH.net
>>673
アホだな、あんた

上の方については説明がないから問題外として、

「苦との一致」との言葉をそのまま受け取って、「苦の遠離」と返してくる・・・・
自分の低いレベルで相手の言うことを決めつけ、それに対して嘲笑するような態度を取る・・・・

こういうやからが学があって頭が悪くて自己中心の典型なんだよ。
バカじゃないか?w

「苦との一致」というのを言葉通りにとる頭しか持ってないのか?w  子供かよ?w

「苦との一致」で何を言ってるか読み取ってるか?  ボケナス。
「苦の遠離」と言ってるだろ?

何が四大真理だ、人の言葉もまともに解釈できないアホが。

おまえの頭の中では、「苦と一致したら苦が無くならないじゃねーかwwwwww」 ってことだよな?ww
頭わりぃ。  反吐が出るよ。

686 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 17:12:05.16 ID:clY2jArH.net
>>672
>苦は、初めから我(生命)と一致している。

もちろんだ。 苦はおろか、楽も「我」と一致している。
だが、「生命」と一致しているというのはどうかな?

悟った人は苦を超越してきたよね?
釈迦はもちろん、龍樹もだ。

あなたの言ってることは「苦を越えるには自殺しかない」って言ってるようなもんだ。
もちろん、そう言ってるんだろうけど。

いいか、『苦は「我」と一致している』ということに異論はない。
「苦」はおろか、「楽」も、「長・短」も、「大小」も、およそすべての分別もだ。
だからこそ、「我」を越えなければ「苦の遠離」はないんだよ。

「越える」というのは精密に言うと、「無くす」ということじゃないぞ。
「無くす」じゃ「無くならない」んだよ。  本当に「無くならない」。
「有る・無し」を意識している以上、本当には無くならないんだよ。

非常に簡単にいうと、「無くす」じゃなくて、「どちらでも構わない」ということなんだよ。
それが「越える」ということだ。
「苦の滅」とは凡夫の立場で言ってることだ。
正確に言うと、「苦に捉われない」ということ。

「雨が降った、あ〜嫌だな、 晴れた、あ〜いいな、」 という、価値判断が「苦」なんだよ。
雨でも晴れでもどっちでも気にならない。  晴れは晴れでいいし、雨は雨でいい、っていう態度をはたから見てとってるような状態を、「苦の滅」(苦楽の超越)というんだよ。
「苦楽の超越」とは「二元性の超越」だ。  「二元性の超越」とは、「分別」を越えること。
「分別を超える」とは、「我」を越えるということだ。

あなたは「無我」という言葉が嫌いなら、「我を超越する」という言葉に変えたほうがいい。
しかし、あなたは「我」を越えること自体、嫌がるだろうな。
だったら、「スーパー我」という言葉を当てはめたらどうか?w

「分別」の無い、ただ自然な純粋意識だけのある「スーパー我」だ。

687 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 17:15:27.98 ID:clY2jArH.net
>>673
このアホさ加減・・・  
そういえば、むかし、「バービー人形」とかいう
ちょー頭の悪いやつがいたなw

こういう頭の悪い状態は救いようが無い。
なんたって、自分の低いレベルの頭で全ての物事を考えて判断し、反論・主張してくるから。
深い洞察もなく、ただ表面的な低いレベルでの理解しかない。
こういうのを本当に「愚か者」という。

688 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 19:32:25.23 ID:xg1aDBk9.net
>>684
縁起とは現代的にいうと因果関係のことと解されてきたんじゃないのか?

どういう根拠で、縁起は因果ではないというのか?

689 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 19:34:23.08 ID:xg1aDBk9.net
>>684 つづき
裁判で縁起したものだから、被害者加害者の実態はない、として却下を求められそうに思えるが、どうなんだろう?

690 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 20:01:58.66 ID:B/eRIzdw.net
>>688

釈迦の縁起は、時間的因果関係と解される。さもなければ、「業報論」が成立
しないからである。

中論の空は、原因・結果を認めない、空間的相互依存関係である。だから業報も
否定される。

両者は、根本的に異なる。

691 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 20:36:30.89 ID:sK7ARQNJ.net
 

>>688

因果とはひとがこれが原因でその結果があれという判断に基づくもの。
ものごとをそれだけで片付けてしまうことを無明という。
その無明を破ったのが釈迦

 
 

692 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 20:53:41.61 ID:sK7ARQNJ.net
 

凡夫は世界を因果でみる => 怒り、欲、苦悩

仏陀は縁起でみる => 寂滅

 

693 :神も仏も名無しさん:2015/12/05(土) 23:55:12.70 ID:/EI7LIlN.net
横から一言。

「苦との一致」は、禅家に於いては骨子、要、肝だわなw
倶底和尚の公案に参究してみるといいwww

694 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 03:36:41.36 ID:PWk39x/K.net
>>686

苦は、究極的には、生存の危機に対する生命の警告。「どちらでも構わない」
ことではない。

例えば、釈迦のようなうつ病の場合、約15%が自殺する。釈迦が自殺しないで
済んだのは、彼が素人療法であれ、苦を克服するために努力したからである。

病気に「苦」がなければ、病気に気付かず治療の機会を逸し、最悪の場合は
死に至る。人間のすべての苦は、理由無く生じているのではない。

「どちらでも構わない」ことなら、何故、仏教徒はそれほど熱中するのかねw。

695 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 11:50:50.03 ID:W9gw+AaH.net
>>686

「我を超越する」のも我の力だろ。何を寝言言っているのか。やはり気違いか。

「あるがままの我」を受け入れるのが仏法のはず。「超越してはならない」
のである。座禅でも、しっかりやれ。

「仏道とは、己を習うなり」(道元)。

696 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 14:34:02.52 ID:zTPO99ZW.net
己が無いのに何を習うのか?w

697 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 15:43:25.59 ID:M4wiFCh6.net
こいつ>>695、ホント墓穴ほり放題だなww

698 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 16:11:07.11 ID:yT+yG+Ef.net
>>696
試しに、銀座の路上で、釈迦のように、「この私はありません」と喚いてみ。

サイレン鳴らして救急車(パトカーではないw)が来て、最寄の精神病院へ直行。

699 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 16:59:48.49 ID:aHuNIAYn.net
紐は日蓮教徒じゃないのか?
その連中が侵入してるんだよ。
彼らにとってはゴータマは捨てるべきものだからね。

700 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 17:08:56.62 ID:aHuNIAYn.net
やりたい放題だよ。日蓮教徒は。

701 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 18:07:25.98 ID:CzNP3NyZ.net
つまり
テキトー
に生きろっていうことだ

702 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 19:57:52.71 ID:aHuNIAYn.net
創価の戸田城西は獄中で法花三部経のうちの経典を読んで、
「仏とは生命のことだ」と悟ったということだが、日蓮の題目に加えて
生命論を宗旨に追加してるのだろう。

戸田の生命だという意味もまたゴータマの知見には合わないと思う。
日蓮の題目連呼の効果が妄想であったと認めない訳に行かないので、生命に
宗旨を事実上変更してるんだろうね。
しかしそんなものは真実真理には直結しないと思う。
その生命が問題なのだから。

生命を直接干渉するのは現代医学だ。

703 :神も仏も名無しさん:2015/12/06(日) 20:48:59.54 ID:8x8oco/K.net
>>702

戸田は教育者だったから、その教養故に、生命という「人間の究極」に思い至った
のだろうね。

釈迦・イエスを含む創唱宗教の開祖は、すべて精神病者だから、知能が低く、
「観念の塊」で、「究極」には思い至れなかった。

人類の発生以来の、唯一の普遍の宗教は、「生存」であることに気付け。古代人の
自然宗教は、どのようにして発生したかを学ぼう。

宗教の起源はアニミズムであるというのが、宗教学での定説。

釈迦やイエスには、アニミズムや生存の欠片もないな。あるのは、生存を忘却した
精神性と妄想のみ。ここから、創唱宗教の病理が発生した。

704 ::2015/12/07(月) 02:49:20.88 ID:hTtTKHFG.net
卒業しながら書くのも気が引けるが〜w

やはり隠居氏の立ち位置が最もが好ましいというのは変わらない。

セブンやパーピマンは同類でありこれらに共通するのは「自分を頭の良い
人間であり他は自分以下〜」と見下している事だw

まさにこういう点が俗中の俗なのだが〜w
その俗こそが仏教の範疇なのだが非俗、反俗が仏教〜等と反転した事を言うのがダメだろうなあw

仏陀の苦行は途中でついえてスジャータの乳粥で苦行は終了したw
苦ではなく楽でもなくその間を行くのが中道であり、仏教の根幹だ。

繰り返し「我は無い」と言う「我」は明確に「有る」なww

705 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 03:19:33.64 ID:m35IyhpN.net
>>679
生類の本性には「これ」と指摘出来て永遠に変化も消滅もしない実体の様なものがない。
そう言う実体と呼べるものなど有り得ない事実こそが本性なのだよ。
言い換えれば、本性がないのが生類なのであり、生類には本性などない。

如来はそれと同じだと言うなら、如来にも本性と呼べる実体らしきものが無い事になるんだからそうなのだろう。

生命?などと固定して名付けるのはお主の願望に過ぎないと言えるだろう。
もし、願望ではなく事実だと真実だと言い張り、それを承認して欲しいならば、それが渇愛なのであり欲なのだよ。

有るでも無いでもない空は、思考している内は概念なのでそれは空ではない。
空と言う思考の結果すらも空じた境地を、何がしかの本質なんだと言いたいなら上記の限りではない。

但し、生命などと言う本質論的固定観念は我執の肥やしにしかなり得ないだろう。

生命論は甘え。

706 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 03:22:33.71 ID:m35IyhpN.net
>>704
>苦ではなく楽でもなくその間を行くのが中道であり、仏教の根幹だ。

間じゃないんだなぁw
お馬鹿さんには無理だろうけど。

707 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 03:28:35.27 ID:m35IyhpN.net
>>704
>繰り返し「我は無い」と言う「我」は明確に「有る」なww

お前みたいなバカは「我は有る」「我など無い」と言いたがるんだよw
有ると認め知れなきゃそれはあると言えるのか?
無いと認め知る事が出来ない場合ならそれは無いと言えるのか?
有る筈なのに感知できなかったらそれは有るのか無いのか?
感知できてる筈なのに所在が確認できないものは有ると言えるのか?

中道は「非有非無の如し」なのであり決して「非有非無」ではない。
この理屈が理解できないお前はセンス無し。

708 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 03:59:29.15 ID:qfCXF0pZ.net
釈迦の「無い・無い思想」は、彼の重度のうつ病の症状としての「微小妄想」
(コタール症候群)。

健常者(生活者)が大真面目に問題とすべきものではない。問題にすると、
釈迦のうつ病が感染する(感応精神病)。

精神科医は、患者からのこのような精神病の感染(逆転移)を、極度に
警戒する。宗教信者は、精神医学に無知なため、警戒が無さ過ぎただけである。

709 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 04:02:31.60 ID:Za4aeb1W.net
>>708
君は精神病なんだね。
だから分かったんだね。

710 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 04:08:52.39 ID:HBlwTarL.net
日蓮信者は境智冥合信者なので無我が理解できない
仏教をパクったアドヴァイタヴェーダーンタを更に悪くパクったみたいなのが日蓮教
紐も隠居も日蓮教信者と同じ事しか言ってない

711 :神も仏も名無しさん:2015/12/07(月) 18:15:30.11 ID:TAHTHJfr.net
仏教やシャンカラの教えをパクったのならまだ救いようがあるが、
日蓮創価は、仏陀という名称をパクっているだけなんだ。

自分が仏でもないのに、仏だと自分から吹聴し、しかも、他者に強要しているのだ。

これって最悪じゃない?

712 :神も仏も名無しさん:2015/12/08(火) 08:09:31.63 ID:xQRsmGjW.net
非有非無という説明があるがこの意味を、あるかないか判らないという風に解釈してるものもの居るようだが、
この意味は、無としてもなく有としてもない、という意味であると思う。
判らないのではなく、非有非無として認識で来たという意味だろう。
妄想を惹起させるための説明ではないのではと思う。

713 :神も仏も名無しさん:2015/12/08(火) 10:05:04.41 ID:DjiGnHrh.net
もともと非有非無と言うのは、

有/無の二つと
有であり無でもあるの三つ目と
有に非ず無に非ずとの都合四つの四句分別の一つを言っている。

四句分別はその名の通り、分別するから成り立っている。
人は人である限り分別思考を以って様々なものを知り認められる。
しかし、「非有非無の如し」と言う場合それは「思考外・分別外」の事を指したいが
分別外の事を指定する事が出来ないので、仕方なく「如し」と言うのである。

分別外の事は指摘も指定も出来ないのである。
分別の外に位置するそんなものを言い出すのは仏教の出世間のこと。
世間と言うのが思考分別の上に成り立っている概念なのであり
無知のものにはこれが全然理解できない訳だが、特に何でも「有る」と思いたい欲界専従者には
殊の外出世間が意味不明となるだろう。

714 :神も仏も名無しさん:2015/12/08(火) 21:26:07.47 ID:t27wGDhP.net
>>713
人間は、世間に100%依存しない限り生存できない。釈迦も、世間から
お布施をもらって生き延びるために、「出世間」を説いて回ったw。

715 :神も仏も名無しさん:2015/12/08(火) 21:40:08.25 ID:t27wGDhP.net
>>705
>生命論は甘え。

生存は、甘えどころか、選択不能な大修行。スジャータの乳粥一杯で止められる
釈迦のお遊び、趣味、娯楽ではないw。

釈迦は「一切皆苦」とまで言ってるではないかw。

しかし彼は、生存努力という大修行が足りなかったから、「苦あれば、楽あり」、
「楽あれば、苦あり」という「真理」が悟れなかった。

716 :神も仏も名無しさん:2015/12/08(火) 23:02:43.38 ID:Y+FkMBgd.net
仏経徒は世界はどのような生じると考えているのか?
縁によって生じたり滅したりという説明を聞いたことがあるが、
そもそも縁とは何で、どのような性質のものなのか?
縁はどこから、どのように生じたのか?
宗教論争のためではなくて、純粋に仏経徒が世界がどのように生じるか、どのような説明をするのかに興味がある。

717 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 02:28:46.75 ID:VwCB2ASV.net
>>715
苦というものがあるならここに出してみろ。
お前は世間とは何の事かが分かってない。
人において苦とは何かが分かってない。
何故なら苦とは真理だからで、お前はそれが何の事だか分かってない。

生命論は甘え。

718 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 02:33:26.67 ID:VwCB2ASV.net
>>716
君が言う世間とは、一切の事である。
君が一切を認め知るに至るために使われているそれが一切なのである。
その一切以外に世間は有り得ないし、世界も有り得ないと言えよう。

719 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 06:25:28.56 ID:J85bXJKh.net
無明によって行がある。
気がつかないからね、笑

720 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 08:21:37.45 ID:Ni1gp+ng.net
 

苦は人智による副作用。人を破滅さたり死に追いやる程の威力を持つ。

試験に合格することを望み努力すればどうなるか
お金が儲かることを望み努力すればどうなるか
結婚して子が生まれることを望み努力すればどうなるか
世間から賞賛を浴びることを望み努力すればどうなるか

試験に合格すればどうなるか
お金が儲かればどうなるか
結婚して子が生まれればどうなるか
世間から賞賛を浴びればどうなるか

苦は自分ならざるものに依拠することで生ずる

人智を働かせる限り苦は影のように付きまとう

 
 

721 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 09:17:43.37 ID:L3zwVZSl.net
>>718
そしたら、その一切というのは何なの?どのように、なぜその一切は生じているの?
極々一般的な感覚で考えると、一切を認め知るために使われているそれとは意識であり認識であり、知性であり、五感であると思うのだけど、それでは全く説明になっていなくない?

722 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 11:43:38.95 ID:uxImkXri.net
>>719
その行って行為を生み出す意志作用をはじめとするさまざまな「心的作用」の事だからね。
行いに必要な動機の事だと言えば分かるかな?
無明から行・識・名色までは意識レベルの話で一セットな。

723 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 11:52:24.34 ID:uxImkXri.net
>>721
>そしたら、その一切というのは何なの?どのように、なぜその一切は生じているの?

音や匂いや味や色彩や感覚やイメージが、聴覚や嗅覚や味覚や視覚や触覚や意思に触れて生じてるんでしょ。
感じられただけのものは感じられただけのものと出来るならば、それはそれだけのものとなる。
しかし通常は、そこに感想が差し込まれて一切世間の認識が確立する。
であれば、それだけのものとは成り得ない。
それが普通に考える世間のあらましなんでしょ。

724 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 12:02:12.43 ID:L3zwVZSl.net
>>723
要するに、客観的な五感の対象があり、それを感じる五感も存在するという極々当たり前のことを言っているのだと思うんだけど、
その五感が感じている客観的実体はどこから、どのように生じたの?

725 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 12:08:33.01 ID:NEHIfp5v.net
このスレに幻想を作り出す心的システムが確かに実在すると言ってる
オカルチストがいるから注意ね。

726 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 13:08:14.73 ID:+LFG81WO.net
>>724
つ幻肢

つ共同幻想
つ国家

つ水槽に浮かぶ脳
つマトリックス

727 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 13:53:11.43 ID:L3zwVZSl.net
全ては心から発生しているという説があるのも知っているけど、それは共同幻想とは違うと思うんだよ。
なぜなら、その心は表層意識のみを指しているのではないから。
仮に世界が心的なもので、心から世界が発生しているにしても、単純に縁といったものから偶発的に世界が形成されているとしたら、
それは土の塊から偶発的に生命が誕生したとする唯物論者とそんなに変わらなくない?
仏経は創造主のような存在を全く想定していないの?

728 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 14:27:56.58 ID:+LFG81WO.net
>>727
(条件整った中、牛乳かきまぜてたらチーズができちゃうようにw)
生命の誕生が「偶然」でないとしたら何なのさw

誰かが何かをさせるために生み出したとでも?
そういうのは旧約聖書の中だけでお腹いっぱい。

まあね、人間は、(その健全な精神的成育のために、(特に幼少年期は))、
自分の存在に意味があることを必要とするからね・・。
大人になってさえ、この世の中で自分は何を為(成)すべきか?に思い悩むしね。

けど、人間は、何か大いなる目的の為に生れてきてるのかねぇ・・。
宇宙征服とか?www

729 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 17:16:53.02 ID:L3zwVZSl.net
自分も旧約聖書に出てくるような人間くさい神が世界を創造したとは思わない。
自分の勝手な考えだけど、インド哲学の無限の存在であるブラフマンを前提とした場合に、無限なる存在の一側面として、たまたまこの世界が有ったというならある程度納得できる。
その考えでいくと、心しか存在しないという仏教の一派は心こそが無限の創造者だってことになるの?
自分勝手な解釈じゃなくて、伝統的、正統的な仏教の教えではそのあたりどうなのよ?

730 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 18:58:52.52 ID:+LFG81WO.net
>>729
>仏教の一派は心こそが

そうだよw
だから、100人居れば100通りの、1万人居れば1万通りの世界が存在するわけ。
『その中の、「どれが、唯一真実の、(実体的な)、現実に唯一存在する」《世界》』であるか、
君はどうやって判断(結審)するんだい?

731 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 19:44:54.83 ID:+LFG81WO.net
若人欲了知三世一切仏応観法界性一切唯心造

732 :神も仏も名無しさん:2015/12/09(水) 20:50:52.77 ID:+LFG81WO.net
「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花」

さて、正体は本当に枯れ尾花だったのだろうか・・?

733 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 01:34:48.99 ID:5atfyMSJ.net
>>724
>その五感が感じている客観的実体はどこから、どのように生じたの?

五感が感じられたその実感を我々は「実体」の様なものと考え、それを「心」と呼称しているに過ぎない。

734 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 01:36:55.08 ID:HT5BuwxN.net
おれの財布は無の境地にある。
ゆえにおれの財布はお釈迦様。
ゆえにお釈迦様が扶養費用を払うべき

わかったかね?

735 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 01:48:40.48 ID:5atfyMSJ.net
>>727
土の塊を土の塊と認識できなかったなら、それは土の塊と言えるだろうか。

>仏経は創造主のような存在を全く想定していないの?

何でも作れる創造主なるものがもし「有る」なら、有るという以上それは有限であろう。
有限と言う事は永遠不滅ではない訳で、創造主と言えどもいつかは朽ちることになる。
創造主がもし不在なら、どうして世界を作れるだろうか。
仏典ではこの問題をこう説く。

「業報有りて而も作者無し(第一義空経)」

736 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 01:55:12.31 ID:5atfyMSJ.net
>>729
>心しか存在しないという仏教の一派

そんな派は存在しない。
仏教では心も仮設に過ぎず、識るものが識らぬものと話を合わせる為に用いているに過ぎない。
三世心不可得、なので心と言うものはどこにも実在しない。

737 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 03:34:23.14 ID:bDtPak6X.net
感情のことでしょ。
実在してるじゃんかw

738 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 04:31:00.76 ID:5atfyMSJ.net
感情が実在と言えるなら写真にとって見せてみてくれないか。

739 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 04:59:34.95 ID:bDtPak6X.net
写真に撮れないと存在しないのか?
悲しみを知らんのか?

740 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 05:20:05.01 ID:isoQFXLt.net
>仏教の「無い」志向は間違いではないのか?

カルト力学社会じゃない志向は間違いだな

741 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 05:59:47.11 ID:2TnuO5JX.net
>>739
悲しみの正体って何?
結局それも苦なんだけど

742 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 06:11:46.01 ID:0MEjdAnz.net
http://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/topicks/article_thumb/8054_original.jpg

743 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 07:10:22.63 ID:lY898orF.net
学校・職場・ご近所に潜む人間関係破壊モンスター

自己愛性人格障害の特徴
・自分が間違ってると言う発想がない人、謝れない人、他罰的な人
・良心の痛みに苦しまない人
・人の悪口や批判が大好きで生きがいになってる人(相対的に自己価値を高めるのが狙い)
・階級意識の異常に強い人
・自分を棚に上げる人、自分を客観的に見る能力が欠落している人
・身近な友人や家族を罵倒する人
・自分が加害者なのに被害者ぶる人、相手を加害者に仕立て上げる人
・不自然な言い訳や嘘を繰り返す人
・差別的な人
・人の不幸や失敗や欠点で満面の笑みを浮かべる人(さらに目の瞳孔が開いてる快楽的表情、又は子供のような無邪気な笑みだと要注意)
・初対面や目上や強者や異性に対してなど『相手限定』『状況限定』でやたらと愛想が良い人
 (極端な裏表の使い分け。逆に『相手限定』『状況限定』で本性見せるとも言える)
・表情や立ち振る舞いがわざとらしく演技くさい人(常に理想の自分、評価される自分を演じています)
・他人同士を争わせて仲違いさせる人 (自分が中心になるための伏線です。陰湿な優越感に浸ってもいます)

744 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 07:54:09.78 ID:Uqjr4zkh.net
慈悲の存在の写真
http://pbs.twimg.com/media/CUzvHK1VAAAao3y.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CUzvHLhUwAE88TN.jpg

745 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 09:58:19.47 ID:lsRz/0Ff.net
 

苦は自分が思うもの
その自分は縁によって生じたもの
縁によって生じたもの(縁起)には実体が無い


 

746 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 10:53:55.91 ID:HT5BuwxN.net
全は空想であり

全(チョン)は糞である

747 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 21:47:26.36 ID:CBeeUhJo.net
>>743
日蓮教徒創価学会員にピッタリじゃないか。

748 :神も仏も名無しさん:2015/12/10(木) 23:21:58.15 ID:CuiUwITK.net
>>747
日本のの仏教は、法華経の系譜だよな。小乗仏教などではない。

749 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 05:29:42.32 ID:pz+mUlpu.net
俺は道元禅師の『覚知に交わるは証則にあらず』って言葉を
15歳のころから分かってたね
体験的に。
冗談のような話しだけどね。

イメージとしては集中の延長に三昧があるように感じるけど、実はちがう。
集中の果てに自我が降参するということ。

自我の完全な降参が三昧。

750 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 07:28:03.24 ID:g5T9Gg1g.net
>>749
じゃあ禅語も易々解けるよね。
仏法の大意って何?

751 :123:2015/12/11(金) 07:40:29.68 ID:nFIV1V55.net
750.
仏法の大意。
鈴木大拙が、多くの本を書いたが理解されなかった、と嘆いたとか。
覚知に交わるは証則にあらず、自我の覚知が完全に降参すること、
それは人間の否定である。
その否定のあとに、何が出て来るのか。
それが宗教問題である。
その答えは言わない、である。言えない、言うことが不可能である。

752 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 07:49:22.82 ID:g5T9Gg1g.net
>>751
全然間違ってるよ。

ヒントは「超親切に教えてるのに違う事考えてる」という公案が答えを明らかにしてる。

753 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 18:48:06.79 ID:pz+mUlpu.net
>>750
禅語が解けるような悟りっていうのは、ほんの一瞬の三昧じゃなくて、
24時間、行住坐臥の三昧に入った状態のことを言うんだよ。

俺のはここぞという時の一瞬の深い三昧か、一度だけ数時間に渡る三昧を経験したとか、
そういうレベル。
それが毎日、毎旬つづいてるってことじゃない。
ある特定の時期に、何回か体験したってこと。

一瞬の深い三昧の時は、必ず半眼になった。
集中しようと思っても、集中できない・・  どんどん雑念が勝手に湧き上がってくる。
対象に集中しようと思っても、自我で集中できない状態。
そうしてまぶたすらだんだん落ちてきて、半眼になる。
そしてその刹那、ハッと振り返ると通常では出来ないような、いわゆるファインプレーというものを
していることに気づく。
その瞬間の記憶すらない。ピカッとなった瞬間気づくという感じ。

面白いのは、その直前に、雑念が制御できなくなるということ。
本当の意味での自我の介在のしない、ありのままということなんだよね。

半眼になるのは、直前にだんだんなっていくというのもあったが、そういう瞬間の直後にハッと気づいたときに、
半眼になって、ほとんど対象に目を向けていなかったことに気づいたこともあった。

宮元武蔵の小説を書いてる有名な作家の本を読んだときに、戦いの前のシーンで武蔵と対峙したとき、
武蔵がほとんどこっちを見ていず、目は半眼になっていた・・ という部分があったけど、
あれはまさに的を得ているな〜と思った。

深い三昧の状態を、知ってか知らずか表現していたね・・・。

754 :123:2015/12/11(金) 19:13:46.05 ID:gHlkZb/U.net
753.
半眼になるのか。
それは身体的状態である。
そこには特別の効果が付随するものではない。
それは迷信である。
半眼にならないで、悟れば良い。

755 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 21:32:55.19 ID:SwvWPcqX.net
>>705

自性を否定する竜樹が、如来と生命についてだけ「本性」という言葉を使った
ことに注目すべきである。

己の論理が矛盾していることに気付いた竜樹は、次行であわてて「本性も無自性」
である」と付け加えているが、なんとなく「取って付けた」感じ。

756 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 22:10:06.04 ID:hDuVYhmJ.net
>>755
あのさw

龍樹は中国語・漢字、中国語の文法を使って書いていない
ってのは判ってる?

中論は、もともとサンスクリットの偈頌だっての知ってる?

757 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 22:11:28.58 ID:hDuVYhmJ.net
つか、
そもそも、龍綬は、中国語の文法どころか、中国的価値観すら知らなかったんじゃねーの?w

758 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 22:54:17.85 ID:25KxLteF.net
わからないものをウダウダ考えるのは無駄
って事じゃね

759 :神も仏も名無しさん:2015/12/11(金) 23:18:59.47 ID:9sGUyTV0.net
仏様のお名前も、本場のサンスクリット語では、日本人には、到底発音できない
らしい。
ということは、念仏を、「南無阿弥陀仏」にしたり、「南無妙法蓮華経」にしたりしても、
仏様の本名を呼んでいるわけではない。
要は、「仏」という意味の本質をつかめばよいのだ。
龍樹も、道元も、日蓮も、親鸞も、おそらくそれをつかんでいたと思う。

760 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:19:11.36 ID:p3QNwCm5.net
>>753
>禅語が解けるような悟りっていうのは、ほんの一瞬の三昧じゃなくて、
>24時間、行住坐臥の三昧に入った状態のことを言うんだよ。

三昧は悟りじゃないし、悟りは三昧の事ではないよ。
スシーマ経とか読んでごらん、ちゃんと「智慧に因って解脱」と説かれているから。
智慧に因って全てが解される事が即ち悟りなのであり、そう至れた事が即ち解脱なんだよ。
三昧はそれ以前で必要になる一種の道具に過ぎない。
三昧で得られる果報は「静慮」、つまり落ち着く事に他ならない。
何事も落ち着いていなければ見落としてしまうからね。
三昧の意味はそれ以上でも以下でもない。

もし、三昧が仏道の最終到達点だと考えてるなら大間違いだよ。
それじゃ公案にもある通り、動けない牛車を動かすのに、牛の尻に鞭を振るわないで
一生懸命牛車の車輪に鞭を打ってる事になる。

本気でそうなら愚の骨頂だろう。

761 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:31:33.02 ID:p3QNwCm5.net
>>755
>自性を否定する竜樹が、如来と生命についてだけ「本性」という言葉を使った

生命なんて言ってない。
勝手な改ざんをしたらあんた、破滅を免れないよ?

中論頌二十二章
>一六 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。

あんたの言うところの「生命」とやらも所詮は思考された「概念」にすぎない。
そして、この中論頌22-16の示す「如来」や「世間」や「世界」もまた思考された「概念」に過ぎない。
概念は思考されたそれだけなのでそもそも本質も実体と呼べるものもどこにもない。

あんたは中論頌が全て、名色(名称と形態)を軸足として論じられている事が理解できてないね。
人は名称に於いても形態に於いても、それらを直接論じる事が出来ない、と言う事が龍樹に於いて二章で既に説かれている。
ここが理解できない人に中論頌は無理だと思われる。

762 ::2015/12/12(土) 01:41:04.30 ID:CItNEWjw.net
>人は名称に於いても形態に於いても、それらを直接論じる事が出来ない〜

ならばそれは単なる虚無論に過ぎないw
直接ではなく間接には論じる事ができる〜ってか?ww
それは詭弁に過ぎないw

いずれにせよ、口から出まかせのキチガイばかりというのは分かったw
それらのキチガイは明確に「有る」というのもこのスレを見る限り明確であるw

763 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:41:56.90 ID:oIK1YUO/.net
>>761
「生類の本性」に、「生命」以外の一体何がある?答えてくれ。

訳者の平川氏は、考え抜いて「生類の本性」と訳されたはずだ。

言葉では判らないというのなら、君の持ってる仏典や評釈書は、
すべてゴミ箱行きだw。

764 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:42:52.69 ID:p3QNwCm5.net
>>762
虚無論も所詮概念だよ。

お前はお前でいつまでたっても欲界専従者のままで進歩しないなw

765 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:45:41.37 ID:p3QNwCm5.net
>>763
>「生類の本性」に、「生命」以外の一体何がある?答えてくれ。

その疑問も思考の結果でしょ?違うとでも言うのか?
生類も本性も生命も全て、あんたの妄想。

それと、俗物よろしく、自分の思考や偉い学者先生の論を鵜呑みにするのは如何なものかと苦言を禁じえない。

766 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:47:04.58 ID:CItNEWjw.net
思考に過ぎないというのも思考だわなw

767 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:48:44.08 ID:p3QNwCm5.net
そうだよ。

だから仏道は経より論より行が重要だと教えるんだよ。
って事で、黙るわw

これが究極なんでね。

768 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:51:30.09 ID:l5edliTf.net
>>754
ちなみに、数時間の三昧というのは、あるとき集団で武道の鍛錬のようなことをやってたんだけど、
その鍛錬・訓練はけっこう厳しくて、少しも息を抜けない状態だった。
連日やるわけ。

それでその時は、中途半端に気を抜いたら倒れちゃうので、しょっぱなから全力で行くしかなくて、
最初から全身全霊で打ち込み始めたんだよね。

そうして5分くらい経った頃だろうか・・・、ハッと建物の上にある時計を見上げると、
8時から始めた鍛錬だったはずが、時計の針は11時を指してた。
2時間55分ほどの時間が飛んでた。

その後、一緒に鍛錬してた人達と話が弾んだ。
自分はその間のことを知らないが、その人達はオレの姿を見てたことになる。
今まで話しかけてこなかった人も話かけてきた。

おそらく、完全な動作で最後までやり遂げたんだと思う。

こういうことから、我が本当の姿をいかに妨害してるかってことも、
我が無い状態がいかに完璧な姿を演じられるかってことも、体験的にわかった。

だから論理的にも、龍樹やお釈迦様の無我の思想が、
よくわかるんだよね。
無我になったからと言ってでくの坊のなるわけじゃない。
その反対。
およそすべての偉業は、無我の中から出てくる。

769 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 01:52:30.26 ID:CItNEWjw.net
2ちゃんねるで主張(書き込み)する以上、主張は「有る」ので無いなどと言うのが根本的に誤ww
「思考に過ぎない〜」と批判するのも己の思考を棚に上げて言っている時点で阿呆ww

これらは皆同じレベルのキチガイである〜ww

770 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 03:30:31.28 ID:mFlwRiGy.net
2chに書かれてるのは文字と呼ばれる記号
それはメモリー上の記録に過ぎない
その記号が晒されて見えるのはモニタの映像
文字も記号も記録も映像も、見るという行為に於いては視覚に過ぎない
それは神経を伝う電気信号なのであり、脳がその情報を具現化し妄想しなくては
それはただのノイズに過ぎない

中道が分からない紐に空が分かる訳がない、バカだからw
「有る」に拘って実像が分からない馬鹿に点ける薬はない

有身見は度し難し

771 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 04:18:10.91 ID:oIK1YUO/.net
>>765
>生類も本性も生命も全て、あんたの妄想。

ならば、無も無我も縁起も一切皆苦も、釈迦の思考の結果で、彼の妄想。
何故、そんな妄想を、命がけで信じているのかね。

いまだに、中論の空を、釈迦盲信のあまり、無だと信じている仏教徒も
いるのだね。

中論の空は、釈迦の無とは異なり、「厳然たる実在」。その実在が「相互依存性・
関係性」という「抽象観念」によって構成されているから、執着すべき自性はない
ということだけ。

竜樹は何故、「世間の一切の慣習に反すること」を、繰り返し戒めたのかね。
釈迦や君の考え方は、「世間の一切の慣習」に反しているぞw。

私の前レスでの質問に答えてくれ。私の質問は、世間の慣習そのままだw。

772 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 07:22:47.74 ID:B1mpUJak.net
>>771
生命ってどれの事かな?あるの?無いの?有るなら出して「これ」と見せてくれ。
世間ってどれの事かな?あるの?無いの?有るなら出して「これ」と見せてくれ。
多分、魂を出して見せるより簡単なんじゃないのか?

>「世間の一切の慣習」

ってのは龍樹が論の土台にしていた名色のどっち?
もし名称の方だと言うなら、それは有るの?無いの?どっち?
もし形態の方だと言うなら、即刻出して「これ」と見せてみてくれ。
多分、霊魂の実有を証明する事より簡単なんじゃないか?

773 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 07:32:06.65 ID:Q3/xbIiz.net
>>771
多分お前は世間と言うのを先入観で思い込んでて、本当は何を指してそう言うのかが分かってないな。
同じくお前は一切と言うのを先入観で思い込んでて、本当は何を指してそう言うのかが分かってない。
だからそんなトンチンカンな質問しか出来ないんだよ。
愚の真骨頂だねw

774 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 14:06:05.55 ID:KIhjpxMs.net
>>771
>中論の空は、釈迦の無とは異なり、「厳然たる実在」。その実在が「相互依存性・
関係性」という「抽象観念」によって構成されているから、執着すべき自性はない
ということだけ。

釈迦の無と簡単に言うが、釈迦は寂滅と言うとき、それは安楽、平安、と言い、
無などと言って、安楽、平安という存在を否定していないのだ。
しかもそれは過去も未来も存在しているものだと実在を説いている。
これを者かの無などと一片の値打ちもないかのようにいうチミは仏教自体を否定するもので、龍樹
自体をも否定するものだ。

それから、平安とか安楽ニルバーナというものが「相互依存性・
関係性」という「抽象観念」によって構成されているからなどとは決して釈迦も竜樹も心外なものだ。

もしそうなら永遠の安楽平安ニルバーナという実在は根拠がない単なる縁起現象にすぎないことになるのだ。
相互依存性・ 関係性」という「抽象観念」によって構成されていのは諸法のことなのだ。これは縁起現象である故に、
幻であり、その幻の実相が、空というニルバーナ平安安楽の世界だというのだ。

真っ逆さまの理解だ、それに気づけるか?

775 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 18:18:44.97 ID:/t8cI52m.net
ヨーガスートラをより理解するため、チッタについて学ぶために唯識の本を買ってきた。
正直、日本仏教にこれだけの内容が伝わってるとは思わなかった。
ユガ派?って、まんまヨーガやん。
ウィキかどっかで見た気がするんだけど、ユガ経ってのもあるの?
もしかして、まんまヨーガスートラを仏教的に解釈して漢訳したもの?
仏教、ヒンズーバラモン教のロゼッタストーンですな。

776 :123:2015/12/12(土) 18:40:18.48 ID:NRJbjpwl.net
768.
すべての偉業は無我から出て来る、か。
なんでか。
無我と言うものは精神の状態である。
その状態は偉業とは関係がないかも。
なんでか。
それは、偉業とは人間の行為である。
それは人生論である。それは宗教ではない。
よってして、無我と偉業とは区別、分離すべきである。
そこでは宗教と人生論とを区別、分離すべきである。

777 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 19:23:51.39 ID:KIhjpxMs.net
>>776
宗教などというものはないよ。無我の状態のほかに宗教というものがあるかのように言ってはならない。
解りやすく言うと、真実か虚偽かと言うことだ。真実を追求する学問を哲学とか宗教と言っているだけだ。

778 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 21:26:57.78 ID:a6UtXpSS.net
確かに理屈でない。要は事実と向き合う事。
いまこの事実を前にしては、いかなる名辞も無力だ。
「実体が無いです」では救われない。

779 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 23:31:27.12 ID:ctDBGUTw.net
>>778
つ幻肢

780 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 23:43:14.12 ID:oYE9J4vB.net
>>778
これこれ
日本の仏教が、葬式仏教と言われ、良くて単なる処世訓になり下がってしまったのは
正にこういう考えが支配的だから
皮肉にも、こういう考えこそが宗教を世俗化させて逆に救われなくなった
真剣な求道心を持った若者たちがなぜカルト宗教に入信して毒ガスばら撒いたのか
既存の宗教に受け皿が無いから

781 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 23:46:21.69 ID:KcKS5gZq.net
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

782 :神も仏も名無しさん:2015/12/12(土) 23:58:09.10 ID:a6UtXpSS.net
>>780
救われないというのはどういう意味だ
結果が全てなら確かにそれで人生は終わる
それともそんなに癒しはいいのかね。

783 ::2015/12/13(日) 00:01:32.18 ID:7AiQpcLd.net
サイエンスZERO 徹底解説!“宇宙の果て”に迫る!
https://www.youtube.com/watch?v=QMAiFRKNAzE

宇宙の果てはビッグバンでそれは138億光年先〜と言われているが実際は宇宙は膨張しているので距離としては
(光の届く範囲=観測可能域では〜)470億光年という事らしく理論的にはさらにその外にも宇宙は有るらしい〜w
研究者は宇宙は有限(ビッグバンから始まった以上有限であろう〜)であるとの期待の方が大きいらしい〜w

であるならば、無を前提に実体がない〜などと論を展開するのはこの研究者達には我慢のならないものであろう〜w
実体はないのではなく分からないのである。

>>29-31の意味を噛み締めるべきだ。無い無い馬鹿は他者(宗教上の偉い人〜ww)を鵜呑みに信じ己の頭で考えない
思考停止の馬鹿であるwww

784 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 00:04:29.99 ID:qFaT2XYZ.net
>>780
まあね。
日本の坊さんんで、一人でも、
読経が「遥か昔に死んだ先祖の為になっている」或いは
(修行が成就した暁には)成道として「苦の(完全なる)滅がある」
と考えてる人間なぞいないだろうからなw
それこそ、紐や隠居と同じく、
文化として・形式的に、或いはパフォーマンス的な遺族親族の自己満足として
の効能に意義を見てるだろうしね。 特に禅宗w

そう考えると詐欺ペテンだよなぁwww
死んだら灰になるだけだと考えているのに、「存在しない存在の為に」○○しましょうとかw

785 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 00:06:40.54 ID:qFaT2XYZ.net
ああ、だから、(布施ぼったくりの被害者だから)、
紐君は仏教嫌いなのかも?w


http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1410005696/
358 名無しさん@京都板じゃないよ New! 2015/12/12(土) 22:02:00.98 ID:DPNGyutO0
>> 357
法外な布施を奪い取っていく乞食が何様だ?
一時間法事するだけで何十万とか世間を舐めてるだろ!
嫉妬?はぁ?たかだかお経読めるだけで偉そうに
楽して人から金を盗んでるのと同じだろ

359 名無しさん@京都板じゃないよ New! 2015/12/12(土) 22:03:25.62 ID:DPNGyutO0
そのうえ肉食妻帯という重罪まで犯してるのに罪の意識なしとか救いようがない馬鹿だな
修行が足りねぇんじゃねぇのか?

360 名無しさん@京都板じゃないよ New! 2015/12/12(土) 22:19:29.63 ID:DPNGyutO0
税金納めてからデカい口叩こうなクソ坊主
納税は国民の義務だぞ

786 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 00:12:36.17 ID:qFaT2XYZ.net
>>780
日本仏教は、(近代仏教学&科学の進歩によって)
≪ 「苦の滅」でなく「苦の軽減」へ ≫と方針転換したからね・・。
また、
世の人々も、(最近は貧困や物理的生活苦とか問題多いけどw)
高度成長期を経験し、総中流化したことによって、
「まあ、そこそこ悪くないし、無理して楽を求めなくてもいいよね」
という価値観にシフトしたし。
その意味で、現代社会に宗教的要素って不要なんだろうし。

ま、それにしては水木しげるがかなり惜しまれてるけどw

787 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 03:48:42.96 ID:MaFcyKyG.net
>>783
宇宙の外に宇宙があるんなら、最終的に全体の宇宙としては
「無限」ってことではないのか?

788 :123:2015/12/13(日) 06:37:40.12 ID:llGb5Qm+.net
787.
宇宙の外に宇宙がある、か。
宇宙の外には神が存在している。そして宇宙を支配している。それが宗教である。
よってして、無限とは神の属性であることになる。それは物質の属性ではないことになる。
そして、人間とは物質なのか否か。そこが問題であることになる。

789 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 07:27:47.13 ID:99uRUF9F.net
 

>>780

現世利益を求めたり人生訓が欲しいなら宗教にすがればいい。

解脱して二度とこの世に戻りたくなければ自己を追求すべき。なにものにも依拠せず。
それが仏の教え
それは作られたものではない。



 

790 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 11:02:20.45 ID:0lq5nTxA.net
>>785
紐って学会員みたいだな

791 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 11:33:15.03 ID:8sBkPspr.net
>>787
無限って何だ?

例えば、太陽とそれを取り巻く空間がある場合、太陽は無限ではないし、それを囲繞する空間も無限ではない。
太陽は有限だ。それを囲繞する空間も有限だ。なぜなら、囲繞する空間は太陽の占める部分だけ
かけているので、その分が欠けている以上無限ではない。また、太陽も囲繞する空間が占める部分だけ、
かけている以上、無限な存在である可能性はなく、有限なのだ。
だとすると何が無限なのか?

792 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 11:36:39.51 ID:VLnUWkkF.net
>>761
それは君が小乗仏教(釈迦カルト)で、釈迦の洗脳下で中論を読んでいるから。

大乗の教義である、煩悩即菩提、生死即涅槃、一切衆生悉有仏性、如来蔵、
本覚思想などは、すべて中論から出ている。

大乗は「生の宗教」であり、釈迦仏教のような「死の宗教」ではない。

793 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 11:44:00.63 ID:lGdiXOoU.net
 みなさんの知らない仏教とキリスト教の極秘情報も含んでいます。
 ご興味がある方は、ご覧ください。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1016056675.html

794 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 12:18:15.82 ID:8sBkPspr.net
>>789
>解脱して二度とこの世に戻りたくなければ

原始経典に、たびたび、女の胎に入らない、と言う表現が出てくるが、
これは性交して性器が女の胎に入り、且つそこで精子が卵子と結合してあるものが誕生して、ある時期に女の胎から
先に結合したものが出てくるこの過程を言うのではないかと思われる。

この過程を繰り返したくないというのであろう?

だから、仏道修行するものは、異性を避けなければならないということになる。

そこで、この異性との結合を、欲情と言い、それは本能的なもので、普通の人はこれを天与のもの
として尊重する。しかし、ゴータマ尊者は、これは縁起しているものにすぎないとみなすんだね。
これを12支縁起の最初の無明による「行」というのだろう?
これさえなければ後の生老病死は発生しないね。

この本能を死滅させることが、一番の目的であろう。
この本能を自分に認めるなら、一切がそれに従う。どんなに欲望に頓着しないことを装っても、
この本能に導かれるのだ。

この本能は生じたり滅したりするもので、実体がないのだ。

仏道修行の最終段階には、この本能からの解脱として、女という存在が出てくると大乗涅槃にあったような。

795 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 12:41:28.72 ID:8sBkPspr.net
スレ主の紐は、生命生命と法華経するが、それはこの本能のことなのだ。
女に対する欲望のことなのだ。

そして、これが真実の存在で、「我」とすべきもので、この我が無いとその人間は
幻にすぎない、となり、ゴータマ尊者の教えるニルバーナと正反対の世界に注意せしめるものだ。

女でも、欲望がどんなものか、知れば、本当の幸せを生まないと知れば、欲望抜きの男女交際が可能である
と言える。そこには男女というものがない。不二一元である。不二一元とは、不二の法門のことだ。

796 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 12:46:52.50 ID:7AiQpcLd.net
脳科学の澤口氏によれば〜w
男女のお友達関係は女が生殖可能年齢の場合は成立しない。
つまり相手が干上がったばあさんだったら「欲望抜きの男女交際」とやらも可能だろうよww

人間の脳の仕組みとして真実なのだから、糞な宗教が「欲望抜きの男女交際」などと妄想を垂れ流しても無駄〜www

797 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 13:12:35.74 ID:8sBkPspr.net
創価の女は、男を求めて狂乱する。男の後をストーカーする。ストーカーの起源は
創価の女である。

そこで創価の思想は、奇天烈なのだ。釈迦仏法を投げ捨て、日蓮仏法を掲げ
末法のいまは日蓮の法華経だ、などとゴミ芥の言葉を吐く。

創価の女は影に隠れて、激烈なトラブルを起こす。
間違った思想に責任を押し付けることはできない。業の報いは行為者に帰すのだ。

798 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 13:24:10.67 ID:8sBkPspr.net
>>796
そのアホ科学者は仏法を知らないから、そんなことをいうので、真理真実を知り、獲得したものは
男女を問わず、異性を感じない交友が可能だ。

端的な事例として、独身を貫く集団として、過去では仏教もそうだったが、
キリスト教のカトリックの新譜どもは独身集団だ。
彼らはホモ集団ではない。それを禁じているし、それを拒否するという教えの元の集団なのだ。

個のどこかのアホ科学者は、生殖可能年齢を持ちだして、そんなものに人間が拘束されるものだと疑ってない。
馬鹿のレベルよな。

これによれば、カトリックの新譜どもは同棲愛者であり、且つそれに付帯する修道女どももまたレズだと断言するのだ。

799 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 14:15:43.21 ID:7AiQpcLd.net
腹が減ったら飯を食いたい〜というのと同じだろうよw
こういうのを宗教でアレコレ縛ろうとしても無駄〜ww

800 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 14:35:25.49 ID:8sBkPspr.net
>>799
自分の身体に服従しているものはそのように思うんだ。これがだれでもしてる常識だ、と。
真実を知ったもの、それを信じる決心をしたものは、自分の存在そのものが、真実真理から判断するのだ。
真実には情欲はない。差別はない。損得はない、と判断することになるんじゃないの?

彼らは本当の存在につながることこそ自分の有利に他ならないということを知っているのだ。
彼らはその修行を続けていくといつかは、真実と一体になっているのを覚知するときが来るのだ。
時間を要するのは、真実真理に反する心を減じていくのに要した時間だ。

801 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 14:44:05.19 ID:7AiQpcLd.net
ならばw お前は>>800飯を食わずに死ねwww

腹が減っても飯も食わず〜路線こそ真実なんだろ?
陰でこそっと飯を食って命をつなぐか〜?w

802 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 15:05:05.28 ID:qFaT2XYZ.net
飢え来たれば飯を喫し、困じ来たれば眠る

803 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 15:11:57.05 ID:qFaT2XYZ.net
つか、
行者(遊行者)の基本スタンスくらい押えてから話に入ってくりゃいいのに、
んと、相変わらず頓珍漢だよなw  >>紐

「托鉢」が、なぜ当時の王道だったか、
「布施が、説法・法話・読経の対価であってはならない」ことの意味とか、
全く理解不能なんだろうな・・・ ┐(´ー‘)┌

804 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 15:19:18.16 ID:7AiQpcLd.net
行者(遊行者)の基本スタンスで言葉の上で>>800のごとく言っても、事実上腹が減れば飯を食うのであれば
言っている事とやっている事が異なるだろうよw

>>803
相変わらず言いたい事を上手く言えない病気は治っていないようだなw
まあ、死ぬまで治らないだろうよw
一生説明下手の比喩超ど下手路線で行くよりないなw

805 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 16:02:02.58 ID:MaFcyKyG.net
>>791
ぜんぜん話がちがうじゃないか

太陽というのは太陽で限定されるだろ?
無限じゃないよな?

宇宙というのは最大範囲として使われる言葉だよ
もしも宇宙は有限だというなら、宇宙の外に宇宙があるという言い方は
おかしいということになる
有限と無限の二重のスタンスを取っていることになるからだ

有限であることを強調したいのなら、宇宙の外に宇宙があると言った時点でその論理は破綻する

806 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 16:03:39.97 ID:MaFcyKyG.net
>>788
宇宙の外に神がいるってことじゃなくて、無限の宇宙そのものが神ってことじゃないか?

807 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 16:34:24.47 ID:8sBkPspr.net
>>804
チミは仏法の説明を上手に説明できないが、
その説明をする人を貶す術はシャーリプトラのようになかなかものではないか。
アベコベだろう。

>>801
修行者は食う寝るには拘らないのだ。拘ってはならないのだ。
そんなものには実体がないと知っているからだ。
彼の目的は、自らの心を娑婆の垢から清浄に洗い清めることなのだ。

飯を食わない、ことが清浄行を阻害することはない。清浄行のために身体が滅するなら、それは最高の涅槃的な死であろう。
涅槃の世界では飯を食う心配はないのだ。常に満たされている。

この世界ででも一食で一億年生きておられると経典は言う。大教で。

この娑婆世界ででも、職に困る事態には決して至らない。人々は彼に食を供することが
すごい喜びになるからだ。彼にあうだけでも喜びなのだから、彼とともに食事ができることは
最大の喜びとなるのだ。

808 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 16:41:49.65 ID:7AiQpcLd.net
だからww >>807
食う寝るには拘らない〜のならば荒野で裸一貫一人単独で生きて修行せよ〜w
生き物を殺せないから木の実でも拾って喰うだけなww

そんな修行ひとつ出来ずに口だけで偉そうな事を言っても説得力ゼロ〜w
当たり前だわなw こたつでぬくぬくとミカンでも食べながら「食う寝るには拘らない〜」って馬鹿だろww

809 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 17:05:24.29 ID:7AiQpcLd.net
>>787
>>783の動画を見たか?
470億光年先の宇宙は観測可能領域というだけでその外が無い〜などとは言っていないw
ビッグバンから「始まった」のであれば「この宇宙は〜」有限という事だろうよ。
始まりも終わりも無いのならば無限だが、始まりがあるのならば有限だろう。
しかし、その有限とは言っても「では、この宇宙が始まる前には何も無かったのか?」
「何も無いという事はどういう事か?」などの問に人間は答えられない。
>>29-31

810 :123:2015/12/13(日) 17:06:32.84 ID:r1JRtWNE.net
806.
宇宙そのものが神か。
それは唯物主義、タダモノ主義である。
それは存在の論理である。
神は存在の論理ではない。
神は観念であるからして、神と言う観念が存在することになる。

811 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 17:50:03.96 ID:8sBkPspr.net
>>805

諸法の世界は無限だということdな。
縁起の世界は無限だということだ。
宇宙は諸法=縁起=の世界で、縁起してるものが「無限数」あるということだ。

で、宇宙の実相は如何にということに移るんだよね。それは無相一相空相であると。

812 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 18:45:14.41 ID:XBUBWQqi.net
その空が、自分だったり

813 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 20:21:16.58 ID:8sBkPspr.net
>>812
その通り。宇宙の中の縁起しているものの一つが自分なんだから、宇宙と言う諸法の実相が
空であれば、自分も当然空ということになる。そこの理屈を理解すれば修行は飛躍する。

814 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 21:25:46.99 ID:7AiQpcLd.net
彼が言っているのはクウではなくカラだww
そんな事も分からんようでは話にならんなw

815 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 21:28:36.45 ID:8sBkPspr.net
それでいいんだよ。空とはカラのこと。知っとけよ。

816 :神も仏も名無しさん:2015/12/13(日) 21:30:20.42 ID:7AiQpcLd.net
空っぽな人間の戯言に意味は無し〜ww
屁のツッパリにもならん〜w

猫の手の方が遥かに有用〜w

817 :神も仏も名無しさん:2015/12/14(月) 00:12:46.62 ID:Oh6eYJ+w.net
ID:8sBkPspr

君は正しく良く学ばられているとお見受けしました。

818 :神も仏も名無しさん:2015/12/14(月) 00:18:11.65 ID:Oh6eYJ+w.net
>>816
欲界専従者のお前が何を言っても説得力が無いな。

有る有る無い無いなら幼稚園児でも言える。
普通の幼稚園児にソラは観えてもクウは理解出来ない。
しかしお前は大人なんだろ?
知能が低いと大変だなぁw

819 :神も仏も名無しさん:2015/12/14(月) 00:53:48.05 ID:23Rc7Xz0.net
釈迦は、「中身空っぽの人間」だったということだなw。

820 :神も仏も名無しさん:2015/12/14(月) 01:23:23.70 ID:FSrjR6ZT.net
何も知らない言葉を覚える前の赤子にはなれない、所詮空だの無だの言うことしか出来ない、何か考えた時点で違うと言うか、よくわからんが。

821 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2015/12/14(月) 08:34:14.54 ID:n7flFdZa.net
>>817
いや、まだ心もとないところがあります。
君こそ、今後もみんなの利益のために、その知見を現してくださるよう希望します。

822 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2015/12/14(月) 15:39:54.49 ID:n7flFdZa.net
諸仏世尊は、ただ一つの大きな因縁のために、この世にお生まれになるというのか。

諸仏世尊は、生命のあるものすべてに、仏の事物に対する正しい認識を開かせ、清浄であることを会得させようと願うために、この世にお生まれになるのだ。

生命のあるものすべてに、仏の事物に対する正しい認識を示そうと願うために、この世にお生まれになるのだ。

生命のあるものすべてに、仏の事物に対する正しい認識を悟らせようと願うために、この世にお生まれになるのだ。

生命のあるものすべてに、仏の事物に対する正しい認識の道に導こうと願うために、この世にお生まれになるのだ。

舎利佛よ、

これが諸仏が、ただ一つの大きな因縁をのために、この世に生まれてくるということなのだ。

823 :メモ:2015/12/14(月) 18:30:07.68 ID:5EF+G1Uo.net
蝶一ツ 舞台せましと 狂ふ哉
何事ぞ手向けし花に狂ふ蝶
狂ふても静かなものよ花の蝶

824 :神も仏も名無しさん:2015/12/14(月) 21:14:01.09 ID:n7flFdZa.net
>>822つづき
・・・・
また数え切れないほどたくさんの衆生を、済度に近づけるための巧みな方法や、いろいろな原因条件や、例え話をし、優しい言葉をおかけになって生命のあるものすべてのために、諸々の教えを演説するであろう。

この教えも皆、生きとし生けるもの全てが区別なく仏の悟りに到達することができるようにするためだ。

この諸々の生命のあるものすべてが、諸仏にしたがって教えを聞き、【皆極まって、万物が本来は空であって平等・無差別であることを知るとともに、現象として出現する諸相をすべて知る仏の最高の智慧】を得るであろう。

舎利弗よ、現在、十方の無量百千万億の仏土の中の諸々の仏や世尊が

生命のあるものすべてを豊かにし、その願いをかなえ、心に安らぎを与えている。

               −−−−−法華経方便品第2

825 :神も仏も名無しさん:2015/12/14(月) 21:34:17.15 ID:n7flFdZa.net
>>822つづき

方便品第2の部分をサンスクリットとクマラジュの訳を比較してみると、
サンスクリットは、前後において筋道が問題ないが、クマラジュの訳本では、
十如是のところで、その十番目で、本末究竟等と言うものを加筆してる。
これがのちにいう皆極まって、万物が本来は空であって平等・無差別であることを知るとともに、現象として出現する諸相をすべて知る仏の最高の智慧】
なのである。とすると、サンスクリットにない部分をクマラジュは先走って加筆しているのだ。
だから、方便品のその後の顛末が筋の通らないものになって、後世を悩ませ誤解を生み出したのである。
十煮よ是のうちの本末究竟等だけ華は厳密に検討を要すると思うが、本末究竟等が妥当することは間違いない。

826 :神も仏も名無しさん:2015/12/15(火) 02:16:22.94 ID:CvFbTL+/.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/healing/1443450610/115
         ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 

827 :神も仏も名無しさん:2015/12/15(火) 02:34:26.58 ID:jAt3nQC0.net
仮にこのスレの皆が真の悟りを開いたとしたら、
ここで教えを説くと思うか?

自分ならどうする? 

828 :CIAパンドラ計画:2015/12/15(火) 06:04:34.53 ID:EZddQSJ5.net
どうでも良い

そんな事を気にする奴はおかしい

829 :素人A:2015/12/15(火) 09:18:43.21 ID:WwrH458T.net
くだらないグタグタの正解いや世界なら一掃して初めから無にして創造使用?
ても座禅や瞑想の骨骨の基礎工事がてきていない私たち衆生では土台無理
旭化成建築のいい加減なマンションに住み続けるしかない?色色な矛盾も
受け入れて理想とは違う長く来る死生道のりだけどそれが我々の未知紀鴨
そういう事は僧にまかせよう

830 :神も仏も名無しさん:2015/12/15(火) 10:45:35.90 ID:UDteLx4g.net
ID:n7flFdZa

先ず、極力誤字脱字には注意した方が良いと思われる。
注意力・集中力に長けるのは仏道修行者の十八番の筈であろう。
それが文字文化の掲示板では書き込みに表れるかと。

831 :お節介でしょうけど・・・:2015/12/15(火) 19:28:58.46 ID:7ym4b4o1.net
仏陀の悟りと、ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジの悟りは同じ悟りです。
勉強するならこの2人も合わせて学びましょう。

既に皆、輪廻の外にいるのだから。

「見る者」は仏教風に言えば縁によって現れたり消えたりしています。
これがある時あれがある。これがない時あれがない。縁起は同時です。
コインの裏と表のように。見る者と見られるものは一つです。

「見る者」もあなたではありません。

832 :神も仏も名無しさん:2015/12/15(火) 21:14:20.70 ID:3mopEczS.net
私が世界の外から映像を見るは違う。
寂滅したら世界にいる。

833 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 01:08:37.24 ID:j2FBetPX.net
瞑想中に意識を失うようなことが悟りではないと思う
アラヤ識が消えるところまで突き詰めて、なぜ身体が残っているんだろうか
因が無くなって、なぜそこに意識や身体や世界がある?
本当に悟った人は二度と戻ってこないと思う。
この世界で何かしらの善を為す聖者や賢者といわれる人達は、
慈悲ゆえに踏みとどまっている地蔵菩薩のような人達だと思う。

834 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 07:49:57.12 ID:pzoHv2l8.net
>>830
その通りで、自分でもわかっているが、自分は変換作業をしてはいるんだが、確定するときに
もとに戻ってしまっていることが多いのだ。
確定をいちいちするのが面倒でまとめてしてるからだと思う。

・・・・
我欲がこの世界を狂わせてきてることがようやく自分にもわかってきた。
恐ろしいことだ。死んでその報いを受けなければならない。
我欲に基づく行為は他者を害している。

835 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 11:53:07.00 ID:LhLzH0Ca.net
>>834
>我欲がこの世界を狂わせてきてることがようやく自分にもわかってきた。
>恐ろしいことだ。死んでその報いを受けなければならない。

例え死のうが死ぬまいが業報の理を免れる事は出来ない。
例えそのまま生きても、その場で死んでも、報いは受けるのである。
仏の教えは極力不利益な報いを受ける原因を作るな、と教えているのである。
ここに生死の別は無関係なのであると言えよう。

>>831
>既に皆、輪廻の外にいるのだから。

その物言いが既に輪廻の内にあるのに、何故矛盾を言うのか。

>「見る者」もあなたではありません。

では一体誰なのか。
仏教が言う無我とはそういう意味では無いのだが。

836 ::2015/12/16(水) 12:09:03.43 ID:Qntwdy2A.net
>>835
確かに、ココのキチガイ連中のごとく妄想垂れ流し〜ではその業報とやらの報いを受けて
地獄に堕ちる事間違いなしだw 特に「チミ〜」のお前だw
「人間は病気にはならず、職に困る事はなく、喰わず、寝ずに生きてゆくべき〜」等言語道断の
物言いは間違いなく地獄逝きだwww

その他、「我は無い〜」等の妄想垂れ流しもコレに準じる。

一番良いのはのほほん〜と無作為に腹が減れば飯を喰い、眠くなれば横になり〜で一生を終える人間だ。
だからその様な無作為な生き方を実践している私がキチガイにキチガイといくら指摘しようが業の報いを受ける事は無いw

837 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 12:30:08.25 ID:LhLzH0Ca.net
傲慢の極み。

838 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 12:39:37.33 ID:LhLzH0Ca.net
>だからその様な無作為な生き方を実践している私がキチガイにキチガイといくら指摘しようが業の報いを受ける事は無いw

殺人を犯した人間を紐が殺しても罪に問われず悔悟の念にも囚われないと言う訳だな。
目には目を、歯には歯をを教えたるのはコーランだったか。
不殺生の戒めとは、如何なる生きとし生けるものをも殺してはならない、と言う真理からの戒めである。
それは「言葉」と言う生きものに対しても例外にならない。

839 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 12:51:44.57 ID:Qntwdy2A.net
「言葉」を生き物というのも甚だしい妄想〜ww
妄想語りは全て例外なく地獄逝きである事を自覚せよ。

仏教は業報の報いを受けないための(原因をつくらない)教えではないのか?w
妄想語りこそその大きい原因である事を自覚せよ。

840 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 12:56:27.28 ID:LhLzH0Ca.net
では紐よ、お前は生きものではないものに左右されている愚か者と言う訳じゃないかw

841 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 13:01:03.51 ID:LhLzH0Ca.net
紐は宛ら「傲慢の極み、無知の極み、ゲスの極み」の体現者と言えよう。
三界の欲界を至高とするものに点ける薬はなかろう。

842 :神も仏も名無しさん:2015/12/16(水) 14:38:01.98 ID:7zADWpYx.net
>一番良いのはのほほん〜と無作為に腹が減れば飯を喰い、眠くなれば横になり〜で一生を終える人間だ。
>だからその様な無作為な生き方を実践している私がキチガイにキチガイといくら指摘しようが業の報いを受ける事は無いw

自分の気に入らない相手をキチガイと勝手に断定している事のどこが無作為と言うのだろうw
バカなんじゃないのかコイツはw
俺様の意に沿わない奴は全部カスだと断ずるそれのどこがのほほん〜なのかw
アホの極みだろこの紐野郎って奴はww

843 :CIAパンドラ計画:2015/12/17(木) 04:41:16.80 ID:OqQB7aai.net
言葉は合図ですよね

「はい」と「いいえ」は聞かれたことの肯定と否定を
相手に示す分岐です

しかも会話はプロセスですから
コンピュータープログラムみたいなものです

それを使う人が居て
だから実態は人が行動する時に選ぶ
何かです

その何かを選ぶのは人の性質で
その何かを何処かで見つけたのも人の性質で
結局人の性質から始まった何かです

始めは原始人の鳴き声だったんでしょう

鳴き声が生活様式に合わせて
選別されてきて一般化された時に
「言葉」と呼べるようになったものでしょう

844 :超次元導師 ◆mnR0C8EG98xy :2015/12/17(木) 05:29:33.09 ID:muGuc0BH.net
何故仏教は数千年前の教えを実践していても原理主義者と言われないのだろうか
当時と比べれば科学も発展しているし生活様式も変わっているわけです。
真理(根幹の部分)は変わらないとしてもその他の部分は時代に則るべきじゃないでしょうか?
宗教は幸せの為にあると言うのが私の考えですけどそれは私に限ったことじゃないと思います。どこの誰が不幸になりたくて宗教に入りますか?
まあ、不幸になりたい人が居るとしたらその人にとっては不幸であることが幸せなんでしょうけどね。

>>838

確かハンムラビ法典の言葉です。イスラムだけではないけどイスラムでも言っていますね。一応キリスト教でも言います。
まあ、イスラム教だと続きがあって「けど許せばその分自分の得になるよ〜ん」って書いてます
聖書の方は「けど復讐しちゃダメ〜、だってそれが愛だから」って書いてあります。
ヨハネだかザビエルだか誰だかの福音書には「復讐したら同レベルの悪人になり下がるぞ」って書いてあります。
聖典ではないけどガンディーさんの「目には目を ではいずれ世界は盲目になってしまう」って言葉が好きです

845 :CIAパンドラ計画:2015/12/17(木) 06:17:29.63 ID:OqQB7aai.net
しかし「人の性質」と呼ぶ何かも

始めにそうだっただけの何かに過ぎない

人が生まれた時から有った何か

846 :神も仏も名無しさん:2015/12/17(木) 07:29:31.30 ID:hCptBA2C.net
勝つ負けを楽しむというサッカーの試合、これなんかは断然反仏教だよね。
勝って実体のない喜びを得、負けて実体のない苦しみを得る。

まるで、自分から苦しみを呼び込んでいるわけだ。
これが人類の実状。

だから、今度第三次世界大戦が勃発してくるかもしれないが、それも人間が自ら呼び込んでいるものだ。
イスラミックステートとの戦争を言っているのだ。

国連は眠っているな。

仏教徒なら、国連の存在も、イスラミ苦ステートの動きも、全て虚妄の現象をみなさなければならない。
そんなものに実体がないから。

不生不滅が実体なのだ。過去に戦争が起きたことがないし、これからも戦争が起きることもない。

今一度、大無料儒教の極楽国の様子を読んでみるべきだろう。

847 :神も仏も名無しさん:2015/12/17(木) 07:31:51.54 ID:hCptBA2C.net
大無料儒教→大無量寿経(大経)

848 :神も仏も名無しさん:2015/12/17(木) 16:59:41.50 ID:YEaCsZYq.net
最早ここは言葉のサラダ書き込み帳と化してるな。

849 :神も仏も名無しさん:2015/12/18(金) 03:14:46.06 ID:Rcanfrc4.net
知ってるかな・・
仏教は個人個人の悟りを目指しているけど、じゃあ、その先はどうなるのかな?
悟りというのはなにも特別というわけではなくて、人間の本性ということだよね?
つまり真実。元の姿。ただしいあり方。 そういうこと。

つまり、もし世界人類一人一人がこの正しいあり方、悟っているのならば、
この世界は完成していると言えるだろう
ということは、今も昔も不完全な世界ということになる

仏教の目標はこうした不完全な人類の姿から、完成された世界、
すなわち覚醒へと向かうこと。
当面の目標は個人個人の悟りだが、最終的な目標は人類全体の完全調和。

これは何も仏教だけではなくて、キリスト教でもイスラム教でも同じことを言ってる。
そしてスピリチュアル的な考察で言うとすると、信じられないかもしれないが、
もう間もなく、その人類完成の時期が近づいてる。
これは人類全体が救われるということではなくて、レベルが上がって一段覚醒するときに、
人類自体がそれに付いていけるかどうかの瀬戸際になってるということ
つまり、キリスト教でいう、裁きの時だ。
そしてその後の完成した世界のことを、仏教では弥勒の世と言って表現している

われわれは今、世界全体が縁起の真実に気づく時代に至っている。
我を克服して縁起の世界に入らなければ、この大峠は越せないということになる。
もう物理的な地球は終焉に向かうからだ。

今この地球に起こってる変動は、戦争や疫病、社会不和、経済不況、気候変動も含めて、
すべてのカルマが縁起の世界に近づくことによって、噴出しているということになる
まもなくその噴出は、極限を向かえることになる

850 :神も仏も名無しさん:2015/12/18(金) 03:34:27.93 ID:Rcanfrc4.net
こんな時に不謹慎だが、クルアーンから、
縁起にもつながる部分

『 あなたは見ないのか、天にある凡てのものが、アッラーに、サジダするのを。
また地にある凡てのものも、太陽も月も、群星も山々も、木々も獣類も、また人間の多くの者がサジダするのを見ないのか。
だが多くは懲罰を受けるのが当然な者たちである。またアッラーが見下げられた者を、誰も尊敬することは出来ない。
本当にアッラーは御望みのことを行われる。 』

『 地上の生きとし生けるものも、双翼で飛ぶ鳥も、あなたがたのように共同体の同類でないものはない。
啓典の中には一事でも、われが疎かにしたものはない。やがてみなかれらの主の御許に召集されるのである。 』

851 :神も仏も名無しさん:2015/12/18(金) 03:45:37.84 ID:Rcanfrc4.net
(両極に捉われない)中道の精神を暗示したもの。

『また(財貨を)使う際に浪費しない者,また吝嗇でもなく,よくその中間を保つ者。』


『各礼拝を、特に中間の礼拝を謹厳に守れ、敬虔にアッラーの御前に立て。』


『 言ってやるがいい。「アッラーに祈れ。慈悲深い御方に祈りなさい。どの御名でかれに祈ろうとも、
最も美しい御名は、凡てかれに属する。」礼拝の折には、声高に唱えてはならない。また(余り)低く唱えてもいけない。
その中間の道をとれ。 』

852 :CIAパンドラ計画:2015/12/18(金) 04:12:49.96 ID:F6TNjAAF.net
おっと終末思想だ

確かに人類が全て悟りを開けば良かったと言えるけどね

電磁波兵器で遊んでいる人達が居るような社会には
無用な事ですよ

その前提ありきで言う事じゃ無いね

電磁波兵器をこみにしてやっても違うからね

有り得ない例えですが
仮にそれで「出来た」としても
「人類が全て悟りを開いた事」にならない

自燈明ですよ

つまり前提から間違えているんだけどね

853 :神も仏も名無しさん:2015/12/18(金) 07:54:37.98 ID:Ev5ne+IX.net
現代では、真実を尊重してる集団は、ムスリムが一番だな。

ムスリムにとっては、キリスト教徒の欧米が真実を汚す侵入者なのだ。キリスト教徒よりも
自分たちムスリムの方が、敬神の程度において優れているとして。

それは識者には同意できるところではないか。

歴史上の優勢な宗教の一つである仏教ではあるが、現状を見ると、
一番散りじりバラバラではなかろうか。

メッカでどんな大事故が起きようとも、その為に彼らの信仰が穢れるということはない。

アッラーアクバルと強くも弱くもなく唱えることは、仏教徒に取って、
間違ってはいないのだ。

アッラーアクバル アッラーアクバル アッラーアクバル アッラーアクバル

アッラーアクバル

854 :神も仏も名無しさん:2015/12/19(土) 10:10:36.57 ID:sFWjs82C.net
クルアーンの不生不滅と仏教の不生不滅の思想が同じだったので、ムスリムが
インドに入ってきたとき、違和感は軽減されたのだろう。

ムスリムは、剣による成敗かクルアーンの教えの受用か、と迫ったとき、
仏教徒たちは改宗できたのだ。

インドネシアはムスリムが入ってきたとき、ヒンズーだったが、ヒンズーにはシャンカラの教えが勢力があったので、
その教えとクルアーンの教えの本質が同一と認めるに困難はなかったので、インドネシア人民はムスリムになったのだろう。

仏教では四無量心を説き、これらの根本は実相から来るもので、実相が空であることを最初に理解させることの方が、
四無量心を根付かせる原因になるからとしている。

実にその通りで、これを逆にすると、仏教は拒否されることになる。
仏教が今の時代でも、重みをもたないのは、実相が空であることの理解が行き渡ってないからなのだ。

この点、ムスリムは、最初に、アッラーアクバルと唱えるのだから、方便としては他の宗派の教えよりも
真理に適っている。

855 ::2015/12/20(日) 01:26:15.60 ID:uTBPmaTi.net
仏教を有難いものと思い入れ込むのが間違いの元。
有難いものと思うから「涅槃」だの「悟り」だの「覚者」だのを求める。
最も重要なのは宗教などに頼らずに己の良心に頼るべきとういう事。
己が悪人で良心など微塵も無いという人間ならばそれはその路線で一生を送る事になろう。
しかし、それよりももっと悪いのは己の外に有り難そうなものを求めてさまよう生き方。
これは悪人の生き方以下の生き方である。

このスレにはそのような糞な阿呆が多いが、そういう意味で反省するべきだなw
自灯明法灯明が仏教根幹の教えでありこれに違反し宗教を灯明とする人間は救いようがない阿呆である。

856 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 01:54:45.85 ID:misPWkhO.net
>>855
良心というものが「我」から出たものならば、それは弱いものになる。
生活環境によっては悪いことをせざる負えないかもしれない。
苦しみに耐えられなければ周囲に当り散らすかもしれない。
拷問を受ければ仲間を売るかもしれない。

人間の心とは弱いもので、どう正しい生き方をしようと思っても、
それが出来ない。 曲がってしまうものなんだよ。
自力ではいかんともし難いわけ。

仏教とは自分で一生懸命やったけど、これは無理だった、無理でどうしようもないと、
救いを求める宗教であって、けっして自堕落的な他力本願を求めるための宗教ではない。
そこら辺を間違えてはいけない。

自灯明とは己の奥にある本性に従へということであって、自我なる自分に従へということではない。
己の本性とはすなわち、己を空しくして繋がる己の本証ということ。
法灯明とは、世界を空しくして現れる、人間の我では捉えれない
非対象を現せということ。

人間の一生は一生で終わらない。
「我」に執着する限り、その「己」は延々とつづく。
そしてその「己」には、あらゆる苦しみが付いてくる。

「我」の究極は自分勝手、自己中心だ。
「無我」という言葉を言い換えれば、「無私無欲」ということだ。

およそ社会の善たるものは、この「無私無欲」の人から生まれてくる。
決して「我」の強い人間からは生まれない。

たとえ「無我」にならなくても、「無我に近づく」ということは、
「善に近づく」ということと同意義であることがわかるだろう。

857 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 04:12:12.10 ID:uTBPmaTi.net
>自灯明とは己の奥にある本性に従へということであって、自我なる自分に従へということではない。

「己の奥にある本性」も「自我なる自分」も同じ事ww
これを違うという頭がおかしいww

858 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 04:23:08.58 ID:uTBPmaTi.net
>人間の一生は一生で終わらない。

この言い方も誤ww

そんなのは分からないのであり、断定する時点で何も分かっていない人間である事が明白。
正確には「人間の一生は一生で終わるか否かは分からない〜」だw
終わるかもしれないし終わらないかもしれない〜 そんなのを分かる人間はいない。

859 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 05:01:44.78 ID:misPWkhO.net
>>857
もし、自己の本性ということではなく、「我」に従えというなら、
それは「業」に従えと同じことになる。
なぜなら「我」は「業」の集積にすぎないからだ。

「我」によって自分を良くしようと思うことは、
泥中で泥を洗うようなもの。 一向によくならない。
いつまででも苦しみつづける。

良くしようと思うその心も「業」なのだから、いつまで経っても「業(苦)」は越えられない。
人間の一挙手一投足、ささいな思考すらも、「業」ということ。
いうなれば「我」は、「未来の自分の記録」を演じているにすぎない。
しかも寸分たがわず。
親鸞聖人はこのことを、「兎の毛の先ほども違わない」と表現している。

ドラマの演じてる自分を本当の自分と思ってしまったら、その人は一生ドラマから
抜け出せなくってしまうだろう。

860 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 05:11:02.89 ID:uTBPmaTi.net
>「我」によって自分を良くしようと思うことは、

誰も自分を良くしようとは思っていないだろうよw
普通に生きているだけだろうよw
普通に生きる中で快適に生きよう〜とは思っても、宗教的に良い方向で自分を持って行きたい〜等と
思って生きている人間は少ないだろうw (最も反対に多いと言う人間もいようw そういうのは大体非常識な人間だがなw)

そもそも悟りなど無いのだからなww 
これこそアンタ等が大好きな「無い」だw

有難いものなど無い。
最も大切なのは「無作為」に生きる事だ。

下手な考え休むに似たり〜で意味が無いのだよ〜w

861 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 05:18:05.46 ID:misPWkhO.net
>>858
仏教の教えでは一生では終わらない。
そもそも、肉体が生じるよりマズ先に「我」が生じているのだから。

「我」の基本的な感覚によって感覚器官が生じ、そこから「体」というものが生まれてくる。
「体」と言っても物質的な意味ではなくて、「体」という認識だ。
この「体」という認識がある限り、あの世に行ってもどこに行っても、「自分」というものはなくならない。

あなたも死んだ時に、「あれ? 体があるな?  俺は死んでないのか?」 なんてことになるだろう。

そうしてまたその「姿」が、この写し世に写ってくる。
それが誕生の過程を経て、自分の業が再生されてゆくのだ。

「写し身」という言葉があるだろう。
「現す」か・・? 発音的に「うつす」と言ってるところが同じ意味だ。
つまりこの世もこの体も、元の世界から写って(現って)来ているということ。
元とは、「我がある」という思いだ。
仏教的に言うと「無明」から生まれたすべてだ。

写ってるものが消えても元は消えない。 そう、「我」は消えない。
「我」が消えなければそれは何度でも写ってくる。
それが輪廻だ。

わからない。 そう、確かに「わからない」だ。
だからこそ、仏教という教えがあるのだろう。

あなたも「わからない」にも関わらず、

>「己の奥にある本性」も「自我なる自分」も同じ事ww

と、断定しているではないか。

それは何によって断定しているのだ?
2000年を誇る、何かの学問からか・・・?
あなたの「業」である「我」からでは無いのか?

862 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 05:32:48.13 ID:uTBPmaTi.net
>あなたも死んだ時に、「あれ? 体があるな?  俺は死んでないのか?」 なんてことになるだろう。
妄想に過ぎないわなw 勝手な妄想話で実際は死んでみなければ分からないが死ねば他に語れずで
分からない〜というのが真実。 コレをアレコレ語るのは全部例外なく偽者wwww

「業」である「我」だろうが構わんが、私は妄想は語らない主義なのでww
アンタの言う妄想話ではないw

863 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 05:43:59.08 ID:misPWkhO.net
>>860
つまり、「苦しみはそのまま受け入れるしかない。 変えることは出来ない。」というスタンスなのかな?
そして、「ならば出来るだけ快適に生きる自助努力をしていこう。」・・・と。

まず、物質的な「苦の対象」が「無くなる」、ということを言ってるんではない。
「苦の対象」を「無くす」、ということじゃなくて、「苦の対象」がどうであろうが、「苦」というものが無くなると言っている。
そこに救いがあるということ。 だから仏教がある。

「苦」があれば必ず「楽」があるように、それと相対のものがあって初めて完全な世界と言える。
必ず相対的なものがあるならば、必ずその相反するものがある。 片方だけというのはおかしい。

人間の世界が「苦」に満ちているのなら、必ず「苦」ない世界が存在する。
救われない世界があるのなら、必ず救われる世界がある。
絶対に片手落ちということはない。

だから、この世が救われない世界であるということは、必ず救われる世界があるということを示唆している。
そして仏教があり、悟りの世界があるということは必然なんだよ。
そうでないと「苦」の世界もないことになる。
「救われない」この世も存在しないことになる。

救われない「この世」があれば、必ず救われる世界があるということだ。

864 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 05:50:45.54 ID:uTBPmaTi.net
水戸黄門の「楽もあれば苦もあるさ」に過ぎないわなw
一切皆苦じゃないわなw

>「苦の対象」を「無くす」、ということじゃなくて、「苦の対象」がどうであろうが、「苦」というものが無くなると言っている。
もはや、自分が何を言いたいのか分かっていないのでは?w

苦が無くなるのなら苦の対象を無くすのと同じだろうよw

865 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 06:00:29.45 ID:misPWkhO.net
>>862
すべてのことには必ず原因があるんだよ。
これは何も宗教によらなくてもわかるだろ。

どんなものにも原因がある。 これはこの世の鉄則だ。 この世というより、すべての世界の鉄則だろ。

たとえば、身体に障害を負ったものは、その障害の原因があるはずだ。
それは事故や病気、肉体的要素に起因するものかもしれない。
しかし、「そこにある」ということは、そのものを成り立たせている原因が、背後にあるということだ。

それは事故や病気などの時間的因果関係ではない。
いうなれば、「業」というやつだ。
直接その物事には、それを成り立たせている「原因」があるということ。

写ってきていると話をしたが、写るからには、「今写すもの」が無いといけない。
今自分の周りにある不幸を成り立たせているものを、過去のものに遡ったのでは、
それは「成り立たせている」とは言わない。

今ある不幸を「今」、成り立たせているものがある。  今そこに原因がある。
それが「業(我」なんだよ。

原因と結果は常に今ここにある。  でなければ原因と結果は個々に分裂し、個々に分裂すれば、
「原因と結果」という関係は成り立たない。

今の我々の不幸の原因はどこにあるのか・・・?
それは過去には存在しない。
今ここの裏にあるんだよ。
それを成り立たせているものが裏にある。  それが「業」であり、「業」の主体は「我」ということになる。
そしてその形態は「思考」であり、「二元相対分別」ということなんだよ。

866 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 06:17:18.89 ID:misPWkhO.net
>>864
眼前にどのような「苦(の形)」があろうとも、それに捉われないという道がある。
ガンなどの病気、身体障害など「苦」の形があっても、それに捉われていない人もいる。
一般的に「捉われない」というのは、「克服した」、ということになるだろうが、
仏教的に言う「捉われない」というのはそんなもんじゃない。
どんなことがあっても、何が起こっても、どんなに外見的に苦しい状況に追い込まれても、常に幸せな心境でいられることだ。
常に幸福感に満ちているということ。
この幸福感というのは「苦・楽」、の「楽」ということではない。
「苦楽」を越えた「楽」。
「苦楽」を越えた「幸福感」ということ。

なので、外見的な苦しみはあろうと無かろうと、「ただ喜びに満ちてる」という状態になる。
これを信じられないといけない。

867 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 06:57:53.34 ID:uTBPmaTi.net
まさに、仏教馬鹿の戯言w

こうも盲目的にキチガイになるのが宗教の恐ろしいところ。
こういうのが最もダメ路線の人という事だ。
見習わないようにw

868 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 08:07:52.62 ID:ZuGPgfZs.net
>>865
>今の我々の不幸の原因はどこにあるのか・・・?
それは過去には存在しない。
今ここの裏にあるんだよ。
それを成り立たせているものが裏にある。  それが「業」であり、「業」の主体は「我」ということになる。
そしてその形態は「思考」であり、「二元相対分別」ということなんだよ。

至言だと思うな。

>>867
866の理解を妨害するのは、世間的な絆とか言われるものではないか。
他者との債権債務の関係から断ち切れていない、つまり仏陀なら、負債のない人と言われるが、
そうでないと、その業から解脱できない、ということになる。
世間に従い、真実には目を向けないという状態は、アウトなのだ。

869 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 11:26:54.06 ID:8TReUVM1.net
行為者は自分と世界が継続していないと困るのだ。
だからそのように築造する。夢は心に従い、心は夢の内容に反応する。
仏陀はその仕組みと破壊方法を教えた。
実在と心は理解を越えている。
仏陀と同じ発見をするしかないのだ。

870 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 14:38:00.78 ID:uTBPmaTi.net
>他者との債権債務の関係から断ち切れていない、

他者との関係で成立するのが人間というもので人間は一人では生きてゆけないw
他者との関係を断ち切ってあたかも一人で生きて行けるというような見解は誤。
世間に従うから生きて行けるので世間に従わなければ誰も生きてゆけないだろうよ。

托鉢なんてのは世間から食物をもらう〜という関係を作っているわな。
仏陀はスジャータから乳粥を貰ったから生きられた。
単独一人では30前で死んでいただろうよ。

つまり仏教は非世俗にあらず俗という事だ。ここを踏み違えている馬鹿が多いがまさに仏教キチガイといわれる所以だ

871 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 15:10:29.91 ID:8MlfoEiD.net
生活の仕方(行動様式)が世俗であるだけであって、
考え方・思想(思考様式・価値基準)が非俗だということ。
何の矛盾も無い。

872 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 16:10:30.90 ID:uTBPmaTi.net
頭の中で理想を描いて実生活は理想と正反対〜
で、理想を声高に他者に訴えてもそれを信じるのは仏教馬鹿だけだろうよw

少なくとも理想=実生活で理想を体現せねばそれは立派な「矛盾」である。
これを矛盾ではないなどというのは人間を止めるべきw

873 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 16:19:59.55 ID:8MlfoEiD.net
>>872
九条教、日本平和国家教もそうだよw
ガッチガチの厳格銀行マンが、赤ちゃんプレイに執心してたりしてもそうだよw
周囲のやりとりも普段真面目でいい人が、裏で物凄い卑劣なことしてたりしてもそうだよw

そこまで極端でないにしても、程度問題でしかないね。
理想通りにできるなら、(→できないならどちらかを止めるべきなら)、
別に家に鍵かける必要ないよねw 警察も要らないよねw
軍隊も要らないよねw 国連も要らないよねw 医者も病院も要らないよねw
うん、世の中ではありふれたことだね。

874 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 16:24:49.39 ID:uTBPmaTi.net
世の中が矛盾にあふれているから自分も矛盾で構わない〜って馬鹿だろ?w
矛盾なら矛盾で矛盾を認めればまだ可愛いところもあるが、矛盾でないというのは
救いようのない馬鹿ww

875 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 18:15:49.96 ID:ZuGPgfZs.net
>>870
人間凡夫は、債権債務でがんじがらめになっているのだ。これを絆とか、世間に縛られるとか、
いうのだ。その根本は、有身見だろう。身体を保持するために苦労するのだろう。
食うために生きるのだ。

しかし仏教でもキリスト教でも道教でも、その目的とする境地に達するための修行では、
世間から離れ、孤独になることを必須としている。道教では仙人になるために、洞窟にこもり
自分の感感を世間にふさぐために洞窟にこもり、自給自足をするのだ。道教と言うと語弊があるかもしれないが、
律師という覚者が洞窟にこもって感管の閉鎖を修行したとある。仏教では、スッタニパータに、修行者が林にこもり
風呂も入らないで、林が産する木の実などを食して修行していることが記述されている。キリスト教の修行者がこれも洞窟
に住して自給自足の瀬克をしていることは知っている人は多いだろう。

これは五感と意を刺激しないで、心を平安にする方法なのだ。

自給自足は、修行者においては、困難ではない。空気が自然と呼吸できるように存在しているように、食物は、
自然と身の回りに生えてくるのだ。
世俗ではこの自然と生じてくるものをいくらかの縁を添えてやって農産物として算出し、来年もまた農業ができる程度の
代価でみんなに配給してるのだ。身に余る実りがあるからだ。

孤独の身では、十分な食物を得られるのだよ。

修行すると感管は一層澄み渡ってくるという。六根清浄と言うのか?
要するに世間を捨てているのだよ。世間への一切の欲がなくなるのだ。

人間だけでは独自に生きていけないが、空気やその他の植物動物などもまた同じで、自然界の一切は
縁起して存在できているのだから、人間社会だけで人間が生きているのではないのだな。

876 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 19:01:39.82 ID:uTBPmaTi.net
だから繰り返し言っているんだが?ww

洞窟にこもるのも良し、林にこもるのも良し、荒野単独で裸一貫で自給自足で木の実だけを食べて
修行する人間がいない(仏陀も含めて)のだから、そんなものを非世俗などと言うのは大間違いだろうよ。
非世俗の看板をあげるのなら少なくとも上の修行くらいして世俗を捨てる事だ。
捨てきらない上に「仏教は非世俗〜」などお笑いのジョークですか?というものだwww

こたつでぬくぬくとミカンでも食べながら2ちゃんねる〜で非世俗など馬鹿以外の何物でもない。
生活では世俗で精神的に非世俗〜などジョークにもならんわwww

877 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 20:48:21.30 ID:8MlfoEiD.net
一つには功の多少を計り彼(か)の来処を量る
二つには己が徳行の全闕と忖って供に応ず
三つには心(瞋)を防ぎ過貧等を離るるを宗とす
四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり
五つには道行を成ぜんが為に応に此の食(じき)を受くべし

878 :神も仏も名無しさん:2015/12/20(日) 20:59:11.12 ID:uTBPmaTi.net
他人が作った食事を食べる時点で俗だろうw
いくら食前に誓いの言葉を唱えても俗が非俗になる事は無い。

裸一貫で荒野で単独一人で木の実を拾って喰う生活ができるか?
それができればその人間は非俗であると認めよう。

それ以外は却下するwww

879 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 02:14:21.10 ID:3i2sQ38Z.net
宝珠によれば喰わずに1万年生きられるし、無呼吸でも生きられる〜らしいからw
木の実でも拾って喰って生きるのは贅沢すぎるか?w
それすら出来ないのならば、俗も俗、「非俗」なんて言うのはおこがましいだろうよwww

880 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 04:51:43.23 ID:WM0K1bd8.net
>>870
おまえの言ってる他者との関係というのは、
カルマの関係だ
やったりやられたり、恨んだり恨み返されたり、という関係

仏教でいう真の他者との関係とは、我のぶつかりあわない、
お互いの思いやりの関係だ

自分の我を立てる以上、相手とぶつかり合ってやがては孤高に生きて行くことになる
やがてそのような生活は破綻する
なぜなら人は、一人では生きてゆけないからだ

我を立てずに他に奉仕するほど、人はよりよい社会生活が送れるのだ

我を立てた関係というのはカルマの関係だ
カルマの関係はやがては滅びる
なぜなら人は一人では生きてゆけないからだ

881 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 05:06:26.85 ID:3i2sQ38Z.net
一人で生きてゆけないというのは既に言っているわw >>870
利他の精神は好ましいだろうよw それには全く同意する。
しかし、カルマの関係やら思いやりの関係やら分別するのはいただけないわなw
関係にあれこれ色付けするのは関係を見えなくするだけで百害あって一利なし〜だろうよ。

882 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 05:39:05.20 ID:WM0K1bd8.net
利他の精神と我を立てないってことは、まったく同意義だぞ
利他の精神と我はまったく相反する

マザーテレサを見てみろ
自分の我を立てていてあのような奉仕が出来るか?
奉仕の極限は無私ということだ

我があっては家族の看病も、こどもの世話すら出来ない
パチンコ行きたい、テレビ見たい、怠けたい、これが我が満足している姿だ

もっとも我の嫌う行為とは何だ?
それは他に対する奉仕だ  自分を後回しにして、
何かにつくす行為だ

我の嫌う行為が社会を平和にし、我の好む行為が社会を破壊するっていうのは、
一目瞭然だよな・・・?

仏教の精神とは完全無私な精神だ
完全無私という立場は非俗ということだが、完全無私から現れる行為は上等の俗だ

おまえは非俗と俗の使い方を間違えてる
おまえの言い方をすれば無私は非俗だが、無私は俗社会から離れるものじゃない
むしろ無私は、俗社会を円滑、完全にするものだ

おまえが我を重要なものとすればするほど、それはすなわち、
俗社会を破壊していくということになる
だから片方で我が無くてはダメだと言いながら、片方で利他の精神に賛同するというのは
矛盾していることになる

もしも利他の精神が我から出ているというなら、それは打算的な見返りを求めるものでしかない
利他の精神は我から出ることはないからだ

883 :CIAパンドラ計画:2015/12/21(月) 05:46:39.67 ID:tLU0JNny.net
利他とは何でしょうか?

それが本当に分かるならその志も叶うでしょうが

それを知らずにその通りに生きる事は出来ないでしょう

結局それを理解する事が先に必要になりますが
果たして出来るのでしょうか?

それは何時何処で誰にとっての利益なんでしょうか?

因果応報の世界の「利他」とは何か?

884 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 05:52:15.66 ID:3i2sQ38Z.net
またまた阿呆な主張でwwwww >>882
無私と利他と自意識とは矛盾が無い。

コレを矛盾と言うのは余程頭が悪いという事だろうよw

打算だろうが別の物だろうが利他なら良いだろうよ。
打算だからダメという人間は何も貢献しないクズに過ぎないわなw

885 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 06:42:31.22 ID:MhIhwIt3.net
わなわなわなわなわな

どこの地方の言葉なんだ?

886 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 07:59:22.42 ID:MhIhwIt3.net
いろんな意見が出ているが、根拠となる仏陀の言葉がほしい。

おじゃる氏がそれを出してくれないかな?

大乗の菩薩の利他行でも、結局は自分の成道のためなのだから、利己行ではないか、と小乗派から
言われたという記事がある。

いずれにしても、何が人の利益になるかは、実相のもたらすもので、誰にとっても共通なもんだ。
自分に利益になるものは、他者の利益にもなるということだ。そこで、自分を愛するように他者を愛する
ことが利他行と言うことになる。

887 :神も仏も名無しさん:2015/12/21(月) 22:40:35.10 ID:pdJs9xDT.net
https://youtu.be/UQEhiQcbAkg

888 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 06:33:11.96 ID:G7JRe6UI.net
>>882
「我を立てる」って糞みたいな単語の意味は何だ?
それは「見解を立てる」って意味か?
「自分の思惑を主張する」って意味か?

糞屁理屈をダラ書きしてばっか居ないでもう少し言葉を覚えろや

経典等に出てくる「我」は、我を張るとかの低レベルなそれとは違うんだよ

「我」は立てることなど出来ない、出来ると言う奴は「我」の意味が分かってないアホ

889 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 06:36:07.14 ID:G7JRe6UI.net
>>884
>無私と利他と自意識とは矛盾が無い。

日蓮信者の見解だとそうらしいな
しかしそれでは大間違いなんだがな

890 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 06:41:31.17 ID:G7JRe6UI.net
>>886
仏道は別に人の為に有るわけではない
正確に言うなら「菩提心凡夫の為」に方法があるってだけだよ
菩提心凡夫とは人の事だと思うだろうがそうではない
菩提を求める衆生全部を指す
それが出来るのがたまたま人だけだったに過ぎない
だから、道(方法)も人の言葉で説かれている
物だったなら逆に迷わないので菩提心には至らない

バカな紐野郎には理解出来ないだろうがそう言う訳だ

891 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 09:33:28.01 ID:q6krJEEO.net
昔テレビでやってたんだけど、ある青年が交通事故で脳を損傷して、
話方と身体にやや身体に障害が出てた。
20歳くらいだったかな・・・
その人の周囲には学生ボランティアが集まっていて、
いつも世話をする人がいる状態。

ふつうだったら悲嘆にくれるところだが、その人の表情は笑顔にあふれていた。
ボランティアの学生もボランティアしに来てるというより、その人の近くに少しでもいたいという感じ。
その人は輝いて見えた。
完全に今を受容している状態。

インタビュアーが、「もし、昔に戻れるなら、前の体に戻りたいですか?」と聞いた。
青年は微笑みながら言った。 
「いいえ、今のままが一番いいです。昔には戻りたくありません。」

もし我で考えるなら、到底このような不自由な状態は容認出来ないだろう。
我であるなら、自分(我)が不自由ということは容認できないはずだ。
ではなぜ、この青年はこのような状況を容認出来たのだろうか・・・?

我があっては常に今を容認することは出来ない。
今は常に我が容認出来ないことばかりだからだ。
だからある人は酒やタバコに逃げる。 パチンコに逃げる。 育児放棄する。看病放棄する。
娯楽にふけって今を逃れる。

世界は常に今しかない。その今は常に留まらない。
そこに実体と呼べる継続すべきものは存在しない。
その今に一致するとき、すべては空になる。

我があるうちは今を完全に受容することは出来ない。
我が無い時始めて、人は今のすべてを受け入れることが出来る。
その時始めて人は、本当の世界にもどることができる。

892 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 10:54:35.51 ID:G7JRe6UI.net
>>891
我って何の事を言ってるんだ?
最初から無いものを「無い時」とか「あるうちは」とか
さも無くならせられる前提で言ってる様だが
無いものを有ると思い込んでるそれが間違いなのだよ

自我 というものは存在しない
何故ならそれは物ではないからだ
しかし安易な人はその実感を根拠に有ると言いたがる
実感だって実在しない、ただの一過性の現象に過ぎないのにだ

893 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 11:40:23.63 ID:zDlS1LUn.net
>>892

我は無いと考えているのも、君の我だから、いくら足掻いても無駄。

そもそも、「無い」という概念は「ある」という概念を前提とする。

初めから無いものは、話題にはできない。

無駄な努力は諦めて、我を真正面から認め、その我を「我を忘れて生きる」
ことにより、無我は初めて達成される。

「真理」とは、「釈迦が言ったから生じる」ものではなく、「誰でも言える」
からこそ、真理なのである。

894 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 17:22:05.66 ID:G7JRe6UI.net
>>893
だから、どれが我なのかな?
主張の事か?観念の事か?概念か?
どれも思考の産物なのであり、思考自体からして「物ではない」だろ
有無は概念であり観念だからそれは実在してないだろ
有ると言い張るなら有無というものを出してみてくれ
我に付いても同じ事だ


諦めろ、お前の言い分は全部漏れなく妄想に過ぎない

895 ::2015/12/22(火) 17:35:12.90 ID:AvxFRLxh.net
主張だろうが観念だろうがその主体が我だろうよ。
>>894の書き込みはその主体たる「我」が有るから書き込みの結果として
スレに残っている訳だw
我が無いのであれば主張はなくスレの書き込みもなく何も跡形が残らないだろうよw

隠居氏の言っている事が正しく>>894は誤。

896 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 17:51:34.78 ID:G7JRe6UI.net
>>895
書き込みが主張なのか?
そう思ってるのはお前の妄想で、その妄想を見破れないお前に何がわかる?

隠居は法華経を解釈しているがお前はどうだ?
法華以前に何にも解ってないだろw

897 :123:2015/12/22(火) 17:54:13.86 ID:UNFBT34R.net
891.
そこに書いてあることは人生論である。
そこには宗教は存在していない。ことになる。
我とか無我とか言っても、それが人生論で問題となっている限りでは、それは宗教ではない。ことになる。
何の問題を議論したいのか、そこが問題である。

898 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:08:03.40 ID:wLQ8rk+c.net
宗教は奴隷学で世界規模でカルト力学社会
特定の団体なら違うということはない

899 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:12:11.31 ID:AvxFRLxh.net
>>896
書き込みは主張だろうよw
何でも全部「妄想」で済ますのは、それこそ妄想であるw
妄想か妄想でないかは明確であり、お前のは立派な妄想である。

900 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:13:12.87 ID:G7JRe6UI.net
と言う事は生命教も奴隷学って訳か、こりゃ面白いw

901 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:18:41.81 ID:m8XQNglb.net
>>893
> 「真理」とは、「釈迦が言ったから生じる」ものではなく、「誰でも言える」
からこそ、真理なのである。

真理はだれでも言えないと思う。真実を体得したものだけが言えることだ。

誰でも言えるからこそ、真理なのだとは破たんした論理だろう?

902 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:21:39.52 ID:G7JRe6UI.net
>>899
お前は真実が見えてないから好き勝手だなw
欲界だけが世界の全てだと本気で思ってやがる

いいか?
人間には想念が必ず付いて回る
有るとか無いとかの観念・概念もこれが決めている
仏教はそういう想念や思考が生み出す「苦」を超克する為にある

お前は何でも有ると言いたがるが、それを言うと「苦」は実在となり超克する術が無い事になるんだよ

人の想念を除外したこの世界の真実・事実には「想」や「念」と言うものは存在して無いんだよ
で、想念自体も肉体に起きてるただの現象だ、電球に条件がそろった時に生じる「光」と同じだ
条件が崩れればそれは見えないし、見えていても「見える」と言う感覚自体が想念の賜物で感受の賜物なんだから
縁起の条件が崩れれば思う事も気付く事も見る事さえも出来ない

紐、お前頭おかしいよな
世間話の有る無しに拘りすぎてて大事な事が気づけて居ない

903 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:28:00.78 ID:AvxFRLxh.net
>>902
アレコレ言いまわしても、そう言いまわしているのは主張であり、
その主張の主体たる我は明確に有るわなw
条件だろうが何だろうが、レスとして残っているのがお前の「我」が有る証拠だw
お前の我が無いのであればレス自体が無いのであり何の形跡も残さないだろう。
しかし現実はサに非ず〜ww 明確な証拠が有るわなw 頭がおかしいのはお前の方だw

904 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:31:11.71 ID:G7JRe6UI.net
>>903
>条件だろうが何だろうが、レスとして残っているのがお前の「我」が有る証拠だw

ほう、ただの鯖のデータが証拠かw
鯖が飛んだらその証拠はどこに行くのかな?
そもそも文字列記号の類だろ、お前の言う証拠とやらは

楽しいか?監視されててw
馬鹿にされ放題だぞ?wwwww

905 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 18:34:01.74 ID:AvxFRLxh.net
警察は犯罪時には掲示板運営→プロバイダーとIPアドレスを探って犯人を逮捕する。
データは立派な証拠だわなw
コレを証拠ではない〜というのは真正の馬鹿という奴だwwwww

906 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 21:25:04.84 ID:m8XQNglb.net
チミ〜は本当に気づいていないのか?
ここのスレのだれもがお互いに縁起して存在してるんだ。相対的に存在してるんだ。
対話してるということは相対的に存在してるということだ。
チミがなんかを言うから、それに反応して誰かが意見を言うのだ。
これを、「これあれば彼在り、これなければ彼なし」と言うんだよ。

だから、お互いに実体ある存在として対話していないので、対話するものには、自我が無いというのだよ。
自我があるとすると、対話というものはあり得ないのだ。
自我とは、固定的存在で、それだけで自存しているものと、なるからだ。
こんな対話で変化する存在が、固定的自存者と言うことはあり得ないだろう?

自存者とは、無相という存在、一相という存在、空相という存在、だけに許される在り方なのだ。

それだけが永遠に存在してるものだからで、それに相当するものを仏、覚者と言えるのだ。

相手の意見に反応して、自分の意見を言う者をチミは、我のある人、という。それがあるじゃないか、我が無いならどうしてそんな意見が言えよう、
その証拠は明白にレスとして残っているぜよ、という。
それは相対的存在であることの証拠にすぎない。

チミは賢いのだろう、何がわからないのか?本当に鈍根なのか?

907 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 21:38:19.24 ID:AvxFRLxh.net
>>29が分からないことであり、この分からない事は人間全員に例外なく当てはまる事であり
お前のごとく(>>906)分かった振りして語るのが馬鹿という奴だw
まあ、お前のその妄想語り癖が仏陀の言う無明と言うものであり、地獄逝きの片道切符に他ならない。

908 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 22:18:25.02 ID:uISLvePX.net
自分の感覚があって対象があるけど、それは別れてないっていうのが縁起だよ。
その縁で生起したものは、途端に、流れてしまうから空である。
自我はその流れを記憶で繋ぐことで、存在感を感じているのかな。
わからんけど、たぶん、そんなとこでしょ。

909 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 22:39:40.90 ID:zDlS1LUn.net
君らは、「日本人に『宗教』は要らない」(ネルケ無方著、2014年2月20日
KKベストセラーズ発行)くらい読んだのか。筆者はドイツのプロテスタントの家庭
出身で、現在は曹洞宗の寺院の住職。日本人は、生活そのものが宗教だから、宗教
など要らないといっている。

西洋思想も十分に踏まえたうえでの見解であり、仏教について、君ら釈迦カルトの
書き込みより、はるかに説得的だぞ。

910 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 23:03:06.90 ID:zDlS1LUn.net
>>900
>と言う事は生命教も奴隷学って訳か、こりゃ面白いw

すべての人類も、その他の生物も、発生以来「生命の奴隷」です。釈迦も
イエスも例外ではない。

生命(生存本能)は、「生きとし生けるものが信じている、唯一の普遍の宗教」です。

911 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 23:15:02.37 ID:zDlS1LUn.net
>>901

「すべての人間には通用しない道理」が、「真理」である訳が無い。

君らは、開祖盲信のあまり、開祖の一人合点や単純ミスさえも「真理」と
思い込んでいるだけ。

ニーチェは、「真理」「真理」と喚くイエスにピラトが発し、イエスが返答に
窮した「真理とは何か」という質問が、聖書の中で「唯一の価値ある言葉」と
言っている。

912 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 23:19:31.01 ID:G5a3lKIT.net
無=0
0はこの世には存在しない

はい。論破。

913 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 23:26:36.68 ID:G5a3lKIT.net
バカどもへの補足
概念上の0なんてのはこの世にいくらでもある
3次元上での0なんてのはこの世に存在しませんね。
その境とシステムを語っているのが解脱。

まぁいいかw

914 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 23:30:53.84 ID:rkN0dFdi.net
存在するものでもなく、存在しないものでもない。

915 :神も仏も名無しさん:2015/12/22(火) 23:56:27.76 ID:zDlS1LUn.net
>>914

そんなあいまいな言葉は止めよう。

人類は、その」発生以来、五感の知覚にって「有無」を「一義的に」区別することに
よってのみ、生存している。これこそが、人類における最大の真理。

釈迦は、そのうつ病の症状としての「微小妄想」故に、真理から外れまくり。

916 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 00:13:50.44 ID:77bVi35h.net
>精神的苦痛を除くのが仏陀である〜。
>精神的苦痛などは元々無いのであり、それに執着しているのが苦痛の原因である。
>執着を無くせ〜。

仏教の完成度があまりにも高すぎてこういう安直依存度バリバリのレッテルとかかんべんなw

まぁ、せっかく頼ってくれたのもうれしいから。仏壇に手合わせるくらいの小僧がほざくとして
執着はまず無くなんねぇから。無くせとか根性みたいなのアホだから。ここからは「常識」のレベルな

「お前の執着ってなに?特定しろよ。は?もっと他に要因あるだよ浅ぇよw(これがいわゆる禅問答なクッソダッサイ行為w←禅問答とかいってるわなw
「要因を求める姿勢は大切。あなたひとりで仮に一人で見極めたとする。じゃ他の悩める人にそれ通用すんの?(振り出しw
これってほぼ無限の苦悩じゃん? その要因の根本を突きつめた方法あるんだけど? はい「成仏法」w 逃げも隠れもしませんよ。
エクササイズみたいなもんだから。キツイよ。来世またがるかもしれんけどw 確実だよ。他と比べてみてもなかなかの実用本だよ(他の在り方も道筋であって否定してないから

仏教にはシステムが存在してるんだよ。「成仏法」「七科三十七道本」ってのがな。

それが根本仏教っての。密教とか小乗仏教とか言われてるけど。 本当はこれなの。方法が正々堂々とあるの。深いの。
それに基づきゃ理屈はつながるわけで、だから仏教は哲学として歴史的に評価されちゃったの(違う方向だけど

917 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 00:20:31.81 ID:77bVi35h.net
>五感の知覚にって「有無」を「一義的に」区別する

お前の感覚って五感超えてんじゃんw

一義超えちゃって来るしいでるよねw なら楽になれよw 一義以外なんだからww

918 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 00:21:57.73 ID:77bVi35h.net
無=0
0はこの世には存在しない

はい。論破。


1000回反芻してねw 

919 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 00:23:11.79 ID:77bVi35h.net
カンチガイスンナヨ
ゾクジンダヨオレハ
オマエトオナジw

920 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 00:33:28.08 ID:77bVi35h.net
跪いたり、ひれ伏したりしてその場だけ自己満足してるだけが宗教じゃねぇんだよ。
一瞬一瞬の感覚に立ち返り向き合い空気のように誠実にあることを、理とともに同調できる道が如来の「教え」なの

まぁ、無理だろw

921 :CIAパンドラ計画:2015/12/23(水) 06:11:17.42 ID:VR8eHk3N.net
例えば宇宙空間だけで世界が終わりでなければ
0ポイントがこの世界に有ってもおかしく無いですね

この世でないものとの接点みたいな事です

922 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 06:15:34.14 ID:ZEh0KG/2.net
心はゼーロ

923 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 10:52:55.56 ID:RCH0Ey0c.net
>>907
チミの>>29の知見が今の科学界のものだな。
昔からそれぐらいの知見はだれでも持っていたんだよ。だから、凡夫の知見と言う。

そういう知見にメスを入れたのがゴータマ尊者だ。

原因があって結果が生じるという。連綿と原因結果と広がっていくが、最後は、判らない、とチミが言う結果になるのだ。
判らないのは凡夫の知見に拠るからだ。

ゴータマ尊者の知見では、原因と結果は相対的に存在しているので、実体はない。つまり初めから
なにも生じていない、というのだ。

ところが凡夫であるチミの知見では、原因と言う実体があるので、結果と言う実体が生じ、それが連綿と発展し、
最後は、「判らない」という途方にくれるだけになる。
愚か者の末路なのだ。そんなものは、初めから鈍根愚鈍ハクチなのだ。鈍根愚鈍ハクチの正体は、
ひねくれた根性の故に、六根が汚されて、心の盲目状態を言うのだ。

つまりチミは心が盲目状態のハクチというわけだ。

縁起してる存在に実体があるとみるものは知性がマヒしているのだ。
ここが仏教と言うありがたい教えの世界に入るか、地獄に入るかの分岐点だな。

924 ::2015/12/23(水) 11:25:48.46 ID:A7avctMW.net
>>923
阿呆のお前のごとく実体がない〜と切り捨てるのは断滅論であり仏典で完璧に否定されているわw
また有ると言うのも常住論であり否定されている。
私は「分からない」と言っているんだ、しかも嫌になるほど頻回になww 目に入らないのはメクラなのか?ww

お前の無知、妄想語り癖が無明そのものであり、地獄への片道切符に他ならない。
こういうのは治らない病気なようなもので、お気の毒としか言えないわな。慈悲の心で同情するわwww

925 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 12:26:33.61 ID:Dd17AILY.net
仏教は中観派に侵食され過ぎていると思う。
実践から離れた僧侶にとって、中観派は都合が良過ぎる。
瑜伽派というか、ヨーガ行者が実践の経験のうえに語っても、それは空だと言って悟ったような顔をしておしまい。
知性で突き詰めて考えれば何か一元的な存在とか、空とかに行き着くのは当然の帰結。
でもそれは真実というよりも、知性それ自体の限界を示すものに過ぎない。
仏教は学問ではなく実践の哲学、実際の体験の道筋だと思う。

926 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 12:30:20.54 ID:Ln3OCB1M.net
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1390913891/

879 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 17:37:26.02 ID:PGPYlgyl
まあ、たしかに宝珠か隠居かどっちよりかと言われれば隠居よりでしょうなあw
無我を説く人間に「そう説くのは誰だ?」と迫られて「思考」なんて答えてるのでは
隠居の方が遥かにマシ。

881 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 17:49:30.73 ID:PGPYlgyl
だから五蘊の仮和合などとは言わず、単に自我に実体なしと言え〜つう事ですw
.

927 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 12:31:18.50 ID:Ln3OCB1M.net
884 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 17:55:59.90 ID:A42kU02u
>> 879
襟を正してマジレスすれば、
あの手この手の様々な言い回しを駆使しなければ、
西洋的な実在論、及び近代個人主義と密接しての「俺が俺が私が私が」
という思考の癖が抜き難いからですよ。
仏教を理解する上での最大のネックが、この「自我観」「自我意識」なわけです。
宝珠や在家、或いはカラス等も隠居も、反対の立場のようでいて、
実は全く同じなのです。「コアしての自分がある、いる」という(文字通り“我見”)点で鏡像なのです。
また主語述語の問題になりますがw
岩山で石が転げ落ちるとき、そこに「i-shi」という本体本質があって、
「石が」転がり落ちている、ということになるでしょうか?
それこそ鈴木さんが転がり落ちている、というように。
しかし、どちらも、そうではないのです。
そこに、そのような事象しか存在しない、というのが仏教的視点であり、
そのことの或る一つの言い回しが五蘊仮和合なわけです。
勿論、他の言い方でも構いませんよ?w >>881
887 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 18:02:18.74 ID:A42kU02u
>> 884補
そして、実は「実体がない」「実在しない」という言い方の方が、
現代人、科学物理信仰の中にある現代人にとっては、理解し難いものなのですよ。
(御隠居や宝珠を見てればわかるでしょ?w)
目の前にコップがあるとき、
「まさにここにあるじゃないか!なんでこれを(実体が)ないなどと言えるのか!」と。
同じように、
「いままさにこのように俺は思考してるんだぞ!どうしてこれを(実体が)ないなどと言えるのか!」とね。
そして厄介なのは、人間の(自意識の)場合、身体のみのことではないからです。
だから、「五蘊」という捉え方が要請されてくるわけです。
(五蘊の語義説明から入らなきゃいけませんか?w)

928 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 12:32:03.92 ID:Ln3OCB1M.net
892 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 18:11:18.72 ID:PGPYlgyl
>> 887
当たり前ですw
「実体」という時、それは永遠不滅のモノでなければならない。
死んで灰になって自我が無くなれば自我に実体は無いというのは小学生でも理解できます。
生きている間だけある意識(自意識)は「有る」ので空ではない。
しかし差し出せといわれて差し出せないから空とはいえます。(非有非無)
生きている意識を無いかのごとく空というのは誤。
だからこそ自灯明法灯明の教えが生きる。
無であればこの教えに意味は無い。

893 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 18:17:17.59 ID:A42kU02u
>> 892

>「実体」という時、それは永遠不滅のモノでなければ
これが、一般人の感覚(語義解釈)ではないのですよ。
普通の人は、
目の前のコップやリンゴが、
今ある自分自身の肉体が、
『実体として実在する』と理解し、受け止めているものなのです。
(また、だからこそ、日常の諸事や会話が成立するのですけどね・・。)

929 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 13:19:51.62 ID:A7avctMW.net
しかし古い書き込みを引っ張り出したもんだw セブンは説明下手に加えて古いものを
保持するという悪癖のある野郎だったなあww

アートマンではなく単に自意識を自我とするなら〜という条件下での私の発言だw
大体、真我なるものは分からないのが当然であり、逆に自意識は分かるのが当然w
自意識を分からない等というのは精神障害者だろうよ。

実体がない〜という物言いに難癖をつけても無駄〜ww
姑息なセブンの醜態だなあwwww

930 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:05:07.84 ID:Ln3OCB1M.net
429 幾つか、参考に貼っておくか・・ sage 2014/01/31(金) 18:45:07.69 ID:Kv/l7sMh
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/159
>159 神も仏も名無しさん 2009/07/11(土) 21:04:07 ID:RU2/qgi+
>>> 154
>竜樹は、「私は(何々を)見る」という文章は、成り立たないとする。
>見るという作用以前に存在する私は、誰にも判らないからである。
>ウィトゲンシュタインも、「私は歯が痛いというのはナンセンスだ。
>歯が痛む、その痛いの感覚以外にある私って何であろう。そんなものは、
>あるとは思えない、言えない」と言っている。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/104
>104 旧7 sage 2009/07/11(土) 14:46:58 ID:NnYgKtA7
>>> 93
>ある意味独我論的に(?)、
>《「思考している」「行じている」「“自己もまた空である”と“見る・考察する”」モノ》が居るじゃないか。
>という指摘と思われ・・。(で、デカルトはこれを解決できなかった。)
>で、
>仏教は、「そのような思考・思惟もまた、因により縁により生じ、因により縁により継続している在り様・様相である」と【見】、
>それの極が龍樹なのでは?
>  ※この“【見】ること”を指し、「ほら、【見】ているモノがいるじゃん。コレは消去できない」
>   という反論は当然ある。 そして、
>   イタチゴッコの如く、「それもまた、因により縁により云々・・・」と返す。
>   すると、「だから、そのように“【見】做している”モノがそこに居るだろ?」と返す。
>   対してまた、「そのような《【見】做し(ているという思考)》が、因により縁により云々・・・」と返す。
>   すると、「だから、そのように《【見】做し(ているという思考)》をするモノが、そこに居るだろ?」と・・・。
>   いつになったら終わるんでしょうね・・・w
>    ※>> 89や>> 82中の139は、
>     このように ≪懐疑や、消去・解体の果てに『残滓として残る“(思考の)主体”』≫ があるでしょ?
>     という疑義だろうと思われる。

931 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:05:59.95 ID:Ln3OCB1M.net
430 幾つか、参考に貼っておくか・・ sage 2014/01/31(金) 18:46:29.27 ID:Kv/l7sMh
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/654
>654 神も仏も名無しさん 2009/08/31(月) 21:26:56 ID:YYLdPhVU
>>> 650   ども、  
>>「 attan 」を「アートマン」と解すか、「行動・思考の主体としての自己」(≒五蘊仮和合の自己)と解すか、
>>「実存的自己」と解すか、はたまた「真我、“真実の、煩悩に埋もれ・覆われた、本来の在り様・存在”としての自己」と・・・、
>>或いはまた、「肯定的に述べられている」のか「否定的に述べられている」のか、と、
>>文脈、前後関係等により、都度都度吟味せざるを得ないんでしょうね・・・。
>アートマンでも自己でも同じこと。そこが釈尊の凄いとこ。
>言語習慣として仮設の自己はありだけど、
>実体・実在として自己があるとしたら、それは恒常なアートマンと同じこと。
>だから、アッタンに自我意識の本質・実体概念と恒常な実体としての
>アートマンの両方の意味を含めて説かれていると思われる。
>釈尊の説き方は、このようにあらゆるところで重層的で、
>各人の意識状態に応じて、それぞれ有意味になるように説かれている。
>その最たるものが縁起だと思う。

932 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:06:42.62 ID:Ln3OCB1M.net
376 神も仏も名無しさん sage 2014/01/31(金) 13:29:11.51 ID:eTZ95uJ8
思考、誰の思考とも言えず、ただ思考w
そんな糞な思考は捨ててしまえw
神智学と同じで何が悪い?部分的に同じな事はいくらでもあろう。
全部同じなわけがないのだからw

379 神も仏も名無しさん sage 2014/01/31(金) 13:39:26.82 ID:Kv/l7sMh
>> 376
反縁起だからですよ。大違いです。  また、
「誰の」というベクトルが顛倒である、というのが釈尊以来のポイントなのです。
なぜ、教えが普遍的ものとして(ゴータマ自身のことを超えて)説かれる様々な場面で
「私は」でなく、「如来は・・・」という言い方がされているのか、考えたことありますか?

380 神も仏も名無しさん sage 2014/01/31(金) 13:45:55.18 ID:eTZ95uJ8
>> 379
>「誰の」というベクトルが顛倒である、というのが釈尊以来のポイントなのです。
あなたのポイントであるだけでしょうw
行為のみに焦点をあてそれを縁起としても、そこに行為主体を想定せねばただの空論。
むろん実体がなく執着するべきものではないが、主たる自分こそ頼るもの。
主たる自分が無では自灯明法灯明の教えは説けない。
仮和合など何の意味も無い主張。実体が無いが生きている間は頼るもの、ただし執着するなかれ〜で済む。

933 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:17:47.31 ID:A7avctMW.net
これまた繰り返し何度も言っている事なんだがw

A:生きている間の自意識は無や空ではなく有だろうよw
死んで自意識が消滅すれば自意識は無くなったのだからそこに実体はない。

B:一方で、真我なるアートマンは有るのか無いのか分からない。
これを有ると言っても無いと言っても間違いだ。これこそ空というべきもの。

AにしろBにしろ「無い」というのは間違いである。
唯一無いと言えるのはAの後の世界で、個々人が死んだら個々人の自意識は消滅して無となるという一点のみ。

空と言うのは有とも無とも表現できないからあえて「空」という語を作った、言わば作られた概念だ。
空を無と混同する阿呆が多いが、無で良いのならわざわざ言葉を作らなくとも良いだろうよw

934 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:21:35.27 ID:Ln3OCB1M.net
879 神も仏も名無しさん sage 2014/02/02(日) 17:37:26.02 ID:PGPYlgyl
まあ、たしかに宝珠か隠居かどっちよりかと言われれば隠居よりでしょうなあw
無我を説く人間に「そう説くのは誰だ?」と迫られて「思考」なんて答えてるのでは
隠居の方が遥かにマシ。
376 神も仏も名無しさん sage 2014/01/31(金) 13:29:11.51 ID:eTZ95uJ8
思考、誰の思考とも言えず、ただ思考w
そんな糞な思考は捨ててしまえw
神智学と同じで何が悪い?部分的に同じな事はいくらでもあろう。
全部同じなわけがないのだからw


 〔 vsデカルト URL 〕

【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/268
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/269
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/270
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/271
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/272
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/273

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/279
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/370

935 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:22:19.16 ID:Ln3OCB1M.net
 〔 vsデカルト 補URL 〕

【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/159
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/165

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/159

【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/639
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/675
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/704
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/714

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/650
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/654

【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/ (82あたり〜130あたり、主体論議)

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/93
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/104
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/114
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/116
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/117
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/123
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/159

936 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:24:48.25 ID:Ln3OCB1M.net
>>929
君用じゃないw  第三者用の参考資料だよ。

937 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:49:23.25 ID:Ln3OCB1M.net
だいたい、
顔文字見て、「確かにここに顔がある〜!」って叫んでるだけだもんなw

別に 「顔に見えて当然だけど、本質(本性)としては記号の集積だろ?」 と言ってるだけなのに
何が気に入らないのかわからんわw

938 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 15:44:56.55 ID:sKciI49d.net
>>924
> 阿呆のお前のごとく実体がない〜と切り捨てるのは断滅論であり仏典で完璧に否定されているわw
また有ると言うのも常住論であり否定されている。

ゴータマ尊者は、この世界は縁起により成り立っているので、諸法無我、諸行無常と表現されたのだ。
この世界に、諸法無我として存在してないものはなく、諸行無常として存在してないものはないのだ。

それゆえに、ゴータマ尊者は、断滅論や、常住論を否定されたのだ。そんなものはありえないと。
そりゃそうだろう?
断滅とは、縁起が切れるという意味だ。常住と言うのも縁起が生じないということになるのだ。
一切が変化している、そして変化するものだ、と初めに言っておきながら、断滅と言って、あるものが滅したまま
その後に何も無い、つまり縁起して生じるものがない、というなら、矛盾してることになる。
常住も同じだ。

つまり、断滅論も常住論も、この凡夫の世界を記述されたのだ。凡夫の考える世界だ。
そして、これが世俗諦と言うものだ。
この世俗諦の世界に、断滅する者、常住するものはあり得ない。

939 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 16:17:17.78 ID:sKciI49d.net
>>924つづき
そこで、チミは死ねば終わりだ、と言っていたね。五蘊が消滅するのだから、何も残らない、と。
これこそ断滅論だろう?
縁起とは、これあれば彼在り、これ滅すれば彼滅す、ということだ。
五蘊が滅するのだから、五蘊の構成していた世界は滅するのだ。これが縁起だ。
そしてこれがニルバーナだ。
般若心経が言うところだ。
結構じゃないか。

ところが凡夫は、五蘊が滅しても、そもそも、生きているときに五蘊をそのものとして、つまり六根清浄なものとして
用いていなかったのだ。欲に汚されて正しく見ていなかったのだ。それ故に
五蘊が滅しても妄想が残るんだな。五蘊が滅すると、穢れた自分の妄想が生じるのだ。それが輪廻思想に代表される妄想だ。
これによって、チミのニルバーナは、滅し、チミの欲界が生ずることになるのだ。
チミは欲こそ自分であると信じているから、死んではその妄想の世界の主となって、ニルバーナははるか遠い世界となるのだ。

940 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 16:30:32.41 ID:EyVz/s4H.net
>>29
見当識障害は認知症の事を言うのであって、健常者はこれに該当しない
よって、>>2の言い分は矛盾している

もし、見当識に障害が有る事が健常者の真実ならば
見当識障害と断定も出来ない故に>>29は矛盾するのである

ただの知ったかぶりだな紐は

941 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 16:51:50.34 ID:EyVz/s4H.net
>>939
>これによって、チミのニルバーナは、滅し、チミの欲界が生ずることになるのだ。

ニルヴァーナは滅さない
そもそも生じないのだから
そして「死」とは五蘊に於いて認知される事
故にこれも妄想に過ぎない
更に妄想とは無明に因って為される
故に、五蘊と言うのも概念であり、もっと言えばこれも妄想となる

君はいい線行っている様に思われる

942 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 17:54:05.59 ID:sKciI49d.net
>>924つづき
それからチミは「無」の意味を誤解してすり替えて、自分で自分を混乱させているぞ。
こういうのを自家撞着というんジャマイカ?

世俗諦の世界における無は、相対的に生じる無である。有があるから、それに相対して無が生じる、というのが
世俗諦の世界の「有無」の概念である。有もあれば無もあるのだ。有があるから無があるという関係だ。しかし決して有や無が単独ではありえない。

しかし、勝義諦の「無」は単独であるのだ。
自存してあるのだ。ただ、その姿が、世俗諦の世界のように、姿が無いのだ
無相なのだ。それは一相な姿をしてるからだ。相対存在ではないのだ。絶対存在なのだ。
姿がないことを以て「無」と言っているのであって、存在しないという意味で無と言っているのではないのだ。

世俗諦の世界の無は、相対存在なので、実体がない。しかし、勝義諦の世界の無は実体ある存在なのだ。

943 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:18:01.51 ID:VdPj2D7r.net
>>942
>世俗諦の世界の無は、相対存在なので、実体がない。しかし、勝義諦の世界の無は実体ある存在なのだ。

間違ってるよ
世俗諦は概念あってのこの世界の事実のこと、だから有相なのだよ
カップラーメンにお湯を入れたから三分後に食べられる状態になった、と観るのが有相

一方、無相とされる勝義諦からの見地では、一切合財が全て漏れなく「前後際断」であり何を取り出しても無関係の極みの如くとなる
つまり、
カップラーメンもお湯も三分後も食べられる状態も全て無関係の法位で、これら概念も認識も無関係の法位と観る
それらを関連付けしようとする主体を認められず、客体も認められない、それが勝義諦の事実

石ころは自らが石ころである認識をしないし、何処から来て今があり、どうなるのかなども認識しないし思考しない

涅槃を知るためにはそう言う見地を実際に行って体感せねば知ることは出来ない
それを知る目的を判ってるものは今、既に行っている筈だからこの点で迷う事も間違うこともない

良く留意されたし

944 ::2015/12/24(木) 18:28:31.92 ID:4yUklIKx.net
人間の自意識が死ねば消滅し無くなるのは自明の事だろうよ。死後の魂が有るとか無いとか言っているのではない。
断滅論は人間の真我について「実体がない」として切り捨てる事だ、まさに>>923の実体がない〜がコレに相当する。
人間の自意識が死んで無くなって自意識に実体がないというのは断滅論ではない。なぜなら真我は空だと言っているからな。
自意識は真我ではないからな。 自意識やら体は真我ではない。自意識やら体が死後無くなって実体がなかろうと、真我は
空であり実体は分からないのだよ。お前のごとく「実体がない」だの「無い」と切り捨てる事自体が大間違いで妄想だ。

>>940
妄想オンリー論者の阿呆かよww
では>>29の質問、「ここはどこか?」「いまはいつか?」「あなたはだれか?」の3質問に答えてみよ。
お前が答えられたらお前の言い分を認めて、私の間違いを詫びて謝罪しようではないかw

945 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:36:12.89 ID:VdPj2D7r.net
>>944
「ここ」とは文字であり、概念である
故に、ここと言う場所はなく、それはお前の考える何かに過ぎない
次に「どこ」と言うのも文字であり概念である
故に、どこと言う場所はなく、それもお前の考える何かに過ぎない
次に「いま」も同様である
次に「いつ」も同様である
次に「あなたはだれか?」も同様である

こう言う分析すら適わない状態の事を「見当識障害」と言うのであり
紐よ、お前は知ったかぶっていい加減を垂れ流してるに過ぎないんだよ

ゲスの極みだなお前は

946 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:40:39.53 ID:4yUklIKx.net
文字であり概念であり個々人の考えている何かに過ぎず〜で肝心の答えは何なんだ?ww
答えも言わずに「ゲスの極み」というお前がゲスの極みだろうよ。

俺は答えられたら自分の間違いを認めて謝罪しようと言っているんだがなあwww

947 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:46:16.63 ID:VdPj2D7r.net
お前は今自分が誰でどこにいるのかさえわからんと言うのかw
頭大丈夫か?

948 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:47:29.28 ID:4yUklIKx.net
能書きは良いから答えろやw

949 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:51:12.40 ID:VdPj2D7r.net
え?
ネットの掲示板に自分の居場所と氏名を公開しろとバカを言うのか?

紐もいよいよ だなぁwwwww

950 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:53:28.95 ID:4yUklIKx.net
自分の居場所と氏名が「ここはどこか?」「わたしはだれか?」の答えかよw
ふ〜んw でネットでは答えられないとwww
で最後の「いまはいつか?」の答えは? これはネットで答えても問題ないわな?

さ、はよ答えろwwww

951 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 18:56:44.16 ID:VdPj2D7r.net
お前の目は節穴か?
レス番にならんで今日の日付があるのが見えないのかwwwww


若くして認知症、大変だなあwww

952 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:02:22.35 ID:4yUklIKx.net
>>951
お前の答えは>>29で取り上げた「通常は〜」の答えに過ぎないわw
そんな見当識障害の回答は回答にあらず。
人間は全員誰も>>29の3質問に答えられないというのを覆せないのは明白〜w

答えてみよ〜の回答が>>29の通常パターンの回答とはwwwww
まさに阿呆wwwwwwwwwwww

953 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:10:16.78 ID:JioI+Lzb.net
>>952
お前本当にバカなんだな
人は三界の欲界に縛られて生活をしている、それが普通って事なんだよ
その普通たる欲界では、想いや思考が意味を成すので「氏名」「居場所」「現時刻」を考えるのも言うのも普通なんだろ

お前の言ってる「三質問に答えられない状態」って言うのは、上記欲界のままだとそれは認知症や記憶障害
欲界以外の場合ならそれは真理に即した見解の事を言うので、普通の観点から言うなら知覚不能なんだよ
お前、そんな事も知らんでドヤ顔してたのか?

普通の質問に普通に答えて何が悪いとはお前の見解だろう?

禅問答のつもりだったのかな?
もしそうなら、質問を出題した奴の負けなんだよ、こう言うのは

賢くなりたいならもう少し禅くらい学んだらどうかな?

954 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:14:07.23 ID:4yUklIKx.net
>真理に即した見解の事を言うので、普通の観点から言うなら知覚不能〜

だから、頻回に繰り返し「分からない〜」と言っているんだがなあw
「実体がない」「無い」〜と分かった振りしているお前らがバカなんだろうよwww

955 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:18:28.87 ID:JioI+Lzb.net
>>954
お前は今、自分が判らないのか?
そりゃあ大変だwwwwww

全然意味が分かってないのなw

お前が「有る」と連呼してるのは世間話
実体が無いといってる奴のも世間話

それが判らないお前が一番バカなんだよw

956 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:21:09.56 ID:VdPj2D7r.net
自分が解らないのに紐と名乗る矛盾wwwwwww

957 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:21:13.53 ID:4yUklIKx.net
>>955
お前も分かっていないわなあw

分かっていないのに分かった振りして妄想を語るのが一番のバカなんだよw
お前のごとくなwww

958 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:22:53.10 ID:JioI+Lzb.net
紐に承認されなきゃいけない謂れはどこにもない罠www

959 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 19:23:04.90 ID:4yUklIKx.net
自分の氏名が自分とかまさに阿呆w
宗教スレにいるのはスレ違いだろうよw

960 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 21:44:55.49 ID:+uYSziAr.net
>>959
だからw、
そういうふうに「○○は自分じゃない」「××は自分じゃない」・・・・
と数え上げて、何が残るのか?と。
一般的に、その時残ったモノを「自分」だと人々は受容する。

さて・・ その最後に残ったモノとは何ぞや?と・・(何者か?と・・)



語録の読みも足らんなぁ・・・w

961 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 22:02:41.31 ID:4yUklIKx.net
答えられるのなら答えてみよwwww

語録を深く読んだ結果を披露してみよww

答えた瞬間アウトだろうがなw

962 :神も仏も名無しさん:2015/12/24(木) 22:11:46.85 ID:G9kA5hlg.net
問うているのが自分じゃないの?

963 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 00:15:20.20 ID:sc128xvi.net
彼ら自身が今まさに証明の最中だわな

964 :CIAパンドラ計画:2015/12/25(金) 08:32:11.25 ID:2G1hB2nj.net
現象的意識が本当の自分ですよ

965 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 10:49:06.76 ID:1YqTWG6j.net
>>941
> 君はいい線行っている様に思われる

今後ともご指導よろしく

五蘊も妄想というのは大胆な判断、しかし、そういうことになるんですよね。

>>942
チミの勝義諦の説明が間違ってないか?
なんか勝義諦の中にはいくつかの事実が存在してるかのような説明だ。
勝義諦とは、一切の縁起する事象を排斥する存在であると思う。

966 :CIAパンドラ計画:2015/12/25(金) 11:13:52.20 ID:2G1hB2nj.net
現象的意識が本当の自分ですよ

電磁波豚が意識のソフトプロブレムと言って
無視しているものがそうです

奴らがニヒリストの訳がねーだろバ〜カ

967 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 11:46:19.54 ID:1YqTWG6j.net
>>952
>人間は全員誰も>>29の3質問に答えられないというのを覆せないのは明白〜w

ゴータマ尊者が実相は空相、無相、一相な存在であると言ったとき、
その実相は、無限な広がりを意味しているのだ。無限だから一相な世界なのだ。
無限であれば、そこには中心などというものはないだろう?ないのだ。

ところが、この地球上に人間どもは、自分の居る場所を中心に考えざるを得ないのだ。
そしてそれを法律としてみんなが認めなければならない法則としているのだ。この法則を
世俗諦というのだ。
その根本にあるのが度量衡だ。この尺度で、この宇宙の広がりを計算しているのだ。
地球から何光年のところに何々の星があるとか言うのだ。そしてビックバンによる宇宙は膨張してるとか、
一切の現在の宇宙物理の理論を構築してるんだな。

で、次にこの度量衡なる法律も、一体どこに起源を持つのか、ちゃんとあるのだ。
それは肉体に損する肉体の本能と言われる性欲である。性欲は、生存欲つまり生欲のことなのだよ。
性欲を性欲と同じに並べるのは恥ずかしいので人間は、性欲を生欲とは言わないことにしてるだけだ。
生存欲=生欲であり、真実は、且つ、性欲なのだ。で性欲は身体に存するものだから、身体を度量衡の基準にしてるのだ。
その他の法律もすべて身体を基準にすることになる。
これを世俗諦の世界というのだ。
そこで、チミの質問だが、世界の中心は、世俗諦の人間の世界では、自分の身体の存在する地球の、その中の
今自分の居る住居の、その中にいる自分の身体の、その身体の中の、男根であるというのが妥当な見識なのだ。
その男根に関連して女陰が生まれ、家族が生まれ、社会が構成されているからだ。
ゴータマ尊者は、家の建設者を発見した、それは本能欲である、ということを言っておられたね。

勝義諦の世界では、この根本欲と言うものがない世界だから、中心などというものは、ないのだ。
判らない、とチミは、自分が正常なことの証拠のように言うが、それは嘘を平気で言うマーラーの化身なのだ。
迷いをもって正常と強弁してるだけなのだ。

968 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 11:56:32.83 ID:j9GJHm/E.net
釈迦の言う八正道が入口というのは正しいと思います。
釈迦が最も戒めた苦行や瞑想が入口という誤謬を吹聴するのは
やめた方がいいと思います。
そういう行いがカルトなのだと私は思います。

969 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 15:54:37.82 ID:YiUcoFyu.net
>>965
>勝義諦とは、一切の縁起する事象を排斥する存在であると思う。

軽はずみに語ると脱線してしまうことに留意されたし
先ず、勝義とは最勝の義という意味でありそれは存在ではありません
そして、その最勝の義たる諦とは最勝の義たる菩提のという事なのです
菩提とは言い換えれば智慧の事です
その智慧を以ってして知り至る事が所謂悟りです

智慧には二種あります
一つは法住智、もう一つが涅槃智です
この二種は同時に得て執行され悟られます

前者が所謂「これは苦である、この集まる事が苦なのである」と知ることです
後者が所謂「この苦は永遠にあるものではない、この苦には滅する方法がある」と知ることです

所謂四聖諦のことです
道理があって終局がある
これらが所謂苦集滅道の四つの真理(諦)であり、それを知らしめるのが智慧なのです

これらは存在ではないので実在しません
ただ、知れるだけ、行えるだけ、と言うに他ならないのです

970 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 16:23:07.44 ID:1YqTWG6j.net
>>968
>苦行や瞑想が入口

苦行がなんの修行になるのか、全くわからないで苦行を続けていたみたいですね。ゴータマ尊者は。
目的がはっきりわからなかったのだと思います。でも苦行は断食をし欲望を停止するという事実を
行為を伴っているのです。これは正しい修行に入ると思います。しかしそれによる効果は受け入れる心の状態ではなかった。
そこで、ある時、世界は縁起によってできていると知ったとき、そこから一切の問題が解決したんですね。求めるべきものはなにもない、と。
苦行は快楽を求めていることなのだと。相対的に存在するものだから。
真実は苦行によって求めることもできず、また、快楽を追求することによっても求めることができるものでもないと。
犯谷、求めないことによって自然に得るものだと結論で来たのですね。真実は空相だから。

瞑想というと、迷想に導く感じがしてならない。それは真実である空に反する思いを保持することのように、一般的に解釈される恐れがあると思う。

ゴータマ尊者は、止観ということを勧めています。何も思わないで諸法を観察することです。何も求めないで諸法を観察することです。
瞑想はこの止観と同じなら、それは真実にかなった修行だと思います。
に反すれば、止観=瞑想は真実に反した行為で、正覚を得られないでしょう。
一般的に言われている瞑想はこの止観に忠実なものではないように思います。

一点に集中するとか、神を観想するとか、こんな思いはゴータマの止観ではないと思います。

971 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 16:39:23.70 ID:YiUcoFyu.net
>>967
>ゴータマ尊者が実相は空相、無相、一相な存在であると言ったとき、

先ず、相とは何か?ここが解ってない人が多いと思われます
この世界の真実、事物の事実には相は一つしかなく、一つしかない故にそれを無相といいそれを実相と言う訳です
ここで言われる相とは、人の思考する思惑から起こる事物の見方、偏見の事です
見方・見え方については割愛しますが、人や有情以外の事物には思考も思惑もありませんから
見方・見え方と言うものが事物に有ったとしてもそれらは一つにしか見えないのです
人はここに思惑を挟みこんで事物の見え方に心のフィルターを掛けて色眼鏡で見てしまいます
それをしているのは心と呼ぶ妄想です
心の正体は各感官からの実感とその意識ですから、心と言うものも実在しません
各感官はそれぞれ視覚の世界・聴覚の世界・味覚の世界・触覚の世界・嗅覚の世界と五つあり
それぞれが交わることなくこの世界は機能しています
そしてもう一つが意識と言う世界で吟味され差別され、これは音、これは匂いと区別される訳です
これらは各々が別々ですが、それらが一体となっているのがこの世界の真実なのであり
これを無相・実相と言う訳です

ここに人の情が差し挟まれると、好き嫌いや多寡などが入り込み有相となるのです

972 :おる 尿MARU(まる)。 ◆2UpphQj1WM :2015/12/25(金) 17:06:23.18 ID:1xkTLk6y.net
無い(のい)



刀(ない)

973 :神も仏も名無しさん:2015/12/25(金) 17:12:37.03 ID:YiUcoFyu.net
>>970
>ゴータマの止観

止観とはサマタとヴィパッサナーの事
これも良く論争になったりしますが、何てことは無い簡単な話です
ヴィパッサナー=観行の目的は道理を知り至ることにあります
つまりこれは法住智(法に住する智慧)の事です
「これは苦だと知ること、この集まるのが苦なのだと知ること」です

一方のサマタ=止行の目的は全ての心象を寂静させる事にあります
つまりこれが涅槃智(涅槃させる智慧)の事なのです
「この苦は永遠ではないと知ること、この苦を止める・終わらせる方法があると知り行うこと」です

サマタだけでもヴィパッサナーだけでもダメな理由もここにある訳です
「道理を知って、終局させる」
これの会得が仏道随一の課題あり、その目的が苦の滅尽となる訳です

974 ::2015/12/25(金) 22:51:04.61 ID:rUjE459X.net
>>893
>「真理」とは、「釈迦が言ったから生じる」ものではなく、「誰でも言える」
>からこそ、真理なのである。

全く同意するw さすが隠居氏であるw

特殊な修行をしてその道のエキスパートとなり頂点の一握りの人間だけが道を極められるような道は道ではない。
誰でも普通に生きていて得られる中に道は有る、と我は信じるw

両極に不だの非だのを置いた表現→不生不滅だの非有非無だのは、「分からない」という意味だ。
分からないのを特殊な修行の元に分かった人間がいるかもしれない。しかしその分かった事を他者に伝えられないのならば
それは何の意味も無かろうw 自己満足の世界である。 言葉で伝達不可能な事にある真理など価値は無いとは言わないが小さいわ。
特殊な修行を前提とせねば得られない世界観は言うならば職人や芸術家、アーティストの世界と同じようなものだろう。
しかし、そのような狭小な世界の真理など小さすぎて話にならんわ。真理は万人共通のものである。

一握りの人間が掴んだ(かもしれない)有難そうな訳の分からない真理より、万人共通の普遍の生き方の方の真理の方が遥かに大きい。
一言で言えばwwww 無作為に生きる事だ。 のほほんと腹が減ったら飯を食い、眠くなったら横たわる。平穏無事な人間こそ最も尊い。
この表現は臨済録にも頻繁に出て来るだろ。これこそ真の道だ。

975 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 02:44:28.22 ID:xYR8iENO.net
なんか、違う気がするww

976 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 09:35:13.67 ID:RaHagBpz.net
現れたものは実在していません。夢です。
現れを空と見る手法は、
催眠を暗示で打ち消す方法です。
言葉は夢を構築し強化しますが、破壊にも役立ちます。
心が学びます。
現状を維持するのも変えるのも心です。
体験を待つ姿勢よりも熱望を神は喜びます。
神は内にも外にもあり、あなたであり、他者であり、モノであり、ひとつ残らず全てです
これも1つの見方です。心の範囲ですが、最上の理解です。
無は心を越えています。

977 :CIAパンドラ計画:2015/12/26(土) 12:14:23.85 ID:Gs1bP+pk.net
普通に現象に対する観測者が居て
普通は当たり前すぎて気にしてないけど

要するに自分が観測者として
捉えている現象である事

彼岸(対象)と此岸(自分)

両方あって現前する世界ですよ

978 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 12:15:10.76 ID:PVjPl+/E.net
「夢」という概念は「現実」という概念で成り立ってるんだよね・・・。
すべては人間の頭で作った概念であれやこれや言ってるわけ。

もしも概念を取り払ったら、スライムみたいなぺニャぺニャした世界だったり、
そもそも世界という概念すら無いかもしれない。
まったく想定不可能なわけ。
なぜなら「想定」ということ自体、人間の頭の中でされてることだから。

とにかく、すべての枠を取っ払ったら、そこには人間の想定では不可能な○○・・・ ということなわけ。

だから、そうなった時は人間の概念で作られたあらゆるものは吹っ飛ぶよ。
それが仏教で言う、(人間の概念で作られたものは)「無」ということだろう。
それが「空」ということだ。

それで、すべてが無くなってしまうかと言うとそうではない。
あえて言葉で表現するなら、スピリチュアルで言われてることは、
ただ意識だけがあるってこと。

ただ意識だけがあってそこに価値判断・分別・思考という二次的なものが起こらなければ、
その意識にとっては目前のものが静寂に見えるでしょう。
波風を立ててるのは常に人間の思考だから。

どんなに激しい戦争を見ようが、そこに分別が働かなければ、そこはただ静まり返った静寂があるだけだよ。
爆弾が炸裂しようが、何が起ころうと。

仮に悟ったときにそうなったとして、そこに喜びやら至福感があるのだとすれば、
それはかすかに残った人間の価値判断が、そういう状況を見たときに、そう感じるのだと思う。。
あらゆる悩みが消え去ってただ在るという状態ほど、幸せな状態は無いということかもしれない。

そして最終的に残るすべての価値判断、束縛を解放した「意識」というものは、もちろん自分の思考というものを越えていて、
全世界の人間、物体、すべての存在の根底にある土台のようなもの・・・
人の生き死に関係なく、常に遍満しているもの・・・
最終的に行き着くもの、あるいは、すべてを取り払った後の根底・・・ 
すなわち、「意識」=「空」ということかもしれない。

979 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 13:14:52.35 ID:+yKk1u4n.net
>>974
誰でも真理を説けるなら、指導者など必要ないな。みんなが菩薩声聞ならではの話だ。

菩薩声聞でない凡夫は、真実を知らないので、真理は解けないのだ。真実真理を知っているなら、
六道の凡夫と言わないニョ。

>両極に不だの非だのを置いた表現→不生不滅だの非有非無だのは、「分からない」という意味だ。

これは違う。
世俗諦では、縁起してる現象をあるとみなすのが前提だ。だから、生滅という現象は紛れもない事実で
そのための対処をするのだ。凡夫の世界は、全て生滅現象の世界なのだ。諸行無常、是消滅法、というのである。
しかし、世俗諦の世界で見られる、生ではない存在、つまり誕生したのではない存在があり、且つ、
世俗諦の世界で見られ梅津ではない存在、つまり滅することのない存在がある場合、それを表現するのに、
不生不滅の存在と言うのである。何も深い意味は表現自体にない。

同様に非有非無という場合も、世俗諦の世界で言う、縁起現象としての有という存在とみなしえない存在を、
非有というのだ。かつ、世俗諦の世界で言う縁起現象としての無という存在とみなしえない存在を非無というのである。

ひっきょう、非有非無とは世俗諦の世界の存在ではない、と言う表現に尽きるのだと思う。

で、この世俗諦の世界の縁起現象としての有無が、相対存在であるが故に、実体がない、幻であるとみなし得ることが判明すると、
それを実行して生滅滅既と判断するのだ。そして、人を惑わす生滅がない世界が誕生し、その世界がニルバーナというのである。

諸行無常の意味するところは、常にある現象は存在しないという意味でもある。この世俗諦の世界は、縁起した世界以外ではないので、
必然的に、常に存在するものはあり得ないのだ。あるもの:事象が生じたら、それは有る事象が滅するという事象とついに発生するものだから、
そういうことを認めたらすぐに、ああ、これは生じているものではない、と判断しなければならないのだ。
グルメを食するときも、自分はグルメを味わっていない、と言い聞かせて食さなければならない。真実そうなのだ。そういう態度に徹するとチミは安楽浄土に生まれ生きることになる。

だからニルバーナという実在世界を、「判らない」などと言ってはならない。

980 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 13:26:11.23 ID:JpHiku+8.net
分からない事を分かった振りして説くのを地獄に堕ちる不憫な人間と言う。
哀れ〜w

981 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 14:11:04.30 ID:+yKk1u4n.net
ソクラテスは、自分はなにも知らないということだけを知っている、と言った。
この人は、これを社会に貫いて、しまいに社会の邪魔ものとされて死刑にされた。

てめえの我欲を言い張ったからだ。

ソクラテスが知らなくとも世界の真実を知っている各社は、古代ギリシャには幾人かおり、
彼らは、ギリシャ世界で、大変な名誉を獲得していたのだ。
ソクラテスは自己の欲を言い張って、智者たちを邪魔したのであった。

チミは智者であるゴータマ尊者を貶し、その貴重な真理の言葉を多くの庶民から奪おうとしてるのだ。
これはソクラテスと同じ罪である。

そのうちに、ソクラテスのように死刑にされる運命ではないか、それを恐れないのか?

982 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 14:24:28.28 ID:JpHiku+8.net
仏陀の自灯明法灯明の教えに背き、指導者灯明、仏教燈明の馬鹿者を仏陀は嘆いているだろうよw
無知の知は、「我こそ知っている〜」という阿呆の上の存在だw
「我こそ知っている〜」こそ我欲であり、無知の知は我欲とは正反対のもの。

このように。仏教キチガイの言う事はことごとく一般市民には理解不能であり、コレを理解するのは同じ穴の貉の
仏教キチガイだけw 類は類を呼ぶ〜w

983 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 16:40:15.10 ID:+yKk1u4n.net
>>982
>仏陀の自灯明法灯明の教えに背き、指導者灯明、仏教燈明の馬鹿者を仏陀は嘆いているだろうよw
無知の知は、「我こそ知っている〜」という阿呆の上の存在だw
「我こそ知っている〜」こそ我欲であり、無知の知は我欲とは正反対のもの。

論理が破たんしてるね。哀れ哀れ。
認知症、精神モウジャク。(そんな病名あったかな?)

解脱知見を得ないものは、修行が完成していないのだ。

この解脱知見を自灯明と言うのだ。修行の段階を知っっているのは自分で、その自分が解脱したかどうか知るのだ。
ゴータマ尊者の説く方が円満で自分に理解でき、同意し、それで修行を始めるのだ。法灯明自灯明と言うのは適切だな〜。

984 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 16:57:09.85 ID:JpHiku+8.net
論理破たんはお前だろww

一般市民の論理と相いれない糞仏教依存論理なんて仏教信者にしか理解できなかろうwww

985 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 17:06:43.73 ID:TiTfdidq.net
>>984
いや、そりゃ当り前だろう?www

キリスト教的信仰やムスリムの信仰は、畢竟信仰者にしかわからない。
野球を嫌いな人は、野球の面白さ(や或いは効能等)もりかいできないだろう。

分野が異なる、フィールドが異なる、
価値基準(取り)が異なる、評価基準が異なる、目線が異なる以上、
そこに理解の浅深や可不可が生じて(存在して)当然だろw

今更何言ってんだ?

986 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 17:15:01.71 ID:JpHiku+8.net
論理とは普く通じるから論理というw
100人に説明してその中の少数の人間jにだけしか納得できなければそれは非論理だw
100人に説明して100人が納得できること。これが論理的な話し方だろうよw

さて、仏教の解脱知見とやらを得た人間の価値観に基づくのは多数派かね?
そうでなければどちらが非論理であるかは明白。

今更何言ってんだ?wwwww >>985

987 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 18:22:20.38 ID:JpHiku+8.net
つまりだw
仏教の解脱知見とやらを得た人間は黙って座って何も言わない事だろうよw
2ちゃんねるでペラペラ言えば言うほど一般市民と乖離が大きくなってデメリットばかりが大きくなるw
黙って、聞かれれば答える〜聞かれなければ死ぬまで黙っているだけ〜ww

これなら「さすが解脱者〜」と本人の死後に褒め称えられるかもしれないぞw

口数が多い解脱者ほど偽者臭い。解脱者は黙って語らずだwwww

988 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 18:31:28.47 ID:+yKk1u4n.net
>>986
チミみたいなやつはほんのごく少数だよ、いたとしても。
ところが、そのめったにいない自分が、世間の普通な人間だと思っているのだな。
それは大きな誤解。

どうしてそんな自分中心の見識を持っているんだ?

989 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 18:36:03.61 ID:JpHiku+8.net
当たり前だろwww

お前は仏教の解脱知見とやらを得た人間なんだろう?w
で、世間一般にその解脱知見とやらを得た人間が何%位いると思っているんだ?ww
大多数が解脱知見を得ているのならばお前の言う通りだろうが、常識的に見てお前の方が少数派だろうよw
お前が自分の方が多数派で常識的だと思う事自体が、「自分中心の見識」という奴だww 
まあ、来世は地獄で楽しく暮らせw

990 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 18:54:52.98 ID:+yKk1u4n.net
戒、定、慧、解脱、解脱知見
これが修行の道程だ。ゴータマ尊者の説かれた。

俺はただゴータマ尊者の教えを貴重なものとして、現世の人間に伝えているのだ。
解脱し、その知見を得た聖者だと言っているのではない。

ゴータマ尊者の教えは、客観的な理法であると思い、それならだれでもそれを理解できると
信じているのよ。

欲に染まっている人ほど、ゴータマ尊者の教えを理解しないというのは道理なのだ。
欲に染まっている人は、ゴータマ尊者の教えを聞くと、笑い転げるだろう。バカなことよ、と言って。

その教えが理解できないのではなく、理解できるのだが、その実行ができないのだ、欲に染まっている人は。

イエス尊者が、冨者が天国に入るよりも、ラクダが針の穴をくぐるほうが優しい、と言ったのも、このことを言っているのだ。

991 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 18:57:59.35 ID:TiTfdidq.net
梵天勧請

992 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 18:59:44.80 ID:JpHiku+8.net
何だお前解脱知見を得てないのか?ww
馬鹿じゃねえの?

まあ、仏陀に嵌り、仏陀依存、仏陀灯明〜というのが根本的な大間違いであると自覚すべきところだが
恐らく言っても無駄だろうよw

まあ、来世は地獄で楽しくなw

993 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 20:24:24.47 ID:JpHiku+8.net
2500年前では梵天勧請も有りだろうが、現代ではキチガイ扱いされるだけだぞww

994 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 21:06:57.76 ID:TiTfdidq.net
>>992
間に立って伝えるものが居てもいい。
(つか、学校教育で、某かの知見や成果が生徒たちに伝えられるとき、
 その担当教師は、当該人物と同じ境地、同じスキルに至っているのかい?w
 その担当教師は、当該事象を(完璧に)把握してるのかい?w
 すごいスーパー先生だなwwwww)


>>993
そういうことじゃねーよw

んと、
物事、事象の構図や関係性を見るのが下手だな・・ ┐(´ー‘)┌

995 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 21:31:39.29 ID:JpHiku+8.net
学校の先生に求められるのはスキル以上に人間性だろうよw
糞なセブンのごとき阿呆が先生になったら生徒が悲惨だw

物事の説明について「国語」から勉強しなおす事を推奨するわw >セブンwww

996 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 21:35:58.78 ID:JpHiku+8.net
例え話を好んでするがその例えがサッパリ周りに理解してもらえないと言うのが多々ある場合、
己の頭を疑えww >セブンw

例え話が下手という事は物事を論理的に説明できない〜という事だ。
僧侶として致命的なんじゃないのか?w
小学生の国語の教科書を開いて勉強をし直せw

997 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 21:52:26.60 ID:JpHiku+8.net
A→B→Cで、Aを仏陀、Cを現代の凡夫、Bを間に立って伝えるものとした場合w
Cの凡夫がBに習って仏陀の教えを理解しようと努めるが、BがこれまたCと同等の凡夫だったらw
Cは仏陀の教えを理解するどころか糞なBの糞な教えを吸収して糞なBのコピーが出来上がり、この糞なCが
別の人間に伝えようとする〜 こういうのを悪循環と言うんだよww


さて、僧侶のセブンよw お前はこの糞なBではないのか? チミ〜の阿呆は自分は仏教の解脱知見を得ていないと自白したが、お前も同じ糞だろうw

998 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 22:20:00.24 ID:TiTfdidq.net
( ̄ー ̄)

999 :神も仏も名無しさん:2015/12/26(土) 22:59:46.18 ID:JpHiku+8.net
次スレw
仏教の「無い」志向は間違いに違いないw【04】 [無断転載禁止]©2ch.net
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