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悟りを開いたことあるけど何か質問ある?38

817 ::(。~^~)(~^~。) ポッたん ◆Pottan66Pg :2015/10/10(土) 18:33:41.78 ID:VlwzPnGs.net
> 出家・在家は生活様式が違うだけで、人の心の上においては出家も在家も存在しない。
  たとえ在家であっても、世に対し執着心の無い人もいる。
  また出家であっても、娑婆世間の人以上に強欲な者は山ほどいる。 』


仏僧の妻帯が法律によって許可されたのは、明治以降の事です。
キリスト教ヨーロッパ列強をお手本にして急きょ国家の体制を作り上げる過程で、国教としての国家神道(こっかしんとう)が選択された。
明治天皇中心の王政復古を推進し、仏教の人を殺すな、人をして殺させるな、の教えが邪魔になった。
そこで、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言う仏教大弾圧を始めた。
神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代は神社はお寺でもあり、お寺は神社でもあった。
仏教は江戸時代を通じ檀家制度によって保護され、しかも、通行手形の発行、出生死亡の届けを出す過去帳の記載など国家権力の末端を担っていたのである。
さて、仏教聖典を焼く、仏僧を投獄する、寺を焼き払う、等々の弾圧の後、明治政府は法律を作ってまでして妻を持ってもおとがめなしよ、の妻帯許可の法律を出した。
僧侶は、仏像、仏教用具を切り売りして竹の子生活、飢えをしのいでいた。
このとき来日の日本びいきの外国人によって買い取られた多くの国宝級の仏教関係のしなじな、古美術品が二束三文の値段で売却され、外国で保存されている。
だから、妻帯許可によって仏教は息絶え絶えの状態から救い出されたと言えるし、明治政府に恩義と借りを作って従属していった。
産めよ増やせよ、と兵隊生産に加担していくという国家権力へ加担しての延命策であり、戦争協力者であった。
それが富国強兵である。
第二次世界大戦後は、本来の仏教に戻るチャンスでもあったのだが、どの宗派も、知らぬ顔の半兵を決め込んで、いまだに妻帯がまかり通っている現状は、各国仏教世界においても理解不可能な摩訶不思議なのだ。
坊さんたちが、いまだに妻帯をしてるのは、やがて必ず来る戦争に兵隊を送り込む固い決意の表れなのか。
 古代インドでは、出家修行者になるには、次の家の当主を育てること、妻子が路頭に迷わないよう財産を残すこと、の準備をした後、出家修行に入った。
出家修行者は無一物で仏門に入っていった。

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