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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】
- 888 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 18:09:07.15 ID:PIEbLadn.net
- 有だ、無だといくら騒いでみても、人間は、専ら五感の知覚により有無を
判断し、有に100%依存しない限り一瞬も生られないのだから、
無駄な話。釈迦の目の前に見える大地が無なら、彼は一瞬にして奈落の底
である。
生まれたばかりの赤ん坊は、「誰からも教えられないのに」、母親のオ
ッパイを見つけて吸い付き、生きようとする。「このオッパイは有るの
か無いのか」などと迷ったりはしない。
「有」とは「作用を表す対象」であることは、古代インド人でも知っていた。
不思議に思うかも知れないが、中村博士は、その著「龍樹」で、有部を、
優れた哲学であるとして、高く評価している。特に、諸行無常の解釈と
して、刹那の生命による知覚の積み重なりに思い至ったのは見識である。
中村博士は、釈迦の「諸行無常」の論理矛盾を真っ向から批判している。
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