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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

725 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:00:06.57 ID:Fs2Tk8/d.net
>>716
森羅万象の世界があって、それは縁起の世界そのものなのだ。
そして縁起の世界は、真実は縁起してる諸法は実体のないものなのだ。
そこで幻の世界と仏教で言われる。

邪幻の世界であるなら、そこに真実の世界が当然あるはずではないかと考えるだろう。
それは、無相の世界、純一な世界、があるというのだ。
幻の真相はなにもないのだから、それを空というのではないか?その幻の世界は空っぽ、なのだ、というのだ。

幻の世界で、幻の一つ一つに実体があると思うものがいて、それを獲得して貯蔵しておこうとするのだ。
それの取り合いが発生しているのだ。その世界を欲の世界、偏計処集処?というのだ。

その取り合いと言う紛争もまた「これあれば、あれあり、これなければ、あれなし」の世界なのだ。
紛争当事者においては、この縁起してる幻の存在は実体あるものなのだ。

しかし真実は幻に他ならないので、その紛争自体も幻なので、真実の世界は
何も起きていない、平安な世界なのだ。そしてこの世界が真実にある世界だというのだ。ニルバーナというのだ。

こういう二つの世界、真実の世界と幻の世界を説明するために、空という呼称を使用してるのだ。

このように自分は理解しているが、チミのいうところは良く解らない。

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