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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

711 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 12:33:42.20 ID:eLrf4Ibj.net
見当識障害というのは今がいつで、ココがどこで、自分が誰であるのか分からない状態を言う。
医者がそれらしい患者を診察する時もこれを尋ねて答えられるか否かを診る。
西暦または平成何年何月何日何時何分、所在地(例えば○○病院〜)、自分の名前や社会的位置(○○会社
○○学校に所属している何某〜)を答えればよろしいが答えられなければ見当識障害と診断される。
では、広い宇宙にいる自分という観点でこれらの問に如何に答えられようか?
宇宙に始まりや終わりが有るのか無いのか?分からないその中で今はいつと言えるのか?西暦や平成などは
人間が勝手に作った時の点であり何ら時間を示す基準にならない。また、場所について見てもxyz軸の3次元で
座標で示してもそれは地球上ならば示し得ようが、太陽系→天の川銀河→全宇宙の中では座標の基準を取りようがなく
今いるココを何と答えれば良いのか?自分についても同様に見れば人間の組成が何が何%で出来ていて、それが自分である
などと言うのは何ら答えにならない。自分の名前や所属組織などは何ら自分を表すものになり得ない。
宇宙規模で見れば人間は全員例外なく見当識障害である。
つまり、人間は何も分かっていない存在なのである。
ココで人間は2種〜3種に分かれる。
T:分からないものは分からないとしてそのままにする。
Ua:分からないものがあるのが許せずに妄想する。分からないものは自分にとり好ましいものに違いない〜
Ub:分からないものがあるのが許せずに妄想する。分からないものは自分にとりつまらないものに違いない〜

健全で正常な人間の有り方はTであり、死後世界を妄想したり輪廻(輪廻転生)を妄想するのはUである。
同じ路線で言えば悟りや解脱や涅槃や如来の確信や覚者の存在などを探り志向するのもUである。
また、人生は無、空であると虚無に陥るのもUである。

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