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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

660 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 08:37:46.82 ID:eLYI+ybn.net
>煩悩即菩提、生死即涅槃は、大乗仏教の究極の思想

中論とは少しかじった程度で、いくらか聞いていいると、とても理解不可能のようだ。
チャンドラキルティから読んでみようか。

ネットでしか勉強するつもりがないので、良いサイトがあるかな?

661 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 08:39:13.81 ID:eLYI+ybn.net
中論とゴータマの教えが異なるというのは、おかしいと思わざるを得ないんだが。

662 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 09:04:20.48 ID:hfPCv62W.net
>>656
あなたが嘗ての誰なのかは問うまい
誰かだったとして、随分学ばれて心穏やかに成長された事を
素直にお喜びします

>「輪廻にある存在」なら、まさに「衆生」のことではないか。

これを外に求めるから混乱する訳です
あなたが衆生と指すその対象はあなたではない・あなたのものではない
そしてあなたの本体なのでもない、あなたが衆生だと指すそれは
あなたに於ける感受以外の何ものでもない
一切行苦とは一切(眼耳鼻舌身意)に意思(行)が起こる事全てが苦だと言う指摘です
あなたが衆生だと指摘したそれこそが一切なんです
それは苦なのであり、輪廻する故に苦を免れ得ない訳です

生死と涅槃とに差別や隔たりなど無いのが事実でしょう、それはまた真理でもあります
しかし、隔たりを感じるのが衆生の通常なのであり、そこを超克する手段が仏道修行となる訳です

663 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 09:08:23.23 ID:hfPCv62W.net
>>657
釈尊が法を説かなかったなら、大乗仏教は無かったでしょう
そんな事は無いならば、仏教を名乗るのを已めていた筈です
そして、涅槃は出世間ですから存在論に収まりません
存在論は概念ですし、涅槃という呼称も仮設の呼び名に過ぎません
事実という真理は概念に収まらないのです

664 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 09:11:43.73 ID:eLYI+ybn.net
中村元氏が、ゴータマは独創的なことは一つも言わなかった、と言っているというが、
ゴータマは世界の真実を発見することが目的だったから、真実の発見と、独創的は発明とは相克するものである以上
お門違いの言辞である。寧ろゴータマな独創的なお話は打破する人だったのだ。

しかし、正覚者でさえも、輪廻するんだ。それは、仏は生まれ出るものであって、滅するものであって、
ある時はかの国に、ある時はここの国に、と誕生地が異なるからだ。

665 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 09:14:42.48 ID:hfPCv62W.net
>>658
>音とは、アトムとその響きである、として、音も縁起したもので、実体のないもので拘るものではないと説くな。
>だから、誰かが大声で呼びかけてきたとしても、修行者はそれに気を取られてはならないのだ。

それはそう言う訓練法に過ぎません
身体を解す為に敢えて負荷を掛けて行なうストレッチみたいなものです

>ところでそういう解釈でいいのかな?w

可もなく不可もなく、理解されたのならあとは行なうだけでしょう
解釈は真理ではありません、真実は如実なのですから概念では及びません

666 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 09:16:39.78 ID:jEDYOBMU.net
>>660

その語句は、岩波仏教辞典からのそのままの引用だが、文句があれば
岩波書店に言ってくださいw。

>>661
チャンドラキールテイについては、他の中観論者とともに、「シリーズ
大乗仏教」で調査済み。彼は、宗教性(釈迦への嵌まり込み?)が特に深い
そうだ。

中村大先生によれば、西洋の仏教学者たちは、両者の相違の大きさは、
「世界宗教史上稀有の例」だと言っているそうです。

667 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 15:00:53.66 ID:Oyi5yG4s.net
>>662
>輪廻する故に苦を免れ得ない訳です

中論は、時間を否定することにより、輪廻を否定している。また、苦楽も相対
だから(苦があるからこそ、楽がある)、苦も空である。

668 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 18:09:53.34 ID:M0oDDhrj.net
輪廻(輪廻転生)はインド人の妄想
死後世界は不明
人生主体は有る

これ以外の回答を認めない

669 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 18:17:47.22 ID:DjznMih3.net
その「ある」ということの「在り方」がポイントだってのが、まだ解らないんだねぇ・・w

国、国家は「ある」のかい?無いのかい?  >>668



君はきっと、パレスチナ問題の深刻さも理解できてないんだろうな・・・ ┐(´ー‘)┌

670 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 18:21:28.53 ID:/gq1a8Fq.net
>>667
そう思う?
中論は時間と言うものが一体全体何なのかを解ってる人が論じている
それを踏まえて、名色の理を弁えた人が中論を著してるんだよ
それでも中論は時間を否定し輪廻を否定してると言えるかな?
ちゃんと読み直したほうが良いと思うよ

671 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 19:09:32.05 ID:M0oDDhrj.net
時間の理解は中論の時代よりも現代物理学の方が遥かに上だろうよ。
大昔の人の時間の理解を現代人にせよというのは誤。
単なる紹介(昔はこうだった〜という)以上の意味は無い。

672 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 19:11:43.13 ID:DjznMih3.net
>>671
昨日のNHKスペシャル見たか?w

673 :神も仏も名無しさん:2015/11/09(月) 21:45:49.38 ID:Ybs+5GMU.net
>>671
では、時間とは何かな?
これが分かるとあるものが分かる
そうすると、バックトゥーザフューチャーは不可能な話しだとも分かる

674 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 00:51:35.35 ID:/OFpm0Ph.net
>>673

物理的時間とは、単に「実在の変化」のこと。難しく考える必要はない。
昔の人は、天体の動きや水の動きで時間を測った(日時計、水時計)。
現代でも、原子の振動で測る。

太陽が昇って、沈み、また上る。これが24時間。この24時間を細分した
ものが時間。

中論は、時間を遮断することにより、もろもろの実在の構成原理を見出した
のである。動いている機械を止めなければ、その機械の構成はわからない。

心理的時間は、単なる心理現象。物理的時間とは似て非なるもの。

675 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 01:03:19.89 ID:eLL1afec.net
>>674
>物理的時間とは、単に「実在の変化」のこと。難しく考える必要はない。

つまり、縁起の事になるな
2500年前にそれは発見されてた訳だろ

>中論は、時間を遮断することにより、もろもろの実在の構成原理を見出した

違うな
中論に於いて言ってるのは名色(ナーマ・ルーパ)の観点から見た時間
つまり、名称(心理的観点)と形態(実態)の観点に於いて時間とは何かと観た場合
時間というのは名称に過ぎず概念に過ぎないと看做している訳で、時間を否定して居る訳では無い
人が時間と呼んでいるそれは、縁起している様をそう呼んでいるから、そもそも時間というものは存在していないと言っている
それが、己去去らず未去去らず去りつつあるものも去らないと言う事にも繋がる

もう少しちゃんと読んだ方が良いと思われる

676 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 01:22:04.75 ID:eLL1afec.net
中論は、仏道初心者クラスの知識レベルの事は考慮されてない難解な書と成っている
それ故に負けず嫌いなインテリ指向な連中が、知ったかぶったり論破して見せようなどと好んで読まれたりする
難しいのは当たり前で、あれは仏道のプロが仏道のプロに論難を挑んで論破する為の書だから難解なのである
あの書を簡単だ、と言う奴が居たなら逆に要注意なのである、それは何故か

龍樹尊者があれを著して対論相手にしているのは、説一切有部であり、真面目に研究と修行とを行っていた連中が
正法を間違ってしまった故に、それを正す目的で著された訳で、二十七章全てにおいて究極論戦と成っているので難しいのである
読んでも意味難解と感じる人は極めて「普通の事」なのである、恥じる必要等全く無い
中論分かっても悟れないし、中論知らなくても悟れるので、仏道に於いては知っても知らずとも何ら困らない書なのである

677 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 01:25:24.46 ID:eLL1afec.net
補足

中論を読んで理解出来るレベルとしては、最低限

名色とはどう言う理屈か

くらいを完璧に理解出来て無いと大抵誤読して誤解するだろう

678 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 01:36:06.23 ID:eLL1afec.net
もう一つ補足

中論は、悟った人が悟った人と論詰合戦している訳だから
あれを理解出来るには最低限、名色を完璧に・・・ つまりそれは傍観者も預流果ぐらいでなければ無理って事になる

679 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 01:50:44.65 ID:/OFpm0Ph.net
>>675

時間は、実在の変化であり、それを認識するのは「今ここの刹那の生命」。
中論の思想は、生命の刹那性の自覚からはじまっている。

釈迦の縁起は因果関係だから、時間を含み、対象の構造の把握は不可能
である。諸行無常の対象の一体どの時点における構成なのか、全く
解らない。

認識中の観測者が即死した場合、彼にとっての最後の世界は、一枚の
静止画である。

実在の変化は、五感で知覚できるから、概念ではない。刹那の生命の
機能としての認識(一枚の静止画)の積み重なりである。

680 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 02:01:01.70 ID:eLL1afec.net
>>679
>釈迦の縁起は因果関係だから、時間を含み、対象の構造の把握は不可能である。
>諸行無常の対象の一体どの時点における構成なのか、全く解らない。

諸行無常って言うのは別の言い方で「一切行無常」と言うんだよ
一切とは六触処(十二処の内側)の事で、行とは意思の事(行ないは全て意思から起きている)
それは無常(一瞬一瞬の繰り返しで恒常ではない事)だと言っている

>実在の変化は、五感で知覚できるから、概念ではない。

しかし、覚っただけでは知るには至れて居ない、故に五感にもう一つが加わって六根(眼耳鼻舌身意)と成っている
デバイス(五感感官)にはデバイスドライバー(意根)が無ければ成り立たない

>刹那の生命の機能としての認識(一枚の静止画)の積み重なりである。

そこにもし生滅を観れたなら、君は晴れて解脱だ

681 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 02:04:19.00 ID:/OFpm0Ph.net
>>676

中論を、何とかして釈迦の思想の枠内で解釈しようとするから、難しく
なるのだよ。

中論は、釈迦の思想とは本質的に異なる、完結した一大思想体系。

竜樹の伝記を読むと、彼は「仏教は間違っているから、俺が訂正する」
と喝破している。竜樹は頭が良いから、当時の超有名人であった釈迦の
名前を利用して、「己の思想」を説いただけ。

中論は、竜樹の「釈迦を超えた」という自負心に満ちていることを、読
み取るべし。

大乗仏教が、原始仏教とほぼ同時に発生したことの必然性を忘れてはならない。

682 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 02:09:55.89 ID:eLL1afec.net
>>681
龍樹尊者がそこで言っていた「当時の仏教」とは部派仏教の事
その中でも一大勢力だったのが説一切有部
世間ではその当時、それが仏教の全てだと考えられていたのさ

>大乗仏教が、原始仏教とほぼ同時に発生したことの必然性を忘れてはならない。

釈尊は最初から大乗仏教しか説いてないよ
ただ、時節に合わせて対機説法しかしてなかったから大乗経典の様な創作的な経典になってないだけ

683 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 02:20:40.97 ID:eLL1afec.net
>>681
君はひょっとして仏道を知らない人なのかな?実際に行じていないの?
もしそうなら、龍樹尊者が中論を興した理由と、その対論者の主張も知らなくて当然かも知れないが

龍樹尊者が言わんとしていたのは、有部に対して「釈尊はそんな事おしえてねーし」って事に尽きる
何たって有部の根本思想は「三世実有法体恒有」で完璧に存在論になってしまっていたからね

きみが若し存在論大好きなら寧ろ有部を学ぶべきだと思うよ

684 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 02:20:46.18 ID:/OFpm0Ph.net
>>680
>故に五感にもう一つが加わって六根(眼耳鼻舌身意)

ここでの「意」は、五感からの入力を受容して処理・統合する脳の機能。
あくまで五感の一部である。現代の解剖生理学とも完全に一致する。

このことを理解していないから、仏教では、意が一人歩きしまくって
いる。これが仏教思想の混乱の原因。

脳の各部位におけるそれぞれ異なった機能(「脳機能の局所性」)を
理解する必要がある。

685 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 02:32:09.32 ID:j7sP3xDX.net
>>684
中論に反する事を言う訳だね君は

中論二十六章
二 潜在的形成能力(行)を縁とする識別作用(識)は趣に入る、そして識が趣に入ったとき、心身(名色)が発生する。
三 名色が発生したとき、心作用の成立する六つの場(六入)が生ずる。六入が生じてのち感官と対象への接触(触)が生ずる。
四 眼といろ・かたちあるもの(色)と対象への注意(作意)とに縁って、すなわち名色を縁としてこのような識が生ずる。
五 色と識と眼(げん)との三者の和合なるものが、すなわち触である。またその触から感受作用(受)が生じる。

686 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 09:29:57.47 ID:PEGk31Pg.net
説一切有部の説く事として法の実有がある。過去現在未来において法のみは(法以外は実在するとは言わずとも)
変化せずに実在する〜。
この説一切有部の論に対して龍樹が論破を志向して書き表したのが中論であろう。龍樹が「自分には主張がない」
というのは嘘である。主張しているからその主張したものが後世に残るのであろう。
主張がなければ龍樹と言う名前すら残らなかったに違いない。
その龍樹の説く空(縁起)と仏陀の説く縁起とは別物。隠居氏の言う通りだ。↓
>>666 >中村大先生によれば、西洋の仏教学者たちは、両者の相違の大きさは、「世界宗教史上稀有の例」だと
>言っているそうです。

龍樹には↓この時空などという理解はなかったであろうよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E7%A9%BA

相対性理論によればタイムマシンは可能でバックトゥーザフューチャーも不可能ではないのかもしれないw

687 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 10:09:47.72 ID:PEGk31Pg.net
>682
>釈尊は最初から大乗仏教しか説いてないよ

そんな事を言うのはアンタだけだろうよ。
仏陀の説いたのが何か?等は分からず原始仏教とは原始仏典から想像される世界に過ぎない。
大乗仏典は全て偽経というのも仏陀が直接説いたことではなく経典作者による創作だからだろう。
説一切有部(部派仏教)と大乗仏教と原始仏教は全て異なる。

688 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 14:50:37.51 ID:c+dBjGO5.net
釈迦の一二縁起は、その始点である生命を「無明」としたことですべて
誤り。生命の軽視もはなはだしい。

無明どころか、この大宇宙を観測して存在せしめているのも、人間の生命。

中論は、「如来の本性は、それがそのまま生類の本性(即ち生命)」とし、
生命の営みである「世俗の一切の慣習」と生命を支える「物質現象」とを、
「無条件の前提」とする。見事な結論と言わざるを得ない。

そして人間は、己個人の生命が万物・万人との相互依存性・関係性によって
存在していることの自覚により、限りない精神の安定と平安及び他者の生命
への慈しみを得るのである。

689 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 16:26:47.83 ID:j7sP3xDX.net
>>688
第二十六章 十二支縁起の考察(12頌)

一 無知(無明)に覆われたものは再生に導く三種の行為(業)を自ら為し、その業によって迷いの領域(趣=転回)に行く。
二 潜在的形成能力(行)を縁とする識別作用(識)は趣(転回)に入る、そして識が趣に入ったとき、心身(名色)が発生する。
三 名色が発生したとき、心作用の成立する六つの場(六入)が生ずる。六入が生じてのち感官と対象への接触(触)が生ずる。
四 眼といろ・かたちあるもの(色)と対象への注意(作意)とに縁って、すなわち名色を縁としてこのような識が生ずる。
五 色と識と眼(げん)との三者の和合なるものが、すなわち触である。またその触から感受作用(受)が生じる。
六 受に縁って盲目的衝動(愛)がある。何となれば受の対象を愛欲するが故に。愛欲するときに四種の執著(取)を取る。
七 取があるとき取の主体に対して生存が生ずる。何となれば、もしも無取であるならば、ひとは解脱し、生存は存在しないからである。
八 その生存はすなわち五つの構成要素(五蘊)である。生存から「生」が生ずる。老死、苦等、憂、悲、悩、失望――
九 ――これらは「生」から生ずる。このようにして、このたんに妄想のみなる苦しみのあつまり(苦陰)が生ずるのである。
一〇 それ故に無知なる者は、生死流転の根本であるもろもろの形成作用(諸行)を形成するのである。
それ故に無知なる者は業をつくる主体である。知者は真理を見るが故に業をつくる主体ではない。
一一 無明が滅したとき、もろもろの形成されたもの(諸行)は成立しない。しかるに無明の滅することは、
知によってかの一二因縁の修習(連続的念想)からくる。
一二 一二因縁のもろもろの項目のうちで、それぞれの前のものの滅することによって、それぞれの後のものが生じない。
このようにして、このたんなる苦蘊(苦しみの個人存在)は完全に滅する。

690 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 16:30:45.34 ID:j7sP3xDX.net
>>688
第二十三章 顛倒した見解の考察(25頌)
一 貪欲と嫌悪と愚かな迷いとは思いから生ずると説かれている。何となれば、それらは浄と不浄と誤った顛倒とに縁って起こるからである。
二 浄と不浄と顛倒とに縁って起こるそれらのものは、それ自体としては存在しない。それ故にもろもろの煩悩は、本体についていえば、存在しない。
三 アートマンの(自性するものとしての)存在と非存在(無)とは、いかにしても存在しない。それが無いのに、もろもろの煩悩の存在と非存在とが、どうして成立しえようか。
四 これらの煩悩はだれか或る人に属するものとして存在している。しかしその人が成立しないのである。なにか或るもの(依りどころ)が無いならば、もろもろの煩悩はいかなる人にとっても存在しないのである。
五 自分の身体をアートマン(我)とみなす見解の場合のごとく、煩悩に汚れている人について五種にもとめてみても、もろもろの煩悩は存在しない。自分の身体をアートマンとみなす見解の場合のごとくもろもろの煩悩について五種に求めてみても、煩悩に汚れた人は存在しない。
六 浄と不浄と顛倒とは、それ自体としては存在しない。いずれの浄と不浄と顛倒とに縁ってもろもろの煩悩が起こるのであろうか。
七 色かたちと音声と味と触れられるものと香りと思考されるものとが、貪欲と嫌悪と愚かな迷いとに対して六種の対象であると考えられている。
八 色かたちと音声と味と触れられるものと香りと思考されるものとは、それのみのものであって、実体が無く、蜃気楼のかたちをもち、陽炎や夢のようなものである。

691 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 16:38:39.13 ID:j7sP3xDX.net
>>688
第二十二章 如来の考察(16頌)
一 修行完成者(如来)は、個人存在の構成要素(五蘊)そのものではなく、構成要素と異なるものでもなく、如来のうちにもろもろの構成要素があるのでもな く、またそれらの構成要素のうちに如来があるのでもなく、如来がそれらの構成要素を所有しているのでもない。
ここにいかなる如来があるであろうか。
二 もしももろもろの構成要素を執著して取ってブッダが成立しているのであるならば、ブッダはそれ自身としては存在しない。それ自身として存在するのではないものが、どうして他のものとして存在するであろうか。
三 他のものであることに依存して生ずるものは、無我(アナートマン)であるということが成り立つ。無我であるものがどうして如来でありえようか。
四 もしもそれ自体で存在しないならば、どうして他のものがありえようか。それ自体と他のものを離れて、いかなる如来がありえようか。

一二 この静まった境地(寂静)について、どうして常、無常などの四句が成立するであろうか。またこの静まった境地について、どうして、有限・無限などの四句が成立するであろうか。

一三 しかるに如来は存在するというあつい執著にとらわれている人はニルヴァーナに入った如来についても「如来は存在しない」と考えて妄想する。

一四 しかし如来はそれ自体としては空であるから、この如来については「死後に存在する」とか、あるいは「死後に存在しない」とかいう思索は成立しない。

一五 戯論(形而上学的論議)を超絶し、不壊なる仏をいろいろ戯論する人々は、すべて戯論に害されていて、如来を見ない。

一六 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。

※本質をもたないものに存在を定義する事は出来ない
それを敢えて行なうのは愚かなる人の「思考」なのであり、それもまた本質を持たない

692 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 16:55:47.75 ID:c+dBjGO5.net
>>691
>※本質をもたないものに存在を定義する事は出来ない
>それを敢えて行なうのは愚かなる人の「思考」なのであり、それもまた本質を持たない

そう考えているのも、すべて生命の機能。死者には一切不可能。

「本性」を否定している竜樹(または訳者平川氏)が、ここでは「本性」と
いう言葉を使っていることに注意。

693 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 16:56:54.45 ID:j7sP3xDX.net
如来の本性なるものは、すなわち「この世間」の本性である
「この世間」とは何か?

如来は本質をもたない。「この世界」もまた本質をもたない
「この世界」とは何か?

愚かなる人はこれを「自己の外」に求めてしまうのである
それ故に、魂だの生命だの存在だのと戯論を重ねて矛盾から出られなくなる

世間でも世界でも、仏教がそれを指定する時は必ず「十二処・十八界」の事以外に無いのである

一切皆空とも五蘊仮和合とも言われる由縁もここにある
経に曰く、一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とであると明確である事を愚者は知らないのだろう

694 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 17:01:52.75 ID:j7sP3xDX.net
>>692
>すべて生命の機能。死者には一切不可能。

断滅論で邪義まっしぐら〜

>「本性」を否定している竜樹(または訳者平川氏)が、ここでは「本性」と

如来の本性は空、世間の本性も空、故に如来は本質を持たない、故に世界も本質を持たない。

読解力低いね君

695 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 17:22:55.03 ID:PEGk31Pg.net
>>693
感じる側と感じる対象とその間の感覚で
いわゆる5感+意で6×2or3で12やら18やらなるが
意は5感を統率するものだから5感で感じるもの全部が一切で構わないだろう。

仏陀の時代には素粒子や放射線や電波、電磁波など測定できなかったであろうから
これらの観測機器を通じての対象が外れているのは致し方ないにせよ所詮2500年前と現代では
物事の捉え方では比較にならず、何でも2500年前の説法を丸のみして信じ込むのは愚者というべきだろう。

賢者は2500年前の仏典から重要なポイントを選択して取り込む。

常住に非ず断滅に非ず〜w まさに非有非無〜 存在論に他ならず、こういうのは重要なポイントではない。

696 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:23:59.45 ID:23IFCHgN.net
「伝統仏教における縁起解釈」(『ブッダから道元へ』(東京書籍/1992)所収〔第三節 応答(二)〕p107-117)より。
 ※墨括弧は、例によって引用者が強調の為挿入。
 ※改行は、原文の一部を除き視覚的・意味的区切りを踏まえ、適宜行なった。

三 縁起は何を説くか(p113-116 全文)
 さてここで、縁起が何を説くものであるかということについて触れよう。「論考」には、
その重要なポイントとして「一因から一果のみの生起」「純粋に時間的な因果関係」を認めることが指摘されている。
【その理由は、同時的因果とか相互的因果、あるいは多因一果を認めれば
「縁起説本来の直線的な時間的構想は破壊されて、空間化、平面化され」、
「危機的な宗教的時間が解体される」というものである。
確かに、このような点を核として縁起は説かれていると思われる。しかし、これのみかどうか。】
以下に、わが国で「一般的縁起」と呼ばれている定型句(UdAna,p.1-2;SaMyuttanikAya,U,p.65)を掲げて、考えることにしたい。
   これ有れば    かれ有り.  imasmiM sati idaM hoti
   これ生じれば  .かれ生ず  imassa uppAdA idaM uppajjati
   これ無ければ  かれ無し.  imasmiM asati idaM na hoti
   これ滅すれば  かれ滅す  imassa nirodhA idaM nirujjhati
『自説経』によれば、前の二行は、釈尊成道第一週後の夜の初分における「縁起の順観」、
後の二行は、その夜の中分における「縁起の逆観」であり、『律蔵』の「大品」冒頭に「縁起の偈」として説かれたものである。
この四行が何を意味するかということは従来問題となっているところであり、今我々の関心事でもある。
特に「これ」「かれ」という紛らわしい言葉が何かということであろう。註釈(UdAna-A p.38.47)に従えば、
ここはまことに明瞭である。「これ」(imasmiM , imassa,男性)とは無明などの「縁」(paccaya,男性)を、
「かれ」(idam,中性)とは行などの「果」(phala,中性)を指す。

697 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:24:52.04 ID:23IFCHgN.net
したがって、この定型句は間違いなく【「縁」と「果」について説明するもの】であると解される。
そしてまたこれは、内容としては『自説経』からも明らかなように、「価値的縁起」と呼ばれる十二縁起のそれであり、
あれもこれもの「一般的縁起」などではないということ、【ただ簡略な表現の縁起】であるにすぎないということである。
伝統仏教には、縁起をその意味での「一般的/価値的」、あるいは「外的/内的」【と区別するわが国のような風潮】はない。
 また、この縁起において看過できないのは、あくまでも「縁」ということが言われ、「因」(hetu)ではないということである。
どちらも初期のうちはほぼ同義に用いられていたようであるが、【その範囲は異なっているように見える】。
「因」は直接的、限定的であるが、「縁」は間接的、包括的である。【「縁」は「因」を補うが、その逆は考え難い】。
その意味では、縁起は常に「縁」と「果」の関係を内容としているから、
本来は「縁果関係」のものとさえ言われねばならないはずである。
それは縁によって、すなわち種々の因によって種々の果があるという関係のものだということであり、
今問題の「因」と「果」の関わりから言うならば、【多因より多果がある】ということであろう。
この点を説明する『清浄道論』(Visuddhimagga,p.542)の一節を以下に紹介しよう。

698 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:25:59.10 ID:23IFCHgN.net
   ここに、一因(kAraNa)から何らかの一果(phala)があるのではない。多があるのではない。多因から一があるのでもない。
   ただ多因から多果があるのみである。なぜなら、多くの季節・土地・種子・水と称される因によって、
   多くの色・香・味・などのある芽と称される果のみ生じるのが見られるからである。
   しかし、〈無明という縁から諸行がある。行という縁から識がある〉とこのように【一因果の説明がなされるのは】、
   【そこに意味があり、目的があってのことである】。というのは、世尊は、
   説法の優雅さと教導される者たちとに相応しいように、
   ある場合には主要なもの(padhAna)であることから、
   ある場合には明白なもの(pAkaTa)であることから、
   ある場合には共通しないもの(asAdhAraNa)であることから、
   ただ一つの因と果を説くのである。すなわち、〈触という縁から受がある〉という場合は、主要なものであることから、
   ただ一つの因と果を説く。なぜなら【触に従って受が確定するため、触は受の主要な因であり】、
   また【受に従って触が確定するため、受は触の主要な果である】からである。
   〈病気は痰より生じる〉という場合は明白なものであるから、一つの因を説く。
   なぜならここでは痰は明白であり、【業などはそうでないから】である。〈比丘たちよ、いかなる善法も、
   すべては不正な思惟を根本としている〉という場合は、共通しないものであるから、一つの因を説く。
   なぜなら不正な思惟は諸の不善のものであり、
   【(他の善などに)共通せず、所依や所縁などが(他の善などに)共通するから】である。
 このように縁起は、【形としては一因一果を説くものであるが、その内容は「多因多果」でしかない】
とするのが伝統的な見方である。

699 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:44:57.75 ID:23IFCHgN.net
 次に、縁起の因果関係が「時間的」か「空間的」かということについて少々述べておこう。
わが国ではいつも問題になるものであるが、これは多因多果ということと合わせて考えるべきであろう。
上記の定型句を見れば、ここには「縁―果」の「有」「無」、及び「生」「滅」が説かれているだけである。
その内容は、註釈(UdAna-A p.38f)を尊重するならば
「無明をはじめとする縁があるゆえに、行をはじめとする果が生じる。
無明をはじめとする縁が生じるゆえに、行をはじめとする果が生じる。
無明をはじめとする縁がない(=道によって捨断される)ゆえに、行をはじめとする果がない(=起こらない)。
無明をはじめとする縁が滅する(=道によって得達法性がもたらされる)ゆえに、行をはじめとする果が滅する(=起こらない)」
ということである。また、「あるゆえに」とは「ないことがないゆえに」、「生じるゆえに」とは「滅することがないゆえに」、
「ないゆえに」とは「あることがないゆえに」、「滅するゆえに」とは「生じることがないゆえに」と解せられる。
付言すれば、「あるゆえに」(sati)とは、現にある「縁の状態」を語りつつ、縁起の「無効性」(avyApAratA)を、
「生じるがゆえに」(uppAdA)とは、「果の生起に向かう状態」を説きつつ、縁起の「無常性」(aniccatA)を示すものにほかならない。
なお、ここで「ゆえに」と訳すのは、原文における於格(Loc.)、奪格(Abl.)の形が「原因」(hetu)を表すことによる。

700 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:53:14.02 ID:23IFCHgN.net
いずれにしても、かかる内容のものを、その言葉だけ捉えて、
【「有」「無」から「空間的関係」を、「生」「滅」から「時間的関係」を引き出し、そのどちらかに重きを置くならば】、
多因多果の「縁」と「果」を過不足なく説明することができぬものとなってしまうだろう。
あえて空間/時間に区別すべきものではない。【「空間」に偏れば行動に、あるいは目に見えるものに溺れ、
「時間」に偏れば観念に、あるいは目に見えぬものに流されてしまう】のがふつうだからである。

 法が先か仏が先か。これについては、「論考」に指摘された通り、【仏が先であると言わねばならない】。
ただこの問い自体がまことに大乗的である。伝統仏教においては、仏と法と僧とについての問いとなるからである。
また仏とは何かということを抜きにした仏教の議論もないからである。特にそれが実在論に及ぶときはなおさらであろう。
【教義上は世俗諦と勝義諦によって、実践上は戒律によって】答える以外この問題の解決はないと思われる。
 再び、「論考」が、わが国における仏教教義の理解のために、きわめて重要な視座を提供するものである
ということを申し述べ、一つのコメントを終えることにしたい。

(引用終わり)

701 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:54:17.96 ID:23IFCHgN.net
若干の補足:
>>◆4 「無効性」(avyApAratA)とは(未だ)働いていないこと、作用していないこと。 (・・・たぶんw)

>>◆2 「内的(≒内縁起)/外的(≒外縁起)の別がない」というのは、
  この対比が一般的には「心理面(内面)/物質面(外界)」というものになっているのに対し、
  そのような別ではなく、(後に清浄道論が挙げる事例のバリエーションに見られるように)、
  『「縁」によって「果」が生じている』かどうかだけが問題とされ、
  その種別(それがどこで生じているか、何が作用して何が生じているかの《「何」の種別》)
  を問うていない、ということ。(それが問われるのは、一因一果となる場合のみ、いうこと。)
   *(これは、そのまま「時間的/空間的」・「観念的/具象的(物質的)」という対比でもあり、
    《「空間的見方」に於いては、同時的相互依存が見られ易い》ということ。
    そして、可逆性が認められないので、(時間性・因果の側面が外されてはならないので)、
    同時的相互依存、特にそれが「空間的・物質的」な面で言われるならば、排されるものとなる。)

702 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 18:55:26.84 ID:23IFCHgN.net
若干の補足:
>>◆4 「無効性」(avyApAratA)とは(未だ)働いていないこと、作用していないこと。 (・・・たぶんw)

>>◆2 「内的(≒内縁起)/外的(≒外縁起)の別がない」というのは、
  この対比が一般的には「心理面(内面)/物質面(外界)」というものになっているのに対し、
  そのような別ではなく、(後に清浄道論が挙げる事例のバリエーションに見られるように)、
  『「縁」によって「果」が生じている』かどうかだけが問題とされ、
  その種別(それがどこで生じているか、何が作用して何が生じているかの《「何」の種別》)
  を問うていない、ということ。(それが問われるのは、一因一果となる場合のみ、いうこと。)
   *(これは、そのまま「時間的/空間的」・「観念的/具象的(物質的)」という対比でもあり、
    《「空間的見方」に於いては、同時的相互依存が見られ易い》ということ。
    そして、可逆性が認められないので、(時間性・因果の側面が外されてはならないので)、
    同時的相互依存、特にそれが「空間的・物質的」な面で言われるならば、排されるものとなる。)

>>◆5 「教義は二諦によって」というのは(このシリーズの住人ならw)了解事項としてw、
  「>実践上は戒律によって」というのは、《「仏」(=阿羅漢)とは何か》を示すに際し、
  「このようなもの(→人物)である」「これが仏(の在り方)である」ということを、
  《実際に、その存在することによって、行為(身口意)によって、目の当たりに示す》、ということ。
  「成仏の可能性」を、「悟りの、涅槃のあること」を、目の当たりに存在することにより、証する(実証する)こと。

703 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 20:56:01.88 ID:23IFCHgN.net
>>696 ◆1
>>697 ◆2
>>698 ◆3
>>699 ◆4
>>700 ◆5
>>702 ◆6

704 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 21:58:10.85 ID:RIxKEI3z.net
原始仏教、大乗仏教、部は仏教(説一切有部)そして、西洋の仏教学者のあるものは、
竜樹の仏教は、それまでの原子や有部の仏教とすごい違いがあるという話をお聞きして、
信じられない思いです。

それは、真実が異なるという意味に他ならないと思われるからです、それぞれの派が唱える。

そこでその違いをもう少し詳しく説明してほしいのです。よろしく

705 :神も仏も名無しさん:2015/11/10(火) 23:53:30.80 ID:SnM49VxH.net
>>702
>教義は二諦によって」というのは(このシリーズの住人ならw)了解事項

2諦説については、古くから多くの批判と議論がある。チャンドラキールテイ
でさえ、2諦説(2真理説)を提示する理由として、空性論に対する世間に
よる排撃の回避、聖典による排撃の回避を挙げている。

つまり2諦説は「言い逃れ」の手段ということ。「聖典による排撃」とは、
仏典上(即ち中論)からもおかしいということ。

706 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 00:05:47.12 ID:YY3v3jK9.net
>>697
>【多因より多果がある】

ならば「業報論」は崩壊するね。釈迦を含めすべての人間は、その生涯において
「良いことも悪いことも」やっているものだから。業に対する一定の結果は、
定めようがないことになる。

707 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 00:35:32.31 ID:6RD7n2y6.net
どっかの猫ちゃんも、その生死が不可知らしいが、
蓋を開けたら一意に定まるとか言ってたような言ってなかったような・・・。


ピントを合わせれば、
(或る文脈に限定され・絞り込まれ・状況によって制限がかかれば)、
同じように定まってくる、ってだけの話なんだがねぇ・・。

どこにもピントが合っていない(全方位的に露出が開かれている)時、
そのときに、一切法(一切の存在)は空である、と言われ、
中論はそれを言ってるだけなんだがねぇ・・。
で、なぜそのように諸法が空なるものであるかといえば、
龍樹がしつこく言及するように、縁起するものだから、なんだけどね・・。

ちなんで言えば、凡夫は常に、(自分の想い・欲望を基準に)対象にピントを合わせるから、
それらを空性だと見做せず、実在と見、捉われ、翻弄されている(顛倒している)と言われ、
賢者は、一旦ピントを開け切って、一切法が縁起するものであることを如実に知る故に、
諸法を空なるものと見做し、実在しないと見、捉われず、自由である、とね・・・。

708 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 02:52:14.99 ID:eLrf4Ibj.net
物事が実在するのか、しないのかは存在論であり答えは空以外にない。
有るとも無いとも答えられまい。「ピント」の例えもこれまた下手糞の例えとしか言えない。
ピントが合うから実在が確かめられ、ピントが外れているから実在が確かめられない〜のなら
空=無と言っているに等しく、それは明らかに誤だ。隠居氏の指摘どおり中村氏は空を無と
混同するのを批判している通りである。

個々人の実人生は実在し「有る」というべきもの。コレを空だの無だの言う仏教キチガイがダメなんだよw
人生や生き方、人生上の我などは存在論ではない。究極にそれらの物の実在を確かめているのではない。
人間が前向きに生きる基礎となるもので、これを空だの無だのいって虚無に陥るのはダメだし、ブッダもそんな
主張はしていなかっただろうよ。

709 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 03:17:09.77 ID:YY3v3jK9.net
>>696
>これ有れば かれ有り. imasmiM sati idaM hoti

この命題は、中論第一章で明示的に否定されている。

710 :おる 尿MARU(まる)。 ◆2UpphQj1WM :2015/11/11(水) 03:44:15.73 ID:tiK/G/W8.net
無い(のい)

711 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 12:33:42.20 ID:eLrf4Ibj.net
見当識障害というのは今がいつで、ココがどこで、自分が誰であるのか分からない状態を言う。
医者がそれらしい患者を診察する時もこれを尋ねて答えられるか否かを診る。
西暦または平成何年何月何日何時何分、所在地(例えば○○病院〜)、自分の名前や社会的位置(○○会社
○○学校に所属している何某〜)を答えればよろしいが答えられなければ見当識障害と診断される。
では、広い宇宙にいる自分という観点でこれらの問に如何に答えられようか?
宇宙に始まりや終わりが有るのか無いのか?分からないその中で今はいつと言えるのか?西暦や平成などは
人間が勝手に作った時の点であり何ら時間を示す基準にならない。また、場所について見てもxyz軸の3次元で
座標で示してもそれは地球上ならば示し得ようが、太陽系→天の川銀河→全宇宙の中では座標の基準を取りようがなく
今いるココを何と答えれば良いのか?自分についても同様に見れば人間の組成が何が何%で出来ていて、それが自分である
などと言うのは何ら答えにならない。自分の名前や所属組織などは何ら自分を表すものになり得ない。
宇宙規模で見れば人間は全員例外なく見当識障害である。
つまり、人間は何も分かっていない存在なのである。
ココで人間は2種〜3種に分かれる。
T:分からないものは分からないとしてそのままにする。
Ua:分からないものがあるのが許せずに妄想する。分からないものは自分にとり好ましいものに違いない〜
Ub:分からないものがあるのが許せずに妄想する。分からないものは自分にとりつまらないものに違いない〜

健全で正常な人間の有り方はTであり、死後世界を妄想したり輪廻(輪廻転生)を妄想するのはUである。
同じ路線で言えば悟りや解脱や涅槃や如来の確信や覚者の存在などを探り志向するのもUである。
また、人生は無、空であると虚無に陥るのもUである。

712 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 14:56:41.37 ID:Fs2Tk8/d.net
>>709
>これ有れば かれ有り. imasmiM sati idaM hoti

とはいうものの、この場合の「有れば」「有り」は、当然仏教を学ぶものは、
否定しなければならない。
つまり相対的に「有り又は有れば」なのだから、実体としてない、と断ずるのだ。

こういう意味ではないとすると、どういう意味で否定したんだろうか?

713 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 15:00:20.97 ID:Fs2Tk8/d.net
>>709 つづき
だから、ゴータマも竜樹も、この「有れば、あり」を幻で実体がないとして、前提問題としたのではないのか?

714 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 15:47:27.71 ID:Fs2Tk8/d.net
>>711
>人間は何も分かっていない存在なのである。

人間理性を働かせるなら、ゴータマが悟ったように、世界は実体のない空が真実だというのだ。
その空こそ実在してるのだというのだ。

その世界に入れば、心配することは一つもないというのだ。
今後どうするかと心配ないというのだ。何も起きないし、起こしえないのだ。

そこに入るに障害となることは、その空と言う真実に逆らって、何かがあると思い、それを獲得
しなければ生死にかかわるという心配である。それを自分の心から取り除けるなら、空の世界にはいれるのだ。
取り除くのが修行になるのだ。

老荘でも、持ってるもの、もっているという知識、その意識をかなぐり捨てることが必要だという。
捨てることなのだ。知識を。一切の知識を。一切の認識を捨てる必要があるのだ。真実は空相なのだから。
これを仏教では「無学」というだろう?一旦取得していた知識を、捨てて、無知になることだ。

病気で見坊したのではない。真実が無相なので、真実近ずくために一切の認識を捨てるのだ。

自己愛があってはできないな。自分が恥をかくことになるだとか、自分の家族近親が迷惑するだろう、
そんな心配をしてはならない、そんな絆は断ち切りなさいとゴータマは教えている。
そんな絆に実体がないからだ。それは悪魔の誘惑なのだ。ゴータマの論によれば当然そうなる。

チミは、感覚が死んで失せれば、感覚に縁起してるこの世界、12処とか18界は失せるのかだら、そんな死後の世界は考えるのは妄想で仏経馬鹿だというが、
それは非常に仏教を知らないもののいうことではないか?
12処だとか18界というのは、それは縁起してるだけの世界で、実体がない世界で、
それに執着するのは、無明という正法を知らないことが原因してるのだ、というの12支縁起の法門ではないか?

チミは本体は、三世降雨の実態で、それがある以上、その間違った心は永遠に、本来の自分に責め続けられるのではないのか?

715 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 15:55:35.56 ID:zc7eMIbP.net
>>696
これ有れば    かれ有り.  imasmiM sati idaM hoti
これ生じれば  .かれ生ず  imassa uppAdA idaM uppajjati
これ無ければ  かれ無し.  imasmiM asati idaM na hoti
これ滅すれば  かれ滅す  imassa nirodhA idaM nirujjhati

この所謂有名な縁起の定型文は、そのまま二智の事にもなってる
二智とは法住智と涅槃智の事
法住智とは

「これ」と言う真理を知る事
「これ」の原因(集起)と言う真理を知る事

涅槃智とは

「これ」は滅すると言う真理を知る事
「これ」を滅するには方法があると言う真理を知る事

つまり、縁起の定型文はそのまま四諦の説明にもなっている

716 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:14:23.32 ID:dm7nyHQy.net
>>714
>その空こそ実在してるのだというのだ。

空は仮設であり存在ではないので実在でも非実在でもありませんよ

717 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:26:45.88 ID:eLrf4Ibj.net
仏教馬鹿ややりやすい間違いw
「実体がない」
コレは断滅論だろw

「実体がある」が常住論。

正解は実体は分からない〜だ。
この正解を示せる正常人、健常人は仏教スレには私以外にいないだろうw

718 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:33:02.69 ID:dm7nyHQy.net
>>717
>この正解を示せる正常人、健常人は仏教スレには私以外にいないだろうw

自己愛性人格障害者が陥る万能感って奴だね

>コレは断滅論だろw
>「実体がある」が常住論。
>正解は実体は分からない〜だ。

それらも思考してそう考えたに過ぎないでしょ
「分からない〜」を考え付いて言ってる以上、それも間違いだよ

719 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:43:09.75 ID:dm7nyHQy.net
如実に「俺の考え」は不要
何故ならそれが我執であり離貪のターゲットに他ならないから

720 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:44:56.38 ID:eLrf4Ibj.net
分かったふりして「間違いだよ〜」(俺は真実を知っている〜と言わずとも暗ににおわす〜w)

これも仏教馬鹿が陥る常套文句w

「実体がない」
「間違いだよ」(何が真実なのかは語らず〜)

ま、語っても妄想話に過ぎないから結局おんなじことだがなw

721 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:47:38.99 ID:dm7nyHQy.net
>>720
お前は思考に頼り過ぎなんだよ
自分の意思でその思考を意図的に止めてみなよ
これは訓練しなきゃ容易に出来ない事が一度やれば分かる筈

その思考を止められた先にお前の知りたいものが転がってるから見て来い

嘘は言わないから

722 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:49:27.23 ID:eLrf4Ibj.net
俺はキチガイの仲間入りはしないww

自分の頭で考え理解し実践する。
変容意識など妄想世界に嵌ってキチガイになるのは御免こうむるww

723 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:51:24.81 ID:dm7nyHQy.net
┐(´д`)┌ヤレヤレw

724 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 16:57:07.88 ID:8dJ+iCjq.net
>>722
変性意識は結局思考を使ってるんだよ
それを嫌うお前は正しいと思うよ

わたしが言ってるのは、「俺の考え」を止めてみろ、と言っている
出来るものならやってみな?簡単じゃないから

お前は変性意識とわたしの言うのとが区別出来ないのだろうが
瞑想の形を用いて「全身麻酔」の如きの精神状態にしてみろと言ってるのさ
本当に「無」なのか、本当は「有」なのか、果たして「空」とはどう言うことか

思考を止められたら全て分かるよ
そこに意識が有ったならそれままた成功して無いって事
故に変性意識もインチキとなる

725 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:00:06.57 ID:Fs2Tk8/d.net
>>716
森羅万象の世界があって、それは縁起の世界そのものなのだ。
そして縁起の世界は、真実は縁起してる諸法は実体のないものなのだ。
そこで幻の世界と仏教で言われる。

邪幻の世界であるなら、そこに真実の世界が当然あるはずではないかと考えるだろう。
それは、無相の世界、純一な世界、があるというのだ。
幻の真相はなにもないのだから、それを空というのではないか?その幻の世界は空っぽ、なのだ、というのだ。

幻の世界で、幻の一つ一つに実体があると思うものがいて、それを獲得して貯蔵しておこうとするのだ。
それの取り合いが発生しているのだ。その世界を欲の世界、偏計処集処?というのだ。

その取り合いと言う紛争もまた「これあれば、あれあり、これなければ、あれなし」の世界なのだ。
紛争当事者においては、この縁起してる幻の存在は実体あるものなのだ。

しかし真実は幻に他ならないので、その紛争自体も幻なので、真実の世界は
何も起きていない、平安な世界なのだ。そしてこの世界が真実にある世界だというのだ。ニルバーナというのだ。

こういう二つの世界、真実の世界と幻の世界を説明するために、空という呼称を使用してるのだ。

このように自分は理解しているが、チミのいうところは良く解らない。

726 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:01:53.55 ID:eLrf4Ibj.net
思考を使う寝て見る「夢」など有り得ないw
変容意識の代表は夜に寝て見る夢だ。

思考をやめよ〜も変容意識も同じこと。
コレを区別する事自体が言葉の概念というものを知らぬ
意思の疎通ができないキチガイという。

私はこういうキチガイの範疇には入らない。

727 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:03:27.45 ID:8dJ+iCjq.net
一つ言えばだ、所謂メンヘラとかを抱えてる人は「俺の考え」を止める事を凄く嫌うし怖がる
孤独に坐って動かずに何も考えない、と言う動作をメンヘラ抱えてる人は本当に嫌悪する

そう言うわけで無理強いはしない
でも、「俺が俺が俺の考えが」と言い張るなら、確かめる為にも「俺の考え」を止めてみない事には何とも言えないだろう

728 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:09:38.49 ID:6AzNr3SO.net
>>725
>森羅万象の世界があって、それは縁起の世界そのものなのだ。

君が見ている「森羅万象」は眼耳鼻舌身意からの情報でしょ
だから仏教では夢幻泡影の如しと思えと言われるのさ
世間を外に求めれば求めるほど、君の迷いはどんどん深まるばかり
世間は君の中で起こってるんだよ
仏道の目的は苦の超克なのであり、それは世間の正体を分からねば適わない
世間の正体は自分と言う仕組みがその正体なんだよ
何故なら世間は五蘊が起こして実感してる非実在なる情報なんだからね

729 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:10:55.26 ID:eLrf4Ibj.net
「俺が」「私が」と言わずとも、この2ちゃんねるに書き込んでいる事自体が
自分の考えを表明している事に他ならない。

俺様は「俺が俺が俺の考えが」とは言っていない〜つもりなのだろうが、明らかな矛盾www

730 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:14:41.96 ID:6AzNr3SO.net
>>729
間違った道を広めようとしてる人を警告しちゃいけない決まりは無いよね
自己愛性人格障碍者は呼吸する様に嘘を垂れ流すから拙いでしょ

731 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:16:45.99 ID:eLrf4Ibj.net
自分こそ正しく、○○は自己愛性人格障碍者で嘘〜は
俺の言う仏教キチガイに付ける薬はない〜というのと変わらんわなww

同じこと。
違うというのならそれはお前がキチガイだからw

732 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:20:10.43 ID:6AzNr3SO.net
>>731
>正解は実体は分からない〜だ。
>この正解を示せる正常人、健常人は仏教スレには私以外にいないだろうw

お前の矛盾も大概だけどな
自己愛の人は兎角他人をいきなりキチガイキチガイと言いたがる

733 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:20:26.29 ID:eLrf4Ibj.net
【結論】

空を無と混同する阿呆が多いが、「実体がない」などと言ういわゆる仏教キチガイは
皆例外なく、>>711のUに該当する。

仏教スレでTに該当する人間はほとんどいない。隠居氏が該当するかも〜という程度だろう。

734 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:21:31.14 ID:6AzNr3SO.net
>>733
なあ、自己愛性人格障碍者ってキチガイなのか?

狂ってるの?狂ってないの?

735 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:24:06.18 ID:eLrf4Ibj.net
>>711のUに該当する人間は健全で正しい思考の持ち主とは言えないわなw

俺は他人を、自己愛性人格障碍者などと呼んだことは無い。
自分で言っているんだから自分で調べよ。
自分で言っている事を分からずに他人に聞く姿勢はキチガイに他ならないww

736 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:25:15.56 ID:S3uf+1kw.net
>>733
>T:分からないものは分からないとしてそのままにする。
>Ua:分からないものがあるのが許せずに妄想する。分からないものは自分にとり好ましいものに違いない〜
>Ub:分からないものがあるのが許せずに妄想する。分からないものは自分にとりつまらないものに違いない〜

三通りをハッキリ結論したがってる時点でそれは見解なのであり大間違い

分からないものは言う事すら出来ないし結論も出来ない

737 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:26:46.83 ID:S3uf+1kw.net
>>735
キチガイ呼ばわりしてるじゃん?
自分だけ例外視して正しい事にするのはまさに自己愛性人格障害の人の常套句だよ

738 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 17:29:13.10 ID:efRAH4DI.net
>>735
自己愛の奴は他人を自己愛とは言えないらしいね

739 :CIAパンドラ計画:2015/11/11(水) 22:08:23.17 ID:ynJPfdbr.net
>>528
> 実体が無いと言うあなたは心を語ってますよね
語って無いよ
実態が無いという事は「語れる訳が無いだろ」と言う意味ですよ

> 心とは何ですか?
実態は無いと言っているのに
「何ですか?」と聞くのが愚かしい

> 他人の事ですか?
> 憶測の事でしょうか?
> 歴史なんですか?
>>526-527

世間なんかどうでも良いよ
クズの捏造だらけだからね

ただ「知ったかぶり」というのは↓このような事だよ
> あなたは自分の心が何だか分からないんでしょうか
> 実は分かってないのに語ろうとするそれを、世間では
> 知ったかぶり
> と言うのではないでしょうか

人の話をマイルールで勝手に決めつけて話を片付ける様な発言だ
言葉遣いだけ控えめにしても何も変わらないよ

「それをやったらお終いだ」
「だからやらないのだよ」

それをやらない前提でしか対等な会話が成り立たないのだよ
ちんちん先生

740 :神も仏も名無しさん:2015/11/11(水) 23:20:32.94 ID:wTbyuJvp.net
>>739
>語って無いよ
>実態が無いという事は「語れる訳が無いだろ」と言う意味ですよ

「語れる訳が無いだろ」と語っているそれは何ですか?
もし心など実態がないと言うなら、どうして心の活動の結果たる発言と言う行為が出来るのでしょうか

>世間なんかどうでも良いよ
>クズの捏造だらけだからね

あなたもそのクズとやらの中にいる訳です
世間を嫌悪するものにどうして世間を理解出来るでしょうか

>それをやらない前提でしか対等な会話が成り立たないのだよ

まさに人の話をマイルールで勝手に決めつけて話を片付ける様な発言ですね

741 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 19:00:23.04 ID:jI2pg4Qm.net
>>717
菩提樹の悟りを知らんのか。
人々の苦しみは実体無きものへの執着が原因だと仏陀は喝破してるんだよ
無常と縁起の法を知れ

742 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 19:07:36.35 ID:vX6ghnk8.net
MRJが初飛行に見事に成功したね。

MRJの航続距離は3800kmだが、渡り鳥は、定まった目的地に向かって、
一糸乱れずその10倍の3万kmを飛ぶ。

すべて、小さな体に宿る生命の力である。

生命を「無明」などと抜かした奴は、どこのどいつだw。

743 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 19:23:15.96 ID:iZjPdSbq.net
>>742
>生命を「無明」などと抜かした奴は、どこのどいつだw。

このスレじゃそう言ってるのはお前だろ
釈尊は少なくとも「生命」を無明だなどとは言ってない

いよいよ悩乱も窮まって来たのかな?

744 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 19:25:11.27 ID:O0OXZodb.net
>>742
>生命を「無明」などと抜かした奴は

歴史上、世界中に一人も居ないがなw
唯一、中村君が近い発言をしたくらいで・・。

君は、中村君の解釈を責めたいのかい?

745 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 20:46:36.94 ID:Iw5UBoUS.net
話も、縁起してるんだよ。
原因なく話すものはいないんだよ。
その典型がゴータマ様だろう?

746 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 20:51:57.80 ID:Iw5UBoUS.net
>>742
なんかずれてるような。

三万キロを飛ぶ鳥も、また、縁起の理法により、その力を得てるんではないの?
決して、その鳥の実体としての、能力なんかじゃないんだ、というべきだよ、仏教を学んだものは。

747 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 21:14:06.15 ID:vX6ghnk8.net
>>744

「無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり」。

生活作用の原因が、「生命」ではなくて、一体何があるか?

748 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 21:18:25.40 ID:JF7xpn78.net
縁起のクルクルワールドにどっぷり頭を突っ込んで「縁起してるんだよ」ってまるでギャグだよね。
それを滅するために説いたのに・・・

触れるな、離れろっていうだけなのに、縁起好きは難しいのがお好きなご様子。

749 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 22:02:06.86 ID:Iw5UBoUS.net
>>747
> 生活作用の原因が、「生命」ではなくて、一体何があるか?

その生命というものが、縁起してるもので、その縁起を認められないのを、無明というのだ。
生命というものが縁起現象と認められないのは、それに執着してるからであり、その執着から離れられない原因
が無明という愚鈍な根であり、その無明を明らかにするのが仏教と言う学科なのだ。

生命などというものはない!チミのいう生命は生老病死憂い、悲、愁 怖れ、苦悩なのだ。
そんな無明そのものを、”「生命」ではなくて、一体何があるか? ”などと言っているとは変すぎ。

750 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 22:04:59.49 ID:O0OXZodb.net
>>748

知彼知己百戦不殆


┐(´ー‘)┌

751 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 22:05:58.89 ID:q9ePJb3G.net
日本人がイデア論を学ぶときには絶対になんだこのいかれポンチはと思う。
日本人の認識の仕方に決定的な影響を仏教は与えている。

752 :神も仏も名無しさん:2015/11/12(木) 22:09:35.50 ID:O0OXZodb.net
>>747
相変わらず会話のできない御仁だなぁ・・w  それとも日本語が不得手なだけか・・・

「無明=生命」という発言をしている者、考え方の者がいるなら、
その名前を挙げてみてください、と言ってるのにw
私は、全世界に一人も存在しないと思いますけどね。

仮に、中村君がそうだと言うかもしれないが、
そもそもそれは「無明=生命」という文章でもなく、
(ただ、君一人が、そう読んでいるだけで)、
中村さんの意図はそうでなかったかもしれんのにw

753 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 00:35:29.41 ID:YMXBCBOl.net
>>752

中村博士が「無明により生活作用がある」と言った場合、無明は生命以外の
一体何で有りうるか、貴殿の解釈を求める。

死者に、MRZの設計・製造ができるか?死んだ渡り鳥が1mたりとも飛べるか?
そもそも、死んだ釈迦に無明が思考できるか?

754 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 01:28:58.61 ID:YMXBCBOl.net
>>753の訂正と追加
(訂正)
×MRZ
○MRJ

(追加)
死者に迷いや煩悩が生じるか?死ねば,思考器官も感覚器官も記憶器官も運動
器官も、すべて灰になるか腐敗してその機能を失うから、如何なる生活作用も
生じ得ない。

中論は、「世間の一切の慣習」に反することを、常に厳しく戒める。「世間」
とは、「この空間的な広がりの中で、生きている(共生している)人々、即ち
「世人」のことである。

755 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 03:25:23.66 ID:vUtUd2j+.net
>>754
>「世間」とは、「この空間的な広がりの中で、生きている(共生している)人々、即ち「世人」のことである。

違うよ
仏教で言う世間は一切と同義なんだよ
それは十二処十八界の事

身体の外を見たがる気持ちは解らんでもないが
それじゃいつまで経っても自己の仕組みの解明にはならない
つまり、無明の正体が解らず仕舞いって事
無明が解んなきゃ煩悩の解明も苦の遠離もまま成らないって事

756 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 03:50:35.48 ID:YMXBCBOl.net
>>755

生命論的には、煩悩も苦も、生命の危機に対する生命から発するありがたい
警告。異物として排除すべきものではない。感謝して受け入れ、対処すること
により、去る。

病気に症状がなければ、治療の機会を逸し、そのまま死に至る。生命は、「無明」
どころか、「一切知者」と呼ぶに相応しい唯一の存在。

757 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 04:12:34.45 ID:OBb1XJJa.net
NEO仏教の教え
https://youtu.be/vEjTFq0sgmY

758 ::2015/11/13(金) 08:33:45.30 ID:V+XMMAJX.net
仏教は仏教が必要な人間のためにある〜というのはまあ当たっているのかもw
圏外からどんなものか見てみようという人間は仏教に染まることなく仏教の良い部分だけを
取り込む。一般的にはこういう姿勢が望ましい。仏教キチガイになる事もなく冷静に向き合えるからなw

>>711のTの人間に仏教は必要ない。
何故なら無明が無い(無明の自覚が無いというべきか)からだよ。

>>711のUの人間にとり仏教は必要なのかもしれない。
何故なら根本から無明の人間であり、分からないものを妄想している時点で無意識に自分を騙している
罪悪感が底を支配しているからだ。

759 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 09:03:54.14 ID:lDcdOnAc.net
究極の仏教真実が不生不滅の法門として説かれてきているのに、
今になって、生命が根本だという論が起きてきてるのは、仕方ないのか?

その生命とは、自己の身体だ。自己の身体は、仏教ではその身体だけで存在してるものではなく、
四周と縁起しているものだ、というのだ。その身体がこの世界に生じる前に、この世界は存在していたのだ。
この世界があったからこそ、その身体は生じたのだ。そして、その世界そのものも縁起してる存在なのだ。
で結局この世界は、森羅万象は、諸行は、諸法は、無我無常空というのが真実だ、とゴータマは教えたんだ。
だから、誰もこの無我無常空の世界に生まれてきた。それなら、本当は生まれておらず、死ぬものでもないというのが仏教だろう?
このことを知らないのを、無明という、そしてこのことを知っているのを悟りと言うのだろ?

760 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 10:28:11.21 ID:lDcdOnAc.net
>>759続き
一切は縁起して存在している、これはどういうことか?
一切は平等と言うことなのだ。
世間では価値のあるもの価値のないものという差別は非常に重要だ。これが人の価値を決めるということにもなっている。
人間にも価値の差別が行われる。

これは先に言った、一切は平等に反する。
あるものは価値があり、それは独立して存在し、あるものは下劣なものであり、それも独立に存在する、と見做すのだ。
こうして差別が生まれる。

その差別も縁起して生じているものだが、それが固定的な基準となり、人を行為させるのだ。
聖者はそういう差別が縁起しているだけのものと見做して、争わないんだな。

761 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 10:35:17.36 ID:lDcdOnAc.net
>>756
>病気に症状がなければ、治療の機会を逸し、そのまま死に至る。生命は、「無明」
どころか、「一切知者」と呼ぶに相応しい唯一の存在。

へー、その生命は、チミをしなない人間にしてくれるのか?チミはそういってるね?
で、その生命はその治療に成功するのか?現代医学でも、医療は、対処療法に尽きると言ってんじゃないの?

762 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 12:01:20.73 ID:J4qcEUsb.net
>>761
>現代医学でも、医療は、対処療法に尽きると言ってんじゃないの?

そんなことはない。医学が目指すのは、原因療法、根治療法であって、対症療法
ではない。対症療法は、原因療法がまだ発見されるまでの例外的なもの。

すべての動物は、寿命が来れば皆死ぬ。種属としての生命の新陳代謝を行い、その
継続を図るためだ。若し、個の動物が寿命で死ななかったらどうなるか。
この地球上に機能の老化した生命があふれ、たちまち居住不可能になり、新たな
生命の誕生も不可能になる。

生命は、限りあるからこそ尊い。ダイヤモンドが無限に産出したら、その価値は
石ころ以下となる。

個の生命は、永劫の時間の中の、限りある時間の唯一度だけ。まさに奇跡で
ある。だからこそ、己の生の一瞬一瞬は、限りなく尊い。イエスのいう「永遠
の生命」とは、「地獄の別名」であることを自覚すべし。

763 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 13:50:11.74 ID:lDcdOnAc.net
>>762
まったくのありふれた、世俗の見解じゃないか。
しかも、それは個人個人にがまじめに持つ見解じゃないよ。
矛盾したことを言っているようだが、つまり、世間はチミのように考えているだろう、と
チミが妄想してるところの見解だということだ。

しかし、個人個人はそのように考えていない。

しかし、チミは創価の池田大作が持っている知見のようだが、チミは創価じゃないのか?
少なくとも、創価の影響を受けているね?

764 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 14:13:27.04 ID:V+XMMAJX.net
対処療法が何を指して言っているのか不明だがw
医療は基本的に病やケガに対して対処する行為だからねえw
対処しない未対処療法なるものが有るのか?ww 有るのなら聞かせてくれw
加持祈祷など答えそうな感じではあるがなあw

対症療法、原因療法は、簡単に言えば痛み止めが対症療法で抗生物質が原因療法だ〜w
痛いときに痛みを抑えるのは原因療法ではないにせよ有益な療法であり、対症、原因療法とも
重要であり片方だけで良いというものではない。

765 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 14:40:33.50 ID:lDcdOnAc.net
>>762
チミは以下に自分の生命論がゴータマの解き明かした理法に違背してるか、一番自分が知っているだろう?
他人は自分のことじゃないとして、いい加減にしか思わないんだよ。
ゴータマ様でさえも、自分を拒否する人に対しては、いか様にもなしえないんだから。

イエスの『永遠の生命』とは、生死から離れた命で、一切の心配のない命、

766 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 15:13:08.74 ID:lDcdOnAc.net
>>764
仏陀は「医王」だと自慢している。
そりゃその自説を見るならその通りだ。

仏陀の自説によると、世界の真実は、一相なもの、故に無相なもの、仏陀でないものは「無願」に徹すべきもの、
というのだ。
つまりそこ真実の世界には、病気などもともとありえないのである。

そして、そこの世界で、真実を知らないものは、色々な願を起こすのである。これがほしい、ああなってほしいなどと。
これが病気の下なのだ。願を起こすこと。だ。

快楽がほしいと願を起こすと、必然として苦痛が相対して起きるのだ。快を求めるとは苦痛を求めているのだよ。
それを理解しないものは、苦痛を受けたときは、貝を求めるのだ。しかし、求めても求めても、
苦痛が攻めてくる。快とは苦痛の別の顔なんだから。無相の世界では、あるものとは、相対して存在してるものにほかならず、
「有る」ものは「ない」ものと一緒に「有る」のだ。

だから臨終であろうと、普段であろうと、苦痛から抜け出したいときは、快を求めないと言う真実の道「無願」に徹するほかないのである。

この態度は、生命を尊重などと言っているものには、とても困難な状況となろう。

四念所四正勤に普段から修行しているなら、病魔に捕えられることはない。

こういうことを教える仏陀は「医王」だよ。対処療法をする世俗の医者ではない。

767 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 15:18:17.85 ID:V+XMMAJX.net
>世界の真実は、一相なもの、故に無相なもの
>つまりそこ真実の世界には、病気などもともとありえないのである。

ならばw お前は一生の間絶対に世間の医者にはかからない事だなw
世間の医者にかかりつつ、上の書き込みは救いようのない矛盾であり間違いなく地獄逝きだぞw
自覚があるのか?

768 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 15:34:19.04 ID:lDcdOnAc.net
任意の医療保険はすべて解約した。

769 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 15:37:38.22 ID:V+XMMAJX.net
保険の解約ではなく世間の医者にかからない事だ。
かかった時点で地獄逝きwww

770 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 15:47:38.15 ID:V+XMMAJX.net
こういう宗教馬鹿は気の毒ではあるが自業自得という奴だな。
大昔の虚言に騙されて自らを縛り病気になっても医者にもかかれない。
医者にかかれば地獄逝きであり、前言撤回と簡単には済まないからな。
エホバの証人の輸血拒否も同じ〜。

現代に生きつつ科学を拒否するのはまさにキチガイ。
科学を拒否とは言えエアコンの部屋でネットに接続して書き込んでいる以上
全然拒否にならんのだがなw

いわゆる口だけ人間の可能性が高く、病気になればホイホイ医者にかかる阿呆の可能性の方が高いw
真に信じていれば医者にかからずに地獄の苦しみの元死ぬだけだ。

どちらも不幸な在り様ではあるな。
仏陀はこのような不幸な在り様にならないように教えたのだ。

現代人は現代人の幸せな在り様を目指すべき。大昔の戯言に騙されるのは自灯明の実践を放棄する馬鹿としか言いようがない。

771 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 17:30:25.28 ID:lDcdOnAc.net
人間は肉体ではない、人間は心ではない、。
人間とは何か?

人間とは真実相の無相なものなのだ。
これが真実の姿としてあるので、これに反すると、必ず自分がその報いを受けるのである。

これはゴータマの是認される真理である。

人間は五臓など有しているものではない。

癌細胞などというものが身体にできる話は定説になっている。どうして身体と言うものがないのに、癌細胞などというものがあるというのか?
身体があると妄想してるものにだけ、癌ができるのだ。

人はどうして身体があると妄想するようになったのか?
身体の有用性を認めていたからだろう。そういう業を積んできたからだ。
身体の欲に服従する業を積んできたからだ。

子供を生む機械となり、子供の身体の維持に意を注ぎ、それこそ生まれてきた目的だと信じて疑わない生活を
してきたからだ。

業の報いは免れないのだ。天網恢恢疎にして漏らさず、の真理だね。

今後も、その罰は受けねばならない。それを回避するためには、その業を消さねばならない。
どうやって消すのだ?

772 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:03:08.14 ID:V+XMMAJX.net
さてw
見事、仏教に溺れ悲惨な生き様を示す典型例が現れたw

仏教などに嵌るといずれこうなるという生きた見本だなw

773 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:12:41.00 ID:4buCW8j7.net
>>759
>このことを知らないのを、無明という、そしてこのことを知っているのを悟りと言うのだろ?

「このことを知った」その時点は悟りじゃないですよ
そこすらかなり難しい故に一般論的には悟りの括りに入るのでしょうけど
厳格に言うならその時点は「見性」です
悟りになるのはもっと先になります
それは「悟らぬ悟り」なので実に地味なものです

774 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:13:56.40 ID:4buCW8j7.net
>>772
君は自我に嵌りっ放しでしょ
他人の事を悪くは言えないよ

775 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:16:36.53 ID:4buCW8j7.net
>>771
そこが解決出来ないのは不二一元論の限界なんでしょう

776 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:17:32.09 ID:V+XMMAJX.net
自我に嵌るのではなく自我に頼るのである。
自灯明とはこの事。
仏教に頼る阿呆にはいくら言っても理解できまいがw

その仏教が自灯明の教えを説いているのだがココだけ見事抜け落ちるのが仏教馬鹿のなせる業だなw

777 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:22:18.84 ID:0XpRV4sZ.net
>>776
自灯明は自洲法洲等の仏教由来の言葉
その観点を踏まえて、勝手な解釈で用いる君の考えは如何なものかと苦言を呈さざるを得ませんね

自灯明は自我に頼ることではありません
それは経典にも明白に出てますよ、何に頼って自灯明なのかとね

778 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:25:02.97 ID:V+XMMAJX.net
己を州(島)とし己を頼る事が自灯明であり、すなわち法灯明となる。
その解説の経典の説明など不要w
明快な教えなのに解説の方に重きを置いてどうするww

779 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:28:01.90 ID:0XpRV4sZ.net
>>778
あれぇ?経典から言葉を「盗」んで勝手解釈で用いるんですか?

>その解説の経典の説明など不要w

自論を崩される証拠は見たくないと言うのが我執の現れですよね
自意識でそれを嫌悪出来ないなら、ひょっとしてそう言う体質・病気をお持ちなんでしょうか?

780 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:30:14.76 ID:0XpRV4sZ.net
>>778
あそうそう、自洲法洲(自灯明法灯明)の出自の経典とその解釈の経典は同じものですよ
自洲法洲で行きなさいと教え、何を以って自洲法洲なのかと教えてるんですよ
知らないで使ってたんでしょうか

781 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:32:33.38 ID:V+XMMAJX.net
経典を一字一句そのまま鵜呑みにする姿勢のどこが自灯明だ?ww

経典の中から取捨選択、自分で解釈するから(参考として学者の解説を聞いても〜)自灯明だ。
無我を我執を無くせ〜と解釈するのはまあ賛成するが、普通に生きる人間はそうそう自分というものに
執着はしないものだw むしろ我執するなかれ〜という教えに固執している姿が見えてそっちの方が問題だろうww

782 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:33:13.22 ID:0XpRV4sZ.net
>>778
大般涅槃経
165-13.それゆえアーナンダよ、ここなるあなた方は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住しなさい。

165-14.ではアーナンダよ、いかに比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住するのでしょうか。

165-15.アーナンダよ、ここなる比丘が、身に対して、身を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(身念処)

165-16.アーナンダよ、ここなる比丘が、諸々の受に対して、受を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(受念処)

165-17.アーナンダよ、ここなる比丘が、心に対して、心を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(心念処)

165-18.アーナンダよ、ここなる比丘が、諸法に対して、法を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(法念処)

165-19.アーナンダよ、じつにこのように、比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住するのです。

783 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:35:59.63 ID:Q8KemJgw.net
>>781
これ>>782が間違って巷間流布されてしまった「自灯明」の全貌ですよ

良く読んでくださいね
自己を拠り所とは四念処を拠り所にしろと仰せです

784 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 18:57:21.39 ID:V+XMMAJX.net
中村元さんの本では、
世間における貪欲と憂いを除く事〜とあるな。
何に対してかと言えば、身体、感受、心、諸々の事象〜

コレを自灯明で読めば、一般的な欲やら心配事は自分で解決せよ〜
という事に他ならず、「身体、感受、心、諸々の事象」の方に焦点を当てて
経典に書いてある〜という経典依存姿勢が非自灯明なんだよw

785 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:03:52.68 ID:QqpjAIGn.net
>>784
良い本を持ってる様なんですからちゃんと読みましょうよ

>世間における貪欲と憂いを除く事〜とあるな。
>何に対してかと言えば、身体、感受、心、諸々の事象〜

「身体、感受、心、諸々の事象」は君にも理解可能な言葉に直して言ってるだけで
その意味してるものは「身念処 受念処 心念処 法念処」そのままじゃないですか

786 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:09:32.53 ID:QqpjAIGn.net
>>784
四念処とはこう言う修行法の事です

身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
法念処(法念住) - 法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる(諸法無我)
(by Wikipedia)

この四つは全て、観じて滅する実践方法なんですよ

>一般的な欲やら心配事は自分で解決せよ〜

でも良いですが、その解決が「滅して」解決ならその件は何も残らなくなるので良いでしょう
しかし、君の言ってるのは違うんでしょう?あれこれ考えて結論出してきましょ〜的な
それじゃダメだって言うのが仏教のスタンスです

787 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:12:42.82 ID:V+XMMAJX.net
その「身念処 受念処 心念処 法念処」〜とやらを小学生に分かる様に説明できて
初めてスタート地点なわけだ。

そもそも、感じ受けるのは身体であり心であり、何を感じ受けるのかと言うのが諸々の事象についてだろうw
この一連の流れ全部が「対象」として世間における貪欲と憂いを除く事〜である訳だ。
これでも小学生は分からんというかもしれないw

つまりここで言う「対象」を事細かく解説する必要は無いわけだ。
ならば、一般的な欲やら心配事は自分で解決せよ〜で良いだろうよw

一番重要なのは対象に非ず、「自分で解決せよ〜」という点だ。
そこを見落として対象ばかりに目がいくのも仏教キチガイの範疇にいる証だなw

788 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:18:39.73 ID:V+XMMAJX.net
自灯明という言葉が示しているだろうw

灯明と洲が同じ言葉の音だから洲を灯明と誤訳されたが結果的に同じ意味だから
放置されているが、自分を州(島)として頼れという教えである事が最重要であり、
何に対してなんてのは付け加えの解説に過ぎない。

789 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:27:08.77 ID:x7Fpquaq.net
「俺の考えは絶対なのだ」

紐の自己愛性人格障害を観察スレとしてここは秀逸だね

790 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:28:44.25 ID:V+XMMAJX.net
俺が自己愛性人格障害ならば、お前らは仏教キチガイ(精神障害)で病気になっても医者にもかかれず〜ってか?w
気の毒な連中だw

791 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:29:02.19 ID:eRjW48MV.net
>>787
お前は小学生なのか?
小学生がそんなお前みたいなのに悩んでたら逆にダメだろw

792 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:30:24.00 ID:eRjW48MV.net
>>790
遂に認めたなw

結局キチガイの戯言を言いたいが為に相手をキチガイ呼ばわりしていたと

793 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:39:43.36 ID:V+XMMAJX.net
なんせ仏教キチガイは「身体が無いのに何故病気になどなろうか!キッ」というんだから面白いねえwww
身体が無いのに何故2ちゃんねるに書き込めるんだ?と聞き返したいわなwwwwwww

794 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:42:22.29 ID:79xHwVpg.net
何かまた自分だけの面白い妄言を書き始めたなw
新しいお題目だ

795 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:43:22.52 ID:V+XMMAJX.net
ほんの少し前すら読めない馬鹿www

796 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:45:30.26 ID:mWvuWHV2.net
自己中は自分以外は全部同一に見えるらしいw

797 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 19:59:40.23 ID:V+XMMAJX.net
無い無い馬鹿は自分の資産全部を寄付して裸一貫になり飯も食わず死ねw
そうしたら認めてやろうw

それすらせずに口だけで無い無いいっても無駄だろうよw
そう言っているお前自身が目障りなくらい有るんだからなw

ジャイナ教はその点見事だな。
一番の理想は生まれて何も食わずに死ぬ事らしい。

仏教はそれじゃ生きてゆけないから妥協して中道で死なない程度に
楽させてください〜という宗教なんだよw
その仏教の基本を俺は良いと思うが、阿呆は無い無い〜の無い馬鹿だから
そういう人間はジャイナ教にでも鞍替えして死ねと言いたいなwww

798 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 20:03:53.47 ID:5xDww4Qb.net
藁人形論法

799 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 20:36:05.50 ID:lDcdOnAc.net
>>797
チミの自灯明法灯明の解釈を聞いていて、チミが間違って理解してることを知り、
チミの傲慢の理由が判った。
それについてはまた明日にはなそう。

800 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 21:01:34.76 ID:V+XMMAJX.net
いや、もうお腹いっぱいなんですがねえww
話せば話すほど、書けば書くほどに己の主張とかけ離れて行く矛盾の姿〜w

ジャイナ教で断食でもして死ぬ方が説得力がありますよ〜。

801 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 22:27:24.16 ID:V+XMMAJX.net
小池龍之介さんもTVで偽者ぶりを披露されていますなあw
誰が信じるんだ?www

802 :神も仏も名無しさん:2015/11/13(金) 23:06:38.15 ID:V+XMMAJX.net
Eテレの数学ミステリー白熱教室の方が遥かに人を惹きつけるww

803 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 00:39:29.73 ID:TxEAvTZ+.net
自灯明・法灯明:

「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)を
灯明とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」。
(岩波仏教辞典)。

804 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 00:44:28.34 ID:3GNKLL9m.net
>>798
本当詭弁だよな

805 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 00:50:10.36 ID:TxEAvTZ+.net
>>803の「真理(法)」を、「釈迦の教え」と解釈するのは誤り。
釈迦が、「自分にたよれ。しかし、俺にはたよれ」と矛盾したことを
言っていることになるから。

806 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 01:07:53.89 ID:+dOUEiin.net
>>805
自灯明法灯明の出自はこれ>>782
曖昧を流布しちゃ社会悪だと思います

807 ::2015/11/14(土) 01:20:12.24 ID:1Az4hI66.net
>>805
仏陀は誰も自分を頼る弟子はいないと言って自灯明を説いたんだよ。
仏陀が「自分にたよれ。〜」等とは一言も言っていないし、そこに何ら矛盾は無い。

808 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 01:31:42.95 ID:1Az4hI66.net
↑この「自分」は仏陀自身の事で、説いている相手の「自分」ではない。(念のためw)

809 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 01:39:38.91 ID:SGDjhfPT.net
カーラーマ経(http://www.j-theravada.net/kogi/kogi12.html
人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文じゅもん、神の啓示などに頼ってはいけない、
世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
自分の見方に(見けん)に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、

これら一切に頼らずに至れた答えこそが真理であると言うのが仏教の真髄です
自灯明法灯明はそのエビデンスであり方法です

810 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 01:55:21.56 ID:TxEAvTZ+.net
>>808
出ました。超カルト解釈。そこまで釈迦に洗脳されているのか。

誰か、出典の長阿含経の文章を引用してくれ。

「思惟によって良くこころを統一し、おのが心をまもれよ」(中村訳)。

この「おのが心」とは、当然、「(釈迦が語りかけている)弟子自身の心」。

811 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 03:03:03.20 ID:B2sy7JcC.net
>>810
バカモノ、簡単に長阿含と言うがどれもが重要経典で長いものばかり六十経の集まりなんだぞ?
中村氏が何を出自としてその下りを書いてるかの引用元位書くのが筋では無いのか

812 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 08:27:33.67 ID:1zXJgy2/.net
>>800
消化してないからお腹一杯が害になってんだな。

チミは「法灯明」を無視してる。
自分が法と言う真実と真理に合致してるかどうかは、自分以外判らないだろう?

チミが真理に違反してるなら、チミが不利益を被るのであり、他者は無関係なのだ。修行においては。
ゴータマさんは、法灯明を抜きにして自灯明を言ったんではない。
法灯明のために自灯明を説いたのだ。

で、法灯明の「法」とは何か、について、それは客観的なものでなければならない。真理なのだから。
それを認められるかどうかがカギだな。ところがチミはそれを認めないでいる。
だから、チミの自灯明は自己中心で、俗世間の俗説を頑強に主張することになるのだろ。

俗世間の俗説だから、チミの本心から出てきている心根が無いのだ。
その俗説は突っ込みどころ満載で、チミ自身ちっとも安心できないものだ。
そのために、こんな優れたスレで、暴れて調教してもらいたいというのがチミの隠れた本心なんだよ。

813 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 08:33:33.84 ID:1zXJgy2/.net
>>810
> 「思惟によって良くこころを統一し、おのが心をまもれよ」(中村訳)。

「心の統一」と言っているが、「心の統一」とはどういうことか?

814 :CIAパンドラ計画:2015/11/14(土) 08:48:32.69 ID:/ipTrM0r.net
>>740
またか

お前は何処のアホだ

> 「語れる訳が無いだろ」と語っているそれは何ですか?

「論点がずれる」という事がどういう事か分かるか?

それだけだ

> あなたもそのクズとやらの中にいる訳です
> 世間を嫌悪するものにどうして世間を理解出来るでしょうか

お前はこのセリフに何の意味が有ると思っているんだ?

世間を嫌悪しようがしまいが
どの道馬鹿に分かる事は無い

どうでも良い事を言っているだけだ

> まさに人の話をマイルールで勝手に決めつけて話を片付ける様な発言ですね

まただ
一々人の事を知ったかぶるな
論点だけを語れよ「能無し」

それが出来ないからって「人のせい」にしないでくれ

815 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 09:15:14.44 ID:XtaIB+af.net
お疲れ様です。

知られているものは全て想念ですよ。
無いに等しいくらいの儚いものです。

その儚い想念の上に基盤を持ち頑張っているのが我有り、世界有りという人です。
なぜ生きているかも分からないのに、いろんなことを覚えている、思い出せる、知っている。と言い張ります。

競い争い心は常に不満を持っているため未来に向けて何かを掴みに頑張ります。
お疲れ様です。

816 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 12:13:37.28 ID:O1rBRa/4.net
>>818

「心の統一」とは、感情的にならずに常に冷静に「我」を保ち、己の「生命
の深奥の声」に耳を傾けること。そして、他者の「我」を忘れないこと。

817 :CIAパンドラ計画:2015/11/14(土) 12:44:44.35 ID:/ipTrM0r.net
>>815
想念を語っているのかね?
とここで言う所だろ?

お前がだよ

「人の話」を「想念です」で片付けるなら
「お前はどうなんだ」と返すのだよ

またかよ
どういう話でも知ったかぶりしか出来ないのかよ
本当に低能なんだろうな

> 競い争い心は常に不満を持っているため未来に向けて何かを掴みに頑張ります。
> お疲れ様です。
汚い言葉だの羅列だ

競い争いがいけないというなら
始めから語るなよ
それを言った後に「お疲れ様です」と来たもんだ

どれだけ「知ったか」すれば気が済むんだよ
この知恵遅れはよ

818 :CIAパンドラ計画:2015/11/14(土) 12:47:31.77 ID:/ipTrM0r.net
>>816
お前がだよ

>>815
それと
そんな事何処の馬鹿が言ってるの?

世間では科学絶対主義の様なものがあるけどね
あれの否定をするだけですよ

「科学に絶対は無い」
それを理解しないバカの思い込みを
妄想だと言っているだけですからね

お疲れちゃん

お前らは「科学万能豚カルト」だろ

悟りの真反対

ニヒリズムの真反対

何を気取ってんだよ馬鹿がよ

819 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 12:48:30.18 ID:x4PFdCWm.net
・俺はこのように思う
・○○さんはこのように言っている
・経や論書にこのように著されている

等、自説か学者など他の人の説なのかをはっきりさせた方が良いと
思うだけれど…
「中村先生が〜」にしても出典の明示と正確な引用があると話が転がり
やすいと思うんだ。

820 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 13:16:12.74 ID:1zXJgy2/.net
>>797
>無い無い馬鹿は自分の資産全部を寄付して裸一貫になり飯も食わず死ねw
そうしたら認めてやろうw

そういうことを言うところから、チミはゴータマの説く理法を理解してないというのだ。
ゴータマは、”世界を空なりとみよ”といったんだろう?
その世界の中には、資産を寄付する行為も、飯も食わずに死ぬ行為もすべては言っているんだよ。
もちろん資産を楽しむ行為も、御馳走を食う行為もすべて、空の真実の範囲内なんだよ。

三輪清浄という法門がある。物質と当事者二人は、空の範囲で行うので、三者とも清浄だというのだ。
もし誰かが欲の心でやり取りするなら、三輪清浄とはならないが、。
目標は清浄な世界、空の世界、無相の世界なのだから、それに適合しておれば何の問題もないわけだ。

821 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 13:49:00.58 ID:1zXJgy2/.net
>>816
>「心の統一」とは、感情的にならずに常に冷静に「我」を保ち、己の「生命
の深奥の声」に耳を傾けること。そして、他者の「我」を忘れないこと。

違うと思うよ。
心を統一するとは、一なる実相を観想することだよ。無心の時が、実相である
一っ相、無相、無願の状態にある時なのだ。

822 :CIAパンドラ計画:2015/11/14(土) 14:19:39.57 ID:/ipTrM0r.net
どの道エガスの組織が暗躍しているのに
言っている事が意味不明だ

823 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 15:07:44.08 ID:1Az4hI66.net
>>810
全くカルトの要素は無い。
大パリニッバーナ経を読めば分かるだろうよw

824 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 16:25:48.73 ID:hmcQs95g.net
>>821

人間は動物の一種属であり、その唯一の普遍の基盤は「生命の維持(生存)」への
欲動だから、生存に無関係な対象や思考は、「一なる実相」ではない。

人間は、現実に100%依存しない限り、一瞬も生存できないのだから、現実
のみが「一なる実相」となる。生死に関る究極の状況においては、生を維持する
現実(物質)のみが、唯一の実相。

825 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 16:27:17.18 ID:xo0jEmVs.net
>>824


隠居まだ日本で工作員活動してたのか?
金正恩に粛清される心配はないのか?帰国したほうがいいと思うぞw

826 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 16:50:37.86 ID:1Az4hI66.net
>>820
空の隠れ蓑の裏ではやり放題ww
酒池肉林も空だから無問題ってか〜w

まさに糞のような主張だなw

いくら無い無い言っても2ちゃんねるで糞持論を展開するお前自身は明確に有るなあww

まあ、お前が全資産を投げうって裸一貫飯も食わずに死ねば認めてやろう。
あと、病気にかかろうが絶対に医者にはかかるなよww
かかった時点でお前は地獄逝きだ。忘れるなw 簡単に前言撤回は閻魔大王は認めないという事だ。

827 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 17:21:41.82 ID:hmcQs95g.net
釈迦カルト(小乗仏教)って、「自灯明」と言う言葉がよほど嫌いなようだね。
この仏教で最も有名な言葉が、岩波を除く仏教辞典には出てこない。中村博士の
「仏伝」でも、自分に頼ったのは釈迦だと言っている。

釈迦カルトは、自灯明では、釈迦の面目がなくなるからだろうw。

828 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 17:41:13.90 ID:xo0jEmVs.net
隠居神カルトは元気そうだな。
朝鮮総連への報告は済みましたか?

829 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 17:45:51.26 ID:tGDiH4AF.net
仏教徒集団「ボドゥ・ボラ・シーナ」が、少数派イスラム教徒ロヒンギャ族に虐殺行為を繰り返している。
ロヒンギャ族はもともと、東インドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に居住し、
15世紀以降に、ビルマ西海岸で繁栄したアラカン王国に商人や傭兵や商人として移住して来た。
仏教徒のアラカン族とイスラム教徒のロヒンギャ族は、元々は平穏に共存していたが、
英国の植民地政策と第二次世界大戦での日本による侵攻で、その関係が一変し現在に至っている。
ミャンマー最西部のラカイン州、ベンガル湾とバングラデシュ国境にほど近い州都シットウェ。
この地で深刻な人道被害が発生している。
多くの人がその惨状を、「まぎれもなく、これはジェノサイド」だ、と。
国を跨るロヒンギャ族は各地で虐殺されている。

画像
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d1/b532df13f201ad31568d9830134f4c8b.jpg

830 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 18:13:39.85 ID:hmcQs95g.net
>>829

ミャンマーは、小乗仏教国。

831 :CIAパンドラ計画:2015/11/14(土) 18:19:45.98 ID:/ipTrM0r.net
「仏教徒集団」「イスラム教徒ロヒンギャ族」

スゲーよな!

こんな下りから集団の行為を説明する事がスゴい!

豚カルトは宗教対立を捏造するよね

いい加減くだらねー事しか言ってねーと
普通に言いたいんだがね

くだらねーよな!

日本人に宗教なんてほとんど関係なかったけど
西洋の感覚をそのまま導入していて
豚カルトが西洋から来てる事が
嫌になる程よく分かるんだよ

宗教対立なんて誰か気にしてたっけ?

凄いうきまくっているよね
この連中は

832 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 19:03:56.90 ID:Ho3SRqlE.net
そいつは至るところに貼りまくってる
相手にするな
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1447328222/258

833 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 19:10:58.92 ID:1zXJgy2/.net
>>826
維摩経の維摩がそれじゃやないか。
仏道はどうしたら達成できるかと問われた時に、
「維摩は「非道(貪・瞋・痴から発する仏道に背くこと)を行ぜよ」と答えた。
彼の真意は「非道を行じながら、それに捉われなければ仏道に通達できるということを意味している。

834 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 19:12:52.27 ID:1Az4hI66.net
維摩経など大乗仏典は全て偽経。
経典作者の創作に仏教を求めても無駄〜ww

お前は病気になっても医者にかからず死ね〜ww

835 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 19:15:44.41 ID:wF3mgv7T.net
語るに落ちるとは、このことか・・・

>>829
>元々は平穏に共存していたが、
>英国の植民地政策と第二次世界大戦での日本による侵攻で、その関係が一変し


少なくとも、
宗教的対立(宗教の領域に於ける思想的対立)が主因ではないわなwww


んと、紐も隠居も、発言は右向きだけど、思考回路はトコトン左掛かってるよな・・。

836 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 19:16:38.77 ID:wrLP+g99.net
出家(魂の)してついて来ない者は私に相応しくない。
相応しくないものがいくら釈迦や仏教を理解しようとしても限界がある。

837 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 20:40:27.97 ID:hmcQs95g.net
>>835

小乗仏教(釈迦カルト)は、開祖の神格化と妄信という点で、一神教的である。
タイもスリランカもカンボジアもラオスも、小乗国。

838 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 20:51:18.64 ID:wF3mgv7T.net
>英国の植民地政策と第二次世界大戦での日本による侵攻で、その関係が一変し

839 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 20:56:13.40 ID:wrLP+g99.net
問題の総合商社、神を理解せず救われるさえ勘違いし排他的で好戦的。

840 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 21:45:38.20 ID:hmcQs95g.net
>>838

宗教心理(宗教に内在する精神病理)は、そんな一時的外的要因で変わる
ものではない。

英国の植民地政策は、キリスト教宣教の目的が先行するから例外かも知れ
ないが、日本の占領が一体どれほどの期間続いたのか?

841 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 21:59:03.88 ID:wF3mgv7T.net
>>840

>>829に言えよw 分析(≒引用?)が間違っている、と。

842 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 21:59:17.08 ID:1Az4hI66.net
>>827
小乗、大乗の区別なく仏教依存、仏陀依存の姿勢自体を仏陀は嘆くだろうw
己の頭で思考し理解し実践すれば良いだけなのを伝統という名の元、糞な教義に
縛られ身動きできずに生きる事自体が哀れw
中村元氏は仏教に教義無し〜と言ったそうだが全く同意する。

843 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 22:09:42.11 ID:hmcQs95g.net
>>841

「日本の侵攻」などという短期的外部要因まで持ち出したことは、「宗教擁護」
の意図を感じる。

844 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 22:16:19.67 ID:hmcQs95g.net
日本に到来したのが大乗仏教であったおかげで、神仏習合を生じるまでに
神道と融和した。

小乗仏教であったなら、これほどの融和は不可能だったであろう。

845 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 22:23:08.37 ID:1Az4hI66.net
日本は聖徳太子以来、和を持って尊しとする気質があるから
小乗だろうが大乗だろうが変わらないとは思うが。

846 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 22:40:50.02 ID:3NEK2N4O.net
しない生活とか言うおっさんは煩悩を批判するのに、自ら高級衣を身に付けてる・・・

847 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 23:02:18.95 ID:1Az4hI66.net
>>801の小池だなw

848 :神も仏も名無しさん:2015/11/14(土) 23:49:49.56 ID:7jixjDqG.net
おい

849 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 00:19:34.42 ID:pwaWB1hI.net
>>845

聖徳太子は大乗仏教w。

850 ::2015/11/15(日) 00:36:16.84 ID:9mAMisVc.net
人間は一人で産まれ一人で死なねばならない。
生きている間にいくら愛とやらを育んでも死ぬ時は一人だ。
心中で一緒に死んでも死を他と共有する事は出来ない。

別離こそ人生であり、死んで我と別離するのも人生である。
糞な仏教の教義などにうつつを抜かすより、こういう現実をじっくり見つめる方が貼るかに有意義だろうよw

851 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 01:45:59.58 ID:+B7o5pJi.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/healing/1443450610/5
  ↑ ↑ ↑  ↑ ↑ ↑ 

852 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 03:07:52.57 ID:aTre/xGr.net
諸行無常というのは何かっていうと、時間的幅を持って継承される固定した存在は
いないってことなんだよ。
外面的にはなんの変家しないものでも、素粒子レベルでは常に変化してて、
まったく同じものが0.1秒後でも継承されるということはない。

「パンがカビた」という時一般の人は、「カビる」という働きとは別に
純粋な「パン」という存在を想像する。
そう、時間的に継承される変化しない存在を・・・。 (実体)

しかし、「パン」という変化しない実体は存在しない。
「パン」は表面的には変化しないように見えても、0.1秒後には素粒子レベルで見て
全く同一形態のものとはいえない。常に変化している。
「パン」が表面的に変化しないように見えても素粒子レベルで変化しているように、
「パンがカビていく」というのも全く同じ変化だ。
つまり、素粒子レベルの変化から切り離された、「まったく変化せず継続するパンという実体」は存在しない。
つまり、「カビていくパン」というものから、「カビる」という働きと、「パン」という純粋な実体を分けることなど出来ない。
「カビていくパン」は「カビていくパン」以外の何物でもないのだ。

「カビていくパン」が「カビる」というのなら、それは「パン」が「カビる」ということではなく、
「カビていくパン」という存在がさらに「カビる」ということになるから、
やはり龍樹の言うように、「カビる」という働きが二重になる。

このように、全体で一まとめなものを分離して、個々に実体があるように見てしまうのが
ふつうの人間の見かた。

もしも「九州に上陸しつつある台風が九州に上陸する」というなら、
「九州」と「台風」と「上陸する働き」とがセットになって、さらに九州に上陸するということになる。
九州の上に九州が乗っかることになる。

853 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 08:18:48.92 ID:40J6LzX+.net
考えすぎかな。
何と言っていいか、わからんけれど、
常識的に、  おかしいと、思うんだ。
別に、批判してるんじゃあ、ないよ。
頭のいい人、若い人、考えて答えを出そうと、
熱心に追い求めている人などが、そういう傾向になりやすいのもよく、
みうける。
追うことは、間違いかもしれない、と、思うのはどうかなあ?
追えば、(知の)わなにハマる、ということも、あるかもしれないんだ。
とくに、かんじんなものに いやいや しかたないやね。
いろんなひとがいて、この世だ。

854 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 08:20:06.73 ID:40J6LzX+.net
考えすぎかな。
何と言っていいか、わからんけれど、
常識的に、  おかしいと、思うんだ。
別に、批判してるんじゃあ、ないよ。
頭のいい人、若い人、考えて答えを出そうと、
熱心に追い求めている人などが、そういう傾向になりやすいのもよく、
みうける。
追うことは、間違いかもしれない、と、思うのはどうかなあ?
追えば、(知の)わなにハマる、ということも、あるかもしれないんだ。
とくに、かんじんなものに いやいや しかたないやね。
いろんなひとがいて、この世だ。

855 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 09:05:01.43 ID:8XqFdCwG.net
>>814
780 実に悪意をもって(他人を)誹る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起こっても、聖者はそれに近づかない。だから

聖者は何ごとにも心の荒むことがない。

781 欲にひかれて、好みにとらわれている人は、どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。かれは、みずから完全であると思いなしている。かれは知るにまかせて語るで

あろう。

782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」で

ある。と真理に達した人々は語る。

783 修行僧が平安となり、心が安静に帰して、戒律に関して「わたしはこのようにしている」といって誇ることがないならば、世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであ

るから、かれは高貴な人である、と真理に達した人々は語る。

784 汚れた見解をあらかじめ設け、つくりなし、偏重して、自分のうちにのみ勝れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安に執著しているのである。

785 諸々の事物に関する固執(はこれこれのものであると)確かに知って、自己の見解に対する執著を超越することは、容易ではない。故に人はそれらの(偏執の)住居のうちに

あって、ものごとを斥け、またこれを執る。

786 邪悪を掃い除いた人は、世の中のどこにいても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃い除いた人は、いつわりと驕慢とを捨て去っている

が、どうして(輪廻に)赴くであろうか?かれはもはやたより近づくものがないのである。

787 諸々の事物に関してたより近づく人は、あれこれの議論(誹り、噂さ)を受ける。(偏見や執著に)たより近づくことのない人を、どの言いがかりによって、どのように呼び得るであ

ろえか? かれは執することもなく、捨てることもない。かれはこの世にありながら一切の偏見を掃い去っているのである。

856 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 10:02:33.59 ID:0rHxPkIT.net
量子力学的には、すべての物質は、超高速で運動する微粒子の関係的集合体で
ある。つまり、中身スカスカで、常に変化している。しかし、人間が見ると、
固定した一定の物質に見える。これが中論の「空」の意味である。

例えば、君の隣に横たわる恋人の白い、豊満な裸体は、実は、中身スカスカ
なのである。しかし、人間である君にとっては、固定した実在以外の何物
でもなく、夢中で抱こうとする。

すべては生命による知覚の神秘である。量子力学のコペンハーゲン解釈では、
この生命の不可知の神秘ゆえに、「波束の収縮」という、自分でも無意味な
ことがわかっている概念を導入せざるを得なかったのである。

生命は、己の生命を以っては対象化できない唯一の存在。

生命を「無明」呼ばわりした釈迦は、生命のこの限りない神秘と驚異とに思い
至れなかった。

857 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 10:16:29.80 ID:0rHxPkIT.net
>>855

すべての人間は、「生命においては等価・至上」なのだから、釈迦が人間を
聖者と凡夫に差別したことは根本的な誤り。

宗教によるそのような根拠の無い差別から、人間同士の争いが生じている
のである。

「聖俗」も相対的概念だから、中論の空である。善悪や清濁と同様、一方が
なければ、他方もありえない関係。執着すべき自性はない。

釈迦は、空なる「聖」に執着しまくり。

858 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 10:46:57.16 ID:ESWJYIVp.net
>>855
ありがたいね。聖者の言葉を聞くのは。

>>856
中論の空の意味は、微粒子同志は、相対存在なので、微粒子自体には、
実体がない、即ち存在しない、という意味だ。

チミは人間は微粒子集合体で、中身がスカスカであって、且つ運動していて、
しかし固定した一定の物質に見える、というが、どんだけ矛盾したことを言っているか
自分で分からないのか?

そんな支離滅裂な言論を竜樹がしたのか?誰も相手にしない。そんなやつは。

竜樹は、この地球上で一番固い鉱物とされているダイヤモンドさえも、
実体のない、幻だ、と論証したのだ。

859 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 11:05:22.92 ID:9mAMisVc.net
「実体のない」の無い馬鹿登場www

860 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 11:16:45.01 ID:ESWJYIVp.net
森羅万象に実体がないのだ。
そこで、森羅万象を除去すると、そこに実体が現れるのだ。

世間を対象に言論するときは、世間は森羅万象しか見ていないので、実体がない、というのだが、
真実としての実体が存在しないと言っているのではない。

その真実としての実体は無相の相を採っているもの換言すると姿の無い姿をしているもの、なので、
その真実の実態によれば、世間の人の見る森羅万象は、「ない、ない、ないよ」と言うに尽きるのだ。

おかしくないだろう?チミの誤解だよ。

861 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 11:22:39.23 ID:bmJFJ1C/.net
ある人いわく「私はこの宇宙が広がっているのか、縮まっているのか、
       それをあなたから教わったなら仏教へ帰依します」
シャキャムニ「宇宙が広がっているとか縮んでいるとか、そんなことが
       あなたの解脱に何の役に立つのか。今ある苦しみを
       除くことこそ肝要である」

素粒子が量子力学がどうのこうの言ってる連中は
仏教徒ではない

862 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 11:22:54.48 ID:9mAMisVc.net
「実体のない」の無い馬鹿に付ける薬は無い。
死ぬまでキチガイのまま。
絶対に医者にかかるなよwww 

863 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 11:27:47.93 ID:0rHxPkIT.net
>>858

釈迦は「聖者」ではなく、あくまで「自称聖者」w。イエスも「自称神(の子)」。
詐欺師に騙されないようにw。

微粒子も、観測装置で観測できる限り、実在である。ニュートリノも、観測に
より、質量があることが発見されたではないか。微粒子も、さらなる微粒子の
関係的集合体であることが、今後も発見され続けるであろう。中論が相対性
理論や量子力学を先取りしていることは明らか。

竜樹は、「幻」とは言っていない。「幻のごときもの」と言っている。両者は
大違い。竜樹の表現の苦労を、少しは理解しようw。

864 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 12:23:19.46 ID:ESWJYIVp.net
>>863
科学の論理は詳しくないが、科学の論理であろうが哲学の論理であろうが、
別世界と見做してはならないと思うお。同じ人間が、その論理に接し、意見を持つのだから。

で、実在とか実体とか、実相とか、真実とか、色々な表現を使用するが、これらは同じ意味だ。
で、実在と言うときはそれが真実なものとして存在していなければならない。真実なものとは絶対存在としてあるものでなければならない。
つまり自存しているものだ。相対存在ではないというものだ。

観測してその存在が確かめられたということでそれが実在しているというのは正しくないわけだ。
なぜなら、それは絶対存在でないことは明らかだろう?

絶対存在だけが実在しているので、そんなニュートリノなどの微細なものが絶対存在などと言えない。実在ではないのだ。

865 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 13:49:41.47 ID:ESWJYIVp.net
>>852
むづかしいのか、論旨がぼけてるのか、判らない。なんか程度の高いことを言おうとしてるような印があるようだが、
わかんねい。

866 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:03:44.29 ID:9mAMisVc.net
実体が有るのか無いのかを問うのは形而上の存在論であり、これの答えは不明以外に有り得ない。
にもかかわらず、無いと断定している時点で大間違いなんだよw

無いの主張は矛盾も矛盾、大矛盾である。
主張している本人が有るのに無いとはコレいかに?ww
空を隠れ蓑に裏でやりたい放題の阿呆だから矛盾を矛盾と認識しない。

人間にとり「有る」がメインの命題であり「無い」はサブである。
サブとメインの取り違え自体が阿呆なんだよwww

867 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:15:57.27 ID:/oKhFpRX.net
>>866
横から何度も言うけど、
釈尊以来(部派仏教も般若思想群も)、諸法が(諸存在が) 「ある」 ことは大前提なの。
立場の違いは、「どのようにあるか」なの。それは龍樹(中論)でも同じ。

このとき、

 「その《在り様》は、固定的実在的に一つ(一種)である」

とするのが西洋哲学、西洋的世界観なの。
で、仏教では(お釈迦さん及び龍樹等大乗空思想群は)、《それ》を

 「(一時的に)、縁起してあるもの、所縁によって現れているもの」

とするの。

こんなシンプルなことが、まだ解らないかなぁ・・w

868 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:20:36.50 ID:9mAMisVc.net
>釈尊以来(部派仏教も般若思想群も)、諸法が(諸存在が) 「ある」 ことは大前提なの。
>立場の違いは、「どのようにあるか」なの。それは龍樹(中論)でも同じ。

説一切有部は法を実有としたが龍樹はそれを論破する目的で中論を書き上げた。
説一切有部と龍樹は正反対である。この基本もわきまえずに下手糞な空の解説など屁のツッパリにもならんわww

869 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:24:12.73 ID:/oKhFpRX.net
>>868
有部の立場の前段階が必要なんだよ、君にはw


海辺で子供が≪「お城」を「作った」≫とき、そこに「城」は「ある」?「ない」? w

870 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:24:59.67 ID:9mAMisVc.net
出ましたww 毎度おなじみのセブンの超下手糞比喩www

871 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:32:49.14 ID:/oKhFpRX.net
有部が「ある」としたものが何か(どのようなことか)をわかってないよねぇ・・。

紐や隠居の立場(考え方、視線)に於いては、有部と龍樹の間の違いを言い得ないんだけどね・・。
(つか、君らからしたら、有部と龍樹は同じ「無い無い思想」になっちゃうんだけどね・・。
 「どのようにあるのか」の点で比較して初めて、両者に差異が出てくるんだけどね・・。
 中論、まったく読めてないよね・・・。
 対論者同士が、同じ 「諸法の縁起してあること」(実体なきこと) に関して、
 その解釈・解説の仕方に於いて対立軸にあることが・・。)

872 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 14:39:10.44 ID:9mAMisVc.net
法を有るとする立場と有るとは言えないとする立場では同じとは言えない。
これを同じというアンタが馬鹿なんだよw

ものの説明の仕方を勉強しなおして来いw

873 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 15:30:19.29 ID:hqkKwhJ+.net
幽霊を信じている人が「幽霊を見た」という時はその人にとって真実です。
幽霊を信じていない人は彼が幻を見たといい。それはその人にとって真実です。

悟り体験をしたことのない人は「釈迦は詐欺師に違いない」と言うかもしれません。
当時もそのような人はいたでしょう。キリストも・・・・・

思念の相対世界においては、どんな事柄についてもこのような違いが出てきます。
人を説得するのは難しいという事は覚えておきたい事です。

874 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 15:43:27.93 ID:/oKhFpRX.net
ほらw まるでわかってない。 刹那滅という語さえ知らんのじゃね?

「縁起する」というテーゼを外れ得ない以上、
有部は、実体・実在を極限まで細分化して、
細分化して細分化して尚、何かを残さなければ、次の果へ繋がらない故に、
次の果への因や縁となるべく「法」は「有」でなければならない、というところへ行きついただけ。
(その「有」が「実体、実在としてのもの」かどうかは、また別問題。各論ある。)
まるで、現代科学物理学が、世界を粒子の構成によってできあがっているとするのに相似する。
 *(当然のこと乍ら、有部でさえ、
  隠居や紐が言うように「『物』がある、実在してある」などと言ってはいない
  ことにも留意しなきゃならんわけだが・・。
  問題となるのは、
  唯識教学との絡みで、心的作用、心的要素に関しても「有」となって行きがちだという点。)
   *(こういうデリケートなとこはチンプンカンプンだろうけどw)

だから、龍樹は、「そうではない」「微細な瞬間の切り取りさえも叶わない」
「流動的で切れ目のない」ダイナミックな縁起を中論で語ろうとしたわけ。

つまり、両者ともに「縁起して《ある》実体無き諸法」を説明しているだけ。
問題となっているのは
「縁起性」とはどのようなことを言うのか?ってトコなんだけどね・・。

875 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 15:48:00.67 ID:9mAMisVc.net
俺はモノが有るなどとは一言も言っていないw
人の言う事は理解せずに己の言いたい事のみを喚き散らす〜w
実体が有るとも無いとも言わない〜不明が答えだと繰り返し言っている。
無いと断定する阿呆は「実体が無い」というから阿呆と言ってるんだがなw

個々人の実人生は有る。コレは存在論ではない。

876 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 15:57:57.18 ID:Gvs49Wct.net
実有・実体ではなく
空という性質であるからこそ
因と縁の双方の縁起に依存して
仮に、現れ、そして、滅して逝く
それでも、とりあえず ↓ これ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8E
つくば市にある高エネルギー加速器研究機構 (KEK) から
スーパーカミオカンデに向かってニュートリノを発射するK2Kの実験において
ニュートリノの存在確率が変動している状態を直接的に確認し
2004年、質量があることを確実なものとした
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90
シュバルツシルト半径が(現実的に存在するかどうかは別として)計算上存在する
しかし、電子が大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6
量子力学の場合は、古典力学で成り立っていた、因果律が成り立たない
量子力学は
すべての物理量の値を同時に定まった値を持っているという
素朴な実在論としては記述できず、非実在論的である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95%E9%96%A2%E6%95%B0
波は重ね合わせの原理(波1と波2が同時に存在できる)を満たすため
物体が同時に複数の相異なる状態を取りえる(シュレーディンガーの猫)ことを示す
我々が住む日常世界の他に
全く異なる並行世界が存在することを期待させるために、様々な空想を生んだ
しかし「波動関数の実在性」そのものに関する解答は存在してない

877 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 15:58:11.20 ID:9mAMisVc.net
無いの主張は断滅論であり有るの主張は常住論であり仏陀は両者を取らない立場を表明した。
全くその立場に同意する。

しかし世の中の阿呆は実体が「無い」〜と断滅論を採用しているww
コレは明確に間違いである〜というのが私の主張だw

878 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 16:09:18.12 ID:/oKhFpRX.net
>>877
だからw

 ≪「実体」は無い≫ の。 ≪「諸法」は「ある」≫ の。 ≪「諸法」は「実在」しない≫ の。


>>875
>俺はモノが有るなどとは一言も
じゃあ、君が今見つめているモニター(画面)は何だい? 「モノ」じゃないのかい?
君は体を有していないのかい? 君の肉体は「モノ」じゃないのかい?
君の肉体は、あるともないともわからないような不確かさなのかい?

 *(それこそ、きみこそが病院行く必要ないんじゃね?w つか、病気にすらならんだろw
   あるともないともわからない身体について、何をし得ようかw
   隠居が一番批判してるのが、その「あるとも無いともわからない」というトコなんだが?w
   彼はよく言ってるよ。自分の頭をハンマーで叩いてみろ、とねw
   身体もハンマーも、あるかないか判らないんだろ?
   君の体があるのかないのか、ハンマーがあるのかないのか、試してみたらどうだ?www)

879 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 16:15:41.62 ID:9mAMisVc.net
>じゃあ、君が今見つめているモニター(画面)は何だい?
コレは俺にじゃなく一切が無いの主張する阿呆に言うべきだろうよw
俺の主張は個々人の実人生は有るんだからなww

モノの存在については不明としか言えまいw
法もその存在については龍樹は空とし、「ある」とは言わない。
コレをあるとするのが説一切有部だ。あると断定するのは有部だけだろうよw

880 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 16:37:27.35 ID:/oKhFpRX.net
>>879
>俺の主張は個々人の実人生は有るんだから
(「>実人生」ってのが何を指しているのかによって、話も変わってきそうだがw)

 「ある」んじゃんw

なぜ、「あるともないともわからない」 でなく、「ある」 と断言してるんだい?

881 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 16:40:08.27 ID:Gvs49Wct.net
説一切有部(せついっさいうぶ)
「あらゆる現象(諸法)を構成する基体として、有法、法体(ダルマ)を想定し
  この有法は滅することなく、過去・現在・未来にわたって存在し続けること(法体恒有、三世実有)」を主張した

 − これに対して −

大乗の場合は
”無自性・空”を主張して説一切有部の説を批判した
しかし
唯識派になると説一切有部の分析を積極的に取り入れるようになった

世親は「唯識二十論」で「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方
(実有・実体ではなく
  空という性質であるからこそ
  因と縁の双方の縁起に依存して
  色受想行識の仮和合は
  地水火風空識の依存による仮の現れなので
  「仮設としての」という意味で)
言い表すことのできない
「(仮の)実体がある」とした
「(仮の)相を有している」とした

仮設としての
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
(変化しないものは)存在しないにも関わらず
(変化しないものが)有ると思う虚妄の執著である遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)が現れ(滅し)ていく

882 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 16:43:21.36 ID:9mAMisVc.net
個々人の人生や人生主体としての我は有るだろうよw
コレを無いというのは阿呆だろww 存在論じゃないんだからな。

モノの存在を問う場合は不明だろうよ。
これを無いというのは阿呆だろうww

素粒子を細分化して何か残るのか否か?
宇宙の果ての先には何か有るのか無いのか?
こういう設問に対して「有る」とも「無い」とも言えまい。

つまり、どちらにせよ「無い」と断定する事自体が間違いなんだよ〜w
こんな簡単明瞭な事も理解できないのは余程仏教に毒されているからに違いなかろうww 哀れ〜www

883 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 17:06:01.79 ID:/oKhFpRX.net
ほうw 新たな局面を呈してきたなw

>>882
>個々人の人生や人生主体としての我は有る
「どのように」「ある(有る)」んだい?

>モノの存在を問う場合は不明だろう
「モノ」(の「ある」「なし」は不明であり、
「人生」や「主体(我)」の「ある」「なし」は断定できるという、
この差はどこにあるんだい?

一般的な価値観では、日常生活の中では、
「モノ」の存在の方が、より確かなことのように感じられる筈だが?
 (隠居は少なくともそう考えているのでは?
 食べ物という「モノ」が無ければ生きていけない、とw 霞を食ってるのか?と。
 リンゴなら、目の前に見え、触れ、食して、そこに「ある」ことが確認できる、とw)
対して、≪「人生」が「ある」≫というとき、それは「どこ」にあるんだい?

リンゴより遥かに確かなものとして、【自身に】、【感じられる、認識できる】ということかな?w
(デカルトが疑いきれなかったようにw)


ということで、認識論的な展開を見せそうな気配w  (パーピが横槍入れそうだw)

884 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 17:12:20.81 ID:9mAMisVc.net
己の人生を有るのか無いのか分からない〜
己の人生の主体たる我が有るのか無いのか分からない〜
というのが正常だというのか?ww

また、存在論ではどうしても素粒子や宇宙の果て論になるんだが有無を答えられるかね?

存在論か非存在論かの違いは明瞭だろうよ。
それが見えないのは己の頭を嘆くことだ、仏教に染まりすぎた己の頭をなw
仏陀が見れば嘆くだろうよ〜
これほど自灯明を無視した弟子は私の弟子ではない〜と言うに違いないwww

885 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 17:18:15.15 ID:Gvs49Wct.net
 
紐くんの場合は
> 「有る」とも「無い」とも言えまい

 − これに対して −

経典・論書・解説書の場合は
「輪廻にある存在」と掴もうとしている想いも手放し
「涅槃」と掴もうとしている想いも手放し
「想う」と掴もうとしている想いも手放し
「想わない」と掴もうとしている想いも手放し
非想非非想を超えて
「想いを手放す」という想いも手放し
http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
滅に触れて想滅定が生起して(心作用の消滅)
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
迷妄を性質として壊滅するもの
そのようなものを離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり
縁起したものを離れ
ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
(掴もうとしている想いを手放して、滅に触れて想滅定が生起して(心作用が滅して)そして)
「現れてくることもなく滅していくこともなく」によって仏陀が形容されている

886 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 17:32:01.53 ID:vFoDuihN.net
私のブログを参考にしてください
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/c/a97ccbf3715a3362bad8d8ae3c22cd91

887 : ◆Ozyaruuowd4U :2015/11/15(日) 17:55:25.89 ID:Gvs49Wct.net
 
> 私のブログを参考にしてください

> そもそも、解脱した人は、「根本的な生存欲」をとことん滅却してしまったのだ
> そんな人が、「私は、死んだ後にどうなるのでしょうか」というようなことを、気にするはずもない

例えば
おじゃるも
紐くんも
隠居先生も

止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)を実践したことがないので、それ故に
人には、その人それぞれの「自我があるはずだ!」と掴もうとしている想いに依存して
「根本的な生存欲を滅却することは出来ないはずだ!」と掴もうとしている想いに依存して

仮の現れとして「ぼくは、こう思う!」という見解が現れ(滅し)て逝く

たぶん ↑ こんな感じ? おじゃる?

888 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 18:09:07.15 ID:PIEbLadn.net
有だ、無だといくら騒いでみても、人間は、専ら五感の知覚により有無を
判断し、有に100%依存しない限り一瞬も生られないのだから、
無駄な話。釈迦の目の前に見える大地が無なら、彼は一瞬にして奈落の底
である。

生まれたばかりの赤ん坊は、「誰からも教えられないのに」、母親のオ
ッパイを見つけて吸い付き、生きようとする。「このオッパイは有るの
か無いのか」などと迷ったりはしない。

「有」とは「作用を表す対象」であることは、古代インド人でも知っていた。

不思議に思うかも知れないが、中村博士は、その著「龍樹」で、有部を、
優れた哲学であるとして、高く評価している。特に、諸行無常の解釈と
して、刹那の生命による知覚の積み重なりに思い至ったのは見識である。

中村博士は、釈迦の「諸行無常」の論理矛盾を真っ向から批判している。

889 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 19:25:32.53 ID:ESWJYIVp.net
>>888
>釈迦の「諸行無常」の論理矛盾

???kwsk

890 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 19:28:31.11 ID:bmJFJ1C/.net
仏教徒

      語りに語って

              シャカの恥

喰い飽きて
       
      この世が嫌と

              修行かな

              
   
              

891 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:00:11.24 ID:9mAMisVc.net
だから何度も言うが人間にとり「有」がメインの命題で「無」はサブに過ぎないw

メインとサブの取り違えの大間違いをしているのが仏教キチガイによる無の主張だ。

892 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:01:10.11 ID:PIEbLadn.net
>>889

無常とは、常の状態の存在を前提とする。常に無常なら、無常が常である。

893 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:01:50.34 ID:7700GBn3.net
>>888
>人間は、専ら五感の知覚により有無を
>判断し、有に100%依存しない限り一瞬も生られないのだから、

ダウトですねえ。
誰もが高速道路を100キロで運転してるわけではないですねえ。
寝てるときは判断なんてしていますか?

894 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:11:09.28 ID:PIEbLadn.net
>>893
寝ているときは、他者が判断する。

対向車が見えてるのに無として避けなければ、釈迦は一発で即死である。

895 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:17:27.66 ID:7700GBn3.net
>>893
ええWWW
あなたは一生の間車に乗ってるんでしょうか?
そんな人いるんですかね?
そういうこと言ってるのわからんでしょうかね?

言葉遊びは楽しい?

896 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:24:04.91 ID:9mAMisVc.net
ていうかw >>895 アンタの言ってる事が支離滅裂なんだがなw
自分で自分にレスして何が言いたいの?w
仮にそうではないとしても普通の正常な大人は人間の睡眠も織り込み済みで判断するだろうよ。
むしろ睡眠時の夢のような変容意識に(瞑想時の意識など〜)焦点を当てるのが仏教キチガイの有り様であり
こちらの方が有害だろうよw

897 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:28:37.51 ID:7700GBn3.net
>>896
そう?
よくあるアンカミスじゃないですか?
あなたの理論の瑕疵よりも大きいでしょうか?

>むしろ睡眠時の夢のような変容意識に(瞑想時の意識など〜)焦点を当てるのが仏教キチガイの有り様であり

妄想ですか?
統合失調を起こして幻覚でもみたのでしょうか?
寝てるときに意識ないと死んじゃうWとか
おもしろいこといってるのは
あなたでしょうWWWW

898 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:31:50.95 ID:9mAMisVc.net
>寝てるときに意識ないと死んじゃうWとか
お前が言っているだけだろうよw 

話にならん馬鹿さ加減だなw
日常意識と変容意識の違いくらい知った上で書け〜www

899 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:34:18.17 ID:7700GBn3.net
>>898
ごっめーん
「変容意識」って
今まできいたことないんですーW

900 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:35:35.34 ID:7700GBn3.net
>>898
すまんすまん、
インキョのアルツよ間違えちまった、
あんた紐?

901 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:43:09.31 ID:7700GBn3.net
それにしてもすごいなあ。
ある意味意識が無くなると地面がなくなって死んでしまうとか?

ということは意識が地面を作っているのでしょうかWWWW

斬新な理論ですなあWWWWW

902 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:52:24.27 ID:ESWJYIVp.net
>>892
チミはまじめか?
自分に正直か?これが自灯明と言うもんだろう?

諸行無常 是生滅法 性滅滅己 寂滅為楽
これは大事な真理だ。

903 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:06:07.81 ID:9mAMisVc.net
これは大事な真理だと決めつけて自分の頭で思考する事を放棄するのが
反自灯明、非自灯明という奴だよww

904 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:16:47.31 ID:7700GBn3.net
せんせーい
反自灯明、非自灯明という奴だと決め付けると
自動的に判断できて
思考放棄できて

便利ですねWWWW

905 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:22:13.02 ID:9mAMisVc.net
田舎者には分からんだろうよww

906 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:24:24.35 ID:7700GBn3.net
田舎者だと断定するパターンもあるんですねWW

これだけ思考停止のパターンを増やすと

迷ってしまって思考停止できなくて困りませんかーWWW

907 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:32:39.36 ID:9mAMisVc.net
趙州の愛用の句を見れば分かるだろうよ。
仏教は矛盾の上にある教えだから矛盾そのものは当たり前〜w
要はその矛盾を飲み込めるか否かだw

糞な重箱の隅をつつく小姑のごときセコイ解釈しかできない人間に仏教は無理〜www

908 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:33:35.66 ID:/oKhFpRX.net
>>891
>「有」がメインの命題で「無」はサブに過

《そうした方向での》メインとサブという峻別(或いは区分、或いは分類)は、
真俗二諦そのもの(幅を持たせても亜流)なわけだが、
そのような二本立て、ダブルスタンダードについては、御自身も採り入れていらっしゃるわけだw
(隠居は毛嫌いしているがw)

なるほど。 少しずつなれども進歩成長はしていらっしゃるようでwww

909 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:37:36.12 ID:9mAMisVc.net
まあ、セブンは比喩と物事の説明の勉強をして書き込むことだw
今の状況ではなんら成長がないようでwww

910 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:39:04.39 ID:/oKhFpRX.net


>>907
それが趙州無字の公案のことなら、まさに>>866のような矛盾なんだがw、
君は866的なこと(趙州の無)を許容するの?しないの?www



んと、めちゃくちゃだなw

911 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:39:29.85 ID:7700GBn3.net
>>907
すみませーん
せんせーい
あなたの先人まで利用して
自分の屁理屈の言い逃れにつかいたーい、なんて
ところが
とってもセコク感じましたーWWW
お許しくださーいWWW

912 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:41:32.91 ID:9mAMisVc.net
だからww

飲み込めるか否かと言っているw
お前は人の言葉を全く見ない阿呆だなw

飲み込めない矛盾はダメだろうが飲み込める矛盾は良いだろうよw

913 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:44:46.43 ID:7700GBn3.net
さっすがー
自分を棚にあげるなんて
神様のようですWWW

自分の決してやらないことを
棚の上の神WWW様WWWしては

要求するべきですよねーWWW

914 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:45:25.79 ID:9mAMisVc.net
無いという主張の矛盾は飲み込めない。
至道無難唯嫌選択という矛盾は飲み込める。

これだけの事なんだがなあw

まあ、阿呆にはサッパリ分からん〜という奴だろうがwww

915 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:48:45.45 ID:7700GBn3.net
そうそうW
都会人としては自分の主張(エゴ)のみを
他人におしつけるべきですよねー

これこそが唯我独尊WWW

916 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:52:20.59 ID:9mAMisVc.net
田舎者の吠えるのは阿呆にしか見えないぞww

そうそうw
唯我独尊は全ての生き物に有る事でアンタにも有るなあw
自分の頭で思考しない馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま〜ww

917 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:53:09.59 ID:7700GBn3.net
他人の主張は認めないWWW

それで至道無難唯嫌選択(道に至るのは難しくない、ただより好みしなければ良いのだ)も

「矛盾」となってしまうんですねWWW

カッコイイーWWWW

918 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 21:58:27.04 ID:Gvs49Wct.net
 
真俗二諦(しんぞくにたい)
その当時インドの人にとって仏教を理解させるためには
その当時インドの人にとって世間的な考えを一応認めて
その理解のうえで
仏教を理解させる、というやり方をとらねばならなかった

龍樹が『中論』で
仏は二諦によって、衆生のために法を説く。一には世俗諦、二つには第一義諦なり
といったのは、この趣旨をうけたものである

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
世俗諦(せぞくたい)勝義諦(しょうぎたい)
この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう
現象的真実の中に存する根拠なしに、究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに、解脱(涅槃)は達成され得ない[中論24-9と10]

対機説法(たいきせっぽう)
相手の精神的能力 (機根)や性質などに応じてそれにふさわしい手段で説法することをいう

四悉檀(ししつだん)
世界悉檀(人々の心に合わせて説く)、各々為人悉檀(各人の宗教的能力を考えて説く)
対治悉檀(煩悩を打ち砕く)、第一義悉檀(真理に直接導こうとする)

919 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 22:35:42.03 ID:9mAMisVc.net
人間の最も根源的な自由は選択の自由だろう。
型にはまった考えで固まったら不幸という事だ。
しかし型にはまった考えは安定しているので安全とも言える〜w

飛躍するか現状維持を目指すかの違いだが、人間の進化は飛躍の方で
進んできた。人間が現状維持で生きてきたならば現在のような姿ではないだろうよw

人間を動かすのは型にはまったものから抜け出そうとする人の意思だろう。
2500年前の人間の古臭い教えを一字一句そのまま鵜呑みにするようでは人類は発展しない。
人の生き方の参考として原始仏典を自由に読むのが最も理想的な在り方だろうよw

920 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 22:44:36.05 ID:7700GBn3.net
そうそうW
2chでゲンシブッキョウガー
ユイガドクソンガー
ジトウミョウガー
なんてやってても
人類の発展に何の貢献も無いなW

921 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 22:46:56.50 ID:/oKhFpRX.net
心随万境転、転処実能幽。
随流認得性、無喜亦無憂。

922 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 23:02:51.90 ID:7WL0oDo6.net
スピリチュアルラボ、テルテル必死

923 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 00:55:04.60 ID:LoBdiTRV.net
仏教アンチスレ [転載禁止]©2ch.net
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1447600199/
1 名無しさん@京都板じゃないよ New! 2015/11/16(月) 00:09:59.39 ID:VeOzDkDK0
日本の仏教なんか元の哲学とはなんの関係もない新興宗教だろ
地獄に行くだの天国に行くだのの詭弁で人を騙してるだけ
あんなの信じてるとかみんな頭ン中お花畑だな

2 名無しさん@京都板じゃないよ New! 2015/11/16(月) 00:25:16.20 ID:rZqZMyhBK
因果応報を前世までさかのぼり被災者や
犯罪被害者を前世が悪いと言ったり、
法事を死者の裁判で前倒しはいいが先送りは
死者の裁判に不利になるとか、仏教は知れば
知るほど頭にくるし嫌いになる。
宗派によって違うともいうが、やはり好き
にはなれない。これらのことが分かって
以来、寺に賽銭を投げるのをやめた。
あと、檀家になってる寺(真言宗)との付き合いも
必要最終限度にするつもり

924 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/16(月) 01:58:33.53 ID:YwoWZ9Vp.net
スピリチャルなラボでは羅ボラセン螺旋でわー言う世の中暗いチヤは
ジュニアのー世の中必死ーうーよくー右翼のゆくえー言う世の中アナウンサーなーなこおー路温橇町橇町くん反町隆史みたおーえたーそりくんー
菜々子ー云うよーなー押しましーたあーおやじおわ祭りおわおわおやじおわ
芝居姉妹司馬遼太郎ー云うのおさけおわおわおさげおわたぬきおおかーれしおわおわ総務どおわ語録言う世の中大塚寧々娼婦よえたきみーこおー言うよねー葉山町マカこまさこー言うまさこー真砂ぶすどもこおわ

925 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/16(月) 02:00:25.29 ID:YwoWZ9Vp.net
のおちんーーおわおあ自民党ー言う買うなー言うよ中国人ばかえーどをあ祭りーまじよおおおーえへーよおー松原おわ松川おわ
松浦亜弥負けないようーー魚屋ヨオオオオオ言う世の中ー覚醒剤違反報告ーー言うよ千早ジュニアぼおりきだんー内田つく目ーー言うよどおわ
どおわーおわおわおわ千早ジュニアーー柏原選手歌詞なバラー選挙ー占拠井上和彦ー言う位ー暗いよのなかー大船起因変態りえばっかーー

926 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/16(月) 02:01:28.29 ID:YwoWZ9Vp.net
献眼換言換言すれ還元墓園とかー戊えんーばかえーどをあ言うのーーーエターみキーーららー言うよ最悪ないじめーじめじめくるくるどおさたぬきよめーー

927 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 02:29:15.99 ID:0CIT0wCu.net
>>892
何を支離滅裂な解釈しとんじゃお前はw
いっかな?

諸行無常ってのは「一切行無常」って意味なんだよ
諸行ってのは一切行と同じで「眼耳鼻舌身意」に接触が起こった瞬間の「各感官への意思」の事
耳に感じ始めたら「聞こえる!」って実感に注意が向くだろ?その注意の事を諸行って言ってんだよ
お前の注意は全ての感官が常に常住で切り替わる事なんか無いのか?
例えば鐘の音が聞こえたらずっと鐘の音が鳴り止まないのか?
お前の妄想はずっと同じ絵を繰り返してるのか?
違うだろ?コロコロ変わってるだろ状況は常に

そう言う事を諸行無常って言うんだよ

外に求めるな外に
仏教の用語の殆どは己の事しか言ってないんだよ
外に答えを求めるから愚者は漏れなく迷うんだよ

928 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 03:03:18.79 ID:0CIT0wCu.net
因みに、愚者が良く勘違いして理解する代名詞的なやつも一つ

「山川草木一切衆生悉有仏性」

これ、山川草木やらに悉く仏性が有ると思ってる・考えてる奴が多いが大間違い
山川草木等に「触れる」「見る」「聴く」などを行なえるのは「自己」なのであり
その自己に引き当てて観た時、例えば「山」を「観た」と言う「第一義諦」が必ず起こる
普通に山を見た奴に山が見えないなんて矛盾は通常起こらない
この第一義諦こそが「仏性」だと言い切ってるのが
「山川草木一切衆生悉有仏性」って言葉の真の意味

これを別の言葉で言えば「眼横鼻直」になる

929 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 03:24:34.39 ID:0CIT0wCu.net
さらに有名なやつも一つ

問い:犬に仏性有りや無しや是如何?
答え:無〜

って公案が何故無が答えなのか
928を踏まえれば答えは簡単で、犬にも第一義諦が起こるのは道理を過ぎない訳だが
肝心の犬様には言語の概念やらが無い為、仏道を理解出来ない
それ故に音を聞けばその反応こそ出来るが、それを第一義諦と理解出来る概念が無い為
仏性に為り得ない

そもそもそれを観察していた当人は犬ではない、つまり自分の事ではないので答えは「無〜」となる

これは超有名な無字公案と言われるもので、これが理解出来ると殆ど全ての公案が理解出来ると言われる代物である

それはみんな欲しがる「お悟り」ゲットを意味する

心して作為し理解に努め体得せり

930 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 03:36:59.49 ID:0CIT0wCu.net
仏性を修習し尽くす為に仏道はあって、その仏道は菩提心凡夫の為にある
菩提心凡夫とは、悟りや救いを求めるものの事を言うのであり
この世界でそれに該当する生き者は・・・ 人間しか居ないのである

どんなに可愛くとも、残念ながらお犬様は菩提をお求め下さらんでな

931 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 06:03:00.27 ID:0lL3uH0Z.net
>>927
>諸行ってのは一切行と同じで「眼耳鼻舌身意」に接触が起こった瞬間の「各感官への意思」の事
>耳に感じ始めたら「聞こえる!」って実感に注意が向くだろ?その注意の事を諸行って言ってんだよ

おやおやW
こんな事お犬様のほうがもっと上手くやれますよ。
下手したら考え事にのめりこむ事の多い人間様のほうが
反応の遅れる事が多いのでは?

932 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 06:08:26.97 ID:0lL3uH0Z.net
>>928
>それ故に音を聞けばその反応こそ出来るが、それを第一義諦と理解出来る概念が無い為
仏性に為り得ない

自分ほったらかしにして仏性だの第一義諦だのにうつつをぬかしていて
生活になりますか?
ただの雑念ですわ。
例えば「セールスマンが俺は仏だ、凡夫よ買え」
こんなん仕事になりますか?
主婦が「私は仏なの。雑務なんてできません」
こんなんで大丈夫なん?

933 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 08:05:40.21 ID:6KVK3A2h.net
>>928
>仏教の用語の殆どは己の事しか言ってないんだよ

やっぱり、釈迦の「無我」は誤りだったということだなw。

そもそも、釈迦の使った言語にも「人称変化」があったはず。「無我」なら、
釈迦は一人称を使えず、従って、言語自体を使えないことになるw。それに
しては、釈迦は「俺が、俺が」と饒舌w。

終了。

934 :123:2015/11/16(月) 08:37:28.17 ID:6SzGXcpg.net
933.
存在論としては無我しか答えがない。
無我とは存在を離れるということである。
そして、その先はどうなるのか。
その答えは簡単である。
眼横鼻直は存在論である。よって、失格であることになる。

935 :CIAパンドラ計画:2015/11/16(月) 10:17:23.13 ID:Y5hPHU56.net
自分自身に気付く体験があり

それがこの世界を生きて来た
経験から起こっているから

存在と言う考え方は必要ない
この世界の一環としての自分である事の
確信は十分だからだ

だから「眼横鼻直」なんでしょう

存在の夢想というものは
普通は「自分が生きている事」の疑問から起こり

それが世界との一貫性に気付く事で
どの道「この世界しか無い」事に気付くから
無意味なものに変わり

それ以上の疑問は
そもそも「世界とは何か?」という事になる

936 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 11:30:42.59 ID:6KVK3A2h.net
王族の子として贅沢三昧に暮らした釈迦には、「他者との関りの中の生存努力」
という選択不能な大修行が欠けていた。自分の好きなときに始め、スジャータの
乳粥一杯でやめられる修行など、趣味であって修行ではない。仲間の修行僧た
ちの冷笑を買っている。

生存は、まず「有るか、無いか」を区別することから始まる。

釈迦の現実から遊離した観念の遊戯と一切皆苦などという強度の苦悩感は、
重度のうつ病の症状以外の何物でもない。仏教も、他の創唱宗教と等しく、
開祖の精神病の感染の結果である。そもそも、城門の外に出て初めて世の中の
悲惨さを知ったのもおかしい。生活者たちは、その悲惨さの中でも一脈の
喜びを見出して、懸命に生存に努めているのである。釈迦には、生活感やその
中における悟りが、全く欠如している。

937 :CIAパンドラ計画:2015/11/16(月) 13:05:46.66 ID:Y5hPHU56.net
カルト集団の圧力で社会の中を抜け駆けしている
豚カルトなんかに言われたくねーと思うよ

怠ける事を生業にしている様な奴らだからね

938 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 13:09:59.56 ID:psrdUBR4.net
このスレの反仏教な奴って法華経寿量品の
良医病子の譬えの毒に当たり過ぎた子供を地でいってるのな
反仏教じゃなくても、薬の使い方を誤解してるから
飲み薬を体に塗って、塗り薬を服用してたりして
それが正しいとさえ言って憚らない

939 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/16(月) 16:31:33.29 ID:YwoWZ9Vp.net
名前: 陽気な名無しさん捺印夏井豊佛教戒告よキーボードーおわー遠いくんー焼き裕子やぎゆうこおわ
八木裕子買う穴買うな彼氏神殿ぞーーっとーするー死んでるよ麗美のでえーー?麗美のー言うよエタ松原麗美でいいじゃんーねーこー首本田麗美としておえおーわかかもと首来て切れ麗美おわ

警官自明の理仕舞い終いー島居島式仕舞いましょうー仕舞いー姉妹ましょーー
あこういーかおいおいおわ阿藤快言うヨオオオオオへーーえへー松原こけしーぼぼーぼぼーおー言うロバ首おわ殺せよおわ麗美おわ本田おわあやしいー松原みてえーいか首よおーれみおわ坂本あやおわ

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芸芸がないゲイ末位古市濃い茶光一松井どお下のーーなのこおー松井幸一真チィ光一マツイコウイチ松居一代変態ーー
マツイコウイチ横須賀市ばかえー痩せたロバ首もでしょーー?松居一代松井浩一おわ死ねよもおーおわ
売女最悪な世のなぁーかーなかー言うヨオオオオオ韓国カラス声三十こけしどもこおわ自衛隊で殺せおわまーぼおーキイボオおわ

なーあこうかいー死んだってーーえーーおー覚醒剤予防注射いいのーくんーおきに
ぶるよおーよおーおわおわ北斗秋保やあきうやあきうやあきらーーーおいおいー言うのきゃいこおわ

940 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/16(月) 16:34:56.85 ID:YwoWZ9Vp.net
>>889

無常とは、常の状態の存在を前提とする。常に無常なら、無常が常である。

893 :神も仏も名無しさん:2015/11/15(日) 20:01:50.34 ID:7700GBn3
>>888
>人間は、専ら五感の知覚により有無を
>判断し、有に100%依存しない限り一瞬も生られないのだから、

ダウトですねえ。
誰もが高速道路を100キロで運転してるわけではないですねえ。
寝てるときは判断なんてしていますか? 帰路キロ眩むのclamの常識上司どおわおわおわ売女常識あるにねーーこおーおわ
死んでよーーいーおわおわきゃいこーどおわーおわ
死ねよおわ殺せよ阿藤海死んだよー旧姓よーー急性九星麗美どおわおわさかもとれみおわ

941 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/16(月) 16:36:12.28 ID:YwoWZ9Vp.net
乗換え女真木よう子おわ殺せよーほせえーーどおわ

942 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 18:07:58.53 ID:y30U3JRF.net
【群馬】 僧侶がATMから12万円盗む 「保管していた」と容疑否認 群馬 (産経ニュース)

943 :神も仏も名無しさん:2015/11/16(月) 22:50:41.48 ID:NjH8yPhy.net





 仏論のいずれが勝ってもシャカの恥




                               

944 :やまkしい山岸のりえわいおわおわ西野かなーおわ:2015/11/17(火) 01:50:30.20 ID:8i687607.net
乗換え女真木よう子おわ殺せよーほせえーーどおわ
無常とは、常の状態の存在を前提とする。常に無常なら、無常が常である。
無上とはちあきなおみおわおわおわ贅沢ようあたしの迷惑言うよおわおわ
波会近郊金庫にしりますかいのーー?おいおいーおわおわたがなめがんrおわおわ眼鏡田中おわ田中ウナおわおをあおわおっわーーおわ
田中眼鏡おわ殺せよおわおわ松原おわ
死ねよーーーーーーおよかーかーかーかーーーかーかーかーするぞおーいつもお?さんまーーー?
千晶になおみー直美尚美ー奈緒美おわおわ死ねよーバッタおわおわ焼ききー言うけどおわ柏原芳恵おわおわバイ付与ーー言うよーおーー
柏原芳恵菓子かー号ー和すrちゃったーー忘れちゃったーーあーー?子供の鳴く声聞くぞおーっとするー記号起動キーボードおわ言うけどおわここす葉山よここーおー横須賀市おわ

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