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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】
- 1 :紐:2015/09/25(金) 22:03:37.71 ID:C2ksM3qd.net
- 仏教は虚無論ではないにも関わらず、虚無論として「無」を強調し、
元祖仏陀は形而上の存在論としては「有」「無」を説かなかったのにも関わらず
「無」を仏教的教えの中心として説くのは間違いではなかろうか?
大乗の説く非有非無の世界が仏教的とは思うが、コレも「的」であり断定はできない。
仏教議論スレが消滅した上で、私の設問にいかがなものか?www
前スレ
仏教の「無い」志向は間違いではないのか?
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1411847312/
- 526 :CIAパンドラ計画:2015/11/06(金) 10:18:48.76 ID:DRfXmWk4.net
- 心の概念化の発端は他人に対する発言です
他人と口論になれば言い合いになる
その時に「自分が他人に言いたい事」が口をついて出るのですが
人間社会でそれを繰り返して一般的に認知されてくると
その人物の他人に対する考え方を
その言い分から察する様な考え方が2次的に
概念化するはずです
大体その人物の
「他人に対する考え方だと思われるもの」です
思想家の様に見なされる人物の発言が
取り上げられやすいです
人気が集まって思想家になっている面もあるでしょうが
一旦思想家と見做されると他人からアテにされて
何でも取り上げられます
宗教の開祖などが良い例だと思います
人間社会でそれを繰り返して一般的に認知されてくると
様々な人の「他人に対する考え方だと思われるもの」を使って
人物像を特定する様な考え方が
更に概念化してくるはずです
- 527 :CIAパンドラ計画:2015/11/06(金) 10:19:24.34 ID:DRfXmWk4.net
- 「他人に対する考え方だと思われるもの」が
「一般的な概念として定着した」という事です
一般化している仏教用語などは良い例だと思います
大体「心」と呼んでいるものに近づいてくると思います
「他人に対する憶測の歴史が産み出したもの」ですよ
他人に対する「見做し」が社会通念になったという事です
実体は有りません
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