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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】
- 501 :神も仏も名無しさん:2015/11/05(木) 18:16:55.93 ID:Y2pdrjfs.net
- まあ、阿含には重要な教えがあるのだが、ここではあまり触れられないでいる。
心の扱いの問題だ。
他宗派と仏教が論争になったことがあったようだ。そんなときに、仏陀は、その対応はどうだったか?
仏教では心はない、と決定してる教えだ。
これだと、どんな紛争になっても、紛争とは心の問題だから、仏教とは争はない。
なぜか?心はないと踏んでいるからだ。
多宗派との紛争ばかりではない。私人間でも心の紛争が起き、その為に人間関係がこじれ、
それが国家間の戦争にもなる。
しかし、仏教徒の国王なら、心はないと踏んでいるので、心を押さえ、激情に駆られて、行動しないことが真理に従った行為である、と見做すのだ。
私人間であろうと国家間であろうと、心を実体のないものとして抑制するなら、平和が維持されるのだ。
自分の心の平安である。国家社会の平安である。
いたずらに心の義憤を無視するのではない。その義憤の存在の空清を学び知っているから、その真理を受け入れているからだ。
心の表れは、無視できない。でもそれを実体のないものとして、抑制できる人は、得難いだろうな。
自分に勝つことのできる人は、世界のすべてに勝っている人であり、世界の勝利者だ、とゴータマは仰せであるぞ。
この人はニルバーナにいる。
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