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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

499 :神も仏も名無しさん:2015/11/05(木) 14:08:38.22 ID:kVmLOwh3.net
仏教は「一なる存在」(実相)を否定しているかっていうとそうじゃない
一生懸命、「一なる存在」を表現しようとしてんのよ

他の宗教は簡単に説明しているだけで、仏教は深く心の現われ(本質)を問題にしている
仏教のほうがより論理的に、厳密に「一なる存在」を表現しようとしているの

八不の表現がそれ。
般若心経にも出て来るだろう。
「汚くもない、清くもない」「生まれもしない、滅しもしない」 
こういう相対概念の否定というのは、人の思いの中の分離した世界を越えて、
真実の「一」なる世界を表現しようとする試みなのよ

「一」か「多」か、「一つ」か「分離」か、「有限」か「無限」かはすべて人の心の問題

『あなた自身の考える「一、多」、「一つ、分離」、「有限、無限」は存在しません
それはあなたの作り出しているものです』 という言い方ができるが、
いっぽうで、
『あなたの思いのフイルターで分離させない一つの無限の世界がありますよ』ということも出来る

そしてそれを聞いた人が、「ああ、一つの無限の世界があるのか・・・」 と思ったら、
それはもう、フィルターを通した分離の世界に入ってるってことになる。

そうしてまた、「いえいえ、あなたのフィルターを通した『一つの無限の世界』と『そうではない世界』というのはありませんよ」と、
注釈をつけなくてはいけなくなる。
「そのように分離しない世界があるのです」 とも言える

だけど、「〜〜の世界がある」と表現してしまうと、どうしても分離のイメージを与えてしまう。
そこで仏教では八不のような表現によって、対立概念の否定のによって、「そうではない(対立概念の存在しない無限の一つの)世界を
浮かび上がらせようとしているわけ。

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