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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

349 :神も仏も名無しさん:2015/10/29(木) 12:24:37.12 ID:9nJp6inr.net
さらに繰り返し何度も言うが、
原始仏教は多元論であり大乗で一元論化された。
仏教は本来多元論である。空をことさらに強調する必要は無いのである。
存在論に必要以上にフォーカスをあてる必要は無い。

必要がないにも関わらずさらにその上を行き、無い〜無の一辺倒〜なんてのは言語道断だ。

仏陀の無所有の主張が無我につながり我が無いなどというとんでもない誤訳に発展したわけだw
仏陀の無所有の主張も理想ではあるがその理想を100%実践しようとすれば一瞬たりとも生きられまい。
つまり生きる上で無所有というのは達成できない理想なわけだ。
別の例えでは生き物を殺すなかれ〜というのも徹底すれば生きられなくなる。モノを食って生きる以上生きる事は他の命を
我に吸収する事である。仏教は色んな教えをあちこちから取り込んだものだ。こういうのはジャイナ教の影響が大きいのであろう。
ジャイナ教の理想は生まれたら一切の食事をせずにそのまま死ぬことであるらしい。そのような極端な姿勢では生きられない。

つまり、そこに中道が出てくる必然が有る訳だ。
中道は生きる教えである。非有非無を空というならば不苦不楽が中道である。
理想は理想として、極端な生き方は死を志向することになりそのような生き方の放棄こそが仏教なのだよw

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