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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】
- 236 : ◆Ozyaruuowd4U :2015/10/16(金) 20:32:59.68 ID:gqghjBpp.net
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>仏陀の説く事は、仏陀生存時は宗教との認識は無かった
当時のインドでは
(宗教的な)バラモン(ヒンドゥー)と
そして更に
ニガンタ派をはじめとして
ヴェーダの権威を認めないナースティカが
バラモンを頂点とする既存の枠組みを否定する
(宗教的な)思想を展開していた
ある時、釈迦がカピラヴァストゥの
北門から出た時に一人の沙門に出会い
(宗教的なものとしての)
世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった
(宗教的なものとして)
釈迦は出家して
バッカバ仙人を訪れ (宗教的なものとして)苦行を観察する
アーラーラ・カーラーマを訪れ(宗教的なものとしての)空無辺処(無所有処)
ウッダカラーマ・プッタを訪れ (宗教的なものとしての)非想非非想
(宗教的なものとして)
身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として
いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように『自灯明法灯明』の教えを説いた
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