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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

214 :神も仏も名無しさん:2015/10/13(火) 08:35:37.50 ID:ZyN2GjCV.net
ここに一つの箱がある、と現代の科学は認める。これは妄想である。箱などないのだ。
箱があるという妄想が、現代科学のスタートである。古代からもそうなんだろうが。

箱を分割してみる。細分化してみる。
原子はその核と電子でできている。電子を分割してみると、その核と波状のものでできているという。

最初の箱は、その周囲の空間と相対的に存在していたことを閑却している。
電子の状態と、最初の箱の存在状態は同じなのだ。

因果があるという前提の上のの科学である。

それでは、なぜ、原因があるから、結果があるということから、原因がなければ結果がないということに発展し、
それなら原因にも結果にも実体がない、と結論しないのか?

最初のスタートでは、原因も結果も「ある」と言う前提の上のスタートだった。
この前提が崩れたのである。

遺伝子などというものがあって、人の人生を決定するという論も、妄想に他ならない。

科学は真実に対する罪の結果なのだ。人類は科学と言う毒ガスのために地獄に落ちているのだ。

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