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仏教の「無い」志向は間違いではないのか? 【02】

16 :神も仏も名無しさん:2015/09/27(日) 22:27:35.39 ID:v9cEJFB4.net
 
>苦しみそのものから解放される永久の楽(涅槃)を得るための方便(方法)として
>一切皆苦(苦集滅道)とお釈迦様は説かれた

通常の世俗的感覚の否定によって、結果として、真実の認識(如実知見)に至るための方法として
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ  中村元訳
197 九つの孔からはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢
198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する
199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている
    しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす
200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない
201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む
202 この世において智慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する
    なんとなれば、かれは(掴もうとしている『想いを手放し』)あるがままに見るからである
203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)
    と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである
  _  _  _

無明に依存して
渇愛(タンハー)に依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執が現れ(滅し)て
他に対して
自らを特別な存在として妄信して
『何かがあるはずだっ!』と掴もうとしている想いを手放し
妄想に影響されることのない
智慧の立ち位置から客観的に観察し、そして

204 この世において愛欲を離れ、智慧ある修行者は、不生不滅なるニルヴァーナの境地に達した

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