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阿含宗という宗教256
- 69 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 09:05:39.92 ID:vjvbsic3.net
- >>61 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:22:54.21 ID:axq5gd5W
>深山さんがいくらジタバタしても、
>経典で比丘が解脱(心解脱・慧解脱)するのは、四聖諦を知った後です。
>あなたが、どんな理屈を並べようが、この事実は変わらない。
>だから「心が安定し」には解脱の意味はありません。
これを読むと、ペテン大作さんは三明の観察を経て四聖諦を知った後に心解脱が慧解脱と一緒に得たかの
ように解釈し、つまりそれまでは心解脱も得ていないとみなしたことになる。
ところがペテン大作さんの引用した文章はそうは書いていない。
>諸漏から心が解脱するので、心解脱を示す。
>四聖諦を知るならば、無明が捨断され 、無明を離れて慧解脱を具足する。
>よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。
これです。上記は私は先に心解脱を得た人が智慧観察により四聖諦を知り、慧解脱を得て
ここに心解脱・慧解脱の両方を具足した仏陀になると読む。
だから心解脱と慧解脱の両方備わった時点を最高とするのはかまわないが、
心解脱の表現を解脱と認めないのはいかがなものか?
ペテン大作さんは深山さんを大笑したが、相手を見下げて大笑するような話にはならず
単にそれだけの違いなんです。
しかしペテン大作さんの文章読解力は心解脱は四聖諦を知って初めて得るもので
それまでは解脱など少しも得ていない、これがわからないのは馬鹿だと無知を晒した。
やはり馬鹿は死ななきゃ直らない。
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