2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

阿含宗という宗教256

1 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:17:32.81 ID:sMOCSDYa.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
議論スレ:「agama@chs-1」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/6441/
議論スレ:「FC2agama掲示板」
  http://datoban.bbs.fc2.com/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
  http://souko.digi2.jp/
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
  http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

2 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:25:57.97 ID:sMOCSDYa.net
いちおう次スレ立てておいたわって
お知らせを255に入れようとしたら
バカレス666一来補のために
ジエンドだったての 笑っちゃうぜ

3 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:27:49.50 ID:sMOCSDYa.net
よっしゃ 再掲示じゃあ

>>660 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 16:43:05.03 ID:SMys/4er@深山さん、沙門果経は段階的な修行道を説いています。

だからさ 沙門果経はだね阿闍世王に対して
他者製の六外道とは違うっちゅう沙門の性能を
解説しとるんだっちゅうによ

戒では六外道との差別化を計り解りやすくその性能
いわゆる沙門スペックを抽出披露してんのだよ
だから修養道とかを一番に特筆しとらんでしょ
むしろ解脱者の普段の生活を明らかしてんだよね
ほらあるべさ 気を付けるって生活は解脱者そんもんよ
んでだな この話はまんず誰でも沙門となれるもんであり
そこでこの世に解脱者が生じ 皆に教化するっちゃ話しでさ
ぶっちゃけ その解脱者による話しでもあるんだよね
んでもって沙門っちゃあ こんな果報のある生活なんだがや
って言っておるわけじゃ

だから四禅も解脱したもんの瞑想なんだがや
これはオレの意見じゃねえのよホント
経にそう書いてあるんだからさ オレが前に書いた>>496
ビックらこいた学説なんぞの引用は 全くいらんっつうことさ
そんでよ その経の部分を読めるかってのが
バカかどうか の知性の分かれ目ってわけなんだよなあ
どうだろうきゃな 読めるんか読めんきゃなあ
桐山センセの弟子の力量が これで解るってもんよなあ

4 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:44:06.50 ID:2Rpxg4YD.net
スレ255
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

ペテン大作様への「仕事」???
「余計なことは言わなくていい」?!!
ペテン大作様がそんなにオエライさんだとは知りませんでした。
私はペテン大作様のお仕事をさせていただいていたのでしたか。
これは、失礼スマスタ・・・でも、仕事と言われても、給料をもらった覚えはないし、
今までの上司にも先輩にもこんな執念深くて、性格の捻じれた奴はいないしなあ。

私から「根性が捻じれている」とまで言われたら、
少しは言動に気を付けて、私の指摘が悪口ではないのかと
読者に思ってもらうことこそ、私への大きな反撃だとは思わないのですね。
いかにも視野の狭いペテン大作さんらしく、
捻じれていると指摘されると、その捻じれをそのまま出してきた。
あなたの上記の態度を、性格が捻じれている、というのです。
わざわざ私の主張を裏付けてくれて、ご苦労様。

5 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 21:50:04.63 ID:2Rpxg4YD.net
>>4は深山の書き込みです。

>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

毎度、ペテン大作さんの思い込みの間違いは、ここを仏教スレだと思っている点です。
ここは桐山アゴン宗の是非を議論するスレであって、
あなたや私の個人的な仏教観など議論の対象外です。
沙門果経が段階を追った修行を説いているとあなたが信じようが、
そうでないと信じようが、各人の自由です。
双方の主張は出尽くしているのだから、判断は読者に任せるべきで、
ペテン大作説をしつこくしつこくここに披露するのはスレ違いです。

あなたは前スレの604さんが示した経典は解脱を表すものではないとした。
それがあなたの意見であることはわかりました。
解脱の意味を理解していないあなたなら当然の結論でしょう。
604さん、私、ユビキタスさんは604に引用された経典の
「心の安定」は解脱を表すと解釈している。
だから、沙門果経での「心の安定」も解脱です。
あなたは二禅の話を出しているが、そんなことは何ら矛盾ではないことは
前から私もユビキタスさんも何度も説明している。
だが、それで終わりです。
両者の意見は出尽くしており、お互いに意見はかみ合わないし、
なにより、ここは「心の安定」が解脱かどうかを議論する仏教スレではないからです。
前から何度も書いてるが、意見が出尽くしたのだから、読者に判断を任せるべきです。

6 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 21:57:44.22 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

私はあなたの「漏尽定で解脱」を笑っているが、その笑いの
根拠や経典や学説を出していない。
それを議論するスレではないからです。
だから、ペテン大作さんが「漏尽定で解脱」を信じることは一向にかまわない。
議論になるのは、「漏尽定で解脱」ではなく、因縁解脱です。
あなたが「漏尽定で解脱」と信じているのなら、
桐山さんがどこでそんなことを説いたのか、説いていないなら、
あなたは桐山さんを信じていないのか、と問われる。
勘違いしないでほしいのは、「漏尽定で解脱」をあなたが信じることの是非を
指摘しているのではなく、アゴン宗との関わりを指摘しているのです。

四禅の話も同様で、あなたは「深山は四禅解脱を書いた」というが、そんな事実はない。
だから、こういう嘘の前提に基づくあなたの主張は読むに値しないばかりか、
そもそも、アゴン宗議論の対象ではない。
アゴン宗が主張しているのは因縁解脱です。
桐山さんが主張している内容に基づいて議論をするべきで、
あなたみたいに完全に逸脱して、四禅で解脱するかどうかなんて、
七年も言い続けるのは迷惑以外の何ものでもない。
もちろん、あなたがそこでしか勝負ができないのは知っています。
「ゴルア、深山、四禅のリングに来て勝負してみろ」と叫び続けるばかりで、
そこから絶対に下りるわけにはいかない。
だから、卑怯者だと批判しているのです。

7 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:02:58.01 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

沙門果経や四禅がなぜ七年前に議論になったか覚えていますか。
桐山さんのカルマ解脱の話です。
私は「桐山さんがカルマを神通力で切って解脱すると説いている」と主張している。
そのことを前スレの591以降で再度説明した。
この主張に対して、あなたは「桐山ゲイカは神通力でカルマを切るなんて説いていない」
と、私のアゴン宗教義の解釈そのものが間違いであると反論してきた。
議論はそこから始まったのです。
だから、本来の議論、ここで本当に議論するべき内容に戻すべきです。
私の論点はおおよそ次のようになります。

1.仏教では桐山カルマ(前スレ595で説明)など説いていない。
2.仏教では桐山カルマを切るという因縁解脱など説いていない。
3.仏教の解脱とは、桐山さんが小解脱と罵った漏尽解脱(煩悩解脱)である。
4.桐山アゴン宗は解脱の定義も間違えているのだから、
桐山さんが解脱者であるはずがない。
5.解脱の定義を間違えているアゴン宗こそ「外道凡夫の数」である。

8 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:11:38.12 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

>>7の1〜5は簡単に言ってしまえば、仏教には因縁解脱などないという意味です。
ペテン大作さんは、これらの私の指摘が嘘だと言いたいのでしょう?
違うなら、何を認め、何を認めないのかをまず書いてください。
・・・いや、もちろん卑怯者のあなたが書くとは思っていないから勧めているのです。
こういうアゴン宗の論点に正面から反論することができないから、
あなたは、神通力でカルマを断ち切るという部分に噛みつき、
やがて沙門果経や四禅の話で、私のシッポを掴んだとばかりに、
私が書いてもいないことを書いたと捏造して、七年間主張し続けている。
あなたの目的が私をやっつけることであり、
四禅の話で私をやっつけられると思っているからです。
せっかく深山のシッポを掴んだと思っているのに、放せませんよね。
だが、掴んだと思っていること自体があなたの妄想です。

私は前スレの599などで、桐山さんが智慧と神通力を同じように使っていることを示した。
私は七年前の議論に話を戻したのです。
当然、ペテン大作さんからの反論があると思ったが、
今日も半日にわたり、あれこれと細かい話はレスするのに、
アゴン宗のテーマになると急にあなたは沈黙し、無視する。
アゴン宗と関係のない「余計なこと」ばかりしているのは
私ではなく、ペテン大作さんです。

9 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:16:51.90 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

あなたの四禅や沙門果経の話は信者が読んでも意味不明です。
あなたは学者の文章を引用して得々として自説の裏付けにしているが、
毎度あなたの読み方を見ると、自分に都合の良い解釈をしており、
学者はそんなことは言っていない。
前も盂蘭盆で学者の主張と正反対の意味に取って、自分の主張の根拠にしていた。
しかし、そこを議論するのがこのスレの目的でない。

このスレのテーマはアゴン宗であり、解脱と言えば因縁解脱です。
阿含経にも桐山さんのいうカルマ解脱があるとお得意の学者説を引用して、
私の主張を否定してくれれば、信者は大いにペテン大作さんを支持する。
一来補さんが三善根の新しい嘘で桐山さんの窮地を救ったように、
あなたもその執念深い性格をうまく活かして、
仏教でも桐山カルマを説き、因縁解脱も説いている、桐山ゲイカは
完全にカルマを断ち切り、解脱された仏陀様である、と主張して
信者から拍手喝采を浴びてはどうか。
信者の「仕事はこれだけです」。
四禅や沙門果経なんて「余計なことは言わなくていい」。

10 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:19:16.99 ID:2Rpxg4YD.net
>>1さん

スレ立てをありがとうございます。

11 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 22:26:12.91 ID:SMys/4er.net
>>1
私からも礼を言います。

ほほう、深山さん、張り切ってるね。
冒頭から登場とは凄いじゃないか?
まあ、そんなに焦らずともよい。

@深山さん、釈尊が第四禅から入滅したのは、入滅前に(点検ではなくて)掃除をしたからです。

>609 :深山
>漏尽定で解脱するなら、どうして釈尊が第四禅から入滅したのだ?
>こういうことを考察するだけの知性も残っていないのですか。

この質問には>15で既に答えました。
またそれ以前に、あなたが答えを書いていた。

>131:深山
>瞑想も、煩悩をへらす、なくす、囚われないことを実践するための
>「掃除道具」にすぎない。
>釈尊は、入滅する前に最後の掃除をしていたのです。

>134 :深山
>八正道を見れば、釈尊が入滅直前何をしていたかわかります。
>煩悩が残っていないか、最後の点検をしていた。
>残っているはずもないのだが、それでも雑巾で拭いていたのです。

12 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 22:28:06.16 ID:SMys/4er.net
11の続き

上の二つは同じ答えのようだが内容は違います。
131では、最後の掃除をしていた。
134では、最後の点検をしていた。

131の「最後の掃除」では、四禅が終わった段階では、まだ煩悩が残っていたことになります。
134の「最後の点検」だったら、四禅が終了した段階で、もう煩悩が残っていないことになります。
あなたは、131を書いて、これはマズイと気づいたので、急遽134で、最後の点検をしたと言い換えたのでしょう。
こういう所が実にあなたは巧妙です。
それで、私は、あなたの131の答えを支持します。

「釈尊が第四禅で入滅したのは、入滅の前に(九次第定で)最後の掃除をしていたからです」

このことは、ベックも書いています。
「滅尽に達するためには、第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯をすべて経過して進まねばならない。
 仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験された」(『仏教(下)』ベック、岩波文庫59、60頁)

これで異議無しですね?

13 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 22:28:51.07 ID:W12OZdWU.net
>>1
スレ立てありがとうございます。
さて前スレの続きです。
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

さてニカーヤ論文における正念正知=有漏の正念、三明=無漏の正念というベックならぬ
ビック説の三学系統経典・八聖道対比論の続きですが、ここで、このニカーヤ論文に
ついて概説しておきたいと思います。
皆さんはリンク先の難しそうな論文を読まれましたでしょうか?
私はこの論文を読んだ時、まずペテン大作さんは、ベック本もそうだが、
仏教の基礎の基礎もわからない癖に、よくもまあこんな小難しい表現の大学院論文
なんか読んでわかったような気になるものだと嘆息した。
きっとペテン大作さんは、漢字の専門用語の渦の中に埋もれて本質を見いだせてないでしょう。
自分の言葉で語れないでしょう。私がペテン大作さんをして応用力がないと評したのはこのことです。
哲学というものは西洋哲学もそうだが、難しそうな専門用語を駆使することではありません。
なるべく単純な平明な言葉で噛み砕いて議論し、理解する。
釈尊の仏教がまさにそういう説き方をしているのです。
もっと仏教を理解習得してから読むべき論文です。
まあ私も仏教については勉学初心者ではあるのだが、そんな私もビックさんの論文を読んで
「やはり仏教学なんてアビダルマであり、論の為の論みたいなものなんだよなあ」と
閉口もしたのが当初の正直な感想でした。
しかし我慢して読んでみると、これはなかなか面白い視点の論文を見つけたものだと思いました。
ペテン大作さんは、さあ、見よ、この段階的修行道の事実を!と示したつもりが、実はこの論文は
八聖道の螺旋型修行道との対比で、その段階的見解のみに固執してはならないことを示唆しているのです。
もっと段階を限定するかのような三学論も溢れている中で。

14 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 22:36:48.62 ID:SMys/4er.net
>>3
>だからさ 沙門果経はだね阿闍世王に対して
>他者製の六外道とは違うっちゅう沙門の性能を
>解説しとるんだっちゅうによ

そう思いたけりゃ思ったら。
学歴偏重と言われるかも知れんが、
どこの馬だか鹿の骨か分からん人よりも、
東大大学院の博士課程の方を取るよ。

15 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:19:40.09 ID:W12OZdWU.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

もっと段階を限定するかのような誤解を与える三学論とは、例えば以下のリンク先もそうです。
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukkyo/kaijoue-06.htm

これは戒定慧の三学の一般的な解釈であるのだが、ご覧のように戒→定→慧ときちんと
順序よく分けて13段階の修行内容を説いている。
その9番目が第四禅であり、ここまでが戒から続く定であり、以下、宿住随念智、死生智、漏尽智の
三明が慧として分類され、最後に解脱と解脱知見が来る。
だからペテン大作さんなどこの罠にまんまとはまり、9番目の四禅で解脱しているはずがないだろ?
深山は仏教の基礎も知らんのか?と勝ち誇るわけです。
しかしこのような便宜上の13段階に戒定慧を割り振るのは誤解を与えます。
私も正直疑問に思った。これだと戒定慧の慧とは一番最後の前世などの観察だけが
智慧ということになってしまう?煩悩の断除という作業は戒と定だけになり、
これっておかしくないか?
この誤解を払うのがビックさんの八聖道との対比論です。
仏教を経典の内容表現から二大別している。
一つが沙門果経に代表される段階的修行道であり、もう一つが段階的記述をしない
八聖道の螺旋的修行道です。
ところで実は決して釈尊の仏教に三学と八聖道という2つの別の道があるのではない。
そんなことはビックさんもわかっている。釈尊は極力体系的な説き方をせずに
随機説法だったから、経典によりその表現の仕方が違うだけです。
だから実は説いている道は同じなんです。桐山さんの言うような七科三十七道品、
7科目37種類の修行法があり、弟子の機根を見ていくつか科目を選びながら
修行するシステムなんて無知な話ではない。
三十七道品もまたその時その時の表現の違いであり、同じ道です。
強いて言うならば八正道が全てをカバーする。あるいは戒定慧の三学表現がカバーする。

16 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:24:48.90 ID:W12OZdWU.net
リンク貼り直し
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm

17 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 23:46:51.21 ID:SMys/4er.net
>>5:深山
>毎度、ペテン大作さんの思い込みの間違いは、ここを仏教スレだと思っている点です。
>ここは桐山アゴン宗の是非を議論するスレであって、
>あなたや私の個人的な仏教観など議論の対象外です。

阿含宗は釈迦仏教ではないと批判してる人間が、
実はデタラメな釈迦仏教を説いているわけで、
それを追求してるんだから阿含宗と無関係ではない。
議論の対象外だと思うならスルーすればいいだけの話。

>>15:ユビキタス

私が見つけた論文を読んで、だいぶ原始仏教に詳しくなっただろう?
私に感謝して欲しいですね。
でも、こんな考察をしても無駄です。
すべては経典の記述を元に話してください。

18 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:50:21.54 ID:W12OZdWU.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

ビックさんのニカーヤ論文は段階的記述の三学系統だけが仏教の表現ではなく
螺旋的記述の八聖道もあり、これはそれぞれ対比可能とした。
段階的修行道とある。段階「的」です。いや、段階が無いなんて言わない。それは絶対にある。
しかし経典記述の通りガチガチの段階順番を固定して捉えてはならない。
変な誤解に陥るからです。
例えば戒→定→慧の順番。決してそんな順番に固定されません。
便宜上わかりやすくそのような順番で説明してみせたが、慧が三明の超人的観察しかない
なんてことはありません。
それが証拠に正念正知が沙門果経の中のどこで説かれているかと言うと、実は大戒、
すなわち戒→定→慧の戒のところで説かれている。
ペテン大作さんは学者の論文だけでなく、沙門果経の全訳本をお持ちでしょう?
スマナサーラ師の著書です。よいことです。経典そのものを確かめる姿勢は。
そこで決してスマナサーラ師の解説ではなく、沙門果経の訳の中に正念正知が説かれている
事実を発見したはずだ。これは私も最近リンクを貼ってまで示した。
正知が定なのか慧なのかはさておき、定に分類するにしたって、なんで戒のところで出て来る?
勇み足ではないか?
実は勇み足などではなく戒と定と慧は常に絡みあって同時に実践するのです。
禅定瞑想の時間だけでなく大小便日常のあらゆる場面で観察を欠かさない。
これでも戒→定→慧の順番でなければおかしいなどと言うか?
順番が絶対に固定されているならば、八聖道の螺旋的修行道表現などあってはならず
常に段階的修行道の記述をすべきではないか?
だからもっと柔軟に考えねばならない。

19 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:02:17.80 ID:AfDf9bbi.net
@「心が安定し」は、解脱ではない。

456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。
心が欲望などで悩乱されないから安定し、煩悩という不浄がないから、
清純で純潔で汚れがなく、大きい煩悩はもちろん、小さい煩悩もきれいに
掃き清め続ける、これを解脱というのです。


※「心が安定し」が解脱ではない理由。

1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。

『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

2.第二禅に同様な文言が出てくること。

『比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、
心の安定より生じた喜びと楽のある、第二の禅定に達して住みます』

3.仏教学者が解脱だと解釈していないこと。
 
「心が安定し」は、八等至(四禅+四無色定)の自在(『パーリ仏典入門』片山一良、大法輪閣、96頁)

「心が安定し」は、基礎となる禅(第四禅)に入ったこと(『原始仏教T』中村元監修、春秋社、605頁)

20 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 00:05:19.94 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

だからこそニカーヤ論文の
「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」
というビックさんの表現は特筆的、画期的表現なんです。
この論文の内容は決して新発見でもなんでもなく、当たり前のことなんだが
これをはっきり書いたことは素晴らしい。
実はそれまでペテン大作さんの7年間の繰り返し怨念の書き込みをスルーしてきた
私もこれを目にして、よし、突っ込んでやろうとした。
定と慧が影響しながら煩悩が徐々に断除される、ね。これって沙門果経だと
どの段階を指していることになりますか?と。
応用力のないペテン大作さんは答えられなかった。
三明のシーンだと煩悩が徐々に断除だというのは当たらない。
あそこには素晴らしい超人的観察はあっても煩悩が断除される、それも徐々に、だなんて。
四禅よりも前のまだ完成していない段階に持ってくるしかないが、しかしそれだと
戒→定→慧の固定方程式が崩壊してしまう。だから沈黙した。
と、まあ前置きが長過ぎたので、いよいよその正念正知の本論に移りましょう。

21 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:06:13.95 ID:AfDf9bbi.net
×1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。
○1.比丘が解脱するのは四聖諦を達観した直後であること。

22 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:11:21.37 ID:AfDf9bbi.net
論文を読んで知ったくせに、前から知ってたような書き方だな。
自己陶酔もいいところだ。
今晩いつまで続くのかな?

23 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:27:59.88 ID:Ptb3lYlr.net
うへえ なるほどね知れば知るほど因果は巡るっちゃ
深山説とそのペテン大作説っちゅうかの攻防は
ずいぶんな歴史があるようなんですわなあ
なんでペテン大作かは分からんがヨ

んでもってもさ オレ的にはその四禅解釈論での是非や
そいうインネン攻防よりは 桐山センセの詭弁教義ってか
騙し屋宗教の源泉を知れたんが ありがてぇよな

親が騙されたっていう信仰状況が少しは理解できたんだな
たしかにこれ以上の議論ってのはさ スレチでっしょうが
まあ方や どう言いあおうが引かれんだろがネエ
だけどここは個人的な思惑の攻防の場じゃねえしな
言われるとおり議論は出尽くしてるんでしょ っての
仏教の学経にはなるけどねええ
そりゃ他の板にけっこうあるからなあ 
そういう掲示板ではけっこうオレ修行させられたかんね
だがまあなんだ 桐山大将のインネン解脱ってのは
あまりにも罪作りだわなってね
釈迦仏教をあまりにも歪曲して宗教ビジネスしてるんだよな
ってことが再認識させられるんだよね実のところ
オレの親のインネンで言えやあ こりゃ許せんぜよってなるぜ

24 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 00:44:29.57 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

ビックさんのニカーヤ論文に戻ります。
段階的修行道の三学系統に出て来る正念正知は、螺旋的修行道の八聖道との対比では
有漏の正念に当たるとのことだ。
ちなみに対比表は無漏の正念もあることを示している。
それが三明の智慧なんです。
これは興味深く、やはり正念正知もまた三明とも別の対比ができる慧であることを
示唆していると言えないか?定と言うよりも慧の要素が強い。
ただしその智慧とは有漏のものであって無漏の智慧ではないが。
アゴン宗の信者歴のある皆さんならば、有漏と無漏の違いくらいわかるでしょう。
漏とは煩悩のことです。すなわち有漏とは煩悩の有ることで、無漏とは煩悩が無いことです。
つまり有漏の正念たる正念正知は煩悩をまだ抱えた修行者が定と慧が相互に影響し合って
煩悩を徐々に断除していく過程とわかる。
一方無漏の正念たる三明の智慧とは、もはや煩悩が無くなった者による観察だとわかる。
煩悩がなくなっている。無漏です。ですから三明の智慧とは既に煩悩を断除した者が
仕上げに自分を観察をするのです。やはりありのままに。そしたら煩悩解脱していたことを
発見したのは煩悩解脱していたのだから当たり前です。
これが三明の智慧の前の、そう四禅修習段階の記述の「心の安定…」表現が
実は解脱の境地そのものであったことを証明するニカーヤ論の無漏の正念説の根拠です。
するとペテン大作さんは屁理屈を言うかもしれない。
いや、無漏の正念とは「この正念により無漏たらんとするものであり、実は三明の
智慧観察、漏尽智の修行(?)において煩悩は尽きて解脱するのだ」と。
ならば有漏の正念とは何なのか?いくら頑張っても煩悩が有るよという修行か?

25 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:21:36.37 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

しかしこの説明でもペテン大作さんは納得などしないでしょうね。
ええ、私はペテン大作さんを納得させるなんてことは考えていない。
一来補さんと同じく諦めています。
定年退職悠々自適なら羨ましいですが、失業中ならば頑張ってください。
深山さんが書いているように人それぞれ考えが異なり、後は読んでいる人各自が
どちらが正しいと思うか判断を委ねることにして、7年間の議論は終結と言うよりも
中断でよいではないかと思う。
(と言ってもペテン大作さんはやめないだろうが…)
だから最後に三学段階的修行道表現記述の中で9番目の段階に過ぎない四禅修習後の
「心が安定…」記述がどうして解脱と言ってしまえるのか書きましょう。
それには例え話をする。
ここに長年のホームレスがいて、全然風呂に入らないし、髪も髭も伸び放題で
汚く臭くてたまらない男がいるとする。
彼に他人から敬遠されるようなことから脱却する道を教えた。
その男はきちんと風呂に入るようにし、散髪にも行き、髭も剃りきれいになり
もはやあのいやな臭いもなくなった。
男も今後も風呂に入り散髪もし、髭も剃ることを理解して実践している。
これがふつう完成ですよね?
では三明の智慧観察とは何かと言うと、それは最後に鏡で自分の姿を見て確認するようなものです。
「ああ、見違えるほどきれいになった」と。
解脱した人が解脱したと知ったとはこのことです。
ところでこの鏡を見る作業をしなければきれいになる目的を果たしたとは言えないと言いますか?
必ずしも必要ないではないか?自分はまだまだ汚れているんだ、未熟者なんだと
思ってまだ精進続けていたってよいではないか?
もう煩悩がなくなっていれば、死んで後輪廻することもなくなります。
だから何も13番目のシーンで解脱完成なんてしなくても実は9番目のシーンでは
解脱を果たしていたでよいではないか?

26 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:32:55.61 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

私はペテン大作さんが、ゴータマが仏陀となったのはどのシーンか?と訊かれたら
9番目のシーンとは言いません。やはり三明の観察をして真理の不動たることを確信したところを
悟った人、覚者として、かくしてボサツは仏陀と成ったとするのはこのシーンしかないとします。
しかし解脱ということだけに限定するならば、何もそこまで延ばさなくても
心が安定して汚れなく、不動にして柔軟で煩悩がない境地で解脱していたでよいではないか?
もちろん真理を確信すれば鬼に金棒です。
しかし真理を確信というが、智慧と言うが所詮は認知認識作用の範疇です。
知ることだけです。パワーではない。
煩悩解脱した人もその後もまた煩悩が沸き起こらないように一生注意観察していなければ
ならないのは仏陀と言えど例外ではないのです。
麻原彰晃が解脱した聖者だから修行中は肉食を禁じていても修行完成後は肉食しようが
何をしようが大丈夫なんて間違った世界ではないのです。
真理の覚者としての仏陀と、解脱の定義である煩悩を離れた人を区別して
なんでもかんでも混同しないようにしましょう。
それがわからない人は応用力がなく、自分の頭で考えられず、自分の言葉で語れない、
つまりその実、何もわかっていない人です。

27 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:34:26.21 ID:AfDf9bbi.net
@ご苦労さん、万事休す!!!

>>27
>だから最後に三学段階的修行道表現記述の中で9番目の段階に過ぎない四禅修習後の
>「心が安定…」記述がどうして解脱と言ってしまえるのか書きましょう。



※「心が安定し」は、第四禅に入ったことを表現している。

『神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している』
(『原始仏教T』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

28 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:35:17.74 ID:n4ABMKiW.net
あ〜あ、深夜になってしもた。
このビックさんのニカーヤ論文も使った桐山八正道批判は明日にしよ。

29 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:37:21.32 ID:AfDf9bbi.net
× >>27
>>26

30 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi.net
やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

31 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:57:18.00 ID:n4ABMKiW.net
>>17 神も仏も名無しさん 2015/09/08(火) 23:46:51.21 ID:SMys/4er
>でも、こんな考察をしても無駄です。
>すべては経典の記述を元に話してください。

経典の記述引用はした上で論じてるだろ?
学者の解説を狭い視野で示しているだけなのはそちらだろ?

32 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 07:50:26.96 ID:tn7rK6CH.net
 
深山紅マス   http://www.sansuikan-yu.com/dish.html

33 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 08:07:59.49 ID:n4ABMKiW.net
>>27 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:34:26.21 ID:AfDf9bbi
>@ご苦労さん、万事休す!!!

>ここの「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している』

春秋社の原始仏教Tを買ったようですね。
感心と言いたいが、決して向学心が動機でないところが哀れです。
私もあなたも省略して「心が安定し…」と「安定」だけを表面に残しているが、
四禅から出定した効果は安定以外にいろいろあるでしょう?
どうして四禅に入っただけで煩悩から離れてしまうのか?
定に入っている間だけならわかるが、どうして定から出ても煩悩が沸き起こらないのか?
それなら禅定だけで解脱できたことになる。
それまでの戒定慧相俟っての日常の修練の結果煩悩解脱は成し遂げられていたのです。
それはまさにいつの間にかそうなっていたと見るべきです。
それこそ二禅よりも前かもしれない。
四禅の力や二禅の力で解脱したのでもないし、四禅の時に忽然と解脱しちゃったわけではない。
悟りと違って、そんな夜明けのシーンのようなドラマチックなものはなく地道なものです。
あなたは応用力がないから字面だけで飛びついてしまうのです。
要するに読書力がない。分析判断力がない。
それに第一に解脱の定義を知らない。
仏教における解脱とは煩悩から離れたことしかないのだから、心が安定という
禅定の条件前提だけでなく、「煩悩から離れ」という経典記述こそ解脱していた証明です。
またそれ以降の三明の観察、四聖諦の悟りでは煩悩を断除するシーンが一つもなく
自己と真理の確認作業のみです。
その自己は解脱を得ていたから解脱したと確認できた。

34 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 08:53:36.35 ID:n4ABMKiW.net
桐山八正道批判に移ります。ビックさんのニカーヤ論文を基に。
ニカーヤ論文は沙門果経に代表される三学系統の段階的修行道と、八聖道を説く
螺旋的修行道との対比と関係を論じている。
結論を言うと、それは経典記述の表現が異なるだけで、同じ修行です。
戒定慧の三学は八正道に当てはめられ、逆に八正道は三学の段階的表現の中でも確認できる。
つまり仏教の修行というものは八正道だけで全て説明できてしまうし、
戒定慧の三学だけでも説明できる。(段階だけでなく内容で)
しかし桐山さんの八正道の扱いはどうか?
七科三十七道品の中の一科目として扱い、それはオシエであり、道徳心のないレベルの低い人をまず道徳教育するものだと言う。
しかし八正道はニカーヤ論文では、例えば正見は三明の四聖諦を知ることとしている。
ああ、ここで申し訳ないが昨夜の訂正。
三明は無漏の正念ではなく無漏の正見と対比表にありました。やはり見なのです。
三明のような高度の智慧も八正道の中の一部なのです。
それを桐山さんは初心の為のオシエだと言い、全く軽視している。
如何に無知かわかるでしょう?
桐山さんは七科三十七道品を7科目37種類の修行法であり、その中の1科目が
八正道としている。
しかしそもそも三十七道品なんてのは数字好きアビダルマ好きのインド人が
釈尊がその都度随機に説いてきた話を下手くそに分類整理しただけのもので
実は何の意味もない。東京を説明するのに、東京タワー、スカイツリー、国会議事堂、
新宿、東京都と分類したようなものです。
だから東京都とスカイツリーを同格にしてしまっている。
だからそんなこと(八正道が仏教の修行全てを表すもの)も知らないのが桐山さんです。
そんな桐山さんでも戒定慧の三学は仏教の修行そのものを表すことだけは知っている。
だから七科三十七道品に加えたりはしない。
しかし三十七道品のインド人下手分類は戒定慧の三学を加えてもよかったようなものなんです。
八正道を数えて加えたように。
ニカーヤ論文は戒定慧の三学と八正道を有機的に相関関係を論じていることを
もう一度読み直してください。
いかに桐山さんが八正道に対して、仏教そのものに対して無知であるかを。

35 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 11:11:26.72 ID:vRWDH52x.net
八正道ってのは学生が護るべき学則みたいなものだよ。
言うならば学部ごとの教授内容が判別できない。
正しいけど要が抜けて居ります。

36 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:00:11.45 ID:oKfy71JA.net
>>27 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:34:26.21 ID:AfDf9bbi
>@ご苦労さん、万事休す!!!

昨日からのペテン大作さんのたくさんのレスには明瞭な傾向があります。
それはアゴン宗の議論をしないことです。
私からスレ本来の目的であるアゴン宗について議論してはどうかと、
再三書かれても無視して、相手の反論を無視して、同じ主張を繰り返している。
私から、ペテン大作さんはアゴン宗についての議論をすると
負けるから避けている卑怯者だとまで言われても、それでも
彼はアゴン宗の議論を避け、四禅の議論に憑りついている。
これを見れば、彼の目的がアゴン宗の擁護などでないことは明らかです。

仏教の議論のように見せかけているがこれも違います。
本当に仏教の議論が目的なら、「四禅で解脱」などと私が書いていないことを
指摘されたら、普通は撤回する。
だが、彼は平然と未だに私が「四禅で解脱」と主張したと書き続けている。
彼の目的がアゴン宗擁護でも仏教議論でもないからです。

37 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:05:20.68 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

四禅について反論されても無視して、>>19などで彼自身の理解不足を
前提にした同じ主張を何度も何度も貼り付けているだけです。
相変わらず、第二禅で解脱しているはずがないと彼の勝手な決めつけをしている。
「心の安定」という言葉一つに噛みついて、学者の説を我流解釈している。
私は前は学者の文言までさかのぼって反論したが、今はしません。
議論がどんどんずれてしまい、しかも、彼の解釈のデタラメを
いくら示しても、何の効果もないからです。

こちらからの反論はきちんとされている。
前スレの604さんが引用したのは経典、つまり釈尊の言葉です。
誰がどう読んでも「心の安定」は解脱したことを意味する。
学者が解説しているのでも、批判側が解釈しているのでもなく、
釈尊本人が述べている言葉です。
だが、ペテン大作さんはいっさい受け付けない。

煩悩からの解放が解脱ならば、
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
は解脱を意味することは小学生でもわかる。
「小さな煩悩も離れ」なのだから、大きい煩悩は言うに及ばずです。
ところが、彼は前に、これを「小さな煩悩」と引用して「も」を省力して、
小さい煩悩のみだと主張した。
悪意に満ちた切り貼り解釈には毎度驚かされた。
煩悩からの解放は解脱であり、小さな煩悩からも離れたら、解脱です。
こんな簡単なこともペテン大作さんは理解できない。
いや、理解したくない。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


38 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 12:05:43.51 ID:hvikmArp.net
宗教は奴隷学である
ナントカ宗なら別ということはないのである

39 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:10:40.36 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

今回彼は「心の安定」に噛みついている。
彼は必死に学者の本を調べ、「小さな煩悩も離れ」を無視して、
学者の文言で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、「心の安定」に噛みついた。
だが、これもおかしい。
「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
であり、煩悩からの解放が解脱であり、
「小さな煩悩も離れ」=「解脱」
なのだから、当然、
「心が安定」=「解脱」
となります。

だが、これを解脱と見るか、見ないかは、最後は各人の解釈の自由で、
双方の意見は出尽くしているのだから、判断は読者に任せるべきです。
ペテン大作さんの、ご都合の学者の文章の切り抜き引用を信じるか、
釈尊本人のわかりやすい言葉を信じるかは、各人の自由です。
なぜなら、ここは仏教学の議論スレではないからです。

40 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 12:15:33.60 ID:1O6DyJk+.net
★NEW!!!

・「いつものパン」があなたを殺す:脳を一生、老化させない食事 (デイビッドパールマター 2015/1/16)

・ダダモ博士のNEW血液型健康ダイエット (集英社文庫)
 O型とB型は小麦、とうもろこし、蕎麦を食べると体調が悪くなり太ります

・炭水化物が人類を滅ぼす糖質制限からみた生命の科学 (夏井睦 光文社新書 2013/10/17)

・統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。

・チョコレートは超危険食品 強い依存性、糖尿病の恐れ…妊婦や子供は摂取要注意
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1437462672/526-528

・すべての不調は首が原因だった!
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1440469218/620

小麦に含まれてるグルテンは脳を炎症させます。→精神病、ウツ病の原因に。

O型とB型は小麦を食べると腸に血が集まりアレルギーのようになり吸収が遅くなりタンパク質を脂肪として吸収してしまうため太ります。

炭水化物(小麦、米)=砂糖

小麦はドクです。

41 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:18:04.77 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

ペテン大作さんの目的はアゴン宗擁護どころか、仏教議論でさえもなく、
「深山憎しの一念」です。
仏教もアゴン宗もどうでもよく、四禅の話でないと深山を攻撃できないから、
四禅に憑りついているので、彼にとっては解脱も四禅もどうでもよい。
深山を攻撃できるなら、何でもいいのです。
だから、「漏尽定で解脱する」などとアゴン宗とは違う主張をしたり、
漏尽解脱が解脱であると認め、アゴン宗の教義を否定するような事を平気で書く。
彼にはアゴン宗への信仰なんてない。
単に、私がアゴン宗を批判しているから、敵の敵は味方とばかりに
アゴン宗を擁護するようなふりをしているだけです。
私からアゴン宗の議論をするべきだと正論を出されても、
それでは私を叩き潰せないばかりか、逆に叩き潰されるから、絶対に応じない。
仏教議論、アゴン宗擁護であるかのように見せかけて、
私憤を晴らそうとする卑怯でセコイ男です。

だが、私がペテン大作さんの小汚い腹の中を解説するのは、
他の信者さんたちに彼を見てほしいからではありません。
こんな〇ンナの腐ったような奴はどうでも良い。
ペテン大作さんとそっくりなことをしている人がいるからです。

42 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:23:55.21 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

ペテン大作さんとそっくりとは桐山さんです。
信者さんたちは、桐山ゲイカとペテン大作ごときを一緒にするなと
怒るかもしれないが、心の有り方や手法が良く似ているのですよ。
それは問題を正面から取り組むのではなく、大きな大義名分を掲げながら、
自分の小汚い本音を隠し、復讐心を満足させるという点です。

桐山さんは偽ビール事件で有罪になり、一年間服役した。
二回逮捕されても懲りずに偽ビールを作っていたのだから、実刑は当たり前です。
普通の人なら、腹を立てながらも、自分が為したことは認めて、
「潔く」受け入れて、これからは真っ当な人生を歩もうと決心する。
だが、桐山さんの性格は、自分の非を認めるのが死ぬほど嫌いなのです。
潔くもなく、男らしくもない。
そこで作り出した言い訳が悪因縁のせい、霊障の仕業です。
先祖が切り殺した霊障武士が悪因縁を作り、自分は不当に
ムショに入れられたと、言い訳を作った。
もちろん、歴史上上意討ちなど存在せず、桐山さんの作り話なのだが、
桐山さんの文章には祖父への憎しみさえも感じられる。
さらには、偽ビール事件は仏が桐山さんを解脱させるために手配した十界修行だという。
偽ビール造りというセコイ犯罪をしたという事実を潔く受け入れることもできず、
先祖や悪因縁や霊障のせいにして、それでも足りずに、仏まで引っ張りだして、
言い訳を並べ、それをアゴン宗という宗教にまでしてしまった。
その本音は「おれは悪くない」です。
こんなちっぽけな犯罪行為さえも彼は認める度量がないセコイ男です。
しかも、これだけでは済まなかった。

43 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:31:44.10 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

桐山さんをムショに入れたという霊障のホトケを諸悪の根源にして、
地球人類を滅ぼすという壮大な絵空ごとを作った。
自分の犯罪を霊障のホトケに責任転嫁するだけでは飽き足らず、
霊障で世間の人々を脅かし始めた。
霊感商法で金と人を集めて宗教家としてエラクなりたいという彼の野望が表なら、
裏は世間の人々への復讐です。
悪因縁と霊障で人々を脅かし、信者が土下座して助けを求める姿に、
桐山さんは自分がエラクなったと錯覚できるだけでなく、
自分をムショに送り込んだ世間を土下座させたような復讐心を満足させていた。

例祭などで入場の時、信者に頭を下げさせながら、出てくるのも同様です。
宝生さんは相互礼拝だなどと桐山さんの建前を真似して話していたが、
桐山さんは顎をあげて周囲を睥睨しながら出てきて、信者は頭を下げたまま合掌する。
あれのどこが相互礼拝ですか。
宝生さんは何も知らないだろうが、桐山さんは、職員に対してさえも、
目を見るなとか、一歩下がれとか、文章で通知を出しているのです。
背の高い相手に眺め下ろされるのが大きらいです。
完全な上下関係で、桐山王様と、家来や奴隷との関係です。
こういう点もペテン大作さんはそっくりだから、
「あなたの仕事」「余計なことは言わなくていい」(前スレ645)
などと書いたのです。
彼が私よりも上位のサルであるとマウンテングをしたつもりです。
彼自身も仕事場でこの言葉を言われたのでしょう。

44 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:37:07.80 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

桐山さんは自分を迫害し能力を認めなかった世間への逆恨みを深く心の奥に持ち、
宗教や仏を道具に使い復讐心を満足させてきたのです。
だから、桐山さんの作った教義に共通するのが「霊的脅かし」です。
悪因縁、霊障、天命殺、地球壊滅、大地震、核ミサイル、横変死、
など、桐山さんの得意技は人々を霊的に脅かして恐怖心で支配することです。
新興宗教には飴と鞭が常備されているが、アゴン宗はそれが極端に鞭に偏っている。
だから、今も「霊障のカルマが攻めて来る。戦準備をせよ」と叫んでいる。

信者さんたちは、霊的に脅かされていると言われると、「まさか」と嘲笑う。
だが、桐山さんの霊障の話や、神仏が武装していたという話を本気で
信じているから、護摩木を書き、護摩を拝むのでしょう?
自分のことをどう思おうが、現実の信者さんたちは
桐山さんの霊的な脅迫を受け入れ、従っているのです。
桐山さんの霊的な脅迫は、元を正せば、彼のオレ様は天才だという自惚れ、
エラクなりたいという強烈な欲望、オレ様をムショに入れやがったという
復讐心など、簡単に言えば、彼の汚い心そのままです。
彼の心が煩悩で悩乱しているから、戦支度などと心が安定せず、
欲望と復讐心に満ちた不浄そのものの心を持ち、
小さな煩悩すらも桐山さんは捨てていない。
慢心、欲望、復讐心などの大きな煩悩から離れることもない。
信者さんたちが、普通の人よりもはるかに煩悩の汚物に満ちた桐山さんを崇拝し、
一緒に霊的な戦ゴッコを焚き火でするなら、朱に交われば赤くなるで、
あなたもやがてそうなります。
汚染するのは簡単だが、きれいにするのは容易ではありません。

45 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 12:51:43.98 ID:Bye4YI43.net
#台風 18号の被害の大雨、洪水が「縦型」なのは。 #日蓮宗?#日蓮正宗?#立正佼成会?#真如苑?「オレンジ、橙」組みが。
海外から預かった「貴重な女」を「日本を守る盾」とか言って、自分らの仲間の「従軍慰安婦」みたいな事をさせていた罪でジャブジャブだそうだ。被害地域も該当地域。

46 :一来補:2015/09/09(水) 13:44:14.22 ID:9siiEvOe.net
因縁解脱を理解しなければ、阿含経の何も知ったことにはならない。
正しいことを知るに遅すぎることはない。知った時から恥をかくことはないだろうから。

阿含仏教のさとりと大乗仏教のさとりの違いを知らねばいけない。
岩波仏教辞典の「滅」の説明には、
「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り
 の境地である涅槃は滅」
とあります。これは阿含経の涅槃のことです。
苦と業と煩悩の滅が、阿含経の涅槃です。

岩波仏教辞典の「解脱」の説明は、
「煩悩から解放されて・・・」
とあって、これは誰でも知っているね。
だが、煩悩からの解放だけでは、大乗仏教の涅槃も同じです。それだけでは赤点です。

大乗仏教の涅槃は、煩悩無量誓願断、と菩薩の誓願にあるように、煩悩滅で満点です。
しかし、阿含仏教の涅槃は、煩悩滅だけでは不足なのです。先の仏教辞典にあったように、業と苦の滅もあって阿含経の涅槃なのです。

煩悩と業と苦の滅なので、縁起の滅した世界というのです。十二縁起の滅を言っているのです。

47 :一来補:2015/09/09(水) 14:01:32.25 ID:9siiEvOe.net
自説経に、
「諸縁の滅尽を知るがゆえに」
とあるのは、煩悩の滅尽だけではないから
です。煩悩と業と苦の滅尽なので、諸縁の
滅尽とあるのです。

そもそも仏教は四苦八苦の滅が目的なので
あって、煩悩滅はそのための手段です。
苦の元が煩悩だから煩悩滅を目指すのであって、煩悩滅をしても苦が残るのであれば、
本末転倒でしょう。

48 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 15:26:06.24 ID:GzKfKGNd.net
>36〜

へええ聞けば聞くほど桐山大将ってのは詐欺の
大センセなんだがやな
親の金がこんな過去の私憤にまぎれた詐欺宗教に
流れ込んでったっちゅうんには まっこと腹が立つっちゃ
幼稚っぽいが 出したカネ返せよって感じじゃあな
それにしてもオレのレベルでさえ解る仏教のウソ教義っち
片山解説やペッグ本だのを学んでるくせにだよ
なあんにも気づかずにいるなんちゃ あり得んわな
たしかにこりゃ 桐山教義のウソなど当然知っとるんやろな
ちゅうことは ア本州じゃネ阿含宗の信者じゃなかってん
たんなる私怨で四禅話しを何年もしてたっちゅう訳か
一来補だかっちゅう仏教音痴の信者より余ほど仏教論は
しっかりしてたと思ちゅうたら なんじゃい単に深山憎し
じゃったんじゃな
これじゃ解脱するんと解脱んの境地をはき違えるわけじゃ

>>27 @ご苦労さん、万事休す!!!
>神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し

なある それんしても神通を行なうっちゃ神通力を持っちょるんじゃろ
たしか通力を得た比丘ちゅうんは 既に解脱してるんとちゃうんかい
大縁方便経によればだよ 八解脱が説かれてるんやがの
初解脱は四禅のうち初禅に依り起こりっちゃ
これも一解脱やネンてな 細分化したらっチわかりまっか
またこりゃあのう 長部大因縁経にも説かれてるんちゃよ
ってまあ字面を言い出しゃきりネエもんね

49 :一来補は困っちゃうな〜さん!:2015/09/09(水) 19:09:41.05 ID:WMv5oihP.net
>>46 :一来補:2015/09/09(水) 13:44:14.22 ID:9siiEvOe因縁解脱を理解しなければ、阿含経の何も知ったことにはならない。
> 正しいことを知るに遅すぎることはない。知った時から恥をかくことはないだろうから。

一来補、おまえダメじゃないか!
またこんところにきて迷惑をかけているのか!
おまいはボケでバカで、邪教の阿呆宗の中ですら不良品、末端クズ会員なんだから
こんなところに駄弁れる身分じゃないんだぞ!
恥もなにも、おまえそのものが一番恥ずかしい存在なのだからな!
恥を知れ恥を!

勝手に一来補教のダボ教えとなえているクズ老人なんだから早よお陀仏になれよ!

それにおまえに仏教を云々いう資格はない。
なぜって? それは一来補クズが基地外だからだよ!

50 :一来補:2015/09/09(水) 19:25:25.01 ID:9siiEvOe.net
例えば、阿含経に「業縁往来五道」とある。
この意味は、業を因縁としてそれぞれ業に見合った五道(地獄餓鬼畜生人間天上)を往来するという意味ですね。これは漢字を読める人なら簡単に意味が分かるだろう。
煩悩を因縁として五道を往来するのではない。
業を因縁として五道を往来すると釈尊は説いている。
だから、地獄餓鬼畜生の悪道を断つには、その業を断たねばいけない。当たり前のことです。
だから阿含経にある「三結断 不堕悪道」の意味は、悪道行きの業を断ったということです。

深山ユビキタスくん説は、初めに桐山師説の業滅否定ありきなので、阿含経にある業解脱を読み取れないのです。これを我見というのです。

51 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 20:41:29.56 ID:vRWDH52x.net
顕教と言われるのは心外かも知れんがね
その種の教団の教義でアゴン経の教えを受け入れて箇所もある。
ソレが八正道のであるよ。

52 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 20:55:04.48 ID:dUVKU4k5.net
>>17 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 23:46:51.21 ID:SMys/4er
>阿含宗は釈迦仏教ではないと批判してる人間が、
>実はデタラメな釈迦仏教を説いているわけで、
>それを追求してるんだから阿含宗と無関係ではない。

阿含宗と無関係ではないというのは阿含宗と関係があるということですか?
確かに、阿含宗批判がデタラメなら阿含宗が正しいということになるでしょう。
しかし、仮に阿含宗批判者がデタラメな釈迦仏教を説いたとしても
阿含宗が正しいということにはなりませんよ。
あなたは阿含宗が正しい釈迦仏教を説いていると思いますか?
阿含宗はもっとデタラメな釈迦仏教を説いていますよね。しかもお金を取っている。
今回の釈迦仏教の議論と阿含宗は関連がないようですのでスレ違いはやめてください。

53 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 21:34:50.65 ID:WhLLX8kf.net
 
>28 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:35:17.74 ID:n4ABMKiW
>あ〜あ、深夜になってしもた。
>このビックさんのニカーヤ論文も使った桐山八正道批判は明日にしよ。

すぐ論破できるけど、明日ゆっくり料理してやる。ってかw

そりゃあ、すぐ論破できるでしょう。相手はカルト信者なんだから。www しかも、その易々とできる批判レジャーは、
翌日まで取って置きだ。 ワクワクしながら寝れるから最高だね。ww

しかも、そんな余裕を見せることもできて、最高過ぎるよな。w

54 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 22:30:58.09 ID:vRWDH52x.net
正確なのだが大事な情報を欠落させているのが
八正道である。
立派な威儀を護れる比丘比丘尼になりましょう〜の程度だよ。
そりゃ頭を剃って袈裟衣でさぁ見てくれは成るがねぇ。

55 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 23:04:09.56 ID:Eoi3RlgC.net
>>39
>今回彼は「心の安定」に噛みついている。
>彼は必死に学者の本を調べ、「小さな煩悩も離れ」を無視して、
>学者の文言で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、「心の安定」に噛みついた。
>だが、これもおかしい。
>「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
>「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
>であり、煩悩からの解放が解脱であり、
>「小さな煩悩も離れ」=「解脱」
>なのだから、当然、
>「心が安定」=「解脱」
>となります。

片山一良 訳 パーリ仏典 長部 戒蘊篇T(P220〜P233)
「このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
行動に適し、確固不動のものになると、」

増谷文雄 訳 阿含経典3 筑摩書房 (P276〜P288)
「かくのごとく、心清浄にして、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して、心身柔軟、いつでも活動できる状態にあり、
しかも、安らかに住して不動の状態にある時、」

「心清浄にして」のところは「心は清浄に帰し」の表現のところもありました。
増谷文雄 訳では「解脱」の状態にあると読めます。

56 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 23:34:05.60 ID:AfDf9bbi.net
>>36 :深山
>仏教の議論のように見せかけているがこれも違います。
>本当に仏教の議論が目的なら、「四禅で解脱」などと私が書いていないことを
>指摘されたら、普通は撤回する。
>だが、彼は平然と未だに私が「四禅で解脱」と主張したと書き続けている。
>彼の目的がアゴン宗擁護でも仏教議論でもないからです。

既に回答済み。

>617 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 01:11:11.35 ID:SMys/4er
 >605 :深山
 >>だから、あなたが引用した>>601の私の文章のどこに四禅で解脱したとあるのだ?
 >>文章にないものを良く読めますね。
>「四禅で解脱した」という文字そのまんまが書いてないだろということですよね。
>いいでしょう。
>あなたがそこまで否定するなら構いません。
>最初からこちらのターゲットは「四禅で解脱」ではなくて「心が安定し」の方です。

四禅で解脱したと言ったのは自分じゃない、釈尊が言ったのだ、と言いたければそれで結構。
経典の「心が安定し」を解脱だからというのがその根拠ですね。
ならば、その根拠を崩せば、四禅で解脱したと釈尊が言ったというのは嘘になる。
だからこちらは今後「心が安定し」だけをターゲットにすればよい。
「四禅で解脱したとあなたが言った」とはもう言わないし、言う必要も無い。

57 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 23:55:18.46 ID:Eoi3RlgC.net
>>25
>ここに長年のホームレスがいて、全然風呂に入らないし、髪も髭も伸び放題で
>汚く臭くてたまらない男がいるとする。
>彼に他人から敬遠されるようなことから脱却する道を教えた。
>その男はきちんと風呂に入るようにし、散髪にも行き、髭も剃りきれいになり
>もはやあのいやな臭いもなくなった。
>男も今後も風呂に入り散髪もし、髭も剃ることを理解して実践している。
>これがふつう完成ですよね?
>では三明の智慧観察とは何かと言うと、それは最後に鏡で自分の姿を見て確認するようなものです。
>「ああ、見違えるほどきれいになった」と。
>解脱した人が解脱したと知ったとはこのことです。

これはなかなかいい比喩ですね。
とても分かりやすい。
釈尊も阿含経で手を替え品を替えて、いろんな比喩をもちいて説法されていますよね。

58 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:01:36.66 ID:axq5gd5W.net
>>37 :深山
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

>煩悩からの解放が解脱ならば、
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>は解脱を意味することは小学生でもわかる。
>「小さな煩悩も離れ」なのだから、大きい煩悩は言うに及ばずです。
>煩悩からの解放は解脱であり、小さな煩悩からも離れたら、解脱です。


『神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅<padakajjhana>に入ったことを表現している』
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

この文章は、「心が安定し」だけを指したのではなくて、
「心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適応し、不動なものとなると」(同書97頁)を指しているようです。

「心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩を離れた、柔軟になり、
行動に適応し、不動のものとなると」
を指して、「基礎となる禅」=四禅に入ったことを表現しているという解釈です。

片山教授の方も同様に、文言すべてを指して、
「四禅に四無色定を含めた八等至」という解釈です。

59 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:03:59.09 ID:axq5gd5W.net
@深山さん、(オ)カルト解釈やめようね。

>>39:深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:10:40.36 ID:oKfy71JA
>「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
>「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
>であり、煩悩からの解放が解脱であり、
>「小さな煩悩も離れ」=「解脱」
>なのだから、当然、
>「心が安定」=「解脱」
>となります。


『神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅<padakajjhana>に入ったことを表現している』
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

「心が安定し」が「基礎となる禅」=第四禅に入ったことの表現だと言っているのに、
何故「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」=解脱となるのか?
第四禅に入ったら即・解脱なのかね?
こういうのを(オ)カルト解釈というのだろう。

60 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W.net
>だが、これを解脱と見るか、見ないかは、最後は各人の解釈の自由で、
>双方の意見は出尽くしているのだから、判断は読者に任せるべきです。

判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
相手が何を主張しても、放置しておけばよい。
放置しておくと何か不都合なことでもあるのなら話は別である。

61 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:22:54.21 ID:axq5gd5W.net
>>19@「心が安定し」は、解脱ではない。の補足

1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。

追加
「このように知り、このように見る彼は、欲漏からも心が解脱し、有漏からも心が解脱し、無明漏からも心が解脱する。」

諸漏から心が解脱するので、心解脱を示す。

四聖諦を知るならば、無明が捨断され 、無明を離れて慧解脱を具足する。

よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

(Nikayaにおける止観の研究 一止観と心解脱・慧解脱を中心として 一)

(ttp://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1203/1/r-bk-np_015_006.pdf)


深山さんがいくらジタバタしても、
経典で比丘が解脱(心解脱・慧解脱)するのは、四聖諦を知った後です。
あなたが、どんな理屈を並べようが、この事実は変わらない。
だから「心が安定し」には解脱の意味はありません。
いくら強弁しても無駄です。

62 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:28:25.69 ID:axq5gd5W.net
【四禅比丘】

定義

仏教に於ける修行として、四禅を得たときに四果を得たと思う増上慢の比丘を指す。
四禅とは、小乗仏教の声聞の修行の段階で、これに四向・四果など違いがあるが、
増上慢の比丘は、これらの区別を付けることが出来ない。
(ttp://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BB%CD%C1%B5%C8%E6%B5%D6)


如一比丘。得四禪搶纐搆フ還入地獄。(一比丘の四禅を得て増上慢の故に、還って地獄に入るが如し)

(一比丘は、四禅を得たが、増上慢であったので、故に、還って、地獄に入ったのである)

『大智度論巻二十四(下)』
(ttp://www.geocities.jp/tubamedou/Daichidoron/Daichidoron21-30/Daichidoronn24b.htm)


大智度論て確か龍樹の作品ですよね。
彼は沙門果経を読まなかったのでしょうか?
いや、多分読んだでしょうw

63 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 01:02:18.08 ID:x9HKvvDO.net
>>61
>よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

八支聖道(八正道)の最初の支は「正見」です。
釈尊は「正見」を次のように説いています。

 『比丘たちよ、いかなるをか正見というのであろうか。
  比丘たちよ、苦なるものを知ること、苦の生起を知ること、
  苦を滅することを知ること、苦の滅尽にいたる道を知ること
  がそれである。比丘たちよ、これを名づけて正見というのである。』
         阿含経典 2 増谷文雄 訳 ( P172,173)

この内容は四聖諦を正しく知ることであり、正見とは「四聖諦の正しい理解」です。
学びとしての道、八正道には順序があり、まず「正見」から出発します。
正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定で修行が完成します。
あなたは、「四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する」と書きましたが
ならば「正見」が完了すれば、それは「解脱を具足する」と考えるのですか?

64 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 01:22:07.37 ID:vjvbsic3.net
私は今晩ペテン大作さんが出ようが出まいが最後は心解脱・慧解脱をこちらから出して
こちら側の議論は終わりにしようと思ってました。
慧解脱を認めるというのは、妥協点を見出すわけではないのだが、ペテン大作さんが
そこの部分のみにこだわるのも気持ちがわかる気もする。
だから慧解脱だろうが倶解脱だろうが肯定的に認めて、まあ完全解脱だの最終解脱なんて
どこかの殺人教団の概念は使いたくないが、心解脱は立派な解脱ではないか、
なんで最終解脱でなければならないの?と。
都合のよいことにそちらが慧解脱を出してきてくれた。
心解脱も付けてね。
思ったよりひどい解釈状況だ。慧解脱ではなく心解脱に対して。
また明日。早く寝ましょう。

65 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 01:28:28.27 ID:vjvbsic3.net
ここだけ一言書いておこう。

>>60 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W
>判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
>相手が何を主張しても、放置しておけばよい。

違うんですよ。こちらがそれは解脱ではないかと書いたら、あなたの方が躍起になって
それは解脱ではない!絶対に解脱ではない!と放置はさせぬぞと絡んできたのです。

では明朝。まだ雨だろうなあ。

66 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 01:38:48.55 ID:x9HKvvDO.net
>>62
>【四禅比丘】
>如一比丘。得四禪搶纐搆フ還入地獄。(一比丘の四禅を得て増上慢の故に、還って地獄に入るが如し)
>(一比丘は、四禅を得たが、増上慢であったので、故に、還って、地獄に入ったのである)

あなたは間違った解釈をしています。
【四禅比丘】
http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BB%CD%C1%B5%C8%E6%B5%D6
四禅比丘の3種類の問題点を読み直してください。

67 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 07:50:11.30 ID:gpQ31RAl.net
 
深山放牧豚   http://itraumerei.exblog.jp/9139260

68 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 08:51:50.77 ID:vjvbsic3.net
>>60 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W
>判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
>相手が何を主張しても、放置しておけばよい。

当初深山さんがそちらが出してきた沙門果経の「心が安定…煩悩も離れ」の記述内容の境地に対して、
これは解脱の境地に他ならないと主張した。それに対してそれは絶対に解脱のはずがない!
解脱を得るはもっと先で四聖諦を悟り、漏尽智を得た解脱と解脱知見の段階しかない
と、しつこく7年間食い下がってきたのがペテン大作さんです。
それも最高の最終の完全な解脱でなければならないなどとそちらでいつの間にか勝手に限定した。
ちなみに私もペテン大作さんが昨夜指摘するよりも先に心解脱・慧解脱の話を出して
心解脱よりも後に得る慧解脱を以て解脱の完成とするという考えもあることから
ペテン大作もまたそればかりに目を覆われるのも無理からぬ面もあることをコメント
するつもりでいて、今でもそれは変わりない。
慧解脱、倶解脱、煩悩障に対する所知障とかアビダルマがいろいろと論じた話だろうが
仏教界にはそういう段階で区別、差別する考えもあるのだから、私は今回は敢えて
アビダルマの批判もせず、それを認めて、心解脱・慧解脱そろって解脱の完成と見る
のも各自の自由であるとしようと思った。
しかしペテン大作さんはナント心解脱はまだ解脱ではないと言っているのです!
沙門果経の四禅を終えた記述段階で得た「心が安定…煩悩も離れ」はまさに
心解脱の境地です。心解脱とは桐山さんは悪い心癖を改めるなんて説明しているが、
心に貪著から離れるというものです。まさに沙門果経の「心が安定…煩悩も離れ」の境地であり
心解脱そのものです。心解脱は解脱ではないと言うか?
ただしこの後三明の智慧観察により真理の覚知を備えた慧解脱を得る。
ここで心解脱・慧解脱揃い解脱の完成とするのはよいのだが、だからと言って
心解脱はまだ解脱ではないと言うのはあまりではないか?
ペテン大作さんは心解脱をいつ得たのか読み誤っているのです。

69 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 09:05:39.92 ID:vjvbsic3.net
>>61 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:22:54.21 ID:axq5gd5W
>深山さんがいくらジタバタしても、
>経典で比丘が解脱(心解脱・慧解脱)するのは、四聖諦を知った後です。
>あなたが、どんな理屈を並べようが、この事実は変わらない。
>だから「心が安定し」には解脱の意味はありません。

これを読むと、ペテン大作さんは三明の観察を経て四聖諦を知った後に心解脱が慧解脱と一緒に得たかの
ように解釈し、つまりそれまでは心解脱も得ていないとみなしたことになる。
ところがペテン大作さんの引用した文章はそうは書いていない。

>諸漏から心が解脱するので、心解脱を示す。
>四聖諦を知るならば、無明が捨断され 、無明を離れて慧解脱を具足する。

>よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

これです。上記は私は先に心解脱を得た人が智慧観察により四聖諦を知り、慧解脱を得て
ここに心解脱・慧解脱の両方を具足した仏陀になると読む。
だから心解脱と慧解脱の両方備わった時点を最高とするのはかまわないが、
心解脱の表現を解脱と認めないのはいかがなものか?
ペテン大作さんは深山さんを大笑したが、相手を見下げて大笑するような話にはならず
単にそれだけの違いなんです。
しかしペテン大作さんの文章読解力は心解脱は四聖諦を知って初めて得るもので
それまでは解脱など少しも得ていない、これがわからないのは馬鹿だと無知を晒した。
やはり馬鹿は死ななきゃ直らない。

70 :一来補:2015/09/10(木) 11:06:12.61 ID:Yq0dS96E.net
心解脱とは欲漏滅のことです。
慧解脱とは無明漏滅のことです。
心解脱=欲漏滅=渇愛煩悩滅
慧解脱=無明漏滅=四諦体得

岩波仏教辞典の「修行」の説明には、
「初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地にたっすること」
とあります。煩悩滅も、苦滅という目的ののためにあるのです。だから、煩悩滅を達成したという場合には、苦滅も達成したということなのです。深山ユビキタスくんは、そこの理解が不足と見えます。

修行の目的は苦滅、ということです。
これも前からレスされていることです。
桐山師のいう煩悩解脱は小解脱、因縁解脱が大解脱というのは、因縁解脱が苦滅、ということです。

71 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:43:28.90 ID:axq5gd5W.net
>>68>>69
「正念正知」は慧だと誤解していたことを指摘され、報復に、
ダラダラした論文の感想文を書いて相手を非難するような馬鹿者は、
無視するに限る。

72 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:44:05.16 ID:axq5gd5W.net
@現法涅槃は想受滅の境地

生存中に涅槃を体得することを現法涅槃といい、
バラモンたちは、それを色界四禅の境地だと見なしていた。
これに対して、釈尊は想受滅の境地を現法涅槃だと考えていた。
ブラフマジャーラ経の中で示される、釈尊の説く現法涅槃とは、

「色界四禅の他に無色界の空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処
を具足して住し、さらに想受滅を具足して住して、慧をもって観察し漏を滅尽すること」
(『ゴータマ・ブッダ考』並川孝儀、大蔵出版、94頁)

ブラフマジャーラ経(梵網経)は沙門果経と共に、
教義的・実践的に最重要な位置を占める経典です。

“想受滅に住して、慧を持って観察し漏を滅尽する”

ここに原始仏教のエッセンスがあります。


@深山さんは学生自体の癖が抜けないみたいです。

仏教辞典を持ち出して、単語の翻訳ばかりしているのは、
きっと学生自体の名残りなんでしょう。
あなたが非常に勉強家で優秀な学生だったことは分かりますが、
単語を追っかけてばかりいると、全体が見えなくなります。
若き日の管長猊下を見倣って、もっと色々な本を乱読して、
物事の全体像を掴む練習をすることを強く強くお勧めします。

73 :一来補は岩波仏教辞典信者さん!:2015/09/10(木) 11:49:12.21 ID:UUyEAu0s.net
>>70 :一来補:2015/09/10(木) 11:06:12.61 ID:Yq0dS96E
>岩波仏教辞典の「修行」の説明には

一来補欠、おまえまだ岩波仏教なのかよ
じじいだからそれで今生もせいちょうしねえでおわりだな
ほんと云うセリフがダセぇな〜〜

だから桐山は仏教者でもなければ坊さんでもないと云ってるだろ
まだ分からねえのかよ
桐山のいう因縁はインチキ、他の宗教やむかしの霊学本からとってきたまがい物
桐山は因縁など切れません、運命転換などできません
桐山は運命がみれると豪語しているが念力護摩同様、衆人の前でやらないだろ
自己申告で諸人の前でやったと云っているが、あれは完全に嘘だね

一度やってみせる、そういうときには必ず嘘と薬品使用などのトリックがある
それが桐山靖雄のやり口だ 麻原の空中浮揚と同じだな

ありもしない因縁解脱を仏教だと言い張るクズ野郎の一来補欠クソ爺
早く死ねばいいのに お陀仏になったら赤飯炊くね

74 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:03:27.69 ID:dLU+iURv.net
>>72 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:44:05.16 ID:axq5gd5W
>@深山さんは学生自体の癖が抜けないみたいです。

私から、アゴン宗の議論をしようともしない卑怯者だと
嘲笑われても、ペテン大作さんはいっさい無視して、
四禅の話を執念深く書いている。
彼が作った四禅解脱というリング以外では勝負できないからです。
リングというよりも巣穴です。
実際には四禅解脱のリングでさえも彼は勝ってなどいない。
学者の説を自分勝手な解釈を加えて、さも自説が正しいかのように、
書いているだけです。
そのリングから出たら、彼の自慢の勝利は雲消霧散する。
アゴン宗スレなのに、彼はアゴン宗の議論するわけにはいかない。

学者本を並べて、番号を付けて小難しい言葉を並べると、
自分ではすっかり仏教や解脱の意味を理解したかのように錯覚している。
視野が狭いと指摘されたら、少しは自分の欠点を自覚すれば良いのに、
彼は桐山さんや一来補さんと同じで、注意され、自分の間違いを認めるのが
死ぬほど嫌いです。
こういう性格で仕事をしたら、職場で彼らがどうであったか、想像がつく。
桐山さんがその手本を示していることを信者さんたちは気が付いていますか。

75 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:08:56.02 ID:dLU+iURv.net
信者さんたちは「桐山ゲイカは成功者だ」というだろうが、
それはアゴン宗という詐欺宗教での成功者、つまり人を騙すことに
成功したのであって、通常の意味での成功者ではありません。
桐山さんの人生を良く見てほしい。
現実世界のどこで桐山さんは成功したのだ?
桐山さんの人生で現実社会の集団に参加したのは学校時代と、
商売をしていた時代だけです。
学校時代は、運動は抜群だったが、学業の成績は悪かった。
だから、公立の中学に受験さえもできず、私立の三流に入った。
三流とは私が言っているのではなく、桐山さんがそのように書いている。
彼の最初の現実社会の集団であった学校では劣等生です。

戦争中は他人の血で家が豊かだったから、小説家を自称して遊び人をしていた。
小説をいくつも出したというならともかく、
芥川賞くらい取れる小説を書いた、なんていう自己申告しかない。
小説家仲間だった俳優の故・金子信夫さんは、桐山さんの
小説を見たことも、また桐山さんが結核だったことも知らなかった。
もちろん、桐山さんの小説が芥川賞の候補になったこともありません。
たった一人から、芥川賞が取れる、などとおだてられて、
すっかりその気になっているのだから、現実社会を知らない人です。
芥川賞が取れるという話をした人は、桐山さんの小説が不十分だから、
それを直させるために、まずおだててその気にさせようとしたのでしょう。
ところが、現実社会を知らない天井知らずの煙は、オダテだと
気が付かず、本当に取れると思い込んだ、というか、今でも思い込んでいる。
信者さんたちはこの人を賢い人だと思いますか。
桐山さんは小説を発表しているが、何かの賞に推薦されたなんて話も聞かない。
小説家としての才能が凡庸だからです。

76 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:14:39.55 ID:dLU+iURv.net
桐山さんが現実社会ともろに関わった結果が偽ビール事件です。
どんな言い訳をしようが、偽ビールは偽ビールです。
桐山さんは、インスタント・ビールを造ろうとしたと書いている。
信者さんたちはこの言い訳を鵜呑みにせずに、醸造とは
どんな許可が必要なのか、調べてみることです。
日本酒のメーカーを買い取っても、ビールを醸造するには別途、
税務署の許可がいるし、まず下りない。
試験醸造でも税務署の許可がいる。
普通でさえもこんなのは許可がおりないのに、ましてや桐山さんと一緒に
仕事をした連中は密造酒の前科を持っていたから、
名前を出したら、絶対に許可など下りません。

インスタント・ビールなんて信者さんたちは、誰でも考えそうだと思いませんか。
だが、現実にそれができたのは、だいぶん後になってからです。
誰もが考え付くが、税制題から日本の醸造の許認可制度が厳しすぎて、
できなかったのです。
こうやって検証すれば、インスタント・ビールの話なんて嘘だとわかる。
単に、密造酒を造って一儲けしようとしたにすぎません。
いくら戦後の混乱期でも、密造酒は犯罪です。
桐山さんが現実社会で選んだ仕事を見ても、彼が一般社会で
通用する人間かどうか、わかるではありませんか。

77 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:19:53.51 ID:dLU+iURv.net
桐山さんが実社会に出て何をして、どうなったかを良くみることです。
ビール会社を興し、創業の社長になり成功しましたか?
会社を作ろうとして失敗しただけならまだ良い。
彼はビールを造ろうとしたのではなく、犯罪を選んだのです。
桐山さんは、踊りと字以外は誰も負けないと言っていた。
だが、桐山さんは現実社会である学校や仕事の分野では
人並みのことさえもできなかったのです。
学校の成績がひどく悪く、お金があっても遊び人をして、
お金がなくなり働くと、犯罪を選んだ。
これが桐山さんが現実社会や人間と関わった結果です。
信者さんたちは、良くこの現実をまず見ることです。
桐山さんは人並みの能力すらも疑われる。
だが、彼には一つだけ、一般人にはない才能があった。
嘘をつき、人を騙す能力です。
その才能は子供時代から発揮され、小学校の先生が見抜いていた。

「小学校五、六年の時の担任の奥主謹二先生という方で、卒業の時、父を呼んで次のように
言われたそうである。
「この子はよく注意して育ててください。非常に偉い人になるか、さもなければ、
大変な悪人なるか、いずれににしても中途半端な人間にはならない子ですから、
くれぐれも気を付けてください。」」
『現世成仏』21頁

78 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:25:29.37 ID:dLU+iURv.net
「非常に偉い人になるか、さもなければ、大変な悪人なるか、」

普通の知性のある信者さんなら、先生が何を言いたいかわかりますよね?
偉人になると予言したのではなく、大悪党になる危険性があるから、
気を付けて育てるように親に警告したのです。
悪党になるとだけ注意すれば角が立つから、二つを並べただけで、
先生は、悪党になると注意したのです。
桐山さんによればとても良い先生だったのに、どうして
これほどのことを親に警告したのでしょう?
今日の桐山さんを見れば、先生が何を危具したかわかる。
大人顔負けの嘘つきです。
平然と堂々と嘘を並べ、ばれても恥じることもなく、また次の
嘘をつき続ける様子が、先生の目には尋常凡庸ではないとわかったのです。
そして、その後の人生を見れば、先生の危具と予想は当たっていた。

桐山さんは宗教詐欺師として成功を納めた。
先生の危具どおりになった。
桐山さんは、仏教と似て非なるアゴン宗を作り、人々を騙している。
偽ビールと同じです。
桐山さんは現実社会ではまったく通用せず、宗教詐欺の分野で初めて成功した。
ヤクザの親分も成功のうちだというなら、桐山さんは成功者です。
しかし、普通はヤクザや宗教詐欺師として成功することを社会的な成功とは言いません。

79 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:31:35.80 ID:dLU+iURv.net
「非常に偉い人になるか、さもなければ、大変な悪人なるか、」

ここで信者さんたちにもう一つ気が付いてほしいことがあります。
目的を間違うと、目標には到達できないという点です。
桐山さんは形なりにも仏教を標傍し、解脱を目指した。
本人は解脱したと宣言したが、もちろん嘘です。
解脱の意味を間違えて、解脱できるはずがない。
桐山さんの本音の目的はエラクなり、社会に復讐することです。
こういう薄汚い本音をもったまま仏教に関わった結果が、
外道の教祖に成り下がった。
しかも、桐山さんは阿含経という釈尊直説の経典を旗印に
していながら、外道まっしぐらです。
ものすごい皮肉だと思いませんか。
大乗仏教を旗印にしたのなら外道もわかるが、釈尊本人の教法を目の前にして、
それを他人に解説しながら、本人は外道になり果てた。

同じ事がペテン大作さんでも起きた。
ペテン大作さんも求道心があるから仏典も買ったし、学者の本も読んでいる。
だが、彼がここに来る目的は求道心からではなく、深山をぶちのめしたいからです。
その結果が、ここで仏教を理解している人から、懇切丁寧に仏教を解説
されても、彼は聞く耳を持たないばかりか、漏尽定で解脱するとか、
二禅で解脱しているはずがない、などと失笑するような無知と無理解を
披露しながら、逆にお説教を始める有様です。
桐山さんもペテン大作さんも仏教を道具にして、
自分の欲望や鬱憤を晴らそうとした結果がこの有様です。

80 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:36:07.24 ID:dLU+iURv.net
「非常に偉い人になるか、さもなければ、大変な悪人なるか、」

桐山さんはエラクなり復讐したい、ペテン大作さんは深山をぶちのめしたい、
という本音の目的があり、仏教を手段にしている。
釈尊を刀代わりに斬りつけている。
だが二人とも、釈尊の本当の教法が目の前にあるにもかかわらず、
まったく見当違いな仏教を本当の仏教だと信じ込んでいる。
この二人の有様を信者さんたちに良く見てほしいのです。
本音の目的があまりに不純だと、本当の仏教には到達できない。
それは信者さんたちにも当てはまる。
自分は何のために、阿含経を護持して如来の教法を実践するというアゴン宗に
いるのか、自分に再度質問してみることです。

「桐山ゲイカを信じているのであって、オシャカなんてどうでも良い。
嘘だろうかデタラメだろうか、ゲイカを信じて付いてく」
という信者が大多数だろうし、別に構わない。
昔の歌に♪地獄のはてまでついていく♪というのがあったから、
ご希望のように輪廻転生をなさると良い。
だが、中には釈尊の教法を学び、正しく理解したい、という信者さんもいるはずです。
本音の目的があまりに不純だと、目の前に釈尊の教法があっても見えない、という
桐山さんとペテン大作さんを反面教師、他山の石にしてほしい。
因縁解脱、死者成仏、霊障のカルマとの戦い、成仏リキ、三福道などという意味も
良くわからない事を目的や手段にしているうちは理解できません。
仏教を理解するだけなら十歳の子供でもできる。
だが、その簡単なことを桐山さんもペテン大作さんもできないという現実を
よおく見て、参考にしてほしい。

81 :一来補は深山さんの爪の垢を煎じて飲めさん!:2015/09/10(木) 12:58:53.39 ID:UUyEAu0s.net
深山さんは大きな仕事をしていると思うね
桐山靖雄のことをこれだけ分析して書ける 大したものです

まあ人生の無駄時間とも言えようが、それだけ宗教詐欺師である桐山邪教教祖の
影響は社会的にあるということでしょうね

桐山靖雄は自分のことを猊下と呼ばせ、阿闍梨さまと呼ばせているが
坊さんでもないし(私度僧モドキ)阿闍梨でもないし、猊下でもない
単なる邪教の教祖(詐欺師)なんでね

能力というのは恐ろしいもので、パンフレットこさえたり、出版に興味が
あったからああやって駄本を書いてせっせと詐欺を展開した。まあ天性の詐欺師だね。

掲示板でこのように何年も書き込みして、いよいよ桐山もヨレヨレなんで
阿呆宗の先も無いでしょう。信者になる人は激減して、どんどん縮小されて
ゆくでしょう。

その実現のための効果は掲示板にはあるね。
和田財務婆やイエスマンたちでは対応などできはしないし
しょせんインチキ、ちゃんぽん、まがい物の宗教だからね
末路は哀れなものでしょう

82 :深山と愉快な仲間たち:2015/09/10(木) 13:41:19.51 ID:Zx9GxQhD.net
恐ろしき、阿含宗、桐山靖雄(偽仏)・・・
偽仏の説く成仏法は、恐ろしい生物(偽仏)を造ってしまう。
オームができた時点で、阿含宗の修行結果は出ています。
麻原(偽仏)に続き、阿含宗が偽の仏教教義、教団と知りながら
いまだに阿含宗を擁護する一来甫は
本当に恐ろしい生物(偽仏)てっかwww

83 :一来補は深山さんの爪の垢を煎じて飲めさん!:2015/09/10(木) 13:57:45.48 ID:UUyEAu0s.net
一来補欠は偽佛ということすら おこがましい存在です

阿呆宗偽修行会員 一来補教2ちゃん主張末端会員 小桐山 人としてクズ偽物
というのが本当のところでしょう

偽佛というよりも偽物ですね!その点、桐山靖雄や和田財務ババアと同じ偽物です

84 :深山と愉快な仲間たち:2015/09/10(木) 14:23:42.53 ID:Zx9GxQhD.net
偽物ね! 了解です

85 :一来補:2015/09/10(木) 20:49:34.92 ID:Yq0dS96E.net
枝葉末節はどうでもよい。
桐山教法が阿含仏教であるのかないのか?
それだけが問題なのです。
阿含仏教から外れた教団は、偽仏教なので、桐山教法では

86 :一来補:2015/09/10(木) 21:02:47.72 ID:Yq0dS96E.net
85の続き。
偽仏教は、桐山教法ではなくて、桐山師の
人格などに話題を逸らして本質を誤魔化す
のです。深山くんのようにね。

我は、一貫して因縁解脱は阿含仏教の涅槃で
あることをレスしている。事実だからね。
そして、その正しさに対抗出来なくなると、
議題を逸らして桐山師の人格云々という。

人格などはどうでもよい。
教法の是非を問いなさい。

87 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 21:15:52.24 ID:21fHE34L.net
>>57 死後に良い霊位供養を受けた人から感想を聞くべきだな。
 聞いた話を少々漏らす。生涯に是という悪を為さない一般の普通人達の場合は
良い綺麗なお風呂に入れてもらい垢や汚れを洗い流した後に洗濯の出来上がったた
清潔な衣類を着せて貰ったような気持ちになり爽快なのだそうですよ。

 日本人の信仰の基盤にあるのは御先祖崇拝信仰であると断言できる。
僧侶が死者の供養をせねば彼らが宗教者として食えて存続できないのが日本である。
神道では死者は年月を経て「神上がり」し先祖霊となり尊崇の対象と化す。
日本仏教はこのような日本人の要求と深層意識の上に成り立っている。
全国各地に存在する神社の御祭神には、祟り神と成った人達が神名を授かり
長年祭られ神徳を仰がれる形になった事例が多々ある。<菅原道真をみよ>
これは神道法式の「解脱供養」と見ることも苦しからずと言えよう。
神道と仏教の融合が今後は改めて無理なく進むのが日本人の信仰形態といえる。
廃仏毀釈政策は行き過ぎた江戸時代の寺壇優位政策のためであったがその後の
明治国家による神道尊重は過激で無理であった。
全国の神社と融和しながら調和を選択するアゴン宗は誠に賢明とわたくしは思う。
 
深山氏一党は経験なかろうかな?修行を年月重ねていると必ず尋ねられる。
仏さんの供養にお経が上げられますか?これに曖昧な返事しか出来ないと
「この男は駄目だな」一蹴されて以後、話題にもしてもらえないのである。
「我が家で怪我人が出るのだが何か在りますか?」是も同様である。
世間のお役に立たない思想や信仰はゴミ同然であるのだ。
そのお前は如何か?最初を文章4行を見るべし。

88 :一来補:2015/09/10(木) 21:24:11.30 ID:Yq0dS96E.net
ビール会社を起こし、なんて、半世紀以上
前の話しなどどうでもよい。
釈尊がさとりを得たのは、出家して10も経って
いない。
10年前は、酒池肉林、釈尊なんて飲んだくれで、
不特定多数の娘とセックス三昧の奴だったと、
釈尊を妬む奴はいうだろう。

過去を問うな、愚か者よ。
現在を問え。

89 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 21:53:38.00 ID:vjvbsic3.net
>>88
在家の時はセックスもしていたことと、偽ビール事件をいっしょにしますか?wwww
偽ビールについては過去の話だけだったら問わないが、アゴン宗管長になって以降も
十界修行とか、話を美化したり、言い訳ばかりして反省のない点を指摘しているわけだ。
つまり現在形です。

90 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 21:59:42.15 ID:E3oujUwt.net
>81 :一来補は深山さんの爪の垢を煎じて飲めさん!:2015/09/10(木) 12:58:53.39 ID:UUyEAu0s
>深山さんは大きな仕事をしていると思うね 桐山靖雄のことをこれだけ分析して書ける 大したものです

元カルト信者の阿含宗低能批判者が褒めたって駄目でしょwww やれやれ。どんだけ低能同士で褒め合えば気が済むんだよ。醜悪すぐる。w

91 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 22:02:20.58 ID:vjvbsic3.net
>>70 一来補 2015/09/10(木) 11:06:12.61 ID:Yq0dS96E
>心解脱とは欲漏滅のことです。
>慧解脱とは無明漏滅のことです。

はい、そうです。
ところがペテン大作さんによると心解脱は解脱ではないのだそうでして。
あるいは心解脱とは、最後の三明の時に慧解脱と同時にチャチャッと得られて
解脱ラインは1つでなければならぬそうです。
三明の前に心解脱すら得てないとなると、心解脱とは心に貪著を離れるというものだから
釈尊が三明観察に入る前の四禅のところで「心が安定し…小さな煩悩も離れ」と
説いたことは嘘になる。

92 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 22:28:20.10 ID:sDG4Gia4.net
そうですねユビキタス殿も時々風俗通いしながら2chを書いてますから
在家なのか?はたまた 三宝に帰依していないマニアの非在家なのかは知らんけどw

93 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 22:38:09.34 ID:vjvbsic3.net
>>71 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 11:43:28.90 ID:axq5gd5W
>「正念正知」は慧だと誤解していたことを指摘され、報復に、
>ダラダラした論文の感想文を書いて相手を非難するような馬鹿者は、
>無視するに限る。

ははあ?感想文のところしか読んでないわけですね。
正念正知が慧に分類されようがされなくてもどうでもよいが、それではあなたが示した
ニカーヤ論文の「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」の慧は
沙門果経の段階的修行道のどこに記述がありますか?示してください。
三明も慧だが、しかしこの三明の智慧を駆使する前に、沙門果経は「心が安定し…煩悩を離れ」
と書いている。つまり「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」は
少なくとも四禅記述よりも前でなければならない。
そこには定だけでなく慧もあり、相互に影響し合っていると言う。
だからその箇所はどのあたりか、慧は何を指すのか指摘してご覧なさい。
無視するのは自由ですよ。
ギャラリーの人たちが「答えられないからなんだ」とあなたを嘲笑するのも自由なんだから。
自分のアタマで考えられないペテン大作さん。

94 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 22:39:57.43 ID:vjvbsic3.net
>>92
喪に服するなんて気持ちはこれっぽっちもないのだが、最近行っとらん。

95 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 22:52:26.95 ID:aZpjrHYv.net
>>88過去を問うな、愚か者よ。現在を問え。

【密教占星術T】
この術、難解にして学ぶ者絶え、幻の運命学と呼ばれる。わたくし、浅学を
かえりみず、いま、ここに、六巻に分けてこれを説こうとする。−中略ー
ねがわくば、世のひと、全巻完成まで数年の時をかしていただきたい。

はいっ、何十年かかっているのでしょうか?「中途挫折の因縁」
現在進行形wwww。

96 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 22:55:47.36 ID:dLU+iURv.net
>>88 :一来補:2015/09/10(木) 21:24:11.30 ID:Yq0dS96E
>ビール会社を起こし、なんて、半世紀以上
>前の話しなどどうでもよい。

偽ビールの件が「どうでもよい」?「過去」??
これがアゴン宗の重大な霊障教義と知らないとは驚いた。
アゴン宗の霊障教義の話の元は桐山さんの刑獄の因縁です。
『修行者座右宝鑑』にも載っているくらい重要な内容です。
その刑獄の因縁の元の話が偽ビール事件です。
「現在を問え」って、以下のように、今でもそれが重要な教義です。

インスタントビール造りに投資したら、堤青年のまったくさっぱり
全然知らないうちに、主犯格の男が勝手に偽ビールとして売ってしまった。
純情な文学青年の堤青年は逃げ損ねて、犯人に仕立てられ、当時はドブロク
で死者が出たこともあって、一罰百戒のみせしめにされて実刑をくらった。
何もしてないのだから、無罪を信じていた純粋な堤青年は
この時初めて刑獄の因縁の恐ろしさを知った。
後にオシャカの成仏ホウで霊視能力を獲得した時、祖父が上意討ちした18人の
霊障武士が全員桐山家に祟り、桐山さんには刑獄の因縁となって現れたとわかった。
堤青年のように、どんなに心がけが良く、心正しい人間でも、刑獄の因縁があると、
自然にそうなってしまうのだ。
桐山ゲイカの法リキをもってしても、18人の霊障武士を成仏させるのに三年もかかった。
ああ、霊障って怖い、なんと刑獄の因縁とは恐ろしいか。

97 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 23:00:12.30 ID:CLyuOFYC.net
頑張れ。阿含宗など一撃で倒せ。

98 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 23:04:45.61 ID:dLU+iURv.net
>>88 :一来補:2015/09/10(木) 21:24:11.30 ID:Yq0dS96E
>過去を問うな、愚か者よ。

これがアゴン宗の霊障教学の元となった事例です。
偽ビール事件こそが霊障がいかに恐ろしいか、教学の重要な証拠なのです。
こんなことも知らない「愚か者」は誰だろう?
一来補さんは偽ビール事件が霊障教学の証拠であることも忘れていたのでしょう?

あなたみたいな信者が時々いて、前科を出すと「またその話か。
罪を償った者に対して、何度鞭打てば気が済むのか」なとど
桐山さんの自己弁護の口まねをする。
だが、前科や偽ビールを出し、これをアゴン宗の重要な霊障教学の
事例として『修行者座右宝鑑』にまで書いて信者に学ぶように
指導しているのは、桐山さん本人ですよ。

批判側ではなく、信者側こそが前科と偽ビールを積極的に出して、
出して、出しまくって、霊障と悪因縁の恐ろしさを説くべきです。
今回の沖縄護摩だけでなく、アゴン宗のイベントのほとんどすべてが
霊障のカルマを解くと称している。
集金集客のメインを為しているのが霊障です。
信者なら積極的に霊障の恐ろしさを話して、死んだ連中はみんな霊障の
ホトケなって、霊障という毒ガスを出して、生きている人たちを
苦しめるだけでなく、様々な自然災害も引き起こすと説明してあげるべきです。
大雨の大災害も、大地震も火山の噴火も霊障のカルマであり、それを変えら
れるのは桐山ゲイカお一人だから、助けてもらわないと横変死するぞと説法するべきでしょう。
昔、実際に災害で亡くなった人のことを「ご宝塔の受け取りを拒否した」と
他人の不幸を利用して自慢していましたね。
霊感商法の重要な教義なのに、信者如きが「過去を問うな」などと、
何をマヌケなことを書いてるのだ?

99 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 23:07:33.64 ID:CLyuOFYC.net
細部の下らない話しにこだわるな。
根本教義の決定的誤認を突けばよいだけだ。

100 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 23:10:04.06 ID:dLU+iURv.net
>>88 :一来補:2015/09/10(木) 21:24:11.30 ID:Yq0dS96E
>過去を問うな、愚か者よ。

あなた方にとっては都合の悪い話なのですよね?
>>96にまとめた前科や偽ビール事件の話も実はたくさんの嘘があるからです。
桐山さんはいかにも純情な文学青年であったかのような説明をしているが、
実際は二度逮捕されても平然と偽ビール造りを継続していた。
ムショに入ったのは三度目の逮捕です。
「逮捕歴三回」、この見事な前歴を見れば、どこが文学青年なのだ?
偽ビールの原料の買い付けから、機械の購入まで全部桐山さんがしている。
彼が主犯格ではないことは確かだが、同じ穴のムジナです。
判決でも主犯格よりも刑罰が軽いから、桐山さんにだけ罪をかぶせたのではありません。
三度目の逮捕で裁判になっても開き直っていたから、弁護士も雇わなかった。
奥さんが歯科医なのだから、金銭的に困っていたはずはない。

事件に深く関わってすでに私文書偽造などの詐欺を繰り返し、
二度の逮捕でも懲りず、単なるドブロク作りではなく、キリンビールの偽物で
一般庶民を騙そうとした。
庶民にドブロクとして安く売るというなら、悪事でも罪は軽い。
これだけなら執行猶予だったでしょう。
だが、桐山さんは庶民そのものを偽物で騙そうとしたのです。
桐山さんの犯罪は酒の密造ではなく、人を騙す詐欺です。
裁判になっても反省すらせず、開き直りする堤青年に実刑が下るのは当たり前です。
何も悪いことをしていないのに刑罰にあったかのような言い方を
桐山さんはするが、今からみても妥当な判決です。

101 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 23:12:54.16 ID:x9HKvvDO.net
>>72 @現法涅槃は想受滅の境地
>生存中に涅槃を体得することを現法涅槃といい、
>バラモンたちは、それを色界四禅の境地だと見なしていた。
>これに対して、釈尊は想受滅の境地を現法涅槃だと考えていた。

梵網経(ブラフマジャーラ経)で釈尊は「我(アートマン)」と「世界」に関する
哲学的見解六十二種(六十二見)を網羅し、これを斥けています。
その斥けられた見解の中に現法涅槃論(五種)が含まれているのです。
釈尊は現法涅槃論を斥けています。
それらすべてが囚われた見地であることを指摘し、退けている。

六十二見は、ただ「接触」を縁として「感受」されただけであると断じ、「このように
囚われたこれらの見地は、これこれの行方、これこれの来世をもたらすであろう」と説いて
いるのです。つまり
感受に縁って渇愛があり、渇愛に縁って執着があり、執着に縁って生存があり、
生存に縁って生まれることがあり、生まれることに縁って老いること・死ぬことがあり、
愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生ずると説明しているのです。

そして、ここがもっとも重要なところですが、
如来(釈尊)は六つの接触の処について、集起と消滅と楽味と危難と出離とを如実に知って、
執着なく、解脱したと宣言しています。

102 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 23:13:35.78 ID:dLU+iURv.net
>>88 :一来補:2015/09/10(木) 21:24:11.30 ID:Yq0dS96E
>過去を問うな、愚か者よ。

最大の嘘が、一番重要な背景である18人の霊障武士の話です。
信州幕末には上意討ちなんてありません。
信州全体での幕末の死者が五十数人だというのに、
18人も切り殺されたら記録に残らないなどありえない。
完全な作り話です。

「上意討ち→霊障武士→霊障→刑獄の因縁→偽ビール事件→前科」

これが桐山さんが説明した前科の「縁起」です。
だが、上意討ちがないのだから、霊障武士もなく、以下同様に、
前科もないことになってしまう。
では、どの部分の縁起がおかしいのか。

A「上意討ち→霊障武士→霊障→刑獄の因縁」→B「偽ビール事件→前科」

Bは誰でも確認のできる客観的な事実だが、Aはすべて桐山さんしか知らないことです。
唯一確認できるのは上意討ちであり、これが実在しない。
つまり、A自体が桐山さんの作り話にすぎない。
だが、こうなると困るのがAにある霊障と因縁の話です。
どちらも嘘ということになってしまう。
そのとおりで、この縁起は次のようになる。

「上意討ちは嘘→霊障武士は嘘→霊障も嘘→刑獄の因縁も嘘」

霊障も悪因縁も桐山さんの嘘であることが縁起を使って証明された。
一来補さんもしっかりと勉強してください。

103 :Akishino Reeks☆[\(^o^)/]2ch.net:2015/09/11(金) 00:00:06.99 ID:Vg1vZglH.net
.
**********************
*◆号外!!速報!!◆*
*************************************************************
***★Σ(Д・;)『佳子さま』に『スキャンダル!!』 ★***暴露情報!!***
*************************************************************
■アイドル級の美貌を持つ『佳子さま』     ■『男性と"お付き合い"』も、そろそろあると、皆様お察しの事でしょう。
■そうなんです!!「男性との"お付き合い"」■・・・いや、【"お突き合い"】のお話が、急浮上です!!
■知られざる『佳子さま』の「男性事情」が明らかに!!

※知る覚悟はできていますか?下記を『Google』か『Yahoo』で検索して下さい。
↓↓↓検索キーワード↓↓↓
------------------------------
『眞子さま かれし』       ←漢字変換  
------------------------------
『佳子さま 眞子さま かれし』 ←漢字変換
------------------------------
『眞子様 かれし』        ←漢字変換
------------------------------

★上記で検索しますと、『1ページ目』か『2ページ目』あたりに、
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【婚約】秋條宮家の佳子様と眞子様・・・・・・・・【結婚】
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑が表示されます。
※留学中にクラブに出入りしたり不特定多数の男性と関係を持った詳細まで……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
https://sites.google.com/site/kimitujyouhou

104 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 07:50:24.07 ID:QC2YCJP9.net
 
深山の霊泉   http://tabico.jp/detail/hja314062/

105 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/11(金) 08:02:38.90 ID:A7D1MxK+.net
>>46 一来補 2015/09/09(水) 13:44:14.22 ID:9siiEvOe
>因縁解脱を理解しなければ、阿含経の何も知ったことにはならない。
>正しいことを知るに遅すぎることはない。知った時から恥をかくことはないだろうから。

このスレではそのような御高説は聞き飽きたので、もはやレスする気も起こりません。
そこで提案なのですが、2ちゃんねるに限らず、仏教一般のスレとか、原始仏教のスレに行って
そのような説を唱えて議論してみてはどうか?
阿含経を引っ提げて縁起解脱の根拠を示すのです。
相手は別にアゴン宗を退会したあなたのいう負け犬でもなく、普通に仏教に関心のある
人たちが集まるところだから、色眼鏡抜きに議論ができる。
色眼鏡を持たれない為にもアゴン宗信者であることは伏せた方がよい。
その方が教団にも迷惑が掛からない。あなたの場合。
ペテン大作さんに彼の自説をそのようなスレに誘導するのは無理だと思ってます。
彼はその実仏教などに興味はなく、ただ深山さん憎しだけでここに噛みつく霊障の生き霊だから。
その点あなたはそこまで強い怨念の霊障までには至っていない単なる暇つぶし、
かまってもらいたがりの不成仏霊だから、そちらに行っても自分の欲求を果たせる。
縁起解脱など一来補教の説を持ち出せば、あちらでも喧々囂々の大反響も想像される。
ここ以上に反論押し寄せるだろうが、しかしそれがあなたにとっての喜びともなりましょう。
いよいよ議論に励めばあなたの暇つぶしの欲求は満たされる。
世に正しい仏教を広めるためにも頑張って欲しい。

106 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/11(金) 08:26:43.12 ID:A7D1MxK+.net
一来補さんのような一来補教は問題外として、アゴン宗の信者さんはもっと広く
世間一般にてアゴン宗の具体的説を広める努力をしてはどうか?
例えば、アゴン宗では4年前の東日本大震災の津波被害も、もう20年くらい前より
予言しているのだと説く。
ならばその話はアゴン宗の道場だけでなく、その根拠となるある年の桐山さんの年頭の歌を添えて。
それはひょっとすると今回の茨城県や栃木県、宮城県あたりの大洪水も予知していたのかもしれない。
このような時代アゴン宗のような未来を見通す目を持った教団はもっと注目されて
世に出てもらい社会運動を展開してもらわねばならない。
今やネットの時代で心解脱と慧解脱なんかについてもネットの質問コーナーなどで見かける。
私は声を大にして言いたい。
アゴン経を依経として日夜活躍しているアゴン宗に聞けと。
アゴン宗の信者ならば誰もが阿含経にも精通しているはずだ。
阿含経に対する質問はアゴン宗に任せろと促したい。
また桐山さんは「変身の原理」を復刻した時に、これからの若者が読むべき
ゲイカのご著書とは?との質問に、「変身の原理」と答えた。
あの著書を復刻したということは過去形ではなく現在形としても、あの著書に書かれた
奇跡の事実を機能させるということです。
例えば足止めの法です。
あのような素晴らしい法があれば北朝鮮の拉致被害家族に対しても光明を与えることができる。
生きているのか死んでいるのか?いずれにしても足止めの法により大きく事態が前進するはずで
そうならなければおかしい。
いったい信者さんは何をサボっているのか?
私の方からもいろいろな所に宣伝啓蒙してみたい気持ちです。

107 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 11:33:37.28 ID:JE6wM5Jm.net
@深山さん、四禅解脱に執着してるのはあなたですよ。

>>74 :深山
>四禅の話を執念深く書いている。
>彼が作った四禅解脱というリング以外では勝負できないからです。
>リングというよりも巣穴です。
>実際には四禅解脱のリングでさえも彼は勝ってなどいない

何度同じ事を言わせるんだい?
いつまでも四禅解脱に執着してるのは私でなくあなたです。

>617 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 01:11:11.35 ID:SMys/4er
>「四禅で解脱した」という文字そのまんまが書いてないだろということですよね。
>いいでしょう。
>あなたがそこまで否定するなら構いません。
>最初からこちらのターゲットは「四禅で解脱」ではなくて「心が安定し」の方です。
>>56 :神も仏も名無しさん
>四禅で解脱したと言ったのは自分じゃない、釈尊が言ったのだ、と言いたければそれで結構。
>「四禅で解脱したとあなたが言った」とはもう言わないし、言う必要も無い。


>204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
私は、あなたのこの言葉をターゲットに決めた。
だから、あなたが四禅解脱と書いた、と言う必要は無い。
(実際は言ったも同然なんだが、本人が認めたくないのならそれで結構)

108 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 11:39:38.52 ID:JE6wM5Jm.net
@心解脱は四聖諦の後です。慧解脱も同じです。
>>69 :ユビキタス
 >よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。
>これです。上記は私は先に心解脱を得た人が智慧観察により四聖諦を知り、慧解脱を得て
>ここに心解脱・慧解脱の両方を具足した仏陀になると読む。
>>91 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 22:02:20.58 ID:vjvbsic3
>ところがペテン大作さんによると心解脱は解脱ではないのだそうでして。
>あるいは心解脱とは、最後の三明の時に慧解脱と同時にチャチャッと得られて
>解脱ラインは1つでなければならぬそうです。

次男坊の指切っ太はこう言いたいらしい。
「四禅が終わった段階(心が安定し)で心解脱をし、四諦の後で慧解脱する」
だがこれは誤り。

「このようにして 、心が安定し 、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ 、
柔軟になり、 行動に適し、 確固不動のものになると、彼は諸漏を滅する智に心を傾注して向ける」
その結果、四聖諦を知り解脱したのです。

四禅の後、「諸漏を滅する智に心を傾注して向けた結果」解脱したのだから、
四禅の段階で解脱したのではありません。
経典をよく読んでないね。
あわせて「Nikayaにおける止観の研究」6、7頁の解説もよく読むように。

109 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 11:41:11.92 ID:JE6wM5Jm.net
>>74>>80:深山
管長や私への中傷を並べてるだけで、反論と呼べるものは
>>79:深山
>その結果が、ここで仏教を理解している人から、懇切丁寧に仏教を解説
>されても、彼は聞く耳を持たないばかりか、漏尽定で解脱するとか、
>二禅で解脱しているはずがない、などと失笑するような無知と無理解を
>披露しながら、逆にお説教を始める有様です。

「漏尽定で解脱する」は、想受滅で漏を滅尽すると梵網経に書いてあるという話(>>72
「二禅で解脱しているはずがばい」というのは、
心の安定や清浄といった言葉は、二禅にも書かれているから、
解脱を表現しているわけではないだろう、という話(>>19
これについて、「失笑するような無知と無理解」と言ってるが、
何がどう無知で無理解なのか説明しない、いやできないのです。
だが、自分は常に正しい、議論に勝っているぞと読者に思わせなければならない。
強がっているわけで、こういうところ、実に子供っぽいですね。
>>19に対して、他には反論らしい反論は無いので認めたのでしょう。

110 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:03:31.20 ID:uW/H80G5.net
前スレ
>584 :一来補:2015/09/07(月) 09:39:46.79 ID:hhG1sdCZ
>般若心経瞑想法本の79ページから、自説経を引用して、縁起の法を解説しています。
>諸縁の滅尽=諸因縁の滅尽、であることが分かりますよね?因縁の滅=因縁解脱ですね。

珍しく本の題名だけでなく頁数を示したことを誉めましょう。
どうぞ、いつもこのように題名と頁数を示してください。

あなたは因縁解脱の阿含経における根拠を発見したと主張している。
だが、桐山さんがこの本のどこでそのように書いたのだ?
一来補さんの説によれば、桐山さんは自説経を引用して、
「縁起の滅=因縁の滅=因縁解脱」を説いたと言いたいらしい。
どこにあるのだ?
あなたが因縁解脱があるという阿含経を、桐山さんは引用しているのだから、
当然、そのような主張が詳しく語っているはずです。
どこにあるのだ?
ありません。
桐山さんの本に、「縁起の滅=因縁の滅=因縁解脱」なんて書いていない。
桐山さんがここで説明しているのは普通の縁起だけです。
縁起を断ち切る、縁起解脱、なんてどこにもない。

あなたもペテン大作さんも文章に書かれていないことを書いてあると主張する。
あるのは、あなた方の知性の低い勝手な解釈だけです。
余計な解釈はいらないから、文言そのものを出せと言われても、どこにも
書いておらず、あなた方の悪いに満ちた妄想だから、二人とも出せない。
そして、相手があきれて黙るまでガミガミと同じ嘘を繰り返す。
一来補さんが生きた不成仏霊、ペテン大作さんが生きた霊障のホトケとは
実に適切でそのものズバリです。

111 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:09:16.63 ID:uW/H80G5.net
>584 :一来補:2015/09/07(月) 09:39:46.79 ID:hhG1sdCZ
>諸縁の滅尽=諸因縁の滅尽、であることが分かりますよね?因縁の滅=因縁解脱ですね。

縁起解脱なんて言葉を一来補さんは開き直って使っているが、
普通の知性があれば、いくらなんでも言葉としておかしいと気が付く。
読んでいる信者さんたちも、因縁解脱に違和感がなくても、
縁起解脱には違和感があるでしょう。
だが、「因縁=縁起」なのです。
だから、因縁解脱とは縁起解脱です。
縁起解脱?縁起を切る?
言葉として変でしょう。

世俗的にも「縁を切る」とは言うが「縁起を切る」なんて言いません。
ところが、一来補さんによれば「縁を切る」=「縁起を切る」なんだそうです。
どこかの舞台で「お前とは縁を切る」の台詞を「お前とは縁起を切る」なんて
言ったら、観客は??で、俳優は監督から、もう少し日本語を学べと怒られる。
そのくらいアゴン宗の因縁解脱なんて言葉としてもおかしいのです。
もちろん、阿含経どころか、大乗仏教にも、インチキの多い日本の
伝統仏教にもありません。
なにせ桐山さんの発明、造語、オカルト仏教用語だから当たり前です。

112 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:17:14.42 ID:uW/H80G5.net
>584 :一来補:2015/09/07(月) 09:39:46.79 ID:hhG1sdCZ
>諸縁の滅尽=諸因縁の滅尽、であることが分かりますよね?因縁の滅=因縁解脱ですね。

自説経にも「縁の滅」つまり「縁を切る」は出てくるが、
「縁起の滅」つまり「縁起を切る」なんて出てきません。
こんなことは内容を考えれば当たり前で、「縁の滅」とは、
苦の元となった煩悩を滅するという意味です。

縁生「煩悩がある → 苦がある」

という縁起が成り立つから、苦を滅するには、煩悩を滅すれば良い。

縁滅「煩悩を滅する→苦が滅する」

信者さんたちに気を付けてほしいのは、この縁滅も縁起だということです。
縁生も縁滅もどちらも縁起です。
私は縁生、縁滅という表現を使いたくない。
なぜなら、誤解を招きやすいからです。
「縁起=縁生+縁滅」
であり、縁生も縁滅もどちらも縁起です。
ところが一来補さんは縁起と縁滅は別物だと信じ込んで、
何度、縁滅も縁起の一つだと説明されても受け入れない。
彼が桐山さんと同じで縁起とは何かを理解していないからです。
縁起を理解しているかどうかはその人の解説を読むとわかる。

113 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:22:46.35 ID:uW/H80G5.net
「これがあればこれがある。」(『般若心経瞑想法』82頁)

これは桐山さんが阿含経から引用した文章で、自説経ではないが、阿含経にあります。
しかし、とても誤解を招く表現なのです。
これだと、「AがあるからAがある」という意味不明の文章になってしまう。

おそらく釈尊がこれを説いた時、目の前にいる牛の親子を指して、
「これ(親牛)があればこれ(子牛)がある」と説明したのです。
前半の「これ」と後半の「これ」は別物です。
ところが、文言としては同じ「これ」だから、独り歩きしてしまい、
「コレがあるから、コレがある」などと、まるで摩訶不思議な神秘法則で
あるかのように受け取られてしまった。
釈尊が、縁起の重要性を説いているだけに、前のコレと後のコレが
どういう意味なのかと、とんでもない誤解が広がったのです。
だから、今の学者たちはきちんと意味を取れるように訳しています。

114 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/11(金) 12:27:20.72 ID:A7D1MxK+.net
>>108 神も仏も名無しさん 2015/09/11(金) 11:39:38.52 ID:JE6wM5Jm
>@心解脱は四聖諦の後です。慧解脱も同じです。

だとすると、
「このようにして 、心が安定し 、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ 、
柔軟になり、 行動に適し、 確固不動のものになると、彼は諸漏を滅する智に心を傾注して向ける」
の「付随煩悩を離れ」は嘘になるのか?
あなたは解脱にしても心解脱にしても慧解脱にしても、単語しか知らないんですよ。
黒猫のタンゴ♪タンゴ♪タンゴ♪
オッサンだから知ってるでしょ?
いるんですよね。こういう人って。黒板の板書とか忠実に書き写すんだが、
それだけしかできない。
つまり意味がわかってない。
ペテン大作さんに訊きます。解脱って単語の意味を説明してください。
いつ得るとか、そういう話ではなく、どんな状態になった境地なのかわかるように自分の言葉で。
心解脱は心に貪著を離れるとある。貪り、執着などの煩悩がなくなることです。
これを心解脱という。
付随煩悩を離れとはこの心解脱ではないとすると、どういう症状なんですか?書いてください。

115 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:29:25.09 ID:uW/H80G5.net
「これが生じるから、かれが生じる。」(『原始仏典6』(春秋社)58頁)

今は理解できるように、コレとカレで区別している。
さらに、コレもカレも抽象的だから使わないことをお勧めします。
「親牛が生じたから、子牛が生じた」と覚えれば良いのです。
縁起なんて簡単でしょう?
十歳の子供でも理解できることです。
そして、縁起を理解したら、この「縁起を切る(因縁切り)」とか
「縁起を解脱する(因縁解脱)」なんて、意味不明だと気が付きます。

縁起を理解したら、信者さんたちは再度桐山さんの
『般若心経瞑想法』の縁起の説明を読んでごらんなさい。
学者の説明を引用したり、難しい言葉はいろいろと並んでいるが、
何を言っているのか、さっぱりわからない。
桐山さんが縁起を理解できていないからです。
経典の中のコレの意味の違いを理解していないから、説明もしていない。
何かすごいホーなんだと本人は思い込んでいる。

「親牛が生じたから、子牛が生じた」、これが縁起だと理解してしまうと、
桐山さんの縁起の説明がおかしいとわかるだけでなく、
縁起(因縁)を切るとか、縁起(因縁)を解脱するなんて
仏教の言葉としては奇妙奇天烈、爆笑だとわかります。
縁起も理解できない桐山さんが、仏陀の智慧と言う高度の知性の
持ち主や、ましてや解脱者だと思いますか?

116 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:34:31.20 ID:uW/H80G5.net
>584 :一来補:2015/09/07(月) 09:39:46.79 ID:hhG1sdCZ
>諸縁の滅尽=諸因縁の滅尽、であることが分かりますよね?因縁の滅=因縁解脱ですね。

私は一来補さんを非難しているのではなく、誉めているのですよ。
あなたは上記の嘘でまた桐山さんを救うことができる。
三善根では桐山さんに新しい嘘を伝授したのではないか。
小桐山などと謙遜する必要はない。
準桐山、桐山補くらいの資格は十分にある。
桐山さんの隣に立つ成果を出した。
大いにホコリを持ちなさい。
桐山ゲイカが三福道の詐欺ネタの矛盾に困っている時に、一来補さんは「救った」のです。
しかも、ちょっと助けたなんてものではなく、
沈没しかけた三福道というアゴン宗の柱を救ったのだ。
すご〜い。
三福道とはアゴン宗の集金・集客教学の柱です。
それがインチキだとバレテしまい、桐山ゲイカは危機に陥った。
そこに準桐山の一来補さんが忽然と唐草模様のマントをひるがえして現形して、
「ゲイカ、ワヒにお任せあれ。ワビの新ネタの嘘で批判側など笑い死にさせてやります」と
三善根に二種類あるという新しい嘘を作り出した。
あなたは何度も私にこの嘘を主張していましたよね?
その嘘で桐山三福道を窮地から救ったのです。
一来補さんは桐山さんを救ったのです。

117 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/11(金) 12:38:50.11 ID:uW/H80G5.net
>584 :一来補:2015/09/07(月) 09:39:46.79 ID:hhG1sdCZ
>諸縁の滅尽=諸因縁の滅尽、であることが分かりますよね?因縁の滅=因縁解脱ですね。

一来補さんの栄誉の時は再び訪れようとしている。
因縁解脱の嘘です。
「親牛が生じたから、子牛が生じた」を切るとか、解脱するなんてありえない。
牛切り、牛解脱です。
さあ、アゴン宗は困ってしまった。
そこに再び、一来補さんが唐草模様のマントを翻しながら現れて、
「自説経に因縁解脱はある!」という新しい嘘ネタを提供した。
「縁起の滅=因縁の滅=因縁解脱」の嘘ネタです。
信者なんて愚か者が多いから、一来補さんのインチキには気が付きません。
信者なんてろくに読みもしないから、「縁の滅」と「縁起の滅」を
すり替えたなんて気が付きません。

平河出版社に売り込んで、次の阿含経講義の下巻には「縁起の滅」を入れ、
岩波仏教辞典を切り貼りして、学者が支持しているかのように
錯覚させるように、提言しましょう。
平河もこっそり一来補さんの三福道の嘘アイデアを盗むのはズルイですよね。
今度こそ、正当に評価させ、正当な報酬を得ましょう。
私が推薦文と感謝状の原稿くらい書いてあげます。
一来補さんてほんとうにすごい。
三福道と因縁解脱で桐山さんを救うのですよ。
あなたは再び、桐山さんを嘘デタラメで救うのです。
一来補さんのこれまでの人生はメタメタで、人々に迷惑をかけるばかりの
嫌われ者だったが、ついにあなたは桐山ゲイカの詐欺宗教を助けるという
大偉業を為す時が来た。
こういう仏教にかかわる大きな悪業を為せば、どのような報いが来るのか
興味があるので、ぜひやっちゃってください。

118 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 12:50:46.83 ID:JE6wM5Jm.net
>>66
>あなたは間違った解釈をしています。
>【四禅比丘】
>http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BB%CD%C1%B5%C8%E6%B5%D6
>四禅比丘の3種類の問題点を読み直してください。

“道元禅師の本巻で示した批判点は、まさに如来という存在を勘違いしている者への批判である。
如来を知らないからこそ、四禅比丘は増上慢を起こして、自らを如来であると誤解するのである。”
これは道元さんの解釈ですよね。

では、こちらを読んでください。

増上慢の比丘、阿鼻地獄に堕ちる
大智度論巻第十七(下)
ttp://www.geocities.jp/tubamedou/Daichidoron/Daichidoron11-20/Daichidoronn17b.htm#四禅の次第

仏弟子中にも、また有る一比丘は四禅を得たるに、増上慢を生じて四道を得と謂い、
初禅を得たる時には、是れ須陀洹なりと謂い、第二禅の時には、是れ斯陀含なりと謂い、
第三禅の時には、是れ阿那含なりと謂い、第四禅の時には、阿羅漢を得たりと謂い、
これを恃みて止まり、また進むを求めず。

命の尽きんと欲する時、四禅に中陰の相有りて来たるを見、便ち邪見を生じて、『涅槃無し。仏は、これわれを欺けり。』と謂い、
悪邪生ずるが故に、四禅の中陰を失いて、便ち阿鼻泥犁の中陰の相を見、命終わりて即ち阿鼻地獄に生ぜり。

で、こう書いた龍樹さんは、当然、沙門果経を読んでいたのでしょう?
ということですw。

119 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/11(金) 13:09:39.22 ID:A7D1MxK+.net
専門用語の単語でしか語れず、単語の意味もわからない痛いヤツwwww

学生「大作教授。疑問点があるのですが?」
教授「俺に質問するな!疑問を投げかけるな!俺の説いたことは説いた単語のままに受け入れよ。
俺自身単語以上のことはわからんのだ」

120 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 13:11:28.09 ID:JE6wM5Jm.net
@ よせばいいのに

114 :ユビキタス
 >>108 神も仏も名無しさん 2015/09/11(金) 11:39:38.52 ID:JE6wM5Jm
 >@心解脱は四聖諦の後です。慧解脱も同じです。
>だとすると、
>「このようにして 、心が安定し 、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ 、
>柔軟になり、 行動に適し、 確固不動のものになると、彼は諸漏を滅する智に心を傾注して向ける」
>の「付随煩悩を離れ」は嘘になるのか?
>付随煩悩を離れとはこの心解脱ではないとすると、どういう症状なんですか?書いてください。

医者でもない私に症状を訊かれても困るんだわぁ
Nikaya論文の作者も、他の学者たちも、この文言を解脱だと解釈してないのだから
「付随煩悩を離れ」も解脱だとは見ていないことになる。
そんなに疑問に思うなら彼等に訊いてみたらどうだ?
出版社に問い合わせてみたらいいだろう。
これを解脱だと言ってるのは、世界中を探しても、
深山と指切っ太と二、三人しかいないのだよ。
どちらが正しいかなんて考えるまでもない。
諦めなさい。 

♪馬鹿ネ馬鹿ネ よせばいいのに♪

121 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/11(金) 13:15:41.85 ID:A7D1MxK+.net
>>120
解脱の定義ぐらいどんな学者でも述べてるよ。仏教辞典しかり。
結局解脱の定義はわからないのですね?
なんだかわからないけど解脱という輝ける境地段階があり、そこの表彰台に立つのは
1回しかなく、お立ち台に立つまでは解脱していないと。

122 :一来補:2015/09/11(金) 13:57:19.83 ID:DiM3C74P.net
正しいことを知るのに、遅すぎることはないのですよ、深山くん。
因縁解脱を否定するのは、深山説であって、因縁解脱を否定している学者は、一人もいない。

縁起の法から解脱することが因縁解脱なのですよ。先日レスしたように、般若心経瞑想法本の79ページから自説経を引用して縁起の法を解説していますね。127ページには、「この十二縁起は、苦の生存、老死の苦から解脱することが目的だからである」と書いています。

このように、桐山師のいう因縁解脱は、十二縁起から解脱することなのですよ。
仏陀の真実の教えを説く中巻の160ページから「因縁因果の法則を超越する成仏法」として等見品を解脱しています。
これが因縁解脱です。

増谷先生の自説経の訳、
「諸縁の滅尽を知れるがゆえなり」です。

123 :一来補:2015/09/11(金) 14:10:45.96 ID:DiM3C74P.net
人が○○の因縁で苦しむのは、○○の因縁により、因縁因果の法則によって苦しむのである、というのが、桐山師の教法ですね。
だから○○の因縁を滅する、これを因縁を切るとか表現しています。
最終的には、因縁因果の法則を受けなくなること、これが因縁解脱ですよ、阿含仏教の涅槃です。

124 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 14:28:55.73 ID:EOAcvDEp.net
>>109
>「漏尽定で解脱する」は、想受滅で漏を滅尽すると梵網経に書いてあるという話

おどりゃ またウソハッタリこいてんな
並川学説ってよ けっこう他の学者から反証を
食らってたんだよな
そんでその想受滅で漏を滅尽すると梵網経に書いて
あるっちゅう話しは違うわあな
梵網経の意訳はだな 
如来によれば死後非想非非想論よりすぐれた諸々の知見が
あるんだがよ それら諸々の知見に執着することなくして
だからして解脱したんだぞ ってぇ話しなんじゃねえか
ようはどこまでいっても執着っちゅう煩悩を滅してるんだぜい
ってのよ
なあんも考えネエっちゅうことにも囚われないっちゅう
清らかな境地のことよ
しかも並川説っちゃ 想受滅を具足住し慧の観察をし
漏を滅尽であってよ 想受滅で漏を滅尽じゃあねえだろうに
想受滅をヨーガ式に理解しちゃうんからメ違えるんだっての
そんなもんはヨーガ ネエっちゃって
まあなんだ オメッチのはやっぱウソなんかい 
それんとも誤釈してんのかい
ついでに沙門果経の漏尽智ってえのはどんな智恵なんかい
ウソ百かいっチい これじゃ桐山センセだろがよ ってな
しかしよ桐山センセの因縁解脱っちゃ梵網経にも書いてネエよな

125 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 14:31:21.59 ID:EOAcvDEp.net
諸縁の滅尽=諸因縁の滅尽、であることが分かりますよね?因縁の滅=因縁解脱ですね。

エンギっちゅう悪さする奴がいるからそのエンギを
失くしっちまえばええんじゃから エンギ解脱だああ
って こいつ バッカじゃねえの
桐山センセは エンギ解脱ちゅうとるんかいのう
オレッチのガキん頃に 親カメこけたら子カメ孫カメ
ひい孫カメみなこけた ってのがあったけどな
ひい孫カメの原因は こけるっちゅうことだってか

だいてえがな煩悩解脱なんち意味アイマイ知らずに言葉を
ふりまわすから可笑しくなるんデェイってな
じっさいは煩悩を滅し尽くして解放されるっチわけだがよ
そん煩悩の原因がインネンっちゅう悪い奴なんかよって
んな訳ネエよなあ
どこの世界に煩悩の原因は縁起だあなんてアルんじゃい
苦しみのもとが煩悩だからそれを失くしちまえってのが
漏尽解脱じゃねえのかっての
なんで失くせるかっち言えば物事すべて原因があっての
結果じゃから 逆にその原因を失くせば苦っちゅう果も
消せるぜ ってのが煩悩解脱っチい言葉になったがぜよ
桐山センセの次期後継者って お山 なんだってな

>>105縁起解脱など一来補教の説を持ち出せば、あちらでも喧々囂々の大反響も想像される。

板を渡り歩ったオッレチに言わせりゃあ ジェったいムリだ
だあんれも相手ナシっちゅうか なんじゃ阿含宗かいって笑われるだけだな

126 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 17:02:29.04 ID:EOAcvDEp.net
心の安定 生活の安定

まあ屁理屈なんざよりもだ 煩瑣な階順位を与えたのは
後代の教義学者の仕事なりとは 中村説にあるんでい
畢竟 解脱なんざあ 仮死状態で安住することじゃあなくだ
オレ等が過ちを犯すかもしれないその一つ一つについて
不断に気づかっていることで 一つの戒めを守ることが
一つの解脱っちゃ解脱なんだよ ま 現在形だな
涅槃っちゃあな オレ等が不断に注意して実践していく
っちゅうことで それのみに尽きていることだわな
だから仏教っちゃあ オレなんかに連綿し到底やり切れんもんよ
それをあれこれっち 後世のアビダンマが省察しすぎてさ
ほんでもって仏教学っちゅう体系づくりが今も為されちゅうわけだ
想受滅っち用語だってな それのなれの結果だっち
しかし能々 難しく考えるんが仏極って思うところが落とし穴だ
じゃけん 桐山のような騙し宗教に踊らされちまうんがよ
ほんの仏教っちを知りゃあ とてもじゃなきゃ 付き合えんぞい
もちそれにも増して阿含宗なんぞにカネ絞り取られるなんざ
愚の骨頂だってな
その阿含宗の涅槃っちゃあ何ぞいか言うてみいや

127 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 17:40:22.87 ID:EOAcvDEp.net
>経典をよく読んでないね。
あわせて「Nikayaにおける止観の研究」6、7頁の解説もよく読むように。

なに言ってるんだっかはバングラデシュの首都だってな

よく読むべきはチンプン漢文の経典より
原初のパーリだろってな
仏教学じゃしゃあんめい
仏教は基礎から学んで理解し実践する
煩瑣な論理性は必要ネエんだが私怨が原因じゃ
どうたらこうたらくらいは難クセにはなるべ
いくら高度な瞑想だろうが出たらただの人っちゃ
いくらなんでもアヤがつかねえだろうし
だからどうせばいいかっちゃ実践し続けるしかネエ
これが解らなきゃ 豚に真珠猫に小判ってよ
全身無穢で心の安定を保ち続けるっちゃ
どうすればいいのかってもんがよ
仮死状態でカチンコチンでなら鋳物の仏像だがよ
んなら こんなのお頭もゲダツっちことになるんぜよ

128 :神も仏も名無しさん:2015/09/11(金) 22:32:56.69 ID:d4oLyOpH.net
>>123
ではアンタ因縁因果の法則をうけなくなったんだなw
それを目指して信仰ン十年やってきたんだろ
法則を受けなくなると頑固で無知で傲慢な人格になるんだなw

129 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 00:03:10.83 ID:mwRiaqAq.net
>81 :一来補は深山さんの爪の垢を煎じて飲めさん!:2015/09/10(木) 12:58:53.39 ID:UUyEAu0s
>深山さんは大きな仕事をしていると思うね 桐山靖雄のことをこれだけ分析して書ける 大したものです

元カルト信者の阿含宗低能批判者が褒めたって駄目でしょwww やれやれ。どんだけ低能同士で褒め合えば気が済むんだよ。醜悪すぐる。w

130 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 06:58:44.99 ID:URq1h71P.net
>>123だから〇〇の因縁を滅する、これを因縁を切るとか表現しています。

ふ〜ん、それで桐山の因縁が切れないのは何故だ?
阿含宗の因縁解脱がインチキだからでしょ(笑)

131 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 07:50:21.71 ID:hp8auTwG.net
 
深山洪水   http://product.dangdang.com/1305066031.html

132 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/12(土) 08:23:10.99 ID:Mjgb+36T.net
>>110 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2015/09/11(金) 12:03:31.20 ID:uW/H80G5
>一来補さんが生きた不成仏霊、ペテン大作さんが生きた霊障のホトケとは
>実に適切でそのものズバリです。

実は大作霊障を書きながら意識を念頭に置いていたのだが、霊障なんて用語が
一般名詞にすらならないものの、殊桐山霊障の観点から言うと、ペテン大作さんも
霊障にはなり得ないのですね。
桐山霊障とは生きている人に悪さ、悪い影響を与える存在だが、与え方がちと違う。
ペテン大作さんはもちろんこのスレにいるだけでは、うるさいなあと思うだけで
誰の人生も左右されません。
自らは尊敬する深山先生の口真似や引用をきちんとするきまりを遵守し、
深山さんに対抗しようという深山コンプレックスに支配されてますが、
我々には知ったことではない。
しかし前に書いたように、大作さんの女々しいほどに気持ち悪いほどに
しつこい怨念には犯罪の可能性すら感じ、リアルであったら刺し殺される
のではないかと思われる。
これが本当に実現して私や深山さんが大作さんに刺し殺されたら、大作霊障を
受けたことになるだろうか?
実は大作さんが死亡した霊だとしてもその例では桐山霊障は成立しない。
桐山霊障はその人の主体的な意志、行動を支配するものです。
つまり桐山霊障が成立するためには、大作さんの怨念を受けて、私が深山さんなり
誰か他の人を刺し殺さねばならない。
桐山さんは法話で述べていた。幽霊なんてものは薄気味悪くあっても決して怖くない。
幽霊ではない霊障が本当に怖いのは自分の運命がその霊障に左右され支配されるからだと。
つまり霊障は祟る側よりも祟られる側の意志、行動の方が問題なのである。
これが夢遊病者のごとく支配されて、あるいは夢遊病者の症状自覚もなく
あくまでも自分の意志で深山さんを刺し殺したくなり刺し殺してしまう、
しかしてその意志と行動の背景には見えないペテン大作さんの支配がある、
とこういう話にならないと桐山霊障にはならない。
こうして改めて見ると桐山霊障とは世間の幽霊の祟りとも異なるかなり特殊で
想定が困難無理で、これが本当ならあくまでも自己責任を問う釈尊の姿勢にも
そぐわぬ反仏教になる。

133 :一来補:2015/09/12(土) 10:37:33.31 ID:4Utu10WC.net
因縁解脱も縁起解脱も意味は同じだよ、馬鹿者よ。何度もレスして教えているだろ。
桐山師も本に、因縁因果の法則を超越する成仏法、と書いているだろ。因縁解脱とは、因縁因果の法則を超越すること、なのです。
本当に批判派は馬鹿者しかいないな。

だが、正しいことを知るに遅すぎることはない。出直しは可能なのである。
阿含仏教とは、因縁因果の法則から解脱することを説いたものですよ。

134 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 10:53:22.78 ID:ZCtrZift.net
>119 :ユビキタス
>専門用語の単語でしか語れず、単語の意味もわからない痛いヤツwwww

単語の意味もわからない痛いヤツとは、指切っ太君のことです。
心解脱は四諦を知った後だということが理解できたかな?
夏休みの作文を書く前にもっと注意深くお経を読みましょう。

135 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 10:57:47.46 ID:ZCtrZift.net
@解脱の根拠は「小さな煩悩も離れ」だけだった。

>>39 :深山
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>今回彼は「心の安定」に噛みついている。
>彼は必死に学者の本を調べ、「小さな煩悩も離れ」を無視して、
>学者の文言で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、「心の安定」に噛みついた。

深山さんが「心が安定し」の文言を解脱だとする唯一の根拠は、
「小さな煩悩も離れ」が解脱であるという彼自身の解釈です。
彼は自分の解釈を根拠にしているのです。
しかし、仏教学者たちで「心が安定し」の文言を解脱だと解釈する人はいません。
この事実を知れば、普通は自分の解釈を疑うでしょう。
学者はプロであり、自分は一介のアマチュアに過ぎないからです。
ところが、深山さんは、あくまでも自分の解釈が正しいと信じて疑わない。
ここに彼のカルト性を強く感じます。

136 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 10:58:44.66 ID:22Pzu6EZ.net
>>122 :一来補:2015/09/11(金) 13:57:19.83 ID:DiM3C74P
>因縁解脱を否定するのは、深山説であって、因縁解脱を否定している学者は、一人もいない。

そのとおりで、学者たちは因縁解脱なんて言葉さえも知らないから、
否定のしようもない。
月にウサギがいないという学者の論文がないから、
一来補さんには、月にウサギがいるというのが正しい知識なんですね。
釈尊は日本酒を飲むのを禁止していないから、糖尿病になっても桐山さんも
一来補さんも飲み続けるのですね。
有名美人女優が一来補さんと結婚したくないと表明したことはないから、
一来補さんは彼女と結婚できるらしい。

「否定していないから肯定している」なんておかしな理屈は
一来補さんの世界でしか通用しません。
その証拠に、現役時代も今も、現実世界ではあなたを誰も相手にしない。
なぜだと思いますか。
あなたのその屁理屈、小理屈にウンザリされられるからです。
あなたにいくらその理屈が成り立たないことをこんなふうに説明し、
反論しても、あなたはまったく無視して同じ主張を偉そうに説教する。

幸い、あなたは周囲の人たちの反応を読むだけの能力がない。
周囲がウンザリして沈黙したのを見て、自分の知性の前に
周囲が感服して言葉もないのだと勘違いする。
あなたの屁理屈に周囲は一度は反論し注意する。
だが、二度目は苦笑いして相手にするのをやめる。
立場が上で気が短い者はあなたを怒鳴りつけ、
そうでない上司も、最終的にあなたを仕事仲間から排除するしかなくなる。
それをやられたから、あなたはカウンセリングを受けるほど追い込まれた。
その時が人生の学習をするべき時だったのだが、あなたはそれを選ばずに、
アゴン宗で因縁解脱して見返してやる道を選んだ。

137 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 11:00:12.08 ID:ZCtrZift.net
@仏教を理解したら「四禅で解脱する」なんて言うはずがないそうです。
これを>>19の※「心が安定し」が解脱ではない理由に追加します。

>145 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/26(水) 12:26:27.93 ID:NA6tB3fv
>私は「四禅で解脱する」などと主張したことはない。
>あなたには理解できないだろうが、仏教を理解したら、
>「四禅で解脱する」なんて言うはずがないのです。

深山説を唱える本人が言うのですから、これほど確かなことはありません。

138 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 11:02:05.29 ID:3U8dj/9g.net
>>122 :一来補:

正しいことを知るのに、遅すぎることはないのですよ、一来補くん。
因縁解脱を肯定するのは、桐山と一来補くらいであって、因縁解脱を肯定している学者は、一人もいない。

桐山の因縁が切れないのは明々白々。
すでに阿含宗の因縁解脱はインチキだと証明されていますから(笑)

139 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:03:54.19 ID:22Pzu6EZ.net
>>122 :一来補:2015/09/11(金) 13:57:19.83 ID:DiM3C74P
>因縁解脱を否定するのは、深山説であって、因縁解脱を否定している学者は、一人もいない。

桐山さんと一来補さんは馬が合うのです。
それは煩悩解脱(漏尽解脱)よりも因縁解脱が大好きだという点です。
煩悩解脱と因縁解脱は名前はどこか似ていても、内容は正反対です。
煩悩解脱は欲望を抑えることであり、因縁解脱は欲望を成就させることです。

煩悩解脱と因縁解脱では、対象も正反対です。
煩悩解脱の対象は「自分」です。
因縁解脱とは、一見自分のようだが、実際は前世の自分、運命や先祖など、
「自分以外」です。
それは今の沖縄護摩が霊障のホトケや霊障のカルマを対象としているのをみれば十分です。
桐山さんの霊障武士の話も、結局、桐山さんは自分以外の、祖父、
武士たちの霊障、彼らが作った刑獄の因縁、さらには神仏の十界修行などと、
様々に作り出しているが、結局「自分以外」です。

釈尊は、煩悩にこそ原因がある、と述べている。
その煩悩とは他人の煩悩ではなく、「自分」の煩悩です。
悪因縁という前世の自分の作った物でもなく、先祖や死者たちの
祟りという自分以外ではなく、自分の煩悩のみが対象です。
だから、アゴン宗のいう霊障のホトケである肉段を見ても、
釈尊は存在を認めただけで、害悪も成仏の必要性も説いていない(好戦経)。
肉段が「自分」ではないからです。
こういう目で釈尊の次の言葉を読んでみれば意味がわかります。

140 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:09:24.15 ID:22Pzu6EZ.net
「わたくしは自己に帰依することをなしとげた。」
(大パリニッバーナ経、ブッダ最後の旅、中村元、97頁)

学者たちはこれを哲学的な解釈を加える人が多いが、
釈尊の修行の対象が自分のみであったことを見れば、
そのことを指しているのだとわかります。

しかし、一般人にはこれくらい嫌なことはない。
あるがままの自分を観察し、自分の煩悩を減らし無くすなんて、
普通の人なら一番やりたくないことです。
何かもっと便法はないだろうかと誰しも考える。
二千五百年間、それを仏教徒はやり続けた。
その最初の歪みの大成が大乗仏教です。
桐山さんは仏教を理解していないから、智慧ではなく慈悲を説いたなんて
ピンボケな指摘をしている。
慈悲で他人を助けることで自分も救われるというのだから、
「自分」から「他人」に見事にすり替えたのが大乗仏教です。
だから、あれは仏教ではない。

アゴン宗もまた大乗仏教と同じ事をしていることに
信者さんたちは気が付いていますか。
因縁解脱や霊障解脱、カルマを断ち切るという今信者さんたちが
していること自体が「自分」ではなく、「自分以外」ですよね?
慈悲で「自分以外」を救うのが大乗仏教なら、
成仏リキで「自分以外」を救うというのがアゴン宗です。
両方とも、上記の釈尊の「自分」という対象から外れている。

141 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:16:06.62 ID:22Pzu6EZ.net
「わたくしは自己に帰依することをなしとげた。」
(大パリニッバーナ経、ブッダ最後の旅、中村元、97頁)

桐山さんの修行法と称する内容もすべて「自分以外」です。
彼が持っていないチャクラやクンダリニー開発をすることで、
彼が持っていないカルマを断ち切る力を得て、彼ではないカルマを断ち切り、
彼ではない死者も成仏せるというのですから、全部「自分以外」です。
一方、釈尊の説く八正道の対象はことごとく「自分」です。
煩悩はどこからか獲得しなくても自分の中にすでにある。
特殊な技法などなくても誰でも自分の煩悩は確認できる。
八正道も説明されれば十歳の子供でも理解できる内容であり、
指導者の力や助けではなく、自分で実行することを求められる。

桐山さんが修行法と称するから一見、同じようにみえるかもしれないが、
桐山さんは「自分以外」からの特殊な力によって解脱すると説いている。
だから、何か特殊な大系だった修行法を「自分以外」に求める。
四神足は八正道にすぎないのに、前者を法であり、後者を教えにすぎないと
いうのも、四神足が神通という「自分以外」の物が獲得できるように見えて、
八正道はもろに自分を何とかしなければならないからです。
八正道は桐山さんが一番やりたくないことをやれと説いているから、唾棄した。

142 :一来補:2015/09/12(土) 11:17:08.96 ID:4Utu10WC.net
我には、○○の因縁があった。
今は、その因縁はほぼ切れた感じがしている。
あとは、たいしたことのない因縁が、
いくつか残っている感じだね。

桐山師のいうおしゃべりの因縁とか、
食いしん坊の因縁とかはジョークですよ。
深山くんなどは、馬鹿真面目だから、
ジョークが分からないのです。
普通の知恵がないからでしょう。

143 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:22:01.71 ID:22Pzu6EZ.net
「わたくしは自己に帰依することをなしとげた。」
(大パリニッバーナ経、ブッダ最後の旅、中村元、97頁)

ペテン大作さんもまったく同じ間違いをしている。
解脱する道を自分以外に求めてるから、八正道がそれだと
言われても、まったくピンと来ない。
何か特殊な瞑想法という技法によって解脱するのだと信じているから、
その技法がどこにあるのかと必死に学者の本を読んで、
九次第定の漏尽定で解脱するのだと主張している。

他の信者さんたちは、桐山さんと同じ誤りだと気が付きませんか。
瞑想のポーズでプラーナをクルクルと巡らすと、チャクラが開き、
ある朝、明星が来影して、その瞬間、「我、解脱せり」と確信して、
感涙にむせびながら、朝日を拝む、なんて妄想している。
桐山さんがまさにそういうシーンを描写している。
釈尊の解脱のシーンがドラマチックだから、こういう想像をしているのだろうが、
アニメや映画の見すぎです。
解脱がこんなものなら、どうして阿含経にはたくさん出てこないのだ?
比丘や比丘尼の解脱にドラマチックな話が出てきてもいいのに、皆無です。
どれもこれも地味で、ビビッと来たなんて一つもない。
こういう現実の阿含経を読んだら、自分の考えている解脱と違うのではないかと
普通の人は「自分」を疑うのだが、ペテン大作さん、一来補さん、宝生さんは
まったく「自分」を疑わない。

144 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:27:09.93 ID:22Pzu6EZ.net
「わたくしは自己に帰依することをなしとげた。」
(大パリニッバーナ経、ブッダ最後の旅、中村元、97頁)

解脱を衛星を打ち上げるみたいに、解脱の軌道に乗ったら、
安住の境涯に到達するなんて思っているからです。
だから、衛星を打ち上げる技術やロケットがあるに違いないと愚かな人たちは探し、
それが四神足や漏尽定だなんてピンボケなことを言う。
釈尊の説く解脱とは、衛星のように何か技法で解脱という軌道に乗るのではなく、
八正道で煩悩に囚われない状態を必死に保ち続けることです。
解脱という特殊な境涯や境地があるというよりも、
煩悩に囚われない状態を持続し続ける行為を解脱と言っているのです。
涅槃という平らな境涯があるのではなく、煩悩という砂でできた斜面を
下に落ちないように必死に這い上がり続けることを解脱というのです。
砂だから、ちょっとでも気を抜けばたちまち足を取られて滑り墜ちる。
実際、滑り墜ちた解脱者がいました。

愚かな人たちは、その砂の斜面を駆け上がれる車(技法)があると思って、
車が阿含経のどこにあるのかと探し、それが四神足や漏尽定だと信じ込む。
そんな技法はありません。

四神足や瞑想などの技法で解脱という境涯に達する、などと説く人がいたら、
その人が大学者だろうが、大阿闍梨だろうが、仏教を理解していない人です。
煩悩に囚われないどころか、煩悩をむき出しにして誇る桐山さんが
解脱などしていないことは素人でもわかる。
ペテン大作さんが毎日長時間瞑想しても何も得られないことは、
今の彼の書き込みを見れば素人でもわかる。
彼らは解脱どころか、仏教の入口にさえも入っていません。
これは他の信者さんたちも同じです。

145 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 11:45:22.76 ID:3U8dj/9g.net
>>142 :一来補:
>我には、○○の因縁があった。
>今は、その因縁はほぼ切れた感じがしている。
>あとは、たいしたことのない因縁が、
>いくつか残っている感じだね。

切れたと桐山さんから指摘されましたか?
「はほぼ切れた」はあなたの妄想であり希望なんでしょうねw

もっとも、切れていない桐山さんから指摘されても意味ないよねw
だって詐欺師ですから。

146 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 11:59:14.78 ID:RxN8Z0Yk.net
初関を通るをこう表現した人がいる。
参考にされたし。
🔷
悟りに到達すれば、全ての公案は必然自明のごとく判然とするので、
公案に向かう必要も、挑む必要も生じないことが自ずから知れるので、
数々の公案に向かうこと自体わたしには解せない

147 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/12(土) 12:47:05.50 ID:Mjgb+36T.net
>>134 神も仏も名無しさん 2015/09/12(土) 10:53:22.78 ID:ZCtrZift
>単語の意味もわからない痛いヤツとは、指切っ太君のことです。
>心解脱は四諦を知った後だということが理解できたかな?

ほらね。皆さんご覧あれ。
心解脱という単語の意味を解説するかと思ったら、心解脱を得る時期しか示しませんよね。
心解脱という単語の意味は四諦を知った後という意味なんだそうです。
解脱という単語の意味、何がどうなることなんだかも未だに1回も示しませんよね。
時期の話しかできないのです。
内容は知らないのです。知りたくないのです。知っていても語りたくないのです。
議論の上で都合の悪いことがあるから。

148 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 13:01:49.66 ID:RxN8Z0Yk.net
はっきり言うておく。

本流を得ようとせず囮にばかり目を奪われていると
真実は宿らず初関は透過できない

149 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 13:03:59.49 ID:3U8dj/9g.net
>>147
>解脱という単語の意味、何がどうなることなんだかも未だに1回も示しませんよね。
>時期の話しかできないのです。
>内容は知らないのです。知りたくないのです。知っていても語りたくないのです。
>議論の上で都合の悪いことがあるから。

そんじゃペテン大作ちゃんと議論する意味ないわなw
彼(彼女)の基本姿勢が十分にわかったんだから何を書こうが相手にせず
深山さんのようにこちらもスルーすればよい。

150 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 14:23:34.78 ID:mwRiaqAq.net
ハッスル低能=低能ハッスルwww 死ぬまでマスタベイションwww

>97 :神も仏も名無しさん:2015/07/29(水) 00:20:25.08 ID:0Jr7IUxD
>深山さんのスレよんでねえだとか言い出したw
>一番熱心によんでいるのおまえだろが国太郎wそしてあとでネタにして

こんな腐れ元信者のレスを熱心に読む暇が一般人にあるかよ。
あるならどうせカルト関係者だけだろ。そういうレベルの奴らしか読まないよこんなとこwww

>95 :神も仏も名無しさん:2015/07/28(火) 22:21:59.88 ID:fh0rSVfj
>深山さんがw田のことを書かれている本の紹介をしたとたん

オイオイオイオイwwwwww はやく出せよ〜 深山さんがw田のことを書かれている本の紹介をしたという
レス出せよ〜

出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、出せ、
出せよ〜www

逃げないでちゃんと出せよ〜www
あと、深山のレスを、そもそも読んでないので、ちゃんと読めと指示したりもすんなよ〜wwwwwwwwwwwww
あ、そのw田のことを書かれている本の紹介してるレスは 読むからさ〜ww

>166 : ユビキタス ◆18iA.mwnDU : 2011/11/06(日) 09:33:14.80 ID:HUHBlIIw [1/13回発言]
>特にここ最近は貼り付けの頻度が異常に多い。
>これは誰かが書いていたように、三福道の欺瞞ネタがアゴン宗にとっては致命的だからです。桐山さんが完全に嘘をついた証明だし。

ハイまた「妄想言い掛かり」出ましたwww 頻度が高いのを、三福道の欺瞞ネタを自分らが指摘したからだ〜と言ってますね。
しかし頻度が高い週間は他に幾らでもあるのに、わざわざ、三福道の欺瞞ネタ?に関連付ける。
思い込みや自己顕示欲が強過ぎるために起こる関係妄想の症状です。www

ま、元カルト信者なので、そういう症状を元々持っているのでしょう。www
あと、スレじゃなくてレスだからなww 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)


151 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 14:31:32.46 ID:mWENpIh5.net
https://www.youtube.com/watch?v=aAqzp2lV1Uw

元阿含宗信者さん、なかなかうまいことを言う。
深山さん、ユビキタスさん、どう思われますか?

152 :一来補:2015/09/12(土) 14:45:20.05 ID:4Utu10WC.net
145レス
あのね、○○の因縁が切れたかどうか?
なんてのは、人任せにしてはダメなのです。
例えばだよ、ガンを早期発見してさ、オペが
成功したとする。この場合、桐山師に尋ねる
までもなく、ガンの因縁があるわけだよ。

あとは再発しないように注意をしながら、
ガンの因縁を切る努力をするわけですな。
で、その後30年以上再発しなかったら、
だいたい、切れたと考えてよいだろうな。
医者には因縁が切れたかどうかは、分から
ないわけですよ。
因縁なんて、本人が自覚するようでなければ
見込みがないのでは、ですな。

だいたい、己の因縁も分からないで、
阿含仏教に入る必要があるのかい 。

153 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 17:26:23.22 ID:URq1h71P.net
>>152
だいたい、己の因縁もわからないで、
阿含仏教に入る必要があるのかい。

桐山は「脳障害の因縁」はないって言っていたけど、脳梗塞になったぜ。
己の因縁が分からなかったのね(笑)

154 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 17:53:01.31 ID:mwRiaqAq.net
ハッスルハッスル〜www

155 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 18:14:39.87 ID:mWENpIh5.net
いざわさん、村山さんに殺意を覚えたと、そして、テロリストの気持ちが
分かると言っていますが、深山さん、ユビキタスさん、元阿含宗信者
として、どう思いますか?

156 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 18:43:12.01 ID:9ESqto5A.net
はっきり言っておく。

真実(悟り)とは宿るものであり学ぶものではない。
新生(宿り)無しに神の国に入ることはできないと同義である。

157 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 19:27:59.68 ID:9ESqto5A.net
はっきり言っておく。

出家、殉教(肉体の死ではない)、割礼(心の割礼)は初関を意味するものであり
初関を通れば後は道に従うだけであり真実(悟り、宿り)や神の国への到達は必然となる。

入口にもいない者が出家者の掴んだ知識を振り回し
悪知恵のある者が悪用する現状に腹を立てるのも当然であろう。

宗教界全般に言えることである。

158 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 20:07:36.99 ID:VOryvdrl.net
印度の宗教家の話。
論じ終わった学者に向かいヨギが尋ねる。
それで貴方は神を体験しましたか?
仏教も同様、貴方は阿弥陀様を体験しましたか?薬師如来のお姿を
知っていますか?
観音様を見ましたか? 此れを回心というのである。

159 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 20:35:42.73 ID:9ESqto5A.net
ダルマに目覚めるということは、
特定の宗教指導者や教えに盲目的に隷属するようなことからは、
もっとも遠いものです。

形式に従い教えのみに隷属したニコデモの晩年の教えの通りです。

160 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 22:19:38.06 ID:LfF4Ja5Z.net
ほんとつじつまがあわない桐山因縁論をなんで絶対って信じているんだろうね
一来補という人わ
それが洗脳された信者というのかもしれないが矛盾だらけだろ
どうしてそんなのを信じられるのか?わからん?
基地外っていうレッテルを貼るのはたやすいのだが(低能者とかいう人みたいにね)
それじゃしょうがないだろ。

161 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 22:51:22.44 ID:VOryvdrl.net
>>160 君わ、今まで人生の選択を(進学、結婚、就職など)
 自分の意志で全部遣っていると思う?それなら100%とまでも言わないが
 思うとおりの人生を送っている筈だね、そういう立派な不幸と無縁な
 人は仏道に目覚めなくても良いのですよ。
 己の人格に不満と思うから努力するのが信仰です。

162 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 23:09:03.42 ID:URq1h71P.net
>>161そういう立派な不幸と無縁な人は仏道に目覚めなくても良いのですよ。

釈尊は釈迦族の王子として生まれ何一つ不幸なことと無縁な生活を送った人
ですが・・・仏道に目覚めました。
貴方の言っていることは間違っているのではないですか?

163 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 23:18:28.64 ID:0mS8DhE2.net
いや釈迦も不幸を知っちゃったからさ
幸福の絶頂から城の外へ出て不幸を見て

私も病気になったら、ああなるのか大変だ

私も年を取ったら、ああなるのか大変だ

私も死ぬ時が来るのか、そりゃあ大変だ

と悩み幸福から、どん底へ堕ちて悩んだんだけどね

164 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 23:43:19.61 ID:22Pzu6EZ.net
>>155 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 18:14:39.87 ID:mWENpIh5
>いざわさん、村山さんに殺意を覚えたと、そして、テロリストの気持ちが
>分かると言っていますが、深山さん、ユビキタスさん、元阿含宗信者
>として、どう思いますか?

二度の名指しなので返事をしますが、質問の意味が理解できません。
E沢さんがそのような発言をしたことに、なぜ関係のない私とユビキタスさんが
指名され意見を求められるのか意図がわかりません。
「なかなかうまいことを言う」(>>151)とあなたが書いているのだから、
あなたなりの何か意見があるのでしょう。
それをまず書いてはどうですか。

165 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:04:06.28 ID:dHN3VZcW.net
>>141 :深山
>八正道も説明されれば十歳の子供でも理解できる内容であり、
>指導者の力や助けではなく、自分で実行することを求められる。

それなら世の中は聖者の行進だ。

>>143 :深山
>ペテン大作さんもまったく同じ間違いをしている。
>解脱する道を自分以外に求めてるから、八正道がそれだと
>言われても、まったくピンと来ない。

八正道は螺旋的修行道、三学は段階的修行道。
そして両者は、修行内容が対応しています。
今回、批判側のお蔭で勉強しました。

>何か特殊な瞑想法という技法によって解脱するのだと信じているから、
>その技法がどこにあるのかと必死に学者の本を読んで、
>九次第定の漏尽定で解脱するのだと主張している。

私ではなくて釈尊が主張しているのです(どっかで聞いた台詞ですネ)
釈尊は現法涅槃とは何かと問われ、
「想受滅を具足して住して、慧をもって観察し漏を滅尽すること」
と説いているのです(>>72

166 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:05:39.21 ID:dHN3VZcW.net
>>101
>その斥けられた見解の中に現法涅槃論(五種)が含まれているのです。
>釈尊は現法涅槃論を斥けています。
>それらすべてが囚われた見地であることを指摘し、退けている。

その現法涅槃論(五種)というのは、バラモンの考えた現法涅槃でしょう。
釈尊はバラモンの現法涅槃を斥けたのであって、現法涅槃そのものではない。
違うというのなら、以下の記述はどう考えるのか?

「ブラフマジャーラ経の現法涅槃論の論点は五種の現法涅槃論が最上であるか否か
ということであり、それ自体の是非が問われているわけではないと考えるべきであろう。
批判の対象は、色界四禅など五つの宗教的境地を現世における涅槃の最上と見なすことにある」
(『ゴータマ・ブッダ考、並川孝儀、大蔵出版、93頁)

>>147 :ユビキタス
>ほらね。皆さんご覧あれ。
>心解脱という単語の意味を解説するかと思ったら、心解脱を得る時期しか示しませんよね。
>心解脱という単語の意味は四諦を知った後という意味なんだそうです。

なにが“ほらね。皆さんご覧あれ”だw
読者を味方にしようとしても駄目。
>>108に対して反論出来ないくせに勝ったような振りをするな。
心解脱の意味を今頃訊いて来るとは、駄目だねコイツ。
心解脱とは“諸漏から心が解脱すること”です。
そして、それは
「このように知り、このように見る彼は、欲漏からも心が解脱し、有漏からも心が解脱し、無明漏からも心が解脱する」
とあるように、四聖諦を知った後になる。
で、これが何だって言うんだい、次男坊さん?

167 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:06:45.47 ID:pAADPUvz.net
だから、長げ〜んだよ毎回 阿含宗低能批判者www ま、これしか生き甲斐ないからなあw

168 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:16:51.74 ID:dHN3VZcW.net
>>66 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 01:38:48.55 ID:x9HKvvDO
>あなたは間違った解釈をしています。
>>101 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 23:12:54.16 ID:x9HKvvDO
>釈尊は現法涅槃論を斥けています。

>>101さん
66に対しては、>>118で反論しました。
それに対して反論がありませんが、
納得してもらったということでいいですね?

169 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:19:47.13 ID:vKOfM3zb.net
梵も我も仏教は実在を否定する。
となると我も他人も実在ではない。

ならば何故、実在でない他人への自己救済(無明を解く行為)が必要なのか?
また善悪を正そうと戦うのか、おかしな話になるな。
ありのままを観よと逆じゃね

170 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:21:55.02 ID:dHN3VZcW.net
>>155

村山さん、深山、指切っ太には分からなくていいと思います。

171 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:32:01.57 ID:b9wE5++k.net
>>156
虎穴に入らずんば虎子を得ず

魂の理解は虎子を得るに同じ。
仏教の基本の無や空の認識はここに扉がある。

172 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 02:47:59.68 ID:dHN3VZcW.net
@私や仏教学者ではなく釈尊が述べているのです。

>>147 :ユビキタス
>解脱という単語の意味、何がどうなることなんだかも未だに1回も示しませんよね。
>時期の話しかできないのです。
>>149 :神も仏も名無しさん:2015/09/12(土) 13:03:59.49 ID:3U8dj/9g
>そんじゃペテン大作ちゃんと議論する意味ないわなw
>彼(彼女)の基本姿勢が十分にわかったんだから何を書こうが相手にせず
>深山さんのようにこちらもスルーすればよい。

あなた方は解脱の定義を私に言わせようとしている。
そして、「付随煩悩をも離れ」が解脱を意味するから「心が安定し」が解脱であると言いたい。
だが、この経典では「心が安定し」は解脱を意味していない。
私や学者が言っているのではない。
釈尊がそう述べているのです。
釈尊が「比丘が解脱するのは四聖諦の後である」と述べているのです。

【沙門果経】
“そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、また無明の漏から心が解脱し、
解脱したときに『解脱した』という智が生じます。
『生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされた。ここより他〔へ輪廻することはもはや〕ない』と知るのです。”

173 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 02:49:23.03 ID:dHN3VZcW.net
172の続き

そのように知り、そのように見るとは、四聖諦を知る(達観する)ことです。
これは苦である、苦の集である、苦の滅である、苦の滅へ至る道であると知り、
これは諸漏である、諸漏の集である、諸漏の滅である、諸漏の滅へ至る道であると知るものは、
欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、また無明の漏から心が解脱する。
その結果、解脱し、解脱したという智(解脱知見)が生じる。

釈尊はこう述べているのです。
釈尊は、比丘は四聖諦を知るから解脱するとはっきり書いている。
ところが、あなた方はこれを認めたくない。
認めてしまったら「心が安定し」が解脱でなくなってしまうからです。
そこで解脱の定義を持ち出して執念深く私に反論する。
解脱の定義というリング以外では勝負できないからです。
リングというよりも巣穴です。
そのリングから出たら批判側の主張は雲散霧消する。
仏教辞典の定義などを持ち出して自分ではすっかり仏教を理解したかのように錯覚している。
かつてあなた方のことを“木を見て森を見ず”と書いた。
目先に捉われて全体を見ていない。
私からこう指摘されたら、少しは自分の欠点を自覚すれば良いのに、
あなた方は注意され、自分の間違いを認めるのが死ぬほど嫌いです。
深山さんやユビキタスさんがその手本を示していることを読者さんたちは気づいていますか。

174 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 07:50:32.48 ID:B5K0Aat1.net
   
深山中的佛國秘境   http://hsiangyu51.pixnet.net/blog/post/106699757

175 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 08:47:44.23 ID:dHN3VZcW.net
>>173
>かつてあなた方のことを“木を見て森を見ず”と書いた。

木を見て森を見ずとは、物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。
深山やユビキタスの場合で言えば、

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
という文言に気を取られて、比丘がどこで解脱するかという経典全体の流れ
を見失うことです。

176 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 09:02:50.24 ID:b9wE5++k.net
>>175
それらは道に入ると必然に通る過程であり求める対象ではない。
多くの修業と称して行われていることは本末転倒、トンチンカンに見えます。

例えれば
送水管に入らんとし南瓜の馬車求むです。

177 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 09:19:26.82 ID:dHN3VZcW.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

今回深山さん等は「小さな煩悩も離れ」にしがみ付いている。
彼は必死に岩波仏教辞典学者を調べ、
解脱の定義で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、
「小さな煩悩も離れ」にしがみ付いた。
だが、「心の安定」は、第二禅にも出てくる表現であるから解脱ではない。
「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
であり、「心の安定」≠解脱なのだから、
当然「小さな煩悩も離れ」≠「解脱」となります。

これを解脱と見るか、見ないかは、各人の解釈の自由に任せる問題ではない。
釈尊は四聖諦を知った後で比丘は解脱するのだと述べているのだから
「小さな煩悩も離れ」は解脱ではない。
深山さん等の、解脱の定義から引用した都合のいい言葉の解釈を信じるか、
釈尊本人の言葉を信じるかといった、各人の自由に任された問題ではない。
経典の記述から離れた解釈をしたら、もはや仏教ではなくなってしまうからです。

178 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 09:37:32.13 ID:b9wE5++k.net
悟りや解脱を何やら夢のようなものと思い描き
出家者の通ったと言われる道における要所を書物で知りまねる。

しかし初関から悟りまでの道は送水管の一本道で出口と入口は一つ。
例え10m間隔で記されている出来事を全て試しても至れない。

入口に入るために南瓜の馬車は要らない
>>176

179 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/13(日) 10:03:02.02 ID:Xh1RZhiP.net
そう言えば昔、罵倒明王というハンドルの奴いたな。
今、鹿沼市営球場で馬頭・那須・那須海城連合チームを見ていて思い出した。
馬頭と言ったら観音なのだが。

180 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 10:10:05.11 ID:w/DciK8x.net
>>178
日本の神道では産道に例えられている一本道ですね。
>>171

181 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 10:33:18.04 ID:D/i/4tXx.net
>>177
仏教解釈を議論する時は、まず、桐山さんの解釈を示してもらえないだろうか。

182 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 10:46:44.15 ID:b9wE5++k.net
桐山君は本末転倒のトンチンカンではないか?

183 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 10:48:51.96 ID:vpmPB2QH.net
大東洋と愉快な仲間達12着目
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1440199744/?v=pc

184 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/13(日) 11:51:29.88 ID:X6u9iRCA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

ペテン大作さんは夜も朝も必死に、スレの主旨とは何の関係もない話を書き続けている。
その元は、「深山は四禅解脱を主張した」という根拠のない話を証明するためです。
私は書いていないし、私から証拠を出せと言われて、もちろん彼が示せるはずはない。
また、こんな議論はスレの主旨とはまったく関係ない。
アゴン宗の話をしてはどうかと提案しても、卑怯者の彼はいっさい応じない。

あまりにしつこいから、私が彼への反論のために出したのが上記の一文で、
これは解脱を表しています。
私がレスを付けるのは、ペテン大作さんではなく、他の信者さんたちのためです。
仏教を理解したら、他人に説明されてなくも上記が解脱を表していることがわかります。
上記の文章は試験問題のようなもので、これを解脱と理解できない人は
仏教の解脱を理解していないことになる。
信者さんたちも、これがどうして解脱なのか理解できませんよね?
仏教を理解していないからで、だから、アゴン宗にいられるのです。
何を信じても自由だが、まずは釈尊の説いた仏教を正しく理解することです。
ペテン大作さんみたいに自分で掘った穴に入り込んで、わめき散らし、
威張り、憎悪と無知を垂れ流してもはた迷惑なだけです。

185 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 11:53:16.84 ID:pAADPUvz.net
虎穴に入らずんば虎子を得ず。阿含宗低能批判者は、カルトに入信しても、とくに何も得ず。www

そして深山は、この低級カルトのカラクリに気付いたわけであるが、
馬鹿の中で自分が気付いたことで、安直にも自分を賢いと錯覚してしまった。

そして図に乗ってしまった。 愚かにも、一般人ではなく愚かな人々と自分を比べていることに
気付かず、孫悟空のように有頂天になってしまった。 そこで見つけたのが、この2ちゃんねるです。

カルトの正体を確認する段階で得た仏教知識を披露し、信者側が嫌がっているのを見て、
深山は大きな快感を得た。そもそも低級カルトの揚げ足を取るなんぞは深山でもできるレベルのお遊戯だから、

深山は調子に乗って、初めて自分が優位に立ち、相手を支配し、勝者になったような快感を得た。
それまでの人生ではほとんど味わったことのない支配欲と勝利感です。 その快感が深山の脳に強く刻まれ、

やめられなくなった。脳内麻薬がでる回路ができてしまったからです。 図らずも、この様態はカルトメンバーのそれと「同一」の中毒症状。
深山は、結局のところ、カルトを脱退しても、本質的にはなんら成長でき得なかった。

>62 :神も仏も名無しさん:2014/07/30(水) 21:56:33.81 ID:NeamAxw0
>阿含宗を擁護しようと思ったら荒らしして煙にまくしかありません なぜならばすべて嘘でつくられているものだから

そりゃあそうですよ 阿含宗低能批判者も、すぐ誤魔化し逃げますし。しょうがない奴ってのはいつも同じ有様です。w

>だから>60のような奴をつかって荒らしをおこなうのです。 でもそれはかえって自分の首をしめているようなものですw

自爆は阿含宗低能批判者に似つかわしい。何度も毎度、自爆している。すぐ語るに堕ちる。ww だから黙っていればいいのに。w
でも、黙ることもできない。すべてが中途半端。w

>223 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2014/08/06(水) 22:30:36.33 ID:ucbmWvNH
>>荒らしの相手をするとつけあがりますので、できれば放置でおねがいします。
>211さんの意見に賛成です。 放置しましょう。

無理です。 そんな高等テクニックは阿含宗低能批判者には使えないわけです。w

186 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/13(日) 11:56:59.79 ID:X6u9iRCA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

ペテン大作さんは何度説明されても、まったく仏教の解脱を理解できない。
この点だけは信者さんたちも同様なのです。
だから、彼の意味不明の長文はともかく、無理解ぶりを参考にしてほしいのです。
桐山さんと同じで信者さんたちも解脱を瞑想などの技法でやると信じている。
解脱を人工衛星の打ち上げみたいに考えて、ロケットに相当する技法は
何なのかと必死になって探し回る。
何度でも書きますが、釈尊の説く解脱とは人工衛星の打ち上げとは違い、
ロケットに相当する技法も、打ち上げのような派手なシーンも、
軌道に乗って関係者が拍手するシーンもありません。
経典を読めばわかるように、ひたすら地味です。

桐山さんも同様に何か技法で解脱するのだと思い込んでいるから、
阿含経のどこかにチャクラやクンダリニーの覚醒方法が
書いてあるのではないかと必死に探した。
だが、見つからない。
そこで、安那般那念経に呼吸が出てくることを見つけて、
桐山さんはこれを何種類もの呼吸法を説いたと説明した。
爆笑です。
あれは呼吸法を説いたのではなく、「どんな呼吸をする時も」という意味です。
その証拠に、呼吸の名称があるだけで、具体的な内容はありません。
「それは口伝だ」と信者さんたちは言うだろうが、釈尊の口伝が阿含経なのです。
釈尊自ら、隠し事はいっさい無い、内外を問わず教法を説いたと述べているように、
阿含経にあるのが、釈尊の説いたすべてです。
だが、そのどこにも解脱の技法に相当する物はありません。

187 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/13(日) 12:03:23.36 ID:X6u9iRCA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

桐山さんは、安那般那念経では呼吸の名称がただ並んでいるだけでは
説得力がないと、そこで出したのが止息経です。
四つの止息法を説いたとして、その名称を並べて見せた。
だが、止息経を見ればわかるように、止息とは息の話ではなく、
「息災」と同じで「止める」という意味です。
つまり、止息経は煩悩を止めるという経典です。
だから、桐山さんは止息経で最高級の呼吸法を説いたなどと書きながら、
その原文は引用していない。
原文を読めば、四つの最高の呼吸法などでないことがばれてしまうからです。

余談だが、ペテン大作さんもそっくり同じゴマカシの手法を使う。
漏尽定で解脱すると阿含経のどこにあるのか、と質問されて、
彼は経典名だけだして、本文は出さなかった。
そんなものないからです。
あるのは彼の勝手な解釈です。
その後で追及されると、「前に答えた」と逃げる。
こういう点だけは桐山さんの汚い手法を良く学んでいる。

桐山さんも阿含経から解脱の技法を探せなかった。
当たり前です。
存在しないのだから、探せるはずがない。
信者さんたちは私のこの説明を納得していないのはわかります。
なにせ、あなた方もペテン大作さんと同じで、桐山さんから四神足などの
特殊な技法によってチャクラを覚醒させて解脱するのだと教えられて、信じている。

188 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/13(日) 12:08:58.14 ID:X6u9iRCA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

桐山さんの示した、安那般那念経と止息経という結果をごらんなさい。
解脱の技法を示せなかった。
繰り返すが、安那般那念経には呼吸法なんてないし、止息経にも四つの
呼吸法なんてありません。
桐山さんの恒例の作り話、捏造です。
彼は解脱の技法を阿含経から見つけられなかったから、恒例の捏造に走ったのです。

桐山さんは阿含経から成仏ホウという技法を見つけて解脱したと書いたから、
その技法の記述を阿含経から示す必要に迫られた。
四神足ホウで神通力を得るという話は作れたが、肝心の技法が書いていない。
立宗した後、信者に解脱の技法の臭いだけでもかがせる必要があるのに、
いくら探してもないから、それをようやく出したのは十年近くも後です。
それを八科四十一道品なんて荒唐無稽な話に仕上げた。
だが、彼の出した安那般那念経にも止息経にもそんな技法はありません。
また四神足ホウで神通力を体得するなら、四つの神足と
安那般那念経や止息経とどう関係しているのだ?
あるいは四つの神足と三明六通はどう関係しているのだ?
まったく説明ができない。
存在しない技法をあると信じ込んで、説明しようとしてもできない。
この結果を見れば、阿含経にオシャカの成仏ホウなどという解脱の技法が
あるなんて嘘なのがわかる。

189 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/13(日) 12:16:56.09 ID:eJcKxGHE.net
「最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。」
(『ブッダのことば』中村元、44頁)

そろそろ信者さんたちも、特に自力で解脱を目指したい超能力派の人たちは
存在しない技法を探していることに気が付いたらどうか。
桐山さんから解脱の技法を教えてもらえると錯覚して、ずっとついて来た。
中には何十年も付いてきて、まだ桐山さんの解脱の技法という疑似餌に
食いつこうと必死になっている人もいる。
それで何を得たか、鏡をみたらどうか。
何かを得たのではなく、時間、お金、そして善意や釈尊への信仰心まで
桐山さんに貢いで浪費しただけです。
要するに、人生をただ浪費させられた。
今さら、引っ込みがつかないということなのだろうが、
白髪頭を振り乱して、相変わらず焚火をしてエラクなったつもりなのは
かなりミジメなだけでなく、間もなく人生が終わってしまいますよ。

他の信者さんたちにペテン大作さんを鏡として見てほしいのです。
彼は第二禅で「心の安定」とあるから、「心の安定」は解脱ではないと言う。
だが、上記を見てください。
釈尊は心の安定を解脱だと述べている。
ペテン大作さんは釈尊の言葉そのものを否定するほど、頑迷で私が憎い。
この両者の矛盾をペテン大作さんにいくら説いても無駄だが、
彼が何を誤解し、何を理解できないか、他の信者さんたちはわかりますか?
これまでの説明にその答えがあります。
ペテン大作さんは四禅や九次第定という技法で解脱すると信じ込んでいる。
それが事実ならたしかに二禅で解脱しているというのはおかしい。
だが、釈尊は「心の安定」を解脱だと述べている。
釈尊が間違っているのではなく、ペテン大作さんや信者さんたちが間違っているのです。

190 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:21:19.53 ID:dHN3VZcW.net
@深山さんは「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得た」と言ったのです。

>184 :深山
>ペテン大作さんは夜も朝も必死に、スレの主旨とは何の関係もない話を書き続けている。
>その元は、「深山は四禅解脱を主張した」という根拠のない話を証明するためです。
>私は書いていないし、私から証拠を出せと言われて、もちろん彼が示せるはずはない。

何度、同じ事を言わせるのでしょうね?w


>617 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 01:11:11.35 ID:SMys/4er
>「四禅で解脱した」という文字そのまんまが書いてないだろということですよね。
>いいでしょう。
>あなたがそこまで否定するなら構いません。

>>56 :神も仏も名無しさん
>四禅で解脱したと言ったのは自分じゃない、釈尊が言ったのだ、と言いたければそれで結構。
>「四禅で解脱したとあなたが言った」とはもう言わないし、言う必要も無い。

>>107 :神も仏も名無しさん
>204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
>私は、あなたのこの言葉をターゲットに決めた。
>だから、あなたが四禅解脱と書いた、と言う必要は無い。

あなたは、四禅解脱を主張したのではなく、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
と言ったのです。

191 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/13(日) 12:22:26.75 ID:eJcKxGHE.net
「この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。 」
(『ブッダのことば』中村元、44頁)

瞑想法やチャクラ開発という技法で解脱するのではありません。
八正道で解脱するのです。
だから、二禅で八正道を実践すれば解脱です。
食事で八正道を実践すれば解脱です。
四禅の高度の瞑想法の技法を体得しても、八正道を実践しなければ解脱できません。
だから、釈尊はアーラーラ・カーラーマから技法を習い体得したが解脱できなかった。

八正道とはいかなる時も煩悩に囚われないための実践法です。
アビダルマが好きな人は八つであることを重視する人がいるが、
八つは分類や切り口の一つであって、さして深い意味はありません。
だから、十正道があると前に一来補さんが指摘していた。
なんなら、三でもかまわない。
それが三善根です。
なんなら、一つでもかまわない。
道、悟り、涅槃、平安、解脱など何でも良い。
いかなる時も八正道を実践し続けること、それが解脱です。

こういう釈尊の解脱と八正道を理解したら、どうやって死者を成仏させ、
カルマを断ち切るために焚き火ができるのだろう?
八正道とは似ても似つかない、どこにも共通性もない。
柴燈護摩を阿含経にあるシャカの成仏ホウで行うって、
いくらなんでもおかしいと思いませんか。
八正道のどこを見ても、死者成仏、カルマ解脱、霊障解脱、柴燈護摩、
積徳行なんてオカルトが出てくるはずがない。

192 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:32:37.77 ID:pAADPUvz.net
>194 :Rashin:2014/08/06(水) 11:14:19.58 ID:7083b0Kb
>そんな桐山さんが、ブッダの知恵を持つなどあり得ない。

そりゃそうだろ。それを信者に説明して教師先輩面するのが楽しくてしょうがない。 というより他に楽しみは見つけられない。
そもそも、見つける能力も無いし、
カルト教祖のように愛人を囲ったり、優雅なレジャーを楽しむこともできない。(笑) だから、
カルトの稚拙な手口を謎解きし解説し、自己満足するしかない。

カルト元信者とは、いうまでもなく、大抵はこんなカルトにズッポリ心酔してた奴らなのだが、
その時点で愚かだと、彼らは気付かない。 まだまだ自分が一般人レベルだと勘違いしているのだ。(笑)
カルト信者というのは卑しい。そして低能。
卑しくて低能だから、カルトの、罠としての美辞麗句や美味しいご利益話に容易に喰らい付くわけだ。w
こんな簡単な理屈なら、低能でも理解できるだろう。

そんな低能のくせに、批判され言い返せないと、相手に対してそのまま「低能」と罵る。 罵ると言われるのも当然。彼らの言い分には、根拠や論拠が
ぜんぜん無いからである。あるとしても、ガタガタなものだ。
マトモな根拠や論拠を付けられないのである。 何故か。浴びせられる非難が、正当な根拠や論拠で成り立っているからである。(笑)

彼らは、低級カルトを、正当な根拠や論拠で論駁することはできるが、
それは一般には通用しない。 彼らは一般未満だからである。(笑)

カルトで、自らの愚かな心性を満たしていた彼らは、カルトのその手口に気付いて脱却したわけだが、
そもそもの低級心性はもちろん変質していない。 今度は、カルト批判という形で、その自己を「満足」させようとする。
どこまでも卑しいからだ。(笑)

そして成長も出来得ないから、その愚かさを保持したまま、今でもここで、
またその卑しさを満たそうとするのだ。(笑)
その卑しさを突けば、ボロがボロボロ出てくるので、カルト批判者を批判するのは、とても楽なのだ。(笑)

193 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:40:06.11 ID:/bbhslSn.net
真実(ダルマ)に目覚めるということは、
特定の宗教の教議や教えに盲目的に隷属するようなことからは、
もっとも遠いものです(入口出口)。

形式に従い教えのみに隷属する者はニコデモの晩年が示す通りです。

呼吸:吐かなければ吸えない道理
これは「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と同じ理

他人が答えを知っているか?真実の道において知るのは己のみです。

194 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:44:12.03 ID:dHN3VZcW.net
>>189:深山
>ペテン大作さんは四禅や九次第定という技法で解脱すると信じ込んでいる。
>それが事実ならたしかに二禅で解脱しているというのはおかしい。
>だが、釈尊は「心の安定」を解脱だと述べている。
>釈尊が間違っているのではなく、ペテン大作さんや信者さんたちが間違っているのです。

二禅で解脱しないのは、四禅や九次第定で解脱すると信じているからではなくて、
二禅が定(四禅)の途中だからです。
四禅の途中で解脱るわけないだろ?
その二禅に「心が安定」「心の統一」「清浄」という言葉が出てくる。
だからこれらの言葉に解脱の意味はありません。
釈尊が「「心が安定」を解脱だと述べているなんて100パーセント嘘です。
間違っているのは私ではなくあなたです。

195 :一来補:2015/09/13(日) 12:54:29.44 ID:JvG5DEW7.net
深山説はいらないのよ。
深山説は、経典から倫理道徳の部分だけを取り上げて、これが仏教だと主張しているだけよ。
しかし、それは仏教のほんの一部分だけです。
しかも、大した価値のない部分だけです。
そういう倫理道徳の教えは、釈尊以外の数多の
思想家が同じことを説いている。

阿含仏教のさとりは、苦と業と煩悩からの解脱
であることに価値がある、つまり因縁解脱です。岩波仏教辞典の「滅」の説明には、だ

「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃は滅」

196 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:59:14.72 ID:dHN3VZcW.net
>>191 :深山
>瞑想法やチャクラ開発という技法で解脱するのではありません。
>八正道で解脱するのです。
>だから、二禅で八正道を実践すれば解脱です。
>四禅の高度の瞑想法の技法を体得しても、八正道を実践しなければ解脱できません。

まるで第二禅や四禅の他に八正道があるみたいに書いているがこれは嘘です。
四禅は八正道の中にある「正定」に当たります。
だから四禅も第二禅も正定の中にある修行です。
嘘を書いて人心を惑わせないでくださいw

197 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:02:18.05 ID:dHN3VZcW.net
>179 :ユビキタス
>そう言えば昔、罵倒明王というハンドルの奴いたな。

言うことはそれだけですか?
悔し涙にくれる指切っ太でした・・・

198 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:02:45.50 ID:58t+T3CW.net
>>166
>その現法涅槃論(五種)というのは、バラモンの考えた現法涅槃でしょう。
>釈尊はバラモンの現法涅槃を斥けたのであって、現法涅槃そのものではない。
>違うというのなら、以下の記述はどう考えるのか?
>
>「ブラフマジャーラ経の現法涅槃論の論点は五種の現法涅槃論が最上であるか否か
>ということであり、それ自体の是非が問われているわけではないと考えるべきであろう。
>批判の対象は、色界四禅など五つの宗教的境地を現世における涅槃の最上と見なすことにある」
>(『ゴータマ・ブッダ考、並川孝儀、大蔵出版、93頁)

あなたは >>72 で並川さんの本の次の内容も載せています。

 「色界四禅の他に無色界の空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処
 を具足して住し、さらに想受滅を具足して住して、慧をもって観察し漏を滅尽すること」
( 『ゴータマ・ブッダ考』並川孝儀、大蔵出版、94頁)

この主張は梵網経のどの頁を読んでの主張なのか? そしてその根拠は?
わたしも梵網経を読んでみたが、探せなかった。
というか、梵網経には並川の文章を肯定するような記述はない。

続く

199 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:04:06.65 ID:58t+T3CW.net
>>198(続)
また今回載せた並川さんの論点も釈尊が言いたい点から相当ずれた主張だと考えます。
それよりも、梵網経を読んでみて解ってきたことがあります。
それはあなたが主張する以下の内容を肯定するものです。

 「釈尊は「比丘が解脱するのは四聖諦の後である」と述べた点。
です。

つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。
このとは前に >>63 であなたに「八正道」の「正見」を出して質問したが
あなたからの返答はなかった。私の回答はそれに答えるものになるでしょう。

ただ現状、頭の中で整理されていない状況なので少しづつ書いていくことにします。
期待してください。

200 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:05:17.00 ID:/bbhslSn.net
釈迦は出家し真実を知った上で衆生のためと教えを説いたとすれば
私から言わせればそれは気休めにしか過ぎないものなのです。

釈迦の優しさは傲慢の裏返しです。

救いの御技は神と人との間にのみ成せるものと私は理解します。

201 :一来補:2015/09/13(日) 13:11:18.44 ID:JvG5DEW7.net
滅=涅槃=「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地」
これが、岩波仏教辞典の説明です。
深山くんは、なぜ苦悩と業を避けて、煩悩の解脱しか言わないのだろうか。
そういうのは子どもでも知っているのにさ。

なぜ苦と業を避けるかと言うと、深山くんは、苦と業の意味が分からないからだろう。
それと、苦と業からの解脱を認めると、桐山師の教法が正しいことになってしまうからであるね。枝葉末節の教えはどうでもよいのです。

阿含仏教が因縁解脱を説いているか否か、
それが一番肝心だろうよ。

202 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:29:20.08 ID:dHN3VZcW.net
@そもそも、パーリ三蔵の原文には「心が安定し」が出てこない。
代わりに「入定した」という意味の単語が出てくる。

234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte
kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.

訳文                
彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、
行為に適した、住立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。

原文にある samāhite は「入定した、定置した」という意味です。
だから、和訳も「そのように入定した」となっている。
どこへ入定したかというと、第四禅へ入定したのです。

「神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」

(『原始仏教T』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

203 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:32:46.32 ID:pAADPUvz.net
>550 :ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2014/03/11(火) 12:41:17.02 ID:RsWb95AD
>それよりも何よりも自分自身が書いていて面白いと感じるからであり

それはオレが既に何度も指摘してるだろ?
オマエが何年にもわたり異常な執念でここに書き込みをするのは、他では得られない「快感」を、ここで得られるからです。
オマエにとっての最大の目的は、
真理や事実を扱うことではなく、ただ「自らの欲を満たす」具体的には、自らが教授みたいな正義のヒーローとして
認めてもらえる「自己顕示欲」が満たせればいいという「下品な境涯」を得ることです。

しかし、真理や事実を扱わないって、なんかカルト信者みたいですね。カルトを辞めても結局同じなんですねえ。w

そして我欲を満たすためなら、相手が猫を蹴っているとか勝手な「戯言」を述べることも躊躇しない。
また、低級カルトに騙されたというそのレベルの低さから、その洞察も外れまくりなのは言うまでもない。

そもそもの動機が、カルト批判が目的というよりも、ただの老人の自己顕示のための「お遊戯」に過ぎない。

だからこそその発言は浅く、すぐ論破され、論破されても言い返せず、しかしそれでも、ここで得た「麻薬」を味わうために、
だからオマエは何度でもここに戻ってくる。www

しかし、「打てば当たる低級カルトへの低級批判」が面白いって、随分詰まらないレジャーだな。
打てば当たるんじゃスリルが無いだろう。w
では何故そんな詰まらないレジャーを続けるのか。 答えは「それしかできない」からだ。
だから、この老人ホームの砂場に、今日もやってくるわけだ。

そして今日も、この老人ホームの砂場は低能どもで溢れかえる。面白いな〜。ww

で???自分の生活の役に立っていると感じることを年がら年中やり続けることが、自己顕示欲とどのように関連するんですか?
誤魔化さないでくださいね。

自分がマスタベイション野郎だということを認めた点はいいが、
自分の役に立っていると感じることを年がら年中やり続けることが、自己顕示欲とどのように、関連するんですか???
www

204 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 15:37:00.07 ID:58t+T3CW.net
>>199(続)
何から書きましょうか。まず、梵網経を読んでみて解ったことを書きましょう。
>>101でも書きましたが
釈尊は梵網経で「我(アートマン)」と「世界」に関する哲学的見解六十二種(六十二見)を
網羅し、それらの見解を斥けているのです。
当時のインドの思想史を見ると、超越的実存者をブラフマンといい、内存的我をアートマンと
いい、その一体感 「梵我一如」 を会得するのを究極の救済という構造の宗教が主流であった
といわれています。
そして、ここがもっとも重要なところですが、 六十二の学説すべてが、自己を認める立場を
とっているのです。つまり 「我(アートマン)」を認めていることになる。

だが、釈尊の立場は違います。縁起の理法を知ることにより、仏教独特の「無我」に向かって
いるのです。そして最終的には涅槃(煩悩からの解脱によって得られる安楽の境地)を求めます。
ですから、六十二見は我(アートマン)を認め釈尊の仏教は認めず「無我」を説く立場です。

さて、私が梵網経の中の六十二見で説明される常住論や現法涅槃論の内容を読んだ時、ちょっと
以外に感じました。
たとえば常住論の内容ですが、これは釈尊が沙門果経で説いた<慧>の過去世を見る能力である
「死生智」と同じ内容なんです。
また、現法涅槃論には正念や正知、そして四禅まで出てくる。
だが、釈尊はこれらの論も「囚われた見地で涅槃に導かず来世をもたらす」と説いているのです。
一体これはどういうことなのか?

それを解決するヒントが「無我」なのです。

続く

205 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 15:56:52.66 ID:Me2HSeOM.net
ユビキタスさんの風貌はイザワさん似かしら?好みだわ、私の。

206 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 17:04:55.91 ID:58t+T3CW.net
204(続)

ところで、そもそも「四聖諦」とはどんな内容なんでしょうか。
四聖諦の二番目である「集聖諦」を見てみましょう。

【集聖諦】
  比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの原因なる、聖なる真理である。
  再生をもたらし、喜びと貪りをともない、あちこちで歓喜に満たされる渇愛である。
  これは次のようなものである。欲の渇愛と有(生存)の渇愛と無有(生存のないこと)の渇愛である。
  (http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/tathagata.html

一番目の「苦聖諦」で釈尊は「五取蘊は、苦しみである」と説かれ、
二番目の 「集聖諦」では、その「五取蘊=苦」を作り出す原因が「渇愛」であり
その「渇愛」が再生(後有)をもたらす原因でもあると説かれた。
さらに、その「渇愛」の働きを三つの側面から説明されているのです。

続く

207 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 17:09:16.92 ID:58t+T3CW.net
>>206(続)

この構図では
渇愛は、「欲の渇愛」・「有の渇愛」・「無有の渇愛」 という三つの側面で成り立ち、
この三つは、「貪・瞋・痴」という根本煩悩と結びついています。

1. 欲の渇愛  = 五官への好ましい感覚 をより強く・多く欲する   → 貪り
2. 無有の渇愛 = (不快なものを) 排除・破壊したいと欲する     → 怒り
3. 有の渇愛  = 存在し続けたいと欲する (依処を探してすがりつく) → 愚痴

さらに、これらは「三つの感受(苦受・楽受・不苦不楽受)」と 連動して生起します。

1. 苦受     …  怒りの煩悩が潜在し、生起する  →   虚無への渇愛と結びつく
2. 楽受     …  貪りの煩悩が潜在し、生起する  →   欲望への渇愛と結びつく
3. 不苦不楽受  …  愚痴の煩悩が潜在し、生起する  →   生存への渇愛と結びつく

そして、これら三つの感受(苦受・楽受・不苦不楽受)と四禅定は深い関係があるのです。

続く

208 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 18:41:14.93 ID:dHN3VZcW.net
>>198
>あなたは >>72 で並川さんの本の次の内容も載せています。

>「色界四禅の他に無色界の空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処
> を具足して住し、さらに想受滅を具足して住して、慧をもって観察し漏を滅尽すること」
>( 『ゴータマ・ブッダ考』並川孝儀、大蔵出版、94頁)

>この主張は梵網経のどの頁を読んでの主張なのか? そしてその根拠は?
>わたしも梵網経を読んでみたが、探せなかった。

>>72で引用した「色界四禅の他に…」の文章は、梵網経ではなくAṅguttara Nikāya(増支部)でした。
註に書いてあるのを見落としました。手間を取らせて済みません。訂正します。

仏教が、バラモンの現法涅槃論を批判している理由は、
ブラフマジャーラ経の現法涅槃論を見ると、現法涅槃の是非ではなくて、
バラモンが色界四禅などの五つの境地を現世の涅槃の最上としていることにある。
その根拠を示す資料として、アングッタラ・ニカーヤ(増支部)では
現世における涅槃の中で最勝のものは、
「六つの接触の処の生起と消滅と楽味と障害と出離とを如実に知って、
執著することなく、解脱したことである」と説く資料と、
「色界四禅の他に無色界の空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処
を具足して住し、さらに想受滅を具足して住して、慧をもって観察し漏を滅尽すること」
と説く資料がある。
こういう話になります。
『ゴータマ・ブッダ考、並川孝儀、大蔵出版、93、94頁より)

209 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 19:34:30.05 ID:58t+T3CW.net
>>207(続)

釈尊が説く煩悩は「貪・愼・痴」という三つの煩悩に分類でき、
これらは、三受(苦受・楽受・不苦不楽受)と深く関係しています。

苦受に「愼」、楽受に「貪」不苦不楽受に「痴」が、それぞれ潜在しているのです。
そして、これらにアプローチしている瞑想法が、「四禅定」です。

ところで、第四禅定で、苦もなく楽もない「不苦不楽受」に達して住むと説かれていますが、これはいったい
どんな状態なんでしょうか?
実はこれは「非想非非想処」と同じ状態だという研究者もいます。
そして、「不苦不楽受」は「痴」の煩悩がまだ残っている状態なんです。
これを消滅しなければ完全解脱といえないのです。

あらためて、痴(愚痴)の煩悩とは何でしょう?
これは調べてみれば解りますが、「無我」などの真実を理解納得できぬ<こころ>の働きなのです。
ですから、バラモン達も四禅を説くが、この「痴」の煩悩が消滅していないのです。

ここで、>>204 の梵網経の話に戻しましょう。
彼らバラモンも現法涅槃論で四禅を説くが、我を認めているので「痴」の煩悩が消滅していない。
だから、釈尊はこれらの論も「囚われた見地で涅槃に導かず来世をもたらす」と説かれた訳です。

続く

210 :釈迢空:2015/09/13(日) 20:46:45.33 ID:w/DciK8x.net
>>180

むすひ

211 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 20:57:20.06 ID:PN2A+gre.net
>>209 論の立て方は参考になりますね。
  但し是って釈迦如来の実際の説法と無関係でしょう。
  後世の教義学者が文章化されたアゴンのお経を元に作ったものです。
 大乗起信論で言う如実知自心の方がまだしも?かもしれませんよ。
 

212 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 21:34:37.90 ID:58t+T3CW.net
>>209(続)

「不苦不楽」の境地は、「苦を滅した」境地 であると勘違いされやすく、その誤解が真の解脱への
最大の妨げとなるのです。
最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
それを破るのが<慧>の中で最高の智慧だと釈尊が説いた「漏尽智」であり「四聖諦」を知って
「貪・愼・痴」という三つの煩悩から完全に解脱したのです。

ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

213 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/13(日) 21:34:42.35 ID:Xh1RZhiP.net
>>197
はい、それだけです。
特に意味などありません。
今日は余暇に費やした日なので最初からこちらに参加する気ありませんでした。
野球観戦中、ちょいと遊びで書いてみただけで議論する気なし。
だから悔し涙なんて言われても・・・
そちらこそ悔し涙に明け暮れてばかりいないで、何か趣味を持って楽しみなさい。

214 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 21:51:01.33 ID:RN0L3eyO.net
>>201阿含仏教が解脱を説いているか否か、それが一番肝心だろうよ。

違うよね。阿含宗が因縁解脱を説いているけど、本当に因縁解脱できるか
どうかが一番肝心だよね。
管長の桐山は「脳障害の因縁」をはじめ、色々な因縁が切れていないよね。
副管長のたち夫人も「ガンの因縁」が切れなくてガン死しましたよね。
管長や副管長の因縁が切れないのに弟子の因縁など切れる道理がない。
ならば阿含宗をやる意味ないよね。

215 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/13(日) 22:00:23.62 ID:Xh1RZhiP.net
んで今日は、鹿沼市営球場に行った後、鹿沼市奥地の古峰原(こぶがはら)の古峯(ふるみね)神社に行ったわけよ。
ここは天狗信仰の修験の霊地で、一度行ってみたいと思ってた。
そして車を乗り進めていると、古峰原に行く途中の道に「オウム真理教(アレフ)潜入反対」の看板が。いまどきも。
苦笑しましたね。彼らオウムの残党も古峰原のような古刹の霊地を狙っている。
やはり私の嗜好とも共通、同根なものがあったのであり、まだ残っているのかもしれないと。
霊地と言ってもなあ・・・別になんの霊気だか知らんが、そんなものは感じないよ。
普通にお詣りした。門前の土産物屋の前の駐車場に停めると、買い物してけと
言われることを恐れて、広い誰も停めてない無料古峯神社専用駐車場に停めた。
古峯園(こぼうえん)という人工の庭があったが、300円の入園料とるからやめた。興味ない。
出した金は本殿でのお賽銭だけ。
門前で土産物屋買わず何も食わず。
御利益あるや否やwww
それでも今日は自分自身に拒みを入れることなく、その時一瞬だけ、久々に堂々と御利益信仰を祈ろうと思った。
母のことをよろしくお願いします。兄一家のこともよろしくお願いします。私のことも。と。
まあ一刻のみの祈りでどこかの宗教教団みたいに、願い叶えたくば何人お導きせよとか
本気に煽られるようなことはない。
考えてみたら、古峯神社などを霊地と憧れているのですらなかった。
あの神社の山上の古峰原高原に憧れていたのだ。
山道登り、開けたところに出ると日光連山が美しい。
しかしそんな景観ですら上祐とかアレフの連中は霊気オカルトにしてしまうのだろうな。
山岳修験とアルピニズムとどちらが自分に合っているだろう?と考えた。
やはり宗教色、信仰色抜いた純粋な登山こそが俺向きだ。
深田久弥の日本百名山にも、信仰の山、信仰のモニュメントばかりある白装束の山は
俗化と表現していたなあ。
俺も俗化されてない山がいい。

216 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 23:21:54.66 ID:pAADPUvz.net
>何か趣味を持って楽しみなさい。

上からものを言えるのは ココくらいなんだよな。w

217 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 00:39:10.01 ID:Vyz7qTNP.net
>>213 :ユビキタス
>野球観戦中、ちょいと遊びで書いてみただけで議論する気なし。

こういうところ、カワユイわぁ
一晩ぐっすり寝て、また遊びにいらっしゃい
僕ちゃん

218 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 00:46:16.99 ID:Vyz7qTNP.net
>>211
>但し是って釈迦如来の実際の説法と無関係でしょう。

それって筋違いだよね。
今は経典の解釈を議論しているのであって
実際の説法についての議論ではない。
解釈の間違いを指摘されたことへの負け惜しみですよ。

219 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 00:51:02.40 ID:Vyz7qTNP.net
>>212
>最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
>それを破るのが<慧>の中で最高の智慧だと釈尊が説いた「漏尽智」であり「四聖諦」を知って
>「貪・愼・痴」という三つの煩悩から完全に解脱したのです。

wonderful!!!

220 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/14(月) 07:49:00.57 ID:GkDyFtrH.net
>>219
おや?>>212さんのここ↓は無視?

ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

221 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 07:50:31.64 ID:Lrsuc5NJ.net
 
深山の安らぐ神社   http://ameblo.jp/huzinomiya/entry-11881343811.html

222 :一来補:2015/09/14(月) 08:36:34.51 ID:yLiQXba+.net
阿含仏教が因縁解脱を説いているか否かが、肝心なのです。そして、仏教学者の見解は、阿含経は因縁解脱を説いている、なのです。
仏教学者の見解は、仏教辞典だからです。
だから我は、仏教辞典から提示しています。
深山くんは、反桐山説のために八正道を強調す
る。今更何を寝ぼけるのか。

桐山師は、修行の第一歩は我見を無くすことだ、と説いているだろう。我見を無くすとは正見の修行なのですよ。我見を無くすほどに正見が確立されていくわけですよ。
我見には大きく分けて二つの意味があるね。
一つはアートマンの見解。
無常、縁起の法を理解してアートマンのないことを理解しないといけない。
それは、正見の修行だね。
我見の二つめは省略する。

223 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/14(月) 08:46:15.76 ID:GkDyFtrH.net
>>201 一来補 2015/09/13(日) 13:11:18.44 ID:JvG5DEW7
>深山くんは、なぜ苦悩と業を避けて、煩悩の解脱しか言わないのだろうか。

苦悩の問題も業の問題も避けていません。
業の問題は、そもそもインドにおいては運命的なニュアンスも濃かった業を
単に「行為」とし、その影響も含めて行為論として、運命色を払拭したのは仏教の常識です。
自らの行為の問題を煩悩とともに観察し、悪い行いを断つ。
苦悩の問題は、煩悩を抱えていることそのものが苦悩だからです。
それがわからないと何を語っても無駄です。
ペテン大作さんがいい例で、学者の説いた抽象的な言葉の字面だけでしか誤解できず
机上の空論に陥っている。
抽象的な用語など駆使しても、その実何もわからないくせにわかったような錯覚に
陥るだけです。常に具体的な問題として自分の言葉として語れるようでなければなりません。
苦悩については釈尊は四苦八苦を説いていますよね。この四苦八苦の用語ではなく内容を考えて
ではその四苦八苦はどのようにして解決するのか考えることです。
例えば老苦です。老いて身体や頭の働きも弱るのは苦悩です。
この苦悩に対して、それでは永遠の若さを保つ秘法を教えて進ぜようというのが老苦の解決ですか?
愛別離苦の解決とは、愛する人や物は永遠に自分のそばにあり離れることはないように
魔法をかけることですか?
求不得苦の解決とは求めて得られぬものはなくどんな欲求でも満たせてしまえることですか?
実は桐山さんも四苦八苦の解説は正しいのだが、肝心の解決の道となると
これに近いたわけたことを説いているのです。
この不当な欲求は愚痴や貪り、外側のことに関して思うようにならないことに対する怒りなどの
煩悩が基本であり、煩悩をなくさないと苦悩のままです。
しかし煩悩をなくしても老そのものは残り、別離は依然としてある。
茨城県常総市や宮城県大崎市などの被害は、外側に関することだが、大変な苦痛であり
苦労でありましょう。
しかしそれを必要以上の苦悩にしないようにするのは自己コントロールであり、
煩悩との対処です。苦痛や苦労は依然としてあります。

224 :一来補:2015/09/14(月) 11:20:05.48 ID:yLiQXba+.net
深山ユビキタス説は、経典から倫理道徳の部分だけを取り上げて、これが仏教だと主張しているに過ぎない。それは仏教の一面だけです。
学者の見解をまとめた仏教辞典は、経典すべての中から、主要な部分を集約したものです。
辞典は、経典すべてではないが、主要なところは網羅しているわけです。
深山ユビキタス説は、部分だけのものです。

岩波仏教辞典のさとり=涅槃、の説明は、
1煩悩 2苦 3業 4輪廻 5縁起 
の五つからの解脱ということです。
深山ユビキタス説は、この中から煩悩だけを取り上げている。つまり、欠陥論です。
煩悩だけの解脱は大乗仏教のさとりです。阿含経から言ったら小解脱に過ぎないのです。

岩波仏教辞典の「煩悩」の語の説明には、
「・・煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとり・・」
と、あります。
阿含仏教のさとりは、これだけでは不十分なのです。

225 :一来補:2015/09/14(月) 11:41:41.39 ID:yLiQXba+.net
ユビキタスくんは、煩悩を抱えていること
が苦悩だと主張しているが、釈尊の説明は
違います。煩悩と苦悩の違いは、岩波仏教
辞典の「業感」の語の説明にあります。

業感の説明には、十二因縁のうち、
1無明7受9取 が惑(煩悩)であり、
2行 10有 が業であり、残りの七つが
苦であると説明しています。
このように、煩悩と苦は明確に違うのです。
これは釈尊が説いていることです。

ユビキタス説は、我見による自己流解釈で
あり、間違いです。我の説は、仏教辞典を
そのまま出したので、自己流ではないのです。

226 :一来補:2015/09/14(月) 11:56:22.24 ID:yLiQXba+.net
例えば、阿含経に「業縁往来五道」とあり、
これは業に応じて五道を往来する、という
意味であるから、地獄餓鬼畜生道から逃れ
るためには業を断つしかありません。
煩悩ではないのです。
業を断つために、煩悩を無くすのです。
それが釈尊の教えです。

227 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:00:57.67 ID:o6Z4vQUZ.net
>>194 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:44:12.03 ID:dHN3VZcW
>釈尊が「「心が安定」を解脱だと述べているなんて100パーセント嘘です。

ペテン大作さんて、釈尊よりもエライらしい。
次の釈尊本人が述べた言葉が「100パーセント嘘」だそうです。

「最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。」(『ブッダのことば』中村元、44頁)

普通の読解では、「心の安定」とは、「さとり」「すぐれた宝」であり、
これに「等しい者はほかに存在しない」というのだから、
仏教の最高の境地、つまり解脱、涅槃を表すとみなす。
なにせ釈尊本人がそのように述べているのですから議論の余地がない。
だが、偉大なるペテン大作様はこれを解脱とみなさず、
釈尊のこの言葉は「100パーセント嘘」だという!!

>>202 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:29:20.08 ID:dHN3VZcW
>@そもそも、パーリ三蔵の原文には「心が安定し」が出てこない。
>代わりに「入定した」という意味の単語が出てくる。

『ブッダのことば』はパーリ仏典の原文から中村博士が訳した文章です。
大学者の訳が間違いだと言いたいらしい。
ペテン大作先生はついに中村博士さえも超越したらしい。
どれほどオエライ方なのだろう。

228 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:06:10.92 ID:o6Z4vQUZ.net
>>172 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 02:47:59.68 ID:dHN3VZcW
>@私や仏教学者ではなく釈尊が述べているのです。

阿含経のどこに、漏尽定で解脱した、九次第定で解脱するとあるのですか?
あなたは前に経典名は示したが、「九次第定の漏尽定で解脱する」という
釈尊本人の文言は出したことがない。
それでいて釈尊本人の言葉をあなたは否定する。
批判側は釈尊本人が「心の安定」を解脱だと述べている文章を引用した。
だが、あなたはこれを否定して、下記の学者たちの訳を無視して、
パーリ仏典の原典にはないとまで書く。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

片山一良 訳 パーリ仏典 長部 戒蘊篇T(P220〜P233)
「このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
行動に適し、確固不動のものになると、」 (>>55)

増谷文雄 訳 阿含経典3 筑摩書房 (P276〜P288)
「かくのごとく、心清浄にして、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して、心身柔軟、いつでも活動できる状態にあり、
しかも、安らかに住して不動の状態にある時、」(>>55)

「心の安定」にだけ着目して反論しているのはペテン大作さんであって私ではない。
私は上記の文章はすべて解脱を表していると述べているのです。
しかし、心の安定という言葉にこだわるなら、さらに別な例を上げましょう。
阿含経は「心の安定」だらけです。

229 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:11:39.52 ID:o6Z4vQUZ.net
「わたしの庵はよく葺かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うがままに、雨を降ら
せ。わたしの心はよく安定し、解脱している。わたしは努力をつづけている。天の神よ、雨
を降らせ。」(『仏弟子の告白』中村元、8頁)
「〔屍体を遺棄する〕寒林におもむいた修行符は、ひとりいて、満足し、心を安定させている勝
利者であり、身の毛のよだつことも無く、身体について専念しつづけている剛毅な人である。」(『仏弟子の告白』中村元、9頁)
「知慧のカあり、戒しめと誓いを身に具現し、心が安定し、瞑想を楽しみ、落ち着いて気を
つけていって、適当な食物を食する人は、食りを離れて、この世で死ぬ時を待つべきである。」(『仏弟子の告白』中村元、11頁)
「みずからを制することなく、うろつき廻りながら、種々の国々におもむく。もしも心の安
定を失っているならば、国々を歩き廻るのに何の用があろうか。それ故に倣慢を抑えて、心
が乱されることなく、瞑想せよ。」(『仏弟子の告白』中村元、18頁)
「信の心をもって、わたしは家を出て、家無き(修行者の境地)におもむいた。わが正しい念
いと知慧とは増大した。わが心はよく安定している。〔悪魔よ。〕いろいろの形を現わすがよ
ぃ。しかしわたしを悩ますことはできないであろう。」
「地は雨水を濯がれ、風は吹き、雷の電光は空を駈ける。(しかし)わが省察作用は静まり、
わが心はよく安定している。」(『仏弟子の告白』中村元、22頁)
「麗しいメロディで(空の)神は雨を降らす。わが庵は屋根を葺かれ、風を防ぎ、快適である。
そうして、わが心はよく安定している。さあ、(空の)神よ。もしも欲するならば、雨を降ら
せ。」(『仏弟子の告白』中村元、23頁)

230 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:18:05.90 ID:vOGBjOdA.net
「わが心はよく安定している」

ペテン大作さん以外の信者さんたちは>>229をごらんになっていかがですか?
『仏弟子の告白』の本文は230頁ほどで、その最初の23頁、つまり一割
ほどの経典の中に、これだけ「心の安定」があるのですから、
全体ではどれほどあるか想像がつくでしょう。
これらの言葉を残した長老とは、全員が解脱者、ブッダです。
これらは解脱した境地を表現している。
「心の安定」が解脱の境地を表していることはあまりに明瞭です。
そこでもう一度、沙門果経の下記の表記を見てください。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

>>229の長老たちの表現と同じであり、これが解脱を表すことは疑いの余地もない。
阿含経を読んでいる人なら嫌でも目につくから、これを解脱と見なさいほうが不思議です。
「心の安定」がポツンと出ているなら一般的な意味である可能性も出てくるが、
沙門果経では「心の安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
と繰り返している。
これが同じ一つの内容を繰り返し説明していることはおわかりでしょう。
そのどの一つをとっても、阿含経ではしばしば解脱を表す言葉です。
それを四回繰り返している。

231 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:23:30.85 ID:vOGBjOdA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

阿含経ではよく同じ内容を別な表現で繰り返すことは信者さんたちも
知っているはずです。
応説経の「結 縛 使 煩悩 纏」を五種類の別々の何かであるとは見なさい。
これは煩悩を五回別な表現で繰り返して強調しただけです。
沙門果経でも「心の安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」と
四回同じ内容を繰り返したのです。
阿含経を読んでいれば、「心の安定」という最初の言葉だけでも解脱だとわかる。
煩悩に囚われないから心が安定し、煩悩がないから清浄で純潔で汚れがない。
ダメ押しに「小さな煩悩も離れ」と解脱の定義そのものが出てくる。
上記の文言は前から読んでも、後ろから読んでも解脱を意味している。
釈尊が四禅の説明で上記のように述べているなら、この段階で
解脱していると普通はみなします。
ところが、お偉いペテン大作先生様はこれだけ何度も繰り返されても、
これを解脱とみなさないという。

ペテン大作先生は釈尊の説得にも応じないし、何をどう解釈しようが
個人の自由だが、ここは解脱や四禅の議論スレではないから、
やめてくれと言っても止めない。
スレの主旨に沿ってアゴン宗の議論をするように勧めてもしない。
仏教をあれこれ論じる前に社会常識を学ぶべきです。

232 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:27:54.81 ID:vOGBjOdA.net
>>190 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:21:19.53 ID:dHN3VZcW
>あなたは、四禅解脱を主張したのではなく、
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
>と言ったのです。

>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。
>そして、三明で解脱を確認したと言ったのです。

つい一週間前までは、私が「四禅で解脱していると書いた」(576)と主張しながら、
そんなことはないと指摘されると、今度は口を拭って、
「四禅解脱を主張したのではなく」(190)などと書き始める。
それであなたは576で書いた間違いをいつ認めて、いつ撤回し、
私への七年にわたる無礼をわびたのだ?
私もペテン大作さんの文章は斜め読みか読まないので、読み飛ばしたのかもしれない。
ぜひ、それをここにもう一度書いてください。

233 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 12:30:58.33 ID:Vyz7qTNP.net
@深山はピエロ!!!

>>227>>231:深山

だから、その「心の安定」は沙門果経の原文には無かったの。

>>202
234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte
kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.

訳文                
彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、
行為に適した、住立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。


存在しないものにしがみ付くお前はピエロだよ。
社会常識を学ぶべきなのはお前の方だ。

234 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 12:31:20.66 ID:RSgJwIWG.net
君たち平和だねー。
世間が戦争法案で揺れているというのに。

自分のための解脱ですか?

235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP.net
>>232 :深山

>つい一週間前までは、私が「四禅で解脱していると書いた」(576)と主張しながら、
>そんなことはないと指摘されると、今度は口を拭って、
>「四禅解脱を主張したのではなく」(190)などと書き始める。
>それであなたは576で書いた間違いをいつ認めて、いつ撤回し、
>私への七年にわたる無礼をわびたのだ?

「三明前の四禅で解脱したと釈尊は述べている」
あなたはこう書いた。
だが、釈尊は経典ではそのようなことは一言も述べていない。
これ即ち、あなたが釈尊の言葉を自分勝手に翻訳し、他人に示したことに他ならない。
つまり、あなたの主張は誰がどう見ても四禅解脱なんだよ。
正確に言えば「四禅で解脱する」だ。
しかし、あなたは自分(深山)がどこで四禅解脱を主張したのか示せと言い続ける。
「深山は四禅解脱を主張した」という文字がどこにあるか示せという意味だ。
あなたは小学校低学年レベルの言い訳をしているのだ。
私としては、こういう低レベルの言い訳を相手にするのにウンザリしたので、
そんなに言うなら、今後は「深山は四禅解脱を主張した」とは言わないよ、と言っただけで、
今でも、あなたの主張が四禅解脱であると信じている。
だから576を撤回するつもりも詫びるつもりもない。
あなたこそ、七年間も「四禅で解脱する」などと嘘を書き続け、
私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

236 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 16:26:39.36 ID:WtjFxq3Z.net
ある大統領がね 世界一速いボルグに聞いたんだっち
アスリートってどないなメリットがあるんかねとな
ボルグは言った アスリートは誰でん成れるっチャ
んだが一応は 小中大のトレーニングメニューが
あるっち 他の6道法じゃダメなんだぎゃ
さらにボルグは言うがや 勝者は相手に目もくれずに
第一コーナーから第四コーナーへ颯爽と突き抜けれるんや
これって得も言えん勝者アスリートのメリットなんじゃい
はたからも解るじゃろが
そんでもってオレッチは勝者だとの確認をするっちゃ
順位パネルを見て他に誰もオレッチを超えたものがいない
そうなった時のオレッチは もう昨日のオレじゃなく
古いタイムをかなぐり捨てた新たなオレっちゅうもんを
見い出したっちゃ んでオレは再生録画を見るっチャよ
周りをも見る余裕で優勝を果たしたんがや解るべや
世界一最高タイムを出しそれを知れるんや
記録を達成したと知れてこれが最高タイムだと
確認でき そん時はもう世界一位になったと解るんじゃい

んで勝者として確立し今のアスリートのやるべきことを終えた
オレッチはレースの終了を認識し再来レースはないと知るんや

ここで外野が言う おいおいボルグよ優勝は順位パネルで
一位になったんがか それんとも第四コーナーでかよ
   バアかもんが
   おどれ カバチ垂れな
オレッチは優勝ほどええもんはないっつうアスリートの
果報を説明しとるんだってえの

237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+.net
四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。
釈尊は、四禅を涅槃に至る途中経過として説いているでしょう。
例えば、遊行経には無余涅槃へ入る釈尊の様子が書かれています。

釈尊は初禅から進んで四禅へ進み、四禅を出てから八解脱のうちの虚空の瞑想=第4解脱に入り、第5、第6、第7、第8解脱の滅尽定へ進み、今度は8、7、6、と瞑想を下ってから再度初禅に入り、四禅に進み、四禅を出てから完全な涅槃に入ったと説かれています。

だから四禅を体得しても、小解脱ですね。
四禅から更に進むと天耳通が生じると、経典にあります。更に進むと他心通です。更に進むと・・・で、最終的に漏尽智を得て大解脱です。

238 :一来補:2015/09/14(月) 17:31:24.56 ID:yLiQXba+.net
四禅についての学者の見解、岩波仏教辞典の「四禅」の説明には、「色界の4種の禅定、四静慮ともいう」とあり、無色界より下の世界の禅定としています。
四禅で到達した世界が四禅天なそうです。

天ですから六道の最高峰ですが、輪廻の対象です。よって、四禅を体得しても仏陀ではないですね。それが学者の見解です。

239 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 18:16:19.99 ID:aJ0REzcP.net
>>238 桐山師、深山センセー、一来補。諸氏が述べてない事にお伺い。
   修行の結果、仏陀に成ろうか?として誰がソレを認定するのか?
 237は最終的には無明を断じて云々。と言うのがお答えなのですが兎も角。
 菩提を何方が認定するのでしょうか?

240 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 19:27:59.43 ID:RSgJwIWG.net
>>239
まるで分かっていない人の質問です。
本末転倒虫君は直ちに仏教界から足を洗いなさい。

241 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 21:37:54.54 ID:aJ0REzcP.net
>>240 そうでは無いものですよ、一生懸命やっても効果が無い宗派の
 修行みたいな遣り方にしがみ付き空しく過ごす僧侶が殆どではありませんか。
 

242 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 22:55:57.50 ID:Vyz7qTNP.net
>>19の改訂版
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
@釈尊は四禅で涅槃を得たとは述べていない。

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。
456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。

■「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違いである理由。

1.経典には「比丘は四聖諦を知った後に解脱する」と書かれていること。

【沙門果経】
『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

諸漏(欲の漏・有の漏・無明の漏)から心が解脱したので心解脱。四聖諦を知ることで無明が捨断されたので慧解脱。
比丘は四聖諦を知った後、心解脱・慧解脱したことになる。

『Nikayaにおける止観の研究 一
止観と心解脱・慧脱を中心として一』6〜8頁
(ttp://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1203/1/r-bk-np_015_006.pdf)

243 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 22:58:31.39 ID:Vyz7qTNP.net
>>242の続き

2.「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」は、解脱ではなく「第四禅に入定した」こと。

「心が安定し」の箇所は、パーリ仏典では「samāhite」であり、これは「入定した」「定置した」の意味である。

234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe
vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.              
訳文
彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、
行為に適した、住立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。
『光明寺経蔵』(ttp://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c21.htm)
       
「神通を行なうには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされ、
この禅は「基礎となる禅」(pādakajjhāna)と呼ばれる。
「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、春秋社、中村元監修)

「入定した」とは、基礎となる禅(第四禅)に入ったことであり、比丘はそこで智慧による観察を行う。
「心が安定し」の文言は、比丘が第四禅に入定したことを表現したものであり、解脱ではない。

3.原始仏教では、四禅より高い境地が考えられていたこと。

「梵網経」の中で、釈尊は「最上の涅槃としてバラモンなどが主張する色界四禅など五種の宗教的境地」を批判した。
また、長阿含経の「布吒婆楼経」(ポッタパーダ経)や「増支部経典」では、釈尊は、色界四禅を超えた無色界や想受滅を説いている。

244 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 23:23:55.20 ID:ir7+Y+xC.net
>釈尊は、色界四禅を超えた無色界や想受滅を説いている

どうなのかねぇ〜?
それに関してスマナサーラ長老は無色界は観察のしようがなくできないと説いている。
2500年の間に改編されてたりしてね。

無色界定は色も受も想も行も識も無い境涯だからね無い無い滅の観察しかでけへんからね

無色界定から覚めれば識が起き行が起き受が起き色が起き有り在りを観察し
無も有も(欲界を含めて三界)、どちらの捉われも離れて、ありのままを観る、はい、それだけ。

そんだけと。

245 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 07:50:29.02 ID:Rpp5MonY.net
 
深山ぶっかけそば   http://blogs.yahoo.co.jp/atlordiah_2/7104936.html

246 :一来補:2015/09/15(火) 09:35:13.08 ID:FDXPCwKU.net
レス239

仏陀に成れたかどうか?
それを認定するのは己自身ですよ。
釈尊にしても、仏陀を自称し、宣言し、やがて人々もそれを認めた。

因縁が切れたかどうかを認定するのも、基本的には己自身でなければならない。
己自身の因縁を知らずして、他人の因縁が切れたかどうかなど分かるわけがない。
よって、己自身を知らねば、修行が進んだことにはならない。
ゆえに、仏陀に成れたかどうかを最初に認定するのは己自身です。

247 :一来補:2015/09/15(火) 11:09:42.12 ID:FDXPCwKU.net
テーラワーダの瞑想法は、釈尊の瞑想法の一部に過ぎないですね。
あれが釈尊の教えのすべてだと思うのは、大間違いでしょう。阿含経に書いてあることと、だいぶ違うからね。

248 :深山と愉快な仲間たち:2015/09/15(火) 11:33:48.42 ID:67PIbDlX.net
>>239
>>246:仏陀に成れたかどうか?

阿含宗では、和田、桐山氏の認可が絶対必須です。
それなくしてブッタを名乗ったり、因縁解脱したなど
心に思うだけでもキチガイで、自己判断が一番危険です。
と、以前、法務部の上クラスの方が言っていました。

桐山氏だけは、前世の徳がトラック10台くらいあった
特異体質だったので師なくして因縁解脱できたと、
自己申請していますがw

249 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:02:22.40 ID:uf/TItkw.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

誰も一来補さんの相手をしてくれないから、かまってほしくて、
四禅解脱に首を突っ込んできましたね。
その前に、私が議論の流れを説明しますから、自分の意見を述べようとせずに、
流れをまず理解する努力をしてください。

一来補さんは、四禅で解脱するのではない、という意見です。
ペテン大作さんは、「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違い(>>242)、という意見です。
深山は、四禅で解脱したなんて書いたことはありません。
四禅については、三者の意見が一致したではありませんか。
誰一人として、四禅で解脱するなんて主張している人はいないのです。
では、いったい何を議論しているのでしょう?

ペテン大作さんの妄想です。
ペテン大作さんが、「深山は、釈尊は四禅で解脱する、と述べたと主張している」
と言う、ありもしない話を作り上げて、これを七年間にわたりここに書き続けている。
だから、私は繰り返し、「書いたという証拠を出せ」と言うが、
もちろん書いていないのだから、出せるはずがない。
普通の人なら、謝るか、すくなくとも主張を撤回する。
一来補さんもそう思いませんか?
当然であり、それが社会常識です。
だが、ペテン大作さんは撤回をするどころか、私の書いたことにさらに噛みついた。

250 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:07:29.00 ID:uf/TItkw.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

ペテン大作さんの、「深山は、四禅で解脱すると主張した」という
主張には根拠がないのだから、まず撤回するべきでしょう。
だが、彼は頑迷不屈な男だから、撤回などせずに、
今度は、私が引用した沙門果経の「心が安定・・・」という一文に難癖をつけた。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

これは解脱ではないというのです。
「小さな煩悩も離れ」というのだから、漏尽解脱であり、仏教の解脱です。
彼は、阿含経のどこに「心の安定」が解脱だとあるのか、と噛みついたから、
批判側の一人がそのように書いてある経典を引用してくれた(>>227)。
だが、ペテン大作さんは完全無視した。
おかしいですよね。
証拠を出せというから、出したら、無視する。
「心の安定」が解脱を表すことは、阿含経を読んでいる人にとっては常識です。
わざわざ証拠を求めるということは、読んでいないという恥を
さらしているのだが、彼は恥知らずだから、なんともない。

>釈尊が「「心が安定」を解脱だと述べているなんて100パーセント嘘です。(>>194)

とまで断定するから、それで私が、さらに>>229に、「心の安定」が解脱を
表すことは阿含経の常識だという証拠を羅列した。
100パーセント嘘はどう見てもペテン大作さんです。
だが、彼は絶対に自分の非を認めない。

251 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:13:54.52 ID:uf/TItkw.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

ペテン大作さんは次に、「心の安定」など原文のパーリ仏典にはないと主張し始めた(>>202)。
だから、私が>>228>>55さんが引用してくれた学者による翻訳を三つ示した。
同じ原文を三人の学者が訳したものです。
一来補さんは読んでいかがですか。
三種類の訳が載っているが、「心が安定」「心が、安定」「安らかに住して不動」と
表現は微妙に違うが、これから見ても、「心の安定」という訳は間違いない。
ご存じと思うが、これらを訳した三人は仏教学の大家です。
特に、『原始仏典 1』は学者個人が訳しただけでなく、編集者たちが
査読し監修していますから、間違いが少ない。

「心の安定」一つでも解脱だが、「清浄で純潔」「汚れなく」
「小さな煩悩も離れ」もすべて解脱です。
一来補さんとの解脱の定義の議論は今はさて置くとして、
沙門果経の四禅の説明の所で、釈尊が解脱を表明していることを
一来補さんも認めますよね。
繰り返すが、四禅で解脱すると言っているのではありませんよ。
誰がどう読んでも、四禅の説明の所に、釈尊は解脱していることを表明している。
私はただそれを指摘しただけです。
さすがのペテン大作さんも、深山は四禅で解脱すると書いた、とは言えなくなった。
すると、ペテン大作さんは一時的に次のように主張を変えた。

252 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:20:06.50 ID:OhkcSJdG.net
>>190 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:21:19.53 ID:dHN3VZcW
>あなたは、四禅解脱を主張したのではなく、
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
>と言ったのです。

表現はともかくとして、大筋においてこの表記は正しい。
だが、一週間前までのペテン大作さんは次のように私の主張を決めつけていた。

>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。

576が七年間、ペテン大作さんが書き続けたことです。
ところが、根拠がないことを示されて、ついに>>190を認めた。
七年間主張した事を変えたのです。
ペテン大作さんもついに私が四禅解脱など書いていないことを理解し、
これまでの間違いを認めた・・・なんて私は思わない。
この人は視野が狭いから、自分が前に何を書いたのか、何を議論しているのか
わからなくなり、主張に矛盾が生じることも気が付かず、目の前の事に
その場しのぎのレスをつけだけです。
そこで私は>>232で、前に書いたことと違うではないかと矛盾を指摘した。
ペテン大作さんは自分の投げた石に自分が当たった。
もちろん、彼がこれを認め、素直に撤回するなんてありえない。

253 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:25:34.66 ID:OhkcSJdG.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

私はミスを認める人を追及したりしない。
そんなことはお互いさまです
だが、ペテン大作さんは過去においても、同様の矛盾を指摘されて
彼の主張が自己崩壊しても、まったく反省もなく、
しばらくすると同じような主張を始める。
彼の「深山は四禅解脱を主張した」は完全に嘘であり、
彼自身が>>190で認めるしかなくなった。
ペテン大作さんの七年に渡る主張の根拠がないことがわかり、彼も認めたのだから、
普通はここで議論は終わりです。
だが、そういう議論の礼儀、理屈が通用しないのがペテン大作さんです。

そこで私は>>232で彼をからかって、「餌」を投げた。
>>190はこれまでの576と主張と違うが、いつ彼は自分の間違いを認めたのか、
いつ撤回して、私への無礼をわびたのかと皮肉を込めて質問した。
もちろん、彼はそんなことをするはずもないことは知っています。
憎しみで凝り固まった度量の狭い男にそんなことができるはずがない。
悔しくて猛然と噛みついてくるだろうと思ったら、三十分ほど後には
「餌」に釣られて、牙をむき出しにして吠え付いた(>>235)。

254 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:31:15.17 ID:OhkcSJdG.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

これがこれまでの議論の経過で、つまり、何もないのです。
しかも、四禅なんてアゴン宗の議論とは関係ない。
だから、一来補さんは議論に加わらないほうがよい。
私は最初から四禅解脱なんて書いていないし、誰もそんなことは主張していない。
一人、ペテン大作さんが吠えて吠えて吠えまくって、ついには
自分のシッポに噛みついて、私からからかわれた。

他の信者さんたちにも、ペテン大作さんの反応を良く見て参考にしてほしい。
彼はいったんは正しい事を書いた(>>190)。
190でいったん彼は自分の掘った穴から出たが、矛盾を指摘されると、
あわてて巣穴に戻り、吠え続ける選択をした。
事実を認めかけたが、それをすると深山を攻撃できなくなると気が付いて、
彼の掘った穴、虚構の世界に戻り、さらに深い穴を掘って、
私に吠え付いたのが>>235です。

これを読んでいる他の信者さんたちも、ペテン大作さんを悪い見本として見ることです。
事実を認めると、自分の得にならず、苦痛に耐えることになるから、
アゴン宗という妄想宗教に逃げ込みたい気持ちは私も元信者だからわかる。
だから、ペテン大作さんを良く見てほしい。
批判側のアゴン宗の間違いの指摘を、苦痛に耐えながらも受け入れるか、
それとも、ツバを吐き掛けて、アゴン宗という妄想宗教に戻り、
焚火でカルマ解脱するという砂場の宗教ゴッコに一生を費やすか。
その間違った選択をペテン大作さんが信者さんたちの目の前で演じてくれた。
ぜひ、反面教師として参考にしてほしい。

255 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:37:04.34 ID:OhkcSJdG.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

ペテン大作先生様にはいつも、正面からアゴン宗の議論もできない卑怯者だなんて
事実を指摘して、大変申し訳なく思っております。
ペテン大作先生様は、>>228に引用した阿含経の専門家の訳を、
原文にはない、誤訳だと看破され、なんと三人の学者にピエロだとだと罵声を投げつけた。
学者たちよりもペテン大作先生様はオエライのですから、
そのお方の読み間違いや、>>232で矛盾した発言を指摘するなんて、
まことに非礼なことで、毎度失礼をしております。

>>232はもちろんお気づきとは思いますが、ペテン大作先生様の反応を予測して、
天地がひっくり返っても、自分の非を認めるような勇気など
爪の垢ほどもない卑怯者で、謝罪どころか、撤回もしないだろうから、
それをからかってやれ、なんて気持ちで書いたことを反省し、
ここに懺悔するものであります。
釈尊や解脱者が解脱だと言っているのに、100%違うと断定されるほど
オ偉いペテン大作様をからかうなんて、罪深いことですよねえ。

256 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:42:26.70 ID:OhkcSJdG.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

私から視野が狭いと言われると、木を見て森を見ないとか、穴に落ちていると
いうとそのまま穴に落ちているなどと、何の観念工夫もなく同じ言葉しか返せないとは、そのボキャ貧ぶりは小学生並の情けない男だなんて
思ってしまったのも、大変失礼したと反省しております。

何よりも私は心から反省せねばならないのは、ペテン大作先生様は、
仏教をいくら説明されても理解できる知性がないとたびたび指摘したことです。
先生はますますいきり立って、漏尽定で解脱するなどと爆笑ネタを
次々と連発させてしまいました。

普段から威張りちらし、他人を小馬鹿にしきった態度の人を、からかうと、
すぐにむきになって、ネタに食いついてくるのを見ると、
ついまた餌を投げてみたくなるのです。
きっとペテン大作先生様が、私の書き込みを読んだ後で怒り狂って、地団駄踏みながら、
即刻、無意味な言葉を羅列しながら反撃し、午後は何も手がつかないほど
怒りと憎しみで目をランランとさせ、パソコンに向かうが、反撃しようにも
内容が無いから、>>242-243みたいにただ同じ主張しか出てこないことにますます苛立ち、
夜も眠れず、朝は早くから目が覚めてしまうなど、
お気持ちをかき乱したことをお詫びいたします。

257 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:47:43.02 ID:gGa3HF0/.net
宗教の原型、基本は全てここに集約されます。
私が採算説明してきた殉教(肉体の死ではない)や割礼(心の割礼)、出家(魂の出家)と同義です。

🔷日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。
これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれます。
たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。

258 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:48:16.16 ID:+91XUQcG.net
@深山さんは四禅解脱から逃げようと必死です。

>>249:深山
>ペテン大作さんが、「深山は、釈尊は四禅で解脱する、と述べたと主張している」
>と言う、ありもしない話を作り上げて、これを七年間にわたりここに書き続けている。



204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。

深山さんの主張はこういうことです。
俺は四禅解脱なんて言って無いぞ。
「四禅で解脱する」とは書いてないも〜ん。
でも釈尊は三明の前の四禅で解脱すると書いているぞ。
その理由は、
>>251:深山
>「心の安定」一つでも解脱だが、「清浄で純潔」「汚れなく」
>「小さな煩悩も離れ」もすべて解脱です。

四禅で解脱するとは、俺は主張しないが、釈尊は主張している。

深山さんは、釈尊に「四禅で解脱」を言わせて、自分は釈尊の後ろに隠れている。
こうすれば、「四禅で解脱」を主張しても自分は反論されることはないのです。
臆病者が必死になって考え出した対抗策です。

259 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:49:18.29 ID:Hxo/oju2.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

ペテン大作先生様がお笑い仏教学を推奨され、自虐ネタに毎日明け
暮れることで、批判側を笑い死にさせるか、先生のその執念深く、
○ンナの腐ったような性格を丸出しにすることで悪臭で窒息死させるなどの、
高等戦術を御使いになっているのではないかと推察させていただきました。
さすがはペテン大作先生様は並大抵の恥知らずではございません。

ペテン大作先生様におかれまして、一来補さんと同様に、
すべての羞恥心を解脱されていることは批判側も重々承知いたしております。
批判側の誰一人、御二方に勝てるはずもなく、
毎回毎回、ペテン大作先生と一来補さんの大勝利に終わります。
それもこれも、批判側は恥じる心を持っているからです。
それにしても、どのような御修行をされると、自分の非をいっさい認めず、
どんな証拠を示されても毅然として次の屁理屈をひねり出して、
どんなに反論されても完全無視して同じ主張を何年も何年も繰り返す
ほど、御立派な御性格になれるのでしょうか。
いや、そうなりたいという意味で質問してるのではありませんし、
元より、怖い物見たさで先生様の親の顔を見てみたいなんて金輪際思っておりません。
もしかして、毎日長時間瞑想をされるとそのような意固地で頑迷になり、
性格が曲がるだけでなく、捻じれてしまうものでしょうか。

私は腐った物が苦手で、特に性格が腐り、腐りきってしまい、生ごみの
入った袋を夏の日差しの中に放置したような性格はまったくダメなのですが、
悪臭を我慢しながら、今後もペテン大作先生様の御高説を読み流すように
心掛ける所存でございます。
以上、私からのささやかなお詫びです・・・もちろん釈尊の言葉を真似て
「受け取らない」などと気取っても無駄です。

260 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 12:52:47.25 ID:C+LGmqGx.net
>>30 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi
>やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

>親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

この9月9日時点のID:AfDf9bbiはペテン大作さんだとわかります。
ところで皆さんは殊最近のペテン大作さんの昼夜問わない必死の書き込みに
既に病院で診てもらった方がよいレベルの心の病み様ではないか?と感じるのは私だけではないと思います。
病院とはもちろん精神神経科です。
と言って私はキチガイだと馬鹿にする気持ちは毛頭ない。
なぜなら今時精神神経科にかかるなんて当たり前のことであり、恥などではない。
これは私がもう20年近く前に不眠症にかかり勤務がメチャクチャになった時に
当時の職場の上司が、アメリカなどを例にそうすべきだと神経科受診を薦めてくれた。
恥ではないと。
だからペテン大作さんも受診すべき時は受診するのが賢い人生の選択だと思う。
この>>30の書き込みは私がアゴン宗退会後もこうして批判の書き込みに余念がないことを
亡き父などは知らなくてよかった、知ってたらさぞかし悲しむことだろうに
と哀れんだつもりです。
しかし私はアゴン宗を退会した経緯としてネットの掲示板でアゴン宗の欺瞞情報を知り
自分は信者としてそれに反論、議論もした上で目が覚めて、よく理解して
アゴン宗を退会したと両親に表明したこともあります。
今でも批判側としてアゴン宗を客観的に批判する意見を書き込むことに対しては
何一つ恥じることのない活動だと自信があり、なんなら両親に私の書き込み内容を
プリントアウトでもして読ませてやりたいくらい自信がある。

261 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 12:54:44.74 ID:C+LGmqGx.net
>>30 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi
>やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

>親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

それから私は父が亡くなってまもなく少し書き込みの自粛表明もここに書いたが、
しかし少しして取り消すことにした。今でも喪に服するなんて気持ちは一つもない
と堂々と宣言したいし、やるべきことはやりつつ余暇含めた他の活動は
ますますハッスルしたいと思っている。
しかしこのような感覚は人により考えも違い個人差がありましょう。
だから私は自分のことだけで他人に関与しない。
しかしペテン大作さんのように私の書き込み活動に対して上記のような嘆きの発言を
投げるなら、それは自分に投げたことになるだろう。
病院受診を心配されるような異常な執念、親は悲しんでないか?と。
ペテン大作さんの親御さんがどうしてらっしゃるか知らないが。

262 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:55:52.72 ID:gGa3HF0/.net
はっきり言っておく。

釈迦の説いた修行は全て本末転倒のお遊び、道楽でしかない。

263 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:00:40.51 ID:gGa3HF0/.net
宗教の原型、基本は全てここに集約されます。仏教も同じ。
私が再三説明してきた殉教(肉体の死ではない)や割礼(心の割礼)、出家(魂の出家)と同義です。


🔷日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。
これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれます。
たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。

264 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:02:18.48 ID:+91XUQcG.net
>>250:深山
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
>「心の安定」が解脱を表すことは、阿含経を読んでいる人にとっては常識です。

その「心の安定し」はパーリ三蔵にはありません。
原文には無いのです。
これを何度も言ってるのだが、それを無視して書き続ける。
もう反論する余地が無いから仕方ないのは分かるが、
こういう醜態は見ていてあまりにも哀れですね。

>>251:深山
>繰り返すが、四禅で解脱すると言っているのではありませんよ。
>誰がどう読んでも、四禅の説明の所に、釈尊は解脱していることを表明している。
>私はただそれを指摘しただけです。

ご覧ください。
結局、この人の言いたいのはこれです。
釈尊は四禅で解脱を主張してるぞ、でも俺は言って無い。
もうこの人は議論する資格すらありません。

265 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:12:25.39 ID:gGa3HF0/.net
釈迦の優しさは傲慢の裏返しである。

266 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:15:53.29 ID:+91XUQcG.net
>>252 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:20:06.50 ID:OhkcSJdG
>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。

>576が七年間、ペテン大作さんが書き続けたことです。
>ところが、根拠がないことを示されて、ついに>>190を認めた。
>七年間主張した事を変えたのです。

私が七年前か書き続けたことを、深山さんはどうして今になって急に言い出したのでしょうか?
それは、四禅で解脱するというのが嘘であることを、本人が気づき始めたからです。

>>253:深山
>彼の「深山は四禅解脱を主張した」は完全に嘘であり、
>彼自身が>>190で認めるしかなくなった。

認めたわけではなくて、「深山は四禅解脱を主張した」と書くと、
どこに書いてあるかと煩いのでやめただけです。

でも四禅解脱が嘘であることを、深山さんが気づき始めたことは、進歩だと言っていいでしょう。
7年間にわたる彼の誤解がようやく溶け始めたのですから。
私のレスが役に立ったのかと思うと嬉しいですね。

267 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:19:50.08 ID:+91XUQcG.net
>>256>>257:深山

私には謝らなくてもいいから、
釈尊には自分の間違いを認め謝罪してください。
私は見てませんから気にすることはありません。

268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy.net
四禅を会得しても完全な涅槃ではない、という意見は仏教学者の意見です。岩波仏教辞典の「四禅」の説明に書いてあります。我はその学者の説明を支持しているだけです。

深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。
学者は「心の安定」と訳しただけで、解脱とは訳していない。「心の安定」が解脱を示すことは阿含経の常識だと深山くんがレスしていたが、それも勝手な思い込みだね。そういうのは文脈全体から慎重に判断せねばいけない。

そういう勝手に判断する深山くんの癖が、桐山教法についても間違った解釈をして、大間違いの批判をしているのです。そういう人が、
阿含宗で失敗したのは当たり前ですね。

269 :一来補:2015/09/15(火) 15:05:01.85 ID:jfb6XtVy.net
だいたい、少し勉強すれば、四禅は色界の禅定法だと分かるし、そうすれば四禅で完全な涅槃を得たことにはならない、と分かるはずだね。
なのに、心の安定、と訳がある。
どういうわけか?訳の間違いか?
と考えていくのが普通の人だね。

深山くんみたいに、心の安定、と訳があるから四禅で解脱するのだ、と単純に考える人が珍しいわけでね。
大局的に考える力に欠けていると、そうなるのですね。

270 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 15:07:02.33 ID:gGa3HF0/.net
はっきり言っておく。

釈迦が行ったとされる修行は伝聞されていない。
当たり前である。悟るための修行などありはしないのだから。

262
*釈迦の説いた修行 → 釈迦が行ったと伝えらる修行

271 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 17:14:12.47 ID:xgH7kbIO.net
別にすれば、生老と謂う輪廻と病死と謂う転生のいずれのなかうち、輪廻が弁証されるば再生となり回答ではないしました。輪廻にアートかないのか

272 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 18:29:08.07 ID:gGa3HF0/.net
天界に生まれよ。
輪廻から解き放たれん。  釈迦

この釈迦の考えは宗教の基本形と一致します。
また、キリスト教にお詳しい方はピンとくるはずです。

宗教とは真実の世界なのですから一致しないほうがおかしいのですが。

273 :一来補:2015/09/15(火) 18:41:15.24 ID:jfb6XtVy.net
だが、己の間違いに気づくことは良いことだ。
それが成長でもある。己の間違いに気づくことは楽しいことであるよ、新発見であるからね。
だが、深山ユビキタスくんなどは、己の間違いに気づくことが苦痛らしい。レスを見てそう感じる。己の我見を自覚したことがないからだろう。

我は、輪廻する葦本を読んで、煩悩の数が百八でないことを知った。それまでは百八だ、と思い込んでいたから、それが我見を自覚した最初であるね。輪廻する葦本には、我見を無くす修行からせよ、と書いてあった。
自分には煩悩の数を間違って思い込んでいるような、我見が沢山あるはずだと考えた。桐山師の本の指導に
素直に従ったのは当たり前です。

深山ユビキタスくんには、我見の自覚がないのではなかろうか。シュダオンに成らないうちは、必ず我見があるのですよ。間違って思い込んでいることが必ずあるのですよ。それが我見です。

274 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 19:54:19.45 ID:C+LGmqGx.net
光明寺経蔵サイト−沙門果経−のパーリ原文との対比現代語訳
http:komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c18.htm

234-1.

234.“So[puna caparam maharaja bhikkhu so(ka.)]evam samahite citte parisuddhe pariyodate anangane vigatupakkilese muduhute kammaniye thite anenjappatte nanadassanaya cittam abhiniharati abhininnameti.

訳文

彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、行為に適した、往立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。

samahite 入定した、定置した
parisuddhe 清浄の
pariyodate 浄化した、清白の、すぐれた
anangane 無穢の
vigata 去った
upakkilese 小さい煩悩、随煩悩、随染

275 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 19:56:07.92 ID:C+LGmqGx.net
光明寺経蔵のリンク貼り直し
http://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c18.htm

276 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:04:37.35 ID:C+LGmqGx.net
>>264 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 13:02:18.48 ID:+91XUQcG
>その「心の安定し」はパーリ三蔵にはありません。
>原文には無いのです。
>これを何度も言ってるのだが、それを無視して書き続ける。

どういうことでしょうか?
>>274に沙門果経の該当の箇所のパーリ原文と訳文を掲載し、根拠となる単語の意味も添えました。
心が安定の箇所は安定ではなく入定したになっていますが、意味は安定と同じですし、
清浄も無穢も随煩悩を去ったもあり、これは、春秋社の原始仏典の学者の訳も
この訳も極めて原文に忠実に訳し、意訳すらしていません。
これなのに、どうしてあなたは原文に無いなどと言うのですか?
必ず回答してください。

277 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:11:05.31 ID:C+LGmqGx.net
>>268 一来補 2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>四禅を会得しても完全な涅槃ではない、という意見は仏教学者の意見です。

はい、そのとおりです。四禅を会得して涅槃に入るのではない。
しかし深山さんも私もペテン大作さんも誰もそんなこと言ってないのです。
誰も言ってないことに突っ込んだ気になってどうするの?
ほな、さいなら。おやすみなさい。

278 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 20:36:27.90 ID:/ETSQlE1.net
相変わらず気持ち悪いなw この砂場でしかおやすみなさいって言わないんだろ? ここがホームだからなw

279 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:39:22.52 ID:C+LGmqGx.net
>>278
おかげさまでハッスルしてるもんで(^◇^)┛

280 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:24:07.74 ID:+91XUQcG.net
@論拠が無ければただの妄想。深山説はカルト脳が作り出したゴミ!!!

>>251:深山
>だから、私が>>228>>55さんが引用してくれた学者による翻訳を三つ示した。
>同じ原文を三人の学者が訳したものです。
>三種類の訳が載っているが、「心が安定」「心が、安定」「安らかに住して不動」と
>表現は微妙に違うが、これから見ても、「心の安定」という訳は間違いない。
>ご存じと思うが、これらを訳した三人は仏教学の大家です。

その三人の仏教学大家の一人、片山一良氏は、「心が安定」を解脱とは解釈していない。

「ここにいう「心が安定し」には 四禅に四無色定を含む八等至の自在が意味されて いる。」
(『パーリ仏典入門』96頁)

「カシナ(遍)の順逆など十四種の行相により、<八種の禅定(samāpatti)において自在になっていること>をいう。」
(『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、55頁)

また、他の学者の解釈として、以前にこれも紹介した。

「このように、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、
不動なものとなると、かれ(修行僧)は、〔次のような〕理解洞察に対して心を傾け、〔心を〕向けます。」)
                       『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修)
(上の註として)
「神通を行なうには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」(pādakajjhāna)と呼ばれる。
「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」 (同書605頁)

「心が安定し」の解釈としては、八等至とするもの、第四禅とするものがある。
それに対して、「解脱」と解釈しているものは一つも無い。
あなたに要求したのについに出せなかったし、こちらも調べたが無かったということは、世の中に存在しないからだろう。
議論においては、主張を裏付けるものが無ければただの妄想です。
あなたのは正にそれにあたる

281 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:26:01.31 ID:+91XUQcG.net
@経典中の「心が安定」は解脱であるという論拠は出せないようだ!!!

それと、あなたは「心が安定」という語句が仏教では解脱を意味すると言っている。
もしそうであるなら、前にも書いたが、「心が安定」という語句は、第二禅に出てくる。

「比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、
心の安定より生じた喜びと楽のある、第二の禅定に達して住みます。」

あなたの理屈でいけば、「心が安定」が解脱の意味なら、比丘は第二禅で完全解脱したことになる。
これについては反論が無かった様だが、どうなんですかい?
まあ、反論できないからスルーしてるのだろうけどね。

@深山さん、比丘は四聖諦で解脱する話には反論無しですか?

「心が安定し」にばかり噛み付いているが、
>>242「1.経典には「比丘は四聖諦を知った後に解脱する」と書かれていること。」
については反論しないのか?
できない?
分かりました。

282 :総統:2015/09/15(火) 21:33:44.92 ID:FuRSCmcj.net
このスレは阿含批判でなく俺様がブッタの智慧を理解している賢者だと天狗になるスレだw
それもブッキョー本やサイトのコピペに受け売りで

ブッキョーマニア餓鬼VSブッキョーマニア餓鬼のリングですたい。

ハッスル軍はユビキタスでモンスター軍はと

283 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:41:57.32 ID:df7GZbQX.net
>>262, 皆さんがとやかく仰る事がとうとう此処に尽きるのです。
 阿含経には明確な修行方法が残っていない。
 世間有効な事が有ったならば此処までの謂われ方はない。
 私の見解ではそっくりと肝心な伝承を消された文献、それが我々が今見ている阿含経である。
  その理由とは、出家し年月を経ても法を得ない比丘たちが己の立場を護る為に
 わざと肝心の伝承を消滅させた経を後世に伝えた。
 出家して形のみ49日ごとに剃刀で
 頭を剃り、托鉢して衣食を得ることの方が泥にまみれ農耕などするよりも安楽だったからです。
 形態のみ僧であっても中身は俗人よりも劣る坊さんが上座に上りエバリ腐った結果である。
 と考えています。
 
 (釈迦直弟子と孫弟子までは成仏する比丘あり)と記録にあって以後は途絶えます。
 括弧の中のその理由を考えると以上の推理に及びます。
 では桐山師が提唱する密教と阿含経のミックスがどれ程有効なのか?
 という疑問に行き着くのですが、いかんせん密教は難し過ぎて手に負えない
 人が殆どです。
 生起次第、究境次第と言う用語は西蔵の密教用語ではありますが。ほぼ
 同様の観相熟達を要しますので修行は困難極まると申せます。
 
 

284 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:04:57.35 ID:C+LGmqGx.net
おや?>>276で私がペテン大作さんに質問した回答がまだ来ないな?
>>280>>281を書く時間と元気がありながら。
私の質問に対する回答よりも前に自分が深山さんにつけたい>>280>>281のような
いちゃもんでも主張でもするのは自由です。
だから私はそれが終わるのを待つことにしました。
しかし>>281で止まったっきり私には無視ですか?
私の質問内容は>>280>>281であなたが主張しているような「心が安定し」を解脱と
認めるか認めないかという解釈の問題ですらありません。
「心が安定し」はパーリ三蔵にない、原文に無いと書いた真意です。
これは解釈の問題ですらない。
どういう真意でこれを書いたのか説明してくださいというものです。
あなた自分の発言に責任を持てないのですか?
原文にないと書いた理由、根拠を説明してください。
私はパーリ原文と訳文を引用して示しましたから。
これには自分の考えだの解釈なんてものはありません。

285 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:10:26.84 ID:FuRSCmcj.net
>>284
tubeに妖怪大戦争の映画がUPされてるから見たまえ、
まさしく、ここだ。

286 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:12:58.75 ID:Lp4bxmqc.net
>283
いや密教はヒンズー教を取り入れたものだしw
もともとないものを無理やりこじつけるから難しくなる
阿含経は消されたんじゃなくて、まんま釈迦の言行を載せたものだし
まあ多少いらん物はいっているらしいが、
消されたとかいってるのは桐山さんの言うような超能力霊能力開発方法
とか求めるからだろ、そんなもんハナからねえよw桐山さんの言うようなのは
妄想語ってんじゃねえよw

287 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:29:17.82 ID:+91XUQcG.net
>>276 :ユビキタス
>心が安定の箇所は安定ではなく入定したになっていますが、意味は安定と同じですし、

samāhite(入定した)は、samadhi(三昧)とかsamāpatti(禅定)とかの類語だろう。
この samāhite を学者たちは、「心が安定した」と翻訳したのだろう。
「原始仏典〈第1巻〉」で、“「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している”
という説明は、samāhite(入定した)から来ているのがわかった。
これが解脱だなんてどこから来るんだ?

288 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:40:45.33 ID:C+LGmqGx.net
>>287 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:29:17.82 ID:+91XUQcG
>これが解脱だなんてどこから来るんだ?

だからこれが解脱であるかないかの話ではないと書いたでしょう。
原文に無いと書いたそこの部分にのみ質問したのです。
心の安定は誤訳であり、単に禅定に入ったとするのがあなたの主張か?
あなたはまたごまかしている。安定の訳だけにいちゃもんをつけるが、
では清浄や無穢や小さな煩悩去ってという訳はどうなるのだ?
我々は安定だけでなく、清浄も無穢も随煩悩去っても立派に解脱の状態、内容
(時期、時間、段階の話ではない)を表現したものとしている。
清浄、無穢、煩悩去って、これらの訳に相当する言葉もパーリ原文にないとするか?
あるじゃないか!
それを解脱とみなすかどうかは次に考える問題として。

289 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:43:10.29 ID:+91XUQcG.net
おや、ユビキタスはまだ返事が来ない。
まったくこいつときたら質問ばかりしてきて、
こちらが訊いたことはスルーするんだよな。
心解脱、慧解脱についてもそうだった。
イチャモン付けてきて反論されたらそれっきり。
まったく世話の焼ける小僧だ。

290 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:46:27.48 ID:C+LGmqGx.net
>>289
>>288にしましたが?

291 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG.net
>>288
>あなたはまたごまかしている。安定の訳だけにいちゃもんをつけるが、
>では清浄や無穢や小さな煩悩去ってという訳はどうなるのだ?

どうもこうもない。
「心が安定」という言葉が原文に無いといっただけで
清浄や無穢や小さな煩悩去ってが無いなんて言ってない。
これらの言葉があっても解脱ではない。
「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。
いくら強弁しても駄目。
比丘は四聖諦を知ったあとで解脱するのだから
「心が安定し」の文句には解脱の意味は無い。
わかったら歯を磨いて寝ろ。

292 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:59:11.47 ID:C+LGmqGx.net
>>291 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG
>「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。

なるほど。光明寺サイトの訳はよくても春秋社の訳は意訳し過ぎとしたいわけね。
禅定に入るとはまさに心を安定させることに他ならない。安定しない禅定などない。
ならばあなたの入定「解釈」は、受け入れる受け入れないは別として一応理解したが、
結局経典は安定以外に清浄とか無穢とか随煩悩去ってとマルチに表現しているのだから
安定表現一つとって解脱ではないとするには、それこそ無理押しではないか?

293 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:08:52.09 ID:C+LGmqGx.net
>>291 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG
>「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。

だって第四禅に入定しただけで、随煩悩というものは去るものなんかい?
去りゃせんよ。もっと深い禅定でも煩悩は去らなかった修行経験があるのだから。
だから安定(四禅に入っただけというあなたの解釈)=清浄=無穢=随煩悩去る
という図式はあなたの解釈では成り立たないことになる。
ではあなたの頑なな入定解釈を妥協してでも認めてあげるとすると、今度は
安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るという図式になる。
経典に清浄や無穢や随煩悩去るまで記述されちゃっているのだからね。
そうなると解脱と認めるか認めないかの考察は、今度はそこに目を向けねばならないが、
よろしいか?

294 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:09:13.53 ID:+91XUQcG.net
>>292
>安定表現一つとって解脱ではないとするには、それこそ無理押しではないか?

全然無理押しではない。
心の安定しは第四禅に入ったことの表現なんだから、
比丘は第四禅に入って智に心を向けたということ。

295 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:12:17.96 ID:+91XUQcG.net
批判側も大変だ。
完全に論破されているのだが、
とにかく書かないことには負けてるように見えてしまう。
明日もカルト脳さんが頑張るのだろう。

296 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:12:35.21 ID:C+LGmqGx.net
>>294
無理押しとは「清浄、無穢、随煩悩去って」の記述もあることを無視して
安定表現だけで結論を急ぐことを言っているのさ。

297 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:18:56.41 ID:+91XUQcG.net
>>293
>ではあなたの頑なな入定解釈を妥協してでも認めてあげるとすると、今度は
>安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るという図式になる。

批判側は、心の安定=清浄=無穢=随煩悩去るという図式だったよな。
今になって変更しても駄目です。

298 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:19:27.11 ID:SIb5ufPm.net
桐山がとても滑稽にみえるよ。アホにさえ見えてくる。

解脱とは魂の道筋そのもの。そしてその過程は修行ではない。
しかし仏典にかかれているそれ(出来事)を人は悟り至れる修行と勘違いする。
釈迦はそれを諌めようとするも弟子たちは理解せず。
解脱への道は一つだけ。魂の道筋の入口に入るのみだと言うのに。

299 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:22:51.85 ID:C+LGmqGx.net
>>295
あなたが書いていることはそのまま自分自身のことを表現していないか?
親御さん発言も然りで、昼に逆にあなたの親御さんは心配していないか?と書いたとおり。
これは全くの憶測だが、あなたは親御さんと同居していないか?
妻子がいるようには見えない。
だとすると私が妻子がいないことを貶したことがあるが、それも自分を貶したことになる。
私の独身は自分で晒したものだが、あなたはコンプレックスが深いのですね。
親御さんと同居すると勝手に想像したのは私に風呂掃除のことで腐したことから。
風呂掃除なんて誰でも普通に当たり前にするだろ?
そんなことを腐しにかかるとは自分も風呂掃除をしてないからでないか?
つまり同居の親御さんにまかせきりなのではないか?と考えた次第。
また親御さんと同居ならば失業していてもなんとかなる。
親御さんを食わせ養うのでなければ。
いや、親御さんと同居は貴重なことですよ。
あなたは関東生まれの関東育ちだと思えるから、わざわざ別居しなくてよい。
親孝行ができる時にしておくがよい。悲しませないように。

300 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:25:38.58 ID:+91XUQcG.net
>>299
おい、いきなり何言い出すんだ?
これもカルト脳がなせる業か?

301 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:26:08.67 ID:C+LGmqGx.net
>>297
ほう?安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るの図式の変更は認めないよ、ってか?
その図式だと困る理由とかあるんですか?
とにかく経典はあのシーンで清浄、無穢、随煩悩去るを記述しているのは
動かせない事実なんですよ。

302 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:27:03.38 ID:+91XUQcG.net
残念ながら風呂掃除してます。

303 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:30:01.52 ID:+91XUQcG.net
>>301
>ほう?安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るの図式の変更は認めないよ、ってか?
>その図式だと困る理由とかあるんですか?

困るのではなくて安定=清浄=無穢=随煩悩去るで正しいのです。

304 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:36:27.28 ID:C+LGmqGx.net
>>303 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 23:30:01.52 ID:+91XUQcG
>困るのではなくて安定=清浄=無穢=随煩悩去るで正しいのです。

私もそれで正しいと思い、→に変更する気などありません。
しかしそれだとあなたは安定を単なる四禅入定の表現とみなしたのだから
すると人間というものは四禅入定するだけで清浄になり無穢になり小さな煩悩までも
なくなってしまうとみなしたことになる。
釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

305 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:40:28.36 ID:C+LGmqGx.net
>>304
おっと!ペテン大作さん向けに表現変更。

×釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
 結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

○釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
 結局それでは煩悩はなくならず、師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

306 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:41:41.22 ID:C+LGmqGx.net
>>302
ではお互いに独身生活を謳歌しましょう。

307 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:46:05.22 ID:+91XUQcG.net
>>304
>すると人間というものは四禅入定するだけで清浄になり無穢になり小さな煩悩までも
>なくなってしまうとみなしたことになる。
>釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
>結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

ユビキタス、よくぞ言った。
今日一番のレスだ。
四禅とはそれだけ深いものなのだよ。
だが、四禅だけでは、解脱は成就しなかったのです。

話はそこまで。
二人の仙人の話は少し複雑なのでやめましょう。
興味があったら、並川氏が色々書いてますので
読んで見て下さい。

308 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:54:16.30 ID:+91XUQcG.net
>>299
>親御さんと同居すると勝手に想像したのは私に風呂掃除のことで腐したことから。
>風呂掃除なんて誰でも普通に当たり前にするだろ?

少し気になったのだが、私、風呂掃除のことで腐したかな?
フーゾクのことは言ったけど、記憶に無い。
別の人じゃないか?

309 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:57:43.78 ID:SIb5ufPm.net
はっきり言っておく。

魂の道に入りそして出る過程に解脱あり。
現実に何かをすることで解脱に至ることなし。

310 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:04:20.64 ID:h0CLIwwt.net
>>307
>>305の訂正をよく読んでね。
九次第定で煩悩の滅を得られなかったのです。
それが解脱であるかはここではさておくとして。
ところが今回はなぜか四禅の入定を終えた段階で煩悩が去っている。
これはどうしたことか?
つまり四禅なんて条件の一要素に過ぎず、煩悩滅に成功したのは別の精進があったからです。
正見(慧)に基づく正定などの八正道の実践。
四禅という立ち位置にとらわれないことです。
時に私は地理、場所にこだわる。これまで全国47都道府県で172球場+11学校グランドで
野球観戦を続けているのは場所へのこだわりです。
しかしそもそも野球なんてものはその勝ち負けの技術を考えるならば野球場が
左右するものではない。
私が多くの場所にこだわるのは、日本百名山とかを求める自己満足の趣味に過ぎない。
しかし仏道の修道とは趣味ではない。場所ではない。立ち位置ではない。
内容です。
だから三学系統の段階的修行道だけに目を奪われず八正道の螺旋的修行道との関連に
着目したニカーヤ論文は注目すべきなんです。
本来は初心の段階でなさねばならない正見の内容は、どうして最終段階の慧と同じなのか?

311 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:11:00.79 ID:xPDV6Cd/.net
>>299
これのことか?
だったら私=>>295ではない。


144 :神も仏も名無しさん:2015/04/30(木) 08:41:45.15 ID:mucNZsnH
もう二度とユビキタスは来ないね 自分から正体バラしたようなもんだ
○十字診療所のお医者さんは千葉大医学部卒だから、そのコネで入れてもらったんだろ
ユビのお母さんは旦那さんが亡くなって気落ちして認知症がひどくなったんだろうな
もうこの辺で2ちゃん卒業したらどうだ? 実家に戻って風呂掃除はやってるのか?

312 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:15:46.74 ID:xPDV6Cd/.net
>>311
>だから三学系統の段階的修行道だけに目を奪われず八正道の螺旋的修行道との関連に
>着目したニカーヤ論文は注目すべきなんです。

自分で見つけたように言うなよ。
教えてもらったくせに。

自分で

313 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:22:41.15 ID:h0CLIwwt.net
>>312
ニカーヤ論文については誰が発見したかではなく、どこをどう読んだかという点が重要なわけ。
あなたは三学系統の段階的修行道だけに着目しただけに過ぎない。

314 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:24:25.65 ID:h0CLIwwt.net
>>311
その書き込みは違う人かもしれないけどね。

315 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:51:12.89 ID:xPDV6Cd/.net
>> :ユビキタス
>あなたは三学系統の段階的修行道だけに着目しただけに過ぎない。

そういう嘘を言うなよ。
八正道についても書いている。

374 :神も仏も名無しさん:2015/09/01(火) 11:43:08.24 ID:WaO8YENg
@三学と八正道は同じ修行方法だった!!!
八正道の修行法

>>314 :ユビキタス

ではどの書き込みだ?
私が書いたというレスを示しなさい。

316 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 01:02:10.52 ID:h0CLIwwt.net
>>315
八正道と同じだから八正道もまた段階的修行道の順番であるに違いないという
読み方しかしていないのが丸わかりよ。
八正道を行う基本は正見による正邪の判断が、正定や正業や正語や正思惟の基盤に
なっているわけだが、その正見は三学系統の段階的修行道の中では一番最終の
慧の内容が相当する。
これはいかなることか?
ならば最終の慧(三明の立ち位置)を得るまで正定も実践できないことになってしまう。
ところが実は三明以前に定・慧を絡めて修行しているのです。

それから風呂掃除腐しがあなたでないとするのなら、それは私の見込み違いであり、
憶測をするにしても誤謬があり、誤解を与えたことをお詫びします。
まあ要は親と同居だろうが独身だろうが、そんなことを他人を非難する
材料にしてはいかんと言うことよ。

317 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 01:32:25.83 ID:Z+gSbEJ8.net
People & People - Englishman In New York (Sting)
https://www.youtube.com/watch?v=cxYATmeZDk8

Englishman in New York - Julien Riviere cover
https://www.youtube.com/watch?v=K5r-eaMtu4w

Nomad | Funk Alaturka - Englishman In New York (Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=6-t14OvYEak

318 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 02:15:43.81 ID:xPDV6Cd/.net
>>316:ユビキタス
>八正道と同じだから八正道もまた段階的修行道の順番であるに違いないという
>読み方しかしていないのが丸わかりよ。

八正道も三学も修行の順番は同じです。
あなたは理解していないようですね。
ニカーヤ論文の10頁の中段から下にかけて説明があります。
「修行の方法としては三学系統と全く変わらない」以下の文章です。

>まあ要は親と同居だろうが独身だろうが、そんなことを他人を非難する
>材料にしてはいかんと言うことよ。

私がいつ同居か独身かであなたを非難しましたか?
>>295で私が書いたことに対して、あなたは、私が風呂掃除を腐したと言い、
私を独身だの親と同居してるだのと勝手に憶測を並べた。
これは褒めているのではなく貶しているのです。
非難したのはあなたであって私ではありません。
言いがかりはやめてください。

319 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 07:48:18.68 ID:h0CLIwwt.net
>>308
まず三学と八正道の問題に関しては後回しにして切り分けるが、風呂掃除発言の主に関しての
詮索違いがあったのなら改めてお詫びする。何しろ詳しく過去スレを遡らないと
たしかめられず、この問題ごときでそんな労力を費やす気がない。
白十字うんぬん書いていたのはあなたと別人であるとは前々から思っていた。
しかし独身のことを貶したり風呂掃除発言の主があなたと関係あるのかははっきり
しなかったと言うか、口調その他からあなたと誤解していたと思う。
以前に人間は結婚して子どもを養うことが任務だと、狭い了見を書いた人がいた。
あれはあなただと思っていた。
ではもしそう書いた人も独身だとすると、その発言には何の説得力もなく、
他人を批判する資格はないことになる。
今回はっきりしているのは>>30>>295が同日のIDからペテン大作さんとわかる。
>>30では私の肉親が私の今の状況を知らなくてよかったと嘆いてみせている。
ならばその言葉は逆にペテン大作にそのまま返してあげたいと思った。
ペテン大作さんが独身であろうが妻帯者であろうが、親と別居していようが、
あなたの異常な執念は親が見たら悲しむだろうと思った。
だから他人のことなど言えないはずだ。
>>295についても同じで論破されているのにいろいろ書くことにより勝ち誇る空しさは
そのままペテン大作さんを表している。
そんな話の中で、独身やら親の話もこの際憶測だと断りを入れて書いてみたのだが、
事実と異なるのであれば謝罪はしたい。
詮索をする方(私)に問題があるとは言え、あなたもできれば混同を避けるために
昔のようにハンドルネームをつけてくれるとありがたい。
あなたはまだ深山さんが名無しで書いており、私はいかなる時でもユビキタスを名乗り
あなたもいろいろなハンドルを使っていた時、ユビキタスのあり方が正しく
名無しさんもハンドルをつけるべきだと書いていた。
ところが今度はあなたが名無しになってしまった。

320 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 07:50:29.91 ID:JMO7Szzw.net
 
深山里的孤独老人   http://www.xici.net/d210509038.htm

321 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 08:00:10.02 ID:mgHJbqFX.net
しくじり先生に出た辺見マリの話しはすごい。
http://news.livedoor.com/article/detail/10530667/

番組見た人は知っていると思うが、ここも同じだよ。

322 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 08:08:20.36 ID:h0CLIwwt.net
今日は朝から普段よりいろいろ仕事があるので、今朝はここまでとするが、
また八正道と三学の問題について考察してみたい。
ここは仏教を考察するスレではないのだから、桐山アゴン宗に関係ない仏教考察は
スレ違いになるのだが、桐山さんが説いている成仏法技法と八正道に見る
教えの実践による解脱との違いを理解してもらえる材料にできたらと考えている。
三結断じて預流・シュダオンだが、ニカーヤ論文には、その三結の有身見・疑惑・戒禁取と、
それを断つ慧の問題も書かれているし。
三結から離れるのは慧の働きです。
この慧の悟りが一番最後にしかなかったら釈尊は三明で、預流となりシュダオンに
なったことになってしまう。
そんなことも含めて考察したいが、ニカーヤ論文のリンクを先に貼り直しておく。
ここはペテン大作さんとの対話だけにあるのではないのだから、公開を基本とする。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6940/1/ib004001.pdf

323 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 08:27:14.89 ID:h0CLIwwt.net
>>212 神も仏も名無しさん 2015/09/13(日) 21:34:37.90 ID:58t+T3CW
>ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
>「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

ペテン大作さんが自説を強化してくれると思い込み、ワンダフル!と賞賛した中には
引用しなかった上記の部分もね。

324 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 08:39:49.13 ID:xPDV6Cd/.net
>>319 :ユビキタス
>>295についても同じで論破されているのにいろいろ書くことにより勝ち誇る空しさは
そのままペテン大作さんを表している

論破されたのはあなた方でしょ?



>>199
それよりも、梵網経を読んでみて解ってきたことがあります。
それはあなたが主張する以下の内容を肯定するものです。
 「釈尊は「比丘が解脱するのは四聖諦の後である」と述べた点。
です。
つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。

>>212
最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
それを破るのが<慧>の中で最高の智慧だと釈尊が説いた「漏尽智」であり「四聖諦」を知って
「貪・愼・痴」という三つの煩悩から完全に解脱したのです。

325 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 11:59:49.92 ID:iGRC9psQ.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

・・・書いてしまった。
また一来補さんの如来への罵声が増えましたね。
こういうことにならないように、私は丁寧に、口を突っ込まないようにと
書いたつもりだが、一来補さんの常で、しないほうがいいと言われると、
むきになって、わざとそれをする。
若い頃からあなたはそうだった。

「心の安定」が解脱ではない?
>>229のどこを読んでいるのだ?
あなたはこれらの阿羅漢たちの解脱を否定したわけだ。
ペテン大作さんも>>229を示されても、完全に無視して、>>280などで
学者の文章をツギハギして、相変わらず「心の安定」が解脱ではないと主張する。
第二禅の説明の中の「心の安定」の記述もユビキタスさんも私も
解脱だと述べているのに、返事をしていないなど書いている。

ペテン大作さんも一来補さんもどうにもならないようだから、
これを読んでいる他の信者さんたちだけでも阿含経を理解する努力をしてほしい。
ペテン大作さんの出しているテーマはアゴン宗とは関係ない話だから、
信者さんたちは冷静客観的に読めるはずです。
心情的にペテン大作さんの味方をしたい気持ちはわかるし、
何をどう信じるかは信者さんたちの自由だが、その前に、阿含経は
もちろんのこと、批判側の主張であってもまずそれを正しく理解してほしい。

326 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:05:52.33 ID:iGRC9psQ.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

他の信者さんたちにまず同意してほしいのは、阿含経こそが釈尊の
説いた仏教そのものであり、これが第一級の資料であり、
たとえ大学者の解釈でもそれは二級以下でしかないという点です。
>>229はその第一級の資料である阿含経です。
これは阿含経に残された解脱者たちの言葉です。
その彼らが自分の境地を「心の安定」と表現しているのを見れば、
解脱であることはあまりに明瞭ではありませんか。
文章も簡単明瞭でわかりやすく、一つや二つでないことを見てもわかるように、
「心の安定」が解脱であることは議論の余地がない。

信者さんたちの中にも「心の安定が解脱だなんておかしい」と思う人もいたかもしれない。
だが、それはまず自分を疑うべきです。
>>229にあるのは解脱者本人たちの言葉ですよ。
解脱者に向かって、解脱者でもない信者さんが、おかしいというのは、
言っているほうがおかしいですよね?
「心の安定」が解脱だと理解できないのなら、それは経典がおかしいのではなく、
理解できないペテン大作さん、一来補さんのほうがおかしいのです。
ですから、この二人は放置して、他の信者さんたちは
釈尊と弟子たちが説いた解脱とは何かを理解する努力を続けましょう。

327 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:11:05.48 ID:iGRC9psQ.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

>>229の解脱者たちの言葉は簡単でわかりやすい。
一方、他の信者さんたちはペテン大作さんの、心の安定は解脱では
ない、という>>280などの書き込みの内容を理解できますか?
難しい言葉と解釈が並んでいるが、何を言っているのか良くわかりませんよね?
阿含経の単純明瞭な内容にくらべて、どうしてこんなに煩雑な説明なのでしょう。
意味を歪めて解釈しているからです。
>>280の単純な内容を捻じ曲げて、逆の意味にしようとすればこんなふうになる。

ペテン大作さんの引用した学者の文章のどこに「心の安定は解脱ではない」
と取れる内容があるのですか。
ありません。
ところが、書いていないのに、彼は書いてあるかのように読んでしまう。
学者は、四禅の後に神通を行うのだと書いているだけです。
これは沙門果経がそのような順序で書いてあるからです。
繰り返すが、学者は「心の安定とは解脱ではない」とは書いておらず、
単に沙門果経に記述され順序をそのまま説明したにすぎないのに、
ペテン大作さんの目には、「解脱はまだしていない」と読めるのです。
おかしいでしょう?
なぜだと思いますか?
桐山さんと同じ間違いをしているからです。

328 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:17:21.35 ID:xPDV6Cd/.net
@深山説は妄想に過ぎない!!!(>>242の簡略版)

深山さんは、「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べた」と言った。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」は解脱だからというのがその理由。

だが、経典の記述では、比丘の解脱(心解脱・慧解脱)は「四聖諦を知った直後」になっている。

また、「心が安定し」について仏教学の大家は解脱とは解釈していない。

 「心が安定し」は、四禅に四無色定を含む八等至の自在の表現(片山一良 氏)

 「心が安定し」は、神通を行う「基礎となる禅」=第四禅 に入ったことの表現(中村元 氏)

経典の記述や仏教大家の解釈を見れば、深山説が妄想であることは一目瞭然。

経典を贋解釈し仏説を歪めるのは、重大な悪質行為である。

329 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:19:39.46 ID:1sLGOLmX.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

桐山さんは、四神足ホウという特殊な修行法で解脱するのだと主張している。
四神足ホウで神通力を体得して、それでカルマを断ち切った時が解脱だという主張です。
これがいろいろな意味で間違いなのです。
神通力で解脱するとか、カルマを断ち切るというのも間違いだが、
中でも一番の間違いが、○○法という高度な技法で解脱するのだという点です。
人工衛星の打ち上げに例えたように、ロケットという特殊な手段があり、
それを手にいれることで解脱という軌道に乗るのだと信じている。
桐山さんに限らず、仏教に興味を持つ多くの人が似たような誤解をしている。
信者さんたちもそうだし、ペテン大作さんは言うに及ばずです。
だから、桐山さんは阿含経からチャクラを開発するための呼吸法として
安那般那念経や止息経を発見したと宣伝している。
前にも申し上げたが、両者とも呼吸法の経典などではありません。

信者さんたちの多くは、解脱とは○○法という神秘的で
素人にはとうてい理解できないような方法で解脱するものだと
桐山さんから教えられて、信じ込んでいる。
桐山さんもペテン大作さんも必死にそれを阿含経から探そうとした。
四神足、止息、九次第定、漏尽定などそれらしい言葉を見つけて、
「これがそれだ!」と彼らは歓喜奉行した。
だから、四禅で解脱したのかどうかに激しく憑りついている。
沙門果経の四禅の段階では解脱しているが、四禅で解脱したのではない、
ということがペテン大作さんの頭では理解できないのです。
四禅で解脱するのでなければ、なんで解脱しているのだ?と
彼は自分の無理解を棚に上げて、批判側の矛盾を突いたつもりでいる。

330 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:24:54.86 ID:1sLGOLmX.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

解脱するための○○法なんてないが、あえて言うなら八正道です。
私が言っているのではなく、釈尊本人がそのように述べている。
第一級の史料である阿含経で、釈尊は繰り返し、しつこく、
何度も何度も八正道こそが解脱の道であると述べています。

ところが、その内容を読んだ桐山さんもペテン大作さん、一来補さん、
宝生さんも、八正道が修行法には見えない。
「正しい見解?ただの倫理道徳じゃあねえか」と四人とも唾棄した。
彼らが欲しいのは、呼吸法やプラーナを巡らす法であり、
チャクラやクンダリニーを覚醒させ超能力を得て解脱する方法です。
だから、桐山さんは八正道を初心の教えと侮蔑した。

阿含経こそが第一級の資料であり、そこで釈尊本人が八正道だと言うなら、
八正道が間違いなのではなく、自分の理解が足りないのだろうか、
何か誤解しているのではあるまいかと、自分を疑うのが普通の知性です。
だが、四人とも自分を疑うのではなく、八正道を唾棄して、
阿含経から他の行法を探した。
桐山さんは四神足ホウ、ペテン大作さんは漏尽定、
そして宝生さんは、何もないと結論づけた。
この彼らの知性を、他の信者さんたちはどう思いますか?
桐山さんが仏陀の智慧を持っているように見えるだろうか。

331 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:30:02.81 ID:1sLGOLmX.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

八正道が解脱への唯一の道であることは仏教の常識なのです。
せめて、これを読んでいる信者さんたちだけもそれを理解してほしい。
受け入れるかどうか別として、釈尊がそのように説いていること
くらい理解してほしい。
そうでないと、あまりに無知です。
解脱の道とは、四神足ホウでも漏尽定でも、もちろん四禅でもなく、八正道です。
これが基本中の基本であることは、四諦を見ればわかります。

>>281でペテン大作さんは、四諦を知った後に解脱するのを
知っているか、なんて、こちらを笑ったつもりで書いている。
これを議論しなければならない内容なのかとあきれかえる。
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない。
こんなことをわざわざ鬼の首でも取ったかのように言い続ける事自体、
仏教を理解していない証拠です。

他の信者さんたちもせめて四諦くらい正しく理解してほしい。
四諦とは苦集滅道で、釈尊の教法を端的にまとめた内容です。
苦「この世界は苦であることを受け入れ」、
集「その苦の元は煩悩であることを理解し」、
滅「煩悩を滅するならば苦から解放されることを理解し」、
道「煩悩を滅するための八正道を実践せよ」
これが四諦です。
ここで特に着目してほしいは、解脱するための道とは八正道だと
釈尊が説いていることです。

332 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:35:15.61 ID:Q6IwRsG3.net
>>272
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることが
できるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
新約聖書 ヨハネの福音書 3章 3-4節

ニコデモに足りない知識は何でしょうか。

333 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:36:08.81 ID:1sLGOLmX.net
「では、比丘たちよ、また、苦の滅尽にいたる道についての聖諦とは何であろうか。
それは聖なる八支の道である。すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
比丘たちよ、これを称して苦の滅尽にいたる道についての聖諦というのである。」
(『阿含経典3』増谷文雄、264頁)

阿含経に解脱するための法、技法を求めるなら、釈尊はそれを
八正道(八支の道)だと断定している。
どこにも四神足ホウ、止息法、四禅、九次第定、漏尽定がそれだとはありません。
私はこれまでもずっと解脱する道とは八正道だと書いてきました。
四禅だなどと書いた事は一度もありません。
なぜなら、上記の経典を知っているからです。
つまり、四諦を理解しているからです。
四諦という仏教の基本を理解していない者たちこそが、
やれ四禅で解脱したとかしないとか、漏尽定で解脱するなんて
愚にもつかないことを書いているのです。

せめて他の信者さんたちだけでも、八正道こそが解脱する道なのだと理解してほしい。
信者さんたちの好きな言葉で言うなら、成仏ホウとは八正道です。
阿含経の釈尊は、解脱の道とは八正道であると述べ、四神足ホウ、止息法、
漏尽定であるとは言っていない、という事実を受け入れてください。

逆に言うなら、八正道以外の法が解脱の道だと主張している人たちは
四諦という仏教の基本中の基本すらも理解していないことになるのです。
桐山さんとペテン大作さんがその代表です。

334 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:42:06.79 ID:xPDV6Cd/.net
>>325 :深山
「心の安定」が解脱ではない?
>>229のどこを読んでいるのだ?

それは沙門果経の「心が安定」とは違うでしょ?
経典の中の「心が安定」は解脱では無いよ。
関係ない資料を関連付けても駄目だ。

>>327 :深山
学者は、四禅の後に神通を行うのだと書いているだけです。
これは沙門果経がそのような順序で書いてあるからです。
繰り返すが、学者は「心の安定とは解脱ではない」とは書いておらず、
単に沙門果経に記述され順序をそのまま説明したにすぎないのに、

「心が安定」は「八等至の自在」だよ(>>242
だから解脱ではない。
あなたの言う仏教学の大家の言葉だ。

>>331:深山
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない

よくぞ言った、深山。
解脱は四諦の後だ。
だから、
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
は解脱ではない。
これで終わりだな、深山。

335 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:45:04.51 ID:xPDV6Cd/.net
それから、深山。
>>199>>212については反論しないのか?

336 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 12:57:29.10 ID:h0CLIwwt.net
この時間は、>>322にリンクを貼った(このページを発見して示したのはペテン大作さんです)
「ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道」というターナヴィトー ビックという
学者の学術論文から部分的に引用するだけに留め、考察は後回しにします。時間の都合上。

八支のうちで、正見は各支の邪道と正道を正しく認知するため、先行するものであると説かれる。
そして邪道と正道の内容が述べられており、正見・正思惟・正語・正業・正命がそれぞれ有漏と
聖・無漏とに分けられる。各支の邪道を断除し、正道を具足するために、正見、正精進、正念が常に
各支の修習に随従し、随転するといわれる。
(3〜4ページ)


ああ?休み時間が終わってまった。
まだ引用箇所あるでよ。

337 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 12:58:46.56 ID:h0CLIwwt.net
>>335
ヤクザは黙っとけ。

338 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 13:01:40.49 ID:5yda5ap/.net
>>328
>だが、経典の記述では、比丘の解脱(心解脱・慧解脱)は「四聖諦を知った直後」になっている。


沙門果経には漏尽智を解説した箇所が
あるだけよ
どこで解脱したなんて話しは沙門果経には無いのだ
そのように読めばなにも矛盾はないんだ
解脱した比丘が 智恵に心を向け転じそこで正しく
四聖諦を知ればだな

欲の漏から心が解脱しまた有の漏から心が解脱し
また無明の漏から心が解脱し解脱したときに
解脱したという智が生じるこれを漏尽智というわけで
なるヘソなとなるんだよ ただそれだけよ

四聖諦を知ることで解脱するなら学者ラは
とうに解脱しとるって 何度も言っておる
またや思考停止した滅尽定で解脱するっちゅうなら
仮死状態で どうやって煩悩を滅するんだって
説明がつかんだろ

339 :一来補:2015/09/16(水) 14:17:12.72 ID:/vAz4Xs9.net
心が安定、など、それだけでは解脱にならない。小さな煩悩というのも抽象的で、釈尊の言葉としては紛らわしい。ならば、大きい煩悩や極小の煩悩はどうしたの?と、突っ込みを入れたくなる。煩悩尽とか、煩悩滅とか、解脱の場合は紛らわしい言い方を釈尊はしない。

阿含経のさとり=解脱は、はっきりしている。
尽苦際は解脱 尽煩悩は解脱 不受後有は解脱、解脱智が生じたら解脱、縁起の法を会得したら解脱、四諦を会得したら解脱、だね 。

心が安定、など紛らわしい。
不安がなければ安定だろが。
そういう人は、ゴマンといる。

340 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 14:28:06.86 ID:5yda5ap/.net
>>339
>心が安定、など、それだけでは解脱にならない

おっさんよ 阿含宗しか知らんのだろ
それに陳分漢文しかみたことないんじゃろ
オメエにつけるクスリは ここにはネエから
ヨソ行ってろ

341 :一来補:2015/09/16(水) 16:17:41.31 ID:/vAz4Xs9.net
道徳仏教に迷い込むと、煩悩だけが問題になり、やれ平安な心とか、心が安定とか、抽象的な表現になってしまうのです。
「私は不安な心がなく、心が安定しています。だから解脱していますよね?」
と、言われたらどうするの?
そういう人は、ゴマンといるよ。

あなたは、心が不安定で、解脱していません、
とか、判定出来るのはアナゴン以上の他心通のある人だけです。
道徳仏教にはそういう芸当は出来ない。

また、道徳仏教などなら釈尊に礼拝する値打ちなどはない。道徳を教える学校の教師とどこが違うのか?それならば死んだ釈尊を拝むよりは生きている教師を拝むべきだろう。

釈尊の教法には、因縁を解脱させる救済力があり、単なる道徳を教えているのではない。
だから礼拝する値打ちがあるのであり、礼拝することによって、救済力が働くということでしょう。だから帰依を義務づけています。

342 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 17:12:04.19 ID:5yda5ap/.net
>>334
>「心が安定」は「八等至の自在」だよ(>>242 だから解脱ではない。
>諸漏(欲の漏・有の漏・無明の漏)から心が解脱したので心解脱。四聖諦を知ることで無明が捨断されたので
慧解脱。
比丘は四聖諦を知った後、心解脱・慧解脱したことになる。


だから心解脱も解脱に変わらんじゃないの
その解脱の境地は 心の安定とか清浄で純潔無穢だろ
それを八等至だのなんだの細分していきゃ煩瑣な
アビダンマ議論になり 桐山擁護や批判をするにしても
前から言ってるように 信者には何がなんだかの
ビックり論だってえの

八等至なる止だとかの心解脱と 慧っちゅう観による
慧解脱だあのと 倶分解脱を完膚無き煩悩滅尽だからと
止とは何であるか正定だあ 観とは何であるか正見だあ
つたって アビダンマ時代の止観をふりまわしてもだな
なんの説得力もねえ
五下分結し不還果を得たもんだってだよそのまま死んだら
梵天から涅槃へ直行だよっての

343 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 20:53:28.46 ID:atfoanWu.net
我(アートマン)に限らず梵(ブラフマン)の実在を否定する仏教が
梵(天)からニルヴァーナへ入ると教えるのも変な話なのだ。

存在を認めてんじゃあねぇかよ。

344 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 21:07:28.45 ID:atfoanWu.net
誰かがアングリマーラは涅槃へ入ったから悪果を受けずに済んだ?

変だなアングリマーラは五下分結を断ち五上分結を断ったから涅槃へ入ったわけだが

アングリマーラは、もし五下分結のみ断ち天に生まれた場合は天で悪果を受けるんかね?

345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9.net
つまり、もう議論の余地がなく、桐山教法は阿含経の仏教だということです。
深山ユビキタス説は、大乗仏教であり、道徳仏教です。毒にも薬にもならないカス仏教です。
ない方がよろしい。

346 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 21:58:41.06 ID:xPDV6Cd/.net
>>337 :ユビキタス
>>335
>ヤクザは黙っとけ。

ヤクザです。
>>199>>212については反論しないのか?
相手が批判側なら反論しないということか。

>>338
>四聖諦を知ることで解脱するなら学者ラは
>とうに解脱しとるって 何度も言っておる

経典によると、比丘は、定と慧の修行をしたから四聖諦を知った。
本当に四聖諦を知るには、修行しなければならない。
理屈を知ってるだけで修行しなければ、本当に四聖諦を知ることはできない。
だから解脱もできない。
大般涅槃経で次の言葉は何度も出てくる。

「戒律とともに修養された精神統一は大きな果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された知慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、
見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」

347 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 22:06:40.51 ID:xPDV6Cd/.net
331 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:30:02.81 ID:1sLGOLmX
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない。

本日一番の収穫ですね。

348 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 22:17:49.67 ID:FSGTjAj3.net
>>345
まだそんなこといっているわけw
だれも因縁解脱してないじゃん!
そして道徳とかバカにしながらその道徳さえ実行できず愛人つくるわ
嘘ばかりつくわ、
まるでお笑いですね。
阿含宗なんて釈迦だとか大乗だとかいうまえに仏教ですらない
仏教の皮をかぶった基地外宗教ですわw

349 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 22:49:21.61 ID:1sLGOLmX.net
>>335 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:45:04.51 ID:xPDV6Cd/
>それから、深山。
>>199>>212については反論しないのか?

私に書いている内容でもなく、またこのスレの主旨にそった内容でも
ないことに、なんで私が反論をするのですか?
199さんは、前に私がペテン大作さんだと勘違いした、ペテン大作さんと
議論している相手の方でしょう。
このスレと関係のない仏教や解脱について議論したければ、
お二人で専用のスレを立ちあげて、そちらで議論してはいかがですか。
ここはアゴン宗の議論スレです。

350 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 22:54:48.86 ID:1sLGOLmX.net
>>335 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:45:04.51 ID:xPDV6Cd/
>それから、深山。
>>199>>212については反論しないのか?

199さんの四禅が解脱の境地ではないという部分にペテン大作さんは
味方を得たと思っているようだが、そこがあなたの浅はかなところです。
学者の文章の読み方もいつもそのパターンですよね。
私は、四禅で解脱の境地が得られるなんて書いたことは一度もない。
だから、199さんの書き込みはなんら私へ批判にはなっていない。

私は、八正道で解脱が得られると繰り返し書いている。
飯を食いながら八正道を実践すればその人は解脱している。
だが、飯を食うから解脱するのではありません。
四禅の瞑想をしながら八正道を実践すればその人は解脱している。
だが、四禅という瞑想で解脱するのではありません。
こういう簡単なことを何度説明しても、ペテン大作さんは理解できず、
四禅で解脱するとかしないとか、ピント外れなことを言っている。
あなたの主張は飯で解脱するかしないかと議論しているのと同じくらい愚かなことです。

深山「四膳目の飯を食う時に八正道を実践しているから解脱していると書いてある」
ペテン「深山め、四膳目の飯で解脱すると言いやがった」
深山「そんな事は言っていない。」
ペテン「四膳目の飯を食う時、解脱したと言った」
深山「言っていない。では、どうやって解脱するのだ?」
ペテン「九膳目の飯を食った時に解脱するのに決まっているだろ」
会場「爆笑」

351 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 22:54:58.31 ID:h0CLIwwt.net
ニカーヤ論文については時間がないので少し保留。
まあ大して面白くない話だし。

>>308 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 23:54:16.30 ID:+91XUQcG
>少し気になったのだが、私、風呂掃除のことで腐したかな?
>フーゾクのことは言ったけど、記憶に無い。
>別の人じゃないか?

いや、見つけました。
スレ246における2014年12月8日の書き込みであなたは76と77に得意の四禅解脱イチャモンを書いている。
その76、77と全く同一のIDで
84で「風俗」と一言、
85で「風呂の掃除」と一言、
86で「失恋」と一言、私を腐しています。
私は88で76、77、84、85、86にまとめてレスしています。ペテン大作さん名指しで
あなたはオカルト趣味を大切にするのがよいのではないか?と要らない助言をしています。
89であなたはその88にもレスしています。
風呂掃除の話はやはりその12月の頭にスレ245でアルツハイマーになりかけの母親が覗きに来るぞ
風呂掃除してるかと書いたのが初めてだと思います。

352 :一来補は基地外ですさん!:2015/09/16(水) 22:59:36.67 ID:nPa6LEEj.net
>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9つまり、もう議論の余地がなく、桐山教法は阿含経の仏教だということです。
> 深山ユビキタス説は、大乗仏教であり、道徳仏教です。毒にも薬にもならないカス仏教です。
>ない方がよろしい。

一来補、おまえは道徳すらないだろ!
おまえは小桐山なんだろ、だったらさっさと道場か連絡所に行って掃除でもしてこい!
このマヌケが! ケチのクセにおまえ生意気だぞ!
小桐山なんだから大桐山の代弁するんじゃないの
おまえは桐山邪教の信者で仏教徒ではないから勘違いするんじゃない!
キサマは基地外だから何を云ってもダメだな
はよ、お陀仏になれよ! 赤飯炊いてやるよ!

353 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 23:02:32.91 ID:1sLGOLmX.net
>>234 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 12:31:20.66 ID:RSgJwIWG
>君たち平和だねー。
>世間が戦争法案で揺れているというのに。
>自分のための解脱ですか?

ここで言わないで、桐山ゲイカに言うべきでしょう。
このスレにいる人たちが安保法案に賛成しようが反対しようが、
一個人以上の影響はありません。
しかし、桐山さんが賛成か反対かを表明するなら、
30万人の信者に絶大な影響がある。

桐山さんは、先の戦争は追い込まれて日本はやむを得ずしたことで、
侵略戦争ではないと言っている。
安倍首相から護摩にメッセージをもらい、石原元都知事と対談をして
護摩にも来てもらい、百田尚樹氏とも対談で馬が合った。
安倍首相は安保法案の当事者で、石原元都知事は、支那と一戦交えたいと発言し、
百田氏は、沖縄のマスコミをつぶせと発言した人です。
この三人は、当たり前だが安保法案に大賛成です。
桐山さんが懇意にしている面々を見るかぎり、
桐山さんが安保法案に賛成か反対か、見当はつきます。
しかし、桐山さんが表明したという話は聞いていません。
桐山さんは世界平和を実現すると表明している宗教家なのだし、
宗教運動から社会運動にしていくと昔から言っているのだから、
賛成か反対か、はっきりと意志を表明する義務がある。

354 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 23:08:48.22 ID:1sLGOLmX.net
>>234 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 12:31:20.66 ID:RSgJwIWG
>世間が戦争法案で揺れているというのに。

今回の安保法案は、桐山さんが普段から唱えている世界平和と密接に関係があります。
反対している人たちも安保法案で戦争に巻き込まれて、日本の
平和が脅かされる戦争法案だとして反対している。
世界平和、日本の平和と深く関わる法案です。
だから、桐山さんは世界平和を実現する宗教家として、
どちらの立場を取るのかはっきりと表明するべき義務があります。
沈黙して良い内容ではありません。
一部の宗教団体や仏教の僧侶がすでに表明しています。
234さんも、また信者さんたちも桐山さんにどう判断するべきか問うべきです。
ただし、今の桐山さんに安保法案とその内容について理解するだけの
知性が残っていればの話です。

355 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 23:24:57.69 ID:h0CLIwwt.net
スレ245における12月5日の486が風呂掃除質問の最初だと思う。
ただしこの日ペテン大作さんとも思われる人も書いているが、それとは別の人のようだ。
たまには風呂場を掃除しろよ、アルツハイマーの親を泣かせるな。エロガッパ
と貶した人はスレ246の53で12月7日。
これも誰だかはわかりません。
しかし12月8日の85はペテン大作さんであり、他人の書いた腐しに便乗したのかも
しれないが貶していますね。

356 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 23:35:24.10 ID:h0CLIwwt.net
独身を非難する書き込みはスレ247の92に社会人として、いちばん果たすべきことは、子供をつくることだ。
つまり、きちんと、結婚して家庭を持つことだ。
と私あてに書いた人がいる。
私はこの時もその人をペテン大作さんではないかと思って93でレスしています。

357 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 00:00:40.56 ID:sQ4op+S1.net
>>319 ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru 2015/09/16(水) 07:48:18.68 ID:h0CLIwwt
>まず三学と八正道の問題に関しては後回しにして切り分けるが、風呂掃除発言の主に関しての
>詮索違いがあったのなら改めてお詫びする。何しろ詳しく過去スレを遡らないと
>たしかめられず、この問題ごときでそんな労力を費やす気がない。

ああっ!そんな問題ごときに労力と時間を費やしてもたwww

358 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 00:42:43.99 ID:pRj9VICe.net
>357 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 00:00:40.56 ID:sQ4op+S1
>ああっ!そんな問題ごときに労力と時間を費やしてもたwww

その書き込み自体が 普通に糞だよなwww でも死ぬまで辞められないwwwwwwwwwwwwwwww まったく糞だな。w
恥ずかしすぎる〜www

359 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 07:50:27.09 ID:sLA08L5x.net
 
深山幽谷の秘境に眠る伝説の万能小刀   http://www.toyokuni.net/kei2015/001.htm  

360 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 08:19:23.87 ID:sQ4op+S1.net
ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道
6ページより抜粋引用

清らかな生活が完成し空想にふけることもなく、追悔することもなくなり、
また精進・念をもって冥想に入り、次第に四禅を修習し、深く冥想状態に入りつつある時に、
ある境地に達して四聖諦の智が起こり、八聖道を一段階修習し終えて預流者となる。
その時、彼は欲・瞋・殺害に関する思惟をまだ完全に断除することができないといっても
出離・無瞋・無害に関する思惟を前よりずっと深くするのである。
そして、言葉に関する四種の悪行・三種の身悪行・欺瞞、饒舌、占相、詐欺、利益によって
更に利益を求めるような邪命は中止・停止・廃止・遠離され、その時、彼は
四正勤・四念処を修習している者にもなるのである。
このように彼は、真の八聖道、つまり聖・無漏の八聖道を一段階修習し完成する。
まとめて言うならば、他の七支は正定の補助具であり、正定の修習によって慧が生じ、
定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され、
八支全体もより高い修行段階に入る。有身見・疑惑・戒禁取が完全に断除されれば、
その者は預流者になる。その時、八支全体は初めて聖・無漏の段階に入るということである。

361 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 08:20:59.91 ID:sQ4op+S1.net
今朝もまた引用まで。
学説というものは窮屈ですからね。

362 :一来補:2015/09/17(木) 11:50:11.84 ID:4v4QCAMx.net
戦争法案でなく安保法案だろ。
あんな法案が成立しようがしまいが、
戦争の危機は常にあるのです。
だから護摩を焚くのです。

363 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:00:07.27 ID:oT7Seb77.net
>>339 :一来補:2015/09/16(水) 14:17:12.72 ID:/vAz4Xs9
>心が安定、など、それだけでは解脱にならない。小さな煩悩というのも抽象的で、釈尊の言葉としては紛らわしい。ならば、大きい煩悩や極小の煩悩はどうしたの?と、突っ込みを入れたくなる。煩悩尽とか、煩悩滅とか、解脱の場合は紛らわしい言い方を釈尊はしない。

他の信者さんたちはごらんください。
ペテン大作さんは以下の「心の安定」は学者の誤訳だと否定し、
一来補さんは下記の文章が釈尊の言葉ではないと否定した。
阿含経に自分たちに都合の悪いことが書いてあると、否定し無視する。
前も書いたが、阿含経こそが第一級の資料であり、他の信者さんたちには、
阿含経に書いてある釈尊の言葉をそのまま受け取ってほしい。
上記の一文は、釈尊は解脱していると述べているのです。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

他の信者さんたちは「小さな煩悩も離れ」が抽象的な言葉に聞こえますか?
「小さな煩悩も離れ」とあれば、普通は大きい煩悩からもすべて離れ、
「すべての煩悩から離れた」という意味にとります。
仏教では、煩悩から離れたら解脱です。
つまり、上記の一文は解脱を表している。

「小さなゴミも捨てました」という報告があれば、すべてのゴミが
捨てられたと解釈します。
だが、一来補さんは大きなゴミは残すらしい。
「心をこめて、まじめに誠実に、屁理屈なく、小さなミスもなく」
という上司からの伝言に、一来補さんは、
「抽象的で、上司の言葉としては紛らわしい。ならば、大きいミスは
どうしたの?と、突っ込みを入れたくなる」と返事したそうだ。

364 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:03:50.39 ID:UbQIraDT.net
>>350 :深山
>私は、四禅で解脱の境地が得られるなんて書いたことは一度もない。
>だから、199さんの書き込みはなんら私へ批判にはなっていない。

「四禅で解脱の境地が得られる」と書いてないと言うならそれで結構ですと、
私が何度も言っているのが目に入りませんか?
過去のあなたの書き込みを見れば、199さんの書き込みはあなたへの批判になっています。

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。

456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。

そして、199さんの書き込みです。

199 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:04:06.65 ID:58t+T3CW
つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。

365 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:05:38.06 ID:oT7Seb77.net
>>363訂正
正 下記の一文は、釈尊は解脱していると述べているのです。
誤 上記の一文は、釈尊は解脱していると述べているのです。

>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9
>深山ユビキタス説は、大乗仏教であり、道徳仏教です。毒にも薬にもならないカス仏教です。

一来補さんはペテン大作さんという味方を得たと思って喜んでいるようですね。
さすがは文章を読めないだけある。
ペテン大作さんは、今回ここに来てから、桐山さんのことをちょっと出しただけで、
アゴン宗の教義についてはまったく触れていないことに気が付きませんか。
一来補さんは桐山アゴン宗を正面から擁護しているが、
ペテン大作さんはいっさいアゴン宗の教義には触れない。
そして、アゴン宗とは関係のない四禅一本槍で私にインネンを付けまくる。
何も四禅なんてアゴン宗の教義でもないのを七年もやらなくても、
一来補さんがそうであるように、もっと別なテーマで議論すればよいのに、
どうしてしないのだと思いますか。

アゴン宗は仏教ではなく、擁護しきれないから、議論をすれば
深山に勝てないと知っているからです。
あなたと違い、ペテン大作さんなりに仏教の教義を学ぼうとしている。
視野が狭く、決めつけが激しいから何年たっても理解できずにいるが、それでも
アゴン宗の教義が仏教から見たら嘘デタラメなのが
ペテン大作さんのように視野の狭い人にでもわかるのです。
だから、一来補さんと違い、ペテン大作さんはすでにアゴン宗の解脱の
定義の間違いを間接的に認めている。
ペテン大作さんはすでに桐山アゴン宗を裏切っているのです。

366 :一来補:2015/09/17(木) 12:07:32.20 ID:4v4QCAMx.net
ユビキタスくんの、仏教書の引用は、薬の効能書きを羅列してるだけです。
で、ユビキタスくんはどうなの?
シュダオンなりシダゴンになれた自覚はあるのかね?
それがなければ何を書いても、虚しいね。

我は勿論、昔悩んでいた○○の因縁が切れた感じがするし、HNを自覚しているね。
○○の内容は、明かせない。個人情報過ぎて、
危険を感じるからね。

367 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:08:51.09 ID:UbQIraDT.net
@深山さんの華麗(加齢)なる玉砕!!!

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

331 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:30:02.81 ID:1sLGOLmX
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない。


深山さん、そろそろ砂場からの引退をお考えになっては如何でしょう?

368 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:11:19.78 ID:oT7Seb77.net
>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9
>毒にも薬にもならないカス仏教です。

アゴン宗が仏教なら、正面から味方しても勝ち目があるが、
仏教とは似ても似つかないアゴン宗を擁護しても、勝ち目がないことは
視野の狭いペテン大作さんでさえもわかるのです。
だから、私から卑怯者呼ばわりされても、絶対にアゴン宗の土俵には乗ってこない。

もう一人のお仲間の宝生さんもまったくアゴン宗の教義については議論しない。
桐山さんを持ちあげるだけで、桐山アゴン宗の教義や実際については
彼は少なくともこの六年間、皆無です。
教義めいたことで出て来るのは毎回、アゴン宗とは関係のない密教系の話です。
これも彼の知識を誇りたいためで、アゴン宗なんて関係ない。
ただし、宝生さんがアゴン宗の話をしないのは、ペテン大作さんと違い、
教義を全然知らないからです。
宝生さんは、密教についての偏頗な知識があるだけで、
釈迦仏教もアゴン宗も知らない。

ごらんのように、アゴン宗を実際に擁護しているのは一来補さんだけで、
他の二人はまったくしていないのです。
昔、栗花さんという人がしつこくここで嫌がらせをしたが、
彼のほうがよほどアゴン宗を具体的に擁護していた。

369 :一来補は焚き火がお好きさん!:2015/09/17(木) 12:22:18.59 ID:I+3O0EjRg
>>362 :一来補:2015/09/17(木) 11:50:11.84 ID:4v4QCAMx.net
>戦争法案でなく安保法案だろ。
>あんな法案が成立しようがしまいが、
> 戦争の危機は常にあるのです。
>だから護摩を焚くのです。

おまえ大丈夫か?
こいつ頭がおかしいんじゃねぇーの
何?護摩って?
桐山靖雄やその配下のダボのは、護摩じゃねえよ!
外道の焚火だろうが
おまえは焚き火やって世界平和って 世間様からは笑われてるんだぞ!
一生変わらずに言い続けろよ 大馬鹿野郎 クズ老人
早よ、お陀仏になれよ 基地外!

370 :一来補は焚き火がお好きさん!:2015/09/17(木) 12:27:06.32 ID:I+3O0EjRg
>>366 :一来補:2015/09/17(木) 12:07:32.20 ID:4v4QCAMx.net[2/2]
> 我は勿論、昔悩んでいた○○の因縁が切れた感じがするし、HNを自覚して>いるね。
>○○の内容は、明かせない。個人情報過ぎて、
> 危険を感じるからね。

ほんとダセェーな
一来補ってまさに小桐山だよ
自画自賛 我田引水 こいつはバカだわ
なにがシュダオン・シダゴンだよ
お笑い草というのはおまえの為にあった言葉だったんだなぁ〜〜
早よ、お陀仏になれや!
バーカ

371 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:22:52.37 ID:7zaCHt8a.net
>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9
>毒にも薬にもならないカス仏教です。

一来補さんはペテン大作さんや宝生さんという味方がいると思っているようだが、
実は、アゴン宗の教義に関しては、たった一人です。
彼らはアゴン宗の教義や、ましてや桐山さんの行状については
完全無視、いっさいの議論に応じない。
密教食事件で刑獄の因縁、E川裁判で色情の因縁、脳梗塞で
脳障害の因縁を丸出しにしている桐山さんを、因縁解脱した聖者だと
言って恥じないのは一来補さんくらいなのです。
E川裁判を愛人裁判ではないと言っているのも一来補さん一人です。
普通の信者は、週刊誌の記事を読んだだけでも、ましてや何度も
引用されている裁判の資料を示されたら、沈黙する。
ペテン大作さんにこういう事を問いかけても、一切応じない。
なぜなら、彼は深山など批判側が憎いからここに来ているだけで、
アゴン宗が論理的にも現実的にも破綻していることがわからないほど
知性が低くはないからです。

372 :一来補:2015/09/17(木) 12:24:59.08 ID:4v4QCAMx.net
深山くん、我には味方とか、敵という発想
はないのです。また議論の勝ち負けという
発想もありません。深山くんには、そのよ
うな考えがあるようです。
それは、阿修羅の境界です。

心が安定とか、心の状態だけで解脱か否か
を議論するのは愚かしいのです。
涅槃寂静ですから、解脱した心が安定して
いるのは当たり前です。だからと言って、
安定した安らかな心は、みな解脱している
ともならない。一時的にそういう心になる
場合は、多々あるね。だから文脈全体から
慎重に判断せねばいけないのです。

373 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:28:10.61 ID:7zaCHt8a.net
>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9
>毒にも薬にもならないカス仏教です。

一来補さんは仏教にも無知だし、アゴン宗の教義も知らないから、
自分勝手な教義を作り対抗する。
しかも負けん気ばかり強い屁理屈屋で、自惚れだけは天井知らずで、
記憶はメタメタで、自分が書いたことも忘れてしまうから、
嘘でもデタラメでも、論理が破たんしていても、
まったく気にせずにここで何年でも同じ事を主張していられる。
何よりも恥知らずこそが一来補さんの最大の武器です。
あなたはものすごい恥知らずです。
現役時代から訓練を重ね、修練し、鍛錬し、ついには「小さな羞恥心からも離れ」て、
あなたの恥知らずは鉄壁の守りを確立した。

だが、大半の信者たちはそうではないから、いなくなる。
普通の人は根拠や証拠を示され、嘘や矛盾を指摘されるとひるむ。
教義の論理的な間違いを指摘されると反論するのをためらう。
一来補さんにはなぜだかわかりませんよね?
普通の人たちは、自分の知性を疑われることを恥じるからです。
宗教に騙され、ありもしないことを信じて、頭がおかしいと
他人から侮蔑されることを恥じるからです。
簡単に言えば、羞恥心があるからです。
だが、一来補さんは「小さな羞恥心からも離れ」ているから、
「不動恥知らず」です。
不動無恥明王なんて名乗ってはどうですか。
あなたがアゴン宗の信者の中でも羞恥心のなさではトップクラスである証拠に、
今ではアゴン宗の教義と桐山さんの行状を擁護できるのは
ついに一来補さん一人になってしまった。

374 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:33:17.90 ID:7zaCHt8a.net
>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9
>毒にも薬にもならないカス仏教です。

一来補さんはアゴン宗の教義を擁護するたった一人なのです。
一来補さんには自分の立場にホコリと自覚をもってほしい。
桐山さんの作ったデタラメと嘘を擁護しているのはあなたしかいないのだ。
四禅の話などアゴン宗の議論ではないのだから、他の信者に任せて、
桐山擁護に専念するべきだ。
あなたこそは、恥知らずという能力をアゴン宗の応供の
シッポ如来から高く評価されて、ここに派遣された「選ばれし者」なのだ。
シッポの生えたホトケ様からのお手配です。
実際、あなたの恥知らずと嘘のおかげで、桐山さんを三福道の危機から
救い、期待に応えた。

一来補さんは恥知らずという素晴らしい才能・能力に自信とホコリを持ちなさい。
夜明けに太陽を合掌しながら、
「我こそは桐山ゲイカをお救いする使命をもっていたのだ。
おお、これこそ我が生まれて来た理由であったのだ(菩薩の生まれ変わりか?)。
職場でもアゴン宗でも嫌われ疎まれ蔑まれ続けた我は醜いアヒルの子だった。
今、我は白鳥となって大空を飛び、凡人どもの羨望の中、
桐山ゲイカをお守りするのだ。
これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしは
アゴン宗に呼ばれたのですね。
理解できました。聖師よ、ありがとう!」
と使命感に萌え、感涙にむせびなさい。

375 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:37:06.63 ID:UbQIraDT.net
>>367
>深山さん、そろそろ砂場からの引退をお考えになっては如何でしょう?

あ、忘れてた。
他に行くところが無いんだっけ。
愚問でした。

>>368 :深山
>アゴン宗が仏教なら、正面から味方しても勝ち目があるが、
>仏教とは似ても似つかないアゴン宗を擁護しても、勝ち目がないことは
>視野の狭いペテン大作さんでさえもわかるのです。
>だから、私から卑怯者呼ばわりされても、絶対にアゴン宗の土俵には乗ってこない。

似ても似つかないこともない。
仏教団体であることは間違いないわけだから。
それに阿含宗は初めから釈迦仏教を実践していくとは言ってないしね。
釈迦仏教を実践していくこと自体、現代社会では不可能です。

>ごらんのように、アゴン宗を実際に擁護しているのは一来補さんだけで、
>他の二人はまったくしていないのです。

私たちの書き込みが阿含宗の擁護でないのなら、
何であなたはムキになって反論してるのですか?

376 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 12:38:47.04 ID:sQ4op+S1.net
昼休みに終わらす自信ないのでニカーヤ論文また後回し。

>>341 一来補 2015/09/16(水) 16:17:41.31 ID:/vAz4Xs9
>「私は不安な心がなく、心が安定しています。だから解脱していますよね?」
>と、言われたらどうするの?
>そういう人は、ゴマンといるよ。

いや、なかなかいないものです。
このスレには私を含めていない。
ペテン大作さんなどはもう傍で見ていて気持ち悪くなるくらいの煩悩撒き散らしているでしょ?
そして一来補さん。あなたもまた貪瞋痴の煩悩で手が付けられないくらい汚れていることに
あなたが自分で気が付かないだけです。全然安定なんかしてません。
せめて自覚でもあれば改善の見込みだってあるものを。
こちらと議論をするのに相手に対して「馬鹿め」と悪口を浴びせることを我慢することすら
できぬほどあなたは怒りの気持ちで心が安定しない。
世の中とはあなたが思うようにはならないものです。それがなるようにならなけりゃ
それを教える宗教がなければ自分は受け入れないなんて話は不当な貪りであり、愚痴であり、
かつ世の中の道理に対して瞋の気持ちを抱えていて心が安定しない。

377 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 12:40:58.29 ID:UAGt+ujm.net
>>372 :一来補:2015/09/17(木) 12:24:59.08 ID:4v4QCAMx
>深山くん、我には味方とか、敵という発想
>はないのです。また議論の勝ち負けという
>発想もありません。深山くんには、そのよ

>21 :一来補:2015/06/22(月) 22:14:16.86 ID:cfqybMe8
>また、勝ち組の信者に、負け犬があれこれ
>意見しているのは滑稽の極みだなw。
>負け犬の遠吠え、哀感が漂うな。

よくまあ、その場しのぎのことを書きますね。
あなたが370のような事を書くのは初めてではない。
だが、実際にはあなたは21のような事を平然と書いている。
恥知らずだと精一杯誉めたら、すぐにその恥知らずぶりを実行してくれる。
そして、あなたはしばらくすると今日指摘されたことをきれいに忘れて、
また、批判側を負け犬などと罵り、それでいて、自分は勝敗なんて
気にしないと気取ってみせる。
その時はまた私が上記を引用して、あなたの恥知らずぶりを
披露して、読者の失笑を買うことにしましょう。
お笑いをありがとう。

余談だが、一来補さんは安保法案に賛成なのですね。(>>362)
私は戦争法案とは書いていません。
反対する人たちが戦争法案だと言っていると事実を指摘しただけです。

378 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:41:39.86 ID:UbQIraDT.net
それより深山さん。
一来補さんのことより、>>199さんの件、
反論よろしくお願いしますね。
ユビキタスも反論の準備をしている様です。
反論しないと認めたことになりますよ。

379 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 12:43:05.33 ID:sQ4op+S1.net
>>366 一来補 2015/09/17(木) 12:07:32.20 ID:4v4QCAMx
>ユビキタスくんの、仏教書の引用は、薬の効能書きを羅列してるだけです。

引用してそのままではなく、これを叩き台として考察したい問題があり、
それはまだ示してません。

380 :一来補:2015/09/17(木) 12:43:54.26 ID:4v4QCAMx.net
レス363で、深山くんは一来補は釈だの言葉
を否定した、と断定した。
我は、釈尊の言葉ではないとは言ってない。
釈尊の言葉にしては、紛らわしい言い方な
ので、突っ込みを入れたくなる、と言った
のです。

深山くんみたいに、釈尊は四禅で解脱した
のだな、と考えても無理はない。あの沙門
果経だけの訳で判断するならばね。
だが、他の経では、四禅は涅槃へ至る途中
経過として説かれている。
だから、経典全体から考えないとダメなの
ですね。

381 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:45:16.17 ID:UbQIraDT.net
>>375

×それに阿含宗は初めから釈迦仏教を実践していくとは言ってないしね。
○阿含宗は密教的手法を用いて釈迦仏教を実践していく宗教団体です。

382 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 12:50:09.88 ID:sQ4op+S1.net
>>378
私はこれを使いますよ。
>>212さんの

ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

383 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:51:11.26 ID:igqCygFG.net
涅槃を無明ととるか悟りととるかはあなた次第。

384 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 12:56:27.91 ID:sQ4op+S1.net
>>378
要するにペテン大作さんもまた一来補さんと全く同じかまってちゃんなわけだ。

385 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 13:00:26.14 ID:UbQIraDT.net
>>356 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 23:35:24.10 ID:h0CLIwwt
>独身を非難する書き込みはスレ247の92に社会人として、いちばん果たすべきことは、子供をつくることだ。
>私はこの時もその人をペテン大作さんではないかと思って93でレスしています。

92 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 22:28:20.10 ID:sDG4Gia4

私(ヤクザ)はこれ ↓
71 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:43:28.90 ID:axq5gd5W
>>68>>69
「正念正知」は慧だと誤解していたことを指摘され、報復に、
ダラダラした論文の感想文を書いて相手を非難するような馬鹿者は、
無視するに限る。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)


386 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 13:05:42.24 ID:UbQIraDT.net
>>385
間違えた。247の92はこれだった。

92 :ひとり正月対策実行委員長:2014/12/31(水) 07:38:54.77 ID:XA4axkg5
5万は桐山のご親筆のはず。あのゲテモノのサインが欲しいなどと、
信者時代だって思わなかったわい。
ユビキタスは愛染明王の護摩札でも買ったのだろうが、
ご利益はさっぱりのようだな。

社会人として、いちばん果たすべきことは、子供をつくることだ。
つまり、きちんと、結婚して家庭を持つことだ。
少子化時代、それが、いちばん社会性のある行為に他ならない。
とうことは、国民の義務を果たせないユビキタスはほとんど、
この国にとって価値のない人間ということになる。

ひとり正月。コンビニで買ってきたおせちで寂しく正月を祝うんだな。
うははは。。。。

387 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 14:53:25.02 ID:79Y6Rxe4.net
>学説というものは窮屈ですからね。

そのとおりだって
だからスレが擦れ切れて来てるぜってのよ
それりゃあ言えば切りがネエのさ
たとえばサーリプッタ無礎解道とかだったり
いきつけば上座部仏教の教学テキスト清浄道論を
うだうだとゴーサが語ることになる話しばい 

桐山批判ならば原初の釈迦の教えに近い素朴なもんで
十分だろうと思うがね
アビダンマのクシャミ論して湯が湿っち論ってもな
心の安定描写は解脱の境地で経にもあり それ以外に
何を語っても意味がネエのさ
釈迦が解脱したんだがじゃあ何をそん時悟ったかなんて
ずうっと推測の域の話しで今日まで来てるわけだ
阿含宗のカルマ解脱や神通で因縁切るってお経はない
ってことが知れたことで阿含宗ドクマは崩壊してるよ
つまり阿含宗ドクマは毒魔でしかないんだな
親が生きてるうちにカネ取り宗教だとわかってりゃ
オレの遺産ももっと増えていたんだよなっての

388 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 15:42:52.73 ID:79Y6Rxe4.net
>>234
>君たち平和だねー。
世間が戦争法案で揺れているというのに。

戦争法案って法案反対側のレッテル貼りだろ
戦争って言われりゃ誰だって反対となるだろ
いわばガキの幼稚な誘導標語じゃネエの
誰が見たって普通に考えりゃ中国や北朝鮮の脅威が
あるのは歴然だろ
どうあれ戦争準備で世界に堂々と武装威嚇してるんは
先の抗日パレードを見りゃバカでも中国だと
解るんだし 戦後に建国されたのに抗日勝利も
ネエもんだろうからな 
またそれ言うなら台湾へ逃げた国民党軍だろしな
だが阿含宗的には平和の祈りがノルマだろうから
戦争法案なんて言われてハイそうですかとも言えんのよ
なんたって釈迦は武器を置け っちゅう教えなんだし
戦うことはどんな理由づけであれ 反釈迦となるんだわな
だから阿含宗は法案の賛否などは難しいだろうなあ
法案を阻止したって戦争の危機がなくなるなんて
それこそただの信じりゃ救われるって絵のモチと
言われ兼ねんしな
だが実際は 祈りで世界平和の達成なんだろ阿含宗的に
言うなら阿含宗は 戦争阻止という名目で石原の対極が
平和支持者よなんて理屈もネエだろと考えて普段の義理を
果たそうとするんだろうな
まあ世間的に考えりゃ 戦争抑止が9条じゃそれを
中国が守る分けもねえ 他国の憲法順守なんかどこの国も
ならう義理がネエしな
ということでどっちを選んでも平和っちゅう理念などを
阿含宗が謳うことなど出来んわけよ
釈迦的には殺されたって業を積むなだけど出来るんか

389 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 15:45:59.99 ID:sQ4op+S1.net
>>385
あのですねえ・・・よく読んでくださいね。
このスレの話ではないんですよ。
スレ247の話です。
すなわち2014年12月31日の話です。
翌正月もこの人と同一なのかは断定できないが、独り身で正月を送るわびしさを
哀れむ貶しを書く人がいた。
12月31日のその書き込み者に対して私はペテン大作さんと名前は出さなかったが、
6年前は深夜にネットカフェからとか、あなたを想定して書いていますね。
正月その他の書き込みでも、あははは。。。とか当時の書き込み特徴から類推しています。

390 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 20:39:15.27 ID:pRj9VICe.net
>133 :神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 20:27:45.65 ID:7sVtFU99
>「どちらかでしょうね」が答え???ノータリンの頭では答えたになる?(爆

自分の望んだ答えじゃないと不満なんですね。(笑) あれ?そんなのどこかにあったな。仏典だな。
マッジマニカーヤだな。

ヴァッチャの、「人は死後もなお存在するか存しないか等の問い」に対して、釈迦は答えなかった。何故か。その問いが、無益なものだからだ。
阿含宗板において、「男か?女か?」などという無益なことを言い出す低能は、的外れなことを言うという意味で低能である。
そんなことさえ理解できないのだ。www

そして、相手が無益なことを聞いてくると、自らの無益さを「軽く棚に上げて」相手に対し
無益だ〜無益だ〜無益だ〜と連発するわけだ。

甘いな〜自分に甘いな〜(笑) どれだけ自分を棚に上げれば気が済むのだろう。まさにこれは餓鬼。
自らの無明を放置して、相手が発した無益な問いだけを糾弾。

そして自分を甘やかし、棚に上げ続ける。 このたび、それを確かめるための「試験」を実施したが、
阿含宗低能批判者的外れ君は、見事に「落第」したわけである。www

自らの無益さに気付くことさえできず、一方、相手の無益さには気付く。そして自らは棚に上げ、相手だけを糾弾。
これが、素晴らしい宗教批判レジャー中毒者ども、阿含宗低能批判者の正体である。
「仏教を知ってしまた〜」と言いながら、じつはまったく仏教を「体現」できていない。

たくこういう奴らはさっさと日本から出て朝鮮にでも行って欲しい。邪魔だ。(笑)
あと、ワダというカルト幹部の顔はやくアップしろよ!おせ〜わwww

>387 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 15:45:59.99 ID:sQ4op+S1
>あのですねえ・・・よく読んでくださいね。

読まねえよ。wwwwwwwwwwwwwwwwwww

391 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 21:26:02.16 ID:UbQIraDT.net
>>389 :ユビキタス
>>385
>あのですねえ・・・よく読んでくださいね。
>このスレの話ではないんですよ。
>スレ247の話です

あのですねえ・・・>>386を読んでくださいね。

92 :ひとり正月対策実行委員長:2014/12/31(水) 07:38:54.77 ID:XA4axkg5
5万は桐山のご親筆のはず。あのゲテモノのサインが欲しいなどと、
信者時代だって思わなかったわい。

この92の人は批判側ですね。
少なくとも信者ではない。
批判側や元信者にもあなたを嫌いな人が居るようです。

>12月31日のその書き込み者に対して私はペテン大作さんと名前は出さなかったが、
>6年前は深夜にネットカフェからとか、あなたを想定して書いていますね。
>正月その他の書き込みでも、あははは。。。とか当時の書き込み特徴から類推しています。

私は、12月31日時点にはこのスレにはいません。
この年は以下のレスが最後です。

309 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 22:48:46.27 ID:BDqjo2h6

それ以後、8ヶ月間、このスレにはいませんでした。
92が私の書き込みとはお笑いです。
あなたの類推力とはその程度のものなんですね。
道理でいつも的外れなことを言ってるわけだ。

392 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 21:40:45.79 ID:sQ4op+S1.net
>>386を読まないで>>385>>389でレスをしてしまっていた。

>>391
だとすると、私はペテン大作さんの幻影に勝手に悩まされていたんですねえ。
これは素直に認めましょう。
私はペテン大作さんは桐山信仰はなくゲテモノとさえ言える元信者だが、
深山さんなどに強い怨念を残して、アゴン宗に関係なく議論をふっかけて来る人だと
思ってましたよ。
まあそこの部分は変わりませんが。

393 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 21:43:57.03 ID:sQ4op+S1.net
>>391
ああ、批判側や元信者でも私が嫌いな人がいてもかまいません。
別に批判側でつるむ気はありませんから。
私は私の好きなように批判を進めます。

394 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 21:56:48.24 ID:UbQIraDT.net
>>393

それで、>>199への反論はどうなった?

つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。

395 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 22:11:04.33 ID:UAGt+ujm.net
>>367 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:08:51.09 ID:UbQIraDT
>@深山さんの華麗(加齢)なる玉砕!!!

何が玉砕で、何が引退なのか、説明してみたらどうか。
このスレの主旨とどう関係した内容なのか、説明してほしい。
あなたは私の204と331を並べて、何か矛盾していると思っている。
誰が読んでも矛盾していると思っているのでしょう?
自分の物差しを絶対だと信じているからですよね?
あなたは視野が狭くて、他人の別な物差しがあることが理解できない。
自分の解釈以外はありえないと思っている。
だから、上記のように、いつも「先に」勝利宣言をする。

学校時代にもあなたみたいな直線思考の先生がいた。
生徒に質問して、自分が準備した答えが出るまで次々と当てていく。
だが、先生が無視した生徒の答えの中にも質問に答えているばかりか、
むしろ、質問の盲点をついた鋭い答えもあった。
あの先生には生徒の鋭い答えを理解するだけの知性がないのです。
自分の質問が不適切だったとか、盲点に気が付かなかった自分を反省するのではなく、
ただ自分が決定した答えだけがあると信じ込み、それを答えられない生徒は
馬鹿だと思い込んで、自分の答えが出るまで生徒に答えさせ続ける。
ペテン大作さんとそっくりですね。

396 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/17(木) 22:18:35.05 ID:UAGt+ujm.net
>>378 :神も仏も名無しさん:2015/09/17(木) 12:41:39.86 ID:UbQIraDT
>一来補さんのことより、>>199さんの件、
>反論よろしくお願いしますね。

これもあなたの視野の狭さを良く示している。
昨夜すでに私は返事を書いている。
ここでの解脱の議論はアゴン宗に関連した因縁解脱のみが対象です。
各個人の宗教観や仏教観や解脱観など何も関係ない。
あなたは気が付いていないだろうが、批判側にも個々の仏教観には違いがある。
私は密教を腐すが、密教を信奉している批判側もいるでしょう。
だが、ここでは議論の対象ではないから誰もそんなことは議論しません。
なんなら、批判側の人がキリスト教徒でもかまわない。
一来補さんの仏教観も違うが、彼がそれを出した時は、スレ違いだから、
個人の宗教観を出すなと言われるだけです。
私の仏教観と彼の仏教観についてここで議論することはありません。
あくまでも桐山アゴン宗の仏教観のみがここでの議論対象です。
こういうスレの主旨を遵守するのが議論の最低限のルールです。
ペテン大作さんはこういうルールを無視して、延々とスレと関係のない
仏教議論を七年にわたってしている。
なぜならあなたは視野が狭すぎて、憎しみで目が固定されているから、
それしか見えず、スレの主旨が見えなくなる。

199さんが、因縁解脱は仏教の解脱だ、と擁護したのなら、私は反論するでしょう。
だが、199さんはそんなことは何一つ書いていない。
199さん個人の仏教観や解釈を書いてもここでは議論の対象ではありません。
だから、他のスレを立ちあげてはどうかと提案したのです。
私はあなたと違い普通の視野を持っているから、スレの主旨がいつも見えている。
毎回、あなたにアゴン宗の議論をしてはどうかと、何のために提案していると思っているのですか。
スレの主旨を守りなさいと言っているのです。
ペテン大作さんのしていることはスレの主旨を無視しているのだから、
アゴン宗の議論ではなく、単なるスレの妨害です。
その意味では立派なアゴン宗擁護かもしれない。

397 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 22:27:01.05 ID:sQ4op+S1.net
それではニカーヤ論文の再掲。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6940/1/ib004001.pdf
いや〜、私のような頭脳にはなかなか窮屈な学術論文です。
いや、論文に対する悪口ではありませんよ。
その窮屈な論文を読み解いて、狭い見解を打ち破らねばならない。
狭い見解とは解脱への修行の段階、順番に対してのあまりに固定化し過ぎる偏見です。
段階、順番が無いなんてことはなく確実にありますが、決して戒→定→慧なんて
きちんと「時期」だけで分けられるものではなく、実際には戒・定・慧は常に
同時進行で進められてきた。一番最後の「悟り」の箇所にて確認観察の智慧があるというだけです。
つまりあなたのように四禅までの修行を終えて三明による智慧観察で四聖諦を
知って初めて解脱をし、それまでは解脱などしておらず、心解脱すらその段階では認めない、
完全なる解脱の前に解脱なし、解脱の完成以前に解脱なしとする狭い考えです。
ニカーヤ論文はそれをも打ち破るためにも八聖道との対比をしている。
そこで見えてくるものがあるのです。
それがまず八正道の正見であり、この内容は四聖諦の智慧であるという。
八正道では正見なしには正語、正業などの戒、正定などの定は進められない。
つまり正邪の判断基準です。これは戒でもなく定でもなく慧としかいいようがない。
その正見の智慧は四聖諦を知ることに相当すると言うのだから、ペテン大作さんの言うように
四禅終えた後に四聖諦の悟りを得るまで八正道は実践不能だったことになってしまう。
つまり一来補さんもよく間違える戒→定→慧の整然とした順番ではなく、先に慧が
来ることもある。
つまり>>212さんの
>ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
>「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。
です。

398 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 23:15:24.16 ID:sQ4op+S1.net
実にニカーヤ論文の中に>>212さんの指摘した慧→戒→定の問題提起に対する考察があるのを
ペテン大作さんは読み解かれたのでしょうか?
ニカーヤ論文はこれに対して回答を出しています。
つまり有漏の正見と聖・無漏の正見です。
つまり八正道の修行者が取り組むのはもっと初歩的な慧であり、この慧が定と相俟って
強化されていき、煩悩を断除していく。そして最後には聖・無漏の正見たる
四聖諦による確認を得る。
これなら慧が先に来ていようが、ペテン大作さんもオッケーでしょう。
最後の聖・無漏の正見たる四聖諦を知ることによって初めて完全なる解脱を得て
解脱の完成を見るのであり、深山の言う四禅の段階ではまだ解脱ではない。あははは。。。
ってあはははペテン大作とは別の人だっけ?
ところがそうも行かないのです。
その聖・無漏の正見、慧、四聖諦の智を得てどうなるかと言うと、なんと「預流者」になると言う。
>>360の引用)
預流者とは有身見・疑惑・禁戒取の三結を断った境涯であることは同論文の
同引用の中にも明記あり、(25)の脚註にははっきりと十結煩悩の欲貪や瞋恚などの
残りの煩悩が断たれていない境涯を明記している。
だとすると釈尊は最後に四聖諦の智を得てシュダオンにしかなれなかったのか?
そんなはずはない!
と(私の)考察は続く。

399 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/17(木) 23:40:29.57 ID:sQ4op+S1.net
釈尊は最後の段階の智慧で四聖諦を観察し、単なる預流者、シュダオンにしかなれず
解脱の未完成なんてはずはなく、阿羅漢果を得たはずです。
それは先の四禅記述までの修行・・・なんだったら二禅記述までの
修行でもよいのだが、心の全き安定を得ていて清浄にして無穢にして柔軟にして不動にして
大きな煩悩は言うまでもなく小さな煩悩までも離れていた。
つまり欲貪や瞋恚などの煩悩も離れていたので三結しか断じていない七来のシュダオン
なんてことはあり得ない。
するとこれをどう考えるかと言うと、一つには最後の四聖諦の智とはやはり
最終「確認」の観察によって、単なる知識ではない実体験による実感の伴う
確認であり、四聖諦の智慧自体は先駆けてあったものと見る。
つまり慧→戒→定(これは嘘で慧・戒・定と言うべきで)の後に続く→慧は確認に過ぎない。
確認してはっきり確信を得てそれは「悟り」として完成した。
悟りの内容とは苦があり、苦を超己するには己の煩悩を断除するしかなく
この煩悩を断除した「解脱」は八正道の修行により得られるという悟りであり確信です。
つまり悟りの中の解脱体験は実は悟るより先に得ていた。
つまり四禅か二禅かわからぬがその時にすでに得ていた。
という考え。
あともう一つ別な考えもある。仏教素人に過ぎない私の自由な発想では。

400 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:38:24.09 ID:0uOpA1qG.net
>>395:深山
おや、深山さん、夜もヒッパレですか?
随分熱心なこと。

>何が玉砕で、何が引退なのか、説明してみたらどうか。
>あなたは私の204と331を並べて、何か矛盾していると思っている。

説明なんて要りません。
書いてあるとおりです。
そのまま読めばいいのです。
204では四禅で涅槃を得たと釈尊は述べた。
331では四諦を理解してから解脱するのは当たり前。
では、204で釈尊が言った事は嘘なんですか?
それとも、四禅を終えた時、少し解脱していた、
そして四諦を知った後、完全に解脱したと言いたい?
駄目ですよ、そんな理屈は。
四禅で涅槃を得たというのだから、
これは四禅で完全に解脱したという意味です。
それをあなたは331で否定している。
これほど見事な自滅、玉砕はありません。、

>自分の物差しを絶対だと信じているからですよね?
>あなたは視野が狭くて、他人の別な物差しがあることが理解できない。

私から木を見て森を見ずと言われたことを言い返したのですね。
あなたの物差しも私の物差しも必要ありません。
まして、あなたのカルトに汚染された物差しなど言語道断です。
経典に書いてある話を、あなたや私が解釈することは許されないのです。
釈尊が、経典で、熱海の湯で涅槃を得たと書いたら、
あなたや私が勝手に熱海を草津の湯に書き換えることは許されない。
それと同じです。

401 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:41:37.15 ID:0uOpA1qG.net
>>396:深山
>ここでの解脱の議論はアゴン宗に関連した因縁解脱のみが対象です。
>各個人の宗教観や仏教観や解脱観など何も関係ない。

では何故、四禅三明の話を始めたのだ?
最初にこの話を始めたのは、あなたですよ。
四禅三明が阿含宗に関連しているから始めたのでしょう?
そして、あなたの独自の仏教観、というより、歪曲した仏教観
を披露する事に発展したのです。
あなたが蒔いた種は自分で摘み取らねばならない。
砂場でうんちをしたら自分で始末しなければならないのです。
それを放っておいたら、この砂場は使えません。
早く始末してください。
始末するには、あなたが自分の間違いを認める以外にありません。

402 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 00:42:53.19 ID:tCxbEara.net
それは釈尊は仏教の創始者であることです。
釈尊の説く真理は釈尊が無師独覚で発見したものです。
コロンブスの卵です。
これは我ながら非常に乱暴な考えとも言えるが、五結すら決して切る順番は固定されていない
のかも知れない。
一来補さんがかつて示した三結断って預流果を得るまでは欲貪や瞋恚を断つなんて
ことは考える必要はなく、護摩木でも書いて御利益信仰していればよいなんて
たわけた順番発想は問題外だが。
普通は三結の無知は理解認識のものだから、これは比較的受け入れやすく
対して欲貪や瞋恚など感情のものはこれは長年の習慣性がありなかなか御し難いので
断つのに時間がかかる。ゆえに三結断って七来、残る二結薄れて一来、欲貪、瞋恚
も含めた五結断って不還という構図だった。
しかしその理解認識の真理は先に発見者がいたからこそ容易に自分もその理解認識を
得ることができる。
では創始の発見者の釈尊はどうか?というものです。
まあこれは釈尊が最後にようやく三結の無知を断ち、先に断っていた欲貪や瞋恚なども
含めてここに阿羅漢果完成なるという暴論です。
まあいくらなんでもこれはないと思うが。
しかし人は千差万別だから、感情面のコントロールはできても、霊魂を信じるとか
理解面でなかなか頑固な者もいるかもしれない。
そして一番考えねばならない問題は、釈尊は仏道を示したからには、その修行道とは
必ず少しも釈尊と違わず進むものだろうか?
四聖諦を悟ったのは釈尊だが、後世含めて弟子たちはその教えを言葉として知ることができ、
学び、理解認識する。
つまり教えこそが無知、すなわち痴の煩悩を克服するための不可欠のものです。

403 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:48:14.96 ID:0uOpA1qG.net
>>401:深山
>199さんが、因縁解脱は仏教の解脱だ、と擁護したのなら、私は反論するでしょう。
>だが、199さんはそんなことは何一つ書いていない。
>199さん個人の仏教観や解釈を書いてもここでは議論の対象ではありません。

議論の対象ではない?
お笑いです。
では、199さんの書き込みをあなたは否定しないわけですね。
いいでしょう。
批判側(だと思われる)の方が私の説に同意してくれたのだから、
有り難く頂戴いたします。

404 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 00:52:30.86 ID:tCxbEara.net
桐山さんらアゴン宗の人たちが軽視するオシエです。
だから教えを説いて理解認識させて、これを戒や定と相俟って修行させる。
教えこそ慧の修行ではなかろうか?
そりゃ最後の慧は神通力も伴う神秘的な智慧です。
過去世までも観察できてしまう。
それは禅定の修練によって得られた慧であるが、神通力が慧なのではない。
神通力も駆使して「確認」できた内容こそが慧です。
四聖諦の真理は間違っていないと実感をもって確認できた。
しかし内容こそが慧なんだから、それは言葉の教えを理解しただけとは重みが
異なるだけの話で、教えも同じ慧ではないか?

以上ニカーヤ論文を読み、そこから進めた私の思考を披露した。
ペテン大作さんは言うだろう。ユビキタスなんて仏教素人の考えなどは要らぬ。
学者の考えで証明してみろ、と。
しかし学者の論文の一部の字面にしか飛びつけず、自分の頭で考える応用力を持たない
ペテン大作さんには>>212さんの発言を自分の強い味方、同士となってくれたと
ワンダフル!などと賞賛するのはおめでたいアタマだ。
>>212さんはあなたの説の根底を揺るがすことを書いており、それを気付いたのか知らんが
あなたは>>212さんの書き込みで自分に都合の悪い箇所はコピペから外した。

405 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 01:13:09.12 ID:/sxpM9KT.net
>>403
何勘違いしているんだ?議論の対象にならないのは当たり前だ!
ここは阿含宗を対象とするスレなんだから仏教を参考にはしても
それそのものを議論の対象にするなら別スレにするのが正しいだろが
仏教に詳しくても常識はないらしいなw

406 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 01:15:52.26 ID:k2RkSJPP.net
ハッスルハッスルww

407 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 01:22:18.36 ID:tCxbEara.net
さて最後に結論で締めましょう。
結論は最後の三明の段階での聖・無漏の慧は解脱するにはどうすべきか、どう実証されたのかという確認です。
解脱しており、解脱する道は八正道しかないと確信が持てたことを確認した。
これが悟りです。
この悟りを以て慧解脱とするアビダルマの連中がいる。
ペテン大作さんとも同じで一番最後に解脱が完成する筋書きにしなければ納得のいかない連中です。
だから四禅記述の段階で得たものを心解脱、最後に観察して確認できた真理があり、
これこそ真なる智であり、無知の克服ができたので、これを以て慧解脱とする。
解脱というテーマはここに完成せりというアビダルマストーリーです。
しかし無知の克服と言うが、その最後の段階で得た真理による無知の克服は
人を迷妄に導き地獄にまでも進ませるような無明無知だったのか?
死後のことはどうなるか知らんが、これを知ると知らんの違いは、阿羅漢と阿那含の
違いみたいなものだろうか?阿那含は天に生じてもう人間として帰ってくることなく
その後輪廻は止まる。
どちらでもよいような話です。
煩悩に汚れると言うが、この段階の知る知らないは、汚れという表現には不適切で
ピンと来ない。
だから心解脱と慧解脱の区別、差別化なんてマニアックな趣味としか私には思えない。
しかしまあそういう考えの人もいる。
それに対して私はそれもまたそのアビダルマ人の自由さと思う。
しかし、アビダルマ人の限定は所詮アビダルマ人の限定に過ぎない。
言ってやりたい。オタクらが限定する「完全」でなくて何が悪い?
心解脱と慧解脱を備えた状態が完全だと みなすならば、心解脱だけの完全未満で
何が悪い?
心解脱も解脱には変わりないではないか?
まさに>>342さんの書き込み内容に尽きる。
解脱論議はこれで全て決着がつくのです。
ペテン大作さんは慧解脱備えることを重視する考え、深山さんや私や>>342さんは
心解脱だけでも解脱には違いないという考え。
それだけの違いです。

408 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 01:32:41.85 ID:tCxbEara.net
心解脱・慧解脱と区別、差別した連中ですら心解脱は解脱ではないなんて言いません。
慧解脱はさらに強化を添えたいだけの話です。
だから慧解脱派と心解脱派の対立なんて本来そんな深刻なものはないはずです。
慧解脱を完全解脱とみなす連中でも心解脱を解脱とみなさない人などいない。
深山さんは当初沙門果経の四禅記述のところで綴られた修行者の境地を解脱に他ならないと発言した。
慧解脱派の連中から言わせると、それはまだ心解脱だよと言うだろう。
そう、それなら心解脱で結構だよ、上等だよ、と下がります。
慧解脱派の連中も心解脱を解脱したことを問題視して糾弾する人なんていません。
お互いの立場を守り、争いなんかない。
ペテン大作さんだけです。心解脱を解脱とすら認めず、いつの間にか「完全な解脱」
ではないなんて話をすり替えて、よりによってそれを相手の仏教無知なんて罵る材料とした
のは、どちらが仏教無知なんだか?

409 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 02:22:33.14 ID:tCxbEara.net
>>407
>死後のことはどうなるか知らんが、これを知ると知らんの違いは、阿羅漢と阿那含の
>違いみたいなものだろうか?阿那含は天に生じてもう人間として帰ってくることなく
>その後輪廻は止まる。
>どちらでもよいような話です。

これは違うかな?阿那含と阿羅漢の違いは五上分結という煩悩を断っていないかいるかの違いです。
五上分結は決して真理の無知ではない。
小さな目に見えないような煩悩です。
これを断除するのだが、三明の真理観察の場面には五上分結のような煩悩の断除の
シーンが少しもない。
まさに真理を知り無知を克服するとは寧ろ三結の無知を克服したことに相違なく
聖・無漏の慧の内容は有身見・疑惑・戒禁取を克服して預流者になったことになる。
四聖諦の理解了解により、この三結もなくなる。
だから四禅記述の段階で五上分結断つ阿羅漢果を得ていたことになる。
その時点でまだ三結のみが残っていたのでなければ。

410 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 07:50:22.50 ID:ypjfYrkp.net
 
深山街道   http://www.panoramio.com/photo/113424155

411 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 07:54:05.27 ID:tCxbEara.net
>>405 神も仏も名無しさん 2015/09/18(金) 01:13:09.12 ID:/sxpM9KT
>仏教に詳しくても常識はないらしいなw

いえ、ペテン大作さんは仏教にも詳しくなどはなく、全く知らないも同然で、
単語、仏教用語の意味さえ知らないで、分不相応の無駄な文献を読んでいるだけです。
解脱の意味、心解脱の意味も知らないも同然です。
知らないで学者の書いた文章の上辺だけを拾い勘違いするだけです。
上辺しか拾えないのは単語の知識もなく、自分で考える能力がないからです。
例えば

>諸漏から心が解脱するので、心解脱を示す。
>四聖諦を知るならば、無明が捨断され 、無明を離れて慧解脱を具足する。

>よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

という学者の文章を読んで、

>>61 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:22:54.21 ID:axq5gd5W
>深山さんがいくらジタバタしても、
>経典で比丘が解脱(心解脱・慧解脱)するのは、四聖諦を知った後です。
>あなたが、どんな理屈を並べようが、この事実は変わらない。
>だから「心が安定し」には解脱の意味はありません。

と、慧解脱のみならず心解脱の獲得も、慧解脱の獲得と同タイムにシフトさせています。
それまでせっかく心に貪著を離れたという心解脱を得たのに慧解脱さんが到着するまで
心に貪著を残して待ってくれているのでしょうか?
個々の用語の意味、内容も知らないで、目に付いた文脈を繋いでいるだけで、
アタマの悪い小学生に見られる間違いです。

412 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 08:37:57.59 ID:tCxbEara.net
ペテン大作さんの四禅解脱イチャモンに反論するために用いたニカーヤ論文から
導かれる考察を昨夜しました。
全くスレ主旨から逸脱しているようだが、アゴン宗の信者の皆さんは、いかに
普段自分たちが行っている仏教が仏教にあらずピントが外れているか感じて欲しい。
心の安定も求めず、かえって不安と恐怖とそれの代償に不要の欲望を煽る。
定や慧に対してなにやら神秘めいた特殊な技法があるかのように期待する。
そんな神秘技法で解脱するのでなく(アゴン宗は解脱の意味も知らず、
煩悩滅解脱でなく因縁解脱です)、実は地道な日常生活における自己観察、自己省察
であり、正しい教えの理解です。
正しい教えに疑惑を持つアゴン宗徒がシュダオンになれるはずがない。

413 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 10:20:59.89 ID:ilduHd6E.net
安保法案に賛成:批判派は反対のようだな

414 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 12:02:14.03 ID:AQeWg3mV.net
>>401 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:41:37.15 ID:0uOpA1qG
>では何故、四禅三明の話を始めたのだ?

まるで私が始めたかのような書き方ですね。
自分のしている事を忘れたらしい。
あなたが、深山が四禅で解脱する、あるいは、釈尊は四禅で
解脱すると述べている、と私が書いてもいないことを言い続けるからです。

>204では四禅で涅槃を得たと釈尊は述べた。(>>400)

こうやってまだ書き続けている。
私は「四禅で涅槃を得た」ではなく、「四禅の説明の段階では
涅槃を得ていると述べている」、と書いたのです。
小学四年生が「ボクは小学生の資格を得ている」と言ったら、
ペテン大作さんや一来補さんたちの頭では
「小学四年で小学生の資格を得る」と解釈するらしい。
あなたは私に「深山は小学校四年で小学生の資格を得たと書いた」と
難癖をつけているのです。
この例えの違いが、あなたも一来補さんも理解できないほど読解力が低く、
あなたは理解するつもりもないほど悪意に満ちている。
なぜなら、それを受け入れたら、私を非難することができなくなるからです。

自分が書いてもいないことを、書いた書いたとしつこく指摘され、
それを前提にして、延々と批判されたら、あなたは黙っているのか?
私は、書いてないと書き続けているだけです。
つまり、あなたと仏教についての議論さえもしていない。

415 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 12:08:57.29 ID:AQeWg3mV.net
>>401 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:41:37.15 ID:0uOpA1qG
>では何故、四禅三明の話を始めたのだ?

あなたの目的がアゴン宗擁護でないことはもとより、
解脱や四禅についての仏教議論でさえもなく、
深山をぶちのめすことが目的なのはあまりに明瞭です。
だから、いつも勝手な決めつけをして早々と勝利宣言をする。
あなたは仏教の議論さえすれば、読者があなたのその汚い心に
気が付かないとでも思っているのか?
それとも気が付かれようがなんだろうが、気にしないか。
どちらにしろ、ただの恥知らずです。

人前で大声で相手を怒鳴りつけ「恥をかかせてやった」と笑う人がいたそうです。
この人は、自分が恥をかいているのがわからない。
勝手な決めつけで、私の間違いを指摘してやったと早々と
勝利宣言するペテン大作さんと同じです。

七年前の四禅三明の話は、桐山さんのカルマ解脱についての議論であって、
今の議論とは違う。
だから、私が元に戻し、桐山さんの唱える解脱について
議論してはどうかと何度言っても、あなたは応じない。
応じたら、議論に負けることがわかっているからですよね。
あなたは漏尽解脱(煩悩解脱)が仏教の解脱だと認めて、漏尽定による解脱を唱えた。
つまり桐山さんの解脱説を否定してしまった。
それでアゴン宗の擁護をしたら、議論に負けるから、戻らない、のではなく、戻れない。
この点だけは一来補さんよりも知性があるようだ。

416 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 12:14:55.06 ID:AQeWg3mV.net
>>400 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:38:24.09 ID:0uOpA1qG
>私から木を見て森を見ずと言われたことを言い返したのですね。

こうやって、あなたは私が先に指摘したことをそのまま言い返し、
自分が勝利したと宣言しないではいられない。
ほんとうに子供っぽい性格ですね。
バカと言われてバカと言い返すのは、小学生でも上級生になるとしなくなる。

視野が狭いと私から七年も前から言われているのを覚えていないらしい。
盂蘭盆経の学者の論文をあなたが引用して、見事に実証してみせた。
学者が書いた盂蘭盆経についての話を、学者の主旨とは正反対の意味に
あなたは解釈して主張した。
視野が狭く、目の前の文脈を自分に都合よく並べ直して理解したつもりなのは
知っていたが、まさかあそこまでひどいとは思わなかった。
あなたは文章がちょっと長くなると理解できなくなる。
だから、盂蘭盆経の論文を十行くらいずつを項目にまとめた文章を並べていた。
あれを得意気に並べていたが、あのようにしないと理解し
記憶することができないからです。
普通の人は、そんなことをしなくても論旨を理解し、要点を記憶するのです。
視野が狭いから、ここが何のスレなのかもきれいに忘れている。

視野が狭いだけなら大した問題ではない。
あなたは視野の狭さを自覚しないばかりか、思い込みと自惚れと
さらに激しい憎しみを混ぜるから鼻つまみなのです。
一来補さんも理解力が低く、自惚れは天井知らずで、他人への侮蔑心もすごいが、
ペテン大作さんと違い、激しい憎しみはありません。
そこが同じ悪臭でも違う。
霊障のホトケと不成仏霊との違いです。

417 :一来補:2015/09/18(金) 12:20:23.20 ID:dfOyqyjh.net
407レス、ユビキタスくん。
五上分結煩悩は、目に見えないような小さな煩悩?w。
小さな煩悩とか、紛らわしい言い方と我が言ったのはそこだよ。
では、貪や、癡は、大きな煩悩だろ?
ところがだ、五上分結の無明は癡と同じ煩悩だとされているのだよ、仏教辞典で調べてみな。

だから小さな煩悩の意味は不明なのです。紛らわしい言い方なのです。

418 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 12:20:36.16 ID:AQeWg3mV.net
>>400 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:38:24.09 ID:0uOpA1qG
>あなたや私が勝手に熱海を草津の湯に書き換えることは許されない。
>それと同じです。

そこまで正義感が強いのに、あなたは私の文章を別な意味に取って、
七年間もそれを主張し続けているのは何なのだ?
私に、こうやって書き換えたと、ありもしない罪をなすりつけている。
あなたこそ、私の文章を書き替えているのです。

そこまで正義感が強いのなら、桐山さんの経典捏造を
どうしてあなたは容認するのだ?
経典の解釈などではなく、彼は文言を書き替え、文章を書き加えた。
しかも、あなたや私がするのと違い、彼は一宗の管長として、
本にそれを書いて、多くの信者たちを騙した。
非常に悪質な行為です。
だが、あなたはこういう桐山さんを批判するどころか、常に彼を擁護してきた。
それを見れば、上記の正義感など、口先ばかりなのがわかる。
桐山さんと同じで、自分の欲望や憎しみを果たすために、
阿含経や釈尊を振り回しているだけです。
しかも、二人とも阿含経や釈尊を道具として使っているという自覚さえもない。

419 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 12:27:38.92 ID:7neqNKnR.net
>>400 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 00:38:24.09 ID:0uOpA1qG
>あなたや私が勝手に熱海を草津の湯に書き換えることは許されない。

あなたは私が書き替えたといい、私はあなたが書き替えたという。
私はあなたが仏教を理解できないと言い、
あなたは自分こそは仏教を理解していると言う。
双方の主張はずいぶん前に出尽くした。
しかも、そのテーマはこのスレとは関係ない話です。
どちらの主張がより説得力があるか、読者に判断を任せるべきです。

これからの経過は、いつものようにペテン大作さんの勝利です。
なにをどう反論されようが、何の根拠も示せなくても、あなたは
前と同じで、一歩も引かずに、これをずっと書き続ける。
私は言うだけ言ったら、その後は無視する。
無駄であり、スレの無駄使いであり、スレの主旨から話がどんどん
ずれてしまい、アゴン宗の議論を読みたい読者は不満に思うからです。
するとあなたは「深山は答えられないのだ」と勝利宣言をする。
あなたが何を書いても私が無視するし、だんだん周囲の批判側も無視するようになると、
執念深く独り言を書き続けるが、それもやがて続かなくなる。
いったんは退散するが、しばらくすると、深山への激しい憎しみが
臨界値を越えてメルトダウンを起こし、またここに来て同じことを書く。
同じ事を何度も繰り返しているということも気が付かないくらい視野が狭い。

ペテン大作さんと一来補さんが現実の自分の周囲にいないことを本当に感謝します。
朝から私の言葉に難癖をつけて、いくら説明しても一歩も引き下がらず、
仕事と関係ない文句を七年間も言い続ける人間が職場にいたら、最悪です。
ペテン大作さんや一来補さんの現役時代の職場の人たちには心から同情する。
あなた方が去った職場にはそよ風が吹いているでしょう。

420 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 12:42:38.67 ID:tCxbEara.net
>>360のニカーヤ論文における6ページの引用の一部を再掲します。
ただしこれはペテン大作さんに対する反論メッセージではなく、アゴン宗信者さんに対する
桐山ブッキョーと釈尊の仏教を比較して、全然違うんだと理解してもらうメッセージ
として発信したい。

>また精進・念をもって冥想に入り、次第に四禅を修習し、深く冥想状態に入りつつある時に、
>ある境地に達して四聖諦の智が起こり、八聖道を一段階修習し終えて預流者となる。

>このように彼は、真の八聖道、つまり聖・無漏の八聖道を一段階修習し完成する。
>まとめて言うならば、他の七支は正定の補助具であり、正定の修習によって慧が生じ、
>定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され、
>八支全体もより高い修行段階に入る。有身見・疑惑・戒禁取が完全に断除されれば、
>その者は預流者になる。その時、八支全体は初めて聖・無漏の段階に入るということである。

四聖諦の智により有身見・疑惑・戒禁取の三結を断除して預流者となる。
その預流者が欲貪や瞋恚等の残る煩悩も断除して阿羅漢となる。
四聖諦は八正道の正見の内容の慧であり、邪見を排して正しく見ることだから
これが三結を断つ道であることは論理的にもよくわかる。
つまり戒定慧の慧とは三結を断つものです。
正しく知り正しく見るから正しく行える。
やはり理解認識の問題ですよね。「知」なんですから。
ところが桐山アゴン宗では慧とは何やら得体のしれないカルマを打ち砕いてしまう
パワーを与えてくれるものとみなしています。
ぜんっぜん違うじゃないですか?
私は桐山さんの著書で三結の内容をシュダオンの話と共に読んだ時、
これって理解認識の誤謬を正すものだよな、とわかった。
そんな程度と言っては語弊があるが、当時は「そんな程度」の理解認識の改めだけで
どうして青いオーラを発するだの神秘的な話になるのか?と思った。
本当の智なり慧とは、とにかく理解認識の話であり、桐山神秘パワーなどとは無縁です。
桐山さんは三結の内容は正しく著書に書いたが、いつのまにかそれを断つことを
オカルトに変えている。

421 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/18(金) 12:54:53.61 ID:tCxbEara.net
>>417 一来補 2015/09/18(金) 12:20:23.20 ID:dfOyqyjh
>ところがだ、五上分結の無明は癡と同じ煩悩だとされているのだよ、仏教辞典で調べてみな。

癡の煩悩でしょうね。しかしその具体的な癡の内容はなかなか説明できないながらも
この癡を「断除」しているシーンが、三明の智慧観察の中にありましょうか?
あの観察は断除作業はもう済んでからの確認の観察としか見えないのですが?

422 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:09:07.76 ID:0uOpA1qG.net
@きっかけは深山さん、あなたです。

>>414 :深山
まるで私が始めたかのような書き方ですね。
自分のしている事を忘れたらしい。
あなたが、深山が四禅で解脱する、あるいは、釈尊は四禅で
解脱すると述べている、と私が書いてもいないことを言い続けるからです。


111 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:37:23 ID:s8pu1w+h
「これによると、ブッダは十二縁起によって悟ったのではなく、悟りは
四禅三明の智慧によって悟り、
その後に悟りの内容を十二縁起によって瞑想したのだということになる。
この説が最も多い。」(『般若心経瞑想法』124頁)

これが桐山さんがごまかした瞬間の文章です。
気が付きましたか。
「この説が最も多い」とあるが、「多い」とはどこにその多い学者がいるのだ?
桐山さんは「神通力で釈尊は解脱した」と主張したいから、
いかにも学者たちもそのように主張していかのように見せかけているが、
四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない。

423 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:14:22.13 ID:0uOpA1qG.net
@木を見て森を見ず

>416 :深山
>視野が狭いと私から七年も前から言われているのを覚えていないらしい。

私もあなたのことを「木を見て森を見ず」と七年前から言ってます。
木(心が安定し…)を見て、森(比丘は四聖諦の後で解脱する)を見ず。
目先の語句に捉われて、経典全体の流れに目が行かない。
正に深山さん、あなたのことです。
仏教学者たちが、何故、心が安定しを解脱だと解釈しない理由が分かりますか?
それは、「比丘は四聖諦の後で解脱する」という経典の結末を見ているからです。
あなたはこれが理解できない。
そして、きょうもまたお笑いを書き続ける。

>>419:深山
これからの経過は、いつものようにペテン大作さんの勝利です。
なにをどう反論されようが、何の根拠も示せなくても、あなたは
前と同じで、一歩も引かずに、これをずっと書き続ける。


根拠は示しています。
>>242■「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違いである理由。
その中では、仏教学者の文献も上げています。
それに対してあなたは客観的な証拠を何一つ出せなかった。
あなたの根拠は、あなたの主観による解釈でしかない。
そういうのを独りよがりというのです。

424 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:18:57.32 ID:0uOpA1qG.net
>>423
>それは、「比丘は四聖諦の後で解脱する」という経典の結末を見ているからです。
>あなたはこれが理解できない。

おっと失礼。
理解したんですね、やっと。>>331
そして自滅し玉砕したのでした。

425 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:40:54.01 ID:0vYS/BKR.net
釈尊は四禅で悟ったとかの話しはもういいからさ。
ペテンさんのチャクラ覚醒話しでも聞かせて。
こっちのほうが面白そうだよ。

426 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 14:56:52.88 ID:queg6rXl.net
>@木を見て森を見ず

学説は種々あるんだよな 何故なら解脱も
種々ありそれに準じて解説も煩瑣となる
一説に解脱のために要求される禅定は四禅であり
無色定以上の成就は 必要とされていないとか
沙門果経に四禅があってもその上の五禅がネエぞって何
あと解脱した比丘は 四禅八定も滅尽定も出入り自由さ
っちゅうのはオレ分だが 瞑想即菩提じゃネエのよ
続いて藤本説には 倶分解脱者と慧解脱者は阿羅漢だ
としてだが
前者は八等至(止)を体験し(心解脱),慧(観)によって
煩悩を滅尽している(慧解脱)ので「倶分」解脱者と呼ばれる。
後者は心解脱を欠く。
この二者は煩悩を滅し修行を完成しているので
不放逸になりようがなく,
釈尊に「不放逸に励むべき」と指導される必要がない。
だから無学だとかって切りがないんだっての
んでいけば <nikaryaにおいての定型句>であるが
また、私に智と見とが生じ、私の心解脱は不動である。
これが〔私の〕最後の生であり、再生はない。
とかな
 比丘たちよ、食欲に汚された心は解脱しない。
 無明に汚された慧は修習されない。
 比丘たちよ、これらは食欲を離れた心解脱といい、
 無明を離れた慧解脱という。(An.T.61)
ちゅうような説き方もあるんだよ これらはすべて
四聖諦の範疇で螺旋的な修道におさまるわけだってな
批判ひとりに恨み骨髄で議論したって釈迦の手のひらだな

427 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 15:19:54.62 ID:GB78YKxA.net
ダンマパダ 372

智慧のない者には、禅定(ジャーナ)はなく、禅定のない者には、智慧はない。

禅定と智慧のある人、かれにこそ、涅槃は近い。
.

428 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 15:29:26.68 ID:ilduHd6E.net
安保法案今日成立祈願:

429 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 17:12:20.27 ID:queg6rXl.net
さあて今晩は
游玄亭で会食じゃああ
阿含信者諸君は しっかりボン行しなさいね

430 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 19:56:32.84 ID:ilduHd6E.net
http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/ 少年Aみたいな野郎を生み出さないためにも安保法案の成立を急げ!

431 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 20:08:14.80 ID:k2RkSJPP.net
>425 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 15:19:54.62 ID:GB78YKxA
>ダンマパダ 372
>智慧のない者には、禅定(ジャーナ)はなく、禅定のない者には、智慧はない。
>禅定と智慧のある人、かれにこそ、涅槃は近い。

どっちにしろ ここに居る信者、そして阿含宗低能批判者。 マトモなのは一人も居ません。レベルが何段も下の者ばかりです。
死ぬまで一般人には成れないんです。 可哀想ですよね。wwwwwwwww

そんな可哀想な方々が、ここで連日、何年も何十年も、マスを掻き続ける。 それがこの、
阿含宗批判スレッドなのです。 中でも、

ココの批判の筆頭である、ユビ深は、そうとうみっともない。w だって、この場が無くなったら、
マジで死期近づくからね。そんくらいココに依存してるから。 

カルトを卒業後は2ちゃんに依存する。 生来の、依存症なのかねえ。www

432 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 20:14:30.43 ID:k2RkSJPP.net
>320 :ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2014/11/30(日) 23:15:40.55 ID:Q6bo2Ma+
>私は今日の書き込みで十分でありますので

そりゃそうだろうwww 日曜にこんだけ書き込むその貪りがまだ足らんなんてありえない。ま、日曜に限らず年中だが。ww

>89 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/02/10(日) 13:08:39.02 ID:J3ZByYxY
>準シュダオンさんと同じパターンです。 私の指摘に反論できないから、逃げたのです。
>読者の皆さんはこういう態度を見ても、ねぎさんの主張に根拠がないのがわかるでしょう。

それは深山さんもですよね?w 私の指摘に反論できないから逃げたのは深山さんでしょう。
何故そう自分のことは軽く棚に上げられるのかな???
読者の皆さんは、こういう態度を見ても、深山さんの主張に根拠がないのがわかるでしょう。

敵地に1個さえ書き込めないくせにその相手に「チキン」と言っちゃう元信者もいるそうですが、その人レベルじゃないですか?
逃げてないで、私の指摘に答えてごらんなさい。

>139 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2014/04/22(火) 23:22:29.66 ID:GwkQn75P
>あなたの推測っていつも本当にピンボケですね。 それでは桐山さんのそばにいても正体に気がつかなかったのは当然です。

そんなに自分を貶めないでください。(笑)

>525 :神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 07:06:50.83 ID:Gi0eezda
>何度言っても判らないやつだな。関係ないやつが阿含スレへ攻撃されるようにと貼っている。
>また自分らの誰かが貼っているという証拠も無いだろう。

え?アンタ。。。証拠も無いのに、関係ないやつが阿含スレへ攻撃されるようにと貼っている。と断定してるの???
なにそれ。w 証拠無いんでしょ? だったら断定できないでしょ?

オイオイオイオイ。w 自爆すんの速過ぎるぞオイ。wwwwwとにかく速いな。w 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)


433 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 20:19:55.06 ID:ilduHd6E.net
佐藤議員がんばれ!幕僚長がついてる!!!

434 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 21:59:53.25 ID:7neqNKnR.net
>>422 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:09:07.76 ID:0uOpA1qG
>@きっかけは深山さん、あなたです。

あなたが引用した七年前の111で、私は、
「四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない」、
と書いているのだから、私は四禅三明による解脱を否定していることになる。
それをどうやったら、四禅で解脱していると、まったく逆に受け取れるのだ?
時々、あなたの知性を疑うのは、こんなふうに文章を逆の意味に
平気で読み取ってしまうことです。
盂蘭盆会の学者の論文も、逆の意味に取っていましたね。
あなたが出した証拠は、深山が四禅解脱など主張していない、という証拠です。
どうも、ご苦労様。

435 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 22:07:11.16 ID:7neqNKnR.net
>>423 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:14:22.13 ID:0uOpA1qG
>根拠は示しています。
>>242■「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違いである理由

ペテン大作さんは他人の文章を読解するだけの力がないのですね。
私は>>419で、あなたは「四禅で解脱したと深山が書いた」という根拠を
示せない、と書いているのです。
反論したければ、私が書いた文章を示すしかない。
だが、あなたが242で示した内容とは、
四禅では解脱できないという反論ですよね?
何をピンボケな反論をしているのだ?
あなたが示さなければならないのは、私が書いたという四禅解脱の文章です。
書いたか書かないかを問題にしている時に、書いたことを前提に
した反論を出して、何の意味があるのだ?
これは質問をはぐらかしたのではなく、私の指摘の意味が
理解できないからなんでしょう?

436 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/18(金) 22:14:16.07 ID:7neqNKnR.net
>>423 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 13:14:22.13 ID:0uOpA1qG
>根拠は示しています。

無駄だとは思うが、また四年生の例えをして、終わりにします。
私が、
A「大学四年生が、自分は学生の資格がある、と言っている」
と書くと、ペテン大作さんと一来補さんは、
B「深山は、大学四年で学生の資格を得る、と書いた」
と主張した。
この二つの文章を読み比べてほしい・・・と二人に言っても
無駄なことはわかっている。
AからBは出てこない。
だが、お二人はAをBと同じだと主張している。
大学四年になったから学生の資格を得たのではなく、
入学試験に合格したから大学生になれたのです。
釈尊は八正道で解脱したのであって、四禅や漏尽定で解脱したのではありません。
こんな文章の違いもわからず、決めつけと自分の読解力の低さを棚に
上げて、スレ違いな議論を七年にもわたり続ける。
スレの中からもそろそろこの議論にブーイングが出始めているし、
私は国語の教師ではないから、読解力の低い人を世話できる能力も意欲もない。
議論は出尽くしており、同じ話を繰り返しても無意味だから、そろそろ手を引きます。
いつものように、お一人で勝利を遠吠えしてください。

437 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 22:17:52.65 ID:/sxpM9KT.net
あいもかわらず内容のない国太郎の妨害文w
低能呼ばわりするしか能がなく
まったく、深山さんどころか一来補やベテン氏、宝生クンにもおよばない
だからワダから叱られるんだぞw
金もらってこんなことしか書けないんだからなw低能以下のバカってこういうやつだよなw

438 :一来補:2015/09/18(金) 22:33:16.09 ID:dfOyqyjh.net
深山くん、あなたは阿修羅の境界なのです。
だからくだらない議論の勝敗に、取り付いている。因縁解脱の意味を分かったかな?
仏教辞典の、縁起の滅した世界、の意味を理解出来たかな?


439 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 23:41:43.44 ID:0uOpA1qG.net
>>434:深山
>あなたが引用した七年前の111で、私は、
>「四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない」、
>と書いているのだから、私は四禅三明による解脱を否定していることになる。
>それをどうやったら、四禅で解脱していると、まったく逆に受け取れるのだ?

逆ではありません。
あなたは四禅三明を否定したのではなくて、「三明で解脱する」ことを否定したのです。
そして、それは四禅で解脱することを意味します。
だから三明で解脱することを否定することと、四禅で解脱することは逆の関係ではありません。
あなたが7年前に、三明で解脱するのでは無いと何度も書き込んでいるのを見れば、
「四禅で解脱し三明で解脱を確認する」というのがあなたの主張であることが分かります。

>204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

これが、あなたの主張です。
誤魔化しは通用しません。 

440 :神も仏も名無しさん:2015/09/18(金) 23:53:29.39 ID:0uOpA1qG.net
>>435 :深山
>ペテン大作さんは他人の文章を読解するだけの力がないのですね。
>私は>>419で、あなたは「四禅で解脱したと深山が書いた」という根拠を
>示せない、と書いているのです。
>反論したければ、私が書いた文章を示すしかない。

いいえ。
私の反論は「四禅で解脱したと深山が書いた」という文章ではありません。
>>242を御覧なさい。
冒頭に何がありますか?

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

これです。
これがあなたの主張です。
私はこれに対して反論しているのです。
「四禅で解脱したと深山が書いた」という文章ではありません。

441 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 00:00:08.82 ID:lIu2fRL5.net
深山さん。
>>367にあるとおり、見事に玉砕されたあなたが取るべき道は、
三つあります。

1.間違いを認めて謝罪し、今後も当スレに残留する。
2.間違いを認めず、知らぬ顔をして、当スレに残留する。
3.私の書き込みをスルーして、当スレに残留する。

どれを選ぶかはあなた次第です。

442 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 00:05:38.56 ID:lIu2fRL5.net
×2.間違いを認めず、知らぬ顔をして、当スレに残留する。

>>436 :深山
>釈尊は八正道で解脱したのであって、四禅や漏尽定で解脱したのではありません。

443 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 00:14:24.33 ID:lIu2fRL5.net
>>442 文章途切れた。
書き直し

>>441 訂正 
×2.間違いを認めず、知らぬ顔をして、当スレに残留する。
○2.間違いを認めず、反論を続ける。

>>436:深山
>釈尊は八正道で解脱したのであって、四禅や漏尽定で解脱したのではありません。

では、「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べている」
というのは、嘘になります。
あなたはやはり嘘を書いたのですね。
ここでもまた玉砕!!!

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

444 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 00:18:27.19 ID:ZDD+GFUL.net
昔1年だけ入ってたけど
すぐ辞めた

そのあと
創価学会に入って15年目です

445 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 03:07:57.12 ID:KkOcHvAx.net
安保法案成立おめでとう。これでこの国もまともになれる。さすがに幕僚長の力だ。

446 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 06:02:42.83 ID:HxP/S4vf.net
>>443
>>436:深山
>>釈尊は八正道で解脱したのであって、四禅や漏尽定で解脱したのではありません。
>
>では、「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べている」
>というのは、嘘になります。
>あなたはやはり嘘を書いたのですね。
>ここでもまた玉砕!!!

四禅は釈尊の専売特許ではなく、当時の沙門やバラモンもやっていた修行です。
釈尊はアーラーラ・カーラーマ仙人の元に弟子入りして、四禅の上位にある非想非非想処にも到達しています。
しかし、それでも満足できず仙人の元を去って一人修行を始めたといいます。
それは釈尊が考える涅槃の境地ではなかったからです。

そして苦行にも挑戦します。当時のインドでは「苦行によって悟りが得られる」と信じられていたからです。
釈尊の苦行は想像を絶するもので、「私の後にこれだけの苦行をする者は現れないだろう」とまで言われた。
しかし、その苦行も涅槃に導かず捨て去るのです。

では、釈尊を涅槃に導いた修行は何だったのか?
それは、>>427にも示されている禅定と智慧がミックスされた修行でしょう。
あなたが示したターナグットー・ビックの「螺旋的修行道」として表現されたものに近い。
つまり、八正道がそれです。

沙門やバラモンの四禅には痴(愚痴)の煩悩が内存していて完全ではない。
しかし、八正道では最後の第四禅定で「不苦不楽受」=痴 を捨てる智慧が備わっているのです。

447 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 07:50:30.77 ID:QymnYu0l.net
 
深山的青春   http://dp.pconline.com.cn/photo/3377616_1.html

448 :一来補:2015/09/19(土) 08:01:01.47 ID:Pbe0QxBv.net
釈尊が何の修行で解脱したかなど、今更wだな。釈尊が話しているだろよ、比丘たちにさ。
いわゆる三十七道品ですよ。三十七道品の修行で解脱したと説いている経は沢山あるね。
だが、四禅だけで解脱出来ると、説いた経はひとつもないだろう。

沙門果経は、四禅で解脱したかのような表現があるが、他の経と、比較検討すれば、四禅会得は涅槃へ至る途中経過だと分かるのです。

449 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 08:11:20.18 ID:A2QmQxpK.net
>>448 一来補 2015/09/19(土) 08:01:01.47 ID:Pbe0QxBv
>だが、四禅だけで解脱出来ると、説いた経はひとつもないだろう。

全くそのとおりですね。
で、そんなことを主張している人は、このスレで1人もいませんね。
何しに出て来たの?

450 :一来補:2015/09/19(土) 08:50:47.98 ID:Pbe0QxBv.net
何しに出て来たの?ですか。
深山ユビキタスくんが因縁解脱が阿含経の教えであることを理解出来ないのは、心の境界が阿修羅であるからです。レベルが低いのです。
深山くんのレスには、議論に於いて敵とか味方とか、勝ち負けとか、阿修羅の特徴がよく出ています。ユビキタスも同じレベルだろう。

我のレスには、敵とか味方とか、勝ち負けとか出たことはないだろう。そういう意識、発想がないからです。深山ユビキタスくんには、この心のレベルが理解不能だろう。

深山ユビキタスくんのような、護摩木勧進とかのボン行だけでは、心の解脱は進まないということです。
だから、未だに阿含経が因縁解脱を説いていることを理解出来ないのです。
我はそれを確かめに出て来たのです。
深山ユビキタス説のレベルの低さを確かめて、
誰がそれに気づかせるのかな、とね。

451 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/19(土) 10:08:24.34 ID:JyzAsAo7.net
>>438 :一来補:2015/09/18(金) 22:33:16.09 ID:dfOyqyjh
>深山くん、あなたは阿修羅の境界なのです。
>だからくだらない議論の勝敗に、取り付いている。因縁解脱の意味を分かったかな?

>21 :一来補:2015/06/22(月) 22:14:16.86 ID:cfqybMe8
>また、勝ち組の信者に、負け犬があれこれ
>意見しているのは滑稽の極みだなw。
>負け犬の遠吠え、哀感が漂うな。

一来補さんも>>436のAとBの区別がつかないのでしょう?
あなたもペテン大作さんもこんな簡単なことが理解できないのです。
アゴン宗ではそういうのを物事の道理がわからない人間として、
修羅クラスでなく、畜生クラスといいます。

あなたも21で勝敗に憑りついているではないか。
年中批判側をバカ、アホと連発する一来補さんは修羅でさえもなく、
道理のわからない畜生クラスということになる。
年中他人をそうやって罵っているあなたが、どの面さげて、
他人を修羅の境涯などと言えるのだ・・・あ、そうか畜生クラスだからか。

桐山さんも無能勝明王なんて奇妙な名前を法施で出したことがある。
これは、誰もこの明王に勝てないという意味です。
桐山さんも勝敗を気にしているのです。
あなたの理屈からいったら、彼も修羅の境涯ということになる。
私はその意見には賛成しません。
桐山さんは解脱の意味も理解できないのだから、あなたと同じで畜生クラスです。

452 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/19(土) 10:13:48.91 ID:JyzAsAo7.net
>>448 :一来補:2015/09/19(土) 08:01:01.47 ID:Pbe0QxBv
>だが、四禅だけで解脱出来ると、説いた経はひとつもないだろう。

>>449のユビキタスさんの質問の意味を理解していないようだが、
「四禅で解脱できる」と主張している人はこのスレには一人もいないが、
誰に対して一来補さんは、上記を書いているのだ?と質問しているのです。
あなたの>>450はこの質問に対する答えになっていない。
だから、私からも重ねて質問するが、
質問「このスレで誰が、四禅だけで解脱できる、と主張したのか?」
答えてみなさい。

答えるられるはずがない。
そんな事を主張している人は誰もいないのだ。
>>249でわざわざあなたのために説明してあげたのに、
あなたは読まない、理解できない、記憶できないの三重苦で
また上記のような根拠のない話を書き続ける。
誰も四禅で解脱するなんて説いていないのに、
では、あなたの上記の記述は何なのだ?
「何しに出てきたの?」
誰に向かって、何のために上記を書いているのだ?
あなたは自分がどれほどピンボケな間抜けなことをしているから気が付いていない。

453 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/19(土) 10:19:39.90 ID:JyzAsAo7.net
>>448 :一来補:2015/09/19(土) 08:01:01.47 ID:Pbe0QxBv
>だが、四禅だけで解脱出来ると、説いた経はひとつもないだろう。

>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。

こういうペテン大作さんの言葉をそのまま一来補さんは無批判に受け取っているのでしょう?
あなたもペテン大作さんも、私が四禅解脱を主張したかのように書いているが、
私は書いてない。
もう七年間も、書いていない、書いていないと主張し続けている。
そして、ペテン大作さんもあなたも、私がそのように主張したという
文章は何も示せない。
あなたも読解力が低いから、ペテン大作さんの文章を読んで、
勝手に私がそのように主張していると思い込んでいる。
あなたは読解力が低いから、私がそうでないと反論していることが理解できない。
あなたは決めつけが激しいから、私が四禅解脱を説いたと信じ込んでいる。

前に、私が一来補さんの準シュダオンというハンドルを預流と言う意味だと
誤解して批判した時、あなたは「シュダオンだなどと名乗っていない。
謝罪しろ」と私にからんだ。
それもしつこく「謝罪したか」と何度も何度も要求した。
他人が自分を誤解すると、激しく謝罪を要求するのが一来補さんです。
だから、私もあなたに何度でも質問する。

質問「このスレで誰が、四禅だけで解脱できる、と主張したのか?」

もちろん、卑怯者のあなた方がまともにこの質問に答えるとは思っていない。
ペテン大作さんのようには屁理屈を並べるか、はぐらかすか無視するか、
そんなところでしょう。

454 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 11:31:00.08 ID:2k8YPtIn.net
>>444 アゴン宗と一見対極に見える一派が君が今属していると表明する団体。
ある信者と対談し彼女曰く、日蓮大聖人に帰依しているなら修行は一切が
無用であり敢えて行うなら上人の意図に反すると、まくし立てられ閉口した経験あり。
題目をとなえりゃ全部が完備するという誠に勿体無い教えと富士の法流であるらしい。
 其の時は理解できなかったが現在は反論できる。
アゴンを小乗と貶した大乗側にも明瞭な菩提に到る修行法を示されない宗教が仏教である。
阿含経の内容にも明瞭な修行と行うべき方法は記載されていない。
人が修行して預流になったか如何か深山先生に判定できるか?出来ないのだね。
言葉のみ弄繰り回すけど実態を示すことが出来ない。
そも修行って何だ?という情けもない段階から出ていない。
目的遂行の方法を示せないのだ。言うなら登山家が装備する諸々の諸品と
目的の山頂の道路地図すら持っていないのだ、空想の山頂を目指す人生ってありですかね?

455 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 12:43:03.33 ID:A2QmQxpK.net
>>454 神も仏も名無しさん 2015/09/19(土) 11:31:00.08 ID:2k8YPtIn
>>>444 アゴン宗と一見対極に見える一派が君が今属していると表明する団体。

宝生さんにしては今回は大胆なこと書いたなあ。
「一見対極に見える」ですか?
これはその実は対極ではなく、同根だったり、類似していたりすることを
表現したい時に使う言葉です。
なるほどアゴン宗は創価学会とも類似している。
桐山管長が池田名誉会長の業績を追従しているからです。
北京大学名誉教授も池田大作さんの方が早く、桐山さんは中国に金を寄付することにより
この名誉学位を権威付けとして買った。
桐山さんが池田大作さんをして、金で名誉を買い集め権威を世に知らしめる営為を
「名誉餓鬼」として軽蔑、批判し、「俺は阿含宗管長、この肩書きだけで十分だ」
としていたら、その点については立派だと思い、評価します。
しかし池田大作さんの悪口だけ言っても、結局は自分もまた北京大学名誉教授だけでなく
あちこち海外に金を配っては名誉の勲章みたいのを集めている。
してその数を比較するならば、あちらは3桁で比較にならない。
桐山さんは池田大作さんが羨ましくて羨ましくて仕方がない。
深山コンプレックスに明け暮れるペテン大作さんとも少し違うが。
創価学会の信者数もアゴン宗のそれとは比較にならない。
少数精鋭でいいなんてのは、一来補さんあたりの代弁にならぬ勝手な考えで、
桐山さんは信者数を増やし、せめて100万人にまでなるように13救いの輪運動なんて提唱した。
結果はますます激減したが。
また宝生さんは例によって阿含経にも明確な修行法はないなどと、桐山さんの説に
反することを言っている。
これに対してはペテン大作さんと同様相手にする価値がないが、阿含経に
明確な修行法があるかないかよりも、たしかにアゴン宗にもそれが無いと嘆いているから
修行法のない創価学会とも対極ではなく仲間としているのか?
宝生さんの本音が見えて面白い。

456 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 12:46:24.55 ID:3DZoDdEE.net
深ユビの貪りハッスル 止まらない〜www ま、元カルト信者だからなw

457 :一来補:2015/09/19(土) 15:55:43.63 ID:Pbe0QxBv.net
解脱したと知る力を解脱知見=三明というのです。解脱知見=三明、が生じない限り、解脱したことを知ることが出来ないわけです。
それが阿含経の教えです。
五分法身を備えることが必須です、それが阿羅漢。解脱知見は五分法身の一つですね。
それをわきまえないから、深山ユビキタス説はおかしくなるのです。

458 :一来補:2015/09/19(土) 16:14:22.72 ID:Pbe0QxBv.net
岩波仏教辞典の解脱、悟り、涅槃、の定義。

「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃」←滅の説明。
「煩悩からの解放。インドでは輪廻からの解脱」←解脱の説明。
「さとりは縁起の滅」←縁起の説明。

さと

459 :一来補:2015/09/19(土) 16:21:32.87 ID:Pbe0QxBv.net
苦の滅 業の滅 煩悩の滅 輪廻の滅 縁起の滅
が悟り=涅槃の定義であることが分かりますよね。

煩悩の滅だけでは、100満点で20点ですね。
赤点、落第です。

460 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 16:31:56.19 ID:KkOcHvAx.net
元信者のふ○たさんも安保法案成立を喜んでいることでしょう。ふ○たさん、幕僚長やりましたね。よかった、よかった。

461 :ドラム ◆DRAM87EI.U :2015/09/19(土) 16:44:08.19 ID:iWR6r0Lp.net
アボン宗かと思った
阿凡宗なら入信したのに

462 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 16:58:36.97 ID:2k8YPtIn.net
453のユビ君よ創価の現状と実態を知ったら君の腰が抜けるよ。
桐山師の名誉教授とか何とかはお飾りで殆ど無意味に近いと小生も思う。
 さて宗教家がそれで立っていける条件が二個有る。
一個目は祈祷法力が備わり実効的な念力を表わす、足止め、病気治療、人生諸問題を
目の当たりに解決する。
二個目は、お告げが降りて信者の未来に有効な情報を伝える。
どちらか可能ならOKなのである。
え!それは嘘だろうと思うかね?祈願料金を1000万円程用立てできて熱心に伝を求め
探すと必ず居ますよ。
日本てのは神国でしてね今の時代にもそういう人が必ず居ます。
さて話題は桐山師に戻るわけで一個目は善いのですが、二個目が出来なくなりましたね。
人と会話が上手くできないと意志が伝わりませんね。
小生は二個共に幸運にも個人的に体験させて頂いております。
何故こんな事を書くか言えば、引退して一番弟子に譲るべしですね。
指導方針を変更するべくになっているのですが弟子に任せちゃ如何?
そんな訳ですね。祈祷力の力は神仏が持っています。
祈祷者がお願いすると叶えて下さるのが本当です。え?うちんとことの
小母さん教祖は如何よ?ったってワシャちっとも知〜りません。
桐山師は既に密教の法式に寄らずしても祈願は通ります。
指導法を変更すべきと言うことのヒントですが意味が判らないだろね。

463 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 16:59:31.99 ID:544nuK8D.net
国宝の姫路城大天守にドローンが衝突。6階の南側、窓枠の水切り銅板に傷。操縦者発見できず。

464 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 17:16:34.91 ID:3DZoDdEE.net
一来補 って何? カルト信者って、なんか意味深なネーミングするよね。カルト信者のくせに。www

深山って名前も意味は知らないが気持ち悪いけどな。w

465 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 17:26:49.82 ID:VTp66vdS.net
門から入らないで得た悟りは盗みと同じ。
その本質は決して得られない、宿らない、掴めない。
本から学んだというのはその典型。

菩提の知識、智慧とは真実に裏打ちされたものをいう
盗んで得たとしても当人には何の意味もなさない。

ゆえに菩提、悟りとは他から学ぶことができないと言われている。

桐山君、お分かり?

466 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 18:13:55.75 ID:2k8YPtIn.net
>>狭い見解、では君は仏陀から直接学んでいるはずだね。

467 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 18:17:11.94 ID:A2QmQxpK.net
>>459 一来補 2015/09/19(土) 16:21:32.87 ID:Pbe0QxBv
>苦の滅 業の滅 煩悩の滅 輪廻の滅 縁起の滅
>が悟り=涅槃の定義であることが分かりますよね。
>煩悩の滅だけでは、100満点で20点ですね。
>赤点、落第です。

これチョー笑えるwww。ギャグですよね?
苦の滅 業の滅 煩悩の滅 輪廻の滅 縁起の滅 と5つの滅を勝手に並べるなんて、
七科三十七道品も真っ青のムチャクチャ嘘分類だが、それを5等分に比例配分して
煩悩の滅なら20点とは・・・・
ならばあなたの理屈だと、三結断ったシュダオンは30点、五下分結断ったアナゴンは50点。
つまり50点のアナゴンは落第ということになりますよね?
ついでに順番を訊いておきましょう。
身見→疑惑→戒取の順番でないと三結は切れないのですよね?
三結切れて初めて着手する欲貪と瞋恚は、どちらが先ですか?
やはり欲貪が切れてから瞋恚にとりかかるとよいわけですね?
これでまだ50点。心解脱=煩悩解脱はおたくらでは小解脱ということですから。
落第解脱と命名しましょうか。
まあ五上分結も所詮痴の煩悩なんですから、これもまだ所詮小解脱のはずで
100点でも小解脱。
時に50点の落第解脱たるアナゴンは不還でもう輪廻の世界に帰ってきませんから
あなたの言う輪廻の滅だ。
輪廻を滅しても落第の小解脱なんですね?

468 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 18:25:23.92 ID:VTp66vdS.net
修行で煩悩を絶っても悟れない。
入口、門から入らないで本末転倒を行う者は実に滑稽。

469 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 18:52:44.83 ID:A2QmQxpK.net
>>462 神も仏も名無しさん 2015/09/19(土) 16:58:36.97 ID:2k8YPtIn
>一個目は祈祷法力が備わり実効的な念力を表わす、足止め、病気治療、人生諸問題を
>目の当たりに解決する。
>二個目は、お告げが降りて信者の未来に有効な情報を伝える。

>さて話題は桐山師に戻るわけで一個目は善いのですが、二個目が出来なくなりましたね。

>指導方針を変更するべくになっているのですが弟子に任せちゃ如何?
>そんな訳ですね。祈祷力の力は神仏が持っています。
>祈祷者がお願いすると叶えて下さるのが本当です。え?うちんとことの
>小母さん教祖は如何よ?ったってワシャちっとも知〜りません。
>桐山師は既に密教の法式に寄らずしても祈願は通ります。
>指導法を変更すべきと言うことのヒントですが意味が判らないだろね。

指導法を変えるより先に教義を変えるべきですね。
どの教義かと言うと、因縁教義です。
なぜかと言うと、あなたは上記の一個目の病気治療などの御利益は桐山さんに関しては善いなど
と書いているが、全然善くない(実績がない)だけでなく、あなたの言うような
神仏の祈祷力だけで病気が治っては、因縁教義が丸潰れになってしまうのです。
ガンなどの病気になるのは、ガンの因縁など悪い病気の因縁があるからです。
だからこの悪因縁を切らないと、病気は治らない。一時的に治っても再発もする。
そしてその因縁を切るには神仏に祈祷祈願しても切れないのです。
成仏法に基づいて修行しなければならない。
その修行の条件は、まずお導き勧誘をしたり教団奉仕をしたり、回向料を支払ったり
徳を積まねばならない。この徳があるから神仏のありがたい祈祷力も受けることができる。
逆に言うと徳が足りないと霊障の不成仏霊も成仏できないし、因縁も切れない。
だから神仏パワーまかせなんてアゴン宗教義を知らない奴が言うセリフです。
だからこの因縁教義を変更ってかなくしてしまわないと病気治療などの
一個目もあってはならないことになる。

470 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 19:00:08.54 ID:3DZoDdEE.net
ハッスルユビw カルト老人が砂場で数十年ハッスルww

471 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 19:20:19.19 ID:AqIebBln.net
元「法の華」福永法源氏の半生映画に 本人が出演

宗教法人「法の華三法行」の元代表で、
信者への詐欺罪で懲役12年の刑に服した福永法源氏(70)の半生を描いた映画
「塀の中の神様」(高橋伴明監督、来年4月公開)が製作されており、
18日、都内の東映撮影所で発表会見が行われた。福永氏は本人役で出演。
現在は「フリーの一般人」としながらも、会見では現状を聞かれ、口をつぐんだ。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1540441.html

472 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 19:26:25.72 ID:A2QmQxpK.net
>>462 神も仏も名無しさん 2015/09/19(土) 16:58:36.97 ID:2k8YPtIn

私の言っていることは嘘ではなく、実例があるんですよ。
ある時アゴン宗で指導されているあらゆることはやったが、ガンと診断されてしまい
苦悶しているのでご教示くださいという訴えを出した信者がいた。
桐山さんはこれを取り上げ、サプリメントをきちんと摂らないからだと、
相手の言い分も聞かずに勝手に決め付け因縁をつけた。
あらゆる指導には従ったと供述しているのだから、当然積徳ボン行もし、
解脱供養もし、サプリメントなどの栄養指導にも従ったと思われるが、それを無視して
相手のせいにした。奥さんが非協力的だったことから、離婚しなくてもいいから
アゴン宗を去りなさいと非情にも突き放した。
この例のどこが神仏の祈祷力に頼ればよいという教義実践実態現実になろうか?
副管長だった桐山さんの夫人にも容赦なく、夫人は一部の新聞では心不全と
直接直前の死因しか報道されなかったにもかかわらず、信者向けの機関誌には
ガンの再発と公表した。
それも自分の指導に従わなかったからだと法話でも話したのは、ガンの因縁が
切れなかったことを認めたわけだ。
切れない理由は、自分の指導に従わないからと。
これでも神仏の祈祷力に頼ればよいなどという教義実践になろうものか?

473 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 19:52:38.53 ID:eR8HGw8q.net
入江部長、すごく阿含修行してたけどガンで、死んだよね。残念です。

474 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:04:41.93 ID:2k8YPtIn.net
>>469 実際のところですが、因縁と言うか己の悪しき要素を滅するにも
仏様の加護無くてはありえません。霊障を取り除いて下さる様に神仏に
祈っているのが判りませんかね?桐山師が己の超能力で物事を叶えていると言うのは
一つの行的物語であって、あくまで神仏に対する祈願が叶うように祈るわけです。
470に関して言うと10年以上前の実例?でしょうか。
ご婦人の堤たちさんのことは、記入しません。
ご家族の事情が判らないからです。
指導方法を変えろと言う根拠は君が言うままの処があるので会員に指導力を充分に 
発揮できない桐山師は発言でき法力備わる一番弟子にお譲りすべきか。
見渡すと対外的に停滞してますね。

475 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:05:08.60 ID:eR8HGw8q.net
入江部長は、布教部長として、管長からも信頼された方でした。しかし、ガンでなくなった。そうとうに修行された方だけに、その時、因縁は切れないと悟りました。

476 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:11:01.94 ID:eR8HGw8q.net
阿含宗で、ガンにでもなると、修行が間違えてたとか、因縁が強かったとか、しんじゃ

477 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:15:14.39 ID:eR8HGw8q.net
信者は言うけど、ガンでなくなった方達のこと
真剣に考えてみたらどうかな〜

478 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 20:33:50.95 ID:A2QmQxpK.net
>>474 神も仏も名無しさん 2015/09/19(土) 20:04:41.93 ID:2k8YPtIn
>>>469 実際のところですが、因縁と言うか己の悪しき要素を滅するにも
>仏様の加護無くてはありえません。霊障を取り除いて下さる様に神仏に
>祈っているのが判りませんかね?桐山師が己の超能力で物事を叶えていると言うのは

いや、仏の加護なく因縁解脱は成し遂げられないというアゴン宗教学は私も知ってますが
仏の加護を受け、それを機能させるには、こちら側の徳の準備の条件が必要なんですよ。
桐山さんは都合が悪いと全てこちらの準備条件が悪いことにします。

479 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:35:18.88 ID:eR8HGw8q.net
入江部長の修行でダメなら、信者さん達の修行では、絶対に因縁は切れない。阿含宗の教義、修行法方では絶対に因縁は切れません。因縁切は嘘です。その事を信者さん達も早急に悟るべきです。

480 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:37:37.12 ID:eR8HGw8q.net
入江部長のご冥福を讃えさせて頂きます。

481 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 21:25:30.61 ID:lnzUkJJn.net
入江部長だけではないぞ、今すぐファミリーの松○さんだって癌で亡くなったし
副管長だってそうだろ、因縁解脱なんて大嘘もいいところ
ましてや釈迦が説いたなどという罰当たりなウソなどもういいかげんにしろ!
といいたい
ナントか補というマインドコントロールから出られない信者はもう心底から信じているみたいだけど
どうしようもないぞこの大嘘は

482 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 21:31:53.75 ID:lIu2fRL5.net
>>446
>沙門やバラモンの四禅には痴(愚痴)の煩悩が内存していて完全ではない。
>しかし、八正道では最後の第四禅定で「不苦不楽受」=痴 を捨てる智慧が備わっているのです。

沙門やバラモンの四禅と釈尊の四禅は違うと言いたいようですが、
それを示す記述は経典のどこにあるのですか?
もし釈尊の第四禅に痴を捨てる智慧があるのなら、
釈尊は第四禅を終えた後、仙人から無色界の禅を教わる必要はありません。
釈尊の第四禅にもあなたが言う痴が残っていたから、
仙人から教わる必要があったのです。
沙門やバラモンの四禅と釈尊の四禅は同じものです。

それともう一点。
八正道の四禅と沙門果経の四禅は別物みたいな言い方ですが、
それを示す記述は経典のどこにあるのですか?
そんなものはどこにもありません。
八正道の四禅と沙門果経の四禅は同じものです。
八正道を持ち込んだところで、
沙門果経では四聖諦の後で解脱するという記述を覆すことはできません。
だから「三明の前の四禅で釈尊は涅槃を得た」という深山さんの主張は嘘になります。

483 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 21:38:46.95 ID:lIu2fRL5.net
>>449 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 08:11:20.18 ID:A2QmQxpK
 >>448 一来補 2015/09/19(土) 08:01:01.47 ID:Pbe0QxBv
 >だが、四禅だけで解脱出来ると、説いた経はひとつもないだろう。
>全くそのとおりですね。
>で、そんなことを主張している人は、このスレで1人もいませんね。

横槍失礼。
いますよ、深山さん。
それと、彼に同調するあなたともう一人か二人。

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。
456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)


484 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 22:19:04.50 ID:JyzAsAo7.net
>>457 :一来補:2015/09/19(土) 15:55:43.63 ID:Pbe0QxBv

質問「このスレで誰が、四禅だけで解脱できる、と主張したのか?」(>>453)
私の質問に対する答えはどうなったのだ?
一来補さんの答えは知っていますよ。
「なんか質問があったのかい、読んでないよw」でしょう。

ハンドルの意味が違っているというだけで、激しく相手に謝罪を
求めるあなたは、こういう根拠のない話を書いても、狸寝入り。
週刊誌の名前を間違えただけで、何度も何度もしつこくそれを
取り上げる一来補さんは、書いてもいないことを書いたと相手に
罪をなすりつけても、口を拭って素知らぬ顔。
こんなふうに自分の事となると他人を激しく責めるのに、
他人へは不誠実で、自分の非をいっさい認めない一来補さんが、
解脱や悟りの内容を説明して、いったい何の説得力があるのだ?

485 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/19(土) 22:24:23.73 ID:JyzAsAo7.net
>>474 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:04:41.93 ID:2k8YPtIn
>ご婦人の堤たちさんのことは、記入しません。
>ご家族の事情が判らないからです。

>531 :神も仏も名無しさん:2015/08/16(日) 15:40:02.83 ID:zUl+tk8T
>>528 君の調査は残念!
>ご婦人のたちさんは癌で死亡しておりません。
>肝臓癌は完治しておりました。
>449 神も仏も名無しさん 2015/06/04(木) 17:26:26.58 ID:dvq37lNp
>奥さんが肝臓癌に成って完治したことは事実、然し死因は別な病であった。

531と447は宝生さんですよね?
あなたはこの間違いを認めてさえもいない。
私からガンで死んだことを示されたから、今度は、家庭の事情はわからない?
あなたは肝臓ガンが完治したなどと、えらく家庭の事情に詳しいではないか。
私は信者時代、そんな話は聞いたことがなかった。
完治した肝臓ガンで死ぬというのも奇妙な話です。
都合が悪くなると逃げる。
家庭の事情なんて因縁を切るホウとは関係ありません。
ましてや桐山夫人は単に桐山さんの妻だったのではない。
アゴン宗の副管長であり、桐山ゲイカの「お裏方」であり、光和や平河などの社長だった。
桐山さんを内外から支え続けたから、桐山さんも戦友という称号を贈ったほどです。
アゴン宗の信者で戦友などと言われた信者は一人もいない。
彼女くらい徳を積んだ在家信者はいないでしょう。
ところが、その彼女は76歳でガンで死んだ。

486 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/19(土) 22:27:52.42 ID:JyzAsAo7.net
>>474 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 20:04:41.93 ID:2k8YPtIn
>ご婦人の堤たちさんのことは、記入しません。
>ご家族の事情が判らないからです。

因縁切りを標傍するアゴン宗の在家信者のトップランナーである桐山夫人が
たった75歳で、しかもガンで死んだ??
そのガンも初めてではなく、二十年も前にすでに一度発症したのだから、
因縁を切り、桐山さんのいう様々な養生をし、光和のサプリを飲んだのだから、
再発など考えられない。
ボン行の功徳で、心の因縁も切れて、おのずと桐山ゲイカの
ご指導にしたがうようになると、桐山さんは前から説いていた。
宝生さんの言うように、仏の加護なくしては悪因縁も心の因縁も
切れないと桐山さんはおっしゃっていた。
仏の加護を得られるかどうかは徳次第であり、
この「徳点」で桐山夫人は在家のトップにいた。
横変死のような強烈な三大悪因縁と違い、ガンの因縁だから、
徳点の高い桐山夫人の因縁が切れないはずはない。
だが、切れなかった。
これはどうしてなのか?
信者の多くが疑問に思っていることです。

そこで、宝生さんが信者たちのために、その理由を説明してあげてはどうか。
あなたの自前守護霊観音様に御霊示をいただき、
桐山夫人には何が足りなかったのか、説明してはどうか。
午前中など、「一見対極に見える」(>>454)と鋭い指摘をされましたね。
ユビキタスさんが書いているが、私も宝生さんのこの指摘にひどく感心した一人です。
宝生さんもピンボケでアゴン宗のことを何も知らないのかと思っていたら、
アゴン宗と創価とは対極ではなく、同類だと気が付いていたのだ!
ぜひ、あなたのその取材力で、桐山夫人について解説してください。

487 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/19(土) 22:36:07.21 ID:JyzAsAo7.net
>>486修正
正 たった76歳で、しかもガンで死んだ??
誤 たった75歳で、しかもガンで死んだ??

488 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 22:45:22.21 ID:ZDD+GFUL.net
先祖供養で人生変わるなら

金持ちがさらに幸福になるだけじゃん


先祖なんてゴマンといるから

搾取し放題


余程の馬鹿以外はすぐ気づきます(苦笑

489 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 23:00:49.73 ID:lnzUkJJn.net
阿含ビルで法律相談をしていた群馬地区の幹部信者だった弁護士の某A氏も
喉頭癌で亡くなりました。彼は御巣鷹山の法要などにも尽力してた人です。
阿含宗でいえばたいへんなお徳をつんでいるはずです。
それなのに因縁は切れませんでした。
このような例があまりにも多い

490 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 23:04:14.09 ID:lnzUkJJn.net
あと理事をしていた人でシベリアの法要を企画、尽力をつくした人も
心筋梗塞で突然死
ちっとも因縁解脱の徳になっていない
下根の成仏法なんて桐山の嘘にすぎません。

491 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 23:14:00.40 ID:lIu2fRL5.net
@深ユビが「四禅で解脱とは言ってない」に方針転換したのには理由がある。

>>453 :深山
 >576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
 >深山さんは、四禅で解脱していると書いた。
>こういうペテン大作さんの言葉をそのまま一来補さんは無批判に受け取っているのでしょう?
>あなたもペテン大作さんも、私が四禅解脱を主張したかのように書いているが、
>私は書いてない。
>もう七年間も、書いていない、書いていないと主張し続けている。

七年間なんて真っ赤な嘘です。
深山さんが、四禅解脱とは言ってない、と言い出したのは、ごく最近、約1年前からです。
それまでは、そのような発言は一度も無かったのです。
これが、四禅で解脱とは言ってない、の最初のレスです。

>199 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2014/11/18(火) 12:02:21.24 ID:/hQxeIF5
>信者さんたちは、ペテン大作さんの>>191を読んでいかがですか。
>彼は>49で私が「四禅解脱」と主張したと述べた。
>つまり、四禅という禅定によって解脱すると主張したというのです。
>だから、私の元の文章を引用してみろと書いた。
>それが191です。
>私の文章のどこに彼のいう四禅解脱がありますか?
>ありません

492 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 23:15:46.51 ID:lIu2fRL5.net
489の続き

では、彼は何故急に、四禅で解脱とは言ってないと主張し始めたのか?
それは、その四日前に、私が次の文章を載せたからです。

>49 :神も仏も名無しさん:2014/11/14(金) 00:56:30.79 ID:zVJkhfni
>「四禅において仏陀は悟りを得たと見てよいが、「四禅」がそのまま悟りではない。
>禅は精神の統一・集中であり、ここから智慧が現われる。禅は智慧の母胎である。
>悟りとは智慧が真理と合体し確固不動となって恐怖・苦痛・愛欲に乱されなくなったもの。」
>(平川 彰著『インド仏教史・上巻』春秋社、42頁)

この平川氏の文章は、彼にとってダメージが大き過ぎたのです。
これを見て、彼はもはや「四禅で解脱」を主張することを断念したのでしょう。
しかし、彼にとって、自分の間違いを認めるのは死ぬよりも辛いことです。
そこで考え出したのは、自分は最初から四禅で解脱などと言ってない、
と主張することでした。
ここで大きな方針転換をしたわけです。

これは、ユビキタスも同様です。
深山さんのレスのすぐ前にこう書いています。

>189 :ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2014/11/18(火) 00:19:09.58 ID:5LbjeBAa
>四禅が解脱だなんて言ってないんだよ。
>いくら深い禅定に入っても解脱は得られなかったんだよ。釈尊は。
>それを我々は四禅で解脱した、四禅が解脱だと決めつけるあなたの頭の構造が・・・
>うーん・・・まず視野狭窄なんだろうなあ。

彼にとっても、平川氏の文章は強烈に効いたわけです。
これを見れば、深ユビが如何に言い訳ばかりして生きている連中かが分かりますね。

493 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/19(土) 23:53:41.09 ID:A2QmQxpK.net
アゴン宗で職員や有名な先達と呼ばれた人たちが、長年の修行の結果因縁解脱はできず
病気で亡くなった話が多く出ましたね。
彼らの不幸を出汁に使いたくはない。
そもそもが癌など病気で死ぬなんて誰にでも起こり得る話であり、事故死もまた然り。
私の明日の身だって、わかりやしない。
病没は本来恥でも何でもなく、人の人としての尊厳を賤しめることは絶対にありません。
しかしアゴン宗の因縁解脱という教義とその実践は、癌にならなくなることを
目指すものですから、これは必ず結果が問われます。
癌になってしまった場合、ましてやそのままお亡くなりになった場合、因縁は
切れなかったと嫌でも評価されてしまうのがアゴン宗です。
信者の皆さんは因縁解脱という妄想を追うよりも、その現実を見て、亡くなった先達の
方々から学び取りましょう。
宝生さんの病気治療などの一個目とかいう御利益の話は、四禅解脱だの縁起解脱だの
机上の空論、地に足がつかない話から脱却するのに役立ちます。
未だにそれのみを書いている空気の読めない奴もいるようですが。

494 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 23:58:30.72 ID:HxP/S4vf.net
>>482
>沙門やバラモンの四禅と釈尊の四禅は違うと言いたいようですが、
>それを示す記述は経典のどこにあるのですか?

梵網経(ブラフマジャーラ経)の現法涅槃論を読んでください。
この現法涅槃論には念や正知、そして第一の禅から第四の禅まで出てくるのです。
しかし、釈尊はこれらの論も「囚われた見地で涅槃に導かず来世をもたらす」と
説いているのです。
私は初めその理由がわからなかった。一体これはどういうことなのか? と。
しかし、石飛道子さんの「「空」の発見」という本を読んでいてわかったのです。
この本の中で梵網経について述べられた箇所があり、次のように書いてありました。

「自己(アートマン)と「世界」に関して、六十二の根拠によって学説を分類し
 網羅した経典です。六十二の学説すべてが、自己を認める立場をとっているので
(一)の自己探求という点では満たしています」P201

つまり、六十二種(六十二見)は「我(アートマン)」を認めているのです。
しかし、釈尊の仏教は認めず「無我」を説く立場です。
我を認めるということは、「貪・瞋・痴」の煩悩で言えば「痴」の煩悩が止滅されない
ということです。だから解脱できないのです。
痴(愚痴)の煩悩とは「無我」などの真実を理解納得できぬ<こころ>の働きです。
このことに関しては >>207 >>209 にくわしく書いたのでそこを参照してください。

495 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 00:00:33.08 ID:AlPMzj6k.net
>>488最近は身の回りで知人が御逝去する私も年齢を重ねた
  と思う事が増えてきた。
  そも癌で死にたくないからとアゴン宗にご縁を得ながらも修行未熟で
  癌で死ぬ人が居るわけ。
  知人のお医者さんは語った、人間の寿命は本来40代で終わり
  後の人生は余生だねとかでした。
  桐山師の仰る事柄のハードルは相当に高いですよ。
  癌の因縁を消すには超えなければならぬ壁を見つけて壊すか超えるか
  斯くせねば違う人生は見えない。
  小生幸いにも時間と暇に恵まれて、数年前にコツを見出し続行中である。
  これのやり方を説明すると100人が頷くが実行する御仁は居ない。
  自身を変えるのは嫌なので口では因縁解脱と言って嬉しがっていても
  いざこれで君は如何ですかと指し示すと顔色変えて逃げちゃうのが殆どでした。
  ここのスレで愚図ついてる諸君も悲しいかな同様でしょう。
  禅宗の師家が曰く、自分は徳が薄いので雲水の面倒を見られる人数は
  10人がやっとの事だ仰る僧侶が居ました。
  是は、なるほどと頷けます。
  

  
 
   
   

496 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 00:10:46.97 ID:n/aoNrEF.net
>>482
>もし釈尊の第四禅に痴を捨てる智慧があるのなら、
>釈尊は第四禅を終えた後、仙人から無色界の禅を教わる必要はありません。
>釈尊の第四禅にもあなたが言う痴が残っていたから、
>仙人から教わる必要があったのです。
>沙門やバラモンの四禅と釈尊の四禅は同じものです。

仙人に弟子入りした時は釈尊はまだ解脱していません。修行中の段階なのです。
また仙人も自己(アートマン)を説く立場ですから完全解脱はしていません。
仙人は「漏尽智」を知見できなかったと言えます。
「痴を捨てる智慧」は仙人の元を去って一人修行を始め、八正道を完成した時です。
四聖諦の四番目である道聖諦がそれを示しています。

497 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 00:44:21.09 ID:kBPyBNUi.net
つーか、桐山は自分の糖尿病も治せないじゃねえか

498 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 00:45:40.35 ID:n/aoNrEF.net
>>482
>八正道の四禅と沙門果経の四禅は別物みたいな言い方ですが、
>それを示す記述は経典のどこにあるのですか?
>そんなものはどこにもありません。
>八正道の四禅と沙門果経の四禅は同じものです。
>八正道を持ち込んだところで、
>沙門果経では四聖諦の後で解脱するという記述を覆すことはできません。

別物ですね。何度も説明しましたが、
「沙門果経」は  戒 → 定 → 慧 で説かれ
「八正道」は   慧 → 戒 → 定 で説かれています。

沙門果経で「無我」に関する記述は四禅までの段階には出てきません。
最後の「漏尽智」の中の四聖諦で出てきます。
それは、「無明の煩悩からも心が解脱します」という内容です。
この「無明の煩悩」が「痴」の煩悩なのです。

一方、八正道では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
「慧」の修行が置かれています。
ですから、必然的に「定」の質が異なることになります。

499 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 01:19:25.61 ID:K5xda3GF.net
ペテン大作さん、>>498に対する反論あればどうぞ。
>>212と同じ方のようですね。
あなたは深山さんに対して>>212にも反論してみよと促したが。
ちなみに私は>>212に反論など全く無いのです。
たぶん深山さんもまたそうでしょう。
深山さんはスレ違いの仏教考察にはレスする必要がないと書いているわけでして、
仏教考察のスレであるならば、反論もなく同意をされると思いますし。
あなたも反論は必要ありませんか?

500 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 07:03:14.38 ID:ZuQzG8/J.net
>>495
そりゃハードルは高いよ、だって出来もしなことウソついているわけだからw
ハードルどころか途中で道は途絶えているのわかりますか信者さん!
コツだとかなんだとか妄想ぬかすのはやめましょう、あなたが癌になった人
より健康であっただけで修行や信仰とは関係ありません(心の安定という以外は)
だいたいコツをのみこめないとダメな宗教って役に立たないだろ救いにもならない
コツをのみこめたエリートだけが救われる・・・なんじゃそりゃ
ほんとカルト信者の思考って歪んでいるのなw

501 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 07:42:23.70 ID:AlPMzj6k.net
>>500, 親切に示してやってもやらないのが修行ですなあ。
   信者さんは結構な実習法を習っていますよ。
   修験道で行う九字から始まり、不動明王に対する祈念法とかね
   昔の人が苦労し工夫して我々に残してくれた遺産であります。
   これらはエッセンスですから咀嚼して身に付ける努力が要ります。
   例えばピアノの上手い人は音階を弾いても聴く側には直かに判りますよね
   あのピアノ練習程度の努力はやるのです。
   覚えて何に使うか?邪気払い、呪詛返しです。出来る人は淨霊、除霊まで。
   此れを習っても判っちゃ居るけどやらない人が殆ど。
  睨下のとーにょー病は心配ないでしょう公表した程ですから大丈夫。

502 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 07:50:30.47 ID:cY0QLuSd.net
 
深山璃奈 凄すぎる巨乳   https://www.youtube.com/watch?v=RPsI2dMFUf0

503 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 08:33:45.58 ID:ZuQzG8/J.net
>>501
加持祈祷の類でしょう。釈迦の本当の仏教とは何の関係もないものです。
釈迦の成仏法で因縁を切ると桐山さん言っている。
本当はそんなもの阿含経にはないから(因縁解脱、因縁切)民間宗教加持祈祷
からもってきている(今は八幡書店とかで詳しい本が手に入りますよ)
信者に作法である実習法なんか教えても(本来荒行を行う行者の力任せの祈祷方法)
気休め程度ですね。だから何にもならないw
つまり本読んで行っているオカルトおたくとあまり違わないんだよ
しかも他の本からパクッて高い料金とって教えているんだけどね
信者はありがたがっている・・・騙されているのにねw

504 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 08:46:27.89 ID:ZuQzG8/J.net
加持祈祷で病気が完治するなら病院も医者もいらねえし
だいいちお釈迦さまでさえジーヴァカという侍医もいたし
そういうことやっているから癌で手遅れになるひととかが出てくるんだよ
なにが高いハードルだよ、薄らとんまとかしか言いようがない
長年にわたり信仰していた人が桐山さんに御霊示あおいだら
「アガリスクを飲め」だとかぬかしていたらしい肝心の時に法力などなんの役にも
たたないことの証明みたいなものですね。なんでもう発病してしまったのに
予防に効果のあるサプリメントとかだすのでしょう桐山さんが頭で考えてごまかそう
として出したのがわかりますね。なにが御霊示なのでしょうか、
その信者さんは唖然としてしまい「肝心のときに役に立たない」といって
やめて真言宗で正式に法をうけて病院で治療してなんとか回復したそうです・
(元阿含宗幹部職員談・・・過去スレにあります。)
除霊だとか呪詛だとかいってないで病院行くべきですね。
そんなことだから早死にする人が多いんだよ阿含宗は
わかりますか?

505 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 08:55:39.63 ID:K5xda3GF.net
>>501 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 07:42:23.70 ID:AlPMzj6k
>修験道で行う九字から始まり、不動明王に対する祈念法とかね
>昔の人が苦労し工夫して我々に残してくれた遺産であります。

ならば昔から伝わる修験道の行法に励めば因縁解脱ができることになり、
アゴン宗が提唱するシャカの成仏法など要らないことになる。
宝生さんのような人は因縁解脱の意義とか必要性とか、切らねば不幸な運命を回避できない
恐怖とかに関して実は興味もなく、単に密教や修験道の古式ゆかしく何やら神秘めいた
世界そのものが好きなだけなんでしょう。
こちらに病気などの苦に悩む人に代用の救いを示してみよなんて毎度迫りながら、
その実新興宗教団体によく見られる苦悩の現実と立ち向かったことなどない。
そんな趣味ならば、アゴン宗みたいな半端なところではなく、本格的に密教や修験道
などを学んではどうかと要らぬ助言までしています。
そこで祈祷に励めば、アゴン宗に救いの実績があると言うのならば、少なくとも
その位の実績を得られ、またアゴン宗でも遭遇して相談しても見捨てられる
どうにもならないケースにも遭遇しましょう。

>睨下のとーにょー病は心配ないでしょう公表した程ですから大丈夫。

大丈夫ではなかったのです。
糖尿病から多発性脳梗塞を引き起こし、倒れ入院し、苦労を余儀なくされたのです。
因縁解脱とは死に至るような事故や病気を回避するだけのものでなく
一命とりとめようが、このような病気の苦労を回避するのが目的だったはずだ。
これに対しては何の効果もなく、因縁解脱信仰などには何の意味もなかった。
それも承知で大丈夫なわけですね。

506 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 09:01:07.39 ID:3nTT8uFs.net
ユビキタスはシルバーウィークは趣味の2ch一筋か

507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL.net
他人の話しではなく、我の場合は己を実験材料にして、過去に悩んでいた○○の因縁が切れた感じがするのだから、議論の余地はない。
これは前にもレスしている。

我の話しも、他人には信じるか信じないかの問題ですな。偶然か妄想だろう、と言われたらそれまでだな。
釈尊の解脱だって妄想だろうと言われたらそれまでだな。
安らかな心が解脱というなら、そんなもの無宗教でもゴマンといるよ。

508 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 10:26:54.44 ID:K5xda3GF.net
>>506
今日は保土ヶ谷球場。
しかしこのシルバーウィークは業者を呼んでの家財道具の処分とかの作業に忙しい。
今夜も団地の自治会の定例会あるし。

509 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:17:06.10 ID:Djgv60fY.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL
>我の話しも、他人には信じるか信じないかの問題ですな。偶然か妄想だろう、と言われたらそれまでだな。

質問「このスレで誰が、四禅だけで解脱できる、と主張したのか?」(>>453)
この質問に対する答えはどうなったのだ?
他人が書いてもいないことを一来補さんは書いたと主張した。
他人が書いてもいないことを、一来補さんは捏造して、
書いているかのような前提を勝手に造り、自説を展開した。

人間は誰でも間違いをするし、相手を誤解することもある。
しかし、間違いをした時はそれを修正し、相手に謝るのが筋です。
だが、あなたはそれを絶対にしない。
一来補さん自身は、相手のちょっとしたミスでも絶対に許さず、
相手を徹底的に糾弾する。
それほど他人に対して厳しいのに、逆の立場で自分がミスをすると、
口を拭い、狸寝入りを決め込み、指摘されても無視する。
今回はさらに悪質で、相手のミスを捏造して、つまり罪を作り上げて、
これを糾弾するばかりか、その上に乗っかり、自説を自慢する道具に用いた。

510 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:24:27.25 ID:Djgv60fY.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL
>我の話しも、他人には信じるか信じないかの問題ですな。偶然か妄想だろう、と言われたらそれまでだな。

これまで一来補さんがミスを認めたのは、阿羅漢を仏陀ではないと
書いてしまった時くらいです。
この十年間、おそらくあなたがミスを素直に認めたのはこれ一つくらいです。
後は、いつも狸寝入りで、批判側が書くのをやめるのを待つ。
しかも、あなたの悪質なのは狸寝入りだけではない。
普通の人はミスをしたら「まずかったなあ」と内心思っているから、
しばらくは小さくなっている。
だが、そこが一来補さんはまったく違う。
まるで何事もなかったかのように、また高見からのお説教が始まる。
上記のように、四禅の話など何もしていないかのように素知らぬ顔で、
自分の因縁切りの自慢話を始める。
これが一来補さんが職場で嫌われた大きな理由の一つです。

あなたも桐山さんも自分のミスを認めるのは死ぬほど嫌いです。
偽ビール事件でさえも、桐山さんは自分の犯罪とは今でも認めていない。
桐山さんは、頭を下げるべき時に頭が上がってしまう、と言っていた。
これを彼は自分のプライドの高さだと言っていたが、違います。
人間の容量、器が小さいのです。
器が大きいか、柔軟性があるか、知性があるか、どれか一つでもあれば、
普通の人は、ミスをさっさと認める。
これらは成長期に形成されるもので、大人になってからはあまり変わらない。
桐山さんも一来補さんも、器が小さく、頑なで、知性があまり高くない。
だから、桐山さんも相手のちょっとしたミスも激しく責めて処罰し、
それでいて自分の小さなミスも認めない。
こういう有様を見れば、二人の成長期の環境にかなり問題があったのがわかります。

511 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:30:44.27 ID:Djgv60fY.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL

こういう歪みは、成長期の暴力や愛情不足が考えられるが、
桐山さんの最大の理由は「周囲の過剰な期待」ではないかと推測できます。
親や祖父から、長男であり、武士の子なのだから、エラクなれ、
というほとんど無意味な過剰な期待をかけられて育てられた。
明治時代の武士なんて、武士のプライドだけで生きている人たちがいた。
社会の変化に適用できない人たちだから、なおさらプライドに執着する。
こういう歪みを持った人たちが桐山さんを育てたから、
過剰な期待という重さで歪んでしまったのです。

しかも、桐山さんはこの過剰な期待に対応するための才能を持っていた。
嘘をつくことです。
桐山さんは子供時代、親の過剰な期待に嘘をついてごまかすことを学んだ。
五歳くらいまでの子供は現実と嘘(空想)の区別は明瞭につきません。
そこに、マスオ少年は、親たちを騙すための嘘をつく訓練を毎日していた。
普通の子供なら、小学校に入る頃までは嘘と現実を区別を付けるようになるが、
マスオ少年は嘘をつく訓練を続けたのだから、彼の脳は嘘と現実の区別が
つかないどころか、むしろ両者を積極的に混ぜる特殊な脳が出来上がった。

512 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:37:16.12 ID:GJkW0oTy.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL

マスオ少年の嘘がどれほどすごかったか、桐山さん自身が書いている。
小学校の先生が、マスオ少年の堂々とした嘘つきぶりに驚嘆して、
親に注意を与えるほどだった。
先生が驚いたのは、マスオ少年が大人が見抜けないほどの嘘をついていたことでしょう。
子供は、嘘をつくとモジモジするとか、下をむくとか、またばれると、
泣く、怒る、すねる、などの反応をするから、大人にはわかる。
だが、マスオ少年はいたって堂々と嘘をつくから、子供の嘘になれている先生にも
彼の嘘は見抜けなかった。

そればかりか、嘘がばれても、普通の子供が示す反応がなく、正直そうな
清々した顔のまま、堂々と次の嘘をまたついた。
普通の子供はある嘘がばれると、同じ嘘はつかないようになる。
だが、マスオ少年はばれようがなんだろうが、動じることもなく、
また同じような嘘をついた。
嘘のつき方が手慣れており、ばれてもあわてた様子もなく、
反省もなく、目にずるそうな表情も浮かべず、堂々と嘘をつく。
こんな子供を見たら、先生が危機感を持ち、親に注意するのは当然です。
先生の危具はそのまま当たり、桐山さんは宗教詐欺師として成功を収めた。
桐山さんの脳は求聞持聡明法によって変わったのではなく、
元々、普通の人とは脳が違っていたのです。

513 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:42:48.18 ID:GJkW0oTy.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL

桐山さんの嘘つきぶりは本人の資質が第一だが、もう一つが成長期に大きな問題があった。
嘘に鈍感な人たちの多くが、子供時代の環境に問題があるのではないか。
一来補さんも宝生さんも嘘に鈍感なだけでなく、むしろ好物です。
桐山さんの山のように嘘を並べられても、何も感じない。

一来補さんを見ていると、やはり親に問題があったのがわかる。
一来補さんの親は、周囲の人たちを侮蔑し、差別することで、自分を際立たせ、
威張るという人たちですよね?
たとえば、よその家柄を悪くいい、貧乏な人を侮蔑し、自分のほうが
はるかにエライと威張り、あなたにも同じようなことを要求した。
あなたに少し知性や羞恥心があれば、大人になってから親の価値観のおかしいことに
気が付いただろうが、残念ながら、両方ともなく、親の色にそのまま染まった。
あなたはいつも他人を侮蔑して、それを踏み台にして、
いかに自分が偉いかを強調して、空威張りするのが大好きです。
上下関係こそがあなたには価値があるから、内容ではなく、
相手の権威や肩書に極端に弱く、屈服し、自分も欲しがり、
今でも無意味な「公職」にあることがなによりも誇らしい。

桐山さんが、名誉教授、名誉博士などの肩書を得て、石原慎太郎さんなどの
著名人と対談することが、あなたにとってはこの上もない価値です。
残念ながら、あなた自身は肩書を得ることができなかったら、そこで自前の
準シュダオン、一来補なんて肩書を名乗ることで自己満足を得ている。
つまり、あなたにとって仏教そのものが目的ではなく、
桐山さんと同じで、大好きな肩書を得られる世界なのです。
典型的な犬型社会、あるいはサル型社会の人間で、そこがあなたと桐山さんの
共通点です。

514 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:48:40.86 ID:GJkW0oTy.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL
>我の話しも、他人には信じるか信じないかの問題ですな。偶然か妄想だろう、と言われたらそれまでだな。

一来補さんの世界観は上下関係だから、下位にいる深山ごときから
ミスを注意されるのは死ぬほど嫌いです。
私やユビキタスさんを下位だと思っているから、呼び捨てか、クンで呼ぶ。
だから、こういうスレで対等な立場で論理であなたを説得するのは無理で、
一番簡単な方法は、一来補さんから見て肩書の立派な人物から、
「一来補クン、因縁解脱なんてないよ」と言ってもらえば、
一来補さんはあっさりと受け入れ、百年前から主張しているかのように
「深山クン、君は知らないようだが、因縁解脱なんてないんだよ」
などとヌケヌケと言うようになるでしょう。
そのくらいあなたは桐山さんと同じで軽薄な男です。

桐山さんも権威さえあれば、ダライ・ラマにも中国側にも
どちらにでも媚を売る。
イスラエルも権威があるから、難民を虐殺しても気にもせず、
武力平和の象徴であるライオン像をもらって喜ぶ。
自民党も権威があるから、献金して、権力を借り、
自民党が原発推進なら、これに賛成する。
何よりも、桐山さんは阿含経と釈尊の権威を利用したいだけだから、
中身はまったく無視して、逆のことを説いている。
桐山さんも一来補さんも権威を得てエラクなること、
こういう価値観しかない軽薄な男たちです。

515 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 11:54:59.07 ID:ixGoTMfe.net
>>507 :一来補:2015/09/20(日) 09:07:14.62 ID:TpAcUUXL
>我の話しも、他人には信じるか信じないかの問題ですな。偶然か妄想だろう、と言われたらそれまでだな。

桐山さんも一来補さんも気が付いていないだろうが、釈迦仏教くらい
犬型社会の対極にある教法はありません。
その証拠に、釈尊本人は中心でも礼拝の対象でも、絶対的な神でもない。
「古い道」を再発見した偉大な教師にすぎない。
釈尊は亡くなるまで精舎に君臨する教祖ではなく、少数の弟子を連れて、
野宿し、食べ物を供養してもらいながら、布教していた。
伝統仏教の僧侶でも、新興宗教の教祖でもいいが、どこにこんな人がいます?
ジャイナ教の文献では、仏教の教祖は釈尊ではなく、サーリプッタだと
あるくらい、釈尊の存在はいわゆる教祖様ではなかった。
教団の組織もゆるやかで、上下関係があまりに少ないから、
釈尊は亡くなる前に、年齢の上の者を優先するように説いたほどです。
桐山さんや一来補さんが欲しくて欲しくてたまらない権威を
捨てたのが釈迦仏教であり、その意味で、お二人にはまったく向かない宗教です。

516 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 12:24:33.98 ID:WJ7L+jkH.net
>504 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 09:01:07.39 ID:3nTT8uFs
>ユビキタスはシルバーウィークは趣味の2ch一筋か

趣味ではない。阿含宗低能批判者は、脱カルトした元カルト信者なので、
それまでカルトによって埋めていた心の穴を、また何かで埋めなければその精神は崩壊するので、それが、この2ちゃんでの
暴露活動なのです。
ですから、彼らは、このまま死ぬまで、ここから離れられません。 
いや、そもそもその自分たちの愚かさにも気付いていません。 その真実に気付いても、楽しくないからです。

彼らにとって、真実とは、彼らを楽しませるものでなければなりません。
楽しくなければ真実ではない。なんですかそれ。
自分の望むものが真実??? それじゃ、まるでカルト信者ですね。阿含宗低能批判者って、カルト信者そのものですよね。
そんな境涯ならば、いっそカルト入信でもしたらいいんじゃないですかね。(笑)

>506 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 10:26:54.44 ID:K5xda3GF>>506
>今日は保土ヶ谷球場。

どうでもいい。
また、彼らは、世のために暴露する〜などと言っています。 世のために?あれ?それはカルト信者も言っていますよ。

阿含宗低能批判者と、カルト信者。似てます。よね? 気のせいかな?(笑)

517 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 13:55:36.79 ID:/yyYpwRH.net
>>496
>「痴を捨てる智慧」は仙人の元を去って一人修行を始め、八正道を完成した時です。
>四聖諦の四番目である道聖諦がそれを示しています。

あなたは、>>199と同一人物だと思われるが。

>>199
>それよりも、梵網経を読んでみて解ってきたことがあります。
>それはあなたが主張する以下の内容を肯定するものです。
>「釈尊は「比丘が解脱するのは四聖諦の後である」と述べた点。
>です。
>つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
>だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。

沙門果経の四禅は完全な解脱の境地ではないというのがあなたの結論ですね。
私にとってはこの結論だけで十分です。

>>199は、

>204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
>桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

は間違いであることを見事に立証しています。

518 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH.net
>>498
 >>482
 >八正道の四禅と沙門果経の四禅は同じものです。
>別物ですね。何度も説明しましたが、
>「沙門果経」は  戒 → 定 → 慧 で説かれ
>「八正道」は   慧 → 戒 → 定 で説かれています。

なるほど。両者の四禅は別物なんですか。
それでしたら、沙門果経の四禅は八正道の四禅では説明できなくてよいことになります。
沙門果経では、四禅では解脱していないという事実は、八正道で否定することはできない。
何しろ両者は別物なんですから。
それでよろしいですね。

そういうことらしいよ、ユビキタス(>>499

519 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 14:17:56.33 ID:K5xda3GF.net
>>518
>そういうことらしいよ、ユビキタス(>>499

帰りの電車の中で私なりにレスしてあげるよ。
保土ヶ谷から浦安まで時間かかるし。

日大高 221 02
川崎北 000 0
7回コールドで終わる可能性大だし。

520 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 14:21:28.92 ID:/yyYpwRH.net
@ひまつぶし

>>446
>釈尊はアーラーラ・カーラーマ仙人の元に弟子入りして、四禅の上位にある非想非非想処にも到達しています。

この話はある意図をもって書かれた創作の疑いがあります。
並川氏の『ゴータマ・ブッダ考』152頁以降に詳しいです。

>493 :ユビキタス
>信者の皆さんは因縁解脱という妄想を追うよりも、その現実を見て、亡くなった先達の
>方々から学び取りましょう。

信者の皆さんは、深ユビの書き込みを見て、元信者のアホ振りを学び取りましょう。

>>509>>515
どうやら深山氏は一来補さんに的を変更したようですね。
>>441の3を選択されたようです。

521 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 14:45:07.45 ID:K5xda3GF.net
よしっ!7回裏7点差で一死一三塁!
コールド阻止で一矢報え。
やった!1点返した!

>>506 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 09:01:07.39 ID:3nTT8uFs
>ユビキタスはシルバーウィークは趣味の2ch一筋か

こっちの方らしいですぜ。↓

518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 14:21:28.92 ID:/yyYpwRH
@ひまつぶし

522 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 15:09:06.61 ID:/yyYpwRH.net
>>521:ユビキタス

実況を書いて、野球観戦は本当だと言いたいのです。
誰も疑って無いのにね。
ガキなんだよ、お前は。


@深山さんは、別の経典を出すのは筋違いだと書いていました。

>325 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:00:18 ID:YDAYFU3L
>私が黄廬園経を出したのに、これと関係のない沙門果経を出したのはあなたですよ。
>私は最初から両者を区別している。
>だから、黄廬園経を引用しているのに沙門果経を引用するのは
>筋違いだと、私は最初から指摘した。

八正道は沙門果経とは別の経典に書かれています。
深山さんの主張に従えば、
沙門果経を説明するのに八正道を出すのは筋違いです。
深山さん、>>498さん。
あなた方は筋違いなことをやっとるのだよ。

523 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 15:16:48.58 ID:K5xda3GF.net
>>522
いや、おまはんとの比較の材料を書いたのであって野球などどうでもええんだよ。
でもこんなシルバーウィークは毎日がウルトラゴールデンウィークのあなたには
わざわざ外に出る必要もない。
東京駅も横浜駅もウンザリするほど行楽客で賑わっていた。

524 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 15:36:23.48 ID:WJ7L+jkH.net
>こっちの方らしいですぜ。↓

また使った。 海賊の子分の口調だな。阿含宗低能批判者使いたいんだろうなあ。w

>実況を書いて、野球観戦は本当だと言いたいのです。

どうでもいい。

>おまはんとの

また気持ち悪い。とにかくセンスが気持ち悪い。やってることも気持ち悪いし、口調も気持ち悪い。

ま、元カルト信者だからなあ。w

525 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 15:39:24.19 ID:K5xda3GF.net
>>524
「〜ですぜ」を使ったからには出て来ると思ったよwww
お互いに暇でんなwww

526 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 15:40:29.29 ID:WJ7L+jkH.net
まず、「ですぜ」は、今後使うなよ。 まさに低能臭が出過ぎてるからな。w

527 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 15:42:15.57 ID:WJ7L+jkH.net
>コピペ犯人はここにはまったく書かずに、よそのスレのみに書いている。
>これはとても奇妙だと思いませんか。 コピペ犯人が批判側ならこれはありえない。

逆でしょ?w 
だって、信者は桐山の逮捕歴なんて、信者ならば当たり前に知っているし、それを知った上で、信仰を続けてきたのですから。w
批判者だって逮捕歴知ってますよね?じゃココに書く意味皆無でしょ?

一方、批判者なら、阿含宗の恥部を広報していく、広く広く広く広く広く広めていく!という
立派な正当な目的が当てはまるでしょう???
ホント「滅茶苦茶」言うなこの元カルト信者は。www

>282 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2012/12/03(月) 23:25:08.36 ID:3wNOrZO8
>逮捕歴なんて

麻原彰晃の映像がサブリミナル手法で広報されましたよね?
アレはネガキャンではないが、
逮捕歴を何度も見せられたら、阿含宗にいい印象を持ちますか。誰が持ちますか???

>世間の人たちから見たら、さして興味も価値もない。

週刊誌をあまり読まない若年のオレでも歯医者とかで見て阿含宗知ってたから、
逮捕歴見せられてすぐ理解するわ ネガキャンだって、阿呆でもすぐ分かるわ。www

>168 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2011/12/14(水) 12:33:21.44 ID:kma4+0ZF
>この「粘着オレ(165)」さんの目的は、もちろん、カルト批判ではない。
>この人の動機は、ストレス解消の鬱憤晴らしです。 「良い正当な理由をつけて嫌がらせをして、ウップンを晴らしている」

↑ 支離滅裂のくせに、根拠無く誹謗断言するこの愚かさ。
ま、基本的な対話さえ無理なレベルなんだよな。w つうか、発言回数[9/11回] ってなんだよそれ。

年金返せしょもな老人!ww

528 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 15:45:16.35 ID:/yyYpwRH.net
>523 :ユビキタス
>でもこんなシルバーウィークは毎日がウルトラゴールデンウィークのあなたには

指切っ太クンは、ラシン殿の書き込みを100回読むことです。

265 :Rashin:2014/06/26(木) 21:05:19.92 ID:24iOfm9z
わたしが東京のど真ん中で桐山さん以上の「優雅な生活」をして、
その暇つぶしに批判を展開していようが、ビンボウのどん底で貴重な
時間に桐山批判していようが、その形振りは議論に、無関係です。
議論した内容こそが、是非を問われるものではないのか?



@深山さんは、解釈するのに書かれていない言葉を使うのが何故悪いのか、と書いていた。

>322 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:45:53 ID:YDAYFU3L
>経典の解釈をするのに、経典に載っていない言葉を使うことが
>どうしていけないだ?



深山さんの言葉を解釈するのに、深山さんの書いていない言葉を使うのが
どうしていけないのだ?



深山さんの「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。」
という言葉を解釈するのに、
深山さんの書いていない「深山は四禅解脱を主張した」
と書くのがどうしていけないのだ?

529 :一来補:2015/09/20(日) 16:54:09.51 ID:TpAcUUXL.net
まず、涅槃は三十七道品の修行で得るものであるから、四禅で解脱するわけがないのです。
四禅は三十七道品に入っていないし、四禅で解脱出来たら釈尊は二枚舌です。
四禅で解脱したかの表現があっても、それは何かの間違いです、経を比較検討することです。

それから釈尊は礼拝対象です。
皆さん、弟子は釈尊の足を押し抱いて、礼拝したのです。礼拝しないものは修行しても解脱出来ないのです。いや、礼拝抜きの修行は、修行にならないのです。

530 :一来補:2015/09/20(日) 17:04:53.75 ID:TpAcUUXL.net
釈尊は威張りたくて、帰依することを弟子の
条件にしたのではない。
帰依は礼拝以上の服従と言ってよい。
帰依しなければ修行が進まない理由があるの
です。だが、その理由を深山くんに教えるの
はもったいない。我も長い信者を続けて、
やっとその理由を知ったわけだからね。

531 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 18:11:29.22 ID:K5xda3GF.net
既に浦安に帰って来てますが、保土ヶ谷からの帰りの電車の中ではほとんど寝ながら書いて
コピーを残しています。
浦安に帰るとすぐに墓石屋により諸手続き、確認、相談をし、これから団地の自治会の
定例会に出なければなりません。
よって書き込みはそれが終わってからですね。

532 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 18:48:43.25 ID:WJ7L+jkH.net
まず、「ですぜ」は、今後使うなよ。 キモいからな。w

533 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 21:15:54.08 ID:IsLyoZTm.net
週刊誌の名前を間違えただけで云々、
のレスを見た。アホ野郎よ。
世間で名前を間違えたらアウトだよ。
週刊誌だろうが人の名前だろうが、名前を出すときは慎重にしろよ、アホ野郎よ。
それが世間の常識だろ。

裁判所の裁判もな、最初は被告人の名前の確認から始める。名前が一番大事なのだ。
名前を間違えたら話しにならない。
釈尊と麻原と名前を間違えたらどうなるの?

534 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 21:37:04.91 ID:K5xda3GF.net
>>518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH
>そういうことらしいよ、ユビキタス(>>499

まずあなたが四禅の段階で解脱などしているはずがないとする根拠は、学者などの論文から
解脱は四聖諦の智を得てから、すなわち慧を得てからのはずであり、
四禅の段階、それ以前は戒から始まっており、慧の記述は三明の観察のところです。
ゆえに戒→定→慧→解脱・解脱知見であり、四禅の定の段階で解脱しているはずがない、
それを四禅で解脱だなんて深山は仏教の基本すらわかっていない!
これがあなたの主張ですよね?
そこで>>498さんの慧→戒→定を説明論考する前に深山さんや私の主張を整理しておきましょう。
「四禅で解脱していたことになる」と表現は以下のどれか?
@四禅という技術、技法、力で以て解脱を得た。
A四禅の修行段階において解脱を得た。
答えはそのどちらも肯定しておりません。それは寧ろ否定します。
四禅で解脱していたことになるという表現は、沙門果経の構成における四禅の果報を説明・記述する
段階では、その果報の境地は解脱の境地そのものだということです。
するとAじゃねーか!と言うでしょうが、そうでもないのです。
四禅の定に入ったあの段階で初めて解脱を得たのかと言うと、そうではない、
それはひょっとすると、もっと遡って二禅の説明・記述段階には解脱をしていたのかもしれない
と言うのですから、ペテン大作さんはますますカニのように泡を吹かねばならない。
まあいつの間にか煩悩を離れた解脱を得ていたのだが、それは決して四禅の力や修行段階が
功を奏して煩悩解脱を得たのではなく、それまでの日頃の戒・定・慧の修道の積み重ねにより
解脱を得ていたのです。
深山さんの例えで言うと大学4年で自分は大学生であることを振り返る時、
それは4年生で大学に入ったのでもなければ、大学生の学力が身についたのではない。
それこそ小学校、中学校、高校、大学での勉強の成果あって大学生の学力を得ていたのです。
するとペテン大作さんはまた発狂する。
慧の修行もしていない、四聖諦も知らないのに何が戒・定・慧の累積だ?

535 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 21:41:40.42 ID:YjmokYuW.net
本末転倒虫君は直ちに仏教界から立ち去りなさい。
そんな気休めお遊び修行など誰も求めていません。

536 :ドラム ◆DRAM87EI.U :2015/09/20(日) 21:47:23.00 ID:psrCsedc.net
漢字が多すぎてわからない・・・

537 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 22:12:14.99 ID:K5xda3GF.net
>>518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH
>そういうことらしいよ、ユビキタス(>>499

そこであなたが杓子定規にしか把握できない戒→定→慧→解脱の構図をぶち壊すものがあります。
あなたが一時は自説を強化してくれる仲間と勘違いしていた>>498さんの慧→戒→定です。
なんと慧は四禅などの禅定より前にあるのです!
その根拠は八正道の正見・正思は慧であり四聖諦の真理を知ることであり、
それが八正道の最初に置かれ、これを前提に、正邪の判断をしながら修行を進めるのです。
これはペテン大作さんが紹介してくれたニカーヤ論文にもそのことが書かれていることは
論文を紹介したペテン大作さんですから、読んでいるでしょう。
八正道ではそのような順番なのです。
釈尊はいろいろな角度から同じことを説きます。
沙門果経などは阿闍世王に仏教の出家の果報を順を追ってわかりやすく説明した。
奴隷階級だった人も出家することにより尊崇される果報があるという話から初めて
戒ではこのような果報がある、定ではこのような果報がある、慧ではこのような果報がある
と順を追って説明した。この順番はある程度自分の修行体験の順番に忠実に説明されています。
しかし実際には便宜上戒→定→慧と分けて別々に説明したが、実際にはそんなに
きっちり分けられず、戒・定・慧は常に有機的に絡み合って進められます。
だから八正道では正しい智なくして定などの修行は進められないとして第一に
正見の慧を据えて、それは四聖諦の智だと言うのです。
ならばペテン大作さんの戒→定(四禅など)→慧(四聖諦の智)→解脱なんだから
四禅で解脱が得られているはずがないという構図は>>498さんの書いた慧(四聖諦の智)→戒→定(四禅など)
という構図によって、崩されてしまうのです。
慧が既にある。四禅より前にもある。
ならば慧を伴った戒・定で、例えば四禅の説明のところで解脱が得られていても
不思議ではなくなるのです。

538 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 22:30:09.08 ID:3nTT8uFs.net
ユビキタス・遊廓から八正道への道・第一章

九相観図

檀林皇后は嵯峨天皇のお后で才媛の誉れたかく絶世の美女と謳われ,深く仏教に帰依なされていた。
お亡くなりになる時に「私が死んだ後は葬儀を用いず野に棄てよ。
色欲におぼれる者は我が燗穢を見て警護すべき」と。
人の生命が終わった後,必ず訪れる肉体の醜い変化其の現実を此の目で確かめ淫欲に溺れることなく
悟りの世界に導き給う皇后の思し召しである。
 
御歌に
   儚しや朝夕なでし黒髪も
          蓬がもとの塵とこそなれ
http://www2q.biglobe.ne.jp/~kamada/kyusokanzu.htm


【閲覧注意】江戸時代の遊女が徐々に腐敗していく様子を描いた絵(九相図)
https://www.youtube.com/watch?v=9lya-46tBD0

539 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 22:37:28.30 ID:ixGoTMfe.net
>>533 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 21:15:54.08 ID:IsLyoZTm
>週刊誌の名前を間違えただけで云々、
>のレスを見た。アホ野郎よ。

「名無し」さんなのに、気のせいか、なんか書き方がだれかとそっくりですね。
「レスを見た」という表現や、いきなり「アホ野郎」と罵るあたり、
そっくりだが、まあ、気のせいということにしておきましょう。
前に、一来補さんには双子の弟がいると言っていたから、その人かもしれない。

週刊誌の名前を間違えた件は大きな問題ではありません。
なぜなら、週刊誌の名前が問題になっていたのではなく、
その内容が問題になっていたからです。
一来補さんのように、引用元を示さなかったり、
一来補さんのように、引用そのものがデタラメなら、問題です。
だが、こちらのミスは週刊誌の名前を間違えただけで、
内容については間違えておらず、しかもきちんと間違いを認めて修正している。
こちらが間違いを認め、修正したにもかかわらず、執念深く、そのミスを
何度も何度も言及してくる底意地の悪さを指摘しているのです。

540 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 22:39:48.33 ID:K5xda3GF.net
>>518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH
>そういうことらしいよ、ユビキタス(>>499

これはニカーヤ論文にも6ページなどに「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」
と書いてある。
煩悩が徐々に断除する、つまりまだ解脱を得ていない修行者が解脱を得る途上であるとわかり
これには定だけでなくたしかに慧が機能しているのです。
無知、痴を克服していっているのです。
慧とは沙門果経に綴られている三明観察だけではないのです。
ペテン大作さんは単語、専門用語を駆使した学術論文の「構図」でしか考えていない。
慧たる四聖諦の智だが、四聖諦とは何か?
苦集滅道、全ては苦であり、この苦は煩悩を集めていることより生じ、
この煩悩を滅することより苦もまた滅する。(縁起の真理)
そしてその煩悩を滅する道は東海道でも中山道でもなく行徳街道でもなく八正道である
というのが四聖諦です。
ではこの四聖諦を知れば解脱するのかと言うと、それでは三結断った預流者にしかなれない。
欲貪や瞋恚などの煩悩の断除がまだだからです。
これからその八正道を修行していかねばならない。
然るに沙門果経の三明の時に得た四聖諦の智とはまだ八正道を修行してないで
やらにゃいかんな〜と知った段階ではなく、八正道を修行してきて、たしかに煩悩を滅したことが
自覚でき体験的に実証されたとわかった、確認できたという悟りです。
三明はすごい透視ではあっても、ありのままに観察しただけに過ぎない。
だから煩悩の断除などの作業をしていない。
と言うことは、三明の観察に入る前には既に八正道の修行の成果としての煩悩を滅した
解脱は得られていたことになり、逆に得られていなければ、如何に三明の観察に入っても
「あ、いかん。煩悩が残っていた」ということになり、漏尽智を得たとは
「そんなことあらへん。煩悩は尽きてなくなっとったで」と確認できたのですから
解脱をしていたから解脱していたと知ったのです。

541 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 22:43:05.05 ID:ixGoTMfe.net
>286 一来補 2015/07/04(土) 13:10:32.18 ID:isburtln
>邪悪な心の一例は、色川さんの週刊誌記事の
>件ですな、あの記事は週刊ポストであったな。
>だが、ユビキタスくんらは、週刊現代だの、
>文春だのと、法螺を吹いた。邪悪だ。

週刊誌の名前を間違えたことが法螺?邪悪?
では、一来補さんに前に質問した内容を復活させましょう。
彼がどれほどのデタラメと根拠のない引用をしてきたか、これはほんの一部です。
週刊誌の名前を間違えたことが法螺、邪悪なら、一来補さんが
過去になした以下の事はなんなのだ?

1.「預流向≠聖者」という阿含経の根拠は?
2.桐山さんが「預流向≠聖者」と言ったという証拠は?
3.「阿含仏教では、預流向は凡夫僧」(55章625)という阿含経の根拠は?
4.小縁経のどこに「阿羅漢」とあるのか。
5.「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」という阿含経の根拠は?
6.アビダルマ仏教が預流向を聖者に位置付けた犯人だという根拠は?
7.深山が倶舎論を根拠として「預流向=聖者」と主張した文章はどこにあるのか?(55章940)
8.書くたびに違う下記の文章の阿含経はどこにあるのか?
「四双八輩是聖賢之衆」(55章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(55章633, 7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(56章7、8月6日)
9.これだけの嘘を書き並べていながら、自分は嘘つきでないと述べた。
「私はウソは書かない」(57章350)
10.阿那含で神通力が得られるかのような嘘を書いた(57章350)
「釈尊は、「得阿那含 種種神通境界」と、説いているんですよ。五下分結煩悩を
断てば、神通が生じる世界に入る、と説いているのです。」
11.深山が「四果=四沙門果」を理解していないと嘘を書いた(57章829)。

542 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 22:48:29.18 ID:WJ7L+jkH.net
ハッスルハッスルw

543 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 22:49:01.78 ID:ixGoTMfe.net
>>541

これらの大半の質問は一来補さんに阿含経の根拠を聞いている。
一来補さんは阿含経に根拠がないのに、あるかのように
嘘を書いているのではないか、という指摘です。
週刊誌の名前を間違えたなんて簡単なことではなく、
たとえば8など、まったく存在しない阿含経を漢文で書き並べるのが得意です。
嘘だから、書くたびに違う。
記憶間違いというなら、彼は常習犯です。
しかも、自分のデタラメを認めたり、修正したことは一度もありません。
10の阿含経など、「得阿那含」でいったん切れるのです。
ところが、その後の阿羅漢の説明の最初の文章だけを入れることで、
まるで阿那含で神通を得られるかのように引用してみせた。
悪質、悪辣、邪悪そのものです。
ありもしないことを次々と書き連ね、それを指摘されても、
どこの吹く風で、こちらが出すのをやめるまで狸寝入りする。
一来補さんの狸寝入りは今に始まったことではない。

544 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/20(日) 22:54:39.20 ID:ixGoTMfe.net
>>533 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 21:15:54.08 ID:IsLyoZTm
>週刊誌の名前を間違えただけで云々、
>のレスを見た。アホ野郎よ。

一来補さんが週刊誌の名前の件をあげるのは、他に反撃のしようがないからです。
週刊誌の内容では勝負にならない。
なにせ、一来補さん以外の誰が読んでも、あの週刊誌の内容は、
桐山さんの愛人問題です。
批判側は週刊誌だけでなく裁判の資料をも出している。
だから、私の知る限り、E川裁判を愛人裁判ではないと主張した擁護側は
一来補さん一人です。
宝生さんもペテン大作さんもこの件についてはノーコメントです。
いや、もちろん、コメントしてくれて構わないのだが、宝生さんは事情を
知らないだろうし、ペテン大作さんは負ける議論には手を出さない。

そこで、531さんはE川裁判をどう見ているのですか?
裁判の話をあなたは引き合いにだしている。
E川裁判をどう思っているのか、ぜひ聞かせてほしい。
一来補さんと同じで、E川さんは愛人などではないという主張ですか。
それなら、裁判に出された様々な資料をあなたはどう見るのだ?
桐山さんがE川さんに宛てた恋歌も、E川さんに発情した犬みたいに
「今夜にでも」と二度も書いてある御霊示も、
元信者が見たという、バスローブ姿の桐山さんの胸にE川さんが
頭を乗せている写真も、全部批判側の捏造だと言うのですか。
「アホ野郎」ではない531さんにぜひご意見を書いていただきたい。

545 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 23:10:37.57 ID:K5xda3GF.net
>>518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH
>なるほど。両者の四禅は別物なんですか。
>それでしたら、沙門果経の四禅は八正道の四禅では説明できなくてよいことになります。
>沙門果経では、四禅では解脱していないという事実は、八正道で否定することはできない。
>何しろ両者は別物なんですから。
>それでよろしいですね。

別物と言えますが、そもそも四禅という瞑想の技法は同じであり変わりありません。
四禅などの九次第定は釈尊以前にインドのバラモンに伝わっていた瞑想の技法であり
釈尊もまたこれを学んだ。しかしこの瞑想だけでは煩悩を滅する解脱は得られないと
師の下を立ち去った。
そして煩悩を滅する八正道を発見した釈尊だが、深い瞑想に使う四禅などもやはり
また使うのです。それは桐山さんみたいに、口腔で発声したマントラの響きを
腹腔のチャクラに留め、チャクラルートに乗せて脳に伝えるとかわけのわからん
特殊改良四禅などではなく四禅の技法自体は変わりません。
ではなぜ最初に習った四禅では煩悩滅の解脱を得られず、三明の前の四禅とは
煩悩滅に成功したのかと言うと、技法を変えたのではなく、四禅技法だけでなく
慧の働きが機能していたからです。
ニカーヤ論文の表現のように、定と慧が相互に影響し合って増大していたからこそ
煩悩ば徐々に断滅されていったのです。
四禅技法だけではダメで、慧や戒がなければならず、これがある四禅とない四禅とは
別物と言えましょう。
付記するならばこれは二禅や四禅の中だけで行われていたのではなく、食事をする時も
大小便をする時も日常のあらゆる場面で慧が働いていたからです。
だから二禅や四禅の記述説明する段階では煩悩滅は成し遂げられていた。
四禅の瞑想技術が変革をもたらしたのでもないし、三明の神通力的観察が
変革をもたらしたのではない。
変革をもたらしたのは八正道の継続累積実践の事実です。

546 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 23:29:06.41 ID:K5xda3GF.net
とにかくまあそういうことですぜ。
ですぜ
ですぜ
ですぜ
ですぜ
国太郎は仕切ってやんのw
やんの
やんの
やんの
やんの

547 :神も仏も名無しさん:2015/09/20(日) 23:44:09.89 ID:AlPMzj6k.net
己が体験してい無い事柄は正確に伝えられない。
伝えた気持ちなっても気持ちの問題に留めよ。

548 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 00:01:24.84 ID:bmNbq324.net
道は通過するもの産道であり外側から眺めるものではない。
真実は宿るものであり経典や教義を読んで得られるものではない。

549 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 00:22:01.72 ID:ZMEsAM4Z.net
あのう ところでカルマ解脱はいってェどこで
断除されるんかいの
四禅三明か 四聖諦の後に断除となるんかい
桐山センセの場合は 今夜にでものあとだよな
それとも男女のあとなんだろ
四禅だって んにゃ今夜にでも 四聖諦の後
男女のあとに断除んんん
オレにはわからあんぜ

550 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 00:38:28.50 ID:ns/i2L7Y.net
わからあんぜ w 

551 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 01:08:56.20 ID:0TELYcnL.net
@八正道も戒定慧の順です。

>>537 :ユビキタス
>そこであなたが杓子定規にしか把握できない戒→定→慧→解脱の構図をぶち壊すものがあります。
>あなたが一時は自説を強化してくれる仲間と勘違いしていた>>498さんの慧→戒→定です。
>なんと慧は四禅などの禅定より前にあるのです!

それは違いますよ。
ニカーヤ論文の9頁にある四禅と八正道の対応表を御覧なさい。
三学の四禅に対して八正道の正定、
三学の三明に対して八正道は聖・無漏の正見が対応しており、
両者とも戒→定→慧の順になっている。

八正道の正定は四禅なのに何故正見(慧)の後ろになっているか、
言い換えると、正見(慧)が何故、正定(四禅)の前になっているかの理由も
10頁に書いてあるよね。

「慧を前にして正見の内容とした方が、八支全体がよくまとまり同時に行ぜられるという意味が鮮明になる。
聖者の功徳を示すには、この方が適切であると思われる」

「修行の方法としては三学系統と全く変わらない。つまり四禅の修習段階に入ると、…」
と書いてあって、結局、両者の順番は変わらない。
あなたはこれを読んでいながら、
>なんと慧は四禅などの禅定より前にあるのです!
なんてトボケタことを書くなよ。
大体あなたはアホですね。
三学も八正道も同じ仏説だよ。
それが何で修行の順番が違うわけ?
常識を働かせなさい。
いくら理屈を並べても四禅で解脱にはならない。
潔く諦めることだ。

552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM.net
アホ野郎と、きつく叱ったのは名前を間違えたら失礼だという社会常識を、叩き込むためよ。
名前を間違えただけで云々、、、か、

それにな、常日頃から深山くんは一来補の記憶力を馬鹿にしてたろ、やれ健忘症、認知症、
ボケ老人扱いなわけよ、己のレスさえすぐ忘れる、とかさ。
なのにだよ、その記憶力の良さを誇る深山くんがだよ、わずか数年前の、阿含宗の弟子裁判を取り上げた唯一の、週刊誌の名前を間違えるのかい?
50年以上前のことまで丹念に調べて、あら探しする異常性格とも言える深山くんがよ。
意図的に間違えたのは明白です。
子供じみた悪知恵です。あたかも多くの週刊誌が裁判事件を取り上げたかのように見せかけるため、出て来た嘘でしょう。

幼稚で笑えます。
しかし、何も知らない人が、嘘のレスを信じたら、怖いですね。裁判資料も嘘だろうしさ。

553 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 07:50:29.49 ID:QJ8fYCh9.net
 
深山中的美女(音声有)  http://blog.sina.com.cn/s/blog_5d5d09160100ul8t.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a1694171c52d18691058ee628c4f7c04)


554 :一来補:2015/09/21(月) 08:10:39.40 ID:njIlf5nM.net
たぶん、四禅会得はシダゴンの境界だろう。
そこを過ぎると種種神通境界というアナゴンの境界に入るのです。これは、いくつかの経に書かれているね。経の名前はうろ覚えだから書かない。名前を間違えたら大変だからね。
名前を間違えた程度で云々、とはならないからね。

欲を離れて喜・楽生じて初禅にはいる

555 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 08:16:02.98 ID:a+7fCAbW.net
産経デジタルニュース

そこでキレるか?ユビキタス “暴走老人”が後を絶たない理由

東海道新幹線放火事件の容疑者の男はひとり暮らしの71歳だった。
ストレスや不満を最終的に犯罪行為などで解消する“暴走老人”は後を絶たない。
最近注目された事件とその背景から見えてくるものは…。

《「暴走老人」》
2007年に芥川賞作家の藤原智美さんが発表した『暴走老人!』(文藝春秋)で話題となった言葉。
同書は、ささいなことで突然怒りを炸裂させる老人の実態と彼らを生み出している社会背景について考察。
「家族の姿や親しい者への存在が感じられない」点が“暴走老人”の共通点という。
http://www.iza.ne.jp/topics/events/events-7310-m.html

556 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 09:41:37.68 ID:qE9Y44+T.net
>>551
>三学も八正道も同じ仏説だよ。
>それが何で修行の順番が違うわけ?

その通り、どれも仏説であり、釈尊自身が説かれたものなのです。
なのに、どうして矛盾を感じてしてしまうのか?

これは切り口の違いでしょう。
床においた円錐を床に平行に切れば切り口は円になります。
斜めに切れば楕円になり、天辺から床に垂直に切れば三角形になる。
同じ円錐でも切り口は異なって見える。

「八正道」は実際の修行に重点を置いて説かれており、
「沙門果経」は果報に重点を置いて説かれている違いでしょうね。

「沙門果経」は比丘の修行内容とその果報の関係が素人の王様にも分かるように
配慮して説かれており、果報を明確に示すことに重点が置かれています。
だから、最後に果報として示された<慧>には解脱に直接関係のない智慧も
多く含まれています。

一方、「八正道」は十二支縁起の逆観をベースにした修行の順番が設定され、
最後の四禅で確実に解脱に導く工夫が図られています。だから、<慧>の位置も
変化しているのです。「八正道」を比喩で表せば、攻撃目標への精度を高めた
巡航ミサイルトマホークのようなものです。
最初から目標が定まっており、どこに向かって何をどんな順序で実施すれば
もっともよいかが練り上げられています。

557 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 09:43:23.80 ID:Osq8TBKd.net
>>548
天(雨)の妃天の門
産み(海)の星と輝きます 天(あめ)あめ〜
https://youtu.be/5Zw33qcJ12Y

558 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 10:08:36.70 ID:0TELYcnL.net
>>242の改訂版

@四禅三明顛末記 〜フカ山さんの自滅への華麗なる遍歴〜

◆第1の嘘:四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
111 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:37:23 ID:s8pu1w+h
桐山さんは「神通力で釈尊は解脱した」と主張したいから、
いかにも学者たちもそのように主張していかのように見せかけているが、
四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎四禅三明は釈尊成道説の3系統の一つである。

釈尊成道を伝える資料の3系統
1.悟った時に十二因縁の理法を了知した。
2.四禅を経て三明の智慧を得て四諦の真理を知る。
3.六種の無上にして安穏なる涅槃を得た。
(『ゴータマ・ブッダ考』大蔵出版、203頁)

559 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 10:11:50.27 ID:0TELYcnL.net
556の続き

◆第2の嘘:「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」は、解脱の表現である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎「心が安定し」は、四禅に四無色定を含む八等至の自在の意味。
(『パーリ仏典入門』大法輪閣、96頁)

◎「心が安定し」は、神通を行う「基礎となる禅」(第四禅)に入ったことの表現。
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』春秋社、605頁)

因みに「心が安定し」は、原文(パーリ三蔵)では、「samāhite」(入定した、定置した)である。
(『光明寺経蔵』ttp://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c21.htm )

560 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 10:15:33.05 ID:0TELYcnL.net
557の続き

◆第3の嘘:三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎経典では、比丘は四聖諦を知った後に解脱すると書いてある。

【沙門果経】
『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

諸漏(欲の漏・有の漏・無明の漏)から心が解脱したので心解脱。四聖諦を知ることで無明が捨断されたので慧解脱。
比丘は四聖諦を知った後、心解脱・慧解脱した。
(『Nikayaにおける止観の研究 一 止観と心解脱・慧脱を中心として一』6〜8頁)
(ttp://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1203/1/r-bk-np_015_006.pdf)

561 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 10:18:29.42 ID:0TELYcnL.net
558の続き

◎「心が安定し」の文言は、解脱の表現ではない(上記「◆第2の嘘」の項参照)。

◎原始仏教では、涅槃は色界四禅より高い宗教的境地であると考えられていた。

「梵網経」の中で、釈尊は「最上の涅槃として沙門やバラモンなどが主張する色界四禅など五種の宗教的境地」を批判した。
(『ゴータマ・ブッダ考』大蔵出版、92〜94頁)
また、長阿含経の「布吒婆楼経」(ポッタパーダ経)や増支部経典では、釈尊は色界四禅を超えた無色界や想滅定(想受滅)を説いている。
(『原始仏教 第5号』中山書房仏書林、78〜81頁)、『ゴータマ・ブッダ考』大蔵出版、94頁)

◎八正(聖)道も三学系統の修行道(沙門果経など)と同じ修行過程(戒→定→慧→解脱→解脱智見)をとる。
(八正道で、慧を四禅(正定)の前に回して正見の内容としているのは、聖者の功徳を示すのに適切であるという理由によるものである)
(『ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道』10頁 ttp://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6940/1/ib004001.pdf)


◆そしてフカ山さんは、最後に「第3の嘘:三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べている」を自ら否定して自滅した。

331 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:30:02.81 ID:1sLGOLmX
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない。

444 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 06:02:42.83 ID:HxP/S4vf
釈尊は八正道で解脱したのであって、四禅や漏尽定で解脱したのではありません。


こうして、フカ山さんは七年間に及ぶ虚偽発言を繰り返した結果、見事に自滅されました。
これで「四禅三明顛末記」 〜フカ山さんの自滅への華麗なる遍歴〜 を終わります。

562 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 10:38:31.51 ID:EojxK2+0.net
>>551 神も仏も名無しさん 2015/09/21(月) 01:08:56.20 ID:0TELYcnL
>両者とも戒→定→慧の順になっている。

>三学も八正道も同じ仏説だよ。
>それが何で修行の順番が違うわけ?

それでは、>>212>>498の慧→戒→定も暴論であると斥けたいわけですね?
もちろんそれは自由です。あなたは四禅の内容が別物であるところだけにレスして
慧→戒→定のコメントに対しては最初から一切レスをしないという姿勢は
それは受け入れられないと一貫した姿勢とわかるからそれでよい。
ニカーヤ論文における三学系統と八正道との対比については私も>>397以降、とりわけ>>397-399
論述しており、有漏の正見、聖・無漏の正見についてもコメント論考しています。
つまり八正道の方でも戒→定→慧で四禅のあとに慧もあります。
だから>>212>>498の慧→戒→定を補足するならば、慧→戒→定→慧となります。
あるいは慧・戒→慧・定→慧でもよい。
有漏の正見としての慧が四禅などの定よりも先行してあることはペテン大作さんでも
認めざるを得ないでしょう。
あなたはなぜか「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」の部分で、
三明の慧よりも前に、定に慧がくっついていることの指摘にノーコメントですが。
そして最後の聖・無漏の正見こそが四聖諦を知ることだと対比表の構図に入れ、
「法の聴聞・発心」という有漏の正見(9ページの対比表)くらいならあってもかまわないだろう、
それは所詮発心に過ぎないのだから解脱を求める心であり、解脱を得た結果の話ではないと。
しかし、ではその聖・無漏の四聖諦を知るとは三明の時に初めて学ぶものかと言うと
そんなことはあるまい、最後の四聖諦はやはり、体験的にも確信を持てた、実証できた、
自分は八正道で煩悩滅を得ていたという最終確認であることを私は論考しています。
聖・無漏の正見には有身見・疑惑・戒禁取の三結断った預流者についても書かれてあり
まさか釈尊が三明で初めて預流者にようやくなれたなんてこともあるまいと
思考に柔軟性を持たせる必要性を説いています。

563 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 11:03:42.82 ID:0TELYcnL.net
>有漏の正見としての慧が四禅などの定よりも先行してあることはペテン大作さんでも
>認めざるを得ないでしょう。

有漏の正見としての慧は、三学系統では「法の聴聞・発心」です。
四禅の前にあっても何ら不思議ではありません。
一方、無漏の正見としての慧は、三学系統の三明であり、
四禅(正定)の後に来ます。
八正道と三学系統の修行道は、説き方が違うだけで修行の順番は変わらない。
それを証明するために私はこの論文を紹介したのです。
あなたがいくらそのオカルトじゃなくてイカレタ脳全開で、
屁理屈を展開して私をやっつけようとしても無駄なことです。

564 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 11:05:14.82 ID:EojxK2+0.net
>>551 神も仏も名無しさん 2015/09/21(月) 01:08:56.20 ID:0TELYcnL
>三学も八正道も同じ仏説だよ。
>それが何で修行の順番が違うわけ?

>>212>>498と同一と思われる方が、これは予想もしていましたが、今日も>>556で登場、
発言されましたね。

>だから、最後に果報として示された<慧>には解脱に直接関係のない智慧も
>多く含まれています。
>一方、「八正道」は十二支縁起の逆観をベースにした修行の順番が設定され、
>最後の四禅で確実に解脱に導く工夫が図られています。だから、<慧>の位置も
>変化しているのです。

と、かなりあなたの土台を覆す内容を書かれています。
つまり最後の慧は最終確認です。
四聖諦を体験的に知ったのであり、四聖諦、つまり八正道の実践こそが煩悩滅の解脱
なんだぞという仮説・試論が先にあって修行を進めてきて実験によって仮説は真説として実証された。
それは大いなる悟りです。
平川博士も解脱ではなく悟りと表現している。
しかし悟りではなく解脱そのものの体験成果は少なくとも四禅の段階では得ている
ことになるのです。
最高の段階はこの悟りとしてよいが、解脱という地道な成果はそれより前に得ている。
つまり実際の修行にあたる有漏の正見たる法の聴聞もまた四聖諦を説く教えであり、
これをもとに戒と定の修行を慧と絡めながら実践し、徐々に煩悩を断除し、
最後に振り返って観察した時には、四聖諦の成果は成されていたと知るのが智です。
成されていたと自覚しなくても、煩悩はなくなり解脱していたという真実は
変わりないのではないですか?
あなたはこのようにニカーヤ論文一つにしても論者の文章の字面だけでしか判断できず
自分の頭で矛盾点を考察して結論を出すという作業がされていないのですよ。
ビックさんは学術論文だから、私のように噛み砕いた表現もできず、あのような
窮屈な論文になるのは仕方ないことでもありますが。

565 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/21(月) 11:22:23.29 ID:bDCr+Kx3.net
>>552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM
>アホ野郎と、きつく叱ったのは名前を間違えたら失礼だという社会常識を、叩き込むためよ。

誤解しているようだが、アホ野郎とは叱りではなく、罵声、罵倒です。
週刊誌の名前を間違えたくらいでアホ野郎などと言ったら、
あなたの>>541の間違いとゴマカシは何と言えばいいのだ?
一来補さんは罵声が大好きですよね。
忘れているようだから、最近のを鼻をつまみながら、並べてあげましょう。

>497 一来補 2015/06/07(日) 22:34:56.51 ID:cOTxWBM0
>また、桐山師を悪く言うゴキブリもいるわけです。ゴキブリには要人が理解不能なわけです。
>476 一来補 2015/06/06(土) 17:03:53.13 ID:8kRCM1EI
>深山ユビキタスアホくんは、過大な見返りを期待して、我欲からボン行したのです。
>526 :一来補:2015/06/10(水) 22:09:19.69 ID:G0aJOoug
>アホゴキブリくん、ユビキタスくん。
>アホは、有名人だけで盲信するわけです。
>アホが盲信するわけです。
>533 :一来補:2015/06/11(木) 12:47:22.49 ID:kRbBWz5M
>というゴキブリくんの質問です。
>535 :一来補:2015/06/11(木) 16:21:04.14 ID:kRbBWz5M
>もう少しゴキブリくんの相手するか。
>583 :一来補:2015/06/13(土) 00:14:23.22 ID:aSgK+dA+
>アホだからゴキブリくんという。ゴキブリにも仏性があるから、ゴキブリもいつかは仏に成るだろう、が、ユビキタスアホくんは、永遠に仏には成れないな。>ゴキブリよりもおとるw。
>658 :一来補:2015/06/17(水) 15:39:02.91 ID:wAp+wURw
>を福いなんて、思うわけないだろう、アホ。

たった10日ほどで、あなたはこれだけの罵りを並べている。
相手の問題ではなく、あなたの人格の問題なのです。
気に入らない相手、自分のミスを責めた相手を罵るのがあなたの常で、
それは今の世間ではまったく通用しない。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)


566 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/21(月) 11:28:27.75 ID:bDCr+Kx3.net
>>552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM
>それにな、常日頃から深山くんは一来補の記憶力を馬鹿にしてたろ、やれ健忘症、認知症、
>ボケ老人扱いなわけよ、己のレスさえすぐ忘れる、とかさ。

あなたは記憶力が衰えていることを指摘されたことが悔しくて、
復讐のために、週刊誌の件をしつこく取り上げているのですね。
あなたの記憶力の衰えが普通以上だから指摘したのです。
誰でも思い違い、誤解、忘れることはある。
あなたの度合いが標準をはるかに超えている。

一つ目に、あなたはこちらの反論を完全に忘れて、同じ主張を十年繰り返している。
前の議論を完全に忘れているのでしょう?
普通の人はそういうことはありえない。
前の議論に基づいて、さらに別な反論を言うならともかく、
あなたもペテン大作さんも同じことをクドクドと繰り返すばかりです。

二つ目に、一来補さんは、自分の引用も忘れる。
前に引用した阿含経を忘れて、新しい証拠の阿含経を発見したとばかりに
自信満々で出してくる。
前に読み違いだと反論されたことをきれいに忘れているのです。

三つ目に、自分の記憶力の衰えを自覚しないどころか、
むしろ記憶力がすごいと誇っている。
それが>>541の8で、これをあなたは自分では暗記していると
自惚れているから、原文の確認もせずに書いているのでしょう?
自分では漢文をスラスラと出せるくらいすごい記憶力だと言いたいでしょう?
普通の人は、間違いを指摘されたら、原文を見て間違えないように気を付ける。
だが、あなたはただの負けず嫌いの悔しがり屋にすぎないから、
また記憶だけで書いて、また間違える。
あなたの人生の縮図です。

567 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 11:33:44.32 ID:EojxK2+0.net
ペテン大作さんに提案があります。
これは一来補さんの縁起解脱説についてもアドバイスしたことですが
これらの桐山さんでも説かないスレ違いの議論は、ここではなく、とりあえず別スレ、
例えば原始仏教などの仏教一般を考察するスレで展開してはどうですか?
あなたの目的は批判側の代表にも見える深山さんが実は仏教の常識も知らない無知であり
そんな仏教無知の深山さんが展開する桐山仏教批判なんて有効でないと証明したくて
7年間全く同じことを言い続けている。
これって、芸がないと言うよりも、仕事の仕方としても工夫も改良も見られず
仕事のやり方が無能であることを示してますよね。
ならば一時的に引き下がってでも違うやり方を模索すべきです。
アゴン宗スレだけでなく、仏教一般スレ、原始仏教スレなどにも同じ議論内容を
持ち込んで、皆で考察議論するのです。
ああいうスレはアビダルマ好きが集まっているとも思われるので、案外にあなたの説を
支持してくれる人もいるかもしれない。
多数決で決める気は毛頭無いが、支持も得られた実績を引っ提げて再度深山さんなどにも
提示してはどうか?自分の参加したスレを示せば、どれがペテン大作さんなのかわかる。
この場合、注意することはアゴン宗の信者とか元信者とかの情報は一切示さず、
あくまでもお互いが純粋に仏教をどう理解しているかという立場の違いだけを示す。
自分の知人に沙門果経の記述の中の四禅を終えた時の心境記述内容こそが
解脱の心境そのものだと主張する者がいる。しかし自分はそれは間違いだと思う。
解脱を得たのはあくまでも三明を終えた後であるはずであり、その根拠はこの論文と
この学説で・・・と説明すればよい。
そして多くの人の意見を募るのです。
これは誘導の仕方を独善的ではなく丁寧に説明するのもあなたの営業手腕ですが。
なんでしたら私も時間がある範囲内で、そのスレにユビキタスと名乗らず名無しで
参加してもよい。>>556さんのような方も来られるかもしれない。
こういう回り道だって辞さない人こそ仕事のできる人ですから。

568 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/21(月) 11:34:11.69 ID:bDCr+Kx3.net
>>552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM
>それにな、常日頃から深山くんは一来補の記憶力を馬鹿にしてたろ、やれ健忘症、認知症、
>ボケ老人扱いなわけよ、己のレスさえすぐ忘れる、とかさ。

四つ目に、私は記憶違いや間違いを指摘されたら、素直に認め修正する。
古くは、準シュダオンというハンドルをシュダオンであるとして、
批判したことを撤回した。
準シュダオンなんてあなたの造語であり、シュダオン向という意味はないのだから、
私は撤回する必要もないが、無益な争論だから撤回した。
最近で言うなら、他の人の書き込みをペテン大作さんの書き込みだと
読みもしないで決めつけてしまい、撤回し謝罪した。
これが社会常識です。

だが、一来補さんが間違いを認めたのは、私の記憶する限りでは
阿羅漢を仏陀ではないと言った時くらいです。
事実、>>541に並べたように、これだけの間違いをしながら、
あなたはただの一つも認めていない。
あなたは自分の間違いや嘘を、どれだけ証拠を示されても、
認めない猛烈に頑迷な人です。
間違いを認めると自分を否定されたような気がするからです。
絶対に認めない頑迷さが尋常ではなく、それがどこから来たのかを私が
昨日、>>509以降で説明した。
あなたの親についての私の推測は当たらずとも遠からずでしょう?

569 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 11:36:33.70 ID:ns/i2L7Y.net
連休でも砂場出勤w

570 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/21(月) 11:40:34.16 ID:KgekbRlv.net
>>552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM
>それにな、常日頃から深山くんは一来補の記憶力を馬鹿にしてたろ、やれ健忘症、認知症、
>ボケ老人扱いなわけよ、己のレスさえすぐ忘れる、とかさ。

今回も、四禅解脱を誰かが唱えたかのようにあなたは主張した。
だが、誰もそんな主張はしていない。
ペテン大作さんが嘘も百回言えば本当になるとばかりに、
七年に渡って吠えるから、理解力の低い一来補さんは
私が四禅で解脱すると唱えたかのように思い込んだ。
四禅の話で忙しく誰もあなたの書き込みにレスしないから、
あなたは四禅の話に加勢しようしたから、私はやめるように助言した。
あなたが議論を理解していないことがミエミエだったからです。
あなたは今、四禅で解脱したと主張している人は誰か、と私から追及されて往生している。
その状態になるのは予測できたから、議論に加わるなと助言したのです。

もっとも、あなたの性格から言うなら、私からしないほうが良いと
言われたら、ムキになってするのも予想できた。
現実にそうなった。
ユビキタスさんから「何しに来た」とからかわれた時も引き返すチャンスだったのに、
ただただ負けず嫌いの一来補さんはカッとなって飛び出してきた。
今回も>>529で、これまでの人生と同じで、また、あなたは自分の間違いを
頑迷に認めないという選択をしましたね。
あなたは気が付いていなだろうが、これがあなたが仏教など何も理解していない証拠なのです。

571 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 11:43:47.12 ID:0TELYcnL.net
>>564 :ユビキタス
>平川博士も解脱ではなく悟りと表現している。
>しかし悟りではなく解脱そのものの体験成果は少なくとも四禅の段階では得ている
>ことになるのです。

解脱と悟りはどう違うんですか?
誰にでも分かるように説明してくださいな。
「解脱そのものの体験成果」などと訳の分からん言葉を持ち出して、
いかにも自分は正しいことを説いているように見せかけるのがあなたのいつもの癖です。
しかし、難しいことを言っているようで、中身は空っぽなのです。
あなたは子供頃からいつも理屈を並べては周囲の大人たちを困らせていたでしょう。
しかし、現実のあなたは、理屈を並べるだけで人生の選択はいつも誤っていたのではないか。
あなたの理屈が本当に理の通ったものであれば、もっと素晴らしい人生になっていたことでしょう。

>あなたはこのようにニカーヤ論文一つにしても論者の文章の字面だけでしか判断できず
>自分の頭で矛盾点を考察して結論を出すという作業がされていないのですよ。

自分の頭を過信しなさんな。
まず論者の文章を正確に読み取ることが第一です。
それから自分の考えを述べるべきです。
ところがあなたの場合は、論者の文章より自分の先入観や偏見が先にある。
だから読んでいて気持ち悪いのです。
自分では素晴らしいことを考えついたつもりになっているだけで、
周りから見ると滑稽な印象を受けます。
批判側の中であなたを嫌っている人がいるのも頷けます。

572 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 11:45:49.55 ID:0TELYcnL.net
569の続き

>>564 :ユビキタス
>最後に振り返って観察した時には、四聖諦の成果は成されていたと知るのが智です。
>成されていたと自覚しなくても、煩悩はなくなり解脱していたという真実は
>変わりないのではないですか?

あなたの言ってることが正しいのであれば、
何故、世の学者たちは、
沙門果経の「心が安定し」の文言を解脱だと解釈しないのだ?
彼らはあなたより頭がワルイのか?
もし、本当にそう思っているのなら、私の手には負えません。
すぐに医療機関に行かれることをお勧めします。

573 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/21(月) 11:45:52.54 ID:KgekbRlv.net
>>552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM
>それにな、常日頃から深山くんは一来補の記憶力を馬鹿にしてたろ、やれ健忘症、認知症、
>ボケ老人扱いなわけよ、己のレスさえすぐ忘れる、とかさ。

怒りと復讐心と慢心を抑えて、正しい選択をするかどうかが、あなたに問われていた。
仏道とは四禅のような瞑想をすることではなく、こういう日常での
自分の煩悩を制御し抑制することです。
だが、一来補さんは怒り、慢心、復讐心にさえも気が付かず、
相変わらず、煩悩のままに自分の間違いを認めないという選択(業)を為し、
周囲からは嘘つきの愚か者と侮蔑された。
あなたの好きな「惑業苦」そのままです。
あなたは三十年前の桐山さんの本を読んで、煩悩を切らなければならないと
気が付いたと書いている。
だが、あなたの行為のどこがそれなのだ?
どこをどう見れば、あなたの煩悩が減っているのだ?
自分の読み違いというたったこれだけことも頑迷に認めないあなたの
どこが煩悩を減らそうと努力していることになるのだ?
その頑迷さを減らすのが仏道だと知らないようですね。
この十年間、あなたは頑迷という煩悩をひたすら増やした。
それ仏道とは逆の道です。
誰も書いていないのに、四禅で解脱したと書いたかのように
悪意という煩悩で捏造し、慢心を満たすために偉そうにお説教を加えた。
そして、今回も、ついに裁判資料は批判側の捏造だという
新しい嘘まで作って、自分の非を認めないという頑迷の煩悩を増やした。

ペテン大作さんも同じです。
この人も仏道が何かをまるで理解しておらず、九次第定のように
瞑想のポーズを取り、そこで高度な瞑想法という技法で解脱するのだと思っている。
だが、仏道とは、「今」です。
相手が書いてもいないことに執念深く書いたと主張して、
積年の恨みを果たそうとしている煩悩に彼はまるで目を向けない。
煩悩と彼自身が一体化した「煩我一如」の世界です。

574 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/21(月) 11:51:45.06 ID:KgekbRlv.net
>>552 :一来補:2015/09/21(月) 07:35:46.92 ID:njIlf5nM

他の信者さんたちも良く見てほしい。
一来補さんは自分がアナゴンだと内心信じているし、ペテン大作さん小難しい
教義をああでもないこうでもないと唱え、自分は瞑想をしていると自慢する。
だが、この二人が仏道を歩んでいるように見えますか。
見えませんよね。
どうして?
言葉の端々に煩悩を垂れ流しにしているからです。
自らの煩悩を制御しようとしている人が、他人に、四禅解脱を唱えた、
などとありもしない罪を擦り付けることはしないし、誤解してそれをしたら、
さっさと撤回して謝る。
だが、ペテン大作さんも一来補さんも深山をぶちのめしたいという
強烈な煩悩があるから、撤回など絶対にしない。
この選択を見れば、彼らが煩悩を制御するなど第一義にないことがわかる。
仏教を理解してもいないし、受け入れてもいない。

そこで信者さんたちに、見たくない者を見てほしい。
桐山さんです。
病気になってもまだ食欲という煩悩に囚われ、しかもそれを自慢した。
薄給の職員の首を切っても愛人には高額のお手当を与え、
愛人とロールスロイスでドライブを楽しみ、
ホテルオークラにハネムーンのように長期滞在した。
僧侶の資格さえも取っていないのに、位階を欲しがり、
学位や勲章をあるが上にも買い集める。
気に入らないと、無抵抗なオバサンを暴力で排除し、
気分を害すると、ガンになって助けを求める信者を
機関誌のカラーページにさらし者にしてたたき出す。
ペテン大作さんや一来補さんと同じで、日常のどこでも
桐山さんは煩悩のままに動き、「煩我一如」を実践している。
こういう人たちのことを道の人とは言わないのです。

575 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 11:57:57.95 ID:kS7PD+o3.net
過去の時代、この日本に於いて八正道を実践、修道せし
比丘、比丘尼はいたのでしょうか?そして其の人達は
社会にどのような功績を顕しましたか?
深山先生のお話を伺いたく存じます。

576 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 12:23:46.11 ID:EojxK2+0.net
>>571 神も仏も名無しさん 2015/09/21(月) 11:43:47.12 ID:0TELYcnL
>解脱と悟りはどう違うんですか?
>誰にでも分かるように説明してくださいな。

はい、誰にでも分かるように説明しますが、ではその代わり、あなたも説明できますよね?
悟りとはこういうことである。解脱とはこういうことである 。と。
解脱とは何だか凡人にはわからない境地ではなく、人間の言葉で説明できることであり
その説明を聞いて頭だけで理解できることですから。
自分が今後体得できるかどうかは別として、頭で、言葉で、理解だけはできます。
だからあなたも解脱を簡単に説明してください。
実はこの必須の作業があなたは一度もしていない。
それでは私から先に。
悟りとは真理を知ることです。わからないことがわかることです。
だから認知認識の働きです。
そして解脱とは束縛から解放脱却することであり、殊釈尊の仏教では煩悩の束縛から
解放脱却することであり、苦の問題は煩悩からの解放脱却により解決するものです。
自分を束縛している煩悩を解放脱却するから、その囚われの苦しみは解放されます。
それは輪廻からの解放脱却もその煩悩解放脱却の結果として得られるようだが。
これが解脱の説明です。
ですからこのような苦からの解放、煩悩からの解放脱却ということも「悟り」の内容にも
「含まれ」ますが、 悟り=解脱ではありません。
悟り⊃解脱と言えます。だから一番最後の最高の悟りを得る前に解脱の内容を得ていても
何のおかしいことにはなりません。
はからずも>>556さんもまた
>だから、最後に果報として示された<慧>には解脱に直接関係のない智慧も
>多く含まれています。

と、悟り⊃解脱であることを示唆しています。

さあ、今度はペテン大作さんの番です。
解脱とはなんたるかを説明して、悟りと全く同一であることを誰にでも理解できるように
示してください。

577 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 12:38:35.64 ID:EojxK2+0.net
>>572 神も仏も名無しさん 2015/09/21(月) 11:45:49.55 ID:0TELYcnL
>あなたの言ってることが正しいのであれば、
>何故、世の学者たちは、
>沙門果経の「心が安定し」の文言を解脱だと解釈しないのだ?

だからそういうことも含めて確認するためにも、別スレ、仏教一般スレ、原始仏教スレに
行ってはどうか?と提案お誘いしているのです。
学者は心の安定を解脱とはしていないというあなたの決めつけが妥当な読み方であるかを含めてね。
ここには深山さんもユビキタスも含めて仏教の素人しかいません。
あなたは玄人、専門家ですか?あなたもまた違うでしょう?
ならばアゴン宗スレなんてチョー狭い世界、井戸から一度出て、専門家に近い
いろいろな人もいると予想される仏教スレの大海で確認してはどうか?
誤解しないでいただきたいのは、なんくせ付けてあなたをここから追い出したいから
そういう提案をしているのではない。
あなたを追い出すなんて誰にもできません。
必ず来ることは、現実として受け入れなければならない。
仏教スレへの参加を進めるのは他ならぬあなたの為です。
深山さんが間違っていることを証明して完膚なきまでにやっつけたければ
他スレに言って確認するだけの努力も惜しまず、徹底することを提案しているのです。
どうなるから私ですら予想つきません。

578 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 13:35:51.40 ID:0TELYcnL.net
>>576 :ユビキタス
>ですからこのような苦からの解放、煩悩からの解放脱却ということも「悟り」の内容にも
>「含まれ」ますが、 悟り=解脱ではありません。
>悟り⊃解脱と言えます。だから一番最後の最高の悟りを得る前に解脱の内容を得ていても
>何のおかしいことにはなりません。

解脱とは、悟りを開き、煩悩と業の束縛からのがれること。涅槃の別称。
悟るとは、迷いからさめ、真理を会得した境地に到達すること。
また、隠されていた事情に気がつくこと。

厳密に言えば、悟るから解脱したと言えるが、
一般的には、両者は同じ意味で使われている。
悟る=解脱ですね。
これに文句を言う人はまずいないと思います。
しかし、ユビキタスの解釈は、悟り⊃解脱です。

>悟り⊃解脱と言えます。だから一番最後の最高の悟りを得る前に解脱の内容を得ていても
>何のおかしいことにはなりません。

何を言っているのかさっぱり分かりません。
どうやらこの当たりにイカレタ性が潜んでいるようですね。

579 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 13:56:52.13 ID:0TELYcnL.net
>>577 :ユビキタス
>だからそういうことも含めて確認するためにも、別スレ、仏教一般スレ、原始仏教スレに
>行ってはどうか?と提案お誘いしているのです。
>学者は心の安定を解脱とはしていないというあなたの決めつけが妥当な読み方であるかを含めてね。

決め付けとは何ですか?
学者の言葉をそのまま紹介しているだけですよ。

「心が安定し」は、四禅に四無色定を含む八等至の自在の意味。
「心が安定し」は、神通を行う「基礎となる禅」(第四禅)に入ったことの表現。

これを書いたことが何故決め付けなのか?
説明してもらおうか。

>ならばアゴン宗スレなんてチョー狭い世界、井戸から一度出て、専門家に近い
>いろいろな人もいると予想される仏教スレの大海で確認してはどうか?
>誤解しないでいただきたいのは、なんくせ付けてあなたをここから追い出したいから
>そういう提案をしているのではない。

四禅の話は仏教スレではなくて当スレの話題です。

◆第1の嘘:四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
111 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:37:23 ID:s8pu1w+h
桐山さんは「神通力で釈尊は解脱した」と主張したいから、
いかにも学者たちもそのように主張していかのように見せかけているが、
四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ご覧の通り、これが始まりです。
全然スレ違いではありません。

580 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 13:59:49.89 ID:0TELYcnL.net
@八正道と三学系統の修行方法は共通している。

八正道は螺旋的修行道であり、三学系統の修行法は段階的な修行法である。
両者は、説き方が違うだけで修行方法は共通している。
これが、二カーヤ論文の主旨です。
これを読んでいながら何でこんなバカなことが言えるのか?

>>545:ユビキタス
>四禅の瞑想技術が変革をもたらしたのでもないし、三明の神通力的観察が
>変革をもたらしたのではない。
>変革をもたらしたのは八正道の継続累積実践の事実です

>>562 :ユビキタス
>それでは、>>212>>498の慧→戒→定も暴論であると斥けたいわけですね?
>もちろんそれは自由です。あなたは四禅の内容が別物であるところだけにレスして
>慧→戒→定のコメントに対しては最初から一切レスをしないという姿勢は

>あなたはなぜか「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」の部分で、
>三明の慧よりも前に、定に慧がくっついていることの指摘にノーコメントですが。

>だから>>212>>498の慧→戒→定を補足するならば、慧→戒→定→慧となります。
>あるいは慧・戒→慧・定→慧でもよい。
>有漏の正見としての慧が四禅などの定よりも先行してあることはペテン大作さんでも
>認めざるを得ないでしょう。

ユビキタスは、自分の頭で考える以前に、人の書いた文章を正確に読み取る力が無いのです。
頭の中は先入観や偏見に満ちており、他人の文章を素直に受け入れることが不可能なのです。
もし二カーヤ論文が現代国語の試験に出題され、主旨を200字以内にまとめよという設問が出されたら、
ユビキタスは間違いなく30点でしょう。

581 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 15:34:06.56 ID:oJxvWDP8.net
本格的な仏教をやりたければそこでやればいいんであって
阿含宗がいかにインチキであるかということをわかればいいんだよこのスレは
悟りとか解脱の厳密な意味の違いなどそれほどここでは重要ではない
間違いがあるのならそこは違いますよと文献だして注意すりゃいいだけだろ
受け入れるだの追い出すだのと言い分けつけながら本音は感情的に個人批判しるんだろ
ここでのスレで批判の対象になっているのは阿含宗なんだよな。

582 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 17:06:56.04 ID:EojxK2+0.net
たしかにこれはもうキリがないですね。
言いたいことあっても沈黙した方がよい。
本人には勝手に勝ち誇らせておけばよいですね。
家財道具の処分に悪戦苦闘してますが、これは根気よくやれば何とかなるけど
なんとかならないのが人間です。

583 :一来補:2015/09/21(月) 17:37:30.93 ID:njIlf5nM.net
解脱と悟りは同じ意味だよ、これは常識。
何度も我はレスしている。
岩波仏教辞典の「縁起」の説明に、
「さとりは滅とか解脱と表現され、さとりは縁起の滅した世界とされた」
と、あるだろう。

だからさ、初期仏教では悟りのことを、滅とか解脱と表現されたのです。
これは仏教学者の定説なのだから、個人の説は
いらないし、ここでは慎むべし。

584 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 17:44:32.63 ID:EojxK2+0.net
>>583
一来補さんにもここではなく、原始仏教スレとか一般仏教のスレでの自説の披露と
証明をお勧めします。
相手はあなたが言うところのアゴン宗を退会した負け犬などではなく、
関係のない人たちです。
仏教に興味を持ち、勉強もしている人たちです。
だからこそ一来補というネームを名乗るが名乗らないがそちらが決めればよいが、
アゴン宗は名乗らない方が、相手に色眼鏡の偏見を与えないで、純粋に
仏教を考察議論もできます。
こちらではペテン大作さんともどもお相手できません。

585 :一来補:2015/09/21(月) 17:47:40.05 ID:njIlf5nM.net
心が安定、など解脱の定義にはならない。
そういう人は、数多いる。
自称、心が安定など、例えばユビキタスくん
などは阿含宗を辞めて心が安定したのだろ?
ならばユビキタスくんは解脱したのです。
そうだろ?

ふざけちゃいけない。
心が安定など、解脱したら当たり前だし、
解脱しなくても心が安定した人など、
はいて捨てるほど居るよ。

586 :一来補:2015/09/21(月) 17:55:49.98 ID:njIlf5nM.net
なぜ我の相手が出来ないのかな?
ユビキタスくんは。
阿含宗が正しい釈尊仏教だと認めたのかな?
それならば相手が出来ないだろう。

大乗仏教を正しいとする立場に立てば、
釈尊仏教の阿含宗は間違いになるのです。
ユビキタスくんは、知らず知らずに大乗仏教
の立場に立っているのです。

587 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 17:59:32.75 ID:ns/i2L7Y.net
気持ちわり〜な〜 連休現役信者と元信者の乳繰り合いwww キモ〜〜〜www でも、自分たちでは普通だと


思ってるんだよな。 うけるカルト関係者wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

588 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 18:04:03.27 ID:ns/i2L7Y.net
>なんとかならないのが人間です。

なにを 何も分かってないのに教授みたいに講釈してんだよカスwww 教授になりたいんだろ。もうなってるよな。低能2ちゃん教授にな〜www

キンモ〜 砂場の帝王wwwwwwwwwwwwwww では、何故彼は砂場から出ないのか。

出たら教授ではなくなるからです。w

589 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 18:11:39.69 ID:EojxK2+0.net
ああ、一来補さんは今回は縁起解脱説を唱えたわけではなかったか。
ペテン大作さんにも一来補さんにもそこだけ答えておくと、悟りと解脱を同じものとすることは
その通りでしょう。
ただ私としては、悟るという世間一般でも使用する機能の言葉は、機能ごとに分けて考えた方が、
問題と対処するのに賢明な分析ができるのではないかと思ったわけです。
すなわち認知、認識という機能であり、感情面含めた断除断滅はまた別の機能の意志努力です。
例えば三結断じるとは認知認識の誤謬を悟ることが第一であり悟れば完成です。
しかし欲貪・瞋恚を断滅するとは、認知認識だけの問題ではない。
そういう視点から見ると、悟り<解脱という乱暴な色も想定できるが、
こうなってくると、悟り⊃解脱だの、悟り=解脱だの、悟り<解脱だの
もう何を議論しているのかすらわからなくなってしまう。
悟るからこそ解脱することがある。解脱したことを知るのも悟りだとも言う。
要はどの機能のシーンを最高、最終、完全にするかということなんだが、完全な解脱とか
解脱の完成とか言うけど、こういう言葉が出て来る背景には、解脱の到達点は必ずしも
一つではないということが言えるからこそ、出て来た言葉ではないか?
すると完全ではない解脱は不完全な解脱なのか?完成された解脱でない解脱は
未完成の解脱なのかと言うと、そんな厳密に黒白つける必要があるか?ということですね。
心解脱していれば、それは素晴らしいことで、慧解脱を得られれば尚素晴らしいと言うだけで
心解脱だけでは解脱ではないという狭い考え方こそ問題ではないか?
だから自分がそのどれを重視するかは各自のテーマの自由ではないか?
それを厳密に統一させよう、議論に勝ち負けをつけようとか、大した意味はない。
少なくとも相手を仏教無知で仏教を語る資格がないなどと迫る話でもない。
ニカーヤ論文を一言で要約すると、たしかにどちらも同じ修行には変わりないで正解なんだが
それでは見えて来ない問題があり、だからと言って、四禅記述の境地が解脱ではない
なんて話には結論付けられません。
あれは沙門果経だけでも判断できる話ですから。

590 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 18:14:16.87 ID:EojxK2+0.net
>>586
相手をしたくないのではなく、桐山アゴン宗の教義教学実践に則った話でなければ
スレ主旨を私自身つぶすことになるから相手にできないのです。
だからこそ他スレに誘導したいのです。

591 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 18:31:25.86 ID:EojxK2+0.net
>>585
私は少しも解脱などしていないし、心は決して安定などしていません。
心の安定こそが一番難しいテーマであり、これを釈尊は、まことに御し難きは自分なりと
述べています。そこを精進努力してコントロールしていくのが戒定慧の仏教です。
心が安定しているかのように見えている人はいても、何かあればそれは脆くも崩れてしまう。
いつもニコニコ聖者のような顔をしている人がいる。
子供たちにリンゴを配る時の桐山さんのように。
あのリンゴ配りは桐山さんの別の煩悩に支配されたパフォーマンスでもあるのだが、
それはさておき、外見上は安定しているように見える。
しかしおばちゃんからちょっと非難を受けただけで、キレて言葉の暴力に走るのは
安定していないからです。
また愛人を作ったりするのは自ら安定を捨てた話です。
煩悩を表現する言葉に随眠というのがありますね。
あれは決して自分自身すら不可知の自分の中の赤の他人の深層意識の歪んだ衝動なんて
オカルト話ではないのです。
私にも誰にもあって当たり前のもので、それが出て来るのを常に観察しなければならぬのです。
それが四念処であり、四念処を理解実践していたら桐山さんは、おばちゃんに注意こそ与えても、
あそこまでキレたりしない。
アゴン宗はそのような凡人の心の不安定をかえって増やそうとしていることを指摘、批判したいのです。

592 :123:2015/09/21(月) 19:57:40.61 ID:Yb9887zU.net
581.
そこでしている、悟り、解脱の説明は誤りである。
その前提で議論しても誤解が拡大するだけのことである。

593 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 19:58:32.17 ID:EojxK2+0.net
>>585 一来補 2015/09/21(月) 17:47:40.05 ID:njIlf5nM
>自称、心が安定など、例えばユビキタスくん
>などは阿含宗を辞めて心が安定したのだろ?
>ならばユビキタスくんは解脱したのです。

解脱こそほど遠いですが、これは比較の話ですが、アゴン宗退会後はアゴン宗在籍時よりも
安定を得ましたよ。
と言うかアゴン宗信者時代は、常に不安に襲われていたわけです。
因縁解脱の因縁の恐怖ですね。霊障解脱の霊障の恐怖です。
これをなくさないと安定した人生を送れないという不安です。
世間一般の人は普通こんなことなど考えません。
身の回りに危険は多いことには変わりないが、決して必要以上に気にすることなく、
生活しています。身の回りのすべきことをこなしながら、余暇などにもエンジョイし、
目標に向かって努力をしています。時には病気などにも遭遇しながら。
これに対して御利益宗教は例えば護摩木祈願などを勧め、祈願成就を願って
安心を与えようとしますが、普通の人は「間に合っています」と断る感覚で
これに飛びつかなくても安心は得ていると言えます。
護摩木にお願いすることで人の心は普通の人より不安定になったと言えます。
それがお正月だけの軽い気休めならばよいですが、アゴン宗のように年中ともなり、
勧進・祈願の本数まで誓願を出すように言われては。
また御利益祈願の護摩木よりも霊障で脅す解脱供養、冥徳解脱供養は尚悪い。
先祖が成仏できないで苦しんでいる。あなたの運命にも悪い影響を与えていると脅される。
脅されて心が不安定でないことなどありません。
ところがアゴン宗を退会して、これらのことに一切関係がなくなると少なくとも
それだけは心が軽くなり、安定に向かいます。
もちろんいつなんどき事故に遭うかなどの危険がないわけではない。
しかしそれは世間一般の人たちと同じように気にせず生活を送ります。
だから退会後は在籍時より安定しています。
アゴン宗は心の不安定を増大するとはこのことです。

594 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 20:28:28.08 ID:ZMEsAM4Z.net
釈迦の解脱っちゅのは心の安定だけじゃ
ネエだろう がって
清浄とか潔癖とかさ いろんな不安定要素
心配や悔悟とかテメエの生きて来た人生への
心配なんからじぇえんぶ解放される気持ちだろう
解脱がどこで行われる図式とかよ 判別表で白黒的に
いくら表そうが んなもんはただの計画票みたいなもん
であって糞の役にはたたネエ

十二縁の法を了知し四禅経て三明慧を得
四諦真理を知り涅槃を得るなんて
そんな図式に満足してなにがあるんだっての
そんな小リクツを振り回して
桐山阿含宗の正当性が立証されまんのか

釈迦は煩悩を減らして無くせっちゅうてるんやし
それをずっと解明してるンが 深山説じゃネエの
ほんでもってそれが桐山阿含宗の批判に合致して
阿含信者は グウの音も出ていネエんじゃない
4禅どうたらでだよ 桐山センセの教義が正しいなら
それを見せてみろって至極簡単な要求に
どして 答えられんのだ

595 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 20:36:08.85 ID:ns/i2L7Y.net
止まらね〜〜〜なオイ wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

596 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 20:46:09.41 ID:Fl8dDAwT.net
>>583
説などどうでも良い
解説者は覚者じゃない

本当を知れば良いのだから
貴方がやればいいんだよ

多分
色即是空の原因は
判断の仕方の修正なんだと思う

縁起が滅する訳が無いだろう
何の為に釈尊は縁起を語ったんだ

因果応報だから縁起が滅する事は現実には無い

縁起を滅するというのはただの考え方だよ
自分が縁起もどきに囚われている事に
気付けばいいんだ

要するに自分が縁起など知らない事が分かれば
良いんだよ

世界が人を生み出したんだ
自分を生み出したものを理解するという事は
自分の理解を生み出すものを理解するという事だよ

パラドックスだよ
不可能なんだ

597 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 20:56:13.64 ID:ZMEsAM4Z.net
>>595
そうだ止まらんじゃ だめだなんじゃよな
止まれってアングリマーラにな な
だから おメエもいい加減止まれってのよ

んで次に
ついでに言えばユビキタス反論は
中身は間違ってネエが やり方はダメだ
批判は常々 エビデンスに沿って主張して
来たわけだろ 
学説引用においては ペテン意見に対抗出来てネエ
それを個人的解釈で いくら釈迦の解脱をウダウダと
述べても そりゃあ安倍総理の違憲を中身はこうだが
実践はこうだあ と弁護してるようなもんじゃは
月島だってな
個人的な恨を桐山ドクマにお互い反映しネエってのが
まっとうな議論じゃネエのか
それを見せるんならお互いルールをみせなくっちゃな

598 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 21:08:25.91 ID:EojxK2+0.net
>>597 神も仏も名無しさん 2015/09/21(月) 20:56:13.64 ID:ZMEsAM4Z
>ついでに言えばユビキタス反論は
>中身は間違ってネエが やり方はダメだ
>批判は常々 エビデンスに沿って主張して
>来たわけだろ 
>学説引用においては ペテン意見に対抗出来てネエ
>それを個人的解釈で いくら釈迦の解脱をウダウダと
>述べても そりゃあ安倍総理の違憲を中身はこうだが
>実践はこうだあ と弁護してるようなもんじゃは
>月島だってな

これは正論ですね。
ニカーヤ論文は窮屈だと書いたが、窮屈ゆえに論者の意図、結論を十分に
こなしきれないまま使用して、途中まで紹介引用して、問題点のみ抽出し、
後はそこから進めた自分の考察を書いただけですからね。
もちろんペテン大作さんは引用のみで、矛盾点の考察などする必要なしとの姿勢ですが。

599 :一来補:2015/09/21(月) 21:35:56.05 ID:njIlf5nM.net
レス594。
あんたは仏教辞典を持ってないのか?
縁起が滅した世界が悟りの世界だと仏教辞典に書かれているのだよ、このアホ。

あんたみたいなボンコツ頭がな、縁起の滅を考えられないからと言ってな、縁起の滅を否定するのはよせやい、己の頭の悪さを自覚しな。
アホな奴ほど己のアホに気づかない。
困ったもんだな、まったく。

600 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 21:49:27.87 ID:0TELYcnL.net
>>582 :ユビキタス
>言いたいことあっても沈黙した方がよい。
>本人には勝手に勝ち誇らせておけばよいですね。

ははは。いかにも自分は勝者みたいなことを言ってるが、実はあなたは何も反論できていない。
あなたは、>>212>>498の「慧→戒→定」をしきりに引用しているが、
>>212さんの書き込みでは、
>最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
というのが、フカ山さんの
>204
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
が間違いであることを示している。 
これについては異論無いようだな。
私は以前から、この204が間違いだと言っているわけだが(>>560>>561
あなたの最近の書き込みを見ると八正道の話ばかり。
だがその八正道は「慧→戒→定」ではない。
これでもう反論は尽きたわけだ。
そのくせ自分は勝者だと格好付ける。
こういうところ、実に子供っぽい。
ガキだね、あなた。

601 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 21:49:37.74 ID:EojxK2+0.net
自覚するのが悟り。
自覚して実践してその成果を得るのが解脱。
ならば慧→戒→定ってな図式だって成り立つわけだけどね。
ああっ?またスレ主旨つぶしに参画してしまった!
止まらねーなオイwwwなあ?国太郎の旦那www

602 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 21:55:13.91 ID:0TELYcnL.net
>>582:ユビキタス
>家財道具の処分に悪戦苦闘してますが、これは根気よくやれば何とかなるけど
>なんとかならないのが人間です。

>>601 :ユビキタス
>ああっ?またスレ主旨つぶしに参画してしまった!

そういうことだ。
お前は何とかならない、どうしようもない男だ。

603 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 22:16:51.39 ID:a+7fCAbW.net
な〜るへそ 指斬り夜叉・アングリマーラは殺して指を斬り落として首飾りに足していく。

だから指斬り足すからユビキタスと付けたんだ。

604 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 22:24:50.27 ID:EojxK2+0.net
だめだっ!止まらねーwwww

>>212さんの

最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
それを破るのが<慧>の中で最高の智慧だと釈尊が説いた「漏尽智」であり「四聖諦」を知って
「貪・愼・痴」という三つの煩悩から完全に解脱したのです。

ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

上の書き込みと下の書き込みがどうして「ですから」という接続詞で繋がるのか考えてみよー。

605 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 23:10:54.77 ID:EojxK2+0.net
>>602
実家の冷蔵庫の冷凍庫がもう10年以上、ひょっとすると20年くらい開かずの冷凍庫で、
堅く閉まって開けられなかったんだけど、何日も前から電源を切って解凍するのを待っていたんだが、
今ようやく力づくでこじ開けることに成功したよ。
厚い氷と食材の袋が詰まって、取り出しましたが。
明日業者が引き取りに来るまで溶けきらないだろうが、なんとかなるものだ。
慧の神通力ではなく地道な時間をかけた努力で。

606 :神も仏も名無しさん:2015/09/21(月) 23:21:43.46 ID:ZMEsAM4Z.net
>>600
>そのくせ自分は勝者だと格好付ける。
こういうところ、実に子供っぽい。
ガキだね、あなた。

そうじゃネエだろっての
勝者敗者じゃネくて学説解釈の問題だっての
ユビ説をガキだと言うなら おメエも同格じゃん
しかもユビキタス反論では既に射ぬかれてんじゃん
学説引用はおメエも限界だってことをな
誰もそれ以上はな いじくれないでしょって
それなのに桐山教義にどんな味付けが
出来るんでい
オレっチは阿含教義には無知もいいところだがヨ
ヤフ質でもその経緯はわかるっちゃ
学説限界つまり説明不足を以て いい気になって
言いがかりをつけてるって構図は あきあきだっての
んなことよりオレっちの>>594釈迦は煩悩を減らして
を沙門果経で証明して見せろよ
それもできずに8正道もネエだろうによ
ようはないんだよねえ どうしてかわかるかって
沙門果経ってお経の性質を見抜けよな
オレはな前スレでビック論を出しても桐山センセの
教義に花は咲かねえっちゅう主旨を言ってたんだよな
果報のまとめと修道の順路は違うでしょ
合格の仕方は人それぞれってのが釈迦の説法なんだよな

総レス数 606
516 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200