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阿含宗という宗教256

68 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 08:51:50.77 ID:vjvbsic3.net
>>60 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W
>判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
>相手が何を主張しても、放置しておけばよい。

当初深山さんがそちらが出してきた沙門果経の「心が安定…煩悩も離れ」の記述内容の境地に対して、
これは解脱の境地に他ならないと主張した。それに対してそれは絶対に解脱のはずがない!
解脱を得るはもっと先で四聖諦を悟り、漏尽智を得た解脱と解脱知見の段階しかない
と、しつこく7年間食い下がってきたのがペテン大作さんです。
それも最高の最終の完全な解脱でなければならないなどとそちらでいつの間にか勝手に限定した。
ちなみに私もペテン大作さんが昨夜指摘するよりも先に心解脱・慧解脱の話を出して
心解脱よりも後に得る慧解脱を以て解脱の完成とするという考えもあることから
ペテン大作もまたそればかりに目を覆われるのも無理からぬ面もあることをコメント
するつもりでいて、今でもそれは変わりない。
慧解脱、倶解脱、煩悩障に対する所知障とかアビダルマがいろいろと論じた話だろうが
仏教界にはそういう段階で区別、差別する考えもあるのだから、私は今回は敢えて
アビダルマの批判もせず、それを認めて、心解脱・慧解脱そろって解脱の完成と見る
のも各自の自由であるとしようと思った。
しかしペテン大作さんはナント心解脱はまだ解脱ではないと言っているのです!
沙門果経の四禅を終えた記述段階で得た「心が安定…煩悩も離れ」はまさに
心解脱の境地です。心解脱とは桐山さんは悪い心癖を改めるなんて説明しているが、
心に貪著から離れるというものです。まさに沙門果経の「心が安定…煩悩も離れ」の境地であり
心解脱そのものです。心解脱は解脱ではないと言うか?
ただしこの後三明の智慧観察により真理の覚知を備えた慧解脱を得る。
ここで心解脱・慧解脱揃い解脱の完成とするのはよいのだが、だからと言って
心解脱はまだ解脱ではないと言うのはあまりではないか?
ペテン大作さんは心解脱をいつ得たのか読み誤っているのです。

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