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阿含宗という宗教256

564 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/21(月) 11:05:14.82 ID:EojxK2+0.net
>>551 神も仏も名無しさん 2015/09/21(月) 01:08:56.20 ID:0TELYcnL
>三学も八正道も同じ仏説だよ。
>それが何で修行の順番が違うわけ?

>>212>>498と同一と思われる方が、これは予想もしていましたが、今日も>>556で登場、
発言されましたね。

>だから、最後に果報として示された<慧>には解脱に直接関係のない智慧も
>多く含まれています。
>一方、「八正道」は十二支縁起の逆観をベースにした修行の順番が設定され、
>最後の四禅で確実に解脱に導く工夫が図られています。だから、<慧>の位置も
>変化しているのです。

と、かなりあなたの土台を覆す内容を書かれています。
つまり最後の慧は最終確認です。
四聖諦を体験的に知ったのであり、四聖諦、つまり八正道の実践こそが煩悩滅の解脱
なんだぞという仮説・試論が先にあって修行を進めてきて実験によって仮説は真説として実証された。
それは大いなる悟りです。
平川博士も解脱ではなく悟りと表現している。
しかし悟りではなく解脱そのものの体験成果は少なくとも四禅の段階では得ている
ことになるのです。
最高の段階はこの悟りとしてよいが、解脱という地道な成果はそれより前に得ている。
つまり実際の修行にあたる有漏の正見たる法の聴聞もまた四聖諦を説く教えであり、
これをもとに戒と定の修行を慧と絡めながら実践し、徐々に煩悩を断除し、
最後に振り返って観察した時には、四聖諦の成果は成されていたと知るのが智です。
成されていたと自覚しなくても、煩悩はなくなり解脱していたという真実は
変わりないのではないですか?
あなたはこのようにニカーヤ論文一つにしても論者の文章の字面だけでしか判断できず
自分の頭で矛盾点を考察して結論を出すという作業がされていないのですよ。
ビックさんは学術論文だから、私のように噛み砕いた表現もできず、あのような
窮屈な論文になるのは仕方ないことでもありますが。

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