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阿含宗という宗教256

545 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 23:10:37.57 ID:K5xda3GF.net
>>518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH
>なるほど。両者の四禅は別物なんですか。
>それでしたら、沙門果経の四禅は八正道の四禅では説明できなくてよいことになります。
>沙門果経では、四禅では解脱していないという事実は、八正道で否定することはできない。
>何しろ両者は別物なんですから。
>それでよろしいですね。

別物と言えますが、そもそも四禅という瞑想の技法は同じであり変わりありません。
四禅などの九次第定は釈尊以前にインドのバラモンに伝わっていた瞑想の技法であり
釈尊もまたこれを学んだ。しかしこの瞑想だけでは煩悩を滅する解脱は得られないと
師の下を立ち去った。
そして煩悩を滅する八正道を発見した釈尊だが、深い瞑想に使う四禅などもやはり
また使うのです。それは桐山さんみたいに、口腔で発声したマントラの響きを
腹腔のチャクラに留め、チャクラルートに乗せて脳に伝えるとかわけのわからん
特殊改良四禅などではなく四禅の技法自体は変わりません。
ではなぜ最初に習った四禅では煩悩滅の解脱を得られず、三明の前の四禅とは
煩悩滅に成功したのかと言うと、技法を変えたのではなく、四禅技法だけでなく
慧の働きが機能していたからです。
ニカーヤ論文の表現のように、定と慧が相互に影響し合って増大していたからこそ
煩悩ば徐々に断滅されていったのです。
四禅技法だけではダメで、慧や戒がなければならず、これがある四禅とない四禅とは
別物と言えましょう。
付記するならばこれは二禅や四禅の中だけで行われていたのではなく、食事をする時も
大小便をする時も日常のあらゆる場面で慧が働いていたからです。
だから二禅や四禅の記述説明する段階では煩悩滅は成し遂げられていた。
四禅の瞑想技術が変革をもたらしたのでもないし、三明の神通力的観察が
変革をもたらしたのではない。
変革をもたらしたのは八正道の継続累積実践の事実です。

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