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阿含宗という宗教256

537 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/20(日) 22:12:14.99 ID:K5xda3GF.net
>>518 神も仏も名無しさん 2015/09/20(日) 13:56:52.70 ID:/yyYpwRH
>そういうことらしいよ、ユビキタス(>>499

そこであなたが杓子定規にしか把握できない戒→定→慧→解脱の構図をぶち壊すものがあります。
あなたが一時は自説を強化してくれる仲間と勘違いしていた>>498さんの慧→戒→定です。
なんと慧は四禅などの禅定より前にあるのです!
その根拠は八正道の正見・正思は慧であり四聖諦の真理を知ることであり、
それが八正道の最初に置かれ、これを前提に、正邪の判断をしながら修行を進めるのです。
これはペテン大作さんが紹介してくれたニカーヤ論文にもそのことが書かれていることは
論文を紹介したペテン大作さんですから、読んでいるでしょう。
八正道ではそのような順番なのです。
釈尊はいろいろな角度から同じことを説きます。
沙門果経などは阿闍世王に仏教の出家の果報を順を追ってわかりやすく説明した。
奴隷階級だった人も出家することにより尊崇される果報があるという話から初めて
戒ではこのような果報がある、定ではこのような果報がある、慧ではこのような果報がある
と順を追って説明した。この順番はある程度自分の修行体験の順番に忠実に説明されています。
しかし実際には便宜上戒→定→慧と分けて別々に説明したが、実際にはそんなに
きっちり分けられず、戒・定・慧は常に有機的に絡み合って進められます。
だから八正道では正しい智なくして定などの修行は進められないとして第一に
正見の慧を据えて、それは四聖諦の智だと言うのです。
ならばペテン大作さんの戒→定(四禅など)→慧(四聖諦の智)→解脱なんだから
四禅で解脱が得られているはずがないという構図は>>498さんの書いた慧(四聖諦の智)→戒→定(四禅など)
という構図によって、崩されてしまうのです。
慧が既にある。四禅より前にもある。
ならば慧を伴った戒・定で、例えば四禅の説明のところで解脱が得られていても
不思議ではなくなるのです。

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