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阿含宗という宗教256
- 482 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 21:31:53.75 ID:lIu2fRL5.net
- >>446
>沙門やバラモンの四禅には痴(愚痴)の煩悩が内存していて完全ではない。
>しかし、八正道では最後の第四禅定で「不苦不楽受」=痴 を捨てる智慧が備わっているのです。
沙門やバラモンの四禅と釈尊の四禅は違うと言いたいようですが、
それを示す記述は経典のどこにあるのですか?
もし釈尊の第四禅に痴を捨てる智慧があるのなら、
釈尊は第四禅を終えた後、仙人から無色界の禅を教わる必要はありません。
釈尊の第四禅にもあなたが言う痴が残っていたから、
仙人から教わる必要があったのです。
沙門やバラモンの四禅と釈尊の四禅は同じものです。
それともう一点。
八正道の四禅と沙門果経の四禅は別物みたいな言い方ですが、
それを示す記述は経典のどこにあるのですか?
そんなものはどこにもありません。
八正道の四禅と沙門果経の四禅は同じものです。
八正道を持ち込んだところで、
沙門果経では四聖諦の後で解脱するという記述を覆すことはできません。
だから「三明の前の四禅で釈尊は涅槃を得た」という深山さんの主張は嘘になります。
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