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阿含宗という宗教256
- 446 :神も仏も名無しさん:2015/09/19(土) 06:02:42.83 ID:HxP/S4vf.net
- >>443
>>436:深山
>>釈尊は八正道で解脱したのであって、四禅や漏尽定で解脱したのではありません。
>
>では、「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べている」
>というのは、嘘になります。
>あなたはやはり嘘を書いたのですね。
>ここでもまた玉砕!!!
四禅は釈尊の専売特許ではなく、当時の沙門やバラモンもやっていた修行です。
釈尊はアーラーラ・カーラーマ仙人の元に弟子入りして、四禅の上位にある非想非非想処にも到達しています。
しかし、それでも満足できず仙人の元を去って一人修行を始めたといいます。
それは釈尊が考える涅槃の境地ではなかったからです。
そして苦行にも挑戦します。当時のインドでは「苦行によって悟りが得られる」と信じられていたからです。
釈尊の苦行は想像を絶するもので、「私の後にこれだけの苦行をする者は現れないだろう」とまで言われた。
しかし、その苦行も涅槃に導かず捨て去るのです。
では、釈尊を涅槃に導いた修行は何だったのか?
それは、>>427にも示されている禅定と智慧がミックスされた修行でしょう。
あなたが示したターナグットー・ビックの「螺旋的修行道」として表現されたものに近い。
つまり、八正道がそれです。
沙門やバラモンの四禅には痴(愚痴)の煩悩が内存していて完全ではない。
しかし、八正道では最後の第四禅定で「不苦不楽受」=痴 を捨てる智慧が備わっているのです。
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