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阿含宗という宗教256

1 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:17:32.81 ID:sMOCSDYa.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
議論スレ:「agama@chs-1」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/6441/
議論スレ:「FC2agama掲示板」
  http://datoban.bbs.fc2.com/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
  http://souko.digi2.jp/
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
  http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

253 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:25:34.66 ID:OhkcSJdG.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

私はミスを認める人を追及したりしない。
そんなことはお互いさまです
だが、ペテン大作さんは過去においても、同様の矛盾を指摘されて
彼の主張が自己崩壊しても、まったく反省もなく、
しばらくすると同じような主張を始める。
彼の「深山は四禅解脱を主張した」は完全に嘘であり、
彼自身が>>190で認めるしかなくなった。
ペテン大作さんの七年に渡る主張の根拠がないことがわかり、彼も認めたのだから、
普通はここで議論は終わりです。
だが、そういう議論の礼儀、理屈が通用しないのがペテン大作さんです。

そこで私は>>232で彼をからかって、「餌」を投げた。
>>190はこれまでの576と主張と違うが、いつ彼は自分の間違いを認めたのか、
いつ撤回して、私への無礼をわびたのかと皮肉を込めて質問した。
もちろん、彼はそんなことをするはずもないことは知っています。
憎しみで凝り固まった度量の狭い男にそんなことができるはずがない。
悔しくて猛然と噛みついてくるだろうと思ったら、三十分ほど後には
「餌」に釣られて、牙をむき出しにして吠え付いた(>>235)。

254 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:31:15.17 ID:OhkcSJdG.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

これがこれまでの議論の経過で、つまり、何もないのです。
しかも、四禅なんてアゴン宗の議論とは関係ない。
だから、一来補さんは議論に加わらないほうがよい。
私は最初から四禅解脱なんて書いていないし、誰もそんなことは主張していない。
一人、ペテン大作さんが吠えて吠えて吠えまくって、ついには
自分のシッポに噛みついて、私からからかわれた。

他の信者さんたちにも、ペテン大作さんの反応を良く見て参考にしてほしい。
彼はいったんは正しい事を書いた(>>190)。
190でいったん彼は自分の掘った穴から出たが、矛盾を指摘されると、
あわてて巣穴に戻り、吠え続ける選択をした。
事実を認めかけたが、それをすると深山を攻撃できなくなると気が付いて、
彼の掘った穴、虚構の世界に戻り、さらに深い穴を掘って、
私に吠え付いたのが>>235です。

これを読んでいる他の信者さんたちも、ペテン大作さんを悪い見本として見ることです。
事実を認めると、自分の得にならず、苦痛に耐えることになるから、
アゴン宗という妄想宗教に逃げ込みたい気持ちは私も元信者だからわかる。
だから、ペテン大作さんを良く見てほしい。
批判側のアゴン宗の間違いの指摘を、苦痛に耐えながらも受け入れるか、
それとも、ツバを吐き掛けて、アゴン宗という妄想宗教に戻り、
焚火でカルマ解脱するという砂場の宗教ゴッコに一生を費やすか。
その間違った選択をペテン大作さんが信者さんたちの目の前で演じてくれた。
ぜひ、反面教師として参考にしてほしい。

255 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:37:04.34 ID:OhkcSJdG.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

ペテン大作先生様にはいつも、正面からアゴン宗の議論もできない卑怯者だなんて
事実を指摘して、大変申し訳なく思っております。
ペテン大作先生様は、>>228に引用した阿含経の専門家の訳を、
原文にはない、誤訳だと看破され、なんと三人の学者にピエロだとだと罵声を投げつけた。
学者たちよりもペテン大作先生様はオエライのですから、
そのお方の読み間違いや、>>232で矛盾した発言を指摘するなんて、
まことに非礼なことで、毎度失礼をしております。

>>232はもちろんお気づきとは思いますが、ペテン大作先生様の反応を予測して、
天地がひっくり返っても、自分の非を認めるような勇気など
爪の垢ほどもない卑怯者で、謝罪どころか、撤回もしないだろうから、
それをからかってやれ、なんて気持ちで書いたことを反省し、
ここに懺悔するものであります。
釈尊や解脱者が解脱だと言っているのに、100%違うと断定されるほど
オ偉いペテン大作様をからかうなんて、罪深いことですよねえ。

256 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:42:26.70 ID:OhkcSJdG.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

私から視野が狭いと言われると、木を見て森を見ないとか、穴に落ちていると
いうとそのまま穴に落ちているなどと、何の観念工夫もなく同じ言葉しか返せないとは、そのボキャ貧ぶりは小学生並の情けない男だなんて
思ってしまったのも、大変失礼したと反省しております。

何よりも私は心から反省せねばならないのは、ペテン大作先生様は、
仏教をいくら説明されても理解できる知性がないとたびたび指摘したことです。
先生はますますいきり立って、漏尽定で解脱するなどと爆笑ネタを
次々と連発させてしまいました。

普段から威張りちらし、他人を小馬鹿にしきった態度の人を、からかうと、
すぐにむきになって、ネタに食いついてくるのを見ると、
ついまた餌を投げてみたくなるのです。
きっとペテン大作先生様が、私の書き込みを読んだ後で怒り狂って、地団駄踏みながら、
即刻、無意味な言葉を羅列しながら反撃し、午後は何も手がつかないほど
怒りと憎しみで目をランランとさせ、パソコンに向かうが、反撃しようにも
内容が無いから、>>242-243みたいにただ同じ主張しか出てこないことにますます苛立ち、
夜も眠れず、朝は早くから目が覚めてしまうなど、
お気持ちをかき乱したことをお詫びいたします。

257 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:47:43.02 ID:gGa3HF0/.net
宗教の原型、基本は全てここに集約されます。
私が採算説明してきた殉教(肉体の死ではない)や割礼(心の割礼)、出家(魂の出家)と同義です。

🔷日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。
これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれます。
たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。

258 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:48:16.16 ID:+91XUQcG.net
@深山さんは四禅解脱から逃げようと必死です。

>>249:深山
>ペテン大作さんが、「深山は、釈尊は四禅で解脱する、と述べたと主張している」
>と言う、ありもしない話を作り上げて、これを七年間にわたりここに書き続けている。



204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。

深山さんの主張はこういうことです。
俺は四禅解脱なんて言って無いぞ。
「四禅で解脱する」とは書いてないも〜ん。
でも釈尊は三明の前の四禅で解脱すると書いているぞ。
その理由は、
>>251:深山
>「心の安定」一つでも解脱だが、「清浄で純潔」「汚れなく」
>「小さな煩悩も離れ」もすべて解脱です。

四禅で解脱するとは、俺は主張しないが、釈尊は主張している。

深山さんは、釈尊に「四禅で解脱」を言わせて、自分は釈尊の後ろに隠れている。
こうすれば、「四禅で解脱」を主張しても自分は反論されることはないのです。
臆病者が必死になって考え出した対抗策です。

259 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:49:18.29 ID:Hxo/oju2.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

ペテン大作先生様がお笑い仏教学を推奨され、自虐ネタに毎日明け
暮れることで、批判側を笑い死にさせるか、先生のその執念深く、
○ンナの腐ったような性格を丸出しにすることで悪臭で窒息死させるなどの、
高等戦術を御使いになっているのではないかと推察させていただきました。
さすがはペテン大作先生様は並大抵の恥知らずではございません。

ペテン大作先生様におかれまして、一来補さんと同様に、
すべての羞恥心を解脱されていることは批判側も重々承知いたしております。
批判側の誰一人、御二方に勝てるはずもなく、
毎回毎回、ペテン大作先生と一来補さんの大勝利に終わります。
それもこれも、批判側は恥じる心を持っているからです。
それにしても、どのような御修行をされると、自分の非をいっさい認めず、
どんな証拠を示されても毅然として次の屁理屈をひねり出して、
どんなに反論されても完全無視して同じ主張を何年も何年も繰り返す
ほど、御立派な御性格になれるのでしょうか。
いや、そうなりたいという意味で質問してるのではありませんし、
元より、怖い物見たさで先生様の親の顔を見てみたいなんて金輪際思っておりません。
もしかして、毎日長時間瞑想をされるとそのような意固地で頑迷になり、
性格が曲がるだけでなく、捻じれてしまうものでしょうか。

私は腐った物が苦手で、特に性格が腐り、腐りきってしまい、生ごみの
入った袋を夏の日差しの中に放置したような性格はまったくダメなのですが、
悪臭を我慢しながら、今後もペテン大作先生様の御高説を読み流すように
心掛ける所存でございます。
以上、私からのささやかなお詫びです・・・もちろん釈尊の言葉を真似て
「受け取らない」などと気取っても無駄です。

260 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 12:52:47.25 ID:C+LGmqGx.net
>>30 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi
>やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

>親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

この9月9日時点のID:AfDf9bbiはペテン大作さんだとわかります。
ところで皆さんは殊最近のペテン大作さんの昼夜問わない必死の書き込みに
既に病院で診てもらった方がよいレベルの心の病み様ではないか?と感じるのは私だけではないと思います。
病院とはもちろん精神神経科です。
と言って私はキチガイだと馬鹿にする気持ちは毛頭ない。
なぜなら今時精神神経科にかかるなんて当たり前のことであり、恥などではない。
これは私がもう20年近く前に不眠症にかかり勤務がメチャクチャになった時に
当時の職場の上司が、アメリカなどを例にそうすべきだと神経科受診を薦めてくれた。
恥ではないと。
だからペテン大作さんも受診すべき時は受診するのが賢い人生の選択だと思う。
この>>30の書き込みは私がアゴン宗退会後もこうして批判の書き込みに余念がないことを
亡き父などは知らなくてよかった、知ってたらさぞかし悲しむことだろうに
と哀れんだつもりです。
しかし私はアゴン宗を退会した経緯としてネットの掲示板でアゴン宗の欺瞞情報を知り
自分は信者としてそれに反論、議論もした上で目が覚めて、よく理解して
アゴン宗を退会したと両親に表明したこともあります。
今でも批判側としてアゴン宗を客観的に批判する意見を書き込むことに対しては
何一つ恥じることのない活動だと自信があり、なんなら両親に私の書き込み内容を
プリントアウトでもして読ませてやりたいくらい自信がある。

261 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 12:54:44.74 ID:C+LGmqGx.net
>>30 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi
>やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

>親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

それから私は父が亡くなってまもなく少し書き込みの自粛表明もここに書いたが、
しかし少しして取り消すことにした。今でも喪に服するなんて気持ちは一つもない
と堂々と宣言したいし、やるべきことはやりつつ余暇含めた他の活動は
ますますハッスルしたいと思っている。
しかしこのような感覚は人により考えも違い個人差がありましょう。
だから私は自分のことだけで他人に関与しない。
しかしペテン大作さんのように私の書き込み活動に対して上記のような嘆きの発言を
投げるなら、それは自分に投げたことになるだろう。
病院受診を心配されるような異常な執念、親は悲しんでないか?と。
ペテン大作さんの親御さんがどうしてらっしゃるか知らないが。

262 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:55:52.72 ID:gGa3HF0/.net
はっきり言っておく。

釈迦の説いた修行は全て本末転倒のお遊び、道楽でしかない。

263 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:00:40.51 ID:gGa3HF0/.net
宗教の原型、基本は全てここに集約されます。仏教も同じ。
私が再三説明してきた殉教(肉体の死ではない)や割礼(心の割礼)、出家(魂の出家)と同義です。


🔷日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。
これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれます。
たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。

264 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:02:18.48 ID:+91XUQcG.net
>>250:深山
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
>「心の安定」が解脱を表すことは、阿含経を読んでいる人にとっては常識です。

その「心の安定し」はパーリ三蔵にはありません。
原文には無いのです。
これを何度も言ってるのだが、それを無視して書き続ける。
もう反論する余地が無いから仕方ないのは分かるが、
こういう醜態は見ていてあまりにも哀れですね。

>>251:深山
>繰り返すが、四禅で解脱すると言っているのではありませんよ。
>誰がどう読んでも、四禅の説明の所に、釈尊は解脱していることを表明している。
>私はただそれを指摘しただけです。

ご覧ください。
結局、この人の言いたいのはこれです。
釈尊は四禅で解脱を主張してるぞ、でも俺は言って無い。
もうこの人は議論する資格すらありません。

265 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:12:25.39 ID:gGa3HF0/.net
釈迦の優しさは傲慢の裏返しである。

266 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:15:53.29 ID:+91XUQcG.net
>>252 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:20:06.50 ID:OhkcSJdG
>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。

>576が七年間、ペテン大作さんが書き続けたことです。
>ところが、根拠がないことを示されて、ついに>>190を認めた。
>七年間主張した事を変えたのです。

私が七年前か書き続けたことを、深山さんはどうして今になって急に言い出したのでしょうか?
それは、四禅で解脱するというのが嘘であることを、本人が気づき始めたからです。

>>253:深山
>彼の「深山は四禅解脱を主張した」は完全に嘘であり、
>彼自身が>>190で認めるしかなくなった。

認めたわけではなくて、「深山は四禅解脱を主張した」と書くと、
どこに書いてあるかと煩いのでやめただけです。

でも四禅解脱が嘘であることを、深山さんが気づき始めたことは、進歩だと言っていいでしょう。
7年間にわたる彼の誤解がようやく溶け始めたのですから。
私のレスが役に立ったのかと思うと嬉しいですね。

267 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:19:50.08 ID:+91XUQcG.net
>>256>>257:深山

私には謝らなくてもいいから、
釈尊には自分の間違いを認め謝罪してください。
私は見てませんから気にすることはありません。

268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy.net
四禅を会得しても完全な涅槃ではない、という意見は仏教学者の意見です。岩波仏教辞典の「四禅」の説明に書いてあります。我はその学者の説明を支持しているだけです。

深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。
学者は「心の安定」と訳しただけで、解脱とは訳していない。「心の安定」が解脱を示すことは阿含経の常識だと深山くんがレスしていたが、それも勝手な思い込みだね。そういうのは文脈全体から慎重に判断せねばいけない。

そういう勝手に判断する深山くんの癖が、桐山教法についても間違った解釈をして、大間違いの批判をしているのです。そういう人が、
阿含宗で失敗したのは当たり前ですね。

269 :一来補:2015/09/15(火) 15:05:01.85 ID:jfb6XtVy.net
だいたい、少し勉強すれば、四禅は色界の禅定法だと分かるし、そうすれば四禅で完全な涅槃を得たことにはならない、と分かるはずだね。
なのに、心の安定、と訳がある。
どういうわけか?訳の間違いか?
と考えていくのが普通の人だね。

深山くんみたいに、心の安定、と訳があるから四禅で解脱するのだ、と単純に考える人が珍しいわけでね。
大局的に考える力に欠けていると、そうなるのですね。

270 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 15:07:02.33 ID:gGa3HF0/.net
はっきり言っておく。

釈迦が行ったとされる修行は伝聞されていない。
当たり前である。悟るための修行などありはしないのだから。

262
*釈迦の説いた修行 → 釈迦が行ったと伝えらる修行

271 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 17:14:12.47 ID:xgH7kbIO.net
別にすれば、生老と謂う輪廻と病死と謂う転生のいずれのなかうち、輪廻が弁証されるば再生となり回答ではないしました。輪廻にアートかないのか

272 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 18:29:08.07 ID:gGa3HF0/.net
天界に生まれよ。
輪廻から解き放たれん。  釈迦

この釈迦の考えは宗教の基本形と一致します。
また、キリスト教にお詳しい方はピンとくるはずです。

宗教とは真実の世界なのですから一致しないほうがおかしいのですが。

273 :一来補:2015/09/15(火) 18:41:15.24 ID:jfb6XtVy.net
だが、己の間違いに気づくことは良いことだ。
それが成長でもある。己の間違いに気づくことは楽しいことであるよ、新発見であるからね。
だが、深山ユビキタスくんなどは、己の間違いに気づくことが苦痛らしい。レスを見てそう感じる。己の我見を自覚したことがないからだろう。

我は、輪廻する葦本を読んで、煩悩の数が百八でないことを知った。それまでは百八だ、と思い込んでいたから、それが我見を自覚した最初であるね。輪廻する葦本には、我見を無くす修行からせよ、と書いてあった。
自分には煩悩の数を間違って思い込んでいるような、我見が沢山あるはずだと考えた。桐山師の本の指導に
素直に従ったのは当たり前です。

深山ユビキタスくんには、我見の自覚がないのではなかろうか。シュダオンに成らないうちは、必ず我見があるのですよ。間違って思い込んでいることが必ずあるのですよ。それが我見です。

274 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 19:54:19.45 ID:C+LGmqGx.net
光明寺経蔵サイト−沙門果経−のパーリ原文との対比現代語訳
http:komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c18.htm

234-1.

234.“So[puna caparam maharaja bhikkhu so(ka.)]evam samahite citte parisuddhe pariyodate anangane vigatupakkilese muduhute kammaniye thite anenjappatte nanadassanaya cittam abhiniharati abhininnameti.

訳文

彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、行為に適した、往立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。

samahite 入定した、定置した
parisuddhe 清浄の
pariyodate 浄化した、清白の、すぐれた
anangane 無穢の
vigata 去った
upakkilese 小さい煩悩、随煩悩、随染

275 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 19:56:07.92 ID:C+LGmqGx.net
光明寺経蔵のリンク貼り直し
http://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c18.htm

276 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:04:37.35 ID:C+LGmqGx.net
>>264 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 13:02:18.48 ID:+91XUQcG
>その「心の安定し」はパーリ三蔵にはありません。
>原文には無いのです。
>これを何度も言ってるのだが、それを無視して書き続ける。

どういうことでしょうか?
>>274に沙門果経の該当の箇所のパーリ原文と訳文を掲載し、根拠となる単語の意味も添えました。
心が安定の箇所は安定ではなく入定したになっていますが、意味は安定と同じですし、
清浄も無穢も随煩悩を去ったもあり、これは、春秋社の原始仏典の学者の訳も
この訳も極めて原文に忠実に訳し、意訳すらしていません。
これなのに、どうしてあなたは原文に無いなどと言うのですか?
必ず回答してください。

277 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:11:05.31 ID:C+LGmqGx.net
>>268 一来補 2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>四禅を会得しても完全な涅槃ではない、という意見は仏教学者の意見です。

はい、そのとおりです。四禅を会得して涅槃に入るのではない。
しかし深山さんも私もペテン大作さんも誰もそんなこと言ってないのです。
誰も言ってないことに突っ込んだ気になってどうするの?
ほな、さいなら。おやすみなさい。

278 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 20:36:27.90 ID:/ETSQlE1.net
相変わらず気持ち悪いなw この砂場でしかおやすみなさいって言わないんだろ? ここがホームだからなw

279 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:39:22.52 ID:C+LGmqGx.net
>>278
おかげさまでハッスルしてるもんで(^◇^)┛

280 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:24:07.74 ID:+91XUQcG.net
@論拠が無ければただの妄想。深山説はカルト脳が作り出したゴミ!!!

>>251:深山
>だから、私が>>228>>55さんが引用してくれた学者による翻訳を三つ示した。
>同じ原文を三人の学者が訳したものです。
>三種類の訳が載っているが、「心が安定」「心が、安定」「安らかに住して不動」と
>表現は微妙に違うが、これから見ても、「心の安定」という訳は間違いない。
>ご存じと思うが、これらを訳した三人は仏教学の大家です。

その三人の仏教学大家の一人、片山一良氏は、「心が安定」を解脱とは解釈していない。

「ここにいう「心が安定し」には 四禅に四無色定を含む八等至の自在が意味されて いる。」
(『パーリ仏典入門』96頁)

「カシナ(遍)の順逆など十四種の行相により、<八種の禅定(samāpatti)において自在になっていること>をいう。」
(『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、55頁)

また、他の学者の解釈として、以前にこれも紹介した。

「このように、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、
不動なものとなると、かれ(修行僧)は、〔次のような〕理解洞察に対して心を傾け、〔心を〕向けます。」)
                       『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修)
(上の註として)
「神通を行なうには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」(pādakajjhāna)と呼ばれる。
「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」 (同書605頁)

「心が安定し」の解釈としては、八等至とするもの、第四禅とするものがある。
それに対して、「解脱」と解釈しているものは一つも無い。
あなたに要求したのについに出せなかったし、こちらも調べたが無かったということは、世の中に存在しないからだろう。
議論においては、主張を裏付けるものが無ければただの妄想です。
あなたのは正にそれにあたる

281 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:26:01.31 ID:+91XUQcG.net
@経典中の「心が安定」は解脱であるという論拠は出せないようだ!!!

それと、あなたは「心が安定」という語句が仏教では解脱を意味すると言っている。
もしそうであるなら、前にも書いたが、「心が安定」という語句は、第二禅に出てくる。

「比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、
心の安定より生じた喜びと楽のある、第二の禅定に達して住みます。」

あなたの理屈でいけば、「心が安定」が解脱の意味なら、比丘は第二禅で完全解脱したことになる。
これについては反論が無かった様だが、どうなんですかい?
まあ、反論できないからスルーしてるのだろうけどね。

@深山さん、比丘は四聖諦で解脱する話には反論無しですか?

「心が安定し」にばかり噛み付いているが、
>>242「1.経典には「比丘は四聖諦を知った後に解脱する」と書かれていること。」
については反論しないのか?
できない?
分かりました。

282 :総統:2015/09/15(火) 21:33:44.92 ID:FuRSCmcj.net
このスレは阿含批判でなく俺様がブッタの智慧を理解している賢者だと天狗になるスレだw
それもブッキョー本やサイトのコピペに受け売りで

ブッキョーマニア餓鬼VSブッキョーマニア餓鬼のリングですたい。

ハッスル軍はユビキタスでモンスター軍はと

283 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:41:57.32 ID:df7GZbQX.net
>>262, 皆さんがとやかく仰る事がとうとう此処に尽きるのです。
 阿含経には明確な修行方法が残っていない。
 世間有効な事が有ったならば此処までの謂われ方はない。
 私の見解ではそっくりと肝心な伝承を消された文献、それが我々が今見ている阿含経である。
  その理由とは、出家し年月を経ても法を得ない比丘たちが己の立場を護る為に
 わざと肝心の伝承を消滅させた経を後世に伝えた。
 出家して形のみ49日ごとに剃刀で
 頭を剃り、托鉢して衣食を得ることの方が泥にまみれ農耕などするよりも安楽だったからです。
 形態のみ僧であっても中身は俗人よりも劣る坊さんが上座に上りエバリ腐った結果である。
 と考えています。
 
 (釈迦直弟子と孫弟子までは成仏する比丘あり)と記録にあって以後は途絶えます。
 括弧の中のその理由を考えると以上の推理に及びます。
 では桐山師が提唱する密教と阿含経のミックスがどれ程有効なのか?
 という疑問に行き着くのですが、いかんせん密教は難し過ぎて手に負えない
 人が殆どです。
 生起次第、究境次第と言う用語は西蔵の密教用語ではありますが。ほぼ
 同様の観相熟達を要しますので修行は困難極まると申せます。
 
 

284 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:04:57.35 ID:C+LGmqGx.net
おや?>>276で私がペテン大作さんに質問した回答がまだ来ないな?
>>280>>281を書く時間と元気がありながら。
私の質問に対する回答よりも前に自分が深山さんにつけたい>>280>>281のような
いちゃもんでも主張でもするのは自由です。
だから私はそれが終わるのを待つことにしました。
しかし>>281で止まったっきり私には無視ですか?
私の質問内容は>>280>>281であなたが主張しているような「心が安定し」を解脱と
認めるか認めないかという解釈の問題ですらありません。
「心が安定し」はパーリ三蔵にない、原文に無いと書いた真意です。
これは解釈の問題ですらない。
どういう真意でこれを書いたのか説明してくださいというものです。
あなた自分の発言に責任を持てないのですか?
原文にないと書いた理由、根拠を説明してください。
私はパーリ原文と訳文を引用して示しましたから。
これには自分の考えだの解釈なんてものはありません。

285 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:10:26.84 ID:FuRSCmcj.net
>>284
tubeに妖怪大戦争の映画がUPされてるから見たまえ、
まさしく、ここだ。

286 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:12:58.75 ID:Lp4bxmqc.net
>283
いや密教はヒンズー教を取り入れたものだしw
もともとないものを無理やりこじつけるから難しくなる
阿含経は消されたんじゃなくて、まんま釈迦の言行を載せたものだし
まあ多少いらん物はいっているらしいが、
消されたとかいってるのは桐山さんの言うような超能力霊能力開発方法
とか求めるからだろ、そんなもんハナからねえよw桐山さんの言うようなのは
妄想語ってんじゃねえよw

287 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:29:17.82 ID:+91XUQcG.net
>>276 :ユビキタス
>心が安定の箇所は安定ではなく入定したになっていますが、意味は安定と同じですし、

samāhite(入定した)は、samadhi(三昧)とかsamāpatti(禅定)とかの類語だろう。
この samāhite を学者たちは、「心が安定した」と翻訳したのだろう。
「原始仏典〈第1巻〉」で、“「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している”
という説明は、samāhite(入定した)から来ているのがわかった。
これが解脱だなんてどこから来るんだ?

288 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:40:45.33 ID:C+LGmqGx.net
>>287 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:29:17.82 ID:+91XUQcG
>これが解脱だなんてどこから来るんだ?

だからこれが解脱であるかないかの話ではないと書いたでしょう。
原文に無いと書いたそこの部分にのみ質問したのです。
心の安定は誤訳であり、単に禅定に入ったとするのがあなたの主張か?
あなたはまたごまかしている。安定の訳だけにいちゃもんをつけるが、
では清浄や無穢や小さな煩悩去ってという訳はどうなるのだ?
我々は安定だけでなく、清浄も無穢も随煩悩去っても立派に解脱の状態、内容
(時期、時間、段階の話ではない)を表現したものとしている。
清浄、無穢、煩悩去って、これらの訳に相当する言葉もパーリ原文にないとするか?
あるじゃないか!
それを解脱とみなすかどうかは次に考える問題として。

289 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:43:10.29 ID:+91XUQcG.net
おや、ユビキタスはまだ返事が来ない。
まったくこいつときたら質問ばかりしてきて、
こちらが訊いたことはスルーするんだよな。
心解脱、慧解脱についてもそうだった。
イチャモン付けてきて反論されたらそれっきり。
まったく世話の焼ける小僧だ。

290 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:46:27.48 ID:C+LGmqGx.net
>>289
>>288にしましたが?

291 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG.net
>>288
>あなたはまたごまかしている。安定の訳だけにいちゃもんをつけるが、
>では清浄や無穢や小さな煩悩去ってという訳はどうなるのだ?

どうもこうもない。
「心が安定」という言葉が原文に無いといっただけで
清浄や無穢や小さな煩悩去ってが無いなんて言ってない。
これらの言葉があっても解脱ではない。
「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。
いくら強弁しても駄目。
比丘は四聖諦を知ったあとで解脱するのだから
「心が安定し」の文句には解脱の意味は無い。
わかったら歯を磨いて寝ろ。

292 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:59:11.47 ID:C+LGmqGx.net
>>291 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG
>「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。

なるほど。光明寺サイトの訳はよくても春秋社の訳は意訳し過ぎとしたいわけね。
禅定に入るとはまさに心を安定させることに他ならない。安定しない禅定などない。
ならばあなたの入定「解釈」は、受け入れる受け入れないは別として一応理解したが、
結局経典は安定以外に清浄とか無穢とか随煩悩去ってとマルチに表現しているのだから
安定表現一つとって解脱ではないとするには、それこそ無理押しではないか?

293 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:08:52.09 ID:C+LGmqGx.net
>>291 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG
>「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。

だって第四禅に入定しただけで、随煩悩というものは去るものなんかい?
去りゃせんよ。もっと深い禅定でも煩悩は去らなかった修行経験があるのだから。
だから安定(四禅に入っただけというあなたの解釈)=清浄=無穢=随煩悩去る
という図式はあなたの解釈では成り立たないことになる。
ではあなたの頑なな入定解釈を妥協してでも認めてあげるとすると、今度は
安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るという図式になる。
経典に清浄や無穢や随煩悩去るまで記述されちゃっているのだからね。
そうなると解脱と認めるか認めないかの考察は、今度はそこに目を向けねばならないが、
よろしいか?

294 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:09:13.53 ID:+91XUQcG.net
>>292
>安定表現一つとって解脱ではないとするには、それこそ無理押しではないか?

全然無理押しではない。
心の安定しは第四禅に入ったことの表現なんだから、
比丘は第四禅に入って智に心を向けたということ。

295 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:12:17.96 ID:+91XUQcG.net
批判側も大変だ。
完全に論破されているのだが、
とにかく書かないことには負けてるように見えてしまう。
明日もカルト脳さんが頑張るのだろう。

296 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:12:35.21 ID:C+LGmqGx.net
>>294
無理押しとは「清浄、無穢、随煩悩去って」の記述もあることを無視して
安定表現だけで結論を急ぐことを言っているのさ。

297 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:18:56.41 ID:+91XUQcG.net
>>293
>ではあなたの頑なな入定解釈を妥協してでも認めてあげるとすると、今度は
>安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るという図式になる。

批判側は、心の安定=清浄=無穢=随煩悩去るという図式だったよな。
今になって変更しても駄目です。

298 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:19:27.11 ID:SIb5ufPm.net
桐山がとても滑稽にみえるよ。アホにさえ見えてくる。

解脱とは魂の道筋そのもの。そしてその過程は修行ではない。
しかし仏典にかかれているそれ(出来事)を人は悟り至れる修行と勘違いする。
釈迦はそれを諌めようとするも弟子たちは理解せず。
解脱への道は一つだけ。魂の道筋の入口に入るのみだと言うのに。

299 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:22:51.85 ID:C+LGmqGx.net
>>295
あなたが書いていることはそのまま自分自身のことを表現していないか?
親御さん発言も然りで、昼に逆にあなたの親御さんは心配していないか?と書いたとおり。
これは全くの憶測だが、あなたは親御さんと同居していないか?
妻子がいるようには見えない。
だとすると私が妻子がいないことを貶したことがあるが、それも自分を貶したことになる。
私の独身は自分で晒したものだが、あなたはコンプレックスが深いのですね。
親御さんと同居すると勝手に想像したのは私に風呂掃除のことで腐したことから。
風呂掃除なんて誰でも普通に当たり前にするだろ?
そんなことを腐しにかかるとは自分も風呂掃除をしてないからでないか?
つまり同居の親御さんにまかせきりなのではないか?と考えた次第。
また親御さんと同居ならば失業していてもなんとかなる。
親御さんを食わせ養うのでなければ。
いや、親御さんと同居は貴重なことですよ。
あなたは関東生まれの関東育ちだと思えるから、わざわざ別居しなくてよい。
親孝行ができる時にしておくがよい。悲しませないように。

300 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:25:38.58 ID:+91XUQcG.net
>>299
おい、いきなり何言い出すんだ?
これもカルト脳がなせる業か?

301 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:26:08.67 ID:C+LGmqGx.net
>>297
ほう?安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るの図式の変更は認めないよ、ってか?
その図式だと困る理由とかあるんですか?
とにかく経典はあのシーンで清浄、無穢、随煩悩去るを記述しているのは
動かせない事実なんですよ。

302 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:27:03.38 ID:+91XUQcG.net
残念ながら風呂掃除してます。

303 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:30:01.52 ID:+91XUQcG.net
>>301
>ほう?安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るの図式の変更は認めないよ、ってか?
>その図式だと困る理由とかあるんですか?

困るのではなくて安定=清浄=無穢=随煩悩去るで正しいのです。

304 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:36:27.28 ID:C+LGmqGx.net
>>303 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 23:30:01.52 ID:+91XUQcG
>困るのではなくて安定=清浄=無穢=随煩悩去るで正しいのです。

私もそれで正しいと思い、→に変更する気などありません。
しかしそれだとあなたは安定を単なる四禅入定の表現とみなしたのだから
すると人間というものは四禅入定するだけで清浄になり無穢になり小さな煩悩までも
なくなってしまうとみなしたことになる。
釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

305 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:40:28.36 ID:C+LGmqGx.net
>>304
おっと!ペテン大作さん向けに表現変更。

×釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
 結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

○釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
 結局それでは煩悩はなくならず、師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

306 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:41:41.22 ID:C+LGmqGx.net
>>302
ではお互いに独身生活を謳歌しましょう。

307 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:46:05.22 ID:+91XUQcG.net
>>304
>すると人間というものは四禅入定するだけで清浄になり無穢になり小さな煩悩までも
>なくなってしまうとみなしたことになる。
>釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
>結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

ユビキタス、よくぞ言った。
今日一番のレスだ。
四禅とはそれだけ深いものなのだよ。
だが、四禅だけでは、解脱は成就しなかったのです。

話はそこまで。
二人の仙人の話は少し複雑なのでやめましょう。
興味があったら、並川氏が色々書いてますので
読んで見て下さい。

308 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:54:16.30 ID:+91XUQcG.net
>>299
>親御さんと同居すると勝手に想像したのは私に風呂掃除のことで腐したことから。
>風呂掃除なんて誰でも普通に当たり前にするだろ?

少し気になったのだが、私、風呂掃除のことで腐したかな?
フーゾクのことは言ったけど、記憶に無い。
別の人じゃないか?

309 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:57:43.78 ID:SIb5ufPm.net
はっきり言っておく。

魂の道に入りそして出る過程に解脱あり。
現実に何かをすることで解脱に至ることなし。

310 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:04:20.64 ID:h0CLIwwt.net
>>307
>>305の訂正をよく読んでね。
九次第定で煩悩の滅を得られなかったのです。
それが解脱であるかはここではさておくとして。
ところが今回はなぜか四禅の入定を終えた段階で煩悩が去っている。
これはどうしたことか?
つまり四禅なんて条件の一要素に過ぎず、煩悩滅に成功したのは別の精進があったからです。
正見(慧)に基づく正定などの八正道の実践。
四禅という立ち位置にとらわれないことです。
時に私は地理、場所にこだわる。これまで全国47都道府県で172球場+11学校グランドで
野球観戦を続けているのは場所へのこだわりです。
しかしそもそも野球なんてものはその勝ち負けの技術を考えるならば野球場が
左右するものではない。
私が多くの場所にこだわるのは、日本百名山とかを求める自己満足の趣味に過ぎない。
しかし仏道の修道とは趣味ではない。場所ではない。立ち位置ではない。
内容です。
だから三学系統の段階的修行道だけに目を奪われず八正道の螺旋的修行道との関連に
着目したニカーヤ論文は注目すべきなんです。
本来は初心の段階でなさねばならない正見の内容は、どうして最終段階の慧と同じなのか?

311 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:11:00.79 ID:xPDV6Cd/.net
>>299
これのことか?
だったら私=>>295ではない。


144 :神も仏も名無しさん:2015/04/30(木) 08:41:45.15 ID:mucNZsnH
もう二度とユビキタスは来ないね 自分から正体バラしたようなもんだ
○十字診療所のお医者さんは千葉大医学部卒だから、そのコネで入れてもらったんだろ
ユビのお母さんは旦那さんが亡くなって気落ちして認知症がひどくなったんだろうな
もうこの辺で2ちゃん卒業したらどうだ? 実家に戻って風呂掃除はやってるのか?

312 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:15:46.74 ID:xPDV6Cd/.net
>>311
>だから三学系統の段階的修行道だけに目を奪われず八正道の螺旋的修行道との関連に
>着目したニカーヤ論文は注目すべきなんです。

自分で見つけたように言うなよ。
教えてもらったくせに。

自分で

313 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:22:41.15 ID:h0CLIwwt.net
>>312
ニカーヤ論文については誰が発見したかではなく、どこをどう読んだかという点が重要なわけ。
あなたは三学系統の段階的修行道だけに着目しただけに過ぎない。

314 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:24:25.65 ID:h0CLIwwt.net
>>311
その書き込みは違う人かもしれないけどね。

315 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:51:12.89 ID:xPDV6Cd/.net
>> :ユビキタス
>あなたは三学系統の段階的修行道だけに着目しただけに過ぎない。

そういう嘘を言うなよ。
八正道についても書いている。

374 :神も仏も名無しさん:2015/09/01(火) 11:43:08.24 ID:WaO8YENg
@三学と八正道は同じ修行方法だった!!!
八正道の修行法

>>314 :ユビキタス

ではどの書き込みだ?
私が書いたというレスを示しなさい。

316 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 01:02:10.52 ID:h0CLIwwt.net
>>315
八正道と同じだから八正道もまた段階的修行道の順番であるに違いないという
読み方しかしていないのが丸わかりよ。
八正道を行う基本は正見による正邪の判断が、正定や正業や正語や正思惟の基盤に
なっているわけだが、その正見は三学系統の段階的修行道の中では一番最終の
慧の内容が相当する。
これはいかなることか?
ならば最終の慧(三明の立ち位置)を得るまで正定も実践できないことになってしまう。
ところが実は三明以前に定・慧を絡めて修行しているのです。

それから風呂掃除腐しがあなたでないとするのなら、それは私の見込み違いであり、
憶測をするにしても誤謬があり、誤解を与えたことをお詫びします。
まあ要は親と同居だろうが独身だろうが、そんなことを他人を非難する
材料にしてはいかんと言うことよ。

317 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 01:32:25.83 ID:Z+gSbEJ8.net
People & People - Englishman In New York (Sting)
https://www.youtube.com/watch?v=cxYATmeZDk8

Englishman in New York - Julien Riviere cover
https://www.youtube.com/watch?v=K5r-eaMtu4w

Nomad | Funk Alaturka - Englishman In New York (Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=6-t14OvYEak

318 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 02:15:43.81 ID:xPDV6Cd/.net
>>316:ユビキタス
>八正道と同じだから八正道もまた段階的修行道の順番であるに違いないという
>読み方しかしていないのが丸わかりよ。

八正道も三学も修行の順番は同じです。
あなたは理解していないようですね。
ニカーヤ論文の10頁の中段から下にかけて説明があります。
「修行の方法としては三学系統と全く変わらない」以下の文章です。

>まあ要は親と同居だろうが独身だろうが、そんなことを他人を非難する
>材料にしてはいかんと言うことよ。

私がいつ同居か独身かであなたを非難しましたか?
>>295で私が書いたことに対して、あなたは、私が風呂掃除を腐したと言い、
私を独身だの親と同居してるだのと勝手に憶測を並べた。
これは褒めているのではなく貶しているのです。
非難したのはあなたであって私ではありません。
言いがかりはやめてください。

319 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 07:48:18.68 ID:h0CLIwwt.net
>>308
まず三学と八正道の問題に関しては後回しにして切り分けるが、風呂掃除発言の主に関しての
詮索違いがあったのなら改めてお詫びする。何しろ詳しく過去スレを遡らないと
たしかめられず、この問題ごときでそんな労力を費やす気がない。
白十字うんぬん書いていたのはあなたと別人であるとは前々から思っていた。
しかし独身のことを貶したり風呂掃除発言の主があなたと関係あるのかははっきり
しなかったと言うか、口調その他からあなたと誤解していたと思う。
以前に人間は結婚して子どもを養うことが任務だと、狭い了見を書いた人がいた。
あれはあなただと思っていた。
ではもしそう書いた人も独身だとすると、その発言には何の説得力もなく、
他人を批判する資格はないことになる。
今回はっきりしているのは>>30>>295が同日のIDからペテン大作さんとわかる。
>>30では私の肉親が私の今の状況を知らなくてよかったと嘆いてみせている。
ならばその言葉は逆にペテン大作にそのまま返してあげたいと思った。
ペテン大作さんが独身であろうが妻帯者であろうが、親と別居していようが、
あなたの異常な執念は親が見たら悲しむだろうと思った。
だから他人のことなど言えないはずだ。
>>295についても同じで論破されているのにいろいろ書くことにより勝ち誇る空しさは
そのままペテン大作さんを表している。
そんな話の中で、独身やら親の話もこの際憶測だと断りを入れて書いてみたのだが、
事実と異なるのであれば謝罪はしたい。
詮索をする方(私)に問題があるとは言え、あなたもできれば混同を避けるために
昔のようにハンドルネームをつけてくれるとありがたい。
あなたはまだ深山さんが名無しで書いており、私はいかなる時でもユビキタスを名乗り
あなたもいろいろなハンドルを使っていた時、ユビキタスのあり方が正しく
名無しさんもハンドルをつけるべきだと書いていた。
ところが今度はあなたが名無しになってしまった。

320 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 07:50:29.91 ID:JMO7Szzw.net
 
深山里的孤独老人   http://www.xici.net/d210509038.htm

321 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 08:00:10.02 ID:mgHJbqFX.net
しくじり先生に出た辺見マリの話しはすごい。
http://news.livedoor.com/article/detail/10530667/

番組見た人は知っていると思うが、ここも同じだよ。

322 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 08:08:20.36 ID:h0CLIwwt.net
今日は朝から普段よりいろいろ仕事があるので、今朝はここまでとするが、
また八正道と三学の問題について考察してみたい。
ここは仏教を考察するスレではないのだから、桐山アゴン宗に関係ない仏教考察は
スレ違いになるのだが、桐山さんが説いている成仏法技法と八正道に見る
教えの実践による解脱との違いを理解してもらえる材料にできたらと考えている。
三結断じて預流・シュダオンだが、ニカーヤ論文には、その三結の有身見・疑惑・戒禁取と、
それを断つ慧の問題も書かれているし。
三結から離れるのは慧の働きです。
この慧の悟りが一番最後にしかなかったら釈尊は三明で、預流となりシュダオンに
なったことになってしまう。
そんなことも含めて考察したいが、ニカーヤ論文のリンクを先に貼り直しておく。
ここはペテン大作さんとの対話だけにあるのではないのだから、公開を基本とする。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6940/1/ib004001.pdf

323 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 08:27:14.89 ID:h0CLIwwt.net
>>212 神も仏も名無しさん 2015/09/13(日) 21:34:37.90 ID:58t+T3CW
>ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
>「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

ペテン大作さんが自説を強化してくれると思い込み、ワンダフル!と賞賛した中には
引用しなかった上記の部分もね。

324 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 08:39:49.13 ID:xPDV6Cd/.net
>>319 :ユビキタス
>>295についても同じで論破されているのにいろいろ書くことにより勝ち誇る空しさは
そのままペテン大作さんを表している

論破されたのはあなた方でしょ?



>>199
それよりも、梵網経を読んでみて解ってきたことがあります。
それはあなたが主張する以下の内容を肯定するものです。
 「釈尊は「比丘が解脱するのは四聖諦の後である」と述べた点。
です。
つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。

>>212
最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
それを破るのが<慧>の中で最高の智慧だと釈尊が説いた「漏尽智」であり「四聖諦」を知って
「貪・愼・痴」という三つの煩悩から完全に解脱したのです。

325 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 11:59:49.92 ID:iGRC9psQ.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

・・・書いてしまった。
また一来補さんの如来への罵声が増えましたね。
こういうことにならないように、私は丁寧に、口を突っ込まないようにと
書いたつもりだが、一来補さんの常で、しないほうがいいと言われると、
むきになって、わざとそれをする。
若い頃からあなたはそうだった。

「心の安定」が解脱ではない?
>>229のどこを読んでいるのだ?
あなたはこれらの阿羅漢たちの解脱を否定したわけだ。
ペテン大作さんも>>229を示されても、完全に無視して、>>280などで
学者の文章をツギハギして、相変わらず「心の安定」が解脱ではないと主張する。
第二禅の説明の中の「心の安定」の記述もユビキタスさんも私も
解脱だと述べているのに、返事をしていないなど書いている。

ペテン大作さんも一来補さんもどうにもならないようだから、
これを読んでいる他の信者さんたちだけでも阿含経を理解する努力をしてほしい。
ペテン大作さんの出しているテーマはアゴン宗とは関係ない話だから、
信者さんたちは冷静客観的に読めるはずです。
心情的にペテン大作さんの味方をしたい気持ちはわかるし、
何をどう信じるかは信者さんたちの自由だが、その前に、阿含経は
もちろんのこと、批判側の主張であってもまずそれを正しく理解してほしい。

326 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:05:52.33 ID:iGRC9psQ.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

他の信者さんたちにまず同意してほしいのは、阿含経こそが釈尊の
説いた仏教そのものであり、これが第一級の資料であり、
たとえ大学者の解釈でもそれは二級以下でしかないという点です。
>>229はその第一級の資料である阿含経です。
これは阿含経に残された解脱者たちの言葉です。
その彼らが自分の境地を「心の安定」と表現しているのを見れば、
解脱であることはあまりに明瞭ではありませんか。
文章も簡単明瞭でわかりやすく、一つや二つでないことを見てもわかるように、
「心の安定」が解脱であることは議論の余地がない。

信者さんたちの中にも「心の安定が解脱だなんておかしい」と思う人もいたかもしれない。
だが、それはまず自分を疑うべきです。
>>229にあるのは解脱者本人たちの言葉ですよ。
解脱者に向かって、解脱者でもない信者さんが、おかしいというのは、
言っているほうがおかしいですよね?
「心の安定」が解脱だと理解できないのなら、それは経典がおかしいのではなく、
理解できないペテン大作さん、一来補さんのほうがおかしいのです。
ですから、この二人は放置して、他の信者さんたちは
釈尊と弟子たちが説いた解脱とは何かを理解する努力を続けましょう。

327 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:11:05.48 ID:iGRC9psQ.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

>>229の解脱者たちの言葉は簡単でわかりやすい。
一方、他の信者さんたちはペテン大作さんの、心の安定は解脱では
ない、という>>280などの書き込みの内容を理解できますか?
難しい言葉と解釈が並んでいるが、何を言っているのか良くわかりませんよね?
阿含経の単純明瞭な内容にくらべて、どうしてこんなに煩雑な説明なのでしょう。
意味を歪めて解釈しているからです。
>>280の単純な内容を捻じ曲げて、逆の意味にしようとすればこんなふうになる。

ペテン大作さんの引用した学者の文章のどこに「心の安定は解脱ではない」
と取れる内容があるのですか。
ありません。
ところが、書いていないのに、彼は書いてあるかのように読んでしまう。
学者は、四禅の後に神通を行うのだと書いているだけです。
これは沙門果経がそのような順序で書いてあるからです。
繰り返すが、学者は「心の安定とは解脱ではない」とは書いておらず、
単に沙門果経に記述され順序をそのまま説明したにすぎないのに、
ペテン大作さんの目には、「解脱はまだしていない」と読めるのです。
おかしいでしょう?
なぜだと思いますか?
桐山さんと同じ間違いをしているからです。

328 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:17:21.35 ID:xPDV6Cd/.net
@深山説は妄想に過ぎない!!!(>>242の簡略版)

深山さんは、「三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べた」と言った。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」は解脱だからというのがその理由。

だが、経典の記述では、比丘の解脱(心解脱・慧解脱)は「四聖諦を知った直後」になっている。

また、「心が安定し」について仏教学の大家は解脱とは解釈していない。

 「心が安定し」は、四禅に四無色定を含む八等至の自在の表現(片山一良 氏)

 「心が安定し」は、神通を行う「基礎となる禅」=第四禅 に入ったことの表現(中村元 氏)

経典の記述や仏教大家の解釈を見れば、深山説が妄想であることは一目瞭然。

経典を贋解釈し仏説を歪めるのは、重大な悪質行為である。

329 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:19:39.46 ID:1sLGOLmX.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

桐山さんは、四神足ホウという特殊な修行法で解脱するのだと主張している。
四神足ホウで神通力を体得して、それでカルマを断ち切った時が解脱だという主張です。
これがいろいろな意味で間違いなのです。
神通力で解脱するとか、カルマを断ち切るというのも間違いだが、
中でも一番の間違いが、○○法という高度な技法で解脱するのだという点です。
人工衛星の打ち上げに例えたように、ロケットという特殊な手段があり、
それを手にいれることで解脱という軌道に乗るのだと信じている。
桐山さんに限らず、仏教に興味を持つ多くの人が似たような誤解をしている。
信者さんたちもそうだし、ペテン大作さんは言うに及ばずです。
だから、桐山さんは阿含経からチャクラを開発するための呼吸法として
安那般那念経や止息経を発見したと宣伝している。
前にも申し上げたが、両者とも呼吸法の経典などではありません。

信者さんたちの多くは、解脱とは○○法という神秘的で
素人にはとうてい理解できないような方法で解脱するものだと
桐山さんから教えられて、信じ込んでいる。
桐山さんもペテン大作さんも必死にそれを阿含経から探そうとした。
四神足、止息、九次第定、漏尽定などそれらしい言葉を見つけて、
「これがそれだ!」と彼らは歓喜奉行した。
だから、四禅で解脱したのかどうかに激しく憑りついている。
沙門果経の四禅の段階では解脱しているが、四禅で解脱したのではない、
ということがペテン大作さんの頭では理解できないのです。
四禅で解脱するのでなければ、なんで解脱しているのだ?と
彼は自分の無理解を棚に上げて、批判側の矛盾を突いたつもりでいる。

330 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:24:54.86 ID:1sLGOLmX.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

解脱するための○○法なんてないが、あえて言うなら八正道です。
私が言っているのではなく、釈尊本人がそのように述べている。
第一級の史料である阿含経で、釈尊は繰り返し、しつこく、
何度も何度も八正道こそが解脱の道であると述べています。

ところが、その内容を読んだ桐山さんもペテン大作さん、一来補さん、
宝生さんも、八正道が修行法には見えない。
「正しい見解?ただの倫理道徳じゃあねえか」と四人とも唾棄した。
彼らが欲しいのは、呼吸法やプラーナを巡らす法であり、
チャクラやクンダリニーを覚醒させ超能力を得て解脱する方法です。
だから、桐山さんは八正道を初心の教えと侮蔑した。

阿含経こそが第一級の資料であり、そこで釈尊本人が八正道だと言うなら、
八正道が間違いなのではなく、自分の理解が足りないのだろうか、
何か誤解しているのではあるまいかと、自分を疑うのが普通の知性です。
だが、四人とも自分を疑うのではなく、八正道を唾棄して、
阿含経から他の行法を探した。
桐山さんは四神足ホウ、ペテン大作さんは漏尽定、
そして宝生さんは、何もないと結論づけた。
この彼らの知性を、他の信者さんたちはどう思いますか?
桐山さんが仏陀の智慧を持っているように見えるだろうか。

331 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:30:02.81 ID:1sLGOLmX.net
>>268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。

八正道が解脱への唯一の道であることは仏教の常識なのです。
せめて、これを読んでいる信者さんたちだけもそれを理解してほしい。
受け入れるかどうか別として、釈尊がそのように説いていること
くらい理解してほしい。
そうでないと、あまりに無知です。
解脱の道とは、四神足ホウでも漏尽定でも、もちろん四禅でもなく、八正道です。
これが基本中の基本であることは、四諦を見ればわかります。

>>281でペテン大作さんは、四諦を知った後に解脱するのを
知っているか、なんて、こちらを笑ったつもりで書いている。
これを議論しなければならない内容なのかとあきれかえる。
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない。
こんなことをわざわざ鬼の首でも取ったかのように言い続ける事自体、
仏教を理解していない証拠です。

他の信者さんたちもせめて四諦くらい正しく理解してほしい。
四諦とは苦集滅道で、釈尊の教法を端的にまとめた内容です。
苦「この世界は苦であることを受け入れ」、
集「その苦の元は煩悩であることを理解し」、
滅「煩悩を滅するならば苦から解放されることを理解し」、
道「煩悩を滅するための八正道を実践せよ」
これが四諦です。
ここで特に着目してほしいは、解脱するための道とは八正道だと
釈尊が説いていることです。

332 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:35:15.61 ID:Q6IwRsG3.net
>>272
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることが
できるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
新約聖書 ヨハネの福音書 3章 3-4節

ニコデモに足りない知識は何でしょうか。

333 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:36:08.81 ID:1sLGOLmX.net
「では、比丘たちよ、また、苦の滅尽にいたる道についての聖諦とは何であろうか。
それは聖なる八支の道である。すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
比丘たちよ、これを称して苦の滅尽にいたる道についての聖諦というのである。」
(『阿含経典3』増谷文雄、264頁)

阿含経に解脱するための法、技法を求めるなら、釈尊はそれを
八正道(八支の道)だと断定している。
どこにも四神足ホウ、止息法、四禅、九次第定、漏尽定がそれだとはありません。
私はこれまでもずっと解脱する道とは八正道だと書いてきました。
四禅だなどと書いた事は一度もありません。
なぜなら、上記の経典を知っているからです。
つまり、四諦を理解しているからです。
四諦という仏教の基本を理解していない者たちこそが、
やれ四禅で解脱したとかしないとか、漏尽定で解脱するなんて
愚にもつかないことを書いているのです。

せめて他の信者さんたちだけでも、八正道こそが解脱する道なのだと理解してほしい。
信者さんたちの好きな言葉で言うなら、成仏ホウとは八正道です。
阿含経の釈尊は、解脱の道とは八正道であると述べ、四神足ホウ、止息法、
漏尽定であるとは言っていない、という事実を受け入れてください。

逆に言うなら、八正道以外の法が解脱の道だと主張している人たちは
四諦という仏教の基本中の基本すらも理解していないことになるのです。
桐山さんとペテン大作さんがその代表です。

334 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:42:06.79 ID:xPDV6Cd/.net
>>325 :深山
「心の安定」が解脱ではない?
>>229のどこを読んでいるのだ?

それは沙門果経の「心が安定」とは違うでしょ?
経典の中の「心が安定」は解脱では無いよ。
関係ない資料を関連付けても駄目だ。

>>327 :深山
学者は、四禅の後に神通を行うのだと書いているだけです。
これは沙門果経がそのような順序で書いてあるからです。
繰り返すが、学者は「心の安定とは解脱ではない」とは書いておらず、
単に沙門果経に記述され順序をそのまま説明したにすぎないのに、

「心が安定」は「八等至の自在」だよ(>>242
だから解脱ではない。
あなたの言う仏教学の大家の言葉だ。

>>331:深山
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない

よくぞ言った、深山。
解脱は四諦の後だ。
だから、
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
は解脱ではない。
これで終わりだな、深山。

335 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:45:04.51 ID:xPDV6Cd/.net
それから、深山。
>>199>>212については反論しないのか?

336 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 12:57:29.10 ID:h0CLIwwt.net
この時間は、>>322にリンクを貼った(このページを発見して示したのはペテン大作さんです)
「ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道」というターナヴィトー ビックという
学者の学術論文から部分的に引用するだけに留め、考察は後回しにします。時間の都合上。

八支のうちで、正見は各支の邪道と正道を正しく認知するため、先行するものであると説かれる。
そして邪道と正道の内容が述べられており、正見・正思惟・正語・正業・正命がそれぞれ有漏と
聖・無漏とに分けられる。各支の邪道を断除し、正道を具足するために、正見、正精進、正念が常に
各支の修習に随従し、随転するといわれる。
(3〜4ページ)


ああ?休み時間が終わってまった。
まだ引用箇所あるでよ。

337 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 12:58:46.56 ID:h0CLIwwt.net
>>335
ヤクザは黙っとけ。

338 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 13:01:40.49 ID:5yda5ap/.net
>>328
>だが、経典の記述では、比丘の解脱(心解脱・慧解脱)は「四聖諦を知った直後」になっている。


沙門果経には漏尽智を解説した箇所が
あるだけよ
どこで解脱したなんて話しは沙門果経には無いのだ
そのように読めばなにも矛盾はないんだ
解脱した比丘が 智恵に心を向け転じそこで正しく
四聖諦を知ればだな

欲の漏から心が解脱しまた有の漏から心が解脱し
また無明の漏から心が解脱し解脱したときに
解脱したという智が生じるこれを漏尽智というわけで
なるヘソなとなるんだよ ただそれだけよ

四聖諦を知ることで解脱するなら学者ラは
とうに解脱しとるって 何度も言っておる
またや思考停止した滅尽定で解脱するっちゅうなら
仮死状態で どうやって煩悩を滅するんだって
説明がつかんだろ

339 :一来補:2015/09/16(水) 14:17:12.72 ID:/vAz4Xs9.net
心が安定、など、それだけでは解脱にならない。小さな煩悩というのも抽象的で、釈尊の言葉としては紛らわしい。ならば、大きい煩悩や極小の煩悩はどうしたの?と、突っ込みを入れたくなる。煩悩尽とか、煩悩滅とか、解脱の場合は紛らわしい言い方を釈尊はしない。

阿含経のさとり=解脱は、はっきりしている。
尽苦際は解脱 尽煩悩は解脱 不受後有は解脱、解脱智が生じたら解脱、縁起の法を会得したら解脱、四諦を会得したら解脱、だね 。

心が安定、など紛らわしい。
不安がなければ安定だろが。
そういう人は、ゴマンといる。

340 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 14:28:06.86 ID:5yda5ap/.net
>>339
>心が安定、など、それだけでは解脱にならない

おっさんよ 阿含宗しか知らんのだろ
それに陳分漢文しかみたことないんじゃろ
オメエにつけるクスリは ここにはネエから
ヨソ行ってろ

341 :一来補:2015/09/16(水) 16:17:41.31 ID:/vAz4Xs9.net
道徳仏教に迷い込むと、煩悩だけが問題になり、やれ平安な心とか、心が安定とか、抽象的な表現になってしまうのです。
「私は不安な心がなく、心が安定しています。だから解脱していますよね?」
と、言われたらどうするの?
そういう人は、ゴマンといるよ。

あなたは、心が不安定で、解脱していません、
とか、判定出来るのはアナゴン以上の他心通のある人だけです。
道徳仏教にはそういう芸当は出来ない。

また、道徳仏教などなら釈尊に礼拝する値打ちなどはない。道徳を教える学校の教師とどこが違うのか?それならば死んだ釈尊を拝むよりは生きている教師を拝むべきだろう。

釈尊の教法には、因縁を解脱させる救済力があり、単なる道徳を教えているのではない。
だから礼拝する値打ちがあるのであり、礼拝することによって、救済力が働くということでしょう。だから帰依を義務づけています。

342 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 17:12:04.19 ID:5yda5ap/.net
>>334
>「心が安定」は「八等至の自在」だよ(>>242 だから解脱ではない。
>諸漏(欲の漏・有の漏・無明の漏)から心が解脱したので心解脱。四聖諦を知ることで無明が捨断されたので
慧解脱。
比丘は四聖諦を知った後、心解脱・慧解脱したことになる。


だから心解脱も解脱に変わらんじゃないの
その解脱の境地は 心の安定とか清浄で純潔無穢だろ
それを八等至だのなんだの細分していきゃ煩瑣な
アビダンマ議論になり 桐山擁護や批判をするにしても
前から言ってるように 信者には何がなんだかの
ビックり論だってえの

八等至なる止だとかの心解脱と 慧っちゅう観による
慧解脱だあのと 倶分解脱を完膚無き煩悩滅尽だからと
止とは何であるか正定だあ 観とは何であるか正見だあ
つたって アビダンマ時代の止観をふりまわしてもだな
なんの説得力もねえ
五下分結し不還果を得たもんだってだよそのまま死んだら
梵天から涅槃へ直行だよっての

343 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 20:53:28.46 ID:atfoanWu.net
我(アートマン)に限らず梵(ブラフマン)の実在を否定する仏教が
梵(天)からニルヴァーナへ入ると教えるのも変な話なのだ。

存在を認めてんじゃあねぇかよ。

344 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 21:07:28.45 ID:atfoanWu.net
誰かがアングリマーラは涅槃へ入ったから悪果を受けずに済んだ?

変だなアングリマーラは五下分結を断ち五上分結を断ったから涅槃へ入ったわけだが

アングリマーラは、もし五下分結のみ断ち天に生まれた場合は天で悪果を受けるんかね?

345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9.net
つまり、もう議論の余地がなく、桐山教法は阿含経の仏教だということです。
深山ユビキタス説は、大乗仏教であり、道徳仏教です。毒にも薬にもならないカス仏教です。
ない方がよろしい。

346 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 21:58:41.06 ID:xPDV6Cd/.net
>>337 :ユビキタス
>>335
>ヤクザは黙っとけ。

ヤクザです。
>>199>>212については反論しないのか?
相手が批判側なら反論しないということか。

>>338
>四聖諦を知ることで解脱するなら学者ラは
>とうに解脱しとるって 何度も言っておる

経典によると、比丘は、定と慧の修行をしたから四聖諦を知った。
本当に四聖諦を知るには、修行しなければならない。
理屈を知ってるだけで修行しなければ、本当に四聖諦を知ることはできない。
だから解脱もできない。
大般涅槃経で次の言葉は何度も出てくる。

「戒律とともに修養された精神統一は大きな果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された知慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、
見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」

347 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 22:06:40.51 ID:xPDV6Cd/.net
331 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 12:30:02.81 ID:1sLGOLmX
四諦を理解して解脱するなんて、当たり前すぎる話しで、
受験科目を知った後で合格すると言っているのと変わりない。

本日一番の収穫ですね。

348 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 22:17:49.67 ID:FSGTjAj3.net
>>345
まだそんなこといっているわけw
だれも因縁解脱してないじゃん!
そして道徳とかバカにしながらその道徳さえ実行できず愛人つくるわ
嘘ばかりつくわ、
まるでお笑いですね。
阿含宗なんて釈迦だとか大乗だとかいうまえに仏教ですらない
仏教の皮をかぶった基地外宗教ですわw

349 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 22:49:21.61 ID:1sLGOLmX.net
>>335 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:45:04.51 ID:xPDV6Cd/
>それから、深山。
>>199>>212については反論しないのか?

私に書いている内容でもなく、またこのスレの主旨にそった内容でも
ないことに、なんで私が反論をするのですか?
199さんは、前に私がペテン大作さんだと勘違いした、ペテン大作さんと
議論している相手の方でしょう。
このスレと関係のない仏教や解脱について議論したければ、
お二人で専用のスレを立ちあげて、そちらで議論してはいかがですか。
ここはアゴン宗の議論スレです。

350 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/16(水) 22:54:48.86 ID:1sLGOLmX.net
>>335 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 12:45:04.51 ID:xPDV6Cd/
>それから、深山。
>>199>>212については反論しないのか?

199さんの四禅が解脱の境地ではないという部分にペテン大作さんは
味方を得たと思っているようだが、そこがあなたの浅はかなところです。
学者の文章の読み方もいつもそのパターンですよね。
私は、四禅で解脱の境地が得られるなんて書いたことは一度もない。
だから、199さんの書き込みはなんら私へ批判にはなっていない。

私は、八正道で解脱が得られると繰り返し書いている。
飯を食いながら八正道を実践すればその人は解脱している。
だが、飯を食うから解脱するのではありません。
四禅の瞑想をしながら八正道を実践すればその人は解脱している。
だが、四禅という瞑想で解脱するのではありません。
こういう簡単なことを何度説明しても、ペテン大作さんは理解できず、
四禅で解脱するとかしないとか、ピント外れなことを言っている。
あなたの主張は飯で解脱するかしないかと議論しているのと同じくらい愚かなことです。

深山「四膳目の飯を食う時に八正道を実践しているから解脱していると書いてある」
ペテン「深山め、四膳目の飯で解脱すると言いやがった」
深山「そんな事は言っていない。」
ペテン「四膳目の飯を食う時、解脱したと言った」
深山「言っていない。では、どうやって解脱するのだ?」
ペテン「九膳目の飯を食った時に解脱するのに決まっているだろ」
会場「爆笑」

351 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 22:54:58.31 ID:h0CLIwwt.net
ニカーヤ論文については時間がないので少し保留。
まあ大して面白くない話だし。

>>308 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 23:54:16.30 ID:+91XUQcG
>少し気になったのだが、私、風呂掃除のことで腐したかな?
>フーゾクのことは言ったけど、記憶に無い。
>別の人じゃないか?

いや、見つけました。
スレ246における2014年12月8日の書き込みであなたは76と77に得意の四禅解脱イチャモンを書いている。
その76、77と全く同一のIDで
84で「風俗」と一言、
85で「風呂の掃除」と一言、
86で「失恋」と一言、私を腐しています。
私は88で76、77、84、85、86にまとめてレスしています。ペテン大作さん名指しで
あなたはオカルト趣味を大切にするのがよいのではないか?と要らない助言をしています。
89であなたはその88にもレスしています。
風呂掃除の話はやはりその12月の頭にスレ245でアルツハイマーになりかけの母親が覗きに来るぞ
風呂掃除してるかと書いたのが初めてだと思います。

352 :一来補は基地外ですさん!:2015/09/16(水) 22:59:36.67 ID:nPa6LEEj.net
>>345 :一来補:2015/09/16(水) 21:46:31.00 ID:/vAz4Xs9つまり、もう議論の余地がなく、桐山教法は阿含経の仏教だということです。
> 深山ユビキタス説は、大乗仏教であり、道徳仏教です。毒にも薬にもならないカス仏教です。
>ない方がよろしい。

一来補、おまえは道徳すらないだろ!
おまえは小桐山なんだろ、だったらさっさと道場か連絡所に行って掃除でもしてこい!
このマヌケが! ケチのクセにおまえ生意気だぞ!
小桐山なんだから大桐山の代弁するんじゃないの
おまえは桐山邪教の信者で仏教徒ではないから勘違いするんじゃない!
キサマは基地外だから何を云ってもダメだな
はよ、お陀仏になれよ! 赤飯炊いてやるよ!

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