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阿含宗という宗教256

1 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:17:32.81 ID:sMOCSDYa.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
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議論スレ:「agama@chs-1」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/6441/
議論スレ:「FC2agama掲示板」
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過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
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テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
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過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
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過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
  http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

242 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 22:55:57.50 ID:Vyz7qTNP.net
>>19の改訂版
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
@釈尊は四禅で涅槃を得たとは述べていない。

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。
456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。

■「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違いである理由。

1.経典には「比丘は四聖諦を知った後に解脱する」と書かれていること。

【沙門果経】
『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

諸漏(欲の漏・有の漏・無明の漏)から心が解脱したので心解脱。四聖諦を知ることで無明が捨断されたので慧解脱。
比丘は四聖諦を知った後、心解脱・慧解脱したことになる。

『Nikayaにおける止観の研究 一
止観と心解脱・慧脱を中心として一』6〜8頁
(ttp://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1203/1/r-bk-np_015_006.pdf)

243 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 22:58:31.39 ID:Vyz7qTNP.net
>>242の続き

2.「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」は、解脱ではなく「第四禅に入定した」こと。

「心が安定し」の箇所は、パーリ仏典では「samāhite」であり、これは「入定した」「定置した」の意味である。

234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe
vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.              
訳文
彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、
行為に適した、住立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。
『光明寺経蔵』(ttp://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c21.htm)
       
「神通を行なうには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされ、
この禅は「基礎となる禅」(pādakajjhāna)と呼ばれる。
「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、春秋社、中村元監修)

「入定した」とは、基礎となる禅(第四禅)に入ったことであり、比丘はそこで智慧による観察を行う。
「心が安定し」の文言は、比丘が第四禅に入定したことを表現したものであり、解脱ではない。

3.原始仏教では、四禅より高い境地が考えられていたこと。

「梵網経」の中で、釈尊は「最上の涅槃としてバラモンなどが主張する色界四禅など五種の宗教的境地」を批判した。
また、長阿含経の「布吒婆楼経」(ポッタパーダ経)や「増支部経典」では、釈尊は、色界四禅を超えた無色界や想受滅を説いている。

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