2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

阿含宗という宗教256

228 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:06:10.92 ID:o6Z4vQUZ.net
>>172 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 02:47:59.68 ID:dHN3VZcW
>@私や仏教学者ではなく釈尊が述べているのです。

阿含経のどこに、漏尽定で解脱した、九次第定で解脱するとあるのですか?
あなたは前に経典名は示したが、「九次第定の漏尽定で解脱する」という
釈尊本人の文言は出したことがない。
それでいて釈尊本人の言葉をあなたは否定する。
批判側は釈尊本人が「心の安定」を解脱だと述べている文章を引用した。
だが、あなたはこれを否定して、下記の学者たちの訳を無視して、
パーリ仏典の原典にはないとまで書く。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

片山一良 訳 パーリ仏典 長部 戒蘊篇T(P220〜P233)
「このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
行動に適し、確固不動のものになると、」 (>>55)

増谷文雄 訳 阿含経典3 筑摩書房 (P276〜P288)
「かくのごとく、心清浄にして、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して、心身柔軟、いつでも活動できる状態にあり、
しかも、安らかに住して不動の状態にある時、」(>>55)

「心の安定」にだけ着目して反論しているのはペテン大作さんであって私ではない。
私は上記の文章はすべて解脱を表していると述べているのです。
しかし、心の安定という言葉にこだわるなら、さらに別な例を上げましょう。
阿含経は「心の安定」だらけです。

総レス数 606
516 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200