2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

阿含宗という宗教256

1 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:17:32.81 ID:sMOCSDYa.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
議論スレ:「agama@chs-1」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/6441/
議論スレ:「FC2agama掲示板」
  http://datoban.bbs.fc2.com/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
  http://souko.digi2.jp/
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
  http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

224 :一来補:2015/09/14(月) 11:20:05.48 ID:yLiQXba+.net
深山ユビキタス説は、経典から倫理道徳の部分だけを取り上げて、これが仏教だと主張しているに過ぎない。それは仏教の一面だけです。
学者の見解をまとめた仏教辞典は、経典すべての中から、主要な部分を集約したものです。
辞典は、経典すべてではないが、主要なところは網羅しているわけです。
深山ユビキタス説は、部分だけのものです。

岩波仏教辞典のさとり=涅槃、の説明は、
1煩悩 2苦 3業 4輪廻 5縁起 
の五つからの解脱ということです。
深山ユビキタス説は、この中から煩悩だけを取り上げている。つまり、欠陥論です。
煩悩だけの解脱は大乗仏教のさとりです。阿含経から言ったら小解脱に過ぎないのです。

岩波仏教辞典の「煩悩」の語の説明には、
「・・煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとり・・」
と、あります。
阿含仏教のさとりは、これだけでは不十分なのです。

225 :一来補:2015/09/14(月) 11:41:41.39 ID:yLiQXba+.net
ユビキタスくんは、煩悩を抱えていること
が苦悩だと主張しているが、釈尊の説明は
違います。煩悩と苦悩の違いは、岩波仏教
辞典の「業感」の語の説明にあります。

業感の説明には、十二因縁のうち、
1無明7受9取 が惑(煩悩)であり、
2行 10有 が業であり、残りの七つが
苦であると説明しています。
このように、煩悩と苦は明確に違うのです。
これは釈尊が説いていることです。

ユビキタス説は、我見による自己流解釈で
あり、間違いです。我の説は、仏教辞典を
そのまま出したので、自己流ではないのです。

226 :一来補:2015/09/14(月) 11:56:22.24 ID:yLiQXba+.net
例えば、阿含経に「業縁往来五道」とあり、
これは業に応じて五道を往来する、という
意味であるから、地獄餓鬼畜生道から逃れ
るためには業を断つしかありません。
煩悩ではないのです。
業を断つために、煩悩を無くすのです。
それが釈尊の教えです。

227 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:00:57.67 ID:o6Z4vQUZ.net
>>194 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:44:12.03 ID:dHN3VZcW
>釈尊が「「心が安定」を解脱だと述べているなんて100パーセント嘘です。

ペテン大作さんて、釈尊よりもエライらしい。
次の釈尊本人が述べた言葉が「100パーセント嘘」だそうです。

「最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。」(『ブッダのことば』中村元、44頁)

普通の読解では、「心の安定」とは、「さとり」「すぐれた宝」であり、
これに「等しい者はほかに存在しない」というのだから、
仏教の最高の境地、つまり解脱、涅槃を表すとみなす。
なにせ釈尊本人がそのように述べているのですから議論の余地がない。
だが、偉大なるペテン大作様はこれを解脱とみなさず、
釈尊のこの言葉は「100パーセント嘘」だという!!

>>202 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 13:29:20.08 ID:dHN3VZcW
>@そもそも、パーリ三蔵の原文には「心が安定し」が出てこない。
>代わりに「入定した」という意味の単語が出てくる。

『ブッダのことば』はパーリ仏典の原文から中村博士が訳した文章です。
大学者の訳が間違いだと言いたいらしい。
ペテン大作先生はついに中村博士さえも超越したらしい。
どれほどオエライ方なのだろう。

228 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:06:10.92 ID:o6Z4vQUZ.net
>>172 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 02:47:59.68 ID:dHN3VZcW
>@私や仏教学者ではなく釈尊が述べているのです。

阿含経のどこに、漏尽定で解脱した、九次第定で解脱するとあるのですか?
あなたは前に経典名は示したが、「九次第定の漏尽定で解脱する」という
釈尊本人の文言は出したことがない。
それでいて釈尊本人の言葉をあなたは否定する。
批判側は釈尊本人が「心の安定」を解脱だと述べている文章を引用した。
だが、あなたはこれを否定して、下記の学者たちの訳を無視して、
パーリ仏典の原典にはないとまで書く。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

片山一良 訳 パーリ仏典 長部 戒蘊篇T(P220〜P233)
「このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
行動に適し、確固不動のものになると、」 (>>55)

増谷文雄 訳 阿含経典3 筑摩書房 (P276〜P288)
「かくのごとく、心清浄にして、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して、心身柔軟、いつでも活動できる状態にあり、
しかも、安らかに住して不動の状態にある時、」(>>55)

「心の安定」にだけ着目して反論しているのはペテン大作さんであって私ではない。
私は上記の文章はすべて解脱を表していると述べているのです。
しかし、心の安定という言葉にこだわるなら、さらに別な例を上げましょう。
阿含経は「心の安定」だらけです。

229 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:11:39.52 ID:o6Z4vQUZ.net
「わたしの庵はよく葺かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うがままに、雨を降ら
せ。わたしの心はよく安定し、解脱している。わたしは努力をつづけている。天の神よ、雨
を降らせ。」(『仏弟子の告白』中村元、8頁)
「〔屍体を遺棄する〕寒林におもむいた修行符は、ひとりいて、満足し、心を安定させている勝
利者であり、身の毛のよだつことも無く、身体について専念しつづけている剛毅な人である。」(『仏弟子の告白』中村元、9頁)
「知慧のカあり、戒しめと誓いを身に具現し、心が安定し、瞑想を楽しみ、落ち着いて気を
つけていって、適当な食物を食する人は、食りを離れて、この世で死ぬ時を待つべきである。」(『仏弟子の告白』中村元、11頁)
「みずからを制することなく、うろつき廻りながら、種々の国々におもむく。もしも心の安
定を失っているならば、国々を歩き廻るのに何の用があろうか。それ故に倣慢を抑えて、心
が乱されることなく、瞑想せよ。」(『仏弟子の告白』中村元、18頁)
「信の心をもって、わたしは家を出て、家無き(修行者の境地)におもむいた。わが正しい念
いと知慧とは増大した。わが心はよく安定している。〔悪魔よ。〕いろいろの形を現わすがよ
ぃ。しかしわたしを悩ますことはできないであろう。」
「地は雨水を濯がれ、風は吹き、雷の電光は空を駈ける。(しかし)わが省察作用は静まり、
わが心はよく安定している。」(『仏弟子の告白』中村元、22頁)
「麗しいメロディで(空の)神は雨を降らす。わが庵は屋根を葺かれ、風を防ぎ、快適である。
そうして、わが心はよく安定している。さあ、(空の)神よ。もしも欲するならば、雨を降ら
せ。」(『仏弟子の告白』中村元、23頁)

230 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:18:05.90 ID:vOGBjOdA.net
「わが心はよく安定している」

ペテン大作さん以外の信者さんたちは>>229をごらんになっていかがですか?
『仏弟子の告白』の本文は230頁ほどで、その最初の23頁、つまり一割
ほどの経典の中に、これだけ「心の安定」があるのですから、
全体ではどれほどあるか想像がつくでしょう。
これらの言葉を残した長老とは、全員が解脱者、ブッダです。
これらは解脱した境地を表現している。
「心の安定」が解脱の境地を表していることはあまりに明瞭です。
そこでもう一度、沙門果経の下記の表記を見てください。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

>>229の長老たちの表現と同じであり、これが解脱を表すことは疑いの余地もない。
阿含経を読んでいる人なら嫌でも目につくから、これを解脱と見なさいほうが不思議です。
「心の安定」がポツンと出ているなら一般的な意味である可能性も出てくるが、
沙門果経では「心の安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
と繰り返している。
これが同じ一つの内容を繰り返し説明していることはおわかりでしょう。
そのどの一つをとっても、阿含経ではしばしば解脱を表す言葉です。
それを四回繰り返している。

231 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:23:30.85 ID:vOGBjOdA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

阿含経ではよく同じ内容を別な表現で繰り返すことは信者さんたちも
知っているはずです。
応説経の「結 縛 使 煩悩 纏」を五種類の別々の何かであるとは見なさい。
これは煩悩を五回別な表現で繰り返して強調しただけです。
沙門果経でも「心の安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」と
四回同じ内容を繰り返したのです。
阿含経を読んでいれば、「心の安定」という最初の言葉だけでも解脱だとわかる。
煩悩に囚われないから心が安定し、煩悩がないから清浄で純潔で汚れがない。
ダメ押しに「小さな煩悩も離れ」と解脱の定義そのものが出てくる。
上記の文言は前から読んでも、後ろから読んでも解脱を意味している。
釈尊が四禅の説明で上記のように述べているなら、この段階で
解脱していると普通はみなします。
ところが、お偉いペテン大作先生様はこれだけ何度も繰り返されても、
これを解脱とみなさないという。

ペテン大作先生は釈尊の説得にも応じないし、何をどう解釈しようが
個人の自由だが、ここは解脱や四禅の議論スレではないから、
やめてくれと言っても止めない。
スレの主旨に沿ってアゴン宗の議論をするように勧めてもしない。
仏教をあれこれ論じる前に社会常識を学ぶべきです。

232 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/14(月) 12:27:54.81 ID:vOGBjOdA.net
>>190 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:21:19.53 ID:dHN3VZcW
>あなたは、四禅解脱を主張したのではなく、
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
>と言ったのです。

>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。
>そして、三明で解脱を確認したと言ったのです。

つい一週間前までは、私が「四禅で解脱していると書いた」(576)と主張しながら、
そんなことはないと指摘されると、今度は口を拭って、
「四禅解脱を主張したのではなく」(190)などと書き始める。
それであなたは576で書いた間違いをいつ認めて、いつ撤回し、
私への七年にわたる無礼をわびたのだ?
私もペテン大作さんの文章は斜め読みか読まないので、読み飛ばしたのかもしれない。
ぜひ、それをここにもう一度書いてください。

233 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 12:30:58.33 ID:Vyz7qTNP.net
@深山はピエロ!!!

>>227>>231:深山

だから、その「心の安定」は沙門果経の原文には無かったの。

>>202
234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte
kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.

訳文                
彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、
行為に適した、住立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。


存在しないものにしがみ付くお前はピエロだよ。
社会常識を学ぶべきなのはお前の方だ。

234 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 12:31:20.66 ID:RSgJwIWG.net
君たち平和だねー。
世間が戦争法案で揺れているというのに。

自分のための解脱ですか?

235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP.net
>>232 :深山

>つい一週間前までは、私が「四禅で解脱していると書いた」(576)と主張しながら、
>そんなことはないと指摘されると、今度は口を拭って、
>「四禅解脱を主張したのではなく」(190)などと書き始める。
>それであなたは576で書いた間違いをいつ認めて、いつ撤回し、
>私への七年にわたる無礼をわびたのだ?

「三明前の四禅で解脱したと釈尊は述べている」
あなたはこう書いた。
だが、釈尊は経典ではそのようなことは一言も述べていない。
これ即ち、あなたが釈尊の言葉を自分勝手に翻訳し、他人に示したことに他ならない。
つまり、あなたの主張は誰がどう見ても四禅解脱なんだよ。
正確に言えば「四禅で解脱する」だ。
しかし、あなたは自分(深山)がどこで四禅解脱を主張したのか示せと言い続ける。
「深山は四禅解脱を主張した」という文字がどこにあるか示せという意味だ。
あなたは小学校低学年レベルの言い訳をしているのだ。
私としては、こういう低レベルの言い訳を相手にするのにウンザリしたので、
そんなに言うなら、今後は「深山は四禅解脱を主張した」とは言わないよ、と言っただけで、
今でも、あなたの主張が四禅解脱であると信じている。
だから576を撤回するつもりも詫びるつもりもない。
あなたこそ、七年間も「四禅で解脱する」などと嘘を書き続け、
私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

236 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 16:26:39.36 ID:WtjFxq3Z.net
ある大統領がね 世界一速いボルグに聞いたんだっち
アスリートってどないなメリットがあるんかねとな
ボルグは言った アスリートは誰でん成れるっチャ
んだが一応は 小中大のトレーニングメニューが
あるっち 他の6道法じゃダメなんだぎゃ
さらにボルグは言うがや 勝者は相手に目もくれずに
第一コーナーから第四コーナーへ颯爽と突き抜けれるんや
これって得も言えん勝者アスリートのメリットなんじゃい
はたからも解るじゃろが
そんでもってオレッチは勝者だとの確認をするっちゃ
順位パネルを見て他に誰もオレッチを超えたものがいない
そうなった時のオレッチは もう昨日のオレじゃなく
古いタイムをかなぐり捨てた新たなオレっちゅうもんを
見い出したっちゃ んでオレは再生録画を見るっチャよ
周りをも見る余裕で優勝を果たしたんがや解るべや
世界一最高タイムを出しそれを知れるんや
記録を達成したと知れてこれが最高タイムだと
確認でき そん時はもう世界一位になったと解るんじゃい

んで勝者として確立し今のアスリートのやるべきことを終えた
オレッチはレースの終了を認識し再来レースはないと知るんや

ここで外野が言う おいおいボルグよ優勝は順位パネルで
一位になったんがか それんとも第四コーナーでかよ
   バアかもんが
   おどれ カバチ垂れな
オレッチは優勝ほどええもんはないっつうアスリートの
果報を説明しとるんだってえの

237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+.net
四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。
釈尊は、四禅を涅槃に至る途中経過として説いているでしょう。
例えば、遊行経には無余涅槃へ入る釈尊の様子が書かれています。

釈尊は初禅から進んで四禅へ進み、四禅を出てから八解脱のうちの虚空の瞑想=第4解脱に入り、第5、第6、第7、第8解脱の滅尽定へ進み、今度は8、7、6、と瞑想を下ってから再度初禅に入り、四禅に進み、四禅を出てから完全な涅槃に入ったと説かれています。

だから四禅を体得しても、小解脱ですね。
四禅から更に進むと天耳通が生じると、経典にあります。更に進むと他心通です。更に進むと・・・で、最終的に漏尽智を得て大解脱です。

238 :一来補:2015/09/14(月) 17:31:24.56 ID:yLiQXba+.net
四禅についての学者の見解、岩波仏教辞典の「四禅」の説明には、「色界の4種の禅定、四静慮ともいう」とあり、無色界より下の世界の禅定としています。
四禅で到達した世界が四禅天なそうです。

天ですから六道の最高峰ですが、輪廻の対象です。よって、四禅を体得しても仏陀ではないですね。それが学者の見解です。

239 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 18:16:19.99 ID:aJ0REzcP.net
>>238 桐山師、深山センセー、一来補。諸氏が述べてない事にお伺い。
   修行の結果、仏陀に成ろうか?として誰がソレを認定するのか?
 237は最終的には無明を断じて云々。と言うのがお答えなのですが兎も角。
 菩提を何方が認定するのでしょうか?

240 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 19:27:59.43 ID:RSgJwIWG.net
>>239
まるで分かっていない人の質問です。
本末転倒虫君は直ちに仏教界から足を洗いなさい。

241 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 21:37:54.54 ID:aJ0REzcP.net
>>240 そうでは無いものですよ、一生懸命やっても効果が無い宗派の
 修行みたいな遣り方にしがみ付き空しく過ごす僧侶が殆どではありませんか。
 

242 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 22:55:57.50 ID:Vyz7qTNP.net
>>19の改訂版
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
@釈尊は四禅で涅槃を得たとは述べていない。

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。
456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。

■「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違いである理由。

1.経典には「比丘は四聖諦を知った後に解脱する」と書かれていること。

【沙門果経】
『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

諸漏(欲の漏・有の漏・無明の漏)から心が解脱したので心解脱。四聖諦を知ることで無明が捨断されたので慧解脱。
比丘は四聖諦を知った後、心解脱・慧解脱したことになる。

『Nikayaにおける止観の研究 一
止観と心解脱・慧脱を中心として一』6〜8頁
(ttp://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1203/1/r-bk-np_015_006.pdf)

243 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 22:58:31.39 ID:Vyz7qTNP.net
>>242の続き

2.「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」は、解脱ではなく「第四禅に入定した」こと。

「心が安定し」の箇所は、パーリ仏典では「samāhite」であり、これは「入定した」「定置した」の意味である。

234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe
vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.              
訳文
彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、
行為に適した、住立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。
『光明寺経蔵』(ttp://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c21.htm)
       
「神通を行なうには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされ、
この禅は「基礎となる禅」(pādakajjhāna)と呼ばれる。
「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、春秋社、中村元監修)

「入定した」とは、基礎となる禅(第四禅)に入ったことであり、比丘はそこで智慧による観察を行う。
「心が安定し」の文言は、比丘が第四禅に入定したことを表現したものであり、解脱ではない。

3.原始仏教では、四禅より高い境地が考えられていたこと。

「梵網経」の中で、釈尊は「最上の涅槃としてバラモンなどが主張する色界四禅など五種の宗教的境地」を批判した。
また、長阿含経の「布吒婆楼経」(ポッタパーダ経)や「増支部経典」では、釈尊は、色界四禅を超えた無色界や想受滅を説いている。

244 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 23:23:55.20 ID:ir7+Y+xC.net
>釈尊は、色界四禅を超えた無色界や想受滅を説いている

どうなのかねぇ〜?
それに関してスマナサーラ長老は無色界は観察のしようがなくできないと説いている。
2500年の間に改編されてたりしてね。

無色界定は色も受も想も行も識も無い境涯だからね無い無い滅の観察しかでけへんからね

無色界定から覚めれば識が起き行が起き受が起き色が起き有り在りを観察し
無も有も(欲界を含めて三界)、どちらの捉われも離れて、ありのままを観る、はい、それだけ。

そんだけと。

245 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 07:50:29.02 ID:Rpp5MonY.net
 
深山ぶっかけそば   http://blogs.yahoo.co.jp/atlordiah_2/7104936.html

246 :一来補:2015/09/15(火) 09:35:13.08 ID:FDXPCwKU.net
レス239

仏陀に成れたかどうか?
それを認定するのは己自身ですよ。
釈尊にしても、仏陀を自称し、宣言し、やがて人々もそれを認めた。

因縁が切れたかどうかを認定するのも、基本的には己自身でなければならない。
己自身の因縁を知らずして、他人の因縁が切れたかどうかなど分かるわけがない。
よって、己自身を知らねば、修行が進んだことにはならない。
ゆえに、仏陀に成れたかどうかを最初に認定するのは己自身です。

247 :一来補:2015/09/15(火) 11:09:42.12 ID:FDXPCwKU.net
テーラワーダの瞑想法は、釈尊の瞑想法の一部に過ぎないですね。
あれが釈尊の教えのすべてだと思うのは、大間違いでしょう。阿含経に書いてあることと、だいぶ違うからね。

248 :深山と愉快な仲間たち:2015/09/15(火) 11:33:48.42 ID:67PIbDlX.net
>>239
>>246:仏陀に成れたかどうか?

阿含宗では、和田、桐山氏の認可が絶対必須です。
それなくしてブッタを名乗ったり、因縁解脱したなど
心に思うだけでもキチガイで、自己判断が一番危険です。
と、以前、法務部の上クラスの方が言っていました。

桐山氏だけは、前世の徳がトラック10台くらいあった
特異体質だったので師なくして因縁解脱できたと、
自己申請していますがw

249 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:02:22.40 ID:uf/TItkw.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

誰も一来補さんの相手をしてくれないから、かまってほしくて、
四禅解脱に首を突っ込んできましたね。
その前に、私が議論の流れを説明しますから、自分の意見を述べようとせずに、
流れをまず理解する努力をしてください。

一来補さんは、四禅で解脱するのではない、という意見です。
ペテン大作さんは、「釈尊は四禅で涅槃を得た」が間違い(>>242)、という意見です。
深山は、四禅で解脱したなんて書いたことはありません。
四禅については、三者の意見が一致したではありませんか。
誰一人として、四禅で解脱するなんて主張している人はいないのです。
では、いったい何を議論しているのでしょう?

ペテン大作さんの妄想です。
ペテン大作さんが、「深山は、釈尊は四禅で解脱する、と述べたと主張している」
と言う、ありもしない話を作り上げて、これを七年間にわたりここに書き続けている。
だから、私は繰り返し、「書いたという証拠を出せ」と言うが、
もちろん書いていないのだから、出せるはずがない。
普通の人なら、謝るか、すくなくとも主張を撤回する。
一来補さんもそう思いませんか?
当然であり、それが社会常識です。
だが、ペテン大作さんは撤回をするどころか、私の書いたことにさらに噛みついた。

250 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:07:29.00 ID:uf/TItkw.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

ペテン大作さんの、「深山は、四禅で解脱すると主張した」という
主張には根拠がないのだから、まず撤回するべきでしょう。
だが、彼は頑迷不屈な男だから、撤回などせずに、
今度は、私が引用した沙門果経の「心が安定・・・」という一文に難癖をつけた。

「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

これは解脱ではないというのです。
「小さな煩悩も離れ」というのだから、漏尽解脱であり、仏教の解脱です。
彼は、阿含経のどこに「心の安定」が解脱だとあるのか、と噛みついたから、
批判側の一人がそのように書いてある経典を引用してくれた(>>227)。
だが、ペテン大作さんは完全無視した。
おかしいですよね。
証拠を出せというから、出したら、無視する。
「心の安定」が解脱を表すことは、阿含経を読んでいる人にとっては常識です。
わざわざ証拠を求めるということは、読んでいないという恥を
さらしているのだが、彼は恥知らずだから、なんともない。

>釈尊が「「心が安定」を解脱だと述べているなんて100パーセント嘘です。(>>194)

とまで断定するから、それで私が、さらに>>229に、「心の安定」が解脱を
表すことは阿含経の常識だという証拠を羅列した。
100パーセント嘘はどう見てもペテン大作さんです。
だが、彼は絶対に自分の非を認めない。

251 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:13:54.52 ID:uf/TItkw.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

ペテン大作さんは次に、「心の安定」など原文のパーリ仏典にはないと主張し始めた(>>202)。
だから、私が>>228>>55さんが引用してくれた学者による翻訳を三つ示した。
同じ原文を三人の学者が訳したものです。
一来補さんは読んでいかがですか。
三種類の訳が載っているが、「心が安定」「心が、安定」「安らかに住して不動」と
表現は微妙に違うが、これから見ても、「心の安定」という訳は間違いない。
ご存じと思うが、これらを訳した三人は仏教学の大家です。
特に、『原始仏典 1』は学者個人が訳しただけでなく、編集者たちが
査読し監修していますから、間違いが少ない。

「心の安定」一つでも解脱だが、「清浄で純潔」「汚れなく」
「小さな煩悩も離れ」もすべて解脱です。
一来補さんとの解脱の定義の議論は今はさて置くとして、
沙門果経の四禅の説明の所で、釈尊が解脱を表明していることを
一来補さんも認めますよね。
繰り返すが、四禅で解脱すると言っているのではありませんよ。
誰がどう読んでも、四禅の説明の所に、釈尊は解脱していることを表明している。
私はただそれを指摘しただけです。
さすがのペテン大作さんも、深山は四禅で解脱すると書いた、とは言えなくなった。
すると、ペテン大作さんは一時的に次のように主張を変えた。

252 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:20:06.50 ID:OhkcSJdG.net
>>190 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 12:21:19.53 ID:dHN3VZcW
>あなたは、四禅解脱を主張したのではなく、
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
>と言ったのです。

表現はともかくとして、大筋においてこの表記は正しい。
だが、一週間前までのペテン大作さんは次のように私の主張を決めつけていた。

>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。

576が七年間、ペテン大作さんが書き続けたことです。
ところが、根拠がないことを示されて、ついに>>190を認めた。
七年間主張した事を変えたのです。
ペテン大作さんもついに私が四禅解脱など書いていないことを理解し、
これまでの間違いを認めた・・・なんて私は思わない。
この人は視野が狭いから、自分が前に何を書いたのか、何を議論しているのか
わからなくなり、主張に矛盾が生じることも気が付かず、目の前の事に
その場しのぎのレスをつけだけです。
そこで私は>>232で、前に書いたことと違うではないかと矛盾を指摘した。
ペテン大作さんは自分の投げた石に自分が当たった。
もちろん、彼がこれを認め、素直に撤回するなんてありえない。

253 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:25:34.66 ID:OhkcSJdG.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

私はミスを認める人を追及したりしない。
そんなことはお互いさまです
だが、ペテン大作さんは過去においても、同様の矛盾を指摘されて
彼の主張が自己崩壊しても、まったく反省もなく、
しばらくすると同じような主張を始める。
彼の「深山は四禅解脱を主張した」は完全に嘘であり、
彼自身が>>190で認めるしかなくなった。
ペテン大作さんの七年に渡る主張の根拠がないことがわかり、彼も認めたのだから、
普通はここで議論は終わりです。
だが、そういう議論の礼儀、理屈が通用しないのがペテン大作さんです。

そこで私は>>232で彼をからかって、「餌」を投げた。
>>190はこれまでの576と主張と違うが、いつ彼は自分の間違いを認めたのか、
いつ撤回して、私への無礼をわびたのかと皮肉を込めて質問した。
もちろん、彼はそんなことをするはずもないことは知っています。
憎しみで凝り固まった度量の狭い男にそんなことができるはずがない。
悔しくて猛然と噛みついてくるだろうと思ったら、三十分ほど後には
「餌」に釣られて、牙をむき出しにして吠え付いた(>>235)。

254 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:31:15.17 ID:OhkcSJdG.net
>>237 :一来補:2015/09/14(月) 16:56:03.83 ID:yLiQXba+
>四禅を会得しても完全な涅槃ではないよ。

これがこれまでの議論の経過で、つまり、何もないのです。
しかも、四禅なんてアゴン宗の議論とは関係ない。
だから、一来補さんは議論に加わらないほうがよい。
私は最初から四禅解脱なんて書いていないし、誰もそんなことは主張していない。
一人、ペテン大作さんが吠えて吠えて吠えまくって、ついには
自分のシッポに噛みついて、私からからかわれた。

他の信者さんたちにも、ペテン大作さんの反応を良く見て参考にしてほしい。
彼はいったんは正しい事を書いた(>>190)。
190でいったん彼は自分の掘った穴から出たが、矛盾を指摘されると、
あわてて巣穴に戻り、吠え続ける選択をした。
事実を認めかけたが、それをすると深山を攻撃できなくなると気が付いて、
彼の掘った穴、虚構の世界に戻り、さらに深い穴を掘って、
私に吠え付いたのが>>235です。

これを読んでいる他の信者さんたちも、ペテン大作さんを悪い見本として見ることです。
事実を認めると、自分の得にならず、苦痛に耐えることになるから、
アゴン宗という妄想宗教に逃げ込みたい気持ちは私も元信者だからわかる。
だから、ペテン大作さんを良く見てほしい。
批判側のアゴン宗の間違いの指摘を、苦痛に耐えながらも受け入れるか、
それとも、ツバを吐き掛けて、アゴン宗という妄想宗教に戻り、
焚火でカルマ解脱するという砂場の宗教ゴッコに一生を費やすか。
その間違った選択をペテン大作さんが信者さんたちの目の前で演じてくれた。
ぜひ、反面教師として参考にしてほしい。

255 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:37:04.34 ID:OhkcSJdG.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

ペテン大作先生様にはいつも、正面からアゴン宗の議論もできない卑怯者だなんて
事実を指摘して、大変申し訳なく思っております。
ペテン大作先生様は、>>228に引用した阿含経の専門家の訳を、
原文にはない、誤訳だと看破され、なんと三人の学者にピエロだとだと罵声を投げつけた。
学者たちよりもペテン大作先生様はオエライのですから、
そのお方の読み間違いや、>>232で矛盾した発言を指摘するなんて、
まことに非礼なことで、毎度失礼をしております。

>>232はもちろんお気づきとは思いますが、ペテン大作先生様の反応を予測して、
天地がひっくり返っても、自分の非を認めるような勇気など
爪の垢ほどもない卑怯者で、謝罪どころか、撤回もしないだろうから、
それをからかってやれ、なんて気持ちで書いたことを反省し、
ここに懺悔するものであります。
釈尊や解脱者が解脱だと言っているのに、100%違うと断定されるほど
オ偉いペテン大作様をからかうなんて、罪深いことですよねえ。

256 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:42:26.70 ID:OhkcSJdG.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

私から視野が狭いと言われると、木を見て森を見ないとか、穴に落ちていると
いうとそのまま穴に落ちているなどと、何の観念工夫もなく同じ言葉しか返せないとは、そのボキャ貧ぶりは小学生並の情けない男だなんて
思ってしまったのも、大変失礼したと反省しております。

何よりも私は心から反省せねばならないのは、ペテン大作先生様は、
仏教をいくら説明されても理解できる知性がないとたびたび指摘したことです。
先生はますますいきり立って、漏尽定で解脱するなどと爆笑ネタを
次々と連発させてしまいました。

普段から威張りちらし、他人を小馬鹿にしきった態度の人を、からかうと、
すぐにむきになって、ネタに食いついてくるのを見ると、
ついまた餌を投げてみたくなるのです。
きっとペテン大作先生様が、私の書き込みを読んだ後で怒り狂って、地団駄踏みながら、
即刻、無意味な言葉を羅列しながら反撃し、午後は何も手がつかないほど
怒りと憎しみで目をランランとさせ、パソコンに向かうが、反撃しようにも
内容が無いから、>>242-243みたいにただ同じ主張しか出てこないことにますます苛立ち、
夜も眠れず、朝は早くから目が覚めてしまうなど、
お気持ちをかき乱したことをお詫びいたします。

257 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:47:43.02 ID:gGa3HF0/.net
宗教の原型、基本は全てここに集約されます。
私が採算説明してきた殉教(肉体の死ではない)や割礼(心の割礼)、出家(魂の出家)と同義です。

🔷日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。
これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれます。
たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。

258 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:48:16.16 ID:+91XUQcG.net
@深山さんは四禅解脱から逃げようと必死です。

>>249:深山
>ペテン大作さんが、「深山は、釈尊は四禅で解脱する、と述べたと主張している」
>と言う、ありもしない話を作り上げて、これを七年間にわたりここに書き続けている。



204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
桐山さんが引用していないから、>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。
595 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/08/18(火) 12:01:15.78 ID:G87+va53
二行の文章を見ればわかるように、経典では釈尊が四禅の説明をしている段階で、
涅槃を得たと述べている、と書いているのです。

深山さんの主張はこういうことです。
俺は四禅解脱なんて言って無いぞ。
「四禅で解脱する」とは書いてないも〜ん。
でも釈尊は三明の前の四禅で解脱すると書いているぞ。
その理由は、
>>251:深山
>「心の安定」一つでも解脱だが、「清浄で純潔」「汚れなく」
>「小さな煩悩も離れ」もすべて解脱です。

四禅で解脱するとは、俺は主張しないが、釈尊は主張している。

深山さんは、釈尊に「四禅で解脱」を言わせて、自分は釈尊の後ろに隠れている。
こうすれば、「四禅で解脱」を主張しても自分は反論されることはないのです。
臆病者が必死になって考え出した対抗策です。

259 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:49:18.29 ID:Hxo/oju2.net
>>235 :神も仏も名無しさん:2015/09/14(月) 13:07:35.32 ID:Vyz7qTNP
>私を侮辱した非礼を詫びるべきだ。

ペテン大作先生様がお笑い仏教学を推奨され、自虐ネタに毎日明け
暮れることで、批判側を笑い死にさせるか、先生のその執念深く、
○ンナの腐ったような性格を丸出しにすることで悪臭で窒息死させるなどの、
高等戦術を御使いになっているのではないかと推察させていただきました。
さすがはペテン大作先生様は並大抵の恥知らずではございません。

ペテン大作先生様におかれまして、一来補さんと同様に、
すべての羞恥心を解脱されていることは批判側も重々承知いたしております。
批判側の誰一人、御二方に勝てるはずもなく、
毎回毎回、ペテン大作先生と一来補さんの大勝利に終わります。
それもこれも、批判側は恥じる心を持っているからです。
それにしても、どのような御修行をされると、自分の非をいっさい認めず、
どんな証拠を示されても毅然として次の屁理屈をひねり出して、
どんなに反論されても完全無視して同じ主張を何年も何年も繰り返す
ほど、御立派な御性格になれるのでしょうか。
いや、そうなりたいという意味で質問してるのではありませんし、
元より、怖い物見たさで先生様の親の顔を見てみたいなんて金輪際思っておりません。
もしかして、毎日長時間瞑想をされるとそのような意固地で頑迷になり、
性格が曲がるだけでなく、捻じれてしまうものでしょうか。

私は腐った物が苦手で、特に性格が腐り、腐りきってしまい、生ごみの
入った袋を夏の日差しの中に放置したような性格はまったくダメなのですが、
悪臭を我慢しながら、今後もペテン大作先生様の御高説を読み流すように
心掛ける所存でございます。
以上、私からのささやかなお詫びです・・・もちろん釈尊の言葉を真似て
「受け取らない」などと気取っても無駄です。

260 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 12:52:47.25 ID:C+LGmqGx.net
>>30 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi
>やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

>親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

この9月9日時点のID:AfDf9bbiはペテン大作さんだとわかります。
ところで皆さんは殊最近のペテン大作さんの昼夜問わない必死の書き込みに
既に病院で診てもらった方がよいレベルの心の病み様ではないか?と感じるのは私だけではないと思います。
病院とはもちろん精神神経科です。
と言って私はキチガイだと馬鹿にする気持ちは毛頭ない。
なぜなら今時精神神経科にかかるなんて当たり前のことであり、恥などではない。
これは私がもう20年近く前に不眠症にかかり勤務がメチャクチャになった時に
当時の職場の上司が、アメリカなどを例にそうすべきだと神経科受診を薦めてくれた。
恥ではないと。
だからペテン大作さんも受診すべき時は受診するのが賢い人生の選択だと思う。
この>>30の書き込みは私がアゴン宗退会後もこうして批判の書き込みに余念がないことを
亡き父などは知らなくてよかった、知ってたらさぞかし悲しむことだろうに
と哀れんだつもりです。
しかし私はアゴン宗を退会した経緯としてネットの掲示板でアゴン宗の欺瞞情報を知り
自分は信者としてそれに反論、議論もした上で目が覚めて、よく理解して
アゴン宗を退会したと両親に表明したこともあります。
今でも批判側としてアゴン宗を客観的に批判する意見を書き込むことに対しては
何一つ恥じることのない活動だと自信があり、なんなら両親に私の書き込み内容を
プリントアウトでもして読ませてやりたいくらい自信がある。

261 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 12:54:44.74 ID:C+LGmqGx.net
>>30 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi
>やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

>親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

それから私は父が亡くなってまもなく少し書き込みの自粛表明もここに書いたが、
しかし少しして取り消すことにした。今でも喪に服するなんて気持ちは一つもない
と堂々と宣言したいし、やるべきことはやりつつ余暇含めた他の活動は
ますますハッスルしたいと思っている。
しかしこのような感覚は人により考えも違い個人差がありましょう。
だから私は自分のことだけで他人に関与しない。
しかしペテン大作さんのように私の書き込み活動に対して上記のような嘆きの発言を
投げるなら、それは自分に投げたことになるだろう。
病院受診を心配されるような異常な執念、親は悲しんでないか?と。
ペテン大作さんの親御さんがどうしてらっしゃるか知らないが。

262 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 12:55:52.72 ID:gGa3HF0/.net
はっきり言っておく。

釈迦の説いた修行は全て本末転倒のお遊び、道楽でしかない。

263 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:00:40.51 ID:gGa3HF0/.net
宗教の原型、基本は全てここに集約されます。仏教も同じ。
私が再三説明してきた殉教(肉体の死ではない)や割礼(心の割礼)、出家(魂の出家)と同義です。


🔷日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。
これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれます。
たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。

264 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:02:18.48 ID:+91XUQcG.net
>>250:深山
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
>「心の安定」が解脱を表すことは、阿含経を読んでいる人にとっては常識です。

その「心の安定し」はパーリ三蔵にはありません。
原文には無いのです。
これを何度も言ってるのだが、それを無視して書き続ける。
もう反論する余地が無いから仕方ないのは分かるが、
こういう醜態は見ていてあまりにも哀れですね。

>>251:深山
>繰り返すが、四禅で解脱すると言っているのではありませんよ。
>誰がどう読んでも、四禅の説明の所に、釈尊は解脱していることを表明している。
>私はただそれを指摘しただけです。

ご覧ください。
結局、この人の言いたいのはこれです。
釈尊は四禅で解脱を主張してるぞ、でも俺は言って無い。
もうこの人は議論する資格すらありません。

265 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:12:25.39 ID:gGa3HF0/.net
釈迦の優しさは傲慢の裏返しである。

266 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:15:53.29 ID:+91XUQcG.net
>>252 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/15(火) 12:20:06.50 ID:OhkcSJdG
>576 :神も仏も名無しさん:2015/09/07(月) 00:48:17.31 ID:NTTxSMEs
>深山さんは、四禅で解脱していると書いた。

>576が七年間、ペテン大作さんが書き続けたことです。
>ところが、根拠がないことを示されて、ついに>>190を認めた。
>七年間主張した事を変えたのです。

私が七年前か書き続けたことを、深山さんはどうして今になって急に言い出したのでしょうか?
それは、四禅で解脱するというのが嘘であることを、本人が気づき始めたからです。

>>253:深山
>彼の「深山は四禅解脱を主張した」は完全に嘘であり、
>彼自身が>>190で認めるしかなくなった。

認めたわけではなくて、「深山は四禅解脱を主張した」と書くと、
どこに書いてあるかと煩いのでやめただけです。

でも四禅解脱が嘘であることを、深山さんが気づき始めたことは、進歩だと言っていいでしょう。
7年間にわたる彼の誤解がようやく溶け始めたのですから。
私のレスが役に立ったのかと思うと嬉しいですね。

267 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 13:19:50.08 ID:+91XUQcG.net
>>256>>257:深山

私には謝らなくてもいいから、
釈尊には自分の間違いを認め謝罪してください。
私は見てませんから気にすることはありません。

268 :一来補:2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy.net
四禅を会得しても完全な涅槃ではない、という意見は仏教学者の意見です。岩波仏教辞典の「四禅」の説明に書いてあります。我はその学者の説明を支持しているだけです。

深山くんは、「心の安定」という訳を読んで、解脱の表明だと勝手に思い込んだに過ぎない。
学者は「心の安定」と訳しただけで、解脱とは訳していない。「心の安定」が解脱を示すことは阿含経の常識だと深山くんがレスしていたが、それも勝手な思い込みだね。そういうのは文脈全体から慎重に判断せねばいけない。

そういう勝手に判断する深山くんの癖が、桐山教法についても間違った解釈をして、大間違いの批判をしているのです。そういう人が、
阿含宗で失敗したのは当たり前ですね。

269 :一来補:2015/09/15(火) 15:05:01.85 ID:jfb6XtVy.net
だいたい、少し勉強すれば、四禅は色界の禅定法だと分かるし、そうすれば四禅で完全な涅槃を得たことにはならない、と分かるはずだね。
なのに、心の安定、と訳がある。
どういうわけか?訳の間違いか?
と考えていくのが普通の人だね。

深山くんみたいに、心の安定、と訳があるから四禅で解脱するのだ、と単純に考える人が珍しいわけでね。
大局的に考える力に欠けていると、そうなるのですね。

270 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 15:07:02.33 ID:gGa3HF0/.net
はっきり言っておく。

釈迦が行ったとされる修行は伝聞されていない。
当たり前である。悟るための修行などありはしないのだから。

262
*釈迦の説いた修行 → 釈迦が行ったと伝えらる修行

271 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 17:14:12.47 ID:xgH7kbIO.net
別にすれば、生老と謂う輪廻と病死と謂う転生のいずれのなかうち、輪廻が弁証されるば再生となり回答ではないしました。輪廻にアートかないのか

272 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 18:29:08.07 ID:gGa3HF0/.net
天界に生まれよ。
輪廻から解き放たれん。  釈迦

この釈迦の考えは宗教の基本形と一致します。
また、キリスト教にお詳しい方はピンとくるはずです。

宗教とは真実の世界なのですから一致しないほうがおかしいのですが。

273 :一来補:2015/09/15(火) 18:41:15.24 ID:jfb6XtVy.net
だが、己の間違いに気づくことは良いことだ。
それが成長でもある。己の間違いに気づくことは楽しいことであるよ、新発見であるからね。
だが、深山ユビキタスくんなどは、己の間違いに気づくことが苦痛らしい。レスを見てそう感じる。己の我見を自覚したことがないからだろう。

我は、輪廻する葦本を読んで、煩悩の数が百八でないことを知った。それまでは百八だ、と思い込んでいたから、それが我見を自覚した最初であるね。輪廻する葦本には、我見を無くす修行からせよ、と書いてあった。
自分には煩悩の数を間違って思い込んでいるような、我見が沢山あるはずだと考えた。桐山師の本の指導に
素直に従ったのは当たり前です。

深山ユビキタスくんには、我見の自覚がないのではなかろうか。シュダオンに成らないうちは、必ず我見があるのですよ。間違って思い込んでいることが必ずあるのですよ。それが我見です。

274 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 19:54:19.45 ID:C+LGmqGx.net
光明寺経蔵サイト−沙門果経−のパーリ原文との対比現代語訳
http:komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c18.htm

234-1.

234.“So[puna caparam maharaja bhikkhu so(ka.)]evam samahite citte parisuddhe pariyodate anangane vigatupakkilese muduhute kammaniye thite anenjappatte nanadassanaya cittam abhiniharati abhininnameti.

訳文

彼は、そのように入定した、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去った、柔軟な、行為に適した、往立した、不動を得た心において、智慧による見解に心を向け、転じさせます。

samahite 入定した、定置した
parisuddhe 清浄の
pariyodate 浄化した、清白の、すぐれた
anangane 無穢の
vigata 去った
upakkilese 小さい煩悩、随煩悩、随染

275 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 19:56:07.92 ID:C+LGmqGx.net
光明寺経蔵のリンク貼り直し
http://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c18.htm

276 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:04:37.35 ID:C+LGmqGx.net
>>264 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 13:02:18.48 ID:+91XUQcG
>その「心の安定し」はパーリ三蔵にはありません。
>原文には無いのです。
>これを何度も言ってるのだが、それを無視して書き続ける。

どういうことでしょうか?
>>274に沙門果経の該当の箇所のパーリ原文と訳文を掲載し、根拠となる単語の意味も添えました。
心が安定の箇所は安定ではなく入定したになっていますが、意味は安定と同じですし、
清浄も無穢も随煩悩を去ったもあり、これは、春秋社の原始仏典の学者の訳も
この訳も極めて原文に忠実に訳し、意訳すらしていません。
これなのに、どうしてあなたは原文に無いなどと言うのですか?
必ず回答してください。

277 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:11:05.31 ID:C+LGmqGx.net
>>268 一来補 2015/09/15(火) 14:29:48.00 ID:jfb6XtVy
>四禅を会得しても完全な涅槃ではない、という意見は仏教学者の意見です。

はい、そのとおりです。四禅を会得して涅槃に入るのではない。
しかし深山さんも私もペテン大作さんも誰もそんなこと言ってないのです。
誰も言ってないことに突っ込んだ気になってどうするの?
ほな、さいなら。おやすみなさい。

278 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 20:36:27.90 ID:/ETSQlE1.net
相変わらず気持ち悪いなw この砂場でしかおやすみなさいって言わないんだろ? ここがホームだからなw

279 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 20:39:22.52 ID:C+LGmqGx.net
>>278
おかげさまでハッスルしてるもんで(^◇^)┛

280 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:24:07.74 ID:+91XUQcG.net
@論拠が無ければただの妄想。深山説はカルト脳が作り出したゴミ!!!

>>251:深山
>だから、私が>>228>>55さんが引用してくれた学者による翻訳を三つ示した。
>同じ原文を三人の学者が訳したものです。
>三種類の訳が載っているが、「心が安定」「心が、安定」「安らかに住して不動」と
>表現は微妙に違うが、これから見ても、「心の安定」という訳は間違いない。
>ご存じと思うが、これらを訳した三人は仏教学の大家です。

その三人の仏教学大家の一人、片山一良氏は、「心が安定」を解脱とは解釈していない。

「ここにいう「心が安定し」には 四禅に四無色定を含む八等至の自在が意味されて いる。」
(『パーリ仏典入門』96頁)

「カシナ(遍)の順逆など十四種の行相により、<八種の禅定(samāpatti)において自在になっていること>をいう。」
(『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、55頁)

また、他の学者の解釈として、以前にこれも紹介した。

「このように、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、
不動なものとなると、かれ(修行僧)は、〔次のような〕理解洞察に対して心を傾け、〔心を〕向けます。」)
                       『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修)
(上の註として)
「神通を行なうには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」(pādakajjhāna)と呼ばれる。
「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している」 (同書605頁)

「心が安定し」の解釈としては、八等至とするもの、第四禅とするものがある。
それに対して、「解脱」と解釈しているものは一つも無い。
あなたに要求したのについに出せなかったし、こちらも調べたが無かったということは、世の中に存在しないからだろう。
議論においては、主張を裏付けるものが無ければただの妄想です。
あなたのは正にそれにあたる

281 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:26:01.31 ID:+91XUQcG.net
@経典中の「心が安定」は解脱であるという論拠は出せないようだ!!!

それと、あなたは「心が安定」という語句が仏教では解脱を意味すると言っている。
もしそうであるなら、前にも書いたが、「心が安定」という語句は、第二禅に出てくる。

「比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、
心の安定より生じた喜びと楽のある、第二の禅定に達して住みます。」

あなたの理屈でいけば、「心が安定」が解脱の意味なら、比丘は第二禅で完全解脱したことになる。
これについては反論が無かった様だが、どうなんですかい?
まあ、反論できないからスルーしてるのだろうけどね。

@深山さん、比丘は四聖諦で解脱する話には反論無しですか?

「心が安定し」にばかり噛み付いているが、
>>242「1.経典には「比丘は四聖諦を知った後に解脱する」と書かれていること。」
については反論しないのか?
できない?
分かりました。

282 :総統:2015/09/15(火) 21:33:44.92 ID:FuRSCmcj.net
このスレは阿含批判でなく俺様がブッタの智慧を理解している賢者だと天狗になるスレだw
それもブッキョー本やサイトのコピペに受け売りで

ブッキョーマニア餓鬼VSブッキョーマニア餓鬼のリングですたい。

ハッスル軍はユビキタスでモンスター軍はと

283 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 21:41:57.32 ID:df7GZbQX.net
>>262, 皆さんがとやかく仰る事がとうとう此処に尽きるのです。
 阿含経には明確な修行方法が残っていない。
 世間有効な事が有ったならば此処までの謂われ方はない。
 私の見解ではそっくりと肝心な伝承を消された文献、それが我々が今見ている阿含経である。
  その理由とは、出家し年月を経ても法を得ない比丘たちが己の立場を護る為に
 わざと肝心の伝承を消滅させた経を後世に伝えた。
 出家して形のみ49日ごとに剃刀で
 頭を剃り、托鉢して衣食を得ることの方が泥にまみれ農耕などするよりも安楽だったからです。
 形態のみ僧であっても中身は俗人よりも劣る坊さんが上座に上りエバリ腐った結果である。
 と考えています。
 
 (釈迦直弟子と孫弟子までは成仏する比丘あり)と記録にあって以後は途絶えます。
 括弧の中のその理由を考えると以上の推理に及びます。
 では桐山師が提唱する密教と阿含経のミックスがどれ程有効なのか?
 という疑問に行き着くのですが、いかんせん密教は難し過ぎて手に負えない
 人が殆どです。
 生起次第、究境次第と言う用語は西蔵の密教用語ではありますが。ほぼ
 同様の観相熟達を要しますので修行は困難極まると申せます。
 
 

284 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:04:57.35 ID:C+LGmqGx.net
おや?>>276で私がペテン大作さんに質問した回答がまだ来ないな?
>>280>>281を書く時間と元気がありながら。
私の質問に対する回答よりも前に自分が深山さんにつけたい>>280>>281のような
いちゃもんでも主張でもするのは自由です。
だから私はそれが終わるのを待つことにしました。
しかし>>281で止まったっきり私には無視ですか?
私の質問内容は>>280>>281であなたが主張しているような「心が安定し」を解脱と
認めるか認めないかという解釈の問題ですらありません。
「心が安定し」はパーリ三蔵にない、原文に無いと書いた真意です。
これは解釈の問題ですらない。
どういう真意でこれを書いたのか説明してくださいというものです。
あなた自分の発言に責任を持てないのですか?
原文にないと書いた理由、根拠を説明してください。
私はパーリ原文と訳文を引用して示しましたから。
これには自分の考えだの解釈なんてものはありません。

285 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:10:26.84 ID:FuRSCmcj.net
>>284
tubeに妖怪大戦争の映画がUPされてるから見たまえ、
まさしく、ここだ。

286 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:12:58.75 ID:Lp4bxmqc.net
>283
いや密教はヒンズー教を取り入れたものだしw
もともとないものを無理やりこじつけるから難しくなる
阿含経は消されたんじゃなくて、まんま釈迦の言行を載せたものだし
まあ多少いらん物はいっているらしいが、
消されたとかいってるのは桐山さんの言うような超能力霊能力開発方法
とか求めるからだろ、そんなもんハナからねえよw桐山さんの言うようなのは
妄想語ってんじゃねえよw

287 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:29:17.82 ID:+91XUQcG.net
>>276 :ユビキタス
>心が安定の箇所は安定ではなく入定したになっていますが、意味は安定と同じですし、

samāhite(入定した)は、samadhi(三昧)とかsamāpatti(禅定)とかの類語だろう。
この samāhite を学者たちは、「心が安定した」と翻訳したのだろう。
「原始仏典〈第1巻〉」で、“「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している”
という説明は、samāhite(入定した)から来ているのがわかった。
これが解脱だなんてどこから来るんだ?

288 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:40:45.33 ID:C+LGmqGx.net
>>287 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:29:17.82 ID:+91XUQcG
>これが解脱だなんてどこから来るんだ?

だからこれが解脱であるかないかの話ではないと書いたでしょう。
原文に無いと書いたそこの部分にのみ質問したのです。
心の安定は誤訳であり、単に禅定に入ったとするのがあなたの主張か?
あなたはまたごまかしている。安定の訳だけにいちゃもんをつけるが、
では清浄や無穢や小さな煩悩去ってという訳はどうなるのだ?
我々は安定だけでなく、清浄も無穢も随煩悩去っても立派に解脱の状態、内容
(時期、時間、段階の話ではない)を表現したものとしている。
清浄、無穢、煩悩去って、これらの訳に相当する言葉もパーリ原文にないとするか?
あるじゃないか!
それを解脱とみなすかどうかは次に考える問題として。

289 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:43:10.29 ID:+91XUQcG.net
おや、ユビキタスはまだ返事が来ない。
まったくこいつときたら質問ばかりしてきて、
こちらが訊いたことはスルーするんだよな。
心解脱、慧解脱についてもそうだった。
イチャモン付けてきて反論されたらそれっきり。
まったく世話の焼ける小僧だ。

290 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:46:27.48 ID:C+LGmqGx.net
>>289
>>288にしましたが?

291 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG.net
>>288
>あなたはまたごまかしている。安定の訳だけにいちゃもんをつけるが、
>では清浄や無穢や小さな煩悩去ってという訳はどうなるのだ?

どうもこうもない。
「心が安定」という言葉が原文に無いといっただけで
清浄や無穢や小さな煩悩去ってが無いなんて言ってない。
これらの言葉があっても解脱ではない。
「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。
いくら強弁しても駄目。
比丘は四聖諦を知ったあとで解脱するのだから
「心が安定し」の文句には解脱の意味は無い。
わかったら歯を磨いて寝ろ。

292 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 22:59:11.47 ID:C+LGmqGx.net
>>291 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG
>「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。

なるほど。光明寺サイトの訳はよくても春秋社の訳は意訳し過ぎとしたいわけね。
禅定に入るとはまさに心を安定させることに他ならない。安定しない禅定などない。
ならばあなたの入定「解釈」は、受け入れる受け入れないは別として一応理解したが、
結局経典は安定以外に清浄とか無穢とか随煩悩去ってとマルチに表現しているのだから
安定表現一つとって解脱ではないとするには、それこそ無理押しではないか?

293 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:08:52.09 ID:C+LGmqGx.net
>>291 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 22:51:20.59 ID:+91XUQcG
>「心が安定」は、第四禅に入定したことを表現してるだけ。

だって第四禅に入定しただけで、随煩悩というものは去るものなんかい?
去りゃせんよ。もっと深い禅定でも煩悩は去らなかった修行経験があるのだから。
だから安定(四禅に入っただけというあなたの解釈)=清浄=無穢=随煩悩去る
という図式はあなたの解釈では成り立たないことになる。
ではあなたの頑なな入定解釈を妥協してでも認めてあげるとすると、今度は
安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るという図式になる。
経典に清浄や無穢や随煩悩去るまで記述されちゃっているのだからね。
そうなると解脱と認めるか認めないかの考察は、今度はそこに目を向けねばならないが、
よろしいか?

294 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:09:13.53 ID:+91XUQcG.net
>>292
>安定表現一つとって解脱ではないとするには、それこそ無理押しではないか?

全然無理押しではない。
心の安定しは第四禅に入ったことの表現なんだから、
比丘は第四禅に入って智に心を向けたということ。

295 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:12:17.96 ID:+91XUQcG.net
批判側も大変だ。
完全に論破されているのだが、
とにかく書かないことには負けてるように見えてしまう。
明日もカルト脳さんが頑張るのだろう。

296 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:12:35.21 ID:C+LGmqGx.net
>>294
無理押しとは「清浄、無穢、随煩悩去って」の記述もあることを無視して
安定表現だけで結論を急ぐことを言っているのさ。

297 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:18:56.41 ID:+91XUQcG.net
>>293
>ではあなたの頑なな入定解釈を妥協してでも認めてあげるとすると、今度は
>安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るという図式になる。

批判側は、心の安定=清浄=無穢=随煩悩去るという図式だったよな。
今になって変更しても駄目です。

298 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:19:27.11 ID:SIb5ufPm.net
桐山がとても滑稽にみえるよ。アホにさえ見えてくる。

解脱とは魂の道筋そのもの。そしてその過程は修行ではない。
しかし仏典にかかれているそれ(出来事)を人は悟り至れる修行と勘違いする。
釈迦はそれを諌めようとするも弟子たちは理解せず。
解脱への道は一つだけ。魂の道筋の入口に入るのみだと言うのに。

299 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:22:51.85 ID:C+LGmqGx.net
>>295
あなたが書いていることはそのまま自分自身のことを表現していないか?
親御さん発言も然りで、昼に逆にあなたの親御さんは心配していないか?と書いたとおり。
これは全くの憶測だが、あなたは親御さんと同居していないか?
妻子がいるようには見えない。
だとすると私が妻子がいないことを貶したことがあるが、それも自分を貶したことになる。
私の独身は自分で晒したものだが、あなたはコンプレックスが深いのですね。
親御さんと同居すると勝手に想像したのは私に風呂掃除のことで腐したことから。
風呂掃除なんて誰でも普通に当たり前にするだろ?
そんなことを腐しにかかるとは自分も風呂掃除をしてないからでないか?
つまり同居の親御さんにまかせきりなのではないか?と考えた次第。
また親御さんと同居ならば失業していてもなんとかなる。
親御さんを食わせ養うのでなければ。
いや、親御さんと同居は貴重なことですよ。
あなたは関東生まれの関東育ちだと思えるから、わざわざ別居しなくてよい。
親孝行ができる時にしておくがよい。悲しませないように。

300 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:25:38.58 ID:+91XUQcG.net
>>299
おい、いきなり何言い出すんだ?
これもカルト脳がなせる業か?

301 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:26:08.67 ID:C+LGmqGx.net
>>297
ほう?安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るの図式の変更は認めないよ、ってか?
その図式だと困る理由とかあるんですか?
とにかく経典はあのシーンで清浄、無穢、随煩悩去るを記述しているのは
動かせない事実なんですよ。

302 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:27:03.38 ID:+91XUQcG.net
残念ながら風呂掃除してます。

303 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:30:01.52 ID:+91XUQcG.net
>>301
>ほう?安定(四禅入定)→清浄、無穢、随煩悩去るの図式の変更は認めないよ、ってか?
>その図式だと困る理由とかあるんですか?

困るのではなくて安定=清浄=無穢=随煩悩去るで正しいのです。

304 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:36:27.28 ID:C+LGmqGx.net
>>303 神も仏も名無しさん 2015/09/15(火) 23:30:01.52 ID:+91XUQcG
>困るのではなくて安定=清浄=無穢=随煩悩去るで正しいのです。

私もそれで正しいと思い、→に変更する気などありません。
しかしそれだとあなたは安定を単なる四禅入定の表現とみなしたのだから
すると人間というものは四禅入定するだけで清浄になり無穢になり小さな煩悩までも
なくなってしまうとみなしたことになる。
釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

305 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:40:28.36 ID:C+LGmqGx.net
>>304
おっと!ペテン大作さん向けに表現変更。

×釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
 結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

○釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
 結局それでは煩悩はなくならず、師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

306 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/15(火) 23:41:41.22 ID:C+LGmqGx.net
>>302
ではお互いに独身生活を謳歌しましょう。

307 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:46:05.22 ID:+91XUQcG.net
>>304
>すると人間というものは四禅入定するだけで清浄になり無穢になり小さな煩悩までも
>なくなってしまうとみなしたことになる。
>釈尊は四禅よりも深い九次第定の瞑想にトライし、これのマスターに成功したが
>結局それでは解脱を得られず師の下を離れたことと矛盾するのではないですか?

ユビキタス、よくぞ言った。
今日一番のレスだ。
四禅とはそれだけ深いものなのだよ。
だが、四禅だけでは、解脱は成就しなかったのです。

話はそこまで。
二人の仙人の話は少し複雑なのでやめましょう。
興味があったら、並川氏が色々書いてますので
読んで見て下さい。

308 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:54:16.30 ID:+91XUQcG.net
>>299
>親御さんと同居すると勝手に想像したのは私に風呂掃除のことで腐したことから。
>風呂掃除なんて誰でも普通に当たり前にするだろ?

少し気になったのだが、私、風呂掃除のことで腐したかな?
フーゾクのことは言ったけど、記憶に無い。
別の人じゃないか?

309 :神も仏も名無しさん:2015/09/15(火) 23:57:43.78 ID:SIb5ufPm.net
はっきり言っておく。

魂の道に入りそして出る過程に解脱あり。
現実に何かをすることで解脱に至ることなし。

310 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:04:20.64 ID:h0CLIwwt.net
>>307
>>305の訂正をよく読んでね。
九次第定で煩悩の滅を得られなかったのです。
それが解脱であるかはここではさておくとして。
ところが今回はなぜか四禅の入定を終えた段階で煩悩が去っている。
これはどうしたことか?
つまり四禅なんて条件の一要素に過ぎず、煩悩滅に成功したのは別の精進があったからです。
正見(慧)に基づく正定などの八正道の実践。
四禅という立ち位置にとらわれないことです。
時に私は地理、場所にこだわる。これまで全国47都道府県で172球場+11学校グランドで
野球観戦を続けているのは場所へのこだわりです。
しかしそもそも野球なんてものはその勝ち負けの技術を考えるならば野球場が
左右するものではない。
私が多くの場所にこだわるのは、日本百名山とかを求める自己満足の趣味に過ぎない。
しかし仏道の修道とは趣味ではない。場所ではない。立ち位置ではない。
内容です。
だから三学系統の段階的修行道だけに目を奪われず八正道の螺旋的修行道との関連に
着目したニカーヤ論文は注目すべきなんです。
本来は初心の段階でなさねばならない正見の内容は、どうして最終段階の慧と同じなのか?

311 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:11:00.79 ID:xPDV6Cd/.net
>>299
これのことか?
だったら私=>>295ではない。


144 :神も仏も名無しさん:2015/04/30(木) 08:41:45.15 ID:mucNZsnH
もう二度とユビキタスは来ないね 自分から正体バラしたようなもんだ
○十字診療所のお医者さんは千葉大医学部卒だから、そのコネで入れてもらったんだろ
ユビのお母さんは旦那さんが亡くなって気落ちして認知症がひどくなったんだろうな
もうこの辺で2ちゃん卒業したらどうだ? 実家に戻って風呂掃除はやってるのか?

312 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:15:46.74 ID:xPDV6Cd/.net
>>311
>だから三学系統の段階的修行道だけに目を奪われず八正道の螺旋的修行道との関連に
>着目したニカーヤ論文は注目すべきなんです。

自分で見つけたように言うなよ。
教えてもらったくせに。

自分で

313 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:22:41.15 ID:h0CLIwwt.net
>>312
ニカーヤ論文については誰が発見したかではなく、どこをどう読んだかという点が重要なわけ。
あなたは三学系統の段階的修行道だけに着目しただけに過ぎない。

314 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 00:24:25.65 ID:h0CLIwwt.net
>>311
その書き込みは違う人かもしれないけどね。

315 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 00:51:12.89 ID:xPDV6Cd/.net
>> :ユビキタス
>あなたは三学系統の段階的修行道だけに着目しただけに過ぎない。

そういう嘘を言うなよ。
八正道についても書いている。

374 :神も仏も名無しさん:2015/09/01(火) 11:43:08.24 ID:WaO8YENg
@三学と八正道は同じ修行方法だった!!!
八正道の修行法

>>314 :ユビキタス

ではどの書き込みだ?
私が書いたというレスを示しなさい。

316 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 01:02:10.52 ID:h0CLIwwt.net
>>315
八正道と同じだから八正道もまた段階的修行道の順番であるに違いないという
読み方しかしていないのが丸わかりよ。
八正道を行う基本は正見による正邪の判断が、正定や正業や正語や正思惟の基盤に
なっているわけだが、その正見は三学系統の段階的修行道の中では一番最終の
慧の内容が相当する。
これはいかなることか?
ならば最終の慧(三明の立ち位置)を得るまで正定も実践できないことになってしまう。
ところが実は三明以前に定・慧を絡めて修行しているのです。

それから風呂掃除腐しがあなたでないとするのなら、それは私の見込み違いであり、
憶測をするにしても誤謬があり、誤解を与えたことをお詫びします。
まあ要は親と同居だろうが独身だろうが、そんなことを他人を非難する
材料にしてはいかんと言うことよ。

317 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 01:32:25.83 ID:Z+gSbEJ8.net
People & People - Englishman In New York (Sting)
https://www.youtube.com/watch?v=cxYATmeZDk8

Englishman in New York - Julien Riviere cover
https://www.youtube.com/watch?v=K5r-eaMtu4w

Nomad | Funk Alaturka - Englishman In New York (Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=6-t14OvYEak

318 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 02:15:43.81 ID:xPDV6Cd/.net
>>316:ユビキタス
>八正道と同じだから八正道もまた段階的修行道の順番であるに違いないという
>読み方しかしていないのが丸わかりよ。

八正道も三学も修行の順番は同じです。
あなたは理解していないようですね。
ニカーヤ論文の10頁の中段から下にかけて説明があります。
「修行の方法としては三学系統と全く変わらない」以下の文章です。

>まあ要は親と同居だろうが独身だろうが、そんなことを他人を非難する
>材料にしてはいかんと言うことよ。

私がいつ同居か独身かであなたを非難しましたか?
>>295で私が書いたことに対して、あなたは、私が風呂掃除を腐したと言い、
私を独身だの親と同居してるだのと勝手に憶測を並べた。
これは褒めているのではなく貶しているのです。
非難したのはあなたであって私ではありません。
言いがかりはやめてください。

319 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 07:48:18.68 ID:h0CLIwwt.net
>>308
まず三学と八正道の問題に関しては後回しにして切り分けるが、風呂掃除発言の主に関しての
詮索違いがあったのなら改めてお詫びする。何しろ詳しく過去スレを遡らないと
たしかめられず、この問題ごときでそんな労力を費やす気がない。
白十字うんぬん書いていたのはあなたと別人であるとは前々から思っていた。
しかし独身のことを貶したり風呂掃除発言の主があなたと関係あるのかははっきり
しなかったと言うか、口調その他からあなたと誤解していたと思う。
以前に人間は結婚して子どもを養うことが任務だと、狭い了見を書いた人がいた。
あれはあなただと思っていた。
ではもしそう書いた人も独身だとすると、その発言には何の説得力もなく、
他人を批判する資格はないことになる。
今回はっきりしているのは>>30>>295が同日のIDからペテン大作さんとわかる。
>>30では私の肉親が私の今の状況を知らなくてよかったと嘆いてみせている。
ならばその言葉は逆にペテン大作にそのまま返してあげたいと思った。
ペテン大作さんが独身であろうが妻帯者であろうが、親と別居していようが、
あなたの異常な執念は親が見たら悲しむだろうと思った。
だから他人のことなど言えないはずだ。
>>295についても同じで論破されているのにいろいろ書くことにより勝ち誇る空しさは
そのままペテン大作さんを表している。
そんな話の中で、独身やら親の話もこの際憶測だと断りを入れて書いてみたのだが、
事実と異なるのであれば謝罪はしたい。
詮索をする方(私)に問題があるとは言え、あなたもできれば混同を避けるために
昔のようにハンドルネームをつけてくれるとありがたい。
あなたはまだ深山さんが名無しで書いており、私はいかなる時でもユビキタスを名乗り
あなたもいろいろなハンドルを使っていた時、ユビキタスのあり方が正しく
名無しさんもハンドルをつけるべきだと書いていた。
ところが今度はあなたが名無しになってしまった。

320 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 07:50:29.91 ID:JMO7Szzw.net
 
深山里的孤独老人   http://www.xici.net/d210509038.htm

321 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 08:00:10.02 ID:mgHJbqFX.net
しくじり先生に出た辺見マリの話しはすごい。
http://news.livedoor.com/article/detail/10530667/

番組見た人は知っていると思うが、ここも同じだよ。

322 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 08:08:20.36 ID:h0CLIwwt.net
今日は朝から普段よりいろいろ仕事があるので、今朝はここまでとするが、
また八正道と三学の問題について考察してみたい。
ここは仏教を考察するスレではないのだから、桐山アゴン宗に関係ない仏教考察は
スレ違いになるのだが、桐山さんが説いている成仏法技法と八正道に見る
教えの実践による解脱との違いを理解してもらえる材料にできたらと考えている。
三結断じて預流・シュダオンだが、ニカーヤ論文には、その三結の有身見・疑惑・戒禁取と、
それを断つ慧の問題も書かれているし。
三結から離れるのは慧の働きです。
この慧の悟りが一番最後にしかなかったら釈尊は三明で、預流となりシュダオンに
なったことになってしまう。
そんなことも含めて考察したいが、ニカーヤ論文のリンクを先に貼り直しておく。
ここはペテン大作さんとの対話だけにあるのではないのだから、公開を基本とする。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6940/1/ib004001.pdf

323 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/16(水) 08:27:14.89 ID:h0CLIwwt.net
>>212 神も仏も名無しさん 2015/09/13(日) 21:34:37.90 ID:58t+T3CW
>ですから、実際の修行道である「八正道」では最初に「 正見 (漏尽智) 」と「正思」という
>「慧 ( 慧 → 戒 → 定 ) 」 の 修行 が置かれているのです。

ペテン大作さんが自説を強化してくれると思い込み、ワンダフル!と賞賛した中には
引用しなかった上記の部分もね。

324 :神も仏も名無しさん:2015/09/16(水) 08:39:49.13 ID:xPDV6Cd/.net
>>319 :ユビキタス
>>295についても同じで論破されているのにいろいろ書くことにより勝ち誇る空しさは
そのままペテン大作さんを表している

論破されたのはあなた方でしょ?



>>199
それよりも、梵網経を読んでみて解ってきたことがあります。
それはあなたが主張する以下の内容を肯定するものです。
 「釈尊は「比丘が解脱するのは四聖諦の後である」と述べた点。
です。
つまり、「沙門果経」では四禅の後に完全解脱するという主張は正しい。
だから、沙門果経での四禅は完全な解脱の境地ではないということです。

>>212
最後の 四禅定 の中には、痴(愚痴)という最強の固執が内在しているのです。
それを破るのが<慧>の中で最高の智慧だと釈尊が説いた「漏尽智」であり「四聖諦」を知って
「貪・愼・痴」という三つの煩悩から完全に解脱したのです。

総レス数 606
516 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200