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阿含宗という宗教256

209 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 19:34:30.05 ID:58t+T3CW.net
>>207(続)

釈尊が説く煩悩は「貪・愼・痴」という三つの煩悩に分類でき、
これらは、三受(苦受・楽受・不苦不楽受)と深く関係しています。

苦受に「愼」、楽受に「貪」不苦不楽受に「痴」が、それぞれ潜在しているのです。
そして、これらにアプローチしている瞑想法が、「四禅定」です。

ところで、第四禅定で、苦もなく楽もない「不苦不楽受」に達して住むと説かれていますが、これはいったい
どんな状態なんでしょうか?
実はこれは「非想非非想処」と同じ状態だという研究者もいます。
そして、「不苦不楽受」は「痴」の煩悩がまだ残っている状態なんです。
これを消滅しなければ完全解脱といえないのです。

あらためて、痴(愚痴)の煩悩とは何でしょう?
これは調べてみれば解りますが、「無我」などの真実を理解納得できぬ<こころ>の働きなのです。
ですから、バラモン達も四禅を説くが、この「痴」の煩悩が消滅していないのです。

ここで、>>204 の梵網経の話に戻しましょう。
彼らバラモンも現法涅槃論で四禅を説くが、我を認めているので「痴」の煩悩が消滅していない。
だから、釈尊はこれらの論も「囚われた見地で涅槃に導かず来世をもたらす」と説かれた訳です。

続く

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