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阿含宗という宗教256

19 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:02:17.80 ID:AfDf9bbi.net
@「心が安定し」は、解脱ではない。

456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。
心が欲望などで悩乱されないから安定し、煩悩という不浄がないから、
清純で純潔で汚れがなく、大きい煩悩はもちろん、小さい煩悩もきれいに
掃き清め続ける、これを解脱というのです。


※「心が安定し」が解脱ではない理由。

1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。

『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

2.第二禅に同様な文言が出てくること。

『比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、
心の安定より生じた喜びと楽のある、第二の禅定に達して住みます』

3.仏教学者が解脱だと解釈していないこと。
 
「心が安定し」は、八等至(四禅+四無色定)の自在(『パーリ仏典入門』片山一良、大法輪閣、96頁)

「心が安定し」は、基礎となる禅(第四禅)に入ったこと(『原始仏教T』中村元監修、春秋社、605頁)

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