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阿含宗という宗教256

177 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 09:19:26.82 ID:dHN3VZcW.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

今回深山さん等は「小さな煩悩も離れ」にしがみ付いている。
彼は必死に岩波仏教辞典学者を調べ、
解脱の定義で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、
「小さな煩悩も離れ」にしがみ付いた。
だが、「心の安定」は、第二禅にも出てくる表現であるから解脱ではない。
「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
であり、「心の安定」≠解脱なのだから、
当然「小さな煩悩も離れ」≠「解脱」となります。

これを解脱と見るか、見ないかは、各人の解釈の自由に任せる問題ではない。
釈尊は四聖諦を知った後で比丘は解脱するのだと述べているのだから
「小さな煩悩も離れ」は解脱ではない。
深山さん等の、解脱の定義から引用した都合のいい言葉の解釈を信じるか、
釈尊本人の言葉を信じるかといった、各人の自由に任された問題ではない。
経典の記述から離れた解釈をしたら、もはや仏教ではなくなってしまうからです。

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