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阿含宗という宗教256

166 :神も仏も名無しさん:2015/09/13(日) 00:05:39.21 ID:dHN3VZcW.net
>>101
>その斥けられた見解の中に現法涅槃論(五種)が含まれているのです。
>釈尊は現法涅槃論を斥けています。
>それらすべてが囚われた見地であることを指摘し、退けている。

その現法涅槃論(五種)というのは、バラモンの考えた現法涅槃でしょう。
釈尊はバラモンの現法涅槃を斥けたのであって、現法涅槃そのものではない。
違うというのなら、以下の記述はどう考えるのか?

「ブラフマジャーラ経の現法涅槃論の論点は五種の現法涅槃論が最上であるか否か
ということであり、それ自体の是非が問われているわけではないと考えるべきであろう。
批判の対象は、色界四禅など五つの宗教的境地を現世における涅槃の最上と見なすことにある」
(『ゴータマ・ブッダ考、並川孝儀、大蔵出版、93頁)

>>147 :ユビキタス
>ほらね。皆さんご覧あれ。
>心解脱という単語の意味を解説するかと思ったら、心解脱を得る時期しか示しませんよね。
>心解脱という単語の意味は四諦を知った後という意味なんだそうです。

なにが“ほらね。皆さんご覧あれ”だw
読者を味方にしようとしても駄目。
>>108に対して反論出来ないくせに勝ったような振りをするな。
心解脱の意味を今頃訊いて来るとは、駄目だねコイツ。
心解脱とは“諸漏から心が解脱すること”です。
そして、それは
「このように知り、このように見る彼は、欲漏からも心が解脱し、有漏からも心が解脱し、無明漏からも心が解脱する」
とあるように、四聖諦を知った後になる。
で、これが何だって言うんだい、次男坊さん?

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